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新釈諸国噺
太宰治

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(例)振仮名を附《つ》けたい気持で

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(例)新釈|諸国噺《しょこくばなし》

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(例)[#地から2字上げ]昭和十九年晩秋、三鷹《みたか》の草屋に於て
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     凡例

一、わたくしのさいかく、とでも振仮名を附《つ》けたい気持で、新釈|諸国噺《しょこくばなし》という題にしたのであるが、これは西鶴《さいかく》の現代訳というようなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為《な》すべき業《わざ》ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異《りょうさいしい》の中の一つの物語を骨子《こっし》として、大いに私の勝手な空想を按配《あんばい》し、「清貧譚《せいひんたん》」という短篇《たんぺん》小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらった事があるけれども、だいたいあのような流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのような仕事に依《よ》って、西鶴のその偉さが、さらに深く皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義ではないと思われる。私は西鶴の全著作の中から、私の気にいりの小品を二十篇ほど選んで、それにまつわる私の空想を自由に書き綴《つづ》り、「新釈諸国噺」という題で一本にまとめて上梓《じょうし》しようと計画しているのだが、まず手はじめに、武家義理物語の中の「我が物ゆゑに裸川」の題材を拝借して、私の小説を書き綴ってみたい。原文は、四百字詰の原稿用紙で二、三枚くらいの小品であるが、私が書くとその十倍の二、三十枚になるのである。私はこの武家義理、それから、永代蔵《えいたいぐら》、諸国噺、胸算用《むねさんよう》などが好きである。所謂《いわゆる》、好色物は、好きでない。そんなにいいものだとも思えない。着想が陳腐《ちんぷ》だとさえ思われる。

一、右の文章は、ことしの「新潮」正月号に「裸川」を発表した時、はしがきとして用いたものである。その後、私は少しずつこの仕事をすすめて、はじめは二十篇くらいの予定であったが、十二篇書いたら、へたばった。読みかえしてみると、実に不満で、顔から火の発する思いであるが、でも、この辺が私の現在の能力の限度かも知れぬ。短篇十二は、長篇一つよりも、はるかに骨が折れる。

一、目次をごらんになれば、だいたいわかるようにして置いたが、題材を西鶴の全著作からかなりひろく求めた。変化の多い方が更に面白《おもしろ》いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷《えぞ》、奥州《おうしゅう》、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。

一、けれども私は所詮《しょせん》、東北生れの作家である。西鶴ではなくて、東鶴|北亀《ほっき》のおもむきのあるのは、まぬかれない。しかもこの東鶴あるいは北亀は、西鶴にくらべて甚《はなは》だ青臭い。年齢というものは、どうにも仕様の無いものらしい。

一、この仕事も、書きはじめてからもう、ほとんど一箇年になる。その期間、日本に於《お》いては、実にいろいろな事があった。私の一身上に於いても、いついかなる事が起るか予測出来ない。この際、読者に日本の作家精神の伝統とでもいうべきものを、はっきり知っていただく事は、かなり重要な事のように思われて、私はこれを警戒警報の日にも書きつづけた。出来栄《できばえ》はもとより大いに不満であるが、この仕事を、昭和聖代の日本の作家に与えられた義務と信じ、むきになって書いた、とは言える。
[#地から2字上げ]昭和十九年晩秋、三鷹《みたか》の草屋に於て
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   目次

貧の意地 (江戸) 諸国はなし、西鶴四十四歳刊行
大力   (讃岐《さぬき》) 本朝二十不孝《ほんちょうにじゅうふこう》、四十五歳
猿塚   (筑前《ちくぜん》) 懐硯《ふところすずり》、四十六歳
人魚の海 (蝦夷《えぞ》) 武道伝来記、四十六歳
破産   (美作《みまさか》) 日本永代蔵《にっぽんえいたいぐら》、四十七歳
裸川   (相模《さがみ》) 武家義理物語、四十七歳
義理   (摂津) 武家義理物語、四十七歳
女賊   (陸前) 新可笑記《しんかしょうき》、四十七歳
赤い太鼓 (京)  本朝|桜陰比事《おういんひじ》、四十八歳
粋人   (浪花《なにわ》) 世間胸算用《せけんむねさんよう》、五十一歳
遊興戒  (江戸) 西鶴置土産、五十二歳(歿《ぼつ》)
吉野山  (大和《やまと》) 万《よろず》の文反古《ふみほうぐ》、歿後三年刊行
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   貧の意地

 むかし江戸品川、藤茶屋《ふじぢゃや》のあたり、見るかげも無き草の庵《いおり》に、原田内助というおそろしく鬚《ひげ》の濃い、眼《め》の血走った中年の大男が住んでいた。容貌《ようぼう》おそろしげなる人は、その自身の顔の威厳にみずから恐縮して、かえって、へんに弱気になっているものであるが、この原田内助も、眉《まゆ》は太く眼はぎょろりとして、ただものでないような立派な顔をしていながら、いっこうに駄目《だめ》な男で、剣術の折には眼を固くつぶって奇妙な声を挙げながらあらぬ方に向って突進し、壁につきあたって、まいった、と言い、いたずらに壁破りの異名を高め、蜆《しじみ》売りのずるい少年から、嘘《うそ》の身上噺《みのうえばなし》を聞いて、おいおい声を放って泣き、蜆を全部買いしめて、家へ持って帰って女房《にょうぼう》に叱《しか》られ、三日のあいだ朝昼晩、蜆ばかり食べさせられて胃痙攣《いけいれん》を起して転輾《てんてん》し、論語をひらいて、学而《がくじ》第一、と読むと必ず睡魔に襲われるところとなり、毛虫がきらいで、それを見ると、きゃっと悲鳴を挙げて両手の指をひらいてのけぞり、人のおだてに乗って、狐《きつね》にでも憑《つ》かれたみたいにおろおろして質屋へ走って行って金を作ってごちそうし、みそかには朝から酒を飲んで切腹の真似《まね》などして掛取《かけと》りをしりぞけ、草の庵も風流の心からではなく、ただおのずから、そのように落ちぶれたというだけの事で、花も実も無い愚図の貧、親戚《しんせき》の持てあまし者の浪人であった。さいわい、親戚に富裕の者が二、三あったので、せっぱつまるとそのひとたちから合力《ごうりき》を得て、その大半は酒にして、春の桜も秋の紅葉も何が何やら、見えぬ聞えぬ無我夢中の極貧の火の車のその日暮しを続けていた。春の桜や秋の紅葉には面《おもて》をそむけて生きても行かれるだろうが、年にいちどの大みそかを知らぬ振りして過す事だけはむずかしい。いよいよことしも大みそかが近づくにつれて原田内助、眼つきをかえて、気違いの真似などして、用も無い長刀をいじくり、えへへ、と怪しく笑って掛取りを気味悪がせ、あさっては正月というに天井の煤《すす》も払わず、鬚もそらず、煎餠蒲団《せんべいぶとん》は敷きっ放し、来るなら来い、などあわれな言葉を譫語《うわごと》の如《ごと》く力無く呟《つぶや》き、またしても、えへへ、と笑うのである。まいどの事ながら、女房はうつつの地獄の思いに堪《た》えかね、勝手口から走り出て、自身の兄の半井清庵《なからいせいあん》という神田明神《かんだみょうじん》の横町に住む医師の宅に駈《か》け込み、涙ながらに窮状を訴え、助力を乞《こ》うた。清庵も、たびたびの迷惑、つくづく呆《あき》れながらも、こいつ洒落《しゃれ》た男で、「親戚にひとりくらい、そのような馬鹿《ばか》がいるのも、浮世の味。」と笑って言って、小判十枚を紙に包み、その上書《うわがき》に「貧病の妙薬、金用丸《きんようがん》、よろずによし。」と記して、不幸の妹に手渡した。
 女房からその貧病の妙薬を示されて、原田内助、よろこぶかと思いのほか、むずかしき顔をして、「この金は使われぬぞ。」とかすれた声で、へんな事を言い出した。女房は、こりゃ亭主《ていしゅ》もいよいよ本当に気が狂ったかと、ぎょっとした。狂ったのではない。駄目な男というものは、幸福を受取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。突然の幸福のお見舞いにへどもどして、てれてしまって、かえって奇妙な屁理窟《へりくつ》を並べて怒ったりして、折角の幸福を追い払ったり何かするものである。
「このまま使っては、果報負けがして、わしは死ぬかも知れない。」と、内助は、もっともらしい顔で言い、「お前は、わしを殺すつもりか?」と、血走った眼で女房を睨《にら》み、それから、にやりと笑って、「まさか、そのような夜叉《やしゃ》でもあるまい。飲もう。飲まなければ死ぬであろう。おお、雪が降って来た。久し振りで風流の友と語りたい。お前はこれから一走りして、近所の友人たちを呼んで来るがいい。山崎、熊井《くまい》、宇津木、大竹、磯《いそ》、月村、この六人を呼んで来い。いや、短慶|坊主《ぼうず》も加えて、七人。大急ぎで呼んで来い。帰りは酒屋に寄って、さかなは、まあ、有合せでよかろう。」なんの事は無い。うれしさで、わくわくして、酒を飲みたくなっただけの事なのであった。
 山崎、熊井、宇津木、大竹、磯、月村、短慶、いずれも、このあたりの長屋に住んでその日暮しの貧病に悩む浪人である。原田から雪見酒の使いを受けて、今宵《こよい》だけでも大みそかの火宅《かたく》からのがれる事が出来ると地獄で仏の思い、紙衣《かみこ》の皺《しわ》をのばして、傘《かさ》は無いか、足袋は無いか、押入れに首をつっ込んで、がらくたを引出し、浴衣《ゆかた》に陣羽織という姿の者もあり、単衣《ひとえ》を五枚重ねて着て頸《くび》に古綿を巻きつけた風邪気味と称する者もあり、女房の小袖《こそで》を裏返しに着て袖の形をごまかそうと腕まくりの姿の者もあり、半襦絆《はんじゅばん》に馬乗袴《うまのりばかま》、それに縫紋の夏羽織という姿もあり、裾《すそ》から綿のはみ出たどてらを尻端折《しりばしょり》して毛臑《けずね》丸出しという姿もあり、ひとりとしてまともな服装の者は無かったが、流石《さすが》に武士の附《つ》き合いは格別、原田の家に集って、互いの服装に就いて笑ったりなんかする者は無く、いかめしく挨拶《あいさつ》を交し、座が定ってから、浴衣に陣羽織の山崎老がやおら進み出て主人の原田に、今宵の客を代表して鷹揚《おうよう》に謝辞を述べ、原田も紙衣の破れた袖口を気にしながら、
「これは御一同、ようこそ。大みそかをよそにして雪見酒も一興かと存じ、ごぶさたのお詫《わ》びも兼ね、今夕お招き致しましたところ、さっそくおいで下さって、うれしく思います。どうか、ごゆるり。」と言って、まずしいながら酒肴《しゅこう》を供した。
 客の中には盃《さかずき》を手にして、わなわな震える者が出て来た。いかがなされた、と聞かれて、その者は涙を拭《ふ》き、
「いや、おかまい下さるな。それがしは、貧のため、久しく酒に遠ざかり、お恥ずかしいが酒の飲み方を忘れ申した。」と言って、淋《さび》しそうに笑った。
「御同様、」と半襦絆に馬乗袴は膝《ひざ》をすすめ、「それがしも、ただいま、二、三杯つづけさまに飲み、まことに変な気持で、このさきどうすればよいのか、酒の酔い方を忘れてしまいました。」
 みな似たような思いと見えて、一座しんみりして、遠慮しながら互いに小声で盃のやりとりをしていたが、そのうちに皆、酒の酔い方を思い出して来たと見えて、笑声も起り、次第に座敷が陽気になって来た頃《ころ》、主人の原田はれいの小判十両の紙包を取出し、
「きょうは御一同に御|披露《ひろう》したい珍物がございます。あなたがたは、御懐中の御都合のわるい時には、いさぎよくお酒を遠ざけ、つつましくお暮しなさるから、大みそかでお困りにはなっても、この原田ほどはお苦しみなさるまいが、わしはどうも、金に困るとなおさら酒を飲みたいたちで、そのために不義理の借金が山積して年の瀬を迎えるたびに、さながら八大地獄を眼前に見るような心地が致す。ついには武士の意地も何も捨て、親戚に泣いて助けを求めるなどという不面目の振舞いに及び、ことしもとうとう、身寄りの者から、このとおり小判十両の合力を受け、どうやら人並の正月を迎える事が出来るようになりましたが、この仕合せをわしひとりで受けると果報負けがして死ぬかも知れませんので、きょうは御一同をお招きして、大いに飲んでいただこうと思い立った次第であります。」と上機嫌《じようきげん》で言えば、一座の者は思い思いの溜息《ためいき》をつき、
「なあんだ、はじめからそうとわかって居れば、遠慮なんかしなかったのに。あとで会費をとられるんじゃないか、と心配しながら飲んで損をした。」と言う者もあり、
「そう承れば、このお酒をうんと飲み、その仕合せにあやかりたい。家へ帰ると、思わぬところから書留が来ているかも知れない。」と言う者もあり、
「よい親戚のある人は仕合せだ。それがしの親戚などは、あべこべにそれがしの懐《ふところ》をねらっているのだから、つまらない。」と言う者もあり、一座はいよいよ明るくにぎやかになり、原田は大恐悦で、鬚の端の酒の雫《しずく》を押し拭《ぬぐ》い、
「しかし、しばらく振りで小判十両、てのひらに載せてみると、これでなかなか重いものでございます。いかがです、順々にこれを、てのひらに載せてやって下さいませんか。お金と思えばいやしいが、これは、お金ではございません。これ、この包紙にちゃんと書いてあります。貧病の妙薬、金用丸、よろずによし、と書いてございます。その親戚の奴《やつ》が、しゃれてこう書いて寄こしたのですが、さあ、どうぞ、お廻《まわ》しになって御覧になって下さい。」と、小判十枚ならびに包紙を客に押しつけ、客はいちいちその小判の重さに驚き、また書附けの軽妙に感服して、順々に手渡し、一句浮びましたという者もあり、筆硯《ひっけん》を借りてその包紙の余白に、貧病の薬いただく雪あかり、と書きつけて興を添え、酒盃《しゅはい》の献酬もさかんになり、小判は一まわりして主人の膝許《ひざもと》にかえった頃に、年長者の山崎は坐《すわ》り直し、
「や、おかげさまにてよい年忘れ、思わず長座を致しました。」と分別顔してお礼を言い、それでは、と古綿を頸に巻きつけた風邪気味が、胸を、そらして千秋楽をうたい出し、主客共に膝を軽くたたいて手拍子をとり、うたい終って、立つ鳥あとを濁さず、昔も今も武士のたしなみ、燗鍋《かんなべ》、重箱、塩辛壺《しおからつぼ》など、それぞれ自分の周囲の器を勝手口に持ち出して女房に手渡し、れいの小判が主人の膝もとに散らばって在るのを、それも仕舞いなされ、と客にすすめられて、原田は無雑作に掻《か》き集めて、はっと顔色をかえた。一枚足りないのである。けれども原田は、酒こそ飲むが、気の弱い男である。おそろしい顔つきにも似ず、人の気持ばかり、おっかなびっくり、いたわっている男だ。どきりとしたが、素知らぬ振りを装い、仕舞い込もうとすると、一座の長老の山崎は、
「ちょっと、」と手を挙げて、「小判が一枚足りませんな。」と軽く言った。
「ああ、いや、これは、」と原田は、わが悪事を見破られた者の如く、ひどくまごつき、「これは、それ、御一同のお見えになる前に、わしが酒屋へ一両支払い、さきほどわしが持ち出した時には九両、何も不審はございません。」と言ったが、山崎は首を振り、
「いやいや、そうでない。」と老いの頑固《がんこ》、「それがしが、さきほど手のひらに載せたのは、たしかに十枚の小判。行燈《あんどん》のひかり薄しといえども、この山崎の眼光には狂いはない。」ときっぱり言い放てば、他の六人の客も口々に、たしかに十枚あった筈《はず》と言う。皆々総立ちになり、行燈を持ち廻って部屋の隅々《すみずみ》まで捜したが、小判はどこにも落ちていない。
「この上は、それがし、まっぱだかになって身の潔白を立て申す。」と山崎は老いの一轍《いってつ》、貧の意地、痩《や》せても枯れても武士のはしくれ、あらぬ疑いをこうむるは末代までの恥辱とばかりに憤然、陣羽織を脱いで打ちふるい、さらによれよれの浴衣を脱いで、ふんどし一つになって、投網《とあみ》でも打つような形で大袈裟《おおげさ》に浴衣をふるい、
「おのおのがた、見とどけたか。」と顔を蒼《あお》くして言った。他の客も、そのままではすまされなくなり、次に大竹が立って縫紋の夏羽織をふるい、半襦絆を振って、それから馬乗袴を脱いで、ふんどしをしていない事を暴露し、けれどもにこりともせず、袴をさかさにしてふるって、部屋の雰囲気《ふんいき》が次第に殺気立って物凄《ものすご》くなって来た。次にどてらを尻端折して毛臑丸出しの短慶坊が、立ち上りかけて、急に劇烈の腹痛にでも襲われたかのように嶮《けわ》しく顔をしかめて、ううむと一声|呻《うめ》き、
「時も時、つまらぬ俳句を作り申した。貧病の薬いただく雪あかり。おのおのがた、それがしの懐に小判一両たしかにあります。いまさら、着物を脱いで打ち振うまでもござらぬ。思いも寄らぬ災難。言い開きも、めめしい。ここで命を。」と言いも終らず、両肌《もろはだ》脱いで脇差《わきざ》しに手を掛ければ、主人はじめ皆々駈け寄って、その手を抑え、
「誰《だれ》もそなたを疑ってはいない。そなたばかりでなく、自分らも皆、その日暮しのあさましい貧者ながら、時に依《よ》って懐中に、一両くらいの金子《きんす》は持っている事もあるさ。貧者は貧者同志、死んで身の潔白を示そうというそなたの気持はわかるが、しかし、誰ひとりそなたを疑う人も無いのに、切腹などは馬鹿らしいではないか。」と口々になだめると、短慶いよいよわが身の不運がうらめしく、なげきはつのり、歯ぎしりして、
「お言葉は有難《ありがた》いが、そのお情《なさけ》も冥途《めいど》への土産。一両|詮議《せんぎ》の大事の時、生憎《あいにく》と一両ふところに持っているというこの間の悪さ。御一同が疑わずとも、このぶざまは消えませぬ。世の物笑い、一期《いちご》の不覚。面目なくて生きて居られぬ。いかにも、この懐中の一両は、それがし昨日、かねて所持せし徳乗《とくじよう》の小柄《こづか》を、坂下の唐物屋《とうぶつや》十左衛門《じゅうざえもん》方へ一両二分にて売って得た金子には相違なけれども、いまさらかかる愚痴めいた申開きも武士の恥辱。何も申さぬ。死なせ給え。不運の友を、いささか不憫《ふびん》と思召《おぼしめ》さば、わが自害の後に、坂下の唐物屋へ行き、その事たしかめ、かばねの恥を、たのむ!」と強く言い放ち、またも脇差し取直してあがいた途端、
「おや?」と主人の原田は叫び、「そこにあるよ。」
 見ると、行燈の下にきらりと小判一枚。
「なんだ、そんなところにあったのか。」
「燈台もと暗しですね。」
「うせ物は、とかく、へんてつもないところから出る。それにつけても、平常の心掛けが大切。」これは山崎。
「いや、まったく人騒がせの小判だ。おかげで酔いがさめました。飲み直しましょう。」とこれは主人の原田。
 口々に言って花やかに笑い崩れた時、勝手元に、
「あれ!」と女房の驚く声。すぐに、ばたばたと女房、座敷に走って来て、「小判はここに。」と言い、重箱の蓋《ふた》を差し出した。そこにも、きらりと小判一枚。これはと一同顔を見合せ、女房は上気した顔のおくれ毛を掻きあげて間がわるそうに笑い、さいぜん私は重箱に山の芋の煮しめをつめて差し上げ、蓋は主人が無作法にも畳にべたりと置いたので、私が取って重箱の下に敷きましたが、あの折、蓋の裏の湯気に小判がくっついていたのでございましょう、それを知らずに私の不調法、そのままお下渡《さげわた》しになったのを、ただいま洗おうとしたら、まあどうでしょう、ちゃりんと小判が、と息せき切って語るのだが、主客ともに、けげんの面持《おもも》ちで、やっぱり、ただ顔を見合せているばかりである。これでは、小判が十一両。
「いや、これも、あやかりもの。」と一座の長老の山崎は、しばらく経《た》って溜息と共に、ちっとも要領の得ない意見を吐いた。「めでたい。十両の小判が時に依って十一両にならぬものでもない。よくある事だ。まずは、お収め。」すこし耄碌《もうろく》しているらしい。
 他の客も、山崎の意見の滅茶《めちゃ》苦茶なのに呆《あき》れながら、しかし、いまのこの場合、原田にお収めを願うのは最も無難と思ったので、
「それがよい。ご親戚のお方は、はじめから十一両つつんで寄こしたのに違いない。」
「左様、なにせ洒落たお方のようだから、十両と見せかけ、その実は十一両といういたずらをなさったのでしょう。」
「なるほど、それも珍趣向。粋《いき》な思いつきです。とにかく、お収めを。」
 てんでにいい加減な事を言って、無理矢理原田に押しつけようとしたが、この時、弱気で酒くらいの、駄目な男の原田内助、おそらくは生涯《しょうがい》に一度の異様な頑張り方を示した。
「そんな事でわしを言いくるめようたって駄目です。馬鹿《ばか》にしないで下さい。失礼ながら、みなさん一様に貧乏なのを、わしひとり十両の仕合せにめぐまれて、天道《てんとう》さまにも御一同にも相すまなく、心苦しくて落ちつかず、酒でも飲まなけりゃ、やり切れなくなって、今夕御一同を御招待して、わしの過分の仕合せの厄払《やくはら》いをしようとしたのに、さらにまた降ってわいた奇妙な災難、十両でさえ持てあましている男に、意地悪く、もう一両押しつけるとは、御一同も人が悪すぎますぞ。原田内助、貧なりといえども武士のはしくれ、お金も何も欲しくござらぬ。この一両のみならず、こちらの十両も、みなさんお持ち帰り下さい。」と、まことに、へんな怒り方をした。気の弱い男というものは、少しでも自分の得《とく》になる事に於《お》いては、極度に恐縮し汗を流してまごつくものだが、自分の損になる場合は、人が変ったように偉そうな理窟を並べ、いよいよ自分に損が来るように努力し、人の言は一切|容《い》れず、ただ、ひたすら屁理窟を並べてねばるものである。極度に凹《へこ》むと、裏のほうがふくれて来る。つまり、あの自尊心の倒錯である。原田もここは必死、どもりどもり首を振って意見を開陳し矢鱈《やたら》にねばる。
「馬鹿にしないで下さいよ。十両の金が、十一両に化けるなんて、そんな人の悪い冗談はやめて下さいよ。どなたかが、さっきこっそり、お出しになったのでしょう。それにきまっています。短慶どのの難儀を見るに見かね、その急場を救おうとして、どなたか、所持の一両を、そっとお出しになったのに違いない。つまらぬ小細工をしたものです。わしの小判は、重箱の蓋の裏についていたのです。行燈の傍《そば》に落ちていた金は、どなたかの情の一両にきまっています。その一両を、このわしに押しつけるとは、まるですじみちが立っていません。そんなにわしが金を欲しがっていると思召さるか。貧者には貧者の意地があります。くどく言うようだけれども、十両持っているのさえ、わしは心苦しく、世の中がいやになっていた折も折、さらに一両を押しつけられるとは、天道さまにも見放されたか、わしの武運もこれまで、腹かき切ってもこの恥は雪《そそ》がなければならぬ。わしは酒飲みの馬鹿ですが、御一同にだまされて、金が子を産んだと、やにさがるほど耄碌はしていません。さあ、この一両、お出しになった方は、あっさりと収めて下さい。」もともと、おそろしい顔の男であるから、坐り直して本気にものを言い出せば、なかなか凄い。一座の者は頸《くび》をすくめて、何も言わない。
「さあ、申し出て下さい。そのお方は、情の深い立派なお方だ。わしは一生その人の従僕《じゅうぼく》になってもよい。一文の金でも惜しいこの大みそかに、よくぞ一両、そしらぬ振りして行燈の傍に落し、短慶どのの危急を救って下された。貧者は貧者同志、短慶どののつらい立場を見かねて、ご自分の大切な一両を黙って捨てたとは、天晴《あっぱ》れの御人格。原田内助、敬服いたした。その御立派なお方が、この七人の中にたしかにいるのです。名乗って下さい。堂々と名乗って出て下さい。」
 そんなにまで言われると、なおさら、その隠れた善行者は名乗りにくくなるであろう。こんなところは、やっぱり原田内助、だめな男である。七人の客は、いたずらに溜息をつき、もじもじしているばかりで、いっこうに埒《らち》があかない。せっかくの酒の酔いも既に醒《さ》め、一座は白け切って、原田ひとりは血走った眼をむき、名乗り給え、名乗り給え、とあせって、そのうちに鶏鳴あかつきを告げ、原田はとうとう、しびれを切らし、
「ながくおひきとめも、無礼と存じます。どうしても、お名乗りが無ければ、いたしかたがない。この一両は、この重箱の蓋に載せて、玄関の隅に置きます。おひとりずつ、お帰り下さい。そうして、この小判の主は、どうか黙って取ってお持ち帰り願います。そのような処置は、いかがでしょう。」
 七人の客は、ほっとしたように顔を挙げて、それがよい、と一様に賛意を表した。実際、愚図の原田にしては、大出来の思いつきである。弱気な男というものは、自分の得にならぬ事をするに当っては、時たま、このような水際立《みずぎわだ》った名案を思いつくものである。
 原田は少し得意。皆の見ている前で、重箱の蓋に、一両の小判をきちんと載せ、玄関に置いて来て、
「式台の右の端、最も暗いところへ置いて来ましたから、小判の主でないお方には、あるか無いか見定める事も出来ません。そのままお帰り下さい。小判の主だけ、手さぐりで受取って何気なくお帰りなさるよう。それでは、どうぞ、山崎老から。ああ、いや、襖《ふすま》はぴったりしめて行って下さい。そうして、山崎老が玄関を出て、その足音が全く聞えなくなった時に、次のお方がお立ち下さい。」
 七人の客は、言われたとおりに、静かに順々に辞し去った。あとで女房は、手燭《てしょく》をともして、玄関に出て見ると、小判は無かった。理由のわからぬ戦慄《せんりつ》を感じて、
「どなたでしょうね。」と夫に聞いた。
 原田は眠そうな顔をして、
「わからん。お酒はもう無いか。」と言った。
 落ちぶれても、武士はさすがに違うものだと、女房は可憐《かれん》に緊張して勝手元へ行き、お酒の燗に取りかかる。
[#地から2字上げ](諸国はなし、巻一の三、大晦日《おほつごもり》はあはぬ算用)
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   大力

