青空文庫アーカイブ

浴槽の花嫁
牧逸馬

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)細君《さいくん》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)身|綺麗《ぎれい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36、142-15]
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 英国ブラックプウルの町を、新婚の夫婦らしい若い男女が、貸間を探して歩いていた。彼らが初めに見にはいった家は、部屋は気に入った様子で、ことに女の方はだいぶ気が動いたようだったが風呂が付いていないと聞くと、男は、てんで問題にしないで、細君《さいくん》を促《うなが》してさっさと出て行った。コッカア街に、クロスレイ夫人という老婆が、下宿人を置いていた。つぎに二人は、このクロスレイ夫人の家へ行ったが、そこには同じ階に立派な浴室があったので、男はおおいに乗気になって、さっそく借りることに話が決まった。間代は、風呂の使用料を含めて、一週十シリングであった。男の名はアウネスト・ブラドンといって、田舎《いなか》新聞にときどき寄稿などをするだけの、いわば無職だった。女は、アストン・クリントンの町に住んでいる石炭商の娘で、アリス・バアナムという看護婦であった。アリスは、健康で快活な田舎娘だったが、ブラドンは、背の高い、蒼白い顔の神経質らしい男だった。二人とも安物ながら身|綺麗《ぎれい》な服装をしていたが、女が確固《しっかり》としているわりには、男は、なまけ者の様子だった。これは後年ロンドン、ボウ街の公判廷で申し立てたコッカア街[#「コッカア街」は底本では「ロッカア街」と誤植]の下宿の女将《おかみ》クロスレイ夫人の陳述である。
 駅に一時預けしてあったすこしの荷物を引き取って、ブラドン夫妻は即日引き移ってきた。翌朝早く、二人は外出の支度《したく》をして、階下へ降りて来た。ちょうどほかの下宿人へ朝飯を運ぼうとしていた女将《おかみ》のクロスレイ夫人に階段の下で出合うと、ブラドンは、どこかこの近所に医者はないかと訊《き》いた。クロスレイ夫人は、引越し早々病気になったのかと思ってびっくりした。
「どこかお悪いんですか。」
「いや。これがすこし頭痛がするというもんですから。」
 ブラドンは新妻《にいづま》のアリスを返り見た。アリスは、なにか気が進まないふうだったが、それでも、嬉しそうににこにこしていた。
「なんでもないんですの。すぐによくなることはわかっているんですけれど、この人が、軽いうちにお医者に診《み》てもらったほうがいいといって肯《き》かないんですよ。」
 クロスレイ夫人は、それは、ブラドンさんがあなたを愛しているからですと言いたかったが、移って来たばかりで、まだそんな冗談を言っていいほど親しくなっていないので、ただ近所に開業している医者の家を教えただけだった。それは、ドクタア・ビリングという医師だった。ブラドン夫妻の来訪を受けたビリング医師は、アリスを診断してべつにどこも悪くないし、頭痛もたいしたことはないが、すこし神経過敏になっているようだから、そのつもりでいくぶん静養するようにと注意した。アリスは、月経《げっけい》の数日前には、何日もこの程度の軽い頭痛に襲われるのが常だったので、そのことを話すと、ビリング医師も首肯《うなず》いて、なにか簡単な鎮痛剤《ちんつうざい》のような物をくれて、診察を終った。こうして愛妻――?――の容態が何事もないと聞かされて、ブラドンはおおいに安心の態《てい》でアリスを伴ってコッカア街の下宿へ帰ったのだったが、この、花嫁を愛するあまりその健康に細心の注意を払う良人《おっと》としての、一見平凡な、そして親切なブラドンの行動は、すべて巧妙に計画されたもので、なにも知らないアリスが、ブラドンの心づくしを悦《よろこ》んで唯々《いい》諾々《だくだく》と医師へ同伴されたりしているうちに、彼女の死期は刻一刻近づきつつあったのだ。実際、殺す直前にこうして一度医者を訪問しておくことは、アウネスト・ブラドンことジョウジ・ジョセフ・スミス―― George Joseph Smith ――の常習的|遣《や》り口であり、彼の犯罪における一つの形式であり、スミスにとってはすでに殺人手続の一|階梯《かいてい》になっていた。それが水曜日のことで、その四十八時間後というから金曜日の夕方である。
 アリス・ブラドン夫人が入浴したいというので、その用意をしておいて、クロスレイ家の人々は、台所に集まって晩飯の食卓につこうとしていた。その前に、風呂の仕度《したく》ができたので、女将のクロスレイ夫人が二階のブラドン夫妻の部屋へ行ってその旨《むね》を告げると、良人《おっと》のアウネスト・ブラドンは不在のようだったが、寝巻一つに着|更《が》えたアリスが出てきて、すぐ廊下を隔てた浴室へはいって行くのを見た。浴室は二階にあって、イギリスあたりの下宿屋の多くと同じ建造でちょうど台所の真上にあたっていた。
 クロスレイ夫人が湯ができたと報《しら》せて来たとき、ブラドンも部屋にいたのだったが、女将の声を聞くと、なぜか彼は、それとなく扉の内側へ隠れるようにして、見られまいとした。そして女将が階下へ降りて、アリスが浴室へはいって行くと、彼もすぐあとを追って浴室のドアを叩いた。
「おれだよ、アリス。一緒にはいろうじゃないか。」
 良人《おっと》の声なので、アリスは、一度掛けた鍵をまわして、快くブラドンを浴室へ入れた。彼女は真裸の姿で、浴槽に片脚入れて媚《こ》びるように笑っていた。西洋の浴槽だから、小判形に細長く、一人が寝てはいるようにできている。ブラドンは、看護婦あがりの若いアリスが一糸も纏《まと》わない肉体をその湯槽に長々と仰臥《ぎょうが》させるのを眺めていた。浅い透明な湯が、桃色の皮膚に映えて揺れていた。ブラドンは自分も衣服を脱ぐ態《てい》をしながら、湯の中へ手を入れてみた。そして、すこし微温《ぬる》いようだといって、湯の栓《せん》を捻《ひね》った。それから、湯の量が少ないといって水の栓も開けた。こうして二つの栓から迸《ほとばし》る湯と水の音で、彼はつぎの行動に移る前に、あらかじめ物音を消しておこうとしたのだ。じつに用意周到なやり方だった。首から上だけを出して湯に浸《つ》かっていたアリスは、とつぜん良人《おっと》の手が頭にかかったので、笑顔を上げた。浴槽へまで来て狂暴な愛撫をしようとする良人を、嬉しく思ったのだ。ブラドンは、片手でアリスの上半身を押え付けて、片手で彼女の頭を股の間に捻《ね》じ込もうとした。はじめアリスは冗談と思ったのだが、良人《おっと》の手に力が加わって、真気《ほんき》に沈めようとかかっているので、急に狼狽《ろうばい》して※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36、142-15]《もが》き始めた。しかしまもなく、彼女の頭部は湯の中に没して、しばらく両手を振って悶《もだ》えていたが、すぐぐったり[#「ぐったり」に傍点]となって、その頭髪は浴槽いっぱいに拡がるよう見えた。騒ぎは、ブラドンの意図したとおり、水音に覆われ、浴室外へはすこしも洩れなかった。アリスが溺死《できし》したとみると、ブラドンはそっと部屋へ帰って、買ってあった鶏卵を六個その商店の紙袋に入れたたまま抱えてたれにも見られないように表玄関からコッカア街の通りへ出た。
