青空文庫アーカイブ

家なき子
SANS FAMILLE
(上)
マロ Malot
楠山正雄訳

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)捨《す》て

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|枚《まい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)えにしだ[#「えにしだ」に傍点]
-------------------------------------------------------

     生い立ち

 わたしは捨《す》て子《ご》だった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣《な》けばきっと一人の女が来て、優《やさ》しくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓《まど》ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら暖《あたた》めてくれた。その歌の節《ふし》も文句《もんく》も、いまに忘《わす》れずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛《めうし》の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを探《さが》しに来て、麻《あさ》の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしは遊《あそ》び仲間《なかま》とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、優《やさ》しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの肩《かた》をもってくれた。
 それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしても優《やさ》しくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
 ところでそれがひょんな事情《じじょう》から、この女の人が、じつは養《やしな》い親《おや》でしかなかったということがわかったのだ。
 わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代を過《す》ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
 なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだ[#「えにしだ」に傍点]のほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地《すなじ》の高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
 そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、丘《おか》を見捨《みす》てて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草《ぼくそう》もあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
 その谷川の早い瀬《せ》の末《すえ》がロアール川の支流《しりゅう》の一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
 八つの年まで、わたしはこの家で男の姿《すがた》というものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』と呼《よ》んでいた人はやもめではなかった。夫《おっと》というのは石工《いしく》であったが、このへんのたいていの労働者《ろうどうしゃ》と同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心《ものごころ》ついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る仲間《なかま》の者に、便《たよ》りをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。相変《あいか》わらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金を預《あず》けてよこした。数えてみてください」
 これだけのことであった。おっかあも、それだけの便《たよ》りで満足《まんぞく》していた。ご亭主《ていしゅ》がたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、満足《まんぞく》していた。
 このご亭主《ていしゅ》のバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんと仲《なか》が悪いのだと思ってはならない。こうやって留守《るす》にしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在《たいざい》しているのは仕事に引き留《と》められているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
 十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、門口《かどぐち》でそだを折《お》っていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出してのぞきながら、その男はわたしに、「バルブレンのおっかあのうちはここかね」とたずねた。
 わたしは、「おはいんなさい」と言った。
 男は門《かど》の戸をきいきい言わせながらはいって来て、のっそり、うちの前につっ立った。
 こんなよごれくさった男を見たことがなかった。なにしろ、頭のてっぺんから足のつま先まで板を張《は》ったようにどろをかぶっていた。それも半分まだかわききらずにいた。よほど長いあいだ、悪い道をやって来たにちがいない。
 話し声を聞いて、バルブレンのおっかあはかけだして来た。そして、この男がしきいに足をかけようとするところへ、ひょっこり顔を出した。
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
 それはごくなんでもないことばだったし、もうこれまでも何べんとなく、それこそ耳にたこ[#「たこ」に傍点]のできるほど聞き慣《な》れたものだったが、どうもそれが『ご亭主《ていしゅ》はたっしゃでいるよ。相変《あいか》わらずかせいでいるよ』という、いつものことばとは、なんだかちがっていた。
「おやおや。ジェロームがどうかしましたね」
 と、おっかあは両手をもみながら声を立てた。
「ああ、ああ、どうもとんだことでね。ご亭主《ていしゅ》はけがをしてね。だが気を落としなさんなよ。けがはけがだが命には別状《べつじょう》がない。だが、かたわぐらいにはなるかもしれない。いまのところ病院にはいっている。わたしはちょうど病室でとなり合わせて、今度国へ帰るについて、ついでにこれだけの事をことづけてくれとたのまれたのさ。ところで、ゆっくりしてはいられない。まだこれから三里(約十二キロ)も歩かなくてはならないし、もうおそくもなっているからね」
 でもおっかあは、もっとくわしい話が開きたいので、ぜひ夕飯《ゆうはん》を食べて行くようにと言ってたのんだ。道は悪いし、森の中にはおおかみが出るといううわさもある。あしたの朝立つことにしたほうがいい。
 男は承知《しょうち》してくれた。そこで炉《ろ》のすみにすわりこんで、腹《はら》いっぱい食べながら、事件《じけん》のくわしい話をした。バルブレンはくずれた足場の下にしかれて大けがをした。そのくせ、そこはだれも行く用事のない場所であったという証言《しょうげん》があったので、建物《たてもの》の請負人《うけおいにん》は一文の賠償金《ばいしょうきん》もしはらわないというのである。
「ご亭主《ていしゅ》も気《き》のどくな。運が悪かったのよ」
 と、男は言った。
「まったく、運が悪かったのよ。世間にはわざとこんなことを種《たね》に、しこたませしめるずるい連中《れんちゅう》もあるのだが、おまえさんのご亭主《ていしゅ》ときては、一文にもならないのだからな」
「まったく運が悪い」と男はこのことばをくり返しながら、どろでつっぱり返っているズボンをかわかしていた。その口ぶりでは、手足の一本ぐらいたたきつぶされても、お金になればいいというらしかった。
「なんでもこれは、請負人《うけおいにん》を相手《あいて》どって裁判所《さいばんしょ》へ持ち出さなければうそだと、おれは勧《すす》めておいたよ」
 男は話のしまいに、こう言った。
「まあ。でも裁判《さいばん》なんということは、ずいぶんお金の要《い》ることでしょう」
「そうだよ。だが勝てばいいさ」
 バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった。道は遠いし、お金がかかる。
 そのあくる朝、わたしは村へ行ってぼうさんに相談《そうだん》した。ぼうさんは、まあ向こうへ行って役に立つかどうか、それがよくわかったうえにしないと、つまらないと言った。それでぼうさんが代筆《だいひつ》をして、バルブレンのはいっている慈恵《じけい》病院の司祭《しさい》にあてて、手紙を出すことにした。その返事は二、三日して着いたが、バルブレンのおっかあは来るにはおよばない、だが、ご亭主《ていしゅ》が災難《さいなん》を受けた相手《あいて》にかけ合うについて、入費《にゅうひ》のお金を送ってもらいたいというのであった。
 それからいく日もいく週間もたった。ときおり手紙が届いて、そのたんびにもっと金を送れ金を送れと言って来る。いちばんおしまいには、これまでの手紙よりまたひどくなって、もう金がないなら、雌牛《めうし》のルセットを売っても、ぜひ金をこしらえろと言って来た。
 いなかで百姓《ひゃくしょう》の仲間《なかま》にはいってくらした者でなければ、『雌牛を売れ』というこのことばに、どんなにつらい、悲しい思いがこもっているかわからない。百姓にとって、雌牛のありがたさは、一とおりのものではなかった。いかほどびんぼうでも、家内《かない》が多くても、ともかくも雌牛《めうし》が飼《か》ってあるあいだは、飢《う》えて死ぬことはないはずだ。
 それにうちの雌牛は、なにより仲《なか》よしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その背中《せなか》をさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、優《やさ》しい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいに愛《あい》し合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
 けれどもいまはその雌牛《めうし》とも、わたしたちは別《わか》れなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご亭主《ていしゅ》を満足《まんぞく》させることはできなかった。
 そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。乳《ちち》も出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
 かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
 それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、優《やさ》しく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
 ルセットはそれをこばむことができなかった。それで往来《おうらい》へ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
 わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
 もう乳《ちち》もなければバターもない。朝は一きれのパン、晩《ばん》は塩《しお》をつけたじゃがいものごちそうであった。
 雌牛《めうし》を売ってから四、五日すると、謝肉祭《しゃにくさい》が来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどら焼《や》きと揚《あ》げりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
 けれどそのときは揚《あ》げ物《もの》の衣《ころも》がパン粉《こ》をとかす乳《ちち》や、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
 もうルセットもいない、乳《ちち》もない、バターもない、これでは、謝肉祭《しゃにくさい》もなにもないと、わたしはつまらなそうに独《ひと》り言《ごと》を言った。
 ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物を借《か》りることをしない人ではあったが、おとなりへ行って乳《ちち》を一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きな土《ど》なべにパン粉《こ》をあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへ寄《よ》って言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ご覧《らん》、ルミ、いいかおりだろう」
 わたしはこのパン粉《こ》をなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる勇気《ゆうき》がなかった。それにきょうが謝肉祭《しゃにくさい》だということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パン粉《こ》でなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが謝肉祭《しゃにくさい》で、どら焼《や》きをこしらえる日だということを知っていても、バターとお乳《ちち》がないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの謝肉祭《しゃにくさい》を、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をご覧《らん》」
 わたしはさっそくふたをあけると、乳《ちち》とバターと卵《たまど》と、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
 わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあは卵《たまご》を粉《こな》に混《ま》ぜて衣《ころも》をしらえ、乳《ちち》を少しずつ混ぜていた。
 衣がすっかり練《ね》れると、土《ど》なべのまま、熱灰《あつばい》の上にのせた。それでどら焼《や》きが焼け、揚《あ》げりんごが揚がるまでには、晩食《ばんしょく》のときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、何度も、何度も、おさらにかけた布《ぬの》を取ってみた。
「おまえ、衣《ころも》にかぜをひかしてしまうよ。そうするとうまくふくれないからね」とかの女はさけんだ。けれど、言うそばからそれはずんずんふくれて、小さなあわが上に立ち始めた。卵《たまご》と乳《ちち》がぷんとうまそうなにおいを立てた。
「そだを少し持っておいで」とおっかあが言った。「いい火をこしらえよう」
 とうとう明かりがついた。
「まきを炉《ろ》の中へお入れ」
 かの女がこのことばを二度とくり返すまでもなく、わたしはさっきからこのことばの出るのをいまかいまかと待ちかまえていたのであった。さっそく赤いほのおがどんどん炉《ろ》の中に燃《も》え上がり、この光が台所じゅうを明るくした。
 そのときおっかあは、揚《あ》げなべをくぎから外《はず》して火の上にのせた。
「バターをお出し」
 ナイフの先でかの女はバターをくるみくらいの大きさに一きれ切ってなべの中へ入れると、じりじりとけ出してあわを立てた。
 もうしばらくこのにおいもかがなかった。まあ、そのバターのいいにおいといったら。
 わたしがそのじりじりこげるあまい音楽にむちゅうで聞きほれていたとき、裏庭《うらにわ》でこつこつ人の歩く足音がした。
 せっかくのときにだれがじゃまに来たのだろう。きっとおとなりからまきをもらいに来たのだ。
 わたしはそんなことに気を取られるどころではなかった。ちょうどそのときバルブレンのおっかあが、大きな木のさじをはちに入れて、衣《ころも》を一さじ、おなべの中にあけていたのだもの。
 するとだれかつえでことことドアをたたいた。ばたんと戸が開け放された。
「どなただね」とおっかあはふり向きもしないでたずねた。
 一人の男がぬっとはいって来た。明るい火の光で、わたしはその男が大きなつえを片《かた》わきについているのを見つけた。
「やれやれ、祭りのごちそうか。まあ、やるがいい」とその男はがさつな声で言った。
「おやおやまあ」とバルブレンのおっかあが、あわててさげなべを下に置《お》いてさけんだ。
「まあジェローム、おまえさんだったの」
 そのときおっかあはわたしのうでを引《ひ》っ張《ぱ》って、戸口に立ちはだかったままでいた男の前へ連《つ》れて行った。
「おまえのとっつぁんだよ」


     養父《ようふ》

 おっかあはご亭主《ていしゅ》にだきついた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。
「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」
「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」
「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」
 かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。
 なにをわたしがしたろう。なんの罪《つみ》があるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。
 わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。
「じゃあ感心に謝肉祭《しゃにくさい》のお祝《いわ》いをするのだな、まあけっこうよ。おれは腹《はら》が減《へ》っているのだ。晩飯《ばんめし》はなんのごちそうだ」とかれは言った。
「どら焼《や》きとりんごの揚《あ》げ物《もの》をこしらえているところですよ」
「そうらしいて。だが何里も遠道《とおみち》をかけて来た者に、まさかどら焼《や》きでごめんをこうむるつもりではあるまい」
「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」
「なんだ、なんにもない。夕飯《ゆうはん》にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
 かれは天井《てんじょう》をあお向いて見た。いつも塩《しお》ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら焼《や》きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
 どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
 でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主《ていしゅ》の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は炉《ろ》のすみのいすにこしをかけていた。
 わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き得《え》なかった。食卓《しょくたく》に背中《なか》を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
 かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の肩《かた》のほうへ曲がっていた。かたわになったので、よけいこの男の人相《にんそう》を悪くした。
 バルブレンのおっかあはまたおなべを火の上にのせた。
「おめえ、それっぱかりのバターでスープをこしらえるつもりか」とかれは言いながら、バターのはいったさらをつかんで、それをみんななべの中へあけてしまった。もうバターはなくなった……それで、もうどら焼《や》きもなくなったのだ。
 これがほかの場合だったら、こんな災難《さいなん》に会えば、どんなにくやしかったかしれない。だが、わたしはもうどら焼《や》きもりんごの揚《あ》げ物《もの》も思わなかった。わたしの心の中にいっぱいになっている考えは、こんなに意地の悪い男が、いったいどうしてわたしの父親だろうかということであった。
「ぼくのとっつぁん」――うっとりとわたしはこのことばを心の中でくり返した。
 いったい父親というものはどんなものだろう、それをはっきりと考えたことはなかった。ただぼんやり、それはつまり、母親の声の大きいのくらいに考えていた。ところが、いま天から降《ふ》って来たこの男を見ると、わたしはひじょうにいやだったし、こわらしかった(おそろしかった)。
 わたしがかれにだきつこうとすると、かれはつえでわたしをつきのけた。なぜだ。これがおっかあなら、だきつこうとする者をつきのけるようなことはしなかった。どうして、おっかあはいつだってわたしをしっかりとだきしめてくれた。
「これ、でくのぼうのようにそんな所につっ立っていないで、来て、さらでもならべろ」とかれは言った。
 わたしはあわててそのとおりにしようとして、危《あぶ》なくたおれそこなった。スープはでき上がった。バルブレンのおっかあはそれをさらに入れた。
 するとかれは炉《ろ》ばたから立ち上がって、食卓《しょくたく》の前にこしをかけて食べ始めた。合い間合い間には、じろじろわたしの顔を見るのであった。わたしはそれが気味が悪くって、食事がのどに通らなかった。わたしも横目でかれを見たが、向こうの目と出会うと、あわてて目をそらしてしまった。
「こいつはいつもこのくらいしか食わないのか」とかれはふいにこうたずねた。
「きっとおなかがいいんですよ」
「しょうがねえやつだなあ。こればかりしかはいらないようじゃあ」
 バルブレンのおっかあは話をしたがらない様子であった。あちらこちらと働《はたら》き回って、ご亭主《ていしゅ》のお給仕《きゅうじ》ばかりしていた。
「てめえ、腹《はら》は減《へ》らねえのか」
「ええ」
「うん、じゃあすぐとこへはいってねろ。ねたらすぐねつけよ。早くしないとひどいぞ」
 おっかあはわたしに、なにも言わずに言うとおりにしろと目で知らせた。しかしこの警告《けいこく》を待つまでもなかった。わたしはひと言も口答えをしようとは思わなかった。
 たいていのびんぼう人の家がそうであるように、わたしたちの家の台所も、やはり寝部屋《ねべや》をかねていた。炉《ろ》のそばには食事の道具が残《のこ》らずあった。食卓《しょくたく》もパンのはこもなべも食器《しょっき》だなもあった。そうして、部屋《へや》の向こうの角《かど》が寝部屋であった。一方の角にバルブレンのおっかあの大きな寝台《ねだい》があった。その向こうの角のくぼんだおし入れのような所にわたしの寝台があって、赤い模様《もよう》のカーテンがかかっていた。
 わたしは急いでねまきに着かえて、ねどこにもぐりこんだ。けれど、とても目がくっつくものではなかった。わたしはひどくおどかされて、ひじょうにふゆかいであった。
 どうしてこの男がわたしのとっつぁんだろう。ほんとうにそうだったら、なぜ人をこんなにひどくあつかうのだろう。
 わたしは鼻をかべにつけたまま、こんなことを考えるのはきれいにやめて、言いつかったとおり、すぐねむろうと骨《ほね》を折《お》ったがだめだった。まるで目がさえてねつかれない。こんなに目のさえたことはなかった。
 どのくらいたったかわからないが、しばらくしてだれかがわたしの寝台《ねだい》のそばに寄《よ》って来た。そろそろと引きずるような重苦しい足音で、それがおっかあでないということはすぐにわかった。
 わたしはほおの上に温かい息を感じた。
「てめえ、もうねむったのか」とするどい声が言った。
 わたしは返事をしないようにした。「ひどいぞ」と言ったおそろしいことばが、まだ耳の中でがんがん聞こえていた。
「ねむっているんですよ」とおっかあが言った。「あの子はとこにはいるとすぐに目がくっつくのだから、だいじょうぶなにを言っても聞こえやしませんよ」
 わたしはむろん、「いいえ、ねむっていません」と言わねばならないはずであったが、言えなかった。わたしはねむれと言いつけられた。それをまだねむらずにいた。わたしが悪かった。
「それでおまえさん、裁判《さいばん》のほうはどうなったの」とおっかあが言った。
「だめよ。裁判所ではおれが足場の下にいたのが悪いと言うのだ」そう言ってかれはこぶしで食卓《しょくたく》をごつんと打って、なんだかわけのわからないことを言って、しきりにののしっていた。
「裁判《さいばん》には負けるし、金はなくなるし、かたわにはなるし、びんぼうがじろじろ面《つら》をねめつけて(にらみつけて)いる。それだけでもまだ足りねえつもりか、うちへ帰って来ればがきがいる。なぜおれが言ったとおりにしなかったのだ」
「でもできなかったもの」
「孤児院《こじいん》へ連《つ》れて行くことができなかったのか」
「だってあんな小さな子を捨《す》てることはできないよ。自分の乳《ちち》で育ててかわいくなっているのだもの」
「あいつはてめえの子じゃあねえのだ」
「そうさ。わたしもおまえさんの言うとおりにしようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、あの子が加減《かげん》が悪くなったので」
「加減が悪く」
「ああ、だからどうにもあすこへ連《つ》れては行けなかったのだよ。死んだかもしれないからねえ」
「だがよくなってから、どうした」
「ええ、すぐにはよくならなかったしね、やっといいと思うと、また病気になったりしたものだから。かわいそうにそれはひどくせきをして、聞いていられないようだった。うちのニコラぼうもそんなふうにして死んだのだからねえ。わたしがこの子を孤児院《こじいん》に送ればやっぱり死んだかもしれないよ」
「だが……あとでは」
「ああ、だんだんそのうちに時がたって、延《の》び延びになってしまったのだよ」
「いったいいくつになったのだ」
「八つさ」
「うん、そうか。じやあ、これからでもいいや。どうせもっと早く行くはずだったのだ。だが、いまじゃあ行くのもいやがるだろう」
「まあ、ジェローム、おまえさん、いけない……そんなことはしないでおくれ」
「いけない、なにがいけないのだ。いつまでもああしてうちに置《お》けると思うか」
 しばらく二人ともだまり返った。わたしは息もできなかった。のどの中にかたまりができたようであった。
 しばらくして.バルブレンのおっかあが言った。
「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人が変《か》わったねえ。おまえさん、行くまえにはそんなことは言わない人だったがねえ」
「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを半殺《はんごろ》しにもした。おれはもう働《はたら》くことはできない。もう金はない。牛は売ってしまった。おれたちの口をぬらすことさえおぼつかないのに、おたがいの子でもないがきを養《やしな》うことができるか」
「あの子はわたしの子だよ」
「あいつはおれの子でもないが、きさまの子でもないぞ。それにぜんたい百姓《ひゃくしょう》の子どもじゃあない。びんぼう人の子どもじゃあない。きゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]すぎて物もろくに食えないし、手足もあれじゃあ働《はたら》けない」
「あの子は村でいちばん器量《きりょう》よしの子どもだよ」
「器量がよくないとは言いやしない。だがじょうぶな子ではないと言うのだ。あんなひょろひょろした肩《かた》をしたこぞうが労働者《ろうどうしゃ》になれると思うか。ありゃあ町の子どもだ。町の子どもを置《お》く席《せき》はないのだ」
「いいえ、あの子はいい子ですよ。りこうで、物がわかって、それで優《やさ》しいのだから、あの子はわたしたちのために働《はたら》いてくれますよ」
「だが、さし当たりは、おれたちがあいつのために働いてやらなければならない。それはまっぴらだ」
「もしかあの子のふた親が引き取りに来たらどうします」
「あいつのふた親だと。いったいあいつにはふた親があったのか。あればいままでに訪《たず》ねて来そうなものだ。あいつのふた親が訪ねて来て、これまでの養育料《よういくりょう》をはらって行くなどと考えたのが、ずいぶんばかげきっていた。気ちがいじみていた。あの子がレースのへりつきのやわらかい産着《うぶき》を着ていたからといって、ふた親があいつを訪ねに来ると思うことができるか。それに、もう死んでいるのだ。きっと」
「いいや、そんなことはない。いつか訪《たず》ねて来るかもしれない……」
「女というやつはなかなか強情《ごうじょう》なものだなあ」
「でも訪ねて来たら」
「ふん、そうなりゃ孤児院《こじいん》へ差《さ》し向けてやる。だがもう話はたくさんだ。おれはあしたは村長さんの所へあいつを連《つ》れて行って相談《そうだん》する。今夜はこれからフランスアの所へ行って来る。一時間ばかりしたら帰って来るからな」
 そのあいだにわたしはさっそく寝台《ねだい》の上で起き上がって、おっかあを呼《よ》んだ。
「ねえ、おっかあ」
 かの女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。
「ぼくを孤児院《こじいん》へやるの」
「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」
 かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。
「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女は優《やさ》しくたずねた。
「ぼく、わざとしたんじゃないから」
「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」
「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」
 このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この婦人《ふじん》がわたしの母親でないことを知ったのは情《なさ》けなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか得意《とくい》でうれしかった。このわたしの心の中の矛盾《むじゅん》はおのずと声に現《あらわ》れたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。
「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通《なみきどお》りで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうの泣《な》き声《ごえ》を聞いて、おまえをある庭の門口《かどぐち》で拾って来たのだ。あの人はだれか人を呼《よ》ぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ[#「おまえ」は底本では「おえ」]を捨《す》てた男が、だれか拾うか見届《みとど》けていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどく泣《な》くものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人も困《こま》っていると、ほかの職人《しょくにん》たちも寄《よ》って来て、みんなはおまえを警察《けいさつ》へ届《とど》けることに相談《そうだん》を決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それから警察へ連《つ》れて行って、暖《あたた》かくしてあげてもまだ泣《な》いていた。それで今度はおなかが減《へ》っているのだろうというので、近所のおかみさんをたのんで乳《ちち》を飲ました。まあ、まったくおなかが減っていたのだよ。
 やっとおなかがいっぱいになると、みんなは炉《ろ》の前へ連れて行って、着物をぬがしてみると、なにしろきれいなうすもも色をした子どもで、りっぱな産着《うぶぎ》にくるまっていた。警部《けいぶ》さんは、こりゃありっぱなうちの子をぬすんで捨《す》てたものだと言って、その着物の細かいこと、子どもの様子などをいちいち書き留《と》めて、いつどういうふうにして拾い上げたかということまで書き入れた。それでだれか世話をする者がなければ、さしずめ孤児院《こじいん》へやらなければなるまいが、こんなりっぱなしっかりした子どもだ、これを育てるのはむずかしくはない。両親もそのうちきっと探《さが》しに来るだろう。探し当てればじゅうぶんのお礼もするだろうから、と署長《しょちょう》さんがお言いなすった。このことばにひかれて、ジェロームはわたしが引き取りましょうと言ったのだよ。ちょうどそのじぶん、わたしは同い年の赤んぼうを持っていたから、二人の子どもを楽に育てることができた。ねえ、そういうわけで、わたしがおまえのおっかあになったのだよ」
「まあ、おっかあ」
「ああ、ああ、それで三月《みつき》目の末《すえ》にわたしは自分の子どもを亡《な》くした。そこでわたしはいよいよおまえがかわいくなって、もう他人の子だなんという気がしなくなりました。でもジェロームは相変《あいか》わらずそれを忘《わす》れないでいて、三年目の末になっても、両親が引き取りに来ないというので、もうおまえを孤児院《こじいん》へやると言って聞かないので困《こま》ったよ。だからなぜわたしがあの人の言うとおりにしなかった、と言われていたのをお聞きだったろう」
「まあ、ぼくを孤児院《こじいん》へなんかやらないでください」とわたしはさけんで、かの女にかじりついた。
「どうぞどうぞおっかあ、後生《ごしょう》だから孤児院へやらないでください」
「いいえ、おまえ、どうしてやるものか、わたしがよくするからね。ジェロームはそんなにいけない人ではないのだよ。あの人はあんまり苦労《くろう》をたくさんして、気むずかしくなっているだけなのだからね。まあ、わたしたちはせっせと働《はたら》きましょう。おまえも働くのだよ」
「ええ、ええ、ぼくはしろということはなんでもきっとしますから、孤児院《こいじん》へだけはやらないでください」
「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」
 おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。
 わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひどく感動させられたので、静《しず》かにねむりの国にはいることができなかった。
 じゃあ、あれほど優《やさ》しいバルブレンのおっかあは、わたしのほんとうの母さんではなかったのか。するといったいほんとうの母さんはだれだろう。いまの母さんよりもっと優しい人かしら。どうしてそんなはずがありそうもない。
 だがほんとうの父さんなら、あのバルブレンのように、こわい目でにらみつけたり、わたしにつえをふり上げたりしやしないだろうと思った……。
 あの男はわたしを孤児院《こじいん》へやろうとしている。母さんにはほんとうにそれを引き止める力があるだろうか。
 この村に二人、孤児院から来た子どもがあった。この子たちは、『孤児院の子』と呼《よ》ばれていた。首の回りに番号のはいった鉛《なまり》の札《ふだ》をぶら下げていた。ひどいみなりをして、よごれくさっていた。ほかの子たちがみんなでからかって、石をぶつけたり、迷《まよ》い犬《いぬ》を追って遊ぶように追い回したりした。迷い犬にだれも加勢《かせい》する者がないのだ。
 ああ、わたしはそういう子どものようになりたくない。首の回りに番号札を下げられたくない。わたしの歩いて行くあとから、『やいやい孤児院《こじいん》のがき、やいやい捨《す》て子《ご》』と言ってののしられたくない。
 それを考えただけでも、ぞっと寒気《さむけ》がして、歯ががたがた鳴りだす。わたしはねむることができなかった。やがてバルブレンも、また帰って来るだろう。
 でも幸せと、ずっとおそくまでかれは帰って来なかった。そのうちにわたしもとろろとねむ気《け》がさして来た。


