青空文庫アーカイブ

壊滅の序曲
原民喜

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)風情《ふぜい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)本川|饅頭《まんじゅう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]
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 朝から粉雪が降っていた。その街に泊った旅人は何となしに粉雪の風情《ふぜい》に誘われて、川の方へ歩いて行ってみた。本川橋は宿からすぐ近くにあった。本川橋という名も彼は久し振りに思い出したのである。むかし彼が中学生だった頃の記憶がまだそこに残っていそうだった、粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしていた。橋の中ほどに佇《たたず》んで、岸を見ていると、ふと、「本川|饅頭《まんじゅう》」という古びた看板があるのを見つけた。突然、彼は不思議なほど静かな昔の風景のなかに浸っているような錯覚を覚えた。が、つづいて、ぶるぶると戦慄《せんりつ》が湧《わ》くのをどうすることもできなかった。この粉雪につつまれた一瞬の静けさのなかに、最も痛ましい終末の日の姿が閃《ひらめ》いたのである。……彼はそのことを手紙に誌《しる》して、その街に棲《す》んでいる友人に送った。そうして、そこの街を立去り、遠方へ旅立った。

 ……その手紙を受取った男は、二階でぼんやり窓の外を眺《なが》めていた。すぐ眼の前に隣家の小さな土蔵が見え、屋根近くその白壁の一ところが剥脱《はくだつ》していて粗《あら》い赭土《あかつち》を露出させた寂しい眺めが、――そういう些細《ささい》な部分だけが、昔ながらの面影を湛《たた》えているようであった。……彼も近頃この街へ棲むようになったのだが、久しいあいだ郷里を離れていた男には、すべてが今は縁なき衆生《しゅじょう》のようであった。少年の日の彼の夢想を育《はぐく》んだ山や河はどうなったのだろうか、――彼は足の赴《おもむ》くままに郷里の景色を見て歩いた。残雪をいただいた中国山脈や、その下を流れる川は、ぎごちなく武装した、ざわつく街のために稀薄《きはく》な印象をとどめていた。巷《ちまた》では、行逢《ゆきあ》う人から、木で鼻を括《くく》るような扱いを受けた殺気立った中に、何ともいえぬ間の抜けたものも感じられる、奇怪な世界であった。
 ……いつのまにか彼は友人の手紙にある戦慄について考えめぐらしていた。想像を絶した地獄変、しかも、それは一瞬にして捲《ま》き起るようにおもえた。そうすると、彼はやがてこの街とともに滅び失《う》せてしまうのだろうか、それとも、この生れ故郷の末期の姿を見とどけるために彼は立戻って来たのであろうか。賭《かけ》にも等しい運命であった。どうかすると、その街が何ごともなく無疵《むきず》のまま残されること、――そんな虫のいい、愚かしいことも、やはり考え浮ぶのではあった。

 黒羅紗《くろらしゃ》の立派なジャンパーを腰のところで締め、綺麗《きれい》に剃刀《かみそり》のあたった頤《あご》を光らせながら、清二は忙しげに正三の部屋の入口に立ちはだかった。
「おい、何とかせよ」
 そういう語気にくらべて、清二の眼の色は弱かった。彼は正三が手紙を書きかけている机の傍《かたわら》に坐り込むと、側《そば》にあったヴィンケルマンの『希臘《ギリシャ》芸術|模倣論《もほうろん》』の挿絵《さしえ》をパラパラとめくった。正三はペンを擱《お》くと、黙って兄の仕事を眺めていた。若いとき一時、美術史に熱中したことのあるこの兄は、今でもそういうものには惹《ひ》きつけられるのであろうか……。だが、清二はすぐにパタンとその本を閉じてしまった。
 それはさきほどの「何とかせよ」という語気のつづきのようにも正三にはおもえた。長兄のところへ舞戻って来てからもう一カ月以上になるのに、彼は何の職に就《つ》くでもなし、ただ朝寝と夜更《よふか》しをつづけていた。
 彼にくらべると、この次兄は毎日を規律と緊張のうちに送っているのであった。製作所が退《ひ》けてからも遅くまで、事務所の方に灯がついていることがある。そこの露次を通りかかった正三が事務室の方へ立寄ってみると、清二はひとり机に凭《よ》って、せっせと書きものをしていた。工員に渡す月給袋の捺印《なついん》とか、動員署へ提出する書類とか、そういう事務的な仕事に満足していることは、彼が書く特徴ある筆蹟《ひっせき》にも窺《うかが》われた。判で押したような型に嵌《はま》った綺麗な文字で、いろんな掲示が事務室の壁に張りつけてある。……正三がぼんやりその文字に見とれていると、清二はくるりと廻転椅子を消えのこった煉炭ストーブの方へ向けながら、「タバコやろうか」と、机の抽匣《ひきだし》から古びた鵬翼《ほうよく》の袋を取出し、それから棚《たな》の上のラジオにスイッチを入れるのだった。ラジオは硫黄島《いおうじま》の急を告げていた。話はとかく戦争の見とおしになるのであった。清二はぽつんと懐疑的なことを口にしたし、正三ははっきり絶望的な言葉を吐いた。……夜間、警報が出ると、清二は大概、事務所へ駈《か》けつけて来た。警報が出てから五分もたたない頃、表の呼鈴が烈《はげ》しく鳴る。寝呆《ねぼ》け顔《がお》の正三が露次の方から、内側の扉を開けると、表には若い女が二人佇んでいる。監視当番の女工員であった。「今晩は」と一人が正三の方へ声をかける。正三は直《じ》かに胸を衝《つ》かれ、襟《えり》を正さねばならぬ気持がするのであった。それから彼が事務室の闇《やみ》を手探りながら、ラジオに灯りを入れた頃、厚い防空頭巾《ぼうくうずきん》を被《かぶ》った清二がそわそわやって来る。「誰かいるのか」と清二は灯の方へ声をかけ、椅子に腰を下ろすのだが、すぐにまた立上って工場の方を見て廻った。そうして、警報が出た翌朝も、清二は早くから自転車で出勤した。奥の二階でひとり朝寝をしている正三のところへ、「いつまで寝ているのだ」と警告しに来るのも彼であった。
 今も正三はこの兄の忙しげな容子にいつもの警告を感じるのであったが、清二は『希臘芸術模倣論』を元の位置に置くと、ふとこう訊《たず》ねた。
「兄貴はどこへ行った」
「けさ電話かかって、高須《たかす》の方へ出掛けたらしい」
 すると、清二は微《かす》かに眼に笑《え》みを浮べながら、ごろりと横になり、「またか、困ったなあ」と軽く呟《つぶや》くのであった。それは正三の口から順一の行動について、もっといろんなことを喋《しゃべ》りだすのを待っているようであった。だが、正三には長兄と嫂《あによめ》とのこの頃の経緯《いきさつ》は、どうもはっきり筋道が立たなかったし、それに、順一はこのことについては必要以外のことは決して喋らないのであった。

 正三が本家へ戻って来たその日から、彼はそこの家に漾《ただよ》う空気の異状さに感づいた。それは電燈に被せた黒い布や、いたるところに張りめぐらした暗幕のせいではなく、また、妻を喪《うしな》って仕方なくこの不自由な時節に舞戻って来た弟を歓迎しない素振ばかりでもなく、もっと、何かやりきれないものが、その家には潜んでいた。順一の顔には時々、嶮《けわ》しい陰翳《いんえい》が抉《えぐ》られていたし、嫂の高子の顔は思いあまって茫《ぼう》と疼《うず》くようなものが感じられた。三菱《みつびし》へ学徒動員で通勤している二人の中学生の甥《おい》も、妙に黙り込んで陰鬱《いんうつ》な顔つきであった。
 ……ある日、嫂の高子がその家から姿を晦《くら》ました。すると順一のひとり忙しげな外出が始り、家の切廻しは、近所に棲《す》んでいる寡婦の妹に任せられた。この康子は夜遅くまで二階の正三の部屋にやって来ては、のべつまくなしに、いろんなことを喋った。嫂の失踪《しっそう》はこんどが初めてではなく、もう二回も康子が家の留守をあずかっていることを正三は知った。この三十すぎの小姑《こじゅうと》の口から描写される家の空気は、いろんな臆測《おくそく》と歪曲《わいきょく》に満ちていたが、それだけに正三の頭脳に熱っぽくこびりつくものがあった。
 ……暗幕を張った奥座敷に、飛きり贅沢《ぜいたく》な緞子《どんす》の炬燵蒲団《こたつぶとん》が、スタンドの光に射られて紅《あか》く燃えている、――その側に、気の抜けたような順一の姿が見かけられることがあった。その光景は正三に何かやりきれないものをつたえた。だが、翌朝になると順一は作業服を着込んで、せっせと疎開の荷造を始めている。その顔は一図に傲岸《ごうがん》な殺気を含んでいた。……それから時々、市外電話がかかって来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がいるらしかった――、が、それ以上のことは正三にはわからなかった。
 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振《へんぼうぶ》りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強《し》いられて来た自分と比較して、――戦争によって栄耀《えいよう》栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だろうかと、何かもの恐しげに語るのであった。……だらだらと妹が喋っていると、清二がやって来て黙って聴《き》いていることがあった。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考えてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿《はさ》む。「まあ、立派な有閑マダムでしょう」と妹も頷《うなず》く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」と、正三が云いだすと「ふん、そんなまわりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかっ腹たてだしたのだ」と清二はわらう。
 高子は家を飛出して、一週間あまりすると、けろりと家に帰って来た。だが、何かまだ割りきれないものがあるらしく、四五日すると、また行方《ゆくえ》を晦ました。すると、また順一の追求が始まった。「今度は長いぞ」と順一は昂然《こうぜん》として云い放った。「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなって、碌《ろく》に人に挨拶《あいさつ》もできない奴《やつ》ばかりじゃないか」と弟達にあてこすることもあった。……正三は二人の兄の性格のなかに彼と同じものを見出《みいだ》すことがあって、時々、厭《いや》な気持がした。森製作所の指導員をしている康子は、兄たちの世間に対する態度の拙劣さを指摘するのだった。その拙劣さは正三にもあった。……しかし、長い間、離れているうちに、何と兄たちはひどく変って行ったことだろう。それでは正三自身はちっとも変らなかったのだろうか。……否。みんなが、みんな、日毎《ひごと》に迫る危機に晒《さら》されて、まだまだ変ろうとしているし、変ってゆくに違いない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の正三に自然に浮んで来るテーマであった。

