青空文庫アーカイブ

三十年後の世界
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)下街《ちかがい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一台|至急《しきゅう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うばガ[#「うばガ」に傍点]谷の万年雪
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   万年雪《まんねんゆき》とける


 昭和五十二年の夏は、たいへん暑かった。
 ことに七月二十四日から一週間の暑さときたら、まったく話にならないほどの暑さだった。
 涼《すず》しいはずの信州や上越の山国地方においてさえ、夜は雨戸をあけていないと、ねむられないほどの暑くるしさだった。東京なんかでは、とても暑くて地上に出ていられなくて、都民はほとんどみな地下街《ちかがい》に下りて、その一週間をくらしたほどだった。
 ものすごい暑さは日本アルプスの深い山の中も別あつかいにはしなかった。アルプス山中の万年雪までがどんどんとけ出した。雪渓《せっけい》の上を、しぶきをあげて流れ下る滝とも川ともつかないものが出来、積雪はどんどんやせていった。
 うばガ[#「うばガ」に傍点]谷の万年雪のことは、むかしから一番面積のひろいものとして、よく人に知られていた。それはまるで氷河のようにこちこちに固まった古い雪であったが、それさえこんどの暑さで両側からとけだし、日に日にやせていった。登山者たちがおどろいたのもむりではない。
「こんなところに流れがあったかね」
「いや、知らないね。地図でみると、どうしてもここはうばガ[#「うばガ」に傍点]谷のはずなんだが?」
「でも、へんよ。地図からはかって、ここはどうしてもうばガ[#「うばガ」に傍点]谷よ。この地図をごらんなさい。ほら、この岩」
「なるほどなあ、あれはたしかに三角岩だ。これはおどろいた。おい君、有名な万年雪が今年はすっかりとけてしまったんだぜ」
 その人は、とつぜんことばを切って、目を皿のように大きく見ひらいた。
「――何だろう、あれは。……あそこを見たまえ、何だかしらないが、大きなまるい球がある。あの沢の曲ったところだ。見えないかい、君たちには……」
 彼はおどろきをこめて、前へのりだしながら下手《しもて》を指さした。
「なるほど。見えるよ。大きな球だ。ぴかぴか光っているね。金属球だ」
「ふしぎだ。とにかくそばへ行ってみよう」
「おいおい、待ちたまえ。あれは危険なものじゃないか」
「そういえば、昔の写真に出ている機雷《きらい》みたいな形をしていますわね」
「ふん、機雷に似たところもあるけれど、機雷は海の中にあるもので、こんな山の中にあるはずがない」
 四人の登山者は、それから谷間をつたわって、下手へおりていった。みんな何となくおそろしいが、しかし自分たちで発見したものだから、ぜひその正体をたしかめたかった。
 ようやくそばへ近よることが出来た。
 沢のまん中に、直径三メートルもあると思われる大きな金属球が、でんと腰をすえていた。表面はぴかぴかに金属光沢を放っている。十字にバンドがしてある。アイ・ボルトが何本かうちこんである。一同はそのまわりをまわってみた。
「や、字が書いてある」
 たしかに字が書いてある。書いてあるというより、字を酸水素焔《さんすいそえん》かなんかで焼きつけてあるといった方が正しいであろう。
×取扱注意、扉Aを開け×
 それだけのことが書いてある。
 はて、この球は一たい何であろう。


   冷凍人間《れいとうにんげん》


 四人の登山者の好奇心は、いやがうえにもえあがった。
 もう登山どころでない。このふしぎな金属球の中をのぞいてみないと、承知ができなかった。
「とにかくこの球は、万年雪がとけて、その下から出て来たものだよ。もっと上にあったのが、ころがりだして、ここまで来て停《とま》ったんだと思う」
「火星からなげてよこしたものじゃないか。開けると、中から火星人の手紙かなんか入っているんじゃない?」
「火星からじゃないよ。だってこのとおり×取扱注意、扉Aを開け×と、日本文字で書いてあるんだから、これは日本でこしらえたものにちがいない」
「早く、その扉Aというのをあけてみた方がよかないでしょうか」
「そうだ。それがいい。そうしよう」
 扉Aというのはどこかと、球の表面をさがしまわった結果、後の方に半ば土にうずもれて×扉AXと書いてあるものが見つかった。土を掘ってみると、扉Aはまるいふたのようなものであった。それにはハンドルがついていて、左へ二十回ねじるように示してあったので、そのとおりにした。
 するとそのふたみたいなものが開いた。金属板の上には、やはり薄彫《うすぼ》りになった文字がつらなっていた。それを読むと、おどろくべきことが書いてあった。
     *
 この中には小杉正吉《こすぎしょうきち》という勇敢《ゆうかん》な少年が冷凍《れいとう》されている。彼は本年十三歳である。彼は二十年間この中で冷凍生活を続けた後、ふたたび世の中へ出たい希望である。この球を発見せられたる人は、この球が封印《ふういん》したるときより二十年以上たっていることをたしかめた後、この少年を冷凍球の中からとりだしていただきたい。それはむずかしいことではない。この底のBとしるした金属板を焼ききると、その中には電気のプラグがある。そのプラグへ五十サイクル交流電気を百ボルトの電圧で供給すれば、四十八時間後には、自動的に球がひらいて、小杉正吉少年が出て来るであろう。それまでの四十八時間は、静かにこの球をおく以外に何も手を加えてはならない。[#下げて、地付きで]昭和二十二年八月十三日
     *
 たいへんな拾い物だ。この球の中には、少年が冷凍されているのだ。二十年たったら、ふたたび世の中へ出て来たいのだという。
 二十年どころか、もう三十年もたっている、早く出してやらなくてはならない。しかし人間を冷凍する技術が、今から三十年も前にすでに考えられていたとは、大した発見である。と、登山者の一人であるカンノ博士はおどろいた。
 相談の結果、この大きな拾《ひろ》い物は、東京へ持ちかえることとなった。
 博士は、携帯無電機を使って、東京へ電話をかけた。五トンぐらいのものがらくに持ちあがるヘリコプター(竹とんぼ式飛行機)を一台|至急《しきゅう》ここまでまわしてくれるように、航空商会の千代田支店に頼んだ。
 二十分ほどすると、空から一台のヘリコプターがゆうゆうと下りて来た。頼んだ、のりものであった。カンノ博士たちは、ハンカチーフをふった。
 着陸したヘリコプターの貨物庫の中に、金属球を入れた。それから博士たちは客席へ入った。ヘリコプターは間もなく離陸して、東京へ向った。
 とちゅう相談の結果、拾った金属球はヤク大学の生理学部の大講堂へ持込み、そこで開くことにきめた。カンノ博士は、その学部の教授だった。
 他の三人は博士の友人だったが、婦人は通信技術者、男の一人は音楽家、もう一人は小説家だった。
 いよいよ金属球を開く日が来た。
 大講堂は大入満員だった。
 ここは階段式になっていて、まわりの座席は高く、演壇はまん中にあって、どこよりも低く、そこへあがるには地下道からしなければならなかった。問題の金属球は、この演壇の上におかれてあった。そして周囲には偏光《へんこう》ガラスのついたて[#「ついたて」に傍点]がとりまいていた。これは、中からは外が見えないが、反対に外から中はよく見えるものだった。こんな、ついたてを用いたわけは、金属球の中から出て来るはずの小杉正吉少年を、あまりたくさんの見物人のためにびっくりさせないための心づかいだった。
 カンノ博士とあと五人の人だけがついたての中に入った。そして金属球の扉Aの中にあった注意書のとおり、その底をやぶって電気のプラグを出し、それに指定どおりの交流電気を送りこんだ。それはちょうど午前十時だった。
 その翌々日の午前十時に、みんなが手に、あせにぎっているうちに、その球がひらくように、しずかに四つにわれた。そして中からかわいい少年があらわれた。小杉正吉君だった。七百名の見学者は、思わず手をたたいてしまった。三十年前に冷凍された少年が、今りっぱに生きかえってあらわれたからだ。この少年は三十年間、氷のようになっていて、年をとることをしなかったのだ。
「待っていましたよ、小杉君。われわれは君を歓迎します」
 と、カンノ博士がいった。
「わたしたちがお世話しますから、安心していらっしゃいね」
 スミレ女史がいった。


   かわりはてた銀座


「二十年たったら、世の中がどんなに変っているか、それを見たかったから、こんな冒険をしたんです」
 と、小杉少年は、まわりの人たちに話した。
「ああ、お話中しつれいですが、じつは二十年じゃなく、あなたが冷凍されてから三十年たっているのですよ。ことしは昭和五十二年なんですからね」
「おやおや、三十年もぼくは睡っていたのですか」
 少年の伯父《おじ》のモウリ博士が、この冷造金属球《れいぞうきんぞくきゅう》の設計者だったそうな。日本アルプスの万年雪を掘ってその中へおとしこんだのもモウリ博士の考えだった。その博士は二十年後になってこの冷凍球を雪の中から掘りだしてくれる約束になっていたのに、博士はその約束をはたさなかった。いったいどうしたわけであろうか。正吉のそんな話を、みんなはおもしろく聞いた。そしてモウリ博士の安否《あんぴ》はいずれしらべてあげましょう。それはそれとして、まず久しぶりにかるい食事をなさいといって、正吉を食堂へ案内して流動食《りゅうどうしょく》をごちそうした。
 少年は思いのほか元気であった。例の四人組の外《ほか》に、東京区長カニザワ氏と大学病院長のサクラ女史が少年をとりまいていたが、少年は三十年前の話をいろいろとした。そして三十年後の東京がどんなに変っているか、あまりに変っているのでそれを見物しているうちに気がへんにならないであろうかと心配したりした。
「大丈夫です。あたしがついていますもの。すぐ手あてをしてあげます」
 と、女医サクラ博士は、すぐにこたえた。
「ねえ、小杉君。君はまず、はじめにどこを見物したいですか」
 と、カンノ博士はきいた。
「そうですね。まず第一に見たいのは、三十年前に、ぼくの住んでいた東京の銀座を見たいですね。同じところを歩いてみたいです」
 少年は、なつかしげに銀座の名をいった。
「よろしい。ではすぐ出かけましょう。しかし、あなたは少々おどろくことでしょう」
 一同は正吉を連《つ》れて出た。
「ここは見なれないところですが、銀座の近くでしょうか」
「さよう。銀座までは三キロばかりはなれています。しかしすぐですよ、動く道路にのっていけば……」
「なんですって。何にのるのですか」
「動く道路です。そうそう、あなたの住んでいた三十年前には、動く道路はなかったんでしょうね。そのころは電車や自動車ばかりだったんでしょう。今はそんなものは、ほとんどなくなりました。その代りは動く道路がしています。道が動くのです。五本の動く道路が並んでいるのです。昔あったでしょう。ベルトというものがね。あれみたいに動くのです。歩道に平行に五本並んでいて、歩道に一番近いのが時速十キロで動いているもの。次が二十キロ、それから三十キロ、四十キロ、五十キロという風にだんだん早くなります。そしてその動く道路は、どこへ行くか、方向がかいてあるのです。……ほらごらんなさい。これが銀座行きの動く道路ですから」
 ようやく外に出た。日光がかがやいていた。それまでは地下にいたことが分った。なつかしい日光、うまい空気! しかし変だ。
「ここはどこですか。みたことがない野原ですね」
「ここが銀座です。あなたの立っているところが、昔の銀座四丁目の辻のあったところです」
「うそでしょう。……おやおや、妙な塔がある。それから土まんじゅうみたいなものが、あちこちにありますね。あれは何ですか」
 林と草原の間に、妙にねじれた塔や、低い緑色の鍋をふせたようなものが見える。
「あのまるいものは、住宅の屋上になっています。塔は、原子弾が近づくのを監視している警戒塔です。すべて原子弾を警戒して、こんな銀座風景になったのです。みんな地下に住んでいます。ときどきものずきな者が、こうして地上に出て散歩するくらいです。おどろきましたか」
 正吉はたしかにおどろいた。あのにぎやかな銀座風景は、今は全く地上から姿をけしてしまったのだ。


   近づく星人《せいじん》


「まだ、戦争をする国があるんですか」
 正吉少年は、ふしぎでたまらないという顔つきで、案内人のカニザワ区長にきいた。
「やあ、そのことですがね、まず戦争はもうしないことにきめたようです」
「戦争をするもしないも日本は戦争放棄《せんそうほうき》をしているんだから、日本から戦争をしかけるはずはないんでしょう。もっともこれは今から三十何年もむかしの話でしたがね」
 正吉はあのころ新憲法ができて、それには戦争放棄がきめられたことをよくおぼえていた。
「正吉君のいうことはただしいです。しかしですね。その後また大きな戦争がおこりかけましてね――もちろん日本は関係がないのですがね――そのために、おびただしい原子爆弾が用意されました。そのとき世界の学者が集って組織している連合科学協会というのがあって、そこから大警告を出したのです。それは二つの重大なことがらでした」
「どういうんですか、その重大警告というのは……」
「その一つはですね、いま戦争をはじめようとする両国が用意したおびただしい原子爆弾が、もしほんとうに使用されたときには、その破壊力はとてもすごいものであって、そのためにわれらの住んでいる地球にひびが入って、やがていくつかに割れてしまうであろう。そんなことがあっては、われわれ人間はもちろん地球上の生物はまもなく死に絶えるだろう。だから、そういう危険な戦争は中止すべきである――というのです」
 カニザワ東京区長は、そう語りながら、ハンカチーフを出して、顔の汗をぬぐった。おそらく氏は、その戦争|勃発《ぼっぱつ》一歩前の息づまるような恐怖を、今またおもいだしたからであろう。
「で、戦争は起ったのですか、それとも……」
「もう一つ重大なことがらは」
 と区長は正吉の質問にはこたえず、さっきの続きを話した。
「連合科学協会員は最近天空においておどろくべき観測をした。それはどういうことであるかというと、わが地球をねらってこちらへ進んでくるふしぎな星があるということだ。それは彗星《すいせい》ではない。その星の動きぐあいから考えると、その星は自由航路をとっている。つまり、その星は、飛行機やロケットなどと同じように、大宇宙を計画的に航空しているのだ」
「へえーツ。するとその星には、やっぱり人間が住んでいて、その人間が星を運転しているんですね」
「ま、そうでしょうね――だからわれわれは、一刻もゆだんがならないというのです。その星はわが太陽系のものではなく、あきらかにもっと遠いところからこっちへ侵入《しんにゅう》して来たものだ。そしてその星に住んでいるいきものは、わが地球人類よりもずっとかしこいと思われる。さあ、そういう星に来られては、われわれはちえも力もよわくて、その星人《せいじん》に降参《こうさん》しなければならないかもしれない。そのような強敵を前にひかえて、同じ地球に住んでいる人間同士が戦いをおこすなどということは、ばかな話ではないか。そのために、われわれ地球人類の力は弱くなり、いざ星人がやって来たときには防衛力が弱くて、かんたんに彼らの前に手をつき、頭をさげなければならないだろう。――それをおもえば、今われわれ人類の国と国とが戦争するのはよくないことである。つまり、『今おこりかかっている戦争はおよしなさい』と警告したのです」
「ああ、なるほど、なるほど、そのとおりですね」
「それが両国にもよく分ったと見えましてね、爆発寸前というところで戦争のおこるのはくいとめられたんです。お分りですかな」
「それはよかったですね。しかし、そんならなぜ、あのようにたくさんの原子弾の警戒塔や警報所や待避壕《たいひごう》なんかが、今もならんでいるのですか」
 正吉には、そのわけが分らなかった。
「いやあれは、あたらしく襲来するかもしれない宇宙の外からの敵が原子弾をこっちへなげつけたときに役に立つようにと建設せられてあるんです」
「ああ、そうか。あの星人とかいう連中も、原子弾を使うことが分っているのですね」
「多分、それを使うだろうと学者たちはいっていますよ――それに、もう一つああいう防弾設備がぜひ必要なわけがあるんです」
「それはどういうわけですか」
「それは、ですね。わが地球人類の中の悪いやつが、ひそかに原子弾をかくして持っていましてね、それを飛行機につんで持って来て、空からおとすのです」
「どうしてでしょうか」
「どうしてでしょうかと、おっしゃいますか。つまり昔からありました、強盗《ごうとう》だのギャングだのが。今の強盗やギャングの中には、原子弾を使う奴がいるのです。どーンとおとしておいて、その地区が大混乱におちいると、とびこんでいって略奪《りゃくだつ》をはじめるのです。ですから、そういう連中を警戒するためにも、あれが必要なのです」
 そういってカニザワ区長は、警戒塔を指さした。
「いやあ、三十年後の強盗団は、さすがにすごいことをやりますね」
 と、正吉少年はおどろいてしまった。


   すばらしい地下生活


 区長さんの話によると、人々は地下に家を持って、安全に暮しているが、事件や戦争のないときにはこうして、大昔の武蔵野平原にかえった大自然の風景の中に自分もとけこんで、たのしい散歩やピクニックをする人が少なくないとのことであった。
「じゃあ、前のような地上の大都市というものは、どこにもないのですね」
「そうですとも。昔は六大都市といったり、そのほか中小都市がたくさんありましたが、いまは地上にはそんなものは残っていません。しかし、地の中のにぎわいは大したものですよ。これからそっちへご案内いたしましょう」
 正吉は、区長たちの案内で、ふたたび地下へ下りた。
 地下といえば、正吉は地下鉄の中のかびくさいにおいを思い出す。鉄道線路の下に掘られてある横断用の地下道のあのくらい陰気《いんき》な、そしてじめじめしたいやな気持を思い出す。また炭坑《たんこう》の中のむしあつさを思い出す。
 だが、区長たちに案内されていった地下街は、まったく違っていた。陰気でもなく、じめじめなんかしておらず、すこしもかびくさくない。またむしあついことなんか、すこしもなかった。それからまた、いきがつまるようなこともなかった。
 だから、まるで気もちのいい山の上の別荘の部屋にいるような気がし、また気もちのいい春か秋かのころ、街道を散歩しているようでもあった。
「それは、ですね。この地下街を建設するためには、あらゆる衛生上の注意がはらってあって私たちが気もちよく暮せるように、いろいろな施設が備《そな》わっているのです。たとえば空気は念入りに浄化《じょうか》され、有害なバイキンはすっかり殺されてから、この地下へ送りこまれます。また方々に浄化塔があって、中でもって空気をきれいにしています。ごらんなさい、むこうに美しい広告塔が見えましょう。あれなんか、空気浄化器の一つなんですよ」
「ああ、あれがそうなのですか。広告塔と空気浄化器と二役をやっているのですか」
 十メートルくらいの高さの美しい広告塔だった。赤、青、紫、橙、黄などのあざやかな色でぬられ、そして、ぐるぐると回転している、目をうばうほど美しい塔だった。
「それから湿度は四十パーセント程度に保たれています。ですから、これまでの地下のようなじめじめした感じや、むしあつくて苦しいなどということもありません。また温度はいつも摂氏《せっし》二十度になっていますから、暑からず寒からずです。年がら年中そうなんですから、服も地下生活をしているかぎり、年がら年中同じ服でいいわけです」
「それはいいですね。衣料費がかからなくていいですね。昔は夏服、冬服なんどと、いく組も持っていなければならなかったですからね。ちょうど布ぎれのないときでしたからぼくのお母さんは、それを揃えるのにずいぶん苦労をしましたよ。――ああ、そういえば、ぼくのお母さんは……」
 と、正吉は声をくもらせて、はなをすすった。
「どうしました、正吉さん」
 と、大学病院長のサクラ女史が、うしろからやさしく正吉の顔をのぞきこんだ。
「ぼく……ぼく」
 と正吉はいいよどんでいたが、やがて思い切っていった。
「ぼく、急にぼくのお母さんに会いたくなりました。ぼくがあの冷凍球《れいとうきゅう》の中にはいるとき、ぼくのお母さんは五十歳でした。ああ、それから三十年たってしまったのです。するとお母さんは今年八十歳になったはず。お母さんは日頃から弱かったんです。お母さんは、とても、今まで長生きしているはずはない。ぼく……ぼく……もうお母さんに会えないだろうな」
 正吉少年のこのなげきは、たいへん気の毒であった。カニザワ氏とサクラ女史とカンノ博士の三人は、ひたいをあつめて何か相談していたが、やがてカニザワ区長が正吉にいった。
「もしもし、正吉君。われわれに、すこし心あたりがあるんです。うまくいくと、君のお母さんに会えるかもしれませんよ」
「えっ、ほんとですか。しかし母は、もう死んでいますよ」
「いや、そのことはやがて分りましょう。これから町を見物しながら、そちらへご案内してみましょう」


