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地震日記
若山牧水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)古宇《こう》村

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)の隣村|立保《たちほ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)[#ここから2字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)わざ/\
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 伊豆半島西海岸、古宇《こう》村、宿屋大谷屋の二階のことである。九月一日、正午。
 その日の晝食はいつもより少し早かつた。數日前支那旅行の歸りがけにわざ/\其處まで訪ねて來て呉れた地崎喜太郎君が上海からの土産物の極上ウヰスキイを二三杯食前に飮んだのがきいて、まだ膳も下げぬ室内に仰臥してうと/\と眠りかけてゐた。
 其處へぐら/\ツと來たのであつた。
 生來の地震嫌ひではあるが、何しろ半分眠つてゐたのではあるし、普通ありふれたもの位ゐにしか考へずに、初めは起上る事もしなかつた。ところが不圖《ふと》見ると廊下の角に當る柱が眼に見えて斜めになり、且つそれから直角に渡された雙方の横木がぐつと開いてゐるのに氣がついた。
 とおもふと私は横つ飛びに階子段の方へ飛び起きた。同時に階下の納戸《なんど》の方で内儀の
『二階の旦那!』
 と叫ぶ金切聲が耳に入つた。が、その時にはその人より私の方がよつぽど速く前の庭にとび出してゐた。
 すると、ゴウツ、といふ異樣な音響が四方の空に鳴り渡るのを聞いた。見れば目の前の小さな入江向うの崎の鼻が赤黒い土煙を擧げて海の中へ崩れ落つるところであつた。オヤオヤと見詰めてゐるとツイ眼下の、宿から隣家の醫師宅にかけて庭の塀下を通つてゐる道路が大きな龜裂を見せ、見る/\石垣が裂けて波の中へ壞れて行つた。
 これは異常な地震である、と漸く意識をとり返してゐるところへ、また次の震動が來た。地響とか山鳴とかいふべき氣味の惡いどよみが再び空の何處からか起つて來た。村人の擧ぐる叫びがそれに續いてその小さな入江の山蔭からわめき起つた。
 三度、四度と震動が續いた。そのうち隣家醫師宅の石塀の倒れ落つる音がした。それこれを見てゐるうちに先づ私の心を襲うたものはツイ眼下から押し廣まつて行つてゐる海であつた。海嘯《つなみ》であつた。
 不思議にも波はぴたりと凪いでゐた。その日は朝からの風で、道路下の石垣に寄する小波の音が斷えずぴたり/\と聞えてゐたのだが、耳を立てゝもしいんとしてゐる。そして海面一帶がかすかに泡だつた樣に見えて來た。驚いた事にはさうして音もなく泡だつてゐるうちに、ほんの二三分の間に、海面はぐつと高まつてゐるのであつた。約一個月の間見て暮した宿屋の前の海に五つ六つの岩が並び、滿潮の時にはそのうちの四つ五つは隱れても唯だ一つだけ必ず上部一二尺を水面から拔き出してゐる一つの岩があつたが、氣がつけばいつかそれまで水中に沒してゐる。
『此奴は危險だ!』
 私は周圍の人に注意した。そしてまさかの時にどういふ風に逃げるべきかと、家の背後から起つて居る山の形に眼を配つた。
 海の水はいつとなく濁つてゐた。そして向う一帶の入江にかけて滿々と滿ちてゐたが、やがて、「ざァつ」といふ音を立つると共に一二町ほどの長さの瀬を作つて引き始めた。ずつと濱の上の方に引きあげてあつた漁船もいつかその異常な滿潮にゆら/\と浮いてゐたのであつたが、急激な落ち潮に忽ち纜《ともづな》を斷たれて悠々と沖の方へ流れてゆく一つ二つが見えた。あれほど常《つね》平生《へいぜい》船を大事にする濱の人たちも、それを見ながら誰一人どうしようといふ者がなかつた。