 その時、浴室の真下の台所でクロスレイ夫人を中心に食事をしていた連中は、天井から湯が洩《も》って、壁を伝わって流れ落ちてくるので、大騒ぎになっていた。ブラドン夫人が湯の栓を出しっ放しにして、浴槽から溢《あふ》れ出ているに相違ない。夫人に注意しようというので、口々に大声に呼ばわっているところへ、裏口の戸を開けて、ブラドンが台所へはいって来た。彼は、翌日の朝飯の用意に、いま買って来たところだといって、抱えている商店の紙ぶくろから鶏卵を六個出して見せたりした。いそいで歩いて来たとみえて、赤い顔をして、呼吸を弾《はず》ませていた。そして、鶏卵の値がさがったなどと無駄話をはじめたが、二階の浴室から湯が滴《したた》り落ちて一同が立ち騒いでいるので、彼は急いで二階へ駈け上りながら、階段の中途から大声に叫んだ。
「アリス、お湯がこぼれてるじゃないか。」
 ブラドンはちょっと部屋を覗《のぞ》いてから、浴室へはいって行ったかと思うと、すぐ飛び出して来て、ブラドン夫人が浴槽に「死んだように」なっているから、至急ビリング医師を呼んでくれるようにと、階段の上から喚《わめ》いた。医者はすぐ来た。クロスレイ夫人の案内で浴室へはいって行くと、ブラドンが浴槽内の妻の身体を凝視《みつ》めて放心したように立っていた。ブラドン夫人は顔の半分を湯の中に漬《つ》けたまま、片手と片脚を浴槽の縁にかけて、ちょうど湯から出ようとして※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36、143-17]《もが》いている姿勢で死んでいた。よほど苦しんだとみえて、夫人は、湯の中で解《と》かれた頭髪を口中いっぱいに飲み込んでしっかり噛《か》んでいた。ビリング医師が一瞥《いちべつ》して施《ほどこ》すべき策のないことをブラドンに告げると、彼は医師に取り縋《すが》って、何度も繰り返した。
「先生、ほんとに駄目でしょうか。なんとかならないでしょうか。」
 ビリング医師は威厳をもって答えた。
「お気の毒ですが、手遅れです。こういうことのないように、あれほど御注意申し上げておきました。」
 鶏卵を買いに出たという現場不在証明《アリバイ》と、この愁嘆場《しゅうたんば》によって、ブラドンはたくみにクロスレイ夫人はじめ下宿の人々を瞞着《だま》して、底を割ることなく、この芝居を打ちとおしたのだ。ことにそのもっとも巧妙な部分は、事件の二日前にビリング医師を訪問してアリスの診断を乞《こ》うたことだった。どんな健康体でも、医師が診《み》ればどこか不完全な個所があるに相違ない。神経衰弱の気味だとか、すこし心臓が弱いようだとか、そういう漠然とした故障は、たれにでもあるものだ。また医者の身になってみれば、診察を乞われた以上、専門の手前もあり、無理に探しても、一つ二つ悪いところを発見して、それをいくぶん誇張して患者の注意を促《うなが》さなければならないという心理もあるであろう。その患者が、まもなくこうして急死を遂げたのだから、ビリング医師は内心不思議に思いながらも、外面はいくらか自分の職業的|慧眼《けいがん》を誇るようにさえ見える。もちろんその場で死亡証明書を書いて署名した。
「故アリス・ブラドンは、十二月十二日、ランカシャア州ブラックプウル町コッカア街、クロスレイ夫人方の浴槽において、過熱の浴湯のため、心臓の発作を招発して過失死を遂げたるものとす。」
 これさえ手にすれば、ブラドンは安心できた。アリス・バアナムは、こうして良人《おっと》アウネスト・ブラドンの「涙」のうちに葬《ほうむ》られたのだった。

        2

 だれ一人ブラドンを疑う者のなかったことは、いうまでもない。ビリング医師はもちろん、クロスレイ夫人も、自分がビリング医師を教えて、ブラドンがそこへアリスを伴《つ》れて行ったことを知っているので、彼らのすべてにとって、ブラドンはたいして悪くもないのに花嫁の健康を気にして医者に見せるほどの、おかしいくらいな、代表的愛妻家でしかなかった。その「愛妻」のアリスを失ったブラドンに下宿じゅうの同情が集まったのは当然だった。
 ところが、アリスの死後、まもなくブラドンの態度が一変してなんら妻の死を悼《いた》むようすがなくなったので、クロスレイ家の人々は、それをぴどく不愉快に思って、排斥《はいせき》の末、彼を下宿から追い出すにいたった。ブラドンはただ真個《ほんと》の彼が出てきたにすぎないのだが、由来、ランカシャアの人は、田舎者の中でも道義感の強い頑固な人たちとなっているので、この、最近死んだ妻のこともけろりと忘れたように陽気にしているブラドンを、看過《かんか》することはできなかったのだ。ブラドンが下宿を出る時、クロスレイ夫人が面とむかって痛罵《つうば》すると、彼は平然として答えた。
「死んだやつは、死んだやつさ。」
 この When they're dead they're dead という、アウネスト・ブラドンことジョウジ・ジョセフ・スミスの言葉は、彼ならびに彼と同型の常習殺人犯の、病的に冷酷な心状を説明する最適の言辞として、いまだに、犯罪研究者の間に記憶されている有名なものである。じつにジョウジ・ジョセフ・スミスは、「一杯の葡萄《ぶどう》酒を傾けるような」日常的な気易さをもって、つぎつぎに花嫁として彼の前に現われる女を殺しまわったのだ。そして一人殺すごとに、彼は内心|呟《つぶや》いたに相違ない。「死んだやつは、死んだやつさ」と。この種の犯罪者は、常にこの徹底した利己観念のうえに立っていて、そのうえ自己の犯罪能力と隠蔽《いんぺい》の技巧を信ずることすこぶる厚いのを特徴とする。したがって殺した方が目的に適《かな》う場合には、みずからを逡巡《しゅんじゅん》や反省なしに平気で殺人を敢行《かんこう》するのである。そして、that's that として、すぐに忘れる。ブラドン本名スミスの言った When they're dead they're dead の一言は、この意味で、その間の心理的消息を説明してあますところない。実際このスミスは、多殺者列伝の中でも第一位に推《お》されるべき傑物《けつぶつ》だ。その細心いたらざるなき注意と、事件にあたってまず周囲の人を完全に欺《だま》す俳優的技能とは、まさに前古|未曽有《みぞう》のものといわれている。また彼は、犯罪史に、一つの秘密な「家庭的」殺人方法を加えた発明家でもあった。それがここにいう「浴槽の花嫁」なる天才的な独創である。長く気づかれずにすぎたのだった。
 性的動機よりも、スミスの女殺しはむしろ稼業《ビジネス》として金銭が目的だった。この点いっそう彼をして冷血動物の感あらしめるが、女殺しといえば、このスミスこそ真の女殺しであろう。
 アウネスト・ブラドンと変名したジョウジ・ジョセフ・スミスと、看護婦アリス・バアナムとが知りあいになったのは、英国南部の海岸町アストン・クリントンだった。バアナム家は、そうとう手広くやっている石炭屋で、父母と、アリスのほか五人の兄弟姉妹があったが、ブラドンのスミスは、最初から、そのたれにも気受けがよくなかった。ぐうたららしい彼の容貌や態度が、家人の気に入らなかったのだ。ことに父親の老バアナムは、ひどくブラドンを嫌って、娘に会うために家を訪問して来ることを、きっぱり断った。それが十月三十一日だった。すると、その四日後に、ブラドンに唆《そそのか》されたアリスは、この猛烈な家族の反対を無視して、彼と結婚してしまった。そしてその翌日、ブラドンはさっそく「愛妻」アリスを五百ポンド――約五千円――の生命保険に加入させている。