   人工心臓


 正吉は、区長たちからなぐさめられて、すこし元気をとりもどした。
 町を案内してもらったが、なるほどじつににぎやかであり、また清潔であった。昔は、にぎやかな町ほど、砂ほこりが立ち、紙くずがとびまわり、路上にはきたないものがおちていたものだ。
 しかし、この町はほこりは立たず、紙くずはなく、路面《ろめん》ははだしで歩いても足の裏がよごれないように見えた。
 町は、天井が高く、路面から三十メートルはあったろう。そして、その天井は青く澄んで、明るかった。まるで本ものの秋晴れの空が頭上にあるように思われた。
「あの天井には、太陽光線と同じ光を出す放電管《ほうでんかん》がとりつけてあるのです。その下に紺青色《こんじょういろ》の硝子《ガラス》板がはってあります。ですから、ここを歩いていると昔の銀ブラのときと同じ気分がするでしょう」
「ああ、あれはほんとうの空じゃなかったのですか――うん、そうだ。地面の中にもぐっていて、青空が見えるはずがない」
 正吉は、うっかり思いまちがいしていたことに気がついて、顔があかくなった。しかし、それほどほんものの秋空に見えるのだった。
 区長は、正吉を、りっぱな本屋につれこんだ。奥は住宅になっていた。いわゆるアパートメント式の住宅であった。そのうちの一軒の前に立った区長は、扉をこつこつと叩いた。すると中から返事があった。女の声だった。
「あっ、あの声は……」
 扉が内にひらいた。家の中から顔を出した白髪頭《しらがあたま》の老女があった。
「まあ、これは区長さん。それにサクラ先生に……」
「今日はめずらしい客人をお連れしました。ここにおられる少年にお見おぼえがありますか」
 区長にいわれて、老女は正吉を見た。
「まあ、正吉ではありませんか。うちの正吉だ。まあまあ、正吉、お前はどうして……」
 老女は、正吉の母親であったのだ。
「お母さん」
 正吉と母親とは抱きあってうれしなみだにくれました。
「お母さん、よく長生きをしていてくれましたね」
「正吉や。お母さんは一度心臓病で死にかけたんだけれど、人工心臓《じんこうしんぞう》をつけていただいてこのとおり丈夫になったんですよ」
「人工心臓ですって」
「見えるでしょう。お母さんは背中に背嚢《はいのう》のようなものを背おっているでしょう。それが人工心臓なのよ」
 正吉は見た。なるほど母親は、背中に妙な四角い箱を背おっている。それが人工心臓なのか。正吉は目をぱちくり。


   口ひげのある弟


 人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。
 胸の中から二本の管《くだ》が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈、青い方は静脈だ、そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。
 昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質の人造肉とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。
「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」
 と、母親は笑った。
 なつかしい母親の笑顔だった。
「かっこうなんか、どうでもいいですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」
「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」
「百歳とは長生きですね」
「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱って来た内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命《じゅみょう》がのびるそうだよ」
「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか、昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」
「ほんとにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねえ。そうすればお母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」
 正吉の母は、早く亡《な》くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。
 そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。
「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪ねて来てくれたんですって」
「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」
 正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。
「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」
 母親は正吉を指《ゆびさ》した。
「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合だなあ」
「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でもあたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」
「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉《にきち》です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」
「やあ、兄さん」
「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」
「ああ、弟に妹か――」
 といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹《きょうだい》に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。


   びっくり農場


 思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ――というようなものが、とたんに消えてしまった。
「ここからどこへつれていって下《くだ》さるのですか」
 と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。
「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」
「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」
「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」
「近くなんですか」
「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」
 正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞《どうほう》がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは食糧だった。
「ああ、そうそう」と、正吉はいった。
「ねえ区長さん。田畑《たはた》や果樹園《かじゅえん》はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」
「そうですとも、もう地上では稲《いね》を植えるわけにはいかないし、お芋《いも》やきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やなす[#「なす」に傍点]をつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」
「じゃ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」
「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]が出たし、かぶ[#「かぶ」に傍点]も出ました。ごはんも出たし、もも[#「もも」に傍点]も出たし、かき[#「かき」に傍点]も出た」
「そうでしたね」
「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」
 アスカ農場だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。
「ここです。はいりましょう」
 大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。
 が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。
 かぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]も、きゅうり[#「きゅうり」に傍点]も、稲も昔の三等寝台のように、何段も重なった棚の上にうえられていた。みんなよく育っていた。
「このきゅうり[#「きゅうり」に傍点]を見てごらんなさい」
 そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうり[#「きゅうり」に傍点]をみていた。
「おや、このきゅうり[#「きゅうり」に傍点]は動きますね。どんどん大きくなる」
 正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これはおばけきゅうり[#「きゅうり」に傍点]だ。
「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培《さいばい》しています。昔は太陽の光と能率のわるい肥料で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日|乃至《ないし》二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんご[#「りんご」に傍点]でもかき[#「かき」に傍点]でも、一週間でりっぱな実となります」
「おどろきましたね」
「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうり[#「きゅうり」に傍点]やかぼちゃ[#「かぼちゃ」に傍点]がなります。またりんご[#「りんご」に傍点]もバナナもかき[#「かき」に傍点]も、一年中いつでもならせることができます」
「すると、遅配《ちはい》だの飢餓《きが》だのということは、もう起らないのですね」
「えっ、なんとかおっしゃいましたか」
 技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。


   海底都市


 動く道路を降りて丘になっている一段高い公園みたいなところへあがった。もちろん地中のことだから頭上には天井がある。壁もある。その広い壁のところどころに、大きな水族館の水槽《すいそう》ののぞき窓みたいに、横に長い硝子板《ガラスばん》のはまった窓があるのだった。
 その窓から外をのぞいた。
「やあ、やっぱり水族館ですね」
 うすあかるい青い光線のただよっている海水の中を、魚の群が元気よく泳ぎまわっている。こんぶ[#「こんぶ」に傍点]やわかめ[#「わかめ」に傍点]などの海草の林が見え、岩の上にはなまこ[#「なまこ」に傍点]がはっている。いそぎんちゃく[#「いそぎんちゃく」に傍点]も、手をひろげている。
「水族館だと思いますか」
 区長さんが笑いかけた。
「よく見て下さい。今、燈火《あかり》をつけて、遠くまで見えるようにしましょう」
 そういって区長は、窓の下にあるスイッチのようなものを動かした。すると昼間のようにあかるい光線が、さっと水の中を照らした。その光は遠くにまでとどいた。魚群がおどろいたか、たちまちこの光のまわりは幾組も幾組も、その数は何万何十万ともしれないおびただしさで、集って来た。
「これでも水族館に見えますか」
 と、区長がたずね、
「いや、ちがいました。これは本物の海の中をのぞいているのですね」
 遠くまで見えた。こんな大きな水族館の水槽はないであろう。
「お分りでしたね。つまりこのように、わが国は今さかんに海底都市を建設しているのです」
「海底都市ですって」
「そうです。海底へ都市をのばして行くのです。また海底を掘って、その下にある重要資源を掘りだしています。大昔も、炭鉱で海底にいて出るのもありましたね。
ああいうものがもっと大仕掛になったのです。人も住んでいます。街もあります。海底トンネルというのが昔、ありましたね。あれが大きくなっていったと考えてもいいでしょう」
 正吉は海底都市から出かけて、ふたたび上へあがっていった。
 とちゅうに停車場があって、たくさんの小学生が旅行にでかける姿をして、わいわいさわいでいた。
「あ、小学生の遠足ですね。君たち、どこへ行くの」
「カリフォルニアからニューヨークの方へ」
「えっ、カリフォルニアからニューヨークの方へ。僕をからかっちゃいけないねえ」
「からかいやしないよ。ほんとだよ。君はへんな少年だね」
 正吉は、やっつけられた。
 そばにいた区長がにやにや笑いながら、正吉の耳にささやいた。
「ちかごろの小学生はアメリカやヨーロッパへ遠足にいくのです。この駅からは、太平洋横断地下鉄の特別急行列車が出ます。風洞《かざあな》の中を、気密《きみつ》列車が砲弾《ほうだん》のように遠く走っていく、というよりも飛んでいくのですな。十八時間でサンフランシスコへつくんですよ」
「そんなものができたんですか。航空路でもいけるんでしょう」
「空中旅行は、外敵《がいてき》の攻撃を受ける危険がありますからね。この地下鉄の方が安全なんです。なにしろ巨大なる原子力が使えるようになったから、昔の人にはとても考えられないほどの大土木工事や大建築が、どんどん楽にやれるのです。ですから、世界中どこへでも、高速地下鉄で行けるのです」
「ふーン。すると今は地下生活時代ですね」
「まあ、そうでしょうな。しかし空へも発展していますよ。そうそう、明日は、羽田空港から月世界探検隊が十台のロケット艇《てい》に乗って出発することになっています」
 正吉は大きなため息をついてひとりごとをいった。
「三十年たって、こんなに世界や生活がかわるとは思わなかったなあ。こんなにかわると知ったら、三十年前にもっと元気を出して、勉強したものをねえ」
 あとで分った話によると、例のモウリ博士は月世界探検に行ったまま、遭難《そうなん》して帰れなくなっているということだ。こんどの探検隊が、きっと博士を救い出すであろう。


   宇宙探検隊


 正吉は、その日以来、宇宙旅行がしてみたくてたまらなくなった。
 三十年前、やがて月世界へ遊覧《ゆうらん》飛行ができるようになるよと予言する人があったら、その人はみんなから、ほら吹きだと思われたことであろう。それが今は、ほんとに出来るのだという。なんという進歩であろう。
 正吉は、そのことを東京区長のカニザワ氏と、大学病院のサクラ女史とに相談してみた。すると二人は、そういうことはカンノ博士にたのむのが一番いいであろうと教えてくれた。
 そうだ、カンノ博士。
 博士とは、しばらくいっしょにならないが、カンノ博士こそは、正吉少年を冷凍球《れいとうきゅう》から無事にこの世へ出してくれた恩人の一人で、有名な生理学の権威《けんい》である。
「ほんとに行きたいのかね、正吉君」
 カンノ博士は、人のよさそうな笑顔で、正吉を見まもった。
「ぜひ行きたいのです。三十年のながい間、ぼくは眠っていて、知識がうんとおくれているのです。ですからこんどは、今の世の中で、一番新しいものを見て一足《いっそく》とびに学者になりたいのです」
 正吉は、子供らしい欲望をぶちまけた。
「ほんとに学者になるつもりなら、一足とびではだめだよ。こつこつと辛抱づよくやらなければね。宇宙旅行だってそうだ。見かけは花々しく見えるが、ほんとうに宇宙旅行をやってみれば、はじめから終りまで辛抱競争《しんぼうきょうそう》みたいなものだ。ちっともおもしろくはないよ」
 カンノ博士のことばは、じつに本当のことであったけれど、正吉には、博士が正吉の宇宙旅行を思いとどまらせようと思って、つらいことばかり並べているのだと思った。
「ぼくは辛抱するのが大好きなんです。三十年も冷凍球の中に辛抱していたくらいですからね」
「ああ、そうか、そうか、それほどにいうのなら、連《つ》れていってやるかな」
「えっ、今なんといったんですか」
 正吉はあわててたずねた。カンノ博士は、いよいよニヤニヤ笑顔になって正吉を見ていたが、やがて口を開いた。
「じつはね、私たちはこんど、かなり遠い宇宙旅行に出かけることになった。お月さまよりも、もっと遠くなんだ。早くいってしまえば火星を追いかけるのだ。そのような探検隊が、一週間あとに出発することになっているが、君を連れていってやっていい」
「うれしいなあ。ぜひ連れてって下さい」
「しかし前もってことわっておくが、さびしくなったり、辛抱《しんぼう》が出来なくなって、地球へぼくを返して下さい、なんていってもだめだよ」
「そんなこと、誰がいうもんですか」
 正吉は、胸を張《は》ってみせた。
「大丈夫かい。それから火星を追いかけているうちに、火星人のためにわれわれは危害《きがい》を加えられるかもしれない。悪くすればわれわれは宇宙を墓場《はかば》として、永い眠りにつかなければならないかもしれない。つまり、火星人のため殺されて死ぬかもしれないんだが、これはいやだろう。見あわすかい」
「いや、行きます。どうしても連れてって下さい。たとえそのときは死んで冷たい死骸《しがい》になっても、あとから救助隊がロケットか何かに乗って来てくれ、ぼくたちを生きかえらせてくれますよ。心配はいらないです」
「おやおや、君はどこでそんな知識を自分のものにしたのかね。たぶん知らないと思っていったのだが……」
 カンノ博士は小首をかしげる。
「先生は忘れっぽいですね。この間、大学の大講堂で講演なさったじゃないですか。――今日|外科《げか》は大進歩をとげ、人体を縫合《ぬいあわ》せ、神経をつなぎ、そのあとで高圧電気を、ごく短い時間、パチパチッと人体にかけることによって、百人中九十五人まで生き返らせることが出来る。この生返り率は、これからの研究によって、さらによくなるであろう、そこで自分として、ぜひやってみたい研究は、地球の極地に近い地方において土葬《どそう》または氷に閉《とざ》されて葬られている死体を掘りだし、これら死人の身体を適当に縫合わして、電撃生返り手術を施《ほどこ》してみることである。すると、おそらく相当の数の生返り人が出来るであろう。中には紀元前何万年の人間もいるであろうから、彼らにいろいろ質問することによって、大昔のことがいろいろと分るであろう。そんなことを、先生は講演せられたでしょう」
「ハハン。君はあれをきいていたのか」
「きいていましたとも、だから、もう今の世の中では、死んでも死にっ放しということは、ほとんどないことで、死ぬぞ、死んだらたいへんだ、なんて心配しないでよいのだと、先生の講演でぼくは分ってしまったんです。ですから連れてって下さい」
「よろしい。連れていってあげる」
「ウワァ、うれしい」
 正吉はよろこんで、カンノ博士にとびついた。


   新月号《しんげつこう》離陸


 やっぱり東京の空港から、探検隊のロケット艇は出発した。
 艇の名前は、「新月号」という。
 新月号は、あまり類のないロケットだ。艇《てい》の主要部は、球形《きゅうけい》をしている。
 その外につばのようなものが、球の赤道にあたるところにはまっている。そしてこれはどこか風車か、タービンの羽根ににている。
 空気のあるところをとぶときは、このつばの羽根が、はじめ水平にまわり、離陸したあとは、すこしずつ縦《たて》の方へ傾《かたむ》いていって、斜《なな》めに空を切ってあがる、なかなかおもしろい飛び方をする。
 そして、もう空気がほとんどないところへ来ると、このつばの羽根が、球から離れる。
 そのあとは球《きゅう》だけとなる。この球がロケットとして、六個の穴からガスをふきだして、空気のない空間を、どんどん速度をあげて進んでいくのだ。
 球形の外郭《がいかく》には、たくさんの窓があいている、もちろん穴はあいていない。厚い透明体の板がこの窓にはまっている。そしてこの窓は暗黒の中に美しい星がおびただしく輝いている大宇宙をのぞくために使う。
 新月号のこの球の直径は、約七十メートルある。だから両国の国技館のまわりに、でっかい円坂をつけたようにも見える。
 この新月号は、ただひとりで宇宙の旅をすることになっていた。
 こういう形のロケットは、今まであまり見受けなかったことで、あぶながる人もいた。学者の中でも、疑問をもっている人があんがい少なくなかった。
 しかし、この新月号の設計者である、カコ技師は、安全なことについては、他のどのロケットにもまけないといっていた。そして、それを証明するために、自分も機関長として、新月号に乗組み、この探検に加わることとなった。
 それでは、新月号の艇長は、いったい誰であろうか。これこそ宇宙旅行十九回という輝かしい記録をもつ有名な探検家マルモ・ケン氏であった。カンノ博士は、観測団長だった。
 スミレ女史が通信局長であった。女史は、正吉を冷凍から助けだしてくれた登山者中の一人であった。
 こうして新月号に乗組んだ者は、正吉をいれて総員四十一名となった。
「はじめて宇宙旅行をする者は、地球出発後七日間は、窓の外を見ることを許さない」
 こういう命令を、マルモ艇長《ていちょう》は、出発の前に出した。
「なぜ、あんな命令を出したんだろう」
 と、正吉はおもしろくなかった。飛行機に乗って離陸するときでさえ、たいへん気持がいい。ましてや、このふう[#「ふう」に傍点]がわりの最新式ロケット艇の新月号で離陸せるときは、さぞ壮観《そうかん》であろう。だからぜひ見たい。
 また高度がだんだん高くなって、太平洋と太西洋とがいっしょに見えるようになるところもおもしろかろう。ぜひ見たい。
 なぜマルモ艇長は、それを禁ずるのであろうか。しかも一週間の永い間にわたって外を見てはいけないというのはなぜだろう。
 正吉は、カンノ博士にあったとき、その話をした。すると博士はニヤリと笑って、
「フフフ、それは艇長の親心というものだ。艇長は君たちのことを心配して、そういう命令を出したんだ。まもった方がいいね」
 と艇長の肩を持った。
「なぜ七日間も、窓から外をのぞいちゃいけないんですか、ぼくはその理由を知りたいです」
「それは……それは、今はいわない方がいいと思う。艇長の命令がとけたら、そのとき話してあげるよ」
 それ以上、カンノ博士は何もいわなかった。
 正吉と同じ不満を持った、初めての宇宙旅行組の者が二十人ばかりいた。それぞれ、こそこそ不満をもらしていたが、先輩たちは何も説明しなかった。みんな艇長からかたく口どめされているのだった。
 見るなといわれると、どうしても見たくなるのが人情であった。正吉は、そのうちこっそりと外をのぞいてやろうと決心した。


   窓の外には


 新月号は夜明けと共に地球をはなれて空中へとびあがったが、その出発の壮観を見た者は、あまり多くなかった。
 それから新月号はぐんぐんと上昇を続け、成層圏《せいそうけん》に突入した。成層圏もやがて突きぬけそうになって高度二十キロメートルを越えるあたりでは、あたりは急に暗くなり、夜が来たようであった。しかし、本当の夜が来たのではなく空気がすくなくなって、そのところでは太陽の光がいわゆる乱反射《らんはんしゃ》をして拡散《かくさん》しないために、あたりは暗いのであった。
 しかし太陽は上空に、丸く輝いている。それはちょうど月が夜空に輝いているに似ていて、太陽そのものは輝いているが、まわりは明るくないのだ。
 そのころ星の群は一段と輝きをまし、黒い幕の上に、無数のダイヤモンドをまき散らしたようであった。
 このような光景が、このあといつまでも続くのであった。
 昼も夜もない暗黒の大宇宙であった。しかし太陽はやっぱり空を動いて見える。
 大宇宙は、このように静かだ。生きているという気がしない。むしろ死んでいるように見える。それはあたりがあまりに暗黒であるのと、太陽にしても星にしても、暗黒の広い空間にくらべて、あまりに小さくて淋《さび》しいからであろう。
 が、もしこのとき、目をうしろにやったとしたら、どうであろう。彼はびっくりさせられるであろう。
 艦長が妙な命令を出したのも、じつはうしろをふりむいてびっくりさせないためであったのだ。
 それはちょうど出発後四日目のことであった。正吉は、窓の外をのぞく絶好の機会をつかんだ。
 通路を歩いていると、頭の上で、へんな声をあげた者がある。
 何だろうと思って、正吉は上を見た。
 すると、通路の天井の交錯《こうさく》した梁《はり》の上に、一人の男がひっかかって、長くのびているではないか。
「あぶない」
 正吉は、おどろいた。放っておけば、あの人は、梁《はり》の間から下へ落ち、頭をくだくことであろう。早く助けてやらねばと思った。
 他の者をよぶひまもない。正吉は、傍《かたわら》の柱にとびついて、サルのように上へのぼっていった。木のぼりは正吉の得意とするところだ。
 天井までのぼり切ると、あとは梁を横へつたわって進んだ。まるでサーカスの空中冒険の綱わたりみたいだ。
(早く、早く。あの人が梁から落ちれば、もうなんにもならない)
 じつにきわどいところで、彼の身体は梁でささえられている。まるで天秤《てんびん》のようだ。
 正吉は、やっとのことで、その人の身体をつかまえた。つかまえたのと、その人が息を吹きかえしたのとほとんど同時であった。
「あーァ」
 その人は呻《うな》った、見るとそれは料理番の若者で、キンちゃんとよばれている、ゆかいな男であった。
「キンちゃん。どうしたの。しっかり」
 正吉は、梁のむこうへ落ちて行きそうなキンちゃんの身体を、一所懸命おさえながら、キンちゃんをはげました。
「あッ、こわいこわい、おれは気が変になる。助けてくれッ」
 キンちゃんは、両手で顔をおさえて変なことを口走る。
「キンちゃん。おかしいよ、そんなにさわいじゃ。ぼくは小杉だよ」
「小杉?」
 キンちゃんは、ようやく目をあいて、正吉を見た。そしてホッと大きな溜息《ためいき》をついた。おなじみの正吉の顔を見て、安心したのであろう。
「こんなところで、何をしていたの」
 と正吉がきくと、キンちゃんはまた顔をしかめて苦しそうにあえぎだした。
「こわい、こわい、正ちゃん。その窓から外を見ない方がいいよ。気が変になるよ」
「あッ、そうか。君は窓から外を見たんだね。艇長に叱《しか》られるよ」
 正吉はそういったが、見ると窓のおおいが破れている。キンちゃんが破ったものだろう。正吉は急に外が見たくなった。
「正ちゃん、およしよ。だめだ、外を見ちゃ……」
 と、キンちゃんがとめるのにもかまわず、正吉は、とうとう窓から外を見た。
「あッ、あれは……」
 正吉の肩が大きく波打っている。顔は、まっさおだ。
 正吉は何を見たか。
 大きなビルを四、五十あつめたくらいの大きさの、まんまるい黄色に光る球を見たのであった。
 それは地球だ。地球だった。
 地球の大きな球が、空間に、つっかえ棒もなしにいるところは凄《すご》いというか、恐ろしいというか、艇長が外を見るなと命令したわけが、やっと分った。


