青空文庫アーカイブ



半七捕物帳
歩兵の髪切り
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)極月《ごくげつ》

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(例)歩兵|屯所《とんじょ》

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     一

 前回には極月《ごくげつ》十三日の訪問記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。江戸以来、歳《とし》の市《いち》の始まりは深川八幡で、それが十四、十五の両日であることは、わたしも子どもの時から知っていたが、一度もその実況を観たことが無いので、天気のいいのを幸いに、俄かに思い立って深川へ足を向けた。
 今と違って、明治時代の富岡門前町の往来はあまり広くない。その両側に露店が列《なら》んでいるので、車止めになりそうな混雑である。市商人《いちあきんど》は大かた境内《けいだい》に店を出しているのであるが、それでも往来にまでこぼれ出して、そこにも此処にも縁起物を売っている。それをうかうか眺めながら行きかかると、路ばたの理髪店から老人が出て来た。
「やあ」
 それは半七老人であった。赤坂に住んでいる老人が深川まで髪を刈りに来るのかと、わたしも少し驚いていると、それを察したように、彼は笑った。
「山の手の者が川向うまで頭を刈りに来る。わたくしのように閑人《ひまじん》でなければ出来ない芸ですね。いや、わたくしだって始終ここらまで来る訳じゃあありません。ついでがある時に寄るんですよ」
 ここの理髪店の主人は、そのむかし神田に床《とこ》を持っていて、半七老人とは江戸以来の馴染《なじみ》であるので、ここらへ来たときには立ち寄って、鋏《はさみ》の音を聴きながら昔話をする。それも一つの楽しみであると、老人は説明した。
「きょうも八幡様の市《いち》へ来たので、その足ついでに寄ったのですが……。あなたは何処へ……」
「わたしも市を観に来たんですが……」
「はは、今の若い方にしちゃあお珍らしい。帰りは洲崎《すざき》へでもお廻りですか」と、老人は笑いながら云った。
「いや、そんな元気はありません」と、わたしも笑った。
 二人は話しながら連れ立って境内にはいった。老人は八幡の神前でうやうやしく礼拝していた。そこらを一巡して再び往来へ出ると、老人はどこかで午飯《ひるめし》を食おうと云い出した。宮川《みやがわ》の鰻もきょうは混雑しているであろうから、冬木《ふゆき》の蕎麦にしようと、誘われるままにゆくと、わたしは冬木弁天の境内に連れ込まれた。
  名月や池をめぐりて夜もすがら
 例の芭蕉の句碑の立っている所である。蕎麦屋と云っても、池にむかった座敷へ通されて、老人が注文の椀盛や刺身や蝦の鬼がら焼などが運ばれた。池のみぎわには蘆《あし》か芒《すすき》が枯れ残っていて、どこやらで雁《かり》の声がきこえた。
「静かですね」と、わたしは云った。
「ここらもだいぶ変ったのですが、それでも赤坂やなんぞのようなものじゃあありません。さすがに江戸らしい気分が残っていますね」と、老人も云った。「今もあの髪結床《かみいどこ》の爺さんと話して来たんですが、髪結床だって昔とは違いましたね。それでもまだチョン髷を結いに来る客があるそうです。今は爺さんが引き受けているからいいが、その爺さんがいなくなってからチョン髷が来たらどうしますかな。尤もその頃には、そんなお客も根絶やしになりましょうが……。はははははは」
 老人の口から江戸の髪結床のむかし話を聴かされたのは、三馬の浮世床を読まされるよりも面白かった。それからそれへと質問を提出して、わたしは興に入って聴いていると、老人はこんなことを云い出した。
「今日《こんにち》ではザンギリになっても坊主になっても問題はありませんが、昔は髪を切るというのは大変なことで、髪を切って謝《あやま》るといえば大抵のことは勘弁してくれたものです。それだけに又、なにかの腹癒せに、あいつの髪を切ってやろうなぞと云って、女や男の髷《まげ》を切ることもある。つまりは顔でも切る代りに髷を切るのだから、大難が小難で済むようなものですが、昔の人間はそうは思わない。髷を切られるのを首を切られるほどに恐れたものです」
「女の髪切りなぞということが流行った事があるそうですね」
「髪切りは時々に流行りました。あれは何かのいたずらか、こんにちの言葉でいえば一種の色情狂でしょうね。そういうたぐいの髪切りは、暗いときに往来で切られるので、被害は先ず女に決まっていましたが、それとは違って、家のなかで自然に切られる事がある。寝ているうちに切られる事がある。これは別に流行ということも無いので、誰の仕業《しわざ》だか判りません。なにかの魔物の仕業だろうと云うことになっていました」
「これも女が多いんですか」
「やっぱり女が多かったようです。若い女が眼をさまして見ると、島田髷が枕元にころりと落ちている。これは泣き出すのが当たりまえでしょう。しかし女には限りません。男だって切られることがありました。歩兵|屯所《とんじょ》の一件なぞがそうです。なにしろ十一人も次から次へと切られたのですからね」
 こうなると、鬼がら焼などはどうでもいい。わたしはくずしかけている膝を直した。
「歩兵屯所……。幕府の歩兵ですか」
