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秋山図
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)黄大癡《こうたいち》

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(例)大癡老人|黄公望《こうこうぼう》は、

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(例)※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田《うんなんでん》
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「――黄大癡《こうたいち》といえば、大癡の秋山図《しゅうざんず》をご覧《らん》になったことがありますか?」
 ある秋の夜《よ》、甌香閣《おうこうかく》を訪《たず》ねた王石谷《おうせきこく》は、主人の※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田《うんなんでん》と茶を啜《すす》りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いや、見たことはありません。あなたはご覧になったのですか?」
 大癡老人|黄公望《こうこうぼう》は、梅道人《ばいどうじん》や黄鶴山樵《こうかくさんしょう》とともに、元朝《げんちょう》の画《え》の神手《しんしゅ》である。※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田はこう言いながら、かつて見た沙磧図《させきず》や富春巻《ふうしゅんかん》が、髣髴《ほうふつ》と眼底に浮ぶような気がした。
「さあ、それが見たと言って好《い》いか、見ないと言って好いか、不思議なことになっているのですが、――」
「見たと言って好いか、見ないと言って好いか、――」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田は訝《いぶか》しそうに、王石谷の顔へ眼《め》をやった。
「模本《もほん》でもご覧になったのですか?」
「いや、模本を見たのでもないのです。とにかく真蹟《しんせき》は見たのですが、――それも私《わたし》ばかりではありません。この秋山図のことについては、煙客先生《えんかくせんせい》(王時敏《おうじびん》)や廉州先生《れんしゅうせんせい》(王鑑《おうかん》)も、それぞれ因縁《いんねん》がおありなのです」
 王石谷はまた茶を啜った後《のち》、考深《かんがえぶか》そうに微笑した。
「ご退屈でなければ話しましょうか?」
「どうぞ」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田は銅檠《どうけい》の火を掻き立ててから、慇懃《いんぎん》に客を促した。

