青空文庫アーカイブ

天鵞絨
石川啄木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)理髮師《とこや》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毎晩|點火《とも》る

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)やう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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      一

 理髮師《とこや》の源助さんが四年振で來たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた樣に、口から口に傳へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。
 村といつても狹いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺《もつ》れて逶※[#「しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52]《うねうね》と北に走つた、坦々たる其一等道路(と村人が呼ぶ)の、五六町並木の松が斷絶《とだ》えて、兩側から傾き合つた茅葺勝の家並の數が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央《なか》程に向合つてゐて、役場の隣が作右衞門店、萬荒物から酢醤油石油莨、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛もある。箸で斷《ちぎ》れぬ程堅い豆腐も賣る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてるけれども、毎晩|點火《とも》る譯ではない。
 お定がまだ少《わか》かつた頃は、此村に理髮店といふものが無かつた。村の人達が其頃、頭の始末を奈何《どう》してゐたものか、今になつて考へると、隨分不便な思をしたものであらう。それが、九歳か十歳の時、大地主の白井樣が盛岡から理髮師《とこや》を一人お呼びなさるといふ噂が恰も今度源助さんが四年振で來たといふ噂の如く、異樣な驚愕《おどろき》を以て村中に傳つた。間もなく、とある空地に梨箱の樣な小さい家が一軒建てられて、其家が漸々《やう/\》壁塗を濟ませた許りの處へ、三十恰好の、背の低い、色の黒い理髮師が遣つて來た。頗るの淡白者《きさくもの》で、上方辯の滑《なめら》かな、話巧者の、何日《いつ》見てもお愛想が好いところから、間もなく村中の人の氣に入つて了つた。それが即ち源助さんであつた。
 源助さんには、お内儀《かみ》さんもあれば息子《むすこ》もあるといふ事であつたが、來たのは自分一人。愈々開業となつてからは、其店《そこ》の大きい姿見が、村中の子供等の好奇心を刺戟したもので、お定もよく同年輩の遊び仲間と一緒に行つて、見た事もない白い瀬戸の把手《ハンドル》を上に捻《ひね》り下に捻り、辛《やつ》と少許《すこし》入口の扉を開けては、種々な道具の整然と列べられた室の中を覗いたものだ。少し開けた扉が、誰の力ともなく、何時《いつ》の間にか身體の通るだけ開くと、田舍の子供といふものは因循なもので、盜みでもする樣に怖《おつか》な怯《びつく》り、二寸三寸と物も言はず中に入つて行つて、交代《かはりがはり》に其姿見を覗く。訝《をかし》な事には、少し離れて寫すと、顏が長くなつたり、扁《ひらた》くなつたり、目も鼻も歪《ゆが》んで見えるのであつたが、お定は幼《おさな》心に、これは鏡が餘り大き過ぎるからだと考へてゐたものだ。
 月に三度の一の日を除いては、(此日には源助さんが白井樣へ上つて、お家中の人の髮を刈つたり顔を剃つたりするので、)大抵村の人が三人四人、源助さんの許《とこ》で莨を喫《ふか》しながら世間話をしてゐぬ事はなかつた。一年程|經《た》つてから、白井樣の番頭を勤めてゐた人の息子で、薄野呂なところからノロ勘と綽名《あだな》された、十六の勘之助といふのが、源助さんに弟子入をした。それからといふものは、今迄近づき兼ねてゐた子供等まで、理髮店の店を遊場にして、暇な時にはよく太閤記や、義經や蒸汽船や加藤清正の譚を聞かして貰つたものだ。源助さんが居ない時には、ノロ勘が錢函から銅貨を盜み出して、子供等に餡麺麭を振舞ふ事もあつた。振舞ふといつても、其實半分以上はノロ勘自身の口に入るので。
 源助さんは村中での面白い人として、衆人《みんな》に調法がられたものである。春秋《はるあき》の彼岸《ひがん》にはお寺よりも此人の家の方が、餅を澤山貰ふといふ事で、其代り又、何處の婚禮にも葬式にも、此人の招《よ》ばれて行かぬ事はなかつた。源助さんは、啻《たゞ》に話巧者で愛想が好い許りでなく、葬式に行けば青や赤や金の紙で花を拵へて呉れるし、婚禮の時は村の人の誰も知らぬ「高砂」の謠をやる、加之《のみならず》何事にも器用な人で、割烹の心得もあれば、植木|弄《いじ》りも好き、義太夫と接木が巧者で、或時は白井樣の子供衆のために大奉八枚張の大|紙鳶《だこ》を拵《こしら》へた事もあつた。其處此處の夫婦喧嘩や親子喧嘩に仲裁を怠らなかつたは無論の事。
 左《さ》う右《か》うしてるうちに、お定は小学校も尋常科だけ卒へて、子守をしてる間に赤い袖口が好になり、髮の油に汚れた手拭を獨自《ひとりで》に洗つて冠《かぶ》る樣になつた。土《つち》土用が過ぎて、肥料《こやし》つけの馬の手綱を執る樣になると、もう自づと男羞しい少女心が萠して來て、盆の踊に夜を明すのが何より樂しい。隨つて、ノロ勘の朋輩の若衆が、無駄口を戰はしてゐる理髮師の店にも、おのづと見舞ふ事が稀になつたが、其頃の事、源助さんの息子さんだといふ親に似ぬ色白の、背のすらりとした若い男が、三月許りも來てゐた事があつた。
 お定が十五(?)の年、も少しで盆が來るといふ暑氣盛りの、踊に着る浴衣やら何やらの心構へで、娘共にとつては一時も氣の落着く暇がない頃であつた。源助さんは、郷里(と言つても、唯上方と許りしか知らなかつたが、)にゐる父親が死んだとかで、俄かに荷造をして、それでも暇乞だけは家毎にして、家毎から御餞別を貰つて、飼馴《かひなら》した籠の鳥でも逃げるかの樣に村中から惜まれて、自分でも甚《ひど》く殘惜《のこりを》しさうにして、二三日の中にフイと立つて了つた。立つ時は、お定も人々と共に、一里許りのステーションまで見送つたのであつたが、其歸途、とある路傍の田に、稻の穗が五六本出初めてゐたのを見て、せめて初米の餅でも搗くまで居れば可いのにと、誰やらが呟《つぶや》いた事を、今でも夢の樣に記憶《おぼ》えて居る。 
 何しろ極く狹い田舍なので、それに足下から鳥が飛立つ樣な別れ方であつたから、源助一人の立つた後は、祭禮の翌日か、男許りの田植の樣で、何としても物足らぬ。閑人の誰彼は、所在無げな顏をして呆然と門口に立つゐた。一月許りは、寄ると障ると行つた人の話で、立つ時は白井樣で二十圓呉れたさうだし、村中からの御餞別を合せると、五十圓位集つたらうと、羨ましさうに計算する者もあつた。それ許りぢやない、源助さんは此五六年に、百八十兩もおツ貯《た》めたげなと、知つたか振をする爺もあつた。が、此源助が、白井樣の分家の、四六時中《しよつちう》リユウマチで寢てゐる奧樣に、或る特別の慇懃《いんぎん》[#ルビの「いんぎん」は底本では「いんじん」]を通じて居た事は、誰一人知る者がなかつた。
 二十日《はつか》許りも過ぎてからだつたらうか、源助の禮状の葉書が、三十枚も一度に此村に舞込んだ。それが又、それ相應に一々文句が違つてると云ふので、人々は今更の樣に事々しく、渠の萬事に才が※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]つて、器用であつた事を語り合つた。其後も、月に一度、三月に二度と、一年半程の間は、誰へとも限らず、源助の音信があつたものだ。
 理髮店《とこや》の店は、其頃兎や角一人前になつたノロ勘が讓られたので、唯一軒しか無い僥倖《しあはせ》には、其間が抜けた無駄口に華客《おきやく》を減らす事もなく、かの凸凹の大きな姿見が、今猶人の顏を長く見せたり、扁《ひらた》く見せたりしてゐる。
 其源助さんが四年振で、突然|遣《や》つて來たといふのだから、もう殆ど忘れて了つてゐた村の人達が、男といはず女といはず、腰の曲つた老人や子供等まで、異樣に驚いて目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つたのも無理はない。

      二

 それは盆が過ぎて二十日と經《た》たぬ頃の事であつた。午中《ひるなか》三時間許りの間は、夏の最中にも劣らぬ暑氣で、澄みきつた空からは習《そよ》との風も吹いて來ず、素足の娘共は、日に燒けた礫の熱いのを避けて、軒下の土の濕りを歩くのであるが、裏畑の梨の樹の下に落ちて死ぬ蝉の數と共に、秋の香が段々深くなつて行く。日出前の水汲に素袷の襟元寒く、夜は村を埋めて了ふ程の蟲の聲。田といふ田には稻の穗が、琥珀《こはく》色に寄せつ返しつ波打つてゐたが、然し、今年は例年よりも作が遙《ずつ》と劣つてゐると人々が呟《こぼ》しあつてゐた。
 春から、夏から、待ちに待つた陰暦の盂蘭盆《うらぼん》が來ると、村は若い男と若い女の村になる。三晩續けて徹夜《よどほし》に踊つても、猶踊り足らなくて、雨でも降れば格別、大抵二十日盆が過ぎるまでは、太鼓の音に村中の老人達が寢つかれぬと口説《くど》く。それが濟めば、苟くも病人不具者でない限り、男といふ男は一同|泊掛《とまりがけ》で東嶽に萩刈に行くので、娘共の心が譯もなくがつかりして、一年中の無聊を感ずるのは此時である。それも例年ならば、收穫後の嫁取婿取の噂に、嫉妬交りの話の種は盡きぬのであるけれども、今年の樣に作が惡くては、田畑が生命の百姓村の悲さに、これぞと氣の立つ話もない。其處へ源助さんが來た。
 突然四年振で來たといふ噂に驚いた人達は、更に其源助さんの服裝の立派なのに二度驚かされて了つた。萬《よろづ》の知識の單純な人達には何色とも呼びかねる、茶がかつた灰色の中折帽は、此村では村長樣とお醫者樣と、白井の若旦那の外冠る人がない。繪甲斐絹の裏をつけた羽織も、袷も、縞ではあるが絹布物《やはらかもの》で、角帶も立派、時計も立派、中にもお定の目を聳たしめたのは、づしりと重い總革の旅行鞄であつた。
 宿にしたのは、以前一番懇意にした大工の兼さんの家であつたが、其夜は誰彼の區別なく其家を見舞つたので、奧の六疊間に三分心の洋燈《ランプ》は暗かつたが、入交《いりかは》り立交りるす人の數は少くなく、潮の樣な蟲の音も聞えぬ程、賑かな話聲が、十一時過ぐるまでも戸外に洩れた。娘共は流石に、中には入りかねて、三四人店先に腰掛けてゐたが、其家の總領娘のお八重といふのが、座敷から時々出て來て、源助さんの話を低聲《こごゑ》に取次した。
 源助さんは、もう四十位になつてゐるし、それに服裝の立派なのが一際品格を上げて、擧動《ものごし》から話振から、昔より遙かに容體づいてゐた。隨つて、其昔「お前《めえ》」とか「其方《そご》」とか呼び慣してゐた村の人達も、期せずして皆「お前樣《めえさま》」と呼んだ。其夜の話では、源助は今度函館にゐる伯父が死んだのへ行つて來たので、汽車の歸途《かへり》の路すがら、奈何《どう》しても通抜《とほりぬけ》が出來なかつたから、突然ではあつたが、なつかしい此村を訪問したと云ふ事、今では東京に理髮店を開いてゐて、熟練な職人を四人も使つてるが、それでも手が足りぬ程忙がしいといふ事であつた。
 此話が又、響を打つて直ぐに村中に傳はつた。
 理髮師といへば、餘り上等な職業でない事は村の人達も知つてゐる。然し東京の[#「東京の」に傍点]理髮師と云へば、怎《どう》やら少し意味が別なので、銀座通の寫眞でも見た事のある人は、早速源助さんの家の立派な事を想像した。
 翌日は、各々《めい/\》自分の家に訪ねて來るものと思つて、氣早の老人などは、花茣蓙《はなござ》を押入から出して爐邊に布いて、澁茶を一掴み隣家から貰つて來た。が、源助さんは其日朝から白井樣へ上つて、夕方まで出て來なかつた。
 其晩から、かの立派な鞄から出した、手拭やら半襟やらを持つて、源助さんは殆ど家毎に訪ねて歩いた。
 お定の家へ來たのは、三日目の晩で、晝には野良に出て皆留守だらうと思つたから、態々後※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]しにして夜に訪ねたとの事であつた。そして、二時間許りも麥煎餅を噛りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、淺草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車、宮樣のお葬式、話は皆想像もつかぬ事許りなので、聞く人は唯もう目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて、夜も晝もなく渦卷く火炎に包まれた樣な、凄じい程な華やかさを漠然と頭腦《あたま》に描いて見るに過ぎなかつたが、淺草の觀音樣に鳩がゐると聞いた時、お定は其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》所にも鳥なぞがゐるか知らと、異樣に感じた。そして、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》所から此人はまあ、怎《どう》して此處まで來たのだらうと、源助さんの得意氣な顏を打|瞶《まも》つたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸見附り惡いけれど、女なら幾何《いくら》でも口がある。女中奉公しても月に賄附で四圓貰へるから、お定さんも一二年行つて見ないかと言つたが、お定は唯俯いて微笑《ほゝゑ》んだのみであつた。怎《どう》して私などが東京へ行かれよう、と胸の中で呟《つぶ》やいたのである。そして、今日隣家の松太郎といふ若者が、源助さんと一緒に東京に行きたいと言つた事を思出して、男ならばだけれども、と考へてゐた。

