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歌行燈
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)宮重《みやしげ》大根

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)酒|汲《く》みかわして、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)[#「目へん+爭」、第3水準1-88-85、384-12]
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       一

 宮重《みやしげ》大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪《なみ》ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦《よろこ》びのあまり……
 と口誦《くちずさ》むように独言《ひとりごと》の、膝栗毛《ひざくりげ》五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空《なかぞら》は冴切《さえき》って、星が水垢離《みずごり》取りそうな月明《つきあかり》に、踏切の桟橋を渡る影高く、灯《ともしび》ちらちらと目の下に、遠近《おちこち》の樹立《こだち》の骨ばかりなのを視《なが》めながら、桑名の停車場《ステエション》へ下りた旅客がある。
 月の影には相応《ふさわ》しい、真黒《まっくろ》な外套《がいとう》の、痩《や》せた身体《からだ》にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて可《い》いが、馴《な》れない天窓《あたま》に山を立てて、鍔《つば》をしっくりと耳へ被《かぶ》さるばかり深く嵌《は》めた、あまつさえ、風に取られまいための留紐《とめひも》を、ぶらりと皺《しな》びた頬へ下げた工合《ぐあい》が、時世《ときよ》なれば、道中、笠も載《の》せられず、と断念《あきら》めた風に見える。年配六十二三の、気ばかり若い弥次郎兵衛《やじろべえ》。
 さまで重荷ではないそうで、唐草模様の天鵝絨《びろうど》の革鞄《かばん》に信玄袋を引搦《ひきから》めて、こいつを片手。片手に蝙蝠傘《こうもりがさ》を支《つ》きながら、
「さて……悦びのあまり名物の焼蛤《やきはまぐり》に酒|汲《く》みかわして、……と本文《ほんもん》にある処《ところ》さ、旅籠屋《はたごや》へ着《ちゃく》の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、喜多八《きだはち》。)と行きたいが、其許《そのもと》は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴《つれ》の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうになったとあるです。ところで其許は、道中松並木で出来た道づれの格だ。その道づれと、何《な》んと一口|遣《や》ろうではないか、ええ、捻平《ねじべい》さん。」
「また、言うわ。」
 と苦い顔を渋くした、同伴《つれ》の老人は、まだ、その上を四つ五つで、やがて七十《ななそじ》なるべし。臘虎《らっこ》皮の鍔《つば》なし古帽子を、白い眉尖《まゆさき》深々と被《かぶ》って、鼠の羅紗《らしゃ》の道行《みちゆき》着た、股引《ももひき》を太く白足袋の雪駄穿《せったばき》。色|褪《あ》せた鬱金《うこん》の風呂敷、真中《まんなか》を紐で結《ゆわ》えた包を、西行背負《さいぎょうじょい》に胸で結んで、これも信玄袋を手に一つ。片手に杖《つえ》は支《つ》いたけれども、足腰はしゃんとした、人柄の可《い》いお爺様《じいさま》。
「その捻平は止《よ》しにさっしゃい、人聞きが悪うてならん。道づれは可《よ》けれども、道中松並木で出来たと言うで、何とやら、その、私《わし》が護摩《ごま》の灰ででもあるように聞えるじゃ。」と杖を一つとんと支くと、後《あと》の雁《がん》が前《さき》になって、改札口を早々《さっさ》と出る。
 わざと一足|後《うしろ》へ開いて、隠居が意見に急ぐような、連《つれ》の後姿をじろりと見ながら、
「それ、そこがそれ捻平さね。松並木で出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」
 人も無げに笑う手から、引手繰《ひったく》るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと生真面目《きまじめ》。
 成程、この小父者《おじご》が改札口を出た殿《しんがり》で、何をふらふら道草したか、汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を、夢のように月下に吐いて、真蒼《まっさお》な野路を光って通る。……
「やがてここを立出《たちい》で辿《たど》り行《ゆ》くほどに、旅人の唄うを聞けば、」
 と小父者、出た処で、けろりとしてまた口誦《くちずさ》んで、
「捻平さん、可《い》い文句だ、これさ。……
[#ここから3字下げ]
時雨蛤《しぐれはまぐり》みやげにさんせ
   宮《みや》のおかめが、……ヤレコリャ、よオしよし。」
[#ここで字下げ終わり]
「旦那《だんな》、お供はどうで、」
 と停車場《ステエション》前の夜の隈《くま》に、四五台|朦朧《もうろう》と寂しく並んだ車の中から、車夫が一人、腕組みをして、のっそり出る。
 これを聞くと弥次郎兵衛、口を捻《ね》じて片頬笑《かたほえ》み、
「有難《ありがて》え、図星という処へ出て来たぜ。が、同じ事を、これ、(旦那衆戻り馬乗らんせんか、)となぜ言わぬ。」
「へい、」と言ったが、車夫は変哲もない顔色《がんしょく》で、そのまま棒立。

       二

 小父者《おじご》は外套の袖をふらふらと、酔ったような風附《ふうつき》で、
「遣《や》れよ、さあ、(戻馬乗らんせんか、)と、後生《ごしょう》だから一つ気取ってくれ。」
「へい、(戻馬乗らせんか、)と言うでございますかね、戻馬乗らんせんか。」
 と早口で車夫は実体《じってい》。
「はははは、法性寺入道前《ほうしょうじのにゅうどうさき》の関白《かんぱく》太政大臣《だじょうだいじん》と言ったら腹を立ちやった、法性寺入道前の関白太政大臣様と来ている。」とまたアハハと笑う。
「さあ、もし召して下さい。」
 と話は極《きま》った筈《はず》にして、委細構わず、車夫は取着《とッつ》いて梶棒《かじぼう》を差向ける。
 小父者、目を据えてわざと見て、
「ヤレコリャ車なんぞ、よオしよし。」
「いや、よしではない。」
 とそこに一人つくねんと、添竹《そえだけ》に、その枯菊《かれぎく》の縋《すが》った、霜の翁《おきな》は、旅のあわれを、月空に知った姿で、
「早く車を雇わっしゃれ。手荷物はあり、勝手知れぬ町の中を、何を当《あて》にぶらつこうで。」と口叱言《くちこごと》で半ば呟《つぶや》く。
「いや、まず一つ、(よヲしよし、)と切出さんと、本文に合わぬてさ。処へ喜多八が口を出して、(しょうろく四銭《しもん》で乗るべいか。)馬士《うまかた》が、(そんなら、ようせよせ。)と言いやす、馬がヒインヒインと嘶《いば》う。」
「若いもの、その人に構うまい。車を早く。川口の湊屋《みなとや》と言う旅籠屋《はたごや》へ行《ゆ》くのじゃ。」
「ええ、二台でござりますね。」
「何んでも構わぬ、私《わし》は急ぐに……」と後向《うしろむ》きに掴《つか》まって、乗った雪駄を爪立《つまだ》てながら、蹴込《けこ》みへ入れた革鞄を跨《また》ぎ、首に掛けた風呂敷包みを外ずしもしないで揺《ゆす》っておく。
「一蓮託生《いちれんたくしょう》、死なば諸共、捻平待ちやれ。」と、くすくす笑って、小父者も車にしゃんと乗る。……
「湊屋だえ、」
「おいよ。」
 で、二台、月に提灯《かんばん》の灯《あかり》黄色に、広場《ひろっぱ》の端へ駈込《かけこ》むと……石高路《いしたかみち》をがたがたしながら、板塀の小路、土塀の辻、径路《ちかみち》を縫うと見えて、寂しい処幾曲り。やがて二階屋が建続き、町幅が糸のよう、月の光を廂《ひさし》で覆《おお》うて、両側の暗い軒に、掛行燈《かけあんどん》が疎《まばら》に白く、枯柳に星が乱れて、壁の蒼《あお》いのが処々。長い通りの突当りには、火の見の階子《はしご》が、遠山《とおやま》の霧を破って、半鐘《はんしょう》の形|活《い》けるがごとし。……火の用心さっさりやしょう、金棒《かなぼう》の音に夜更けの景色。霜枯時の事ながら、月は格子にあるものを、桑名の妓《こ》達は宵寝と見える、寂しい新地《くるわ》へ差掛《さしかか》った。
 輻《やぼね》の下に流るる道は、細き水銀の川のごとく、柱の黒い家の状《さま》、あたかも獺《かわうそ》が祭礼《まつり》をして、白張《しらはり》の地口行燈《じぐちあんどん》を掛連ねた、鉄橋を渡るようである。
 爺様の乗った前の車が、はたと留《とま》った。
 あれ聞け……寂寞《ひっそり》とした一条廓《ひとすじくるわ》の、棟瓦《むねがわら》にも響き転げる、轍《わだち》の音も留まるばかり、灘《なだ》の浪を川に寄せて、千里の果《はて》も同じ水に、筑前の沖の月影を、白銀《しろがね》の糸で手繰ったように、星に晃《きら》めく唄の声。
[#ここから4字下げ]
博多帯《はかたおび》しめ、筑前絞《ちくぜんしぼり》、
 田舎の人とは思われぬ、
歩行《ある》く姿が、柳町、
[#ここで字下げ終わり]
 と博多節を流している。……つい目の前《さき》の軒陰に。……白地の手拭《てぬぐい》、頬被《ほおかむり》、すらりと痩《やせ》ぎすな男の姿の、軒のその、うどんと紅《べに》で書いた看板の前に、横顔ながら俯向《うつむ》いて、ただ影法師のように彳《たたず》むのがあった。
 捻平はフト車の上から、頸《うなじ》の風呂敷包のまま振向いて、何か背後《うしろ》へ声を掛けた。……と同時に弥次郎兵衛の車も、ちょうどその唄う声を、町の中で引挟《ひっぱさ》んで、がっきと留まった。が、話の意味は通ぜずに、そのまま捻平のがまた曳出《ひきだ》す……後《あと》の車も続いて駈《か》け出す。と二台がちょっと摺《す》れ摺れになって、すぐ旧《もと》の通り前後《あとさき》に、流るるような月夜の車。

       三

[#ここから4字下げ]
お月様がちょいと出て松の影、
 アラ、ドッコイショ、
[#ここで字下げ終わり]
 と沖の浪の月の中へ、颯《さっ》と、撥《ばち》を投げたように、霜を切って、唄い棄《す》てた。……饂飩屋《うどんや》の門《かど》に博多節を弾いたのは、転進《てんじん》をやや縦に、三味線《さみせん》の手を緩めると、撥を逆手《さかて》に、その柄で弾《はじ》くようにして、仄《ほん》のりと、薄赤い、其屋《そこ》の板障子をすらりと開けた。
「ご免なさいよ。」
 頬被《ほおかむ》りの中の清《すず》しい目が、釜《かま》から吹出す湯気の裏《うち》へすっきりと、出たのを一目、驚いた顔をしたのは、帳場の端に土間を跨《また》いで、腰掛けながら、うっかり聞惚《ききと》れていた亭主で、紺の筒袖にめくら縞《じま》の前垂《まえだれ》がけ、草色の股引《ももひき》で、尻からげの形《なり》、にょいと立って、
「出ないぜえ。」
 は、ずるいな。……案ずるに我が家の門附《かどづけ》を聞徳《ききどく》に、いざ、その段になった処で、件《くだん》の(出ないぜ。)を極《き》めてこまそ心積りを、唐突《だしぬけ》に頬被を突込《つッこ》まれて、大分|狼狽《うろた》えたものらしい。もっとも居合わした客はなかった。
 門附は、澄まして、背後《うしろ》じめに戸を閉《た》てながら、三味線を斜《はす》にずっと入って、
「あい、親方は出ずとも可《い》いのさ。私の方で入るのだから。……ねえ、女房《おかみ》さん、そんなものじゃありませんかね。」
 とちと笑声が交って聞えた。
 女房は、これも現下《いま》の博多節に、うっかり気を取られて、釜前の湯気に朦《もう》として立っていた。……浅葱《あさぎ》の襷《たすき》、白い腕を、部厚な釜の蓋《ふた》にちょっと載《の》せたが、丸髷《まるまげ》をがっくりさした、色の白い、歯を染めた中年増《ちゅうどしま》。この途端に颯《さっ》と瞼《まぶた》を赤うしたが、竈《へッつい》の前を横ッちょに、かたかたと下駄の音で、亭主の膝を斜交《はすっか》いに、帳場の銭箱《ぜにばこ》へがっちりと手を入れる。
「ああ、御心配には及びません。」
 と門附は物優しく、
「串戯《じょうだん》だ、強請《ゆする》んじゃありません。こっちが客だよ、客なんですよ。」
 細長い土間の一方は、薄汚れた縦に六畳ばかりの市松畳、そこへ上れば坐れるのを、釜に近い、床几《しょうぎい》の上に、ト足を伸ばして、
「どうもね、寒くって堪《たま》らないから、一杯|御馳走《ごちそう》になろうと思って。ええ、親方、決してその御迷惑を掛けるもんじゃありません。」
 で、優柔《おとな》しく頬被りを取った顔を、と見ると迷惑どころかい、目鼻立ちのきりりとした、細面《ほそおもて》の、瞼《まぶた》に窶《やつれ》は見えるけれども、目の清らかな、眉の濃い、二十八九の人品《ひとがら》な兄哥《あにい》である。
「へへへへ、いや、どうもな、」
 と亭主は前へ出て、揉手《もみで》をしながら、
「しかし、このお天気続きで、まず結構でござりやすよ。」と何もない、煤《すす》けた天井を仰ぎ仰ぎ、帳場の上の神棚へ目を外《そ》らす。
「お師匠さん、」
 女房前垂をちょっと撫《な》でて、
「お銚子《ちょうし》でございますかい。」と莞爾《にっこり》する。
 門附は手拭の上へ撥《ばち》を置いて、腰へ三味線を小取廻《ことりまわ》し、内端《うちわ》に片膝を上げながら、床几の上に素足の胡坐《あぐら》。
 ト裾《すそ》を一つ掻込《かいこ》んで、
「早速一合、酒は良いのを。」
「ええ、もう飛切りのをおつけ申しますよ。」と女房は土間を横歩行《よこある》き。左側の畳に据えた火鉢の中を、邪険に火箸《ひばし》で掻《か》い掘《ほじ》って、赫《かっ》と赤くなった処を、床几の門附へずいと寄せ、
「さあ、まあ、お当りなさりまし。」
「難有《ありがて》え、」
 と鉄拐《てっか》に褄《つま》へ引挟《ひッぱさ》んで、ほうと呼吸《いき》を一つ長く吐《つ》いた。
「世の中にゃ、こんな炭火があると思うと、里心が付いてなお寒い。堪《たま》らねえ。女房《おかみ》さん、銚子をどうかね、ヤケという熱燗《あつかん》にしておくんなさい。ちっと飲んで、うんと酔おうという、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、ええ、親方。」
「へへへ、お方《かた》、それ極熱《ごくあつ》じゃ。」
 女房は染めた前歯を美しく、
「あいあい。」

