青空文庫アーカイブ


島木健作

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)黒いしみ[#「しみ」に傍点]
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 1

 新しく連れて来られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての真夏を迎えたのであった。暑さ寒さも肌に穏やかで町全体がどこか眠ってでもいるかのような、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあったのであろう、慌ただしくただひとりこちらへ送られて来たのは七月にはいると間もなくのことであった。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に着替えると、小さな連絡船に乗って、翠巒のおのずから溶けて流れ出たかと思われるような夏の朝の瀬戸内海を渡り、それから汽車で半日も揺られて東海道を走った。そうして、大都市に近いこの町の、高い丘の上にある、新築後間もない刑務所に着いたのはもうその日の夕方近くであった。広大な建物の中をぐるぐると引きまわされ、やがて与えられた独房のなかに落ち着いた時には、しばらくはぐったりとして身動きもできないほどであった。久しぶりに接した外界の激しい刺戟と、慣れない汽車の旅に心身ともに疲れはてていたのである。それから三日間ばかりというもの続けて彼は不眠のために苦しんだ。一つは居所の変ったせいもあったであろう。しかし、昼も夜も自分の坐っている監房がまだ汽車の中ででもあるかのように、ぐるぐるとまわって感ぜられ、思いがけなく見ることの出来た東海道の風物や、汽車の中で見た社会の人間のとりどりの姿態などが目先にちらついて離れがたいのであった。ほとんど何年ぶりかで食った汽車弁当の味も、今もなお舌なめずりせずにはいられない旨さで思い出された。彼はそれをS市をすぎて間もなくある小駅に汽車が着いた時に与えられ、汽車中の衆人の環視のなかでがつがつとした思いで貪り食ったのである。――しかし、一週間を過ぎたころにはこれらのすべての記憶もやがて意識の底ふかく沈んで行き、灰いろの単調な生活が再び現実のものとして帰って来、それとともに新しく連れて来られた自分の周囲をしみじみと眺めまわして見る心の落着きをも彼は取り戻したのであった。
 独房の窓は西に向って展いていた。
 昼飯を終えるころから、日は高い鉄格子の窓を通して流れ込み、コンクリートの壁をじりじりと灼いた。午後の二時三時ごろには、日はちょうど室内の中央に坐っている人間の身体にまともにあたり、ゆるやかな弧をえがきながら次第に静かに移って、西空が赤く焼くるころおいにようやく弱々しい光りを他の側の壁に投げかけるのであった。ここの建物は総体が赤煉瓦とコンクリートとだけで組み立てられていたから、夜は夜で、昼のうち太陽の光りに灼けきった石の熱が室内にこもり、夜じゅうその熱は発散しきることなく、暁方わずかに心持ち冷えるかと思われるだけであった。反対の側の壁には通風口がないので少しの風も鉄格子の窓からははいらないのである。太田は夜なかに何度となく眼をさました。そして起き上ると薬鑵の口から生ぬるい水をごくごくと音をさせて呑んだ。その水も洗面用の給水を昼の間に節約しておかねばならないのであった。呑んだ水はすぐにねっとりとした脂汗になって皮膚面に滲み出た。暁方の少し冷えを感ずるころ、手を肌にあててみると塩分でざらざらしていた。――冬じゅうカサカサにひからび、凍傷のために紫いろに腫れて肉さえ裂けて見えた手足が、黒いしみ[#「しみ」に傍点]を残したままもとどおりになって、脂肪がうっすらと皮膚にのって、若々しい色艶を見せたかと思われたのもほんの束の間のことであった。今ははげしい汗疣が、背から胸、胸から太股と全身にかけて皮膚を犯していた。汗をぬぐうために絶えず堅い綿布でごしごし肌をこするので強靱さを失った太田の皮膚はすぐに赤くただれ、膿を持ち、悪性の皮膚病のような外観をさえ示しはじめたのである。――監房内の温度はおそらく百度を越え、それと同時に房内の一隅の排泄物が醗酵しきって、饐えたような汗の臭いにまじり合ってムッとした悪臭を放つ時など、太田は時折封筒を張る作業の手をとどめ、一体この広大な建物の中には自分と同じようなどれほど多くの血気壮んな男たちが、この悪臭と熱気のなかに生きたその肉体を腐らせつつあるのだろうか、などと考えながら思わず胸をついて出る吐息とともに空を眺めやると、小さな鉄格子の窓に限られたはるかな空は依然白い焔のような日光に汎濫して、視力の弱った眼には堪えがたいまでにきらめいているのであった。

 ほぼ一と月もするうちに、単調なこの世界の生活の中にあって、太田は、いつしか音の世界を楽しむことを知るようになった。
 彼の住む二階の六十五房は長い廊下のほぼ中央にあたっていた。この建物の全体の構造から来るのであろうか、この建物の一廓に起るすべての物音は自然に中央に向って集まるように感ぜられるのであった。その内部がいくつにも仕切られた、巨大な一つの箱のような感じのするこの建物の一隅に物音が起ると、それは四辺の壁にあたって無気味にも思われる反響をおこし、建物の中央部にその音は流れて、やがて消えて行くのである。――廊下を通る男たちの草履のすれる音、二、三人ひそひそと人目をぬすんで話しつつ行く気はい、運搬車の車のきしむ響き、三度三度の飯時に食器を投げる音、しのびやかに歩く見まわり役人の靴音と佩剣の音。――すベてそれらの物音を、太田は飽くことなく楽しんだ。雑然たるそれらの物音もここではある一つの諧調をなして流れて来るのである。人間同士、話をするということが、堅く禁ぜられている世界であった。灰色の壁と鉄格子の窓を通して見る空の色と、朝晩目にうつるものとてはただそれだけであった。だがそのなかにあって、なお自然にかもし出される音の世界はそれでもいくらか複雑な音いろを持っていたといいうるであろう。それも一つには、あたりが極端な静けさを保っているために、ほんのわずかな物音も物珍らしいリズムをさえ伴って聞かれるのである。――この建物の軒や横にわたした樋の隅などにはたくさんの雀が巣くっていた。春先、多くの卵がかえり、ようやく飛べるようになり、夏の盛りにはそれはおびただしい数にふえていた。暁方空の白むころおいと、夕方夕焼けが真赤に燃えるころおいには、それらのおびただしい雀の群れが鉄格子の窓とその窓にまでとどく桐の葉蔭に群れて一せいに鳴きはやすのである。その奥底に赤々と燃えている(原文五字欠)を包んで笑うこともない、きびしい冷酷さをもって固くとざされた心にも、この愛すべき小鳥の声は、時としては何かほのぼのとした温かいものを感じさせるのであった。それは多くは幼時の遠い記憶に結びついているようである。――時々まだ飛べない雀の子が巣から足をすべらして樋の下に落ちこむことがあった。親雀が狂気のようにその近くを飛びまわっている時、青い囚衣を着て腕に白布をまいた雑役夫たちが、樋の中に竹の棒をつっ込みながら何か大声に叫び立てている。それは高い窓からも折々うかがわれる風景であったが、ほんの一瞬間ではあるが、それは自分の現在の境遇を忘れさせてくれるに足るものであった。――五年という月日は長いが、すべてこれらの音の世界が残されている限りは、俺も発狂することもないだろう、などと太田は時折思ってみるのであった。
 だが、何にも増して彼が心をひかれ、そしてそれのみが唯一の力とも慰めともなったところのものは、やはり人間の声であり、同志たちの声であった。
 その声はどんな雨の日にも風の日にも、これだけは欠くることなく正確に一日に朝晩の二回は聞くことができた。朝、起床の笛が鳴りわたる。起きて顔を洗い終ると、すぐに点検の声がかかる。戸に向って瘠せて骨ばった膝を揃えて正坐する時には、忘れてはならぬ屈辱の思いが今さらのようにひしひしと身うちに徹して感ぜられ、点検に答えて自分の身に貼りつけられた番号を声高く呼びあげるのであった。欝結し、欝結して今は堪えがたくなったものが、一つのはけ口を見出して迸しり出ずるそれは声なのである。人々はこの声々に潜むすべての感情を、よく汲みつくし得るであろうか。――太田はいつしかその声々の持つ個性をひとつひとつ聞きわけることができるようになった。――一九三×年、この東洋第一の大工業都市にほど近い牢獄の独房は、太田と同じような罪名の下に収容されている人間によって満たされていたのだ。太田は鍛え上げられた敏感さをもって、共犯の名をもって呼ばれる同志たちがここでも大抵一つおきの監房にいることをすぐに悟ることができた。その声のあるものは若々しい張りを持ち、あるものは太く沈欝であった。その声を通してその声の主がどこにどうしているかをも知ることが出来るのであった。時々かねて聞きおぼえのある声が消えてなくなることがある。二、三日してその声がまた、少しも変らない若々しさをもって思わざる三階の隅の方からなど聞えてくる時には、ひとりでに湧き上ってくる微笑をどうすることもできないのであった。だが、一とたび消えてついに二度とは聞かれない声もあった。その声は何処に拉し去られたのであろうか。――朝夕の二度はこうして脈々たる感情がこの箱のような建物のあらゆる隅々に波うち、それが一つになってふくれ上った。

