青空文庫アーカイブ

高山の雪
小島烏水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)重畳《ちょうじょう》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)第一高峰|白峰《しらね》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)Neve[#両方の「e」にアクサンテギュ(´)が付く]
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     一

 日本は海国で、島国であるには違いないが、国内には山岳が重畳《ちょうじょう》して、その内部へ入ると、今でも海を見たことのないという人によく出会うのは、私が山岳地の旅行で親しく知ったことである。これに反して山を(高低の差別はあるにもせよ)未だ生れてから見たことがないという人は、盲目でない限りは、殆んどないようである。これは山岳そのものの性質が立体で、遠見が利くからでもあるが、日本が全体において山岳国であることが解る。極端に言えば、日本人は国内においては、向うに山の見えないという地平線に立ったことは、未だないはずである。冬は言うまでもないとして、三月四月頃、試みに郊外に出て見給え、遠くに碧い山か、斑らな雪の縞を入れて、菜の花の末、または青葉若葉の上に、浮ぶように横たわっている。もっとも山の高低や、緯度の如何《いかん》に随って雪の多少はあるが、高山の麓になると、一年中絶えず雪を仰ぎ視る事が出来る。就中《なかんずく》夏の雪は、高山の資格を標示する徽章である。
 雪と山とは、このように密接な関係があり、山上の雪は後に説明するいわゆる「万年雪」や、氷河となっている。即ち永久に地殻の一部を作っているので、地質学者は雪を岩石の部に編入しているほどである。雪と山との合体から、雪の色が山の名になってしまった例は頗《すこぶ》る多い。日本で一番名高いのは「越の白山」と古歌に詠まれた加賀(飛騨にも跨《また》がる)白山(二六八七|米突《メートル》)である。それから日本全国中、富士山に次いでの標高を有する、私共のいわゆる日本南アルプスの第一高峰|白峰《しらね》(三一九二米突)がそれである。やや低い山で、割合に有名なのは、日光と上州草津に白根山(日光二二八六米突、草津二一四二米突)という同名のが二つある。これを外国に見ると、全世界の大山脈を代表するほどに有名なる欧洲アルプスは、前章にも述べた通り、「白き高山」ということで、アルプス山中の最高峰モン・ブラン(Mont Blanc 四八一一米突)は正に白山という義である。その他|亜細亜《アジア》大陸のヒマラヤ大山脈中にも似寄った意義の山名は少なからず発見せられる。即ち「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤ山は、最高峰エヴェレスト Everestは、海抜三万尺の高さに達しているが、ヒマラヤは梵語《ぼんご》「雪あるところ」という意義であるそうで、そこから「雪山」という漢訳語も、起因しているのである。また先年本邦に立寄られた大探検家スエン・ヘディン氏(Sven Hedin)の講演によれば、パミール第一の高山七千八百米突のムスタアグ・アー夕山は、土耳古《トルコ》語で「氷雪白き山岳の父」という意味だそうである、同氏はトランス・ヒマラヤを越えて、西方へ行き、ダングラユムツオ Dangrayumtsuoなる湖水の側《かたわ》らに、タルゴ・ガングリ Targo-gangri山を発見せられたが、この「ガングリ」なる名は、しばしば西蔵《チベット》語に出て来る「氷の山」の義で、常に崇高な氷雪を戴いているため、チベット人は、神聖視しているとのことだ。