 さうした景色を見ながら直ぐ心に來たのは沼津の留守宅の事であつた。四人の子供に、あの舊びはてた家屋、男手の少ないところでどうまごついてゐるであらうとおもふと、とてもぢつとしてゐられなかつた。この有樣では既に電報線のきく筈はないと思ひながらも、兎に角郵便局まで行つて見ようと尻を端折つた。數日前から階下の部屋に滯在してゐる群馬縣の社友生方吉次君も、
『一人では心細いでせう、私もゆきませう。』
 と同じく裾をまくしあげた。
 郵便局は古宇村から一つの崎の鼻を曲つた向うの隣村|立保《たちほ》といふに在るのであつた。その鼻に沿うて海沿ひにゆく道路はツイ先刻第一の震動と共に崩壞するのを眼前見てゐた。で、その崎山の峠を越えてゆく舊道があるといふことをフツと思ひ出して、それを越えてゆくことにした。
 古宇村は戸數六十戸ほどの、半農の漁村で、二つの崎山の間に一掴みに家が集つてゐるのである。その部落の間を通り拔けやうとすると、なんと敏速に逃げ出したことか、家といふ家がみな戸をあけすてたまゝ、屋内には早や一個の人影をも留めてゐなかつた。そしてずつと山の手寄りの田圃の間に一かたまりに集つて海面に見入つてゐるのが見えた。
 部落を通り拔けて舊道を登りにかゝると、其處には木立のたちこんだ間に、幾つかの龜裂の出來てゐるのが見えた。荒れ古びた小徑の草むらの中には先から先と大小の石塊が眞新しく轉げ落ちてゐた。とても徐歩する事が出來ず、小走りに走つてその山蔭の村立保へと降りて行つた。
 此處の龜裂は古宇より更にひどかつた。か細い女の身で大きな箪笥を横背負に背負ひ込んで山手の方へ青田中を急いでゐる者や、米俵を引つ擔いで走つてゐる若者などが入り亂れて見えてゐた。海岸の高みには老人たちが五六人額をあつめて遠くの海上を眺めてゐた。
 郵便局に行くと一人の老人を廣い庭の眞中に寢かして、二三人の若い女が手に/\傘を持つてその周圍に日を遮つてゐた。病人らしかつた。案の如く電報電話とも不通であつた。心休めに、若し通ずる樣になつたら早速これを頼みますと頼信紙を頼んでおいて、二人はまた山の舊道を越えた。
 古宇の村はづれにかゝると、土地の青年團の一人がわざ/\我々の方に歩いて來て、
『今夜は津浪が來るさうですから直ぐ彼處に行つてゝ下さい、村の者は皆行つてゐますから。』
 と山の方を指ざした。坐りもやらず群衆は其處に群つてゐる。
『難有《ありがた》う!』
 海岸に似合はない人氣のいゝ人情の純なこの村の氣風を、改めてこの紅顏の一青年に見出しながら私達は禮を言つて急いで宿に歸つた。
 宿でも評定《ひやうぢよう》が開かれてゐた。元來いま歸りがけに見て來たところでは村内全部が雨戸を閉ぢて山の方へ引上げてゐるので、まだ平常のまゝに戸をあけてゐるといふのはこの宿屋一軒きりであつたのだ。それを私は私たちに對する宿の遠慮からだとおもつた。で、いま途中で逢つて來た青年の勸告のことを告げて、一緒にこれから立ち退かうと申し出た。
『それがネ旦那』
 宿の婆さん――主人の母で七十近くの――が私の側に寄つて來た。そして安政二年にも地震と共に大津浪がやつて來て、この古宇村全帶を破壞し、洗ひ浚《さら》つて行つたことがある。その時に不思議にも此處一軒だけは地震にも崩れず、津浪にも浚はれず、人々に奇異の思ひをさせたのであつたが、もともとこの家は裏の山續きの岩を切り拓いてその上に建てたものであり、また僅かの事だが家の所在が一寸して崎の鼻の蔭に位置してゐるので津浪からも逃れたのであらうといふことになつてゐた。だから今度も大抵大丈夫であらうとおもふが、それとも旦那たちが氣味が惡ければ逃げませう、まアまア念のために飯をばいまうんと炊いてゐる處だといふのだ。
