青空文庫アーカイブ

葛の葉狐
楠山正雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)摂津国《せっつのくに》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|生《しょう》暮《く》らして

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     一

 むかし、摂津国《せっつのくに》の阿倍野《あべの》という所《ところ》に、阿倍《あべ》の保名《やすな》という侍《さむらい》が住《す》んでおりました。この人の何代《なんだい》か前《まえ》の先祖《せんぞ》は阿倍《あべ》の仲麻呂《なかまろ》という名高《なだか》い学者《がくしゃ》で、シナへ渡《わた》って、向《む》こうの学者《がくしゃ》たちの中に交《まじ》ってもちっとも引《ひ》けをとらなかった人です。それでシナの天子《てんし》さまが日本《にっぽん》へ還《かえ》すことを惜《お》しがって、むりやり引《ひ》き止《と》めたため、日本《にっぽん》へ帰《かえ》ることができないで、そのまま向《む》こうで、一|生《しょう》暮《く》らしてしまいました。仲麻呂《なかまろ》が死《し》んでからは、日本《にっぽん》に残《のこ》った子孫《しそん》も代々《だいだい》田舎《いなか》にうずもれて、田舎侍《いなかざむらい》になってしまいました。仲麻呂《なかまろ》の代《だい》から伝《つた》えた天文《てんもん》や数学《すうがく》のむずかしい書物《しょもつ》だけは家《いえ》に残《のこ》っていますが、だれもそれを読《よ》むものがないので、もう何《なん》百|年《ねん》という間《あいだ》、古《ふる》い箱《はこ》の中にしまい込《こ》まれたまま、虫《むし》の食《く》うにまかしてありました。保名《やすな》はそれを残念《ざんねん》なことに思《おも》って、どうかして先祖《せんぞ》の仲麻呂《なかまろ》のような学者《がくしゃ》になって、阿倍《あべ》の家《いえ》を興《おこ》したいと思《おも》いましたが、子供《こども》の時《とき》から馬《うま》に乗《の》ったり弓《ゆみ》を射《い》たりすることはよくできても、学問《がくもん》で身《み》を立《た》てることは思《おも》いもよらないので、せめてりっぱな子供《こども》を生《う》んで、その子を先祖《せんぞ》に負《ま》けないえらい学者《がくしゃ》に仕立《した》てたいと思《おも》い立《た》ちました。そこで、ついお隣《となり》の和泉国《いずみのくに》の信田《しのだ》の森《もり》の明神《みょうじん》のお社《やしろ》に月詣《つきまい》りをして、どうぞりっぱな子供《こども》を一人《ひとり》お授《さず》け下《くだ》さいましと、熱心《ねっしん》にお祈《いの》りをしていました。
 ある年《とし》の秋《あき》の半《なか》ばのことでした。保名《やすな》は五六|人《にん》の家来《けらい》を連《つ》れて、信田《しのだ》の明神《みょうじん》の参詣《さんけい》に出かけました。いつものとおりお祈《いの》りをすましてしまいますと、折《おり》からはぎやすすきの咲《さ》き乱《みだ》れた秋《あき》の野《の》の美《うつく》しい景色《けしき》をながめながら、保名主従《やすなしゅじゅう》はしばらくそこに休《やす》んで、幕張《まくば》りの中でお酒盛《さかも》りをはじめました。
 そのうちだんだん日が傾《かたむ》きかけて、短《みじか》い秋《あき》の日は暮《く》れそうになりました。保名主従《やすなしゅじゅう》はそろそろ帰《かえ》り支度《じたく》をはじめますと、ふと向《む》こうの森《もり》の奥《おく》で大ぜいわいわいさわぐ声《こえ》がしました。その中には太鼓《たいこ》だのほら貝《がい》だのの音《おと》も交《まじ》って、まるで戦争《せんそう》のようなさわぎが、だんだんとこちらの方《ほう》に近《ちか》づいて来《き》ました。主従《しゅじゅう》は何事《なにごと》がはじまったのかと思《おも》って思《おも》わず立《た》ちかけますと、その時《とき》すぐ前《まえ》の草叢《くさむら》の中で、「こんこん。」と悲《かな》しそうに鳴《な》く声《こえ》が聞《き》こえました。そして若《わか》い牝狐《めぎつね》が一|匹《ぴき》、中から風《かぜ》のように飛《と》んで来《き》ました。「おや。」という間《ま》もなく、狐《きつね》は保名《やすな》の幕《まく》の中に飛《と》び込《こ》んで来《き》ました。そして保名《やすな》の足《あし》の下で首《くび》をうなだれ、しっぽを振《ふ》って、さも悲《かな》しそうにまた鳴《な》きました。それは人に追《お》われて逃《に》げ場《ば》を失《うしな》った狐《きつね》が、ほかの慈悲《じひ》深《ぶか》い人間《にんげん》の助《たす》けを求《もと》めているのだということはすぐ分《わ》かりました。保名《やすな》は情《なさ》け深《ぶか》い侍《さむらい》でしたから、かわいそうに思《おも》って、家来《けらい》にかつがせた箱《はこ》の中に狐《きつね》を入《い》れて、かくまってやりました。すると間《ま》もなく、「うおっうおっ。」というやかましい鬨《とき》の声《こえ》を上《あ》げて、何《なん》十|人《にん》とない侍《さむらい》が、森《もり》の中から駆《か》け出《だ》して来《き》ました。そしていきなり保名《やすな》の幕《まく》の中にばらばらと飛《と》び込《こ》んで来《き》て、物《もの》もいわずにそこらを探《さが》し回《まわ》りました。
 この乱暴《らんぼう》なしわざを見《み》て、保名《やすな》はかっと腹《はら》を立《た》てて、
