青空文庫アーカイブ

女肉を料理する男
牧逸馬

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)人気《にんき》

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(例)四六時中|細民《さいみん》街に

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 人気《にんき》が荒いので世界的に有名なロンドンの東端区《イースト・エンド》に、ハンべリイ街という町がある。凸凹《でこぼこ》の激しい、円《まる》い石畳の間を粉のような馬糞《ばふん》の藁屑《わらくず》が埋めて、襤褸《ぼろ》を着た裸足《はだし》の子供たちが朝から晩まで往来で騒いでいる、代表的な貧民窟街景の一部である。両側は、アパアトメントをずっと下等にした、いわゆる貸間長屋《デネメントハウス》というやつで、一様に同じ作りの、汚点《しみ》だらけの古い煉瓦《れんが》建てが、四六時中|細民《さいみん》街に特有な、あの、物の饐《す》えたような、甘酸《あまず》っぱい湿った臭いを発散させて暗く押し黙って並んでいる。No.29 の家もその一つで、円門《ドウム》のような正面の入口を潜《くぐ》ると、すぐ中庭へ出るようにできていた。この中庭から一つ建物に住んでいる多数の家族がめいめいの借部屋へ出入りする。だから、庭の周囲にいくつも戸口があって、直接往来にむかっているおもての扉は夜間も開け放しておくことになっていた。
 この界隈《かいわい》は、労働者や各国の下級船員を相手にする、最下層の売春婦の巣窟《そうくつ》だった。といっても、日本のように一地域を限ってそういう女が集まっているわけではなく、女自身が単独ですることだから、一見普通の町筋となんらの変わりもないのだが、いわば辻君《つじぎみ》の多く出没する場所で、女たちは、芝居や寄席《よせ》のはじまる八時半ごろから、この付近の大通りや横町を遊弋《ゆうよく》[#「遊弋」は底本では「遊戈」と誤植]して、街上に男を物色《ぶっしょく》する。そして、相手が見つかると、たいがいそこらの物蔭で即座に取引してしまうのだが、契約次第では自室へもともなう。ハンベリイ街二九番の家には、当時この夜鷹《よたか》がだいぶ間借りしていたので、それらが夜中に客をくわえ込む便宜《べんぎ》のために、おもての戸は夜じゅう鍵をかけずにおくことになっていたのだ。つまり、中庭までだれでも自由に出入りできるわけである。
 九月八日の深夜だった。
 秋の初めで、ロンドンはよく通り雨が降る。その晩も夜中にばらばらと落ちてきたので、三階に住んでいる一人のおかみさんが、乾《ほ》し忘れたままになっている洗濯物のことを思い出した。洗濯物は、イースト・エンドではどこでもそうやるのだが、窓から窓へ綱を張って、それへ乾《ほ》すのだ。で、おかみさんは、雨の音を聞くとあわてて飛び起きて、中庭に面した窓を開けた。小雨が降っていたくらいだから真闇《まっくら》な晩だったが、庭へはいろうとする石段の上に、二つの人影がなにか争っているのを認めた。それはふざけ半分のものらしかった。女が低声で、笑いながら「いいえ、いけません。いやです」と言うのが聞えた。相手は男で、異様に長い外套《がいとう》を着ているのが見えた。が、前にも言うとおり、この辺は風儀《ふうぎ》の悪いところで、真夜中にこんな光景を見るのは珍らしいことではなかった。また、だれかこの家に部屋を借りている女が男を引っ張ってきて、帰る帰さないで、入口で言い争っているのだろう。こう思って、おかみさんはべつに気に留めなかった。しばらくして争いも止まった様子である。翌早朝、デェヴィスという男が、中庭の隅《すみ》の共同石炭置場へ石炭を取りに行って、あの、二眼《ふため》と見られない惨|屍《し》体を発見したのだった。
 被害者はアニイ・チャプマン。二九番の止宿《ししゅく》人ではなかったが、やはりハンべリイ街の売春婦で、ひと思いに咽頸《いんけい》部を掻《か》き斬ってあった。よほどの腕力の熟練を併有《へいゆう》する者の仕業《しわざ》らしく、ほとんど首が離れんばかりになっていて、肉を貫いた斬先の痕《あと》が頸《くび》の下の敷石に残っていた。が、これはたんなる致命傷にすぎない。屍体の下半身は、酸鼻《さんび》とも残虐《ざんぎゃく》ともいいようのない、まるで猛獣が獲物の小動物を食い散らした跡のような、眼も当てられない暴状《ぼうじょう》を呈していた。屍《し》体の下腹部に被害者のスカートが掛けてあった。それを除去してみて、検屍の医師はじめ警官一同は慄然《りつぜん》としたのである。陰部から下腹部へかけて柘榴《ざくろ》のように切り開かれている。のみならず、鋭利な刃物で掬《すく》いとるように陰部を切りとって、陰毛を載《の》せた一片の肉塊が、かたわらの壁の板に落ちていた。そればかりではない。切り開いた陰部から手を挿入《そうにゅう》して臓腑《ぞうふ》を引き出したものとみえて、まるで玩具《おもちゃ》箱をひっくりかえしたように、そこら一面、赤色と紫とその濃淡の諸器官がごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]に転がっていた、がただ一つ、子宮が紛失していた。
 当時、自他ともに「斬り裂《さ》くジャック」と呼んで変幻《へんげん》きわまりなく、全ロンドンを恐怖の底に突き落としていた謎の殺人鬼があった。これが彼の、またもう一つの挑戦的犯行であることは、だれの眼にも一瞥《いちべつ》してわかった。最近、つづけさまに三度、この近隣のイースト・エンドに、これと全然同型の惨殺事件があったあとである。被害者は常に街上の売笑婦、現場はいつも戸外、ちょっとした横町のくらやみか、またはこのハンベリイ[#「ハンベリイ」は底本では「ハンベイリ」と誤植]街のような中庭《コウト》で、夜中とはいえ、往来を通る人の靴音も聞えれば、比較的人眼にもかかりやすい場所で平然と行なわれる。致命傷はきまって咽喉《のど》の一|刷《は》き、つづいて、解剖のような暴虐が屍《し》体の下部に加えられて、判で押したように、かならず子宮がなくなっている。同一人の連続的犯行であることは明白だ。人心は戦《おのの》き、新聞はこの記事で充満し、話題はこれで持ちきり、警察を焦《もどか》しとする素人《しろうと》探偵がそこに飛び出し、その筋は加速度にやっきになっている矢先――いうまでもなく九月八日の夜はもちろん、その以前から、イースト・エンド全体にわたって細緻《さいち》な非常線が張られ、櫛《くし》の歯を梳《す》くような大捜査が行なわれていた。その網の真ん中で、人獣《リッパア》「斬裂人のジャック」は級数的に活躍し、またまたこのハンべリイ街のアニイ・チャプマン殺しによって、もう一つその生血の満足を重ねたのである。およそ出没自在をきわめること、これほど玄妙《げんみょう》なやつは前後に比を見ないといわれている。いわゆる無技巧の技巧、なんら策を弄《ろう》さないために、かえって一つの手がかりすら残さなかった。

 個々の犯行を列挙《れっきょ》することは、いたずらに繁雑《はんざつ》を招くばかりだから避ける。ただ、そのなかでなんらかの点で有名になった事件のみを摘出《てきしゅつ》しても、いま言った九月八日ハンべリイ街のアニイ・チャプマン殺し、バックス・ロウ街事件、同月三十日にはバアナア街でエリザベス・ストライドを、その四十五分後にミルト広場《スクエア》でキャザリン・エドウスとを一夜に二人殺し、十一月九日にはドルセット街でケリイ一名ワッツを殺している。このほか同じような売春婦殺しがその間に挟《はさ》まっているのだが、子宮の紛失、陰部を斬り取られていること、臓物《ぞうもつ》を弄《もてあそ》んで変態的に耽《ふけ》った証跡《しょうせき》など、屍《し》体の惨状と犯行の手段、残虐性はすべて同一である。
 名にし負う|ロンドン警視庁《スコットランド・ヤアド》は何をしていたか?