     ヴィタリス親方の一座《いちざ》

 その晩《ばん》一晩、きっと孤児院《こじいん》へ連《つ》れて行かれたゆめばかりを見ていたにちがいない。朝早く目を開いても、自分がいつもの寝台《ねだい》にねているような気がしなかった。わたしは目が覚《さ》めるとさっそく寝台にさわったり、そこらを見回したり、いろいろ試《ため》してみた。ああ、そうだ、わたしはやはりバルブレンのおっかあのうちにいた。
 バルブレンはその朝じゅう、なにもわたしに言わなかった。わたしはかれがもう孤児院《こじいん》へやる考えを捨《す》てたのだと思うようになった。きっとバルブレンのおっかあが、あくまでわたしをうちに置《お》くことに決めたのであろう。
 けれどもお昼ごろになると、バルブレンがわたしに、ぼうしをかぶってついて来いと言った。
 わたしは目つきで母さんに救《すく》いを求《もと》めてみた。かの女もご亭主《ていしゅ》に気がつかないようにして、いっしょに行けと目くばせした。わたしは従《したが》った。かの女は行きがけにわたしの肩《かた》をたたいて、なにも心配することはないからと知らせた。
 なにも言わずにわたしはかれについて行った。
 うちから村まではちょっと一時間の道であった。そのとちゅう、バルブレンはひと言もわたしに口をきかなかった。かれはびっこ引き引き歩いて行った。おりふしふり返って、わたしがついて来るかどうか見ようとした。
 どこへいったいわたしを連《つ》れて行くつもりであろう。
 わたしは心の中でたびたびこの疑問《ぎもん》をくり返してみた。バルブレンのおっかあがいくらだいじょうぶだと目くばせして見せてくれても、わたしにはなにか一大事が起こりそうな気がしてならないので、どうしてにげ出そうかと考えた。
 わたしはわざとのろのろ歩いて、バルブレンにつかまらないようにはなれていて、いざとなればほりの中にでもとびこもうと思った。
 はじめはかれも、あとからわたしがとことこついて来るのて、安心していたらしかった。けれどもまもなく、かれはわたしの心の中を見破《みやぶ》ったらしく、いきなりわたしのうで首をとらえた。
 わたしはいやでもいっしょにくっついて歩かなければならなかった。
 そんなふうにして、わたしたちは村にはいった。すれちがう人がみんなふり返って目を丸《まる》くした。それはまるで、山犬がつなで引かれて行くていさいであった。
 わたしたちが村の居酒屋《いざかや》の前を通ると、入口に立っていた男がバルブレンに声をかけて、中にはいれと言った。バルブレンはわたしの耳を引《ひ》っ張《ぱ》って、先にわたしを中へつっこんでおいて、自分もあとからはいって、ドアをぴしゃりと立てた。
 わたしはほっとした。
 そこは危険《きけん》な場所とは思われなかった。それに先《せん》からわたしは、この中がいったいどんな様子になっているのだろうと思っていた。
 旅館《りょかん》御料理《おんりょうり》カフェー・ノートルダーム。中はどんなにきれいだろう。よく赤い顔をした人がよろよろ中から出て来るのをわたしは見た。表のガラス戸は歌を歌う声や話し声で、いつもがたがたふるえていた。この赤いカーテンの後ろにはどんなものがあるのだろうと、いつもふしぎに思っていた。それをいま見ようというのである……
 バルブレンはいま声をかけた亭主《ていしゅ》と、食卓《しょくたく》に向かい合ってこしをかけた。わたしは炉《ろ》ばたにこしをかけてそこらを見回した。
 わたしのいたすぐ向こうのすみには、白いひげを長く生やした背《せい》の高い老人《ろうじん》がいた。かれはきみょうな着物を着ていた。わたしはまだこんな様子の人を見たことがなかった。
 長い髪《かみ》の毛《け》をふっさりと肩《かた》まで垂《た》らして、緑と赤の羽根《はね》でかざったねずみ色の高いフェルト帽《ぼう》をかぶっていた。ひつじの毛皮の毛のほうを中に返して、すっかりからだに着こんでいた。その毛皮服にはそではなかったが、肩《かた》の所に二つ大きな穴《あな》をあけて、そこから、もとは録色だったはずのビロードのそでをぬっと出していた。ひつじの毛のゲートルをひざまでつけて、それをおさえるために、赤いリボンをぐるぐる足に巻きつけていた。
 かれは長ながといすの上に横になって、下あごを左の手に支《ささ》えて、そのひじを曲げたひざの上にのせていた。
 わたしは生きた人で、こんな静《しず》かな落ち着いた様子の人を見たことがなかった。まるで村のお寺の聖徒《せいと》の像《ぞう》のようであった。
 老人《ろうじん》の回りには三びきの犬が、固《かた》まってねていた。白いちぢれ毛のむく犬と、黒い毛深いむく犬、それにおとなしそうなくりくりした様子の灰《はい》色の雌犬《めすいぬ》が一ぴき。白いむく犬は巡査《じゅんさ》のかぶる古いかぶと帽《ぼう》をかぶって、皮のひもをあごの下に結《ゆわ》えつけていた。
 わたしがふしぎそうな顔をしてこの老人《ろうじん》を見つめているあいだに、バルブレンと居酒屋《いざかや》の亭主《ていしゅ》は低《ひく》い声でこそこそ話をしていた。わたしのことを話しているのだということがわかった。
 バルブレンはわたしをこれから村長のうちへ連《つ》れて行って、村長から孤児院《こじいん》に向かって、わたしをうちへ置《お》く代わりに養育料《よういくりょう》が請求《せいきゅう》してもらうつもりだと言った。
 これだけを、やっとあの気のどくなバルブレンのおっかあが夫《おっと》に説《と》いて承諾《しょうだく》させたのであった。けれどわたしは、そうしてバルブレンがいくらかでも金がもらえれば、もうなにも心配することはないと思っていた。
 その老人《ろうじん》はいつかすっかりわきで聞いていたとみえて、いきなりわたしのほうに指さしして、耳立つほどの外国なまりでバルブレンに話しかけた。
「その子どもがおまえさんのやっかい者なのかね」
「そうだよ」
「それでおまえさんは孤児院《こじいん》が養育料《よういくりょう》をしはらうと思っているのかね」
「そうとも。この子は両親がなくって、そのためにおれはずいぶん金を使わされた。お上《かみ》からいくらでもはらってもらうのは当たり前だ」
「それはそうでないとは言わない。だが、物は正しいからといってきっとそれが通るものとはかぎらない」
「それはそうさ」
「それそのとおり。だからおまえさんが望《のぞ》んでおいでのものも、すらすらと手にはいろうとはわたしには思えないのだ」
「じゃあ孤児院《こじいん》へやってしまうだけだ。こちらで養《やしな》いたくないものを、なんでも養えという法律《ほうりつ》はないのだ」
「でもおまえさんははじめにあの子を養いますといって引き受けたのだから、そのやくそくは守らなければならない」
「ふん、おれはこの子を養《やしな》いたくないのだ。だからどのみちどこへでもやっかいばらいをするつもりでいる」
「さあ、そこで話だが、やっかいばらいをするにも、手近なしかたがあると思う」老人《ろうじん》はしばらく考えて、「おまけに少しは金にもなるしかたがある」と言った。
「そのしかたを教えてくれれば、おれは一ぱい買うよ」
「じゃあさっそく一ぱい買うさ。もう相談《そうだん》は決まったから」
「だいじょうぶかえ」
「だいじょうぶよ」
 老人《ろうじん》は立ち上がって、バルブレンの向こうに席《せき》をしめた。ふしぎなことには、老人が立ち上がると、ひつじの毛皮服がむずむず動いて、むっくり高くなった。たぶん、もう一ぴき犬をうでの下にかかえているのだとわたしは思った。
 この人たちは、いったいわたしをどうしようというのだろう。わたしの心臓《しんぞう》がまたはげしく打ち始めた。わたしはちっとも老人《ろうじん》から目をはなすことができなかった。
「おまえさんはこの子のためにだれか金を出さない以上《いじょう》、自分のうちに置《お》いて養《やしな》っていることはいやだという、それにちがいないのだろう」
「それはそのとおりだ……そのわけは……」
「いや、わけはどうでもよろしい。それはわたしにかかわったことではない。それでもうこの子が要《い》らないというのなら、すぐわたしにください。わたしが引き受けようじゃないか」
「おや、おまえさんはこの子を引き受けると言うのかね」
「だっておまえさんはこの子をほうり出したいんだろう」
「おまえさんにこんなきれいな子をやるのかえ。この子は村でもいちばんかわいい子だ。よく見てくれ」
「よく見ているよ」
「ルミ、ここへ来い」
 わたしは食卓《しょくたく》に進み寄《よ》った。ひざはふるえていた。
「これこれぼうや、こわがることはないよ」と老人《ろうじん》は言った。
「さあ、よく見てくれ」とバルブレンは言った。
「わたしはこの子をいやな子だとは言いやしない。またそれならば欲《ほ》しいとも言わない。こっちは化け物は欲しくはないのだ」
「いやはや、こいつがいっそ二つ頭の化け物か、または一寸法師《いっすんぼうし》ででもあったなら……」
「だいじにして孤児院《こじいん》にやりはしないだろう。香具師《やし》に売っても見世物に出しても、その化け物のおかげでお金もうけができようさ。だが子どもは一寸法師でもなければ、化け物でもない。だから見世物にすることはできない。この子はほかの子どもと同じようにできている。なんの役にも立たない」
「仕事はできるよ」
「いや、あまりじょうぶではないからなあ」
「じょうぶでないと、とんでもない話だ。……だれにだって負けはしないのだ。あの足を見なさい。あのとおりしっかりしている。あれよりすらりとした足を見たことがあるかい……」
 バルブレンはわたしのズボンをまくり上げた。
「やせすぎている」と老人《ろうじん》は言った。
「それからうでを見ろ」とバルブレンは続《つづ》けた。
「うでも同様だ。――まあこれでもいいが、苦しいことや、つらいことにはたえられそうもない」
「なに、たえられない。ふん、手でさわって調べてみるがいい」
 老人《ろうじん》はやせこけた手で、わたしの足にさわってみながら、頭をふったり、顔をしかめたりした。
 このまえ、ばくろうが来たときも、こんなふうであったことを、わたしは見て知っていた。その男もやはり牛のからだを手でさわったりつねったりしてみて、頭をふった。この牛はろくでもない牛だ、とても売り物にはならない、などと言ったが、でも牛を買って連《つ》れて行った。
 この老人《ろうじん》もたぶんわたしを買って連れて行くだろう。ああバルブレンのおっかあ。バルブレンのおっかあ。
 不幸にもここにはおっかあはいなかった。だれもわたしの味方になってくれる者がなかった。
 わたしが思い切った子なら、なあにきのうはバルブレンも、わたしを弱い子で、手足がか細くて役に立たぬと非難《ひなん》したのではないかと言ってやるところであった。でもそんなことを言ったら、どなりつけられて、げんこをいただくに決まっているから、わたしはなにも言わなかった。
「まあつまり当たり前の子どもさね。それはそうだが、やはり町の子だよ。百姓《ひゃくしょう》仕事にはたしかに向いてはいないようだ。試《ため》しに畑をやらしてごらん、どれほど続《つづ》くかさ」
「十年は続くよ」
「なあにひと月も続《つづ》くものか」
「まあ、このとおりだ。よく見てくれ」
 わたしは食卓《しょくたく》のはしの、ちょうどバルブレンと老人《ろうじん》の間にすわっていたものだから、あっちへつかれ、こっちへおされて、いいようにこづき回された。
「さあ、まずこれだけの子どもとして」と老人《ろうじん》は最後《さいご》に言った。「つまりわたしが引き受けることにしよう。もちろん買い切るのではない、ただ借《か》りるのだ。その借《か》り賃《ちん》に年に二十フラン出すことにしよう」
「たった二十フラン」
「どうして高すぎると思うよ。それも前ばらいにするからね。ほんとうの金貨《きんか》を四|枚《まい》にぎったうえに、やっかいばらいができるのだからね」と老人《ろうじん》は言った。
「だがこの子をうちに置《お》けば、孤児院《こじいん》から毎月十フランずつくれるからな」
「まあくれてもせいぜい七フランか十フランだね。それはよくわかっているよ。だがその代わり食べさせなければならないからね」
「その代わり働《はたら》きもするさ」
「おまえさんがほんとにこの子が働けると思うなら、なにも追い出したがることはないだろう。ぜんたい捨《す》て子《ご》を引き取るというのは、その養育料《よういくりょう》をはらってもらうためではない、働《はたら》かせるためなのだ。それから金を取り上げこそすれ、給金《きゅうきん》なしの下男《げなん》下女《げじょ》に使うのだ。だからそれだけの役に立つものなら、おまえさんはこの子をうちに置《お》くところなのだ」
「とにかく、毎月十フランはもらえるのだから」
「だが孤児院《こじいん》で、いや、そんならこの子はおまえさんには預《あず》けない、ほかへ預けると言ったらどうします。つまりなんにもおまえさんは取れないではないか。わたしのほうにすればそこは確《たし》かだ。おまえさんの苦労《くろう》はただ金を受け取るために、手を出しさえすればいいのだ」
 老人《ろうじん》はかくしを探《さぐ》って、なめし皮の財布《さいふ》を引き出した。その中から四|枚《まい》、金貨《きんか》をつかみ出して、食卓《しょくたく》の上にならべ、わざとらしくチャラチャラ音をさせた。
「だが待てよ」とバルブレンが言った。「いつかこの子のふた親が出てくるかもしれない」
「それはかまわないじゃないか」
「いや、育てた者の身になればなにもかまわなくはないさ。またそれを思わなければ、初《はじ》めっからだれが世話をするものか」
「それを思わなければ初《はじ》めっからだれが世話をするものか」――このことばで、わたしはいよいよバルブレンがきらいになった。なんという悪い人間だろう。
「なるほど、だがこの子のふた親がもう出て来ないだろうとあきらめたからこそ、おまえさんもこの子をほうり出そうと言うのだろう。ところで、どうかしたひょうしでこののちそのふた親が出て来たとして、それはおまえさんの所へこそまっすぐに行こうが、わたしの所へは来ないだろう。だれもわたしを知らないのだから」と老人《ろうじん》は言った。
「でもおまえさんがそのふた親を見つけ出したらどうする」
「なるほどそういう場合には、わたしたちで利益《りえき》を分けるのだね。ところで、ひとつ、きばってさしあたり三十フラン分けてあげようよ」
「四十フランにしてもらおう」
「いいや、この子の使い道はそこいらが相応《そうおう》な値段《ねだん》だ」
「おまえさん、この子をなんに使おうというのだ。足といえばこのとおりしっかりしたいい足をしているし、うでといえばこのとおりりっぱないいうでをしている。いま言ったことをどこまでもくり返して言うが、この子をいったいどうしようというのだ」
 そのとき老人《ろうじん》はあざけるようにバルブレンの顔を見て、それからちびちびコップを干《ほ》した。
「つまりわたしの相手《あいて》になってもらうのだ。わたしは年を取ってきたし、夜なんぞはまことにさびしくなった。くたびれたときなんぞ、子どもがそばにいてくれるといいおとぎになるのだ」
「なるほど、それにはこの子の足はじゅうぶんたっしゃだから」
「おお、それだけではだめだ。この子はまたおどりをおどって、はね回って、遠い道を歩かなければならない。つまりこの子はヴィタリス親方の一座《いちざ》の役者になるのだ」
「その一座はどこにある」
「もうご推察《すいさつ》あろうが、そのヴィタリス親方はわたしだ。さっそくここで一座をお目にかけよう」
 こう言ってかれはひつじの毛皮服のふところを開けて、左のうでにおさえていたきみょうな動物を引き出した。それが、さっきからたびたび毛皮を下から持ち上げた動物であったのだ。だがそれは想像《そうぞう》したように、犬ではなかった。
 わたしはこのきみょうな動物を生まれて初《はじ》めて見たとき、なんと名のつけようもなかった。
 わたしはびっくりしてながめていた。
 それは金筋《きんすじ》をぬいつけた赤い服を着ていたが、うでと足はむき出しのままであった。実際《じっさい》それは人間と同じうでと足で、前足ではなかった。黒い毛むくじゃらの皮をかぶっていて、白くももも色でもなかった。にぎりこぶしぐらいの大きさの黒い頭をして、縦《たて》につまった顔をしていた。横へ向いた鼻の穴《あな》が開いていて、くちびるが黄色かった。けれどもとりわけわたしをおどろかしたのは、くちゃくちゃとくっついている二つの目で、それは鏡《かがみ》のようにぴかぴかと光った。
「いやあ、みっともないさるだな」とバルブレンがさけんだ。
 ああ、さるか。わたしはいよいよ大きな目を開いた。それではこれがさるであったのか。わたしはまださるを見たことはなかったが、話には聞いていた。じゃあこの子どものようなちっぽけな動物が、さるだったのか。
「さあ、これが一座《いちざ》の花形《はながた》で」とヴィタリス親方が言った。「すなわちジョリクール君であります。さあさあジョリクール君」と動物のほうを向いて、「お客さまにおじぎをしないか」
 さるは指をくちびるに当てて、わたしたちに一人一人キッスをあたえるまねをした。
「さて」とヴィタリスはことばを続《つづ》けて、白のむく犬のほうに手をさしのべた。「つぎはカピ親方が、ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》に一座《いちざ》のものをご紹介《しょうかい》申しあげる光栄《こうえい》を有せられるでしょう」
 このまぎわまでぴくりとも動かなかった白のむく犬が、さっそくとび上がって、後足で立ちながら、前足を胸《むね》の上で十文字に組んで、まず主人に向かってていねいにおじきをすると、かぶっている巡査《じゅんさ》のかぶと帽《ぼう》が地べたについた。
 敬礼《けいれい》がすむとかれは仲間《なかま》のほうを向いて、かたっぽの前足でやはり胸をおさえながら、片足《かたあし》をさしのべて、みんなそばに寄《よ》るように合図をした。
 白犬のすることをじっと見つめていた二ひきの犬は、すぐに立ち上がって、おたがいに前足を取り合って、交際社会(社交界)の人たちがするように厳《おごそ》かに六歩前へ進み、また三足あとへもどつて、代わりばんこにご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》に向かっておじぎをした。
 そのときヴィタリス親方が言った。
「この犬の名をカピと言うのは、イタリア語のカピターノをつめたので、犬の中の頭《かしら》ということです。いちばんかしこくって、わたしの命令《めいれい》を代わってほかのものに伝《つた》えます。その黒いむく毛の若《わか》いハイカラさんは、ゼルビノ侯《こう》ですが、これは優美《ゆうび》という意味で、よく様子をご覧《らん》なさい、いかにもその名前のとおりだ。さてあのおしとやかなふうをした歌い雌犬《めすいぬ》はドルス夫人《ふじん》です。あの子はイギリス種《だね》で、名前はあの子の優《やさ》しい気だてにちなんだものだ。こういうりっぱな芸人《げいにん》ぞろいで、わたしは国じゅうを流して回ってくらしを立てている。いいこともあれば悪いこともある、まあ何事もそのときどきの回り合わせさ。おおカピ……」
 カピと呼《よ》ばれた犬は前足を十文字に組んだ。
「カピ、あなた、ここへ来て、ぎょうぎのいいところをお目にかけてください。わたしはこの貴人《きじん》たちにいつもていねいなことばを使っています――さあ、この玉のような丸《まる》い目をしてあなたを見てござる小さいお子さんに、いまは何時だか教えてあげてください」
 カピは前足をほどいて、主人のそばへ行って、ひつじの毛皮服のふところを開け、そのかくしを探《さぐ》って大きな銀時計を取り出した。かれはしばらく時計をながめて、それから二声しっかり高く、ワンワンとほえた。それから、今度は三つ小声でちょいとほえた。時間は二時四十五分であった。
「はいはい、よくできました」とヴィタリスは言った。「ありがとうございます、カピさん。それで今度は、ドルス夫人《ふじん》になわとびおどりをお願いしてもらいましょうか」
 カピはまた主人のかくしを探《さぐ》って一本のつなを出し、軽くゼルビノに合図をすると、ゼルビノはすぐにかれの真向《まむ》かいに座《ざ》をしめた。カピがなわのはしをほうってやると、二ひきの犬はひどくまじめくさって、それを回し始めた。
 つなの運動が規則《きそく》正しくなったとき、ドルスは輪《わ》の中にとびこんで、優《やさ》しい目で主人を見ながら軽快《けいかい》にとんだ。
「このとおりずいぶんりこうです」と老人《ろうじん》は言った。「それも比《くら》べるものができるとなおさらりこうが目立って見える。たとえばここにあれらと仲間《なかま》になって、ばか[#「ばか」に傍点]の役を務《つと》める者があれば、いっそうそれらの値打《ねう》ちがわかるのだ。そこでわたしはおまえさんのこの子どもが欲《ほ》しいというのだ。あの子にばか[#「ばか」に傍点]の役を務めてもらって、いよいよ犬たちのりこうを目立たせるようにするのだ」
「へえ、この子がばか[#「ばか」に傍点]を務《つと》めるのかね」とバルブレンが口を入れた。
 老人《ろうじん》は言った。「ばか[#「ばか」に傍点]の役を務めるには、それだけりこうな人間が入りようなのだ。この子なら少ししこめばやってのけよう。さっそく試《ため》してみることにします。この子がじゅうぶんりこうな子なら、わたしといっしょにいればこの国ばかりか、ほかの国ぐにまで見て歩けることがわかるはずだ。だがこのままこの村にいたのでは、せいぜい朝から晩《ばん》まで同じ牧場《ぼくじょう》で牛やひつじの番人をするだけだ。この子がわからない子だったら、泣《な》いてじだんだ[#「じだんだ」に傍点]をふむだろう。そうすればわたしは連《つ》れては行かない。それで孤児院《こじいん》に送られて、ひどく働《はたら》かされて、ろくろく食べる物も食べられないだろう」
 わたしも、そのくらいのことがわかるだけにはかしこかった。それにこの親方のお弟子《でし》たちはとぼけていてなかなかおもしろい。あれらといっしょに旅をするのは、ゆかいだろう。だがバルブレンのおっかあは……おっかあに別《わか》れるのはつらいなあ……
 でもそれをいやだと言ってみたところで、バルブレンのおっかあとこの先いることはできない。やはり孤児院《こじいん》に送られなければならない。
 わたしはほんとに情《なさ》けなくなって、目にいっぱいなみだをうかべていた。するとヴィタリス老人《ろうじん》が軽くなみだの流れ出したほおをつついた。
「ははあおこぞうさん、大さわぎをやらないのはわけがわかっているのだな。小さい胸《むね》で思案《しあん》をしているのだな。それであしたは……」
「ああ、おじさん、どうぞぼくをおっかあの所へ置《お》いてください。どうぞ置いてください」とわたしはさけんだ。
 カピが大きな声でほえたので、じゃまされてわたしはそれから先が言えなかった。そのとたん犬はジョリクールのすわっていた食卓《しょくたく》のほうへとび上がった。例《れい》のさるはみんながわたしのことで気を取られているすきをねらって、す早く酒をいっぱいついである主人のコップをつかんで、飲み干《ほ》そうとしたのだ。けれどもカピは目早くそれを見つけて止めたのであった。
「ジョリクールさん」とヴィタリスが厳《きび》しい声で言った。「あなたは食いしんぼうのうえにどろぼうです。あそこのすみに行ってかべのほうを向いていなさい。ゼルビノさん、あなたは番をしておいでなさい。動いたらぶっておやり。さてカピさん、あなたはいい犬です。前足をお出しなさい。握手《あくしゅ》をしましょう」
 さるは息づまったような鳴き声を出して、すごすごすみのほうへ行った。幸せな犬は得意《とくい》な顔をして前足を主人に出した。
「さて」と老人《ろうじん》はことばをついで、「先刻《せんこく》の話にもどりましょう。ではこの子に三十フラン出すことにしよう」
「いや、四十フランだ」
 そこでおし問答が始まった。だが老人《ろうじん》はまもなくやめて、「子どもにはおもしろくない話です。外へ出て遊ばせてやるがよろしい」と言った。そうしてバルブレンに目くばせをした。
「よし、じゃあ裏《うら》へ行っていろ。だがにげるな。にげるとひどい目に会わせるから」
 バルブレンがこう言うと、わたしはそのとおりにするほかはなかった。それで裏庭へ出るには出たが、遊ぶ気にはなれない。大きな石にこしをかけて考えこんでいた。
 あの人たちはわたしのことを相談《そうだん》している。どうするつもりだろう。
 心配なのと寒いのとでわたしはふるえていた。二人は長いあいだ話していた。わたしはすわって待っていたが、かれこれ一時間もたってバルブレンが裏《うら》へ出て来た。
 かれは一人であった。あのじいさんにわたしを手わたすつもりで連《つ》れて来たのだな。
「さあ帰るのだ」とかれは言った。
 なに、うちへ帰る。――そうするとバルブレンのおっかあに別《わか》れないでもすむのかな。
 わたしはそう言ってたずねたかったけれども、かれがひどくきげんが悪そうなのでえんりょした。
 それで……だまってうちのほうへ歩いた。
 けれどもうちまで行き着くまえに、先に立って歩いていたバルブレンはふいに立ち止まった。そうして乱暴《らんぼう》にわたしの耳をつかみながらこう言った。
「いいかきさま、ひと言でもきょう聞いたことをしゃべったらひどい目に会わせるから。わかったか」


