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入れ札
菊池寛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)小鬢《こびん》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)妻子|眷族《けんぞく》

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   (数字は、底本のページと行数)
(例)[#ここから一段下げる]
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人物
 国定忠治
 稲荷の九郎助
 板割の浅太郎
 島村の嘉助
 松井田の喜蔵
 玉村の弥助
 並河の才助
 河童の吉蔵
 闇雲の牛松
 釈迦の十蔵
 その他三名

時所
 上州より信州へかかる山中。天保初年の秋。

情景
[#ここから一段下げる]
秋の日の早暁、小松のはえた山腹。地には小笹がしげっている、日の出前、雲のない西の空に赤城山がほのかに見える。幕が開くと、才助と浅太郎とが出てくる。二人ともうす汚れた袷の裾をからげ、脚絆をはき、わらじをつけている。めいめい腰に一本の長脇差をさしている。浅太郎の方は、割れかかった鞘を縄で括っている。二人が舞台の中央にかかった時、後ろから呼ぶ声が聞える。
[#一段下げ、ここまで]

呼ぶ声 おうい、浅兄い、待てえっ。
浅太郎 おうい、何じゃい。
呼ぶ声 おうい、おうい。浅兄い。
浅太郎 おうい、何じゃい。
呼ぶ声 少し足を止めてくれ。あんまり離れるな。
浅太郎 ようし、分かったぞ、待っているぞ。(そばを振り向いて、才助に) おい才助、一休みしようじゃねえか。
才助 大丈夫かなあ、ここいらで足を止めていて。
浅太郎 大丈夫だとも。木戸の関を破ったのが、昨夜の五つ頃だ。あれから歩き通したもの。もうかれこれ十里近くも突っ走ってらあ。
才助 みんなよく足がつづいたものだ。
浅太郎 俺たちは、これぐらいのことではびくともしねえが、九郎助や牛松などの年寄は、あれでいい加減へこたれていらな。
才助 だがよく辛抱してついて来たなあ。
浅太郎 常日頃口幅ったいことをいっている連中だ。ついて来ずにはいられめえじゃねえか。
    (二人が話している間、九郎助と弥助、並んで出て来る。九郎助は五十に近き老人、弥助は四十前後)
才助 (九郎助に)やあ、稲荷の兄い、足は大丈夫かい。
九郎助 何を世迷言をいいやがる。こう見えたって若い時は、賭場が立つと聞いた時は、十里二十里の夜道は平気で歩いたものだ。いくら年が寄っても、足腰だけはお前たちにひけは取らねえや。
浅太郎 兄い、あんまりそうでもなさそうじゃねえか。榛名の山越えじゃ、少々参っていたようだぜ。
九郎助 何をいってやがらあ。それあお前たちのことだろう。この頃の若いやつらはまだ修業が足りねえや。俺ら若い時にゃ、忠次の兄いと一緒に、信州から甲州へ旅人で、賭場から賭場をかせぎ回ったもんだ。その頃にあ、日に十里や二十里は朝飯前だったよ。
弥助 そうだったなあ、稲荷の兄いの若い時は豪勢なもんだった。今の忠次の親分だって、ばくち打の式作法はまあお前に教わったようなものだな。
浅太郎 ふうん。そうかなあ。式作法は稲荷の兄いに教わったかも知れねえが、あの度胸骨と腕っ節は、まさか教わりゃしねえだろうねえ。
九郎助 (ちょっと色をかえて)何だと、おつなことをいうなよ。
浅太郎 何にもおつなことはいいやしねえ。よくお前さんは昔は昔はというが、いくらいったって昔は昔さ。昔は親分より一枚上のばくち打だったか知らねえが、今じゃ盃をもらって子分になってりゃ、俺たちとは朋輩だ。あんまり昔のことを振回しなさんなよ。
    (九郎助、黙る)