      *     *     *

 元宰先生《げんさいせんせい》(董其昌《とうきしょう》)が在世中《ざいせいちゅう》のことです。ある年の秋先生は、煙客翁《えんかくおう》と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯《こういっぽう》の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗《そう》としていた人です。ですから大癡の画という画はいやしくも人間《じんかん》にある限り、看尽《みつく》したと言ってもかまいません。が、その秋山図という画ばかりは、ついに見たことがないのです。
「いや、見るどころか、名を聞いたこともないくらいです」
 煙客翁はそう答えながら、妙に恥《はずか》しいような気がしたそうです。
「では機会のあり次第、ぜひ一度は見ておおきなさい。夏山図《かざんず》や浮嵐図《ふらんず》に比べると、また一段と出色《しゅっしょく》の作です。おそらくは大癡《たいち》老人の諸本の中でも、白眉《はくび》ではないかと思いますよ」
「そんな傑作ですか? それはぜひ見たいものですが、いったい誰が持っているのです?」
「潤州《じゅんしゅう》の張氏《ちょうし》の家にあるのです。金山寺《きんざんじ》へでも行った時に、門を叩《たた》いてご覧《らん》なさい。私《わたし》が紹介状を書いて上げます」
 煙客翁《えんかくおう》は先生の手簡を貰《もら》うと、すぐに潤州へ出かけて行きました。何しろそういう妙画を蔵している家ですから、そこへ行けば黄一峯《こういっぽう》の外《ほか》にも、まだいろいろ歴代の墨妙《ぼくみょう》を見ることができるに違いない。――こう思った煙客翁は、もう一刻も西園《さいえん》の書房に、じっとしていることはできないような、落着かない気もちになっていたのです。
 ところが潤州へ来て観《み》ると、楽みにしていた張氏の家というのは、なるほど構えは広そうですが、いかにも荒れ果てているのです。墻《かき》には蔦《つた》が絡《から》んでいるし、庭には草が茂っている。その中に鶏《にわとり》や家鴨《あひる》などが、客の来たのを珍しそうに眺めているという始末ですから、さすがの翁もこんな家に、大癡の名画があるのだろうかと、一時は元宰先生《げんさいせんせい》の言葉が疑いたくなったくらいでした。しかしわざわざ尋ねて来ながら、刺《し》も通ぜずに帰るのは、もちろん本望《ほんもう》ではありません。そこで取次ぎに出て来た小厮《しょうし》に、ともかくも黄一峯の秋山図を拝見したいという、遠来の意を伝えた後《のち》、思白《しはく》先生が書いてくれた紹介状を渡しました。
 すると間もなく煙客翁は、庁堂《ちょうどう》へ案内されました。ここも紫檀《したん》の椅子《いす》机が、清らかに並べてありながら、冷たい埃《ほこり》の臭《にお》いがする、――やはり荒廃《こうはい》の気が鋪甎《ほせん》の上に、漂っているとでも言いそうなのです。しかし幸い出て来た主人は、病弱らしい顔はしていても、人がらの悪い人ではありません。いや、むしろその蒼白《あおじろ》い顔や華奢《きゃしゃ》な手の恰好なぞに、貴族らしい品格が見えるような人物なのです。翁はこの主人とひととおり、初対面の挨拶《あいさつ》をすませると、早速名高い黄一峯を見せていただきたいと言いだしました。何でも翁の話では、その名画がどういう訳か、今の内に急いで見ておかないと、霧のように消えてでもしまいそうな、迷信じみた気もちがしたのだそうです。
 主人はすぐに快諾《かいだく》しました。そうしてその庁堂の素壁《そへき》へ、一幀《いっとう》の画幅《がふく》を懸《か》けさせました。
「これがお望みの秋山図です」
 煙客翁《えんかくおう》はその画《え》を一目見ると、思わず驚嘆《きょうたん》の声を洩らしました。
 画は青緑《せいりょく》の設色《せっしょく》です。渓《たに》の水が委蛇《いい》と流れたところに、村落や小橋《しょうきょう》が散在している、――その上に起した主峯の腹には、ゆうゆうとした秋の雲が、蛤粉《ごふん》の濃淡を重ねています。山は高房山《こうぼうざん》の横点《おうてん》を重ねた、新雨《しんう》を経たような翠黛《すいたい》ですが、それがまた※[#「石+朱」、第3水準1-89-1]《しゅ》を点じた、所々《しょしょ》の叢林《そうりん》の紅葉《こうよう》と映発している美しさは、ほとんど何と形容して好《い》いか、言葉の着けようさえありません。こういうとただ華麗《かれい》な画のようですが、布置《ふち》も雄大を尽していれば、筆墨《ひつぼく》も渾厚《こんこう》を極《きわ》めている、――いわば爛然《らんぜん》とした色彩の中《うち》に、空霊澹蕩《くうれいたんとう》の古趣が自《おのずか》ら漲《みなぎ》っているような画なのです。
 煙客翁はまるで放心したように、いつまでもこの画を見入っていました。が、画は見ていれば見ているほど、ますます神妙を加えて行きます。
「いかがです? お気に入りましたか?」
