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人魂の一つの場合
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)信州《しんしゅう》の

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(例)一|間《けん》ほど

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年十一月、帝国大学新聞)
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 ことしの夏、信州《しんしゅう》のある温泉宿の離れに泊まっていたある夜の事である。池を隔てた本館前の広場で盆踊りが行なわれて、それがまさにたけなわなころ、私の二人の子供がベランダの籐椅子《とういす》に腰かけて、池の向こうの植え込みのすきから見える踊りの輪の運動を注視していた。ベランダの天井の電燈は消えていたが上がり口の両側の柱におのおの一つずつの軒燈がともり、対岸にはもちろん多数の電燈が並んでいた。
 突然二十一歳になるAが「今火の玉が飛んだ」といいだすと、十九歳になるBが「私も見た」といってその現象の客観的実在性を証明するのであった。
 そこで二人の証言から互いに一致する諸点を総合してみると、だいたい次のようなものである。
 ベランダから池の向こうの踊り場を正視していたときに、正面から左方約四十五度の方向で仰角約四十度ぐらいの高さの所を一つの火の玉が水平に飛行したというのである。その水平経路の視角はせいぜい二三十度でその角速度は、どうもはっきりはしないが、約半秒程度の時間に上記の二三十度を通過したものらしい。
 二人の目撃者の相互の位置は一|間《けん》ほど離れており、また椅子の向きも少しちがっていたので、私は二人の各位置について、そのおのおのの見たという光の通路の方向を実地見証してみた。そうして、その二人のさす方向線の相会するあたりに何があるかを物色してみた。すると、およその見当に温泉の浴室があり、その建物の高い軒下には天井の周囲を帯状にめぐらす明かり窓があって浴室内の電燈の光に照らされたその窓が細長い水平な光の帯となって空中にかかっている。どうも火の玉の経路がおおよそそれと同じ見当になるらしいのである。
 ところで、だんだんによく聞きただしてみると、二人の証言のうちで一つ重大な点で互いに矛盾するところがあるのを発見した。すなわち向かって右のほうにいたAは光が左から右へ動くように思ったというのに左のほうにいたBはそれとは正反対に右から左へ動いたようだと主張するのである。この二人の主張がそれぞれ正しいとすると、これは問題の現象が半分は客観的すなわち物理的光学的であり半分は主観的すなわち生理的錯覚的なものだという結論になる。この事がらがこの問題を解くに重要なかぎを与えるのである。
 私は、数年前、高圧放電の火花に関する実験をしているうちに、次のような生理的光学現象に気づきそれについてほんの少しばかり研究をした結果を理化学研究所|彙報《いほう》に報告したことがある。
 長さ数センチメートルの長い火花を写真レンズで郭大した像をすりガラスのスクリーンに映じ、その像を濃青色の濾光板《ろこうばん》を通して、暗黒にならされた目で注視すると、ある場合には光が火花の道に沿うて一方から他方へ流れるように見える。しかし実際はこの火花放電の経過は一秒の百万分一ぐらいの短時間に終了するという事が実験によって確かめられたので、到底肉眼でその火花の生長を認識することは不可能なはずである。それだのにそれが移動するように「見える」というのは、全くわれわれの眼底網膜に固有な生理的効果すなわち一種の錯覚によるものと考えるほかはないのである。そうして、この効果は暗黒にならされた目にあまり強くない光の帯が映ずる場合に特に著しいように思われたのである。
 この事実と、前述の二人の見たという火の玉の進行の現象とは何か縁がありそうに思われる。一つの可能性は、上記の浴室の軒の明かり窓の光が一時消えていたのが突然ぱっと一時に明るくなったと仮定すると、その光の帯が暗がりになれていた人の横目には一方から一方に移動する光のように感ぜられたのではないかということである。火花の実験の場合においても、正視するときよりもむしろ少し横目に見るときにこの見かけの移動の感じが著しく、またその移動の方向が目の位置によって逆になるようであった。もっとも、いかなる場合にいかなる方向に動くかという点についてはまだ充分詳しいことを調べたわけではなかったが、ともかくも、実際はほとんど同時に光る光帯が、場合により右から左へ、あるいは左から右へ動くように見えうるという事実がある。これが現在の問題に対して一つの有力な手がかりになるのである。もっとも火花の場合には光帯が現われるとすぐに消えるのに反して現在の場合では点火したきりで消えなかったとすると少し事がらがちがう。それで、後の場合でも同様な錯覚が生ずるかどうかは別に実験を要するわけである。
 とにかく、これは一つの可能性を暗示するだけで実際はどうだかわからない。
 もう一つの可能性がある。前記の浴室より、もう少し左上に当たる崖《がけ》の上に貸し別荘があって、その明け放した座敷の電燈が急に点火するときにそれをこっちのベランダで見ると、時によっては、一道の光帯が有限な速度で横に流出するように見えることがある。これはたぶんまつ毛のためやまた眼球光学系の溷濁《こんだく》のために生ずるものかと思われる。それで、事によると「火の玉」の正体がこれであったかもしれないとも思われる。しかしこれだとすると、たいていは光芒《こうぼう》射出といったようなふうに見えるのであって、どうも「火の玉」らしく見えそうもないと思われる。
 そうかと言って、浴室の天井の電燈が一時消えていたというのは単なる想像であって実証をたしかめたわけでもなんでもないから、結局この問題の現象はなんだかわからないということに帰着するのであるが、しかしこの出来事の上記の考察から示唆された一つの実験的研究を、ほんとうに実行してみることはそうむだではあるまいかと思われる。たとえば、暗室の一点に被実験者をすわらせておいて、室のいろいろな場所のいろいろの高さにいろいろな長さや幅で、いろいろの強度と色彩をもった光帯を出現させ、そうしてそれに対する被実験者の感覚を忠実に記録してみたら存外おもしろいかもしれないと思われるのである。
 伊豆《いず》地震の時に各地で目撃された「地震の光」の実例でも、一方から他方へ光が流れたというような記録がかなりたくさんにあったが、これらもやはり前記の生理的効果で実験はほとんど瞬間的に出現した光帯を、錯覚でそういうふうに感じるのではないかと疑われるのである。とにかくそういうこともあるくらいだから、だれか生理光学に興味をもつ生理学者のうちにこの問題を取り上げてまじめに研究してみようという人があったらたいへんにありがたいと思うので、それでわざわざ本紙のこの欄をかりてこのような夢のような愚見を述べてみた次第である。それでこの一編はもちろん学術的論文でもなんでもなくて、ただの随筆に過ぎないのであるが、だれかがこの中からちゃんとした論文の種を拾い上げ培養して花を咲かせるという事についてはなんの妨げもないであろう。
 それはとにかく、われわれの子供の時分には、火の玉、人魂《ひとだま》などをひどく尊敬したものであるが、今の子供らはいっこうに見くびってしまってこわがらない。そういうものをこわがらない子供らを少しかわいそうなような気もするのである。こわいものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。こわいもののない世の中をさびしく思うからである。
[#地から3字上げ](昭和八年十一月、帝国大学新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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