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馬の脚
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)忍野半三郎《おしのはんざぶろう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)格別|善《い》いと言うほどではない

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十四年一月)
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 この話の主人公は忍野半三郎《おしのはんざぶろう》と言う男である。生憎《あいにく》大した男ではない。北京《ペキン》の三菱《みつびし》に勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業した後《のち》、二月目《ふたつきめ》に北京へ来ることになった。同僚《どうりょう》や上役《うわやく》の評判は格別|善《い》いと言うほどではない。しかしまた悪いと言うほどでもない。まず平々凡々たることは半三郎の風采《ふうさい》の通りである。もう一つ次手《ついで》につけ加えれば、半三郎の家庭生活の通りである。
 半三郎は二年前にある令嬢と結婚した。令嬢の名前は常子《つねこ》である。これも生憎《あいにく》恋愛結婚ではない。ある親戚の老人夫婦に仲人《なこうど》を頼んだ媒妁《ばいしゃく》結婚である。常子は美人と言うほどではない。もっともまた醜婦《しゅうふ》と言うほどでもない。ただまるまる肥《ふと》った頬《ほお》にいつも微笑《びしょう》を浮かべている。奉天《ほうてん》から北京《ペキン》へ来る途中、寝台車の南京虫《なんきんむし》に螫《さ》された時のほかはいつも微笑を浮かべている。しかももう今は南京虫に二度と螫《さ》される心配はない。それは××胡同《ことう》の社宅の居間《いま》に蝙蝠印《こうもりじるし》の除虫菊《じょちゅうぎく》が二缶《ふたかん》、ちゃんと具えつけてあるからである。
 わたしは半三郎の家庭生活は平々凡々を極めていると言った。実際その通りに違いない。彼はただ常子と一しょに飯を食ったり、蓄音機《ちくおんき》をかけたり、活動写真を見に行ったり、――あらゆる北京中《ペキンじゅう》の会社員と変りのない生活を営《いとな》んでいる。しかし彼等の生活も運命の支配に漏《も》れる訣《わけ》には行《ゆ》かない。運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうち砕《くだ》いた。三菱《みつびし》会社員忍野半三郎は脳溢血《のういっけつ》のために頓死《とんし》したのである。
 半三郎はやはりその午後にも東単牌楼《トンタヌピイロオ》の社の机にせっせと書類を調べていた。机を向かい合わせた同僚にも格別異状などは見えなかったそうである。が、一段落ついたと見え、巻煙草《まきたばこ》を口へ啣《くわ》えたまま、マッチをすろうとする拍子《ひょうし》に突然|俯伏《うつぶ》しになって死んでしまった。いかにもあっけない死にかたである。しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。批評をするのは生きかただけである。半三郎もそのために格別非難を招かずにすんだ。いや、非難どころではない。上役《うわやく》や同僚は未亡人《びぼうじん》常子にいずれも深い同情を表《ひょう》した。
 同仁《どうじん》病院長|山井博士《やまいはかせ》の診断《しんだん》に従えば、半三郎の死因は脳溢血《のういっけつ》である。が、半三郎自身は不幸にも脳溢血とは思っていない。第一死んだとも思っていない。ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。――
 事務室の窓かけは日の光の中にゆっくりと風に吹かれている。もっとも窓の外は何も見えない。事務室のまん中の大机には白い大掛児《タアクワル》を着た支那人《シナじん》が二人、差し向かいに帳簿を検《し》らべている。一人《ひとり》はまだ二十《はたち》前後であろう。もう一人はやや黄ばみかけた、長い口髭《くちひげ》をはやしている。
 そのうちに二十前後の支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに彼へ話しかけた。
