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十円札
芥川龍之介
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(例)初夏《しょか》
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(例)東京|行《ゆき》
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(例)[#地から1字上げ](大正十三年八月)
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ある曇った初夏《しょか》の朝、堀川保吉《ほりかわやすきち》は悄然《しょうぜん》とプラットフォオムの石段を登って行った。と云っても格別大したことではない。彼はただズボンのポケットの底に六十何銭しか金のないことを不愉快に思っていたのである。
当時の堀川保吉はいつも金に困っていた。英吉利《イギリス》語を教える報酬《ほうしゅう》は僅かに月額六十円である。片手間《かたてま》に書いている小説は「中央公論《ちゅうおうこうろん》」に載った時さえ、九十銭以上になったことはない。もっとも一月《ひとつき》五円の間代《まだい》に一食五十銭の食料の払いはそれだけでも確かに間《ま》に合って行った。のみならず彼の洒落《しゃ》れるよりもむしろ己惚《うぬぼ》れるのを愛していたことは、――少くともその経済的意味を重んじていたことは事実である。しかし本を読まなければならぬ。埃及《エジプト》の煙草《たばこ》も吸わなければならぬ。音楽会の椅子《いす》にも坐らなければならぬ。友だちの顔も見なければならぬ。友だち以外の女人《にょにん》の顔も、――とにかく一週に一度ずつは必ず東京へ行《ゆ》かなければならぬ。こう云う生活欲に駆《か》られていた彼は勿論原稿料の前借《ぜんしゃく》をしたり、父母兄弟に世話を焼かせたりした。それでもまだ金の足《た》りない時には赤い色硝子《いろガラス》の軒燈《けんとう》を出した、人出入の少い土蔵造《どぞうづく》りの家《うち》へ大きい画集などを預けることにした。が、前借の見込みも絶え、父母兄弟とも喧嘩《けんか》をした今は、――いや、今はそれどころではない。この紀元節《きげんせつ》に新調した十八円五十銭のシルク・ハットさえとうにもう彼の手を離れている。………
保吉は人のこみ合ったプラットフォオムを歩きながら、光沢《こうたく》の美しいシルク・ハットをありありと目の前に髣髴《ほうふつ》した。シルク・ハットは円筒《えんとう》の胴に土蔵の窓明りを仄《ほの》めかせている。そのまた胴は窓の外《そと》に咲いた泰山木《たいざんぼく》の花を映《うつ》している。……しかしふと指に触れたズボンの底の六十何銭かはたちまちその夢を打ち壊《こわ》した。今日《きょう》はまだやっと十何日かである。二十八日の月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒《せいようふうとう》を受け取るのにはかれこれ二週間も待たなければならぬ。が、彼の楽しみにしていた東京へ出かける日曜日はもうあしたに迫っている。彼はあしたは長谷《はせ》や大友《おおとも》と晩飯を共にするつもりだった。こちらにないスコットの油画具《あぶらえのぐ》やカンヴァスも仕入《しい》れるつもりだった。フロイライン・メルレンドルフの演奏会へも顔を出すつもりだった。けれども六十何銭かの前には東京|行《ゆき》それ自身さえあきらめなければならぬ。
「明日《あす》よ、ではさようなら」である。
