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自然界の縞模様
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)縞模様《しまもよう》

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(例)理学士|福島浩《ふくしまひろし》君

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)田口※[#「さんずい+卯」、第4水準2-78-35]三郎
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 ここでかりに「縞模様《しまもよう》」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。こういう意味ではいわゆる定常波もこの中に含まれてもいいわけであるが、この動的なそうしてすでによく知られて研究し尽くされた波形はしばらく別物として取り除いて、ここではそれ以外の natural, statically(1)[#「(1)」は注釈番号] periodic patterns とでも名づくべきものを広くいろいろな方面にわたって列挙してみたいと思う。これらの現象の多くのものは、現在の物理的科学の領域では、その中でのきわめて辺鄙《へんぴ》な片田舎《かたいなか》の一隅《いちぐう》に押しやられて、ほとんど顧みる人もないような種類のものであるが、それだけにまた、将来どうして重要な研究題目とならないとも限らないという可能性を伏蔵しているものである。今までに顧みられなかったわけは、単に、今までの古典的精密科学の方法を適用するのに都合がよくないため、平たく言えばちょっと歯が立たないために、やっかいなものとして敬遠され片すみに捨てられてあったもののように見受けられる。しかし、もしもこれらの問題をかみこなすに適当な「歯」すなわち「方法」が見いだされた暁には、形勢は一変してこれらの「骨董的《こっとうてき》」な諸現象が新生命を吹き込まれて学界の中心問題として檜舞台《ひのきぶたい》に押し出されないとも限らない。そういう例は従来でも決して珍しくはなかった。たとえばブラウン運動でも、表面膜の「よごれ」の問題でもそうである。ましてや、古典的物理学の基礎をなしていた決定的因果律に根本的な修正が問題になり、統計物理学の領域にも全く新しい進出の曙光《しょこう》が見られる今日において、特にここで問題とするような諸現象を列挙して読者の注意を促すのも決して無益のわざではあるまいと思われるのである。
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(1) 後に述べるリーゼガングの輪でもその他のものでも、その生成は時間的にも週期的であるが、しかしここで statical と言うのは、できあがった最後の形が静的だという意味である。
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 昔、自分らの学生時代に、確率論の講義を聞かされたときに「理由欠乏の原理」と「理由具足の原理」との話があったことを思い出す。この前者によれば、たとえば生長するすべてのものは円か球になるはずである。どの方向に特に延びるという理由が「ない」というよりはむしろ、そういう理由を「知らない」ためである。しかし、自然は人間の知らないいろいろな理由を知っており、持ち合わせているために、世界の万物はことごとく円や球や均質平等であることから救われるのである。二十余年の昔、いろいろこういう種類のことを考えていたころに、何よりもまずわが国に特有で子供の時からなじみの深い「金米糖《こんぺいとう》」というものの形が自分の興味を引いた。どうしてあのように角《つの》ができるか、どうして角の数が統計的に一定になるか、この疑問を年来いだいて今日に至る間に、おりにふれてはこれによく似たいろいろの問題が次第に蓄積して来た。しかし、問題が増すだけで解釈のほうは遺憾ながら、いくらも進まないが、ただ、これら類似の問題の中には、いくらか解釈の見当のつきかけたものもある。それらの問題を系統的に分類でもすればいいわけであるが、まだそこまでの整理ができていないから、ここではただ将来の参考のための備忘録だと思って、以下に思いつくままを無秩序に書き並べるに過ぎない。読者もどうかそのつもりで読んでもらいたい。
