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オシャベリ姫
かぐつちみどり(夢野久作)

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【テキスト中に現れる記号について】

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 ある国に王様がありまして、夫婦の間にたった一人、オシャベリ姫というお姫さまがありました。
 このお姫様は大層美しいお姫様でしたが、どうしたものか生れ付きおしゃべりで、朝から晩まで何かしらシャベッていないと気もちがわるいので、おまけにそれを又きいてやる人がいないと大層御機嫌がわるいのです。
 ある朝のこと、このオシャベリ姫は眼をさまして顔を洗うと、すぐに両親の王様とお妃様の処に飛んで来て、もうおしゃべりを初めました。
「お父様お母様、昨夜は大変でしたのよ。ゆうべあたしがひとりで寝ていますと、どこから這入って来たのか、一人の黒ん坊が寝床のところへ来まして、妾の胸に短刀をつきつけて、宝物のあるところはどこだと、こわい顔をしてきくのです」
「まあ、それからどうしたの」
 と王様とお妃様はビックリして姫にお尋ねになりました。
「それからね……妾はしかたがありませんから、宝物の庫のところへ連れて行ったら、黒い腕で錠前を引き切って中の宝物をすっかり運び出して、お城の外へ持って行ってしまったのですよ」
「なぜその時にお前は大きな声で呼ばなかった」
「だって、その宝物をみんな妾に持たせて運ばせながら、黒ん坊は短刀を持ってそばに付いているのですもの」
「フーム。それは大変だ。すぐに兵隊に追っかけさせなくては。しかしお前はそれからどうした」
「やっとそれが済んだら、黒ん坊は妾の胸に又短刀をつきつけて今度は、オレのお嫁になれって云うんですの」
「エーッ。それでお前はどうした」
「あたしはどうしようかと思っていましたら……眼がさめちゃったの」
「何……どうしたと」
「それがすっかり夢なのですよ」
「馬鹿……この馬鹿姫め。夢なら夢となぜ早く云わないのか」
 と王様は大層腹をお立てになりました。
「まあ。それでも夢でよかった。あたし、どんなに心配したかしれない」
 とお妃さまもほっとため息をつきました。
「オホホホホホ。まあ、おききなさい。それからね、わたしは眼をさまして見ますと、まだ夜が明けないで真暗なんでしょう。あたしは何だか本当に黒ん坊が来そうになってこわくなりましたから、ソッと起き上って次の間の女中の寝ているところへ来て見ますと、二人いた女中が二人ともいないのです」
「憎い奴だ。お前の番をする役目なのにどこに行っていたのであろう。非道い眼に合わせてやらなくてはならぬ」
 と王様は又も大層腹をお立てになりました。
「それがねえ、お父様。お叱りになってはいけないのですよ。妾もどこに行ったろうと思って探して見ると、二人とも機織り部屋に行って糸を紡いでいるのです」
「何、糸を?」
 とお妃さまが云われました。
「感心だねえ。夜も寝ないで糸を紡いでいるのかえ」
「それがまだ感心することがあるのですよ……」
 オシャベリ姫はなおも前のお話をつづけました。
「あたしは、二人の女中が今頃何だって機織室に這入って糸を紡いでいるのだろうと思って、ソッと鍵の穴から中の様子を見ますと、本当にビックリしてしまったのです。だって東の方の壁と西の方の壁に、一列ずつ何百か何千かわからぬ程沢山の蜘蛛がズラリと並んでいるのです」
「何、蜘蛛が! おお、気味のわるい」
 と王様とお妃は一度に云われました。
「ところがそれがちっとも気味わるくないのです。東の方の壁に並んでいる蜘蛛はみんな黄金色で、西の方のはすっかり白銀色なのです。そのピカピカ光って美しいこと。そうして黄金色の蜘蛛のお尻からは黄金色の糸が出ているし、白銀色の蜘蛛のお尻からは白銀色の糸が出ているのを、二人の女中が一人ずつ糸車にかけて、ブーンブーンと撚って糸を作っているのです。その面白くて奇麗だったこと……」
「フーム。それは不思議なことだな」
「まだ不思議なことがあるのです。その糸を巻きつけた糸巻きがだんだん大きくなって来ますと、その糸の光りで室中が真昼のように明るくなります。私はあんまりの不思議さにビックリして思わず外から……その糸をどうするの……と尋ねました」
「そうしたら何と返事をしたの」
 とお妃様がお尋ねになりました。
「そうしたら、返事をしないのです」
「どうして」
「二人の女中はビックリして私の方を見ました。その拍子に今までブンブンまわっていた二人の女中の糸巻きが急にあべこべにまわりますと、大変です。金の糸と銀の糸がスルスルと解けて来て、二人の女中の首に巻き付きました」
「オヤオヤ。それからどうした」
「二人の女中は驚いて立ち上って、その巻き付いた糸を取ろうとして藻掻き初めましたが、もがけばもがく程糸がほどけて来て、手や足までもからみつきました。それで女中はなおなお狂人のようになって床の上にころがりまわりましたが、しまいには金銀の糸がすっかり二人の女中に巻き付いて人間の糸巻きのようになって、只うんうんうなりながら床の上を転びまわるばかりでした」
「お前はそれを見ていたのか」
「エエ。あたしはこれはわるいことをした。だってあんなことを云わなければ、二人の女中はビックリしなかったでしょう。ビックリしなければ糸車をあべこべにまわさなかったでしょう。糸車をあべこべにまわさなければ、金銀の糸は女中の首に巻き付かなかったのでしょう」
「そうだ、そうだ」
「ほんとにね」
「あたしそう思って、できるだけ早く助けてやろうとしましたが、扉に鍵がかかっていましたので、助けてやりようがありません」
「それは困ったな」
「それでどうしたの」
「そのうちに糸巻の糸はすっかり二人の女中に巻き付いてしまった上に、壁にいた蜘蛛までも糸にくっついて女中の身体に引っぱりつけられましたが、女中が転がりまわりますので、蜘蛛も苦しまぎれに大層憤って、女中の身体に巻き付いている糸をすっかり噛み切ってしまいました」
「まあ、それはよかった」
「いいえ。それからがこわいのです。糸を噛み切った蜘蛛は、寄ってたかって女中を喰い殺してしまいました」
「ヤア、それは大変だ」
「何という可愛想なことでしょう」
 と云ううちに王様とお妃様は立ち上がって、急いで機織部屋に行こうとなさいました。
 オシャベリ姫は慌ててそれを押し止めていいました。
「まあ、お父様お母様、おききなさい……それがやっぱり夢なのですよ……」
「何だ、それも夢か?」
「まあ、お前は何ておしゃべりなのだろう」
 と王様とお妃様は又椅子に腰をおかけになりました。そうして王様は真赤に怒ってオシャベリ姫をお睨みになりました。
「この馬鹿姫め。お前みたようなよけいな事をオシャベリする奴はいない。この上そんなことをオシャベリしたら石の牢屋へ入れてしまうぞ」
 と大きな声でお叱りになりました。
「これから本当のことをお話しなさい。ね、いい子だから」
 とお母様のお妃様がおとりなしになりました。
 けれどもオシャベリ姫は平気でこう云いました。
「いいえ。これからが本当なのです。今までのは今度の本当におもしろいお話をするためにお話ししたのです」
「何……これからが本当に面白い話だと云うのか」
「それはどんな話ですか」
 と王様もお妃様もお尋ねになりました。
 オシャベリ姫は又お話を初めました。
「あたしは今までお話しした二つの夢がさめますと、ほんとに今夜は変な晩だと思いました。だって、寝ていれば黒ん坊が来そうだし、女中の室に行ったらばまた何だか変なことを見そうなので、困ってしまいました。それでしかたなしに寝床にねたまま二人の女中の名前を呼んでみました」