「あなたはだれです。断《ことわ》りもなく、出《だ》し抜《ぬ》けに人の幕《まく》の中に入《はい》って来《く》るのは、乱暴《らんぼう》ではありませんか。」
 ととがめました。
「生意気《なまいき》をいうな。我々《われわれ》がせっかく見《み》つけた狐《きつね》が、この幕《まく》の中に逃《に》げ込《こ》んだから探《さが》すのだ。早《はや》く狐《きつね》を出《だ》せ。」
 とその中の頭分《かしらぶん》らしい侍《さむらい》がいいました。それから二言《ふたこと》三言《みこと》いい合《あ》ったと思《おも》うと、乱暴《らんぼう》な侍共《さむらいども》はいきなり刀《かたな》を抜《ぬ》いて切《き》ってかかりました。保名《やすな》も家来《けらい》たちもみんな強《つよ》い侍《さむらい》でしたから、負《ま》けずに防《ふせ》ぎ戦《たたか》って、とうとう乱暴《らんぼう》な侍共《さむらいども》を残《のこ》らず追《お》い払《はら》ってしまいました。そして箱《はこ》の中にかくしておいた狐《きつね》をさっそく出《だ》して、その間《ま》に逃《に》がしてやりました。狐《きつね》はまるで人間《にんげん》が手を合《あ》わせて拝《おが》むような形《かたち》をして、二三|度《ど》拝《おが》んだと思《おも》うと、さもうれしそうにしっぽを振《ふ》って、草叢《くさむら》の中へ逃《に》げて行ってしまいました。
 狐《きつね》の姿《すがた》が見《み》えなくなったと思《おも》うと、また向《む》こうの森《もり》の中で、先《せん》よりも三|倍《ばい》も四|倍《ばい》もさわがしい人声《ひとごえ》がしました。保名《やすな》が驚《おどろ》いて振《ふ》り返《かえ》って見《み》るひまもなく、すぐ目《め》の前《まえ》に一人《ひとり》、りっぱな馬《うま》に乗《の》った大将《たいしょう》らしい侍《さむらい》を先《さき》に立《た》てて、こんどは何《なん》百|人《にん》という侍《さむらい》が、一塊《ひとかたまり》になって寄《よ》せて来《き》て、保名主従《やすなしゅじゅう》を取《と》り囲《かこ》みました。そこで又《また》はげしい戦《いくさ》がはじまりました。保名主従《やすなしゅじゅう》は幾《いく》ら強《つよ》くっても、先刻《せんこく》の働《はたら》きでずいぶん疲《つか》れている上に、百|倍《ばい》もある敵《てき》に囲《かこ》まれていることですから、とても敵《かな》いようがありません。保名《やすな》の家来《けらい》は残《のこ》らず討《う》たれて、保名《やすな》も体中《からだじゅう》刀傷《かたなきず》や矢傷《やきず》を負《お》った上に、大ぜいに手足《てあし》をつかまえられて、虜《とりこ》にされてしまいました。
 この馬《うま》に乗《の》った大将《たいしょう》は、やはりお隣《となり》の河内国《かわちのくに》に住《す》んでいる石川悪右衛門《いしかわあくうえもん》という侍《さむらい》でした。奥方《おくがた》がこのごろ重《おも》い病《やまい》にかかって、いろいろの医者《いしゃ》に見《み》せても少《すこ》しも薬《くすり》の効《き》き目《め》が見《み》えないものですから、ちょうど自分《じぶん》のにいさんが芦屋《あしや》の道満《どうまん》といって、その時分《じぶん》名高《なだか》い学者《がくしゃ》で、天子様《てんしさま》のおそばに仕《つか》えて、天文《てんもん》や占《うらな》いでは日本《にっぽん》一の名人《めいじん》という評判《ひょうばん》だったのを幸《さいわ》い、ある時《とき》悪右衛門《あくうえもん》は道満《どうまん》に頼《たの》んで、来《き》て見《み》てもらいますと、奥方《おくがた》の病気《びょうき》はただの薬《くすり》では治《なお》らない、若《わか》い牝狐《めぎつね》の生《い》き肝《ぎも》を取《と》ってせんじて飲《の》ませるよりほかにないということでした。そこで信田《しのだ》の森《もり》へ大ぜい家来《けらい》を連《つ》れて狐狩《きつねが》りに来《き》たのでした。けれども運悪《うんわる》く、一|日《にち》森《もり》の中を駆《か》け回《まわ》っても一|匹《ぴき》の獲物《えもの》もありません。すっかりかんしゃくをおこしてぷんぷんしながら引《ひ》き上《あ》げようとしますと、ひょっこり、親子《おやこ》三|匹《びき》の狐《きつね》が長《なが》いすすきの陰《かげ》にかくれているのを見《み》つけました。大喜《おおよろこ》びでさっそく大ぜいかかりますと、狐《きつね》は驚《おどろ》いて、牝牡《めすおす》の狐《きつね》はとうとう逃《に》げてしまいましたが、まだ若《わか》い小狐《こぎつね》が一|匹《ぴき》逃《に》げ場《ば》を失《うしな》って、大ぜいに追《お》われながら、すばやく保名《やすな》の幕《まく》の中まで逃《に》げ込《こ》んだのでした。
 こうしてせっかく手《て》に入《い》れかけた狐《きつね》を横合《よこあ》いから取《と》られてしまったのですから、悪右衛門《あくうえもん》はくやしがって、やたらに保名《やすな》を憎《にく》みました。そして生《い》け捕《ど》ったまま保名《やすな》を殺《ころ》してしまおうとしますと、ふいに向《む》こうから、
「もしもし、しばらくお待《ま》ちなさい。」
 という声《こえ》が聞《き》こえました。
 悪右衛門《あくうえもん》が驚《おどろ》いて振《ふ》り返《かえ》ると、それは同《おな》じ河内国《かわちのくに》の藤井寺《ふじいでら》というお寺《てら》の和尚《おしょう》さんでした。そのお寺《てら》は石川《いしかわ》の家《いえ》代々《だいだい》の菩提所《ぼだいしょ》で、和尚《おしょう》さんとは平生《へいぜい》から大そう懇意《こんい》な間柄《あいだがら》でした。