 むかし讃岐《さぬき》の国、高松に丸亀《まるがめ》屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛《さいべえ》とて生れ落ちた時から骨太く眼玉《めだま》はぎょろりとしてただならぬ風貌《ふうぼう》の男児があったが、三歳にして手足の筋骨いやに節くれだち、無心に物差しを振り上げ飼猫《かいねこ》の頭をこつんと打ったら、猫は声も立てずに絶命し、乳母は驚き猫の死骸《しがい》を取上げて見たら、その頭の骨が微塵《みじん》に打ち砕かれているので、ぞっとして、おひまを乞《こ》い、六歳の時にはもう近所の子供たちの餓鬼大将で、裏の草原につながれてある子牛を抱きすくめて頭の上に載せその辺を歩きまわって見せて、遊び仲間を戦慄《せんりつ》させ、それから毎日のように、その子牛をおもちゃにして遊んで、次第に牛は大きくなっても、はじめからかつぎ慣れているものだから何の仔細《しさい》もなく四肢《しし》をつかまえて眼より高く差し上げ、いよいよ牛は大きくなり、才兵衛九つになった頃《ころ》には、その牛も、ゆったりと車を引くほどの大黒牛になったが、それでも才兵衛はおそれず抱きかかえて、ひとりで大笑いすれば、遊び友達はいまは全く薄気味わるくなり、誰《だれ》も才兵衛と遊ぶ者がなくなって、才兵衛はひとり裏山に登って杉《すぎ》の大木を引抜き、牛よりも大きい岩を崖《がけ》の上から蹴落《けおと》して、つまらなそうにして遊んでいた。十五、六の時にはもう頬《ほお》に髯《ひげ》も生えて三十くらいに見え、へんに重々しく分別ありげな面構《つらがま》えをして、すこしも可愛《かわい》いところがなく、その頃、讃岐に角力《すもう》がはやり、大関には天竺仁太夫《てんじくにだゆう》つづいて鬼石、黒駒《くろこま》、大浪《おおなみ》、いかずち、白滝、青鮫《あおざめ》など、いずれも一癖ありげな名前をつけて、里の牛飼、山家《やまが》の柴男《しばおとこ》、または上方《かみがた》から落ちて来た本職の角力取りなど、四十八手《しじゅうはって》に皮をすりむき骨を砕き、無用の大怪我《おおけが》ばかりして、またこの道にも特別の興ありと見えて、やめられず椴子《どんす》のまわしなどして時々ゆるんでまわしがずり落ちてもにこりとも笑わず、上手《うわて》がどうしたの下手《したて》がどうしたの足癖がどうしたのと、何の事やらこの世の大事の如《ごと》く騒いで汗も拭《ふ》かず矢鱈《やたら》にもみ合って、稼業《かぎょう》も忘れ、家へ帰ると、人一倍大めしをくらって死んだようにぐたりと寝てしまう。かねて力自慢の才兵衛、どうして之《これ》を傍観し得べき。椴子のまわしを締め込んで、土俵に躍り上って、さあ来い、と両手をひろげて立ちはだかれば、皆々、才兵衛の幼少の頃からの馬鹿力《ばかぢから》を知っているので、にわかに興覚めて、そそくさと着物を着て帰り仕度をする者もあり、若旦那《わかだんな》、およしなさい、へへ、ご身分にかかわりますよ、とお世辞だか忠告だか非難だか、わけのわからぬ事を人の陰に顔をかくして小声で言う者もあり、その中に、上方からくだって来た鰐口《わにぐち》という本職の角力、上方では弱くて出世もできなかったが田舎へ来ればやはり永年たたき込んだ四十八手がものを言い在郷《ざいごう》の若い衆の糞力《くそぢから》を軽くあしらっている男、では一番、と平気で土俵にあがって、おのれと血相変えて飛び込んで来る才兵衛の足を払って、苦もなく捻《ね》じ伏せた。才兵衛は土俵のまんなかに死んだ蛙《かえる》のように見っともなく這《は》いつくばって夢のような気持、実に不思議な術もあるものだと首を振り、間抜けた顔で起き上って、どっと笑い囃《はや》す観衆をちょっと睨《にら》んで黙らせ、腹が痛い、とてれ隠しのつまらぬ嘘《うそ》をついて家へ帰って来たが、くやしくてたまらぬ。鶏を一羽ひねりつぶして煮て骨ごとばりばり食って力をつけて、その夜のうちに鰐口の家へたずねて行き、さきほどは腹が痛かったので思わぬ不覚をとったが、今度は負けぬ、庭先で一番やって見よう、と申し出た。鰐口は晩酌《ばんしゃく》の最中で、うるさいと思ったが、いやにしつこく挑《いど》んで来るので着物を脱いで庭先に飛び降り、突きかかって来る才兵衛の巨躯《きょく》を右に泳がせ左に泳がせ、自由自在にあやつれば、才兵衛次第に目まいがして来て庭の松の木を鰐口と思い込み、よいしょと抱きつき、いきせき切って、この野郎と叫んで、苦も無く引き抜いた。
「おい、おい、無茶をするな。」鰐口もさすがに才兵衛の怪力に呆《あき》れて、こんなものを永く相手にしていると、どんな事になるかもわからぬと思い、縁側にあがってさっさと着物を着込んで、「小僧、酒でも飲んで行け。」と懐柔の策に出た。
 才兵衛は松の木を引き抜いて目よりも高く差し上げ、ふと座敷の方を見ると、鰐口が座敷で笑いながらお酒を飲んでいるので、ぎょっとして、これは鬼神に違いないと幼く思い込み、松の木も何も投げ捨て庭先に平伏し、わあと大声を挙げて泣いて弟子にしてくれよと懇願した。
 才兵衛は鰐口を神様の如くあがめて、その翌日から四十八手の伝授にあずかり、もともと無双の大力ゆえ、その進歩は目ざましく、教える鰐口にも張合いが出て来るし、それにもまして、才兵衛はただもう天にも昇る思いで、うれしくてたまらず、寝ても覚めても、四十八手、四十八手、あすはどの手で投げてやろうと寝返り打って寝言《ねごと》を言い、その熱心が摩利支天《まりしてん》にも通じたか、なかなかの角力上手になって、もはや師匠の鰐口も、もてあまし気味になり、弟子に投げられるのも恰好《かっこう》が悪く馬鹿々々しいと思い、或《あ》る日もっともらしい顔をして、汝《なんじ》も、もう一人前の角力取りになった、その心掛けを忘れるな、とわけのわからぬ訓戒を垂れ、ついては汝に荒磯《あらいそ》という名を与える、もう来るな、と言っていそいで敬遠してしまった。才兵衛は師匠から敬遠されたとも気附《きづ》かず、わしもいよいよ一人前の角力取りになったか、ありがたいわい、きょうからわしは荒磯だ、すごい名前じゃないか、ああまことに師の恩は山よりも高い、と涙を流してよろこび、それからは、どこの土俵に於《お》いても無敵の強さを発揮し、十九の時に讃岐の大関天竺仁太夫を、土俵の砂に埋めて半死半生にし、それほどまで手ひどく投げつけなくてもいいじゃないかと角力仲間の評判を悪くしたが、なあに、角力は勝ちゃいいんだ、と傲然《ごうぜん》とうそぶき、いよいよ皆に憎まれた。丸亀屋の親爺《おやじ》は、かねてよりわが子の才兵衛の力自慢をにがにがしく思い、何とか言おうとしても、才兵衛にぎょろりと睨まれると、わが子ながらも気味悪く、あの馬鹿力で手向いされたら親の威光も何もあったものでない、この老いの細い骨は木《こ》っ葉《ぱ》微塵《みじん》、と震え上って分別し直し、しばらく静観と自重していたのだが、このごろは角力に凝って他人様《ひとさま》を怪我《けが》させて片輪にして、にくしみの的になっている有様を見るに見かねて、或る日、おっかなびっくり、
「才兵衛さんや、」わが子にさんを附けて猫撫声《ねこなでごえ》で呼び、「人は神代《かみよ》から着物を着ていたのですよ。」遠慮しすぎて自分でも何だかわからないような事を言ってしまった。
「そうですか。」荒磯は、へんな顔をして親爺を見ている。親爺は、いよいよ困って、
「はだかになって五体あぶない勝負も、夏は涼しい事でしょうが、冬は寒くていけませんでしょうねえ。」と伏目になって膝《ひざ》をこすりながら言った。さすがの荒磯も噴き出して、
「角力をやめろと言うのでしょう?」と軽く問い返した。親爺はぎょっとして汗を拭《ふ》き、
「いやいや、決してやめろとは言いませんが、同じ遊びでも、楊弓《ようきゅう》など、どうでしょうねえ。」
「あれは女子供の遊びです。大の男が、あんな小さい弓を、ふしくれ立った手でひねくりまわし、百発百中の腕前になってみたところで、どろぼうに襲われて射ようとしても、どろぼうが笑い出しますし、さかなを引く猫にあてても描はかゆいとも思やしません。」
「そうだろうねえ。」と賛成し、「それでは、あの十種香《じしゅこう》とか言って、さまざまの香を嗅《か》ぎわける遊びは?」
「あれもつまらん。香を嗅ぎわけるほどの鼻があったら、めしのこげるのを逸早《いちはや》く嗅ぎ出し、下女に釜《かま》の下の薪《まき》をひかせたら少しは家の仕末のたしになるでしょう。」
「なるほどね。では、あの蹴鞠《けまり》は?」
「足さばきがどうのこうのと言って稽古《けいこ》しているようですが、塀《へい》を飛び越えずに門をくぐって行ったって仔細《しさい》はないし、闇夜《やみよ》には提灯《ちょうちん》をもって静かに歩けば溝《みぞ》へ落ちる心配もない。何もあんなに苦労して足を軽くする必要はありません。」
「いかにも、そのとおりだ。でも人間には何か愛嬌《あいきょう》が無くちゃいけないんじゃないかねえ。茶番の狂言なんか稽古したらどうだろうねえ。家に寄り合いがあった時など、あれをやってみんなにお見せすると、――」
「冗談を言っちゃいけない。あれは子供の時こそ愛嬌もありますが、髭《ひげ》の生えた口から、まかり出《い》でたるは太郎冠者《たろうかじゃ》も見る人が冷汗をかきますよ。お母さんだけが膝をすすめて、うまい、なんてほめて近所のもの笑いの種になるくらいのものです。」
「それもそうだねえ。では、あの活花《いけばな》は?」
「ああ、もうよして下さい。あなたは耄碌《もうろく》しているんじゃないですか。あれは雲の上の奥深きお方々が、野辺に咲く四季の花をごらんになる事が少いので、深山の松かしわを、取り寄せて、生きてあるままの姿を御眼の前に眺《なが》めてお楽しみなさるためにはじめた事で、わしたち下々の者が庭の椿《つばき》の枝をもぎ取り、鉢植《はちう》えの梅をのこぎりで切って、床の間に飾ったって何の意味もないじゃないですか。花はそのままに眺めて楽しんでいるほうがいいのだ。」言う事がいちいち筋道がちゃんと立っているので親爺は閉口して、
「やっぱり角力が一ばんいいかねえ。大いにおやり。お父さんも角力がきらいじゃないよ。若い時には、やったものです。」などと、どうにも馬鹿らしい結果になってしまった。お内儀は親爺の無能を軽蔑《けいべつ》して、あたしならば、ああは言わない、と或る日、こっそり才兵衛を奥の間に呼び寄せ、まず華やかに、おほほと笑い、
「才兵衛や、まあここへお坐《すわ》り。まあたいへん鬚《ひげ》が伸びているじゃないか、剃《そ》ったらどうだい。髪もそんなに蓬々《ぼうぼう》とさせて、どれ、ちょっと撫《な》でつけてあげましょう。」
「かまわないで下さい。これは角力の乱れ髪と言って粋《いき》なものなんです。」
「おや、そうかい。それでも粋なんて言葉を知ってるだけたのもしいじゃないか。お前はことし、いくつだい。」
「知ってる癖に。」
「十九だったね。」と母は落ちついて、「あたしがこの家にお嫁に来たのは、お父さんが十九、お母さんが十五の時でしたが、お前のお父さんたら、もうその前から道楽の仕放題でねえ、十六の時から茶屋酒の味を覚えたとやらで、着物の着こなしでも何でも、それこそ粋でねえ、あたしと一緒になってからも、しばしば上方へのぼり、いいひとをたくさんこしらえて、いまこそあんな、どっちを向いてるのだかわからないような変な顔だが、わかい時には、あれでなかなか綺麗《きれい》な顔で、ちょっとそんなに俯向《うつむ》いたところなど、いまのお前にそっくりですよ。お前も、お父さんに似てまつげが長いから、うつむいた時の顔に愁《うれ》えがあって、きっと女には好かれますよ。上方へ行って島原《しまばら》などの別嬪《べっぴん》さんを泣かせるなんてのは、男と生れて何よりの果報だろうじゃないか。」と言って、いやらしくにやりと笑った。
「なんだつまらない。女を泣かせるには殴るに限る。角力で言えば張手《はりて》というやつだ。こいつを二つ三つくらわせたら、泣かぬ女はありますまい。泣かせるのが、果報だったら、わしはこれからいよいよ角力の稽古をはげんで、世界中の女を殴って泣かせて見せます。」
「何を言うのです。まるで話が、ちがいますよ。才兵衛、お前は十九だよ。お前のお父さんは、十九の時にはもう茶屋遊びでも何でも一とおり修行をすましていたのですよ。まあ、お前も、花見がてらに上方へのぼって、島原へでも行って遊んで、千両二千両使ったって、へるような財産でなし、気に入った女でもあったら身請《みうけ》して、どこか景色のいい土地にしゃれた家でも建て、その女のひとと、しばらくままごと遊びなんかして見るのもいいじゃないか。お前の好きな土地に、お前の気ままの立派なお屋敷をこしらえてあげましょう。そうして、あたしのほうから、米、油、味噌《みそ》、塩、醤油《しょうゆ》、薪炭《しんたん》、四季折々のお二人の着換え、何でもとどけて、お金だって、ほしいだけ送ってあげるし、その女のひと一人だけで淋《さび》しいならば、お妾《めかけ》を京からもう二、三人呼び奇せて、その他《ほか》、振袖《ふりそで》のわかい腰元三人、それから中居《なかい》、茶の間、御物《おもの》縫いの女、それから下働きのおさんどん二人、お小姓二人、小坊主《こぼうず》一人、あんま取の座頭一人、御酒の相手に歌うたいの伝右衛門《でんえもん》、御料理番一人、駕籠《かご》かき二人、御草履《おぞうり》取大小二人、手代一人、まあざっと、これくらいつけてあげるつもりですから、悪い事は言わない、まあ花見がてらに、――」と懸命に説けば、
「上方へは、いちど行ってみたいと思っていました。」と気軽に言うので、母はよろこび膝をすすめ、
「お前さえその気になってくれたら、あとはもう、立派なお屋敷をつくって、お妾でも腰元でも、あんま取の座頭でも、――」
「そんなのはつまらない。上方には黒獅子《くろじし》という強い大関がいるそうです。なんとかしてその黒獅子を土俵の砂に埋めて、――」
「ま、なんて情無い事を考えているのです。好きな女と立派なお屋敷に暮して、酒席のなぐさみには伝右衛門を、――」
「その屋敷には、土俵がありますか。」
 母は泣き出した。
 襖越《ふすまご》しに番頭、手代《てだい》たちが盗み聞きして、互いに顔を見合せて溜息《ためいき》をつき、
「おれならば、お内儀さまのおっしゃるとおりにするんだが。」
「当り前さ。蝦夷《えぞ》が島の端でもいい、立派なお屋敷で、そんな栄華のくらしを三日でもいい、あとは死んでもいい。」
「声が高い。若旦那《わかだんな》に聞えると、あの、張手とかいう凄《すご》いのを、二つ三つお見舞いされるぞ。」
「そいつは、ごめんだ。」
 みな顔色を変え、こそこそと退出する。
 その後、才兵衛に意見をしようとする者も無く、才兵衛いよいよ増長して、讃岐一国を狭しとして阿波《あわ》の徳島、伊予《いよ》の松山、土佐の高知などの夜宮角力《よみやずもう》にも出かけて、情容赦も無く相手を突きとばし張り倒し、多くの怪我人を出して、角力は勝ちゃいいんだ、と憎々しげにせせら笑って悠然《ゆうぜん》と引き上げ、朝昼晩、牛馬羊の生肉を食って力をつけ、顔は鬼の如く赤く大きく、路傍で遊んでいる子はそれを見て、きゃっと叫んで病気になり、大人は三丁さきから風をくらって疾走し、丸亀屋の荒磯と言えば、讃岐はおろか四国全体、誰知らぬものとて無い有様となった。才兵衛はおろかにもそれを自身の出世と考え、わしの今日あるは摩利支天のお恵みもさる事ながら、第一は恩師鰐口様のおかげ、めったに鰐口様のほうへは足を向けて寝られぬ、などと言うものだから、鰐口は町内の者に合わす顔が無く、いたたまらず、ついに出家しなければならなくなった。そのような騒ぎをいつまでも捨て置く事も出来ず、丸亀屋の身内の者全部ひそかに打寄って相談して、これはとにかく嫁をもらってやるに限る、横町の小平太の詰将棋も坂下の与茂七の尺八も嫁をもらったらぱったりやんだ、才兵衛さんも綺麗なお嫁さんから人間の情愛というものを教えられたら、あんな乱暴なむごい勝負がいやになるに違いない、これは何でも嫁をもらってやる事です、と鳩首《きゅうしゅ》して眼を光らせてうなずき合い、四方に手廻《てまわ》しして同じ讃岐の国の大地主の長女、ことし十六のお人形のように美しい花嫁をもらってやったが、才兵衛は祝言《しゅうげん》の日にも角力の乱れ髪のままで、きょうは何かあるのですか、大勢あつまっていやがる、と本当に知らないのかどうか、法事ですか、など情無い事を言い、父母をはじめ親戚《しんせき》一同、拝むようにして紋服を着せ、花嫁の傍《そば》に坐らせてとにかく盃事《さかずきごと》をすませて、ほっとした途端に、才兵衛はぷいと立ち上って紋服を脱ぎ捨て、こんなつまらぬ事をしていては腕の力が抜けると言い、庭に飛び降り庭石を相手によいしょ、よいしょとすさまじい角力の稽古。父母は嫁の里の者たちに面目なく背中にびっしょり冷汗をかいて、
「まだ子供です。ごらんのとおりの子供です。お見のがしを。」と言うのだが、見たところ、どうしてなかなか子供ではない。四十くらいの親爺に見える。嫁の里の者たちは、あっけにとられて、
「でも、あんな髭をはやして分別顔でりきんでいるさまは、石川五右衛門の釜《かま》うでを思い出させます。」と率直な感想を述べ、とんでもない男に娘をやったと顔を見合せて溜息をついた。
 才兵衛はその夜お嫁を隣室に追いやり、間の襖に念入りに固くしんばり棒をして、花嫁がしくしく泣き出すと大声で、
「うるさい!」と呶鳴《どな》り、「お師匠の鰐口様がいつかおっしゃった。夫婦が仲良くすると、あたら男盛りも、腕の力が抜ける、とおっしゃった。お前も角力取の女房《にょうぼう》ではないか。それくらいの事を知らないでどうする。わしは女ぎらいだ。摩利支天に願掛けて、わしは一生、女に近寄らないつもりなのだ。馬鹿者め。めそめそしてないで、早くそっちへ蒲団《ふとん》敷いて寝ろ!」
 花嫁は恐怖のあまり失神して、家中が上を下への大騒ぎになり、嫁の里の者たちはその夜のうちに、鬼が来た鬼が来たと半狂乱で泣き叫ぶ娘を駕籠《かご》に乗せて、里へ連れ戻《もど》った。
 このような不首尾のために才兵衛の悪評はいよいよ高く、いまは出家|遁世《とんせい》して心静かに山奥の庵《いおり》で念仏|三昧《ざんまい》の月日を送っている師匠の鰐口の耳にもはいり、師匠にとって弟子の悪評ほどつらいものはなく、あけくれ気に病み、ついには念仏の障りにもなって、或る夜、決意して身を百姓姿にかえて山を下り、里の夜宮に行って相変らずさかんな夜宮角力を、頬被《ほおかぶ》りして眺めて、そのうちにれいの荒磯が、のっしのっしと土俵にあがり、今夜もわしの相手は無しか、尻《しり》ごみしないでかかって来い、と嗄《しゃが》れた声で言ってぎょろりとあたりを見廻せば、お宮の松籟《しょうらい》も、しんと静まり、人々は無言で帰り仕度をはじめ、その時、鰐口|和尚《おしょう》は着物を脱ぎ、頬被りをしたままで、おう、と叫んで土俵に上った。荒磯は片手で和尚の肩を鷲《わし》づかみにして、この命知らずめが、とせせら笑い、和尚は肩の骨がいまにも砕けはせぬかと気が気でなく、
「よせ、よせ。」と言っても、荒磯は、いよいよ笑って和尚の肩をゆすぶるので、どうにも痛くてたまらなくなり、
「おい、おい。おれだ、おれだよ。」と囁《ささや》いて頬被りを取ったら、
「あ、お師匠。おなつかしゅう。」などと言ってる間に和尚は、上手投げという派手な手を使って、ものの見事に荒磯の巨体を宙に一廻転させて、ずでんどうと土俵のまん中に仰向けに倒した。その時の荒磯の形のみっともなかった事、大鯰《おおなまず》が瓢箪《ひょうたん》からすべり落ち、猪《いのしし》が梯子《はしご》からころげ落ちたみたいの言語に絶したぶざまな恰好《かっこう》であったと後々の里の人たちの笑い草にもなった程で、和尚はすばやく人ごみにまぎれて素知らぬ振りで山の庵に帰り、さっぱりした気持で念仏を称《とな》え、荒磯はあばら骨を三本折って、戸板に乗せられて死んだようになって家へ帰り、師匠、あんまりだ、うらみます、とうわごとを言い、その後さまざま養生してもはかどらず、看護の者を足で蹴飛《けと》ばしたりするので、次第にお見舞いをする者もなくなり、ついには、もったいなくも生みの父母に大小便の世話をさせて、さしもの大兵《だいひよう》肥満も骨と皮ばかりになって消えるように息を引きとり、本朝二十不孝の番附《ばんづけ》の大横綱になったという。
[#地から2字上げ](本朝二十不孝、巻五の三、無用の力自慢)
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   猿塚《さるづか》

 むかし筑前《ちくぜん》の国、太宰府《だざいふ》の町に、白坂|徳右衛門《とくえもん》とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女お蘭《らん》の美形ならびなく、七つ八つの頃《ころ》から見る人すべて瞠若《どうじゃく》し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖《ふりそで》も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を噤《つぐ》んで見とれ、名花の誉《ほまれ》は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。ここに桑盛次郎右衛門《くわもりじろうえもん》とて、隣町の裕福な質屋の若旦那《わかだんな》、醜男《ぶおとこ》ではないけれども、鼻が大きく目尻《めじり》の垂れ下った何のへんてつも無い律儀《りちぎ》そうな鬚男《ひげおとこ》、歯の綺麗《きれい》なのが取柄《とりえ》で笑顔にちょっと愛嬌《あいきょう》のあるところがよかったのか、或《あ》る日の雨宿りが縁になって、人は見かけに依《よ》らぬもの、縁は異なもの、馬鹿《ばか》らしいもの、お蘭に慕われるという飛んでもない大果報を得たというのがこの物語の発端である。両方の親は知らず、次郎右衛門ひそかに、出入のさかなやの伝六に頼み、徳右衛門方に縁組の内相談を持ちかけさせた。伝六はかねがねこの質屋に一かたならず面倒をかけている事とて、次郎右衛門の言いにくそうな頼みを聞いて、向うは酒屋、うまく橋渡しが出来たら思うぞんぶん飲めるであろう、かつはこちらの質の利息払いの期限をのばしてもらうのはこの時と勇み立ち、あつかましくも質流れの紋服で身を飾り、知らぬ人が見たらどなたさまかと思うほどの分別ありげの様子をして徳右衛門方に乗り込み、えへへと笑い扇子を鳴らして庭の石を褒《ほ》め、相手は薄気味悪く、何か御用でも、と言い、伝六あわてず、いや何、と言い、やがてそれとなく次郎右衛門の希望を匂《にお》わせ、こちらさまは酒屋、向うさまは質屋、まんざら縁の無い御商売ではございませぬ、酒屋へ走る前には必ず質屋へ立寄り、質屋を出てからは必ず酒屋へ立寄るもので、謂《い》わば坊主《ぼうず》とお医者の如《ごと》くこの二つが親戚《しんせき》だったら、鬼に金棒で、町内の者が皆殺されてしまいます、などとけしからぬ事まで口走り、一世一代の無い智慧《ちえ》を絞って懸命に取りなせば、徳右衛門も少し心が動き、
「桑盛様の御総領ならば、私のほうでも不足はございませんが、時に、桑盛さまの御宗旨《ごしゅうし》は?」
「ええと、それは、」意外の質問なので、伝六はぐっとつまり、「はっきりは、わかりませぬが、たしか浄土宗で。」
「それならば、お断り申します。」と口を曲げて憎々しげに言い渡した。「私の家では代々の法華宗《ほっけしゅう》で、殊《こと》にも私の代になりましてから、深く日蓮《にちれん》様に帰依《きえ》仕《つかまつ》って、朝夕|南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》のお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので、いまさら他宗へ嫁にやるわけには行きません。あなたも縁談の橋渡しをしようというほどの男なら、それくらいの事を調べてからおいでになったらどうです。」
「いや、あの、私は、」と冷汗を流し、「私は代々の法華宗の日蓮様で、朝夕、南無妙法蓮華経と。」
「何を言っているのです。あなたに嫁をやるわけじゃあるまいし、桑盛様が浄土宗ならば、いかほど金銀を積んでも、またその御総領が御発明で男振りがよくっても、私は、いやと申します。日蓮様に相すみません。あんな陰気くさい浄土宗など、どこがいいのです。よくもこの代々の法華宗の家へ、娘がほしいなんて申込めたものだ。あなたの顔を見てさえ胸くそが悪い。お帰り下さい。」
 さんざんの不首尾で伝六は退散し、しょげ切ってこの由《よし》を次郎右衛門に告げた。次郎右衛門は気軽に、なんだ、そんな事は何でもない、こちらの宗旨を変えたらいい、家は代々不信心だから浄土宗だって法華宗だってかまわないんだ、と言って、にわかに総《ふさ》の長い珠数《じゅず》に持ちかえ、父母にもすすめて、朝夕お題目をあげて、父母は何の事かわからぬが子供に甘い親なので、とにかく次郎右衛門の言いつけどおりに、わきを見てあくびをしながら南無妙法蓮華経と称《とな》え、ふたたび伝六は、徳右衛門方におもむき、いまは桑盛様も一家中、日蓮様を信心してお題目をあげていますと得意満面で申し述べたが、徳右衛門はむずかしい男で、いやいや根抜きの法華でなければ信心が薄い、お蘭ほしさの改宗は見えすいて浅間《あさま》し、日蓮さまだっていい顔をなさるまい、ちょっと考えてもわかりそうな事だ、娘は或る知合いの法華の家へ嫁にやるようにきまっています、というむごい返事、次郎右衛門は聞いて仰天して、取敢《とりあ》えずお蘭に、伝六なんの役にも立たざる事、ならびに、お前がよその法華へ嫁《とつ》ぐそうだが、畜生め、私はお前のために好きでもないお題目を称えて太鼓をたたき手に豆をこしらえたのだぞ、思えば私の次郎右衛門という名は、あずまの佐野の次郎左衛門に似ていて、かねてから気になっていたのだが、やはり東西左右の振られ男であった、私もこうなれば、刀を振りまわして百人|斬《ぎ》りをするかも知れぬ、男の一念、馬鹿にするな、と涙を流して書き送れば、すぐに折り返しお蘭の便り、あなたのお手紙何が何やら合点《がてん》が行かず、とにかく刀を振りまわすなど危い事はよして下さい、百人斬りはおろか一人も斬らぬうちにあなたが斬られてしまいます、あなたの身にもしもの事があったなら、私はどうしたらいいのでしょう、あまりおどかさないで下さい、よその縁談の事など、本当に私には初耳です、あなたはいつもお鼻や目尻の事を気にして自信が無く、何のかのと言って私を疑うので困ってしまいます、私が今更どこへ行くものですか、安心していらっしゃい、もしもお父さんが私をよそへやるようだったら私はこの家から逃げてもあなたのところへ行くつもり、女の一念、覚えていらっしゃい、という事なので次郎右衛門すこし笑い、しかし、まだまだ安心はならぬと無理に顔をしかめて、とにかくお題目と今は本気に日蓮様におすがりしたくなって、南無妙法蓮華経と大声でわめいて滅多矢鱈《めったやたら》に太鼓をたたく。
 お蘭はその翌《あく》る日、徳右衛門の居間に呼ばれて、本町|紙屋彦作《かみやひこさく》様と縁談ととのった、これも日蓮様のおみちびき、有難《ありがた》くとこしなえの祝言《しゅうげん》を結べ、とおごそかに言い渡せば、お蘭はぎょっとしたが色に出さず、つつしんで一礼して部屋から出て、それから飛ぶようにして二階に駈《か》け上り、一筆しめしまいらせ候《そうろう》、来たわよ、いよいよ決行の日が来たわよ、私は逃げるつもりです、今宵《こよい》のうちに迎えたのむ、拝む、としどろもどろに書き散らし、丁稚《でっち》に言いつけて隣町へ走らせ、次郎右衛門はその手紙をざっと一読してがたがた震え、台所へ行って水を飲み、ここが思案のしどころと座敷のまん中に大あぐらをかいてみたが、別に何の思案も浮ばず、立ち上って着物を着換え、帳場へ行ってあちこちの引出しを掻きまわし、番頭に見とがめられて、いやちょっと、と言い、何がしの金子《きんす》をそそくさと袂《たもと》にほうり込んで、もう眼に物が見えぬ気持で、片ちんばの下駄《げた》をはいて出て途中で気がついて、家へ引返すのもおそろしく、はきもの屋に立ち寄って、もうこれだけしかお金が無いのだと思うと、けちになって一ばん安い草履を買い、その薄っぺらな草履をはいて歩くとぺたぺたと裸足《はだし》で地べたを歩いているような感じで心細く、歩きながら男泣きに泣いて、ようやく隣町の徳右衛門の家の裏口にたどりつくと、矢のようにお蘭は走り出て、ものも言わず次郎右衛門の手を取りさっさと自分からさきに歩き出し、次郎右衛門はあんまの如く手をひかれて、ぺたぺたと歩いて、またも大泣きに泣くのである。ここまでは、分別浅い愚かな男女の、取るにも足らぬふざけた話であるが、もちろん物語はここで終らぬ。世の中の厳粛な労苦は、このさきにあるようだ。
 二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多《はかた》の海が青く展開するのを夢のように眺《なが》めて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かと胆《きも》をひやし、生きた心地《ここち》も無くただ歩きに歩いて蹌踉《そうろう》とたどりついたところは其《そ》の名も盛者必衰《じょうしゃひっすい》、是生滅法《ぜしょうめっぽう》の鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋《なや》に休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青く窶《やつ》れた顔を見合せて溜息《ためいき》をつき、お蘭は、手飼いの猿《さる》の吉兵衛の背を撫《な》でながら、やたらに鼻をすすり上げた。この吉兵衛という名の猿は、小猿の頃からお蘭に可愛《かわい》がられて育ち、娘が男と一緒にひたすら夜道を急ぐ後を慕ってついて来て、一里あまり過ぎた頃、お蘭が見つけて叱《しか》って追っても、石を投げて追ってもひょこひょこついて来て、次郎右衛門は不憫《ふびん》に思い、せっかく慕って来たのだから仲間にいれておやり、と言い、お蘭は、おいで、と手招きすれば、うれしそうに駈け寄って来て、お蘭に抱かれて眼をぱちぱちさせて二人の顔を気の毒そうに眺める。いまはもう二人の忠義な下僕《げぼく》になりすまして、納屋へ食事を持ちはこぶやら、蠅《はえ》を追うやら、櫛《くし》でお蘭のおくれ毛を掻《か》き上げてやるやら、何かと要らないお手伝いをして、二人の淋《さび》しさを慰めてやろうと畜生ながら努めている。いかに世を忍ぶ身とは言え、いつまでも狭い納屋に隠れて暮しているわけにも行かず、次郎右衛門はさらに所持のお金の大半を出してその薄情の知合いの者にたのみ、すぐ近くの空地に見すぼらしい庵《いおり》を作ってもらい、夫婦と猿の下僕はそこに住み、わずかな土地を耕して、食膳《しょくぜん》に供するに足るくらいの野菜を作り、ひまひまに亭主《ていしゅ》は煙草《たばこ》を刻み、お蘭は木綿の枷《かせ》というものを繰って細々と渡世し、好きもきらいも若い一時の阿呆《あほ》らしい夢、親にそむいて家を飛び出し連添ってみても、何の事はない、いまはただありふれた貧乏|世帯《じょたい》の、とと、かか、顔を見合せて、おかしくもなく、台所がかたりと鳴れば、鼠《ねずみ》か、小豆《あずき》に糞《ふん》されてはたまらぬ、と二人血相かえて立ち上り、秋の紅葉も春の菫《すみれ》も、何の面白《おもしろ》い事もなく、猿の吉兵衛は主人の恩に報いるはこの時と、近くの山に出かけては柏《かしわ》の枯枝や松の落葉を掻き集め、家に持ち帰って竈《かまど》の下にしゃがみ、松葉の煙に顔をそむけながら渋団扇《しぶうちわ》を矢鱈にばたばた鳴らし、やがてぬるいお茶を一服、夫婦にすすめて可笑《おか》しき中にも、しおらしく、ものこそ言わね貧乏世帯に気を遣い、夕食も遠慮して少量たべると満足の態《てい》でころりと寝て、次郎右衛門の食事がすむと駈け寄って次郎右衛門の肩をもむやら足腰をさするやら、それがすむと台所へ行きお蘭の後片附のお手伝いをして皿《さら》をこわしたりして実に面目なさそうな顔つきをして、夫婦は、せめてこの吉兵衛を唯一《ゆいいつ》のなぐさみにして身の上の憂《う》きを忘れ、そのとしも過ぎて翌年の秋、一子菊之助をもうけ、久し振りに草の庵から夫婦の楽しそうな笑声が漏れ聞え、夫婦は急に生きる事にも張合いが出て来て、それめめをさました、あくびをしたと騷ぎ立てると、吉兵衛もはねまわって喜び、山から木の実を取って来て、赤ん坊の手に握らせて、お蘭に叱られ、それでも吉兵衛には子供が珍らしくてたまらぬ様子で、傍《そば》を離れず寝顔を覗《のぞ》き込み、泣き出すと驚いてお蘭の許《もと》に飛んで行き裾《すそ》を引いて連れて来て、乳を呑《の》ませよ、と身振《みぶり》で教え、赤子の乳を呑むさまを、きちんと膝《ひざ》を折って坐って神妙に眺め、よい子守が出来たと夫婦は笑い、それにつけても、この菊之助も不憫なもの、もう一年さきに古里《ふるさと》の桑盛の家で生れたら、絹の蒲団《ふとん》に寝かせて、乳母を二人も三人もつけて、お祝いの産衣《うぶぎ》が四方から山ほど集り、蚤《のみ》一匹も寄せつけず玉の肌《はだ》のままで立派に育て上げる事も出来たのに、一年おくれたばかりに、雨風も防ぎかねる草の庵に寝かされて、木の実のおもちゃなど持たされ、猿が子守とは、と自分たちの無分別な恋より起ったという事も忘れて、ひたすら子供をいとおしく思い、よし、よし、いまはこのようにみじめだが、この子の物心地のつく迄《まで》は、何とか一財産つくって古里の親たちを見かえしてやらなければならぬ、と次郎右衛門も、子への愛から発奮して、近所の者に、この頃のよろしき商売は何、などと尋ね、草の庵も去年にかわって活気を呈し、一子の菊之助もまるまると太ってよく笑い、母親のお蘭に似て輝くばかりの器量よし、猿の吉兵衛は野の秋草を手折《たお》って来て菊之助の顔ちかく差しのべて上手にあやし、夫婦は何の心配も無く共に裏の畑に出て大根を掘り、ことしの秋は、何かいい事でもあるか、と夫婦は幸福の予感にぬくまっていた。その頃、近所のお百姓から耳よりのもうけ話ありという事を聞き、夫婦は勇んで、或る秋晴れの日、二人そろってその者の家へ行ってくわしく話の内容を尋ね問いなどしている留守に、猿の吉兵衛、そろそろお坊ちゃんの入浴の時刻と心得顔で立ち上り、かねて奥様の仕方を見覚えていたとおりに、まず竈の下を焚《た》きつけてお湯をわかし、湯玉の沸き立つを見て、その熱湯を盥《たらい》にちょうど一ぱいとり、何の加減も見る迄も無く、子供を丸裸にして仔細《しさい》らしく抱き上げ、奥様の真似《まね》して子供の顔をのぞき込んでやさしく二、三度うなずき、いきなりずぶりと盥に入れた。
 喚《わっ》という声ばかりに菊之助の息絶え、異様の叫びを聞いて夫婦は顔を見合せて家に駈け戻れば、吉兵衛うろうろ、子供は盥の中に沈んで、取り上げて見ればはや茹海老《ゆでえび》の如く、二目と見られぬむざんの死骸《しがい》、お蘭はこけまろびて、わが身に代えても今一度もとの可愛い面影《おもかげ》を見たしと狂ったように泣き叫ぶも道理、呆然《ぼうぜん》たる猿を捕えて、とかく汝《なんじ》は我が子の敵《かたき》、いま打殺すと女だてらに薪《まき》を振上げ、次郎右衛門も胸つぶれ涙とどまらぬながら、ここは男の度量、よしこれも因果の生れ合せと観念して、お蘭の手から薪を取上げ、吉兵衛を打ち殺したく思うも尤《もっと》もながら、もはや返らぬ事に殺生《せっしょう》するは、かえって菊之助が菩提《ぼだい》のため悪し、吉兵衛もあさましや我等《われら》への奉公と思いてしたるべけれども、さすが畜生の智慧《ちえ》浅きは詮方《せんかた》なし、と泣き泣き諭《さと》せば、猿の吉兵衛も部屋の隅《すみ》で涙を流して手を合せ、夫婦はその様を見るにつけいよいよつらく、いかなる前生の悪業《あくごう》ありてかかる憂目《うきめ》に遭うかと生きる望も消えて、菊之助を葬《ほうむ》った後には共にわずらい寝たきりになって、猿の吉兵衛は夜も眠らずまめまめしく二人を看護し、また七日々々にお坊ちゃんの墓所へ参り、折々の草花を手折って供え、夫婦すこしく恢復《かいふく》せし百日に当る朝、吉兵衛しょんぼりお墓に参って水心静かに手向け、竹の鉾《ほこ》にてみずから喉笛《のどぶえ》を突き通して相果てた。夫婦、猿の姿の見当らぬを怪しみ、杖《つえ》にすがってまず菊之助の墓所へ行き、猿のあわれな姿をひとめ見て一切を察し、菊之助無き後は、せめてこの吉兵衛だけが世の慰めとたのんでいたのに、と恨《うら》み嘆き、ねんごろに葬《とむら》い、菊之助の墓の隣に猿塚を建て、その場に於《お》いて二人出家し、(と書いて作者は途方にくれた。お念仏かお題目か。原文には、かの庵に絶えず題目唱えて、法華|読誦《どくじゅ》の声やまず、とある。徳右衛門の頑固《がんこ》な法華の主張がこんなところに顔を出しては、この哀話も、ぶちこわしになりそうだ。困った事になったものである。)ふたたび、庵に住むも物憂く、秋草をわけていずこへとも無く二人旅立つ。
[#地から2字上げ](懐硯《ふところすずり》、巻四の四、人真似は猿の行水)
[#改頁]