弥助 だが浅太郎、お前はな、いくら親分の気受けがいいからといって、あんまり年寄のことをつんけんいいなさんなよ。もう少し俺たちをいたわってくれたって、罰は当るめえ。
浅太郎 ふふん、いたわってくれか。笑わせやがらあ。
九郎助 野郎、何だと、何がどうしたと。
才助 おいおい、兄たちどうしたんだ。こんな時、仲間喧嘩をする時じゃねえじゃねえか。
浅太郎 だが、あんまり相手が年寄風を吹かすからだ。
九郎助 なあに、どちらがどちらだか、手前の方がよっぱど若い者風を吹かしゃがるじゃねえか。
弥助 まあ、いいじゃねえか。今に若い者が役に立つか年寄が役に立つか分かる時が来らあ。
才助 (ふと近づいて来る忠次を見つけ)やあ親分がお見えになったぜ。
    (四人とも立上る。忠次、嘉助、喜蔵、牛松などの子分を伴って登場、小鬢《こびん》の所に傷痕のある浅黒い顔、少しやつれが見えるためいっそう凄みを見せている。関東縞の袷に脚絆草鞋で、鮫鞘の長脇差を佩《はい》し菅《すげ》の吹き下しの笠をかぶっている)
才助 親分お疲れでございましょう。
忠次 ううむ、心配するな。まだ五里十里は大丈夫歩けるぜ。
浅太郎 親分、こっちの方へおかけなさいませ。こっちの方が草がきれいですぜ。
忠次 足は疲れねえが、ねむいよ。
嘉助 ほんとうだ。それゃみんな同じことですぜ。
喜蔵 だが、安心はならねえ。足腰の立つうちに、信州境を越してしめいていものだ。
忠次 おい、赤城山が見えるじゃねえか。
    (みんな気がつく)
浅太郎 雲がちっともねえものだから、あんなにはっきり見えていらあ。
忠次 なつかしい山だ。もうここが死場所だと思ったが、神仏の冥護とでもいうか、よく千人近い八州の捕手を斬りひらくことができたものだ。
喜蔵 親分、神仏が俺たちをかまって下さるものかねえ、みんな俺たちの腕っぷしだよ。
忠次 あはははは、それもそうか。とにかく、みんなよく働いてくれたな。改めて、礼をいうぜ。
一同 何をいわっしゃる。とんでもねえことだ。
忠次 (小笹の上に腰をおろしながら) 赤城の山も、これが見納めだな。おい、ここいらで一服しようか。
    (みんな忠次を囲って腰をおろす。子分河童の吉蔵、後を追って登場する)
吉蔵 親分、朝飯は手に入りましたぜ。下の百姓家で、折よく御飯を焚いていましたので、すっかりにぎりめしにしてもらうことにしました。
忠次 そいつはありがたい。鳥目《ちょうもく》を十分に置いてやれよ。
吉蔵 かしこまりました。
    (吉蔵かけさる)
喜蔵 飯ができるまで、ゆっくり休めるというもんだ。
    (みんなしばらく無言)
九郎助 飯が来るまで、一寝入りしようかな。
弥助 そいつはいい考えだ。
嘉助 おいらも一寝入りしようかな。
忠次 おい! ちょっと待ってくれ!
嘉助 何だ親分、改まって?
忠次 おい! みんな。
    (忠次が緊張しているので。みんな居ずまいを正す)
忠次 おい! みんな。ちょっと耳をかしてもらいてえのだが、俺《おいら》これから信州へ一人で落ちて行こうと思うのだ。お前たちを連れて行きてえのは山々だが、お役人を叩き斬って天下のお関所を破った俺たちが、お天道さまの下を十人二十人つながって歩くことは、許されねえことだ。もっとも、二、三人は一緒に行ってもらいてえとも思うのだが、今日が日まで、同じ辛苦をしたお前たちみんなの中から、汝に行け、われは来るなという区別はつけたくねえのだ。連れて行くからには一人残らず、みんな連れて行きてえのだ、別れるからには恨みっこのないように、みんな一様に別れてしまいてえのだ。さあ、ここに使い残りの金が百五十両ばかりあらあ、みんな十二両ずつくれてやって、残ったのは俺がもらっていくんだ。めいめいに当を考えて落ちてくれ! いいかずいぶん身体に気をつけて、たっしゃでいてくれ! 忠次がどこかで捕まって江戸送りにでもなったと聞いたら、線香の一本でも上げてくれ……あはははは……(喜蔵に)おいその金をみんなに分けてやれ!