   偵察《ていさつ》ロケット


 七日以後は窓もひらかれ、外をのぞいてもさしつかえないことになった。そのころ地球は、ずっと形が小さくなり、小山ぐらいの大きさとなったので、恐ろしさが減《へ》った。もうあれを見て発狂したり、気絶《きぜつ》する者もなかろう。
 地球は小さくなったが、いよいよ光をまして白く輝く大陸の輪郭《りんかく》もよく見える。しかし球という感じがだんだんなくなって、平面のような感じにかわっていった。
「キンちゃん、あれから後、いくど気絶したの」
 正吉がそういって料理番のキンちゃんをからかうと、キンちゃんは顔をまっ赤《か》にして、
「あのとき一ぺんこっきりだよ。そんなにたびたびやって、たまるものか。それよりか、今日の夕食にはすごいごちそうが出るよ」
「すごいごちそうというと、お皿の上に地球がのっかっているといった料理かね」
「また地球で、わしをからかうんだね。地球のことはもう棚《たな》にあげときましょう。さて今夜の料理にはね、牡牛《おうし》の舌の塩づけに、サラダ菜《な》をそえて、その上に……」
「雨ガエルでも、とまらせておくんだね」
 正吉は、じょうだんをいって、食堂から出ていった。
 廊下《ろうか》の曲《まが》り門《かど》のところで、正吉は大人の人に、はちあわせをした。誰かと思えば、それは藍《あい》色の仕事服を着て、青写真を小脇に抱えているカコ技師であった。
「あ、あぶない。正吉君、なにを急いでいるのかね」
「いま、食堂ですてきに甘いものをたべて来たので、元気があふれているんです。ですからこれから艇長のところへ行って探検の話でも聞かせてもらって来るつもりなんです。艇長のすごい話はこっちがよほど元気のときでないと、聞いているうちに心臓がどきどきして来て気絶しそうになりますからね」
「このごろどこでも気絶ばやりだね。だから僕もいつもこうして気つけ用のアンモニア水のはいった小さいびんをポケットに入れてもっている」
 そういってカコ技師は、透明《とうめい》な液のはいっている小びんを出してみせた。
「それを貸して下さい。それを持って艇長のとこへ行ってきますから……」
「だめだよ、正吉君、艇長はいまひるねをしておられる。一時間ばかり、誰も艇長を起すことは出来ないのだ」
「ああ、つまらない」
「つまらないことはないよ、機械室へ来たまえ。これから偵察ロケットを発射させるんだから」
「偵察ロケットですって。それは何をするものですか」
「本艇のために、目の役目をするロケットだ。このロケットには人間は乗っていない。電波操縦《でんぱそうじゅう》するんだ。だからこのロケットはうんと速度が出せる。これを発射して、本艇よりも先に月世界の表面に近づかせる。いいかね。ここまでの話、分るかね」
「ええ、分ります」
「その偵察ロケットには、テレビジョン装置がのせてある。だからそれがわれわれの目にかわって月世界の方々を見る。それが電波に乗って本艇へとどく。本艇ではそのテレビ電波を受信して、映写幕にうつし出す。つまりこれだけのものがあると、本艇の目がうんと前方へ伸びたと同じことになる。たいへんちょうほうだ」
「なぜ、そんなことをするんですか」
「これは、もし前方に危険があったときは、偵察ロケットが感じて知らせてよこす。本艇はさっそく逃げることができる。偵察ロケットの方は破壊されてもかまわない。それには人間が乗っていないのだからね」
「音も聞けるわけですね。偵察ロケットにマイクをのせておけばいいわけだから」
「技術上は、そういうこともできる。しかしこの場合、音をきく仕掛はいらない」
「なぜですか」
「だって、月世界には空気がない。空気がなければ、音はないわけだ」
「ああ、そうでしたね」


   月の噴火口《ふんかこう》


 偵察ロケットは、三台も発射された。
 それは小型のロケットで、砲弾のような形をしていた。
 あと十二時間すると、月の上空へ達するそうである。
 この光景はテレビジョンにおさめられ、地球へ向けて放送された。
「月世界って、そんなに危険なところですか。大地震でもあるのですか」
 正吉はカコ技師のそばからまだはなれない。
「もう地震はないね。月世界はすっかり冷えきって、死んでしまった遊星《ゆうせい》だから」
「じゃあ、強盗《ごうとう》でもあらわれるのですか」
「まさか強盗は出ないよ。いやしかし、強盗よりももっとすごい奴があらわれる心配がある」
「なんですか、そのすごい奴というのは……」
「それはね、われわれ地球人類でない、他の生物が月世界へやってくるといううわさがあるんだ。この前にも、ある探検隊員は、それらしい怪しい者の影をみて、びっくりして逃げて帰ったという話である。また、ある探検隊員は月世界で行方不明になったが、さいごに彼がいた地点では格闘《かくとう》したあとが残っている。またそこに落ちていた物がわれわれ人類の作ったものではないと思われる。そういうことから、他の遊星の生物がかなり、前から月世界へ来ているではないか。それなら、これから月世界へ行くには、よほど警戒しなくてはならないということになったのだ」
 カコ技師の話は、正吉をおどろかせた。この宇宙は、地球人類だけが、ひとりいばっていられる世界だと思っていたのに、それが今は夢として破れ去り、ほんとうは他の星の生物たちといっしょに住んでいる雑居《ざっきょ》世界だということが分りかけた。これはゆだんがならない。また、考えなおさなければならない。もしや宇宙戦争が始まるようになっては、たいへんである。
 正吉は、そんなことを考えていると、なんとなく気分がすぐれなくなった。カコ技師はすぐそれを見てとった。
「正吉君。いやにふさぎこんでしまったじゃないか。とにかく人間は、どんなときにも元気をなくしてしまってはおしまいだよ。そうそう、いま映画室でポパイだのミッキー・マウスの古い漫画映画をうつしているそうだから、行ってみて来たまえ。そして早く、にこにこ正ちゃんに戻りなさい」
 カコ技師にいわれて、正吉は、そのことばに従った。
 映画はおもしろくて、おなかをかかえて笑った。すぐそばに、正吉よりもっと大きな声で笑いつづける者がいた。よく見ると料理番のキンちゃんであった。
 映画がすむと、キンちゃんが、室内競技場へ行こうと、さそってくれた。正吉は、いっしょに行った。そこには非番の艇員たちが、声をあげて遊んでいた。正吉たちもその仲間にはいって、バスケットボールをしたり、ビール壜《びん》たおしをやったりした。そして時間のたつのが分らなくなった。
 カコ技師が、いつの間にか正吉のうしろに来ていて、声をかけた。
「例の偵察ロケットがね、さっきから月世界の表面に接触《せっしょく》したよ。あのロケットが送ってよこすテレビジョンが、いま操縦室の映写幕にうつっているから、見にこない」
「えっ、もう見えていますか。行きますとも」
 カコ技師について操縦室へはいっていくと、そこには本艇の主だった人々がみんな集っていた。そして副操縦席のうしろの椅子に腰をおろして計器番の上にはりだした映写幕にうつるテレビジョンを見ながら、意見を交換していた。
 映写幕の上には、大きな丸い環《かん》が、いくつもうつってそれがゆるやかに下から上へ動いていく。
「いま見えているのは知っているね。月の表面にある噴火口といわれるものさ」
「ああ、本で見たことがあります」
 正吉はカコ技師にもたれながら答えた。噴火口のまわりの壁は、ずいぶん高くそびえている。そして右側に、黒々とした影をひいている。
「映写幕の左上の隅のところにあるのがアポロニウスという噴火口だ。その下の方――つまり北のことだが、危難《きなん》の海という名のついた海のあとさ。ほら、だんだん大きな噴火口が下の方からあらわれてくる……」
 大きな噴火口があらわれては、消える。
 画面が急にかわった。映写幕の右の方に月の面《めん》が大きく弧線《こせん》をえがいてうつった。ここにはまたもっと大きい噴火口が集っている。
「さっきのと、ちがう別の偵察ロケットのテレビジョンに切りかえられたんだ。今うつっているのは月の南東部だ。まん中へんに見える細長い噴火口がシッカルトだ。直径が二百五十キロもある。壁の一番高いところは二千七百メートル。大きいだろう」
「すごいですね」
 白く光る月面を見ていると、なんだか身体がこまかくふるえてくるようだ。
「そのずっと左の方に有名なティヒヨ山が見える。高さは五千七百メートル。四方八方へ輝条《きじょう》というものが走っているのが見える」
「ぼくたちは、どこへ着陸するのですか」
「予定では、『雲の海』のあたりだ。そうだ、雲の海は、いま画面のまん中あたりの下の方にある。つまりティヒヨ山から北東の方向へ行ったところにある」
「すごいですね」
「こわくなりゃしない? こわければ上陸しないで、本艇に残っていていいんだよ」
「いいえ、ぼくはだんぜん上陸します。でないと月世界まで来た意味がありませんもの」


   ついに着陸


 偵察ロケットはだんだん高度を低くし、月面に近づいていった。そしてていねいにいく度もいく度も同じ地域の上空をとんだ。
「大丈夫のようです。別にかわったものを見かけませんから」
 そういって艇長の方を向いたのは、観測団長のカンノ博士だった。
「うむ。まず、大丈夫らしいね。では着陸の用意をさせよう」
 艇長はマイクを手にとりあげて、その用意方《よういかた》を全艇へつたえた。
「さあ、忙しくなったぞ」
 と、カンノ博士は正吉にしばらくの別れを告げて、操縦室から去った。
 着陸の用意は、二十四時間かかった。
 いまはカコ技師も、はればれとした顔つきになって、喫煙室《きつえんしつ》へ来て、煙草をうまそうに吸いながら、だれかれと話しあっている。
「こんどは装甲車《そうこうしゃ》を五台出動させることができる。だから上陸班は十分に活動ができると思う」
「装甲車というと、どんなものですか」
「一種の自動車さ。そしてガソリンではなく原子力エンジンで動く。それから外側が厚さ十センチの鋼板で全部包んである」
「じゃあ、戦車ですね」
「戦車は砲をつんでいる。これは砲はつんでいないから、戦車ではない。やはり、装甲車だ」
「なぜこんな乗物を使うんですか。敵がいるわけでもないのでしょう。なぜそんな厚い装甲がいるんですか」
「それはね、第一に隕石《いんせき》をふせぐために、これくらいの厚い装甲が必要なんだ」
「隕石というと、流れ星のことでしょう。あんなものはこわくないではありませんか。地上に落ちてくるのは、ほとんどないのですから」
「いや、ところがそうではない。地球の場合だと、空気の層があるから、隕石はそこを通りぬけるとき空気とすれ合って、ひどく高温度になり、多くは地上につかないうちに火となって燃えてしまう。しかし月世界には空気がないから隕石は燃えない。そのまま月の上へ落ちてくる。君たちの頭の上へこれが落ちて来たら、頭が割れて即死《そくし》だ。だからそんなことのないように装甲車に乗って上陸するんだ。分ったかね」
「なるほど。隕石に気をつけないと、あぶないですね。すると私たちは月世界の上を、この二本の足で歩かないのですか」
「歩くことも出来る」
「だって、隕石が上からとんで来て、大切な頭がぐしゃりとやられたんでは……」
「ひとりで歩く場合には鋼鉄《こうてつ》のかぶとをかぶって歩く。中くらいの隕石ではあたってもこのかぶとでふせぐことができる」
「ああ、そんなものも用意してあるんですね」
「そうだ。それに、本艇には隕石を警戒している隕石探知器というものがあって、隕石が降ってくると、千キロメートルの彼方で早くもそれを感知して電波で警報を発する。この警報はかぶとをかぶって歩いている連中にも受信できるようになっている。だからこの警報を聞いたら、大急ぎで、反対の側の山かげや地隙《ちげき》にかくれるとか、または本艇へかけもどって来れば、一そう安全だ。だから君たち、心配はいらないんだよ」
 カコ技師の話は、はじめて月世界へ行く連中を安心させるいい話だった。
 だが、月世界と地球とは、いろいろなところにおいて様子がたいへんかわっているので、まだまだ面くらうことがたくさんあるはずであった。
 やがていよいよ、月世界に着陸する時間が来た。
 艇は、いま向きをかえ、月面と平行にとんでいる。雲の海附近にかなり広い沙漠帯《さばくたい》があってそこが着陸に便利だと知れていた。
 その着陸コースに三度目にはいった時に、艇は前部からガスの逆噴射《ぎゃくふんしゃ》を開始し、だんだん速度をゆるめると共に浮力をつけた。そこらは操縦のお手ぎわだった。そしてついに見事に雲の海に着陸した。
 もし下手な着陸をやれば、月面に衝突して、たちまち艇は一個の火の塊《かたまり》となって、全員もろとも消えてなくなるであろう。
「よかった。おめでとう」
「艇長。おめでとう」
 艇内には、よろこびのことばが飛んだ。
 正吉は、さっきから窓によって、はじめて見る月世界の景色に魂《たましい》をうばわれている。
(ああ、ずいぶんすごいところだなあ。高い山、くらい影、木も草もない。これがほんとの死の世界だ。空はまっくらだ。あそこに輝いているのは太陽らしい。ここは雲の海だというが、水|一滴《いってき》ない。こんなところに一週間も暮したら、気がへんになって死にたくなるだろうなあ)
 だが正吉は、やがてこの死の国のような月世界で、ふしぎな者にめぐりあい、一大事件の中にまきこまれるなどとは、夢にも思っていなかった。


   空気服《くうきふく》


「全員空気服をつけよ」
 艇長からの命令が、各室へつたわった。
「さあ、空気服だ。かぶと虫[#「かぶと虫」に傍点]の化けものになるんだ。やっかいだな」
「やっかいだって。でも、空気ににげられちまって死ぬよりはましだろう」
「もちろん死ぬよりはましさ。だが、空気服はきゅうくつだから、ぼくはきらいさ」
 空気服というのは、身体のすっぽりはいる潜水服みたいなもので、あたまに潜水兜《せんすいかぶと》に似たかぶとをかぶる。しかし空気服についているかぶとは、前半分ほど透明だ。
 空気服の中には地球の上と同じほどの濃《こ》さの空気がはいっている。そしてたえず空気をきれいにし、不足の酸素を補給する。空気服は特製の人造ゴムまたは軽硬金属板《けいこうきんぞくばん》で出来ていて、外界と服の中とは、完全に気密――つまり空気が逃げる穴や隙間《すきま》がない。
 それからこの空気服は、かなりの圧力にたえるように、しっかりした材料で作られている。
 空気服の特長は、もっとある。月世界は非常に寒い。そこで空気服の中は、いつも摂氏《せっし》十八度に温められてある。
 まだ仕掛がある。空気のない月世界などでは、音を出すことができない。音は空気の波であるから、空気がなければ音は出ないわけだ。そうすると、人と人とは、声で話をすることができない。しかしおたがいに思うことを、相手に通ずることができないと困る。そこで空気服の附属品として無線電話機がとりつけてある。くわしくいうと極超短波《きょくちょうたんぱ》を使う無線電話機で、耳のところに小型の高声器《こうせいき》があり、のどの両脇にマイクロホンがあたっていて、空気服を着ている人は空気服の中で普通にしゃべれば、それがマイクロホンと器械を通じて電波となり、他の人々の器械に感じ、耳のそばの高声器から、ことばとして聞えるのであった。
 空気服には、この外に、かんたんな食事をとり、また水や牛乳やレモン水などをのむ仕掛が、かぶとの内側にとりつけてあり、その外いろいろおもしろい仕掛もあるが、くわしく話しているときりがないから、このへんにしておこう。
 そういう便利で重宝《ちょうほう》な空気服を、乗組員の全部がつけろという命令である。これは着陸のとき、万一艇が破損して、艇内の空気が外にもれてしまうようなことがあっても、この空気服を着ていれば平気でいられる。そればかりか、空気服をつけている者は、破損の箇所《かしょ》を応急修理するために活動ができる。だから空気服を全員につけさせるのだ。
 点検が行われた。空気服のつけ方が正しいか悪いかをしらべるのだ。もし悪い者があると、すぐつけ直す。そうしておいてやらないと、万一のとき空気服が役に立たない。艇長マルモ・ケンはすぐれた宇宙探検家であるからして、こういう大事なことに、深い注意を払《はら》うのだった。
 空気服点検もおわった。全員異状がない。
「着陸用意。全員|部署《ぶしょ》につけ」
 ロケットはだんだん高度を下げていった。一たん艇内にたたみこんであった翼を出し、これにも噴射ガスが月の面にあたって、反射してくるのをあて、一種の浮力《ふりょく》としてはたらかせる。その外にも、ガスを月の面《おもて》の前後に叩きつけて、スピードのかわるのを、人体にちょうどいい程度に調節する。
 それでも、かなりのスピードが出ていた。雲の海というところは、やや黒ずんだ沙漠であるが、それが艇の下を洪水のように流れていく。
 が、ついに艇は、月の面にふれた。とたんにガスの放出はとめられ、艇は滑走《かっそう》で前進する。艇の通りすぎるうしろには、もうもうと砂煙があがって、まるで艇が火災を起したようだ。
 やがて艇は停った。その下三分の一が、雲の海の砂にうずもれた状能で、停止した。
「やれやれ。無事着陸したぞ」
「えっ、無事着陸しましたか。月世界へついたんですね」
「もちろんのことさ。ほかのどこへ着陸するものかね」
「ああ、うれしい。さっそく地球にのこして来た家族へ電話をかけたいものだ」
「それは間もなく許されるだろう。その前に本艇が着陸した目的の仕事を片づけてしまわねばならない」
「その目的というのは、何ですね」
「今に分るよ。見ておいで」
 高級艇員と、こんど初めて月世界旅行について来た若い艇員との間に、こんな話がとりかわされている。
 正吉少年の姿[#「姿」は底本では「艇」と誤植]が見えない。
 いや、いや。装甲車が用意されているそばに、彼は立っていた。


   勝手がちがう話


「さあ、乗った」
 そういったのは、カンノ博士だった。観測班長だ。
 博士も正吉も、さっきまで着ていた空気服をぬいでいた。装甲車に乗る者は、それを着ないでいいのだ。もちろん用心のために持っているが、それは装甲車の中が、気密になっているからである。
 装甲車は、みんなで十台あった。一台をのこして、九台が出かけるように命令されている。正吉少年が乗りこんだ装甲車は、一号車であった。いよいよ出かけるときになって、隊長マルモ・ケン氏が乗りこんだ。この一号車長は、カンノ博士だった。
「出発」
 号令と共に、空気服を着ている艇員が、三重戸の一つを、電気の力であけた。空気がもれないように、戸のあわせ目が複雑な構造になっていた。一号車は中へ進む。すると次の戸があった。
 一の戸が閉まる。二の戸が開く。
 一号車は、またその中へはいる。すると三の戸につきあたりそうになった。
 その三の戸も、開かれた。その外は、まぶしい月世界の風景があった。
 一号車は、音もなく、外へゆらゆらと出て行く。そのあとに三の戸が閉った。
 一つの装甲車が外に出るまでに、このようなことが数回くりかえされる。
「どうだね、正吉君。月の世界は、あまり気持のいいところじゃなかろう」
 カンノ博士は正吉にいった。
 正吉は小窓から外を熱心にながめていたが、
「墓場《はかば》に日があたっているような風景ですね」
 と、いった。
「ははは。おもしろいことをいう。とにかく月世界には、空気が全《まった》くないから、かすむということがない。近くの景色も、遠方の景色も、どっちも同じにはっきり見えるんだ。だから景色にやわらか味というものがない。春雨《はるさめ》にかすむとか、朝霧《あさぎり》の中から舟が出てくるなどという風景は、この世界には見えない」
 なるほど、博士のいうとおりだ。
「先生、いまはなんですか、夜なんですか」
「君はどっちだと思う」
「それが今、分らなくなったんです。山脈がまぶしく輝いていますね。空はまっくらです。地球の満月の夜の景色に似ているけれど、空気のないところでは、どこでも空はまっくらなんでしょう。するとあのまぶしく光る山脈は、太陽の光で照らされているのか、それとも月の光で照らされているのか、どっちだか分らない……」
「待ちたまえ、正吉君。月の光で照《て》らされているというのは、へんだろう。だってここは月の上なんだからね」
「ああ、そうか。これはしくじった」
 と正吉は声をたてて笑った。
「月の光じゃなくて、地球の光というのが正しいですね。つまりわれわれが今いる月は、太陽か地球かに照らされてるんでしょう」
「そのとおりだ。そこでさっきのだが、今は昼なんだ。だから山脈をまぶしくしているのは太陽なんだ」
「えッ、やっぱりこれが月世界の昼間なんですか。へんてこですね」
 正吉には、いろいろと、めずらしく感ずることばかりだった。
 これは後の出来事であるが、正吉は太陽がさっぱり西の山へ沈まないので、ふしぎに思って、カンノ博士にきいた。すると博士は笑って、
「二十四時間待っても、太陽は西の山へは沈まないよ、月世界では二週間ぶっつづけに昼間なんだ。そして次の二週間が夜なんだ。夜はこわいぞ。ものすごくて、さびしいよ」
 と説明してきかせた。
 とにかく勝手がちがうことばかりだ。
 もう一つ、正吉が面くらった話をしよう。それは地球を見たのだ。地球は、地球で見る満月の十倍以上も大きい明るい球《きゅう》に見えたが、満月と同じ形ではなく、かたわれ月ぐらいのところだった。つまり一部分が、月のために影になっているのだ。
 その地球が、さっぱり動かないのであった。同じ方向の、同じ高さの中天に輝いていて、そこにいつまでもじっとしているのである。地球から見た月はよく動くから、月から見た地球もさぞ走るだろうと思ったが、そうでないのだ。
 ただ、満月――いや満地になったり、三日月――ではない三日地になったり、日に日に影の大ききがちがっていくだけだった。
「ふーン。どうも気がへんになりそうだ、しょうがない」
 正吉は、そういって、頭を抱《かか》えることが初めのうちはよくあった。
 料理番のキンちゃんと来たら、その理屈がさっぱりのみこめないので、正吉ほどにおどろいていなかったようである。
 こんな話は後の話だ。さて九台の装甲車は、みんなロケットの外に出た。
 無電の命令が伝えられる。
 と、一号車を先頭にして、九台の装甲車は月の上を走り出した。どこへ行くのであろうか。
 それはともかく、こうして走っていると、地球の、どこかの沙漠を夜、走っているのと大して気分がちがわない。