保吉は憂鬱を紛《まぎ》らせるために巻煙草《まきたばこ》を一本|啣《くわ》えようとした。が、手をやったポケットの中には生憎《あいにく》一本も残っていない。彼はいよいよ悪意のある運命の微笑《びしょう》を感じながら、待合室の外に足を止《と》めた物売りの前へ歩み寄った。緑いろの鳥打帽《とりうちぼう》をかぶった、薄い痘痕《あばた》のある物売りはいつもただつまらなそうに、頸《くび》へ吊《つ》った箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介《いっかい》の商人ではない。我々の生命を阻害《そがい》する否定的精神の象徴《しょうちょう》である。保吉はこの物売りの態度に、今日《きょう》も――と言うよりもむしろ今日はじっとしてはいられぬ苛立《いらだ》たしさを感じた。
「朝日《あさひ》をくれ給え。」
「朝日?」
物売りは不相変《あいかわらず》目を伏せたまま、非難するように問い返した。
「新聞ですか? 煙草《たばこ》ですか?」
保吉は眉間《みけん》の震《ふる》えるのを感じた。
「ビイル!」
物売りはさすがに驚いたように保吉の顔へ目を注《そそ》いだ。
「朝日ビイルはありません。」
保吉は溜飲《りゅういん》を下げながら、物売りを後《うし》ろに歩き出した。しかしそこへ買いに来た朝日は、――朝日などはもう吸わずとも好《い》い。忌《いま》いましい物売りを一蹴《いっしゅう》したのはハヴァナを吸ったのよりも愉快である。彼はズボンのポケットの底の六十何銭かも忘れたまま、プラットフォオムの先へ歩いて行った。ちょうどワグラムの一戦に大勝を博したナポレオンのように。……
―――――――――――――――――――――――――
岩とも泥とも見当《けんとう》のつかぬ、灰色をなすった断崖《だんがい》は高だかと曇天に聳えている。そのまた断崖のてっぺんは草とも木とも見当のつかぬ、白茶《しらちゃ》けた緑を煙らせている。保吉はこの断崖の下をぼんやり一人《ひとり》歩いて行った。三十分汽車に揺《ゆ》られた後《のち》、さらにまた三十分足らず砂埃《すなほこ》りの道を歩かせられるのは勿論永久の苦痛である。苦痛?――いや、苦痛ではない。惰力《だりょく》の法則はいつのまにか苦痛という意識さえ奪ってしまった。彼は毎日無感激にこの退屈そのものに似た断崖の下を歩いている。地獄の業苦《ごうく》を受くることは必ずしも我々の悲劇ではない。我々の悲劇は地獄の業苦を業苦と感ぜずにいることである。彼はこう云う悲劇の外へ一週に一度ずつ躍《おど》り出していた。が、ズボンのポケットの底に六十何銭しか残っていない今は、……
「お早う。」
突然声をかけたのは首席教官の粟野《あわの》さんである。粟野さんは五十を越しているであろう。色の黒い、近眼鏡《きんがんきょう》をかけた、幾分《いくぶん》か猫背《ねこぜ》の紳士《しんし》である。由来《ゆらい》保吉の勤めている海軍の学校の教官は時代を超越した紺《こん》サアジ以外に、いかなる背広をも着たことはない。粟野さんもやはり紺サアジの背広に新らしい麦藁帽《むぎわらぼう》をかぶっている。保吉は丁寧にお時儀《じぎ》をした。
「お早うございます。」
「大分《だいぶ》蒸《む》すようになりましたね。」
「お嬢さんはいかがですか? 御病気のように聞きましたが、……」
「難有《ありがと》う。やっと昨日《きのう》退院しました。」
粟野さんの前に出た保吉は別人のように慇懃《いんぎん》である。これは少しも虚礼ではない。彼は粟野さんの語学的天才に頗《すこぶ》る敬意を抱《いだ》いている。行年《ぎょうねん》六十の粟野さんは羅甸《ラテン》語のシイザアを教えていた。今も勿論|英吉利《イギリス》語を始め、いろいろの近代語に通じている。保吉はいつか粟野さんの Asino ――ではなかったかも知れない、が、とにかくそんな名前の伊太利《イタリイ》語の本を読んでいるのに少からず驚嘆《きょうたん》した。しかし敬意を抱いているのは語学的天才のためばかりではない。