      三

 翌日は、例の樣に水を汲んで來てから、朝草刈に行かうとしてると、秋の雨がしと/\降り出して來た。厩《うまや》には未だ二日分許り秣《まぐさ》があつたので、隣家の松太郎の姉に誘はれたけれども、父爺《おやぢ》が行かなくても可《い》いと言つた。仕樣事なさに、一日門口へ立つて見たり、中へ入つて見たりしてゐたが、蛇の目傘をさした源助さんの姿が、時々彼方此方《あちこち》に見えた。禿頭の忠太爺と共に、お定の家の前を通つた事もあつた。其時、お定は何故といふ事もなく家の中へ隱れた。
 一日降つた肅《しめ》やかな雨が、夕方近くなつて霽《あが》つた。と穢《きたな》らしい子供等が家々から出て來て、馬糞交りの泥濘を、素足で捏《こ》ね返して、學校で習つた唱歌やら流行歌やらを歌ひ乍ら、他愛もなく騷いでゐる。
 お定は呆然《ぼんやり》と門口に立つて、見るともなく其を見てゐると、大工の家のお八重の小さな妹が驅けて來て、一寸來て呉れといふ姉の傳言《ことづて》を傳へた。
 また曩日《いつか》の樣に、今夜何處かに酒宴《さかもり》でもあるのかと考へて、お定は愼《つつま》しやかに水潦《みづたまり》を避けながら、大工の家へ行つた。お八重は欣々《いそ/\》と迎へたが、何か四邊《あたり》を憚《はゞか》る樣子で、密《そつ》と裏口へ伴《つ》れて出た。
『何處さ行《え》げや?』と大工の妻は爐邊《ろばた》から聲をかけたが、お八重は後も振向かずに、
『裏さ。』と答へた儘。戸を開けると、※[#「鷄」の「鳥」に代えて「ふるとり」、第3水準1-93-66]が三羽、こツこツといひながら入つた。
 二人は、裏畑の中の材木小屋に入つて、積み重ねた角材に凭《もた》れ乍ら、雨に濕《しめ》つた新しい木の香を嗅いで、小一時間許りも密々《ひそ/\》語つてゐた。
 お八重の話は、お定にとつて少しも思設《おもひもう》けぬ事であつた。
『お定さん。お前も聞いたべす、源助さんから昨晩《ゆべな》、東京の話を。』
『聞いたす。』と穩かに言つて、お八重の顏を打瞶《うちまも》つたが、何故か「東京」の語一つだけで、胸が遽かに動悸がして來る樣な氣がした。
 稍あつて、お八重は、源助さんと一緒に東京に行かぬかと言ひ出した。お定にとつては、無論|思設《おもひもう》けぬ相談ではあつたが、然し、盆|過《すぎ》のがつかりした心に源助を見た娘には、必ずしも全然縁のない話でもない。切《しき》りなしに騷ぎ出す胸に、兩手を重ねながら、お定は大きい目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて、言葉少なにお八重の言ふ所を聞いた。
 お八重は、もう自分一人は確然《ちやん》と決心してる樣な口吻《くちぶり》で、聲は低いが、眼が若々しくも輝く。親に言へば無論容易に許さるべき事でないから、默つて行くと言ふ事で、請賣《うけうり》の東京の話を長々とした後、怎《どう》せ生れたからには恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》田舍に許り居た所で詰らぬから、一度東京も見ようぢやないか。「若い時ア二度無い」といふ流行唄《はやりうた》の文句まで引いて、熱心にお定の決心を促すのであつた。
 で、其方法も別に面倒な事は無い。立つ前に密《こつそ》り衣服《きもの》などを取纒めて、幸ひ此村《こゝ》から盛岡の停車場に行つて驛夫をしてる千太郎といふ人があるから、馬車追の權作老爺に頼んで、豫じめ其千太郎の宅まで屆けて置く。そして、源助さんの立つ前日に、一晩泊で盛岡に行つて來ると言つて出て行つて、源助さんと盛岡から一緒に乘つて行く。汽車賃は三圓五十錢許りなさうだが、自分は郵便局へ十八圓許りも貯金してるから、それを引出せば何も心配がない。若し都合が惡いなら、お定の汽車賃も出すと言ふ。然しお定も、二三年前から田の畔《くろ》に植ゑる豆を自分の私得《ほまち》に貰つてるので、それを賣つたのやら何やらで、矢張九圓近くも貯めてゐた。
 東京に行けば、言ふまでもなく女中奉公をする考へなので、それが奈何《どんな》に辛くとも野良稼ぎに比べたら、朝飯前の事ぢやないかとお八重が言つた。日本一の東京を見て、食はして貰つた上に月四圓。此村あたりの娘にはこれ程|好《うま》い話はない。二人は、白粉やら油やら元結やら、月々の入費を勘定して見たが、それは奈何に諸式の高い所にしても、月に一圓とは要《かゝ》らなかつた。毎月三圓宛殘して年に三十六圓、三年辛抱すれば百圓の餘にもなる、歸りに半分だけ衣服や土産を買つて來ても、五十圓の正金が持つて歸られる。
『末藏が家でや、唯《たつた》四十圓で家屋敷白井樣に取上げられでねえすか。』とお八重が言つた。
『雖然《だども》なす、お八重さん、源助さん眞《ほんと》に伴《つ》れてつて呉《け》えべすか?』とお定は心配相に訊く。
『伴れて行くともす。今朝誰も居ねえ時聞いて見たば、伴れてつても可《え》えつて居《え》たもの。』
『雖然《だども》、あの人《しと》だつて、お前達の親達さ、申譯なくなるべす。』
『それでなす、先方《あつち》ア着いてから、一緒に行つた樣でなく、後から追驅けて來たで、當分東京さ置ぐからつて手紙寄越す筈にしたものす。』
『あの人《しと》だばさ、眞《ほんと》に世話して呉《け》える人《しと》にや人《しと》だども。』
 此時、懐手してぶらりと裏口から出て來た源助の姿が、小屋の入口から見えたので、お八重は手招ぎしてそれを呼び入れた。源助はニタリ相好を崩して笑ひ乍ら、入口に立ち塞《はだか》つたが、
『まだ、日が暮れねえのに情夫《をとこ》の話ぢや、天井の鼠が笑ひますぜ。』
 お八重は手を擧げて其高聲を制した。『あの源助さん、今朝の話ア眞實《ほんと》でごあんすよ。』
 源助は一寸眞面目な顏をしたが、また直ぐ笑ひを含んで、『※[#「口+云」、第3水準1-14-87]、好《よ》し/\、此老爺さんが引受けたら間違ツこはねえが、何だな、お定さんも謀叛《むほん》の一味に加つたな?』
『謀叛《むほん》だど、まあ!』とお定は目を大きくした。
『だがねお八重さん、お定さんもだ、まあ熟《よつ》く考へてみる事《こつ》たね。俺は奈何でも構はねえが、彼方へ行つてから後悔《あとくやみ》でもする樣ぢや、貴女方《あんたがた》自分の事《こつ》たからね。汽車の中で乳飮みたくなつたと言つて、泣出されでもしちや、大變な事になるから喃《なあ》。』
『誰《だれ》ア其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》に……。』とお八重は肩を聳かした。
『まあさ。然《さ》う直ぐ怒《おこ》らねえでも可いさ。』
と源助さんはまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》所にや一生歸つて來る氣になりませんぜ。』
 お八重は「歸つて來なくつても可い。」と思つた。お定は「歸つて來られぬ事があるものか。」と思つた。
 程なく四邊《あたり》がもう薄暗くなつて行くのに氣が附いて、二人は其處を出た。此時までお定は、まだ行くとも行かぬとも言はなかつたが、兎も角も明日|決然《きつかり》した返事をすると言つて置いて、も一人お末といふ娘にも勸めようと言ふお八重の言葉には、お末の家が寡人《ひとすくな》だから勸めぬ方が可いと言ひ、此話は二人|限《きり》の事にすると堅く約束して別れた。そして、表道を歩くのが怎《どう》やら氣が咎《とが》める樣で、裏路傳ひに家へ歸つた。明日返事をするとは言つたものゝ、お定はもう心の底では確然《ちやん》と行く事に決つてゐたので。
 家に歸ると、母は勝手に手ランプを點けて、夕餉の準備《したく》に急はしく立働いてゐた。お定は馬に乾秣《やた》を刻《き》つて鹽水に掻※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]《かきまは》して與《や》つて、一擔ぎ水を汲んで來てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に氣がそはそはしてゐて、麥八分の飯を二膳とは喰べなかつた。
 お定の家は村でも兎に角食ふに困らぬ程の農家で、借財と云つては一文もなく、多くはないが田も畑も自分の所有《もの》、馬も青と栗毛と二頭飼つてゐた。兩親はまだ四十前の働者、母は眞の好人物で、吾兒にさへも強い語一つ掛けぬといふ性、父は又父で、村には珍しく酒も左程|嗜《たしな》まず、定次郎の實直といへば白井樣でも大事の用には特に選り上げて使ふ位で、力自慢に若者を怒らせるだけが惡い癖だと、老人達が言つてゐた。祖父も祖母も四五年前に死んで、お定を頭に男兒二人、家族といつては其丈で、長男の定吉は、年こそまだ十七であるけれども、身體から働振から、もう立派に一人前の若者である。
 お定は今年十九であつた。七八年も前までは、十九にもなつて獨身でゐると、餘《あま》され者だと言つて人に笑はれたものであるが、此頃では此村でも十五六の嫁といふものは滅多になく、大抵は十八十九、隣家の松太郎の姉などは二十一になつて未だ何處にも縁づかずにゐる。お定は打見には一歳《ひとつ》も二歳《ふたつ》も若く見える方で、背恰好の※[#「女+亭」、第3水準1-15-85]乎《すらり》としたさまは、農家の娘に珍らしい位、丸顏に黒味勝の眼が大きく、鼻は高くないが笑窪《えくぼ》が深い。美しい顏立ではないけれど、愛嬌に富んで、色が白く、漆の樣な髮の生際の揃つた具合に、得も言へぬ艶《なまめ》かしさが見える。稚《ちひさ》い時から極く穩しい性質で、人に抗《さから》ふといふ事が一度もなく、口惜しい時には物蔭に隱れて泣くぐらゐなもの、年頃になつてからは、村で一番老人達の氣に入つてるのが此お定で、「お定ツ子は穩《おとな》しくて可《え》え喃《なう》。」と言はれる度、今も昔も顏を染めては、「俺《おら》知らねえす。」と人の後に隱れる。
 小學校での成績は、同じ級のお八重よりは遙《ずつ》と劣つてゐたさうだが、唯一つ得意なのは唱歌で、其爲に女教員からは一番可愛がられた。お八重は此反對に、今は他に縁づいた異腹《はらちがひ》の姉と一緒に育《そだ》つた所爲《せゐ》か、負嫌ひの、我の強い兒で、娘盛りになつてからは、手もつけられぬ阿婆摺《あばづ》れになつた。顏も亦評判娘のお澄といふのが一昨年赤痢で亡くなつてから、村で右に出る者がないので、目尻に少し險しい皺があるけれど、面長のキリヽとした輪廓が田舍に惜しい。此反對な二人の莫迦に親密《なかよし》なのは、他の娘共から常に怪まれてゐた位で、また半分は嫉妬氣味から、「那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《あんな》阿婆摺《あばづれ》と一緒にならねえ方が可《え》えす。」と、態々お定に忠告する者もあつた。
 お定が其夜枕についてから、一つには今日何にも働かなかつた爲か、怎《どう》しても眠れなくて、三時間許りも物思ひに耽つた。眞黒に煤《すゝ》けた板戸一枚の彼方から、安々と眠つた母の寢息を聞いては、此母、此家を捨てゝ、何として東京などへ行かれようと、すぐ涙が流れる。と、其涙の乾かぬうちに、東京へ行つたら源助さんに書いて貰つて、手紙だけは怠らず寄越す事にしようと考へる。すると、すぐ又三年後の事が頭に浮ぶ。立派な服裝をして、絹張の傘を持つて、金を五十圓も貯めて來たら、兩親だつて喜ばぬ筈がない。嗚呼其時になつたら、お八重さんは甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》に美しく見えるだらうと思ふと、其お八重の、今日目を輝かして熱心に語つた美しい顏が、怎《どう》やら嫉《ねた》ましくもなる。此夜のお定の胸に、最も深く刻まれてるのは、實に其お八重の顏であつた。怎《どう》してお八重一人だけ東京にやられよう!
 それからお定は、小學校に宿直してゐた藤田といふ若い教員の事を思出すと、何時《いつ》になく激しく情が動いて、私が之程思つてるのにと思ふと、熱《あつた》かい涙が又しても枕を濡らした。これはお定の片思ひなので、否、實際はまだ思ふといふ程思つてるでもなく、藤田が四月に轉任して來て以來、唯途で逢つて叩頭《おじぎ》するのが嬉しかつた位で、遂十日許り前、朝草刈の歸りに、背負うた千草の中に、桔梗や女郎花が交つてゐたのを、村端《むらはづれ》で散歩してゐた藤田に二三本呉れぬかと言はれた、その時初めて言葉を交《かは》したに過ぎぬ。その翌朝からは、毎朝咲殘りの秋の花を一束宛、別に手に持つて來るけれども、藤田に逢ふ機會がなかつた。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、今の身分ぢや兎ても先生のお細君《かみ》さんなどに成れぬから、矢張三年行つて來るのが第一だとも考へる。
 四晩に一度は屹度《きつと》忍《しの》んで寢に來る丑之助――兼大工の弟子で、男振りもよく、年こそまだ二十三だが、若者中で一番幅の利く――の事も、無論考へられた。恁《かゝ》る田舍の習慣で、若い男は、忍んで行く女の數の多いのを誇りにし、娘共も亦、口に出していふ事は無いけれ共、通つて來る男の多きを喜ぶ。さればお定は、丑之助がお八重を初め三人も四人も情婦を持つてる事は熟《よ》く知つてゐるので、或晩の如きは、男自身の口から其情婦共の名を言はして擽《くすぐ》つて遣《や》つた位。二人の間は別に思合つた譯でなく、末の約束など眞面目にした事も無いが、怎《どう》かして寢つかれぬ夜などは、今頃丑さんが女と寢てゐるかと、嫉《や》いて見た事のないでもない。私とお八重さんが居なくなつたら、丑さんは屹度お作の所に許りゆくだらうと考へると、何かしら妬《ねた》ましい樣な氣もした。
 胸に浮ぶ思の數々は、それからそれと果《はて》しも無い。お定は幾度か一人で泣き、幾度か一人で微笑《ほほゑ》んだ。そして、遂うと/\となりかゝつた時、勝手の方に寢てゐる末の弟が、何やら聲高に寢言を言つたので、はツと目が覺め、嗚呼あの弟は淋しがるだらうなと考へて、睡氣《ねむけ》交りに涙ぐんだが、少女心の他愛なさに、二人の弟が貰ふべき嫁を、誰彼となく心で選んでゐるうちに、何時しか眠つて了つた。

