青空文庫アーカイブ

半七捕物帳
松茸
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)籠《かご》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)お頭付《かしらつ》きの一|尾《びき》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+向」、第3水準1-85-25]
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     一

 十月のなかばであった。京都から到来の松茸の籠《かご》をみやげに持って半七老人をたずねると、愛想のいい老人はひどく喜んでくれた。
「いや、いいところへお出でなすった、実は葉書でも上げようかと考えていたところでした。なに、別にこれという用があるわけでも無いんですが、実はあしたはわたくしの誕生日で……。こんな老爺《じい》さんになって、なにも誕生祝いをすることも無いんですが、年来の習わしでほんの心ばかりのことを毎年やっているというわけです。勿論、あらたまって誰を招待するのでもなく、ただ内輪同士が四、五人あつまるだけで、あなたも御存じの三浦さんと、せがれ夫婦と孫が二人。それだけがこの狭い座敷に坐って、赤い御飯にお頭付《かしらつ》きの一|尾《ぴき》も食べるというくらいのことです。この前日に京都の松茸を頂いたのは有難い。おかげで明晩の御料理が一つ殖《ふ》えました。そういう次第で、なんにも御馳走はありませんけれども、あなたも遊びに来て下さいませんか」
「ありがとうございます。是非うかがいます」
 あくる日の夕方から私は約束通りに出かけてゆくと、ほかのお客様もみな揃っていた。そのうちの三浦老人は、大久保に住んでいて、むかしは下谷辺の大屋《おおや》さんを勤めていた人である。わたしは半七老人の紹介で、ことしの春頃からこの三浦老人とも懇意になって、大久保の家へもたびたび訪ねて行って「三浦老人昔話」の材料をいろいろ聴いていたので、今夜ここで其の人と逢ったのは嬉しかった。
 そのほかは半七老人の息子と、その細君と娘と男の児との四人連れであった。息子はお父さんと違って堅気一方の人らしく、細君と共に始終行儀よく控えているので、席上の座談は両老人が持ち切りという姿で、わたし達は黙ってその聴き手になっていると、半七老人は膳の上の松茸を指さして、これは私から貰ったのだと説明したので、息子たちからあらためて礼を云われて、私はすこし恐縮した。その松茸が話題になって、両老人のあいだに江戸時代の松茸の話がはじまると、やがて三浦老人が云い出した。
「松茸で思い出したが、あの加賀屋の人達はどうしたかしら」
「なんでも明治になってから横浜へ引っ越して、今も繁昌しているそうですよ。お鉄の家は浅草へ引っ越して、これも繁昌しているらしい」と、半七老人は答えた。「世の中の変るというのは不思議なもので、今ならば何でもないことだが、あの時分には大騒ぎになる。十二月の寒い晩に不忍池《しのばずのいけ》へ飛び込んで、こっちも危く凍《こご》え死ぬところ。あいつは全くひどい目に逢った」
 こうなると、いつもの癖で、わたしは黙って聴いてばかりいられなくなった。
「それはどういう事件なのですか。あなたが飛び込んだのですか」
「まあ、そうですよ」と、半七老人は笑っていた。「今夜はそんな話はしない積りだったが、あなたが聴き出したらどうで堪忍する筈がない。今夜の余興に、一席おしゃべりをしますかな。そうなると、三浦さんも係り合いは抜けないのだから、まず序びらきに太田《おおた》の松茸のことを話してください」
「ははは、これはひどい。わたしに前講《ぜんこう》をやらせるのか。まあ、仕方がない。話しましょう」
 三浦老人も笑いながら先ず口を切った。
「お話の順序として最初に松茸献上のことをお耳に入れて置かないと、よくその筋道が呑み込めないことになるかも知れません。御承知の上州太田の呑竜《どんりゅう》様、あすこにある金山《かなやま》というところが昔は幕府へ松茸を献上する場所になっていました。それですから旧暦の八月八日からは、公儀のお止山《とめやま》ということになって、誰も金山へは登ることが出来なくなります。この山で採った松茸が将軍の口へはいるというのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、すぐに人足の肩にかけて次の宿《しゅく》へ送り込む。その宿の問屋場にも人足が待っていて、それを受け取ると又すぐに引っ担いで次の宿へ送る。こういう風にだんだん宿送りになって行くんですから、それが決してぐずぐずしていてはいけない。受け取るや否やすぐに駈け出すというんですから、宿々の問屋場は大騒ぎで、それ御松茸……決して松茸などと呼び捨てにはなりません……が見えるというと、問屋場の役人も人足も総立ちになって出迎いをする。いや、今日からかんがえると、まるで嘘のようです。松茸の籠は琉球の畳表につつんで、その上を紺の染麻で厳重に縛《くく》り、それに封印がしてあります。その荷物のまわりには手代りの人足が大勢付き添って、一番先に『御松茸御用』という木の札を押し立てて、わっしょいわっしょいと駈けて来る。まるで御神輿《おみこし》でも通るようでした。はははははは。いや、今だからこうして笑っていられますが、その時分には笑いごとじゃありません。一つ間違えばどんなことになるか判らないのですから、どうして、どうして、みんな血まなこの一生懸命だったのです。とにかくそれで松茸献上の筋道だけはお判りになりましたろうから、その本文《ほんもん》は半七老人の方から聴いてください」
「では、いよいよ本文に取りかかりますかな」
 半七老人は入れ代って語り出した。