「ああ、それはよかった。初めからそうすればよかったのに」
 と王様が云われました。
「でも前のは夢ですもの。しかたがありませんわ」
「ウン、そうだったな。それからどうした」
「そうしたら二人の女中が二人ともハイと云っておきて来ましたから、妾はやっと安心をして、今お話しした二つの夢のお話しをしてきかせました」
「二人とも吃驚したでしょうねえ」
 と今度はお妃が云われました。
「エエ、ほんとにビックリして二人とも顔を見合わせましてね。ニコニコ笑って……それは大変にお芽出度い夢で御座います……って云うんですの」
「ホー。どうして芽出度いのだ」
「宝物を盗まれたり、女中が死んだりする夢が何でそんなに芽出度いのかえ」
 と王様とお妃様は又も揃ってお尋ねになりました。
「それはこうなのです。二人の女中の云うことには、この国で一番芽出度い夢は『短刀と蜘蛛』の夢と昔から言い伝えてあるって云うんです」
「フーム、そうかなあ」
「あたしは初めてききました」
 と王様とお妃様は顔をお見合せになりました。
「あたしもよく知りませんけど、女中がそう云うんですの」
 とオシャベリ姫は云いました。
「して、それはどういうわけで芽出度いのだ」
 と王様がお尋ねになりました。
「何でも短刀と蜘蛛の夢を見るといいお婿さんが来ると、みんなが云うのだそうです」
「まあ、それはほんとかえ」
「ほんとだそうです。けれども、そんな夢を見たことが相手のお婿さんにわかるとダメになるのだそうです。ですから二人の女中は私に、その夢のことを誰にも云ってはいけないと云いました」
「まあ、お前はほんとに馬鹿だねえ……ナゼそんな大切な夢をそんなにオシャベリしてしまうの」
 とお母様のお妃はほんとに残念そうに云われました。
「イイエ。お母様。あたしはお婿さんなんかいらないの。それよりもそのお話しをした方がよっぽどおもしろいの。だってこんな面白い夢を見たことは生れて初めてなのですもの」
「お前はほんとにしようがないおしゃべりだねえ。それじゃお前のお守の女中がその夢のことを外へ話さないようにしましょう」
 とお妃様が云われました。
「いいえ。構わないのよ、お母様。女中がお話しなくともあたしがお話ししますからダメですよ」
 とオシャベリ姫が云いました。
 王様もお妃様もおしゃべり姫のオシャベリに呆れておいでになるところへ、姫のお付きの女中が二人揃って姫の前に来て頭を下げて、
「お姫様、お化粧のお手伝いを致しにまいりました。もうじき御飯になりますから」
 とお辞儀をしました。
 お妃様はそれを見て、
「オオ。お前達は昨夜姫からおもしろい夢のお話をきいたそうだね」
 と云われました。
 王様からこう尋ねられますと、女中は吃驚したような顔をして顔を見合わせました。そうして二人一時にこう答えました。
「いいえ。お嬢様は夢のお話など一つも私達になさいません」
「えっ……お前達は姫から夢の話を一つもきかないのか」
 と王様はこわい顔をしてお睨みになりました。
「ハイ」
「嘘を云うときかないぞ」
「嘘は申しません」
「よし。あっちへ行け」
 といわれますと、女中はお辞儀をして行ってしまいました。
 王様は女中が行ってしまうと、オシャベリ姫をぐっとお睨みになりました。
「コレ……オシャベリ姫。お前はなぜそんなに嘘ばかりオシャベリをするのだ」
 と王様は雷のような声で姫をお叱りになりました。
 けれども姫はちっともこわがらずにこう云いました。
「いいえ。私はちっとも嘘を云いません。本当にそんな夢を見て、本当にその話を女中にしたのです。女中の方が嘘をついているのです」
 と云い張りました。
 けれどもお父様の王様は、もう姫の云うことを本当になさいませんでした。
「お前の云うことはみんな嘘だ。その上にそんなに強情を張ってオシャベリをやめないならば、もうおれの子ではない。この国では嘘を吐いたものは石の牢屋に入れることになっているのだから、貴様もいれてやる」
 と云ううちに王様は立ち上って、泣き叫ぶ姫の襟首をお掴みになりました。
 お母様のお妃は慌ててお止めになって、
「サア姫や。嘘を吐いて済みませんでしたとお云い。これから決して嘘を吐きませんとお云い。お母さんが詫をして上げるから」
 と云われましたが、姫は頭を振って「イヤイヤ」をしながら、強情を張って泣くばかりでした。
「よし。そんなに強情を張るならいよいよ勘弁できぬ」
 と王様は大層腹をお立てになって、とうとうオシャベリ姫を石の牢屋に入れておしまいになりました。
 石の牢屋はお城の地の下の、真暗なつめたいところにありました。
 オシャベリ姫はそこに入れられて、あんまり怖いので石の上に寝たままオイオイ泣いていましたが、いつまで経っても誰も助けに来てくれません。お母様や女中の名前を呼んでも、あたりは只シンとして真暗なばかりです。
 そのうちに姫は泣きくたびれて、ウトウトねむりかけますと間もなく、
「ニャー」
 と云うやさしい猫の声がきこえました。
 見ると、向うの暗いところに黄金色の猫の眼が二つキラキラと光っています。
 オシャベリ姫は淋しくてたまらないところでしたから、この猫を見るとよろこんで、
「チョッチョッチョッ」
 と呼びました。そうすると猫はすぐに姫のところへ摺り寄って、咽喉をグルグル鳴らしました。
 姫は猫を抱き上げてこう云いました。
「まあ……お前はどこから這入って来たの? この石の牢屋には鼠の入る穴さえ無いのに……お前、もし出るところを知っているのなら妾に教えて頂戴な!」
「ニャー」
「オヤ。お前、出て行くところを知ってるのかえ」
「ニャー」
「じゃお前、先に立って妾をつれて行っておくれな」
「ニャーニャー」
 と云ううちに、猫はもう姫の手を抜け出してあるき出しながら、「こっちへいらっしゃい」と云うようにふり返りました。
 オシャベリ姫は、猫が本当に牢屋の外へ連れて行ってくれるのか知らんと変に思いながら、真暗な中で時々ふりかえる猫の眼を目あてにしてソロリソロリとあるき出しますと、不思議にも狭いと思った牢屋は大変に広くて、どこまで行っても突き当りません。そのうちに何だか野原に来たようで、穿いている靴の先に草っ葉が当るようです。
 なおよく気をつけて見ると、頭の上には空があって、処々その雲の間から星が光っています。
「まあ。やっぱり猫は本当にあたしを助けてくれるのだよ。だけど一体ここはどこなんだろう」
 と、そこいらを見まわしました。
 そうするとやがてあたりが明るくなって、まだ見た事もない山や河や森や家が見えて来ると一所に、向うの雲の間から真赤なお天道様がピカピカ輝きながら出て来ました。そうしてそこいら一面に咲いている花も照らしました。
 その時に気がつくと、最前の猫はどこへ行ったか、影もすがたもなくなっていました。
 オシャベリ姫がボンヤリして立っていますと、間もなくうしろの森の中から二人の百姓の夫婦らしいものが出て来ましたが、だんだん近づいて見るとコハ如何に……それは人間の姿をした雲雀で、オシャベリ姫の姿を見付けるとビックリして立ち止まりました。そうして二人はオシャベリ姫を指しながら話を初めました。
「クイッチョ、クイッチョ、クイッチョ、クイッチョ」
「ピークイ、ピークイ、ピークイ、ピークイ」
 これを聞くと、オシャベリ姫は不思議なことも何も忘れて、可笑しくてたまらなくなりました。
「マア……可笑しいこと。アノ……チョイト雲雀さん。ここは何という処ですか。教えて頂戴な」
 と近寄って行きました。
 そうすると雲雀の夫婦は慌てて逃げ出しました。