 これでアリスの呼吸に五百ポンドの値段がついたわけだが、ほかにも彼女は、自分名義のささやかな財産をもっていた。百ポンドというから約千円だ。大部分は父から貰ったものだが、残余は自分の貯金だった。この金は、父のバアナム老が管理していたので、結婚後数日|経《へ》て、アリスは家父に手紙を書いて、ただちに全部送金するように頼んでやったが、いくら待っても送ってよこさないので、十一月二十二日に、ふたたび催促《さいそく》の手紙を出した。それでも、なんの返事もない。アリスは、中二日おいて、父を訴える意気込みで弁護士のもとに相談に行ったりしている。ブラドンが陰にあって一日も早く現金を取り寄せるようにアリスを急《せ》き立てたようすが、想像されるのである。こうなると父のバアナム老も負けていない。同じく弁護士を訪問して対策を講じた結果、彼としては、娘の婿《むこ》であるブラドンという人物に明瞭でない個所があって不安を感じていて、そのために送金しないだけのことなのだから、あらためて、その弁護士が、依頼者バアナム老人の代理格でブラドンに一書を飛ばして、彼の出生、家族関係、職業、財産など、彼自身に関する満足な説明を求めたのだがこれにたいして書き送ったブラドンの返事なるものは、こういう犯罪者の無責任な嗜悪戯《しあくぎ》性を発揮していて、特徴のあるものである。彼は、老バアナムは自分とアリスとの結婚を承認しないという理由の下に、アリスの金を送ってよこさないものの、アリスは成年に達しているので、その結婚は父の承認を経《へ》ないでも有効なのだから、バアナムの立場は、なんら法律的に根拠のあるものでないことを熟知していたし、また相手方の弁護士がそれを承知しきっていることも心得ていたので彼の返書は、じつに悪ふざけを極《きわ》めたものだった。ブラドンはこの手紙の中で、自分の母は荷馬車の馬であり、父はその御者《ぎょしゃ》、姉は曲馬団の調馬師、兄弟はすべて道路の地|均《なら》し用蒸気ロウラアに乗り組んでいる小意気な船員たちだと、ユウモラスなつもりだろうが、このごろ流行《はや》るナンセンス文学みたいな、なんだか要領を得ないことを言っている。
 とうとう仕方なしにバアナム老が負けて、百四ポンドの小切手を送ってよこしたが、それがまっすぐブラドンのポケットへ落ちたことはもちろんだ。十二月八日に、アリスの保険証書が会社から届いた。即日彼は、たんに形式だからとアリスを説いて、遺書の交換をやっている。それによって、どっちでも先に死んだ方が、残る者のために財産全部を遺《のこ》して逝《ゆ》くことに法律的に決定したわけだが、どっちが先に死ぬかとは、ブラドンがアリスを一眼見た時から、とうに決まっていたのだ。こうしてすっかり準備ができたところで、ブラドンはアリスを伴ってブラックプウルの町へ出たのである。
 これが一九一三年の十二月九日で、三日後の十二日には、早くもアリスの遺書が口をきくことになった。アリスの所有品と貯金と保険金を掻《か》き集めたブラドンは、本名のスミスになって情婦のエデス・ペグラアのもとへ帰り、カラアも着けずにスリッパ一つで家の中をのろのろしているような生活を数カ月続けた。
 すると、翌一九一四年の八月のことだ。
 アリス・リイヴル――偶然にも前の被害者と同じ呼名である――という女中が、ボウンマスでチャアルス・オリヴァ・ジェイムスと呼ぶ男と知りあいになった。チャアルス・オリヴァ・ジェイムスなんて、山田太郎みたいに変名変名していて、あまり上手な変名とはいえないが、とにかくこの Mr. Charles Oliver James は、知り合いになった四日目に、電光石火的にアリス・リイヴルに結婚を申し込んだ。アリス・リイヴルは、女中ながらも真面目に働いて、七十ポンドの銀行預金と家具をすこしとピアノを一台持っていた。彼女は、チャアルス・オリヴァ・ジェイムスの結婚の申し込みをさっそく承諾して、ピアノを十四ポンドで売り払って、結婚の日の九月十七日に、その金と一緒に、預金引出しの委任状に署名までして良人《おっと》チャアルス・オリヴァ・ジェイムスに渡している。結婚式を挙げたのはウィルウィッチの教会だった。同日、まもなく、二人はラヴェンダア・ヒル銀行に現われて、預金の全部をおろした。そしてただちにブロックウェル公園の近くにデルフィルド夫人という老婦人の経営する下宿屋を発見して落ち着いたのだが、この家に浴室のあったことはもちろんである。また、二、三日して、チャアルス・オリヴァ・ジェイムス氏が、どこもなんともないアリス・ジェイムス夫人を、近所の医師アレキサンダア・ライスのもとへ同伴して診察を乞《こ》うたことはもちろんである。花嫁の入浴、日用品を買いにちょっと外出したと見せかけたジェイムスの現場不在証明《アリバイ》、浴槽における花嫁の溺《でき》死、アレキサンダア・ライス医師の簡単な死亡証明書、涙の葬《とむら》い等、すべて前の事件と同じであることも、またもちろんである。When they're dead they're dead. 明瞭すぎる事実だ。

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 ベシィ・コンスタンス・アニイ・マンディ―― Bessy Constance Annie Mundy ――という長たらしい名の女は、ブリストルのロイド銀行出張所支配人 Reginald Mundy の娘で、三十三歳になる老嬢だった。父の遺産二千五百ポンドを相続していたが、それは後見人《こうけんにん》となっている伯父《おじ》のパトリック・マンデイが保管して、いくつにも分割して確実な事業に投資していたので、ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディの実際の所得は、年利わずかに百ポンドにもつかなった。が、ベシイ・マンディは、明らかに保守的な、内気《うちき》な女だったに相違ない。この少額な年収に満足して財産のことはすべて伯父パトリック・マンディに任せきりにしたまま、自分はほとんど宗教的な、あくまで静かな独身女の生活を守っていた。しかし、ベシイ・マンディも女性なのだし、それに、三十三なら、晩婚の女の多いイギリスあたりではそんなに老嬢《オウルド・ミス》の組でもないので、いつかは彼女の前に現われるであろう騎士を待つ心は無意識にも絶えずあったのだろう。大戦前の都会における女性の冒険といえば、せいぜい下宿屋を移り歩くくらいのものだったが、このベシイ・マンディもそれに倣《なら》って下宿屋から下宿屋へと自由なようで自由でない、なにか素晴らしい興味が待っているようでその実なんら[#「なんら」は底本では「ならん」と誤植]の興味も待っていない、大都会で自分の影を追うような、あの妙にはかない独身者の移転生活を送っていた。このベシイ・マンデイ嬢が、ヘンリイ・ウイリアムズ―― Henry Wiliams[#「Wiliams」は底本では「Wilians」と誤植] ――これも山田太郎的に、変名で候《そうろう》といわんばかりの変名だ。どうもスミスは能のない変名ばかり選ぶ癖があったようだ――に会ったのは、そうしてさかんに引っ越して歩いていた素人《しろうと》下宿の一つであった。これが日本の話なら、さしずめ神田か本郷の下宿の場が眼に浮かんで、舞台の想描も容易なのだが、西洋だって、同じことだ。下宿屋の恋は、急テンポをもって進展するにきまっている。ことにこの場合は相手が職業的「女殺し」ヘンリイ・ウイリアムズである。ベシイ・マンディの探していたものが冒険と退屈|凌《しの》ぎなら、とうとう彼女は、理想的なそれに行き当ったわけだ。しかもとんでもない大冒険の後、ついに彼女は、もう退屈を感じる必要のない場所へ行ってしまった。例によって、裸体のまま浴槽から天国へ旅立ったのである。
