青空文庫アーカイブ

草迷宮
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蛇《じゃ》が立って、

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一夏|激《はげし》い暑さに

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)きょろきょろと※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまわ》して
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[#ここから4字下げ]
向うの小沢に蛇《じゃ》が立って、
八幡《はちまん》長者の、おと娘、
よくも立ったり、巧んだり。
手には二本の珠《たま》を持ち、
足には黄金《こがね》の靴を穿《は》き、
ああよべ、こうよべと云いながら、
山くれ野くれ行ったれば…………
[#ここで字下げ終わり]

       一

 三浦の大崩壊《おおくずれ》を、魔所だと云う。
 葉山一帯の海岸を屏風《びょうぶ》で劃《くぎ》った、桜山の裾《すそ》が、見も馴《な》れぬ獣《けもの》のごとく、洋《わだつみ》へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子《ずし》から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分《ころ》、人死《ひとじに》のあるのは、この辺ではここが多い。
 一夏|激《はげし》い暑さに、雲の峰も焼いた霰《あられ》のように小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になって覆《こぼ》れそうな日盛《ひざかり》に、これから湧《わ》いて出て人間になろうと思われる裸体《はだか》の男女が、入交《いりまじ》りに波に浮んでいると、赫《かっ》とただ金銀銅鉄、真白《まっしろ》に溶けた霄《おおぞら》の、どこに亀裂《ひび》が入ったか、破鐘《われがね》のようなる声して、
「泳ぐもの、帰れ。」と叫んだ。
 この呪詛《のろい》のために、浮べる輩《やから》はぶくりと沈んで、四辺《あたり》は白泡《しらあわ》となったと聞く。
 また十七ばかり少年の、肋膜炎《ろくまくえん》を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐《おそろし》く身体《からだ》を気にして、自分で病理学まで研究して、0,[#「,」は天地左右中央]などと調合する、朝夕《ちょうせき》検温気で度を料《はか》る、三度の食事も度量衡《はかり》で食べるのが、秋の暮方、誰も居ない浪打際を、生白い痩脛《やせずね》の高端折《たかはしょり》、跣足《はだし》でちょびちょび横|歩行《ある》きで、日課のごとき運動をしながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
 と呟《つぶや》くと、頭上の崖《がけ》の胴中《どうなか》から、異声を放って、
「親孝行でもしろ――」と喚《わめ》いた。
 ために、その少年は太《いた》く煩い附いたと云う。
 そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊《おおくずれ》へ上《のぼ》るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬《くわ》を杖支《つえつ》き、船頭は舳《みよし》に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
 実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研《やげん》を俯向《うつむ》けに伏せたようで、跨《また》ぐと鐙《あぶみ》の無いばかり。馬の背に立つ巌《いわお》、狭く鋭く、踵《くびす》から、爪先《つまさき》から、ずかり中窪《なかくぼ》に削った断崖《がけ》の、見下ろす麓《ふもと》の白浪に、揺落《ゆりおと》さるる思《おもい》がある。
 さて一方は長者園の渚《なぎさ》へは、浦の波が、静《しずか》に展《ひら》いて、忙《せわ》しくしかも長閑《のどか》に、鶏《とり》の羽《は》たたく音がするのに、ただ切立《きった》ての巌《いわ》一枚、一方は太平洋の大濤《おおなみ》が、牛の吼《ほ》ゆるがごとき声して、緩《ゆるや》かにしかも凄《すさま》じく、うう、おお、と呻《うな》って、三崎街道の外浜に大|畝《うね》りを打つのである。
 右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若《かきつばた》咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎《かもめ》が舞い、沖を黒煙《くろけむり》の竜が奔《はし》る。
 これだけでも眩《めくるめ》くばかりなるに、蹈《ふ》む足許《あしもと》は、岩のその剣《つるぎ》の刃を渡るよう。取縋《とりすが》る松の枝の、海を分けて、種々《いろいろ》の波の調べの懸《かか》るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上《よじのぼ》った喘《あえ》ぎも留《や》まぬに、汗を冷《つめと》うする風が絶えぬ。
 さればとて、これがためにその景勝を傷《きずつ》けてはならぬ。大崩壊《おおくずれ》の巌《いわお》の膚《はだ》は、春は紫に、夏は緑、秋|紅《くれない》に、冬は黄に、藤を編み、蔦《つた》を絡《まと》い、鼓子花《ひるがお》も咲き、竜胆《りんどう》も咲き、尾花が靡《なび》けば月も射《さ》す。いで、紺青《こんじょう》の波を蹈んで、水天の間に糸のごとき大島山に飛ばんず姿。巨匠が鑿《のみ》を施した、青銅の獅子《しし》の俤《おもかげ》あり。その美しき花の衣は、彼が威霊を称《たた》えたる牡丹花《ぼたんか》の飾《かざり》に似て、根に寄る潮の玉を砕くは、日に黄金《こがね》、月に白銀、あるいは怒り、あるいは殺す、鋭《と》き大自在の爪かと見ゆる。

       二

 修業中の小次郎法師が、諸国一見の途次《みちすがら》、相州三崎まわりをして、秋谷《あきや》の海岸を通った時の事である。
 件《くだん》の大崩壊《おおくずれ》の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり前途《ゆくて》に見渡す、街道|端《ばた》の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島と富士とを、簾《すだれ》に透かして描いたような、ちょっとした葭簀張《よしずばり》の茶店に休むと、媼《うば》が口の長い鉄葉《ブリキ》の湯沸《ゆわかし》から、渋茶を注《つ》いで、人皇《にんのう》何代の御時《おんとき》かの箱根細工の木地盆に、装溢《もりこぼ》れるばかりなのを差出した。
 床几《しょうぎ》の在処《ありか》も狭いから、今注いだので、引傾《ひっかたむ》いた、湯沸の口を吹出す湯気は、むらむらと、法師の胸に靡《なび》いたが、それさえ颯《さっ》と涼しい風で、冷い霧のかかるような、法衣《ころも》の袖は葭簀を擦って、外の小松へ飜る。
 爽《さわやか》な心持に、道中の里程を書いた、名古屋扇も開くに及ばず、畳んだなり、肩をはずした振分けの小さな荷物の、白木綿の繋《つな》ぎめを、押遣《おしや》って、
「千両、」とがぶりと呑み、
「ああ、旨《うま》い、これは結構。」と莞爾《にっこり》して、
「おいしいついでに、何と、それも甘《うま》そうだね、二ツ三ツ取って下さい。」
「はいはい、この団子でござりますか。これは貴方《あなた》、田舎出来で、沢山《たんと》甘くはござりませぬが、そのかわり、皮も餡子《あんこ》も、小米と小豆の生《き》一本でござります。」
 と小さな丸髷《まげ》を、ほくほくもの、折敷《おしき》の上へ小綺麗に取ってくれる。
 扇子《おうぎ》だけ床几に置いて、渋茶茶碗を持ったまま、一ツ撮《つま》もうとした時であった。
「ヒイ、ヒイヒイ!」と唐突《だしぬけ》に奇声を放った、濁声《だみごえ》の蜩《ひぐらし》一匹。
 法師が入った口とは対向《さしむか》い、大崩壊の方の床几のはずれに、竹柱に留まって前刻《さっき》から――胸をはだけた、手織|縞《じま》の汚れた単衣《ひとえ》に、弛《ゆる》んだ帯、煮染めたような手拭《てぬぐい》をわがねた首から、頸《うなじ》へかけて、耳を蔽《おお》うまで髪の伸びた、色の黒い、巌乗《がんじょう》造りの、身の丈抜群なる和郎《わろ》一人。目の光の晃々《きらきら》と冴《さ》えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇を垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろと※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまわ》していたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその体《てい》は、いずれ界隈《かいわい》の怠惰《なまけ》ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を吃《きっ》して、和郎の顔と、折敷の団子を見|較《くら》べた。
「串戯《じょうだん》ではない、お婆《ばあ》さん、お前は見懸けに寄らぬ剽軽《ひょうきん》ものだね。」
「何でござりますえ。」
「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か埴土《ねばつち》で製《こしら》えたのじゃないのかい。」
「滅相なことをおっしゃりまし。」
 と年寄《としより》は真顔になり、見上げ皺《じわ》を沢山《たんと》寄せて、
「何を貴方、勿体もない。私《わし》もはい法然様《ほうねんさま》拝みますものでござります。吝嗇坊《しわんぼう》の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」
 真正直《まっしょうじき》に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。
「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯《じょうだん》だが、旅をすれば色々の事がある。駿州《すんしゅう》の阿部川|餅《もち》は、そっくり正《しょう》のものに木で拵《こしら》えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」
 と其方《そなた》を見た、和郎はきょとんと仰向《あおむ》いて、烏も居《お》らぬに何じゃやら、頻《しきり》に空を仰いでござる。
「唐突《だしぬけ》に笑うから、ははあ、この団子も看板を取違えたのかと思ったんだよ。」
「ええ、ええ、いいえ、お前様、」
 とこざっぱりした前かけの膝《ひざ》を拍《たた》き、近寄って声を密《ひそ》め、
「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい、」
 と云って、独りで媼《うば》は頷《うなず》いた。問わせたまわば、その仔細《しさい》の儀は承知の趣。

       三

 小次郎法師は、掛茶屋《かけじゃや》の庇《ひさし》から、天《そら》へ蝙蝠《こうもり》を吹出しそうに仰向《あおむ》いた、和郎《わろ》の面《つら》を斜《ななめ》に見|遣《や》って、
「そう、気違いかい。私はまた唖《おうし》ででもあろうかと思った、立派な若い人が気の毒な。」
「お前様ね、一ツは心柄でござりますよ。」
 媼《うば》は、罪と報《むくい》を、且つ悟り且つあきらめたようなものいい。
「何か憑物《つきもの》でもしたというのか、暮し向きの屈託とでもいう事か。」
 と言い懸けて、渋茶にまた舌打しながら、円い茶の子を口の端《はた》へ持って行《ゆ》くと、さあらぬ方《かた》を見ていながら天眼通でもある事か、逸疾《いちはや》くぎろりと見附けて、
「やあ、石を噛《かじ》りゃあがる。」
 小次郎再び化転《けてん》して、
「あんな事を云うよ、お婆さん。」
「悪い餓鬼じゃ。嘉吉《かきち》や、主《ぬし》あ、もうあっちへ行《ゆ》かっしゃいよ。」
 その本体はかえって差措《さしお》き、砂地に這《は》った、朦朧《もうろう》とした影に向って、窘《たしな》めるように言った。
 潮は光るが、空は折から薄曇りである。
 法師もこれあるがために暗いような、和郎の影法師を伏目に見て、
「一ツ分けてやりましょうかね。団子が欲しいのかも知れん、それだと思いが可恐《おそろ》しい。ほんとうに石にでもなると大変。」
「食気《くいけ》の狂人《きちがい》ではござりませんに、御無用になさりまし。
 石じゃ、と申しましたのは、これでもいくらか、不断の事を、覚えていると見えまして、私《わし》がいつでもお客様に差上げますのを知っておりまして、今のように云うたのでござりましょ。
 また埴土《ねばつち》の団子じゃ、とおっしゃってはなりません。このお前様。」
 と、法師の脱いで立てかけた、檜笠《ひのきがさ》を両手に据えて、荷物の上へ直すついでに、目で教えたる葭簀《よしず》の外。
 さっくと削った荒造《あらづくり》の仁王尊が、引組《ひっく》む状《さま》の巌《いわ》続き、海を踏んで突立《つッた》つ間に、倒《さかさ》に生えかかった竹藪《たけやぶ》を一叢《ひとむら》隔てて、同じ巌《いわお》の六枚|屏風《びょうぶ》、月には蒼《あお》き俤立《おもかげだ》とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を縅《おど》した、鎧《よろい》の袖を※[#「さんずい+散」、125-12]《しぶき》に翳《かざ》す。
「あれを貴下《あなた》、お通りがかりに、御覧《ごろう》じはなさりませんか。」
 と背向《うしろむ》きになって小腰を屈《かが》め、姥《うば》は七輪の炭をがさがさと火箸《ひばし》で直すと、薬缶《やかん》の尻が合点で、ちゃんと据わる。
「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、大崩壊《おおくずれ》の突端《とっぱし》と睨《にら》み合いに、出張っておりますあの巌《いわ》を、」
 と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、
「あれ、あれでござります。」
 波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその巌端《いわばな》に打《うち》かかる。
「あの、岩一枚、子産石《こうみいし》と申しまして、小さなのは細螺《きしゃご》、碁石《ごいし》ぐらい、頃あいの御供餅《おそなえ》ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、平扁味《ひらたみ》のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。
 その平扁味な処が、恰好《かっこう》よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。
 随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、蓆戸《むしろど》の圧《おさ》えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に荷《にな》って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。
 随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩|汐時《しおどき》を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度|婆々《ばば》が御愛嬌《ごあいきょう》に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、
(婆さん、子は要らんが、女親を一つ寄越《よこ》せ。)
 なんて、おからかいなされまする。
 それを見い見い知っていて、この嘉吉の狂人《きちがい》が、いかな事、私《わし》があげましたものを召食《めしあが》ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」

       四

「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」
 と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の方《かた》を覗《のぞ》きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。
 トお茶|注《さ》しましょうと出しかけた、塗盆《ぬりぼん》を膝に伏せて、ふと黙って、姥《うば》は寂しそうに傾いたが、
「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。爺《じじい》殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈《あんどう》の薄寒さに、心細う、果敢《はか》ないにつけまして、小児衆《こどもしゅう》を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。
 長い月日の事でござりますから、里の人達は私等《わしら》が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」
 とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に顰《ひそ》みも見えず、温順に莞爾《にっこり》して、
「御新造様《ごしんぞさま》がおありなさりますれば、御坊様《ごぼうさま》にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」
「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方|勧化《かんげ》でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。
 しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは寂《さみ》しかろうね。」
「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お追従《ついしょう》のようでござりますが、仏様は御方便、難有《ありがた》いことでござります。こうやって愛想気《あいそっけ》もない婆々《ばば》が許《とこ》でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや賑《にぎ》やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。
 ああ、もしもし、」
 と街道へ、
「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。
 車輪のごとき大《おおき》さの、紅白|段々《だんだら》の夏の蝶、河床《かわどこ》は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の脚絆《きゃはん》、草鞋穿《わらじばき》、かすりの単衣《ひとえ》のまくり手に、その看板の洋傘《こうもり》を、手拭《てぬぐい》持つ手に差翳《さしかざ》した、三十《みそぢ》ばかりの女房で。
 あんぺら帽子を阿弥陀《あみだ》かぶり、縞《しま》の襯衣《しゃつ》の大膚脱《おおはだぬぎ》、赤い団扇《うちわ》を帯にさして、手甲《てっこう》、甲掛《こうがけ》厳重に、荷をかついで続くは亭主。
 店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、束髪《たばねがみ》の鬢《びん》が戦《そよ》いで、前《さき》を急ぐか、そのまま通る。
 前帯をしゃんとした細腰を、廂《ひさし》にぶらさがるようにして、綻《ほころ》びた脇の下から、狂人《きちがい》の嘉吉は、きょろりと一目。
 ふらふらと葭簀《よしず》を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと跣足《はだし》の砂路《すなみち》。
 ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、附着《くッつ》いたが、女房のその洋傘《こうもり》から伸《のし》かかって見越《みこし》入道。
「イヒヒ、イヒヒヒ、」
「これ、悪戯《いたずら》をするでないよ。」
 と姥が爪立《つまだ》って窘《たしな》めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。
 あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、
「傘や洋傘《こうもり》の繕い!――洋傘《こうもりがさ》張替《はりかえ》繕い直し……」
 蝉の鳴く音《ね》を貫いて、誰も通らぬ四辺《あたり》に響いた。
 隙《すか》さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を真中《まんなか》へ振込むと、流眄《しりめ》に一|睨《にら》み、直ぐ、急足《いそぎあし》になるあとから、和郎は、のそのそ――大《おおき》な影を引いて続く。
「御覧《ごろう》じまし、あの通り困ったものでござります。」
 法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白|段々《だんだら》の洋傘《こうもり》は、小さく鞠《まり》のようになって、人の頭《かしら》が入交《いれま》ぜに、空へ突きながら行《ゆ》くかと見えて、一条道《ひとすじみち》のそこまでは一軒の苫屋《とまや》もない、彼方《かなた》大崩壊の腰を、点々《ぽつぽつ》。

       五

「あれ、あの大崩壊《おおくずれ》の崖の前途《むこう》へ、皆が見えなくなりました。
 ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。唯今《ただいま》の狂人《きちがい》が、酒に酔って打倒《ぶったお》れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、私等《わしら》秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。
 その飲んだくれます事、怠ける工合《ぐあい》、まともな人間から見ますれば、真《ほん》に正気の沙汰《さた》ではござりませなんだが、それでもどうやら人並に、正月はめでたがり、盆は忙しがりまして、別に気が触れた奴《やつ》ではござりません。いつでも村の御祭礼《おまつり》のように、遊ぶが病気《やまい》でござりましたが、この春頃に、何と発心をしましたか、自分が望みで、三浦三崎のさる酒問屋《さかどいや》へ、奉公をしたでござります。
 つい夏の取着《とッつ》きに、御主人のいいつけで、清酒《すみざけ》をの、お前様、沢山《たんと》でもござりませぬ。三樽《みたる》ばかり船に積んで、船頭殿が一人、嘉吉めが上乗《うわの》りで、この葉山の小売|店《みせ》へ卸しに来たでござります。
 葉山森戸などへ三崎の方から帰ります、この辺のお百姓や、漁師たち、顔を知ったものが、途中から、乗《のっ》けてくらっせえ、明いてる船じゃ、と渡場《わたしば》でも船つきでもござりませぬ。海岸の岩の上や、磯《いそ》の松の根方から、おおいおおい、と板東声《ばんどうごえ》で呼ばり立って、とうとう五人がとこ押込みましたは、以上七人になりました、よの。
 どれもどれも、碌《ろく》でなしが、得手に帆じゃ。船は走る、口は辷《すべ》る、凪《なぎ》はよし、大話しをし草臥《くたぶ》れ、嘉吉めは胴の間《ま》の横木を枕に、踏反返《ふんぞりかえ》って、ぐうぐう高鼾《たかいびき》になったげにござります。
 路に灘《なだ》はござりませぬが、樽の香が芬々《ぷんぷん》して、鮹《たこ》も浮きそうな凪の好《よ》さ。せめて船にでも酔いたい、と一人が串戯《じょうだん》に言い出しますと、何と一樽|賭《か》けまいか、飲むことは銘々が勝手次第、勝負の上から代銭を払えば可《い》い、面白い、遣《や》るべいじゃ。
 煙管《きせる》の吸口ででも結構に樽へ穴を開ける徒《てあい》が、大びらに呑口切って、お前様、お船頭、弁当箱の空《あき》はなしか、といびつ形《なり》の切溜《きりだめ》を、大海でざぶりとゆすいで、その皮づつみに、せせり残しの、醤油かすを指のさきで嘗《な》めながら、まわしのみの煽《あお》っきり。
 天下晴れて、財布の紐《ひも》を外すやら、胴巻を解くやらして、賭博《なぐさみ》をはじめますと、お船頭が黙ってはおりませぬ。」
「叱言《こごと》を云って留めましたか。さすがは船頭、字で書いても船の頭《かしら》だね。」
 と真顔で法師の言うのを聞いて、姥《うば》は、いかさまな、その年少《としわか》で、出家でもしそうな人、とさも憐《あわれ》んだ趣で、
「まあ、お人の好《い》い。なるほど船頭を字に書けば、船の頭でござりましょ。そりゃもう船の頭だけに、極《きま》り処はちゃんと極って、間違いのない事をいたしました。」
「どうしたかね。」
「五人|徒《であい》が賽《さい》の目に並んでおります、真中《まんなか》へ割込んで、まず帆を下ろしたのでござります。」
 と莞爾《にっこり》して顔を見る。
 いささかもその意を得ないで、
「なぜだろうかね。」
「この追手じゃ、帆があっては、丁と云う間に葉山へ着く。ふわふわと海月《くらげ》泳ぎに、船を浮かせながらゆっくり遣るべい。
 その事よ。四海波静かにて、波も動かぬ時津風、枝を鳴らさぬ御代《みよ》なれや、と勿体ない、祝言の小謡《こうたい》を、聞噛《ききかじ》りに謳《うた》う下から、勝負!とそれ、銭《おあし》の取遣《とりや》り。板子の下が地獄なら、上も修羅道《しゅらどう》でござります。」
「船頭も同類かい、何の事じゃ、」
 と法師は新《あらた》になみなみとある茶碗を大切そうに両手で持って、苦笑いをするのであった。
「それはお前様、あの徒《てあい》と申しますものは、……まあ、海へ出て岸をば※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまわ》して御覧《ごろう》じまし。巌《いわ》の窪みはどこもかしこも、賭博《ばくち》の壺《つぼ》に、鰒《あわび》の蓋《ふた》。蟹《かに》の穴でない処は、皆|意銭《あないち》のあとでござります。珍しい事も、不思議な事もないけれど、その時のは、はい、嘉吉に取っては、あやかしが着きましたじゃ。のう、便船《びんせん》しょう、便船しょう、と船を渚《なぎさ》へ引寄せては、巌端《いわばな》から、松の下から、飜然々々《ひらりひらり》と乗りましたのは、魔がさしたのでござりましたよ。」

       六

「魅入られたようになりまして、ぐっすり寝込みました嘉吉の奴。浪の音は耳|馴《な》れても、磯近《いそぢか》へ舳《へさき》が廻って、松の風に揺り起され、肌寒うなって目を覚ましますと、そのお前様……体裁《ていたらく》。
 山へ上《あが》ったというではなし、たかだか船の中の車座、そんな事は平気な野郎も、酒樽の三番叟《さんばそう》、とうとうたらりたらりには肝を潰《つぶ》して、(やい、此奴等《こいつら》、)とはずみに引傾《ひっかた》がります船底へ、仁王立に踏《ふみ》ごたえて、喚《わめ》いたそうにござります。
 騒ぐな。
 騒ぐまいてや、やい、嘉吉、こう見た処で、二|歩《ぶ》と一両、貴様に貸《かし》のない顔はないけれど、主人のものじゃ。引負《ひきおい》をさせてまで、勘定を合わしょうなんど因業《いんごう》な事は言わぬ。場銭を集めて一樽買ったら言分あるまい。代物さえ持って帰れば、どこへ売っても仔細《しさい》はない。
 なるほど言われればその通り、言訳の出来ぬことはござりませぬわ、のう。
 銭さえ払えば可《い》いとして、船頭やい、船はどうする、と嘉吉が云いますと、ばら銭を掴《にぎ》った拳《こぶし》を向顱巻《むかうはちまき》の上さ突出して、半だ半だ、何、船だ。船だ船だ、と夢中でおります。
 嘉吉が、そこで、はい、櫓《ろ》を握って、ぎっちらこ。幽霊船の歩《ぶ》に取られたような顔つきで、漕出《こぎだ》したげでござりますが、酒の匂《におい》に我慢が出来ず……
 御繁昌《ごはんじょう》の旦那《だんな》から、一杯おみきを遣わされ、と咽喉《のど》をごくごくさして、口を開けるで、さあ、飲まっせえ、と注《つ》ぎにかかる、と幾干《いくら》か差引くか、と念を推したげで、のう、ここらは確《たしか》でござりました。
 幡随院長兵衛じゃ、酒を振舞うて銭を取るか。しみったれたことを云うな、と勝った奴がいきります。
 お手渡《てわたし》で下される儀は、皆の衆も御面倒、これへ、と云うて、あか柄杓《びしゃく》を突出いて、どうどうと受けました。あの大面《おおづら》が、お前様、片手で櫓を、はい、押しながら、その馬柄杓《ばびしゃく》のようなもので、片手で、ぐいぐいと煽《あお》ったげな。
 酒は一樽|打抜《ぶちぬ》いたで、ちっとも惜気《おしげ》はござりませぬ。海からでも湧出すように、大気になって、もう一つやらっせえ、丁だ、それ、心祝いに飲ますべい、代は要らぬ。
 帰命頂礼《きみょうちょうらい》、賽《さい》ころ明神の兀天窓《はげあたま》、光る光る、と追従《ついしょう》云うて、あか柄杓へまた一杯、煽るほどに飲むほどに、櫓拍子《ろびょうし》が乱になって、船はぐらぐら大揺れ小揺れじゃ、こりゃならぬ、賽が据《すわ》らぬ。
 ええ、気に入らずば代って漕《こ》げさ、と滅多押しに、それでも、大崩壊《おおくずれ》の鼻を廻って、出島の中へ漕ぎ入れたでござります。
 さあ、内海《うちうみ》の青畳、座敷へ入ったも同《おんな》じじゃ、と心が緩むと、嘉吉|奴《め》が、酒代を渡してくれ、勝負が済むまで内金を受取ろう、と櫓を離した手に銭《おあし》を握ると、懐へでも入れることか、片手に、あか柄杓《びしゃく》を持ったなりで、チョボ一の中へ飛込みましたが。
 はて、河童《かっぱ》野郎、身投《みなげ》するより始末の悪さ。こうなっては、お前様、もう浮ぶ瀬はござりませぬ。
 取られて取られて、とうとう、のう、御主人へ持って行《ゆ》く、一樽のお代を無《みな》にしました。処で、自棄《やけ》じゃ、賽の目が十《とお》に見えて、わいらの頭が五十ある、浜がぐるぐる廻るわ廻るわ。さあ漕がば漕げ、殺さば殺せ、とまたふんぞった時分には、ものの一斗ぐらい嘉吉一人で飲んだであろ。七人のあたまさえ四斗樽、これがあらかた片附いて、浜へ樽を上げた時、重いつもりで両手をかけて、えい、と腰を切った拍子抜けに、向うへのめって、樽が、ばっちゃん、嘉吉がころり、どんとのめりましたきり、早や死んだも同然。
 船はそれまで、ぐるりぐるりと長者園の浦を廻って、ちょうどあの、活動写真の難船見たよう、波風の音もせずに漂うていましたげな。両膚脱《りょうはだぬぎ》の胸毛や、大胡坐《おおあぐら》の脛の毛へ、夕風が颯《さっ》とかかって、悚然《ぞっ》として、皆《みんな》が少し正気づくと、一ツ星も見えまする。大巌《おおいわ》の崖が薄黒く、目の前へ蔽被《おっかぶ》さって、物凄《ものすご》うもなりましたので、褌《ふんどし》を緊《し》め直すやら、膝小僧《ひざっこぞう》を合わせるやら、お船頭が、ほういほうい、と鳥のような懸声で、浜へ船をつけまして、正体のない嘉吉を撲《な》ぐる。と、むっくり起きたが、その酒樽の軽いのに、本性|違《たが》わず気落《きおち》がして、右の、倒れたものでござりますよ。はい。」

       七

「仰向様《あおのけざま》に、火のような息を吹いて、身体《からだ》から染出《しみだ》します、酒が砂へ露を打つ。晩方の涼しさにも、蚊や蠅が寄って来る。
 奴《やっこ》は、打《ぶ》っても、叩いても、起《おき》ることではござりませぬがの。
 かかり合《あい》は免《のが》れぬ、と小力《こぢから》のある男が、力を貸して、船頭まじりに、この徒《てあい》とて確《たしか》ではござりませなんだ。ひょろひょろしながら、あとのまず二|樽《たる》は、荷《にな》って小売|店《みせ》へ届けました。
 嘉吉の始末でござります。それなり船の荷物にして、積んで帰れば片附きますが、死骸《しがい》ではない、酔ったもの、醒《さ》めた時の挨拶が厄介じゃ、とお船頭は遁《にげ》を打って、帆を掛けて、海の靄《もや》へと隠れました。
 どの道訳を立ていでは、主人方へ帰られる身体ではござりませぬで、一まず、秋谷の親許《おやもと》へ届ける相談にかかりましたが、またこのお荷物が、御覧の通りの大男。それに、はい、のめったきり、捏《てこ》でも動かぬに困《こう》じ果てて、すっぱすっぱ煙草《たばこ》を吹かすやら、お前様、嚔《くしゃみ》をするやら、向脛《むかはぎ》へ集《たか》る蚊を踵《かかと》で揉殺《もみころ》すやら、泥に酔った大鮫《おおざめ》のような嘉吉を、浪打際に押取巻《おっとりま》いて、小田原|評定《ひょうじょう》。持て余しておりました処へ、ちょうど荷車を曳《ひ》きまして、藤沢から一日|路《みち》、この街道つづきの長者園の土手へ通りかかりましたのが……」
 茜色《あかねいろ》の顱巻《はちまき》を、白髪天窓《しらがあたま》にちょきり結び。結び目の押立《おった》って、威勢の可《い》いのが、弁慶|蟹《がに》の、濡色あかき鋏《はさみ》に似たのに、またその左の腕|片々《かたかた》、へし曲って脇腹へ、ぱツと開《あ》け、ぐいと握る、指と掌《てのひら》は動くけれども、肱《ひじ》は附着《くッつ》いてちっとも伸びず。銅《あかがね》で鋳たような。……その仔細《しさい》を尋ぬれば、心がらとは言いながら、去《さんぬ》る年、一|膳《ぜん》飯屋でぐでんになり、冥途《めいど》の宵を照らしますじゃ、と碌《ろく》でもない秀句を吐いて、井桁《いげた》の中に横|木瓜《もっこう》、田舎の暗夜《やみ》には通りものの提灯《ちょうちん》を借りたので、蠣殻道《かきがらみち》を照らしながら、安政の地震に出来た、古い処を、鼻唄で、地《つち》が崩れそうなひょろひょろ歩行《ある》き。好《い》い心持に眠気がさすと、邪魔な灯《あかり》を肱《ひじ》にかけて、腕を鍵形《かぎなり》に両手を組み、ハテ怪しやな、汝《おのれ》、人魂《ひとだま》か、金精《かねだま》か、正体を顕《あらわ》せろ! とトロンコの据眼《すえまなこ》で、提灯を下目に睨《にら》む、とぐたりとなった、並木の下。地虫のような鼾《いびき》を立てつつ、大崩壊に差懸《さしかか》ると、海が変って、太平洋を煽《あお》る風に、提灯の蝋《ろう》が倒れて、めらめらと燃えついた。沖の漁火《いさりび》を袖に呼んで、胸毛がじりじりに仰天し、やあ、コン畜生、火の車め、まだ疾《はえ》え、と鬼と組んだ横倒れ、転廻《ころがりまわ》って揉消《もみけ》して、生命《いのち》に別条はなかった。が、その時の大火傷《おおやけど》、享年六十有七歳にして、生まれもつかぬ不具《かたわ》もの――渾名《あだな》を、てんぼう蟹《がに》の宰八《さいはち》と云う、秋谷在の名物|親仁《おやじ》。
「……私《わし》が爺《じじい》殿でござります。」
 と姥《うば》は云って、微笑《ほほえ》んだ。
 小次郎法師は、寿《ことぶ》くごとく、一揖《いちゆう》して、
「成程、尉《じょう》殿だね。」と祝儀する。
「いえ、もう気ままものの碌でなしでござりますが、お庇《かげ》さまで、至って元気がようござりますので、御懇意な近所へは、進退《かけひき》が厭《いや》じゃ、とのう、葉山を越して、日影から、田越逗子《たごえずし》の方へ、遠くまで、てんぼうの肩に背負籠《しょいかご》して、栄螺《さざえ》や、とこぶし、もろ鯵《あじ》の開き、うるめ鰯《いわし》の目刺など持ちましては、飲代《のみしろ》にいたしますが、その時はお前様、村のもとの庄屋様、代々長者の鶴谷《つるや》喜十郎様、」
 と丁寧に名のりを上げて、
「これが私《わし》ども、お主《しゅ》筋に当りましての。そのお邸《やしき》の御用で、東海道の藤沢まで、買物に行ったのでござりました。
 一月に一度ぐらいは、種々《いろいろ》入用のものを、塩やら醤油やら、小さなものは洋燈《ランプ》の心まで、一車《ひとくるま》ずつ調えさっしゃります。
 横浜は西洋臭し、三崎は品が落着かず、界隈《かいわい》は間に合わせの俄《にわか》仕入れ、しけものが多うござりますので、どうしても目量《めかた》のある、ずッしりしたお堅いものは、昔からの藤沢に限りますので、おねだんも安し、徳用向きゆえ、御大家の買物はまた別で、」
 と姥は糸を操るような話しぶり。心のどかに口をまわして、自分もまたお茶参った。
 しばらく往来もなかったのである。

