青空文庫アーカイブ

かれいの贈物
九鬼周造

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寛《くつろ》いだ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)b'[#「b'」は縦中横]
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 十二月も半ば過ぎた頃であった。村上は友人の山崎を自宅の昼飯に招いた。独身者同様の村上は時にこうして十五ばかり年下の山崎と会食をしながら寛《くつろ》いだ気もちで談笑するのが好きであった。年齢の相違もあるので二人の間には師弟といったような感覚も交っていた。村上が二階の書斎で手紙を書いていると女中が山崎の来たことを告げながら
「これを頂戴いたしました」
といって干鰈《ほしがれい》の沢山入った籠《かご》を見せた。約束の時間よりも少し早かったので、遠慮のない間柄であるから主人は「ちょっとお待ち下さい」といわせて急ぎの手紙を書き終えてから下へ降りた。
「お待たせした。どうも今は結構なものをありがとう」
「実は国許へ帰っている妻から今朝送ってきましたのでちょうどいいから先生に差上げたいと思ってもってまいりました。笹がれいと若狭《わかさ》では呼んでおります。お口に合うかどうかわかりませんが」
「それは御厚意をどうもありがとう」
 村上は山崎の友情を言葉でよりも心で深く感謝している様子だった。二人はやがて酒盃を交わしながらお互いの仕事のことや近頃読んだ本のことやその他色々と語り合った。
 午後の二時頃になった。玄関のベルが鳴ると女中は吉田敏子の来訪を告げた。敏子は山崎とも知合っているので村上はすぐにそこへ通させた。不幸な結婚をした出戻りではあるがまだ三十になったばかりの美しい敏子はかなり派手な着物をすらりとした身体に着こなして魅力の溢れた挨拶をした。しばらくしてから敏子は主人に
「あ、松葉がれいをどうもありがとうございました」
といった。主人は微笑しながら軽くうなずいた。酒に強くない山崎は僅《わず》か飲んだだけでもう少し酔い気味になっていたせいか
「松葉がれいですって?」
と口をすべらしたが、すぐに
「いや、よしておきましょう」
といって笑った。
 山崎は腹の中ではこう思った。せっかく先生に上げようと思ってわざわざ国から取寄せて持ってきたものを気に入ってるこの敏子のところへすぐもうやってしまったと見えるな。かなり不似合な軽薄なことを先生もするのだな。自分が来たときしばらく待たせておいたのもその手配をするためだったのか。山崎はチラっとこんな念におそわれて少し不快を感じたが、万事につけて村上の心もちを呑込《のみこ》んでいる山崎はそんなことくらいを深くとがめる気にはならないですぐあっさり忘れて、その日は夕方まで敏子を中心に面白く話し合った。
 山崎が帰ってから一足後れて敏子も帰っていった。

 事実はこうである。二ヶ月ばかり前のことであるが、欧洲航路の事務長をしている従兄からドイツのチーズを貰《もら》ったので敏子はそのわけを手紙に書いて村上にチーズを贈った。かつて敏子が松葉がれいが好きだといっていたのを村上がふと思い出して返礼かたがた松葉がれいを敏子に贈ったのは数日前のことである。今日は山崎の国許の若狭から笹がれいが届いたので山崎はそれを村上のところへ持ってきた。敏子が訪ねてきて村上にかれいの礼をいったのを傍で聞いた山崎は自分が持ってきたかれいを村上はすぐに敏子のところへ廻したのだと思った。「松葉がれいですって? いや、よしておきましょう」といったのは「あれは松葉がれいではありません。笹がれいですよ」と訂正したかったのを村上に遠慮してよしておいたのである。

 村上はその晩、寐ながらこんなことを考えた。偶然の戯れだな。継起的偶然という奴だな。「かれいの贈物」という同一の事項が偶然に継起的に繰返されたのだ。時間内で継起して、しかも互いに独立して両者の生起になんらの必然的関係がないから偶然なのだ。しかし必然的関係は皆無だとはいえない。一方には山崎と自分、他方には自分と敏子という好意的相関者が二組ある。好意的な相関関係は贈物という具体的な形で物を言う場合がある。今は冬で鰈のしゅんだ。それだから贈物として別々の場合に同じ鰈が選ばれたのだ。偶然ではあるがそこになんらの必然性がないではない。しかし厳密な必然性ではない。相当程度の可能性とでもいうべきだ。
 村上はまたこんなことも考えた。山崎の誤解はいかにも無理がない自然な誤解だ。自分が山崎であってもきっとあの通りの誤解をするにきまっている。だが誤解にはちがいない。どういう順序の誤解なのか。なんとか数学の式で出てきそうなものだな。山崎をaとして自分をbとしたらどうなるか。bがaから物を貰ったのだから a∧b としよう。それから敏子をxとすれば b∧x だ。それでどうなるか? それだから a∧x ということになる。これほど簡単なことはない。そうだ。こうも考えられる。
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x=b
b=a
[#ここから3字下げ]
∴ x=a
[#ここで字下げ終わり]
してみると、形式論理学で媒概念曖昧の虚偽という奴だな。bが癖ものなのだ。
[#ここから2字下げ]
敏子に送られた鰈は村上の鰈である。
村上の鰈は山崎の送った鰈である。
それ故に、敏子に送られた鰈は山崎の送った鰈である。
[#ここで字下げ終わり]
山崎はこんな推論をしたのだ。だが「村上の鰈」といっても「村上の送った鰈」と「村上に送られた鰈」とがある。「村上の送った鰈」は松葉がれいで「村上に送られた鰈」は笹がれいなのだが、事態の偶然性が魔法の輪を描いて松葉がれいと笹がれいとを一つにしてしまったのだ。「村上の鰈」という概念はローマの神様のように首が両面になっている。二つが一つになったのか、一つが二つになったのか。つまり突然に煙が吹き出て「村上の送った鰈」と「村上に送られた鰈」との区別がつかなくなったのだ。「誰かあはれといふ[#「いふ」に白丸傍点]暮の」といった掛詞風の曖昧性が醸《かも》し出されたのだ。そこで媒概念という役目がつとまったのだ。そこから虚偽が起ったのだ。それが誤解の正体だ。偶然という魔法の戯れが手品師のようにいきなり怪しい煙を起こしたのだから山崎が誤解したのは全く無理もないことだ。

 翌朝、起きて村上は手帳にこんなことを書きつけた。「どうも実社会のことは x=b, b=a, ∴ x=a というようなパスカルのいわゆる「幾何学《ジェオメトリー》の精神《エスプリ》」だけではわからないことが多い。bとb′[#「b′」は縦中横] との相違を見わける「尖鋭《フィネス》の精神《エスプリ》」がどうしても必要だ。偶然などという奴は「尖鋭の精神」の権化みたようなもので、よっぽど精神をほそくとんがらかさないでは捉えにくい代物だ。人間と人間との間の誤解というようなこともほんのちょっとしたことから起るものだ。
 山崎にも感想を書いて送ろうかとしたが、それほどのことでもないと考えてやめてしまった。そしてその日から村上は毎朝、毎朝、朝食には山崎より貰った若狭の笹がれいを欠かさずに食べた。主人がよくも飽きないものだと台所で女中たちがささやき合った。



底本:「九鬼周造随筆集」菅野昭正編、岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年9月17日第1刷発行
   1992(平成4)年9月20日第3刷発行
底本の親本:「九鬼周造全集 第五巻」岩波書店
   1991(平成3)年2月第2刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:松永正敏
2003年8月27日作成
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