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藁草履《わらぞうり》
島崎藤村

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)藁草履《わらぞうり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大字|金《かね》

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   (数字は、底本のページと行数)
(例)掻※[#「※」は「てへん+劣」、77-9]《かきむし》り
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 長野県北佐久郡岩村田町大字|金《かね》の手《て》の角にある石が旅人に教えて言うには、これより南、甲州街道。
 この道について南へさして行くと、八つが岳《たけ》山脈の麓《ふもと》へかけて南佐久の谷が眼前《めのまえ》に披《ひら》けております。千曲川《ちくまがわ》はこの谷を流れる大河で、沿岸に住む人民の風俗方言も川下とは多少違うかと思われます。岸を溯《さかのぼ》るにつれまして、さすがの大河も谿流《けいりゅう》の勢に変るのですが、河心が右岸の方へ酷《ひど》く傾《かし》いでおりますので、左岸は盛上がったような砂底の顕《あらわ》れた中に、川上から押流された大石が埋《うずま》って、ところどころに白楊《どろ》、蘆《あし》、などの叢《やぶ》が茂っております。右岸に見られるのは、楓《かえで》、漆《うるし》、樺《かば》、楢《なら》の類《たぐい》。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後《えちご》商人は昔から爰《ここ》を通行しました。直江津の塩物がこの山地に深入したのも専《もっぱ》らこの道を千曲川に添うて溯りましたもので。
 両岸には、南牧《みなみまき》、北牧、相木、などの村々が散布して、金峯山《きんぷさん》、国師山、甲武信岳《こぶしがたけ》、三国山の高く聳《そび》えた容《さま》を望むことも出来、又、甲州に跨《またが》った八つが岳の連山《やまつづき》には、赤々とした大崩壊《おおくずれ》の跡を眺《なが》めることも出来ます。この谷の突当ったところが海の口村で、野辺山が原はつい後に迫っているのです。海の口村は、もと河岸に在りましたのが、河水の氾濫《みなぎ》りました為に、村民は高原の裾《すそ》へ倚《よ》って移住したとのこと。風雪を防ぐ為に石を載せた板葺《いたぶき》の屋根を見ると、深山の生活も思いやられます。この辺に住んでおりますのが慓悍《ひょうかん》な信州人でして、その職業には、牧馬、耕作、杣《そま》、炭焼――わけても牧馬には熱心な人民です。この手合が馬を追いながら生活《くらし》を営《たて》る野辺山が原というのは、天然の大牧場――左様《さよう》さ、広さは三里四方も有ましょうか、秣《まくさ》に適した灌木《かんぼく》と雑草とが生茂《おいしげ》って、ところどころの樹蔭《こかげ》には泉が溢《あふ》れ流れているのです。ここへ集るものは、女ですら克《よ》く馬の性質を暗記している位。男が少年のうちからして乗馬の術に長《た》けているのは、不思議でもなんでも有ません。土地の者の競馬好と来ては――そりゃあ、もうこの手合が酒好なと同じように。
 こういう土地柄ですから、女がどんな労働をしているか、大凡《おおよそ》の想像はつきましょう。男を助けて外で甲斐々々《かいがい》しく働く時の風俗は、股引《ももひき》、脚絆《はばき》で、盲目縞《めくらじま》の手甲《てっこう》を着《は》めます。冠《かぶ》りものは編笠です。娘も美しいと言いたいが、さて強いと言った方が至当で、健《すこやか》な活々《いきいき》とした容貌《おもざし》のものが多い。
 海の口村が産馬地《うまどこ》という証拠には、一頭や二頭の家養をしないものは無いのでも知れましょう。
 何がこの手合の財産かなら、無論、馬です。
 清仏《しんふつ》戦争の後、仏蘭西《フランス》兵の用いた軍馬は吾陸軍省の手で買取られて、海を越して渡って来ました。その中の十三頭が種馬として信州へ移されたのです。気象勇健な「アルゼリイ」種の馬匹《ばひつ》が南佐久の奥へ入りましたのは、この時のことで。今日一口に雑種と称えているのは、専《おも》にこの「アルゼリイ」種を指したものです。その後、亜米利加《アメリカ》産の浅間号という名高い種馬も入込みました。それから次第に馬匹の改良が始まる、野辺山が原の馬市は一年増に盛大になる、その噂さがなにがしの宮殿下の御耳にまで届くようになりました。殿下は陸軍騎兵附の大佐で、かくれもない馬好でいらせられるのですから、御|寵愛《ちょうあい》の「ファラリイス」という亜刺比亜《アラビア》産を種馬として南佐久へ御貸付になりますと、さあ、人気が立ったの立たないのじゃ有ません。「ファラリイス」の血を分けた当歳が三十四頭という呼声になりました。殿下の御|喜悦《よろこび》は何程《どんな》でございましたろう――とうとう野辺山が原へ行啓を仰出《おおせいだ》されましたのです。

    壱

「爺《おやじ》、己《おれ》もお前《めえ》も此頃《こないだ》馬を買った覚がある。どうだい、この馬は何程《どのくれえ》の評価《ねぶみ》をする――え、背骨の具合は浅間号に彷彿《そっくり》だ。今日この原へ集った中で、この程《くれえ》良い馬は少なかろう」
 と一人の馬喰《ばくろう》が手を隠して袖《そで》口を差出す。連の男は笑いながらその内《なか》へ手を入れて、
「こうだ」
「ふふ、そうさ」
 と傍に手綱を控えて立っている若者に会釈して、
「若い衆、怒っちゃいけやせん。少々|私《わし》にこの馬を撫《な》でさして御くんなんしょ」
 光沢《つや》を帯びた栗毛の腰の辺を撫下し、やがて急に尻毛《しりお》を掴んで、うんと持上げて見ました。
「まあ私が買えばこの馬だ」
 若者は馬喰の言葉に、したたか世辞を言われたという様子で、厚い口唇《くちびる》に自慢らしい微笑《ほほえみ》を湛《たた》えました。
 源吉というのがこの若者の名で、それを山家《やまが》の習慣《ならわし》では頭字ばかり呼んで、源で通る。海の口村の若い農夫には、いずれも綽名《あだな》があって、源のは「藁草履《わらぞうり》」というのでした。それは山家の者が手造《てづくり》にする不恰好《ぶかっこう》な平常穿《ふだんばき》を指したもので、醜男子《ぶおとこ》という意味をあらわしたものです。いかさま、日に焼けたその顔は――鼻付の醜《まず》さから、目の細さ加減、口唇の恰好、土にまみれた藁草履を思出させる。しかし、源も血気盛《けっきざかり》な年頃ですから、若々しい頬《ほお》の色なぞには、万更《まんざら》人を引きつけるところが無いでもない。それに筋骨の逞《たくま》しさ、腕力の勝《すぐ》れていること、まあ野獣と格闘《たたかい》をするにも堪《た》えると言いたい位で、容貌《かおつき》は醜いと言いましても、強い健《すこやか》な農夫とは見えるのでした。
 功名心の深い源は、その日の競馬の催に野辺山が原附近の村々から集る強敵を相手にして、晴の勝負を争う意気込でした。最後の勝利、無上の栄誉などを考えて、昨夜はおちおち眠りません。馬には、大豆、馬鈴薯《じゃがいも》、藁《わら》、麦殻《むぎがら》の外に糯米《もちごめ》を宛てがって、枯草の中で鳴く声がすれば、夜中に幾度か起きて馬小屋を見廻りました。しかし、この野辺山が原へ上って来て、冷々《ひやひや》とした清《すず》しい秋の空気を吸うと、もう蘇生《いきかえ》ったようになりましたのです。高原の朝風はどの位|心地《こころもち》のよいものでしょう。源は直にゆうべの疲労《つかれ》を回復《とりかえ》して了いました。それに、人の気を悪くするような誇張《みてくれ》をやりたがるのが、この男の性分で、そこここと馬を引廻して、碌々《ろくろく》観相《みよう》も弁《わきま》えない者が「そいッたっても、まあ良い馬だいなあ」とでも褒《ほ》めようものなら、それこそ源は人を見下げた目付をして、肩を動《ゆす》って歩く。ところへ、馬喰の言草があれでしょう――源が微笑《にっこり》する訳なんです。