粟野さんはいかにも長者《ちょうじゃ》らしい寛厚《かんこう》の風を具《そな》えている。保吉は英吉利語の教科書の中に難解の個所を発見すると、必ず粟野さんに教わりに出かけた。難解の、――もっとも時間を節約するために、時には辞書《じしょ》を引いて見ずに教わりに出かけたこともない訣《わけ》ではない。が、こう云う場合には粟野さんに対する礼儀上、当惑《とうわく》の風を装《よそ》うことに全力を尽したのも事実である。粟野さんはいつも易《やす》やすと彼の疑問を解決した。しかし余り無造作《むぞうさ》に解決出来る場合だけは、――保吉は未《いま》だにはっきりと一思案《ひとしあん》を装《よそお》った粟野さんの偽善的《ぎぜんてき》態度を覚えている。粟野さんは保吉の教科書を前に、火の消えたパイプを啣《くわ》えたまま、いつもちょっと沈吟《ちんぎん》した。それからあたかも卒然《そつぜん》と天上の黙示《もくじ》でも下《くだ》ったように、「これはこうでしょう」と呼びかけながら、一気にその個所を解決した。保吉はこの芝居のために、――この語学的天才よりもむしろ偽善者たる教えぶりのために、どのくらい粟野さんを尊敬したであろう。……
「あしたはもう日曜ですね。この頃もやっぱり日曜にゃ必ず東京へお出かけですか?」
「ええ、――いいえ、明日《あした》は行《ゆ》かないことにしました。」
「どうして?」
「実はその――貧乏《びんぼう》なんです。」
「常談《じょうだん》でしょう。」
粟野さんはかすかに笑い声を洩《も》らした。やや鳶色《とびいろ》の口髭《くちひげ》のかげにやっと犬歯《けんし》の見えるくらい、遠慮深そうに笑ったのである。
「君は何しろ月給のほかに原稿料もはいるんだから、莫大《ばくだい》の収入を占めているんでしょう。」
「常談でしょう」と言ったのは今度は相手の保吉である。それも粟野さんの言葉よりは遥《はる》かに真剣に言ったつもりだった。
「月給は御承知の通り六十円ですが、原稿料は一枚九十銭なんです。仮に一月《ひとつき》に五十枚書いても、僅かに五九《ごっく》四十五円ですね。そこへ小雑誌《しょうざっし》の原稿料は六十銭を上下《じょうげ》しているんですから……」
保吉はたちまち熱心にいかに売文に糊口《ここう》することの困難であるかを弁《べん》じ出した。弁じ出したばかりではない。彼の生来《せいらい》の詩的情熱は見る見るまたそれを誇張し出した。日本の戯曲家《ぎきょくか》や小説家は、――殊に彼の友だちは惨憺《さんたん》たる窮乏《きゅうぼう》に安んじなければならぬ。長谷正雄《はせまさお》は酒の代りに電気ブランを飲んでいる。大友雄吉《おおともゆうきち》も妻子《さいし》と一しょに三畳の二階を借りている。松本法城《まつもとほうじょう》も――松本法城は結婚以来少し楽《らく》に暮らしているかも知れない。しかしついこの間まではやはり焼鳥屋へ出入《しゅつにゅう》していた。……
「Appearances are deceitful ですかね。」
粟野さんは常談とも真面目《まじめ》ともつかずに、こう煮《に》え切らない相槌《あいづち》を打った。
道の両側《りょうがわ》はいつのまにか、ごみごみした町家《ちょうか》に変っている。塵埃《ちりぼこ》りにまみれた飾《かざ》り窓と広告の剥《は》げた電柱と、――市と云う名前はついていても、都会らしい色彩はどこにも見えない。殊に大きいギャントリイ・クレエンの瓦屋根の空に横《よこた》わっていたり、そのまた空に黒い煙や白い蒸気の立っていたりするのは戦慄《せんりつ》に価《あたい》する凄《すさま》じさである。保吉は麦藁帽《むぎわらぼう》の庇《ひさし》の下にこう云う景色を眺めながら、彼自身意識して誇張した売文の悲劇に感激した。同時に平生尊重する痩《や》せ我慢《がまん》も何も忘れたように、今も片手を突こんでいたズボンの中味を吹聴《ふいちょう》した。