「そうです」と、老人はうなずいた。「なにしろ幕末は内も外もそうぞうしくなったので、幕府では旗本や御家人の次三男を新規に召し出して、別手組というものを作りましたが、また別に歩兵隊を作ることになりました。これは一種の徴兵のようなもので、関東諸国の百姓の次三男をあつめて、これに兵式の教練をさせたのですが、元治元年の正月から募集をはじめて、その年の七月までには一万人ほどになりました。最初の趣意では、前にも申す通り、なるべく正直|律義《りちぎ》の百姓ばかりを集めて、真剣に教練するつもりであったのです。こんにちと違いまして、その頃に一万人の兵があれば心丈夫です。ところが、その募集が思うように行かないで、しまいには誰でも構わずに採用することになって、江戸近在のやくざ者までが紺木綿の筒袖を着て、だん袋のようなものを穿いて、鉄砲をかついで歩くことになったので、世間の評判が余り好くありませんでした。勿論、みんながみんな悪い人間じゃあない、維新の際に命をすてて働いたのもあるのですが、何分にもごろつきのような奴がまじっていて、これが歩兵を笠に着て乱暴を働く、三人か五人固まって歩いて、芝居|町《まち》で暴れる、よし原で喧嘩をする、往来で女にからかったりする。これじゃあ市中の評判もよくない筈ですよ」
「その一万人はどこに屯《たむろ》していたんです」
「四組に分かれて屯していたのですが、髪切りの一件がおこったのは神田|小川町《おがわまち》の屯所で、第三番隊というのでした。なにしろ一個所に二千人以上の歩兵が屯しているのですから、幾棟もの大きい長屋が続いていまして、そこにみんな寝起きをしている。その中に広い練兵所があって、毎日調練の稽古をするという仕組みです。今から考えれば外国風の軍隊組織で、四十人が一小隊、三小隊が一中隊、五中隊が一大隊ということになっていたように聞いています。そんなわけですから、一小隊ごとに長屋を区別して別々に住んでいました。その小隊四十人のうちで、十一人も髪切りに出逢ったので大騒ぎになりました」
「寝ているところを切られたんですか」
「それがいろいろで、起きてみると髷が落ちているのもある。歩いているうちに髷が飛ばされるのもある。ひと晩に十一人が切られたのではなく、二十日《はつか》ばかりの間に切られたのですから、まあ二日《ふつか》に一度ぐらいの割合いですが、それにしても大騒ぎ、幕府の歩兵たるものが何者にか髷っ節をぽんぽん切られたとあっては、寝首を掻かれたも同然、歩兵隊の面目にもかかわるという騒ぎです」
「そりゃあ騒いだでしょう」
「騒ぐのも無理はありません。そこで、切られた人たちの話を聞きますと、二度目に切られた鮎川丈次郎というのは、夜なかに起きて便所へ行くと、その帰り道の暗い廊下で何か不意に飛びついた者がある。おどろいて払いのけると、その手ざわりで天鵞絨《びろうど》か獣《けもの》の毛のように思われたそうで、部屋へ帰ってみると髷が無い。五度目に切られた増田太平というのは、外から帰って来て長屋へはいろうとすると、暗いなかに何かうずくまっているような物がある。犬でもはいったのかと思って、足のさきで軽く蹴ると、それが飛び起きて増田に突きあたった。その勢いに増田はよろけて倒れそうになったが、そのまま内へはいってみると、これも髷が飛んでしまったと云うわけです。増田に突き当たったのも鮎川と同様、天鵞絨か毛皮のような肌ざわりで、暗いなかで確《しか》とは判らなかったが、犬よりも大きい物らしかったと云うのです。ほかの九人は寝ているうちに切られたのもあり、いつ切られたか知らないのもあり、ともかくも心あたりのあるのは鮎川と増田の二人だけで、その話も大抵一致しているのでした」
「じゃあ、獣らしいんですね」
「まあ、そうです」と、老人は又うなずいた。
「誰が云いだしたのか知りませんが、江戸時代では斯《こ》ういうたぐいの髪切りを、一種の魔物の仕業《しわざ》と云い、又は猿か狐の仕業だと云い慣わしていました。そこで、前の鮎川に飛び付いたのは、猿の仕業らしくもある。後の増田に飛びかかったのは、狐らしくもある。まあ、なんにしても獣の仕業らしいと云うことになりました。屯所の方でも、こんな事はなるべく秘密にして置きたかったのでしょうが、人の口に戸は立てられません。殊にこんな噂は猶さら広がり易いもので、忽ち世間の評判になってしまいました。ところが、おかしいことには、今度の髪切りは狐でもなく、猿でもなく、豹《ひょう》の仕業だという噂でした」
 髪切りを猿や狐の仕業というのは、昔の人としてさもありそうな事であるが、豹というのは余りに奇抜であった。
「豹の仕業……」とわたしは首をかしげた。「それはどういう訳ですか」
「はは、今の人にはお判りのないことで……」と、半七老人は笑った。「幕府の歩兵には、豹だの、茶袋だのという綽名《あだな》が付いていました。将棋の駒の歩《ふ》は歩兵《ふひょう》で、つまりは歩兵《ほへい》の意味です。そこで幕府の歩兵を将棋の歩になぞらえて歩《ひょう》といい、それが転じて豹になったのです。歩兵は紺木綿の服を着ていましたが、夏の暑いあいだは茶色の麻を着ていたので、茶袋という名を付けられたわけで……。豹にしても、茶袋にしても、あんまり有難い名前じゃありません。これを見ても、その不人気が思いやられます。その豹の髪を切ったのだから、やっぱりお仲間の豹だろうという、いや、どうも悪い洒落《しゃれ》です。
 もう一つ、豹と云い出したわけは、二年ほど前に西両国で豹の観世物を興行した事がありました。珍らしいので、一旦は流行りましたが、そう長くは続かないので、後には両国を引き払って、諸方の宮地や寺内で興行したり、近在の秋祭りなぞへ持ち廻ったりしていました。その豹が逃げたと云うので、いろいろの噂が立っている。王子辺では子供が三人|啖《く》い殺されたなぞと云う。もちろん取り留めもない事なのですが、そんな噂のある矢さきへ今度の髪切り騒ぎが出来《しゅったい》したので、歩兵の豹から思いついて、恐らくその豹の仕業だろうと云うことになったのです。今から考えれば、ばかばかしいことですが、その当時にはまことしやかに吹聴《ふいちょう》する者がある、又それを信用する者がある。まったく面白い世の中でした」

