踊る地平線
白い謝肉祭
谷譲次
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)希臘《ギリシャ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大陸|朝飯《あさめし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「土+盧」、第3水準1-15-68]
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1
私が、その希臘《ギリシャ》人の友達を Roger & Gallet と呼び出したのは、彼がこの巴里《パリー》化粧品会社の製造にかかる煉香油《ねりこうゆ》を愛用して、始終百貨店の婦人肌着部のようなにおいを発散させながら、サン・モリッツのホテルの廊下を歩いていたことに起因する。
だから私は、私のいわゆるロジェル・エ・ギャレ氏の本名は知らないのだが、それはすこしもこの話の現実的価値を低めはしないと信ずる。なぜなら、私は、彼の名前こそ知らないが、彼がオスロかどこか北方の首府に仕事と地位を持っている希臘《ギリシャ》の若い海軍武官であることも、いつも小さな秤《はかり》を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻煙草《きざみたばこ》を計って、自分で混ぜて、晩餐後の張出廊《ヴェランダ》で零下七度の外気へゆっくりと蒼い煙を吹き出す習慣のあることも、例の大陸|朝飯《あさめし》――珈琲《コーヒー》・巻麺麭《まきパン》・人造蜂蜜・インクの香《におい》の濃い新聞・女中の微笑とこれだけから構成されてる――を極度に排斥して、BEEFEXと焼林檎《やきりんご》と純白の食卓布に固執していることも、趣味として部屋では真紅のガウンを着ていることも、いまはバルビウスの“Thus and Thus”を読んでいることも、そして、実を言うと、それよりも巴里《パリー》版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしいことも、すべての犬を怖がって狆《ちん》に対しても虚勢を張ることも、英吉利《イギリス》の総選挙を予想して各政党の詳細な得票表を作ってることも、その一々に関して食後から就寝までの時間を消すに足る綿密な説明を用意してることも、それから、これは前に言ったが、半東洋風の黒い頭髪をロジェル・エ・ギャレ会社の製品で水浴用|護謨《ごむ》帽子のように装飾して――で、私は彼にひそかにこの綽名《あだな》を与えたわけだが、――聖《サン》モリッツ中の異性の嗅覚を陶酔させようとTRYしていたことも、要するに、ロジェル・エ・ギャレという存在は、或いは彼自身の饒舌により、または、私の作家的観察眼で、ほとんど全部、私は、摘《つま》み上げて、蒐集して、分類して、ちゃんと整理が出来上っているのである。
では、何だってここに希臘《ギリシャ》の一青年武官をこんなに問題にしているのか――と言うと、理由は簡単だ。この物語は、かれロジェル&ギャレを主人公とし、私を傍観者とする、瑞西《スイツル》の山中サン・モリッツの|冬の盛り場《ウィンタ・レゾルト》における、一近代的悲歌劇の筋書《シノプセス》だからである。
私は、主役の希臘《ギリシャ》人に関して既に多くを語った。
が、話の性質を決定する必要上、忘れないうちに、ここに前もってひとつ、断って置かなければならないことがあるのだ。
それは、このロジェル・エ・ギャレは、ウィンタア・スポウツを自分で享楽すべく聖《サン》モリッツへ来ているのでもなければ、そうかと言って、ただ騒ぎを見物するために滞在しているのでもないという不思議な一事だ。じゃあ何しに?――となると、これがどうもよほど変ってるんだが、彼自身そっ[#「そっ」に傍点]と私に告白したんだから間違いはあるまい。ロジェル・エ・ギャレは、実に漠然と結婚の相手を探しあぐんで、とうとうこの瑞西《スイツル》の山奥の冬季社交植民地まで辿り登って来たというのである。
とにかく、古いものと新しいものが妙に交錯して、そこに方向を引き歪められた文学的天才の片鱗が潜んでると言ったような、彼は確かに、誇張された感傷癖の希臘《ギリシャ》人らしい希臘人だった。
と、紹介はこれでたくさんだ。
ところで、場面は、瑞西《スイス》サン・モリッツである。
ST.MORITZ――眼をつぶって心描して下さい。雪の山と、雪の野と、雪の谷と、雪の空と、雪の町と、雪の女とを。そしてこの、切り離された小世界に発生する事件と醜聞と華美と笑声と壮麗と雑音とを。
海抜、六千九十|呎《フィート》。エンガディン、テュシスから Coire の経由、またはランドカルト・ダヴォスから汽車。伊太利《イタリー》のテラノから這入ってポントレシナを過ぎる線が、すこし迂回になるけれど一番接続がいい。私達はこれを採った。
サン・モリッツは、豪奢第一《ファッショナブル》の冬の瑞西《スイツル》のなかでも最上級のブルジョア向きと見なされている土地である。そのため、大概の人が怖毛《おじけ》をふるって、近処の村落に宿をとる。そして、そこからサン・モリッツへ通うんだが、このサン・モリッツの附帯地域中異色のあるのが、モリッツから一停車場|下《くだ》った、五千六百五十六|呎《フィート》の高さに、谷を挟んで巣をくっているCELERINA村だ。幾分経済的でもあり、第一気安だろうと思って、私たちも最初はこのツェレリナへ行ったのだったが、同じ考えで人が殺到して来るのと、ツェレリナ自身が近くにサン・モリッツを控えている利益を意識して、抜け目なくその好立場を効用化してる関係上、事実は、かえって中心のサン・モリッツのほうが遥かにぼら[#「ぼら」に傍点]ないことを発見したので、二、三日してあわててそっちへ移ったのだった。そして、これも、同様の経験から四、五日前にツェレリナを逃げ出して来た許《ばか》りだという、かのロジェル・エ・ギャレに会ったのである。
しかし、ツェレリナは、あの有名な聖《サン》モリッツのCRESTA・RUNの競技の終点に当っているし、スケイトもスキイも相当の設備が調っていて、わざわざモリッツへ出なくても、そこだけで独自の、金色の酒のような暖かい陽の照る、愉快な小地点《スポット》だった。
サン・モリッツは、大きく二つの部分に別れている。DORFとBADだ。つい先年までは、斜面の上のドルフでなければサン・モリッツでないように思われていて、下のバッドのホテルなんか多くの場合閉め切りだったものだそうだが、それが、この頃ではすっかり変って、各種のスポウツは勿論、名物の競馬などは、どうかするとバッドのほうが便利な程になっている。私達の選んだのは、ちょうどその真ん中へんの Hotel Beau Riverge だった。
冬の聖《サン》モリッツは、両大陸の流行の大行列だ。
倫敦《ロンドン》と巴里《パリー》と紐育《ニューヨーク》の精粋が、ウィンタア・スポウツに名を藉《か》りて一時ここに集中される。大小の名を持つ人々・名をもたない人々・新聞の写真によって公衆に顔を知られている紳士と淑女・知られていない紳士と淑女・女優・競馬騎士・人気作家・不人気BUT遺産相続で困らない作家・離婚常習犯人・商業貴族・生産のキャプテン達・彼らの家族中のJAZZ・BOYS・反逆年齢に達した娘たちの大集団・独逸《ドイツ》から出稼ぎに来てる首の赤い給仕人の群・舌と動作の滑《なめら》かな大詐欺師の一隊――現世紀に逆巻く唯物|欧羅巴《ヨーロッパ》の男女の人生探検者が、おのおの智能と衣裳と役割を持ち寄って、この一冬のMORITZに雪の舞踏を踊り抜く――それは、夜を日に次《つ》ぐ白い謝肉祭《カアニバル》なのだ。
したがって、物価が出鱈目な点でも、季節のサン・モリッツほどのところはあるまい。何しろ、高ければ高いほど金の棄《す》て甲斐《がい》があるという連中ばかり来るところなんだから、その法外さが随一なのは無理もないとして、近い例が、倫敦《ロンドン》で一|打《ダース》入り一箱十|片《ペンス》半のXマス爆烈菓子が、ここでは一個につき二|法《フラン》――瑞西《スイツル》の法《フラン》だから、約一|志《シル》六|片《ペンス》――もすると、眼を丸くして話した善良な老婦人があったが、これも考えてみると、妻の誕生日|贈物《プレゼント》に飛行機に飛行士をつけてやったり、リンクでちょっと相識になった人が帰ると聞いて、こっそり買い入《いれ》た最新型の自動車を出発の朝ホテルの玄関へ廻して置いて「|驚かし《サプライズ》」たりする「|巨大な人々《ビッグ・ピイプル》」にとっては、こうであるほうがほんとなのだろう。僕らの知ってる一人の中年過ぎた亜米利加《アメリカ》の女は、善美を尽した一大汽船を移動邸宅にして、それに船長以下数百の乗組員と、身の廻りの召使い達と、男女の客と、食糧と日常品と管絃楽を満載してしじゅう世界中を浮かび歩いて遊んでると言った。彼女の船にはプウル・舞踏場・玉突き室・大夜会場・テニスコウト・幾つかの自動車庫・それに農園や牧場まであるという評判だった。冷凍室《アイス・チャンバア》なるものを信用しない彼女は、こうして船中に自給自足の設備をととのえているのだとのことだった。その船は、いまゼノアに停泊していて、彼女は、船長と無線電信技師と何人かの愛人と執事と女中の上陸団を統率して、モリッツ・ドルフの Suvretta Haus に可笑しいほど大袈裟《おおげさ》な弗《ドル》の陣営を構えていた。
まあ、こういうのは僕らに直接関係がすくないにしても、言わば、こんなのが冬の聖《サン》モリッツを作る中枢系統なんだから、純粋にスポウツそのもののためにやって来る人は比較的少数だと断定していい。氷上ホッケイとクレスタ競争がモリッツの呼び物なんだが、それだってこれを見に集まるものも全体の三分の一で、他はことごとく、ただ何てことなしに、「今年の冬はサン・モリッツで|大きな日《ビッグ・デイス》を持ちました」と威張るために出かけてくるらしい。
勿論、そこには、一年中の給料を貯金したので着物を買って来てうまく名流令嬢になり澄ましているマニキュア・ガアルや、故国の自宅へ帰ると暗い寒いアパアトメントの階段を頂上まで這いあがらなければならない、自選オックスフォウド訛《なま》りの青年紳士やが、それぞれ「大きな把捉《キャッチ》」を望んで、このSETに混じって活躍していることは言うまでもあるまい。聖《サン》モリッツは贋《にせ》と真物《ほんもの》の振酒器《ミックサア》なのだ。みんながお互《たがい》に make-belief し合って、相手の夢を尊重する約束を実行している催眠状想――それは、山と湖と毛糸のOUTFITによって完全に孤立させられている別天地なのだ。おまけに、雪はすべてを平等化する――何という、adventurer と adventuress に都合のいい背景であろう! そして、そこを占めるものは、男も女も同じ服装で傾斜を転がる笑い声であり、濡れて上気した女の頬であり、皮革《かわ》類と女の汗の乾く臭いであり、誰でもとの交友と・ダンスと・カクテルパアティと・スキイの遠出と・夜ふけのホテルとであり――だから、男振り自慢の巴里《パリー》の床屋は、外見を急造して大ホテルへ乗り込み、「美術家」と自己登録していることであろうし、港の運送屋は貿易商と、ピアノ運搬人は音楽批評家と、安芝居の道具方は舞台装置家と、帽子の売子嬢は「頭部の専門家《スペシャリスト》」と、自費出版の未亡人は詩人と、街路掃除夫は社会改良家と、踊り子は「舞踊家」と、郵便脚夫は「官吏」と、機関手は運輸業と、給仕は会社員と、売笑婦は「独立生計《インデペンデント・ミインズ》」と、銘々その花文字のようなホテルの台帳の署名と一しょに、こういう触れこみで押し廻っているかも知れないのだ、The White Carnival !--St. Moritz !
