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素木しづ

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)多緒子《たをこ》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ある朝|巍《たかし》が幸子を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)おむつ[#「おむつ」に傍点]を

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)生き/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子《たをこ》の産んだ赤ん坊は生き/\と心よく康《すこ》やかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。
 多緒子は産後思はしくなかつたけれども、彼女の若い肉體には、別に少しのやつれも見えなかつた。やはり艶のいゝ生き/\した頬をして、娘の時のやうにありあまるやうな黒髮を手輕な銀杏返しに結つて、白い兩腕を忙《せは》しく動かしながら、赤ん坊の着物を縫つたり、おむつ[#「おむつ」に傍点]をかへたり等《など》してゐた。そして多緒子《たをこ》は赤ん坊の顏を時々見つめながら、彼女の頭にはいろ/\の幻が、走馬燈のやうにまつはつてゐるのであつた。
 彼女は忽ちいつか電車のなかで見た、桃割に結つた内氣なおとなしい十六七の娘の淋しさうな横顏を思ひ浮べた。そしてそれが自分の娘であつた。彼女はその娘に對するいろ/\の心づかひや、衣服の選擇などを思ひ浮べた。
 また彼女はいつか道ですれ違つた、海老茶色のリボンを前髮につけた眼の大きい、黒い編上げの靴をはいた快活さうな少女のことを考へた。そしてそれがまた彼女の子供であつた。彼女はすぐに通學する用意や、それに對する種々な注意、リボンの色合や袴の色について考をめぐらした。そして多緒子は、自分の持つてるフランス製の小さな女持の金時計を、その子供に與へなければならないと思つたのであつた。
 けれども多緒子はまづ氣がついたやうに、第一、六つになつたならば幼稚園に通はせなければならないのだと考へた。また白いエプロンをかけて、赤い羅紗の輕い靴をはかせて、道を眞直に迷はないで石ころをよけて歩くやうに、片手をひいて幼稚園まで送つて行かなければならないのだと思ふと、彼女の瞳は急にうつむくやうになつて、淋しさうに考へ込んだ。そしてなにかにおどかされたやうに、側にねせてあつた赤ん坊の上にかぶさるやうになつて、新らしい果物のやうな赤ん坊の香りをかぎながら、やはらかな頬に顏を押しつけて、
『いつまでも、いつまでもこのまゝでゐるやうに。』
 と、口の中でつぶやいた。そして多緒子は、大きな瞳をうるませながら、いろんな考へを振り切るやうにして、一生懸命働いた。
 多緒子は、丁度二年程前に病氣で片足を失つた不自由な肉體であつた。それで彼女は姙娠するとすぐに、不具の親を持つた子の悲しみと、不具の子を持つた親の悲しみとを考へたのであつた。けれども、それは各々にとつて唯一な最愛なものなのだ、多緒子は自分の爲めに絶えず悲しんだ、自分の母親やまた姉の不具をはづかしく思つた妹のことなどを考へた。
 多緒子は自分が母にならうとした時、そしてまた母になつてしまつてからでも、たえず我子がかつて母親の人並にすこやかであつた姿を見ることが出來ずに、まづ最初に知る母としての唯一のものが、不具であるのを知つた時に、なにも知らない、いとしい不幸な我子に對して、何といふ云ひわけをしたらいゝだらうと涙にくれた。
 けれども多緒子は、自分の肉體に對して我子に云ひわけする何物もなかつた。彼女は自分が不具にならなければならなかつたことについては、何にも知らない、只病氣の爲めにといふ、その一言より知らないのである。けれども我子は必ず、『なぜ病氣になつたの。』と聞くに違ひない、けれども彼女自身もなぜ病氣になつたのか知らないのだ。
