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手品
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山|襞《ひだ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)山|襞《ひだ》

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   (数字は、底本のページと行数)
(例)チャセゴ[#「チャセゴ」に傍点]
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    口上

 雪深い東北の山|襞《ひだ》の中の村落にも、正月は福寿草のように、何かしら明るい影を持って終始する。貧しい生活ながら、季節の行事としての、古風な慣習を伝えて、そこに僅かに明るい光の射すのを待ち望んでいるのである。併し、これらの古風な伝習も、そんなにもう長くは続かないであろう。
 それらの古風な慣習の一つに「チャセゴ」というのがある。正月の十五日の晩には、吹雪でない限り子供は子供達で、また大人は大人達で、チャセゴ[#「チャセゴ」に傍点]に廻《まわ》る。子供達は、宵《よい》のうちから、一団の群雀《むらすずめ》のように、部落内の軒から軒を(アキ[#「アキ」に傍点]の方からチャセゴに参った。)と怒鳴って廻《まわ》るのだが、すると、家の中から(何を持って参った?)と聞き返すのである。子供達はそこで(銭《ぜに》と金《かね》とザクザクと持って参った。)と一斉に呼び返す。そこで、二切ればかりずつの餅が、子供達各自の手に恵まれるのである。
 大人達のチャセゴは、軒々を一軒ごとに廻るのではなく、部落内の、または隣部落の地主とか素封家《そほうか》とかの歳祝《としいわ》いの家を目がけて蝟集《いしゅう》するのであった。それも、ただ(アキの方からチャセゴに参った。)というばかりでは無く、何かと趣向を凝《こ》らして行くのである。歳祝いをする家でも生活が裕《ゆたか》なだけに、膳部を賑《にぎ》やかにして、村人達が七福神とか、春駒とか、高砂《たかさご》とかと、趣向を凝《こ》らして、チャセゴに来てくれるのを待っているのである。