「ピーツク、ピーツク、ピーツク、ピーツク」
「ツクリイヨ、ツクリイヨ、ツクリイヨ、ツクリイヨ」
 と、一生懸命に叫びながら自分の家の方へ逃げて行きますと、その声をききつけて森の中から沢山の雲雀が出て来ました。
 その雲雀たちはみんな人間の姿をしていて、お爺さんのようなの、お婆さんのようなの、又は若い人から子供までいるらしく、みんなゾロゾロと連れ出ってオシャベリ姫をすっかり取り巻いてしまいました。
 オシャベリ姫を取巻いた雲雀たちは、初めはみんなだまって不思議そうにオシャベリ姫を見ていました。
 けれども何もわるいことをしそうにもないので姫は安心をしまして、も一ペン尋ねて見ました。
「まあ……ここは雲雀の国なの? あたしは人間の国から来たものだけれども、帰り途がどっちへ行っていいかわからなくて困っているのよ。だれか知っているなら教えて頂戴な」
 すると、その中の一番年寄りらしい身姿をした雲雀がこう云いました。
「リイチョ、リイチョ。リイチョ、リイチョ。チョ、チョ。チョン、チョン」
「まあそれは何と云うこと」
「チョングリイ、チョングリイ、チョングリイ」
「グリイチリ、グリイチリ。チリロ、チリロ」
「ちっともわからないわ」
「チリル、チリル。ルルイ、ルルイ。リイツク、リイツク、リイツク、リイツク」
「つまらないわねえ……そんな言葉じゃ……」
 オシャベリ姫がこう云いますと、今度は集まっていた雲雀がみんな一時にしゃべり出しました。
「ピークイ、ピークイ。ピークイ、ピークイ。クイッチョ、クイッチョ。クイッチョ、クイッチョ。チョ、チョ。チョン、チョン。チョングリ、チョングリ。チイヤ、チイヤ。チャルイヨ、チャルイヨ。チャルイヨ、チャルイヨ」
 オシャベリ姫はあんまり八釜しいのでびっくりして、
「まあ。何てやかましいんでしょう。そんなにしゃべっちゃ、私の耳が潰れてしまうよ。やめて頂戴、やめて頂戴」
 と云いましたが、雲雀たちはなかなかやめません。なおもよってたかってしゃべりつづけます。
 オシャベリ姫はあんまり雲雀たちにシャベりつけられて、これはたまらぬと両手で耳を押えて逃げだしますと、雲雀たちはなおもしゃべりつづけながら追っかけて来ます。
 その上にいつどこから出て来たか、雲雀の兵隊や巡査までが繰出して来て、
「キイキイ、ピイピイ」
 と叫びながら、広い野原を逃げまわるオシャベリ姫を追っかけまわしました。その恐ろしいこと……。
 オシャベリ姫はもう夢中になって泣きながら逃げまわっていましたが、やがて草の中にあった深い井戸の中へ真逆様に落ち込んで、そのままズンズンどこまでも落ちて行きました。
 姫は又ビックリして、
「アレ、助けて」
 と叫びましたが、あんまりの恐ろしさに眼をまわしてしまいました。
 けれども間もなく又気がついて見ますと、今度はいつ連れて来られたのか、立派な寝床の上に寝かされて、頭の下には柔かい枕が置いてあります。
 どうしたのかしらんと思って、そこいらを見まわしますと、又ビックリしました。
 枕元には人間の大きさ位の青蛙の看護婦が二人、黄金色の眼を光らして、白い咽喉をヒクヒクさせながら腰をかけています。
 青蛙の看護婦はオシャベリ姫が眼をさましたのをみると、すぐに立ち上って、
「キャッ、キャッ、キャッ、キャッ」
 と呼びました。
 すると向うの室で、
「クン……クン」
 という声がきこえまして、黒い立派な洋服を着て眼鏡をかけた大きな疣蛙が、黒い皮の鞄を提げてノッサノッサと出て来ました。
 その疣蛙は姫のそばへ来ると、鞄から虫眼鏡を出して、姫の顔を眼から鼻から口と一つ一つていねいにのぞきましたが、おしまいに黒い冷たい手で姫の手を掴もうとしました。姫は驚いて、
「アレ」
 と云って手を引っこめますと、疣蛙は眼をパチクリさせていましたが、やがて青蛙の看護婦に、
「クフン、クフン」
 と何か云いつけて出て行ってしまいました。
 そうすると、それと入れ違いに今度は赤い兵隊の服を着た赤蛙が先に立って、あとから最前の疣蛙が這入って来ると、立派な金モールの服を着た殿様蛙と、その奥さんらしいやさしい顔をした青蛙が這入って来ました。この殿様蛙夫婦が這入って来ると、室中にいた疣蛙も赤蛙も青蛙もみんな一時に床の上にひれ伏してしまいました。
 けれどもその中で疣蛙だけは頭を下げたばかりで、やがて殿様蛙の夫婦をつれて姫の前に来て、姫の眼や口や鼻を指さして、
「クンクンクンクン」
 と何か話しますと、殿様蛙夫婦は眼をクルクルまわしてうなずいております。
 姫は可笑しくなって来ました。
「妾は今蛙の国に来て、蛙の病院に入れられているのに違いない。疣蛙はここのお医者さんで、殿様蛙はきっとここの王様で妾を見に来たのに違いない。妾の顔と蛙の顔とは大変に違うから珍らしがっているのだろう」
 こう思っているうちに、殿様蛙は赤蛙の兵隊を連れてサッサと帰って行きました。
 そうすると大変です。
 蛙の国の王様がわざわざ病院までオシャベリ姫を見に来たということを国中の蛙はみんなきいたらしく、いろんな蛙がゾロゾロと蛙の病院の入り口から這入って来ては姫の顔をのぞき込みます。虫眼がねを出してのぞき込むものもあります。ノートブックを出して何か書き止めて行くものもあります。または写真機を出して撮影して行くものなぞいろいろありまして、中には何やらお話をしかけるものもあります。
「グレレ、グレレ、グレレ、グレレ
 ケオコ、ケオコ」
 雲雀の国で懲りていたのでさっきからだまって我慢をしていたオシャベリ姫は、もう我慢し切れなくなって吹き出しました。
「オホホホホ。ああ、可笑しい可笑しい。何ておかしい言葉でしょう」
 オシャベリ姫がこう云いますと、蛙たちはビックリしたらしく、みんな顔を見合わせましたが、やがて又前よりも一層烈しくオシャベリ姫にシャベリかけました。
「グル、グル、グル
 グルイレ、グルイレ、グルイレ」
「クロ、クロ、クロ、クロ
 プリイ、プリイ、プリイ
 プロロ、プロロ、プロロ」
 と云いながら、われもわれもとオシャベリ姫をのぞきこみます。
「オホホ、ハハハハ。あたしの顔が何でそんなに珍らしいの。眼玉ばかりキョロキョロさして」
「ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ、ツララロ」
「ハハハハハハハハ。ホホホホ。あたしいやよ、そんなにのぞいちゃ。アレ冷たい。気味のわるい。さわっちゃいけない。キタナラシイじゃないの」
「ダレイケ、ダレイケ、ダレイケ
 グレイケロロ、グレイケロロ、グレイケロロ」
「コロロ、グロロ、ガロロ、ウロロ、ゲロロ、ゲロロ、ゲロロ」
 といううちに、あとからあとからのぞき込んで来ます。しまいには上から上に重なり合って、姫の寝台の上まで飛び上って来て、われもわれもとしゃべります。
 オシャベリ姫は、これはたまらぬとはね起きて、入り口から逃げ出そうとしましたが、看護婦の青蛙が両方からかじり付いて放しません。
 その中に窓の方を見ますと、窓の外はもう一面に蛙が山のように押し寄せて、あっちへ押し合いこっちへヘシ合い、大変な騒ぎです。おまけにそのシャベルこと。
「グレーレ、グレーレ、グレーレ、グレーレ
 グレーチョコ、グレーチョコ
 グルーロ、グルーロ、グルーロ
 レロロ、レロロ、レロ、レロ、レロ」
「ツララ、ツララ、ツラララロ
 クロラ、クロラ、クロロロラ
 ゲレロ、ゲレロ、ゲレレレロ
 グラ、グラ、グラ、グラ、グラ
 ゲラ、ゲラ、ゲラ、ゲラ、ゲラ
 ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ」
 姫は一生懸命大きな声をして、