   意外な発見


 二時間ばかり走って、装甲車は停った。
 前に、ひどく高い山が見える。山頂《さんちょう》がきらきらと輝いている。
「どうするんですか。下りるんでしょうね」
 正吉がカンノ博士にきいた。
 同じ車に乗っている他の人たちの中には、空気服を着はじめた者もあるから、正吉は、ははあと察《さっ》したのである。
「下りることは下りるが、その前に隕石がとんでいないかどうかをレーダーで調べておく必要がある。今、あそこでやっているのが、そうだ」
 なるほど、通信員が、レーダーの電波の反射を見ている。
「あ、一つ来ますよ。すぐ近くまで落ちて来ています」
 と、その通信員がいった。
 そのことばが終るか終らないうちに、正吉は思いがけないものを見た。目の前の山の頂きが、とつぜんぱっと赤く光ったのである。
「あッ、隕石が山にぶつかった」
 カンノ博士の声。正吉は息をのんだ。
 隕石のぶつかった山頭から雪崩のように隕石が崩《くず》れ落ちるのが見えた。どれが隕石やら、月山のかけらやら見分けがつかない。
「まあ、よかった。ここへ落ちて来なくてよかった」
 カンノ博士は吐息《といき》をした。
 通信員がレーダー観測の結果を知らせて来た。
「隕石はもう見あたりません」
 もう大丈夫だ。カンノ博士はマルモ隊長にそれを報告した。
「作業班、出発用意」
 作業班の人々は、急いで空気服をつける。カンノ博士もマルモ隊長も、空気服をつけた。正吉少年もつけた。キンちゃんが正吉のそばへ来て笑う。
「人間がイカに化けたようだなあ。銀色の大イカだ。月の怪物があんたを見つけたら、これはごちそうさまといって、手足をむしって、ぱくぱくたべてしまうぜ。こわい」
 正吉はふんがいして、両手をキンちゃんの胴中《どうなか》へまわして、ぎゅうとしめつけた。
「あいたたたた」
 キンちゃんは、大げさに顔をしかめて、悲鳴をあげた。
「わる口をいうと、おみやげを持ってかえってやらないよ」
「えッ、お土産。ああ、そうか。坊や、いい子だからお土産うんと持って来てくんなよ。ウサギの子でもいいし、ウサギがついた餅でもいいからね」
 月の中にウサギが住んでいると思っている、キンちゃんだった。
 装甲車の戸があいた。マルモ隊長とカンノ博士のあとについて正吉は外に出た。
 はじめて月の表面に足をおろして歩くのであった。変な気持だった。身体がいやにかるく、今にもふわッと浮きあがりそうであった。そうでもあろう。ここでは重力が、地球の場合の六分の一なのだ。物の重さが六分の一に減ったように感じるのだ。
 徒歩の一行は十名ぐらいだった。
 そのあとへ六台の装甲車がついてくる。あと三台は、さっきのところに待っている。その中に正吉の乗っていた一号車もあった。
 一行は、山のすそを左の方へぐるっとまわっていった。よく見ると、道がついていた。かたい岩がけずられて、道跡になっている。その上に黒ずんだ三センチほどの厚さでたまっている。
 もちろん草も生えていなければ、虫が鳴いているわけでもない。自分の足音さえ聞えないのだ。
 ぐるっと山のふもとをまわりこむと、目の前に洞門《どうもん》があらわれた。
「ああ、あんなものがある」
 正吉はびっくりした。洞門の中から、がんじょうな鉄の扉も見える。月の世界にそんな建造物があろうとは思わなかった。
 そばへ近づくと、ますますおどろきは大きくなった。鉄の扉には、日本文字が、うす彫《ぼ》りで並んでいた。「新につぽん探検隊月世界倉庫第九号」
 こんなところに、探検隊の倉庫があったのか。いったい中には、何がはいっているのであろうか。
「おや、これはおかしいぞ。門の扉がこわれている。どうしたんだろう」
 カンノ博士の声が、電波にのって、正吉の受話器にもひびいた。なるほど、扉の下が大きくひんまげられて、犬くぐりよりもやや大きい三角形の穴があいている。一同はそばへ走りよったが、またつづいてカンノ博士の声。
「おや扉の中に、白骨死体《はっこつしたい》がある。誰だろう。こんなところで死んでいる人間は……」


   消《き》えうせた燃料《ねんりょう》


 なぞの人骨はそのままにしておいて、急ぐ方の仕事にとりかかった。
 鉄扉へ、装甲車の中にある発電機から、電気が通じられると、洞門の扉はぎいぎいと上へまきとられて、入口はあいた。
 四台の装甲車は、その中へはいっていった。カコ技師が若い技術員をさしずして、発電室で電気を起させた。間もなく内部には、あかるく電燈がついた。そして洞穴《どうけつ》利用の倉庫がどんなものか、はっきり見えた。
 正吉少年は、さっきから空気服に身をかため、カコ技師のうしろについて、あっちへ行ったり、こっちへ来たりしていたが、電燈がぱっとついたときに、「おお」とおどろきの声をあげた。
 じつに大仕掛の倉庫であった。まるで地底の大工場へ行ったような気がする。各種のエンジンの予備品が、数も知れないほどたくさん、ずらりと並んでいた。その部品も、番号札をつけて、棚《たな》という棚をうずめつくしている。
「ねえ、カコさん。なぜこんなに、たくさんの機械るいをたくわえておくのですか」
 正吉少年はたずねた。もちろん電波を使っての会話だ。
「それはね、宇宙探検の途中で、ロケットがこわれることがよくある。そのとき地球までひっかえすことができない場合もある。だから月の世界に、修理材料や、とりかえ用のエンジンなどをたくわえておけば、地球まではもどれない故障ロケットも月世界に不時着して、故障をなおすことができる。それでわれらの探検隊は、ここに倉庫をおいてあるのだ。ここだけじゃない、月世界には、みんなで十五箇所に倉庫を持っている」
 カコ技師は、そういって正吉に説明をした。なるほど、もっともなことだ。火星へ行き、また金星へとぶようなとき、この世界の月倉庫は、たいへん重大な役割をするわけである。これほどの行きとどいた注意と、用意がなければ、宇宙探検などという壮挙《そうきょ》は成功しないのだ。なんでもいいから、ロケットは宇宙探検に成功するというわけではないのだ。
「すると、わがマルモ探検隊の乗っているロケットも、ここで故障が起ったんですか」
「いや、故障ではない。われわれの場合は、燃料の一種とするための鉱物を、この倉庫においてあるので、それを取りに来たのだ」
「やっぱりウラニゥムみたいなものですか」
「まあ、そうだね」
「地球を出るときにつんで行けばよかったのに、どうしてそうしないのですか」
「地球には、そのルナビゥムという貴重な鉱物がすくないのだ。この月の中には、かなりうずもれていると思われる」
 ルナビゥムとカコ技師は、正吉のまだ耳にしたことのない鉱物の名をいった。
 ルナビゥムについて、正吉はもっと話を聞きたいと思ったが、そこへ四台の装甲車がしずしずとはいって来て、カコ技師がたいへん忙しくなったので、もう話しかけられなくなった。
 カコ技師は、次の部屋へ通ずるげんじゅうな扉を、一つ一つ開いていった。倉庫は奥の方までかなりたくさんの部屋がつながっているようであった。
 ほりだしたルナビゥムを貯蔵してある部屋は、一番奥の部屋であった。その部屋へ通ずる扉をカコ技師が開いて、中をのぞきこんだとき、彼は電気にかかったように、からだをふるわせた。
「おやッ、これはへんだぞ」
 彼がおどろいて棒立《ぼうだ》ちになっているところへ隊長のマルモ・ケンやカンノ博士などがはいって来た。
「ほう。これはどうしたのかな」
「ルナビゥムがないじゃありませんか。この前、あれだけ集めて、この部屋にいれておいたのに……」
 隊長とカンノ博士もびっくりぎょうてんした。カコ技師はそのことを誰より先に気がついて棒立ちになっていたわけだ。
「これは一体どうしたというのでしょう」
「困ったね。ルナビゥムがないと、探検をこれから先へ進めることができない」
「誰がぬすんでいったのでしょう」
「この部屋から盗むことは、まず不可能なんですがね」
「そうかもしれんが、山ほどつんであったルナビゥムが見えないんだから、ぬすまれたに違いなかろう」
「これはどうもゆだんがなりませんよ。さっきの人骨のことといい、洞内の扉がひん曲っていたことといい、今またこの部屋からルナビゥムがぬすまれていることといい、これはたしかにみんな関係のあることなんですよ」
 カンノ博士は、探偵のようなことを口走った。
 そのうしろについて、この場の様子を見入っていた正吉にも、これは重大事件であることがよく分った。
(月世界にもやっぱり、どろぼう[#「どろぼう」に傍点]やごうとう[#「ごうとう」に傍点]がいるのかなあ?)
 正吉はそう思ってため息をついたが、そのどろぼう[#「どろぼう」に傍点]やごうとう[#「ごうとう」に傍点]よりも、もっとすごい者がこの月世界にいて、この場を荒したことを知ったら、そんな軽いため息だけではすむまい。


   鉱脈《こうみゃく》へ前進


 さあ、ルナビゥムがぬすまれた今、どうしたら一番いいであろうか。
 そのことについて隊長は、幹部の人たちを集めて、その場で協議した。
「たいへんな仕事になりますが、ルナビゥムの鉱脈《こうみゃく》のあるところへ行って、もう一ぺん掘るんですなあ。なにしろルナビゥムがなくては、どうすることも出来ませんよ」
「その仕事は、なかなかこんなんだ。それに日数が相当かかるかもしれん。あまり日数がかかることは困る。こんどの探検は、残念だけれど一時中止として、地球へ引返すことにしたらどうでしょう」
 隊長は、この二つの案を聞いていて、どっちも正しいと思った。どっちになるか、それを決定することはむずかしい。
「待って下さい」
 とカンノ博士がいった。
「私は、それを決める前に、この事件の真相を調べるのがいいと思いますね。誰がそれをしたか、何のためにしたか、そして倉庫からぬすまれたルナビゥムは今どこにあるか。そういう事柄《ことがら》が分ったら、われわれが今の場合どうすればいいかということが、自然に分るでしょう」
「なるほど、もっともなことだ。しかしカンノ君。事件を調べるのにどの位の日数がいるだろうか。それが問題だ」
「それはやって見なければ分りませんが、私にこれから四時間をあたえて下さい。出来るだけのことをさぐってみます。装甲車を一台と四、五人を私にかしておいて下さい。そしてその間に他の装甲車でもって、ルナビゥムを掘りに行って下さい。私は四時間あとにそこへ追いつきますから……」
 カンノ博士は、つつましく、そういった。しかし博士は自信をもっているらしかった。
「では、そうしよう。人選をしたまえ、カンノ君」
 隊長が許した。
「ぼくを、その一人に採用して、ここへ残していって下さい」
 正吉は、まっさきに名乗りをあげた。
「なんだ、少年がここに残りたいのか。よろしい。正吉君は員数外だ。希望なら残ってよろしい」
 マルモ隊長は笑いながら、正吉の希望をいれた。
 カンノ博士は、そこで五人の人選をした。カコ技師の外は、大した腕のある者はいなかった。
 それが決って、隊長以下は三台の装甲車に乗り、いそいでこの倉庫第九号から出ていった。あとはカンノ博士ほか六名が残った。
「われわれは一時、探偵になったわけです。しっかり頭をはたらかせて、なぞを早くといて下さい。まず人骨の方から調べにかかりましょう」
 博士は倉庫の入口の方へ歩きだした。六名の者は、そのあとに従った。人骨はさっきのとおり洞門のそばに横たわっていた。風化《ふうか》して、ばらばらになっていた。しかし骨片の位置とその数からして、一人の人間の骨であることが誰にもよく分った。
「ねえ諸君。こういうことを、おかしいと思いませんか」
 とカンノ博士がすいり[#「すいり」に傍点]の糸口をほどきはじめた。
「この人骨は空気服もなんにも着ていないです。すると、行き倒れになった他の探検隊員だとは考えられないです。もしそうなら空気服ぐらいは、ちゃんとからだにつけているはずですからね」
「なるほど」
 他の隊員もあいづちをうった。
「するとこの人骨の主は、自分でこの洞門《どうもん》の扉をやぶり、中へはいってこの位置でぜつめいしたとは思われません。つまり何者かが、この人骨の主の死体をこの中へ投げこんでいったとしか考えられないのです。そうは思いませんか」
「いや、それにちがいないと思います。博士のすいりは、なかなかするどいですね」
「すると、何者がこんなことをしたか、扉をあのように曲げることも、ふつうの人力《じんりょく》ではできません」
 博士がことばをとめた。誰も意見をいう者がない。
「ぼくたち探検隊員をおどかすために、こんなことをしたのではないでしょうか」
 正吉少年がいった。そんな気がしたからである。
「おどかしのために……」
 博士も他の隊員も、正吉のことばに、びくっ、としたようである。
「そうかもしれない。月世界にはいろいろ、とうとい物がある。われらマルモ探検隊だけに独占させてはならないと思って、われわれを競争相手と考えている者もいるでしょう。その連中が、われわれに対してけいこくをこころみたのかな。それにしても人骨をほうりこんで行くとは、なんというやばんなやり方だろう」
 博士はそういってまゆをひそめた。


   かすかな人名《じんめい》


 正吉は、人骨《じんこつ》にもなれ、こわごわながら、そばへよって人骨をながめた。
「おや、ハンカチを持っているぞ、この人骨は……」
 骨は白く、ハンカチーフも白いので、今まで気がつかなかったが、ばらばらの人骨の下に一枚のハンカチーフが落ちていたのだ。
 この正吉の発見に、カンノ博士たちもおどろいてそばによった。そして博士は骨を横にのけて、ハンカチーフをひろいあげた。そしてひろげたり、裏がえしたりしていたが、
「あッ、ハンカチーフには、名前が書いてある。すみのあとがうすくなっているが、たしかにこれは名前だ」
 と、おどろいた様子。
「なんという名前ですか」
「待ちたまえ。ええと、モウリクマヒコと書いてあるらしい」
「えっ、モウリクマヒコですって、ちょっとそのハンカチーフを見せて下さい」
 そういったのは、正吉少年だった。
「さあ、よくごらんなさい」
 正吉はハンカチーフを見て、顔色をかえた。
「あ、これはぼくのおじさんのハンカチーフです。毛利久方彦《もうりくまひこ》といって、理学博士なんです」
「ああ、あの毛利博士。私も知っていますよ」
 とカンノ博士がいった。
「しかし博士は十四、五年前にどうしたわけか行方不明になったままで、その後|消息《しょうそく》を聞いたことはなかった、するともしや……」
 博士の声がかすれた。
「すると、この人骨はおじさんの骨なんでしょうか。おじさんは、たしか探検に出かけたまま帰らないといっていましたがこの月世界へ来ていたんですね。しかしおじさんは、なんというなさけない姿になったものでしょう。おじさん、おじさん」
 正吉は人骨のそばにひざまづいて、涙をぽろぽろと流した。
 これには、他の人たちもげんしゅくな気持におそわれて、もらい泣きをした。
 その中でカンノ博士はちらばった人骨をよせあつめ、頭蓋骨の骨片をハンカチーフの上にのせていたが、その手をとめて急に目をかがやかした。
「ちょっと、これはおかしいぞ」
「なにがおかしいのですか」
「この人骨はね、君のおじさんの毛利博士《もうりはかせ》ではないよ、安心したまえ」
「ええッ、どうして、そんなことが分るんですか」
 正吉は、ふしぎに思って、聞きかえした。
「ちゃんと分るんだ。この人骨は現代の日本人の骨ではない。ずっと古い昔の人骨だ。それも百年前ではない。すくなくとも五万年ぐらい前の人骨だ。骨の形で、そう判定ができるんだ。五万年前の人骨、どうだね。君のおじさんの毛利博士の骨でないことは証明されたろう」
「ははあ、そうですか」
 正吉をはじめ、聞いていた他の隊員も、ほっと、安心のため息をついた。
「すると、おじさんはまだ生きているのかな。おじさんのハンカチーフが月世界に落ちているとすれば、どこかこの近所におじさんがいるかもしれない」
 正吉は、新しい希望をつかんだような気がした。しかしそれは同時に、新しい心配の種でもあった。
 カンノ博士は、ほかのことを考えていた。
(なぞの人物は、なぜ五万年も前の古い人骨をもって来て、洞門の中に投げこんでいたのだろうか。それはどういう考えなんだろう)
 なぞは、その外にもあった。五万年まえの人骨がどうして手にはいったのであろうか。それからそれへと考えていくと、ぶきみなおもいに、背中がぞーツと寒くなって来る。
 カンノ博士は人骨問題はそれくらいにして、ルナビゥムを入れてあった倉庫をもう一度よく調べて、どこかに異常でもあるのではないか、それを発見したく思い、隊員たちに、奥へ行くことを命じた。
 が、そのときであった。とつぜん、外に待たせてあった装甲車が発した警報が、カンノ博士たちのところへ届いた。
「なんの警報」
 といぶかう折しも、警報信号が消えて、電波にのった運転手の声がひびいた。
「たいへんです。マルモ隊長など九台の装甲車が、トロイ谷のところで、かいぶつの一団にとりかこまれてしまって、危険におちいっているとの無電がはいりました。すぐこの装甲車へ帰って来て下さい」
 運転手の声は不安にふるえていた。
 正に一大事だ。ぐずぐずしてはいられない。カンノ博士は一同をひきいて、洞門の外へとび出した。外はまっ暗だった。黒いうるしでぬりつぶしたような暗黒の世界だ。急に夜のとびらが下りたものらしい。
 さて探検隊の前途には何があるのか。その恐ろしき怪物の一団とは何物の群であろうか。