 しつかり者のこの老婆の言ふことをば何故だが其儘《そのまま》信用したかつた。そして若しもの事のあつた時の用意だけをしておいて山へ逃げるのを暫く見合はすことにした。
 それでも屋内に入つて居れなかつた。縁側に腰かけるか庭に立つか、斷えず搖つて來るのに氣を配りながらも海面からは眼が離せなかつた。
『や、壯快丸ぢやないかナ。』
 私は思はず大きな聲でさう言ひながら庭先へ出て行つた。遙かの沖に、唯だ一個の白點を置いた形で眼に映つた船があつた。其時どうしたものか見渡す沖には一艘の小舟も汽船も影を見せなかつた。其處へ白い浪をあげて走つて來るこの一艘が見え出したのだ。
『ア、ほんとだ、壯快だ/\、オーイ、壯快丸がけえつて來たよう。』
 宿の息子も誰にともない大きな聲をあげた。壯快丸とはこの古宇村の人の持船で、此處から他三四ケ所の漁村を經て沼津へ毎日通つてゐる發動機船であるのだ。
『今日は直航でけえつて來たナ、どうだいあの浪は!』
 裸體のまゝの宿の亭主も出て來た。なるほどひどい浪である。舳にあがつてゐるその白浪のために、こちらに直面してゐる船の形は殆んど隱れてしまつてゐるのだ。
『ひでえ煙を出すぢアねヱか、まるで汽船とおんなじだ、全速力で走つてやがんナ。』
 いよ/\壯快丸だと解つた頃には山に逃げてゐた人たちもぞろ/\とその船着場ときめてある海岸に降りて來て集つた。私たちもその中に入つてゐた。船は全く前半身を浪の中に突き入れる樣にして速力を出してゐる。そして間もなく入江の中に入つて來た。
 船内には無論客も荷物もなく、丸裸體の船員だけが二三人浪に濡れて見えてゐた。
『どうだい、沼津は?』
『えれえもんだ、船着場んとこん土藏が二三軒ぶつ倒れた、狩野川がまるで津浪で船が繋いでおかれねえ。』
 まだ碇《いかり》をもおろさない船と陸の群衆との間には早や高聲の問答が始まつた。
 小舟で漕ぎつける人も出て來た。そして其處あたりから傳へられたらしく、今夜の十二時に氣をつけろ、でつけえ奴が搖つて來ると沼津の測候所でふれを出した、三島町は全滅で、山北では汽車が轉覆して何百人かの死人が出たさうだ、などと入江向うの新聞が異常な緊張を以て口から口に傳へられた。其處へ誰から渡されたとも氣のつかぬ手紙が私の手に渡された。大悟法利雄君の手である。胸を躍らせながら封を切つた。
[#ここから2字下げ]
ひどい地震でしたネ、先生大丈夫ですか。こちらは唯だ壁と屋根瓦が落ちたゞけで皆無事ですから御安心下さい。
引き續いて來た三つの大震動がいまやつと鎭まつたところ、先生が心配していらつしやるだらうと思ふので取敢へずこれだけを書いて船に驅けつけます。
[#ここで字下げ終わり]
 と簡單だが、これだけ讀んで私はほつとして安心した。そしてよくこそ取込んだ間にこれだけでも知らして呉れたと大悟法君に感謝し、船の人たちにも感謝した。
 いそ/\と宿へ歸らうとすると、其處の道ばたに一人の少年が坐つてゐる。見れば見知合の郵便配達夫で、顏色が眞蒼だ。
『どうした、おなかでも痛いか。』
 と訊くと、自分の頭を指ざす。
 幸ひその側に醫者の家があるので其處へ連れて行つた。
『ア、腦貧血ですよ、これは!』
 と言つたきり、藥の事をば何とも言はず、そゝくさと何處かへ出て行つた。お醫者樣ひどく惶てゝゐるのである。
 止むなく私は宿に少年を連れて歸つた。そして縁側に寢かし、仁丹など飮ませて靜かにさせながら、やがて訊いて見ると、これから二里ほど岬の方に離れて江梨といふ漁村がある、其處まで配達に行つて歸つて來る山の中で例の『ドシン!』に出合つたのださうだ。山の根に沿うた路のことで大小雜多な石ころが、がら/\と落ちて來る、人家はなし、走らうにも足がきかず、漸く此處まで出て來たらもう立つて居る事も出來なくなつたのださうだ。
 夕方まで寢てゐると、顏色も直つて、笑ひながら歸つて行つた。
『サテ、慓へてばかりゐても爲樣がない、一杯元氣をつけませうか。』