『身體が弱かつたから。』
『なぜ、身體が弱かつたの。』子供はまた聞くに違ひない。けれども彼女はなぜ自分が弱かつたかといふことについては、何と答へていゝか知らない。それよりも子供は何《なん》と思ふであらう。母親の不具であることが、女の子のせまい胸のなかに、頼りない恥しさ肩身のせまい思ひをさせることだらう。そしてもしや/\母親を恨むことがなからうか。我身のかなしさのあまり、母親を憎むことがありはしないだらうか。
 若い母親の多緒子は、そんなことを思ひつゞけて涙にくれた。彼女はまた無心の赤子《あかご》に對して自分が堪へがたい愛情を覺えれば覺えるほど、彼女は堪へがたい悲しみに心をうばはれた。そして彼女はその悲しみのうちに、子供に云ひきかせてゐる自分自身を見た。
『なぜお母樣は、足が一本ないの。』
『お母樣はね。』と彼女自身は云ひきかせるやうに誠らしく念をおして、
『お前を産む爲めに苦しんで、そして病氣になつて足を切つてしまつたの。』
 けれども多緒子は急に胸がふさがつて、眼にいつぱいの涙が浮んで來ると、泣き出しさうな心になつた。なぜ自分は、そんな嘘を誠らしく本當に云はうとしてるのだらう。多緒子は、自分が不具であるといふ苦しさ悲しさの責任を、何も知らない、そして彼女の言葉のすべてを信じようとして、瞳を見張つてゐる我子の肩に荷なはせようとしたのだけれども、それは殆ど無意識に、多緒子の苦しい愛の悲しみのなかに彼女が考へたことであつたのだ。そして彼女は自分のその嘘によつてでも、我子のあはれみと愛とを求めようとしたのである。
 多緒子は、涙をはらつて、自分自身をいまはしく思つた。そして赤ん坊の無心な顏をぢつと見つめて、また新らしく涙をながした。
『私は、この可愛い自分の子供を負つて歩くことも、手を引いて歩くことも、そして抱いて歩くことも出來ないのだ。子供はいまに知らないで、この母親の脊に手をかけておんぶ[#「おんぶ」に傍点]と云ふだらう。そして抱いて坐つてゐると、立つて部屋のなかを歩けといふだらう。その時私はどうして、涙なしに出來ないといふことが出來るだらうか。子供にとつてそれは正常なことであるのに、私には絶對に出來ないのだ。そして軈て子供は自分の母親の肉體に氣づくだらう。子供はまづ初めに母親によつて、世の中の大きな不當を考へるだらう。疑を持つだらう。そして悲しみが子供の小さな心を包むに違ひない。』
 多緒子は、いつもかういふ事を考へた揚句が、自分の生きてることが子供にとつて幸か不幸かといふことに思ひ至るのであつた。勿論彼女は決して幸福だとは思はないのである。そして多緒子は、いつも自分の死を考へてる刹那でも少しの躊躇もなく、我子の未來の成長した時のさま/″\の幻を描いてるのであつた。
 赤ん坊の幸子は、多緒子にとつてもまた夫の巍《たかし》にとつても、丁度すべての幸福と不幸とを祕めてる、不思議な美くしい珠のやうなものであつた。多緒子は夫に愛されて、また夫を愛して婚した。そして二人は二人きりな淋しい靜かな生活のなかに幸子を産んだ。多緒子にはたつた一人の母親、巍《たかし》には只一人の父親があつたけれども、遠く山を海を隔てゝゐな[#「な」はママ]ので、赤ん坊は生れるとすぐに二人の若い兩親の手ばかりで育つた。巍は子供を抱いて子守唄を歌ひながら、部屋の中を歩きまはつた。そして幸子の小さな寢床を二人の間にのべた。無經驗な二人は經驗者より以上の敏感と神經質とでもつて、我子の上を見つめ、我子の上をかへりみた。二人は傭ひ入れた女中にも、赤ん坊のことはさせなかつた。
 二人ははじめ各ひそかに赤ん坊の肉體をくまなく注意深く見て、少しのきずも少しの間違もないのを見ると、非常な安堵と感謝の心持とを深く感じた。多緒子はおどおどして赤ん坊と二人きりの時、幾度となく赤ん坊の縮こまつてる兩足を、そつとのばしてはくらべて見た。一分でもちがつてゐたら、成長してから一寸の違ひにもなるであらう。多緒子は常にある恐怖を持つて我子、我夫、すべて愛するものゝ足といふことを考へてゐたのであつた。