 ヘンリイ・ウイリアムズは、背丈《せたけ》の高い、小|綺麗《ぎれい》な紳士だった。敏捷《すばしっ》こく動く眼と、ロマンティックな顔の所有主だったとある。気位《きぐらい》の高いベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディ嬢から観《み》れば、いささか教養の点に不満があったようだが、元来性的結合には、なんらの条件が予在しない。それに、こうして下宿屋を移り歩いていたというのは、つまりベシイ・マンディは三十三になっていて、淋《さび》しかったのである。賑《にぎ》やかな讃美者の群に取り巻かれている女王よりも、自分だけの女王の孤独の女のほうが、近代の都会では、より危険率が高いのだ。
 しかし、この時は結婚というところまで漕《こ》ぎつけるのに、ヘンリイ・ウイリアムズもかなりの努力を要したのだった。それはベシイ・マンディが珍らしく古風な、宗教心の強い女だったので伝統的な婚約の期間として、彼はそうとうの日数を待たなければならなかった。が、結局二人はウェイマスへでかけて行って、三日ののち、そこの教会でこっそり式を挙げた。老嬢ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディは、ついに聖なる鎖《くさり》によってヘンリイ・ウイリアムズに継ながれたのである。その時の結婚登録を見ると、女のほうはわかっているが、ヘンリイ・ウイリアムズの項には、こうある。
「Henry Wiliams, Picture-restorer, son of Henry John Wiliams, commercial traveller.」
 絵画修復師《ピクチュア・レストアラア》という職業になっているが、額縁《がくぶち》の入れ換え修繕をしたり、絵の手入れや掃除をする、一種の骨董屋《こっとうや》の下廻りみたいなものであろう。実際ジョウジ・ジョセフ・スミスは、以前からブリストル市で骨董屋《こっとうや》をおもてむきの稼業にしているのだった。
 例によって、二人は教会を出るとすぐ、その足で近所の弁護士を訪問して、夫婦間の財産問題を「明白」にしておくことにした。この、結婚と同時に「必要な事務」を手早く片付けることはスミスの常套手段《じょうとうしゅだん》になっていた。結婚直後だと、女はまだ浮々しているし、それに、これから新生活にはいるつもりでおおいに意気込んでいるところだから、万事彼の思うとおりに取り決め易いというのである。ところが、このベシイ・マンディの場合には、弁護士のもとへ行って初めてヘンリイ・ウイリアムズは一つの驚きを味わわされた。それは、彼女はそうとうの財産をもっているような口ぶりだったのが、よく調査してみると、月々の小遣《こづか》いの中から伯父《おじ》なるパトリック・マンディがいくらかずつ保留してベシイの名で積み立てておいた百三十八ポンドというものが自由になるだけで、ほかは一切いまいった後見人の伯父が財産の口を押えていて、本人のベシイでさえ手を触れることができないというのだ。これはなんとも当ての外れた話で、ヘンリイ・ウイリアムズはすくなからず勝手が違ったが、それでも百三十八ポンドは百三十八ポンドである。さっそく弁護士の方からパトリック・マンディの姪《めい》の結婚を報《しら》せてその金を送ってよこすように言ってやると、伯父がぐずぐず言い出してやはり弁護士を代理に立てたが、結局法律上ベシイの名義になっている金を送らないというわけにはゆかないので数日後、金は、ベシイの手に、というより、良人《おっと》ヘンリイ・ウイリアムズの手にはいった。するとその日に今度は彼がどろん[#「どろん」に傍点]をきめたのだ。ちょっとそこらへ行くような顔をして出たきり帰らないので、幻滅と悲痛に気の抜けたようになったベシイ・コンスタンス・アニイ・マンデイは、それからまもなく、ウエストン・スウパア・メアのタケット夫人の下宿へ移って、ひとり静かに心の痛手を癒《いや》すことになった。いっぽうヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスは、ブリストルに待っている情婦エデス・メエベル・ペグラア―― Edith Mabel Pegler ――の胸へ帰っていた。ベシイ・マンデイから捲《ま》きあげた金で、彼らのうえに、またとうぶん情痴《じょうち》と懶惰《らんだ》の生活が続いた。
 それが二年も続いている。その間は犠牲者がない。この期間をスミスはペグラアと一緒にブリストル、サウセンド、ウォルサムストウ、ロンドンと住み歩いて最後にまたブリストルへ帰ってきた。それが一九一二年の二月で、本稿の冒頭に記した「アリス・バアナム事件」を先立つ約二カ年のことである。筆者は事件を主眼に、年代を追わずにこの記述を進めていることを、この機会に一言しておきたい。
 二月にブリストルへ帰って来た時は、スミスは財政的にかなり逼迫《ひっぱく》していた。ただちに女狩りに着手して、ウェストン・スウパア・メアへでかけた。そしてふたたびベシイ・マンディに会ったのだが、初めて知った男のヘンリイ・ウイリアムズを、ベシイは忘れかねていたのだろう。恋は思案の外という真理に洋の東西はない。ああして結婚後すぐ金を浚《さら》って姿を晦《くら》ました男ではあるが、ベシイは再会と同時にすべてを水に流して、またただちに彼と同棲《どうせい》生活を始めた。が、その前に、いくら夫婦の間でも金銭のことは明瞭にしておかなければならないとヘンリイが主張して、彼は、二年前に持ち逃げしたアリスの金にたいして、この時あらためて借用申候《しゃくようもうしそろ》一|札之事《さつのこと》を入れている。しかも四分の利子ということまで決めたのだから、念が入っている。水臭いようだが、形式はあくまでも形式として整えておかなければ気がすまないとヘンリイが言うと、ベシイは、「帰って来た良人《おっと》」 の「男らしい態度」に泪《なみだ》を流して悦《よろこ》んだ。これで、ベシイの方は難なく納まったが、そうまでして堅いところを見せても、肝心《かんじん》の伯父パトリック・マンディには、依然として好印象を与えなかった。伯父はこのヘンリイ・ウイリアムズなる人物にますます不信と不安を募《つの》らせるいっぽうで、法定後見人である立場を固守して、保管中のベシイの財産から鐚《びた》一文もまわすことはできないと断然拒絶したのだ。これで、本人のベシイが生きている間は、ヘンリイ・ウイリアムズはその二千五百ポンドに手をおく横会が絶対になくなったわけである。ベシイが死ねば、遺言によって遺産を相続することは、比較的簡単なのだ。もう一つ、今度彼が決行を急いだ理由は、伯父がその財産管理人としての権利を伸長させてベシイの全財産を政府の年金に組み更《か》えはしないかということを懼《おそ》れたためだった。伯父が危険を感じているとすれば、そういうことができるのである。こうすれば、自分の責任が軽くなると同時に、いかにヘンリイが策動したところで、手も足も出ないし、ベシイも生涯をつうじて完全に保証されることになるのだから、叔父がこの手段を採《と》るかもしれない可能性は十分にあるのだった。ヘンリイ・ウイリアムズは狼狽《ろうばい》して、着々「浴槽の花嫁」の準備に取りかかった。