「来たぞ」といって、清二は正三の眼の前に一枚の紙片を差出した。点呼令状であった。正三はじっとその紙に眼をおとし、印刷の隅々《すみずみ》まで読みかえした。
「五月か」と彼はそう呟《つぶや》いた。正三は昨年、国民兵の教育召集を受けた時ほどにはもう驚かなかった。がしかし清二は彼の顔に漾う苦悶《くもん》の表情をみてとって、「なあに、どっちみち、今となっては、内地勤務だ、大したことないさ」と軽くうそぶいた。……五月といえば、二カ月さきのことであったが、それまでこの戦争が続くだろうか、と正三は窃《ひそ》かに考え耽《ふけ》った。
 何ということなしに正三は、ぶらぶらと街をよく散歩した。妹の息子《むすこ》の乾一を連れて、久し振りに泉邸へも行ってみた。昔、彼が幼かったとき彼もよく誰かに連れられて訪れたことのある庭園だが、今も淡い早春の陽《ひ》ざしのなかに樹木や水はひっそりとしていた。絶好の避難場所、そういう想念がすぐ閃《ひら》めくのであった。……映画館は昼間から満員だったし、盛場の食堂はいつも賑《にぎ》わっていた。正三は見覚えのある小路を選んでは歩いてみたが、どこにももう子供心に印されていた懐《なつか》しいものは見出《みいだ》せなかった。下士官に引率された兵士の一隊が悲壮な歌をうたいながら、突然、四つ角から現れる。頭髪に白鉢巻《しろはちまき》をした女子勤労学徒の一隊が、兵隊のような歩調でやって来るのともすれちがった。
 ……橋の上に佇《たたず》んで、川上の方を眺めると、正三の名称を知らない山々があったし、街のはての瀬戸内海の方角には島山が、建物の蔭《かげ》から顔を覗《のぞ》けた。この街を包囲しているそれらの山々に、正三はかすかに何かよびかけたいものを感じはじめた。……ある夕方、彼はふと町角を通りすぎる二人の若い女に眼が惹きつけられた。健康そうな肢体《したい》と、豊かなパーマネントの姿は、明日の新しいタイプかとちょっと正三の好奇心をそそった。彼は彼女たちの後を追い、その会話を漏《も》れ聴こうと試みた。
「お芋がありさえすりゃあ、ええわね」
 間ののびた、げっそりするような声であった。

 森製作所では六十名ばかりの女子学徒が、縫工場の方へやって来ることになっていた。学徒受入式の準備で、清二は張切っていたし、その日が近づくにつれて、今|迄《まで》ぶらぶらしていた正三も自然、事務室の方へ姿を現し、雑用を手伝わされた。新しい作業服を着て、ガラガラと下駄をひきずりながら、土蔵の方から椅子を運んでくる正三の様子は、慣れない仕事に抵抗しようとするような、ぎごちなさがあった。……椅子が運ばれ、幕が張られ、それに清二の書いた式順の項目が掲示され、式場は既に整っていた。その日は九時から式が行われるはずであった。だが、早朝から発せられた空襲警報のために、予定はすっかり狂ってしまった。
「……備前《びぜん》岡山、備後灘《びんごなだ》、松山上空」とラジオは艦載機来襲を刻々と告げている。正三の身支度《みじたく》が出来た頃、高射砲が唸《うな》りだした。この街では、はじめてきく高射砲であったが、どんよりと曇った空がかすかに緊張して来た。だが、機影は見えず、空襲警報は一旦《いったん》、警戒警報に移ったりして、人々はただそわそわしていた。……正三が事務室へ這入《はい》って行くと、鉄兜《てつかぶと》を被った上田の顔と出逢《であ》った。
「とうとう、やって来ましたの、なんちゅうことかいの」
 と、田舎《いなか》から通勤して来る上田は彼に話しかける。その逞《たくま》しい体躯《たいく》や淡泊な心を現している相手の顔つきは、いまも何となしに正三に安堵《あんど》の感を抱《いだ》かせるのであった。そこへ清二のジャンパー姿が見えた。顔は颯爽《さっそう》と笑《え》みを浮べようとして、眼はキラキラ輝いていた。……上田と清二が表の方へ姿を消し、正三ひとりが椅子に腰を下ろしていた時であった。彼は暫《しばら》くぼんやりと何も考えてはいなかったが、突然、屋根の方を、ビュンと唸《うな》る音がして、つづいて、パリパリと何か裂ける響がした。それはすぐ頭上に墜《お》ちて来そうな感じがして、正三の視覚はガラス窓の方へつっ走った。向うの二階の檐《のき》と、庭の松の梢《こずえ》が、一瞬、異常な密度で網膜に映じた。音響はそれきり、もうきこえなかった。暫くすると、表からドヤドヤと人々が帰って来た。「あ、魂消《たまげ》た、度胆《どぎも》を抜かれたわい」と三浦は歪《ゆが》んだ笑顔をしていた。……警報解除になると、往来をぞろぞろと人が通りだした。ざわざわしたなかに、どこか浮々した空気さえ感じられるのであった。すぐそこで拾ったのだといって誰かが砲弾の破片を持って来た。
 その翌日、白鉢巻をした小さな女学生の一クラスが校長と主任教師に引率されてぞろぞろとやって来ると、すぐに式場の方へ導かれ、工員たちも全部着席した頃、正三は三浦と一緒に一番後からしんがりの椅子に腰を下ろしていた。県庁動員課の男の式辞や、校長の訓示はいい加減に聞流していたが、やがて、立派な国民服姿の順一が登壇すると、正三は興味をもって、演説の一言一句をききとった。こういう行事には場を踏んで来たものらしく、声も態度もキビキビしていた。だが、かすかに言葉に――というよりも心の矛盾に――つかえているようなところもあった。正三がじろじろ観察していると、順一の視線とピッタリ出喰《でく》わした。それは何かに挑《いど》みかかるような、不思議な光を放っていた。……学徒の合唱が終ると、彼女たちはその日から賑《にぎ》やかに工場へ流れて行った。毎朝早くからやって来て、夕方きちんと整列して先生に引率されながら帰ってゆく姿は、ここの製作所に一脈の新鮮さを齎《もたら》し、多少の潤いを混えるのであった。そのいじらしい姿は正三の眼に映った。
 正三は事務室の片隅《かたすみ》で釦《ボタン》を数えていた。卓の上に散らかった釦を百箇ずつ纏《まと》めればいいのであるが、のろのろと馴《な》れない指さきで無器用なことを続けていると、来客と応対しながらじろじろ眺めていた順一はとうとう堪《たま》りかねたように、「そんな数え方があるか、遊びごとではないぞ」と声をかけた。せっせと手紙を書きつづけていた片山が、すぐにペンを擱《お》いて、正三の側にやって来た。「あ、それですか、それはこうして、こんな風にやって御覧なさい」片山は親切に教えてくれるのであった。この彼よりも年下の、元気な片山は、恐しいほど気がきいていて、いつも彼を圧倒するのであった。

 艦載機がこの街に現れてから九日目に、また空襲警報が出た。が、豊後水道《ぶんごすいどう》から侵入した編隊は佐田岬《さたみさき》で迂廻《うかい》し、続々と九州へ向うのであった。こんどは、この街には何ごともなかったものの、この頃になると、遽《にわ》かに人も街も浮足立って来た。軍隊が出動して、街の建物を次々に破壊して行くと、昼夜なしに疎開の馬車が絶えなかった。
 昼すぎ、みんなが外出したあとの事務室で、正三はひとり岩波新書の『零の発見』を読み耽《ふけ》っていた。ナポレオン戦役の時、ロシア軍の捕虜になったフランスの一士官が、憂悶《ゆうもん》のあまり数学の研究に没頭していたという話は、妙に彼の心に触れるものがあった。……ふと、そこへ、せかせかと清二が戻って来た。何かよほど興奮しているらしいことが、顔つきに現れていた。
「兄貴はまだ帰らぬか」
「まだらしいな」正三はぼんやり応《こた》えた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなっているのか、第三者には把《つか》めないのであった。
「ぐずぐずしてはいられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行って見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払われてしまったぞ。被服支廠《ひふくししょう》もいよいよ疎開だ」
「ふん、そういうことになったのか。してみると、広島は東京よりまず三月ほど立遅れていたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟《つぶや》くと、
「それだけ広島が遅れていたのは有難いと思わねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせてなおも硬《かた》い表情をしていた。
 ……大勢の子供を抱《かか》えた清二の家は、近頃は次から次へとごったかえす要件で紛糾していた。どの部屋にも疎開の衣類が跳繰《はねく》りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加わって近く出発することになっていたので、その準備だけでも大変だった。手際《てぎわ》のわるい光子はのろのろと仕事を片づけ、どうかすると無駄話に時を浪費している。清二は外から帰って来ると、いつも苛々《いらいら》した気分で妻にあたり散らすのであったが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠《ひきこも》って、せっせとミシンを踏んだ。リュックサックなら既に二つも彼の家にはあったし、急ぐ品でもなさそうであった。清二はただ、それを拵《こしら》える面白さに夢中だった。「なあにくそ、なあにくそ」とつぶやきながら、針を運んだ。「職人なんかに負けてたまるものか」事実、彼の拵えたリュックは下手《へた》な職人の品よりか優秀であった。
 ……こうして、清二は清二なりに何か気持を紛らし続けていたのだが、今日、被服支廠に出頭すると、工場疎開を命じられたのには、急に足許《あしもと》が揺れだす思いがした。それから帰路、竹屋町辺まで差しかかると、昨日まで四十何年間も見馴れた小路が、すっかり歯の抜けたようになっていて、兵隊は滅茶苦茶に鉈《なた》を振るっている。二十代に二三年他郷に遊学したほかは、殆どこの郷土を離れたこともなく、与えられた仕事を堪えしのび、その地位も漸《ようや》く安定していた清二にとって、これは堪えがたいことであった。……一体全体どうなるのか。正三などにわかることではなかった。彼は、一刻も速く順一に会って、工場疎開のことを告げておきたかった。親身で兄と相談したいことは、いくらもあるような気持がした。それなのに、順一は順一で高子のことに気を奪われ、今は何のたよりにもならないようであった。
 清二はゲートルをとりはずし、暫《しばら》くぼんやりしていた。そのうちに上田や三浦が帰って来ると、事務室は建物疎開の話で持ちきった。「乱暴なことをするのう。うちに、鋸《のこぎり》で柱をゴシゴシ引いて、繩《なわ》かけてエンヤサエンヤサと引張り、それで片っぱしからめいで行くのだから、瓦《かわら》も何もわや苦茶じゃ」と上田は兵隊の早業《はやわざ》に感心していた。「永田の紙屋なんか可哀相《かわいそう》なものさ。あの家は外から見ても、それは立派な普請だが、親爺《おやじ》さん床柱を撫《な》でてわいわい泣いたよ」と三浦は見てきたように語る。すると、清二も今はニコニコしながら、この話に加わるのであった。そこへ冴《さ》えない顔つきをして順一も戻って来た。