 けれども幸子は二人の間に、本當に初夏の若葉のやうに快よく目に見えて幸福さうに育つた。二人はふとした休息の時に、寢入つてる幸子の顏をのぞき込んで、新らしい果物のやうな、甘い快い香ひをかぎながら、微笑み合つた。
『なんて完全に心持よく大きくなつたらう。』
 巍《たかし》は感心してよろこびに堪へられないやうに云ふ。すると多緒子もすべてを忘れて、嬉しさうに深い息をつきながら、
『本當に、なんて可愛《かはい》んでせう、どこつてかけた所のない、この肌の氣持のいゝこと。』
と、なにか云ひたいことが、とても口で事はれないと云つたやうにある感慨にみたされて云つた。二人はそのひまもぢつと幸子を見てゐた。やがて巍は、多緒子の顏を見ながら云つた。
『二人の愛のなかに産れた子供なだもの[#「なだもの」はママ]、全く全く純な愛、清らかな肉體から生れた子供だもの。だから幸子は、こんなに完全で氣持がよくきれいなんだよ。それが普通なんだもの。』
『本當にね。』
 多緒子は涙を浮べてうなづいた。そして愛するものゝ爲めに、彼女は出來るだけの心づかひを持つて、一生懸命に働いた。
 けれども梅雨《つゆ》の終り頃になつて、すべてが濃い青葉につゝまれてしまつた頃、幸子《さちこ》は小さな咳を二つ三つし初めた。彼女たちは、子供にとつて恐ろしい百日咳の話しを幾度となく聞いたので、巍《たかし》が[#「巍《たかし》が」は底本では「巍《たかし》を]子供をつれてすぐ近所の小兒科の醫者に行つた。けれどもそれは風邪を引いたのだらうと云ふ位な診斷であつた。しかし彼女たちは、貰つて來た藥を幸子にのませては、このまゝ風邪《かぜ》でなほるようにと祈つた。けれども二人はおなじやうに、幸子が彼女たちの中から災のやうに奪はれて、死んでゆく有樣を想像した。二人は常に彼等たちの手におよばない、人力でどうすることも出來得ない災といふもの、運命といふものゝことを考へてゐた。それは、いづこにも如何なる所にでも、如何なる幸福のなかにでも、ひそんでゐるやうに思はれたのであつた。二人はある朝|巍《たかし》が幸子を抱いて、その後から多緒子が杖によつて歩きながら散歩をした。そして通りすがりの寫眞屋によつて幸子の寫眞をとつた。若い兩親は、そしていま寫した我子の寫眞が唯一のものとして胸に抱きしめられ、むせび泣く日のことを考へた。二人はもしも幸子がこの世からなきものとなつたならば、自分たちは何の爲めに生きるだらう。二人は死にいそぐより外はないと語り合つた。幸子の咳は初めのまゝに、やはり二つ三つ輕くするばかりであつた。
 するとある日、夜半に目覺めた多緒子の肉體《からだ》は火のやうになつてゐた。多緒子は苦しくて寢ることが出來なかつた。
 夜があけると、その日は細かい雨がふつてゐた。彼女は漸く床をはひ出て、開《あ》け放した縁の柱によつて坐つた、多緒子の肉體はまだ燃えるやうに熱かつた。けれども投げ出すやうにしてある兩手も、顏の色も眞白であつた。
 多緒子は、その日の夕方《ゆふがた》幸子《さちこ》と共に夫につれられて病院に行つた。夫の巍《たかし》は別室に入つて醫者としばらく話をしてゐた。そして暗くなつて街に火がついた頃|家《うち》に歸つて來ると、多緒子は起きてることが出來ないやうにすぐ床の上に横になつた。巍は暗い顏をして氣づかはしさうに、ぢつと多緒子の枕元に坐つた。
 多緒子は肺が惡かつたのである。そして醫者は、少しの猶豫もなく空氣のいゝ海岸に轉地しなければ、いまにうごかすことが出來なくなるといふことを言つた。そしてそれと同時に、幸子《さちこ》は輕い百日咳になつてしまつたのであつた。
 巍《たかし》はすぐにわづかばかりの道具を片づけ、家を引きはらつて程近い海岸にゆくと、彼等は砂山に面した小さな家を借りて住んだ。そして砂山に面した波の音の聞えるその家の一間に、床を敷いて白い蚊帳をつると、多緒子は何も言はずに横になつた。彼女は咳が出た、そして毎日發熱した。食慾もほとんどなかつた。彼女の病氣はなかなかなほらなかつた。
