青空文庫アーカイブ

家なき子
SANS FAMILLE
(下)
マロ Malot
楠山正雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)往来《おうらい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|銭《せん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+欣」、第3水準1-87-48]
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     ジャンチイイの石切り場

 わたしたちはやがて人通りの多い往来《おうらい》へ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくあるせまい小路《こうじ》へはいると、かれは往来の捨《す》て石《いし》にこしをかけて、たびたび額《ひたい》を手でなで上げた。それは困《こま》ったときによくかれのするくせであった。
「いよいよ慈善家《じぜんか》の世話になるほうがよさそうだな」とかれは独《ひと》り言《ごと》のように言った。「だがさし当たりわたしたちは一|銭《せん》の金も、一かけのパンもなしに、パリのどぶの中に捨《す》てられている……おまえおなかがすいたろう」とかれはわたしの顔を見上げながらたずねた。
「わたしはけさいただいた小さなパンだけで、あれからなにも食べませんでした」
「かわいそうにおまえは今夜も夕食なしにねることになるのだ。しかもどこへねるあてもないのだ」
「じゃあ、あなたはガロフォリのうちにとまるつもりでしたか」
「わたしはおまえをあそこへとめるつもりだった。それであれが冬じゅうおまえを借《か》りきる代わりに、二十フランぐらいは出そうから、それでわしもしばらくやってゆくつもりだった。けれどあの男があんなふうに子どもらをあつかう様子を見ては、おまえをあそこへは置《お》いて行けなかった」
「ああ、あなたはほんとにいい人です」
「まあ、たぶんこの年を取って固《かた》くなった流浪人《るろうにん》の心にも、まだいくらか若《わか》い時代の意気が残《のこ》っているとみえる。この年を取った流浪人はせっかく狡猾《こうかつ》に胸算用《むなざんよう》を立てても、まだ心の底《そこ》に残っている若い血がわき立って、いっさいを引っくり返してしまうのだ……さてどこへ行こうか」とかれはつぶやいた。
 もうだいぶおそくなって、ひどく寒さが加《くわ》わってきた。北風がふいてつらい晩《ばん》が来ようとしていた。長いあいだ、親方は石の上にすわっていた。カピとわたしはだまってその前に立って、なんとか決心のつくまで待っていた。とうとうかれは立ち上がった。
「どこへ行くんです」
「ジャンチイイ。そこでいつかねたことがある石切り場を見つけることにしよう。おまえつかれているかい」
「ぼくはガロフォリの所で休みました」
「わたしは休まなかったので、どうもつらい。あまり無理《むり》はできないが、行かなければなるまい。さあ前へ進め、子どもたち」
 これはいつもわたしたちが出発するとき、犬やわたしに向かって用いるかれの上きげんな合図であった。けれど今夜はそれをいかにも悲しそうに言った。
 いまわたしたちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたきながら、ガス燈《とう》がぼんやり往来《おうらい》を照《て》らしていた。一足ごとにわたしたちは氷のはったしき石の上ですべった。親方がしじゅうわたしの手を引いていた。カピがわたしたちのあとからついて来た。しじゅうかわいそうな犬は立ち止まって、ふり返っては、はきだめの中を探《さが》して、なにか骨《ほね》でもパンくずでも見つけようとした。ああ、ほんとにそれほど腹《はら》を減《へ》らしているのだ。けれどはきだめは雪が固《かた》くこおりついていて、探《さが》しても、むだであった。耳をだらりと下げたままかれはとぼとぼとわたしたちに追い着いて来た。
 大通りをぬけて、たくさんの小路《こうじ》小路を出ると、またたくさんの大通りがあった。わたしたちは歩いて歩いて歩き続《つづ》けた。たまたま会う往来《おうらい》の人がびっくりしてわたしたちをじろじろ見た。それはわたしたちの身なりのためであったか、わたしたちがとぼとぼ歩いて行くつかれきった様子が、かれらの注意をひいたのであろうか。行き会う巡査《じゅんさ》もふり向いてわたしたちを見送った。
 ひと言も口をきかずに親方は歩いた。かれの背中《せなか》はほとんど二重《ふたえ》に曲がっていたが、寒いわりにかれの手はわたしの手の中でかっかとしていた。かれはふるえていたように思われた。ときどきかれが立ち止まって、しばらくわたしの肩《かた》によりかかるようにするときには、かれのからだ全体がふるえて、いまにもくずれるように感じた。いつもならわたしはかれに問いかけることはしなかったが、今夜こそはしなければならないと感じた。それにわたしは、どれほどかれを愛《あい》しているかを語りたい燃《も》えるような希望《きぼう》を、いや少なくとも、なにかかれのためにしてやりたい希望を持っていた。
「あなたはご病気なんでしょう」かれがまた立ち止まったとき、わたしは言った。
「どうもそうではないかと思うよ。とにかくわたしはひじょうにつかれている。この寒さがわたしの年を取ったからだにはひどくこたえる。わたしはいいねどこと炉《ろ》の前で夕飯《ゆうはん》を食べたい。だがそれはゆめだ。さあ、前へ進め、子どもたち」
 前へ進め。わたしたちは町を後にした。わたしたちは郊外《こうがい》へ出ていた。もう往来《おうらい》の人も巡査《じゅんさ》も街燈《がいとう》も見えない。ただ窓明《まどあ》かりがそこここにちらちらして、頭の上には黒ずんだ青空に二、三点星が光っているだけであった。いよいよはげしくあらくふきまくる風が着物をからだに巻《ま》きつけた。幸いと向かい風ではなかったが、でもわたしの上着のそでは肩《かた》の所までぼろばろに破《やぶ》れていたから、そのすきから風はえんりょなくふきこんで、骨《ほね》まで通るような寒気が身にこたえた。
 暗かったし、往来《おうらい》はしじゅうたがいちがいに入り組んでいたが、親方は案内《あんない》を知っている人のようにずんずん歩いた。それでわたしも迷《まよ》うことはないとしっかり信《しん》じて、ついて行った。するととつぜんかれは立ち止まった。
「おまえ、森が見えるかい」とかれはたずねた。
「そんなものは見えません」
「大きな黒いかたまりは見えないかい」
 わたしは返事をするまえに四方を見回した。木も家も見えなかった。どこもかしこもがらんと打ち開いていた。風のうなるほかになんの物音も聞こえなかった。
「わたしがおまえだけに目が見えるといいのだがなあ。ほら、あちらを見てくれ」かれは右の手を前へさし延《の》べた。わたしはそっけなくなにも見えないとは言いかねて、返事をしなかったので、かれはまたよぼよぼ歩き出した。
 二、三分だまったまま過《す》ぎた。そのときかれはもう一度立ち止まっては、また森が見えないかとたずねた。ばくぜんとした恐怖《きょうふ》に声をふるわせながら、わたしはなにも見えないと答えた。
「おまえこわいものだから目が落ち着かないのだ。もう一度よくご覧《らん》」
「ほんとうです。森なんか見えません」
「広い道もないかい」
「なんにも見えません」
「道をまちがえたかな」
 わたしはなにも言えなかった。なぜならわたしはどこにいるのかもわからなかったし、どこへ行くのだかもわからなかったから。
「もう五分ばかり歩いてみよう。それでも森が見えなかったら、ここまで引っ返して来よう。ことによると道をまちがえたかもわからん」
 わたしたちが道に迷《まよ》ったことがわかると、もうからだになんの力も残《のこ》らないように思われた。親方はわたしのうでを引《ひ》っ張《ぱ》った。
「さあ」
「ぼくはもう歩けません」
「いやはや、おまえはわたしがおまえをしょって行けると思うかい。わたしはすわったらもう二度と立ち上がることはできないし、そのまま寒さにこごえて死んでしまうだろうと思うからだ」
 わたしはかれについて歩いた。
「道に深い車の輪《わ》のあとがついてはいないか」
「いいえ、なんにも」
「じゃあ引っ返さなきゃならない」
 わたしたちは引っ返した。今度は風に向かうのである。それはむちのようにぴゅうと顔を打った。わたしの顔は火で焼《や》かれるように思われた。
「車の輪《わ》のあとを見たら言っておくれ。左のほうへ分かれる道をとって行かなければならない」と親方は力なく言った。「それが見えたら言っておくれ。そこの四つ角に円い頭のような形のいばらがある」
 十五分ばかりわたしたちは風と争《あらそ》いながら歩み続《つづ》けた。しんとした夜の沈黙《ちんもく》の中でわたしたちの足音がかわいた固《かた》い土の上でさびしくひびいた。もうふみ出す力はほとんどなかったが、でも親方を引きずるようにしたのはわたしであった。どんなにわたしは左のほうを心配してはながめたろう。暗いかげの中でわたしはふと小さな赤い灯《ひ》を見つけた。
「ほら、ご覧《らん》なさい、明かりが」とわたしは指さしながら言った。
「どこに」
 親方は見た。その明かりはほんのわずかの距離《きょり》にあったが、かれにはなにも見えなかった。わたしはかれの視力《しりょく》がだめになったことを知った。
「その明かりがなにになろう」とかれは言った。「それはだれかの仕事場の机《つくえ》にともっているランプか、死にかかっている病人のまくらもとの灯《ひ》だ。わたしたちはそこへ行って戸をたたくわけにはいかない。遠くいなかへ出れば、夜になって宿《やど》をたのむこともできよう。けれどこうパリの近くでは……このへんで宿をたのむことはできない。さあ」
 二足三足行くとわたしは横へはいる道を見つけたように思った。ちょうどいばらのやぶらしく思われる黒いかたまりもあった。わたしは先へ急いで行くために親方の手を放した。往来《おうらい》には深いわだちのあとが残《のこ》っていた。
「ほら、ここに輪《わ》のあとがある」とわたしはさけんだ。
「手をお貸し。わたしたちは救《すく》われた」と親方が言った。「ご覧《らん》、今度は森が見えるだろう」
 わたしはなにか黒いものが見えたので、森が見えるように思うと言った。
「五分のうちにそこまで行ける」とかれはつぶやいた。
 わたしたちはとぼとぼ歩いた。けれどこの五分間が永遠《えいえん》のように思われた。
「車の輪《わ》のあとはどちらにあるね」
「右のほうにあります」
「石切り場の入口は左のほうだよ。わたしたちは気がつかずに通り過《す》ぎてしまったにちがいない。あともどりするほうがいいだろう」
「輪《わ》のあとはどうしても左のほうにはついていません」
「ではまたあともどりだ」
 もう一度わたしたちはあともどりをした。
「森が見えるか」
「ええ、左手に」
「それから車の輪《わ》のあとは」
「もうありません」
「わたしは目が見えなくなったかしらん」と親方は低《ひく》い声で言って、両手を目に当てた。「森についてまっすぐにおいで。手を貸《か》しておくれ」
「おや、へいがあります」
「いいや、それは石の山だよ」
「いいえ、確《たし》かにへいです」
 親方は、一足はなれて、ほんとうにわたしの言ったとおりであるか、試《ため》してみようとした。かれは両手をさし延《の》べてへいにさわった。
「そうだ、へいだ」とかれはつぶやいた。「入口はどこだ。車の輪《わ》のあとのついた道を探《さが》してごらん」
 わたしは地べたに身をかがめて、へいの角《かど》の所まで残《のこ》らずさわってみたが、入口はわからなかった。そこでまたヴィタリスの立っている所までもどって、今度は向こうの側《がわ》をさわってみた。結果《けっか》は同じことであった。入口もなければ門もなかった。
「なにもありません」とわたしは言った。
 情《なさ》けないことになった。疑《うたが》いもなく親方は思いちがいをしていた。たぶんここには石切り場などはないのだ。ヴィタリスはしばらくゆめの中をたどっているように、ぼんやりつっ立っていた。カピはがまんができなくなってほえ始めた。
「もっと先を見ましょうか」とわたしは聞いた。
「いや石切り場にへいが建《た》ったのだ」
「へいが建った」
「そうだ、入口をふさいでしまったのだ。中へはいることはできなくなったのだ」
「へえ、じゃあ」
「どうするって。もうわからなくなった。ここで死ぬのさ」
「まあ親方……」
「そうだ。おまえは死にはしない。おまえはまだ若《わか》いのだから。さあ歩こう。まだ歩けるかい」
「おお、でもあなたは」
「いよいよ行けなくなったら、老《お》いぼれ馬《うま》のようにたおれるだけさ」
「どこへ行きましょう」
「パリへもどるのだ。巡査《じゅんさ》に出会ったら、警察《けいさつ》へ連《つ》れて行ってもらうのだ。わたしはそれをしたくなかったが、おまえをこごえ死にさせることはできない。さあ、おいで、ルミ。さあ、前へ進め、子どもたち、元気を出せ」
 わたしたちはもと来た道をまた引っ返した。何時であったかわたしはまるでわからない。なんでも何時間も何時間も長い長いあいだそれはのろのろと歩いた。きっと十二時か一時にもなったろう。空は相変《あいか》わらずどんよりしてすこしばかり星が出ていた。その出ていたすこしばかりの星もいつもよりはずっと小さいように思われて、風の勢《いきお》いは強くなるばかりであった。往来《おうらい》の家は戸閉《とじ》まりをしっかりしていた。そこに、夜着にくるまってねむっている人たちも、わたしたちが外でどんなに寒い目に会っているか、知っていたら、わたしたちのためにそのドアを開けてくれたろうと思われた。
 親方はただのろのろ歩いた。息がだんだんあらくなって、長い道をかけた人のようにせいせい言っていた。わたしが話しかけると、かれはだまっていてくれという合図をした。
 わたしたちはもう野原をぬけて、いまは町に近づいていた。そこここのへいとへいとの間にガス燈《とう》がちらちらしていた。親方は立ち止まったとき、かれがいよいよ力のつきたことをわたしは知った。
「一けんどこかのうちをたたきましょうか」とわたしはたずねた。
「いいや、入れてくれはしないよ。このへんに住んでいるのは植木屋だ。朝早く市場へみんな出かけるのだ。この時刻《じこく》にどうして起きてうちへ入れてくれるものか。さあ行こう」
 しかし意地は張《は》っても、からだの力はまったくつきていた。しばらくしてまたかれは立ち止まった。
「すこし休まなければ」とかれは力なく言った。「わたしはもう歩けない」
 さくで大きな花園を囲《かこ》った家があった。その門のそばの積《つ》みごえの山にかけてあるたくさんのわらを、風が往来《おうらい》のさくの根かたにふきつけていた。
「わたしはここにすわろう」と親方が言った。
「でもすわれば、今度立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」
 かれは返事をしなかった。ただわたしに手まねをして、門の前にわらを積《つ》み上げるようにと言った。このわらのしとねの上にかれはすわるというよりばったりたおれた。かれの歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。
「もっとわらを持っておいで」とかれは言った。「わらをたくさんにして風を防《ふせ》ごう」
 まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。わたしは集められるだけありったけのわらを集めて親方のわきにすわった。
「しっかりわたしにくっついておいで」とかれは言った。「カピをひざに乗せておやり。からだのぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」
 親方ほどの経験《けいけん》を積《つ》んだ人がいまの場合こんなまねをすればこごえて死んでしまうことはわかりきっているのに、その危険《きけん》を平気でおかすということは、もう正気ではなかつた証拠《しょうこ》であった。実際《じっさい》久《ひさ》しいあいだの心労《しんろう》と老年《ろうねん》に、この最後《さいご》の困苦《こんく》が加《くわ》わって、かれはもう自分を支《ささ》える力を失《うしな》っていた。自分でもどれほどひどくなっているか、かれは知っていたろうか。わたしがかれのそばにぴったりはい寄《よ》ったときに、かれは身《み》をかがめてわたしにキッスした。これがかれがわたしにあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが最後《さいご》のキッスであった。
 わたしは親方にすり寄《よ》ったと思うと、もう目がくっついたように思った。わたしは目を開けていようと努《つと》めたができなかった。うでをつねっても、肉にはなんの感じもなかった。わたしがひざを立てたその間にもぐって、カピはもうねむっていた。風はわらのたばを木からかれ葉をはらうようにわたしたちの頭にふきつけた。往来《おうらい》には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙《ちんもく》があった。
 この沈黙《ちんもく》がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖《きょうふ》がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
 わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
 するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖《あたた》かかった。きくいも[#「きくいも」に傍点]が金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗《あら》ったばかりの布《ぬの》を外へ干《ほ》している。
 わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人《ふじん》といっしょに白鳥号に乗っている。
 やがてまた目が閉《と》じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも覚《おぼ》えてはいなかった。


     リーズ

 目を覚《さ》ますとわたしは寝台《ねだい》の上にいた。大きな炉《ろ》のほのおがわたしのねむっている部屋《へや》を照《て》らした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取り巻《ま》いて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広《せびろ》を着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
 わたしはひじで起き上がった。みんながそばへ寄《よ》って来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんを探《さが》しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領《そうりょう》らしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
 ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえんりょしいしいこの知らせを伝《つた》えたかもしれない。けれどその人はほんの親方というだけであったと知ると、かれらはいきなり事実を打ち明けて聞かしてくれた。
 みんなの話では、あの気のどくな親方は死んだのであった。わたしたちがつかれきってたおれたその門の中に住んでいた植木屋が見つけたのであった。あくる朝早く、かれのむすこが野菜《やさい》や花を持って市場へ出かけようとするときに、かれらはわたしたちがいっしょにしもの上に固《かた》まって、すこしばかりのわらをかぶってねむっていたのを見つけた。ヴィタリスはもう死んでいた。わたしも死ぬところであったのを、カピが胸《むね》の所へはいって来て、わたしの心臓《しんぞう》を温《あたたか》かにしていてくれたために、かすかな気息《きそく》が残《のこ》っていた。かれらはわたしたちをうちの中に運び入れて、子どもたちの一人の温かい寝台《ねだい》の上にねかしてくれたのである。それから六時間ほど、まるで死んだようになってねていたが、血のめぐりがついてくると、呼吸《こきゅう》も強く出るようになった。そうしてとうとう目を覚《さ》ましたのであった。
 わたしはからだもたましいもまったくしびれきったようになっていたが、このときはもうかれらの話を聞いてわかるだけに覚《さ》めていたのであった。
 ああ、ヴィタリスは死んでしまったのである。
 この話をしてくれたのは、ねずみ色の背広《せびろ》を着た人であった。この人の話をしているあいだ、びっくりした目をして、じつとわたしを見つめていた女の子は、ヴィタリスが死んだと聞いて、わたしがいかにもがっかりしたふうをしたのを見つけると、そこを立って父のそばへ行き、片手《かたて》を父のうでにかけ、片手でわたしのほうを指さしながらなにか話をした。話といっても、ふつうのことばでなく、ただ優《やさ》しい、しおらしい嘆息《たんそく》の声のようなものであった。
 それにかの女の身ぶりと目つきとは、べつにことばの助けを借《か》りる必要《ひつよう》のないほどじゅうぶんにものを言って、そこによけい自然《しぜん》な情愛《じょうあい》がふくまれているようであった。
 アーサと別《わか》れてこのかた、わたしはつい一度もこんなに取りすがりたいような、親切のこもった、ことばに言えない情味《じょうみ》を感じたことはなかった。それはちょうど、バルブレンのおっかあが、いつもキッスするまえにわたしをながめるときのような感じであった。ヴィタリスが死んで、わたしは世の中に置《お》き去りにされたが、でももう独《ひと》りぼっちではない、という気がした。わたしを愛《あい》してくれる者が、まだそばにいるような気持ちがした。
「ああ、そうだ、リーズの言うとおりだ。こりゃああの子も聞くのがつらいだろうが、やはりほんとうのことは言わねばならぬ。わたしたちが言わないでも、巡査《じゅんさ》が話すだろうから」
 お父さんはむすめのほうへ向きながら言った。そうしてなお話を続《つづ》けながら、警察《けいさつ》に届《とど》けたことや、巡査がヴィタリスを運んで行ったことや、わたしを長男のアルキシーの寝台《ねだい》にねかしたことなどを残《のこ》らず話してくれた。この話のすむのを待ちかねて、
「それからカピは――」とわたしは聞いた。
「なに、カピ」
「ええ。犬です」
「知らないよ。いなくなったよ」
「あの犬はたんかについて行ったよ」と子どもたちの一人が言った。「バンジャメン、おまえ見たかい」
「ぼくよく知ってるよ」ともう一人の子が答えた。「あの犬は釣台《つりだい》のあとからついて行った。首を垂《た》れてときどきたんかにとび上がった。下にいろと言われると、犬はなんだかおそろしい声でうなったり、ほえたりした」
 かわいそうなカピ。役者であったじぶん、あの犬は何度ゼルビノのお葬式《そうしき》を送るまねをしたであろう。それはどんなにまじめくさった子どもでも、あの犬の悲しい様子を見ては笑《わら》わずにはいられなかった。カピが泣《な》けば泣くほど見物はよけい笑った。
 植木屋と子どもたちはわたしを一人|置《お》いて出て行った。まったくどうしていいか、どうしようというのかわからずに、わたしは起き上がって、着物を着かえた。わたしのハープはねむっていた寝台《ねだい》のすそに置《お》いてあった。わたしは肩《かた》に負い皮をかけて、家族のいる部屋《へや》へと出かけて行った。わたしはなんでも出かけて行かなければならない気がするが、さてどこへ行こうか。ねどこにいるうちはそんなに弱っているとも思わなかったが、起きてみるともう立つことが苦しかった。わたしはいすにすがって、やっと転《ころ》がらないょうに、からだを支《ささ》えなければならなかった。うちの人たちは炉《ろ》の前の食卓《しょくたく》に向かって、キャベツのスープをすすっていた。そのにおいがわたしにとってはあんまりであった。わたしはゆうべなんにも食べなかったことをはげしく思い出した。わたしは気が遠くなるように思って、よろよろしながら炉《ろ》ばたのいすにこしを落とした。
「おまえさん、気分がよくないか」と植木屋がたずねた。
 わたしはかれに、どうも具合の悪いことを話した。そうしてしばらく火のそばへ置《お》いてくれとたのんだ。
 でもわたしの欲《ほっ》していたのは火ではなかった。それは食物であった。わたしはうちの者がスープを吸《す》うところをながめて、だんだん気が遠くなるように思えた。わたしがかまわずにやるなら一ぱいくださいと言うところであったが、ヴィタリスはわたしにこじきはするなと教えた。わたしはかれらにおなかが減《へ》っているとは言いださなかった。なぜだろう。わたしはひもじゅうございますと言うよりは、なにも食べずに死んでしまうほうがよかった。
 あの目にきみょうな表情《ひょうじょう》を持った女の子は――名前をリーズと呼《よ》ばれていたが、わたしの向こうにこしをかけていた。この子はなにも言わずに、じっとわたしのほうを見つめていたが、ふと食卓《しょくたく》から立ち上がって、一ぱいスープのはいっているおさらをわたしの所へ持って来て、ひざの上に置《お》いた。もうものを言うこともできなかったので、かすかにわたしは首をうなずかせて、お礼《れい》を言った。よし、わたしがものを言えたとしても、父親が口をきかせるひまをあたえなかった。
「おあがり」とかれは言った。「リーズが持って行ったのは、優《やさ》しい心でしたのだからね。もっと欲《ほ》しければまだあるよ」
 もっと欲しいかと言うのか。一ぱいのスープはみるみる吸《す》われてしまった。わたしがスープを下に置《お》くと、前に立ってながめていたリーズがかわいらしい満足《まんぞく》のため息をした。それからかの女はわたしの小ざらを取って、また父の所へ一ぱい入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、かの女はかわいらしい笑顔《えがお》をしながら、また持って来た。それがあんまりかわいらしいので、腹《はら》は減《へ》っていても、わたしは小ざらを取ることを忘《わす》れて、じっとその顔に見とれたくらいであった。二はい目の小ざらもさっそく初《はじ》めのと同様になくなった。もう子どもたちもくちびるをゆがめて微笑《びしょう》するくらいではすまなくなった。みんなはいっぱい口を開けて笑《わら》いだしてしまった。
「どうもおまえ、なかなかいけるねえ。まったく」とかの女の父親が言った。
 わたしはたいへんはずかしかった。けれどもそのうちわたしは食いしんぼうと思われるよりもほんとうの話を打ち明けてしたほうがいいと思ったので、じつはゆうべ晩飯《ばんめし》を食べなかったことを話した。
「それではお昼は」
「お昼もやはり食べません」
「では親方は」
「あの人も、やはりどちらも食べませんでした」
「ではあの人は寒さばかりでなく、飢《かつ》えて死んだのだ」
 熱《あつ》いスープがわたしに元気をつけてくれた。わたしは立ち上がって、出かけようとした。
「おまえさん、どうするのだ」と父親がたずねた。
「おいとまいたします」
「どこへ行く」
「わかりません」
「パリにだれか友だちか親類《しんるい》でもあるのかい」
「いいえ」
「宿《やど》はどこだね」
「宿はありません。ついきのうこの町へ来たばかりです」
「ではなにをしようというのだね」
「ハープをひいたり、歌を歌ったりして、すこしのお金をもらいます」
「パリでかい。おまえさん、それよりかいなかのご両親の所へ帰ったほうがいいだろう。ご両親はどこに住んでいなさる」
「わたしには両親がありません」
「あのひげの白いじいさんは、父さんではないというじゃないか」
「ええ、ほかにも父さんはありません」
「母さんは」
「母さんもありません」
「おじさんか、おばさんか、親類《しんるい》は」
「なにもありません」
「どこから来たのだね」
「親方はわたしを養母《ようぼ》の夫《おっと》の手から買ったのです。あなたがたは親切にしてくだすったし、ぼくは心からありがたく思っています。ですからおいやでなければ、わたしは日曜日にここへもどって来て、あなたがたのおどりに合わせてハープをひいてあげましょう」
 こう言いながらわたしは戸口のほうへ行きかけたが、ほんの二足三足で、すぐあとからわたしについて来たリーズが、わたしの手を取ってハープを指さした。
「あなた、いまひいてもらいたいの」と、わたしはかの女に笑《わら》いかけながらたずねた。かの女はうなずいて手をたたいた。
「うん。ひいてやっておくれ」とかの女の父親は言った。
 わたしはハープをひく元気はなかったけれど、このかわいらしい女の子のためにいちばんかわいらしいワルツをひいてやらずにはいられなかった。
 はじめかの女は大きな美しい目をじっとわたしに向けて聞いていたが、やがて足で拍子《ひょうし》を合わせ始めた。するうち、うれしそうに食堂《しょくどう》の中をおどり歩いた。かの女の兄弟たちはその様子をだまってながめていた。かの女の父親もうれしがっていた。ワルツがすむと、子どもはやって来て、わたしにかわいらしいおじぎをした。そして指でハープを打って「アンコール」(もう一つ)という心持ちを示《しめ》した。
 わたしはこの子のためには一日でもひいていてやりたかったが、父親はもうそれだけおどればたくさんだと言った。そこでワルツや舞踏曲《ぶとうきょく》の代わりに、わたしはヴィタリスが教えてくれたナポリ小唄《こうた》を歌った。リーズはわたしの向こうへ来て立って、あたかも歌のことばをくり返しているようにくちびるを動かした。するとかの女はくるりとふり向いて、泣《な》きながら父親のうでの中にとびこんだ。
「それで音楽はけっこう」と父親が言った。
「リーズはばかじゃないか」とバンジャメンと呼《よ》ばれた兄弟があざけるように言った。「はじめはおどりをおどって、今度は泣《な》くんだもの」
「あの子はあんたのようにばかではないわ」と総領《そうりょう》の姉《あね》が小さい妹をいたわるようにのぞきこみながら答えた。
「この子にはよくわかったのだよ……」
 リーズが父親のひざの上で泣《な》いているあいだにわたしはまたハープを肩《かた》にかけて行きかけた。
「おまえさん、どこへ行く」と植木屋がたずねた。
「おいとまいたします」
「おまえさん、やはり芸人《げいにん》でやっていくつもりかい」
「でもほかにすることがありませんから」
「旅でかせぐのはつらいだろう」
「だってうちがありませんから」
「それはそうだろうが、夜というものがあるからね」
「それは、わたしだって寝台《ねだい》にねたいし、火にも当たりたいと思います」
「火に当たったり寝台にねるには、それそうとう働《はたら》かなければならないが、おまえはどうだね。このうちにいて働く気はないか。なかなか楽な仕事ではないが、それは朝もずいぶん早くから起きて、まる一日働かなければならないけれど、ただおまえがゆうべ出会ったような目にはけっして二度と出会う気づかいはなかろうよ。おまえはねどこも、食べ物も得《え》られるし、自分で働《はたら》いてそれを得たという満足《まんぞく》もあろうというものだ。それでおまえがわしが考えているようにいい子どもであるなら、同じうちの者にして、いっしょにくらしてゆきたいとも思っているのだよ」
 リーズがふり返って、なみだの中からわたしをながめてにっこりした。
 わたしはいま聞いたことをほとんど信《しん》ずることができなかった。わたしはただ植木屋をながめていた。
 するとリーズが、父親のひざからとんで来て、わたしの手を取った。
「うん、どうだね、おまえ」と父親がたずねた。
 家族だ。わたしは家族を持つようになった。わたしは独《ひと》りぼっちではなくなるのだ。いいゆめよ。今度は消えずにいてくれ。
 わたしが四、五年いっしょにくらして、ほとんど父親のようであった人は死んだ。なつかしい、優《やさ》しいカピは、わたしがあれほど愛《あい》した仲間《なかま》でもあり友だちでもあったカピは、いなくなった。わたしはなにもかもおしまいになったと思っていた。ところへこのいい人がわたしを自分の家族にしてやると言ってくれた。
 わたしのために新しい生涯《しょうがい》がまた始まるのだ。かれはわたしに食べ物と宿《やど》をあたえると言ったが、それよりももっとわたしにうれしかったのは、このうちの中の生活がやはりわたしのものになるということであった。この男の子たちはわたしの兄弟になるであろう。このかわいらしいリーズはわたしの妹になるであろう。わたしはもうみなし子ではなくなるであろう。わたしの子どもらしいゆめの中で、いつかわたしも父親と母親を見つけるかもしれないと思ったこともあった。けれど兄弟や妹を持とうとは考えなかった。それがわたしにあたえられようとしているのだ。わたしはさっそくハープの負い皮を肩《かた》からはずした。
「おお、それでこの子の返事がわかった」とお父さんが笑《わら》いながら言った。「わたしはおまえの顔つきで、どんなにおまえが喜《よろこ》んでいるかわかる。もうなにも言うことは要《い》らない。そのハープをかべにおかけ。いつかおまえがここにあきたら、またそれを下ろして好《す》きなほうへ行くがよろしい。けれどおまえもつばめのように、とび出して行く季節《きせつ》を選《えら》ばなければならない。まあ、冬のさ中に出て行くのだけはおよし」
 わたしの新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケン家、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズでこれが家族|残《のこ》らずであった。
 リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の誕生日《たんじょうび》をむかえるすこしまえに、病気でものを言う力を失《うしな》った。この不幸《ふこう》は、でも幸せとかの女のちえを損《そこ》ないはしなかった。その反対にかの女のちえはなみはずれた程度《ていど》に発達《はったつ》した。かの女はなんでもわかるらしかった。でもその愛《あい》らしくって、活発で優《やさ》しい気質《きしつ》が、うちじゅうの者に好《す》かれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、リーズのいるために、うちじゅうがおもしろくくらしている。むかしは貴族《きぞく》の家の長子に生まれると福分《ふくぶん》を一人じめにすることができたが、今日の労働者《ろうどうしゃ》の家庭では、総領《そうりょう》はいちばん重い責任《せきにん》をしょわされる。母親が亡《な》くなってから、エチエネットが家庭の母親であった。かの女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお料理《りょうり》をこしらえたり、お裁縫《さいほう》をしたり、父親や兄弟たちのために家政《かせい》を取らなければならなかった。かれらはみんなかの女がむすめであり、姉《あね》であることを忘《わす》れきって、女中の仕事をするのばかり見慣《みな》れていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、不平《ふへい》を言う気づかいもない重宝《ちょうほう》な女中であった。かの女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズをうでにかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の朝飯《あさめし》をこしらえ、夜はおそくまでさらを洗《あら》ったりなどをしてからでなくては、とこにはいらなかったから、かの女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのにかの女の顔はきまじめにしずんでいた。それは年ごろのむすめの顔ではなかった。
 わたしはハープをかべにかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り場にねむろうとして失敗《しっぱい》して、それからあとの始末を一とおり話しかけて、やっと五分たつかたたないうちに、園《その》に向かっているドアを引っかく音が聞こえた。それから悲しそうにくんくん鳴く声がした。
「カピだ。カピだ」わたしはさけんですぐとび上がった。
 けれどもリーズがわたしより早かった。かの女はもうかけ出してドアを開けていた。
 カピがわたしにとびかかって来た。わたしはかれをうでにかかえた。小さな喜《よろこ》びのほえ声をたてて、全身をふるわせながら、かれはわたしの顔をなめた。
「するとカピは……」とわたしはたずねた。わたしの問いはすぐに了解《りょうかい》された。
「うん、むろんカピもいっしょにおくよ」とお父さんが言った。
 カピはわたしたちの言っていることがわかったというように、地べたにとび下りて、前足を胸《むね》に置《お》いておじぎをした。それが子どもたち、とりわけリーズを笑《わら》わせた。で、よけいかれらを喜《よろこ》ばせるために、わたしはカピに、いつもの芸《げい》をすこしして見せろと望《のぞ》んだ。けれどもかれはわたしの言いつけに従《したが》う気がなかった。かれはわたしのひざの上にとび上がって顔をなめ始めた。
 それからとび下りて、わたしの上着のそでを引き始めた。
「あの犬はわたしを外へ連《つ》れ出そうというのです」
「おまえの親方の所へ行こうというのだよ」
 親方を引き取って行った巡査《じゅんさ》は、わたしが暖《あたた》まって正気づいたら、聞きたいことがあると言ったそうだ。その巡査がいつ来るか、あやふやであった。
 でもわたしは早く報告《ほうこく》を聞きたいと思った。たぶん親方はみんなの思ったように死んではいないのだ。たぶん親方はまだ生きて帰れるのだ。
 わたしの心配そうな顔を見て、お父さんはわたしを警察《けいさつ》へ連《つ》れて行ってくれた。
 警察へ行くとわたしは長ながと質問《しつもん》された。けれどわたしはいよいよ気のどくな親方がまったく死んだという宣告《せんこく》を聞くまでは、なにも申し立てようとはしなかった。わたしは知っているだけのことは述《の》べたが、それはほんのわずかのことであった。わたし自身については、せいぜい両親のないこと、親方が前金で養母《ようぼ》の夫《おっと》に金をはらってわたしをやとったこと、それだけしか言えなかった。
「それでこれからは……」署長《しょちょう》がたずねた。
「わたくしどもでこの子を引き取ろうと思います」とわたしの新しい友人がことばをはさんだ。
「それをお許《ゆる》しくださいますならば」
 署長《しょちょう》は喜《よろこ》んでわたしをかれの手に委任《いにん》すると言った。そのうえその親切な心がけをほめた。
 自分のことはそれでいいとして、今度は親方のことを言わなければならなかった。でもまったくなんにも知らないのが事実であった。
 ただ一つわからないことは、最後《さいご》の興行《こうぎょう》のとき、どこかの夫人《ふじん》が天才《てんさい》だと言っておどろいたこと、それからガロフォリがむかしの名前をどうとか言いだして、かれをおどしたことであった。
 けれど親方があれほどかくしていたことを死んだのちにあばき立てることはいらない。でもそうは思いながら、事に慣《な》れた警官《けいかん》の前で子どもがかくしおおせるものではなかった。かれらはわけなくわなにかけて、かくしたいと思うことをずんずん言わせてしまうのである。わたしの場合がやはりそれであった。
 署長《しょちょう》はさっそくわたしから、ガロフォリについてなにもかもかぎ出してしまった。
「この子をガロフォリというやつの所へ連《つ》れて行くよりほかにしかたがない」と、かれは部下の一人に言った。「一度この子の言うルールシーヌ街《まち》へ連《つ》れて出れば、すぐその家を見つけるよ。きみはこの子といっしょに行って、その男を尋問《じんもん》してくれたまえ」
 わたしたち三人――巡査《じゅんさ》とお父さんとわたしは、いっしょに出かけた。
 署長《しょちょう》が言ったように、わたしはわけなくその家を見つけた。わたしたちは四階へ上がって行った。マチアはもう見えなかった。警官《けいかん》の顔を見て、それから見覚《みおぼ》えのあるわたしを見つけると、ガロフォリは青くなって、ぎょっとしたようであった。けれどみんなの来たのは、ヴィタリスのことをたずねるためであったことがわかると、かれはすぐに落ち着いた。
「やれやれ、じいさん、死にましたか」とかれは言った。
「おまえはその老人《ろうじん》を知っているだろう」
「はい」
「じゃああの老人について知っていることを残《のこ》らず話してくれ」
「なんでもないことでございます。あの男の名前はヴィタリスではございません。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご承知《しょうち》だったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということは残《のこ》らずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場《だいげきじょう》もたいした成功《せいこう》でした。やがてふとしたことからかれはりっぱな声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、かれは自分の偉大《いだい》な名声に相応《そうおう》しない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん評判《ひょうばん》をうすくすることをしませんでした。その代わりかれはまるっきり自分を世間の目からくらまして、全盛時代《ぜんせいじだい》にかれを知っていた人びとからかくれるようにしました。けれどもかれも生きなければなりません。かれはいろいろの職業《しょくぎょう》に手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬を慣《な》らして、大道《だいどう》の見世物師《みせものし》にまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり気位《きぐらい》が高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれの果《は》てだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。わたしがあの男の秘密《ひみつ》を知ったのは、ほんのぐうぜんのことでした」
 これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。
 気のどくなカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。