喜蔵 そりゃ親分! 悪い了簡だろうぜ。一体、俺たちが妻子|眷族《けんぞく》を捨ててここまでお前さんについて来たのは何のためだと思うんだ。みんな、お前さんの身の上を気づかって、お前さんの落着く所を見届けたい一心からじゃねえか。
浅太郎 そうだとも。いくら大戸の御番所をこして、もうこれから信州までは大丈夫といったところで、お前さんばかりを手放すことは、できるものじゃねえよ。
嘉助 ほんとうだ。もっとも、こう物騒な野郎ばかりが、つながって歩けねえのは道理《ことわり》なのだから、お前さんがこいつと思う野郎を名指しておくんなせえ。何も親分子分の間で、遠慮することなんかありゃしねえ。お前さんの大事な場合だ。恨みつらみをいうようなけちな野郎は一人だってありゃしねえ。なあ! 兄弟。
多勢 そうだとも。そうだとも。
忠次 (黙っている)……。
浅太郎 なあ! あっさりと名指しをしてくんねえか。
忠次 (黙っていたが)名指しをするくらいなら、手前たちに相談はかけねえや。みんな命を捨てて働いてくれた手前たちだ。俺の口から差別はつけたくねえのだ。
九郎助 こりゃ、もっともだ。親分のいうのがもっともだ。こんなまさかの場合に、捨てておかれちゃ誰だっていい気持はしねえからな。
浅太郎 (九郎助に)手前のような人がいるから物事が面倒になるのだ。年寄は足手まといですから、親分わしゃここでお暇をいただきますと、あっさり出ちゃどうだい。
九郎助 何だと野郎、手前こそまだ年若でお役に立ちませんから、この度の御用は外さまへねがいますといって引き下がれ。
浅太郎 何だと。
忠次 おい! 浅! 手前出すぎるぞ。黙っていろ!
浅太郎 はい。はい。
    (釈迦の十蔵、ふとひざをすすめて)
十蔵 なあ、親分いいことがあらあ。
二、三人 何だ。何だ。いってみろ。
十蔵 籤《くじ》引きがいいや。みんなで、籤を引いて当ったものが親分のお伴をするんだ。
忠次 なるほどな。こいつは恨みっこがなくていいや。
嘉助 親分何をいうんだい。こんな青二才のいうことを聞いちゃ、だめじゃねえか。籤引きだって、ばかな。もし籤が十蔵のような青二才に当ってみろ、親分のお伴どころか、親分の足手まといじゃねえか。籤引きなんて俺まっぴらだ。こんな時、いちばん物をいうのは腕っ節だ! なあ、親分! くだらねえ遠慮なんかしねえで、たった一言嘉助ついて来いっ! といっておくんなせい!
喜蔵 嘉助の野郎、大きいことをいうない。腕っ節ばかりで、世間さまは渡れねえぞ。まして、これから知らねえ土地を遍めくって、上州の国定忠次でございといって歩くには、駆引き万端の軍師がついていねえことには、動きはとれねえのだ。いくら手前が、大めし食いの大力だからといって、ドジばかりを踏んでいちゃ旅先で飯にはならねえぞ。
九郎助 (今まで黙っていたが)腕っ節だとか駆引きだとか、そんなことをいっていちゃ限りがねえ。こんなときは盃をもらった年代順だ。それが、まっとうな順番だ。盃をもらったのは、俺がいちばん古いんだ。その次が弥助だった。なあおい!(弥助の方を見る)
浅太郎 九郎助じいさん、何をいうんだい。葬礼のお伴じゃねえんだぞ。年寄ばかりがついていて、いざとなった時はどうするんだ。
九郎助 手前たちにそんな心配をさせるものか。こう見えたって稲荷の九郎助だ。
浅太郎 その睨みが、あんまり利かなくなっているのだ。まあ、父さん、そう力みなさんなよ。
九郎助 この野郎!
喜蔵 けんかをしちゃいけねえったら!