 機会を窺《うかが》っているうちに、容赦《ようしゃ》なく日がたってしまう。五月なかばになった。イギリスの春は遅いがこのころは一番いい時候である。公園の芝生がはちきれそうな緑をたたえて、住宅区域の空に雲雀《ひばり》の声がする。ライラックが香って、樹の影が濃い。ヘンリイ・ウイリアムズ夫妻はその時までハアン・ベイに住んでいたが、そこでは、近所に知りあいもできているので、事件後の口のうるさいことを思って、ヘンリイの主唱で、五月二十日に、二人はハイ街に一軒の古風な、小さな家を借りて急に移転した。赤|煉瓦《れんが》建ての、住み荒した不便な家であった。この家を借りるにあたって、どうせ長くいないことを想見《そうけん》したものか、ヘンリイは一年の家賃の中からすこし手付けを置いただけで引っ越している。じつに気味の悪い転居であった。
 七月八日に夫妻は同町の一弁護士を訪れて、彼のいわゆる「形式」として、ヘンリイがまず自己の所有のすべてを妻ベシイに遺《のこ》す旨《むね》の遺言書を作製して署名した。ベシイは一通同じ意味の遺言を調《ととの》えて、型どおり弁護士立会の下に夫婦それを交換した。遠い慮《おもんぱか》りとして、ベシイはこの良人《おっと》の処置を悦んだが、案外それは近い慮《おもんぱか》りだったのだ。これで安心したヘンリイは、ただちに第二の支度《したく》を急いだ。
 まず風呂槽を買っている。けちな借家で、家に浴槽が付いていないので、彼はヒル街の金物商へでかけて行って、一度目的に役立ちさえすれば好いのだから、粗末なのでたくさんだ。一ポンド十七シリング六ペンスで一番|安価《やす》いブリキのやつを買った。それも、はじめ二ポンドというのをしつこく値切って負けさせたのだ。資本は必要の範囲内で少額なほどよいというので、細かい男だった。

        4

 三日後の七月十一日に、同じ町に住む開業医フレンチ医師の許《もと》に、ヘンリイ・ウイリアムズが夫人を伴《ともな》って診察を受けに来た。聞いてみると、夫人に軽微な発作《ほっさ》が起るというのである。それは、夫人のベシイ・マンディがいうのではなく、良人《おっと》のヘンリイが話したのだった。ちょうどその二、三日酷暑が襲って来て、急病人が多く、健康な人もなんらか身体に変調を感じ易い時だったので、ただそれだけのことにすぎないと、ベシイ・マンディのウイリアムズ夫人は、医者へ来てまでも軽く抗弁していたが、とにかくというのでフレンチ医師が診察すると、ヘンリイの話した容態が先入主になっていたせいか、医師は簡単に癲癇《てんかん》の疑いがあるという診断を下した。ヘンリイはあらかじめ癲癇の初期の症状を調べて行って、それに適合するようにいったのであろう。フレンチ医師が医学校を出てまもない、二十代のほやほやだったということも、彼にとっては好|都合《つごう》だったに相違ない。こうしてベシイ・マンデイは嫌応《いやおう》なしに癲癇の兆候があるということに外部から決められてしまったのだ。ヘンリイはおおいに「心配」して、その日から無理やりベシイを寝台に寝かせきりにしてしまった。翌十二日に念のためフレンチ医師が往診すると、どこもなんともなくぴんぴんしているヘンリイ夫人が、すっかり病人めかして寝台に寝かされていた。医師はちょっと滑稽《こっけい》に感じて、癲癇《てんかん》といっても、軽兆候が見える程度のものだから、そんなに用心する必要はないと言い残して帰った。が、明けて十三日――ベシイ・マンディにとってはたしかに十三[#「十三」に傍点]の凶日だった――フレンチ医師は「周章狼狽《しゅうしょうろうばい》」して飛び込んで来たヘンリイ・ウイリアムズによって愕《おどろ》かされた。「癲癇《てんかん》患者」のベシイ夫人が、浴槽で「死んだように」になっているから、すぐ来てくれと言う。その時のヘンリイは、傍《はた》の見る眼も気の毒なほど、狂気のように取り乱していた。ただちにハイ街の家へ駈け付けてみると、はたしてベシイは、同家屋根裏に取り付けられた金一ポンド十七シリング六ペンス也《なり》のブリキの浴槽の中で片手に石鹸を握ったまま、冷く固くなっていた。こうしてベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディは、入浴中の「癲癇《てんかん》の発作」で、裸体という失礼な風俗のまま見事に昇天してしまった。なにしろとっさのことで、着物を着る暇がなかったのだろうと、ヘンリイ・ウイリアムズのジョウジ・ジョセフ・スミスがあとで裁判長を揶揄《やゆ》している。しかし、絵で見る天使はみんな裸体だから、あれでいっこう差閊《さしつか》えあるまいと彼はこの悲劇に不謹慎《ふきんしん》なユウモアを弄《ろう》して満廷を苦笑させた。これは後日のことで、とにかく、こんなことがないように、医者にも見せてあれほど注意したのだ。それだのに、大丈夫だといって入浴したりするから、取返しのつかないことになってしまったと嘆き悲しんで、その当座彼は「半狂乱」の有様だった。
 これはスミスが、もっともうまく遣《や》った商売《デイル》の一つだった。殺す前にベシイを唆《そそのか》して、自分はときどき発作に襲われるようになったというようなことを手紙に書いて、方々の親類へ出させたのだ。その中にはヘンリイとその愛の生活といったような惚気《のろけ》混《まじ》りの文句もある。そして、自分は良人《おっと》を愛するし、良人もよくしてくれるから、良人を全財産の相続人として遺書を作ったと報告している。なにしろ故人がまだ生きているうちに手記したものだから、この手紙はヘンリイにとって大きな便宜《べんぎ》となった。そのために、屍《し》体の解剖を主張した伯父パトリック・マンデイの要求も斥《しりぞ》けられて、フレンチ医師のとおり一遍の死亡検案書がそのまま通った。事件の四日目から彼は相続の手続を始めている。親類の中には死因に疑念を挟《はさ》む者もあって、パトリック・マンデイを先頭に立てていちじは訴訟になりそうな形勢だったが、なにしろベシイの遺言書に法律上の瑕瑾《きず》がないので、ついに折れて手を引いてしまった。二千五百ポンド――二万五千円――はヘンリイ・ウイリアムズの有に帰した。
 この時情婦のエデス・ペグラアはマアゲイトでスミスの帰りを待っていた。エデスはこのスミスの活躍をすこしも知らずに、商売物の骨董《こっとう》のことで各地を旅行していることと信じきっていたというのだ。このベシイ殺しの後でも、われわれは、すぐエデスのふところへ飛び帰って、一緒に生活しているジョウジ・ジョセフ・スミスを発見する。ベシイ・コンスタンス・アニイ・マンディのことなどは、彼はすでにけろりと忘れていた。When they're dead they're dead. だ。比較的大金を持って来たことをエデイに説明して、カナダで掘出物をして思わない儲《もう》けにありついたのだと言っている。約二年間、二人は呑気《のんき》に居食いして暮らした。が、ふたたぴポケットが淋しくなったスミスは、またぞろ「掘出物」を捜して、今度は英国南部の海岸へでかけた。一九一三年の秋だっだ。そうしてその十月には、そこのアストン・クリントンであのアリス・バアナムに接近していたのだ。
 一九一四年の十一月だった。