 正直にいえば、まさに手も足も出なかった。そうとう手がかりがあるようで、じつは、なにひとつ信拠《しんきょ》するにたる手がかりがないのだ。バアナア街の場合など、運送屋の下|請《う》けのようなことをしている男が小馬車を自宅の裏庭へ乗り入れて、そこに、血の池の中に仆《たお》れているエリザベス・ストライド――縛名《あだな》を「のっぽのリック」といって背が高かった。あとから出てくるが、この女の死の直前に無意識に一つの重大な役割を演じている――の屍骸を発見したのだが、その時は犯行のすぐあとほんの数秒後のことで、屍体はまだ生血を噴《ふ》いて、その血の流域がみるみるひろがりつつあったくらいだから、発見者の到着がいま一足早かったら彼はまちがいなく「解剖」の現場と犯人を目撃したことだろう。事実、ジャックが、近づく馬車の音にあわてて、屍《し》体を離れ、最寄《もよ》りの暗い壁へでも身を貼《は》りつけたとたんに、発見者の馬車がはいってきたものに相違ない。異臭《いしゅう》に驚いて急止した馬は、もう一歩で屍骸を踏みつけるところまで接近していた。この発見の光景を、犯人はかたわらで見ていたのである。そして、騒ぎになろうとするところで、闇黒《あんこく》にまぎれて静かに立ち去ったのだろうが、現場はバアナア街社会党支部の窓の直下で、兇行《きょうこう》時刻には、支部には三、四十人の党員が集っていたにもかかわらず、だれ一人物音を聞いた者はなかった。これは無理もない。たださえ喧々囂々《けんけんごうごう》たる政党員のなかでも、ことに議論好きで声の大きい社会党員が三、四十人も寄りあっていたんだから耳のかたわらで爆弾が破裂しても、聞えるはずがない。あとでみんな悪口を言った。とにかく、こうして屍《し》体にばかり気を取られていた発見者の横を、影のようにするりと抜け出たであろう「斬り裂くジャック」は、すぐその足でアルドゲイトのミルト広場《スクエア》へ立ちまわり、四十五分後には、また一人キャザリン・エドウスという辻君《つじぎみ》を殺害し、やはり陰部から下腹を斬り裂いて、子宮を取っている。このキャザリン・エドウスをはじめ多くの被害者が、いかに哀れに貧困な、下層の売春婦であったかは、キャザリン・エドウスが、炊事に汚《よご》れたエプロン姿で男――犯人――と他人の家の軒下で性行為を行ない、そのまま殺されていた一事でもわかる。犯人はこの前掛けの端をむしり取ってそれで手とナイフを拭いた。拭《ふ》きながら歩いたものとみえる。さして遠くないグルストン街の角に、その、血を吸って重くなったエプロンの切布《きれ》が落ちていた。そして、このグルストン街の角で、犯人はあの、有名な「殺人鬼ジャックの宣言《メッセイジ》」をそこの璧へ白墨《はくぼく》で書いたのである。
 The Jews are not the men to be blamed for nothing.
 これは、考えようによって二様にとれる文句である。「ユダヤ人はただわけもなく糺弾《きゅうだん》される人間ではない」――糺弾されるには、糺弾されるだけの理由がある。とも、解釈すればできないことはないが、もちろんそうではない。「ただわけもなく糺弾されて引っ込んでいるもんか。このとおりだ」の意味で、味わえば味わうほど不気味な、変に堂々たる捨て科白《ぜりふ》である。
 この楽書《らくがき》はじつに惜しいことをした。書いてまもなく、密行《みっこう》の巡査が発見して、驚いて拭き消してしまったのだ。付近にはユダヤ人が多い。反ユダヤの各国人も、英国人をはじめもちろん少なくない。この文句が公衆の眼に触れれば、場合が場合だけに群集が殺到してたちまち人種的市街戦がはじまる。実際そういう騒動は珍らしくないので、それを避けるために独断で消したのだという。気をきかしたつもりで莫迦《ばか》なことをしたもので、あとから種々の点を綜合してみると、この壁の文字こそは、それこそ千載一遇《せんざいいちぐう》の好材料だったのだ。これさえ消さずに科学的に研究したら、かならず犯人は捕まっていたといわれている。その出しゃばり巡査はおそらく罰俸《ばっぽう》でも食って郡部へまわされでもしたことだろうが、いうところによると、この楽書《らくがき》の書体は、これより以前、二回にわたってセントラル・ニュース社に郵送された、一通の手紙と一葉の葉書の文字に酷似していた。否、紛《まぎ》れもなく同一のものであるとのことである。
 その、新聞社に宛《あ》てた手紙と葉書は、真偽《しんぎ》両説、当時大問題を醸《かも》したもので、葉書のほうは、明らかに人血をもって認《したた》め、しかも、血の指紋がべたべた[#「べたべた」に傍点]押してあった。両方とも「親愛なる親方《ボス》よ」というアメリカふうの俗語を冒頭に、威嚇《いかく》的言辞を用いて新しい犯行を揚言《ようげん》し、手紙には「売春婦でない婦人にはなんらの危害を加えないから、その点は安心していてもらいたい」という意味を付加して、ともに「斬裂人《リッパア》ジャック」と、署名してあった。あとからも続けてきたことをみても、たぶん実際の犯人が執筆|投函《とうかん》したものかもしれない。が、どこの国にも度しがたい馬鹿がいる。この「斬り裂くジャック」が現下の視聴を集めているので、なにか素晴しい人気者かなんぞのように勘違いし、そうでないまでも、ひとつ面白いから騒がしてやれなんかという好奇な閑人《ひまじん》があってかかる不届《ふとど》きな悪戯《いたずら》を組織的に始めないともかぎらない。おおいにありそうなことである。警視庁へも、これに類似の投書が山のように舞い込んでいた最中だ。したがって専門家は、このセントラル・ニュースの受信にもたいした信を置かずに、むしろ頭から一笑に付していた。しかし、グルストン街の壁の文字だけは、最初のそして最後の、純正な犯人の直筆《じきひつ》である。この唯一の貴重な証拠が、心ない一巡査の手によって無に帰したのは、かえすがえすも遺憾の極《きわみ》であった。

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 一般には知られていないが、この時、警視庁は、ロシア政府から一つの情報を受け取って、それにある程度の重要性と希望をつないでいた。数年前、モスコーにこれと同じ事件が頻発《ひんぱつ》して、やはり売春婦のみが排他的に殺され、切開手術のような暴虐が各|屍《し》体に追加してあったが、この犯人は捕縛《ほばく》されて、精神病者と判明し、同地の癲狂院《てんきょういん》に収容された。ところが、その春病院を脱走して、爾来《じらい》ゆくえ不明になっているというのである。この狂人はもとそうとうな外科医で、英国に留学していたこともあるから、ことによると、逃走後ひそかにロンドンへ潜入したのかもしれない。人相書も付随しているので、一時警視庁は、それに該当《がいとう》する人物の探査に全力を傾注《けいちゅう》した。モスコーの犯人の動機は、宗教上の狂信的な妄執《もうしゅう》からだった。すなわち彼は、こういう方法で殺害されることによってのみ、この種の穢《けが》れた女は天国の門を潜《くぐ》り得ると信じ、つまり済度《さいど》のために殺しまわったのだった。宗教的迷執|云々《うんぬん》は第二にしても、いまロンドンを震愕《しんがく》せしめている「斬裂人《リッパア》のジャック」が、かなり的確な解剖学的知識の所有主であり、また経験ある執刀《しっとう》家であることは疑いをいれない。彼は確実に子宮の位置を知り、かつ、いかにしてそれを傷つけずに摘出《てきしゅつ》するか、その最善方法をも専門的に心得ていた。バックス・ロウ街の屍《し》体からは左の腎臓がみごとに除かれてあったが、この器官を摘出することは、外科学上至難の業《わざ》とみなされていて、それによほどの実際的手腕を必要とする。これらの諸点を帰結して、モスコーの犯人と同一であるか否かはともかく、この「ジャック」なる人物も狂医師の類《たぐい》ではあるまいかという当然の結論が生まれ、それが最高の権威をもって警視庁内外の専門家を風靡《ふうび》したのだが、その問題の腎臓は該事件の二日後、新聞紙で綺麗《きれい》に包装して小包郵便で警視庁捜査課に配達された。付手紙はなく、ただ上包みの紙に例によって血の指紋が押してあるだけで、いささか注意する必要を感じたものか、署名もなかった。