     植木屋


 そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン氏《し》はわたしをお葬式《そうしき》に連《つ》れて行くやくそくをした。
 けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどい熱《ねつ》が出て、はげしい寒けを感じた。わたしの胸《むね》の中は、小さなジョリクールがあの晩《ばん》木の上で過《す》ごしたとき受けたと同様、焼《や》きつくやうな熱気《ねっき》を感じた。
 実際《じっさい》わたしは胸にはげしい※[#「火+欣」、第3水準1-87-48]衝《きんしょう》(焼きつくような感じ)を感じた。病気は肺炎《はいえん》であった。それはすなわちあの晩《ばん》気のどくな親方とわたしがこの家《や》の門口《かどぐち》にこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
 でもこの肺炎《はいえん》のおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの誠実《せいじつ》をしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者を呼《よ》ぶということはないが、わたしの容態《ようだい》がいかにも重くって心配であったので、わたしのため特別《とくべつ》に、習慣《しゅうかん》のためいつか当たり前になっていた規則《きそく》を破《やぶ》ってくれた。呼ばれて来た医者は長い診察《しんさつ》をしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
 なるほどこれはいちばん簡単《かんたん》で、手数がかからなかった。でもこの父さんは承知《しょうち》しなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが看病《かんびょう》しなければなりません」とかれは言った。
 医者はこの因縁論《いんねんろん》に対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくして説《と》いたが、承知《しょうち》させることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
 こうしてあり余《あま》る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、看護婦《かんごふ》の役が増《ふ》えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの尼《あま》さんがするように、親切にしかも規則《きそく》正しく看護《かんご》してくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび熱《ねつ》にうかされながら、わたしは寝台《ねだい》のすそで不安心《ふあんしん》らしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の守護天使《しゅごてんし》であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の望《のぞ》みや願《ねが》いをかの女に打ち明けた。このときからわたしは我知《われし》らずかの女を、なにか後光に包《つつ》まれた人間|以上《いじょう》のものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることをふしぎに思ったりした。
 わたしの病気は長かったし、重かった。快《こころよ》くなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く誠実《せいじつ》をつくしてくれた。いく晩《ばん》かわたしは肺臓《はいぞう》が痛《いた》んで、息がつまるように思われて、ねむられないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、寝台《ねだい》のそばにつききりについていてくれた。
 ようようすこしずつ治《なお》りかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの牧場《ぼくじょう》が青くなり始めるまで待たなければならなかった。
 そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへわたしを散歩《さんぽ》に連《つ》れて行ってくれた。真昼《まひる》の日ざかりに、わたしたちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春は暖《あたた》かで、日和《ひより》がよかった。少なくともわたしは暖かな心持ちのいい記憶《きおく》を持っている。だから同じことであった。
 このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷に注《そそ》ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの郊外《こうがい》ではいちばんきたない陰気《いんき》な所だと言いもし、信《しん》じられもしていた。だがそんなことはまるでなかった。うわさほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末《ばすえ》で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには自然《しぜん》のおもむきがあった。少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場《ぼくじょう》が、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りに続《つづ》いていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが碧玉《へきぎょく》をしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし、芽出《めだ》しやなぎやポプラの若木《わかぎ》からはねっとりとやにが流れていた。そうしてうずら[#「うずら」に傍点]や、こまどり[#「こまどり」に傍点]や、ひわ[#「ひわ」に傍点]やなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
 これがわたしの見た小さな谷の景色《けしき》であった――その後ずいぶん変《か》わったが――それでもわたしの受けた印象《いんしょう》はあざやかに記憶《きおく》に残《のこ》っていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一|枚《まい》の葉をも残《のこ》すことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたような幹《みき》の間に根を張《は》っていた。また砲台《ほうだい》の傾斜地《けいしゃち》をわたしたちはよく片足《かたあし》で楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょにうずら[#「うずら」に傍点]が丘《おか》の絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭に群《むら》がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた製革《せいかく》工場もかきたい――
 もちろんこういう散歩《さんぽ》のおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの必要《ひつよう》はなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、了解《りょうかい》し合っているように思われた。
 そのうちにわたしにも、みんなといっしょに働《はたら》けるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い流浪《るろう》の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめい張《は》りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんに働《はたら》かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうどにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]がパリの市場に出始める季節《きせつ》であった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに入れられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列にならんでみごとであった。夕方フレームのふたをするじぶんには、花から立つかおりが風にふくれていた。
 わたしにあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に相応《そうおう》したものであった。毎朝しもが消えると、わたしはガラスのフレームを開けなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちはわらのおおいで日よけをしてやらなければならなかった。これはむずかしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日二度ずつ動かさなければならなかった。
 このあいだリーズは灌水《かんすい》に使う水上《みずあ》げ機械《きかい》のそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた老馬《ろうば》のココットが、回しつかれて足が働《はたら》かなくなると、かの女は小さなむちをふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げたおけを返す、もう一人の兄弟はお父さんの手伝《てつだ》いをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を費《ついや》すものはなかった
 わたしは村で百姓《ひゃくしょう》の働《はたら》くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような熱心《ねっしん》なり勇気《ゆうき》なり勤勉《きんべん》なりをもって働《はたら》いていると思ったことはなかった。実際《じっさい》ここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、晩《ばん》は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに寝台《ねだい》に休むのである。わたしはまた土地を耕《たがや》したことがあったが、勤労《きんろう》によって土地にまるで休憩《きゅうけい》をあたえないまでに耕作《こうさく》し続《つづ》けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
 わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が回復《かいふく》してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに満足《まんぞく》を感じてきた。その種《たね》が芽《め》を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの財産《ざいさん》、わたしの創造《そうぞう》であった。だからよけいわたしに得意《とくい》な感じを起こさせた。
 それで自分がどういう仕事に適当《てきとう》しているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは骨折《ほねお》りのかいがあると感じ得《え》たことであった。
 この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの浮浪人《ふろうにん》の生活と似《に》ても似つかない労働《ろうどう》の生活が案外《あんがい》早くからだに慣《な》れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに苦労《くろう》のなかったのに引きかえて、いまは花畑の囲《かこ》いの中に閉《と》じこめられて、朝から晩《ばん》まであらっぽく働《はたら》かなければならなかった。背中《せなか》にはあせにぬれたシャツを着、両手に如露《じょろ》を持って、ぬかるみの道の中を、素足《すあし》で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい労働《ろうどう》をしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、苦労《くろう》の中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったく失《うしな》ったと思ったものを回復《かいふく》した。それは家族の生活であった。わたしはもう独《ひと》りぼっちではなかった。世の中に捨《す》てられた子どもではなかった。わたしには自分の寝台《ねだい》があった。わたしはみんなの集まる食卓《しょくたく》に自分の席《せき》を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうして晩《ばん》になれば、みんなスープを取り巻《ま》いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
 ほんとうを言うと、わたしたちは働《はたら》いてつかれるということはなかった。わたしたちにも休憩《きゅうけい》の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
 日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしておいた例《れい》のハープを外《はず》して持って来る。そうして四人の兄弟|姉妹《しまい》におどりをおどらせる。だれもかれもダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで婚礼《こんれい》の舞踏会《ぶとうかい》へ行って、コントルダンスのしかただけ多少|正確《せいかく》に記憶《きおく》していた。その記憶がかれらの手引きであった。かれらはおどりつかれると、わたしに歌のおさらいをさせる。そうしてわたしのナポリ小唄《こうた》はいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。
 このおしまいの一|節《せつ》を歌うとき、かの女の目はなみだにぬれないことはなかった。
 そのとき気をまぎらすために、わたしはカピと道化芝居《どうけしばい》をやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日はかれにむかしのことを思い出させた。それで一とおり役目を終わると、かれはいくらでもくり返してやりたがった。
 二年はこんなふうにして過《す》ぎた。お父さんはわたしをよくさかり場や、波止場や、マドレーヌやシャトードーやの花市場へ連《つ》れて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが想像《そうぞう》したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき初《はじ》めてシャラントンやムフタール区《く》からはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは記念碑《きねんひ》を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。銅像《どうぞう》も見た。群衆《ぐんしゅう》の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
 幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中《まちなか》を散歩《さんぽ》したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん覚《おぼ》えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ自前《じまえ》で植木屋を開業するまえに植物園の畑で働《はたら》いていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んで覚《おぼ》えたいという好奇心《こうきしん》を起こさせた。それでいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を費《ついや》した。けれど結婚《けっこん》して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、捨《す》てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしが初《はじ》めてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちは炉《ろ》を囲《かこ》んで、いっしょにくらす晩《ばん》などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の歴史《れきし》のほかには、航海《こうかい》に関係《かんけい》した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味《しゅみ》を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が好《す》きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益《りえき》がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを独《ひと》り言《ごと》に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
 わたしがものを学びたいという望《のぞ》みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝|朝飯《あさめし》のお金を二スー倹約《けんやく》したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選《えら》び方《かた》はでたらめか、さもなければ表題《ひょうだい》のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序《ちつじょ》もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに利益《りえき》を残《のこ》した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
 リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。初《はじ》めのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい結《むす》び目《め》になった。いったいこの子の性質《せいしつ》はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の養《やしな》いをえるようになった。
 何時間もわたしたちはこうやって過《す》ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり句《く》なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的《もくてき》を達《たっ》しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と生徒《せいと》の美しい協力一致《きょうりょくいっち》から、ほんとうの天才|以上《いじょう》のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、笑《わら》いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
 なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを現《あらわ》した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと望《のぞ》んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに残念《ざんねん》がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優《やさ》しい快活《かいかつ》な性質《せいしつ》からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑《びしょう》をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
 アッケンのお父さんには、養子《ようし》のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件《じけん》はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望《のぞ》んでもいない出来事のためにまたもや変《か》わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。


     一家の離散《りさん》

 このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続《ながつづ》きしそうもない」
 でもなぜ不幸《ふこう》が来なければならないか、それをまえから予想《よそう》することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑《うたが》うことのできない事実のように思われてきた。
 そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸《ふこう》をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失《かしつ》から来ると思って、反省《はんせい》するようになったからである。
 でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過《す》ごしであったが、不幸《ふこう》が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
 わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の栽培《さいばい》をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易《ようい》で、パリ近在《きんざい》の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生《めば》えのうちから葉の形で八重《やえ》と一重《ひとえ》を見分けて、一重を捨《す》てて八重を残《のこ》すことであった。この鑑別《かんべつ》のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法《ひほう》にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋|仲間《なかま》でも、特別《とくべつ》にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回《じゅんかい》して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練《じゅくれん》のほまれの高い一人であった。それでその季節《きせつ》にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、舌《した》も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
 そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を覚《さ》ましたときには、部屋《へや》の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵《けんぺい》が、わたしを監視《かんし》するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀《ぎょうぎ》よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋《ねべや》まで行けるかどうか、かけをしようか」
 不器用《ぶきよう》な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた静《しず》かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが夕飯《ゆうはん》のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの席《せき》を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
 しばらく沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯《ゆうはん》にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
 だがやくそくも誓言《せいごん》もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊《ほんぞん》だが、外の風に当たるともう忘《わす》れられてしまった。
 でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節《きせつ》がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋《いざかや》へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
 においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝《いわ》い日《び》にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼《よ》ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝《いわ》い日《び》には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝《いわ》いをしなければならない人が限《かぎ》りなく多かった。
 だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来《おうらい》のすみずみ、家いえの石段《いしだん》、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
 アッケンのお父さんは、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、七月、八月の祝《いわ》い日《び》の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日《だいしゅくじつ》があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]、フクシア、きょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]などを温室や温床《おんしょう》にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要《い》るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確《たし》かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗《しっぱい》はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
 この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]の花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
 温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳《せっかいにゅう》をガラスのフレームにぬった温床《おんしょう》の下で、フクシアやきょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]がさきかけていた。うじゃうじゃと固《かた》まって草むらになっているものもあれば、頭から根元《ねもと》まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚《さ》めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足《まんぞく》らしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
 こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
 かれはくちびるに微笑《びしょう》をたたえて、胸《むね》の中では、これだけ売ればいくらになるという勘定《かんじょう》をしていた。
 ここまでするには、みんなずいぶん骨《ほね》を折《お》った。一時間と休憩《きゅうけい》するひまなしに働《はたら》いたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの準備《じゅんび》ができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたち残《のこ》らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋|仲間《なかま》のうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まで働《はたら》くことにして、仕事がすんだところで、門に錠《じょう》をかって、アルキュエイまで行くことになった。晩食《ばんしょく》は八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでも働《はたら》けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
 リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり好《す》きであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
 わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
 時間が知らないまにずんずん過《す》ぎていった。
 わたしたちは庭のにわとこ[#「にわとこ」に傍点]の木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。雲《くも》がどんどん空の上に固《かた》まって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
 リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは残《のこ》らず引っくり返される」
 これでもうだれも異議《いぎ》を申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの値打《ねう》ちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーを連《つ》れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
 かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももう笑《わら》う者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。砂《すな》けむりがうずを巻《ま》いて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
 エチエネットとわたしがリーズの手を引《ひ》っ張《ぱ》った。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうと試《こころ》みたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは困難《こんなん》であった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームを閉《し》めるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
 雷鳴《らいめい》がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
 風に雲のふきはらわれたとき、その深い銅《あかがね》色の底《そこ》が見えた。雲はやがて雨になるであろう。
 がらがら鳴り続《つづ》ける雷鳴《らいめい》の中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一|連隊《れんたい》の騎兵《きへい》があらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
 とつぜんばらばらとひょうが降《ふ》って来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように降《ふ》って来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに避難《ひなん》しなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとの卵《たまご》ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から往来《おうらい》へすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
 わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうの降《ふ》るまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも無理《むり》に希望《きぼう》をかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ降《ふ》ったら、父さんはお気のどくなほど大損《おおぞん》になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい勘定《かんじょう》をしていらしったのだからそれはずいぶんお金が要《い》るようよ」
 わたしはガラスのフレームが百|枚《まい》千八百フランもすることを聞いていた。植木や種物《たねもの》を別《べつ》にしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという災難《さいなん》であろう。どのくらいの損害《そんがい》であろう。
 わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は絶望《ぜつぼう》の表情《ひょうじょう》で、自分のうちの焼《や》け落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうの降《ふ》るのをながめていた。
 おそろしい夕立ちはほんのわずか続《つづ》いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しか続《つづ》かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは避難所《ひなんじょ》を出ることができた。ひょうが往来《おうらい》に深く積《つ》もっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは背中《せなか》に乗せてしょって行った。宴会《えんかい》へ行くときにあれほど晴《は》れ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおを伝《つた》っていた。
 まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
 なんというありさまであろう。ガラスというガラスは粉《こな》ごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょに固《かた》まって、あれほど美しかった花畑に降《ふ》り積《つ》もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
 お父さんはどこへ行ったのだろう。
 わたしたちはかれを探《さが》した。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は残《のこ》らずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
 かれはリーズをだいてすすり泣《な》きを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい結果《けっか》であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
 わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
 十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家を建《た》てた。かれに土地を売った男は植木屋として必要《ひつよう》な材料《ざいりょう》を買う金をもやはりかれに貸《か》していた。その金額《きんがく》は十五年の年賦《ねんぷ》で、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が支払《しはら》いの期限《きげん》をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す機会《きかい》ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い金額《きんがく》は、ふところに納《おさ》めたうえのことであった。
 これはその男にとっては相場《そうば》をやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が証文《しょうもん》どおりにいかなくなるときの来ることを望《のぞ》んでいた。この相場はよし当たらないでも債権者《さいけんしゃ》のほうに損《そん》はなかった。万一当たればそれこそ債務者《さいむしゃ》にはひどい危険《きけん》であった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
 わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。証文《しょうもん》の期限《きげん》が切れたあくる日――この金はこの季節《きせつ》の花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な服装《ふくそう》をした一人の紳士《しんし》がうちへ来て、印《いん》をおした紙をわたした。これは執達吏《しったつり》であった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
 こんなことを言って、かれはわたしたちに例《れい》の印《いん》をおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
 お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん弁護士《べんごし》を訪問《ほうもん》するか、裁判所《さいばんしょ》へ行ったのかもしれなかった。
 裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその結果《けっか》はどうであったか。
 そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は過《す》ぎた。温室を修理《しゅうり》することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは野菜物《やさいもの》やおおいの要《い》らないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
 ある晩《ばん》お父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
 かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて部屋《へや》を出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちと別《わか》れなければならない」
 ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうな泣《な》き声が起こった。
 リーズは父親の首にうでを巻《ま》きつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちと別《わか》れるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど裁判所《さいばんしょ》から支払《しはら》いをしろという命令《めいれい》を受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものは残《のこ》らず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ懲役《ちょうえき》に行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
 わたしたちはみんな泣《な》きだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声で続《つづ》けた。「けれど人は法律《ほうりつ》に向かってはなにもしえない。弁護士《べんごし》の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。貸《か》し主《ぬし》は借《か》り手《て》のからだをいくつかに切《き》り刻《きざ》んで、貸し主のうちで欲《ほ》しいと思う者がそれを分けて取る権利《けんり》があったそうだ。わたしはただ五年のあいだ刑務所《けいむしょ》にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
 悲しい沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく述《の》べて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
 わたしが手紙を書くのはこれが初《はじ》めてでなかなか骨《ほね》が折《お》れた。それはひじょうに痛《いた》ましいことであったが、わたしたちはまだひと筋《すじ》の希望《きぼう》を持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が実際家《じっさいか》であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ希望《きぼう》を持たせた。
 けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を訪問《ほうもん》に出かけようとすると、ぱったり巡査《じゅんさ》に出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金《しゃっきん》のために牢《ろう》にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
 わたしは庭にいた二人の子どもを呼《よ》びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり泣《な》きをしてお父さんの両手にだかれていた。巡査《じゅんさ》の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に置《お》いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと順々《じゅんじゅん》にキッスして、リーズをねえさんの手に預《あず》けた。
 わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ寄《よ》って来て、ほかの者と同様に優《やさ》しくキッスした。
 これで巡査《じゅんさ》はかれを連《つ》れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に泣《な》きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
 カトリーヌおばさんは一|時間《じかん》おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈《きじょう》なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの水先案内《みずさきあんない》が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを失《うしな》って、波のまにまにただようほかはなかった。
 ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人《ふじん》であった。もとはパリの街《まち》で乳母奉公《うばぼうこう》をして、十年のあいだに五か所も勤《つと》めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする目標《もくひょう》ができた。教育もなければ、資産《しさん》もないいなか女としてかの女にふりかかった責任《せきにん》は重かった。びんぼうになった一家の総領《そうりょう》はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
 カトリーヌおばさんは、ある公証人《こうしょうにん》のうちに乳母《うば》をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を訪《たず》ねて相談《そうだん》をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの運命《うんめい》を決めることになった。それからかの女は監獄《かんごく》へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後《さいご》にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
 リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って養《やしな》われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫《こうふ》を勤《つと》めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
 わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために働《はたら》きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに働《はたら》けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が好《す》きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う以上《いじょう》の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに連《つ》れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも親類《しんるい》だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら養《やしな》ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、腹《はら》いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
 わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにも求《もと》めることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
 でもわたしはみんなを好《す》いていたし、みんなもわたしを好いていた。
 みんな兄弟でもあり、姉妹《しまい》でもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する性質《せいしつ》であった。わたしたちにはあしたいよいよお別《わか》れをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
 わたしたちが部屋《へや》へはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取り巻《ま》いた。リーズは泣《な》きながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいに別《わか》れて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしが独《ひと》りぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
 もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその証拠《しょうこ》を見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは奉公《ほうこう》はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、肩《かた》にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの便《たよ》りを持って行きましょう。そうすればぼくの仲立《なかだ》ちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスの節《ふし》だって忘《わす》れてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
 みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにも喜《よろこ》んでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどその晩《ばん》はだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひと晩《ばん》ねむれなかった。
 あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へ連《つ》れ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
 かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちが別《わか》れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
 かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を示《しめ》した。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへ訪《たず》ねて行きますよ」
 かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
 わたしたちがおたがいに了解《りょうかい》しい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先に兄《あに》さんや姉《あね》さんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
 かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
 こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう望《のぞ》むか、そのわけを説明《せつめい》した。それは先に姉《あね》さんや兄《あに》さんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの便《たよ》りを持って来てくれることができるからというのであった。
 かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に刑務所《けいむしょ》へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って別々《べつべつ》の汽車に乗るために、別々の停車場《ていしゃじょう》に別《わか》れて行くという手順《てじゅん》を決めた。
 七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へ連《つ》れ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこを納《おさ》めてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸と針《はり》とはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
 エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしを置《お》いて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの銀貨《ぎんか》を二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
 わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの欲張《よくば》りをからかっていた。かれは一スー、二スーと貯金《ちょきん》してしじゅう貯金の高《たか》を勘定《かんじょう》していた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの銀貨《ぎんか》とかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしは断《ことわ》りたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に無理《むり》ににぎらせた。わたしはだいじにしている宝《たから》が分けてくれようというかれの友情《ゆうじょう》がひじょうに強いものであることを知った。
 バンジャメンもわたしを忘《わす》れはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと交換《こうかん》に、一スー請求《せいきゅう》した。なぜなら、ナイフは友情《ゆうじょう》を切るものだから。
 時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちの別《わか》れる時間が来た。
 リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんが呼《よ》んだ。
 かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本|残《のこ》っていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだ折《お》った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
 くちびるのことばは目のことばに比《くら》べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに冷《つめ》たく、空虚《くうきょ》であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
 荷物はもう馬車の中に積《つ》みこまれていた。
 わたしはハープを下ろして、カピを呼《よ》んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの姿《すがた》を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に閉《と》じこめられているよりも、広い大道の自由を愛《あい》した。
 みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが優《やさ》しくわたしをおしのけて、ドアを閉《し》めた。
「さようなら」
 馬事は動きだした。
 もやの中でわたしはリーズが窓《まど》ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう砂《すな》けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに任《まか》せた。ぼんやり往来《おうらい》に立ち止まって目の前にうず巻《ま》いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを閉《し》めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた隣家《りんか》の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ置《お》いてあげよう。けれど給金《きゅうきん》ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
 わたしはかれに感謝《かんしゃ》したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事《ぶじ》で」
 かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは閉《と》ざされた。
 わたしはハープのひもを肩《かた》にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
 わたしは二年のあいだ住み慣《な》れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの前途《ぜんと》を望《のぞ》んだ。
 日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――気候《きこう》は暖《あたた》かであった。気のどくなヴィタリス老人《ろうじん》とわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒い晩《ばん》とはたいへんなちがいであった。
 こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。優《やさ》しい友だちを作ってくれた。
 わたしはもう世界で独《ひと》りぼっちではなかった。この世の中にわたしは目的《もくてき》を持っていた。それはわたしを愛《あい》し、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
 新しい生涯《しょうがい》がわたしの前に開けていた。
 前へ。