       八

「……おう、宰八か。お爺《じい》、在所へ帰るだら、これさ一個《ひとつ》、産神様《うぶすなさま》へ届けてくんな。ちょうどはい、その荷車は幸《さいわい》だ、と言わっしゃる。
 見ると、お前様、嘉吉めが、今申したその体《てい》でござりましょ。
 同《おんな》じ産神様|氏子《うじこ》夥間《なかま》じゃ。承知なれど、私《わし》はこれ、手がこの通り、思うように荷が着けられぬ。御身《おみ》たちあんばいよう直さっしゃい、荷の上へ載《の》せべい、と爺《じじい》どのが云いますとの。
 何《あに》お爺《じ》い、そのまま上へ積まっしゃい、と早や二人して、嘉吉めが天窓《あたま》と足を、引立てるではござりませぬか。
 爺どのが、待たっしゃい、鶴谷様のお使いで、綿を大《いか》いこと買うて来たが、醤油樽や石油缶の下積になっては悪かんべいと、上荷に積んであるもんだ。喜十郎旦那が許《とこ》で、ふっくりと入れさっしゃる綿の初穂へ、その酒浸しの怪物《ばけもの》さ、押《おっ》ころばしては相成んねえ、柔々《やわやわ》積方も直さっしゃい、と利かぬ手の拳《こぶし》を握って、一力味《ひとりきみ》力みましけ。
 七面倒な、こうすべい、と荒稼ぎの気短徒《きみじかてあい》じゃ。お前様、上《うわ》かがりの縄の先を、嘉吉が胴中《どうなか》へ結《ゆわ》へ附けて、車の輪に障らぬまでに、横づけに縛りました。
 賃銭の外じゃ、落しても大事ない。さらば急いで帰らっしゃれ。しゃんしゃんと手を拍《たた》いて、賭博《ばくち》に勝ったものも、負けたものも、飲んだ酒と差引いて、誰も損はござりませぬ。可《い》い機嫌のそそり節、尻まで捲《まく》った脛《すね》の向く方へ、ぞろぞろと散ったげにござります。
 爺どのは、どっこいしょ、と横木に肩を入れ直いて、てんぼうの片手押しは、胸が力でござります。人通りが少いで、露にひろがりました浜昼顔の、ちらちらと咲いた上を、ぐいと曳《ひき》出して、それから、がたがた。
 大崩《おおくずれ》まで葉山からは、だらだらの爪先上《つまさきあが》り。後はなぞえに下り道。車がはずんで、ごろごろと、私《わし》がこの茶店の前まで参った時じゃ、と……申します。
 やい、枕をくれ、枕をくれ、と嘉吉めが喚《わめ》くげな。
 何|吐《ぬか》すぞい、この野郎、贅沢《ぜいたく》べいこくなてえ、狐店《きつねみせ》の白ッ首と間違えてけつかるそうな、とぶつぶつ口叱言《くちこごと》を申しましての、爺どのが振向きもせずに、ぐんぐん曳《ひ》いたと思わっしゃりまし。」
「何か、夢でも見たろうかね。」
「夢どころではござりますか、お前様、直ぐに縊《しめ》殺されそうな声を出して、苦しい、苦しい、鼻血が出るわ、目がまうわ、天窓《あたま》を上へ上げてくれ。やい、どうするだ、さあ、殺さば殺せ、漕《こ》がば漕げ、とまだ夢中で、嘉吉めは船に居る気でおります、よの。
 胴中の縄が弛《ゆる》んで、天窓が地《つち》へ擦れ擦れに、倒《さかさま》になっておりますそうな。こりゃもっともじゃ、のう、たっての苦悩《くるしみ》。
 酒が上《のぼ》って、醒《さ》めずにいたりゃ本望だんべい、俺《わし》ら手が利かねえだに、もうちっとだ辛抱せろ、とぐらぐらと揺り出しますと、死ぬる、死ぬる、助け船引[#「引」は小書き]と火を吹きそうに喚《わめ》いた、とのう。
 この中ではござりませぬ、」
 と姥は葭簀《よしず》の外を見て、
「廂《ひさし》の蔭じゃったげにござります。浪が届きませぬばかり。低い三日月様を、漆《うるし》見たような高い髷《まげ》からはずさっせえまして、真白《まっしろ》なのを顔に当てて、団扇《うちわ》が衣服《きもの》を掛けたげな、影の涼しい、姿の長い、裾《すそ》の薄|蒼《あお》い、悚然《ぞっ》とするほど美しらしいお人が一方。
 すらすら道端へ出さっせての、
(…………)
 爺どのを呼留めて、これは罪人か――と問わしつけえよ。
 食物《くいもの》も代物《しろもの》も、新しい買物じゃ。縁起でもない事の。罪人を上積みにしてどうしべい、これこれでござる。と云うと、可哀相に苦しかろう、と団扇を取って、薄い羽のように、一文字に、横に口へ啣《くわ》えさしった。
 その時は、爺どのの方へ背《せなか》を向けて、顔をこう斜《はす》っかいに、」
 と法師から打背《うちそむ》く、と俤《おもかげ》のその薄月の、婦人《おんな》の風情を思遣《おもいや》ればか、葦簀《よしず》をはずれた日のかげりに、姥の頸《うなじ》が白かった。
 荷物の方へ、するすると膝を寄せて、
「そこで?」
「はい、両手を下げて、白いその両方の掌《てのひら》を合わせて、がっくりとなった嘉吉の首を、四五本目の輻《やぼね》の辺《あたり》で、上へ支《ささ》げて持たっせえた。おもみが掛《かか》ったか、姿を絞って、肩が細《ほっそ》りしましたげなよ。」

       九

「介抱しよう、お下ろしな、と言わっしゃる。
 その位な荒療治で、寝汗一つ取れる奴か。打棄《うっちゃ》っておかっせえ。面倒臭い、と顱巻《はちまき》しめた頭を掉《ふ》って云うたれば、どこまで行《ゆ》く、と聞かしっけえ。
 途中さまざまの隙《ひま》ざえで、爺《じじい》どのもむかっぱらじゃ、秋谷鎮座の明神様、俺等《わしら》が産神《うぶすな》へ届け物だ、とずッきり饒舌《しゃべ》ると、
(受取りましょう、ここで可《い》いから。)
(お前様は?)
(ああ、明神様の侍女《こしもと》よ。)と言わっしゃった。
 月に浪が懸《かか》りますように、さらさらと、風が吹きますと、揺れながらこの葦簀《よしず》の蔭が、格子|縞《じま》のように御袖へ映って、雪の膚《はだ》まで透通って、四辺《あたり》には影もない。中空を見ますれば、白鷺《しらさぎ》の飛ぶような雲が見えて、ざっと一浪打ちました。
 爺どのは悚然《ぞっ》として、はい、はい、と柔順《すなお》になって、縄を解くと、ずりこけての、嘉吉のあの図体が、どたりと荷車から。貴女《あなた》は擡《もた》げた手を下へ、地の上へ着けるように、嘉吉の頭を下ろさっせえた。
 足をばたばたの、手によいよい、輻《やぼね》も蹴《け》はずしそうに悶《もが》きますわの。
(ああ、お前はもう可《い》いから。)邪魔もののようにおっしゃったで、爺どのは心外じゃ……
 何の、心外がらずともの、いけずな親仁《おやじ》でござりますがの、ほほ、ほほ。」
「いや、いや、私が聞いただけでも、何か、こうわざと邪慳《じゃけん》に取扱ったようで、対手《あいて》がその酔漢《よいどれ》を労《いたわ》るというだけに、黙ってはおられません。何だか寝覚《ねざめ》が悪いようだね。」
「ええ、串戯《じょうだん》にも、氏神様《うじがみさま》の知己《ちかづき》じゃと言わっしゃりましたけに、嘉吉を荷車に縛りましたのは、明神様の同一《おなじ》孫児《まごこ》を、継子《ままこ》扱いにしましたようで、貴女《あなた》へも聞えが悪うござりますので。
 綿の上積《うわづみ》[#ルビの「うわづみ」は底本では「うわずみ」]一件から荷に奴《やっこ》を縛ったは、爺《じい》どのが自分したことではない事を、言訳がましく饒舌《しゃべ》りますと、(可いから、お前はあっちへ、)と、こうじゃとの。
(可《よ》かあねえだ。もの、理合《りあい》を言わねえ事にゃ、ハイ気が済みましねえ。お前様も明神様お知己《ちかづき》なら聞かっしゃい。老耆《おいぼれ》の手《てん》ぼう爺《じじい》に、若いものの酔漢《よいどれ》の介抱《やっかい》が何《あに》、出来べい。神様も分らねえ、こんな、くだま野郎を労ってやらっしゃる御慈悲い深い思召《おぼしめし》で、何でこれ、私等《わしら》婆様の中に、小児《こども》一人授けちゃくれさっしゃらぬ。それも可い、無い子だねなら断念《あきら》めべいが、提灯《ちょうちん》で火傷《やけど》をするのを、何で、黙って見てござった。私《わし》が手《てん》ぼうでせえなくば、おなじ車に結《ゆわ》えるちゅうて、こう、けんどんに、倒《さかしま》にゃ縛らねえだ。初対面のお前様見さっしゃる目に、えら俺《わし》が非道なようで、寝覚が悪い、)と顱巻《はちまき》を掉立《ふりた》てますと、のう。
(早く、お帰り、)と、継穂がないわの。
(いんにゃ、理を言わねえじゃ、)とまだ早や一概に捏《こ》ねようとしましたら……
(おいでよ、)と、お前様ね。
 団扇《うちわ》で顔を隠さしったなり。背後《うしろ》へ雪のような手を伸《のば》して、荷車ごと爺《じい》どのを、推遣《おしや》るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう輻《やぼね》の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、爺《じじい》どのの背《せなか》へ、荷車が、乗被《のっかぶ》さるではござりませぬか。」
「おおおお、」
 と、法師は目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って固唾《かたず》を呑む。
「吃驚《びっくり》亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の曳《ひ》いた荷車に、がらがら背後《うしろ》から押出されて、わい、というたぎり、一呼吸《ひといき》に村の取着《とッつ》き、あれから、この街道が鍋《なべ》づる形《なり》に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。
 もっとも見さっしゃります通り、道はなぞえに、向《むこう》へ低くはなりますが、下り坂と云う程ではなし、その疾《はや》いこと。一なだれに辷《すべ》ったようで、やっと石段の下で、うむ、とこたえて踏留まりますと、はずみのついた車めは、がたがたと石ころの上を空廻りして、躍ったげにござります。
 見上げる空の森は暗し、爺どのは、身震いをしたと申しますがの。」

       十

「利かぬ気の親仁《おやじ》じゃ、お前様、月夜の遠見に、纏《まと》ったものの形は、葦簀張《よしずばり》の柱の根を圧《おさ》えて置きます、お前様の背後《うしろ》の、その石※[#「石+鬼」、第4水準2-82-48]《いしころ》か、私《わし》が立掛けて置いて帰ります、この床几《しょうぎ》の影ばかり。
 大崩壊《おおくずれ》まで見通しになって、貴女《あなた》の姿は、蜘蛛巣《くものす》ほども見えませぬ。それをの、透かし透かし、山際に附着《くッつ》いて、薄墨引いた草の上を、跫音《あしおと》を盗んで引返《ひっかえ》しましたげな。
 嘉吉をどう始末さっしゃるか、それを見届けよう、という、爺《じじい》どの了簡《りょうけん》でござります。
 荷車はの、明神様石段の前を行《ゆ》けば、御存じの三崎街道、横へ切れる畦道《あぜみち》が在所の入口でござりますで、そこへ引込んだものでござります。人気も穏《おだやか》なり、積んだものを見たばかりで、鶴谷様御用、と札の建ったも同一《おなじ》じゃで、誰も手の障《さ》え人《て》はござりませぬで。
 爺どのは、這《は》うようにして、身体《からだ》を隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った天窓《あたま》と、顱巻《はちまき》の茜色《あかねいろ》が月夜に消えるか。主《ぬし》ゃそこで早や、貴女《あなた》の術で、活《い》きながら鋏《はさみ》の紅《あか》い月影の蟹《かに》になった、とあとで村の衆にひやかされて、ええ、措《お》けやい、気味の悪い、と目をぱちくり、泡を吹いたでござりますよ。
 笑うてやらっしゃりませ。いけ年を仕《つかまつ》って、貴女が、去《い》ね、とおっしゃったを止《よ》せば可《よ》いことでござります。」
 法師はかくと聞いて眉を顰《ひそ》め、
「笑い事ではない。何かお爺様《じいさん》に異状でもありましたか。」
「お目こぼしでござります、」
 と姥は謹んだ、顔色《かおつき》して、
「爺どのはお庇《かげ》と何事もござりませんで、今日も鶴谷様の野良へ手伝いに参っております。」
「じゃ、その嘉吉と云うのばかりが、変な目に逢ったんだね。」
「それも心がらでござります。はじめはお前様、貴女《あなた》が御親切に、勿体ない……お手ずから薫《かおり》の高い、水晶を噛《か》みますような、涼しいお薬を下さって、水ごと残しておきました、……この手|桶《おけ》から、」……
 と姥は見返る。捧げた心か、葦簀《よしず》に挟んで、常夏《とこなつ》の花のあるが下《もと》に、日影涼しい手桶が一個《ひとつ》、輪の上に、――大方その時以来であろう――注連《しめ》を張ったが、まだ新しい。
「水も汲《く》んで、くくめておやり遊ばした。嘉吉の我に返った処で、心得違いをしたために、主人の許《とこ》へ帰れずば、これを代《しろ》に言訳して、と結構な御宝を。……
 それがお前様、真緑《まみどり》の、光のある、美しい、珠じゃったげにございます。
 爺どのが、潜り込んだ草の中から、その蟹の目を密《そっ》と出して、見た時じゃったと申します。
 こう、貴女がお持ちなさりました指の尖《さき》へ、ほんのりと蒼《あお》く映って、白いお手の透いた処は、大《おおき》な蛍をお撮《つま》みなさりましたようじゃげな。
 貴女のお身体《からだ》に附属《つい》ていてこそじゃが、やがて、はい、その光は、嘉吉が賽《さい》ころを振る掌《てのひら》の中へ、消えましたとの。
 それから、抜かっしゃりましたものらしい、少し俯向《うつむ》いて、ええ、やっぱり、顔へは団扇を当てたまんまで、お髪《ぐし》の黒い、前の方へ、軽く簪《かんざし》をお挿《さし》なされて、お草履か、雪駄《せった》かの、それなりに、はい、すらすらと、月と一所に女浪《めなみ》のように歩行《ある》かっしゃる。
 これでまた爺どのは悚然《ぞっ》としたげな。のう、いかな事でも、明神様の知己《ちかづき》じゃ言わしったは串戯《じょうだん》で、大方は、葉山あたりの誰方《どなた》のか御別荘から、お忍びの方と思わしっけがの。
 今|行《ゆ》かっしゃるのは反対《あべこべ》に秋谷の方じゃ。……はてな、と思うと、変った事は、そればかりではござりませぬよ。
 嘉吉の奴《やつ》がの、あろう事か、慈悲を垂れりゃ、何とやら。珠は掴《つか》む、酒の上じゃ、はじめはただ、御恩返しじゃの、お名前を聞きたいの、ただ一目お顔の、とこだわりましけ。柳に受けて歩行《ある》かっしゃるで、機織場《はたおりば》の姉《ねえ》やが許《とこ》へ、夜さり、畦道《あぜみち》を通う時の高声の唄のような、真似もならぬ大口利いて、果《はて》は増長この上なし、袖を引いて、手を廻して、背後《うしろ》から抱きつきおる。
 爺どのは冷汗|掻《か》いたげな。や、それでも召ものの裾《すそ》に、草鞋《わらじ》が引《ひっ》かかりましたように、するすると嘉吉に抱かれて、前ざまに行《ゆ》かっしゃったそうながの、お前様、飛んでもない、」
「怪《け》しからん事を――またしたもんです。」
 と小次郎法師は苦り切る。

       十一

 姥《うば》は分別あり顔に、
「一目見たら、その御|容子《ようす》だけでなりと、分りそうなものでござります。
 貴女《あなた》が神にせよ、また人間にしました処で、嘉吉づれが口を利かれます御方ではござりませぬ。そうでなくとも、そんな御恩を被《こうむ》ったでござりますもの。拝むにも、後姿でのうては罰の当ります処、悪党なら、お前様、発心のしどころを。
 根が悪徒ではござりませぬ、取締りのない、ただぼうと、一夜酒《ひとよざけ》が沸いたような奴《やっこ》殿じゃ。薄《すすき》も、蘆《あし》も、女郎花《おみなえし》も、見境《みさかい》はござりませぬ。
 髪が長けりゃ女じゃ、と合点して、さかりのついた犬同然、珠を頂いた御恩なぞも、新屋の姉《あね》えに、藪《やぶ》の前で、牡丹餅《ぼたもち》半分分けてもろうた了簡《りょうけん》じゃで、のう、食物《たべもの》も下されば、お情《なさけ》も下さりょうぐらいに思うて、こびりついたでござります。
 弁天様の御姿にも、蠅がたかれば、お鬱陶《うっと》しい。
 通りがかりにただ見ては、草がくれの路と云うても、旱《ひでり》に枯れた、岩の裂目とより見えませぬが、」
 姥は腰を掛けたまま。さて、乗出すほどの距離でもなかった――
「直《じ》きその、向う手を分け上りますのが、山一ツ秋谷在へ近道でござりまして、馬車《うまくるま》こそ通いませぬけれども、私《わし》などは夜さり店を了《しま》いますると、お菓子、水菓子、商物《あきないもの》だけを風呂敷包、ト背負《しょい》いまして、片手に薬缶《やかん》を提げたなりで、夕焼にお前様、影をのびのび長々と、曲った腰も、楽々小屋へ帰りますがの。
 貴女はそこへ。……お裾が靡《なび》いた。
 これは不思議、と爺どのが、肩を半分乗出す時じゃ、お姿が波を離れて、山の腹へすらりと高うなったと思うと、はて、何を嘉吉がしくさりましたか。
 屹《きっ》と振向かっしゃりました様子じゃっけ、お顔の団扇が飜然《ひらり》と飜《かえ》って、斜《ななめ》に浴びせて、嘉吉の横顔へびしりと来たげな。
 きゃっ!と云うと刎《はね》返って、道ならものの小半町、膝と踵《かかと》で、抜いた腰を引摺《ひきず》るように、その癖、怪飛《けしと》んで遁《に》げて来る。
 爺どのは爺どので、息を詰めた汗の処へ、今のきゃあ!で転倒《てんどう》して、わっ、と云うて山の根から飛出す処へ、胸を頭突《ずつき》に来るように、ドンと嘉吉が打附《ぶつか》ったので、両方へ間を置いて、この街道の真中《まんなか》へ、何と、お前様、見られた図ではござりますか。
 二人とも尻餅じゃ。
(ど、どうした野郎、)と小腹も立つ、爺どのが恐怖紛《おっかなまぎ》れに、がならっしゃると、早や、変でござりましたげな、きょろん、とした眼《がん》の見据えて、私《わし》が爺の宰八の顔をじろり。
(ば、ば、ば、)
(ええ!)
(怪物《ばけもの》!)と云うかと思うと、ひょいと立って、またばたばたと十足《とあし》ばかり、駆戻って、うつむけに突んのめったげにござりまして、のう。
 爺どのは二度|吃驚《びっくり》、起《た》ちかけた膝がまたがっくりと地面《じべた》へ崩れて、ほっと太い呼吸《いき》さついた。かっとなって浪の音も聞えませぬ。それでいて――寂然《しん》として、海ばかり動きます耳に響いて、秋谷へ近路のその山づたい。鈴虫が音《ね》を立てると、露が溢《こぼ》れますような、佳《い》い声で、そして物凄《ものすご》う、
[#ここから3字下げ]
(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 天神さんの細道じゃ、
       細道じゃ。
 少し通して下さんせ、下さんせ。)
[#ここで字下げ終わり]
 とあわれに寂しく、貴女の声で聞えました。
 その声が遠くなります、山の上を、薄綿で包みますように、雲が白くかかりますと、音が先へ、颯《さ》あ――とたよりない雨が、海の方へ降って来て、お声は山のうらかけて、遠くなって行《ゆ》きますげな。
 前刻《さっき》見た兎《う》の毛の雲じゃ、一雨来ようと思うた癖に、こりゃ心ない、荷が濡れよう、と爺どのは駆けて戻って、がッたり車を曳出《ひきだ》しながら、村はずれの小店からまず声をかけて、嘉吉めを見せにやります。
 何か、その唄のお声が、のう、十年五十年も昔聞いたようにもあれば、こう云う耳にも、響くと云います。
 遠慮すると見えまして、余り委《くわ》しい事は申しませぬが、嘉吉はそれから、あの通り気が変になりました。
 さあ、界隈《かいわい》は評判で、小児《こども》どもが誰云うとなく、いつの間やら、その唄を……」

       十二

[#ここから4字下げ]
(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 秋谷|邸《やしき》の細道じゃ、
       細道じゃ。
 少し通して下さんせ、
       下さんせ。
 誰方《どなた》が見えても通しません、
       通しません。)
[#ここで字下げ終わり]
「あの、こう唄うのではござりませんか。
 当節は、もう学校で、かあかあ鴉《からす》が鳴く事の、池の鯉《こい》が麩《ふ》を食う事の、と間違いのないお前様、ちゃんと理の詰んだ歌を教えさっしゃるに、それを皆が唄わいで、今申した――
[#ここから4字下げ]
(ここはどこの細道じゃ、
 秋谷邸の細道じゃ。)
[#ここで字下げ終わり]
 とあわれな、寂しい、細い声で、口々に、小児《こども》同士、顔さえ見れば唄い連れるでござりますが、近頃は久しい間、打絶えて聞いたこともござりませぬ――この唄を爺どのがその晩聞かしった、という話|以来《このかた》、――誰云うとなく流行《はや》りますので。
 それも、のう元唄は、
[#ここから4字下げ]
(天神様の細道じゃ、
 少し通して下さんせ、
 御用のない人通しません、)
[#ここで字下げ終わり]
 確か、こうでござりましょう。それを、
[#ここから4字下げ]
(秋谷邸の細道じゃ、
 誰方が見えても通しません、
        通しません。)
[#ここで字下げ終わり]
 とひとりでに唄います、の。まだそればかりではござりません。小児《こども》たちが日の暮方、そこらを遊びますのに、厭《いや》な真似を、まあ、どうでござりましょう。
 てんでんが芋※[#「くさかんむり/更」、153-3]《ずいき》の葉を捩《も》ぎりまして、目の玉二つ、口一つ、穴を三つ開けたのを、ぬっぺりと、こう顔へ被《かぶ》ったものでござります。大《おおき》いのから小さいのから、その蒼白《あおじろ》い筋のある、細ら長い、狐とも狸とも、姑獲鳥《うぶめ》、とも異体の知れぬ、中にも虫喰のござります葉の汚点《しみ》は、癩《かったい》か、痘痕《あばた》の幽霊。面《つら》を並べて、ひょろひょろと蔭日向《かげひなた》、藪《やぶ》の前だの、谷戸口《やとぐち》だの、山の根なんぞを練りながら今の唄を唄いますのが、三人と、五人ずつ、一組や二組ではござりませんで。
 悪戯《いたずら》が蒿《こう》じて、この節では、唐黍《とうもろこし》の毛の尻尾《しっぽ》を下げたり、あけびを口に啣《くわ》えたり、茄子提灯《なすびぢょうちん》で闇路《やみじ》を辿《たど》って、日が暮れるまでうろつきますわの。
 気になるのは小石を合せて、手ん手に四ツ竹を鳴らすように、カイカイカチカチと拍子を取って、唄が段々身に染みますに、皆《みんな》が家《うち》へ散際《ちりぎわ》には、一人がカチカチ石を鳴らして、
[#ここから4字下げ]
(今打つ鐘は、)
[#ここで字下げ終わり]
 と申しますと、
[#ここから4字下げ]
(四ツの鐘じゃ、)
[#ここで字下げ終わり]
 と一人がカチカチ、五ツ、六ツ、九ツ、八ツと数えまして……
[#ここから4字下げ]
(今打つ鐘は、
 七ツの鐘じゃ。)
[#ここで字下げ終わり]
 と云うのを合図に、
[#ここから4字下げ]
(そりゃ魔が魅《さ》すぞ!)
[#ここで字下げ終わり]
 と哄《どっ》と囃《はや》して、消えるように、残らず居なくなるのでござりますが。
 何とも厭《いや》な心持で、うそ寂しい、ちょうど盆のお精霊様《しょうりょうさま》が絶えずそこらを歩行《ある》かっしゃりますようで、気の滅入《めい》りますことと云うては、穴倉へ引入れられそうでござります。
 活溌な唱歌を唄え。あれは何だ、と学校でも先生様が叱らしゃりますそうなが、それで留《や》めますほどならばの、学校へ行《ゆ》く生徒に、蜻蛉《とんぼう》釣るものも居《お》りませねば、木登りをする小僧もない筈《はず》――一向に留みませぬよ。
 内は内で親たちが、厳しく叱言《こごと》も申します。気の強いのは、おのれ、凸助《でこすけ》……いや、鼻ぴっしゃり、芋※[#「くさかんむり/更」、154-12]《ずいき》の葉の凹吉《ぼこきち》め、細道で引捉《ひッつか》まえて、張撲《はりなぐ》って懲《こら》そう、と通りものを待構えて、こう透かして見ますがの、背の高いのから順よく並んで、同一《おなじ》ような芋※[#「くさかんむり/更」、154-13]の葉を被《かぶ》っているけに、衣《き》ものの縞柄《しまがら》も気のせいか、逢魔《おうま》が時に茫《ぼう》として、庄屋様の白壁に映して見ても、どれが孫やら、忰《せがれ》やら、小女童《こめろ》やら分りませぬ。
 おなじように、憑物《つきもの》がして、魔に使われているようで、手もつけられず、親たちがうろうろしますの。村方一同寄ると障《さわ》ると、立膝に腕組するやら、平胡坐《ひらあぐら》で頬杖《ほおづえ》つくやら、変じゃ、希有《けう》じゃ、何でもただ事であるまい、と薄気味を悪がります。
 中でも、ほッと溜息《ためいき》ついて、気に掛けさっしゃったのが、鶴谷喜十郎様。」
 と丁寧に、また名告《なの》って、姥《うば》は四辺《あたり》を見たのである。