 金米糖《こんぺいとう》の場合については理学士|福島浩《ふくしまひろし》君がまだ学生時代の夏休みに理化学研究所へ来ていろいろ実験した結果が発表されている。ある条件のもとには、偶然的にでき始めた凸凹《とつおう》が次第に成長し、その角《つの》の長さと粒の大きさとには一定の関係がある事、その大きさにある上下の限界のある事などがだいぶわかって来たが、角の数を決定する根本原理についてはまだ充分な解釈を下すに至らなかった。しかしこの物の形の基礎には立体的正多面体の基本定型が伏在していて、条件によってその中の格好なものが成長の萌芽《ほうが》となるであろうという想像がついたようである。この点ではやはり、物理界におけるいろいろな週期的不安定の現象、たとえば弾性板の週期的|反転《バクリング》の現象などとの類似を思わせる。
 金米糖といくぶん似たものは、「噴泉塔」と称せられるものである。温泉の噴出する口の周囲に、水に溶けた物質が析出沈積して曲線的|円錐体《えんすいたい》を作る。そうして、その表面に実にみごとな放射状ならびに円心状に週期的な凸凹を作ることがある。この場合にこれらの週期性を決定するものが何であるかと考えてみる際に、いちばん手近なものとして気のつくのは、液の熱的対流によって生ずる週期的円筒形|渦流《かりゅう》である。ともかくもこの場合に著しい対流の起こることは確実であるので、それがそういう場合に普通な柱状渦《ちゅうじょうか》を成して、その結果温度の週期的排列を生じ、従って沈積も空間的に週期的になる。そうして、ある大きさの週期のものが最も安定であって、それに因る沈積の結果から生ずる凹凸《おうとつ》が、ちょうどその渦流に好都合なような器械的条件に相応すれば、この凹凸は自然に規則正しく発育成長するのが当然である。
 これは少し脱線であるが、珊瑚礁《さんごしょう》を作るような珊瑚のうちに、上記の噴泉塔とも類似し、またシャボテンのうちに瓜《うり》のような格好で、縦に深く襞《ひだ》のはいったのがある、あれともいくらか似た形のものがある。ある時そういう珊瑚《さんご》の標本の写真を見ていたときに、これも何かやはり対流による柱状渦《ちゅうじょうか》と関係があるのではないかという空想が起こった。こういう生物群体の表面に沿うて何かの原因で温度あるいは濃度差による対流の起こることは可能であり、それがあるとすればその対流の結果は生物の成長に必然的に反応するであろうと思われる。とにかく、天然がただものずきや道楽であのような週期的な構造を製作するとは思われないので何かそこに物理的な条件が伏在するであろうと想像するのはやむを得ない次第である。しかしこれはそう思ったというだけのことでなんら具体的の事実を調べたわけではない。
 丸皿形《まるざらがた》のボルタメーターで、皿の内面に沈着する銀がやはりこの「シャボテン式」の放射線状の縞《しま》を成すは周知のことで、この場合は、濃度差による対流渦《たいりゅうか》の結果であることは疑いもないことであろう。
 対流渦による波状雲のことは今さら述べるまでもないが、これに類似の縞は、近ごろ「墨流し」の実験をしているときに、最初表面に浮かんだ墨汁《ぼくじゅう》の層が、時がたつに従って下層の水中に沈む場合にもかなりきれいに発達するのを見ることができた。
 もう一つ対流渦による週期的現象で珍しいのは「構造土」と名づけられるもので、たとえば乗鞍岳《のりくらだけ》頂上の鶴《つる》が池《いけ》、亀《かめ》が池《いけ》のほとりにできる、土砂と岩礫《がんれき》による亀甲模様《きっこうもよう》や縞模様である(1)[#「(1)」は注釈番号]。これは従来からも対流渦によるものとはされていたが、実際の生成機巧についてはいろいろ想像説があるに過ぎなかった。近ごろ理学士|藤野米吉《ふじのよねきち》君が、液の代わりに製菓用のさらし餡《あん》を水で練ったものの層に熱対流を起こさせる実験を進めた結果、よほどまで、上記自然現象の機巧の説明に関する具体的な資料を得たようである。またこれによって乳房状積雲《ちぶさじょうせきうん》とはなはだしく似た形態も模倣することができた。
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(1) これについてはかつて藤原《ふじわら》博士が地理学評論誌上で論ぜられた事がある。