牛松 親分、俺あお伴はできねえかね。俺あ腕っ節は強くはねえ。また喜蔵のように軍師じゃねえ。が、お前さんのためには、一命を捨ててもいいと心の内で、とっくに覚悟をきめているんだ……。
三、四人 何をいいやがるんだ。親分のために命を投げ出しているのは手前一人じゃねえぞ。ふざけたことをぬかすねえ。
    (牛松しょげて頭をかきながら黙ってしまう)
忠次 お前たちのように、そうザワザワ騒いでいちゃ、何時が来たって果てしがありゃしねえ。俺一人を手放すのが不安心だというのなら、お前たちの間で入れ札をしてみたらどうだい。札数の多い者から、三人だけ連れて行こうじゃねえか。こりゃいちばん恨みっこがなくていいだろうぜ。
喜蔵 こいつあ思付きだ。
浅太郎 そいつは趣向だ。
三、四人 なるほど、名案だな。
忠次 じゃ一つ入れ札できめてもらおうかな。
四、五人 ようがす。合点だ。
    (吉蔵、にぎりめしを入れた、大きいざるを持って出てくる)
吉蔵 親分、めしが来ましたぜ。
忠次 こいつはいいところへ来た。みんなめしを食いながら誰を入れるか思案をしてもらうのだ。
    (吉蔵、めしをみんなに配る)
吉蔵 さあ、みんな二つずつだぞ。沢庵は、三切れずつだ。
みんな ありがてえ、ありがてえ。
喜蔵 久し振りに、あたたかいめしが食えらあ。
忠次 (にぎりめしを手にしながら)俺、水が飲みてえや。
吉蔵 水なら、半町ばかり向こうに流れがありますぜ。
忠次 そうか、じゃ行って飲んでこよう。
吉蔵 とってもねえ、いい水だよ。
三、四人 じゃ俺たちも行ってこよう。
浅太郎 俺も、顔を一つ洗いたいや。
    (みんな、どやどやと流の方へ行く。後には九郎助と弥助だけがのこる)
九郎助 (にぎりめしを、まずそうに食ってしまった後)ああいやだ、いやだ。どう考えてもおらあ入れ札はいやだな!
弥助 なぜだい、兄い!
九郎助 入れ札じゃ、俺三人の中へはいれねえや。
弥助 そんなにお前、自分を見限るにも当らねえじゃねえか。忠次の一の子分といえばお前さんにきまっているじゃねえか。
九郎助 上辺《うわべ》はそうなっている。だが、俺、去年、大前田との出入りの時、喧嘩場からひっかつがれてから、ひどく人望をなくしてしまったんだ。それが俺にはよく分かるんだ。上辺は兄い兄いと立てていてくれても、心の底じゃ俺を軽んじているんだ。入れ札になんかなってみろ! それが、ありありと札数に出るんだからな。
弥助 ……。
九郎助 何ぞといえば、俺を年寄扱いにしやがるあの浅太郎への意地にだって、俺捨てて行かれたくねえや。
弥助 もっともだ。だが、心配することはいらねえや。お前が落っこちる心配はねえ。
九郎助 そうじゃねえ。怪しいものだ。どうも俺に札を入れてくれそうな心当りはねえや。
弥助 並河の才助がいるじゃねえか。あの男はお前によっぼど世話になっているだろう。
九郎助 いやあ、この頃の若いやつは、恩を忘れるのは早いや。あいつはこの頃じゃ、「浅兄い浅兄い」と、浅にばかりくっついていやがる。
弥助 ……。
九郎助 俺、こう思うんだ。浅には四枚へいらあ。喜蔵には三枚だ。すると後に四枚残るだろう、その四枚の中で、俺二枚取りていのだ。お前は俺に入れてくれるとして。
    (九郎助じっと弥助の顔を見る)
弥助 (黙ってうなずく)……。
九郎助 お前が俺に入れてくれるとして、あとの一枚だ。俺、この一枚をとるためには、片腕でも捨てたいのだが。
弥助 冗談いっちゃいけねえ! そう思いつめなくとも大丈夫だよ。喜蔵だって、お前に入れねえものじゃねえよ。
九郎助 あいつは、俺とこの頃仲がいいからなあ! あと一枚だ。あ、あと一枚だ。(じっと腕をくむ)
    (水を飲みに行った人々、どやどやと帰って来る)
喜蔵 あんなにぎりめしを、もう十五、六食いていや。
浅太郎 あれでも、一時の虫抑えにはありがたい。さあめしはすんだ。入れ札を早くやってもらおうか。
喜蔵 心得た。
    (彼は、懐中より懐紙を出し、脇差をぬいて幾片かに切断する。みんなに一枚ずつ渡す)
喜蔵 矢立の筆は、一本しかねえぞ。なるべく早く書いて回してくれ。書いたやつは、小さく折って、この割籠《わりご》の中に入れてくれ。
忠次 札の多い者から三人だぜ。
十蔵 ええ承知しました。
喜蔵 十蔵、お前からかけ!