 さう言ひながら私は二階に酒の壜をとりに上つて行つた。そして、思はず立ち止りながら大きな聲で笑ひ出した。倒れも倒れたり、一升壜が三本麥酒壜が三本――これらは皆カラであつた――ウヰスキイ(一本はカラ)二本が、全部横倒しになつて部屋のそちこちに泳ぎ出して來てゐるのだ。時ならぬ笑聲に驚いて宿の亭主も上つて來た。そして一緒に笑ひ出した。
『一本取つて來ませう。』
『然し、店は戸をしめてましたよ。』
『なアに、こぢあけて取つて來ますよ。』
 村はほんとにノンキであつた。果して一升壜を提げて、なほ罐詰をも持つて、人の子一人ゐない部落の方から亭主は歸つて來た。『先生、惜しいことをしましたよ。店では實のある奴が二三本ぶつ壞れて酒の津浪でしたよ。』
 庭の一隅に板を並べ茣蓙《ござ》を敷き、其處を夕餉の席とした。生方君と今一人、二三日前から泊り合せてゐる眞田紐行商人の老爺との三人が半裸體になりながら冷酒のコツプを取つた。其處へ消防が來、青年團の人たちが見舞にやつて來た。その間にも、ヅシン、ヅシンと二三度搖つて來た。海は然し却つて不氣味な位ゐに凪いでゐた。そしてまた何といふ富士山の冴えた姿であつたらう。
 雲一つない海上の大空にはかすかに夕燒のいろが漂うてゐた。そしてその奧には澄み切つた藍色がゆたかに滿ち渡つてゐる。其處へなほ一層の濃藍色でくつきりと浮き出てゐるのが富士山であるのだ。
『斯んな綺麗な富士をば近來見ませんでしたねヱ、何だか氣味の惡い位ゐに冴えてるぢアありませんか。』
 暫くもそれから眼を離せない氣持で私は言つた。
 やがて四邊《あたり》が暗くなつた。暮れた入江の丁度眞向う、山の端の空が、半圓形を描いてうす赤く染つて見えた。
『火事だナ、三島には遠いし、何處でせう。』
『小田原見當ですネ。』
『箱根の山でも噴火したではないでせうか。』
 噴火ならば爆音がある筈である。火事とするととても小さなものではない。
『今夜の十二時に氣をつけろつてのは本當でせうか、どうしてさういふ事が解るでせう。』
『中央氣象臺からでも何か言って來たのでせう。』
『電報がきくか知ら。』
 戸外に寢るには私は風邪が恐かつた。で、縁側に床を伸べて横になつた。ツイ鼻さきの前栽には鈴蟲が一疋、夜どほしよく徹る聲で鳴いてゐた。
 夜警の人が折々中庭に入つて來た。

 九月二日早朝、出澁る壯快丸を村中して促して沼津に向つた。乘船した人の過半は沼津の病院に病人を置いてゐる人たちであつた。
 壯快丸から降りると私はすぐ俥を呼んだ。町中すべて道路に疊を敷いて坐つてゐた。一月ほど見なかつたこの町の眼前の光景が一層私には刺戟強く映つた。
『オ、今、お歸りですか。』
 と聲をかくる知人もあつた。
 香貫の自宅近くの田圃中の畦道には附近の百姓たちが一列に蓆を敷き、布團を敷いて集つてゐた。
 私の姿を見るや否や、
『ア、けえつて來た/\。』
 と誰となくさゝやく聲が聞えた。笑顏の二三人は立ち上つて頭をさげた。
 門を入らうとすると、青い蚊帳が見えた。門から中門までの砂利の上、松や楓の木の間に三つ吊つてあるのだ。夜具が見え、ぬぎすてた着物が木の枝にかけてあつた。
『やア、とうさんだ/\、かアさアん、とうさんが歸つて來たよウ!』
 忽ち湧き起る四人の子供たちの叫びが私を包んだ。
 思ひがけぬ綿引蒼梧和尚の大きな圖體がのつそりと半吊りの蚊帳から表はれた。
『やア、君が來てゐたのか!』
『ウン、一昨日來てひどい目にあつたよ。』
『さうか、それはよかつた。』
 星君も日疋君も出て來た。彼等の下宿してゐる龜谷さん一家が私の宅に逃げて來て一緒に蚊帳を並べたのださうだ。大悟法君は壁の落ちた玄關から出て來た。
 臨時の炊事場が裏庭に出來てゐた。頬かむりの妻がほてつた顏をして其處から來た。
『ヤアとうさんだ/\、うれしいな/\。』
 子供の叫びはなか/\に止まなかつた。