   人魚の海

 後深草《ごふかくさ》天皇|宝治《ほうじ》元年三月二十日、津軽の大浦というところに人魚はじめて流れ寄り、其《そ》の形は、かしらに細き海草の如《ごと》き緑の髪ゆたかに、面《おもて》は美女の愁《うれ》えを含み、くれないの小さき鶏冠《とさか》その眉間《みけん》にあり、上半身は水晶《すいしょう》の如く透明にして幽《かす》かに青く、胸に南天の赤き実を二つ並べ附《つ》けたるが如き乳あり、下半身は、魚の形さながらにして金色の花びらとも見まがうこまかき鱗《うろこ》すきまなく並び、尾鰭《おひれ》は黄色くすきとおりて大いなる銀杏《いちょう》の葉の如く、その声は雲雀笛《ひばりぶえ》の歌に似て澄みて爽《さわ》やかなり、と世の珍らしきためしに語り伝えられているが、とかく、北の果の海には、このような不思議の魚も少からず棲息《せいそく》しているようである。むかし、松前《まつまえ》の国の浦奉行《うらぶぎょう》、中堂金内《ちゅうどうこんない》とて勇あり胆あり、しかも生れつき実直の中年の武士、或《あ》るとしの冬、お役目にて松前の浦々を見廻《みまわ》り、夕暮ちかく鮭川《さけがわ》という入海《いりうみ》のほとりにたどりつき、そこから便船を求め、きょうのうちに次の港まで行くつもりで相客五、六人と北国の冬には珍らしく空もよく晴れ静かな海を船出して、汀《みぎわ》から八丁ほど離れた頃《ころ》、風も無いのに海がにわかに荒れ出して、船は木の葉の如く飜弄《ほんろう》せられ、客は恐怖のために土色の顔になって、思う女の名を叫び出し、さらばよ、さらばよ、といやらしく悶《もだ》えて見せる者もあり、笈《おい》の中より観音経《かんのんぎょう》を取出し、さかさとも知らず押しいただき、そのまま開いておろおろ読み上げる者もあり、瓢箪《ひょうたん》を引き寄せ中に満たされてある酒を大急ぎで口呑《くちの》みして、これを飲みのこしては死んでも死にきれぬ、からになった瓢箪は浮袋になります、と五寸にも足りぬその小さいひさごを、しさいらしい顔つきで皆に見せびらかす者もあり、なんの意味か、しきりに指先で額《ひたい》に唾《つば》をなすりつけている者もあり、いそがしげに財布を出して金勘定、一両足りぬと呟《つぶや》いてあたりの客をいやな眼つきで睨《にら》む者もあり、いのちの瀬戸際《せとぎわ》にも、足がさわったとやらで無用の口論をはじめる者もあり人さまざまに騒ぎ立て、波はいよいよ高く、船は上下に荒く震動し、いまは騒ぐ力も尽き、船頭がまず船底にたおれ伏し、おゆるしなされ、と呻《うめ》いて死んだようにぐたりとなれば、船中の客、総泣きに泣き伏して、いずれも正体を失い、中堂金内ただひとり、はじめから舷《ふなばた》を背にしてあぐらを掻《か》き、黙って腕組して前方を見つめていたが、やがて眼《め》のさきの海水が金色に変り、五色の水玉噴き散ると見えしと同時に、白波二つにわれて、人魚、かねて物語に聞いていたのと同じ姿であらわれ、頭を振って緑の髪をうしろに払いのけ、水晶の腕で海水を一掻き二掻きするすると蛇《へび》の如く素早く金内の船に近づき、小さく赤い口をあけて一声爽やかな笛の音。おのれ船路のさまたげと、金内怒って荷物の中より半弓《はんきゅう》を取出し、神に念じてひょうと射れば、あやまたずかの人魚の肩先に当り、人魚は声もなく波間に沈み、激浪たちまち収まって海面はもとのように静かになり、斜陽おだやかに船中にさし込み、船頭は間抜《まぬ》け面《づら》で起き上り、なんだ夢か、と言った。金内は、おのれの手柄《てがら》を矢鱈《やたら》に吹聴《ふいちょう》するような軽薄な武士でない。黙って微笑《ほほえ》み、また前のように腕組みして舷によりかかって坐《すわ》っている。船客もそろそろ土色の顔を挙げ、てれ隠しにけたたましく笑う者あり、せっかくの酒を何の興もなく飲んでしまって、後の楽しみを無くした、と五寸ばかりのひさごをさかさに振って、そればかり愚痴っている者もあり、或《ある》いはまた、さいぜん留守宅の若いお妾《めかけ》の名を叫んで身悶えしていた八十歳の隠居は、さてもおそろしや、とおもむろに衣紋《えもん》を取りつくろい、これすなわち登竜《のぼりりゅう》に違いござらぬ、と断じ、そもそもこの登竜は越中越後《えっちゅうえちご》の海中に多く見受けられるものにして、夏日に最もしばしばこの事あり、一群の黒雲|虚空《こくう》より下り来れば海水それに吸われるが如く応じて逆巻《さかまき》のぼり黒雲潮水一柱になり、まなこをこらしてその凄《すさま》じき柱を見れば、はたせるかな、竜の尾頭その中に歴々たりとものの本にござった、また別の一書には、或る人、江戸より船にてのぼりしに東海道の興津《おきつ》の沖を過ぎる時に一むらの黒雲虚空よりかの船をさして飛来る、船頭大いに驚き、これは竜の此《この》舟を巻上げんとするなり、急に髪を切って焼くべしとて船中の人々のこらず頭髪を切って火にくべしに臭気ふんぷんと空にのぼりしかば、かの黒雲たちまちに散り失《う》せたりとござったが、愚老もし若かったら、さいぜんただちに頭髪を切るべきに生憎《あいにく》、と言って禿《は》げた頭を真面目《まじめ》な顔して静かに撫《な》でた。へえ、そうですか、と観音経は、馬鹿《ばか》にし切ったような顔で、そっぽを向いて相槌《あいづち》を打ち、何もかも観音のお力にきまっていますさ、と小声で呟き、殊勝げに瞑目《めいもく》して南無観世音大菩薩《なむかんぜおんだいぼさつ》と称《とな》えれば、やあ、ぜにはあった! と自分の懐《ふところ》の中から足りない一両を見つけて狂喜する者もあり、金内は、ただにこにこして、やがて船はゆらゆら港へはいり、人々やれ命拾いと大恩人の目前にあるも知らず、互いに無邪気に慶祝し合って上陸した。
 中堂金内は、ほどなく松前城に帰着し、上役の野田武蔵《のだむさし》に、このたびの浦々巡視の結果をつぶさに報告して、それからくつろぎ、よもやまの旅の土産話のついでに、れいの人魚の一件を、少しも誇張するところなく、ありのままに淡々と語れば、武蔵かねて金内の実直の性格を悉知《しっち》しているゆえ、その人魚の不思議をも疑わず素直に信じ、膝《ひざ》を打って、それは近頃めずらしい話、殊《こと》にもそなたの沈着勇武、さっそくこの義を殿《との》の御前に於《お》いて御披露《ごひろう》申し上げよう、と言うと、金内は顔を赤らめ、いやいや、それほどの事でも、と言いかけるのにかぶせて、そうではない、古来ためし無き大手柄、家中《かちゅう》の若い者どものはげみにもなります、と強く言い切って、まごつく金内をせき立て、共に殿の御前にまかり出ると、折よく御前には家中の重役の面々も居合せ、野田武蔵は大いに勢い附いて、おのおの方もお聞きなされ、世にもめずらしき手柄話、と金内の旅の奇談を逐一語れば、殿をはじめ一座の者、膝をすすめて耳を傾ける中にひとり、青崎百右衛門《あおさきひゃくえもん》とて、父親の百之丞《ひゃくのじょう》が松前の家老として忠勤をはげんだお蔭《かげ》で、親の歿後《ぼつご》も、その禄高《ろくだか》をそっくりいただき何の働きも無いくせに重役のひとりに加えられ、育ちのよいのを鼻にかけて同輩をさげすみ、なりあがり者の娘などはこの青崎の家に迎え容《い》れられぬと言って妻をめとらず道楽|三昧《ざんまい》の月日を送って、ことし四十一歳、このごろは欲しいと言ったって誰《だれ》も娘をやろうとはせぬ有様、みずからの高慢のむくいではあるが、さすがに世の中が面白《おもしろ》くなく、何かにつけて家中の者たちにいや味を言い、身のたけ六尺に近く極度に痩《や》せて、両手の指は筆の軸のように細く長く、落ち窪《くぼ》んだ小さい眼はいやらしく青く光って、鼻は大きな鷲鼻《わしばな》、頬《ほお》はこけて口はへの字型、さながら地獄の青鬼の如き風貌《ふうぼう》をしていて、一家中のきらわれ者、この百右衛門が、武蔵の物語を半分も聞かぬうちに、ふふん、と笑い、のう玄斎《げんさい》、と末座に丸くかしこまっている茶坊主《ちゃぼうず》の玄斎に勝手に話掛け、
「そなたは、どう思うか。こんな馬鹿らしい話を、わざわざ殿へ言上するなんて、ちと不謹慎だとは思わぬか。世に化物なし、不思議なし、猿《さる》の面《つら》は赤し、犬の足は四本にきまっている。人魚だなんて、子供のお伽噺《とぎばなし》ではあるまいし、いいとしをしたお歴々が、額《ひたい》にはくれないの鶏冠《とさか》も呆《あき》れるじゃないか。」と次第に傍若無人の高声になって、「のう、玄斎、よしその人魚とやらの怪しい魚類が北海に住んでいたとしてもさ、そんな古来ためしの無い妖怪《ようかい》を射とめるには、こちらにも神通力が無くてはかなわぬ。なまなかの腕では退治が出来まい。鳥に羽あり魚に鰭《ひれ》ありさ。なかなかどうして、飛ぶ小鳥、泳ぐ金魚を射とめるのも容易の事じゃないのに、そんな上半身水晶とやらの化物を退治するのには、まず弓矢八幡大菩薩《ゆみやはちまんだいぼさつ》、頼光《らいこう》、綱、八郎、田原藤太《たわらとうた》、みんなのお力をたばにしたくらいの腕前でもなけれや、間に合いますまい。いや、論より証拠、それがしの泉水の金魚、な、そなたも知っているだろう、わずかの浅水をたのしみにひらひら泳ぎまわってござるが、せんだって退屈のあまり雀《すずめ》の小弓で二百本ばかり射かけてみたが、これにさえ当らぬもの、金内殿も、おおかた海上でにわかの旋風に遭い、動転して、流れ寄る腐木にはっしと射込んだのでなければ、さいわいだがのう。」と、当惑し切ってもじもじしている茶坊主をつかまえて、殿へも聞えよがしの雑言《ぞうごん》。たまりかねて野田武蔵、ぐいと百石衛門の方に向き直り、
「それは貴殿の無学のせいだ。」と日頃の百右衛門の思い上った横着振りに対する鬱憤《うっぷん》もあり、噛《か》みつくような口調で言って、「とかく生半可《なまはんか》の物識《ものし》りに限って世に不思議なし、化物なし、と実《み》もふたも無いような言い方をして澄《すま》し込んでいるものですが、そもそもこの日本の国は神国なり、日常の道理を越えたる不思議の真実、炳《へい》として存す。貴殿のお屋敷の浅い泉水とくらべられては困ります。神国三千年、山海万里のうちにはおのずから異風奇態の生類《しょうるい》あるまじき事に非《あら》ず、古代にも、仁徳《にんとく》天皇の御時、飛騨《ひだ》に一身両面の人出ずる、天武《てんむ》天皇の御宇《ぎょう》に丹波《たんば》の山家《やまが》より十二角の牛出ずる、文武《もんむ》天皇の御時、慶雲《けいうん》四年六月十五日に、たけ八丈よこ一丈二尺一頭三面の鬼、異国より来《きた》る、かかる事どもも有るなれば、このたびの人魚、何か疑うべき事に非ず。」と名調子でもって一気にまくし立てると、百右衛門、蒼《あお》い顔をさらに蒼くして、にやりと笑い、
「それこそ生半可の物識り。それがしは、議論を好まぬ。議論は軽輩、功をあせっている者同志のやる事です。子供じゃあるまいし。青筋たてて空論をたたかわしても、お互い自説を更に深く固執するような結果になるだけのものさ。議論は、つまらぬ。それがしは何も、人魚はこの世に無いと言っているのではござらぬ。見た事が無いと言っているだけの事だ。金内殿もお手柄ついでにその人魚とやらを、御前に御持参になればよかったのに。」と憎らしくうそぶく。武蔵たけり立って膝をすすめ、
「武士には、信の一字が大事ですぞ。手にとって見なければ信ぜられぬとは、さてさて、あわれむべき御心魂。それ心に信無くば、この世に何の実体かあらん。手に取って見れども信ぜずば、見ざるもひとしき仮寝の夢。実体の承認は信より発す。然《しか》して信は、心の情愛を根源とす。貴殿の御心底には一片の情愛なし、信義なし。見られよ、金内殿は貴殿の毒舌に遭い、先刻より身をふるわし、血涙をしぼって泣いてござるわ。金内殿は、貴殿とは違って、うそなど言う仁《じん》ではござらぬ。日頃の金内殿の実直を、貴殿はよもや知らぬとは申されますまい。」と詰め寄ったが、百右衛門は相手にせず、
「それ、殿がお立ちだ。御不興と見える。」といかめしい口調で言い、御奥へ引上げる城主に向って平伏し、
「やれやれ、馬鹿どもには迷惑いたす。」と小声で呟いて立ち上り、「頭の血のめぐりの悪い事を実直と申すのかも知れぬが、夢や迷信をまことしやかに言い伝え、世をまどわすのは、この実直者に限る。」と言い捨て、猫《ねこ》の如く足音も無く退出する。他の重役たちも、或いは百右衛門の意地悪を憎み、或いは武蔵の名調子を気障《きざ》なりとしてどっちもどっちだと思い、或いは居眠りをして何の議論やらわけがわからず呆然《ぼうぜん》として立ち上って、一人去り二人去り、あとには武蔵と金内だけが残されて、武蔵くやしく歯がみをして、
「おのれ、よくも、ほざいた。金内殿、お察し申す。そなたも武士、すでに御覚悟もあろうが、いついかなる場合も、この武蔵はそなたの味方です。いかにしても、きゃつを、このままでは。」と力めば、金内は、そう言われて尚《なお》の事、悲しくうらめしく、しばらくは一言の言葉も出ず、声も無く慟哭《どうこく》していた。不仕合せな人は、他人からかばわれ同情されると、うれしいよりは、いっそうわが身がつらく不仕合せに思われて来るものである。東西を失い男泣きに泣いて、いまはわが身の終りと観念し、涙をこぶしで拭《ふ》いて顔を挙げ、なおも泣きじゃくりながら、
「かたじけなく存じます。さきほどの百右衛門のかずかずの悪口、聞き捨てになりがたく、金内軽輩ながら、おのれ、まっぷたつと思いながらも、殿の御前なり、忍ぶべからざるを忍んで、ただ、くやし涙にむせていましたが、もはや覚悟のほどが極《きま》りました。ただいまこれより追い駈《か》けて、かの百右衛門を一刀のもとに切り捨てるのは最も易《やす》い事ですが、それでは家中の人たちは、金内は百右衛門のために嘘《うそ》を見破られて、くやしさの余り刃傷《にんじょう》に及んだと言い、それがしの人魚の話もいよいようろんの事になって、御貴殿にも御迷惑をおかけする結果に相成りますから、どうせもう、すたりものになったこの身、死におくれついでに今すこし命ながらえ、鮭川の入海を詮議《せんぎ》して、弓矢八幡お見捨てなく、かの人魚の死骸《しがい》を見つけた時は、金内の武運もいまだ尽きざる証拠、是《これ》を持参して一家中に見せ、しかるのち、百右衛門を心置きなく存分に打ち据《す》え、この身もうれしく切腹の覚悟。」と申せば武蔵は、いじらしさに、もらい泣きして、
「武蔵が無用の出しゃばりして、そなたの手柄《てがら》を殿に御披露したのが、わるかった。わけもない人魚の論などはじめて、あたら男を死なせねばならぬ。ゆるせ金内、来世は武士に生れぬ事じゃのう。」顔をそむけて立ち上り、「留守は心配ないぞ。」と強く言って広間から退出した。
 金内の私宅には、八重ということし十六になる色白く目鼻立ち鮮やかな大柄な娘と、鞠《まり》という小柄で怜悧《れいり》な二十一歳の召使いと二人住んでいるだけで、金内の妻は、その六年前にすでに病歿していた。金内はその日努めて晴れやかな顔をして私宅へ帰り、父はまたすぐ旅に出かける、こんどの旅は少し永いかも知れぬから留守に気を附けよ、とだけ言って、貯《たくわ》えの金子《きんす》ほとんど全部をふところにねじ込み、逃げるようにして家を出た。
「お父さまは、へんね。」と八重は、父を送り出してから、鞠に言った。
「さようでございます。」鞠は落ちついて同意した、金内は、ひとをあざむく事は、下手である。いくら陽気に笑ってみせても、だめなのである。十六の娘にも、また召使いにも、看破されている。
「お金を、たくさん持って出たじゃないの。」お金の事まで看破されている。
 鞠は、うなずいて、
「容易ならぬ事と存じます。」と、分別顔をして呟いた。
「胸騒ぎがする。」と言って、八重は両袖《りょうそで》で胸を覆《おお》った。
「どのような事が起るかわかりませぬ。見苦しい事の無いように、これからすぐに家の内外《うちと》を綺麗《きれい》に掃除いたしましょう。」と鞠は素早く襷《たすき》をかけた。
 その時、重役の野田武蔵がお供も連れず、平服で忍ぶようにやって来て、
「金内殿は、出かけられましたか。」と八重に小声で尋ねた。
「はい。お金をたくさん持って出かけました。」
 武蔵は苦笑して、
「永い旅になるかも知れぬ。留守中、お困りの事があったら、少しも遠慮なくこの武蔵のところへ相談にいらっしゃい。これは、当座のお小遣い。」と言って、かなりの金子を置いて立ち去る。
 これはいよいよ父の身の上に何か起ったと合点《がてん》して、八重も武士の娘、その夜から懐剣を固く抱いて帯もとかずに丸くなって寝る。
 一方、人魚をさがしに旅立った中堂金内《ちゅうどうこんない》、鮭川の入海のほとりにたどり着き、村の漁師をことごとく集めて、所持の金子を残らず与え、役目を以《もっ》てそちたちに申しつけるのではない、中堂金内一身上の大事、内々の折入っての頼みだ、と物堅く公私の別をあきらかにして、それから少し口ごもり、頬《ほお》を赤らめ、ほろ苦く笑って、そちたちは或いは信じないかも知れないが、と気弱く前置きして、過ぎし日の人魚の一件を物語り、金内がいのちに代えての頼みだ、あの人魚の死骸を是非ともこの入海の底から捜し出し、或る男に見せてやらなければこの金内の武士の一分《いちぶん》が立たぬのだ、この寒空に気の毒だが、そちたちの全力を挙げてあの怪魚の死骸を見つけ出しておくれ、と折から雪の霏々《ひひ》と舞い狂う荒磯で声をからして懇願すれば、漁師の古老たちは深く信じて同情し、若い衆たちは、人魚だなんて本当かなあと疑いながら、それでも少し好奇心にそそられ、とにかく大網を打って、入海の底をさぐって見たけれども、網にはいって来るものは、にしん、たら、かに、いわし、かれいなど、見なれた姿のさかなばかりで、かの怪魚らしいものは更に見当らず、翌《あく》る日も、またその翌る日も、村中総出で入海に船を浮べ、寒風に吹きさらされて、網を打ったりもぐったり、さまざま難儀して捜査したが、いずれも徒労に終り、若い衆たちは、はや不平を言い出し、あのさむらいの眼つきを見よ、どうしたって普通でない、気違いだよ、気違いの言う事をまに受けて、この寒空に海にもぐるのは馬鹿々々しい、おれはもう、やめた、あてもない海の人魚を捜すよりは、村の人魚にあたためられたほうが気がきいている、と磯の焚火《たきび》に立ちはだかり下品な冗談を大声で言ってどっと笑い囃《はや》し、金内はひとり悲しく、聞えぬ振りして、一心に竜神《りゅうじん》に祈念し、あの人魚の鱗《うろこ》一枚、髪一筋でもいまこの入海から出たならば、それがしの面目はもとより武蔵殿も名誉、共に思うさま百右衛門をののしり、信義の一太刀《ひとたち》覚えたか、とまっこうみじんに天誅《てんちゅう》を加え、この胸のうらみをからりと晴らす事が出来るものを、と首を伸ばして入海を見渡す姿のいじらしさに、漁師の古老は思わず涙ぐんで傍《そば》に寄り、
「なあに、大丈夫だ。若い衆たちは、あんな事を言っているけれど、おれたちは、たしかにこの海に、おさむらいの射とめた人魚が沈んでいると見込んでいるだ。このあたりの海には、な、昔からいろいろな不思議なさかながいまして、若い衆たちには、わからねえ事だ。おれたちの子供の頃にも、な、この沖に、おきなという大魚があらわれて、偉い騒ぎをしました。嘘でも何でも無い、その大きさは二、三里、いや、もっと大きいかも知れねえ。誰もその全身を見たものがねえのです。そのさかなが現われる時には、海の底が雷のように鳴って風もねえのに大波が起って、鯨《くじら》なんてやつも東西に逃げ走って、漁の船も、やあれ、おきなが来たぞう、と叫び合って早々に浜に漕《こ》ぎ戻《もど》り、やがて、おきなが海の上に浮んで、そのさまは、大きな島がにわかに沖にいくつも出来たみたいで、これは、おきなの背中や鰭《ひれ》が少しずつ見えたのでして、全体の大きさは、とてもとても、そんなもんじゃありやしねえ。はかり知る事が出来ねえのだ。このおきなは、小さなさかなには見むきもしねえで、もっぱら鯨ばかりたべて生きているのだそうでして、二十|尋《ひろ》三十尋の鯨をたばにして呑み込んで、その有様は、鯨が鰯《いわし》を呑むみたいだってんだから凄《すご》いじゃねえか。だから鯨は、海の底が鳴れば、さあ大変と東西に散って逃げますだ。おっかないさかなもあったものさ。蝦夷《えぞ》の海には昔から、こんな化物みたいなさかなが、いろいろあっただ。おさむらいの人魚の話だって、おれたちは、ちっとも驚きやしねえ。それはきっと、この入海にいやがったに違いねえのだ。なんの不思議もねえ事だ。二里三里のおきなが泳ぎ廻っていた海だもの、な、いまにおれたちは、きっとその人魚の死骸を見つけて、おさむらいの一分とやらを立てさせてあげますぞ。」と木訥《ぼくとつ》の口調で懸命になぐさめ、金内の肩に積った粉雪を払ってやったりするのだが、金内は、そのように優しくされると尚さら心細くなり、あああ、自分もとうとうこんな老爺《ろうや》の慈悲を受けるようなはかない身の上の男になったか、この老爺のいたわりの言葉の底には、何だかもう絶望してあきらめているような気配が感ぜられる、とひがみ心さえ起って来て、荒々しく立ち上り、
「たのむ! それがしは、たしかにこの入海で怪しい魚を射とめたのだ。弓矢八幡、誓言する。たのむ。なお一そう精出して、あの人魚の鱗一枚、髪一筋でも捜し当てておくれ。」と言い捨て、積雪を蹴《け》って汀《みぎわ》まで走って行き、そろそろ帰り支度をはじめている漁師たちの腕をつかんで、たのむ、もういちど、と眼つきをかえて歎願《たんがん》する。漁師たちは、お金をさきに受け取ってしまっているし、もういい加減に熱意を失いかけている。ほんの申しわけみたいに、岸ちかくの浅いところへ、ざぶりと網を打ったりなどして、そうして、一人二人、姿を消し、いつのまにか磯には犬ころ一匹もいなくなり、日が暮れてあたりが薄暗くなるといよいよ朔風《さくふう》が強く吹きつけ、眼をあいていられないくらいの猛吹雪になっても、金内は、鬼界《きかい》ヶ島《しま》の流人俊寛《るにんしゅんかん》みたいに浪打際《なみうちぎわ》を足ずりしてうろつき廻り、夜がふけても村へは帰らず、寝床は、はじめから水際近くの舟小屋の中と定めていて、その小屋の中で少しまどろんでは、また、夜の明けぬうちに、汀に飛び出し、流れ寄る藻屑《もくず》をそれかと驚喜し、すぐにがっかりして泣きべそをかいて、岸ちかくに漂う腐木を、もしやと疑いざぶざぶ海にはいって行って、むなしく引返し、ここへ来てから、ろくろくものも食べずに、ただ、人魚出て来い、出て来いと念じて、次第に心魂|朦朧《もうろう》として怪しくなり、自分は本当に人魚を見たのかしら、射とめたなんて嘘だろう、夢じゃないか、と無人の白皚々《はくがいがい》の磯に立ってひとり高笑いしてみたり、ああ、あの時、自分も船の相客たちと同様にたわいなく気を失い、人魚の姿を見なければよかった、なまなかに気魂が強くて、この世の不思議を眼前に見てしまったからこんな難儀に遭うのだ、何も見もせず知りもせず、そうしてもっともらしい顔でそれぞれ独り合点して暮している世の俗人たちがうらやましい、あるのだ、世の中にはあの人たちの思いも及ばぬ不思議な美しいものが、あるのだ、けれども、それを一目見たものは、たちまち自分のようにこんな地獄に落ちるのだ、自分には前世から、何か気味悪い宿業《しゅくごう》のようなものがあったのかも知れない、このうえ生きて甲斐《かい》ない命かも知れぬ、悲惨に死ぬより他《ほか》は無い星の下に生れたのだろう、いっそこの荒磯に身を投じ、来世は人魚に生れ変って、などと、うなだれて汀をふらつき、どうやら死神にとりつかれた様子で、けれども、やはり人魚の事は思い切れず、しらじらと明けはなれて行く海を横目で見て、ああ、せめてあの老漁師の物語ったおきなとかいう大魚ならば、詮議《せんぎ》もひどく容易なのになあ、と真顔でくやしがって溜息《ためいき》をつき、あたら勇士も、しどろもどろ、既に正気を失い命のほどもここ一両日中とさえ見えた。
 留守宅に於いては娘の八重、あけくれ神仏に祈って、父の無事を願っていたが、三日|経《た》ち四日経ち、茶碗《ちゃわん》はわれる、草履の鼻緒は切れる、少しの雪に庭の松の枝が折れる、縁起の悪い事ばかり続いて、とても家の中にじっとして居られなくなり、一夜こっそり武蔵の家をたずねて、父は鮭川の入海のほとりにいるという事を聞いて、その夜のうちに身支度をして召使いの鞠と二人、夜道の雪あかりをたよりに、父の後を追って発足した。或いは民家の軒下に休み、或いは海岸の岩穴に女の主従がひたと寄り添って浪の音を聞きつつ仮寝して、八重のゆたかな頬も痩《や》せ、つらい雪道をまたもはげまし合っていそいでも、女の足は、はかどらず、ようやく三日目の暮方、よろめいて鮭川の入海のほとりにたどり着いた時には、南無三宝《なむさんぼう》、父は荒蓆《あらむしろ》の上にあさましい冷いからだを横たえていた。その日の朝、この金内の屍《むくろ》が、入海の岸ちかくに漂っていたという。頭には海草が一ぱいへばりついて、かの金内が見たという人魚の姿に似ていたという。女の主従は左右より屍に取りつき、言葉も無くただ武者振りついて慟哭して、さすがの荒くれた漁師たちも興覚める思いで眼をそむけた。母に先立たれ、いままた父に捨てられ、八重は人心地《ひとごこち》も無く泣きに泣いて、やがて覚悟を極《き》め、青い顔を挙げて一言、
「鞠、死のう。」
「はい。」
 と答えて二人、しずかに立ち上った時、戞々《かつかつ》たる馬蹄《ばてい》の響きが聞えて、
「待て、待てえ!」と野田武蔵のたのもしい蛮声。
 馬から降りて金内の屍に頭を垂れ、
「えい、つまらない事になった。ようし、こうなったら、人魚の論もくそも無い。武蔵は怒った。本当に怒った。怒った時の武蔵には理窟《りくつ》も何も無いのだ。道理にはずれていようが何であろうが、そんな事はかまわない。人魚なんて問題じゃない。そんなものはあったって無くったって同じ事だ。いまはただ憎い奴《やつ》を一刀両断に切り捨てるまでだ。こら、漁師、馬を貸せ。この二人の娘さんが乗るのだ。早く捜して来い!」と八つ当りに呶鳴《どな》り散らし、勢いあまって、八重と鞠を、はったと睨《にら》み、
「その泣き顔が気に食わぬ。かたきのいるのが、わからんか。これからすぐ馬で城下に引返し、百右衛門の屋敷に躍り込み、首級《しるし》を挙げて、金内殿にお見せしないと武士の娘とは言わせぬぞ。めそめそするな!」
「百右衛門殿というと、」召使いの鞠は、ひそかにうなずき進み出て、「あの青崎、百右衛門殿の事でしょうか。」
「そうよ、あいつにきまっている。」
「思い当る事がございます。」と鞠は落ちつき、「かねてあの青崎百右衛門殿は、いいとしをしながらお嬢様に懸想《けそう》して、うるさく縁組を申し入れ、お嬢様は、あのような鷲鼻《わしばな》のお嫁になるくらいなら死んだほうがいいとおっしゃるし、それで、旦那《だんな》様も、――」
「そうか、それで事情が、はっきりわかった。きゃつめ、一生独身主義だの、女ぎらいだのと抜かしていながら、蔭《かげ》では、なあんだ、振られた男じゃないか、だらしがない。いよいよ見下げ果てたやつだ。かなわぬ恋の仕返しに金内殿をいじめるとは、憎さが余って笑止千万!」と早くも朗らかに凱歌《がいか》を挙げた。
 その夜、武蔵を先登《せんとう》に女ふたり長刀《なぎなた》を持ち、百右衛門の屋敷に駈け込み、奥の座敷でお妾《めかけ》を相手に酒を飲んでいる百右衛門の痩せた右腕を武蔵まず切り落し、百右衛門すこしもひるまず左手で抜き合わすを鞠は踏み込んで両足を払えば百右衛門|立膝《たてひざ》になってもさらに弱るところなく、八重をめがけて烈《はげ》しく切りつけ、武蔵ひやりとして左の肩に切り込めば、百右衛門たまらず仰向けに倒れたが、一向に死なず、蛇《へび》の如《ごと》く身をくねらせて手裏剣《しゅりけん》を鋭く八重に投げつけ、八重はひょいと身をかがめて危《あやう》く避けたが、そのあまりの執念深さに、思わず武蔵と顔を見合せたほどであった。
 めでたく首級を挙げて、八重、鞠の両人は父の眠っている鮭川の磯に急ぎ、武蔵はおのれの屋敷に引き上げて、このたびの刃傷の始中終《しちゅうじゅう》を事こまかに書き認《したた》め、殿の御許しも無く百右衛門を誅《ちゅう》した大罪を詫《わ》び、この責すべてわれに在りと書き結び、あしたすぐ殿へこの書状を差上げよと家来に言いつけ、何のためらうところも無く見事に割腹して相果てたとはなかなか小気味よき武士である。女二人は、金内の屍に百右衛門の首級を手向け、ねんごろに父の葬《とむら》いをすませて、私宅へ帰り、門を閉じて殿の御裁きを待ち受け、女ながらも白無垢《しろむく》の衣服に着かえて切腹の覚悟、城中に於いては重役打寄り評議の結果、百右衛門こそ世にめずらしき悪人、武蔵すでに自決の上は、この私闘おかまいなしと定め、殿もそのまま許認し、女ふたりは、天晴《あっぱ》れ父の仇《かたき》、主《しゅう》の仇を打ったけなげの者と、かえって殿のおほめにあずかり、八重には、重役の伊村作右衛門末子作之助の入縁仰せつけられて中堂の名跡《みょうせき》をつがせ、召使いの鞠事は、歩行目付《かちめつけ》の戸井市左衛門とて美男の若侍に嫁がせ、それより百日ほど過ぎて、北浦|春日明神《かすがみょうじん》の磯より深夜城中に注進あり、不思議の骨格が汀に打ち寄せられています、肉は腐って洗い去られ骨組だけでございますが、上半身はほとんど人間に近く、下半身は魚に違《たが》わず、いかにも無気味のものゆえ、取り敢《あ》えず御急報申しあげますとの事、さっそく奉行をつかわし検分させたところが、その奇態の骨の肩先にまぎれもなく、中堂金内の誉《ほま》れの矢の根、八重の家にはその名の如く春が重《かさな》ったという、此《この》段、信ずる力の勝利を説く。
[#地から2字上げ](武道伝来記、巻二の四、命とらるる人魚の海)
[#改頁]