    (十蔵に筆を渡す。めいめいつぎつぎ筆を借りて書く。弥助書き終え九郎助に近よりて)
弥助 そら兄い、筆をやるぜ。
    (弥助、約束したるごとくにっこり笑う)
九郎助 ありがてえ。
    (九郎助筆を取る。煩悩の情ありありと顔に浮かび、しばらく考え込む)
浅太郎 おい、爺さん。早く筆を回してくんねえか。
九郎助 何だと!
浅太郎 考えるなら、筆をほかへ回してくれ!
九郎助 黙っていろ、いらねえ口をたたくなよ!
    (九郎助、憤然として筆を下ろす)
才助 爺さん、俺にかしてくれ。
九郎助 ほら。(筆を投げる)
    (才助、それを受取り、弥助のそばへ行く)
才助 なあ、弥助兄い! 字を教えてくれ。
弥助 教えてやる! 何という字だ。
才助 (弥助の耳のそばで何かささやく)――。
弥助 よし、こう書くんだ。(指先で、才助の持っている紙面の上に書いてやる)
才助 分かった。ありがてえ。
    (みんな、つぎつぎに書き終える)
喜蔵 さあ、みんな書いたか。まだ書かねえ人はねえか。(周囲を見回す) よし、みんな書いたのだな。親分、みんな書きました。
忠次 われ、読み上げてみねえ。
喜蔵 よし、合点だ。
    (皆は、緊張して目をかがやかし、壼皿を見つめるような目付で、喜蔵の手元を睨んでいる)
喜蔵 (折った紙片をひらきながら) いいか。みんな聞いてくれ。あさ[#「あさ」に傍点]。仮名であさとしか書いてねえや。だが浅太郎に違いねえ! 浅太郎が一枚(みんなに紙片を見せる)おや、今度も浅太郎だ。浅太郎が二枚!
忠次 (わが意を得たりというように、にっこり笑う)
喜蔵 今度は、喜蔵だ(紙片を見せながら)どうだい。うそじゃねえだろう。喜蔵が一枚!おや、その次がまた喜蔵だ! ありがたい! みんなは、やっぱり目が高いや。どうだい! 喜蔵が二枚だ!
    (喜蔵は、得意げに紙片を高くする。九郎助は、ようやく焦燥の色を現す)
喜蔵 おや何だ。丸で、金くぎだ、何だ。くーろーすーけか九郎助だ。九郎助が一枚だ。
    (九郎助狼狽し、激しく動揺す)
喜蔵 その次は浅だ。これで浅太郎三枚だ。おやありがてい、その次はまた喜蔵だぞ。喜蔵は三枚だ。その次は浅太郎だ。浅太郎が四枚。おやその次はまたこの俺さまだ。喜蔵四枚だ。これで俺と浅太郎はたしかだぞ。おやその次が嘉助だ。
嘉助 しめた! 
喜蔵 これで浅とおれが、四枚ずつ、九郎助と嘉助とが一枚ずつだ。二人の勝負だ。
嘉助 あと一枚だな。ちょっと待ってくれ、俺と出るか九郎助と出るか。
九郎助 俺だとも。なあ、きまってらな弥助!