     二

 読者を焦《じ》らすようであるが、ここで私もすこし困った。と云うのは、半七老人も余り多くの酒を飲まないで、女中がもう飯を運んで来た。二人はだまって飯を食ってしまった。そうなると、ここに長居も出来ない。おまけに老人はこれから本所《ほんじょう》の知人を尋ねると云うので、一緒に付いてゆくことも出来ない。残念ながら髪切りの話はここでひと先ず中止のほかは無かった。わたしは元の富岡門前で老人に別れた。
 しかし、半分聞きかけの話をそのままにして置くのは、わたしの性質として何分にも気が済まないので、その明くる晩、寒い風を衝《つ》いて赤坂へ出かけると、老人はすこし感冒の気味だと云うので、宵から早く床にはいっていた。その枕もとで手帳を取り出すわけにも行かないので、わたしは怱々《そうそう》に帰って来た。
 それから二日ほど過ぎて、見舞いながら又たずねて行くと、老人はもう起きていたが、今度はあいにく来客である。わたしは又もやむなしく帰った。わたしも歳末は忙がしいので、冬至《とうじ》の朝、門口《かどぐち》から歳暮の品を差し置いて来ただけで、年内は遂にこの話のつづきを聞くべき機会に恵まれなかった。
 あくる年の正月五日の午後、赤坂へ年始まわりに行くと、老いてますます健《すこや》かな老人は、元気よく新年の挨拶を述べた。それからいつもの雑談に移ると、早くも老人の方から口を切った。
「旧冬、冬木でお話をした歩兵の髪切りの一件……。そのあとをお話し申しましょうかね」
「どうぞお願いします」
 私はそれを待ち構えていたのである。老人は例の明快な江戸弁で、殊に今夜は流暢に語り出した。