   破産

 むかし美作《みまさか》の国に、蔵合《ぞうごう》という名の大長者があって、広い屋敷には立派な蔵《くら》が九つも立ち並び、蔵の中の金銀、夜な夜な呻《うめ》き出して四隣の国々にも隠れなく、美作の国の人たちは自分の金でも無いのに、蔵合のその大財産を自慢し、薄暗い居酒屋でわずかの濁酒《にごりざけ》に酔っては、
 蔵合さまには及びもないが、せめて成りたや万屋《よろずや》に、
 という卑屈の唄《うた》をあわれなふしで口ずさんで淋《さび》しそうに笑い合うのである。この唄に出て来る万屋というのは、美作の国で蔵合につづく大金持、当主一代のうちに溜《た》め込んだ金銀、何万両、何千貫とも見当つかず、しかも蔵合の如《ごと》く堂々たる城郭を構える事なく、近隣の左官屋、炭屋、紙屋の家と少しも変らず軒の低い古ぼけた住居で、あるじは毎朝早く家の前の道路を掃除して馬糞《ばふん》や紐《ひも》や板切れを拾い集めてむだには捨てず、世には何染《なにぞめ》、何縞《なにじま》がはやろうと着物は無地の手織木綿一つと定め、元日にも聟入《むこいり》の時に仕立てた麻袴《あさばかま》を五十年このかた着用して礼廻《れいまわ》りに歩き、夏にはふんどし一つの姿で浴衣《ゆかた》を大事そうに首に巻いて近所へもらい風呂《ぶろ》に出かけ、初生《はつなり》の茄子《なす》一つは二|文《もん》、二つは三文と近在の百姓が売りに来れば、初物《はつもの》食って七十五日の永生きと皆々三文出して二つ買うのを、あるじの分別はさすがに非凡で、二文を出して一つ買い、これを食べて七十五日の永生きを願って、あとの一文にて、茄子の出盛りを待ちもっと大きいのをたくさん買いましょうという抜け目のない算用、金銀は殖えるばかりで、まさに、それこそ「暗闇《くらやみ》に鬼」の如き根強き身代《しんだい》、きらいなものは酒色の二つ、「下戸《げこ》ならぬこそ」とか「色好まざらむ男は」とか書き残した法師を憎む事しきりにて、おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草《つれづれぐさ》を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺《しわ》をのばして細長く切り、紙小縒《かみこより》を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、息子の名は吉太郎というが、かねてその色白くなよなよしたからだつきが気にくわず、十四歳の時、やわらかい鼻紙を懐《ふところ》に入れているのを見て、末の見込み無しと即座に勘当《かんどう》を言い渡し、播州《ばんしゅう》には那波屋《なばや》殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干《あぼし》というところにいるその子の乳母の家に追い遣《や》り、その後、あるじの妹の一子を家にいれて二十五、六まで手代《てだい》同様にしてこき使い、ひそかにその働き振りを見るに、その仕末のよろしき事、すりきれた草履《ぞうり》の藁《わら》は、畑のこやしになるとて手許《てもと》にたくわえ、ついでの人にたのんで田舎の親元へ送ってやる程の珍らしい心掛けの若者であったから、大いに気にいり、これを養子にして家を渡し、さて、嫁はどんなのがいいかと聞かれて、その養子の答えるには、嫁をもらっても、私だとて木石《ぼくせき》ではなし、三十四十になってからふっと浮気《うわき》をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房《にょうぼう》が亭主《ていしゅ》に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁《でばぼうちょう》でも振りまわすくらいの悋気《りんき》の強い女房ならば、私の生涯《しょうがい》も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので、あるじは膝《ひざ》を打ち眼《め》を細くして喜び、早速四方に手をまわして、その父親が九十の祖母とすこし長話をしても、いやらし、やめよ、と顔色を変え眼を吊《つ》り上げ立ちはだかってわめき散らすという願ったり叶《かな》ったりの十六のへんな娘を見つけて、これを養子の嫁に迎え、自分ら夫婦は隠居して、家の金銀のこらず養子に心置きなくゆずり渡した。この養子、世に珍らしく仕末の生れつきながら、量り知られぬおびただしき金銀をにわかにわがものにして、さすがに上気し、四十はおろか三十にもならぬうちに、つき合いと称して少し茶屋酒をたしなみ、がらにもなく髪を撫《な》でつけ、足袋、草履など吟味しはじめたので、女房たちまち顔色を変え眼を吊り上げ、向う三軒両隣りの家の障子が破れるほどの大声を挙げ、
「あれあれ、いやらし。男のくせに、そんなちぢれ髪に油なんか附《つ》けて、鏡を覗《のぞ》き込んで、きゅっと口をひきしめたり、にっこり笑ったり、いやいやをして見たり、馬鹿《ばか》げたひとり芝居をして、いったいそれは何の稽古《けいこ》のつもりです、どだいあなたは正気ですか、わかっていますよ、あさましい。あたしの田舎の父は、男というものは野良姿《のらすがた》のままで、手足の爪《つめ》の先には泥《どろ》をつめて、眼脂《めやに》も拭《ふ》かず肥桶《こえおけ》をかついでお茶屋へ遊びに行くのが自慢だ、それが出来ない男は、みんな茶屋女の男めかけになりたくて行くやつだ、とおっしゃっていたわよ、そんなちぢれ髪を撫でつけて、あなたはそれで茶屋の婆芸者の男めかけにでもなる気なのでしょう、わかっていますよ、けちんぼのあなたの事ですから、なるべくお金を使わず、婆芸者にでも泣きついて男めかけにしてもらって、あわよくば向うからお小遣いをせしめてやろうという、いいえ、わかっていますよ、くやしかったら肥桶をかついでお出掛けなさい、出来ないでしょう、なんだいそんな裏だか表だかわからないような顔をして、鏡をのぞき込んでにっこり笑ったりして、ああ、きたない、そんな事をするひまがあったら鼻毛でも剪《つ》んだらどう? 伸びていますよ、くやしかったら肥桶をかついで、」とうるさい事、うるさい事。かねて、こんな時にこそ焼きもちを焼いてもらうために望んでめとった女房ではあったが、さて、実際こんな工合《ぐあ》いに騒がしく悋気を起されてみると、あまりいい気持のものでない。養父母の気にいられようと思って、悋気の強い女房こそ所望でございます、などと分別顔して言い出したばかりに、これは、とんでもない事になった、と今はひそかに後悔した。ぶん殴ってやろうかとも思うのだが、隠居座敷の老夫婦は、嫁の悋気がはじまるともう嬉《うれ》しくてたまらないらしく、老夫婦とも母屋《おもや》まで這《は》い出して来て、うふふと笑いながら、まあまあ、などといい加減な仲裁をして、そうして惚《ほ》れ惚《ぼ》れと嫁の顔を眺《なが》める仕末なので、ぶん殴るわけにもいかず、さりとて、肥桶をかついで遊びに出掛けるのも馬鹿々々しく思われ、腹いせに銭湯に出かけて、眼まいがするほど永く湯槽《ゆぶね》にひたって、よろめいて出て、世の中にお湯銭くらい安いものはない、今夜あそびに出掛けたら、どうしたって一両失う、お湯に酔うのも茶屋酒に酔うのも結局は同じ事さ、とわけのわからぬ負け惜しみの屁理窟《へりくつ》をつけて痩我慢《やせがまん》の胸をさすり、家へ帰って一合の晩酌《ばんしゃく》を女房の顔を見ないようにしてうつむいて飲み、どうにも面白《おもしろ》くないので、やけくそに大めしをくらって、ごろりと寝ころび、出入りの植木屋の太吉爺《たきちじい》を呼んで、美作の国の七不思議を語らせ、それはもう五十ぺんも聞いているので、腕まくらしてきょろきょろと天井板を眺めて別の事を考え、不意に思いついたように小間使いを呼んで足をもませ、女房の顔を見ると、むらむらっとして来て、おい、茶を持って来い、とつっけんどんに言いつけ、女房に茶碗《ちゃわん》をささげ持たせたまま、自分はやはり寝ながら頭を少しもたげ、手も出さずにごくごく飲んで、熱い、とこごとを言い、八つ当りしても、大将が夜遊びさえしなければ家の中は丸くおさまり、隠居はくすくす笑いながら宵《よい》から楽寝、召使いの者たちも、将軍内にいらっしゃるとて緊張して、ちょっと叔母のところへと怪しい外出をする丁稚《でっち》もなく、裏の井戸端《いどばた》で誰を待つやらうろうろする女中もない。番頭は帳場で神妙を装い、やたらに大福帳をめくって意味も無く算盤《そろばん》をぱちぱちやって、はじめは出鱈目《でたらめ》でも、そのうちに少しの不審を見つけ、本気になって勘定をし直し、長松は傍《そば》に行儀よく坐《すわ》ってあくびを噛《か》み殺しながら反古紙《ほごがみ》の皺をのばし、手習帳をつくって、どうにも眠くてかなわなくなれば、急ぎ読本《とくほん》を取出し、奥に聞えよがしの大声で、徳は孤ならず必ず隣あり、と読み上げ、下男の九助は、破れた菰《こも》をほどいて銭差《ぜにさし》を綯《な》えば、下女のお竹は、いまのうちに朝のおみおつけの実でも、と重い尻《しり》をよいしょとあげ、穴倉へはいって青菜を捜し、お針のお六は行燈《あんどん》の陰で背中を丸くしてほどきものに余念がなさそうな振りをしていて、猫《ねこ》さえ油断なく眼を光らせ、台所にかたりと幽《かす》かな音がしても、にゃあと鳴き、いよいよ財産は殖えるばかりで、この家安泰無事長久の有様ではあったが、若大将ひとり怏々《おうおう》として楽しまず、女房の毎夜の寝物語は味噌漬《みそづけ》がどうしたの塩鮭《しおざけ》の骨がどうしたのと呆《あき》れるほど興覚めな事だけで、せっかくお金が唸《うな》るほどありながら悋気の女房をもらったばかりに眼まいするほど長湯して、そうして味噌漬の話や塩鮭の話を拝聴していなければならぬ、おのれ、いまに隠居が死んだら、とけしからぬ事を考え、うわべは何気なさそうに立ち働き、内心ひそかによろしき時機をねらっていた。やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺《のこ》して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、名実共に若大将の天下、まず悋気の女房を連れて伊勢参宮、ついでに京大阪を廻り、都のしゃれた風俗を見せ、野暮な女房を持ったばかりに亭主は人殺しをして牢《ろう》へはいるという筋の芝居を見せて、女房の悋気のつつしむべき所以《ゆえん》を無言の裡《うち》に教訓し、都のはやりの派手な着物や帯をどっさり買ってやったら女房は、女心のあさましく、国へ帰ってからも都の人に負けじと美しく装い茶の湯、活花《いけばな》など神妙らしく稽古《けいこ》して、寝物語に米味噌の事を言い出すのは野暮とたしなみ、肥桶をかついで茶屋遊びする人は無いものだという事もわかり、殊《こと》にも悋気はあさましいものと深く恥じ、
「あたしだって、悋気をいい事だとは思っていなかったのですけれど、お父さんやお母さんがお喜びになるので、ついあんな大声を挙げてわるかったわね。」と言葉までさばけた口調になって、「浮気は男の働きと言いますものねえ。」
「そうとも、そうとも。」男はここぞと強く相槌《あいづち》を打ち、「それについて、」ともっともらしい顔つきになり、「このごろ、どうも、養父養母が続いて死に、わしも、何だか心細くて、からだ工合いが変になった。俗に三十は男の厄年《やくどし》というからね、」そんな厄年は無い。「ひとつ、上方《かみがた》へのぼって、ゆっくり気保養でもして来ようと思うよ。」とんでもない「それについて」である。
「あいあい、」と女房は春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》たる面持《おももち》で、「一年でも二年でも、ゆっくり御養生しておいでなさい。まだお若いのですものねえ。いまから分別顔して、けちくさく暮していたら、永生き出来ませんよ。男のかたは、五十くらいから、けちになるといいのですよ。三十のけちんぼうは、早すぎます。見っともないわ。そんなのは、芝居では悪役ですよ。若い時には思い切り派手に遊んだほうがいいの。あたしも遊ぶつもりよ。かまわないでしょう?」と過激な事まで口走る。
 亭主はいよいよ浮かれて、
「いいとも、いいとも。わしたちが、いくら遊んだって、ぐらつく財産じゃない。蔵の金銀にも、すこし日のめを見せてやらなくちゃ可哀想《かわいそう》だ。それでは、お言葉に甘えて一年ばかり、京大阪で気保養をして来ますからね。留守中は、せいぜい朝寝でもして、おいしいものを食べていなさい。上方のはやりの着物や帯を、どんどん送ってよこしますからね。」といやに優しい言葉遣いをして腹に一物《いちもつ》、あたふたと上方へのぼる。
 留守中は女房、昼頃起きて近所のおかみたちを集めてわいわい騒ぎ、ごちそうを山ほど振舞っておかみたちの見え透いたお世辞に酔い、毎日着物を下着から全部取かえて着て、立ってくにゃりとからだを曲げて一座の称讃《しょうさん》を浴びれば、番頭はどさくさまぎれに、おのれの妻子の宅にせっせと主人の金を持ち運び、長松は朝から晩まで台所をうろつき、戸棚《とだな》に首を突込んでつまみ食い、九助は納屋《なや》にとじこもって濁酒を飲んで眼をどろんとさせて何やらお念仏に似た唄を口ずさみ、お竹は、鏡に向って両肌《もろはだ》を脱ぎ角力取《すもうと》りが狐拳《きつねけん》でもしているような恰好《かっこう》でやっさもっさおしろいをぬたくって、化物のようになり、われとわが顔にあいそをつかしてめそめそ泣き出し、お針のお六は、奥方の古着を自分の行李《こうり》につめ込んで、ぎょろりとあたりを見廻し、きせるを取り出して煙草《たばこ》を吸い、立膝《たてひざ》になってぶっと鼻から強く二本の煙を噴出させ、懐手《ふところで》して裏口から出て、それっきり夜おそくまで帰らず、猫《ねこ》は鼠《ねずみ》を取る事をたいぎがって、寝たまま炉傍《ろばた》に糞をたれ、家は蜘蛛《くも》の巣だらけ庭は草|蓬々《ぼうぼう》、以前の秩序は見る影も無くこわされて、旦那《だんな》はまた、上方に於いて、はじめは田舎者らしくおっかなびっくり茶屋にあがって、けちくさい遊びをたのしんでいたが、お世辞を言うために生れて来た茶屋の者たちに取りまかれて、ほんに旦那のようなお客ばかりだと私たちの商売ほど楽なものはございません、男振りがようて若うて静かで優しくて思《おもい》やりがあって上品で、口数が少くて鷹揚《おうよう》で喧嘩《けんか》が強そうでたのもしくてお召物が粋《いき》で、何でもよくお気がついて、はたらきがありそうで、その上、おほほほ、お金があってあっさりして、と残りくまなくほめられて流石《さすが》に思慮分別を失い、天下のお大尽《だいじん》とは私の事かも知れないと思い込み、次第に大胆になって豪遊を試み、金というものは使うためにあるものだ、使ってしまえ、と観念して、ばらりばらりと金を投げ捨て、さらにまた国元から莫大《ばくだい》の金銀を取寄せ、こうなると遊びは気保養にも何もならず、都の粋客に負けたくないという苦しい意地だけになって、眼つきは変り、顔も青く痩《や》せて、いたたまらぬ思いで、ただ金を使い、一年|経《た》たぬうちに、底知れぬ財力も枯渇《こかつ》して、国元からの使いが、もはやこれだけと旦那の耳元に囁《ささや》けば、旦那は愕然《がくぜん》として、まだ百分の一も使わぬ筈《はず》だが、あああ、小判には羽が生えているのか、無くなる時には早いものだ、ようし、これからが、わしの働きの見せどころだ、養父からゆずられた財産で威張っているなんて卑怯《ひきょう》な事だ、男はやっぱり裸一貫からたたき上げなければいけないものだ、無くなってかえって気がせいせいしたわい、などと負け惜しみを言って、空虚な笑声を発し、さあ今晩は飲みおさめと異様にはしゃいで見せたが、廓《くるわ》の者たちは不人情、しんとなって、そのうちに一人立ち二人立ち、座敷の蝋燭《ろうそく》を消して行く者もあり、あたりが急に暗くなって心細くなり、酒だ酒だ、と叫んで手をたたいても誰も来ず、やがて婆が廊下に立ったままで、きょうはお役人のお見廻りの日ですからお静かに、と他人にものを言うようなあらたまった口調で言い、旦那は呆《あき》れて、さすがは都だ、薄情すぎて、むしろ小気味がいい、見事だ、と婆をほめて立ち上り、もとよりこの男もただものでない、あの万屋《よろずや》のけちな大旦那に見込まれたほどの男である、なあに、金なんてものは、その気にさえなれあ、いくらでも、もうけられるものだ、これから国元へ帰って身を粉《こ》にして働き以前にまさる大財産をこしらえ、再び都へ来て、きょうの不人情のあだを打って見せる、婆、その時まで死なずに待って居《お》れ、と心の内で棄台詞《すてぜりふ》を残して、足音荒く馴染《なじみ》の茶屋から引上げた。
 男は国へ掃ってまず番頭を呼び、お金がもうこの家に無いというけれども、それは間違い、必ずそのような軽はずみの事を言ってはならぬ、暗闇《くらやみ》に鬼と言われた万屋の財産が、一年か二年でぐらつく事はない、お前は何も知らぬ、きょうから、わしが帳場に坐る、まあ、見ているがよい、と言って、ただちに店のつくりを改造して両替屋を営み、何もかも自分ひとりで夜も眠らず奔走すれば、さすがに万屋の信用は世間に重く、いまは一文無しとも知らず安心してここに金銀をあずける者が多く、あずかった金銀は右から左へ流用して、四方八方に手をまわし、内証を見すかされる事なく次第に大きい取引きをはじめて、三年後には、表むきだけではあるがとにかく、むかしの万屋の身代と変らぬくらいの勢いを取りもどし、来年こそは上方へのぼって、あの不人情の廓の者たちを思うさま恥ずかしめて無念をはらしてやりたいといさみ立って、その年の暮、取引きの支払いを首尾よく全部すませて、あとには一文の金も残らぬが、ここがかしこい商人の腕さ、商人は表向きの信用が第一、右から左と埒《らち》をあけて、内蔵はからっぽでも、この年の瀬さえしっぽを出さずに、やりくりをすませば、また来年から金銀のあずけ入れが呼ばなくってもさきを争って殺到します、長者とはこんなやりくりの上手な男の事です、と女房と番頭を前にして得意満面で言って、正月の飾り物を一つ三文で売りに来れば、そんな安い飾り物は小店に売りに行くものだよ、家を間違ったか、と大笑いして追い帰して、三文はおろか、わが家には現金一文も無いのをいまさらの如く思い知って内心ぞっとして、早く除夜の鐘が、と待つ間ほどなく、ごうん、と除夜の鐘、万金の重みで鳴り響き、思わずにっこりえびす顔になり、さあ、これでよし、女房、来年はまた上方へ連れて行くぞ、この二、三年、お前にも肩身の狭い思いをさせたが、どうだい、男の働きを見たか、惚《ほ》れ直せ、下戸《げこ》の建てたる蔵は無いと唄にもあるが、ま、心祝いに一ぱいやろうか、と除夜の鐘を聞きながら、ほっとして女房に酒の支度を言いつけた時、
「ごめん。」と門に人の声。
 眼のするどい痩せこけた浪人が、ずかずかはいって来て、あるじに向い、
「さいぜん、そなたの店から受け取ったお金の中に一粒、贋《にせ》の銀貨がまじっていた。取かえていただきたい。」と小粒銀一つ投げ出す。
「は。」と言って立ち上ったが、銀一粒どころか、一文だって無い。「それはどうも相すみませんでしたが、もう店をしまいましたから、来年にしていただけませんか。」と明るく微笑《ほほえ》んで何気なさそうに言う。
「いや、待つ事は出来ぬ。まだ除夜の鐘のさいちゅうだ。拙者も、この金でことしの支払いをしなければならぬ。借金取りが表に待っている。」
「困りましたなあ。もう店をしまって、お金はみな蔵の中に。」
「ふざけるな!」と浪人は大声を挙げて、「百両千両のかねではない。たかが銀一粒だ。これほどの家で、手許《てもと》に銀一粒の替《かえ》が無いなど冗談を言ってはいけない。おや、その顔つきは、どうした。無いのか。本当に無いのか。何も無いのか。」と近隣に響きわたるほどの高声でわめけば、店の表に待っている借金取りは、はてな? といぶかり、両隣りの左官屋、炭屋も、耳をすまし、悪事千里、たちまち人々の囁きは四方にひろがり、人の運不運は知れぬもの、除夜の鐘を聞きながら身代あらわれ、せっかくの三年の苦心も水の泡《あわ》、さすがの智者も矢弾《やだま》つづかず、わずか銀一粒で大長者の万屋ぐゎらりと破産。
[#地から2字上げ](日本永代蔵、巻五の五、三匁五分|曙《あけぼの》のかね)
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   裸川

 鎌倉山《かまくらやま》の秋の夕ぐれをいそぎ、青砥左衛門尉藤綱《あおとさえもんのじょうふじつな》、駒《こま》をあゆませて滑川《なめりがわ》を渡り、川の真中に於《お》いて、いささか用の事ありて腰の火打袋を取出し、袋の口をあけた途端に袋の中の銭十|文《もん》ばかり、ちゃぼりと川浪《かわなみ》にこぼれ落ちた。青砥、はっと顔色を変え、駒をとどめて猫背《ねこぜ》になり、川底までも射透さんと稲妻《いなずま》の如《ごと》く眼《め》を光らせて川の面を凝視《ぎょうし》したが、潺湲《せんかん》たる清流は夕陽《ゆうひ》を受けて照りかがやき、瞬時も休むことなく動き騒ぎ躍り、とても川底まで見透す事は出来なかった。青砥左衛門尉藤綱は、馬上に於いて身悶《みもだ》えした。川を渡る時には、いかなる用があろうとも火打袋の口をあけてはならぬと子々孫々に伝えて家憲にしようと思った。どうにも諦《あきら》め切れぬのである。いったい、何文落したのだろう。けさ家を出る時に、いつものとおり小銭四十文、二度くりかえして数えてたしかめ、この火打袋に入れて、それから役所で三文使った。それゆえ、いまこの火打袋には三十七文残っていなければならぬ筈《はず》だが、こぼれ落ちたのは十文くらいであろうか。とにかく、火打袋の中の残金を調べてみるとわかるのだが、川の真中で銭の勘定は禁物である。向う岸に渡ってから、調べてみる事にしよう。青砥は惨《みじ》めにしょげかえり、深い溜息《ためいき》をつき、うなだれて駒をすすめた。岸に着いて馬より降り、河原の上に大あぐらをかき、火打袋の口を明けて、ざらざらと残金を膝《ひざ》の間にぶちまけ、背中を丸くして、ひいふうみい、と小声で言って数えはじめた。二十六文残っていた。うむ、さすれば川へ落したのは、十一文にきわまった、惜しい、いかにも、惜しい、十一文といえども国土の重宝、もしもこのまま捨て置かば、かの十一文はいたずらに川底に朽ちるばかりだ、もったいなし、おそるべし、とてもこのままここを立ち去るわけにはいかぬいかぬ、たとえ地を裂き、地軸を破り、竜宮《りゅうぐう》までも是非にたずねて取返さん、とひどい決意を固めてしまった。
 けれども青砥は、決して卑《いや》しい守銭奴《しゅせんど》ではない。質素倹約、清廉《せいれん》潔白の官吏である。一汁《いちじゅう》一菜《いっさい》、しかも、日に三度などは食べない。一日に一度たべるだけである。それでもからだは丈夫である。衣服は着たきりの一枚。着物のよごれが見えぬように、濃茶の色に染めさせている。真黒い着物は、かえって、よごれが目立つものだそうである。濃茶の色の、何だかひどく厚ぼったい布地の着物だ。一生その着物いちまいで過した。刀の鞘《さや》には漆を塗らぬ。墨をまだらに塗ってある。主人の北条時頼《ほうじょうときより》も、見るに見かねて、
「おい、青砥。少し給料をましてやろうか。お前の給料をもっとよくするようにと夢のお告げがありました。」と言ったら、青砥はふくれて、
「夢のお告げなんて、あてになるものじゃありません。そのうちに、藤綱の首を斬《き》れというお告げがあったら、あなたはどうします。きっと私を斬る気でしょう。」と妙な理窟《りくつ》を言って、加俸《かほう》を断った。慾《よく》の無い人である。給料があまったら、それを近所の貧乏な人たちに全部わけてやってしまう。だから近所の貧乏人たちは、なまけてばかりいて、鯛《たい》の塩焼などを食べているくらいであった。決して吝嗇《りんしょく》な人ではないのである。国のために質素倹約を率先|躬行《きゅうこう》していたわけなのである。主人の時頼というひともまた、その母の松下禅尼《まつしたぜんに》から障子の切り張りを教えられて育っただけの事はあって、酒のさかなは味噌《みそ》ときめているほど、なかなか、しまつのいいひとであったから、この主従二人は気が合った。そもそもこの青砥左衛門尉藤綱を抜擢《ばってき》して引付衆《ひきつけしゅう》にしてやったのは、時頼である。青砥が浪々《ろうろう》の身で、牛を呶鳴《どな》り、その逸事が時頼の耳にはいり、それは面白い男だという事になって引付衆にぬきんでられたのである。すなわち、川の中で小便をしている牛を見て青砥は怒り、
「さてさて、たわけた牛ではある。川に小便をするとは、もったいない。むだである。畑にしたなら、よい肥料になるものを。」と地団駄《じだんだ》踏んで叫喚《きょうかん》したという。
 真面目《まじめ》な人なのである。銭十一文を川に落して竜宮までもと力むのも、無理のない事である。残りの二十六文を火打袋におさめて袋の口の紐《ひも》を固く結び、立ち上って、里人をまねき、懐中より別の財布を取出し、三両出しかけて一両ひっこめ、少し考えて、うむと首肯《うなず》き、またその一両を出して、やっぱり三両を里人に手渡し、この金で、早く人足十人ばかりをかり集めて来るように言いつけ、自分は河原に馬をつなぎ、悠然《ゆうぜん》と威儀をとりつくろって大きな岩に腰をおろした。すでに薄暮である。明日にのばしたらどういうものか。けれども、それは出来ない事だ。捜査を明日にのばしたならば、今夜のうちにもあの十一文は川の水に押し流され、所在不分明となって国土の重宝を永遠に失うというおそろしい結果になるやも知れぬ。銭十一文のちりぢりにならぬうち、一刻も早く拾い集めなければならぬ。夜を徹したってかまわぬ。暗い河原にひとり坐《すわ》って、青砥は身じろぎもしなかった。
 やがて集って来た人足どもに青砥は下知して、まず河原に火を焚《た》かせ、それから人足ひとりひとりに松明《たいまつ》を持たせ冷たい水にはいらせて銭十一文の捜査をはじめさせた。松明の光に映えて秋の流れは夜の錦《にしき》と見え、人の足手は、しがらみとなって瀬々を立ち切るという壮観であった。それ、そこだ、いや、もっと右、いや、いや、もっと左、つっこめ、などと声をからして青砥は下知するものの、暗さは暗し、落した場所もどこであったか青砥自身にさえ心細い有様で、たとえ地を裂き、地軸を破り、竜宮までもと青砥ひとりは足ずりしてあせっていても、人足たちの指先には一文の銭も当らず、川風寒く皮膚を刺して、人足すべて凍《こご》え死なんばかりに苦しみ、ようようあちこちから不平の呟《つぶや》き声が起って来た。何の因果で、このような難儀に遭うか、と水底をさぐりながら、めそめそ泣き出す人足まで出て来たのである。
 この時、人足の中に浅田小五郎という三十四、五歳のばくち打がいた。人間、三十四、五の頃《ころ》は最も自惚《うぬぼ》れの強いものだそうであるが、それでなくともこの浅田は、氏育ち少しくまされるを鼻にかけ、いまは落ちぶれて人足仲間にはいっていても、傲岸不遜《ごうがんふそん》にして長上をあなどり、仕事をなまけ、いささかの奇智《きち》を弄《ろう》して悪銭を得ては、若年の者どもに酒をふるまい、兄貴は気前がよいと言われて、そうでもないが、と答えてまんざらでもないような大|馬鹿《ばか》者のひとりであった。かれはこの時、人足たちと共に片手に松明を持ち片手で川底をさぐっているような恰好《かっこう》だけはしていたが、もとより本気に捜すつもりはない。いい加減につき合って手間賃の分配にあずかろうとしていただけであったのだが、青砥は岸に焚火《たきび》して赤鬼の如《ごと》く顔をほてらし、眼《め》をむいて人足どもを監視し、それ左、それ右、とわめき散らすので、どうにも、うるさくてかなわない。ちぇ、けちな野郎だ、十一文がそんなに惜しいかよ、血相かえて騒いでいやがる、貧乏役人は、これだからいやだ、銭がそんなに欲しかったら、こっちからくれてやらあ、なんだい、たかが十文か十一文、とむらむら、れいの気前のよいところを見せびらかしたくなって来て、自分の腹掛けから三文ばかりつかみ出し、
「あった!」と叫んだ。
「なに、あった? 銭はあったか。」岸では青砥が浅田の叫びを聞いて狂喜し、「銭はあったか。たしかに、あったか。」と背伸びしてくどく尋ねた。
 浅田は、ばかばかしい思いで、
「へえ、ございました。三文ございました。おとどけ致します。」と言って岸に向って歩きかけたら、青砥は声をはげまし、
「動くな、動くな。その場を捜せ。たしかにそこだ。私はその場に落したのだ。いま思い出した。たしかにそこだ。さらに八文ある筈だ。落したものは、落した場所にあるにきまっている。それ! 皆の者、銭は三文見つかったぞ。さらに精出して、そこな下郎《げろう》の周囲を捜せ。」とたいへんな騒ぎ方である。
 人足たちはぞろぞろと浅田の身のまわりに集り、
「兄貴はやっぱり勘がいいな。何か、秘伝でもあるのかね。教えてくれよ。おれはもう凍えて死にそうだ。どうしたら、そんなにうまく捜し出せるのか。」と口々に尋ねた。
 浅田はもっともらしい顔をして、
「なあに、秘伝というほどの事でもないが、問題は足の指だよ。」
「足の指?」
「そうさ。おまえたちは、手でさぐるからいけない。おれのように、ほうら、こんな工合に足の指先でさぐると見つかる。」と言いながら妙な腰つきで川底の砂利を踏みにじり、皆がその足元を見つめているすきを狙《ねら》ってまたも自分の腹掛けから二文ばかり取り出して、
「おや?」と呟き、その銭を握った片手を水中に入れて、
「あった!」と叫んだ。
「なに、あったか。」と打てば響く青砥の蛮声。「銭は、あったか。」
「へえ、ございました。二文ばかり。」と浅田は片手を高く挙げて答えた。
「動くな。動くな。その場を捜せ。それ! 皆の者、そこな下郎は殊勝であるぞ。負けず劣らず、はげめ、つっこめ。」と体を震わせて更にはげしく下知するのである。
 人足たちは皆一様に、妙な腰つきをして、川底の砂利を踏みにじった。しゃがまなくてもいいのだから、ひどくからだが楽である。皆は大喜びで松明片手に舞いをはじめた。岸の青砥は、げせぬ顔をして、ふざけてはいかぬと叱《しか》ったが、そのような恰好をすれば銭が見つかるという返事だったので、浮かぬ気持で、その舞いを眺《なが》めているより他《ほか》は無かった。やがて浅田は、さらに三文、一文と皆の眼をごまかして、腹掛けから取り出しては、
「あった!」
「やあ、あった!」
 と真顔で叫んで、とうとう十一文、自分ひとりで拾い集めた振りをした。
 岸の青砥は喜ぶ事かぎりなく、浅田から受け取った十一文を三度も勘定し直して、うむ、たしかに十一文、と深く首肯き、火打袋にちゃりんとおさめて、にやりと笑い、
「さて、浅田とやら、このたびの働きは、見事であったのう。そちのお蔭《かげ》で国土の重宝はよみがえった。さらに一両の褒美《ほうび》をとらせる。川に落ちた銭は、いたずらに朽ちるばかりであるが、人の手から手へ渡った金は、いつまでも生きて世にとどまりて人のまわり持ち。」としんみり言って、一両の褒美をつかわし、ひらりと馬に乗り、戞々《かつかつ》と立ち去ったが、人足たちは後を見送り、馬鹿な人だと言った。智慧《ちえ》の浅瀬を渡る下々の心には、青砥の深慮が解《げ》しかね、一文惜しみの百知らず、と笑いののしったとは、いつの世も小人はあさましく、救い難《がた》いものである。
 とにかくに、手間賃の三両、思いがけないもうけなれば、今宵《こよい》は一つこれから酒でも飲んで陽気に騒ごうではないかと、下人の意地汚なさ、青砥が倹約のいましめも忘れて、いさみ立ち、浅田はれいの気前のよいところを見せて褒美の一両をあっさりと皆に寄附したので一同いよいよのぼせ上り、生れてはじめての贅沢《ぜいたく》な大宴会をひらいた。
 浅田は何といっても一座の花形である。兄貴のおかげで今宵の極楽、と言われて浅田、よせばよいのに、
「さればさ、あの青砥はとんだ間抜けだ。おれの腹掛けから取り出した銭とも知らないで。」と口をまげてせせら笑った。一座あっと驚き、膝《ひざ》を打ち、さすがは兄貴の発明おそれいった、世が世ならお前は青砥の上にも立つべき器量人だ、とあさはかなお世辞を言い、酒宴は一そう派手に物狂わしくなって行くばかりであったが、真面目な人はどこにでもいる。突如、宴席の片隅《かたすみ》から、浅田の馬鹿野郎! という怒号が起った。小さい男が顔を蒼《あお》くして浅田をにらみ、
「さいぜん汝《なんじ》の青砥をだました自慢話を聞き、胸くそが悪くなり、酒を飲む気もしなくなった。浅田、お前はひどい男だ。つねから、お前の悧巧《りこう》ぶった馬面《うまづら》が癪《しゃく》にさわっていたのだが、これほど、ふざけた奴《やつ》とは知らなかった。程度があるぞ、馬鹿野郎。青砥のせっかくの高潔な志も、お前の無智な小細工で、泥棒《どろぼう》に追銭みたいなばからしい事になってしまった。人をたぶらかすのは、泥棒よりもなお悪い事だ。恥かしくないか。天命のほどもおそろしい。世の中を、そんなになめると、いまにとんでもない事になるにきまっているのだ。おれはもう、お前たちとの附合《つきあ》いはごめんこうむる。きょうよりのちは赤の他人と思っていただきたい。おれは、これから親孝行をするんだ。笑っちゃいけねえ。おれは、こんな世の中のあさましい実相を見ると、なぜだか、ふっと親孝行をしたくなって来るのだ。これまでも、ちょいちょいそんな事はあったが、もうもう、きょうというきょうは、あいそが尽きた。さっぱりと足を洗って、親孝行をするんだ。人間は、親に孝行しなければ、犬畜生と同じわけのものになるんだ。笑っちゃいけねえ。父上、母上、きょうまでの不孝の罪はゆるして下さい。」などと、議論は意外のところまで発展して、そうしてその小男は声を放って泣いて、泣きながら家へ帰り、翌《あく》る朝は未明に起き柴《しば》刈り縄《なわ》ない草鞋《わらじ》を作り両親の手助けをして、あっぱれ孝子の誉《ほま》れを得て、時頼公に召出され、めでたく家運隆昌に向ったという、これは後の話。
 さて、浅田の狡智《こうち》にだまされた青砥左衛門尉藤綱は、その夜たいへんの御機嫌《ごきげん》で帰宅し、女房子供を一室に集めて、きょうこの父が滑川を渡りし時、火打袋をあけた途端に銭十一文を川に落し、国土の重宝永遠に川底に朽ちなん事の口惜しさに、人足どもを集めて手間賃三両を与え、地獄の底までも捜せよと下知したところが、ひとりの発明らしき顔をした人足が、足の指先を以《もっ》て川底をさぐり、たちまち銭十一文のこらず捜し出し、この者には特に一両の褒美をとらせた、たった十一文の銭を捜すために四両の金を使ったこの父の心底がわかるか、と莞爾《かんじ》と笑い一座を見渡した。一座の者はもじもじして、ただあいまいに首肯した。
「わかるであろう。」と青砥は得意満面、「川底に朽ちたる銭は国のまる損。人の手に渡りし金は、世のまわり持ち。」とさっき河原で人足どもに言い聞かせた教訓を、再びいい気持で繰り返して説いた。
「お父さま、」と悧発《りはつ》そうな八つの娘が、眼をぱちくりさせて尋ねた。「落したお金が十一文だという事がどうしてわかりました。」
「おお、その事か。お律は、ませた子だの。よい事をたずねる。父は毎朝小銭を四十文ずつ火打袋にいれてお役所に行くのです。きょうはお役所で三文使い、火打袋には三十七文残っていなければならぬ筈のところ、二十六文しか残っていませんでしたから、それ、落したのは、いくらになるであろうか。」
「でも、お父さまは、けさ、お役所へいらっしゃる途中、お寺の前であたしと逢《あ》い、非人に施せといって二文あたしに下さいました。」
「うん、そうであった。忘れていた。」
 青砥は愕然《がくぜん》とした。落した銭は九文でなければならぬ筈であった。九文落して、十一文川底から出て来るとは、奇怪である。青砥だって馬鹿ではない。ひょっとしたら、これはあの浅田とやらいうのっぺりした顔の人足が、何かたくらんだのかも知れぬ、と感附いた。考えてみると、手でさぐるよりも足でさぐったほうが早く見つかるなどというのもふざけた話だ。とにかく明朝、あの浅田とやらいう人足を役所に呼び出し、きびしく糺明《きゅうめい》してやろうと、頗《すこぶ》る面白《おもしろ》くない気持でその夜は寝た。
 詐術《さじゅつ》はかならず露顕するもののようである。さすがの浅田も九文落したのに十一文拾った事に就いて、どうにも弁明の仕様が無かった。青砥は烈火の如く怒り、お上をいつわる不届者め、八つ裂きにも致したいところなれども、川に落した九文の銭の行末も気がかりゆえ、まずあれをお前ひとりで十年でも二十年でも一生かかって捜し出せ、ふたたびあさはかな猿智慧《さるぢえ》を用い、腹掛けなどから銭を取出す事のないように、丸裸になって捜し出せ、銭九文のこらず捜し出すまでは雨の日も風の日も一日も休む事なく河原におもむき、下役人の監視のもとに川床を残りくまなく掘り返せ、と万雷一時に落ちるが如き大声で言い渡した。真面目な人が怒ると、こわいものである。
 その日から浅田は、下役人の厳重な監視のもとに丸裸となって川を捜した。十日目に一文、二十日|経《た》って一文、川の柳の葉は一枚残らず散り落ち、川の水は枯れて蕭々《しょうしょう》たる冬の河原となり、浅田は黙々として鍬《くわ》をふるって砂利を掘り起し、出て来るものは銭にはあらで、割れ鍋《なべ》、古釘《ふるくぎ》、欠《か》け茶碗《ぢゃわん》、それら廃品がむなしく河原に山と積まれ、心得顔した婆がよちよち河原へ降りて来て、わしはいつぞやこの辺に、かんざしを一つ落したが、それはまだ出て来ませんか、と監視の下役人に尋ね、いつごろ落したのだと聞かれて、はっきりしませんが、わしがお嫁入りして間もなくの事だったから、六、七十年にもなりましょうか、と言って役人に叱られ、滑川もいつしか人に裸川と呼ばれて鎌倉名物の一つに数え上げられるようになった頃、すなわち九十七日目に、川筋三百間、鍬打ち込まぬ方寸の土も無くものの見事に掘り返し、やっと銭九文を拾い集めて青砥と再び対面した。
「下郎、思い知ったか。」
 と言われて浅田は、おそるるところなく、こうべを挙げて、
「せんだって、あなたに差し上げた銭十一文は、私の腹掛けから取り出したものでございますから、あれは私に返して下さい。」と言ったとやら、ひかれ者の小唄《こうた》とはこれであろうかと、のちのち人の笑い話の種になった。
[#地から2字上げ](武家義理物語、巻一の一、我が物ゆゑに裸川)
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   義理