「実は東京へ行きたいんですが六十何銭しかない始末《しまつ》なんです。」
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保吉は教官室の机の前に教科書の下調《したしら》べにとりかかった。が、ジャットランドの海戦記事などはふだんでも愉快に読めるものではない。殊に今日《きょう》は東京へ行きたさに業《ごう》を煮《に》やしている時である。彼は英語の海語辞典《かいごじてん》を片手に一|頁《ペエジ》ばかり目を通した後《のち》、憂鬱にまたポケットの底の六十何銭かを考えはじめた。……
十一時半の教官室はひっそりと人音《ひとおと》を絶やしている。十人ばかりの教官も粟野さん一人を残したまま、ことごとく授業に出て行ってしまった。粟野さんは彼の机の向うに、――と云っても二人の机を隔《へだ》てた、殺風景《さっぷうけい》な書棚《しょだな》の向うに全然姿を隠している。しかし薄蒼《うすあお》いパイプの煙は粟野さんの存在を証明するように、白壁《しらかべ》を背にした空間の中へ時々かすかに立ち昇《のぼ》っている。窓の外の風景もやはり静かさには変りはない。曇天《どんてん》にこぞった若葉の梢《こずえ》、その向うに続いた鼠色の校舎、そのまた向うに薄光《うすひか》った入江、――何もかもどこか汗ばんだ、もの憂《う》い静かさに沈んでいる。
保吉は巻煙草を思い出した。が、たちまち物売りに竹箆返《しっぺいがえ》しを食わせた後《のち》、すっかり巻煙草を買うことを忘れていたのを発見した。巻煙草も吸われないのは悲惨《ひさん》である。悲惨?――あるいは悲惨ではないかも知れない。衣食の計に追われている窮民《きゅうみん》の苦痛に比《くら》べれば、六十何銭かを歎ずるのは勿論|贅沢《ぜいたく》の沙汰《さた》であろう。けれども苦痛そのものは窮民も彼も同じことである。いや、むしろ窮民よりも鋭い神経を持っている彼は一層《いっそう》の苦痛をなめなければならぬ。窮民は、――必ずしも窮民と言わずとも好《い》い。語学的天才たる粟野さんはゴッホの向日葵《ひまわり》にも、ウォルフのリイドにも、乃至《ないし》はヴェルアアランの都会の詩にも頗《すこぶ》る冷淡に出来上っている。こう云う粟野さんに芸術のないのは犬に草のないのも同然であろう。しかし保吉に芸術のないのは驢馬《ろば》に草のないのも同然である。六十何銭かは堀川保吉に精神的|饑渇《きかつ》の苦痛を与えた。けれども粟野|廉太郎《れんたろう》には何の痛痒《つうよう》をも与えないであろう。
「堀川君。」
パイプを啣《くわ》えた粟野さんはいつのまにか保吉の目の前へ来ている。来ているのは格別不思議ではない。が、禿《は》げ上《あが》った額《ひたい》にも、近眼鏡《きんがんきょう》を透《す》かした目にも、短かに刈り込んだ口髭《くちひげ》にも、――多少の誇張を敢てすれば、脂光《やにびか》りに光ったパイプにも、ほとんど女人《にょにん》の嬌羞《きょうしゅう》に近い間《ま》の悪さの見えるのは不思議である。保吉は呆気《あっけ》にとられたなり、しばらくは「御用ですか?」とも何とも言わずに、この処子《しょし》の態《さま》を帯びた老教官の顔を見守っていた。
「堀川君、これは少しですが、……」
粟野さんはてれ隠しに微笑《びしょう》しながら、四《よ》つ折《おり》に折った十円札を出した。
「これはほんの少しですが、東京|行《ゆき》の汽車賃に使って下さい。」
保吉は大いに狼狽《ろうばい》した。ロックフェラアに金を借りることは一再《いっさい》ならず空想している。しかし粟野さんに金を借りることはまだ夢にも見た覚えはない。のみならず咄嗟《とっさ》に思い出したのは今朝《けさ》滔々《とうとう》と粟野さんに売文の悲劇を弁《べん》じたことである。彼はまっ赤《か》になったまま、しどろもどろに言い訣《わけ》をした。
