青空文庫アーカイブ
梓川の上流
小島烏水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)明科《あかしな》停車場
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)千島|桔梗《ききょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)※[#「皺」から皮を抜いたものに「俊」の作り、145-14]皺《ひだ》
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一
明科《あかしな》停車場を下りると、犀《さい》川の西に一列の大山脈が峙《そばだ》っているのが見える、我々は飛騨山脈などと小さい名を言わずに、日本アルプスとここを呼んでいる、この山々には、名のない、あるいは名の知られていない高山が多い、地理書の上では有名になっていながら、山がどこに晦《か》くれているのか、今まで解らなかったのもある――大天井《おてんしょう》岳などはそれで――人間は十人並以上に、一寸でも頭を出すと、とかく口の端にかかる、あるいは嫉みの槌《つち》で、出かけた杭が敲《たた》きのめされるが、この辺の山は海抜いずれも一万有尺、劫初《ごうしょ》の昔から間断なく、高圧力を加えられても、大不畏《だいふい》の天柱をそそり立《たて》ている。山下の村人に山の名を聞くと、あれが蝶ヶ岳で、三、四月のころ雪が山の峡《はざま》に、白蝶の翅《はね》を延しているように消え残るので、そう言いますという。遥に北へ行くと、白馬岳が聳《そび》えている、雪の室は花の色の鮮やかな高山植物を秘めて、千島|桔梗《ききょう》、千島|甘菜《あまか》、得撫草《うるっぷそう》、色丹草《しこたんそう》など、帝国極北の地に生える美しいのが、錦の如く咲くのもこの山で、雪が白馬の奔《はし》る形をあらわすからその名を得たということである。白馬岳の又の名を越後方面では大蓮華山といっている、或人の句に「残雪や御法《みのり》の不思議蓮華山」とあるからは、これも一朶の白蓮華、晶々たる冬の空に、高く翳《かざ》されて咲きにおうから、名づけられたのかも知れない。
あわれ、清く、高き、雪の日本アルプス、そのアルプスの一線で、最も天に近い槍ヶ岳、穂高山、常念岳の雪や氷が、森林の中で新醸《にいしぼ》る玉の水が、上高地を作って、ここが渓流中、色の純美たぐいありともおぼえない、梓《あずさ》川の上流になっている。
土人はカミウチ、あるいはカミグチとも呼んでいるが、今では上高地と書く、高地はおそらく明治になってからの当字であろう、上も高地も同じ意味を二つ累《かさ》ねただけで、この地を支配している水や河という意義がない、穂高山麓の宮川の池の辺に穂高神社が祀《まつ》ってある、その縁起《えんぎ》に拠《よ》ると、伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の御児、大綿津見《おおわたつみ》の生ませたまう穂高見《ほたかみ》の命《みこと》が草創の土地で、命《みこと》は水を治められた御方であるから今でも水の神として祀られて在《い》ます、神孫数代宮居を定められたところから「神垣内《かみかきうち》」と唱えるとある、綿津見は蒼海《わだつみ》のことで、今の安曇《あずみ》郡は蒼海から出たのであろう、自分は土地に伝わっている神話と地形から考えて、「神河内《かみこうち》」なる文字を用いる、高地には純美なるアルプス渓谷の意味は少しもない、「河内《こうち》」は天竜川の支流和田川の奥を八重河内というし、金森長近が天正十六年に拓いた飛騨高原川沿道を河内路と唱えているから、この地に最もふさわしい名と考える。