 主人は微笑を含みながら、斜《ななめ》に翁の顔を眺めました。
「神品《しんぴん》です。元宰先生《げんさいせんせい》の絶賞は、たとい及ばないことがあっても、過ぎているとは言われません。実際この図に比べれば、私《わたし》が今までに見た諸名本は、ことごとく下風《かふう》にあるくらいです」
 煙客翁はこういう間《あいだ》でも、秋山図《しゅうざんず》から眼を放しませんでした。
「そうですか? ほんとうにそんな傑作ですか?」
 翁は思わず主人のほうへ、驚いた眼を転じました。
「なぜまたそれがご不審なのです?」
「いや、別に不審という訳ではないのですが、実は、――」
 主人はほとんど処子《しょし》のように、当惑そうな顔を赤めました。が、やっと寂しい微笑を洩すと、おずおず壁上の名画を見ながら、こう言葉を続けるのです。
「実はあの画を眺めるたびに、私《わたし》は何だか眼を明いたまま、夢でも見ているような気がするのです。なるほど秋山《しゅうざん》は美しい。しかしその美しさは、私だけに見える美しさではないか? 私以外の人間には、平凡な画図《がと》に過ぎないのではないか?――なぜかそういう疑いが、始終私を悩ませるのです。これは私の気の迷いか、あるいはあの画が世の中にあるには、あまり美し過ぎるからか、どちらが原因だかわかりません。が、とにかく妙な気がしますから、ついあなたのご賞讃にも、念を押すようなことになったのです」
 しかしその時の煙客翁は、こういう主人の弁解にも、格別心は止めなかったそうです。それは何も秋山図に、見惚《みと》れていたばかりではありません。翁には主人が徹頭徹尾《てっとうてつび》、鑑識《かんしき》に疎《うと》いのを隠したさに、胡乱《うろん》の言を並べるとしか、受け取れなかったからなのです。
 翁はそれからしばらくの後《のち》、この廃宅同様な張氏《ちょうし》の家を辞しました。
 が、どうしても忘れられないのは、あの眼も覚めるような秋山図《しゅうざんず》です。実際|大癡《たいち》の法燈《ほうとう》を継いだ煙客翁《えんかくおう》の身になって見れば、何を捨ててもあれだけは、手に入れたいと思ったでしょう。のみならず翁は蒐集家《しゅうしゅうか》です。しかし家蔵の墨妙の中《うち》でも、黄金《おうごん》二十|鎰《いつ》に換えたという、李営丘《りえいきゅう》の山陰泛雪図《さんいんはんせつず》でさえ、秋山図の神趣に比べると、遜色《そんしょく》のあるのを免《まぬか》れません。ですから翁は蒐集家としても、この稀代《きだい》の黄一峯《こういっぽう》が欲しくてたまらなくなったのです。
 そこで潤州《じゅんしゅう》にいる間《あいだ》に、翁は人を張氏に遣《つか》わして、秋山図を譲ってもらいたいと、何度も交渉してみました。が、張氏はどうしても、翁の相談に応じません。あの顔色《かおいろ》の蒼白《あおじろ》い主人は、使に立ったものの話によると、「それほどこの画がお気に入ったのなら、喜んで先生にお貸し申そう。しかし手離すことだけは、ごめん蒙《こうむ》りたい」と言ったそうです。それがまた気を負った煙客翁には、多少|癇《かん》にも障《さわ》りました。何、今貸してもらわなくても、いつかはきっと手に入れてみせる。――翁はそう心に期《ご》しながら、とうとう秋山図を残したなり、潤州を去ることになりました。
 それからまた一年ばかりの後《のち》、煙客翁は潤州へ来たついでに、張氏の家を訪れてみました。すると墻《かき》に絡《から》んだ蔦《つた》や庭に茂った草の色は、以前とさらに変りません。が、取次ぎの小厮《しょうし》に聞けば、主人は不在だということです。翁は主人に会わないにしろ、もう一度あの秋山図を見せてもらうように頼みました。しかし何度頼んでみても、小厮は主人の留守《るす》を楯《たて》に、頑《がん》として奥へ通しません。いや、しまいには門を鎖《とざ》したまま、返事さえろくにしないのです。そこで翁はやむを得ず、この荒れ果てた家のどこかに、蔵している名画を想いながら、惆悵《ちゅうちょう》と独《ひと》り帰って来ました。
 ところがその後《ご》元宰《げんさい》先生に会うと、先生は翁に張氏《ちょうし》の家には、大癡の秋山図があるばかりか、沈石田《しんせきでん》の雨夜止宿図《うやししゅくず》や自寿図《じじゅず》のような傑作も、残っているということを告げました。
「前にお話するのを忘れたが、この二つは秋山図同様、※[#「糸+貴」、174-下-19]苑《かいえん》の奇観とも言うべき作です。もう一度私が手紙を書くから、ぜひこれも見ておおきなさい」
 煙客翁はすぐに張氏の家へ、急の使を立てました。使は元宰先生の手札《しゅさつ》の外《ほか》にも、それらの名画を購《あがな》うべき※[#「蠧」の「虫」二つに代えて「木」、第4水準2-15-30]金《たくきん》を授けられていたのです。しかし張氏は前のとおり、どうしても黄一峯《こういっぽう》だけは、手離すことを肯《がえん》じません。翁はついに秋山図《しゅうざんず》には意を絶つより外《ほか》はなくなりました。