 2

 間もなく日が黄いろ味を帯びるようになり戸まどいした赤とんぼがよく監房内に入って来ることなどがあって、ようやく秋の近さが感ぜられるようになった。そういうある日の午後少し廻ったころ、太田は張り終えた封筒を百枚ずつせっせと束にこしらえていた。
 彼の一日の仕上げ高、はぼ三千枚見当にはまだだいぶ開きがあった。残暑の激しい日光を全身に受けてせっせと手を運ばせていると、彼はにわかに右の胸部がこそばゆくなり、同時に何か一つのかたまりが胸先にこみあげてくるのを感じたのである。何気なく上体をおこすとたんに、そのかたまりはくるくると胸先をかけ巡り、次の瞬間には非常な勢いで口の中に迸り出て、満ち溢れた余勢で積み重ねた封筒の上に吐き出されたのであった。
 血だ。
 ぼったりと大きな血塊が封筒のまん中に落ち、飛沫がその周囲に霧のように飛んだ。それはほとんど咳入ることもなく、満ち溢れたものが一つのはけ口を見出して流れ出たようにきわめて自然に吐き出された。だが次の瞬間には恐ろしい咳込みがつづけさまに来た。太田は夢中で側の洗面器に手をやりその中に面をつっこんだ。咳はとめどもなく続いた。そのたびごとに血は口に溢れ、洗面器に吐き出された。血は両方の鼻孔からもこんこんとして溢れ、そのために呼吸が妨げられるとそれが刺戟となってさらに激しく咳入るのであった。
 洗面器から顔をあげて喪心したようにその中をじっとのぞき込んだ時には、血はべっとりとその底を一面にうずめていた。溜った血の表面には小さな泡がブツブツとできたりこわれたりしていた。一瞬間前までは、自分の生きた肉体を温かに流れていたこの液体を、太田は何か不思議な思いでしばらく見つめていた。彼は自分自身が割合に落ち着いていることを感じた。胸はしかし割れるかと思われるほどに動悸を打っていた。顔色はおそらく白っぽく乾いていたことであろう。静かに立ち上ると報知機をおとし、それからぐったりと彼は仰向けに寝ころんだ。
 靴音がきこえ、やがて彼の監房の前で立ち止まり、落ちていた報知器をあげる音がきこえ、次に二つの眼が小さな覗き窓の向うに光った。
「何だ?」
 太田は答えないで寝たままであった。
「おい、何の用だ?」光線の関係で内部がよくは見えなかったのであろう、コトコトとノックする音が聞えたが、やがて焦立たしげにののしる声がきこえ、次に鍵がガチャリと鳴り、戸が開いた。
「何だ! 寝そべっている奴があるか、どうしたんだ?」
 太田がだまって枕もとの洗面器を指さすと、彼は愕然とした面持でじっとそれに見入っていたが、やがてあわててポケットから半巾を出して口をおおい、無言のまま戸を閉じ急ぎ足に立ち去った。
 やがて医者が来て簡単な診察をすまし、歩けるか、と問うのであった。太田がうなずいて見せると彼は先に立って歩き出した。監房を出る時ふと眼をやると、洗面器の血潮はすでに夏の日の白い光線のなかに黒々と固まりかけていて、古血の臭いが鼻先に感ぜられた。
 日のなかに出ると眼がくらくらとして倒れそうであった。赤土は熱気に燃えてその熱はうすい草履をとおしてじかに足に来た。病舎までは長い道のりであった。どれもこれも同じようないくつかの建物の間を通り、広い庭を横ぎり、また暗い建物の中に入りそれを突き抜けた。病舎に着くとすぐに病室に入れられ、氷を胸の上にのせて、太田は絶対仰臥の姿勢を取ることになったのである。
 七日の間、彼は夜も昼もただうつらうつらと眠りつづけた。その間にも、凝結した古血のかたまりを絶えず吐き続けた。彼は自分の突然落ちこんだ不幸な運命について深く考えてみようともしなかった。いや、彼のぶつかった不幸がまだあまりに真近くて彼自身がその中において昏迷し、その不幸について考えてみる心の余裕を取り戻していなかったのであろう。やがて落着きを充分に取り戻すと同時に、どんなみじめな思いに心が打ち摧かれるであろうか、ということが意識の奥ふかくかすかに予想はされるのではあったが。重湯と梅ぼしばかりで生きた七日ののち、彼はようやく静かに半身を起して身体のあちらこちらをさすってみて、この七日の間に一年も寝ついた病人の肉体を感じたのである。まばらひげの伸びた顎を撫でながら、彼はしみじみと自分の顔が見たいと思った。ガラス戸に這い寄って映して見たが光るばかりで見えなかった。やがて尿意をもよおしたので静かに寝台をすべり下り、久しぶりに普通の便器に用を足したが、その便器のなかに澱んだ水かげに、彼ははじめてやつれた自分の顔を映して見ることができたのであった。
 八日目の朝に看病夫が来て、彼の喀痰を採って行った。
 それからさらに二日経った日の夕方、すでに夕飯を終えてからあわただしく病室の扉が開かれ、先に立った看守が太田に外へ出ることを命じたのである。そして許された一切の持物を持って出ることをつけ加えた。夕飯後の外出ということはほとんどないことである。彼は不審そうにつっ立って看守の顔を見た。
「転房だ、急いで」
 看守は簡単に言ったままずんずん先に立って歩いて行く。太田は編笠を少しアミダにかぶってまだふらふらする足を踏みしめながらその後に従ったが、――そうしてやがて来てしまったここの一廓は、これはまたなんという陰気に静まりかえった所であろう。一体に静かに沈んでいるのはここの建物の全体がそういう感じなのだが、その中にあってすらこんなところがあるかと思われるような、特にぽつんと切り離されたような一廓なのである。なるほど刑務所の内部というものは、行けども行けども尽きることなく、思いがけない所に思いがけないものが伏せてある(原文三字欠)にも似ているとたしかにここへ来ては思い当るようなところであった。もう秋に入って日も短かくなったこととて、すでにうっすらと夕闇は迫り、うす暗い電気がそこの廊下にはともっていた。建物は細長い二棟で廊下をもって互いに通ずるようになっている。不自然に真白く塗った外壁がかえってここでは無気味な感じを与えているのである。この二棟のうちの南側の建物の一番端の独房に太田は入れられた。何か聞いてみなければ心がすまないような気持で、ガチャリと鍵の音のした戸口に急いで戻って見た時には、もうコトコトと靴音が長い廊下の向うに消えかけていた。
 房内はきちんと整頓されていてきれいであった。入って右側には木製の寝台があり、便所はその一隅に別に設けてあり、流しは石でたたんで水道さえ引かれているのである。試みに栓をひねってみると水は音を立てて勢いよくほとばしり出た。窓は大きく取ってあって寝台の上に坐りながらなお外が見通されるくらいであった。太田が今日まで足かけ三年の間、いくつかその住いを変えて来た独房のうちこんなに綺麗で整いすぎる感じを与えた所はかつてどこにもなかった。それは彼を喜ばせるよりもむしろ狼狽させたのであった。俺は一体どこへ連れて来られたのであろう、ここは一体どこなのだ?
 あたりは静かであった。他の監房には人間がいないのであろうか、物音一つしないのである。それにさっきの看守が立ち去ってからほぼ三十分にもなるであろうが、巡回の役人の靴音も聞えない。いつも来るべきものが来ないと言うことは、この場合、自由を感じさせるよりもむしろ不安を感じさせるのであった。
 腰をかけていた寝台から立ち上って、太田は再び戸口に立ってみた。心細さがしんから骨身に浸みとおってじっとしてはいられない心持である。扉にもガラスがはめてあって、今暮れかかろうとする庭土を低く這って、冷たい靄が流れているのが見えるのである。
「………………」
 ふと彼は人間のけはいを感じてぎょっとした。二つおいて隣りの監房は広い雑居房で、半分以上も前へせり出しているために、しかもその監房には大きく窓が取ってあるために、その内部の一部分がこっちからは見えるのであった。廊下の天井に高くともった弱い電気の光りに眼を定めてじっと見ると、窓によって大きな男がつっ立っているのだ。瞬きもせず眼を据えてこっちを見ているのだが、男の顔は恐ろしく平べったくゆがんで見えた。何とはなしに冷たい氷のようなものが太田の背筋を走った。その男の立っている姿を見ただけで、何か底意地のわるい漠然たる敵意が向うに感ぜられるのだが、太田は勇気を出して話しかけてみたのであった。
「今晩は」
 それにはさらに答えようともせず、少し間をおいてから、男はぶっきら棒に言い出したのである。
「あんた、ハイかライかね?」
 その意味は太田には解しかねた。
「あんた、病気でここへ来なすったんだろう。なんの病気かというのさ」
「ああ、そうか。僕は肺が悪いんだろうと思うんだが」
「ああ、肺病か」
 突っぱねるように言って、それからペッとつばを吐く音がきこえた。
「あんたも病気ですか、なんの病気なんです? そしていつからここに来ているんです」
 明らかに軽蔑されつき放された心細さに、いつの間にか意気地なくも相手に媚びた調子でものを言っている自分をさえ感じながら、太田はせき込んで尋ねたのであった。
「わしは五年いるよ」
「五年?」
「そうさ、一度ここへ来たからにゃ、焼かれて灰にならねえ限り出られやしねえ」
「あんたも病気なんですか、それでどこが悪いんです?」
 男は答えなかった。くるっと首だけ後ろに向けて、ぼそぼそと何か話している様子だったが、またこっちを向いた。その時気づいたことだが、彼は別にふところ手をしている風にもないのだが、左手の袖がぶらぶらし、袖の中がうつろに見えるのであった。
「わしの病気かね」
「ええ」
「わしは、れ・ぷ・ら、さ」
「え?」
「癩病だよ」
 しゃがれた大声で一と口にスバリと言ってのけて、それから、ざまア見やがれ、おどろいたか、と言わんばかりの調子でへッヘッヘッとひっつるような笑い声を長く引きながら監房の中に消えてしまった。その笑い声に応じて、今まで静かであった監房の中にもわっという叫び声が起り、急に活気づいたような話し声がつづいて聞えて来るのであった。すっかり惨めに打ちひしがれた思いで太田は自分の寝台に帰った。いつか脂汗が額にも背筋にもべとべととにじんでいた。わきの下に手をあててみると火のように熱かった。二、三分、狭い監房の中を行ったり来たりしていたが、それから生温い水にひたした手ぬぐいを額にのせてぐったりと横になり、彼は暁方までとろとろと夢を見ながら眠った。