 この一件は慶応元年の二月から三月にかけての出来事で、半七が小川町の歩兵屯所へ呼び出されたのは三月二十五日の朝であった。小隊長の根井善七郎は半七を面会所へ通した。
「世間の噂でおまえも大抵承知しているだろうが、どうも困ったことが出来た。一人や二人ならばともかくも、それからそれへと二十日ばかりの間に十一人も髷を切られた。こういう事は人騒がせで甚だ宜しくない。第一に世間の手前もある。猿だの、狐だの、豹だのと、いろいろの風説が伝えられているので、当方でも見付け次第に撃ち殺すつもりで、銃を持った者が毎晩交代で見廻っているが、獣《けもの》らしい物の姿も見あたらない。罠《わな》をかけたが、それにも罹《かか》らない。こうなると、どうも獣の仕業でないらしく思われるので、きょうはお前を呼び出したのだが、なんとか一つ働いてみてくれまいか」
 歩兵隊の者が片端《かたはし》から髷を切られたなどと云うことは、当人たちの不面目ばかりでなく、ひいては歩兵隊全部の面目にも関し、さらに公儀の御威光にもかかわる事であると、根井は云った。さなきだに余り評判のよくない歩兵隊であるから、こんな事が出来《しゅったい》すると世間では尾鰭《おひれ》をつけていろいろの悪い噂を立てる。小隊長の根井も心配して、なんとか早くその正体を見あらわしたいと焦《あせ》っているのも無理はなかった。
「まったく困ったことでございます」と、半七も云った。「わたくし共の手に負えることだかどうだか判りませんが、まあ精々働いて見ましょう」
「では、長屋の内部をひと通り見てくれ」
 根井は半七を案内して、第二小隊の長屋へ連れて行くと、今は調練の時刻であるので、小隊全部は練兵所へ出ていて、広い長屋に人の影は見えなかった。長屋には台所が付いていて、台所の外には新らしく掘られたらしい井戸があった。大きい炊事場は別の所にあって、歩兵が当番で炊事を受け持ち、それを各隊の長屋へ分配するので、ここの小さい台所はめいめいが水を飲んだり、顔を洗ったりする場所に過ぎないと、根井は説明した。
 長屋の内は一棟を二つに仕切って、ふち無しの琉球畳を敷きつめ、板戸の戸棚にはめいめいの荷物が入れてあるらしかった。元来が一種の道場のような伽藍洞《がらんどう》の建物であるから、別に半七の注意をひくようなものも見いだされなかった。彼はここを出て、さらに長屋の周囲を一巡した。
 その当時の内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町《じんぼうちょう》、猿楽町《さるがくちょう》、小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋《まちや》は一軒もなかったのである。小川町の歩兵屯所も土屋|采女正《うねめのしょう》と稲葉|長門守《ながとのかみ》の屋敷の建物はみな取り払われて、ここに新らしい長屋と練兵の広場を作ったのであるが、ある一部には昔の庭の形が幾分か残されている所もあった。第二小隊の井戸のそばには築山があった。この築山も昔は相当の手入れをして、定めて風致あるものと察せられたが、一年あまりの後には荒れに荒れて、六、七本の立ち木がおい茂っているばかりであった。そのなかに八重桜の大樹が今を盛りに咲き乱れているのを、風流気の乏しい半七も思わず見あげた。
「よく咲きましたね」
「むむ、よく咲いた」と、根井も見あげた。「伐るのも惜しいのでこうして置くが、桜もこんなところで咲いては張り合いがあるまい。なにしろ殺風景の世界だからな」
 二人は笑いながら元の面会所へ帰った。ここで何かの打ち合わせをして、半七は屯所の門を出ると、ひとりの若い女の姿が眼の前に見えた。女は門番と何か立ち話をして立ち去るらしい。よく見ると、それは湯島天神下の藤屋という小料理屋の女中であった。
「おい、おい、お房。どこへ行くのだ」
「あら、親分さん」と、お房は会釈《えしゃく》した。「よいお天気で結構でございます」
「おめえは今そこの番人となんの内証ばなしをしていたのだ。お馴染《なじみ》かえ」
「ええ、少し用があって……。これで三度も足を運ぶんですけれど……」
「そんなに逢いてえ人があるのか」と、半七は笑った。「もっともひと口に茶袋とも云えねえ。あの中にもなかなか粋な兄《あに》いがまじっているからな」
「あら、御冗談を……。そんなのじゃあ無いんですよ。おかみさんにゃあ叱られるし、ほんとうに困ってしまうんですよ」と、お房は顔をしかめた。
「ははあ、勘定取りかえ。あんまりいい役じゃあねえな」
「いい役にも、悪い役にも、まったく困るんですよ」と、お房は繰り返して愚痴らしく云った。
 この正月のはじめに、馴染の歩兵が四人連れで藤屋へ飲みに来たが、帰る時になって勘定を貸してくれと云う。そのときに座敷を受け持っていたのは女中のお房で、何分にも相手は歩兵であり、春早々から乱暴などを働かれても困る。殊にいずれも馴染の顔であるから、お房も無下《むげ》にことわり兼ねた。その勘定をあしかけ三月《みつき》の今になっても払ってくれないと云うのである。
「おめえの一存で貸したのかえ」と、半七は訊《き》いた。
「帳場へ行っておかみさんに話すと、おまえ大丈夫かえと云うんです。ええ大丈夫でしょうと、あたしが云ったので、おかみさんも承知して貸すことになったんです。それが今まで埓《らち》が明かないので、おかみさんはあたしを叱って、おまえが請け合ったんだから、催促して取って来いと云う。そこで、このあいだから催促に来るんですけれど、今は調練の最中だから面会は出来ないの、きょうはドンタクで外出したのと云って、いつでも逢わせてくれないんです」
「そりゃあ困るな」
 歩兵の連中は門番にたのんで、藤屋の女が来たならば追い返してくれと云ってあるに相違ない。お房が幾たび足を運んでも、おそらく埓は明くまいと思った。
「第二小隊の人達は割合いにおとなしいようですけれど、やっぱりいけないんですねえ」と、お房は又云った。
「第二小隊……。その四人はなんという人だえ」
「鮎川さん、三沢さん、野村さん、伊丹さんです」
「鮎川さん……。丈次郎というのか」
「ええ、丈次郎というのです」
 鮎川丈次郎は二度目に髷を切られた男である。半七は笑った。
「ほかの人は知らねえが、その鮎川さんはおめえの所へ顔出しは出来ねえ筈だ。えて[#「えて」に傍点]ものにちょん切られたのだからな」と、半七は自分の髷を指さした。
「あら、それじゃあ鮎川さんも……。まあ」
 お房も髪切りの噂を知っているらしく、ひどく驚いたように半七の顔を見あげた。