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 以上のものとは少し違った部類のものであるが、氷柱や鐘乳石《しょうにゅうせき》が簡単な円錐形《えんすいけい》または紡錘形となる代わりに、どうかすると、表面に週期的の皺《しわ》を生じ、その縦断面の輪郭が波形となることがある。この原因についてもあまりよく知る人がないようである。この場合にもやはり表面を流下する液体の運動にある週期性があって、それがまた同時に氷結と融解、あるいは析出と沈着との週期性を支配するものである、とまでは想像しても悪くないであろう。しかしこの場合にも熱的対流が関係するか、それとも、単に流水層の渦層《かそう》の器械的不安定によるものであるかは、今後の詳細な実験的研究によってのみ決定さるべきであろう。
 次に思い及ぶものは、だれもが昔からよく問題にする、水の波や流れやまたは風による砂泥《さでい》の波形である。これは、地面に近く、水平流速の垂直分布に急な変化があるために存する渦動層が、不安定のために個々の渦柱に分裂する結果であろうとまではわかっているが、この波形の波長を何が決定するかという肝心な問題は、今日でもほとんど昔のままに残されているようである。この現象は単に上を流れる流体のみならず、地盤となる砂や泥《どろ》の形質にもよるらしいから、問題は決してそう簡単でないであろう。
 これと密接な関係のあるものは、クントの塵像《じんぞう》である。これに関する周知のケーニヒの説明の不十分なことはだれしも同感であったらしい。最近に、アンドラーデがこの問題についてやや新しい実験をして、いろいろおもしろい事実を観察したようではあるが、ここでも肝心な波長決定要素の問題は依然として不可解に残されている。
 もう一つ、これは未発表のものであるが、北海道大学理学部の米田勝彦《よねだかつひこ》氏が現に研究を続けている「粉の波」の現象がある。たとえば、二枚のガラス板の間に或《あ》る粉の円形薄層をはさんで、上の板を棒の先で軽くこつこつとたたくと粉の表面にきれいな同心環形状の波形ができるのである。この波がクント像の波形と何かしら関係がある現象であろうとはだれしも想像することであろうが、精確な説明はそう容易には与えられない。
 クラドニ板上のいろいろの像や、高周波振動をする水晶板で生ずる粉の像などにもやはり共通な問題が潜んでいるらしい。
 要するにこれらの問題の基礎には「粉」という特殊な物の特性に関する知識が重大な与件として要求されるにもかかわらず、それがほとんど全く欠乏している。そうしてただ現象の片側に過ぎない流体だけの運動をいくら論じてみても完全な解釈がつきそうにも思われない。粉状物質の堆積《たいせき》は、ガスでも、液でも、弾性体でもない別種のものであって、これに対して「粉体力学」があるはずである。近ごろ、土壌《どじょう》の力学に関連してだいぶこの方面が理論的にも実験的にも発達して来たようではあるが、それはしかしほとんど皆静力学的のものであって、「粉体の運動」に関する研究は皆無と言っても過言でない。この新しい力学の領域に進入する一つの端緒としても上記のごとき諸現象の研究は独自な重要意義をもつであろう。いずれにしても、そういう見地に立ってでなければいくら研究してみてもこれらの問題の全豹《ぜんぴょう》は明らかになりそうに思われない。
 粉の輪で思い出すのは、蒸発皿《じょうはつざら》である種の塩類の溶液を煮詰めて蒸発させる時に、溶液の干上《ひあ》がるに従って、液面が周囲の器壁に接する境界線の所に、粉状の塩の土手ができる。それがやはり週期的な同心環の系列となって成長して行く現象が知られている。この場合はクントや米田《よねだ》氏の現象のように器械的振動は別に参与していると思われない。この際器壁に沿う気流があるから、あるいはここでも一種の渦動《かどう》が関係するかとも想像されるが、もしそれだけならば、大概の塩について同様でありそうなのに、特殊な塩に限って顕著であることから考えると、これはもっと分子物理学的または化学的領域の中にまで立ち入らなければならないような種類の現象であるかもしれない。