「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バレット・アアント・ユウ?」
 半三郎はびっくりした。が、出来るだけ悠然《ゆうぜん》と北京官話《ペキンかんわ》の返事をした。「我はこれ日本《にっぽん》三菱公司《みつびしこうし》の忍野半三郎」と答えたのである。
「おや、君は日本人ですか?」
 やっと目を挙げた支那人はやはり驚いたようにこう言った。年とったもう一人の支那人も帳簿へ何か書きかけたまま、茫然《ぼうぜん》と半三郎を眺めている。
「どうしましょう? 人違いですが。」
「困る。実に困る。第一|革命《かくめい》以来一度もないことだ。」
 年とった支那人は怒《おこ》ったと見え、ぶるぶる手のペンを震《ふる》わせている。
「とにかく早く返してやり給え。」
「君は――ええ、忍野君ですね。ちょっと待って下さいよ。」
 二十《はたち》前後の支那人は新らたに厚い帳簿をひろげ、何か口の中に読みはじめた。が、その帳簿をとざしたと思うと、前よりも一層驚いたように年とった支那人へ話しかけた。
「駄目《だめ》です。忍野半三郎君は三日前《みっかまえ》に死んでいます。」
「三日前に死んでいる?」
「しかも脚《あし》は腐《くさ》っています。両脚《りょうあし》とも腿《もも》から腐っています。」
 半三郎はもう一度びっくりした。彼等の問答に従えば、第一に彼は死んでいる。第二に死後|三日《みっか》も経《へ》ている。第三に脚は腐っている。そんな莫迦《ばか》げたことのあるはずはない。現に彼の脚はこの通り、――彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに白靴《しろぐつ》をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡《なび》いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。半三郎はとうとう尻《しり》もちをついた。同時にまた脚は――と言うよりもズボンはちょうどゴム風船のしなびたようにへなへなと床《ゆか》の上へ下りた。
「よろしい。よろしい。どうにかして上げますから。」
 年とった支那人はこう言った後《のち》、まだ余憤《よふん》の消えないように若い下役《したやく》へ話しかけた。
「これは君の責任だ。好《い》いかね。君の責任だ。早速|上申書《じょうしんしょ》を出さなければならん。そこでだ。そこでヘンリイ・バレットは現在どこに行っているかね?」
「今調べたところによると、急に漢口《ハンカオ》へ出かけたようです。」
「では漢口《ハンカオ》へ電報を打ってヘンリイ・バレットの脚を取り寄せよう。」
「いや、それは駄目でしょう。漢口から脚の来るうちには忍野君の胴《どう》が腐ってしまいます。」
「困る。実に困る。」
 年とった支那人は歎息《たんそく》した。何だか急に口髭《くちひげ》さえ一層だらりと下《さが》ったようである。
「これは君の責任だ。早速上申書を出さなければならん。生憎《あいにく》乗客は残っていまいね?」
「ええ、一時間ばかり前に立ってしまいました。もっとも馬ならば一匹いますが。」
「どこの馬かね?」
「徳勝門外《とくしょうもんがい》の馬市《うまいち》の馬です。今しがた死んだばかりですから。」
「じゃその馬の脚をつけよう。馬の脚でもないよりは好《い》い。ちょっと脚だけ持って来給え。」
 二十《はたち》前後の支那人は大机の前を離れると、すうっとどこかへ出て行ってしまった。半三郎は三度《さんど》びっくりした。何《なん》でも今の話によると、馬の脚をつけられるらしい。馬の脚などになった日には大変である。彼は尻もちをついたまま、年とった支那人に歎願した。
「もしもし、馬の脚だけは勘忍《かんにん》して下さい。わたしは馬は大嫌《だいきら》いなのです。どうか後生《ごしょう》一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイ何《なん》とかの脚でもかまいません。少々くらい毛脛《けずね》でも人間の脚ならば我慢《がまん》しますから。」
 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下《みおろ》しながら、何度も点頭《てんとう》を繰り返した。
「それはあるならばつけて上げます。しかし人間の脚はないのですから。――まあ、災難《さいなん》とお諦《あきら》めなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々|蹄鉄《ていてつ》を打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」