 文久三年の八月十五日は深川八幡の祭礼で、外神田の加賀屋からも嫁のお元《もと》と女中のお鉄、お霜の三人が深川の親類の家《うち》へよばれて、朝から見物に出て行ったが、その午《ひる》過ぎになって誰が云い出すともなしに、永代《えいたい》橋が墜《お》ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大|椿事《ちんじ》におびえていた人々は又かとおどろいて騒ぎはじめた。加賀屋ではお元の夫の才次郎も母のお秀も眼の色を変えた。番頭の半右衛門が若い者ふたりを連れてすぐ深川へ駈け付けると、それは何者かが人さわがせに云い触らした虚報で、お元も女中たちも無事に家に遊んでいた。それが判って先ず安心して、半右衛門は主人の嫁の供をして帰ると、お秀も才次郎も死んだ者が蘇生《いきかえ》って来たように喜んだ。こうして加賀屋の一家が笑いさざめいている中で、嫁のお元の顔色はなんだか陰《くも》って、まだ青い眉のあとが顰《ひそ》んでいるようにも見えた。
 お元の顔色の悪いのは、母や夫の眼にも付いたが、別に深く注意する者もなかった。加賀屋はここらでも草分け同様の旧家で、店では糸や綿を売っているが、主人の才兵衛は、八、九年前に世を去って、ことし二十三の才次郎がひとり息子で家督を相続していた。嫁のお元は夫とは三つちがいの二十歳《はたち》で、十八の冬からここへ縁付いて来て、あしかけ三年むつまじく連れ添っていた。かれは武州|熊谷在《くまがやざい》の豪農の二番娘で、千両の持参金をかかえて来たという噂であった。
 加賀屋の店も相当の身代《しんだい》であるから、別にその持参金に眼がくれたわけではなかった。お元は縁談のきまった時に、その親たちの云い込みには、何分ここらの片田舎では思うような嫁入り支度をさせて送ることも出来ない。もう一つには村でも最も古い家柄であるだけに、娘をよそへ縁付けるなどというといろいろ面倒な慣例《ならわし》もある。方々からも祝い物をくれる。又その返礼をする。それも其の土地に縁付くならば、どんな面倒な失費《ついえ》もよんどころないが、遠い江戸へ縁付けてしまうのに、そんな面倒をかさねるのはお互いにつまらない事であるから、さしあたっては行儀見習いの為に江戸の親類へ預けられるという体《てい》にして、万事質素に娘を送り出してしまいたい。勿論、江戸の方ではそういう訳には行くまいから、そちらで相当の支度をさせて儀式その他はよろしきように頼むというのであった。その頃の慣習として、嫁の里が相当の家であれば、たといそれが二十里三十里の遠方であっても、いわゆる里帰りに姑や聟も一緒に出かけて行って、里の親類や近所の人達にもそれぞれの挨拶をしなければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋の方でも却《かえ》ってそれを幸いに思って、先方の云い込みを故障なしに承諾した。お元は下谷《したや》の媒妁人《なこうど》の家に一旦おちついて、そこで江戸風の嫁入り支度をして、とどこおりなく加賀屋へ乗り込んだ。そういう事情で、豪家の娘が殆ど空身《からみ》同様で乗り込んできたのであるから、その支度料として親許から千両の金を送ってよこしたのも、別に不思議な事でもなかった。お元にはお鉄という若い女中が付いて来たが、それも珍らしいことではなかった。
 お元がここへ縁付いてから、ただ一度その親たちと姉とが江戸見物をかねて加賀屋へ訪ねて来て一と月ほども逗留して帰った。才次郎とお元との夫婦仲も至極むつまじかった。彼女はおとなしい素直な生まれ付きであるので、姑《しゅうと》のお秀にも可愛がられた。店や出入りの者のあいだにも評判がよかった。附き添って来た女中のお鉄はことし十八で、それも主人思いの正直な女であった。こういうふうであるから、若夫婦の仲にまだ初孫《ういまご》の顔を見ることの出来ないのをお秀が一つの不足にして、そのほかには加賀屋一家の平和を破るような材料は一つも見いだされなかった。店も相変らず繁昌していた。
 その嫁が深川の祭礼を見物に行って、その留守に永代橋墜落の噂が伝わったのであるから、加賀屋一家が引っくり返るように騒いだのも無理はなかった。それが無事と判って、また跳《おど》りあがって喜んだのも当然であった。しかし其の翌日になっても、お元の顔色の暗く閉じられているのが家内の者に一種の不安を感じさせた。とりわけて姑のお秀が心配した。
「お鉄や。ちょいと」
 かれは女中のお鉄を自分の居間へよんで、小声で訊《き》いた。
「あの、お元はきょうもなんだか悪い顔付きをしているようだが、どうかしましたかえ。お医者に診《み》て貰ったらどうだと先刻《さっき》も勧めたんだけど、別にどこも悪いんじゃないと云う。お前はきのう一緒に出て行って別になんにも思い当ることはありませんでしたかえ」
「はい。別になんにも……」と、お鉄は躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「わたくしもお霜さんも始終御一緒に付いて居りましたが、なんにも変ったことは無かったように存じます。尤《もっと》も橋が墜ちて大勢の人が流されたという噂をお聞きになりました時には、真っ蒼になって震《ふる》えておいででございました」
「そりゃあ無理もありませんのさ」と、お秀もうなずいた。「それが噂とわかって、お前さん達の無事な顔を見るまでは、わたしも気が気でなかったくらいですから……。それにしても今日になってもまだ蒼い顔をしていて、けさの御膳も碌に喰べてなかったというから、わたしもなんだか不安心でね。だが、それに付いていたお前がなんにも知らないと云うようじゃあ、別に変ったことがあった訳でもあるまい。人ごみの場所へ行って、おまけにそんな噂を聴かされたので、血の道でも起ったのかも知れない。気分でも悪いようならば、二階へでも行ってちっと横になっているように、お前から勧めたらいいでしょう」
「はい、はい、かしこまりました」
 お鉄は丁寧に会釈《えしゃく》をして、主人の前をさがった。おなじ奉公人でも嫁の里から附き添って来た者であるから、主人の方でも幾分の遠慮があり、奉公人の方でも特別に義理堅くしなければならなかった。したがって里方から嫁入り先へ附き添ってゆくということは、どの奉公人も先ず忌《いや》がるのが習いで、もちろん普通よりも高い給金を払わなければならなかった。お鉄はお元の里方《さとかた》の小作人のむすめで、幼いときから地主の家に奉公して、お元とは取りわけて仲よくしている関係から、かれが江戸へ縁付くに就いても一緒に附き添ってきたのであった。年のわりには大柄で、容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。もちろん当人もせいぜい注意しているのであろうが、その風俗にも詞《ことば》づかいにも余り田舎《いなか》者らしいところは見えなかった。
 お鉄はしとやかに障子をしめて縁側に出ると、小さい庭の四つ目垣の裾には、ふた株ばかりの葉鶏頭が明るい日の下にうす紅くそよいでいた。故郷の秋を思い出したのか、それともほかに物思いの種があるのか、かれは其の秋らしい葉の色をじっと眺めながら、やがて低い溜息を洩らした。