       四

「時に何かね、今|此家《ここ》の前を車が二台、旅の人を乗せて駈抜《かけぬ》けたっけ、この町を、……」
 と干した猪口《ちょく》で門《かど》を指して、
「二三町行った処で、左側の、屋根の大きそうな家へ着けたのが、蒼《あお》く月明りに見えたがね、……あすこは何かい、旅籠屋《はたごや》ですか。」
「湊屋《みなとや》でございまさ、なあ、」と女房が、釜の前から亭主を見向く。
「湊屋、湊屋、湊屋。この土地じゃ、まああすこ一軒でござりますよ。古い家じゃが名代《なだい》で。前《せん》には大きな女郎屋じゃったのが、旅籠屋になったがな、部屋々々も昔風そのままな家《うち》じゃに、奥座敷の欄干《てすり》の外が、海と一所の、大《いか》い揖斐《いび》の川口《かわぐち》じゃ。白帆の船も通りますわ。鱸《すずき》は刎《は》ねる、鯔《ぼら》は飛ぶ。とんと類のない趣《おもむき》のある家じゃ。ところが、時々崖裏の石垣から、獺《かわうそ》が這込《はいこ》んで、板廊下や厠《かわや》に点《つ》いた燈《あかり》を消して、悪戯《いたずら》をするげに言います。が、別に可恐《おそろし》い化方はしませぬで。こんな月の良い晩には、庭で鉢叩《はちたた》きをして見せる。……時雨《しぐ》れた夜さりは、天保銭《てんぽうせん》一つ使賃で、豆腐を買いに行《ゆ》くと言う。それも旅の衆の愛嬌《あいきょう》じゃ言うて、豪《えら》い評判の好《い》い旅籠屋ですがな、……お前様、この土地はまだ何も知りなさらんかい。」
「あい、昨夜《ゆうべ》初めてこっちへ流込んで来たばかりさ。一向方角も何も分らない。月夜も闇《やみ》の烏さね。」
 と俯向《うつむ》いて、一口。
「どれ延びない内、底を一つ温めよう、遣《や》ったり! ほっ、」
 と言って、目を擦《こす》って面《おもて》を背けた。
「利く、利く。……恐しい利く唐辛子だ。こう、親方の前だがね、ついこないだもこの手を食ったよ、料簡《りょうけん》が悪いのさ。何、上方筋の唐辛子だ、鬼灯《ほおづき》の皮が精々だろう。利くものか、と高を括《くく》って、お銭《あし》は要らない薬味なり、どしこと丼へぶちまけて、松坂で飛上った。……また遣ったさ、色気は無えね、涙と涎《よだれ》が一時《いっとき》だ。」と手の甲で引擦《ひっこす》る。
 女房が銚子のかわり目を、ト掌《てのひら》で燗《かん》を当った。
「お師匠さん、あんたは東の方《かた》ですなあ。」
「そうさ、生《うまれ》は東だが、身上《しんしょう》は北山さね。」と言う時、徳利の底を振って、垂々《たらたら》と猪口《ちょく》へしたむ。
「で、お前様、湊屋へ泊んなさろうと言うのかな。」
 それだ、と門口で断らりょう、と亭主はその段含ませたそうな気の可《い》い顔色《かおつき》。
「御串戯《ごじょうだん》もんですぜ、泊りは木賃《きちん》と極《きま》っていまさ。茣蓙《ござ》と笠《かさ》と草鞋《わらじ》が留守居。壁の破れた処から、鼠が首を長くして、私の帰るのを待っている。四五日はこの桑名へ御厄介になろうと思う。……上旅籠《じょうはたご》の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房《おかみ》さん。」
「こんなでよくば、泊めますわ。」
 と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、
「滅相な。」と帳場を背負《しょ》って、立塞《たちふさ》がる体《てい》に腰を掛けた。いや、この時まで、紺の鯉口《こいぐち》に手首を縮《すく》めて、案山子《かかし》のごとく立ったりける。
「はははは、お言葉には及びません、饂飩屋さんで泊めるものは、醤油《おしたじ》の雨宿りか、鰹節《かつおぶし》の行者だろう。」
 と呵々《からから》と一人で笑った。
「お師匠さん、一つお酌さしておくんなさいまし。」と女房は市松の畳の端から、薄く腰を掛込んで、土間を切って、差向いに銚子を取った。
「飛んでもない事、お忙しいに。」
「いえな、内じゃ芸妓屋《げいこや》さんへ出前ばかりが主《おも》ですから、ごらんの通りゆっくりじゃえな。ほんにお師匠さん佳《い》いお声ですな。なあ、良人《あんた》。」と、横顔で亭主を流眄《ながしめ》。
「さよじゃ。」
 とばかりで、煙草《たばこ》を、ぱっぱっ。
「なあ、今お聞かせやした、あの博多節を聞いたればな、……私ゃ、ほんに、身に染みて、ぶるぶると震えました。」

       五

「そう讃《ほ》められちゃお座が醒《さ》める、酔も醒めそうで遣瀬《やるせ》がない。たかが大道芸人さ。」
 と兄哥《あにい》は照れた風で腕組みした。
「私がお世辞を言うものですかな、真実《まったく》ですえ。あの、その、なあ、悚然《ぞっ》とするような、恍惚《うっとり》するような、緊《し》めたような、投げたような、緩めたような、まあ、何《な》んと言うて可《よ》かろうやら。海の中に柳があったら、お月様の影の中へ、身を投げて死にたいような、……何んとも言いようのない心持になったのですえ。」
 と、脊筋を曲《くね》って、肩を入れる。
「お方《かた》、お方。」
 と急込《せきこ》んで、訳もない事に不機嫌な御亭《ごてい》が呼ばわる。
「何じゃいし。」と振向くと、……亭主いつの間にか、神棚の下《もと》に、斜《しゃ》と構えて、帳面を引繰《ひっく》って、苦く睨《にら》み、
「升屋《ますや》が懸《かけ》はまだ寄越さんかい。」
 と算盤《そろばん》を、ぱちりぱちり。
「今時どうしたえ、三十日《みそか》でもありもせんに。……お師匠さん。」
「師匠じゃないわ、升屋が懸じゃい。」
「そないに急に気になるなら、良人《あんた》、ちゃと行って取って来《き》い。」
 と下唇の刎調子《はねぢょうし》。亭主ぎゃふんと参った体《てい》で、
「二進が一進、二進が一進、二一《にいち》天作の五《ご》、五一三六七八九《ぐいちさぶろくななやあここの》。」と、饂飩の帳の伸縮《のびちぢ》みは、加減《さしひき》だけで済むものを、醤油《したじ》に水を割算段。
 と釜の湯気の白けた処へ、星の凍《い》てそうな按摩《あんま》の笛。月天心《つきてんしん》の冬の町に、あたかもこれ凩《こがらし》を吹込む声す。
 門附の兄哥《あにい》は、ふと痩《や》せた肩を抱いて、
「ああ、霜に響く。」……と言った声が、物語を読むように、朗《ほがらか》に冴《さ》えて、且つ、鋭く聞えた。
「按摩が通る……女房《おかみ》さん、」
「ええ、笛を吹いてですな。」
「畜生、怪《け》しからず身に染みる、堪《たま》らなく寒いものだ。」
 と割膝に跪坐《かしこま》って、飲みさしの茶の冷えたのを、茶碗に傾け、ざぶりと土間へ、
「一ツこいつへ注《つ》いでおくんな、その方がお前さんも手数が要らない。」
「何んの、私はちっとも構うことないのですえ。」
「いや、御深切は難有《ありがた》いが、薬罐《やかん》の底へ消炭《けしずみ》で、湧《わ》くあとから醒《さ》める処へ、氷で咽喉《のど》を抉《えぐ》られそうな、あのピイピイを聞かされちゃ、身体《からだ》にひびっ裂《たけ》がはいりそうだ。……持って来な。」
 と手を振るばかりに、一息にぐっと呷《あお》った。
「あれ、お見事。」
 と目を※[#「目へん+爭」、第3水準1-88-85、384-12]《みは》って、
「まあな、だけれどな、無理酒おしいなえ。沢山《たんと》、あの、心配する方があるのですやろ。」
「お方、八百屋の勘定は。」
 と亭主|瞬《まばた》きして頤《あご》を出す。女房は面白半分、見返りもしないで、
「取りに来たらお払いやすな。」
「ええ……と三百は三銭かい。」
 で、算盤を空に弾《はじ》く。
「女房《おかみ》さん。」
 と呼んだ門附の声が沈んだ。
「何んです。」
「立続けにもう一つ。そして後《あと》を直ぐ、合点《がってん》かね。」
「あい。合点でございますが、あんた、豪《えら》い大酒《たいしゅ》ですな。」
「せめて酒でも参らずば。」
 と陽気な声を出しかけたが、つと仰向《あおむ》いて眦《まなじり》を上げた。
「あれ、また来たぜ、按摩の笛が、北の方の辻から聞える。……ヤ、そんなにまだ夜は更けまいのに、屋根|越《ごし》の町一つ、こう……田圃《たんぼ》の畔《あぜ》かとも思う処でも吹いていら。」
 と身忙《みぜわ》しそうに片膝立てて、当所《あてど》なく※[#「目へん+爭」、第3水準1-88-85、385-10]《みまわ》しながら、
「音《おと》は同じだが音《ね》が違う……女房《おかみ》さん、どれが、どんな顔《つら》の按摩だね。」
 と聞く。……その時、白眼《しろまなこ》の座頭の首が、月に蒼《あお》ざめて覗《のぞ》きそうに、屋の棟を高く見た……目が鋭い。
「あれ、あんた、鹿の雌雄《めすおす》ではあるまいし、笛の音で按摩の容子《ようす》は分りませぬもの。」
「まったくだ。」
 と寂しく笑った、なみなみ注《つ》いだる茶碗の酒を、屹《きっ》と見ながら、
「杯の月を酌《く》もうよ、座頭殿。」と差俯《さしうつむ》いて独言《ひとりごと》した。……が博多節の文句か、知らず、陰々として物寂しい、表の障子も裏透くばかり、霜の月の影冴えて、辻に、町に、按摩の笛、そのあるものは波に響く。

       六

「や、按摩どのか。何んだ、唐突《だしぬけ》に驚かせる。……要らんよ。要りませぬ。」
 と弥次郎兵衛。湊屋の奥座敷、これが上段の間とも見える、次に六畳の附いた中古《ちゅうぶる》の十畳。障子の背後《うしろ》は直ぐに縁、欄干《てすり》にずらりと硝子戸《がらすど》の外は、水煙渺《みずけむりびょう》として、曇らぬ空に雲かと見る、長洲《ながす》の端に星一つ、水に近く晃《き》らめいた、揖斐川の流れの裾《すそ》は、潮《うしお》を籠《こ》めた霧白く、月にも苫《とま》を伏せ、蓑《みの》を乾《ほ》す、繋船《かかりぶね》の帆柱がすくすくと垣根に近い。そこに燭台を傍《かたわら》にして、火桶《ひおけ》に手を懸け、怪訝《けげん》な顔して、
「はて、お早いお着きお草臥《くたび》れ様で、と茶を一ツ持って出て、年増《としま》の女中が、唯今《ただいま》引込《ひっこ》んだばかりの処。これから膳にもしよう、酒にもしようと思うちょっとの隙間へ、のそりと出した、あの面《つら》はえ?……
 この方、あの年増めを見送って、入交《いりかわ》って来るは若いのか、と前髪の正面でも見ようと思えば、霜げた冬瓜《とうがん》に草鞋《わらじ》を打着《ぶちつ》けた、という異体な面《つら》を、襖《ふすま》の影から斜《はす》に出して、
(按摩でやす。)とまた、悪く抜衣紋《ぬきえもん》で、胸を折って、横坐りに、蝋燭火《ろうそくび》へ紙火屋《かみぼや》のかかった灯《あかり》の向うへ、ぬいと半身で出た工合が、見越入道《みこしにゅうどう》の御館《おやかた》へ、目見得《めみえ》の雪女郎を連れて出た、化《ばけ》の慶庵と言う体《てい》だ。
 要らぬと言えば、黙然《だんまり》で、腰から前《さき》へ、板廊下の暗い方へ、スーと消えたり……怨敵《おんてき》、退散《たいさん》。」
 と苦笑いして、……床の正面に火桶を抱えた、法然天窓《ほうねんあたま》の、連《つれ》の、その爺様を見遣って、
「捻平さん、お互に年は取りたくないてね。ちと三絃《ぺんぺん》でも、とあるべき処を、お膳の前に按摩が出ますよ。……見くびったものではないか。」
「とかく、その年効《としが》いもなく、旅籠屋の式台口から、何んと、事も慇懃《いんぎん》に出迎えた、家《うち》の隠居らしい切髪の婆様《ばあさま》をじろりと見て、
(ヤヤ、難有《ありがた》い、仏壇の中に美婦《たぼ》が見えるわ、簀《す》の子の天井から落ち度《た》い。)などと、膝栗毛の書抜きを遣らっしゃるで魔が魅《さ》すのじゃ、屋台は古いわ、造りも広大。」
 と丸木の床柱を下から見上げた。
「千年の桑かの。川の底も料《はか》られぬ。燈《あかり》も暗いわ、獺《かわうそ》も出ようず。ちと懲《こ》りさっしゃるが可《い》い。」
「さん候《ぞうろう》、これに懲りぬ事なし。」
 と奥歯のあたりを膨らまして微笑《ほほえ》みながら、両手を懐に、胸を拡く、襖《ふすま》の上なる額を読む。題して曰《いわ》く、臨風榜可小楼《りんぷうぼうかしょうろう》。
「……とある、いかさまな。」
「床に活《い》けたは、白の小菊じゃ、一束《ひとたば》にして掴《つか》みざし、喝采《おお》。」と讃《ほ》める。
「いや、翁寂《おきなさ》びた事を言うわ。」
「それそれ、たったいま懲りると言うた口の下から、何んじゃ、それは。やあ、見やれ、其許《そこ》の袖口から、茶色の手の、もそもそとした奴《やつ》が、ぶらりと出たわ、揖斐川の獺《かわうそ》の。」
「ほい、」
 と視《なが》めて、
「南無三宝《なむさんぼう》。」と慌《あわただ》しく引込《ひッこ》める。
「何んじゃそれは。」
「ははははは、拙者うまれつき粗忽《そこつ》にいたして、よくものを落す処から、内の婆《ばばあ》どのが計略で、手袋を、ソレ、ト左右糸で繋《つな》いだものさね。袖から胸へ潜《くぐ》らして、ずいと引張《ひっぱ》って両手へ嵌《は》めるだ。何んと恐しかろう。捻平さん、かくまで身上《しんしょう》を思うてくれる婆どのに対しても、無駄な祝儀は出せませんな。ああ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。」
「狸《たぬき》めが。」
 と背を円くして横を向く。
「それ、年増が来る。秘すべし、秘すべし。」
 で、手袋をたくし込む。
 処へ女中が手を支《つ》いて、
「御支度をなさりますか。」
「いや、やっと、今|草鞋《わらじ》を解いたばかりだ。泊めてもらうから、支度はしません。」と真面目に言う。
 色は浅黒いが容子《ようす》の可《い》い、その年増の女中が、これには妙な顔をして、
「へい、御飯は召あがりますか。」
「まず酒から飲みます。」
「あの、めしあがりますものは?」
「姉さん、ここは約束通り、焼蛤《やきはまぐり》が名物だの。」