     おっかあの家

「おや」とバルブレンのおっかあはわたしたちを見て言った。「村長さんはなんと言いましたえ」
「会わなかったよ」
「どうして会わなかったのさ」
「うん、おれはノートルダームで友だちに会った。外へ出るともうおそくなった。だからあしたまた行くことにした」
 それではバルブレンは犬を連《つ》れたじいさんと取り引きをすることはやめたとみえる。
 うちへ帰える道みちもわたしはこれがこの男の手ではないかと疑《うたが》っていたが、いまのことばでその疑《うたが》いは消えて、ひとまず心が落ち着いた。またあした村へ行って村長さんを訪《たず》ねるというのでは、きっとじいさんとのやくそくはできなかったにちがいない。
 バルブレンにはいくらおどかされても、わたしは一人にさえなったら、おっかあにきょうの話をしようと思っていたが、とうとうバルブレンはその晩《ばん》一晩じゅううちをはなれないので話す機会《きかい》がなかった。
 すごすごねどこにもぐりながら、あしたは話してみようと思っていた。
 けれどそのあくる日起き上がると、おっかあの姿《すがた》が見えない。わたしがそのあとを追ってうちじゅうをくるくる回っているのを見て、なにをしているとバルブレンは聞いた。
「おっかあ」
「ああ、それなら村へ行った。昼過《ひるす》ぎでなければ帰るものか」
 おっかあはまえの晩《ばん》、村へ行く話はしなかった。それでなぜというわけはないが、わたしは心配になってきた。わたしたちが昼過ぎから出かけるというのに、どうして待っていないのだろう。わたしたちの出かけるまえにおっかあは帰って来るかしらん。
 なぜというしっかりしたわけはないのだが、わたしはたいへんおどおどしだした。
 バルブレンの顔を見るとよけいに心配が積《つ》もるばかりであった。その目つきからにげるためにわたしは裏《うら》の野菜畑《やさいばたけ》へかけこんだ。
 畑といってもたいしたものではなかった。それへなんでもうちで食べる野菜物《やさいもの》は残《のこ》らずじゃがいもでもキャベツでも、にんじんでも、かぶでも作りこんであった。それはちょっとの空き地もなかったのであるが、それでもおっかあはわたしに少し地面を残《のこ》しておいてくれたので、わたしはそこへ雌牛《めうし》を飼《か》いながら野でつんで来た草や花を、ごたごた植えこんだ。わたしはそれを『わたしの畑』と呼《よ》んでだいじにしていた。
 わたしがいろいろな草花を集めては、植えつけたのは去年の夏のことであった。それが芽《め》をふくのはこの春のことであろう。早ざきのものでも冬の終わるのを待たなければならなかった。これから続《つづ》いておいおい芽を出しかけている。
 もう黄ずいせんもつぼみを黄色くふくらましていたし、リラの花も芽を出していた。さくらそうもしわだらけな葉の中からかわいいつぼみをのぞかせている。
 どんな花がさくだろう。
 それを楽しみにして、わたしは毎日出てみた。
 それからまたわたしのだいじにしていた畑の一部には、だれかにもらっためずらしい野菜《やさい》を植えている。それは村でほとんど知っている者のない『きくいも』というものであった。なんでもいい味のもので、じゃがいもと、ちょうせんあざみと、それからいろいろの野菜《やさい》をいっしょにした味がするのであった。わたしはそっとこの野菜をじょうずに作って、おっかあをおどろかそうと思っていた。ただの花だと思わせておいて、そっと実のなったところを引きぬいて、ないしょで料理《りょうり》をして、いつも同じようなじゃがいもにあきあきしているおっかあに食べさせて、『まあルミ、おまえはなんて器用《きよう》な子だろう』と感心させてやろう。
 こんなことを思い思いこのときも、まだ芽《め》が出ないかと思って、種《たね》のまいてある地べたに鼻をくっつけて調べていた。ふと気がつくとバルブレンがかんしゃく声で呼《よ》びたてているので、びっくりしてうちへはいった。まあどうだろう。おどろいたことには、炉《ろ》の前にヴィタリス老人《ろうじん》と犬たちが立っているではないか。
 すぐとわたしはバルブレンがわたしをどうするつもりだということがわかった。老人がやはりわたしを連《つ》れて行くのだ。それをおっかあがじゃましないように村へ出してやったのだ。
 もうバルブレンになにを言ってみてもむだだということがわかっているから、わたしはすぐと老人《ろうじん》のほうへかけ寄《よ》った。
「ああ、ぼくを連《つ》れて行かないでください。後生《ごしょう》ですから、連れて行かないでください」とわたしはしくしく泣《な》きだした。
 すると老人《ろうじん》は優《やさ》しい声で言った。「なにさ、ぼうや、わたしといればつらいことはないよ。わたしは子どもをぶちはしない。仲間《なかま》には犬もいる。わたしと行くのがなぜ悲しい」
「おっかあが……」
「どうせきさまはここには置《お》けないのだ」とバルブレンはあらあらしく言って、耳を引《ひ》っ張《ぱ》った。
「このだんなについて行くか、孤児院《こじいん》へ行くか、どちらでもいいほうにしろ」
「いやだいやだ、おっかあ、おっかあ」
「やい、それだとおれはどうするか見ろ」とバルブレンがさけんだ。「思うさまひっぱたいて、このうちから追い出してくれるぞ」
「この子は母親に別《わか》れるのを悲しがっているのだ。それをぶつものではない。優《やさ》しい心だ。いいことだ」
「おまえさんがいたわると、よけいほえやがる」
「まあ、話を決めよう」
 そう言いながら、老人《ろうじん》は五フランの金貨《きんか》を八|枚《まい》テーブルの上にのせた。バルブレンはそれをさらいこむようにしてかくしに入れた。
「この子の荷物は」と老人が言った。
「ここにあるさ」とバルブレンが言って、青いもめんのハンケチで四すみをしばった包《つつ》みをわたした。
 中にはシャツが二|枚《まい》と、麻《あさ》のズボンが一着あるだけであった。
「それではやくそくがちがうじゃないか。着物があるという話だったが、これはぼろ[#「ぼろ」に傍点]ばかりだね」
「こいつはほかにはなにもないのだ」
「この子に聞けば、きっとそうではないと言うにちがいないが、そんなことを争《あらそ》っているひまがない。もう出かけなければならないからな。さあおいで、こぞうさん、おまえの名はなんと言うんだっけ」
「ルミ」
「そうか、よしよし、ルミ。包《つつ》みを持っておいで。先へおいで、カピ。さあ、行こう、進め」
 わたしは哀訴《あいそ》するように両手を老人《ろうじん》に出した。それからバルブレンにも出した。けれども二人とも顔をそむけた。しかも、老人はわたしのうで首をつかまえようとした。
 わたしは行かなければならない。
 ああ、このうちにもお別《わか》れだ。いよいよそのしきいをまたいだとき、からだを半分そこへ残《のこ》して行くようにわたしは思った。
 なみだをいっぱい目にうかべて[#「うかべて」は底本では「うがべて」]わたしは見回したが、手近にはだれもわたしに加勢《かせい》してくれる者がなかった。往来《おうらい》にもだれもいなかった。牧場《ぼくじょう》にもだれもいなかった。
 わたしは呼《よ》び続《つづ》けた。
「おっかあ、おっかあ」
 けれどだれもそれに答える者はなかった。わたしの声はすすり泣《な》きの中に消えてしまった。
 わたしは老人《ろうじん》について行くほかはなかった。なにしろうで首をしっかりおさえられているのだから。
「さようなら、ごきげんよう」とバルブレンがさけんだ。
 かれはうちの中へはいった。
 ああ、これでおしまいである。
「さあ、行こう、ルミ、進め」と老人《ろうじん》が言って。わたしのひじをおさえた。
 わたしたちはならんで歩いた。幸せとかれはそう早く歩かなかった。たぶんわたしの足に合わせて歩いてくれたのであろう。
 わたしたちは坂を上がって行った。ふり返るとバルブレンのおっかあのうちがまだ見えたが、それはだんだんに小さく小さくなっていった。この道はたびたび歩いた道だから、もうしばらくはうちが見えて、それから最後《さいご》の四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
 幸い坂道は長かったが、それもいつか頂上《ちょうじょう》に来た。
 老人《ろうじん》はおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
 かれはやっとわたしをはなしてくれた。
 けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
 それですぐと、ひつじ飼《か》いの犬のように、一座《いちざ》の先頭からはなれてわたしのそばへ寄《よ》って来た。
 わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
 わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
 わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちを探《さが》した。
 下には谷があって、所どころに森や牧場《ぼくじょう》があった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
 気の迷《まよ》いか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎ慣《な》れたかしの葉のにおいがするようであった。
 それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
 ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
 わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの悪党《あくとう》のバルブレンだ。
 もう一|足《あし》往来《おうらい》へ出れば、わたしの畑もなにもかもかくれてしまうのだ。
 ふと村からわたしのうちのほうへ通う往来の上に、白いボンネットが見えて、木の間にちらちら見えたりかくれたりしていた。
 それはずいぶん遠方であったから、ぽっちり白く、春のちょうちょうのように見えただけであった。
 けれど目よりも心はするどくものを見るものだ。わたしは、それがバルブレンのおっかあであることを知った。確《たし》かにおっかあだ、とわたしは思いこんでいた。
「さて出かけようか」と老人《ろうじん》が言った。
「ああ、いいえ、後生《ごしょう》ですからも少し」
「じゃあ話とはちがって、おまえは、から(ぜんぜん)、足がだめだな。もうつかれてしまったのか」
 わたしは答えなかった。ただながめていた。
 やはりそれはバルブレンのおっかあであった。それはおっかあのボンネットであった。水色の前だれであった。足早に、気がせいているように、うちに向かって行くのであった。
 白いボンネットはまもなくうちの前に着いた。戸をおし開けて、急いで庭にはいって行った。
 わたしはすぐにとび上がって、土手の上に立ち上がった。そばにいたカピがおどろいてとびついて来た。
 おっかあはいつまでもうちの中にはいなかった。まもなく出て来て、両うでを広げながら、あちこちと庭の中をかけ回っていた。
 かの女はわたしを探《さが》しているのだ。
 わたしは首を前に延《の》ばして、ありったけの声でさけんだ。
「おっかあ、おっかあ」
 けれどもそのさけび声は空に消えてしまった、小川の水音に消されてしまった。
「どうしたのだ。おまえ、気がちがったのか」とヴィタリスは言った。
 わたしは答えなかった。わたしの目はまたバルブレンのおっかあをじっと見ていた。けれども向こうではわたしが上にいるとは知らないから、あお向いては見なかった。そうして庭をぐるぐる回って、往来《おうらい》へ出て、きょろきょろしていた。
 もっと大きな声でわたしはさけんだ。けれども、初《はじ》めの声と同様にむだであった。
 そのうち老人《ろうじん》もやっとわかったとみえて、やはり土手に登って来た。かれもまもなく白いボンネットを見つけた。
「かわいそうに、この子は」とかれはそっと独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おお、わたしを帰してください」と、わたしはいまの優《やさ》しいことばに乗《の》って、泣《な》き声《ごえ》を出した。
 けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて往来《おうらい》へ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
 わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
 二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
 二足《ふたあし》三足《みあし》行くと、わたしはふり向いた。
 わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに遠山《とおやま》がうすく青くかすんでいた。果《は》てしもない空の中にわたしの目はあてどなく迷《まよ》うのであった。


     とちゅう

 四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は鬼《おに》でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人《ろうじん》はわたしを食べようという欲《よく》もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
 わたしはまもなくそれがわかった。
 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上《ちょうじょう》で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
 わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人《ろうじん》は言った、「泣《な》きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに優《やさ》しくはしてくれたろう。それでおまえも好《す》いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主《ていしゅ》がおまえをうちに置《お》きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに骨《ほね》が折《お》れるのだ。そのうえおまえを養《やしな》っていては、自分たちが飢《う》えて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得《こころえ》てもらいたいことがある。世の中は戦争《せんそう》のようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
 そうだ、老人《ろうじん》の言ったことはほんとうであった。貴《とうと》い経験《けいけん》から出た訓言《くんげん》(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『別《わか》れのつらさ』ということであった。
 わたしはもう二度とこの世の中で、いちばん好《す》きだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸《ふしあわ》せなことはないよ」と老人《ろうじん》は言った。「孤児院《こいじん》などへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原《ひろのはら》だ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
 こう言ってかれは目の前のあれた高原《こうげん》を指さした。そこにはやせこけたえにしだ[#「えにしだ」に傍点]が、風のまにまに波のようにうねっていた。
 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
 この背《せい》の高い老人《ろうじん》は、ともかく親切《しんせつ》な主人であるらしい。
 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
 老人《ろうじん》はジョリクールを肩《かた》の上に乗せたり、背嚢《はいのう》の中に入れたりして、しじゅう規則《きそく》正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
 ときどき老人はかれらに優《やさ》しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが精《せい》いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし得《え》なかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音《ほんね》をふいたな」とヴィタリスが笑《わら》いながら言った。「それではくつが欲《ほ》しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを底《そこ》に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
 底《そこ》にくぎを打ったくつ、わたしは得意《とくい》でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも忘《わす》れてしまった。
 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意《とくい》になるだろう。
 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ家《が》ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく骨《ほね》まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで冷《ひ》えきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいた覚《おぼ》えがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
 ところがこの村には一けんも宿屋《やどや》というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き連《つ》れて、ぬれねずみになった同勢《どうぜい》をとめようという者はなかった。
「うちは宿屋《やどや》じゃないよ」
 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん断《ことわ》られた。
 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ冷《つめ》たく骨身《ほねみ》に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
 やっとのことで一けんの百姓家《ひゃくしょうや》がいくらか親切があって、わたしたちを納屋《なや》にとめることを承知《しょうち》してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家《ひゃくしょうや》の主人はヴィタリス老人《ろうじん》に言った。
 それでもとにかく、風雨を防《ふせ》ぐ屋根だけはできたのであった。
 老人《ろうじん》は食料《しょくりょう》なしに旅をするような不注意《ふちゅうい》な人ではなかった。かれは背中《せなか》にしょっていた背嚢《はいのう》から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間《なかま》の規律《きりつ》を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿《やど》を探《さが》して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人《ろうじん》はただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜は覚《おぼ》えていろ」とだけ言った。
 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは忘《わす》れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に置《お》いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
 老人《ろうじん》は命令《めいれい》するような調子で言った。「どろぼうは仲間《なかま》をはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
 ゼルビノは席《せき》を去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草の積《つ》んである下にもぐりこんで、姿《すがた》が見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくん泣《な》いている声が聞こえた。
 老人《ろうじん》はそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
 どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、暖《あたた》かい炉《ろ》の火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台《ねだい》がこいしいな。
 もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれて痛《いた》んだ。着物はぬれしょぼたれているので、冷《つめ》たくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人《ろうじん》が言った。
「ええ、少し」
 わたしはかれが背嚢《はいのう》を開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきに暖《あたた》かになってねむられるよ」
 でも老人《ろうじん》が言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨の降《ふ》る中を歩いて、寒さにふるえながら、物置《ものお》きの中にねて、夕食にはたった一きれの固《かた》パンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
 わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
 そのときふと暖《あたた》かい息が顔の上にかかるように思った。
 わたしは手を延《の》ばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいを優《やさ》しくかぎ回る息が、わたしのほおにも髪《かみ》の毛《け》にもかかった。
 この犬はなにをしようというのであろう。
 やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上に転《ころ》げて、それはごく静《しず》かにわたしの手をなめ始めた。
 わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、その冷《つめ》たい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったような泣《な》き声《ごえ》を立てたが、やがて手早く前足をわたしの手に預《あず》けて、じつとおとなしくしていた。
 わたしはつかれも悲しみも忘《わす》れた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。


     初舞台《はつぶたい》

 そのあくる日は早く出発した。
 空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度|続《つづ》けてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
 こう言っているのであった。
 かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬の尾《お》のふり方にはたいていの人の舌《した》や口で言う以上《いじょう》の頓知《とんち》と能弁《のうべん》がふくまれていた。わたしとカピの間にはことばは要《い》らなかった。初《はじ》めての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
 わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、初《はじ》めて町を見るのはなにより楽しみであった。
 でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町の塔《とう》や古い建物《たてもの》などよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
 老人《ろうじん》がやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
 わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場《いちば》の後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲《てっぽう》だの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
 わたしたちは三段《だん》ほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋《へや》にはいった。
 くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
 けれども老人《ろうじん》にはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍《ばい》も重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
 老人の情《なさ》けはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織《けお》りのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品は残《のこ》らずそろった。
 まあ、麻《あさ》の着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人《ろうじん》は世界じゅうでいちばんいい人でいちばん情《なさ》け深い人だと思われた。
 もっともそのビロードは油じみていたし、毛織《けお》りのズボンはかなり破《やぶ》れていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
 ところで宿屋《やどや》に帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人《ろうじん》がはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
 わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明《せつめい》した。
 わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは芸人《げいにん》だろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
 こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、その晩《ばん》はもうイタリアの子どもになっていた。
 ズボンはやっとひざまで届《とど》いた。老人《ろうじん》はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを結《むす》びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
 わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足《まんぞく》したふうで前足を出した。
 わたしはカピの賛成《さんせい》を得《え》たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中《さいちゅう》、例《れい》のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように笑《わら》ったので、一方にそういう実意のある賛成者《さんせいしゃ》のできたのがよけいにうれしかったのである。
 いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと仲《なか》よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした笑《わら》い方《かた》をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く働《はたら》かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後《さいご》にぼうしを頭にかぶると老人《ろうじん》が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは市《いち》の立つ日だから、おまえは初舞台《はつぶたい》を務《つと》めなければならない」
 初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
 老人《ろうじん》はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手《あいて》に芝居《しばい》をすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居《しばい》をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当《げいとう》をやるのでも、みんなけいこをして覚《おぼ》えたのだ。ずいぶん骨《ほね》の折《お》れたことではあったが、その代わりご覧《らん》、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が要《い》る。とにかく仕事にかかろう」
 これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言《きょうげん》は、『ジョリクール氏《し》の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう筋《すじ》だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足《まんぞく》していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール氏《し》の所へ奉公口《ほうこうぐち》を探《さが》しにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居《しばい》だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人が笑《わら》いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは初《はじ》めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居《しばい》に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
 このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一|枚《まい》置《お》いてあった。
 どうしてこれだけのものをならべようか。
 わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、腹《はら》をかかえて笑《わら》いだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが先《せん》に使っていた子どもは狡猾《こうかつ》そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然《しぜん》でいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居《しばい》がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに困《こま》っている心持ちを忘《わす》れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根《しょうね》は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居《しばい》のおかしいところなのだ」
 『ジョリクール氏《し》の家来』は大芝居《おおしばい》というのではなかったから、二十分より長くは続《つづ》かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは厳《きび》しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順《じゅうじゅん》でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく覚《おぼ》えるが、すぐそれを忘《わす》れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質《せいしつ》だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心《りょうしん》を持たない。あれには義務《ぎむ》ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生|覚《おぼ》えておいで」
 こういう話をしているうち、わたしは勇気《ゆうき》をふるい起こして、芝居《しばい》のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問《しつもん》した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
 かれはにっこり笑《わら》った。「おまえは百姓《ひゃくしょう》たちの仲間《なかま》にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒《ぼう》でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優《やさ》しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓《きょうくん》をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性《ひんせい》を作ってくれた」
 わたしは笑《わら》った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続《つづ》けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓《きょうくん》を授《さず》けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼《か》い犬《いぬ》を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗《ごうとう》の犬はどろぼうをする。ばかな百姓《ひゃくしょう》が飼い犬はばか[#「ばか」に傍点]で、もののわからないものだ。親切な礼儀《れいぎ》正しい人は、やはり気質《きしつ》のいい犬を飼っている」
 わたしはあしたおおぜいの前に現《あらわ》れるということを思うと、胸《むね》がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹《はら》をかかえて笑《わら》うところを見た。
 あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居《しばい》をするはずのさかり場まで行列を作って行った。
 親方が先に立って行った。背《せい》の高いかれは首をまっすぐに立て、胸《むね》を前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子《ひょうし》をとって行った。その後ろにカピが続《つづ》いた。イギリスの大将《たいしょう》の軍服《ぐんぷく》をまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根《はね》でかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中《せなか》にいばって乗っていた。
 ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
 わたしがしんがりを務《つと》めていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当《てきとう》な間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
 なによりも親方のふくするどいふえの音《ね》にひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家の窓《まど》という窓はカーテンが引き上げられた。
 子どもたちの群《む》れがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
 わたしたちの芝居小屋《しばいごや》はさっそくできあがった。四本の木になわを結《むす》び回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取《じんど》ったのである。
 番組の第一は犬の演《えん》じるいろいろな芸当《げいとう》であった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習《ふくしゅう》することにばかり気を取られていた。わたしが記憶《きおく》していたことは、親方がふえをそばへ置《お》き、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、静《しず》かな悲しい調子の曲であることもあった。なわ張《ば》りの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
 一番の芸当《げいとう》が終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中で銭《ぜに》を入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんな笑《わら》いだして、うれしがってときの声を上げた。
 じょうだんや、嘲笑《ちょうしょう》のささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから遺産《いさん》をもらったくせに、けちな男だなあ」
 さてとうとう銀貨《ぎんか》が一|枚《まい》おく深《ふか》いかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一|言《ごん》もものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意《とくい》らしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
 いよいよ芝居《しばい》の始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
 親方は、片手《かたて》に弓《ゆみ》、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上《こうじょう》を述《の》べだした。
「これより『ジョリクール氏《し》の家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇《きげき》をごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人《げいにん》が、手前みそに狂言《きょうげん》の功能《こうのう》をならべたり、一座《いちざ》の役者のちょうちん持ちをして、自分から品《ひん》を下げるようなことはいたしませぬ。ただ一|言《ごん》申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子《てびょうし》ごかっさいのご用意を願《ねが》っておくことだけでございます。始《はじ》まり」
 親方はゆかいな喜劇《きげき》だと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言《きょうげん》にすぎなかった。それもそのはずで、立役者《たてやくしゃ》の二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
 けれども見物に芝居《しばい》をよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明《せつめい》した。
 そこでたとえば勇《いさ》ましい戦争《せんそう》の曲をひきながら、かれはジョリクール大将《たいしょう》が登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名《こうみょう》を現《あらわ》して、いまの高い地位《ちい》にのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷《どれい》であったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
 家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻《はま》きをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物《みもの》であった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピに連《つ》れられて舞台《ぶたい》に現《あらわ》れることになる。
 わたしが役を忘《わす》れていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
 やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将《たいしょう》がわたしを紹介《しょうかい》した。
 大将《たいしょう》はわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざ連《つ》れて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうして肩《かた》をそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
 芝居《しばい》がまたいかにもわたしのあほうさの底《そこ》が知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
 いろいろとわたしを試験《しけん》をしてみた末《すえ》、大将《たいしょう》はかわいそうになって、とにかく朝飯《あさめし》を食《た》べさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上《こうじょう》をはさんだ。
 わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器《しょっき》がならんで、さらの上にナプキンが置《お》いてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
 カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
 そのとき大将《たいしょう》が腹《はら》をかかえて大笑《おおわら》いをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
 わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
 やがて思いついたことがあって、わたしはそれを丸《まる》く巻《ま》いてネクタイにした。大将《たいしょう》がもっと笑《わら》った。カピがまたでんぐり返しを打った。
 そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯《あさめし》を食べだした。
 ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服《ぐんぷく》のボタンの穴《あな》にナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美《ゆうび》なしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用《きよう》に歯をせせって(つついて)見せたとき、割《わ》れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居《しばい》はめでたくまい納《おさ》めた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
 宿屋《やどや》に帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者《きげきやくしゃ》になって、主人からおほめのことばをいただいて、得意《とくい》になるほどになったのである。