 そういう科学的な週期的形像中の最も顕著なもので、従来はなはだ多くの研究の対象となったものは、いわゆるリーゼガングの現象である。これに関してはかなりいろいろな説明的理論も提出されておりはするが、一言で言ってしまえば、要するにほとんどまだ目鼻もつきかねたようなありさまであるらしい。ともかくもこの現象は拡散に随伴する週期的現象である。言わば√-1[#「√」の中に「-1」]を含むイマジナリーな部分から成る拡散現象であるとも言われる。おもしろいことには、また一方で、自然界に存する実際のすべての波動はやはり「虚成分」をもっていて、これが減衰を支配し、ある意味ではまた拡散をも意味する。それで、もしや、拡散も波動も概括するような一つの大きな体系があって、その両極端の場合が不減衰波動と純粋な拡散とであって、その中間にいろいろなものが可能でありはしないかという空想が起こり得られる。ずっと昔、ケルヴィン卿《きょう》が水の固定波か何かの問題を取り扱うために伝導の式に虚の項を持ち込んだことがあったようなぼんやりした記憶があるが、事実は確かでない。しかしとにかくそういう種類の考えも、少なくも一つのヒントとしては役立つであろうと思うので、不謹慎のそしりを覚悟してついでに付記する次第である。
 週期的ではないが、リーゼガング現象といくぶん類似の点のあるのは、モチの木の葉の面に線香か炭火の一角を当てるときにできる黒色の環状紋である。これについては現に理化学研究所|平田《ひらた》理学士によって若干の実験的研究が進行しているが、これもやはり広義の拡散的漸進的現象に伴なう、不連続的あるいは局発現象であって、従来有りふれの単純な拡散の理論だけでは、間に合わない筋のものであろうと思われる。この点から考えてこの樹葉の紋の研究も決して閑人《ひまじん》のむだ仕事ではないであろう。
 縞瑪瑙《しまめのう》の縞がリーゼガング類似の現象によって生じたものだということになっているらしいが、あの不規則な縞がそれだけでうまく説明されるかどうか、ここにも疑問があると思われる。
 また少し脱線ではあるが雲紋竹《うんもんちく》と称して、竹の表面に褐色《かっしょく》の不規則な輪紋を呈したものがある。これは人工的加工でこしらえたものも多いようであるが、もとはやはり天然の植物|黴菌《ばいきん》か何かでできたものがあるのではないかと思われる。そう言えば培養された黴菌の領土の型式の中にも多少類似のものがあったように思うが、これも何かの思い違いかもしれない。しかしそういういろいろな生物学的方面における形態的類型にも注意を怠らないようにしたいものだと思う。案外、そういう方面から有益な手掛かりを得られないとも限らないからである。
 樹木の年輪や、魚類の耳石の年輪や、また貝がらの輪状構造などは一見明白な理由によって説明されるようではあるが、少し詳細に立ち入って考えるとなると、やはりわからないことがかなりありそうである。木の年輪にしても、これを支配する気象的要素の週期曲線はともかくもかなり平滑で連続的であるのに、杉《すぎ》の木の断面の半径に沿うての物理的性質の週期的曲線は必ずしも連続的平滑ではないのである。鮭《さけ》の耳石の環状構造にしても、一年の間に存するたくさんの第二次週期の意味がわかりにくい。それはそれとしても、ともかくも気象変化の週期性に反応し、あるいは共鳴するだけの週期性が内在するのでなければこういう現象は起こらないのではないかと考えられる。
 岩塩の縞《しま》の数から沈積期間の年代の推算をした人もあるが、これにも多くの疑問が残されるであろう。砂岩や凝灰岩の縞なども、やはりこれらと連関して徹底的に研究さるべき題目であろう。
 岩石に関してはまだ皺襞《しゅうへき》や裂罅《れっか》の週期性が重要な問題になるが、これはまた岩石に限らず広く一般に固体の変形に関する多種多様な問題と連関して来るのである。
 弾性体の皺襞については従来「弾性的不安定」の問題として理論的にもかなりたびたび取り扱われたもので、工学上にもいろいろの応用のあるのはもちろんであるが、また一方では、平行山脈の生成の説明に適用されたり、また毛色の変わった例としては、生物の細胞組織が最初の空洞球状《くうどうきゅうじょう》の原形からだんだんと皺《しわ》を生じて発達する過程にまでもこの考えを応用しようと試みた人があるくらいである。しかし単なる理論のテストでなく、現象を精察する意味での実地的方面の研究はかえって少ないようであるが、わが国で地球物理の問題に関係して藤原《ふじわら》博士や徳田《とくだ》博士の行なわれたいろいろの実験はこの意味においてきわめて興味の深い有益なものである。それからこれは少し変なものではあるが猫《ねこ》の毛並みにも時として週期性の縞状の疎密を呈することがある。あれもこの皺の問題といくぶん連関しているらしく思われるが詳しいことはわからない。これも一つの問題ではある。