 しかし、セントラル・ニュース社に宛《あ》てた通信を犯人から出たものと仮定すれば、このロシア渡来の狂医師説はただちに粉砕されなければならない。なぜならば、その文章が、まるでアメリカ人の書きそうな俗語の英語で、けっして外国人の綴《つづ》ったものとは思考されないからである。文句は実にきびきび[#「きびきび」に傍点]して、下等な言葉ながらに、いや、下等な言葉なればこそ、いっそう効果的な表現に成功していた。これは、捜査の方向を捻《ね》じ曲げるために、故意にそういう書き方をしたものと見ることもできないわけはないが、とうてい外国人――正規の英語の教養があればあるほど――の手に成った文面とは首肯《しゅこう》されないし、またいかに狂人であっても、医者ならばあれほど無学な手紙は書かない、いや、いくら書こうと努力してもけっして書けないに相違ない。ことに驚くべき一事は、新聞社へきた血書の葉書が、つぎの「ジャック」の犯行時日を予言して、みごとに適中していることである。十一月九日と葉書にあるその日に、スピタルフィルド区ドルセット街ミラア・コウトで、ケリイこと別名ワッツが殺された。これもあるいは、たんにその葉書を投じた悪戯《いたずら》者のでたらめが偶然当っただけのことかもしれないが、あのグルストン街の壁の字さえ残っていたら、両者の筆蹟を比較研究することによって、葉書の真偽《しんぎ》を鑑定することは容易だったのである。

 この、世界犯罪史上にもほかに類のない兇悪不可思議な人怪《じんかい》――彼を取り巻く闇黒《あんこく》の恐怖と戦慄《せんりつ》すべき神秘、それらはもう、いまとなっては闡明《せんめい》のしようがないのだ。「斬裂人《リッパア》のジャック」と呼ばれ、また、自分でもそう名乗っていたこの男は、いったい何者であったか? ある種の女たちになにか特別の遺恨《いこん》を蔵していた殺人狂だったのか。それとも、やはり|ロンドン警視庁《スコットランド・ヤアド》の一部が見込みを立てたとおりに、狂える医師ででもあったか。あるいは一説のごとく、宗教上の妄信《もうしん》をいだく狂言者か。これらはすべて彼の正体、現実の犯罪手段、その動機などに関する世人の臆測《おくそく》を残したまま彼が世間の表面から埋めさった永遠の謎である。ことによると、すでにその一切は、彼とともにいまどこかかの墓穴に眠っているかもしれない。事実、これほど連続的に行なわれ、これほど社会を震撼《しんかん》し、しかもこれほど、事件当時のみならず長く以後にわたって、警視庁《ヤアド》内部はもちろん、あらゆる犯罪学者、あらゆる私設探偵局、あらゆる新聞社の専門的犯罪記者等から、種々雑多の理論、推定が提出されたにかかわらず、実際の犯行に関しては、ただ一筋の光明さえも投げられなかったという不可解きわまる事件は、ちょっとほかに比較を求めがたいのである。「斬裂人《リッパア》ジャック」といえば、ロンドンでは、いや、英国ではだれでも知っている。およそなんらかの観点で、世界じゅうの血なまぐさい出来事に興味と注意を向けている人なら、かならず聞いたことのある名に相違ないだろう。
 依然として全ロンドンを、名物の濃霧にも比すべき恐慌が押し包んでいた。
 現場は、前から言うとおり、この厖大《ぼうだい》な都会のなかで、世界の塵埃棄場《ごみすてば》と呼ばれる細民《さいみん》街イースト・エンド、そこへ踏み込もうとするアルドゲイトと、多く、ユダヤ人が住んでいるので有名なホワイトチャペル街との間の、あの、暗い小庭と不潔な露地《ろじ》が網の目のように入りこんでいる陰惨な一劃《いっかく》である。滞英中、筆者はとくに護衛者を雇って、日中と深夜、前後数回にわたってこの辺一帯を探検したことがある。まったくそれは、探検という言葉がなんらの誇張もなく当てはまるほど危険な、ないしは危険を感ずる、都会悪の巣窟《そうくつ》なのだ。社会事業視察、都市経営の研究というようなことで、自身警視庁へ出頭してよく頼めば、その方面に通ずる私服刑事をひとり付けてくれる。が、私はいま、このロンドンのイースト・エンドにおける私の経験や観察を述べたり、ここの夜で私に直面したさまざまの光景を描いたりしようとは思っていない。ただしかし、実際の場所を知っている私は、この兇猛《きょうもう》な犯罪実話を書くにあたって、特殊の個人的|感興《かんきょう》を覚えるのである。そしてそれは、いくぶんの現実性をもってこの物語を裏打ちするに相違ないと信ずることができる。
 ロンドン人は、何人《なんぴと》も新たなる凄慄《せいりつ》なしには、あの晩秋を回顧し得ないであろう。
 最後のリッパア事件としていまだに記憶されている、十一月九日、金曜日の夜だった。
 もうすっかり冬の化粧をしたロンドンである。一日じゅう離れなかった霧が、夕方ちょっと氷雨《ひさめ》に変わったりして、その晩はことに黒い液体が空間に流れ罩《こ》めたような、湿った暗夜だった。が、新聞町フリイト街からは、深夜の電話によって召集された各社社会部記者と、遊撃《ゆうげき》記者の全部が、沈黙のうちにぞくぞくとこのアルドゲイトにむかって繰り出されつつある。「血《ち》の脅威《テラア》」――ジャアナリズムはいちはやくこの連続的犯行をこう命名していた――が、またもやこの夜、貧窮と汚毒《おどく》と邪悪のイースト・エンドを訪れるのだ。白い霧に更《ふ》けた街路に、蟻《あり》も逃さぬ非常線が張りつめられ、濡《ぬ》れた舗道を踏んで、人の靴音は秘めやかに鳴った。通行人のうち、男はすべて巡査か密行《みっこう》刑事か新聞記者だった。女は、この界隈《かいわい》につきものの、売笑婦だった。この、街の女たちも、さすがに一人で歩くことを恐れて、商売にはならなくても、三、四人ずつ、雪に遭《あ》った羊のようにかたまって、霧の中から出て霧へ消えた。漂白したような蒼い顔とよろめく跫音《あしおと》だった。彼女らは、街上に会う人ごとに殺人狂ではないかとおびえて、声をあげたりした。
 ふたたび言う。「斬り裂くジャック」は、職業的に、あるいは趣味的に、この売春婦という社会層に属する女だけを選んで、斬り裂くのである。斬り裂く――文字どおり、生殖器から上部へかけて外科的に切開し、引裂《リップ》するのだ。
 この真夜中の怪物の横行にたいして、警察の無能を責める一般公衆の声は極点に達していた。が素人《しろうと》の市民たちが騒ぎだす前に、その筋の活動がとうに白熱化していたことも私は前言した。しかし、それは、犯人逮捕の段取りにいたらないなんらの弁解にはならないとあって、この時すでに警視庁部内には、チャアルス・ウォレン卿が責を負って辞職するやら、幾多の非壮な場面が作られていた。このウォレン卿の辞職演説はひじょうに刺戟《しげき》となって管内の全警察官を鼓舞《こぶ》した。ロンドンじゅうの警官が新しい力を感じてこのテロリスト・ジャックの捜査に勇躍した。当局のみならず、市民の有志も協力して、この街上の女の屠《と》殺者、暗黒を縫《ぬ》う夜獣を捕獲しようと狂奔《きょうほん》し、ありとあらゆる方策が案出され実行された。徹夜の自警団も組織された。探偵犬は付近に移されて出動を待っていた。すべての暗い辻、街燈の乏しい広場には、そこに面する家の二階に刑事が張り込んで徹宵《てっしょう》窓から眼を光らせた。特志の警官隊が女装して囮鴨《おとり》として深夜の町に散らばった。ホワイトチャペル街の夜の通行人は一人残らず不審訊問を受けた。挙動不審の廉《かど》で拘引《こういん》された嫌疑者、浮浪人、外国人らは全国でおびただしい数にのぼった。手がかりらしく思われる事物は、いかに些細《ささい》なことでもいちいち究極《きゅうきょく》までたぐった。が、その結末に待っているものは、いつもかならず違算と失望だった。この怪異な狂鬼《モンスター》が住んでいるかもしれないと思われる町は、片っ端から戸別に家宅捜索した。こうしていつしか、人狩りの網は自然と縮まっていた。事実、一度ジャックは現実に目撃され、会話を交《かわ》し、しかも多分の疑惑をもって仔細《しさい》に観察されている――が、悪運はつねに彼の上にあった。苦心|惨澹《さんたん》して集めた手がかりと報道の上に立っても、ついに彼の正体と所在へは法の手が届かなかったのだ。それもけっして広い区域ではない。この一町内の住民の一人がたしかにそれであるとまでわかっていても、ようするにそこで、神秘の壁が犯人を庇《かば》って、すべての探偵を嘲笑しているのだった。迷信的な人々のあいだには、早くもジャックに超自然的属性を与えて説明し去るものさえ出てきた。曰《いわ》く、この犯人は喰屍鬼《ゴウル》か吸血鳥か、とにかく、人間の眼を触れずに自在に往来する、他界の変怪《へんげ》であろうと。この中世紀めいた物語説は、いまでこそだれでも一笑に付するが、あの恐怖と秘異《ひい》感の最中には、冗談どころか、一部の人々によって大真面目に唱道《しょうどう》されたものである。これでみても、いかに全事件が怪奇をきわめ、犯人「斬裂人《リッパア》のジャック」の行動がまったく探偵小説的に神出鬼没《しんしゅつきぼつ》そのものであったかが推測されよう。