神河内の在るところは氷柱《つらら》の如き山づたいの日本アルプスの裏で、信濃南安曇郡が北に蹙《ちぢ》まって奥飛騨の称ある、飛騨|吉城《よしき》郡と隣り合ったところで、南には徳本《とくごう》峠――松本から島々《しましま》の谷へ出て、この峠へ上ると、日本アルプスの第一閃光が始めて旅客の眼に落ちる――と、北は焼岳《やけだけ》の峠、つづいては深山|生活《ずまい》の荒男《あらしお》の、胸のほむらか、硫烟の絶え間ない硫黄岳が聳えている、その間を水に浸された一束の白糸が乱れたように、沮洳《じめじめ》の花崗《みかげ》の砂道があって、これでも飛騨街道の一つになっている、東には前に言った穂高や、槍ヶ岳、やや低いが西に霞沢岳、八右衛門岳が立っている、東西は一里に足らず、南北は三里という薬研《やげん》の底のような谷地であるが、今憶い出しても脳神経が盛に顫動《せんどう》をはじめて来る心地のするのは、晶明、透徹のその水、自分にあっては聖書にも見えない創造の水、哲人の喉頭にも迸《ほとばし》らない深思の水、この水を描いて見よう。
二
路傍の石の不器用な断片《きれっぱし》を、七つ八つ並べて三、四寸の高さと見ず、一万尺と想ってみたまえ、凸凹《たかひく》もあれば、※[#「皺」から皮を抜いたものに「俊」の作り、145-14]皺《ひだ》もあり、断崖もあって、自らなる山性を有《も》っている、人間の裳裾《もすそ》に通う空気は、この頭上を避けて通るだろう、いかなる山も、その要素では石以上の趣味がない、これは自分の石の哲学であるが、実際、神河内渓流もかようなところで、四周を包囲して峻立する槍ヶ岳、穂高山、以下の高山は奇怪の石の塊というまでで不二山のような歴史や、讃美歌を有っていない、しかし山好きな自分の眼には、ただもう日本第一の創造と見える。
生物の絶無な時分のこと、暦に乗らぬ時間を存分寝て、ふと眼を啓《ひら》くと、肌の温みに氷河の衣がいつか釈《と》けている、また一瞬間、葛城、金剛、生駒、信貴山などいう大和河内あたりの同胞《はらから》が、人間に早く知られる、汚される、夭死《わかじに》をしてしまう、それを冷たい眼で見て、いつか有《あ》らゆる生物が造化の大作《マスタアピース》の前に俛首《うなだれ》て来ることすら知らずにいる、知らるることいよいよ晩きは、彼らの偉大なる所以《ゆえん》である。千年も万年も、依然として肩から上を雲に、裾から下を水に洗わせている、その下の渓谷は、父の家でない、原始の土である、綿々たる時代の人間の夢が住む、幽寂の谷である、何故かというに、善光寺街道、木曾街道、糸魚川街道などを、往《ゆ》き来《か》う昔から今までの旅人が、振り仰いで見たのは、この奇怪な山々で、追分に立てた路標の石も、峠の茶屋の婆さまも、天外に高く懸れる示現は、別に説明のしようもないから、夏もなお「山は雪が残っているずらあ」と感嘆するくらいなものだ、百人の中《うち》に一人歴史家が来る、名もなき山よ山の奥にも年代やあると、怪訝《けげん》な顔して過ぎてしまったろう、また一人画家が来る、山の紫は茄子《なすび》の紫でもない、山の青は天空の青とも違う、秋に殞《いん》ずる病葉《わくらば》の黄にもあらず、多くの山の色は大気で染められる、この山々の色の変化は、全能の手が秘蔵のパレットを空しゅうして塗った山だ、竟《つい》にこれ我物ならずと、呟《つぶや》いたことであろう、宗教家が来る、博物学者が来る、山の黙示、水の閃めき、人の祈るところ、星の垂るところ、雲の焼くところ、かしこに自然の関鍵を握れるものありと、羨ましくおもったろう、馬士が通る、順礼が通る、農夫が鍬《くわ》取る手を休めて佇《たたず》む、諸《もろも》ろの疲れ、煩い、興奮は、皆この無辺際空の大屏風《だいびょうぶ》へ来て行き止まりとなる。想像するがままに任せた山、感情を塗りかえした山、その山の暗き森と、深い谷、過去へと深く行き、遠く行くだけ、紀念は次第に成熟する、石の上を走っている水の面の経緯《たてぬき》は、幾世の人の夢を描いては消し、消しては描いているのである。