 3

 朝晩吐く痰に赤い色がうすくなり、やがてその色が黒褐色になり、二週間ほど経って全然色のつかない痰が出るようになり、天気のいい日にはぶらぶら運動にも出られるようになったころから、ようやく太田にはこの新らしい世界の全貌がわかって来たのである。ここへ来た最初の日、雑居房の大男が、「ハイかライか?」と突然尋ねた言葉の意味もわかった。この隔離病舎の二棟のうち、北側には肺病患者が、南側には癩病患者が収容せられているのであった。癩病人と棟を同じくしている肺病患者は太田だけで、南側の建物の一番東のはしにただひとりおかれていた。
 社会から隔離され忘れられている牢獄のなかにあって、さらに隔離され全く忘れ去られている世界がここにあったのだ。何よりもまず何か特別な眼をもって見られ、特別な取扱いを受けているという感じが、新しくここへ連れ込まれた囚人の、彼ら特有の鋭どくなっている感覚にぴんとこたえるのであった。十分間おきぐらいにはきまって巡回するはずの役人もこの一廓にはほんのまれにしか姿を見せなかった。たとえ来てもその一端に立って、全体をぐるりと一と睨みすると、そそくさと急いで立ち去ってしまうのである。担当の看守はもう六十に手のとどくような老人で、日あたりのいい庭に椅子を持ち出し、半ばは眠っているのであろうか、半眼を見開いていつまでもじっとしていることが多かった。監房内にはだからどんな反則が行われつつあるか、それは想像するに難くはないのである。すべてこれらの取締り上の極端なルーズさというものは、だが、決して病人に対する寛大さから意識して自由を与えている、という性質のものではなく、それが彼らに対するさげすみと嫌悪の情とからくる放任に過ぎないということは、ことごとにあたっての役人たちの言動に現われるのであった。用事があって報知機がおろされても、役人は三十分あるいは一時間の後でなければ姿を見せなかった。ようやく来たかと思えば、監房の一間も向うに立って用事を聞くのである。うむ、うむ、とうなずいてはいるが、しかしその用事が一回でこと足りたということはまずないといっていいのである。――よほど後のことではあるが、太田は教誨師を呼んで書籍の貸与方を願い出たことがあった。監房に備えつけてある書籍というものは、二、三冊の仏教書で、しかもそのいずれもが表紙も本文もちぎれた読むに堪えない程度のものであったから。教誨師が仔細らしくうなずいて帰ったあとで、掃除夫の仕事をここでやっている、同じ病人の三十番が太田に訊くのであった。――「太田さん教誨師に何を頼みなすった?」「なに、本を貸してもらおうと思ってね」「そりゃ、あなた、無駄なことをしなすったな。一年に一度、役に立たなくなった奴を払い下げてよこす外に、肺病やみに貸してくれる本なんかあるもんですか。第一、坊主なんかに頼んで何がしてもらえます? あんたも共産党じゃないか。頼むんなら赤裏[#「赤裏」に傍点](典獄のこと)に頼むんですよ、赤裏に。赤裏がまわって来た時に、かまうこたァない、恐れながらと直願をやるんですよ」この前科五犯のしたたか者の辛辣な駁言には一言もなかったが、なるほどその言葉どおりであった。頼んだ本はついに来なかった。そして二度目に逢った時、教誨師は忘れたもののごとくによそおい、こっちからいわれて始めて、ああ、と言い、何ぶん私の一存ばかりでも行かぬものですから、と平気で青い剃りあとを見せた顎を撫でまわすのであった。――読む本はなく、ある程度の健康は取り戻しても何らの手なぐさみも許されず、終日茫然として暗い監房内に、病める囚人たちは発狂の一歩手前を彷徨するのである。
 健康な他の囚人たちのここの病人に対するさげすみは、役人のそれに輪をかけたものであった。きまった雑役夫はあっても何かと口実を作ってめったに寄りつきはしなかった。仕方なく掃除だけは病人のうち比較的健康な一人が外に出て掃いたり拭いたりするのである。衣替えなどを請求してもかつて満足なものを支給されたためしはなかった。囚衣から手拭いのはしに至るまで、もう他では使用に堪えなくなったものばかりを、択りに択って持ってくるのである。病人たちは、尻が裂けたり、袖のちぎれかけた柿色の囚衣を着てノロノロと歩いた。而してこういう差別は三度三度の食事にさえ見られた。味噌汁は食器の半分しかなく飯も思いなしか少なかった。病人は常に少ししか食えないものと考えるのは間ちがいだ。病人というものは食欲にムラがあり、極端に食わなかったり、極端に食ったりするものなのだ。一度肺病やみの一人が雑役夫をつかまえて不平を鳴らしたが、「何だと! 遊んでただまくらっていやがって生意気な野郎だ!」声とともに汁をすくう柄杓の柄がとんで頭を割られ、そのために若者は三日間ほど寝込んでしまい、それ以後は蔭でブツブツは言っても大きな声でいうものはなくなった。
 さげすまれ、そのさげすみが極端になっては言葉に出して言うでもなく、何を言ってもソッポを向き、時々ふふんと鼻でわらい、病人の眼の前で雑役夫と看病夫とが顔を見合わして思わせぶりにくすりと笑って見せたりする、それはいい加減に彼らの尖った神経をいらいらさせるしぐさであった。だが、憎まれ、さげすまれる、ということは考えようによってはまだ我慢の出来ることである。憎まれるという場合はもちろん、さげすまれるという場合でも、まだ彼は相手にとってはその心を牽くに足りる一つの存在であるのだから。次第にその存在が人々にとって興味がなくなり、路傍の石のように忘れられ、相手にもされなくなるということは、生きている人間にとっては我慢のできないことであった。
 ここの世界で発行されている新聞が時々配られる。それにはいろいろ耳寄りなことが書いてある。所内には新しくラジオが据えつけられ、収容者に聞かせることになった、図書閲覧の範囲が拡大された、近いうちに、巡回活動写真が来る、等々。だがそれらはすべてこの一廓の人間にとっては全く無縁の事柄なのである。病人は寝ているのが仕事だ、悪いことをしてここへ来て、遊んで寝そべって、しかも毎日高い薬を呑ませてもらっているとは、何と冥利の尽きたことではないか、というのであった。――刑務所内の安全週間の無事に終った祝いとして、収容者全部に砂糖入りの団子が配られ、この隔離病舎にだけはどうしたものかそれが配られず、後で炊事担当も病舎の担当もここのことは「忘れて」いたのだ、と聞かされた時、とうとう欝結していたものが一人の若者の口から迸り出た。「なに、忘れていたって! ようし思い出させてやるぞ!」雑居三房にこの二た月寝っきりに寝ていたひょろひょろした肺病やみの若者がいきなりすっくと立ち上った。あっけに取られている同居人を尻目にかけて、病み衰えた手に拳を握ると、素手で片っぱしから窓ガラスをぶっこわし始めたのである。恐ろしい大きな音を立ててガラスの破片が飛び散った。後難を恐れた同居人の一人が制止しようとして後ろから組みつくと、苦もなくはねとばされてしまった。物音に驚いた看守と雑役夫とがかけつけてようやく組み伏せるまで、若者は狂気のように荒れ狂った。後ろ手に縛り上げられた静脈のふくれ上った拳にはガラスの破片が突き刺さって鮮血で染まっていた。若者はそのまま連れて行かれ、三日間をどこかで暮して帰って来た。病人だからといっても懲罰はまぬがれ得なかったのである。ただそれが幾分か軽かったぐらいのものであろう。青い顔をして帰って来、監房へ入るとすぐに寝台の端に手をささえて崩折れたほどであったが、無口な若者はそれ以来ますます無口になり、力のないしかし厳しい目つきでいつまでもじっと人の顔を見つめるようになり、間もなく寒くなる前に死んでしまった。
 さきに言ったように太田は癩病患者と棟を同じくして住んでいた。
 半ば物恐ろしさと半ば好奇心とから、彼はこの異常な病人の生活を注目して見るようになった。――雑居房の四人の癩病人は、運動の時間が来るとぞろぞろと広い庭の日向へ出て行った。太田はその時始めて、彼らの一々の面貌をはっきり見ることができたのである。色のさめた柿色の囚衣を前のはだけたままに着てのろのろと歩み、じっとうずくまり、ふと思い出したように小刻みに走ってみ、または何を思い出したのかさもさもおかしくてたまらないといった風に、ひっつったような声を出して笑ったりする、残暑の烈しい秋の日ざしのなかの、白昼公然たる彼らのたたずまいはすさまじいものの限りであった。四人のうち二人はまだ若く、一人は壮年で他の一人はすでに五十を越えているかと思われる老人であった。若者は二人とも不自然にてかてかと光る顔いろをし、首筋や頬のどちらかには赤い大きな痣のような型があった。人の顔を見る時には、まぶしそうに細い眇目をして見るのであるが、じっと注意して観ると、すでに眼の黒玉はどっちかに片よっているのであった。二人とも二十歳をすぎて間もあるまいと思われる年ごろであるが、おそらくは少年時代のうちにもうこの病いが出たものであろう、自分の病気の恐ろしさについても深くは知らず、世の中もこんなものと軽く思いなしているらしい風情が、他からもすぐに察せられ、嬉々として笑い興じている姿などは一層見る人の哀れさをそそるのである。――壮年の男は驚くほどに巌丈な骨組みで、幅も厚さも並はずれた胸の上に、眉毛の抜け落ちた猪首の大きな頭が、両肩の間に無理に押し込んだようにのしかかっているのである。飛び出した円い大きな眼は、腐りかけた魚の眼そのままであった。白眼のなかに赤い血の脈が縦横に走っている。その巌丈な体躯にもかかわらず、どうしたものか隻手で、残った右手も病気のために骨がまがりかけたままで伸びず、箸すらもよくは持てぬらしいのであった。彼は監房内にあって、時々何を思い出してか、おおっと唸り声を発して立ち上り、まっ裸になって手をふり足を上げ、大声を出しながら体操を始めることがあった。その食欲は底知れぬほどで、同居人の残飯は一粒も残さず平らげ、秋から冬にかけては、しばしば暴力をもって同居人の食料を強奪するので、若い他の二人は秋風が吹くころから、また一つ苦労の種がふえるのであった。――そしてこの男は、時々思い出したように、食いものと女とどっちがええ[#「ええ」に傍点]か、今ここに何でも好きな食いものと、女を一晩抱いて寝ることとどっちかをえらべ、といわれたら、お前たちはどっちをとるか、という質問を他の三人に向って発するのである。老人はにやにや笑って答えないが、若者の一人が真面目くさって考えこみ、多少ためらった末に「そりゃ、ごっつぉう[#「ごっつぉう」に傍点]の方がええ」と答え、「わしかてその方がええ」ともう一人の若者がそれに相槌を打つのを聞くと、その男は怒ったような破れ鐘のような声を出して怒鳴るのであった。「なんだと! へん、食いものの方がいいって! てめえたち、ここへ来てまでシャバにいた時みてえに嘘ばっかりつきやがる。食いものはな、ここにいたって大して不自由はしねえんだ、三度三度食えるしな、ケトバシでも、たまにゃアンコロでも食えるんだ、……女はそうはいかねえや。てめえたち、そんなことを言う口の下から、毎晩ててんこう[#「ててんこう」に傍点]ばかししやがって、この野郎」それは感きわまったような声を出して、ああ、女が欲しいなァと嘆息し、みんながどっと笑ってはやすと、それにはかまわずブツブツと口のなかでいつまでも何事かを呟いているのであった
 最後の一人はもう五十を越えた老人でふだんはごく静かであった。顔はしなびて小さく眼はしょぼしょぼし、絶えず目脂が流れ出ていた。両足の指先の肉は、すっかりコケ落ちて、草履を引っかけることもできず、足を紐で草履の緒に結びつけていた。感覚が全然ないのであろう、泥のついた履物のままずかずかと房内に入りこむのは始終のことであった。まだ若い時田舎の百姓家のいろりの端で居眠りをし、もうそのころは病気がかなり重って足先の感覚を失っていたのだが、その足を炉のなかに入れてブスブス焼けるのも知らないでいたという、その時の名残りの焼傷の痕が残っていて、右足の指が五本とも一つにくっついてのっぺりしていた。二十歳をすぎると間もなくこの病気が出、三池の獄に十八年いたのを始めとして、今の歳になるまで全生涯の大半を暗いこの世界で過して来たというこの老人は、もう何事も諦めているのであろうか、言葉少なにいつも笑っているような顔であった。時々、だが、何かの拍子に心の底にわだかまっているものがバクハツすると、憤怒の対象は、いつもきまって同居のかの壮年の男に向けられ、恐ろしい老人のいっこくさで執拗に争いつづけるのであった。