 殿下の行啓と聞いて、四千人余の男女《おとこおんな》が野辺山が原に集りました。馬も三百頭ではききますまい。それは源が生れて始めての壮観《ながめ》です。御仮屋《おかりや》は新しい平張《ひらばり》で、正面に紫の幕、緑の机掛、うしろは白い幕を引廻し、特別席につづいて北向に厩《うまや》、南が馬場でした。川上道《かわかみみち》の尽きて原へ出るところに、松の樹蔭から白く煙の上るのは商人《あきんど》が巣を作ったので、そこでは山|葡萄《ぶどう》、柿などの店を出しておりました。中には玉蜀黍《とうもろこし》を焼いて出すもあり、握飯の菜には昆布《こぶ》に鮒《ふな》の煮付を突出《つきだし》に載せて売りました。
 源の功名を貪《むさぼ》る情熱は群集の多くなるにつれて、胸中に燃上りましたのです。源の馬というのは「アルゼリィ」の血を享《う》けた雑種の一つで、高く首を揚げながら眼前《めのまえ》に人馬の群の往ったり来たりするのを眺《なが》めると、さあ、多年の間潜んでいた戦好《いくさずき》な本性を顕《あらわ》して来ました。頻《しきり》と耳を振って、露深い秋草を踏散して、嘶《いなな》く声の男らしさ。私《ひそか》に勝利を願うかのよう。清仏《しんふつ》戦争に砲烟《ほうえん》弾雨の間を駆廻った祖《おや》の血潮は、たしかにこの馬の胸を流れておりました。その日に限っては、主人の源ですら御しきれません――ところどころの松蔭に集る娘の群、紫絹の美しい深張《ふかばり》を翳《さ》した女連なぞは、叫んで逃げ廻りました。
 急に花火の音がする。それは海の口村で殿下の御着《おちゃく》を報せるのでした。物売る店の辺《あたり》から岡つづきの谷の人は北をさして走ってまいります。川上から来た小学生徒の一隊は土塵《つちぼこり》を起てて、馳走《かけあし》で源の前を通過ぎました。
 御仮屋《おかりや》の前の厩《うまや》には二百四十頭の牝馬《めうま》が繋《つな》いでありましたが、わけても殿下の亜剌比亜《アラビア》産に配《めあわ》せた三十四頭の牝馬と駒とは人目を引きました。この厩を四方から取囲《とりま》いて、見物が人山を築く。源も馬を競馬場の溜《たまり》へ繋いで置いて、御仮屋の北側へ廻って拝見すると、郡長、郡書記なども「フロック・コォト」の折目正しく、特別席へ来て腰を掛ける。双眼鏡を肩に掛け、白いしなやかな手を振って、柔かな靴音をさせる紳士は参事官でした。俄然《にわかに》、喇叭《らっぱ》の音が谿底《たにそこ》から起る。次第にその音が近く聞えて来て、終《しまい》には澄み渡った秋の空に鳴り響きました。
 十|輌《りょう》ばかりの人力車《くるま》が静粛な群集の中を通って、御仮屋の前まで進みました。真先には年若な武官、次に御附の人々、大佐、知事、馬博士、殿下は騎兵大佐の礼服で、御迎の御車に召させられました。御車は無紋の黒塗、海老染《えびぞめ》模様の厚毛布《あつげっと》を掛けて、蹴込《けこみ》には緋《ひ》の毛皮を敷き、五人の車夫は大縫紋の半被《はっぴ》を着まして、前後に随《したが》いました。殿下は知事の御案内で御仮屋へ召させられ、大佐の物申上《ものもうしあぐ》る度に微笑《ほほえみ》を泄《もら》させられるのでした。群集の視線はいずれも殿下に注《あつま》る。御年は若い盛におわしまし、軍帽を戴かせられる御姿は、どこやらに国のみかどの雄々しい御面影も拝まれるのでした。まのあたり皇族の権威を仰ぎましたのは、農夫の源にとって生れて始めてのことです。殿下は大佐と馬博士とから「ファラリイス」の駒の批評を聞召《きこしめ》され、やがて長靴のまま静々と御仮屋を下りて、親馬と駒とを御覧になる。勇しい御気象にわたらせられるのですから、もう静息《じっと》していらせられることの出来ないという御有様。花火は時々一団の白い煙を空に残して、やがてそれが浮び飄《ただよ》う雲の断片《ちぎれ》のように、風に送られて群集の頭上を通る時には、あちこちに小供の歓呼が起る。殿下もたまには青空を仰がせられて、限《はて》も無い秋の光のなかに煙の消え行く様を眺めさせられました。
 背後《うしろ》から押される苦痛《くるしさ》に、源は人を分けて特別席の幕外へ出ました。殿下はまた熱心に馬を見給う御様子。参事官なぞは最早《もう》飽果てて、八つが岳の裾に展がる西原の牧場を望んでおりました。源は御茶番の側を通りぬけて、秣小屋《まぐさごや》の蔭まで参りますと、そこには男女《おとこおんな》の群の中に、母親、叔母、外に身内の者も居る。源の若い妻――お隅も草を藉《し》いて。
「よっぽど良い馬が来た」
 と源は佇立《たたず》みながら独語《ひとりごと》のように。叔母は振り返って、
「道理だぞよ。そいッたってもなあ」
「叔母さん、宮様を拝まッしたか」
「私《わし》はなあ、橋の傍で拝みやした」
 母親《おふくろ》は源の横顔を熟視《みまも》って、
「源、お前《めえ》も握飯《むすび》はどうだい。たべろよ。沢山《たんと》あって残っても困るに」
「ああ」と源は夢中の返事、胸の中には勝負のことが往ったり来たりするばかり。名誉心の為に駆られて、饑渇《うえかわ》いて、唯もうそわそわとしておりました。
「これさ。たべろよ」
 という母親《おふくろ》の言葉に、お隅は握飯《むすび》を取って、源の手に握らせました。源は夢中で、一口それを頬張って、ぷいと厩の方へ駆出して行って了いました。
 御茶番から羽織|袴《はかま》で出て来た赤ら顔の農夫は源の父《おやじ》です。そこここと見廻して、
「源は来やせんか」と母親《おふくろ》に皺枯声《しゃがれごえ》で尋ねる。
「今、爰《ここ》に居たが、どこかへ駆走《とっぱし》っちゃった」
「彼奴《あいつ》にも困っちまう。今日は恰《まる》で狂人《きちがい》みたよう。私《わし》が、宮様へ上《あげ》る玉露の御相伴をさしたい、御茶菓子の麦落雁《むぎらくがん》も頂かせたい、と思って先刻《さっき》から探しているんだけど」
 叔母は引取って、
「源さの大《いか》くなったには、私《わし》魂消《たまげ》た。全然《まるで》、見違えるように。しかし、お前《めえ》には少許《ちっと》も肖《に》ていねえだに」
「私《わし》にかえ。彼奴は私に肖ねえで、亡くなった祖父《じじい》に肖《に》たと見える。私は彼奴を見ると、祖父を思出さずにはおられやせん」
 と楽しそうに話しておりますと「ファラリイス」の駒も大概《あらかた》御覧済になりましたので、御仮屋の北側に記念の小松を植えさせられました。人々は倦《う》んで了《しま》って、特別席にかしこまる官吏の影も見えません。宮は御休息もなく四列の厩を一々案内させて、二時問余も大佐、馬博士を御相手に、二百頭の馬匹の性質、血統、遺伝などを聞召《きこしめ》され、すこしも御疲労の体《てい》に見えさせ給わないのです。花やかに熱い秋の日が照りつけるので、色白な文官の群は幕の蔭に隠れ、互に膝頭《ひざがしら》を揉《も》みました。
 功名を急ぐ源にとりましては、この二時間の長さが堪えられない程の苦痛でした。いよいよ競馬の催が始まるということになりましたので、四千の群集は塵《ほこり》を揚げて、馬場の埒際《らちぎわ》へ吾先にと馳《か》けて参ります。源は黄色い土烟を嗅《か》いで噎返《むせかえ》りました。大波のように押寄る男女の雑沓《ざっとう》、子供の叫び声――とても巡査の力で制しきれるものでは有ません。「さあ、退《ど》いた、退いた」と、源は肩と肩との擦合《すれあ》う中へ割込んで、漸《やっと》のことで溜《たまり》へ参りますと、馬は悦《うれ》しそうに嘶《いなな》いて、大な首を源の身《からだ》へ擦付けました。