「ちょっと待って頂戴。そんなに押すと寝台が壊れてしまうよ。そんなにしゃべると妾の耳が破れてしまうよ」
 と叫びましたが、蛙どもはなおも一生懸命にのぞき込んでしゃべります。
 姫はもう死に物狂いになって、蛙たちの頭を踏つけて表に飛び出しましたが、門のところまで来ると又驚きました。
 オシャベリ姫は蛙のオシャベリに驚いて、蛙の病院から飛び出して表へ逃げ出しましたが、表門を出てみると外は立派な蛙の町です。そうしてその町がどこまでもどこまでも蛙ばかりで、電車も自動車も蛙で埋まったまま動かなくなって並んでいます。
 そこへオシャベリ姫が飛び出したので、今までよりも一層大さわぎとなって、
「ガアガアガアガアガア
 ワーワーワーワーワー」
 とまるで大暴風のように騒ぎ出します。
 姫は夢中になって蛙の頭を踏みつけながら、町の外へ逃げ出しました。
 野原でも林でも田圃でも何でも構わずにドンドンドンドン駆け出しますと、蛙たちはあとから押し合いへし合い追っかけます。
 姫は息が切れて足が疲れて死にそうになりましたが、それでも蛙たちは追っかけやめません。
 そのうちに日が暮れて、東の山からまん丸いお月様が出て来ました。
 そのお月様をみると、オシャベリ姫はホッと一息しました。
 日が暮れたらいくら蛙でも最早追っかけて来はしまいと思いましたが、それは大変な間違いでした。
 日が暮れてお月様が出ると、野原の方は一面に蛙ばかりがいるようにガアガアガアガアと鳴き声がして、もう足元に追っかけて来そうです。
 これは大変と、姫は又も山の方へ山の方へとあとをふり返りふり返り逃げて行きましたが、そのうちに、とある高い崖の上に来ますと、眼の下に絵のような美しい都が見えて来ました。
 その都はほんとに絵のように美しい都でした。
 どの家もどの家も白い壁に青い屋根で、その下から青や黄色の電燈がキラキラと光っています。
 その真中には大きな黒い鉄のお城がありまして、その中から紫のあかりが眩しいほど光って見えました。
 その上にはお月様と星が光っていて、その美しいこと……そうしてその静かなこと……電車の音も自動車の響も人間や犬の声なぞも何もきこえません。生きたものが住んでいるのかどうかわからない位です。
 オシャベリ姫はしばらくの間ボンヤリその景色に見とれていましたが、
「ああ、こんな静かな所にいたらさぞいいだろう。昼間オシャベリをする雲雀や、夜中に鳴きまわる蛙がいないから、どんなにうるさくなくていいだろう」
 と思いながらフト足もとを見ますと、一本の蔦葛が垂下って、ずうっと崖の下の家の側まで行っております。
 オシャベリ姫は直ぐにその蔦葛を伝って下へ降り初めました。
「もうこの国へ来たら口を利くまい。この国にはあの雲雀や蛙の口のように、もっとやっぱりあたしよりもずっとひどいオシャベリがいて、あたしをシャベリ負かしていじめるに違いない。そうしてオシャベリさえしなければきっと親切にしてもらえるに違いない」
 とこう思いながら、オシャベリ姫は蔦葛にすがって崖を降りはじめました。
 初めのうちは崖がデコボコしているので、オシャベリ姫はちょうど段々を降りるようにして蔦葛にすがりながら降りてゆきましたが、だんだん下の方になりますと崖が急になって、しまいには全く宙にブラ下ってしまいました。姫はこわくなって引返そうとしましたが、もう引返す力が抜けてしまいまして、姫はあまりの恐ろしさに蔦葛にすがりながら泣き出しました。
 その声をききつけたものか、はるか崖の下の草原へ大勢の人が出て姫の姿を見上げていましたが、崖があんまり高いので、そんな人たちがまるで蟻のように見えました。
 これを見ると姫は一層恐ろしくなって、手と足で蔓にかじり付いてブルブルふるえていますと、その中にはるか下の方から姫の掴まっていた蔦葛を伝って昇って来るものがあります。だんだん近づいて見ますと、それは黒い服にズボンを穿いて、白い靴に赤い覆面をした奇妙な人間でしたが、さも軽そうに姫を引っ抱えますと、胴のところへ何やら小さな包みの紐みたようなものをくくりつけますと、いきなり姫の身体を投げ落しました。
 オシャベリ姫は肝を潰して、思わず、
「アレッ」
 と叫びましたが、間もなくポカーアンと大きな音がしたと思うと、姫の頭の上で大きな傘が開いて、折から吹く風につれて、向うに見えるお城の方へフワリフワリと飛んで行きました。
 姫は又ビックリしましたが、それでも命が助かったのでホッと安心をしました。
「まあ、今の人は何て不思議な人でしょう。初めからそう云ってくれれば、こんなにビックリしはしないのに。おしまいまでちっとも口を利かないなんて変な人だこと……」
 と独り言を云っているうちに、風船は鉄のお城の中の広いお庭のまん中へフワリと落ちました。
 姫はほんとうに安心をして、そこに敷いてある白い砂の上に降りましたが、風船はそのまま小さく畳んでポケットに仕舞っておきました。
 そのうちに姫のまわりには鉄のお城の鉄の鎧を着た兵隊さんが沢山に集まりましたが、不思議にも一人も口を利くものがありません。だまって姫を連れて、王様の前に連れて行かれました。
 王様とお妃様は、鉄のお城の中の大きな大きな鉄の室の中の、高い高い鉄の台の上に鉄の椅子を据えて、真黒な着物を着て鉄の冠をかむって坐わっておりましたが、その室中のものは鉄の壁も鉄の床も、鉄の柱も鉄の天井も、それから一パイに並んでいる大将や兵隊たちの鉄の鎧も、すっかり鏡のように磨いてありまして、その中にサーチライトのような燈火が紫色に輝いておりますので、そのマブシイ事……眼が眩んでしまいそうです。
 姫は何だかこわくなって、
「これから妾をどうするのですか」
 ときいてみたくてしかたがありませんでしたが、みんなだまっているところに又うっかり口を利くと、何だか大変なことになりそうなので、ジッと我慢をしていますと、鉄の兵隊の一人は姫に王様を指して、その前に行ってお辞儀をするように手真似で教えました。
 姫は黙ってその通りにしました。
 そうすると、王様とお妃様はジッと姫のようすを見ておりましたが、やっぱりだまってうなずいたまま二人揃って壇の上から降りて来まして、二人で両方から姫を手を引っぱりながら奥の方へあるき出しました。
 ところがその奥の方へ行く廊下の長いこと。右へ曲ったり左へ曲ったり、梯子段を登ったり降りたり、いつまでもいつまでも続いています。そうして連れて行く王様夫婦も、あとから随いて来る大将たちも、やっぱりだまって一口も物を云いません。
 姫は又、
「妾をどうなさるのですか」
 ときいてみたくなりましたが、やっぱり我慢をしていますと、やがて一つの立派な室に這入りました。
 その室もピカピカ光って鉄ばかりで出来ておりまして、真ん中に鉄の大きなテーブルがあり、その上に大きいのや小さいのやいろんな鉄の壺と、それからコップや盃見たようなものが沢山に並んでいて、その真ん中あたりにある椅子に姫が腰をかけさせられますと、その右と左に王様夫婦が坐わりました。あとはお伴をして来た鉄の城の大将たちが、机の四方を取かこんでズラリと腰をかけます。そうしてみんな坐わってしまうと、入口から四人の黒ん坊の女が白い着物を着て出て来まして、真中にある一番大きな鉄の壺から、みんなの前の鉄の盃へ一パイになるように白い牛乳のようなものを注いでまいりました。
 その白い汁の芳香のいい事……。
 鉄の牢屋へ這入ってから、雲雀の国から蛙の国から、この口を利かない人間の国まで来る間、なんにもたべなかったおシャベリ姫は、もう今にも飛ついて飲みたい位に思いました。
 けれどもほかのものがみんなジッとして手を出しませんから、姫も我慢をしていましたが、不思議にもみんなは知らん顔をしていて、ちっとも盃を手に取ろうとしません。只その中で王様が姫の前の盃を指して、「早くおあがりなさい」と云うような手真似をするだけです。