     三

 その当時の半七は神田三河|町《ちょう》に住んでいたのであるから、小川|町《まち》から遠くない。お房に別れてひと先ず自分の家へ帰ると、亀吉と弥助が待っていた。
「屯所へ呼ばれたそうですね。髪切りの一件ですかえ」と、亀吉はすぐに訊いた。
「そうだ、猿や狐じゃあ無さそうだと云うのだ」
 半七からひと通りの話を聞かされて、二人はかんがえていた。
「しかし、その築山というのがおかしい。そこに何か巣食っているのじゃあありませんかね」と、弥助は云い出した。「去年の長州屋敷の一件もありますからね」
 蛤御門《はまぐりごもん》の事変から江戸にある長州藩邸はみな取り壊しになったが、去年の八月、麻布|竜土町《りゅうどちょう》の中屋敷を取り壊した時には、俄かに大風が吹き出したとか、奥殿から大きい蝙蝠《こうもり》が飛び出して諸人をおどろかしたとか、種々の雑説が世間に伝えられた。古い大名屋敷には往々そんな怪談が付きまとうので、屋敷跡の屯所の築山にも古狐か古猫のたぐいが棲んでいないとは限らない。蠣殻町《かきがらちょう》の有馬の屋敷の火の見|櫓《やぐら》には、一種の怪物が棲んでいたのを火の番の者に生け捕られ、それが瓦版の読売の材料となって、結局は有馬の猫騒動などという飛んでもない怪談を作りあげてしまった。そんな例はほかにもある。したがって、亀吉や弥助はこの一件について、まだ幾分の疑いを懐《いだ》いているらしかった。
「世間じゃあ豹だなぞと云うが、まさかに豹が町なかへまぐれ込みもしめえが……」と、亀吉も云った。「何かやっぱり狐か狸がいたずらをするのじゃありませんかね。現にその二人は、獣のようなものに出逢ったと云うじゃあありませんか」
「そんな事がねえとも云えねえが、小隊長の云う通り、どうも人間らしい匂いがするな」と、半七は笑った。
「だが、なぜそんないたずらをするのか、そのわけが判らねえので、どこから手を着けていいか見当が付かねえ。こうなると、なんでも手掛かりのある所から手繰《たぐ》って行くよりほかはねえ。弥助、おめえは、天神下に行って、藤屋のお房という女をしらべてくれ。なるべく当人に覚《さと》られねえようにするがいいぜ。亀、おめえは鮎川という歩兵の出這入りに気をつけてくれ。きょうの様子じゃあ、お房と鮎川とは訳があるかも知れねえからな」
「茶袋め、しゃれた事をしやあがる」と、亀吉も笑った。「ようがす。よく気を付けましょう」
「お房には兄貴がある筈で、そいつは何か小博奕なんぞを打つ奴らしいですよ」と、弥助は云った。「ひょっとすると、その茶袋もやくざ者で、隊へはいらねえ前からお房を識っているのかも知れませんね」
「じゃあ、色の遺恨で誰かがちょん切ったかな」と、亀吉はすこし考えていた。「だが、切られたのは十一人だと云うから、まさかみんなが色の遺恨を受ける覚えもあるめえ。そんなに色男が揃っているなら、茶袋だって世間から可愛がられる筈だ。まあ、なにしろ行って来ます」
 二人は怱々に出て行った。髪切りが人間の仕業であるとすれば、普通のいたずらとしては余りに念入りである。何者がなんの為にそんないたずらをするのかと、半七は午飯《ひるめし》をくいながら考えた。そうして、おぼろげながら一つの推測をくだした時、子分の幸次郎が忙がしそうにはいって来た。
「親分。早速ですが、いい話を聴いて来ました」
「いい話……。金でも降ったというのか」
「まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の代地河岸《だいちぎし》のお園《その》という女の家《うち》へ押込みがはいって、おふくろと女中の物には眼もくれず、お園の着物をいっさい担ぎ出してしまいました。それだけなら珍らしくもねえが、出ぎわにお園の髷を根元からふっつりと切って、持って行ったそうです」
「お園というのは何者だ」
「以前は深川で芸者をしていたのを、ある旦那に引かされて、おふくろと女中の三人暮らしで、代地に囲われているのです。年は二十三で、ちょいと蹈める女です。商売あがりの女だから、昔の色のいきさつで髷を切られる位のことはありそうですが、それにしちゃあ着物をみんな担ぎ出すのは暴《あら》っぽい。といって、唯の押込みなら髷まで持って行くにゃあ及ぶめえ。その押込みは二人連れだと云うことです」
「悪いはやり物だな」と、半七は舌打ちした。
「屯所の一件が評判になっているので、何が無しに髪切りの真似をしてみたのか、それとも何か仔細があるのか、どっちでしょうね」と、幸次郎も判断に迷っているらしかった。
 おそらく無意味の真似であろうと、半七は思った。それでも彼は念のために訊いた。
「お園の旦那は誰だ」
「内証にしているので判らねえが、なにしろ町人じゃあありません。近所の噂じゃあ、旗本の殿さまか、大名屋敷の留守居か、そんな人らしいと云うのですが……」
「旦那は屋敷者か」
「着物なんぞを取られたのは仕方もないが、髷を切られちゃあ旦那に申し訳がないと云って、お園は半気ちがいのように泣いて騒いで、あぶなく代地の河岸から飛び込みそうになったのを、おふくろと女中が泣いて留める。近所の者も留めに出る。いや、もう、大騒ぎだったそうですよ」
「旦那が屋敷者となると、この髪切りも人真似とばかり云っていられねえ。その旦那は何者だか、突き留める工夫《くふう》はねえか」
「そりゃあ訳はありません。おふくろや女中にカマを掛けて訊いても判ります。その旦那は近所の小岩という駕籠屋から乗って帰ることもあるそうですから、駕籠屋に訊いても、屋敷の見当は大抵付くというものです。すぐに調べて来ましょう」
「その旦那が歩兵隊に係り合いのある人間なら、この一件が又おもしろくなって来るからな」と、半七はまったく面白そうに云った。
 幸次郎が出て行ったあとで、半七は又しばらく眼を瞑《と》じて考えていた。この一件について、自分は最初から一つの推測を持っているのであるが、それが適中するかどうか。代地の髪切り事件も、解釈のしようによっては、いよいよ自信を強める材料とならないでも無い。半七は少なからざる興味をもって、子分らの報告を待っていた。
 この春はめずらしく火事沙汰が少なかったが、夕方から大南風《おおみなみ》が吹き出して、陽気も俄かに暖くなった。歩兵屯所の八重桜も定めてさんざんに吹き散らされるであろうと、半七は想像した。行く春のならいで、花の散るのは、是非もないが、この大風で火事でも起こってくれなければいいと案じていると、やがて五ツ(午後八時)に近い頃に、弥助が眼をこすりながら帰って来た。
「ひどい風、ひどい砂、眼を明いちゃあ歩かれません」
「やあ、御苦労。ひどい風だな」
「御注文の一件は調べて来ました。藤屋のかみさんに訊いてみると、お房の云ったことは少し嘘がまじっています。成程この正月には歩兵の四人連れが来て、借りて行ったには相違ねえが、その勘定はもう済んでいるそうです。お房はやっぱり鮎川という歩兵と訳があって、なんとか彼《か》とか名をつけて、屯所へ呼び出しに行くらしい。そこをお前さんに見付けられたので、いい加減のことを云って誤魔化したのです。お房はことし二十歳《はたち》ですが、その兄貴の米吉というのは商売無しの遊び人で、大名屋敷や旗本屋敷の大部屋へはいり込んで日を暮らしている。勿論、妹のところへも無心に来る。お定まりの厄介兄貴だそうです」
「お房の相手の鮎川というのは、どんな奴だ」
「こりゃあ江戸者じゃあありません。武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を募集する事になったので、早速に願い出て、三番隊の第二小隊にはいることになったそうです。年は二十三で、色の白い、おとなしやかな男で、茶袋の仲間じゃあ花形だという評判です」
「江戸に親類はねえのか」
「さあ、そこまでは判りませんが……」
「そりゃあ亀の方の受持ちだから、なんとか判るだろう。今夜はまあこれで帰って、あした又早く来てくれ」
 弥助の帰る頃から、風には雨がまじって来て暴《あ》れ模様になった。雨と風と、その音を聞きながら半七は寝床のなかで又考えていると、表の戸を叩いて亀吉がぐしょ湿《ぬ》れの姿ではいって来た。風が強いので、傘は※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] せないと云うのである。彼は鬢《びん》のしずくをふきながら、親分の枕もとに坐った。
「歩兵の一件だけなら、あしたでもいいのですが、ほかに少し聞き込んだ事があるので、夜ふけに飛び込んで来ました」
「どんな聞き込みだ」と、半七は起き直った。
「この頃はどうも物騒でいけません。ゆうべ下谷金杉の高崎屋という小さい質屋へ押込みがはいりました」
 この頃の江戸はまったく物騒で、辻斬りや押込みの噂は絶えない。単にそれだけならば、さのみ珍らしいとも思えなかったが、亀吉の報告は確かに半七の注意を惹くものがあった。
「ゆうべの四ツ(午後十時)過ぎです。その高崎屋へ二人組の押込みがはいって、五十両ばかり取って行きました。番頭はなかなか落ち着いた男で、黙ってじっと見ていると、ゆうべも陽気がぽかぽかしたので、ひとりの奴が黒の覆面をぬいで、額《ひたい》の汗を拭いたり、頭を掻いたりした。すると、そいつの頭には髷が無かったと、こう云うのです」
「髷がなかった……」
「自分で切ったか、人に切られたか知らねえが、ともかくも髷が無かったと云うのです。髪切りのはやる時期でも、髪を切った押込みはめずらしい。それを眼じるしに御詮議を願いますと、番頭は訴えたそうです」
「実は午《ひる》過ぎに幸次郎が来て、ゆうべ浅草の代地のお園という囲い者の家へ、二人組の押込みがはいって、そいつらはお園の髷を切って行ったというのだ」
「やっぱり二人組ですかえ」と、亀吉は眼をひからせた。
「そうだ」と、半七はうなずいた。「だが、代地の二人組は女の髪を切って行った。金杉の二人組は自分の髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴が下谷へ廻ったと思われねえこともねえが、代地で盗んだ代物《しろもの》をどう始末したか。ほかにも同類があるのか、それとも別の奴らか。その鑑定はむずかしい」
「ちっとこんぐらかって来ましたね」
「そこで、おめえの受持ちはどうした」
「ひと通りは洗って来ました」
 亀吉が探索の結果も、弥助の報告とほぼ同様であった。第二小隊の鮎川丈次郎は武州大宮在の農家の次男で、年は二十三歳で、歩兵仲間にはめずらしい色白の柔和《にゅうわ》な人間であるが、同じ隊中の者に誘われて此の頃は随分そこらを飲み歩くらしい。天神下の藤屋へもたびたび出かけて、お房になじんでいるのも事実である。深川海辺河岸の万華寺というのが遠縁の親類にあたるので、そこの住職が身許になって入隊したのであると云う。鮎川ばかりでなく、髪切りに出逢ったほかの十人も相変らず調練に出ている。そのほかには別に変ったことも無いらしいと、亀吉は云った。