 けれども巍はこの海岸に來ると間もなく、繪をかく爲めに旅に出なければならなかつた。彼は畫家であつた。そしてその繪によつて生活しなければならなかつたので、彼は病める妻と子とを殘して、どうしても旅に出かけねばならなかつた。
 巍《たかし》は自分自身の悲しみを押しかくすやうにして、そつと旅の仕度をした。そして、
『悲しんではいけない、ね、』と、多緒子が白い敷布《しきふ》の上にうつ伏すやうになつて、うるんでる大きな瞳を、叱るやうにして見つめると、あわてゝ荷物をとりながら、
『ぢや行つて來るぞ、ぢや行くぞ、いゝか。』
 と言ひながら、外《そと》に出ようとして蚊帳のなかから多緒子がなんにも返事をしないと、
『どうした。』と言つてあわてゝのぞき込んだ。
『ぢや、いゝか。行くぞ。』
 巍は後《あと》を振りかへらないやうにと、朝早く大いそぎで家を出た。
 多緒子は、寢たまゝで夜と晝とをうつゝのやうに暮した。二人の女中が雇はれて一人は幸子《さち》の守の爲めの幾分白痴のやうな中年の女と、一人は家の中一切をやる働き盛りの若い女であつた。
 幸子の咳はあまりひどい咳ではなかつたけれども、咳の出る度に幸子ははげしく泣いた。そして非常に機嫌が惡く、寢てゐる多緒子のそばから少しもはなれまいとした。そして幸子は夜中母親の力ない胸にすがつて乳をのんだ、多緒子は非常によく乳が出た。そして病氣になつてもやはり幸子が呑むせゐか、前と少しもかはりはなく、あふれる程出た。けれども夜中我子に乳を呑ませてゐる多緒子は、丁度すべての血管から血を吸ひとられてゐるやうに苦しかつた。彼女はあけ方《がた》を待つた。そして幸子が女中に負はれて外に出て行くと、彼女はぐつたりと、あを向きになつて眼を閉ぢた。
 幸子はいつも悲しさうに泣きながら、きたない女の脊中に負はれて海の方《はう》につれられて行く、女はいつも子供が高い細い聲で泣きとほすのに、調子の低い聲でいつもおなじやうに、
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たんぽさん、たんぽさん、お前の國はどこじやいな。房州の房州の外房州。――
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひながら、ぶらり/\と歩いて行くのであつた。
 多緒子は、ぢつと動かないやうに眼を閉ぢながら涙をためた。子供の細い泣き聲がいつまでも/\きこえてゐた。
 幸子《さちこ》は、しばらくたつて泣きやんで歸つて來るが、靜かに起き上つてゐる多緒子の顏を見ると、急に堪へがたいやうに泣き立てた。そして多緒子の細い腕に抱かれると、すゝり上げて嬉しさうに泣きやんだ。けれども彼女はすぐにまた横にならなければならなかつた、幸子は晝も夕べも、女の脊中に負はれて、
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たんぽさん、たんぽさん、お前のお國はどこじやいな。房州の房州の外房州。――
[#ここで字下げ終わり]
といふ唄の聲につれて、泣きながら海の方や松林のなかに、つれられて行くのであつた。
 多緒子は娘であつた頃病といふものを少しも怖れてゐなかつた。彼女は靜かな部屋のなかの藥とそして花の香の中で、力ない腕を見つめながら白い床の上にねてゐることは、本當に美しいことであると思つてゐた。そして殊に若く美しい花が人に手折《たを》られたやうに死んで行くことは、限りない幸福なことだと考へてゐたのであつた。そして生れつき弱い彼女は、これまで度々病氣をした。けれどもその病氣に對しての恐怖、その恐怖に對する悲しみなどを、眞に感じたことがなかつたのだ。
 しかし多緒子はいま床の上に身を横たへながら、絶えず死の恐怖におそはれた。そして死の恐怖におそはれるが故に、彼女の悲しみは絶えなかつた。幸子の泣き聲にも、女の歌の聲にも、ゆるい波の音にも、たへがたい悲哀をおぼえた。彼女は自分の死後の悲慘な子供の未來が胸に浮んでならなかつた。