    一

 子供達が飛び出して行ってしまうと、薄暗い電燈の下は、急にひっそりして来た。
「チャセゴの餓鬼《がき》どもが来んべから、早くはあ寝るべかな。」
 妻のおきんは榾火《ほだび》を突つきながら言った。
「馬鹿なっ! そんなことは出来るもんでねえ。我家《われえ》の餓鬼どもだって行ってるんじゃねえか。」
 万《まん》は口を尖《と》げるようにして焼《や》け焦《こ》げだらけの炉縁《ろぶち》へ、煙管《きせる》を叩《たた》きつけるようにしていった。
 瞬間、急に戸外が騒々しくなってきて、無数の小さな地響きが戸口を目掛けて雑踏《ざっとう》して来た。万夫婦は、思わず戸口の方へ眼をやった。戸口では急に縺《もつ》れ合《あ》いが始まり、板戸がコトリと鳴って月の出前の薄暗《うすやみ》を五、六寸ばかり展《ひろ》げられた。
「アキの方からチャセゴに参った。」
 引き明けた戸口から、石でも投げ付けるように、小さな声が一斉《いっせい》に叫び立てた。万夫婦は吃驚《びっくり》して声も出なかった。子供達の叫び声は続いた。
「アキの方からチャセゴに参った。」
「何を持って参った?」
「銭と金とザクザク持って参った。」
 子供達はまたも声を揃《そろ》えて叫び返した。
「そうかそうか。銭と金とザクザクと持って参ったか。そりゃあ目出たいことだ。這入《はい》れ這入れ。お祝いするから、こっちさ這入れ。」
 万は夢からでも醒《さ》めたようにして、幾分|周章《あわて》気味に言った。子供達は我先《われさき》と、小突き合いながら、潮《うしお》のように雪崩《なだれ》込んで来た。しかし、その一団の先に立っているのは、万の長男だった。次男も三男も混じっていた。
「なあんだ兵吉じゃねえか。仁助《にすけ》も三吉もか。馬鹿野郎ども。我家さチャセゴに来る奴、あっか。馬鹿|奴《め》。」
 万は呆《あき》れて、炉縁《ろぶち》へまたも煙管《きせる》を叩き付けながらいった。
「本当に馬鹿な孩子《わらし》どもだよ。」
 妻のおきんもそう言ったが、しかし、部屋の片隅へ餅桶《もちおけ》を取りに立って行った。
「さあさ、ここに並べ。そうでねえと、貴様達は一人で二度も三度ももらおうからな。」
 万はそう言いながら上《あが》り框《がまち》へ立って行った。
「俺そんなことしねえ。俺そんなことしねえ。」
 子供達は、口々に言いながら上り框へ一列に並んだ。
「駄目だ駄目だ。そんなこと言っても、真《ま》に取れねえ。もらった奴は先に外へ出ろ。」
 万はそう言って、妻のおきんが運んで来た餅桶の中から二切れずつの餅を取っては、子供達の手に配《くば》って行った。そして子供達は全部外へ飛び出したが、兵吉と仁吉と三吉とは、父親と母親との顔を見比べるようにしながら、土間に突っ立っていた。
「阿呆め! 余計な者連れて来やがって、一升餅損したぞ。そら汝等《にしら》にもやるから、くれてやった餅ばあ、早く行ってもらい返して来い。」
 おきんはそう言って、自分の子供達の手にも、二切れずつの餅をのせてやった。しかし、子供達は餅をもらってしまうと、そんな愚痴《ぐち》など聞いてはいなかった。頓狂《とんきょう》な声を上げながら戸外に待っている悪垂《あくたれ》仲間の方へ飛んで行った。
「これじゃあ、俺も、順《おとな》しくしちゃいられねえ。吉田様の歳祝いにでも行ってくるべ。」
 万は軽い興奮で言った。
「歳祝に行ったって一升餅持って帰れめえし、それより後のチャセゴの来ねえうちに早く寝た方がいい。」
「馬鹿! 一升餅くらいで、一里からの雪路《ゆきみち》、吉田様まで、誰が行くものか。俺《おれ》の欲しいの、餅なんかじゃねえ。銀の杯《さかずき》を欲しいのだ。」
「欲しくたって……」
「吉田様じゃあ、歳祝いというと、二千だか三千だか、自慢たらしく銀の杯出しゃがるから、餅の代わりにもらって来てやるべ。」
 万は炉端《ろばた》へ行って出掛ける前の煙草《たばこ》を、忙《せわ》しく吸いながら言うのだった。

    二

 万は、ほっそり戸外へ出た。
 風が少しあった。月が、黒い森に出かかって、明るい雪面の上に長い黒い影を引いていた。月光を受けている部分は銀のように白く光って、折々、西風が煙のように粉雪《こゆき》を吹き捲《ま》くっていた。
 万は暗い影の中を歩いた。何方《どっち》を見ても人影が無いので、雪の中に突っ立っては躊躇《ちゅうちょ》したが、しかし、戻る気にもなれなかった。万はまた歩いた。そこへ、左手の杉森の中から誰かが出て来た。万はまた立ちどまって待った。
「万氏じゃねえか?」
 先方からそう声をかけた。
「平六氏か。」
 万は相手の見付かったのを酷《ひど》く喜んだ。
「吉田様さチャセゴに行くべと思って出て来たんだが、なんにも芸事《げいごと》仕込んで置かなかったから、踊りでも踊れるような真似《まね》して酒飲んで来んべと思って。しかし、それじゃあんまり芸のねえ話だが、万氏の方に何か二人でやれる種はねえか。」
「俺も、種のねえのに出て来て、戻るべかと思うていたところだ。貴様が踊る真似するなら、俺あ、歌でも歌うべ。それで悪いって法はねえんだから。」
「それにもう芸を仕込んで行く奴等は、今ごろは、もうとっくに行っているから、俺等《おれら》、何も芸しなくたって、酒と餅にゃあ大丈夫ありつけるさ。」
 万と平六とは、そして雪面の上へ長い影を引きながら、粉雪混《こゆきまじ》りの静かな西風に送られて歩いて行った。