2
「真逆《まさか》あなたは、この一つの修辞的方程式に盲目であっていいとは仰言《おっしゃ》いますまいね。というのは、聖《サン》モリッツの雪は、近代の恋愛の諸相と同じだという事実なんですが――如何《いかが》ですか、私に、それを証明する光栄を許して下さいますか。」
ロジェル・エ・ギャレは、こんなようなものの言い方が大好きなのだ。
その時、私達は、正面のタレスに揺椅子《ゆれいす》を持ち出して、ちょうど凍りついた夕陽の周囲を煙草のけむりで色どっていた。
私たちの前には、枕のような雪の丘が、ゆるい角度をもって谷へ下りていた。高山系の植木が、隊列を作って黒い幹を露わしていた。その、雪を載せた枝の交叉は、まるで無数のハンケチを干しているようだった。雪を切り拓いた中央の小径《こみち》を、食事に後《おく》れたスポウツマンとスポウツウウマンとが、あとからあとからと消魂《けたたま》しく笑いながら駈け上って来ていた。スキイを皮紐《ストラップ》で縛って肩へ担いだ彼らの、はあはあ[#「はあはあ」に傍点]いう健康そうな息づかいが、私達のいるところまで聞えていた。ほ・ほう! と、しきりにうしろの者を呼ぶ声が薄暮に山彦した。雪は残光に映えて藤紫《ラヴェンダア》に光っていた。山峡には、水蒸気のような霧が沸きかけていた。そこへ、粗い縞《しま》を作って、町の灯が流れはじめた。これは、木彫りの熊・深山《みやま》ははこ[#「ははこ」に傍点]の鉢植・一面に瑞西《スイツル》風景を描いた鈴・智恵の小箱・コルク細工の壜栓《びんせん》・色塗りの白粉《おしろい》入れ・等原始的な玩具《おもちゃ》の土産類をひさぐ店々である。ときどき懐中電灯を照らして馬橇《ばぞり》を走らせる人も小さく見えていた。遠くで汽笛がした。それが反響して星をふるわせた。あたりは赤く暗く沈み出して、当分のスポウツ日和を約束していた。スキイヤアスは、重い靴底で、ホテルの前の雪を思い思いに踏み固めてみて、明日の「状況《コンデション》」を調べていた。地雪の粗さやねばり[#「ねばり」に傍点]工合が彼らには何よりも気になるのだ。なかには、片手で雪を握り締めては、首を捻っている人もあった。いま積もってる上へ濡れ雪が落ちることは、皆がみな何よりも怖れている変化だった。じっさい、水気を含んだ雪の次ぎに一晩の酷寒でも来ようものなら、スケイトの熱心家は喜ぶだろうが、スキイヤアは一せいに泣き顔である。表面が石畳のように固形化して、自殺の意思なしではスキイられないからだ。人々は、いつまでも雪に触ってみたり、それから何度も空を仰いだりして、ようやく安心してホテルへ這入って行った。タレスに残ってスキイの手入れをしているのもあった。そこにもここにも雪を払う音がしていた。石段を蹴って靴を軽くしているものもあった。あるいは背中の雪を落しっこしていた。ボウイ達が柄《え》の長いブラシを持って走り廻っていた。誰もかれも真白な呼吸《いき》をしていた。それはちょうど人々の腹中に何かが燃えていて、その煙りが間歇《かんけつ》的に口から出て来るように見えた。鈴の音が、いま汽車を降りた新しい客の到着を報《しら》せた。前から来ている知人達が迎えに走り出て、男も女も、女同士も男同士も、交《かわ》る代《がわ》る頬へ接吻し合った。その口々に絶叫する仏蘭西《フランス》語の合唱が大事件のようにしばらく凡《すべ》ての物音を消した。何ごとが起ったのだろうと、上の窓に三つ四つの顔が現われた。
闇黒の度が増すと、タレスから雪の上へかけてホテルの明りが、広く黄色く倒れた。その上を、ダンスの人影が玄妙に歪《ゆが》んで、一組ずつはっきり[#「はっきり」に傍点]映ったり、グロテスクに縺《もつ》れたりして眼まぐるしく滑って行った。
私達の背後《うしろ》には、食堂の真ん中の空地《あき》を埋《うず》めて弾《ば》ね仕掛けのように踊る人々と、紐育《ニューヨーク》渡りのバワリイKIDSのジャズ・バンドとがあった。彼らの三分の二は黒人だった。サクセフォンは呻吟し、酒樽型の太鼓は転がるように轟《とどろ》き、それにフィドルが縋《すが》り、金属性の合の手が絡み――ピアニストは疾《と》うに洋襟《カラア》を外して空《クウ》へ抛《なげう》っていた。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, Was it a dream ?
昨夜《ゆうべ》あなたは僕の腕の中にあった。
僕の腕はまだその感触でしびれてる!
それなのに夢だなんて!
Say, was it a drea--m !
Was it a drea--m !?
[#ここで字下げ終わり]
一曲終る。アンコウルの拍手はしつこい。続いてまた、直ぐに始まる。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a--?!
[#ここで字下げ終わり]
限《き》りがない。
ロジェル・エ・ギャレは、ここでいきなり先刻《さっき》言ったように私に話しかけたのだ。しかも、これが初対面の挨拶なのである。もっとも私は、その後よく彼が、この「サン・モリッツの雪と近代の恋愛」という得意の題目で、到るところで未知の人と即座に交際を開始する手ぎわを見たことがあるけれど、何しろ、その時は最初だったし、それに、果して私にアドレスしてるのかどうか判然しなかったので、私は、彼に不愛想な一瞥を与えたきり黙っていた。すると、ロジェル・エ・ギャレは面白そうににこにこ[#「にこにこ」に傍点]して、勝手に私の横へ椅子を引いたのである。
これでも判る通り、このロジェル・エ・ギャレは百パアセントの希臘《ギリシャ》人なのだ。古来ぎりしゃは、どこの国よりも多くの独断家を産出した点で、哲学史上有名な民族である。そして、この種の独断家には、出来るだけ思いがけない場合に、出来るだけ思いがけないことを、例えば、同盟|罷業《ひぎょう》を討議中の労働組合総会の席上で、やにわにダフォデル水仙の栽培法を説き出したりなんかして、人をびっくりさせることも、その才能の一つとして公認されていなければならない。
水仙《ダフォデル》を手がけて最上の効果を期待していいためには、まず、排水の往き届いた、※[#「土+盧」、第3水準1-15-68]※[#「土+母」、261-10]《ろぼ》性粘土の乾涸《かんこ》せる花床《はなどこ》に、正五|吋《インチ》の深さに苗を下ろし、全体を軽く枯葉で覆い、つぎに忘れてならないことは、桜草属《ピリアンサス》の水仙だけは、他種に比較してよほど繊弱だから、これは、機を見て早く移植する必要がある。ETC・ETC――と言ったような、こんな主張が、希臘《ギリシャ》生れの独断家においてのみ、その「頭の熱い」ストライキの議論と、何と不思議に美しく調和することであろう!
で、私は、頷首《うなず》いた。
彼は、自分の唐突な説が、私の上に影響したであろう反応を見きわめるために、身体《からだ》を捻《ね》じ向けて、私の顔を下から仰いだ。
『ははあ! 驚いていますね。しかし、驚異は常に智識のはじめです――。』
こう言って、彼は、少女のように肩で笑いながら、彼のいわゆる「方程式の証明」に取りかかったのだった。
私は、片っぽの耳だけを希臘《ギリシャ》人に与えて、もう一つの耳では、バワリイKIDSの狂調子を忠実に吸い込んでいた。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream !?