   トロイ谷《だに》


 話は、すこし前にもどる。
 トロイ谷《だに》へ向ったのは、マルモ探検隊長のひきいる二十五名の隊員で、九台の装甲車にのっていた。けわしい岩山を、いくたびか上ったり下りたりして、隊員の幹部にはなじみの深いトロイ谷へついた。
 一同はしっかりと空気服をしめ直し、地上へ下りた。車の中からは、採掘具《さいくつぐ》がとりだされ、めいめいの手に一つずつ渡った。これは圧搾空気《あっさくくうき》ハンマーに似た形をしていたが、原子力で動くものであるから、長い耐圧管《たいあつかん》もなければ、ボンベもなく、構造はずっとかんたんになっていた。
 全く、原子力時代となった故《ゆえ》に、交通機関ばかりではなく、土木も建築も製造工業も、たいへん楽になってしまい、昔の人に聞かせたら、それはでたらめの夢だ、といって信じないであろうことが、今はごくかんたんにやりとげることができるのだ。
 一同は、早い時間のうちに、必要なだけのルナビゥムを掘り出す必要があったから、マルモ隊長までが、その原子力ハンマーを操《あやつ》って、ルナビゥムを掘りにかかった。
 さいわいに、この前掘った旧坑が、そのまま残っていて、ルナビゥム鉱は、青白く光っていたので、すぐに仕事にとりかかれた。全員は夢中になって働いた。
 それがよくなかった。
 こういう場合、やっぱり監視員を立たせておくのがよかったのだ。全員が掘っているため、彼らは自分たちの様子をうかがっている異様《いよう》ないでたちの一団がそば近くにいることに気がつかなかった。
 その異様ないでたちの一団は、トロイ谷を見下ろす峰々から、そっとマルモ隊を見まもっていた。
 彼らは、全身を甲虫のようなもので包んでいた。頭や両手、両足のあるところはマルモ隊の人々と同じであったがしかしそれは、マルモ隊員がつけている空気服みたいにすんなりとしたものでなく、わら人形のからだに鉄板《てっぱん》をうちつけたような感じのするものだった。そしてその鉄板は、横へ長いものが重なり合っていると見え、甲虫《かぶとむし》のからだのようであった。
 その頭部は、しいの実のように、大部分は円筒形であるが、上は、しいの実のようにとがっていた。そしてまん中あたりに、目の穴ではないかと思われるものが二つあった。
 それが目だとすると、狐《きつね》の目のようにつりあがっているといわなくてはならない。
 そういう異様ないでたちの一団が、みんなでかれこれ四、五十名も、峰々から下をうかがっているのであった。太陽の光が、彼らの頭やからだの側面を、くっきりと照らし出していた。
 とつぜんあたりが暗くなった。
 太陽が没《ぼっ》したのである。そして夜が来たのだ。
 月世界においては、空気がないために、地球上の日暮のように、じわじわ暗くなるようなことはなく、いきなり暗くなる。たそがれのうす明りなどというものはなく、いきなり闇がおとずれるのだ。
 日の暮れるのを、異様な一団は待っていたようである。暮れると同時に、異人《いじん》の中から一人が立ち上った。と、彼のからだがほたるいか[#「ほたるいか」に傍点]のように光った。全身に、光の点々があちらこちらにあらわれ、それが明滅《めいめつ》する。
 と、そのそばにいた他の異人が、またすっと立ち上って、全身をほたるいかのように光らせる。
 間もなく、異様な一団の全部が、みんな自分のからだを気味わるく光斑《こうはん》で明滅させるようになった。
 すると最初にからだを光らせた者が、急に光の明滅をとめた。そのかわり彼の首の下のところに、光の輪が出来た。それはもう明滅しない。彼は峰を越して、そろそろと下りはじめた。他の異人たちも、いつしか同じように、首の下だけに光の輪をこしらえ、頭目《とうもく》らしい者のあとについて斜面《しゃめん》を下っていった。彼らの動作は、いかついからだのわりに身がるに見えた。
 一方、マルモ探検隊の方は、急に日が暮れたものだから、一同はそれぞれ空気兜《くうきかぶと》のひたいのところにつけてある電燈をつけた。これがつくと、すぐ正面にあるものには光があたって、明るく見える。
 それから、九台の装甲車のヘッドライトを全部つけて、ルナビゥムの野天掘《のてんぼ》りの坑区を照らさせた。そして仕事をすすめたのであった。そこへとつぜん、どどどどとすごい地ひびきをさせてあらわれた異人の群だ。口もきかずに探検隊員めがけて組みついた。
「あッ何者だ」
「なにをするッ。あ、隊長。あやしい奴です」
「らんぼうするな、しかたがない。隊員はこっちへ固《かた》まれ。そしてらんぼうする相手に反抗しろ」
 マルモ隊長は、ついに争闘《そうとう》を命令した。
 このらんぼうなる異人の一団は、何者であろうか。


   大暗闘《だいあんとう》


 なにしろその異人《いじん》たちはなかなか力があって、マルモ探検隊員は圧迫されがちであった。その上に人数も相手の方が倍ぐらい多いのである。形勢はよくない。
 隊員たちは武器を持っていないわけでなかった。だがマルモ隊長は、それを使うことを命じなかった。隊長としては、出来るだけ平和的手段でもって事をかたづけたかったからである。だが、困ったことに、相手とはことばが通じない。電波を出して、
「もしもし、君たち、らんぼうは、よしたまえ。話があるなら聞きますよ」
 と呼びかけても、相手はさっぱり感じないのであった。
 その上、相手は力がある。マルモ隊長は、隊員を一つところにあつめて円陣《えんじん》をつくり、まわりからおどりかかって来る相手めがけて、そのへんにころがっている大きな岩石をなげつけさせた。そうして相手を近づけないようにするためだった。
 月世界の上では、同じ大きさに見える岩石《がんせき》でも、地球の上で感ずる重さの六分の一にしか感じない。だから大きな岩石を隊員はかるがると持ちあげて遠くまでなげとばすことが出来た。
 ところが異人たちは、それには閉口《へいこう》せず、遠まきにして目を光らかせ、すきをみては、とびこんで来た。岩石をなげつけられても、けがをして血を出すようでもなかった。
「ははあ、こっちが疲れるのを待っているのだな」
 マルモ隊長は、そう気がついて、どきんとした。なにしろ相手は、ますます活発《かっぱつ》にあばれてみせるのだった。
 そのうちに、相手の一部が、場所をかえて、装甲車の方へ近づいていった。
「あ、装甲車をうばわれては、たいへん」
 マルモ隊長はおどろいて、隊員の半分をさいて装甲車の方へ急行させた。
 その人たちは、装甲車の中にはいって、それを運転して走りだした。すると異人たちは、それを追いかけた。平地なら装甲車はどんどん走れるが、ここはトロイ谷《だに》である。道はでこぼこしている上、どっちへ走ってもすぐ崖《がけ》につきあたりそうになる。そうなるとスピードが出せない、いつの間にか装甲車の上に異人たちが三、四人ずつのって、天井をこわそうと、大きなこぶしをふりあげて、がんがんと叩く。そこを叩きわられてはたいへんだ。
 上にのっている異人たちを、銃でもって射ちおとしたいと思ったが、上にのっているのでは射ちようがない。おまけに夜の闇は深くて、相手の姿をしかと見つけるのも容易なことではなかった。
(これは手おくれとなったかな。もっと早く、武器をとって相手をおっぱらうのがよかったかな)
 隊長も、さすがに暗い気持ちになった。
 たしかに手おくれに見える。このままでは、一同は、異人群のために捕虜になるか、うち殺されるかのどっちかだ。
 ああ、重大なる危機来る!
 そのときだった。とつぜん異人たちがさわぎだした。装甲車の上にいた異人《いじん》が四人、五人、風にさらわれたように吹きとばされたのである。とまたつづいて四、五人が、下にもんどりうってつきおとされた。
「や、カンノ君が、かけつけてくれたぞ。カンノ君は機銃《きじゅう》で異人たちを射っているそうだ」
 マルモ隊長の受話器にも、他の隊員の受話器にも、カンノ博士の声がはいって来て、一同をはげました。
 カンノ博士と正吉少年と、その他に三名の隊員が、装甲車の上から、異人たちにもうれつな機銃の射撃をおくっていた。他の一人の隊員は、その装甲車を操縦した。ヘッドライトは消して近づいたので、異人たちは、ふいをくらった形だった。
 この機銃は、普通のように金属の弾丸を射ち出す機銃ではなかった。これに使っている弾丸は、銃口から射ち出されると同時に、その弾丸の中で摂氏五百度の熱を発生するようになっていた。しかもこの弾丸は、この熱の発生と共に弾丸の外側がぐにゃりとしたゴムのように軟化し、あたった物にぺったりと付着するのであった。そうして、叩き落とそうとしても離れないのだ。
 しかし二時間たてば、熱も消え、ぽろりと落ちる。――これは熱弾《ねつだん》というが、別に「お灸《きゅう》の弾丸」ともいわれるものであった。相手の生命をとるというほど危険なものでなく、二時間ばかり相手を熱さになやませるだけだ。つまりこの弾丸の命中したものは二時間お灸をすえられているようなもので、従って、力なんか出せない。この熱弾の中には、二種の薬品がはいっていて、発射されると同時にこの二つが作用して、あの高熱を発するようになっているのだ。
 そのような熱弾をくらった異人たちは、びっくり仰天。
「あっ、あつい、あつい」
「わあ、あつい。助けてくれ」
 とでもいうかのように、目を白黒、からだをゆがめて大地をころがり、どことも知れず、闇の中にみんな姿を消してしまった。


   月人《げつじん》の説


 マルモ隊長をはじめ、救われた人々は、大よろこびであった。
 カンノ博士や正吉たちをとりまいて、感謝のことばをおくった。
「あんなおもしろいことは、今までになかったですよ。あいつらは、今もなお、お灸《きゅう》をからだにくっつけて、『あつい、あつい』と悲鳴を挙げているんだと思うと、おかしくておかしくて……」
 そういって笑いこける正吉少年だった。
 みんなも笑った。
「熱弾が、こんなところで最初の手がらをたてようとは、思わなかったねえ」
 と、この熱弾機銃の発明者であるカンノ博士も、にやにや笑っていた。
「さあ、急いでここを引揚げよう。ああいう敵があると分ればぐずぐずしていられない。みんな急いで装甲車へ乗れ。そして急ぎ本艇へかえるのだ」
 マルモ隊長は、引揚げを号令した。
 掘りだしたルナビゥムは、必要量の三分の一にすぎなかったが、今はそれでがまんするほかなかった。一同は前のとおり装甲車に分乗し、急いでトロイ谷《だに》をはなれた。
 一号車の中で、マルモ隊長を中にして、カンノ博士などの幹部や正吉が、今日とつぜん現われた怪しい相手について、意見をのべあった。
「地球をくいつめた強盗団の一味ではないでしょうか」
「彼らはみんなばかに力が強かったですよ。そしてからだもずっと大きく見えた」
「すると何国人《なにこくじん》のギャングかな」
「いや、あれは、われわれの世界の人間ではないと思う」
 そういったのは、マルモ隊長だった。
「地球をくいつめた強盗団ではないとおっしゃるのですか」
「うん。早くいえば、月人だと思う。つまり月世界に住んでいる人間なんだ」
「それは、おかしいですね。月は死の世界で、冷《ひ》えきっています。そして空気もなければ水もない。それなのに、月の世界に住んでいる人間があるんですか」
 これは正吉の質問だった。
 すると、マルモ隊長は、にっこりとうなずいて、
「もっともだ。そういう疑問を持つのは。だがね、この死の世界と見える月にも、あんがい生物が住んでいられるかもしれない。実は今までわしは、月世界には生物なしという考えでいたので、今日まで問題にしていなかったが、今日ばかりは恐《おそ》れいったよ、カンノ君」
 マルモ隊長はカンノ博士を見で、微笑《びしょう》した。
「カンノ博士が、どうしたんですか」
 正吉が、たずねる。
「月世界に生物が住んでいられるかもしれないというのは、実にカンノ君のたてた説なんだよ。君、話してやりたまえ」
「はあ。それでは、かんたんに申しますが、元来月は、地球の一部がとび出して、この月となったのです。おそらく今太平洋があるところあたりから、抜けだしたのであろうといわれています。ことわっておきますが、これは私の説ではなく、昔から天文学者の研究で唱《とな》えられている学説の一つです」
 正吉はカンノ博士の、この奇抜な説に、ひじょうな興味をおこして、前にからだをのりだした。
「これから後が、私の説なんですが、しからば月が地球を離れるとき、動物も植物もいっしょに持っていったに違いない。そして条件さえ、よければ、月の上で、しばらくはその動物や植物が繁殖《はんしょく》し、繁茂《はんも》したに違いない」
「おもしろいなあ」
「そのうちに、月世界の上にある大異変が起って、だんだん冷却してきた。そこで動物や植物の多くは死んで行き、枯れていった。しかし動物の中で、文化の進んでいた者――つまり人間でしょうね、この人間たちは早くも身をまもることを考え、その仕事にとりかかった。どうしたか分からないが、その人間たちの子孫は今も月世界の中に住んでいると考えられないこともない。たとえば、地中深くもぐりこんで、地熱を利用して生活し、あるいはまた別に熱を起し、空気を作り、食物を作って相当高級な生活をしているのではあるまいかとも考えられる」
「でも、その頃の人間は、あまり文化が進んでいなかったのでしょう」
 正吉のねっしんな質問だ。
「いや、そうともいえない。五千年以前における人間の文化のことは、ほとんど知られていないが、それより以前に住んでいた人類がすばらしい文化を持っていたことが、方々から出る遺跡によって、ぼつぼつ知られはじめている。そういう古い文化民族は、ふしぎにもみんな全滅しているのが多いらしい。どういうわけで絶滅したのか。おそろしい流行病にやられたか、洪水や氷河期のような天災でやられたのか、とにかく何かのおそろしい事件のために絶滅したらしい。しかも、何度もこんなことが、別々の時代にくりかえされたらしい。それを思うと、この月世界の人間も、かなり高い文化を持っていたのではないかと思われる。だから月人は、ばかになりませんよ」
 カンノ博士のことばに、正吉は今までにない感動をおぼえた。月人は、きっと実在するのにちがいない。


   ハンカチーフの研究


 やっとのことで、装甲車隊は、宇宙艇「新月号」が待っているところへ帰りつくことができた。
「ああ、よく帰って来たね」
「ずいぶん心配していたよ。ここに残っている私たちは、ついに悲壮《ひそう》なる最後の決心をしたほどだ」
「いや、心配させてすまなかった。みんな、助かったよ。ありがとう。ありがとう」
 迎える者も迎えられる者も、ともに涙をうかべて、抱きあった。
 装甲車は、すぐさま宇宙艇の中に格納《かくのう》せられた。
 マルモ隊長は、厳重な見張をするように命令した。それは、例の月人たちが、いつ逆襲《ぎゃくしゅう》してくるか分からなかったからである。
 トロイ谷で掘って来たルナビゥムは、大切に倉庫へしまいこまれた。
「どうだい。今日|採《と》ってきたルナビゥムだけで、これから火星を廻って、地球へもどるのに十分だろうか」
 隊長は、機械長のカコ技師にきいた。
「とてもだめですね。どうしても、今日|採《と》ってきた量の三倍は入用《にゅうよう》ですね」
「あと、どれだけいるのか。それでは、明日もう一度トロイ谷へ行って掘ることにしよう」
「しかし隊長。トロイ谷へ行くことは、たいへん危険だと思いますが……」
「危険は分っている。しかし火星へ行くのをやめて、このまま地球へ引っ返すこともできないと、みんなはいうだろう」
「それはそうですね」
「そうだとすれば、われわれはもう一度危険をおかさなくてはならない」
「やっぱり、そういうことになりますかなあ。あの倉庫第九号に貯えておいたルナビゥムが盗まれないであれば、こんな苦労をしないですんだのですがね。あれを盗んだ犯人は、もう分かったのですか」
「カンノ君が調べていたんだが、その調べの途中で、僕たちがトロイ谷から救いをもとめたので、カンノ君は捜査《そうさ》をうち切って、われわれの方へかけつけたのだ。そういうわけだから、カンノ君はまだ犯人をつきとめていないだろう」
 隊長とカコ技師がそういって話をしているところへ、正吉がひょっくり顔を出した。
「あ、隊長。お願いです。ぼくをもう一度、倉庫第九号へ行かせて下さい」
「あぶないよ、それは。しかし、どうしてもう一度行きたくなったのか」
「ぼくは、おじさん毛利博士の最後を見とどけたいのです。あの倉庫をもっとよく探せば、おじのことが分かると思うのです。それにカンノ博士も、ぼくもいっしょに行ってもいいといっておられます」
「なに、カンノ君までが、そういうのか。みんな自分の生命をそまつにするから困る。もし一人がたおれると、その人だけの損ではなく、わが探検隊全体が弱くなるんだから、そこを考えて自重《じちょう》してもらわないと困る」
「はい」
 そういわれると、正吉はそれでも行かせてくださいとは、いいかねた。そして、しおれて、カンノ博士のところへ戻っていった。
 カンノ博士は、正吉の方へちらりと目をやっただけで、また机に向かった。
 机の上には、顕微鏡がある。それから化学実験用の道具が並んでいるが、これは四角い鞄の中にはいっていて、いつでもこれをしまって、鞄の形にして携帯できるようになっている。
 博士が顕微鏡を使ってのぞいているのは一枚のハンカチーフであった。これは倉庫第九号の入口のところで拾ったもので、五万年前の人骨が横たわる下にあったものだ。
「うん、よしよし。なるほどなあ」
 博士はひとりごとをいった。
 正吉は、何事だろうと、博士のそばへそっと寄《よ》っていった。すると博士は、気がついて正吉を手招きした。
「おい君、私は今一つ、発見したよ。このハンカチーフの主――つまり君のおじさんの毛利博士は、少なくとも今から三ヶ月前までは生きていたという事実が分かった。それはこのハンカチーフについている博士の身体からの分泌物《ぶんぴつぶつ》の蒸発変化度《じょうはつへんかど》から推定して今のようにいうことができるんだ。どうだね、この発見は君に何か元気を加えることにはならないだろうか」
「ああ、そうですか。しかし三ヶ月前まで生きていたことが分かっても、大したことではありませんね。今、生きているかどうか、それを知りたいです」
 正吉は、あまりうれしがらなかった。
「ふーン。君はこの発見を、その程度の値打にしか考えないのか。私なら、もっとよろこぶがなあ。つまり三ヶ月前に生きているものなら、今も生きているだろうとね。三ヶ月なんか、この月世界ではなんでもない短い期間だよ」
「そうでしようか。ぼくは、おじが現在生きている姿を見せてくれるまでは、うれしがらないでしょう」
「おやおう。だいぶんごきげんよろしくないようだ。そんなに悲観してしまっては困るね」
 せっかくカンノ博士がわざとそういったのだと思い、よろこぶ気になれなかったのである。


   迫《せま》る怪影《かいえい》


 警鈴《けいれい》が、この宇宙艇「新月号」の隅《すみ》から隅までに響きわたったのは、その直後のことであった。
「あッ、警鈴《けいれい》だ」
「なんだろう、今頃警鈴が鳴るなんて……」
 正吉もカンノ博士も、共に耳をそばだてて、警鈴の次に高声器からとび出してくるはずのアナウンスを待ちうけた。
「月人《げつじん》一名が本艇右舷の第三門口を破壊しようとかかっている――艇長命令。全員直ちに配置につけッ」
 さあ、たいへん。月人の来襲《らいしゅう》である。
 来襲した月人は、今のところたった一人だというが、ゆだんはならない。第一番に偵察者がやって来て、そのあとに雲霞《うんか》のようにおびただしい月人隊がおし寄せるのかもしれない。
 カンノ博士は、すぐ操縦室にとんでいった。正吉も、博士のあとについて、その室へはいったが、彼はテレビジョンの下へいって、月人を見ようとした。
 見える、見える、
 たしかに月人だ。トロイ谷で見かけたとおりの月人の姿をしたものが、第三門口を、拳《こぶし》でがんがん叩いている。カブト虫みたいな気味のわるい身体。上がとんがったのっぺらぼうの頭。その上に黄いろく光って見えるキツネのようにつりあがった二つの目。たしかに月人だ。
「早く撃ったがいい。艇をこわして、中へはいってこられたらたいへんだ」
「そうだ。やっつけた方がいい。トロイ谷で、きゃつらは勝ったように思っているのだ。こっぴどくやっつけてやるがいい。」
 隊員たちは、トロイ谷で月人からひどい目にあわされたので、今こそ月人をたおして、地球人の威力《いりょく》を見せるときだと、いきまいている。
 マルモ隊長の耳にも、隊員たちの声がはいった。しかし、彼はおちついたおだやかな人物であったから、一人の月人をここで倒すよりも、もっと外にいい方法はないものかと、もう一度考えた。
 そのときだった。正吉が隊長の腕に飛びついたのは。
「隊長さん。あの月人は、ぼくのおじの毛利博士だと思います。だから、手荒なことはしないようにして下さい。」
 正吉のことばは、隊長をおどろかすのに十分であった。
「なに、あれが毛利博士だって。それが、どうして君に分る。」
「そういう気がしてならないんです。それにああして戸を叩く格好が、おじに違いないと思うんです。中へいれた上で、よく調べることにしてください。」
「だが、もしほんとうの月人だったら、困ったことになるよ。そのとき君の立場がなくなるが、いいかね」
「ええ、いいですとも。ぼくは自分の責任をとります」
 正吉は思い切ったことをいった。
 それというのも、さっきカンノ博士の説明を聞いてからこっち、なんだかおじの毛利博士がまだ生きているような気がしてきたのだ。実はあのとき正吉は、カンノ博士の説をあまり信じないようなことは、いったものの。
「隊長。あの月人の姿をした者は、正吉がいうとおり、たしかにわれわれと同じ地球人ですよ。ああいう戸を叩く仕草は、地球人独特の仕草です。月人なら、あんなことはやらないでしょう。ですから、戸口を壊《こわ》して侵入するつもりなら、体当りするとか、すごい道具を持ってくるとか、もっと大げさなことをやると思いますよ」
 そういったのは、カンノ博士だった。博士はいつの間にか正吉のうしろに立っていたのだ。
「なるほど。よろしい。君たちの意見に従って、あの疑問の人物を、中にいれてみよう」
 隊長は、そこで命令を発した。
 命令が出たので、隊員は反対するのを即座《そくざ》にやめた。そして厳重警戒のもとに、戸口を開いて、かの疑問の月人を艇内にいれた。
 かの人物は、両手をあげて、よろめきながらはいって来た。そして急いで自分のかぶっていた兜《かぶと》をぬいだ
 ああ、その下から現われたのは、正しく地球人の顔だった。苦労にやつれた白髪《しらが》の老人の顔だった。
「あ、おじさん。ぼくです。正吉です」
 老人の方へかけだしていった少年こそ、もちろん正吉であった。