     四

 明くれば三月二十六日である。ゆうべの雨かぜも暁《あ》け方からからりと晴れて、きょうは拭《ぬぐ》ったような青空を見せていた。
 このごろの騒がしい世の中では、葉ざくら見物という風流人も少ないと見えて、花の散ったあとの隅田堤はさびしかった。堤下《どてした》の田圃では昼でも蛙がそうぞうしくきこえた。その堤下の小料理屋から二人づれの男が出て来た。
 ひとりは筒袖だん袋に韮山笠《にらやまがさ》をかぶった歩兵である。他のひとりは羽織袴の侍風で、これも笠をかぶっていた。かれらは相当酔っているらしく、殊に往来の絶えているのを見て、かなりの声高で話しながら歩いて来たが、やがて堤へ上がって一軒の掛茶屋にはいった。茶屋も此の頃は休んでいるらしく、外囲いの葭簀《よしず》はゆうべの雨に濡れたままで、内には人の影もなかった。それが丁度仕合わせであるというように、ふたりは片寄せてある長床几を持ち出して、向かい合って腰をかけた。
「暑いな。すっかり夏になった」と、侍は扇を使いながら云った。
「もう日なかは夏です」と、歩兵も云った。「殊にゆうべの雨風から急に暑くなりました」
「では、今の一件を増田君にもよく話して下さい。このくらいで止《や》めては困る……」
「はあ」と、歩兵の返事はすこし渋っていた。
「きょうは増田君も一緒に来てくれると好かったのだが……」
「増田君は二、三人づれで吉原へ昼遊びに行ったようです」
「はは、みんな遊ぶのが好きだな」
 歩兵隊はドンタクと称して、一、六の日を休日と定め、その日は明け六ツから夕七ツまでの外出を許されている。この歩兵もきょうドンタクに外出したものと察せられた。二人はそれから二つ三つ話して床几を起《た》った。
「では、きっと頼みますぞ」と、侍は云った。
「はあ」と、歩兵の返事はやはり渋っていた。
「米吉が不安心なら、今度は手前から直々《じきじき》にお渡し申しても宜しい」
「はあ」
 かれらは一緒に連れ立って行くことを厭うらしく、侍はひと足さきに別れて出て、吾妻橋の方角へ真っ直ぐに立ち去った。歩兵は後に残って、暫くぼんやりと考えていたが、やがて立ち上がって表へ出た。桜の青葉を洩れて来る真昼の日のひかりを、彼はまぶしそうに仰ぎながら、堤のむこうへ下りて竹屋の渡しへむかった。
 侍も歩兵も笠を脱がなかった。知らない人が聴いたならば、これだけの対話にさしたる秘密を含んでいるとも思われなかったであろうが、その秘密をぬすみ聴く四つの耳があった。頬かむりをした二人の男が掛茶屋のうしろからそっと姿をあらわした。それは半七と亀吉であった。
「あの侍を知らねえか」と、半七は小声で訊《き》いた。
「知りませんね」と、亀吉は答えた。「歩兵は確かに鮎川ですよ」
「米吉が不安心なら、直々に渡してもいいと云っていたな」
「米吉というのはお房の兄貴ですよ」
「そうだ」
「もう少し歩兵を尾《つ》けてみましょうか」
「まず昼間で工合《ぐあい》が悪いが、もう少し追ってみろ」
 渡しが出るよう、と呼ぶ声におどろかされて、亀吉は怱々に堤下へ駈けて行くと、半七はあき茶屋へはいって煙草を一服吸った。もうこっちの物だと云うような軽い心持になって、彼は堤のまんなかを飛んでゆく燕《つばめ》の影を見送りながら、ひとりで涼しそうにほほえんだ。
 歩兵隊の髪切りは、猿でなく、狐でなく、豹でなく、人間の仕業であろうと、半七は推測した。もし人間であるとすれば、第一に疑うべきは鮎川丈次郎と増田太平の二人である。ほかの九人はなんにも心あたりが無いと云うにも拘らず、この二人は獣のようなものに襲われたと云っている、或いはこの二人がほかの九人の髪を切って、その疑いを避けるために自分自身の髪をも切って、まことしやかにいろいろのことを云い触らしているのかも知れないと、彼は思った。
 そこで鮎川や増田がなぜそんなことをしたか。それは単なるいたずらでない、自分たちの意趣遺恨でもない、恐らく何者にか頼まれたのであろう。彼等は何者にか買収されて、歩兵隊の威光と信用とを傷つけるために、こんな悪戯《いたずら》めいた事を続行したらしい。騒動があまり大きくなったので、この頃はしばらく中止しているが、あわ好くば小隊全部の髪を切ってしまうつもりかもしれない。
 藤屋のお房との関係から、半七は先ず鮎川に疑いをかけた。茶屋女などに関係すれば、金につまる。金につまれば何をするか判らない。その推測が適中して、きょうのドンタクに外出を許された彼は、この向島の小料理屋でどこかの侍と密会している。お房の兄の米吉もその間に立って、金銭取引の中継ぎをしているらしい。ここまで判れば、この一件の解決は時間の問題に過ぎないと、半七は多寡をくくってしまったのである。
 まだ残っているのは、代地と金杉の押込み一件で、髪を切られた者と、髪を切っている者と、それに何かの関係があるか無いか、その解決は幸次郎の報告を待つのほかはなかった。
 それからそれへと考えながら、半七はあき茶屋を出て吾妻橋の方角へ引っ返すと、日ざかりの暑さはいよいよ夏らしくなったので、彼は葉桜の下を択《よ》って歩いた。水戸の屋敷の大きい椎《しい》の木がもう眼の前に近づいた頃に、堤下の田圃で泥鰌《どじょう》か小鮒をすくっている子供らの声がきこえた。
「やあ、ここに人が死んでいる」
「死んでいるんじゃあない。寝ているんだ」
 その声が耳にひびいて、半七は堤の上から覗いてみると、堤の裾《すそ》の切株に倚《よ》りかかって、一人の男が寝ているらしかった。
「生酔《なまよい》だな」と、半七は思った。
 それでも念のために、彼は堤を降りて、その男の枕もとへ近よると、男は堅気《かたぎ》の町人とも遊び人とも見分けの付かないような風体で、いが栗頭が蓬々《ぼうぼう》と伸びているように見えた。彼はたしかに酒に酔って倒れていたのである。
「もし、おまえさん。まっ昼間から何でこんな所に寝ているのだ」と、半七は近寄って揺りおこした。
 他愛なく眠っているようでも、どこか油断が無かったらしく、揺り起こされて男はすぐにはっ[#「はっ」に傍点]と眼をあいた。彼は自分の前に立っている半七を見て、俄かに起き直って衣紋《えもん》をつくろった。そうして、無意識のように両方の袖口を引っ張った。それが法衣《ころも》の袖をあつかうような手つきであると、半七は思った。
「おまえさんは坊さんかえ」と、半七は訊いた。
「なに、そうじゃあねえ」と、彼は少し慌てたように答えた。「おらあ職人だ」
「めずらしい職人だな。そんな頭で出入り場の仕事に行くのか」
「喧嘩のもつれで、髷を切ったのだ。毛の伸びるまでは、仕事にも出られねえので、よんどころなしにぶらぶらしているのよ」
 彼は三十前後の蒼黒い男で、どうも破戒の還俗僧《げんぞくそう》らしいと半七は鑑定した。彼は半七の相手になるのを避けるようにわざとらしく欠伸《あくび》をして、眼をこすりながら歩き出そうとすると、ふところから重い財布がずしりと地に落ちた。彼はあわてて拾おうとすると、半七はその手をおさえた。
「おい、待ってくれ。落とし物はよっぽど重そうだな。おれに見せてくれ」
「見せてくれ……」と、男は眼をひからせて半七を睨んだ。「ひとの懐中物をあらためてどうするのだ。おめえは巾着切りか、追剥ぎか」
「追剥ぎはそっちかも知れねえ」と、半七は笑った。「まあ、見せろよ」
「てめえたちに見せるいわれはねえ」と、男は半七の手を振り切って、財布を自分のふところへ捻じ込んだ。
「ぬすびとの昼寝ということもある。そんなに重そうな財布をかかえながら、往来に寝込んでいるから調べるのだ。おれが調べるのじゃあねえ。この十手が調べるのだ」
 半七はふところから十手を出した。

