青空文庫アーカイブ

三十三の死
素木しづ子

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お葉《えふ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)泣く程|口惜《くや》しく

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)什※[#「麼」の俗字、P17-上9]《どんな》に
-------------------------------------------------------

 いつまで生きてていつ死ぬか解らない程、不安な淋しいことはないと、お葉《えふ》は考へたのである。併し人間がこの世に生れ出た其瞬間に於いて、その一生が明らかな數字で表はされてあつたならば、決定された淋しさに、終りの近づく不安さに、一日も力ある希望に輝いた日を送ることが、むづかしいかもしれない。けれどもお葉の弱い心は定められない限りない生の淋しさに堪へられなくなつたのである。そして三十三に死なうと思つた時、それが丁度目ざす光明でもあるかのやうに、行方のない心のうちにある希望を求め得たかのやうに、限りない力とひそかな喜びに堪へられなかつたのである。
 お葉は十八の年、不具になつた。
「これからなんでもお前の好きなことをしたがいい。」
 一人の母親はそれが本當に什《ど》うでもいいやうに、茫然とお葉の顏を見て言つたのである。庭の椿《つばき》の葉の上から、青空が硝子《ガラス》の樣に冷たく澄んでゐるのを見てゐた彼女は、急に籠を出された小鳥のやうに、何處へ飛んで行かうといふ、よるべない空の廣さに堪へられない淋しさを感じた。
 空は廣い。その始めと終りはいづこに定められてあるのであらう。人間は生きるといふ事さへ定められてない。死といふことさへ定められてゐないのだ。人間が初めて草のやうに生ひ立つた自身を振り返つて、限りなく晴れた空の廣さを見上げた時、そこに落ちつきのない不安なとりとめのない淋しさが身に迫る、お葉は初めて自分の身を振り返つたのである。彼女はいま黄昏《たそがれ》の部屋に於いて、靜かに縫つてゐる銀色の針でさへ、いつ折れるか解らないことを考へた。自分の五本の指でさへ、その二本が失はれないとも限らない。お葉は赤い帶の下につつましく重ねられた二脚の足の一脚は、豫期しない運命の爲めに奪略されたのであつた。彼女は針を止めて、その指を一つ一つ折つて行く未來の中に三十三といふ年のあることを考へたのである。その年は月光のやうな青白い光りを持つてゐることを感じた。劍のやうな鋭さを持つてることを考へた。そしてお葉はそこに瞑想したのである。ささいの感情はそこに弱いもののすべてを迷信的に支配した。それにどんな矛盾があつてもいい。彼女は三十三の年に死なうといふ事を考へて、定められた自分の命の尊さに、充實した力づよさを感じたのである。
 お葉はすべての幸福を死に求めた、それが未來であるやうに。またすべての行爲は死によつて定められた、それが希望であるやうに。すべて見る眼考へる心、それに死は幻のごとく浮んだのである。
 彼女は夕方よく裏道を歩いた。
 母に連れられた子供は、遠い夕雲と母親の足どりに氣をくばりながら物悲しく歩いて、お葉と行き違つたのである。子供はふと悲しくなつて母親を見た。母親は笑つて子供を振り返つた。子供は漸く安心したやうに改めて、お葉に對して驚異の瞳《ひとみ》を輝かしたのであつた。
 いつまでたつても子供の好奇心は盡きさうにない。そして漸く斜に歩き出して、やがて傍の小さな溝に落ち入つたのである。水のない溝のなかに片肘《かたひぢ》ついて轉げた子供の瞳は、それでもなほお葉の體から離れなかつたのである。
 もしそこに、どす黒い水が子供の死を迫つてゐたとしても、子供は初めて瞳に寫した驚異の爲めに、眼を見はつてゐたのであらうか。お葉が振り返つて子供を見た時、湧き出るやうな微笑をおさへる事が出來なかつたのである。子供は最初、馬が四足で歩くことを驚いたに違ひない。人間が鉢巻をして車を引くことにあきれたことだらう。やがて子供は瞳を閉ぢて笛を吹いて行く人、背中を駱駝《らくだ》のやうに曲げて歩く人、二脚の杖にすがつて、一脚の足を運ぶお葉の姿に驚きを感じたことであらう。