 この四人が太田の二つおいて隣りの雑居房におり、最初太田はそれだけで、彼の一つおいて隣りの独房は空房であるとのみ思っていた。それほどその独房はひっそりとして静かであったのである。だが、そこにもじつは人間が一人いるのであった。運動に出はじめて間もなくのある日のこと、太田はその監房の前を通りしなに何気なく中を覗いてみた。光線の関係で戸外の明るい時には、外から監房内は見えにくいのであった。ずっと戸の近くまですりよって房内を見た時に、思いもかけず寝台のすぐ端に坊主頭がきちんと坐ってじっとこちらを見ている眼に出っくわし、彼は思わずあッといってとびしさった。
 次の日彼が運動から帰って来た時には、その男は戸の前に立っていて、彼が通るのを見ると丁寧に頭を下げて挨拶をしたのであった。その時太田ははじめてその男の全貌を見たのである。まだ二十代の若い男らしかった。太田はかつて何かの本で読んだ記憶のある、この病気の一つの特徴ともいうべき獅子面という顔の型を、その男の顔に始めてまざまざと見たのであった。眼も鼻も口も、すべての顔の道具立てが極端に大きくてしかも平べったく、人間のものとは思われないような感じを与えるのである。気の毒なことにはその上に両方の瞼がもう逆転しかけていて、瞼の内側の赤い肉の色が半ば外から覗かれるのであった。
 太田が監房に帰ってしばらくすると、コトコトと壁を叩く音が聞え、やがて戸口に立って話しかけるその男の声がきこえて来た。
「太田さん」看守が口にするのを聞いていていつの間にか知ったものであろう、男は太田の名を知っていた。
「お話しかけたりして御迷惑ではないでしょうか。じつは今まで御遠慮していたのですが」
 声の音いろというものが、ある程度までその人間の人柄を示すことが事実であるとすれは、その男が善良な性質の持主であるらしいことがすぐに知れるのであった。こんな世界では恐ろしく丁寧なその言葉遣いもさしてわざとらしくは聞えず、自然であった。
「いいえ、迷惑なことなんかちっともありませんよ。僕だって退屈で弱っているんだから」太田は相手の心に気易さを与えるために出来るだけ気さくな調子で答えたのである。
「始めてここへいらした時にはさぞびっくりなすったでしょうね。……あなたは共産党の方でしょう」
「どうしてそれを知っているんです」
「そりやわかります。赤い着物を着ていてもやっぱりわかるものです。わたしのここへ入った当座はちょうどあなた方の事件でやかましい時であったし……、それに肺病の人はみんな向うの一舎にはいる規則です。肺病でこっちの二舎に入るのは思想犯で、みんなと接近させないためですよ。戒護のだらしなさは、上の役人自身認めているんですからね。……あなたの今いる監房には、二年ほど前まで例のギロチン団の小林がいたんですよ」
 その名は太田も知っていた。それを聞いて房内にある二、三の、ぼろぼろになった書物の裏表紙などに折れ釘の先か何かで革命歌の一とくさりなどが書きつけてある謎が解けたのである。
「へえ、小林がいたんですかね、ここに、それであの男はどうしました」
「死にましたよ。お気を悪くなすっては困りますが、あなたの今いるその監房でです。引取人がなかったものですからね。薬瓶で寝台のふちを叩きながら革命歌かなんか歌っているうちに死んじゃったのですが」
 いかにもアナーキストらしいその最後にちょっと暗い心を誘われるのであった。そして今、この男に向って病気のことについて尋ねたりするのは、痛い疵をえぐるようなもので残酷な気もするが、一方自分という話相手を得てしみじみとした述懐の機会を持ったならば、おのずから感傷の涙にぬれて、彼の心も幾分か慰められることもあろうか、などと考えられ、それとなく太田は聞いてみたのである。
「それで、あなたはいつからここへ来ているんです。いつごろから悪いんですか」
「わたしはこの病舎に来てからでももう三年になります。二区の三工場、指物の工場です、あそこで働いていたんですが急に病気が出ましてね。手先や足先が痺れて感覚がなくなって来たことに自分で気づいたころから、病気はどんどん進んで来ましたよ。もっとも自覚がないだけでよほど前から少しずつ悪くはなっていたんでしょうが。人にいわれて気がついて見ると、なるほど親指のつけ根のところの肉、――手の甲の方のです、その肉なんかずっと瘠せていますしね。第一子供の時の写真から見ると、二十ごろの写真はまるっきり人相が変っています。子供の時は、ほんとうにかわいい顔でしたが」
「誤診ということもあるでしょうが、医者は詳しく調べたんですか」
「ええ、手足が痺れるぐらいのうちは、私もまだ誤診であってくれればいいとそればかり願っていましたが、それから顔が急に腫れはじめた時にもまだ望みは失いませんでしたが……しかし、今となってはもう駄目です、今は……、太田さん、あなたも御覧になったでしょう、え、御覧になったでしょうね、そしてさぞ驚かれたことでしょう、眼が……、眼がもうひっくりかえって来たのです。赤眼になって来たのです。ちょうど子供が赤んべえをしている時のような眼です。それからは私ももう諦めています。こわい病気ですね、こいつは。何しろ身体が生きながら腐って行くんですからね。どうもこいつには二通りあるようです。あの四人組の一人のおとっつぁん、あの人のように肉がこけて乾からびて行くのと、それはまだいいが、ほんとに文字どおり腐って行く奴とです。そしてどうもわたしのはそれらしいのです。それでいて身体には別になに一つわるいところはないのです。胃などはかえって丈夫になって、人一倍よけいに食うし……、餓鬼です、全くの餓鬼です。業病ですね。何という因果なこったか……」
 急迫した調子で言って来たかと思うと、バッタリと言葉がとだえた。どうやら泣いているらしい。いい加減な慰めの言葉などは軽薄でかけられもせず、いいようのない心の惑乱を感じて太田はそこに立ちつくしていた。ちょうどその時靴音がきこえ、その男の監房の前に来て立ちどまり、戸を開けて、面会だ、と告げたのである。
 男は出て行った。どこで面会をするのであろうか。気をつけて見ると、この病舎には別に面会所とてないのである。庭の片隅のなるべく人目にかからない所ですますらしいのである。面会に来たのは杖をつき、腰の半ば曲った老婆であった。黄色い日の弱々しく流れた庭の一隅に、影法師をおとして二人は向い合って立っている。老婆はハンケチで眼をおさえながら何かくどくどとくりかえしているようだ。やがてものの十五分も経つと、立会いの看守は時計を出して見、二人の間をへだて、老婆を連れて向うへ立ち去って行った。男は立って、壁のかげに隠れるその後ろ姿を見送っていたが、やがて担当にうながされて帰って来た。
「太田さん、太田さん」監房へ入るとすぐに男はおろおろ声でいうのであった。「ばばアはね、うちのばばアはたとえからだが腐っても死なないで出て来いというんです。それまではばばアも生きている、死ぬ時には一しょに死ぬから短気な真似はするなって、くり返しくり返しばばアはいうんです……」
 それから今度は声を放って彼は泣き出したのである。――とぎれとぎれの話の間に、太田は男の名を村井源吉といい、犯罪は殺人未遂らしく、五年の刑期だということだけを知ることができた。あなたの事件は何です、と遠慮がちに聞いてみると、「つまらない女のことでしてね、つい刃傷沙汰になってしまったのです」そういったままぷっつりと口をつぐんで、自分の過去の経歴と事件の内容については何事も語らなかった。
「ねえ、太田さん、わたしは諦めようったって諦められないんだ。わたしはまだ二十五になったばかりです。そして社会では今まで何一つ面白い目は見ていないんです。今度出たら、今度シャバに出たらと、そればっかり考えていたら、そのとたんにこんな業病にかかってしまって……。私はばばアのいうとおり、なんとかして命だけは持って出て、出たら三日でも四日でもいい、思いっきりしたい放題をやって、無茶苦茶をやって、それがすんだら街のまん中で電車にでもからだをブッつけて死んでやるつもりです。嘘じゃありません、私はほんとうにそれをやりますよ」
 全く心からそう思いつめているのであろう、涙でうるんだ声で話すその言葉には、じかに聞き手の胸に迫ってくるものがあって、太田は心の寒くなるのを感じ、声もなくいつまでも戸の前に立っていた。


 4

 冬がすぎ、その年も明けて春となり、いつかまた夏が巡って来た。
 肺病患者の病室では病人がバタバタと倒れて行った。今まで運動にも出ていたものがバッタリと出なくなり、ずっと寝込んでしまうようになると、その監房には看病夫が割箸に水飴をまきつけたのを持って入る姿が見られた。「ああ、飴をなめるようじゃもう長くないな」ほかの病人たちはそれを見ながらひそひそと話し合うのだ。熱気に室内がむれて息もたえだえに思われる土用の夜更けなどに、けたたましく人を呼ぶ声がきこえ、その声に起き上って窓から見ると、白衣の人が長い廊下を急ぎ足に歩いて行くのが見える。そのような暁方には必らず死人があった。重病人が二人ある時には、一方が死ねば間もなく他の一方も死ぬのがつねであった。牢死ということは外への聞えもあまりよくはない、それで役所では病人の引取人に危篤の電報を打つのであったが、迎いに来るものは十人のうちに一人もなかった。たとえ引取りに来るものがあったとしても、大抵は途中の自動車の中で命をおとすのである。――牢死人の死体は荷物のように扱われ、鼻や、口や、肛門やには綿がつめられ、箱に入れられて町の病院に運ばれ、そこで解剖されるのである。
 暑気に中てられた肺病患者が一様に食欲を失ってくると、庭の片隅のゴミ箱には残飯が山のように溜り、それがまたすぐに腐って堪えがたい悪臭を放った。ちょっと側を通っても蝿の大群が物すごい音を立てて飛び立った。「肺病のたれた糞や食い残しじゃ肥しにもなりゃしねえ」雑役夫がブツブツいいながらその後始末をするのだ。その残飯の山をまた、かの雑居房の癩病人たちが横目で見て、舌なめずりしながら言うのである。「へへッ、肺病の罰あたりめが、結構ないただきものを残して捨ててけつかる。十等めし一本を食い余すなんて、なんという甲斐性なしだ!」それから彼らは、飯の配分時間になると、きまって運搬夫をつかまえて、肺病はあんなに飯を残すんだから、その飯を少し削ってこっちへ廻してくれ、と執拗に交渉するのであった。時たま肺病のなかに一人二人、昼めしなど欲しくないというものが出来、さすがに可哀そうに思ってそれを彼らの方へ廻してやると、満面に諂い笑いを浮べて引ったくるようにして取り合い、そういう時には何ほど嬉しいのであろうか、病舎には食事時間の制限がないのをいいことにして、ものの一時間以上もかかってその飯を惜しみ借しみ食うのである。ひとしきり四人の間にその分配について争いが続いたのち、静かになった監房の窓ごしに、ぺちゃぺちゃという彼ら癩病人たちの舌なめずりの音を聞く時には、そぞろに寒け立つ思いがするのであった。――彼らは少しも変らないように見えたが、しかし仔細に見ると、やはり冬から春、春から夏にかけて、わずかながら目に見えるほどの変化はその外貌に現われているのである。夏中は窓を開け放していても、この病気特有の一種の動物的悪臭が房内にこもり、それは外から来るものには堪えがたく思われるほどのもので、担当の老看守すら扉をあけることを嫌って運動にも出さずに放っておくことが多かった。そうすると彼らは不平のあまり足を踏みならし、一種の奇声を発してわめき立てるのであった。