 クリフトンの町である。牧師の娘で、他家の小間使いに行っているマアガレット・エリザベス・ロフティという二十三になる女が、ジョン・ロイド―― John Lloyd ――と呼ぶ男とふとしたことから知りあいになった。ちょうどこの時マアガレット・ロフティは失恋に悩んでいたので、この痩せぎすで背の高い、色白のジョン・ロイド君から優しい同情の言葉を寄せられると、その感謝の心持ちは必然的に恋に変わって、そこへロイド君が結婚の申し込みをしたものだから、二人は急転直下的に、同月十七日にバス町で結婚式を挙げた。式後ただちに、ロイド君は花嫁を保険会社へ伴《つ》れて行って、七百ポンドの生命保険を付けた。それから、花嫁の金として銀行にあった、たった十九ポンドを引き出して、その中から二人分の汽車賃を払ってロンドンへ出た。上京する前にロイド君はハイゲイト区オルチャアド街のウイルドハアゲン夫人の下宿へ手紙を書いて部屋を予約しておいた。ところがその家へ着いてみるとまだ部屋の用意ができていないで、二、三時間してから来てくれというのだ。仕方がないからロイド君はお上《のぼ》りさんの花嫁を引きまわして、ぶらぶらロンドンの町を見て歩いて時間をけした。が、下宿の女将のウイルドハアゲン婆さんは、二人があまり貧弱な風体《ふうてい》をしているので、はじめ部屋を見に来た時から、そう言って断るつもりだったのだ。ウイルドハアゲン夫人は、名前でわかるとおりドイツ人である。時は一九一四年だ。その年以後の四年間、英国中のドイツ人とドイツ名の人間に、警察が密接な看視の眼を光らせていたことは、いうまでもない。このウイルドハアゲン家へも、しじゅう刑事が出入りして、まるで家族の一員のように台所で煙草《たばこ》なんか吹かしていた。で、この時も、ちょうどその刑事の一人が来あわせていたので、いま引き返してくる若い夫婦者を、なんとかして断りたいものだとウイルドハアゲン夫人が言うと、刑事はおやすい御用だと引き請《う》けて、手ぐすね引いて待っていた。そこへ、もうよいころだとロイド君夫婦が帰って来たので、女将《おかみ》の代りに刑事が飛び出して行って、そこは心得たもので、あっさり脅《おど》かして追っ払ってしまった。部屋を拒絶するにしても、なぜ刑事が応対に出たのか合点《がてん》がゆかないはずだが、ジョン・ロイドの方は顔色を土のようにして、花嫁の袖《そで》を引いてこそこそ立ち去って行った。ビスマアク街一五五にブラッチ夫人というのがやはり素人《しろうと》下宿をやっている。まもなくロイド夫妻はこの家へ現われて間借りを申し込んだ。不思議といおうか不気味といおうか、ここで妙に風呂のことを気にして詳しく訊《き》いたのは、ロイド夫人マアガレット・エリザベス・ロフティだった。
 計画は順調に運びつつある。方式どおりに、ロイドはマアガレットを連れて付近の医者ベイツ氏を訪問した。今度は、妻が猛烈な頭痛を訴えるから診《み》てもらいたいというのだ。良人《おっと》がそういうのを聞きながら、傍《かたわら》でマアガレットは、その猛烈な頭痛のする妻というのはいったいたれのことだろうというような不思議そうな顔をしていた。ともかくとあっていちおうマアガレットを診察したベイツ医師は「患者が恐ろしく健康体」なので変に思いながらも、なにしろ付添の良人がしきりに頭痛がすると主張するものだから、そんなに頭痛がしますかと本人に訊《き》くと本人もちょっと考えてみてそう言えばすこし頭痛がするようですと答える。自分の身体のくせに妙な返辞だと感じたが、すこし熱もあるようなので、ようするに風邪《かぜ》気味なのだろうということになった。やっと悪いところができて、ロイドも安心するし、ベイツ医師も面目を施《ほどこ》したわけだ。型どおり処方箋《しょほうせん》を書いて、部屋へ帰って寝るようにいった。二人は辞し去った。が、部屋へではなかった。すぐそこから弁護士へ廻って、例によって互いを相続人にした遺書を書いて手交しあっている。財産もなにもないマアガレット・エリザベス・ロフティの相続人になったところでしょうのないようなものだが、この男は、「形式は形式として整えておく」ことが大好きだったとみえる。それに、たとえ服一枚靴一足にしろ、死んでゆくと決定した女――もっとも女自身は知らないが、人間は多くの場合自分の死期を知らないものだから、これは無理もない――その女の身についているものは、なんによらず一切|合切《がっさい》もらうことにしておいて、いっこう差閊《さしつか》えない。どうせ死んでしまえば用のない品物だから、この自分が「相続」して金に換えるんでもなければ無駄になると考えたのだろう。実際どうも細かい男だった。

        5

 ベイツ医師の所から弁護士へまわったその日である。午後七時半ごろだった。ロイド夫人が入浴したいと言うので、その仕度《したく》をして、おかみのブラッチ夫人が階下から呼ばわった。
「ロイドの奥さん、お湯が立ちましたよ。」
 はあいと答えて、すぐ階上のバス・ルウムへはいる気配がした。ロイドとマアガレットと、二人一緒にはいろうと言うのだった。まずマアガレット[#「マアガレット」は底本では「マアガレッド」と誤植]が、着ていたガウンを脱いで、含羞《はにか》みながらまだ処女らしいところの残っている若々しい身体を浴槽へ沈めた。浴槽の花嫁だ。ロイドはそれに見惚《みほ》れていて、着物を脱ごうとしなかった。マアガレットが促《うなが》すと、彼はそのままシャツの腕まくりをして、浴槽へ近づいて来た。そして、静かにマアガレットの顔へ手をかけたので、彼女は、また接吻でもするのだろうと思って、にっこりして男の方へ顔を向けた。そこをロイドは、いきなり頭を掴《つか》んで、やにわに股の間へ捻《ね》じ込んでしまった。そしてしばらく満身の力でおさえつけていた。階下にいたブラッチ夫人は、頭の上の浴室で、踊るような跫《あし》音がするのを聞いた。ちょっと静かになった。すると一声笑うような声がして、湯を撥《は》ね返す音がした。なにを風呂場で戯《ふざ》けているのだろう。若い人はしようがないと思っていると、やがて溜息《ためいき》のような長い声が聞えた。ブラッチ夫人は別に気に留《と》めないで用をしているところへ、いつのまにか良人《おっと》のロイドの方が降りて来ていて、階下の応接間で彼の弾くピアノの音がしていた。ピアノの音は十分ほど続いた。そのうちにロイドは玄関から出て行った様子だ。おもての扉が大きな音を立てて締まった。と思うまもなく、玄関でベルが鳴った。ブラッチ夫人が出て行って開けると、はいって来たのは、いま出て行ったばかりのロイドだった。ついその近くの大通りまで買物に行ったのだが、急いで飛び出したので帰りの鍵を持って出るのを忘れた。ベルを鳴らして開けてもらったりしてすまないと言って、彼は快活に笑った。買って来た品物は、今度は鶏卵ではなかった。トマトだった。
「家内はまだ食事に降りて来ませんか。」
「いいえ。」
「長湯だなあ。何をしてるんだろう。」
 階段を上りながら、ロイドは大声に呼んだ。
「出ておいでよ、好《い》いかげんに。」
 返事がない。ないはずだ。その時はすでにマアガレット・エリザベス・ロフティはスミスのいわゆる「裸体の天使」の仲間入りをしていたのだが、その妻の名を呼ばわりながら浴室へはいって行ったロイドは、たちまち転がるように出て来て「驚愕《きょうがく》用」の声で叫んだ。
「来て下さい。家内が――。」
 あとは口もきけないといった態《てい》だ。ブラッチ夫人はじめいあわせた下宿人たちが駈け上って見ると顔色を変えたジョン・ロイドが、着衣の濡れるのもかまわず、夢中で浴槽の中の妻の屍《し》体を抱き上げようとしていた。その濡れた女の裸体を湯の中から釣り上げる姿態は、ジョウジ・ジョセフ・スミスとして、彼が長年手がけて来た、古いふるい職業的ポウズであった。マアガレットは湯槽の細くなっている方の底へ鼻を押しつけて、臀《でん》部を湯の上へ突き出して、ちょうど回教徒の礼拝のような恰好《かっこう》で死んでいた。どんな恰好で死のうと When they're dead they're dead.