 土塀の側には、女の子が輪を畫いて大聲に唄つてゐた。しかしお葉が來かかつた時、一齊にやめられたのである。
「可哀想だわね。」
 銀杏返《いちやうがへ》しに結《ゆ》つた小さなませた子守が、ひそかに言つて眉をひそめた。するとそこに目のくるりとした小さな子が、不意に聲高く叫んだのである。
「あたし、憎らしいわよ。」
 子供等は皆圍むやうにして見守つた。お葉はまたこみ上げて來る微笑を押へることが出來なかつたのである。
 これが二ケ月前であつたなら、目にあふれるやうな泪《なみだ》をたたへて、格子の外から母を呼んですがつたことであらう。お葉はふとそれを考へて微笑を感じたが、また人知れぬ死のよろこびを考へてゐたのであつた。
 それからお葉が矢來垣の靜かな片道を歩いた時、そこに瞳の大きい淋しげな二人の女の子が、さも滿足したやうに、
「お父樣とおんなじだわね。」と瞳を見合つたのである。
 そして睫毛《まつげ》をしばたたきながら、仰ぐやうにして再びお葉を見上げたのであつた。お葉は遠く幼子の影を見返つて考へた。
 あの子の父親は、淫蕩の爲めに不具になつたのであらうか。またそれが不意の風のやうに起つた禍《わざはひ》であつたのであらうか。また自分のやうに靜かに襲つて來た病魔の仕業であつたかもしれない。
 彼は最早死といふことを思つてはゐまい。日々生きる爲めに、日々種々な種をまいて來たのだ。彼の魂や肉體は分けられて、いよいよ根深く大きくなつたのであらう。
 彼は自分一人を殺すことが出來ない。彼が死を思立つ時、父親より分けられた魂を持つた物淋しき多くの子供や、彼と融合して生きて行く女は彼の如く足を失ひ手を失ふ嘆きを見るのである。彼は死を許されずして、次々の希望に生きてゆく時不意に奪略されるであらうと思つてお葉は見しらぬ彼の爲めに暗い心を抱いて悲しんだのである。
 お葉はまた賑かな街を歩いた。往來の人が彼女に瞳をそそぐ爲めに、つまづくのを見た。またいろいろなビラの下つた活動寫眞の横町から兩足のない乞丐《こじき》が兩手をついてのそりと出て來たことを覺えてゐる。
 お葉は最初身がすくむやうにおびえた。
 しかしやがて心は恥しさと腹立たしさに燃えてゐるのであつた。その時お葉が眞に幸福な滿足な死を思ふ心がなかつたならば、そこにしばらく嘆き疲れたかもしれない。お葉はやがて考へまい、見まいとして歩いたのであつた。
 それは雨上りの日であつた。
 お葉は道具屋の軒下を伏し目に歩いてゐた。そしてふと目の前を見た時、堪へられない恥しさを感じて、深く瞳を閉ぢたのである。それは往來の眞中をお葉と同じ松葉杖に身をよせて來た少女を見たからであつた。頭には桃いろのよごれたリボンがつけてあつた。その眼は物珍らしく四邊《あたり》の店頭に走つてゐたのである。短い着物の裾からそれは丁度白木の棒のやうに長く一脚の足が出て、それにはまた高い一つの足駄がついてゐるのであつた。そして杖を支へる木のやうに、松葉杖が少女の脇下を兩方からつり上げて丁度木とゴム製の玩具のやうにクルクル前の方に進んでゐるのである。お葉は本當に恥しいものを見たと思つて、一目見るなり肩をつぼめ、裾ながく着た着物の中に一脚の足をすくめるやうにして、首を垂れて歩いた。往來の人が多い。往來の人はすべて袖を引き合つて少女を見た。お葉は心の中に一心になつて、その少女と自分が見くらべられることを避け樣とした。人々がもしあの少女を見たならば瞳をめぐらして自分を見出さないで欲しい。もしも又前から自分を見てゐたならば、踵《くびす》を返してあの少女に目をとめないで欲しいと祈つた。しかし人間の眼は自在に動く。彼《か》の少女を捕へた好奇の瞳は、やがて軒下を憚《はばか》つて歩くお葉の亂れた銀杏返しから、足元に到つたのである。そして裾にからまつて見えかくれする足は玩具のやうに進んだ少女と等しくあることを見出して、瞳を見張つた。そして誇りかの娘は、連れそつた男の袖を引いて小聲に何か囁いたのである。二人の眼は險《けは》しく先にゆく少女の影と、行きすぎたお葉の姿を見くらべた後、彼等の心は少しの動搖も起さず、平和に道を歩いて行つたのであつた。お葉は人の少い通に出た時、輝《かがやか》しい瞳を上げて大空を仰いだのである。そして、「私は本當に死ぬんだもの、三十三には死ぬんだもの、」と心のうちに嬉しく叫んだのである。誰れも知るまい。私が死ぬなんて云ふことも、私の死がどんなに幸福であるかといふことも、すべての人は知らないんだ。