 その日の競馬は五組に分れて、抽籤《くじびき》の結果、源は最後へ廻ることになっておりました。誰しもこの最後の勝負を予想する、贔顧《ひいき》々々につれて盛に賭《かけ》が行われる。わけても源の呼声は非常なもので、あそこでも藁草履、ここでも藁草履、源の得意は思いやられました。最初《のっけ》から四番目まで、湧くような歓呼の裡《うち》に勝負が定まって、さていよいよお鉢《はち》が廻って来ると、源は栗毛《くりげ》に跨《またが》って馬場へ出ました。御仮屋の北にあたる埒《らち》の際《きわ》に、源の家族が見物していたのですが、両親の顔も、叔母の顔も、若い妻の顔すらも、源の目には入りません。馬上から眺めると群集の視線は自己《おのれ》一人に注《あつま》る、とばかりで、乾燥《はしゃ》いだ高原の空気を呼吸する度《たび》に、源の胸の鼓動は波打つようになりました。烈しい秋の光は源の頬を掠《かす》めて馬の鼻面《はなづら》に触《あた》りましたから、馬の鼻面は燃えるように見えました。
 五人の乗手の中で、源が心に懼《おそ》れたのは樺《かば》を冠った男です。白、紫、赤などは、さして恐るべき敵とも見えませんのでした。源は青です。樺は一見神経質らしい、それでいやに沈着《おちつ》きすました若い男で、馬も敏捷《びんしょう》な相好《そうごう》の、足腰の締《しま》った、雑種らしい灰色なんです。樺が場を踏んだ証拠は、馬の扱いが柔かで、ゆったりとしていて、加《おまけ》に捜りを入れるような目付をして、他の四人の呼吸を図っているのでも分る。それにこの男の静な、冷い態度《ようす》と言ったら――それは底の知れないような用心深いところがあって、一歩《ひとあし》でも馬に無駄を踏ませまいと、たくらんでいるらしい。源は大違です。あまり心が激《あせ》り過ぎて、乗出さぬ先から手綱を持《もつ》手が震えました。
 相図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗|後《おく》れて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩《たた》いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟《つちけむり》の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫って来たのを認めたばかり。懼《おそ》るべき灰色の馬頭は塵埃《ほこり》に隠れて見えませんのでした。驚破《すわや》、白は紫を後に残して、真先に進む源をも抜かんとする気勢《けはい》を示して、背後に肉薄して来た。「青」、「白」の声は盛に四方から起る。源も、白も、馬に鞭《むちう》って進みました。競馬好きな馬博士は、「そこだ、そこだ」とばかりで、身を悶《もだ》えて、左の手に持った山高帽子の上へ頻《しきり》と握拳《にぎりこぶし》の鞭をくれる。大佐は薄鬚《うすひげ》を掻※[#「※」は「てへん+劣」、77-9]《かきむし》りました。今、源は百間ばかりも進んだのでしょう。馬は泡立つ汗をびっしょり発《かい》て、それが湯滝のように顔を伝う、流れて目にも入る。白い鼻息は荒くなるばかりで、烈しく吹出す時の呼吸に、やや気勢の尽きて来たことが知れる。さあ、源は激《あせ》らずにおられません。こうなると気を苛《いら》って妄《やたら》に鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足が反《かえっ》て固くなりました。遽《にわか》に「樺、樺」と呼ぶ声が起る。樺はたしかに最後の筈《はず》。しかし、その樺が今まで加え惜んでいた鞭を烈しくくれて、衰えて来た前駆の隙《すき》を狙《ねら》ったから堪りません。見る見る赤を抜き、紫を抜きました。馬博士は帽子を掴潰《つかみつぶ》して狂人《きちがい》のように振回す。樺は奮進の勢に乗って、凄《すさま》じく土塵《つちぼこり》を蹴立てました。それと覚った源が満身の怒気は、一時に頭へ衝きかかる。如何《いかん》せん、樺は驀地《まっしぐら》。馬に翼、翼に声とはこれでしょう。忽《たちま》ち閃電《いなずま》のように源の側を駆抜けて了いました。
 必勝を期していた源の失望も思いやられます。勝利の旗は樺の手に落ちました。それは文字を白く染抜いた紫の旗で、外に記念の賞を添えまして、殿下の御前《おんまえ》、群集の喝采《かっさい》の裡《なか》で、大佐から賜ったのでした。源の目は嫉妬《しっと》の為に輝いて、口唇は冷嘲《あざわら》ったように引|歪《ゆが》みました。今は誰一人源を振返って見るものがないのです。殿下は御|機嫌《きげん》麗しく、人々に丁寧な御言葉を賜りまして、御車に召させられました。御通路の左右に集る農夫の群にすら、白の御手套《おてぶくろ》を挙げて一々御挨拶が有りました。御附の人々、大佐、知事、馬博士などは車、参事官、郡長、郡書記、その他の官吏は徒歩《かち》、つづいて「ファラリイス」の駒三十四頭、牝馬二百四十頭、牡馬の群は最後に随《したが》いました。三百頭余の馬匹が列をつくって、こうして通りますのは人目を驚かす程の盛観でした。紫の旗をかざして、凱歌《がいか》を揚げて帰る樺の得意は、どんなでしたろう。さもさも勿体振《もったいぶ》って、いやに反身《そりみ》になって、人を軽蔑《けいべつ》したような目付をしながら、意気揚々と灰色の馬に跨った様は――いやもう小癪《こしゃく》に触って、二目と見られたものじゃない、とまあ、源は思うのでした。拝むような娘の群の視線はこの若者の横顔に注《あつま》りました。全く、源は業《ごう》が沸《に》えて、この男の通るのを見ていられません。嫉妬は一種の苦痛です。源は自分の馬の側に仆《たお》れて、恥かいた額を草の中に埋《うず》めました。
 疲労と失望とで悶え苦んでいた源が、むっくと起上った頃は――もう人々も帰って了った。居残る人足は腰を曲《こご》めて御仮屋を取片付ける最中。幕は畳み、旗は下して、遽《にわか》に四辺《そこいら》が寂しくなった。細々と白い煙の上る松蔭には、店を仕舞って帰って行く商人の群も見える。馬は主人を置去にして、そこここと手綱を引摺《ひきず》りながら、「かしばみ」の葉でも猟《あさ》っているらしい。今は、なにもかも源を見下げたり、笑ったりしてる――小鳥ですら人を軽蔑したような声で鳴いて通る、と源には思われるのでした。忌々しいものです。源は腹愈《はらいせ》のつもりで、路傍《みちばた》の石を足蹴《あしげ》にしてやった。尊大な源の生命《いのち》は名誉です。その名誉が身を離れたとすれば、残る源は――何でしょう。自分で自分を思いやると、急に胸が込上げて来て、涙は醜い顔を流れるのでした。やがて、思いついたように馬の傍へ馳寄《かけよ》って、力任せに手綱を引手繰《ひったく》りましたんです。
「こんな目に逢ったのも汝《うぬ》のお蔭だ」
 凡夫の悲しさ、源はその日のことを馬の過失《せい》にして、さんざんに当り散した。丁度、罪人を撻《むちう》つ獄卒のように、残酷な性質を顕したのです。馬に何の罪があろう。しかし畜生ながらに賢いもので、その日の失敗《しくじり》を口惜《くちお》しく思うものと見え、ただ悄々《しおしお》として、首を垂れておりました。二重※[#「※」は「めへん+匡」、79-8]《ふたえまぶち》の大な眼は紫色に潤んで来る。幽《かすか》に泄《もら》す声は深い歎息《ためいき》のようにも聞える。人間の苦痛《くるしみ》ですら知られずに済む世の中に、誰が畜生の苦痛を思いやろう。生活《いき》て、労苦《はたら》いて、鞭撻《むちう》たれる――それが畜生の運なんです。馬は不平な主人の後に随《つ》いて、とぼとぼと馬小屋の方へ帰って行きました。好な飼料《かいば》をあてがわれても、大麦の香を嗅《か》いで見たばかりで、口をつけようとはしませんでした。