 するともう若い下役《したやく》は馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。ちょうどホテルの給仕などの長靴《ながぐつ》を持って来るのと同じことである。半三郎は逃げようとした。しかし両脚のない悲しさには容易に腰を上げることも出来ない。そのうちに下役は彼の側《そば》へ来ると、白靴や靴下《くつした》を外《はず》し出した。
「それはいけない。馬の脚だけはよしてくれ給え。第一僕の承認を経《へ》ずに僕の脚を修繕《しゅうぜん》する法はない。……」
 半三郎のこう喚《わめ》いているうちに下役はズボンの右の穴へ馬の脚を一本さしこんだ。馬の脚は歯でもあるように右の腿《もも》へ食《く》らいついた。それから今度は左の穴へもう一本の脚をさしこんだ。これもまたかぷりと食らいついた。
「さあ、それでよろしい。」
 二十前後の支那人は満足の微笑を浮かべながら、爪の長い両手をすり合せている。半三郎はぼんやり彼の脚を眺めた。するといつか白ズボンの先には太い栗毛《くりげ》の馬の脚が二本、ちゃんともう蹄《ひづめ》を並べている。――
 半三郎はここまで覚えている。少くともその先はここまでのようにはっきりと記憶には残っていない。何《なん》だか二人の支那人と喧嘩したようにも覚えている。また嶮《けわ》しい梯子段《はしごだん》を転《ころ》げ落ちたようにも覚えている。が、どちらも確かではない。とにかく彼はえたいの知れない幻《まぼろし》の中を彷徨《ほうこう》した後《のち》やっと正気《しょうき》を恢復した時には××胡同《ことう》の社宅に据《す》えた寝棺《ねがん》の中に横たわっていた。のみならずちょうど寝棺の前には若い本願寺派《ほんがんじは》の布教師《ふきょうし》が一人《ひとり》、引導《いんどう》か何かを渡していた。
 こう言う半三郎の復活の評判《ひょうばん》になったのは勿論である。「順天時報《じゅんてんじほう》」はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事を掲《かか》げたりした。何《なん》でもこの記事に従えば、喪服《もふく》を着た常子はふだんよりも一層にこにこしていたそうである。ある上役《うわやく》や同僚は無駄《むだ》になった香奠《こうでん》を会費に復活祝賀会を開いたそうである。もっとも山井博士の信用だけは危険に瀕《ひん》したのに違いない。が、博士は悠然《ゆうぜん》と葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を恢復《かいふく》した。それは医学を超越《ちょうえつ》する自然の神秘を力説したのである。つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を抛棄《ほうき》したのである。
 けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。見せなかったのも勿論、不思議ではない。彼の脚は復活以来いつの間《ま》にか馬の脚に変っていたのである。指の代りに蹄《ひづめ》のついた栗毛《くりげ》の馬の脚に変っていたのである。彼はこの脚を眺めるたびに何とも言われぬ情《なさけ》なさを感じた。万一この脚の見つかった日には会社も必ず半三郎を馘首《かくしゅ》してしまうのに違いない。同僚《どうりょう》も今後の交際は御免《ごめん》を蒙《こうむ》るのにきまっている。常子も――おお、「弱きものよ汝の名は女なり」! 常子も恐らくはこの例に洩《も》れず、馬の脚などになった男を御亭主《ごていしゅ》に持ってはいないであろう。――半三郎はこう考えるたびに、どうしても彼の脚だけは隠さなければならぬと決心した。和服を廃したのもそのためである。長靴をはいたのもそのためである。浴室の窓や戸じまりを厳重にしたのもそのためである。しかし彼はそれでもなお絶えず不安を感じていた。また不安を感じたのも無理ではなかったのに違いない。なぜと言えば、――
 半三郎のまず警戒したのは同僚の疑惑を避けることである。これは彼の苦心の中でも比較的楽な方《ほう》だったかも知れない。が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険と闘《たたか》わなければならなかったようである。