      *     *     *

 王石谷《おうせきこく》はちょいと口を噤《つぐ》んだ。
「これまでは私《わたし》が煙客先生《えんかくせんせい》から、聞かせられた話なのです?」
「では煙客先生だけは、たしかに秋山図を見られたのですか?」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田《うんなんでん》は髯《ひげ》を撫《ぶ》しながら、念を押すように王石谷を見た。
「先生は見たと言われるのです。が、たしかに見られたのかどうか、それは誰にもわかりません」
「しかしお話の容子《ようす》では、――」
「まあ先をお聴《き》きください。しまいまでお聴きくだされば、また自《おのずか》ら私《わたし》とは違ったお考が出るかもしれません」
 王石谷は今度は茶も啜《すす》らずに、※[#「女+尾」、第3水準1-15-81]々《びび》と話を続けだした。

      *     *     *

 煙客翁が私《わたし》にこの話を聴かせたのは、始めて秋山図を見た時から、すでに五十年近い星霜《せいそう》を経過した後《のち》だったのです。その時は元宰《げんさい》先生も、とうに物故《ぶっこ》していましたし、張氏《ちょうし》の家でもいつの間《ま》にか、三度まで代が変っていました。ですからあの秋山図も、今は誰の家に蔵されているか、いや、未《いまだ》に亀玉《きぎょく》の毀《やぶ》れもないか、それさえ我々にはわかりません。煙客翁は手にとるように、秋山図の霊妙を話してから、残念そうにこう言ったものです。
「あの黄一峯は公孫大嬢《こうそんたいじょう》の剣器《けんき》のようなものでしたよ。筆墨はあっても、筆墨は見えない。ただ何とも言えない神気《しんき》が、ただちに心に迫って来るのです。――ちょうど龍翔《りょうしょう》の看《かん》はあっても、人や剣《つるぎ》が我々に見えないのと同じことですよ」
 それから一月《ひとつき》ばかりの後《のち》、そろそろ春風《しゅんぷう》が動きだしたのを潮《しお》に、私は独り南方へ、旅をすることになりました。そこで翁《おう》にその話をすると、
「ではちょうど好《い》い機会だから、秋山《しゅうざん》を尋ねてご覧《らん》なさい。あれがもう一度世に出れば、画苑《がえん》の慶事《けいじ》ですよ」と言うのです。
 私ももちろん望むところですから、早速翁を煩《わずら》わせて、手紙を一本書いてもらいました。が、さて遊歴《ゆうれき》の途《と》に上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州《じゅんしゅう》の張氏の家を訪れる暇《ひま》がありません。私は翁の書を袖《そで》にしたなり、とうとう子規《ほととぎす》が啼《な》くようになるまで、秋山《しゅうざん》を尋ねずにしまいました。
 その内にふと耳にはいったのは、貴戚《きせき》の王氏《おうし》が秋山図を手に入れたという噂《うわさ》です。そういえば私《わたし》が遊歴中、煙客翁《えんかくおう》の書を見せた人には、王氏を知っているものも交《まじ》っていました。王氏はそういう人からでも、あの秋山図が、張氏《ちょうし》の家に蔵してあることを知ったのでしょう。何でも坊間《ぼうかん》の説によれば、張氏の孫は王氏《おうし》の使を受けると、伝家の彝鼎《いてい》や法書とともに、すぐさま大癡《たいち》の秋山図を献じに来たとかいうことです。そうして王氏は喜びのあまり、張氏の孫を上座に招じて、家姫《かき》を出したり、音楽を奏したり、盛な饗宴《きょうえん》を催したあげく、千金を寿《じゅ》にしたとかいうことです。私はほとんど雀躍《じゃくやく》しました。滄桑五十載《そうそうごじっさい》を閲《けみ》した後《のち》でも、秋山図はやはり無事だったのです。のみならず私も面識がある、王氏の手中に入ったのです。昔は煙客翁がいくら苦心をしても、この図を再び看《み》ることは、鬼神《きじん》が悪《にく》むのかと思うくらい、ことごとく失敗に終りました。が、今は王氏の焦慮《しょうりょ》も待たず、自然とこの図が我々の前へ、蜃楼《しんろう》のように現れたのです。これこそ実際天縁が、熟したと言う外《ほか》はありません。私は取る物も取りあえず、金※[#「門<昌」、第3水準1-93-51]《きんしょう》にある王氏の第宅《ていたく》へ、秋山を見に出かけて行きました。
 今でもはっきり覚えていますが、それは王氏の庭の牡丹《ぼたん》が、玉欄《ぎょくらん》の外《そと》に咲き誇った、風のない初夏の午過《ひるす》ぎです。私は王氏の顔を見ると、揖《ゆう》もすますかすまさない内に、思わず笑いだしてしまいました。
「もう秋山図はこちらの物です。煙客先生もあの図では、ずいぶん苦労をされたものですが、今度こそはご安心なさるでしょう。そう思うだけでも愉快です」
 王氏も得意満面でした。
「今日《きょう》は煙客先生や廉州《れんしゅう》先生も来られるはずです。が、まあ、お出でになった順に、あなたから見てもらいましょう」
 王氏は早速かたわらの壁に、あの秋山図を懸《か》けさせました。水に臨んだ紅葉《こうよう》の村、谷を埋《うず》めている白雲《はくうん》の群《むれ》、それから遠近《おちこち》に側立《そばだ》った、屏風《びょうぶ》のような数峯の青《せい》、――たちまち私の眼の前には、大癡老人が造りだした、天地よりもさらに霊妙な小天地が浮び上ったのです。私は胸を躍《おど》らせながら、じっと壁上の画を眺めました。