 四月に入ると、街にはそろそろ嫩葉《わかば》も見えだしたが、壁土の土砂が風に煽《あお》られて、空気はひどくザラザラしていた。車馬の往来は絡繹《らくえき》とつづき、人間の生活が今はむき出しで晒《さら》されていた。
「あんなものまで運んでいる」と、清二は事務室の窓から外を眺めて笑った。大八車に雉子《きじ》の剥製《はくせい》が揺れながら見えた。「情ないものじゃないか。中国が悲惨だとか何とか云いながら、こちらだって中国のようになってしまったじゃないか」と、流転の相《すがた》に心を打たれてか、順一もつぶやいた。この長兄は、要心深く戦争の批判を避けるのであったが、硫黄島が陥落した時には、「東条なんか八つ裂きにしてもあきたらない」と漏《もら》した。だが、清二が工場疎開のことを急《せ》かすと、「被服支廠から真先に浮足立ったりしてどうなるのだ」と、あまり賛成しないのであった。
 正三もゲートルを巻いて外出することが多くなった。銀行、県庁、市役所、交通公社、動員署――どこへ行っても簡単な使いであったし、帰りにはぶらぶらと巷《ちまた》を見て歩いた。……堀川町の通りがぐいと思いきり切開かれ、土蔵だけを残し、ギラギラと破壊の跡が遠方まで展望されるのは、印象派の絵のようであった。これはこれで趣もある、と正三は強いてそんな感想を抱《いだ》こうとした。すると、ある日、その印象派の絵の中に真白な鴎《かもめ》が無数に動いていた。勤労奉仕の女学生たちであった。彼女たちはピカピカと光る破片の上におりたち、白い上衣《うわぎ》に明るい陽光を浴びながら、てんでに弁当を披《ひら》いているのであった。……古本屋へ立寄ってみても、書籍の変動が著しく、狼狽《ろうばい》と無秩序がここにも窺《うかが》われた。「何か天文学の本はありませんか」そんなことを尋ねている青年の声がふと彼の耳に残った。
 ……電気休みの日、彼は妻の墓を訪れ、その序《つい》でに饒津《にぎつ》公園の方を歩いてみた。以前この辺は花見遊山《はなみゆさん》の人出で賑《にぎ》わったものだが、そうおもいながら、ひっそりとした木蔭《こかげ》を見やると、老婆と小さな娘がひそひそと弁当をひろげていた。桃の花が満開で、柳の緑は燃えていた。だが、正三にはどうも、まともに季節の感覚が映って来なかった。何かがずれさがって、恐しく調子を狂わしている。――そんな感想を彼は友人に書き送った。岩手県の方に疎開している友からもよく便《たよ》りがあった。「元気でいて下さい。細心にやって下さい」そういう短い言葉の端にも正三は、ひたすら終戦の日を祈っているものの気持を感じた。だが、その新しい日まで己《おれ》は生きのびるだろうか。……

 片山のところに召集令状がやって来た。精悍《せいかん》な彼は、いつものように冗談をいいながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであった。
「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊《たず》ねた。
「それも今年はじめてある筈だったのですが、……いきなりこれでさあ。何しろ、千年に一度あるかないかの大いくさですよ」と片山は笑った。
 長い間、病気のため姿を現さなかった三津井老人が事務室の片隅《かたすみ》から、憂わしげに彼|等《ら》の様子を眺《なが》めていたが、このとき静かに片山の側《そば》に近寄ると、
「兵隊になられたら、馬鹿になりなさいよ、ものを考えてはいけませんよ」と、息子《むすこ》に云いきかすように云いだした。
 ……この三津井老人は正三の父の時代から店にいた人で、子供のとき正三は一度学校で気分が悪くなり、この人に迎えに来てもらった記憶がある。そのとき三津井は青ざめた彼を励しながら、川のほとりで嘔吐《おうと》する肩を撫《な》でてくれた。そんな、遠い、細かなことを、無表情に近い、窄《すぼ》んだ顔は憶《おぼ》えていてくれるのだろうか。正三はこの老人が今日のような時代をどう思っているか、尋ねてみたい気持になることもあった。だが、老人はいつも事務室の片隅で、何か人を寄せつけない頑《かたくな》なものを持っていた。
 ……あるとき、経理部から、暗幕につける環を求めて来たことがある。上田が早速《さっそく》、倉庫から環の箱を取出し、事務室の卓に並べると、「そいつは一箱いくつ這入《はい》っていますか」と経理部の兵は訊ねた。「千箇でさあ」と上田は無造作に答えた。隅の方で、じろじろ眺めていた老人はこのとき急に言葉をさし挿《はさ》んだ。
「千箇? そんな筈はない」
 上田は不思議そうに老人を眺め、
「千箇でさあ、これまでいつもそうでしたよ」
「いいや、どうしても違う」
 老人は立上って秤《はかり》を持って来た。それから、百箇の環の目方を測ると、次に箱全体の環を秤にかけた。全体を百で割ると、七百箇であった。

 森製作所では片山の送別会が行われた。すると、正三の知らぬ人々が事務室に現れ、いろんなものをどこかから整えてくるのであった。順一の加わっている、さまざまなグルウプ、それが互に物資の融通をし合っていることを正三は漸《ようや》く気づくようになった。……その頃になると、高子と順一の長い間の葛藤《かっとう》は結局、曖昧《あいまい》になり、思いがけぬ方角へ解決されてゆくのであった。
 疎開の意味で、高子には五日市町の方へ一軒、家を持たす、そして森家の台所は恰度《ちょうど》、息子を学童疎開に出して一人きりになっている康子に委《ゆだ》ねる、――そういうことが決定すると、高子も晴れがましく家に戻って来て、移転の荷拵《にごしら》えをした。だが、高子にもまして、この荷造に熱中したのは順一であった。彼はいろんな品物に丁寧に綱をかけ、覆《おお》いや枠《わく》を拵えた。そんな作業の合間には、事務室に戻り、チェック・プロテクターを使ったり、来客と応対した。夜は妹を相手にひとりで晩酌をした。酒はどこかから這入って来たし、順一の機嫌《きげん》はよかった……
 と、ある朝、B29がこの街の上空を掠《かす》めて行った。森製作所の縫工場にいた学徒たちは、一斉に窓からのぞき、屋根の方へ匐《は》い出し、空に残る飛行機雲をみとれた。「綺麗《きれい》だわね」「おお速いこと」と、少女たちはてんでに嘆声を放つ。B29も、飛行機雲も、この街に姿を現したのはこれがはじめてであった。――昨年来、東京で見なれていた正三には久し振りに見る飛行機雲であった。
 その翌日、馬車が来て、高子の荷は五日市町の方へ運ばれて行った。「嫁入りのやりなおしですよ」と、高子は笑いながら、近所の人々に挨拶《あいさつ》して出発した。だが、四五日すると、高子は改めて近所との送別会に戻って来た。電気休業で、朝から台所には餅臼《もちうす》が用意されて、順一や康子は餅搗《もちつき》の支度《したく》をした。そのうちに隣組の女達がぞろぞろと台所にやって来た。……今では正三も妹の口から、この近隣の人々のことも、うんざりするほどきかされていた。誰と誰とが結托《けったく》していて、何処《どこ》と何処が対立し、いかに統制をくぐり抜けてみんなそれぞれ遣繰《やりくり》をしているか。台所に姿を現した女たちは、みんな一筋繩《ひとすじなわ》ではゆかぬ相貌《そうぼう》であったが、正三などの及びもつかぬ生活力と、虚偽を無邪気に振舞う本能をさずかっているらしかった。……「今のうちに飲んでおきましょうや」と、そのころ順一のところにはいろんな仲間が宴会の相談を持ちかけ、森家の台所は賑わった。そんなとき近所のおかみさん達もやって来て加勢するのであった。

 正三は夢の中で、嵐《あらし》が揉《も》みくちゃにされて墜《お》ちているのを感じた。つづいて、窓ガラスがドシン、ドシンと響いた。そのうちに、「煙が、煙が……」と何処かすぐ近くで叫んでいるのを耳にした。ふらふらする足どりで、二階の窓際《まどぎわ》へ寄ると、遙《はる》か西の方の空に黒煙《こくえん》が濛々《もうもう》と立騰《たちのぼ》っていた。服装をととのえ階下に行った時には、しかし、もう飛行機は過ぎてしまった後であった。……清二の心配そうな顔があった。「朝寝なんかしている際じゃないぞ」と彼は正三を叱《しか》りつけた。その朝、警報が出たことも正三はまるで知らなかったのだが、ラジオが一機、浜田(日本海側、島根県の港)へ赴《おもむ》いたと報じたかとおもうと、間もなくこれであった。紙屋町筋に一筋パラパラと爆弾が撒《ま》かれて行ったのだ。四月末日のことであった。