 また北米で有名な、シエラ・ネヴァダ山 Sierra Nevadaのシエラは鋸歯ということだが、ネヴァダは万年雪(Neve[#両方の「e」にアクサンテギュ(´)が付く])と語原を同じゅうした「雪の峰」ということである、米人ジョン・ミューア John Muirは、かつてヨセミテ谿谷 Yosemite Valleyの記を草して、このシエラ山は全く光より成れる観があると言って、シエラをば「雪の峰と呼んではいけない、光の峰と名づけた方がいい」と言ったが、雪のある峰であればこそ、光るので、我が富士山が光る山であるのは、雪の山であるためではあるまいか。
 顧みて「高根の雪」なる美しい語が、我が日本の古くからの歌に散見するのも、我が山岳国には欠かれない存在であると云わねばならない。しかしながら、単に「雪で白い山」だけなら、理解力の幼稚な小児でも言える。私どもの知識欲は、この荘厳にして視神経を刺戟する程度の強さが、容積の大から来るそれに匹敵する山岳に対して、もう少し、微細に深刻に入って見たい。
 思うに、人事において流行《はやり》や廃《すた》りのある如く、自然においても旧式のものと新式のものが自らある、空中飛行機に駭《おどろ》く心は、やがて彗星を異《あや》しむ心と同一であると云えよう。自然に対しても、近代人は近江八景や、二見ヶ浦の日の出のような、伝習に囚《とら》われた名所や風光で満足が出来ないのである。ちょうど十九世紀に著しく勃興した探検事業は、科学的研究心と合体して、未知数に向い、無人境に向った結果、山岳研究ということが、欧洲より米国に、また日本に伝わって来て、諸々の文明国は、山岳会を有するに至った。何故ならば、山岳は百般の自然現象を、ほぼ面積の大なる垂直体に収容した博物館であり、美術殿堂であるからである。就中山岳の雪は、研究の対象として最も興味のある題目である。

     二

 山岳は雪を被むるによって、その美しさを一層増す。朝は日を受けて柔和な桃色を潮《さ》し、昼は冴えた空に反映して、燧石《すいせき》のようにキラキラ晃《きら》めき、そのあまりに純白なるために、傍で見ると空線に近い大気を黒くさせて、眼を痛くすることがある。夕は日が背後に没して、紫水晶のように匂やかに見える。筑波山の紫は、花崗石の肌の色に負うことが多いが、富士山の冬の紫は、雪の変幻から生ずる色といっても大過はあるまい。
 ただしこれらは遠くで見る山の美しさである、実際日本北アルプス辺の峰頭に立って見ると雪田の美しさは、また別物である、柔かく彎曲する雪田の表面は、刃のような山稜から、暗い深い谷に折れ、窪地に落ちこんでは、軟らかい白毛の動物の背中のように円くなり、長く蜿《く》ねった皴折《ひだ》の白い衣は、幾十回となく起伏を重ねて、凹面にはデリケートな影をよどませ、凸面には金粉のような日光を漂わせ、その全体は、単純一様に見えながら、部分の曲折、高低、明暗は、複雑な暗示に富み、疲れた眼には完全なる安息という観念を与える、そのまた雪白色は、蒼空と映じていかにも微細で尖鋭な、ピンク色に変化させる。
 もっともこう言った雪の美しさだけなら、何も高山に限らず、寒帯地方で、もっと大規模に見られるかも知らぬが、高山特得ともいうべきは、空の濃碧であること、色彩の光輝あること、植物の変化と豊饒なることなどが、その背景《バック》になっていることで、北寒地方の雪といえども、これらには辛うじて匹敵し得られるに過ぎまい。
 しかしながら山岳の雪は、ただその美観によって研究される価値あるばかりでなく、造山力を有する動作から言っても、雪それ自身の特立した状態から言っても、また生物を保護する恩恵から言っても、興味があるから、以下にこれを説く事にする。
 試《こころみ》に諸君と共に、郊外に立って雪の山を見よう、雪が傾斜のある土の上に落ちると、水のように低きに就く性質を有するから、山の皺や襞折《ひだ》の方向に従って、それを溝渠として白い縞を織る。平生はあるとも見えぬ皺が、分明に出来る。そればかりではなく、空線の遥か遠くに、白い頭が方々に出るので、あんな所にも山があったのかと初めて気が注《つ》く。また山の頭のギザギザは、白くなったために、輪廓がハッキリして、一本一本の尖りまで見える。