 義理のために死を致す事、これ弓馬の家のならい、むかし摂州伊丹《せっしゅういたみ》に神崎式部という筋目正しき武士がいた。伊丹の城主、荒木村重《あらきむらしげ》につかえて横目役を勤め、年久しく主家を泰山の安きに置いた。主家の御次男、村丸という若殿、御総領の重丸のよろず大人びて気立やさしきに似ず、まことに手にあまる腕白者にて、神崎はじめ重臣一同の苦労の種であったが、城主荒木は、優雅な御総領よりも、かえってこの乱暴者の御次男を贔屓《ひいき》してその我儘《わがまま》を笑ってお許しになるので、いよいよ増長し、ついに或《あ》る時、蝦夷《えぞ》とはどのような国か、その風景をひとめ見たい、と途方もない事を言い出し、家来たちがなだめると尚更《なおさら》、図に乗って駄々《だだ》をこね、蝦夷を見ぬうちはめしを食わぬと言ってお膳《ぜん》を蹴飛《けと》ばす仕末であった。かねて村丸贔屓の城主荒木は、このたびもまた笑って、よろしい、蝦夷一覧もよかろう、行っておいで、若い頃の長旅は一生の薬、と言って事もなげにその我儘の願いを聞き容《い》れてやった。御供は神崎式部はじめ、家中粒選《かちゅうつぶよ》りの武士三十人。
 そのお供の人数の中に、二人の少年が、御次男のお話相手として差加えられていた。一人は神崎勝太郎とて十五歳、式部の秘蔵のひとり息子で容貌《ようぼう》華麗、立居振舞い神妙の天晴《あっぱ》れ父の名を恥かしめぬ秀才の若武者、いまひとりは式部の同役森岡丹後の三人の男の子の中の末子丹三郎とて十六歳、勝太郎に較《くら》べて何から何まで見劣りして色は白いが眼尻《めじり》は垂れ下り、唇《くちびる》厚く真赤で猪八戒《ちょはっかい》に似ているくせになかなかのおしゃれで、額の面皰《にきび》を気にして毎朝ひそかに軽石でこすり、それがために額は紫色に異様にてかてか光っている。でっぷりと太って大きく、一挙手一投足のろくさく、武芸はきらい、色情はさかん、いぎたなく横坐《よこずわ》りに坐って、何を思い出しているのか時々、にやりと笑ったりして、いやらしいったら無い子であった。けれどもこの子は、どういうものか若殿村丸のお気にいりで、蛸《たこ》よ蛸よと呼ばれて、いつもお傍《そば》ちかく侍《はべ》って若殿にけしからぬ事を御指南申したりして、若殿と共にげらげら下品に笑い合っているのである。もとより式部はこの丹三郎を好かなかった。このたびの蝦夷見物のお供にもこの子を加えたく無かったのだが、自分の一子勝太郎が城主の言いつけでお供の一人に差加えられているし、同役の森岡丹後の子を無下にしりぞける事は出来なかった。同役への義理である。森岡丹後も親の慾目《よくめ》から末子の丹三郎をそれほど劣った子とは思っていないらしく、
「神崎どの、このたびは運悪く私が留守番にまわりましたが、私のかわりに末子の丹三郎が仕合せとお供の端に加えられましたから、まあ、あれの土産話でも、たのしみにして待っている事に致しましょう。それにつけてもあれも初旅、なりばかり大きくてもまだほんの子供ゆえ、諸事よろしくたのみますぞ。」と親の真情、ぴたりと畳に両手をついてお辞儀をしたのだ。いや、あの子はどうも、とは言われない。その上、若殿から蛸もぜひとの内命があったのだから、どうしても蛸をお供の人数に差加えないわけにはゆかぬ。しぶしぶ丹三郎を連れて国元を出発したが、京を過ぎて東路《あずまじ》をくだり、草津《くさつ》の宿《しゅく》に着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになっていた。だいいち、ひどく朝寝坊だ。若殿と二人で夜おそくまで、宿の女中にたわむれて賭事《かけごと》やら狐拳《きつねけん》やら双六《すごろく》やら、いやらしく忍び笑いして打興じて、式部は流石《さすが》に見るに見兼ね、
「あすは早朝の出発ゆえ、もはや、おやすみなさるよう。」と思い切って隣室から強く言っても、若殿は平気で、
「遊山《ゆさん》の旅だ。かまわぬ。のう、蛸め。」
「はあ。」と蛸は答えて、にやにや笑っている。そうして、翌朝、蛸は若殿よりもおそく起きる。この丹三郎ひとりの朝寝坊のために、一行の宿からの出発が、いつもおくれる。若殿は、のんきに、
「捨て置け。あとから追いつく。」と言い、蛸ひとりを宿に置いてさっさと発足しようとなさるが、神崎式部は丹三郎の親の丹後から、あの子をよろしくと、一言たのまれているのだ。捨て置いて発足するわけには行かぬ。わが子の勝太郎に言いつけて、丹三郎を起させる。勝太郎は丹三郎よりも一つ年下である。それゆえすこし遠慮の言葉使いで丹三郎を起す。
「もし、もし。御出発でございます。」
「へえ? ばかに早いな。」
「若殿も、とうにお仕度がお出来になりました。」
「若殿は、あれから、ぐっすりお休みになられたらしいからな。おれは、あれから、いろいろな事を考えて、なかなか眠られなかった。それに、お前の親爺《おやじ》のいびきがうるさくてな。」
「おそれいります。」
「忠義もつらいよ。おれだって、毎夜、若殿の遊び相手をやらされて、へとへとなんだよ。」
「お察し申して居《お》ります。」
「うん、まったくやり切れないんだ。たまには、お前が代ってくれてもよさそうなものだ。」
「は、お相手を申したく心掛けて居りますが、私は狐拳など出来ませんので。」
「お前たちは野暮だからな。固いばかりが忠義じゃない。狐拳くらい覚えて置けよ。」
「はあ、」と気弱く笑って、「それにしても、もう皆様が御出発でございますから。」
「何が、それにしても、だ。お前たちは、おれを馬鹿にしているんだ。ゆうべも、その事を考えて、くやしくて眠れなかったんだ。おれも親爺と一緒に来ればよかった。親から離れて旅に出ると、どんなに皆に気がねをしなけりゃならぬものか、お前にはわかるまい。おれは国元を出発してこのかた、肩身のせまい思いばかりしている。人間って薄情なものだ。親の眼のとどかないところでは、どんなにでもその子を邪険に扱うんだからな。いや、お前たちの事を言っているんじゃない。お前たち親子は立派なものさ。立派すぎて、おつりが来らあ。このたびの蝦夷見物がすんだなら、おれはお前たち親子の事を逐一、国元の殿様と親爺にお知らせするつもりだ。おれには、なんでもわかっているんだ。お前の親爺は、ずいぶんお前を可愛《かわい》がっているらしいじゃないか。隠さなくたっていい。ゆうべこの宿に着いた時、お前の親爺は、これ勝太郎、足の豆には焼酎《しょうちゅう》でも吹いて置け、と言ったのをおれは聞いたぞ。おれには、あんな事は言わない。皆の見ている前では、いやにおれに親切にしてみせるが、へン、おれにはちゃんとわかっているんだ。実の親子の情は、さすがに争われないものだ。焼酎でも吹いて置け、か。あとでその残りの焼酎を、親子二人で仲良く飲み合ったろう、どうだ。おれには一滴も酒を飲ませないばかりか、狐拳さえやめさせようとしやがるんだから面白くないよ。ゆうべは、つくづく考えた。ごめんこうむっておれはもう少し寝るよ。」
 襖越《ふすまご》しに神崎式部はこれを聞いていた。よっぽどこのまま捨て置いて発足しようかと思った。本当に、うっちゃって行ったほうがよかったのだ。そうすれば、のちのさまざまの不幸が起らずにすんだのかも知れない。けれども、式部は義理を重んずる武士であった。諸事よろしくたのむ、とぴたりと畳に両手をついて頼んだ丹後の声が、姿が、忘れられぬ。式部はその日も黙って、丹三郎の起床を待った。
 丹三郎の不仕鱈《ふしだら》には限りが無かった。草津、水口《みなくち》、土山《つちやま》を過ぎ、鈴鹿峠《すずかとうげ》にさしかかった時には、もう歩けぬとわめき出した。もとから乗馬は不得手で、さりとてその自分の不得手を人に看破されるのも口惜《くや》しく無理して馬に乗ってはみたが、どうにもお尻《しり》が痛くてたまらなくなって、やっぱり旅は徒歩に限る、どうせ気散じの遊山旅だ、馬上の旅は固苦しい、野暮である、と言って自分だけでは体裁が悪いので勝太郎にも徒歩をすすめて馬を捨てさせ、共に若殿の駕籠《かご》の左右に附添ってここまで歩いて来たのだが、峠にさしかかって急に、こんどは徒歩も野暮だと言いはじめた。
「こうして、てくてく歩いているのも気のきかない話じゃないか。」蛸は駕籠に乗って峠を越したかったのである。
「やっぱり、馬のほうがいいでしょうか。」勝太郎には、どっちだってかまわない。
「なに、馬?」馬は閉口だ。とんでもない。「馬も悪くはないが、しかし、まあ一長一短というところだろうな。」あいまいに誤魔化《ごまか》した。
「本当に、」と勝太郎は素直に首肯《うなず》いて、「人間も鳥のように空を飛ぶ事が出来たらいいと思う事がありますね。」
「馬鹿な事を言っている。」丹三郎はせせら笑い、「空を飛ぶ必要はないが、」駕籠に乗りたいのだ。けれどもそれをあからさまに言う事は流石に少しはばかられた。「空を飛ぶ必要はないが、」とまた繰返して言い、「眠りながら歩く、という事は出来ないものかね。」と遠廻《とおまわ》しに謎《なぞ》をかけた。
「それは、むずかしいでしょうね。」勝太郎には、丹三郎の底意がわからぬ。無邪気に答える。「馬の上なら、眠りながら歩くという事も出来ますけれど。」
「うん、あれは。」あれは、あぶない。蛸には、馬上で眠るなんて芸当は出来ない。眠ったら最後、落馬だ。「あれは、また、野暮なものだ。眼が覚めて、ここはどこか、と聞いても、馬は答えてくれないからね。」駕籠だと、駕籠かきが、へえ、もうそろそろ桑名です、と答えてくれる。ああ、駕籠に乗りたい。
「うまい事をおっしゃる。」勝太郎には、蛸の謎が通じない。ただ無心に笑っている。
 丹三郎はいまいましげに勝太郎を横目で睨《にら》んで、
「お前もまた、野暮な男だ。思いやりというものがない。」とあらたまった口調で言った。
「はあ?」と勝太郎はきょとんとしている。
「見ればわかるじゃないか。おれはもう、歩けなくなっているのだ。おれはこんなに太っているから股《また》ずれが出来て、人に知られぬ苦労をして歩いているのだ。見れば、わかりそうなものだ。」と言って急に顔を苦しげにしかめ片足をひきずって歩きはじめた。
「肩を貸してやれ。」とお駕籠の後に扈従《こじゅう》していた神崎式部は、その時、苦笑して勝太郎に言いつけた。
「はい。」と言って勝太郎は、丹三郎の傍に走り寄り、蛸の右手を執《と》ったら、蛸は怒って、
「ごめんこうむる。こう見えても森岡丹後の子だ。お前のような年少の者の肩にしなだれかかって峠を越えたという風聞がもし国元に達したならば、父や兄たちの面目が丸つぶれじゃないか。お前たち親子はぐるになって、森岡の一家を嘲弄《ちょうろう》する気なのであろう。」とやけくそみたいに、わめき立てた。神崎親子は、顔色を変えた。
「式部、」と駕籠の中から若殿が呼んで、「蛸にも駕籠をやれ。」と察しのいいところを見せた。
「は、ただいま。」と式部は平伏する。蛸は得意だ。
 それから、関、亀山《かめやま》、四日市《よっかいち》、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油《ごゆ》、吉田、蛸は大威張りで駕籠にゆられて居眠りしながら旅をつづけた。宿に着けば相変らず夜ふかしと朝寝である。この丹三郎ひとりのために、国元を発足した時の旅の予定より十日ちかくもおくれて、卯月《うづき》のすえ、ようようきょうの旅泊りは駿河《するが》の国、島田の宿と、いそぎ掛川《かけがわ》を立ち、小夜《さよ》の中山にさしかかった頃から豪雨となって途中の菊川も氾濫《はんらん》し濁流は橋をゆるがし道を越え、しかも風さえ加って松籟《しょうらい》ものすごく、一行の者の袖合羽《そでがっぱ》の裾《すそ》吹きかえされて千切れんばかり、這《は》うようにして金谷《かなや》の宿にたどりつき、ここにて人数をあらため一行無事なるを喜び、さて、これから名高い難所の大井川を越えて島田の宿に渡らなければならぬのだが、式部は大井川の岸に立って川の気色を見渡し、
「水かさ刻一刻とつのる様子なれば、きょうはこの金谷の宿に一泊。」とお供の者どもに言いつけた。
 けれども、乱暴者の若殿には、式部のこの用心深い処置が気にいらなかった。川を眺めてせせら笑い、
「なんだ、これがあの有名な大井川か。淀川《よどがわ》の半分も無いじゃないか。国元の猪名川《いながわ》よりも武庫川《むこがわ》よりも小さいじゃないか。のう、蛸。これしきの川が渡れぬなんて、式部も耄碌《もうろく》したようだ。」
「いかにも、」と蛸は神崎親子を横目で見てにやりと笑い、「私などは国元の猪名川を幼少の頃より毎日のように馬で渡ってなれて居りますので、こんな小さい川が、たといどんなに水を増してもおそろしいとは思いませぬが、しかし、生れつき水癲癇《みずてんかん》と申して、どのように弓馬の武芸に達していても、この水を見るとおそろしくぶるぶる震えるという奇病があって、しかもこれは親から子へ遺伝するものだそうで。」
 若殿は笑って、
「奇妙な病気もあるものだ。まさか式部は、その水癲癇とやらいう病気でもあるまいが、どうだ、蛸め、われら二人抜け駈《が》けてこの濁流に駒《こま》をすすめ、かの宇治川《うじがわ》先陣、佐々木と梶原《かじわら》の如《ごと》く、相競って共に向う岸に渡って見せたら、臆病《おくびょう》の式部はじめ供の者たちも仕方なく後からついて来るだろう。なんとしてもきょうのうちに、この大井川を渡って島田の宿に着かなければ、西国武士の名折れだぞ。蛸め、つづけ。」と駒に打ち乗り、濁流めがけて飛び込もうとするので式部もここは必死、篠《しの》つく雨の中を蓑《みの》も笠《かさ》もほうり投げて若殿の駒の轡《くつわ》に取り縋《すが》り、
「おやめなさい、おやめなさい。式部かねて承るに大井川の川底の形状変転常なく、その瀬その淵《ふち》の深浅は、川越しの人夫さえ踏違《ふみたが》えることしばしば有りとの事、いわんや他国のわれら、抜山《ばつざん》の勇ありといえども、血気だけでは、この川渡ることむずかしく、式部はきょう一日、その水癲癇とやら奇病にでも何にでも相成りますから、どうか式部の奇病をあわれに思召《おぼしめ》して、川を越える事はあすになさって下さい。」と涙を流して懇願した。
 まことの臆病者の丹三郎は、口ではあんな偉そうな事を言ったものの、蛸め、つづけ! と若殿に言われた時には、くらくらと眩暈《めまい》がして、こりゃもうどうしようと、うろうろしたが、式部が若殿をいさめてくれたので、ほっとして、真青な顔に奇妙な笑いを無理に浮べ、「ちえ、残念。」と言った。
 それがいけなかった。その出鱈目《でたらめ》の言葉が若殿の気持をいっそう猛《たけ》り立たせた。
「蛸め。式部は卑怯《ひきょう》だ。かまわぬ、つづけ!」と式部の手のゆるんだすきを見て駒に一鞭《ひとむち》あて、暴虎馮河《ぼうこひょうが》、ざんぶと濁流に身をおどらせた。式部もいまはこれまでと観念し、
「それ! 若殿につづけ。」とお供の者たちに烈《はげ》しく下知した。いずれも屈強の供の武士三十人、なんの躊躇《ちゅうちょ》も無くつぎつぎと駒を濁流に乗り入れ、大浪《おおなみ》をわけて若殿のあとを追った。
 岸には、丹三郎と跡見役の式部親子とが残った。丹三郎は、ぶるぶる震えながら勝太郎の手を固く握り、
「若殿は野暮だ。思いやりも何も無い。おれは実は馬は何よりも苦手なのだ。何もかも目茶苦茶だ。」と泣くような声で訴えた。
 式部は静かにあたりを見廻し、跡に遺漏のものの無きを見とどけ、さて、丹三郎に向い、
「これも皆、あなたの言葉から起った難儀です。でもまあいまは、そんな事を言っていたって仕様がありません。すぐに若殿の後を追いましょう。わしたちは果して生きて向う岸に行き着けるかどうか、この大水では、心もとない。けれども、わしは国元を出る時、あなたの親御の丹後どのから、丹三郎儀はまだほんの子供、しかも初旅の事ゆえ、諸事よろしくたのむと言われました。その一言が忘れかね、わしはきょうまで我慢に我慢を重ねて、あなたの世話を見て来ました。いまこの濁流を渡って、あなたの身にもしもの事があったなら、きょうまでのわしの苦労もそれこそ水の泡《あわ》になります。馬は一ばん元気のいいのを、あなたのために取って置きました。せがれの勝太郎を先に立て、瀬踏みをさせますから、あなたは何でもただ馬の首にしがみついて勝太郎の後について行くといい。すぐあとに、わしがついて守って行きますから、心配せず、大浪をかぶってもあわてず、馬の首から手を離したりせぬように。」とおだやかに言われて流石の馬鹿も人間らしい心にかえったか、
「すみません。」と言って、わっと手放しで泣き出した。
 諸事頼むとの一言、ここの事なりと我が子の勝太郎を先に立て、次に丹三郎を特に吟味して選び置きし馬に乗せて渡らせ、わが身はすぐ後にひたと寄添ってすすみ渦巻《うずま》く激流を乗り切って、難儀の末にようやく岸ちかくなり少しく安堵《あんど》せし折も折、丹三郎いささかの横浪をかぶって馬の鞍《くら》覆《くつが》えり、あなやの小さい声を残してはるか流れて浮き沈み、騒ぐ間もなくはや行方しれずになってしまった。
 式部、呆然《ぼうぜん》たるうちに岸に着き、見れば若殿は安泰、また我が子の勝太郎も仔細《しさい》なく岸に上って若殿のお傍に侍《はべ》っている。
 世に武家の義理ほどかなしきは無し。式部、覚悟を極《き》めて勝太郎を手招き、
「そちに頼みがある。」
「はい。」と答えて澄んだ眼で父の顔を仰ぎ見ている。家中随一の美童である。
「流れに飛び込んで死んでおくれ。丹三郎はわしの苦労の甲斐《かい》も無く、横浪をかぶって鞍がくつがえり流れに呑《の》まれて死にました。そもそもあの丹三郎儀は、かの親の丹後どのより預り来《きた》れる義理のある子です。丹三郎ひとりが溺《おぼ》れ死んで、お前が助かったとあれば、丹後どのの手前、この式部の武士の一分《いちぶん》が立ちがたい。ここを聞きわけておくれ。時刻をうつさずいますぐ川に飛び込み死んでおくれ。」と面《おもて》を剛《こわ》くして言い切れば、勝太郎さすがは武士の子、あ、と答えて少しもためらうところなく、立つ川浪に身を躍らせて相果てた。
 式部うつむき涙を流し、まことに武家の義理ほどかなしき物はなし、ふるさとを出《い》でし時、人も多きに我を択《えら》びて頼むとの一言、そのままに捨てがたく、万事に劣れる子ながらも大事に目をかけここまで来て不慮の災難、丹後どのに顔向けなりがたく、何の罪とがも無き勝太郎をむざむざ目前に於《お》いて死なせたる苦しさ、さりとては、うらめしの世、丹後どのには他の男の子ふたりあれば、歎《なげ》きのうちにもまぎれる事もありなんに、それがしには勝太郎ひとり。国元の母のなげきもいかばかり、われも寄る年波、勝太郎を死なせていまは何か願いの楽しみ無し、出家、と観念して、表面は何気なく若殿に仕えて、首尾よく蝦夷見物の大役を果し、その後、城主にお暇《いとま》を乞《こ》い、老妻と共に出家して播州《ばんしゅう》の清水の山深くかくれたのを、丹後その経緯を聞き伝えて志に感じ、これもにわかにお暇を乞い請《う》け、妻子とも四人いまさらこの世に生きて居られず、みな出家して勝太郎の菩提《ぼだい》をとむらったとは、いつの世も武家の義理ほど、あわれにして美しきは無しと。
[#地から2字上げ](武家義理物語、巻一の五、死なば同じ浪枕《なみまくら》とや)
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   女賊