 彼女はやがて歩き出しながら、先刻《さつき》行き違つた少女のことを考へたのである。あの少女はまだ死なんて云ふことを考へる事が出來ないに違ひない。從つて自分がいま生きてゐるといふ喜びを自覺しないで、尊い生を無意義に必ず虐《しひた》げられてあることを思つて悲しんだのであつた。
 お葉はあく迄死を信じた。三十三の年に於いて自らの死を信じて疑はなかつた。
 彼女の死は虚榮だかもしれない。反抗だかもしれない。復讎《ふくしう》だかもしれないのだ。お葉は年齡の醜い影を見たかなかつた。また嵐が草木を折るやうな奪略を恐れた。彼女が三十三に於いて眞に死に得た時は、その三十三の生がどんなに華やかな力づよいものとなるであらう。その時の死は勝利の凱旋《がいせん》である。死を定めてすべてを擲《なげう》つたのでなかつた。お葉は死を定めてすべてに光明を見出したのである。そしてお葉は自分が三十三に死が斷行された時、幸福である死と生を考へた。自分の生命は自分のものである。出來る丈幸福に美しくあらせたいと思つた。
 お葉は二十五に死んでも不可《いけ》ない。三十に死んでも不可ない。三十二に死んでも不可ない。彼女はもしも浮世のある僥倖《げうかう》に引きずられて、三十三といふ年齡を通過したならばと考へて悲しんだのである。また日が暮れて一日の悔《くい》と悲しみが心に殘るやうに、日が暮れて希望や計畫が明日といふ日に殘るやうに、三十三といふ年に於いて三十四といふ年を思ひ、そこにすべての執着が殘つたならばといふことを怖れたのである。一日に於いて一日の事は終らねばならぬ。今日といふ日から明日といふ日につづいてゐてはならぬ。すべて引ずられるといふ事は恐ろしいことだ。引ずられて三十四といふ年齡を見た時、そこにやがて五六七八の年は連《つらな》つてゐる。死の力も生の力も衰へて奪略さるるのを待つといふ事は、なんといふ淺ましい醜いことであらう。
 お葉は仕事もなく考へもなしに終つた一日を、一人床の中に考へた時、泣く程|口惜《くや》しく思つたのである。その心が餘儀なく明日といふ日を求める。明日を求める心は、やがて三十四を求める心でないだらうか。
 お葉は本當に強く生きなければならない。そしてまた強く死ななければならないと思つた。それで道を歩いてゐる時、家に仕事をしてゐる時、豫期しない死の襲つて來るのを怖れた。彼女は怖ろしい響を殘して行き過ぎた電車のレールを横ぎらうとして、その輝くレールの上に、自分の黒髪の亂されてある事を思つて戰慄《をのの》いた。又靜寂な夕暮れの公園の砂利の上を歩きながら、杖の下の小石が思ひがけなくクルリとかへつてトンと下つた時、このまま大地に再び立上られなくなることを思つて驚いたのである。また彼女が妹の友染《いうぜん》の衣を縫ふ時、この片袖のつかない明日といふ日に目隱しされたやうに再び、この世を見ることが出來なくなりはすまいかなどと思つた。
 お葉はいま紫いろの海のやうに暮れてゆく市中を、二階の窓に立つて、限りなく果てなく見入つてゐたのである。灯がつく。一つ一つ灯がつく、彩《いろ》どられた銀杏《いちやう》の淋しさに鳥は鳴いてゆくのであつた。彼女はその時初めて心のなかにうつした男の戀しさを考へたのである。白梅の散るころ、明るく輝き出した目のなかに、お葉はその青年の姿を見たのだつた。
 青年は折々彼女の家に遊びに來た。
 暗い階子《はしご》を登つて灯のついてない二階に登つて來た時、マッチをすつて瓦斯《ガス》をつけて呉れた。夕闇のなかに俯向《うつむ》いて坐つてたお葉が夢から覺めたやうに首を上げた時、隈《くま》なく明るくなつた部屋のなかに、美しい青年の瞳が輝いてゐたのである。お葉はその青年が堪へられなく戀しい時があつた。青年はお葉を愛してゐた。
 彼女はいま夢のやうな心のうちに、物悲しい氣分が彼女の心をつつんで行くのを覺えた。今自分は愛されるといふ幸福の爲めに、死を忘れてしまふんぢやないかと思つたのである。そして戀しいと思ふ心の惰性に引ずられて、そこに思ひがけなく年齡の醜い影を見るのぢやないかと思つたのである。それがすべて刹那の幸福であり、僥倖の嬉しさであるのだけれども――。お葉の心は刹那の爲めに動き易い。人はすべて僥倖の幸福に生きたのであつた。彼女はその時生きてることの悲しさを思つたのである。