 五月に入ると、近所の国民学校の講堂で毎晩、点呼の予習が行われていた。それを正三は知らなかったのであるが、漸くそれに気づいたのは、点呼前四日のことであった。その日から、彼も早目に夕食を了《お》えては、そこへ出掛けて行った。その学校も今では既に兵舎に充《あ》てられていた。燈の薄暗い講堂の板の間には、相当年輩の一群と、ぐんと若い一組が入混っていた。血色のいい、若い教官はピンと身をそりかえらすような姿勢で、ピカピカの長靴《ちょうか》の脛《すね》はゴムのように弾《はず》んでいた。
「みんなが、こうして予習に来ているのを、君だけ気づかなかったのか」
 はじめ教官は穏かに正三に訊ね、正三はぼそぼそと弁解した。
「声が小さい!」
 突然、教官は、吃驚《びっくり》するような声で呶鳴《どな》った。
 ……そのうち、正三もここでは皆がみんな蛮声の出し合いをしていることに気づいた。彼も首を振るい、自棄《やけ》くそに出来るかぎりの声を絞りだそうとした。疲れて家に戻ると、怒号の調子が身裡《みうち》に渦巻いた。……教官は若い一組を集めて、一人一人に点呼の練習をしていた。教官の問に対して、青年たちは元気よく答え、練習は順調に進んでいた。足が多少|跛《びっこ》の青年がでてくると、教官は壇上から彼を見下ろした。
「職業は写真屋か」
「左様でございます」青年は腰の低い商人口調でひょこんと応《こた》えた。
「よせよ、ハイ、で結構だ。折角、今|迄《まで》いい気分でいたのに、そんな返事されてはげっそりしてしまう」と教官は苦笑いした。この告白で正三はハッと気づいた。陶酔だ、と彼はおもった。
「馬鹿馬鹿しいきわみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔しているだけだ」家に帰ると正三は妹の前でぺらぺらと喋《しゃべ》った。

 今にも雨になりそうな薄暗い朝であった。正三はその国民学校の運動場の列の中にいた。五時からやって来たのであるが、訓示や整列の繰返しばかりで、なかなか出発にはならなかった。その朝、態度がけしからんと云って、一青年の頬桁《ほおげた》を張り飛ばした教官は、何かまだ弾む気持を持てあましているようであった。そこへ恰度《ちょうど》、ひどく垢《あか》じみた中年男がやって来ると、もそもそと何か訴えはじめた。
「何だと!」と教官の声だけが満場にききとれた。「一度も予習に出なかったくせにして、今朝だけ出るつもりか」
 教官はじろじろ彼を眺めていたが、
「裸になれ!」と大喝《だいかつ》した。そう云われて、相手はおずおずと釦《ボタン》を外《はず》しだした。が、教官はいよいよ猛《たけ》って来た。
「裸になるとは、こうするのだ」と、相手をぐんぐん運動場の正面に引張って来ると、くるりと後向きにさせて、パッとシャツを剥《は》ぎとった。すると青緑色の靄《もや》が立罩《たちこ》めた薄暗い光線の中に、瘡蓋《かさぶた》だらけの醜い背中が露出された。
「これが絶対安静を要した躯《からだ》なのか」と、教官は次の動作に移るため一寸《ちょっと》間を置いた。
「不心得者!」この声と同時にピシリと鉄拳《てっけん》が閃《ひらめ》いた。と、その時、校庭にあるサイレンが警戒警報の唸《うな》りを放ちだした。その、もの哀《がな》しげな太い響は、この光景にさらに凄惨《せいさん》な趣を加えるようであった。やがてサイレンが歇《や》むと、教官は自分の演じた効果に大分満足したらしく、
「今から、この男を憲兵隊へ起訴してやる」と一同に宣言し、それから、はじめて出発を命じるのであった。……一同が西練兵場へ差しかかると、雨がぽちぽち落ちだした。荒々しい歩調の音が堀に添って進んだ。その堀の向うが西部二部隊であったが、仄暗《ほのぐら》い緑の堤にいま躑躅《つつじ》の花が血のように咲乱れているのが、ふと正三の眼に留った。