 狭い区域内で、連続的に街上で辻君《つじぎみ》を虐殺《ぎゃくさつ》という言葉は足《た》らない。その屍《し》体の状態は、いちいち重要な犯行とともにあとで説明するが、検屍の医師が正視に耐えないくらいじつに酸鼻《さんび》をきわめたもので、とうてい普通の神経機能所有者の所業《しょぎょう》とは思考されない。その、いわば常人でない犯人が、これほどたくみに尻尾をつかませないのである。精神病者はもちろん、すこしでも特異性の見える人間なら、この際すくなくとも近所の評判に上って、とうに密偵の耳にはいっていなければならないはずだ。ことに細民《さいみん》街の特徴として、隣近所はすべて開放的に交渉しあっている。そのどこかに一つでも「見慣れぬ顔」が潜在しているとしたら、それは早晩だれかの好奇眼にふれてなんらかの形でせめて居酒屋《コウナア・バア》会議――日本なら井戸端会議というところだが、英国では、ことにこのロンドンのイースト・エンドあたりでは、山の神連が白昼居酒屋へ集まって、一杯やりながら亭主をこき[#「こき」に傍点]おろして怪気|焔《えん》をあげているのは、珍らしい図ではない――その居酒屋会議の噂の一つくらいには、まさにのぼりそうなものである。しかるに、そういう聞込みの絶えてないことが、警察の第一に不審を置いたところだった。といって、この、人の形を採《と》っている妖鬼《ようき》は、格別犯跡の隠滅《いんめつ》とか足跡の韜晦《とうかい》を計って、ことさらに屍《し》体の発見を遅らしたりして捜査を困難ならしめているわけではない。否、それどころか、ほとんど意識的にとしか思われないほど、彼はおおいに不注意であり、時としては、挑戦的態度をすら示しているのだ。例としては、先に記したごとく、そのうちの一つ、バアナア街事件の場合、発見された女の身体は、斬り開かれた腹部から中庭の石に臓腑《ぞうふ》がつかみ出されていたにかかわらず、どくっどくっと、死直後の惰力《だりょく》的|動悸《どうき》を打って、あたたかい血を奔出《ほんしゅつ》させていた。最後の一刃を加えてからまだ数秒しかたっていないのである。数秒[#「秒」に傍点]である。最初の発見者が駈けつけた刹那《せつな》に、ジャックは屍《し》体を離れて、その時は静かに、そこらの暗い一隅に立って人々の驚愕《きょうがく》を見ていたに相違ない。
 私は、個々の犯行を最初に報告して、それによって読者にまず探偵小説的興味を与えるような平凡事はしたくない。止むを得ない場合以外は、ただ忠実に記録を辿《たど》って、はじめに大体の事件をめぐる内外の情況に諸君を完全に親しましておきたいと企図《きと》しているのである。
 猫一匹、犬一匹殺しても、殺した人にはそうとうの血が付着する。いわんやこの犯人は、女を殺害したうえ、ほとんど解剖のごとき行為をその死|屍《し》に施《ほどこ》しているのである。犯行ごとに手足といわず着衣といわず、全身血だるまのように生血を浴びていなければならないことは、第一にだれでも考えるところだ。まず屍体をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に斬ったのち、彼はどこへ行って手や兇器《きょうき》を洗うか。いかにしてその血だらけの着衣を始末するか。何人《なんぴと》が彼を庇護《ひご》してそれらの便宜《べんぎ》を提供しているか。そもどんな家にこの殺人鬼は善良な市民のような顔をして住んでいるのか。これらが、当時謎の中心であったごとく、今日なお謎の中心である。実際の殺人は、たびたび言うようだが、その狂暴残虐なこと言語に絶し屍体はすべて野獣的に切断され、支離滅裂をきわめていた。しかも、犯行が重なるにつれてその度を増し、ついにいかなる鋼鉄製心臓の持主をも一瞥驚倒《いちべつきょうとう》せしむるに十分であるにいたった。そのことごとくを詳述することは印刷物の性質上許されないが、各犯行をつうじて、その方法経過は大同小異だった。ことにそれが、ある超特恐怖の状態において終っていることは、すべて一致していた。いうまでもなく一特定人――リッパア・ゼ・ジャック――の所業《しょぎょう》である。そして彼が左手|利《き》きであることも、種々な場合の刀痕《とうこん》を総括して、動かぬところと専門家の間に断定されていた。被害者は、夜の巷《ちまた》をさまよう売春婦にかぎられ[#「かぎられ」に傍点]ているのである。それも、そういう階層のなかでももっとも低い、もっとも貧困な、もっとも不幸な女たちに排他的[#「排他的」に傍点]にきまっているのである。その一つ一つの屍《し》体のまぎれもない「恐怖の専売商標《トレイド・マアク》」がほどこしてあるのである。いずれもその生殖器が斬り割《さ》かれ、刳《えぐ》り出され、そこから手を挿入《そうにゅう》して大腸、内部生殖器官、その他の臓物《ぞうもつ》が引き出されてあって、まことに正視に耐えない光景を呈《てい》しているのである。ドルセット街の場合など、検|屍《し》に立ち会った警官をはじめ、警察医まで、いきなりこの凄絶な場面に直面したためみな室の片隅に走って嘔吐《おうと》したといわれている。この、被害者の生殖器にかかる残虐を加える一事こそは、「斬り裂くジャック」の全犯行を貫く共通な大特徴で、また一世を怖慄《ふりつ》せしめたセンセイションの真因《しんいん》でもあった。彼は、街路の売春婦であるかぎり、犠牲者を選びはしなかった。夜の町で女に話しかける。あるいは、女のほうから話しかける。交渉はただちに成立する。この界隈《かいわい》のことだから代価はしごく低廉《ていれん》である。あわれな女はその僅少な金を獲《え》るために、自分の意志で、男と同伴して行く。そして、多くはただちにそこらの暗い横丁《よこちょう》などで、みずから石畳に仰臥《ぎょうが》して男の下に両脚をひろげる。この男が馬乗りになって、女の咽喉《のど》を一|刷《は》きするのになりよりもつごうのいい、まるで兇刃《きょうじん》を招待するような姿態である。下部の切開がそれにつづいた。だから、被害者は、性行為の以前に殺されたのか以後に刃を受けたものか、いずれも下半身がめちゃめちやになっているので判断のくだしようがなかった。が、行為の直後に行なわれたと見るべきが至当《しとう》であることに、専門家の意見は一致していた。
 連続殺人のうち、その多くは戸外で行なわれた。あの迷園のようなイースト・エンドを構成する暗い四つ角、年中じめじめ[#「じめじめ」に傍点]と悪臭に湿っている小路《アレイ》、黒い低い建物に取りまかれた中庭、それらが惨劇の舞台だった。バックス・ロウ街の時には、屍《し》体はある一軒の家の表階段に倚《よ》りかかっていた。一つの例外は、惨劇中の惨劇といわれた、スピタルフィイルド区、ドルセット街ミラア・コウトの納屋《なや》のような見る影もない自室におけるケリイはまたワッツの惨屍体であった。
 この人妖「斬り裂くジャック」は前後をつうじて、たった一度一人の人間に顔を見られて話をしている。
 当時――いまでもあるが――バアナア街四四番地に、ささやかな果物屋があった。マシュウ・パッカアという男が細君《さいくん》相手に小さく経営している。狭い土間に果実が山のように積んであるので、店へ客がはいってくると邪魔《じゃま》になる。売る方も買うほうも身動きが取れなくなってしまう。そこで一策を案出して、表の戸を締めきり、それに小窓を開けて、ちょうど停車場か劇場の切符売場のような特別の設備をし、自分は内部におさまって、この窓からそとを覗《のぞ》いている。客には窓をつうじて応対し、品物も窓から出してやろうという一風変わった人物だ。
 九月三十日、土曜日の午後十一時半ごろだった。
 このパッカアが、もうそろそろ店を閉めようとして仕度《したく》しているところへ、窓のむこうに男女二人|伴《づ》れの客が立った。男は、見たことがなかったが、女は、パッカアもよく知っていた。のっぽのリッツ――エリザベス・ストライド――で、この付近で名うての不良少女だった。
 パッカアは妙にこのリッツの同伴者が気になったとみえて、それとも、人物それ自身が印象的な風貌を備えていたのか、じつに詳しくその人相服装を覚えて、後日|逐《ちく》一申し立てている。
 年齢三十歳前後、身長約五フィート七インチ、肩幅広く、身件全体が四角い感じを与える。浅黒い皮膚。綺麗《きれい》に鬚《ひげ》を剃って、敏捷《びんしょう》な顔つきをしていた。長い黒の外套《がいとう》に、焦茶色《こげちゃいろ》フェルト帽、きびきびした早口だった。
 そのきびきび[#「きびきび」に傍点]した横柄《おうへい》な早口で、エリザベスの同伴者は、窓のむこうから言った。
「おい。そこの葡萄《ぶどう》を半ポンドくれ。三ペンスだな。」
 物価の安かったころである。

        3