 三日には雨が來た。しかも強い吹き降りであつた。うろたへて庭のものを取り込んでゐる一方では室内にぽと/\といふ雨漏りの音が聞え初めた。もと/\奮い家で、少し降りが強いと必ず漏るには漏つたが、それは場所がきまつてゐた。今度もツイその氣でゐると、座敷が漏る、茶の間が漏る、玄關、奧座敷、二階などは天井の板の目に列をつらねて落ちてゐる。噐具を片寄せる。疊をあげる。不圖《ふと》氣がついて一つの押入をあけて見ると其處の布團はぐつしよりだ。周章《うろた》へて他のをあけて見ると其處も同斷である。臺所、便所にまでポチ/\と音が聞えだした。僅かに離室とそれに隣つた湯殿とだけが無事だ。湯殿は早速物置になつた。
 其處へ例の「風説」がやつて來た。今夜から土地の青年團が夜警をするから、庭の木戸など一切締めずに彼等の通行に自由ならしめて貰ひ度い、と達して來た。
『恐いなア、おとうさん、どうしませう。』
 子供たちは眞實顏色を變へてゐる。
 四日の夜なかであつた、たゞならぬ聲で私を呼ぶ者がある、一人ならぬ聲だ。三日の雨から庭に寢るのをよした代りに、雨戸はすべてあけ放つてあるので、早速私はその聲の方へ出て行つた。
 見ると五六人の青年が一人の男の兩手をとり、肩を捉へて居る。呆氣にとられてよく見ると、捕へられてゐる男は古宇で別れて來た、生方君であつた。急に私の方に來たくなり、夜みちをしてやつて來る途中、青年團につかまつた。何處へゆく、斯ういふ人の所へ行く、嘘を言へ、何が嘘だ、が嵩《かう》じてたうとう此處まで引きずられて來たのださうだ。青年たちも生方君も汗ぐつしよりである。

 二日、三日、四日と夢中で過して漸く落着きかけた五日の午後、私は三島町の塚田君を見舞はうと思ひ立つた。同君には沼津の稻玉醫院副院長時代、始終子供たちの身體を診《み》て貰つてゐた。三島に單獨に開業してまだ幾らもたゝぬにこの騷ぎで、しかもそちらは隨分ひどくやられたと聞いて前から氣になつてゐたのである。電車の運轉が止まつてゐるので、舊街道の埃道をてく/\と歩き始めた。
 尻端折で歩くといふ事が不思議に私の心を靜かにしてくれた。と共に急にいろ/\な事が思ひ出されて來た。先づ東京横濱の知人たちの身の上である。
 この三日あたりから今度の事變の範圍が漸く解りかけた。そして何より驚かされたのは東京横濱地方に於ける出來事であつた。殆んど信じ難い事であつたが、而かも刻々にその事實が確められて來た。次いで起つて來たのはさうした大事變の中に於ける我が知人たちの消息如何である。何處々々が燒失したと聞けば其處に住んで居る誰彼の名が、顏が、直ぐ心に浮んだ。死傷何萬人と聞けばどうしてもその中に二人や三人は入つてゐなければならぬ樣な氣がしてならぬのである。丸ビルの八階はどうだ、六階はどうだつたらう、窓から飛んで二百人死んだといふではないか、通新石町の土藏はこれは最も危險だ、女の身でどうして逃げられたらう、身一つならばだが親を連れてはどんなに難儀したであらう、とそれからそれと想像が走る。しかも明るい方へは行かないでどうしても暗い方へ/\とのみ走りたがるのだ。先月伊豆に訪ねて來て呉れた時、今から思へばいつもほど元氣がなかつた、蟲が知らしてお別れに來たのではなかつたか、などと全く愚にもつかぬ事まで氣になつて來る。
 便所に行つた時、枕についた時、僅かの隙を狙つては起つて來る此等の懸念や想像が、いま斯うして獨りで歩いてゐると恰も出口を見付けた水の樣に汪然として心の中に流れ始めたのだ。果ては歩調も速くなつて、汗をかきながら急いでゐたが、黄瀬川の橋にかゝつた時、私は歩くのをよして其處の欄干に身を凭《よ》せかけた。そして汗を拭き帽子をとつてその熱苦しい想像邪念を追拂はうと努めた。
 が、それは徒勞であつたばかりでなく、却つて一種の焦燥をさへ加へた。焦燥はやがて一つの決心を私に與へた。
『よし、行つて來よう、行つて見て來よう!』