 康子の荷物は息子の学童疎開地へ少し送ったのと、知り合いの田舎《いなか》へ一箱預けたほかは、まだ大部分順一の家の土蔵にあった。身のまわりの品と仕事道具は、ミシンを据えた六畳の間に置かれたが、部屋一杯、仕かかりの仕事を展《ひろ》げて、その中でのぼせ気味に働くのが好きな彼女は、そこが乱雑になることは一向気にならなかった。雨がちの天気で、早くから日が暮れると鼠《ねずみ》がごそごそ這《は》いのぼって、ボール函《ばこ》の蔭へ隠れたりした。綺麗好きの順一は時々、妹を叱りつけるのだが、康子はその時だけちょっと片附けてみるものの、部屋はすぐ前以上に乱れた。仕事やら、台所やら、掃除やら、こんな広い家を兄の気に入るとおりに出来ない、と、よく康子は清二に零《こぼ》すのであった。……五日市町へ家を借りて以来、順一はつぎつぎに疎開の品を思いつき、殆ど毎日、荷造に余念ないのだったが、荷を散乱した後は家のうちをきちんと片附けておく習慣だった。順一の持逃げ用のリュックサックは食糧品が詰められて、縁側の天井から吊《つる》されている綱に括《くく》りつけてあった。つまり、鼠の侵害を防ぐためであった。……西崎に繩を掛けさせた荷を二人で製作所の片隅へ持運ぶと、順一は事務室で老眼鏡をかけ二三の書類を読み、それから不意と風呂場へ姿を現し、ゴシゴシと流し場の掃除に取掛る。
 ……この頃、順一は身も心も独楽《こま》のようによく廻転した。高子を疎開させたものの、町会では防空要員の疎開を拒み、移動証明を出さなかった。随って、順一は食糧も、高子のところへ運ばねばならなかった。五日市町までの定期乗車券も手に入れたし、米はこと欠かないだけ、絶えず流れ込んで来る。……風呂掃除が済む頃、順一にはもう明日の荷造のプランが出来ている。そこで、手足を拭《ぬぐ》い、下駄をつっかけ、土蔵を覘《のぞ》いてみるのであったが、入口のすぐ側に乱雑に積み重ねてある康子の荷物――何か取出して、そのまま蓋《ふた》の開いている箱や、蓋から喰《は》みだしている衣類……が、いつものことながら目につく。暫く順一はそれを冷然と見詰めていたが、ふと、ここへはもっと水桶《みずおけ》を備えつけておいた方がいいな、と、ひとり頷《うなず》くのであった。
 三十も半ばすぎの康子は、もう女学生の頃の明るい頭には還《かえ》れなかったし、澄んだ魂というものは何時《いつ》のまにか見喪《みうしな》われていた。が、そのかわり何か今では不貞不貞《ふてぶて》しいものが身に備わっていた。病弱な夫と死別し、幼児を抱《かか》えて、順一の近所へ移り棲《す》むようになった頃から、世間は複雑になったし、その間、一年あまり洋裁修業の旅にも出たりしたが、生活難の底で、姑《しゅうとめ》や隣組や嫂《あによめ》や兄たちに小衝《こづ》かれてゆくうちに、多少ものの裏表もわかって来た。この頃、何よりも彼女にとって興味があるのは、他人のことで、人の気持をあれこれ臆測《おくそく》したりすることが、殆ど病みつきになっていた。それから、彼女は彼女流に、人を掌中にまるめる、というより人と面白く交際《つきあ》って、ささやかな愛情のやりとりをすることに、気を紛らすのであった。半年前から知り合いになった近所の新婚の無邪気な夫妻もたまらなく好意が持てたので、順一が五日市の方へ出掛けて行って留守の夜など、康子はこの二人を招待して、どら焼を拵えた。燈火管制の下で、明日をも知れない脅威のなかで、これは飯事遊《ままごとあそび》のように娯《たの》しい一ときであった。
 ……本家の台所を預かるようになってからは、甥《おい》の中学生も「姉さん、姉さん」とよく懐《なつ》いた。二人のうち小さい方は母親にくっついて五日市町へ行ったが、煙草の味も覚えはじめた、上の方の中学生は盛場の夜の魅力に惹《ひ》かれてか、やはり、ここに踏みとどまっていた。夕方、三菱工場から戻って来ると、早速《さっそく》彼は台所をのぞく。すると、戸棚《とだな》には蒸パンやドウナッツが、彼の気に入るようにいつも目さきを変えて、拵えてあった。腹一杯、夕食を食べると、のそりと暗い往来へ出掛けて行き、それから戻って来ると一風呂浴びて汗をながす。暢気《のんき》そうに湯のなかで大声で歌っている節まわしは、すっかり職工気どりであった。まだ、顔は子供っぽかったが、躯《からだ》は壮丁なみに発達していた。康子は甥の歌声をきくと、いつもくすくす笑うのだった。……餡《あん》を入れた饅頭《まんじゅう》を拵え、晩酌の後出すと、順一はひどく賞《ほ》めてくれる。青いワイシャツを着て若返ったつもりの順一は、「肥《ふと》ったではないか、ホホウ、日々に肥ってゆくぞ」と機嫌よく冗談を云うことがあった。実際、康子は下腹の方が出張って、顔はいつのまにか二十代の艶《つや》を湛《たた》えていた。だが、週に一度位は五日市町の方から嫂が戻って来た。派手なモンペを着た高子は香料のにおいを撒きちらしながら、それとなく康子の遣口《やりくち》を監視に来るようであった。そういうとき警報が出ると、すぐこの高子は顔を顰《しか》めるのであったが、解除になると、「さあ、また警報が出るとうるさいから帰りましょう」とそそくさと立去るのだった。
 ……康子が夕餉《ゆうげ》の支度《したく》にとりかかる頃には大概、次兄の清二がやって来る。疎開学童から来たといって、嬉《うれ》しそうにハガキを見せることもあった。が、時々、清二は「ふらふらだ」とか「目眩《めまい》がする」と訴えるようになった。顔に生気がなく、焦躁《しょうそう》の色が目だった。康子が握飯を差出すと、彼は黙ってうまそうにパクついた。それから、この家の忙しい疎開振りを眺めて、「ついでに石灯籠《いしどうろう》も植木もみんな持って行くといい」など嗤《わら》うのであった。
 前から康子は土蔵の中に放りっぱなしになっている箪笥《たんす》や鏡台が気に懸《かか》っていた。「この鏡台は枠《わく》つくらすといい」と順一も云ってくれた程だし、一こと彼が西崎に命じてくれれば直《す》ぐ解決するのだったが、己《おのれ》の疎開にかまけている順一は、もうそんなことは忘れたような顔つきだった。直接、西崎に頼むのはどうも気がひけた。高子の命令なら無条件に従う西崎も康子のことになると、とかく渋るようにおもえた。……その朝、康子は事務室から釘抜《くぎぬき》を持って土蔵の方へやって来た順一の姿を注意してみると、その顔は穏かに凪《な》いでいたので、頼むならこの時とおもって、早速、鏡台のことを持ちかけた。
「鏡台?」と順一は無感動に呟《つぶや》いた。
「ええ、あれだけでも速く疎開させておきたいの」と康子はとり縋《すが》るように兄の眸《ひとみ》を視《み》つめた。と、兄の視線はちらと脇《わき》へ外《そ》らされた。
「あんな、がらくた、どうなるのだ」そういうと順一はくるりとそっぽを向いて行ってしまった。はじめ、康子はすとんと空虚のなかに投げ出されたような気持であった。それから、つぎつぎに憤りが揺れ、もう凝《じっ》としていられなかった。がらくたといっても、度重《たびかさ》なる移動のためにあんな風になったので、彼女が結婚する時まだ生きていた母親がみたててくれた記念の品であった。自分のものになると箒《ほうき》一本にまで愛着する順一が、この切ない、ひとの気持は分ってくれないのだろうか。……彼女はまたあの晩の怕《こわ》い順一の顔つきを想い浮べていた。
 それは高子が五日市町に疎開する手筈のできかかった頃のことであった。妻のかわりに妹をこの家に移し一切を切廻さすことにすると、順一は主張するのであったが、康子はなかなか承諾しなかった。一つには身勝手な嫂に対するあてこすりもあったが、加計町の方へ疎開した子供のことも気になり、一そのこと保姆《ほぼ》となって其処《そこ》へ行ってしまおうかとも思い惑った。嫂と順一とは康子をめぐって宥《なだ》めたり賺《すか》したりしようとするのであったが、もう夜も更《ふ》けかかっていた。
「どうしても承諾してくれないのか」と順一は屹《きっ》となってたずねた。
「ええ、やっぱし広島は危険だし、一そのこと加計町の方へ……」と、康子は同じことを繰返した。突然、順一は長火鉢《ながひばち》の側にあったネーブルの皮を掴《つか》むと、向うの壁へピシャリと擲《な》げつけた。狂暴な空気がさっと漲《みなぎ》った。「まあ、まあ、もう一ぺん明日までよく考えてみて下さい」と嫂はとりなすように言葉を挿《はさ》んだが、結局、康子はその夜のうちに承諾してしまったのであった。……暫《しばら》く康子は眼もとがくらくらするような状態で家のうちをあてもなく歩き廻っていたが、何時の間にか階段を昇ると二階の正三の部屋に来ていた。そこには朝っぱらからひとり引籠《ひきこも》って靴下の修繕をしている正三の姿があった。順一のことを一気に喋り了《おわ》ると、はじめて泪《なみだ》があふれ流れた。そして、いくらか気持が落着くようであった。正三は憂わしげにただ黙々としていた。
 点呼が了ってからの正三は、自分でもどうにもならぬ虚無感に陥りがちであった。その頃、用事もあまりなかったし、事務室へも滅多に姿を現さなくなっていた。たまに出て来れば、新聞を読むためであった。ドイツは既に無条件降伏をしていたが、今この国では本土決戦が叫ばれ、築城などという言葉が見えはじめていた。正三は社説の裏に何か真相のにおいを嗅《か》ぎとろうとした。しかし、どうかすると、二日も三日も新聞が読めないことがあった。これまで順一の卓上に置かれていた筈のものが、どういうものか何処かに匿《かく》されていた。
 絶えず何かに追いつめられてゆくような気持でいながら、だらけてゆくものをどうにも出来ず、正三は自らを持てあますように、ぶらぶらと広い家のうちを歩き廻ることが多かった。……昼時になると、女生徒が台所の方へお茶を取りに来る。すると、黒板の塀《へい》一重を隔てて、工場の露次の方でいま作業から解放された学徒たちの賑やかな声がきこえる。正三がこちらの食堂の縁側に腰を下ろし、すぐ足もとの小さな池に憂鬱《ゆううつ》な目《まな》ざしを落していると、工場の方では学徒たちの体操が始り、一、二、一、二と級長の晴れやかな号令がきこえる。そのやさしい弾みをもった少女の声だけが、奇妙に正三の心を慰めてくれるようであった。……三時頃になると、彼はふと思いついたように、二階の自分の部屋に帰り、靴下の修繕をした。すると、庭を隔てて、向うの事務室の二階では、せっせと立働いている女工たちの姿が見え、モーターミシンの廻転する音響もここまできこえて来る。正三は針のめどに指さきを惑わしながら、「これを穿《は》いて逃げる時」とそんな念想が閃めくのであった。
 ……それから日没の街を憮然《ぶぜん》と歩いている彼の姿がよく見かけられた。街はつぎつぎに建ものが取払われてゆくので、思いがけぬところに広場がのぞき、粗末な土の壕《ごう》が蹲《うずくま》っていた。滅多に電車も通らないだだ広い路を曲ると、川に添った堤に出て、崩《くず》された土塀のほとりに、無花果《いちじく》の葉が重苦しく茂っている。薄暗くなったまま容易に夜に溶け込まない空間は、どろんとした湿気が溢《あふ》れて、正三はまるで見知らぬ土地を歩いているような気持がするのであった。……だが、彼の足はその堤を通りすぎると、京橋の袂《たもと》へ出、それから更に川に添った堤を歩いてゆく。清二の家の門口まで来かかると、路傍で遊んでいた姪《めい》がまず声をかけ、つづいて一年生の甥がすばやく飛びついてくる。甥はぐいぐい彼の手を引張り、固い小さな爪《つめ》で、正三の手首を抓《つね》るのであった。
 その頃、正三は持逃げ用の雑嚢《ざつのう》を欲しいとおもいだした。警報の度毎《たびごと》に彼は風呂敷包を持歩いていたが、兄たちは立派なリュックを持っていたし、康子は肩からさげるカバンを拵えていた。布地さえあればいつでも縫ってあげると康子は請合った。そこで、正三は順一に話を持ちかけると、「カバンにする布地?」と順一は呟いて、そんなものがあるのか無いのか曖昧《あいまい》な顔つきであった。そのうちには出してくれるのかと待っていたが一向はっきりしないので、正三はまた順一に催促してみた。すると、順一は意地悪そうに笑いながら、「そんなものは要《い》らないよ。担《かつ》いで逃げたいのだったら、そこに吊してあるリュックのうち、どれでもいいから持って逃げてくれ」と云うのであった。そのカバンは重要書類とほんの身につける品だけを容《い》れるためなのだと、正三がいくら説明しても、順一はとりあってくれなかった。……「ふーん」と正三は大きな溜息《ためいき》をついた。彼には順一の心理がどうも把《つか》めないのであった。「拗《す》ねてやるといいのよ。わたしなんか泣いたりして困らしてやる」と、康子は順一の操縦法を説明してくれた。鏡台の件にしても、その後けろりとして順一は疎開させてくれたのであった。だが、正三にはじわじわした駈引《かけひき》はできなかった。……彼は清二の家へ行ってカバンのことを話した。すると清二は恰度《ちょうど》いい布地を取出し、「これ位あったら作れるだろう。米一斗というところだが、何かよこすか」というのであった。布地を手に入れると正三は康子にカバンの製作を頼んだ。すると、妹は、「逃げることばかり考えてどうするの」と、これもまた意地のわるいことを云うのであった。

 四月三十日に爆撃があったきり、その後ここの街はまだ空襲を受けなかった。随《したが》って街の疎開にも緩急があり、人心も緊張と弛緩《しかん》が絶えず交替していた。警報は殆ど連夜出たが、それは機雷投下ときまっていたので、森製作所でも監視当番制を廃止してしまった。だが、本土決戦の気配は次第にもう濃厚になっていた。
「畑《はた》元帥が広島に来ているぞ」と、ある日、清二は事務室で正三に云った。「東練兵場に築城本部がある。広島が最後の牙城になるらしいぞ」そういうことを語る清二は――多少の懐疑も持ちながら――正三にくらべると、決戦の心組に気負っている風にもみえた。……「畑元帥がのう」と、上田も間のびした口調で云った。
「ありゃあ、二葉の里で、毎日二つずつ大きな饅頭《まんじゅう》を食べてんだそうな」……夕刻、事務室のラジオは京浜地区にB29五百機来襲を報じていた。顰面《しかめつら》して聴《き》いていた三津井老人は、
「へーえ、五百機!……」
 と思わず驚嘆の声をあげた。すると、皆はくすくす笑い出すのであった。
 ……ある日、東警察署の二階では、市内の工場主を集めて何か訓示が行われていた。代理で出掛けて来た正三は、こういう席にははじめてであったが、興もなさげにひとり勝手なことを考えていた。が、そのうちにふと気がつくと、弁士が入替って、いま体躯《たいく》堂々たる巡査が喋りだそうとするところであった。正三はその風采《ふうさい》にちょっと興味を感じはじめた。体格といい、顔つきといい、いかにも典型的な警察官というところがあった。「ええ、これから防空演習の件について、いささか申上げます」と、その声はまた明朗|闊達《かったつ》であった。……おやおや、全国の都市がいま弾雨の下に晒《さら》されている時、ここでは演習をやるというのかしら、と正三は怪しみながら耳を傾けた。
「ええ、御承知の通り現在、我が広島市へは東京をはじめ、名古屋、或《あるい》は大阪、神戸方面から、つまり各方面の罹災者《りさいしゃ》が続々と相次いで流込んでおります。それらの罹災者が我が市民諸君に語るところは何であるかと申しますと、『いやはや、空襲は怕《こわ》かった怕かった。何んでもかんでも速く逃げ出すに限る』と、ほざくのであります。しかし、畢竟《ひっきょう》するに彼等は防空上の惨敗者であり、憐《あわれ》むべき愚民であります。自ら恃《たの》むところ厚き我々は決して彼等の言に耳を傾けてはならないのであります。なるほど戦局は苛烈《かれつ》であり、空襲は激化の一路にあります。だが、いかなる危険といえども、それに対する確乎《かっこ》たる防備さえあれば、いささかも怖《おそ》るには足りないのであります」
 そう云いながら、彼はくるりと黒板の方へ対《む》いて、今度は図示に依《よ》って、実際的の説明に入った。……その聊《いささ》かも不安もなさげな、彼の話をきいていると、実際、空襲は簡単|明瞭《めいりょう》な事柄であり、同時に人の命もまた単純明確な物理的作用の下にあるだけのことのようにおもえた。珍しい男だな、と正三は考えた。だが、このような好漢ロボットなら、いま日本にはいくらでもいるにちがいない。