 姫は困ってしまいました。
「これをこのまんま飲んでもいいのですか」
 と云いたくてたまらないのでしたが、又思い出して、
「イヤイヤ、うっかり口を利いて非道い目に合うといけない。だまってみんなのする通りにしていよう」
 とひもじくてたまらないのを我慢しました。そうして、
「この人たちはみんなきっと唖に違いない。そんなら耳もきこえないのだから、何を云ってもわかるまい。一つオシャベリをしてみようかしらん。イヤイヤ、唖で耳がきこえないのなら何を云ってもつまらないから、やっぱり我慢をしていよう」
 と思いながら、両手を膝の上に置いてお行儀よく澄ましていました。
 その様子を見た王様がお妃様の方を向いて何か手真似をしますと、お妃様はうなずいてオシャベリ姫の肩をたたきました。そうしてたべ方を教えるように、姫の見ている前で杯を取り上げましたが、いきなりその盃を鼻に当て、白い牛乳のような汁を鼻の穴からスーッと飲んでしまいました。
 オシャベリ姫は呆れてしまいました。鼻の穴から飲むなんて、何という変なたべかたであろうと思いながら、お妃様の顔をよく見ますと、オシャベリ姫は思わず「アッ」と声を出しました。
 お妃様の顔の鼻と眼と眉と耳とは当り前にあるのですが、口の処には何もありません。鼻の下から頤まで一続きにノッペラボーになっているのです。そうして口の代りに赤い絵の具で唇の絵が格好よく描いてあるのでした。
 オシャベリ姫は呆れてしまって、ほかの王様や大将たちの顔をキョロキョロと見まわしましたが、気が付いてみると、どの顔もどの顔も、今まで口と思っていたのはみんな絵の具で描いたもので、只王様や大将たちの口は大きく描いてあり、お妃様の口は小さく描いてあるばかりです。
 これを見たオシャベリ姫は思わず吹き出しました。
「オホホホホホ。マア可笑しい。皆さんはどうしてそんなにお口がないのですか。どうしてそんなに片輪におなりになったのですか。鼻の穴には歯も舌も無いのに、どうして御飯や何かを召し上るのですか。それとも、こんな牛乳みたような汁ばかり飲んで生きておいでになるのですか。オホホホホホ。まあ、おもしろいこと。どうりでみなさんは、一人も口をお利きにならないのですね。お話も出来なければ歌もお歌いにならないのね。まあ、どんなにかつまらないでしょうねえ。オホホホホホ。ああ、可笑しい。ああ、おもしろい。変な国ですこと。アハハハ、ホホホホホ。ああ、あたしはもうお腹の皮が痛くなりそうよ。あんまり可笑しくて可笑しくて……」
 と腹を抱えて笑いながらシャベリ続けました。
 そうすると、よもや聞えまいと思っていた人々の耳に、オシャベリ姫の言葉がすっかり聞えたらしく、まず一番にお妃はさもさも恥かしそうに涙を流して室を出て行きました。
 あとに残った王様は鬼のような恐ろしい顔になって、腰にさしていた短刀を抜いて姫を捕えて殺そうとしました。
 姫は驚いて、
「アレ、御免なさい、御免なさい」
 と言いながら、鉄の机の下に這い込んで、あっちこっちと逃げまわりますと、大勢の大将は八方から手を延ばして捕まえようとします。それをすり抜けすり抜けしているうちに、やっとの思いで隙を見つけて机の下から飛び出して、廊下をドンドン逃げ出しました。
 あとからは、大勢の大将や兵隊が王様を先に立てて追っかけて来ます。
 姫はもう一生懸命でした。
 身体が小さいのを幸いに窓を抜けたり床の下をくぐったりして、やっとの思いで庭に出ましたが、この時はもうお城中の大騒ぎで、声はきこえませんけれども、あっちにもこっちにも兵隊が手に手に短刀を持って姫を探しているのがよく見えます。
 オシャベリ姫は震え上りながら、なるたけ暗い方へ暗い方へと木や家の隙を伝って、やがて一つの森の中に入ると、ドンドン走り出しました。
 やがて、その森の向うの端のお月様のさしているところまで来ますと、そこには一つの高い高い鉄の塔がありまして、その下に小さな入り口がありました。
 姫は喜んで、すぐにその中に這入ろうとしましたが、その時にヒョイと気が付きますと、その入り口一パイに網を張って、一匹の大きな蜘蛛が餌の引っかかるのを待っています。
 姫はあまりの恐ろしさにあとしざりしました。
 けれどもその時に、又姫がうしろをふりむいて見ますと、鉄のお城の方ではあっちにもキラリ、こっちにもキラリと光るものが見えます。それはみんな短刀で、それがだんだんこちらの方へやって来るようです。
 姫は、どうしてもこの鉄の塔の中に逃げこまなければ、ほかにかくれるところが無くなってしまいました。
 姫は泣くには泣かれず、逃げるには逃げられません。前には蜘蛛が待っていますし、うしろからは短刀を持った人が追っかけて来るのです。姫はもう恐ろしくて悲しくて、ブルブルふるえながら立っておりました。
 そうすると、はるかに高い高い塔の上から美しい唱歌の声が聞こえて来ました。
「きれいなきれいなお月様
 くうろい雲にかくれても、
 泣くな、なげくな、悲しむな
 やがて出て来る時がある
 可愛い可愛いお姫様
 大きな蜘蛛にとられても
 泣くな、なげくな、こわがるな
 いつか助かる時がある」
 それをきいたオシャベリ姫はすぐに思い切って、鉄の塔の入り口一パイに張ってある蜘蛛の網を眼がけて飛びこみました。
 ところが、その蜘蛛の網はたいそう丈夫な網で、姫の力では破ることが出来ず、かえって姫の身体にヘバリ付いて逃げられなくなってしまいました。これは大変と藻掻けば藻掻くほど、蜘蛛の糸は身体にヘバリついて、手や足にからまって、しまいには動くことが出来なくなってしまいました。
 これを見た蜘蛛は大きな眼を光らし、大きな口をワクワクと動かしながら姫を眼がけて飛びかかって来ました。
 オシャベリ姫はあんまりの恐ろしさに気絶してしまいましたが、蜘蛛の方は姫を捕まえると、そのまま沢山の糸を出して姫をグルグル巻きにして、鉄の塔の隅っ子の方へ仕舞いまして、自分は又入り口のところへ来てグルグルまわっているうちに、網をもとの通りにすっかり張り直してしまいました。
 そこへ鉄の国の王様が先に立って、沢山の兵隊が手に手に短刀を光らせながらやってきましたが、蜘蛛の網が入口に奇麗に張ってあるのを見ますと、その中に誰も這入ったものがいないと思ったらしく、そのまま行ってしまいました。
 オシャベリ姫はそんなことは知りません。何だか夢のように、自分がだんだん高いところへ昇って行くように思っていましたが、やがて気が付いてみると、自分は一つの小さな鉄の室の中の鉄の床の上に寝かされています。そうして傍に、だれか一人の男の人が心配そうな顔をして自分を見ています。
 空にはいつの間にか真っ黒な雲が出て、風が吹き出していましたが、折から雲の間を出た月の光りでその人を見ますと、その人はまだ若い気高い人で、身体には美しい紫色の着物を着ていましたが、なおよくその顔を見ますと、その人の口は、この国の人間のように絵で書いたものでなく、本当の赤い唇なのでした。
「アレ」
 と叫んで姫は飛びおきました。
「あなたのお口は本当のお口……」
 こう叫びますと、その若い人は白い歯を出してニッコリ笑いました。
「ハイ、私はこの国のあわれな片輪者です」
「まあ……あなたが片輪者ですって」
 と姫は又ビックリして尋ねました。若い人は静かな声でこう答えました。
「そうです。この国は口なしの国と云いまして、この国中の人はみんな口が無いのです。鳥でも獣でも虫までもそうなので、声を出すものは一つもありません。雷と、雨と、霰と、風と、水の音――そんなものしかきこえないのです。それは昔この国中の人があんまりオシャベリだったからです」