神代ながらの俤《おもかげ》ある大天井、常念坊、蝶ヶ岳の峰伝いに下りて来た自分は、今神河内の隅に佇んだ。
鼻の先には穂高山が削り立っている、水の平らに走る波動に対して、直角に厳《いかつ》い肩を聳やかしている、その胸毛の底に白い蕊《しべ》を点じたのは雪である、アルプス一帯に雪の降るのは、それは早いもので、九月の末には、白くなるほどつもらぬまでも、氷の毛のようなのが石角を弾《はじ》き初める、来年の七、八月まで消えない、最も北へ行くほど深くて、その雪田も大きくなるが、穂高山などは、傾斜が急なのと外気に曝《さら》されているので、雪は蓮華山ほどにはない、紫黒色の大岩が、脚下に吼《ほ》える水に脚を洗わせて、ここのみは冬の雪壁動くかと見るとき、自然の活動元素は、水に集中されているようだ、水は氷雪の結象《コンクリーション》から、流通大自在の性《さが》を享け、新たなる生命を賦与せられたものの特権として盛んに奔放する。低きには森あり、林あり、野の花あり、しかして高きには雪あり、氷あり、我らの不二山は、小さい山だが、熱帯地方の二倍も高い山より偉大なるは、雪と氷に包まれているためである。穂高といわず、槍ヶ岳といわず、奥常念、大天井に至るまで、万古の雪は蒸発しないで下層から解ける雪だ、死の如く静粛に、珠の如く浄美な雪から解けた水の、純粋性の緑を有することは、言うまでもない。
神河内に流れ落ちる水の脈が、およそどれほどであろう、自分は隅々|隈《くま》なく、跋渉《ばっしょう》したわけではないが、自分の下りて来た穂高山の前の短沢《みじかさわ》を始めとして、槍ヶ岳の麓の徳沢、槍沢、横尾谷、それから一ノ俣、二ノ俣、赤岩小舎の傍の赤沢、引きかえして霞沢山から押し出す黒沢というのは、炭質を含んだ粘板岩が、石版を砕いたように粉になっているもの。白沢はこれに反して、白く光る石英粒の砂岩である、その他名のない沢を合せたら幾十筋あるかも知れぬが、それが絡み合って本流になるのが梓川だ、その本流というのが、幅濶《はばびろ》の二筋三筋に別れ、川と川との間には、花崗《みかげ》の白い砂の平地と、この平地にみどりの黒髪を梳《くしけず》る処女の森とで、水は盲動的に蛇行して森と森との間を迂回する、あるいは森を突き切って、向うの平地へ驀地《まっしぐら》に走る、森は孤立した小島になる、水楊が川の畔《ほとり》にちょんぼりと、その蒼い灰のような、水銀白を柔らかに布《し》いた薄葉を微風にうら反《が》えしている、たまに白砂の中に塩釜菊が赤紫色に咲いているのが、鮮やかに眼に映る外は、青い空と、緑の木と、碧の水。
しかしてどこから見ても、神河内を統御する大帝は穂高岳で、海抜五千七百尺の神河内から聳ゆること更に五千尺に近く、梓の濶流も、支線の小峡流も、その間の幾十反の点々たる平地も、何もかも一切包まれた谷は、神つ代の穂高見《ほたかみ》の命《みこと》の知ろし召す世界である。
蝶ヶ岳から短沢へ下りて来た自分は、先ずこの清い流れに嗽《すす》ぎもし、頭も洗い、顔も拭いた、気が遠くなるような悪臭の蕕草《かりがねそう》を掻き分けたことや、自分の肩から上を気圏のように繞《め》ぐっていた蚋《ぶと》の幾十|陣団《じんだん》やに窒息するかと苦しんだことも、夢の谷へ下りては、夢のように消えて、水音は清々《すがすが》しい。