 5

 夜なかに太田は眼をさました。
 もう何時だろう、少しは眠ったようだが、と思いながら頭の上に垂れている電燈を見ると、この物静かな夜の監房の中にあって、ほんの心持だけではあるがそれが揺れているようにおもわれる。じっと見ると、夏の夜の驚くほどに大きな白い蛾が電燈の紐にへばりついているのだ。何とはなしに無気味さを覚えて寝返りを打つとたんに、ああ、またあれ[#「あれ」に傍点]が来る、という予感に襲われて太田はすっかり青ざめ、恐怖のために四肢がわなわなとふるえてくるのであった。彼は半身を起してじっとうずくまったまま心を鎮めて動かずにいた。するとはたしてあれ[#「あれ」に傍点]が来た。どっどっどっと遠いところからつなみでも押しよせて来るような音が身体の奥にきこえ、それがだんだん近く大きくなり、やがて心臓が破れんばかりの乱調子で狂いはじめるのだ。身体じゅうの脈管がそれに応じて一時に鬨の声をあげはじめ、血が逆流して頭のなかをぐるぐるかけ巡るのがきこえてくる。歯を食いしばってじっと堪えているうちに眼の前がぼ―っと暗くなり、意識が次第に痺れて行くのが自分にもわかるのである。――しばらくしてほっと眼の覚めるような心持で我に帰った時には、激しい心臓の狂い方はよほど治まっていたが、平静になって行くにつれて、今度はなんともいえない寂しさと漠然とした不安と、このまま気が狂うのではあるまいかという強迫観念におそわれ、太田は一刻もじっとしてはおれず大声に叫び出したいほどの気持になって一気に寝台をすべり下り、荒々しく監房のなかを歩きはじめるのであった。手と足は元気に打ちふりつつ、しかも泣き出しそうな顔をしてうつろな眼を見張りながら。――ものの二十分もそうしていたであろうか、やがてやや常態に復ると心からの安心とともに深い疲れを感じ、気の抜けた人間のように窓によりかかって深い呼吸をした。彼は肺に浸み渡る快よい夜気を感じた。窓から月は見えなかったが星の美くしい夜であった。
 ――強度の神経衰弱の一つの徴候ともおもわれるこうした心悸亢進に、太田はその年の夏から悩まされはじめたのである。それは一週に一度、あるいは十日に一度、きまって夜に来た。思い余った彼は、体操をやってみたり、静坐法をやってみたりした。しかしその発作から免れることはできなかった。体操や、静坐法や――太田はそういうものの完全な無力をよく熟知しながらも自分を欺いてそんなものに身を任せていたのだ。病気と拘禁生活による心身の衰弱にのみ、こうした発作を来す神経の変調の原因を帰することは彼にはできなかった。彼はその原因のすべてでないまでも、有力な一つを自分自身よく自覚していたのである。――若い共産主義者としての太田の心に、いつしか自分でも捕捉に苦しむ得体の知れない暗いかげがきざし、その不安が次第に大きなものとなり、確信に満ちていた心に動揺の生じ来ったことを自分みずから自覚しはじめ、そのために苦しみはじめたころから、彼は上述の発作に悩むようになったのであった。
 太田の心のなかに漠然と生じ来った不安と動揺とは一体どんな性質のものであったろう、彼自身はっきりとその本質をつかみえず、そこに悩みのたねもあったのだが、動揺という言葉を、彼が従来確信をもって守り来った思想が、何らかのそれに反対の理論に屈服して崩れかかって来た――という意味に解するならば、いま、彼の心にきざして来た暗い影というのはそういう性質のものではない、ということだけはいえる。太田の心の動揺は、彼がここの病舎で癩病患者および肺病患者のなかにあって、彼らの日常生活をまざまざと眼の前に見、自分もまた同じ患者の一人としてそこに生活しつつある間に、夏空に立つ雲のごとくに自然にわいて来たものであった。それはつかまえどころのないしかし理屈ではないところに強さがある、といった性質のものであった。――言うならば太田は冷酷な現実の重圧に打ちひしがれてしまったのだ。共産主義者としての彼はまだ若く、その上にいわばインテリにすぎなかったから、実際生活の苦汁をなめつくし、その真只中から自分の確信を鍛え上げた、というほどのものではなかった。ふだんは結構それでいいのだが、一度たとえようもない複雑な、そして冷酷な人生の苦味につき当ると、自分の抱いていた思想は全く無力なものになり終り、現実の重圧にただ押しつぶされそうな哀れな自己をのみ感じてくるのである。苛酷な現実の前に闘いの意力をさえ失い、へなへなと崩折れてしまい――自分が今までその上に立っていた知識なり信念なりが、少しも自分の血肉と溶け合っていない、ふわふわと浮き上ったものであったことを鋭く自覚するようになるのである。一度この自覚に到達するということは、なんという恐ろしい、そしてその個人にとっては不幸なことであろう。理論の理論としての正しさには従来どおりの確信を持ちながらも、しかもその理論どおりには動いて行けない自分、鋭くそういう自分自身を自覚しながらもしかも結局どうにもならない自分、――それを感じただけでも人は容易に自殺を思わないであろうか。
 自分自身が今そこでさいなまれつつある不幸な現実の世界を熟視しながら太田は思うのであった。この厳しい、激しい、冷酷な、人間を手玉にとって翻弄するところのものが今日の現実というもののほんとうの姿なのだ。そしてそういう盲目的な意志を貫ぬこうとして荒れ狂う現実を、人間の打ち立てた一定の法則の下にしっかと組み伏せようとする、それこそが共産主義者の持つ大きな任務ではなかったか。そして、自分もまた、そのために闘って来たのではなかったか。――そうは一応頭のなかで思いながら、彼の本心はいつかその任務を果すための闘争を回避し、苦しい現実の中から、ただひたすらに逃げ出すことばかりを考えているのであった。彼は積極的に生きようという欲望にも燃えず、すべての事柄に興味を失い、ただただ現実を嫌悪し、空々寞々たる隠者のような生活を夢のように頭のなかにえがいて、ぼんやり一日をくらすようになった。それは、結局はやはり病にむしばまれた彼の生気を失った肉体が原因であったのであろうか。――だが、時々は過去において彼をとらえた情熱が、再び暴風のようにその身裡をかけ巡ることがあった。太田は拳を固め、上気した熱い頬を感じながら、暗い独房のなかで若々しく興奮した。しかし次の瞬間にはすぐに「だが、それが何になる、死にかかっているお前にとって!」という意地のわるい囁きがきこえ、それは烈しい毒素のように一切の情熱をほろぼし、彼は再び冷たい死灰のような心に復るのであった。
 太田がそうした状態にある時に、一方彼が日々眼の前に見るかの癩病人たちは、身体がもう半ば腐っておりながら、なんとその生活力の壮んなこと! 食欲は人の数倍も旺盛で、そのためにしばしば与えられた食物の争奪のためにつかみ合いが始まるほどであり――また性欲もおさえがたく強いらしく、夏のある夕べ、かの雑居房の四人がひとしきり猥らな話に興じたあげく、そのうちの一人が、いきなり四ツんばいになって動物のある時期の姿態を真似ながら、げらげらと笑い出したのを見た時には、太田は思わず、ああ、と声をあげ、人間の動物的な、盲目的な生の衝動の強さに打たれ、やがてはそれを憎み――生きるということの浅ましさに戦慄したのであった。
 おなじ夏のある暁方、肺病の病舎では、三年越し患った六十近い老人が死んだ。死んで死体を運び出し、寝台を見た時、誰も世話するものもなかったその老人の寝台の畳はすでに半ば腐り、敷布団と畳の間には白いかびが生え、布団には糞がついてそれがカラカラにひからびていた。――そして同居人である同じ病人たちは、この死に行く老人の枕もとでこの老人に運ばれる水飴の争奪に余念もなかったのである。
 何という浅ましい人生の姿であろう。
 太田は慰めのない、暗い気持で毎日を暮した。病気が原因する肉体の苦痛とは別に、このままで進んだならばいつしか生きることをも苦痛と感ずるような日が、やがて来るだろうと思われた。この予感に間違いはないのだ。その時のことを思うと彼の心はふるえた。――人間はしばしば思いもかけぬことに遭遇し、何か運命的なものをさえ感ずることがあるものである。太田がこの病舎生活のなかにあって、ゆくりなくも昔の同志、岡田良造に逢ったのは、ちょうど、彼がこの泥沼のような境地におちこみ、そこからの出口を求めて、のた打ちまわっている時であった。