     読み書きのけいこ

 ヴィタリス親方の小さな役者の一座《いちざ》は、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
 ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
 今度はどこへ行くのだろう。
 わたしはもう大胆《だいたん》になって、こう質問《しつもん》を親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
 わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
 かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
 わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、預《あずか》った子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
 わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一|課《か》をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABC《アベセ》をすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
 わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を笑《わら》いながら見た。
 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢《はいのう》を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを解《と》いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに丸《まる》くなっていた。
 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側《りょうがわ》をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で覚《おぼ》えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABC《アベセ》の字を覚《おぼ》えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは別《べつ》の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔《こうかい》した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を探《さが》し出すことを覚《おぼ》えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが残《のこ》らず草の上にまき散《ち》らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解《りかい》こそ早かったが、物覚《ものおぼ》えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて忘《わす》れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
 そう言うとカピはわかったらしく、得意《とくい》になってしっぽをふった。
 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを覚《おぼ》えた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は譜《ふ》を読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことを覚《おぼ》えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは好《す》きかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに泣《な》きたくなることもあるし、笑《わら》いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが静《しず》かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿《すがた》が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは情《なさ》け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを好《この》まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情《じじょう》から初《はじ》めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜《おんぷ》をこしらえた。
 音譜はABC《アベセ》より入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨《ほね》も折《お》れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒《お》を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「畜生《ちくしょう》に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居《しばい》のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご覧《らん》、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒《せいと》ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼《しつれい》だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足《まんぞく》した。
 とうとう何週間もけいこを続《つづ》けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
 しかし、わたしの課業《かぎょう》は学校にはいっている子どものそれのように、規則《きそく》正しいものではなかった。親方が課業を授《さず》けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入《しゅうにゅう》のある機会《きかい》を見つけしだい、そこで止まって芝居《しばい》をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏《し》に役々の復習《ふくしゅう》をもさせなければならなかった。朝飯《あさめし》も昼飯《ひるめし》もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩《きゅうけい》の時間で、木の根かたや、小砂利《こじゃり》の山の上や、または芝生《しばふ》なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机《つくえ》が代わりになった。
 この教育法《きょういくほう》はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似《に》たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題《しゅくだい》をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念《せんねん》するということであった。授《さず》かった課業《かぎょう》を覚《おぼ》えるのは、覚えるために費《ついや》される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心《ねっしん》であった。
 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋《へや》の中に閉《と》じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒《せいと》のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来《おうらい》に沿《そ》って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛《いた》い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
 だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚《おぼ》えた。と同時に親方の授《さず》けてくれた課業《かぎょう》以上《いじょう》に有益《ゆうえき》な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難《こんなん》な生活を続《つづ》けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓《はいぞう》は発達《はったつ》し、皮膚《ひふ》は厚《あつ》くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
 こうして、このつらいお弟子《でし》修業《しゅぎょう》のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難《こんなん》に打ち勝ってゆく力を養《やしな》うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。


     山こえて谷こえて

 わたしたちはフランスの中央《ちゅうおう》の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
 わたしたちの流行はしごく簡単《かんたん》であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪《かみ》にくしを入れてやる。カピが老兵《ろうへい》の役をやっているときは、目の上に包帯《ほうたい》をしてやる。最後《さいご》にいやがるジョリクールに大将《たいしょう》の軍服《ぐんぷく》を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当《げいとう》を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢《かせい》に呼《よ》んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
 さて一座《いちざ》残《のこ》らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例《れい》のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
 そこでわれわれのあとからついて来る群衆《ぐんしゅう》の数が相応《そうおう》になると、さっそく演芸《えんげい》を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷《ひ》やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打《ねう》ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
 一つの町に五、六日も続《つづ》けて滞留《たいりゅう》いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに預《あず》けたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て覚《おぼ》えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問《しつもん》するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足《まんぞく》させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師《みせものし》でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん低《ひく》い位置《いち》からどんなにも高い位置《いち》に上ることができる。これも覚《おぼ》えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師《おんがくし》が自分を養《やしな》い親《おや》の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜《よろこ》んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇《きょうぐう》の変《か》わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木《じゅもく》もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋《やどや》の物置《ものお》きに一夜を過《す》ごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢《ぐんぜい》を率《ひき》いる大将《たいしょう》がここで生まれたのだ。初《はじ》めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵《こうしゃく》がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄《えいゆう》と呼《よ》んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方は笑《わら》いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度|初《はじ》めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿《きゅうでん》で知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに笑《わら》いだした。
 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ残《のこ》っているかべに背中《せなか》をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋《おもや》の屋根の上には、いま出たばかりの満月《まんげつ》が静《しず》かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の頂《いただき》から見晴らす地平線上に限《かぎ》られていた。
 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若《わか》いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
 わたしの、活発に鋭敏《えいびん》に働《はたら》く幼《おさな》い想像《そうぞう》と好奇心《こうきしん》は、この一つのことにばかり働《はたら》いた。


     七里ぐつをはいた大男

 南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続《つづ》けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊《ゆた》かで、住民《じゅうみん》も従《したが》って富貴《ふうき》であったから、わたしたちの興行《こうぎょう》の度数もしぜん多くなり、例《れい》のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
 ふと空中に、ふうわりとちょうど霧《きり》の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔《とう》もあった。修道院《しゅうどういん》のあれたへいの中には、せみが雑木《ぞうき》の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶《きおく》の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象《いんしょう》をあたえた景色《けしき》が現《あらわ》れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側《りょうがわ》にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界《がんかい》が自由に開けた。
 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘《おか》のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則《ふきそく》にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼《しょうろう》が続《つづ》いて散《ち》らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上《まうえ》に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸《かし》通りに沿《そ》って数知れない船が停泊《ていはく》して、林のようにならんだ帆柱《ほばしら》や、帆づなや、それにいろいろの色の旗《はた》を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅《どう》や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸《かし》通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味《きょうみ》をわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船は帆《ほ》をいっぱいに張《は》って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後《さいご》にもう一つ、帆柱《ほばしら》もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻《ま》きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮《まんちょう》だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海《こうかい》から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問《しつもん》の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留《ながとうりゅう》をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要《ひつよう》から、しぜん毎日|興行《こうぎょう》の場所をも変《か》えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座《いちざ》』の役者では、狂言《きょうげん》の芸題《げいだい》をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏《し》の家来』『大将《たいしょう》の死』『正義《せいぎ》の勝利《しょうり》』『下剤《げざい》をかけた病人』、そのほか三、四|種《しゅ》の芝居《しばい》をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座《いちざ》の役者の芸《げい》は種切《たねぎ》れであった。そこでまた場所を変《か》えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言《きょうげん》を、相変《あいか》わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易《ようい》に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行《こうぎょう》をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山《れんざん》まで続《つづ》いていて、『ランド』という名で呼《よ》ばれていた。
 もうわたしもおとぎ話にある若《わか》いはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆《きょうたん》や恐怖《きょうふ》の種《たね》になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の初《はじ》めから、親方を笑《わら》わせるような失敗《しっぱい》を演《えん》じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川|沿岸《えんがん》の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場《ぼくじょう》もない。果樹園《かじゅえん》もない、ただまつ[#「まつ」に傍点]と灌木《かんぼく》の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低《こうてい》はあっても、日の届《とど》くかぎり野原であった。畑地《はたち》もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側《りょうがわ》がうす黒いこけや、しなびきった灌木《かんぼく》や、いじけたえにしだ[#「えにしだ」に傍点]でおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸《むね》にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸《むね》がふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆《ほ》かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人《むじん》の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験《けいけん》したことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧《あきぎり》の中に消えている地平線まで届《とど》いていた。ひたすら広漠《こうばく》と単調《たんちょう》が広がっている灰色《はいいろ》の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩き続《つづ》けた。でも機械的《きかいてき》にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色《けしき》はいつでも同じことであった。相変《あいか》わらずの灌木《かんぼく》、相変わらずのえにしだ[#「えにしだ」に傍点]、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く低《ひく》く走った。
 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの興《きょう》をそえるようなものではなかった。いつもまつ[#「まつ」に傍点]の木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。幹《みき》に長く、深い傷《きず》がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を奏《そう》して、この気のどくなまつ[#「まつ」に傍点]がみずから痛《いた》みをうったえる声のように聞かれた。
 わたしたちは朝から歩き続《つづ》けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途《ぜんと》はただ原っぱを見るだけであった。
 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
 わたしはカピを呼《よ》んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
 この質問《しつもん》がすぐにわたしを奮発《ふんぱつ》さして、一人で行く気を起こさせた。
 夜はすっかり垂《た》れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊《ゆうれい》じみた形をしているように見えた。野生のえにしだ[#「えにしだ」に傍点]が、頭の上にぬっと高く延《の》びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
 けれどわたしはぜひも頂上《ちょうじょう》まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木《じゅもく》が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延《の》ばしているだけであった。
 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛《めうし》のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静《しず》まり返っていた。
 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気《ひとけ》のない荒野原《あらのはら》の静《しず》けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静《しず》かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖《きょうふ》がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓《しんぞう》は、まるでそこになにか危険《きけん》がせまったようにどきついた。
 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿《すがた》をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
 わたしは無理《むり》に、それは自分の気の迷《まよ》いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木《かんぼく》のかげかなんぞだったのだ。
 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師《かげぼうし》が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確《たし》かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任《まか》せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草《ざっそう》のやぶの中に転《ころ》がって、二足ごとにひっかかれた。
 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物《かいぶつ》はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
 でもわたしがありったけの速力《そくりょく》で、競争《きょうそう》しても、その怪物《かいぶつ》はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要《ひつよう》はなかった。それがわたしのすぐ背中《せなか》にせまっていることはわかっていた。
 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後《さいご》の大努力《だいどりょく》をやって、わたしは転《ころ》げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑《おおわら》いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの肩《かた》をおさえて、無理《むり》に顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
 そういうことばよりも、そのけたたましい笑《わら》い声《こえ》がわたしを正気に返らせた。わたしは片目《かため》ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
 あれほどわたしをおどかした怪物《かいぶつ》はもう動かなくなって、じつと往来《おうらい》に立ち止まっていた。
 その姿《すがた》を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に独《ひと》りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
 けものだろうか。
 人だろうか。
 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師《かげぼうし》は星明かりにはっきりと見えた。
 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
 話をしかけるところから見れば人間だったか。
 だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
 するとけものかな。
 主人はやはり問いを続《つづ》けた。
 こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
 ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物《かいぶつ》は、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへ連《つ》れて行ってやろうと言った。
 おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
 わたしに勇気《ゆうき》があったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢《はいのう》をしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらも笑《わら》っていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
 そこでかれはわたしに説明《せつめい》してくれた。砂地《すなじ》や沼沢《しょうたく》か多いランド地方の人は、沼地《ぬまち》を歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」


     裁判所《さいばんしょ》

 ポー市にはゆかいな記憶《きおく》がある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
 わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸《えんげい》を何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きな優《やさ》しい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子《かし》の味を覚《おぼ》えた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
 けれども春が近くなるに従《したが》って、お客の数はだんだん少なくなった。芝居《しばい》がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手《あくしゅ》をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨《みす》てて、またもや果《は》て知《し》れない漂泊《ひょうはく》の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山《れんざん》のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
 さてある晩《ばん》わたしたちは川に沿《そ》った豊《ゆた》かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利《こじゃり》をしきつめた往来《おうらい》が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留《たいりゅう》するはずだと話した。
 例《れい》によってそこに着いていちばん初《はじ》めにすることは、あくる日の興行《こうぎょう》につごうのいい場所を探《さが》すことであった。
 つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍《きんぼう》(近所)のきれいな芝生《しばふ》には、大きな樹木《じゅもく》が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道《なみきみち》がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行《こうぎょう》がすることにした。すると初日《しょにち》からもう見物の山を築《きず》いた。
 ところで不幸《ふこう》なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査《じゅんさ》が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快《ふかい》らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄《ちかよ》ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
 追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
 かれはたかが犬を連《つ》れていなかを興行《こうぎょう》いて回る見世物師《みせものし》の老人《ろうじん》ではあったが、ひじょうに気位《きぐらい》が高かったし、権利《けんり》の思想《しそう》をじゅうぶんに持っていたかれは、法律《ほうりつ》にも警察《けいさつ》の規律《きりつ》にも背《そむ》かないかぎりかえって警察から保護《ほご》を受けなければならないはずだと考えた。
 そこで巡査《じゅんさ》が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶《きょぜつ》した。
 もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄《ぐろう》(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃《いんぎん》(ばかていねい)を極端《きょくたん》に用《もち》いていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴《こうき》な有力《ゆうりょく》な人物と応対《おうたい》しているように思われたかもしれなかった。
「権力《けんりょく》を代表せられるところの閣下《かっか》よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査《じゅんさ》におじぎをした。「閣下は果《は》たして、右の権力より発動しまするところのご命令《めいれい》をもって、われわれごときあわれむべき旅芸人《たびげいにん》が、公園においていやしき技芸《ぎげい》を演《えん》じますることを禁止《きんし》せられようと言うのでございましょうか」
 巡査《じゅんさ》の答えは、議論《ぎろん》の必要《ひつよう》はない、ただだまってわたしたちは服従《ふくじゅう》すればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力《けんりょく》によって、このご命令《めいれい》をお発しになったか、それさえ承知《しょうち》いたしますれば、さっそくおおせつけに服従《ふくじゅう》いたしますことを、つつしんで誓言《せいごん》いたしまする」
 この日は巡査《じゅんさ》も背中《せなか》を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、旗《はた》を巻《ま》いて退《しりぞ》く敵《てき》に向かって敬礼《けいれい》した。
 けれどその翌日《よくじつ》も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋《しばいごや》の囲《かこ》いのなわをとびこえて、興行《こうぎょう》なかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪《くちわ》をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは法律《ほうりつ》の命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
 このときはちょうど『下剤《げざい》をかけた病人』という芝居《しばい》をやっている最中《さいちゅう》でツールーズでは初《はじ》めての狂言《きょうげん》なので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
 それで巡査《じゅんさ》の干渉《かんしょう》に対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
「芝居《しばい》をさせろよ、おまわりさん」
 親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根《はね》が地面の砂《すな》と、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査《じゅんさ》に向かってした。
「権力《けんりょく》を代表せられる令名《れいめい》高き閣下《かっか》は、わたくしの一座《いちざ》の俳優《はいゆう》どもに、口輪《くちわ》をはめろというご命令《めいれい》でございますか」
 とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪《くちわ》をはめろとおっしゃるか」親方は巡査《じゅんさ》に向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピ君《ぎみ》が、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸《ふこう》なるジョリクール氏《し》が服すべき下剤《げざい》の調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪《くちわ》などとは、氏が医師《いし》たる職業《しょくぎょう》がふさわしからぬ道具であります」
 この演説《えんぜつ》が見物をいっせいに笑《わら》わした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗って弁《べん》じ続《つづ》けた。
「さてまたかの美しき看護婦《かんごふ》ドルス嬢《じょう》にいたしましても、ここに権力《けんりょく》の残酷《ざんこく》なる命令《めいれい》を実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙《こうみょう》なる弁舌《べんぜつ》をもって、病人に勧《すす》めてよくその苦痛《くつう》を和《やわら》ぐる下剤《げざい》を服用させることができましょうや。賢明《けんめい》なる観客諸君《かんきゃくしょくん》のご判断《はんだん》をあおぎたてまつります」
 見物人の拍手《はくしゅ》かっさいと笑《わら》い声《ごえ》で、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成《さんせい》して巡査《じゅんさ》を嘲弄《ちょうろう》した。とりわけジョリクールがかげでしかめっ面《つら》をするのをおもしろがっていた。このさるは『権力《けんりょく》が代表せられる令名《れいめい》高き閣下《かっか》』の真後《まうし》ろに座《ざ》をかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査《じゅんさ》は両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろに反《そ》らせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
 巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
 群衆《ぐんしゅう》はおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまの飼《か》い犬《いぬ》があすも口輪《くちわ》をしていなかったらすぐきさまを拘引《こういん》する。それだけを言いわたしておく」
「さようなら閣下《かっか》。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
 巡査《じゅんさ》が大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかい面《づら》に敬礼《けいれい》していた。そして芝居《しばい》は続《つづ》けて演《えん》ぜられた。
 わたしは親方が犬の口輪《くちわ》を買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。その晩《ばん》は巡査とけんかをしたことについては一|言《ごん》の話もなしに過《す》ぎた。
 わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが芝居《しばい》の最中《さいちゅう》に、口輪《くちわ》を食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいて慣《な》らしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも巡査《じゅんさ》がやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓《ひゃくしょう》らしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査《じゅんさ》はおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居《しばい》で道化役《どうけやく》を演《えん》じることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけを連《つ》れて行くのだ。おまえはなわ張《ば》りをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査《じゅんさ》めさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬を連《つ》れて現《あらわ》れることにする。それから茶番が始まるのだ」
 わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従《ふくじゅう》しなければならないと思った。
 さてわたしはいつもの場所へ出かけて、囲《かこ》いのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわ張《ば》りの外に群《むら》がった。
 このごろではわたしもハープをひくことを覚《おぼ》えたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄《こうた》を覚《おぼ》えて、それがいつも大かっさいを博《はく》した。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
 きのう巡査《じゅんさ》との争論《そうろん》を見物した人たちは残《のこ》らず出て来たし、おまけに友だちまで引《ひ》っ張《ぱ》って来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆《こうしゅう》はあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下《かっか》、いずれ明日」と言った捨《す》てぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
 それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中《さいちゅう》口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
 わたしはうなずいた。
 親方は来ないで、先に巡査《じゅんさ》がやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
 かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆《ぐんしゅう》はかれの道化芝居《どうけしばい》をおかしがって手をたたいた。
 巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
 いったいこの結末《けつまつ》はどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査《じゅんさ》に答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令《めいれい》したら、わたしはなんと言えばいいのだ。
 巡査《じゅんさ》はなわ張《ば》りの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだか肩《かた》ごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
 ジョリクールは事件《じけん》の重大なことを理解《りかい》しなかった。そこでおもしろ半分なわ張《ば》りの中で巡査《じゅんさ》とならんで歩きながら、その一挙一動《いっきょいちどう》を身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、肩《かた》ごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっと笑《わら》った。
 わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールを呼《よ》び寄《よ》せた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変《あいか》わらずとことこ歩いていた。
 どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査《じゅんさ》はあんまり腹《はら》を立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわ張《ば》りの中へとびこんで来た。
 と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
 わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人《ろうじん》はどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査《じゅんさ》のうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
 しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
 巡査《じゅんさ》はおこってむらさき色になっていた。
 親方はどうどうとした様子であった、かれは例《れい》の美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨《ふんがい》と威圧《いあつ》の表情《ひょうじょう》がうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
 けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴《らんぼう》に前へおし出した。
 ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
 親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人《ろうじん》であった。巡査《じゅんさ》のほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
 けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と巡査《じゅんさ》は言った。「拘引《こういん》するのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問《しつもん》した。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
 親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
「宿屋《やどや》へ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上《こうじょう》で言って寄《よ》こすから(ことずてをするから)」
 かれはそのうえもうなにも言う機会《きかい》がなかった。巡査《じゅんさ》はかれを引きずって行った。
 こんなふうにして、親方が余興《よきょう》にしくんだ狂言《きょうげん》はあっけなく結末《けつまつ》がついた。
 犬たちは初《はじ》め主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしが呼《よ》び返すと、服従《ふくじゅう》に慣《な》らされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪《くちわ》をはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪《かなわ》ではなくって、ただ細い絹糸《きぬいと》を二、三本、鼻の回りに結《むす》びつけて、あごの下にふさを垂《た》らしてあった。白いカピは赤い糸を結《むす》んでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力《けんりょく》の命令《めいれい》を逆《ぎゃく》に喜劇《きげき》の種《たね》に利用《りよう》しようとしていたのである。
 群衆《ぐんしゅう》はさっそく散《ち》ってしまった。二、三人ひま人《じん》が残《のこ》っていまの事件《じけん》を論《ろん》じ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって巡査《じゅんさ》は子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ災難《さいなん》さ。巡査に反抗《はんこう》したことを証明《しょうめい》すれば、あのじいさんは刑務所《けいむしょ》へやられるだろう、きっと」
 わたしはがっかりして宿屋《やどや》へ帰った。
 わたしはこのころでは毎日だんだんと親方が好《す》きになっていた。わたしたちは朝から晩《ばん》までいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたような行《ゆ》き届《とど》いた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪《るろう》の旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布《もうふ》を半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴《らんぼう》に耳を引《ひ》っ張《ぱ》ることもあったけれど、わたしに過失《かしつ》があれば、それもしかたがなかった。一|言《ごん》で言えばわたしはかれを愛《あい》していたし、かれはわたしを愛していた。
 だからこの別《わか》れはわたしにはなによりつらいことであった。
 いつまたいっしょになれるだろうか。
 いったいどのくらい牢屋《ろうや》へ入れておくつもりなのだろう。
 そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
 ヴィタリス親方はいつもからだに金《かね》をつけている習慣《しゅうかん》であった。それが引《ひ》っ張《ぱ》られて行くときになにもわたしに置《お》いて行くひまがなかった。
 わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
 わたしはそれから二日のあいだ、宿屋《やどや》から外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
 やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙を届《とど》けて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権《けいさつけん》に反抗《はんこう》し、かつ巡査《じゅんさ》に手向かいをした科《とが》で裁判《さいばん》を受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難《さいなん》を招《まね》いたがいまさらいたしかたもない。裁判所《さいばんしょ》へ来てごらん、教訓《きょうくん》になることがあるであろう」
 こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
 わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれが尾《お》をふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれが初《はじ》めてであった。
 わたしは土曜日の朝早く裁判所《さいばんしょ》に行って、いの一番に傍聴席《ぼうちょうせき》にはいった。巡査《じゅんさ》とのけんかを目撃《もくげき》した人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
 どろぼうをして拘引《こういん》された男や、けんかをしてつかまった男が初《はじ》めに裁判《さいばん》を受けた。弁護人《べんごにん》は無罪《むざい》を言《い》い張《は》っていたけれど、それはみんな有罪《ゆうざい》を宣告《せんこく》された。
 いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵《けんぺい》の間にはさまってこしかけにかけていた。
 はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに興奮《こうふん》しきっていたのでよくわからなかった。
 わたしはただじっと親方を見ていた。
 かれはしらが頭を後ろに反《そ》らせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。裁判官《さいばんかん》は尋問《じんもん》を始めた。
「おまえは、おまえを拘引《こういん》しようとした警官《けいかん》を何回も打ったことを承認《しょうにん》するか」と、裁判官は言った。
「何回も打ちはいたしません、閣下《かっか》」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの演芸《えんげい》をいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしの連《つ》れています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」
「その子はおまえの子ではないだろう」
「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで警官《けいかん》がかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」
「おまえは警官を打ったろう」
「警官《けいかん》がわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた結果《けっか》であります」
「おまえぐらいの年輩《ねんぱい》でいかりに乗ずるということはないはずだ」
「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう不幸《ふこう》にして過失《かしつ》におちいりやすいのです」
 巡査《じゅんさ》はそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が嘲弄《ちょうろう》(あざける)された事実についてであった。
 親方の目はそのあいだ部屋《へや》の中を探《さが》すようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれの席《せき》に近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。
 まもなく裁判《さいばん》は決まった。かれは二か月の禁固《きんこ》と、百フランの罰金《ばっきん》に処《しょ》せられることになった。
 ああ、二か月の禁固《きんこ》。
 ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが憲兵《けんぺい》のあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんと閉《と》ざされた。ああ、二か月の別《わか》れ。
 どこへわたしは行こう。