       十三

 さて十年の馴染《なじみ》のように、擦寄って声を密《ひそ》め、
「童唄《わらべうた》を聞かっしゃりまし――(秋谷|邸《やしき》の細道じゃ、誰方が見えても通しません)――と、の、それ、」
 小次郎法師の頷《うなず》くのを、合点させたり、と熟《じっ》と見て、姥《うば》はやがて打頷《うちうなず》き、
「……でござりましょう。まず、この秋谷で、邸と申しますれば――そりゃ土蔵、白壁造《しらかべづくり》、瓦《かわら》屋根は、御方一軒ではござりませぬが、太閤様《たいこうさま》は秀吉公、黄門様は水戸様でのう、邸は鶴谷に帰したもの。
 ところで、一軒は御本宅、こりゃ村の草分でござりますが、もう一軒――喜十郎様が隠居所にお建てなされた、御別荘がござりましての。
 お金は十分、通い廊下に藤の花を咲《さか》しょうと、西洋窓に鸚鵡《おうむ》を飼おうと、見本は直《じ》き近い処にござりまして、思召《おぼしめし》通りじゃけれど、昔|気質《かたぎ》の堅い御仁《ごじん》、我等式百姓に、別荘づくりは相応《ふさ》わしからぬ、とついこのさきの立石《たていし》在に、昔からの大庄屋が土台ごと売物に出しました、瓦ばかりも小千両、大黒柱が二抱え。平家ながら天井が、高い処に照々《きらきら》して間数《まかず》十ばかりもござりますのを、牛車《うしぐるま》に積んで来て、背後《うしろ》に大《おおき》な森をひかえて、黒塗《くろぬり》の門も立木の奥深う、巨寺《おおでら》のようにお建てなされて、東京の御修業さきから、御子息の喜太郎様が帰らっしゃりましたのに世を譲って、御夫婦一まず御隠居が済みましけ。
 去年の夏でござりますがの、喜太郎様が東京で御|贔屓《ひいき》にならしった、さる御大家の嬢様じゃが、夏休みに、ぶらぶら病《やまい》の保養がしたい、と言わっしゃる。
 海辺は賑《にぎや》かでも、馬車が通って埃《ほこり》が立つ。閑静な処をお望み、間数は多し誂《あつら》え向き、隠居所を三間ばかり、腰元も二人ぐらい附く筈《はず》と、御子息から相談を打《ぶ》たっしゃると、隠居と言えば世を避けたも同様、また本宅へ居直るも億劫《おっこう》なり、年寄《としより》と一所では若い御婦人の気が詰《つま》ろう。若いものは若い同士、本家の方へお連れ申して、土用正月、歌留多《うたがるた》でも取って遊ぶが可《い》い、嫁もさぞ喜ぼう、と難有《ありがた》いは、親でのう。
 そこで、そのお嬢様に御本家の部屋を、幾つか分けて、貸すことになりましけ。ある晩、腕車《くるま》でお乗込み、天上ぬけに美《うつくし》い、と評判ばかりで、私等《わしら》ついぞお姿も見ませなんだが、下男下女どもにも口留めして、秘《かく》さしったも道理じゃよ。
 その嬢様は落っこちそうなお腹じゃげな。」
「むむ、孕《はら》んでいたかい。そりゃ怪《け》しからん、その息子というのが馴染《なじみ》ではないのかね。」
「御推量でございます、そこじゃ、お前様。見えて半月とも経《た》ちませぬに、豪《えら》い騒動が起ったのは、喜太郎様の嫁御がまた臨月じゃ。
 御本家に飼殺しの親爺《おやじ》仁右衛門、渾名《あだな》も苦虫《にがむし》、むずかしい顔をして、御隠居殿へ出向いて、まじりまじり、煙草《たばこ》を捻《ひね》って言うことには、(ハイ、これ、昔から言うことだ。二人|一斉《いっとき》に産をしては、後か、前《さき》か、いずれ一人、相孕《あいばらみ》の怪我《けが》がござるで、分別のうてはなりませぬ、)との。
 喜十郎様、凶年にもない腕組をさっせえて、(善悪《よしあし》はともかく、内の嫁が可愛いにつけ、余所《よそ》の娘の臨月を、出て行《ゆ》けとは無慈悲で言われぬ。ただし廂《ひさし》を貸したものに、母屋《おもや》を明渡して嫁を隠居所へ引取る段は、先祖の位牌《いはい》へ申訳がない。私等《わしら》が本宅へ立帰って、その嬢様にはこの隠居所を貸すとしよう)――御夫婦、黒門を出さしったのが、また世に立たっしゃる前表かの。
 鶴谷は再度、御隠居の代になりました。」
「息子さんは不埒《ふらち》が分って勘当かい。」
「聞かっせえまし、喜太郎様は亡くなりましたよ。前後《あとさき》へ黒門から葬礼《おとむらい》が五つ出ました。」
「五つ!」
「ええ、ええ、お前様。」
「誰と誰と、ね?」
「はじめがその出養生《でようじょう》の嬢様じゃ。これが産後でおいとしゅうならしった。大騒ぎのすぐあと、七日目に嫁御がお産じゃ。
 汐時《しおどき》が二つはずれて、朝六つから夜の四つ時まで、苦しみ通しの難産でのう。
 村中は火事場の騒ぎ、御本宅は寂《しん》として、御経の声やら、咳《しわぶき》やら……」

       十四

「占者が卦《け》を立てて、こりゃ死霊《しりょう》の祟《たたり》がある。この鬼に負けてはならぬぞ。この方から逆寄《さかよ》せして、別宅のその産屋《うぶや》へ、守刀《まもりがたな》を真先《まっさき》に露払いで乗込めさ、と古袴《ふるばかま》の股立《ももだ》ちを取って、突立上《つッたちあが》りますのに勢《いきおい》づいて、お産婦を褥《しとね》のまま、四隅と両方、六人の手で密《そっ》と舁《か》いて、釣台へ。
 お先立ちがその易者殿、御幣《ごへい》を、ト襟へさしたものでござります。筮竹《ぜいちく》の長袋を前《まえ》半じゃ、小刀のように挟んで、馬乗提灯《うまのりぢょうちん》の古びたのに算木を顕《あらわ》しましたので、黒雲の蔽《おっ》かぶさった、蒸暑い畦《あぜ》を照《てら》し、大手を掉《ふ》って参ります。
 嫁入道具に附いて来た、藍貝柄《あおがいえ》の長刀《なぎなた》を、柄払《つかばら》いして、仁右衛門親仁が担ぎました。真中《まんなか》へ、お産婦の釣台を。そのわきへ、喜太郎様が、帽子《シャッポ》かぶりで、蒼《あお》くなって附添った、背後《うしろ》へ持明院の坊様が緋《ひ》の衣じゃ。あとから下男下女どもがぞろぞろと従《つ》きました。取揚婆《とりあげばあ》[#「婆」は底本では「姿」]さんは前《さき》へ早や駆抜けて、黒門のお部屋へ産所の用意。
 途中、何とも希有《けう》な通りものでござりまして、あの蛍がまたむらむらと、蠅がなぶるように御病人の寝姿に集《たか》りますと、おなじ煩うても、美しい人の心かして、夢中で、こう小児《こども》のように、手で取っちゃ見さしっけ。
 上へ手を上げさっしゃるのも、御容体を聞くにつけ、空をつかんで悶《もだ》えさっしゃるようで、目も当てられぬ。
 それでも祟りに負けるなと、言うて、一生懸命、仰向《あおむ》かしった枕をこぼれて、さまで瘠《や》せも見えぬ白い頬へかかる髪の先を、しっかり白歯で噛《か》ましったが、お馴染《なじみ》じゃ、私《わし》が藪《やぶ》の下で待《まち》つけて、御新造様《ごしんぞさま》しっかりなさりまし、と釣台に縋《すが》ったれば、アイと、細い声で云うて莞爾《にっこり》と笑わしった。橋を渡って向うへ通る、暗《やみ》の晩の、榛《はん》の木の下あたり、蛍の数の宙へいかいことちらちらして、常夏《とこなつ》の花の俤《おもかげ》立《だ》つのが、貴方《あなた》の顔のあたりじゃ、と目を瞑《つぶ》って、おめでたを祈りましたに……」
 声も寂しゅう、
「お寺の鐘が聞えました。」
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、」
「お可哀相に、初産《ういざん》で、その晩、のう。
 厭《いや》な事でござります。黒門へ着かしって、産所へ据えよう、としますとの、それ、出養生の嬢様の、お産の床と同一《おんなじ》じゃ。(ああ、青い顱巻《はちまき》をした方が、寝てでござんす、ちっと傍《わき》へ)と……まあ、難産の嫁御がそう言わしっけ。
 其奴《そいつ》に、負けるな、押潰《おッつぶ》せ、と構わず褥《しとね》を据えましたが、夜露を受けたが悪かったか、もうお医者でも間に合わず。
(あなたも。……口惜《くやし》い、)と恍惚《うっとり》して、枕にひしと喰《くい》つかしって、うむと云うが最期で、の、身二ツになりはならしったが、産声も聞えず、両方ともそれなりけり。
 余りの事に、取逆上《とりのぼ》せさしったものと見えまして、喜太郎様はその明方、裏の井戸へ身を投げてしまわしった。
 井戸|替《がえ》もしたなれど、不気味じゃで、誰も、はい、その水を飲みたがりませぬ処から、井桁《いげた》も早や、青芒《あおすすき》にかくれましたよ。
 七日に一度、十日に一度、仁右衛門親仁や、私《わし》がとこの宰八――少《わか》いものは初《はじめ》から恐ろしがって寄《よっ》つきませぬで――年役に出かけては、雨戸を明けたり、引窓を繰ったり、日も入れ、風も通したなれど、この間のその、のう、嘉吉が気が違いました一件の時から、いい年をしたものまで、黒門を向うの奥へ、木下闇《このしたやみ》を覗《のぞ》きますと、足が縮《すく》んで、一寸も前へ出はいたしませぬ。
 簪《かんざし》の蒼い光った珠《たま》も、大方蛍であろう、などと、ひそひそ風説《うわさ》をします処へ、芋※[#「くさかんむり/更」、160-11]《ずいき》の葉に目口のある、小さいのがふらふら歩行《ある》いて、そのお前様、
[#ここから4字下げ]
(秋谷邸の細道じゃ、
 誰方が見えても……)[#底本では4字下げ]
[#ここで字下げ終わり]
 でござりましょう。人足《ひとあし》が絶えるとなれば、草が生えるばっかりじゃ。ハテ黒門の別宅は是非に及ばぬ。秋谷邸の本家だけは、人足が絶やしとうないものを、どうした時節か知らぬけれど、鶴谷の寿命が来たのか、と喜十郎様は、かさねがさねおつむりが真白《まっしろ》で。おふくろ様も好《い》いお方、おいとしい事でござります。
 おお、おお、つい長話になりまして、そちこち刻限、ああ、可厭《いや》な芋※[#「くさかんむり/更」、160-11]の葉が、唄うて歩行《ある》く時分になりました。」
 と姥は四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまわ》した。浪の色が蒼くなった。
 寂然《しん》として、果《はて》は目を瞑《つむ》って聞入った旅僧は、夢ならぬ顔を上げて、葭簀《よしず》から街道の前後《あとさき》を視《なが》めたが、日脚を仰ぐまでもない。
「身に染む話に聞惚《ききと》れて、人通りがもう影法師じゃ。世の中には種々《いろいろ》な事がある。お婆さん、お庇《かげ》で沢山《たんと》学問をした、難有《ありがと》う、どれ……」

       十五

「そして、御坊様は、これからどこまで行《ゆ》かっしゃりますよ。」
 包を引寄せる旅僧に連れて、姥《うば》も腰を上げて尋ねると、
「鎌倉は通越して、藤沢まで今日の内に出ようという考えだったが、もう、これじゃ葉山で灯《あかり》が点《つ》こう。
 おお、そう言や、森戸の松の中に、ちらちらと灯《ひ》が見える。」[#底本では改行冒頭1字下げなし]
「よう御存じでござりますの。」
「まだ俗の中《うち》に知っています。そこで鎌倉を見物にも及ばず、東海道の本筋へ出ようという考えじゃったが、早や遅い。
 修業が足りんで、樹下、石上、野宿も辛し、」
 と打微笑《うちほほえ》み、
「鎌倉まで行《ゆ》きましょうよ。」
「それはそれは、御不都合な、つい話に実が入《い》りまして、まあ、とんだ御足《おみあし》を留めましてござります。」
「いや、どういたして、忝《かたじけな》い。私は尊いお説教を聴問したような心持じゃ。
 何、嘘ではありません。
 見なさる通り、行脚《あんぎゃ》とは言いながら、気散じの旅の面白さ。蝶々|蜻蛉《とんぼ》の道連《みちづれ》には墨染の法衣《ころも》の袖の、発心の涙が乾いて、おのずから果敢《はか》ない浮世の露も忘れる。
 いつとなく、仏の御名《みな》を唱えるのにも遠ざかって、前刻《さっき》も、お前ね。
 実はここに来しなであった。秋谷明神と云う、その森の中の石段の下を通って、日向《ひなた》の麦|畠《ばたけ》へ差懸《さしかか》ると、この辺には余り見懸けぬ、十八九の色白な娘が一人、めりんす友染《ゆうぜん》の襷懸《たすきが》け、手拭《てぬぐい》を冠《かぶ》って畑に出ている。
 歩行《ある》きながら振返って、何か、ここらにおもしろい事もないか、と徒口《むだぐち》半分、檜笠《ひのきがさ》の下から頤《おとがい》を出して尋ねるとね。
 はい、浪打際に子産石《こうみいし》と云うのがござんす。これこれでここの名所、と土地《ところ》自慢も、優しく教えて、石段から真直《まっす》ぐに、畑中《はたなか》を切って出て見なさんせ、と指さしをしてくれました。
 いかに石が名所でも、男ばかりで児《こ》が出来るか。何と、姉《あね》や、と麦にかくれる島田を覗《のぞ》いて、天狗《てんぐ》わらいに冴《さ》えて来ました、面目もない不了簡《ふりょうけん》。
 嘉吉とかを聞くにつけても、よく気が違わずに済んだ事、とお話中に悚気《ぞっ》としたよ。
 黒門の別荘とやらの、話を聞くと引入れられて、気が沈んで、しんみりと真心から念仏の声が出ました。
 途中すがらもその若い人たちを的に仏名を唱えましょう。木賃の枕に目を瞑《ねむ》ったら、なお歴然《ありあり》、とその人たちの、姿も見えるような気がするから、いっそよく念仏が申されようと考える。
 聞かしておくれの、お婆さん、お前は善智識、と云うても可《よ》い、私は夜通しでも構わんが。
 あんまり身を入れて話をする――聞く――していたので、邪魔になっては、という遠慮か、四五人こっちを覗《のぞ》いては、素通《すどおり》をしたのがあります。
 近在の人と見える。風呂敷包を腰につけて、草履|穿《ば》きで裾をからげた、杖を突張《つッぱ》った、白髪《しらが》の婆さんの、お前さんとは知己《ちかづき》と見えるのが、向うから声をかけたっけ。お前さんが話に夢中で、気が着かなんだものだから、そのままほくほく去《い》ってしまった。
 私も聞惚《ききと》れていた処、話の腰を折られては、と知らぬ顔で居たっけよ。
 大層お店の邪魔をしました、実に済まぬ。」
 と扇を膝に、両手で横に支《つ》きながら、丁寧に会釈する。
 姥《うば》はあらためて右瞻左瞻《とみこうみ》たが、
「お上人様、御殊勝にござります、御殊勝にござります。難有《ありがた》や、」
 と浅からず渇仰《かつごう》して、
「本家が村一番の大長者じゃと云えば、申憎い事ながら、どこを宿ともお定めない、御見懸け申した御坊様じゃ。推しても行って回向《えこう》をしょう。ああもしょう、こうもしてやろう、と斎布施《ときふせ》をお目当で……」
 とずっきり云った。
「こりゃ仰有《おっしゃ》りそうな処、御自分の越度《おちど》をお明かしなさりまして、路々念仏申してやろう、と前途《さき》をお急ぎなさります飾りの無いお前様。
 道中、お髪《ぐし》の伸びたのさえ、かえって貴う拝まれまする。どうぞ、その御回向を黒門の別宅で、近々として進ぜて下さりませぬか。……
 もし、鶴谷でもどのくらい喜びますか分りませぬ。」

       十六

 鶴谷が下男、苦虫の仁右衛門《にえもん》親仁《おやじ》。角のある人魂《ひとだま》めかして、ぶらりと風呂敷包を提げながら、小川べりの草の上。
「なあよ、宰八、」
「やあ、」
 と続いた、手《てん》ぼう蟹は、夥間《なかま》の穴の上を冷飯草履《ひやめしぞうり》、両足をしゃちこばらせて、舞鶴の紋の白い、萌黄《もえぎ》の、これも大包《おおづつみ》。夜具を入れたのを引背負《ひっしょ》ったは、民が塗炭《とたん》に苦《くるし》んだ、戦国時代の駆落《かけおち》めく。
「何か、お前が出会《でっくわ》した――黒門に逗留《とうりゅう》してござらしゃる少《わけ》え人が、手鞠《てまり》を拾ったちゅうはどこらだっけえ。」
「直《じ》きだ、そうれ、お前《めえ》が行《ゆ》く先に、猫柳がこんもりあんべい。」
「おお、」
「その根際《ねき》だあ。帽子のふちも、ぐったり、と草臥《くたぶ》れた形での、そこに、」
 と云った人声に、葉裏から蛍が飛んだ。が、三ツ五ツ星に紛れて、山際薄く、流《ながれ》が白い。
 この川は音もなく、霞のように、どんよりと青田の村を這《は》うのである。
「ここだよ。ちょうど、」
 と宰八はちょっと立留まる。前途《ゆくて》に黒門の森を見てあれば、秋谷の夜はここよりぞ暗くなる、と前途に近く、人の足許《あしもと》が朦朧《もうろう》と、早やその影が押寄せて、土手の低い草の上へ、襲いかかる風情だから、一人が留まれば皆留まった。
 宰八の背後《あと》から、もう一人。杖《ステッキ》を突いて続いた紳士は、村の学校の訓導である。
「見馴《みな》れねえ旅の書生さんじゃ、下ろした荷物に、寝《ね》そべりかかって、腕を曲げての、足をお前《めえ》、草の上へ横投げに投出して、ソレそこいら、白鷺《しらさぎ》の鶏冠《とさか》のように、川面《かわづら》へほんのり白く、すいすいと出て咲いていら、昼間見ると桃色の優しい花だ、はて、蓬《よもぎ》でなしよ。」
「石竹《せきちく》だっぺい。」
「撫子《なでしこ》の一種です、常夏《とこなつ》の花と言うんだ。」
 と訓導は姿勢を正して、杖《ステッキ》を一つ、くるりと廻わすと、ドブン。
「ええ!驚かなくても宜《よろ》しい。今のは蛙だ。」
「その蛙……いんねさ、常夏け。その花を摘んでどうするだか、一束手ぶしに持ったがね。別にハイそれを視《なが》めるでもねえだ。美しい目水晶ぱちくりと、川上の空さ碧《あお》く光っとる星い向いて、相談|打《ぶ》つような形だね。
 草鞋《わらじ》がけじゃで、近辺の人ではねえ。道さ迷ったら教えて進ぜべい、と私《わし》もう内へ帰って、婆様と、お客に売った渋茶の出殻《だしがら》で、茶漬え掻食《かっく》うばかりだもんで、のっそりその人の背中へ立って見ていると、しばらく経《た》ってよ。
 むっくりと起返った、と思うとの。……(爺様《じいさん》、あれあれ、)」
 その時、宰八川面へ乗出して、母衣《ほろ》を倒《さかさ》に水に映した。
「(手毬《てまり》が、手毬が流れる、流れてくる、拾ってくれ、礼をする。)
 見ると、成程、泡も立てずに、夕焼が残ったような尾を曳《ひ》いて、その常夏を束にした、真丸《まんまる》いのが浮いて来るだ。
(銭金《ぜにかね》はさて措《お》かっせえ、だが、足を濡らすは、厭な事《こん》だ。)と云う間も無《ね》え。
 突然《いきなり》ざぶりと、少《わけ》え人は衣服《きもの》の裾《すそ》を掴《つか》んだなりで、川の中へ飛込んだっけ。
 押問答に、小半時かかればとって、直ぐに突ん流れるような疾《はえ》え水脚では、コレ、無えものを、そこは他国の衆で分らねえ。稲妻を掴《つかま》えそうな慌て方で、ざぶざぶ真中《まんなか》で追《おっ》かける、人の煽《あお》りで、水が動いて、手毬は一つくるりと廻った。岸の方へ寄るでねえかね。
(えら!気の疾え先生だ。さまで欲しけりゃ算段のうして、柳の枝を折《おっ》ぺっしょっても引寄せて取ってやるだ、見さっせえ、旅の空で、召ものがびしょ濡れだ。)と叱言《こごと》を言いながら、岸へ来たのを拾おう、と私《わし》、えいやっと蹲《しゃが》んだが。
 こんな川でも、動揺《どよ》みにゃ浪を打つわ、濡れずば栄螺《さざえ》も取れねえ道理よ。私《わし》が手を伸《のば》すとの、また水に持って行《ゆ》かれて、手毬はやっぱり、川の中で、その人が取らしっけがな。……ここだあ仁右衛門、先生様も聞かっせえ。」
 と夜具風呂敷の黄母衣越《きほろごし》に、茜色《あかねいろ》のその顱巻《はちまき》を捻向《ねじむ》けて、
「厭《いや》な事は、……手毬を拾うと、その下に、猫が一匹居たではねえかね。」

       十七

 訓導は苦笑いして、
「可《い》い加減な事を云う、狂気《きちがい》の嘉吉以来だ。お前は悪く変なものに知己《ちかづき》のように話をするが、水潜《みずくぐ》りをするなんて、猫化けの怪談にも、ついに聞いた事はないじゃないか。」
「お前様もね、当前《あたりまえ》だあこれ、空を飛ぼうが、泳ごうが、活《い》きた猫なら秋谷中|私《わし》ら知己《ちかづき》だ。何も厭《いや》な事はねえけんど、水ひたしの毛がよれよれ、前足のつけ根なぞは、あか膚《はだ》よ。げっそり骨の出た死骸《しがい》でねえかね。」
 訓導は打棄《うっちゃ》るように、
「何だい、死骸か。」
「何だ死骸か、言わっしゃるが、死骸だけに厭なこんだ。金壺眼《かなつぼまなこ》を塞《ふさ》がねえ。その人が毬《まり》を取ると、三毛の斑《ぶち》が、ぶよ、ぶよ、一度、ぷくりと腹を出いて、目がぎょろりと光ッたけ。そこら鼠色の汚《きたね》え泡だらけになって、どんみりと流れたわ、水とハイ摺々《すれすれ》での――その方は岸へ上って、腰までずぶ濡れの衣《きもの》を絞るとって、帽子を脱いで仰向《あおむ》けにして、その中さ、入れさしった、傍《そば》で見ると、紫もありゃ黄色い糸もかがってある、五|色《しき》の――手毬は、さまで濡れてはいねえだっけよ。」
「なあよ、宰八、」
「何《あん》だえ。」
 仁右衛門は沈んだ声で、
「その手毬はどうしたよ。」
「今でもその学生が持ってるかね。」
 背後《うしろ》から、訓導がまた聞き挟む。
「忽然《こつねん》として消え失《う》せただ。夢に拾った金子《かね》のようだね。へ、へ、へ、」
 とおかしな笑い方。
「ふん、」
 と苦虫は苦ったなりで、てくてくと歩行《ある》き出す。
「嘘を吐《つ》け、またはじめた。大方、お前が目の前で、しゃぼん球《だま》のように、ぱっと消えてでもなくなったろう、不思議さな。」
「違えます、違えますとも!」
 仁右衛門の後を打ちながら、
「その人が、
(爺様《じいさん》、この里では、今時分手毬をつくか。)
(何《あん》でね?)
(小児《こども》たちが、優しい声、懐《なつか》しい節で唄うている。
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ここはどこの細道じゃ、
秋谷邸の細道じゃ……)
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 一件ものをの、優しい声、懐しい声じゃ云うて、手毬を突くか、と問わっしゃるだ。
 とんでもねえ、あれはお前様、芋※[#「くさかんむり/更」、169-14]《ずいき》の葉が、と言おうとしたが、待ちろ、芸もねえ、村方の内証を饒舌《しゃべ》って、恥|掻《か》くは知慧《ちえ》でねえと、
(何《あに》お前様《めえさま》、学校で体操するだ。おたま杓子《じゃくし》で球をすくって、ひるてんの飛《とび》っこをすればちゅッて、手毬なんか突きっこねえ、)と、先生様の前だけんど、私《わし》一ツ威張ったよ。」
「何だ、見《みっ》ともない、ひるてんの飛びっことは。テニスだよ、テニスと言えば可《い》い。」
「かね……私《わし》また西洋の雀躍《すずめおどり》か、と思ったけ、まあ、可《え》え。」
「ちっとも可《よ》かあない、」
 と訓導は唾《つば》をする。
「それにしても、奥床しい、誰が突いた毬だろう、と若え方問わっしゃるだが。
 のっけから見当はつかねえ、けんど、主《ぬし》が袂《たもと》から滝のように水が出るのを見るにつけても、何とかハイ勘考せねばなんねえで、その手毬を持って見た、」
 と黄母衣《きほろ》を一つ揺上《ゆすりあ》げて、
「濡れちゃいねえが、ヒヤリとしたでね、可《い》い塩梅《あんばい》よ、引込《ひっこ》んだのは手棒《てんぼう》の方、」
 へへ、とまた独りで可笑《おかし》がり、
「こっちの手で、ハイ海へ落ちさっしゃるお日様と、黒門の森に掛《かか》ったお月様の真中《まんなか》へ、高《たっか》くこう透かして見っけ。
 しゃぼん球《だま》ではねえよ。真円《まんまる》な手毬の、影も、草に映ったでね。」
「それがまたどうして消えた、馬鹿な!」
 と勢込《いきおいこ》む、つき反らした杖《ステッキ》の尖《さき》が、ストンと蟹の穴へ狭《はさま》ったので、厭な顔をした訓導は、抜きざまに一足飛ぶ。
「まあ、聞かっせえ。
 玉味噌の鑑定とは、ちくと物が違うでな、幾ら私《わし》が捻《ひね》くっても、どこのものだか当りは着かねえ。
(霞のような小川の波に、常夏《とこなつ》の影がさして、遠くに……(細道)が聞える処へ、手毬が浮いて……三年五年、旅から旅を歩行《ある》いたが、またこんな嬉しい里は見ない、)
 と、ずぶ濡《ぬれ》の衣《きもの》を垂れる雫《しずく》さえ、身体《からだ》から玉がこぼれでもするほどに若え方は喜ばっしゃる。」

       十八

「――(この上誰か、この手毬の持主に逢えるとなれば、爺さん、私は本望だ、野山に起臥《おきふし》して旅をするのもそのためだ。)
 と、話さっしゃるでの。村を賞《ほ》められたが憎くねえだし、またそれまでに思わっしゃるものを、ただわかりましねえで放擲《ほか》しては、何か私《わし》、気が済まねえ。
 そこで、草原へ蹲《しゃが》み込んで、信《まこと》にはなさりますめえけんど、と嘉吉に蒼《あお》い珠《たま》授けさしった……」
 しばらく黙って、
「の、事を話したらばの。先生様の前だけんど、嘘を吐《つ》け、と天窓《あたま》からけなさっしゃりそうな少《わけ》え方が、
(おお、その珠と見えたのも、大方星ほどの手毬だろう。)と、あのまた碧《あお》い星を視《なが》めて云うだ。けちりんも疑わねえ。
(なら、まだ話します事がござります、)とついでに黒門の空邸《あきやしき》の話をするとの。
(川はその邸の、庭か背戸を通って流れはしないか。)
 と乗出しけよ。……(流れは見さっしゃる通りだ)……」

 今もおなじような風情である。――薄《うっす》りと廂《ひさし》を包む小家《こいえ》の、紫の煙《けぶり》の中も繞《めぐ》れば、低く裏山の根にかかった、一刷《ひとはけ》灰色の靄《もや》の間も通る。青田の高低《たかひく》、麓《ふもと》の凸凹《でいり》に従うて、柔《やわら》かにのんどりした、この一巻《ひとまき》の布は、朝霞には白地の手拭《てぬぐい》、夕焼には茜《あかね》の襟、襷《たすき》になり帯になり、果《はて》は薄《すすき》の裳《もすそ》になって、今もある通り、村はずれの谷戸口《やとぐち》を、明神の下あたりから次第に子産石《こうみいし》の浜に消えて、どこへ灌《そそ》ぐということもない。口につけると塩気があるから、海潮《うしお》がさすのであろう。その川裾《かわすそ》のたよりなく草に隠れるにつけて、明神の手水洗《みたらし》にかけた献燈の発句には、これを霞川、と書いてあるが、俗に呼んで湯川と云う。
 霞に紛れ、靄に交って、ほのぼのと白く、いつも水気の立つ処から、言い習わしたものらしい。
 あの、薄煙《うすけぶり》、あの、靄の、一際夕暮を染めたかなたこなたは、遠方《おちかた》の松の梢《こずえ》も、近間なる柳の根も、いずれもこの水の淀《よど》んだ処で。畑《はた》一つ前途《ゆくて》を仕切って、縦に幅広く水気が立って、小高い礎《いしずえ》を朦朧《もうろう》と上に浮かしたのは、森の下闇《したやみ》で、靄が余所《よそ》よりも判然《はっきり》と濃くかかったせいで、鶴谷が別宅のその黒門の一構《ひとかまえ》。
 三人は、彼処《かしこ》をさして辿《たど》るのである。
 ここに渠等《かれら》が伝う岸は、一間ばかりの川幅であるが、鶴谷の本宅の辺《あたり》では、およそ三間に拡がって、川裾は早やその辺からびしょびしょと草に隠れる。
 ここへは、流《ながれ》をさかのぼって来るので、間には橋一つ渡らねばならぬ。
 橋は明神の前へ、三崎街道に一つ、村の中に一つ。今しがた渠等が渡って、ここから見えるその村の橋も、鶴谷の手で欄干はついているが、細流《せせらぎ》の水静かなれば、偏《ひとえ》に風情を添えたよう。青い山から靄の麓へ架《か》け渡したようにも見え、低い堤防《どて》の、茅屋《かやや》から茅屋の軒へ、階子《はしご》を横《よこた》えたようにも見え、とある大家の、物好《ものずき》に、長く渡した廻廊かとも視《なが》められる。
 灯《ともしび》もやや、ちらちらと青田に透く。川下の其方《そなた》は、藁屋《わらや》続きに、海が映って空も明《あかる》い。――水上《みなかみ》の奥になるほど、樹の枝に、茅葺《かやぶき》の屋根が掛《かか》って、蓑虫《みのむし》が塒《ねぐら》したような小家がちの、それも三つが二つ、やがて一つ、窓の明《あかり》も射《さ》さず、水を離れた夕炊《ゆうかしぎ》の煙ばかり、細く沖で救《すくい》を呼ぶ白旗のように、風のまにまに打靡《うちなび》く。海の方は、暮が遅くて灯《あかり》が疾《はや》く、山の裾は、暮が早くて、燈《ともしび》が遅いそうな。
 まだそれも、鳴子引けば遠近《おちこち》に便《たより》があろう。家と家とが間《あい》を隔て、岸を措《お》いても相望むのに、黒門の別邸は、かけ離れた森の中に、ただ孤家《ひとつや》の、四方へ大《おおき》なる蜘蛛《くも》のごとく脚を拡げて、どこまでもその暗い影を畝《うね》らせる。
 月は、その上にかかっているのに。……
 先達《せんだつ》の仁右衛門は、早やその樹立《こだち》の、余波《なごり》の夜に肩を入れた。が、見た目のさしわたしに似ない、帯がたるんだ、ゆるやかな川|添《ぞい》の道は、本宅から約八丁というのである。
 宰八が言続《いいつ》いで、
「……(外廻りを流れて来るし、何もハイ空家から手毬を落す筈《はず》はねえ。そんでも猫の死骸なら、あすこへ持って行って打棄《うっちゃ》った奴があるかも知んねえ、草ぼうぼうだでのう、)と私《わし》、話をしただがね。」