川は浅く、底は髪の毛一筋も見え透く雪解水《ゆきげのみず》であるが、碧《へき》きわまって何でもこの色で消化してしまう、水底の石は槍ヶ岳の刃の飜《こぼ》れた石英斑岩、蝶ヶ岳から押し流された葉片状の雲母片麻岩、石そのものが、流水、波浪の細い線を有《も》って、しかもレンズのように透明である、片麻岩系の最大露出、赤石山系にも見たことのない美しさである、瞬いたのは夕の星の沈んだのか、光っているのは蛍が泳いだのか、青いのは燐が燃えているのか、白いのは水仙の茎の流るるか、静かなときは水が玻璃《はり》に結晶したかの如く、動けるときや、流紋岩、蛇紋岩が鍋で煮られて、クタクタの液汁に溶かされたようで、石を噛んで泡立つとき、玉霰飛び、綿花投げられ、氷の断片流動し、岩石に支えられて渦や反流を生じ、畝《スウエル》の寄せては返すとき、一万尺の分身なる石と、万古の雪の後身なる水とは、天外の故郷を去って他界にうつるのだからと抱き合ったり、跳《おど》り上ったりして、歓楽と栄華をきわめている、この狭い、浅い、谿谷《けいこく》も、穂高の大岳、眉を圧して荒海の気魄、先ず動くのである。
川の両岸――といっても堤《どて》を築いた林道を除く外は、殆ど水と平行している――には、森林がある、樅《もみ》、栂《つが》、白檜《しらべ》など、徳本峠からかけて、神河内高原を包み、槍ヶ岳の横尾谷、赤沢に至るまでみんな処女の森を作っている、最も幾抱えもあるような大木は見えなかったが、水を渉《わた》って森に入ると、樅の皮は白い苔《こけ》の衣を被《かつ》いでいる、淡褐色となって鱗《うろこ》のように脱落したのもある、風に撓《た》められて「出」字状に臂《ひじ》を張った枝は、屈《かが》めた頭さえ推参者めがと叱るように突き退ける、栂の黒色の幹が、朽ちて水の中に浸っている、大方|紫檀《したん》に変性するだろうと思われる、さすがに寒いと見えて、唐檜は葉の裏を白い蝋で塗っているのが、遠くからは藍色をして、天空の青、流水の碧と反映している、かような森林も、路という路はなくて、根曲り竹がふさがっているから掻き分けて行く。
森が尽きる、また水を渉る、水は偏って深く、偏って浅い、右から左へと横切るのに、是非深いところを一度は通る、木の葉のように脈もなく繊維もないのに、気孔に幾億万の緑素があって、かくは青いのかと、足を入れながら底を見る、水に沈めるは、白い石も青く、水面より露われたるは、黒胡麻の花崗石《みかげいし》も銷磨《しょうま》して、白堊《はくあ》のように平ったく晒《さら》されている、しぶきのかかるところ、洗われない物もなく、水の音は空気に激震を起して崖に反響し、森を揺すっている、その光波の振動が烈しく眼を掠《かす》めるので、あまり見惚《みと》れると、眩暈《めまい》がして後髪を引き倒されそうになる、それよりも堪《たま》らないのは、水が冷たくて足が焼き切れるかとおもわれることで、足が呼吸を止められて喘《あえ》ぐのが透いて見える。
ようやく川を渉る、足袋底がこそばゆいから、草鞋を釈《ほど》いて足袋を振うと、粗製のザラメ砂糖のような花崗の砂が、雫と共に堕ちる。
このような川渉りを、幾回もさせられるのである。
三
穂高山の前面に来る。
河原を切れて処女の森の一つに入る、白檜の森は、水のような虚空を突き、空のような水の面を伺い、等深線の如く横さに走っている、森の中の瀝青《チャン》のような、玄《くろ》ずんだ水溜りは、川流が変って、孤り残された上へ、この頃の雨で潦《にわたずみ》となったのであろう、その周囲には、緑の匂いのする、黴《かび》の生えた泥土があって、踝《くるぶし》まで吸いこまれる、諸君は深山の沼林《ボッギイ・ウッド》の寂蓼を味いたることありや、何年かの落葉(七葉樹《とち》だの、桂だの、沢栗だの)の、肉が消えて網のような繊維ばかり残り、それも形がおぼろになって、この沼の中に月の光を浴び、甘き露を舐《な》めた執念が残っている、落葉、落葉、また落葉、生々しい青葉は無色になり、輪廓ばかりの原画になって、年々無数に容赦なく振い落される、いつか冬の野原で、風もない、微《そよ》とも動かぬ楢林の中で、梢にこびりついている残葉の或一枚だけが、ブルブル震えているのがあった、同じ梢に並んでいる葉が、皆沈黙しているのに、この葉だけは烈しく慄《ふる》えている、無論虫一疋いないのだ、末期に迫った廃葉の喘ぎは烈しかった、沼の中にも苦痛の呼吸を引いた自然の虐殺、歓喜のどよみを挙げる自然の復活は、行われている。