     船の上

 わたしが重たい心で、赤い目をふきふき宿屋《やどや》に帰ると、ちょうど亭主《ていしゅ》が庭に出ていた。
 わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。
「どうだ、親方は」とかれは言った。
「有罪《ゆうざい》の宣告《せんこく》を受けました」
「どのくらい」
「二か月の禁固《きんこ》です」
「罰金《ばっきん》はどのくらい」
「百フラン」
「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。
 わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。
「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」
「ぼくはわかりません」
「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」
「いいえ、ないのです」
「じゃあ、おまえはわたしが養《やしな》ってくれると思っているのか」
「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」
 それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。
「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしに借《か》りがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」
「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」
「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」
 しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。亭主《ていしゅ》の言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。
「さあ、犬とさるを連《つ》れて出て行ってくれ。親方の荷物は預《あず》かっておく。親方が刑務所《けいむしょ》から出て来れば、いずれここへ寄《よ》るだろうし、そのときこちらの始末《しまつ》もつけてもらおう」
 このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。
「いずれそのときはお勘定《かんじょう》をはらうことになるでしょうから、それまでわたしを置《お》いてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんも加《くわ》えてはらえばいいでしょう」
「おやおや、おまえの親方は二日分の食料《しょくりょう》ぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるで別《べつ》な話だよ」
「わたしはいくらでも少なく食べますから」
「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」
「でも親方が刑務所《けいむしょ》から出て来たときに、どうしてわたしを探《さが》すでしょう。きっとこちらへ訪《たず》ねて来るにちがいありません」
「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」
「それでもし手紙が届《とど》いたら」
「手紙は取っておいてやるよ」
「でもわたしが返事を出さなかったら……」
「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の猶予《ゆうよ》をやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば承知《しょうち》しないから」
 わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。
 わたしは犬とジョリクールを連《つ》れにうまやへ行った。それから肩《かた》にハープをしょって、宿《やど》を出た。
 わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に口輪《くちわ》がはめてないのだから、巡査《じゅんさ》にとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを拘引《こういん》するかもしれない。親方もわたしも二人とも刑務所《けいむしょ》に入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の位置《いち》に責任《せきにん》を感じていた。
 わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらは腹《はら》が減《へ》っていた。
 わたしの背嚢《はいのう》に乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳を引《ひ》っ張《ぱ》って無理《むり》に自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせと腹《はら》をかいて見せた。
 わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは朝飯《あさめし》を食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食《ばんしょく》を食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方|兼帯《けんたい》の昼食を食べて、満足《まんぞく》しなければならなかった。
 わたしたちは巡査《じゅんさ》に出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金が要《い》るし、宿屋《やどや》へとまれば宿銭《やどせん》を取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろの暖《あたた》かい季節《きせつ》ではわたしたちは野天にねむることができた。
 さしせまっているのは食物だ。
 一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩き続《つづ》けたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳を引《ひ》っ張《ぱ》って、絶《た》えずおなかをさすっていた。
 とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。
 わたしは一|斤半《きんはん》パンを切ってくれと言った。
「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしても要《い》りますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの同勢《どうぜい》にはたっぷりとは言えない。かわいそうに、畜生《ちくしょう》にはじゅうぶん食べさしておやんなさい」
 おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの財布《さいふ》にはたっぷりすぎた。
 パンは一|斤《きん》五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ以上《いじょう》を切《き》らないようにていねいにたのんだ。
 わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールが髪《かみ》の毛《け》を引《ひ》っ張《ぱ》ってうれしそうにくっくっと笑《わら》った。
 わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。
 まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープを幹《みき》によせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。
 パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。
 わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹《まんぷく》してしまったとき、わたしたちはやはり腹《はら》がすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢《はいのう》の中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少し残《のこ》っていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子《かし》であった。
 このごちそうがけっして食後の卓上演説《たくじょうえんぜつ》を必要《ひつよう》とするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間《なかま》の者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領《しゅりょう》ではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることを望《のぞ》むだけの威望《いぼう》の足《た》りないことを感じていた。
 カピはおそらくわたしの意中を察《さっ》したのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせを伝《つた》えなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにも困《こま》ったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
 この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは芝居《しばい》をやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
 こういったわたしのことばが、残《のこ》らずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意《しゅい》は飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件《だいじけん》が起こったことを知っていた。それでその説明《せつめい》をわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせた残《のこ》らずを理解《りかい》しなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足《まんぞく》していた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足《まんぞく》の意味を表していた。
 いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間《なかま》だけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることが望《のぞ》めなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説《えんぜつ》の初《はじ》めの部分だけはかれも殊勝《しゅしょう》らしくたいへん興味《きょうみ》を持って傾聴《けいちょう》していたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱《ぶじょく》したならば、わたしの自尊心《じそんしん》はずいぶん傷《きず》つけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
 けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理《むり》はなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在《げんざい》の位置《いち》の重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
 しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井《あおてんじょう》の下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買う銭《ぜに》をいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
 小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
 びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことは望《のぞ》めないが、村が小さければ巡査《じゅんさ》に出会うことも少なかろうと考えた。
 わたしはさっそく一座《いちざ》の服装《ふくそう》を整《ととの》えて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采《ふうさい》がなかった。軍楽隊《ぐんがくたい》の隊長《たいちょう》のようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしには背《せい》の高いという利益《りえき》もないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
 行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果《こうか》を村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――と情《なさ》けないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
 ちょっとした広場のまん中に泉《いずみ》があって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
 わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子《ひょうし》に合わせてくるくる回り始めた。
 けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女が編《あ》み物《もの》をしたり、おしゃべりをしているのを見た。
 わたしはひき続《つづ》けた。ゼルビノとドルスはおどり続《つづ》けた。
 一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
 わたしはあくまでひき続《つづ》けた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
 けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
 ふと一人、ごく小さい子が初《はじ》めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
 きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間《なかま》が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
 わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは静《しず》かにひいた。そうして少しでもそばへ引《ひ》き寄《よ》せようとした。両手を延《の》ばして、片足《かたあし》ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿《すがた》の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
 でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ呼《よ》び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
 きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も好《す》かないのだ。きっとそんなことであった。
 わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの好《す》きな小唄《こうた》を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
 二|節《せつ》目の終わりになったとき、背広《せびろ》を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
 とうとうやって来たな。
 わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
 わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ寄《よ》って来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可《きょか》を得《え》たか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引《こういん》するぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官《のうりんかんさつかん》を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
 ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官《けいかん》や監察官《かんさつかん》に反抗《はんこう》すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令《めいれい》をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
 こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
 五分とたたないうちに、わたしはこの人情《にんじょう》のない、そのくせいやに監視《かんし》の行き届《とど》いている村をはなれた。
 犬たちは頭《かしら》を垂《た》れて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
 カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いては例《れい》のりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置《いち》に置《お》かれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法《ぶさほう》をするには、あんまりよくしつけられていた。
 かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足《まんぞく》していた。
 ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしは初《はじ》めてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りに輪《わ》を作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
 わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明《せつめい》してやらなければならなかった。「わたしたちは興行《こうぎょう》の許可《きょか》を得《え》ていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯《ばんめし》なしに歩くのだ」
 晩飯《ばんめし》ということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーの銭《ぜに》を見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯《あさめし》になにも残《のこ》らない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
 カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、効《き》き目《め》がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実《ちゅうじつ》なカピに言った。
 カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し無理《むり》だと言うかもしれないが、動物だってたしかにその仲間《なかま》に通用する特別《とくべつ》なことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをご覧《らん》なさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの理解《りかい》しないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。
 カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを理解《りかい》しないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言い張《は》ったようであった。カピは腹《はら》を立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し説明《せつめい》が要《い》るが、ここではころりと横になることを言うのである。
 そこで残《のこ》ったのは今夜の宿《やど》の問題だけだ。
 時候《じこう》はよし、暖《あたた》かい、いい天気であった。だから青天井《あおてんじょう》の下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい農林監察官《のうりんかんさつかん》からさけることもさらに必要《ひつよう》であった。
 わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の最後《さいご》の光が空から消えるころまで、宿《やど》を求《もと》めて歩き続《つづ》けたが、まだ見つからなかった。
 もう善悪《ぜんあく》なしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きな花《か》こう岩《がん》が転《ころ》がっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風を防《ふせ》ぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている責任《せきにん》は重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの看病《かんびょう》をしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。
 わたしたちは石の間にほら穴《あな》のような所を見つけた。そこにはまつ[#「まつ」に傍点]の落ち葉がたまっていた。これで、上には風を防《ふせ》ぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいと努《つと》めた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。
 いよいよ横になるまえに、わたしはカピに張《は》り番《ばん》をたのむと言った。するとこの忠実《ちゅうじつ》な犬はわたしたちといっしょにまつ[#「まつ」に傍点]葉の上でねむろうとはしないで、わたしの野営地《やえいち》の入口に、歩哨《ほしょう》のように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも案内《あんない》なしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。
 でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。
 この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしは腹《はら》が減《へ》ったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに口輪《くちわ》はどうしよう。これから歌を歌う許可《きょか》は、いったいどうしたらいいだろう。許《ゆる》してくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかが減《へ》って死んでしまうだろう。
 こういうみじめな、あわれっぽい疑問《ぎもん》を心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。街道《かいどう》を車のとろとろと通る音もしない。目の届《とど》く限《かぎ》りは青白い空が広がっていた。わたしたちは独《ひと》りぼっちであった。世の中から捨《す》てられていた。
 なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。
 わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしく泣《な》いていた。するとふと、かすかな息が髪《かみ》の毛《け》にふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかな舌《した》がなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの流浪《るろう》の初《はじ》めての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。
 両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おし殺《ころ》したような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょに泣《な》いてくれるもののように思われた。
 わたしはねむって目が覚《さ》めてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の祈祷《きとう》のかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。
 わたしたちはかねの音《ね》を目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって空腹《くうふく》が『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。
 村に着くと、パン屋がどこだと聞く必要《ひつよう》もなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店に連《つ》れて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの感覚《かんかく》は、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。
 一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで朝飯《あさめし》もあっけなくすんでしまった。
 わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか芝居《しばい》につごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、敵《てき》か味方か探《さぐ》ろうとした。
 わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する機会《きかい》をとらえるつもりであった。
 わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。
「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」
 おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にも罪《つみ》がある。いやすくなくともゼルビノの犯罪《はんざい》に責任《せきにん》があると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の代価《だいか》を請求《せいきゅう》じたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと刑務所《けいむしょ》に入れられるだろう。
 わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしの例《れい》にならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしの肩《かた》に乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。
 だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも仲間《なかま》になって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。恐怖《きょうふ》がわたしたちの速力《そくりょく》を進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけ続《つづ》けて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。
 わたしはかれを呼《よ》んだ。けれどもかれはひどい刑罰《けいばつ》に会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへは寄《よ》って来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれは飢《う》えていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを口実《こうじつ》として許《ゆる》すことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが仲間《なかま》の間に規律《きりつ》を保《たも》とうとすれば、罪《つみ》を犯《おか》したものは罰《ばっ》せられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが誘惑《ゆうわく》に負けないとは言えぬ。
 わたしはゼルビノに対し、公然刑罰《こうぜんけいばつ》を加《くわ》えなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。
 わたしはカピのほうへ向いた。
「行ってゼルビノを探《さが》しておいで」とわたしは重おもしく言った。
 かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、憲兵《けんぺい》としてかれはわたしの言いつけを果《は》たすよりも、弁護人《べんごにん》としてゼルビノをかばってやりたいように見えた。
 わたしはかれが囚人《しゅうじん》を連《つ》れて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、両側《りょうがわ》に広びろと野原の開けた、堀割《ほりわり》の岸であった。ツールーズを出て初《はじ》めて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。
 一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピが独《ひと》りぼっち首をうなだれたまま帰って来た。
「ゼルビノはどうした」
 カピはおどおどした様子で、平伏《へいふく》した。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの憲兵《けんぺい》に戦《たたか》いをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの命令《めいれい》に従《したが》いながらも、ゼルビノとの格闘《かくとう》にわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと覚悟《かくご》しているらしく思われた。
 わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ後悔《こうかい》して帰って来て、刑罰《けいばつ》を受けるだろうと思っていた。
 わたしは一本の木の下に、手足をふみのばして横《よこ》になった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと仲間《なかま》になる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。
 四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもう久《ひさ》しい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらの飢《う》えきっていることはわかった。カピとドルスは情《なさ》けない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっ面《つら》をしていた。
 でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。
 わたしはかれを呼《よ》びたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかり腹《はら》がふくれて、どこかのやぶの中に転《ころ》がって、ゆっくり消化させているのであろう。
 やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける機会《きかい》がまるでなかった。
 わたしたちの空腹《くうふく》はいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは哀願《あいがん》するような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
 それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえを探《さが》させた。けれども三十分たってから、やはりカピだけ独《ひと》りぼんやり帰って来た。
 どうしたらいいであろう。
 ゼルビノは罪《つみ》を犯《おか》したが、またかれの過失《かしつ》のためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふり捨《す》てることはできなかった。三びきの犬を満足《まんぞく》に連《つ》れて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
 わたしは晩《ばん》がたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹《くうふく》がこたえないであろうと思った。
 わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いを忘《わす》れるかもしれない。
 なにをしたらよかろう。
 わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊《ぐんたい》が長い行軍《こうぐん》で疲労《ひろう》しきると、楽隊《がくたい》がそれはゆかいな曲を演奏《えんそう》する、それで兵隊《へいたい》の疲労を忘《わす》れさせるようにするというのであった。
 そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹《くうふく》を忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早く過《す》ぎるかもしれない。
 わたしは二本の木によせかけておいた楽器《がっき》を取り上げて、堀割《ほりわり》のほうに背中《せなか》を向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
 初《はじ》めのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望《よくぼう》は食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしの胸《むね》は痛《いた》んだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹《くうふく》を忘《わす》れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力《いりょく》を現《あらわ》してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき続《つづ》けた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
 一せきの遊船《ゆうせん》が堀割《ほりわり》の中に止まっていた。その小舟《こぶね》を引《ひ》っ張《ぱ》っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
 それは堀割にうかんでいるふつうの船に比《くら》べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板《かんぱん》の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
 そこには二人、人がいた。一人はまだ若《わか》い貴婦人《きふじん》で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
 わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛《しょうさん》に感謝《かんしゃ》の意を表《ひょう》した。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人《きふじん》は外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
 子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人《きふじん》はこちらを向いて言った。
 なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。喜劇《きげき》にしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
 けれども貴婦人《きふじん》は口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのお望《のぞ》みとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」
 これはうちの親方の使う口上《こうじょう》の一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうと努《つと》めた。だがなおよく考えると、喜劇《きげき》を所望《しょもう》してくれなかったことは結局《けっきょく》ありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一|枚《まい》足りないばかりではない、芝居《しばい》をするには衣装《いしょう》も道具もなかった。
 とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一|節《せつ》をひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに拍子《ひょうし》を取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは順々《じゅんじゅん》に番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて昼飯《ひるめし》の報酬《ほうしゅう》の出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。
 するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている最中《さいちゅう》に、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして仲間《なかま》がそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。
 ハープをひきひき役者たちの監督《かんとく》をしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの演技《えんぎ》にひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。寝台《ねだい》の上にあお向いたまま、ただ両手を動かして拍手《はくしゅ》かっさいした。半身不随《はんしんふずい》なのかしら、板の上に張《は》りつけられたように見えた。
 いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色の髪《かみ》の毛《け》をしていた。顔色は青白くて、すきとおった皮膚《ひふ》のもとに額《ひたい》の青筋《あおすじ》すら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな表情《ひょうじょう》があった。
「あなたがたのお芝居《しばい》のさじき料《りょう》がいかほどですね」と、貴婦人《きふじん》はたずねた。
「おなぐさみに相応《そうおう》した代《だい》だけいただきます」
「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけ加《くわ》えていた。すると貴婦人《きふじん》は、
「アーサがお仲間《なかま》の役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。
 わたしはカピに目くはせをした。大喜《おおよろこ》びでかれは船の中へとびこんで行った。
「それから、ほかのは」とアーサと呼《よ》ばれたこの子どもはさけんだ。
 ゼルビノとドルスがカピの例《れい》にならった。
「それからおさるは」
 ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか貴婦人《きふじん》の気にいらないような悪さをするかもしれなかった。
「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。
「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、失礼《しつれい》でもあるといけないと思います」
「おや、それではあなた、連《つ》れておいでなさい」
 こう言って貴婦人《きふじん》はかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。
 肩《かた》にハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。
「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを貴婦人《きふじん》はアーサと呼《よ》んでいた。
 わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。実際《じっさい》にかれは一|枚《まい》の板に皮でからだを結《むす》びつけられていた。
「あなた、お父さんはあるの」と貴婦人《きふじん》はたずねた。
「いえ、いまは独《ひと》りぼっちです」
「いつまで」
「二か月のあいだ」
「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっち置《お》き去りにされるようなことになったの」
「そんな回り合わせになったのです」
「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」
「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい一座《いちざ》ののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」
「それで、どれだけお金が取れましたか」
 わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい婦人《ふじん》の前では一種《いっしゅ》のおそれを感じたけれども、貴婦人《きふじん》はひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにも優《やさ》しかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
 そこでわたしは貴婦人《きふじん》に向かって、ヴィタリスとわたしが別《わか》れたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護《ほご》するために、刑務所《けいむしょ》に連《つ》れて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
 わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
 このことばを動物たちはよく知っていて、犬は喜《よろこ》んでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
 貴婦人《きふじん》は聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ置《お》いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに平《たい》らげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要《ひつよう》もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人《きふじん》は言った。
 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張《みは》ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに腹《はら》をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは腹《はら》にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯《ひるめし》はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを求《もと》めているらしかったが、それを母親は初《はじ》めのうち承知《しょうち》したがらないように見えた。
 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問《しつもん》にめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人《きふじん》がくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを結《ゆわ》えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄《かんごく》にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日|芸《げい》をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに務《つと》めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの久《ひさ》しい望《のぞ》みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
 わたしは貴婦人《きふじん》の手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女は優《やさ》しく言った。
 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
 わたしは楽器《がっき》を手に取って、船のへさきのほうへ行って、静《しず》かにひき始《はじ》めた。
 貴婦人《きふじん》はふとくちびるに小さな銀《ぎん》の呼子《よぶこ》ぶえを当てて、するどい音《ね》を出した。
 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心《ふあんしん》らしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟《こぶね》は、そろそろと岸《きし》をはなれて、堀割《ほりわり》の静《しず》かな波を切ってすべって行った。両側《りょうがわ》には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。