[#ここで字下げ終わり]
――ほかの国では、誰も、雪になんぞ特別の注意を払うものはあるまい。雪は、要するに、あんまり有難くない白い軟泥の堆積で、あとで、もっと有難くない茶色の街路を作り出す原因に過ぎないとされてる。が、それは、雪がすくないから研究の機会も必要もないまでのことで、瑞西《スイツル》なんかでは、この「冬の地面の外套」を、あらゆる楽宴の必須条件として、皆はそれを見守り、試験し、一種表現の出来ない、したがって外部の人には想像もつかない心遣いをもって愛撫さえもしているのだ。第一、雪が降り出すが早いか、それは非常な心配のこもった眼で看視される。純な白い雪片が、大きく穏かに、そして盛んに落ちて来ると、人々は、二、三日うちにすべてのスポウツ慾が満足されることを知って、歓喜の声を上げる。が、もしそれが、うすい、速い、氷雨《ひさめ》に似たようなものであれば、これは徒《いたず》らに、今までの積雪の表面に余計な硬皮《クラスト》をかぶせるだけの役にしか立たないから、折角の舞台を滅茶々々にされて、みんな恨めしげに空を白眼《にら》んで祈るだろう。スケイトやとぼがん[#「とぼがん」に傍点]橇《そり》やカアリング――氷上ボウルスとでも謂《い》うべきウィンタア・スポウツの一種で、三十から四十|封度《ポンド》ある丸い石を氷のうえに転がして、TEEと呼ばれる三つのうち中央の円内へ、出来るだけ早く、そして多く入れようというゲイムだ――は、充分の雪量と適度の寒ささえあれば、雪の質にまであんまり八釜《やかま》しいことを言う必要はない。が、スキイとなると大いに雪を選ぶ。スキイヤアスの一番憎むのは、時ならぬ雨だ。どんなに立派な雪でも、半時間の雨で台なしにされてしまう。単に快走を妨げるばかりでなく、雨を吸った雪が一旦凍ったが最後、そこには、今まで存在しなかった現実の危険が潜み出すからである。
そこで、ウィンタア・スポウツの眼で見た雪の種類。
粉雪・柔かい雪・固い雪・毀《こわ》れない外皮《クラスト》・こわれる外皮《クラスト》・それから、これは雪じゃないが、地方的にFOEHNと呼ばれる不時の温風――これらの区別が、ロジェル・エ・ギャレによると、近代恋愛の種々相《フェイゼス》と完全に一致すると言うんだから、確かに一つの「|叫び《スクリイム》」だ。
3
ナタリイ・ケニンガムは、二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。だかち、母親のケニンガム夫人は、この二個の名をいろいろに使って、娘を馴《な》らそうと努力していた。言うまでもなく、ケニンガムは倫敦《ロンドン》から来ている母子《おやこ》である。
粉末雪――この、軽い、塵埃《じんあい》状の雪は、スキイには持って来いだ。一ばん愉快な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の雪に限る。スキイの平行運動に強い粘着力が加わって、それが走者の体重にちょうどいい足場を与えるから――欧洲大戦後の都会での二十歳代の恋に似ている。それは、大学の芝生で、街頭《プロムナアド》で、キャフェで、その他あらゆる近代的設備の場所で、降るともなく積もるともなく飛び交す、塵埃《ごみ》のように素早い視線の雪だ。一番自由な、無責任な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の遊戯のうちに限る。恋の散歩の平行運動に快い粘着力が感じられて、そして、それがそのまま、彼または彼女の反撥を助けるから。
柔かい雪――つもるばかりで固まらない雪。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、スキイには大敵だ。第一、スキイが深く沈み過ぎるし、おまけに雪崩《なだれ》の危険がある。経験あるスキイヤアはこういう雪では決して遠くへ出ない。どんなに油と蝋《ろう》の利いたスキイでも、尖端に雪の山を押して折れるか、さもなければ全身埋没して動きが取れなくなる――呼び出し電話ばかり掛って来て、never どこへも行き着かない恋。年々|尠《すくな》くなりつつある Good Girls という型《タイプ》が、電話線の向端で標準国語を使っている。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、大いに注意を要する――とロジェル・エ・ギャレは説くのだ――第一、うっかり[#「うっかり」に傍点]してるうちに深く沈み過ぎるし、おまけに自ら感情のなだれ[#「なだれ」に傍点]を食う危険がある。つまり例の、泣きながら笑うようなことをいつまでも繰り返す、恋のヒステリイ発作だ。だから経験ある恋愛人は、こういう電話では決して遠くへ行かない。どんなに噪狂なダンス・レストランの「隅の卓子《テーブル》」ででも、または街路樹のさきが窓の下に揺れてるCOZYなアパルトマンの一室ででも、彼はただ「空っぽの恋愛」に埋没するだけで、どうにも動きがとれなくなるにきまってる。
硬い雪――浅く滑かに氷った表面。しかし、あの、灰色にぎらぎら[#「ぎらぎら」に傍点]してる硝子《ガラス》のかけらのようなやつはいけない。多勢スキイヤアスの集《あつま》る陽かげの丘なぞに、よくこの「硬い雪」の展開が発見される。一つはその上の頻繁な交通《トラフィク》に踏まれて出来るのだ。主に疾走に歓迎される。CHRISTIやステム・タアンにもいい。クリステはクリスチアナ――諾威《ノウルウェ》の首府の前名から来てる――の略で、スキイを外側に円《まる》く使って、急に向きを変える曲芸《スタント》の一つである。ステム・タアンは、片方のスキイを上げて他と一定の角度に置き、それへ全身の重みを投げて急廻転する。これはステミングとは違う。ステミングは、スキイの先を一点に近づけ、背後を拡げてV字形を作る。傾斜の激しい氷面を降りる時になど、スピイドを加減するための方法である――この硬い雪は、近代的に場慣れた恋だ。だから、あの、硝子《ガラス》玉のように妙にぎらぎら[#「ぎらぎら」に傍点]する嫉妬の眼はいけない。「大戦後の新道徳」を実践して来た同志のあいだにのみ進展する恋である。これは、一つは、多くのシチュエイションを手がけて、色んな相手との交通を踏んだためだ。したがってこの恋は勇壮に疾走する。そして、よりいいことには、相互の理解のうえで、色んな恋愛技術のSTUNTが行われるだろう。クリステだの・ステムだの・V字形だの。
毀《こわ》れない外皮《クラスト》――雪・雨それから寒風とこう続くと、サン・モリッツをはじめ瑞西《スイツル》じゅうのスポウツマンは上ったりだ。地雪のおもてが氷のように硬張《こわば》って、しかも、いつそれが「|醜い姉妹《アグリイ・シスタア》」と呼ばれる次ぎの種類に急変しないとも限らない。で、最も嫌がられる一つである――結婚しなければならなくなって結婚した結婚だ。大戦の直ぐあとの混沌とした時代に発生した、こういう結婚の多くを、私たちは今日の欧羅巴《ヨーロッパ》文学の作品と実際生活のうえに見る。「あらゆる事情」が「たった一個の指輪」に罩《こ》もっていて、そしてそれが、毀れそうでなかなかこわれない。それだけ厄介なのだ。
こわれる外皮《クラス卜》――スキイヤアスの悪夢である。すこしも続けて滑ることが出来ない上に、この種の雪は、廻転《タアニング》を絶対に不可能にする。間誤々々《まごまご》すると sitzplatz だ。山の中腹以下に多い。これを識別するには、雪を手で振るといい。指の間から水が滴《したた》るようでは駄目だし、音を立てて軋《きし》んで、固いボウルになれば占めたものだ。雪融《ゆきど》けは空気のにおいで解る。また、風の方向の通りに小波状に光ってる場所も、避けなければならない――恋愛の悪魔だ。長つづきしないくせに、タアニングも容易でない。そのうちに流行の離婚ということになる。ほんとにあの戦争の苦楚《くそ》を嘗《な》めた中年以上に多い。
FOEHN――瑞西《スイツル》に特有な、俄かの雪解けをもたらす暖かい地方風だ。これが吹き出すと、蝋を引いたばかりのスキイにさえ、雪が球状に附着するから直ぐ予知出来る。そうすると、「毀れる外皮《クラスト》」のあとに、つづいてTHAWが来る惨めな二、三日を覚悟して、人はみんな shank's pony で町と森の逍遥に出かける。おかげで、聖《サン》モリッツや、モントルウや、インタラアケンや、ルツェルンなどの小博物館のような記念品屋《スウベニア》で、水を入れると歌い出す小鳥のコップ・開け方のわからない謎の洋襟《カラア》箱・検微鏡でなければ針の読めない小さな時計・オルゴウル入りで「|甘い家庭《スウィイト・ホウム》」を奏する煙草壷、なんかが店を空《から》にするまで売れて往くのだ。あめりか人の・英吉利《ギイリス》人の・仏蘭西《フランス》人の・希臘《ギリシャ》人の・日本人の、好奇なウィンタスポウツ旅客団の襲来によって――これは、近代の恋愛に特有な、週期的な雪解けの微風である。こいつが吹き出すと、結婚したばかりの相手のポケットから見慣れない手紙が出て来たりする。そうすると、退屈と焦慮の今後を覚悟して、人は冒険心に乗って町と森の逍遥をはじめる。そして、おかげで、大都会と開港場の恋の市場が空《から》になるほど盛《さか》るのだ。亜米利加《アメリカ》人の・いぎりす人の・仏蘭西人の・ぎりしあ人の・日本人の、好奇な恋の観光団の襲来によって。