 むしゃくしゃ腹で馬小屋を出まして、源は物置伝いに裏庭へ廻って見ますと、家には誰も居りません。楢《なら》の枯枝にからみつく青々とした夕顔の蔓《つる》の下には、二尺ばかりもあろうかと思われるのがいくつか生《な》り下《さが》って、白い花も咲き残っている。黄ばんだ秋の光が葉越しにさしこんだので、深い影は地に落ちておりました。丁度、そこへ手桶《ておけ》を提げて、水を汲んで帰って来たのが妻のお隅です。源は、いきなり、熱湯《にえゆ》のような言葉を浴せかけました。
「何故、お前《めえ》は己《おれ》に断りもしねえで、先に帰った」
「私《わし》かえ」とお隅は手桶を夕顔|棚《だな》の蔭に置いて、「だっても父《とっ》さんが帰れと言いなさるから、皆《みんな》と一緒に帰りやしたよ」
「人の気を知らねえにも程がある」と源は怒気を含んで、舌なめずりをして、「何が可笑《おか》しい。気の毒に思うのが至当《あたりまえ》じゃねえか」
「あれ、そんな貴方《あんた》のような無理な――私は笑いもどうもしやせんよ」
 とお隅は呆《あき》れて夫の顔を見つめました。源は紅く顔を泣|腫《は》らして、口唇を震わせている様子。尋常《ただ》ではない、とお隅も思いましたものの、夕飯の仕度に心は急《せ》くし、それに、なまじっか原のことを言い出して慰めて見たところで、反て気を悪くさせるようなもの、当らず触らずに越したことはない、と秋の日脚《ひあし》を眺めまして、手桶を提げて立とうとする。源は前後《あとさき》の考があるじゃなし、不平と怨恨《うらみ》とですこし目も眩《くら》んで、有合う天秤棒《てんびんぼう》を振上げたから堪《たま》りません――お隅はそこへ什《たお》れました。垣根の傍に花を啄《つ》んでいた鶏は、この物音に驚いて舞起つもあれば、鳴いて垣根の下を潜《もぐ》るもあり、手桶の水は葱畠《ねぎばたけ》の方へ流れて行きました。
「ちょッ、勿体《もったい》をつけやがって」
 と叱るように言って、ややしばらく源は、お隅の悶え苦しむ様を見ておりました。やがて、愚しい目付をしながら、
「どこがそんなに痛いよ。どれ……見せろ」
 源の手がお隅の右の足に触るか触らないに、女は悲鳴を揚げて顔色を変えました。
「大袈裟《おおげさ》な真似《まね》をするない――狸《たぬき》め」
 父親《おやじ》の影が見えたので、源は窃《そっ》と表の方へ抜出しました。何処へ行くという目的《めあて》もなく、ぶらりと出掛けて、やがて二三町も歩いてまいりますと、さ、足は不思議に前へ進まなくなりました。源は恐怖《おそれ》を抱くようになったのです。

    弐

「源さ、お入りや。なんだって障子の外からなんぞ覗《のぞ》くんだえ」
 と声を掛けましたのは、鹿の湯の女亭主《かみさん》です。源は煤《すす》けた障子を開けて、ぬっと蒼《あお》ざめた顔だけ顕《あらわ》しながら、
「私は女衆ばかりかと思って」
「女衆ばかりかと思ったら――御生憎《おあいにく》さま」
 と、炉辺で男の笑声が起る。源も苦笑《にがわらい》しながら入りました。
「かみさん、酒を一杯おくれや」
 鹿の湯というのは海の口村の出はずれにある一軒家、樵夫《きこり》の為に村醪《じざけ》も暖めれば、百姓の為に干魚《ひうお》も炙《あぶ》るという、山間《やまあい》の温泉宿です。女亭主《かみさん》は蓬《ほう》けた髪を櫛巻《くしまき》で、明窓《あかりまど》から夕日を受けた流許《ながしもと》に、かちゃかちゃと皿を鳴して立働く。炉辺には、源より先に御輿《みこし》を据えて、ちびりちびり飲んでいる客がある。二階には兵士の客もある様子。炉に懸けた泥鰌汁《どじょうじる》の大鍋《おおなべ》からは盛に湯気が起《た》ちまして、そこに胡座《あぐら》をかいた源の顔へ香《にお》いかかるのでした。筒袖《つつそで》の半天を着た赤ら顔の娘は、梯子段《はしごだん》を上ったり下りたりして、酒を運んでおりましたが、やがて炉辺へやってきて、塗箸《ぬりばし》を添えた胡栗脚《くるみあし》の膳《ぜん》に香の物と猪口《ちょく》を載せて出し、丼《どんぶり》には汁をつけてくれる。
「さあ、御燗《おかん》がつきやした」
 と時代な徳利を布巾《ふきん》で持添えて、勧めた。源は熱燗の極《ごく》というところを猪口にうけて、
「お前《めえ》の御酌だと、同じ酒が余計に甘く飲めるというもんだ」
「まあ、源さの巧く言うこと」
「どうだい、私の女房になる気はねえかよ」
「戯語《じょうだん》ばかりお言いでない」
 客も黙ってはいられません。黒々と生延《はえの》びた腮《あご》の鬚《ひげ》を撫廻しながら、
「とかく、若い方の傍へは寄りたいものと見えるね」
 と、ちらちらした目付で、娘を嬲《なぶ》りにかかる。娘はすこし憤然《むっ》として見せて、
「この御客さんも、これでなかなか学者だぞい」
「へへへへ」と客はいやに笑って、「これでとは何だよ。人間も朝から晩まで稼《かせ》ぐばかりじゃ、ねっからつまりませんや。ちったあ自分の好自由になる時がなくちゃ」
「貴方《あんた》、好事《いいこと》を教えて上る」と娘は乗出して、「明日はゆっくりお勝さんの許《とこ》へ行って、一緒に小屋の内で本でも読みやれ」
「へへへへ、明日は日曜だ。日本外史でも読まずかと思って」
「先生は何方《どちら》ですい」と源は尋ねて見ました。
「私《わし》かね。私は大屋の者《もん》ですが、爰《ここ》の登記役場の書記に出ていやすよ。私も海の口へはまだ引越して来たばかりで。これからは何卒《どうか》まあ君等にも御心易くして貰《もら》わにゃならん――さ、一杯|献《あ》げやしょう」
 二階ではしきりに手が鳴る。娘はいそいそと梯子段を上って行きました。急に四辺《そこいら》が明るくなったかと思うと――秋の日が暮れるのでした。暗い三分心の光は煤けた壁の錦絵を照して、棚の目無達磨《めなしだるま》も煙の中に朦朧《もうろう》として見える。
「どうです、きょうの原の騒ぎは」と書記は楢《なら》を焼《く》べて火気を盛にしながら、「殿下が女にも子供にも御挨拶のあったには私|魂消《たまげ》た。競馬で人の出たには――これにも魂消た。君も競馬を終局《しまい》まで見物しましたかい」
 源は苦笑《にがわらい》をしました。書記はそれとも知らない様子で、
「さ、不思議なこともあればあるもので、私の同僚が今日の競馬に出た男のところへ娘を嫁《かたづ》けてあるという話さ。娘の名ですかい――お隅さん。あの子なら私は大屋で克《よ》く知っていやす。しかも今日、原で不意と逢いやしてね。丸髷《まるまげ》なんかに結ってるもんだで、見違えて了いやしたのさ」
 と言われて、源は手を揉んでおりますと、書記は人に話をさせない男でして、
「まあ聞いてくれ給え。こういう訳です。私が今、爰《ここ》へ来る途中、同僚が蒼くなって通るから、君どうしたい、と聞くと、娘のやつが夫婦喧嘩して、足の骨を折った、医者のところへこれから行くんだ、と言って、先生からもう大弱りさ。かわいそうに――よくよく運の悪い子だ」
 聞いていた源は急に顔色を変えて、すこし狼狽《うろたえ》て、手に持った猪口の酒を零《こぼ》しました。書記は一向|無頓着《むとんじゃく》――何も知らない様子なので、源もすこしは安心したのでした。腹蔵《つつみかくし》のない話が、こうして景気を付けてはいるものの、それはほんの酒の上、心の底は苦しいので、
「先生、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
 と恍《とぼ》け顔に聞いて見る。書記は愚痴を酒の肴《さかな》というような風で、初対面の者にも聞かせずにはいられない男ですから――碌々源の言うことも耳に止めないで、とんちんかんな挨拶《あいさつ》。「私《わし》は登記役場に出てから、三年目になりやすよ。馬流《まながし》の正公《しょうこう》は私よりか前に奉職して、それで私と給料が同じだもんだで、大層口惜しがってね。此頃《こないだ》も、馬流へ行った時、正公のところへ寄って、正公ちったあ上げて貰いやしたかね、と聞いたら、弱ったよ、今月は五十銭も上るかと思ったに、この模様ではお流れだ、と言って嘆《こぼ》していやした」