       十九

「それからその少《わけ》え方は、(どうだろう、その黒門の空家というのを、一室《ひとま》借りるわけには行くまいか、自炊を遣《や》って、しばらく旅の草臥《くたびれ》を休めたい、)と相談|打《ぶ》ったが。
 ねえ、先生様。
 お前様《めえさま》、今の住居《すまい》は、隣の嚊々《かかあ》が小児《がき》い産んで、ぎゃあぎゃあ煩《うるせ》え、どこか貸す処があるめえか、言わるるで、そん当時黒門さどうだちゅったら、あれは、と二の足を蹈《ふ》ましっけな。」
 と横ざまに浴《あび》せかけると、訓導は不意打ながら、さしったりで、杖《ステッキ》を小脇に引抱《ひんだ》き、
「学校へ通うのに足場が悪くって、道が遠くって仕様がないから留《や》めたんだ。」
「朝寝さっしゃるせいだっぺい。」
 仁右衛門が重い口で。
 訓導は教うるごとく、
「第一水が悪い。あの、また真蒼《まっさお》な、草の汁のようなものが飲めるものかい。」
「そうかね――はあ、まず何にしろだ。こっちから頼めばとって、昼間掃除に行くのさえ、厭《いや》がります空屋敷じゃ。そこが望み、と仰有《おっしゃ》るに、お住居《すまい》下さればその部屋一ツだけも、屋根の草が無うなって、立腐れが保つこんだで、こっちは願ったり、叶《かな》ったり、本家の旦那《だんな》もさぞ喜びましょうが、尋常体《なみてい》の家《うち》でねえ。あの黒門を潜《くぐ》らっしゃるなら、覚悟して行かっせえ、可《よ》うがすか、と念を入れると、
(いやその位の覚悟はいつでもしている。)
 と落着いたもんだてえば。
 はてな、この度胸だら盗賊《どろぼう》でも大将株だ、と私《わし》、油断はねえ、一分別しただがね、仁右衛門よ、」
「おおよ。」
「前刻《さっき》、着たっきりで、手毬を拾いに川ん中さ飛込んだ時だ。旅空かけて衣服《きもの》をどうするだ、と私《わし》頼まれ効《がい》もなかったけえ、気の毒さもあり、急がずば何とかで濡れめえものを夕立だ、と我鳴《がなっ》った時よ。
(着物は一枚ありますから……)
 と見得でねえわ、見得でねえね。極《きま》りの悪そうに、人の心を無にしねえで言訳をするように言わしっけが、こいつを睨《にら》んで、はあ、そこへ私《わし》が押惚《おっぽ》れただ。
 殊勝な、優しい、最愛《いとし》い人だ。これなら世話をしても仔細《しさい》あんめえ。第一、あの色白な仁体《じんてい》じゃ……化《ば》……仁右衛門よ。」
「何《あに》い、」
「暗くなったの、」
「彼これ、酉刻《むつ》じゃ。」
「は、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、黒門前は真暗《まっくら》だんべい。」
「大丈夫、月が射《さ》すよ。」
 と訓導は空を見て、
「お前、その手毬の行方はどうしたんだい。」
「そこだてね、まあ聞かっせえ、客人が、その最愛《いとし》らしい容子《ようす》じゃ……化《ばけ》、」
 とまた言い掛けたが、青芒《あおすすき》が川のへりに、雑木|一叢《ひとむら》、畑の前を背|屈《かが》み通る真中《まんなか》あたり、野末の靄《もや》を一|呼吸《いき》に吸込んだかと、宰八|唐突《だしぬけ》に、
「はッくしょ!」
 胴震いで、立縮《たちすく》み、
「風がねえで、えら太《ひど》い蜘蛛の巣だ。仁右衛門、お前《めえ》、はあ、先へ立って、よく何ともねえ。」
「巣、巣どころか、己《おら》あ樹の枝から這《は》いかかった、土蜘蛛を引掴《ひッつか》んだ。」
「ひゃあ、」
「七日風が吹かねえと、世界中の人を吸殺すものだちゅっけ、半日蒸すと、早やこれだ。」
 と握占《にぎりし》めた掌《てのひら》を、自分で捻開《こじあ》けるようにして開いたが、恐る恐る透《すか》して見ると、
「何ぢゃ、蟹か。」
 水へ、ザブン。
 背後《うしろ》で水車《みずぐるま》のごとく杖《ステッキ》を振廻していた訓導が、
「長蛇《ちょうだ》を逸すか、」
 と元気づいて、高らかに、
「たちまち見る大蛇の路に当って横《よこた》わるを、剣を抜いて斬《き》らんと欲すれば老松《ろうしょう》の影!」
「ええ、静《しずか》にしてくらっせえ、……もう近えだ。」
 と仁右衛門は真面目《まじめ》に留める。
「おい、手毬はどうして消えたんだな、焦《じれ》ったい。」
「それだがね、疾《はえ》え話が、御仁体じゃ。化物が、の、それ、たとい顔を嘗《な》めればとって、天窓《あたま》から塩《しお》とは言うめえ、と考えたで、そこで、はい、黒門へ案内しただ。仁右衛門も知っての通り――今日はまた――内の婆々殿が肝入《きもいり》で、坊様を泊《と》めたでの、……御本家からこうやって夜具を背負《しょ》って、私《わし》が出向くのは二度目だがな。」

       二十

「その書生さんの時も、本宅の旦那様、大喜びで、御酒は食《あが》らぬか。晩の物だけ重詰《じゅうづめ》にして、夜さりまた掻餅《かきもち》でも焼いてお茶受けに、お茶も土瓶で持って行《ゆ》け。
 言わっしゃったで、一風呂敷と夜具包みを引背負《ひっしょ》って出向いたがよ。
 へい、お客様|前刻《せんこく》は。……本宅でも宜《よろ》しく申してでござりました。お手廻りのものや、何やかや、いずれ明日お届け申します。一餉《ひとかたけ》ほんのお弁当がわり。お茶と、それから臥《ふせ》らっしゃるものばかり。どうぞハイ緩《ゆっく》り休まっしゃりましと、口上言うたが、着物は既《すんで》に浴衣に着換えて、燭台《しょくだい》の傍《わき》へ……こりゃな、仁右衛門や私《わし》が時々見廻りに行《ゆ》く時、皆《みんな》閉切ってあって、昼でも暗えから要害に置いてあった。……先《せん》に案内をした時に、彼これ日が暮れたで、取り敢《あえ》ず点《とも》して置いたもんだね。そのお前様《めえさま》、蝋燭火《ろうそくび》の傍《わき》に、首い傾《かし》げて、腕組みして坐ってござるで、気になるだ。
(どうかさっせえましたか。)と尋ねるとの。
 ここだ!」
 と唐突《だしぬけ》に屹《きっ》と云う。
「ええ何か、」と訓導は一足《ひとあし》退《の》く。
 宰八は委細構わず。
「手毬の消えたちゅうがよ。(ここに確《たしか》に置いたのが見えなくなった、)と若え方が言わっしゃるけ。
 そうら、始まったぞ、と私《わし》一ツ腰をがっくりとやったが、縁側へつかまったあ――どんな風に、失《な》くなったか、はあ、聞いたらばの。
 三ツばかり、どうん、どうん、と屋根へ打附《ぶつか》ったものがあった……大《おおき》な石でも落ちたようで、吃驚《びっくり》して天井を見上げると、あすこから、と言わしっけ。仁右衛門、それ、の、西の鉢前の十畳敷の隅ッこ。あの大掃除の検査の時さ、お巡査《まわり》様が階子《はしご》さして、天井裏へ瓦斯《がす》を点《つ》けて這込《はいこ》まっしゃる拍子に、洋刀《サアベル》の鐺《こじり》が上《あが》って倒《さかさま》になった刀《み》が抜けたで、下に居た饂飩《うどん》屋の大面《おおづら》をちょん切って、鼻柱怪我ァした、一枚外れている処だ。
 どんと倒落《さかおと》しに飛んで下りたは三毛猫だあ。川の死骸と同じ毛色じゃ、(これは、と思うと縁へ出て)……と客人の若え方が言わっしゃったで、私《わし》は思わず傍《わき》へ退《の》いたが。
 庭へ下りて、草|茫々《ぼうぼう》の中へ隠れたのを、急いで障子の外へ出て見ている内に、床の間に据えて置いた、その手毬がさ。はい、忽然《こつねん》と消えちゅうは、……ここの事だね。」
「消えたか、落したか分るもんか。」
「はあ、分らねえから、変でがしょ、」
「何もちっとも変じゃない。いやしくも学校のある土地に不思議と云う事は無いのだから。」
「でも、お前様《めえさま》、その猫がね、」
「それも猫だか、鼬《いたち》だか、それとも鼠だが[#「だが」はママ]、知れたもんじゃない。森の中だもの、兎《うさぎ》だって居るかも知れんさ。」
「そのお前様、知れねえについてでがさ。」
「だから、今夜行って、僕が正体を見届けてやろうと云うんだ。」
「はい、どうぞ、願えますだ。今までにも村方で、はあ、そんな事を言って出向いたものがの、なあ、仁右衛門。」
 無言なり。
「前方《さき》へ行って目をまわしっけ、」
「馬鹿、」
 と憤然《むっ》とした調子で呟《つぶや》く。
 きかぬ気の宰八、紅《くれない》の鋏《はさみ》を押立《おった》て、
「お前様もまた、馬鹿だの、仁右衛門だの、坊様だの、人大勢の時に、よく今夜来さしった。今まではハイついぞ行って見ようとも言わねえだっけが。」
「当前《あたりまえ》です、学校の用を欠いて、そんな他愛《たわい》もない事にかかり合っていられるもんかい。休暇になったから運動かたがた来て見たんだ。」
「へ、お前様なんざ、畳が刎《は》ねるばかりでも、投飛ばされる御連中だ。」
「何を、」
「私《わし》なんざ臆病《おくびょう》でも、その位の事にゃ馴《な》れたでの、船へ乗った気で押《おっ》こらえるだ。どうしてどうして、まだ、お前……」
「宰八よ、」
 と陰気な声する。
「おお、」
「ぬしゃまた何も向う面《づら》になって、おかしなもののお味方をするにゃ当るめえでねえか。それでのうてせえ、おりゃ重いもので押伏《おっぷ》せられそうな心持だ。」
 と溜息《ためいき》をして云った。浮世を鎖《とざ》したような黒門の礎《いしずえ》を、靄《もや》がさそうて、向うから押し拡がった、下闇《したやみ》の草に踏みかかり、茂《しげり》の中へ吸い込まれるや、否や、仁右衛門が、
「わっ、」
 と叫んだ。

       二十一

「はじめの夜は、ただその手毬《てまり》が失《う》せましただけで、別に変った事件《こと》も無かったでございますか。」
 と、小次郎法師の旅僧《たびそう》は法衣《ころも》の袖を掻合《かきあわ》せる。
 障子を開けて縁の端近《はしぢか》に差向いに坐ったのは、少《わか》い人、すなわち黒門の客である。
 障子も普通《なみ》よりは幅が広く、見上げるような天井に、血の足痕《あしあと》もさて着いてはおらぬが、雨垂《あまだれ》が伝《つたわ》ったら墨汁《インキ》が降りそうな古びよう。巨寺《おおでら》の壁に見るような、雨漏《あまもり》の痕《あと》の画像《えすがた》は、煤《すす》色の壁に吹きさらされた、袖のひだが、浮出たごとく、浸附《しみつ》いて、どうやら饅頭《まんじゅう》の形した笠を被《かぶ》っているらしい。顔ぞと見る目鼻はないが、その笠は鴨居《かもい》の上になって、空から畳を瞰下《みお》ろすような、惟《おも》うに漏る雨の余り侘《わび》しさに、笠欲ししと念じた、壁の心が露《あらわ》れたものであろう――抜群にこの魍魎《もうりょう》が偉大《おおき》いから、それがこの広座敷の主人《あるじ》のようで、月影がぱらぱらと鱗《うろこ》のごとく樹《こ》の間《ま》を落ちた、広縁の敷居際に相対した旅僧の姿などは、硝子《がらす》障子に嵌込《はめこ》んだ、歌留多《かるた》の絵かと疑わるる。
「ええ、」
 と黒門の年若な逗留《とうりゅう》客は、火のない煙草《たばこ》盆の、遥《はるか》に上の方で、燧灯《マッチ》を摺《す》って、静《しずか》に吸《す》いつけた煙草の火が、その色の白い頬に映って、長い眉を黒く見せるほど室《ま》の内は薄暗い。――差置かれたのは行燈《あんどう》である。
「まだその以前でした。話すと大勢が気にしますから、実は宰八と云う、爺さん……」
「ああ、手《てん》ぼうの……でございますな。」
「そうです。あの親仁《おやじ》にも謂《い》わないでいたんですが、猫と一所に手毬の亡くなりますちつと、前です。」
 この古館《ふるやかた》のまずここへ坐りましたが、爺さんは本家へ、と云って参りました。黄昏《たそがれ》にただ私一人で、これから女中が来て、湯を案内する、上《あが》って来ます、膳《ぜん》が出る。床を取る、寝る、と段取の極《きま》りました旅籠屋《はたごや》でも、旅は住心《すみごころ》の落着かない、全く仮の宿です……のに、本家でもここを貸しますのを、承知する事か、しない事か。便りに思う爺さんだって、旅他国で畔道《あぜみち》の一面識。自分が望んでではありますが、家と云えば、この畳を敷いた――八幡不知《やわたしらず》。
 第一要害がまるで解《わか》りません。真中《まんなか》へ立ってあっちこっち瞻《みまわ》しただけで、今入って来た出口さえ分らなくなりましたほどです。
 大袈裟《おおげさ》に言えば、それこそ、さあ、と云う時、遁路《にげみち》の無い位で。夏だけに、物の色はまだ分りましたが、日は暮れるし、貴僧《あなた》、黒門までは可《い》い天気だったものを、急に大粒な雨!と吃驚《びっくり》しますように、屋根へ掛《かか》りますのが、この蔽《おっ》かぶさった、欅《けやき》の葉の落ちますのです。それと知りつつ幾たびも気になっては、縁側から顔を出して植込の空を透かしては見い見いしました、」
 と肩を落して、仰ぎ様《ざま》に、廂《ひさし》はずれの空を覗《のぞ》いた。
「やっぱり晴れた空なんです……今夜のように。」
「しますると……」
 旅僧は先祖が富士を見た状《さま》に、首あげて天井の高きを仰ぎ、
「この、時々ぱらぱらと来ますのは、木《こ》の葉でございますかな。」
「御覧なさい、星が降りそうですから、」
「成程。その癖音のしますたびに、ひやひやと身うちへ応《こた》えますで、道理こそ、一雨かかったと思いましたが。」
「お冷えなさるようなら、貴僧《あなた》、閉めましょう。」
「いいえ、蚊を疵《きず》にして五百両、夏の夜はこれが千金にも代えられません、かえって陽気の方がお宜《よろ》しい。」
 と顔を見て、
「しかし、いかにもその時はお寂《さみ》しかったでございましょう。」
「実際、貴僧《あなた》、遥々《はるばる》と国を隔てた事を思い染みました。この果《はて》に故郷がある、と昼間三崎街道を通りつつ、考えなかったでもありませんが、場所と時刻だけに、また格別、古里が遠かったんです。」
「失礼ながら、御生国《ごしょうごく》は、」
「豊前《ぶぜん》の小倉《こくら》で、……葉越《はごし》と言います。」
 葉越は姓で、渠《かれ》が名は明である。
「ああ、御遠方じゃ、」
 と更《あらた》めて顔を見る目も、法師は我ながら遥々と海を視《なが》める思いがした。旅の窶《やつれ》が何となく、袖を圧して、その単衣《ひとえ》の縞柄《しまがら》にも顕《あらわ》れていたのであった。
「そして貴僧《あなた》は、」
「これは申後《もうしおく》れました、私《わたくし》は信州松本の在、至って山家ものでございます。」
「それじゃ、二人で、海山のお物語が出来ますね。」
 と、明は優しく、人|懐《な》つこい。

       二十二

「不思議な御縁で、何とも心嬉しく存じますが、なかなかお話相手にはなりません。ただ
承りまするだけで、それがしかし何より私《わたくし》には結構でございます。」
 と僧は慇懃《いんぎん》である。
 明は少し俯向《うつむ》いた。瘠《や》せた顋《あぎと》に襟狭く、
「そのお話と云いますのが、実に取留めのない事で、貴僧《あなた》の前では申すのもお恥かしい。」
「決して、さような事はございません。茶店の婆さんはこの邸に憑物《つきもの》の――ええ、ただ聞きましたばかりでも、成程、浮ばれそうもない、少《わか》い仏たちの回向《えこう》も頼む。ついては貴下《あなた》のお話も出ましてな。何か御覚悟がおありなさるそうで、熟《じっ》と辛抱をしてはござるが、怪しい事が重なるかして、お顔の色も、日ごとに悪い。
 と申せば、庭先の柿の広葉が映るせいで、それで蒼白《あおじろ》く見えるんだから、気にするな、とおっしゃるが、お身体《からだ》も弱そうゆえに、老寄《としより》夫婦で一層のこと気にかかる。
 昼の内は宰八なり、誰か、時々お伺いはいたしますが、この頃は気怯《きおく》れがして、それさえ不沙汰《ぶさた》がちじゃに因って、私によくお見舞い申してくれ、と云う、くれぐれもその託《ことづけ》でございました。が何か、最初の内、貴方《あなた》が御逗留《ごとうりゅう》というのに元気づいて、血気な村の若い者が、三人五人、夜食の惣菜ものの持寄り、一升徳利なんぞ提げて、お話|対手《あいて》、夜伽《よとぎ》はまだ穏《おだやか》な内、やがて、刃物切物、鉄砲持参、手覚えのあるのは、係羂《かけわな》に鼠の天麩羅《てんぷら》を仕掛けて、ぐびぐび飲みながら、夜更けに植込みを狙うなんという事がありますそうで?――
 婆さんが話しました。」
「私は酒はいけず、対手は出来ませんから、皆さんの車座を、よく蚊帳の中から見ては寝ました。一時は随分|賑《にぎやか》でした。
 まあ、入《いり》かわり立《たち》かわり、十日ばかり続いて、三人四人ずつ参りましたが、この頃は、ばったり来なくなりましたんです。」
「と申す事でございますな。ええ、時にその入り交《かわ》り立ち交りにつけて、何か怪しい、」
 と言いかけて偶《ふ》と見返った、次の室《ま》と隔ての襖《ふすま》は、二枚だけ山のように、行燈《あんどう》の左右に峰を分けて、隣国《となりぐに》までは灯が届かぬ。
 心も置かれ、後髪も引かれた状《さま》に、僧は首に気を入れて、ぐっと硬くなって、向直って、
「その怪しいものの方でも、手をかえ、品をかえ、怯《おびや》かす。――何かその……畳がひとりでに持上りますそうでありますが、まったくでございますかな。」
 熟《じっ》と視《み》て聞くと、また俯向《うつむ》いて、
「ですから、お話しも極《きま》りが悪い、取留めのない事だと申すんです。」
「ははあ、」
 と胸を引いて、僧は寛《くつろ》いだ状《さま》に打笑い、
「あるいはそうであろうかにも思いましたよ。では、ただ村のものが可《い》い加減な百物語。その実、嘘説《うそ》なのでございますので?」
「いいえ、それは事実です。畳は上《あが》りますとも。貴僧《あなた》、今にも動くかも分りません。」
「ええ!や、それは、」
 と思わず、膝を辷《すべ》らした手で、はたはたと圧《おさ》えると、爪も立ちそうにない上床《じょうどこ》の固い事。
「これが、動くでございますか。」
「ですから、取留めのない事ではありませんか。」
 と静《しずか》に云うと、黙って、ややあって瞬《またたき》して、
「さよう、余り取留めなくもないようでございます。すると、坐っているものはいかがな儀に相成りましょうか。」
「騒がないで、熟《じっ》としていさえすれば、何事もありません。動くと申して、別に倒《さかさ》に立って、裏返しになるというんじゃないのですから、」
「いかにも、まともにそれじゃ、人間が縁の下へ投込まれる事になりますものな。」
「そうですとも。そうなった日には、足の裏を膠《にかわ》で附着《くッつ》けておかねばなりません。
 何ともないから、お騒ぎなさるなと云っても、村の人が肯《き》かないで、畳のこの合せ目が、」
 と手を支《つ》いて、ずっと掌《てのひら》を辷《すべ》らしながら、
「はじめに、長い三角だの、小さな四角に、縁《ふち》を開けて、きしきしと合ったり、がらがらと離れたり、しかし、その疾《はや》い事は、稲妻のように見えます。
 そうするともう、わっと言って、飛ぶやら刎《は》ねるやら、やあ!と踏張《ふんば》って両方の握拳《にぎりこぶし》で押えつける者もあれば、いきなり三宝|火箸《ひばし》でも火吹竹でも宙で振廻す人もある――まあ一人や二人は、きっとそれだけで縁から飛出して遁《に》げて行《ゆ》きます。」

       二十三

「どたん、ばたん、豪《えら》い騒ぎ。その立騒ぐのに連れて、むくむくむくむく、と畳を、貴僧《あなた》、四隅から持上げますが、二隅ずつ、どん、どん、順に十畳敷を一時《いっとき》に十ウ、下から握拳を突出すようです。それ毛だらけだ、わあ女の腕だなんて言いますが、何、その畳の隅が裏返るように目まぐるしく飜《かえ》るんです。
 もうそうなると、気の上《あが》った各自《てんで》が、自分の手足で、茶碗を蹴飛《けと》ばす、徳利《とっくり》を踏倒す、海嘯《つなみ》だ、と喚《わめ》きましょう。
 その立廻りで、何かの拍子にゃ怪我もします、踏切ったくらいでも、ものがものですから、片足切られたほどに思って、それがために寝ついたのもあるんだそうで。漁師だとか言いましたっけ。一人、わざわざ山越えで浜の方から来たんだって、怪物《ばけもの》に負けない禁厭《まじない》だ、と※[#「魚+覃」、第3水準1-94-50]《えい》の針を顱鉄《はちがね》がわりに、手拭《てぬぐい》に畳込んで、うしろ顱巻《はちまき》なんぞして、非常な勢《いきおい》だったんですが、猪口《ちょこ》の欠《かけ》の踏抜きで、痛《いたみ》が甚《ひど》い、お祟《たたり》だ、と人に負《おぶ》さって帰りました。
 その立廻りですもの。灯《あかり》が危いから傍《わき》へ退《の》いて、私はそのたびに洋燈《ランプ》を圧《おさ》え圧えしたんですがね。
 坐ってる人が、ほんとに転覆《ひっくりかえ》るほど、根太《ねだ》から揺れるのでない証拠には、私が気を着けています洋燈《ランプ》は、躍りはためくその畳の上でも、静《じっ》として、ちっとも動きはせんのです。
 しかしまた洋燈ばかりが、笠から始めて、ぐるぐると廻った事がありました。やがて貴僧《あなた》、風車《かざぐるま》のように舞う、その癖、場所は変らないので、あれあれと云う内に火が真丸《まんまる》になる、と見ている内、白くなって、それに蒼味《あおみ》がさして、茫《ぼう》として、熟《じっ》と据《すわ》る、その厭《いや》な光ったら。
 映る手なんざ、水へ突込《つッこ》んでるように、畝《うね》ったこの筋までが蒼白く透通って、各自《てんで》の顔は、皆《みんな》その熟した真桑瓜《まくわうり》に目鼻がついたように黄色くなったのを、見合せて、呼吸《いき》を詰める、とふわふわと浮いて出て、その晩の座がしらという、一番強がった男の膝へ、ふッと乗ったことがあるんですね。
 わッと云うから、騒いじゃ怪我をしますよ、と私が暗い中で声を掛けたのに、猫化《ねこばけ》だ遣《やっ》つけろ、と誰だか一人、庭へ飛出して遁《に》げながら喚《わめ》いた者がある。畜生、と怒鳴って、貴僧、危いの何のじゃない!
 ※[#「火+發」、189-13]《ぱっ》と明《あかる》くなって旧《もと》の通《とおり》洋燈が見えると、その膝に乗られた男が――こりゃ何です、可《い》い加減な年配でした――かつて水兵をした事があるとか云って、かねて用意をしたものらしい、ドギドギする小刀《ナイフ》を、火屋《ほや》の中から縦に突刺してるじゃありませんか。」
「大変で、はあ、はあ、」
「ト思うと一|呼吸《いき》に、油壺をかけて突壊《つきこわ》したもんだから、流れるような石油で、どうも、後二日ばかり弱りました。
 その時は幸に、当人、手に疵《きず》をつけただけ、勢《いきおい》で壊したから、火はそれなり、ばったり消えて、何の事もありませんでしたが、もしやの時と、皆《みんな》が心掛けておきました、蝋燭《ろうそく》を点《つ》けて、跡始末に掛《かか》ると、さあ、可訝《おかし》いのは、今の、怪我で取落した小刀《ナイフ》が影も見えないではありませんか。
 驚きました。これにゃ、皆《みんな》が貴僧《あなた》、茶釜《ちゃがま》の中へ紛れ込んで祟《たた》るとか俗に言う、あの蜥蜴《とかげ》の尻尾《しっぽ》の切れたのが、行方知れずになったより余程《よっぽど》厭な紛失もの。襟へ入っていはしないか、むずむずするの、褌《ふんどし》へささっちゃおらんか、ひやりとするの、袂《たもと》か、裾《すそ》か、と立つ、坐る、帯を解きます。
 前にも一度、大掃除の検査に、階子《はしご》をさして天井へ上った、警官《おまわり》さんの洋剣《サアベル》が、何かの拍子に倒《さかさま》になって、鍔元《つばもと》が緩んでいたか、すっと抜出《ぬけだ》したために、下に居たものが一人、切られた事がある座敷だそうで。
 外のものとは違う。切物《きれもの》は危い、よく探さっしゃい、針を使ってさえ始める時と了《しま》う時には、ちゃんと数を合わせるものだ。それでもよく紛失するが、畳の目にこぼれた針は、奈落へ落ちて地獄の山の草に生える。で、餓鬼が突刺される。その供養のために、毎年六月の一日は、氷室《ひむろ》の朔日《ついたち》と云って、少《わか》い娘が娘同士、自分で小鍋立《こなべだ》ての飯《まま》ごとをして、客にも呼ばれ、呼びもしたものだに、あのギラギラした小刀《ナイフ》が、縁の下か、天井か、承塵《なげし》の途中か、在所《ありどころ》が知れぬ、とあっては済まぬ。これだけは夜一夜《よっぴて》さがせ、と中に居た、酒のみの年寄が苦り切ったので、総立ちになりました。
 これは、私だって気味が悪かったんです。」
 僧はただ目で応《こた》え、目で頷《うなず》く。