   事態は重大


 おそるべき敵と思ったのが、そうでなくて、なつかしい地球人だった。しかも探検家として尊《とうと》い経歴を持つ毛利博士だったのである。
 艇内は、恐怖よりとつぜん歓喜《かんき》に変わって、どっと歓声があがった。
「おお、ようこそ、毛利博士」
「ほう、やっぱりあんたじゃったか、マルモ君」
 毛利博士――これからはモウリ博士と書くことにしよう――そのモウリ博士とマルモ隊長とは手をとりあってふしぎな再会をよろこびあった。
「正吉までに会おうとは思わなかった。正吉をよく世話して下されて、お礼のことばもないですわい」
 モウリ博士は、正吉の顔を穴のあくほど見つめる。そうでもあろう。正吉を冷蔵球《れいぞうきゅう》の中に入れで日本アルプスの山中においたまま、約束の二十年後にその球を開いてやることも出来ず、今までそのままにしておいたのであるから、ここで正吉に会って博士がびっくりするのも無理ではない。
「正吉君との間には、積《つ》もる話があるでしょう。まあ、ゆっくりお話なさい」
 と、隊長はいった。
「いや、話は山ほどあるが、そんなことをしていられないのじゃ」
「と、おっしゃると何か――」
「重大事があるから、わしは危険をもかえりみず、老衰《ろうすい》した身体にむちうって駆《か》けつけてきたのですわい。そのことだ、そのことだ。マルモ君早くこの土地をはなれないと、月人の大集団が、この宇宙艇を襲撃して、全員みな殺しになるよ」
「それはどうして――」
「分っているじゃないか。月人たちはトロイ谷のことをたいへん恨《うら》みに思っている」
「いつ来襲するのでしょうか、月人たちは」
「今、さかんに武器や空気服をそろえにかかっている。あと二、三時間たてば、かならずここに押しかけてくるだろう」
「えっ、たった二、三時間しか、猶予《ゆうよ》がありませんか」
「二、三時間あれば、この月世界から離陸することはできるじゃろう」
「それはできますが、本艇はルナビゥムをもっとたくさん手にいれなくては予定の宇宙旅行ができないのです。実は倉庫第九号に、そのルナビゥムがかなり豊富に貯蔵してあったのですが、こんど来てみると、それがそっくり盗まれているのです。全く困りました」
「ああ、あの倉庫のルナビゥムのことか」
「おや。モウリ博士は、あの倉庫のことをご存じですかな」
「知っていますよ。あれも月人がやったことです。あとでくわしく話すが、あの倉庫のことを、たいへん気にしているのです。もちろんルナビゥムの用途《ようと》についても、彼らは勘《かん》づいていますのじゃ。そこで地球人を困らせようとして、あの倉庫にあったルナビゥムは全部ほかへはこんでしまった。」
「うーン、それは気がつかなかった。こっちのゆだんでした。で、どこへはこんでしまったのでしょうか、そのルナビゥムを――」
「その場所を教えてさしあげる。近いところじゃ。だから、あと二時間以内に、それを掘りだして、この艇内へはこびこみ、すぐ離陸したらいいじゃろうと思う」
「そのかくし場所はどこですか」
「それがね、おかしな話だが、この宇宙艇は正にそのルナビゥムを埋めてある地点の頂上に腰をすえているんじゃ。これでは月人が気をもんで早く襲撃して全滅してしまいたがっているわけも察しがつくでしょうが」
「ははん、それはおどろきましたな」
 モウリ博士が生命《いのち》をまとにして持ちこんでくれた土産《みやげ》ばなしはマルモ探検隊にとって非常に貴重《きちょう》なことがらだった。
 それにより、さっそく全員を動員して、すぐ真下を掘りはじめた。
 あった。出て来た。おびただしい貴重燃料のルナビゥム!
 莫大《ばくだい》な量にのぼるものだったが、それをわずか一時間あまりで、全部艇内に取りこむことができた。これだけあれば火星を訪問して、地球へ戻るには十分すぎる。マルモ隊長はじめ全隊員は、どのくらい心丈夫になったかしれない。
「おや、来たらしいぞ。あの地ひびきは、月人の大軍が近づく音にちがいない」
 モウリ博士は月世界に住みなれたせいで敏感《びんかん》だった。
 すわこそ、月人の大襲来だ。
 マルモ隊長は、急ぎ出発用意の命令を下した。全隊員は、ルナビゥム運搬《うんぱん》で疲れ切った身体を自ら叩きはげまして配置につき、死力をつくして急ぎ出発準備をととのえにかかる。これには、まだいささか時間が必要であった。
「用意よろし」の報告を待つマルモ隊長は、ついにそれを待かねて、探照灯の点火を命じた。
 青白い数條の光が、さっと巨艇からとび出した。その光が、でこぼこの月面を照しつけ、左右に掃《は》いた。おどろいたことに、どの光も、ものものしい月人部隊の進撃姿をいっぱいに捕えていた。
 その数は何十万とも知れぬ月の大軍だ。
「出発用意よろし」の報告は、まだマルモ隊長のところへはとどかない。そばに立っている正吉は、気が気でなかった。
 はたして月人の襲撃前に、わが「新月号」は月世界を離れることができるかどうか?


   アブラ虫競走


 マルモ探検隊員をのせて、ロケット新月号は今や大宇宙を矢よりも早く進む。
 暗黒の月世界をだんだんはなれ、その向こう側の昼の面が、大きな三日月の弧《こ》となって動きあがって来る。
 これからロケットは、いよいよ火星のあとをおいかけることになったのだ。
 ここ当分は、たいくつな航空がつづく。いかに希有燃料《きゆうねんりょう》ルナビゥムをたくさん使っても、火星においつくまでには、約三ヶ月の日数がかかる計算になっていた。
 乗組員たちは、今からたいくつになってはたいへんだと、たいくつをまぎらすための、いろいろな工夫をこらす。
 将棋のトーナメント競技を計画して、入会をすすめる者がある。
 卓上ベースボールのリーグ戦をするメンバーを募集してまわる者がある。
 おとなしいところでは、地球から放送されるテレビジョンによって、これから三ヶ月間に、編物講習を勉強しようと決心する者もあった。
 正吉少年が通路を歩いていると、料理番のキンちゃんに、ばったり出会った。キンちゃんとは、しばらく顔をあわせなかった。二人は別に働いていたからだ。そのキンちゃんはにこにこしている。
「キンちゃん、どうしたの。たいへんうれしそうだね」
 と、正吉が声をかけると、キンちゃんはいよいよ顔をくずしてげらげら笑い。
「うふッ。ちび旦那《だんな》。わしんところが、えらい人気なんですぜ」
 ちび旦那などと、キンちゃんは失敬なことをいう。が、なかなかごきげんよろしい。どうしたわけだろう。
「なにが大人気だというの」
「いや、実は、わしのところで、ちょっとした競走をはじめたんですがね。それが大繁昌《だいはんじょう》なんで。みなさんがどっとおしかけてきてね、部屋の中がぎゅうぎゅうで、たいへんなんですよ」
「どういうわけで?」
「どういうわけでといって、つまり、わしの考えだした競争に人気がすっかり集まってしまったんですよ」
「誰が競争するの」
「誰って、つまりアブラ虫ですよ」
「アブラ虫だって? アブラ虫かい」
 正吉は、おどろき、そしてあきれた。
 キンちゃんの方は、どうですといいたげに、にやにや笑って、
「食堂に出てくるアブラ虫を、大切にして飼っておいたのです。かなり大きいのがいますよ。横綱というのは、一番大きくて、腹が出っぱっているのです。そのかわり、競走させると案外おそいのでねえ」
「なんだって、アブラ虫なんか飼っておいたの」
「たいくつだからですよ。アブラ虫だって、生きてうごいていれば友だちのかわりになりますからねえ。それにバターをなめさせたり、ジャガイモをくわせたりしていると、アブラ虫もだんだんわしになついてくるんでね。そりゃとてもかわいいですよ」
 キンちゃんは目を細くして笑う。
 そのキンちゃんが、ぜひコック部屋へ見にきてくれというので、正吉はそのあとについてのぞきにいった。
 すると、部屋の外まで、人間のお尻がたくさんはみ出している。みんなアブラ虫競走に賭《か》けて夢中になっている連中だった。
 キンちゃんのかわりに、散髪夫《さんぱつふ》の虎《とら》さんというのが、ちゃんとアブラ虫を指揮して競走をやらせていた。経営者側のキンちゃんも虎さんも、だいぶんもうかっているらしい。しかし、かんじんのアブラ虫は、そうたびたびは競走をくりかえさない。つまり競走をするのも、バターやジャガイモをなめに行くためであるから、一回なめると腹がふくれる。二度目、三度目といううちに、すっかりたべあきてしまって、ゴールのところでバターがにおっても、あぶら虫はかけださないのだ。
「ねえ、ちび旦那。あんた一つ、あぶら虫を飼って、数をふやす係をやってくれませんか。そうしたら、うんと手当を払いますぜ」
 キンちゃんは、大まじめでそんなことを正吉に申し入れた。
 正吉は、アブラ虫にくいつかれたことがあって、アブラ虫はきらいだからと、キンちゃんにことわりをいった。


   月人《げつじん》の秘密


 それから正吉は、艇長室へいった。
 そこではマルモ隊長をはじめ、カンノ博士やスミレ女史、それからカコ技師もあつまっていた。
 もう一人、モウリ博士の白髪頭《しらがあたま》が交《まじ》っていた。博士は、さっきまで寝ていたはず。ここへ出てきたのは、疲れが直ったからであろう。思いのほか元気な老博士だった。
 みんなは、モウリ博士の話に熱心に聞き入っている。
「おお、正吉か。ここへおかけ」
 博士は、にこにこと正吉の方へ笑顔を見せて、すぐそばの椅子を動かした。
「今、みなさんに、月人の話をしていたところじゃ。お前も話が分かるなら、聞いていなさい。きっと参考になるからねえ」
 そういって老博士は、またみんなの方を向いて、手をふり顔をふりして、月人のふしぎな生活について語りだした。
「月人は、月の表面に、たくさんの出入口を作っている。そこから中へはいりこむと、もちろんそれはトンネルのようになっているんだが、斜《なな》めに掘ってある。左右は階段になっているが、まん中はよく滑《すべ》るように、磨《みが》いた岩石の舗道《ほどう》になっている。つまり、これが子供の遊び場にある『おすべり』と同じ作用をするのだ。滑《すべ》って、早く下へ行けるように考えてあるのじゃ。月人は、なかなか工夫をするのが上手だ」
 そこで老博士は、正吉の方へふりかえった。正吉が熱心に聞いているのをたしかめると、にっこり笑って、また顔を正面に向け直した。
「滑《すべ》り下りると、そこには一つの関所《せきじょ》がある。重い回転扉のはまった球形《きゅうけい》の大きい洞穴《どうけつ》みたいな部屋だ。つまりこの部屋は、空気の関所だ。それより奥は、空気が濃《こ》いのだ、手前の方は空気が薄い。その境界《きょうかい》になるのが、この回転扉だ。そこでこの回転扉をまわして中へはいると、その奥には、またもや下へ下りるトンネルがある。構造は、さっきのトンネルと同じことで、まん中のところは『おすべり』ができるようになっており、両側には階段がついている。なかなか大仕掛《おおじかけ》だ」
「すると月人は、土木工事に優秀な腕前を持っていると見えますね」
「そうだよ。わしもたしかにそれを認める。月人は、あの寒冷《かんれい》で空気のない地面を持っている月世界に、自分たちの生命をつなぐためには、土木工事に上達しないわけにはいかなくなったんだ。つまり、月人は、土地を掘って、地中へ、地中へ、と下りていったんだよ。表面は寒冷でも中はずっと暖かいからね。それに、空気は月の表面からとび散ってしまったが、地中にはいくらかそれが残っていたのだ。だから月人は、地中深く姿を消し、そしてその子孫が今もなお生命をつないでいるんだ。全くけなげ[#「けなげ」に傍点]な連中だ」
 モウリ博士は、力をこめて、そういった。月人を恐怖する博士も、これまでに月人がたどった運命と、忍耐《にんたい》づよい努力とには、同情し、敬意をもっているのだった。
「でも、おじさん。そればかりの空気ではたくさんの月人が暮らしていけないでしょう」
 正吉は、そういった。
「いや実際、地中にもぐってみると、案外に空気のたまっているところがたくさんあったのだ。もちろん、そのとき地中にもぐった月人の総数はそんなにたくさんではなかったらしい。数千の集落のうちのいくつかが、地中にもぐりこむことに成功したのだそうだ」
「すると、月世界の空気はある時機になって、急に月の表面から消えてしまったのですか」
「そうなんだ。どうしてそんなことが起ったかというと、そのとき、月のごく近くを、かなり大きい彗星《すいせい》がすれちがった。そのとき月の表面へ、はげしく彗星の一部分が衝突した。そのとき、たくさんの月人が死んだ。彗星が去った。そのときに、月世界の表面から空気がなくなったという話だ。これは月人が子孫にいいつたえている、いわゆる伝説なんだ。だが、これはたしかにほんとうのことらしく思われる」
 モウリ博士の話は、いよいよ奇怪味を増してくる。
「月人は、今いろいろな方法でもって、地中で空気を製造している。われわれ地球人が、水道の栓《せん》をひねって、水を出してのむように、月人たちは、自分の家――それはもちろん地下の穴倉式《あなぐらしき》のものなんだが、そこに住んでいて、部屋にひいてある管から、必要のときに空気を出して吸って生きている。そしてさっき話したように、空気が割れ目などを通って地面の外へにげることをおそれ、地表と地中との交通路は、空気をなるべく洩《も》らさないように、厳重な仕掛かりでふせいである」
「なるほど。それでさっきのトンネルや回転扉の話とつづくんですね」
 一座は感動して、みんな溜息《ためいき》をついた。有名な探検隊長として知られているマルモ・ケンさえ、モウリ老博士がしたほどの深い月人の秘密については、今まで知らなかったのだ。
「そうだ。さっき話したトンネルと回転扉の数珠《じゅず》つなぎだ。第一の回転扉の次に、またトンネルがあり、その先に、また第二の回転扉があるという風に、少なくとも第五の回転扉を経《へ》なければ、月人の居住区へは達しないのだ。わたしは、その居住区に永い間暮していたんだ」
「おお、モウリ博士」
「月人は空気をあまりに大切にするあまり、月世界の表面へ出ることも、たいへんいやがる。だから、知能は、われら地球人間よりもすぐれているところがあるし、地球にない貴重な資源を豊富に持っているのに、彼らは一台の飛行機さえ持っていないんだ。だからこのロケットが、月世界を離れて飛びだしさえすれば、あとは月人に追いかけられて危険な目にあうというようなことはないわけだ」
「ああ、そうですか。それを聞いて、たいへん安心しました」
 マルモ隊長も、はじめてにっこり笑った。


   見え出した火星


 火星へ、火星へ――
 ずんずんとロケット新月号は、大宇宙を進んで行く。
 月世界を離れたとき、火星への距離はだいたい七千万キロだった。
 三ヶ月ほどの進空《しんくう》ののち、火星に達する計算であるが、そのときは火星が地球や月に対して一番近くなっているときで、火星と地球との距離は五千六百万キロほどになっているはずだった。
 だから月世界を離れたロケット新月号は、当時の火星の距離七千万キロを飛ばなくてもすむのだった。つまり三ヶ月のうちに、火星の方が自分でこっちへ近づいてくれるから、それだけ新月号の方では行程《こうてい》を短縮《たんしゅく》することができるわけだった。
 貴重なる資源ルナビゥムを積みこむことが出来たので、新月号のスピードは予定のとおりにあがり、火星へ達《へ》する日も、予定日を狂わないだろうと思われた。
 万事が好調にいっている。
 一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、次の第三ヶ月目にはいった。
 新月号と地球との間には、たえず通信が交換されており、テレビジョンも受けたり、こっちから送ったりしていた。だが、この退屈《たいくつ》で平穏《へいおん》な暗黒《あんこく》の空の旅は、地球の方ではあまり歓迎しなかった。
 それにひきかえ、乗組員たちは、地球からの通信やラジオ放送やテレビジョンを、出来るだけ多く受信して、聞いたり見たりしたがった。むりもないことであった。もうほんとうに、いつも同じ新月号の中に起き伏しし、窓から外をのぞけば、いつも同じようにまっくらな空にダイヤモンドをちりばめたように星が光っているのであった。全くこの単調な生活には、どんな辛抱づよい人間でも、がまんがならなくなるのだ。
 そのころ、この唯一《ゆいつ》の、そして最も大きな慰《なぐさ》めである通信がどうも今までのように、工合よくはこばなくなった。
 通信局の連中は、ようやく仕事の種が発生したので、退屈からのがれると、大よろこびであった。
 だが、通信の不調の原因は、よく分からなかった。これが地球の上なら、磁気嵐《じきあらし》のせいであるとか、デリンジャー現象だとかいえる種類の不調だったが、こんな宇宙の一角で、そうした原因でこんな不調が起るはずはなかった。
「これは重大だ。ひょっとすると、一大|椿事発生《ちんじはっせい》の先触《さきぶれ》かもしれない。みなさん、ゆだんなく気をつけて下さい」
 通信局長のスミレ女史は、とうとう全局員に対し、警戒を命じた。
 計算によると、あと二週間で、火星に達するあたりまで、新月号は近づいた。
 火星の姿が、地球から見る満月《まんげつ》の倍くらいの大きさに見えるようになった。
 しかし、火星の輪郭《りんかく》も、ぼんやりとしている。全体が赤橙《だいだい》色にぬられていて、なんだかうす汚い。黒緑色の線が、網《あみ》をかぶったように走りまわっているのも見える。極のところには白冠《はくかん》が、ひときわ明るく光っている。
 まちがいなく火星は、指呼《しこ》の間に見えているのだった。
 艇長室では、幹部の間に、火星のうわさがとび交《か》っている。
「モウリ博士。あなたは火星へ行かれたことがありますか」
「いや、こんどがはじめてですよ。しかしかねがね行ってみたくて、研究はしていましたよ。火星は、実に興味の深い星ですね」
「そうですとも。昔からさわがれ、そして今も一番人気のある星ですね」
「マルモさん。あなたは、火星へ何回ぐらい行ったんですかい」
「行ったというと、上陸したという意味ですか。それなら、二回だけです。そして、どっちの場合も大失敗でした。上陸する間もなく、生命からがら離陸しなくてはなりませんでした。火星は全く苦手《にがて》です」
「あんたでも、そうなのかね。これは意外だ」
「だから今度は、どうしてもうまく上陸して、火星人とも十分に話し合いたいと思います」
「火星人と話し合う。ふーん、そうかね」
 モウリ博士は、大きく目をむいた。