「まあ……オシャベリなのにどうして口が無くなったのでしょう」
 と姫はあんまり不思議なお話なのに驚いて、眼をまん丸くして尋ねました。
 若い人はそのわけを話しはじめました。
「それはこういうわけです……昔、この国中の人は何でも見たことやきいたことを、ひとにお話しすることが好きでした。そうしてお話の上手なオシャベリの人ほどみんなから賞められましたので、だれもかれもおもしろいお話をしよう。みんなビックリするようなオシャベリをしよう、しようと思いました。そのためにだんだん嘘をまぜて話すようになりまして、とうとう嘘の上手なものがオシャベリの上手ということになりました。そうしてこの国中の人々は毎日毎日嘘のつきくらばかりして、本当のことは一つも云わないようになってしまったのです」
「まあ……それじゃみんな困ったでしょうね」
「エエ、ほんとにみんな困ってしまいました。誰の云うことも本当にされないからです。その中にこの国とよその国と戦争がはじまりましたが、いくら敵が攻めて来たと云っても誰も本当にしません。戦争の支度もしなかったものですから、この国の人は滅茶滅茶に敗けて、もうすこしで国中がすっかり敵に取られてしまうところでした」
「まあ、大変ですね。それからどうしました」
 と姫は心配そうに尋ねました。
「私の先祖は代々この国の王でしたが、その時の王はこれを見て、国中の人々に『これから口を利く奴は殺してしまうぞ。鳥でも獣でも虫でも、声を出すものは皆、殺してしまえ』と云いつけました」
「まあ恐いこと」
「けれどもそのために国中の人々は一人も嘘をつかなくなったばかりでなく、何の音もきこえぬほど静かになりましたので、敵の攻めて来る音や号令の声が何里も先からきこえるようになりました。その時にこちらの兵隊はみんな鉄の鎧を着て、短刀を持って、王が指さす方へ黙って進んで行きまして、黙って敵に斬りかかって行きましたので、今度はあべこべに敵が滅茶滅茶に負けて逃げて行ってしまいました」
「まあ……よかったこと」
 ときいていた姫はやっと安心をしました。
 若い人はなおもお話をつづけました。
「それから後、この国中の人々は一人も口を利かなくなりました。しまいには只ぽかんと口を開いていても、役人が遠くから見つけて、物を云っていたのと間ちがえて殺したりしますので、国中の人は怖がって、ものを喰べるのにも、口を開かないように牛乳やソップなぞいう汁を鼻から吸うようになりました。そうして何千年か暮しているうちに、この国の人は口が役に立たなくなったので、だんだん小さくなって、とうとう今のようにまったくなくなってしまいました。けれども全くなくなると妙な顔に見えるので、この国の人は鼻の下の、昔口のあったところに赤い唇の絵を書いておくのです」
「それじゃ、あなたはどうして口がおありになるのですか」
 と姫は尋ねました。
 若い人はこう尋ねられると顔を真赤にしましたが、やがて悲しそうにこう答えました。
 王子はその大きな眼に涙を一パイ溜めながら、
「この国中の人間が皆口が無いのに、私一人口があるのについては、それはそれは悲しいお話があります。あなたはあの山梔子という花を御存じですか」
 と不意に王子は尋ねました。
「ええ、よく知っています。あの晩方に大きな花を咲かせる木で、大変にいいにおいがします。花が真白なのとにおいがいいので夜でもよくわかります」
 と答えました。
 王子はうなずきました。
「その山梔子の樹は名前を『口なし』と書くので、昔からこの国の人々が大好きでした。ですから先祖の王様は国中にありたけの道ばたに、どんな小径にも植えさせました。そうすればどんな暗い夜でも、そのにおいと白花を目あてにして道を迷わずに行かれるからです。
 ……さて……私の母の妃は名をクチナシ姫とつけられました位で、まだ小さい時からこの口なしの花が何よりも好きでした。そうしてある月の夜、クチナシの白い花を次から次へ嗅ぎながらいつの間にかお城を出て、西へ西へとだんだん遠くあるいて来ました……。
 ところがお城を離れれば離れるほど山梔子の花が少なくなって、しまいにはどちらを向いてもにおいもしなければ、白い花も無いようになりました……。そうして夜が明けますと、とうとう迷子になって、知らない国へ来てしまいました」
「まあ……ちょうど妾のようですこと……」
 と姫は思わず云いました。
「それからお母様のクチナシ姫はどうなさいましたか」
 王子はやはり悲しそうにして、次のようにお話をつづけました。
「クチナシ姫は、何の気もなしにその国へズンズン這入って行きますと、その国の人がだれもかれも面白そうにお話をしているのにビックリしました。
 クチナシ姫はそのお話をしているようすと、そのことばをおもしろがって、次から次へときいて行くうちに、すっかりおぼえてしまいました。そうして自分も話してみたくなりましたが、口が利けないのでどうも出来ません。
 それから歌に合わせて踊ったり音楽をやったりしているのを見て、もうたまらないほど歌がうたいたくなりましたけれども、やっぱり口を利くことが出来ません。
 そのうちに大勢の子供がクチナシ姫を見つけますと、
『ヤア、口なしの女の子がいる』
 というので大勢押しかけて来て、しまいには、
『片輪だ片輪だ。口なしだ口なしだ』
 と云いながら、石や木の片をなげつけたり、ぶったり、蹴ったりしはじめました。
 クチナシ姫はこの国の人の乱暴なのに驚いて一生懸命逃げましたが、やがてとある山の中に逃げこみますと、子供は一人減り二人減りしてとうとう見えなくなりまして、姫はたった一人大きな池のふちへ来ました。
 その池の水に姫は何気なく顔をうつして見ると、どうでしょう。
 せっかくお母様に書いていただいた可愛らしい口が、いつの間にか消えて無くなっています。
 口なし姫はお池の水にうつった自分の顔を見て泣き出しました。
『ああ、あたしにはどうして口が無いのでしょう。外の国の人間はどうしてあんなに口を授かって、歌ったり舞ったりすることが出来るのであろう。ああ……口が欲しい、口が欲しい』
 とひとりで涙を流しておりますと、そのうちにどこからともなくクチナシの花のにおいがして来ました。
 口なし姫はそのにおいを便りにだんだんやって来ますと、とうとう自分の国へ帰ることが出来ました。そうして大騒ぎをして探していた両親や家来に迎えられて無事にお城へ帰って来ました。
 けれどもそれからのち、口なし姫はクチナシの花を見ると涙を流しました。クチナシのにおいを嗅ぐと、いつも悲しそうにため息をしました。
『ああ。あの花さえ無ければ、私はあんなにほかの国へ行かなくともよかったのに。そうしてこんなに恥かしい、口惜しい思いをせずともよかったのに』
 と思いますと、もうクチナシの花やそのにおいがいやでしようがありませんでした。
『ああ。あの花がなくなったらどんなにかいいだろう』
 と思うようになりました。けれども国中のクチナシはなかなか枯れません。
 そのうちにクチナシ姫は大きくなって、王様のお妃様になりましたが、そのころからこの国中のクチナシの花は一つも咲かなくなってしまいました。これはどうしたことと云っているうちに、お妃様は玉のような一人の王子をお生みになりました。
 それが私なのです」
 と王子は云われました。
 オシャベリ姫は、あんまり不思議なお話なのでオシャベリどころでなく、王子の顔を一心にみつめてお話をきいておりました。王子はお話をつづけました。
「私は不思議にも生まれた時から口がありまして、オギャアオギャアと泣きましたそうで、そのために赤ン坊の泣き声を聞いたことのないこの国の人々は『王様のお城に化け物が生まれた』と大騒ぎを初めました」