 青年はある時快活に叫んだ。
「ねえ、僕だちは運命の先を歩くんだ。」
 その時お葉は青年と共に微笑《ほほゑ》んだ。そしてうつ向きながら、瓶の中のダーリヤをつまんだのであつた。自分の三十三の死といふのは、本當に運命に支配されない、運命の前を歩くといふ事だつたのだ。自分は自分の一生を自分で取りきめたのであつて、それが運命なのぢやない。お葉は再び微笑んだのである。しかし自分の心を知らない前に坐ってゐる青年の姿が淋しく見えたのであつた。
 お葉は自分の肉體を見ることを出來るたけ避けたのである。けれども彼女が夜おそくうす暗い湯殿のなかに衣を脱いだ時、ふくらんだ乳房が物悲しく動悸《どうき》をつたへてゐた。彼女は湯つぼのなかに永く靜かに夢のやうな死を考へて浸つてゐるのであつた。やがて覺めたやうに目を見開いて、初めて臺の上に腰を降してゐる自分の肉體を見出した時、時としては烈しい動悸が胸をつらぬいて、あわてて母を呼び立てねばならないと思つたこともあつた。お葉はタオルを胸にあてて、暫く顏を押へたのである。その時彼女にのみある幸福な死は、お葉の心を和《やはら》げたのであつた。お葉が再び顏を上げて心の靜けさを思つた時、細い窓から月光が流れて、彼女の肉體は神の如く清く美しくあつた。お葉は布を腰にまき衣を肩にかけて、初めて衣のない神代に人と生れあはせなかつたことを感謝したのである。
 夏の終りごろ、お葉の家は一時|湯殿《ゆどの》のない家に引き移らねばならなかつたのである。彼女は母親について新しい家に行つたのであつた。けれどもお葉は色々道具と共に荷車の上につまれた義足のことを悲しく考へたのである。白い袋に入れられた義足がしちりんやお釜の側に積まれたのを、彼女は竹垣によつて見てゐる時瞳が曇つて來た。
「なに大丈夫だよ。上に莚《むしろ》をかけるから、少しも見えやしないよ。」
 お葉の兄は荷物の上に繩をかけながら言つた。
「お孃さん大丈夫です。見えたにしたつて、誰れもお孃さんの義足だつて知る奴ありませんからね。」
 車屋は兄について大聲に言つて笑つたのである。
 お葉は母親とならんで電車のなかに腰を降した時、賑かな街の坂の上を登つてゆく車のことを思つた。そしてその中に積まれた足袋をはいてる義足は矢張り道具であるのだと思つたのである。血も肉もない骨もないのだつた。腿《もも》のなかは空洞になつて、黒い漆《うるし》が塗つてあることを考へた。膝から上が桐の木で、膝から下が朴《ほほ》の木で作られて足の形を取る時に、かんなで削つたことを考へたのである。
 木で作られた足は無雜作に折られて、鋭いかんなは其上をすべつた。白い布の上に澤山落ちたかんなくづが、そこに俯向《うつむ》いて横坐りに手をついてゐたお葉の瞳が茫然とうるんだ時に、一面べつたり血しほが流されてるやうに見えたのであつた、牛肉のやうに肉がぽつぽつと切れて、白布の上に落ちたのである。
 やがてお葉が空を見上げて再び前を見た時に、白い足の上には氣味の惡いやうな木目が彫物《ほりもの》のやうに長くついてゐて、觸れた指先には無心な冷さが傳はつたのであつた。
 一月の後になつて、それは勞働者の脛《すね》のやうに代赭《たいしや》色のつやつやした皮で張られて來た、足は白い消しゴムのやうに軟く五本の指が動くのであつた。お葉はその義足をつけた時、衣の中に何といふ恥しさを感じたことだろう。肩についた皮や、胸や腰のバンドがお葉の動く度に鳴つた。柔らかな初毛《うぶげ》のはえた肉色の一脚にならんで、それはつやつやと手垢にみがかれた骨董品のやうな一脚であつたのだ。またそれはくけだいのやうにピンと折れては、カチンと延びる無意味な器械であつた。その足はなに物に強くふまれても、棒のやうにいつ迄もながく立つてゐた。
 お葉がすべてのバンドを解いて、義足を露骨に投げ出した時、すべての罪、責任から逃れたやうな安堵《あんど》の息のなかに、そのまま昏睡しようとした。
