青空文庫アーカイブ
趣味としての読書
平田禿木
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)席へ立《たち》会つて、
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最近某大学の卒業論文口頭試問の席へ立《たち》会つて、英文学専攻の卒業生がそれぞれ皆立派な研究を発表してゐるのに感服した。主なる試問者は勿論その論文を精査した二三の教授諸氏であつたが、自分も傍《そば》から折々遊軍的に質問を出して見た。
「理窟は抜きにして、ディツケンスの何んなとこを面白く感じましたか、コンラツドの何んなとこに興味を覚えましたか」と訊くと、
「一向に面白くありません、少しも興味を感じません、論文を書く為めに、唯一生懸命に勉強しただけです」と云ふ。
「では、三年間に、別に何か読みましたか」と訊くと、別に何も読んでゐないといふ、如何にも頼りない返事である。これは一つには学生諸氏の英語の読書力の薄いのに依るのであらうけれど、一つにはまた、今日の若い人達の間に如何に趣味として読書が閑却されてゐるかを示すものである。
今日ほど読書に不利な時代はない。自動車は走り、飛行機は飛び、映画、トオキイは全盛、音楽でもヂヤズや音頭の騒々しいもののみが幅を利かしてゐるので、人々は一刻も静かに落ち著いてゐる暇がない。若い人達が手軽にその閑を消される喫茶店なるものの流行もまた、少からずこの読書の妨げをなしてゐる。この頃本の売れないのは、全くこの喫茶店の跋扈に由来するのである。今まで若い人達が書物に費してゐた小遣銭の大半は、この喫茶店なる安価で、便利な、時にはいかがはしい青年社交倶楽部に奪ひ去られて仕舞つてゐるのである。出版家連がもつと本を売らうといふなら、彼等は宜しく同盟して、この青年倶楽部撲滅を計るべきだと思ふ。
自分はこの新春《はる》から故グレエ子爵の『二十五年回想記』と『フアロドン雑講』を読んでゐるが、この大戦中の英名外相がその政治的活躍の背景として様々な楽しみ乃至趣味を有つてゐたのに驚く。第一に彼は釣魚《つり》、殊に蚊鉤釣りの名人である。蚊鉤釣りといへば主として河鮭と河鱒を釣るのであるが、英吉利に於けるその季節は毎年九月に終る。三月と四月が最も良く、一月頃からはもう夢の中にもその遊びを心に描いて、それを楽しんでゐた。鮭釣りとなると、船などを仕立てず、岡釣りをするか、脛を没して流を渉つてやるのが実に愉快である。が、これを人に勧めるのは、メレディスの小説を勧めるやうなもので、読めない、やれないと云はれればそれまでで、無理には強ひられないことだと云つてゐる。次に子爵は鳥にも興味を有つてゐて、フアロドンの自邸には大きな鴨場を設けて、英吉利は勿論、各国各種の鴨を飼育してゐた。西英ニユウ・フオレストの大森林地のほとりに小さなコツテエジを建てて、外相の劇職にあつた際も、週末の休みには必ず出かけて、太古の処女林そのままのあの深い森へ分け入つて、季節々々の鳴禽、幽禽の歌を聴くことを忘れなかつた。して、この野鳥の音を聴き分けることにかけては、その道の専門家も遠く及ばない程であつたのだ。最後に、彼にはまた別に読書の楽しみがあつた。一、二週の休みが取れると、彼は早速こちらなら仙台の田舎ともいふべき、北英の遠い自邸へ帰つて、その書庫に入り、好みの書を漁つて、心ゆくまでこれに読み耽るのであつた。
彼は好んでレクリエーシヨン、即ち、楽しみ乃至趣味といふことを説いてゐる。我々は今日快楽追求時代に住んでゐると云ふが、我々は快楽発見時代には住んでゐないやうである。到る処に不平、不満の声を聞くのみである。斯くて、この生を幸福にする楽しみといふものが重要になつて来る。生を幸福にする要素は少くとも四つある。第一にそれは、我々の行動を支配する道徳的標準である。第二は家族、また姻戚との親善な関係といふ形式に於ける、多少とも満足な家庭生活である。第三は、国家に対して我々の存在を恥ぢず、我等をして善良の市民たらしむべき、何かの形式の仕事である。第四は或る程度の閑暇《ひま》と、我々を幸福にするやうにそれを利用することである。閑暇《ひま》を善用することに成功したからというて、以上の三つの事に於ける失敗を償ふというわけにはいかないが、相当な閑暇《ひま》とそれを善用することは、確かに幸福な生に対する寄与である。さらば、如何にしたらその閑暇《ひま》を巧みに利用することが出来ようか。それは第一に、一体自分は何を求めてゐるのか、それを明かに知り、それを手にしたら、確かにそれが我々を幸福にする何物かであることを確かめればよい、して、これぞ即ち楽しみの第一歩なのであると、斯ういふ風に彼は説いてゐるが、自分が何を求めてゐるのか皆目わからず、従つて、それを手に出来ないで悶《もが》いてゐる者は世間に沢山あるので、如何にも尤もと肯れることである。