 半ポンドの葡萄《ぶどう》を紙袋に入れて、パッカアが差し出すと、のっぽのリッツ――エリザベス・ストライド――が、受け取った。夫婦か恋人のように、男がエリザベスの腕を取って、二人は付近の社会党|倶楽部《くらぶ》の方角へ歩き去った。この界隈《かいわい》で有名な、そして自分もよく知っている売春婦が、こうしてどこからか見慣れぬ男を引っ張ってきて、これからそこらの露地《ろじ》の暗い隅へでも隠れようとしているのだから、パッカアがいくぶん下品な興味をもってこの二人の背後を見送ったであろうことは想像し得る。この辺の下層売春婦の客は、多く隣接工業地帯からの若い労働者か、テムズの諸|船渠《ドック》に停泊中の船員なのだが、パッカアはその男を、そういう部類の筋肉労働者のいずれとも釈《と》らなかった。カマアシャル街《ロウド》あたりの店員か下級事務員どころと踏んだ。彼らがパッカア果物店前のバアナア街をまっすぐに進んで、社会党|倶楽部《くらぶ》――正式には、同党イースト・エンド支部会館の看板をあげていた――の在る一構内に消えてから、二十分たつかたたないうちに、その会館の窓下の中庭で、このエリザベスが惨|屍《し》体となって発見されたのである。酸鼻《さんび》惨虐をきわめた屍体のかたわらに、パッカアが葡萄《ぶどう》を入れて売った紙袋と、葡萄の種と皮とが散乱していた。被害者は葡萄《ぶどう》を食べながら犯人と談笑して、その商取引を終るやいなや、ただちに「斬り裂くジャック」の狂刃の下に、名の示すごとく、両脚の間を腹部まで「斬り裂」かれたものであることが容易に推測される。この屍体も、他のすべてのリッパア事件の被害者と同じく、股間に加えられた加害状態とその暴虐は、文明人の思及《しきゅう》だも許されない怖愕《テロリズム》の極点に達して、犯人が手を使用して引き出したらしい腹部の内部諸器官が、鮮血の溜《たま》りと一緒に極彩色《ごくさいしき》の画面のように、両|大腿《だいたい》部に挟《はさ》まれて屍体の膝のあたりまで真赤に流出していた。そしてそれらを玩弄《がんろう》した痕跡歴然たるものがあり、のみならず、子宮だけがたくみに摘出《てきしゅつ》して持ち去ってあったことなど、これらはすべて前回に記述したとおりである。現場は同じバアナア街で、四四番のパッカア果実店からは、石を投げて届く距離にある、人鬼ジャックがじつに野獣的に、非常識にまで豪胆《ごうたん》であり、いかに無人の境を往《ゆ》くような猛暴を逞《たくまし》うしたかは、この、犯行の場所を選ぶ場合の彼の病的な無関心だけでも、遺憾《いかん》なく窺《うかが》われよう。ただこの九月三十日の夜、パッカア方へ葡萄《ぶどう》を買いに立ち寄ったエリザベス・ストライドの同伴者こそは、警視庁をはじめ全ロンドンが、爪を抜きとった指で石を掘りさげても発見したいと、日夜|焦慮《しょうりょ》していた殺人鬼その人であったことは、なんら疑念の余地がないのである。
 本事件は、今日にいたるまで警察当局と犯罪学者とに幾多の研究資料を呈与《ていよ》しているいわゆる「迷宮入り」である。したがって普通の探偵物もしくは犯罪実話のごとく、「いかにして犯人が逮捕されたか」にその興味の重心を置くものではなく、逆に、「どうして逮捕されなかったか」がその物語の中点なのだ。
 前回にもたびたび詳言《しょうげん》したように、比較的小範囲の地域に、古来チイム・ワークにかけては無比の称ある|ロンドン警視庁《スカットランド・ヤアド》が、その刑事探偵の一騎当千《いっきとうせん》をすぐって、密林のように張りわたした警戒網である。それを随時随所に突破して、この幻怪な犯罪は当局を愚弄《ぐろう》するように連続的に行なわれるのだ。しかも犯人は、不敵にも堂々と宣戦|布告《ふこく》的な態度を持続している。おまけに、続出する被害者の身分まで厳正に一定され、いままた、こうして犯人の顔を実見《じっけん》した者さえ出てきたにかかわらず、ついに捕縛《ほばく》の日を見ることなくして終ったのだ。警視庁の手配が万善《ばんぜん》を期したものであったことはいうまでもない。事実、当時のロンドン警視庁は、かの大ブラウンやフォルスタア氏をはじめ錚々《そうそう》たる腕|利《き》きがそろっていて、空前絶後といってもいい一つの黄金時代だったのである。しからば犯人ジャックが、それほど遁走《とんそう》潜行に妙を得た超人間であったかというに、事実は正反対で、ただかれは、一個偉大なずぶ[#「ずぶ」に傍点]の素人《しろうと》にすぎなかった。そして、その素人素人《しろうとしろうと》した粗削《あらけず》りな遣《や》り口こそ、かえってその筋の苦労人の手足を封じ込めた最大の真因《しんいん》だった観がある。が、実際は、こうなるとすべてが運であり、一に機会の問題である。この場合は、その運と機会が、不合理にもしじゅう反対側に微笑《ほほえ》み続けたのであった。
 こうしてバアナア街の被害者エリザベス・ストライドは、不慮《ふりょ》の死の二十分前に、無意識に犯人の顔を、パッカアという一人の人間に見せたという重要な役目を果したのだが、そのためにこのパッカアがあとでさんざん猛烈な非難を一身に浴びなければならないことが起こった。
 が、これは、パッカアにも攻撃されて仕方のない理由と責任がある。
 十月二日というから、バアナア街事件のあった九月三十日土曜日の夜からわずかに二日しか経過していない。月曜日のことだ。
 正午近くだった。パッカアは、ふたたび先夜の男が自分の果物店の前を通行しつつあるのを認めたのだ。
 白昼である。自分の証言が口火となって、その男こそ「斬り裂くジャック」に相違ないといっそう騒然と大緊張をきたしている最中だ。ことに、あれほど彼の網膜に灼《や》きついた映像に見誤りがあるはずはない。なによりもその「異様に長い黒の外套《がいとう》」が眼印《めじる》しとなって、パッカアは一眼でそれ[#「それ」に傍点]と判別した。今度は、正午にまもないころだったと自分でも言っている。バアナア街は細民《さいみん》区のイースト・エンドでもちょっとした商店街の形態を備えていて、古風な狭い往来に織るような人通りが溢《あふ》れている。ふたたび言う。白昼である。パッカアもなにも怖がることはないはずだ。なぜ彼は、男を見かけると同時に店を走り出て、大声をあげて近隣の者や通行人の助力を求め、とにかくその男を包囲しておいて警官の出張を待たなかったか――つぎは、この点に関して、パッカアが係官の前で陳述している彼自身の言葉だ。
「私は、客のない時は、切符売場式の店の窓口からボンヤリ[#「ボンヤリ」に傍点]戸外の雑沓《ざっとう》を眺めているのが常です。すると、早目に昼飯《ランチ》に出た近所の売子などが、笑いさざめいて通っていましたから、かれこれ十二時でしたろう。ふと見ると、あの男が、この間の晩と同じ服装で店のすぐ前の舗道に差しかかっている。彼奴《きゃつ》が『斬裂人《リッパア》のジャック』であることは各新聞も指摘し、近所の者もみなそう言いあい、私も確信していた際ですから、私は、通行の群集に混って歩いているその男を見かけると同時に、あ! あいつだ! と思いました。先方も私を覚えていたらしく、ちら[#「ちら」に傍点]とこちらを見ましたが気のせいか、それは何事か脅すような、じつに気味の悪い眼つきでした。正直に申しますと、私ははっ[#「はっ」に傍点]と不意を打たれて、意気地がないようですが、あまりびっくりしてどうにも足が動きませんでした。その上、ちょうどその時私のほかに店に人がいなかったものですから、即座に店を空けて飛び出すわけにもゆかず、その間にも奴は足早に通り過ぎて行きます。気が気でありません。で、私は、すぐ後から店の前を通りかかった靴磨きの子供を低声に呼び込んで、何も言わず、ただ静かにその男の後を尾《つ》けてどこの家へはいるかそっ[#「そっ」に傍点]と見届けるようにと耳打ちしました。が、その男が振り返ったのです。そして私が、自分の方を見ながら熱心に靴磨きに囁《ささや》いているのを見ると、突然|彼奴《きゃつ》は鉄砲玉のように駈け出して、ちょうどそこへ疾走して来た電車へ飛び乗ってしまいました。私は夢が覚めたように初めて気がついて、店から転がり出て大声に騒ぎ立てましたが、その時はもう電車は男を乗せたまま遠く町のむこうに消え去っていたのです。まことに残念でなんとも申しわけありませんがこれが事実であります。その男が一昨日の晩私が葡萄《ぶどう》を売った客と同一人であることは断じてまちがいありませぬ。」
 ようするにパッカアは、白昼、平明な日光と普通の街上群集の中で見たがゆえに、いっそうこの人鬼にたいして、瞬間いいようのない絶大な恐怖を抱いたのである。このことは自分でも「正直のところあまりびっくりしてどうにも足が動かなかった[#「なかった」は底本では「なった」と誤植]」と告白しているとおり、この一種形容できない白昼の驚怖感が、刹那《せつな》彼の神経を萎縮《いしゅく》させて、とっさの判断、敏速|機宜《きぎ》の行動等をいっさい剥奪《はくだつ》し、呆然として彼をいわゆる不動|金縛《かなしば》りの状態に、一時|佇立《ちょうりつ》せしめたのだと省察することができる。これは十分の理解と同情を寄せうる心理で、なにも格別パッカアが臆病な男だったという証拠にはならないが、それにしても、つぎに「ちょうどその時店に自分のほか、人がいなかった」ため「店をあけて飛び出すわけにもゆかなかった」というのは、事態の逼迫《ひっぱく》を認識せず、物の軽重を穿《は》きちがえた、横着《おうちゃく》とまではいかなくとも、いささか自己中心にすぎて、かなり滑稽《こっけい》な弁辞であると断ぜざるを得ない。ロンドン中が「斬り裂くジャック」の就縛《しゅうばく》を熱望して爪立ちしていることは、パッカアはもっとも熟知していたはずの一人である。しかも彼は、九月三十日以来、犯人の顔を見た地上ゆいいつの人間として、全英の新聞と話題の大立物《おおだてもの》になっていた矢先だ。その手前もある。