 裂罅、あるいは「われめ」の生成は皺襞と対立さるべきものでやはり一種の不安定によって定まるものであろうが、このほうの研究はまだきわめて進捗《しんちょく》していない。理論的に言えば、破壊の起こる直前までの過程についてはプラスティックな物体の力学からある程度まではこぎつけられるが、ほんとうに破壊が起こり始めたが最後、もう始めの微分方程式も境界条件も全部無効になるから、これらの理論はその後の事がらについては全く一言の権利もなくなってしまう。それで、たとえば理論から出した最大|剪断応力《せんだんおうりょく》の趨向《すうこう》を示す線系が、実物試片のリューダー線や、「目に見える割れ目」とだいたい一致していたとしても、それは言わば偶然であって、必ずしもそうならなければならないというだけの根拠はまだ具備していないのである。それはいいとしても、ここでもまた、並行した割れ目の週期性に関する説明となると、現在のところでは全く何事もわかっていないと言わなければならない。だれであったか先年ドイツの雑誌で単晶の針金のすべり面の数が針金の弾性的高周波振動できまるという説を出したことがあったようであったが、これもあまりふに落ちない説であった。自分もかつて、砂層の変形の繰り返しによって生ずる週期的すべり面の機巧から推して、単晶体の週期的すべり面の機巧を予想してみたこともあったが、これとても決して充分だと思われない、最近にガラス面に沿うて電気火花を通ずる時にその表面にできる微細な顕微鏡的な週期的の割れ目を平田《ひらた》理学士と共同研究した結果では、この場合にもやはり一種の弾性的不安定が関係しているであろうと思わせるような事実を認めた。
 しかし、実験的現象として見た割れ目の現象はなかなか在来の簡単な理論などでは追いつきそうもない複雑多様なものであって、これに関する完全な説明のできる前にはまだまだ非常にたくさんの実験観察ならびにそれからの帰納的要約が行なわれなければならない。そうして新しい「割れ目の方則」が発見されなければならないであろうと想像される。そういう次第であるから、わが国で、鈴木清太郎《すずきせいたろう》、藤原咲平《ふじわらさくへい》、田口※[#「さんずい+卯」、第4水準2-78-35]三郎《たぐちりゅうざぶろう》、平田森三《ひらたもりぞう》、西村源六郎《にしむらげんろくろう》、高山威雄《たかやまたけお》諸氏の「割れ目の研究」、またこれに連関した辻二郎《つじじろう》君の光弾性的研究や、黒田正夫《くろだまさお》君のリューダー線の研究、大越諄《おおこしまこと》君の刃物の研究等は、いずれも最も興味ありまた有益なものである。また一方|山口珪次《やまぐちけいじ》君の単晶のすべり面の研究なども合わせて参照さるべきものと思われる。また未発表ではあるが池田芳郎《いけだよしろう》君の注意されたガラス管の内部的|歪《ひずみ》による破壊の現象などもこの部類に属するもので、そこにもおもしろいわれ目の週期性が現われるのである。子供の遊戯と考えられている「リュプレヒト公子の涙」と称するものもまた同部類の現象で、まじめな研究に値するものであるが、だれも手をつけた人を聞かない。
 ガラスなどの円盤の中央をたたくと、それがある整数だけのほぼ同大の扇形に割れる。これについては前に鈴木清太郎《すずきせいたろう》君の研究がある。これもある点では金米糖《こんぺいとう》の問題と似た点もあり、またある点では「弾性的不安定」の問題とも関係しているように見える。
 実験室における割れ目の問題が地殻《ちかく》に適用されるとなると、そこには地質学や地震学の方面に多大な応用範囲が見いだされる。これに関してはかえって地質学者の多くが懐疑的であるように見えるが、物理学者の目から見れば、この適用は、もし適当な注意のもとに行なわれさえすれば、むしろ当然の試みとして奨励遂行さるべきものと思われる。
 地殻の皺曲《しゅうきょく》や割れ目やすべり面の週期性に因って第二次的に決定される地形の週期性のあること、それによってまたあらゆる天然ないし人間的な週期性が現われることも注意に値いする。
