青空文庫アーカイブ


芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)頸《くび》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)谷中|三崎町《さんさきちよう》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均のつくり」、第3水準1-14-75]
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 わたしはすっかり疲れていた。肩や頸《くび》の凝《こ》るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々《たまたま》眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う職業も手伝うのか、大抵《たいてい》色彩のないことはなかった。わたしはある友だちと一しょにある場末《ばすえ》のカッフェらしい硝子戸《ガラスど》の中《なか》へはいって行った。そのまた埃《ほこり》じみた硝子戸の外はちょうど柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになっていた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀《わん》に入れた料理を食った。が、食ってしまって見ると、椀の底に残っているのは一|寸《すん》ほどの蛇《へび》の頭《あたま》だった。――そんな夢も色彩ははっきりしていた。
 わたしの下宿は寒さの厳しい東京のある郊外にあった。わたしは憂鬱《ゆううつ》になって来ると、下宿の裏から土手《どて》の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆《かなさび》に染った砂利《じゃり》の上に何本も光っていた。それから向うの土手の上には何か椎《しい》らしい木が一本斜めに枝を伸ばしていた。それは憂鬱そのものと言っても、少しも差《さ》し支《つか》えない景色だった。しかし銀座や浅草よりもわたしの心もちにぴったりしていた。「毒を以て毒を制す、」――わたしはひとり土手の上にしゃがみ、一本の煙草をふかしながら、時々そんなことを考えたりした。
 わたしにも友だちはない訣《わけ》ではなかった。それはある年の若い金持ちの息子《むすこ》の洋画家だった。彼はわたしの元気のないのを見、旅行に出ることを勧《すす》めたりした。「金の工面《くめん》などはどうにでもなる。」――そうも親切に言ってくれたりした。が、たとい旅行に行っても、わたしの憂鬱の癒《なお》らないことはわたし自身誰よりも知り悉《つく》していた。現にわたしは三四年前にもやはりこう云う憂鬱に陥り、一時でも気を紛《まぎ》らせるためにはるばる長崎《ながさき》に旅行することにした。けれども長崎へ行って見ると、どの宿もわたしには気に入らなかった。のみならずやっと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞いこんだりした。わたしはさんざん苦しんだ揚句《あげく》、まだ一週間とたたないうちにもう一度東京へ帰ることにした。……
 ある霜柱の残っている午後、わたしは為替《かわせ》をとりに行った帰りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはいったためにモデルを使うことの出来るのも原因になっていたのに違いなかった。しかしまだそのほかにも何か発作的《ほっさてき》に制作慾の高まり出したのも確かだった。わたしは下宿へ帰らずにとりあえずMと云う家へ出かけ、十号ぐらいの人物を仕上げるためにモデルを一人雇うことにした。こう云う決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元気にした。「この画さえ仕上げれば死んでも善い。」――そんな気も実際したものだった。
 Mと云う家からよこしたモデルは顔は余り綺麗《きれい》ではなかった。が、体は――殊に胸は立派《りっぱ》だったのに違いなかった。それからオオル・バックにした髪の毛も房ふさしていたのに違いなかった。わたしはこのモデルにも満足し、彼女を籐椅子《とういす》の上へ坐らせて見た後、早速《さっそく》仕事にとりかかることにした。裸になった彼女は花束の代りに英字新聞のしごいた[#「しごいた」に傍点]のを持ち、ちょっと両足を組み合せたまま、頸《くび》を傾けているポオズをしていた。しかしわたしは画架《がか》に向うと、今更のように疲れていることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだった。わたしは勿論この火鉢に縁の焦《こ》げるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかった。彼女は籐椅子に腰かけたなり、時々|両腿《りょうもも》の筋肉を反射的に震わせるようにした。わたしはブラッシュを動かしながら、その度に一々|苛立《いらだ》たしさを感じた。それは彼女に対するよりもストオヴ一つ買うことの出来ないわたし自身に対する苛立たしさだった。同時にまたこう云うことにも神経を使わずにはいられないわたし自身に対する苛立たしさだった。