      四

 目を覺ますと、弟のお清書を横に逆まに貼つた、枕の上の煤けた櫺子《れんじ》が、僅かに水の如く仄めいてゐる。誰もまだ起きてゐない。遠近《をちこち》で二番鷄が勇ましく時をつくる。けたゝましい羽搏《はばた》きの音がする。
 お定はすぐ起きて、寢室《ねま》にしてゐる四疊半許りの板敷を出た。手探りに草履《ざうり》を突《つゝ》かけて、表裏の入口を開けると、厩では乾秣《やた》を欲《ほ》しがる馬の、破目板を蹴《け》る音がゴトゴトと鳴る。大桶を二つ擔《かつ》いで、お定は村端《むらはづれ》の樋の口といふ水汲場に行つた。
 例になく早いので、まだ誰も來てゐなかつた。漣《さゞなみ》一つ立たぬ水槽の底には、消えかゝる星を四つ五つ鏤《ちりば》めた黎明の空が深く沈んでゐた。清冽な秋の曉の氣が、いと冷かに襟元から總身に沁む。叢にはまだ夢の樣に蟲の音がしてゐる。
 お定は暫時《しばし》水を汲むでもなく、水鏡に寫つた我が顏を瞶《みつ》めながら、呆然《ぼんやり》と昨晩の《ゆうべ》の事を思出してゐた。東京といふ所は、ずつと/\遠い所になつて了つて、自分が怎《どう》して其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》所まで行く氣になつたらうと怪まれる。矢張自分は此村に生れたのだから、此村で一生暮らす方が本當だ。恁《か》うして毎朝水汲に來るのが何より樂しい。話の樣な繁華な所だつたら、屹度《きつと》恁《か》ういふ澄んだ美しい水などが見られぬだらうなどゝ考へた。と、後に人の足音がするので、振向くと、それはお八重であつた。矢張桶をぶらぶら擔いで來るが、寢くたれ髮のしどけなさ、起きた許りで脹《はれ》ぼつたくなつてゐる瞼《ひとみ》さへ、殊更艶かしく見える。あの人が行くのだもの、といふ考へが、呆然《ぼんやり》とした頭をハッと明るくした。
『お八重さん、早《はや》えなツす。』
『お前《めえ》こそ早えなツす。』と言つて、桶を地面《ぢべた》に下した。
『あゝ、まだ蟲ア啼いてる!』とお八重《やへ》は少し顏[#底本では「顏《ゆが》」]を歪《ゆが》めて、後れ毛を掻上げる。遠く近くで戸を開ける音が聞える。
『決《き》めたす、お八重さん。』
『決めたすか?』と言つたお八重の眼は、急に晴々しく輝いた。『若しもお前行かなかつたら、俺《おら》一人|奈何《どう》すべと思つてだつけす。』
『だつてお前|怎《どう》しても行くべえす?』
『お前も決《き》めたら、一緒に行くのす。』と言つて、お八重は輕く笑つたが、『そだつけ、大變だお定さん、急がねえばならねえす。』
『怎《どう》してす?』
『怎してつて、昨晩《ゆべな》聞いだら、源助さん明後日《あさつて》立つで、早く準備《したく》せツてゐだす。』
『明後日《あさつて》?』と、お定は目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。
『明後日!』と、お八重も目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。
 二人は暫し互ひの顏を打瞶つてゐたが、『でヤ、明日《あした》盛岡さ行がねばならねえな。』とお定が先づ我に歸つた。
『然《さ》うだす。そして今夜《こんにや》のうちに、衣服《きもの》だの何《なに》包んで、權作|老爺《おやぢ》さ頼まねばならねえす。』
『だらハア、今夜《こんにや》すか?』と、お定は又目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つた。
 左《さ》う右《か》うしてるうちに、一人二人と他の水汲が集つて來たので、二人はまだ何か密々《ひそ/\》と語り合つてゐたが、軈て滿々《なみ/\》と水を汲んで擔ぎ上げた。そして、すぐ二三軒先の權作が家へ行つて、
『老爺《おやぢ》ア起きたすか?』と、表から聲をかけた。
『何時まで寢てるべえせア。』と、中から胴間聲《どまごゑ》がする。
 二人は目を見合して、ニッコリ笑つたが、桶を下して入つて行つた。馬車|追《ひき》の老爺は丁度厩の前で乾秣《やた》を刻むところであつた。
『明日《あした》盛岡さ行ぐすか?』
『明日がえ? 行くどもせア。權作ア此|老年《とし》になるだが、馬車|曳《ふ》つぱらねえでヤ、腹減つて斃死《くたば》るだあよ。』
『だら、少許《すこし》持つてつて貰ひてえ物が有るがな。』
『何程《なんぼ》でも可えだ。明日ア歸《けえ》り荷《に》だで、行ぐ時《どき》ア空馬車|曳《ふ》つぱつて行ぐのだもの。』
『其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》に澤山《たんと》でも無えす。俺等《おら》も明日《あした》盛岡さ行ぐども、手さ持つてげば邪魔だです。』
『そんだら、ハア、お前達も馬車さ乘つてつたら可《え》がべせア。』
 二人は又目を見合して、二言三言|喋《しめ》し合つてゐたが、
『でア老爺《おやぢ》な、俺等《おら》も乘せでつて貰ふす。』
『然《さ》うして御座《ごぜ》え。唯、巣子《すご》の掛茶屋さ行つたら、盛切酒《もつきりざけ》一|杯《ぺえ》買ふだアぜ。』
『買ふともす。』と、お八重は晴やかに笑つた。
『お定ッ子も行《え》ぐのがえ?』
 お定は一寸|狼狽《うろた》へてお八重の顏を見た。お八重は又笑つて、『一人だば淋しだで、お定さんにも行つて貰ふべがと思つてす。』
『ハア、俺ア老人《としより》だで可えが、黒馬《あを》の奴ア怠屈《てえくつ》しねえで喜ぶでヤ。だら、明日《あした》ア早く來て御座《ごぜ》え。』

 此日は、二人にとつて此上もない忙がしい日であつた。お定は水汲から歸ると直ぐ朝草刈に平田野《へいたの》へ行つたが、莫迦に氣がそは/\して、朝露に濡れた利鎌《とがま》が、兎角休み勝になる。離れ/″\の松の樹が、山の端に登つた許りの朝日に、長い影を草の上に投げて、葉毎に珠を綴つた無數の露の美しさ。秋草の香が初簟《はつたけ》の香を交へて、深くも胸の底に沁みる。利鎌の動く毎に、サッサッと音して寢る草には、萎枯《すが》れた桔梗の花もあつた。お定は胸に往來する取留もなき思ひに、黒味勝の眼が曇つたり晴れたり、一背負だけ刈るに、例《いつも》より餘程長くかかつた。
 朝草を刈つて來てから、馬の手入を濟ませて、朝餉を了へたが、十坪許り刈り殘してある山手の畑へ、父と弟と三人で粟刈に行つた。それも午前には刈り了へて、弟と共に黒馬《あを》と栗毛の二頭で家の裏へ運んで了つた。
 母は裏の物置の側に荒蓆を布いて、日向ぼツこをしながら、打殘しの麻絲を砧《う》つてゐる。三時頃には父も田※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]りから歸つて來て、厩の前の乾秣《やた》場で、鼻唄ながらに鉈や鎌を研ぎ始めた。お定は唯もう氣がそは/\して、別に東京の事を思ふでもなく、明日の別れを悲むでもない、唯何といふ事なくそは/\してゐた。裁縫も手につかず、坐つても居られず、立つても居られぬ。
 大工の家へ裏傳ひにゆくと、恰度お八重一人ゐた所であつたが、もう風呂敷包が二つ出來上つて、押入れの隅に隱したあつた。其處へ源助が來て、明後日の夕方までに盛岡の、停車場前の、松本といふ宿屋に着くから、其處へ訪ねて一緒になるといふ事に話をきめた。
 それからお八重と二人家へ歸ると、父はもう鉈鎌を研ぎ上げたと見えて、薄暗い爐邊《ろばた》に一人踏込んで、莨を吹かしてゐる。
『父爺《おやぢ》や。』とお定は呼んだ。
『何しや?』
『明日《あした》盛岡さ行つても可えが?』
『お八重ツ子どがえ?』
『然《さ》うしや。』
『八幡樣のお祭禮《まつり》にや、まだ十日もあるべえどら。』
『八幡樣までにや、稻刈が始るべえな。』
『何しに行《え》ぐだあ?』
『お八重さんが千太郎さま宅《とこ》さ用あつて行くで、俺も伴《つ》れてぐ言ふでせア。』
『可《え》がべす、老爺《おやぢ》な。』とお八重も喙を容れた。
『小遣錢《こづけえ》あるがえ?』
『少許《すこし》だばあるども、呉《け》えらば呉《け》えで御座え。』
『まだお八重ツ子がら、御馳走《ごつちよう》になるべな。』
と言つて、定次郎は腹掛から五十錢銀貨一枚出して、上框《あがりがまち》に腰かけてゐるお定へ投げてよこした。
 お八重はチラとお定の顏を見て、首尾よしと許り笑つたが、お定は父の露疑はぬ樣を見て、温《おとな》しい娘だけに胸が迫つた。さしぐんで來る涙を見せまいと、ツイと立つて裏口へ行つた。