「どうでごわしょう、先生、その女も足の骨を折られた位で……」
「しかし、人間は信用がなくちゃ駄目だね。私なんかのように貧乏人で、能の無い者でも、難有《ありがた》いことには皆さんが贔顧《ひいき》にしてくれてね。此頃《こないだ》も斎藤書記官に逢いやした時、お前《めえ》は今いくら取る、と言いやすから、九円になりやしたと言うと、九円? 九円も取るか、と大層喜んでくれやして、九円取れればいいだろう、と言いやすのさ。そりゃ私|独《ひと》りなら楽ですけれど、家内が大勢でなかなかやりきれやせん、と言いやしたら、よしよしその中に又た乃公《おれ》が骨を折って上るようにしてやる、と言ってくれやした」
「どうでごわしょう、先生、その女も……」
「噫《ああ》。貧苦ほど痛いものは無いね。貧苦、貧苦、子供は七人もあるし、家内には亡くなられるし――加《おまけ》に子供は与太野郎(愚物)ばかりで……。なあ、君、私もこんなに貧乏していて、それで酒ばかりは止められない。この楽みがあればこそ活きてる。察してくれ給え、酒でも飲まなけりゃいられんじゃないか」
「どうでごわしょう、先生……」
「地方裁判所なんとなると、どうもさすがに違ったものだね。君、『テエブル』が一畳敷もあろうかと思われる位大きくて、その上には青い織物《きれ》が掛けてもあるし、肘突《ひじつき》なんかもあるし、腰掛には空気枕のようなやつが付いてて、所長の留守に一寸乗って見ると――ぷくぷくしていて、工合のいいことと言ったら。君、そうして廷丁が三人も居るんだよ。それで呼鈴《よびりん》と言うので、ちりりんと拈《ひね》ると、そのまあ、ちり、ちり、ちりん、の工合で誰ということが分ると見えて、その人がやって来ますね。大したものですなあ」
 すこし話が途切れました。月のさした窓の外に蟋蟀《こおろぎ》の鳴く声が聞える。蛾《が》の大なのが家《うち》の内へ舞込んで来て、暗い洋燈《ランプ》の周囲《まわり》を飛んでおりましたが、やがて炉辺へ落ちて羽をばたばたさせる。書記は煙管《なたまめ》の雁首《がんくび》で虫を押えたかと思うと、炉の灰の中へ生埋めにしました。
「先生」と源は放心した人のように灰の動く様を熟視《みつ》めて、「先刻の御話でごわすが、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
「有ますとも。足の傷はあれでなかなか馬鹿にならん。現在、私の甥《おい》がそれだ――撃《ぶ》ち処《どこ》が悪かったと見えて、直に往生《まい》って了った。人間の命は脆《もろ》いものさ……見給え、この虫の通りだ」
「ははははは」と源は愚かしい目付をして、寂しそうに笑って、「万一、その女が死にでもしたら、先生、奴さんの方はどうなりやしょう」
「そりゃあ君、知れきってる話さ。無論、捕《つかま》らあね。人を殺して置いて自分ばかり助かるという理屈はないからな」
「ははははは」
 源は反返《そりかえ》って笑いました。人間は時々心と正反対《うらはら》な動作《こと》をやる――源の笑いが丁度それです。話好な書記は乗気になって、
「あの子についちゃ実にかわいそうな話があるんでね。私はお隅さんを見ると、罅痕《ひびたけ》の入った茶椀《ちゃわん》を思出さずにいられやせんのさ。まあ聞いてくれ給え」
 と前置をして、話出したのはこうでした。
 お隅の父親《おやじ》がこの男と同じ書記仲間で大屋の登記役場に勤めている時分――お隅も大屋へ来て、唯有《とあ》る家に奉公していました。根が働好な女で、子供の世話、台所の仕事、そりゃあもう何から何まで引受けて、身を粉にして勤めましたから、さあ界隈《かいわい》でも評判。お隅が遠い井戸から汲々《せっせ》と水を担いで通るところを見掛けた者は、誰一人|褒《ほ》めないものが無い位。主人の家というのは少許《すこし》引込んだ処に在って、鉄道の踏切を通らねば、町へ買物に出ることが出来ないのでした。お隅はよく主人の子供を負《おぶ》って、その踏切を往たり来たりした。丁度、そこに線路番人が見張をして佇立《たたず》んでいて、お隅の通る度《たび》に言葉を掛ける。終《しまい》には、お隅の見えるのを楽みにして待っている、という風になりましたのです。ある日のこと、番人が休暇で自分の家の前に立っていると、そこをお隅は子供を負《おぶ》いながら通りました。お隅は無理やりに呼込まれて――その番人というのは、すばらしい力のある奴ですから、さんざんに嚇《おど》かされたり賺《すか》されたりして――それから気がついて見ると、いつの間にかお隅の身体は番人の腕の中に在ったとか言うことで。子供は二人が喧嘩でもするのかと思って、烈しく泣いたということです。
 間もなくお隅はこの番人と夫婦になりたいということを、人を以《もっ》て、父親のところへ言込みました。
 お隅が迷いもし、恐れもしたことは、それから又た間もなく夫婦約束を取消したいと言って、父親の許《ところ》へ泣いて来たのでも知れる。お隅は小鳥です。その小鳥が網を張って待っていた番人の家へ出掛けて行って、前《さき》の約束を断ろうとすると――獣欲で饑渇《うえかわ》いた男のことですから堪《たま》りません、復たお隅は辱《はずか》しめられました。番人は手柄顔に吹聴する、さあ停車場附近では専《もっぱ》ら評判、工夫の群まで笑わずにはおりませんのでした。とうとうお隅は父親へ置手紙をして、ある夜の闇に紛れて、大屋を出奔して了いました。
 父親がこの書記に見せた手紙の中には、無量の悲哀《かなしみ》が籠《こ》めてあったということです。鉄釘《かなくぎ》流に書いた文字は一々涙の痕《あと》で、情が迫って、言葉のつづきも分らない程。それは主人へ対して申訳のないこと、朝夕にまといつく主人の子供もさぞ後で尋ね慕うかと思えば愍然《ふびん》なこと、「これも身から出た錆《さび》、父《とっ》さん堪忍しておくれ、すみより」としてありましたそうです。父親は無学な娘の手紙を読んで、その上に熱い涙を落しましたとのこと。
「という訳で」と書記は冷くなった酒を飲干して、「ところが同僚は極の好人物《ひとよし》だもんだで、君どうでしょう、泣寝入さ。私は物数寄《ものずき》にその番人を見に行きやした。丁度、直江津の二番が上って来た時で、その男が饅頭笠《まんじゅうがさ》を冠って、踏切のところに緑色の旗を出していやしたよ。え――君はその番人をどんな男だと思うえ。せめて年でも若いのかと? へへへへへ、いやはや大違い。私も魂消《たまげ》たねえ、まあ同僚と同い年位の爺《おやじ》じゃないか」
 源は蒼くなって、炉に燃え上る楢の焚火《たきび》を見入ったまま。
「それから一月ばかり経って」と書記は思出したように震えながら、「私は一度あの子に行逢ったがね、その時のお隅さんは――へえもう、がらりと変っていやしたよ。蟀谷《こめかみ》のところへ紫色の頭痛|膏《こう》なんぞを貼《は》って、うるんだ目付をして、物を思うような様子をして、へえ前の処女《おぼこ》らしいところは少許《ちっと》もなかった。私があの子を見ると、罅痕《ひびたけ》の入った茶椀を思出すと言ったは、こういう訳でさ。君もその番人の顔が見たいと思うでしょう。なんなら大屋の停車場へ序《ついで》に寄って見給え。今でも北の踏切のところに立って、緑色の旗を出して……へへへへ」
「先生、もう沢山」
 と源は銀貨をそこへ投出して置いて、鹿の湯を飛出しました。

    参

 さすがに母親《おふくろ》は源のことが案じられて堪りません。海の口村の出はずれまで尋ねて参りますと、丁度源が鹿の湯の方から帰って来たところで、二人は橋の頭《たもと》で行逢いました。母親は月光《つきあかり》に源の顔を透して視て、
「お前《めえ》は、まあ何処へ行ってたよ。父《とっ》さんも何程《どのくれえ》心配していなさるか知んねえだに。私《わし》はお前を探して歩いて、どこを尋ねても――源さは来なさりゃせんとばかり。さあ、私と一緒に帰りなされ」