     五

 その翌日、半七は歩兵屯所へ出頭して、小隊長の根井善七郎に面会を求めた。
「あなたは二十四日の晩、浅草代地河岸のお園という女の家《うち》へ押込みがはいったのを御存知でしょうか」
「知らない」と、根井は答えた。「そのお園という女は何者だ」
「実は……」と、半七は声を低めた。「大隊長の囲い者でございます」
 大隊長|箕輪《みのわ》主計《かずえ》之助は六百石の旗本である。それが代地河岸に妾宅を持っていようとは、根井も今まで知らなかったのである。箕輪も勿論、秘密にしていたに相違ない。それを半七にあばかれて、根井は他人事《ひとごと》ながらも少しく極まりが悪そうに顔をしかめた。
「して、それがどうかしたのか」
「子分の幸次郎に調べさせましたら、お園の旦那は箕輪の殿様だということがわかりました。お園は二人組の押込みに髪を切られたのでございます。」
「髪を切られた……」と、根井はいよいよ顔を曇らせた。「箕輪|氏《うじ》の囲い者と知っての業《わざ》かな」
「そうだろうと思います」
「その髪切りは歩兵の一件と何か係り合いがあるのだろうか」
 それはこの場合、誰の胸にも浮かぶ疑問である。半七は更に声をひくめた。
「係り合いがあるように思われます。まさか大隊長の髪を切るわけにも行かないので、お妾さんの髪を切ったらしいのでございます。油断をしていると、この屯所の中でもまだまだ切られる者があるかも知れません」
 根井もおおかた覚《さと》ったらしく、これも声を忍ばせた。
「では髪切りは……。屯所内の者の仕業だな」
「鮎川丈次郎、増田太平の二人だろうと思います」
「鮎川と増田……。確かな証拠があるかな」と、根井は形をあらためた。
「きのうの午《ひる》過ぎに、向島の水戸さま前の堤下で、怪しい者を召し捕りました」と半七は説明した。
「坊主あがりで、懐中には二十両ほどの金を所持して居りました。手向かいするのをおさえて、だんだん詮議いたしますと、深川海辺河岸の万華寺の納所《なっしょ》あがりで、良住という者でございました。御承知の通り、万華寺の住職は鮎川丈次郎の親類でございます。良住は身持ちが悪いので寺を逐《お》い出され、今では居どころも定めずごろ付いて居りますが、万華寺にいた縁故から鮎川とも知合いでございます。まだお話を致しませんでしたが、同じ二十四日の晩に、下谷金杉の高崎屋という質屋へも二人組の押込みがはいりました。その一人は髪を切っていたと云うことでしたが、この良住は還俗するつもりとみえて、いが栗頭を長く伸ばしていて、髷を切ったような形にも見えます。その上、懐中には身分不相当の大金を持っているので、こいつが下谷の押込みではないかと睨みまして、きびしく吟味すると案の通りでございました」
「もう一人の同類は誰だ。鮎川か」と、根井は待ち兼ねたように訊いた。
「いえ、これもあなたが御存知のない者で……。湯島天神の藤屋という小料理屋に女中奉公をしているお房という女がございます。その兄の米吉というならず者でございます」
「では、この二人は屯所に関係はないな」
「左様でございます」
 しかし、まったく関係がないとは云えない。鮎川丈次郎はお房の関係から彼《か》の米吉と知合いになった。そうして、米吉の手から金銭をうけ取って髪切りの役目を引き受ける事になったらしい。増田太平も遊蕩の金に困って、鮎川と米吉に誘い込まれたのであろうと、半七は説明した。
 燈台もと暗しと云うか、足もとから鳥が立つと云うか、自分の部下からこの犯人を見いだして、小隊長も頗る意外に感じたらしい。それにつけても第一の問題は、かれらを買収して髪切りのいたずらを実行させた本家本元である。根井は暫く考えながら云った。
「こんにちの世の中だから、誰が何をするか判らないが、それについてはどうも心あたりが無い。お前にはもう探索が届いているのか」
「還俗坊主を取りおさえただけで、その相棒の米吉の居どころがまだ判りません」と、半七は答えた。「良住は髪切り一件には係り合いがないと云って居ります。そんなわけで、誰が金を出して、誰が頼んだのか、そこまでは探索が行き届いて居りませんのでございます」
「むむ。鮎川と増田を詮議すれば判る筈だ」
「それで今朝うかがいましたのでございます」
「よく知らせてくれた」と、根井はすぐに立ちかけた。「そこで、代地の一件だが……。お園という女の髪を切ったのは誰だ。やはり鮎川と増田かな」
「まあ、そうだろうと思いますが……」
 屯所は夕七ツが門限で、その以後の外出は許されない筈である。それにも拘らず、歩兵らは往々夜遊びに出る。今後はその取締りを厳重にしなければならないと、根井は云った。鮎川も増田も夜なかに脱《ぬ》けだしてお園の宅を襲ったのであろう。こういう無規律であるために、歩兵の評判が悪いのである。根井もそれを知っていながら、自分一個の力ではどうにもならないらしかった。
 それでも彼は半七の手前、今後はきっと取締まると繰り返して云った。
「これから鮎川らを即刻吟味する。おまえは暫く待ってくれ」
 云い残して根井は怱々に出て行ったが、やがて又引っ返して来た。
「増田は練兵所に出ていたので、すぐに吟味する事にしたが、鮎川は昨夜から帰隊しないそうだ。あるいは覚って逃亡したのかも知れない」
「子分の亀吉に云いつけて、鮎川のあとを尾《つ》けさせてありますから、その居どころは判る筈でございます」と、半七は云った。
「あいつ、又ほかにも悪い事をして、市中取締りの手に召し捕られたりすると、歩兵隊の不面目だ。おまえに頼む。見つけ次第に取りおさえてくれ」
 その当時の市中取締役は庄内藩の酒井左衛門|尉《のじょう》である。その巡邏隊と歩兵隊とは、とかくに折り合いが悪く、途中で往々に衝突を演ずることがある。市中取締りの立場からいえば、乱暴をはたらく歩兵隊を取締まるのは当然であるが、それが歩兵隊の癪にさわるので、両者は常に睨み合いの姿になっている。鮎川の召し捕りを半七に依頼したのも、彼を巡邏隊の手に渡すまいという根井の用心であるらしい。それを察して半七も請け合って帰った。
 三河町の家へ帰ると、亀吉が待っていた。
「あれから鮎川のあとを追って行くと、竹屋の渡しを渡って今戸へ越して、それから花川戸の方角へぶらぶらやって来ると、むこうから米吉の野郎が来て、両方がばったりと出逢いました。こりゃあ面白くなったと思うと、往来のまん中で立ち話、これにゃあどうも困りました。真っ昼間の往来だから近寄ることが出来ねえ。ただ遠くから様子を窺っているだけのことでしたが、二人の様子が唯でねえ。なにか捫著《もんちゃく》でもしているらしい風に見えましたが、なにしろ人通りの多い所だから、二人もいつまで捫著してもいられねえので、まあいい加減に別れてしまったようです。鮎川はそれから天神下へ行って、例の藤屋へはいり込みました」
「その鮎川はゆうべから屯所へ帰らねえそうだ」
「野郎、泊まり込んでいやがるのか。それともお房を引っ張り出して、駈け落ちでもしやあがったかな」と、亀吉は半七の顔色をうかがった。「どうしましょう。すぐに藤屋へ行ってみますか」
「そうだ、駈け落ちなんぞをされると困る。構わねえから、見つけ次第に押さえてしまえ。小隊長から頼まれているのだ。早く行ってくれ」
 亀吉を追い出してやると、入れちがいに弥助が来た。
「親分。藤屋のお房はゆうべから帰らねえそうです」
「鮎川と一緒か」
「そうです。明るいうちから鮎川は飲みに来ていて、日が暮れて屯所へ帰る。お房はそれを送りながら一緒に出て行って、それっきり帰らねえそうですよ」
「困ったな」
 半七は歎息した。亀吉が根気よく藤屋に張り込んでいたならば、鮎川とお房の消息を探ることが出来たかも知れなかったのであるが、藤屋へはいるまでを見届けて、これから先は例の通りと、見切りをつけて引き揚げてしまったのが、今更おもえば不覚であった。その不覚のために、この事件の一半を不得要領に終らせることになった。