不意のことで、愕《おどろ》いたのは当然としても、もう少しそこになんとか気のきいた応急策の施《ほどこ》しようがあったはずだと、刑事達をはじめ公衆は切歯扼腕《せっしやくわん》して口惜しがったが、やがでその憤懣《ふんまん》は非難に変わって、翕然《きゅうぜん》とパッカアの上に集まった。無理もないが、なかには口惜しさのあまりひどいことを言いふらすやつが出て来て、パッカアは「ジャック」の共犯者である。だから故意に逃がしたのか、さもなければ、思うところあって、初めからでたらめを言っているのだことの、いや、じつはパッカアこそはジャックその人に相違ないことのと、とんでもない噂《うわさ》までまことしやかに拡がったりした。とにかく、これによってパッカアは、それほど有力な容疑者――というより百パーセントに確定的な犯人――の身柄に偶然接近しえた、最初の、そしておそらくは最後の絶好機会を恵まれていながら、その怯儒《きょうだ》と愚鈍からみすみすそれを逸《いっ》し去ったのは、すくなくともこの場合、当然身を挺《てい》して警察と公安を援助すべき公共的義務精神の熱意と果敢さにおいて、いくぶん欠除するところあるをいなめない、つまりあまり望ましくない市民だというので、なにしろイギリスのことだからいろいろとやかましい議論がおこり、可哀そうに、果物屋の主人公はこのところすっかり男をさげてしまった。が、結局、あとからはなにを言ってもはじまらない。これらパッカアの失態にたいする叱責《しっせき》のすべては、いわば溢《あふ》れた牛乳の上に追加された無用の涙にしかすぎなかった。機会は、それが絶好のものであればあるほど、去る時は遠心的に遠く去るものである。そして、多くの場合、ふたたび返ってはこない。「電車が犯人を乗せて町のむこうに消えました」とはうまいことを言った。この騒動中の騒動に頓着なく、犯行はその後も依然として間歇《かんけつ》的に頻発《ひんぱつ》したが、犯人そのものの影は、その時消え去って以来、いまだに消えたまんまなのだ。
 はじめての驚天《きょうてん》的犯罪の目的は子宮の蒐集《しゅうしゅう》にあるという説が有力だった。それも、迷信や宗教上の偏執《へんしつ》に発しているものではなく、それかといって、たんに特殊の集物狂《コレクトマニア》の現象でもない。立派に営利を目的とする一つの冷静な企業行為だというのだ。子宮を取って売る。子宮は売れるのである。肝臓や、子宮、脳漿《のうしょう》が、ある方面にたいして商品としての価額を持っているとは、驚くべきことだが、事実である。しかし、この、「長い黒の外套《がいとう》」を着て闇黒《あんこく》に棲《す》む妖怪は、心願《しんがん》のようにその兇刃《きょうじん》を街路の売春婦にのみ限定して揮《ふる》ったのだ。子宮を奪うためならなにも売春婦にかぎったわけではなく、普通の婦人のほうがより[#「より」に傍点]健康な、より清潔な子宮をもっていて、商品としての目的にも適したはずだから、この子宮売買説は、「斬り裂くジャック」の場合当てはまらないといわなければならない。もっとも、未知の女に接近してこれを殺し、子宮を奪うためには、この種の女が一番早道だから、それで自然、とくに売春婦を選んだような観を呈《てい》したのだといえば、一応説明にならないことはないが、ジャックは、ただ相手の娼婦を殺しただけでは満足せず、あたかも報復の念|迸溢《ほういつ》して一寸刻《いっすんきざ》みにしなければあきたらないかのように、生の去ったのちの肉塊にさえ、その情欲の赴《おもむ》[#ルビの「おもむ」は底本では「おも」と誤植]くままに歓《かん》を尽してひそかに快を行《や》っているのだ。ことに前掲ドルセット街ミラア・コウトの自宅で惨殺されたケリイ一名ワッツの死|屍《し》のごときは、ほかのすペての犯行が戸外で行なわれたのと異なり、これは被害者の寝室が現場だったので、怪物が、長く悠々と居残ってその変態癖を遺憾《いかん》なく満喫し、「血の饗宴《きょうえん》」を楽しむだけの時間と四壁を持ったせいか、胸部腹部はなんら人体の原型をとどめておらず、室内は、まるで屠《と》殺場の腑分《ふわけ》室のような光景を呈していた。事実、この事件は、全犯行を通じて白熱的に最悪のものだったが、報知を受け取って踏み込んだ警官の一行は、その予想外に酸鼻《さんび》な場面と、鬱積《うっせき》する異臭にとつじょ直面したため、思わずみんな一個所にかたまって嘔吐《おうと》したという。この言語道断な狼籍《ろうぜき》、徹底した無神経ぶりは、当時の新聞をして「恐怖の満点」と叫ばしめ、「人性の完全な蹂躙《じゅうりん》」と唖然《あぜん》たらしめている。
 こうなると、もうこれは、自由自在に出没|横行《おうこう》する悪鬼《デイモン》の仕業《しわざ》だと人々は言いあった。じっさい、これに匹敵《ひってき》する残虐な犯例は、世界犯罪史をつうじてちょっと類を求めがたいのだが、なかんずくここに留意《りゅうい》すべきことは、前々からいうとおり、この犯人はホワイトチャペル付近の売春婦だけを殺したという一事である。これこそ、この犯罪の動機を暗示する重要な特異性ではないだろうか。そこに、彼の「言葉」といったようなものを読み取ることはできないだろうか。じつに犯人ジャックは、この特徴ある犯行をもって一つの意思を発表し、世間に話しかけたのだ。
 かれの行為は、何事[#「何事」に傍点]か大声に主張している。この「何事」を検討するところに、全リッパア事件の謎を解く合鍵語《キイ・ワアド》が潜《ひそ》んでいると思う。とにかく、「ジャック・ゼ・リッパア」なる人物は、なにかの理由から、イースト・エンドの売春婦をひいてはロンドン全体を、その人心を、社会を、震撼《しんかん》し戦慄《せんりつ》させるのが目的だったに相違ない。
 初冬のロンドンには、煤煙《ばいえん》を交えた霧の日がしきりにつづく。
 明けても暮れても、人は斬裂人《リッパア》の噂で持ちきりだった。
 すると、話はちょっと後退するが、バアナア街事件のあった翌早朝のことだ。

        4

 刑事部捜査課員を総動員して、フォルスタア氏が率いて現場に出張したあと、連絡を取るために、大ブラウンが留守師団長格で警視庁に居残っていたところへ、若い女があわただしく飛び込んできた。
 ブラウン氏は、現場のフォルスタア氏から刻々かかってくる報告電話を受理するのに忙しかったが、女がなにかリッパア事件に関することを言いにきたと聞いて、ただちに私室へ招じ入れて面接した。
 エセル・ライオンスといって、その服装態度からブラウンが一眼で鑑別したとおり、彼女はイースト・エンドを縄張りにする辻君《つじぎみ》の一人だった。ひどく昂奮していて、ブラウン氏を見ると、「何年ぶりかに父親にでも会ったように」いきなり抱きつこうとした。ブラウン氏は、職掌柄《しょくしょうがら》こういう激情的な巷《ちまた》の女を扱い慣れているので、すぐに得意の下町調《カクネイ》でくだけて出ながら、ライオンスの口からその話というのを引き出した。
 ことわっておくが、前夜犯人を見たというパッカアの証言は、このときすでに、バアナア街に行っているフォルスタアからの電話で、ブラウンには委細《いさい》つうじていたが、朝早くだから、まだ新聞に発表されない前で、一般にはなんら知れていなかったのだ。
 このことを頭に置いて、ライオンスの言うところを聞くと、こうである。
 昨夜また、バアナア街に斬裂人《リッパア》が現われたと聞いて、ライオンスは思い切って自分の経験を述べに出頭したのだが、それによると、彼女は大変な命拾いをしている。
 数日前の深夜、例によって相手を探してホワイトチャペルのピンチン街を歩いていると、むこうから来かかった一人の男が、知り合いらしく帽子に手をかけて挨拶した。これは、男のほうから街上の売春婦を呼びとめる場合の、一つのカムフラアジュ的常法である。ピンチン街は、ユダヤ人の小商人の住宅などが並んでいて、入口が円門《アウチ》のようになっている家が多い。このころのロンドンだからあいかわらず霧がかかってはいたが、霧の奥に月のある晩だったので、二人は、その一つのアウチの下に人目を避けて立話しした。
「どこか君の知ってる静かなところへ伴《つ》れてってくれないか。」
 男はこう言ったという。言いながらズボンのポケットを揺すぶって、金を鳴らして聞かせた。このとおり金を持っているというのだ。
 ここでライオンスは、この男の語調には多分のアメリカ訛《なま》りがあったと証言している。各国人を相手にする売笑婦の言だから、この点は比較的信をおけるはずだが、ライオンスは、たしかにその男は「アメリカ人か、さもなければ長くアメリカにいたことのある者」に相違ないと、ブラウン氏の前で断言した。