   宇宙塵《うちゅうじん》


「通信がさっぱりだめになったんですって」
 正吉は、そのうわさを聞くと、心配になって無電室へ行き局長のスミレ女史《じょし》にあって様子をたずねた。
「ええ、その原因が分かりましたから、もう安心しています」
 スミレ局長は朗《ほが》らかにいった。
「すると、通信能力はもう前のように回復したんですか」
「さっぱりだめなのよ」
 通信がうまくできないのに、朗らかに笑っているスミレ局長の気持ちが、正吉にはよくのみこめなかった。
「それじゃ困るですね」
「でも仕方がないのよ。あたしたちの力ではどうにもならないことなんです。火星のまわりには、宇宙塵《うちゅうじん》がたくさんあつまっている層があるんです。本艇はいまその中を抜けているから、電波が宇宙塵にじゃまをされて、通信がうまくいかないのです」
 局長の説明で、正吉は「なるほど、そんなことか」と、はじめて分かった。
「宇宙塵て、正吉さんは知っているでしょう」
「宇宙にたまっている塵《ちり》のことでしょう」
「そんなことをおっしゃるようでは、本当にご存じないようね。いったい、どんな塵だと思っていらっしゃるの」
「さあ」
 正吉はそこまでたずねられると返答に困った。
「宇宙の塵というんだから、つまり宇宙旅行中に遭難してこわれたロケット艇なんかの破片や、その中からとび出した人間の死骸《しがい》や机や、イスや、そんなものが塵みたいになっているのを指していうのでしょう」
「いいえ、ちがいますわ。宇宙塵というのは宇宙をとんでいる星のかけらのことです。つまり隕石《いんせき》も宇宙をとんでいるときは宇宙塵といえるわけです」
「ああ、そうか。なるほど宇宙の塵ですね」
「火星のまわりをとりまいている宇宙塵は、隕石の集まりではなく、大昔に火星のまわりをまわっていた火星の衛星の一つがこわれたものだともいわれ、また、そうではなくて、いまのところその宇宙塵はどうしてできたかその原因は分からないのだともいわれます。とにかく火星のまわりを無数の星のかけらが包んでいるものにちがいありません。そういうものがあると、電波は宇宙塵に吸いとられてしまって、達しにくくなるのです」
「ああ、やっと通信の調子のわるいわけが、ぼくに分りました」
「そして、宇宙塵のあるかぎり通信がうまくいかないわけですね」
「そうです。だから、火星は、地球人とちがって、電波を利用することがあまり上手でないかもしれませんね」
 正吉とスミレ女史がこうして話をしていたとき、ガーンとだしぬけに大きな音がした。それと同時に、ロケット艇はばらばらになるのではないかと思うほど、ひどく震動《しんどう》し、そして正吉もスミレ女史も床の上にたたきつけられた。室内の器具で、ひっくりかえったものは数をしらず、機械の間から花火は出、警報ベルは鳴りだすというえらいさわぎであった。そして停電になった。
「あ、痛い」
「な、なんでしょう」
 電気が来た。それと同時に高声器が大きく鳴りだした。
「火災が起った。中部倉庫だ。必要配置員を残して、全員は中部消火区へ集まれ」
 さあ、たいへんだ。
 宇宙をとんでいる間に火災を起したくらい不安な出来ごとはない。なぜそんな火災を出したのか。
 正吉は、どこの部屋の必要配置員でもなかったから、すぐに中部消火区へかけつけなくてはならなかった。でも、あまり不安が大きかったので、かけだす前にスミレ女史にたずねた。
「どうして火事なんか、ひき起したのでしょうか」
「それはきっと、大きな宇宙塵が本艇の中部倉庫の付近へ衝突《しょうとつ》して、中部倉庫にしまってあった燃料が発火したのでしょう」
 女史は、そう答えた。
「へえーツ。そんな大きな宇宙塵があるのですか」
「大きさが富士山くらいある宇宙塵は決して少なくないと、今まで知られています」
「富士山くらいですか。そんな大きなものも、塵《ちり》とよぶのですか」
「宇宙の塵だから、大きいのですよ」
「そんな大きな塵にぶっつかられたら、本艇《ほんてい》なんかひとたまりもなくこわれてしまうじゃありませんか」
「そうですとも。幸いにも、さっき本艇に衝突したのは、小さい岩くらいのものだったのでしょう。あ、信号灯がついた。わたしをよび出しています。めんどうな仕事がはじまるのでしょう。あなたも早く、消火区へ行ってお働きなさい」
 スミレ女史は正吉にそういって、受話器を頭にかけた。


   火星に着陸


 正吉は、中部消火区へ急いだ。
 もうみんな集まっていた。
 なるほど燃料倉庫の一つから、ものすごく火をふきだしている。
 きいてみると、やっぱりスミレ女史のいったとおり、宇宙塵のでかいやつが衝突して発火したのだという。
「火事は消せますか。本艇は爆発しませんか」
 正吉は心配のあまり、消火区長として指揮をとっているトモダ学士にたずねた。
「火事はなんとか片づくと思うがね。しかし困ったのは宇宙塵が本艇にぶつかって横腹《よこっぱら》へあけた大穴の始末だ。そこからどんどん艇内の空気がもれてしまうんだ。そうなると本艇が貯えている酸素をどんどん放出しなくてはならない。困ったよ」
 トモダ学士は、頭を左右にふる。
「このへんに気密扉《きみつとびら》があるでしょう。その扉をおろして、空気が外へもれないようにしたらいいでしょう」
 正吉は、意見をのべた。気密扉というのは艇内が小さな区画《くかく》に分かれていて、その境《さかい》のところに、下りるようになっている扉だ。それを下ろすと空気は通わない。だから気密扉を下ろして空気が外へもれることは防げるわけだと、正吉は考えたのだ。
「それは正しい考えだ。しかしねえ正吉君、不幸なことに、さっきの宇宙扉の衝突で、こっち例の気密扉を下ろすモーターの配線が切断《せつだん》してしまってね、かんじんの気密扉が下りなくなったのだよ」
 どこまで運がわるいのだろうと、正吉は失望した。しかしよく考えてみる。それは運がわるいのではなくて、そういう場合も考えにいれてこのロケット宇宙艇の設計をしておかねばならなかったのではなかろうか。つまり設計の不完全だ。失敗だ。いく隻《せき》もロケット宇宙艇をこしらえても、完全なそれをこしらえ上げるには、技師たちはまだ勉強をしなくてはならないのだろう。ことに、机のうえで頭をひねるだけではなく宇宙旅行の経験をつんだマルモ・ケン氏のような人から、実地の話をよく聞いて、それを土台にして設計をしないと完全なものは出来ない。
 乗組員の煙の中をくぐっての一生けんめいな努力によって、モーターの配線が、あたらしく張られた。それで気密扉が下りるようになった。
 それが下りると、火災の方もやや下火となった。しかしまだときどき小爆発をするので安心はならなかった。
 幸いにも、火星への距離はいよいよ近くなり、着陸まではまず持ちこたえられることが分かって乗組員たちの顔も大分明るくなった。
 ロケット宇宙艇新月号が、火星に着陸したのは、月世界をとびだしてから、ちょうど三ヶ月と二日目だった。火災のために到着がすこしくるって遅くなったが、だいたい予定どおりであった。
 着陸のときは、まだ火災は消え切っていないし、宇宙塵にやられてこわれた部分はそのままであったから、はたして無事に着陸できるかと案じられた。
 だが万事うまくいった。艇の下側から、着陸用のソリがひきだされる。そして火星の表面に着陸地帯として、もってこいの平らな砂漠《さばく》を探しあてると、一気にそれへまい下ったのであった。
 新月号が火星のふしぎな巨木《きょぼく》の林を横にながめながら、まっ白い砂漠の上に砂煙をうしろへまきあげつつ着陸したところは、実に壮観であった。
 月世界へ着陸したときの感じと、こんど火星へ着陸したときの感じとでは、たいへんちがう。
 月世界は空気のない冷たい死の世界、氷の国であった。火星はそうではない。すくないながら空気もある。温かくもある。死の世界ではなく、形こそ怪異《かいい》であるが、植物も繁茂《はんも》している。
 また、どこかに火星人がすんでいるとも考えられる。火星の方が月世界よりも、ずっと住みよい。
 そういうことが、探検隊員たちをほっとさせたが。
 マルモ隊長は、着陸と同時に乗組員総がかりで、火災を完全に消すことを命じた。なるほど、まだ重大な仕事が残っていたのだ。乗組員の多数は、艇外《ていがい》へとび出して宇宙塵に損傷《そんしょう》した穴の方から消火につとめた。このとき彼らは、やはり空気かぶとをかぶらなくてはならなかった。そのわけは、火星の表面には、月世界とはちがって空気はあるけれどもその空気はたいへん、き薄《はく》であるから、人間はやはり酸素を自分で補給しないと息ぐるしくて平気ではいられないのであった。だが、例のいかめしい空気服は着なくてもよかった。空気かぶとは、頭にすっぽりとはいる円筒形のもので、肩のところで、ぴったりと身体についていた。そして空気かぶとの大部分は、透明な有機《ゆうき》ガラスでできていたから、すこしはなれて見ると、そういうかぶとをかぶっているのかいないのか、区別がつかないほどだった。この中へ送りこむ酸素タンクは背中にとりつけてあった。
 艇外へ出た作業員たちは、みんな火星がはじめてであったから、火星の引力になれていなかった。そのために彼らは、意外な失敗をくりかえした。つまり、火星では重力が地球の重力の三分の一しかない。だから一メートル高くとびあがるつもりでとびあがると、それより三倍高く三メートル上まで身体があがってしまうのだ。これは愉快なことでもあったが、同時によけいなこぶ[#「こぶ」に傍点]をこしらえる原因ともなった。
 火災は完全に消えた。マルモ隊長は、それにつづいて、損傷した穴の修理作業に、すぐ取りかかることを命じた。隊員たちは休みなしに働かなくてはならなかった。そうであろう。ここで損傷個所をそのままにしておいたら、どんな突発事故によって、さあ火星から離陸だといったときに、たいへん困る。だから火災が消えたら、こんどは何をおいても、艇に穴のあいた個所を修理しておかねばならないのであった。


   林の中の怪《かい》


 正吉とキンちゃんとが火星の砂漠の上に立って、空気かぶとを両方からよせあって、なにかしきりに話をしている。
 二人とも、専門技術者ではないので、本艇の修理には役に立たない。だからいまちょっとひまなわけである。
 ちょっと二人の話を、聞いてみよう。
「ねえ、ちょいと。あっしといっしょに、あそこまで行って下さいな。いいじゃないかね」
 キンちゃんが正吉にねだっている。
「いってやっでもいいが、そんな気味のわるい林のところへいって、なにをするつもりだい」
 正吉が、うしろの巨木の林をさしていう、その巨木は、地球の木とはちがい、ぼそぼそしたやわらかい下等な植物のように見えた。それはどことなくスギナやシダるいに似ていた。しかもその幹はたいへん太いものがあって、人間が四、五人手をつないでも抱ききれないほどのものもあった。キンちゃんは、その木のそばへ行ってみたいというのだ。
「あっしゃね、あの木が、料理をすれば、けっこう食べられるように思うんだ。ちょいとそれを調べてみたくてね。もし、うまく火星料理ができたら、第一番にお前さんに食べさせてあげるよ。だから、ちょっと行って下さい」
「ひとりで行くのは、こわいのかい」
「こわいことはないさ。しかし気味がわるいんでね」
「じゃあやっぱりこわいんじゃないか。おかしいなあ、大人のくせに」
 正吉はキンちゃんについて、林の方へ歩いていった。ほんとうは、正吉も気味がわるくてしかたがない。
「ねえ。あっしゃどういうわけか、身体がふわふわしてしょうがないんだがね」
「それは重力が小さい関係だよ」
「そうですかねえ。なんだか水の中を歩いているような気がするよ。さっき、石につまずいてひっくりかえったが、そのときね、からだはふわッと地面へあたりやがるんだ。ちっとも痛かないんだから、妙《みょう》てけりんだ」
「地球の上なら、さっそく鼻血を出したところだろうね」
「おっと、さあ来たよ。なるほど、この大木め、いやにぶかぶかしているよ。これなら料理すれば食えるね。すこし切って持っていこう」
 キンちゃんは、小刀《こがたな》をだして巨木の幹《みき》を切り取ったり、枝や葉を切り落したりして、料理に使うだけのものを集めだした。正吉は、それを見ているのには退屈して、林の中へどんどんはいっていった。すると、池のふちへ出た。池というよりは、沼地といった方がいいかもしれない。それは正吉にとって、めずらしい風景だった。
 巨木が重なりあって生えている。池のふちには、きみょうな形の葉がはえしげっている。水はどんよりと赤い。その水の中に、何か泳いでいる。小さな魚のようでもあり、そうでなく両棲類《りょうせいるい》か爬虫頚《はちゅうるい》のようでもある。それがモの下から出たりはいったりしている。
「おやッ」
 正吉は、とつぜん声をあげた。彼はあやしい大きな魚を見つけたのである。大きさは正吉ぐらいある魚が、大きな頭を他の中からぬっともたげたのである。二つのぎょろぎょろ目玉。ほっそりした肩には、うろこが光っていた。肩のそばに左右に生えているヒレをぶるぶるとふるわせると、大きな口をあいて、正吉の方をにらんだ。口の中は、まっ赤であった。
 こんどは正吉の方がぶるぶるッとふるえて、その場に立ちすくんだ。いったいその奇魚《きぎょ》はなんであったろうか。


   にらむ怪魚《かいぎょ》


 正吉のおどろきの声に、こんどはキンちゃんがおどろいてうしろの林の中からかけつけた。
「どうしたい、ちびだんな」
「しいッ」
 正吉は、キンちゃんにさわぐなと知らせた。
「ええッ。気味のわるいことだ」
 と、キンちゃんは、どろ棒ネコのように腰を低くし、草むらを分けてそろそろと正吉の方へ近づいた。
 キンちゃんの声が大きかったので、池の水面から顔を出していた奇妙な魚がびっくりして、どぶんと波紋《はもん》をのこして沈んでしまったのだ。
 その話を、正吉は、そばへ来たキンちゃんに話してやった。
「ええッ、大きな魚だって、そいつはめずらしいから、つりあげていって、焼くか煮るかして食ぜんへ出してみたい」
 キンちゃんは料理人だから、すぐそんなことを考える。しかし正吉はいった。
「ぼくはその魚料理はたべないよ」
「なぜだね」
「だって、気持のわるいほど大きくて、いやにこっちをぎょろぎょろ見る魚なんだもの。あんな魚の肉をたべると、きっと毒にあたるかもしれない」
「ははあ、毒魚《どくぎょ》だというのだね。よろしい。毒魚か毒魚でないかはこのキンちゃんが一目見りゃ、ちゃんとあててしまうんだ。こんど出て来たら、すぐあっしに知らせるんだよ」
「しいッ。また、水面から顔を出すようだ」
 しずかだった水面に、今はあちこちに、小さな波紋が見えている。いや、それは波紋ではなく、あの奇妙な魚が水面に自分の目を出して、岸にいる正吉たちの様子をうかがっているのだと分かった。
「しずかにしているんだよ。怪物どもがすっかり姿をあらわして、図々《ずうずう》しくなるまで、ぼくたちは石の像のようにしずかにしているんだよ」
 と、正吉はキンちゃんにくりかえし注意をあたえた。
 正吉の予想はあたった。
 その奇魚どもは間もなく水面に、大きな顔を出した。それは、正吉たちが見なれている魚のようにとがった顔をしていないで、こぶのような丸味をもっていた。そしてとび出した二つのぐりぐり目玉が、しきりに動いた。
「ふーン。あれでも魚かしらん」
 と、キンちゃんは、思わずうなった。
「それは魚にちがいないさ。水の中にすんでいるんだもの。そして、ほらひれ[#「ひれ」に傍点]みたいなものがあるし、顔だって魚に属する顔付きじゃないか」
 正吉が、ひそひそとささやいた。
「そうかなあ。しかし、あの魚はたべられそうもないよ。毒魚じゃないにしても、肉の味がとてもまずいにちがいない。がっかりだい」
 キンちゃんは、たべられないと判定した。
「そうれ、ごらんな。だが、キンちゃん。もっと辛抱して、あの魚どもがどうするか、見ているんだよ。たべないにしても、一ぴきぐらいはつっていこう。おみやげになるからね」
 怪魚は、だんだん姿をあらわしていった。水面からよほど身体をのりだした。なんとなくそれは、その怪物が胸から肩の方まで出したように思われた。しかしその怪魚の身体の下部はどれくらい長いのか、どんな形になっているのか分からないので、胸までのり出したように思うだけであった。
 そのうちに怪魚の数がふえた。二、三十ぴきにふえた。しかもその怪魚たちは、上半身《じょうはんしん》を水面からのりだしたまま、一ヶ所に集まってきた。そして、ひゅうひゅうというような奇妙な声をあげ、たがいに首をねじまげ、顔をくっつけあいする。
「あの魚は、声を出すよ。ああ気味が悪い」
 キンちゃんは、正吉にしがみつく。
「声を出すだけではないよ。あれは、話をしあっているんだよ」
「えッ。話をしあうって。魚と魚と話ができるのかい。いやあ、たいへんだ、いよいよお化け魚ときまった。とてもたべられるしろものじゃない」
 キンちゃんは青くなった。
「あの様子を見ると、あの怪魚はぼくらの知っている魚よりも、ずっと高等動物にちがいない。ほら、あの怪魚たちは[#「たちは」は底本では「たちに」と誤植]、さっきからぼくらのいるのを知っているんだよ。だから怪魚たちはスクラムをくんで、じわじわとこっちへ近づいて来る」
「なに、こっちへ近づいて来るって。それはたいへんだ。逃げよう」
「なあに、大丈夫。怪魚たちは、ぼくたちとなにか話をしたいのかもしれない」
「とんでもないことだ、ちびだんな。あっしゃあんなお化け魚にくい殺されるのはいやだ。なんでもいいから逃げよう。さあ逃げるよ」
 キンちゃんは正吉の手をひっぱって、無理やりに逃げだした。キンちゃんは大力《だいりき》だったから正吉はいっしょに退却《たいきゃく》する外なかった。
 池の水面からは、怪魚たちがおたがいの肩へのっていよいよのびあがりながら、逃げていく正吉とキンちゃんの方を熱心に見送っていた。


   水棲魚人《すいせいぎょじん》


「たいへんだ、たいへんだ。むこうの池の中に、お化け魚がうじゃうじゃいるんだ」
 キンちゃんは宇宙艇のところへかけこむと、大声をたててさわぎだした。
 このさわぎに、マルモ隊長以下が、何事だろうと思って出て来た。
 正吉は、さっき見て来た池の中の怪魚について、くわしく話をした。
「なるほど。それは重大発見だ」とマルモ隊長がいった。
「火星には、植物は生《は》えているが、動物はいないという学者もあるが、君たちは、火星に動物のいることを発見したんだ。お手柄だ」
「ところがですね、隊長。その魚はじつにへんてこりんの形をしているんですよ。そして魚にしては、気味《きみ》のわるいほど、じろじろとこっちを見るのです。ですから、あの怪魚は、地球の魚よりも頭脳が発達していると思うんです。
 しかしぼくは、あんな魚よりも、火星人にあいたいのです。隊長さん。火星人探検には、いつお出かけになりますか」
 正吉は、思っていることを、ぶちまけた。
「火星にわれわれ人間以上の高等な生物が住んでいるというのは、伝説にすぎないのではないかね。ねえ、カンノ君」
 マルモ隊長は、かたわらのカンノ博士をふりかえった。
「そうです。私もそう思います。たとえ火星人というものが住んでいるにせよ、われわれ地球人類よりは下等なものであろうと思いますね」
 カンノ博士は神秘《しんぴ》な火星人説を信じないと明言《めいげん》した。
「おやおや、それでは、せっかく火星人と仲よしになって握手しようと思って来たのに、がっかりしちまったなあ」
 正吉は、ほんとにがっかりした。するとカンノ博士が、正吉を元気づけるようにいった。
「しかし君がさっき見た他の中の怪魚は、たいへん興味がある生物だ。おそらくそれが、火星に住んでいる一番高等な生物ではないかと思うね。先年ガーナー博士がテレビジョン装置をつんだ無人ロケットを飛ばし、火星の上空から三週間観測したが、そのときの報告に、「水中にやや高等なる動物がいるらしい。注意を要する」と書いてある。火星の生物については、ガーナー博士はこのことだけを記している。だから君たちの発見した怪魚はよほど値打《ねうち》のあるものだ。私たちも準備をしておいたものがあるから、それを持って、池のところへ行ってみよう」
「ぼくも連れていって下さい」
「もちろん、案内に立ってもらいましょう」
 それからしばらくして、カンノ博士はスミレ女史と連れ立って、艇内から携帯式《けいたいしき》の無電装置のようなものを背負って出てきた。正吉は目を丸くして、それは何をする機械かとたずねた。
「この装置でもって、例の怪魚のことばや、頭脳の働きを記録してくるんだ。これをあとで分析研究して、怪魚がどんな程度の能力《のうりょく》を持った生物であるか、また、さらに分かれば、その怪魚たちは、どんなことを考えていたか、どんなことをしゃべっていたかなど調べてくるのだ」
「ははあ。それはおもしろいですね」
「ああ、そうだ」
 とカンノ博士は、忘れていたことを思い出したらしく、手をうった。
「正吉君。例の怪魚のごきげんをとるために、なにか彼らの喜びそうな食べ物をもっていってやる必要がある。何がいいかね」
「ああ。怪魚にやるごちそうのことですね。それならキンちゃんにまかせるのが一番いいですよ」
 キンちゃんが呼ばれた。そしてカンノ博士の話が伝えられた。キンちゃんは、
「おっと、そのことなら合点《がってん》だ。あっしにすっかりまかせておきなさい」
 キンちゃんは、それから料理部屋へかけこむと、バックにいっぱい食べ物をつめて、提《さ》げて出て来た。
 そこで一行は、例の池へ出かけた。
 正吉とキンちゃんの組と、カンノ博士とスミレ女史との組に分れ、仕事にかかった。正吉とキンちゃんとは、おそるおそる池のそばへ近よって、怪魚《かいぎょ》のごきげんをとりむすぶのであった。キンちゃんの持って来た食べ物は、怪魚たちをよろこばせた。ことに、ソーダ、クラッカーは、怪魚たちをよろこばせた。ソーダ、クラッカーをなげるたびに、数百ぴきの怪魚たちは水面から宙にはねあがり、落ちてくるクラッカーを途中で自分の口に入れようと争った。そのときに初めて怪魚の全身を見ることができた。それは、じつに怪奇というかグロテスクというか、すさまじい格好《かっこう》と色合《いろあい》のものであった。全長は一メートルよりすこし長いくらいで太短かい。上半身は大きいが、下半身が発達していない。皮膚の色はうす桃色と緑色とのまだらで、腹部は白かった。上下一対ずつの四つのヒレがよく働き、まだ身体のわりに小さい丸い尾ヒレはプロペラのように動いた。
 このふしぎな魚に対し、カンノ博士は「水棲魚人《すいせいぎょじん》」という名をつけた。
 正吉たちが、水棲魚人ともみあっている間に、カンノ博士とスミレ女史は、装置を草むらにすえ、脳波と音波の集録《しゅうろく》をした。