 さう思ひ立つともう大抵無事だと解つてゐる三島の方へなど行つてはゐられなかつた。三島はあと※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、読みは「まわ」、272-10]しだ、と思ひ捨てながらとつとゝ踵をかへして歩き始めた。
 家に歸つてから妻との間にいろ/\の問答や相談が繰返された。入京の非常に難儀なこと、私自身の健康のこと、旅費のこと、それからそれと頭の痛くなるほど繰返されてゐるところへ、ひよつこり庭先へ服部純雄さんがやつて來た。彼は昨日岡山から職員總代、學生總代其他と三人の人を連れて、
『君たちを掘り出すつもりでやつて來たのだが、まア/\噂《うはさ》の樣でなくてよかつた。』
 と、言ひながら、その明るい笑顏を見せたのであつた。關西地方では最初沼津地方激震死傷數千云々といふ風に傳へられ、それに驚いて飛んで來たのであつたさうだ。その服部さんが勇しい扮裝を見せながら、『とても君危險で箱根から向うには行けないさうだ、此處まで來たついでに東京まで行つてやらうといま町でいろ/\用意をしたんだが……』
 と、その種々の危險を物語つた。
『それではあなたにも到底駄目ですネ。』
 と諦め顏に細君が私を見た。
 そして、その日の夕方、代りに大悟法君が萬難を冒して出かくるといふことに事は急變したのであつた。
 明けて六日の午前中、大悟法君と二人沼津中を馳け※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、読みは「まわ」、273-10]つて用意を整へ、正午、折柄安否を氣遣つて伊豆から渡つて來て呉れた高島富峯君と共に大悟法君の悲壯な出立を沼津驛に見送つたのであつた。

 箱根を越え、御殿場を越えて逃げて來た所謂《いはゆる》罹災民の悲慘な姿で沼津驛前あたりが一種の修羅場化してゐる話をば人づてに聞いてゐたが、私が直接にさうした人を見たのはその六日の夕方、自宅の庭に於てゞあつた。
 玄關に立つてゐる異樣ないでたちの青年に見覺えはあつたが、直ぐには思ひ出せなかつた。名乘られて見ればそれは三年ほど前に、當時長野市にゐた紫山武矩君方で逢つた同君の末弟四郎君であつた。
『ア、さうでしたネ、さアお上んなさい。』
『まだ二人ほど連れがあるんですが……』
『どうぞ、お呼びなさい。』
 一人は四郎君のすぐ上の兄さんで早稻田大學、一人はその友人で農科大學の學生だと解つたが、三人とも古びた半纒《はんてん》を引つかけたまゝで下はから脛の、見るからに變な樣子であつた。
『アツ!』
 私は初めて氣がついた、彼等はすべて小田原の人であつたのだ。それで、この異樣な樣子が呑み込めると同時に口早やに問ひ掛けた。
『君等はやられたのですね、どうでした、小田原は?』
『すつかりやられました、身體一つで燒出されました……』
 漸く私は彼等を座敷に招じた。聞けば彼等は三人共各學校柔道の選手で、九月一日には小田原小學校で始業式の濟んだあとが柔道大會となり、彼等は全て柔道着か裸體かになつて式場(雨天體操場などであつたらうと思ふ)に出てゐた。ドツと來ると共に學校は潰《つぶ》れてしまつた。幸ひ彼等のゐた場所は場内の中央であつたゝめ、落ちた屋根も其處だけは多少の空隙を殘してゐて壓死をば兔れたが、まん中どころ以外に並んで見物してゐた幼い生徒たちは殆んど全部ひしやがれてしまつた。そのうち小使部屋から火が出た。何處をどう掻き破つて出たのだか兎に角に三人とも素裸體で、諸所に擦傷を負ひながらもつぶれた屋根の下から這ひ出す事が出來た。出て見ると町にはすつかり火が※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、読みは「まわ」、275-7]つてゐたさうだ。其處へ津浪が寄せ、やがて凄じい龍卷が起つて紙片の樣に人間其他を空中に卷きあげた。