「これはめずらしい所《ところ》でお目にかかりました。どういうわけで、その男を殺《ころ》そうとなさるのです。」
 と和尚《おしょう》さんはたずねました。
 悪右衛門《あくうえもん》はそこで、今日《きょう》の狐狩《きつねが》りの次第《しだい》をのべて、とうとうおしまいに保名《やすな》にじゃまをされて、くやしくってくやしくってたまらないという話《はなし》をしました。
 和尚《おしょう》さんは、静《しず》かに話《はなし》を聞《き》いた後《あと》で、
「なるほど、それはお腹《はら》の立《た》つのはごもっともです。けれども人の命《いのち》を取《と》るというのは容易《ようい》なことではありません。殊《こと》に大切《たいせつ》な御病人《ごびょうにん》の命《いのち》を助《たす》けようとしておいでの時《とき》、ほかの人間《にんげん》の命《いのち》を取《と》るというのは、仏《ほとけ》さまのおぼしめしにもかなわないでしょう。そうすると、せっかく助《たす》かる御病人《ごびょうにん》が、かえって助《たす》からなくなるまいものでもない。」
 こう和尚《おしょう》さんにいわれると、さすがに傲慢《ごうまん》な悪右衛門《あくうえもん》も、少《すこ》し勇気《ゆうき》がくじけました。和尚《おしょう》さんはここぞと、
「しかし、ただ助《たす》けるというのが業腹《ごうはら》にお思《おも》いなら、こうしましょう。この男を今日《きょう》から侍《さむらい》をやめさせて、わたしの弟子《でし》にして、出家《しゅっけ》させます。それで堪忍《かんにん》しておやりなさい。」
 といいました。
 悪右衛門《あくうえもん》もとうとう和尚《おしょう》さんに言《い》い伏《ふ》せられて、いったん虜《とりこ》にした保名《やすな》を放《はな》してやりました。
 やがて悪右衛門《あくうえもん》の主従《しゅじゅう》は和尚《おしょう》さんに別《わか》れを告《つ》げて、また森《もり》の中にすっかり姿《すがた》が見《み》えなくなりますと、和尚《おしょう》さんは、その時《とき》まで、ぼんやり夢《ゆめ》をみたように座《すわ》っていた保名《やすな》に向《む》かって、
「さあ、乱暴者《らんぼうもの》どもが行ってしまいました。また見《み》つからないうちに、そっと向《む》こうの道《みち》を通《とお》って逃《に》げていらっしゃい。わたくしはさっきあなたに助《たす》けて頂《いただ》いた、この森《もり》の狐《きつね》です。御恩《ごおん》は一生《いっしょう》忘《わす》れません。」
 こういうが早《はや》いか、和尚《おしょう》さんはもうまた元《もと》の狐《きつね》の姿《すがた》になって、しっぽを振《ふ》りながら、悪右衛門《あくうえもん》たちが帰《かえ》っていった方角《ほうがく》とは違《ちが》った向《む》こうの森《もり》の中の道《みち》へ入《はい》っていきました。それはさも、自分《じぶん》について来《こ》いというようでした。保名《やすな》はいよいよ夢《ゆめ》の中で夢《ゆめ》を見《み》たような心持《こころも》ちがしながら、うかうかとその後《あと》についていきました。

     二

 もう日がとっぷり暮《く》れて、夜《よる》になりました。暗《くら》い樹《き》の間《あいだ》から、吹《ふ》けば飛《と》びそうに薄《うす》い三日月《みかづき》がきらきらと光《ひか》って見《み》えていました。保名《やすな》はいつの間《ま》にか狐《きつね》の行方《ゆくえ》を見失《みうしな》ってしまって、心細《こころぼそ》く思《おも》いながら、森《もり》の中の道《みち》をとぼとぼと歩《ある》いて行きました。しばらく行くと、やがて森《もり》が尽《つ》きて、山と山との間《あいだ》の、谷《たに》あいのような所《ところ》へ出ました。体中《からだじゅう》にうけた傷《きず》がずきんずきん痛《いた》みますし、もう疲《つか》れきってのどが渇《かわ》いてたまりませんので、水《みず》があるかと思《おも》って谷《たに》へずんずん下《お》りていきますと、はるかの谷底《たにぞこ》に一《ひと》すじ、白い布《ぬの》をのべたような清水《しみず》が流《なが》れていて、月《つき》の光《ひかり》がほのかに当《あ》たっていました。その光《ひかり》の中にかすかに人らしい姿《すがた》が見《み》えたので、保名《やすな》はほっとして、痛《いた》む足《あし》をひきずりひきずり、岩角《いわかど》をたどって下《お》りて行きますと、それはこんな寂《さび》しい谷《たに》あいに似《に》もつかない十六七のかわいらしい少女《おとめ》が、谷川《たにがわ》で着物《きもの》を洗《あら》っているのでした。少女《おとめ》は保名《やすな》の姿《すがた》を見《み》るとびっくりして、危《あや》うく踏《ふ》まえていた岩《いわ》を踏《ふ》みはずしそうにしました。それから保名《やすな》の血《ち》だらけになった手足《てあし》と、ぼろぼろに裂《さ》けた着物《きもの》と、それに何《なに》よりも死人《しにん》のように青《あお》ざめた顔《かお》を見《み》ると、思《おも》わずあっとさけび声《ごえ》をたてました。保名《やすな》は気《き》の毒《どく》そうに、
「驚《おどろ》いてはいけません。わたしはけっして怪《あや》しいものではありません。大ぜいの悪者《わるもの》に追《お》われて、こんなにけがをしたのです。どうぞ水《みず》を一|杯《ぱい》飲《の》ませて下《くだ》さい。のどが渇《かわ》いて、苦《くる》しくってたまりません。」