   光る円筒《えんとう》


 カンノ博士とスミレ女史は、集録してきた水棲魚人のことばと脳波の分析研究のため、艇内の実験室に引きこもった。
 複雑な装置を働かせ、めんどうな分析をつづけていった結果ついに博士たちは、予定していた以上の収穫を得た。
 ちょうど、正吉が、その部屋へはいったときは、輝かしい結果が出た直《す》ぐあとだったので、カンノ博士とスミレ女史は、疲れ切った顔に、興奮の色を浮かべながら、正吉にこの研究の成功を話した。
「水棲魚人のことばが、分ったんだ。水棲魚人の脳の働きも分った。やっぱり、水棲魚人は、普通の魚ではなく、高等生物だということが分った。おそらくこの水棲魚人こそ『火星人』の正体であろう。つまり、火星では、あの水棲魚人が一番高級な生物だということになる」
「じゃあ、あの怪魚は、地球でいうと、人類の位置を占めているわけですね」
「そうだ。そしてあの水棲魚人は、やがて水中から陸上へはいあがり、陸で暮らすようになるんだと思う。それから、空を飛ぶことも上手になるんではないかと思う。なにしろ火星は重力が小さいから、飛ぶということはわりあい楽にできるんだ。とにかく進化論の筆法《ひっぽう》でもって、これから水棲魚人が進化発達した姿を想像すると、われわれ人間に似た身体に翼《つばさ》を生やしたようなものになるのではないかと思う」
「おもしろいですね。それは、今から何年のちのことでしょうか」
「さあ、どのくらいあとのことか。早くて二十万年かな、いやもっとだ。三十万年もかかるかもしれない」
「すると、ずいぶん先のことですね。しかし火星に地球人類がどしどし来て、文化を移していくことでしょうから、水棲魚人も、早くかしこくなるでしょうね」
「まあ、そうだろうね」
「でも、地球人類は、常に火星魚人よりかしこいのだから、火星や火星人は、結局わが地球や地球人類の保護をうけて行くことになるんでしょうね」
「それもそうだと思うね。地球人類は火星を植民地とすることだろう。そしてどんどん地球文化を植えつけて、火星の文化水準をできるだけ向上させる必要があるね。火星や火星の生物たちは、地球と地球人類のおかげで、たいへんとくをするわけだ」
「火星には、地球人類よりもえらい生物がすんでいるといううわさがあったので、胸をどきどきさせて火星へ着陸したんですが、もうこのようなことが分ってみると、ぼくたちは不安からのがれたけれど、気がゆるんでしまって、すこしがっかりしましたね」
「ははは、お気の毒さまだったね。それはそれとして、私たちは、火星魚人と話が出来る機械を急いで設計し、それをつくりあげて役に立てたいと思う」
「えッ、火星魚人と話のできる機械ですって。それはすばらしいなあ。いつになったら、それは出来上りますか」
「早くても一週間はかかるだろうね」
「もっと早く出来るといいんだがなあ、ぼくも手伝わせて下さい」
「よしよし。手伝ってもらいましょう」
 正吉にはあと一週間が待どおしくて、仕方がなかった。
 ところが、その一週間がたたないうちに、思いがけないことが起った。
 というのは、それから四日目の夜のこと、大空に何とも知れず大怪音がひびきわたった。ごうごうというあらし[#「あらし」に傍点]に似てもっとすごいひびきだった。空気はひどく震動し、やがては地ひびきまで起った。
 マルモ探検隊員の多くは起き出して、戸外《こがい》を見た。その怪音の正体は、目に見えた。それは空から落ちてくる「光る円筒」であった。それは天空から無数に落ちて来て、今マルモ探検隊が宿営《しゅくえい》しているとことから二キロばかりはなれた地点に落下した。おどろいたことには、その「光る円筒」は地面の上に、規則正しい角度でずぶりずぶりと突きささり、そして見る見るうちに、竹でこしらえた垣のような形となった。
「なんだろう、あれは……」
「ふしぎな。宇宙艇でもないし、いったいなんだろう」
 そういっているうちに、あとから落ちてくる「光る円筒」は垣みたいなものの一段上に規則正しく並びだした。さらにまたその上に積みあげられたようになっていって、やがて「光る円筒」でもって、巨大な塔が出来た。すばらしい建築だ。あのすばらしい力を、だれが支配しているのであろう。とても、われわれには出来そうもないことだ。カンノ博士もスミレ女史もすっかり青ざめて、無言で「光る円筒」のはなれ業《わざ》をじっと見つめている。


   ぼう|然自失《ぜんじしつ》


 カンノ博士の顔色が変わった。
 スミレ女史も、息をつめて光る怪塔の方へ、大きな両眼をくぎづけにしている。
 探検隊長のマルモ・ケンだけは、さすがに探検の場かずをふんでにやにや笑いながら怪塔を見まもっている。
「隊長。私は夢を見ているんではないでしょうね」
 マルモ・ケンのところへ、よろよろとよろけて走ったのはカコ技師だった。
「夢じゃないよ。カコ君、しっかり目を開いて、よく見ておくんだな」
「隊長。いったい、あれはなんですか。何事があそこで起りつつあるんですか」
 カコ技師は、かん高い声を隊長にぶっつける。
「わしには分らない。わしよりも、君の方が専門じゃないか」
「なんとおっしゃいます」
「宇宙弾《うちゅうだん》――といったようなものではないかね。とにかく、この火星の外から飛んで来たものにちがいない」
「宇宙弾といいますと、どんなものですか」
「おいおい、わしに聞くのはだめだよ。それよりも君の専門の眼でもって。あれをよく観察した上で、早くわしに報告してもらいたいな」
 宇宙弾の説明を、マルモ隊長は、それ以上しないで、笑いにまぎらせた。カコ技師は、ようやく気がおちついてくるのをおぼえた。
(そうだ。技術者たるものが、こんな場合にあわてるのははずかしい。よろしい。あれはなんだか正体を見やぶってやろう)
 彼は、双眼鏡《そうがんきょう》をとりあげ、光る怪塔へぴったりとつけた。
 正吉とキンちゃんが、肩をならべて、光る怪塔をぽかんとながめている。
「あれあれ、すごいぞ、また一段高くなった」
「カン詰の塔みたいだよ。あの中に、なにがはいっているのかしらん」
 光の塔は、だんだん高くなる。次々に円柱《えんちゅう》のようなものが落下して来て、すでにつみあげられた塔の上につきたち、塔をだんだん高くしていくのであった。
 正吉には、塔がだんだん上へのびあがっていくのがふしぎで、おもしろかったし、キンちゃんは、あの円筒の中に何がはいっているのか気になった。
「いよいよ、これは奇怪至極《きかいしごく》じゃ」
 二人のうしろで、老人の声がした。正吉がふりかえってみると伯父のモウリ博士であった。正吉は、いいときに伯父がそばに来てくれたので、よろこんだ。
「おじさん。あのすばらしい塔は、なんですか。何を火星人がこしらえているんですか」
 正吉は、知りたいことをモウリ博士にたずねた。
 すると博士は、首をちょっとかしげて、
「火星人といえば、例の水棲魚人のことだ。あれが火星で一番かしこい生物だという話だから、そうなると、水棲魚人の力で、あんなりっぱな塔が建つとは思われないね」
「じゃあ、あれを建てているのは何者ですか」
「さあ、それが分かれば、みんな分かるんだが、何者の仕業か見当がつかない。しかし人間業《にんげんわざ》とは思われないね」
「それでは、だれなんでしょうか。火星人でもなく、人間でもないとすると、いったい何者ですか」
「そばへ行って、よく調べてみないと、はっきりしたことは分からないが、ひょっとすると他の星から飛んできた生物の群れかもしれないね」
「ええっ、他の星から飛んできた生物ですって。そんな生物がいるんですか」
「いないと断言《だんげん》はできない。現にわしは月世界の生物を発見しとる。火星の生物は、水棲魚人という幼稚な生物にしても、他の星には、もっと高等な生物がすんでいて、それが火星へ飛来《ひらい》したのかもしれないね」
「地球と火星のほかに、生物のすめる星があるんですか。あれば金星ぐらいのもので、土星だの水星だの、海王星や天王星や冥王星《めいおうせい》なんか、生物がすんでいない星だということを、本で読んだことがありますねえ」
「わしが、さっき考えたのは、そういうわが太陽系の遊星に住んでいる生物のことではないのだ。もっと遠いところに住んでいる生物じゃないかと思うんだ。知ってのとおり、この大宇宙にはわが太陽と同じようなものが何億もあって、そのまわりには、わが地球や火星と同じような遊星がぐるぐるまわっているのが、ずいぶんたくさんあると推定されている。その中には、生物が住んでいる星がもちろんあるはずだ。そしてその生物が人間のようにかしこいものもあればまた人間以上にかしこいのもあろう。そういうかしこい生物は、人間が想像することのできないほど大|仕掛《じかけ》の仕事をやってのけるだろう、と思うね」
「あっ、そうか。するとおじさんは、あの光る怪塔をこしらえているのは、わが太陽系以外の星に住んでいて、人間よりもずっとかしこい生物だというんですね」
「いや、わしはまだそこまで、はっきり断定《だんてい》してないよ。とにかく、もっとそばへいって、よく調べた上でないと、なんともいえないが、そういうことも、頭の片すみにおぼえておくといいね」
「えらいことになったぞ」
 と、キンちゃんが、目をまるくして、ため息をついた。


   つのる恐怖


 光る怪塔はピラミッド型に十五階まで出来てようやくおさまった。
 おそろしさをしばらくおあずけにしておくと、まことに見事な建築物に見えた。
 マルモ探検隊では、基地に双眼鏡や望遠鏡をすえて、一秒といえども、怪塔から監視の目をはなさなかった。
 カコ技師などは、すぐにも怪塔のところへ近づいて調査をしたがった。しかしマルモ隊長は、それをゆるさなかった。
「もうすこし遠くから様子を見てからのことにしないと、危険だ。君たちは、われわれの宇宙旅行に必要な人なんだから、そういう危険が考えられるとき、行くのはやめてもらいたい」
 隊長は、そういった。
 これには、カンノ博士とスミレ女史の進言《しんげん》が、一つの力になっていた。
 この二人の科学技術者は、光る怪塔に対して、強い警戒心をおこしていた。とにかく、探検隊の一大危機が来たと考えるのが正しいと、マルモ隊長にいったほどだ。
 そのために、マルモ隊長は、宇宙艇がいつでもこの火星から離陸し、宇宙へとびだすことができる用意をして、待機《たいき》していることを命じた。
「あの怪塔の中から、何者が出てくるか、それが問題の別れ目です」
 とカンノ博士はいう。
「いままで観察して来たところによれば、あのような怪塔をあのような方法で組み立てるというのは、人類に近い生物でないと出来ないことです。そして、人類よりもずっと高級な生物にちがいありません。われわれよりも、すこしでも高級であるならわれわれは非常に不利な立場におかれるわけで、これからは怪塔の主に、あたまをおさえられていなくてはならんですからねえ。こんなところへ来て、われわれが捕虜《ほりょ》か奴隷《どれい》のようになるのはいやなことです」
「わたくしは、あの怪塔が、急に大爆発を起すのではないかと思いますの」
 とスミレ女史が語る。
「なんのための爆発かといいますと、火星の地質をしらべるためだと思います。あれを発射した者は、遠くから爆発のおこったときにどんな色の火が出るか、どのくらいの時間燃えるかなどと、いろんなことを観測しようと思って、用意しているんだと思いますわ。もちろんそれは、やがて彼らが、この火星へ移住して来るための準備作業だと思いますわ」
「なんとかして、一刻も早く、相手の正体をたしかめる方法はないものかなあ」
 マルモ隊長は、隊員をひきいている責任上、そのことを知りたいのだった。危険ならば、一刻も早く隊員をまとめてこの火星を去ることにしたい。あの怪塔を探検して、こんどの宇宙旅行のおみやげをふやしたい。
「そうだ。いいことがあります」
 とカンノ博士が、目をかがやかした。
「いいこととは、なにかね」
「隊長。あの水棲魚人と問答をしてみたいと思います。つまり、水棲魚人は、あのような怪塔をはじめて見たかどうか、それをきいてみましょう。たびたび、あんなものが落下して来たのならそれがどんな仕掛のものであるか、どんなことをするものであるか。それが知れると思います」
「それは名案だ。さっそくきいてみるがいいが、そんなことが出来るのかね」
「それはできます。私とスミレ女史《じょし》とで、この間から水棲魚人と、思っていることを話し合う研究を完成していますから、大丈夫です」
 そこでカンノ博士とスミレ女史とは、装置をかついで、水棲魚人の大ぜい集まっている沼のところへ出かけた。正吉も、このことを聞いて、おじさんのモウリ博士といっしょに、一行に加わって行った。
 その会見の光景は、ふしぎなものであったし、また記録すべきものであった。
 人類と水棲魚人の頭脳の中におこる脳波をとらえて、装置が、相手に分るような脳波に直して、相手に伝えるのであった。だから、口をきかなくても、ただ、相手に聞きたいことを、頭の中で思うだけでその質問は相手に通じた。
 相手の方でも、それをことばで返事を頭の中で思えば、それで通じるのであった。
 水棲魚人は、人類よりもずっと劣等《れっとう》な生物だったから、こみいったことを返事することはできなかった。それだから、水棲魚人から返事をとることには成功したが、人間同士の話のようには、はっきり通じなかったのは、やむを得ない。ともかくも、水棲魚人がこたえた要点を、次にしるしておこう、
「あんなものは、はじめて見た……空を、あんなものが一つか二つとぶのを見たことはあるが、あんなにたくさんとんできたのは、はじめてだ……いつまでも、全体があんなに光っているものを、今まで見たことはない……一つか二つでとんできて、その中から生物がぞろぞろ出てきたことは、今までにもある。君たちも、その一例だが君たちではなく、もっと身体の形のちがった者が来たこともある。彼らは、ながくいなかった。みんな帰ってしまった……彼らは、われわれの仲間をつれていった。それっきり、帰ってこない。君たちは、そういうわるいことをしないようにしてくれ……めずらしい、うまいたべものをたくさん、われわれにくれ……」
 水棲魚人からはこんなことしかきくことができなかった。
 しかしこのかんたんな返事の中からも、重大な発見がいくつかあった。
 すなわち、光る怪塔は、はじめて見るものであるということ。
 人類以外の生物が、今までに、この付近へ着陸したことがあること。
 この二つは、非常な重大なことであった。大警戒が必要となった。あの怪塔から、人類以外の生物がとびだしてくる可能性は十分にあるのだ。そのときマルモ探検隊が最悪の危機をむかえることは、今さら覚悟をあたらしくするまでもないことだった。
 このへんで、マルモ隊長は、はらをきめなくてはならない。


   意外な正体


 ついに、決死の偵察隊が、光る怪塔のところへ派遣《はけん》されることになった。
 その人選は、マルモ隊長がした。
 カンノ博士が偵察隊員に任ぜられた。
 それからカコ技師に、タクマ機関士、それに正吉少年の四名だった。
 ところがコックのキンちゃんが、ぜひつれていってくれといってきかない。ことに、彼は正吉少年の身の上を心配して、正吉が行くところへは、ぜひ自分を護衛者《ごえいしゃ》としてやってくれと、隊長へ熱心にねがった。
 そのあげく、キンちゃんの願いは、ついにゆるされた。正吉とキンちゃんとは大よろこびで抱《だ》きあった。
「それでは、行ってきます」
 と、カンノ博士は、さすがに顔をかたくして、マルモ隊長以下に別れのことばをのべた。
「成功をいのる。みんなの運命が、君たちの行動にかかっているんだから、自重《じちょう》してくれたまえ」
 マルモ隊長は、そういって、目をまたたいた。
 一行五名は出発した。
 のこる隊員は、やはり怪塔への監視をゆるめなかった。もし塔内から何者かあらわれた場合にはすぐ信号をもって、カンノ偵察隊へ知らせることに、手はずができていた。
 だが、怪塔はしずまりかえっていた。いつまでたっても、ネズミ一匹も出てこなかった。それだけにますます気味がわるくてしょうがなかった。
 あまり遠い道のりでもないので、カンノ博士一行は、やがて光る怪塔に近づくことができた。
 そばへよって見ると、いっそうすばらしい建造物であった。
 しーんとしている。ただ塔は、青白く光っている。
 塔のまわりをまわった。塔には、窓もないし、入口らしいものもない。ただ円柱《えんちゅう》がより集まって、高い塔をつくっているだけだ。
「文字みたいなものがありますね。一階が二階につくところですよ。たしかに文字だ」
 そういったのは、正吉だった。
 それは装飾《そうしょく》のように見えた。しかし、正吉のいったように、文字だと思ってみると、文字のようでもあった。アルファベットなのである。
「なるほど、これはふしぎだわい」
 カンノ博士も、急に目をかがやかせて、それを見上げた。
 文字は、へこんでいた。それが熱のために摩滅《まめつ》したと見え、文字として残っていたのだ。
「なんの文字? 人間の使う文字かい」
 キンちゃんが正吉の腕をゆすぶる。
「アルファベットだよ。人間の使う文字だ」
「そうかい。なんだ、おどろかされたね。それじゃ、この塔は地球からとんで来たものじゃないか。中には、うんとごちそうが入っているんだろう」
 キンちゃんは、ずばりといった。
 まさか――と、正吉は思ったし、カンノ博士たちも、そこまでは考えなかった。
 ところがキンちゃんのいったことはだいたい的中したのだった。
 文字を読んでみると、次のような文章になった。
「マルモ探検隊に贈る。この資材を有効に使って、大探検に成功せられるよう祈る。ニューヨーク市マンハッタン街、世界連盟本部科学局より」
 読み終って、カンノ博士たちは、へたへたとその場にしりもちをついた。それは緊張の頂上から、安心の谷へ、一度に落ちたからであった。
 他の遊星と出会いおそろしい争闘がはじまるものと覚悟して、おそるおそる近づいた光る怪塔は、そのような恐怖すべき危険なものではなく、そのあべこべのものだったのである。まったくそんなことを予期もしていなかったのに、マルモ探検隊のことを心配して地球上から見まもってくれていた世界連盟本部からの温かい貴重な贈物だったのである。救済物資《きゅうさいぶっし》がいっぱいはいっている塔だったのである。食糧、衣料、燃料、機械工具などいっぱいつまっている。飛ぶ倉庫だったのである。アメリカの持つすぐれた科学技術だ。一本一本の円筒《えんとう》の中に、それらのものがていねいにはいっていた。もちろんそれを開く方法も記されてあった。
 キンちゃんの第六感は、するどく命中したのであった。
「キンちゃんは、すごいんだね。見直したよ」
 と正吉はキンちゃんの手を握って振った。
 マルモ探検隊は、これらの物資を十分に有効に使い、それから三ヶ月間火星に踏みとどまって火星の探検を十二分に果たし、その翌年早々無事に地球へ帰還した。
 もちろん一行は大歓迎を受けたが、隊長以下は休むひまもなく探検報告のため、各地を訪問した。
 正吉もキンちゃんも、いつも一行に加わっていた。正吉はマルモ隊長の秘書をつとめ、キンちゃんはあいかわらず、一行のためにおいしくて栄養たっぶりな食事を用意するのを仕事にしていた。
 マルモ隊長は、報告の最後のところを、かならず次のようなことばで結ぶのであった。
「われわれ地球人類は、このさい急いで大宇宙探検計画をたて、一日も早くそして一人でも多くその探検に出発するのでなければ、やがて他の遊星生物のためにお先まわりをされてしまって、地球人類の発展はきゅうくつになるおそれがあると信じます。
 世界の人々は今すぐにも手をとりあって、この重大なる仕事にかかりたいものです」
 さすがにマルモ隊長は、未来をよく見ている。地球人類の繁栄は、たしかにマルモ隊長の指し示す方向にある。それを早くさとって実行にうつすのが、世界人だ。少年少女たちは、やがてかならずこの重大な仕事につくのだから、今からいっそう勉強しておかなくてはならない。



底本:「海野十三全集 第13巻 少年探偵長」三一書房
   1992(平成4)年2月29日初版発行
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2001年7月17日公開
2001年7月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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