『何しろ町中全部が燒けたものですから食物が無いのです、救助米が多少※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11、読みは「まわ」、275-9]つてるのですけれど、如何してだか東京方面を主にして小田原などにはほんの申譯ばかりにしかよこさないのです、で、米を少し持つてゆかうとこれから鈴川の親戚まで行くところです。』
 と一人が言ふと、一人は笑ひながら着てゐる半纒を引つぱつて、
『裸體ではしやうがないものですから、途中の親戚で道了講の宿屋をしてゐる家に寄つてこれを三枚貰つて來たのです。』
 私は今朝小田原から山を越えて來たといふ三人に強ひて足を洗はせて、今夜此處に泊る事にさせた。そしてようこそ此處に私の住んでゐる事を思ひ出して呉れたと想つた。
 酒を取りにやつた女中が歸つて來たらしく、勝手の方で時ならぬ笑ひ聲がするので行つて訊いて見ると、近所の者が酒屋に集つて、
『いま若山さんところに不逞鮮人が三人入つて行つたが、どういふ事になるだらう。』
 と騷いでゐたといふのだ。なるほどさう言はれゝば三人共髮の長い、眼のぎよろりとした、背の痩高い連中で、おまけに人夫などの着さうな半纒を着たところ、鮮人と見られても否やは言へぬ風采であつたのだ。
 久し振だ、勿體《もつたい》ない樣だと言ひながら三人の人たちが盃をあげてゐるところへ、
『先生、やつて來ましたよ。』
 と、聞き馴れた聲が玄關で起つた。思ひもかけぬ笹田登美三君が大きな荷物を擔いで立つてゐるのだ。
『やア笹田さんだ/\。』
 子供たちが一齊に飛び出して來た。同君は矢張り大阪地方の新聞記事を見て、不安でならぬので出懸けて來て呉れたのであつた。そしてそれこそ喰べものにも困つてゐはせぬかとわざ/\澤山な餠をついて擔いで來て呉れた。なほ來がけに寄つた大阪の某君の許から頼まれたと云つて渡された包を開いて見ると、食料、藥品、燃料と、くさぐさの心づくしが收めてあつた。
『まアほんとに、どうしませうねヱ。』
 一つ/\手にとつては妻は早や涙ぐんでゐる。
 やがて皆床を敷いて横になつた。その前から小さなのが一つ二つとゆれてゐたのであつたが、九時頃でもあつたか、やゝ大きいのがゆら/\と動いて來た。丁度私は便所に行かうと廊下を歩いてゐた所で、『來たナ』と思つて立ち止つた途端にツイ眼の前の座敷から、
『ワツ!』
 と言ふと身體を揃へて庭の方へ飛び出したものがあつた。びつくりして見ると小田原組の三人だ。揃ひも揃つて長いのが三人、水泳の飛び込み其處のけの恰好で、双手を突き擴げて二三間あまりも闇を目がけて跳躍した有樣はまつたく壯觀で、フツと思ふと同時にこみあげて來た笑ひは永い間私の身體を離れなかつた。
 彼等も私に合はせて笑ふには笑つたが、それからどうしても屋内に眠る事が出來なくなり、たうとう茣蓙を持ち出して庭の木蔭に三人小さくかたまつて寢てしまつた。私たちは三日の雨の夜から引續いて屋内に寢る事になつてゐたのだ。
 待たれるのは被害地からの便りであつた。
 大悟法君からの第一便は名古屋驛から來たがそれからぴつたり止つたまゝで何の音沙汰も無い。東京、横濱の誰一人からも來ない。毎日町へ出かけて買つて來る大阪地方の新聞紙は日一日と不安を強め確かめてゆくばかりだ。
 其處へ十日の正午少し前、電信配達夫が門前に自轉車を乘りすてた。その姿を見るとすぐ私は机を離れて玄關へ急いだのであつたが、妻の方が速く其處に出て受取つた。そして發信人の名を、
『ミ、チ、ヤ』
 と讀んだのを耳にした。
『ナニツ!』
 と言ひさま彼女の手から引つとつて中を見た。
『コチラヘキタアスユク』
 シズオカ局發である。
 妻とたゞ眼を見合せた。
『生きてたナ!』
 といふ感じが、言葉にならずに全身に浸み巡つたのである。
 電報は二通であつた。他の一通の發信人には『トシヲ』とある。
『トウケウミナブ ジ アンシンセヨイマヨコハマニユク』