     前へ

 前へ。世界はわたしの前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へわたしは向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、わたしは自分白身の主人であった。
 いよいよ流浪《るろう》の旅を始めるまえに、わたしはこの二年のあいだ父親のように優《やさ》しくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌおばさんは、みんながかれに「さようなら」を言いに行くときに、わたしをいっしょに連《つ》れて行くことを好《この》まなかったが、わたしはせめて一人になったいまでは、行ってかれに会うことができるし、会わなければならないと思った。借金《しゃっきん》のために刑務所《けいむしょ》にはいったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたのでその場所ははっきりわかっていた。わたしはよく知っているラ・マドレーヌ寺道《じみち》をたどって行った。カトリーヌおばさんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、わたしもきっと会うことが許《ゆる》されるであろう。わたしはお父さんの子どもも同様であったし、お父さんもわたしをかわいがっていた。
 でも思い切って刑務所《けいむしょ》の中へはいって行くのがちょっとちゅうちょされた。だれかがわたしをじっと監視《かんし》しているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へ閉《し》めこまれたが最後《さいご》、二度と出されることがないように思われた。
 刑務所《けいむしょ》から出て来ることは容易《ようい》でないとわたしは考えていた。しかしそこへはいるのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、わたしはそれを知った。
 でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、わたしはやっと面会を許《ゆる》されることになった。かねて思っていたのとちがい、わたしは格子《こうし》もさくもないそまつな応接室《おうせつしつ》に通された。お父さんは出て来た。でもくさりなどに結《ゆ》わえられてはいなかった。
「ああ、ルミや、わたしはおまえを待っていた」と、わたしが面会所にはいるとかれは言った。
「わたしは、カトリーヌおばさんがおまえをいっしょに連《つ》れて来なかったので、こごとを言ってやったよ」
 わたしはこのことばを聞くと、朝からしょげていたことも忘《わす》れて、すっかりうれしくなった。
「カトリーヌおばさんは、ぼくをいっしょに連《つ》れて来ようとしなかったのです」
 わたしはうったえるように言った。
「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人でくらしを立ててゆこうとしていることもわたしはようく知っているのだがね。どうもわたしの妹婿《いもうとむこ》のシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ運河《うんが》の水門守《すいもんもり》をしているのだが、知ってのとおり植木|職人《しょくにん》の世話を水門守にしてもらうのは無理《むり》だからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた旅芸人《たびげいにん》になると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと空腹《くうふく》で死にかけたことを忘《わす》れたのかえ」
「いいえ、忘れません」
「でも、あのときはまだしも、おまえは独《ひと》りぼっちではなかった。めんどうを見る親方があった。それもいまはないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっちいなかへ出るということは、いいことだとは思われない」
「カピもいっしょです」
 このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声ほえた。
「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうしてくらしを立てるつもりなのだ」
「わたしが歌を歌ったり、カピが芝居《しばい》をしたりして」
「しかしカピ一人ぼっちで、芝居はできやしないだろう」
「いえ、わたしはカピに芸《げい》をしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでもわたしの望《のぞ》むものを習うだろう」
 カピは前足で胸《むね》をたたいた。
「ルミ、おまえがよく考えたら、やはり職《しょく》を見つけることにするだろうよ。もうおまえも一かどの職人《しょくにん》だ。流浪《るろう》するよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」
「ええ、もちろんわたしはなまけ者ではありません。わたしはお父さんといっしょにならできるだけ働《はたら》きます。そしていつでもお父さんといっしょにいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」
 もちろん、たった一人、大道ぐらしを続《つづ》けてゆくことの危険《きけん》なことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい経験《けいけん》もしている。そうだ、人びとがわたしのように流浪《るろう》の生活を送って、あの犬たちがおおかみに食べられた夜や、ジャンチイイの石切り場のあの晩《ばん》のような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり、ヴィタリス親方が刑務所《けいむしょ》に入れられて、一スーももうけることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、だれだってあすはまっ暗やみ、現在《げんざい》さえも不安心《ふあんしん》でたまらないのが当たり前だ。危険《きけん》な、みじめな、浮浪人《ふろうにん》の生活をわたしは自分が送ってきたことも忘《わす》れはしないのだ。だがいまそれをやめたら、わたしはいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心を固《かた》くするものがあった。いまさらよそのうちに奉公《ほうこう》するよりも、わたしにはこの流浪《るろう》の旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン、それからリーズとしたやくそくを果《は》たすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを見捨《みす》てないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手続も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことをわたしが忘《わす》れてしまえば、もうかの女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。
「では、お父さんは、お子さんたちの便《たよ》りを、わたしが持って来るのがおいやなのですか」とわたしはたずねてみた。
「なるほどみんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとり訪《たず》ねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、わたしたち自分のことばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」
「では、わたしだってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の危険《きけん》をおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分のことばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」
 お父さんはしばらくわたしの顔をながめていたが、急にわたしの両手を取った。
「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえはほんとうに真心《まごころ》がある」
 わたしはかれの首にうでをかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしを探《さぐ》って、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした値打《ねう》ちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間も確《たし》かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
 わたしはこんなりっぱなおくり物を断《ことわ》ろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に無理《むり》におしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る必要《ひつよう》はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定《かんじょう》していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、覚《おぼ》えておいで」
 わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしに優《やさ》しくしてくれたであろう。わたしは別《わか》れてのち長いあいだ刑務所《けいむしょ》のドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにある固《かた》い丸《まる》いものが手にさわった。わたしの時計であった。
 ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだ忘《わす》れられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は相談《そうだん》をしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくは忘《わす》れるところだったよ」
 わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様に喜《よろこ》んでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそを引《ひ》っ張《ぱ》って、たびたびほえた。かれがほえ続《つづ》けたときわたしは初《はじ》めて、かれに注意を向けてやらなければならなかった。
「カピ、なんの用だい」とわたしはたずねた。かれはわたしの顔をながめた。けれどわたしはかれの意味が解《と》けなかった。かれはしばらく待っていたが、やがてわたしの前に来て、時計を入れたかくしの上に前足をのせて立った。かれはヴィタリス親方といっしょに働《はたら》いていたじぶんと同じように、「ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。
 わたしは時計をかれに見せた。かれはしばらく思い出そうと努《つと》めるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二|度《たび》ほえた。かれは忘《わす》れてはいなかった。わたしたちはこの時計でお金を取ることができる。これはわたしがあてにしていなかったことであった。
 前へ進め、子どもたち。わたしは刑務所《けいむしょ》に最後《さいご》の目をくれた。そのへいの後ろにはリーズの父親が閉《と》じこめられているのだ。
 それからずんずん進んで行った。なによりもわたしに入り用なものは、フランスの地図であった。河岸《かし》通りの本屋へ行けば、それの得《え》られることを知っていたので、わたしは川のほうへ足を向けた。やっとわたしは十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。
 わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた。わたしは二つの道の一つを選《えら》ばなければならなかった。わたしはフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような記憶《きおく》が群《むら》がって起こった。ガロフォリ、マチア、リカルド、錠前《じょうまえ》のかかったスープなべ、むち、ヴィタリス老人《ろうじん》、あの気のどくな善良《ぜんりょう》な親方。わたしをこじきの親分へ貸《か》すことをきらったために、死んだ人。
 お寺のさくの前を通ると、子どもが一人かべによっかかっているのを見た。その子はなんだか見覚《みおぼ》えがあるように思った。
 確《たし》かにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、優《やさ》しい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれどかれはちっとも大きくはなっていなかった。わたしはよく見るためにそばへ寄《よ》った。ああそうだ、そうだ、マチアであった。
 かれはわたしを覚《おぼ》えていた。かれの青ざめた顔はにっこり笑《わら》った。
「ああ、きみだね」とかれは言った。「きみは先《せん》に白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうどぼくが病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれからぼくはどんなにこの頭でなやんだろう」
「ガロフォリはまだきみの親方なのかい」
 かれは返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。
「ガロフォリは刑務所《けいむしょ》にはいっているよ。オルランドーを打ち殺《ころ》したので連《つ》れて行かれたのだ」
 わたしはこの話を聞いてぎょっとした。でもわたしはガロフォリが刑務所に入れられたと聞いてうれしかった。初《はじ》めてわたしは、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。
「それでほかの子どもたちは」とわたしはたずねた。
「ああ、ぼくは知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、ぼくはいなかった。ぼくが病院から出て来ると、ぼくは病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人はわたしを手放したくなった。そこであの人はわたしを二年のあいだガッソーの曲馬団《きょくばだん》へ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団《きょくばだん》を出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり閉《し》まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所《けいむしょ》へ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけ加《くわ》えて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
 わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのように飢《う》えてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一|斤《きん》買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」
「ぼくはわからない。ぼくはヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへきみが声をかけた。ぼくはそれと別《わか》れるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。ぼくのヴァイオリンはぼくの持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、ゆめの中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」
「なぜきみは往来《おうらい》でヴァイオリンをひかないのだ」
「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」
 ヴァイオリンをひいて一文ももらえないことを、どんなによくわたしも知っていたことであろう。
「きみはいまなにをしているのだ」とかれはたずねた。
 わたしはなぜかわからなかった。けれどそのときの勢《いきお》いで、こっけいなほらをふいてしまった。
「ぼくは一座《いちざ》の親方だよ」とわたしは高慢《こうまん》らしく言った。
 それは真実《しんじつ》ではあったが、その真実はずっとうそのほうに近かった。わたしの一座はたったカピ一人だけだった。
「おお、きみはそんなら……」とマチアが言った。
「なんだい」
「きみの一座《いちざ》にぼくを入れてくれないか」
 かれをあざむくにしのびないので、わたしはにっこりしてカピを指さした。
「でも一座はこれだけだよ」とわたしは言った。
「ああ、なんでもかまうものか。ぼくがもう一人の仲間《なかま》になろう。まあどうかぼくを捨《す》てないでくれたまえ。ぼくは腹《はら》が減《へ》って死んでしまう」
 腹が減って死ぬ。このことばがわたしのはらわたの底《そこ》にしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、わたしは知っている。
「ぼくはヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「なわの上でおどりもおどれるし、歌も歌える。なんでもきみの好《す》きなことをするよ。きみの家来にもなる。言うことも聞く。金をくれとは言わない。食べ物だけあればいい。ぼくがまずいことをしたらぶってもいい。それはやくそくしておく。ただたのむことは頭をぶたないでくれたまえ。これもやくそくしておいてもらわなければならない。なぜならぼくの頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」
 わたしはかわいそうなマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げて泣《な》きだしたくなった。どうしてわたしはかれを連《つ》れて行くことをこばむことができよう。腹《はら》が減《へ》って死ぬというのか。でも、わたしといっしょでも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある――わたしはそうかれに言ったが、かれは聞き入れようともしなかった。
「ううん、ううん」とかれは言った。「二人いれば飢《う》え死《じ》にはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」
 わたしはもうちゅうちょしなかった。わたしがすこしでも持っていれば、わたしはかれを助けなければならない。
「うん、よし、それでわかった」とわたしは言った。
 そう言うと、かれはわたしの手をつかんで、心から感謝《かんしゃ》のキッスをした。
「ぼくといっしょに来たまえ」とわたしは言った。「家来ではなく、仲間《なかま》になろう」
 ハープを肩《かた》にかけると、わたしは号令《ごうれい》をかけた。
「前へ進め」
 十五分たつと、わたしたちはパリを後に見捨《みす》てた。
 わたしがこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたびわたしはかの女に手紙を書いてやって、かの女を思っていること、ありったけの心をささげてかの女を愛《あい》していることを、言ってやりたかったかしれなかったが、亭主《ていしゅ》のバルブレンがこわいので、わたしは思いとどまった。もしバルブレンが手紙をあてにわたしを見つけたら、つかまえてまたほかの男に売りわたすかもしれなかった。かれはおそらくそうする権利《けんり》があった。わたしは好《この》んでバルブレンの手に落ちる危険《きけん》をおかすよりも、バルブレンのおっかあから恩知《おんし》らずの子どもだと思われているほうがましだと思った。
 でも手紙こそ書き得《え》なかったが、こう自由の身になってみれば、わたしは行って会うこともできよう。わたしの一座《いちざ》にマチアもはいっているので、わたしはいよいよそうしようと心を決めた。なんだかそれがわけなくできそうに思われた。わたしは先にかれを一人出してやって、かの女が一人きりでいるか見せにやる。それからわたしが近所に来ていることを話して、会いに行ってもだいじょうぶか、それのわかるまで待っている。それでバルブレンがうちにいれば、マチアからかの女にどこか安心な場所へ来るようにたのんで、そこで会うことができるのである。
 わたしはこのくわだてを考えながら、だまって歩いた。マチアもならんで歩いていた。かれもやはり深く考えこんでいるように思われた。
 ふと思いついて、わたしは自分の財産《ざいさん》をマチアに見せようと思った。カバンのふたを開けて、わしは草の上に財産を広げた。中には三|枚《まい》のもめんのシャツ、くつ下が三足、ハンケチが五枚、みんな品のいい物と、少し使ったくつが一足あった。
 マチアは驚嘆《きょうたん》していた。
「それからきみはなにを持っている」とわたしはたずねた。
「ぼくはヴァイオリンがあるだけだ」
「じゃあ分けてあげよう。ぼくたちは仲間《なかま》なんだから、きみにはシャツ二|枚《まい》と、くつ下二足にハンケチを三枚あげよう。だがなんでも二人のあいだに仲《なか》よく分けるのがいいのだから、きみは一時間ぼくのカバンを持ちたまえ。そのつぎの一時間はぼくが持つから」
 マチアは品物をもらうまいとした。けれどわたしはさっそく、自分でもひどくゆかいな、命令《めいれい》のくせを出して、かれに「おだまり」と命令した。
 わたしはエチエネットの小ばこと、リーズのばらを入れた小さなはこをも広げた。マチアはそのはこを開けて見たがったが、開けさせなかった。わたしはそのふたをいじることすら許《ゆる》さずに、カバンの中にまたしまいこんでしまった。
「きみはぼくを喜《よろこ》ばせたいと思うなら」とわたしは言った。「けっしてはこにさわってはいけない。……これはたいじなおくり物だから」
「ぼくはけっして開けないとやくそくするよ」とかれはまじめに言った。
 わたしはまたひつじの毛の服を着て、ハープをかついだが、そこに一つむずかしい問題があった。それはわたしのズボンであった。芸人《げいにん》が長いズボンをはくものではないように思われた。公衆《こうしゅう》の前へ現《あらわ》れるには、短いズボンをはいて、その上にくつ下をかぶさるようにはいて、レースをつけて、色のついたリボンを結《むす》ぶものである。長いズボンは植木屋にはけっこうであろうが……いまはわたしは芸人であった。そうだ、わたしは半ズボンをはかなければならない。わたしはさっそくエチエネットの道具ばこからはさみを出した。
 わたしがズボンのしまつをしているうち、ふとわたしは言った。
「きみはどのくらいヴァイオリンをひくか、聞かせてもらいたいな」
「ああ、いいとも」
 かれはひき始めた。そのあいだわたしは思い切ってはさみの先をズボンのひざからすこし上の所へ当てた。わたしは布《きれ》を切り始めた。
 けれどこれはチョッキと上着とおそろいにできた、ねずみ地のいいズボンであった。アッケンのお父さんがそれをこしらえてくれたとき、わたしはずいぶん得意《とくい》であった。けれどいま、それを短くすることをいけないこととは思わない。かえってりっぱになると思っていた。初《はじ》めはわたしもマチアのほうに気がはいらなかった。ズボンを切るのにいそがしかったが、まもなくはさみを動かす手をやめて、耳をそこへうばわれていた。マチアはほとんどヴィタリス親方ぐらいにうまくひいた。
「だれがきみにヴァイオリンを教えたの」とわたしは手をたたきながら聞いた。
「だれも。ぼくは一人で覚《おぼ》えた」
「だれかきみに音楽のことを話して聞かした人があるかい」
「いいえ、ぼくは耳に聞くとおりをひいている」
「ぼくが教えてあげよう、ぼくが」
「きみはなんでも知っているの。では……」
「そうさ、ぼくはなんでも知っているはずだ。座長《ざちょう》だもの」
 わたしはマチアに、自分もやはり音楽家であることを見せようとした。わたしはハープをとり、かれを感動させようと思って、名高い小唄《こうた》を歌った。すると芸人《げいにん》どうしのするようにかれはわたしにおせじを言った。かれはりっぱな才能《さいのう》を持っていた。わたしたちはおたがいに尊敬《そんけい》し合った。わたしは背嚢《はいのう》のふたを閉《し》めると、マチアが代わってそれを肩《かた》にのせた。
 わたしたちはいちばんはじめの村に着いて興行《こうぎょう》をしなければならなかった。これがルミ一座《いちざ》の初《はつ》おめみえのはずであった。
「ぼくにその歌を教えてください」とマチアが言った。「ぼくたちはいっしょに歌おう。もうじきにヴァイオリンで合わせることができるから。するとずいぶんいいよ」
 確《たし》かにそれはいいにちがいなかった。それでくれるものをたっぷりくれなかったら、「ご臨席《りんせき》の貴賓諸君《きひんしょくん》」は、石のような心を持っているというものだ。
 わたしたちが最初《さいしょ》の村を通り過《す》ぎると、大きな百姓家《ひゃくしょうや》の門の前へ出た。中をのぞくとおおぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。そのうちの二、三|人《にん》は襦珍《しゅちん》(しゅすの織物)のリボンを結んだ花たばを持っていた。
 ご婚礼《こんれい》であった。わたしはきっとこの人たちがちょっとした音楽とおどりを好《す》くかもしれないと思った。そこで背戸《せど》へはいって、まっ先に出会った人に勧《すす》めてみた。その人は赤い顔をした、大きな、人のよさそうな男であった。かれは高い白えりをつけて、プレンス・アルベール服を着ていた。かれはわたしの問いに答えないで、客のほうへ向きながら、口に二本の指を当てて、それはカピをおびえさせたほどの高い口ぶえをふいた。
「どうだね、みなさん、音楽は」とかれはさけんだ。「楽師がやって来ましたよ」
「おお、音楽音楽」といっしょの声が聞こえた。
「カドリールの列をお作り」
 おどり手はさっそく庭のまん中に集まった。マチアとわたしは荷馬車の中に陣取《じんど》った。
「きみはカドリールがひけるか」と心配してわたしはささやいた。
「ああ」
 かれはヴァイオリンで二、三|節《せつ》調子を合わせた。運よくわたしはその節《ふし》を知っていた。わたしたちは助かった。マチアとわたしはまだいっしょにやったことはなかったが、まずくはやらなかった。もっともこの人たちはたいして音楽のいい悪いはかまわなかった。
「おまえたちのうち、コルネ(小ラッパ)のふける者があるかい」と赤い顔をした大男がたずねた。
「ぼくがやれます」とマチアは言った。「でも楽器《がっき》を持っていませんから」
「わしが行って探《さが》して来る。ヴァイオリンもいいが、きいきい言うからなあ」
 わたしはその日一日で、マチアがなんでもやれることがわかった。わたしたちは休みなしに晩《ばん》までやった。それにはわたしは平気であったが、かわいそうにマチアはひどく弱っていた。だんだんわたしはかれが青くなって、たおれそうになるのを見た。でもかれはいっしょうけんめいふき続《つづ》けた。幸いにかれが気分が悪いことを見つけたのは、わたし一人ではなかった。花よめさんがやはりそれを見つけた。
「もうたくさんよ」とかの女は言った。「あの小さい子は、つかれきっていますわ。さあ、みんな楽師《がくし》たちにやるご祝儀《しゅうぎ》をね」
 わたしはぼうしをカピに投げてやった。カピはそれを口で受け取った。
「どうかわたくしどもの召使《めしつか》いにお授《さず》けください」とわたしは言った。
 かれらはかっさいした。そしてカピがおじぎをするふうを見て、うれしがっていた。かれらはたんまりくれた。花むこさまはいちばんおしまいに残《のこ》ったが、五フランの銀貨《ぎんか》をぼうしに落としてくれた。ぼうしは金貨でいっぱいになった。なんという幸せだ。
 わたしたちは夕食に招待《しょうたい》された。そして物置《ものお》きの中でねむる場所をあたえてもらった。
 あくる朝この親切な百姓家《ひゃくしょうや》を出るとき、わたしたちには二十八フランの資本《もとで》があった。
「マチア、これはきみのおかげだよ」とわたしは勘定《かんじょう》したあとで言った。「ぼく一人きりでは楽隊《がくたい》は務《つと》まらないからねえ」
 二十八フランをかくしに入れて、わたしたちは福々であった。コルベイユへ着くと、わたしはさし当たりなくてならないと思う品を二つ三つ買うことができた。第一はコルネ、これは古道具屋で三フランした。それからくつ下に結《むす》ぶ赤リボン、最後《さいご》にもう一つの背嚢《はいのう》であった。代わりばんこに重い背嚢をしょうよりも、てんでんが軽い背嚢をしじゅうしょっているほうが楽であった。
「きみのような、人をぶたない親方はよすぎるくらいだ」とマチアがうれしそうに笑《わら》いながら言った。
 わたしたちのふところ具合がよくなったので、わたしは少しも早く、バルブレンのおっかあの所に向かって行こうと決心した。わたしはかの女におくり物を用意することができた。わたしはもう金持ちであった。なによりもかよりも、かの女を幸福にするものがあった。それはあのかわいそうなルセットの代わりになる雌牛《めうし》をおくってやることだ。わたしが雌牛をやったら、どんなにかの女はうれしがるだろう。どんなにわたしは得意《とくい》だろう。シャヴァノンに着くまえに、わたしは雌牛を買う。そしてマチアがたづなをつけて、すぐとバルブレンのおっかあの背戸《せど》へ引いて行く。
 マチアはこう言うだろう。「雌牛《めうし》を持って来ましたよ」
「へえ、雌牛を」とかの女は目を丸《まる》くするだろう。「まあおまえさんは人ちがいをしているんだよ」
 こう言ってかの女はため息をつくだろう。
「いいえ、ちがやしません」とマチアが答えるだろう。「あなたはシャヴァノン村のバルブレンのおばさんでしょう。そらおとぎ話の中にあるとおり、『王子さま』があなたの所へこれをおくり物になさるのですよ」
「王子さまとは」
 そこへわたしが現《あらわ》れて、かの女をだき寄《よ》せる。それからわたしたちはおたがいにだき合ってから、どら焼《や》きとりんごの揚《あ》げ物《もの》をこしらえて、三人で食べる。けれどバルブレンにはやらない。ちょうどあの謝肉祭《しゃにくさい》の日にあの男が帰って来て、わたしたちのフライなべを引っくり返して、自分のねぎのスープに、せっかくのバターを入れてしまったときのように意地悪くしてやる。なんというすばらしいゆめだろう。でもそれをほんとうにするには、まず雌牛《めうし》から買わなければならない。
 いったい雌牛はどのくらいするだろう。わたしはまるっきり見当がつかない。きっとずいぶんするにちがいない。でもまだ……わたしはたいして大きな雌牛は欲《ほ》しくなかった。なぜなら太っていればいるほど、雌牛は値段《ねだん》が高いから。それに大きければ大きいほど雌牛《めうし》は食べ物がよけい要《い》るだろう。わたしはせっかくのおくり物が、バルブレンのおっかあのやっかいになってはならないと思う。さしあたりだいじなことは、雌牛の値段《ねだん》を知ることであった。いや、それよりもわたしの欲《ほ》しいと思う種類《しゅるい》の雌牛の値段を知ることであった。幸いにわたしたちはたびたびおおぜいの百姓《ひゃくしょう》やばくろうに行く先の村むらで出会うので、それを知るのはむずかしくはなかった。わたしはその日|宿屋《やどや》で出会った初《はじ》めの男にたずねてみた。
 かれはげらげら笑《わら》いだした、食卓《しょくたく》をどんとたたいた。それからかれは宿屋のおかみさんを呼《よ》んだ。
「この小さな楽師《がくし》さんは、雌牛《めうし》の価《ね》が聞きたいというのだ。たいへん大きなやつでなくて、ごくじょうぶで、乳《ちち》をたくさん出すのだそうだ」
 みんなは笑《わら》った。でもわたしはなんとも思わなかった。
「そうです、いい乳を出して、あんまり食べ物を食べないのです」とわたしは言った。
「そうしてその雌牛《めうし》はたづなに引かれて道を歩くことをいやがらないものでなくってはね」
 かれは一とおり笑《わら》ってしまうと、今度はわたしと話し合う気になって、事がらをまじめにあつかい始めた。かれはちょうど注文の品を持っていた。それはうまい乳《ちち》を――正銘《しょうめい》のクリームを出すいい雌牛《めうし》を持っていた――しかもそれはほとんど物を食べなかった。五十エクー出せばその雌牛はわたしの手にはいるはずであった。初《はじ》めこそこの男に話をさせるのが骨《ほね》が折《お》れたが、一度始めだすと今度はやめさせるのが困難《こんなん》であった。やっとわたしたちはその晩《ばん》おそく、とにかくねに行くことができた。わたしはこの男から聞いたことを残《のこ》らずゆめに見ていた。
 五十エクー――それは百五十フランであった。わたしはとてもそんなばくだいな金を持ってはいなかった。ことによってわたしたちの幸運がこの先|続《つづ》けば、一スー一スーとたくわえて百五十フランになることがあるかもしれない。けれどそれにはひまがかかった。そうとすればわたしたちはなによりまずヴァルセへ行ってバンジャメンに会う。その道にできるだけほうぼうで演芸《えんげい》をして歩こう。それから帰り道に金ができるかもしれないから、そのときシャヴァノンへ行って、王子さまの雌牛《めうし》のおとぎ芝居《しばい》を演《えん》じることにしよう。
 わたしはマチアにこのくわだてを話した。かれはこれになんの異議《いぎ》をも唱《とな》えなかった。
「ヴァルセへ行こう」とかれは言った。「ぼくもそういう所へは行って見たいよ」