       七

「そのな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張《よしずばり》なんぞでいたします。やっぱり松毬《まつかさ》で焼きませぬと美味《おいし》うござりませんで、当家《うち》では蒸したのを差上げます、味淋《みりん》入れて味美《あじよ》う蒸します。」
「ははあ、栄螺《さざえ》の壺焼《つぼやき》といった形、大道店で遣りますな。……松並木を向うに見て、松毬のちょろちょろ火、蛤の煙がこの月夜に立とうなら、とんと竜宮の田楽《でんがく》で、乙姫様《おとひめさま》が洒落《しゃれ》に姉《あね》さんかぶりを遊ばそうという処、また一段の趣《おもむき》だろうが、わざとそれがために忍んでも出られまい。……当家《ここ》の味淋蒸、それが好《よ》かろう。」
 と小父者《おじご》納得した顔して頷《うなず》く。
「では、蛤でめしあがりますか。」
「何?」と、わざとらしく耳を出す。[#「わざとらしく」は底本では「わざとしらく」と誤植、ちくま日本文学全集を参照した]
「あのな、蛤であがりますか。」
「いや、箸《はし》で食いやしょう、はははは。」
 と独《ひとり》で笑って、懐中から膝栗毛の五編を一冊、ポンと出して、
「難有《ありがた》い。」と額を叩く。
 女中も思わず噴飯《ふきだ》して、
「あれ、あなたは弥次郎兵衛様でございますな。」
「その通り。……この度の参宮には、都合あって五二館と云うのへ泊ったが、内宮様《ないぐうさま》へ参る途中、古市《ふるいち》の旅籠屋、藤屋の前を通った時は、前度いかい世話になった気で、薄暗いまで奥深いあの店頭《みせさき》に、真鍮《しんちゅう》の獅噛火鉢《しかみひばち》がぴかぴかとあるのを見て、略儀ながら、車の上から、帽子を脱いでお辞儀をして来た。が、町が狭いので、向う側の茶店の新姐《しんぞ》に、この小兀《すこはげ》を見せるのが辛かったよ。」
 と燈《あかり》に向けて、てらりと光らす。
「ほほ、ほほ。」
「あはは。」
 で捻平も打笑うと、……この機会に誘われたか、――先刻《さっき》二人が着いた頃には、三味線太鼓で、トトン、ジャカジャカじゃじゃじゃんと沸返るばかりだった――ちょうど八ツ橋形に歩行《あゆみ》板が架《かか》って、土間を隔てた隣の座敷に、およそ十四五人の同勢で、女交りに騒いだのが、今しがた按摩が影を見せた時分から、大河《おおかわ》の汐《しお》に引かれたらしく、ひとしきり人気勢《ひとけはい》が、遠くへ裾拡がりに茫《ぼう》と退《の》いて、寂《しん》とした。ただだだっ広い中を、猿が鳴きながら走廻るように、キャキャとする雛妓《おしゃく》の甲走《かんばし》った声が聞えて、重く、ずっしりと、覆《おっ》かぶさる風に、何を話すともなく多人数《たにんず》の物音のしていたのが、この時、洞穴《ほらあな》から風が抜けたように哄《どっ》と動揺《どよ》めく。
 女中も笑い引きに、すっと立つ。
「いや、この方は陰々としている。」
「その方が無事で可いの。」
 と捻平は火桶の上へ脊くぐまって、そこへ投出した膝栗毛を差覗《さしのぞ》き、
「しかし思いつきじゃ、私《わし》はどうもこの寝つきが悪いで、今夜は一つ枕許《まくらもと》の行燈《あんどん》で読んでみましょう。」
「止《よ》しなさい、これを読むと胸が切《せま》って、なお目が冴えて寝られなくなります。」
「何を言わっしゃる、当事《あてごと》もない、膝栗毛を見て泣くものがあろうかい。私《わし》が事を言わっしゃる、其許《そこ》がよっぽど捻平じゃ。」
 と言う処へ、以前の年増に、小女《こおんな》がついて出て、膳と銚子を揃えて運んだ。
「蛤は直《じ》きに出来ます。」
「可《よし》、可。」
「何よりも酒の事。」
 捻平も、猪口《ちょこ》を急ぐ。
「さて汝《てめえ》にも一つ遣ろう。燗《かん》の可い処を一杯遣らっし。」と、弥次郎兵衛、酒飲みの癖で、ちとぶるぶるする手に一杯傾けた猪口《ちょこ》を、膳の外へ、その膝栗毛の本の傍《わき》へ、畳の上にちゃんと置いて、
「姉さん、一つ酌《つ》いでやってくれ。」
 と真顔で言う。
 小女が、きょとんとした顔を見ると、捻平に追っかけの酌をしていた年増が見向いて、
「喜野《きの》、お酌ぎ……その旦那はな、弥次郎兵衛様じゃで、喜多八さんにお杯を上げなさるんや。」
 と早や心得たものである。

       八

 小父者《おじご》はなぜか調子を沈めて、
「ああ、よく言った。俺《おれ》を弥次郎兵衛は難有《ありがた》い。居心《いごころ》は可《よし》、酒は可。これで喜多八さえ一所だったら、膝栗毛を正《しょう》のもので、太平の民となる処を、さて、杯をさしたばかりで、こう酌《つ》いだ酒へ、蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》のちらちらと映る処は、どうやら餓鬼に手向《たむ》けたようだ。あのまた馬鹿野郎はどうしている――」と膝に手を支《つ》き、畳の杯を凝《じっ》と見て、陰気な顔する。
 捻平も、ふと、この時横を向いて腕組した。
「旦那、その喜多八さんを何んでお連れなさりませんね。」
 と愛嬌造《あいきょうづく》って女中は笑う。弥次郎|寂《さみ》しく打笑み、
「むむ、そりゃ何よ、その本の本文にある通り、伊勢の山田ではぐれた奴さ。いい年をして娑婆気《しゃばっけ》な、酒も飲めば巫山戯《ふざけ》もするが、世の中は道中同然。暖いにつけ、寒いにつけ、杖《つえ》柱とも思う同伴《つれ》の若いものに別れると、六十の迷児《まいご》になって、もし、この辺に棚からぶら下がったような宿屋はござりませんかと、賑《にぎや》かな町の中を独りとぼとぼと尋ね飽倦《あぐ》んで、もう落胆《がっかり》しやした、と云ってな、どっかり知らぬ家《うち》の店頭《みせさき》へ腰を落込《おとしこ》んで、一服無心をした処……あすこを読むと串戯《じょうだん》ではない。……捻平さん、真からもって涙が出ます。」
 と言う、瞼《まぶた》に映って、蝋燭の火がちらちらとする。
「姉や、心《しん》を切ったり。」
「はい。」
 と女中が向うを向く時、捻平も目をしばたたいたが、
「ヤ、あの騒ぎわい。」
 と鼻の下を長くして、土間|越《ごし》の隣室《となり》へ傾き、
「豪《えら》いぞ、金盥《かなだらい》まで持ち出いたわ、人間は皆裾が天井へ宙乗りして、畳を皿小鉢が躍るそうな。おおおお、三味線太鼓が鎬《しのぎ》を削って打合う様子じゃ。」
「もし、お騒がしゅうござりましょう、お気の毒でござります。ちょうど霜月でな、今年度の新兵さんが入営なさりますで、その送別会じゃ言うて、あっちこっち、皆、この景気でござります。でもな、お寝《よ》ります時分には時間になるで静まりましょう。どうぞ御辛抱なさいまして。」
「いやいや、それには及ばぬ、それには及ばぬ。」
 と小父者、二人の女中の顔へ、等分に手を掉《ふ》って、
「かえって賑かで大きに可い。悪く寂寞《ひっそり》して、また唐突《だしぬけ》に按摩に出られては弱るからな。」
「へい、按摩がな。」と何か知らず、女中も読めぬ顔して聞返す。
 捻平この話を、打消すように咳《しわぶき》して、
「さ、一献《いっこん》参ろう。どうじゃ、こちらへも酌人をちと頼んで、……ええ、それ何んとか言うの。……桑名の殿様|時雨《しぐれ》でお茶漬……とか言う、土地の唄でも聞こうではないかの。陽気にな、かっと一つ。旅の恥は掻棄《かきす》てじゃ。主《ぬし》はソレ叱言《こごと》のような勧進帳でも遣らっしゃい。
 染めようにも髯《ひげ》は無いで、私《わし》はこれ、手拭でも畳んで法然天窓《ほうねんあたま》へ載《の》せようでの。」と捻平が坐りながら腰を伸《の》して高く居直る。と弥次郎|眼《まなこ》を※[#「目へん+爭」、第3水準1-88-85、394-18]《みは》って、
「や、平家以来の謀叛《むほん》、其許《そこ》の発議は珍らしい、二方荒神鞍《にほうこうじんくら》なしで、真中《まんなか》へ乗りやしょう。」
 と夥《おびただ》しく景気を直して、
「姉《あんね》え、何んでも構わん、四五人|木遣《きやり》で曳《ひ》いて来い。」
 と肩を張って大きに力む。
 女中酌の手を差控えて、銚子を、膝に、と真直《まっすぐ》に立てながら、
「さあ、今あっちの座敷で、もう一人二人言うて、お掛けやしたが、喜野、芸妓《げいこ》さんはあったかな。」
 小女が猪首《いくび》で頷《うなず》き、
「誰も居やはらぬ言うてでやんした。」
「かいな、旦那さん、お気の毒さまでござります。狭い土地に、数のない芸妓やによって、こうして会なんぞ立込《たてこ》みますと、目星《めぼし》い妓《こ》たちは、ちゃっとの間に皆《みんな》出払います。そうか言うて、東京のお客様に、あんまりな人も見せられはしませずな、容色《きりょう》が好《い》いとか、芸がたぎったとかいうのでござりませぬとなあ……」
「いや、こうなっては、宿賃を払わずに、こちとら夜遁《よにげ》をするまでも、三味線を聞かなきゃ納まらない。眇《めっかち》、いぐちでない以上は、古道具屋からでも呼んでくれ。」
「待ちなさりまし。おお、あの島屋の新妓《しんこ》さんならきっと居るやろ。聞いて見や。喜野、ソレお急ぎじゃ、廊下走って、電話へ掛《かか》れや。」