       二十四

「洋燈《ランプ》の火でさえ、大概|度胆《どぎも》を抜かれたのが、頼みに思った豪傑は負傷するし、今の話でまた変な気になる時分が、夜も深々と更けたでしょう。
 どんな事で、どこから抛《ほう》り投げまいものでもない。何か、対手《あいて》の方も斟酌《しんしゃく》をするか、それとも誰も殺すほどの罪もないか、命に別条はまず無かろうが、怪我は今までにも随分ある。
 さあ、捜す、となると、五人の天窓《あたま》へ燭台《しょくだい》が一ツです。蝋《ろう》の継ぎ足しはあるにして、一時《いっとき》に燃すと翌方《あけがた》までの便《たより》がないので、手分けをするわけには行《ゆ》きません。
 もうそうなりますとね、一人じゃ先へ立つのも厭《いや》がりますから、そこで私が案内する、と背後《あと》からぞろぞろ。その晩は、鶴谷の檀那寺《だんなでら》の納所《なっしょ》だ、という悟った禅坊さんが一人。変化《へんげ》出でよ、一喝《いっかつ》で、という宵の内の意気組で居たんです。ちっとお差合いですね、」
「いえ、宗旨違いでございます、」
 と吃驚《びっくり》したように莞爾《にっこり》する。
「坊さんまじりその人数《にんず》で。これが向うの曲角から、突当りのはばかりへ、廻縁《まわりえん》になっています。ぐるりとその両側、雨戸を開けて、沓脱《くつぬぎ》のまわり、縁の下を覗《のぞ》いて、念のため引返して、また便所《はばかり》の中まで探したが、光るものは火屋《ほや》の欠《かけら》も落ちてはいません。
 じゃあ次の室《ま》を……」
 と振返って、その大《おおき》なる襖《ふすま》を指した。
「と皆《みんな》が云うから、私は留めました。
 ここを借りて、一室《ひとま》だけでも広過ぎるから、来てからまだ一度も次の室《ま》は覗《のぞ》いて見ない。こういう時開けては不可《いけ》ません。廊下から、厠《かわや》までは、宵から通った人もある。転倒《てんどう》している最中、どんな拍子で我知らず持って立って、落して来ないとも限らんから、念のため捜したものの、誰も開けない次の室《ま》へ行ってるようでは、何かが秘《かく》したんだろうから、よし有ったにした処で、先方《さき》にもしその気があれば、怪我もさせよう、傷もつけよう。さて無い、となると、やっぱり気が済まんのは同一《おんなじ》道理。押入も覗《のぞ》け、棚も見ろ、天井も捜せ、根太板をはがせ、となっては、何十人でかかった処で、とてもこの構えうち隅々まで隈《くま》なく見尽される訳のものではない。人足の通った、ありそうな処だけで切上げたが可《い》いでしょう――
 それもそうか、いよいよ魔隠しに隠したものなら、山だか川だか、知れたものではない。
 まあ、人間|業《わざ》で叶《かな》わん事に、断念《あきら》めは着きましたが、危険《けんのん》な事には変わりはないので。いつ切尖《きっさき》が降って来ようも知れません。ちっとでも楯《たて》になるものをと、皆《みんな》が同一《おなじ》心です。言合わせたように順々に……前《さき》へ御免を被《こうむ》りますつもりで、私が釣っておいた蚊帳へ、総勢六人で、小さくなって屈《かが》みました。
 変におしおきでも待ってるようでなお不気味でした。そうか、と云って、夜《よる》夜中《よなか》、外へ遁出《にげだ》すことは思いも寄らず、で、がたがた震える、突伏《つッぷ》す、一人で寝てしまったのがあります、これが一番可いのです。坊様《ぼうさん》は口の裏《うち》で、頻《しきり》にぶつぶつと念じています。
 その舌の縺《もつ》れたような、便《たより》のない声を、蚊の唸《うな》る中に聞きながら、私がうとうとしかけました時でした。密《そっ》と一人が揺《ゆす》ぶり起して、
(聞えますか、)
 と言います。
(ココだ、ココだ、と云う声が、)と、耳へ口をつけて囁《ささや》くんです。それから、それへ段々、また耳移しに。
(失物《うせもの》はココにある、というお知らせだろう、)
(どうか、)と言う、ひそひそ相談《ばなし》。
 耳を澄ますと、蚊帳越の障子のようでもあり、廊下の雨戸のようでもあり、次の間と隔ての襖際《ふすまぎわ》……また柱の根かとも思われて、カタカタ、カタカタと響く――あの茶立虫《ちゃたてむし》とも聞えれば、壁の中で蝙蝠《こうもり》が鳴くようでもあるし、縁の下で、蟇《ひきがえる》が、コトコトと云うとも考えられる。それが貴僧《あなた》、気の持ちようで、ココ、ココ、ココヨとも、ココト、とも云うようなんです。
 自分のだけに、手を繃帯《ほうたい》した水兵の方が、一番に蚊帳を出ました。
 返す気で、在所《ありか》をおっしゃるからは仔細《しさい》はない、と坊さんがまた這出《はいだ》して、畳に擦附けるように、耳を澄ます。と水兵の方は、真中《まんなか》で耳を傾けて、腕組をして立ってなすったっけ。見当がついたと見えて、目で知らせ合って、上下《うえした》で頷《うなず》いて、その、貴僧《あなた》の背後《うしろ》になってます、」
「え!」
 と肩越に淵《ふち》を差覗《さしのぞ》くがごとく、座をずらして見返りながら、
「成程。」
「北へ四枚目の隅の障子を開けますとね。溝へ柄を、その柱へ、切尖《きっさき》を立掛けてあったろうではありませんか。」

       二十五

「それッきり、危うございますから、刃物は一切《いっせつ》厳禁にしたんです。
 遊びに来て下さるも可《よ》し、夜伽《よとぎ》とおっしゃるも難有《ありがた》し、ついでに狐狸《こり》の類《たぐい》なら、退治しようも至極ごもっともだけれども、刀、小刀《ナイフ》、出刃庖丁、刃物と言わず、槍《やり》、鉄砲、――およそそういうものは断りました。
 私も長い旅行です。随分どんな処でも歩行《ある》き廻ります考えで。いざ、と言や、投出して手を支《つ》くまでも、短刀を一口《ひとふり》持っています――母の記念《かたみ》で、峠を越えます日の暮なんぞ、随分それがために気丈夫なんですが、謹《つつしみ》のために桐油《とうゆ》に包んで、風呂敷の結び目へ、しっかり封をつけておくのですが、」
「やはり、おのずから、その、抜出すでございますか。」
「いいえ、これには別条ありません。盗人《ぬすっと》でも封印のついたものは切らんと言います。もっとも、怪物《ばけもの》退治に持って見えます刃物だって、自分で抜かなければ別条はないように思われますね。それに貴僧《あなた》、騒動《さわぎ》の起居《たちい》に、一番気がかりなのは洋燈《ランプ》ですから、宰八爺さんにそう云って、こうやって行燈《あんどう》に取替えました。」
「で、行燈は何事も、」
「これだって上《あが》ります。」
「あの上りますか。宙へ?」
 時に、明の、行燈のその皿あたりへ、仕切って、うつむけに伏せた手が白かった。
「すう、とこう、畳を離れて、」
「ははあ、」
 とばかり、僧は明の手のかげで、燈《ともしび》が暗くなりはしないか、と危《あやぶ》んだ目色《めつき》である。
「それも手をかけて、圧《おさ》えたり、据えようとしますと、そのはずみに、油をこぼしたり、台ごとひっくりかえしたりします。障《さわ》らないで、熟《じっ》と柔順《おとなし》くしてさえいれば、元の通りに据直《すわりなお》って、夜《よ》が明けます。一度なんざ行燈が天井へ附着《くッつ》きました。」
「天……井へ、」
「下に蚊帳が釣ってありますから、私も存じながら、寝ていたのを慌てて起上って、蚊帳越にふらふら釣り下った、行燈の台を押えようと、うっかり手をかけると、誰か取って引上げるように鴨居《かもい》を越して天井裏へするりと入ると、裏へちゃんと乗っかりました。もう堆《うずたか》い、鼠の塚か、と思う煤《すす》のかたまりも見えれば、遥《はるか》に屋根裏へ組上げた、柱の形も見える。
 可訝《おかし》いな、屋根裏が見えるくらいじゃ、天井の板がどこか外れた筈《はず》だが、とふと気がつくと、桟が弛《ゆる》んでさえおりますまい。
 板を抜けたものか知らん、余り変だ、と貴僧《あなた》。
 ここで心が定まりますと、何の事もない。行燈《あんどう》は蚊帳の外の、宵から置いた処にちゃんとあって、薄ぼんやり紙が白けたのは、もう雨戸の外が明方であったんです。」
「その晩は、お一人で、」
「一人です、しかも一昨晩。」
「一昨晩?」
 と、思わずまたぎょっとする。
「で、何でございますか、その夜伽連《よとぎれん》は、もうそれ以来懲りて来なくなったんでございますかな。」
「お待ち下さい、トあの、西瓜《すいか》で騒いだ夜は、たしかその後でしたっけ。
 何、こりゃ詰《つま》らない事ですけれども、弱ったには弱りましたよ。……
 確か三人づれで、若い衆《しゅ》が見えました。やっぱり酒を御持参で。大分お支度があったと見えて、するめの足を噛《かじ》りながら、冷酒《ひやざけ》を茶碗で煽《あお》るようなんじゃありません。
 竹の皮包みから、この陽気じゃ魚《うお》の宵越しは出来ん、と云って、焼蒲鉾《やきかまぼこ》なんか出して。
 旨《うも》うございましたよ、私もお相伴しましたっけ、」
 と悠々と迫らぬ調子で、
「宵には何事もありませんでした。可《い》い塩梅《あんばい》な酔心地《よいごこち》で、四方山《よもやま》の話をしながら、螽《いなご》一ツ飛んじゃ来ない。そう言や一体蚊も居《お》らんが、大方その怪物《ばけもの》が餌食《えじき》にするだろう。それにしちゃ吝《けち》な食物《くいもの》だ――何々、海の中でも親方となるとかえって小さい物を餌《えさ》にする。鯨《くじら》を見ろ、しこ鰯《いわし》だ、なぞと大口を利いて元気でしたが、やがて酒はお積《つも》りになる、夜が更けたんです。
 ここでお茶と云う処だけれど、茶じゃ理に落ちて魔物が憑《つ》け込む。酔醒《よいざめ》にいいもの、と縁側から転がし出したのは西瓜です。聞くと、途中で畑|盗人《どろぼう》をして来たんだそうで――それじゃかえって、憑込もうではありませんか。」

       二十六

「手並を見ろ、狐でも狸でも、この通りだ、と刃物の禁断は承知ですから、小刀《ナイフ》を持っちゃおりません、拳固で、貴僧《あなた》。
 小相撲《こずもう》ぐらい恰幅《かっぷく》のある、節くれだった若い衆でしたが……」
 場所がまた悪かった。――
「前夜、ココココ、と云って小刀《ナイフ》を出してくれたと同一《おなじ》処、敷居から掛けて柱へその西瓜《すいか》を極《き》めて置いて、大上段《おおじょうだん》です。
 ポカリ遣《や》った。途端に何とも、凄《すさ》まじい、石油缶が二三十|打《ぶ》つかったような音が台所の方で聞えたんです。
 唐突《だしぬけ》ですから、宵に手ぐすねを引いた連中も、はあ、と引呼吸《ひきいき》に魂を引攫《ひきさらわ》れた拍子に――飛びました。その貴僧《あなた》、西瓜が、ストンと若い衆の胸へ刎上《はねあが》ったでしょう。
 仰向《あおむけ》に引《ひっ》くりかえると、また騒動。
 それ、肩を越した、ええ、足へ乗っかる。わああ!裾へ纏《まつ》わる、火の玉じゃ。座頭の天窓《あたま》よ、入道首よ、いや女の生首だって、可《い》い加減な事ばかり。夕顔の花なら知らず、西瓜が何、女の首に見えるもんです。
 追掛《おっか》けるのか、逃廻るのか、どたばた跳飛ぶ内、ドンドンドンドンと天井を下から上へ打抜くと、がらがらと棟木《むなぎ》が外れる、戸障子が鳴響く、地震だ、と突伏《つッぷ》したが、それなり寂《しん》として、静《しずか》になって、風の音もしなくなりました。
 ト屋根に生えた草の、葉と葉が入交《いりまじ》って見え透くばかりに、月が一ツ出ています。――今の西瓜が光るのでした。
 森は押被《おっかぶ》さっておりますし、行燈《あんどう》はもとよりその立廻りで打倒《ぶったお》れた。何か私どもは深い狭い谷底に居窘《いすく》まって、千仞《せんじん》の崖の上に月が落ちたのを視《なが》めるようです。そう言えば、欅《けやき》の枝に這《は》いかかって、こう、月の上へ蛇のように垂《たれ》かかったのが、蔦《つた》の葉か、と思うと、屋根一面に瓜畑になって、鳴子縄が引いてあるような気もします。
 したたかな、天狗《てんぐ》め、とのぼせ上《あが》って、宵に蚊いぶしに遣《や》った、杉ッ葉の燃残りを取って、一人、その月へ投げつけたものがありました。
 もろいの、何の、ぼろぼろと朽木のようにその満月が崩れると、葉末の露と一つになって、棟の勾配《こうばい》を辷《すべ》り落ちて、消えたは可《い》いが、ぽたりぽたり雫《しずく》がし出した。頸《えり》と言わず、肩と言わず、降りかかって来ましたが、手を当てる、とべとりとして粘る。嗅《か》いでみると、いや、貴僧《あなた》、悪甘い匂と言ったら。
 夜深しに汗ばんで、蒸々《むしむし》して、咽喉《のど》の乾いた処へ、その匂い。血腥《ちなまぐさ》いより堪《たま》りかねて、縁側を開けて、私が一番に庭へ出ると、皆《みんな》も跣足《はだし》で飛下りた。
 驚いたのは、もう夜が明けていたことです。山の巓《いただき》の方は蒼《あお》くなって、麓《ふもと》へ靄《もや》が白んでいました。
 不思議な処へ、思いがけない景色を見て、和蘭陀《オランダ》へ流された、と云うのがあるし、堪らない、まず行燈《あんどう》をつけ直せ、と怒鳴ったのが居る。
 屋根のその辺だ、と思う、西瓜のあとには、烏が居て、コトコトと嘴《はし》を鳴らし、短夜《みじかよ》の明けた広縁には、ぞろぞろ夥《おびただ》しい、褐《かば》色の黒いのと、松虫鈴虫のようなのが、うようよして、ざっと障子へ駆上《かけあが》って消えましたが、西瓜の核《たね》が化《な》ったんですって。
 連中は、ふらふら[#「ふらふら」は底本では「ふろふら」]と二日酔いのような工合《ぐあい》で、ぼんやり黒門を出て、川べりに帰りました。
 橋の処で、杭《くい》にかかって、ぶかぶか浮いた真蒼《まっさお》な西瓜を見て、それから夢中で、遁《に》げたそうです。
 昼過ぎに、宰八が来て、その話。
 私はその時分までぐっすり寝ました。
 この時おかしかったのは、爺さんが、目覚しに茶を一つ入れてやるべいって、小まめに世話をして、佳《い》い色に煮花が出来ましたが、あいにく西瓜も盗んで来ない。何かないか、と考えて、有る――台所に糖味噌が、こりゃ私に、と云って一々運ぶも面倒だから、と手の着いたのじゃあるが、桶《おけ》ごと持って来て、時々爺さんが何かを突込《つッこ》んでおいてくれるんでした。
 一人だから食べ切れないで、直《じ》きつき過ぎる、と云って、世話もなし、茄子《なす》を蔕《へた》ごと生《しょう》のもので漬けてありました。可《い》い漬《つか》り加減だろう、とそれに気が着いて、台所へ出ましたっけ。
(お客様あ、)
(何だい。)
(昨夜《ゆうべ》凄《すさま》じい音がしたと言わしっけね、何にも落《おっ》こちたものはねえね。)
 って言いながら、やがて小鉢へ、丸ごと五つばかり出して来ました。
 薄お納戸の好《い》い色で。」

       二十七

「青葉の影の射《さ》す処、白瀬戸の小鉢も結構な青磁の菓子器に装《も》ったようで、志の美しさ。
 箸《はし》を取ると、その重《かさな》った茄子《なす》が、あの、薄皮の腹のあたりで、グッ、グッ。
 一ツ音を出すと、また一つグッ、もう一つのもググ、ググと声を立てるんですものね。
 変な顔をして、宰八が、
(お客様、聞えるかね。)
(ああ鳴くとも。)
(ちんじちょうようだ、此奴《こいつ》、)
 と爺様《じいさん》が鉈豆《なたまめ》のような指の尖《さき》で、ちょいと押すと、その圧《お》されたのがグググ、手をかえるとまた他《ほか》のがググ。
 心あって鳴くようで、何だか上になった、あの蔕《へた》の取手まで、小さな角《つの》らしく押立《おった》ったんです。
 また飛出さない内に、と思って、私は一ツ噛《かじ》ったですよ。」
「召食《めしあが》ったか。」
 と、僧は怪訝顔《けげんがお》で、
「それは、お豪《えら》い。」
「何聞く方の耳が鳴るんでしょうから、何事もありません、茄子《なすび》の鳴くわけは無いのですから。
 それでも爺さんは苦切《にがりき》って、少《わか》い時にゃ、随分|悪物食《あくものぐい》をしたものだで、葬い料で酒ェ買って、犬の死骸《しがい》なら今でも食うが、茄子《なす》の鳴くのは厭だ、と言います。
 もっとも変なことは変ですが、同じ気味の悪い中でも、対手《あいて》が茄子だけに、こりゃおかしくって可《よ》かったですよ。」
「茄子《なすび》ならば、でございますが、ものは茄子《なす》でも、対手《あいて》は別にございましょう。」
 明は俯向《うつむ》いて莞爾《にっこり》した、別に意味のない笑《わらい》だった。
「で、そりゃ昼間の事でございますな。」
「昨日の午後《ひるすぎ》でした。」
「昼間からは容易でない。」
 と半ば呟《つぶや》くがごとくに云って、
「では、昨夜あたりはさぞ……」
 と聞く方が眉を顰《ひそ》める。
「ええ、酷《ひど》うございました、どうせ、夜が寝られはしないんですから、」
「それでお窶《やつ》れなさるのじゃ、貴下《あなた》、お顔の色がとんだ悪い!……
 茶店の婆さんが申したも、その事でございます。
 唯今《ただいま》お話を伺いました。そんなこんなで村の者も行《ゆ》かなくなり、爺様も夜は恐がって参りませんから、貴下の御容子《ごようす》が分らないに因って、家つきの仏を回向《えこう》かたがた、お見舞申してはくれまいか、と云うに就いて、推参したのでございますが、いや、何とも驚きました。
 いずれ御厄介に相成らねばなりませんが、私《わたくし》もどうか唯今のその茄子の鳴くぐらいな処で、御容赦が願いたい。
 どこと云って三界《さんがい》宿なし、一泊御報謝に預る気で参ったわけで。なかなか家つきの幽霊、祟《たたり》、物怪《もののけ》を済度しようなどという道徳思いも寄らず。実は入道|名《な》さえ持ちません。手前勝手、申訳のないお詫びに剃ったような坊主。念仏さえ碌《ろく》に真心からは唱えられんでございまして、御祈祷《ごきとう》僧《そう》などと思われましては、第一、貴下の前へもお恥かしゅうございますが、いかがでございましょう。お宿を願いましても差支えはないでございましょうか。いくらか覚悟はして参りましたが、目《ま》のあたりお話を伺いましては、ちと二の足でございますが。」
「一人でも客がありますと、それだけ鶴谷では喜びますそうです。持主の本宅が喜びますものを、誰に御遠慮が入《い》りますものですか。私もお連《つれ》があって、どんなに嬉しいか知れません。」
「そりゃ、鶴谷殿はじめ、貴下の思召しはさように難有《ありがと》うございましても、別にその……ええ、まず、持主が鶴谷としますと、この空屋敷の御支配でございますな、――その何とも異様な、あの、その、」
「それは私も御同然です。人の住むのが気に入らないので荒れるのだろうと思いますが。
 そこなんです、貴僧《あなた》。逆《さから》いさえしませんければ、畳も行燈《あんどう》も何事もないのですもの。戸障子に不意に火が附いてそこいらめらめら燃えあがる事がありましても、慌てて消す処は破れ、水を掛けた処は濡れますが、それなりの処は、後で見ますと濡れた様子もないのですから。
 座敷だっていくらもあります、貴僧、」
 とふと心づいたように、
「御一所でお煩《うるさ》ければ、隣のお座敷へいらっしゃい。何か正体を見届けようなぞと云っては不可《いけ》ませんが、鶴谷が許したお客僧が、何も御遠慮には及びません。
 ただすらりと開かないで、何かが圧《おさ》えてでもいるようでしたら、お見合せなさいまし。逆《さから》うと悪いんですから。」

       二十八

「なかなか、逆らいますどころではございません、座敷好みなんぞして可《い》いものでございますか。
 あの襖《ふすま》を振向いて熟《じっ》と視《み》ろ、とおっしゃったって、容易にゃそちらも向けません次第で、御覧の通り、早や固くなっております。
 お話につけて申しますが、実は手前もこの黒門を潜《くぐ》りました時は、草に支《つか》えて、しばらく足が出ませんでございました。
 それと申すが、まず庭口と思う処で、キリキリトーンと、余程その大轆轤《おおろくろ》の、刎釣瓶《はねつるべ》を汲上《くみあ》げますような音がいたす。
 もっとも曰《いわ》くづきの邸《やしき》ながら、貴下《あなた》お一方はまずともかくもいらっしゃる。人が住めば水も要ろうで、何も釣瓶の音が不思議と云うでは、道理上、こりゃ無いのでありまするが、婆さんに聞きました心積《こころづも》り、学生の方が自炊をしてお在《いで》と云えば、土瓶か徳利《とっくり》に汲んで事は足りる、と何となく思ってでもおりましたせいか、そのどうも水を汲む音が、馴《な》れた女中衆《おなごしゅ》でありそうに思われました。
 ト台所の方を、どうやら嫋娜《すらり》とした、脊の高い御婦人が、黄昏《たそがれ》に忙しい裾捌《すそさば》きで通られたような、ものの気勢《けはい》もございます。
 何となく賑《にぎや》かな様子が、七輪に、晩のお菜《かず》でもふつふつ煮えていようという、豆腐屋さ――ん、と町方ならば呼ぶ声のしそうな様子で。
 さては婆さんに試されたか、と一旦《いったん》は存じましたが、こう笠を傾けて遠くから覗込《のぞきこ》みました、勝手口の戸からかけて、棟へ、高く烏瓜《からすうり》の一杯にからんだ工合《ぐあい》が、何様、何ヶ月も閉切《しめきり》らしい。
 ござったかな、と思いながら、擽《くすぐ》ったいような御門内の草を、密《そっ》と蹈《ふ》んで入りますと、春さきはさぞ綺麗《きれい》でございましょう。一面に紫雲英《げんげ》が生えた、その葉の中へ伝わって、断々《きれぎれ》ながら、一条《ひとすじ》、蒼《あお》ずんだ明るい色のものが、這《は》ったように浮いたように落ちています。上へさした森の枝を、月が漏る影に相違は無さそうなが、何となく婦人の黒髪、その、丈長く、足許《あしもと》に光るようで。
 変に跨《また》ぎ心地が悪うございますから、避《よ》けて通ろうといたしますと、右の薄光りの影の先を、ころころと何か転げる、たちまち顔が露《あらわ》れたようでございましたっけ、熟《よ》く見ると、兎《うさぎ》なんで。
 ところでその蛇のような光る影も、向《むき》かわって、また私《わたくし》の出途《でさき》へ映りましたが、兎はくるくると寝転びながら、草の上を見附けの式台の方へ参る。
 これが反対《あべこべ》だと、旧《もと》の潜門《くぐりもん》へ押出されます処でございました。強いて入りますほどの度胸はないので。
 式台前で、私はまず挨拶《あいさつ》をいたしたでございます。
 主《ぬし》もおわさば聞《きこ》し召せ、かくの通りの青道心。何を頼みに得脱成仏《とくだつじょうぶつ》の回向《えこう》いたそう。何を力に、退散の呪詛《じゅそ》を申そう。御姿《おんすがた》を見せたまわば偏《ひとえ》に礼拝を仕《つかまつ》る。世にかくれます神ならば、念仏の外他言はいたさぬ。平に一夜、御住居《おすまい》の筵《むしろ》一枚を貸したまわれ……」
 ――旅僧はその時、南無仏《なむぶつ》と唱えながら、漣《ささなみ》のごとき杉の木目の式台に立向い、かく誓って合掌して、やがて笠を脱いで一揖《いちゆう》したのであった。――
「それから、婆さんに聞きました通り、壊れ壊れの竹垣について手探りに木戸を押しますと、直ぐに開《あ》きましたから、頻《しきり》に前刻《さっき》の、あの、えへん!えへん!咳《せきばらい》をしながら――酷《ひど》くなっておりますな――芝生を伝わって、夥《おびただ》しい白粉《おしろい》の花の中を、これへ。お縁側からお邪魔をしたしました。
 あの白粉の花は見事です。ちらちら紅《べに》色のが交って、咲いていますが、それにさえ、貴方《あなた》、法衣《ころも》の袖の障《さわ》るのは、と身体《からだ》をすぼめて来ましたが、今も移香《うつりが》がして、憚《はばかり》多い。
 もと花畑であったのが荒れましたろうか。中に一本、見上げるような丈のびた山百合の白いのが、うつむいて咲いていました。いや、それにもまた慄然《ぞっ》としたほどでございますから。
 何事がございましょうとも、自力を頼んで、どうのこうの、と申すようなことは夢にも考えておりません。
 しかし貴下《あなた》は、唯今うけたまわりましたような可怖《おそろし》い只中《ただなか》に、よく御辛抱なさいます、実に大胆でおいでなさる。」
「私くらい臆病《おくびょう》なものはありません。……臆病で仕方がないから、なるがまかせに、抵抗しないで、自由になっているのです。」
「さあ、そこでございます。それを伺いたいのが何より目的《めあて》で参りましたが、何か、その御研究でもなさりたい思召《おぼしめし》で。」
「どういたしまして、私の方が研究をされていても、こちらで研究なんぞ思いも寄らんのです。」
「それでは、外に、」
「ええ、望み――と申しますと、まだ我《が》があります。実は願事があって、ここにこうして、参籠《さんろう》、通夜をしておりますようなものです。」

       二十九

「それが貴僧《あなた》、前刻《さっき》お話をしかけました、あの手毬《てまり》の事なんです。」
「ああ、その手毬が、もう一度御覧なさりたいので。」
「いいえ、手毬の歌が聞きたいのです。」
 と、うっとりと云った目の涼しさ。月の夢を見るようなれば、変った望み、と疑いの、胸に起る雲消えて、僧は一膝《ひとひざ》進めたのである。
「大空の雲を当てにいずことなく、海があれば渡り、山があれば越し、里には宿って、国々を歩行《ある》きますのも、詮《せん》ずる処、ある意味の手毬唄を……」
「手毬唄を。……いかがな次第でございます。」
「夢とも、現《うつつ》とも、幻とも……目に見えるようで、口には謂《い》えぬ――そして、優しい、懐《なつか》しい、あわれな、情のある、愛の籠《こも》った、ふっくりした、しかも、清く、涼しく、悚然《ぞっ》とする、胸を掻※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《かきむし》るような、あの、恍惚《うっとり》となるような、まあ例えて言えば、芳《かんば》しい清らかな乳を含みながら、生れない前《さき》に腹の中で、美しい母の胸を見るような心持の――唄なんですが、その文句を忘れたので、命にかけて、憧憬《あこが》れて、それを聞きたいと思いますんです。」
 この数分時の言《ことば》の中《うち》に、小次郎法師は、生れて以来、聞いただけの、風と水と、鐘の音、楽、あらゆる人の声、虫の音《ね》、木《こ》の葉の囁《ささや》きまで、稲妻のごとく胸の裡《うち》に繰返し、なおかつ覚えただけの経文を、颯《さっ》と金字《こんじ》紺泥《こんでい》に瞳に描いて試みたが、それかと思うのは更に分らぬ。
「して、その唄は、貴下《あなた》お聞きになったことがございましょうか。」
「小児《こども》の時に、亡くなった母親が唄いましたことを、物心覚えた最後の記憶に留めただけで、どういうのか、その文句を忘れたんです。
 年を取るに従うて、まるで貴僧《あなた》、物語で見る切ない恋のように、その声、その唄が聞きたくッてなりません。
 東京のある学校を卒業《で》ますのを待《まち》かねて、故郷へ帰って、心当りの人に尋ねましたが、誰のを聞いても、どんなに尋ねても、それと思うのが分らんのです。
 第一、母親の姉ですが、私の学資の世話をしてくれます、叔母がそれを知りません。
 ト夢のように心着いたのは、同一《おなじ》町に三人あった、同一《おなじ》年ごろの娘です。
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(産んだその子が男の児《こ》なら、
 京へ上《の》ぼせて狂言させて、
 寺へ上ぼせて手習《てならい》させて、
 寺の和尚が、
 道楽和尚で、
 高い縁から突落されて、
 笄《こうがい》落し
 小枕《こまくら》落し、)
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 と、よく私を遊ばせながら、母も少《わか》かった、その娘たちと、毬も突き、追羽子《おいはご》もした事を現《うつつ》のように思出しましたから、それを捜せば、きっと誰か知っているだろう、と気の着いた夜半《よなか》には、むっくりと起きて、嬉しさに雀躍《こおどり》をしたんですが、貴僧《あなた》、その中《うち》の一人は、まだ母の存命の内に、雛《ひな》祭の夜なくなりました。それは私も知っている――
 一人は行方が知れない、と言います……
 やっと一人、これは、県の学校の校長さんの処へ縁づいているという。まず可《よ》し、と早速訪ねて参りましたが、町はずれの侍町、小流《こながれ》があって板塀続きの、邸ごとに、むかし植えた紅梅が沢山あります。まだその古樹《ふるき》がちらほら残って、真盛《まっさか》りの、朧月夜《おぼろづきよ》の事でした。
 今|貴僧《あなた》がここへいらっしゃる玄関前で、紫雲英《げんげ》の草を潜《くぐ》る兎を見たとおっしゃいました、」
「いや、肝心のお話の中《うち》へ、お交ぜ下すっては困ります。そうは見えましたものの、まさかかような処へ。あるいはその……猫であったかも知れません。」
「背後《うしろ》が直ぐ山ですから、ちょいちょい見えますそうです、兎でしょう。
 が、似た事のありますものです――その時は小狗《こいぬ》でした。鈴がついておりましたっけ。白垢《むく》の真白《まっしろ》なのが、ころころと仰向《あおむ》けに手をじゃれながら足許《あしもと》を転がって行《ゆ》きます。夢のようにそのあとへついて、やがて門札を見ると指した家で。
 まさか奥様《おくさん》に、とも言えませんから、主人に逢って、――意中を話しますと――
(夜中《やちゅう》何事です。人を馬鹿にした。奥は病気だからお目には懸《かか》れません。)
 と云って厭《いや》な顔をしました。夫人が評判の美人だけに、校長さんは大した嫉妬深いという事で。」