「まあ、何と馬鹿でしょうね。当り前のことなのに」
 と姫はやっと口を利きました。
「けれどもこの国では不思議がるのが当り前なのです。それで私の父の王は私の母の妃に、その口を針と糸で縫い塞いでしまえと云いましたが、私の母の妃は生れ付き情深い女ですから、どうしてそんな無慈悲なことが出来ましょう。仕方がありませんから私の口に綿を一パイに詰めて、上から繃帯をしまして、針で縫うた傷がいつまでも治らないように見せました。そうして父の王が狩猟に行きますと、その留守に母の妃は私をつれて、地の下の窖に連れて行って、口の繃帯を解いてやりまして、私の口に手を当ていろいろ物の云い方を教えてくれましたので、私は十歳ばかりの時にはもう立派にお話が出来るようになっていました」
「ほんとにお母様は教えることがお上手なのですね」
「けれどもある日の事、とうとう私のオシャベリのお稽古が父の王に見つけられてしまいました。父の王が狩に行きますと、いつも七日位帰って来ませんのに、或る時あんまり鳥や獣が沢山に獲れまして家来が持ち切れぬようになりましたので、三日目に帰って来ました。ところが母の妃も私もおりませんので、方々を探しますと、窖の中でお話をしている母の妃と私とを見つけました」
「まあ、大変……」
「父の王は大変に母の妃を叱りまして、すぐに私を殺そうとしました」
「まあ、こわいお父様ですこと」
「けれどもその時、私の母の妃は一生懸命で私を庇いまして、やっと私の命を助けてもらいました。その代り私を一生涯この塔の上に上げて、番人の代りに大きな蜘蛛に網を張らせて、入り口を守らせることにしました。そうして毎晩一度宛、たべ物と水とを蜘蛛の網のすき間から入れてもらうのですが、もしちょっとでも口を利いたり歌を唄ったりすると、その晩は食べ物が貰えないのです」
「まあ、お可哀相な」
「それで私も我慢して、それからちっとも口を利かずにいましたが、ちょうど日の暮れ方のことでした。お月様が東の山からあがると間もなく、この塔の上から見まわしますと、向うの崖の途中に蔦葛につかまって一人のお嬢さんが降りて来ます」
「まあ……それじゃ、あの時私を助けて下すったのはあなたでしたか」
「いいえ、私ではありませんが、ただ何というあぶないことだろうと思いました。ちょうどその時、私は御飯を貰いに降りて行く時間でしたから、塔の入り口に降りて来まして、御飯を持って来た兵隊に母の妃を呼んでくれるように頼みました。そうして母の妃にソッと、あなたを助けてくれるように願いましたのです。それからあなたがこの城へお着きになると間もなく、あんな恐ろしい目に合ってこの塔の入り口までお出でになって……」
「まあ……それじゃ、私があの蜘蛛に喰べられないようにして下すったのもあなたですね」
「ええ。あの蜘蛛は馬鹿ですから、あなたを糸でグルグル巻きにして塔の中へ隠したのです。それを私がここまで荷いで来て解いて上げたのです……サアこれで私のお話はおしまいです。今度はあなたがお話しをなさる番です」
「え……私がお話をする番ですって?……」
「そうです。いったいあなたはどうしてこの国へお出でになったのですか? あなたはいったいどこの国のおかたですか?」
 姫はこう尋ねられますと、急に恥かしくなって顔を真赤にしましたけれども、自分の生命を助けられた人に隠してはいけないと思いましたから、初めから何もかもすっかりお話をしました。
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……自分がオシャベリ姫と云われたわけ……
……短刀と蜘蛛の夢を見たこと……
……それを二人のお付の女中に話したら「それは今によいことがある夢だ」と云ったこと……
……それをお父様の王様とお母様のお妃にお話しをしたけれども、二人の女中が後でそんなお話はきかぬと嘘をついたこと……
……そのためにお父様の王様がお憤りになって、姫は石の牢屋に入れられたこと……
……それから猫の案内で雲雀の国から蛙の国をまわって、どこでもオシャベリのために非道い目に合って、やっとこの国まで逃げて来たこと……
……それから王様とお妃様に会った話……御馳走をたべているうちにオシャベリをして殺されようとした話……それから逃げまわってこの鉄の塔のところまで来た話……
[#ここで字下げ終わり]
 と、次から次へすっかりお話し申して聞かせました。
 聴いていた王子はビックリしたり、感心したり、笑ったりして夢中になって喜んでききました。そうしておしまいに、
「ああ……ああ、何という面白いお話でしょう。私は生れて初めて本当に面白いお話をききました。そうして生れて初めて本当にこんなに思うさま人間同士に声を出してお話をしました。けれども、あなたのお話の中にたった一つわからないことがあります」
「まあ、それは何ですか」
「それはその二人の女中さんです。あなたの国の人はお話はするでしょうけれども、嘘は云わないでしょう」
「ええ、嘘を云うものは一人もおりません」
「それに何だってあなたのお付の女中は嘘を云ったのでしょう。あなたから短刀と蜘蛛のお話をきいていながら、なぜそれをきかないなぞ云って、あなたのお父様を怒らして、あなたを石の牢屋へ入れさせたのでしょう」
「そうですわねえ。私は今でもそれを不思議と思っているのですよ。私の二人の女中は、今までそれはそれは忠義ないい女中で、そんな意地のわるいことをしたことは一度もありませんでしたのに……」
「不思議ですね」
「どうしたのでしょうね」
 と二人は顔を見合わせました。
 そのときにはるか下の方でバタンバタンという音につれて、
「ウーン、ウーン」
 という声がきこえました。
 二人はビックリしましたが、すぐに上り口からはるか下の方をのぞいて見ますと、長い長い梯子段の下のところで、例の大きな蜘蛛と、白い衣服を着た女の人とが一生懸命で闘っていますが、その女の人は見る見る蜘蛛から糸で巻きつけられてしまっているのが、窓からさし込んだ月の光りでよく見えます。
「おッ。あれは私の母の妃です。おのれ蜘蛛の奴」
 と云ううちに、王子は矢のように梯子段を駈け降りて行きました。
 オシャベリ姫はどうなることかと見ておりますと、梯子段を降りた王子は懐中から短刀を抜き出すや否や、たった一撃ちに蜘蛛の眼と眼の間へ突込んで殺してしまいますと、つづいて同じ短刀でお妃に巻きついた糸をズタズタに切り破ってお妃を助け出しました。
 オシャベリ姫はほっと安心しながら、なおもようすを見ていますと、お妃は嬉しさのあまり王子を犇と抱き締められましたが、やがてその手をゆるめて、手真似でどこかへ逃げるように王子に教えておられるようです。
 王子は地びたへ両手をついてお礼を云いました。
 そのうちに、お妃は涙を流しながら王子と別れて、表の方へ出て行かれました。
 それを見ていたオシャベリ姫は、急いで梯子段を降りて、王子の傍に行こうとしましたが、その時は何だかお城の中が急に騒々しくなったようで、風の音のきれ目きれ目に沢山の人の足音がするようですから、姫は外をのぞいて見ますと、大変です。
 沢山の兵隊が手に手に短刀を持って、この塔の方へ押しかけて来るようです。
 これを見た姫は思わず上から叫びました。
「王子様、大変ですよ。大勢の兵隊が攻めて来ますよ」
 王子はこれをきくと、すぐに表に走り出て見ましたが、忽ち塔の中に駈けもどって、右に左に折れまがった梯子段を、一つのぼっては引き外して投げおろし、二つのぼってはつき落して、塔の上まで昇ってくるうちに、階段が一つも無いように下の方へ落してしまいました。