 といいました。
 娘《むすめ》はそう聞《き》くと大《たい》そう気《き》の毒《どく》がって、谷川《たにがわ》の水《みず》をしゃくって、保名《やすな》に飲《の》ませてやりました。そしてそのみじめらしい様子《ようす》をつくづくとながめながら、
「まあ、そんな痛々《いたいた》しい御様子《ごようす》では、これからどこへいらっしゃろうといっても、途中《とちゅう》で歩《ある》けなくなるにきまっています。むさくるしい家《いえ》で、おいやでしょうけれど、ともかくわたくしのうちへいらしって、傷《きず》のお手当《てあて》をなさいまし。」
 といいました。
 保名《やすな》は大《たい》そうよろこんで、娘《むすめ》の後《あと》についてその家《いえ》へ行きました。それは山《やま》の陰《かげ》になった寂《さび》しい所《ところ》で、うちには娘《むすめ》のほかにだれも人はおりませんでした。この娘《むすめ》は親《おや》も兄弟《きょうだい》もない、ほんとうの一人《ひとり》ぼっちで、この寂《さび》しい森《もり》の奥《おく》に住《す》んでいるのでした。
 その明《あ》くる日|保名《やすな》は目が覚《さ》めてみると、昨日《きのう》うけた体《からだ》の傷《きず》が一晩《ひとばん》のうちにひどい熱《ねつ》をもって、はれ上《あ》がっていました。体中《からだじゅう》、もうそれは搾木《しめぎ》にかけられたようにぎりぎり痛《いた》んで、立《た》つことも座《すわ》ることもできません。そこで保名《やすな》は心《こころ》のうちには気《き》の毒《どく》に思《おも》いながら、毎日《まいにち》あおむけになって寝《ね》たまま、親切《しんせつ》な娘《むすめ》の世話《せわ》に体《からだ》をまかしておくほかはありませんでした。
 保名《やすな》の体《からだ》が元《もと》どおりになるにはなかなか手間《てま》がかかりました。娘《むすめ》はそれでも、毎日《まいにち》ちっとも飽《あ》きずに、親身《しんみ》の兄弟《きょうだい》の世話《せわ》をするように親切《しんせつ》に世話《せわ》をしました。保名《やすな》の体《からだ》がすっかりよくなって、立《た》って外《そと》へ出歩《である》くことができるようになった時分《じぶん》には、もうとうに秋《あき》は過《す》ぎて、冬《ふゆ》の半《なか》ばになりました。森《もり》の奥《おく》の住《す》まいには、毎日《まいにち》木枯《こが》らしが吹《ふ》いて、木《こ》の葉《は》も落《お》ちつくすと、やがて深《ふか》い雪《ゆき》が森《もり》をも谷《たに》をもうずめつくすようになりました。保名《やすな》はそのままいっしょに雪《ゆき》の中にうずめられて、森《もり》を出ることができないでいました。そのうち雪《ゆき》がそろそろ解《と》けはじめて、時々《ときどき》は森《もり》の中に小鳥《ことり》の声《こえ》が聞《き》こえるようになって、春《はる》が近《ちか》づいてきました。保名《やすな》は毎日《まいにち》親切《しんせつ》な娘《むすめ》の世話《せわ》になっているうち、だんだんうちのことを忘《わす》れるようになりました。それからまた一|年《ねん》たって、二|度《ど》めの春《はる》が訪《おとず》れてくる時分《じぶん》には、保名《やすな》と娘《むすめ》の間《あいだ》にかわいらしい男の子が一人《ひとり》生《う》まれていました。このごろでは保名《やすな》はすっかりもとの侍《さむらい》の身分《みぶん》を忘《わす》れて、朝《あさ》早《はや》くから日の暮《く》れるまで、家《いえ》のうしろの小《ちい》さな畑《はたけ》へ出《で》てはお百姓《ひゃくしょう》の仕事《しごと》をしていました。お上《かみ》さんの葛《くず》の葉《は》は、子供《こども》の世話《せわ》をする合間《あいま》には、機《はた》に向《む》かって、夫《おっと》や子供《こども》の着物《きもの》を織《お》っていました。夕方《ゆうがた》になると、保名《やすな》が畑《はたけ》から抜《ぬ》いて来《き》た新《あたら》しい野菜《やさい》や、仕事《しごと》の合間《あいま》に森《もり》で取《と》った小鳥《ことり》をぶら下《さ》げて帰《かえ》って来《き》ますと、葛《くず》の葉《は》は子供《こども》を抱《だ》いてにっこり笑《わら》いながら出て来《き》て、夫《おっと》を迎《むか》えました。
 こういう楽《たの》しい、平和《へいわ》な月日《つきひ》を送《おく》り迎《むか》えするうちに、今年《ことし》は子供《こども》がもう七つになりました。それはやはり野面《のづら》にはぎやすすきの咲《さ》き乱《みだ》れた秋《あき》の半《なか》ばのことでした。ある日いつものとおり保名《やすな》は畑《はたけ》に出て、葛《くず》の葉《は》は一人《ひとり》寂《さび》しく留守居《るすい》をしていました。お天気《てんき》がいいので子供《こども》も野《の》へとんぼを取《と》りに行ったまま、遊《あそ》びほおけていつまでも帰《かえ》って来《き》ませんでした。葛《くず》の葉《は》はいつものとおり機《はた》に向《む》かって、とんからりこ、とんからりこ、機《はた》を織《お》りながら、少《すこ》し疲《つか》れたので、手を休《やす》めて、うっとり庭《にわ》をながめました。もう薄《うす》れかけた秋《あき》の夕日《ゆうひ》の中に、白い菊《きく》の花《はな》がほのかな香《かお》りをたてていました。葛《くず》の葉《は》は何《なん》となくうるんだ寂《さび》しい気持《きも》ちになって、我《われ》を忘《わす》れてうっかりと魂《たましい》が抜《ぬ》け出《だ》したようになっていました。その時《とき》外《そと》から、