       三十

「叔母がつくづく意見をしました。(はじめから彼家《あすこ》へ行《ゆ》くと聞いたら遣《や》るのじゃなかった――黙っておいでだから何にも知らずに悪い事をしたよ。さきじゃ幼馴染《おさななじみ》だと思います、手毬唄を聞くなぞ、となおよくない、そんな事が世間へ通るかい、)とこうです。
 母親の友達を尋ねるに、色気の嫌疑はおかしい、と聞いて見ると、何《なあに》、女の児《こ》はませています、それに紅《あか》い手絡《てがら》で、美しい髪なぞ結って、容《かたち》づくっているから可《い》い姉さんだ、と幼心《おさなごころ》に思ったのが、二つ違い、一つ上、亡くなったのが二つ上で、その奥さんは一ツ上のだそうで、行方の知れないのは、分らないそうでした。
 事が面倒になりましてね、その夫人の親里から、叔母の家へ使《つかい》が来て、娘御は何も唄なんか御存じないそうで、ええ、世間体がございますから以来は、と苦り切って帰りました。
 勿論病気でも何でもなかったそうです。
 一月ばかり経《た》って、細かに、いろいろと手毬唄、子守唄、童《わらべ》唄なんぞ、百幾つというもの、綺麗に美しく、細々《こまごま》とかいた、文が来ました。
 しまいへ、紅《べに》で、
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――嫁入りの果敢《はか》なさを唄いしが唄の中にも沢山におわしまし候――
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 と、だけ記してありました。……
 唯今《ただいま》も大切にして持ってはいますが、勿論、その中に、私の望みの、母の声のはありません。
 さあ、もう一人……行方の知れない方ですが……
 またこれが貴僧《あなた》、家を越したとか、遠国へ行ったとかいうのなら、いくらか手懸りもあるし、何の不思議もないのですが、俗に申します、神がくしに逢ったんで、叔母はじめ固くそう信じております。
 名は菖蒲《あやめ》と言いました。
 一体その娘の家は、母娘《おやこ》二人、どっちの乳母か、媼《ばあ》さんが一人、と母子《おやこ》だけのしもた屋で、しかし立派な住居《すまい》でした。その母親《おふくろ》というのは、私は小児《こども》心に、ただ歯を染めていたのと、鼻筋の通った、こう面長な、そして帯の結目《むすびめ》を長く、下襲《したがさね》か、蹴出《けだ》しか、褄《つま》をぞろりと着崩して、日の暮方には、時々薄暗い門《かど》に立って、町から見えます、山の方を視《なが》めては悄然《しょんぼり》彳《たたず》んでいたのだけ幽《かすか》に覚えているんですが、人の妾《めかけ》だとも云うし、本妻だとも云う、どこかの藩候の落胤《おとしだね》だとも云って、ちっとも素性が分りません。
 娘は、別に異《かわ》ったこともありませんが、容色《きりょう》は三人の中《うち》で一番|佳《よ》かった――そう思うと、今でも目前《めさき》に見えますが。
 その娘です、余所《よそ》へは遊びに来ましたけれど、誰も友達を、自分の内へ連れて行った事はありませんでした。
 寄合って、遊事《あそびごと》を。これからおもしろくなろうという時、不意に母《おっか》さんがお呼びだ、とその媼さんが出て来て引張《ひっぱ》って帰ることが度々で、急に居なくなる、跡の寂しさと云ったらありません。――先《せん》の内は、自分でもいやいや引立《ひった》てられるようにして帰り帰りしたものですが、一ツは人の許《とこ》へ自分は来て、我が家《うち》へ誰も呼ばない、という遠慮か、妙な時ふと立っちゃ、独《ひとり》で帰ってしまうことがいくらもあったんです。
 ですから何だかその娘ばかりは、思うように遊べない、勝手に誘われない、自由にはならない処から、遠いが花の香とか云います。余計に私なんざ懐《なつかし》くって、(菖《あや》ちゃんお遊びな)が言えないから、合図の石をかちかち叩いては、その家の前を通ったもんでした。
 それが一晩《あるばん》、真夜中に、十畳の座敷を閉め切ったままで、どこかへ姿をかくしたそうで。
 丑《うし》年の事だから、と私が唄を聞きたさに、尋ねた時分……今から何年前だろう、と叔母が指を折りましたっけ……多年《しばらく》になりますが。」

       三十一

「故郷では、未婚の女が、丑年の丑の日に、衣《きもの》を清め、身を清め……」
 唾《つば》をのんで聞いた客僧が、
「成程、」
 と腕組みして、
「精進潔斎。」
「そんな大した、」
 と言消したが、また打頷《うちうなず》き
「どうせ娘の子のする事です。そうまでも行《ゆ》きますまいが、髪を洗って、湯に入って、そしてその洗髪《あらいがみ》を櫛巻《くしま》きに結んで、笄《こうがい》なしに、紅《べに》ばかり薄くつけるのだそうです。
 それから、十畳敷を閉込《しめこ》んで、床の間をうしろに、どこか、壁へ向いて、そこへ婦《おんな》の魂を据える、鏡です。
 丑童子《うしどうじ》、斑《まだら》の御神《おんかみ》、と、一心に念じて、傍目《わきめ》も触《ふ》らないで、瞻《みつ》めていると、その丑の年丑の月丑の日の……丑時《うしどき》になると、その鏡に、……前世から定まった縁の人の姿が見える、という伝説があります。
 娘は、誰も勝手を知らない、その家で、その丑待《うしまち》を独《ひとり》でして、何かに誘われてふらふらと出たんですって。……それっきりになっているんですもの。
 手のつけようがありますまい。
 いよいよとなると、なお聞きたい、それさえ聞いたら、亡くなった母親の顔も見えよう、とあせり出して、山寺にありました、母の墓を揺《ゆす》ぶって、記《しるし》の松に耳をあてて聞きました、松風の声ばかり。
 その山寺の森をくぐって、里に落ちます清水の、麓《ふもと》に玉散る石を噛《か》んで、この歯音せよ、この舌歌へ、と念じても、戦《おのの》くばかりで声が出ない。
 うわの空で居たせいか、一日、山|路《みち》で怪我《けが》をして、足を挫《くじ》いて寝ることになりました。ざっとこれがために、半月悩んで、ようよう杖を突いて散歩が出来るようになりますと、籠《かご》を出た鳥のように、町を、山の方へ、ひょいひょいと杖《つえ》で飛んで、いや不恰好《ぶかっこう》な蛙です――両側は家続きで、ちょうど大崩壊《おおくずれ》の、あの街道を見るように、なぞえに前途《ゆくて》へ高くなる――突当りが撞木形《しゅもくがた》になって、そこがまた通街《とおり》なんです。私が貴僧《あなた》、自分の町をやがてその九分ぐらいな処まで参った時に、向うの縦通りを、向って左の方から来て、こちらへ曲りそうにしたが、白地の浴衣を着てそこに立った私の姿を見ると、フト立停《たちどま》った美人があります。
 扮装《みなり》なぞは気がつかず、洋傘《かさ》は持っていたようでしたっけ、それを翳《さ》していたか、畳んだのを支《つ》いていたか、判然《はっきり》しないが、ああ似たような、と思ったのは、その行方が分らんという一人。
 トむこうでも莞爾《にっこり》しました……
 そこへ笠を深くかぶった、草鞋穿《わらじば》きの、猟人体《かりゅうどてい》の大漢《おおおとこ》が、鉄砲《てっぽう》の銃先《つつさき》へ浅葱《あさぎ》の小旗を結えつけたのを肩にして、鉄の鎖をずらりと曳《ひ》いたのに、大熊を一頭、のさのさと曳いて出ました。
 山を上に見て、正的《まとも》に町と町が附《くっ》ついた三辻《みつつじ》の、その附根《つけね》の処を、横に切って、左角の土蔵の前から、右の角が、菓子屋の、その葦簀《よしず》の張出《はりだし》まで、わずか二間ばかりの間《あい》を通ったんですから、のさりと行《ゆ》くのも、ほんのしばらく。
 熊の背《せなか》が、彳《たたず》んだ婦人《おんな》の乳《ち》のあたりへ、黒雲のようにかかると、それにつれて、一所に横向きになって歩行《ある》き出しました。あとへぞろぞろ大勢|小児《こども》が……国では珍らしい獣《けもの》だからでしょう。
 右の方へかくれたから、角へ出て見ようと、急足《いそぎあし》に出よう、とすると、馴《な》れない跛《びっこ》ですから、腕へ台についた杖を忘れて、躓《つまず》いて、のめったので、生爪《なまづめ》をはがしたのです。
 しばらく立てませんでした。
 かれこれして、出て見ると、もうどこへ行ったか影も形もない。
 その後、旅行をして諸国を歩行《ある》くのに、越前の木《こ》の芽峠の麓《ふもと》で見かけた、炭を背負《しょ》った女だの、碓氷《うすい》を越す時汽車の窓からちらりと見ました、隧道《トンネル》を出て、衝《つ》と隧道を入る間の茶店に、うしろ向きの女《むすめ》だの、都《みやこ》では矢のように行過ぎる馬車の中などに、それか、と思うのは幾たびも見かけたんですが……その熊の時のほど、印象のよく明瞭に今まで残ってるのは無いのです。
 内へ帰って、
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(美しき君の姿は、
 熊に取られた。
 町の角で、町の角で――
 跛ひきひき追えど及ばぬ。)
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 もしや手毬唄の中に、こういうのは無かったでしょうか、と叔母にその話をすると、真日中《まびなか》にそんなものを視《み》て、そんなことを云う貴下《あなた》は、身体《からだ》が弱いのです。当分外へは出てはなりません、と外出|禁制《きんぜい》。
 以前は、その形で、正真正銘の熊の胆《い》、と海を渡って売りに来たものがあるそうだけれど、今時はついぞ見懸けぬ、と後での話。……」

       三十二

「日が経《た》ってから、叔母が私の枕許《まくらもと》で、さまでに思詰めたものなら、保養かたがた、思う処へ旅行して、その唄を誰かに聞け。
(妹の声は私も聞きたい。)
 と、手函《てばこ》の金子《かね》を授けました。今もって叔母が貢いでくれるんです。
 国を出て、足かけ五年!
 津々浦々、都、村、里、どこを聞いても、あこがれる唄はない。似たのはあっても、その後か、その前《さき》か、中途か、あるいはその空間か、どこかに望みの声がありそうだな……と思うばかり。また小児《こども》たちも、手毬が下手になったので、終《しまい》まで突き得ないから、自然長いのは半分ほどで消えています。
 とても尋常ではいかん、と思って、もうただ、その一人行方の知れない、稚《おさな》ともだちばかり、矢も楯《たて》も堪《たま》らず逢いたくなって来たんですが、魔にとられたと言うんですもの。高峰《たかね》へかかる雲を見ては、蔦《つた》をたよりに縋《すが》りたし、湖《うみ》を渡る霧を見ては、落葉に乗っても、追いつきたい。巌穴《いわあな》の底も極めたければ、滝の裏も覗《のぞ》きたし、何か前世の因縁で、めぐり逢う事もあろうか、と奥山の庚申塚《こうしんづか》に一人立って、二十六夜の月の出を待った事さえあるんです。
 トこの間――名も嬉しい常夏《とこなつ》の咲いた霞川と云う秋谷の小川で、綺麗な手毬を拾いました。
 宰八に聞いた、あの、嘉吉とか云う男に、緑色の珠を与えて、月明《つきあかり》の村雨の中を山路へかかって、
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(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 天神様の細道じゃ、
       細道じゃ。)
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 と童謡を口吟《くちずさ》んで通ったと云うだけで、早やその声が聞こえるようで、」
 僧は魅入られたごとくに見えたが、溜息《ためいき》を吻《ほっ》と吐《つ》き、
「まずおめでたい、ではその唄が知れましたか。」
「どうして唄は知れませんが、声だけは、どうやらその人……いいえ、……そのものであるらしい。この手毬を弄《もてあそ》ぶのは、確《たしか》にその婦人《おんな》であろう。その婦人は何となく、この空邸《あきやしき》に姿が見えるように思われます。……むしろ私はそう信じています。
 爺さんに強請《ねだ》って、ここを一|室《ま》借りましたが、借りた日にはもう其の手毬を取返され――私は取返されたと思うんですね――美しく気高い、その婦人《おんな》の心では、私のようなものに拾わせるのではなかったでしょう。
 あるいはこれを、小川の裾《すそ》の秋谷明神へ届けるのであったかも分らない。そうすると、名所だ、と云う、浦の、あの、子産石をこぼれる石は、以来手毬の糸が染まって、五彩|燦爛《さんらん》として迸《ほとばし》る。この色が、紫に、緑に、紺青《こんじょう》に、藍碧《らんぺき》に波を射て、太平洋へ月夜の虹《にじ》を敷いたのであろうも計られません、」
 とまた恍惚《うっとり》となったが、頸《うなじ》を垂れて、
「その祟《たたり》、その罪です。このすべての怪異は。――自分の慾《よく》のために、自分の恋のために、途中でその手毬を拾った罰だろう、と思う、思うんです。
 祟らば祟れ!飽くまでも初一念を貫いて、その唄を聞かねば置かない。
 心の迷《まよい》か知れませんが。目《ま》のあたり見ます、怪しさも、凄《すご》さも、もしや、それが望みの唄を、何人《なんぴと》かが暗示するのであろうも知れん、と思って、こうその口ずさんで見るんです――行燈《あんどう》が宙へ浮きましょう。
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(美しき君の姿は、
 萌黄《もえぎ》の蚊帳を、
 蚊帳のまわりを、姿はなしに、
 通る行燈《あんど》の俤《おもかげ》や。)……
[#ここで字下げ終わり]
 勿論、こんなのではありません。または、
[#ここから4字下げ]
(美しき君の庵《いおり》は、[#底本では冒頭に「(」なし]
 前の畑に影さして、
 棟の草も露に濡れつつ、
 月の桂《かつら》が茅屋《かやや》にかかる。)……
[#ここで字下げ終わり]
 ちっとも似てはおらんのです。屋根で鵝鳥《がちょう》が鳴く時は、波に攫《さら》われるのであろうと思い、板戸に馬の影がさせば、修羅道に堕《お》ちるか、と驚きながらも、
[#ここから4字下げ]
(屋根で鵝鳥の鳴き叫ぶ、
 板戸に駒《こま》の影がさす。)
[#ここで字下げ終わり]
 と、現《うつつ》にも、絶えず耳に聞きますけれど、それだと心は頷《うなず》きません。
 いかなる事も堪忍んで、どうぞその唄を聞きたい、とこうして参籠をしているんですが、祟《たたり》ならばよし罪は厭《いと》わん、」
 と激しく言いつつ、心づいて、悄然《しょうぜん》として僧を見た。
「ただその、手毬を取返したのは、唄は教えない、という宣告じゃあなかろうか、とそう思うと情《なさけ》ない。
 ああ、お話が八岐《やちまた》になって、手毬は……そうです。天井から猫が落ちます以前、私が縁側へ一人で坐っています処へ、あの白粉《おしろい》の花の蔭から、芋※[#「くさかんむり/更」、221-3]《ずいき》の葉を顔に当てた小児《こども》が三人、ちょろちょろと出て来て、不思議そうに私を見ながら、犬ころがなつくように傍《そば》へ寄ると、縁側から覗込《のぞきこ》んで、手毬を見つけて、三人でうなずき合って、
(それをおくれ。)と言います。
(お前たちのか。)
 と聞くと、頭《かぶり》を掉《ふ》るから、
(じゃ、小父《おじ》さんのだ。)と言うと、男が毬を、という調子に、
(わはは)と笑って、それなりに、ちらちらとどこかへ取って行ったんでした。」――

       三十三

「何、私《わし》がうわさしていさっせえた処だって……はあ、お前様《めえさま》二人でかね。」
 どッこいしょ、と立ったまま、広縁が高いから、背負《しょ》って来た風呂敷包は、腰ぎりにちょうど乗る。
「だら、可《い》いけんども、」
 と結目《むすびめ》を解下《ときお》ろして、
「天井裏でうわさべいされちゃ堪《たま》んねえだ。」
 と声を密《ひそ》めたが、宰八は直ぐ高調子、
「いんね、私《わし》一人じゃござりましねえ。喜十郎様が許《とこ》の仁右衛門の苦虫《にがむし》と、学校の先生ちゅが、同士にはい、門前《もんまえ》まで来っけえがの。
 あの、樹の下の、暗え中へ頭|突込《つッこ》んだと思わっせえまし、お前様、苦虫の親仁《おやじ》が年効《としがい》もねえ、新造子《しんぞっこ》が抱着かれたように、キャアと云うだ。」
「どうしたんです。」
「何かまた、」
 と、僧も夜具包の上から伸上って顔を出した。
 宰八|紅顱巻《あかはちまき》をかなぐって、
「こりゃ、はい、御坊様御免なせえまし。御本家からも宜《よろ》しくでござりやす。いずれ喜十郎様お目に懸《かか》りますだが、まず緩《ゆっく》りと休まっしゃりましとよ。
 私《わし》こういうぞんざいもんだで、お辞儀の仕様もねえ。婆様がよッくハイ御挨拶しろと云うてね、お前様|旨《うま》がらしっけえ、団子をことづけて寄越《よこ》しやした。茶受《ちゃうけ》にさっしゃりやし。あとで私が蚊いぶしを才覚しながら、ぶつぶつ渋茶を煮立てますべい。
 それよりか、お前様、腹アすかっしゃったろうと思うで、御本家からまた重詰めにして寄越さしった、そいつをぶら下げながら苦虫が、右のお前様、キャアでけつかる。
 門外の草原を、まるで川の瀬さ渡るように、三人がふらふらよちよち、モノ小半時かかったが、芸もねえ、えら遅くなって済まんしねえ。」
「何とも御苦労、」
 と僧は慇懃《いんぎん》に頭《つむり》をさげる。
「その人たちは、どうしたのかね。」
 と明が尋ねた。
「はい、それさ、そのキャアだから、お前様、どうした仁右衛門と、云うと、苦虫が、面《つら》さ渋くして、(ああ、厭《いや》なものを見た。おらが鼻の尖《さき》を、ひいらひいら、あの生白《なまちら》けた芋の葉の長面《ながづら》が、ニタニタ笑えながら横に飛んだ。精霊棚の瓢箪《ひょうたん》が、ひとりでにぽたりと落ちても、御先祖の戒《いましめ》とは思わねえで、酒も留《や》めねえ己《おら》だけんど、それにゃ蔓《つる》が枯れたちゅう道理がある。風もねえに芋の葉が宙を歩行《ある》くわけはねえ。ああ、厭だ、総毛立つ、内へ帰って夜具を被《かぶ》って、ずッしり汗でも取らねえでは、煩いそうに頭も重い。)
 と縮《すく》むだね。
 例《いつも》の小児《こども》が駆出したろう、とそう言うと、なお悪い。あの声を聞くと堪《たま》らねえ。あれ、あれ、石を鳴らすのが、谷戸《やと》に響く。時刻も七ツじゃ、と蒼《あお》くなって、風呂敷包|打置《ぶちお》いて、ひょろひょろ帰るだ。
 先生様、ではお前様、その重箱を提げてくれさっせえ、と私《わし》が頼むとね。
(厭だ、)と云っけい。
(はてね、なぜでがす。)
 ここさ、お客様の前《めえ》だけんど、気にかけて下せえますなよ。
(軍歌でもやるならまだの事、子守や手毬唄なんかひねくる様な奴《やつ》の、弁当持って堪るものか。)
 と吐《こ》くでねえか。
 奴は朋友《ともだち》に聞いた、と云うだが、いずれ怪物《ばけもの》退治に来た連中からだんべい。
 お客様何でがすか、お前様、子守唄|拵《こさ》えさっしゃるかね。袋戸棚の障子へ、書いたもの貼《は》っとかっしゃるのは、もの、それかね。」
 明は恥じたる色があった。
「こしらえるのじゃない、聞いたのを書き留めて置くんです。数があって忘れるから、」
「はあ、私《わし》はまた、こんな恐怖《おっかね》え処《とこ》に落着いていさっしゃるお前様だ。
 怨敵《おんてき》退散の貼御符《はりごふう》かと思ったが。
 何か、ハイ、わけは分《わか》ンねえがね、悪く言ったのがグッと癪《しゃく》に障《さわ》ったで、
(なら可《よ》うがす、客人のものは持ってもれえますめえ、が、お前様、学校の先生様だ。可《よ》し、私あハイ、何も教えちゃもらわねえだで、師匠じゃねえ、同士に歩行《ある》くだら朋達《ともだち》だっぺい。蟹の宰八が手ンぼうの助力さっせえ。)
 と極《き》めつけたさ。
 帽子の下で目を据えたよ。
(貴様のような友達は持たん、失敬な。)と云って引返したわ。何か託《かこつ》け、根は臆病で遁《に》げただよ。見さっせえ、韋駄天《いだてん》のように木の下を駆出し、川べりの遠くへ行く仁右衛門親仁を、
(おおい、おおい、)
 と茶番の定九郎《さだくろう》を極《き》めやあがる。」

       三十四

 その夜に限って何事もなく、静かに。……寝ようという時、初夜過ぎた。
 宰八が手燭《てしょく》に送られて、広縁を折曲って、遥《はる》かに廻廊を通った僧は、雨戸の並木を越えたようで、故郷《ふるさと》には蚊帳を釣って、一人寂しく友が待つ思《おもい》がある。
「ここかい。」
「それを左へ開けさっせえまし、入口の板敷から二ツ目のが、男が立って遣《や》るのでがす。行抜けに北の縁側へも出られますで、お前様《めえさま》帰りがけに取違えてはなんねえだよ。
 二三年この方、向うへは誰も通抜けた事がねえで、当節柄じゃ、迷込んではどこへ行くか、ハイ方角が着きましねえ。」
「もう分りましたよ。」
「可《よ》かあねえ、私《わし》、ここに待っとるで、燈《あかり》をたよりに出て来さっせえ。
 私も、この障子の多《いか》いこと続いたのに、めらめら破れのある工合《ぐあい》が、ハイ一ツ一ツ白髑髏《しゃれかうべ》のようで、一人で立ってる気はしねえけんど、お前様が坊様だけに気丈夫だ。えら茶話がもてて、何度も土瓶をかわかしたで、入《いれ》かわって私もやらかしますべいに、待ってるだよ。」
 僧は戸を開けながら、と、声をかけて、
「御免下さい。」
 と、ぴたりと閉めた。
「あ、あ、気味の悪い。誰に挨拶《あいさつ》さっせるだ。南無阿弥陀仏《なむあみだぶ》、南無阿弥陀仏。はて、急に変なことを考えたぞ[#「考えたぞ」は底本では「考えだぞ」]。そこさ一面の障子の破れ覗《のぞ》いたら何が見えべい――南無阿弥陀仏《なんまいだ》、ああ、南無阿弥陀仏、……やあ、蝋燭《ろうそく》がひらひらする、どこから風が吹いて来るだ。これえ消したが最後、立処《たちどころ》に六道の辻に迷うだて。南無阿弥陀仏《なんまいだ》、御坊様、まだかね。」
「ちょいと、」
「ひゃあ、」
 僧は半ば開いて、中に鼠の法衣《ころも》で立ちつつ、
「ちょいと燭《あかり》を見せておくれ。」
「ええ、お前様、前《さき》へ戸を開けておいてから何か言わっしゃれば可《い》い。板戸が音声《おんじょう》を発したか、と吃驚《びっくり》しただ、はあ、何だね。」
「入口の、この出窓の下に、手水《ちょうず》鉢があったのを、入りしなに見ておいたが、広いので暗くて分らなくなりました。」
「ああ、手、洗わっしゃるのかね、」
 と手燭ばかりを、ずいと出して、
「鉢前にゃ、夜《よ》が明けたら見さっせえまし、大した唐銅《からかね》の手水鉢の、この邸さ曳《ひ》いて来る時分に牛一頭かかった、見事なのがあるけんど、今開ける気はしましねえ。……」
 ええ、そよら、そよらと風だ。
 そ、その鉢にゃ水があれば可《い》いがね、無くば座敷まで我慢さっせえまし、土瓶の残《のこり》を注《か》けて進ぜる。」
「あります、あります。」
 ざっと音をさして、
「冷い美しい水が、満々《なみなみ》とありますよ。」
「嘘を吐《つ》くもんでェねえ。なに美《うつくし》い水があんべい。井戸の水は真蒼《まっさお》で、小川の水は白濁りだ。」
「じゃあ燭《あかり》で見るせいだろうか、」
「そして、はあ、何なみなみとあるもんだ。」
「いいえ、縁切《ふちきり》こぼれるようだよ。ああ、葉越さんは綺麗好きだと見える。真白《まっしろ》な手拭《てぬぐい》が、」
 と言いかけてしばらく黙った。
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今年より卯月《うづき》八日は吉日よ
    尾長《おなが》蛆虫《うじむし》成敗ぞする
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「ここに倒《さかさま》にはってあるのは、これは誰方《どなた》がお書きなすった、」
「……南無阿弥陀仏《なまいだ》、南無阿弥陀仏……」
「ああ、佳《い》いおてだ。」
 と大和尚のように落着いて、大《おおき》く言ったが、やがてちと慌《あわただ》しげに小さな坊さまになって急いで出た。
「ええ、疾《はや》く出さっせえ、私《わし》もう押堪《おっこら》えて、座敷から庭へ出て用たすべい。」
「ほんとに誰が書いたんだね、女の手だが、」
 と掛手拭を賞《ほ》めた癖に、薄汚れた畳んだのを自分の袂《たもと》から出している。
「南無阿弥陀仏《なんまいだぶ》、ソ、それは、それ、この次の、次の、小座敷で亡くならしっけえ、どっかの嬢様が書いて貼《は》っただとよ、直《じ》きそこだ、今ソンな事あどうでも可《え》え。頭から、慄然《ぞっ》とするだに、」
「そうかい、ああ私も今、手を拭《ふ》こうとすると、真新しい切立《きりたて》の掛手拭が、冷く濡れていたのでヒヤリとした。」
「や、」と横飛びにどたりと踏んだが、その跫音《あしおと》を忍びたそうに、腰を浮かせて、同一《おなじ》処を蹌踉蹌踉《うろうろ》する。

       三十五

「そうふらふらさしちゃ燈《あかり》が消えます。貸しなさい、私がその手燭《てしょく》を持とうで。」
「頼んます、はい、どうぞお前様《めえさま》持たっせえて、ついでにその法衣《ころも》着さっせえ姿から、光明|赫燿《かくやく》と願えてえだ。」
 僧は燭を取って一足出たが、
「お爺さん、」
 と呼んだのが、驚破《すわや》事ありげに聞えたので、手んぼうならぬ手を引込《ひっこ》め、不具《かたわ》の方と同一《おなじ》処で、掌《てのひら》をあけながら、据腰《すえごし》で顔を見上げる、と皺面《しわづら》ばかりが燭の影に真赤《まっか》になった。――この赤親仁と、青坊主が、廊下はずれに物言う状《さま》は、鬼が囁《ささや》くに異ならず。
「ええ、」
「どこか呻吟《うめ》くような声がするよ。」
「芸もねえ、威《おど》かしてどうさっせる。」
「聞きなさい、それ……」
「う、う、う、」
 と厭《いや》な声。
「爺さん、お前が呻吟くのかい。」
「いんね、」
 と変な顔色で、鼻をしかめ、
「ふん、難産の呻吟声《うめきごえ》だ。はあ、御新姐《ごしんぞ》が唸《うな》らしっけえ、姑獲鳥《うぶめ》になって鳴くだあよ。もの、奥の小座敷の方で聞えべいがね。」
「奥も小座敷も私は知らんが、障子の方ではないようだ、便所かな、」
「ひええ、今、お前様が入《い》らっしたばかりでねえかね、」
「されば、」
 と斜めに聞澄まして、
「おお、庭だ、庭だ、雨戸の外だ。」
「はあ、」
 と宰八も、聞定めて、吻《ほっ》と息して、
「まず構外《かめえそと》だ、この雨戸がハイ鉄壁だぞ。」と、ぐいと圧《おさ》えてまた蹈張《ふんば》り、
「野郎、入《へえ》ってみやがれ、野郎、活仏《いきぼとけ》さまが附いてござるだ。」
「仏ではなお打棄《うっちゃ》っては措《お》かれない、人の声じゃ、お爺さん、明けて見よう、誰か苦《くるし》んでいるようだよ。」
「これ、静かにさっせえ、術《て》だ、術だてね。ものその術で、背負引《しょび》き出して、お前様|天窓《あたま》から塩よ。私《わし》は手足い引捩《ひんも》いで、月夜蟹で肉《み》がねえ、と遣《や》ろうとするだ。ほってもない、開けさっしゃるな。早く座敷へ行きますべい。」
「あれ、聞きなさい、助けてくれ……と云うではないか。」
「へ、疾《はや》いもんだ。人の気を引きくさる、坊様と知って慈悲で釣るだね、開けまいぞ。」
 と云う時……判然《はっきり》聞えたが、しわがれた声であった。
「助けてくれ……」
「…………」
「…………」
「宰八よう、」――
 と、葎《むぐら》がくれに虫の声。
 手《てん》ぼう蟹《がに》ふるえ上って、
「ひゃあ、苦虫が呼ぶ。」
「何、虫が呼ぶ?」
「ええ、仁右衛門《にえむ》の声だ。南無阿弥陀仏《なんまいだ》、ソ、ソレ見さっせえ。宵に門前《もんまえ》から遁帰《にげかえ》った親仁めが、今時分何しにここへ来るもんだ。見ろ、畜生、さ、さすが畜生の浅間しさに、そこまでは心着かねえ。へい、人間様だぞ。おのれ、荒神様がついてござる、猿智慧《さるぢえ》だね、打棄《うっちゃ》っておかっせえまし。」
 と雨戸を離れて、肩を一つ揺《ゆす》って行《ゆ》こうとする。広縁のはずれと覚しき彼方《かなた》へ、板敷を離るること二尺ばかり、消え残った燈籠《とうろう》のような白紙《しらかみ》がふらりと出て、真四角《まっしかく》に、燈《ともしび》が歩行《ある》き出した。
「はッあ、」
 と退《すさ》って、僧に背《せな》を摺寄《すりよ》せながら、
「経文を唱えて下せえ、入って来たわ、南無《なん》まいだ、なんまいだ。」
 僧も爪立《つまだ》って、浮腰《うきごし》に透かして見たが、
「行燈《あんどう》だよ、余り手間が取れるから、座敷から葉越さんが見においでだ。さあ、三人となると私も大きに心強い――ここは開《あ》くかい。」
「ええ、これ、開けてはなんねえちゅうに、」
「だって、あれ、あれ、助けてくれ、と云うものを。鬼神に横道なし、と云う、情《なさけ》に抵抗《てむか》う刃《やいば》はない筈《はず》、」
 枢《くるる》をかたかた、ぐっと、さるを上げて、ずずん、かたりと開ける、袖を絞って蔽《おお》い果さず、燈《あかり》は颯《さっ》と夜風に消えた。が、吉野紙を蔽えるごとき、薄曇りの月の影を、隈《くま》ある暗き葎《むぐら》の中、底を分け出でて、打傾いて、その光を宿している、目の前の飛石の上を、四《よ》つに這廻《はいまわ》るは、そもいかなるものぞ。