この辺になると、森の中に幾筋かの路が出来ている、放された牛馬どもは、無慮五百頭はいよう、六月下旬植えつけが済んで、農家が閑になると、十月上旬頃までここへ放し飼にするのだ、彼らは縦に行き、横にさまよい、森の中の木々に大濤《おおなみ》の渦を捲いて、ガサガサひどい音をさせる、遠くから見ると、大蛇《おろち》が爬《は》っているのかとおもう、かくて青々と心まで澄んだ水の傍まで来ては、絶望の流人のように悄然《しょんぼり》と引きかえす、また来ては引きかえす、引きかえしてはまた来る。
宮川の小舎へ辿り着いた、老猟士嘉門次がいるので、嘉門次の小舎とも呼ばれる、主人は岩魚《いわな》でも釣りに往ったかして戸が閉っている、小舎の近傍《そば》には反魂草《はんごんそう》の黄《きいろ》い花が盛りだ、日光から温かい光だけを分析し吸収して、咲いているような花だ、さっきの沼の傍で、冷たそうに咲いていた菖蒲《あやめ》と比べて、この性の微妙なる働きをおもう、小舎の後には牛馬の襲わないように、木垣が結んである、梓川へ分派する清い水が直ぐ傍を流れている、鍋や飯櫃《めしびつ》も、ここで洗うと見えて飯粒が沈んでいる、猟犬が胡乱《うろん》くさい眼で自分たちを見たが、かえって人懐つかしいのか、吠えそうにもしない、一体この神河内には、一里も先にある温泉宿を除いて、小舎が二戸ある、一つは徳本峠を下りると直ぐの小舎で、二間四方の北向きに出来ている、徳本の小舎というのがそれで、放し飼の牛馬を一頭|幾銭《いくら》という、安い賃金で、監督する男が住んでいる、川を渉って七、八町も行くと、この宮川の小舎へ出る。
ここは自分に憶い出の多い小舎である、六年のむかし、槍ヶ岳へ上る前夜、この小舎へ山林局の役人と合宿したとき、こういう話を聞いたからで。
飛騨の豪族、姉小路大納言良頼の子、自綱《よりつな》と聞えしは、飛騨一国を切り従えて、威勢|並《ならぶ》ものとてなかったに、天正十三年豊臣氏の臣、金森長近に攻められ、自綱は降人に出た、その子秀綱は健気《けなげ》にも敵人に面縛するを肯《がえ》んぜず、夫人や、姫や、侍婢、近侍と共に出奔した、野麦峠を越えて、信州島々谷にかかったころは、一族主従離れ離れになり、秀綱卿が波多《はた》へ出ようとするところを、村の人々に落人《おちうど》と見られて取り囲まれ、主従ここで討死をした、姫は父を失い、母にはぐれ、山路に行き暮れて、悩んでいるのを、通りがかりの杣人《そまびと》が案内を承ると佯《いつ》わり、姫を檜に縛《いま》しめ、路銀を奪って去った、ややありて姫は縛を解き、鏡を木の枝にかけていうことに、鏡は女子の魂ぞ、一念宿りてつらかりし人々に思いをかえさでやと、谷底に躍り入って水屑《みくず》となる、かの杣人途にて姫の衣も剥ぐべかりけりとほくそえみて木の下に戻れば、姫はあらで鏡のみ懸かれる、男ふと見れば、鏡のおもてに冷艶雪の顔《かんばせ》して、恨の眼《まなこ》星の如く、はったと睨むに、男|頓《とみ》に死んでけり、病める夫人は谷間へ下り立ち、糧にとて携えたる梨の実を土にうずめ、一念木となりて臨終の土に生いなむ、わが夫《つま》の御運ひらかずば、永《とこし》えに美《うま》き果《み》を結ぶことなかるべしと、終《つい》に敢えなくなりたまう、その梨の木は、亭々として今も谿間にあれど、果は皮が厚く、渋くて喰われたものでない、秀綱卿の怨念《おんねん》この世に残って、仇《あだ》をした族《やから》は皆癩病になって悶《もが》き死《じに》に死んだため、島々には今も姫の宮だの、梨の木だのと、遺跡を祀ってあるという。