「かあちゃん、かあちゃん。」
 と呼《よ》びながら、遊《あそ》び疲《つか》れた子供《こども》が駆《か》けて帰《かえ》って来《き》ました。うっとりしていて、その声《こえ》にも気《き》がつかなかったとみえて、葛《くず》の葉《は》が返事《へんじ》をしないので、不思議《ふしぎ》に思《おも》って子供《こども》はそっと庭《にわ》に入《はい》ってみますと、いつものように機《はた》に向《む》かっている母親《ははおや》の姿《すがた》は見《み》えましたが、機《はた》を織《お》る手は休《やす》めて、機《はた》の上《うえ》につっぷしたまま、うとうとうたた寝《ね》をしていました。ふと見《み》るとその顔《かお》は、人間《にんげん》ではなくって、たしかに狐《きつね》の顔《かお》でした。子供《こども》はびっくりして、もう一|度《ど》見直《みなお》しましたが、やはりまぎれもない狐《きつね》の顔《かお》でした。子供《こども》は「きゃっ。」と、思《おも》わずけたたましいさけび声《ごえ》を上《あ》げたなり、あとをも見《み》ずに外《そと》へ駆《か》け出《だ》しました。
 子供《こども》のさけび声《ごえ》に、はっとして葛《くず》の葉《は》は目を覚《さ》ましました。そしてちょいとうたた寝《ね》をした間《ま》に、どういうことが起《お》こったか、残《のこ》らず知《し》ってしまいました。ほんとうにこの葛《くず》の葉《は》は人間《にんげん》の女ではなくって、あの時《とき》保名《やすな》に助《たす》けられた若《わか》い牝狐《めぎつね》だったのです。狐《きつね》は今日《きょう》までかくしていた自分《じぶん》の醜《みにく》い、ほんとうの姿《すがた》を子供《こども》に見《み》られたことを、死《し》ぬほどはずかしくも、悲《かな》しくも思《おも》いました。
「もうどうしても、このままこうしていることはできない。」
 こう葛《くず》の葉《は》はいって、はらはらと涙《なみだ》をこぼしました。
 そういいながら、八|年《ねん》の間《あいだ》なれ親《した》しんだ保名《やすな》にも、子供《こども》にも、この住《すま》いにも、別《わか》れるのがこの上なくつらいことに思《おも》われました。さんざん泣《な》いたあとで、葛《くず》の葉《は》は立《た》ち上《あ》がって、そこの障子《しょうじ》の上に、
[#ここから4字下げ]
「恋《こい》しくば
たずね来《き》てみよ、
和泉《いずみ》なる
しのだの森《もり》の
うらみ葛《くず》の葉《は》。」
[#ここで字下げ終わり]
 とこう書《か》いて、またしばらく泣《な》きくずれました。そしてやっと思《おも》いきって立《た》ち上《あ》がると、またなごり惜《お》しそうに振《ふ》り返《かえ》り、振《ふ》り返《かえ》り、さんざん手間《てま》をとった後《あと》で、ふいとどこかへ出ていってしまいました。
 もう日が暮《く》れかけていました。保名《やすな》は子供《こども》を連《つ》れて畑《はたけ》から帰《かえ》って来《き》ました。母親《ははおや》の変《か》わった姿《すがた》を見《み》てびっくりした子供《こども》は、泣《な》きながら方々《ほうぼう》父親《ちちおや》のいる所《ところ》を探《さが》し歩《ある》いて、やっと見《み》つけると、今《いま》し方《がた》見《み》たふしぎを父親《ちちおや》に話《はな》したのです。保名《やすな》は驚《おどろ》いて、子供《こども》を連《つ》れて、あわてて帰《かえ》って来《き》てみると、とんからりこ、とんからりこ、いつもの機《はた》の音《おと》が聞《き》こえないで、うちの中はひっそりと、静《しず》まり返《かえ》っていました。うち中《じゅう》たずね回《まわ》っても、裏《うら》から表《おもて》へと探《さが》し回《まわ》っても、もうどこにも葛《くず》の葉《は》の姿《すがた》は見《み》えませんでした。そしてもう暮《く》れ方《がた》の薄明《うすあか》りの中に、くっきり白く浮《う》き出《だ》している障子《しょうじ》の上に、よく見《み》ると、字《じ》が書《か》いてありました。
[#ここから4字下げ]
「恋《こい》しくば
たずね来《き》てみよ、
和泉《いずみ》なる
しのだの森《もり》の
うらみ葛《くず》の葉《は》。」
[#ここで字下げ終わり]
 母親《ははおや》がほんとうにいなくなったことを知《し》って、子供《こども》はどんなに悲《かな》しんだでしょう。
「かあちゃん、かあちゃん、どこへ行ったの。もうけっして悪《わる》いことはしませんから、早《はや》く帰《かえ》って来《き》て下《くだ》さい。」
 こういいながら、子供《こども》はいつまでもやみの中を探《さが》し回《まわ》っていました。さっき顔《かお》の変《か》わったのに驚《おどろ》いて声《こえ》を立《た》てたので、母親《ははおや》がおこって行ってしまったのだと思《おも》って、よけい悲《かな》しくなりました。狐《きつね》のかあさんでも、化《ば》け物《もの》のかあさんでもかまわない、どうしてもかあさんに会《あ》いたいといって、子供《こども》はききませんでした。
 あんまり子供《こども》が泣《な》くので、保名《やすな》は困《こま》って、子供《こども》の手を引《ひ》いて、当《あ》てどもなく真《ま》っ暗《くら》やみの森《もり》の中を探《さが》して歩《ある》きました。とうとう信田《しのだ》の森《もり》まで来《く》ると、とうに夜中《よなか》を過《す》ぎていました。けっして二|度《ど》と姿《すがた》を見《み》せまいと心《こころ》に誓《ちか》っていた葛《くず》の葉《は》も、子供《こども》の泣《な》き声《ごえ》にひかれて、もう一|度《ど》草《くさ》むらの中に姿《すがた》を現《あらわ》しました。子供《こども》はよろこんで、あわてて取《と》りすがろうとしましたが、いったん元《もと》の狐《きつね》に返《かえ》った葛《くず》の葉《は》は、もう元《もと》の人間《にんげん》の女ではありませんでした。