「君の家《うち》はどこ?」
「あたしの家《うち》? あたしの家は谷中|三崎町《さんさきちょう》。」
「君一人で住んでいるの?」
「いいえ、お友だちと二人で借りているんです。」
 わたしはこんな話をしながら、静物《せいぶつ》を描《か》いた古カンヴァスの上へ徐《おもむ》ろに色を加えて行った。彼女は頸《くび》を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた彼女の気質としか思われなかった。わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子《ひょうし》には目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣《わけ》ではなかった。
 わたしの制作は捗《はか》どらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵《たいてい》は絨氈《じゅうたん》の上にころがり、頸すじや頭を揉《も》んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしていた。わたしの部屋には画架のほかに籐椅子の一脚あるだけだった。籐椅子は空気の湿度《しつど》の加減か、時々誰も坐らないのに籐《とう》のきしむ[#「きしむ」に傍点]音をさせることもあった。わたしはこう云う時には無気味になり、早速どこかへ散歩へ出ることにしていた。しかし散歩に出ると云っても、下宿の裏の土手伝いに寺の多い田舎町《いなかまち》へ出るだけだった。
 けれどもわたしは休みなしに毎日画架に向っていた。モデルもまた毎日|通《かよ》って来ていた。そのうちにわたしは彼女の体に前よりも圧迫を感じ出した。それにはまた彼女の健康に対する羨《うらやま》しさもあったのに違いなかった。彼女は不相変《あいかわらず》無表情にじっと部屋の隅へ目をやったなり、薄赤い絨氈《じゅうたん》の上に横わっていた。「この女は人間よりも動物に似ている。」――わたしは画架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考えたりした。
 ある生暖《なまあたたか》い風の立った午後、わたしはやはり画架に向かい、せっせとブラッシュを動かしていた。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。わたしはいよいよ彼女の体に野蛮《やばん》な力を感じ出した。のみならず彼女の腋《わき》の下《した》や何かにある※[#「均のつくり」、第3水準1-14-75]《におい》も感じ出した。その※[#「均のつくり」、第3水準1-14-75]はちょっと黒色人種《こくしょくじんしゅ》の皮膚《ひふ》の臭気《しゅうき》に近いものだった。
「君はどこで生まれたの?」
「群馬県××町」
「××町? 機織《はたお》り場《ば》の多い町だったね。」
「ええ。」
「君は機《はた》を織らなかったの?」
「子供の時に織ったことがあります。」
 わたしはこう云う話の中にいつか彼女の乳首《ちちくび》の大きくなり出したのに気づいていた。それはちょうどキャベツの芽《め》のほぐれかかったのに近いものだった。わたしは勿論ふだんのように一|心《しん》にブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首に――そのまた気味の悪い美しさに妙にこだわらずにはいられなかった。
 その晩《ばん》も風はやまなかった。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行こうとした。しかし意識がはっきりして見ると、障子《しょうじ》だけはあけたものの、ずっとわたしの部屋の中を歩きまわっていたらしかった。わたしは思わず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈《じゅうたん》に目を落した。それから素足《すあし》の指先にそっと絨氈を撫《な》でまわした。絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った後、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》床へはいることにした。
 わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がっかりした。と云ってわたしの部屋にいることは反ってわたしには落ち着かなかった。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかっていた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも関《かかわ》らず、不思議にもはっきり浮き上っていた。わたしは土手伝いに歩きながら、おお声に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑えなければならないのに違いなかった。わたしはちょうど頭だけ歩いているように感じながら、土手伝いにある見すぼらしい田舎町《いなかまち》へ下《お》りて行った。
 この田舎町は不相変《あいかわらず》人通りもほとんど見えなかった。しかし路《みち》ばたのある電柱に朝鮮牛《ちょうせんうし》が一匹|繋《つな》いであった。朝鮮牛は頸《くび》をさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にじっとわたしを見守っていた。それは何かわたしの来るのを待っているらしい表情だった。わたしはこう云う朝鮮牛の表情に穏かに戦を挑《いど》んでいるのを感じた。「あいつは屠殺者《とさつしゃ》に向う時もああ云う目をするのに違いない。」――そんな気もわたしを不安にした。わたしはだんだん憂鬱になり、とうとうそこを通り過ぎずにある横町へ曲って行った。
 それから二三日たったある午後、わたしはまた画架に向いながら、一生懸命にブラッシュを使っていた。薄赤い絨氈《じゅうたん》の上に横たわったモデルはやはり眉毛《まゆげ》さえ動かさなかった。わたしはかれこれ半月の間、このモデルを前にしたまま、捗《はか》どらない制作をつづけていた。が、わたしたちの心もちは少しも互に打ち解けなかった。いや、むしろわたし自身には彼女の威圧を受けている感じの次第に強まるばかりだった。彼女は休憩《きゅうけい》時間にもシュミイズ一枚着たことはなかった。のみならずわたしの言葉にももの憂い返事をするだけだった。しかしきょうはどうしたのか、わたしに背中を向けたまま、(わたしはふと彼女の右の肩に黒子《ほくろ》のあることを発見した。)絨氈の上に足を伸ばし、こうわたしに話しかけた。
「先生、この下宿へはいる路には細い石が何本も敷いてあるでしょう?」
「うん。……」
「あれは胞衣塚《えなづか》ですね。」
「胞衣塚?」
「ええ、胞衣《えな》を埋めた標《しるし》に立てる石ですね。」
「どうして?」
「ちゃんと字のあるのも見えますもの。」
 彼女は肩越しにわたしを眺め、ちらりと冷笑に近い表情を示した。
「誰でも胞衣をかぶって生まれて来るんですね?」
「つまらないことを言っている。」
「だって胞衣をかぶって生まれて来ると思うと、……」
「?……」
「犬の子のような気もしますものね。」
 わたしはまた彼女を前に進まないブラッシュを動かし出した。進まない?――しかしそれは必ずしも気乗りのしないと云う訣《わけ》ではなかった。わたしはいつも彼女の中に何か荒あらしい表現を求めているものを感じていた。が、この何かを表現することはわたしの力量には及ばなかった。のみならず表現することを避けたい気もちも動いていた。それはあるいは油画の具やブラッシュを使って表現することを避けたい気もちかも知れなかった。では何を使うかと言えば、――わたしはブラッシュを動かしながら、時々どこかの博物館にあった石棒や石剣を思い出したりした。
 彼女の帰ってしまった後、わたしは薄暗い電燈の下に大きいゴオガンの画集をひろげ、一枚ずつタイテイの画を眺めて行った。そのうちにふと気づいて見ると、いつか何度も口のうちに「かくあるべしと思いしが」と云う文語体の言葉を繰り返していた。なぜそんな言葉を繰り返していたかは勿論わたしにはわからなかった。しかしわたしは無気味になり、女中に床をとらせた上、眠り薬を嚥《の》んで眠ることにした。 