 自分がゐなくなつたならば、誰が幸子《さちこ》に乳をのませてくれるだらう。誰が子供に着物を縫つてやるだらう。彼女は力なく部屋のなかを見まはしてゐる時、いつもさう思ふのであつた。彼女はいま力なく何事もなし得ないで床のなかに横たはつてゐるけれども、見まはした部屋のなかに目につくすべての必要なものは、彼女の考、彼女の手、彼女の心づかひで、すべて出來たものであつた。彼女が死んでしまつたならば、それらのすべての必要なもの清らかなものは古びてそこなはれて、いつかなくなつてしまふだらう。そしてその中に成長する幸子、生活する夫の何物かに不足がちな淋しい顏、淋しい心を考へることが出來るのであつた。
 多緒子はしみ/″\と自分の心、自分の力、自分の愛が家のなかのすべてのものに、夫と子供の心のすべてに肉體のすべてに行き渡つて流れてゐることを感じた。そして自分の生きてるといふことが愛する夫や子供の幸福の幾分にでもなつてゐるのだと云ふことを考へると、一日でも一時間でもながく彼等の爲めに生きなければならないと考へた、彼女は死を怖れた。病を悲しんだ。もしもこの病が旅に出てゐる夫を再び見ることをさせず、慕う子供を殘して自分を死に導いたならば――と思ふのであつた。
 夫の巍《たかし》が一週間ほどして歸つて來た時、多緒子は甦へつたやうに喜んだ。彼も多緒子の別に變化のないらしい顏を見ると、すべてのなやみから逃れたやうな、はつとした顏をした。そして、丁度すや/\と寢てゐた幸子《さちこ》の顏をむさぼるやうに眺めて、
『どうした、別に幸子もなんでもなかつたか。』
 と巍は嬉しさうになつかしさうに笑ひながら、眼に涙を浮べた。彼は急に立つてそして着物をぬぎながら、
『どうした。どうしてゐた。變つたこともなかつたか、苦しいやうなこともなかつたか。』
 と、部屋のなかを歩きながら繰りかへした。
 多緒子は、そつと床の上に起き上つた。幸子は、やがて目覺めた。
『どうした、待つてたか。』
 巍は、あわてゝ幸子の顏に顏を押しあてゝ抱き上げた、幸子は彼の顏を見ると泣き出した。彼は部屋のなかを歩きまはつた。すると幸子は急に泣きやんで彼の顏を見ると笑つた。
 多緒子は嬉しさうにその樣子をぢつと見てゐた。巍《たかし》は嬉しさうに幸子の顏をぢつと見つめた。幸子の笑つてる顏には、いま泣いた涙がまだ頬をつたつてゐた。そしてやがて、彼の瞳にも、彼女の瞳にも、涙が新らしく浮んで來た。
 その夜、多緒子は夫に自分の死に對する恐怖を物語つた。そして彼女はつけ加へた。
『そして私はこんな事まで考へますの。私は肺が惡いんでせう、肺は感染《うつ》つてからでも十年位もひそんでゐるつて云ふんですもの、もしも私が死んでしまつてから、あなたが病氣になつて死ぬやうなことがあつたら、幸子はなんといふ不幸な子になるでせう。孤兒になるんですもの。そして幸子が一人ぼつちになつてから、また肺病になつたとしたら、幸子は看病してくれる人もなく、本當に道ばたにたふれて死ぬかもしれませんわ。ね、私はそんなことになつたらどうしようと思ひますわ。本當に病氣はいやだ。どうかしてはやく癒りたい。』
 と彼女は顏に手をあてた。
『本當に、どうかして出來る丈のことをして癒さう、それでも癒らないで、お前が死なゝければならない時には、幸子も俺も死んだ方が幸福なのだ。お前が死ぬ時には、きつとみんな一緒に死なう。幸子が孤兒になる。そんなことは決してない。』巍《たかし》は言つた。
 死なうとするのも、生きようとするのも、すべて愛の爲めであつた。そして生きることも死ぬことも絶對なのだ、若い兩親は、一人兒《ひとりご》の爲めに生きやうし、また死なうとした。
 多緒子は衰弱した。そして幸子が彼女の乳をのむことは、彼女の血を眞實吸ひとるかのやうに思はれた。彼女と巍《たかし》とは幸子に對する目前の愛に捉はれないやうにと、我子の生先を氣づかつて、醫者のすゝめのまゝに、すぐほど近くの百姓家へ、一時母親の乳をはなすためにあづけた。