――証明を終ったロジェル・エ・ギャレは、薔薇《ばら》材のパイプに丹念に小鼻のわきの脂《あぶら》を塗りはじめた。木を古く見せて、光沢を出そうというのである。
私達のあいだには、スキイ――英吉利人はSKIを北欧の原語どおりに「シイ」と発音するが、この音の仏蘭西語には一つの野蛮な意味の言葉があるから、大陸ではやはりスキイと言ったほうが穏当だ――のように、いつまでも会話が辷《すべ》った。
私が話した。
ひとりの若い日本の学者が、倫敦《ロンドン》に来ていた。彼は、研究の題目以外に、下宿の娘にも異常な魅力を感じた。娘も母も、自分たちが、その外国人の上にそんな大きな影響を投げていることは知らずに、そうすることを異国者に対する義務と思って、出来るだけ好《よ》くしていた。娘は日本人と一しょにどこへでも出かけた。それは、彼女にとっては、恋からは遠い尊敬と友情のこころもちだった。が、日本人はそれを恋と取ったのだ。そして、それによって一層自分の感情を燃やして行った。そういう気で見ると、何の意味もない娘の一挙一言も、彼には、すべて別の内容をもって響くのだった。事実ふたりは、必要以上にいつも一緒にいるようになった。それは、誰の眼にも恋人同志としか映らなかった。近処は彼らの評判で賑やかだった。その噂が母親なる主婦の耳にも入った。早晩彼が、正式に結婚を申込もうと思っている或る晩、二人伴れで散歩から帰って来ると、娘の母が言った。
『さっきお隣の奥さんが見えて、こんな莫迦なことを訊くじゃありませんか。わたしは怒ってやりました。お宅のお嬢さんとあの日本の紳士とは恋仲のようだが、もしあの方がお嬢さんに結婚を申込んだら、あなたは母としてどうするつもりかって――わたしは答えました。日本人は世界一に血の伝統的純潔を誇る国民です。彼らは、何よりも雑婚をいやしむのです。その日本紳士から結婚を申込まれるなんて、うちの娘がどうしてそんな光栄を持ち得ましょう? 考えるだけで、それは日本人にとってこの上ない侮辱です――と、わたしはあなたの名誉のために弁解しておきました。思慮のない人々が詰らないことを言い出すのにはほんとに困ります。が、そういう人が少なくないのですから、これからはあんまり二人で外出しないほうがいいでしょう。それに、忘れていましたけれど、此娘《これ》は近々田舎の親戚へ行くことになっていますし――。』
こういって、彼女は、自分の機智を悦《よろこ》ぶように笑った。勿論その「おとなりの奥さんが来てうんぬん」の全部は、事態の急を察した、下宿の主婦らしい彼女の作りごとだったのだ。これで日本人の出鼻を挫《くじ》こうとしたのである。彼女の計は見事|的《まと》に当って、日本人は蒼白な顔に苦笑を浮べたきり黙り込んだ。けれども、主婦が驚いたことには、この策は、結果から見て反対の効果を挙げただけだった。と言うのは、単に母親と違った観方《みかた》を持っていることを示すために、急に恋を感じた気になった娘は、いきなりその場で、日本人の首に腕を廻して接吻してしまったからだ。二人は母親と研究を捨てて、幸福と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。食うや食わずで困り切っている彼ら夫妻に、僕らは巴里《パリー》で会って識《し》っている。
異人種間の結婚に関するロジェル・エ・ギャレの意見を叩くために、私は特にこの挿話を持ち出したのだ。ところが、このなかで彼の興味を惹いたのは、最後の「何事につけても母親と異《ちが》った意見を持っていて自分のしたいとおりにする大戦後の娘」という一項に過ぎなかったから、私としては、すっかりこの目算が外れたわけだけれど。
彼は語った。
彼の友人に、倫敦《ロンドン》で開業している医者がある。やはり生れは希臘《ギリシャ》だが、今は英吉利に帰化していて、まだ若いにも係わらず、相当腕があるらしく、その病家の多くは、いわゆる社交界と呼ばれる階級に属している。
いぎりすでは、WEEK・ENDを騒ぐ。
土曜の正午から月曜の朝へかけて、誰もかれも田舎へ出かける。倫敦の周囲などには、海岸に、テムズの流域に、この小旅行の土地が無数に散在していて、或いは別荘へ、ホテルへ、またはキャンプに、人は義務のようにして泊りに行く。郊外に近い家の往来に面した部屋なんかにいると、土曜日曜は、ゴルフ道具・小鞄等を満載してしっきり[#「しっきり」に傍点]なしに流れる週末自動車の爆音で夜も眠れないくらいだ。
この週末旅行《ウィイキ・エンド》のなかで最も上等《クラシイ》なのが、country home へ招いたり招かれたりして、宴会・舞踏・カアド・テニスのパアティを連日連夜ぶっつづける種類である。何しろ爛熟し切った物質文明を無制限に享楽する時代と場処のことだ。しかもそれが大掛りな私遊《プライヴェシイ》なんだから、そのいかにでかだん[#「でかだん」に傍点]なものであるかは、あの有名な petting party なんかという途轍《とてつ》もない性的|乱痴気《ハラバルウ》が公然と行われている事実からでも、容易に想像されよう。そもそも、このペテング遊びなるものは――となると第一、傍道《わきみち》に外《そ》れるし、それに、どうもすこし説明に困るから、まあ、ここじゃあ止《よ》しとこう。それよりも、今いったロジェル・エ・ギャレの友達の医者《ドクタア》なる人の経験だが、こういう次第だから、彼が、ある week-end に出入りの有力な病家に招待されてその|田舎の会《カントリイ・パアティ》の客となったとき、そこに、一体どんなに大々的な歓楽の無政府状態が彼を待ち構えていたかは、つぎのような一つの実話が発生しただけでも、それはより[#「より」に傍点]容易に想像されようと思う――。
ちょっと語を切って、ロジェル・エ・ギャレは背後の音波に身を浸した。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream ―― ?
[#ここで字下げ終わり]
で、僕も章《チャプタア》を更《か》える。
4
土曜日の夜、というよりも、もう日曜の朝だった。ダンスがこわれて、ドクタアは、与えられた階上の寝室へあがって行った。こういう家は、泊りがけの客を考えて、まるでINNのように建てられてあるのが常だ。だから、これが小説だと、「みんな一本ずつ蝋燭《ろうそく》を貰って、階段の手すりを撫でながら寝室を志した。彼らの跫音《あしおと》によって、古い樫材で腰板を張った壁が鳴った。天井は、|お休み《グッド・ナイト》・|お休み《グッド・ナイト》という口々の音を反響して暗く笑った」というところだが、とにかく、ドクタアは自分の部屋を探し当てて寝支度にかかった。燕尾服の直ぐあとで、パジャマのゆるやかさは殊に歓迎された。彼は、医師だけに空気の流通を思って、窓と廊下の戸をすこし開けたまま、灯を消してベッドに這い上った。
そして、暫らくうとうと[#「うとうと」に傍点]した。が、彼の浅い眠りは、間もなく、しきりに軽く彼の肩を突つく柔かい手で破られた。
ぼうっとほの[#「ほの」に傍点]白いものが、寝台の横に立っている。
薄桃色の裾長な絹を引っかけた女の姿だった――なんかと勿体ぶらずに、手っ取早く「|豆をこぼして《スピル・ゼ・ビインズ》」しまうと、要するに、こうだ。
女は、その日の午後、はじめてドクタアに紹介されたばかりの、倫敦《ロンドン》の知名な実業家の娘で、しかも、父母や兄弟と一緒にこのW・Eに来ているのだった。
その彼女が、深夜、独り寝のドクタアの室《へや》へ扉《ドア》の隙間から流れ込んできたのである。
誰かが急病!――と、咄嗟《とっさ》の職業的意識に狼狽《あわて》て撥《は》ね起きたドクタアと、今にも彼のベッドへ這入りこみそうな彼女とは、早速こんな低声《こごえ》のやりとり[#「やりとり」に傍点]を開始した。
『何です? どうしたんです? 何か起ったんですか。』
『ええ。いいえ、あたし、あんまり足が冷たいもんですから――。』
『足――?』
善良なドクタアが愕《おどろ》いてるうちに、彼女は容赦なく割り込んで来てしまった。だから、このあとは、まるで夫婦のように、暗い寝室のBEDのなかでの問答なのである。
『困りますなあ。出て行って下さい。後生《ごしょう》ですから。』
ドクタアは、出来るだけ遠くの端に硬直して嘆願したことだろう。
『あら! なぜそう「大戦以前」でいらっしゃいますの?』
彼女は心から無邪気に笑った。
『いいじゃあありませんか。あたしのほうから来たんですもの――そして、うちの人にもお友達にも、あたしが押しかけたのですとその通り言いますから。そうすると、みんないつだって喜んでいます。』
[#ここから2字下げ]
昨夜《ゆうべ》あなたは僕の腕の中にあった。
僕の腕はまだその感触でしびれてる!
おお、それなのに夢だなんて!
Say, was it a dream ?
Was it a drea――m ?!