     煤煙《ばいえん》の町

 この旅行はほとんど三月かかったが、やっとヴァルセの村はずれにかかったときに、わたしたちはむだに日をくらさなかったことを知った。わたしのなめし皮の財布《さいふ》にはもう百二十八フランはいっていた。バルブレンのおっかあの雌牛《めうし》を買うには、あとたった二十二フラン足りないだけであった。
 マチアもわたしと同じくらい喜《よろこ》んでいた。かれはこれだけの金をもうけるために、自分も働《はたら》いたことにたいへん得意《とくい》であった。実際《じっさい》かれのてがらは大きかった。かれなしには、カピとわたしだけで、とても百二十八フランなんという金高の集まりようはずがなかった。これだけあれば、ヴァルセからシャヴァノンまでの間に、あとの足りない二十二フランぐらいはわけなく得られよう。
 わたしたちが、ヴァルセに着いたのは午後の三時であった。きらきらした太陽が晴れた空にかがやいていたが、だんだん町へ近くなればなるほど空気が黒ずんできた。天と地の間に煤煙《ばいえん》の雲がうずを巻《ま》いていた。
 わたしはアルキシーのおじさんがヴァルセの鉱山《こうざん》で働《はたら》いていることは知っていたが、いったい町中《まちなか》にいるのか、外に住んでいるのか知らなかった。ただかれがツルイエールという鉱山で働いていることだけ知っていた。
 町へはいるとすぐわたしはこの鉱山《こうざん》がどのへんにあるかたずねた。そしてそれはリボンヌ川の左のがけの小さな谷で、その谷の名が鉱山の名になっていることを教えられた。この谷は町と同様ふゆかいであった。
 鉱山《こうざん》の事務所《じむしょ》へ行くと、わたしたちはアルキシーのおじさんのガスパールのいる所を教えられた。それは山から川へ続《つづ》く曲がりくねった町の中で、鉱山からすこしはなれた所にあった。
 わたしたちがその家に行き着くと、ドアによっかかって二、三人、近所の人と話をしていた婦人《ふじん》が、坑夫《こうふ》のガスパールは六時でなければ帰らないと言った。
「おまえさん、なんの用なの」とかの女はたずねた。
「わたしはおいごさんのアルキシー君に会いたいのです」
「ああ、おまえさん、ルミさんかえ」とかの女は言った。「アルキシーがよくおまえさんのことを言っていたよ。あの子はおまえさんを待っていたよ」こう言ってなお、「そこにいる人はだれ」と、マチアを指さした。
「ぼくの友だちです」
 この女はアルキシーのおばさんであった。わたしはかの女がわたしたちをうちの中へ呼《よ》び入れて休ませてくれることと思った。わたしたちはずいぶんほこりをかぶってつかれていた。けれどかの女はただ、六時にまた来ればアルキシーに会える、いまはちょうど鉱山《こうざん》へ行っているところだからと言っただけであった。
 わたしはむこうから申し出されもしないことを、こちらから請求《せいきゅう》する勇気《ゆうき》はなかった。
 わたしたちはおばさんに礼を述《の》べて、ともかくなにか食べ物を食べようと思って、パン屋を探《さが》しに町へ行った。「わたしはマチアがさぞ、なんてことだ」と思っているだろうと考えて、こんな待遇《たいぐう》を受けたのがきまり悪かった。こんなことなら、なんだってあんな遠い道をはるばるやって来たのであろう。
 これではマチアが、わたしの友人に対してもおもしろくない感じを持つだろうと思われた。これではリーズのことを話しても、わたしと同じ興味《きょうみ》で聞いてはくれないだろうと思った。でもわたしはかれがひじょうにリーズを好《す》いてくれることを望《のぞ》んでいた。
 おばさんがわたしたちにあたえた冷淡《れいたん》な待遇《たいぐう》は、わたしたちにふたたびあのうちへもどる勇気《ゆうき》を失《うしな》わせたので、六時すこしまえにマチアとカピとわたしは、鉱山《こうざん》の入口に行って、アルキシーを待つことにした。
 わたしたちはどの坑道《こうどう》から工夫《こうふ》たちが出て来るか教えてもらった。それで六時すこし過《す》ぎに、わたしたちは坑道の暗いかげの中に、小さな明かりがぽつりぽつり見え始めて、それがだんだんに大きくなるのを見た。工夫たちは手に手にランプを持ちながら、一日の仕事をすまして、日光の中に出て来るのであった。かれらはひざがしらが痛《いた》むかのように、重い足どりでのろのろと出て来た。わたしはそののちに、地下の坑道《こうどう》のどん底《そこ》まではしごを下りて行ったとき、それがどういうわけだかはじめてわかった。かれらの顔はえんとつそうじのようにまっ黒であった。かれらの服とぼうしは石炭のごみをいっぱいかぶっていた。やがてみんなは点燈所《てんとうしょ》にはいって、ランプをくぎに引っかけた。
 ずいぶん注意して見ていたのであるが、やはり向こうから見つけてかけ寄《よ》って来るまで、わたしたちはアルキシーを見つけなかった。もうすこしでかれを見つけることなしにやり過《す》ごしてしまうところであった。
 実際《じっさい》頭から足までまっ黒くろなこの少年に、あのひじの所で折《お》れたきれいなシャツを着て、カラーの前を大きく開けて白い膚《はだ》を見せながら、いっしょに花畑の道をかけっこしたむかしなじみのアルキシーを見いだすことは困難《こんなん》であった。
「やあ、ルミだよ」とかれはそばに寄《よ》りそって歩いていた四十ばかりの男のほうを向いてさけんだ。その人はアッケンのお父さんと同じような、親切な快活《かいかつ》な顔をしていた。二人が兄弟であることを思えば、それはふしぎではなかった。わたしはすぐそれがガスパールおじさんであることを知った。
「わたしたちは長いあいだおまえさんを待っていたよ」とかれはにっこりしながら言った。
「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」とわたしは笑《わら》い返しながら言った。
「おまけにおまえさんの足は短いからな」とかれは笑いながら言い返した。
 カピもアルキシーを見ると、うれしがっていっしょうけんめいそのズボンのすそを引《ひ》っ張《ぱ》って、お喜《よろこ》びのごあいさつをした。このあいだわたしはガスパールおじさんに向かって、マチアがわたしの仲間《なかま》であること、そしてかれがだれよりもコルネをうまくふくことを話した。
「おお、カピ君もいるな」とガスパールおじさんが言った。「おまえ、あしたはゆっくり休んで行きなさい。ちょうど日曜日で、わたしたちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシーの話ではあの犬は学校の先生と役者をいっしょにしたよりもかしこいというじゃないか」
 わたしはおばさんに対して気持ち悪く感じたと同じくらいこのガスパールおじさんに対しては気持ちよく感じた。
「さあ、子どもどうし話をおしよ」とかれはゆかいそうに言った。「きっとおたがいにたんと話すことが積《つ》もっているにちがいない。わたしはこのコルネをそんなにじょうずにふく若《わか》い紳士《しんし》とおしゃべりをしよう」
 アルキシーはわたしの旅の話を聞きたがった。わたしはかれの仕事の様子を知りたがった。わたしたちはおたがいにたずね合うのがいそがしくって、てんでに相手《あいて》の返事が待ちきれなかった。
 うちに着くと、ガスパールおじさんはわたしたちを晩飯《ばんめし》に招待《しょうたい》してくれることになった。この招待ほどわたしをゆかいにしたものはなかった。なぜならわたしたちはさっきのおばさんの待遇《たいぐう》ぶりで、がっかりしきっていたから、たぶん門口《かどぐち》で別《わか》れることになるだろうと、道みちも思っていたからであった。
「さあ、ルミさんとお友だちのおいでだよ」おじさんはうちへはいりかけながらどなった。
 しばらくしてわたしたちは夕食の食卓《しょくたく》にすわった。食事は長くはかからなかった。なぜなら金棒引《かなぼうひ》きであるこのおばさんは、その晩《ばん》ごくお軽少《けいしょう》のごちそうしかしなかった。ひどい労働《ろうどう》をする坑夫《こうふ》は、でもこごと一つ言わずに、このお軽少な夕食を食べていた。かれはなによりも平和を好《この》む、事《こと》なかれ主義《しゅぎ》の男であった。かれはけっしてこごとを言わなかった。言うことがあれば、おとなしい、静《しず》かな調子で言った。だから夕食はじきにすんでしまった。
 ガスパールおばさんはわたしに、今晩《こんばん》はアルキシーといっしょにいてもいいと言った。そしてマチアにはいっしょに行ってくれるなら、パン焼《や》き場《ば》にねどこをこしらえてあげると言った。
 その晩《ばん》それから続《つづ》いてその夜中の大部分、アルキシーとわたしは話し明かした。アルキシーがわたしに話したいちいちがきみょうにわたしを興奮《こうふん》させた。わたしはもとからいつか一度|鉱山《こうざん》の中にはいってみたいと思っていた。
 でもあくる日、わたしの希望《きぼう》をガスパールおじさんに話すと、かれはたぶん連《つ》れて行くことはできまい、なんでも炭坑《たんこう》で働《はたら》いている者のほかは、よその人を入れないことになっているからと言った。
「だがおまえ、坑夫《こうふ》になりたいと思えばわけのないことだ」とかれは言った。「ほかの仕事に比《くら》べて悪いことはないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーといっしょにいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」
 わたしは、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分の志《こころざ》すことはほかにあった。それでついわたしの好奇心《こうきしん》を満《み》たすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな事情《じじょう》から、わたしは坑夫《こうふ》のさらされているあらゆる危険《きけん》を知るようになった。


     運搬夫《うんぱんふ》

 ちょうどわたしたちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、危《あぶ》なくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に絶対《ぜったい》の安静《あんせい》をあたえなければならなかった。ガスパールおじさんはがっかりしていた。なぜならもうかれの車をおしてくれる者はなかったし、かれもしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いことであった。
「じゃあぼくで代わりは務《つと》まりませんか」とかれが代わりの子どもをどこにも求《もと》めかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、わたしは言った。
「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」とかれは言った。「でもやってみてくれようと言うなら、わたしは大助かりさ。なにしろほんの五、六日使う子どもを探《さが》すというのはやっかいだよ」
 この話をわきで聞いていたマチアが言った。
「じゃあ、きみが鉱山《こうざん》に行っているうち、ぼくはカピを連《つ》れて出かけて行って、雌牛《めうし》のお金の足りない分をもうけて来よう」
 明るい野天の下で三月くらしたあいだに、マチアはすっかり人が変《か》わっていた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。ましてわたしが初《はじ》めて屋根裏《やねうら》の部屋《へや》で会ったとき、スープなべの見張《みは》りをして、絶《た》えず気のどくな痛《いた》む頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして頭痛《ずつう》がしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気がかれに健康《けんこう》と元気をあたえた。旅をしながらかれはいつも上きげんに笑《わら》っていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなることであろう。
 わたしたちはずいぶん性質《せいしつ》がちがっていた。たぶんそれでかえって性《しょう》が合うのかもしれなかった。かれは優《やさ》しい、明るい気質《きしつ》を持っていた。すこしもものにめげない、いつもきげんよく困難《こんなん》に打ちかってゆく気風があった。わたしには学校の先生のようなしんぼう気がなかったから、かれは物を読むことや音楽のけいこをするときにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに対して無理《むり》を言ったが、一度もかれはおこった顔を見せなかった。
 こういうわけで、わたしが鉱山《こうざん》に下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と芝居《しばい》の興行《こうぎょう》をして、それでわたしたちの財産《ざいさん》を増《ふ》やすという、やくそくができあがった。わたしはカピに向かってこの計画を言い聞かせると、かれはよくわかったとみえて、さっそく賛成《さんせい》の意をほえてみせた。
 あくる日、ガスパールおじさんのあとにくっついて、わたしは深いまっ暗な鉱山《こうざん》に下りて行った。かれはわたしにじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その警告《けいこく》の必要《ひつよう》はなかった。もっとも昼の光をはなれて地の底《そこ》へはいって行くということには、ずいぶんの恐怖《きょうふ》と心配がないではなかった。ぐんぐん坑道《こうどう》を下りて行ったとき、わたしは思わずふりあおいだ。すると、長い黒いえんとつの先に見える昼の光が、白い玉のように、まっ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒いやみが目の前に大きな口を開いた。下の坑道《こうどう》にはほかの坑夫《こうふ》がはしご段《だん》を下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんが働《はたら》いている二|層《そう》目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」と呼《よ》ばれている人のほかは、残《のこ》らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、若《わか》いじぶんには鉱山《こうざん》で大工《だいく》の仕事をしていたが、あるとき過《あやま》って指をくだいてからは、手についた職《しょく》を捨《す》てなければならなかったのであった。
 さて坑《こう》にはいってまもなく、わたしは坑夫《こうふ》というものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。


     洪水《こうずい》

 それはこういうことからであった。
 運搬夫《うんぱんふ》になって、四、五日してのち、わたしは車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。
 わたしの初《はじ》めの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものにこわがるといっては笑《わら》われていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。爆発《ばくはつ》だろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。
 ふと何百というねずみが、一|連隊《れんたい》の兵士《へいし》の走るように、すぐそばをかけ出して来た。すると地面と坑道《こうどう》のかべにずしんと当たるきみょうな音が聞こえて、水の走る音がした。わたしはガスパールおじさんのほうへかけてもどった。
「水が鉱坑《こうこう》にはいって来たのです」とわたしはさけんだ。
「ばかなことを言うな」
「まあ、お聞きなさい。あの音を」
 そう言ったわたしの様子には、ガスパールおじさんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。
「いっしょうけんめいかけろ。鉱坑《こうこう》に水が出た」とかれがさけんだ。
「先生、先生」とわたしはさけんだ。
 わたしたちは坑道《こうどう》をかけ下りた。老人《ろうじん》もいっしょについて来た。水がどんどん上がって来た。
「おまえさん先へおいでよ」とはしご段《だん》まで来ると老人は言った。
 わたしたちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパールおじさんは先に立った。そのあとへわたしも続《つづ》いて、それから「先生」が上がった。はしご段《だん》のてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。
「しっかり」とガスパールおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出されたらしかった、たきの勢《いきお》いがどっどっとなだれのようにおして来た。
 わたしたちは第一|層《そう》にいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。
「いよいよだめかな」と「先生」は静《しず》かに言った。「おいのりを唱《とな》えよう、こぞうさん」
 このしゅんかん、七、八人のランプを持った坑夫《こうふ》がわたしたちの方角へかけて来て、はしご段《だん》に上がろうと骨《ほね》を折《お》っていた。
 水はいまに規則《きそく》正しい波になって、坑《こう》の中を走っていた。気ちがいのような勢《いきお》いでうずをわかせながら、材木《ざいもく》をおし流して、羽《はね》のように軽《かる》くくるくる回した。
「通気竪坑《つうきたてこう》にはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプを貸《か》してくれ」と「先生」が言った。
 いつもならだれもこの老人《ろうじん》がなにか言っても、からかう種《たね》にはしても、まじめに気を留《と》める者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは精神《せいしん》を失《うしな》っていた。それでしじゅうばかにしてした老人の声に、いまはついて行こうとする気持ちになっていた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持って先に立ちながら、いっしょにわたしを引《ひ》っ張《ぱ》って行った。かれはだれよりもよく鉱坑《こうこう》のすみずみを知っていた。水はもうわたしのこしまでついていた。「先生」はわたしたちをいちばん近い竪坑《たてこう》に連《つ》れて行った。二人の坑夫《こうふ》はしかしそれは地獄《じごく》へ落《お》ちるようなものだと言って、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いて行った。わたしたちはそれからもう二度とかれらを見なかった。
 そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。大津波《おおつなみ》のうなる音、木のめりめりさける音、圧搾《あっさく》された空気の爆発《ばくはつ》する音、すさまじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。
「大洪水《だいこうずい》だ」と一人がさけんだ。
「世界《せかい》の終わりだ」
「おお、神様お助けください」
 人びとが絶望《ぜつぼう》のさけび声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傾聴《けいちょう》させずにおかないような声で言った。
「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた固《かた》まっていても、しかたがない。ともかくからだを落ち着ける穴《あな》をほらなければならない」
 かれのことばはみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は困難《こんなん》であった。なにしろわたしたちがかくれた竪坑《たてこう》はひどい傾斜《けいしゃ》になっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。
 でもどうやらやっと足だまりができた。わたしたちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパールおじさんに、三人の坑夫のパージュ、コンプルー、ベルグヌー、それからカロリーという車おしのこぞう、それにわたしであった。
 鉱山の物音は同じはげしさで続《つづ》いた。このおそろしいうなり声を説明《せつめい》することばはなかった。いよいよわれわれの最後《さいご》のときが来たように思われた。恐怖《きょうふ》に気がくるったようになって、わたしたちはおたがいに探《さぐ》るように相手《あいて》の顔を見た。
「鉱山の悪霊《あくりょう》が復《ふく》しゅうをしたのだ」と一人がさけんだ。
「上の川に穴《あな》があいて、水がはいって来たのでしょう」とわたしはこわごわ言ってみた。
「先生」はなにも言わなかった。かれはただ肩《かた》をそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間くわの木のかげで、ねぎでも食べながら論《ろん》じてみようというようであった。
「鉱山《こうざん》の悪霊《あくりょう》なんというのはばかな話だ」とかれは最後《さいご》に言った。「鉱山に洪水《こうずい》が来ている。それは確《たし》かだ。だがその洪水がどうして起こったかここにいてはわからない……」
「ふん、わからなければだまっていろ」とみんながさけんだ。
 わたしたちはかわいた土の上にいて、水がもう寄《よ》せて来ないので、すっかり気が強くなり、だれも老人《ろうじん》に耳をかたむけようとする者がなかった。さっき危険《きけん》の場合に示《しめ》した冷静沈着《れいせいちんちゃく》のおかげで、急にかれに加わった権威《けんい》はもう失《うしな》われていた。
「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」とかれはやがて静《しず》かに言った。「ランプの灯《ひ》を見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」
「魔法使《まほうつか》いみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」
「おれは魔法使《まほうつか》いをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その圧搾空気《あっさくくうき》で水が上がって来ないのだ。出口のないこの竪坑《たてこう》はちょうど潜水鐘《せんすいしょう》(潜水器)が潜水夫《せんすいふ》の役に立つと同じりくつになっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ……水はもう一|尺《しゃく》(約三〇センチ)も上がっては来ない。鉱山《こうざん》の中は水でいっぱいになっているにちがいない」
「マリウスはどうしたろう」
「鉱坑《こうこう》は水でいっぱいになっている」と言った「先生」のことばで、パージュは三|層《そう》目で働《はたら》いていた一人むすこのことを思い出した
「おお、マリウス、マリウス」とかれはまたさけんだ。
 なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいる坑《こう》の外にはとおらなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんなおぼれたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくとも坑の中にはいっていた。そのうちいく人《にん》竪坑《たてこう》に上がったろうか。わたしたちのようににげ場を見つけたろうか。
 うすぼんやりしたランプの光が心細くわたしたちのせまいおりを照《て》らしていた。


     生きた墓穴《はかあな》

 いまや鉱坑《こうこう》の中には絶対《ぜったい》の沈黙《ちんもく》が支配《しはい》していた。わたしたちの足もとにある水はごく静《しず》かに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。この破《やぶ》りがたいしずんだ重い沈黙が、初《はじ》め水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
 わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)の墓《はか》の中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の恐怖《きょうふ》を感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
 とつぜんわたしたちは手に温《あたた》かいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまって泣《な》いていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
 空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙《ちんもく》がわたしを圧迫《あっぱく》した。
 わたしたちの避難所《ひなんじょ》のでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人《ふじん》にも、それから好《す》きなマチアにも。
 みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを了解《りょうかい》させることができるであろうか。かの女の兄たちや姉《あね》さんからの便《たよ》りをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちを救《すく》うくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう沈黙《ちんもく》を破《やぶ》って言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、仲間《なかま》のことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」は熱《あつ》くなってさけんだ。「いつの鉱山《こうざん》の椿事《ちんじ》でも、仲間《なかま》がおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫《こうふ》のことだって、あの二十人百人の仲間《なかま》がけっして見殺《みごろ》しにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄《ちかよ》ろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水を干《ほ》すのだ」
 人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論《ぎろん》を始めた。結局《けっきょく》少《すく》なくともこの墓《はか》の中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が一致《いっち》した。八日。わたしも坑夫《こうふ》が二十四日も穴《あな》の中に閉《と》じこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実《しんじつ》であった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
 また沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
 これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれは救《すく》われよう。
 カロリーはわたしの手を取って固《かた》くにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
 でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって主張《しゅちょう》した。かれの様子は酒に酔《よ》っている人のようであった。またまったくそうであった。かれは希望《きぼう》に酔《よ》っていたのだ。
 けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安《ふあん》の日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかく積《つ》み上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつを貸《か》しておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
 カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手を貸《か》してあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言い張《は》った。「さあ、手をお持ち」
 かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜《けいしゃ》の上をすべって、まっ逆《さか》さまに暗い水の中に落ちこんだ。かれがわたしに見せるつもりで持っていたランプは、続《つづ》いて転《ころ》がって見えなくなった。
 たちまちわたしは暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つの灯《ひ》しかなかったのであった。みんなの中から同じさけび声が起こった。幸いにわたしはもう水にとどく位置《いち》に下りていた。背中《せなか》で土手をすべりながら、わたしは老人《ろうじん》を探《さが》しに水の中にはいった。
 ヴィタリス親方と流浪《るろう》していたあいだに、わたしは泳ぐことも、水にはいることも覚《おぼ》えた。わたしはおかの上と同様、水の中でも楽に働《はたら》けた。だがこのまっ暗な穴《あな》の中で、どうして見当をつけよう。わたしは水にはいったとき、それを少しも考えなかった。わたしはただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこをわたしは見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、わたしは困《こま》っていると、ふとしっかり肩《かた》をつかまえられたように感じた。わたしは水の中に引きこまれた、足を強くけって、わたしは水の面《おもて》へ出た。手はまだ肩をつかんでいた。
「しっかりおしなさい、先生」とわたしはさけんだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」
 助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。わたしはどちらへ泳いでいいかわからなかった。
「ねえ、だれか、声をかけてください」とわたしはさけんだ。
「ルミ、どこだ」
 こう言ったのはガスパールおじさんの声であった。
「ランプをつけてください」
 ランプが暗やみの中から探《さぐ》り出されて、すぐに明かりがついた、わたしはただ手をのばせば土手にさわることができた。片手《かたて》で石炭のかけらをつかんで、わたしは老人《ろうじん》を引き上げた。もう、少しで危《あぶ》ないところであった。
 かれはもうたくさんの水を飲んでいて、半分|人事不省《じんじふせい》であった。わたしはかれの頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにかかれは上がって来た。仲間《なかま》はかれの手を取って引き上げる。わたしは後からおし上げた。わたしはそのあとで今度は自分がはい上がった。
 このふゆかいな出来事で、しばらくわたしたちの気を転じさせたが、それがすむとまた圧迫《あっぱく》と絶望《ぜつぼう》におそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。
 わたしはひじょうにねむくなった。この場所はねるのにつごうのいい場所ではなかった。じきに水の中に転《ころ》がり落ちそうであった。すると「先生」はわたしの危《あぶ》なっかしいのを見て、かれの胸《むね》にわたしの頭をつけて、わたしのからだをうででおさえてくれた。かれはたいしてしっかりおさえてはいなかったが、わたしが落ちないだけにはじゅうぶんであった。わたしはそこで母のひざにねむる子どものようにねむった。
 わたしが半分目が覚《さ》めて身動きすると、かれはただきつくなった自分のうでの位置《いち》を変えた。そして自分は動かずにすわっていた。
「お休み、ぼうや」とかれはわたしの上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。わたしがおさえていてあげるからな」
 それでわたしは恐怖《きょうふ》なしにねむった。かれがけっして手をはなさないことをわたしはよく知っていた。


     救助《きゅうじょ》

 わたしたちは時間《じかん》の観念《かんねん》がなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もうだれも救《すく》われることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。
「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーがさけんだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、勘定《かんじょう》していたじゃないか。だがとてもまに合いそうもないぜ。おれたちは空腹《くうふく》か窒息《ちっそく》で死ぬだろう」
「しんぼうしろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。だいじょうぶ、まに合うよ」
 このしゅんかん、大きなコンプルーが声を立ててすすり泣《な》きを始めた。
「神様の罰《ばち》だ」とかれはさけんだ。「おれは後悔《こうかい》する。おれは後悔する。もしここから出られたら、おれはいままでした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、おれのために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計をぬすんで、五年の宣告《せんこく》を受けたリケを知っているか……だがおれがそのどろぼうだった。ほんとうはおれがとったのだ。それはおれの寝台《ねだい》の下にはいっている……おお……」
「あいつを水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーがさけんだ。
「じゃあ、おまえは良心《りょうしん》に罪《つみ》をしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に懺悔《ざんげ》させろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と大力《たいりき》のコンプルーが、子どもよりもっといくじなく泣《な》いた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろに丸《まる》くなっていた罪人《ざいにん》にとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件《じょうけん》がついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平な裁《さば》きだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された判決《はんけつ》のように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、絶《た》えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくい改《あらた》める。おれはくい改める」
 やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
 かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくい改《あらた》める。おれはくい改める」
 かれはひどい熱《ねつ》にかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつを貸《か》してくれ」
 もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしを呼《よ》び止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
 しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言い続《つづ》けた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけは許《ゆる》してやれ」と「先生」が言った。
 かれはわたしがさっき背中《せなか》で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手は空《くう》をつかんだまま、かれはまっ暗な穴《あな》の中に落ちこんだ。
 水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
 半分死んだように、恐怖《きょうふ》にふるえがら、わたしは席《せき》にもどった。
 時間が過《す》ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神《せいしん》をもしずませた。わたしたちの空腹《くうふく》はひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん腹《はら》をすかした。かれは片《かた》っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹《くうふく》がどんなどん底《ぞこ》のやみにまでわたしたちを導《みちび》くかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖《きょうふ》を感じだした。ヴィタリス老人《ろうじん》は、よく難船《なんせん》した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着《ひょうちゃく》した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間《なかま》がこんなにひどい空腹《くうふく》に責《せ》められているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
 一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで相手《あいて》の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらの変《へん》な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
 ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約《けんやく》するため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
 明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識《いしき》をとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
 しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく乱《みだ》れていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし続《つづ》けていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置《かきお》きを残《のこ》して行こうと言った。
 わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆《だいひつ》した。そしててんでんがその紙に署名《しょめい》をした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっている干《ひ》からびたばらの花を送ってもらいたいという希望《きぼう》を書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
 しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水が著《いちじる》しく減《へ》っているのを見た。わたしは急いで仲間《なかま》の所へかけもどって、もうはしご段《だん》の所まで泳いで行けること、それから救助《きゅうじょ》に来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができると告《つ》げた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言い張《は》った。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
 「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気《ゆうき》がある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外《あんがい》成功《せいこう》することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
 わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎ捨《す》てて、水の中にとびこんだ。
 とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
 坑道《こうどう》の屋根の下の空き地が、自由にからだの働《はたら》けるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問《ぎもん》であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道《こうどう》の出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなり迷《まよ》ってしまう危険《きけん》があった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと確《たし》かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間《なかま》の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
 坑道《こうどう》のまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
 わたしは道をまちがえたのだ。
 仲間《なかま》の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息を吸《す》いこんで、またとびこんだが、やはり成功《せいこう》しなかった。レールはなかった。
 わたしはちがった層《そう》にはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんな呼《よ》ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。この冷《つめ》たい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしは迷《まよ》った。
 するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しい層《そう》へ出ていることは確《たし》かであった。
 そのときふとわたしは、レールが津波《つなみ》のために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
 わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
 わたしは急いで声をあてに避難所《ひなんじょ》のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間《なかま》の声が先《せん》よりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑《たてこう》の入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
 わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助《きゅうじょ》のために働《はたら》いている人たちの呼《よ》び声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮《こうふん》が過《す》ぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せる暖《あたた》かい着物が別《べつ》にないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高く積《つ》んだ。
 もうまもなく救助《きゅうじょ》の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉《ゆうへい》の最後《さいご》の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだん救《すく》い出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
 とつぜん坑道《こうどう》の水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師《ぎし》はおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
 もうわたしの正気は失《うしな》われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識《いしき》だけはあった。わたしは救助員《きゅうじょいん》たちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布《もうふ》に包《つつ》まれた。わたしは目を閉《と》じた。
 また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師《ぎし》のうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
 それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
 おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集《ぐんしゅう》であった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮《こうふん》させてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣《ころも》と錦襴《きんらん》のかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山《こうざん》の口へ来て、わたしたちの救助《きゅうじょ》のためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらは砂《すな》の中にひざまでうずめてすわっていた。
 二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさし延《の》べられた。けれど技師《ぎし》はわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所《じむしょ》へ連《つ》れて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台《ねだい》ができていた。
 二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピを連《つ》れて、村の往来《おうらい》を歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服《もふく》をつけていた。かれらはこの親もない家もない子が救《すく》われたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山《こうざん》の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。


