青空文庫アーカイブ

住吉祭
與謝野晶子

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)地車《だんじり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)眉|刷毛《はけ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)きら/\として通つた
-------------------------------------------------------

 海辺の方ではもう地車《だんじり》の太鼓が鳴つて居る。横町《よこちやう》を通る人の足音が常の十倍程もする。子供の声、甲高《かんだか》な女の声などがそれに交つて、朝湯に入《はひ》つて居る私を早く早くと急《せ》き立てるやうに聞《きこ》えた。此処《こゝ》に近い土蔵《くら》の入口に大《おほ》番頭が立つて、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『真鍮の大《だい》の燭台を三《み》組、中《ちう》を五《いつ》組、銅の燭台を三《み》組、大大《だいだい》のおらんだの皿を三《さん》枚、錦手《にしきで》の皿を三十枚、ぎやまんの皿を百人前、青磁《せいじ》の茶碗を百人前、煙草盆を十個《とを》。』
[#ここで字下げ終わり]
と中に入つて居る手代に手びかへを読み聞かせて居る。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『畳二畳敷程の蛸《たこ》がな、砂の上を這ふてましたのやらう。そうしたら傍に居た娘はんがびつくりしやはつてきやつと云やはりましたで。』
[#ここで字下げ終わり]
『ほんまだすか。』
『真実《ほんま》だすとも、うはばみのやうな鱧《はも》もおましたで。』
『まあ、さうだすか。』
井戸端で、昨夜の夜市《よいち》を見て来た女中が外の女中とこんなことを話して居る。時々思ひ出した様に何処《どこ》かでこほろぎが鳴く。湯から上《あが》ると縁側の蒲筵《かまむしろ》の上に鏡台が出してあつて、化粧役の別家《べつけ》の娘が眉|刷毛《はけ》を水で絞つて待つて居た。青い楓《かへで》の枝に構《かこ》まれた泉水の金魚を見ながら、頸《くび》のおしろいを附けて貰つて居ると、近く迄来た地車《だんじり》のきしむ音がした。
 牡丹に唐獅子竹に虎《とら》虎《とら》追ふて走《は》しるは和藤内《わとうない》。
こんな歌も聞《きこ》えて来た、さうすると三つの井戸の金滑車《かなくるまき》がけたたましい音を立てて、地車《だんじり》の若衆に接待する砂糖|水《みづ》を造るので家の中が忙しくなる。
『旦那様、ありがたう。御寮人《ごれうにん》様、ありがたう。』[#改行を挿入]
その世話人が四五人家の中へ入つて来て父母に挨拶をした。揃《そろひ》の浴衣《ゆかた》に白い縮《ちぢみ》の股引《ももひき》を穿《は》いて、何々浜と書いた大きい渋団扇《しぶうちは》で身体《からだ》をはたはたと叩いて居る姿が目に見える様である。白地の明石縮《あかしちぢみ》に着更《きか》へると、別家の娘が紅の絽繻珍《ろしゆちん》の帯を矢の字に結んでくれた。塗骨《ぬりぼね》の扇を差した外に桐の箱から糸房《いとぶさ》の附いた絹団扇《きぬうちは》を出して手に持たせてくれた。店へ行く廊下を通る時大きい銀の薄《すゝき》のかんざしの鈴が鳴つた。菊菱《きくびし》の紋を白く抜いた水色の麻の幕から日が通つて、金の屏風にきらきらと光つて居た。従兄《いとこ》と兄はその前へ置いた碁盤で五目並べをして居る。将棋盤の廻りには十人程の丁稚《でつち》が皆|集《あつま》つて居た。花毛氈の上であるから並んだその白足袋が美くしく見える。九谷焼の花瓶に射干《ひあふき》と白い夏菊《なつぎく》の花を投込《なげこみ》に差した。中から大きい虻《あぶ》が飛び出した。紅の毛氈を掛けた欄干《てすり》の傍へ座ると、青い紐を持つて来て手代が前の幕をかかげてくれた。向ひのおてるさんが待つて居たやうににこやかに目礼した。道の人通りが多いので常《つね》のやうに物を云つても聞《きこ》えさうではない。水色の透矢《すきや》の長い袂《たもと》と黒い髪が海から来る風で時々動くのが見えるだけであつた。氷屋が彼方此方《あつちこちら》で大きい声を出して客を呼んで居る中へ、屋台に吊つて太鼓を叩いて菓子|売《うり》が来た辻に留つて背の高い男と、それよりも少し年の上のやうな色の黒い女房《にようぼ》とが、声を揃へて流行《はやり》歌を一《ひと》くさり歌つた。どんどんとその後《あと》でまた太鼓を打つた。欄干《てすり》の前に置いた大きい床机《しやうぎ》の上で弁当を開く近在の人もある。和歌山の親類の客を迎へに停車場《ていしやば》へ行つて居た番頭が真先《まつさき》になつて七八台の車が着いた。絽《ろ》の紋附の着物を着た裏町の琴の師匠が来た。[#「。」は底本では脱落]和歌山の客は皆奥で湯に入つて居るらしい。杯盤や切《きり》ずしを盛つた皿が持つて来られて、父も母も客も丁稚《でつち》も皆同じやうに店で食事をした。通る地車《だんじり》の数が多くなつて、砂糖水はもう間に合はないで、奉書包みを扇に載せてその世話人達に番頭は配つて、橋の上に立つて大きい目をした張飛だの、加藤清正だのの地車《だんじり》の彫物《ほりもの》を和歌山の客は珍しさうに見た。
『とても和歌《わか》祭にはかなひまへん。』
と父はその人等に云つて居る。街々の祭提灯に火が入《はい》るまでに私は三度程着物を着更へさせられた。行列の太鼓の音がほのかにすると家中の人が皆|欄干《てすり》の処《ところ》に集《あつま》る。この家が船であつたなら一方の重味で覆《くつがへ》るであらう。猿田彦《さるだひこ》が通り、美くしく化粧したお稚児が通り、馬に乗つた禰宜《ねぎ》が通り、神馬《しんめ》が通り、宮司の馬車が通り、勅使が通り、行列は終《しまひ》になつたが、神輿《みこし》はまだ大和橋を渡つたとか渡らぬとか群衆が云《いつ》て居る。黒い波のやうになつて道を通る人は皆南の方を向いて神輿《みこし》のお旅所《たびしよ》の方ヘ行《ゆ》くのである。浜の方からは神輿《みこし》の迎へに開運丸、住吉丸などと船の名を書いた旗を持つた若者が幾人も幾人も走《はし》[#ルビの「はし」はママ]しつて行《ゆ》く、四五町先へ神輿《みこし》が来た頃から危ながつて道端《みちはた》に居る人が皆店の上へ上《あが》つて来る。幾千の弓張《ゆみはり》提灯の上を神輿《みこし》が自然《ひとり》で動くやうに見えて四方に懸けた神鏡《しんきやう》がきら/\として通つた後《あと》二三十分で祭の街は死んだやうに静かになつて、海の風が藻《も》の香《か》を送る。



底本:「精神修養」
   1911(明治44)年8月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※底本の総ルビを、パラルビにあらためました。
※脱落が疑われる、『旦那様、ありがたう。御寮人様、ありがたう。』の後の改行を補いました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