[#ここで字下げ終わり]
――というロジェル・エ・ギャレのはなしなんですが、いかがです、お気に召しましたか。
すべての古いものは、その古いが故に、それだけで価値を失ってしまった。今日では、それはすでに無智であり、罪悪でしかない。私達は、まずこの機械と工業の心もちにぴったり当てはまる、新しい生活上の規約を要求して真剣だ。これは、現在の欧羅巴《ヨーロッパ》に充満する一つの時代情緒である。それほどどこにでも、誰の胸にも強く感じられるのだ。だから、多数の「次世紀」の少年少女達が喚声を上げて旧道徳への突撃を開始している。彼らは、かつて「しべりあで新しい宗教が発掘」されたように、いま自分達の身辺に、全然あたらしい美醜と善悪と大小の標準を査定しようと焦《あせ》っているのだ。それには|母の大地《マザア・アウス》を掘り下げるように、じっさい大地ほども根づよい既成観念のことごとくを滅茶々々に破壊する戦争行為が第一だ。そして、この地均《じなら》し時代の階梯においてのみ、究極は離れなければならない運命のインテリゲンツィヤと労農階級も、楽しく共同の作業を進めることが出来るのである。
この種の闘士は、国境と人種と形式を超えて親密に相識だ。私たちは、巴里《パリー》で倫敦《ロンドン》で伯林《ベルリン》で、ストックホルムで、羅馬《ローマ》で、そして聖《サン》モリッツで、これらのたくさんの未知の青年男女を街上の知人にもったことを誇っている。
|若い人たち《ヤンガ・ジェネレイション》のあいだにおける性道徳の衰退――なんかとリンゼイ判事あたりが慨世的に噪《はしゃ》ぎ立ててるうちに、英吉利《イギリス》では、早《は》や一つの新戦法が発明されて、どんどん[#「どんどん」に傍点]実用に供されている。それは婚約という古い習慣を応用した逆手である。つまり、婚約者同志なら何をしようと勝手だろうというんで、はじめから相互に結婚の意思なく、盛んに婚約の成立を宣言しては、矢継ぎ早やに取消すのだ。そしてその婚約の期間中、ふたりは準夫婦というより純夫婦のごとく振舞い、また、社会もそう受け入れざるを得ないことを、彼らはよく承知している。これは、今後も当分効果のある新手《あらて》として目下大流行である。何しろ、婚約者だというんだから老年の「支配階級」も手が出ない。そこで、婚約しては破り、婚約しては破り――この「性道徳の衰退」から一個のあらたな性道徳が生れようとさえしている。もっとも、これは離婚という父母達の遊戯を、息子やむすめが忠実に真似し出したところから来ているのかも知れないが――「性の欧羅巴《ヨーロッパ》」はどこへ往きつくか。現行諸制度の社会的権威が、そろそろこの辺から崩れかけたのではあるまいか。とにかく英吉利《イギリス》では「結婚を目的としない婚約」が性道徳の破壊行為として八釜《やかま》しく論じられ、一方には、それほどの問題となるまでに、若い男女間に広く実行されている。霧の白いハイド・パアクの隅で、頭の上で高架線の唸《うな》るガアドの暗黒で、何と夥しい「婚約者」の群が痛快に性道徳を衰退させていることだろう! そして、婚約者のすることだから、誰も文句は言えない! 黙って、見ずに、さっさと通り過ぎて行く――。
ところで、ナタリイ・ケニンガムは二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。で、母親のケニンガム夫人は、その二個の名前をいろいろに使うことによって、何とかして「大戦後の娘」の信頼をつなぎ止《とど》めて置こうと、それはそれは惨めな努力を続けていた。言うまでもなく、このケニンガムは、倫敦《ロンドン》から来て、サン・モリッツのオテル・ボオ・リヴァジュに、私達やロジェル・エ・ギャレと朝夕顔を合わして滞在してるのだった。
今までの場面がすべて倫敦《ロンドン》なのでも判るように、こういうことにかけては、見かけによらず、英吉利《イギリス》のほうがよほど突進的で、したがって事件に富んでいる。仏蘭西《フランス》は、これから見ると、柄になくおとなしい。一たい巴里《パリー》人なんかでも、一般に想定されてるとは正反対に、極く伝習的な、着実な人間なんだが、それが地方へ出ると一層古めかしくて、ふらんすの田舎では、いまだに半職業的な媒妁人《マッチ・メエカア》が、たいがい一村にひとりぐらいいて、世界的に有名な日本のMIAIに似た結婚方法を司っている。
『ベギュル・ヌウという鬼《ポウギ》を御存じですか。』
近くに椅子を寄せて私の妻と話し込んでいる、ロジェル・エ・ギャレの知人――ホテルでの――だという三十前後の仏蘭西女の声だった。
先刻から何かしきりに妻と問答していたのだ。
私とロジェル・エ・ギャレは、言葉を中止して、二人とも仏蘭西語の方へ注意を向けた。そして、非常に疲れた人のように正面を見詰めたまま、その話を聴き取ろうと静かにした。私たちの話題がそっちへ伝染して行って、妻と彼女も、結婚を中心とする雑談を始めていた。それがこの仏蘭西《フランス》の女に、自分の結婚を思い出させたのだった。
彼女は言った。
『私は、ブリタニイのカルナク――あの「石の兵士」に近い村で、お祖母《ばあ》さん一人の手で育てられたのです。カルナクは、荒れた野のうえに一|哩《マイル》以上もの大石垣が走っていて、地球の若かった頃を思わせる伝説の部落です。そして、そこの酒場は影のような人々で一ぱいですし、その人々はまた、土の香《かおり》と官能の夢しか何ひとつ持ち合せがないのです。このカルナクの部落で、私と祖母は、鶏と兎を飼って暮らしました。祖母は、誰にでもすこし気が変だと思われていました。幾つぐらいでしたろう? 顔に千三十八の皺《しわ》があって、顎髯《あごひげ》が生えていました。』
5
『子供達はその顎髯を怖がって、祖母が市場へ買物に出ると、みんな木へ登って、葉と枝のあいだから悪口を落とすことにきめていました。すると、黒いエプロンに白の帽子をかぶった祖母が、大きな杖を振り上げて、あちこちの方角へ罵声と白眼を投げるのです。言葉はブリトン語でした。そして私たちは牛酪《バター》を作って、旅行者へ売りました。
祖母は、確かに一つの性格でした。昔からの怪談と、鬼どもの話だけはすっかり諳誦していて、村の人は、信じはしませんでしたが、祖母のお話を聞くことだけは、誰も好きなようでした。祖母は、ただ人に怖がられるのが面白かったのかも知れません。色んな人が、夢や前兆のことを訊くために祖母を訪れました。そして、それが、不思議に、みんな祖母の言う通りになるのです。
一度こんなことがありました。
ケリュウ爺さんという村の麺麭《パン》屋が、或る晩、自分の前を走って行く Begul-Nouz を見たと言って、蒼くなって祖母のところへ駈け込んで来ました。このベギュル・ヌウという鬼のことを御存じですか。これは、結婚と葬式の前触れをする役目の小悪魔なのです。そこで祖母は、骨だらけの指をケリュウ爺さんの鼻先で動かしながら、お前さんは一月うちに死ぬか結婚するかどっちかだと明言したものです。お爺さんは三度も女房に別れた人で、もう一ぺん結婚するくらいなら、お葬式のほうが増しだなんて言っていましたが、それがどうでしょう! 次ぎの月の六日には、どこからか渡って来た頭髪の赤い、若い女と一しょになって祖母のところへお礼に参りました。これには村中が大笑いに笑って、聖《サン》マルネリの寺院に、まるで灯の山のようにお蝋燭が上りました。
ブリタニイの女は、牛に似ています。
その牛のようだった私も、いつしか若い男達の眼を惹くようになりつつありました。牛を教会へ連れて行って、お水をかけてもらう日があります。これが大変です。何人もの男たちが、私の牛を引いてってやろうとまるで喧嘩のように申し出るのです。聖《サン》ジャンの祭礼の晩には、村の広場に篝《かが》り火を焚いて、青年たちが夜どおし真鍮《しんちゅう》の盥《たらい》を叩く例です。が、私だけは家に閉じ込められて、ただその騒ぎを遠くに聞いていなければなりませんでした。
なぜって、お祖母《ばあ》さんは、カルナク村の結婚世話人《マッチ・メエカア》をしていたからです。これは、年頃になったどこかの息子と、どっかの娘を、自分が仲に立って結婚させて、両方の親達からお礼を貰う一つの商売でした。じっさい、この結婚口利き業が、祖母の収入の殆ど全部ですのに、自分の孫である私の結婚となると、いま考えてみても可笑しいほど、祖母はむき[#「むき」に傍点]になって反対したものでした。それも、私を手離すのが淋しかったのと、もう一つは、あり勝ちな軽い嫉妬の形を変えた心もちからだったのでしょうが、結婚の仲介を稼業にしているくせに、或いは、それを稼業にしていればこそ、かえって、と言い直しましょうか、とにかく私の縁談には、冷淡以上に、惨酷なほどの態度をとっていましいた。そのために、言い寄ってくる男たちもいつの間にか遠のいて、私は、大きな身体《からだ》に子供のような服を着せられて、相変らず牛の乳をしぼったり、枯草を乾したりなんかばっかりさせられて、いました。もし若い男が私に話しかけでもしようものなら、祖母は狂気のように飛び出して行って、顎髯を振る、指を曲げて様々な悪霊の形を作って見せる、さては杖をかざして、ブリトン語で呪文を唱えながら白眼《にら》みつける、という始末ですから、とうとう村中の男が、誰も、私には、冗談は愚か、視線の一つも投げてくれないということになってしまいました。
が、結婚の問題は、ぼんやりながら始終私の頭にありました。若い女は、何よりも「遅くなる」ことを恐れるものです。しかし、そうかと言って、私から祖母に言い出すことは出来ませんでした。カルナクでは、女はただじっ[#「じっ」に傍点]と待っていなければならないことに決められているのです。
村外れの石山に、ケルト族の墓標だと言い伝えられて来た、円い大きな自然石があります。男性の形で、Croez-Moken ――つまり、若い女が、夜更けに出かけて行ってその上に腰かけるか、跨《また》ぐかすると、きっと一年以内に結婚が出来るという迷信のある石です。私は、今でも一番よくあの辺を覚えているほど、祖母の眼を忍んでは毎晩のように腰かけに行きました。
