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尼提
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)舎衛城《しゃえいじょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)勿論|三界六道《さんがいろくどう》
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(例)[#地から1字上げ](大正十四年八月十三日)
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舎衛城《しゃえいじょう》は人口の多い都である。が、城の面積は人口の多い割に広くはない。従ってまた厠溷《しこん》も多くはない。城中の人々はそのためにたいていはわざわざ城外へ出、大小便をすることに定《き》めている。ただ波羅門《ばらもん》や刹帝利《せっていり》だけは便器の中に用を足し、特に足を労することをしない。しかしこの便器の中の糞尿《ふんにょう》もどうにか始末《しまつ》をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人《じょふんにん》と呼ばれる人々である。
もう髪の黄ばみかけた尼提《にだい》はこう言う除糞人の一人である。舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄《しょうじょう》に縁の遠い人々の一人である。
ある日の午後、尼提はいつものように諸家《しょけ》の糞尿を大きい瓦器《がき》の中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒《のき》を並べた、狭苦しい路を歩いていた。すると向うから歩いて来たのは鉢を持った一人の沙門《しゃもん》である。尼提はこの沙門を見るが早いか、これは大変な人に出会ったと思った。沙門はちょっと見たところでは当り前の人と変りはない。が、その眉間《みけん》の白毫《びゃくごう》や青紺色《せいこんしょく》の目を知っているものには確かに祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》にいる釈迦如来《しゃかにょらい》に違いなかったからである。
釈迦如来は勿論|三界六道《さんがいろくどう》の教主《きょうしゅ》、十方最勝《じっぽうさいしょう》、光明無礙《こうみょうむげ》、億々衆生平等引導《おくおくしゅじょうびょうどういんどう》の能化《のうげ》である。けれどもその何ものたるかは尼提の知っているところではない。ただ彼の知っているのはこの舎衛国の波斯匿王《はしのくおう》さえ如来の前には臣下のように礼拝《らいはい》すると言うことだけである。あるいはまた名高い給孤独長者《きゅうこどくちょうじゃ》も祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》を造るために祇陀童子《ぎだどうじ》の園苑《えんえん》を買った時には黄金《おうごん》を地に布《し》いたと言うことだけである。尼提《にだい》はこう言う如来《にょらい》の前に糞器《ふんき》を背負《せお》った彼自身を羞《は》じ、万が一にも無礼のないように倉皇《そうこう》と他《ほか》の路《みち》へ曲ってしまった。
しかし如来はその前に尼提の姿を見つけていた。のみならず彼が他の路へ曲って行った動機をも見つけていた。その動機が思わず如来の頬《ほお》に微笑を漂《ただよ》わさせたのは勿論である。微笑を?――いや、必ずしも「微笑を」ではない。無智愚昧《むちぐまい》の衆生《しゅじょう》に対する、海よりも深い憐憫《れんびん》の情はその青紺色《せいこんしょく》の目の中にも一滴《いってき》の涙さえ浮べさせたのである。こう言う大慈悲心を動かした如来はたちまち平生の神通力《じんつうりき》により、この年をとった除糞人《じょふんにん》をも弟子《でし》の数《かず》に加えようと決心した。
尼提の今度曲ったのもやはり前のように狭い路である。彼は後《うしろ》を振り返って如来の来ないのを確かめた上、始めてほっと一息《ひといき》した。如来は摩迦陀国《まかだこく》の王子であり、如来の弟子たちもたいていは身分の高い人々である。罪業《ざいごう》の深い彼などは妄《みだ》りに咫尺《しせき》することを避けなければならぬ。しかし今は幸いにも無事に如来の目を晦《くら》ませ、――尼提ははっとして立ちどまった。如来はいつか彼の向うに威厳のある微笑《びしょう》を浮べたまま、安庠《あんしょう》とこちらへ歩いている。
尼提は糞器の重いのを厭《いと》わず、もう一度他の路へ曲って行った。如来が彼の面前へ姿を現したのは不可思議《ふかしぎ》である。が、あるいは一刻も早く祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》へ帰るためにぬけ道か何かしたのかも知れない。彼は今度も咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に如来の金身《こんじん》に近づかずにすんだ。それだけはせめてもの仕合せである。けれども尼提はこう思った時、また如来の向うから歩いて来るのに喫驚《びっくり》した。
三度目《みたびめ》に尼提の曲った路にも如来は悠々と歩いている。
四《よ》たび目に尼提の曲った道にも如来は獅子王《ししおう》のように歩いている。
五《いつ》たび目に尼提の曲った路にも、――尼提は狭い路を七《なな》たび曲り、七たびとも如来の歩いて来るのに出会った。殊に七たび目に曲ったのはもう逃げ道のない袋路《ふくろみち》である。如来は彼の狼狽《ろうばい》するのを見ると、路のまん中に佇《たたず》んだなり、徐《おもむ》ろに彼をさし招いた。「その指《ゆび》繊長《せんちょう》にして、爪は赤銅《しゃくどう》のごとく、掌《たなごころ》は蓮華《れんげ》に似たる」手を挙げて「恐れるな」と言う意味を示したのである。が、尼提はいよいよ驚き、とうとう瓦器《がき》をとり落した。
「まことに恐れ入りますが、どうかここをお通し下さいまし。」
進退共に窮《きわ》まった尼提は糞汁《ふんじゅう》の中に跪《ひざまず》いたまま、こう如来に歎願した。しかし如来は不相変《あいかわらず》威厳のある微笑を湛《たた》えながら、静かに彼の顔を見下《みおろ》している。
「尼提《にだい》よ、お前もわたしのように出家《しゅっけ》せぬか!」
如来が雷音《らいおん》に呼びかけた時、尼提は途方《とほう》に暮れた余り、合掌《がっしょう》して如来を見上げていた。
「わたくしは賤《いや》しいものでございまする。とうていあなた様のお弟子《でし》たちなどと御一《ごいっ》しょにおることは出来ませぬ。」
「いやいや、仏法《ぶっぽう》の貴賤を分たぬのはたとえば猛火《みょうか》の大小|好悪《こうお》を焼き尽してしまうのと変りはない。……」
それから、――それから如来の偈《げ》を説いたことは経文《きょうもん》に書いてある通りである。
半月《はんつき》ばかりたった後《のち》、祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》に参った給孤独長者《きゅうこどくちょうじゃ》は竹や芭蕉《ばしょう》の中の路《みち》を尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は仏弟子《ぶつでし》になっても、余り除糞人《じょふんにん》だった時と変っていない。が、彼の頭だけはとうに髪の毛を落している。尼提は長者の来るのを見ると、路ばたに立ちどまって合掌《がっしょう》した。
「尼提よ。お前は仕合せものだ。一たび如来のお弟子《でし》となれば、永久に生死《じょうじ》を躍り越えて常寂光土《じょうじゃっこうど》に遊ぶことが出来るぞ。」
尼提はこう言う長者の言葉にいよいよ慇懃《いんぎん》に返事をした。
「長者よ。それはわたくしが悪かった訣《わけ》ではございませぬ。ただどの路へ曲っても、必ずその路へお出《いで》になった如来《にょらい》がお悪かったのでございまする。」
しかし尼提は経文《きょうもん》によれば、一心に聴法《ちょうほう》をつづけた後《のち》、ついに初果《しょか》を得たと言うことである。
[#地から1字上げ](大正十四年八月十三日)
底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月1日公開
2004年3月10日修正
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