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舞姫
石橋忍月
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#「恋愛と功名と両立せざる人生の境遇」にマル傍点]
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鴎外漁史の「舞姫」が国民之友新年附録中に就て第一の傑作たるは世人の許す所なり。之が賛評をなしたるもの少しとせず。然れども未だ其瑕瑾を発きたるものは之れ無きが如し。予は二三不審の廉を挙げて著者其人に質問せんと欲す。
「舞姫」の意匠は恋愛と功名と両立せざる人生の境遇[#「恋愛と功名と両立せざる人生の境遇」にマル傍点]にして、此境遇に処せしむるに小心なる臆病なる慈悲心ある――勇気なく独立心に乏しき一個の人物を以つてし、以て此の地位と彼の境遇との関係を発揮したるものなり。故に「舞姫」を批評せんと欲せば先づ其人物(太田豊太郎)と境遇との関係を精査するを必要となす。抑も太田なるものは恋愛と功名と両立せざる場合に際して断然恋愛を捨て功名を採るの勇気あるものなるや。曰く否な。彼は小心的臆病的の人物なり。彼の性質は寧ろ謹直慈悲の傾向あり。理に於て彼は恩愛の情に切なる者あり。「処女たる事」(Jungfralichkeit)[#「a」にウムラウト]を重ずべきものなり。夫れ此「ユングフロイリヒカイト」は人間界の清潔、温和、美妙を支配する唯一の重宝なり。故に姦雄的権略的の性質を備ふるものにあらざれば之を軽侮し之を棄却せざるなり(例へばナポレヲンがヨーゼフヒンを棄つるが如し)。否な之を軽侮し之を棄却する程の無神的の苛刻は胆大にして且つ冷淡の偽人物に非ざれば之を作すこと能はざる為なり。今本篇の主人公太田なるものは可憐の舞姫と恩愛の情緒を断てり。無辜の舞姫に残忍苛刻を加へたり。彼を玩弄し彼を狂乱せしめ、終に彼をして精神的に殺したり。而して今其人物の性質を見るに小心翼々たる者なり。慈悲に深く恩愛の情に切なる者なり。「ユングフロイリヒカイト」の尊重すべきを知る者なり。果して然らば「真心の行為は性質の反照なり[#「真心の行為は性質の反照なり」に傍点]」と云へる確言を虚妄となすにあらざる以上は太田の行為――即ちエリスを棄てて帰東するの一事は人物と境遇と行為との関係支離滅裂なるものと謂はざる可からず。之を要するに著者は太田をして恋愛を捨てて功名を取らしめたり。然れども予は彼が応さに功名を捨てて恋愛を取るべきものたることを確信す。ゲエテー少壮なるに当ツて一二の悲哀戯曲を作るや、迷夢弱病の感情を元とし、劇烈欝勃の行為を描き、其主人公は概ね薄志弱行なりし故に、メルクは彼を誡めて曰く、此の如き精気なく誠心なき汚穢なる愚物は将来決ツして写す勿れ、此の如きことは何人と雖も為し能ふなりと。予はメルクの評言を以ツて全く至当なりとは謂はず。又「舞姫」の主人公を以ツて愚物なりと謂はず。然れども其主人公が薄志弱行にして精気なく誠心なく随ツて感情[#「感情」にマル傍点]の健全ならざるは予が本篇の為めに惜む所なり。何をか感情と云ふ。曰く性情の動作にして意思――考察と共に詩術の要素を形くるもの即ち是なり。蓋し著者は詩境と人境との区別あるを知つて、之を実行するに当ツては終に区別あるを忘れたる者なり。
著著は主人公の人物を説明するに於て頗る前後矛盾の筆を用ゐたり。請ふその所以を挙げむ。
我心はかの合歓といふ木の葉に似て物ふるれば縮みて避けんとす我心は[#「物ふるれば縮みて避けんとす我心は」に傍点]臆病[#「臆病」にマル傍点」]なり我心は[#「なり我心は」に傍点]処女[#「処女」にマル傍点]に似たり余が幼き頃より長者の教を守りて学の道をたどりしも仕への道を歩みしも皆な[#「に似たり余が幼き頃より長者の教を守りて学の道をたどりしも仕への道を歩みしも皆な」に傍点]勇気ありて[#「勇気ありて」にマル傍点]能くしたるにあらず[#「能くしたるにあらず」に傍点]云々(四頁下段)