 6

 うとうとと眠りかけている耳もとに、遠くの監房の扉を開く音が聞える。――人の足音に何か物を運び入れるような物音もまじっているようだ。全身が何とはなしに熱っぽく、一日のうちの大部分の時間を寝てくらすことの多くなった太田は、半ば夢のなかで、遠く離れたその物音を聞き、どうもあれは一房らしいが、今までずっと空房であったあの雑居房に誰か新らしい患者でも入るのであろうか、などとぼんやり考えていた。
「太田さん、また新入りですよ。一房です」興奮をおし殺したような村井の声がその時きこえて来た。単調な毎日を送っているここの病人たちにとっては、新らしい患者の入ってくるということは、何にも増して大きな刺戟を与える事実であった。――だからその翌日になって、朝の運動時間が始まった時、太田は待ちかねて興味に眼を輝やかせながらその新入りの患者の姿を見たのである。そしてその男の姿をちらりと垣間見た瞬間に、彼はおもわずハッと思い、軽い胸のときめきをさえ感じてそこに立ちつくしてしまったのであった。うららかな秋の一日で病舎の庭には囚人たちの作った草花の数々が咲き乱れていた。その花園の間を縫うて作られた道が運動の時の歩行にあてられているのだが、その歩行者の姿を監房の中からつかまえようとすると、廊下のガラス戸が日光に光ってよくは見えなかった。その上、監房の扉にはめられたガラスは小さいので、視野が狭く、歩行者の姿がその視界に入ったかと思うとすぐに消えてしまうのである。――そういう状態の下に、しばらく扉の前に立っていて、その新入りの男の姿を眼に捕えた瞬間に太田はわれ知らず、おやと思ったのである。
 その男は言うまでもなく癩病患者であった。しかも外観から察したところ、病勢は、もうかなり進んでいる模様である。まだ若い男らしいのだ。病気のために変った相貌から年のころははっきりわからないが、その手のふり方や足の運び方には若々しいものが感ぜられるのである。顔はほとんど全面紫色に腫れあがり、その腫れは、頸筋にまで及んでいた。頭髪はもう大分うすくなり、眉毛も遠くからは見えがたいほどである。さほど瘠せてはおらず、骨組みの逞ましい大きな男である。
 その男の運動の間じゅう、扉の前に立ちつくしてまたたきもせず、男が監房へ帰ってからも胸騒ぎの容易に消ゆることのなかった太田は、その日から異常な注意をもってその男の一挙一動を観察するようになった。――太田は確かにその男の顔に見おぼえがあったのだ。その顔を見るごとに心の奥底をゆすぶる何ものかが感ぜられるのであるが、ただそれが何であるかをにわかに思い出すことができないのであった。日を経るに従ってその顔は次第に彼の心にくっきりとした映像を灼きつけ、眼をつぶってみると、業病のために醜くゆがんだその顔の線の一つ一つが鮮やかに浮き上って来、今は一種の圧迫をもって心に迫ってくるのであった。――夜、太田は四、五人の男たちと一緒に一室に腰をおろしていた。それは大阪のどこか明るい街に並んだ、喫茶店ででもあったろう。何かの集会の帰りででもあったろうか。人々は声高に語り、議論をし、而してその議論はいつ果てるとも見えないのであった。――太田はまた、四、五人の男たちと肩をならべてうす闇の迫る場末の街を歩いていた。悪臭を放つどぶ川がくろぐろと道の片側を流れている。彼らの目ざす工場の大煙突が、そのどぶ川の折れ曲るあたりに冷然とつっ立っているのだ。彼らはそれぞれ何枚かのビラをふところにしのばせていた。而して興奮をおさえて言葉少なに大股に歩いて行く。――今はもう全く切り離されてすでに久しいかつての社会生活のなかから、そのようないろいろの情景がふっと憶い出され、そうした情景のどこかにひょっこりとかの男の顔が出て来そうな気が太田にはするのである。鳥かげのように心をかすめて通る、これらの情景の一つを彼はしっかりとつかまえて離さなかった。それを中心にしてそれからそれへと彼は記憶の糸をたぐってみた。そこから男の顔の謎を解こうと焦るのである。それはもつれた糸の玉をほぐすもどかしさにも似ていた。しかし病気の熱に犯された彼の頭脳は、執拗な思考の根気を持ち得ず、すぐに疲れはててしまうのであった。しつこく掴んでいた解決の糸口をもいつの間にか見失い、太田は仰向けになったままぐったりと疲れて、いつの間にかふかぶかとした眠りのなかに落ち込んでしまうのである。――真夜なかなどに彼はまたふっと眼をさますことがあった。目ざめてうす暗い電気の光りが眼に入る瞬間にはっと何事かに思い当った心持がするのだ。あるいは彼は夢を見ていたのかも知れない。今はもう名前も忘れかけている昔の同志の誰れ彼れの風貌が次々に思いいだされ、その中の一つがかの男のそれにぴったりとあてはまったと感ずるのであった。だがそれはほんの瞬間の心の動きにすぎなかったのであろう。やがて彼の心には何物も残ってはいないのだ。手の中に探りあてたものを再び見失ったような口惜しさを持ちながら、そのような夜は、明け方までそのまま目ざめて過すのがつねであった。
 その新入りの癩病人についてはいろいろと不審に思われるふしが多いのである。彼はここへ来た最初の日からきわめて平然たる風をしており、その心の動きは、むしろ無表情とさえ見られるその外貌からは知ることができなかった。前からここにいる患者たちは、新入りの患者に対しては異常な注意を払い、罪名は何だろう、何犯だろう、などといろいろと取沙汰し合い、わけても運動の時間には窓の鉄格子につかまって新入者の挙動をじろじろと見、それから、ふん、と仔細らしく鼻をならし、どうもあれはどこそこの仕事場で見たような男だが、などといってはおのおのの臆測についてまたひとしきり囁きあうのである。新入者の方ではまた、すぐにこうした皆の無言の挨拶に答えてにこにこと笑って見せ、その時誰かがちょっとでも話しかけようものなら、すぐにそれに応じて進んでべらべらとしゃべり出し、自分の犯罪経歴から病歴までをへんに悲しそうな詠嘆的な調子で語って聞かせ、相手の好奇心を満足させるのであった。――だが今度の新入者の場合は様子がそれとはまるでちがっていた。彼はいつもここの世界には不似合いな平然たる顔つきをし、運動の時にはもう長い間、何回も歩き慣れた道のように、さっさと脇目もふらずかの花園の間の細道を歩くのである。どこかえたいの知れない所へ連れて来られたという不安がその顔に現われ、きょときょととした顔つきをし、何か問いたげにきょろきょろあたりを見まわす、といったような態度をその男に期待していた他の患者たちは失望した。静かではあるが、どこか人もなげにふるまっているような落ち着き払ったその男の態度に、彼らは何かしらふてぶてしいものを感じ、ついには、へん、高くとまっていやがる、といった軽い反感をさえ抱くようになり、白い眼を光らしてしれりしれりと男の横顔をうかがって見るのであった。
 静かと言えばその男のここでの生活は極端に静かであった。一日に一度の運動か、時たまの入浴の時ででもなければ人々は彼の存在を忘れがちであった。だだっ広い雑居房にただひとり、男は一体何を考えてその日その日を暮しているのであろうか。書物とてここには一冊もなく、耳目を楽します何物もなく、一日一日自分の肉体を蝕ばむ業病と相対しながら、ただ手を束ねて無為に過すことの苦しさは、隣りの男とでも話をする機会がなければ発狂するの外はないほどのものである。新入りの男はしかし、ただ一言の話をするでもなくまた報知機をおろして看守を呼ぶということもない。すべて与えられたもので満足しているのであろうか。何かを新しく要求する、ということとてもないのだ。しかも運動時間ごとに見るその顔は病気に醜く歪んではいるが、格別のいらだたしさを示すでもなく、その四肢は軽々と若々しい力に満ちて動くのである。
 太田が怪訝に思うことの一つは、その男が今まで空房であった雑居房にただひとり入れられているということであった。今四人の患者のいる雑居房は八人ぐらいを楽に収容しうる大きさだから、彼をもそこに入れるのが普通なのである。その犯罪性質が、彼をひとりおかなければならぬものなのであろうか。それならば太田のすぐ一つおいて隣りの、今、村井源吉のいる独房に彼をうつし、村井を四人の仲間に入れるということもできるのである。村井の犯罪は何も独房を必要とする性質のものではないのだから。――ここまで考えて来た太田は、以前その男の顔を始めて見てどこか見覚えがある、と感じた瞬間に心の底にちらりと兆した不吉な考えに再び思い当り、今まで無理に意識の底に押し込んでおいたその考えが再び意識の表面にはっきりと浮び上ってくるのに出会って慄然としたのであった。――自分の一つおいて隣りの監房に移してはならぬ独房の男、自分に近づけてはならぬ犯罪性質を持った男、といえば、自分と同一の罪名の下に収容されている者以外にはないのである。――かの新入りの癩病患者は同志に違いないのだ。そしていつの日にかかつて自分の出会ったことのある同志の一人の変り果てた姿に違いはないのだ!
 太田はかの癩病人が、自分の同志の一人であろう、という考えを幾度か抛棄しようとした。すべての否定的な材料をいろいろと頭の中にあげてみて、自分の妄想を打ち破ろうと試みた。そして安心しようとするのであった。太田はあの浅ましい癩病人の姿が、自分の同志であるということを断定する苦痛に到底堪えることはできまいと思われた。しかしまた他の一方では、確かに彼が同志であるということを論証するに足る、より力強いいくつかの材料を次々に挙げることもできるのである。彼は何日かの間のこの二つの想念の闘いにへとへとに疲れはてたのであった。その間かの男は毎日思い出せそうで思い出せないその顔を、依然運動場に運んで来るのである……。
 だが、物事はいや応なしに、やがては明らかにされる時が来るものである。その男がここへ来て一と月あまりを経たある日、手紙を書きに監房を出て行った村井源吉がやがて帰ってくると、声をひそめてあわただしく太田を呼ぶのであった。
「太田さん、起きてますか」
「ああ、起きてますよ、何です」
「例の一房の先生ね、あの先生の名前がわかりましたよ」
「なに、名前がわかったって!」太田は思わず身をのり出して訊いた。「どうしてわかったの? そして何ていうんです」
「岡田、岡田良造っていうんですよ。今、葉書を見て来たんです」
「え、岡田良造だって」
 村井は葉書を書きに廊下へ出て行き、そこで例の男が村井よりも先に出て書いて行った葉書を偶然見て来たのであった。癩病患者の書いたものに対するいとわしさから、書信係の役人が板の上にその葉書を張りつけ、日光消毒をしていたのを見て、村井は男の名を知ったのである。「え、岡田良造だって」と太田の問い返した言葉のなかに、村井は、なみなみならぬ気はいを感じた。
「どうしたのです、太田さん。岡田って知ってでもいるんですか」
「いや……、ただちょっときいたような名なんだが」
 さり気なく言って太田は監房の中へ戻って来た。強い打撃を後頭部に受けた時のように目の前がくらくらし、足元もたよりなかったが、寝台の端に手をかけてしばらくはじっと立ったまま動かずにいた。それから寝台の上に横になって、いつも見慣れている壁のしみを見つめているうちに、ようやく心の落ち着いて行くのを感じ、そこで改めて「岡田良造」という名を執拗に心のなかで繰り返し始めたのである。――あのみじめな癩病患者が同志岡田良造の捕われて後の姿であろうとは!
 混乱した頭脳が次第に平静に帰するにつれて、回想は太田を五年前の昔につれて行った。――そのころ太田は大阪にいて農民組合の本部の書記をしていた。ある日、仕事を終えて帰り仕度をしていると、労働組合の同志の中村がぶらりと訪ねて来た。ちょっと話がある、と彼はいうのだ。二人は肩を並べて事務所を出た。ぶらぶらと太田の間借りをしている四貫島の方へ歩きながら、話というのは外でもないが、と中村は切り出したのであった。――じつは今度、クウトベから同志がひとり帰って来たのだ。三年前に日本を発った時には、ある大きな争議の直後で相当眼をつけられていた男だけに今度帰ってもしばらくは表面に立つことができない。それで当分日本の運動がわかるまで誰かの所へ預けたいが、労働組合関係の人間のところは少し都合がわるい、君は農民組合だし、それに表面は事務所で寝泊りしていることになっていて、四貫島の間借りは一般には知られていないから好都合だ。一と月ばかりどうかその男を泊めてやってくれないか、と中村は話すのであった。――よろしい、と太田が承知をすると、実は六時にそこの喫茶店で逢うことになっているのだ、とその場所へ彼を連れて行った。そこには、太田と同年輩の和服姿の男が一人待っており、二人を見るとすぐににこにこしだし、僕、山本正雄です、どうぞよろしく、と中村の紹介に答えて太田に挨拶をするのであった。――話をしているうちにその言葉のなかに、東北の訛りを感じ、質朴なその人柄に深く心を打たれたが、その山本正雄が岡田良造であったことを太田はずっと後になって何かの機会に知ったのであった。
 太田は当時、四貫島の、遠縁にあたる親戚の家の部屋を借りて住んでいた。二階の四畳半と三畳の両方を彼は使っていたので、その四畳半を岡田のために提供したのである。彼らは部屋を隣り合わせているというだけで、別に話をするでもなく、暮した。太田は朝早く家を出、遅くなって帰る日が多いのでしみじみ話をする機会もなかったわけである。彼が夜遅く帰ってくると、岡田は寝ていることもあったが、光度の弱い電燈を低くおろして何かゴソゴソと書きものをしていることもあった。朝なども彼の起きるよりもまだ早くぷいと家を出て、一日帰らないような日もあった。そういう生活がほぼ一と月もつづき、めっきりと寒くなった十一月のある日の朝、岡田は家を出たきり、ついに太田のもとへは帰って来なかったのである。――何か事情があるのだろうとは思ったが、ちょうどその日の朝、何のつもりか岡田はまだ寝ている太田の部屋の唐紙を開けて見て、何かものを言いたげにしたが、そこに一枚のうすい布団を、柏餅にして寝ている太田の姿を見ると、ほっ、と驚いたような声をあげてそのまま戸を閉めてしまった。――それはちょうど、二枚しかなかった布団の一枚を、寒くなったので岡田に貸したその翌日だったので、自分の柏餅の寝姿を見て、案外気立ての柔しそうな岡田のことゆえ、気の毒がって他所へ移ったのかも知れない、などとも太田には考えられるのであった。心がかりなので二、三日してから中村に逢って尋ねると、彼はすっかり合点して、「いや、いいんだ、今日あたり君に逢って話そうかと思っていたところだよ。奴も落ち着くところへ落ち着いたらしいんだ。長々ありがとう」というのであった。――一九二×年十一月、日本の党はようやくその巨大な姿を現わしかけ、大きな決意を抱いて帰った山本正雄こと岡田良造は、その重要な部署に着くために姿をかくしたのである。
 ちょうどそれと前後して太田は大阪を去り、地方の農村へ行って働くことになった。同じ年の春、この国を襲った金融恐慌の諸影響は、ようやくするどい矛盾を農村にもたらしつつあったのである。太田はいくつかの大小の争議を指導しやがて正式に(原文二字欠)となった。彼は大阪に存在すると思われる上部機関に対して絶えず意見を述べ、複雑で困難な農民運動の指導を仰いだ。而してそれに対する返書を受け取るたびごとに彼はいつも舌を捲いておどろいたのである。なんという精鋭な理論と、その理論の心憎いまでの実践との融合であろう! 彼が肝胆を砕いて錬り上げ、もはや間然するところなしとまで考えて提出する意見が、根本的にくつがえされて返される時など、自信の強かった太田は怫然として忿懣に近いものすら感じた。しかし熟考してみればどんな場合にも相手の意見は正しく、彼はついには相手に比べて自分の能力のあまりにも貧しいことを悲しく思ったほどであった。それと同時に彼は思わず快心の笑みをもらしたのである。なんという素晴らしい奴が日本にも出て来たもんだ! それから太田は、今掃除したばかりと思うのに、もう煤煙がどこからか入って来て障子の桟などを汚す大阪の町々のことを考え、それらの町のどこか奥ふかく脈々と動いているであろう不屈の意志を感じ――すると、腹の真の奥底から勇気がよみがえって来るのであった。この太田の意見書に対する返書の直接の筆者が岡田良造であったことを、捕われた後に、太田は取調べの間に知ったのである。
 太田の印象に残っている岡田の面貌はそうはっきりしたものではなかったし、それに岡田は三・一五の検挙には洩れた一人であったから、その後彼の捕われたことを少しも知らなかった太田が、異様な癩病患者を見てどこかで見たことがある男と思いながらも、すぐに岡田であると認め得なかったことは当然であった。かの癩病患者が岡田良造であることを知り、そのおどろきの与えた興奮がやや落ち着いて行くにつれて、岡田は一体いつ捕われたのであろう、そしていつからあんな病気にかかったのであろう、少しもそんな素ぶりは見せないが、彼ははたして自分が太田二郎であることを知っているだろうか、いずれにしても自分は彼に対してどういう風に話しかけていったらいいだろうか、いや、第一、話しかけるべきであろうか、それとも黙っているべきであろうか、などといういろいろな疑問がそれからそれへと太田の昏迷した頭脳をかけめぐるのであった。
 その翌日、運動時間を待ちかねて、彼は今までにかつてない恐怖の念をもって運動中のかの男の顔を見たのである。初めは恐る恐る偸み見たが、次第に太田の眼はじっと男の顔に釘づけになったまま動かなかった。そういわれて見ればなるほどこの癩病患者は岡田なのだ。だが、昔毎日彼と顔をつき合わして暮していた人間でさえも、そういわれてみて改めて見直さない限りそれと認めることはできないであろう。今、心を落ち着けてしみじみと見直してみると、広い抜け上った額と、眼と眉の迫った感じに、わずかに昔の岡田の面影が残っているのみなのである。広い額は、その昔は、その上に乱れかかっている長髪と相俟って卓抜な俊秀な感じを見る人に与えたが、頭髪がうすくまばらになり、眉毛もそれとは見えがたくなった今は、かえって逆にひどく間の抜けた感じをさえ与えるのであった。暗紫色に腫れあがった顔は無気味な光沢を持ち、片方の眼は腫れふさがって細く小さくなっていた。色の褪せた囚衣の肩に、いくつにも補綴があててあり、大きな足が尻の切れた草履からはみ出している姿が、みじめな感じをさらに増しているのであった。本人は常日ごろと変りなく平気でスタスタと早足に歩き、時々小走りに走ったりして、その短かい運動時間を楽しんでいるらしいのだが、もう秋もなかばのかなり冷たい風に吹きさらされて、心持ち肩をすぼめ加減にして歩いて行くその後ろ姿を見送った時、ああこれがあの岡田の変り果てた姿かと思い、それまでじっと堪えながら凝視していたのがもう堪えがたくなって、窓から離れると寝台の上に横になり布団をかぶってなおもしばらくこらえていたが、やがてぼろぼろと涙がこぼれはじめ、太田はそのまま声を呑んで泣き出してしまったのである。
 数えがたいほどの幾多の悲惨事が今までに階級的政治犯人の身の上に起った。ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であった女が子供をすてて、どっちかといえばむしろ敵の階級に属する男と出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けてついに没落して行った事実を太田はその時まざまざと憶い出したのであったが、そうした苦しみも、あるいはまた、親や妻や子など愛する者との獄中での死別の苦しみも――その他一切のどんな苦しみも、岡田の場合に比べては取り立てて言うがほどのことはないのである。それらのほかのすべての場合には、「時」がやがてはその苦悩を柔らげてくれる。何年か先の出獄の時を思えば望みが生じ、心はその予想だけでも軽く躍るのである。――今の岡田の場合はそんなことではない、彼にあっては万事がもうすでに終っているのだ。そういう岡田は今日、どういう気持で毎日を生きているのであろうか、今日自分自身が全く廃人であることを自覚しているはずの彼は、どんな気持を持ち続けているであろうか、共産主義者としてのみ生き甲斐を感じまた生きて来た彼は、今日でもなおその主義に対する信奉を失ってはいないであろうか、それとも宗教の前に屈伏してしまったであろうか、彼は自殺を考えなかったであろうか?
 これらの測り知ることのできない疑問について知ることは、今の太田にとってはぞくぞくするような戦慄感を伴った興味であった。――いろいろと思い悩んだあげく、太田は思いきって岡田に話しかけてみることにした。変り果てた今の彼に話しかけることは惨酷な気持がしないではないが、知らぬ顔でお互いが今後何年かここに一緒に生活して行く苦しさに堪えられるものではない。そう決心して彼との対面の場合のことを想像すると、血が顔からすーと引いて行くのを感じ、太田は蒼白な面持で興奮した。