       九

「持って来い、さあ、何んだ風車《かざぐるま》。」
 急に勢《いきおい》の可《い》い声を出した、饂飩屋に飲む博多節の兄哥《あにい》は、霜の上の燗酒《かんざけ》で、月あかりに直ぐ醒《さ》める、色の白いのもそのままであったが、二三杯、呷切《あおっきり》の茶碗酒で、目の縁《ふち》へ、颯《さっ》と酔《よい》が出た。
「勝手にピイピイ吹いておれ、でんでん太鼓に笙《しょう》の笛、こっちあ小児《こども》だ、なあ、阿媽《おっか》。……いや、女房《おかみ》さん、それにしても何かね、御当処は、この桑名と云う所は、按摩の多い所かね。」と笛の音に瞳がちらつく。
「あんたもな、按摩の目は蠣《かき》や云います。名物は蛤《はまぐり》じゃもの、別に何も、多い訳はないけれど、ここは新地《しんち》なり、旅籠屋のある町やに因って、つい、あの衆《しゅ》が、あちこちから稼ぎに来るわな。」
「そうだ、成程|新地《くるわ》だった。」となぜか一人で納得して、気の抜けたような片手を支《つ》く。
「お師匠さん、あんた、これからその音声《のど》を芸妓屋《げいこや》の門《かど》で聞かしてお見やす。ほんに、人死《ひとじに》が出来ようも知れぬぜな。」と襟の処で、塗盆をくるりと廻す。
「飛んだ合せかがみだね、人死が出来て堪《たま》るものか。第一、芸妓屋《げいしゃや》の前へは、うっかり立てねえ。」
「なぜえ。」
「悪くすると敵《かたき》に出会《でっくわ》す。」と投首《なげくび》する。
「あれ、芸が身を助けると言う、……お師匠さん、あんた、芸妓《げいこ》ゆえの、お身の上かえ。……ほんにな、仇《かたき》だすな。」
「違った! 芸者の方で、私が敵さ。」
「あれ、のけのけと、あんな憎いこと言いなさんす。」と言う処へ、月は片明りの向う側。狭い町の、ものの気勢《けはい》にも暗い軒下を、からころ、からころ、駒下駄《こまげた》の音が、土間に浸込《しみこ》むように響いて来る。……と直ぐその足許《あしもと》を潜《くぐ》るように、按摩の笛が寂しく聞える。
 門附は屹《きっ》と見た。
「噂をすれば、芸妓《げいこ》はんが通りまっせ。あんた、見たいなら障子を開けやす……そのかわり、敵打たりょうと思うてな。」
「ああ、いつでも打たれてやら。ちょッ、可厭《いや》に煩《うるさ》く笛を吹くない。」
 かたりと門《かど》の戸を外から開ける。
「ええ、吃驚《びっくり》すら。」
「今晩は、――饂飩六ツ急いでな。」と草履穿《ぞうりば》きの半纏着《はんてんぎ》、背中へ白く月を浴びて、赤い鼻をぬいと出す。
「へい。」と筒抜けの高調子で、亭主帳場へ棒に突立《つッた》ち、
「お方、そりゃ早うせぬかい。」
 女房は澄ましたもので、
「美しい跫音《あしおと》やな、どこの?」と聞く。
「こないだ山田の新町から住替えた、こんの島家の新妓《しんこ》じゃ。」と言いながら、鼻赤の若い衆は、覗《のぞ》いた顔を外に曲げる。
 と門附は、背後《うしろ》の壁へ胸を反らして、ちょっと伸上るようにして、戸に立つ男の肩越しに、皎《こう》とした月の廓《くるわ》の、細い通《とおり》を見透かした。
 駒下駄はちと音低く、まだ、からころと響いたのである。
「沢山《たんと》出なさるかな。」
「まあ、こんの饂飩のようには行かぬで。」
「その気で、すぐに届けますえ。」
「はい頼んます。」と、男は返る。
 亭主帳場から背後《うしろ》向きに、日和下駄《ひよりげた》を探って下り、がたりびしりと手当り強く、そこへ広蓋《ひろぶた》を出掛《だしか》ける。ははあ、夫婦二人のこの店、気の毒千万、御亭が出前持を兼ねると見えたり。
「裏表とも気を注《つ》けるじゃ、可《え》いか、可いか。ちょっと道寄りをして来るで、可いか、お方。」
 とそこいらじろじろと睨廻《ねめまわ》して、新地の月に提灯《ちょうちん》入《い》らず、片手懐にしたなりで、亭主が出前、ヤケにがっと戸を開けた。後《あと》を閉めないで、ひょこひょこ出て行《ゆ》く。
 釜の湯気が颯《さっ》と分れて、門附の頬に影がさした。
 女房横合から来て、
「いつまで、うっかり見送ってじゃ、そんなに敵《かたき》が打たれたいの。」
「女房《おかみ》さん、桑名じゃあ……芸者の箱屋は按摩かい。」と悚気《ぞっ》としたように肩を細く、この時やっと居直って、女房を見た、色が悪い。

       十

「そうさ、いかに伊勢の浜荻《はまおぎ》だって、按摩の箱屋というのはなかろう。私もなかろうと思うが、今向う側を何んとか屋の新妓《しんこ》とか云うのが、からんころんと通るのを、何心なく見送ると、あの、一軒おき二軒おきの、軒行燈《のきあんどん》では浅葱《あさぎ》になり、月影では青くなって、薄い紫の座敷着で、褄《つま》を蹴出《けだ》さず、ひっそりと、白い襟を俯向《うつむ》いて、足の運びも進まないように何んとなく悄《しお》れて行く。……その後《あと》から、鼠色の影法師。女の影なら月に地《つち》を這《は》う筈《はず》だに、寒い道陸神《どうろくじん》が、のそのそと四五尺離れた処を、ずっと前方《むこう》まで附添ったんだ。腰附、肩附、歩行《ある》く振《ふり》、捏《で》っちて附着《くッつ》けたような不恰好《ぶかっこう》な天窓《あたま》の工合、どう見ても按摩だね、盲人《めくら》らしい、めんない千鳥よ。……私あ何んだ、だから、按摩が箱屋をすると云っちゃ可笑《おかし》い、盲目《めくら》になった箱屋かも知れないぜ。」
「どんな風の、どれな。」
 と門《かど》へ出そうにする。
「いや、もう見えない。呼ばれた家《うち》へ入ったらしい。二人とも、ずっと前方《さき》で居なくなった。そうか。ああ、盲目の箱屋は居ねえのか。アまた殖《ふ》えたぜ……影がさす、笛の音に影がさす、按摩の笛が降るようだ。この寒い月に積《つも》ったら、桑名の町は針の山になるだろう、堪《たま》らねえ。」
 とぐいと呷《あお》って、
「ええ、ヤケに飲め、一杯どうだ、女房《おかみ》さん附合いねえ。御亭主は留守だが、明放《あけっぱな》しよ、……構うものか。それ向う三軒の屋根越に、雪坊主のような山の影が覗《のぞ》いてら。」
 と門を振向き、あ、と叫んで、
「来た、来た、来た、来やあがった、来やあがった、按摩々々、按摩。」
 と呼吸《いき》も吐《つ》かず、続けざまに急込《せきこ》んだ、自分の声に、町の中に、ぬい、と立って、杖を脚許《あしもと》へ斜交《はすっか》いに突張《つッぱ》りながら、目を白く仰向《あおむ》いて、月に小鼻を照らされた流しの按摩が、呼ばれたものと心得て、そのまま凍附《いてつ》くように立留まったのも、門附はよく分らぬ状《さま》で、
「影か、影か、阿媽《おっかあ》、ほんとの按摩か、影法師か。」
 と激しく聞く。
「ほんとなら、どうおしる。貴下《あんた》、そんなに按摩さんが恋しいかな。」
「恋しいよ! ああ、」
 と呼吸《いき》を吐《つ》いて、見直して、眉を顰《ひそ》めながら、声高《こわだか》に笑った。
「ははははは、按摩にこがれてこの体《てい》さ。おお、按摩さん、按摩さん、さあ入ってくんねえ。」
 門附は、撥《ばち》を除《の》けて、床几《しょうぎ》を叩いて、
「一つ頼もう。女房《おかみ》さん、済まないがちょいと借りるぜ。」
「この畳へ来て横におなりな。按摩さん、お客だす、あとを閉めておくんなさい。」
「へい。」
 コトコトと杖の音。
「ええ……とんと早や、影法師も同然なもので。」と掠《かす》れ声を白く出して、黒いけんちゅう羊羹色《ようかんいろ》の被布《ひふ》を着た、燈《ともしび》の影は、赤くその皺《しわ》の中へさし込んだが、日和下駄から消えても失《う》せず、片手を泳ぎ、片手で酒の香を嗅分《かぎわ》けるように入った。
「聞えたか。」
 とこの門附は、権のあるものいいで、五六本銚子の並んだ、膳をまた傍《わき》へずらす。
「へへへ」とちょっと鼻をすすって、ふん、とけなりそうに香《におい》を嗅《か》ぐ。
「待ちこがれたもんだから、戸外《そと》を犬が走っても、按摩さんに見えたのさ。こう、悪く言うんじゃないぜ……そこへぬっくりと顕《あらわ》れたろう、酔っている、幻かと思った。」
「ほんに待兼ねていなさったえ。あの、笛の音ばかり気にしなさるので、私もどうやら解《よ》めなんだが、やっと分ったわな、何んともお待遠でござんしたの。」
「これは、おかみさま、御繁昌《ごはんじょう》。」
「お客はお一人じゃ、ゆっくり療治してあげておくれ。それなりにお寝《よ》ったら、お泊め申そう。」
 と言う。
 按摩どの、けろりとして、
「ええ、その気で、念入りに一ツ、掴《つかま》りましょうで。」と我が手を握って、拉《ひし》ぐように、ぐいと揉《も》んだ。
「へい、旦那。」
「旦那じゃねえ。ものもらいだ。」とまた呷《あお》る。
 女房が竊《そっ》と睨《にら》んで、
「滅相な、あの、言いなさる。」

       十一

「いや、横になるどころじゃない、沢山だ、ここで沢山だよ。……第一背中へ掴《つか》まられて、一呼吸《ひといき》でも応《こた》えられるかどうだか、実はそれさえ覚束《おぼつか》ない。悪くすると、そのまま目を眩《まわ》して打倒《ぶったお》れようも知れんのさ。体《てい》よく按摩さんに掴み殺されるといった形だ。」
 と真顔で言う。
「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾《きゅうび》に鍼《はり》をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と呆《あき》れたように、按摩の剥《む》く目は蒼《あお》かりけり。
「うまい、まずいを言うのじゃない。いつの幾日《いくか》にも何時《なんどき》にも、洒落《しゃれ》にもな、生れてからまだ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」
「まあ、あんなにあんた、こがれなさった癖に。」
「そりゃ、張って張って仕様がないから、目にちらつくほど待ったがね、いざ……となると初産《ういざん》です、灸《きゅう》の皮切も同じ事さ。どうにも勝手が分らない。痛いんだか、痒《かゆ》いんだか、風説《うわさ》に因ると擽《くすぐ》ったいとね。多分私も擽ったかろうと思う。……ところがあいにく、母親《おふくろ》が操正しく、これでも密夫《まおとこ》の児《こ》じゃないそうで、その擽ったがりようこの上なし。……あれ、あんなあの、握飯《にぎりめし》を拵《こさ》えるような手附をされる、とその手で揉まれるかと思ったばかりで、もう堪《たま》らなく擽ったい。どうも、ああ、こりゃ不可《いけね》え。」
 と脇腹へ両肱《りょうひじ》を、しっかりついて、掻竦《かいすく》むように脊筋を捻《よ》る。
「ははははは、これはどうも。」と按摩は手持不沙汰な風。
 女房|更《あらた》めて顔を覗《のぞ》いて、
「何んと、まあ、可愛らしい。」
「同じ事を、可哀想《かわいそう》だ、と言ってくんねえ。……そうかと言って、こう張っちゃ、身も皮も石になって固《かたま》りそうな、背《せなか》が詰《つま》って胸は裂ける……揉んでもらわなくては遣切《やりき》れない。遣れ、構わない。」
 と激しい声して、片膝を屹《きっ》と立て、
「殺す気で蒐《かか》れ。こっちは覚悟だ、さあ。ときに女房《おかみ》さん、袖摺《そです》り合うのも他生《たしょう》の縁ッさ。旅空掛けてこうしたお世話を受けるのも前《さき》の世の何かだろう、何んだか、おなごりが惜《おし》いんです。掴殺《つかみころ》されりゃそれきりだ、も一つ憚《はばか》りだがついでおくれ、別れの杯になろうも知れん。」
 と雫《しずく》を切って、ついと出すと、他愛なさもあんまりな、目の色の変りよう、眦《まなじり》も屹《きっ》となったれば、女房は気を打たれ、黙然《だんまり》でただ目を※[#「目へん+爭」、第3水準1-88-85、404-17]《みは》る。
「さあ按摩さん。」
「ええ、」
「女房《おかみ》さん酌《つ》いどくれよ!」
「はあ、」と酌をする手がちと震えた。
 この茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であった。
 がたがたと身震いしたが、面《おもて》は幸《さいわい》に紅潮して、
「ああ、腸《はらわた》へ沁透《しみとお》る!」
「何かその、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。
「まず、」
 と突張《つッぱ》った手をぐたりと緩めて、
「生命《いのち》に別条は無さそうだ、しかし、しかし応《こた》える。」
 とがっくり俯向《うつむ》いたのが、ふらふらした。
「月は寒し、炎のようなその指が、火水となって骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。肉《み》は燃える、血は冷える。あっ、」と言って、両手を落した。
 吃驚《びっくり》して按摩が手を引く、その嘴《くちばし》や鮹《たこ》に似たり。
 兄哥《あにい》は、しっかり起直って、
「いや、手をやすめず遣ってくれ、あわれと思って静《しずか》に……よしんば徐《そっ》と揉まれた処で、私は五体が砕ける思いだ。
 その思いをするのが可厭《いや》さに、いろいろに悩んだんだが、避《よ》ければ摺着《すりつ》く、過ぎれば引張《ひっぱ》る、逃げれば追う。形が無ければ声がする……ピイピイ笛は攻太鼓《せめだいこ》だ。こうひしひしと寄着《よッつ》かれちゃ、弱いものには我慢が出来ない。淵《ふち》に臨んで、崕《がけ》の上に瞰下《みお》ろして踏留《ふみとど》まる胆玉《きもだま》のないものは、いっその思い、真逆《まっさかさま》に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、従兄弟《いとこ》再従兄弟《はとこ》か、伯父甥《おじおい》か、親類なら、さあ、敵《かたき》を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺しているんだ。」

       十二

「今からちょうど三年前。……その年は、この月から一月|後《おくれ》の師走《しわす》の末に、名古屋へ用があって来た。ついでと言っては悪いけれど、稼《かせぎ》の繰廻しがどうにか附いて、参宮が出来るというのも、お伊勢様の思召《おぼしめし》、冥加《みょうが》のほど難有《ありがた》い。ゆっくり古市《ふるいち》に逗留《とうりゅう》して、それこそついでに、……浅熊山《あさまやま》の雲も見よう、鼓ヶ嶽《たけ》の調《しらべ》も聞こう。二見《ふたみ》じゃ初日を拝んで、堺橋から、池の浦、沖の島で空が別れる、上郡《かみごおり》から志摩へ入って、日和山《ひよりやま》を見物する。……海が凪《な》いだら船を出して、伊良子《いらこ》ヶ崎の海鼠《なまこ》で飲もう、何でも五日六日は逗留というつもりで。……山田では尾上町の藤屋へ泊った。驚くべからず――まさかその時は私だって、浴衣に袷《あわせ》じゃ居やしない。
 着換えに紋付《もんつき》の一枚も持った、縞《しま》で襲衣《かさね》の若旦那さ。……ま、こう、雲助が傾城買《けいせいがい》の昔を語る……負惜《まけおし》みを言うのじゃないよ。何も自分の働きでそうした訳じゃないのだから。――聞きねえ、親なり、叔父なり、師匠なり、恩人なりという、……私が稼業じゃ江戸で一番、日本中の家元の大黒柱と云う、少兀《すこはげ》の苦い面《つら》した阿父《おやじ》がある。
 いや、その顔色《がんしょく》に似合わない、気さくに巫山戯《ふざけ》た江戸児《えどッこ》でね。行年《ぎょうねん》その時六十歳を、三つと刻んだはおかしいが、数え年のサバを算《よ》んで、私が代理に宿帳をつける時は、天地人とか何んとか言って、禅《ぜん》の問答をするように、指を三本、ひょいと出してギロリと睨《にら》む……五十七歳とかけと云うのさ。可《い》いかね、その気だもの……旅籠屋の女中が出てお給仕をする前では、阿父《おとっ》さんが大の禁句さ。……与一兵衛じゃあるめえし、汝《てめえ》、定九郎《さだくろう》のように呼ぶなえ、と唇を捻曲《ねじま》げて、叔父さんとも言わせねえ、兄さんと呼べ、との御意だね。
 この叔父さんのお供だろう。道中の面白さ。酒はよし、景色はよし、日和は続く。どこへ行っても女はふらない。師走の山路に、嫁菜が盛りで、しかも大輪《おおりん》が咲いていた。
 とこの桑名、四日市、亀山と、伊勢路へ掛《かか》った汽車の中から、おなじ切符のたれかれが――その催《もよおし》について名古屋へ行った、私たちの、まあ……興行か……その興行の風説《うわさ》をする。嘘にもどうやら、私の評判も可《よ》さそうな。叔父はもとより。……何事も言うには及ばん。――私が口で饒舌《しゃべ》っては、流儀の恥になろうから、まあ、何某《なにがし》と言ったばかりで、世間は承知すると思って、聞きねえ。
 ところがね、その私たちの事を言うついでに、この伊勢へ入ってから、きっと一所に出る、人の名がある。可いかい、山田の古市に惣市《そういち》と云う按摩鍼《あんまはり》だ。」
 門附はその名を言う時、うっとりと瞳を据えた。背《せなか》を抱《いだ》くように背後《うしろ》に立った按摩にも、床几《しょうぎ》に近く裾を投げて、向うに腰を掛けた女房にも、目もくれず、凝《じっ》と天井を仰ぎながら、胸前《むなさき》にかかる湯気を忘れたように手で捌《さば》いて、
「按摩だ、がその按摩が、旧《もと》はさる大名に仕えた士族の果《はて》で、聞きねえ。私等が流儀と、同《おんな》じその道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という勢《いきおい》で、自ら宗山《そうざん》と名告《なの》る天狗《てんぐ》。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て怯《おびや》かされた。某《それがし》も参って拉《ひし》がれた。あれで一眼でも有ろうなら、三重県に居る代物《しろもの》ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、贋物《にせもの》ではなかろうから、何も宗山に稽古をしてもらえとは言わぬけれど、鰻《うなぎ》の他《ほか》に、鯛《たい》がある、味を知って帰れば可いに。――と才発《さいはじ》けた商人《あきんど》風のと、でっぷりした金の入歯の、土地の物持とも思われる奴の話したのが、風説《うわさ》の中でも耳に付いた。
 叔父はこくこく坐睡《いねむり》をしていたっけ。私《わっし》あ若気だ、襟巻で顔を隠して、睨《にら》むように二人を見たのよ、ね。
 宿の藤屋へ着いてからも、わざと、叔父を一人で湯へ遣り……女中にもちょっと聞く。……挨拶《あいさつ》に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云う、これこれした芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思ったよりは高名で、現に、この頃も藤屋に泊った、何某侯《なにがしこう》の御隠居の御召に因って、上下《かみしも》で座敷を勤《し》た時、(さてもな、鼓ヶ嶽が近いせいか、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。
(的等《てきら》にも聞かせたい。)と宗山が言われます、とちょろりと饒舌《しゃべ》った。私《わっし》が夥間《なかま》を――(的等。)と言う。
 的等の一人《いちにん》、かく言う私だ……」

       十三

「なお聞けば、古市のはずれに、その惣市、小料理屋の店をして、妾《めかけ》の三人もある、大した勢《いきおい》だ、と言うだろう。――何を!……按摩の分際で、宗家の、宗の字、この道の、本山が凄《すさま》じい。
 こう、按摩さん、舞台の差《さし》は堪忍《かに》してくんな。」
 と、竊《そっ》と痛そうに胸を圧《おさ》えた。
「後で、よく気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、ほんとの猪《しし》はないとて威張る。……な、宮重大根が日本一なら、蕪《かぶ》の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。
 その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図《いちず》に苛々《いらいら》して、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっと癪《しゃく》に障れば、妾三人で赫《かっ》とした。
 維新以来の世がわりに、……一時《ひとしきり》私等の稼業がすたれて、夥間《なかま》が食うに困ったと思え。弓矢取っては一万石、大名株の芸人が、イヤ楊枝《ようじ》を削る、かるめら焼を露店で売る。……蕎麦屋《そばや》の出前持になるのもあり、現在私がその小父者《おじご》などは、田舎の役場に小使いをして、濁り酒のかすに酔って、田圃《たんぼ》の畝《あぜ》に寝たもんです。……
 その妹だね、可いかい、私の阿母《おふくろ》が、振袖の年頃を、困る処へ附込んで、小金《こがね》を溜めた按摩めが、ちとばかりの貸を枷《かせ》に、妾にしよう、と追い廻わす。――危《あぶな》く駒下駄を踏返して、駕籠《かご》でなくっちゃ見なかった隅田川へ落ちようとしたっさ。――その話にでも嫌いな按摩が。
 ええ。
 待て、見えない両眼で、汝《うぬ》が身の程を明《あかる》く見るよう、療治を一つしてくりょう。
 で、翌日《あくるひ》は謹んで、参拝した。
 その尊さに、その晩ばかりはちっとの酒で宵寝をした、叔父の夜具の裾を叩いて、枕許《まくらもと》へ水を置き、
(女中、そこいらへ見物に、)
 と言った心は、穴を圧《おさ》えて、宗山を退治る料簡《りょうけん》。
 と出た、風が荒い。荒いがこの風、五十鈴川《いすずがわ》で劃《かぎ》られて、宇治橋の向うまでは吹くまいが、相の山の長坂を下から哄《どっ》と吹上げる……これが悪く生温《なまぬる》くって、灯《あかり》の前じゃ砂が黄色い。月は雲の底に淀《どんよ》りしている。神路山《かみじやま》の樹は蒼《あお》くても、二見の波は白かろう。酷《ひど》い勢《いきおい》、ぱっと吹くので、たじたじとなる。帽子が飛ぶから、そのまま、藤屋が店へ投返した……と脊筋へ孕《はら》んで、坊さんが忍ぶように羽織の袖が飜々《ひらひら》する。着換えるのも面倒で、昼間のなりで、神詣《かみもう》での紋付さ。――袖畳みに懐中《ふところ》へ捻込《ねじこ》んで、何の洒落《しゃれ》にか、手拭で頬被りをしたもんです。
 門附になる前兆さ、状《ざま》を見やがれ。」と片手を袖へ、二の腕深く突込《つッこ》んだ。片手で狙《ねら》うように茶碗を圧《おさ》えて、
「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに寂然《ひっそり》している。……軒が、がたぴしと鳴って、軒行燈《のきあんどん》がばッばッ揺れる。三味線《さみせん》の音もしたけれど、吹《ふき》さらわれて大屋根へ猫の姿でけし飛ぶようさ。何の事はない、今夜のこの寂しい新地へ、風を持って来て、打着《ぶッつ》けたと思えば可い。
 一軒、地《つち》のちと窪《くぼ》んだ処に、溝板《どぶいた》から直ぐに竹の欄干《てすり》になって、毛氈《もうせん》の端は刎上《はねあが》り、畳に赤い島が出来て、洋燈《ランプ》は油煙に燻《くすぶ》ったが、真白《まっしろ》に塗った姉さんが一人居る、空気銃、吹矢の店へ、ひょろりとして引掛《ひっかか》ったね。
 取着《とッつ》きに、肱《ひじ》を支《つ》いて、怪しく正面に眼《まなこ》の光る、悟った顔の達磨様《だるまさま》と、女の顔とを、七分三分に狙いながら、
(この辺に宗山ッて按摩は居るかい。)とここで実は様子を聞く気さ。押懸けて行《ゆ》こうたってちっとも勝手が知れないから。
(先生様かね、いらっしゃります。)と何と、(的等。)の一人に、先生を、しかも、様づけに呼ぶだろう。
(実は、その人の何を、一つ、聞きたくって来たんだが、誰が行っても頼まれてくれるだろうか。)と尋ねると、大熨斗《おおのし》を書いた幕の影から、色の蒼《あお》い、鬢《びん》の乱れた、痩《や》せた中年増《ちゅうどしま》が顔を出して、(知己《ちかづき》のない、旅の方にはどうか知らぬ、お望《のぞみ》なら、内から案内して上げましょうか。)と言う。
 茶代を奮発《はず》んで、頼むと言った。
(案内して上げなはれ、可《い》い旦那や、気を付けて、)と目配《めくばせ》をする、……と雑作はない、その塗ったのが、いきなり、欄干を跨《また》いで出る奴さ。」

       十四

「両袖で口を塞《ふさ》いで、風の中を俯向《うつむ》いて行《ゆ》く。……その女の案内で、つい向う路地を入ると、どこも吹附けるから、戸を鎖《さ》したが、怪しげな行燈《あんどん》の煽《あお》って見える、ごたごたした両側の長屋の中に、溝板《どぶいた》の広い、格子戸造りで、この一軒だけ二階屋。
 軒に、御手軽|御料理《おんりょうり》としたのが、宗山先生の住居《すまい》だった。
(お客様。)と云う女の送りで、ずッと入る。直ぐそこの長火鉢を取巻いて、三人ばかり、変な女が、立膝やら、横坐りやら、猫板に頬杖やら、料理の方は隙《ひま》らしい。……上框《あがりかまち》の正面が、取着《とッつ》きの狭い階子段《はしごだん》です。
(座敷は二階かい、)と突然《いきなり》頬被《ほおかむり》を取って上ろうとすると、風立つので燈《あかり》を置かない。真暗《まっくら》だからちょっと待って、と色めいてざわつき出す。とその拍子に風のなぐれで、奴等の上の釣洋燈《つりランプ》がぱっと消えた。
 そこへ、中仕切《なかじきり》の障子が、次の室《ま》の燈《あかり》にほのめいて、二枚見えた。真中《まんなか》へ、ぱっと映ったのが、大坊主の額の出た、唇の大《おおき》い影法師。む、宗山め、居るな、と思うと、憎い事には……影法師の、その背中に掴《つか》まって、坊主を揉《も》んでるのが華奢《きゃしゃ》らしい島田|髷《まげ》で、この影は、濃く映った。
 火燧《マッチ》々々、と女どもが云う内に、
(えへん)と咳《せきばらい》を太くして、大《おおき》な手で、灰吹を持上げたのが見えて、離れて煙管《きせる》が映る。――もう一倍、その時図体が拡がったのは、袖を開いたらしい。此奴《こいつ》、寝《ね》ん寝子《ねこ》の広袖《どてら》を着ている。
 やっと台洋燈を点《つ》けて、
(お待遠でした、さあ、)
 って二階へ。吹矢の店から送って来た女はと、中段からちょっと見ると、両膝をずしりと、そこに居た奴の背後《うしろ》へ火鉢を離れて、俯向《うつむ》いて坐った。
(あの娘《こ》で可《い》いのかな、他《ほか》にもござりますよって。)
 と六畳の表座敷で低声で言うんだ。――ははあ、商売も大略《あらまし》分った、と思うと、其奴《そいつ》が
(お誂《あつらえ》は。)
 と大《おおき》な声。
(あっさりしたものでちょっと一口。そこで……)
 実は……御主人の按摩さんの、咽喉《のど》が一つ聞きたいのだ、と話した。
(咽喉?)……と其奴がね、異《おつ》に蔑《さげす》んだ笑い方をしたものです。
(先生様の……でござりますか、早速そう申しましょう。)
 で、地獄の手曳《てびき》め、急に衣紋繕《えもんづくろ》いをして下りる。しばらくして上って来た年紀《とし》の少《わか》い十六七が、……こりゃどうした、よく言う口だが芥溜《はきだめ》に水仙です、鶴です。帯も襟も唐縮緬《とうちりめん》じゃあるが、もみじのように美しい。結綿《いいわた》のふっくりしたのに、浅葱《あさぎ》鹿《か》の子の絞高《しぼだか》な手柄を掛けた。やあ、三人あると云う、妾の一人か。おおん神の、お膝許《ひざもと》で沙汰の限りな! 宗山坊主の背中を揉んでた島田髷の影らしい。惜しや、五十鈴川の星と澄んだその目許も、鯰《なまず》の鰭《ひれ》で濁ろう、と可哀《あわれ》に思う。この娘が紫の袱紗《ふくさ》に載《の》せて、薄茶を持って来たんです。
 いや、御本山の御見識、その咽喉《のど》を聞きに来たとなると……客にまず袴《はかま》を穿《は》かせる仕向《しむけ》をするな、真剣勝負面白い。で、こっちも勢《いきおい》、懐中《ふところ》から羽織を出して着直したんだね。
 やがて、また持出した、杯《さかずき》というのが、朱塗に二見ヶ浦を金蒔絵《きんまきえ》した、杯台に構えたのは凄《すご》かろう。
(まず一ツ上って、こっちへ。)
 と按摩の方から、この杯の指図をする。その工合が、謹んで聞け、といった、頗《すこぶ》る権高なものさ。どかりとそこへ構え込んだ。その容子《ようす》が膝も腹もずんぐりして、胴中《どうなか》ほど咽喉《のど》が太い。耳の傍《わき》から眉間《みけん》へ掛けて、小蛇のように筋が畝《うね》くる。眉が薄く、鼻がひしゃげて、ソレその唇の厚い事、おまけに頬骨がギシと出て、歯を噛《か》むとガチガチと鳴りそう。左の一眼べとりと盲《し》い、右が白眼《しろまなこ》で、ぐるりと飜《かえ》った、しかも一面、念入の黒痘瘡《くろあばた》だ。
 が、争われないのは、不具者《かたわ》の相格《そうごう》、肩つきばかりは、みじめらしくしょんぼりして、猪《い》の熊入道もがっくり投首の抜衣紋《ぬきえもん》で居たんだよ。」