 白い山に碧い空は、最も対照の美なるものである、或植物学者が花の色の最も眼にハッキリ見えやすいのは、緑の葉で包まれた白い花である、と言ったが、碧い空で包まれた白い山も、同じ視線を惹《ひ》くのである。それに反して紫の山となると、碧い空との区別が朦朧としてしまう。その時には、雪の白色を拭き消された夕暮になるのである。富士山を見ると、雪の真っ白なときには、頂上の八朶《はちだ》の芙蓉に譬《たと》えられた峰々がよく別る。山腹に眼をうつすと、あの雪の中で藍になって雪が消えたように見える所がある。あれは宝永の噴火口で、雪が実際は消えていないのであるが、火口壁の陰影で、藍色に見えるのである。少し近づいて見ると、その火口壁の雪は、反対に白紙でも貼りつけたように目立って見える。また方面によっては、二合目位から以下に、雪が及んでいないのは、それも実際雪がないからではなく、森林帯の黒木のために截《た》ち切られているからである。
 古い雪の上に新雪が加わると、その翌る朝などは、新雪が一段と光輝を放って眩《まば》ゆく見える。雪は古くなるほど、結晶形を失って、粒形に変化するもので、粒形になると、純白ではなくなる、また粒形にならないまでも、古い雪に白い輝きがなくなるのは、一部は空気を含むことが少ないからで、一部は鉱物の分子だの、塵芥泥土だのが加わって、黄色、灰色、または鳶色に変ってしまうからだ。殊に日本北アルプスの飛騨山脈南部などでは、硫黄岳という活火山の降灰のために、雪のおもてが、瀝青《チャン》を塗ったように黒くなることがある、「黒い雪」というものは、私は始めて、その硫黄岳の隣りの、穂高岳で見た、黒い雪ばかりじゃない、「赤い雪」も槍ヶ岳で私の実見したところである。私は『日本アルプス』第二巻で、それを「色が桃紅なので、水晶のような氷の脈にも血管が通っているようだ」と書いて、原因を花崗岩の※[#「雨/毎」、346-2]爛《ばいらん》した砂に帰したが、これは誤っている、赤い雪は南方熊楠《みなかたくまぐす》氏の示教せられたところによれば、スファエレラ・ニヴァリス Sphaerella Nivalis という単細胞の藻で、二本の鬚《ひげ》がある。水中を泳ぎ廻っているが、また鬚を失って円い顆粒となり、静止してしまう、それが紅色を呈するため、雪が紅になるので、あまり珍しいものではないそうである、但し槍ヶ岳で見たのも、同種のものであるや否やは、断言出来ないが、要するに細胞の藻類であることは、確かであろうと信ずる、ラボックの『瑞士《スイス》風景論』中、アルプス地方に見る紅雪として、挙げてあるのも、やはり同一な細胞藻であった、この外にアンシロネマ Ancylonema という藻が生えて、雪を青色または菫色に染めることもあるそうであるが、日本アルプス地方では、私は未だそういう雪を見たことはない。(紅雪を標品として採集するには、雪と共に瓶の中へ入れ、フォルマリン薬を臭気強いまで滴下して置けば、雪は無論溶けるが、藻は保存が出来る、ただし紅色はやや久しいうちには、全く失われるが、学術標品としては差支えないのである。)
 さて新雪について言うと、低地の気温の高い所で、密集した雲が雨となるように、山岳の高寒地のそれは雪になる、しかし今まで降っていた雪が、低い空気層に入ると、忽《たちま》ち雨と変わることは高山を上下する人のよく遭遇する所である。こういう時、下りて見ると、麓の草原は雨の雫で緑がシットリと輝くのと対照して、山の新しい雪が、キラキラと雲母のように光って、雪と雨とを区別する境界線が、山の中腹に引かれている。これはいわゆる雪線で、よく新聞の電報欄に、昨夜何山の何合目まで降雪ありという、その何合目が即ち雪線に当るのである、しかし地理学で普通に言う雪線もしくは恒雪線などいうのは、そのように雪の供給と消費が、一時に精密に平均する地点を意味するのでなくて、年々落ちる雪の量が、次年の夏に悉く(でなくともほぼ全体)消費される地線を指すので、一年または数年の経過を含めてのことである。――高山の中腹では、この雪線を境としてその上に雪が堆積して、万年雪となり、その万年雪の一部が氷河の運動を起して、徐々《そろそろ》と下落し、遅かれ早かれ、融解するのである。