      五

 夕方、一寸でも他所《よそ》ながら暇乞に、學校の藤田を訪ねようと思つたが、其暇もなく、農家の常とて夕餉は日が暮れてから濟ましたが、お定は明日着て行く衣服《きもの》を疊み直して置くと云つて、手ランプを持つた儘、寢室にしてゐる四疊半許りの板敷に入つた。間もなくお八重が訪ねて來て、さり氣ない顏をして入つたが、
『明日着て行ぐ衣服《きもの》すか?』と、態《わざ》と大きい聲で言つた。
『然うす。明日着て行ぐで、疊み直してるす。』と、お定も態《わざ》と高く答えて、二人目を見合せて笑つた。
 お八重は、もう全然《すつかり》準備《したく》が出來たといふ事で、今其風呂敷包は三つとも持出して來たが、此家《こゝ》の入口の暗い土間に隱して置いて入つたと言ふ事であつた。で、お定も急がしく萠黄の大風呂敷を擴げて、手※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]りの物を集め出したが、衣服といつても唯《たつた》六七枚、帶も二筋、娘心には色々と不滿があつて、この袷は少し老《ふ》けてゐるとか、此袖口が餘り開き過ぎてゐるとか、密《ひそ》々話に小一時間もかゝつて、漸々《やう/\》準備《したく》が出來た。
 父も母もまだ爐邊《ろばた》に起きてるので、も少し待つてから持出さうと、お八重は言ひ出したが、お定は些《ち》と躊躇してから、立つと明《あかり》とりの煤けた櫺子《れんじ》に手をかけると、端の方三本許り、格子が何の事もなく取れた。それを見たお八重は、お定の肩を叩いて、
『この人《しと》アまあ、可え工夫してるごど。』と笑つた。お定も心持顏を赧くして笑つたが、風呂敷包は、難なく其處から戸外へ吊り下された。格子は元の通りに直された。
 二人はそれから權作老爺の許へ行つて、二人前の風呂敷包を預けたが、戸外の冷やかな夜風が、耳を聾する許りな蟲の聲を漂はせて、今夜限り此生れ故郷を逃げ出すべき二人の娘にいう許りない心《うら》悲しい感情を起させた。所々降つて來さうな秋の星、八日許りの片割月が浮雲の端に澄み切つて、村は家並の屋根が黒く、中央程《なかほど》の郵便局の軒燈のみ淋しく遠く光つてゐる。二人は、何といふ事もなく、もう濕聲《うるみごゑ》になつて、片々に語りながら、他所ながらも家々に別れを告げようと、五六町しかない村を、南から北へ、北から南へ、幾度となく手を取合つて吟行《さまよ》うた。路で逢ふ人には、何日《いつ》になく忸々《なれ/\》しく此方《こつち》から優しい聲を懸けた。作右衛門店にも寄つて、お八重は※[#「巾+分」、178-下−14]※[#「巾+税のつくり」、178-下−14]《はんけち》を二枚買つて、一枚はお定に呉れた。何處ともない笑聲、子供の泣く聲もする。とある居酒屋の入口からは、火光《あかり》が眩《まぶし》く洩れて、街路を横さまに白い線を引いてゐたが、蟲の音も憚からぬ醉うた濁聲《だみごゑ》が、時々けたゝましい其店の嬶の笑聲を伴つて、喧嘩でもあるかの樣に一町先までも聞える。二人は其騷々しい聲すらも、なつかしさうに立止つて聞いてゐた。
 それでも、二時間も歩いてるうちには、氣の紛れる話もあつて、お八重に別れてスタスタと家路に歸るお定の眼にはに、もう涙が滲んでゐず、胸の中では、東京に着いてから手紙を寄越すべき人をを彼是《あれこれ》と數へてゐた。此村《こゝ》から東京へ百四十五里、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》事は知らぬ。東京は仙臺といふ所より遠いか近いかそれも知らぬ。唯明日は東京にゆくのだと許り考へてゐる。
 枕に就くと、今日位身體も心も急がしかつた事がない樣な氣がして、それでも何となく物足らぬ樣な、心《うら》悲しい樣な、恍乎《ぼうつ》とした疲心地《つかれごゝち》で、すぐうと/\と眠つて了た。

 ふと目が覺めると、消すを忘れて眠つた枕邊《まくらもと》の手ランプの影に、何處から入つて來たか、蟋蟀《こほろぎ》が二匹、可憐な羽を顫はして啼いてゐる。遠くで若者が吹く笛の音のする所から見れば、まだ左程夜が更けてもゐぬらしい。
 と櫺子《れんじ》の外にコツコツと格子を叩く音がする。あ之で目が覺めたのだなと思つて、お定は直ぐ起上つて、密《こつそ》りと格子を脱《はづ》した。丑之助が身輕《みがる》に入つて了つた。
 手ランプを消して、一時間許り經《た》つと、丑之助がもう歸準備《かへりじたく》をするので、これも今夜|限《きり》だと思ふとお定は急に愛惜の情が喉に塞つて來て、熱い涙が瀧の如く溢れた。別に丑之助に未練を殘すでも何でもないが、唯もう悲さが一時に胸を充たしたので、お定は矢庭に兩手で力の限り男を抱擁《だきし》めた。男は暗の中にも、遂ぞ無い事なので吃驚《びつくり》して、目を圓くもしてゐたが、やがてお定は忍び音で歔欷《すゝりなき》し始めた。
 丑之助は何の事とも解りかねた。或は此お定ツ子が自分に惚れたのぢやないかとも思つたが、何しろ餘り突然なので、唯目を圓くするのみだつた。
『怎《どう》したけな?』と囁いてみたが返事がなくて一層|歔欷《すゝりな》く。と、平常《ふだん》から此女の温《おとな》しく優しかつたのが、俄かに可憐《いじらし》くなつて來て、丑之助は又、
『怎したけな、眞《ほんと》に?』と繰返した。『俺ア何が惡い事でもしたげえ?』
 お定は男の胸に密接《ぴつたり》と顏を推着《おしつ》けた儘で、強く頭を振つた。男はもう無性にお定が可憐《いぢらし》くなつて、
『だから怎《どう》したゞよ? 俺ア此頃少し急しくて四日許《ば》り來ねえでたのを、汝《うな》ア憤《おこ》つたのげえ?』
『嘘《うそ》だ!』とお定は囁く。
『嘘でねえでヤ。俺ア眞實《ほんと》に、汝《うな》アせえ承知して呉《け》えれば、夫婦《いつしよ》になりてえど思つてるのに。』
『嘘だ!』とお定はまた繰返して、一層強く男の胸に顏を埋めた。
 暫しは女の歔欷《すゝりな》く聲のみ聞えてゐたが、丑之助は、其漸く間斷々々《とぎれ/\》になるのを待つて、
『汝《うな》ア頬片《ほつぺた》、何時來ても天鵞絨《びろうど》みてえだな。十四五の娘子《めらしこ》と寢る樣だ。』と言つた。これは此若者が、殆んど來る毎にお定に言つてゆく讃辭《ことば》なので。
『十四五の娘子供《めらしやど》ども寢でるだべせア。』とお定は鼻をつまらせ乍ら言つた。男は、女の機嫌の稍直つたのを見て、
『嘘だあでヤ。俺ア、酒でも飮んだ時ア他《ほか》の女子さも行《え》ぐども、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》に浮氣ばしてねえでヤ。』
 お定は胸の中で、此丑之助にだけは東京行の話をしても可からうと思つて見たが、それではお八重に濟まぬ。といつて、此儘何も言はずに別れるのも殘惜しい。さて怎《どう》したものだらうと頻りに先刻《さつき》から考へてゐるのだが、これぞといふ決斷もつかぬ。
『丑さん。』稍あつてから囁いた。
『何しや?』
『俺ア明日《あした》……』
『明日? 明日の晩も來るせえ。』
『そでねえだ。』
『だら何しや?』
『明日《あした》俺《おれ》ア、盛岡さ行つて來るす。』
『何しにせヤ?』
『お八重さんが千太郎さん許《とこ》さ行くで、一緒に行つて來るす。』
『然《さ》うが、八重ツ子ア今夜《こんにや》、何とも言はながつけえな。』
『だらお前、今夜《こんにや》もお八重さんさ行つて來たな?』
『然うだねえでヤ。』と言つたが、男は少し狼狽《うろた》へた。
『だら何時《いづ》逢つたす?』
『何時ツて、八時頃にせ。ホラ、あのお芳ツ子の許《とこ》の店でせえ。』
『嘘だす、此人《このしと》ア。』
『怎《どう》してせえ?』と益々|狼狽《うろた》へる。
『怎しても恁《か》うしても、今夜《こんにや》日《ひ》ヤ暮れツとがら、俺アお八重さんと許《ば》り歩いてだもの。』
『だつて。』と言つて、男はクスクス笑ひ出した。
『ホレ見らせえ!』と女は稍聲高く言つたが、別に怒つたでもない。
『明日《あした》汽車で行くだか?』
『權作|老爺《おやぢ》の荷馬車で行くで。』
『だら、朝早かべせえ。』と言つたが、『小遣錢《こづげえ》呉《け》えべがな? ドラ、手ランプ點《つ》けろでヤ。』
 お定が默つてゐたので、丑之助は自分で手探りに燐寸《マツチ》を擦つて手ランプに移すと、其處に脱捨てゝある襯衣《かくし》の衣嚢から財布を出して、一圓紙幣を一枚女の枕の下に入れた。女は手ランプを消して、
『餘計《よげえ》だす。』
『餘計な事ア無《ね》えせア。もつと有るものせえ。』
 お定は、平常《いつも》ならば恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》事を餘り快く思はぬのだが、常々添寢した男から東京行の錢別を貰つたと思ふと、何となく嬉しい。お八重には恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]事が無からうなどゝ考へた。
 先刻《さつき》の蟋蟀《こほろぎ》が、まだ何處か室の隅ツこに居て、時々思出した樣に、哀れな音を立てゝゐた。此夜お定は、怎《どう》しても男を抱擁めた手を弛《ゆる》めず、夜明近い鷄の頻りに啼立てるまで、厩の馬の鬣を振ふ音や、ゴトゴト破目板を蹴る音を聞きながら、これといふ話もなかつたけれど、丑之助を歸してやらなかつた。