「七月×日 どうもあの若い支那人のやつは怪《け》しからぬ脚をくつけたものである。俺《おれ》の脚は両方とも蚤《のみ》の巣窟《そうくつ》と言っても好《い》い。俺は今日も事務を執《と》りながら、気違いになるくらい痒《かゆ》い思いをした。とにかく当分は全力を挙げて蚤退治《のみたいじ》の工夫《くふう》をしなければならぬ。……
「八月×日 俺は今日《きょう》マネエジャアの所へ商売のことを話しに行った。するとマネエジャアは話の中《うち》にも絶えず鼻を鳴らせている。どうも俺の脚の臭《にお》いは長靴の外にも発散するらしい。……
「九月×日 馬の脚を自由に制御《せいぎょ》することは確かに馬術よりも困難である。俺は今日|午休《ひるやす》み前に急ぎの用を言いつけられたから、小走《こばし》りに梯子段《はしごだん》を走り下りた。誰でもこう言う瞬間には用のことしか思わぬものである。俺もそのためにいつの間《ま》にか馬の脚を忘れていたのであろう。あっと言う間に俺の脚は梯子段の七段目を踏み抜いてしまった。……
「十月×日 俺はだんだん馬の脚を自由に制御することを覚え出した。これもやっと体得して見ると、畢竟《ひっきょう》腰の吊《つ》り合《あい》一つである。が、今日は失敗した。もっとも今日の失敗は必ずしも俺の罪ばかりではない。俺は今朝《けさ》九時前後に人力車《じんりきしゃ》に乗って会社へ行った。すると車夫は十二銭の賃銭《ちんせん》をどうしても二十銭よこせと言う。おまけに俺をつかまえたなり、会社の門内へはいらせまいとする。俺は大いに腹が立ったから、いきなり車夫を蹴飛《けと》ばしてやった。車夫の空中へ飛び上《あが》ったことはフット・ボオルかと思うくらいである。俺は勿論|後悔《こうかい》した。同時にまた思わず噴飯《ふんぱん》した。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」
 しかし同僚《どうりょう》を瞞着《まんちゃく》するよりも常子の疑惑を避けることは遥《はる》かに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。
「七月×日 俺の大敵は常子である。俺は文化生活の必要を楯《たて》に、たった一つの日本間《にほんま》をもとうとう西洋間《せいようま》にしてしまった。こうすれば常子の目の前でも靴を脱《ぬ》がずにいられるからである。常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。が、靴足袋《くつたび》をはいているにもせよ、この脚で日本間を歩かせられるのはとうてい俺には不可能である。……
「九月×日 俺は今日道具屋にダブル・ベッドを売り払った。このベッドを買ったのはある亜米利加《アメリカ》人のオオクションである。俺はあのオオクションへ行った帰りに租界《そかい》の並み木の下《した》を歩いて行った。並み木の槐《えんじゅ》は花盛りだった。運河の水明《みずあか》りも美しかった。しかし――今はそんなことに恋々《れんれん》としている場合ではない。俺は昨夜《ゆうべ》もう少しで常子の横腹を蹴《け》るところだった。……
「十一月×日 俺は今日|洗濯物《せんたくもの》を俺自身洗濯屋へ持って行った。もっとも出入りの洗濯屋ではない。東安市場《とうあんしじょう》の側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股《さるまた》やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……
「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴下|代《だい》を工面《くめん》するだけでも並みたいていの苦労ではない。……
「二月×日 俺は勿論寝る時でも靴下やズボン下を脱いだことはない。その上常子に見られぬように脚の先を毛布《もうふ》に隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。常子は昨夜《ゆうべ》寝る前に『あなたはほんとうに寒がりね。腰へも毛皮を巻いていらっしゃるの?』と言った。ことによると俺の馬の脚も露見《ろけん》する時が来たのかも知れない。……」
 半三郎はこのほかにも幾多の危険に遭遇《そうぐう》した。それを一々|枚挙《まいきょ》するのはとうていわたしの堪《た》えるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下《しも》に掲げる出来事である。