 お葉は新しい家の二階に上つて見たのである。夕ぐれの藍色の空に高い高い浴場の煙突が聳《そび》え、白いほのかな煙りがゆるやかに流れてゐた。そして何物もない靜かな空は象眼細工のやうに細い月がかかつてゐたのである。お葉の心はいづことなく天地のなかから響くどよめきのなかに淋しく沈んだ。新しい浴場はいま青い瓦斯《ガス》のいろに美しく浮き出て、そこに花のやうな香が立ち舞ふのである。お葉の瞳はいつか物珍らしげに向ひの家を見下ろして、その格子窓から洩れる三味の音を聞いてゐるのであつた。それはなんの歌とも解らない。しかしその調子のままに動いてゐた心が、やがてばたりと切りはなされて、お葉は茫然《ぼんやり》した。三味はやんで、やがて格子ががらりと開いたと思つたら、繻子《しゆす》の細帶を結んで唐人髷《たうじんまげ》に結つた娘が、そのまま駈け出して湯屋のなかに吸はれるやうに入つたのである。
「自分の世界とはすつかり違つてゐる。」
 お葉はなんとなくそんな事が考へられた。
 自分の身が實際であるならば、いま自分が見てゐる世界は繪のやうな氣がする。繪の世界が現實ならば、自分はいま夢を見てるんだ。彼女は強ひられたやうに、そんな考が心のなかに起るのを感じながら、幾多の美しい肉體が亂れ合つてゐる浴場の霞のやうに立ち登る湯氣のなかを想像したのである。
 その後、お葉は母親と二人靜かな朝の冷たい湖のやうな浴場の姿見の前に立つて、丈長い帶と赤いしごきを解いたのである。
 三越の廣告の女は壁の上から黒い瞳を投げて居た。着かへたしぼりの浴衣《ゆかた》のいろが美しく鏡のなかに浮き出た時、お葉は物かなしい瞳で、ぢつと鏡のなかを見守つたのである。
 一脚の足は運ぶことを知らぬ。兩手の指が強く硝子窓の棧にふれながら、漸く湯つぼのへりにたどりついた時、母親のくんで流すお湯は、彼女の足の裏をおびえるやうに、そして快く流れたのであつた。ぬれようとする浴衣の裾を、母親が容赦なくまくり上げた時、反抗する手段のないお葉は、強いそして物かなしい樣な瞳に母親を見返つたが、何《ど》うしても浴衣はそこでぬがねばならないのだつた。すべてを奪はれたお葉は慘忍な健康者の態度を見入りつつ、海底に棲《す》むといふ人魚の樣に、似るべくもない四肢の醜さをなげき悲しんだのである。みなぎつた朝の日光が、高い玻璃戸から側の窓硝子から輝かに清く靜寂の浴場のなかに漲《みなぎ》つて、湯つぼは碧色に深く濃く湖のやうに平かであつた。お葉は初めてわが肉體の美しさと、なつかしさと、あまりに廣やかな周圍から何物かの迫つて來る恐れを感じたのである。
 彼女は絶えず肩から桶のお湯を流し、あまりに露骨にこの明るさのうちに解放されたる肉體を見て戰慄《をのの》いた。
「まあ、お前は肥《こ》えたねえ。」
 母親はながく見ないお葉の身體に驚きの聲を放つたのである。胸の肋骨はゆたかな肉にかくされた。衿元《えりもと》に筋のいるくぼみは盛り上げられて、肩はまるく兩腕はながながとのびてゐた。そして花のやうな乳房の上にお葉は睫毛《まつげ》をながく伏せたのである。
「いいお湯、なんといふ氣持のいいお湯だらうね。お前一寸お入りよ。おさへてて上げようか。」
 衰へた母親の兩腕はお葉の前にのびたのである。しかしお葉は湯ぶねのへりに腕をなげかけて、靜かなお湯の面に指を觸れながら、底にうつるわが黒髪のさまを見つめたのであつた。そして祕《ひそ》かにこの表面に再び浮き上ることの出來ない底があつたならば、いまに自分は入ることがあらうと思ふのである。いま朝日は玻璃の窓を通してお葉の肩から胸に斜に影を投げた。黒髪が綾に光つて、青い簪《かんざし》の玉は、そこに陰鬱な影を投げてゐた。
 お葉はいまあまりに緊張《はり》きつた一脚の足の肉にふれて驚ろいたのである。足は常に精一ぱいの力に張りきつて、そこに少しのゆるみもなく延びてゐるのだつた。この脚が私の全身を支へるのだ。支へるといふことを知つたこの足の醜さよ。しかし彼女の右の手は柔かに白い、丁度日蔭の草のやうに、育たない短き肉塊の右足を押へてゐるのだつた。それは本當に赤子のやうに、いぢらしく慄《ふる》へてゐた。そして温い血しほが、ゆるやかに流れてゐたのである。お葉は生きんとする人間の醜さを考へた。殊にだんだん畸形にかはる自分の肉體を、いま目の前に見せられて淺ましく思つた。
 ある人がお葉に言つた。
「だんだん畸形に育つんだね。」
 その時彼女は松葉杖をつく爲めに、柔かな掌が足の裏のやうに變つてゆくのを感じて、膝の上の手をまさぐつてゐたのだつた。
 お葉は夕暮その家を辭して、石垣の上に靜かなオルガンの音を耳にしながら、細道を一人かなしく家に歸つたのである。どんなに醜くなつても、生きてゆかなけりやならないのだらうか? いま自分の生と自分の肉體を最《もつとも》美しく終らせたいと思ふは唯一つそこに死があるばかりである。お葉は矢張り死ぬのであつた。