       十五

「いえな、何も私が意地悪を言うわけではないえ。」
 と湊屋の女中、前垂の膝を堅くして――傍《かたわら》に柔かな髪の房《ふっさ》りした島田の鬢《びん》を重そうに差俯向《さしうつむ》く……襟足白く冷たそうに、水紅色《ときいろ》の羽二重《はぶたえ》の、無地の長襦袢《ながじゅばん》の肩が辷《すべ》って、寒げに脊筋の抜けるまで、嫋《なよ》やかに、打悄《うちしお》れた、残んの嫁菜花《よめな》の薄紫、浅葱《あさぎ》のように目に淡い、藤色|縮緬《ちりめん》の二枚着で、姿の寂しい、二十《はたち》ばかりの若い芸者を流盻《しりめ》に掛けつつ、
「このお座敷は貰《もろ》うて上げるから、なあ和女《あんた》、もうちゃっと内へお去《い》にや。……島家の、あの三重《みえ》さんやな、和女、お三重さん、お帰り!」
 と屹《きっ》と言う。
「お前さんがおいでやで、ようお客さんの御機嫌を取ってくれるであろうと、小女《こおんな》ばかり附けておいて、私が勝手へ立違うている中《うち》や、……勿体ない、お客たちの、お年寄なが気に入らぬか、近頃山田から来た言うて、こちの私の許《とこ》を見くびったか、酌をせい、と仰有《おっしゃ》っても、浮々《うきうき》とした顔はせず……三味線《さみせん》聞こうとおっしゃれば、鼻の頭《さき》で笑うたげな。傍《そば》に居た喜野が見かねて、私の袖を引きに来た。
 先刻《さっき》から、ああ、こうと、口の酸くなるまで、機嫌を取るようにして、私が和女の調子を取って、よしこの一つ上方唄でも、どうぞ三味線の音《ね》をさしておくれ。お客様がお寂しげな、座敷が浮かぬ、お見やんせ、蝋燭《ろうそく》の灯も白けると、頼むようにして聞かいても、知らぬ、知らぬ、と言通す。三味線は和女、禁物か。下手や言うて、知らぬ云うて、曲《まがり》なりにもお座つき一つ弾けぬ芸妓《げいこ》がどこにある。
 よう、思うてもお見。平の座敷か、そでないか。貴客《あなた》がたのお人柄を見りゃ分るに、何で和女、勤める気や。私が済まぬ。さ、お立ち。ええ、私が箱を下げてやるから。」
 と優しいのがツンと立って、襖際《ふすまぎわ》に横にした三味線を邪険に取って、衝《つ》と縦様《たてざま》に引立てる。
「ああれ。」
 はっと裳《もすそ》を摺《す》らして、取縋《とりすが》るように、女中の膝を竊《そっ》と抱き、袖を引き、三味線を引留めた。お三重の姿は崩るるごとく、芍薬《しゃくやく》の花の散るに似て、
「堪忍して下さいまし、堪忍して、堪忍して、」と、呼吸《いき》の切れる声が湿《うる》んで、
「お客様にも、このお内へも、な、何で私が失礼しましょう。ほんとに、あの、ほんとに三味線は出来ませんもの、姉さん、」
 と言《ことば》が途絶えた。……
「今しがたも、な、他家《よそ》のお座敷、隅の方に坐っていました。不断ではない、兵隊さんの送別会、大陽気に騒ぐのに、芸のないものは置かん、衣服《きもの》を脱いで踊るんなら可《よし》、可厭《いや》なら下げると……私一人帰されて、主人の家《うち》へ戻りますと、直ぐに酷《ひど》いめに逢いました、え。
 三味線も弾けず、踊りも出来ぬ、座敷で衣物《きもの》が脱げないなら、内で脱げ、引剥《ひっぱ》ぐと、な、帯も何も取られた上、台所で突伏《つッぷ》せられて、引窓をわざと開けた、寒いお月様のさす影で、恥かしいなあ、柄杓《ひしゃく》で水を立続けて乳へも胸へもかけられましたの。
 こちらから、あの、お座敷を掛けて下さいますと、どうでしょう、炬燵《こたつ》で温《あたた》めた襦袢《じゅばん》を着せて、東京のお客じゃそうなと、な、取って置きの着物を出して、よう勤めて帰れや言うて、御主人が手で、駒下駄まで出すんです。
 勤めるたって、どうしましょう……踊は立って歩行《ある》くことも出来ませんし、三味線は、それが姉さん、手を当てれば誰にだって、音のせぬ事はないけれど、弾いて聞かせとおっしゃるもの、どうして私唄えます。……
 不具《かたわ》でもないに情《なさけ》ない。調子が自分で出来ません。何をどうして、お座敷へ置いて頂けようと思いますと、気が怯《ひ》けて気が怯けて、口も満足利けませんから、何が気に入らないで、失礼な顔をすると、お思い遊ばすのも無理はない、なあ。……
 このお家へは、お台所で、洗い物のお手伝をいたします。姉さん、え、姉さん。」
 と袖を擦《さす》って、一生懸命、うるんだ目許《めもと》を見得もなく、仰向《あおむ》けになって女中の顔。……色が見る見る柔《やわら》いで、突いて立った三味線の棹《さお》も撓《たわ》みそうになった、と見ると、二人の客へ、向直った、ふっくりとある綾《あや》の帯の結目《むすびめ》で、なおその女中の袂《たもと》を圧《おさ》えて。……

       十六

 お三重は、そして、更《あらた》めて二箇《ふたり》の老人に手を支《つ》いた。
「芸者でお呼び遊ばした、と思いますと……お役に立たず、極《きま》りが悪うございまして、お銚子《ちょうし》を持ちますにも手が震えてなりません。下婢《おさん》をお傍《そば》へお置き遊ばしたとお思いなさいまして、お休みになりますまでお使いなすって下さいまし。お背中を敲《たた》きましょう、な、どうぞな、お肩を揉《も》まして下さいまし。それなら一生懸命にきっと精を出します。」
 と惜気《おしげ》もなく、前髪を畳につくまで平伏《ひれふ》した。三指づきの折かがみが、こんな中でも、打上る。
 本を開いて、道中の絵をじろじろと黙って見ていた捻平が、重くるしい口を開けて、
「子孫末代よい意見じゃ、旅で芸者を呼ぶなぞは、のう、お互に以後謹もう……」と火箸に手を置く。
 所在なさそうに半眼で、正面《まとも》に臨風榜可小楼《りんぷうぼうかしょうろう》を仰ぎながら、程を忘れた巻莨《まきたばこ》、この時、口許へ火を吸って、慌てて灰へ抛《ほう》って、弥次郎兵衛は一つ咽《む》せた。
「ええ、いや、女中、……追って祝儀はする。ここでと思うが、その娘《こ》が気が詰《つま》ろうから、どこか小座敷へ休まして皆《みんな》で饂飩でも食べてくれ。私が驕《おご》る。で、何か面白い話をして遊ばして、やがて可《い》い時分に帰すが可い。」と冷くなった猪口《ちょこ》を取って、寂しそうに衝《つ》と飲んだ。
 女中は、これよりさき、支《つ》いて突立《つッた》ったその三味線を、次の室《ま》の暗い方へ密《そっ》と押遣《おしや》って、がっくりと筋が萎《な》えた風に、折重なるまで摺寄《すりよ》りながら、黙然《だんま》りで、燈《ともしび》の影に水のごとく打揺《うちゆら》ぐ、お三重の背中を擦《さす》っていた。
「島屋の亭が、そんな酷《ひど》い事をしおるかえ。可いわ、内の御隠居にそう言うて、沙汰をして上げよう。心安う思うておいで、ほんにまあ、よう和女《あんた》、顔へ疵《きず》もつけんの。」
 と、かよわい腕《かいな》を撫下《なでお》ろす。
「ああ、それも売物じゃいうだけの斟酌《しんしゃく》に違いないな。……お客様に礼言いや。さ、そして、何かを話しがてら、御隠居の炬燵《こたつ》へおいで。切下髪《きりさげがみ》に頭巾《ずきん》被《かぶ》って、ちょうどな、羊羹《ようかん》切って、茶を食べてや。
 けども、」
 とお三重の、その清らかな襟許《えりもと》から、優しい鬢毛《びんのけ》を差覗《さしのぞ》くように、右瞻左瞻《とみこうみ》て、
「和女《あんた》、因果やな、ほんとに、三味線は弾けぬかい。ペンともシャンとも。」
 で、わざと慰めるように吻々《ほほ》と笑った。
 人の情《なさけ》に溶けたと見える……氷る涙の玉を散らして、はっと泣いた声の下で、
「はい、願掛けをしましても、塩断ちまでしましたけれど、どうしても分りません、調子が一つ出来ません。性来《うまれつき》でござんしょう。」
 師走の闇夜《やみよ》に白梅《しらうめ》の、面《おもて》を蝋《ろう》に照らされる。
「踊もかい。」
「は……い、」
「泣くな、弱虫、さあ一つ飲まんか! 元気をつけて。向後どこへか呼ばれた時は、怯《おび》えるなよ。気の持ちようでどうにもなる。ジャカジャカと引鳴らせ、糸瓜《へちま》の皮で掻廻すだ。琴《こと》も胡弓《こきゅう》も用はない。銅鑼鐃※[#「金へん+祓のつくり」、第3水準1-93-6、420-6]《どらにょうはち》を叩けさ。簫《しょう》の笛をピイと遣れ、上手下手は誰にも分らぬ。それなら芸なしとは言われまい。踊が出来ずば体操だ。一、」
 と左右へ、羽織の紐の断《き》れるばかり大手を拡げ、寛濶《かんかつ》な胸を反らすと、
「二よ。」と、庄屋殿が鉄砲二つ、ぬいと前へ突出いて、励ますごとく呵々《からから》と弥次郎兵衛、
「これ、その位な事は出来よう。いや、それも度胸だな。見た処、そのように気が弱くては、いかな事も遣《やっ》つけられまい、可哀相に。」と声が掠《かす》れる。
「あの……私が、自分から、言います事は出来ません、お恥《はずか》しいのでございますが、舞の真似《まね》が少しばかり立てますの、それもただ一ツだけ。」
 と云う顔を俯向《うつむ》いて、恥かしそうにまた手を支《つ》く。
「舞えるかえ、舞えるのかえ。」
 と女中は嬉しそうな声をして、
「おお、踊や言うで明かんのじゃ。舞えるのなら立っておくれ。このお座敷、遠慮は入《い》らん。待ちなはれ、地が要ろう。これ喜野、あすこの広間へ行ってな、内の千がそう言うたて、誰でも弾けるのを借りて来やよ。」
 とぽんとしていた小女の喜野が立とうとする、と、名告《なの》ったお千が、打傾いて、優しく口許をちょいと曲げて傾いて、
「待って、待って、」

       十七

「いつもと違う。……一度軍隊へ行きなさると、日曜でのうては出られぬ、……お国のためやで、馴《な》れぬ苦労もしなさんす。新兵さんの送別会や。女衆が大勢居ても、一人抜けてもお座敷が寂しくなるもの。
 可いわ、旅の恥は掻棄てを反対《あべこべ》なが、一泊りのお客さんの前、私が三味線を掻廻そう。お三重さん、立つのは何? 有るものか、無いものか言うも行過ぎた……有るものとて無いけれど、どうにか間に合わせたいものではある。」
「あら、姉さん。」
 と、三味線取りに立とうとした、お千の膝を、袖で圧《おさ》えて、ちとはなじろんだ、お三重の愛嬌《あいきょう》。
「糸に合うなら踊ります。あのな、私のはな、お能の舞の真似なんです。」と、言いも果てず、お千の膝に顔を隠して、小父者《おじご》と捻平に背向《そがい》になった初々しさ。包ましやかな姿ながら、身を揉《も》む姿の着崩れして、袖を離れて畳に長い、襦袢の袖は媚《なまめ》かしい。
「何、その舞を舞うのかい。」と弥次郎兵衛は一言云う。
 捻平膝の本をばったり伏せて、
「さて、飲もう。手酌でよし。ここで舞なぞは願い下げじゃ。せめてお題目の太鼓にさっしゃい。ふあはははは、」となぜか皺枯《しわが》れた高笑い、この時ばかり天井に哄《どっ》と響いた。
「捻平さん、捻さん。」
「おお。」
 と不性《ぶしょう》げにやっと応《こた》える。
「何も道中の話の種じゃ、ちょっと見物をしようと思うね。」
「まず、ご免じゃ。」
「さらば、其許《そのもと》は目を瞑《ねむ》るだ。」
「ええ、縁起の悪い事を言わさる。……明日にも江戸へ帰って、可愛い孫娘の顔を見るまでは、死んでもなかなか目は瞑《ねむ》らぬ。」
「さてさて捻《ねじ》るわ、ソレそこが捻平さね。勝手になされ。さあ、あの娘《こ》立ったり、この爺様《じいさま》に遠慮は入らぬぞ。それ、何にも芸がないと云うて肩腰をさすろうと卑下をする。どんな真似でも一つ遣れば、立派な芸者の面目《めんぼく》が立つ。祝儀取るにも心持が可《よ》かろうから、是非見たい。が、しかし心のままにしなよ、決して勤《つとめ》を強いるじゃないぞ。」
「あんなに仰有《おっしゃ》って下さるもの。さあ、どんな事するのや知らんが、まずうても大事ない、大事ない、それ、支度は入らぬかい。」
「あい、」
 とわずかに身を起すと、紫の襟を噛《か》むように――ふっくりしたのが、あわれに窶《やつ》れた――頤《おとがい》深く、恥かしそうに、内懐《うちぶところ》を覗《のぞ》いたが、膚身《はだみ》に着けたと思わるる、……胸やや白き衣紋《えもん》を透かして、濃い紫の細い包、袱紗《ふくさ》の縮緬《ちりめん》が飜然《ひらり》と飜《かえ》ると、燭台に照って、颯《さっ》と輝く、銀の地の、ああ、白魚《しらうお》の指に重そうな、一本の舞扇。
 晃然《きらり》とあるのを押頂くよう、前髪を掛けて、扇をその、玉簪《ぎょくさん》のごとく額に当てたを、そのまま折目高にきりきりと、月の出汐《でしお》の波の影、静《しずか》に照々《てらてら》と開くとともに、顔を隠して、反らした指のみ、両方親骨にちらりと白い。
 また川口の汐加減《しおかげん》、隣の広間の人動揺《ひとどよ》めきが颯と退《ひ》く。
 と見れば皎然《こうぜん》たる銀の地に、黄金の雲を散らして、紺青《こんじょう》の月、ただ一輪を描いたる、扇の影に声澄みて、
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「――その時あま人|申様《もうすよう》、もしこのたまを取得たらば、この御子《みこ》を世継の御位《みくらい》になしたまえと申《もうし》しかば、子細《しさい》あらじと領承したもう、さて我子ゆえに捨ん命、露ほども惜《おし》からじと、千尋《ちひろ》のなわを腰につけ、もしこの玉をとり得たらば、このなわを動かすべし、その時人々ちからをそえ――」
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 と調子が緊《しま》って、
「……ひきあげたまえと約束し、一《ひとつ》の利剣を抜持って、」
 と扇をきりりと袖を直す、と手練《てだれ》ぞ見ゆる、自《おのず》から、衣紋の位に年|長《た》けて、瞳を定めたその顔《かんばせ》。硝子《がらす》戸越に月さして、霜の川浪|照添《てりそ》う俤《おもかげ》。膝|立据《たてす》えた畳にも、燭台《しょくだい》の花颯と流るる。
「ああ、待てい。」
 と捻平、力の籠《こも》った声を掛けた。