 後柏原《ごかしわばら》天皇|大永《たいえい》年間、陸奥《みちのく》一円にかくれなき瀬越の何がしという大賊、仙台|名取川《なとりがわ》の上流、笹谷峠《ささやとうげ》の附近に住み、往来の旅人をあやめて金銀荷物|押領《おうりょう》し、その上、山賊にはめずらしく吝嗇《りんしょく》の男で、むだ使いは一切つつしみ、三十歳を少し出たばかりの若さながら、しこたまためて底知れぬ大長者になり、立派な口髭《くちひげ》を生《は》やして挙措《きょそ》動作も重々しく、山賊には附《つ》き物《もの》の熊《くま》の毛皮などは着ないで、紬《つむぎ》の着物に紋附《もんつ》きのお羽織をひっかけ、謡曲なども少したしなみ、そのせいか言葉つきも東北の方言と違っていて、何々にて候《そうろう》、などといかめしく言い、女ぎらいか未《いま》だに独身、酒は飲むが、女はてんで眼中に無い様子で、かつて一度も好色の素振りを見せた事は無く、たまに手下の者が里から女をさらって来たりすると眉《まゆ》をひそめ、いやしき女にたわむれるは男子の恥辱に候、と言い、ただちに女を里に返させ、手下の者たちが、親分の女ぎらいは玉に疵《きず》だ、と無遠慮に批評するのを聞いてにやりと笑い、仙台には美人が少く候、と呟《つぶや》いて何やら溜息《ためいき》をつき、山賊に似合わぬ高邁《こうまい》の趣味を持っている男のようにも見えた。この男、或《あ》る年の春、容貌《ようぼう》見にくからぬ手下五人に命じて熊の毛皮をぬがせ頬被《ほおかぶ》りを禁じて紋服を着せ仙台平《せんだいひら》の袴《はかま》をはかせ、これを引連れて都にのぼり、自分は東《あずま》の田舎|大尽《だいじん》の如《ごと》くすべて鷹揚《おうよう》に最上等の宿舎に泊り、毎日のんきに京の見物、日頃《ひごろ》けちくさくため込んだのも今日この日の為《ため》らしく、惜しげも無く金銀をまき散らし、やがてもの言わぬ花にも厭《あ》きて、島原《しまばら》に繰り込み、京で評判の名妓《めいぎ》をきら星の如く大勢ならべて眺《なが》め、好色の手下の一人は、うむと呻《うめ》いて口に泡《あわ》を噴きどうとうしろに倒れてそれお水それお薬、お袴をおぬぎなさったら、などと大騒ぎになったのも無理からぬほど、まばゆく見事な景趣ではあったが、大尽は物憂《ものう》そうな顔して溜息をつき、都にも美人は少く候、と呟く。広い都も、人の噂《うわさ》のために狭く、この山賊の奢《おご》りは逸早《いちはや》く京中に拡《ひろ》まり、髭そうろうの大尽と言われて、路《みち》で逢《あ》う人ことごとくがこの男に会釈《えしゃく》するようになったが、この男一向に浮かぬ顔して、やがて島原の遊びにもどうやら厭きた様子で、毎日ぶらりぶらりと手下を引連れて都大路を歩きまわり、或る日、古い大きな家の崩れかかった土塀《どべい》のわれ目から、ちらと見えた女の姿に足をとどめ、手にしていた扇子《せんす》をはたと落して、小山の動くみたいに肩で烈《はげ》しく溜息をつき、シばらスい、と思わず東北|訛《なまり》をまる出しにして呻き、なおもその、花盛りの梨《なし》の木の下でその弟とも見える上品な男の子と手鞠《てまり》をついて遊んでいる若い娘の姿に、阿呆《あほう》の如く口をあいて見とれていた。翌《あく》る日、髭そうろうの大尽は、かの五人の手下に言いふくめて、金銀|綾錦《あやにしき》のたぐいの重宝をおびただしく持参させ、かの土塀の家に遣《つかわ》し、お姫様を是非とも貰《もら》い受けたしと頗《すこぶ》る唐突ながら強硬の談判を開始させた。その家の老主人は、いささか由緒《ゆいしょ》のある公卿《くげ》の血筋を受けて、むかしはなかなか羽振りのよかった人であるが、名誉心が強すぎて、なおその上の出世を望み、附合いを派手にして日夜顕官に饗応《きょうおう》し、かえって馬鹿にされておまけに財産をことごとく失い、何もかも駄目《だめ》になり、いまは崩れる土塀を支える力も無く中風の気味さえ現われて来て、わななく手でさてもこの世は夢まぼろしなどとへたくその和歌を鼻紙の表裏に書きしたためて、その日その日の憂《う》さを晴らしている有様だったので、この突然の申込みにはじめは少からず面くらったものの、さて、眼前に山と積まれた金銀財宝を眺めて、これだけあれば、ふたたび大官に饗応し、華やかに世に浮び上る事が出来るぞと、れいの虚栄心がむらむらと起り、髭そうろうの大尽といえば、いま此《こ》の京でも評判の男、なんでも遠いあずまの大金持ちの若旦那《わかだんな》だとかいう話だ、田舎者だって何だって金持ちなら結構、この縁談は悪くない、と貧すれば貪《どん》すの例にもれず少からず心が動いて、その日はお使者に大いに愛嬌《あいきょう》を振りまき、確答は後日という事にして、とにかくきょうのお土産の御礼にそちらの御主人の宿舎へ明日参上致します、という返辞。手下たちは、しめた、あの工合《ぐあ》いではもう大丈夫、と帰る途々《みちみち》首肯《うなず》き合い、主人にその様子を言上すれば、山賊の統領はにやりと凄《すご》く笑い、案外もろく候、と言った。その翌る日、土塀の老主人は、烏帽子《えぼし》などかぶってひどくもったいぶった服装で山賊の京の宿舎を訪ね、それこそほんものの候言葉で、昨日のお礼を申し、統領の鷹揚な挙措や立派な口髭に一目で惚《ほ》れ込み、お礼だけ言う筈《はず》のところを、つい、ふつつかな娘ながら、とこちらのほうから言い出して、山賊の統領もさすがに都の人の軽薄に苦笑して、それでもその日の饗応は山の如く、お土産も前日にまさる多額のもので、土塀のあるじはただもう雲中を歩む思いで烏帽子を置き忘れて帰宅し、娘を呼んで、女|三界《さんがい》に家なし、ここはお前の家ではない、お前の弟がこの家を継ぐのだからお前はこの家には不要である、女三界に家なしとはここのところだ、とひどい乱暴な説教をして娘を泣かせ、何を泣くか、お父さんはお前のために立派な婿《むこ》を見つけて来てあげたのに、めそめそ泣くとは大不孝、と中風の気味で震える腕を振りあげて娘を打つ真似《まね》をして、都の人は色は白いが貧乏でいけない、あずまの人は毛深くて間の抜けた顔をしているが女にはあまいようだ、行きなさい、すぐに山奥へでもどこへでも行きなさい、死んだお母さんもよろこぶだろう、お父さんの事は心配するな、わしはこれからまた一旗挙げるのだ、承知か、おお、承知してくれるか、女三界に家なし、どこにいたって駄目なものだよ、などと変な事まで口走り、婿の氏素性《うじすじょう》をろくに調べもせず、とにかくいま都で名高い髭そうろうの大尽だから間違い無しと軽率にひとり合点《がてん》して有頂天のうちにこの縁談をとりきめ、十七の娘は遠いあずまのそれも蝦夷《えぞ》の土地と聞く陸奥へ嫁《とつ》がなければならぬ身の因果を歎《なげ》き、生きた心地も無くただ泣きに泣いて駕籠《かご》に乗せられ、父親ひとりは浅間しく大はしゃぎで、あやうい腰つきで馬に乗り都のはずれまで見送り、ひたすら自分の今後の立身出世を胸中に思い描いてわくわくして、さらば、さらば、とわかれの挨拶《あいさつ》も上の空で言い、家へ帰って五日目に心臓|痳痺《まひ》を起して頓死《とんし》したとやら、ひとの行末は知れぬもの。一方、十七の娘は、父のあわれな急死も知らず駕籠にゆられて東路《あずまじ》をくだり、花婿の髭をつくづく見ては言いようのない恐怖におそわれて泣き、手下の乱暴な東北言葉に胆《きも》をつぶして泣き、江戸を過ぎてようよう仙台ちかくなって春とはいえ未《ま》だ山には雪が残っているのを見て泣き、山賊たちをひどく手こずらせて、古巣の山寨《さんさい》にたどり着いた頃には、眼を泣きはらして猿《さる》の顔のようになり、手下の山賊たちは興覚めたが、統領はやさしくみずから看護して、その眼のなおった頃には娘も、統領に少しなついて落ちつき、東北言葉もだんだんわかるようになって、山賊の手下たちの無智《むち》な冗談に思わず微笑《ほほえ》み、やがて夫の悪い渡世を知るに及んで、ぎくりとしたものの、女三界に家なし、ここをのがれても都の空の方角さえ見当つかず、女はこうなると度胸がよい、ままよと観念して、夫には優しくされ手下の者たちには姐御《あねご》などと言われてかしずかれると、まんざら悪い気もせず、いつとはなしに悪にそまり、亭主《ていしゅ》のする事なす事なんでも馬鹿《ばか》らしく見えて仕様のない女房《にょうぼう》もあり、また、亭主の行為がいちいち素晴らしい英雄的なものに見えてたまらない女房もあり、いずれも悪妻、この京育ちの美女は後者に属しているらしく、夫の憎むべき所業も見馴《みな》れるに随《したが》い何だか勇しくたのもしく思われて来て、亭主が一仕事して帰るといそいそ足など洗ってやり、きょうの獲物は何、と笑って尋ね、旅人から奪って来た小袖《こそで》をひろげて、これは私には少し派手よ、こんどはも少し地味なのをたのむわ、と言ってけろりとして、手下どものむごい手柄話《てがらばなし》を眼を細めて聞いてよろこび、後には自分も草鞋《わらじ》をはいて夫について行き、平気で悪事の手伝いをして、いまは根からのあさましい女山賊になりさがり、顔は以前に変らず美しかったが眼にはいやな光りがあり、夫の山刀を井戸端《いどばた》にしゃがんで熱心に研《と》いでいる時の姿などには鬼女のような凄《すご》い気配が感ぜられた。やがてこの鬼女も身ごもり、生れたのは女の子で春枝と名づけられ、色白く唇《くちびる》小さく赤い、京風の美人、それから二年|経《た》って、またひとり女の子が生れ、お夏と呼ばれて、父に似て色浅黒く眼が吊《つ》り上ったきかぬ気の顔立ちの子で、この二人は自分の母が京の公卿の血を受けたひとだという事など知る筈もなく、氏より育ちとはまことに人間のたより無さ、生れ落ちたこの山奥が自分たちの親代々の故郷とのんきに合点して、鬼の子らしく荒々しく山坂を駈《か》け廻《まわ》って遊び、その遊びもままごとなどでは無く、ひとりは旅人、ひとりは山賊、おい待て、命が惜しいか金が惜しいかとひとりが言えば、ひとりは助けて! と叫んでけわしい崖《がけ》をするする降りて逃げるを、待て待て、と追ってつかまえ大笑いして、母親はこれを見て悲しがるわけでもなく、かえって薙刀《なぎなた》など与えて旅人をあやめる稽古《けいこ》をさせ、天を恐れぬ悪業、その行末もおそろしく、果せる哉《かな》、春枝十八お夏十六の冬に、父の山賊に天罰下り、雪崩《なだれ》の下敷になって五体の骨々|微塵《みじん》にくだけ、眼もあてられぬむごたらしい死にざまをして、母子なげく中にも、手下どもは悪人の本性をあらわして親分のしこたまためた金銀財宝諸道具食料ことごとく持ち去り、母子はたちまち雪深い山中で暮しに窮した。
「何でもないさ。」と勝気のお夏は威勢よく言って母と姉をはげまし、「いままで通り、旅人をやっつけようよ。」
「でも、」と妹にくらべて少しおとなしい姉の春枝は分別ありげに、「女ばかりじゃ、駄目よ。かえってあたしたちのほうで着物をはぎとられてしまうわよ。」
「弱虫、弱虫。男の身なりをして刀を持って行けばなんでもない。やいこら、とこんな工合いに男のひとみたいな太い声で呼びとめると、どんな旅人だって震え上るにきまっている。でも、おさむらいはこわいな。じいさんばあさんか、女のひとり旅か、にやけた商人か、そんな人たちを選んでおどかしたら、きっと成功するわよ。面白《おもしろ》いじゃないの。あたしは、あの熊の毛皮を頭からかぶって行こう。」無邪気と悪魔とは紙一重である。
「うまくいくといいけど、」と姉は淋《さび》しげに微笑んで、「とにかくそれじゃ、やって見ましょう。あたしたちは、どうでもいいけど、お母さんにお怪我《けが》があっては大変だから、お母さんはお留守番して、あたしたちの獲物をおとなしく待っているのよ。」と母に言い、山育ちの娘も本能として、少しは親を大事にする気持があるらしく、その日から娘二人は、山男の身なりで、おどけ者の妹は鍋墨《なべずみ》で父にそっくりの口髭《くちひげ》など描いて出かけ、町人里人の弱そうな者を捜し出してはおどし、女心はこまかく、懐中の金子《きんす》はもとより、にぎりめし、鼻紙、お守り、火打石、爪楊子《つまようじ》のはてまで一物も余さず奪い、家へ帰って、財布の中の金銀よりは、その財布の縞柄《しまがら》の美しきを喜び、次第にこのいまわしき仕事にはげみが出て来て、もはや心底からのおそろしい山賊になってしまったものの如く、雪の峠をたまに通る旅人を待ち伏せているだけでは獲物が少くてつまらぬなどと、すっかり大胆になって里近くまで押しかけ、里の女のつまらぬ櫛笄《くしこうがい》でも手に入れると有頂天になり、姉の春枝は既に十八、しかも妹のお転婆《てんば》にくらべて少しやさしく、自身の荒くれた男姿を情無く思う事もあり、熊の毛皮の下に赤い細帯などこっそりしめてみたりして、さすがにわかい娘の心は動いて、或る日、里近くで旅の絹商人をおどして得た白絹二反、一反ずつわけていそいそ胸に抱いて夕暮の雪道を急ぎ帰る途中に於いて、この姉の考えるには、もうそろそろお正月も近づいたし、あたしは是非とも晴衣《はれぎ》が一枚ほしい、女の子はたまには綺麗《きれい》に着飾らなければ生きている甲斐《かい》が無い、この白絹を藤色《ふじいろ》に染め、初春の着物を仕立てたいのだが裏地が無い、妹にわけてやった絹一反あれば見事な袷《あわせ》が出来るのに、と矢もたてもたまらず、さいぜんわけてやった妹の絹が欲しくなり、
「お夏や、お前この白絹をどうする気なの?」と胸をどきどきさせながら、それとなく聞いてみた。
「どうするって、姉さん、あたしはこれで鉢巻《はちまき》をたくさんこしらえるつもりなの。白絹の鉢巻は勇しくって、立派な親分さんみたいに見えるわよ。お父さんも、お仕事の時には絹の白鉢巻をしてお出かけになったわね。」とたわい無い事を言っている。
「まあ、そんな、つまらない。ね、いい子だから、姉さんにそれをゆずってくれない? こんど、何かまたいいものが手にはいった時には姉さんは、みんなお前にあげるから。」
「いやよ。」と妹は強く首を振った。「いや、いや。あたしは前から真白な鉢巻をほしいと思っていたのよ。旅人をおどかすのに、白鉢巻でもしてないと気勢があがらなくて工合いがわるいわ。」
「そんな馬鹿な事を言わないで、ね、後生《ごしょう》だから。」
「いや! 姉さん、しつっこいわよ。」
 へんに気まずくなってしまった。けれども姉はそんなに手きびしく断られるといよいよ総身が燃え立つように欲しくなり、妹に較《くら》べておとなしいとはいうものの、普段おとなしい子こそ思いつめた時にかえって残酷のおそろしい罪を犯す。殊《こと》にも山賊の父から兇悪《きょうあく》の血を受け、いまは父の真似して女だてらに旅人をおどしてその日その日を送り迎えしている娘だ。胸がもやもやとなり、はや、人が変り、うわべはおだやかに笑いながら、
「ごめんね、もう要らないわよ。」と言ってあたりを見廻し、この妹を殺して絹を奪おう、この腰の刀で旅人を傷つけた事は一度ならずある、ついでに妹を斬《き》って捨てても、罪は同じだ、あたしは何としても、晴衣を一枚つくるのだ、こんどに限らず、帯でも櫛でもせっかくの獲物をこんな本当の男みたいな妹と二人でわけるのは馬鹿らしい、むだな事だ、にくい邪魔、突き刺して絹を取り上げ、家へ帰ってお母さんに、きょうは手剛《てごわ》い旅人に逢《あ》い、可哀想《かわいそう》に妹は殺されましたと申し上げれば、それですむ事、そうだ、少しも早くと妹の油断を見すまし、刀の柄《つか》に手を掛けた、途端に、
「姉さん! こわい!」と妹は姉にしがみつき、
「な、なに?」と姉はうろたえて妹に問えば妹は夕闇《ゆうやみ》の谷底を指差し、見れば谷底は里人の墓地、いましも里の仏を火葬のさいちゅう、人焼く煙は異様に黒く、耳をすませば、ぱちぱちはぜる気味悪い音も聞えて、一陣の風はただならぬ匂《にお》いを吹き送り、さすがの女賊たちも全身|鳥肌《とりはだ》立って、固く抱き合い、姉は思わずお念仏を称《とな》え、人の末は皆このように焼かれるのだ、着物も何もはかないものだとふっと人の世の無常を観じて、わが心の恐しさに今更ながら身震いして、とかくこの一反の絹のためさもしい考えを起すのだ、何も要らぬと手に持っている反物を谷底の煙めがけて投げ込めば、妹もすぐに投げ込み、わっと泣き出して、
「姉さん、ごめん、あたしは悪い子よ。あたしは、姉さんをたったいままで殺そうと思っていたの。姉さん! あたしだって、もう十六よ。綺麗な着物を欲しいのよ。でも、あたしはこんな不器量な子だから、お洒落《しゃれ》をすると笑われるかと思って、わざと男の子みたいな事ばかり言っていたのよ。ごめんね。姉さん、あたしはこのお正月に晴衣が一枚ほしくて、あたしの絹を紅梅に染めて、そうして姉さんの絹を裏地にしようと思って、姉さん、あたしはいけない子よ、姉さんを刀で突いてそうしてお母さんには、姉さんが旅人に殺されたと申し上げるつもりでいたの。いまあの火葬の煙を見たら、もう何もかもいやになって、あたしはもう生きて行く気がしなくなった。」と意外の事を口走るので、姉は仰天して、
「何を言うの? ゆるすもゆるさぬも、それはあたしの事ですよ。あたしこそ、お前を突き殺して絹を奪おうと思って、あの煙を見たら悲しくなって、あたしの反物を谷底へ投げ込んだのじゃないの。」と言って、さらに妹を固く抱きしめてこれも泣き出す。
 かつは驚き、かつは恥じ、永からぬ世に生れ殊に女の身としてかかる悪逆の暮し、後世《ごせ》のほども恐ろし、こんにちこれぎり浮世の望みを捨てん、と二人は腰の刀も熊の毛皮も谷底の火焔《かえん》に投じて、泣き泣き山寨に帰り、留守番の母に逐一事情を語り、母にもお覚悟のほどを迫れば、母も二十年の悪夢から醒《さ》め、はじめて母のいやしからぬ血筋を二人に打ち明け、わが身の現在のあさましさを歎き、まっさきに黒髪を切り、二人の娘もおくれじと剃髪《ていはつ》して三人|比丘尼《びくに》、汚濁の古巣を焼き払い、笹谷峠のふもとの寺に行き老僧に向って懺悔《ざんげ》しその衣《ころも》の裾《すそ》にすがってあけくれ念仏を称え、これまであやめた旅人の菩提《ぼだい》を弔《とむら》ったとは頗《すこぶ》る殊勝に似たれども、父子二代の積悪《せきあく》はたして如来《にょらい》の許し給《たも》うや否《いな》や。
[#地から2字上げ](新可笑記《しんかせうき》、巻五の四、腹からの女追剥《をんなおひはぎ》)
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   赤い太鼓

 むかし都の西陣《にしじん》に、織物職人の家多く、軒をならべておのおの織物の腕を競い家業にはげんでいる中に、徳兵衛《とくべえ》とて、名こそ福徳の人に似ているが、どういうものか、お金が残らず胆《きも》を冷やしてその日暮し、晩酌《ばんしゃく》も二合を越えず、女房《にょうぼう》と連添うて十九年、他《ほか》の女にお酌をさせた経験も無く、道楽といえば、たまに下職《したしょく》を相手に将棋をさすくらいのもので、それもひまを惜しんで目まぐるしい早将棋一番かぎり、約束の仕事の日限を違《たが》えた事はいちども無く万事に油断せず精出して、女房も丈夫、子供も息災、みずからは二十《はたち》の時に奥歯一本虫に食われて三日病んだ他には病気というものを知らず、さりとてけちで世間の附《つ》き合いの義理を欠くというわけではなく職人仲間に律儀者《りちぎもの》の評判を取り、しかも神仏の信心深く、ひとつとして悪事なく、人生四十年を過して来たものの、どういうわけか、いつも貧乏で、世の中には貧乏性といってこのような不思議はままある事ながら、それにしても、徳兵衛ほどの善人がいつまでも福の神に見舞われぬとは、浮世にはわからぬ事もあるものだと、町内の顔役たちは女房に寝物語してひそかにわが家の内福に安堵《あんど》するというような有様であった。そのうちに徳兵衛の貧乏いよいよ迫り、ことしの暮は夜逃げの他に才覚つかず、しのびしのび諸道具売払うを、町内の顔役たちが目ざとく見つけ、永年のよしみ、捨て置けず、それとなく徳兵衛に様子を聞けば、わずか七、八十両の借金に首がまわらず夜逃げの覚悟と泣きながら言う。顔役は笑い、
「なんだ、たかが七、八十両の借金で、先代からのこの老舗《しにせ》をつぶすなんて法は無い。ことしの暮は万事わしたちが引受けますから、もう一度、まあ、ねばってみなさい。来年こそは、この身代《しんだい》にも一花咲かせて見せて下さい。子供さんにも、お年玉を奮発して、下職への仕着《しきせ》も紋無しの浅黄《あさぎ》にするといまからでも間に合いますから、お金の事など心配せず、まあ、わしたちに委《まか》せて、大船に乗った気で一つ思い切り派手に年越しをするんだね。お内儀も、そんな、めそめそしてないで、せっかくのいい髪をもったいない、ちゃんと綺麗《きれい》に結って、おちめを人に見せないところが女房の働き。正月の塩鮭《しおざけ》もわしの家で三本買って置いたから、一本すぐにとどけさせます。笑う門には福が来る。どうも、この家は陰気でいけねえ。さあ、雨戸をみんなあけて、ことしの家中の塵芥《ちりあくた》をさっぱりと掃き出して、のんきに福の神の御入来を待つがよい。万事はわしたちが引受けました。」と景気のいい事ばかり言い、それから近所の職人仲間と相談の上、われひと共にいそがしき十二月二十六日の夜、仲間十人おのおの金子《きんす》十両と酒肴《しゅこう》を携え、徳兵衛の家を訪れ、一升|桝《ます》を出させて、それに順々に十両ずつばらりばらりと投げ入れて百両、顔役のひとりは福の神の如《ごと》く陽気に笑い、徳兵衛さん、ここに百両あります、これをもとでに千両かせいでごらんなさい、と差し出せば、またひとりの顔役は、もっともらしい顔をして桝を神棚《かみだな》にあげ、ぱんぱんと拍手《かしわで》を打ち、えびす大黒にお願い申す、この百両を見覚え置き、利に利を生ませて来年の暮には百倍千倍にしてまたこの家に立ち戻《もど》らせ給《たま》え、さもなくば、えびす大黒もこの金横領のとがにんとして縄《なわ》を打ち、川へ流してしまいます、と言えば、また大笑いになり、職人仲間の情愛はまた格別、それより持参の酒肴にて年忘れの宴、徳兵衛はうれしく、意味も無く部屋中をうろうろ歩きまわり重箱を蹴飛《けと》ばし、いよいよ恐縮して、あちらこちらに矢鱈《やたら》にお辞儀して廻《まわ》り、生れてはじめて二合以上の酒を飲ませてもらい、とうとう酔い泣きをはじめ、他の職人たちも、人を救ったというしびれるほどの興奮から、ふだん一滴も酒を口にせぬ人まで、ぐいぐいと飲み酒乱の傾向を暴露して、この酒は元来わしが持参したものだ、飲まなければ損だ、などとまことに興覚めないやしい事まで口走り、いきな男は、それを相手にせず、からだを前後左右にゆすぶって小唄《こうた》をうたい、鬚面《ひげづら》の男は、声をひそめて天下国家の行末を憂《うれ》い、また隅《すみ》の小男は、大声でおのれの織物の腕前を誇り、他のやつは皆へたくそ也《なり》とののしり、また、頬被《ほおかぶ》りして壁塗り踊りと称するへんてつも無い踊りを、誰《だれ》も見ていないのに、いやに緊張して口をひきしめいつまでも呆《あき》れるほど永く踊りつづけている者もあり、また、さいぜんから襖《ふすま》によりかかって、顔面|蒼白《そうはく》、眼《め》を血走らせて一座を無言で睨《にら》み、近くに坐《すわ》っている男たちを薄気味悪がらせて、やがて、すっくと立ち上ったので、すわ喧嘩《けんか》と驚き制止しかかれば、男は、ううと呻《うめ》いて廊下に走り出て庭先へ、げえと吐いた。酒の席は、昔も今も同じ事なり、しまいには、何が何やら、ただわあとなって、骨の無い動物の如く、互いに背負われるやら抱かれるやら、羽織を落し、扇子を忘れ、草履《ぞうり》をはきちがえて、いや、めでたい、めでたい、とうわごとみたいに言いながらめいめいの家へ帰り、あとには亭主《ていしゅ》ひとり、大風の跡の荒野に伏せる狼《おおかみ》の形で大鼾《おおいびき》で寝て、女房は呆然《ぼうぜん》と部屋のまんなかに坐り、とにかく後片附けは明日と定め、神棚の桝を見上げては、うれしさ胸にこみ上げ、それにつけても戸じまりは大事と立って、家中の戸をしめて念いりに錠《じょう》をおろし、召使い達をさきに寝かせて、それから亭主の徳兵衛を静かにゆり起し、そんな大鼾で楽寝をしている場合ではありません、ご近所の有難《ありがた》いお情を無にせぬよう、今夜これから、ことしの諸払いの算用を、ざっとやって見ましょう、と大福帳やら算盤《そろばん》を押しつければ、亭主は眼をしぶくあけて、泥酔《でいすい》の夢にも債鬼に苦しめられ、いまふっと眼がさめると、われは百両の金持なる事に気附いて、勇気百千倍、むっくり起き上り、
「よし来た、算盤よこせ、畜生め、あの米屋の八右衛門《はちえもん》は、わしの先代の別家なのに、義理も恩も人情も忘れて、どこよりもせわしく借りを責め立てやがって、おのれ、今に見ろと思っていたが、畜生め、こんど来たら、あの皺面《しわづら》に小判をたたきつけて、もう来年からは、どんなにわしにお世辞を言っても、聞かぬ振りして米は八右衛門の隣りの与七の家から現金で買って、帰りには、あいつの家の前で小便でもして来る事だ。とにかく、あの神棚の桝をおろせ。久しぶりで山吹の色でも拝もう。」と大あぐらで威勢よく言い、女房もいそいそと立って神棚から一升桝をおろして見ると、桝はからっぽ、一枚の小判も無い。夫婦は仰天して、桝をさかさにしたり叩《たた》いてみたり、そこら中を這《は》い廻ってみたり、神棚を全部引下して、もったいなくも御神体を裏がえしたりひっくりかえしたり、血まなこで捜しても一枚の小判も見当らぬ。
「いよいよ無いにきまった。」と亭主は思い切って、「もうよい、捜すな。桝一ぱいの小判をまさか鼠《ねずみ》がそっくりひいて行ったわけでもあるまい。福の神に見はなされたのだ。よくよく福運の無い家と見える。」と言ったが口惜《くや》しさ、むらむらと胸にこみあげ、「いい笑い草だ。八右衛門の勘定はどうなるのだ。むだな喜びをしただけに、あとのつらさが、こたえるわい。」と腹をおさえて涙を流した。
 女房もおろおろ涙声になって、
「まあ、どうしましょう。ひどい、いたずらをなさる人もあるものですねえ。お金を下さってよろこばせて、そうしてすぐにまた取り上げるとは、あんまりですわねえ。」
「何を言う。そなたは、あの、誰か盗んだとでも思っているのか。」
「ええ、疑うのは悪い事だけれども、まさか小判がひとりでふっと溶けて消えるわけは無し、宵《よい》からこの座敷には、あの十人のお客様のほかに出入りした人も無し、お帰りになるとすぐにあたしが表の戸に錠をおろして、――」
「いやいや、そのようなおそろしい事を考えてはいけない。小判は神隠しに遭ったのだ。わしたちの信心の薄いせいだ。あのように情深いご近所のお方たちを疑うなどは、とんでもない事だ。百両のお金をちらと拝ませていただいただけでも、有難いと思わなければならぬ。それに、生れてはじめてあれほどの大酒を飲む事も出来たし、もともとお金は無いものとあきらめて、」と分別ありげな事を言いながらも、明日からの暮しを思うと、地獄へまっさかさまに落ち込む心地《ここち》で、「ああ、それにしても、一夜のうちに笑ったり泣いたり、なんてまあ馬鹿《ばか》らしい身の上になったのだろう。」と鼻をすする。
 女房はたまらず泣き崩れて、
「いいなぶりものにされました。百両くださると見せかけて、そっとお持ち帰りになって、いまごろは赤い舌を出して居られるのに違いない。ええ、十人が十人とも腹を合せて、あたしたちに百両を見せびらかし、あたしたちが泣いて拝む姿を楽しみながら酒を飲もうという魂胆だったのですよ。人を馬鹿にするにもほどがある。あなたは、口惜しくないのですか。あたしはもう恥ずかしくて、この世に生きて居られない。」
「恩人の悪口は言うな。この世がいやになったのは、わしも同様。しかし、人を恨んで死ぬのは、地獄の種だ。お情の百両をわが身の油断から紛失した申しわけに死ぬのならば、わしにも覚悟はあるが。」
「理窟《りくつ》はどうだって、いいじゃないの。あたしは地獄へ落ちたっていい。恨み死を致します。こんなひどい仕打ちをされて、世間のもの笑いになってなお生き延びるなんて事はとても出来ません。」
「よし、もう言うな。死にやいいんだ。かりそめにも一夜の恩人たちを訴えるわけにもいかず、いや疑う事さえ不埒《ふらち》な事だ、さりとてこのまま生き延びる工夫もつかず、女房、何も言わずに、わしと一緒に死のうじゃないか。この世ではそなたにも苦労をかけたが、夫婦は二世と言うぞ。」
 一寸さきは闇《やみ》の世の中、よろこびの宴の直後に、徳兵衛夫婦は死ぬる相談、二人の子供も、道づれと覚悟を極《き》め、女房は貧のうちにも長持の底に残してあった白小袖《しろこそで》に身を飾り、鏡に向い若い時から人にほめられた黒髪を撫《な》でつけながら、まことに十九年のなじみ此《こ》のあけぼのの夢と歎《なげ》き、気を取り直して二人の子供をしずかに引起せば、上の女の子は、かかさま、もうお正月か、と寝呆《ねぼ》け、下の男の子は、坊の独楽《こま》はきょう買ってくれるかと言う。夫婦は涙に目くらみ、ものも言えず、子供を仏壇の前に坐らせ、わななきわななき御燈明《おとうみょう》をあげ、親子四人、先祖の霊に手を合せて、いまはこれまでと思うところに、子守女どたばたと走り出て、二人の子供を左右にひしとかかえて頬ずりして、あんまりだ、あんまりだ、旦那《だんな》さまたちは何をなさるだ、われはさっきからお前様たちの話を残らず聞いていただ、死ぬならお前様たちだけで死ねばいいだ、こんな可愛《かわい》い坊ちゃま嬢ちゃまに何の罪とががあるだ、むごい親だ、あんまりだ、坊ちゃま嬢ちゃまは、おらがもらって育てるだ、死ぬならお前様たちだけでさっさと死ねばいいだ、とあたりはばからぬ大声で泣きわめいて、隣近所の人もその騒ぎに起き出して、夫婦の自害もうやむやになり、顔役はやがて事情を聞いて驚き、これは大事とひとり思案し、いかにも夫婦の言うとおり、あの夜われら十人のほか部屋に出入りした人は無し、小判が風に吹き飛んだという例も聞かず、まさかわれら腹黒くしめし合せ、あの夫婦をなぶりものにするなんてのは滅相《めっそう》も無い事、十人が十人とも義に勇んであのいそがしい年末の一夜、十両の合力《ごうりき》を気前よく引受けたのだ、誰をも疑うわけに行かぬ、下手な事を言い出したら町内の大騒動、わが身の潔白を示そうとして腹を切る男など出て来ないとも限らぬ、さりとて百両といえば少からぬ金額、あの夫婦の行末も気の毒、このまま捨て置くわけにも行くまい、とにかくこの事件はわれらが手に余ると分別を極め、ひそかに役人に訴え申し、金の詮議《せんぎ》を依頼した。
 この不思議な事件の吟味を取扱った人は、時の名判官板倉殿、年内余日も無く皆々渡世のさわりもあるべし、正月二十五日に詮索をはじめる、そのあいだ、かの十人の者ひとりも他国|仕《つかまつ》るな、という仰《おお》せがあり、やがて初春の二十五日に、お役所からお達しがあり、かの十人の者ども各々《おのおの》その女房を召連れてまかり出ずべし、もし女房無き者は、その姉妹、あるいは姪《めい》伯母、かねて最も近親の女をひとり同道して出頭致すべしとの上意。情をかけてこんな迷惑、親爺《おやじ》の遺言に貧乏人とは附合うなとあったが、なるほどここのところだ、十両の大金を捨て、そのうえお役所へ呼び出されるとはつまらぬ、とかく情は損のもと也、と露骨な卑《いや》しい愚痴を言うものもあり、とにかく女房を連れておそるおそるお白洲《しらす》に出ると、板倉殿は笑いながら十人の者に鬮《くじ》引きをさせて、一、二の順番をきめ、その順序のとおりに十組の名を大きな紙に書きしたためて番附を作り、お役所の前に張出させて、さて威儀を正していかめしく申し渡すよう、
「このたび百両の金子紛失の件、とにもかくにも、そちたちの過怠、その場に居合せながら大金の紛失に気附かざりしとは、察するところ、意地汚く酒を過し、大酔に及んだがためと思われる。飲酒の戒《いましめ》もさる事ながら、人の世話をするなら、素知らぬ振りしてあっさりやったらよかろう。救われた人を眼の前に置いてしつっこく、酒など飲んでおのれの慈善をたのしむなどは浅間しい。早く夫婦二人きりにさせて諸支払いの算用をさせるようにしむけてやるのが、まことの情だ。なまなかの情は、かえって人を罪におとす。以後は気を附けよ。罰として、きょうからあの表に張り出してある番附の順序に従って一日に一組ずつ、ここにある太鼓に棒をとおして、それぞれ女房と二人でかつぎ、役所の門を出て西へ二丁歩いて、杉林《すぎばやし》の中を通り抜け、さらに三丁、畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮《はちまんぐう》に参り、八幡宮のお札《ふだ》をもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、固く申しつける。」との事で、一同これは世にためし無き異なお仕置きと首をかしげたが、おかみのお言いつけなれば致し方なく、ばかばかしくもその日から、夫婦で太鼓をかついで八幡様へお参りして来なければならなくなった。耳ざとい都の人にはいち早くこの珍妙の裁判の噂《うわさ》がひろまり、板倉殿も耄碌《もうろく》したか、紛失の金子の行方も調べずに、ただ矢鱈《やたら》に十人を叱《しか》って太鼓をかつがせお宮参りとは、滅茶《めちゃ》苦茶だ、おおかた智慧者《ちえしゃ》の板倉殿も、このたびの不思議な盗難には手の下し様が無く、やけっぱちで前代|未聞《みもん》の太鼓のお仕置きなど案出して、いい加減にお茶を濁そうという所存に違いない、と物識《ものし》り顔で言う男もあれば、いやいやそうではない、何事につけても敬神崇仏、これを忘れるなという深いお心、むかし支那《しな》に、夫婦が太鼓をかついでお宮まいりをして親の病気の平癒《へいゆ》を祈願したという美談がある、と真面目《まじめ》な顔で嘘《うそ》を言う古老もあり、それはどんな書物に出ています、と突込まれて、それは忘れたがとにかくある、と平気で嘘の上塗りをして、年寄りの話は黙って聞け、と怒ってぎょろりと睨《にら》み、とにかく都の評判になり、それ見に行けとお役所の前に押しかけ、夫婦が太鼓をかついでしずしずと門から出て来ると、わあっと歓声を挙げ、ばんざいと言う者もあり、よう御両人、やけます、と黄色い声で叫ぶ通人もあり、いずれも役人に追い払われ、このたびのお仕置きは、諸見物の立寄る事かたく御法度《ごはっと》、ときびしく申しわたされ、のこり惜しそうに、あとを振り返り振り返り退散して、夫婦はそれどころで無く大不平、なんの因果で、こんな太鼓をかついでのこのこ歩かなければならぬのか、思えば思うほど、いまいましく、ことにも女は、はじめから徳兵衛の事などかくべつ可哀想《かわいそう》とも思わず、一銭の金でも惜しい大晦日《おおみそか》に亭主が勝手に十両などという大金を持ち出し、前後不覚に泥酔して帰宅して、何一ついいことが無かった上に亭主と共にお白洲に呼び出され、太鼓なんか担《かつ》がせられて諸人の恥さらしになるのだから、面白くない事おびただしい。おまけにこの太鼓たるや、気まりの悪いくらい真赤な塗胴で、天女の舞う図の金蒔絵《きんまきえ》がしてあって、陽《ひ》を受けて燦然《さんぜん》と輝き、てれくさくって思わず顔をそむけたいくらい。しかも大きさは四斗樽《しとだる》ほどあって、棒を通して二人でかついでも、なかなか重い。女房はじめは我慢して神妙らしく担いでいても、町はずれに出て、杉林にさしかかる頃からは、あたりに人ひとりいないし、そろそろ愚痴が出て来る。
「ああ、重い。あなたは、どうなの? 重くないの? ばかにうれしそうに歩いているわね。お祭りじゃないんですよ。子供じゃあるまいし、こんな赤い大鼓をかついでお宮まいりだなんて、板倉様も意地が悪い。もうもう、あたしは、人の世話なんてごめんですよ。あなたたちは、人の世話にかこつけて、お酒を飲んで騒ぎたいのでしょう? ばかばかしい。おまけにこんな赤い太鼓をかつがせられて、いい見せ物にされて、――」
「まあ、そう言うな。ものは考え様だ。どうだい、さっきの、お役所の前の人出は。わしは生れてから、あんなに人に囃《はや》された事は無い。人気があるぜ、わしたちは。」
「何を言ってるの。道理であなたは、けさからそわそわして、あの着物、この着物、と三度も着かえて、それから、ちょっと薄化粧なさってたわね。そうでしょう? 白状しなさい。」
「馬鹿な事を言うな。馬鹿な。」と亭主は狼狽《ろうばい》して、「しかし、いい天気だ。」とよそ話をした。
 また翌日の一組は、れいの発起人の顔役とその十八の娘。
「お父さん、」と十八の娘は、いまは亡《な》き母にかわって家事の担当、父の身のまわりの世話を焼いているので、鼻息が荒い。「亡くなったお母さんが、あたしたちのこんないい恰好《かっこう》を見て、草葉の蔭《かげ》で泣いていらっしゃるでしょうねえ。お父さんは、まあ、自業自得で仕方がないとしても、あたしにまで、こんな赤い太鼓の片棒かつがせて、チンドン屋みたいな事をさせてさ、お母さんはきっと、お父さんをうらんで、化けて出るわよ。」
「おどかしちゃいけねえ。何も、わしだって好きでかついでいるわけじゃないし、また、年頃のお前にこんな判じ物みたいなものを担がせるのも、心苦しいとは思っている。」
「あんな事を言っている。心苦しいだなんて、そんな気のきいた言葉をどこで覚えて来たの? おかしいわよ。お父さんには、この太鼓がよく似合ってよ。お父さんは派手好きだから、赤いものが、とてもよく似合うわ。こんど、真赤なお羽織を一枚こしらえてあげましょうね。」
「からかっちゃいけねえ。だるまじゃあるまいし、赤い半纏《はんてん》なんてのはお祭りにだって着て出られるわけのものじゃない。」
「でも、お父さんは年中お祭りみたいにそわそわしている、あんなのをお祭り野郎ってんだと陰口たたいていた人があったわよ。」
「誰《だれ》だ、ひでえ奴《やつ》だ、誰がそんな事を言ったんだ。そのままにはして置けねえ。」
「あたしよ、あたしが言ったのよ。何のかのと近所に寄合いをこしらえさせてお祭り騒ぎをしようとたくらんでばかりいるんだもの。いい気味だわ。ばちが当ったんだわ。お奉行《ぶぎょう》様は、やっぱりえらいな。お父さんのお祭り野郎を見抜いて、こらしめのため、こんな真赤なお祭りの太鼓をかつがせて、改心させようと思っていらっしゃるのに違いない。」
「こん畜生! 太鼓をかついでいなけれや、ぶん殴ってやるんだが、えい、徳兵衛ふびんさに、持前の親分|肌《はだ》のところを見せてやったばっかりに、つまらねえ事になった。」
「持前だって。親分肌だって。おかしいわよ、お父さん。自分でそんな事を言うのは、耄碌の証拠よ。もっと、しっかりしなさいね。」
「この野郎、黙らんか。」
 またその翌日の夫婦は、
「あなたも、しかし、妙な人ですね。ふだんあんなにけちで、お客さんの煙草《たばこ》ばかり吸っているほどの人が、こんどに限って、馬鹿にあっさり十両なんて大金を出したわね。」
「そりゃあね、男の世界はまた違ったものさ。義を見てせざるは勇なき也。常日頃《つねひごろ》の倹約も、あのような慈善に備えて、――」
「いい加減を言ってるわ。あたしゃ知っていますよ。あなたは前から、あの徳兵衛さんのおかみさんを、へんにほめていらっしゃったわね。思召《おぼしめ》しがあるんじゃない? いいとしをして、まあ、そんな鬼がくしゃみして自分でおどろいてるみたいな顔をして、思召しも呆《あき》れるじゃないの、いいえ、あたしゃ知っていますよ、あなた、としを考えてごらんなさい、孫が三人もあるくせに、お隣りのおかみさんにへんな色目を使ったりなんかして、あなたはそれでも人間ですか、人間の道を知っているのですか、いいえ、あたしには、わかっていますよ、おかげでこんな重い太鼓なんか担がせられて、あいたたた、あたしゃまた神経痛が起って来た。あしたから、あなたが、ごはんをたくのですよ。薪《まき》も割ってもらわなくちゃこまるし、糠味噌《ぬかみそ》もよく掻《か》きまわして、井戸は遠いからいい気味だ、毎朝|手桶《ておけ》に五はいくんで来て台所の水甕《みずがめ》に、あいたたた、馬鹿な亭主を持ったばかりに、あたしは十年寿命をちぢめた。」と喚《わめ》き、その翌《あく》る日の組も同じ事、いずれも女は不平たらたら、男はひとしく口汚くののしられて、女子と小人は養い難《がた》しと眼をかたくつぶって観念する者もあり、家へ帰って矢庭《やにわ》に女房をぶん殴って大立廻りを演じ離縁騒ぎをはじめた者もあり、運悪く大雪の日の番に当った一組は、ひとしお女房の歎きやら呪《のろ》いやらが猛烈を極め、共に風邪をひき、家へ帰って床を並べて寝込んでしまって咳《せき》にむせかえりながらも烈《はげ》しく互いに罵倒《ばとう》し合い、太鼓の仕置きも何の事は無い、女の口の悪さを暴露したという結果に終っただけのようであった。十組のお仕置きが全部すんでから、また改めて皆にお呼び出しがあり、一同|不機嫌《ふきげん》のふくれつらでお白州にまかり出ると、板倉殿はにこにこ笑い、
「いや、このたびは御苦労であった。太鼓の担ぎ賃として、これは些少《さしょう》ながら、それがしからの御礼だ。失礼ではあろうが、笑って受取ってもらいたい。風邪をひいて二、三日寝込んだ夫婦もあったとか、もはや本服したろうが、お見舞いとして別に一封包んで置いた。こだわり無く収めていただきたい。このたび仲間の窮迫を見かねて金十両ずつ出し合って救ったとは近頃めずらしい美挙、いつまでもその心掛けを忘れぬよう。それにもかかわらず、あのような重い太鼓をかつがせ、その上、男どもは、だいぶ女連にやられていたようで、気の毒に思っている。まあ、何事も水に流して、この後は仲良く家業にはげむよう。ところで、この中の一組、太鼓をかついで杉林にさしかかった頃から女房が悪鬼に憑《つ》かれたように物狂わしく騒ぎ立て、亭主の過去のふしだらを一つ一つ挙げてののしり、亭主が如何《いか》になだめても静まらず、いよいよ大声で喚き散らすゆえ、亭主は困却し果て、杉林を抜けて畑にさしかかった頃、あたりをはばかる小さい声で、騒ぐな、うらむな、太鼓の難儀もいましばしの辛抱、百両の金は、わしたちのもの、家へ帰ってから戸棚《とだな》の引出しをあけて見ろ、と不思議な事を言った。言った者には、覚えのある筈《はず》。いや、それがしは神通力も何も持っていない。あの赤い太鼓は重かったであろう。あの中に小坊主《こぼうず》ひとりいれて置いた。委細はその小坊主から聞いて知った。言った者を、いまここで名指しをするのは容易だが、この者とて、はじめは真の情愛を以《もっ》てこのたびの美挙に参加したのに違いなく、酒の酔いに心が乱れ、ふっと手をのばしただけの事と思われる。命はたすける。おかみの慈悲に感じ、今夜、人目を避けて徳兵衛の家の前にかの百両の金子を捨てよ。然《しか》る後は、当人の心次第、恥を知る者ならば都から去れ。おかみに於《お》いては、とやかくの指図無し。一同、立て。以上。」
[#地から2字上げ](本朝桜陰比事、巻一の四、太鼓の中は知らぬが因果)
[#改頁]