囲炉裏に榾《ほた》をさしくべ、岩魚の串刺にしたやつを炙《あぶ》りながら、山林吏が、さっき捨てた土饅頭は何だね、と案内の猟師に訊ねる、旦那、ありゃ飛騨の御大名の墳《はか》で、と右の一伍一什《ふしぶし》をうろ覚えのままに話す、役人は、そんな由緒《いわれ》のあるものと知ったら、何とか方法《やりかた》もあったものをと口惜しそうな顔をした。林道開拓のため、途に当った古墳は、破毀《はき》されたのである。もう今ごろは石の砕片《きれっぱし》、一ツなかろう、仮令《よし》あってもそれが墳墓であったことを、姉小路卿なる国司の在りし世を忍ばせる石であったことを、誰が知ろう、月の世界に空気なく、日本アルプスに人間もなければ、時代もないと思っていた自分は、この悲壮な、クラシックな話に、どんなに動かされたであろう、事業が消えて名が残る、名が消えて石が残る、せめて石さえ存在すれば「誰か」の「何か」であるぐらいな手繰りにはなる、人の唇より酬《むく》われた語《ことば》に曰く、「こんな邪魔なもの抛《ほう》り出せ」これで一切の結末がついた、時代は天正から明治まで垂直に下る、雲の中から覗いている万山は、例の如く冷たい。
嘉門次が帰りそうにもないので、小舎から二、三町も行く、鳥居があって四尺ばかりの祠《ほこら》を見せる、穂高神社の奥の院だという、笹を分けると宮川の池。
明神岳の名を負うている穂高岳の下にあるから、明神の池ともいう、一ノ池、二ノ池、三ノ池と、三つの明珠をつないでいる、一ノ池から順に上の池、中の池、下の池とも言う、一ノ池が一番大きくて、二ノ池がこれに次ぐ。
青色光の強い水が、濃厚に嵩《かさ》を持って、延板《のべいた》のように平たく澄んでいる、大岳の影が万斤の重さで圧《お》す、あまり静《しずか》で、心臓《ハート》形の桔梗の大弁を、象嵌《ぞうがん》したようだ、圧すほど水はいよいよ静まりかえって爪ほどの凸面も立てない、山が厳格な沈黙を保てば、水も粛然として唇を結んでいる、千年も万年も、この山とこの池とは二重に反対した暗示を有《も》った容貌《かたち》を上下に向け合っている、春の雪が解けて、池に小波立つときだけ艶《あで》やかに莞爾《にっこり》する、秋の葉が髪の毛の脱けるように落ち出すともう真面目になる、なお見惚《みと》れる。
この狭い谷の中の小さい池は、我らの全宇宙である、過去の空間に立つ山と、未来に向って走る川との間に介《はさ》まって、池は永《とこし》えに無言でいる、自分たち二人(自分は嚮導《きょうどう》兼荷担ぎの若い男を伴っている)だけが確に現在[#「現在」に白丸傍点]である、我らは詛《のろ》われているのではないかとおもう、不安を感じないわけにはゆかない、見よ、緑の一色を除いて、生けるものの影とては、何もない、禽《とり》も啼かないから肉声も聴かない。
白芥子《しろけし》の花のような日光がちらり落ちる、飛白《かすり》を水のおもてに織る、岩魚が寂莫を破って飛ぶ、それも瞬時で、青貝摺の水平面にかえる、水面から底まではおそらく、二、三尺位の深さであろうが、穂高岳を畳んで、延ばしたり、縮めたり、自在にする、水の底に白く透いて見えるのは、石英が沈んでいるのだ。
二ノ池の方に廻る、池には石が座榻《ざとう》のように不規則に、水面に点じている、岸には淡紅の石楠花《しゃくなげ》が水に匂う、蛇紋が掻き破られて、また岩魚が飛ぶ、石楠花の雫を吸っている魚だから、腸《はらわた》まで芳芬《におい》に染まっていないかとおもう。