     音楽の先生

 坑《こう》の中にいるあいだに、わたしはお友だちができた。あのおそろしい経験《けいけん》をおたがいにし合った仲間《なかま》が一つに結《むす》ばれた。ガスパールおじさんと「先生」は、とりわけたいそうわたしが好《す》きになった。
 技師《ぎし》も災難《さいなん》をともにはしなかったが、自分が骨《ほね》を折《お》って危《あや》ういところを救《すく》い出した子どもということで、わたしに親しんだ。かれはわたしをそのうちへ招待《しょうたい》した。わたしはかれのむすめに坑《こう》の中で起こったことを残《のこ》らず話してやらなければならなかった。
 だれもわたしをヴァルセへ引き止めたがった。技師《ぎし》は、わたしが望《のぞ》むなら、事務所《じむしょ》で仕事を見つけてやると言った。ガスパールおじさんも鉱山《こうざん》でしじゅうの仕事をこしらえようと言った。かれはわたしが坑《こう》へ帰ることがごく自然《しぜん》なように思っているらしかった。かれ自身はもうまもなく、毎日《まいにち》危険《きけん》をおかすことに慣《な》れた人の見せるようなむとんちゃくさで、また坑《こう》へはいって行った。でもわたしはもうそこへ帰って行く気はしなかった。鉱山《こうざん》はひじょうにおもしろかった。それを見たということはたいへんゆかいであったけれど、そこへ帰って行こうとはゆめにも思わなかった。
 それよりもわたしはいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活がわたしにはずっと性《しょう》に合っていた。そう言ってわたしはかれらに話した。だれもおどろいていた。とりわけ「先生」がおどろいていた。カロリーはとちゅうで出会うと、わたしを「やあ、ひよっこ」と呼《よ》んだ。
 みんながわたしをヴァルセに止めたがって、いろいろ勧《すす》めているあいだ、マチアはひどくぼんやりして考えこむようになった。そのわけをたずねると、かれはいつも、なになんでもないと打ち消していた。
 いよいよ三日のうちにここを立つことをわたしがかれに話したとき、かれは初《はじ》めてこのごろふさいでいたわけを語った。
「ああ、ぼくはきみがここにこのまま残《のこ》って、ぼくを捨《す》てるだろうと思ったから」とかれは言った。
 わたしはかれをちょいと打った。それはわたしを疑《うたが》わないように、訓戒《くんかい》してやるためであった。
 マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。わたしが鉱山《こうざん》にはいっていたあいだ、かれは十八フランもうけた。かれはこのたいそうな金をわたしにわたすとき、ひどく得意《とくい》であった。なぜならわたしたちがまえから持っている百二十八フランに加《くわ》えれば、残《のこ》らずで百四十六フランになるからであった。例《れい》の「王子さまの雌牛《めうし》」はもう四フランあれば買えるのであった。
 前へ進め、子どもたち。
 荷物《にもつ》を背中《せなか》へ結《むす》びつけてわたしたちは出発した。カピが喜《よろこ》んで、ほえて、砂《すな》の中を転《ころ》げていた。
 マチアは、雌牛《めうし》を買うまでにもう少しお金《かね》をこしらえようと言った。金が多いだけいい雌牛が買えるし、雌牛がよければ、よけいバルブレンのおっかあがうれしがるであろう。
 パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、初歩《しょほ》の楽典《がくてん》を授《さず》け始めた。この課業《かぎょう》を今度も続《つづ》けてした。わたしもむろんいい先生ではなかったし、マチアもあまりいい生徒《せいと》であるはずがなかった。この課業は成功《せいこう》ではなかった。たびたびわたしはおこって、ばたんと本を閉《と》じながら、かれに、「おまえはばかだ」と言った。
「それはほんとうだよ」とかれはにこにこしながら言った。「ぼくの頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」
 こう言われると、どうおこっていられよう。わたしは笑《わら》いだしてまた課業《かぎょう》を続《つづ》けた。けれどもほかのことはとにかく、音楽となると、初《はじ》めからかれはびっくりするような進歩をした。おしまいにはもうわたしの手におえないことを白状《はくじょう》しなければならなくなったほど、かれはむずかしい質問《しつもん》を出して、わたしを当惑《とうわく》させた。でもこの白状はわたしをひどくしょげさした。わたしはひじょうに高慢《こうまん》な先生であった。だから生徒《せいと》の質問に答えることができないのが情《なさ》けなかった。しかもかれはけっしてわたしを容赦《ようしゃ》しはしなかった。
「ぼくはほんとうの先生に教わろう」とかれは言った。「そうしてぼく、質問を残《のこ》らず聞いて来よう」
「なぜ、きみはぼくが鉱山《こうざん》にいるうち、ほんとうの先生から教えてもらわなかった」
「でもぼくはその先生に、きみの金からお礼を出さなければならなかったから」
 わたしはマチアが、そんなふうに「ほんとうの先生」などと言うのがしゃくにさわっていた。けれどわたしのばかな虚栄心《きょえいしん》はかれのいまのことばを聞くと、すうとけむりのように消えて行かなければならなかった。
「きみは人がいいなあ」とわたしは言った。「ぼくの金はきみの金だ。やはりきみがもうけてくれたのだ。きみのほうがたいていぼくよりもよけいもうけている。きみは好《す》きなだけけいこを受けるがいい。ぼくもいっしょに習うから」
 さてその先生は、われわれの要求《ようきゅう》する「ほんとうの先生」は、いなかにはいなかった。それは大きな町にだけいるようなりっぱな芸術家《げいじゅつか》であった。地図を開けてみて、このつぎの大きな町は、マンデであることがわかった。
 わたしたちがマンデに着いたのは、もう夜であった。つかれきっていたので、その晩《ばん》はけいこには行かれないと決めた。わたしたちは宿屋《やどや》のおかみさんに、この町にいい音楽の先生はいないかと聞いた。かの女はわたしたちがこんな質問《しつもん》を出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。わたしたちはエピナッソー氏《し》を知っているべきはずであった。
「ぼくたちは遠方から来たのです」とわたしは言った。
「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」
「イタリアから」とマチアが答えた。
 そう聞くと、かの女はもうおどろかなかった。なるはどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。
「その先生はたいへんおいそがしいんですか」とわたしはたずねた。そういう名高い音楽家では、わたしたちのようなちっぽけなこぞう二人に、たった一度のけいこなどめんどうくさがってしてくれまいと気づかった。
「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」
「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」
「それはお金さえ持って行けば、だれにでもお会いになりますよ……むろん」
 わたしたちはもちろん、それはわかっていた。
 その晩《ばん》ねに行くまえ、わたしたちはあしたこの有名な先生にたずねようと思っている質問《しつもん》の箇条《かじょう》を相談《そうだん》した。マチアは求《もと》めていた「ほんとうの音楽の先生」を見つけたので、うれしがってこおどりしていた。
 つぎの朝、わたしたちは――マチアはヴァイオリン、わたしはハープと、てんでんの楽器《がっき》を持って、エピナッソー先生を訪《たず》ねて行くことにした。わたしたちはそういう有名な人を訪《たず》ねるのに犬を連《つ》れて行く法《ほう》はないと思ったから、カピは置《お》いて行くことにして、宿屋《やどや》の馬小屋につないでおいた。
 さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、わたしたちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さな真《しん》ちゅうの看板《かんばん》が二|枚《まい》ぶら下がっていて、それがどうしたって音楽の先生の看板ではなかった。そのうちはどう見ても床屋《とこや》の店のていさいであった。わたしたちは通りかかった一人の人に向かって、エピナッソー先生のうちを教えてくださいとたのんだ。
「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。
 だがつまり先生が床屋《とこや》と同居《どうきょ》していないはずもなかった。わたしたちは中へはいった。店ははっきり二つに仕切られていた。右のほうにははけ[#「はけ」に傍点]だの、くし[#「くし」に傍点]だの、クリームのつぼだの、理髪用《りはつよう》のいすだのが置《お》いてあった。左のほうのかべやたなにはヴァイオリンだの、コルネだの、トロンボンだの、いろいろの楽器《がっき》がかけてあった。
「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。
 小鳥のように、ちょこちょこした、気の利《き》いた小男が、一人の男の顔をそっていたが、「わたしがエピナッソーだよ」と答えた。
 わたしはマチアに目配せをして、床屋《とこや》さんの音楽家なんか、こちらの求《もと》めている人ではない。こんな人に相談《そうだん》をしても、せっかくの金がむだになるだけだという意味を飲みこませようとしたが、かれは知らん顔をして、もったいぶった様子で一つのいすにこしをかけた。
「そのかたがそれたら、ぼくの髪《かみ》をかってもらえますか」とかれはたずねた。
「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」
「ありがとう」とマチアが答えた。わたしはかれのあつかましいのに、どぎもをぬかれた。かれは目のおくからわたしをのぞいて、「そんな困《こま》った顔をしないで見ておいで」という様子をした。
 そのお客がすんでしまうと、エピナッソー氏《し》は、タオルをうでにかけて、マチアの髪《かみ》をかる用意をした。
「ねえ、あなた」と、床屋《とこや》さんがかれの首に布《ぬの》を巻《ま》きつけるあいだにマチアが言った。「音楽のことで友だちとぼくにわからないことがあるんです。なんでもあなたは名高い音楽家だと聞いていましたから、二人の争論《そうろん》をあなたにうかがったら、なんとか判断《はんだん》していただけるかと思うのです」
「なんですね、それは」
 そこでわたしはマチアの考えていることがわかった。まず先に、かれはわたしたちの質問《しつもん》にこの床屋《とこや》さんの音楽家が答えることができるか試《ため》そうとした。いよいよできるようだったら、かれは散髪《さんぱつ》の代で、音楽の講義《こうぎ》を聞くつもりであった。
 マチアは髪《かみ》をかってもらっているあいだ、いろいろ質問を発した。床屋さんの音楽家はひどくおもしろがって、かれに向けられるいちいちの質問を、ずんずんゆかいそうに答えた。
 わたしたちが出かけようとしたとき、かれはマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。
「いやあ、それでもきみは、音楽の調子がわからないと言うのかい」と床屋《とこや》さんは手をたたきながら言った。そしてむかしから知り合って愛《あい》している子どもに対するようになつかしそうな目で、マチアを見た。
「これはふしぎだ」
 マチアは楽器《がっき》の中からクラリネットを選《えら》んで、それをふいた。それからコルネをふいた。
「いやあ、この子は神童《しんどう》だ」とエピナッソー氏《し》はおどり上がって喜《よろこ》んだ。「おまえさん、わたしの所にいれば、大音楽家にしてあげるよ。朝はお客の顔をそるけいこをする。あとは一日音楽をやることにする。わたしが床屋《とこや》だから、音楽がわからないと思ってはいけない。だれだって毎日のくらしは立てなければならない」
 わたしはマチアの顔を見た。なんとかれは答えるであろう。わたしは友だちをなくさなければならないか。わたしの仲間《なかま》を、わたしの兄弟を失《うしな》わなければならないか。
「マチア、よくきみのためを考えたまえよ」とわたしは言ったが、声はふるえていた。
「なに、友だちを捨《す》てる」と、かれは自分のうでをわたしのうでにかけながらさけんだ。「そんなことができるものか。でも先生、やはりあなたのご親切はありがたく思っていますよ」
 エピナッソー氏《し》はそれでもまだ勧《すす》めていた。そしていまにかれをパリの音楽学校へ出す方法《ほうほう》を立てる、そうすればかれは確《たし》かにりっぱな音楽家になると言った。
「なに、友だちを捨《す》てる、それはどうしたってできません」
「そう、それでは」と床屋《とこや》さんは残念《ざんねん》そうに答えた。「わたしが一|冊《さつ》本をあげよう。わからないことはそれで知ることができる」こう言ってかれは一つの引き出しから、音楽の理論《りろん》を書いた本を出した。その本は古ぼけて破《やぶ》れていた。けれどそんなことはかまうことではない。ペンを取ってこしをかけて、かれはその第一ページにこう記《しる》した。
「かれが有名になったとき、なおマンデの床屋《とこや》を記憶《きおく》するであろうその子におくる」
 マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、わたしは知らないけれど、このエピナッソー氏《し》がたった一人知っている人で、しかも一生|忘《わす》れることのできない人であった。


     王子さまの雌牛《めうし》

 わたしはマンデに着くまえにもむろんマチアを愛《あい》していたけれど、その町を去るときにはもっともっとかれを愛していた。わたしは床屋《とこや》さんの前でかれが「なに、友だちを捨《す》てる」とさけんだとき、どんな感じがしたか、ことばで語ることはできなかった。
 わたしはかれの手をとって強くにぎりしめた。
「マチア、もう死ぬまではなれないよ」とわたしは言った。
「ぼくはとうからそれはわかっていた」とかれはあの大きな黒い目で、わたしににこにこ笑《わら》いかけながら答えた。
 なんでもユッセルでさかんな家畜市《かちくいち》があるということを聞いたので、わたしたちはそこへ行って、雌牛《めうし》を買うことに決めた。それはシャヴァノンへ行く道であった。わたしたちは道みち通る町ごとに村ごとに音楽をやって、ユッセルに着いたじぶんには、二百四十フランも金が集まっていた。わたしたちはこれだけの金をためるには、それこそできるだけの倹約《けんやく》をしなければならなかった。でもマチアはわたし同様|雌牛《めうし》を買うことに熱心《ねっしん》であった。かれは白い牛を買いたがった。わたしはあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。わたしたちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、乳《ちち》をたくさん出す牛を買うことに意見が一致《いっち》した。
 わたしたちは二人とも、なにを目標《もくひょう》に雌牛《めうし》のよしあしを見分けるか知らなかったから、獣医《じゅうい》の世話になることにした。わたしたちはよく牛を買うときに詐欺《さぎ》に会う話を聞いていた。そういう危険《きけん》をおかしたくはなかった。獣医をたのむことはよけいな費《つい》えではあろうけれど、どうもほかにしかたがなかった。ある人は、ごく安い値段《ねだん》で一ぴき買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごくじょうぶそうな、どこからみてもたくさん乳《ちち》を出しそうな雌牛《めうし》を買ったが、二十四時間にコップに二はいの乳《ちち》しか採《と》れなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、雌牛《めうし》はさもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。
 マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ相談《そうだん》を始めるまえに、ありったけの力で雌牛《めうし》のしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれがほんとうのしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、かれの空想《くうそう》はすこしよろめいた。
 ユッセルに着いたのは五、六年ぶりであった。あれはヴィタリス親方といっしょで、ここで初《はじ》めてくぎで止めたくつを買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、残《のこ》っているのは、たったカピとわたしだけであった。
 わたしたちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬ととまったことのある宿屋《やどや》に荷物を預《あず》けて、すぐ獣医《じゅうい》を探《さが》し始めた。やがて一人見つけたが、その人は、わたしたちが欲《ほ》しいという雌牛《めうし》の様子を話して、いっしょに行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。
「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、雌牛《めうし》をなんにするのだね。お金は持っているのかい」とかれはたずねた。
 わたしたちはそこで、どのくらい金を持っているか、それをどうしてもうけたかということ、それからわたしが子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあにおくり物をしておどろかせるつもりだということを話した。かれはするとひじょうに親切らしい熱心《ねっしん》を顔に見せて、あした七時に市場へ行って会おうとやくそくした。それでお礼はと言って聞くと、かれはまるっきりそんな物を受け取ることをこばんだ。そして笑いながらわたしたちを送り出して、その時間にはきっと市場へ行くようにと言った。
 そのあくる日夜明けから町はごたごたにぎわっていた。わたしたちのとまっている部屋《へや》から、馬車や荷車が下の往来《おうらい》のごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。雌牛《めうし》はうなるし、ひつじは鳴く。百姓《ひゃくしょう》は家畜《かちく》にどなりつけたり、てんでんにじょうだんを言い合ったりしていた。
 わたしたちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時には市場に着いた。獣医《じゅうい》が来るまえに、選《よ》り取っておこうと思ったからである。
 なんという美しい雌牛《めうし》であろう……いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛を連《つ》れたのもあった。馬もいたし、大きな太ったぶたは地べたに穴《あな》をほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤んぼうのぶたは、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。
 でもわたしたちは雌牛《めうし》よりほかには目にははいらなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。かれらはまぶたをばちばち動かすだけで、わたしたちがしつっこく検査《けんさ》するままに任《まか》せていた。一時間もかかって調べたのち、わたしたちは十七頭気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった特質《とくしつ》があった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアとわたしとの間に議論《ぎろん》をひき起こした。やがて獣医《じゅうい》がやって来た。わたしたちは好《す》きな雌牛《めうし》をかれに見せた。
「ぼくはこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。
「ぼくはあのほうがいいと思います」とわたしは赤い雌牛を指さして言った。
 獣医《じゅうい》はしかしその両方の前を知らん顔で通り過《す》ぎて、わたしたちのやりかけた争論《そうろう》を中止させた。そして第三の雌牛《めうし》に向かった。この牛はほっそりしたすねをして、赤い胴《どう》に茶色の耳とほおをして、目は黒くふちをとって、口の回りに白い輪《わ》がはいっていた。
「これがおまえさんたちのお望《のぞ》みの牛だ」と獣医《じゅうい》が言った。
 まったくこれはすばらしかった。マチアとわたしは、今度こそなるほどこれがいちばんいいと思った。獣医《じゅうい》はその雌牛《めうし》のはづな(口につけて引くつな)をおさえていたにぶい顔の百姓《ひゃくしょう》に、その雌牛の値段《ねだん》はいくらかとたずねた。
「三百フラン」とその男は答えた。
 わたしたちのくちびるは下に下がった。ああ三百フラン。わたしは獣医《じゅうい》に向かって、ほかの牛に移《うつ》らなければという手まねをした。かれはまたかけ合ってみせるという合図をした。そのときはげしい談判《だんぱん》が獣医と百姓《ひゃくしょう》の間に始まった。わたしたちのかけ合い人は百七十フランまで値切《ねぎ》った。百姓は二百八十フランまでまけた。この値段《ねだん》まで下げてくると、獣医は雌牛《めうし》をもっと批評的《ひひょうてき》に調べ始めた。この雌牛は足が弱かったし、首が短すぎたし、角《つの》が長すぎた。肺臓《はいぞう》が小さくって、乳首《ちちくび》の形が悪かった。どうしてこれではたんと乳は出まい。
 百姓《ひゃくしょう》はわたしたちが雌牛《めうし》のことをそんなにくわしく批評するので、きっと世話もよく行き届《とど》くだろうから、二百五十フランにまけてあげようと言った。
 そうなるとわたしたちは心配になり始めた。マチアもわたしも、ではろくでもない牛にちがいないと思った。
「もっとほかのを見ましょう」とわたしは獣医《じゅうい》の手をおさえて言った。それを聞くと、百姓《ひゃくしょう》は十フランまけた。それからだんだんにせり下げて、二百十フランまできて、そこで止まった。獣医はわたしのひじをついて、いま雌牛《めうし》の悪口を言ったのは、本気ではない。ほんとうはすばらしい牛だという意をさとらせた。でも二百十フランはわたしたちにとってはたいした金であった。
 そのあいだにマチアは雌牛《めうし》の後ろへ行って、そのしっぽから一本長い毛を引きぬいた。すると牛はおこって、かれをけりつけた。これでわたしの考えが決まった。
「二百十フランで買おう」わたしは事件《じけん》が解決《かいけつ》したと思って、そう言いながら牛のはづなを取ろうとした。
「おまえさん、つなを持って来たか」と百姓《ひゃくしょう》は言った。「わしは牛は売るがはづなは売らないぞ」こう言ってかれは、せっかくおなじみになったのだから、特別《とくべつ》ではづなを六十スーで売ってやると言った。はづなは入り用であったから、もうあとそれでわたしのふところには二十スーしか残《のこ》らないと思いながら、六十スー出した。それで二百十三フランを数えて、それから手を出そうとした。
「おまえさん、なわを持っているか」と百姓《ひゃくしょう》は言った。「わしははづなは売っても、なわは売らないぞ」
 それで最後《さいご》の二十スーも消えてしまった。
 これで雌牛《めうし》はとうとうわたしたちの手にわたった。けれどわたしたちは牛に食べ物を買ってやるにも、自分が食べるにも、一スーの金ももう残《のこ》らなかった。獣医《じゅうい》にはていねいに世話になった礼を言って、手をにぎってさようならを言った。そして宿屋《やどや》に帰ると、雌牛《めうし》をうまやにつないだ。
 きょうは町に市場があるので、ひどくにぎわって、ほうぼうから人が集まってもいたから、マチアとわたしは別《べつ》べつに出かけて、いくらお金ができるか、やってみることに相談《そうだん》を決めた。
 その夕方、マチアは四フラン。わたしは三フランと五十サンチーム持って帰った。七フラン五十サンチームのお金で、わたしたちはまたお金持ちになった。女中にたのんで雌牛《めうし》の乳《ちち》をしぼってもらったので、夕食には牛乳《ぎゅうにゅう》があった。これほどうまいごちそうを、わたしたちは味わったことはなかった。わたしたちは乳《ちち》のいいのにめちゃめちゃにのぼせ上がってしまって、食事がすむとさっそくうまやへ出かけて、わたしたちの宝物《たからもの》をだいてやりに行った。雌牛《めうし》はいかにも優《やさ》しくしてもらったのがうれしいらしく、その返礼にわたしたちの顔をなめた。
 わたしたちは雌牛《めうし》をキッスしたり、雌牛からキッスされて感じるゆかいさを人一|倍《ばい》感じるわけがあった。それにはマチアもわたしも、これまでけっして人からちやほやされすぎたことがなかったということを記憶《きおく》してもらわなければならない。わたしたちの生まれ合わせは、ほかのあまやかされて育《そだ》った子どもたちが、あんまり多いキッスにへいこうしてそれをさけなければならないのとは、大ちがいであった。
 そのあくる朝、わたしたちは太陽といっしょに起きて、シャヴァノン村に向かって出発した。わたしはマチアがあたえてくれた助力に、どれほど感謝《かんしゃ》していたであろう。かれなしには、わたしはけっしてこんな大金をためることはできなかった。わたしはかれに雌牛《めうし》を引いて行く楽しみをあたえようと思った。そこでかれはたいへん得意《とくい》らしく雌牛のつなを引いて行くと、わたしはあとからついて行った。かの女はひじょうにりっぱに見えた。それは大様《おおよう》にすこしゆれながら、自分で自分の値打《ねう》ちを知っているけものらしく歩いていた。わたしは雌牛をくたびれさせないようにしたいと思ったので、その晩《ばん》おそくシャヴァノンに着くことはよして、それよりもあしたの朝早く行く計画にした。ところがそのうちにこういうことが起こった。
 わたしはその晩《ばん》、むかし初《はじ》めてヴィタリス親方ととまって、カピが悲しそうなわたしを見てそばへ来てねてくれた、あの村にとまることにした。
 この村にはいるまえにわたしたちはきれいな青い草の生えた所に来た。荷物をほうり出してわたしたちはそこで休むことにした。わたしたちは雌牛《めうし》をみぞの中に放してやった。初《はじ》めはなわで引いていようと思ったが、この雌牛はたいへんすなおで、草を食べることによく慣《な》れているようであったので、わたしはしばらくつなを牛の角に巻《ま》きつけて、そのそばにこしをかけて晩飯《ばんめし》を食べ始めた。もちろんわたしたちは雌牛よりずっとまえに食べてしまった。そこでさんざん雌牛を感心してながめたあとで、これからなにをしようというあてもないので、わたしたちはしばらく遊んでいた。それがすんでも牛はまだ食べていた。わたしがそばへ行くと、雌牛《めうし》は草の中に固《かた》く首をつっこんでいて、まだ腹《はら》が減《へ》っているというようであった。
「すこし待ってやりたまえ」とマチアが言った。
「だってきみ、雌牛は一日だって食べているんだぜ」とわたしは答えた。
「まあ、しばらく待ってやりたまえ」
 わたしたちはもう背嚢《はいのう》と楽器《がっき》をしょったが、まだ牛はやめなかった。
「ぼくは牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽の好《す》きな雌牛《めうし》がいたよ」
 かれはゆかいなマーチをふき始めた。
 初《はじ》めの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜんわたしがかれの角にとびかかってつなをおさえるまもないうちに、かの女はとっとっとかけ出した。わたしたちはいっしょうけんめい、止まれ、止まれと呼《よ》びながら、あとから追っかけた。わたしはカピに牛を止めるように声をかけた。だがだれでも万能《ばんのう》ということはできない。牛飼《うしか》い、馬飼いの犬なら鼻づらにとびついたであろうが、カピは牛の足にとびついた。
 牛はとうとうわたしたちが通って来た最後《さいご》の村までかけもどった。道はまっすぐであったから、遠方でもその姿《すがた》を見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。わたしたちは牛を見失《みうしな》う気づかいはないと思ったので、すこし速力《そくりょく》をゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。
 わたしたちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そしてわたしたとが考えていたように、すぐに牛をわたしてはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。
 かれらはわたしたちが牛をぬすんだこと、そして牛は持ち主の所へかけて帰ろうとしたのだということを主張《しゅちょう》いた。かれらはほんとうのことがわかるまで、わたしたちは牢屋《ろうや》へ行かなければならないと宣告《せんこく》した。牢屋と言われたばかりで、わたしは青くなって、どもり始めた。おまけにさんざんかけて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど巡査《じゅんさ》がやって来た。二言三言で全体の事件《じけん》が説明《せつめい》された。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかくかれは雌牛《めうし》を預《あず》かること、それがわたしたちのものだというあかしの立つまで、わたしたちを拘留《こうりゅう》することに決めた。村じゅうが行列を作って、わたしたちのあとに続《つづ》いて、ちょうど警察署《けいさつしょ》をかねていた町の役場までつながった。やじうまがわたしたちをつついたり白い歯を見せたり、ありったけひどい名前で呼《よ》んだりした。巡査《じゅんさ》が保護《ほご》してくれなかったら、かれらはひどい大罪人《だいざいにん》でもあるように、わたしたちを私刑《しけい》に行なったかもしれなかった。
 役場を預《あず》かっている人で、典獄《てんごく》(刑務所の役人)と代理執行官《だいりしっこうかん》をかねていた人は、わたしたちを牢《ろう》に入れることを好《この》まなかった。わたしはなんという親切な人だろうと思ったけれど、巡査《じゅんさ》はあくまでわたしたちを拘留《こうりゅう》しなけばならないと言った。そこで典獄は二重になっているドアに、大きなかぎをつっこんで、わたしたちを牢《ろう》に入れてしまった。中へはいってはじめて、なぜ典獄《てんごく》がわたしたちを中へ入れることをおっくうがったかそのわけがわかった。かれはねぎをこの中へ干《ほ》しておいた。それがどのこしかけにも置《お》いてあった。かれはそれをみんなすみっこに積《つ》み重《かさ》ねた。わたしたちはからだじゅう捜索《そうさく》されて、金もマッチもナイフも取り上げられた。それからその晩《ばん》は閉《と》じこめられることになった。
「ぼくをぶってくれたまえ」とわたしたちだけになると、マチアが情《なさ》けなさそうに言いだした。
「ぼくの耳をぶつか、どうでも気のすむようにしてくれたまえ」
「ぼくも雌牛《めうし》のそばで、コルネをふかせるなんて、大きなばかだった」とわたしも答えた。
「ああ、ぼくはそれをずいぶん悪いことに思っている」かれはおろおろ声で言った。「かわいそうな雌牛、王子さまの雌牛」とかれは泣《な》き始めた。
 そのときわたしはかれに、これはそんなにむずかしいことではないわけを話してなぐさめようとした。
「ぼくたちは雌牛《めうし》を買ったあかしを立《た》てればいいのだ。ユッセルの獣医《じゅうい》の所へ使いをやればいい……あの人が証人《しょうにん》になってくれる」
「でもそれを買った金までもぬすんだものだと言われたら」とかれは言った。「わたしたちはそれをもうけた証拠《しょうこ》がない。運悪くゆくと、みんなはどこまでも罪人《ざいにん》だと思うだろう」
 これはまったくであった。
 それにさしあたりだれか牛を養《やしな》ってくれるだろうかと、マチアががっかりして言った。
「まあ、みんなが牛は養っていてくれるだろうよ」
「あしたたずねられたら、なんと言うつもりだ」とマチアが聞いた。
「ほんとうのことを言うさ」
「そうなれば、あの人たちはきみをバルブレンの手にわたすだろう。バルブレンのおっかあが一人きりだったら、あの人に向かってわたしたちの言うことがうそかどうか聞こうとする。そうなればもうあの人の不意《ふい》を驚《おどろ》かすことができなくなる」
「おやおや」
「きみはバルブレンのおっかあとは長いあいだ別《わか》れている。あの人がもう死んでしまって、いないとも限《かぎ》らない」
 このおそろしい考えだけはついぞこれまでわたしも起こしたことがなかった。でもヴィタリス老人《ろうじん》も死んだ……わたしはかの女までも亡《な》くしたかもわからない、という考えが、どうしてこれまで起こらなかったろう。
「なぜきみはそれを先に言わなかった」とわたしは言った。
「だってつごうのいいじぶんには、そんな考えは起こらなかったからさ。ぼくはきみの雌牛《めうし》をバルブレンのおっかあにおくるという考えでずいぶんうれしくなっていた。あの人がどんなに喜《よろこ》ぶだろうと思うと、死んでいるかもしれないなんていう考えはてんで起こらなかった」
 こう何事につけても悪いはうばかり見るのは、この暗い部屋《へや》のせいにちがいなかった。
「それから」とマチアはとび上がって、両うでをふり上げながら言った。「バルブレンのおっかあが死んで、あのこわいバルブレンのほうが生きていて、そこへぼくたちが行ったら、きっと雌牛《めうし》を取り上げて自分のものにしてしまうだろう」
 午後おそくなって、ドアが開かれ、白いひげを生やした老紳士《ろうしんし》が拘留所《こうりゅうしょ》にはいって来た。
「こら悪党《あくとう》ども、このかたに答えするのだぞ」といっしょについて来た典獄《てんごく》が言った。
「それでよろしい」と紳士《しんし》は言った。この人は検事《けんじ》であった。「わしは自分でこの子を尋問《じんもん》する」
 こう言ってかれは指でわたしをさし示《しめ》した。
「きみはもう一人の子を預《あず》かっていてもらいたい。そのほうはあとで調べるから」
 わたしは検事《けんじ》と二人になった。じっとわたしの顔を見つめながらかれは、わたしが雌牛《めうし》をぬすんだとがで告発《こくはつ》されていることを告《つ》げた。
 わたしはかれに雌牛《めうし》をユッセルの市場で買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた獣医《じゅうい》の名前を言った。
「それは調べることにしよう」とかれは答えた。「さてなんの必要《ひつよう》でその雌牛を買ったのだ」
 わたしは、それを養母《ようぼ》へ愛情《あいじょう》のしるしとしておくるつもりであったと言った。
「その女の名は」とかれはたずねた。
「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」とわたしは答えた。
「ああ、五、六年まえパリで災難《さいなん》に会った石工《いしく》の家内《かない》だな。それも知っている。調べさせよう」
「まあでも……」
 わたしはすっかり困《こま》ってしまった。わたしの当惑《とうわく》を見つけて、検事《けんじ》は厳《きび》しく問いつめた。そこでわたしは、検事《けんじ》がもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの雌牛《めうし》がちっとも不意《ふい》ではなくなること、しかも不意のおくり物でおどろかすというのがわたしたちの第一の目的《もくてき》であったことを告《つ》げた。
 けれどこんなことでまごまごしている最中《さいちゅう》に、バルブレンのおっかあのまだ生きていることを知って、わたしは大きな満足《まんぞく》を感じた。そのうえわたしに向けられた質問《しつもん》のあいだに亭主《ていしゅ》のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。するうちにとうとうマチアがおそれていた質問《しつもん》が出て来た。
 だがどうして雌牛《めうし》を買うだけの金を得《え》たか。
 わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金を積《つ》みたてたことを説明《せつめい》した。
「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」とかれはたずねた。
 それからわたしは、いやでもかれに鉱山《こうざん》の椿事《ちんじ》を話さなければならなかった。
「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」とかれは声を優《やさ》しくしてたずねた。
「ぼくです」とわたしは答えた。
「それがほんとうなら、おまえはその事件《じけん》がどうして起こったか言ってみよ。わたしはその事件を残《のこ》らず新聞で読んでいる。わたしをあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、わたしにはわかる。用心しなさい」
 わたしはかれがわたしたちに対してひじょうに優《やさ》しい心持ちになっていることを見ることができた。わたしはかれに鉱山《こうざん》での経験《けいけん》をくわしく語った。
 話をしてしまうと、わたしはほとんど優しくなっていたかれの態度《たいど》から、すぐにもわたしたちを放免《ほうめん》してくれるかと思った。けれどもそうはしないで、かれはわたしを一人心配なまま部屋《へや》に残《のこ》して出て行った。しばらくしてかれは、マチアを連《つ》れてもどって来た。
「わたしはユッセルへ、おまえの話の真偽《しんぎ》を確《たし》かめさせにやる」とかれは言った。「幸いそれが真実《しんじつ》なら、あしたは放免してやる」
「それから雌牛《めうし》は」とマチアは心配そうにたずねた。
「おまえたちに返してやる」
「ぼくの言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「だれか雌牛《めうし》に食べ物をやっていますか。乳《ちち》をしぼっていますか」
「まあ、心配しなさんな」と検事《けんじ》が言った。
 マチアは満足《まんぞく》して、にっこり笑《わら》った。
「ああ、では雌牛《めうし》の乳をしぼったら、ぼくたちも晩《ばん》にすこしいただけないでしょうか」とかれはたずねた。
「それはいいとも」
 わたしたち二人だけになると、わたしはマチアに、ほとんど自分たちが拘留《こうりゅう》されていることを忘《わす》れさせるほどのえらい報告《ほうこく》をした。
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ああ、では『王子さまの雌牛《めうし》』もいばって乗りこめるわけだね」
 かれはうれしがっておどりをおどったり、歌を歌いだした。かれの元気につりこまれて、わたしはかれの手をつかまえた。カピはそのときまですみっこに静《しず》かに考えこんで転《ころ》がっていたが、はね上がって後足で立ちながら、わたしたちの間に割《わ》りこんで来た。それからは三人いっしょになってめちゃくちゃにおどり回ったので、典獄《てんごく》なにが始まったかと思って、とびこんで来た。たぶんねぎが気になったのであろう。かれはわたしたちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶ変《か》わっていた。その様子でわたしはもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの証拠《しょうこ》には、しばらくたつとかれは大きなはちに牛乳《ぎゅうにゅう》を入れて持って来た。わたしたちの雌牛《めうし》の乳《ちち》である。しかもそれだけではなかった。かれは白パンの大きな切れと冷《つめ》たい子牛の肉を持って来て、これは検事《けんじ》さんからの届《とど》け物《もの》だと言った。
 どうして、こうなると牢屋《ろうや》もそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、とめてくれるのだもの。