      六

 其翌朝は、グツスリ寢込んでゐる所をお八重に起されて、眠い眼を擦《こす》り/\、麥八分の冷飯に水を打懸けて、形許り飯を濟まし、起きたばかりの父母や弟に簡單な挨拶をして、村端れ近い權作の家の前へ來ると、方々から一人二人水汲の女共が、何れも眠相な眼をして出て來た。荷馬車はもう準備が出來てゐて、權作は嚊に何やら口小言を言ひながら、脚の太い黒馬《あを》を曳き出して來て馬車に繋いでゐた。
『何處へ』と問ふ水汲共には『盛岡へ』と答へた。二人は荷馬車に布いた茣蓙の上に、後向になつて行儀よく坐つた。傍には風呂敷包。馬車の上で髮を結つて行くといふので、お八重は別に櫛やら油やら懷中鏡やらの小さい包みを持つて來た。二人共木綿物ではあるが、新しい八丈|擬《まが》ひの縞の袷を着てゐた。
 軈て權作は、ピシャリと黒馬《あを》の尻を叩いて、『ハイハイ』と言ひながら、自分も場車に飛乘つた。馬は白い息を吐きながら、南を向けて歩き出した。
 二人は、まだ頭腦《あたま》の中が全然《すつかり》覺めきらぬ樣で、呆然《ぼんやり》として、段々後ろに遠ざかる村の方を見てゐたが、道路の兩側はまだ左程古くない松並木、曉の冷さが爽かな松風に流れて、叢の蟲の音は細い。一町許り來た時、村端れの水汲場の前に、白手拭を下げた男の姿が見えた。それは、毎朝其處に顏洗ひに來る藤田であつた。お定は膝の上に握つてゐた新しい※[#「巾+分」、182-上−8]※[#「巾+税のつくり」、182-上−8]《はんけち》を取るより早く、少し伸び上つてそれを振つた。藤田は立止つて凝然《じつ》と此方《こつち》を見てゐる樣だつたが、下げてゐた手拭を上げたと思ふ間に、道路は少し曲つて、並木の松に隱れた。と、お定は今の素振《そぶり》を、お八重が何と見たかと氣がついて、心羞《うらはづ》かしさと落膽《がつかり》した心地でお八重の顏を見ると、其美しい眼には涙が浮んでゐた。それを見ると、お定の眼にも遽かに涙が湧いて來た。
 盛岡へ五里を古い新しい松並木、何本あるか數へた人はない。二人が髮を結つて了ふまでに二里過ぎた。あとの三里は權作の無駄口と、二人が稚い時の追憶談《おもひでばなし》。
 
 理髮師《とこや》の源助さんは、四年振で突然村に來て、七日の間到る所に驩待《くわんたい》された。そして七日の間東京の繁華な話を繰返した。村の人達は異樣な印象を享けて一同多少づつ羨望の情を起した。もう四五日も居たなら、お八重お定と同じ志願を起す者が、三人も五人も出たかも知れぬ。源助さんは滿腹の得意を以て、東京見物に來たら必ず自分の家に寄れといふ言葉を人毎に殘して、七日目の午後に此村を辭した。好摩《かうま》のステーションから四十分、盛岡に着くと、約の如く松本といふ宿屋に投じた。
 不取敢《とりあへず》湯に入つてると、お八重お定が訪ねて來た。一緒に晩餐《めし》を了へて、明日の朝は一番汽車だからといふので、其晩二人も其宿屋に泊る事にした。
 源助は、唯一本の銚子に一時間も費《かゝ》りながら、東京へ行つてからの事――言語《ことば》を可成《なるべく》早く改《あらた》めねばならぬとか、二人がまだ見た事のない電車への乘方とか、掏摸《すり》に氣を附けねばならぬとか、種々《いろ/\》な事を詳《くど》く喋《しやべ》つて聞かして、九時頃に寢る事になつた。八疊間に寢具が三つ、二人は何れへ寢たものかと立つてゐると、源助は中央《まんなか》の床へ潜り込んで了つた。仕方がないので二人は右と左に離れて寢たが、夜中になつてお定が一寸目を覺ました時は、細めて置いた筈の、自分の枕邊《まくらもと》の洋燈《ランプ》が消えてゐて、源助の高い鼾《いびき》が、怎《どう》やら疊三疊許り彼方《あつち》に聞えてゐた。
 翌朝は二人共源助に呼起されて、髮を結ふも朝飯を食ふも夙卒《そゝくさ》に、五時發の上り一番汽車に乘つた。

      七

 途中で機關車に故障があつた爲、三人を乘せた汽車[#「車」は底本では「軍」]が上野に着いた時は、其日の夜の七時過であつた。長い長いプラットホォーム、潮の樣な人、お八重もお定も唯小さくなつて源助の兩袂に縋つた儘、漸々《やう/\》の思で改札口から吐出されると、何百輛とも數知れず列んだ腕車、廣場の彼方は晝を欺く滿街の燈火、お定はもう之だけで氣を失ふ位おッ魂消《たまげ》て了つた。 
 腕車《くるま》が三輛、源助にお定にお八重といふ順で驅け出した。お定は生れて初めて腕車に乘つた。まだ見た事のない夢を見てゐる樣な心地で、東京もなければ村もない、自分といふものも何處へ行つたやら、在るものは前の腕車に源助の後姿許り。唯|※[#「りっしんべん+「夢」の「タ」に代えて「目」」、第4水準2-12-81]乎《ぼんやり》として了つて、別に街々の賑ひを仔細に見るでもなかつた。燦爛たる火光《あかり》、千萬の物音を合せた樣な轟々たる都の響、其火光がお定を溶かして了ひさうだ。其響がお定を押潰して了ひさうだ。お定は唯もう膝の上に載せた萠黄の風呂敷包を、生命よりも大事に抱いて、胸の動悸を聽いてゐた。四邊《あたり》を數限りなき美しい人立派な人が通る樣だ。高い高い家もあつた樣た。
 少し暗い所へ來て、ホッと息を吐いた時は、腕車が恰度《ちやうど》本郷四丁目から左に曲つて、菊坂町に入つた所であつた。お定は一寸振返つてお八重を見た。
 軈て腕車が止つて、『山田理髮店』と看板を出した明るい家の前。源助に促されて硝子戸の中に入ると、目が眩む程明るくて、壁に列んだ幾面の大鏡、洋燈《ランプ》が幾つも幾つもあつて、白い物を着た職人が幾人も幾人もゐる。何《ど》れが實際の人で何れが鏡の中の人なやら、見分もつかぬうちに、また源助に促されて、其店の片隅から疊を布いた所に上つた。
 上つたは可《い》いが、何處に坐れば可いのか一寸|周章《あわて》て了つて、二人は暫し其所に立つてゐた。源助は、
『東京は流石に暑い。腕車《くるま》の上で汗が出たから喃。』と言つて突然《いきなり》羽織を脱いで投げようとすると、三十六七の小作《こづく》りな内儀《おかみ》さんらしい人がそれを受取つた。
『怎《どう》だ、俺の留守中何も變りはなかつたかえ?』
『別に。』
 源助は、長火鉢の彼方《あつち》へドッカと胡坐《あぐら》をかいて、
『さあ/\、お前さん達もお坐《すわ》んなさい。さあ、ずつと此方《こつち》へ。』
『さあ、何卒《どうぞ》。』と内儀《おかみ》さんも言つて、不思議相に二人を見た。二人は人形の樣に其處に坐つた。お八重が叩頭《おじぎ》をしたので、お定も遲れじと眞似《まね》をした。源助は、
『お吉や、この娘さん達はな、そら俺がよく話した南部の村の、以前|非常《えら》い事世話になつた家の娘さん達でな。今度是非東京へ出て一二年奉公して見たいといふので、一緒に出て來た次第だがね。これは俺の嚊ですよ。』と二人を見る。
『まあ然《さ》うですか。些《ちよつ》とお手紙にも其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》事があつたつて、新太郎が言つてましたがね。お前さん達、まあ遠い所をよくお出になつたことねえ。眞《ほんと》に。』
『何卒《どうか》ハア……』と、二人は血を吐く思で漸く言つて、温《おとな》しく頭を下げた。
『それにな、今度七日遊んでるうち、此方の此お八重さんといふ人の家に厄介になつて來たんだよ。』
『おや然う。まあ甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》にか宅ぢや御世話樣になりましたか、眞《ほん》に遠い所をよく入來《いらつしや》つた。まあ/\お二人共自分の家へ來た積りで、緩《ゆつく》り見物でもなさいましよ。』
 お定は此時、些《ちつ》とも氣が附かずに何もお土産を持つて來なかつたことを思つて、一人胸を痛めた。
 お吉は小作りなキリリとした顏立の女で、二人の田舍娘には見た事もない程立居振舞が敏捷《すばしこ》い。黒繻子の半襟をかけた唐棧《たうざん》の袷を着てゐた。
 二人は、それから名前や年齡《とし》やをお吉に訊《き》かれたが、大抵源助が引取つて返事をして呉れた。負けぬ氣のお八重さへも、何か喉《のど》に塞《つま》つた樣で、一言も口へ出ぬ。況《ま》してお定は、これから、怎《どう》して那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《あんな》滑《なめら》かな言葉を習つたもんだらうと、心細くなつて、お吉の顏が自分等の方に向くと、また何か問はれる事と氣が氣でない。
『阿父樣《おとつつあん》、お歸んなさい。』と言つて、源助の一人息子の新太郎も入つて來た。二人にも挨拶して、六年許り前に一度お定らの村に行つた事があるところから、色々と話を出す。二人は又之の應答《うけこたへ》に困らせられた。新太郎は六年前の面影が殆ど無く、今はもう二十四五の立派な男、父に似ず背が高くて、キリリと角帶を結んだ恰好の好さ。髮は綺麗に分けてゐて、鼻が高く、色だけは昔ながらに白い。
 一體、源助は以前靜岡在の生れであるが、新太郎が二歳《ふたつ》の年に飄然《ぶらり》と家出して、東京から仙臺盛岡、其盛岡に居た時、恰も白井家の親類な酒造家の隣家の理髮店《とこや》にゐたものだから、世話する人あつてお定らの村に行つてゐたので、父親に死なれて郷里に歸ると間もなく、目の見えぬ母とお吉と新太郎を連れて、些少《いささか》の家屋敷を賣拂ひ、東京に出たのであつた。其母親は去年の暮に死んで了つたので。
 お茶も出された。二人が見た事もないお菓子も出された。
 源助とお吉との會話が、今度死んだ凾館の伯父の事、其葬式の事、後に殘つた家族共の事に移ると、石の樣に堅くなつてるので、お定が足に痲痺《しびれ》がきれて來て、膝頭《ひざがしら》が疼《うづ》く。泣きたくなるのを漸く辛抱して、凝《ぢつ》と疊の目を見てゐる辛さ。九時半頃になつて、漸々《やう/\》『疲れてゐるだらうから』と、裏二階の六疊へ連れて行かれた。立つ時は足に感覺がなくなつてゐて、危く前に仆《のめ》らうとしたのを、これもフラフラしたお八重に抱きついて、互ひに辛さうな笑ひを洩らした。
 風呂敷包を持つて裏二階に上ると、お吉は二人前の蒲團を運んで來て、手早く延べて呉れた。そして狹い床の間に些《ちよつ》[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と腰掛けて、三言四言お愛想を言つて降りて行つた。
 二人限《きり》になると、何れも吻《ほつ》と息を吐いて、今し方お吉の腰掛けた床の間に膝をすれ/\に腰掛けた。かくて十分許りの間、田舍言葉で密々《こそ/\》話合つた。お土産を持つて來なかつた失策《しくじり》は、お八重も矢張氣がついてゐた。二人の話は、源助さんも親切だが、お吉も亦、氣の隔《お》けぬ親切な人だといふ事に一致した。郷里《くに》の事は二人共何にも言はなかつた。
 訝《をか》しい事には、此時お定の方が多く語つた事で、阿婆摺《あばづれ》と謂はれた程のお八重は、始終《しよつちゆう》受身に許りなつて口寡《くちすくな》にのみ應答《うけこたへ》してゐた。枕についたが、二人とも仲々眠られぬ。さればといつて、別に話すでもなく、細めた洋燈《ランプ》の光に、互ひの顏を見ては温《をとな》しく微笑《ほゝゑみ》を交換《かは》してゐた。