 さっそく呼ばれて来たベイツ医師が、細かく首を振って哀悼《あいとう》の意を表しながら、「ロイドのために」死亡証明のペンを走らせた。自己の過失による浴槽内の溺死の例が、また一つ殖《ふ》えた。風邪《かぜ》を引いて心臓が弱っている時に、熱い湯の中に長く漬《つ》かっていたりするのが悪いのだ。眩暈《めまい》を感じて卒倒したきり、ふたたび起《た》ちえなかったのだろう。悲しむべき不注意である。口々に慰められて、ロイドはぽかんと口を開けて空を凝視《みつ》めているかと思うと、激しくマアガレットの名を呼び続けたりした。発狂か自殺の懼《おそ》れがあるというので、忙しいブラッチ夫人にとうぶんロイドを見張る用事が付加された。が、三日後にロイドは泣きの涙のうちに、ジェパアンズ・ブッシュの弁護士に頼んで、遺書によってマアガレットの遺《のこ》した物を掻《か》き集め、「泣く泣く」七百ポンドの保険金を受け取っている。が、このマアガレット殺しが、ブリストルの骨董《こっとう》商ジョウジ・ジョセフ・スミスの最後の「掘出物」であった。自分でもおおいに意外だったろう。足はなにからつくかわからない。
 殺人鬼とか殺人狂とかいうこの類型に属する犯人には精神異常者が多いというが、このジョウジ・ジョセフ・スミスは例外だった。細心をきわめた手口を観《み》てもわかるように、彼はじつに組織的な時としてははるかに普通人を凌駕《りょうが》する明徹な頭脳の所有者だった。普段は怠惰《たいだ》なくせに、「浴槽の花嫁」の場合にだけ、異様に敏活巧緻《びんかつこうち》に働くのだから、その点がすでに病的だといえばいえるけれど彼の日常の言動を精査しても、何度専門家が鑑定しても、なんら精神的反応を呈《てい》さずに報告はいつもネガチヴだった。それだけ彼が明るみへ引き出された時、世間の憎悪と恐怖は大きかった。彼は建築家のごとく平均を重んずる心で殺人の設計を立て、軍略家のように先を見越して行動し、船長の持つ正確さで犯罪を運転して、半生に亘《わた》って人命の破壊とそれによる財物の横領を職業としたのだ。何人の女を浴槽で殺したか、その数はとうとう明確にわからずに終った。スミス自身カタログを発表したことがないからだというのだが、つまり、カタログになるほど多勢だったことは事実である。この犯罪が発覚した時、世人が色を失って戦慄《せんりつ》したのは無理ではなかった。
 George Joseph Smith はベスナル・グリインの保険会社員の家に生まれた。一八九六年に軍隊から出て来るとすぐ女狩りを始めて、その「浴槽の花嫁」なる新手は、十八年後に刑死するまで継続された。頻繁《ひんぱん》に名を変えているので、除隊になってからの足取りを拾うことははなはだ困難とされている。一八九七年に女のことで投獄されたジョウジ・ベエカアなる男が、まずスミスの変名のはじまりで、その後、ライセスタアでいちじ菓子屋をしていたこともある。つぎに知れているのはジョウジ・オリヴァ・ラヴ―― George Olive Love ――という三文小説の主人公みたいな名でカロライン・ビアトリス・ソウンヒルという十八歳の女と結婚していることだ。その時の結婚登録に、スミスは父の職業を探偵と書いている。皮肉のつもりであろう。このカロライン・ソウンヒルのその後の消息も不明だから、やはり「浴槽の花嫁」になったのだろうということになっている。が、スミスの真個《ほんと》の活動は、一九〇三年に開始されて、引き続いて六年間、彼は東奔西走席の暖まる暇もなく女狩りに従事して多忙を極《きわ》めた。ちょっと被害者の名を挙げただけでも、メイ・ベリスフォウド、マアガレット・グロサップ、ルウス・ホフィらだ。この人鬼にも、ただ一人、財産が眼あてでなしに一生涯愛し抜いた恋人があった。それが前からたびたび出ている情婦のエデス・メエベル・ペグラアである。スミスは、一九〇八年ブリストルでこの女――ペグラアは売笑婦だった――に会って以来、不思議にもこの女にだけは人間的な片鱗《へんりん》を見せて、「浴槽の花嫁」で金を得次第、いつも矢のようにペグラアの許《もと》に帰っている。彼が九十ポンドの資本でブリストルの町に小さな骨董《こっとう》屋を開いたのも、この女がいるためだった。結婚もこのペグラアとだけはちゃんと本名のジョウジ・ジョセフ・スミスでしている。一生をつうじてただ一度の例だ。真実に愛していたと見えて、スミスはペグラアに何事も知れないようにしゅうし極度に骨を折っている。不規則に家をあけて他の女と同棲していた期間のことを、彼は常に商用で外国へ旅行していたと告げていたので、ペグラアは最後までスミスの犯罪に気がつかなかった。一九〇九年に、サザンプトンのサリイ・ロウズ夫人が偶然にも同姓のジョウジ・ロウズと名乗る男と恋に落ちて、同棲するとまもなく浴槽で、「頓《とん》死」している。同時に、ジョウジ・ジョセフ・スミスは、三百五十ポンドばかりの現金を握って、ブリストルのエデスの所に帰っていた。それから三年ほど、彼らは平凡に、幸福な家庭生活を営んでいたのだろう。ちっと「浴槽の花嫁」が途切れているのだ。こんな怪奇な冷血漢がこの地上にただ一人の愛する者を持ったということは、考えてみると、不思議な気がするのである。が、スミスも、いつまでもそう一家の主人として納まっているわけにはゆかない。「商用」が彼をペグラアの抱擁《ほうよう》から引き離して旅に出した。あの「ヘンリイ・ウイリアムズ」がベシイ・コンスタンス・アニイ・マンデイに逢ったのは、それからまもなくだった。
 マアク・トゥエインの言葉だったと思う。寝台ほど人命にとって、危険な場所はない。その証拠には、多くの人は寝台の上で死ぬじゃないかというのがある。
 実際そのとおりで、こう近年になって方々で女――それも結婚してまもない女に限って――が浴槽で急死をするようでは、花嫁にとって浴槽ほど危険な場所はない。これはおいおい花嫁の入浴を厳禁する法律でも出さなければなるまい。だれが言い出すともなくそんな笑い話のような巷《ちまた》のゴシップが、霧に閉ざされたロンドンを中心に行なわれ始めた。川柳《せんりゅう》の割箸《わりばし》という身花嫁湯にはいり、紅毛人のことだからそんなしゃれたことは知らないが、なにしろあっちでこっちでも、裸体の花嫁がはいったきり浴槽が寝棺になってしまうのだから、花嫁専門の不思議な伝染病でも流行《はや》りだしたように、かすかに社会的恐慌を生じた。
 スミスは一つ忘れていたことがある。新聞記事である。もっともどの事件も他殺の疑いなどは毛頭なくたんなる過失として扱われたのだから、大きくは載《の》らない。巷の出来事といったようないわば六号活字の申訳《もうしわけ》的報道に止まる。が、小さい記事だからあまり人眼に触れまいと思うのは大変な間違いである。新聞というものは、おそろしいほど隅から隅まで読まれているものだ。とにかく眼が多い。閑人《ひまじん》が多い。花嫁が浴槽で死んだなどという記事は、ちょっと変っているから、案外長く記憶している人がすくなくなかった。それがこうたびたび、何年か何ヶ月かおいて、あちこちの「巷《ちまた》の出来事」として現われたのでは、またかというので、いつからとなく、うっすらとした不安と疑念が世間に漂い出すのは当然である。実際、スミスがついに尻尾を捕まれたのは、この周期的に反復する小さな新聞記事からだった。

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 故アリス・バアナムの兄チャアルス・バアナムは、アストン・クリントンの家で、その週の日曜新聞を読みながら、おやと声を上げた。そこに、マアガレット・ロフティが浴槽で変死した記事が小さく出ていた。
 スミスは近代における新聞というものの遍在性を失念《しつねん》していたばかりでなく、数度の「悲劇的結婚」によって、相手の女の親類や知人の間に多くの敵をつくっていたことをも、無視していたわけではないが、軽視していた。このマアガレット・ロフティの変死事件が新聞に載《の》ると、二人の人が英国内で地方を異にして同時に首を捻《ひね》った。二人とも、以前自分の知っている場合とその状況があまりに相似していることと、医師の死亡検案書がほとんど同一なのとに、不気味な戦慄《せんりつ》を感じたのだった。その戦慄は、ただちに好奇的な興味に一変して、二人とも同じ動機から、言い合わしたように同じ行動を採《と》っている。一人はいま言ったアストン・クリントンの故アリス・バアナムの兄チャアルス・バアナムで、他の一人は、あのブラックプウル町コッカア街の下宿の主人クロスレイ氏だった。チャアルス・バアナムは、さっそくそのマアガレット・ロフティ事件の新聞記事を切り抜いてそれを、妹のアリス・バアナム事件の載ったブラックプウルの新聞と一緒に、対照を求めてアイルズベリイの警察へ送付した。それとほとんど同時刻に、クロスレイも二つの新聞をまとめて、彼は地方警察へではなく、直接注意を促《うなが》して|ロンドン警視庁《スカットランド・ヤアド》[#「警視庁」は底本では「警察庁」と誤植]へ送り付けた。ここに初めて、ロンドン警視庁[#「警視庁」は底本では「警察庁」と誤植]はびくっと耳を立てたのだ。