ところが、その夜は大雨で、私は自家にいなければなりませんでした。あなたは、ブリタニイの雨を御存じですか。大粒な水滴が地面を穿《うが》って叩きつけるのです。私たちは、早くから扉《ドア》を閉めて寝に就きました。が、雨風の音で眠れないので、私は長いこと床のなかで眼をさましていました。すると、ちょうど真夜中でしたが、俄かに起き上った祖母が、戸口や窓のところに立って、しきりに外部を窺っている様子なのです。どうしたんだろう――と思いましたが、そのうちに私も、眠さに負けてしまったとみえます。眼が覚めた時は美しい朝で、祖母はもう床を出て、心配そうに部屋中を歩き廻っていました。
ゆうべ祖母は、確かにあのベギュル・ヌウの跫音《あしおと》を聞いたと言うのです。その小鬼が、一晩じゅう雨に紛れてこの家のまわりを迂路《うろ》ついていた――祖母は、それを自分のお葬式の報《しら》せであると取りました。
『しかし、』と思い切って私は、祖母に注意してみました。『しかし、ベギュル・ヌウなら、お葬式のほかに結婚の先ぶれもすると言うじゃありませんか。きっと、近いうちに、私達のところへ結婚が来るのでしょう。』
すると、祖母は大声に笑い出して、私の小さな希望を失望の破片に変えてしまったのです。
『馬鹿な! 私のようなお婆さんに今になって結婚がやって来るなんて! 冗談もいい加減にするがいい。』
祖母はその後長く生きていました。そして、カルナクの村に、毎年幾組かの新夫婦をふやして行きました。が、私の結婚だけは、とうとう彼女の頭へ来なかったとみえます。私が結婚したのは、彼女の死後、ひとりで巴里《パリー》へ出て、よほど経ってからのことでした。それでも、いまでも仏蘭西《フランス》の田園や漁村には、私の若かった頃のような娘や、祖母と同じマッチ・メイカアや、村はずれの跨《また》ぎ石や、ベギュル・ヌウの鬼《ポウギ》などが揃っていて、古風な楽しい日が続いています。』
瑞西《スイツル》ウィンタア・スポウツのいろいろ。
スキイング――ホテル所属の斜面で美しい動作の習練にばかり熱中する人と、クロス・カントリイの遠走にのみ力を入れる型と、二種類ある、が、両方が或る程度まで平行しなければ、一人前のスキイヤアとは言われない。
テレマアク――軟雪の上に片膝ついて、他足を外側から前へ持って来てタアンする。
Ski-joring ――シイ・ヨウリングと読む。スキイで立って、馬に綱をつけて引っ張らせる。相当走らせるには、まず単独スキイの心得を必要とすること、言うまでもあるまい。
スラロム――むこうの困難な角度に立っている旗を廻って来るスキイ競走だ。一人ずつ走って、タイムで優劣がきまる。
スキイ・ジャンピング――ジャンピングには、スキイヤアは雪杖《ステック》を持たない。なめらか雪のトラックを辷《すべ》って来て、一線に小高く築いた踏切りへ達すると、スキイヤアはそのはずみで空へ飛ぶ。同時に両手を円く廻して飛行を助けるのだ。下が急傾斜になっているから、しぜん遠くへ届く。記録の計り方は、踏切線から、スキイの背部の落ちた地点までを取ることになっている。転べば除外される。
スケイティング――瑞西《スイツル》のスケイティングには、大陸式《コンチネンタル》と国際式《インタナショナル》の二類型ある。
前者は、言い換えれば英吉利《イギリス》風で、手も足も、身体《からだ》全体を直線的に動かしてスケイトしなければならない。インタナショナルの方は、足の使い方も自由だし、運動を助けるために身体をどう曲げてもいいことになっているから、初めての人にはこのほうが這入りやすい。曲《ファンシイ》スケイティングには、短かいスケイトが適当とされているが、氷ホッケイや競争には長スケイトが用いられている。
その他、いま言った氷上ホッケイだの、カアリングだの、バビングだの、テイリングだの、ルウズィングだのと、これらがまた幾つにも別れて、瑞西《スイツル》あたりのウィンタア・スポウツになると、かなり複雑なゲエムに進化しているが、そのなかでも、最も勇敢で、したがって一ばん危険の多いのが、俗に「骸骨《スケルトン》」と呼ばれるトボガン橇《そり》である。これは鋼鉄のスケルトンの上に板を渡して、走者はそのうえに、頭を下にして腹這《はらんば》いになる。うしろに出ている靴の爪先きにスパイクがついていて、それで舵《かじ》を取るのだ。時として肘や膝にもプロテクタアを当てがい、人によっては顔に厚い保護面《マスク》を被《かぶ》ることもある。滑路の両側には高い雪の塀を造って、橇が横へ外《そ》れないようにしてあるが、往々にしてそれを越えてすっ[#「すっ」に傍点]飛ぶことが珍らしくない。聖《サン》モリッツのとぼがん[#「とぼがん」に傍点]の記録は、ついに一時間七十|哩《マイル》を突発している。例のモリッツ名物CRESTA・RUNというのがこれである。
言うまでもなくモリッツのウィンタア・スポウツは、じつに大仕掛けなものだ。たとえば、スキイ・ジャンピングの競技場などでも、他のレゾルトでは、スキイ穿《ば》きで見物に来た人が、ずらりと雪の上に立って取り巻いているくらいのものだが、サン・モリッツとなると、瑞西《スイツル》の国旗を立て並べてお祭りさわぎの装飾をする。ジャンプ場なんか、まるでウィンブルドンの中央テニス・コウトの観がある。広い座席が何段にも重なって、一等席は倫敦《ロンドン》一流の劇場以上の切符代を取ってるくらいだ。そこへ、巨鳥のようにジャンパアが落ちてくると、パティの実写機が光る。運動記者の鉛筆はノウト・ブックを走り、メガフォンがその時々の結果を報告して号令のように轟《とどろ》く。
スケイトも同じだ。聖《サン》モリッツあたりのリンクで、軽業《かるわざ》のような目ざましいスケイティングをやってる連中を見ると、大抵は専門家ばかりである。橇競馬は瑞西《スイツル》じゅうどこにでもあるが、サン・モリッツはゲエムの馬が違う。頭部に色彩の美しい飾りを附けていて、橇もほかのより大きく立派に出来ている。
夜はダンスだ。どんなホテルでも舞踏交響楽のないところはない。昼間、男女の区別もわからないほど荒っぽい毛織物に包まれて雪と氷を生活していた紳士淑女が、短時間のあいだに流行の礼装に早変りして、ステイムと酒の香の温かい床《フロア》に「|触れ《タッチ》」を与えながら、夜が更けて、やがて、夜の明けるのを知らない。
例えばこの、オテル・ボオ・リヴァジュのバワリイKIDS大ジャズ・バンド。
[#ここから2字下げ]
Was it a dream ?
Say, was it a dream ?!
[#ここで字下げ終わり]
6
寒い国のくせに、どういうものか煖※[#「火+房」、288-5]の設備が感心しないから、瑞西《スイツル》のホテルは、来た当座は、誰もあんまりいい気持ちはしないらしい。もっとも、いぎりす人なんかがよく行くビイテンベルヒのレジナ・ニパラスあたりは、彼等の随喜する薪《まき》を焚く炉が切ってあるけれど、そのほかの場所では、大がい痩《や》せこけたステイム・パイプが部屋の片隅に威張ってるだけだ。それも、約束どおり働かなかったり、或いは逆に、蒸気が上り過ぎて室内が温室のようになったりして、とかく、この瑞西《スイツル》のホテルのステイムには非道《ひど》い目に会うことが多い。スプルウゲンでは、ホテルの一室ごとに中央に大きなストウヴが据え付けてあって、煙突が屋根をぶち抜いている。あまり美的でないと同時に、これは塵埃《ほこり》を立てるので弱らせられる。それから、これだけは、どうしても大きなホテルへ行かなければ遣《や》り切れない一つの理由は、お風呂である。スポウツで汗をかいて来ても、直ぐにお湯に這入れないとあっちゃあ、殊に日本人は往生する。
全く瑞西《スイツル》のステイムは、よくこれで失敗する旅客があるので有名だ。倫敦《ロンドン》や巴里《パリー》のつもりで寝てしまえば要らないだろうというんで、すっかり閉めてしまうと、パイプの運行が停まって湯が冷めるもんだから、夜が更けるにつれて凍り出すようなことになる。いわんや、ほかの国の気で、寝る前に窓でも開けておこうものなら、寒さのためパイプが破裂すること請合いだ。先年ルケルバルドでこのステイム・パイプがホテルの屋根を吹き飛ばしたことがある。あとからナイアガラのように水が噴き出て、不幸な止宿者一同は、難破船の乗組員みたいに泳ぎながら、村役場の出した救助ボウトを待たなければならなかった――なんかと、まさか、それ程でもあるまいが、ホテルのポウタアが話しているのを聞いた。が、これも、考えてみると、外国人には間違い易く出来ているのである。なぜかというと、ステイムの廻転面にある Auf という字は、英語の Off に発音が似てるけれど、こいつが食わせ物なんで、実は、その逆の On なのだ。そして、もう一つの Zu というやつが、Off を意味する。こういうことは、あちこち旅行していると珍らしくない。伊太利《イタリー》語の Caldoが、発音や字形の類似を無視して、ちょうど Cold の正反対の Hot に当るようなものだ。この場合も、冷水のつもりで熱湯を捻《ねじ》って、それこそ手を焼く――などという大失敗を演ずる旅行者が、ちょいちょいある。
よく犢《こうし》を食べさせられるにも、いい加減うんざりさせられる。じっさい瑞西《スイツル》では、どの牛も、牛になるよほど以前に殺されてしまうのであろうと思われるほど、さかんに、無反省に、犢《コウシ》の肉を出す。が、特に女の人に有難いだろうと思われるのは、チョコレイトである。それでも、戦争前は、もっと安かったものだそうだが、この頃だって、世界のどこよりも見事なのが、ずっと廉価に売られている。飲料はチョコレイトなんかには、じつに素晴らしいものがある。TEAの店も、聖《サン》モリッツあたりでは随分繁昌しているが、女給はお茶を持って来るだけで、ペエストリやなんかは自分で立って行って取って来なければならない。これを知らない外国人などがよく魔誤《まご》ついているのを見かけたものだ。
言葉は、主として仏蘭西《フランス》語と独逸《ドイツ》語だ。伊太利《イタリー》語も、南部の国境地方ではかなり通用するらしい。饒舌《しゃべ》っている瑞西《スイツル》語なるものを聞くと、ずいぶんよく独逸語に似ているけれど、字を見ると違う。ロマンシュといった瑞西《スイツル》特有の言葉は、この頃ではほとんど使われていないらしい。