是れ著者が明かに太田の人物を名言したるものなり。然るに著者は後に至りて之と反対の言をなしたり。
余は我身一つの進退につきても又た我身に係らぬ他人の事につきても果断[#「果断」にマル傍点]ありと自ら心に誇りしが云々(一四頁上段)
余は守る所を失はじと思ひて己れに敵するものには抗抵[#「抗抵」にマル傍点]すれども友に対して云々(一二頁上段)
此果断[#「果断」にマル傍点]と云ひ抗抵[#「抗抵」にマル傍点]と云ひ、総て前提の「物ふるれば縮[#「縮」にマル傍点]みて避[#「避」にマル傍点]けんとす我心は臆病[#「臆病」にマル傍点]なり云々」の文字と相撞着して并行する能はざる者なり。是れ著者の粗忽に非ずして何ぞや。
次ぎに本篇二頁下段「余は幼なきころより厳重なる家庭の教へを受け云々」より以下六十余行は殆んど無用の文字なり。何となれば本篇の主眼は太田其人の履歴に在らずして恋愛と功名との相関に在ればなり。彼が生立の状況洋行の源因就学の有様を描きたりとて本篇に幾干の光彩を増すや、本篇に幾干の関係あるや、予は毫も之が必要を見ざるなり。
予は客冬「舞姫」と云へる表題を新聞の広告に見て思へらく、是れ引手数多の女俳優(例へばもしや艸紙の雲野通路の如き)ならんと。然るに今本篇に接すれば其所謂舞姫は文盲癡※[#「※」は「馬へん」に「埃」の右半分]にして識見なき志操なき一婦人にてありし。是れ失望の第一なり(失望するは失望者の無理か?)。而して本篇の主とする所は太田の懺悔に在りて、舞姫は実に此懺悔によりて生じたる陪賓なり。然るに本篇題して舞姫と云ふ。豈に不穏当の表題にあらずや。本篇一四頁上段に曰く「先に友の勧めしときは大臣の信用は屋上の[#「屋上の」にマル傍点]禽の如くなりしが今は稍やこれを得たる[#「これを得たる」に傍点]かと思はるゝ云々」と。ソモ屋上の禽とは如何なる意味を有するや、予は之を解するに苦む。独乙の諺に曰く「屋上の鳩は手中の雀に如かず」と。著者の屋上の禽とは此諺の屋上の鳩を意味するもの歟。果して然らば少しく無理の熟語と謂はざる可からず。何となれば独乙の諺は日本人に不案内なればなり。況んや「屋上の鳩」の語は「手中の雀」と云へる語を俟ツて意味あるものに於てをや。蓋し此の如き些細を責むるも全く本篇が秀逸の傑作なれば也。
本篇一○貞上段に「表てのみは一面に氷りて朝に戸を開けば飢ゑ凍えし雀の落ちて死に[#「雀の落ちて死に」にマル傍点]たるも哀れなり云々」の語あるを以ツて人或は独乙は温かき生血を有する動物が凍死する程寒威凛烈の国なるやと疑ふものあり。然れども独乙には実際寒威其者よりも寧ろ氷雪の為めに飼料を求むる能はざるが為めに飢死[#「飢死」にマル傍点]する小動物ありと聞く。著者の冬期を景状せしは増飾の虚言にあらずして実際なり。故に一言以つて著者の為めに弁護するものなり。
依田学海先生国民之友の附録を批して曰く、「舞姫」は残刻に終り、「拈華微笑」は失望に終り、「破魔弓」は流血に終り、「酔沈香」は嘆息に終る。嗚呼近世の小説は歓天喜地愉快を写さずして、総て悲哀を以て終らざる可からざる乎と。小説の真味豈に啻に消極的の運命を写すのみならんや。学海翁をして此言をなさしむ、嗚呼果して誰の罪ぞ(半之丞曰く、此は決つして、「舞姫」を非難するに非ず)。
予は前述の如く「舞姫」に対して妄評を加ふと雖も兎に角本篇は稀有の好著なり。若し小説界の明治廿一年以前を春のや支配の時代となし、廿二年を北※[#「※」は「亡」に、右に「こざとへん」]、美妙、紅葉支配の時代となさば、明治廿三年は恐くは鴎外、露伴二氏支配の時代ならん。予は信ず、本年の文壇に於て覇権を握るものは此二氏に在ることを。
(明治二十三年二月)
底本:筑摩書房『現代日本文學大系96文藝評論集』
1973(昭和48)年7月10日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:八巻美恵
1998年3月20日公開
1999年8月12日修正
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