 捜査主任として第一線に活動したのは、のちの警視総監、当時の警部アウサア・ネイル―― Mr. Arthur Neil ――だった。この捜査は、じつに長期に亘《わた》って人知れぬ努力を払わせられた記録的なものだという。それはちょうど長夜の闇黒《あんこく》に山道を辿《たど》り抜いて、やがて峠の上に出て東天の白むを見るような具合だった。一歩一歩足を運ぶごとく証拠をあげて、事実の上に事実を積み重ねていったのである。これからの「浴槽の花嫁」事件――すでにジャーナリズムが拾いあげて、いちはやく、“Brides of the Bath Mystery”という、探偵小説めいた名を冠《かん》してそろそろセンセイションになりかけていた――がその多くの共通点に関係なく、すべて独立の過失で、その間なんらの連鎖もないということは、偶然事としてありうるかもしれないが、ちょっと考えられない。かならず底を関連するなにものかが存在するに相違ないという当初の仮定は、ネイルの胸中において、捜査の歩と一緒に確信に進んでいった。アウサア・ネイルは、この事件で名を成して、警察界における今日の地位に達したのだが、実際彼がスミス事件を手がけたのは、適材適所であった。僕はあれで自分の根気を試しただけのことだと、後年彼は人に語っているが、その根気が大変であった。眼まぐるしい変名を追っていちいちスミスに結びつけ、各保険会社の関係書類を調査し、各事件の被害者の身|許《もと》を洗い、有無を言わせないところまで突きとめるために、ネイルはじつに四十三の市町村を飛びまわり、二十一の銀行に日参した。その間面会して供述を取った証人の数は百五十七人にのぼっている。いうまでもなくスミスはこうして自分の頸《けい》部の周囲にひそかに法律の縄が狭められつつあることなどすこしも知らずに、例によってブリストルのエデス・ペグラアのもとにあって悠々自適をきめこんでいたのだ。特命を帯びた刑事が日夜張り込んで尾行を怠《おこた》らなかったことはもちろんである。
 逮捕されたのも、そのブリストルの家であつた。ネイルが三人の部下を率いて、みずから出張したのだった。ベルを押して案内を乞《こ》うと、エデスが玄関に出て来た。四人の警官は、ガス会社の定期検査人に化《ば》けていたので、わけなく家内へはいり込んだ。だらしない服装をしたジョウジ・ジョセフ・スミス――その時はかなりの年配で、立流な口|鬚《ひげ》を貯えていた――が、台所の煖炉《だんろ》の前で石炭を割っていた。その彼の肩へ、ネイルが手を掛けるのを合図に、三人の探偵が左右と背後からいちじに襲った。当面の逮捕の理由は、もちろん殺人ではなかった。それは伏せておいて、弁護士の手数料を払わないというので告発されたことに細工ができていた。スミスはすっかり安心していて逮捕の時も顔色一つ変えなかった。
 裁判は、一九一五年の六月二十二日から九日間続いた。裁判長はスクラトン氏、検事がアウチボルド・ボドキン卿、弁護人は故エドワアド・マアシャル・ホウル卿という花形ぞろいの顔ぶれであったが、ホウル卿の弁護がいかに巧《たく》みであっても、鋼鉄のような事実は曲げることができない。スクラトン裁判長が陪審《ばいしん》官に示した要点の覚書《おぼえがき》というのが、雄弁にこの犯罪の内容を物語っている。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
一、各事件を通じて、死が浴槽内に突発したること。
二、各事件を通じて、浴室の扉《ドア》に内部から鍵が掛けてなかったこと。
三、各事件を通じて、死者がその死の直前に被告に有利なる遺言書を作成していること。
四、事件の多くを通じて、死者がその死の直前に生命保険に加入させられていること。
五、各事件を通じて、動産の可能なるものは、あらかじめすべて現金に換《か》えられていること。
六、各事件を通じて、死者はその死の直前に医師を訪問せしめられていること。および、死と同時に必ずその医師が呼ばれて死亡証明を書いていること。
七、各事件を通じて、死者の実家ならびに親戚《しんせき》等に死後二十四時間内に通知が発せられていること。および、各事件を通じて、その筆跡が同一であり、鑑定人はそれを被告のものと鑑定せること。
八、各事件を通じて、屍《し》体発見の直前に、被告は、夕刊、食料品を購《か》うためちょっと外出していること。
九、各事件を通じて、被告は、家人があがって来て見るまで、屍体を浴槽内に放置しおきたること。
十、各事件を通じて、死は、被告の変名による詐欺結婚の直後に起こりたること。
十一、各事件を通じて、その死によって直接財物上の利益を享《う》けたる者は被告にして、かつ被告一人なること。
十二、各事件を通じて、死体はいずれも最少の費用と、最大の速度と、もっとも不鮮明なる方法とによって埋葬《まいそう》されていること。
十三、各事件を通じて、被告は、事件後ただちにエデス・メエベル・ペグラアの許《もと》に帰っていること。
[#ここで字下げ終わり]
 スミスに運の悪いことには、この項目の数が十三[#「十三」に傍点]である。これだけそろえばたくさんだ。
 ただ一つ、実際的にスミスがどういう方法で浴槽内でああ次々に女を殺すのに成功したのか、その手口が判然しなかった。この殺人は、沈黙と、些少《さしょう》の抗争の裡《うち》にごく短時間に行なわれたに相違ない。多くの場合、屍《し》体は、浴槽の幅の広い部分へ脚を向けている姿勢で発見された。普通入浴する時とは反対の体位で、すくなからず不自然である。ことにブラックプウルのアリス・バアナム殺しの時の浴槽を測《はか》ってみると、薤形《らっきょうがた》になっているその狭いほうの端が径十一インチ、広い方は十九インチある。そこで、死んだアリスとほぼ同じ身長、同じ体重の女の座位における腰部の周囲を測ってみたところが、その浴槽の細い部分へ坐ることは窮屈《きゅうくつ》で、とうてい不可能であることを断定し得た。この謎を解こうとして、内務省|嘱託《しょくたく》の法医学者バアナアド・スピルスベリイ卿が法廷へ出張して、湯を張った浴槽を持ち出し、海水着を着たロンドン病院の看護婦を相手に、スミスの犯罪を実演してみた。その結果、スミスの用いた殺人法というのは、まず、相手が無心に湯に浸《つ》かっているところを、急激に片手で頭部を押して顔を股の間へ沈める。同時に、他の手を、女の両膝の下へ差し込んで、その下半身をぐっと上に持ちあげるのだ。こうすると、女は、湯槽の底へ顔を押しつけてちょうどSの字の恰好《かっこう》になる。跪《ひざまず》くやつを、ぎゅっと押えて、しばらくそのままにしているのだ。やがて、完全な溺《でき》死を待って静かに浴槽中にもどすと、屍《し》体は、頭の方を先に湯の底を潜《くぐ》って、逆に浴槽の細い部分へつくというのである。そのとおりかと裁判長に訊《き》かれた時、スミスは笑って答えなかった。控訴も上告も棄却《ききゃく》されて、死刑の執行を受けたのは、ケント州刑務所でだった。刑を宣告されたのが七月二十九日で、刑死は八月十三[#「十三」に傍点]日、失神状態で絞首台に助けあげられた。
 When he was dead he was dead.



底本:「浴槽の花嫁−世界怪奇実話1」教養文庫、社会思想社
   1975(昭和50)年6月15日初版第1刷発行
   1997(平成9)年9月30日初版第8刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
※底本の表記を誤植と判断するにあたっては、「一人三人全集※[#ローマ数字V、1-13-25] 世界怪奇実話 浴槽の花嫁」1969(昭和44)年11月5日初版発行を参照しました。
入力:大野晋
校正:原田頌子
2002年2月13日公開
2003年9月27日修正
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