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素描三題
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お宗《そう》さん

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)又|庭鳥《にはとり》がやられたな

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]
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     一 お宗《そう》さん

 お宗《そう》さんは髪の毛の薄いためにどこへも縁《えん》づかない覚悟をしてゐた。が、髪の毛の薄いことはそれ自身お宗さんには愉快ではなかつた。お宗さんは地肌の透《す》いた頭へいろいろの毛生《けは》え薬をなすつたりした。
「どれも広告ほどのことはないんですよ。」
 かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の片手間《かたてま》に一中節《いつちうぶし》の稽古《けいこ》をし、もし上達するものとすれば師匠《ししやう》になるのも善いと思ひ出した。しかし一中節はむづかしかつた。のみならず酒癖《さけくせ》の悪い師匠は、時々お宗さんをつかまへては小言《こごと》以上の小言を言つたりした。
「お前なんどは肥《こへ》たご桶《をけ》を叩いて甚句《じんく》でもうたつてお出《い》でなさりや善《い》いのに。」
 師匠は酒の醒《さ》めてゐる時には決してお宗さんにも粗略ではなかつた。しかし一度言はれた小言はお宗さんをひがませずには措《お》かなかつた。「どうせあたしは檀那衆《だんなしゆう》のやうによくする訣《わけ》には行《い》かないんだから。」――お宗さんは時々兄さんにもそんな愚痴《ぐち》などをこぼしてゐた。
「曾我《そが》の五郎と十郎とは一体どつちが兄さんです?」
 四十を越したお宗さんは「形見《かたみ》おくり」を習つてゐるうちに真面目《まじめ》にかういふことを尋ねたりした。この返事には誰も当惑《たうわく》した。誰も? ――いや「誰も」ではない。やつと小学校へはひつた僕はすぐに「十郎が兄さんですよ」といひ、反《かへ》つてみんなに笑はれたのを羞《はづか》しがらずにはゐられなかつた。
「何しろああいふお師匠さんぢやね。」
 一中節《いつちうぶし》の師匠《ししやう》になることはとうとうお宗《そう》さんには出来なかつた。お宗さんはあの震災のために家も何も焼かれたとかいふことだつた。のみならず一時は頭の具合《ぐあひ》も妙になつたとかいふことだつた。僕はお宗さんの髪の毛も何か頭の病気のために薄いのではないかと思つてゐる。お宗さんの使つた毛生え薬は何も売薬《ばいやく》ばかりではない。お宗さんはいつか蝙蝠《かうもり》の生き血を一面に頭に塗りつけてゐた。
「鼠の子の生き血も善《よ》いといふんですけれども。」
 お宗さんは円《まる》い目をくるくるさせながら、きよとんとしてこんなことも言つたものだつた。

     二 裏畠

 それはKさんの家の後《うし》ろにある二百坪ばかりの畠《はたけ》だつた。Kさんはそこに野菜のほかにもポンポン・ダリアを作つてゐた。その畠を塞《ふさ》いでゐるのは一日に五、六度汽車の通る一間《いつけん》ばかりの堤《つつみ》だつた。
 或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに鋏《はさみ》を入れてゐた。すると汽車は堤の上をどつと一息《ひといき》に通りすぎながら、何度も鋭い非常警笛を鳴らした。同時に何か黒いものが一つ畠の隅へころげ落ちた。Kさんはそちらを見る拍子《ひやうし》に「又|庭鳥《にはとり》がやられたな」と思つた。それは実際黒い羽根《はね》に青い光沢《くわうたく》を持つてゐるミノルカ種《しゆ》の庭鳥にそつくりだつた。のみならず何か※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]冠《とさか》らしいものもちらりと見えたのに違ひなかつた。
 しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに佇《たたず》んだまま、あつけにとられずにはゐられなかつた。その畠へころげこんだものは実は今汽車に轢《ひ》かれた二十四五の男の頭だつた。

     三 武さん

 武《たけ》さんは二十八歳の時に何かにすがりたい慾望を感じ、(この慾望を生じた原因は特にここに言はずともよい。)当時名高い小説家だつたK先生を尋ねることにした。が、K先生はどう思つたか、武さんを玄関の中へ入れずに格子《かうし》戸越しにかう言ふのだつた。
「御用向きは何ですか?」
 武さんはそこに佇《たたず》んだまま、一部始終《いちぶしじゆう》をK先生に話した。
「その問題を解決するのはわたしの任ではありません。Tさんのところへお出でなさい。」
 T先生は基督《キリスト》教的色彩を帯びた、やはり名高い小説家だつた。武さんは早速《さつそく》その日のうちにT先生を訪問した。T先生は玄関へ顔を出すと、「わたしがTです。ではさやうなら」と言つたぎり、さつさと奥へ引きこまうとした。武さんは慌《あわ》ててT先生を呼びとめ、もう一度あらゆる事情を話した。
「さあ、それはむづかしい。……どうです、Uさんのところへ行つて見ては?」
 武さんはやつと三度目にU先生に辿《たど》り着いた。U先生は小説家ではない。名高い基督《キリスト》教的思想家だつた。武さんはこのU先生により、次第に信仰へはひつて行つた。同時に又次第に現世《げんせ》には珍らしい生活へはひつて行つた。
 それは唯はた目には石鹸《せつけん》や歯磨《はみが》きを売る行商《ぎやうしやう》だつた。しかし武さんは飯《めし》さへ食へれば、滅多《めつた》に荷を背負《せお》つて出かけたことはなかつた。その代りにトルストイを読んだり、蕪村《ぶそん》句集講義を読んだり、就中《なかんづく》聖書を筆写したりした。武さんの筆写した新旧約聖書は何千枚かにのぼつてゐるであらう。兎《と》に角《かく》武さんは昔の坊さんの法華経《ほけきやう》などを筆写したやうに勇猛に聖書を筆写したのである。
 或夏の近づいた月夜、武《たけ》さんは荷物を背負《せお》つたまま、ぶらぶら行商《ぎやうしやう》から帰つて来た。すると家の近くへ来た時、何か柔《やはら》かいものを踏みつぶした。それは月の光に透かして見ると、一匹の蟇《ひき》がへるに違ひなかつた。武さんは「俺《おれ》は悪いことをした」と思つた。それから家へ帰つて来ると、寝床の前に跪《ひざまづ》き、「神様、どうかあの蟇《ひき》がへるをお助け下さい」と十分ほど熱心に祈祷《きたう》をした。(武さんは立ち小便をする時にも草木《くさき》のない所にしたことはない。尤《もつと》もその為に一本の若木の枯れてしまつたことは確かである。)
 武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた壜《びん》をさし出しながら、晴れやかに武さんに話しかけた。
「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた蟇《ひき》がへるが一匹向うの草の中へはひつて行《ゆ》きましたよ。蟇がへるなどといふやつは強いものですね。」
 武さんは牛乳配達の帰つた後《あと》、早速《さつそく》感謝の祈祷をした。――これは武さんの直話《ぢきわ》である。僕は現世にもかういふ奇蹟《きせき》の行はれるといふことを語りたいのではない。唯現世にもかういふ人のゐるといふことを語りたいのである。僕の考へは武さんの考へとは、――僕にこの話をした武さんの考へとは或は反対になるであらう。しかし僕は不幸にも武さんのやうに信仰にはひつてゐない。従つて考への喰ひ違ふのはやむを得ないことと思つてゐる。
[#地から1字上げ](昭和二・五・六)



底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行
入力:j.utiyama
校正:j.utiyama
1999年2月15日公開
2004年3月9日修正
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