 但し花崗岩や片麻岩質の、石が硬くとも分解しやすい山(日本南アルプスの駒ヶ岳山脈や、関東山脈の西端、甲武信三国境界附近の、花崗岩塊にこの種の高山が多い)は、岩石大崩壊のために遠望すると白くなって雪と紛《まぎ》らわしいが、久しく空気に晒《さら》されているので、雪に比べると晶明な光輝が乏しいので、あまり遠からぬ距離からは、容易に区別される。
 かかる高山の雪は、何時《いつ》頃降るだろうか。
 一体高山の初雪というのは、改まった暦の初めに降るという意味なのでなく、雪の消滅時季なる夏を通過してから、後に初めて降る雪を言うのである。故に一月元旦に降ったからとて、必ずしも初雪とはいわず、前年の九月や十月頃に降った方のを、かえって初雪と称する。それも山に常住して言うのではなく、遠望して言うのだから、世に報告された初雪なるものが、正しいか否かは疑問である。いわゆる初雪は、一昨々年の調査によると、
  鳥海山(二千百五十七米突)十月 二日  戸隠山(二千四百二十五米突)十月 九日
  妙高山(二千四百五十四米突)十月 九日  黒姫山(一千九百八十二米突)同上
  八ヶ岳(二千九百三十二米突)十月 十日  刈田岳(一千八百二十九米突)十月十四日
  岩木山(一千五百九十四米突)十月十五日  八甲田山(一千八百五十二米突)同上
  槍ヶ岳(三千百八十米突)十月十九日  白馬岳(二千九百三十三米突)同上
  吾妻山(一千八百六十米突)十月二十日  大日岳(一千三百九十米突)同上
  四阿山(二千三百五十七米突)十月二十日  阿蘇山(一千五百八十三米突)十一月廿五日
   この標高は槍ヶ岳と白馬岳とを除いて、従来の地理書に従ったのであるから、当にならないものである。
で、北から中央、それから南と及ぼして雪の遅速が解る。そうして多くは、その前年または前々年と比べても、同一山において、十日内外の遅速があるのに過ぎないというのであるから、先ず大概の見当はつくであろう。
 富士山の如きは、十月より四月頃までは不断の降雪があるが、一昨々年は五月十二日に五合目以上に降雪あり、一昨年は五月二十六日には山巓《さんてん》に降雪があり(信州浅間山にも同年五月二十四日九合目以上に約四、五寸の降雪があった)、六月十日に三合目以上に降雪があり、七月十七日午後二時頃から八合目に降雪があり、一昨年は、八月十六、七日に降雪があったほどで、甲斐、信濃、飛騨、越中、越後辺の日本アルプス帯にも、ただ報告がないというだけで、矢張り同じような降雪があったろうと思われるから、要するに日本の高山は、一年中、量の多少はあっても、降雪は絶えずあるものと信じていて、差支《さしつかえ》はなかろう。随って厳格に言えば、初雪という語は意義を成さないのである。

     三

 次に、高山の氷雪が、如何《いか》ばかりの造山力を有するかを語ろう。人は山頂の雪を、千古不滅と形容する。富士山には消えないという意味の「万年雪」の名がある。欧洲アルプス地方では、仏蘭西《フランス》語のネヴェ Neve[#両方の「e」にアクサンテギュ(´)が付く] を、万年雪というところに用いている、厳格にいうとネヴェとは、雪線以上[#「以上」に白丸傍点]の氷河地方にある不滅の雪で、グレシア(Glacier 普通「氷河」と訳す)とは、雪線以下[#「以下」に白丸傍点]の氷河地方に限られたもののようであるが、日本の山岳地には、雪線も、氷河もないために、ネヴェという語を、固まった半雪半氷状態の万年雪に擬している、しかし単に状態の上から宛《あ》て嵌《は》めた名とすれば、さしたる不都合はなかろうと思われる。しかし地熱の反射から、雪は次第に下から溶解し、上からは新しいのが供給されるから、一見不滅のようでも、それは絶えず新陳代謝しているので、山峰や山稜の上に雪が積ってはまた積り、それが千年も万年も経つとしたら、早い話が、一年に雪が三尺ずつ積れば、五千年で一万五千尺になる計算で、山の上には遥かに高大なる雪の山が出来て、地上の湿分は永久に、山上に閉鎖されて、下界は乾燥になるわけである。しかし世界の何所《どこ》にも、そんな現象がないのは、山頂の積雪は、それ自身の圧力で表面は融解し、時々の雨や雲霧で氷に固形し、これらがそれ自からの重量のために凝《こお》れる河(即ち氷河)または短かい舌状の氷流となり、徐々《そろそろ》と低地に向って垂《た》れ下り、または融解蒸発して再び雪となり、山頂に下って、前の通りを循環するからである。そうでなかった日には、雪ばかりの山が、大崩雪《おおなだれ》となって、日本のように山岳が多くて平原の狭い国は、平原中が雪で埋没されるわけになってしまうのである。