 發局は同じく靜岡だ。
『道彌さんが生きて歸つて、それに利雄さんがことづけたのだ。』
 と直ぐ思つた。
 皆無事、の範圍は解らないが兎に角に重な人たちに事の無かつたとだけは解してよろしい。
 泣くとも笑ふとも解らぬ顏を突き合せて夫婦はなほ暫く無言のまゝ縁側に立つてゐた。
『オイ、今日のお晝には一杯つけるのだよ。』
 嚴として妻に命令した。地震記念に私は永年の習慣となつてゐた朝酒と晝酒とをやめる事に三四日前からなつてゐたのだ。
 九月六日附、「再度上京の時」と脇書した鉛筆の葉書が十一日に中島花楠君から來た。あとで思つたのだが恐らくこれは高崎の停車場あたりで書かれたものだらう。
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貴方のお宅もお見舞ひせず、失禮。遂々本所の兩親弟妹四人が完全に燒死したといふ悲しきお知らせをします。何が何だか解らない頭で燒跡をウロ/\してゐます。是から義弟の家へ(是は無事)整理にゆく處です。咲子の家(芝新堀)も全燒です。是にはまだ行きませんから生死は判りません。社友の中にも氣の毒な方が少くないでせう、高久君はどうしたらう。
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 中島君が早々東京へ出立した事をば名古屋の他の社友から早速通知があつて知つてゐた。行つてそして斯んな事になつたのだ、と暗然とした。後で直ぐこの取消は來たのであつたが。
 十一日にミチヤさんが靜岡の實家からやつて來た。見るからに憔悴して、さながら生きた幽靈と云つた形である。不思議な氣持で食卓を中に相向ひながら、私は幾度も涙を飮んだ。瞳孔も緊つてゐず、ともすれば話の返事もちぐはぐになりがちであつた。
 然し、この人に逢つて愈々東京の大體は解つた。誰も無事、彼も無事、あの人も私同樣着たまゝで燒出されたさうですけれど、命だけは助かりました、といふ同君の話を聞きながら、又しても瞼は熱くなつて來るのである。
『さうすると、殆んど全部東京の知人は助かつたといふわけか、どうも本統でない樣な氣がするが。』
『まつたく何かの奇蹟を聞く樣ですね。』
 と妻も食卓にしがみつく樣にしてゐて言つた。
 サテ横濱が氣になる。長谷川も、齋藤も、梅川も、自宅は横濱で、會社は東京だ。
 其處へ『トシヲ』の電報が來た。十二日午後零時三十分、『テツセンダイ』局發だ。
『ギ ンサクキリコブ ジ イヘマルヤケ』
 越えて十三日にまた同文のものが『ゴテンバ』局發で來た。おもふに同君が大事をとつて一は東北方面へ、一は關西方面へ逃げてゆく人に托して同文のものを發したのであつたらう。
 それから續いて追々と各自に無事を知らせる通知が來たが、中に横濱の高梨武雄君からの封書で(前略)以上の人みな無事、唯だ一人金子花城君のみ今以て行衞不明です。
 と云つて來た。そして終《つひ》にこの人だけは永遠に我等の世界の人でなくつた事を、ずつと遲れて二十七日に知る事が出來た。

 豫定した行數を夙うに超過しながら書きたい事は一向に盡きない。いつそ、この十日前後の記事を以てこの變體な日記文を終らうと思ふ。この偉大な事變に對して動かされた我等の心情も實に多大なものがあつた。然し、それはまだ/\ものに書き綴るべき境地にまで澄んでゐない。我等はいまなほ實に不安な動掻の中に迷つて居るのだ。此處には唯だノート代りのこの記事を殘して恐しかつた『彼の時』の思ひ出にするのみである。(九月二十九日)



底本:「若山牧水全集 第七巻」雄鶏社
   1958(昭和33)年11月30日初版1刷
入力:柴 武志
校正:林 幸雄
2001年6月20日公開
2001年11月6日修正
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