     バルブレンのおっかあ

 そのあくる朝早く、検事《けんじ》はあのわれわれのお友だちの獣医《じゅうい》君といっしょにやって来た。獣医君はなんでもわたしたちが放免《ほうめん》になるのを見届《みとど》けたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。
 いよいよわたしたちが出て行くときに、検事《けんじ》は一|枚《まい》、お役所の印《いん》をおした紙をくれた。
「そら、これをあげるからね」とかれは言った。「どうも手形《てがた》も持たないでいなかを歩くなんというのはとんだばかな子どもたちだ。わたしは市長にたのんで、おまえたちにこの旅行券《りょこうけん》を出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは保護《ほご》してもらえる。ではごきげんよう、子どもたち」
 わたしはかれと握手《あくしゅ》した。それから獣医君《じゅういくん》とも握手した。
 わたしたちはみじめなざまで村へはいったが、今度はいばって出て行くのであった。雌牛《めうし》のつなを引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立ってわたしたちを見ている村のやつらを肩《かた》の上から見てやった。
 わたしは雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、わたしたちはせかせか歩き出した。もう晩《ばん》がた近く、わたしたちはむかしのうちに着きかけていた。
 マチアはどら焼《や》きを食べたことがなかった。そこでわたしは着いたらさっそくこしらえて食べさせるやくそくをして、とちゅうでバターを一ポンドと麦粉《むぎこ》を二ポンドに、卵《たまご》を十二買いこんだ。
 わたしたちはいよいよ、初《はじ》めてヴィタリス親方が、わたしを休ませてくれた場所に着いたので、わたしはあのときこれが見納《みおさ》めだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度見下ろすことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
 一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の景色《けしき》にはなにも変《か》わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
 わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、固《かた》く固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
「情《なさ》けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が好《す》きなら、どんなにもどうどうと、凱旋《がいせん》の曲を奏《そう》しながらはいって行けるのだけれど」
 わたしたちが往来《おうらい》の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり不意討《ふいう》ちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは雌牛《めうし》を牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみに積《つ》み上げて、ルセットの代わりに連《つ》れて来た雌牛を入れた。
 それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこの炉《ろ》ばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
 わたしはむかしいつも冬の晩《ばん》になるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、背中《せなか》を丸《まる》くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
 なにも変《か》わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわした窓《まど》ガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
 ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
 わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目を丸《まる》くしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
 わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
 わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしの肩《かた》に頭をのせていた。
 数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
 息をつめた鼻声で、マチアの寝台《ねだい》の下にいることを思い出したわたしは、かれを呼《よ》んだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくの仲《なか》よしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
 カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女は腹《はら》をかかえて笑《わら》った。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ不意討《ふいう》ちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに不意討《ふいう》ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることが好《す》きだったから」
 いよいよそのしゅんかんが来た。
「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」とわたしはたずねた。
「いいえ。あすこにはこのごろまきがはいっているよ」
 そうかの女が言うころには、わたしたちはもう牛小屋に着いていた。わたしはドアをおし開けた。するとさっそくおなかの減《へ》っていた雌牛《めうし》が「もう」と鳴きだした。
「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあがさけんだ。
 マチアとわたしはぷっとふき出した。
「これも不意討《ふいう》ちさ」とわたしがさけんだ。「でもきくいもよりかずっといいでしょう」
 かの女はぽかんとした顔をして、わたしをながめた。
「ええ、これがおくり物ですよ。ぼくはあの小さな迷子《まいご》の子どもに、あれほど優《やさ》しくしてくれたおっかあの所へ、空《から》っ手《て》では帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアとぼくとでもうけたお金でそれを買って来たのです」
「まあ、ねえ」とかの女はさけんで、わたしたち二人にキッスした。
 かの女はいまおくり物を検査《けんさ》するために、小屋の中へはいって行った。一つ一つ見つけては、かの女は歓喜《かんき》のさけび声を立てた。
「なんというりっぱな雌牛《めうし》でしょうね」とかの女はさけんだ。しばらくするとかの女はとつぜんふり向いた。
「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」
「お金持ちですとも」とマチアが笑《わら》った。「ぼくたちはかくしに五十八スー残《のこ》っています」
 わたしは乳《ちち》おけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターと卵《たまご》と麦粉《むぎこ》を食卓《しょくたく》が上にならべて、それから小屋までかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳が七分目まであふれているのを見たときに、どんなにかの女は喜《よろこ》んだであろう。
 それからかの女は食卓の上にどら焼《や》きをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだとわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言った。わたしはそこで、それを知ったわけを話した。
「どうしてあの人が行ったか、話してあげよう」とかの女は意味ありげにわたしの顔をながめて言った。
「まあ先にどら焼《や》きを食べようよ」とわたしは言った。「あの人のことは言わないことにしよう。ぼくはあの人が四十フランでぼくを売ったことを忘《わす》れない。あの人がこわいんで、あの人がまたぼくを売るのがこわいんで、ぼくはここへ様子を知らせることをがまんしていたのだ」
「ああ、きっとそれはそうだと思うよ」とかの女は言った。「でもバルブレンさんのことを悪くお言いでないよ」
「まあ、どら焼《や》きを食べようよ」とわたしはかの女にぶら下がりながら言った。
 わたしたちはみんなでさっそく材料《ざいりょう》をこなし始めた。そしてまもなく、マチアとわたしはどら焼きに舌《した》つづみをを打った。マチアはこんなうまいものを食べたことはないと言った。わたしたちが一さらを平《たい》らげると、すぐにつぎのさらにかかった。カピもおすそわけにあずかりに来た。バルブレンのおっかあは、犬にどら焼きをやるなんてもったいないと言ったが、わたしたちはカピが一座《いちざ》の主《おも》な役者で、そのうえ天才であることを説明《せつめい》して、なんによらずだいじにあつかっているのだと言い聞かした。
 やがてマチアがあしたの朝使うまきを取りに出て行ったあいだに、かの女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。
「おまえの家族の人たちがおまえを探《さが》しているのだよ」とかの女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探しているのだよ」
「ぼくの家族」とわたしはさけんだ。「おお、わたしにも家族があるのですか。話してください。残《のこ》らず。ねえ、おっかあ。バルブレンのおっかあ」
 このときふとわたしはこわくなってきた。わたしは自分の一家がほんとうに自分を探していることを信《しん》じなかった。バルブレンはまたわたしを売るために、わたしを探そうとしているのだ。今度こそわたしは売られるものか。
 こう言ってわたしはバルブレンのおっかあにその心配を話した。けれどかの女はそうではない、わたしの一家がわたしを探《さが》しているのだと言った。
 それからかの女はいつか一人の紳士《しんし》がこのうちへやって来て、外国のなまりのあることばで話をして、いく年かまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。するとバルブレンはその人に、ぜんたいそれになんの用があるのだと言ったそうだ。この返事はいかにもバルブレンのしそうな返事であった。
「ほら、パン焼《や》き場《ば》から、台所で言っていることはなんでも聞こえるだろう」とバルブレンのおっかあが言った。「二人がおまえさんの話をしているときわたしはむろん聞いていた。わたしはもっとそばに寄《よ》って、そこでまきを折《お》っていた。
『おや、だれかいますね』とその紳士《しんし》はバルブレンに言ったよ。
『ええ、います。なあに家内《かない》ですよ』とあの人は答えた。すると、そのお客は『台所はたいへんむし暑いからいっそ外へ出て話しましょう』と言った。二人は出かけて行って、三時間あとでバルブレンだけが一人で帰って来た。わたしはあの人からなにかを残《のこ》らず聞き出そうとしたが、あの人がやっと言ったことは、さっきのお客がおまえを探《さが》していること、でもその人はおまえのお父さんではないこと、それから百フラン、お金をくれたことだけだった。たぶんあの人はそののちもっともらったろう。そういうことがあるし、あの人がおまえさんを拾ったときりっぱな着物をおまえさんが着ていたというから、おまえさんので両親はきっとお金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」とかの女は続《つづ》けた。「おまえさんをやとい入れた音楽師《おんがくし》を訪《たず》ねるためにね。あの音楽師がおまえさんを連《つ》れて行ったときの話では、ルールシーヌ街《まち》のガロフォリという男にあてて手紙をやれば着くと言っていたそうだよ」
「それで、バルブレンさんが出かけてから、なにか便《たよ》りがありましたか」とわたしはたずねた。
「いいえ、ひと言も」とかの女は言った。「わたしはあの人が町のどこに住んでいるかも知らないよ」
 ちょうどそこへマチアがはいって来た。わたしは興奮《こうふん》しながら、かれに向かって、わたしにうちのあること、両親がわたしを探《さが》していることを話した。かれはわたしのために喜《よろこ》ぶとは言ったが、わたしだけのゆかいと興奮をともに分けて感じているとは見えなかった。


     古い友だちと新しい友だち

 わたしはその晩《ばん》すこししかねむらなかった。バルブレンのおっかあはわたしに、パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも早くわたしを見つけようとしている両親も喜《よろこ》ばせてやることを勧《すす》めた。わたしはかの女と五、六日ここに過《す》ごしたいと望《のぞ》んでいたが、でもかの女の言うことももっともだと思った。
 わたしはしかし行くまえにリーズに会いに行かなければならない。それには運河《うんが》に沿《そ》って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは水門の番人をしていて、河岸《かし》の小屋に住んでいるのだから、そこへとまってかの女に会うことはできる。
 わたしはその日一日バルブレンのおっかあとくらした。夕方わたしたちは、いまにわたしがお金持ちになったら、かの女になにをしてやろうかということを話し合った。かの女は欲《ほ》しい物をなんでも持たなければならない。わたしにお金ができれば、どんな望《のぞ》みだってかなえてやれないということはないであろう。
「でもおまえがびんぼうでいるあいだにくれた雌牛《めうし》は、お金持ちになったときくれられるどんな物よりもわたしにはずっとうれしいだろうよ」とかの女はほくほくしながら言った。
 そのあくる日、好《す》きなバルブレンのおっかあに優《やさ》しいさようならを言ってから、わたしたちは運河《うんが》の岸についで歩き出した。
 マチアはたいへん考えこんでいた。そのわけをわたしは知っていた。かれはわたしにお金持ちの両親ができることを悲しがっていた。それがわたしたちの友情《ゆうじょう》に変化《へんか》を起こすとでも思ったらしかった。わたしはかれに、そうなれば学校へ行って、いちばんえらい先生について音楽を勉強することができるのだからと言ったが、かれは悲しそうに頭をふった。わたしはかれが兄弟としていっしょのうちに住むようになること、わたしの両親もわたしの友だちのことだからそっくりわたし同様に愛《あい》してくれるだろうと思ったということを話したが、まだかれは首をふっていた。
 しかしさしあたりわたしはまだそのお金持ちの両親の金を使うまでにならないので、通りすがりの村むらで、食べ物を買うお金を取らなければならなかった。それにリーズにおくり物を買ってやるお金も少しこしらえたかった。バルブレンのおっかあはあの雌牛《めうし》を、わたしがお金持ちになってからなにをもらったよりもずっとありがたいと言ったが、きっときっとリーズもこのおくり物と同じように考えるだろうと思った。わたしはかの女に人形をやろうと思った。幸い人形は雌牛《めうし》のように高くはなかった。わたしたちが通ったつぎの村で、わたしは美しい髪《かみ》の毛《け》と、青い目をしたかわいらしい人形をかの女のために買った。
 運河《うんが》の岸を歩きながら、わたしはたびたびミリガン夫人《ふじん》と、アーサと、それからかれらの美しい小舟《こぶね》のことを思い出していた。その小舟に運河《うんが》の上で出会いはしないかと思っていたが、でもわたしたちはついにそれを見なかった。
 とうとうある日の夕方、わたしたちはリーズの住んでいるうちを遠方から見る所まで来た。それは木のしげった中にあった。きりでかすんだ中にあるらしかった。大きな炉《ろ》の明かりに照《て》らされた窓《まど》を見ることもできた。だんだんとそばに近づくに従《したが》って、赤みを持った光が、わたしたちの通り道に投げられた。わたしの心臓《しんぞう》はとっとっと打った。わたしはかれらがそのうちの中で夕飯《ゆうめし》を食べている姿《すがた》を見ることができた。ドアと窓《まど》は閉《と》じられていたが、窓にはカーテンがなかったから、わたしは中をのぞきこんで、リーズがおばさんのそばにすわっているところを見た。わたしはマチアとカピに静《しず》かにするように合図をして、それから肩《かた》からハープを下ろして、それを地べたの上に置《お》いた。
「ああ、なるほど」とマチアがささやいた。「セレナードをやるか。なるほどうまい考えだ」
 わたしは例《れい》のナポリ小唄《こうた》の第一|節《せつ》をひいた。声でさとられてはいけないと思って歌は歌わなかった。わたしはひきながら、リーズのほうを見た。かの女は急いで顔を上げたが、その目はかがやいていた。
 それからわたしは歌い始めた。かの女はいすからとび下りて、戸口へかけて来た。まもなくかの女はわたしのうでにだかれていた。
 カトリーヌおばさんがそれから出て来て、わたしたちを夕飯《ゆうめし》に呼《よ》んでくれた。リーズは急いで食卓《しょくたく》の上におさらを二つならべた。
「おいやでなければ」とわたしは言った。「もう一|枚《まい》おさらを出してください。ぼくたちはもう一人かわいらしいお友だちを連《つ》れて来ました」
 こう言ってわたしは背嚢《はいのう》から人形を出して、リーズのおとなりのいすにのせた。そのときのかの女の目つきをわたしはけっして忘《わす》れることはできない。


     バルブレン

 パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに優《やさ》しく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーの働《はたら》いている鉱山《こうざん》で危《あぶ》なく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしを探《さが》していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
 もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、兄《あに》さんや姉《あね》さんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれを喜《よろこ》んでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないと信《しん》じきっていた。だってかの女の父親はただ借金《しゃっきん》を返すお金さえあったなら、あんな不幸《ふこう》な目に会わなかったにちがいないではないか。
 わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでお供《とも》に連《つ》れて、長い散歩《さんぽ》をした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからは炉《ろ》の前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープを好《す》いていたので、わたしはたいへん得意《とくい》になった。時間がたって、わたしたちが別々《べつべつ》にねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ小唄《こうた》をひいて歌った。
 でもわたしたちはまもなく別《わか》れて別《べつ》の道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女に残《のこ》したわたしの最後《さいご》のことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを連《つ》れて行くよ」というのであった。
 そうしてかの女もわたしを信《しん》じきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしの富《とみ》とわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
 わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛《めうし》を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要《ひつよう》もなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理《むり》にわたしがハープを肩《かた》からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあの晩《ばん》、空腹《くうふく》で死にそうになったことを忘《わす》れていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは忘《わす》れない。ああ、ぼくはパリで飢《う》えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛《めうし》を買うつもりで働《はたら》こうよ」とマチアは聞かなかった。
 これはいかにももっともな忠告《ちゅうこく》であったが、わたしはもうこれまでと同じに精神《せいしん》を打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状《はくじょう》しなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛《めうし》を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気《いんき》になった。
 わたしたちはどんなにしても別《わか》れないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋《ろうや》から出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、この情《なさ》けない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理《むり》にも強《し》いることができないが、ぽくに対してはそうする権利《けんり》があるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
 わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
 わたしはマチアと相談《そうだん》をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
 わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして別《わか》れた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンが先《せん》に住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、訪《たず》ねて行った。ある木賃宿《きちんやど》では、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋《やどや》の亭主《ていしゅ》は、あいつには一週間の宿料《しゅくりょう》の貸《か》しがあるから、あの悪党《あくとう》、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
 わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの訪《たず》ねる所は一か所しか残《のこ》っていなかった。それはあの料理屋《りょうりや》であった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓《しょくたく》にすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
 オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭《うらにわ》へ行くと、初《はじ》めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
 じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所《けいむしょ》にはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
 ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
 わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地《ろじ》をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望《きぼう》と歓喜《かんき》が胸《むね》にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さと飢《う》えのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情《あいじょう》もなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
 わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿《きちんやど》であった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机《しゃじづくえ》に向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
 そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その勢《いきお》いがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は簡潔《かんけつ》に答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなの探《さが》していなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
 かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
 このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、この若《わか》だんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、若《わか》だんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を残《のこ》らずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物を置《お》いては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
 わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ初《はじ》めてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
 オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている限《かぎ》りでいちばんきたならしい宿屋《やどや》の一つであった。わたしはかなりきたない宿屋《やどや》をいくつか見ていた。
 でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打《ねう》ちがあった。それにわたしたちは好《す》ききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋《へや》の代《だい》はいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ晩《ばん》にまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
 夜のまくが下りた。街燈《がいとう》はともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは残《のこ》らず陰気《いんき》に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり独《ひと》りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類《しんるい》を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
 やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩《こんばん》いつもよりよけいにかれの友情《ゆうじょう》の必要《ひつよう》を感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望《きぼう》を持った。
 七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった舌《した》でなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、その冷《つめ》たい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿《すがた》を現《あらわ》した。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける望《のぞ》みのなくなったことを告《つ》げた。
 するとかれはわたしの欲《ほっ》していたありったけの同情《どうじょう》をわたしに注《そそ》いだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力《どりょく》した。そして失望《しつぼう》してはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親を探《さが》し出すことのできるようにしようと、心からちかった。
 わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。


     捜索《そうさく》

 そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸《ふこう》のおくやみを言って、かの女の夫《おっと》の亡《な》くなるまえに、なにか便《たよ》りがあったかたずねてやった。
 その返事にかの女は、夫が病院から手紙を寄《よ》こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを告《つ》げた。それはわたしを探《さが》している弁護士《べんごし》であった。なおかれはかの女に向かって、自分が確《たし》かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆《だいひつ》をしたものであった。「その弁護士《べんごし》がイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人《ふじん》やアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
 それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
 パリからボローニュまで道みち主《おも》な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船《かもつせん》に乗った。
 なんというひどい航海《こうかい》であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色《けしき》を見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生《ごしょう》だから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
 とうとう機関《きかん》が運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸《じょうりく》した。
 わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団《きょくばだん》でいっしょに働《はたら》いていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
 上陸するとすぐ巡査《じゅんさ》に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道に迷《まよ》ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
 いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所《じむしょ》の戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓《しんぞう》が鼓動《こどう》した。それでしばらくマチアに気の静《しず》まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事を述《の》べた。
 わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス氏《し》の私室《ししつ》へ通された。幸いにこの紳士《しんし》はフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることを確《たし》かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹《きょうだい》もあります」とかれは答えた。
「へえ」
 かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、忘《わす》れていました」とグレッス氏《し》が言った。「あなたの名字《みょうじ》はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
 グレッス氏のみにくい顔は好《この》ましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。


     ドリスコル家

 往来《おうらい》へ出ると、書記は辻馬車《つじばしゃ》を呼《よ》んで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者《ぎょしゃ》がこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
 マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの席《せき》を占領《せんりょう》していた。マチアはかれが御者《ぎょしゃ》に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり好《この》まないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
 わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色《けしき》はいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者《ぎょしゃ》も道がわからないのか、馬車を止めた。
 とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓《こまど》を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、困《こま》りきった御者《ぎょしゃ》との間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者《ぎょしゃ》にやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金《ちんぎん》を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を変《か》えて馬車を走らせて行った。
 わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿《きゅうでん》」と呼《よ》んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内《あんない》の先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿《きゅうでん》」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとに続《つづ》いた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめた鏡《かがみ》がどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台《はなしょくだい》と、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろ[#「ぼろ」に傍点]をかぶった人たちであった。
 案内者《あんないしゃ》は例《れい》のりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕《きゅうじ》の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。確《たし》かにかれは求《もと》めた返事を得《え》たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
 通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干《ものほ》しのつなが下がって、きたならしいぼろ[#「ぼろ」に傍点]がかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の毛《け》が肩《かた》の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体《らたい》で、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろ[#「ぼろ」に傍点]であった。路地《ろじ》にはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面《はらづら》をつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
 案内者《あんないしゃ》はふと立ち止まった。かれは道を失《うしな》ったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査《じゅんさ》が出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい往来《おうらい》を歩いた。最後《さいご》にわたしたちはある広場に立ち止まった。
 そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査《じゅんさ》は言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。案内人《あんないにん》はかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、優《やさ》しくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに了解《りょうかい》し合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちは勢《いきお》いよく火の燃《も》えている部屋《へや》にはいった。
 その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした老人《ろうじん》がこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つの机《つくえ》に向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親に似《に》てなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
 わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの名字《みょうじ》だとさっき弁護士《べんごし》が言った。
 みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
 わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福に胸《むね》がいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと想像《そうぞう》していた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
 わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情《あいじょう》には報《むく》いてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手《あくしゅ》をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気《ちゅうき》なのだから」
 わたしはまた弟たちや、女の姉妹《きょうだい》と握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立《はらだ》たしくなった。
 なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父《そふ》まである。わたしはこのしゅんかんをどんなに望《のぞ》んでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものと呼《よ》んで愛《あい》し愛されるうちを持つことを考えて、その喜《よろこ》びに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言《いちごん》の愛情《あいじょう》のことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
 そう思ってわたしはまた母親のそばへ寄《よ》って、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それから夫《おっと》、すなわちわたしの父親のほうへ向いて肩《かた》をそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんと笑《わら》った。かの女の冷淡《れいたん》と、わたしの父親の嘲笑《ちょうしょう》とが深《ふか》くわたしの心を傷《きず》つけた。
 わたしの愛情《あいじょう》はそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん仲《なか》のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
 わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
 わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを告《つ》げた。かれはそれを聞いて喜《よろこ》んでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを喜《よろこ》んでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を訪《たず》ねたのだからなあ」
 わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では炉《ろ》ばたへおいで。残《のこ》らず話してあげるから」
 わたしは肩《かた》から背嚢《はいのう》を下ろして、勧《すす》められたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父《そふ》はうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
 わたしはこんなふうに老人《ろうじん》に対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領《そうりょう》むすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚《けっこん》して一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚《けっこん》するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある若《わか》いむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六|月《つき》目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを探《さが》したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三|月《つき》まえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状《はくじょう》したのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが捨《す》てられた地方の警察《けいさつ》から、初《はじ》めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに養《やしな》われていることを聞いた。わたしはバルブレンを探《さが》して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師《おんがくし》にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留《とうりゅう》してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを探《さが》すようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って寄《よ》こすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人《たびあきんど》なのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を覚《おぼ》えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
 そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな絹《きぬ》の産着《うぶぎ》で想像《そうぞう》したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情《あいじょう》は富《とみ》よりもはるかに貴《たっと》い。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情が欲《ほ》しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
 わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐《ばんさん》の食卓《しょくたく》をこしらえた。焼《や》き肉《にく》の大きな一節《ひとふし》にばれいしょ[#「ばれいしょ」に傍点]をそえたものが、食卓のまん中に置《お》かれた。
「おまえたち、腹《はら》が減《へ》っているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、机《つくえ》におすわり」
 しかし席《せき》に着くまえに、かれは祖父《そふ》の竹のゆりいすを食卓《しょくたく》に向けた。それから自分の席《せき》をしめながら、かれは焼《や》き肉《にく》を切り始めた。背中《せなか》を火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
 わたしはいい境遇《きょうぐう》の中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓《しょくたく》の行儀《ぎょうぎ》がひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食い欠《か》いたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父《そふ》にいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の利《き》く片手《かたて》でしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっと笑《わら》った。
 わたしたちは食事がすんでから、その晩《ばん》は炉《ろ》ばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋《へや》の外にあるうまやへ連《つ》れて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台|付《つき》馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな寝台《ねだい》二つ重なって置《お》いてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
 これがわたしの家族からこの夜|初《はじ》めてわたしの受けた歓迎《かんげい》であった。