書物こそは――彼は云つてゐる――最も偉大な、また最も心ゆく楽しみである。他《ほか》でもなく、快楽の為めに書物を利用することをいふのである。書物がなければ、快楽の為めに読書する力を身につけてゐなければ、何人も独立不覊とは云ひ得ない、が、読書することができれば、我々は独り寂しくゐる際の退屈に対して、確乎たる防禦を有つてゐるわけである。その防禦がなければ、退屈を免れるのに、家族とか友達とか、時には見知らぬ人々の慈悲にさへ頼らなければならないのである。ところが、読書に快楽を見出し得るとすれば、長途の汽車の独り旅も決して退屈なことはなく、長い冬の夜も、我々に取つて快楽に対する無限の好機会なのである。
詩は最も偉大な文学であり、詩に於ける快楽は文学的快楽中最も偉大な快楽であると前提して、我々がまだ若いうちに、少くとも三十五の春秋を重ねぬうちに、実際自分の為めに歌つてくれたと思はれる、一人、或は二三の大詩人を是非目つけなければならない。して、自分自身の体験で感じたことを歌つてゐるやうに思へる、もしくは、それが詩に於て表現されてゐるのを見るまでは気づかずにゐた我々の内部生命そのものを示現してゐるやうに思へる一人の詩人でも幸ひにこれを見出すことが出来れば、それこそ我々は一大資産を手にしたも同じである。青年時代に湧いて来た、斯かる詩に対する愛著は、決して年老ゆると共に消え去るものではない、それは我々自身の存在の緊密な一部として永久に留存し、力と慰安と快楽の確保された資源となるのであらうと彼は喝破してゐる。して、子爵自身に就いて云へば、この詩の方面に於ては、キーツ、テニソン、ブラウニングに精通し、特にウワアヅウワアスに至つては、早くからこれを愛誦し、その一言一句をも諳んじて、折に触れ事に接してこれを想ひ起し、回想記にも雑講にも随処にこれを引用してゐる。
哲学に就いては、それと名指してはゐないが、バルフオア卿とホルデエン卿をいつてゐるやうに思はれる、政治上に活躍してゐる二知人が、趣味としてこれを読み、また始終これを筆にしてゐるのは実に奥床しき限りと賞揚してゐる。自分も牛津大学在学時代にプレトオを読まされたが、今は楽しみとして折々これを開くことがある。プレトオには到底他の哲人に見出し得ざる快楽を自分に供してくれると云つてゐる。彼が愛読の書は何といつても自然に関するものであつたらうが、それも青年時代には主としてキングスレエのものなど耽読してゐたが、年を取るに従つて、例のウオルトンの『釣魚大全』やホワイトの『セルボオン博物志』を味ひ深く感じるに至つたといふことである。
書物は何といつても各時代のテストを経て、その評価の定まつたものに限ると云つて古典の美を彼は賞揚してゐるが、さうした物のうちでは、ベエコン卿のエッセイなど最も愛読のものであつたらしい。国家枢要の位置に据つて、専らその体験から割り出した、あの処世観が最も強く子爵の胸に訴へたのも自然のことで、卿に就いては一と言も云はず唯随処にあの金言、警句を引用し、暗黙のうちにこれを推賞してゐるのも面白い。前代の大事件、また大思想を扱つた最も偉大な書物の一つとして、彼はギボンの『羅馬衰亡史』を挙げ、斯かる書は我々に快楽と慰安を与へるのみでなく、また実に我等をして静かに現代の事変に接し、高処よりこれを達観せしむる高邁の識見を供するものであると云つてゐるが、全欧大動乱の中に立つての、水際《みづぎは》立つた、あの冷静な外交振りも、斯かる深い源泉から湧き来つたものかと、今更のやうに感服されるのである。大学を出てから殆ど十年の長い日月を、子爵は北英のその邸に於て、釣魚と鳥追ひといつた無為の業《わざ》に徒費してゐたが、三十を越える二、三に至つて、漸く読書に興味を覚え、詩には熱を感じ、いかに浩瀚、冗長なものであらうとも、あらゆる思想的の書物を読破する根気を養ふに至り、その頃現はれたジヨオジ・エリオツト伝の如きにも、全く我を忘れてこれに没頭するに至つた。して、それと同じ興味と熱を以て政治的公生涯に邁進するに至つたのである。読書の力もまた偉大なりと云ふべしである。
底本:「日本の名随筆 別巻6・書斎」作品社
1991(平成3)年8月25日第1刷
1998(平成10)年1月30日第7刷
底本の親本:「書窓雑筆」双雅房
1935(昭和13)年11月
入力:ふろっぎぃ
校正:浅原庸子
2001年7月2日公開
2003年6月22日修正
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