「わたしの体《からだ》にさわってはいけません。いったん元《もと》の住《す》みかに帰《かえ》っては、人間《にんげん》との縁《えん》は切《き》れてしまったのです。」
 と葛《くず》の葉《は》狐《ぎつね》はいいました。
「お前《まえ》が狐《きつね》であろうと何《なん》であろうと、子供《こども》のためにも、せめてこの子が十になるまででも、元《もと》のようにいっしょにいてくれないか。」
 と保名《やすな》はいいました。
「十まではおろか一生《いっしょう》でも、この子のそばにいたいのですけれど、わたしはもう二|度《ど》と人間《にんげん》の世界《せかい》に帰《かえ》ることのできない身《み》になりました。これを形見《かたみ》に残《のこ》しておきますから、いつまでもわたしを忘《わす》れずにいて下《くだ》さい。」
 こういって葛《くず》の葉《は》狐《ぎつね》は一|寸《すん》四|方《ほう》ぐらいの金《きん》の箱《はこ》と、水晶《すいしょう》のような透《す》き通《とお》った白い玉《たま》を保名《やすな》に渡《わた》しました。
「この箱《はこ》の中に入《はい》っているのは、竜宮《りゅうぐう》のふしぎな護符《ごふ》です。これを持《も》っていれば、天地《てんち》のことも人間界《にんげんかい》のことも残《のこ》らず目に見《み》るように知《し》ることができます。それからこの玉《たま》を耳《みみ》に当《あ》てれば、鳥獣《とりけもの》の言葉《ことば》でも、草木《くさき》や石《いし》ころの言葉《ことば》でも、手に取《と》るように分《わ》かります。この二つの宝物《たからもの》を子供《こども》にやって、日本《にっぽん》一の賢《かしこ》い人にして下《くだ》さい。」
 といって、二つの品物《しなもの》を保名《やすな》に渡《わた》しますと、そのまますうっと狐《きつね》の姿《すがた》はやみの中に消《き》えてしまいました。

     三

 狐《きつね》のふしぎな宝物《たからもの》を授《さず》かったせいでしょうか、狐《きつね》の子供《こども》の阿倍《あべ》の童子《どうじ》は、並《なみ》の子供《こども》と違《ちが》って、生《う》まれつき大《たい》そう賢《かしこ》くて、八つになると、ずんずんむずかしい本《ほん》を読《よ》みはじめ、阿倍《あべ》の家《いえ》に昔《むかし》から伝《つた》わって、だれも読《よ》む者《もの》のなかった天文《てんもん》、数学《すうがく》の巻《ま》き物《もの》から、占《うらな》いや医学《いがく》の本《ほん》まで、何《なん》ということなしにみな読《よ》んでしまって、もう十三の年《とし》には、日本中《にっぽんじゅう》でだれもかなうもののないほどの学者《がくしゃ》になってしまいました。
 するとある日のことでした。童子《どうじ》はいつものとおり一間《ひとま》に入《はい》って、天文《てんもん》の本《ほん》をしきりに読《よ》んでいますと、すぐ前《まえ》の庭《にわ》の柿《かき》の木に、からすが二|羽《わ》、かあかあいって飛《と》んで来《き》ました。そして何《なに》かがちゃがちゃおしゃべりをはじめました。何《なに》をからすはいっているのか知《し》らんと思《おも》って、童子《どうじ》は例《れい》のふしぎな玉《たま》を耳《みみ》に当《あ》てますと、このからすは東《ひがし》の方《ほう》から来《き》た関東《かんとう》のからすと、西《にし》の方《ほう》から来《き》た京都《きょうと》のからすでした。京都《きょうと》のからすは関東《かんとう》のからすに向《む》かって、このごろ都《みやこ》で見《み》て来《き》た話《はなし》をしました。
「都《みやこ》の御所《ごしょ》では、天子《てんし》さまが大病《たいびょう》で、大《たい》そうなさわぎをしているよ。お医者《いしゃ》というお医者《いしゃ》、行者《ぎょうじゃ》という行者《ぎょうじゃ》を集《あつ》めて、いろいろ手をつくして療治《りょうじ》をしたり、祈祷《きとう》をしたりしているが、一向《いっこう》にしるしが見《み》えない。それはそのはずさ、あれは病気《びょうき》ではないんだからなあ。だがわたしは知《し》っている。」
「じゃあどういうわけなんだね。」
 と関東《かんとう》のからすはたずねました。
「それはこういうわけさ。このごろ御所《ごしょ》の建《た》て替《か》えをやって、天子《てんし》さまのお休《やす》みになる御殿《ごてん》の柱《はしら》を立《た》てた時《とき》に、大工《だいく》がそそっかしく、東北《うしとら》の隅《すみ》の柱《はしら》の下に蛇《へび》と蛙《かえる》を生《い》き埋《う》めにしてしまったのだ。それが土台石《どだいいし》の下で、今《いま》だに生《い》きていて、夜《よる》も昼《ひる》もにらみ合《あ》って戦《たたか》っている。蛇《へび》と蛙《かえる》がおこって吹《ふ》き出《だ》す息《いき》が炎《ほのお》になって、空《そら》まで立《た》ちのぼると、こんどは天《てん》が乱《みだ》れる。その勢《いきお》いで天子《てんし》さまの体《からだ》にお病《やまい》がおこるのだ。だからあの蛇《へび》と蛙《かえる》を追《お》い出《だ》してしまわないうちは、御病気《ごびょうき》は治《なお》りっこないのだよ。」