     りっぱすぎる父母

 父親はろうそくを置《お》いて行ったが、車には外から錠《じょう》をさした。わたしたちはいつものようにおしゃべりはしないで、できるだけ早くねどこの中へもぐった。
「おやすみ、ルミ」とマチアが言った。
「おやすみ」
 マチアはわたしと同じように、もうなにもものを言いたがらなかった。わたしはかれがだまっていてくれるのがうれしかった。わたしたちはろうそくをふき消したが、とてもねむれそうには思えなかった。わたしはせま苦しい寝台《ねだい》の中で、たびたび起き返っては、これまでの出来事を思いめぐらした。わたしは上の寝台にいるマチアがやはり落ち着かずに、しじゅうねがえりばかりしている音を聞いた。かれもやはりわたしと同様、ねむることができなかった。
 いく時間か過《す》ぎた。だんだん夜がふけるに従《したが》って、とりとめもない恐怖《きょうふ》がわたしを圧迫《あっぱく》した。わたしは不安《ふあん》に感じたが、なぜわたしが、そう感じたのかわからない。なにをわたしはおそれているのか。このロンドンのびんぼう町で馬車小屋の中にとまることがこわいのではない。これまでの流浪生活《るろうせいかつ》で、いく度《たび》わたしは今夜よりも、もっとたよりない夜を明かしたことがあったであろう。わたしは現在《げんざい》あらゆる危険《きけん》から庇護《ひご》されていることはわかっているのに、恐怖《きょうふ》がいよいよつのって、もうふるえが出るまでになっている。
 時間はだんだんたっていった。ふとうまやの向こうの、往来《おうらい》に向かったドアの開く音がした。それから五、六|度《たび》間《ま》を置《お》いて規則《きそく》正しいノックが聞こえた。やがて明かりが馬車の中にさしこんだ。わたしはびっくりしてあわててそこらを見回した。わたしの寝台《ねだい》のわきにねむっていたカピは、うなり声を立てて起き上がった。わたしはそのときその明かりが馬車の小窓《こまど》からはいって来ることを知った。その小窓はわたしたちの寝台《ねだい》の向こうについていたのを、さっきはカーテンがかかっていたのでとこにはいるとき気がつかなかったのであった。この窓の上部はマチアの寝台《ねだい》に近く、下部はわたしの寝台に近かった。カピがうちじゅうを起こしてはいけないと思って、わたしはかれの口に手を当てて、それから外をながめた。
 すると父親がうまやにはいって来て、静《しず》かに向《む》こう側《がわ》のドアを開けた。そして二人、肩《かた》に重い荷をせおった男を外から呼《よ》び入れて、やはり用心深い様子で、またドアを閉《し》めた。それからかれはくちびるに指を当てて、ちょうちんを持った片手《あたて》でわたしたちのねむっている事に指さしをした。わたしはほとんどそんな心配は要《い》りませんと言って、声をかけようとしたが、もうマチアがよくねむっていると思ったから、それを起こすまいと思って、そっとだまっていた。
 父親はそのとき二人の男に手伝《てつだ》って荷物のひもをほどかせて、やがて見えなくなったが、まもなく母親を連《つ》れてもどって来た。かれのいないあいだに二人の男は荷物の封《ふう》を開いた。中にはぼうしと下着とくつ下に手ぶくろなどがあった。まさしくこの男たちは両親の所へ品物を売りに来た商人であった。父親はいちいち品物を手に取って、ちょうちんの明かりで調べて、それを母親にわたすと、母親は小さなはさみで、正札《しょうふだ》を切り取って、かくしの中に入れた。これがわたしにはきみょうに思えたし、それとともに、売り買いをするのにこんな真夜中《まよなか》の時間を選《えら》んだということもふしぎであった。
 母親が品物を調べているあいだに、父親は商人に小声で話をしていた。わたしがもうすこしイギリス語を知っていたら、たぶんかれの言ったことばがわかったであろうが、わたしの聞き得《え》たかぎりでは、ポリスメン(巡査《じゅんさ》)ということだけであった。それはたびたびくり返して言ったので、そのためわたしの耳にも止まったのであった。
 残《のこ》らずの品物がていねいに書き留《と》められたとき、両親と二人の男がうちの中にはいった。そしてわたしたちの車はまた暗黒《あんこく》のうちに置《お》かれた。かれらは確《たし》かに勘定《かんじょう》をするために、うちの中にはいったのであった。わたしは自分の見たことがごく当たり前のことであると信《しん》じようとしたが、いくらそう望《のぞ》んでも、そう信ずることできなかった。
 なぜあの両親に会いに来た二人の男が、ほかのドアからはいって来なかったのであろうか。なぜかれらはなにか戸の外で聞くもののあることをおそれるかのように、小声で巡査《じゅんさ》の話をしていたのであったか。なぜ母親は品物を買ったあとで、正札《しょうふだ》を切り取ったのであろうか。わたしはこの考えをとりのけることができなかった。しばらくして明かりがまた馬車の中へさしこんで来た。わたしは今度はつい我《われ》知らず外をながめた。わたしは自分では見てはならないと思っていたが、でも……わたしは見た。わたしは自分では知らずにいるほうがいいと思ったが、でも……わたしは知ってしまった。
 父親と母親と二人だけであった。母親が手早く品物の荷作りをするまに、父親はうまやのすみをはいた。かれがかわいた砂《すな》をもり上げたそばに、落としのドアがあった。かれはそれを引き上げた。そのときもう母親は荷物にすっかりなわをかけておいたので、父親はそれを受け取って、落としから下の穴《あな》へ下ろした。母親はそばでちょうちんを見せていた。それからかれは落としのドアを閉《し》めて、またその上に砂《すな》をはき寄《よ》せた。その砂の上に二人はわらくずをまき散《ち》らしてうまやのゆかのほかの部分と同じようにした。そうしておいてかれらは出て行った。
 かれらがそっとドアを閉《し》めたしゅんかんに、マチアがねどこの中で動いたこと、まくらの上であお向けになったことをわたしは見たように思った。かれは見たかしら。わたしはそれを思い切って聞けなかった。頭から足のつま先までわたしは冷《ひ》やあせをかいていた。わたしはこのありさまでまる一晩《ひとばん》置《お》かれた。にわとりが夜明けを知らせた。そのときやっとわたしはまぶたをふさいだ。
 そのあくる朝わたしたちの車の戸を開けるかぎの音がしたので、わたしは目を覚《さ》ました。きっと父親がもう起きる時間だと言いに来たのであろうと思って、わたしはかれを見ないように目を閉じた。
「きみの弟だったよ」とマチアが言った。「ドアのかぎを開けて出て行ったよ」
 わたしたちは着物を着た。マチアはわたしによくねむれたかとも聞かなかった。わたしもかれに質問《しつもん》しなかった。一度かれがわたしのほうを見たように思ったから、わたしは目をそらせた。
 わたしたちは台所まで行った。けれども父親も母親もそこにはいなかった。祖父《そふ》は例《れい》の大きないすにこしをかけて、もうゆうべからすわったなりいるように、火の前にがんばっていた。そうしていちばん上の妹のアンニーというのが、食卓《しょくたく》をふいていた、いちばん上の弟のアレンが部屋《へや》をはいていた。わたしはかれらのそばへ寄《よ》って「おはよう」と言ったが、かれらはわたしには目もくれないで、仕事を続《つづ》けていた。
 わたしは祖父《そふ》のほうへ行ったが、かれはわたしを見てそばへは寄《よ》せつけなかった。そうしてまえの晩《ばん》のようにわたしのほうにつばをはきかけた。それでわたしは行きかけて立ち止まった。
「聞いてくれたまえよ」とわたしはマチアに言った。「いつ、父さんや母さんは出て来るのだか」
 マチアはわたしの言ったとおりにした。すると祖父《そふ》はわたしたちの一人がイギリス語を話したので、すこしきげんを直したように見えた。
「なんだと言うのだね」とわたしは言った。
「きみの父さんは一日よそへ出て帰らない。母さんはねむっている。それで出たければ外へぼくたちが出てもいいというのだ」
「たったそれだけしか言わないの」とわたしはこの翻訳《ほんやく》がたいへん簡単《かんたん》すぎると思って言った。
 マチアはまごついたようであった。
「そのほかのことばはよくわかったか、どうだか知らない」とかれは言った。
「ではわかったと思うだけ言いたまえ」
「なんでもあの人は、ぼくたちも町でなにか商売でもして、一もうけして来るがいい。ただ飯《めし》を食われてはやりきれない、というようなことを言っていたと思う」
 祖父《そふ》はかれの言ったことを、マチアが説明《せつめい》して聞かしているとさとったものらしく、中気《ちゅうき》でないほうの手でなにかをかくしにおしこもうとするような身ぶりをして、それから目配せをして見せた。
「出かけよう」とわたしはすぐに言った。
 二、三時間のあいだわたしたちはそこらを歩き回ったが、道に迷《まよ》ってはいけないと思って遠くへは行かなかった。ベスナル・グリーンは夜見るよりも昼見るとさらにひどい所であった。マチアとわたしは、ほとんど口をきかなかった。ときどきかれはわたしの手をにぎりしめた。
 わたしたちがうちへ帰ったとき、母親はまだ部屋《へや》から出て来なかった。開け放したドアのすきからわたしはかの女が机《つくえ》の上につっぷしているのを見た。かの女は病気なのだと思ったが、わたしは話をすることができないから、代わりにキッスしようと思って、そばへかけて行った。
 するとかの女はふらふらする頭を持ち上げて、わたしのほうをながめたが、顔は見なかった。かの女の熱《あつ》い息の中には、ぷんとジン酒のにおいがした。わたしは後ずさりをした。かの女の頭はまた下がって、机《つくえ》の上にぐったりとなった。
「ジンに当たったのだよ」と祖父《そふ》は言って、歯をむき出した。
 わたしはそのほうは見向きもせずにじっと立ちどまった。からだが石になったように感じた。どのくらいそうして立っていたか知らなかった。ふとわたしはマチアのほうを向いた。かれは両眼《りょうがん》になみだをいっぱいうかべて、わたしを見ていた。わたしはかれに合図をして、また二人でうちを出た。
 長いあいだわたしたちはおたがいの手を組み合ってならんで歩きながら、何も言わずに、どこへ行こうという当てもなしに、まっすぐに歩いた。
「ルミ、きみはどこへ行くつもりだ」とかれはとうとう心配そうにたずねた。
「ぼくは知らない。どこかへとだけしか言えない。マチア、ぼくはきみと話がしたい。だがこの人ごみの中では話もできない」
 わたしたちはそのとき、いつか広い町へ出ていた。そのはずれには公園があった。わたしたちはそこまでかけて行って、こしかけにこしをかけた。
「ねえ、マチア、ぼくがどんなにきみを愛《あい》しているか、知ってるだろう。だから今度ぼくがうちの人たちに会いに来るとき、いっしょにきみに来てもらったのは、きみのためを思ったことだったのだ。きみはぼくがなにをたのんでも、ぼくの友情《ゆうじょう》を疑《うたが》いはしないだろうねえ」とわたしは言った。
「ばかなことを言いたまえ」とかれは無理《むり》に笑《わら》って言った。
「きみはぼくを泣《な》きださせまい思って、そんなふうに笑うのだね」とわたしは答えた。「ぼくはきみといっしょにいるときに、泣けないなら、いつ泣くことができよう。でも……おお……マチア、マチア」
 わたしは両うでをなつかしいマチアの首にかけて、ほろほろなみだをこぼした。わたしはこんなに情《なさ》けなく思ったことはなかった。わたしがこの広い世界に独《ひと》りぼっちであったじぶん、かえってわたしはこのしゅんかんほどに不幸《ふこう》だとは感じなかった。わたしはすすり泣《な》きをしてしまったあとで、やっと気を落ち着けることができた。わたしがマチアを公園に連《つ》れて来たのは、かれのあわれみを求《もと》めるためではなかった。それはわたしのためではなかった。かれのためであった。
「マチア」とわたしは思い切って言った。「きみはフランスへ帰らなければならないよ」
「きみを捨《す》てて、どうして」
「ぼくはきみがそう答えるだらうと思っていた。それを聞いてぼくはうれしい。ああ、きみがぼくといっしょにいたいというのは、まったくうれしい。けれどマチア、きみはすぐにフランスへ帰らなければならないよ」
「なぜさ、そのわけを言いたまえ」
「だって……ねえ、マチア、こわがってはいけないよ。きみはゆうべねむったかい。きみは見たかい」
「ぼくはねむらなかったよ」とかれは答えた。
「するときみは見た……」
「ああ残《のこ》らず」
「そうしてきみはそのわけがわかったか」
「あの品物が、代《だい》をはらったものでないことはわかるよ。だって、きみのお父さんは、あの男たちに母屋《おもや》のドアをたたかないで、うまやのドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は巡査《じゅんさ》が見張《みは》りをしているからと言っていたもの」
「それできみは行かなければならないことがよくわかったろう」とわたしは言った。
「ぼくが行かなければならないなら、きみだって行かなければならない。それはぼくにだって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理《むり》にきみを連《つ》れ帰ろうとしたら、きみはきっと、ぼくに一人で別《わか》れて行ってくれと言うと思うよ。ぼくはただきみが自分でもするだろうと思うことをするだけだ」
 かれは答えなかった。
「きみはフランスへ帰らなければいけない」とわたしは言い張《は》った。「リーズの所へ行ってぼくがやくそくしたことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。ぼくはあの子に、なによりもぼくのすることはあの人の借金《しゃっきん》をはらってやることだと言った。きみはあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。金のないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」
「きみがぼくに行けと言うのは、あの人たちがびんぼうだからというのではない。だからぼくは行かない」とマチアは強情《ごうじょう》に答えた。「ぼくはゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。きみはぼくの身の上を案《あん》じているのだ」
「マチア、それを言わないでくれ」
「きみはいつか、ぼくまでが代《だい》のはらってない品物の正札《しょうふだ》を切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」
「マチア、マチア、よしたまえ」
「ねえ、きみがぼくのために心配するなら、ぼくはきみのために心配する。ぼくたち二人で出かけよう」
「それはとてもできない。ぼくの両親はきみにとってはなんでもないが、ぼくには父親と母親だ。ぼくはあの人たちといっしょにいなければならない。あれはぼくの家族なのだから」
「きみの家族だって。あのどろぼうをする男が、きみの父親だって。あの飲んだくれ女が、きみの母親だって」
「マチア、それまで言わずにいてくれ」とわたしはこしかけからとび上がってさけんだ。「きみはぼくの父親や母親のことをそんなふうに言っているが、ぼくはやはりあの人たちを尊敬《そんけい》しなければならない。愛《あい》さなければならない」
「そうだ。それがきみのうちの人なら、そうしなければ。だが……あの人たちは」
「きみ、あんなにたくさん証拠《しょうこ》のあるのを忘《わす》れたかい」
「なにがさ、きみは父さんにも母さんにも似《に》てはいない。あの子どもたちはみんな色が白いが、きみは黒い。それにぜんたいどうしてあの人たちが子どもを探《さが》すためにそんなにたくさんの金が使えたろうか。そういういろいろのことを集めてみると、ぼくの考えでは、きみはドリスコル家の人ではない。きみはバルブレンのおっかあの所へ手紙をやって、きみが拾われたときの産着《うぶぎ》がどんなふうであったか、たずねてみたらどうだ。それからきみがお父さんといま呼《よ》んでいるあの人に子どもがぬすまれたとき着ていた着物のくわしいことを聞かせてもらいたまえ。それまではぼくは動かないよ」
「でももしきみの気のどくな頭が、そのために一つ食らったらどうする」
「なあに友だちのためならぶたれても、そんなにつらくはないよ」とかれは笑《わら》いながら言った。


     カピの罪《つみ》

 わたしたちは晩《ばん》までレッド・ライオン・コートへ帰らなかった。父親と母親はわたしたちのいなかったことをなにも言わなかった。夕飯《ゆうめし》のあとで父親は二|脚《きゃく》のいすを炉《ろ》のそばへ引《ひ》き寄《よ》せた。すると祖父《そふ》からぐずぐず言われた。それからかれは、わたしたちがフランスにいたころ、食べるだけのお金が取れていたか、わたしから聞き出そうとした。
「ぼくたちは食べるだけのものを取っただけではありません。雌牛《めうし》を一頭買うだけのお金を取ったのです」とマチアはきっぱりと言った。そのついでにかれはその雌牛でどういうことが起こったか話した。
「おまえたちはなかなかりこうなこぞうだ」と父親が言った。「どのくらいできるかやっておみせ」
 わたしはハープを取って一曲ひいたが、ナポリ小唄《こうた》ではなかった。マチアはヴァイオリンで一曲、コルネで一曲やった。中でコルネのソロが、ぐるりへ輪《わ》になって集まった子どもたちからいちばんかっさいを受けた。
「それからカピ、あれもなにかできるか」と父親がたずねた。「あれも自分の食いしろをかせぎ出さなければならん」
 わたしはカピの芸《げい》にはひどくじまんであったから、かれにありったけの芸をやらした。例《れい》によってかれは大成功《だいせいこう》をした。
「おや、この犬はりっぱな金もうけになるぞ」と父親がさけんだ。
 わたしはこの賞賛《しょうさん》でたいへんうれしくなって、カピに教えれば、教えたいと思うことはなんでも覚《おぼ》えることをかれに話した。父親はわたしの言ったことをイギリス語に翻訳《ほんやく》した。そのうえわたしの言ったほかになにかつけ加《くわ》えて言ったらしく、みんなを笑《わら》わせた。祖父《そふ》はたびたび目をぱちくりやって、「どうもえらい犬だ」と言った。
「だからわたしはマチアにも、いっしょにこのうちにいてくれるかと言いだしたわけさ」と父親が言った。
「ぼくはルミといつまでもいたいのです」とマチアが答えた。
「なるほど。それではわたしから申し出すことがあるが」と父親が言った。「わたしたちは金持ちではないから、みんながいっしょに働《はたら》いているのだ。夏になるとわたしたちはいなかを旅をして回って、子どもらは、向こうから買いに来てくれない人たちの所へ品物を持って売りに行くのだ。けれども冬になると、たんとすることがなくなるのだ。ところでおまえとルミにはこれから町へ出て音楽をやってもらおう。クリスマスが近いんだから、すこしは金ができるだろう。そこでネッドとアレンがカピを連《つ》れて行って、芸《げい》をやって笑《わら》わせるのだ。そういうふうなことにすれば、うまく仕事《しごと》がふり分けられるというものだ」
「カピはぼくとでなければ働《はたら》きません」とわたしはあわてて言った。わたしはこの犬と別《わか》れることはがまんできなかった。
「なあにあれはアレンや、ネッドとじきに仕事をすることを覚《おぼ》えるよ」と父親が言った。「そういうふうにしてよけい金を取るようにするのだ」
「おお、ぼくたちもカピといっしょのほうがよけい金が取れるのです」とわたしは言い張《は》った。                         .
「もういい」と父親が手短に言った。「わたしがこうと言えばきっとそうするのだ。口返答をするな」
 わたしはもうそのうえ言わなかった。その晩《ばん》とこにはいると、マチアがわたしの耳にささやいた。
「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」
 こう言ってかれは寝台《ねだい》にとび上がった。
 しかし、そのあくる朝わたしは、カピにいやでも因果《いんが》を言いふくめなければならなかった。わたしはかれをうでにだいて、その冷《つめ》たい鼻に優《やさ》しくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなにかれはわたしの顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、わたしはそれからアレンの手にひもをわたして、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。
 父親はマチアとわたしをロンドンの町中へ連《つ》れて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな往来《おうらい》があった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上に粉《こな》をふりかけたかつらをかぶった大きな太った御者《ぎょしゃ》が乗っていた。
 わたしたちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの距離《きょり》はかなり遠いのである。わたしはまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。かれはどろまみれになっていたが、上きげんであった。わたしはあんまりうれしかったから、かわいたわらでかれのからだをよくかいてやったうえ、わたしのひつじの毛皮にくるんで、いっしょにとこの中に入れてねかしてやった。
 こんなふうにして五、六日|過《す》ぎていった。マチアとわたしは別《べつ》な道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。
 するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピを連《つ》れて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアとわたしはひじょうに喜《よろこ》んで、いっしょうけんめいやってたくさんの金を取って帰れば、これからはしじゅうわたしたちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。わたしたち三人は一人だって欠《か》けてはならないのだ。
 わたしたちは朝早くカピをごしごし洗《あら》ってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。
 運悪くわたしたちのもくろみどおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンに垂《た》れこめていた。そのきりの深いといっては、つい二足三足前がやっと見えるくらいであった。このきりのまくの中でたまたまわたしたちのやっている音楽に耳を止めている人も、もうすぐそばのカピの姿《すがた》を見なかった。これはわたしたちの仕事にはじつにやっかいなことであった。でもこのきりのおかげを、もう二、三分あとでは、どれほどこうむらなければならないことであったか、それだけはまるで考えもつかなかった。
 わたしたちはいちばん人通りの多い町の一つを通って行くと、ふとカピがいっしょにいないことを発見した。この犬はいつだって、わたしたちのあとにぴったりついて来るのであったから、これはめずらしいことであった。わたしはあとから追いつけるようにかれを待っていた。ある暗い路地口《ろじぐち》に立って、なにしろわずかの距離《きょり》しか見えなかったから、そっと口ぶえをふいた。わたしはかれがぬすまれたのではないかと心配し始めたとき、かれは口に毛糸のくつ下を一足くわえてかけてやって来た。前足をわたしに向けてかれは一声ほえながらそのくつ下をささげた。かれはもっともむずかしい芸《げい》の一つをやりとげたときと同様に、得意《とくい》らしくわたしの賞賛《しょうさん》を求《もと》めていた。これはほんの二、三秒の出来事であった。わたしは開いた口がふさがらなかった、するとマチアは片手《かたて》でくつ下《した》をつかんで、片手《かたて》でわたしを路地口《ろじぐち》から引《ひ》っ張《ぱ》った。
「早く歩きたまえ。だが、かけてはいけない」とかれはささやいた。
 かれはしばらくしてわたしに言うには、しき石の上でかれのわきをかけて通った男があって、「どろぼうはどこへ行った、つかまえてやるぞ」と言いながら行ったというのである。わたしたちは路地《ろじ》の向こうの出口から出て行った。
「きりが深くなかったら、ぼくたちは危《あぶ》なくどろぼうの罪《つみ》で拘引《こういん》されるところだったよ」とマチアは言った。しばらくのあいだ、わたしはほとんど息をつめて立っていた。うちの人たちはわたしの正直なカピにどろぼうを働《はたら》かせたのだ。
「カピをしっかりおさえていたまえ」とわたしは言った。「うちへ帰ろう」
 わたしたちは急いで歩いた。
 父親と母親は机《つくえ》の前にこしをかけて、せっせと品物をしまいこんでいた。
 わたしはいきなりくつ下をほうり出した。アレンとネッドはぷっとふきだした。
「さあ、これがくつ下です」とわたしは言った。「あなたがたはぼくの犬をどろぼうにしましたね。ぼくは人のなぐさみに使うために犬を連《つ》れて行ったのだと思っていました」
 わたしはふるえていて、ほとんど口がきけなかった。でもこのときはどしっかりした決心をしたことはなかった。
「うん、なぐさみのほかに使ったら」と父親は反問した。「おまえ、どうするつもりだ。聞きたいものだね」
「ぼくはカピの首になわを巻《ま》きつけて、これほどかわいい犬ですけれど、ぼくはあいつを水にしずめてしまいます。わたしは自分がどろぼうにされたくないと同様、カピをどろぼうにはしてもらいたくないのです。いつかわたしがどろぼうにならなければならないようなことがあれば、わたしは犬といっしょにすぐ水にしずんでしまいます」
 父親はわたしの顔をしげしげと見ていた。わたしはかれがよっぽどわたしを打とうとしかけたと思った。かれの目は光った。でもわたしはたじろがなかった。
「おお、ではよしよし」とかれは思い返して言った。「またそういうことのないように、おまえ、これからは自分でカピを連《つ》れて歩くがいい」


     ごまかし

 わたしは二人の子どもにげんこつを見せていた。わたしはかれらにものを言うことはできなかったが、でもかれらはわたしの様子で、このうえわたしの犬をどうにかすれば、わたしにひどい目に会うであろうと思った。わたしはカピを保護《ほご》するためには、かれら二人と戦《たたか》うつもりでいた。
 その日からうちじゅうの者は残《のこ》らず、大っぴらでわたしに対して憎悪《ぞうお》を見せ始めた。祖父《そふ》はわたしがそばに寄《よ》ると、腹立《はらだ》たしそうにつばをはいてばかりいた。男の子と上の妹はかれらにできそうなあらゆるいたずらをした。父親と母親はわたしを無視《むし》して、いてもいない者のようにあつかった。そのくせ毎晩《まいばん》わたしから金を取り立てることは忘《わす》れなかった。
 こうしてわたしがイギリスへ上陸《じょうりく》したとき、あれほどの愛情《あいじょう》を感じていた全家族はわたしに背中《せなか》を向けた。たった一人赤んぼうのケートが、わたしのかまうことを許《ゆる》した。でもそれすら、かくしにかの女のためのキャンデーか、みかんの一つ持ち合わせないときには、冷淡《れいたん》にそっぽを向いてしまった。
 わたしははじめマチアの言ったことを耳に入れようとはしなかったが、だんだんすこしずつ、わたしはまったくこのうちの者ではないのではないかと疑《うたが》い始めた。わたしはかれらに対してこれほどひどくされるようなことはなにもしなかった。
 マチアはわたしがそんなにがっかりしているのを見て、独《ひと》り言《ごと》のように言った。
「ぼくはバルブレンのおっかあから、早くどんな着物をきみが着ていたか言って寄《よ》こすといいと思うがなあ」
 とうとうやっとのことで、手紙が来た。例《れい》のとおりお寺のぼうさんが代筆《だいひつ》をしてくれた。それにはこうあった。
「小さいルミよ。お手紙を読んでおどろきもし、悲しみもしました。バルブレンの話と、あなたが拾われたとき着ていた着物から、あなたがよほどお金持ちのうちに生まれたこととわたしは思っていました。その着物はそのままそっくり、しまってありますから、いちいち言うことはわけのないことです。あなたはフランスの赤子のように、おくるみにくるまってはいませんでした。イギリスの子どものように、長い上着と下着を着ていました。白いフランネルの上着にたいそうしなやかな麻《あさ》の服を重ね、白い絹《きぬ》でふちを取って、美しい白の縫箔《ぬいはく》をしたカシミアの外とうを着ていました。またかわいらしいレースのボンネットをかむり、それから小さい絹《きぬ》のばらの花のついた白い毛糸のくつ下をはいていました。それにはどれも印《しるし》はありませんが、膚《はだ》につけていたフランネルの上着には印《しるし》がありました。でもその印はていねいに切り取られていました。さて、ルミ、あなたにご返事のできることはこれだけですよ。やくそくをしなすったりっぱなおくり物のできないことを苦《く》にやむことはありません。あなたの貯金《ちょきん》で買ってくれた雌牛《めうし》は、わたしにとっては世界じゅうのおくり物|残《のこ》らずもらったと同様です。喜《よろこ》んでください。雌牛もたいそうじょうぶで、相変《あいか》わらずいい乳《ちち》を出しますから。このごろではごく気楽にくらしています。その雌牛を見るたんびにあなたとあなたのお友だちのマチアのことを思い出さないことはありません。ときどきはお便《たよ》りを寄《よ》こしてください。あなたはほんとに優《やさ》しい、いい子です。どうかせっかくうちを見つけたのだから、おうちのみなさんがあなたをかわいがるようにと、そればかり望《のぞ》んでいます。ではごきげんよろしゅう。
[#地より9字上げ]あなたの養母《ようぼ》
[#地より2字上げ]バルブレンの後家《ごけ》より」
 なつかしいバルブレンのおっかあ。かの女は自分がわたしを愛《あい》したようにだれもわたしを愛さなくてはならないと思っているのだ。
「あの人はいい人だ」とマチアは言った。「じつにいい人だ。ぼくのことも思っていてくれる。さあ、これでドリスコルさんがどう言うか、見たいものだ」
「父さんは品物の細かいことは忘《わす》れているかもしれない」
「どうして子どもがかどわかされたとき着ていた着物を、親が忘《わす》れるものか。だってまたそれを見つけるのは着物が手ががりだもの」
「とにかくなんと言うか、聞いて、それから考えることにしよう」
 わたしがぬすまれたとき、どんな着物を着ていたか、これを父親にたずねるのは容易《ようい》なことではなかった。なんの下心なしにぐうぜんこの質問《しつもん》を発するなら、それはいたって簡単《かんたん》なことであろう。ところが事情《じじょう》がそういうわけでは、わたしはおくびょうにならずにはいられなかった。
 さてある日、冷《つめ》たいみぞれが降《ふ》って、いつもより早くうちへ引き上げて来たとき、わたしは両うでに勇気《ゆうき》をこめて、長らく心にかかっている問題の口を切った。
 わたしの質問《しつもん》を受けると、父親はじっとわたしの顔を見つめた。けれどわたしはこの場合できそうに思っていた以上《いじょう》だいたんに、かれの顔を見返した。するとかれはにっこりした。その微笑《びしょう》にはどことなくとげとげしいざんこくな様子が見えたが、でも微笑は微笑であった。
「おまえがぬすまれて行ったとき」とかれはそろそろと話しだした。「おまえはフランネルの服と麻《あさ》の服と、レースのボンネットに、白い毛糸のくつ下と、それから白い縫箔《ぬいはく》のあるカシミアの外とうを着ていた。その着物のうち二|枚《まい》までは、F《エフ》・D《デー》、すなわちフランシス・ドリスコルの頭字《かしらじ》がついていたが、それはおまえをぬすんだ女が切り取ってしまったそうだ。そのわけは、そうすれば手がかりがないと思ったからだ。なんならおまえの洗礼証書《せんれいしょうしょ》をしまっておいたから、それを見せてあげよう」
 かれは引き出しを探《さぐ》って、すぐと一枚の大きな紙を出して、わたしに手わたしをした。
「よかったらマチアに翻訳《ほんやく》させください」とわたしは最後《さいご》の勇気《ゆうき》をふるって言った。
「いいとも」
 マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、わたしは八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびその妻《つま》マーガレット・グランデのむすこであった。
 この上の証拠《しょうこ》をどうして求《もと》めることができようか。
「これはみんなもっともらしい」とその晩《ばん》車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして旅商人《たびあきんど》風情《ふぜい》が、その子どもにレースのボンネットや、縫箔《ぬいはく》の外とうを着せるだけの金があったろう。旅商人《たびあきんど》というものは、そんなに金のあるものではないさ」
「旅商人だから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」
 マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。
「きみはあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルがぬすんで来た子どもなのだ」
 わたしはこれに答えようとしたが、かれはもうずんずん寝台《ねだい》の上にはい上がっていた。


     アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン氏《し》

 わたしがマチアの位置《いち》であったなら、おそらくかれと同様な想像《そうぞう》をしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル氏《し》がわたしの父親だということは、もはや疑《うたが》う余地《よち》なく証明《しょうめい》された。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑い得《え》る……けれどわたしは疑《うたぐ》ってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしに信《しん》じさせようと努《つと》めると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強《がんきょう》で、その強情《ごうじょう》にいつも打ち勝つことは困難《こんなん》であった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔《ふいはく》を赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問《しつもん》であった。するとわたしはこちらから逆《ぎゃく》に反問《はんもん》して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索《そうさく》したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
 マチアはわたしの反問《はんもん》に返事ができなかったけれども、かれはけっして承服《しょうふく》しようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれは勧《すす》めた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務《ぎむ》だと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
 こういうおし問答の結果《けっか》は、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸《ふこう》にしただけであった。疑《うたが》うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって泣《な》いていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望《しつぼう》におちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ胸《むね》にせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、笑《わら》って、しかめっ面《つら》でもするほかはなかった。
 ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父《そふ》だけが一人、二階に残《のこ》っていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を訪《たず》ねて来る人とは、まるでちがった紳士《しんし》がはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩《ねんぱい》で、流行の粋《すい》を集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、笑《わら》うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
 それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
 こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度|肺炎《はいえん》をやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは一晩《ひとばん》寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
 かれはそばへ寄《よ》ってわたしのうでにさわった。それから頭を心臓《しんぞう》にすりつけた。今度は背中《せなか》と胸《むね》にさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしい笑《わら》い顔《がお》のうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
 これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピとも別《わか》れなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。まして初《はじ》めっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
 父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしは例《れい》のうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
 わたしはけむに巻《ま》かれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは往来《おうらい》へ出ると、目の色を変《か》えてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガン氏《し》だよ。きみの友だちのおじさんだよ」
 わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとから引《ひ》っ張《ぱ》った。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれは続《つづ》けた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の紳士《しんし》がうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことを残《のこ》らずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその紳士《しんし》が言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは肺炎《はいえん》の危険《きけん》を通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。三月《みつき》まえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまた救《すく》った。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン夫人《ふじん》という女は』
 ぼくがこの名前を聞いたとき、どうして窓《まど》に耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばを続《つづ》けた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡《きせき》というものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産《ざいさん》の相続人《そうぞくにん》はおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえに任《まか》せておくよ』とミリガン氏《し》が答えた」
 これがマチアの話すところであった。
 マチアのこの話を聞きながら、わたしの初《はじ》めの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガン氏《し》は父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
 それから二、三日ののち、マチアはぐうせん往来《おうらい》で、以前《いぜん》ガッソーの曲馬団《きょくばだん》で知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうに仲《なか》のいいことがわかった。
 かれはまたすぐとカピやわたしが好《す》きになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその経験《けいけん》とちえで、のちに困難《こんなん》におちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。