 そして、その交渉を進めている間も、男は、人のくるのを恐れるように、絶えず首を動かして往来の左右に眼を配っていた。リツパア事件で、この辺の売春婦は顫《ふる》えあがっている最中である。ほんとなら、ライオンスもこうして夜|更《ふ》けの危険に身を曝《さら》さずに家を引っ込んでいたいのだが、それでは稼業があがったりだからこわごわ出て来たのだ。しかし、いまその相手の様子を見ているうちに、第六感とでもいうべきものが、しきりにライオンスに警告を発し出した。で、なおも注意すると、男は、人が通るとかならず暗い方を向いて、顔を見られない用心を忘れない。「ジャック」を思いあわせて加速度的恐怖にとらわれたライオンスが、なんとか口実を作って同行をことわろうと考えをめぐらしているところへ、運よく知りあいの同業の女が三人|伴《づ》れで通りかかった。ライオンスは逃げるように男を離れて、その群に加わって立ち去ったというのだ。
 ブラウン氏は、パッカアの見た人相を隠しておいて、どんな男だったとライオンスに訊《き》いてみた。
「当方にもいろいろわかっているが、五十ぐらいの、背の高い、痩《や》せた男だろう? 鬚《ひげ》のある――。」
 女の心証をたしかめるために、わざと反対に鎌《かま》をかけた。「いいえ。三十そこそこの若い人です。身長は普通で、痩せてはいません。がっしりした身体つきでした。いいえ、鬚《ひげ》はありません。」
 パッカアの証言と一致するものがある。
「外套《がいとう》は着ていなかったろうな。」
「着ていました。変に裾《すそ》の長い、黒い外套でした。」
 ブラウン氏は心中に雀躍《こおど》りした。この時から、「長い黒の外套」が秘かに捜査の焦点となったのだが、この「外套《がいとう》」は、ライオンスによれば米国|訛《なま》りの口を利《き》くという。
 あのドルセット街の陋屋《ろうおく》におけるケリイ別名ワッツ殺しの場合のような徹底した狂暴ぶりは、野獣か狂者でないかぎり、いかに残忍な、無神経な、血に餓えた人間であっても、人の皮を被《かぶ》っている以上とうてい示し得ないところと思考される。ここにおいて「斬り裂くジャック」は精神病者に相違ないとの見込みが、まず必然的に立てられたのだった。すなわち、病院か家庭の檻禁室を逃亡した狂人か、さもなければ、全快という誤診の下に退院を許された者、もしくは、じっさい一時全快して医者を離れ、その後再発したものの所業《しょぎょう》であろうというのだ。これはじつに、都会に猛獣が放たれているような、戦慄《せんりつ》すべき想像だが、こういう、早まって退院を許された狂人の犯罪は、その例に乏《とぼ》しくない。が、これはようするに素人《しろうと》の臆測で、最初のリッパア事件突発と同時に、警察は早くもこの点に着眼し、全英はもちろん、広く欧州大陸から南米にまで照会の電報を飛ばして、精神病院の有無《うむ》、退院した狂暴性患者のその後の動静などを集めたのだったが、その後たった一つ前回に掲げたモスコーからの通知があっただけで、なんらめぼしい手がかりは獲《え》られなかったのである。といって、日夜種々雑多な人間が、満潮時の大河口のように渦を巻き、流れを争う世界最大の貧民窟だ。正確な人口すらわかっていないのだから、いつどんな「猛獣」が潜行してきていないとはかぎらない。しかし、「斬裂人《リッパア》ジャック」が狂人だったとしたら、この犯罪はもっと気まぐれであり、より非組織的でなければならない。それは、すこしでも精神異常者なら、たとえ犯跡は巧妙に晦《くら》ましても、なにかのことでいつかは尻尾を掴《つか》ませるはずである。もちろん一口に精神病といっても、幾多の類型と階梯《かいてい》があるが、種々な場合に現われた事実を総合すると、どうもこのジャックは、狂人どころか普通人、あるいはそれ以上の明識《レイション》あるものとしか思えないのだ。またかりに精神病者としても、彼はたくみにその病的特徴を隠していて、学術的に、はたしていかなる種類と程度の患者と認めていいのか、この点については専門家の意見が区々に別れて、ついに纏《まと》まるところを知らなかった。変態性欲者ちゅうの一種の色情倒錯《しきじょうとうさく》狂でかつ癲癇性激怒《てんかんせいげきど》の発作を併有《へいゆう》するものに相違ないと、一部の権威ある犯罪学者によって主張され、動機の説明としてはもっぱらこの説が行なわれた。精神病理学者として令名あるフォウブス・ウィンスロウ博士は、往訪の新聞記者ガイ・ロウガン氏に語って、この殺人者は、個々のエロティックな発作的狂乱の場合以外、平常はごく普通の、穏厚な一市民であろうとの意見を述べている。
「彼は、一つの犯行をすまして帰宅して、朝になって、その一時的激情から覚めると、自分が前夜なにをしたか、すこしも記憶していないに相違ない。」
 ウィンスロウ博士はこう言った。
 が、いくら著名な専門家の言でも、事実から見て、これはすくなからず変だと言わなければならない。なるほど、犯人は一事狂者《モノマニアック》で、ある一つの迷執《めいしゅう》に駆られてこの犯行を重ねているということは肯定しうるが、しかし、ウィンスロウ博士が想定しているような、意力の加わらない、いわば夢遊病者のごとき発作的錯乱者が、明白なる殺人の目的の下に、兇器を隠し持って夜の巷《ちまた》をさまようだろうか。事実は、そればかりでなく、「ジャック」の行動のすべては、彼の犯罪が初めから緻密《ちみつ》な計画になるものであることをあますところなく明示している。前回にあげたセントラル・ニュース社に舞い込んだ、人血で書かれた“Jack the Ripper”の署名ある葉書と手紙を、何者かの悪戯《いたずら》でなくたしかに犯人の書いたものと認めれば――実際また、事件が進むにしたがいこの通信は真犯人から出たものと信ぜざるを得ない状勢になってきていた。それほど、そこに書かれた彼の「宣言」は着々忠実な履行《りこう》に移されて現われてきたから――彼は、自分の求める売春婦の犠牲者を何街で発見することができるかその的確な「穴《スパット》」を知り、現実にいかにして接近するかその「商売の約束」につうじ、しかも、犯行ごとにあれほどみごとに警戒線を潜って消えうせているのだ。ここでふたたび問題になるのが、例の彼の「長い黒の外套《がいとう》」である。リッパア事件は、鮮血の颱風《たいふう》のようにイースト・エンドを中心にロンドン全市を席捲《せっけん》した。ジャックは、魔法の外套を着た通り魔のように、暗黒から暗黒へと露地横町《ろじよこちょう》を縫ってその跳躍を擅《ほしいまま》にした。彼の去就《きょしゅう》の前には、さすがのロンドン警視庁も全然無力の観さえあった。こうなると、もうこれは、人事を超越した自然現象のように思われて、初めのうちこそ恐怖に戦《おのの》いてその筋の鞭撻を怠らなかったロンドン市民も、日を経《へ》るにしたがって慣れっこになり、他人事のように感じだし、そこはユウモア好きな英国人のことだから、いつしか新聞雑誌の漫画漫文に、寄席のレヴュウに舞踏会の仮装に、このジャック・ゼ・リッパアが大もて大流行という呑気至極《のんきしごく》な奇観を呈するにいたった。するとまた、この人獣をこういうふうに人気の焦点に祭り上げるのは風教《ふうきょう》に大害あり、第一、不謹慎きわまるとあって反対運動がおこるやら、とにかく、肝心の犯罪捜査を外れた傍《わき》道に種々の挿話を生んだものだが、この、漫画に出てくる「ジャック」、舞台や仮装舞踏会の彼の扮装《ふんそう》は、かならずその、あまりにも有名な「長い黒の外套《がいとう》」を着ることにきまっていた。それほど、この犯人とは切り離すことのできない外套である。彼はこれを、犯行の際はいちじ脱いでかたわらへ置き、「手術」をすますと同時に血だらけの着衣の上からこの外套を着て、それで血を隠し、行人の注意を逃れて平然と往来を歩いて帰宅したものであろうと想像するにかたくない。さもなくて、血を浴びたままの姿でたとえ深夜にしろ、どんな短距離にしろ、道中のできるわけがないからである。そして、この目的のためには、それはたしかに「黒く」かつ「長い」ほうが便利だったに相違ない。イースト・エンドは眠らない町である。男を探す夜鷹《よたか》と、夜鷹をさがす男とが夜もすがらの通行人だ。場末とはいえ、けっして淋《さび》しい個所ではない。それにその時は、毎夜|戒厳令《かいげんれい》のような大規模の非常線が張りつめられて、連中の捜査に疲れた警官も倦《う》まず撓《たゆ》まず必死の努力を継続した。不審訊問はだれかれの差別なく投げられた。些少《さしょう》でも疑わしい者は容赦なく拘引《こういん》された。その網に引っかかっただけでも、おびただしい人数といわれている。しかるに、その間を、たったいま人を殺し、屍体を苛《さいな》み、生血と遊んで、全身絵具箱から這い出したようになっているはずの男だけが、この密網の目を洩れてただの一度も誰何《すいか》されなかったのだ。否、誰何されたかもしれないが、追及すべく十分怪しいと白眼《にら》まれなかったのだ。この点が、そしてこの一点が、全リッパア事件の神秘の王冠といわれている。前後をつうじて数千数百の人間が、街上に停止を命じられ凍烈な質問を浴びせられ、身分証明を求められ、即刻身体検査を受けているのに――眼ざすただ一人の人間だけついにこの法の触手にふれることなくして終ったとは、なんという皮肉であろう!