 山岳に登ったことのない人は、山の頂点に行けば行くほど、寒いから雪が多量に積むものと考えているらしいが、事実はそうでない。頂点は風力が強くて、雪を飛散させるためと、傾斜急峻で雪の維持力に乏しいためとで、かえって雪は少量または稀有である。その少量の取り残された残雪も氷河となって、遅緩なる運動を以て、山から下りて来るのである。またあまり高層へ行くと、空気は乾燥して水分を含むことが少ないから、雪はかえってないものである。近頃では展覧会などで見る「高嶺の雪」などいう日本画には、空気を絶したような峻急な高嶺に、綿帽子のように、むやみに雪を盛り上げたのがあるけれども、あれは誤りである。
 もし毎年の雪の量を、測量して見たいと思う人があったら、雪の上に、適宜な印をつけて置くことだ、勿論その雪は、万年雪か、一カ年で溶解しないものでなければならぬ、そうして一年二年と経るうちに、印が次第に深いところへ埋没陥落して行くようなら、その山の雪は、融解の量より、堆積する方の量が多いものと見なければならぬ、勿論これは至って簡単な方法を選んだのである。
 日本の山岳は、日本アルプスあたりでは、大洋より来る湿気を含める風が当って、降雪量は充分であるが、融ける分量の方が積る分量より多いのであるから、氷河という現象を作らない。富士山は日本では三千七百七十八米突という抜群の標高を有しているが、太平洋方面は黒潮が流れるほどの暖かさで、かつ冬季は霽《は》れて雨量が少なく、山腹以上の傾斜が急峻であるから、これも氷河を作る資格がない。これに反して日本海方面の北アルプスは、冬季氷雪の多いこと無双であるが、山の標高は辛うじて三千米突を出入するに過ぎない。もし富士山の位置を、北アルプスに移し換えて、その痩削《そうさく》的の山容を改めたらば、あるいはどういう雪の結果を齎《もた》らしたか、予《あらかじ》め知り難いのである。
 これを、も一つ別の意味から言い換えると、日本アルプスは、南北によって雪の分量を異にしている、たとい厳格に言う雪線がなくても、夏日の残雪で、比較的常住の雪線を仮定して見ると、北は雪線が低くて、南が高くなっている、冬季多量なる湿分は、雪線を低くするが、これに反して乾燥な生暖かい風は、雪線を昂《たか》める結果になる、日本アルプスを仮に最北を白馬岳から、最南を富士山より少しく以南(赤石山系の最南端は低いから除いて)までとすれば、おそらく雪線高低の差は、三百米突以上に及びはしまいかと思われる、ヒマラヤ山は、日本アルプスとは反対に、南の方に雪が多量で、雪線が低く、北方は少量で、雪線が高い、即ち南は実際において、赤道に近いにも拘わらず印度洋を払拭《ふっしょく》して来る風が、多量の水蒸気を齎らすのに反して、北は西蔵《チベット》高原から吹きつける暑熱の乾燥した風であるために、南と北では、雪線の差が一千四百米突にも及んでいる、日本アルプス南方に、雪の少ないのは、太平洋方面が冬季に、比較的温暖であるばかりでなく、日本海からの凜烈《りんれつ》なる北風は、多量の雪を北アルプスの斜面や、山頂に振り落して、南アルプスには、その剰余を、分配するに過ぎないからではなかろうか。
 雪が氷河になると、その山側を擦り下りる圧力で山体を銷磨《しょうま》して行く。欧洲アルプスの山岳の概して三角形をしているのは、氷河が山の表裏や側面に向って整斉的に作用したからで、その斧痕《ふこん》は岩壁に示されている。しかし氷河を欠いた日本アルプスには、それほど雪の働きを示さないから、岩石は鋭い山稜《リッジ》や、尖った峰《ピーク》となって、粗硬な形態を示している。それは重《おも》に風化作用の力であるから、山は岩石の性質によって種々雑多な形容をしている。硬い岩石は、例えば、甲州アルプスで金峰山(二五五一米突)の五丈石、鳳凰山(二七七九米突)の地蔵仏は、結晶岩なる花崗石で、飛騨山脈の槍ヶ岳(三一八〇米突)は石英斑岩の硬石である。また粘板岩や砂岩のような比較的柔かいのは、最後まで残存して孤立することがむつかしいので、石板が墜落堆積して、登るには困難する。その好例は赤石山(三一二〇米突)の赤石沢などで、およそ山巓から三百米突も下まで、大崩石で埋まっている。