 また畸形の肉體に盛られた心は、矢張り畸形にしか育たない。彼女は精神の畸形なる天才や狂人のことを考へたのであつた。けれども天才は現世に幸福でなかつた。狂人は如何に幸福であらうとも、肉身のものの苦痛をどれだけ増さねばならぬかと云ふことが解らない。そして醜い肉體は、世の中に存在してゐるのだ。お葉は醜いことを見たくも知りたくもない。死は清く美しい、そして永遠に尊い。お葉は靜かに三十三の死を思つて、微笑んだのであつた。
 水に梳《くし》けづられた髪が青空の下に輝いてゐた時、彼女は杖によつて道を歩みつつ、その杖が新らしく黒く艶やかに塗られてあることを見て、安心したのであつた。自分のすべてを習慣と經驗とによつてよごしたくない。古くしたくない。
 お葉は松葉杖の古きによつて、わが癈疾のいにしへをしのぶことを悲しむ。彼女が、いま五年後にその災《わざはひ》を思ふ時、痛みは古く思出の淡いことを恐れた。自分の災は新らしい、自分の痛みは新らしい。
 お葉はいつか青山の墓地などを車で通つた時、よごれた繃帶を卷きつけた白木の松葉杖に身を持たせて來た癈兵を見たことを思ひ出したのである。
 彼女は縁に出て手の爪を切つた。そして足の爪を切つた時に、いづこにか一脚の足の爪が櫻いろに美しく切られて、花のやうに置かれてあることを考へた。それは空の美しい日であつた。開かれた窓に木の葉が散つてゐた。お葉はベッドの上に起きなほつて、その前日痛める身體を清める爲めに、紫いろの湯に浸されたことを考へた。お葉はその時清らかに終るべき身の靜けさに、剪刀《はさみ》を取つてすべての不潔を切り取つたのである。手の爪は美しく取られた。やがて彼女は繃帶に卷かれて、わづかに五本の指先のみ出てゐる右足の白い爪を、靜かに切り取つたのである。そこに嘆きもなく再び見ることなき瞳を、茫然と開いてゐたのである。
 その時白いお茶の花を瓶にさして呉れた看護婦が、銀いろの剪刀《はさみ》を持つて來て、ドアを押した。そしてお葉の爪を見たのである。看護婦は驚いたやうにやや誇張して、
「まあ、綺麗、おとりになつたの。」
「えゝ。」お葉は淋しく肯《うなづ》いたのである。
「おとなしく待つてて下さいね、いまに迎ひに來ますから。」
 看護婦は裳《すそ》をひるがへして走つた。
 やがて一時といふ時に輸送車は彼女を遠い遠い細い廊下の奧に引き去つた。それからお葉はいま迄切り取つた白い爪を見ることが出來ないのである。あの爪はのびたであらうか。あの爪はいまどこか靜かな所で、花いろに匂つてゐるやうに思へる。
 お葉はやがて、新らしい浴場の若い無智なおかみさんと親しくなつたのである。そして彼女が人ない朝の湯ぶねのなかに浸つて、新たに來る人を追手のやうに恐れてゐるのを慰めた。そしてお葉の爲めに泣いたのである。けれどもまたお葉が浴衣をぬいで友禪の長襦袢に身を包んだ時、無智な女は番臺によつてその幸福を羨んだのである。
 お葉はひそかに浴場を出るのだつた。もし人が彼女の浴場から出て來たのを見てその肉體の缺陷を知り、如何にして入浴するかと怪しみ想像することを恐れたのである。そしてお葉が狹い路次にさしかかる時に、折々|跛《びつこ》の年老いた俥夫《しやふ》に會ふのであつた。
 彼女はその時あまりに哀れな世の中だと思つた。そしてその老いた跛が次第に彼女を見て、同じ不具者の哀《あはれ》みを乞ふやうな同情を強ひるやうに、笑顏を見せるやうになつた時、お葉は悲しかつた。世の中の人が類を持つて集まるやうに、自分は不具者の中にのみいたはられて、睦《むつ》ましく暮さなけりやならないといふのは堪へられないことだ。そしてそれが什※[#「麼」の俗字、P17-上9]《どんな》に慘《みじ》めで悲しいことだらう。お葉はすべて自分と等しく肉體の缺陷ある人を目に寫さないことを祈つたのである。
 鏡を見ずに暮される人は幸福である。人は自分の姿を知る時、初めて世の中の悲しさを知る。お葉は出來るならば、この宇宙に癈疾者の自分一人であることを考へた。自分の姿を見するものなかれ。またお葉の姿によつて、自分と等しい悲しみを覺えるもののないことを祈つたのである。
 やがてお葉の家はまた移らねばならなかつた。そして三年の間別れてゐた兄や嫂《あによめ》と逢ふのであつた。
「いろいろお世話樣になりまして――。」