しかし、まあ、どこへ行ってもそうであるように、都会の相当なホテルにいる以上、英語ですべて用が足りることは勿論だ。事実、聞くところによると、瑞西《スイツル》のホテルの給仕人や、チェンバア・メエドは、かならず英語の勉強に交代の倫敦《ロンドン》へ出て来るのだそうだ。だから、英語だけで立派に日常の用が弁ずるのに、不思議はなかった。
これは何も瑞西《スイツル》に限ったことはないが、方々歩いていて言語に困った時は、そこはよくしたもので、思わない智恵が浮んで来る。たいがいのことが、人間同志の微妙な表情で、どうやら相互に理解がつくから妙だ。
この間に処して、旅行者のための文章本《フレイズ・ブック》というものがある。が、これは余計だ。僕らも一通り揃えて持ち歩いたが、ほとんど使ったことがないと言っていい。肝腎なことだけは全部丁寧に抜かしてあるのだ。例えば、「あなたは羨むべき美しい声の所有主です」ことの、「きっと大歌劇に出ていたことがおありでしょう」ことの、という応接間的会話の羅列をもって充満されていて、よほど根気よくあちこち捜すと、「自分には七つの鞄がある」――なんてのを発見することもあるが、こういう成文《じょうぶん》は、実に、非実用の極《きわみ》、愚の到りで、あの忙しい停車場の雑沓で、へんてこ[#「へんてこ」に傍点]な外国語の本を開いて、駅夫相手にこんなことを言ったってとても[#「とても」に傍点]始まらない。それよりは耳でも掴んで引っ張って来て、七つの鞄を見せながら、白眼《にら》みつけるほうが早い――ということになる。そして、食堂で牛乳が欲しくても、靴下を洗濯に出そうと思っても、そういう俗悪なことは、この上品な文章本のどの頁にもないのである。
ナタリイ・ケニンガムは前まえから言うとおり二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。で、母親のケニンガム夫人は、このふたつの名前をいろいろに使って、それで娘を馴致《じゅんち》しようと心がけていた。言うまでもなく、ケニンガムは倫敦《ロンドン》から来ている家族である。
さて、この物語のはじめに、僕は、主人公のロジェル・エ・ギャレは漠然と結婚の相手を探しあぐんで、この瑞西《スイツル》山中の聖《サン》モリッツまで辿り登って来たのだと説明したように覚えているが、この漠然というところを、僕はいま、急に改めなければならない必要に面しているのだ。それは彼が、自分はナタリイ・ケニンガムに恋を感じていると、僕に打ち明けたからである。
ナタリイ・ケニンガムは、ベンジンのように火のつき易き性質だった。彼女は、片っぽうの眼で泣いて、ほかの眼で笑うことが出来た。お茶を飲みながら、食堂の真ん中で靴下を直した。晩餐には、アフタアヌウンの上へ真黄いろなジャンパアを引っかけて出席した。そして、それを笑う人と一しょに笑った。食後は、小刀《ナイフ》をくわえて西班牙《スペイン》だんすを踊った。昼は真赤なPULL・OVERでスキイに出かけた。というよりも、それは雪の上を転がるためだった。ころぶ時には、必ず誰か男の上を択《えら》んだ。それがロジェル・エ・ギャレだったことが二、三度つづいて、そして、可哀そうな彼をしてこの奔放な錯覚に陥らしめたのだった。彼女のスキイは、誰も手入れをするものがないので肉切台のように痕《あと》だらけで乾割《ほしわ》れがしていた。だから、彼女の加わった遠足スキイ隊は、必ず途中で何度も停滞して、彼女の所在を物色しなければならなかった。そういう場合には、彼女の赤い服装が雪のなかで大いに発見を早めた。すると彼女は、いつもスキイが脱げて立っていた。それを穿かせようとして、多くの男が即座にCRESTA・RUNを開始した。みんな一ばん先に彼女の助力へ走ろうと争ったが、これは、例外なくロジェル・エ・ギャレが勝つに決まっていた。それは決して、彼がスキイの名手だったからではなかった。つねに彼女のそばにいて、彼女のスキイに事件が起るや否、誰よりも早く奉仕出来る手近かな地位を占めているためだった。彼は、たとえ神様の命令でも、この特権を他人に譲ろうとはしなかった。早朝からNANの動静をうかがっていて、彼女が自室でスキイの支度をしている時は、すっかり用意が出来てホテルの玄関に待っている彼だった。その彼へ、彼女はときどき薄っぺらな笑いの切片を与えているだけにしか、私たちの眼には見えなかったが、それでも、ロジェル・エ・ギャレは満足以上の様子だった。雪解けがあったりして、スポウツに出られない日がつづくと、彼はもっと忙しかった。ナニイのブリッジの相手はこの希臘《ギリシャ》人に一定していた。お茶の舞踏には、火の玉みたいな彼女の断髪が、彼の短衣《チョッキ》の胸にへばり附いて、仲よくチャアルストンした。彼はその、上から二つ目の扣鈕《ボタン》の横に残った白粉《おしろい》のあとを、長いこと消さずにいた。それを人に注意されて笑う時の彼が、一番幸福そうだった。夜は、人並よりすこし長い彼の手が、フロックの下に直ぐ靴下吊具《サスペンダア》をしている彼女の腰を抱えてふらふら[#「ふらふら」に傍点]と「|黒い底《ブラック・バタム》」を踏んだ。しかし、|神よ王様を助け給え《ガッド・セイヴ・ゼ・キング》が鳴り出す前に、ナタリイは逸早く逃げ出していた。それを追っかけて、ロジェル・エ・ギャレはホテルじゅうを疾走した。会う人ごとに、彼女を見かけなかったかと訊くのが、彼は大好きだった。が、その時はもう彼女は部屋に上って、バス・ルウムで水を引いていた。その音は、どこにいても彼の耳に聞えて、はっきり鑑別出来るらしかった。これで彼も、ようようその一日を一日として、WATAのように疲れた身体《からだ》を階上の自室へ運び上げた。
こうして、ナタリイ・ケニンガムに対するロジェル・エ・ギャレの関心は、この一九二九年のシイズンの、オテル・ボオ・リヴァジュでの一つの affair にまで進展しかけていた。
7
ケニンガム夫人のウィンタア・スポウツに対する観念は、DORFとBADの聖《サン》モリッツじゅうに有名なほど、それは独特なものだった。まず彼女は、白繻子《しろじゅす》の訪問服の上から木鼠《きねずみ》の毛皮外套を着て、そして、スキイを履《は》いた。帽子には、驚くべきアネモネの縫《ぬい》とりがあった。耳環《みみわ》は|真珠の母《マザア・オヴ・パアル》の心臓形だった。彼女は、このいでたちでホテルの前の雪に降り立つのだ。やがて、二、三歩雪の坂をあるいたかと思うと、直ぐ立ちどまって、鼻のあたまに白粉を叩いた。それが済むと、いそいでホテルへ帰った。そうして残りの一日を、彼女は客間の大椅子で「休養」に過すのである。これがわがケニンガム夫人のウィンタア・スポウツだった。
冬の St. Moritz ――白い謝肉祭《カーニヴァル》は要するに仮面の長宴だ。
そこへ、羅馬《ローマ》法王の触れ出したほんとの謝肉祭《カーニヴァル》が廻って来た―― The Ice Carnival !
宵から朝まで、ホテルのスケイト・リンクで紐育《ニューヨーク》渡りのバヴァリイKIDSがサクセフォンを哮《ほゆ》らせ、酒樽型の大太鼓をころがし、それにフィドルが縋《すが》り、金属性の合いの手が加わり――ピアニストは洋襟《カラア》を外して宙へ放る。
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Was it a dream ?
Say, was it a dream ?!
昨夜《ゆうべ》あなたは僕の腕のなかにあった。
僕の腕はまだその感触でしびれてる!
それなのに夢だなんて!
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一曲終る。アンコウルの拍手はしつこい。つづいてまた直ぐに始まる。限《き》りがない。ディッケンス小説中の人物・ハムレット・1929嬢・奴隷酷使者《スレイブ・ドライヴァ》・なぽれおん・REVUE広告のサンドイッチ人形・ルイ十四世・インディアン・ラジャ・めくらの乞食・道化役・あらびや人・支那の大官・蝶々さん――そのなかで、古タオルだけで扮装した南洋の土人が一等に当選する。案山子《かかし》は古い。牛小僧《カウ・ボウイ》も月並だ。大がいの人が、衣裳は倫敦《ロンドン》から取り寄せる。キングスウェイにデニスン製紙会社というのがあって、いろんな色で註文通りの紙衣裳を作ってくれるのだ。が、謝肉祭《カーニヴァル》の扮装舞踏に一ばん大事なのは、着物よりも顔の|つくり《メイキ・アップ》だ。大ていこれだけは、一組トランクの底に用意して旅行に出る。洗顔用タオル、赤いグリイス塗料《ペイント》、黒のライニング・ステック、楽屋用ワセリン一壜、白粉。顔を黒くするにはコルクを焼いてつけるといい。聖《サン》モリッツの薬屋でも、これだけ一箱に揃えて売っている。
仮装にスケイトをつけた人々が、氷の上に二重の輪を作る。内側は女ばかりで、外が男の列だ。女は外を向き、男の円はそれに対して内面して立つ。楽手は、全然テンポの違った二つの楽を奏さなければならない。はじめの音楽で女は左へ廻る。それが済むと、次ので男が右へステップする。そして、終ったところで向き合った同士が、その一晩の踊りの相手ときまるのだ。
私達の前には、枕のような雪の丘がゆるい角度をもって谷へ下りていた。そのところどころに雪を解かして焚火《たきび》が燃えていた。高山系の植物が、隊列を作って黒い幹を露出していた。まるで無数のハンケチを干したような枝の交叉は、裸火《はだかび》の反映で東洋提灯の示威運動みたいだった。切り拓かれたリンクの周囲に、BUFFETの食卓が並んだ。そこを扮装のスポウツマンとスポウツウウマンとが、けたたましく笑いながら揺れ動いていた。どこにでも人を呼ぶ声があった。空は雪を持って赤い水蒸気だった。山峡には馬橇《ばそり》の鈴が犇《ひし》めいていた。
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Was it a dream ?