 わたしの目を醒《さ》ましたのはかれこれ十時に近い頃だった。わたしはゆうべ暖かったせいか、絨氈の上へのり出していた。が、それよりも気になったのは目の醒める前に見た夢だった。わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞《し》め殺そうとしていた。(しかもその夢であることははっきりわたし自身にもわかっていた。)彼女はやや顔を仰向《あおむ》け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶって行った。同時にまた彼女の乳房《ちぶさ》はまるまると綺麗《きれい》にふくらんで行った。それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。――こう云う夢から醒めたわたしは顔を洗って来た後、濃《こ》い茶を二三杯飲み干したりした。けれどもわたしの心もちは一層憂鬱になるばかりだった。わたしはわたしの心の底にも彼女を殺したいと思ったことはなかった。しかしわたしの意識の外には、――わたしは巻煙草《まきたばこ》をふかしながら、妙にわくわくする心もちを抑え、モデルの来るのを待ち暮らした。けれども彼女は一時になっても、わたしの部屋を尋ねなかった。この彼女を待っている間はわたしにはかなり苦しかった。わたしは一そ彼女を待たずに散歩に出ようかと思ったりした。が、散歩に出ることはそれ自身わたしには怖しかった。わたしの部屋の障子の外へ出る、――そんな何でもないことさえわたしの神経には堪えられなかった。
 日の暮はだんだん迫り出した。わたしは部屋の中を歩みまわり、来るはずのないモデルを待ち暮らした。そのうちにわたしの思い出したのは十二三年前の出来事だった。わたしは――まだ子供だったわたしはやはりこう云う日の暮に線香《せんこう》花火に火をつけていた。それは勿論東京ではない。わたしの父母の住んでいた田舎《いなか》の家の縁先《えんさき》だった。すると誰かおお声に「おい、しっかりしろ」と云うものがあった。のみならず肩を揺すぶるものもあった。わたしは勿論縁先に腰をおろしているつもりだった。が、ぼんやり気がついて見ると、いつか家の後《うし》ろにある葱畠《ねぎばたけ》の前にしゃがんだまま、せっせと葱に火をつけていた。のみならずわたしのマッチの箱もいつかあらまし空《から》になっていた。――わたしは巻煙草をふかしながら、わたしの生活にはわたし自身の少しも知らない時間のあることを考えない訣《わけ》には行かなかった。こう云う考えはわたしには不安よりもむしろ無気味だった。わたしはゆうべ夢の中に片手に彼女を絞め殺した。けれども夢の中でなかったとしたら、……
 モデルは次の日もやって来なかった。わたしはとうとうMと云う家へ行き、彼女の安否《あんぴ》を尋ねることにした。しかしMの主人もまた彼女のことは知らなかった。わたしはいよいよ不安になり、彼女の宿所を教えて貰った。彼女は彼女自身の言葉によれば谷中三崎町《やなかさんさきちょう》にいるはずだった。が、Mの主人の言葉によれば本郷東片町《ほんごうひがしかたまち》にいるはずだった。わたしは電燈のともりかかった頃に本郷東片町の彼女の宿へ辿《たど》り着いた。それはある横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だった。硝子戸《ガラスど》を立てた洗濯屋の店にはシャツ一枚になった職人が二人せっせとアイロンを動かしていた。わたしは格別急がずに店先の硝子戸をあけようとした。が、いつか硝子戸にわたしの頭をぶつけていた。この音には勿論職人たちをはじめ、わたし自身も驚かずにはいられなかった。
 わたしは怯《お》ず怯《お》ず店の中にはいり、職人たちの一人に声をかけた。
「………さんと云う人はいるでしょうか?」
「………さんはおとといから帰って来ません。」
 この言葉はわたしを不安にした。が、それ以上尋ねることはやはりわたしには考えものだった。わたしは何かあった場合に彼等に疑いをかけられない用心をする気もちも持ち合せていた。
「あの人は時々うちをあけると、一週間も帰って来ないんですから。」
 顔色の悪い職人の一人はアイロンの手を休めずにこう云う言葉も加えたりした。わたしは彼の言葉の中にはっきり軽蔑に近いものを感じ、わたし自身に腹を立てながら、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》この店を後《うし》ろにした。しかしそれはまだ善かった。わたしは割にしもた[#「しもた」に傍点]家の多い東片町の往来を歩いているうちにふといつか夢の中にこんなことに出合ったのを思い出した。ペンキ塗りの西洋洗濯屋も、顔色の悪い職人も、火を透《す》かしたアイロンも――いや、彼女を尋ねて行ったことも確かにわたしには何箇月か前の(あるいはまた何年か前の)夢の中に見たのと変らなかった。のみならずわたしはその夢の中でもやはり洗濯屋を後ろにした後、こう云う寂しい往来をたった一人歩いていたらしかった。それから、――それから先の夢の記憶は少しもわたしには残っていなかった。けれども今何か起れば、それもたちまちその夢の中の出来事になり兼ねない心もちもした。………
[#地から1字上げ](昭和二年)



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年3月1日公開
2004年3月13日修正
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