       十八

 で、火鉢をずっと傍《そば》へ引いて、
「女中、もちっとこれへ火をおくれ。いや、立つに及ばん。その、鉄瓶をはずせば可《よ》し。」と捻平がいいつける。
 この場合なり、何となく、お千も起居《たちい》に身体《からだ》が緊《しま》った。
 静《しずか》に炭火を移させながら、捻平は膝をずらすと、革鞄《かばん》などは次の室《ま》へ……それだけ床の間に差置いた……車の上でも頸《うなじ》に掛けた風呂敷包を、重いもののように両手で柔《やわら》かに取って、膝の上へ据えながら、お千の顔を除《よ》けて、火鉢の上へ片手を裏表かざしつつ、
「ああ、これ、お三重さんとか言うの、そのお娘《こ》、手を上げられい。さ、手を上げて、」
 と言う。……お三重は利剣で立とうとしたのを、慌《あわただ》しく捻平に留められたので、この時まで、差開いたその舞扇が、唇の花に霞むまで、俯向《うつむ》いた顔をひたと額につけて、片手を畳に支《つ》いていた。こう捻平に声懸けられて、わずかに顔を振上げながら、きりきりと一まず閉じると、その扇を畳むに連れて、今まで、濶《かっ》と瞳を張って見据えていた眼《まなこ》を、次第に塞《ふさ》いだ弥次郎兵衛は、ものも言わず、火鉢のふちに、ぶるぶると震う指を、と支えた態《なり》の、巻莨《まきたばこ》から、音もしないで、ほろほろと灰がこぼれる。
 捻平|座蒲団《さぶとん》を一膝《ひとひざ》出て、
「いや、更《あらた》めて、熟《とく》と、見せてもらおうじゃが、まずこっちへ寄らしゃれ。ええ、今の謡《うたい》の、気組みと、その形《かた》。教えも教えた、さて、習いも習うたの。
 こうまでこれを教うるものは、四国の果《はて》にも他《ほか》にはあるまい。あらかた人は分ったが、それとなく音信《たより》も聞きたい。の、其許《そこ》も黙って聞かっしゃい。」
 と弥次が方《かた》に、捻平|目遣《めづか》いを一つして、
「まず、どうして、誰から、御身《おみ》は習うたの。」
「はい、」
 と弱々と返事した。お三重はもう、他愛《たわい》なく娘になって、ほろりとして、
「あの、前刻《さっき》も申しましたように、不器用も通越した、調子はずれ、その上覚えが悪うござんして、長唄の宵や待ちの三味線《さみせん》のテンもツンも分りません。この間まで居《お》りました、山田の新町の姉さんが、朝と昼と、手隙《てすき》な時は晩方も、日に三度ずつも、あの噛《か》んで含めて、胸を割って刻込むように教えて下すったんでございますけれど、自分でも悲しい。……暁の、とだけ十日かかって、やっと真似だけ弾けますと、夢になってもう手が違い、心では思いながら、三の手が一へ滑《すべ》って、とぼけたような音《ね》がします。
 撥《ばち》で咽喉《のど》を引裂かれ、煙管《きせる》で胸を打たれたのも、糸を切った数より多い。
 それも何も、邪険でするのではないのです。……私が、な、まだその前に、鳥羽《とば》の廓《くるわ》に居ました時、……」
「ああ、お前さんは、鳥羽のものかい、志摩だな。」
 と弥次郎兵衛がフト聞入れた。
「いえ、私はな、やっぱりお伊勢なんですけれど、父《おとっ》さんが死《な》くなりましてから、継母《ままはは》に売られて行きましたの。はじめに聞いた奉公とは嘘のように違います。――お客の言うことを聞かぬ言うて、陸《おか》で悪くば海で稼げって、崕《がけ》の下の船着《ふなつき》から、夜になると、男衆に捉《つかま》えられて、小船に積まれて海へ出て、月があっても、島の蔭の暗い処を、危いなあ、ひやひやする、木の葉のように浮いて歩行《ある》いて、寂《しん》とした海の上で……悲しい唄を唄います。そしてお客の取れぬ時は、船頭衆の胸に響いて、女が恋しゅうなる禁厭《まじない》じゃ、お茶挽《ちゃひ》いた罰、と云って、船から海へ、びしゃびしゃと追下ろして、汐《しお》の干た巌《いわ》へ上げて、巌の裂目へ俯向《うつむ》けに口をつけさして、(こいし、こいし。)と呼ばせます。若い衆は舳《へさき》に待ってて、声が切れると、栄螺《さざえ》の殻をぴしぴしと打着《ぶッつ》けますの。汐風が濡れて吹く、夏の夜でも寒いもの。……私のそれは、師走から、寒の中《うち》で、八百|八島《やしま》あると言う、どの島も皆白い。霜風が凍りついた、巌の角は針のような、あの、その上で、(こいし、こいし。)って、唇の、しびれるばかり泣いている。咽喉《のど》は裂け、舌は凍って、潮《しお》を浴びた裙《すそ》から冷え通って、正体がなくなる処を、貝殻で引掻《ひっか》かれて、やっと船で正気が付くのは、灯《あかり》もない、何の船やら、あの、まあ、鬼の支《つ》いた棒見るような帆柱の下から、皮の硬《こわ》い大《おおき》な手が出て、引掴《ひッつか》んで抱込みます。
 空には蒼《あお》い星ばかり、海の水は皆黒い。暗《やみ》の夜の血の池に落ちたようで、ああ、生きているか……千鳥も鳴く、私も泣く。……お恥かしゅうござんす。」
 と翳《かざ》す扇の利剣に添えて、水のような袖をあて、顔を隠したその風情。人は声なくして、ただ、ちりちりと、蝋燭《ろうそく》の涙《なんだ》白く散る。
 この物語を聞く人々、いかに日和山の頂より、志摩の島々、海の凪《なぎ》、霞の池に鶴の舞う、あの、麗朗《うららか》なる景色を見たるか。

       十九

「泣いてばかりいますから、気の荒いお船頭が、こんな泣虫を買うほどなら、伊良子崎の海鼠《なまこ》を蒲団《ふとん》で、弥島《やしま》の烏賊《いか》を遊ぶって、どの船からも投出される。
 また、あの巌《いわ》に追上げられて、霜風の間々《あいあい》に、(こいし、こいし。)と泣くのでござんす。
 手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海の果《はて》まで響いて欲しい。もう船も去《い》ね、潮も来い。……そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、あの、」
 と乱れた襦袢の袖を銜《くわ》えた、水紅色《ときいろ》映る瞼《まぶた》のあたり、ほんのりと薄くして、
「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。……芸も容色《きりょう》もないものが、生意気を云うようですが、……たとい殺されても、死んでもと、心願掛けておりました。
 ある晩も、やっぱり蒼《あお》い灯の船に買われて、その船頭衆の言う事を肯《き》かなかったので、こっちの船へ突返されると、艫《とも》の処に行火《あんか》を跨《また》いで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若い衆《しゅ》がな、玉代《ぎょくだい》だけ損をしやはれ、此方衆《こなたしゅう》の見る前で、この女を、海士《あま》にして慰もうと、月の良い晩でした。
 胴の間で着物を脱がして、膚《はだ》の紐へなわを付けて、倒《さかさま》に海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと思う時、釣瓶《つるべ》のようにきりきりと、身体《からだ》を車に引上げて、髪の雫《しずく》も切らせずに、また海へ突込《つッこ》みました。
 この時な、その繋《かか》り船に、長崎辺の伯父が一人乗込んでいると云うて、お小遣《こづかい》の無心に来て、泊込んでおりました、二見から鳥羽がよいの馬車に、馭者《ぎょしゃ》をします、寒中、襯衣《しゃつ》一枚に袴服《ずぼん》を穿《は》いた若い人が、私のそんなにされるのが、あんまり可哀相な、とそう云うて、伊勢へ帰って、その話をしましたので、今、あの申しました。……
 この間までおりました、古市の新地《しんまち》の姉さんが、随分なお金子《かね》を出して、私を連れ出してくれましたの。
 それでな、鳥羽の鬼へも面当《つらあて》に、芸をよく覚えて、立派な芸子になれやッて、姉さんが、そうやって、目に涙を一杯ためて、ぴしぴし撥《ばち》で打《ぶ》ちながら、三味線を教えてくれるんですが、どうした因果か、ちっとも覚えられません。
 人さしと、中指と、ちょっとの間を、一日に三度ずつ、一週間も鳴らしますから、近所隣も迷惑して、御飯もまずいと言うのですえ。
 また月の良い晩でした。ああ、今の御主人が、親切なだけなお辛い。……何の、身体《からだ》の切ない、苦しいだけは、生命《いのち》が絶えればそれで済む。いっそまた鳥羽へ行って、あの巌《いわ》に掴《つか》まって、(こいし、こいし、)と泣こうか知らぬ、膚の紐になわつけて、海へ入れられるが気安いような、と島も海も目に見えて、ふらふらと月の中を、千鳥が、冥土《めいど》の使いに来て、連れて行かれそうに思いました。……格子|前《さき》へ流しが来ました。
 新町の月影に、露の垂りそうな、あの、ちらちら光る撥音《ばちおと》で、
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……博多帯しめ、筑前絞り――
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 と、何とも言えぬ好《い》い声で。
(へい、不調法、お喧《やかま》しゅう、)って、そのまま行《ゆ》きそうにしたのです。
(ああ、身震《みぶるい》がするほど上手《うま》い、あやかるように拝んで来な、それ、お賽銭《さいせん》をあげる気で。)
 と滝縞《たきじま》お召《めし》の半纏《はんてん》着て、灰に袖のつくほどに、しんみり聞いてやった姉さんが、長火鉢の抽斗《ひきだし》からお宝を出して、キイと、あの繻子《しゅす》が鳴る、帯へ挿《はさ》んだ懐紙に捻《ひね》って、私に持たせなすったのを、盆に乗せて、戸を開けると、もう一二|間《けん》行きなさいます。二人の間にある月をな、影で繋《つな》いで、ちゃっと行って、
(是喃《こいし》。)と呼んで、出した盆を、振向いてお取りでした。私や、思わずその手に縋《すが》って、涙がひとりでに出ましたえ。男で居ながら、こんなにも上手な方があるものを、切《せ》めてその指一本でも、私の身体《からだ》についたらばと、つい、おろおろと泣いたのです。
 頬被《ほおかむり》をしていなすった。あのその、私の手を取ったまま――黙って、少し脇の方へ退《の》いた処で、(何を泣く、)って優しい声で、その門附が聞いてくれます。もう恥も何も忘れてな、その、あの、どうしても三味線の覚えられぬ事を話しました。」