「いや、実は小遣《こづか》いは、――小遣いはないのに違いないんですが、――東京へ行けばどうかなりますし、――第一もう東京へは行《ゆ》かないことにしているんですから。……」
「まあ、取ってお置きなさい。これでも無いよりはましですから。」
「実際必要はないんです。難有《ありがと》うございますが、……」
粟野さんはちょっと当惑《とうわく》そうに啣えていたパイプを離しながら、四つ折の十円札へ目を落した。が、たちまち目を挙げると、もう一度|金縁《きんぶち》の近眼鏡の奥に嬌羞に近い微笑を示した。
「そうですか? じゃまた、――御勉強中失礼でした。」
粟野さんはどちらかと言えば借金を断《ことわ》られた人のように、十円札をポケットへ収めるが早いか、そこそこ辞書《じしょ》や参考書の並んだ書棚《しょだな》の向うへ退却した。あとにはまた力のない、どこかかすかに汗ばんだ沈黙ばかり残っている。保吉はニッケルの時計を出し、そのニッケルの蓋《ふた》の上に映《うつ》った彼自身の顔へ目を注《そそ》いだ。いつも平常心《へいじょうしん》を失ったなと思うと、厭《いや》でも鏡中の彼自身を見るのは十年来の彼の習慣である。もっともニッケルの時計の蓋《ふた》は正確に顔を映すはずはない。小さい円の中の彼の顔は全体に頗《すこぶ》る朦朧《もうろう》とした上、鼻ばかり非常にひろがっている。幸いにそれでも彼の心は次第に落着きを取り戻しはじめた。同時にまた次第に粟野さんの好意を無《む》にした気の毒さを感じはじめた。粟野さんは十円札を返されるよりも、むしろ欣然《きんぜん》と受け取られることを満足に思ったのに違いない。それを突き返したのは失礼である。のみならず、――
保吉はこの「のみならず」の前につむじ風に面するたじろぎを感じた。のみならず窮状を訴えた後《のち》、恩恵を断るのは卑怯《ひきょう》である。義理人情は蹂躙《じゅうりん》しても好《い》い。卑怯者になるだけは避けなければならぬ。しかし金を借りることは、――少くとも金を借りたが最後、二十八日の月給日まで返されないことは確かである。彼は原稿料の前借《ぜんしゃく》などはいくらたまっても平気だった。けれども粟野さんに借りた金を二週間以上返さずにいるのは乞食《こじき》になるよりも不愉快である。……
十分ばかり逡巡《しゅんじゅん》した後、彼は時計をポケットへ収め、ほとんど喧嘩《けんか》を吹っかけるように昂然《こうぜん》と粟野さんの机の側へ行った。粟野さんは今日《きょう》も煙草の缶、灰皿、出席簿、万年糊《まんねんのり》などの整然と並んだ机の前に、パイプの煙を靡《なび》かせたまま、悠々とモリス・ルブランの探偵小説を読み耽《ふけ》っている。が、保吉の来たのを見ると、教科書の質問とでも思ったのか、探偵小説をとざした後、静かに彼の顔へ目を擡《もた》げた。
「粟野さん。さっきのお金を拝借させて下さい。どうもいろいろ考えて見ると、拝借した方が好《い》いようですから。」
保吉は一息にこう言った。粟野さんは何とも返事をせずに立ち上ったように覚えている。しかしどう云う顔をしたか、それは目にもはいらなかったらしい。爾来《じらい》七八年を閲《けみ》した今日《こんにち》、保吉の僅かに覚えているのは大きい粟野さんの右の手の彼の目の前へ出たことだけである。あるいはその手の指の先に(ニコティンは太い第二指の爪を何と云う黄色《きいろ》に染めていたであろう!)四《よ》つ折《おり》に折られた十円札が一枚、それ自身|嬌羞《きょうしゅう》を帯びたように怯《お》ず怯《お》ず差し出されていたことだけである。………