 部屋のなかに散らばつてゐた幸子の必要なすべての品々は持ち去られた。そして横になつてる多緒子は眼をうすくして室内を見廻したが、我子のものは何物もなかつた。彼女は靜かに眼を閉ぢて眠りに入らうとしたが、心のなかには何物も待つものゝない頼りなさ、目覺めても黄昏《たそがれ》になつても、そして夜になつても、泣いて歸つて來る我兒がゐないことを思ふと、彼女は安らかに瞳を閉ぢることが出來なかつた。多緒子の痩せた胸にとび出た乳房は、幸子のことを思ふと、つまるやうになつてかたく張つて來た。
 幸子をつれて置いて來た巍《たかし》は、すぐ歸つて來たが、うろ/\と部屋のなかを歩いてなか/\坐らうとはしなかつた。多緒子はかたく張つた乳をおさへては時々何か言はうとしては、巍《たかし》の方を見た。彼はふと窓際に腰をおろして考へるやうにしてゐたが、
『幸子が泣いてつれられて來たんぢやないか、たしかに幸子の泣き聲だ、俺は泣いてこまるやうだつたら、すぐつれて來てくれと言つて來たんだから。』
 と、あわてたやうに外《そと》に飛び出した。
 その夜|二人《ふたり》は、各々《おの/\》の心のなかに響く子供の聲に、幾度となく目覺めて耳をすました。そしてあけやすい夏の空が白んだと思ふと、巍は飛び起きて部屋の戸をあけはなした。白い曉の空氣は、靜かに部屋のなかに流れ込んだ。けれども何物もないすべてのものを奪ひ取られたやうな彼は、ぶらつと部屋のなかに立つてゐた。そして彼女は流れて來た白い朝の光りをそつと見ると、堪へがたく悲しみに打たれたやうに、再び眼を閉ぢた。
 巍は氣がついたやうに、幸子の樣子を見てくると言つて家を出た。家のなかはすつかり靜まりかへつてしまつた。
 多緒子は、その靜けさのなかに一人とり殘されたやうに、ぢつと眼を閉ぢてゐることが出來なかつた。彼女の心は我子を思ふ愛情の堪へがたさに波うつて、そしてはげしくふるへてゐた。彼女はたゞ一人靜かに起き上つた、そして力なくゐざりながら窓際によつて、霧につゝまれた裏の松林の小路《こうぢ》を見つめた、多緒子は、かうして自分が見つめてゐるうちに、ひよつとどこかの松の陰から幸子が夫の手に抱かれて出て來やしないか。この小路を歩いて來やしないか。と思はれてならなかつたのだ、もしやさうして私の所に來るのだつたならば、出來るだけこの窓から眼のとゞくかぎりの遠くに歩いて來る夫《をつと》、我子をも見のがすまいと思ひつめてゐた。
『母さんや、母さんや、』
 ふつと霧につゝまれた松林のなかから、巍《たかし》の喜びにみちたやうな聲を聞いた時、多緒子ははつとして大きな眼を見はりながら、
『幸子《さちこ》や。』と漸く咳の出さうな咽喉をおさへて、半ばかすれたやうな聲で出來るだけ大きく聞えるやうにと叫んだ。するともういつの間にか幸子が、不似合な冬の頃の赤い着物を無雜作にきせられて、巍に抱かれながら、松林の小路《こうぢ》を此方《こちら》へ向つて歩いて來てゐるのであつた。
 多緒子は、入《はひ》つて來た夫の手から幸子をとつて抱きしめた。幸子は大聲で泣きながら、彼女の乳をさぐつた。多緒子は涙ぐみながら、夢中になつて乳を與へた。
『あゝ可哀想に、可哀想になあ。』
 巍《たかし》は幸子をなだめるやうに言つた。すると彼女はすぐに、
『どんな風にして居りまして、おとなしく遊んで居りまして。』と、氣づかはしさうに彼の顏を見た。
『駄目だ。俺はもう幸子《さちこ》をやらないよ。可哀想だ、親があるのに子供を親の許から離して、他《た》にあづけるなんていふ法はない。俺が行つたら幸子は、眞黒《まつくろ》な蚊帳のなかのきたないおかみさんの大きな蒲團のなかにころがつて、一生懸命泣いてゐるんだ。そしておかみさんはなにか仕事をしてゐるんだらう。「幸子《さちこ》。」つて俺が入る時に呼んだらば、すぐ驚いたやうに泣きやんで、四邊《あたり》をぐるぐる見てゐるのさ。そしてまた火のつくやうに泣き出したんだ。俺がいそいで行つて、蚊帳のなかから幸子を出して抱き上げようとして見ると、幸子の身體《からだ》が一晩ですつかり蚤にくはれて眞赤になつてるんだ。多緒子、見てごらん、まるで金魚のやうになつてゐるんだ。たつた一晩で、のみとり粉も買つてやつたのに、金魚のやうに食はれてゐるんだ。これぢや泣くのもあたり前だよ。きつと昨晩《ゆうべ》は夜通し泣いてゐたんだらうな可哀想に、もうどこへもやらないよ。父さんが夜一つもねないでもいゝ、父さんが抱いて、お前をよくねせてやるからな。もう大丈夫だ。もう決してどこへもやらないよ。一晩でも父さんがお前をはなしたのは、本當に惡かつたな。』