「ふん、それじゃあ人間《にんげん》になんか分《わ》からないはずだなあ。」
 そこで京都《きょうと》のからすは、関東《かんとう》のからすと顔《かお》を見合《みあ》わせて、あざけるように、かあかあと笑《わら》いました。そしてまた関東《かんとう》のからすは東《ひがし》へ、京都《きょうと》のからすは西《にし》へ、別《わか》れて飛《と》んでいってしまいました。
 からすの言葉《ことば》を聞《き》いて、童子《どうじ》は早速《さっそく》占《うらな》いを立《た》ててみると、なるほどからすのいったとおりに違《ちが》いありませんでしたから、おとうさんの前《まえ》へ出て、その話《はなし》をして、
「どうか、わたしを京都《きょうと》へ連《つ》れて行って下《くだ》さい。天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》を治《なお》して上《あ》げとうございます。」
 といいました。
 保名《やすな》もこれをしおに京都《きょうと》へ行《い》って、阿倍《あべ》の家《いえ》を興《おこ》す時《とき》が来《き》たと、大《たい》そうよろこんで、童子《どうじ》を連《つ》れて京都《きょうと》へ上《のぼ》りました。そして天子《てんし》さまの御所《ごしょ》に上《あ》がって、お願《ねが》いの筋《すじ》を申《もう》し上《あ》げました。天子《てんし》さまも阿倍《あべ》の仲麻呂《なかまろ》の子孫《しそん》だということをお聞《き》きになって、およろこびになり、保名親子《やすなおやこ》の願《ねが》いをお聞《き》き届《とど》けになりました。そこで童子《どうじ》はからすに聞《き》いたとおり占《うらな》いを立《た》てて申《もう》し上《あ》げました。御所《ごしょ》の役人《やくにん》たちはふしぎに思《おも》って、なかなか信用《しんよう》しませんでしたが、何《なに》しろ困《こま》りきっているところでしたから、ためしに御寝所《ごしんじょ》の東北《うしとら》の柱《はしら》の下を掘《ほ》らしてみますと、なるほど童子《どうじ》のいったとおり、火《ひ》のような息《いき》をはきかけはきかけ戦《たたか》っている蛇《へび》と蛙《かえる》を見《み》つけて、追《お》い出《だ》して、捨《す》てました。するとまもなく天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》は薄紙《うすがみ》をへぐように、きれいに治《なお》ってしまいました。
 天子《てんし》さまは大《たい》そう阿倍《あべ》の童子《どうじ》の手柄《てがら》をおほめになって、ちょうど三|月《がつ》の清明《せいめい》の季節《きせつ》なので、名前《なまえ》を阿倍《あべ》の清明《せいめい》とおつけになり、五|位《い》の位《くらい》を授《さず》けて、陰陽頭《おんみょうのかみ》という役《やく》におとりたてになりました。後《のち》に清明《せいめい》の清《せい》の字《じ》をかえて、阿倍《あべ》の晴明《せいめい》といった名高《なだか》い占《うらな》いの名人《めいじん》はこの童子《どうじ》のことです。

     四

 たった十三にしかならない阿倍《あべ》の童子《どうじ》が、天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》を治《なお》してえらい役人《やくにん》にとりたてられたと聞《き》いて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門《いしかわあくうえもん》のにいさんの芦屋《あしや》の道満《どうまん》でした。道満《どうまん》はその時《とき》まで日本《にっぽん》一の学者《がくしゃ》で、天文《てんもん》と占《うらな》いの名人《めいじん》という評判《ひょうばん》でしたが、こんどは天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》を治《なお》すことができないで、その手柄《てがら》を子供《こども》に取《と》られてしまったのですから、くやしがるのも無理《むり》はありません。そこで御所《ごしょ》へ上《あ》がって天子《てんし》さまに讒言《ざんげん》をしました。
「御用心《ごようじん》遊《あそ》ばさないといけません。あの童子《どうじ》は詐欺師《さぎし》でございます。恐《おそ》れながら、陛下《へいか》のお病《やまい》は侍医《じい》の方々《かたがた》や、わたくし共《ども》の丹誠《たんせい》で、もうそろそろ御平癒《ごへいゆ》になる時《とき》になっておりました。そこへ折《おり》よく童子《どうじ》めが来合《きあ》わせて、横合《よこあ》いから手柄《てがら》を奪《うば》っていったのでございます。御寝所《ごしんじょ》の下の蛇《へび》と蛙《かえる》のふしぎも、あれら親子《おやこ》が御所《ごしょ》の役人《やくにん》のだれかとしめし合《あ》わせて、わざわざ入《い》れて置《お》いたものかも知《し》れません。どうか軽々《かるがる》しくお信《しん》じなさらずに、一|度《ど》わたくしと法術《ほうじゅつ》比《くら》べをさせて頂《いただ》きとうございます。もしあの童子《どうじ》が負《ま》けましたらば、それこそ詐欺師《さぎし》の証拠《しょうこ》でございますから、さっそく位《くらい》を取《と》り上《あ》げて、追《お》い返《かえ》して頂《いただ》きとうございます。」
 と申《もう》し上《あ》げました。
「でもお前《まえ》がもし童子《どうじ》に負《ま》けたらどうするか。」