 それは静かな、気の遠くなるような夜でした。奥山の秋のことですから、日中《ひるなか》とは違いましてめっきり寒い。山気は襲いかかって人の背《せなか》をぞくぞくさせる。見れば樹葉《きのは》を泄《も》れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも※[#「※」は「もんがまえ+貝」、89-5]寂《ひっそり》として、沈まり返って、休息《やす》んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親《おやじ》さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許《ちったあ》痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一《もしも》の事が有って見ろ。これが巡査《おまわり》さんの耳へ入《へい》ったものならお前はまあどうする気だぞい――痴児《たわけ》め。
 忘れたかや。お前にはお梅さという許婚《いいなずけ》があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸《やっ》と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰《もら》ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
 私はお前の根性が愍然《かわいそう》でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子《ひとりっこ》で我儘《わがまま》放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに――自分さえよければ他はどうでもよい――それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若《わけ》い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸《やっ》と目が覚めて心を入替《いれけ》えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張《やっぱり》あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程《どのくれえ》まあ口惜《くやし》いか知んねえ」
 と母親《おふくろ》は仰《あおむ》きながら鼻を啜《すす》りました。
 ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠《そばばたけ》の側《わき》を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔《ま》きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯《すがれ》に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶《おもいで》が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺《なが》めて幾度か深い歎息《ためいき》を吐きました。
「源」と母親は襦袢《じゅばん》の袖口で※[#「※」は「めへん+匡」、90-11]《まぶた》を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬《たと》えて見るなら丁度|干乾《ひから》びた烏瓜《からすうり》だ――その烏瓜が細い生命《いのち》の蔓《つる》をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
 老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰《あおむ》きながら首を振る度に、猶々《なおなお》胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
 源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮《やぶ》医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨つぎの名人が有るということだによって、明日はなんでも其処へお隅を遣《や》ることだ、と言ってなさる。なあ、お前も明日の朝は暗え中に起きて、お隅を馬に乗せて、村の人の寝ている中に出掛けて行きなされ」
 こういう話をして、家へ帰って見ますと、お隅も寝入った様子。母親《おふくろ》は源を休ませて置いて、炉辺で握飯をこしらえました。父親も不幸な悴《せがれ》の為に明日履く草鞋《わらじ》を作りながら、深更《おそく》まで二人で起きていたのです。度を過した疲労の為に、源もおちおち寝られません。枕許の畳を盗むように通る鼠の足音まで恐しくなって、首を持上げて見る度に、赤々と炉に燃上る楢の火炎《ほのお》は煤けた壁に映っておりました。源は心《しん》が疲れていながら、それで目は物を見つめているという風で、とても眠が眠じゃない――少許《すこし》とろとろしたかと思うと、復た恐しい夢が掴みかかる。
 夜中にすこし時雨《しぐれ》ました。
 源は暁前《よあけまえ》に起されて、馬小屋へ仕度に参りましたが、馬はさすがに昨日の残酷な目を忘れません。蚊《か》の声のする暗い隅の方へとかく逡巡《しりごみ》ばかりして、いつもの元気もなく出渋るやつを、無理無体に外へ引出しました。お隅の萎れた身体は鞍《くら》の上に乗せ、足は動かさないように聢《しっか》と馬の胴へ括付《くくりつ》けました。母親《おふくろ》は油火《カンテラ》を突付けて見せる――お隅は編笠、源は頬冠《ほっかぶ》りです。坂の上り口まで父親に送られて、出ました。
 夜はまだ明放れません。鶏の鳴きかわす声が遠近《あちこち》の霧の中に聞える。坂を越して野辺山が原まで出てまいりますと、霧の群は行先《ゆくて》に集って、足元も仄暗《ほのぐら》い。取壊《とりくず》さずにある御仮屋《おかりや》も潜み、厩《うまや》も隠れ、鼻の先の松は遠い影のように沈みました。昨日の今日でしょう、原の上の有様は、よくも目に見えないで、見えるよりかも反って思出の種です。夫婦の進んでまいりましたのは原の中の一筋道――甲州へ通う旧道でした。二人は残夢もまだ覚めきらないという風で、温い霧の中をとぼとぼと辿《たど》りました。
 高原の上に寂しい生活を送る小な村落は、旧道に添いまして、一里置位に有るのです。やがて取付《とっつき》の板橋村近く参りますと、道路も明くなって、ところどころ灰紫色《はいむらさき》の空が見えるようになりました。
 こうして馬の口を取って、歩いて行くことは、源にとりまして言うに言われぬ苦痛です。源も万更《まんざら》憐《あわれ》みを知らん男でもない。いや、大知りで、随分|落魄《おちぶ》れた友人を助けたことも有るし、難渋した旅人に恵んでやった例もある。もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負《しょ》ったような苦痛《くるしみ》ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
 それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂《さげ》て、罪過《あやまち》を謝《わび》るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖《おそれ》を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴《たわけ》め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解《いいほど》いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