       三十六

 声を聞いたより形を見れば、なお確実《たしか》に、飛石を這って呻《うめ》いていたのは、苦虫の仁右衛門であった。
 月明《つきあかり》に、まさしくそれと認めが着くと、同一《おなじ》疑《うたがい》の中《うち》にもいくらか与易《くみしやす》く思った処へ、明が行燈《あんどう》を提げて来たので、ますます力づいた宰八は、二人の指図に、思切って庭へ出たが、もうそれまでに漕《こ》ぎ着ければ、露に濡れる分は厭《いと》わぬ親仁。
 さやさやと葎《むぐら》を分けて、おじいどうした、と摺寄《すりよ》ると、ああ、宰八か助けてくれ。この手を引張《ひっぱ》って、と拝むがごとく指出した。左の腕《かいな》を、ぐい、と掴《つか》んで、獣《けもの》にしては毛が少ねえ、おおおお正真《しょうじん》正銘の仁右衛門だ、よく化けた、とまだそんな事を云いながら、肩にかけて引立《ひった》てると、飛石から離れるのが泥田《どろだ》を踏むような足取りで、せいせい呼吸《いき》を切って、しがみつくので、咽喉《のど》がしまる、と呟《つぶや》きながら、宰八も疾《はや》く埒《らち》を明けたさに、委細構わずずるずる引摺《ひきず》って縁側に来る間に、明はもう一枚、雨戸を開けて待構えて、気分はどう?まあ、こちらへ、と手伝って引入れた、仁右衛門の右の手は、竹槍《たけやり》を握っていたのである。
 これは、と驚くと、仔細《しさい》ござります。水を一口、と云う舌も硬《こわ》ばり、唇は土気色。手首も冷たく只戦《ひたわなな》きに戦くので、ともかく座敷へ連れよう……何しろ危いから、こういうものはと、竹槍は明が預る。
 引《ひっ》そいだ切尖《きっさき》の鋭《するど》いのが、法衣《ころも》の袖を掠《かす》ったから、背後《うしろ》に立った僧は慌てて身を開いて、行燈は手前が、とこれが先へ立つ。
 さあ負《おぶ》され、と蟹の甲を押向けると、いや、それには及ばぬ、と云った仁右衛門が、僧の裾《すそ》を啣《くわ》えた体《てい》に、膝で摺《ず》って縁側へ這上《はいあが》った。
 あとへ、竹槍の青光りに艶のあるのを、柄長に取って、明が続く。
 背後《うしろ》で雨戸を閉めかけて、おじい、腰が抜けたか、弱い男だ、とどうやら風向《かざむき》が可《よ》さそうなので、宰八が嘲《あざ》けると、うんにゃ足の裏が血だらけじゃ、歩行《あるく》と痕《あと》がつく、と這いながら云ったので――イヤその音の夥《おびただ》しさ。がらりと閉め棄てに、明の背《せな》へ飛縋《とびすが》った。――真先《まっさき》へ行燈が、坊さまの裾[#「裾」は底本では「据」]あたり宙を歩行《ある》いて、血だらけだ、と云う苦虫が馬の這身《はいみ》、竹槍が後《しりえ》を圧《おさ》えて、暗がりを蟹が通る。……広縁をこの体《てい》は、さてさて尋常事《ただごと》ではない。
 やがて座敷で介抱して、ようよう正気づくと、仁右衛門は四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまわ》し、あまたたび口籠《くちごも》りながら、相済みましねえ、お客様、御出家、宰八|此方《こなた》にはなおの事、四十年来の知己《ちかづき》が、余り気心を知らんようで、面目もない次第じゃ。
 御主人鶴谷様のこの別宅、近頃の怪しさ不思議さ。余りの事に、これは一《ひと》分別ある処と、三日|二夜《ふたよる》、口も利かずにまじまじと勘考した。はて巧《たく》んだり!てっきりこいつ大詐欺《おおかたり》に極まった。汝等《うぬら》が謀《はか》って、見事に妖物邸《ばけものやしき》にしおおせる。棄て置けば狐狸《こり》の棲処《すみか》、さもないまでも乞食の宿、焚火《たきび》の火|沙汰《ざた》も不用心、給金出しても人は住まず、持余しものになるのを見済まし、立腐れの柱を根こぎに、瓦屋根を踏倒して、股倉《またぐら》へ掻込《かいこ》む算段、図星図星。しゃ!明神様の託宣《おつげ》――と眼玉《まなこだま》で睨《にら》んで見れば、どうやら近頃から逗留《とうりゅう》した渡りものの書生坊《しょせっぽう》、悪く優しげな顔色《つらつき》も、絵草子で見た自来也《じらいや》だぞ、盗賊の張本ござんなれ。晩方|来《う》せた旅僧めも、その同類、茶店の婆《ばば》も怪しいわ。手引した宰八も抱込まれたに相違ない。道理こそ化物沙汰に輪を掛《かけ》る。待て待て狂人《きちがい》の真似何でもない事、嘉吉も一升飲まされた――巫山戯《ふざけ》た奴等《やつら》、どこだと思う。秋谷村には甘え柿と、苦虫あるを知んねえか、とわざと臆病に見せかけて、宵に遁《に》げたは真田幸村《さなだゆきむら》、やがてもり返して盗賊《どろぼう》の巣を乗取《のっと》る了簡《りょうけん》。
 いつものように黄昏《たそがれ》の軒をうろつく、嘉吉|奴《め》を引捉《ひっとら》え、確《しか》と親元へ預け置いたは、屋根から天蚕糸《てぐす》に鉤《はり》をかけて、行燈を釣らせぬ分別。
 かねて謀計《はかりごと》を喋合《しめしあわ》せた、同じく晩方|遁《に》げる、と見せた、学校の訓導と、その筋の諜者《ちょうじゃ》を勤むる、狐店《きつねみせ》の親方を誘うて、この三人、十分に支度をした。
 二人は表門へ立向い、仁右衛門はただ一人、怪しきものは突殺そう。狸に化けた人間を打殺《ぶちころ》すに仔細はない、と竹槍を引《ひっ》そばめて、木戸口から庭づたいに、月あかりを辿《たど》り辿り、雨戸をあてに近づいて、何か、手品の種がありはせぬか、と透かして屋根の周囲《まわり》をぐるりと見ると。……

       三十七

 烏が一羽|歴然《ありあり》と屋根に見えた。ああ、あの下|辺《あたり》で、産婦が二人――定命とは思われぬ無残な死にようをしたと思うと、屋根の上に、姿が何やら。
 この姿は、葎《むぐら》を分けて忍び寄ったはじめから、目前《めさき》に朦朧《もうろう》と映ったのであったが、立って丈長き葉に添うようでもあり、寝て根を潜《くぐ》るようでもあるし、浮き上って葉尖《はさき》を渡るようでもあった。で、大方仁右衛門自分の身体《からだ》と、竹槍との組合せで、月明《つきあかり》には、そんな影が出来たのだろう、と怪しまなかったが、その姿が、ふと屋根の上に移ったので。
 ト見ると、肩のあたりの、すらすらと優《やさし》いのが、いかに月に描き直されたればとて、鍬《くわ》を担いだ骨組にしては余りにしおらしい、と心着くと柳の腰。
 その細腰を此方《こなた》へ、背を斜《ななめ》にした裾《すそ》が、脛《はぎ》のあたりへ瓦《かわら》を敷いて、細くしなやかに掻込《かいこ》んで、蹴出《けだ》したような褄先《つまさき》が、中空なれば遮るものなく、便《たより》なさそうに、しかし軽《かろ》く、軒の蜘蛛《くも》の囲《い》の大きなのに、はらりと乗って、水車《みずぐるま》に霧が懸《かか》った風情に見える。背筋の靡《なび》く、頸許《えりもと》のほの白さは、月に預けて際立たぬ。その月影は朧《おぼろ》ながら、濃い黒髪は緑を束《つか》ねて、森の影が雲かと落ちて、その俤《おもかげ》をうらから包んだ、向うむきの、やや中空を仰いだ状《さま》で、二の腕の腹を此方《こなた》へ、雪のごとく白く見せて、静《しずか》に鬢《びん》の毛を撫《な》でていた。
 白魚《しらお》の指の尖《さき》の、ちらちらと髪を潜《くぐ》って動いたのも、思えば見えよう道理はないのに、てっきり耳が動いたようで。
 驚破《すわ》、獣《けだもの》か、人間か。いずれこの邸を踏倒そう屋根|住居《ずまい》してござる。おのれ、見ろ、と一足|退《すさ》って竹槍を引扱《ひきしご》き、鳥を差いた覚えの骨《こつ》で、スーッ!突出《つきだ》した得物の尖《さき》が、右の袖下を潜《くぐ》るや否や、踏占めた足の裏で、ぐ、ぐ、ぐ、と声を出したものがある。
 地《つち》が急に柔かく、ほんのりと暖かに、ふっくりと綿を踏んで、下へ沈みそうな心持。他愛《たわい》なく膝節の崩れるのに驚いて、足を見る、と白粉《おしろい》の花の上。
 と思ったがそれは遠い。このふっくりした白いものは、南無三宝《なむさんぼう》仰向《あおむ》けに倒れた女の胸、膨らむ乳房の真中《まんなか》あたり、鳩尾《みぞおち》を、土足で蹈《ふ》んでいようでないか。
 仁右衛門ぶるぶるとなり、据眼《すえまなこ》に熟《じっ》と見た、白い咽喉《のんど》をのけ様《ざま》に、苦痛に反らして、黒髪を乱したが、唇を洩《も》る歯の白さ。草に鼻筋の通った顔は、忘れもせぬ鶴谷の嫁、初産《ういざん》に世を去った御新姐《ごしんぞ》である。
 親仁は天窓《あたま》から氷を浴びた。
 恐しさ、怪しさより、勿体なさに、慌てて踏んでいる足を除《ど》けると、我知らず、片足が、またぐッと乗る。
 うむ、と呻《うめ》かれて、ハッと開くと、旧《もと》の足で踏みかける。顛倒《てんどう》して慌てるほど、身体《からだ》のおしに重みがかかる、とその度に、ぐ、ぐ、と泣いて、口から垂々《だらだら》と血を吐くのが、咽喉《のど》に懸《かか》り、胸を染め、乳の下を颯《さっ》と流れて、仁右衛門の蹠《あしのうら》に生暖《なまあたたこ》う垂れかかる。
 あッと腰を抜いて、手を支《つ》くと、その黒髪を掻掴《かいつか》んだ。
 御免なせえまし、御新姐様、御免なせえまし、と夢中ながら一心に詫びると、踏躪《ふみにじ》られる苦悩の中から、目を開いて、じろじろと見る瞳が動くと、口も動いて、莞爾《にっこり》する、……その唇から血が流れる。
 足は膠《にかわ》で附けたよう。
 同一《おなじ》処で蠢《うごめ》く処へ、宰八の声が聞えたので、救助《たすけ》を呼ぶさえ呻吟《うめ》いたのであった。
 かくて、手を取って引立《ひった》てられた――宰八が見た飛石は、魅せられた仁右衛門の幻の目に、すなわち御新姐の胸であったのである、足もまだ粘々《ねばねば》する、手はこの通り血だらけじゃ、と戦《おのの》いたが、行燈に透かすと夜露に曝《さ》れて白けていた。

「我《が》折れ何とも、六十の親仁が天窓《あたま》を下げる。宰八、夜深《よふか》じゃが本宅まで送ってくれ。片時もこの居まわり三町の間に居《お》りたくない、生命《いのち》ばかりはお助けじゃ。」
 と言って、誰にするやら仁右衛門はへたへたとお辞儀をした。
 そこで、表門へ廻った二人は、と皆《みんな》連立って出て見ると、訓導は式台前の敷石の上に、ぺたんと坐っていた。狐饂飩《きつねうどん》の亭主は見えず。……後で知れたがそれは一散に遁《に》げた、と言う。

 何を見て驚いたか、渠等《かれら》は頭《かぶり》を掉《ふ》って語らない。一人は緋《ひ》の袴《はかま》を穿《は》いた官女の、目の黒い、耳の尖《と》がった凄《すさま》じき女房の、薄雲《うすぐもり》の月に袖を重ねて、木戸口に佇《たたず》んだ姿を見たし、一人は朱の面《つら》した大猿にして、尾の九ツに裂けた姿に見た、と誰伝うるとなく、程|経《た》って仄《ほのか》に洩《も》れ聞える。――

       三十八

二人寝には楽だけれども、座敷が広いから、蚊帳は式台向きの二隅《ふたすみ》と、障子と、襖《ふすま》と、両方の鴨居《かもい》の中途に釣手を掛けて、十畳敷のその三分の一ぐらいを――大庄屋の夜の調度――浅緑を垂れ、紅麻《こうあさ》の裾《すそ》長く曳《ひ》いて、縁側の方《かた》に枕を並べた。
 一《ある》日、朝から雨が降って、昼も夜のようであったその夜中の事――と語り掛けて、明はすやすやと寝入ったのである。
 いずれそれも、怪しき事件《こと》の一つであろう。……あわれ、この少《わか》き人の、聞くがごとくんば連日の疲労《つかれ》もさこそ、今宵は友として我ここに在るがため、幾分の安心を得て現《うつつ》なく寝入ったのであろう、と小次郎法師が思うにつけても、蚊帳越に瞻《みまも》らるるは床の間を背後《うしろ》にした仄白々《ほのしろじろ》とある行燈《あんどう》。
 楽書《らくがき》の文字もないが、今にも畳を離れそうで、裾《すそ》が伸びるか、燈《ともしび》が出るか、蚊帳へ入って来そうでならぬ。
 そういえば、掻き立てもしないのに、明の寝顔も、また悪く明るい。
「貴下《あなた》、寝冷《ねびえ》をしては不可《いけ》ません。」
 寝苦しいか、白やかな胸を出して、鳩尾《みぞおち》へ踏落しているのを、痩《や》せた胸に障《さわ》らないように、密《そ》っと引掛《ひっか》けたが何にも知らず、まず可《よ》かった。――仁右衛門が見た御新姐《ごしんぞ》のように、この手が触って血を吐きながら、莞爾《にっこり》としたらどうしょう。
 そう思うと寝苦しい、何にも見まい、と目を塞《ふさ》ぐ、と塞ぐ後から、睫《まぶた》がぱちぱちと音がしそうに開いてしまうのは、心が冴《さ》えて寝られぬのである。
 掻巻《かいまき》を引被《ひっかぶ》れば、衾《ふすま》の袖から襟かけて、大《おおき》な洞穴《ほらあな》のように覚えて、足を曳《ひ》いて、何やらずるずると引入れそうで不安に堪えぬ。
 すぽりと脱いで、坊主|天窓《あたま》をぬいと出したが、これはまた、ばあ、と云ってニタリと笑いそうで、自分の顔ながら気味の悪さ。
 そこで屹《きっ》となって、襟を合せて、枕を仕かえて、気を沈めて、
「衆怨悉退散《しゅうおんしったいさん》、」
 と仰向《あおむ》けのまま呪《じゅ》すと、いくらか心が静まったと見えて、旅僧はつい、うとうととしたかと思うと、ぽたり、と何か枕許《まくらもと》へ来たのがある。
 が、雨垂《あまだれ》とも、血を吸膨れた蚊が一ツ倒れた音とも、まだ聞定めないで現《うつつ》[#ルビの「うつつ」は底本では「うつ」]でいると、またぽたり……やがて、ぽたぽたと落ちたるが、今度は確《たしか》に頬にかかった。
 やっと冷たいのが知れて、掌《てのひら》で撫《な》でると、冷《ひや》りとする。身震いして少し起きかけて、旅僧は恐る恐る燈《ともしび》の影に透《すか》したが、幸《さいわい》に、血の点滴《したたり》ではない。
 さては雨漏りと思う時は、蚊帳を伝って雫《しずく》するばかり、はらはらと降り灌《そそ》ぐ。
 耳を澄ますと、屋根の上は大雨であるらしい。
 浮世にあらぬ仮の宿にも、これほど侘《わび》しいものはない。けれども、雨漏《あまもり》にも旅馴《たびな》れた僧は、押黙って小止《おやみ》を待とうと思ったが、ますます雫は繁くなって、掻巻の裾あたりは、びしょびしょ、刎上《はねあが》って繁吹《しぶき》が立ちそう。
 屋根で、鵝鳥《がちょう》が鳴いた事さえあると聞く。家ごと霞川の底に沈んだのでなかろうか。……トタンに額を打って、鼻頭《はなづら》に浸《にじ》んだ、大粒なのに、むっくと起き、枕を取って掻遣《かいや》りながら、立膝で、じりりと寄って、肩まで捲《まく》れた寝衣《ねまき》の袖を引伸ばしながら、
「もし、大分漏りますが、もし葉越さん。」
 と呼んだが答えぬ。
 目敏《めざと》そうな人物が、と驚いて手を翳《かざ》すと、薄《すすき》の穂を揺《ゆすぶ》るように、すやすやと呼吸《いき》がある。
「ああ、よく寝られた。」
 と熟《じっ》と顔を見ると、明の、眦《まなじり》の切れた睫毛《まつげ》の濃い、目の上に、キラキラとした清い玉は、同一《おなじ》雨垂れに濡れたか、あらず。……
 来方《こしかた》は我にもあり、ただ御身《おんみ》は髪黒く、顔白きに、我は頭《かしら》蒼《あお》く、面《つら》の黄なるのみ。同一《おなじ》世の孤児《みなしご》よ、と覚えずほうり落ちた法師自身の同情の涙の、明の夢に届いたのである。
 四辺《あたり》を見ると、この人目覚めぬも道理こそ。雨の雫の、糸のごとく乱れかかるのは、我が身体《からだ》ばかりで、明の床には、夜《よ》をあさる蚤《のみ》も居《お》らぬ。
 南無三宝、魔物の唾《つば》じゃ。

       三十九

 例の、その幻の雨とは悟ったものの、見す見すひやりとして濡るるのは、笠なしに山寺から豆腐買いに里へ遣《や》られた、小僧の時より辛いので、堪《たま》りかねて、蚊帳の裾を引被《ひっかつ》いで出たが、さてどこを居所《いどころ》とも定まらぬ一夜の宿。
 消えなんとする旅籠屋《はたごや》の行燈《かんばん》を、時雨の軒に便る心で。
 僧は燈火[#「燈火」は底本では「灯燈」]《ともしび》の許《もと》に膝行《いざ》り寄った。
 寝衣《ねまき》を見ると、どこも露ほども濡れてはおらぬ。まず頬のあたりから腕を拭《ふ》こうとしたほどだったのに……もとより寝床に雨垂の音は無い。
 その腕を長く、つき反らして擦《さす》りながら、
「衆怨悉退散《しゅうおんしったいさん》。」
 とまた念じて、静《じっ》と心を沈めると、この功徳か、蚊の声が無くなって、寂《しん》として静まり返る。
 また余りの静《しずか》さに、自分の身体《からだ》が消えてしまいはせぬか、という懸念がし出して、押瞑《おしつぶ》った目を夢から覚めたように恍惚《うっとり》と、しかも円《つぶら》に開けて、真直《まっすぐ》な燈心を視透《みす》かした時であった。
 飜然《ひらり》と映って、行燈《あんどう》へ、中から透いて影がさしたのを、女の手ほどの大《おおき》な蜘蛛《くも》、と咄嗟《とっさ》に首を縮《すく》めたが、あらず、非《あら》ず、柱に触って、やがて油壺《あぶらつぼ》の前へこぼれたのは、木《こ》の葉であった、青楓《あおかえで》の。
 僧は思わず手で拾った。がそのまさしく木の葉であるや、しからずや、確かめようとしたのか、どうか、それは渠《かれ》にも分りはせぬ。
 ト続いて、颯《さっ》と影がさして、横繁吹《よこしぶき》に乗ったようにさらりと落ちる。
 我にもあらず、またもやそれを拾った時、先《せん》のを、
「一枚、」
 と思わず算《かぞ》えた。
「二枚、」
 とあとを数え果さず、三枚目のは、貝ほどの槻《けやき》の葉で、ひらひらと燈《ともしび》を掠《かす》めて来た、影が大《おおき》い。
「三枚、」
 と口の裡《うち》で呟《つぶや》くと、早や四枚目が、ばさばさと行燈の紙に障《さわ》った。
「四枚、五枚、六枚、七枚、」
 と数える内に、拾い上げた膝の上は、早や隙間なく落葉に埋もるる。
 空を仰ぐと、天井は底がなく、暗夜《やみ》の深山《みやま》にある心地。
 おお、この森を峠にして、こんな晩、中空を越す通魔《とおりま》が、魔王に、はたと捧ぐる、関所の通証券《とおりてがた》であろうも知れぬ。膝を払って衝《つ》と立って、木の葉のはらはらと揺れるに連れて、ぶるぶると渠《かれ》は身震いした。
「えへん!」
 と揉潰《もみつぶ》されたような掠《かす》れた咳《せき》して、何かに目を転じて、心を移そうとしたが、風呂敷包の、御経を取出す間も遅し。さすがに心着いたのは、障子に四五枚、かりそめに貼《は》った半紙である。
 これはここへ来てからの、心覚えの童謡《わらわうた》を、明が書留めて朝夕《ちょうせき》に且つ吟じ且つ詠《なが》むるものだ、と宵に聞いた。
 立ったままに寄って見ると、真先《まっさき》に目に着いたのが濃い墨で、
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落葉一枚、
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 僧は更に悚然《ぞっ》とした。
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落葉一枚、
二枚、三枚、
十《とお》とかさねて、
落葉の数も、
ついて落いた君の年、
      君の年――
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 振返ると、まだそこに、掃掛けて廃《よ》したように、蒼《あお》きが黒く散々《ちりぢり》である。
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懐かしや、花の常夏《とこなつ》、
霞川に影が流れた。
その俤《おもかげ》や、俤や――
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 紙を通して障子の彼方《かなた》に、ほの白いその俤が……どうやら透《す》いて見えるようで、固くなった耳の底で、天の高さ、地の厚さを、あらん限り、深く、遥《はるか》に、星の座も、竜宮の燈《ともしび》も同一《おなじ》遠さ、と思う辺《あたり》、黄金《こがね》の鈴を振るごとく、ただ一声《こえ》、コロリン、と琴が響いた。
 はっと半紙を見ると、瞳へチラリ。
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コロリン!
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 と字が動いたよう。続けて――
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琴の音が…………
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 と記してあった。

       四十

 客僧は思案して、心を落着け、衣紋《えもん》を直して、さて、中に仏像があるので、床の間を借りて差置いた、荷物を今解き始めたが、深更のこの挙動《ふるまい》は、木曾街道の盗賊《ものどり》めく。
 不浄よけの金襴《きんらん》の切《きれ》にくるんだ、たけ三寸ばかり、黒塗《くろぬり》の小さな御厨子《みずし》を捧げ出して、袈裟《けさ》を机に折り、その上へ。
 元来《もと》この座敷は、京ごのみで、一間の床の間に傍《かたわら》に、高い袋戸棚が附いて、傍《かたえ》は直ぐに縁側の、戸棚の横が満月|形《なり》に庭に望んだ丸窓で、嵌込《はめこみ》の戸を開けると、葉山繁山中空へ波をかさねて見えるのが、今は焼けたが故郷《ふるさと》の家の、書院の構えにそっくりで、懐《なつか》しいばかりでない。これもここで望《のぞみ》の達せらるる兆《きざし》か、と床しい、と明が云って、直ぐにこの戸棚を、卓子《テエブル》擬《まが》いの机に使って、旅硯《たびすずり》も据えてある。椅子がわりに脚榻《きゃたつ》を置いて。……
 周囲《まわり》が広いから、水差茶道具の類も乗せて置く。
 そこで、この男の旅姿を見た時から、ちゃんと心づもりをしたそうで、深切《しんせつ》な宰八|爺《じじ》いは、夜の具《もの》と一所に、机を背負《しょっ》て来てくれたけれども、それは使わないで、床の間の隅に、埃《ほこり》は据えず差置いた。心に叶《かな》って逗留《とうりゅう》もしようなら、用いて書見をなさいまし、と夜食の時に言ってくれた。
 その机を、今ここへ。
 御厨子を据えて、さてどこへ置直そうと四辺《あたり》を視《み》た時、蚊帳の中で、三声《みこえ》ばかり、太《いた》く明が魘《うな》された。が……此方《こなた》の胸が痛んだばかりで、揺起すまでもなく、幸《さいわい》にまた静《しずか》になった。
 障子を開けて、縁側は自分も通るし、一方は庭づたいに入った口で、日頃はとにかく、別に今夜は何事もない。頻《しきり》に気になるのは、大掃除の時のために、一枚はずれる仕掛けだという、向うの天井の隅と、その下に開けた事のない隔ての襖《ふすま》の合せ目である。
「わが仏守らせたまえ。」
 と祈念なし、机を取って、押戴《おしいただ》いて、屹《きっ》と見て、其方《そなた》へ、と座を立とうとする。
 途端であった。
「しばらく。」
 ずしん、地《じ》の底へ響く声がした。
 明が呼んだか、と思う蚊帳の中《うち》で、また烈《はげ》しく魘《うな》されるので、呼吸《いき》を詰めて、
「…………」
 色を変える。
 襖の陰で、
「客僧しばらく――唯今《ただいま》それへ参るものがござる。往来を塞《ふさ》ぐまい。押して通るは自在じゃが、仏像ゆえに遠慮をいたす。いや、御身《おみ》に向うて、害を加うる仔細《しさい》はない。」
 ト見ると襖から承塵《なげし》へかけた、雨《あま》じみの魍魎《もうりょう》と、肩を並べて、その頭《かしら》、鴨居《かもい》を越した偉大の人物。眉太く、眼円《まなこつぶら》に、鼻隆うして口の角《けた》なるが、頬肉《ほおじし》豊《ゆたか》に、あっぱれの人品なり。生《き》びらの帷子《かたびら》に引手のごとき漆紋の着いたるに、白き襟をかさね、同一《おなじ》色の無地の袴《はかま》、折目高に穿《は》いたのが、襖一杯にぬっくと立った。ゆき短《みじか》な右の手に、畳んだままの扇を取って、温顔に微笑を含み、動《ゆる》ぎ出でつ、ともなく客僧の前へのっしと坐ると、気に圧《お》された僧は、ひしと茶斑《ちゃまだら》の大牛に引敷《ひっし》かれたる心地がした。
 はっと机に、突俯《つッぷ》そうとする胸を支えて、
「誰だ。」
 と言った。
「六十余州、罷通《まかりとお》るものじゃ。」
「何と申す、何人《なんぴと》……」
「到る処の悪左衛門、」
 と扇子を構えて、
「唯今、秋谷に罷在《まかりあ》る、すなわち秋谷悪左衛門と申す。」
「悪…………」
「悪は善悪の悪でござる。」
「おお、悪……魔、人間を呪《のろ》うものか。」
「いや、人間をよけて通るものじゃ。清き光天にあり、夜鴉《よがらす》の羽《は》うらも輝き、瀬の鮎《あゆ》の鱗《うろこ》も光る。隈《くま》なき月を見るにさえ、捨小舟《すておぶね》の中にもせず、峰の堂の縁でもせぬ。夜半人跡の絶えたる処は、かえって茅屋《かやや》の屋根ではないか。
 しかるを、わざと人間どもが、迎え見て、損《そこな》わるるは自業自得じゃ。」