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保吉は明後日《あさって》の月曜日に必ずこの十円札を粟野さんに返そうと決心した。もう一度念のために繰り返せば、正《まさ》にこの一枚の十円札である。と言うのは他意のある訣《わけ》ではない。前借の見込みも全然絶え、父母兄弟とも喧嘩をした今、たとえ東京へ出かけたにもせよ、金の出来ないことは明らかである。すると十円を返すためにはこの十円札を保存しなければならぬ。この十円札を保存するためには、――保吉は薄暗い二等客車の隅に発車の笛を待ちながら、今朝《けさ》よりも一層《いっそう》痛切に六十何銭かのばら銭《せん》に交《まじ》った一枚の十円札を考えつづけた。
今朝よりも一層痛切に、――しかし今朝よりも憂鬱にではない。今朝はただ金のないことを不愉快に思うばかりだった。けれども今はそのほかにもこの一枚の十円札を返さなければならぬと云う道徳的興奮を感じている。道徳的?――保吉は思わず顔をしかめた。いや、断じて道徳的ではない。彼はただ粟野さんの前に彼自身の威厳《いげん》を保ちたいのである。もっとも威厳を保つ所以《ゆえん》は借りた金を返すよりほかに存在しないと云う訣《わけ》ではない。もし粟野さんも芸術を、――少くとも文芸を愛したとすれば、作家堀川保吉は一篇の傑作を著《あら》わすことに威厳を保とうと試みたであろう。もしまた粟野さんも我々のように一介《いっかい》の語学者にほかならなかったとすれば、教師堀川保吉は語学的素養を示すことに威厳を保つことも出来たはずである。が、芸術に興味のない、語学的天才たる粟野さんの前にはどちらも通用するはずはない。すると保吉は厭《いや》でも応《おう》でも社会人たる威厳を保たなければならぬ。即ち借りた金を返さなければならぬ。こう云う手数《てすう》をかけてまでも、無理に威厳を保とうとするのはあるいは滑稽《こっけい》に聞えるかも知れない。しかし彼はどう云う訣《わけ》か、誰よりも特に粟野さんの前に、――あの金縁《きんぶち》の近眼鏡をかけた、幾分《いくぶん》か猫背《ねこぜ》の老紳士の前に彼自身の威厳を保ちたいのである。……
その内に汽車は動き出した。いつか曇天《どんてん》を崩《くず》した雨はかすかに青んだ海の上に何隻も軍艦を煙らせている。保吉は何かほっとしながら、二三人しか乗客のいないのを幸い、長ながとクッションの上に仰向《あおむ》けになった。するとたちまち思い出したのは本郷《ほんごう》のある雑誌社である。この雑誌社は一月《ひとつき》ばかり前に寄稿を依頼する長手紙をよこした。しかしこの雑誌社から発行する雑誌に憎悪《ぞうお》と侮蔑《ぶべつ》とを感じていた彼は未だにその依頼に取り合わずにいる。ああ云う雑誌社に作品を売るのは娘を売笑婦《ばいしょうふ》にするのと選ぶ所はない。けれども今になって見ると、多少の前借《ぜんしゃく》の出来そうなのはわずかにこの雑誌社一軒である。もし多少の前借でも出来れば、――
彼はトンネルからトンネルへはいる車中の明暗を見上げたなり、いかに多少の前借の享楽《きょうらく》を与えるかを想像した。あらゆる芸術家の享楽は自己発展の機会である。自己発展の機会を捉《とら》えることは人天《じんてん》に恥ずる振舞《ふるまい》ではない。これは二時三十分には東京へはいる急行車である。多少の前借を得るためにはこのまま東京まで乗り越せば好《い》い。五十円の、――少くとも三十円の金さえあれば、久しぶりに長谷や大友と晩飯を共にも出来るはずである。フロイライン・メルレンドルフの音楽会へも行《ゆ》かれるはずである。カンヴァスや画の具も買われるはずである。いや、それどころではない。たった一枚の十円札を必死に保存せずとも好《い》いはずである。が、万一前借の出来なかった時には、――その時はその時と思わなければならぬ。元来彼は何のために一粟野廉太郎の前に威厳を保ちたいと思うのであろう? 粟野さんはなるほど君子人かも知れない。けれども保吉の内生命《ないせいめい》には、――彼の芸術的情熱には畢《つい》に路傍の行人《こうじん》である。その路傍の行人のために自己発展の機会を失うのは、――畜生、この論理は危険である!