 しかし、そういう岩石は、風化の作用だけで、雪の力を借らないものかというと、決してそうではない。夜は冷気のために雪が岩石の膚肌に凝結し、昼はそばから蒸発して行くので、冷熱の変化から岩石を破壊し、山体を陶器の破片のように滅茶滅茶にして散乱させる。飛騨山脈の槍ヶ岳から鎌尾根という山稜にかかる辺に、その岩石は洪水のように溢れている。それを破片岩《デブリィ》(Debris)と称している。
 雪のある地方より高く抜いた山は、風化作用という破壊力のために、次第に低く削られるけれども、それが雪の多いところまで低下して来ると、かえって雪氷のために風化作用の爆裂から保護されて、傾斜も柔和になって、相応に高い平均高度を有することになる。日本アルプス飛騨山脈が平均三千米突の高度を有しているのはその好適例で、雪によって美しく、白馬岳(二九三三米突)のように高山植物に豊富で、雪に依ってその全体の高峻を、或程度までは保護されているのである。
 日本アルプスの中で、最も山形に変化の多いのは北アルプスで、それには乗鞍岳(三〇二六米突)や御嶽(三〇六五米突)のように、富士山を除いて、日本第一の大火山の噴出があったためもあるが、御嶽頂上の五個の池、乗鞍岳頂上の火口湖などに、絶えず美しい水を湛《たた》えているのも、また信飛地方の峡谷の水が、純美であるのも、雪から無尽蔵に供給するからである。
 氷河は勿論だが、雪|辷《すべ》りが山側を磨擦する時は、富士山の剣丸尾《けんまるび》熔岩流のように、長い舌の形によって、その舐《な》めた痕跡が残る。私が富士山の御殿場口と、須走《すばしり》口の間で見たのは、雪解の痕が砂を柔かく厚く盛り上げて、幾筋ともなく流れているのが、二合目または一合目辺で、力が尽きて停止したままの状態を示していた。その停止している所は、舌の先のようで、お正月の海鼠餅《なまこもち》の格好だ。ただ比較にならぬほど長くて幅が大きいのである。雪解の水に漉《こ》されて沈澱した砂は、粒が美しく揃って、並の火山礫などとは、容易に区別が出来る。また富士山の「御中道めぐり」と称して、山腹の五、六合目の間を一匝《いっそう》する道がある。これを巡ると、大宮口から吉田口に到るまでの間に殊に多く灰青色の堅緻なる熔岩流があり、漆喰《しっくい》で固めたように山を縦に走っている。これは普通火山で見受ける、赫《あか》く焦げた熔岩とは思えないので、道者連は真石と称えているが、平林理学士に従えば、橄欖《かんらん》輝石富士岩に属しているそうだ。この熔岩の上を雪が辷った痕を見ると、滑らかな光沢があって、鏡のように光っている。これは御殿場口から須走口に入ろうとする森林の側の、大日沢という所にも発見される。
 即ち普通の風化作用では、岩石の性質によっては凸凹が烈しく、あるいは岩石の節理が膨《ふ》くれ立ちて、木輪が、磨滅した木の肉から浮ぶように、抓《つま》み上がって見えたりするが、雪の動作は、それとは反対に岩石を擦り円め、滑らかにさせ、磨き上げるのである。ただ岩石の硬軟に依って、時間の相違はあるが、結局同一相を呈する。山崎理学士は信州白馬岳の葱平《ねぶかっぴら》(海抜約二千九百米突)近傍において、擦痕《さっこん》ある岩壁を見られ、それを氷河の遺跡と判断せられて、表面が丸く滑っこく、その上に擦痕があるのを特徴に挙げた。氷河の遺跡ということが、確説であるか否かは、氷河を見たことのない私は知らぬが、雪辷りの痕も、岩壁の擦面は婉曲になって、また擦痕も谷の方向に走っていることは、例を示すことが出来る。