 お葉は親しんだ湯屋の若いおかみさんに別れをつげて、奧まつた平屋の靜かな家に行つたのである。久し振り顏を合せた兄や嫂の間には、幼兒をなくした嘆のみが繰り返されてゐた。そして臺所に煮物してゐるお葉の災については、忘られたやうに口にするものがなかつた。折々疊をすつて往來するお葉の姿を、母親はかなしく見送りながら氣を兼ねるやうに、
「お葉もまたこまつたもんだと思つたけれども、今ぢやなんでも出來ないことはないのだから――、けれどもお前が來たなら、さぞ驚くことだらうと思つて――」
 と眼をしぼしぼさせた。兄は何も言はずに肯《うなづ》いてゐた。嫂は荷物の散らかつたなかに鍵がないと探してゐた。お葉はそれを障子の影に聞いてゐたのである。そして靜かにマッチをすつて瓦斯七厘に火をつけた、青い火が燐のやうに淋しく靜かな音をたてて燃え出し、ニュームの鍋が清らかな色を投げたのである。
 お葉は兄と嫂が結婚して遠く旅立つ時、ステーションに送りに出た十七の自分を思ひ出したのであつた。その時髪には水色のリボンがついてゐた。そしてステーション通りの瓦斯燈の灯かげに、白いアカシヤの花が、ほのかに匂つてゐるのだつた。
「それからお葉、あとで手紙がついたならば纏《まと》めて兄さんの所によこすやうに――。」
 そんな聲が列車の窓からした時、お葉は解《わけ》もなしに泣けて泣けて仕方がなかつた。その時は何が悲しいか解がわからないのだ。けれども涙が快よく出たのだつた。いまお葉は胸が痛い程苦しい悲しい時でも、容易に涙の出て來ないことを考へたのである。お葉の心は常に淋しく冷たく、涙のやうな暖かいものの湧き出る所のないことを思つた。
 その時お葉の周圍には、人が息づまる程ゐて、鋭い汽笛が響いた時、いつの間にか汽車は走り去つて、泣きぬれたお葉は、一人取り殘されてゐたのである。お葉は物をも言はず、妹を連れ立つて家に歸つた。門には母親が一人わびしく立つてゐたのであつた。
 彼女はまた、婚禮の日を思ひ浮べた。
 母や姉や妹は美しく着かざつて兄や嫂と共に車を列ねて、夕暮の街を華やかな洋館に向つて走つたのである。夕闇のなかに近所の人の顏が白く浮んでゐた。お葉は門にぴたりと身をよせて、そこに蚊柱のたつのを、ぢつと眺めてゐたのであつた。
 やがて彼女は、お酒や折づめや口取りなどの散らばつた茶の間の窓ぶちに、直角より曲らない右足を投げ出して、横坐りになつたのである。灯《ひ》もつけない部屋のうちに、お葉のネルの單衣《ひとへ》が只白く淋しかつた。襖《ふすま》を開け放した彼女の座敷に、ほの白く新らしい箪笥が見えて、鏡臺の鏡が遠い湖の表のやうに光つてゐるのであつた。お葉はその時かすかによせて來る蚊のうなりを耳にしながら、現《うつつ》ともなく行末のことに思ひふけつたのである。
 その時彼女は夢のやうな死を考へた。空のやうに美しい死がお葉の現《うつつ》に見る行末だつたのだ。お葉の心は清かつた。しかし清いものは淋しい。彼女の膝の關節の水のしみ入るやうな痛みは、その時丁度快い刺戟のやうに、茫然と開いてた瞳の中に、涙をみなぎらしてゐたのである。
 お葉はなほ臺所に腰をかけたまま、その當時のことを考へて見た。そして靜かに瓦斯の火を見つめてゐたが、いまにも誘はれ易さうな涙は容易に瞳をうるほさなかつた。
「眼のよい子だつたねえ、そして髪の毛の莫迦《ばか》に黒い――。」
 お葉の兄は失つた子のあとを追ふやうに、時々|茫然《ぼんやり》とそんな事を言つた。
「本當に私などもお前たちよりは孫の方をどんなに待つたかしれないのだけれども――定めて孫が來たならば、かうだらう、ああだらうと毎日言つてたんだが、またお葉がかうして坐つてゐたならば、きつと後にまはつて、おんぶおんぶつてせめやしないかと、思つたりして――。」次いで母親は獨言《ひとりごと》のやうに兄の頭と火鉢の側のお葉の姿とを見くらべて眼を赤くしたのであつた。お葉は、その時そつと次の間に行つて雜誌の頁を繰つたのである。併しそれについて兄は矢張り感慨深いやうに言つたのであつた。
「本當に利口な子だつたがなあ。」
「あんまり利口すぎたから死んだんでせうよ。」
 嫂の聲は歩く足音と共に、無雜作に言つたのであつた。
 お葉の兄はやがて旅に出た。
 そしてとつぷりと暮れた冬の靜かな夜、家の人は連れそつて、近所のお湯に出かけたのである。お葉は一人|炬燵《こたつ》に入りながら、夕方外を歩いて來たことを考へた。彼女がとある角を曲る時だつた。