     最初《さいしょ》の友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人《ふじん》と言った。後家《ごけ》さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情《じじょう》のもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月《むつき》目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人《ふじん》はじゅうぶんの探索《たんさく》をすることのできない境遇《きょうぐう》であった。かの女の夫《おっと》は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識《いしき》を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏《し》はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探《さが》させたが、結局《けっきょく》行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産《ざいさん》を相続《そうぞく》するつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人《ふじん》の夫《おっと》の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は財産《ざいさん》を相続《そうぞく》することになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言《よげん》はなかなか実現《じつげん》されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病《やまい》という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護《かんご》の力であった。
 最後《さいご》の病は腰疾《ようしつ》(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結《ゆわ》えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱《きうつ》と空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色《けしき》は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人《きふじん》とむすこについて、わたしはこれだけのことを残《のこ》らず、初《はじ》めての日に聞《き》いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋《へや》と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七|尺《しゃく》(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋《へや》におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装《いしょう》戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台《ねだい》とふとんとまくらと毛布《もうふ》とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけ[#「はけ」に傍点]やくし[#「くし」に傍点]やいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台《ねだい》にねむることをどんなにわたしは喜《よろこ》んだであろう。生まれて初《はじ》めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固《かた》くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人《ろうじん》とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿《きちんやど》にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座《いちざ》の連中《れんじゅう》が一晩《ひとばん》どんなふうに過《す》ごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえの晩《ばん》入れてやった所にいて、このきれいな小舟《こぶね》はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目《かため》を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度|腹《はら》を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連《つ》れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示《しめ》していたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板《かんぱん》の上に置《お》いて行かなければならなかったか、そのわけを説明《せつめい》することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 初《はじ》めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変《か》わりやすい性質《せいしつ》だけに、なにかほかのことに考えが移《うつ》って、手まねで、よし、外へ散歩《さんぽ》に連《つ》れて行くなら、かんべんしてやろうという意を示《しめ》した。
 甲板《かんぱん》をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を連《つ》れて野原へ出た。
 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎ[#「はこやなぎ」に傍点]の木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟《こぶね》はいつでも出発するようになっていた。
 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは解《と》かれて、船頭はかじを、御者《ぎょしゃ》は手《た》づなを取った。引きづなの滑車《かっしゃ》がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
 これでも動いているかと思うはど静《しず》かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶《すいしょう》のようにすみきっていて、水の底《そこ》できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を呼《よ》んだ。それはアーサであった。かれは例《れい》の板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人《ふじん》にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
 わたしはかれらを呼《よ》んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居《しばい》をやらされると思うときするように、しかめっ面《つら》をしていた。
 ミリガン夫人《ふじん》はむすこを日かげに置《お》いて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるを連《つ》れて行ってください。わたしたちは課業《かぎょう》がありますから」とかの女は言った。
 わたしは連中《れんじゅう》を連《つ》れてへさきのほうへ退《しりぞ》いた。
 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業《かぎょう》ができるのだろう。
 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を授《さずけ》けているのを見た。
 かれはそれを覚《おぼ》えるのがなかなか困難《こんなん》であるらしく見えた。しじゅう母親は優《やさ》しく責《せ》めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後《さいご》に言った。「アーサ、あなたはまるで覚《おぼ》えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣《な》くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好《す》きません」
 これはずいぶん残酷《ざんこく》なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優《やさ》しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな情《なさ》けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣《な》きだした。
 けれどもミリガン夫人《ふじん》は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚《おぼ》えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人|置《お》き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれの泣《な》き声《ごえ》が聞こえた。
 あれほどまでに愛《あい》しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格《げんかく》になれるのであろう。アーサの覚《おぼ》えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優《やさ》しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句《もんく》をくり返した。
 三度|初《はじ》めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく迷《まよ》ったが、本にはもどって来なかった。
 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
 わたしは課業《かぎょう》を続《つづ》けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝《かんしゃ》するように微笑《びしょう》した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと迷《まよ》い始めた。ちょうどそのとき一|羽《わ》のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これが覚《おぼ》えられない」とかれは言った。「でもぼく、覚《おぼ》えたいんだ」
 わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶん易《やさ》しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい覚《おぼ》えました」
 かれはそれを信《しん》じないように微笑《びしょう》した。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱《あんしょう》し始めた。わたしはほとんど完全《かんぜん》に覚《おぼ》えていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうして覚《おぼ》えたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう覚《おぼ》えたか、言って聞かしてくれたまえ」
 わたしはそれをどう説明《せつめい》していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して転《ころ》がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると忘《わす》れません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子《こうし》も見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに移《うつ》ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじ飼《か》いさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじ飼《か》いといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の初《はじ》めのほうは暗唱《あんしょう》ができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――覚《おぼ》えていた、覚《おぼ》えていた、まちがいはなかった」
 アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに喜《よろこ》ぶだろう」
 アーサはやがてお話|残《のこ》らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明《せつめい》した。かれがすっかり興味《きょうみ》を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句《もんく》をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業《そつぎょう》いていた。
 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、覚《おぼえ》えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人《ふじん》は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱《あんしょう》しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑《びしょう》にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣《な》いていたかどうか確《たし》かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼《か》いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節《ふし》まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人《ふじん》はほんとうに泣《な》いていた。なぜならかの女が席《せき》を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人《ふじん》はわたしのそばに寄《よ》って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優《やさ》しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿《やど》なしのこぞうで、一座《いちざ》の犬やさるたちを連《つ》れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業《かぎょう》のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手《あいて》になり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人《ふじん》は実際《じっさい》このむすこの物覚《ものおぼ》えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣《しゅうかん》をつけておいて、いつか回復《かいふく》したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心《ねっしん》がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜《よろこ》んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械《きかい》のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空《くう》にくり返しているというだけであった。
 そういうわけでむすこに失望《しつぼう》した母親の心には、絶《た》え間《ま》のない物思いがあった。
 だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚《おぼ》えて、一時をちがえず暗唱《あんしょう》して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人《ふじん》やアーサと過《す》ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
 アーサはわたしに熱《あつ》い友情《ゆうじょう》を寄《よ》せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情《どうじょう》からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人《ふじん》の行《ゆ》き届《とど》いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩《ばん》までわたしの心はいつも充実《じゅうじつ》しきっていた。
 鉄道ができて以来《いらい》、フランス南部地方の運河《うんが》を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者《かいさくしゃ》であるリケの記念碑《きねんひ》が、大西洋《たいせいよう》に注ぐ水と地中海《ちちゅうかい》に落ちる水とが分かれる分水嶺《ぶんすいれい》の頂《いただき》に建《た》てられてあった。
 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝《ちょすいこう》のめずらしいフスランヌの閘門《こうもん》(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色《けしき》がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台《ろだい》の上に集まって、静《しず》かに両岸の景色《けしき》をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
 雨でも降《ふ》ると、わたしたちは船室の中にはいって、勢《いきお》いよく燃《も》えた火を取り巻《ま》いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人《ふじん》はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。静《しず》かな晩《ばん》など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを好《この》んだ。そこでわたしがアーサの好《す》きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
 それはバルブレンのおっかあの炉《ろ》ばたに育ち、ヴィタリス老人《ろうじん》とほこりっぽい街道《かいどう》を流浪《るろう》して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
 あの気のどくな養母《ようぼ》がこしらえてくれた塩《しお》のじゃがいもと、ミリガン夫人《ふじん》の料理番《りょうりばん》のこしらえるくだもの入りのうまいお菓子《かし》やゼリーやクリームやまんじゅうと比《くら》べると、なんというそういであろう。
 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、沼《ぬま》のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟《こぶね》の旅と比べては、なんというそういであろう。
 料理《りょうり》はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。腹《はら》も減《へ》らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人《ふじん》と子どもの、めずらしい親切と愛情《あいじょう》であった。
 二度もわたしはわたしの愛《あい》していた人たちから引きはなされた。最初《さいしょ》はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹《くうふく》で、みじめなまま捨《す》てられた。
 そこへ美しい夫人《ふじん》がわたしと同じ年ごろの子どもを連《つ》れて現《あらわ》れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台《ねだい》に結《ゆわ》えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康《けんこう》と元気に満《み》ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引き包《つつ》んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟《こぶね》ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲《ほ》しがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優《やさ》しい夫人《ふじん》の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得《え》ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼《よ》ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
 わたしは独《ひと》りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟《こぶね》に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く続《つづ》けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。


     捨《す》て子《ご》

 旅の日数《ひかず》のたつのは早かった。親方が刑務所《けいむしょ》から出て来る日がずんずん近づいていた。船がだんだんツールーズから遠くなるに従《したが》って、わたしはこの考えに心を苦しめられていた。
 船の旅はこのうえなくおもしろかった。なんの苦労《くろう》もなければ、心配もなかった。これがせっかく水の上を気楽に通って来た道を、今度は足でとぼとぼ歩いて帰らなけれはならないときがじき来るのだ。
 これはたまらなくおもしろくないことであった。そうなればもう寝台《ねだい》もなければ、クリームもない。お菓子《かし》もなけれは、テーブルを取り巻《ま》いた楽しい夜会もなくなるのだ。
 でもそれよりもこれよりもいちばんつらいのは、ミリガン夫人《ふじん》とアーサとに別《わか》れることであった。わたしはこの人たちの友情《ゆうじょう》からはなれなければならないであろう。そのつらさはバルブレンのおっかあに別れたときと同じことであろう。
 わたしはある人びとをしたったり、その人びとからかわいがられると、もう一生その人たちといっしょにくらしたいと思う。それがあいにくいつもじきその人たちと別《わか》れなければならないようになる。いわばちょうどその人たちと別れるために、愛《あい》し愛されたりするようなものであった。
 このごろの楽しい生活のあいだに、ただ一つこの心痛《しんつう》がわたしの心をくもらせた。
 ある日とうとうわたしは思い切って、ミリガン夫人《ふじん》に、ツールーズへ帰るにはどのくらいかかるだろうと聞いた。親方が刑務所《けいむしょ》から出る日に、わたしは刑務所の戸口で待っていようと思ったのである。
 アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
 かれはすすり泣《な》きをしていた。
 わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしを借《か》りていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
 わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分が捨《す》て子《ご》であることをはじに思った――往来《おうらい》で拾われた子どもだということを白状《はくじょう》することをはじに思った。わたしは孤児院《こじいん》の子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中で捨《す》て子《ご》であるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン夫人《ふじん》やアーサに知られることを好《この》まなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言い続《つづ》けた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン夫人《ふじん》は答えた。「わたしたちはずいぶんあの子が好《す》きなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン夫人《ふじん》がかまわず続《つづ》けた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言い張《は》った。
 ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに感謝《かんしゃ》していた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても比較《ひかく》にはならなかった。同時に親方に持つ尊敬《そんけい》と、ミリガン夫人《ふじん》とその病身の子どもに対して持つ愛着《あいちゃく》とは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心から愛《あい》していた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン夫人《ふじん》は続《つづ》けた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯《きょうがい》ではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン夫人《ふじん》が言った。「この子の親方の承諾《しょうだく》を受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは汽車賃《きしゃちん》を送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへ呼《よ》ぶことになるのだが、たぶん承知《しょうち》してくださることだろうと思うから、それで相談《そうだん》したうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
 この最後《さいご》のことばで、わたしの美しいゆめは破《やぶ》れた。
 両親に相談《そうだん》する。そうしたらかれらはわたしが内証《ないしょう》にしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしが捨《す》て子《ご》だということを言いたてるだろう。
 ああ捨《す》て子《ご》。そうなればアーサもミリガン夫人《ふじん》もわたしをきらうようになるだろう。
 まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
 わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が転倒《てんとう》していると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
 幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の部屋《へや》に一人|閉《と》じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて以来《いらい》初《はじ》めてのふゆかいな晩《ばん》であった。それはおそろしくふゆかいな、長い熱病《ねつびょう》をわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
 たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしの捨《す》て子《ご》だということを知らずにすむだろう。素性《すじょう》を知られることについてのわたしの羞恥《しゅうち》と恐怖《きょうふ》があまりひどかったので、もうアーサ母子《おやこ》と別《わか》れても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと主張《しゅちょう》することを希望《きぼう》し始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
 それから三日たってミリガン夫人《ふじん》はヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールを連《つ》れて、かれに会いに停車場《ていしゃじょう》まで行くことを許《ゆる》された。
 その朝になると、犬たちはなにか変《か》わったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに興奮《こうふん》していた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに勇気《ゆうき》があったら、親方にたのんで捨《す》て子《ご》だということをミリガン夫人《ふじん》に言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『捨《す》て子《ご》』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、停車場《ていしゃじょう》の片《かた》すみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
 ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり見張《みは》りをゆるめていたので、かれらはぬけ出したのであった。ほえながらかれらは前へとび出した。わたしはかれらが親方にとびかかるのを見た。ほかの二ひきに比《くら》べてははげしくしかもしたたかにカピが、いきなり主人のうでにとびかかった。ゼルビノとドルスがその足にとびかかった。
 親方はわたしを見つけると、手早くカピをどけて、両うでをわたしのからだに投げかけた。初《はじ》めてかれはわたしにキッスした。
「ああよく無事《ぶじ》でいてくれた」とかれはたびたび言った。
 親方はこれまでわたしにつらくはなかったが、こんなふうに優《やさ》しくはなかった。わたしはそれに慣《な》れていなかった。それでわたしは感動して、思わずなみだが目の中にあふれた。それにいまのわたしの心持ちはたやすく物に動かされるようになっていた。わたしはかれの顔をながめた。刑務所《けいむしょ》にはいっているまにかれはひじょうに年を取った。背中《せなか》も曲がったし、顔は青いし、くちびるに血の気《け》はなかった。
「ルミ、わたしは変《か》わったろう。なあ」とかれは言った。「刑務所《けいむしょ》はけっしてゆかいな所ではなかった。それに苦労《くろう》というものは、たちの悪い病気のようなものだ。けれどもう出て来ればだいじょうぶだ。これからはよくなるだろう」
 それから話の題を変《か》えてかれは言い続《つづ》けた。
「わたしの所へ手紙を寄《よ》こしたおくさんのことを話しておくれ。どうしてそのおくさんと知り合いになったのだ」
 わたしはここで、どうして白鳥号に乗って堀割《ほりわり》をこいでいたミリガン夫人《ふじん》とアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。わたしは自分でもなにを言っているのかわからないほど、のべつまくなしに話をした。こうしてわたしは親方の顔を見ると、これから別《わか》れてミリガン夫人《ふじん》の所にいたいと言いだす気にはなれなかった。
 わたしたちはまだ話のすっかりすまないうちに、ミリガン夫人のとまっているホテルに着いた。親方は夫人が手紙でなんと書いて来たか、それは言わなかったから、わたしはかの女の申し出がどんなものであるかなんにも知らなかった。
「そのおくさんはわたしを待っていられるのかな」と、わたしたちがホテルにはいったときにかれは言った。
「ええ、ぼくがいまおくさんの部屋《へや》に案内《あんない》しましょう」とわたしは言った。
「それにはおよばないよ」とかれは答えた。「わたしは一人で上がって行く。おまえはここでジョリクールや、犬たちといっしょにわたしを待っておいで」
 わたしは、いつでもかれに従順《じゅうじゅん》であったけれども、この場合はかれといっしょにミリガン夫人《ふじん》の部屋に行くことが、わたしとしてむろん正当でもあり自然《しぜん》なことだと思っていた。けれども手まねでかれがわたしのくちびるに出かかっていることばをおさえると、わたしはいやいや犬やさるといっしょに下に残《のこ》っていなければならなかった。
 どうしてかれはミリガン夫人と話をするのにわたしのいることを好《この》まなかったか。わたしはこの質問《しつもん》を心の中でくり返しくり返したずねた。それでもまだ明快《めいかい》な答えが得《え》られずに考えこんでいたときにかれはもどって来た。
「行っておくさんに、さようならを言っておいで」とかれはことば短に言った。「わたしはここで待っていてやる。あと十分のうちにたつのだから」
 わたしはかみなりに打たれたような気がした。
「それ」とかれは言った。「おまえはわたしの言ったことがわからないか。なにを気のぬけた顔をして立っている。早くしないか」
 かれはまだこんなふうにあらっぽくものを言ったことがなかった。機械的《きかいてき》にわたしは服従《ふくじゅう》して、立ち上がった。なにがなんだかわからないような顔をしていた。
「あなたはおくさんになんとお言いに……」二足三足行きかけてわたしは問いかけた。
「わたしはおまえがなくてならないし、おまえにもわたしは必要《ひつよう》なのだ。従《したが》ってわたしはおまえに対するわたしの権利《けんり》を捨《す》てることはできませんと言ったのさ。行って来い。いとまごいがすんだらすぐ帰れ……」
 わたしは自分が捨《す》て子《ご》だったという考えばかりに気を取られていたから、わたしがこれですぐに立ち去らなければならないというのは、きっと親方がわたしの素性《すじょう》を話したからだとばかり思っていた。
 ミリガン夫人《ふじん》の部屋《へや》にはいると、アーサがなみだを流している。そのそばに母の夫人が寄《よ》りそっているところを見た。
「ルミ、きみ行ってはいやだよ。ねえ、ルミ、行かないと言ってくれたまえ」とかれはすすり泣《な》きをした。
 わたしはものが言えなかった。ミリガン夫人《ふじん》がわたしの代わりに答えた。つまりわたしがいま親方に言われたとおりにしなければならないことを、アーサに言って聞かせた。
「親方さんにお願いしましたが、あなたをこのままわたしたちにくださることを承知《しょうち》してくださいませんでした」とミリガン夫人《ふじん》は、いかにも悲しそうな声で言った。
「あの人は悪い人だ」とアーサがさけんだ。
「いいえ、あの人は悪い人ではありません」とミリガン夫人は言った。「あの人にはあなたがだいじで手放せないわけがあるのです。それにあの人はあなたをかわいがっていられる……あの人はああいう身分の人のようではない、どうしてりっぱな口のきき方をなさいました。お断《ことわ》りになる理由としてあの人の言われたのは――そう、こうです、――わたしはあの子を愛《あい》している、あの子もわたしを愛している。わたしがあれに授《さず》けている世間の修業《しゅぎょう》は、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。なるほどあなたはあれのちえを養《やしな》ってはくださるだろう、だがあれの人格《じんかく》は作れません。それを作ることのできるのは人生の艱難《かんなん》ばかりです。あれはあなたの子にはなれません。やはりわたしの子どもです。それはどれほどあれにとって居心地《いごこち》がよかろうとも、あなたの病身のお子さんのおもちゃになっているよりは、はるかにましです。わたしもできるだけあの子どもを教えるつもりですから――とこうお言いになるのですよ」
「でもあの人、ルミの父さんでもないくせに」とアーサはさけんだ。
「それはそうです。でもあの人はルミの主人です。ルミはあの人のものです。さし当たりルミはあの人に従《したが》うほかはありません。この子の両親が親方さんにお金で貸《か》したのですから。でもわたしはご両親にも手紙を書いて、やれるだけはやってみましょう」
「ああ、いけません。そんなことをしてはいけません」とわたしはさけんだ。
「それはどういうわけです」
「いいえ、どうかよしてください」
「でもそのほかにしかたがないんですもの」
「ああ、どうぞよしてください」
 ミリガン夫人《ふじん》が両親のことを言いださなかったなら、わたしは親方がくれた十分の時間|以上《いじょう》をさようならを言うために費《ついや》したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
 それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人《ふじん》に手をさし延《の》べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの額《ひたい》にキッスしながらつぶやいた。
 わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを愛《あい》します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを忘《わす》れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
 わたしは手早くドアを閉《と》じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
 こうしてわたしは最初《さいしょ》の友だちから別《わか》れた。