三ノ池は一ノ他の半分ほどしかないが、木が茂って松蘿《さるのおがせ》が、どの枝からも腐った錨綱《いかりづな》のようにぶら下っている、こればかりではない、葛、山紫藤《やまふじ》、山葡萄などの蔓は、木々の裾から纏繞《まといつ》いて翠《みどり》の葉を母木の胸に翳《かざ》し、いつまでもここにいてと言わぬばかりに取り縋っている。
夕暮になると、件《くだん》の松蘿や、蔓は大蜘蛛の巣に化けて、おだまきの糸の中に、自分たちを葬るに違いない。
四
その夜は、上高地温泉に泊った、六年前に来たときは、温泉は川の縁に湧いていて八十年前とかに建てた、破れ小舎があるばかり、落葉は沈む、蛇の脱殻が屋根からブラ下る、猟士ですら、浴を澡《と》らなかったものだが、今は立派な温泉宿が出来た、それにしても客の来るのは、夏から秋だけで、冬は雪が二尺もつもる、風が勁《つよ》くて、山々谷々から吹き※[#「風+陽のつくり」、第3水準1-94-7、157-3]《あ》げ、吹き下すので、砂丘のようなものが方々に出来る、温泉の人々は宿を閉し、番人一人残して里へ下りてしまうそうである、宿は二階建ての、壁も塗らない白木造りで、天椽《てんじょう》もない、未だ新しくて木の匂いがする、これで室《へや》が分けてなかったら、神楽堂だ。
何という茸か知らぬが、饅頭笠の大きさほどのを採って来て、三度の飯に味噌汁として出されたのには閉口した、宿屋界隈に多いのは蕗《ふき》で、大きいのは五、六尺の丈に達する、飛騨の蒲田から焼岳を越して来る人も、島々から徳本峠を越して来る人もこの宿で落ち合うが、荷物に蕗の五、六茎を括りつけていないのはない、猟士の山帰りの苞《つと》にも、岩魚を漁る叺《かます》の中にも蕗が入れてある、同じく饗膳に上ったことは、言うまでもない。
翌《あ》くる日は穂高岳に上るつもりで、朝|夙《はや》く起きた、宿の女が「飯が出来やしたから、囲炉裏の傍でやって下せえ、いけましねえか」と、畏る畏る閾《しきい》越しに伺いに来る、いいとも、と返辞して大囲炉裏の前に、蝋燭を立て、猟士や宿の人たちと、車座になって飯を済ます、準備《したく》も整って出かけると、雨になった。
宿の前には、梓川の寒流が走っている、この川は、北から出て、西へと迂回し、槍ヶ岳、穂高山、焼岳などの下を蜿《う》ねり、四山|環峙《かんじ》の中を南の方、島々に出て、また北に向いて走るので、アルプス山圏を半周することになる、川を隔てた八右衛門岳は、霧雨の中から輪廓だけをあらわす、淡い水に濃い水で虚線を描《か》いたようだ、頑童が薄墨で無遠慮に線を引くと、こんなのが出来る、しばらくして、虚線が消えると、兀岩《こつがん》削るが如き石の峰が峻立する、柔《やわらか》い線で出せば出せるものかなとおもう。
川に沿《つ》いて行く、この国特有の信濃|撫子《なでしこ》(実は甲州にもある)が、真紅に咲いている、河原に咲くことが多いので、河原撫子と、土地の人はいうようだ、森と川の間に、一筋道が通じている、本流に「へ」の字をやや平にしたような橋が架っている、取りつきに杭を組んであるのは、牛馬の向岸へ渡るのを拒《ふせ》ぐためだ、横の棒を一本外して、人は出入をする、橋の半《なかば》に佇んで振り仰ぐと、焼岳の頭は、霧で見えなかったが、巨人がこの川を跨《また》いでいる態《さま》がある。
橋下の水は、至って青くかつ深い、毎朝毎朝仙人が、上流の方で、幾桶かの藍を流しているに違いない、深いところは翡翠《かわせみ》色に青く、浅いところも玉虫色に雨光りがしている、川に産まれた岩魚は、水の垢から化して、死ぬると溶けて、素《もと》の水に帰るかとおもうまでに、水底に動かないでいる、人影がさしたりすると、ついと遁《に》げる、さすがに水の中で水が動いたのでもないことだけが解る。