      八

 翌朝は、枕邊の障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覺ました。嗚呼東京に來たのだつけと思ふと、昨晩《ゆうべ》の足の麻痺《しびれ》が思出される。で、膝頭を伸ばしたり屈《かゞ》めたりして見たが、もう何ともない。階下《した》ではまだ起きた氣色《けはひ》がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車《くるま》の上から見た雜沓が、何處かへ消えて了つた樣な氣もする。不圖、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否、此處は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎《どう》して水を汲むだらうと云ふ樣な事を考へてゐたが、お八重が寢返りをして此方へ顏を向けた。何夢を見てゐるのか、眉と眉の間に皺寄せて苦し相に息をする。お定はそれを見ると直ぐ起き出して、聲低くお八重を呼び起した。
 お八重は、深く息を吸つて、パッチリと目を開けて、お定の顏を怪訝相《けげんさう》にみてゐたが、
『ア、家《え》に居《え》だのでヤなかつたけな。』と言つて、ムクリと身起した。それでもまだ得心がいかぬといつた樣に周圍《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]してゐたが、
『お定さん、俺《おれ》ア今夢見て居《え》だつけおんす。』と甘える樣な口調。
『家《え》の方のすか?』
『家の方のす。ああ、可怖《おつかな》がつた。』と、お定の膝に投げる樣に身を恁《もた》せて、片手を肩にかけた。
 其夢といふのは恁《か》うで。――村で誰か死んだ。誰が死んだのか解らぬが、何でも老人だつた樣だ。そして其葬式が村役場から出た。男も女も、村中の人が皆野送の列に加つたが、巡査が劍の柄に手をかけながら、『物を言ふな、物を言ふな。』と言つてゐた。北の村端から東に折れると、一町半の寺道、其半ば位まで行つた時には、野送の人が男許り、然も皆洋服を着[#「着」は底本では「來」]たり紋付を着[#「着」は底本では「來」]たりして、立派な帽子を冠つた髭の生えた人達許りで、其中に自分だけが腕車の上に縛られてゆくのであつたが、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》人が其腕車《くるま》を曳いたのか解らぬ。杉の木の下を通つて、寺の庭で三遍※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]つて、本堂に入ると、棺桶の中から何ともいへぬ綺麗な服裝をした、美しいお姫樣の樣な人が出て中央《まんなか》に坐つた。自分も男達と共に坐ると、『お前は女だから。』と言つて、ずっと前の方へ出された。見た事もない小僧達が奧の方から澤山出て來て、鐃《ねう》や太鼓を鳴らし始めた。それは喇叭節の節であつた。と、例《いつも》の和尚樣が拂子《ほつす》を持つて出て來て、綺麗なお姫樣の前へ行つて叩頭《おじぎ》をしたと思ふと、自分の方へ歩いて來た。高い足駄を穿いてゐる。そして自分の前に突つ立つて、『お八重、お前はあのお姫樣の代りにお墓に入るのだぞ。』と言つた。すると何時の間にか源助さんが側に來てゐて、自分の耳に口をあてて『厭だと言へ、厭だと言へ。』と教へて呉れた。で、『厭だす。』と言つて横を向くと、(此時寢返りしたのだらう。)和尚樣が※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]つて來て、鬚の無い顎に手をやつて、丁度鬚を撫で下げる樣な具合にすると、赤い/\血の樣な鬚が、延びた/\臍のあたりまで延びた。そして、眼を皿の樣に大きくして、『これでもか?』と怒鳴つた。其時目が覺めた。
 お八重がこれを語り終つてから、二人は何だか氣味が惡くなつて來て、暫時《しばらく》意味あり氣に目と目を見合せてゐたが、何方《どつち》でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左《さ》う右《か》うしてるうちに、階下《した》では源助が大きな※[#「※」は「口+愛」、第3水準1-15-23]《あくび》をする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色《けはひ》がしたので、二人も立つて帶を締めた。で、蒲團を疊まうとしてが、お八重は、
『お定さん、昨晩《ゆべな》持つて來た時、此蒲團どア表《おもで》出して疊まさつてらけすか、裏出して疊まさつてらけすか?』と言ひ出した。
『さあ、何方《どつら》だたべす。』
『何方だたべな。』
『困つたなア。』
『困つたなす。』と、二人は暫時《しばらく》、呆然《ぼんやり》立つて目を見合せてゐたが、
『表なやうだつけな。』とお八重。
『表だつたべすか。』
『そだつけ。』
『そだたべすか。』
 軈て二人は蒲團を疊んで、室の隅に積み重ねたが、恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》に早く階下《した》に行つて可いものか怎《どう》か解らぬ。怎しよと相談した結果、兎も角も少し待つて見る事にして、室の中央《まんなか》に立つた儘|四邊《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]した。
『お定さん、細え柱だなす。』と大工の娘。奈何樣《いかさま》、太い材木を不體裁に組立てた南部の田舍の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも搖れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。
『眞《ほん》にせえ。』とお定も言つた。
 で、昨晩《ゆうべ》見た階下の樣子を思出して見ても、此室の疊の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の屆く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不圖、五尺の床の間にかけてある。縁日物の七福神の掛物を指さして、
『あれア何だか知《おべ》だ[#「だ」は底本では「た」]すか?』
『惠比須大黒だべす。』
 二人は床の間に腰掛けたが、
『お定さん、これア何だす?』と圖の人を指さす。
『槌持つてるもの、大黒樣だべアすか。』
『此方ア?』
『惠比須だす。』
『すたら、これア何だす?』
『布袋樣《ほていさま》す、腹ア出てるもの。あれ、忠太|老爺《おやぢ》に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く笑ひ續けてゐた。
 階下《した》では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、
『まあ早いことお前さん達は、まだ/\寢《やす》んでらつしやれば可いのに。』と笑顏を作つた。二人は勝手への隔《へだて》の敷居に兩手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて、挨拶をすると、お吉は可笑しさに些《ちよつ》[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と横向いて笑つたが、
『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。
 よく眠れたかとか、郷里《くに》の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩《ゆうべ》よりもズット忸《なれ》々しく種々《いろ/\》な事を言つてくれたが、
『お前さん達のお郷里《くに》ぢや水道はまだ無いでせう?』
 二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶《おぼえ》がない。何と返事をして可《い》いか困つてると、
『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入來《いらつ》しやい。教へて上げますから。』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人とも急いで店から自分達の下駄を持つて來て、裏に出ると、お吉はもう五六間|先方《むかう》へ行つて立つてゐる。
 何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊《あたり》の土が水に濡れてゐる。
『これが水道ツて言ふんですよ。可《よ》ござんすか。それで恁うすると水が幾何《いくら》でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓《せん》を捻《ひね》つた。途端《とたん》に、水がゴウと出る。
『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞《はづ》かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空《から》なのと取代へて、
『さあ、何方なり一つ此栓を捻《ひね》つて御覽なさい。』と宛然《さながら》小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、
『些《ちつ》とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。
 歸りはお吉の辭するも諾《き》かず、二人で桶を一つ宛《づゝ》輕々と持つて勝手口まで運んだが、背後《うしろ》からお吉が、
『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此の後に潜んだ意味などを察する程に、怜悧《かしこ》いお定ではないので、何だか賞められた樣な氣がして、密《そつ》と口元に笑を含んだ。
 それから、顏を洗へといはれて、急いで二階から淺黄の手拭やら櫛やらを持つて來たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る/\種々《いろ/\》の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髮を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて來て、二人を見ると、『お早う。』と聲をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが惡くて、顏を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に寫る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]卒《そゝくさ》に髮を結つてゐたが、それでもお八重の方はチョイチョイ横目を使つて、職人の爲る事を見てゐた樣であつた。
 すべて恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》具合で、朝餐《あさめし》も濟んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に餘る旅から歸つたので、それ/″\手土産を持つて知邊《しるべ》の家を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]らなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。
 二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手傳ひ、二人|限《きり》で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度經驗があるので上級生の樣な態度をして、
『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。
 かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて來て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は生中《なまなか》禮儀などを守らず、つけつけ言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀《おかみ》さんより親切な人だと考へてゐた。
 お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》に可笑《をか》しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのから稽古せよと、『かしこまりました。』とか『行つてらツしやい。』とか、『お歸んなさい。』とか『左樣《さい》でございますか。』とか、繰返し/\教へるのであつたが、二人は胸の中でそれを擬《ま》ねて見るけれど、仲々お吉の樣にはいかぬ。郷里《くに》言葉の『然《そ》だすか。』と『左樣《さい》でございますか。』とは、第一長さが違ふ。二人には『で』に許り力が入つて、兎角『さいで、ございますか。』と二つに切れる。『さあ、一《ひと》つ口《くち》に出して行《や》つて御覽なさいな。』とお吉に言はれると、二人共すぐ顏を染めては、『さあ』『さあ』と互ひに讓り合ふ。
 それからお吉は、また二人が餘り温《おと》なしくして許りゐるので、店に行つて見るなり、少し街上《おもて》を歩いてみるなりしたら怎《どう》だと言つて、
『家の前から昨晩《ゆうべ》腕車《くるま》で來た方へ少し行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其處の角には勸工場と云つて何品《なん》でも賣る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前――赤門といへば大學の事ですよ、それ、日本一の學校、名前位は聞いた事があるでせうさ。何《なあ》に、大丈夫氣をつけてさへ歩けば、何處まで行つたつて迷兒《まひご》になんかなりやしませんよ。角の勸工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で疊に『山田』と覺束なく書いて見せた。『やまだ[#「やまだ」に傍点]と讀むんですよ。』
 二人は稍得意な笑顏をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。
 それでも仲々|階下《した》にさへ降《お》り澁《しぶ》つて、二人限《きり》になれば何やら密々《ひそ/\》話合つては、袂を口にあてて聲立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の發起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には『山田理髮店』と書いてあつて、花の樣なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視《とみかうみ》して、此家忘れてなるものかと見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]してると、理髮店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交る/\に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで來た。
 盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此處へ來て見ると宛然《まるで》田舍の樣だ。ああ東京の街! 右から左から、刻一刻に滿干《さしひき》する人の潮! 三方から電車と人が崩《なだ》れて來る三丁目の喧囂《さはがしさ》は、宛《さな》がら今にも戰が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。
 勸工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて澁つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫が寄つて來て、頻りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと來た路を驅け出した。此時も背後《うしろ》に笑聲《わらひごゑ》が聞えた。
 第一日は斯くて暮れた。

      九 

 第二日目は、お吉に伴れられて、朝八時頃から見物に出た。
 先づ赤門、『恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》學校にも教師《せんせ》ア居《え》べすか?』とお定は囁《さゝ》やいたが、『居るのす。』と答へたお八重はツンと濟してゐた。不忍の池では海の樣だと思つた。お定の村には山と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大佛の方が立派に見えた。電車といふものに初めて乘せられて、淺草は人の塵溜、玉乘に汗を握り、水族館の地下室では、源助の話を思出して帶の間の財布を上から抑へた。人の數が掏摸に見える。凌雲閣には餘り高いのに怖氣《おぢけ》立つて、到頭上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。兩國の川開きの話をお吉に聞かされたが、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》事《こと》をするものやら遂に解らず了《じま》ひ。上潮に末廣の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異《い》なものであつた。銀座の通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋は天子樣の御門と聞いて叩頭《おじぎ》をした。日比谷の公園では、立派な若い男と女が手をとり合つて歩いてるのに驚いた。
 須田町の乘換に方角を忘れて、今來た方へ引返すのだと許り思つてゐるうちに、本郷三丁目に來て降りるのだといふ。お定はもう日が暮れかかつてるのに、まだ引張り※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]されるのかと氣が氣でなくなつたが、一町と歩かずに本郷館の横へ曲つた時には、東京の道路は訝《をか》しいものだと考へた。
 理髮店に歸ると、源助は黒い額に青筋立てて、長火鉢の彼方《あつち》に怒鳴つてゐた。其前には十七許りの職人が平蜘蛛《ひらくも》の如く匍《うづくま》つてゐる。此間から見えなかつた斬髮機《バリカン》が一挺、此職人が何處かに隱し込んで置いたのを見附かつたとかで、お定は二階の風呂敷包が氣になつた。
 二人はもう、身體も心も綿の如く疲れきつてゐて、晝頃何處やらで蕎麥を一杯宛食つただけなのに、燈火《あかり》がついて飯になると、唯一膳の飯を辛《やつ》と喉を通した。頭腦《あたま》は※[#「りっしんべん+「夢」の「タ」に代えて「目」」、第4水準2-12-81]乎《ぼうつ》としてゐて、これといふ考へも浮ばぬ。話も興がない。耳の底には、まだ轟々たる都の轟きが鳴つてゐる。
 幸ひ好い奉公の口があつたが、先づ四五日は緩《ゆつく》り遊んだが可《よ》からうといふ源助の話を聞いて、二人は夕餐が濟むと間もなく二階に上つた。二人共『疲れた。』と許り、べたりと横に坐つて、話もない。何處かしら非常に遠い所へ行つて[#「行つて」は底本では「行つた」]來た樣な心地である。淺草とか日比谷とかいふ語だけは、すぐ近間《ちかく》にある樣だけれど、それを口に出すには遠くまで行つて來なけやならぬ樣に思へる。一時間前まで見て來て色々の場所、あれも/\と心では數へられるけれど、さて其景色は仲々眼に浮ばぬ。目を瞑ると轟々たる響。玉乘や、勸工場の大きな花瓶が、チラリ、チラリと心を掠《かす》める。足下から鳩が飛んだりする。
お吉が、『電車ほど便利なものはない。』と言つた。然しお定には、電車程怖ろしいものはなかつた。線路を横切つた時の心地は、思出しても冷汗が流れる。後先を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]して、一町も向うから電車が來ようものなら、もう足が動かぬ、漸《や》つとそれを遣《や》り過して、十間も行つてから思切つて向側に驅ける。先づ安心と思ふと胸には動悸が高い。況《ま》して乘つた時の窮屈《きうくつ》さ。洋服着た男とでも肩が擦れ/\になると、譯もなく身體が縮んで了つて、些《ちよい》と首を動かすにも頸筋が痛い思ひ。停《とま》るかと思へば動き出す。動き出したかと思へば停る。しつきりなしの人の乘降《のりおり》、よくも間違が起らぬものと不思議に堪へなかつた。電車に一町乘るよりは、山路を三里|素足《はだし》で歩いた方が遙か優《ま》しだ。
 大都は其凄まじい轟々たる響きを以て、お定の心を壓した。然しお定は別に郷里に歸りたいとも思はなかつた。それかと言つて、東京が好なのでもない。此處に居ようとも思はねば、居まいとも思はぬ。一刻の前をも忘れ、一刻の後をも忘れて、温《おと》なしいお定は疲れてゐるのだ。ただ疲れてゐるのだ。
 煎餅を盛つた小さい盆を持つて、上つて來たお吉は、明日お湯屋に伴《つ》れて行くと言つて下りて行つた。
 九時前に二人は蒲團を延べた。

