青空文庫アーカイブ

田舍の新春
横瀬夜雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)字《あざ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」」、第4水準2-92-68]

/\:二倍の踊り字(「く」を縱に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)かり/\
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 田舍の正月は今でも舊だから都會の正月より一月以上後れる。田舍だけに都會人の知らない面白い正月行事があるのだが、年と共に頽れてゆくのもあるから、その三四を抄録してみやう。

        三ヶ日の珍風習

 舊正月の三日間、餅を搗いても※[#「「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」」、第4水準2-92-68]をつくらぬ家がある。いかなる理由であるか明瞭ではないけれど、その三日間餅を納豆や鹽鮭で喰べ、四日目に至つてはじめて※[#「「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」」、第4水準2-92-68]をつくる。所謂「家風」であるが,おそらく昔の貧困時代をしのぶ、年のはじめの節儉の覺悟でもあらうか。即ち贅澤と思惟されてゐた砂糖を絶つのである。
 その一例に、或る家では(今相當の資産家なのだが)三日間その家の主人が、尾籠な話ではあるが下便所へいつて、鹽黄粉で餅を喰べるのである。御念の入つた事には紺の仕事股引をはき簑を着、しかも跣で。
 これによつて推察すれば、昔の貧窮時代簑を着たまま正月の餅を食はねばならなかつたので、現在生活が樂になつても治にゐて亂を忘れずといふ律義な農民の心が、かかる家風をつくつたのであらう。
 百姓の御馳走といつても、野菜料理に數の子鹽鮭位である。師走の暮れには鹽鮭を藁つと[#「つと」に丸傍点]にして親類や知己に贈る。その時鮭の尻尾のところに屹度藁草履のかはりに銀貨や白銅のおひねりをつけたりもする。この鹽鮭が大抵御正月の御馳走になるのだ。
 鹽鮭の昆布卷は、田舍の正月料理のうちでうまいものの一つである。昆布の眞ん中を藁みご[#「みご」に丸傍点]でくくるのも甚だ野趣があつていゝ。それからあの頭を細かにきつて酢漬にする。子供の時あの軟骨をかり/\喰べるのが好きだつた。

        鍬入り

 四日は鍬入り、即ち農のはじめだ。畑に入る式をする。大豆と賽の目にきつた餅と昆布とを四方の隅をひねりあげた和紙の器にいれて、畑へ持つてゆき、鍬で一寸麥畑をさくつて門松の一枝を※[#「「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」、第4水準2-13-28]し、そこへ供へる。畑に供へるのだが、その時大聲をあげて、
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からあす、からすからす
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と山の烏を呼ぶ。
 烏は元來人を怖れぬずるい鳥であるから、不思議にこの日を覺えてゐて、山から飛んできて御馳走になる。權兵衛が種子蒔きや烏がほじくるといふナンセンス譬ひもある通り、農作物を荒す害鳥なのだが、せめて正月だけは御馳走しやうといふ昔の人のいいほどこしが、今尚ほ農のはじめの鍬入りの日に行はれるのだ。

        ななくさがゆ

 正月七日粥をつくる。七種を混じたる粥で米、粟、黍子、稗子、胡麻子、小豆でつくるのが正式らしいがこの邊では野菜を多く入れる。
 冬菜、芋、大根、米などでつくり、七いろはいれない。その菜や大根を刻む時
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七くさ なづな
唐土の 鳥が
渡らぬ 先に
ストトン、トントン
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と唄つて、調子をとりながら陽氣につくる。この唄は實に庖丁のリズムにあつてゐる。この昔からの唄も次第に忘れられてしまひさうだ。唐土の鳥とはなにを意味するのであらうか。餅なのでお腹の具合がわるくなつてゐる時、この粥は健康上にもいいわけだ。白粥の中に入つてゐる青菜は、青いもののない眞冬時であれば、更に新鮮で初々しい。

        鳥追ひ

 楮の殼を焚いて鳥追ひの唄を歌ふ行事は、十四日である。
 總選擧などになると茨城縣の「西の内」紙が他府縣から夥しく注文される。「西の内」は楮の皮からつくる手すき[#「すき」に丸傍点]の和紙で、裂かうとしても破れぬ程強靱であるし、透しても裏から字が見えぬから、選擧用紙に適當なのであらう。
 義公であつたか烈公であつたか、御殿女中が紙をそまつに取扱ふのを見て、紙すき女たちが、寒中川で紙すきをする辛さを見せた話は、たしか修身教科書にもあつたと思ふ。
 その楮の皮を剥くのは子供達だ。楮の殼をためて鳥追ひの晩に焚くためである。十二月になると各家々では畑から楮を刈つて束にし、大釜にこしき[#「こしき」に丸傍点]を入れて蒸す。松薪をどんどん焚いて。
 今日はどこ/\の楮むきだとなると、子供達はよろこび勇んで、學校の課業さへ忘れ勝ちである。
 愈々ふけ[#「ふけ」に傍点]てこしき[#「こしき」に丸傍点]をあげると濛々たる湯氣と子供達の歡聲、熱い楮の束をとり出すと皆戰鬪意識で、端の皮をちよつとめくり、人さし指を皮と幹との間に突つこんで、前へ引くとくるりと剥ける。楮の幹の肌はなめらかで奇麗だ。熱いうちにむかぬと剥けにくくなるし、指は熱いし痛いしなので、人さし指には布を幾重にも卷いておく。
 皮は勿論その家のものだが、剥いた殼だけは子供の所得でお正月のくる頃迄には日當りの檐下にかなり積まれる。
 鳥追ひの晩には、その年の定まつた番の家へ豆腐一丁と餅とを運ぶ。當番の家ではそれで田樂をつくる。里芋のも。
 土間の眞ん中に穴をほつて、楮殼を惜し氣なくどん/\焚く。その周圍の莚に圓陣をつくり頬を眞赤にする。字《あざ》全部の子供たちは聲をはりあげて、
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今夜あどこの鳥追ひだ
鎌倉の鳥追ひだ
名はなんと追ひ申す
ゑのしし鹿のしし
追はれ申して わあほい
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と合唱する。鎌倉時代の鳥追ひの遺風なのだ。さてその火であぶつて食ふ田樂が、いかにうまかつたかは想像以外だ。
※[#「丸の中にΣ」、意味読みとも不明、6-9]歸る頃、雪になつたりした。
 しかしこの鳥追ひの珍らしい行事も、年と共に亡びつつある。



底本:「雪あかり」書物展望社
   1934(昭和9)年6月27日上梓
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2003年7月21日作成
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