       四十一

「真日中《まひなか》に天下の往来を通る時も、人が来れば路を避ける。出会《いであ》えば傍《わき》へ外れ、遣過《やりす》ごして背後《うしろ》を参る。が、しばしば見返る者あれば、煩わしさに隠れ終《おお》せぬ、見て驚くは其奴《そやつ》の罪じゃ。
 いかに客僧、まだ拙者《それがし》を疑わるるか。」
 と莞爾《かんじ》として、客僧の坊主頭を、やがて天井から瞰下《みおろ》しつつ、
「かくてもなお、我等がこの宇宙の間に罷在《まかりあ》るを怪《あやし》まるるか。うむ、疑いに※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》られたな。※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》いたその瞳も、直ちに瞬く。
 およそ天下に、夜《よ》を一目も寝ぬはあっても、瞬《またたき》をせぬ人間は決してあるまい。悪左衛門をはじめ夥間《なかま》一統、すなわちその人間の瞬く間を世界とする――瞬くという一秒時には、日輪の光によって、御身《おみ》等が顔容《かおかたち》、衣服の一切《すべて》、睫毛《まつげ》までも写し取らせて、御身等その生命の終る後、幾百年にも活《い》けるがごとく伝えらるる長い時間のあるを知るか。石と樹と相打って、火をほとばしらすも瞬く間、またその消ゆるも瞬く間、銃丸の人を貫くも瞬く間だ。
 すべて一たびただ一|人《にん》の瞬きする間に、水も流れ、風も吹く、木《こ》の葉も青し、日も赤い。天下に何一つ消え失《う》するものは無うして、ただその瞬間、その瞬く者にのみ消え失すると知らば、我等が世にあることを怪《あやし》むまい。」
 と悠然として打頷《うちうなず》き、
「そこでじゃ、客僧。
 たといその者の、自から招く禍《わざわい》とは言え、月のたちまち雲に隠れて、世の暗くなるは怪《あやし》まず、行燈《あんどう》の火の不意に消ゆるに喚《わめ》き、天に星の飛ぶを訝《いぶか》らず、地に瓜《うり》の躍るに絶叫する者どもが、われら一類が為《な》す業《わざ》に怯《おびや》かされて、その者、心を破り、気を傷《きずつ》け、身を損《そこな》えば、おのずから引いて、我等修業の妨《さまたげ》となり、従うて罪の障《さわり》となって、実は大《おおい》に迷惑いたす。」
 と、やや歎息をするようだったが、更《あらた》めて、また言った。
「時に、この邸には、当月はじめつ方《かた》から、別に逗留《とうりゅう》の客がある。同一《おなじ》境涯にある御仁《ごじん》じゃ。われら附添って眷属《けんぞく》ども一同守護をいたすに、元来、人足《ひとあし》の絶えた空屋を求めて便《たよ》った処を、唯今《ただいま》眠りおる少年の、身にも命にも替うる願《ねがい》あって、身命を賭物《かけもの》にして、推して草叢《くさむら》に足痕《あしあと》を留めた以来、とかく人出入騒々しく、かたがた妨げに相成るから、われら承って片端から追払《おっぱら》うが、弱ったのはこの少年じゃ。
 顔容《かおかたち》に似ぬその志の堅固さよ。ただお伽《とぎ》めいた事のみ語って、自からその愚《おろか》さを恥じて、客僧、御身にも話すまいが、や、この方実は、もそっと手酷《てひど》い試《こころみ》をやった。
 あるいは大磐石を胸に落し、我その上に蹈跨《ふみまたが》って咽喉《のど》を緊《し》め、五体に七筋の蛇を絡《まと》わし、牙《きば》ある蜥蜴《とかげ》に噛《か》ませてまで呪《のろ》うたが、頑として退かず、悠々と歌を唄うに、我《が》折れ果てた。
 よって最後の試み、としてたった今、少年《これ》に人を殺させた――すなわち殺された者は、客僧、御身《おみ》じゃよ。」
 と、じろじろと見るのである。
 覚悟しながら戦《おのの》いて、
「ここは、ここは、ここは、冥土《めいど》か。」
 と目ばかり働く、その顔を見て、でっぷりとした頬に笑を湛《たた》え、くつくつ忍笑《しのびわら》いして、
「いや、別条はない。が、ちょうどこの少年の、いまし魘《うな》された時、客僧、何と、胸が痛かったろう。」
 ズキリと応《こた》えて、
「おお、」
「すなわち少年が、御身に毒を飲ませたのだ。」
「…………」
「別でない。それそれその戸袋に載《の》った朱泥《しゅでい》の水差《みずさし》、それに汲《く》んだは井戸の水じゃが、久しい埋井《うもれい》じゃに因って、水の色が真蒼《まっさお》じゃ、まるで透通る草の汁よ。
 客僧等が茶を参った、爺《じじい》が汲んで来た、あれは川水。その白濁《しろにごり》がまだしも、と他の者はそれを用いる、がこの少年は、前《さき》に猫の死骸の流れたのを見たために、得《え》飲まずしてこの井戸のを仰ぐ。
 今も言う通りだ。殺さぬまでに現責《うつつぜめ》に苦しめ呪うがゆえ、生命《いのち》を縮めては相成らぬで、毎夜少年の気着かぬ間に、振袖に緋《ひ》の扱帯《しごきおび》した、面《つら》が狗《いぬ》の、召使に持たせて、われら秘蔵の濃緑《こみどり》の酒を、瑠璃色《るりいろ》の瑪瑙《めのう》の壺《つぼ》から、回生剤《きつけ》として、その水にしたたらして置くが習《ならい》じゃ。」

       四十二

「少年は味《あじお》うて、天与の霊泉と舌鼓を打っておる。
 我ら、いまし少年の魂に命じて、すなわちその酒を客僧に勧め飲ましむる夢を見させたわ。(ただ一口試みられよ、爽《さわやか》な涼しい芳《かんば》しい酒の味がする、)と云うに因って、客僧、御身《おんみ》はなおさら猶予《ためら》う、手が出ぬわ。」
 とまた微笑《ほほえ》み、
「毒味までしたれば、と少年は、ぐと飲み飲み、無理に勧める。さまでは、とうけて恐る恐る干すと、ややあって、客僧、御身は苦悶《くもん》し、煩乱《はんらん》し、七転八倒して黒き血のかたまりを吐くじゃ。」
 客僧は色|真蒼《まっさお》である。
「驚いて少年が介抱する。が、もう叶《かな》わぬ、臨終という時、
(われは僧なり、身を殺して仁をなし得れば無上の本懐、君その素志を他に求めて、疾《と》くこの恐しき魔所を遁《のが》れられよ。)
 と遺言する。これぞ、われらの誂《あつらえ》じゃ。
 蚊帳の中で、少年の魘《うな》されたは、この夢を見た時よ、なあ。
 これならば立退《たちの》くであろう、と思うと、ああ、埒《らち》あかぬ。客僧、御身が仮に落入るのを見る、と涙を流して、共に死のうと決心した。
 葛籠《つづら》に秘め置く、守刀《まもりがたな》をキラリと引抜くまで、襖《ふすま》の蔭から見定めて、
(ああ、しばらく、)
 と留めたは、さて、殺しては相済まぬ。
 これによって、われら守護する逗留客は、御自分の方から、この邸を開いて、もはや余所《よそ》へ立退《の》くじゃが。
 その以前、直々《じきじき》に貴面を得て、客僧に申《もおし》談じたい儀があると謂《い》わるる。
 客は女性《にょしょう》でござるに因って、一応|拙者《それがし》から申入れる。ためにこれへ罷出《まかりいで》た。
 秋谷悪左衛門取次を致す、」
 と高らかに云って、穏和《おだやか》に、
「お逢い下さりょうか、いかが、」
 と云った。
 僧は思わず、
「は、」と答える。
 声も終らず、小山のごとく膝を揺《ゆら》げ、向け直したと見ると、
「ござらっしゃい!」
 破鐘《われがね》のごときその大音、哄《どっ》と響いた。目くるめいて、魂遠くなるほどに、大魔の形体《ぎょうたい》、片隅の暗がりへ吸込《すいこ》まれたようにすッと退《の》いた、が遥《はるか》に小さく、およそ蛍の火ばかりになって、しかもその衣《きぬ》の色も、袴《はかま》の色も、顔の色も、頭《かしら》の毛の総髪《そうがみ》も、鮮麗《あざやか》になお目に映る。
「御免遊ばせ。」
 向うから襖一枚、颯《さっ》と蒼《あお》く色が変ると、雨浸《あまじみ》の鬼の絵の輪郭を、乱れたままの輪に残して、ほんのり桃色がその上に浮いて出た。
 ト見ると、房々とある艶《つや》やかな黒髪を、耳許《みみもと》白く梳《くしけず》って、櫛巻《くしまき》にすなおに結んだ、顔を俯向《うつむ》けに、撫肩《なでがた》の、細く袖を引合わせて、胸を抱いたが、衣紋《えもん》白く、空色の長襦袢《ながじゅばん》に、朱鷺色《ときいろ》の無地の羅《うすもの》を襲《かさ》ねて、草の葉に露の玉と散った、浅緑の帯、薄き腰、弱々と糸の艶に光を帯びて、乳《ち》のあたり、肩のあたり、その明りに、朱鷺色が、浅葱《あさぎ》が透き、膚《はだ》の雪も幽《かすか》に透く。
 黒髪かけて、襟かけて、月の雫《しずく》がかかったような、裾《すそ》は捌《さば》けず、しっとりと爪尖《つまさ》き軽《かろ》く、ものの居て腰を捧げて進むるごとく、底の知れない座敷をうしろに、果《はて》なき夜の暗さを引いたが、歩行《ある》くともなく立寄って、客僧に近寄る時、いつの間にか襖が開くと、左右に雪洞《ぼんぼり》が二つ並んで、敷居際に差向って、女の膝ばかりが控えて見える。そのいずれかが狗《いぬ》の顔、と思いをめぐらす暇もない。
 僧は前に彳《たたず》んだのを差覗《さしのぞ》くように一目見て、
「わッ、」
 とばかりに平伏《ひれふ》した。実《げ》にこそその顔《かんばせ》は、爛々たる銀《しろがね》の眼《まなこ》一|双《なら》び、眦《まなじり》に紫の隈《くま》暗く、頬骨のこけた頤《おとがい》蒼味がかり、浅葱に窩《くぼ》んだ唇裂けて、鉄漿《かね》着けた口、柘榴《ざくろ》の舌、耳の根には針のごとき鋭《と》き牙《きば》を噛《か》んでいたのである。

       四十三

「おお、自分の顔を隠したさ。貴僧《あなた》を威《おど》す心ではない、戸外《そと》へ出ます支度のまま……まあ、お恥かしい。」
 と、横へ取ったは白鬼《はっき》の面。端麗にして威厳あり、眉美しく、目の優しき、その顔《かんばせ》を差俯向《さしうつむ》け、しとやかに手を支《つ》いた。
「は、は、はじめまして、」
 と、しどろになって会釈すると、面《おもて》を上げた寂《さみ》しい頬に、唇|紅《あこ》う莞爾《にっこり》して、
「前刻《さっき》、憚《はばかり》へいらっしゃいます、廊下でお目に懸《かか》りましたよ。」
 客僧も、今はなかなかに胴|据《すわ》りぬ。
「貴女《あなた》はどなたでございます。」
 と尋ねたが、その時はほぼその誰なるかを知っているような気がしたのである。
 美女《たおやめ》は褄《つま》を深う居直って、蚊帳を透《すか》して打傾く。
 萌黄《もえぎ》が迫って、その衣《きぬ》の色を薄く包んだ。
「この方の、母《おっか》さんのお知己《ちかづき》、明さんとも、お友達……」
 と口を結んだが愁《うれい》を帯びた。
 此方《こなた》は、じりじりと膝を向けて、
「ああ、貴女が、」
「あの、それに就きまして、貴僧《あなた》にお願いがございますが、どうぞお聞き下さいまし。」
 とまた蚊帳越に打視《うちなが》め、
「お最愛《いと》しい、沢山《たんと》お窶《やつ》れ遊ばした。罪も報《むくい》もない方が、こんなに艱難辛苦《かんなんしんく》して、命に懸けても唄が聞きたいとおっしゃるのも、母《おっか》さんの恋しさゆえ。
 その唄を聞こう聞こうと、お思いなさいます心から、この頃では身も世も忘れて、まあ、私を懐《なつか》しがって、迷って恋におなりなすった。
 その唄は稚《おさな》い時、この方の母さんから、口移しに教《おそ》わって、私は今も、覚えている。
 こうまで、お憧《こが》れなさるもの、ちょっと一目お目にかかって、お聞かせ申《もおし》とうござんすけれど、今顔をお見せ申しますと、お慕いなさいます御心から、前後も忘れて夢見るように、袖に搦《から》んで手に縋《すが》り、胸に額を押当てて、母よ、姉よ、とおっしゃいますもの。
 どうして貴僧《あなた》、摺抜《すりぬ》けられよう、突離されよう、振切られましょう、私は引寄せます、抱緊《だきし》めます。
 と血を分けぬ、男と女は、天にも地にも許さぬ掟《おきて》。
 私たちには自由自在――どの道浮世に背いた身体《からだ》が、それでは外《ほか》に願いのある、私の願の邪魔になります。よしそれとても、棄身《すてみ》の私、ただ最惜《いとおし》さ、可愛さに、気の狂い、心の乱れるに随《まか》せましても、覚悟の上なら私一人、自分の身は厭《いと》いはしませぬ。
 厭わぬけれど……明さんがそうすると、私たちと同一《おなじ》ような身の上になりますもの……
 それはもう、この頃のお心では、明さんは本望らしい――本望らしい、」
 とさも懸想《けそう》したらしく胸を抱いたが、鼻筋白く打背いて、
「あれあれ御覧なさいまし。こう言う中《うち》にも、明さんの母《おっか》さんが、花の梢《こずえ》と見紛うばかり、雲間を漏れる高楼《たかどの》の、虹《にじ》の欄干《てすり》を乗出して、叱りも睨《にら》みも遊ばさず、児《こ》の可愛さに、鬼とも言わず、私を拝んでいなさいます。お美しい、お優しい、あの御顔を見ましては、恋の血汐《ちしお》は葉に染めても、秋のあ[#「あ」に傍点]の字も、明さんの名に憚《はばか》って声には出ませぬ。
 一言も交わさずに、ただ御顔を見たばかりでさえ、最愛《いとお》しさに覚悟も弱る。私は夫のござんす身体《からだ》。他《ひと》の妻でありながらも、母さんをお慕い遊ばす、そのお心の優しさが、身に染む時は、恋となり、不義となり、罪となる。
 実の産《うみ》の母御でさえ、一旦この世を去られし上は――幻にも姿を見せ、乳《ち》を呑ませたく添寝もしたい――我が児《こ》最惜《いとし》む心さえ、天上では恋となる、その忌憚《はばかり》で、御遠慮遊ばす。
 まして私は他人の事。
 余計な御苦労かけるのが御不便《ごふびん》さ。決して私は明さんに、在所《ありか》を知らせず隠れていたのに、つい膝許《ひざもと》の稚《おさな》いものが、粗相で手毬《てまり》を流したのが悪縁となりました。
 彼方《かなた》も私も身を苦しめ、心を傷《いた》めておりましたが、お生命《いのち》の危《あやう》いまでも、ここをおたち遊ばさぬゆえ、私わきへ参ります。
 あんまりお心が可傷《いじら》しい、さまでに思召すその毬唄は、その内時節が参りますと、自然にお耳へ入りましょう!
 それは今、私がこの邸を退《の》きますと、もう隅々まで家中が明《あかる》くなる。明さんも思い直して、またここを出て旅行《たび》立ちをなさいます。
 早や今でも沙汰《さた》をする、この邸の不思議な事が、界隈《かいわい》へ拡がりますと、――近い処の、別荘にあの、お一方……」

       四十四

「病《やまい》の後の保養に来ておいでなさいます、それはそれは美しい、余所《よそ》の婦人《おんな》が、気軽な腰元の勧めるまま、徒然《つれづれ》の慰みに、あの宰八を内証で呼んで、(鶴谷の邸の妖怪変化は、皆《みんな》私が手伝いの人と一所に、憂晴《うさは》らしにしたいたずら遊戯《あそび》、聞けば、怪我人も沢山《たんと》出来、嘉吉とやら気が違ったのもあるそうな、つい心ない、気の毒な、皆《みんな》の手当をよくするように。)……
 と白銀黄金《しろがねこがね》を沢山《たんと》授ける。
 さあ、この事が世に聞えて、ぱっと風説《うわさ》の立《たち》ますため、病人は心が引立《ひった》ち、気の狂ったのも安心して治りますが、免《のが》れられぬ因縁で、その令室《おくがた》の夫というが、旅行《たび》さきの海から帰って、その風聞を耳にしますと――これが世にも恐ろしい、嫉妬深い男でござんす。――
 その変化沙汰《へんげざた》のある間、そこに籠《こも》った、という旅の少年。……
 この明さんと、御自分の令室《おくがた》が、てっきり不義に極《きわま》った、と最早その時は言訳立たず。鶴谷の本宅から買い受けて、そしてこの空邸へ、その令室をとじ籠《こ》めましょう。
 貴僧《あなた》。
 その美しい令室《おくがた》が、人に羞《は》じ、世に恥じて、一室処《ひとまどころ》を閉切《とじき》って、自分を暗夜《やみ》に封じ籠めます。
 そして、日が経《た》つに従うて、見もせず聞きもせぬけれど、浮名《うきな》が立って濡衣《ぬれぎぬ》着た、その明さんが何となく、慕わしく、懐かしく、果《はて》は恋しく、憧憬《あこが》れる。切ない思い、激しい恋は、今、私の心、また明さんの、毬唄聞こうと狂うばかりの、その思《おもい》と同一《おなじ》事。
 一歳《ひととせ》か、二歳《ふたとせ》か、三歳《みとせ》の後か、明さんは、またも国々を廻《めぐ》り、廻って、唄は聞かずに、この里へ廻って来て、空家|懐《なつか》し、と思いましょう。
 そうなる時には、令室《おくがた》の、恋の染まった霊魂《たましい》が、五|色《しき》かがりの手毬となって、霞川に流れもしよう。明さんが、思いの丈を吐《つ》く息は、冷たき煙と立《たち》のぼって、中空の月も隠れましょう。二人の情《なさけ》の火が重《かさな》り、白き炎の花となって、襖《ふすま》障子《しょうじ》も燃えましょう。日、月でもなし、星でもなし、灯《ともしび》でもない明《あかり》に、やがて顔を合わせましょう。
 邸は世界の暗《やみ》だのに。……この十畳は暗いのに。……
 明さんの迷った目には、煤《すす》も香を吐く花かと映り、蜘蛛の巣は名香《めいこう》の薫《かおり》が靡《なび》く、と心時めき、この世の一切《すべて》を一室《ひとま》に縮めて、そして、海よりもなお広い、金銀珠玉の御殿とも、宮とも見えて、令室《おくがた》を一目見ると、唄の女神と思い祟《あが》めて、跪《ひざまず》き、伏拝む。
 長く冷たき黒髪は、玉の緒を揺《ゆ》る琴の糸の肩に懸《かか》って響くよう、互《たがい》の口へ出ぬ声は、膚《はだ》に波立つ血汐《ちしお》となって、聞こえぬ耳に調《しらべ》を通わす、幽《かすか》に触る手と手の指は、五ツと五ツと打合って、水晶の玉の擦れる音、戦《わなな》く裳《もすそ》と、震える膝《ひざ》は、漂う雲に乗る心地。
 ああこれこそ、我が母君……と縋《すが》り寄れば、乳房に重く、胸に軽《かろ》く、手に柔かく腕《かいな》に撓《たゆ》く、女は我を忘れて、抱く――
 我児《わがこ》危い、目盲《めし》いたか。罪に落つる谷底の孤家《ひとつや》の灯とも辿《たど》れよ。と実の母君の大空から、指さしたまう星の光は、電《いなずま》となって壁に閃《ひら》めき、分れよ、退《の》けよ、とおっしゃる声は、とどろに棟に鳴渡り、涙は降って雨となる、情《なさけ》の露は樹に灌《そそ》ぎ、石に灌ぎ、草さえ受けて、暁の旭《あさひ》の影には瑠璃《るり》、紺青《こんじょう》、紅《くれない》の雫《しずく》ともなるものを。
 罪の世の御二人には、ただ可恐《おそろ》しく、凄《すさま》じさに、かえって一層、ひしひしと身を寄せる。
 そのあわれさに堪えかねて、今ほども申しました、児《こ》を思うさえ恋となる、天上の規《のり》を越えて、掟《おきて》を破って、母君が、雲の上の高楼《たかどの》の、玉の欄干《らんかん》にさしかわす、桂《かつら》の枝を引寄せて、それに縋《すが》って御殿の外へ。
 空に浮《うか》んだおからだが、下界から見る月の中から、この世へ下りる間には、雲が倒《さかさま》に百千万千、一億万丈の滝となって、ただどうどうと底知れぬ下界の霄《そら》へ落ちている。あの、その上を、ただ一条《ひとすじ》、霞のような御裳《おすそ》でも、撓《たわわ》に揺れる一枝《ひとえだ》の桂をたよりになさる危《あぶな》さ。
 おともだちの上※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26]《じょうろう》たちが、ふと一人見着けると、にわかに天楽の音《ね》を留《とど》めて、はらはらと立《たち》かかって、上へ桂を繰り上げる。引留められて、御姿が、またもとの、月の前へ、薄色のお召物で、笄《こうがい》がキラキラと、星に映って見えましょう。
 座敷で暗《やみ》から不意にそれを。明さんは、手を取合ったは仇《あだ》し婦《おんな》、と気が着くと、襖《ふすま》も壁も、大紅蓮《だいぐれん》。跪居《ついい》る畳は針の筵《むしろ》。袖には蛇《くちなわ》、膝には蜥蜴《とかげ》、目《ま》の前《あたり》見る地獄の状《さま》に、五体はたちまち氷となって、慄然《ぞっ》として身を退《ひ》きましょう。が、もうその時は婦人《おんな》の一念、大|鉄槌《てっつい》で砕かれても、引寄せた手を離しましょうか。
 胸の思《おもい》は火となって、上手が書いた金銀ぢらしの錦絵《にしきえ》を、炎に翳《かざ》して見るような、面《おもて》も赫《かっ》と、胡粉《ごふん》に注いだ臙脂《えんじ》の目許《めもと》に、紅《くれない》の涙を落すを見れば、またこの恋も棄てられず。恐怖《おそれ》と、恥羞《はじ》に震う身は、人膚《ひとはだ》の温《あたた》かさ、唇の燃ゆるさえ、清く涼しい月の前の母君の有様に、懐《なつか》しさが劣らずなって、振切りもせず、また猶予《ためら》う。
 思余って天上で、せめてこの声きこえよと、下界の唄をお唄いの、母君の心を推量《おしはか》って、多勢の上※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26]たちも、妙なる声をお合せある――唄はその時聞えましょう。明さんが望《のぞみ》の唄は、その自然の感応で、胸へ響いて、聞えましょう。」
 と、神々しいまで面《おもて》正しく。……
 僧は合掌して聞くのであった。
 そして、その人、その時、はた明を待つまでもない、この美人《たおやめ》の手、一たび我に触れなば、立処《たちどころ》にその唄を聞き得るであろうと思った。

       四十五

 美人《たおやめ》は更《あらた》めて、
「貴僧《あなた》、この事を、ただ貴僧の胸ばかりに、よくお留め遊ばして、おっしゃってはなりません。これは露ほども明かさずに、今の処、明さんを、よしなに慰めて上げて下さいまし。
 日頃のお苦《くるし》みに疲れてか、まあ、すやすやとよく寝て、」
 と、するすると寄った、姿が崩れて、ハタと両手を畳につくと、麻の薫《かおり》がはっとして、肩に萌黄《もえぎ》の姿つめたく、薄紅《うすくれない》が布目を透いて、
「明《あき》ちゃん……」
 と崩るるごとく、片頬《かたほ》を横に接《つ》けんとしたが、屹《きっ》と立退《たちの》いて、袖を合せた。
 僧を見る目に涙が宿って、
「それではお暇《いとま》いたしましょう。稚《おさな》い事を、貴僧《あなた》にはお恥かしいが、明さんに一式のお愛相《あいそ》に、手毬をついて見せましょう、あの……」
 と掛けた声の下。雪洞《ぼんぼり》の真中《まんなか》を、蝶々のように衝《つ》と抜けて、切禿《きりかむろ》で兎《うさぎ》の顔した、女《め》の童《わらわ》が、袖に載《の》せて捧げて来た。手毬を取って、美女《たおやめ》は、掌《たなそこ》の白きが中に、魔界はしかりや、紅梅の大いなる莟《つぼみ》と掻撫《かいな》でながら、袂《たもと》のさきを白歯《しらは》で含むと、ふりが、はらりと襷《たすき》にかかる。
 ※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26]《ろう》たけた笑《えみ》、恍惚《うっとり》して、
「まあ、私ばかり極《きまり》が悪い、皆さんも来ておつきでないか。」
 蚊帳をはらはら取巻いたは、桔梗《ききょう》刈萱《かるかや》、美《うつく》しや、萩《はぎ》女郎花《おみなえし》、優しや、鈴虫、松虫の――声々に、
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(向うの小沢《おざわ》に蛇《じゃ》が立って、
 八幡《はちまん》長者のおと女《むすめ》、
 よくも立ったり、企《たく》んだり、
 手には二本の珠を持ち、
 足には黄金《こがね》のくつを穿《は》き……)
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 壁も襖《ふすま》も、もみじした、座敷はさながら手毬の錦――落ちた木《こ》の葉も、ぱらぱらと、行燈《あんどう》を繞《めぐ》って操る紅《くれない》。中を縢《かが》って雪の散るのは、幾つとも知れぬ女の手と手。その手先が、心なしにちょいちょい触ると、僧の手首が自然《おのずから》はたはたと躍上《おどりあが》った。
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(京へのぼせて狂言させて、
 寺へのぼせて[#「のぼせて」は底本では「のぼせた」]手習《てならい》させて、
 寺の和尚が道楽和尚で、
 高い縁から突落されて、)
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 と衝《つ》と投げ上げて、トンと落して、高くついた。
 待てよ。古郷《ふるさと》の涅槃会《ねはんえ》には、膚《はだ》に抱き、袂《たもと》に捧げて、町方の娘たち、一人が三ツ二ツ手毬を携え、同じように着飾って、山寺へ来て突競《つきくら》を戯れる習慣《ならい》がある。少《わか》い男は憚《はばか》って、鐘撞《かねつき》堂から覗《のぞ》きつつその遊戯《あそび》に見愡《みと》れたが……巨刹《おおでら》の黄昏《たそがれ》に、大勢の娘の姿が、遥《はるか》に壁に掛《かか》った、極彩色の涅槃《ねはん》の絵と、同一状《おなじさま》に、一幅の中へ縮まった景色の時、本堂の背後《うしろ》、位牌堂《いはいどう》の暗い畳廊下から、一人水際立った妖艶《うつくし》いのが、突きはせず、手鞠を袖に抱いたまま、すらすらと出て、卵塔場を隔てた几帳窓《きちょうまど》の前を通る、と見ると、もう誰の蔭になったか人数《ひとかず》に紛れてしまった。それだ、この人は、いや、その時と寸分違わぬ――
 と僧は心に――大方明も鐘撞堂から、この状《さま》を、今|視《なが》めている夢であろう。何かの拍子に、その鐘が鳴ると目が覚めよう、と思う内……
 身動《みじろ》ぎに、この美女《たおやめ》の鬢《びん》の後《おく》れ毛、さらさらと頬に掛《かか》ると、その影やらん薄曇りに、目《ま》ぶちのあたりに寂しくなりぬ。
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(笄《こうがい》落し小枕《こまくら》落し……)
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 と綾《あや》に取る、と根が揺らいで、さっと黒髪が肩に乱るる。
 みだれし風采《とりなり》恥かしや、早これまでと思うらん。落した手毬を、女《め》の童《わらわ》の、拾って抱くのも顧みず、よろよろと立《たち》かかった、蚊帳に姿を引寄せられ、褄《つま》のこぼれた立姿。
 屋の棟|熟《じっ》と打仰いで、
「あれ、あれ、雲が乱るる。――花の中に、母君の胸が揺《ゆら》ぐ。おお、最惜《いとお》しの御子《おこ》に、乳飲まそうと思召すか。それとも、私が挙動《ふるまい》に、心騒ぎのせらるるか。客僧方《あなたがた》には見えまいが、地《じ》の底に棲《す》むものは、昼も星の光を仰ぐ。御姿かたちは、よく見えても、かしこは天宮、ここは地獄、言《ことば》といっては交わされない。
 美しき夢見るお方、」
 あれ、かしこに母君|在《まし》ますぞや。愛惜《あいじゃく》の一念のみは、魔界の塵《ちり》にも曇りはせねば、我が袖、鏡と御覧ぜよ。今、この瞳に宿れる雫《しずく》は、母君の御情《おんなさけ》の露を取次ぎ参らする、乳《ち》の滴《したたり》ぞ、と袂《たもと》を傾け、差寄せて、差俯《さしうつむ》き、はらはらと落涙して、
「まあ、稚児《おさなご》の昔にかえって、乳を求めて、……あれ、目を覚す……」
 さらば、さらば、御僧《おんそう》。この人夢の覚めぬ間に、と片手をついて、わかれの会釈。
 ト玄関から、庭前《にわさき》かけて、わやわやざわざわ、物音、人声。
 目を擦《こす》り、目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》り、目を拭《ぬぐ》いいる客僧に立別れて、やがて静々《しずしず》――狗《いぬ》の顔した腰元が、ばたばたと前《さき》へ立ち、炎燃ゆ、と緋《ひ》のちらめく袖口で音なく開けた――雨戸に鏤《ちりば》む星の首途《かどいで》。十四日の月の有明に、片頬を見せた風采《とりなり》は、薄雲の下に朝顔の莟《つぼみ》の解けた風情して、うしろ髪、打揺《うちゆら》ぎ、一たび蚊帳を振返る。
「やあ、」
 と、蚊帳を払って、明が飜然《ひらり》と飛んで縋《すが》った。――
 袂を支える旅僧と、押揉《おしも》む二人の目の前《さき》へ、この時ずか、と顕《あら》われた偉人の姿、靄《もや》の中なる林のごとく、黄なる帷子《かたびら》、幕を蔽《おお》うて、廂《ひさし》へかけて仁王立《におうだち》、大音に、
「通るぞう。」
 と一喝した。
「はっ、」
 と云うと、奇異なのは、宵に宰八が一杯――汲《く》んで来て、――縁の端近《はしぢか》に置いた手桶《ておけ》が、ひょい、と倒斛斗《さかとんぼ》に引《ひっ》くりかえると、ざぶりと水を溢《こぼ》しながら、アノ手でつかつかと歩行《ある》き出した。
 その後を水が走って、早や東雲《しののめ》の雲白く、煙のような潦《にわたずみ》、庭の草を流るる中に、月が沈んで舟となり、舳《へさき》を颯《さっ》と乗上げて、白粉《おしろい》の花越しに、すらすらと漕《こ》いで通る。大魔の袖や帆となりけん、美女《たおやめ》は船の几帳《きちょう》にかくれて、
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(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ、
 天神様の細道じゃ、
       細道じゃ、
 少し通して下さんせ……)
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 最切《いとせ》めて懐《なつか》しく聞ゆ、とすれば、樹立《こだち》の茂《しげり》に哄《どっ》と風、木の葉、緑の瀬を早み……横雲が、あの、横雲が。
[#地から1字上げ]明治四十一(一九〇八)年一月



底本:「泉鏡花集成5」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 巻十一」岩波書店
   1941(昭和16)年8月15日第1刷発行
※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※「それとも鼠だが」の「だが」は、底本の親本でもママですが、岩波文庫版では「だか」となっています。
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2003年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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