     ふぶきとおおかみ

 またわたしは親方のあとについて痛《いた》い肩《かた》にハープを結《むす》びつけたまま、雨が降《ふ》っても、日が照《て》りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日|流浪《るろう》して歩かなければならなかった。広場であほうの役を演《えん》じて、笑《わら》ったり泣《な》いたりして見せて、「ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》」のごきげんをとり結《むす》ばなければならなかった。
 長い旅のあいだ再三《さいさん》わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟《こぶね》の船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿《きちんやど》のねどこのどんなに固《かた》いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の優《やさ》しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
 これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
 かれのわたしに対する様子はすっかり変《か》わっていた。かれはわたしの主人というより以上《いじょう》のものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情《あいじょう》を求《もと》めていた。けれどもわたしにはそれをする勇気《ゆうき》がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを許《ゆる》さない人であった。
 初《はじ》めは恐怖《きょうふ》がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬《そんけい》に似《に》た感情《かんじょう》がかれとわたしをへだてていた。
 わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級《かいきゅう》の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別《くべつ》することができずにいたが、ミリガン夫人《ふじん》と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度《たいど》でも様子でも、かれにはひじょうに高貴《こうき》なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
 そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師《みせものし》というだけだし、ミリガン夫人《ふじん》は貴婦人《きふじん》である、それが似《に》かよったところがあるはずがないと思った。
 だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが確《たし》かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士《しんし》になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴《らんぼう》な人間でも、その威勢《いせい》におされてしまうのであった。
 だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い得《え》ずにしまった。それは向こうから優《やさ》しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
 セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人《ふじん》のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の種《たね》になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえは好《す》いていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。その恩《おん》を忘《わす》れてはならないぞ」
 そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
 こう言う親方のことばを、初《はじ》めはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン夫人《ふじん》がそばへ置《お》きたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
 親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのは確《たし》かであった。そのうえこのことばの中には後悔《こうかい》に似《に》た心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしを残《のこ》しておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
 でもなぜかれがミリガン夫人《ふじん》の申し出を承知《しょうち》することができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が後悔《こうかい》しているということがわかって、わたしは心の底《そこ》に満足《まんぞく》した。
 もうこれでは親方も承知《しょうち》してくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな希望《きぼう》の目標《もくひょう》になった。
 それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
 それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に沿《そ》って歩いていた。
 それで歩きながらわたしの目は両側《りょうがわ》を限《かぎ》っている丘《おか》や、豊饒《ほうじょう》な田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
 わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、波止場《はとば》か橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号を探《さが》した。遠方に半分、深い霧《きり》にかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
 でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
 ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしの探《さが》す美しい船の模様《もよう》を話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
 このごろでは親方も、わたしをミリガン夫人《ふじん》にわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう想像《そうぞう》されたから、もはやわたしの素性《すじょう》を告《つ》げたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの事件《じけん》は親方とミリガン夫人との間の相談《そうだん》でうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を処理《しょり》してみた。ミリガン夫人はわたしをそばに置《お》きたいと言うだろう。親方はわたしに対する権利《けんり》を捨《す》てることを承知《しょうち》してくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
 わたしたちは何週間もリヨンに滞在《たいざい》していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の波止場《はとば》に行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
 しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
 わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン夫人《ふじん》に二度と会う希望《きぼう》を捨《す》てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへ別《わか》れて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの夢想《むこう》の結末《けつまつ》であった。
 いよいよいけなくなったことは、冬がいまや目近《まぢか》にせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない宿屋《やどや》かまたは物置《ものお》き小屋《ごや》につかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔《えがお》をうかべてねむる元気はなかった。
 ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて骨《ほね》までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも情《なさ》けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
 親方の目的《もくてき》は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居《しばい》をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
 道みちの町や村でも、日和《ひより》のつごうさえよければ、ちょっとした興行《こうぎょう》をやって、いくらかでも収入《しゅうにゅう》をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
 シャチヨンをたってから、冷《つめ》たい雨の降《ふ》ったあとで、風は北に変《か》わった。
 もういく日かしめっぽい日が続《つづ》いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
 わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六|日《にち》逗留《とうりゅう》しても、少しは興行《こうぎょう》を続《つづ》けて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とその晩《ばん》宿屋《やどや》に着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪に降《ふ》りこめられてはたまらないなあ」
 でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所の炉《ろ》のすみにこしをかけて、寒《さむ》さでひどく弱っているジョリクールを暖《あたた》めていた。さるは毛布《もうふ》にくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
 あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲が低《ひく》く垂《た》れて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、危《あぶ》なくゆうべ灰《はい》の中にうずめたほだ火をまい上げそうにした。
 宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》は親方の顔を見て、
「わたしがあなただったら、きょうは出るどころではありません。いまにひどいふぶきになりますぜ」
「わたしは急いでいるのだ」と親方は答えた。「その大ふぶきの来るまえにトルアまで行きたいと思っている」
「六、七里(約二十四〜二十八キロ)もありますよ。一時間やそこらで行けるものですか」
 でもかまわずわたしたちは出発した。
 親方はジョリクールをしっかりからだにだきしめて、自分の温かみを少しでも分けてやろうとした。犬は固《かた》いこちこちな道を歩くのをうれしがって、先に立ってかけた。親方はデイジョンでわたしにひつじの毛皮服を買ってくれたので、わたしは毛を裏にしてしっかり着こんだ。これがこがらしでべったりからだにふきつけられていた。
 わたしたちは口を開くのがひどくふゆかいだったので、だまりこんで歩きながら、少しでも暖《あたた》まろうとして急いだ。
 もう夜明けの時間をよほど過《す》ぎていたが、空はまだまっ暗であった。東のほうに白っぽい帯《おび》のようなものが雪の間に流れてはいたが、太陽は出て来そうもなかった。
 野景色《のげしき》を見わたすと、いくらか物がはっきりしてきた。葉をふるった木も見えるし、灌木《かんぼく》や小やぶの中でかれっ葉ががさがさ風に鳴っていた。
 往来《おうらい》にも畑にも出ている人はなかった。車の音も聞こえないし、むちの鳴る音も聞こえなかった。
 ふと北の空に青白い筋《すじ》が見えたが、だんだん大きくなってこちらのほうへ向かって来た。そのときわたしたちはきみょうながあがあいうささやき声のような音を聞いた。それはがん[#「がん」に傍点]か野の白鳥のさけび声であったろう。この気ちがいじみた鳥の群《む》れは、わたしたちの頭の上を飛《と》んだと思うと、もう北から南のほうへおもしろそうにかけって行った。かれらが遠い空の中に見えなくなると、やわらかな雪片《せっぺん》が静《しず》かに落ちて来た。それは空中を遊び歩いているように見えた。
 わたしたちが通って行く道は喪中《もちゅう》のようにしずんでさびしかった。あれきって陰気《いんき》な野原の上にただ北風のはげしいうなり声が聞こえた。雪片が小さなちょうちょうのように目の前にちらちらした。絶《た》えずくるくる回って、地べたに着くことがなかった。
 わたしたちはまた少ししか歩いてはいなかった。雪の降《ふ》るまえにトルアに着くということは、むずかしいことに思われた。けれどわたしは心配しなかった。雪が降りだせば風がやんで、かえって寒さもゆるむだろうと思った。
 わたしはまだ雪風というものがどんなものだかよく知らなかった。
 しかしまもなくそれがほんとうにわかった。しかもわたしにはけっして忘《わす》れることのできないものであった。
 雲が東北からむくむく集まって来た。そこの空にかすかな明るみが見えたと思うと、やがて雲のふところが開いて、どんどん大きな雪のかたまりが落ちて来た。もう空中をちょうちょうのようにはまわなかった。ふんぷんとすばらしい勢《いきお》いで降《ふ》って来て、わたしたちの目鼻を開けられないようにした。
「とてもトルアまではだめだ。なんでもうちを見つけしだい休むことにしよう」と親方が言った。
 わたしは親方がそう言うのを聞いてうれしかったけれども、いったいうまく休むうちが見つかるであろうか。まだそこらが白くならないまえにわたしが見ておいたかぎりでは、一けんもうちは見えなかった。そればかりではない。おいおい村に近づいているという気配も見えなかった。
 わたしたちの前には底知《そこし》れぬ黒い森が横たわっていた。わたしたちを包《つつ》んでいる両側《りょうがわ》の丘陵《きゅうりょう》もやはり深い森であった。
 雪はいよいよはげしく降《ふ》ってきた。わたしたちはだまって歩いた。親方はおまけにひつじの毛皮服を持ち上げて、ジョリクールが楽に息のできるようにしてやった。ただときどき首を左右に動かさなければ息ができなかった。
 犬たちももう先に立ってかけることができなかった。かれらはわたしたちのかかとについて歩いて、早く休むうちを求《もと》めたがっているような顔をしていたが、それをあたえてやることができなかった。
 道はいっこうにはかどらなかった。わたしたちはとぼとぼ骨《ほね》を折《お》って歩いた。目を開けてはいられなかった。じくじくぬれた着物がこおりついたまま歩いて行った。もう深い森の中にはいっていたが、まっすぐな道で、わたしたちはさえぎるもののないあらしにふきさらされていた。そのうち風はいくらか静《しず》まったが、雪のかたまりはますます大きくなって、みるみる積《つ》もった
 わたしは親方がなにか探《さが》し物《もの》をするように、おりおり左のほうへ目を注ぐのを見たが、かれはなにも言わなかった。なにをかれは見つけようとするのであろう。
 わたしは長い道の向こうばかりまっすぐに見ていた。この森がもうほどなくおしまいになって、人家が現《あらわ》れてきはしないかという望《のぞ》みをかけていた。
 だが目の届《とど》く限《かぎ》り両側《りょうがわ》は雪にうずまった林であった。前はもう二、三間(四〜五メートル)先が雪でぼんやりくもっていた。
 わたしはこれまで暖《あたた》かい台所の窓《まど》ガラスに雪の降《ふ》るところを見ていた。その暖かい台所がどんなにかはるか遠いゆめの世界のように思われることであろう。
 でもやはり行くだけは行かなければならなかった。わたしたちの足はだんだん深く雪の中にもぐりこんだ。そのときふと、なにも言わずに親方が左手を指さした。なるほど、わたしはぼんやりと、空き地の中に堀立小屋《ほったてごや》のようなものを見た。
 わたしたちはその小屋に通う道を探《さが》さなければならなかった。でも雪がもう深くなって、道という道をうずめてしまったので、これは困難《こんなん》な仕事であった。わたしたちはやぶの中をかけ回って、みぞをこえて、やっとのことで小屋へ行く道を見つけて中へはいることができた。
 その小屋は丸太《まるた》やしばをつかねて造《つく》ったもので、屋根も木のえだのたばを積《つ》み重ねて、雪が間から流れこまないように固《かた》くなわでしめてあった。
 犬たちはうれしがって、元気よく先に立ってかけこんだ、ほえながらたびたびかわいた土の上をほこりを立てて転《ころ》げ回《まわ》っていた。
 わたしたちの満足《まんぞく》もかれらにおとらず大きかった。
「こういう森の中の木を切ったあとには、きこりの小屋があるはずだと思っていた」と親方が言った。「もういくら雪が降《ふ》ってもかまわないぞ」
「そうですとも。雪なんかいくらでも降れだ」とわたしは大いばりで言った。
 わたしは戸口――というよりも小屋に出入《しゅつにゅう》する穴《あな》というほうが適当《てきとう》で、そこにはドアも窓《まど》もなかったが――そこまで行って、わたしは上着とぼうしの雪をはらった。せっかくのかわいた部屋《へや》をぬらすまいと思ったからである。
 わたしたちの宿《やど》の構造《こうぞう》はしごく簡単《かんたん》であった。備《そな》えつけの家具も同様で、土の山と、二つ三つ大きな石がいすの代わりに置《お》いてあるだけであった。それよりもありがたかったのは、部屋のすみに赤れんがが五、六|枚《まい》、かまどの形に積《つ》んであったことである。なによりもまず火を燃《も》やさなければならぬ。
 なによりも火がいちばんのごちそうだ。
 さてまきだが、このうちでそれを見つけることは困難《こんなん》ではなかった。
 わたしたちはただかべや屋根からまきを引きぬいて来ればよかった。それはわけなくできた。
 まもなくたき火の赤いほのおがえんえんと立った。むろん小屋はけむりでいっぱいになったが、そんなことはいまの場合かまうことではなかった。わたしたちの欲《ほっ》しているのは火と熱《ねつ》であった。
 わたしは両手をついて、腹《はら》ばいになって火をふいた。犬は火のぐるりをゆうゆうと取り巻《ま》いて、首をのばして、ぬれた背中《せなか》を火にかざしていた。
 ジョリクールはやっと親方の上着の下からのぞくだけの元気が出て、用心深く鼻の頭を外に向けてそこらをながめ回した。安全な場所であることを確《たし》かめて満足《まんぞく》したらしく、急いで地べたにとび下りて、たき火の前のいちばん上等な場所を占領《せんりょう》して、二本の小さなふるえる手を火にかざした。
 親方は用心深い、経験《けいけん》に積《つ》んだ人であるから、その朝わたしが起き出すまえに道中の食料《しょくりょう》を包《つつ》んでおいた。パンが一本とチーズのかけであった。わたしたちはみんな食物を見て満足《まんぞく》した。
 情《なさ》けないことにわたしたちはごくわずかしか分けてもらえなかった。それはいつまでここにいなければならないかわからないので、親方がいくらか晩飯《ばんめし》に残《のこ》しておくほうが確実《かくじつ》だと考えたからであった。
 わたしはわかったが、しかし犬にはわからなかった。それでかれらはろくろく食べもしないうちにパンが背嚢《はいのう》に納《おさ》められるのを見ると、前足を主人のほうに向けて、そのひざがしらを引っかいた。目をじっと背嚢につけて、中の物をぜひ開けさせようといろいろの身ぶりをやった。けれども親方はまるでかまいつけなかった。
 背嚢はとうとう開かれなかった。犬はあきらめてねむる決心をした。カピは灰《はい》の中に鼻をつっこんでいた。わたしもかれらの例《れい》にならおうと考えた。けさは早かった。いつやむか、見当のつかない雪を見てくよくよしているよりも、白鳥号に乗って、ゆめの国にでも遊んだほうが気が利《き》いている。
 わたしはどのくらいねむったか知らなかった。目が覚《さ》めると雪がやんでいた。わたしは外をながめた。雪はひじょうに深かった。無理《むり》に出て行けばひざの上までうずまりそうであった。
 何時だろう。
 わたしはそれを親方にたずねることができなかった。なぜなら例《れい》のカピが時間を示《しめ》した大きな銀時計は売られてしまった。かれは罰金《ばっきん》や裁判《さいばん》の費用《ひよう》をはらうためにありったけの金を使ってしまった。そしてディジョンでわたしの毛皮服を買うときに、その大きな時計も売ってしまったのであった。
 時計を見ることができないとすれば、日の加減《かげん》で知るほかはないが、なにぶんどんよりしているので、何時だか時間を推量《すいりょう》するのが困難《こんなん》であった。
 なんの物音も聞こえなかった。雪はあらゆる生物の活動をそれなりこおらせてしまったように思われた。
 わたしは小屋の入口に立っていると、親方の呼《よ》ぶ声が聞こえた。
「これから出て行けると思うかな」とかれはたずねた。
「わかりません。あなたのいいようにしたいと思います」
「そうか、わたしはここにいるほうがいいと思う。まあまあ屋根はあるし、たき火もあるのだから」
 それはほんとうであったが、同時にわたしは食物のないことを思い出した。けれどもわたしはなにも言わなかった。
「どうせまた雪は降《ふ》ってくるよ。とちゅうで雪に会ってはたまらない。夜はよけい寒くなる。今夜はここでくらすほうが無事《ぶじ》だ。足のぬれないだけでもいいじゃないか」
 そうだ。わたしたちはこの小屋に逗留《とうりゅう》するほかはない。胃《い》ぶくろのひもを固《かた》くしめておく、それだけのことだ。
 夕飯《ゆうはん》に親方が残《のこ》りのパンを分けた。おやおや、もうわずかしかなかった。すぐに食べられてしまった。わたしたちはくずも残《のこ》さず、がつがつして食べた。このつましい晩食《ばんしょく》がすんだとき、犬はまたさっきのようにあとねだりをするだろうと思っていたが、かれらはまるでそんなことはしなかった。今度もわたしは、どのくらいかれらがりこうであるか知った。
 親方がナイフをズボンのかくしにしまうと、これは食事のすんだ知らせであったから、カピは立ち上がって、食物を入れたふくろのにおいをかいだ。それから前足をふくろにのせてこれにさわってみた。この二重の吟味《ぎんみ》で、もうなにも食物の残《のこ》っていないことがわかった。それでかれはたき火の前の自分の席《せき》に帰って、ゼルビノとドルスの顔をながめた。その顔つきはあきらかにどうもしんぼうするほかはないよという意味を示《しめ》していた。そこでかれはあきらめたというように、ため息をついて全身を長ながとのばした。
「もうなにもない。ねだってもだめだよ」かれはこれを大きな声で言ったと同様、はっきりと仲間《なかま》の犬たちに会得《えとく》さしていた。
 かれの仲間《なかま》はこのことばを理解《りかい》したらしく、これもやはりため息をつきながらたき火の前にすわった。けれどゼルビノのため息はけっしてほんとうにあきらめたため息ではなかった。おなかの減《へ》っているうえに、ゼルビノはひじょうに大食らいであった。だからこれはかれにとっては大きな犠牲《ぎせい》であった。
 雪がまたずんずん降《ふ》りだしていた。ずいぶんしつっこく降っていた。わたしたちは白い地べたのしき物が高く高くふくれ上がって、しまいに、小さな若木《わかぎ》や灌木《かんぼく》がすっかりうずまってしまうのを見た。夜になっても、大きな雪片《せっぺん》がなお暗い空からほの明るい地の上にしきりなしに落ちていた。
 わたしたちはいよいよここへねむるとすれば、なによりいちばんいいことは、できるだけ早くねつくことであった。わたしは昼間火でかわかしておいた毛皮服にくるまってまくらの代わりにした。平ったい石に頭をのせて、たき火の前に横になった。
「おまえはねむるがいい」親方が言った。「わたしのねむる番になればおまえを起こすから。この小屋ではけものもなにも心配なことはないが、二人のうち一人は起きていて、火の消えないように番をしなければならない。用心してかぜをひかないように気をつけなければいけない。雪がやむとひどい寒さになるからな」
 わたしはさっそくねむった。親方がまたわたしを起こしたときには、夜はだいぶふけていた。たき火はまだ燃《も》えていた。雪はもう降《ふ》ってはいなかった。
「今度はわたしのねむる番だ」と親方が言った。「火が消えたら、ここへこのとおりたくさん採《と》っておいたまきをくべればいい」
 なるほどかれはたき火のわきに小えだをたくさん積《つ》み上げておいた。わたしよりずっと少ししかねむれない親方は、わたしがいちいちかべからまきをぬくたんびに音を立てて目を覚《さ》まさせられることをいやがった。それでわたしはかれのこしらえておいてくれたまきの山から取っては、そっと音を立てずに火にくべれはよかった。
 たしかにこれはかしこいやり方ではあったけれど、情《なさ》けないことに親方は、これがどんな意外な結果《けっか》を生むかさとらなかった。
 かれはいまジョリクールを自分の外とうですっかりくるんだまま、たき火の前にからだをのばした。まもなくしだいに高く、しだいに規則《きそく》正しいいびきで、よくねいったことが知れた。
 そのときわたしはそっと立ち上がって、つま先で歩いて、外の様子がどんなだか、入口まで出て見た。
 草もやぶも木もみんな雪にうまっていた。日の届《とど》くかぎりどこも目がくらむような白色であった。空にはぽつりぽつり星の光がきらきらしていた。それはずいぶん明るい光ではあったが、木の上に青白い光を投げているのは雪の明かりであった。もうずっと寒くなっていた。ひどくこおっていた。すきまからはいる空気は氷のようであった。喪中《もちゅう》にいるような静《しず》けさの中に、雪の表面のこおりつく音がいく度となく聞こえた。
「ああ、この森のおくで雪の中にうめられてわたしたちはどうすればいいのだ。この雪と寒さの中で、この小屋でもなかったらどうなったであろう」
 わたしはそっと音のしないように出たのであったが、やはり犬たちを起こしてしまった。中でもゼルビノは起き上がってわたしについて来た。夜の荘厳《そうごん》はかれにとってなんでもなかった。かれはしばらく景色《けしき》をながめたが、やがてたいくつして外へ出て行こうとした。
 わたしはかれに中にはいるように命令《めいれい》した。ばかな犬よ。このおそろしい寒さの中でうろつき回るよりは、暖《あたた》かいたき火のそばにおとなしくしていたほうがどのくらいいいか知れない。かれは不承不承《ふしょうぶしょう》にわたしの言うことを聞いたが、しかしひどくふくれっ面《つら》をして、目をじっと入口に向けていた。よほどしつっこい、いったん思い立ったことを忘《わす》れない犬であった。
 わたしは、まっ白な夜をながめながらまだ二、三分そこに立っていた。それは美しい景色《けしき》ではあったし、おもしろいと思ったが、なんとも言えないさびしさを感じた。むろん見まいと思えば目をふさいで中にはいって、そのさびしい景色を見ずにいることはできるのだが、白いふしぎな景色がわたしの心をとらえたのであった。
 とうとうわたしはまたたき火のそばへ帰って、二、三本まきをたがいちがいに火の上に組み合わせて、まくらの代わりにした石の上にこしをかけた。
 親方はおだやかにねむっていた。犬たちとジョリクールもまたねむっていた。ほのおが火の中から上って、ぴかぴか火花を散《ち》らしながら屋根のほうまで巻《ま》き上がった。ぱちぱちいうたき火のほのおの音だけが夜の沈黙《ちんもく》を破《やぶ》るただ一つの音であった。
 長いあいだわたしは火をながめていたけれど、だんだん我知《われし》らずうとうとし始めた。わたしが外へ出てまきをこしらえる仕事でもしていたら、日を覚《さ》ましていられたかもしれなかったが、なにもすることもなくって火にあたっているので、たまらなくねむくなってきた。そのくせしょっちゅう自分ではいっしょうけんめい目を覚《さ》ましているつもりになっていた。
 ふとはげしいほえ声にわたしは目が覚めて、とび上がった。まっ暗であった。わたしはかなり長いあいだねむったらしく、火はほとんど消《き》えかかっていた。もう小屋の中にほのおが光ってはいなかった。
 カピはけたたましくほえたてていた。けれどふしぎなことにゼルビノの声もドルスの声もしなかった。
「どうした。どうした」と親方が目を覚《さ》ましてさけんだ。
「知りません」
「おまえはねむっていたのだな。火も消えている」
 カピは入口までかけ出して行ったが、外へとび出そうとはしなかった。出口でウウ、ウウ、ほえていた。
「どうした。どうしたというんだろう」わたしは今度は自分にたずねた。
 カピのほえ声に答えて、二声三声、すごい悲しそうなうなり声が聞こえた。それはドルスの声だとわかった。そのうなり声は小屋の後ろから、しかもごく近い距離《きょり》から聞こえて来た。
 わたしは外へ出ようとした。けれど親方はわたしの肩《かた》に手をのせて引き止めた。
「まあまきをくべなさい」かれは命令《めいれい》の調子で言った。
 言いつけられたとおりにわたしがしていると、かれは火の中から一本小えだを引き出して、火をふき消して、燃《も》えている先を吹《ふ》いた。
 かれはそのたいまつを手に持った。
「さあ、行って見て来よう」とかれは言った。「わたしのあとについておいで。カピ、先へ行け」
 外へ出ようとすると、はげしいほえ声が聞こえた。カピはこわがって、あとじさりをして、わたしたちの間に身をすくめた。
「おおかみだ。ゼルビノとドルスはどこへ行ったろう」
 なにをわたしが言えよう。二ひきの犬はわたしのねむっているあいだに出て行ったにちがいない。ゼルビノはわたしがねつくのを待って、ぬけ出して行った。そしてドルスが、そのあとについて行ったのだ。
 おおかみがかれらをくわえたのだ。親方が犬のことをたずねたとき、かれの声にはその恐怖《きょうふ》があった。
「たいまつをお持ち」とかれは言った。「あれらを助けに行かなければならない」
 村でわたしはよくおおかみのおそろしい話を開いていた。でもわたしはちゅうちょすることはできなかった。わたしはたいまつを取りにかけて帰って、また親方のあとに続《つづ》いた。
 けれども外には犬も見えなければおおかみも見えなかった。雪の上にただ二ひきの犬の足あとがぽつぽつ残《のこ》っていた。わたしたちはその足あとについて小屋の回りを歩いた。するとややはなれて雪の中でなにかけものが転《ころ》がり回ったようなあとがあった。
「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスを呼《よ》び寄《よ》せる呼《よ》び子《こ》をふいた。
 けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい沈黙《ちんもく》を破《やぶ》る物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも恐怖《きょうふ》にたえない様子であった。いつもはあれほど従順《じゅうじゅん》でゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの勇気《ゆうき》がなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
 もう一度親方は呼《よ》び子《こ》をふいて、迷《まよ》い犬《いぬ》を呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
 そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行って探《さが》して来なければ」とわたしはしばらくして言った。
 わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
 それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上まで積《つ》もっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりを照《て》らすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
 かわいそうな犬どもを、その運命《うんめい》のままに任《まか》せるということは、どんなに情《なさ》けないことであったろう。
 ――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになにより困《こま》ったことは、それがわたしの責任《せきにん》だということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
 親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとに続《つづ》きながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
 雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
 こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだは勢《いきお》いよく燃《も》え上がって、小屋のすみずみの暗い所まで照《て》らしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた毛布《もうふ》はたき火の前にぬぎ捨《す》ててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしも呼《よ》んだ。けれどかれは出て来なかった。
 親方の言うには、かれの目を覚《さ》ましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。燃《も》えているたいまつを雪の積《つ》もった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手がかりもなかった。
 どこかたばねたまきのかげにでもかくれているのではないかと思って、わたしたちはまた小屋へ帰って、しばらく探《さが》し回った。いく度もいく度も同じすみずみを探した。
 わたしは親方の肩《かた》に上って、屋根に葺《ふ》いてあるえだたばの中を探してみた。二度も三度も呼《よ》んでみた。けれどもなんの返事もなかった。
 親方はぷりぷりかんしゃくを起こしているようであった。わたしはがっかりしていた。
 わたしは親方に、おおかみがかれまでも取って行ったのではないかとたずねた。
「いいや」とかれは言った。「おおかみは小屋の中までははいっては来なかっただろう。ゼルビノとドルスは外へ出たところをくわえられたかと思うが、この中までははいって来られまい。たぶんジョリクールはこわくなって、わたしたちの外に出ているあいだにどこへかかくれたにちがいない。それをわたしは心配するのだ。このひどい寒さでは、きっとかぜをひくであろう。寒さがあれにはなにより効《き》くのだから」
「じゃあどんどん探《さが》してみましょうよ」
 わたしたちはまたそこらを歩き回った。けれどまるでむだであった。
「夜の明けるまで待たなければならない」と親方が言った。
「どのくらいで明けるでしょう」
「二時間か三時間だろう」
 親方は両手で頭をおさえてたき火の前にすわっていた。
 わたしはそれをじゃまする勇気《ゆうき》がなかった、わたしはかれのわきにつっ立って、ただときどき火の中にえだをくべるだけであった。一、二度かれは立ち上がって戸口へ行って、空をながめてはじっと耳をかたむけたが、また帰って来てすわった。
 わたしはかれがそんなふうにだまって悲しそうにしていられるよりも、かまわずわたしにおこりつけてくれればいいと思った。
 三時間はのろのろ過《す》ぎた。その長いといったら、とても夜がおしまいになる時がないのかと思われた。
 でも星の光がいつか空からうすれかけていた。空がだんだん明るく、夜が明けかかっていた。けれども明け方に近づくに従《したが》って、寒さはいよいよひどくなった。戸口からはいって来る風が骨《ほね》までこおるようであった。
 これでジョリクールを見つけたとしても、かれは生きているだろうか。
 見つけ出す希望《きぼう》がほんとにあるだろうか。
 きょうもまた雪が降《ふ》りださないともかぎらない。
 でも雪はもう来なかった。そして空にばら色の光がさして、きょうの好天気《こうてんき》を予告《よこく》するようであった。
 すっかり明るくなって、樹木《じゅもく》の形がはっきり見えるようになった。親方もわたしもがっかりして、棒《ぼう》をかかえて小屋を出た。
 カピはもうゆうべのようにびくついてはいないようであった。目をしっかり親方にすえたまま、いつでも合図しだいでかけ出す仕度をしていた。
 わたしたちが下を向いてジョリクールの足あとを探《さが》し回っていると、カピが首を上に上げてうれしそうにほえ始めた。かれはわたしたちに地べたではなく、上を見ろといって合図をしたのであった。
 小屋のわきの大きなかしの木のまたで、わたしたちはなにか黒い小さなもののうごめく姿《すがた》を見つけた。
 これがかわいそうなジョリクールであった。夜中に犬のほえる声におびえて、かれはわたしたちが出ているまに、小屋の屋根によじ上った。そしてそこから一本のかしの木のてっべんに登って、そこを安全な場所と思って、わたしたちの呼《よ》ぶ声にも答えず、じっとからだをかがめてすわっていたのであった。
 かわいそうな弱い動物。かれはこごえてしまったにちがいない。
 親方がかれを優《やさ》しく呼《よ》んだ。かれは動かなかった。わたしたちはかれがもう死んでいると思った。
 数分間親方はかれを続《つづ》けさまに呼んだ。けれどさるはもう生きているもののようではなかった。
 わたしの心臓《しんぞう》は後悔《こうかい》で痛《いた》んだ。どれほどひどく罰《ばっ》せられたことだろう。
 わたしはつぐないをしなければならない。
「登ってつかまえて来ましょう」とわたしは言った。
「危《あぶ》ないよ」
「いいえ、だいじょうぶです。わけなくできますよ」
 それはほんとうではなかった。それは危険《きけん》でむずかしい仕事であった。大きなこの木は氷と雪をかぶっているので、それはずいぶん困難《こんなん》な仕事であった。
 わたしはごく小さかったじぶんから木登りをすることを習った。それでこの術《じゅつ》には熟練《じゅくれん》していた。わたしはとび上がって、いちばん下のえだにとびついた。そして木のえだをすけて雪が落ちて日の中にはいって来たが、でもどうやら木の幹《みき》をよじて、いちばんしっかりしたえだに手がかかった。ここまで登れば、あとは足をふみはずさないように気をつければよかった。
 わたしは登りながら、優《やさ》しくジョリクールに話しかけた。かれは動かないで、目だけ光らせてわたしを見ていた。
 わたしはほとんど手の届《とど》く所へ来て、手をのばしてつかまえようとした。するとひょいとかれはほかのえだにとびついてしまった。
 わたしはそのえだまでかれを追っかけたけれど、人間の情《なさ》けなさ、子どもであっても、木登りはさるにはかなわなかった。
 これでさるの足が雪でぬれていなかったら、とてもかれをつかまえることはできそうもなかった。かれは足のぬれることを好《この》まなかった。それでじきにわたしをからかうのがいやになって、えだからえだへととび下りて、まっすぐに主人の肩《かた》にとび下りた。そして上着の裏《うら》にかくれた。
 ジョリクールを見つけるのはたいへんなことであったがそれだけではすまなかった。今度は犬を探《さが》さなければならなかった。
 もうすっかり昼になっていた。わけなくゆうべの出来事のあとをたどることができた。雪の中でわたしたちは犬の死んだことがわかった。
 わたしたちは十|間《けん》(約十八メートル)ばかりかれらの足あとをつけることができた。かれらは続《つづ》いて小屋からぬけ出した。ドルスが、ゼルビノのあとに続《ぞく》いた。
 それからほかのけものの足あとが見えた。一方にはおおかみどもは犬にとびかかって、はげしく戦《たたか》ったしるしが残《のこ》っていた。こちらにはおおかみがえものをつかんでゆっくり食べて歩いて行った足あとが残っていた。もうそこには、そこここに赤い血が雪の上にこぼれているほかには、犬のあとはなにも残っていなかった。
 かわいそうな二ひきの犬は、わたしのねむっているあいだに死にに行ったのであった。
 でもわたしたちはできるだけ早く帰って、ジョリクールを温めてやらなければならなかった。わたしたちは小屋へ帰った。親方がさるの足と手を持って、赤んぼうをおさえるようにして、たき火にかざすと、わたしは毛布《もうふ》を温めて、その中へ転《ころ》がす仕度をした。けれども毛布ぐらいでは足りなかった。かれは湯たんぽと温かい飲み物を求《もと》めていた。
 親方とわたしはたき火のそばにすわって、だまってまきの燃《も》えるのをながめた。
「かわいそうに、ゼルビノは。かわいそうに、ドルスは」
 わたしたちは代わりばんこにこんなことばをつぶやいた。初《はじ》めに親方が、つぎにはわたしが。
 あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、道連《みちづ》れであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
 わたしがしっかり見張《みは》りをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
 どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
 けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。