   粋人

「ものには堪忍《かんにん》という事がある。この心掛けを忘れてはいけない。ちっとは、つらいだろうが我慢をするさ。夜の次には、朝が来るんだ。冬の次には春が来るさ。きまり切っているんだ。世の中は、陰陽、陰陽、陰陽と続いて行くんだ。仕合せと不仕合せとは軒続きさ。ひでえ不仕合せのすぐお隣りは一陽来復の大吉さ。ここの道理を忘れちゃいけない。来年は、これあ何としても大吉にきまった。その時にはお前も、芝居の変り目ごとに駕籠《かご》で出掛けるさ。それくらいの贅沢《ぜいたく》は、ゆるしてあげます。かまわないから出掛けなさい。」などと、朝飯を軽くすましてすぐ立ち上り、つまらぬ事をもっともらしい顔して言いながら、そそくさと羽織をひっかけ、脇差《わきざし》さし込み、きょうは、いよいよ大晦日《おおみそか》、借金だらけのわが家から一刻も早くのがれ出るふんべつ。家に一銭でも大事の日なのに、手箱の底を掻《か》いて一歩金《いちぶきん》二つ三つ、小粒銀三十ばかり財布に入れて懐中にねじ込み、「お金は少し残して置いた。この中から、お前の正月のお小遣いをのけて、あとは借金取りに少しずつばらまいてやって、無くなったら寝ちまえ。借金取りの顔が見えないように、あちら向きに寝ると少しは気が楽だよ。ものには堪忍という事がある。きょう一日の我慢だ。あちら向きに寝て、死んだ振りでもしているさ。世の中は、陰陽、陰陽。」と言い捨てて、小走りに走って家を出た。
 家を出ると、急にむずかしき顔して衣紋《えもん》をつくろい、そり身になってそろりそろりと歩いて、物持の大旦那《おおだんな》がしもじもの景気、世のうつりかわりなど見て廻《まわ》っているみたいな余裕ありげな様子である。けれども内心は、天神様や観音様、南無八幡大菩薩《なむはちまんだいぼさつ》、不動明王|摩利支天《まりしてん》、べんてん大黒、仁王《におう》まで滅茶《めちゃ》苦茶にありとあらゆる神仏のお名を称《とな》えて、あわれきょう一日の大難のがれさせ給《たま》え、たすけ給えと念じて眼《め》のさき真暗、全身|鳥肌《とりはだ》立って背筋から油汗がわいて出て、世界に身を置くべき場所も無く、かかる地獄の思いの借財者の行きつくところは一つ。花街である。けれどもこの男、あちこちの茶屋に借りがある。借りのある茶屋の前は、からだをななめにして蟹《かに》のように歩いて通り抜け、まだいちども行った事の無い薄汚い茶屋の台所口からぬっとはいり、
「婆はいるか。」と大きく出た。もともとこの男の人品骨柄《じんぴんこつがら》は、いやしくない。立派な顔をしている男ほど、借金を多くつくっているものである。悠然《ゆうぜん》と台所にあがり込み、「ほう、ここはまだ、みそかの支払いもすまないと見えて、あるわ、あるわ、書附《かきつ》けが。ここに取りちらかしてある書附け、全部で、三、四十両くらいのものか。世はさまざま、|〆《しめ》て三、四十両の支払いをすます事も出来ずに大晦日を迎える家もあり、また、わしの家のように、呉服屋の支払いだけでも百両、お金は惜しいと思わぬが、奥方のあんな衣裳《いしょう》道楽は、大勢の使用人たちの手前、しめしのつかぬ事もあり、こんどは少しひかえてもらわなくては困るです。こらしめのため、里へかえそうかなどと考えているうちに、あいにくと懐姙《かいにん》で、しかも、きょうこの大晦日のいそがしい中に、産気づいて、早朝から家中が上を下への大混雑。生れぬさきから乳母を連れて来るやら、取揚婆《とりあげばば》を三人も四人も集めて、ばかばかしい。だいたい、大長者から嫁をもらったのが、わしの不覚。奥方の里から、けさは大勢見舞いに駈《か》けつけ、それ山伏、それ祈祷《きとう》、取揚婆をこっちで三人も四人も呼んで来てあるのに、それでも足りずに医者を連れて来て次の間に控えさせ、これは何やら早め薬とかいって鍋《なべ》でぐつぐつ煮てござる。安産のまじないに要るとか言って、子安貝《こやすがい》、海馬《かいば》、松茸《まつたけ》の石づき、何の事やら、わけのわからぬものを四方八方に使いを走らせて取寄せ、つくづく金持の大袈裟《おおげさ》な騒ぎ方にあいそがつきました。旦那様は、こんな時には家にいぬものだと言われて、これさいわい、すたこらここへ逃げて来ました。まるでこれでは、借金取りに追われて逃げて来たような形です。きょうは大晦日だから、そんな男もあるでしょうね。気の毒なものだ。いったいどんな気持だろう。酒を飲んでも酔えないでしょうね。いやもう、人さまざま、あはははは。」と力の無い笑声を発し、「時にどうです。言うも野暮だが、もちろん大晦日の現金払いで、子供の生れるまで、ここで一日あそばせてくれませんか。たまには、こんな小さい家で、こっそり遊ぶのも悪くない。おや、正月の鯛《たい》を買いましたね。小さい。家が小さいからって遠慮しなくたっていいでしょう。何も縁起ものだ。もっと大きいのを買ったらどう?」と軽く言って、一歩金一つ、婆の膝《ひざ》の上に投げてやった。
 婆は先刻から、にこにこ笑ってこの男の話に相槌《あいづち》を打っていたが、心の中で思うよう、さてさて馬鹿《ばか》な男だ、よくもまあそんな大嘘《おおうそ》がつけたものだ、お客の口先を真に受けて私たちの商売が出来るものか。酔狂のお旦那がわざと台所口からはいって来て、私たちをまごつかせて喜ぶという事も無いわけではないが、眼つきが違いますよ。さっき、台所口から覗《のぞ》いたお前さんの眼つきは、まるで、とがにんの眼つきだった。借金取りに追われて来たのさ。毎年、大晦日になると、こんなお客が二、三人あるんだ。世間には、似たものがたくさんある。玉虫色のお羽織に白柄《しらつか》の脇差、知らぬ人が見たらお歴々と思うかも知れないが、この婆の目から見ると無用の小細工。おおかた十五も年上の老い女房《にょうぼう》をわずかの持参金を目当てにもらい、その金もすぐ使い果し、ぶよぶよ太って白髪頭《しらがあたま》の女房が横|坐《ずわ》りに坐って鼻の頭に汗を掻《か》きながら晩酌《ばんしゃく》の相手もすさまじく、稼《かせ》ぎに身がはいらず質八《しちばち》置いて、もったいなくも母親には、黒米の碓《からうす》をふませて、弟には煮豆売りに歩かせ、売れ残りの酸《す》くなった煮豆は一家のお惣菜《そうざい》、それも母御の婆《ばあ》さまが食べすぎると言って夫婦でじろりと睨《にら》むやつさ。それにしても、お産の騒ぎとは考えた。取揚婆が四人もつめかけ、医者は次の間で早め薬とは、よく出来た。お互いに、そんな身分になりたいものさね。大阿呆《おおあほう》め。お金は、それでもいくらか持っているようだし、現金払いなら、こちらは客商売、まあ、ごゆるりと遊んでいらっしゃい。とにかく、この一歩金、いただいて置きましょう、贋金《にせがね》でもないようだ。
「やれうれしや、」と婆はこぼれるばかりの愛嬌《あいきょう》を示して、一歩金を押しいただき、「鯛など買わずに、この金は亭主《ていしゅ》に隠して置いて、あたしの帯でも買いましょう。おほほほ。ことしの年の暮は、貧乏神と覚悟していたのに、このような大黒様が舞い込んで、これで来年中の仕合せもきまりました。お礼を申し上げますよ、旦那。さあ、まあ、どうぞ。いやですよ、こんな汚い台所などにお坐りになっていらしては。洒落《しゃれ》すぎますよ。あんまり恐縮で冷汗が出るじゃありませんか。なんぼ何でも、お人柄にかかわりますよ。どうも、長者のお旦那に限って、台所口がお好きで、困ってしまいます。貧乏所帯の台所が、よっぽどもの珍らしいと見える。さ、粋《すい》にも程度がございます。どうぞ、奥へ。」世におそろしきものは、茶屋の婆のお世辞である。
 お旦那は、わざとはにかんで頭を掻き、いやもう婆にはかなわぬ、と言ってなよなよと座敷に上り、
「何しろたべものには、わがままな男ですから、そこは油断なく、たのむ。」と、どうにもきざな事を言った。婆は内心いよいよ呆《あき》れて、たべものの味がわかる顔かよ。借金で首がまわらず青息吐息で、火を吹く力もないような情ない顔つきをしている癖に、たべものにわがままは大笑いだ。かゆの半杯も喉《のど》には通るまい。料理などは、むだな事だ、と有合せの卵二つを銅壺《どうこ》に投げ入れ、一ばん手数のかからぬ料理、うで卵にして塩を添え、酒と一緒に差出せば、男は、へんな顔をして、
「これは、卵ですか。」
「へえ、お口に合いますか、どうですか。」と婆は平然たるものである。
 男は流石《さすが》に手をつけかね、腕組みして渋面つくり、
「この辺は卵の産地か。何か由緒《ゆいしょ》があらば、聞きたい。」
 婆は噴き出したいのを怺《こら》えて、
「いいえ、卵に由緒も何も。これは、お産に縁があるかと思って、婆の志。それにまた、おいしい料理の食べあきたお旦那は、よく、うで卵など、酔興に召し上りますので、おほほ。」
「それで、わかった。いや、結構。卵の形は、いつ見てもよい。いっその事、これに目鼻をつけてもらいましょうか。」と極めてまずい洒落を言った。婆は察して、売れ残りの芸者ひとりを呼んで、あれは素性の悪い大馬鹿の客だけれども、お金はまだいくらか持っているようだから、大晦日の少しは稼ぎになるだろう、せいぜいおだててやるんだね、と小声で言いふくめて、その不細工の芸者を客の座敷に突き出した。男は、それとも知らず、
「よう、卵に目鼻の御入来。」とはしゃいで、うで卵をむいて、食べて、口の端に卵の黄味をくっつけ、或《ある》いはきょうは惚《ほ》れられるかも知れぬと、わが家の火の車も一時わすれて、お酒を一本飲み、二本飲みしているうちに、何だかこの芸者、見た事があるような気がして来た。馬鹿ではあるが、女に就いての記憶は悪強い男であった。女は、大晦日の諸支払いの胸算用をしながらも、うわべは春の如《ごと》く、ただ矢鱈《やたら》に笑って、客に酒をすすめ、
「ああ、いやだ。また一つ、としをとるのよ。ことしのお正月に、十九の春なんて、お客さんにからかわれ、羽根を突いてもたのしく、何かいい事もあるかと思って、うかうか暮しているうちに、あなた、一夜明けると、もう二十《はたち》じゃないの。はたちなんて、いやねえ。たのしいのは、十代かぎり。こんな派手な振袖《ふりそで》も、もう来年からは、おかしいわね。ああ、いやだ。」と帯をたたいて、悶《もだ》えて見せた。
「思い出した。その帯をたたく手つきで思い出した。」男は記憶力の馬鹿強いところを発揮した。「ちょうどいまから二十年前、お前さんは花屋の宴会でわしの前に坐り、いまと同じ事を言い、そんな手つきで帯をたたいたが、あの時にもたしか十九と言った。それから二十年|経《た》っているから、お前さんは、ことし三十九だ。十代もくそもない、来年は四十代だ。四十まで振袖を着ていたら、もう振袖に名残《なごり》も無かろう。からだが小さいから若く見えるが、いまだに十九とは、ひどいじゃないか。」と粋人も、思わず野暮の高声になって攻めつけると、女は何も言わずに、伏目になって合掌した。
「わしは仏さんではないよ。縁起でもない。拝むなよ。興覚めるね。酒でも飲もう。」手をたたいて婆を呼べば、婆はいち早く座敷の不首尾に気附いて、ことさらに陽気に笑いながら座敷に駈けつけ、
「まあ、お旦那。おめでとうございます。どうしても、御男子ときまりました。」
「何が。」と客はけげんな顔。
「のんきでいらっしゃる。お宅のお産をお忘れですか。」
「あ、そうか。生れたか。」何が何やら、わけがわからなくなって来た。
「いいえ、それはわかりませんが、いまね、この婆が畳算《たたみざん》で占《うらな》ってみたところ、あなた、三度やり直しても同じ事、どうしても御男子。私の占いは当りますよ。旦那、おめでとうございます。」と両手をついてお辞儀をした。
 客は、まぶしそうな顔をして、
「いやいや、そう改ってお祝いを言われても痛みいる。それ、これはお祝儀《しゅうぎ》。」と、またもや、財布から、一歩金一つ取り出して、婆の膝元に投げ出した。とても、いまいましい気持である。
 婆は一歩金を押しいただき、
「まあ、どうしましょうねえ。暮から、このような、うれしい事ばかり。思えば、きょう、あけがたの夢に、千羽の鶴《つる》が空に舞い、四海《しかい》波《なみ》押しわけて万亀《ばんき》が泳ぎ、」と、うっとりと上目使いして物語をはじめながら、お金を帯の間にしまい込んで、「あの、本当でございますよ、旦那。眼がさめてから、やれ不思議な有難い夢よ、とひどく気がかりになっていたところにあなた、いきなお旦那が、お産のすむまで宿を貸せと台所口から御入来ですものねえ、夢は、やっぱり、正夢《まさゆめ》、これも、日頃のお不動信心のおかげでございましょうか。おほほ。」と、ここを先途《せんど》と必死のお世辞。
 あまりと言えば、あまりの歯の浮くような見え透いたお世辞ゆえ、客はたすからぬ気持で、
「わかった、わかった。めでたいよ。ところで何か食うものはないか。」と、にがにがしげに言い放った。
「おや、まあ、」と婆は、大袈裟にのけぞって驚き、「どうかと心配して居《お》りましたのに、卵はお気に召したと見え、残らずおあがりになってしまった。すいなお方は、これだから好きさ。たべものにあきたお旦那には、こんなものが、ずいぶん珍らしいと見える。さ、それでは、こんど何を差し上げましょうか。数の子など、いかが?」これも、手数がかからなくていい。
「数の子か。」客は悲痛な顔をした。
「あら、だって、お産にちなんで数の子ですよ。ねえ、つぼみさん。縁起ものですものねえ。ちょっと洒落た趣向じゃありませんか。お旦那は、そんな酔興なお料理が、いちばん好きだってさ。」と言い捨てて、素早く立ち去る。
 旦那は、いよいよ、むずかしい顔をして、
「いまあの婆は、つぼみさん、と言ったが、お前さんの名は、つぼみか。」
「ええ、そうよ。」女は、やぶれかぶれである。つんとして答える。
「あの、花の蕾《つぼみ》の、つぼみか。」
「くどいわねえ。何度言ったって同じじゃないの。あなただって、頭の毛が薄いくせに何を言ってるの。ひどいわ、ひどいわ。」と言って泣き出した。泣きながら、「あなた、お金ある?」と露骨な事を口走った。
 客はおどろき、
「すこしは、ある。」
「あたしに下さい。」色気も何もあったものでない。「こまっているのよ。本当に、ことしの暮ほど困った事は無い。上の娘をよそにかたづけて、まず一安心と思っていたら、それがあなた、一年経つか経たないうちに、乞食《こじき》のような身なりで赤子をかかえ、四、五日まえにあたしのところへ帰って来て、亭主が手拭《てぬぐ》いをさげて銭湯へ出かけて、それっきり他《ほか》の女のところへ行ってしまった、と泣きながら言うけれど、馬鹿らしい話じゃありませんか。娘もぼんやりだけど、その亭主もひどいじゃありませんか。育ちがいいとかいって、のっぺりした顔の、俳諧《はいかい》だか何だかお得意なんだそうで、あたしは、はじめっから気がすすまなかったのに、娘が惚れ込んでしまっているものだから、仕方なく一緒にさせたら、銭湯へ行ってそのまま家へ帰らないとは、あんまり人を踏みつけていますよ。笑い事じゃない。娘はこれから赤子をかかえて、どうなるのです。」
「それでは、お前さんに孫もあるのだね。」
「あります。」とにこりともせず言い切って、ぐいと振り挙げた顔は、凄《すご》かった。「馬鹿にしないで下さい。あたしだって、人間のはしくれです。子も出来れば、孫も出来ます。なんの不思議も無いじゃないか。お金を下さいよ。あなた、たいへんなお金持だっていうじゃありませんか。」と言って、頬《ほお》をひきつらせて妙に笑った。
 粋人には、その笑いがこたえた。
「いや、そんなでもないが、少しなら、あるよ。」とうろたえ気味で、財布から、最後の一歩金を投げ出し、ああ、いまごろは、わが家の女房、借金取りに背を向けて寝て、死んだ振りをしているであろう、この一歩金一つでもあれば、せめて三、四人の借金取りの笑顔を見る事は出来るのに、思えば、馬鹿な事をした、と後悔やら恐怖やら焦躁《しょうそう》やらで、胸がわくわくして、生きて居られぬ気持になり、
「ああ、めでたい。婆の占いが、男の子とは、うれしいね。なかなか話せる婆ではないか。」
とかすれた声で言ってはみたが、蕾は、ふんと笑って、
「お酒でもうんと飲んで騒ぎましょうか。」と万事を察してお銚子《ちょうし》を取りに立った。
 客はひとり残されて、暗憺《あんたん》、憂愁、やるかたなく、つい、苦しまぎれのおならなど出て、それもつまらない思いで、立ち上って障子をあけて匂《にお》いを放散させ、
「あれわいさのさ。」と、つきもない小唄《こうた》を口ずさんで見たが一向に気持が浮き立たず、やがて、三十九歳の蕾を相手に、がぶがぶ茶碗酒《ちゃわんざけ》をあおっても、ただ両人まじめになるばかりで、顔を見合せては溜息《ためいき》をつき、
「まだ日が暮れぬか。」
「冗談でしょう。おひるにもなりません。」
「さてさて、日が永い。」
 地獄の半日は、竜宮《りゅうぐう》の百年千年。うで卵のげっぷばかり出て悲しさ限りなく、
「お前さんはもう帰れ。わしはこれから一寝入りだ。眼が覚めた頃には、お産もすんでいるだろう。」と、いまは、わが嘘にみずから苦笑し、ごろりと寝ころび、
「本当にもう、帰ってくれ。その顔を二度とふたたび見せてくれるな。」と力無い声で歎願《たんがん》した。
「ええ、帰ります。」と蕾は落ちついて、客のお膳《ぜん》の数の子を二つ三つ口にほうり込み、「ついでに、おひるごはんを、ここでごちそうになりましょう。」と言った。
 客は眼をつぶっても眠られず、わが身がぐるぐる大渦巻《おおうずまき》の底にまき込まれるような気持で、ばたんばたんと寝返りを打ち、南無阿弥陀《なむあみだ》、と思わずお念仏が出た時、廊下に荒き足音がして、
「やあ、ここにいた。」と、丁稚《でっち》らしき身なりの若い衆二人、部屋に飛び込んで来て、「旦那、ひどいじゃないか。てっきり、この界隈《かいわい》と見込みをつけ、一軒一軒さがして、いやもう大骨折さ。無いものは、いただこうとは申しませんが、こうしてのんきそうに遊ぶくらいのお金があったら、少しはこっちにも廻してくれるものですよ。ええと、ことしの勘定は、」と言って、書附けを差出し、寝ているのを引起して、詰め寄って何やら小声で談判ひとしきりの後、財布の小粒銀ありったけ、それに玉虫色のお羽織、白柄《しらつか》の脇差、着物までも脱がせて、若衆二人それぞれ風呂敷《ふろしき》に包んで、
「あとのお勘定は正月五日までに。」と言い捨て、いそがしそうに立ち去った。
 粋人は、下着一枚の奇妙な恰好《かっこう》で、気味わるくにやりと笑い、
「どうもねえ、友人から泣きつかれて、判を押してやったが、その友人が破産したとやら、こちらまで、とんだ迷惑。金を貸すとも、判は押すな、とはここのところだ。とかく、大晦日には、思わぬ事がしゅったい致す。この姿では、外へも出られぬ。暗くなるまで、ここで一眠りさせていただきましょう。」と、これはまたつらい狸寝入《たぬきねい》り、陰陽、陰陽と念じて、わが家の女房と全く同様の、死んだ振りの形となった。
 台所では、婆と蕾が、「馬鹿というのは、まだ少し脈のある人の事」と話合って大笑いである。とかく昔の浪花《なにわ》あたり、このような粋人とおそろしい茶屋が多かったと、その昔にはやはり浪花の粋人のひとりであった古老の述懐。
[#地から2字上げ](胸算用《むねさんよう》、巻二の二、訛言《うそ》も只《ただ》は聞かぬ宿)
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   遊興戒