       二十

「よく聞いて、しばらく熟《じっ》と顔を見ていなさいました。
(芸事の出来るように、神へ願懸《がんがけ》をすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中が危《あぶな》い、この入口まで来て待ってやる、化《ばか》されると思うな、夢ではない。……)
 とお言いのなり、三味線を胸に附着《くッつ》けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を去《い》きなさいます。……
 その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離《こり》取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。
 殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、門《かど》を視《なが》めて、立っているとな。
(おいで、)
 と云って、突然《いきなり》、背後《うしろ》から手を取りなすった、門附のそのお方。
 私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様に攫《さら》われるかと思いましたえ。
 あとは夢やら現《うつつ》やら。明方内へ帰ってからも、その後《あと》は二日も三日もただ茫《ぼう》としておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川の流《ながれ》の音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後《うしろ》から背中を抱いて下さいますと、私の身体《からだ》が、舞いました。それだけより存じません。
 もっとも、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、その身の上も話しました。その方は不思議な事で、私とは敵《かたき》のような中だ事も、いろいろ入組んではおりますけれど、鼓ヶ嶽の裾の話は、誰にも言うな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。
 五日目に、もう可いから、これを舞って座敷をせい。芸なし、とは言うまい、ッて、お記念《かたみ》なり、しるしなりに、この舞扇を下さいました。」
 と袖で胸へしっかと抱いて、ぶるぶると肩を震わした、後毛《おくれげ》がはらりとなる。
 捻平|溜息《ためいき》をして頷《うなず》き、
「いや、よく分った。教え方も、習い方も、話されずとよく分った。時に、山田に居て、どうじゃな、その舞だけでは勤まらなんだか。」
「はい、はじめて謡《うた》いました時は、皆《みんな》が、わっと笑うやら、中には恐《おそろし》い怖《こわ》いと云う人もござんす。なぜ言うと、五日ばかり、あの私がな、天狗様に誘い出された、と風説《うわさ》したのでござんすから。」
「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にも謡《うたい》うたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」
「ええ、物好《ものずき》に試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が、何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにお留《や》めなさいましたの。」
「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわな謡《うたい》は断《ちぎ》れて飛ぶじゃよ。ははははは、唸《うな》る連中|粉灰《こっぱい》じゃて。かたがたこの桑名へ、住替えとやらしたのかの。」
「狐狸や、いや、あの、吠《ほ》えて飛ぶ処は、梟《ふくろ》の憑物《つきもの》がしよった、と皆|気違《きちがい》にしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言って下さいましたけれど、……周囲《まわり》の人が承知しませず、……この桑名の島屋とは、行《ゆき》かいはせぬ遠い中でも、姉さんの縁続きでござんすから、預けるつもりで寄越《よこ》されましたの。」
「おお、そこで、また辛い思《おもい》をさせられるか。まずまず、それは後でゆっくり聞こう。……そのお娘《こ》、私《わし》も同一《おんなじ》じゃ。天魔でなくて、若い女が、術《わざ》をするわと、仰天したので、手を留めて済まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀じゃろうが一さし頼む。私《わし》も久《ひさし》ぶりで可懐《なつか》しい、御身《おんみ》の姿で、若師匠の御意を得よう。」
 と言《ことば》の中《うち》に、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手が画《えが》いたような、紅《あか》い調《しらべ》は立田川《たつたがわ》、月の裏皮、表皮。玉の砧《きぬた》を、打つや、うつつに、天人も聞けかしとて、雲井、と銘《めい》ある秘蔵の塗胴《ぬりどう》。老《おい》の手捌《てさば》き美しく、錦《にしき》に梭《ひ》を、投ぐるよう、さらさらと緒を緊《し》めて、火鉢の火に高く翳《かざ》す、と……呼吸《いき》をのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手を支《つ》いた。
 芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳の翁《おきな》、辺見秀之進。近頃孫に代《よ》を譲って、雪叟《せっそう》とて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。
 いざや、小父者《おじご》は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、すなわちこれ。
 この二人は、侯爵《こうしゃく》津の守《かみ》が、参宮の、仮の館《やかた》に催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった。

       二十一

 さて、饂飩屋《うどんや》では門附の兄哥《あにい》が語り次ぐ。
「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が謡出《うたいだ》した。
 聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩|鍼《はり》の芸ではない。……戸外《おもて》をどッどと吹く風の中へ、この声を打撒《ぶちま》けたら、あのピイピイ笛ぐらいに纏《まと》まろうというもんです。成程、随分|夥間《なかま》には、此奴《こいつ》に(的等。)扱いにされようというのが少くない。
 が、私に取っちゃ小敵《しょうてき》だった。けれども芸は大事です、侮《あなど》るまい、と気を緊《し》めて、そこで、膝を。」
 と坐直《すわりなお》ると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の衣紋《えもん》が緊《しま》る。
「……この膝を丁《ちょう》と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常《ただ》んじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、小児《こども》の時から、抱かれて習った相伝だ。対手《あいて》の節の隙間を切って、伸縮《のびちぢ》みを緊《し》めつ、緩めつ、声の重味を刎上《はねあ》げて、咽喉《のど》の呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾《めくらつんぼ》で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手《あいて》だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛《ひっかか》って、節が不状《ぶざま》に蹴躓《けつまず》く。三味線の間《あい》も同一《おんなじ》だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ刎《は》ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、糠《ぬか》に釘でぐしゃりとならあね。
 さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏《おっぷ》せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失《あやまち》、こっちは畜生の浅猿《あさま》しさだが、対手《あいて》は素人の悲しさだ。
 あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝《つ》と汗を流し、死声《しにごえ》を振絞ると、頤《あご》から胸へ膏《あぶら》を絞った……あのその大きな唇が海鼠《なまこ》を干したように乾いて来て、舌が硬《こわ》って呼吸《いき》が発奮《はず》む。わなわなと震える手で、畳を掴《つか》むように、うたいながら猪口《ちょこ》を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ前《さき》、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹《したっぱら》へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。
 はっと火のような呼吸《いき》を吐く、トタンに真俯向《まうつむ》けに突伏《つッぷ》す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗《な》めた。
(先生、御病気か。)
 って私あ莞爾《にっこり》したんだ。
(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に聾《つんぼ》になっても、貴下《あなた》のを一番、聞かずには死なれぬ。)
 と拳《こぶし》を握って、せいせい言ってる。
(按摩さん。)
 と私は呼んで、
(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)
(何んで、)
 と聞く。
(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢《けはい》を知るとさ――たださえ目敏《めざと》い老人《としより》が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)
 ト宗山が、凝《じっ》と塞《ふさ》いだ目を、ぐるぐると動かして、
(暫《しばら》く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお少《わか》さ。まだ一度《ひとたび》も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
 と私の名をちゃんと言う。
 ああ、酔った、」
 と杯をばたりと落した。
「饒舌《しゃべ》って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
 と鷹揚《おうよう》で、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布《わかめ》の附焼でも土産に持って、東海道を這《は》い上れ。恩地の台所から音信《おとず》れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽《こま》を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
 とずっと立つ。

       二十二

「痘瘡《あばた》の中に白眼《しろまなこ》を剥《む》いて、よたよたと立上って、憤《いきどお》った声ながら、
(可懐《なつかし》いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫《ひとな》で、撫でさせて下され。)
 と言う。
 いや、撫られて堪《たま》りますか。
 摺抜《すりぬ》けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目《めくら》でも自分の家《うち》だ。
 素早く、階子段《はしごだん》の降口を塞《ふさ》いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ懸《かか》って、充満《いっぱい》の黒坊主が、汗膏《あせあぶら》を流して撫じょうとする。
 いや、その嫉妬《しっと》執着《しゅうぢゃく》の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
(可厭《いや》だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々《ごうごう》と当る。ただ黒雲に捲《ま》かれたようで、可恐《おそろ》しくなった、凄《すご》さは凄し。
 衝《つ》と、引潜《ひっくぐ》って、ドンと飛び摺りに、どどどと駈《か》け下りると、ね。
(袖《そで》や、止めませい。)
 と宗山が二階で喚《わめ》いた。皺枯声《しわがれごえ》が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口《かどぐち》で、しっかり掴《つか》まる。吹きつけて揉《も》む風で、颯《さっ》と紅《あか》い褄《つま》が搦《から》むように、私に縋《すが》ったのが、結綿《ゆいわた》の、その娘です。
 背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の妾《めかけ》だろう。
 ものを言う清《すずし》い、張《はり》のある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。
(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物《おもちゃ》にされるな。)
 と言捨てに突放《つッぱな》す。
(あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、砂塵《しゃじん》の中へ、や、躍込むようにして一散に駈《か》けて返った。
 後《のち》に知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の仇敵《かたき》でも、私《わっし》あ退治るんじゃなかったんだ。」
 と不意にがッくりと胸を折って俯向《うつむ》くと、按摩の手が、肩を辷《すべ》って、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、
「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅く居《お》らん、と言え、と宿のものへ吩附《いいつ》けた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、引被《ひっかぶ》って、可《いい》心持に寝たんだが。
 ああ、寝心の好《い》い思いをしたのは、その晩きりさ。
 なぜッて、宗山がその夜の中《うち》に、私に辱《はずかし》められたのを口惜《くや》しがって、傲慢《ごうまん》な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀に祟《たた》る、と手探りでにじり書《がき》した遺書《かきおき》を残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの広場《ひろっぱ》の雑樹へ下《さが》って、夜《よ》が明けて、やッと小止《こやみ》になった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。
 こっちは何にも知らなかろう、風は凪《な》ぐ、天気は可《よし》。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝の中《うち》、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を桟敷《さじき》に、山の上に、海を青畳《あおだたみ》にして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。
 旅籠《はたご》の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。大袈裟《おおげさ》な事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と遺書《かきおき》とで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山の留《とどめ》を刺したほどの豪《えら》い方々、是非に一日、山田で謡《うたい》が聞かして欲しい、と羽織袴《はおりはかま》、フロックで押寄せたろう。
 いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後|一切《いっせつ》、謡を口にすること罷成《まかりな》らん。立処《たちどころ》に勘当だ。さて宗山とか云う盲人、己《おの》が不束《ふつつか》なを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の鬼神《おにがみ》なれば、自分は、葬式《とむらい》の送迎《おくりむかい》、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。
 あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい歩行《ある》く、門附の果敢《はかな》い身の上。」

       二十三

「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一|挺《ちょう》、古道具屋の店にあったを工面《くめん》したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ夜《よ》も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と経《へ》めぐって、西は博多まで行ったっけ。
 何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……
 私が言ったただ一言《ひとこと》、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、生命《いのち》がけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の思出《おもいで》だ。
 どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、女房《おかみ》さん。」
 と呼びかけた。
「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で竹法螺《たけぼら》吹くも同然だが、東《あずま》へ上って、箱根の山のどてっぱらへ手が掛《かか》ると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、今切《いまぎれ》は越せません。これから大泉原《おおいずみはら》、員弁《いなべ》、阿下岐《あげき》をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越《ひだごえ》で、北国《ほっこく》筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日《きのう》だった。
 その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこの家《うち》へ飛込んだ。が、流《ながし》の笛が身体《からだ》に刺《ささ》る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐《おそろ》しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを引《ひき》つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ掴《つかま》ってもらったんだ。
 が、筋を抜かれる、身を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77、441-6]《むし》られる、私が五体は裂けるようだ。」
 とまた差俯向《さしうつむ》く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと戦《おのの》きながら、背中に獅噛《しが》んだ面《つら》の附着《くッつ》く……門附の袷《あわせ》の褪《あ》せた色は、膚薄《はだうす》な胸を透かして、動悸《どうき》が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛《つちぐも》一つ搦《から》みついたように凄《すご》く見える。
「誰や!」
 と、不意に吃驚《びっくり》したような女房の声、うしろ見られる神棚の灯《ともし》も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、門《かど》の腰障子に穴があいた。それを見咎《みとが》めて一つ喚《わめ》く、とがたがたと、跫音《あしおと》高く、駈《か》け退《の》いたのは御亭どの。
 いや、困った親仁《おやじ》が、一人でない、薪雑棒《まきざっぽう》、棒千切《ぼうちぎ》れで、二人ばかり、若いものを連れていた。

「御老体、」
 雪叟が小鼓を緊《し》めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然《げんぜん》として顧みて、
「破格のお附合い、恐《おそれ》多いな。」
 と膝に扇を取って会釈をする。
「相変らず未熟でござる。」
 と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。
「平に、それは。」
「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」
「は、その娘《こ》の舞が、甥《おい》の奴の俤《おもかげ》ゆえに、遠慮した、では私も、」
 と言った時、左右へ、敷物を斉《ひと》しく刎《は》ねた。
「嫁女、嫁女、」
 と源三郎、二声呼んで、
「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、更《あらた》めて一さし舞え。」
 二人の名家が屹《きっ》と居直る。
 瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚《うっとり》と見詰めながら、よろよろと引退《ひきさが》る、と黒髪うつる藤紫、肩も腕《かいな》も嬌娜《なよやか》ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々《りんりん》と、
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
 肩に綾《あや》なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、艶《つや》が添って、名誉が籠《こ》めた心の花に、調《しらべ》の緒の色、颯《さっ》と燃え、ヤオ、と一つ声が懸《かか》る。
「あっ、」
 とばかり、屹《きっ》と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と惜《おし》まれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几《しょうぎ》から、衝《つ》と片足を土間に落して、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を揉《も》んだ、胸を切《せ》めて、慌《あわただ》しく取って蔽《おお》うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手《めて》を掴《つか》んで、按摩の手をしっかと取った。
「祟《たた》らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の門《かど》まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」
 と、引立《ひった》てて、ずいと出た。
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「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ置《おき》、香花《こうげ》を備え、守護神は八竜|並居《なみい》たり、その外悪魚|鰐《わに》の口、遁《のが》れがたしや我《わが》命、さすが恩愛の故郷《ふるさと》のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」
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 その時、漲《みなぎ》る心の張《はり》に、島田の元結《もとゆい》ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に揺《ゆら》めき、畳の海は裳《もすそ》に澄んで、塵《ちり》も留《とど》めぬ舞振《まいぶり》かな。
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「(源三郎)……我子《わがこ》は有《あ》らん、父大臣もおわすらむ……」
[#ここで字下げ終わり]
 と声が幽《かす》んで、源三郎の地《じ》謡う節が、フト途絶えようとした時であった。
 この湊屋の門口で、爽《さわやか》に調子を合わした。……その声、白き虹《にじ》のごとく、衝《つ》と来て、お三重の姿に射《さ》した。
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「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ果《はて》なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
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「やあ、大事な処、倒れるな。」
 と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の背《せな》を支えた、老《おい》の腕《かいな》に女浪《めなみ》の袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、颯《さっ》と翳《かざ》すや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、灯《ともしび》を白《しら》めて舞うのである。
 舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと大鼓《おおかわ》の拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓の響《ひびき》に汀《みぎわ》を打てば、多度山《たどさん》の霜の頂、月の御在所ヶ嶽《たけ》の影、鎌ヶ嶽、冠《かむり》ヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ気勢《けはい》あり。
 小夜《さよ》更けぬ。町|凍《い》てぬ。どことしもなく虚空《おおぞら》に笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿|蒼《あお》く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く廂《ひさし》を照らして、渠《かれ》の面《おもて》に、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
「(喜多八)……また思切って手を合せ、南無《なむ》や志渡寺《しどじ》の観音|薩※[#「土へん+垂」、第3水準1-15-51、444-9]《さった》の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ退《の》いたりける、」
[#ここで字下げ終わり]
 と謡い澄ましつつ、
「背《せな》を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた状《さま》して、先刻《さっき》からその裾に、大きく何やら踞《うずく》まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷《ひっし》くがごとくにした。
 路一筋白くして、掛行燈《かけあんどん》の更けたかなたこなた、杖を支《つ》いた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。
[#地から1字上げ]明治四十三(一九一〇)年一月



底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
   1942(昭和17)年7月刊行開始
※底本で句点が抜けている箇所は親本を参照して補いました。
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2002年1月9日公開
2003年5月18日修正
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