 7

 太田は運動の時にはちょうど岡田の監房の窓の下を通るので、話をするとすれば運動時間を利用するのが、一番いい方法なのであるが、その機会はなかなかに来なかった。担当の老看守は太田ひとりの運動の時には別に監視するでもなく、その間植木をいじったり、普通病舎の方の庭に切り花を取りに行ったりして、運動時間なども厳格な制限もなくルーズだったが、さて、話をするほどの機会はなかなか来なかった。しかし、普通病舎の庭に咲き誇った秋菊の移植が始まり、ちょうどある日の太田の運動時間に三、四人の雑役夫が植木鉢をかかえて来た時に、花好きな老看守はそっちの方へ行ってしまい、ついに絶好のその機会が来たと思われた。折よく便所へでも立ったのであろうか、ガラス窓の彼方に岡田の立ち姿を認めた時、太田は非常な勇気をふるって躊躇することなく真直ぐに進んで行った。そして窓の下に立った。
 上と下で二人の視線がカッチリと出会った時、妙に表情の硬ばるのを意識しながら、太田は強いて笑顔を作った。
「岡田君ですか」太田はあらゆる感情をこめて、ただ岡田の名をのみ呼んだ。そしてしばらくだまった。「僕は太田です。太田二郎です。(原文三字欠)にいた(原文二字欠)、知っていますか」
 毎日もう幾回となく、始めて二人が顔を合わせた時のことを想像し、その時言い出すべき言葉をも繰り返し考えていたのだが、さてその時の今となっては言うべき言葉にもつまり、ひどい混乱を感じた。岡田は太田に答えて、白い歯を見せて微笑した。白い綺麗に揃った歯並だけが昔のままで、それがかえって不調和な感じを与えた。
「知ってますとも。妙な所で逢いましたね」穏やかに落ち着いた調子の声であった。それから彼は続けた。「ほんとうにしばらくですね。僕はここへ来た翌日にもう君に気がついていたんです。けれど遠慮してだまっていました。何しろ僕はこんな身体になったのでね、君をおどろかせても悪いと思ったし……」
 太田は岡田のその言葉をきいて、そうかやっぱりそうだったのか、岡田だったのか、とほっとしたような気持で思った。彼自身の口からはっきりとそう名乗られるその瞬間までは、やはり何だか嘘のような気がし、人間が違うような気がして、心のはるかの奥底では半信半疑でいたのである。
「それで君はいつやられたんです。三・一五には無事だったはずだが」
「おなじ年の八月です。たった半年足らず遅かっただけ。実にあっけなかったよ」
 絶えず微笑を含んで言っているのだが、その調子には非常に明るいものがあって、あまりにも昔のままなのにむしろ驚かされるのであった。外貌のむごたらしい変化に比べて少しも昔に変らぬその調子は鋭く聞く者の胸を打つのである。
「病気は……」太田はそれを言いかけて口ごもりながら、思いきって尋ねた。「身体はいつごろからわるいんです」
「そう、始めて皮膚に徴候が現われたのは捕まった年の春。しかしその時にはどうしたものかすぐに引っこんでしまった。その時には別に気にもとめなかったんです。それから控訴公判の始まった年の夏にはもうはっきり外からでもわかるようになっていてね、そのころにはもうレプロシイの診断もついていたらしいのです」
「外の運動も随分変ったようですね」
 岡田の言葉のちょっと切れるのを待って太田は今までの話とはまるで無関係な言葉を突然にさしはさんだ。病気のことにあまり深くふれるのが何とはなしに恐ろしく思われたのである。そしてここへ来てから偶然に耳にしたニュースのようなものを二つ三つ話した。しかし話をしているうちに、昔の岡田ではない、今日、もうそうした世界には全然復帰する望みを失った彼に、そういうことについて、得意らしく話しているような自分自身が省みられ、彼はすぐに口をつぐんでしまった。
「あの監房には本なんかありますか」
「全然ないんですよ」
「毎日どうしてるんです」
「なに、毎日だまって坐っていますよ」そこで岡田はまた白い歯を出して笑った。「君は夜眠られないって言っているようですが、病気のせいもあろうが、もっと気を楽に持つようにしなければ。もっともこれは性質でなかなか思うようにはならないらしいが」――太田が不眠症に悩んで、たびたび医者に眠り薬を要求したりしているのをいつの間にか知っていたのだろう、岡田はそういって忠告した。「僕なんか、飯も食える方だし、夜もよく眠りますよ」
「少し考えすぎるんでしょうね」彼は続けて言った。
「そりゃ考えるなといってもここではつきつめて物を考えがちだが……、しかしここで考えたことにはどうもアテにならぬことが多いんです。何かふっと思いついて、素晴らしい発見でもしたつもりでいてもさて社会へ出てみるとペチャンコですよ。ここの世界は死んでおり、外の社会は生きていますからね。……こんなことは君に言うまでもないことだが、これは僕が昔騒擾で一年くった時に痛感したことだもんだから」
 ちょうどその時、担当の老看守の戻って来る気はいを感じ、太田はさり気なく窓の下を退きながら、肝腎なことを聞くのを忘れていたことに気がついて訊ねたのであった。
「そして、君は何年だったんです」
「七年」
 七年という言葉に驚愕しながら太田は監房へ帰った。七年という刑は岡田が転向を肯じなかったこと、彼が敵の前に屈伏しなかったことを物語っている。彼の言葉によれば、控訴公判の始まる時にはもうレプロシイの診断がほぼ確定的であったというのだ。だが、彼の公判廷における態度が、その病気によってどうにも変らなかったことだけはたしかである。岡田との対話を一つ一つ思い出し、ことに眠れないようでは駄目だ、といった言葉や、最後の言葉の中なぞに、昔のままの彼を感じ、太田ははげしく興奮しその夜はなかなかに寝つかれないほどであった。
 その日から以後の太田は毎日の生活に生き生きとした張合いを感じ、朝起きることがたのしみとなった。岡田と一緒に同じこの棟の下に住むということが彼に力強さを与えた。岡田は太田と逢ったその日以後も、依然物静かで変った様子もなく、自分の方から積極的に接近しようとする態度をも別に示そうとはしなかった。しかし運動時間には互いに顔を見合わせて、無量の感慨をこめた微笑を投げ合うのであった。ただ、岡田の今示している落着きは決して喪心した人間の態度などでないことは明らかであり、むしろ底知れぬ人間の運命を見抜いているかのような、不思議な落着きをさえ示しているのだが――しかし、彼のこうした落着きの原因をなしているところのものは一体なんであろうか? という点になると彼に逢って話した後にも、太田には全然わからないのであった。おそらくそれは永久に秘められた謎であるかも知れない。――その後、太田はほんの短かい時間ではあったが、二、三度岡田と話す機会を持った。その話し合いの間に二人は、言葉遣いや話の調子までもうすっかり昔のものを取り戻していた。「君の今の気持ちを僕は知りたいんだが。……」聞きたいと思うことの適切な言い現わし方に苦しみながら、太田はその時そんな風に訊いてみたのであった。「僕の今の気持ちだって?」岡田は微笑した。「それは僕自身にだってもっと掘り下げてみなければわからないようなところもあるし……それにここでは君に伝える方法もなし、また言葉では到底いい現わし得ないものがあるようだ」そういって彼は考え深そうな目つきをした。
「ただこれだけのことははっきりと今でも君に言える。僕は身体が半分腐って来た今でも決して昔の考えをすててはいないよ。それは決して瘠せ我慢ではなく、また、何かに強制された気持で無理にそう考えているのでもないんだ。実際こんな身体になって、なお瘠せ我慢を張るんでは惨めだからね。――僕のはきわめて自然にそうなんだ。そうでなければ一日だって今の僕が生きて行けないことは君にもよくわかるだろう。……それから僕は、どんなことになっても決して、監獄で首を縊ったりはしないよ。自分で自分の身体の始末の出来る限りは生きて行くつもりだ」岡田はその時、持ち前の静かな低音でそれだけのことを言ったのである。