 馬は取付く虻《あぶ》を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。神経の鋭いものだけに、主人を懐しむことも恐れることも酷《はげ》しいものと見え、すこし主人に残酷な様子が顕れると、もう腰骨《こしぼね》を隆《たか》くして前へ進みかねる。
「そら牛馬《うしうま》め」
 と源は怒気を含んで、烈しく手綱を引廻す。「意地が悪くて、遅いから、牛馬だ。そら、この牛め」
 馬は片意地な性質を顕して、猶々出足が渋ってくる。
「やい戯※[#「※」は「ごんべん+虚」、93-9]《じょうだん》じゃねえぞ。余程《よっぽど》、この馬は与太馬(駑馬《どば》)だいなあ。こんな使いにくい畜生もありゃあしねえ」
 長い手綱を手頃に引手繰《ひきたぐ》って、馬の右の股《もも》を打つ。
「しッ、しッ、そら、おじいさん」
 馬は渋々ながら出掛けるのでした。
 晴れて行く高原の霧のながめは、どんなに美しいものでしょう。すこし裾《すそ》の見えた八つが岳が次第に嶮《けわ》しい山骨を顕わして来て、終《しまい》に紅色の光を帯びた巓《いただき》まで見られる頃は、影が山から山へ映《さ》しておりました。甲州に跨《またが》る山脈の色は幾度《いくたび》変ったか知れません。今、紫がかった黄。今、灰がかった黄。急に日があたって、夫婦の行く道を照し始める。見上げれば、ちぎれちぎれの綿のような雲も浮んで、いつの間にか青空になりました。
 ああ朝です。
 男山、金峯《きんぷ》山、女山、甲武信岳《こぶしがたけ》、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源。かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川は朝日をうけて白く光りました。
 馬上のお隅は首を垂下げておりましたが、清《すず》しい朝の空気を吸うと急に身体を延して、そこここの景色を眺め廻して、
「貴方《あんた》、お願いでごわすが、爰《ここ》から家へ帰って下さい」
 と言われて、源は呆《あき》れながらお隅の顔を見上げました。
「折角、爰まで来て、帰ると言う馬鹿が何処にある」
「私はどうしても平沢へ行きたくないような心地《こころもち》がして……気が咎《とが》めてなりゃせん」
「お前はどうかしてるよ。今、爰から帰って何になるぞい。自分の身体が可愛《かわいい》とは思わねえかよ」
「噫、私は死んでもかまわない」
「何? 死んでもかまわない?」と源は首を縮めて、くすくす笑って、「ふふ、馬鹿も休み休み言え。こんな蕎麦も碌々出来ねえような原の上でさえ、見ろ、住んでいる人すら有るじゃねえかよ。奥山の炭焼の烟《けむり》に燻《くすぶ》って、真黒になって、それでも働く人のあるというのは――何の為だ。皆《みんな》、生きたいと思やこそ。自分の命より大切なものが世の中にあるかよ」
 と言って、源は板橋村の人家から青々と煙の空に上るのを眺めました。お隅は恨めしそうに、
「貴方は自分の命がそんなに大切でも、他《ひと》の命は大切じゃごわせんのかい。貴方が生きたけりゃ、私だっても生きたい」
「解らねえなあ、何故女というものはそう解らねえだろう。それだによって、己が暗い中から起きて、忙しい手間を一日|潰《つぶ》して、こうしてお前を馬に乗せて、連れて行くとこじゃねえか。命が惜くねえもんなら、誰がこんな思いをして、平沢くんだりまでも行くものかよ」と源は気を変えて、「つまらねえことを言うのは止してくれ、お前が助からんけりゃ、己も助からん」
「貴方はそう言いなさるけれど、私だっても他人じゃなし、一緒に死ぬなら好《いい》じゃごわせんかえ」
 とお隅は源の姿を盗むように視下《みおろ》して、蒼《あおざ》めた口唇《くちびる》に笑《えみ》を浮べました。源は地団太踏んで、
「真実《ほんとう》に、お前はどうかしてる。己がこれ程言うじゃねえかよ。己を助けると思って、機嫌克《きげんよ》くして行ってくれ。なあ、一生のお頼みだに」
 お隅は口を噤《つぐ》んで了う。源はぶつぶつ言いながら、馬を引いてまいりました。
 筒袖の半天に股引《ももひき》、草鞋穿で頬冠りした農夫は、幾群か夫婦の側を通る。鍬《くわ》を肩に掛けて行く男もあり、肥桶《こえたご》を担いで腰を捻《ひね》って行く男もあり、爺《おやじ》の煙草入を腰にぶらさげながら随《つ》いて行く児もありました。気候、雑草、荒廃、瘠土《やせつち》などを相手に、秋の一日《ひとひ》の烈しい労働が今は最早《もう》始まるのでした。
 既に働いている農婦も有ました。黒々とした「のっぺい」(土の名)の畠の側を進んでまいりますと、一人の荒くれ男が、汗雫《あせしずく》になって、傍目《わきめ》もふらずに畠を打っておりました。大な鋤《すき》を打込んで、身を横にして仆《たお》れるばかりに土の塊を鋤起す。気の遠くなるような黒土の臭気《におい》は紛《ぷん》として、鼻を衝くのでした。夫婦は他《ひと》の働くさまを夢のように眺め、茫然《ぼんやり》と考え沈んで、通り過ぎて行きましたのです。板橋村を離れて旅人の群に逢いました。
 高原の秋は今です。見渡せば木立もところどころ。枝という枝は南向に生延《はえの》びて、冬季に吹く風の勁《つよ》さも思いやられる。白樺《しらはり》は多く落葉して、高く空に突立ち、細葉の楊樹《やなぎ》は踞《うずくま》るように低く隠れている。秋の光を送る風が騒しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き靡《なび》いて、柏《かしわ》の葉もうらがえりました。
 ここかしこに見える大石には秋の日があたって、寂しい思をさせるのでした。
「ありしおで」の葉を垂れ、弘法菜の花をもつのは爰《ここ》です。
「かしばみ」の実の路《みち》に落ちこぼれるのも爰です。
 爰には又、野の鳥も住隠れました。笹《ささ》の葉蔭に巣をつくる雲雀《ひばり》は、老いて春先ほどの勢がない。鶉《うずら》は人の通る物音に驚いて、時々草の中から飛立つ。「ヒュヒュ、ヒュヒュ」と鳴く声を聞いては、思わず源も立留りました。見れば、不恰好《ぶかっこう》な短い羽をひろげて、舞揚ろうとして、やがてぱったり落ちるように草の中へ引隠れるのでした。
 外の樹木の黄に枯々とした中に、まだ緑勝な蔭をとどめたところもある。それは水の流れを旅人に教えるので。そこには雑樹《ぞうき》が生茂《おいしげ》って、泉に添うて枝を垂れて、深く根を浸しているのです。源は馬に飲ませて通りました。
 今は村々の農夫も秋の労働に追われて、この高原に馬を放すものもすくない。八つが岳山脈の南の裾《すそ》に住む山梨の農夫ばかりは、冬李の秣《まぐさ》に乏しいので、遠く爰まで馬を引いて来て、草を刈集めておりました。
 日は次第に高くなる、空気は乾燥《はしゃ》いでくる、夫婦は渇《かわ》き疲れて休場処を探したのですが、さて三軒屋は農家ばかりで、旅人のため蕎麦餅《はりこし》を焼くところもなし、一ぜんめし、おんさけさかな、などの看板は爰から平沢までの間に見ることも出来ないのです。拠《よんどころ》なく、夫婦は白樺《しらはり》の樹の下を選《よ》って、美しい葉蔭に休みました。これまで参りましても、夫婦は互に打解けません。源はお隅を見るのが苦痛で、お隅はまた源を見るのが苦痛です。きのうの事が有ましてから、源は妙に気まずくなって、お隅と長く目を見合せていられない。年若な妻が馬の上に悩萎《なやみしお》れて、足を括付《くくりつ》けられているところを見れば、憐みの起るは人の情でしょう。しかし、ゆうべの書記の話を思出すと、線路番人のことが眼前《めのまえ》に活きて来て、譬えようもない嫉妬《しっと》が湧上る。源は藁草履と言われる程の醜男子《ぶおとこ》ですから、一通りの焼手《やきて》ではないのです。編笠越しに秋の光のさし入ったお隅の横顔を見れば、見るほど嫉妬は憐みよりも強くなるばかりでした。