 河流の蛇行径路《メアンダー》については従来いろいろの研究があり、かの有名なアルベルト・アインシュタインまでが一説を出していたようである。しかし場合によっては、これが単に河水の浸蝕作用《しんしょくさよう》だけではなくて、もっと第一次的な地殻《ちかく》変形の週期性によって、たとえ全部決定されずとも、かなり影響された場合がありはしないかと考えられる。蛇行《だこう》の波長が河床《かしょう》の幅に対して長いような場合に特にこれが問題になるであろう。これは地形学者の再検討をわずらわしたい問題である。
 以上述べたものの多くは、言わば「並行縞《へいこうじま》」と呼ばれるべき形態のものであったが、このほかになお「放射縞」と言わるべきものがある。もっとも、上述の中でも、噴泉塔の縞や、鈴木《すずき》君の円板の割れ目などもむしろこの放射型に属するものであったが、このいわゆる放射縞の現象の中で、最も顕著で古くから知られているものの一つは、放電のリヒテンベルグ形像である。これの陰極像などは立派に週期的と呼ばるべきものである。この像の生成についてはずいぶんいろいろ説があり、わが国の吉田卯三郎《よしだうさぶろう》博士の説もその中の重要なものとして知られているが、しかしこの場合にもまた、いつものように、この週期性の決定要素についてはまだなんらの説明を聞かず、のみならずこの事を問題にする人すら少ないように見える。北海道大学の伊藤直《いとうなおし》君の研究にかかる低度真空中の放電による放射形縞についても同様の事が言われる。自分はかつて、例の液の熱対流による柱状渦《ちゅうじょうか》の一例として、放射形の縞模様を作ることができた。また床上に流した石油に点火するときその炎の前面が花形に進行する現象からもまた、放射形柱状渦の存在を推定したことがあった。それの類推的想像と、もう一つは完全流体の速度の場と静電気的な力の場との類似から、例の不謹慎な空想をたくましくして、もしも放電の場合においても電場の方向に垂直なある不安定があれば、それによって、こういう週期性が生じはせぬかと思ったことがあり、多くの人にその考えを話したことがある。これも一つのヒントにはなりうると思うからついでに付記する。
 リヒテンベルグの陽像はかなり不規則であるが、これもいくぶんの放射形週期性をもっている。これに類した他方面の現象としては清潔なガラス板の水平な面上に薄く清潔な水の層を作っておいて、そうして墨を含ませた筆の先をちょっとそのガラス面の一点に触れると水の薄層はたちまち四方に押しのけられて、墨汁《ぼくじゅう》が一見かわき上がったようなガラスの面を不規則な放射形をなして分岐しながら広がって行く。その広がり方の型式がリヒテンベルグ陽像に類似の点をもっている。この場合は明らかに墨のコロイド粒子群が内から外へ進行する際にその進行速度にはなはだしい異同ができ、その異同が助長されるのであろうが、この事実の形式的類推から放電陽像の場合にも、何物か粗粒的なものが内から外のほうへ広がるのではないかという想像を誘われる。また一方で前記の放射状|対流渦《たいりゅうか》の立派に現われる場合は、いずれも求心的流動の場合であるから、放電陰像の場合もあるいは求心的な物質の流れがあるのではないかと想像させる。水流の場合には一般に流線の広がる時に擾乱《じょうらん》が起こるが流線が集約する時にはそれが整斉《せいせい》される、あれと似たことがありはしないかとも考えられる。これらもすべて大胆すぎた想像であるが一つの暗示として付記する。
 リヒテンベルグの場合に放電板の裏側にできる第二次像の同心環が米田《よねだ》氏の現象に類するのは注意すべき事である。
 近来|筒井俊正《つついとしまさ》君が研究している一種の特殊な拡進現象にもまたリヒテンベルグ陽像などといくぶん似た部類に属するものがある。それは二枚の平面板の間に粘性あるいは糊状《のりじょう》の液体を薄層としてはさんでおいて、急にその二枚の板を引き離すときにできるきれいな模様の中のあるものである。この模様の分岐のしかたにも一種の週期性がある。しかしこの場合においてもこの週期性の決定要素はなかなか簡単には説明されないものらしく思われる。
 池の表面の氷結した上に適度の降雪があった時に、その面に亀甲形《きっこうがた》の模様ができる、これには、一方では弾性的不安定の問題、また対流の問題なども含まれているようであるが、この亀甲《きっこう》模様の亀甲形の中心にできる小さな穴から四方に放射して、「ひとで」形の模様ができる。これの説明もまだ確実なことはわからないようであるが、自分の観察の結果から判断できる範囲内では、ともかくもこの中央の穴から流れ出しまた流れ帰る水の流路を示すものらしく思われる。そうだとすると、これも上記現象のあるものと同部類に属すると考えられる。これは雪の代わりに他の可溶塩類を使った実験ができる見込みである。