 と、いつか巍の言葉は幸子に對して言つてゐるのであつた。多緒子は、その話を聞いて涙ぐみながら、もはやほゝ笑んで乳房からはなれてゐた幸子の身體を、着物をほどいて見てゐた。本當に一つも蚤にくはれなかつた子供の美しい肌が、幾許《いくら》とも知らないぶつ/\の爲めに眞赤《まつか》になつてゐるのであつた。
 あゝそればかりでない、多緒子は一夜のうちに清い、美しい、愛する我子がどことなくよごされ、どことなく汚されたものゝやうになつたやうな氣がした。如何なる血のものか、いかなる肉體《からだ》のものか、わからない他人《ひと》の乳、それがわづかでも我子の肉體《からだ》を流れたかと思ふと、彼女はとりかへしのつかないことをしたやうな氣がしてならなかつた。
 またすべて、只の一夜で幸子のものが部屋のなかに擴げられ、部屋のなかに我子のすべてが行き渡つてるやうな氣がした。
 それから巍《たかし》は日中、ほとんど一人の手で幸子《さちこ》の守《もり》をした。そして漸くのことで牛乳をのませた。けれども夕方になると、砂山の上の小さな丸い草の葉を凉しい風が靜かにふき初めると、幸子は一日の務め、苦しい務め、忍耐にたへかねたといふやうに、そして逃れるやうに泣いて母親を求めた。誰の手にも誰れの懷《ふところ》にも行かなかつた。そして母親の懷《ふところ》に抱かれないならば、一|夜《や》でも泣きあかさうとした。そして、決して眠るまいと決心してゐるやうであつた。けれどもどんなに泣き叫んでる時でも多緒子の胸に抱かれゝばすぐ安らかに寢た、しかし一夜の間幸子は夢にも母親の胸をはなれまいとしてすがりついた。幸子は、すべてをさとつてるやうに、只夜だけの我に安息を與へて呉れと願ふやうに、朝になれば誰の手にもよろこんで、小さな可愛い手を出した。
 夏がすぎて爽やかな秋になろうとするころ、多緒子の肉體もいつか心よくなつて來た。氣の向いた朝や夕べには、折々砂の上に片足をおろすこともあつた。そして幸子の咳は殆んど忘れたやうに根だえてゐた。
 幸子は、機嫌がよくなつた。めつたに泣く事がなかつた。そしてまた肥えて來た。巍《たかし》は夕方幸子を抱いて、樂しさうな讃美歌を大聲《おほごゑ》で歌ひながら、砂山から海の方へ行つた。そしてまた小高い砂山の上に立つて空を見上げながら、大聲《おほごゑ》で歌を唄つた。そしてまた多緒子が寢てゐるすぐま近かな家の方を見おろして、
『かあさん、かあさん。』と呼んだ。多緒子は床のなかで、夫《をつと》の唄ふ歌の聲を嬉しさうに聞いてゐた。そして快くなりかけた肉體《からだ》のすべてに幸福な哀愁が、靜かに流れてゐるのを覺えた。
『かあさん、かあさん。』
 巍の聲がまた彼女の耳にひつついて來ると、多緒子は笑ひながら起き上つて、ゐざりながら縁側に出た。そして遠い砂山の上に立つて、落日に顏を赤くそめながら、夕風に髮をふかれて、大聲《おほごゑ》で歌を唄つてるわが夫と我子とを見た。彼女は彼とともに大聲を出して歌を合せやうとした。しかし聲が出なかつた。
 彼女は笑つた。そして小《ちひ》さな聲ですぐ眼の前の人を呼ぶやうに、しかしながら遠い我子と我《わが》夫《をつと》とを見つめて、
『幸子《さちこ》、父《とう》さん。』
 と呼んだ。



底本:「青白き夢」新潮社
   1918(大正7)年3月15日発行
初出:「文章世界」
   1917(大正6)年8月号
入力:小林 徹・聡美
校正:松永正敏
2003年12月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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