「お隅、お前は何をそんなに考えているんだい」
「何も考えておりゃせんよ」
「定めしお前は己を恨んでいるだろう。己に言わせると、こっちからお前を恨むことがある」
「何を私は貴方に恨まれることが有りやすえ」
 と突込むように言われて、源はもう憤然《むっ》とする。さすがにそれとは言|淀《よど》んで、すこし口唇を震わせておりましたが、やがて石の上に腰を掛けて、草鞋の紐《ひも》を結直しながら、書記から聞いた一伍一什《いちぶしじゅう》を話し出した。こう打開《ぶちま》けて罪人の旧悪を言立てるような調子に出られては、お隅も平気でいられません。見る見るお隅の顔色が変って来て、「線路の番人」と図星を指《さ》された時は、耳の根元から襟首《えりくび》までも真紅にしました。邪推深い目付で窺《うかが》い澄していた源のことですから、お隅の顔の紅くなったのが読めすぎる位読めて、もう嫉《ねたま》しいで胸一ぱいになる。
 しばらく二人は無言でした。
「貴方もあんまりだ」
 とお隅は潤み声でいう。源は怒を帯びた鋭い調子で、
「何があんまりだよ」
「だって、あんまりじゃごわせんか。誰から聞きなすったか知りゃせんが、今更そんな件《こと》を持出して私を責めたって……」とお隅はさもさも儚《はかな》いという目付で、深い歎息《ためいき》を吐《つ》いて、「それを根に持って、貴方は私《わし》をこんなに打《ぶち》なすったのですかい」
「あたりめえよ」
 お隅は顔を外向《そむ》けて、嗚咽《すすりあげ》ました。一旦|愈《なお》りかかった胸の傷口が復た破れて、烈しく出血するとはこの思いです。残酷な一生の記憶《おもいで》は蛇のように蘇生《いきかえ》りました。瞑《つぶ》った目蓋《まぶた》からは、熱い涙が絶間《とめど》もなく流出《ながれだ》して、頬を伝って落ちましたのです。馬は繋がれたまま、白樺《しらはり》の根元にある笹の葉を食っていたのですが、急に首を揚げて聞耳を立てました。向の楢林《ならばやし》――山梨の農夫が秣を刈集めている官有地の方角から、牝馬の嘶《いなな》く声が聞えて来る。やがて源の馬は胴震いして、鼻をうごめかして、勇しそうに嘶きました。一段の媚《こび》を含んだような牝馬の声が復た聞える。源の馬は夢中になって嘶きかわした。昨日から今日へかけて主人に小衝き廻されたことは一通りで無いのですもの、人間の残酷な叱※[#「※」は「口へん+它」、99-1]《しった》と、牝馬の恋の嘶きと、どちらがこの馬の耳には音楽のように聞えたか――言うまでもない。牝馬は、また、誘うような、思わせ振な声で――こういう時の役に立てねば外に役に立てる時は無いといいたい調子で、嘶きながら肥った灰色の姿を見せました。声を聞いたばかりでも、源の馬はさも恋しそうに眺め入っていたのですから、愛らしい形を拝んでは堪りません。紫色の大な眼を輝して、波のように胸の動悸《どうき》を打たせて、しきりと尻尾を振りました。鼻息は荒くなって来て、白い湯気のように源の顔へかかる。
「止せ、畜生」
 と源は自分の顔を拭いて、その手で馬の鼻面を打ちました。馬は最早《もう》狂気です。牝馬の恋しさに目も眩《くら》んで、お隅を乗せていることも忘れて了う。やがて一振、力任せに首を振ったかと思うと、白樺《しらはり》の幹に繋いであった手綱はポツリと切れる。黄ばんだ葉が落ち散りました。
 あれ、という間に、牝馬の方を指して一散に駆出す。源は周章《あわ》てて、追馳《おいか》けて、草の上を引摺《ひきず》って行く長い手綱に取縋《とりすが》りました。
 さすがに人に誇っておりました源の怪力も、恋の力には及《かな》いません。源は怒の為に血を注いだようになりまして、罵《ののし》って見ても、叱って見ても、狂乱《くるいみだ》れた馬の耳には何の甲斐《かい》もない。五月雨《さみだれ》揚句の洪水《おおみず》が濁りに濁って、どんどと流れて、堤を切って溢《あふ》れて出たとも申しましょうか。左右に長い鬣《たてがみ》を振乱して牝馬と一緒に踴《おど》り狂って、風に向って嘶きました時は――偽《いつわり》もなければ飾もない野獣の本性に返りましたのです。源はもう、仰天して了って、聢《しっかり》と手綱を握〆めたまま、騒がしく音のする笹の葉の中を飛んで、馬と諸馳《もろがけ》に馳けて行きました。黄色い羽の蝶《ちょう》は風に吹かれて、木の葉のように前を飛び過ぎる。木蔭に草を刈集めていた農夫は物音を聞きつけて、東からも西からも出合いましたが、いずれも叫んで逃廻るばかり。馬の勢に恐《おじ》て寄りつく者も有ません。終《しまい》には源も草鞋を踏切って了う、股引は破れて足から血が流れる――思わず知らず声を揚げて手綱を放して了いました。
 憐み、恐れ、千々の思は電光《いなずま》のように源の胸の中を通りました。馬は気勢の尽き果てた主人を残して置いて、牝馬と一緒に原の中を飛び狂う。使役される為に生れて来たようなこの畜生も、今は人間の手を離れて、自由自在に空気を呼吸して、鳴きたいと思う声のあらん限を鳴きました。ある時は牝馬と同じように前足を高く揚げて踴上るさまも見え、ある時は顔と顔を擦《すり》付けて互に懐しむさまも見える。時によると、牝馬はつんと憤《すね》た様子を見せて、後足で源の馬を蹴る。すると源の馬は長い尻尾を振りまして、牝馬の足を押戴くように這倒《はいのめ》る。やがて牝馬の傍へ寄って耳語《みみうち》をすると、牝馬は源の馬の鬣《たてがみ》を噛《か》んで、それを振廻して、もうさんざんに困《じら》した揚句、さも嬉しそうな嘶きを揚げる。二匹の馬は互に踴りかかって、噛合って、砂を浴せかけました。獣の恋は戯《たわむれ》です。
 急に二匹の馬は揃って北の方へ馳出しました。見る見る遠く離れて、馬の背の上に仰《あおむ》けさまに仆れたお隅の顔も形も分らない程になる。不幸な女の最後はこれです。
 やがて馬の姿も黄色い土塵《つちぼこり》の中に隠れて見えなくなりました。

       *     *     *

 源が馬の後を迫って、板橋村の出はずれまで参りました頃はかれこれ昼でした。そこには農夫の群が黒山のように集《たか》って、母親《おふくろ》の腕に抱かれたお隅の死体を見ておりました。源は父親と顔を見合せたばかり、互に言葉を交《かわ》すことも出来ません。海の口村の巡査が人を押分けて源の前へ進んだ時は、群集の視線がこの若い農夫に注《あつま》りましたのです。源は蒼《あお》ざめた口唇へ指さしをして、物の言えないということを知らせました。
 前《さき》の世に恨のあったものが馬の形に宿りまして、生れ変って讐《あだ》をこの世に復《かえ》したものであろう、というような臆測が群集の口から口へ伝わりました。巡査は父親から事の委細を聞取って、しきりに頷《うなず》く。源に何の咎《とが》がない、ということを確めました時は、両親も巡査の後姿を拝むばかりに見送って、互に蘇生《いきかえ》ったような大息《おおいき》をホッと吐《つ》きましたのです。
 群集もちりぢりになって、親戚《みうち》の者ばかり残りました頃、父親は石の落ちたように胸を撫《な》で擦《さす》りながら、
「源、お隅はお前の命を助けてくれたぞよ。さあ爰へ来て沢山《たんと》御礼を言いなされ」
 源は妻の死骸《しがい》の前に立ちまして、黙って首を垂れました。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日初版発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:伊藤時也
1999年12月14日公開
2000年6月27日修正
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