 唐紙《からかみ》などに水がついたあとにできる「しみ」が、どうかすると不規則な花形模様に広がることがある。また「もぐさ」を平たく板の上にはりつけておいて、その一点に点火すると、炎を上げない火が徐々に燃え広がる。その燃えて行く前面の形が不規則な花形である。これらの場合にはいずれも通有な一種の原理のようなものがあると思われる。
「理由欠乏の原理」あるいは「無知の原理」からすれば、これらの伝播《でんぱ》の前面は完全なる円形をなすはずであるが、実際の現象を注意して見ていると、円形になるほうがむしろ不思議なようにも思われて来る。たとえばアルコホルの沿面燃焼などはほとんど完全な円形な前面をもって進行するが、こういう場合は自然的変異を打ち消すような好都合の機巧が別に存在参加しているという特別の場合であるとも考えられる。すなわち、前面が凸出《とっしゅつ》する点の速度が減じ、凹入《おうにゅう》した点の速度が増し、かくして自動的に調節が行なわれ、その結果として始めて円形が保たれるものと思われる。これに反して偶然変異がそのままに保存され蓄積し増長する多くの場合には不規則な花形、「ひとで」形等になる。このほうが普通だとも考えられる。そうして、ある週期のものだけが特に助長されるような条件が加われば規則正しい放射像となるというふうに考えられる。こう考えると、不規則な放射形の場合でも、それはいろいろの週期のものがたくさんに合成された結果と見なすことができるし、その多くの「週期のスペクトラ」のエネルギー分布の統計的形式によって、いろいろな不規律放射像の不規則さの様式特性が定まると考えられる、言わば規則正しい像は単線スペクトルに当たり、不規則なのは一種の連続スペクトルあるいは帯状スペクトルに当たるのである。こう考えると、形が不規則だとか、reproducible でないからとか言って不規則な放射像を物理学の圏外に追いやる必要はないであろう。光の場合の不規則は人間の感官認識能力の低度なおかげで「見えない」から平気であるが、現在の場合は「見える」からかえって困るのである。盲者の幸福がここにもある。
 とにかくこういうふうに考えれば、完全週期的な縞《しま》と不規則な縞とをひとまとめに論ずる事がそれほど乱暴でないということだけは首肯されるであろう。
 以上のほかにも天然の縞模様の例はたくさんあるであろう。放電についても放電管内の陽極の縞や、陽極の光った斑点《はんてん》の週期的紋形なども最も興味あるものであり、よく知られてもおりながら、ここでもやはり週期決定因子の研究が奇妙にも等閑に付せられているのである。
 また、粘土などを水に混じた微粒のサスペンションが容器の中で水平な縞状《しまじょう》の層を作る不思議な現象がある。普通の理論からすれば、ダルトン方則で、単に普通の指数曲線的垂直分布を示すはずのが、事実はこれに反して画然たる数個の段階に分かれるのである。仮定の抜けている理論の無価値なことを示す適例である。この場合の機巧もまだ全く闇《やみ》の中にある。ことによると、これは electrocapillary phenomena を考えに入れて始めて明らかにさるべき現象かと想像される。でなければコロイドに関する物理にはまだまだ未開の領土が多い事を指示するものであろう。
 このほかにもまだいろいろあるであろうがあまりに予定の紙数を超過するからまずこのへんで筆をおく事とする。このはなはだ杜撰《ずざん》な空想的色彩の濃厚な漫筆が読者の中の元気で自由で有為な若い自然研究者になんらかの新題目を示唆することができれば大幸である。ただ記述があまりに簡略に過ぎてわかりにくい点が多いことと思われるが、そういう点についてはどうか聡明《そうめい》なる読者の推読をわずらわしたい。
[#地から3字上げ](昭和八年二月、科学)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
※底本では、注釈番号は、本文の右脇にルビのように組まれている。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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