「二月×日 俺は今日|午休《ひるやす》みに隆福寺《りゅうふくじ》の古本屋《ふるぼんや》を覗《のぞ》きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色《あいいろ》の幌《ほろ》を張った支那馬車である。馭者《ぎょしゃ》も勿論馬車の上に休んでいたのに違いない。が、俺は格別気にも止めずに古本屋の店へはいろうとした。するとその途端《とたん》である。馭者は鞭《むち》を鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。「スオ、スオ」は馬を後《あと》にやる時に支那人の使う言葉である。馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へ下《さが》り出した。と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、一足《ひとあし》ずつ後へ下り出した。この時の俺の心もちは恐怖と言うか、驚愕《きょうがく》と言うか、とうてい筆舌《ひつぜつ》に尽すことは出来ない。俺は徒《いたず》らに一足でも前へ出ようと努力しながら、しかも恐しい不可抗力のもとにやはり後へ下って行った。そのうちに馭者の「スオオ」と言ったのはまだしも俺のためには幸福である。俺は馬車の止まる拍子《ひょうし》にやっと後《あと》ずさりをやめることが出来た。しかし不思議はそれだけではない。俺はほっと一息しながら、思わず馬車の方へ目を転じた。すると馬は――馬車を牽《ひ》いていた葦毛《あしげ》の馬は何《なん》とも言われぬ嘶《いなな》きかたをした。何とも言われぬ?――いや、何とも言われぬではない。俺はその疳走《かんばし》った声の中に確かに馬の笑ったのを感じた。馬のみならず俺の喉《のど》もとにも嘶きに似たものがこみ上げるのを感じた。この声を出しては大変である。俺は両耳へ手をやるが早いか、一散《いっさん》にそこを逃げ出してしまった。……」
 けれども運命は半三郎のために最後の打撃を用意していた。と言うのはほかでもない。三月の末のある午頃《ひるごろ》、彼は突然彼の脚の躍《おど》ったり跳《は》ねたりするのを発見したのである。なぜ彼の馬の脚はこの時急に騒《さわ》ぎ出したか? その疑問に答えるためには半三郎の日記を調べなければならぬ。が、不幸にも彼の日記はちょうど最後の打撃を受ける一日前に終っている。ただ前後の事情により、大体の推測《すいそく》は下《くだ》せぬこともない。わたしは馬政紀《ばせいき》、馬記《ばき》、元享療牛馬駝集《げんきょうりょうぎゅうばだしゅう》、伯楽相馬経《はくらくそうばきょう》等の諸書に従い、彼の脚の興奮したのはこう言うためだったと確信している。――
 当日は烈《はげ》しい黄塵《こうじん》だった。黄塵とは蒙古《もうこ》の春風《しゅんぷう》の北京《ペキン》へ運んで来る砂埃《すなほこ》りである。「順天時報《じゅんてんじほう》」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来|未《いま》だ嘗《かつて》見ないところであり、「五歩の外に正陽門《せいようもん》を仰ぐも、すでに門楼《もんろう》を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外《とくしょうもんがい》の馬市《うまいち》の斃馬《へいば》についていた脚であり、そのまた斃馬は明らかに張家口《ちょうかこう》、錦州《きんしゅう》を通って来た蒙古産の庫倫《クーロン》馬である。すると彼の馬の脚の蒙古の空気を感ずるが早いか、たちまち躍ったり跳ねたりし出したのはむしろ当然ではないであろうか? かつまた当時は塞外《さいがい》の馬の必死に交尾《こうび》を求めながら、縦横《じゅうおう》に駈《か》けまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に価《あたい》すると言わなければならぬ。……
 この解釈の是非《ぜひ》はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何かするように絶えず跳ねまわっていたそうである。また社宅へ帰る途中も、たった三町ばかりの間に人力車《じんりきしゃ》を七台踏みつぶしたそうである。最後に社宅へ帰った後《のち》も、――何《なん》でも常子の話によれば、彼は犬のように喘《あえ》ぎながら、よろよろ茶の間《ま》へはいって来た。それからやっと長椅子《ながいす》へかけると、あっけにとられた細君に細引《ほそびき》を持って来いと命令した。常子は勿論夫の容子《ようす》に大事件の起ったことを想像した。第一顔色も非常に悪い。のみならず苛立《いらだ》たしさに堪えないように長靴《ながぐつ》の脚を動かしている。彼女はそのためにいつものように微笑《びしょう》することも忘れたなり、一体細引を何にするつもりか、聞かしてくれと歎願した。しかし夫《おっと》は苦しそうに額《ひたい》の汗を拭いながら、こう繰り返すばかりである。