 順一は手ぶらで五日市町の方へ出向くことはなく、いつもリュックサックにこまごました疎開の品を詰込み、夕食後ひとりいそいそと出掛けて行くのであったが、ある時、正三に「万一の場合知っていてくれぬと困るから、これから一緒に行こう」と誘った。小さな荷物持たされて、正三は順一と一緒に電車の停車場へ赴《おもむ》いた。己斐《こい》行はなかなかやって来ず、正三は広々とした道路のはてに目をやっていた。が、そのうちに、建物の向うにはっきりと呉娑娑宇《ごさそう》山がうずくまっている姿がうつった。
 それは今、夏の夕暮の水蒸気を含んで鮮《あざや》かに生動していた。その山に連なるほかの山々もいつもは仮睡の淡い姿しか示さないのに、今日はおそろしく精気に満ちていた。底知れない姿の中を雲がゆるゆると流れた。すると、今にも山々は揺れ動き、叫びあおうとするようであった。ふしぎな光景であった。ふと、この街をめぐる、或る大きなものの構図が、このとき正三の眼に描かれて来だした。……清冽《せいれつ》な河川をいくつか乗越え、電車が市外に出てからも、正三の眼は窓の外の風景に喰入《くいい》っていた。その沿線はむかし海水浴客で賑《にぎ》わったので、今も窓から吹込む風がふとなつかしい記憶のにおいを齎《もた》らしたりした。が、さきほどから正三をおどろかしている中国山脈の表情はなおも衰えなかった。暮れかかった空に山々はいよいよあざやかな緑を投出し、瀬戸内海の島影もくっきりと浮上った。波が、青い穏かな波が、無限の嵐《あらし》にあおられて、今にも狂いまわりそうに想えた。

 正三の眼には、いつも見馴《みな》れている日本地図が浮んだ。広袤《こうほう》はてしない太平洋のはてに、はじめ日本列島は小さな点々として映る。マリアナ基地を飛立ったB29の編隊が、雲の裏を縫って星のように流れてゆく。日本列島がぐんとこちらに引寄せられる。八丈島の上で二つに岐《わか》れた編隊の一つは、まっすぐ富士山の方に向い、他は、熊野灘《くまのなだ》に添って紀伊水道の方へ進む。が、その編隊から、いま一機がふわりと離れると、室戸岬《むろとみさき》を越えて、ぐんぐん土佐湾に向ってゆく。……青い平原の上に泡《あわ》立ち群がる山脈が見えてくるが、その峰を飛越えると、鏡のように静まった瀬戸内海だ。一機はその鏡面に散布する島々を点検しながら、悠然《ゆうぜん》と広島湾上を舞っている。強すぎる真昼の光線で、中国山脈も湾口に臨む一塊の都市も薄紫の朧《おぼろ》である。……が、そのうちに、宇品《うじな》港の輪郭がはっきりと見え、そこから広島市の全貌《ぜんぼう》が一目に瞰下《みおろ》される。山峡にそって流れている太田川が、この街の入口のところで分岐すると、分岐の数は更に増《ふ》え、街は三角洲の上に拡《ひろが》っている。街はすぐ背後に低い山々をめぐらし、練兵場の四角形が二つ、大きく白く光っている。だが、近頃その川に区切られた街には、いたるところに、疎開跡の白い空地《あきち》が出来上っている。これは焼夷弾《しょういだん》攻撃に対して鉄壁の陣を布《し》いたというのであろうか。……望遠鏡のおもてに、ふと橋梁《きょうりょう》が現れる。豆粒ほどの人間の群が今も忙しげに動きまわっている。たしか兵隊にちがいない。兵隊、――それが近頃この街のいたるところを占有しているらしい。練兵場に蟻《あり》の如《ごと》くうごめく影はもとより、ちょっとした建物のほとりにも、それらしい影が点在する。……サイレンは鳴ったのだろうか。荷車がいくつも街中を動いている。街はずれの青田には玩具《おもちゃ》の汽車がのろのろ走っている。……静かな街よ、さようなら。B29一機はくるりと舵《かじ》を換え悠然と飛去るのであった。

 琉球《りゅうきゅう》列島の戦が終った頃、隣県の岡山市に大空襲があり、つづいて、六月三十日の深更から七月一日の未明まで、呉《くれ》市が延焼した。その夜、広島上空を横切る編隊爆音はつぎつぎに市民の耳を脅かしていたが、清二も防空頭巾《ぼうくうずきん》に眼ばかり光らせながら、森製作所へやって来た。工場にも事務室にも人影はなく、家の玄関のところに、康子と正三と甥の中学生の三人が蹲《うずくま》っているのだった。たったこれだけで、こんな広い場所を防ぐというのだろうか、――清二はすぐにそんなことを考えるのであった。と、表の方で半鐘が鳴り「待避」と叫ぶ声がきこえた。四人はあたふたと庭の壕《ごう》へ身を潜めた。密雲の空は容易に明けようともせず、爆音はつぎつぎにききとれた。もののかたちがはっきり見えはじめたころ漸《ようや》く空襲解除となった。
 ……その平静に返った街を、ひどく興奮しながら、順一は大急ぎで歩いていた。彼は五日市町で一睡もしなかったし、海を隔てて向うにあかあかと燃える火焔《かえん》を夜どおし眺めたのだった。うかうかしてはいられない。火はもう踵《かかと》に燃えついて来たのだ、――そう呟《つぶや》きながら、一刻も早く自宅に駈《か》けつけようとした。電車はその朝も容易にやって来ず、乗客はみんな茫《ぼう》とした顔つきであった。順一が事務室に現れたのは、朝の陽《ひ》も大分高くなっていた頃であったが、ここにも茫とした顔つきの睡《ねむ》そうな人々ばかりと出逢《であ》った。
「うかうかしている時ではない。早速、工場は疎開させる」
 順一は清二の顔を見ると、すぐにそう宣告した。ミシンの取りはずし、荷馬車の下附を県庁へ申請すること、家財の再整理。――順一にはまた急な用件が山積した。相談相手の清二は、しかし、末節に疑義を挿《はさ》むばかりで、一向てきぱきしたところがなかった。順一はピシピシと鞭《むち》を振いたいおもいに燃立つのだった。