Say, was it a dream ?
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ロジェル・エ・ギャレが、この、相手の選択ダンスで、何とかしてナタリイ・ケニンガムを掴もうと非常に努力したことは勿論だが、これは、彼の望みが外れたほうが自然だったと言わなければなるまい。ナニイは、多分、二、三日前にホテルへ来たらしい、見たこともない男と組んでしまって、ロジェル・エ・ギャレには、ほかの女が当った。が、それは彼一流の交渉の才能で、自分の思うとおりにFIXされ得べき性質のものだった。事実彼は、じぶんに当った女をNANの相手に押しつけ、そして、彼からナニイを横取ることによって、つまり、簡単には、女を交換して、見事にこの危難を征服した。彼女は、その火の玉のような断髪を彼の短衣《チョッキ》の胸へ預けて、片っぽうの眼で笑い、もう一つの眼で泣きながら、スケイトのJAZZを継続した。彼は、上から二つ目の釦《ぼたん》の横に残った白粉の残りを、長いこと消さずにおくことにきめた。僕がそれを注意したら、彼は幸福そうに微笑んだ。人並よりすこし長い彼の手が、女給の変装の下にすぐ細いサスペンダアをしている彼女の腰をかかえて、夜っぴて「黒い底」を廻った。しかし、「神よ王様を助け給え」が鳴り出す前に、ナタリイは逸早く逃げ出していた。それを追っかけてロジェル・エ・ギャレは森じゅうを逍遥した。母親のケニンガム夫人は勿論、本人のNANもこの希臘《ギリシャ》人の上に自分がそんな大きな動揺を投げていようとは知らなかった。彼女はただ、ベンジンのように火のつき易い性質に過ぎなかったのだ。だから、ふたりが、一晩中森から出て来なかったとしても、それは誰のSINでもない、彼女の何気ない言動のことごとくが、ロジェル・エ・ギャレの眼で見ると、全く別の内容をもって響かざるを得なかったのだ。その晩、森のなかで、ロジェル・エ・ギャレは、ナタリイ・ケニンガムに正式に結婚を申込んだ。それは、彼女を驚かせるに充分だった。
『あら、なぜそうあなたは「大戦以前」なの? 結婚ですって?――いいじゃありませんか、そんなこと。』
そして、即座にそこで、ロジェル・エ・ギャレは、結婚と同じものを投げ与えられたことは、言うまでもあるまい。
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昨夜《ゆうべ》あなたは僕の腕のなかにあった。
僕の腕はまだその感触でしびれてる。
おお! それなのに夢だなんて!
Say, was it a dream ?
Was it a drea--m ?!
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――というロジェル・エ・ギャレの話なんですが、いかがです、お気に召しましたか。
ロジェル・エ・ギャレとナタリイは、その翌日朝早く、ケニンガム夫人を寝台へ残したまま、幸福と一しょに巴里《パリー》へ逃亡してしまった。しかし、これは、飽くまでも私達の概念する結婚ではないのだ。なぜならそれは、瑞西《スイツル》のウィンタア・スポウツに無くてはならない、あの「かたい雪」の部に属する近代恋愛なのだから。だから、例の、がらす玉のように妙にぎらぎらする嫉妬の要もあるまいし、多くのシチュエイションを手がけて、激しい交通に踏み固められた、この場慣れた二人のあいだに、それは、「大戦後の新道徳」によって、勇壮に滑走すること請合いだ。そして、よりいいことには、相互の理解の上で、いろんな恋愛技術のSTUNTが行われるだろう。クリステだの・ステムだの・V字形だの、と。
冬の聖《サン》モリッツは、両大陸の流行の大行列だ。
倫敦《ロンドン》と巴里と紐育《ニューヨーク》の精粋が、ウィンタア・スポウツに名を藉《か》りて一時ここに集注される。
――大小の名を持つ人々・名をもたない人々・新聞の写真によって公衆に顔を知られている紳士と淑女・知られてない紳士と淑女・女優・競馬騎手・人気作家・あまり人気のない作家・離婚常習犯人・商業貴族・生産のキャプテン達・彼等の家族中のJAZZ・BOYSと・反逆年齢に達した娘たちの大集団・独逸《ドイツ》から出稼ぎに来ている首の赤い給仕人の群・舌と動作の滑かな大詐欺師の一隊――現世紀に逆巻く唯物|欧羅巴《ヨーロッパ》の男女の人生冒険者が、各々の智能と衣裳と役割を持ち寄って、この一冬のモリッツに雪の舞踏を踊りぬく――それは、夜を日に次ぐ白い謝肉祭《カーニヴァル》なのだ。
もちろんそこには、一年じゅうの給料を貯金したので着物を買って来て、うまく名流の令嬢に化け澄ましているマニキュア・ガアルや、故国の自宅へ帰ると暗い寒いアパアトメントの階段を頂上まで這い上らなければならない、自選オックスフォウド訛《なまり》の青年紳士やが、それぞれ「大きな把握」を狙って、このSETにまじって活躍していることは説明の必要もあるまい。サン・モリッツは、偽《にせ》とほん物のカクテル・シェイカアだからだ。皆がみな、お互いに Make-believe し合って、その相手の夢を尊重する約束を実行している催眠状態――山と湖と毛糸の襟巻によって完全に孤立させられている別天地だからだ。おまけに、雪はすべてを平等化する。眼をつぶって心描して下さい。雪の山と、雪の野と、雪の谷と、雪の空と、雪の町と、雪の女とを。そして、この切り離された小世界に発生する事件と醜聞と華美と笑声と壮麗と雑音とを――何とそれは、adventurer と adventuress に都合のいい背景であろう!
そこを占めるものは、男も女も同じ服装で傾斜を上下する笑い声であり、濡れて上気した女の頬であり、革類と女の汗の乾くにおいであり、誰でもとの交友と・ダンスと・カクテル・パアティと・スキイの遠出と・夜更けのホテルとであり――だから、男振り自慢の巴里《パリー》の床屋は、外観を急造して大ホテルへ乗り込み、「美術家」と自己登録していることであろうし、港の運送屋は貿易商と、ピアノの運搬人は音楽批評家と、安芝居の道具方は舞台装置家と、帽子の売子嬢は「頭部の専門家《スペシャリスト》」と、自費出版の未亡人は詩人と、街路掃除夫は社会改良家と、踊り子は舞踏家と、郵便脚夫は官吏と、機関手は運輸業と、給仕は会社員と、売笑婦は「独立生計」と、めいめいその花文字のようなホテルの台帳の署名と一しょに、こういう触れ込みで押しまわっているかも知れないのだ―― The White Carnival ! St. Moritz !
とうとう私は、あのロジェル・エ・ギャレの本名は知らないのである。しかし、それでも私は、彼がオスロかどこか北方の首府に仕事と地位を持っている希臘《ギリシャ》の若い海軍武官であったことも、いつも小さな秤《はかり》を携帯していて、それで注意深くフィリップ・モウリスの上等の刻み煙草を計って、自分で混ぜて、晩餐後のヴェランダで零下七度の外気へゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]と蒼い煙りを吹き出す習慣のあったことも、例の大陸朝飯を極度に排斥して、BEEFEXと焼き林檎と純白の食卓布《テーブルかけ》に可笑《おか》しいほど固執していたことも、趣味として、部屋では深紅のガウンを着ていたことも、読んでいたバルビュスの作品よりも、実を言うと、巴里《パリー》版ルイ・キャヴォの絵入好色本のほうが好きらしかったことも、すべての犬をこわがって狆《ちん》に対しても虚勢を張ったことも、英吉利《イギリス》の総選挙を予想して各政党の綿密な得票表を作っていたことも、その一々に関して、食後から就寝までの数時間を消すに足る詳細な説明を用意していたことも、それから、これはたびたび言ったが、半東洋風の漆黒の頭髪を、ロジェル・エ・ギャレ会社製の煉香油《ねりこうゆ》で海水浴用|護謨《ごむ》帽子のように固めていたことも――だが、彼が、外見を急造して、あのオテル・ボオ・リヴァジュへ乗り込んで来ていた巴里の理髪師ではなかったと、誰が保証し得る?
そして、あのナタリイ・ケニンガムは、一年中のお給金を溜めてそれで着物を買って来た、名家の令嬢こと実は、倫敦《ロンドン》の一マニキュア・ガアルではなかったか――と、こういう、これは僕の想像である。
が、物語りの結末から言って、ここはこの二人に、どうしてもそうあってもらわなければうそ[#「うそ」に傍点]だと僕は思うんだが、君、君の考えはどうです?
私たちも、間もなく白い謝肉祭《カーニヴァル》を逃れて、安堵と一しょに英吉利《イギリス》海峡を渡った。
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Was it a dream ?
Say, was it a dream ?
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倫敦《ロンドン》には、アウモンズの花が平凡に咲いて、WEEK・ENDの自動車の流れが途切れもなく続いている。
MR・ウインストン・チャアチルは、お茶の税を撤廃して、その減収を、競馬賭金仲人《ブック・メエカアス》の電話へ年四十|磅《ポンド》の増税を課することによって、補おうと言うのだ。賛成と反対・賛成と反対。
選挙は近い。
BRIXTONの大通りは、政党の宣伝貼紙で一ぱいである。
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Socialism Means
Higher Prices, More Strikes
Heavier Taxes, Less Employment
VOTE FOR
CONSERVATIVE POLICY !
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底本:「踊る地平線(下)」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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