「割にいい風姿《なり》をしてるわね。」といふ聲が耳に入つたので、鋭くお葉は杖をとめて見返つたのであつた。角には黒いポストがあつて、その後の人影はさだかでなかつた。
 彼女は夕闇の間に少時《しばし》立停つて、普通着《ふだんぎ》の儘で出掛けて來た自分の汚れた銘仙の着物を見つめたのであつた。そして其儘歩き出し乍ら、まだまだいい風姿をして歩かなければならないと云ふ樣なことを思つたのである。世間の人は松葉杖などをついて歩くやうなのは乞食《こじき》かなにかでなければないのだらうと思つてゐるのだらう。「見すぼらしい風姿《なり》をしてはならない。」とお葉はその時思ひながら、少しも悲しいことはなかつたのであつた。今お葉はその事を考へて見たが、いい着物を着て歩かうと思つたことが、さ程淋しい心強い反抗でもなんでもなかつた。折角着かへた着物も、すぐ杖のために脇の下が切れて、膝がぬけるのが目に見えてゐた。時々薄くなつてゆく脇の下の着物の地を默つて見てゐるのは、お葉にとつては淋しい言ひ樣のないかすかな絶望であつた。「私には第一歩くといふ事が不可《いけ》ないことなのだ。そして一番悲しいことなのだ。」
 もう歩かないがいい、最《も》う決して外に出るなとお葉の良心は命じた。しかし良心の命ずることは常に淋しい。そして何の反抗もない悲しみが迫つて來るのだ。
 お葉の心は今ふと悲しくなつて來て、見知らぬ浴場に集まつて、露骨に身體をみがき合ふ男女のことを思ひながら、いつ暗い湯殿の中に、自分のかなしい肉體をなつかしく見ることが出來るであらうかと思つた。そしてまた前の浴場の若いおかみさんの細い眼のいろなどが、物なつかしく浮んで來たのである。四五日たつても新らしい家に風呂は買はれなかつた。お葉の肌には赤黒く垢が浮いて來た。それで彼女は寒い朝早く、母親と二人近所の浴場に行つたのである。
「いらつしやいませ、どうぞ最う三十分|許《ばか》りお待ちなすつて下さいませ。」
 奧から出て來た若い男が丁寧に言つて、眞鍮《しんちゆう》の火鉢を持つて來て呉れた。
「お寒う御座います。どうぞお暖《あた》り下さいませ。」母子《おやこ》は靜かに水のたれる音を耳にしながら火鉢によつた。壁にかけてある芝居のビラなどを、お葉は靜かに見上げながら、母親の顏をぢつと見たのである。彼女はささいの事にでも、生きて行く悲しみを思ふ、生きるといふ事は悲しむといふ事であつたのだ。
 お葉は寒い朝々を、母親と共に家が新らしくなると共に、見しらぬ浴場をめぐつて歩かねばならないのだらうかと、ふと感傷的な事を考へて、母親の顏を見ながら、この年老いた母親が、必ず自分より先に死ぬであらうといふことを思つて、胸が迫つたのである。そして自分のすべての強さも、生きてゆく醜くさも、この目の前にゐる母親の爲めであると思つた。母が居ればこそ、生きてゐられるのだし生きてゐるのだ。お葉はいま不意に心弱くもふさがつて來た胸を壓《おさ》へて、火鉢の灰をかき上げた時、母の聲が靜かに言つたのである。
「初めて解つたらう。他人が入《はひ》るとつらいといふ事はそこなのです。お母さんだつてお前が丈夫だつたら何の氣兼ねもなかつたかも知れない。そして死んでしまつてもよいのだつた――。」
 お葉の涙はうつむいたままあふれ出たのである。そして母の爲めに生き、子の爲めに生きるといふ、便りない淋しさを考へたのであつた。私は三十三に死ぬ。しかし母親はいつ奪略されるか解らないのだ。お葉は涙の絶えないのを感じた。火鉢の前に頸《くび》をおとして、母親のやがて帶とき着物をぬぐのを知つてゐたのである。
「朝のうちは人がまゐりませんから、御ゆつくりお入り下さいませ。」
 頭の上に女の聲が聞えて、素足の女がひたひたと前を通つた。お葉は漸く頭を上げて壁によつた。冷たい姿見のなかに、銀杏返しの根を落した涙のあとの白い女が、底深く沈んだやうに、少しも動かなかつたのである。
(大正三年五月「新小説」)



底本:筑摩書房版 現代日本文學全集85「大正小説集」
   1957(昭和32)年12月20日發行
入力:小林徹
校正:野口英司
1998年8月11日公開
1999年8月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