    三

 吉田家は近郷一の素封家《そほうか》だった。そして、古風な恒例は何事も豪勢にやるのが習慣だった。殊《こと》にも今年は、当主と次女と老母と、三人の厄歳《やくどし》が重なっているので、吉田家では二日も前から歳祝いの用意をしているのであった。
 しかし、今夜は、折|悪《あ》しく、西風が少し立ったので、チャセゴ取りは少なかった。昼座敷《ひるざしき》から居残っている親戚の者を入れても、五十人とはなかった。十二畳間三座敷を通して明けひろげ、一間置きくらいに燭台を置き、激しい冷気にもかかわらず障子を取りはずして、真《ま》っ昼《ひる》間のように明るいのだが、飲み飽き食い飽きてしまったように、なんとなく白けていた。
 座敷には、祝い主達の姿もなくなって、七福神の仮装《かそう》と二、三人の泥酔者が酷《ひど》く目立っていた。
「アキの方からチャセゴに参った。」
 平六は縁先から座敷の中に呼びかけた。
「何方《どっち》から参ったと?」
 酔者が怒鳴って、他の人達も一斉に振り向いたが、その中から、誰かが優しく応《こた》えてくれた。
「何を持って参った?」
「銭と金とザクザク持って参った。」
「祝いの芸は?」
 平六はそこで、廊下に上がり、手拭《てぬぐ》いを鉢巻きにして、面白可笑《おもしろおか》しく手足を振りながら座敷の中へ這入《はい》って行った。万は縁先に立って座敷の中を見廻していたが、平六の出鱈目《でたらめ》な踊りが手を叩かれている隙《すき》に、七福神の仮装の福禄寿が銀の杯《さかずき》を取って仮装のための夜着の袖《そで》の中へ持ち込んだ。万は(野郎! 先手を打っていやがる……)と思って眼を※[#「※」は目へんに諍のつくり、P564-上段8]《みは》った。
 平六の出鱈目な踊りは、酷《ひど》く受けてしまった。一同は平六から眼を離さなかった。その中で万だけは、仮装の福禄寿の方を視詰《みつ》め続けていた。すると福禄寿は、またも銀の杯を袖の中に持ち込んだ。その時ちょうど誰かが、万の方に声をかけた。
「次に続く太夫《たゆう》の芸は?」
「はっ! 私しゃ……」
 万は、どぎまぎした。何を歌ってよいかわからなかった。それに、(先手を打ってやがるな)と思うと、福禄寿の方が気になって仕様がなかった。
「次の太夫!」
 激しい催促が始まった。
「早く始めねえか?」
「私しゃ……私しゃ……私の芸はその……」
 万はそう言い淀《よど》んでいるうちに、仮装の福禄寿は、銀の杯の三つ目を、袖の中に持ち込んだ。
「私しゃ、芸無し猿でがして、何も出来ねえんでがすが、ただ一つ、手品を知ってますで……」
 万はそう言って座敷の真ん中へ出て行った。
「手品?」
「それは面白い。」
 座敷は急に騒《ざわ》めき立った。
「なんでもいいでがすが、縁起のいいように、こっちの家の宝物同様の銀の杯でやることにしますべえ。」
 万はそう言いながら周囲に手を伸ばして、膳の前に散らかっている三つの銀の杯を拾い取った。
「さあさ! こっちを御覧下せえ。ここに三つの杯があります。私しゃ、今これを襤褸《ぼろ》着物の懐中《ふところ》へ入れます。」
 万はそう言って次から次へと杯を懐中へ入れた。
「そこで、私が号令をかけますと、私の懐中の中の杯は、私の命令したところへ参るのでごぜえます。一! 二! 三!」
 万はそう言って手を振った。
「さて、あの杯は、その向こうにおいでになる福禄寿のところへ、参っているはずであります。福禄寿の懐中を改めて下せえ。」
 万はそう言ってお辞儀をした。
 一座の興趣《きょうしゅ》は、仮装の福禄寿に集まって行った。福禄寿は早速、その周囲の二、三人の手で帯を解《と》かれた。同時に三つの杯が転がり出た。万は急霰《きゅうさん》のような拍手に包まれた。
――昭和八年(一九三三年)『大阪朝日新聞』一月二十二日号――



底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
   1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:湯地光弘
1999年12月6日公開
2000年5月19日修正
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