本道から折れて森の中に突き入る、この辺は草原で、野薊《のあざみ》、蛍袋、山鳥冑などが咲いている、幅の狭い川、広い川を二つ三つ徒渉《かちわたり》して、穂高山の麓の岳《たけ》川まで来ると雨が強くなった、登山をあきらめて引きかえすころは、濡鼠《ぬれねずみ》になってしまう、猟士は山刀《なた》を抜いて白樺の幹の皮を上に一刀、下に一刀|傷《きずつ》け、右と左の両脇を截ち割ってグイと剥《む》くと、前垂懸け大の長方形に剥《は》げる、頸の背骨に当るところを彎形《わんがた》に切り抜いて、自分の肩にかけてくれた、樺の皮で一枚合羽が出来たのはよいが、その皮には苔も粘《つ》いている、蘭科植物も生えていたから、後《うしろ》からは老木の精霊が、森の中を彷徨《さまよ》っているように見えたろう、雨は小止みになる。
蒼黒い森を穿って、梓川の支流岳川は、鎌を研ぐように流れる、水の陰になったところは黒水晶の色で、岸に近いところは浮氷のような泡が、白く立っている、初めは水が流れている、後には水が水の中を駈け抜けながら人の足を切る、森には大石が多い、どの石も、どの石も、苔が多い、苔の尖った先には、一粒ずつの露の玉を宿している、暗鬱な森の重々しい空気は、白樺の性根の失せて脆《もろ》い枝や、柔嫩《じゅうなん》な手で人の脛《すね》を撫でる、湿った薇《わらび》や、苔や、古い落葉の泉なす液汁や、ジメジメする草花の絨氈《じゅうたん》やそんなものが、むちゃくちゃ[#「むちゃくちゃ」に傍点]に掻き廻されて、緑の香が強い、この香に触れると、雪の日本アルプスという感じが、胸に閃めく。
今度はまた川になる、川の面は、呼吸《いき》も吐《つ》かず静まりかえっているように見えるが、足を入れると、それこそ疾風《はやて》が液体になったように全速力で走っている、流れの浅く、彎入した、緩やかなところに背を露わした石がある、苔が厚く活物《いきもの》の緑が蠢《うご》めいている、水草の動くのは、髪の毛がピシピシと流電に逆立つようだ。
水の流れに、一羽のオツネン蝶が来た、水の上を右に左にひらりと舞う、水はうす紫の菫色、蝶は黄花の菫色、重弁の菫が一つに合したかとおもうと、蝶は水を切ってついと飛ぶ、水は遠慮なく流れる、蝶も悠々と舞う、人間の眼からは、荒砥《あらと》のような急湍《きゅうたん》も透徹して、水底の石は眼玉のようなのもあり、松脂《やに》の塊《かた》まったのも沈み、琺瑯《ほうろう》質に光るのもある、蝶は、水を見ないで石のみを見た、石を見ないで黄羽の美しい我影を見た、影と知らずに雌《め》と見たか雄《お》と見たか、あるいは水の玻璃層は、人間には延板のように見えても、蝶には何でもないのか、虚空の童女は、つと水底の自分を捉えようとして、飛びつくと倏《たちま》ち渦まく水に捉えられた、一、二間流されながらも濡れ羽を震って悶えた、それでも反動で二、三尺空へ※[#「風+陽のつくり」、第3水準1-94-7、157-3]《あが》った、助かったと胸を撫で下して見ているうちに、また飛び込んだ、今度も必死になって羽を顫《ふる》わしたが、水は苦もなく捲き込んで、遠慮なく流れて行く、澄ました顔で流れている。
底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
1992(平成4)年7月16日第1版発行
1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店(1979年9月〜1987年9月)
入力:大野晋
校正:地田尚
1999年9月20日公開
2003年9月15日修正
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