     マチアの心配

 春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が積《つ》みこまれた。そこにはぼうし、肩《かた》かけ、ハンケチ、シャツ、膚着《はだぎ》、耳輪《みみわ》、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものが積《つ》まれた。
 馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
 わたしたちは、いったい祖父《そふ》といっしょにうちに残《のこ》るのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえの晩《ばん》わたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアは勧《すす》めた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人《ふじん》とアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減《かげん》が悪いのだと、夫人《ふじん》はきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
 でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
 その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの値打《ねう》ちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側《よこがわ》は低《ひく》くなっていて、買い手の欲《よく》をそそるように美しく品物がならんでいた。
「値段《ねだん》を見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
 品物の値段《ねだん》づけを見た往来《おうらい》の人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察《すいさつ》の当たっていることを知ったであろう。
 かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
 わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまた勧《すす》めた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査《じゅんさ》がやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠《しょうこ》を見せることができよう。ぼくたちは現《げん》にあの人がこの品物を売って得《え》た金で、三度のものを食べているのではないか」
 わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら弁護《べんご》しようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが牢屋《ろうや》へやられればもう、きみのほんとうのうちの人を探《さが》すこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人《ふじん》にも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男|退治《たいじ》のジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは危険《きけん》のにおいをかぎつけている」
 こんなふうにして煮《に》えきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの事情《じじょう》が、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
 わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬《けいば》のあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場《けいばじょう》を見に行った。
 イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類《しゅるい》のちがう香具師《やし》や、音楽師《おんがくし》や、屋台店が二、三日まえから出ていた。
 わたしたちはあるテント張《は》り小屋《こや》で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り過《す》ぎると、曲馬団《きょくばだん》でマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそう喜《よろこ》んでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場《けいばじょう》へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師《おんがくし》を二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行《こうぎょう》は失敗《しっぱい》になるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄《ひとよ》せの音楽がなければならなかった。
 わたしたちはそこでかれの手伝《てつだ》いをしてやろうということになった。一座《いちざ》ができて、わたしたち五人の間に利益《りえき》を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸《えんげい》の合い間に芸《げい》をして見せてくれることを望《のぞ》んでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
 わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと疑《うたが》った。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察《すいさつ》した。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへ置《お》かなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋《やどや》』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
 わたしたちはそのまえの晩《ばん》『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道《かいどう》にあった。その店はなにか気の許《ゆる》せない顔つきをした夫婦《ふうふ》がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従《ふくじゅう》しなければならなかった。それでわたしは宿屋《やどや》で会うことをやくそくした。
 そのあくる日、カピを馬車に結《ゆ》わえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場《けいばじょう》へ急いで行った。
 わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで続《つづ》けた。わたしの指は何千という針《はり》でさされたように、ちくちく痛《いた》んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
 もう夜中を過《す》ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸《えんげい》に使っていた大きな鉄の棒《ぼう》がマチアの足に落ちた。わたしはかれの骨《ほね》がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
 そこでかれはその晩《ばん》ボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋《やどや》」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへ寄《よ》ると野獣《やじゅう》のほえ声がした。ドリスコル一家の財産《ざいさん》であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋《やどや》のドアをたたいた。亭主《ていしゅ》はドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚《みおぼ》えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
 わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを覚《おぼ》えた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアを置《お》いて行くことはできなかった。
 わたしは痛《いた》い足をいやいや引きずって競馬場《けいばじょう》に帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
 あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが朝飯《あさはん》のお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の巡査《じゅんさ》に引《ひ》っ張《ぱ》られて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
 カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と巡査《じゅんさ》がたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを拘引《こういん》する」
 かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、窓《まど》からはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行《はんこう》中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へ置《お》いて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうは確《たし》かに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
 わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばに寄《よ》った。ボブは巡査《じゅんさ》に、この子が罪人《ざいにん》であるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの宿屋《やどや》」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分|過《す》ぎだった」と巡査《じゅんさ》が言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間《なかま》に会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分|以上《いじょう》かかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たという確《たし》かな証拠《しょうこ》があるか」
「わたしが証人《しょうにん》です。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
 巡査《じゅんさ》は肩《かた》をそびやかした。
「まあ子どもが判事《はんじ》の前へ出て、自分で陳述《ちんじゅつ》するがいい」とかれは言った。
 わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを見捨《みす》てはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど巡査《じゅんさ》はことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしが預《あず》かる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
 巡査《じゅんさ》に手錠《てじょう》をかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの百姓《ひゃくしょう》のように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意《てきい》を持っていた。かれらはジプシー族や浮浪者《ふろうしゃ》であった。どれも宿《やど》なしの浮浪人であった。
 今度|拘引《こういん》された留置場《りゅうちじょう》にはねぎが転《ころ》がしてはなかった。これこそほんとうの牢屋《ろうや》で、窓《まど》には鉄の棒《ぼう》がはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。部屋《へや》にはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間《なかま》の加勢《かせい》をたのんでも、とてもここからわたしを救《すく》い出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がって窓《まど》の所へ行った。鉄の格子《こうし》はがんじょうで、目が細かかった。かべは三|尺《じゃく》(約一メートル)も厚《あつ》みがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
 わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪《むざい》を証拠《しょうこ》だてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場《げんじょう》にいなかったという証人《しょうにん》になって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明《しょうめい》することさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供《ていきょう》した無言《むごん》の証明があるにかかわらず、放免《ほうめん》になるかもしれない。看守《かんしゅ》が食べ物を持って来たとき、わたしは判事《はんじ》の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引《こういん》されたあくる日、裁判所《さいばんしょ》へ呼《よ》ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
 わたしは囚人《しゅうじん》が差《さ》し入《い》れの食べ物の中に、よく友だちからの内証《ないしょう》のことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンを割《わ》り始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをも粉《こな》ごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
 わたしはその晩《ばん》ねむられなかった。つぎの朝|看守《かんしゅ》は水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋《へや》にはいって来た。かれは顔を洗《あら》いたければ洗えと言って、これから判事《はんじ》の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは損《そん》にはならないと言った。しばらくしてまた看守《かんしゅ》はやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
 わたしのはいった部屋《へや》はたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
 部屋は大きな窓《まど》と、高い天井《てんじょう》があって、りっぱな構《かま》えであった。判事《はんじ》は高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官《さいばんかん》がこしをかけていた。そのそばにわたしは法服《ほうふく》を着て、かつらをかぶった紳士《しんし》といっしょにならんだ。これがわたしの弁護士《べんごし》であることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
 証人《しょうにん》の席《せき》には、ボブと二人の仲間《なかま》、「大がしの宿屋《やどや》」の亭主《ていしゅ》、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それから向《む》こう側《がわ》には五、六人の人の中に、わたしを拘引《こういん》した巡査《じゅんさ》を見つけた。検事《けんじ》は二言三言で、罪状《ざいじょう》を陳述《ちんじゅつ》した。セント・ジョージ寺で窃盗事件《せっとうじけん》があった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、窓《まど》をこわした。かれらは外へ張《は》り番《ばん》の犬を置《お》いた。一時十五分|過《す》ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとに残《のこ》したまま、窓《まど》からにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査《じゅんさ》が競馬場《けいばじょう》へ連《つ》れて行った。そこでかれはすぐと主人を認識《にんしき》した。それはすなわち現《げん》に囚人席《しゅうじんせき》にいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者《きょうかんしゃ》に対しては、追跡《ついせき》中であるからほどなく捕縛《ほばく》の手続《てつづ》きをするはずである。
 わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場《げんじょう》がいなかったという証言《しょうげん》をしたけれども、検事《けんじ》は、いや、寺へ行って共犯者《きょうはんしゃ》に出会って、それから「大がしの宿屋《やどや》」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由を述《の》べろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
 わたしの弁護士《べんごし》は、犬がその日のうちに寺に迷《まよ》いこんで、寺男が戸を閉《し》めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠《しょうこ》立《だ》てようと努《つと》めた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
 そのとき判事《はんじ》はしばらくわたしを郡立刑務所《ぐんりつけいむしょ》へ送っておいて、いずれ巡回裁判《じゅんかいさいばん》の回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
 巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。


     ボブ

 判事《はんじ》が子どもを連《つ》れて寺へはいったどろぼうの捕縛《ほばく》を待つために、わたしはとうとう放免《ほうめん》されなかった。かれらはそのときになって、わたしがその男の共犯者《きょうはんしゃ》であるかどうか初《はじ》めて決めようと言うのである。
 かれらはただいま追跡《ついせき》中であると検事《けんじ》が言った。そうすると、わたしはその男とならんで、囚人席《しゅうじんせき》に入れられて、巡回裁判官《じゅんかいさいばんかん》の前に出る恥辱《ちじょく》と苦痛《くつう》をしのばなければならないのであろう。
 その晩《ばん》日のくれかかるまえ、わたしははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。かれはじきそばに来て、わたしのことを思っていることを知らそうとしたのであった。かれはまさしく窓《まど》の外の往来《おうらい》にいるのであった。わたしは足音とおおぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと演芸《えんげい》を始めているのであった。
 ふとわたしはよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。わたしはそれがなんのことだか確《たし》かにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気を張《は》っていなければならなかった。
 暗くなるとさっそくわたしはハンモックにはいった。たいへんつかれてはいたけれど、ねこむにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすりねこんだ。目が覚《さ》めるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、沈黙《ちんもく》がすべてを支配《しはい》していた。時計は三時を打った。わたしはこれで一時間、これで十五分と勘定《かんじょう》していた。かべによりかかりながら、じっと目を窓《まど》に向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方には鶏《とり》がときを作る声が聞こえた。もう明け方であった。
 わたしはごく静《しず》かに窓《まど》を開けた。なにがそこにあったか。相変《あいか》わらず鉄の格子《こうし》と、高いかべが前にあった。わたしは出ることができない。けれどばかげた考えではあっても、わたしは自由になることを待ちもうけていた。
 朝の風が耳がちぎれるように寒かったけれど、わたしは窓《まど》のそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。
 大きな白い雲が空にうかんだ。夜明けであった。わたしの心臓《しんぞう》ははげしく鼓動《こどう》した。
 するとかべをがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。わたしは耳をすませた。引っかく音が続《つづ》いた。ぬっと人の頭がかべの上に現《あらわ》れた。うす暗い光の中にわたしはボブを見つけた。
 かれは鉄格子《てつごうし》に顔をおしつけて、わたしを見た。
「静《しず》かに」とかれはそっと言った。
 かれはわたしに窓《まど》からどけという合図をした。ふしぎに思いながら、わたしは服従《ふくじゅう》した。かれは豆鉄砲《まめでっぽう》を口に当ててふいた。かわいらしい鉄砲玉《てっぽうたま》が空をまって、わたしの足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。
 わたしは弾丸《だんがん》をわしづかみにつかんだ。それはうすい紙をまめのように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。わたしはそっと窓《まど》を閉《し》めて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックに転《ころ》がった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっとわたしはその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。
「あしたきみは汽車に乗せられて、郡立刑務所《ぐんりつけいむしょ》へ送られるはずだ。巡査《じゅんさ》が一人ついて行くことになっている。きみは汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく勘定《かんじょう》していたまえ、四十五分目に汽車は連結点《れんけつてん》の近くで速力《そくりょく》をゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手の小山を登れば、われわれはそこに待っている。しつかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」
 助かった。わたしは巡回裁判《じゅんかいさいばん》の前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに加勢《かせい》してくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。
 わたしは書きつけを二度読み直した。汽車が出てから四十五分……左手の小山……汽車からとび下りるのはけんのんな仕事だ。でもそれをやり損《そこ》なって死んでも、したほうがいい。どろぼうの宣告《せんこく》を受けて死ぬよりましだ。
 わたしはまたもう一度書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。
 そのあくる日の午後、巡査《じゅんさ》は監房《かんぼう》にはいって来て、すぐついて来いと言った。かれは五十|以上《いじょう》の男であった。わたしはかれがたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。
 事件《じけん》はボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。わたしは汽車の戸口に席《せき》をしめた。巡査はわたしの前にこしをかけた。車室の中はわたしたちだけであった。
「おまえはイギリス語がわかるか」と巡査《じゅんさ》はたずねた。
「あまり早く言われなければわかります」とわたしは答えた。
「そうか。よし。それでは少しおまえに相談《そうだん》がある」とかれは言った。「法律《ほうりつ》をあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの事件《じけん》だか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。牢《ろう》の中で金を持っていればよけい気楽だ」
 わたしはなにも白状《はくじょう》することがないと言おうとしたが、そう言うと巡査《じゅんさ》をおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。
「まあ、よく考えてごらん」とかれは続《つづ》けた。「で、刑務所《けいむしょ》へ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、わたしの所へそう言ってお寄《よ》こし。おまえのことを心配している人間のあることは、つごうのいいことだし、わたしは喜《よろこ》んでおまえの加勢《かせい》をしてやる」
 わたしはうなずいた。
「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前を覚《おぼ》えたろうなあ」
「ええ」
 わたしはドアによりかかっていた。窓《まど》はあいていて、風がふきこんだ。巡査《じゅんさ》はあまり風がはいると言って、こしかけのまん中へ席《せき》を移《うつ》した。わたしの左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手でわたしはドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って速力《そくりょく》がゆるんだ。
 いよいよだいじなしゅんかんが来た。わたしは急いてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していたわたしの手が草にさわった。でも震動《しんどう》はずいぶんひどかったから、わたしは人事不省《じんじふせい》で地べたに転《ころ》がった。わたしが正気に返ったとき、わたしはまだ汽車の中にいると思った。わたしはまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、わたしは馬車の中に転がっていることを知った。きみょうだ。わたしのほおはしめっていた。やわらかな温《あたた》かい舌《した》が、わたしをなめていた。少しふり向くと、一ぴきの黄色い、みっともない犬がわたしの顔をのぞきこんでいた。マチアがわたしのそばにひざをついていた。
「きみは助かったよ」とかれは言って、犬をおしのけた。
「ぼくはどこにいるんだ」
「きみは馬車の中だよ。ボブが御者《ぎょしゃ》をしている」
「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」
 わたしは手足をのばして、かれの言うとおりにした。
「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」
「どうしたんだ」
「きみはぼくらの言ったとおりに、汽車からとび下りた。だが震動《しんどう》で目が回って、みぞの中に転《ころ》がりこんだ。きみがいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、小山をかけ下りて、きみをうでにひっかかえて帰って来た。ぼくらはきみが死んだと思ったよ。まったく心配したよ」
 わたしはかれの手をさすった。
「それから巡査《じゅんさ》は」とわたしは聞いた。
「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」
 わたしの目はまた、そばでわたしをながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。
 それはカピに似《に》ていた。でもカピは白かった。
「なんだね、この犬は」とわたしはたずねた。
 マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物はわたしの上にとびかかった。はげしくなめ回して、くんくん鳴いていた。
「カピだよ。絵の具で染《そ》めたのだよ」とマチアが笑《わら》いながらさけんだ。
「染めた、どうして」
「だって見つからないようにさ」
 ボブとマチアが馬車の中にうまくわたしをかくすようにくふうしてくれているあいだに、わたしは、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。
「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターと卵《たまご》を運んで、フランスの海岸を回っているのだ。ぼくらはなにからなにまでボブの世話になった。ぼくのようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車からとび下りるくふうもボブが考えたのだ」
「それからカピは。カピをうまく取り返したのはだれだ」
「ぼくだよ。だが、ぼくらが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵の具をぬったのはボブだった。判事《はんじ》はあの巡査《じゅんさ》を気が利《き》いていると言った。だがカピを連《つ》れて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピはぼくのにおいをかぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬どろぼうの術《じゅつ》を知っているのだ」
「それからきみの足は」
「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつはぼくは足のことを考えているひまがなかった」
 夜になりかかっていた。わたしたちはまだ長い道を行かなければならなかった。
「きみはこわいか」とわたしがだまって転《ころ》がっていると、マチアがたずねた。
「いや、こわくはない」とわたしは答えた。「だってぼくはつかまるとは思わないから。でもにげ出すということが罪《つみ》になりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」
「ボブもぼくも、きみを巡回裁判《じゅんかいさいばん》に出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」
 あれから、汽車が止まったところで、巡査《じゅんさ》がさっそく捜索《そうさく》にかかることは確《たし》かなので、わたしたちはいっしょうけんめい馬を走らせた。わたしたちの通って行く村は、ひじょうに静《しず》かであった。明かりがただ二つ三つ窓《まど》に見えた。マチアとわたしは毛布《もうふ》の下にもぐった。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるに舌《した》を当てると、塩《しお》からい味がした。ああ、わたしたちは海に近づいていた。
 まもなくわたしたちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが燈台《とうだい》であった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、わたしたちに待っていろと言った。かれは兄弟の所へ行って、わたしたちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。
 ボブはひじょうに遠くへ行ったらしかった。わたしは口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。わたしもふるえていた。
「寒いね」とかれはささやいた。わたしたちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。
 やがて往来《おうらい》に足音がした。ボブは帰って来た。わたしの運命が決められた。胴服《どうふく》を着て油じみたぼうしをかぶったぶこつな顔つきの船乗りが、ボブといっしょに来た。
「これがぼくの兄貴《あにき》だ」とボブが言った。「きみたちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこでぼくはここでお別《わか》れとしよう。だれもぼくがきみをここへ連《つ》れて来たことを知るはずがないよ」
 わたしはボブに礼を言おうとしたが、かれは手短に打ち切った。わたしはかれの手をにぎった。
「それは言いっこなしだ」とかれは軽く言った。「きみたち二人は、このあいだの晩《ばん》ぼくを助けてくれた。いいことをすればいい報《むく》いがあるさ。それでぼくもマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でもゆかいだ」
 わたしたちはボブの兄弟のあとについて、いくつか折《お》れ曲がった静《しず》かな通りを通って、波止場《はとば》に着いた。かれはひと言も口をきくことなしに、一そうの小さい帆船《はんせん》を指さした。二、三分でわたしたちは甲板《かんぱん》の上にいた。かれはわたしたちに下の小さな船室にはいれと言った。
「二時間すれば船を出す」とかれは言った。「そこにはいって、音のしないようにしておいで」
 でもわたしたちはもうふるえてはいなかった。わたしたちはまっ暗な中で肩《かた》をならべてすわっていた。


     白鳥号

 ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板《かんぱん》に聞こえて、滑車《かっしゃ》が回りだした。帆《ほ》が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船に酔《よ》ったってなんだ」
 そのあくる日、わたしは船室と甲板《かんぱん》の間に時間を過《す》ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせを伝《つた》えようとした。
 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜|一晩《ひとばん》船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折《ほねお》りを感謝《かんしゃ》すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆《しゅっぱん》するのだから、覚《おぼ》えておいで」
 これはうれしい好意《こうい》であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行《こうぎょう》を手伝《てつだ》ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡《とうぼう》のために骨《ほね》を折《お》ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸《じょうりく》するとこう言った。
「運河《うんが》について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人《ふじん》を探《さが》しながら、あの人たちにも会える。運河《うんが》をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を探《さが》すと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片《かた》っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚《おぼ》えているだろうよ」
 これからおそらく続《つづ》くかもしれない長い旅路《たびじ》にたつまえに、わたしはカピのからだを洗《あら》ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石《せっ》けん浴《よく》をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途《ぜんと》に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果《けっか》は得《え》られなかった。でもわたしたちは失望《しつぼう》しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外《こうがい》へ着くまでは五日間かかった。
 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例《れい》のだいじな質問《しつもん》を出すと、初《はじ》めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に似《に》た大きな遊山船《ゆさんぶね》が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲《ぶとうきょく》をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋《がいせん》マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。疑《うたが》いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
 わたしに勇気《ゆうき》があれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望《きぼう》を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖《かいぼう》することができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要《ひつよう》はなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと疑《うたが》った。
 夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることの好《す》きなマチアは言った。
 それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
 倹約《けんやく》するためにわたしたちは荒物屋《あらものや》で買ったゆで卵《たまご》と、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん好《この》んでいた。
「どうかミリガン夫人《ふじん》が、そのタルトをうまくこしらえる料理番《りょうりばん》をまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
 水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便《たよ》りを聞いた。だれもあの美しい小舟《こぶね》を見たし、あの親切なイギリスの婦人《ふじん》と、甲板《かんぱん》の上のソファにねむっている子どものことを話していた。
 わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って勢《いきお》いよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
 けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
 しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
 マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置《いち》をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
 ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人が先《せん》におよめに来るまえに奉公《ほうこう》していたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母《うば》にしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに困《こま》っていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河《うんが》を下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつも独《ひと》りぼっちでたいくつしているむすこさんの遊《あそ》び相手《あいて》を探《さが》しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが治《なお》っていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ訪《たず》ねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
 わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて寄《よ》こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」


     生きた証拠《しょうこ》

「さあ、進め、子どもたち」婦人《ふじん》に礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人《ふじん》だけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
 わたしたちはそれからまた白鳥号|探索《たんさく》の旅を続《つづ》けた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情《かんじょう》をこめて言った。「もしミリガン夫人《ふじん》を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
 気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしの愛《あい》する人たちを探《さが》すことに骨《ほね》を折《お》っている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
 リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便《たよ》りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人《ふじん》がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
 するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿《すがた》を遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸《かし》についてかけ出した。どうしたということだ。小舟《こぶね》の上はどこもここも閉《し》めきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
 するとそのとき船を預《あず》かっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめを連《つ》れてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を運《はこ》びながら、続《つづ》いて行った。
 これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに別荘《べっそう》を持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
 わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って探《さが》せば、きっとわかる。
 こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけが残《のこ》った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人《ふじん》はとか、病人の子どもとおしのむすめを連《つ》れたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場《ゆさんば》によく似《に》ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん探《さが》して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
 それで毎日|根《こん》よくほうぼうへ出かけて、演芸《えんげい》をやって歩いた。けれどまだミリガン夫人《ふじん》の手がかりはなかった。
 わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来《おうらい》の人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹《ちゅうふく》に造《つく》りかけた別荘《べっそう》へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言《だんげん》した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人《ふじん》ではなかった。
 ある日の午後、わたしたちは例《れい》のとおり往来《おうらい》のまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋《おもや》は園《その》のおくに引っこんで建《た》っていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄《こうた》の第一|節《せつ》を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
 けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜《かんき》の表情《ひょうじょう》のありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前を呼《よ》んだのだ。
 マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一|枚《まい》ひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、園《その》の向《む》こう側《がわ》を取り巻《ま》いているかきねのそばまで行ってみて、初《はじ》めてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
 とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人《ふじん》も、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
 これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問《しつもん》であった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
 リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
 医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡《きせき》は行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌い慣《な》れたナポリ小唄《こうた》を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復《かいふく》したことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延《の》ばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン夫人《ふじん》はどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
 リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用《きよう》に舌《した》が働《はたら》かなかった。
 かの女はそのとき園《その》を指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人《ふじん》がいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガン氏《し》がいた。
 こわくなって、実際《じっさい》戦慄《せんりつ》して、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難《さいなん》に会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
 かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン夫人《ふじん》に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを殺《ころ》しかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人《ふじん》に会いに行って話をする」
 マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
 わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗《しっぱい》ではなかったかと疑《うたが》った。
 やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人《ふじん》を連《つ》れてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしに差《さ》し出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながら優《やさ》しくわたしの額《ひたい》にキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と夫人《ふじん》はつぶやいた。
 夫人は美しい白い指で、わたしの額髪《ひたいがみ》をなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女は優《やさ》しく独《ひと》り言《ごと》をささやいた。
 わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
 わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点《ようてん》を確《たし》かめるだけであった。わたしはこれほどの熱心《ねっしん》をもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
 わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後《さいご》にかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
 こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人を寄《よ》こしてそちらへ案内《あんない》させますから。ではしばらくごめんなさいよ」
 ふたたび夫人《ふじん》はわたしにキッスした。そしてマチアと握手《あくしゅ》をして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン夫人《ふじん》になにを話したのだ」とわたしはマチアに質問《しつもん》した。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
 わたしはまだマチアに質問《しつもん》し続《つづ》けた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
 わたしたちは相変《あいか》わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕《きゅうじ》に案内《あんない》をされた。かれはわたしたちを居間《いま》へ連《つ》れて行った。わたしたちの寝部屋《ねべや》をわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台《ねだい》がならんでいた。窓《まど》は湖水を見晴らす露台《ろだい》に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお好《この》みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓《しょくたく》を出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、大黄《だいおう》のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三|種《しゅ》ともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜《やさい》は……」
 いちいちの口上《こうじょう》にマチアは目を丸《まる》くした。でもかれはいっこう閉口《へいこう》したふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡《れいたん》に答えた。
 給仕《きゅうじ》はもったいぶって部屋《へや》を出て行った。
 そのあくる日ミリガン夫人《ふじん》は、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋を連《つ》れて来た。わたしたちの服とシャツの寸法《すんぽう》を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと努《つと》めていることを話して、医者はもうじき治《なお》ると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしに優《やさ》しくキッスし、マチアと固《かた》い握手《あくしゅ》をして、出て行った。
 四日|続《つづ》けてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情《あいじょう》深《ぶか》くもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人《ふじん》の代わりに来て、ミリガン夫人《ふじん》がわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口《かどぐち》に来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
 馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人《ふじん》と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を差《さ》し延《の》べた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置《いち》に、あなたを置《お》くことができるようになりました」
 わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへ寄《よ》って、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものが現《あらわ》れた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を机《つくえ》に置《お》くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人《ふじん》は召使《めしつか》いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人《ふじん》は優《やさ》しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお置《お》きなさい」
 ジェイムズ・ミリガン氏《し》は例《れい》の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑《びしょう》がものすごい渋面《じゅうめん》になった。ミリガン夫人《ふじん》はかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでを願《ねが》いましたのは」と、ミリガン夫人《ふじん》はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏《し》が反問した。
「なんでもお寺へ盗賊《とうぞく》にはいったその男が、残《のこ》らず白状《はくじょう》いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連《つ》れて行き、そこへ捨《す》てたか、その一部始終《いちぶしじゅう》を述《の》べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
 ジェイムズ・ミリガン氏《し》はわたしにとびかかって、しめ殺《ころ》してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい際《ぎわ》でかれはふり返って言った。
「いずれ法廷《ほうてい》が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
 わたしの母、もういまはそう呼《よ》んでもいいが、――母はそのとき静《しず》かに答えた。
「あなたが法廷へこの事件《じけん》をお持ち出しになるのはご随意《ずいい》です。わたくしはあなたが夫《おっと》のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
 ドアは閉《し》まった。そのとき、生まれて初《はじ》めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密《ひみつ》をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに寄《よ》って来てこう言った。
「ではきみは残《のこ》らず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも確《たし》かな証拠《しょうこ》をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別《わか》れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧《まず》しかったときおまえの愛《あい》したこの人たちもね」


     家庭で

 いく年か、それはずいぶん長い月日が短く過《す》ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続《つづ》いた。わたしはいまでは、わたしの先祖《せんぞ》からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
 うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨《す》てられ、忘《わす》れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標《もくひょう》になる燈台《とうだい》もなく、避難《ひなん》の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛《あい》し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉《めいよ》のある先祖《せんぞ》の名跡《みょうせき》をついで、ばくだいな財産《ざいさん》を相続《そうぞく》する身の上になったのである。
 夜な夜な、物置《ものお》きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史《れきし》に由緒《ゆいしょ》の深い古城《こじょう》の主人であった。
 わたしが汽車からとび下りて、押送《おうそう》の巡査《じゅんさ》の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しい城《しろ》はあった。
 このミリガン・パークの本邸《ほんてい》に、わたしは母と、弟と、妻《つま》と、自分とで、家庭を作っていた。
 半年前からわたしは城内《じょうない》の文庫《ぶんこ》にこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式《せんれいしき》を上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮《ひんきゅう》であった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式《せんれいしき》を祝《いわ》おうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一|冊《さつ》の本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
 これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしの妻《つま》をおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、姉《あね》と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証《ないしょう》にしてあった。もう一人この席《せき》にだいじな人が欠《か》けていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
 親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石の墓《はか》を築《きず》かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像《はんしんぞう》をすえさせた。その半身像の複製《ふくせい》はこうして書いているわたしの卓上《たくじょう》にあった。「思い出の記」を書いている間《ま》も、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっして忘《わす》れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
 そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓《ひゃくしょう》女のようなふうをした婦人《ふじん》が、白いむつき(おむつ)に包《つつ》まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一|枚《まい》持って来て、ウィーンの通信記事《つうしんきじ》を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会《えんそうかい》を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功《だいせいこう》がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを果《は》たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途《と》に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要《ひつよう》がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達《せいちょうはったつ》を予期《よき》していた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師《きょうし》について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕《りょうが》(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋《とこや》さん兼業《けんぎょう》の音楽家エピナッソー先生の予言《よげん》がなるほどとうなずかれた。
 そのとき、配達夫《はいたつふ》が一通の電報《でんぽう》を配達《はいたつ》して来た。その文言《もんごん》にはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一|泊《ぱく》。妹クリスチーナを同伴《どうはん》四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛《あい》していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚《けっこん》を承知《しょうち》することはわかっていた。子どもの誕生《たんじょう》のお祝《いわ》いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみ[#「たくらみ」に傍点]にかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討《ふいう》ちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
 それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
 一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン氏《し》、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集《しょくぶつさいしゅう》の旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色《どういろ》に焼《や》けた顔が現《あらわ》れた。それから青年が一人、老人《ろうじん》が一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味《きょうみ》があった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待《しょうたい》をすませると、ウェールズまで鉱山《こうざん》見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察《しさつ》をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置《いち》にいっそうの箔《はく》をつけようというのであったし、老人《ろうじん》のほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集《こうせきしゅうしゅう》をやって町で重んぜられているので、今度の調査《ちょうさ》の結果《けっか》いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人《ろうじん》と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山《こうざん》で働《はたら》いていた「先生」と、アルキシーとであった。
 リーズとわたしが来賓《らいひん》にあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車《よりんばしゃ》が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに続《つづ》いて、一両の二輪馬車が着いた。気の利《き》いた顔つきの男が御者《ぎょしゃ》をして、これと背中《せなか》合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
 さて洗礼式《せいれいしき》がすむと、マチアはわたしを窓際《まどぎわ》まで連《つ》れ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念《きねん》の席上《せきじょう》でわたしたちの愛《あい》する人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしは笑《わら》いながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛《めうし》をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
 マチアは歯をむき出して笑った。
 ビロードで側《がわ》を張《は》ったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に洗《あら》われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみは好《す》きなナポリ小唄《こうた》を歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
 こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていた妻《つま》をふり向いた。
 来賓《らいひん》はわたしたちのぐるりを取《と》り巻《ま》いた。
 ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
 大好《だいす》きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力《しりょく》はまだなかなかしっかりしていた。ねていた暖《あたた》かいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸《えんげい》」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一|枚《まい》くわえていた。かれは「ご臨席《りんせき》の来賓諸君《らいひんしょくん》」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
 かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足で胸《むね》を打って、来賓にごあいさつをした。
 わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨《きんか》と銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
 わたしはむかししたように、かれの冷《つめ》たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮《こんきゅう》が思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓《らいひん》に向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師《だいどうおんがくし》のために救護所《きゅうごしょ》設立《せつりつ》の第一回|寄付金《きふきん》としたいと宣言《せんげん》した。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業《じぜんじぎょう》のお手伝《てつだ》いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会《えんそうかい》第一夜の収入《しゅうにゅう》は、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
 こう言うと、カピも「賛成《さんせい》」というように、一声高くウーとほえた。
[#地から1字上げ](おわり)



底本:「家なき子(下)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
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