保吉は突然|身震《みぶる》いをしながら、クッションの上に身を起した。今もまたトンネルを通り抜けた汽車は苦しそうに煙を吹きかけ吹きかけ、雨交《あめまじ》りの風に戦《そよ》ぎ渡った青芒《あおすすき》の山峡《やまかい》を走っている。……
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翌日《よくじつ》の日曜日の日暮れである。保吉は下宿の古籐椅子《ふるとういす》の上に悠々と巻煙草へ火を移した。彼の心は近頃にない満足の情《じょう》に溢《あふ》れている。溢れているのは偶然ではない。第一に彼は十円札を保存することに成功した。第二にある出版|書肆《しょし》は今しがた受取った手紙の中に一冊五十銭の彼の著書の五百部の印税を封入してよこした。第三に――最も意外だったのはこの事件である。第三に下宿は晩飯の膳《ぜん》に塩焼の鮎《あゆ》を一尾《いっぴき》つけた!
初夏の夕明《ゆうあか》りは軒先に垂《た》れた葉桜の枝に漂《ただよ》っている。点々と桜の実をこぼした庭の砂地にも漂っている。保吉のセルの膝《ひざ》の上に載った一枚の十円札にも漂っている。彼はその夕明りの中にしみじみこの折目のついた十円札へ目を落した。鼠色の唐艸《からくさ》や十六|菊《ぎく》の中に朱の印を押した十円札は不思議にも美しい紙幣である。楕円形《だえんけい》の中の肖像も愚鈍《ぐどん》の相《そう》は帯びているにもせよ、ふだん思っていたほど俗悪ではない。裏も、――品《ひん》の好《い》い緑に茶を配した裏は表よりも一層見事である。これほど手垢《てあか》さえつかずにいたらば、このまま額縁《がくぶち》の中へ入れても――いや、手垢《てあか》ばかりではない。何か大きい10[#「10」は縦中横]の上に細かいインクの楽書《らくがき》もある。彼は静かに十円札を取り上げ、口の中にその文字を読み下した。
「ヤスケニシヨウカ」
保吉は十円札を膝の上へ返した。それから庭先の夕明りの中へ長ながと巻煙草の煙を出した。この一枚の十円札もこう云う楽書の作者にはただ酢《すし》にでもするかどうかを迷わせただけに過ぎなかったのであろう。が、広い世の中にはこの一枚の十円札のために悲劇の起ったこともあるかも知れない。現に彼も昨日《きのう》の午後はこの一枚の十円札の上に彼の魂《たましい》を賭《か》けていたのである。しかしもうそれはどうでも好《い》い。彼はとにかく粟野さんの前に彼自身の威厳を全《まっと》うした。五百部の印税も月給日までの小遣《こづか》いに当てるのには十分である。
「ヤスケニシヨウカ」
保吉はこう呟《つぶや》いたまま、もう一度しみじみ十円札を眺めた。ちょうど昨日《きのう》踏破《とうは》したアルプスを見返えるナポレオンのように。
[#地から1字上げ](大正十三年八月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月8日修正
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