 この雲煙邱壑《うんえんきゅうがく》は、紛《まぎ》れもない黄一峯《こういっぽう》です、癡翁《ちおう》を除いては何人《なんぴと》も、これほど皴点《しゅんてん》を加えながら、しかも墨を活《い》かすことは――これほど設色《せっしょく》を重くしながら、しかも筆が隠れないことは、できないのに違いありません。しかし――しかしこの秋山図は、昔一たび煙客翁が張氏の家に見たという図と、たしかに別な黄一峯《こういっぽう》です。そうしてその秋山図《しゅうざんず》よりも、おそらくは下位にある黄一峯です。
 私《わたし》の周囲には王氏を始め、座にい合せた食客《しょっかく》たちが、私の顔色《かおいろ》を窺《うかが》っていました。ですから私は失望の色が、寸分《すんぶん》も顔へ露《あら》われないように、気を使う必要があったのです。が、いくら努めてみても、どこか不服な表情が、我知らず外へ出たのでしょう。王氏はしばらくたってから、心配そうに私へ声をかけました。
「どうです?」
 私は言下《ごんか》に答えました。
「神品です。なるほどこれでは煙客《えんかく》先生が、驚倒《きょうとう》されたのも不思議はありません」
 王氏はやや顔色を直しました。が、それでもまだ眉《まゆ》の間には、いくぶんか私の賞讃《しょうさん》に、不満らしい気色《けしき》が見えたものです。
 そこへちょうど来合せたのは、私に秋山の神趣を説いた、あの煙客先生です。翁は王氏に会釈《えしゃく》をする間《ま》も、嬉しそうな微笑を浮べていました。
「五十年|前《ぜん》に秋山図を見たのは、荒れ果てた張氏の家でしたが、今日《きょう》はまたこういう富貴《ふうき》のお宅に、再びこの図とめぐり合いました。まことに意外な因縁です」
 煙客翁はこう言いながら、壁上の大癡《たいち》を仰ぎ見ました。この秋山がかつて翁の見た秋山かどうか、それはもちろん誰よりも翁自身が明らかに知っているはずです。ですから私も王氏同様、翁がこの図を眺める容子《ようす》に、注意深い眼を注いでいました。すると果然《かぜん》翁の顔も、みるみる曇ったではありませんか。
 しばらく沈黙が続いた後《のち》、王氏はいよいよ不安そうに、おずおず翁へ声をかけました。
「どうです? 今も石谷《せきこく》先生は、たいそう褒《ほ》めてくれましたが、――」
 私は正直な煙客翁が、有体《ありてい》な返事をしはしないかと、内心|冷《ひ》や冷《ひ》やしていました。しかし王氏を失望させるのは、さすがに翁も気の毒だったのでしょう。翁は秋山を見終ると、叮嚀《ていねい》に王氏へ答えました。
「これがお手にはいったのは、あなたのご運が好《よ》いのです。ご家蔵《かぞう》の諸宝《しょほう》もこの後《のち》は、一段と光彩を添えることでしょう」
 しかし王氏はこの言葉を聞いても、やはり顔の憂色《ゆうしょく》が、ますます深くなるばかりです。
 その時もし廉州《れんしゅう》先生が、遅《おく》れ馳《ば》せにでも来なかったなら、我々はさらに気まずい思いをさせられたに違いありません。しかし先生は幸いにも、煙客翁の賞讃が渋りがちになった時、快活に一座へ加わりました。
「これがお話の秋山図ですか?」
 先生は無造作《むぞうさ》な挨拶《あいさつ》をしてから、黄一峯《こういっぽう》の画《え》に対しました。そうしてしばらくは黙然《もくねん》と、口髭《くちひげ》ばかり噛《か》んでいました。
「煙客先生《えんかくせんせい》は五十年|前《ぜん》にも、一度この図をご覧になったそうです」
 王氏はいっそう気づかわしそうに、こう説明を加えました。廉州《れんしゅう》先生はまだ翁から、一度も秋山《しゅうざん》の神逸《しんいつ》を聞かされたことがなかったのです。
「どうでしょう? あなたのご鑑裁《かんさい》は」
 先生は歎息《たんそく》を洩らしたぎり、不相変《あいかわらず》画を眺めていました。
「ご遠慮のないところを伺《うかが》いたいのですが、――」
 王氏は無理に微笑しながら、再び先生を促しました。
「これですか? これは――」
 廉州先生はまた口を噤《つぐ》みました。
「これは?」
「これは癡翁《ちおう》第一の名作でしょう。――この雲煙の濃淡をご覧なさい。元気|淋漓《りんり》じゃありませんか。林木なぞの設色《せっしょく》も、まさに天造《てんぞう》とも称すべきものです。あすこに遠峯が一つ見えましょう。全体の布局《ふきょく》があのために、どのくらい活《い》きているかわかりません」
 今まで黙っていた廉州先生は、王氏のほうを顧《かえり》みると、いちいち画の佳所《かしょ》を指さしながら、盛《さかん》に感歎の声を挙《あ》げ始めました。その言葉とともに王氏の顔が、だんだん晴れやかになりだしたのは、申し上げるまでもありますまい。
 私はその間《あいだ》に煙客翁と、ひそかに顔を見合せました。
「先生、これがあの秋山図ですか?」
 私が小声にこう言うと、煙客翁は頭を振りながら、妙な瞬《まばた》きを一つしました。
「まるで万事が夢のようです。ことによるとあの張家《ちょうけ》の主人は、狐仙《こせん》か何かだったかもしれませんよ」