「早くしてくれ。早く。――早くしないと、大変だから。」
 常子はやむを得ず荷造りに使う細引を一束《ひとたば》夫へ渡した。すると彼はその細引に長靴の両脚を縛《しば》りはじめた。彼女の心に発狂と言う恐怖のきざしたのはこの時である。常子は夫を見つめたまま、震《ふる》える声に山井博士の来診《らいしん》を請うことを勧《すす》め出した。しかし彼は熱心に細引を脚へからげながら、どうしてもその勧めに従わない。
「あんな藪《やぶ》医者に何がわかる? あいつは泥棒だ! 大詐偽《おおさぎ》師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体を抑《おさ》えていてくれ。」
 彼等は互に抱《だ》き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。北京《ペキン》を蔽《おお》った黄塵《こうじん》はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、濁《にご》った朱《しゅ》の色を漂《ただよ》わせている。半三郎の脚はその間も勿論静かにしている訣《わけ》ではない。細引にぐるぐる括《くく》られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。常子は夫を劬《いた》わるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。
「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」
「何《なん》でもない。何でもないよ。」
「だってこんなに汗をかいて、――この夏は内地へ帰りましょうよ。ねえ、あなた、久しぶりに内地へ帰りましょうよ。」
「うん、内地へ帰ることにしよう。内地へ帰って暮らすことにしよう。」
 五分、十分、二十分、――時はこう言う二人の上に遅い歩みを運んで行った。常子は「順天時報《じゅんてんじほう》」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうど鎖《くさり》に繋《つな》がれた囚人《しゅうじん》のようだったと話している。が、かれこれ三十分の後《のち》、畢《つい》に鎖の断《た》たれる時は来た。もっともそれは常子の所謂《いわゆる》鎖の断たれる時ではない。半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である。濁った朱の色を透《す》かせた窓は流れ風にでも煽《あお》られたのか、突然がたがたと鳴り渡った。と同時に半三郎は何か大声を出すが早いか、三尺ばかり宙へ飛び上った。常子はその時細引のばらりと切れるのを見たそうである。半三郎は、――これは常子の話ではない。彼女は夫の飛び上るのを見たぎり、長椅子《ながいす》の上に失神してしまった。しかし社宅の支那人のボオイはこう同じ記者に話している。――半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へ躍《おど》り出た。それからほんの一瞬間、玄関の先に佇《たたず》んでいた。が、身震《みぶる》いを一つすると、ちょうど馬の嘶《いなな》きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を罩《こ》めた黄塵《こうじん》の中へまっしぐらに走って行ってしまった。……
 その後《ご》の半三郎はどうなったか? それは今日《こんにち》でも疑問である。もっとも「順天時報」の記者は当日の午後八時前後、黄塵に煙った月明りの中に帽子《ぼうし》をかぶらぬ男が一人、万里《ばんり》の長城《ちょうじょう》を見るのに名高い八達嶺下《はったつれいか》の鉄道線路を走って行ったことを報じている。が、この記事は必ずしも確実な報道ではなかったらしい。現にまた同じ新聞の記者はやはり午後八時前後、黄塵を沾《うるお》した雨の中に帽子をかぶらぬ男が一人、石人石馬《せきじんせきば》の列をなした十三陵《じゅうさんりょう》の大道《だいどう》を走って行ったことを報じている。すると半三郎は××胡同《ことう》の社宅の玄関を飛び出した後《のち》、全然どこへどうしたか、判然しないと言わなければならぬ。