三日目は雨。

四日目は降りみ降らずみ。九月ももう二十日を過ぎたので、殘暑の汗を洗ふ雨の糸を、初秋めいたうそ寒さが白く見せて、蕭々《しと/\》と廂《ひさし》を濡らす音が、山中の村で聞くとは違つて、厭に陰氣な心を起させる。二人はつくねん[#「つくねん」に傍点]として相對した儘、言葉少なに郷里《くに》の事を思出してゐた。
 午餐《おひる》が濟んで、二人がまだお吉と共に勝手にゐたうちに、二人の奉公口を世話してくれたといふ、源助と職業《しごと》仲間の男が來て、先樣《さきさま》では一日も早くといふから、今日中に遣《や》る事にしたら怎《どう》だと言つた。
 源助は、二人がまだ何も東京の事を知らぬからと言ふ樣な事を言つてゐたが、お吉は、行つて見なけや何日までだつて慣れぬといふ其男の言葉に賛成した。
 遂に行く事に決つた。
 で、お吉は先づお八重、次にお定と、髮を銀杏返しに結つてくれたが、お定は、餘り前髮を大きく取つたと思つた、帶も締めて貰つた。
 三時頃になつて、お八重が先づ一人源助に伴《とも》なはれて出て行つた。お定は急に淋しくなつて七福神の床の間に腰かけて、小さい胸を犇《ひし》と抱いた。眼には大きい涙が。
 一時間許りで源助は歸つて來たが、先樣の奧樣は淡白《きさく》な人で、お八重を見るや否や、これぢや水道の水を半年もつかふと、大した美人になると言つた事などを語つた。
 早目に晩餐《ばんめし》を濟まして、今度はお定の番。すぐ近い坂の上だといふ事で、風呂敷包を提げた儘、黄昏時《たそがれどき》の雨の霽間を源助の後に跟《つ》いて行つたが、何と挨拶したら可いものかと胸を痛めながら悄然《しよんぼり》と歩いてゐた。源助は、先方でも眞の田舍者な事を御承知なのだから、萬事間違のない樣に奧樣の言ふ事を聞けと繰返し教へて呉れた。
 眞砂町のトある小路、右側に『小野』と記した軒燈の、點火《とも》り初めた許りの所へ行つて、『此の家だ。』と源助は入口の格子をあけた。お定は遂ぞ覺えぬ不安に打たれた。

 源助は三十分許り經《た》つと歸つて行つた。
 竹筒臺の洋燈《ランプ》が明るい。茶棚やら箪笥やら、時計やら、箪笥の上の立派な鏡臺やら、八疊の一室にありとある物は皆、お定に珍らしく立派なもので。黒柿の長火鉢の彼方に、二寸も厚い座蒲團に坐つた奧樣の年は二十五六、口が少しへ[#「へ」に傍点]の字になつて鼻先が下に曲つてるけれども、お定には唯立派な奧樣に見えた。お定は洋燈の光に小さくなつて、石の如く坐つてゐた。
 銀行に出る人と許り聞いて來たのであるが、お定は銀行の何ものなるも知らぬ。其旦那樣はまだお歸りにならぬといふ事で、五歳《いつゝ》許りの、眼のキョロ/\した男の兒が、奧樣の傍に横になつて、何やら繪のかいてある雜誌を見つゝ、時々不思議相にお定を見てゐた。
 奧樣は、源助を送り出すと、其儘手づから洋燈を持つて、家の中の部屋々々をお定に案内して呉れたのであつた。玄關の障子を開けると三疊、横に六疊間、奧が此八疊間、其奧にも一つ六疊間があつて主人夫婦の寢室になつてゐる。臺所の横は、お定の室と名指された四疊の細長い室で、二階の八疊は主人の書齋である。
 さて、奧樣は、眞白な左の腕を見せて、長火鉢の縁《ふち》に臂《ひぢ》を突き乍ら、お定のために明日からの日課となるべき事を細々と説くのであつた。何處の戸を一番先に開けて、何處の室の掃除は朝飯過で可いか。來客のある時の取次の仕方から、下駄靴の揃へ樣、御用聞に來る小僧等への應對の仕方まで、艶のない聲に諄々と喋り續けるのであるが、お定には僅かに要領だけ聞きとれたに過ぎぬ。
 其處へ旦那樣がお歸りになると、奧樣は座を讓つて、反對の側の、先刻まで源助の坐つた座蒲團に移つたが、
『貴郎《あなた》、今日は大層遲かつたぢやございませんか?』
『ああ、今日は重役の鈴木ン許《とこ》に※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]つたもんだからな。(と言つてお定の顏を見てゐたが、)これか、今度の女中は?』
『ええ、先刻菊坂の理髮店《とこや》だつてのが伴れて來ましたの。(お定を向いて)此方が旦那樣だから御挨拶しな』
『ハ。』と口の中で答へたお定は、先刻からもう其挨拶に困つて了つて、肩をすぼめて切ない思ひをしてゐたので、恁《か》ういはれると忽ち火の樣に赤くなつた。
『何卒《どうか》ハ、お頼申《たのまを》します。』と、聞えぬ程に言つて、兩手を突く。旦那樣は、三十の上を二つ三つ越した髭の嚴しい立派な人であつた。
『名前は?』
といふを冒頭《はじめ》に、年も訊かれた、郷里も訊かれた、兩親のあるか無いかも訊かれた。學校へ上つたか怎《どう》かも訊かれた。お定は言葉に窮《こま》つて了つて、一言言はれる毎に穴あらば入りたくなる。足が耐へられぬ程|痲痺《しび》れて來た。
 稍あつてから、『今晩は何もしなくても可《い》いから、先刻《さつき》教へたアノ洋燈《ランプ》をつけて、四疊に行つてお寢《やす》み。蒲團は其處の押入に入つてある筈だし、それから、まだ慣れぬうちは夜中に目をさまして便所にでもゆく時、戸惑ひしては不可《いけない》から、洋燈は細めて危なくない所に置いたら可いだらう。』と言ふ許可《ゆるし》が出て、奧樣から燐寸《マツチ》を渡された時、お定は甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》に嬉しかつたか知れぬ。
 言はれた通りに四疊へ行くと、お定は先づ兩脚を延ばして、膝頭を輕く拳《こぶし》で叩いて見た。一方に障子二枚の明りとり、晝はさぞ暗い事であらう。窓と反對の、奧の方の押入を開けると、蒲團もあれば枕もある。妙な臭氣が鼻を打つた。
 お定は其處に膝をついて、開けた襖に[#「に」は底本では「を」]片手をかけた儘一時間許りも身動きをしなかつた。先づ明日の朝自分の爲《せ》ねばならぬ事を胸に數へたが、お八重さんが今頃|怎《どう》してる事かと、友の身が思はれる。郷里《くに》を出て以來、片時も離れなかつた友と別れて、源助にもお吉にも離れて、ああ、自分は今初めて一人になつたと思ふと、温なしい娘心はもう涙ぐまれる。東京の女中! 郷里《くに》で考へた時は何ともいへぬ華やかな樂しいものであつたに、……然《さ》ういへば自分はまだ手紙も一本郷里へ出さぬ。と思ふと、兩親の顏や弟共の聲、馬の事、友達の事、草苅の事、水汲の事、生れ故郷が詳らかに思出されて、お定は凝《ぢつ》と涙の目を押瞑《おしつむ》つた儘、『阿母《あツぱあ》、許してけろ。』と胸の中で繰返した。
 左《さ》う右《か》うしてるうちにも、神經が鋭くなつて、壁の彼方から聞える主人夫婦の聲に、若しや自分の事を言やせぬかと氣をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寢て了つた樣だ。お定は若しも明朝寢坊をしてはと、漸々《やう/\》涙を拭つて蒲團を取出した。
 三分心の置洋燈を細めて、枕に就くと、氣が少し暢然《ゆつたり》した。お八重さんももう寢たらうかと、又しても友の上を思出して、手を伸べて掛蒲團を引張ると、何となくフワリとして綿が柔かい。郷里で着て寢たのは、板の樣に薄く堅い、荒い木綿の飛白《かすり》の皮をかけたのであつたが、これは又源助の家で着たのよりも柔かい。そして、前にゐた幾人の女中の汗やら髮の膩《あぶら》やらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあつた。お定は不圖、丑之助がよく自分の頬片《ほつぺた》を天鵞絨の樣だと言つた事を思出した。
 また降り出したと見えて、蕭かな雨の音が枕に傳はつて來た。お定は暫時《しばらく》恍乎《ぼんやり》として、自分の頬を天鵞絨の襟に擦つて見てゐたが、幽かな微笑を口元に漂はせた儘で、何時しか安らかな眠に入つて了つた。

      一〇

 目が覺めると、障子が既に白んで、枕邊の洋燈は昨晩の儘に點いてはゐるけれど、光が鈍く※[#「虫+慈」、196-上-20]々《じゝ》と幽かな音を立ててゐる。寢過しはしないかと狼狽《うろた》へて、すぐ寢床から飛起きたが、誰も起きた樣子がない。で、昨日まで着てゐた衣服《きもの》は手早く疊んで、萠黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着《ふだんぎ》(郷里《くに》では無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帶も紫がかつた繻子ののは疊んで、幅狹い唐縮緬を締めた。
 奧樣が起きて來る氣色がしたので、大急ぎに蒲團[#「蒲團」は底本では「薄團」]を押入に入れ、劃《しきり》の障子をあけると、『早いね。』と奧樣が聲をかけた。お定は臺所の板の間に膝をついてお叩頭《じぎ》をした。
 それからお定は吩咐《いひつけ》に隨つて、焜爐《こんろ》に炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、
『まだ水を汲んでないぢやないか。』
と言はれて、臺所中見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]したけれども、手桶らしいものが無い。すると奧樣は、
『それ其處にバケツがあるよ。それ、それ、何處を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土《たゝき》になつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顏を赤くしながら、
『これでごあんすか?』と奧樣の顏を見た。バケツといふ物は見た事がないので。
『然うとも。それがバケツでなくて何ですよ。』と稍御機嫌が惡い。
 お定は、怎※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]物に水を汲むのだもの、俺には解る筈がないと考へた。
 此家では、『水道』が流場の隅にあつた。
 長火鉢の鐵瓶の水を代へたり、方々雜布を掛けさせられたりしてから、お定は小路を出て一町程行つた所の八百屋に使ひに遣られた。奧樣は葱とキヤベーヂを一個買つて來いといふのであつたが、キヤベーヂとは何の事か解らぬ。で、恐る/\聞いて見ると、『それ恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《こんな》ので(と兩手で圓を作つて)白い葉が堅く重なつてるのさ。お前の郷里《くに》にや無いのかえ。』と言はれた。でお定は、
『ハア、玉菜でごあんすか。』と言ふと、
『名は怎《どう》でも可《い》いから早く買つて來なよ。』と急《せ》き立てられる。お定はまた顏を染めて戸外へ出た。
 八百屋の店には、朝市へ買出しに行つた車がまだ歸つて來ないので、昨日の賣殘りが四種五種列べてあるに過ぎなかつたが、然しお定は、其前に立つと、妙な心地になつた。何とやらいふ菜に茄子が十許り、脹切《はちき》れさうによく出來た玉菜《キャベーヂ》が五個六個《いつゝむつゝ》、それだけではあるけれ共、野良育ちのお定には此上なく慕かしい野菜の香が、仄かに胸を爽《さわや》かにする。お定は、露を帶びた裏畑を頭に描き出した。ああ、あの紫色の茄子の畝《うね》! 這ひ蔓《はびこ》つた葉に地面を隱した瓜畑! 水の樣な曉の光に風も立たず、一夜さを鳴き細つた蟲の聲!
 萎びた黒繻子の帶を、ダラシなく尻に垂れた内儀《おかみ》に、『入來《いらつ》しやい。』と聲をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎《あひにく》一把もなかつた。
 風呂敷に包んだ玉菜一個を、お定は大事相に胸に抱いて、仍且《やはり》郷里《くに》の事を思ひながら主家に歸つた。勝手口から入ると、奧樣が見えぬ。お定は密《こつそ》りと玉菜を出して、膝の上に載せた儘、暫時《しばし》は飽かずも其香を嗅いでゐた。
『何してるだらう、お定は?』と、直ぐ背後《うしろ》から聲をかけられた時の不愍《きまりわる》さ!