 その翌々日、こんどは広島の大空襲だという噂《うわさ》がパッと拡った。上田が夕刻、糧秣廠《りょうまつしょう》からの警告を順一に伝えると、順一は妹を急《せ》かして夕食を早目にすまし、正三と康子を顧みて云った。
「儂《わし》はこれから出掛けて行くが、あとはよろしく頼む」
「空襲警報が出たら逃げるつもりだが……」正三が念を押すと順一は頷《うなず》いた。
「駄目らしかったらミシンを井戸へ投込んでおいてくれ」
「蔵の扉を塗りつぶしたら……今のうちにやってしまおうかしら」
 ふと、正三は壮烈な気持が湧《わ》いて来た。それから土蔵の前に近づいた。かねて赤土は粘《ね》ってあったが、その土蔵の扉を塗り潰《つ》ぶすことは、父の代には遂《つい》に一度もなかったことである。梯子《はしご》を掛けると、正三はぺたぺたと白壁の扉の隙間《すきま》に赤土をねじ込んで行った。それが終った頃順一の姿はもうそこには見えなかった。正三は気になるので、清二の家に立寄ってみた。「今夜が危いそうだが……」正三が云うと、「ええ、それがその秘密なのだけど近所の児島さんもそんなことを夕方役所からきいて帰り……」と、何か一生懸命、袋にものを詰めながら光子はだらだらと弁じだした。
 一とおり用意も出来て、階下の六畳、――その頃正三は階下で寝るようになっていた、――の蚊帳《かや》にもぐり込んだ時であった。ラジオが土佐沖海面警戒警報を告げた。正三は蚊帳の中で耳を澄ました。高知県、愛媛県が警戒警報になり、つづいてそれは空襲警報に移っていた。正三は蚊帳《かや》の外に匐《は》い出すと、ゲートルを捲《ま》いた。それから雑嚢《ざつのう》と水筒を肩に交錯させると、その上をバンドで締めた。玄関で靴を探《さが》し、最後に手袋を嵌《は》めた時、サイレンが警戒警報を放った。彼はとっとと表へ飛び出すと、清二の家の方へ急いだ。暗闇《くらやみ》のなかを固い靴底に抵抗するアスファルトがあった。正三はぴんと立ってうまく歩いている己の脚を意識した。清二の家の門は開け放たれていた。玄関の戸をいくら叩《たた》いても何の手ごたえもない。既に逃げ去った後らしかった。正三はあたふたと堤の路《みち》を突きって栄橋の方へ進んだ。橋の近くまで来た時、サイレンは空襲を唸《うな》りだすのであった。
 夢中で橋を渡ると、饒津《にぎつ》公園裏の土手を廻り、いつの間にか彼は牛田《うした》方面へ向う堤まで来ていた。この頃、漸く正三は彼のすぐ周囲をぞろぞろと犇《ひしめ》いている人の群に気づいていた。それは老若男女、あらゆる市民の必死のいでたちであった。鍋釜《なべかま》を満載したリヤカーや、老母を載せた乳母車《うばぐるま》が、雑沓《ざっとう》のなかを掻《か》きわけて行く。軍用犬に自転車を牽《ひ》かせながら、颯爽《さっそう》と鉄兜《てつかぶと》を被《かぶ》っている男、杖《つえ》にとり縋《すが》り跛《びっこ》をひいている老人。……トラックが来た。馬が通る。薄闇の狭い路上がいま祭日のように賑わっているのだった。……正三は樹蔭《こかげ》の水槽《すいそう》の傍にある材木の上に腰を下ろした。
「この辺なら大丈夫でしょうか」と通りがかりの老婆が訊《たず》ねた。
「大丈夫でしょう、川もすぐ前だし、近くに家もないし」そういって彼は水筒の栓《せん》を捻《ひね》った。いま広島の街の空は茫と白んで、それはもういつ火の手があがるかもしれないようにおもえた。街が全焼してしまったら、明日から己《おれ》はどうなるのだろう、そう思いながらも、正三は目の前の避難民の行方《ゆくえ》に興味を感じるのであった。
『ヘルマンとドロテア』のはじめに出て来る避難民の光景が浮んだ。だが、それに較《くら》べると何とこれは怕《おそろ》しく空白な情景なのだろう。……暫くすると、空襲警報が解除になり、つづいて警戒警報も解かれた。人々はぞろぞろと堤の路を引上げて行く。正三もその路をひとりひきかえして行った。路は来た折よりも更に雑沓していた。何か喚《わめ》きながら、担架が相次いでやって来る。病人を運ぶ看護人たちであった。
 空から撒布《さんぷ》されたビラは空襲の切迫を警告していたし、脅えた市民は、その頃、日没と同時にぞろぞろと避難行動を開始した。まだ何の警報もないのに、川の上流や、郊外の広場や、山の麓《ふもと》は、そうした人々で一杯になり、叢《くさむら》では、蚊帳や、夜具や、炊事道具さえ持出された。朝昼なしに混雑する宮島線の電車は、夕刻になると更に殺気立つ。だが、こうした自然の本能をも、すぐにその筋はきびしく取締りだした。ここでは防空要員の疎開を認めないことは、既に前から規定されていたが、今度は防空要員の不在をも監視しようとし、各戸に姓名年齢を記載させた紙を貼《は》り出させた。夜は、橋の袂《たもと》や辻々《つじつじ》に銃剣つきの兵隊や警官が頑張《がんば》った。彼等は弱い市民を脅迫して、あくまでこの街を死守させようとするのであったが、窮鼠《きゅうそ》の如く追いつめられた人々は、巧みにまたその裏をくぐった。夜間、正三が逃げて行く途上あたりを注意してみると、どうも不在らしい家の方が多いのであった。
 正三もまたあの七月三日の晩から八月五日の晩――それが最終の逃亡だった――まで、夜間形勢が怪しげになると忽《たちま》ち逃げ出すのであった。……土佐沖海面警戒警報が出るともう身支度《みじたく》に取掛る。高知県、愛媛県に空襲警報が発せられて、広島県、山口県が警戒警報になるのは十分とかからない。ゲートルは暗闇のなかでもすぐ捲けるが、手拭《てぬぐい》とか靴箆《くつべら》とかいう細かなもので正三は鳥渡《ちょっと》手間どることがある。が、警戒警報のサイレン迄にはきっと玄関さきで靴をはいている。康子は康子で身支度をととのえ、やはりその頃、玄関さきに来ている。二人はあとさきになり、門口を出てゆくのであった。……ある町角を曲り、十歩ばかり行くと正三はもう鳴りだすぞとおもう。はたして、空襲警報のものものしいサイレンが八方の闇から喚きあう。おお、何という、高低さまざまの、いやな唸り声だ。これは傷いた獣の慟哭《どうこく》とでもいうのであろうか。後の歴史家はこれを何と形容するだろうか。――そんな感想や、それから、……それにしても昔、この自分は街にやって来る獅子《しし》の笛を遠方からきいただけでも真青になって逃げて行ったが、あの頃の恐怖の純粋さと、この今の恐怖とでは、どうも今では恐怖までが何か鈍重な枠《わく》に嵌《は》めこまれている。――そんな念想が正三の頭に浮ぶのも数秒で、彼は息せききらせて、堤に出る石段を昇っている。清二の家の門口に駈けつけると、一家|揃《そろ》って支度を了《お》えていることもあったが、まだ何の身支度もしていないこともあった。正三がここへ現れると前後して康子は康子でそこへ駈けつけて来る。……「ここの紐《ひも》結んで頂戴《ちょうだい》」と小さな姪が正三に頭巾を差出す。彼はその紐をかたく結んでやると、くるりと姪を背に背負い、皆より一足さきに門口を出て行く。栄橋を渡ってしまうと、とにかく吻《ほっ》として足どりも少し緩《ゆる》くなる。鉄道の踏切を越え、饒津《にぎつ》の堤に出ると、正三は背負っていた姪を叢に下ろす。川の水は仄白《ほのじろ》く、杉の大木は黒い影を路に投げている。この小さな姪はこの景色を記憶するであろうか。幼い日々が夜毎《よごと》、夜毎の逃亡にはじまる「ある女の生涯」という小説が、ふと、汗まみれの正三の頭には浮ぶのであった。……暫くすると、清二の一家がやって来る。嫂は赤ん坊を背負い、女中は何か荷を抱えている。康子は小さな甥の手をひいて、とっとと先頭にいる。(彼女はひとりで逃げていると、警防団につかまりひどく叱《しか》られたことがあるので、それ以来この甥を借りるようになった)清二と中学生の甥は並んで後からやって来る。それから、その辺の人家のラジオに耳を傾けながら、情勢次第によっては更に川上に溯《さかのぼ》ってゆくのだ。長い堤をずんずん行くと、人家も疏《まば》らになり、田の面や山麓《さんろく》が朧《おぼろ》に見えて来る。すると、蛙《かえる》の啼声《なきごえ》が今あたり一めんにきこえて来る。ひっそりとした夜陰のなかを逃げのびてゆく人影はやはり絶えない。いつのまにか夜が明けて、おびただしいガスが帰路一めんに立罩《たちこ》めていることもあった。
 時には正三は単独で逃亡することもあった。彼は一カ月前から在郷軍人の訓練に時折、引ぱり出されていたが、はじめ頃二十人あまり集合していた同類も、次第に数を減じ、今では四五名にすぎなかった。「いずれ八月には大召集がかかる」と分会長はいった。はるか宇品の方の空では探照灯が揺れ動いている夕闇の校庭に立たされて、予備少尉の話をきかされている時、正三は気もそぞろであった。訓練が了えて、家へ戻ったかとおもうと、サイレンが鳴りだすのだった。だが、つづいて空襲警報が鳴りだす頃には、正三はぴちんと身支度を了えている。あわただしい訓練のつづきのように、彼は闇の往来へ飛出すのだ。それから、かっかと鳴る靴音をききながら、彼は帰宅を急いでいる者のような風を粧《よそお》う。橋の関所を無事に通越すと、やがて饒津裏の堤へ来る。ここではじめて、正三は立留り、叢に腰を下ろすのであった。すぐ川下の方には鉄橋があり、水の退《ひ》いた川には白い砂洲《さす》が朧に浮上っている。それは少年の頃からよく散歩して見憶《みおぼ》えている景色だが、正三には、頭上にかぶさる星空が、ふと野戦のありさまを想像さすのだった。『戦争と平和』に出て来る、ある人物の眼に映じる美しい大自然のながめ、静まりかえった心境、――そういったものが、この己の死際《しにぎわ》にも、はたして訪れて来るだろうか。すると、ふと正三の蹲っている叢のすぐ上の杉の梢《こずえ》の方で、何か微妙な啼声がした。おや、ほととぎすだな、そうおもいながら正三は何となく不思議な気持がした。この戦争が本土決戦に移り、もしも広島が最後の牙城《がじょう》となるとしたら、その時、己は決然と命を捨てて戦うことができるであろうか。……だが、この街が最後の楯《たて》になるなぞ、なんという狂気以上の妄想《もうそう》だろう。仮りにこれを叙事詩にするとしたら、最も矮小《わいしょう》で陰惨かぎりないものになるに相違ない。……だが、正三はやはり頭上に被《かぶ》さる見えないものの羽挙《はばたき》を、すぐ身近にきくようなおもいがするのであった。
 警報が解除になり、清二の家までみんな引返しても、正三はこの玄関で暫くラジオをきいていることがあった。どうかすると、また逃げださなければならぬので、甥も姪もまだ靴のままでいる。だが、大人達がラジオに気をとられているうち、さきほどまで声のしていた甥が、いつのまにか玄関の石の上に手足を投出し、大鼾《おおいびき》で睡《ねむ》っていることがあった。この起伏常なき生活に馴れてしまったらしい子供は、まるで兵士のような鼾をかいている。(この姿を正三は何気なく眺めたのであったが、それがやがて、兵士のような死に方をするとはおもえなかった。まだ一年生の甥は集団疎開へも参加出来ず、時たま国民学校へ通っていた。八月六日も恰度《ちょうど》、学校へ行く日で、その朝、西練兵場の近くで、この子供はあえなき最後を遂《と》げたのだった)
 ……暫く待っていても別状ないことがわかると、康子がさきに帰って行き、つづいて正三も清二の門口を出て行く。だが、本家に戻って来ると、二枚重ねて着ている服は汗でビッショリしているし、シャツも靴下も一刻も早く脱捨ててしまいたい。風呂場で水を浴び、台所の椅子に腰を下ろすと、はじめて正三は人心地《ひとごこち》にかえるようであった。――今夜の巻も終った。だが、明晩《あす》は。――その明晩も、かならず土佐沖海面から始る。すると、ゲートルだ、雑嚢だ、靴だ、すべての用意が闇のなかから飛びついて来るし、逃亡の路は正確に横わっていた。……(このことを後になって回想すると、正三はその頃比較的健康でもあったが、よくもあんなに敏捷《びんしょう》に振舞えたものだと思えるのであった。人は生涯に於《お》いてかならず意外な時期を持つものであろうか)