 半三郎の失踪《しっそう》も彼の復活と同じように評判《ひょうばん》になったのは勿論である。しかし常子、マネエジャア、同僚、山井博士、「順天時報」の主筆等はいずれも彼の失踪を発狂《はっきょう》のためと解釈した。もっとも発狂のためと解釈するのは馬の脚のためと解釈するのよりも容易だったのに違いない。難を去って易《い》につくのは常に天下の公道である。この公道を代表する「順天時報」の主筆|牟多口氏《むだぐちし》は半三郎の失踪した翌日、その椽大《てんだい》の筆を揮《ふる》って下《しも》の社説を公《おおやけ》にした。――
「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕《さくゆう》五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の止《と》むるを聴《き》かず、単身いずこにか失踪したり。同仁《どうじん》病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏|脳溢血《のういっけつ》を患《わずら》い、三日間|人事不省《じんじふせい》なりしより、爾来《じらい》多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども吾人《ごじん》の問わんと欲するは忍野氏の病名|如何《いかん》にあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。
「それわが金甌無欠《きんおうむけつ》の国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にして妄《みだり》に発狂する権利ありや否や? 吾人はかかる疑問の前に断乎《だんこ》として否と答うるものなり。試みに天下の夫にして発狂する権利を得たりとせよ。彼等はことごとく家族を後《あと》に、あるいは道塗《どうと》に行吟《こうぎん》し、あるいは山沢《さんたく》に逍遥《しょうよう》し、あるいはまた精神病院|裡《り》に飽食暖衣《ほうしょくだんい》するの幸福を得べし。然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解《どほうがかい》するを免《まぬか》れざるなり。語に曰《いわく》、其罪を悪《にく》んで其人を悪まずと。吾人は素《もと》より忍野氏に酷《こく》ならんとするものにあらざるなり。然れども軽忽《けいこつ》に発狂したる罪は鼓《こ》を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を等閑《とうかん》に附せる歴代《れきだい》政府の失政をも天に替《かわ》って責めざるべからず。
「常子夫人の談によれば、夫人は少くとも一ヶ年間、××胡同《ことう》の社宅に止《とど》まり、忍野氏の帰るを待たんとするよし。吾人は貞淑《ていしゅく》なる夫人のために満腔《まんこう》の同情を表《ひょう》すると共に、賢明なる三菱《みつびし》当事者のために夫人の便宜《べんぎ》を考慮するに吝《やぶさ》かならざらんことを切望するものなり。……」
 しかし少くとも常子だけは半年ばかりたった後《のち》、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇《そうぐう》した。それは北京《ペキン》の柳や槐《えんじゅ》も黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮《はくぼ》である。常子は茶の間《ま》の長椅子にぼんやり追憶に沈んでいた。彼女の唇《くちびる》はもう今では永遠の微笑を浮かべていない。彼女の頬《ほお》もいつの間《ま》にかすっかり肉を失っている。彼女は失踪した夫のことだの、売り払ってしまったダブル・ベッドのことだの、南京虫《なんきんむし》のことだのを考えつづけた。すると誰かためらい勝ちに社宅の玄関のベルを押した。彼女はそれでも気にせずにボオイの取り次ぎに任かせて措《お》いた。が、ボオイはどこへ行ったか、容易に姿を現さない。ベルはその内にもう一度鳴った。常子はやっと長椅子を離れ、静かに玄関へ歩いて行った。
 落ち葉の散らばった玄関には帽子《ぼうし》をかぶらぬ男が一人、薄明《うすあか》りの中に佇《たたず》んでいる。帽子を、――いや、帽子をかぶらぬばかりではない。男は確かに砂埃《すなほこ》りにまみれたぼろぼろの上衣《うわぎ》を着用している。常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。