        5

「斬裂人《リッパア》のジャック」は、何か[#「何か」に傍点]のことでホワイトチャペル界隈《かいわい》の売春婦全部を呪い、相手選ばずその鏖殺《ほうさつ》を企てたのだというのが、いま一般に信じられているジャックの目的である。憎悪と怨恨《えんこん》に燃えて、その復讐欲を満たすために、かれはあれほど血に飽きるところを知らなかったというのだ。その根本の原因は何か! いまとなってはただ、そこにたんなる推定が許されるにすぎない。ジャックは、この付近の売春婦から悪性の梅毒でも感染し、それが彼の人生を泥土《でいど》に突き入れたのであろう。すくなくとも、彼はそう感じて、その自暴自棄《じぼうじき》の憤怒《ふんぬ》――かなり不合理な――が彼を駆って盲目的に、そして猪進《ちょしん》的に執念《しゅうねん》の刃を揮《ふる》わせ、この酷薄な報復手段を採《と》らしめたに相違あるまい。病毒の媒体としてもっとも恐るべきイースト・エンドの哀れな娼婦の一人が、肉体的に、また精神的に、ジャックの一生をめちゃくちゃにしたのだ。悪疾に侵されたかれの頭脳において、一人の罪は全般が背負うべきものという不当の論理が、ごく当然に醗酵《はっこう》し生長したかもしれない。
 その間も、ロンドン警視庁へは海外からの情報がしっきりなしに達していた。
 このすこし以前、北米テキサス州で、冬から早春にかけて、リッパア事件に酷似《こくじ》した犯罪が連続的に行なわれたことがあった。もっとも、ロンドンのほど野性に徹した犯行ではなかったが、同じような性器の解剖が屍《し》体に加えてあった。この被害者は、限定的に、同地方に特有の黒人の売笑婦だった。
 犯人は外国生れの若いユダヤ人であるといわれていたが、もちろん自余《じよ》のことはいっさい不明で、やはり捕まっていない。ロンドンでリッパア事件が高潮に達した時、テキサス州の有力新聞アトランタ・カンステチュウション紙は、この黒婦虐殺事件の顛末《てんまつ》を細大掲げて両者の相似点を指摘し、ジャック・ゼ・リッパアは、このテキサスの犯人が渡英して再活躍を始めたに相違ないと論じたが、その当否はとにかく、ロンドンでリッパア騒動が終塞《しゅうそく》するとまもなく、その翌年の初夏、同じような悪鬼的|横行《おうこう》が今度はマナガ市の心胆《しんたん》を寒からしめている。
 マナガ市は、中央アメリカニカラガ共和国の首府である。同市に事件が発生すると同時に、ロンドン警視庁はさっそく同市警察に照会して該事件に関する委細《いさい》の報告を受け取ったが、それによると、書類の上では、犯罪の状況、生殖器の「斬り裂」き方、犯人をめぐる神秘の密度など、すべて「斬裂人《リッパア》ジャック」の手口と付節を合するがごときものがあって、ここに当然、ジャックはロンドンにおける最後の犯行後、大西洋を渡って中米に現われたのだという説を生じた。これは一見|付会《ふかい》の観あるが、再考すればおおいにありそうなことである。はたしてニカラガの犯人がロンドンの屠《と》殺者ジャックであったかどうか――それは、ニカラガでも犯人は捕まっていないのだから、肯定するも否定するも、ようするに純粋の想像を一歩も出ない。犯罪もこうまで不思議性を帯びてくると、そこにいろんな無稽《むけい》の挿話が付随してくるのは当然で、ことに、犯罪者には、いよいよとなると自己を英雄化して飾ろうとする妙な共通心理があるものとみえる。それから当分、ほかの事件で死刑になるやつがきまって公式のように「この自分こそジャックである」と大見得の告白をするのが続出して、当局を悩ました。はじめのうちは公衆も沸いたが、われもわれもとぞくぞく流行のように、そう何人も自称ジャックが現われるに及んで、またかともうだれも真面目に相手にしなくなっている。
 ただ、テキサス犯人の若いユダヤ人がジャックではなかったかという説だけは、いまだにリッパア事件の研究者の間にそうとう重く見られている。ライオンスも、その夜の男の言葉に米国|訛《なま》りを感得したと主張しているし、あの、セントラル・ニュース社へ宛《あ》てた手紙と葉書の冒頭語、Dear Boss なる文句は、明白にアメリカの俗語で、英国では絶対に使わないといっていい。が、例のパッカアだけは、葡萄《ぶどう》を売った客の言語にも、なんら米国を暗示するものは感じられなかったと言っているが、彼の応対はほん[#「ほん」に傍点]の瞬時であり、それは、声や語調は意識して変装《デスガイス》することもできるから、この点パッカアの証言はあまりあてにならない。
 それに、もう一つ、これは後から発表されたのだが、ハンべリイ街二九番事件の時である。被害者アニイ・チャプマンが格闘の際犯人の着衣から※[#「手へん+宛」、第3水準1-84-80、43-14]《も》ぎ取ったのだろう、屍《し》体の真下、背中の個所に、一個のボタンが落ちていた。裏に、H&Qという小さな商標が押字してあった。このボタンの研究は、警視庁の依頼を受けてロンドン商工会議所が引き請《う》けた。そして、日ならずして、H&Qのボタンは、米国シカゴのヘンドリックス・エンド・クエンティン会社の製品であることが判明した。このゆいいつのそして表面漠として雲を掴《つか》むような手がかり――ほとんど手がかりとも呼びがたい――を頼りに、もっとも他にもなにかあったのかもしれないが、即日アンドルウス警部が警視庁を飛び出してそのままサザンプトンからニューヨーク行きの船に投じている。その筋の努力がいかに涙ぐましいものであったかは、この一事でも知れよう。が、このボタンの調査もなんらの結果を齎《もたら》さなかったとみえて、アンドルウス氏は、いつ帰ったともなく、まもなく空手でロンドンに帰ってきていた。
 数年後、マナガ市の精神病院で客死《かくし》した、かつてそうとう知名の外科医だった英国人の一狂人が、その死の床において、リッパア事件とニカラガ事件の真犯人であると告白したという話が伝わってきて、忘れかけていた世間を、もう一度「ジャック」の名で騒がせたことがあるが、もちろん完全なでたらめにすぎない。すくなくとも当局は一笑に付した。第一、「狂人の告白」というのからして、なんと、痛快なナンセンスではないか。



底本:「浴槽の花嫁−世界怪奇実話1」教養文庫、社会思想社
   1975(昭和50)年6月15日初版第1刷発行
   1997(平成9)年9月30日初版第8刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
※底本の表記を誤植と判断するにあたっては、「一人三人全集5[#「5」はローマ数字] 世界怪奇実話 浴槽の花嫁」1969(昭和44)年11月5日初版発行を参照しました。
入力:大野晋
校正:原田頌子
2002年2月13日公開
2002年5月15日修正
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