 森製作所の工場疎開はのろのろと行われていた。ミシンの取はずしは出来ていても、馬車の割当が廻って来るのが容易でなかった。馬車がやって来た朝は、みんな運搬に急がしく、順一はとくに活気づいた。ある時、座敷に敷かれていた畳がそっくり、この馬車で運ばれて行った。畳の剥《は》がれた座敷は、坐板だけで広々とし、ソファが一脚ぽつんと置かれていた。こうなると、いよいよこの家も最後が近いような気がしたが、正三は縁側に佇《たたず》んで、よく庭の隅《すみ》の白い花を眺めた。それは梅雨頃から咲きはじめて、一つが朽ちかかる頃には一つが咲き、今も六|瓣《べん》の、ひっそりした姿を湛《たた》えているのだった。次兄にその名称を訊《き》くと、梔子《くちなし》だといった。そういえば子供の頃から見なれた花だが、ひっそりとした姿が今はたまらなく懐《なつか》しかった。……
「コレマデナンド クウシュウケイホウニアッタカシレナイ イマモ カイガンノホウガ アカアカトモエテイル ケイホウガデルタビニ オレハゲンコウヲカカエテ ゴウニモグリコムコノゴロ オレハ コウトウスウガクノケンキュウヲシテイルノダ スウガクハウツクシイ ニホンノゲイジュツカハ コレガワカラヌカラダメサ」こんな風な手紙が東京の友人から久し振りに正三の手許《てもと》に届いた。岩手県の方にいる友からはこの頃、便《たよ》りがなかった。釜石《かまいし》が艦砲射撃に遇《あ》い、あの辺ももう安全ではなさそうであった。
 ある朝、正三が事務室にいると、近所の会社に勤めている大谷がやって来た。彼は高子の身内の一人で、順一たちの紛争《ごたごた》の頃から、よくここへ立寄るので、正三にももう珍しい顔ではなかった。細い脛《すね》に黒いゲートルを捲《ま》き、ひょろひょろの胴と細長い面は、何か危かしい印象をあたえるのだが、それを支《ささ》えようとする気魄《きはく》も備わっていた。その大谷は順一のテーブルの前につかつかと近よると、
「どうです、広島は。昨夜もまさにやって来るかと思うと、宇部の方へ外《そ》れてしまった。敵もよく知っているよ、宇部には重要工場がありますからな。それに較《くら》べると、どうも広島なんか兵隊がいるだけで、工業的見地から云わすと殆《ほとん》ど問題ではないからね。きっと大丈夫ここは助かると僕はこの頃思いだしたよ」と、大そう上機嫌《じょうきげん》で弁じるのであった。(この大谷は八月六日の朝、出勤の途上|遂《つい》に行方《ゆくえ》不明になったのである)
 ……だが、広島が助かるかもしれないと思いだした人間は、この大谷ひとりではなかった。一時はあれほど殷賑《いんしん》をきわめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。そこへもって来て、小型機の来襲が数回あったが、白昼、広島上空をよこぎるその大群は、何らこの街に投弾することがなかったばかりか、たまたま西練兵場の高射砲は中型一機を射落したのであった。「広島は防げるでしょうね」と電車のなかの一市民が将校に対《むか》って話しかけると、将校は黙々と肯《うなず》くのであった。……「あ、面白かった。あんな空中戦たら滅多に見られないのに」と康子は正三に云った。正三は畳のない座敷で、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』を読み耽《ふ》けっているのであった。アフリカの灼熱《しゃくねつ》のなかに展開される、青春と自我の、妖《あや》しげな図が、いつまでも彼の頭にこびりついていた。

 清二はこの街全体が助かるとも考えなかったが、川端に臨んだ自分の家は焼けないで欲しいといつも祈っていた。三次《みよし》町に疎開した二人の子供が無事でこの家に戻って来て、みんなでまた河遊びができる日を夢みるのであった。だが、そういう日が何時《いつ》やってくるのか、つきつめて考えれば茫《ぼう》としてわからないのだった。
「小さい子供だけでも、どこかへ疎開させたら……」康子は夜毎《よごと》の逃亡以来、頻《しき》りに気を揉《も》むようになっていた。「早く何とかして下さい」と妻の光子もその頃になると疎開を口にするのであったが、「おまえ行ってきめて来い」と、清二は頗《すこぶ》る不機嫌であった。女房、子供を疎開させて、この自分は――順一のように何もかもうまく行くではなし――この家でどうして暮してゆけるのか、まるで見当がつかなかった。何処《どこ》か田舎《いなか》へ家を借りて家財だけでも運んでおきたい、そんな相談なら前から妻としていた。だが、田舎の何処にそんな家がみつかるのか、清二にはまるであてがなかった。この頃になると、清二は長兄の行動をかれこれ、あてこすらないかわりに、じっと怨《うら》めしげに、ひとり考えこむのであった。
 順一もしかし清二の一家を見捨ててはおけなくなった。結局、順一の肝煎《きもいり》で、田舎へ一軒、家を借りることが出来た。が、荷を運ぶ馬車はすぐには傭《やと》えなかった。田舎へ家が見つかったとなると、清二は吻《ほっ》として、荷造に忙殺されていた。すると、三次の方の集団疎開地の先生から、父兄の面会日を通知して来た。三次の方へ訪ねて行くとなれば、冬物一切を持って行ってやりたいし、疎開の荷造やら、学童へ持って行ってやる品の準備で、家のうちはまたごったかえした。それに清二は妙な癖があって、学童へ持って行ってやる品々には、きちんと毛筆で名前を記入しておいてやらぬと気が済まないのだった。
 あれをかたづけたり、これをとりちらかしたりした挙句、夕方になると清二はふいと気をかえて、釣竿《つりざお》を持って、すぐ前の川原に出た。この頃あまり釣れないのであるが、糸を垂《た》れていると、一番気が落着くようであった。……ふと、トットトットという川のどよめきに清二はびっくりしたように眼をみひらいた。何か川をみつめながら、さきほどから夢をみていたような気持がする。それも昔読んだ旧約聖書の天変地異の光景をうつらうつらたどっていたようである。すると、崖《がけ》の上の家の方から、「お父さん、お父さん」と大声で光子の呼ぶ姿が見えた。清二が釣竿をかかえて石段を昇って行くと、妻はだしぬけに、「疎開よ」と云った。
「それがどうした」と清二は何のことかわからないので問いかえした。
「さっき大川がやって来て、そう云ったのですよ、三日以内に立退《たちの》かねばすぐにこの家とり壊《こわ》されてしまいます」
「ふーん」と清二は呻《うめ》いたが、「それで、おまえは承諾したのか」
「だからそう云っているのじゃありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ。この前、大川に逢《あ》った時にはお宅はこの計画の区域に這入《はい》りませんと、ちゃんと図面みせながら説明してくれた癖に、こんどは藪《やぶ》から棒に、二〇メートルごとの規定ですと来るのです」
「満洲ゴロに一杯|喰《く》わされたか」
「口惜《くや》しいではありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ」と、光子は苛々《いらいら》しだす。
「おまえ行ってきめてこい」そう清二は嘯《うそぶ》いたが、ぐずぐずしている場合でもなかった。「本家へ行こう」と、二人はそれから間もなく順一の家を訪れた。しかし、順一はその晩も既に五日市町の方へ出かけたあとであった。市外電話で順一を呼出そうとすると、どうしたものか、その夜は一向、電話が通じない。光子は康子をとらえて、また大川のやり口をだらだらと罵《ののし》りだす。それをきいていると、清二は三日後にとり壊される家の姿が胸につまり、今はもう絶体絶命の気持だった。
「どうか神様、三日以内にこの広島が大空襲をうけますように」
 若い頃クリスチャンであった清二は、ふと口をひらくとこんな祈をささげたのであった。
 その翌朝、清二の妻は事務室に順一を訪れて、疎開のことをだらだらと訴え、建物疎開のことは市会議員の田崎が本家本元らしいのだから、田崎の方へ何とか頼んでもらいたいというのであった。
 フン、フンと順一は聴いていたが、やがて、五日市へ電話をかけると、高子にすぐ帰ってこいと命じた。それから、清二を顧みて、「何て有様だ。お宅は建物疎開ですといわれて、ハイそうですか、と、なすがままにされているのか。空襲で焼かれた分なら、保険がもらえるが、疎開でとりはらわれた家は、保険金だってつかないじゃないか」と、苦情云うのであった。
 そのうち暫くすると、高子がやって来た。高子はことのなりゆきを一とおり聴いてから、「じゃあ、ちょっと田崎さんのところへ行って来ましょう」と、気軽に出かけて行った。一時間もたたぬうちに、高子は晴れ晴れした顔で戻って来た。
「あの辺の建物疎開はあれで打切ることにさせると、田崎さんは約束してくれました」
 こうして、清二の家の難題もすらすら解決した。と、その時、恰度《ちょうど》、警戒警報が解除になった。
「さあ、また警報が出るとうるさいから今のうちに帰りましょう」と高子は急いで外に出て行くのであった。
 暫くすると、土蔵|脇《わき》の鶏小屋で、二羽の雛《ひな》がてんでに時を告げだした。その調子はまだ整っていないので、時に順一たちを興がらせるのであったが、今は誰も鶏の啼声に耳を傾けているものもなかった。暑い陽光《ひざし》が、百日紅《さるすべり》の上の、静かな空に漲《みなぎ》っていた。……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。

[#地から2字上げ](昭和二十四年一月号『近代文学』)



底本:「夏の花・心願の国」新潮文庫、新潮社
   1973(昭和48)年7月30日初版発行
   1999(平成11)年5月25日38刷
※「嵐《あらし》が揉《も》みくちゃにされて」を、「嵐に」としている異本がある。
入力:tatsuki
校正:皆森もなみ
2002年10月10日作成
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