弥助 (黙って答えず)……。
喜蔵 さあ! あけるぞ。どっちだ丁か半か。九郎助か嘉助か。ああ。……嘉助だ。
九郎助 なに、嘉助だって。
    (九郎助、身をもがいてくやしがる)
浅太郎 やっぱり、みんなは正直だ。ありがてい。やっぱり親分のためを思ってらな。みんなありがとう。お礼をいうぞ。親分のことは俺たちが引受けた。
才助 じゃ、浅兄い頼んだぜ。
忠次 じゃ、みんな腑に落ちたんだな。それじゃ、浅と喜蔵と嘉助とを連れてくぜ。九郎助は一枚入っているから連れて行きていが、最初《はな》いった言を変改することはできねえから、勘弁しな。さあ、先刻からえろう、手間を取った。じゃ、みんな金を分けて、めいめいに志すところへ行ってくれ。
喜蔵 (五十両包みをこわしながら)さあ、みんな遠慮なく取ってくれ。(喜蔵。遠慮する子分たちに、分けてやる)九郎助兄い。何を考えているのだ、われも手を出しなせえ。
    (九郎助、不承不承に手をさし出す)
忠次 じゃ俺たちは、一足先に立つぜ。みんな気をつけて、行ってくれ。
一同 親分、ごきげんよう。お気をおつけなせえませ。
才助 浅兄い頼んだぜ。
浅太郎 安心していろよ。
十蔵 喜蔵兄い頼んだぜ。
喜蔵 合点だ。親分の身体は、俺たちの、目の黒いうちは、大丈夫だ。
    (口々に、呼びかわしながら、三人山上の方へとかくれる)
牛松 浅たちがついてりゃ、ていした間違いはありゃしない。
才助 親分の胸の中だって、あの三人をめざしていたに違えねえや。
十蔵 違えねえや。あいつらをつけておけば大丈夫だ。
牛松 さあ、俺これから草津の方へ落ちてやらあ。
才助 おいらも、草津だ。
十蔵 おいらも草津へ出よう。
牛松 じゃ、草津組は一緒に出かけようや。九郎助兄い! お前は、どこへ行くんだ。
九郎助 おいら、もう半刻考えよう。
牛松 思案は、早い方が勝ちだぜ。
    (入れ札の紙、風にふかれて飛び立たんとす)
九郎助 ああいけねえ。こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ。
    (九郎助拾い集めて掌中に丸める)
牛松 じゃ、稲荷の兄い、ごきげんよう。
九郎助 もう行くのか、あばよ。
十蔵 弥助兄い、ごきげんよう。
弥助 ごきげんよう。
    (弥助みんな口々に、別れの言葉を交わし、四人は最初みんなが来た方へ引っ返す。後に、九郎助と弥助だけがのこる。九郎助の顔は、凄いほど、蒼い。黙然として考えている)
弥助 おい兄い! お前は、どの方角へ行くんだ。
九郎助 うるせえや、今考えているというに。
弥助 おらあ、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷在に伯父がいるのだ。少しは、熊谷はあぶねえかと思うが、故郷へ帰る足溜りにはもってこいだ。それで俺武州の方へ出るつもりだが、お前はどうする気だ。
九郎助 (黙して答えず)……。
弥助 お前、よっぽど入れ札が気に入らなかったのだな。もっともだ、俺も今日の入れ札は、最初からいやだった。親分も親分だ! 餓鬼の時から、一緒に育ったお前を捨てて行くという法はねえや、浅や嘉助は、いくら腕っぷしが強くってもお前に比べれば、ほんの小僧っ子だ。また、たとい入れ札をするにしたところで、野郎たちがお前を入れねえという法はありゃしねえ。十一人の中でお前の名を書いたのは、この弥助一人だと思うと、おらああいつらの心根が全く分からねえや。
九郎助 (憤然として)この野郎、手前ほんとうに書いたのか。
弥助 書いたとも、俺よりほかにお前の名を書くやつなんかありゃしねえじゃねえか。
九郎助 ほんとうに書いたか。
弥助 書いたとも、俺よりほかに誰が書くと思う。
九郎助 手前、うそをつくと叩っ切るぞ。
弥助 論より証拠、お前の名が一枚出たじゃねえか。
九郎助 (先刻、丸めた中より忙しく一の紙片をよりだしながら)これを手前が書いたというのか。仲間の中で能筆の手前が、こんな金くぎの字を書くか。
弥助 ううむ。(狼狽する)
九郎助 これでも書いたというのか。
弥助 兄い、かんにんしてくれ。兄いわるかった! うそをついた俺を叩っ切ってくれ!
九郎助 (脇差に手をかける、が、すぐ思い返す)よそう。たった一人の味方と思う手前にだって、心の中では意気地なしと見限られている俺だ。手前を叩っ切ったって何にもなりゃしねえ。
弥助 だが不思議だな。俺が、書かないとしたら、それを誰が書いたんだろう。
    (弥助紙片をみつめる。九郎助あわてて丸める)
弥助 誰が書いたんだろう。(ふと、気がつく)兄い、まさかお前が自分で書くようなけちな真似はしねえだろうな。
九郎助 なな何をいう。(ふと気が変って急に泣く)弥助かんにんしてくれ。意気地なしの卑怯者を、手前親分の代りに成敗してくれ!
    (九郎助わっとすすりなく)



底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日 第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野晋
1999年12月2日公開
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