      *     *     *

「秋山図の話はこれだけです」
 王石谷《おうせきこく》は語り終ると、おもむろに一碗の茶を啜《すす》った。
「なるほど、不思議な話です」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]南田《うんなんでん》は、さっきから銅檠《どうけい》の焔《ほのお》を眺めていた。
「その後《ご》王氏も熱心に、いろいろ尋《たず》ねてみたそうですが、やはり癡翁の秋山図と言えば、あれ以外に張氏も知らなかったそうです。ですから昔煙客先生が見られたという秋山図は、今でもどこかに隠れているか、あるいはそれが先生の記憶の間違いに過ぎないのか、どちらとも私にはわかりません。まさか先生が張氏の家へ、秋山図を見に行かれたことが、全体|幻《まぼろし》でもありますまいし、――」
「しかし煙客先生《えんかくせんせい》の心の中《うち》には、その怪しい秋山図が、はっきり残っているのでしょう。それからあなたの心の中《なか》にも、――」
「山石の青緑だの紅葉の※[#「石+朱」、第3水準1-89-1]《しゅ》の色だのは、今でもありあり見えるようです」
「では秋山図がないにしても、憾《うら》むところはないではありませんか?」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2-12-56]王《うんおう》の両大家は、掌《たなごころ》を拊《う》って一笑した。



底本:「日本文学全集28芥川龍之介集」集英社
   1972(昭和47)年9月8日発行
入力:j.utiyama
校正:もりみつじゅんじ
1999年5月15日公開
2004年3月8日修正
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