 朝餐後の始末を兎に角終つて、旦那樣のお出懸に知らぬ振をして出て來なかつたと奧樣に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然《ぼんやり》と、臺所の中央《まんなか》に立つてゐた。
 と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて來たので、お定は懷かしさに我を忘れて、『やあ』と聲を出した。お吉は些《ちよつ》と笑顏を作つたが、
『まあ大變な事になつたよ、お定さん。』
『怎《どう》したべす?』
『怎したも恁うしたも、お郷里《くに》からお前さん達の迎へが來たよ。』
『迎へがすか?』と驚いたお定の顏には、お吉の想像して來たと反對に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。
 お吉は暫時《しばらく》呆れた樣にお定の顏を見てゐたが、『奧樣は被居《いらつ》しやるだらう、お定さん。』
 お定は頷《うなづ》いて障子の彼方を指した。
『奧樣にお話して、これから直ぐお前さんを伴《つ》れてかなけやならないのさ。』
 お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた樣に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は臺所に立つたり、右手を胸にあてて奧樣とお吉の話を洩れ聞いてゐた。
 お吉の言ふ所では、迎への人が今朝着いたといふ事で、昨日上げた許りなのに誠に申譯がないけれど、これから直ぐお定を歸してやつて呉れと、言葉|滑《なめ》らかに願つてゐた。
『それはもう、然《さ》ういふ事情なれば、此方で置きたいと言つたつて仕樣がない事だし、伴れて歸つても構ひませんけれど、』と奧樣は言つて、『だけどね、漸《や》つと昨晩《ゆうべ》來た許りで、まだ一晝夜にも成らないぢやないかねえ。』
『其處ン所は何ともお申譯がございませんのですが、何分手前共でも迎への人が來ようなどとは、些《ちつ》とも思懸けませんでしたので。』
『それはまあ仕方がありませんさ。だが、郷里《くに》といつても隨分遠い所でせう?』
『ええ、ええ、それはもう遙《ずつ》と遠方で、南部の鐵瓶を拵へる處よりも、まだ餘程田舍なさうでございます。』
『其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《そんな》處からまあ、よくねえ。』と言つて、『お定や、お定や。』
 お定は、怎《どう》やら奧樣に濟まぬ樣な氣がするので、怖る怖る行つて坐ると、お前も聞いた樣な事情だから、まだ一晝夜にも成らぬのにお前も本意《ほんい》ないだらうけれども、この内儀《おかみ》さんと一緒に歸つたら可《よ》からうと言ふ奧樣の話で、お定は唯顏を赤くして堅くなつて聞いてゐたが、軈てお吉に促されて、言葉寡《ことばすくな》に禮を述べて其家を出た。
 戸外《おもて》へ出ると、お定は直ぐ、
『甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》人だべ、お内儀《かみ》さん!』と訊いた。
『いけ好かない奧樣だね。』と言つたが、『迎への人かえ? 何とか言つたけ、それ、忠吉さんとか忠次郎さんとかいふ、禿頭《はげあたま》の腹の大《でつ》かい人だよ。』
『忠太ツて言ふべす、そだら。』
『然《さ》う/\其忠太さんさ。面白い言葉な人だねえ。』と言つたが、『來なくても可いのに、お前さん達許り詰らないやね、態々《わざ/\》出て來て直ぐ伴れて歸られるなんか。』
『眞《ほん》に然《さ》うでごあんす。』と、お定は口を噤んで了つた。
 稍あつてから又、『お八重さんは怎《どう》したべす?』と訊いた。
『お八重さんには新太郎が迎ひに行つたのさ。』
 源助の家へ歸ると、お八重はまだ歸つてゐなかつたが、腰までしか無い短い羽織を着た、布袋の樣に肥つた忠太爺が、長火鉢に源助と向合つてゐて、お定を見るや否や、突然《いきなり》、
『七日八日見ねえでる間《うち》に、お定ツ子ア遙《ぐつ》と美《え》え女子《をなご》になつた喃《なあ》。』と四邊《あたり》構はず高い聲で笑つた。
 お定は路々、郷里から迎ひが來たといふのが嬉しい樣な、また、其人が自分の嫌ひな忠太と訊いて不滿な樣な心地もしてゐたのであるが、生れてから十九の今まで毎日々々慣れた郷里言葉《くにことば》を其儘に聞くと、もう胸の底には不滿も何も消えて了つた。
 で、忠太は先ず、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では兩親初め甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《どんな》に驚かされたかを語つた。源助さんの世話になつてるなれば心配はない樣なものの、親心といふものは又別なもの、自分も今は忙がしい盛りだけれど、強《たつ》ての頼みを辭《こば》み難く、態々《わざ/\》迎ひに來たと語るのであつたが、然し一言もお定に對して小言がましい事は言はなかつた。何故なれば忠太は其實、矢張源助の話を聞いて以來、死ぬまでに是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人なところから、毎日考へてゐた所へ、幸ひと二人の問題が起つたので、構はずにや置かれぬから何なら自分が行つて呉れても可いと、不取敢氣の小さい兼大工を説き落し、兼と二人でお定の家へ行つて、同じ事を遠※[#「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11]しに諄々《くどくど》と喋り立てたのであるが、母親は流石に涙顏をしてゐたけれども、定次郎は別に娘の行末を悲觀してはゐなかつた。それを漸々《やう/\》納得《なつとく》させて、二人の歸りの汽車賃と、自分のは片道だけで可いといふので、兼から七圓に定次郎から五圓、先づ體の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。
 軈てお八重も新太郎に伴れられて歸つて來たが、坐るや否や先づ險《けは》しい眼尻を一層險しくして、凝《ぢつ》と忠太の顏を睨むのであつた。忠太は、お定に言つたと同じ樣な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々《ろく/\》せず、脹《ふく》れた顏をしてゐた。
 源助の忠太に對する驩待振《くわんたいぶり》は、二人が驚く許り奢《おご》つたものであつた。無論これは、村の人達に傳へて貰ひたい許りに、少しは無理までして外見《みえ》を飾つたのであるが。
 其夜は、裏二階の六疊に忠太とお八重お定の三人枕を並べて寢せられたが、三人|限《きり》になると、お八重は直ぐ忠太の膝をつねりながら、
『何しや來たす此人《このふと》ア。』と言つて、執念《しつこ》くも自分等の新運命を頓挫させた罪を詰《なぢ》るのであつたが、晩酌に陶然とした忠太は、間もなく高い鼾をかいて、太平の眠に入つて了つた。するとお八重は、お定の温しくしてるのを捉へて、自分の行つた横山樣が、何とかいふ學校の先生をして、四十圓も月給をとる學士樣な事や、其奧樣の着てゐた衣服の事、自分を大層可愛がつてくれた事、それからそれと仰々しく述べ立てて、今度は仕方がないから歸るけれど、必ず又自分だけは東京に來ると語つた。そしてお八重は、其奧樣のお好みで結はせられたと言つて、生れて初めての庇髮に結つてゐて、奧樣から拜領の、少し油染みた焦橄欖《こげおりいぶ》のリボンを大事相に挿《さ》してゐた。
 お八重は又自分を迎ひに來て呉れた時の新太郎の事を語つて、『那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57]《あんな》親切な人ア家《え》の方にや無《ね》えす。』と讃めた。
 お定はお八重の言ふが儘に、唯温しく返事をしてゐた。
 その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其お伴をした。 
 二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。

      一一

 お八重お定の二人が、郷里を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイションから歸郷の途に就いた。
 貫通車の三等室、東京以北の總有《あらゆる》國々の訛《なまり》を語る人々を、ぎつしりと詰めた中に、二人は相並んで、布袋の樣な腹をした忠太と向合つてゐた。長い/\プラットフォームに數限りなき掲燈《あかり》が晝の如く輝き初めた時、三人を乘せた列車が緩《ゆる》やかに動き出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。
 お八重はいふ迄もなく、お定さへも此時は妙に淋しく名殘惜しくなつて、密々《こそ/\》と其事を語り合つてゐた。此日は二人共庇髮に結つてゐたが、お定の頭にはリボンが無かつた。
 忠太は、棚の上の荷物を氣にして、時々其を見上げ見上げしながら、物珍し相に乘合の人々を、しげしげと見比べてゐたが、一時間許り經《た》つと少し身體を屈めて、
『尻《けつ》ア痛くなつて來た。』と呟やいた。『汝《うな》ア痛くねえが?』
『痛くねえす。』とお定は囁いたが、それでも忠太がまだ何か話欲しさうに屈《かゞ》んでるので、
『家《え》の方でヤ玉菜だの何ア大きくなつたべなす。』
『大きくなつたどもせえ。』と言つた忠太の聲が大きかつたので、周圍《あたり》の人は皆此方を見る。
『汝《うな》ア共ア逃げでがら、まだ二十日にも成んめえな。』
 お定は顏を赤くしてチラと周圍を見たが、その儘返事もせず俯《うつむ》いて了つた。お八重は顏を蹙《しか》めて、忌々し氣に忠太を横目で見てゐた。

 十時頃になると、車中の人は大抵こくり/\と居睡《ゐねむり》を始めた。忠太は思ふ樣腹を前に出して、グッと背後《うしろ》に凭《もた》れながら、口を開けて、時々鼾《いびき》をかいてゐる。お八重は身體を捻つて背中合せに腰掛けた商人體の若い男と、頭を押|接《つ》けた儘、眠つたのか眠らぬのか、凝《ぢつ》としてゐる。
 窓の外は、機關車に惡い石炭を焚くので、雨の樣な火の子が横樣に、暗を縫うて後ろに飛ぶ。懷手をして圓い頤《あご》を襟に埋めて俯いてゐるお定は、郷里を逃げ出して以來の事を、それからそれと胸に數へてゐた。お定の胸に刻みつけられた東京は、源助の家と、本郷館の前の人波と、八百屋の店と、へ[#「へ」に傍点]の字口の鼻先が下向いた奧樣とである。この四つが、目眩《めまぐ》ろしい火光《あかり》と轟々たる物音に、遠くから包まれて、ハッと明るい。お定が一生の間、東京といふ言葉を聞く毎に、一人胸の中に思出す景色は、恐らく此四つに過ぎぬであらう。
 軈てお定は、懷手した左の指を少し許り襟から現して、柔かい己が頬を密《そつ》と撫《な》でて見た。小野の家で着て寢た蒲團の、天鵞絨の襟を思出したので。
 瞬く間、窓の外が明るくなつたと思ふと、汽車は、とある森の中の小さい驛を通過《パツス》した。お定は此時、丑之助の右の耳朶《みゝたぶ》の、大きい黒子《ほくろ》を思出したのである。

 新太郎と共に、三人を上野まで送つて呉れたお吉は、さぞ今頃、此間中は詰らぬ物入《ものいり》をしたと、寢物語に源助にこぼしてゐる事であらう。



底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
   1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
青空文庫ファイル:
このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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