 そこへ大勢の兵隊が攻めかけて来ましたが、梯子段が落ちているので登ることが出来ません。しかたなしに八方から鉄の塔を取り巻いて、ヒューヒューと矢を射かけましたが、あまり塔が高いのでみんな途中まで来て落ちてしまいました。
 王子はそれを見ながら、あまりの恐ろしさにワナワナふるえている姫にこう云いました。
「この兵隊どもはみんな、この国の風下の町々から来た兵隊です。さっきから私たちがお話した声が風下の町や村へすっかりきこえたそうで、この塔の上に魔物がいるというので、父の王に早く退治るように云って来たのです。父の王も母の妃も、そのお話をしたものがあなたと私で、魔物でも何でもないことはよく知っていたのですが、昔からこの国ではオシャベリをしたものは殺すことになっているのですから、殺さないわけに行きません。すぐにお城の中でも兵隊を繰出すように云いつけましたので、母の妃は心配して、早く逃げるように知らせに来たのです。けれども悲しいことに口を利くことが出来ないので、しかたなしに中に這入ろうとしたために蜘蛛の巣に引っかかってあんな目に合ったのです」
「まあ、ほんとに御親切なお母様ですこと」
 とオシャベリ姫は涙を流しました。
「けれどももう遅う御座いました。この塔はもう八方から兵隊に取巻かれて逃げることは出来ません。只逃げる道が一つあるきりです」
「えっ、まだ逃げる道があるのですか」
「ありますとも。あなたはさっき崖から飛び降りる時に持っておられた落下傘を持っておいででしょう」
「あっ。持っています、持っています」
「それを持って飛げるのです」
 と云いながら、王子は鉄の塔の絶頂の窓のところからお城の方を向いてこう叫びました。
「お父様、お母様、私がわるう御座いました。よけいなことをオシャベリして大層御心配をかけました。私はこれから姫と一所によその国へ行きます。けれどもこれから決してオシャベリはしません。本当に見たりきいたりしたことでも、よけいなことはお話しをしないようにいたしますから、どうぞ御安心下さいますように。さようなら、御機嫌よう」
 こう云ううちに王子は、塔の床の上に手を突いて、涙を流しながらお暇乞いをしました。
 オシャベリ姫もだまって涙をこぼしながら、手を突いてお暇乞いをしました。
 そうして二人は落下傘の紐をしっかりと掴んで、塔の上から下を目がけて飛び降りました。
 二人の身体はやがて落下傘のおかげでフンワリと空中に浮かみました。それと一所に烈しく吹く風につれて、大空高く高く高く舞い上りましたが、その中に雨がバラバラと降り出しました。
 そうすると又大変です。落下傘は紙で作ってあった物とみえまして、見る見るうちにバラバラに破れてしまいましたからたまりません。
 二人は抱き合ったまま流星のように早く、下界の方へ落ちて行きました。
「アレッ。助けて」
 と姫は思わず大きな声で叫びましたが、その自分の声に驚いて眼をさましますと、どうでしょう。今までのはスッカリ夢で、姫はやっぱり自分のお城の石の牢屋の中に寝ているのでした。
 姫はどちらが夢だかわからなくなってしまいました。
 あんまりの不思議さに、立ち上って石の牢屋の四方を撫でまわしてみましたが、四方はつめたい石で穴も何もありません。上の方へ手をやってみますと、天井もすぐ手のとどくところにありましたが、そこにも抜け出られるようなところが一つもありません。
 あんまりの奇妙さに、姫はボンヤリして、石の床の上に坐わっていました。
 すると間もなく向うにあかりがさして、お父様の王様と二人の兵隊が見えまして、牢屋の入り口を外から開かれました。
 お父様は思いがけなくニコニコしながら、こう云われました。
「これ、オシャベリ姫。お前の夢は本当になったぞ。今までお前があんまりオシャベリなために誰も婿に来る人が無かったのに、きょう不意に隣の国の第三番目のムクチ王子様が、お前の婿になりたいと云ってお出でになった。今からお引き合わせをするのじゃから早く来い」
 と云ううちに、姫を牢屋から引き出して、お城へ帰られるとすぐに、二人のお付の女中に姫を立派にお化粧させるように申しつけられました。
 二人の女中は姫の無事な姿を見ると、嬉し涙をこぼしながらお化粧のお手伝いをしました。そうして両方から姫の手を引きながら御両親の王様とお妃様の前に連れて行きました。
 姫は狐に抓まれたようになって手を引かれて来ましたが、父の王と母の妃の前にいるムクチ王子の姿を見ると思わず、
「アレッ。あなたはあの王子様」
 と叫びました。ムクチ王子の姿はもう些し前夢に見た、あのクチナシ国の王子にすこしも違わなかったのです。
 ムクチ王子も姫を見るとニッコリと笑われました。そうしてこう云われました。
「ビックリなすったでしょう。私も本当は不思議に思っているのです。私は昨夜不思議な夢を見ました。その夢の中で私はクチナシ国王の一人子と生れましたが、生れた時から口があるためにいろいろ両親に心配をかけましたあげく、オシャベリ姫と一所に鉄の塔から逃げ出しました。その時に姫からきいた話によりますと、姫は蜘蛛と短刀の夢を見たとお父様とお母様に云ったのを、お付の女中が嘘だと云ったために、石の牢屋に入れられたということでした。それから眼がさめて考えてみますと、オシャベリ姫というお名前はあなたの外にありませんから、心配になりまして、すぐに馬に乗ってこのお城へ駈けつけてみますと、私の夢は本当で、あなたは石の牢屋に入れられておいでになることをあなたの御両親からききました。それであなたの夢が嘘でないことを申し上げてお許しを願ったのです」
 このお話をきいていた姫は、夢が本当なのか本当が夢なのかわからなくなってしまいました。その時にお父様の王様はこう云われました。
「姫よ。おまえがあんまりオシャベリをするから本当の話でも嘘と思われるのだ。これからお前はオトナシ姫と名を更えろ。そうして決していらぬことをオシャベリするな」
 こう云われますと、姫は真赤になって恥かしがりながら、
「私がわるう御座いました。これからは決しておしゃべりいたしません」
 とお詫びをしました。
 王はそれから二人の女中にこう云われました。
「お前たちは姫から短刀と蜘蛛の話をきいたのだろう」
 二人の女中は顔を見あわせて真赤になりましたが、やがてこうお答えしました。
「ハイ。たしかにそのお話をききました」
「それに何だってきかないなぞと嘘をついたのだ」
 こう尋ねられますと、二人の女中はなおなお恥かしそうにしながらこう答えました。
「ハイ。蜘蛛と短刀の夢を見ると、きっといいお婿様がお出でになる。けれどもそのことが相手のお婿様のお耳に入るとダメになる、と昔から申し伝えてあります。それで私共は、お姫様によいお婿さまがお出でになるように、わざと嘘だと申しましたのです」
 王様もお妃様もムクチ王子もオシャベリ姫のオトナシ姫も、二人の女中の忠義心に感心をしておしまいになりました。
 ムクチ王子がオシャベリ姫のオトナシ姫のお婿さんとなって華々しい御婚礼があったのは、それから間もないことでした。
 そのときに二人の女中は王様から沢山の御褒美をいただきました。
 そうして死ぬまで忠義にムクチ王子とオトナシ姫に仕えました。



底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年5月22日第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年5月17日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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