 むかし上方《かみがた》の三粋人、吉郎兵衛《きちろべえ》、六右衛門《ろくえもん》、甚太夫《じんだゆう》とて、としは若《わか》し、家に金あり、親はあまし、男振りもまんざらでなし、しかも、話にならぬ阿呆《あほう》というわけでもなし、三人さそい合って遊び歩き、そのうちに、上方の遊びもどうも手ぬるく思われて来て、生き馬の目を抜くとかいう東国の荒っぽい遊びを風聞してあこがれ、或《あ》るとし秋風に吹かれて江戸へ旅立ち、途中、大笑いの急がぬ旅をつづけて、それにしても世の中に美人は無い、色が白ければ鼻が低く、眉《まゆ》があざやかだと思えば顎《あご》が短い、いっそこうなれば女に好かれるよりは、きらわれたい、何とかして思い切りむごく振られてみたいものさ、などと天を恐れぬ雑言《ぞうごん》を吐き散らして江戸へ着き、あちらこちらと遊び廻《まわ》ってみても、別段、馬の目を抜く殺伐なけしきは見当らず、やはりこの江戸の土地も金次第、どこへ行っても下にも置かずもてなされ、甚《はなは》だ拍子抜けがして、江戸にもこわいもの無し、どこかに凄《すご》い魔性のものはいないか、と懐手《ふところで》して三人、つまらなそうな様子で、上野|黒門《くろもん》より池《いけ》の端《はた》のほうへぶらりぶらり歩いて、しんちゅう屋の市右衛門《いちえもん》とて当時有名な金魚屋の店先にふと足をとどめ、中庭を覗《のぞ》けば綺麗《きれい》な生簀《いけす》が整然と七、八十もならび、一つ一つの生簀には清水が流れて水底には緑の藻《も》がそよぎ、金魚、銀魚、藻をくぐり抜けて鱗《うろこ》を光らせ、中には尾鰭《おひれ》の長さ五寸以上のものもあり、生意気な三粋人も、その見事さには無邪気に眼《め》を丸くして驚き、日本一の美人をここで見つけたと騒ぎ、なおも見ていると、その金魚を五両、十両の馬鹿《ばか》高い値段で、少しも値切らず平気で買って行く人が次々とあるので、やっぱり江戸は違う、上方には無い事だ、あの十両の金魚は大名の若様のおもちゃであろうか、三日養って猫《ねこ》に食われてそれでも格別くやしそうな顔もせずまたこの店へ来て買うのであろうな、いかさま武蔵野《むさしの》は広い、はじめて江戸を見直したわい、などと口々に勝手な事を言って単純に興奮し、これを見ただけでも江戸へ来たかいがあった、上方へのよい土産話が出来た、と互いによろこび首肯《うなず》き合っているところへ、賤《いや》しい身なりの小男が、小桶《こおけ》に玉網《たも》を持ち添えてちょこちょこと店へやって来て、金魚屋の番頭にやたらにお辞儀をしてお追従《ついしょう》笑いなどしている。小桶を覗いてみると無数のぼうふらがうようよ泳いでいる。
「金魚のえさか。」とひとりが興覚め顔して呟《つぶや》いた。
「えさだ。」もうひとりも、溜息《ためいき》をついて言った。
 何だか白けた真面目《まじめ》な気持ちになってしまった。たかが金魚を、一つ十両で平然と買って行く人もあり、また一方では、その餌《えさ》のぼうふらを売って、ほそぼそと渡世している人もある。江戸は底知れずおそろしいところだ、と苦労知らずの三粋人も、さすがに感無量の態《てい》であった。
 小桶に一ぱいのぼうふらを、たった二十五文で買ってもらって、それでも嬉《うれ》しそうに、金魚屋の下男にまで、それではまた、と卑《いや》しい愛嬌《あいきょう》を振り撤《ま》きいそいそと立ち去るその小男のうしろ姿を見送ってひとりが、
「おや、あれは、利左《りざ》じゃないか。」と言ったので、他《ほか》の二人は、ぎょっとした。
 月夜の利左という浮名を流し、それこそ男振りはよし、金はあり、この三粋人と共に遊んで四天王と呼ばれ、数年前に吉州という評判の名妓《めいぎ》を請出《うけだ》し、ふっと姿をかくした利左衛門《りざえもん》、それが、まさか、と思えども見れば見るほど、よく似ている。
「利左だ、間違いない。」とひとりは強く断定を下し、「あの右肩をちょっと上げて歩く癖は、むかしから利左の癖で、あれがまた小粋《こいき》だと言って、わしにも右肩を上げて歩けとうるさくすすめる女があって閉口した事がある。利左に違いない。それ、呼びとめろ。」
 三人は走って、ぼうふら売りをつかまえてみると、むざんや、まさしく利左がなれの果。
「利左、お前はひどい。吉州には、わしも少し惚《ほ》れていたが、何もお前、そんな、わしはお前を恨みに思ったりなんかしてやしないよ。黙って姿を消すなんて、水くさいじゃないか。」
と吉郎兵衛が言えば、甚太夫も、
「そうよ、そうよ。どんなつらい事情があったって、一言くらいわしたちに挨拶《あいさつ》して行くのが本当だぞ。困った事が起った時には、お互い様さ。茶屋酒のんで騒ぐばかりが友達じゃない。見れば、ひでえ身なりで、まあ、これがあの月夜の利左かい。わしたちにたった一言でも知らせてくれたら、こんな事になりはしなかったのに、ぼうふら売りとは洒落《しゃれ》が過ぎらあ。」と悪口を言いながら涙を流し、六右衛門は分別顔して、利左衛門の痩《や》せた肩を叩《たた》き、
「利左、でも、逢《あ》えてよかった。どこへ行ったかと心配していたのだ。お前がいなくなったら、淋《さび》しくてなあ。上方の遊びもつまらなくなって、こうして江戸へ出て来たが、お前と一緒でないと、どこの遊びも面白《おもしろ》くない。ここで逢《お》うたが百年目さ。どうだい、これから、わしたちと一緒に上方へ帰って、また昔のように四人で派手に遊ぼうじゃないか。お金の事や何かは心配するな。口はばったいが、わしたち三人が附《つ》いている。お前の一生は引受けた。」
と頼もしげな事を言ったが、利左は、顔を青くしてふんと笑い、そっぽを向きながら、
「何を言っていやがる。人の世話など出来る面《つら》かよ。わざわざこの利左をなぶりに上方からやって来たのか。御苦労な事だ。こっちは、これが好きでやっているのさ。かまわないでくれ。遊びの果は皆こんなものだ。ふん。いまにお前たちだって、どんな事になるかわかったものじゃない。一生引受けたは笑わせやがる。でもまあ昔の馴染甲斐《なじみがい》に江戸の茶碗酒《ちゃわんざけ》でも一ぱい振舞ってやろうか。利左は落ぶれてもお前たちのごちそうにはならんよ。酒を飲みたかったら附いて来い。あはは。」と空虚な笑い方をして、小桶を手にさげてすたすた歩く。三人は、気まずい思いで顔を見合せ、とにかく利左の後を追って行くと、利左はひどく汚い居酒屋へのこのこはいって行って、財布をさかさに振り、
「おやじ、これだけある。昔の朋輩《ほうばい》におごってやるんだ。茶碗で四はい。」と言って、昔に変らず気前のいいところを見せたつもりで、先刻の二十五文を残らず投げ出せば、入口でうろうろしている三人は、ああ、あの金は利左の妻子が今夜の米代としてあてにして、いまごろは鍋《なべ》を洗って待っているだろうに、おちぶれても、つまらぬ意地と見栄《みえ》から、けちでないところを見せたつもりかも知れないが、あわれなものだ、と暗然とした。
「おい、まごまごしてないで、ここへ腰かけて飲めよ。茶碗酒の味も忘れられぬ。」と口をゆがめて苦笑いしながら、わざと下品にがぶがぶ飲み、手の甲で口のまわりをぐいとぬぐって、「ああ、うめえ。」とまんざら嘘《うそ》でもないように低く呻《うめ》いた。三人も、おそるおそる店の片隅《かたすみ》に腰をおろして、欠けた茶碗を持ち無言で乾盃《かんぱい》して、少し酔って来たので口も軽くなり、
「時に利左、いまでも、やはり吉州と?」
「いまでも、とは何だ。」と利左は言葉を荒くして聞きとがめ、「粋人らしくもねえ。口のききかたに気をつけろ。」と言って、すぐまた卑屈ににやりと笑い、「その女ゆえに、御覧のとおりのぼうふら売りさ。悪い事は言わねえ。お前たちもいい加減に茶屋遊びを切り上げたほうがいいぜ。上方一と言われた女も、手活《ていけ》の花として眺《なが》めると、三日|経《た》てば萎《しお》れる。いまじゃ、長屋の、かかになって、ひとつき風呂《ふろ》へ行かなくても平気でいる。」
「子供もあるのか。」
「あたりめえよ。間の抜けた事を聞くな。親にも似ねえ猿《さる》みたいな顔をした四つの男の子が、根っからの貧乏人の子らしく落ちついて長屋で遊んでいやがる。見せてやろうか。少しはお前たちのいましめになるかも知れねえ。」
「連れて行ってくれ。吉州にも逢いたい。」と吉郎兵衛は本音を吐いた。利左は薄気味悪い微笑を頬《ほお》に浮べて、
「見たら、あいそが尽きるぜ。」と言い、蹌踉《そうろう》と居酒屋を出た。
 谷中《やなか》の秋の夕暮は淋しく、江戸とは名ばかり、このあたりは大竹藪《おおたけやぶ》風にざわつき、鶯《うぐいす》ならぬむら雀《すずめ》の初音町《はつねちょう》のはずれ、薄暗くじめじめした露路を通り抜けて、額におしめの滴《しずく》を受け、かぼちゃの蔓《つる》を跨《また》ぎ越え、すえ葉も枯れて生垣《いけがき》に汚くへばりついている朝顔の実一つ一つ取り集めている婆《ばば》の、この種を植えてまた来年のたのしみ、と来年どころか明日知れぬ八十あまりらしい見るかげも無き老躯《ろうく》を忘れて呟いている慾《よく》の深さに、三人は思わず顔を見合せて呆《あき》れ、利左ひとりは、何ともない顔をして小腰をかがめ、婆さま、その朝顔の実を一つ二つわしの家へもわけて下さいまし、何だか曇ってまいりましていけませぬ、など近所のよしみ、有合せのつらいお世辞を言い、陰干しの煙草《たばこ》をゆわえた細縄《ほそなわ》の下をくぐって突き当りのあばらやの、窓から四歳の男の子が、やあれ、ととさまが、ぜぜ持ってもどらしゃった、と叫ぶもふびん、三人の足は一様に立ちすくんだ。利左は平気を装い、
「ここだ、この家だ。三人はいったら、坐《すわ》るところが無いぞ。」と笑い、「おい、お客さまだぞ。」と内儀に声を掛ければ、内より細き声して、
「そのお三人のうち、伊豆屋《いずや》吉郎兵衛さま、お帰り下さいまし。そのお方には昔お情にあずかった事がございます。」という。吉郎兵衛へどもどして、
「いや、それはお固い。昔の事はさらりと水に流して。」と言えば、利左も、くるしそうに笑い、
「そうだ、そうだ。長屋の嬶《かか》にお情もくそもあるものか。自惚《うぬぼれ》ちゃいけねえ。」とすさんだ口調で言い、がたぴし破戸《やれど》をあけて三人を招き入れ、「座蒲団《ざぶとん》なんて洒落たものはねえぞ。お茶くらいは出す。」
 女房《にょうぼう》は色青ざめ、ぼろの着物の裾《すそ》をそそくさと合せて横坐りに坐って乱れた髪を掻《か》き上げ、仰向いて三人の顔を見て少し笑い、
「まあ。」と小さい声で言ったきり、お辞儀をするのも忘れている。亭主《ていしゅ》はいそがしそうに狭い部屋を歩きまわり、仏壇の戸びらの片方はずれているのを引きむしり、菜切庖丁《なきりぼうちょう》で打ち割って、七輪《しちりん》にくべてお茶をわかし、先刻窓から顔を出していた子供はと見れば、いつの間にか部屋の隅の一枚蒲団にこぶ巻になって寝ている。どうやらまっぱだかの様子で、唇《くちびる》を紫にしてがたがた寒さにふるえている。
「坊やは、寒そうだな。」と客のひとりが、つい口をすべらしたら、内儀は坐ったまま子供のほうを振り返って見て、「着物を着るのがいやなんですって。妙な癖で、着物を着せてもすぐ脱いで、ああしてはだかで寝るんです。疳《かん》の虫のせいでしょうよ。」とさり気なく言ったが、坊やは泣き声を出して、
「うそだ、うそだ。坊は、さっき溝《どぶ》へ落ちて、着るものが無くなったから、こうして寝かされて、着物のかわくのを待っているのだ。」という。内儀も気丈な女ながら、ここに到《いた》ってこらえかね、人前もはばからず、泣き伏す。亭主は七輪の煙にむせんだ振りをして眼をこする。三人の客は途方に暮れ、無言で眼まぜして帰り仕度をはじめ、挨拶もそこそこに草履《ぞうり》をつっかけて門口に出て、それから小声で囁《ささや》き合い、三人の所持の金子《きんす》全部、一歩金《いちぶきん》三十八、こまがね七十目ばかり取り集め、門口に捨てられてある小皿《こざら》の上に積みかさね、足音を忍ばせて立ち去った。狭い露路から出て、三人一緒にほっと大きい溜息をついた途端に、
「ふざけた真似《まね》をするな!」と背後に利左の声、ぎょっとして振りむくと利左衛門は金子を載せた小皿を持ち息せき切って、「人の家へやって来て、お茶も飲まずに帰り、そのうえ、こんな犬の糞《くそ》みたいなものを門口に捨てやがって、人間の附き合いの法も知らねえ鼻ったれ小僧め。よくもよくも、月夜の利左をなめやがったな。もう二度とふたたびお前たちの鼻の下の長いつらを見たくねえ。これを持ってとっとと帰れ!」と眼の色をかえて喚《わめ》き、「馬鹿にするな!」と件《くだん》の小皿を地べたにたたきつけて、ふっと露路の夕闇《ゆうやみ》に姿を消した。
「いや、ひどいめに遭った。」と吉郎兵衛は冷汗をぬぐい、「それにしても、吉州も、きたない女になりやがった。」
「色即是空《しきそくぜくう》か。」と甚太夫はひやかした。
「ほんとうに、」吉郎兵衛は、少しも笑わず溜息をつき、「わしはもう、きょうから遊びをやめるよ。卒堵婆小町《そとばこまち》を眼前にありありと見ました。」
「出家でもしたいところだね。」と六右衛門はひとりごとのように言い、「わしはもう殺されるのではないかと思った。おちぶれた昔の友達ほどおそろしいものはない。路《みち》で逢っても、こちらから言葉をかけるのは遠慮すべきものかも知れない。誰だい、一ばん先に言葉をかけたのは。」
「わしではないよ。」と吉郎兵衛は口をとがらせて言い、「わしは、ただ、吉州にひとめ逢いたくて、それで。」と口ごもった。
「お前だよ。」と甚太夫は冷静な口調で、「お前が一ばんさきに走って行って、一ばんさきに声をかけて、おまけに、また、あいつの家へ連れて行ってくれなんて、つまらぬ事を言い出したのも、みんなお前じゃないか。つつしむべきは好色の念だねえ。」
「面目ない。」と吉郎兵衛は、素直にあやまり、「以後はふっつり道楽をやめる。」
「改心のついでに、その足もとに散らばっているお金を拾い集めたらどうだ。」と六右衛門は、八つ当りの不機嫌《ふきげん》で、「これだって天下の宝だ。むかし青砥左衛門尉藤綱《あおとさえもんのじょうふじつな》さまが、」
「滑川《なめりがわ》を渡りし時、だろう。わかった、わかった。わしは土方人足《どかたにんそく》というところか。さがしますよ、拾いますよ。」と吉郎兵衛は尻端折《しりばしょ》りして薄暗闇の地べたを這《は》い一歩金やらこまがねやらを拾い集めて、「こうして一つ一つにして拾ってみると、お金のありがたさがわかって来るよ。お前たちも、少し手伝ってごらん。まじめな気持ちになりますよ。」
 さすが放埓《ほうらつ》の三人も、昔の遊び友達の利左の浅間しい暮しを見ては、うんざりして遊興も何も味気ないものに思われ、いささか分別ありげな顔になって宿へ帰り、翌《あく》る日から殊勝らしく江戸の神社仏閣をめぐって拝み、いよいよ明日は上方へ帰ろうという前夜、宿の者にたのんで少からぬ金子を谷中の利左の家へ持たせてやり、亭主は受け取るまいから、内儀にこっそり、とくどいくらいに念を押して言い含めてやったのだが、その使いの者は、しばらくして気の毒そうな顔をして帰り、お言いつけの家をたずねましたが、昨日、田舎へ立ちのいたとやら、いろいろ近所の者にたずねて廻っても、どこへ行ったのかついに行先きを突きとめる事が出来ませんでしたという口上で、三人はそれを聞いて利左の行末を思い、いまさらながら、ぞっとして、わが身の上も省《かえりみ》られ、ああ、もう遊びはよそう、と何だかわけのわからぬ涙を流して誓約し、いよいよ寒さのつのる木枯しに吹きまくられて、東海道を急ぎに急ぎ、おのおのわが家に帰りついてからは、人が変ったみたいにけち臭くよろずに油断のない男になり、ために色街は一時さびれたという、この章、遊興もほどほどに止《とど》むべしとの戒歟《いましめか》。
[#地から2字上げ](置土産、巻二の二、人には棒振虫同前に思はれ)
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   吉野山

 拝啓。その後は、ごぶさたを申して居《お》ります。めでたく御男子御出生の由《よし》、大慶に存じます。いよいよ御家運|御隆昌《ごりゅうしょう》の兆《きざし》と、おうらやましく思います。御一家いきいきと御家業にはげみ、御夕食後の御団欒《ごだんらん》はまた格別の事でありましょう。このお正月は御男子御出生と二つお目出度が重《かさな》り、京の初春もわがものと思召《おぼしめ》し、ひとしお御一家の笑声も華やかに、昔の遊び仲間も集り、都の極上の酒を酌交《くみかわ》し、とかく楽しみは京の町人、それにつけても先年おろかな無分別を起して出家し、眼夢とやら名を変えて吉野の奥にわけ入った九平太は、いまどうしているかしらんと、さだめし一座の笑草になさった事でございましょうね。いや味《み》を申し上げているのではありません。眼夢、かくの如《ごと》く、いまはつくづく無分別の出家|遁世《とんせい》を後悔いたし、冬の吉野の庵室《あんしつ》に寒さに震えて坐《すわ》って居ります。思えば、私の遁世は、何の意味も無く、ただ親兄弟を泣かせ、そなた様をはじめ友人一同にも、無用の発心《ほっしん》やめ給《たま》え、と繁《しげ》く忠告致されましたが、とめられると尚更《なおさら》、意地になって是が非でも出家遁世しなければならぬような気持ちになり、とめるな、とめるな、浮世がいやになり申した、明日ありと思う心の仇桜《あだざくら》、など馬鹿《ばか》な事を喚《わめ》いて剃髪《ていはつ》してしまいまして、それからすぐそっと鏡を覗《のぞ》いてみたら、私には坊主頭《ぼうずあたま》が少しも似合わず、かねがね私の最も軽蔑《けいべつ》していた横丁の藪医者《やぶいしゃ》の珍斎にそっくりで、しかも私の頭のあちこちに小さい禿《はげ》があるのを、その時はじめて発見|仕《つかまつ》り、うんざりして、実は既にその時から少し後悔していたのです。白状のしついでに私の出家遁世の動機をも、いまは包まず申し上げますが、私はあなた様たちのお仲間にいれてもらって一緒にお茶屋などに遊びにまいりましても、ついに一度も、もてた事はなく、そのくせ遊びは好きで、あなた様たちの楽しそうな様子を見るにつけても、よし今夜こそはと店の金をごまかし血の出るような無理算段して、私のほうからあなた様たちをお誘い申し、そうしてやっぱり、私だけもてず、お勘定はいつも私が払い、その面白《おもしろ》くない事、或《あ》る夜やぶれかぶれになって、女に向い、「男は女にふられるくらいでなくちゃ駄目《だめ》なものだ」と言ったら、その女は素直に首肯《うなず》き、「本当に、そのお心掛けが大事ですわね」と真面目《まじめ》に感心したような口調で申しますので、立つ瀬が無く、「無礼者!」と大喝《だいかつ》して女を力まかせに殴り、諸行無常を観じ、出家にならねばならぬと覚悟を極《き》めた次第で、今日つらつら考えると私のような野暮で物欲しげで理窟《りくつ》っぽい男は、若い茶屋女に好かれる筈《はず》はなく、親爺《おやじ》のすすめる田舎女でも、おとなしくもらって置けばよかったとひとりで苦笑致して居ります。まことに山中のひとり暮しは、不自由とも何とも話にならぬもので、ごはんの煮たきは気持ちもまぎれて、まだ我慢も出来ますが、下着の破れを大あぐら掻《か》いて繕い、また井戸端《いどばた》にしゃがんでふんどしの洗濯《せんたく》などは、御不浄の仕末以上にもの悲しく、殊勝らしくお経をあげてみても、このお経というものも、聞いている人がいないとさっぱり張合いの無いもので、すぐ馬鹿らしくなって、ひとりで噴き出したりして、やめてしまいます。立ち上って吉野山の冬景色を見渡しても、都の人たちが、花と見るまで雪ぞ降りけるだの、春に知られぬ花ぞ咲きけるだの、いい気持ちで歌っているのとは事違い、雪はやっぱり雪、ただ寒いばかりで、あの嘘《うそ》つきの歌人めが、とむらむら腹が立って来ます。このように寒くては、墨染の衣一枚ではとてもしのぎ難《がた》く、墨染の衣の上にどてらをひっかけ、犬の毛皮を首に巻き、坊主頭もひやひやしますので寝ても起きても頬被《ほおかぶ》りして居ります。この犬の毛皮は、この山の下に住む里人から熊《くま》の皮だとだまされて、馬鹿高い値段で買わされたのですが、尻尾《しっぽ》がへんに長くてその辺に白い毛もまじっていますので、これは、白と黒のぶちの犬の皮ではないか、と後で里人に申しますと、その白いところは熊の月の輪という部分で、熊に依《よ》っては月の輪がお尻《しり》のほうについている、との返事で、あまりの事に私も何とも言葉が出ませんでした。本当に、この山の下の里人は、たちが悪くて、何かと私をだましてばかり居ります。諸行無常を観じて世を捨てた人には、金銭など不要のものと思いのほか、里人が持って来る米、味噌《みそ》の値段の高い事、高いと言えば、むっと怒ったような顔をして、すぐに品物を持帰るような素振りを見せて、お出家様が御不自由していらっしゃるかと思って一日ひまをつぶしてこんな山の中に重いものを持ち運んで来るだ、いやなら仕方が無い、とひとりごとのように言い、私も、この品が無ければ餓死するより他《ほか》は無いし、山を降りて他の里人にたのんでも同じくらいの値段を言い出すのはわかり切っていますし、泣き泣きその高い米、味噌を引きとらなければならないのです。山には木の実、草の実が一ぱいあって、それを気ままにとって食べてのんきに暮すのが山居の楽しみと心得ていましたが、聞いて極楽、見て地獄とはこの事、この辺の山野にはいずれも歴とした持主がありまして、ことしの秋に私がうっかり松茸《まつたけ》を二、三本取って、山の番人からもう少しで殴り殺されるようなひどい目に遭いました。この方丈の庵《いおり》も、すぐ近くの栗林《くりばやし》の番小屋であったのを、私が少からぬ家賃で借りて、庵の裏の五坪ばかりの畑だけが、まあ、わずかに私の自由になるくらいのもので、野菜も買うとなるとなかなか高いので、大根|人蔘《にんじん》の種を安くゆずってもらってこの裏の五坪の畑に播《ま》き、まことに興覚めな話で恐縮ですが、出家も尻端折《しりばしょ》りで肥柄杓《こえびしゃく》を振りまわさなければならぬ事もあり、その収穫は冬に備えて、縁の下に大きい穴を掘って埋めて置かなければならず、目前に一目千本の樹海を見ながら、薪《まき》はやっぱり里人から買わないと、いやな顔をされるし、ここへ来てにわかに浮世の辛酸を嘗《な》め、何のための遁世やら、さっぱりわけがわからなくなりました。遁世してこのようにお金がかかるものとは思いも寄らず、そんなにお金も持って来ませんでしたので、そろそろ懐中も心細くなり、何度下山を思い立ったかわかりません。けれども、一旦《いったん》、濁世《じょくせ》を捨てた法師が、またのこのこ濁世の親御の家へ帰って泣いておわびをするなどは古今に例の無い事のようにも思われますし、これでも、私にはまだ少し恥を知る気持も意地もあり、また、ここを立ちのくにしても、里人への諸支払いがだいぶたまって居りますし、いま借りて使っている夜具や炊事道具を返すに当ってもまた金銭のややこしい問題が起るのではなかろうかと思えば、下山の決心もにぶります。と言えば、少していさいもいいけれども、実はもう一つ、とても私がいますぐ下山できないつらい理由があるのです。京の私の家のことし八十八歳になるばばさまが、大事のへそくりの百両を、二十年ほど前に小さい茶壺《ちゃつぼ》にいれて固く蓋《ふた》をして、庭の植込みの奥深く、三本ならびの杉《すぎ》の木の下に昔から屋敷に伝っているささやかなお稲荷《いなり》のお堂があって、そのお堂の縁の下にお盆くらいの大きさの平たい石があるのですが、その石の下にです、れいの茶壺を埋めて置いて、朝から日の暮れるまでに三度、夜寝る前に一度、日に都合四度ずつ竹の杖《つえ》をついて庭を見廻《みまわ》る振りをして、人知れず植込みの奥に眼《め》を光らせてはいって行き、その隠し場所の安泰をたしかめ、私がまだ五つ六つの時分は、ばばさまにたいへん可愛《かわい》がられてもいましたし、また私をほんの子供と思って気をゆるしていたのでございましょう、或る日、私を植込みの奥に連れて行き、その縁の下の石を指差して、あの下に百両あるぞ、ばばを大事にした者に半分、いやいや一割あげるぞ、と嗄《しわが》れた声で言いまして、私はそれ以来どうにもその石の下が気になってたまらず、二十年後あなた様たちに遊びを教えられて、たちまち金に窮して悪心起り、とうとう一夜、月の光をたよりに石の下を掘り起し、首尾よく茶壺を見つけて、その中から三十両ばかり無断で拝借して、またもとのように茶壺を埋め、上に石を載せて置き、ばばさまに見つかるかと、ひやひやしてしばらくは御飯ものどにとおらず、天を拝し地に伏してひたすら無事を念じ、ばばさまはやっぱりお年のせいか、あのように眼を光らせても石の下まで見抜く事は出来なかった様子で、毎日四度ずつ調べに行っても平気な顔で帰って来るので、私も次第に大胆になり、その後も十両、二十両と盗み、やがて無常を観じて出家する時には、残っている金をそっくり行きがけの駄賃《だちん》として拝借して旅立ったようなわけで、あのばばさまの生きていらっしゃる限り、私はおそろしくて家へ帰る事が出来ないのです。ばばさまは、まだきっとあの茶壺のからっぽな事にはお気附《きづ》きなさらず、相変らず日に四度ずつ見廻りに行っている事でありましょうが、お気附きなさらぬままで頓死《とんし》でもなさったならば、ばばさまも仕合せ、また私の罪も永遠にうやむやになって、大手を振って家へ帰れるというわけになるのです。けれども、ばばさまのあのお元気では、きっと百まで生きるでしょうし、頓死など待っているうちに、孫の私のほうが山中の寒さに凍《こご》え死にするような事になるかも知れません。思えば思うほど、心細くなります。昔の遊び友達、あるいは朝湯で知合った人、または質屋の手代《てだい》、出入りの大工、駕籠《かご》かきの九郎助にまで、とにかく名前を思い出し次第、知っている人全部に、吉野山の桜花の見事さを書き送り、おしなべて花の盛りになりにけり山の端毎《はごと》にかかる白雲、などと古人の歌を誰《だれ》の歌とも言わず、ちょっと私の歌みたいに無雑作らしく書き流し、遊びに来て下さい、と必ず書き添えて、またも古人の歌「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」と思わせぶりに書き結び、日に二通も三通も里人に頼んで都に送り、わがまことの心境は「吉野山やがて出でんと思ふ身を花散る頃はお迎へたのむ」というような馬鹿げたものにて、みずから省みて苦笑の他なく、けれども、かかるせつなき真赤な嘘もまた出家の我慢|忍辱《にんにく》と心得、吉野山のどかに住み易《やす》げに四方八方へ書き送り、さて、待てども待てども人ひとり訪ねて来るどころか、返事さえ無く、あの駕籠かきの九郎助など、かねがね私があれほどたくさん酒手をやり、どこへ行くにも私のお供で、若旦那《わかだんな》が死ねばおらも死にますなどと言っていたくせに、私があれほどていねいな手紙を書き送ってやったのに一片の返事も寄こさぬとは、ひどいじゃありませんか。九郎助に限らず、以前あんなに私を気前がいいの、正直だの、たのもしいだのと褒《ほ》めていた遊び仲間たちも、どうした事でしょう、私が出家したら、ぱったり何もお便りを下さらず、もう私が何もあの人たちのお役に立たない身の上になったから、それでくるりと背を向けたというわけなのでしょうか、それにしても、あまり露骨でむごいじゃありませんか。こんなに皆から爪《つま》はじきされるとは心外です。私はいったいどんな悪い事をしたのでしょう。ばばさまのへそくりを拝借したとしても、それは一家の内の事で、また、地中に埋もれた財宝を、掘り出して世に活用せしめたのは考え様に依《よ》っては立派な行為とも言えると思うのです。しかも、諸行無常を観じ出家遁世するのは、上品な事で、昔の偉い人はたいていこれをやっているのです。それくらいの事は、皆さまにもわかりそうなものです。それなのに、私を軽蔑して仲間はずれにしようとなさる。それは、あんまりですよ。私は決して下品な男ではないんです。これから大いに勉強もしようと思っているのです。出家というものは、高貴なものです。馬鹿になさらず、どうかどうかお見捨てなく、いつまでもお附き合いを願います。たまにはお手紙も下さいよ。あんなに皆に遊びに来いと書き送ってやったのだから、誰かひとり、ひょっとしたらお見えになるかも知れぬ、と毎日毎日むなしく待ちこがれ、落葉が風に吹かれて地を這《は》う音を、都の人の足音かと飛立って外に駈《か》け出し、蕭条《しょうじょう》たる冬木立を眺めて溜息《ためいき》をつき、夜は早く寝て風が雨戸をゆり動かすのを、もしや家から親御さまのお迎えかなど、らちも無い空頼みしていそいで雨戸をあけると寒月|皎々《こうこう》と中空に懸《かか》り、わが身ひとつはもとの身にして、南無阿弥陀《なむあみだ》と心底からの御念仏を申し、掛蒲団《かけぶとん》を裏返しにして掛けて寝ると恋しい女の面影《おもかげ》を夢に見ると言伝えられているようですから、こんな淋《さび》しい夜にこそ、と思うのですが、さて、私にはこれぞと定《きま》った恋人も無く、誰でもいいとはいうものの、さあ、誰の面影が出るか、など考えて、実に馬鹿らしくなり、深夜|暗闇《くらやみ》の中でひとりくすくす笑ってしまいました。ばばさまの面影などが出ては、たまりません。こんな味気ない夜には、お酒でもあると助かるのですが、この辺の地酒は、へんにすっぱくて胸にもたれ、その上、たいへん高価なので、いまいましく、十日にいちど五合くらい買って我慢しています。この山里の人は、何かと慾《よく》が深く、この下の渓流には鮎《あゆ》がうようよいて、私は出家の身ながら、なまぐさを時たま食べないと骨ばなれして五体がだるくてたまらなくなりますので、とって食おうと思い、さまざま工夫してみましたが、鮎もやはり生類《しょうるい》、なかなかすばしこく、不器用な私にはとても捕獲出来ず、そのような私のむだな努力の姿を里人に見つけられ、里人は私のなまぐさ坊主たる事を看破致し、それにつけ込んで、にやにや笑いながら鮎の串焼《くしやき》など持って来て、おどろくほど高いお金を請求いたします。私は、もうここの里人から、すっかり馬鹿にされて、どしどしお金を捲《ま》き上げられ、犬の毛皮を熊の毛皮だと言って買わされたり、また先日は、すりばちをさかさにして持って来て、これは富士山の置き物で、御出家の床の間にふさわしい、安くします、と言い、あまりに人をなめた仕打ち故《ゆえ》、私はくやし涙にむせかえりました。それにつけても、お金が欲しく、そろそろ富籤《とみくじ》の当り番がわかった頃《ころ》だと思いますが、私のは、たしか、イの六百八十九番だった筈《はず》です。当っているでしょうか。あの富籤を、京の家の私の寝間、床柱の根もとの節穴に隠して置きましたが、お願いですから、親爺に用ありげな顔をして私の家へ行き、寝間に忍び込んで床柱の根もとの節穴に指を突き込み、富籤を捜し出して、当っているかどうか、調べてみて下さい。当っているといいんですけれどもね。たぶん当っていないかと思いますが、でも、とにかく、念のために調べて見て下さいまし。お願いついでに、橋向うの質屋へ行って、私がたしか一両であずけて置いた二寸ばかりの小さな観音像を受け出して下さいませんか。他の品は、みな流してもいいのです。あの観音像だけは、是非とも受け出して下さい。あれは、ばばさまからおまもりとして幼少の頃もらったもので、珊瑚《さんご》に彫ったものですから、一両では安すぎるのです。受け出して、道具屋の佐兵衛に二十両で売って下さい。佐兵衛は、あれを二十両でいつでも引取ると言っていたのです。ついでに私の寝間の、西北の隅《すみ》の畳の下に色紙一枚かくしてありますから、あれも佐兵衛のところへ持って行ってみて下さい。あの色紙は、茶屋の枕屏風《まくらびょうぶ》に張ってあったものですが、私はもてない腹いせに、ひっぱがして家へ持って帰ったのです。雪舟《せっしゅう》ではないかと思っているのですが、或《ある》いは贋物《にせもの》かも知れません。とにかく佐兵衛に見せて、そこはあなた様も抜け目なく、相応の値段で売りつけてやって下さい。贋物であっても、出来は悪くない色紙のようですから、五十両と吹かけてみて下さい。売れましたら、観音像の代金と一緒に、お手数でも、こちらへすぐにお送り願います。このたびは、あなた様にもいろいろ御手数をかけるわけですが、御礼として縞《しま》の羽織を差上げたいと思います。それはいま九郎助が持っているのです。ちょっと粋《いき》な縞で、裏の絹もずいぶん上等のものです。九郎助は駕籠かきのくせに、おしゃれな男で、あの羽織をむやみに着たがりますので、私は一時借してやってそのままになっているのです。決してくれてやったのではありませんから、どうか九郎助から取り上げてあなた様がお召しになって下さい。あんな恩知らずの九郎助には、もっともっとこらしめを見せてやりたいと思います。かまいませんから、あれを九郎助から取上げてやって下さい。あなた様は色が白いから、きっとあの羽織はお似合いの事と思います。私は色が黒いのであの羽織は少しも似合いませんでした。墨染の衣だけでも似合うかと思いの他、私は肩幅が広いので弁慶のような荒法師の姿で、狼《おおかみ》に衣の例に漏れず、何もかも面白くなく、既に出家していながら、更にまた出家遁世したくなって何が何やらわからず、ただもう死ぬるばかり退屈で、
 歎《なげ》きわび世をそむくべき方知らず、吉野の奥も住み憂《う》しと言へり
 という歌の心、お察しねがいたく、実はこれとて私の作った歌ではなく、人の物もわが物もこの頃は差別がつかず、出家遁世して以来、ひどく私はすれました。このたびのまことに無分別の遁世、何卒《なにとぞ》あわれと思召し、富籤と観音像と、それから色紙の事お忘れなく、昔の遊び仲間の方々にもよろしくお伝え下され、陽春の頃には、いちど皆様そろって吉野へ御来駕《ごらいが》のほど、ひたすら御待ち申し上げます。頓首《とんしゅ》。
[#地から2字上げ](万《よろづ》の文反古《ふみほうぐ》、巻五の四、桜の吉野山難儀の冬)



底本:「お伽草紙」新潮文庫、新潮社
   1972(昭和47)年3月21日発行
   1991(平成3)年2月20日40刷改版
   1999(平成11)年3月10日56刷
入力:aki
校正:久保あきら
2000年4月24日公開
2004年3月6日修正
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