青空文庫アーカイブ
お菓子の大舞踏会
海若藍平《かいじゃくらんぺい》(夢野久作)
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)家《うち》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大勢|居並《いなら》んでいるのが
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五郎君はお菓子が好きでしようがありませんでした。御飯も何もたべずにお菓子ばかりたべているので、お父様やお母様は大層心配をして、どうかしてお菓子を食べさせぬようにしたいというので、ある日、家《うち》中にお菓子を一つも無いようにして、砂糖までもどこかへ隠して、いくら五郎さんが泣いてもお菓子を遣らない事にしました。
五郎さんは死ぬ程泣いてお菓子を欲しがりましたが、お父様もお母様も只お叱りになるばかり……とうとう五郎さんはすっかり怒って、御飯もたべずに寝てしまいました。
翌る日、学校はお休みでしたが、五郎さんは矢張り怒って、朝御飯になっても起きずに寝ておりました。
お父様もお母様も懲《こら》しめのためにわざと御飯を片づけてしまって、お父様はどこかへ御用足しにお出かけになり、お母さんも一寸買物にお出かけになりました。
あとにたった一人、五郎さんは、
「ああお腹が空《す》いた。お菓子が欲しいなあ」
と思いながら、涙をこぼしてジッと寝ておりました。
すると玄関の方で、
「郵便……」
と大きな声がして、何かドタリと投げ出される音がしました。五郎さんは思わず大きな声で、
「ハイ」
と言って飛び起きて駈け出しますと、それは四角い油紙で、何だかお菓子箱のようです。しかもその表には「五郎殿へ」と書いて、裏には兄さん夫婦の名前が書いてありました。
五郎さんは夢中になって硯箱《すずりばこ》の抽出《ひきだし》から印《いん》を出して、郵便屋さんに押してもらって、小包を受け取りました。鼻を当て嗅《か》いでみると、中から甘い甘いにおいがしました。
五郎さんはもう夢中になって、鋏を持って来て小包を切り開いて見ると、それは思った通りお菓子で、しかも西洋のでした。……ドロップ、ミンツ、キャラメル、チョコレート、ウエファース、ワッフル、ドーナツ、スポンジ、ローリング、ボンボン、そのほかいろいろ、ある事ある事……。
それから食べたにもたべたにも、一箱ペロリと食べてしまった五郎さんは、空箱と包み紙や紐を裏の掃きだめに棄てに行って、帰りがけに台所へ行ってお茶をガブガブ飲むと、そのまま何喰わぬ顔で蒲団にもぐり込んでしまいました。
「アラ、五郎さんはまだ寝ているよ。何て強情な児でしょう。よしよし、今にきっとお腹が空いておきて来るだろうから」
とお母様は独り言を云って、台所の方へお出でになりました。五郎さんは可笑《おか》しくて堪らず、蒲団の中でクスクス笑いましたが、そのうちにうとうと睡ってしまいました。
するとやがて何だか恐ろしく苦しくなって来ましたので、どうしたのかと眼を開いて見ますと、いつ日が暮れたのか、あたりは真暗になっていて何も見えません。その中《うち》に最前喰べたお菓子連中が、めいめい赤や青や紫や黄色や又は金銀の着物を着て、男や女の役者姿になって大勢|居並《いなら》んでいるのがはっきりと見えました。
「こんなに大勢、一時にお菓子たちがお腹《なか》の中で揃った事は無いわねえ」
とお嬢さん姿のキャラメルが云いました。
「そうだ、そうだ。それに五郎さんの胃袋は大変に大きいから愉快だ」
と道化役者のドロップが云いました。黒ん坊のチョコレートは立ち上って、
「一つお祝いにダンスをやろうではないか」
と云うと、ウエファース嬢が、
「それがいい、それがいい」
「万歳万歳、賛成賛成」
と皆が総立ちになって手を挙げました。すると忽《たちま》ち五郎さんのお腹がキリキリと痛くなりましたので、思わず、
「苦しい苦しい」
と叫びました。
「あれ、苦しいと言っててよ」
とドロップ嬢が心配そうに云いますと、兎の姿をしたワッフルが笑って、
「アハハハハ、自分が悪いのだから仕方がない。まあ暫く辛抱してもらうさ。さあさあ、踊ったり踊ったり」
と云ううちに、もう踊り初めました。
ボンボンが太鼓をたたく。ローリングがピアノを弾く。ウエファース嬢が歌い出す。それにつれて五色の着物を着た小人のミンツ達を先に立てて、キャラメル嬢をまん中にワッフルの兎、ドロップの道化役者、チョコレートの黒ん坊、ドーナツの大男、そのほかいろいろのお菓子達が行列を立てて行くあとから、スポンジ嬢が手鼓《てつづみ》をたたきながらついて行きます。
こうして沢山のお菓子たちがみんな一所に輪を作ると、一二三というかけ声ともろ共に一時に踊り出しました。
「プーカプーカ、チョコレート
プーカプーカ、ローリング
ミンツ、ワッフル、キャラメル、ウエファース
ドーナツ、スポンジ、ボンボンボン
太鼓の響はボンボンボン
ピアノのひびきがローリング
ウエファースと歌い出す
ドロップドロップ踊り出す
ワッフルワッフルはやし立て
キャラメルキャラメル笑い出す
足どりおかしくチョコレート
スポンジスポンジ飛び上る
そこで五郎さんのポンポンが
ミンツミンツ痛み出す」
五郎さんはもう死ぬ位苦しくなって、
「苦しい苦しい、堪忍《かんにん》して頂戴。助けて助けて、お父様! お母様」
と叫びました。
「まあ、どうしたの五郎さん。大層うなされて」
とお母さんにゆり起されて、五郎さんはフッと眼を開くと、まだおひる過ぎでうちの中はあかるいのでした。
「お母さん、僕のお腹の中でお菓子が踊っている。ああ、苦しい苦しい。堪忍して頂戴、もう決してお菓子を食べませんから。アー、イタイ、イタイ。お母さん、助けて助けて」
と、五郎さんは汗をビッショリ掻いて、のた打ちまわりました。
お母様は驚いて、お医者を呼びにお出でになりましたが、いろいろわけを尋ねて、やっとお菓子の喰べすぎだという事がわかりますと、お医者はこわい顔をして、
「これから決してお菓子を喰べてはいけませんよ」
と云って、苦い苦いお薬を置いておいでになりました。
それから五郎さんは、病気が治ってからも決してお菓子を欲しがりませんでした。
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年5月22日 第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年3月6日公開
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