 ただしかし一口に雪辷りと言っても、その雪は水に近い普通の雪解であるか、または氷に近い万年雪であるかによって、痕跡の状態に多大な相違を来《きた》すのである、両者の主なる相違は、水は低いところ、窪んだところに、活溌に働作をするのであるが、万年雪や氷は、寧ろ凸出した表面に働作をするのである、それだから、その擦痕も、水のは凹形になっているが、万年雪や氷河のは、凸形になっている、白馬岳の擦痕は、やはりこの凸形の方に属するらしく、富士で見たのは、いずれかと言えば凹形の方に属している。

     四

 山上において、積雪がどういう状態をしているかという事は、下界の人々には解らぬことであるから、最後にこれを説こうと思う。高峰の雪というと、誰でもその高潔を予想するが、新雪はともかく、いわゆる万年雪の状態にあるものは、表面は雨水が流れたり、崖の砂が塗られたり、偃松の枯枝が散ったりして、存外に汚ないものが多い。それも、一皮|剥《む》けば純白である。それは上皮の雪は、気泡を含むことが多いから、白いのであるが、下の方まで穿って見ると、圧搾《あっさく》のために、白さが次第に減じて、氷粒になりかけて、普通の氷に見られるような透明な碧さを有《も》っている。「万年雪」の氷っているものは、幾らかの碧味《あおみ》を見る。しかし大石の下になって凍っている雪などを見ると、内部からの光の反射を妨げるために、暗黒で透明で、瀝青《チャン》の色に見えることがある。
 また万年雪を、半氷半雪状の凝河として観察すると、中央は一体に、両側より高く盛り上って、両側から見ると、中央が高いために、視線が中断されることがある、どうしても山の両斜面は、夏は暖かであるため、近い雪を融解減退させ、中央よりドカ落ちをさせている、但し狭い窪地などで、両側の崖に倚《よ》った方の雪が、高くて中央の雪が窪んで低くなっていることもあるから、要するに地形の支配を受けることは免かれない、ただ原則としては、事情が平斉である限り、中央が高くなるべきことと思えば宜《よろ》しい。
 日本高山の雪は、一体にどの方面に多いかというと、私が十月の末に富士山に登ったときの経験で見ると、この山は北の方面よりも、南の太平洋面に多い。それは、北風が強くて、雪を南に吹き飛ばすからである。日本北アルプスなる飛騨山脈を観ると、ここは冬は西風が強くて、東の方へ吹きなぐるため、夏日の残雪も、東の方に多量に堆積している。それのみならず、日光の融解力を考えると、朝の日は東の方面に当るが、その光線の力が微細であるに反し、昼は北や南に、午後は主として西が強い光線を受ける、即ち東は融解の力を受けることが弱いから、雪が多量に留置されるのだ。
 そこで雪は、如何なる地点に最も多く残存するかというに、前に述べた如く、余り傾斜の峻急な尖った所には住まえないから、多くは緩傾斜の崖、または谷や盆地に留まる。しかし谷や盆地のは夏になると大概解けてしまうが、崖の雪は盛夏でも日本アルプスのは、半里から一里位の長さで繋《つな》がっていることがある。かかる所には怖ろしい罅穴《クレッヴァス》(Crevasse)が出来て、穴の深さは二、三丈位に達するのを往々見受ける。欧洲アルプスではこれが三百米突位な深さに達し、登山者のみならず、羚羊《かもしか》までが踏み落ちると、そのまま氷漬けになり、自然の墳墓になるということであるが、日本ではそのように深奥なのはない。
 日本山岳における万年雪の罅穴《クレッヴァス》の標本としては、信州白馬岳の大雪田の末、白馬尻に見ることが出来る、日本山岳会員辻村伊助氏の説明によると、この罅穴《クレッヴァス》は幅約一米突深さ五米突に及んでいるそうである。どうしてかかる穴が出来るかというに、雪や氷も眼に見えないが絶えず動いているので、傾斜地を辷り落ちる時、その速力が凡《すべ》ての方面に同じなら差支ないが、雪の流れも河水と同じく、河岸に沿うた所は、多少の抵抗を受けるので遅緩であるが、中央は比較的早く進むので、その速力の不平均から、前へ出る力と、同伴を遅滞する両側の拒む力とが、均衡を失って、自ずと破れ目が出来る。