「何か御用でございますか?」
 男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿を透《す》かして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。
「何か、……何か御用でございますか?」
 男はやっと頭を擡《もた》げた。
「常子、……」
 それはたった一ことだった。しかしちょうど月光のようにこの男を、――この男の正体を見る見る明らかにする一ことだった。常子は息を呑《の》んだまま、しばらくは声を失ったように男の顔を見つめつづけた。男は髭《ひげ》を伸ばした上、別人のように窶《やつ》れている。が、彼女を見ている瞳《ひとみ》は確かに待ちに待った瞳だった。
「あなた!」
 常子はこう叫びながら、夫の胸へ縋《すが》ろうとした。けれども一足《ひとあし》出すが早いか、熱鉄《ねってつ》か何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を露《あらわ》している。薄明《うすあか》りの中にも毛色の見える栗毛《くりげ》の馬の脚を露《あらわ》している。
「あなた!」
 常子はこの馬の脚に名状《めいじょう》の出来ぬ嫌悪《けんお》を感じた。しかし今を逸《いっ》したが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。夫はやはり悲しそうに彼女の顔を眺めている。常子はもう一度夫の胸へ彼女の体を投げかけようとした。が、嫌悪はもう一度彼女の勇気を圧倒した。
「あなた!」
 彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追い縋《すが》ろうとした。が、まだ一足《ひとあし》も出さぬうちに彼女の耳にはいったのは戞々《かつかつ》と蹄《ひづめ》の鳴る音である。常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫の後《うし》ろ姿を見つめた。それから、――玄関の落ち葉の中に昏々《こんこん》と正気《しょうき》を失ってしまった。……
 常子はこの事件以来、夫の日記を信ずるようになった。しかしマネエジャア、同僚、山井博士、牟多口氏等《むだぐちしら》の人びとは未《いま》だに忍野半三郎《おしのはんざぶろう》の馬の脚になったことを信じていない。のみならず常子の馬の脚を見たのも幻覚《げんかく》に陥ったことと信じている。わたしは北京《ペキン》滞在中、山井博士や牟多口氏に会い、たびたびその妄《もう》を破ろうとした。が、いつも反対の嘲笑《ちょうしょう》を受けるばかりだった。その後《ご》も、――いや、最近には小説家|岡田三郎《おかださぶろう》氏も誰かからこの話を聞いたと見え、どうも馬の脚になったことは信ぜられぬと言う手紙をよこした。岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の前脚《まえあし》をとってつけたものと思いますが、スペイン速歩《そくほ》とか言う妙技を演じ得る逸足《いっそく》ならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても湯浅少佐《ゆあさしょうさ》あたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやり了《おお》せるかどうか、疑問に思われます」と言うのである。わたしも勿論その点には多少の疑惑を抱かざるを得ない。けれどもそれだけの理由のために半三郎の日記ばかりか、常子の話をも否定するのはいささか早計《そうけい》に過ぎないであろうか? 現にわたしの調べたところによれば、彼の復活を報じた「順天時報《じゅんてんじほう》」は同じ面の二三段下にこう言う記事をも掲げている。――
「美華禁酒《びかきんしゅ》会長ヘンリイ・バレット氏は京漢《けいかん》鉄道の汽車中に頓死《とんし》したり。同氏は薬罎《くすりびん》を手に死しいたるより、自殺の疑いを生ぜしが、罎中の水薬《すいやく》は分析《ぶんせき》の結果、アルコオル類と判明したるよし。」
[#地から1字上げ](大正十四年一月)



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月9日修正
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