 その話をしてから一週間ほど経ったある日の午後、洋服の上に白衣を引っかけた一見して医者と知れる三人の紳士が突然岡田の監房を訪ずれたのであった。扉をあけて何かガヤガヤと話し合っている様子であったが、やがて「外の方が日が当って暖かくっていいだろう」というような声がきこえ、岡田を先頭に四人が庭に下り立って行く姿が見えた。而してそこで岡田の着物をぬがせ、彼は犢鼻褌ひとつの姿になってそこに立たせられた。――ちょうどそれは癩病患者の監房のすぐ前の庭の片隅で、よく日のあたる場所であったが、少し背のび加減にすると太田の監房から見る視野の中に入るので、彼は固唾を呑んでその様子を眺めたのである。
 三人のうち二人は見なれない医者で一人はここの監獄医であった。その二人のうちの年長者の方が、頭の上から足の先まで岡田の全身をじっと見つめている。岡田は何かいわれて身体の向きを変えた。太田の視線の方に彼が背中を向けた時、太田は思わずあッと声を立てるところであった。首筋から肩、肩から背中にかけて、紅色の大きな痣のような斑紋がぽつりぽつりと一面にできているのだ。裸体になって見ると色の白い彼の肌にそれは牡丹の花弁のようにバッと紅く浮き上っている。
 医者が何かいうと岡田は眼を閉じた。
「ほんとうのことをいわんけりゃいかんよ。……わかるかね、わかるかね」そういうような言葉を医者は言っているのだ。よく見ると、岡田は両手を前に伸ばし、医者は一本の毛筆を手にしてそれの穂先で、岡田の指先をしきりに撫でているのであった。感覚の有無を調べているのであろう。わかるかね、と医者に言われると岡田はかすかに首を左右にふった。いうまでもなく否定の答えである。医者はそれから、力を入れないで、力を入れないで、といいながら、岡田の手足の急所急所を熱心に揉みはじめた。どうやら身体じゅうの淋巴腺をつかんで見ているものらしい。時々医者が何かいうと、岡田はそのたびに首を軽く縦にふったり、横にふったりする。 
 ――そういうようなことをおよそ半時もつづけ、それから眼を診たり、口を開けさせてみたり、――身体じゅうを隈なく調べた上で三人の医者は帰って行った。
 その後よほど経ってのち、同じように窓の上と下で最後に岡田と逢った時、太田はこの時の診察について彼に訊いてみた。「今ごろどうしたんです? 今まで誤診でもしていたんで診なおしに来たんじゃないのですか」事実太田はそう思っていた。そう思うことが、空頼みにすぎないような気もするにはしたが。しかし岡田はその時のことを大して念頭にも止めていない様子で答えた。
「診なおすというよりも、最後的断定のための診察でしょう……今までだってわかるにはわかっていたんだが。あの二人は大阪近郊の癩療養所の医者なんです。つまり専門家に診せたわけですね。鼻汁のなかに菌も出たらしい……この病気は鼻汁のなかに一番多く菌があるんだそうです。今度ですっかりきまったわけで、死刑の宣告みたいなものです」
 ――その後、太田は岡田と話をする機会をついに持たなかった。


 8

 灰いろの一と色に塗りつぶされた、泣いても訴えても何の反響もない、澱んだ泥沼のようなこの生活がこうしていつまで続くことであろうか。また年が一つ明けて春となり、やがてじめじめとした梅雨期になった。――あちこちの病室には、床につきっきりの病人がめっきりふえて来た。毎年のことながらそれは同じ一と棟に朝晩寝起きをともにする患者たちの心を暗くさせた。――五年の刑を四年までここでばかりつとめあげて来た朝鮮人の金が、ある雨あがりのかッと照りつけるような真ッぴるまに突然発狂した。頭をいきなりガラス窓にぶっつけて血だらけになり、何かわけのわからぬことを金切り声にわめきながら荒れまわった。細引きが肉に食い入るほどに手首をしばり上げられ、ずたずたに引き裂かれた囚衣から露出した両肩は骨ばっていたいたしく、どこかへ引きずられて行ったが、その夜から、この隔離病舎にほど近い狂人監房からは、咽喉の裂けるかと思われるまで絞りあげる男の叫び声が聞えはじめたのである。それは金の声であった。哀号、哀号、と叫び立てる声がやがて、うおーッうおーッというような声に変って行く。それは何かけだものの遠吠えにも似たものであった。――そういう夜、五位鷺がよく静かに鳴きながら空を渡った。月のいい晩には窓からその影が見えさえした。
 梅雨に入ってからの太田はずっと床につきっきりであった。梅雨が上って烈しい夏が来てからは、高熱が長くつづいて、結核菌が血潮のなかに流れ込む音さえ聞えるような気がした。それと同時に彼はよく下痢をするようになった。ちょっとした食物の不調和がすぐ腹にこたえた。その下痢が一週間と続き、半月と続き――そして一と月に及んでもなお止まろうとはしなかった時に、彼は始めて、ただの胃腸の弱さではなく自分がすでに腸を犯されはじめていることを自覚するようになったのである。診察に来た医者は診終ると、小首を傾けて黙って立ち去った。
 そのころから太田は、自分を包む暗い死の影を感ずるようになった。寝台の上にちょっと立ち上っても貧血のために目の前がぼーッとかすむようになると、彼はしばしば幻影に悩まされ始めた。剥げかかった漆喰の壁に向ってじっと横臥していると、眼の前を小さな虫のような影がとびちがう。――その影の動くがままに眼を走らせていると、それが途方もない巨大なものの影になって壁一ぱいに広がってくる。それはえたいの知れない怪物の影であることが多かった。恐怖をおさえてじっとその影に見入っていると、やがてそれがぽっかりと二つに割れ、三つにも、四つにも割れて、その一つ一つが今もなお故郷にいるであろう、老母の顔や兄の顔に変るのである。それと同時に夢からさめたように、現実の世界に立ちかえるのがつねであった。――夜寝てからの夢の中では、自分が過去において長い長い時間の間に経験して来たいろいろの出来事を、ほんの一瞬間に走馬燈のように見ることが多かった。そういう時は自分自身の苦悶の声に目ざめるのであった。太田は死の迫り来る影に直面して、思いの外平気でおれる自分を不思議に思った。ものの本などで見る時には、劇的な、浪漫的な響きを持っている獄死という言葉が、今は冷酷な現実として自分自身に迫りつつある。今はもう不可抗的な自然力と化した病気の外に、磐石のような重さをもってのしかかっている国家権力がある。ああ、俺もこれで死ぬるのかと思いながら、今までここで死んで行った多くの病人たちの口にした、看病夫の持って来てくれる水飴のあまさを舌に溶かしつつ太田の心は案外に平静であった。俺たちの運命は獄中の病死か、ガルゲンか、そのどっちかさ、なぞとある種の感激に酔いながら、昔若い同志たちと語り合った当時の興奮もなく、肩を怒らした反抗もなく、そうかといってやたらに生きたいともがく嗚咽に似た心の乱れもなく、――深い諦めに似た心持があるのみであった。この気持がどこから来るか、それは自分自身にもわからなかった。その間にも彼は絶えずもうしばらく見ない岡田の顔を夢に見つづけた。言葉でははっきりと言い現わしがたい深い精神的な感動を、彼から受けたことを、はっきりと自覚していたためであったろう。
 太田にとっては岡田良造は畏敬すべき存在であった。ただ、この言語に絶した苛酷な運命にさいなまれた人間の、心のほんとうの奥底は依然うかがい知るべくもないのであった。失われた自由がそれを拒んだ。太田は寂しい諦めを持つの外はなかった。――「僕は今までの考えを捨ててはいないよ」と語った岡田の一言は、すべてを物語っているかに見える。しかし、どんな苦しい心の闘いののちに、やはりそこに落ちつかなければならなかったか、という点になると依然として閉されたままであった。「僕は今までの考えをすててはいない、……」それは岡田の言うとおり、彼の何ものにも強制されない自由の声であることを太田は少しも疑わなかった。岡田にあっては彼の奉じた思想が、彼の温かい血潮のなかに溶けこみ、彼のいのちと一つになり、脈々として生きているのである。それはなんという羨やむべき境地であろう! 多少でも何ものかに強制された気持でそういう立場を固守しなければならず、無理にでもそこに心を落ちつけなければ安心ができないというのであれば、それは明らかに、彼の敗北である。しかし、そうでない限り、たといあのまま身体が腐って路傍に行き倒れても、岡田はじつに偉大なる勝利者なのである! 太田は岡田を畏敬し、羨望した。しかしそうかといって、彼自身は岡田のような心の状態には至り得なかった。岡田の世界は太田にとってはついに願望の世界たるに止まったのである。――そこにも彼はまた寂しい諦めを感じた。
 刑務所の幹部職員の会議では、太田と岡田とを一つ棟におくことについて問題になっているということであった。そうした噂さがどこからともなく流れて来た。二人が立ち話をしていたのを、一度巡回の看守長が遠くから見て担当看守に注意をしたことがあったのである。二人を引きはなす適当な処置が考えられているということであった。――だが、そうした懸念はやがて無用になった。太田の病気はずっと重くなったからである。
 粥も今はのどを通らなくなって一週間を経たある日の午後、医務の主任が来て突然太田の監房の扉をあけた。冷たい表情で無言のまま入って来た二人の看病夫が、彼を助け起し、囚衣を脱がせて新らしい浴衣の袖を彼の手に通した。朦朧とした意識の底で、太田は本能的にその浴衣に故郷の老母のにおいをかいだのである。
 太田が用意された担架の上に移されると、二人の看病夫はそれを担いで病舎を出て行った。肥った医務主任がうつむきかげんにその後からついて行く。向うの病舎の庭がつきるあたりの門の側には、太田に執行停止の命令を伝えるためであろう、典獄補がこっちを向いて待っているのが見える。――そして担架でかつがれて行く太田が、心持ち首をあげて自分の今までいた方角をじっと見やった時に、彼方の病室の窓の鉄格子につかまって、半ば伸び上りかげんに自分を見送っている岡田良造の、今はもう肉のたるんだ下ぶくれの顔を見たように思ったのであるが、やがて彼の意識は次第に痺れて行き、そのまま深い昏睡のなかに落ちこんでしまったのである……。



底本:「日本の文学 第40巻」中央公論社
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:山形幸彦
校正:野口英司
1998年8月20日公開
2000年12月1日修正
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