しかしそればかりで出来るのではない、万年雪や氷は、塑造《そぞう》的物質になって、その通過する地床の傾斜に、少しでも変化があれば、氷雪はそれに応じて裂罅《れっか》を作ること、渓流の「渦巻き」が、いつ見ても一つところに、居据《いす》わりのように出来ているのと同じく、クレッヴァスも毎年同一の地点に出来る現象を呈する。でなくとも、また大きな岩石が雪中に落ちると、石の吸収した熱の発射のために、石の四周の雪だけが溶けて、そこに狭い溝が出来ることがある。また雪のある地形によっては、石を擡《もた》げた雪だけが、石の影になっていて、光線を吸収しないために、その左右の方が早く解けてしまい、石が卓子《テーブル》で、下の雪がその脚となって、支えているようなこともある。
 次に雪の面は、必ずしも板のように平面でなく、風の吹き荒れたままに漣波《さざなみ》状をして、湖水のおもてに尖波が立ったような状能になり、そのまま凝《こお》っているのがある、また円い輪が幾つも列《つら》なって、同心円が出来ているのもある。ちょうどボートレースに、櫂《かい》からの雫が、河面にポタポタして、小さな円い輪を描いたのに似ている。これも風力が、雪片を飛散させて作ったのであろうと思われる。
 最後に雪の「カアル」(Kar)またはサアカス(Cirques)というものについて述べる。これは雪が深く、岩壁に喰い入って、そこだけを、虫歯の洞のように、深く刳《えぐ》るので、刳られた崖が、椀を半分欠いたようになって、立っているのがそれだ。そこを刳りつくすと、また雪がずり下りて、一段低い所へ同じものを作るので、日本北アルプスにはそれが頗る多い。その最も標本的に現われているのは、越中薬師岳(二九二六米突)、信州黒部の五郎岳(二八四〇米突)などで、一体に槍ヶ岳から以北、即ち立山山脈、または後立山山脈に頗る多い。私が薬師岳で観察した所に依ると、凡《す》べてのカアル皆然《しか》りとは言われないが、カアルの初期は、雪が横一文字に堆《うずたか》くなっているに過ぎないが、その両端の垂下力が遅く、中央が速いためか、第二期には三日月形に歪み、更に拡大して勾玉《まがたま》形になって来ている。中には勾玉形が、岩石の硬軟その他の関係から、逆さになっているのもある。そうなると両端から包囲するように、中央部までを喰い取って刳るから、一方の外壁を残して一方を欠いた噴火孔のようになる。しかしその岸側でなく、平坦地にあるものは、浸蝕力を逞しゅうすることが出来ないで、雪堤となって、一定の高さに達すると風に吹き落されてしまうのである。下から仰ぎ視て、黒い岩石の山稜に、白胡麻でも蒔いたように、細い雪が入っていると思われるのは、傍へ行くと、十町も二十町もある雪田であり、または山稜の窪みに喰い入った雪堤である。その雪田もズッと裾の方へ行くと、雪の穹門《きゅうもん》から水が滾々《こんこん》と湧き出ていて、洞内に高山植物などが美しく咲いている、但し夏日うっかり奥まで深く這入ると、雪がくずれて圧倒する危険がないとも限らぬ。
 以上は雪そのものの美と作用を略説したのであるが、雪に依って保護される生物に、雷鳥や高山植物などがある。就中《なかんずく》高山植物の美麗は熱帯の壮大華麗なる花を凌《しの》ぐのであるが、高山植物の美観は他日題を改めて説くつもりである。
 山岳を建築とすれば、高山植物は、この建築内部の装飾絵画のようなもので、その美術家は雪である。山という建築が、高く大きく発達するほど、雪という美術家が多くなり、高山植物という補助の絵画が立派に製作される。高山の雪は、あながち死を連想するほどに、冷酷、寂寞、荒廃ではないのである。



底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1版発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店
   1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
入力:大野晋
校正:地田尚
1999年11月25日公開
2003年9月15日修正
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