     ジョリクール氏《し》

 夜明けまえの予告《よこく》はちがわなかった。
 日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえの晩《ばん》あれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
 たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
 かれの血管《けっかん》の中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
 毛布《もうふ》はよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐ胸《むね》に当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
 小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い宿代《やどだい》をはらった」
 こう言ったかれの声はふるえた。
 かれは先に立って行った。わたしはその足あとに続《つづ》いた。わたしたちが二、三|間《げん》(四〜六メートル)行くと、カピを呼《よ》んでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、仲間《なかま》がおおかみにとられて行った場所に向けていた。
 大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その御者《ぎょしゃ》はもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは困難《こんなん》でもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
 たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
 やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な宿屋《やどや》にとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、同勢《どうぜい》残《のこ》らずとめてくれそうな木賃宿《きちんやど》を選んだ。
 ところが今度は親方がきれいな看板《かんばん》のかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る赤銅《あか》のなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが空腹《くうふく》な旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
 親方は例《れい》のもっとも『紳士《しんし》』らしい態度《たいど》を用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》にいいねどこと暖《あたた》かい火を求《もと》めた。初《はじ》めは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを圧迫《あっぱく》した。かれは女中に言いつけて、わたしたちを一間《ひとま》へ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている最中《さいちゅう》わたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
 でも親方がくり返した。
 服従《ふくじゅう》するよりほかにしかたがなかった。寝台《ねだい》の上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
 わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
 わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうと骨《ほね》を折《お》っているとき、親方はジョリクールを丸《まる》くして、まるで蒸《む》し焼《や》きにして食べるかと思うほど火の上でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで寝台《ねだい》のそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしの胸《むね》にくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると反抗《はんこう》するくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもう冷《つめ》たくはなかった。かれのからだは焼《や》けるようだった。
 台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようと試《こころ》みたけれど、小ざるは歯《は》を食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分を責《せ》めてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下から片《かた》うでを出して、わたしたちのほうへさし延《の》べた。
 わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう説明《せつめい》してくれた。
 わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは肺炎《はいえん》にかかったことがあった。それでかれのうでに針《はり》をさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた刺絡《しらく》(血を出すこと)してもらって、先《せん》のようによくなりたいと思うのであった。
 かわいそうな小ざる。親方はこれだけの所作《しょさ》で深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほど好《す》きな砂糖《さとう》入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者を呼《よ》んで来る」
 わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを白状《はくじょう》しなければならない。それにわたしはたいへん腹《はら》が減《へ》っていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
 親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた紳士《しんし》――お医者を連《つ》れて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「充血《じゅうけつ》だ」と言った。
 かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
 うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
 わたしは少し毛布《もうふ》を上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首に巻《ま》きつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしを連《つ》れ出したか」
 親方はなかなか容易《ようい》なことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかも例《れい》の大《おお》ふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは事情《じじょう》を説明《せつめい》して、ふぶきの中に閉《と》じこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、仲間《なかま》でありますか。どうしてこれほどのふしぎな才能《さいのう》を持った動物をただの獣医《じゅうい》やなどに任《まか》されるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の標札《ひょうさつ》の出ているドアの呼《よ》びりんをおせば、知識《ちしき》があり慈愛《じさい》深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、博物学者《はくぶつがくしゃ》に従《したが》えば、かれらはひじょうに人類《じんるい》に近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも興味《きょうみ》のあることではないでしょうか」
 こういうふうに説《と》かれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
 ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり刺絡《しらく》していただくつもりでいます」
 これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい実験《じっけん》だ」とかれはつぶやいた。
 一とおり診察《しんさつ》して、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり肺炎《はいえん》にかかっていることを告《つ》げた。医者はさるの手を取って、その血管《けっかん》に少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっと治《なお》ると思った。刺絡《しらく》をすませて、医者はいろいろと薬剤《やくざい》にそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけに従《したが》って、看護婦《かんごふ》を務《つと》めていた。
 かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしを好《す》いていた。かれはわたしの顔を見てさびしく笑《わら》った。かれの顔つきはひじょうに優《やさ》しかった。
 いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく従順《じゅうじゅん》であった。
 その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかを示《しめ》そうと努《つと》めた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの犠牲《ぎせい》であったカピに対してすらそうであった。
 肺炎《はいえん》のふつうの経過《けいか》として、かれはまもなくせきをし始めた、この発作《ほっさ》のたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
 わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに麦菓子《むぎがし》を買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
 かれのするどい本能《ほんのう》で、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへん好《す》きな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
 かれのこのくわだてをわたしが見破《みやぶ》ると、もちろん麦菓子《むぎがし》をやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは哀願《あいがん》するような目つきでそれを求《もと》めた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手を胸《むね》の上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれの額《ひたい》の青筋《あおすじ》がにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
 わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに宿屋《やどや》に残《のこ》っていた。ある朝かれが帰って来ると、宿《やど》の亭主《ていしゅ》がとどこおっている宿料《しゅくりょう》を要求《ようきゅう》したことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれが初《はじ》めてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところに残《のこ》っていないことを話した。
 こうなってただ一つ残《のこ》った手だてとしては、今夜さっそく一|興行《こうぎょう》やるほかにないとかれは考えていた。
 ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
 それができてもできなくても、どう少なく見積《みつ》もってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気は治《なお》してやらなければならないし、部屋《へや》には火がなければならないし、薬も買わなければならないし、宿《やど》にもはらわなければならない。いったん借《か》りている物を返せば、あとはまた貸《か》してもくれるだろう。
 この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない一座《いちざ》でなにができよう。
 わたしが、ジョリクールといっしょに宿《やど》に待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ野天《のてん》で興行《こうぎょう》するなんということはこの寒さにできない相談《そうだん》であった。かれは広告《こうこく》のびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三|枚《まい》の板でかれは舞台《ぶたい》をこしらえたりした。そして思い切って残《のこ》りの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二|倍《ばい》に使うくふうをした。
 わたしたちの部屋《へや》の窓《まど》から見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
 わたしはすぐにこの問題を解《と》くことができた。というのは、そのとき村の広告屋《こうこくや》が赤いぼうしをかぶってやって来て、宿屋《やどや》の前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
 その口上《こうじょう》を聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な芸人《げいにん》が出る――それはカピのことであった――それから『希世《きせい》の天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
 それはいいとして、この山勘口上《やまかんこうじょう》で第一におもしろいことは、この興行《こうぎょう》に決まった入場料《にゅうじょうりょう》のなかったことであった。われわれは見物の義侠心《ぎきょうしん》に信頼《しんらい》する。見物は残《のこ》らず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもお志《こころざし》しだいにはらえばいいというのである。
 これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんな音《ね》が出るのだ。
 たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった最中《さいちゅう》であったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、芝居《しばい》の始まる知らせであるということをさとったようであった。
 わたしは無理《むり》にかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれは例《れい》のイギリスの大将《たいしょう》の軍服《ぐんぷく》――金筋《きんすじ》のはいった赤い上着とズボン、それから羽根《はね》のついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜|芝居《しばい》するなんという考えを捨《す》てなければならないことを納得《なっとく》させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
 親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行《こうぎょう》に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求《せいきゅう》を始めた。かれは自分の希望《きぼう》を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居《しばい》がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを示《しめ》すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを連《つ》れ出せば、いよいよかれを殺《ころ》すほかはないことをよく知っていた。
 わたしたちはもう出て行く時刻《じこく》になった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを毛布《もうふ》の中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
 雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん一座《いちざ》の主《おも》な役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
 四十フラン。おそろしいことであった。できない相談《そうだん》であった。
 親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ芝居《しばい》のすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
 わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいったとき、広告屋《こうこくや》はたいこをたたいて、最後《さいご》にもう一度村の往来《おうらい》を一めぐりめぐり歩いていた。
 カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
 たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、広告屋《こうこくや》は芝居小屋《しばいごや》の入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に位置《いち》をしめた。こうなると見物はただ、中にはいって場席《ばせき》を取れば、芝居《しばい》は始められるのであった。
 おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴り続《つづ》けていた。村じゅうの子どもは残《のこ》らず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない紳士《しんし》が来てくれなければならなかった。
 とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
 わたしはまずまっ先に現《あらわ》れて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく貧弱《ひんじゃく》だった。わたしは自分を芸人《げいにん》だとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい冷淡《れいたん》さがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った名誉《めいよ》のためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を興奮《こうふん》させ、かれらを有頂天《うちょうてん》にさせようと願《ねが》っていたことだろう……けれども見物席《けんぶつせき》はがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『希世《きせい》の天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
 でもカピは評判《ひょうばん》がよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで興行《こうぎょう》が割《わ》れるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、足拍子《あしびょうし》をふみ鳴らした。
 いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の伴奏《ばんそう》でイスパニア舞踏《ぶとう》をおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな態度《たいど》を示しながら、この問題がしじゅうわたしの胸《むね》を打った。
 わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどり続《つづ》けた。かれはあわてなかった。一|枚《まい》の銀貨《ぎんか》ももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
 いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
 わたしはおどり続《つづ》けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
 親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「紳士《しんし》ならびに貴女《きじょ》がた。じまんではございませんが、本夕《ほんせき》はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく演《えん》じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も燃《も》えつきませんことゆえ、みなさまのお好《この》みに任《まか》せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座《いちざ》のカピ丈《じょう》はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀《しゅうぎ》をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を願《ねが》いたてまつります」
 親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその晩《ばん》歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を選《えら》んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王《ししおう》の歌であった。
 わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台《ぶたい》のすみに引っこんでいた。
 そのなみだの霧《きり》の中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていた若《わか》いおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった百姓《ひゃくしょう》たちとちがっていることを見つけた。かの女は若《わか》い美しい貴婦人《きふじん》で、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもを連《つ》れていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによく似《に》ているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
 初《はじ》めの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
 親方が第二の曲をすませたとき、かの女は手招《てまね》きをしてわたしを呼《よ》んだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
 わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの婦人《ふじん》がなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
 そうは言いながら、かれは行くことにして、犬を連《つ》れて行った。わたしもかれらのあとに続《つづ》いた。そのとき一人の僕《ぼく》(下男)が出て来て、ちょうちんと毛布《もうふ》を持って来た。かれは婦人《ふじん》と子どものわきに立っていた。
 親方は冷淡《れいたん》に婦人《ふじん》にあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、お祝《いわ》いを申し上げたいと思いました」
 でも親方は一|言《ごん》も言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの技術《ぎじゅつ》の天才にはまったく感動いたしました」
 技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの見世物師《みせものし》が。わたしはあっけにとられた。
「わたしのような老《お》いぼれになんの技術《ぎじゅつ》がありますものか」とかれは冷淡《れいたん》に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人《ふじん》はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心《こうきしん》を満足《まんぞく》させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも若《わか》いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男《げなん》でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして覚《おぼ》えたのですね。それだけのことです」
 婦人《ふじん》は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨《きんか》を一|枚《まい》落とした。
 わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危《あぶ》なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂《た》らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘《わす》れていた。すぐ行ってやろう」
 わたしはそうそうに切り上げて、宿《やど》へ帰った。
 わたしはまっ先に宿屋《やどや》のはしごを上がって部屋《へや》へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
 わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
 やがてかれが陸軍大将《りくぐんたいしょう》の軍服《ぐんぷく》を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布《もうふ》の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
 わたしはからだをかがめて、優《やさ》しくかれの手を取って引き起こそうとした。
 その手はもう冷《つめ》たかった。
 親方がそのとき部屋にはいって来た。
 わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールが冷《つめ》たいんですよ」とわたしは言った。
 親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン夫人《ふじん》の所から無理《むり》に連《つ》れて来たのは悪かった。わたしは罰《ばっ》せられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」


     パリ入り

 まだパリからはよほどはなれていた。
 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から晩《ばん》まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。続《つづ》いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の気《け》のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな胃《い》ぶくろをかかえて歩き続《つづ》けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿《すがた》が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ連《つ》れて行くのであろう。
 沈黙《ちんもく》はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい舌《した》が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、優《やさ》しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに愛《あい》し合っていた。
 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間《なかま》をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣《しゅうかん》の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座《いちざ》の仲間《なかま》が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前《いぜん》一座の部長であったとき、座員を前にやり過《す》ごして、いちいち点呼《てんこ》する習慣《しゅうかん》があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情《かんじょう》とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす種《たね》にはなった。
 行く先ざきの野面《のづら》はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い灰《はい》色の空であった。畑《はた》をうつ百姓《ひゃくしょう》のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に飢《う》えたからすが、こずえの上で虫を探《さが》しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと静《しず》まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は炉《ろ》のすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置《ものお》き小屋《ごや》でこそこそ仕事をしていた。
 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯《ばんめし》にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい晩《ばん》であった。ちょうど雌《め》ひつじが子どもに乳《ちち》を飲ませる時節《じせつ》で、ひつじ飼《か》いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを許《ゆる》してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、腹《はら》が減《へ》って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は例《れい》のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの乳《ちち》が好《す》きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の効《き》き目《め》がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩《ひとばん》が過《す》ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの乳《ちち》を好《す》いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿《てん》がそこにもここにも建《た》っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気《ゆうき》がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
 それはある大きな村から遠くない百姓家《ひゃくしょうや》にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来《おうらい》の標柱《ひょうちゅう》でわかった。
 さてわたしたちは日の出ごろ宿《やど》をたって、別荘《べっそう》のへいに沿《そ》って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には果《は》てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物《たてもの》のかげが見えた。
 わたしはいっしょうけんめい目を見張《みは》って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼《しょうろう》や塔《とう》などのごたごたした正体を見きわめようと努《つと》めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを続《つづ》けるというふうで、
「これからわたしたちの身の上も変《か》わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色《こんじき》にかがやく光が目にはいったように思った。
 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら別《わか》れようと思う」とかれはとつぜん言った。
 すぐに空はまた暗《くら》くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現《あらわ》していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「別《わか》れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久《ひさ》しくわたしはこんな優《やさ》しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸《ふしあわ》せな人間であったよ」
 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸《ふこう》なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別《わか》れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨《す》てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利《けんり》がないのだ。それは覚《おぼ》えておいで。わたしはあの優《やさ》しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務《ぎむ》ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別《わか》れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候《じこう》の悪い二、三か月だけも別《わか》れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座《いちざ》では、パリにいてもなにができよう」
 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊《ぐんたい》風の敬礼《けいれい》をして、それを胸《むね》に置《お》いて、あたかもわたしたちはかれの誠実《せいじつ》に信頼《しんらい》することができるというようであった。親方は犬の頭に優《やさ》しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良《ぜんりょう》な忠実《ちゅうじつ》な友だちだ。けれど情《なさ》けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人《ろうじん》がたった一人、男の子を連《つ》れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老《お》いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨《ほね》でも折《お》れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情《なさ》けないありさまにもなってはいない。それにお上《かみ》の救助《きゅうじょ》を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間《なかま》に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告《こうこく》をさえすれば欲《ほ》しいだけの弟子《でし》は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気《ゆうき》と忍耐《にんたい》が必要《ひつよう》だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間《あい》の時節《じせつ》ばかり通って来た。春になればだんだん境遇《きょうぐう》も楽になる。そこでわたしはおまえを連《つ》れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人《ふじん》とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望《のぞ》みはじゅうぶんある」
 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
 わたしたちは別《わか》れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
 流浪《るろう》のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷《ざんこく》であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔《よ》っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化《へんか》であった。初《はじ》めが養母《ようぼ》、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛《あい》して、その人といっしょにいることのできる相手《あいて》を見つけることができないのであろうか。
 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独《ひと》りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気《ゆうき》を持て」とわたしに求《もと》めた。わたしはこのうえかれに苦労《くろう》を加《くわ》えることを望《のぞ》まなかった。けれどつらいことであった。かれと別《わか》れるのはまったくつらいことであった。
 かれも重ねてわたしに泣《な》きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続《つづ》いた。
 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積《つ》もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
 橋のたもとからは、村|続《つづ》きでせまい宿場《しゅくば》があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散《ち》らばっていた。往来《おうらい》には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄《よ》りそって歩いた。カピは後からついて来た。
 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果《は》てしのない長い町の中にはいった。両側《りょうがわ》には見わたすかぎり家が建《た》てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比《くら》べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家《こいえ》ばかりであった。
 雪がほうぼうにうず高く積《つ》み上げられていて、黒く固《かた》まったかたまりの上に、灰《はい》やくさった野菜《やさい》や、いろいろのきたない廃物《はいぶつ》が投げ捨《す》てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別《わか》れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。


     ルールシーヌ街《まち》の親方

 いま、わたしのぐるりを取《と》り巻《ま》いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇《こうき》のの目を見張《みは》って新しい周囲《しゅうい》を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘《わす》れるくらいであった。
 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼《おさな》い夢想《むそう》とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固《かた》まったいうす黒いどろが、荷車の輪《わ》にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板《あついた》のようにへばりついていた。確《たし》かにパリはボルドーにもおよばなかった。
 これまで通って来た町に比《くら》べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例《れい》のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋《いざかや》の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
 町の角には、ルールシーヌ街《まち》と書いた札《ふだ》が打ってあった。
 親方は案内《あんない》を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来《おうらい》の人の群《む》れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄《よ》りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿《すたが》を見失《みうしな》わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要《ひつよう》がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
 わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]をドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段《かいだん》を上がりながら親方はこう言った。その階段《かいだん》は厚《あつ》いどろがこちこちに積《つ》もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。街《まち》といい、家といい、はしご段《だん》といい、いよいよわたしを安心させる性質《せいしつ》のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
 四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉《こくもつぐら》のような大きな屋根裏《やねうら》の部屋《へや》にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台《ねだい》みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
 かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋《へや》にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
 こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体《どうたい》がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと優《やさ》しみの表情《ひょうじょう》、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情《どうじょう》をふくんで、相手《あいて》の目をひきつけずにはおかないのであった。
「確《たし》かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯《ひるめし》の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
 わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは例《れい》の服従《ふくじゅう》の習慣《しゅうかん》から、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
 親方の重い足音がもうはしご段《だん》の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが好《す》きなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
 子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を続《つづ》けるのを好《この》まないように炉《ろ》のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ寄《よ》ると、このなべがなんだか変《か》わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな管《くだ》がつき出して、蒸気《じょうき》がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には錠《じょう》がかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用《しんよう》しないのだ」
 わたしはほほえまずにはいられなかった。
 するとかれは悲しそうに言った。
「きみは笑《わら》うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇《きょうぐう》だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、腹《はら》が減《へ》っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それが罰《ばつ》なんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年は続《つづ》けた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得《こころえ》になることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょに連《つ》れて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量《きりょう》がいいのだからね。お金をもうけるには不器量《ぶきりょう》ではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドが好《す》きで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹に別《わか》れるのはどんなにつらかったろう。
 ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさん置《お》いてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。働《はたら》くだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来《おうらい》で見世物に出させて、毎晩《まいばん》三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足《ふそく》があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん骨《ほね》が折《お》れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい痛《いた》いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人|仲間《なかま》にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩《まいばん》きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛《いた》いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効《き》き目《め》がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩《まいばん》ぼくの晩飯《ばんめし》のいもを減《へ》らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固《かた》いが、胃《い》ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来《おうらい》の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足《まんぞく》させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡《な》くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続《つづ》いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢《う》えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯《ばんめし》にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯《ひるめし》にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋《みずがしや》にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯《ばんめし》をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを初《はじ》めて知った。それからはぼくにうちで留守番《るすばん》させて、このスープの見張《みは》りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜《やさい》をなべに入れて、ふたに錠《じょう》をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは腹《はら》は張《は》らない。どうしてよけい空腹《くうふく》になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには鏡《かがみ》もないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑《びしょう》をふくんで言った。「ひどく加減《かげん》が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう腹《はら》を減《へ》らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸《ふしあわ》せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理《むり》にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を続《つづ》けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく痛《いた》むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり泣《な》いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは先《せん》に慈恵病院《じけいびょういん》にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子《かし》をいつも入れているし、看護婦《かんごふ》の尼《あま》さんたちがそれは優《やさ》しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、舌《した》をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
 かれはそばへ寄《よ》って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実《しんじつ》をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の気《け》のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを好《この》まなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓《しょくたく》のほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは損《そん》だからね。なにしろこのごろいただくげんこは先《せん》よりもずっと効《き》くからね。人間はなんでも慣《な》れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
 びっこひきひきかれは食卓《しょくたく》の回りを回って、さらやさじならべた。勘定《かんじょう》すると二十|枚《まい》さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台《ねだい》は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布《もうふ》はうまやから、もう古くなって馬が着ても暖《あたた》かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもを置《お》く所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋《へや》の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木《ふるざいもく》を持っていた。わたしはガロフォリの炉《ろ》にたかれている古材木の出所と値段《ねだん》もわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ寄《よ》って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木《ざいもく》をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足《ふそく》の代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。順《じゅん》ぐりにやられるんだ」
 マチアはそう機械的《きかいてき》に言って、あたかもこの子どもも罰《ばっ》せられると思うのがかれに満足《まんぞく》をあたえるもののようであった。わたしはかれの優《やさ》しい悲しそうな目のうちに、険《けわ》しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに似《に》てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台《ねだい》の上のくぎにかけた。音楽師《おんがくし》でなく、ただ慣《な》らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
 それから重い足音がはしご段《だん》にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上《こうじょう》をかれに伝《つた》えた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打《ねう》ちを知っている。要《い》らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
 ガロフォリが部屋《へや》にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに席《せき》をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト帽《ぼう》をとって、ていねいに寝台《ねだい》の上に置《お》くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀《ぎょうぎ》よさをもって、寺小姓《てらこしょう》が和尚《おしょう》さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを炉《ろ》の中に投げこんだ。
 この罪人《ざいにん》はあわてて過失《かしつ》をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく燃《も》やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ笑《わら》いをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすに納《おさ》まって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意《こうい》であった。
 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初《はじ》めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー貸《か》してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑《とうわく》を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「言《い》い訳《わけ》をしなさんな。規則《きそく》は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着《おうちゃく》の罰《ばつ》に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結《むす》び目《め》のある皮ひもの二本ついた、柄《え》の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現《あらわ》した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑《びしょう》を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間《なかま》のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷《ざんこく》なじょうだんを開いて、みんな無理《むり》に笑《わら》わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなは例《れい》の大きな材木《ざいもく》を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒《ぼう》でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面《つら》をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木《ざいもく》は」と子どもがさけんだ。
「晩飯《ばんめし》の代わりにきさまにやるわ」
 この残酷《ざんこく》なじょうだんが罰《ばっ》せられないはずの子どもたちみんなを笑《わら》わせた。それからほかの子どもたちも一人一人|勘定《かんじょう》をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者《ぎせいしゃ》が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働《はたら》くのだ」
 かれは炉《ろ》のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰《ちょうばつ》を見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中《せなか》を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚《はだ》に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘《わす》れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「人情《にんじょう》のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党《あくとう》ではない。きさまらは仲間《なかま》が苦しんでいるところを見て笑《わら》っている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲《ぎせい》はひいひい泣《な》き声《ごえ》を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに情《なさ》けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲《ぎせい》に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき破《やぶ》るのだ。ちっとはおれの苦しい心も察《さっ》して、気のどくに思うがいい。だからこれから泣《な》き声《ごえ》を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも情《なさ》けや恩《おん》を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲《ぎせい》の背中《せなか》でくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責《かしゃく》を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
 人目でかれはなにもかも了解《りょうかい》した。かれははしご段《だん》を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ寄《よ》って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令《めいれい》した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「この老《お》いぼれめ。よけいな世話を焼《や》くな」とガロフォリが急に調子を変《か》えてさけんだ。
「警察《けいさつ》ものだぞ」とヴィタリスが反抗《はんこう》した。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴《らんぼう》な相手《あいて》の気勢《きせい》にはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざ笑《わら》った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察《けいさつ》に関係《かんけい》はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を引《ひ》っ張《ぱ》った。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は笑《わら》いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご段《だん》を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄《じごく》の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
[#地から1字上げ](つづく)



底本:「家なき子(上)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