     六

「なんでも油断をしちゃあいけません。亀吉がうっかり油断した為に、折角の探索をめちゃめちゃにしてしまって、当人も後々まで悔んでいましたよ」と、半七老人は云った。
「二人のゆくえはとうとう知れないんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「知れません。幸次郎をやって、鮎川の故郷の大宮在を探索させましたが、そこへも立ち廻った形跡がありません。勿論、江戸市中や近在には姿をみせず、そのうちに御一新の大騒ぎですから、そんな詮議をしてもいられません。明治になったのは二人の仕合わせで、どこにか天下晴れて暮らしているでしょう。世の中が変ると、思いも寄らない得《とく》をするものも出来ます」
「増田の方は捉《つか》まったんですな」
「これは前に申した通りで、髪切りは全く鮎川と自分の仕業に相違ないと白状しました。代地河岸のお園の家へ押込んだのも、二人の仕業でした。ところが、これも困ったことには吟味中に押込み所を破って逃げてしまいました。歩兵隊も重々不取締りで致し方がありません」
「一体、誰に頼まれたんですか」
「それが肝腎の問題ですが、増田は鮎川と米吉に誘い込まれて、最初に十五両、二度目に十両貰っただけで、その頼み手は知らないと強情を張っていました。何分にも一方の鮎川が見付からないので、詮議も思うように捗取《はかど》らない。そのうちに増田は逃亡してしまって、これもゆくえ不明ですから、詮議の手蔓も切れたわけで……。こんにちの言葉で申せば五里霧中です」
「しかし、まだほかに米吉がいる筈ですが……」
「その米吉が又いけないのです」
「どうしました」
「王子辺の川のなかで浮いていました」
「殺されたんですか」
「豹に啖《く》われて……」
「本当に啖われたんですか」
「と、まあ、云っているのですが……」と、老人は笑った。「わたくしはその死骸を見ませんでしたが、なにかの獣《けもの》に体を啖われていたそうです。野良犬に咬まれたのでしょうね。坊主あがりの良住と一緒に押込みを働いて、ふところは相当に重い筈ですから、どこかの大部屋へでも遊びに行って打ち殺されたか、ごろつき仲間にでも狙われたか、それとも別に仔細があるのか、ともかくも誰かに打ち殺されて、死骸を王子辺のさびしい所へ捨てられた。それを野良犬どもが咬み散らして、川のなかへでも転がし込んだのでしょう。しかしその当時は豹に啖い殺されたという評判でした」
「観世物の豹は本当に逃げたんですか」
「逃げたというのは例の噂で、上州から野州の方を持ち廻っていたのだそうです。しかし、米吉の死んだのは本当です」
「そうすると、詮議の種も尽きたわけですな」と、わたしも失望したように云った。
「まあ、そういうことになります。良住という奴は髪切り一件に関係が無いとすれば、あとは鮎川と増田ですが、この二人はいずれも行方不明、お房も同様、残る米吉は豹に啖われたと云うようなわけですから、関係者は種切れです。そこで、屯所側の鑑定では、この事件のうしろには大名屋敷の黒幕が付いていて、鮎川らを操《あやつ》って歩兵隊にケチを付ける計画だろうと云うのでした。幕府反対の大名たちが……と云っても主人が知ったことじゃあありますまいが、その家来たちがいろいろの策動をして、幕府困らせをやる。今度の一件も薩州屋敷あたりの者が内々で運動費を使って、こんな悪戯《いたずら》をして、幕府の歩兵の信用を墜《おと》させようと企てたのであろうと云うのです。今から考えると、子供のような悪戯とも思われますが、その時代にはこんな悪戯もなかなか有効であったのですから、誰かが考え付いたのかも知れません。
 果たしてそうだとすれば、米吉という奴は博奕を打つので大名屋敷の大部屋へはいり込む関係から、こいつが先ず誰かに買収されたものと想像されます。米吉はお房の縁で鮎川を抱き込む、つづいて増田を味方に引き入れる。狂言の筋立ては大方こんなことでしょう。昔から悪い事をする人間はみんなそうですが、鮎川も増田も自分の髪を切られたことにして、唯黙っていればいいのに、この二人だけが何か髪切りの正体を見たようなことを云って、天鵞絨《びろうど》のような手ざわりがしたとか、獣のような物に出逢ったとか云い触らしたのが失敗のもとで、かえってわたくし共に眼を着けられる事にもなったのです。
 増田の申し立てによると、自分も鮎川も歩兵隊にはいったものの、毎日の調練が忙がしく、なかなか辛抱がつづかない。その上にいつか道楽の味をおぼえたので、猶さら屯所の生活が窮屈でならない。いっそ脱走でもしようかと云っているところへ、髪切りの一件をたのまれたので、金がほしさに引き受けたが、その詮議がだんだん厳重になったので、なんだか薄気味悪くなって来た。その矢先きへ、ある所から米吉を通じて、大隊長の妾宅を襲えという秘密の命令が来ました。そこで、二人は相談して、いっそここらで強盗を働いて、纒まった金をこしらえて脱走しようと云うことになったのです。妾の髪を切れば二人に十五両ずつ呉れるという約束でしたが、そのお金を米吉が中途で着服して、二人に渡さない。その捫著のあいだに、気の弱い鮎川は思い切ってお房と駈け落ちをしてしまう。思い切りの悪い増田はぐずぐずしているうちに取り押さえられたのです。妾宅で盗んだ品々は米吉の家へ持ち込んだままで、まだ処分されずに残っていたので、みんな無事にお園の手へ戻りました」
「米吉というのは随分悪い奴ですね」
「元来は大した悪党でもないのですが、急に悪度胸が据わったと見えて、鮎川や増田をあやつって旨い汁を吸っていながら、一方には自分も良住と一緒に押込みを働く。何やかやでかなりにふところを肥やした筈ですが、悪運尽きて忽ち滅亡、殺した者は大部屋の仲間でもなく、ごろつき仲間でもなく、ひょっとすると例の屋敷の連中が秘密露顕の口を塞ぐために、急所の当身《あてみ》でも喰わせたかも知れません。まあ、大体のお話はこんなことで、その以上はわたくしにも判り兼ねます」
「結局、その陰謀の策源地は判然《はっきり》しないのですね」
「薩州だろうの、長州だろうのと云っても、所詮は当て推量で、確かな証拠もないのですから、表向きの掛け合いも出来ず、この一件はうやむやに済んでしまいました。三田の薩摩屋敷には大勢の浪人が潜伏していて、とかくに市中を鬧《さわ》がすので、とうとう市中取締りの酒井侯の討手がむかって、薩摩屋敷砲撃と相成ったのは、どなたも御存じのことでしょう。あの砲撃のために、芝の金杉、本芝、田町《たまち》の辺はみんな焼けました」
「良住という坊主は、本当になんにも知らないんでしょうか」
「万華寺の関係から考えると、良住は鮎川の秘密を知っていそうに思われるのですが、本人はどうしても知らないと云い張っていました。これも吟味中に牢死という始末で、何もかもうやむや……。こんな事件もめずらしいのです」
 云い終って、老人はまた思い出したように溜め息をついた。
「めずらしいと云えば、ここに少し不思議なお話があります。慶応三年十二月十三日、歩兵隊が吉原で喧嘩をはじめて、廓内の者や弥次馬に取り囲まれ、十幾人が半死半生の袋叩きに逢いました。そのなかには重傷で死んだものもありました。死んだのはみんな髪切りに出逢った連中だという噂で……。わたくしも何だか変な心持になりました」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年6月5日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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