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五年後
原民喜

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竜ノ彫刻モ
高イ石段カラ割レテ
墜チ
石段ワキノ チョロチョロ水ヲ
ニンゲンハ来テハノム
炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ
黒クナッタママシンデイル
死骸ニトリマカレ
シンデユク ハヤサ
鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ
ナキワメク真紅ナ女
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 これは五年前のノートに書きなぐっておいたものである。
 五年前……。私はあの惨劇の翌日、東照宮の境内にたどりつき、そこで一昼夜をおくった。
 石段わきの木陰に、沸いて流れる水があって、私はときどき咽喉を潤したものだ。あの水のところには、絶えず誰かが来て、かがんでいたようだ。水を飲むためばかりでなく何となく、私の足はあの清水のところに向かうのだった。今でも……。満目惨たる記憶のなかで、あのささやかな水は何かを囁いていてくれるようだ。
 東照宮の鳥居の下で、反転していた火傷の娘、
 兵隊サン 助ケテ
 あの声が真紅だったのか、あの口が真紅だったのか……くらくらと頭上に空間がくずれ墜ちるようだ。



底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
入力:ジェラスガイ
校正:大野晋
2002年7月20日作成
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