 と天子《てんし》さまは少《すこ》しおこって、おたずねになりました。
「はい、万々一《まんまんいち》わたくしが負《ま》けるようなことがございましたら、それこそわたくしの頂《いただ》いておりますお役《やく》も位《くらい》も残《のこ》らずお返《かえ》し申《もう》し上《あ》げて、わたくしは童子《どうじ》の弟子《でし》になって、修業《しゅぎょう》をいたします。」
 と、高慢《こうまん》な顔《かお》をしてお答《こた》え申《もう》し上《あ》げました。
 そこで天子《てんし》さまは阿倍《あべ》の晴明親子《せいめいおやこ》をお呼《よ》び出《だ》しになり、御前《ごぜん》で術《じゅつ》比《くら》べさせてごらんになることになりました。道満《どうまん》と晴明《せいめい》が右左《みぎひだり》に別《わか》れて席《せき》につきますと、やがて役人《やくにん》が四五|人《にん》かかって、重《おも》そうに大きな長持《ながもち》を担《かつ》いで来《き》て、そこへすえました。
「道満《どうまん》、晴明《せいめい》、この長持《ながもち》の中には何《なに》が入《はい》っているか、当《あ》ててみよ、という陛下《へいか》の仰《おお》せです。」
 とお役人《やくにん》の頭《かしら》がいいました。
 すると道満《どうまん》は、さもとくいらしい顔《かお》をして、
「晴明《せいめい》、まずお前《まえ》からいうがいい。子供《こども》のことだ、先《さき》を譲《ゆず》ってやる。」
 といいました。晴明《せいめい》はその時《とき》、丁寧《ていねい》に頭《あたま》を下《さ》げて、
「では失礼《しつれい》ですが、わたくしから申《もう》し上《あ》げましょう。長持《ながもち》の中にお入《い》れになったのは猫《ねこ》二|匹《ひき》です。」
 といいました。
 晴明《せいめい》がうまくいいあてたので、道満《どうまん》はぎょっとしました。
「ふん、まぐれ当《あ》たりに当《あ》たったな。いかにも二|匹《ひき》の猫《ねこ》に相違《そうい》ありません。それで一|匹《ぴき》は赤猫《あかねこ》、一|匹《ぴき》は白猫《しろねこ》です。」
 長持《ながもち》のふたをあけると、なるほど赤《あか》と白の猫《ねこ》が二|匹《ひき》飛《と》び出《だ》しました。天子《てんし》さまも役人《やくにん》たちも舌《した》をまいて驚《おどろ》きました。
 今《いま》のは勝負《しょうぶ》なしにすんだので、又《また》、四五|人《にん》のお役人《やくにん》が、大きなお三方《さんぽう》に何《なに》か載《の》せて、その上に厚《あつ》い布《ぬの》をかけて運《はこ》んで来《き》ました。道満《どうまん》はそれを見《み》ると、こんどこそ晴明《せいめい》に先《せん》をこされまいというので、いきり立《た》って、
「ではわたくしから申《もう》し上《あ》げます。お三方《さんぽう》の上にお載《の》せになったのは、みかん十五です。」
 といいました。
 晴明《せいめい》はそれを聞《き》いて、「ふん。」と心《こころ》の中であざ笑《わら》いました。そして少《すこ》しいたずらをして、高慢《こうまん》らしい道満《どうまん》の鼻《はな》をあかせてやりたいと思《おも》いました。そこでそっと物《もの》を換《か》える術《じゅつ》を使《つか》って、お三方《さんぽう》の中の品物《しなもの》を素早《すばや》く換《か》えてしまいました。そしてすました顔《かお》をしながら、
「これはみかん十五ではございません。ねずみ十五|匹《ひき》をお入《い》れになったと存《ぞん》じます。」
 といいました。天子《てんし》さまはじめお役人《やくにん》たちはびっくりしました。こんどこそは晴明《せいめい》がしくじったと思《おも》いました。そばについていたおとうさんの保名《やすな》も真《ま》っ青《さお》になって、息子《むすこ》のそでを引《ひ》きました。けれども晴明《せいめい》はあくまで平気《へいき》な顔《かお》をしていました。道満《どうまん》は真《ま》っ赤《か》になって、
「さあ、詐欺師《さぎし》の証拠《しょうこ》は現《あらわ》れましたぞ。中を早《はや》くおあけなさい、早《はや》く。」
 とさけびました。
 お役人《やくにん》はお三方《さんぽう》の覆《おお》いをとりました。するとどうでしょう。お三方《さんぽう》の上に載《の》せたのはみかんではなくって、今《いま》の今《いま》まで晴明《せいめい》のほかだれ一人《ひとり》思《おも》いもかけなかったねずみが十五|匹《ひき》、ちょろちょろ飛《と》び出《だ》して、御殿《ごてん》の床《ゆか》の上を駆《か》け歩《ある》きました。すると長持《ながもち》の上に寝《ね》ていた二|匹《ひき》の猫《ねこ》が目早《めばや》く見《み》つけて、いきなり飛《と》び下《お》りて、ねずみを追《お》い回《まわ》しました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立《そうだ》ちになって、やがて御殿中《ごてんじゅう》の大《おお》さわぎになりました。
 これで勝負《しょうぶ》はつきました。芦屋《あしや》の道満《どうまん》は位《くらい》を取《と》り上《あ》げられて、御殿《ごてん》から追《お》い出《だ》されました。そして阿倍《あべ》の晴明《せいめい》のお弟子《でし》になりました。



底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年9月29日作成
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