     二

「おい、姐《ねえ》さん。お前、そこで何をしているんだ」
 両国橋の上には今夜の霜がもう置いたらしく、長い橋板も欄干も暗いなかに薄白く光っていた。その霜の光りと水あかりとに透かして視ながら、ひとりの男が若い女に声をかけた。男は神田の半七で、本所のある無尽講へよんどころなしに顔を出して帰る途中であった。
「ねえ、姐さん。今時分そんなところにうろ付いていると、夜鷹《よたか》か引っ張りと間違えられる。この寒いのにぼんやりしていねえで、早く家《うち》へ帰って温《あった》まった方がいいぜ。悪いことは云わねえ。早く帰んなせえ」
「はい」
 低い声で返事をしながら、若い女はまだ欄干を離れようともしないので、半七はつかつかと立ち寄って女の肩に手をかけた。
「おめえも強情な子だな。節季師走《せっきしわす》に両国橋のまん中に突っ立って何をしているんだ。四十七士のかたき討はもう通りゃあしねえぜ。それともお前、袂に石でも入れているのか」
 半七は初めから彼女を身投げと見ていたのであった。時候は節季師走という十二月の宵、場所は両国橋、相手は若い女、おあつらえの道具は揃っているので、彼はどうしてもこの女を見捨ててゆくわけには行かなかった。
「ほんとうに悪い洒落《しゃれ》だ。この寒空につめてえ真似をするもんじゃあねえ。早く行かねえと、引き摺って行って、橋番に引き渡すぜ」
 女は黙ってすすり泣きをしているらしかった。どうで死のうと覚悟するほどの女に、涙は付き物と知りながらも、半七はなんだか可哀そうになって来たので、つかまえた手をゆるめながら、優しく云い聞かせた。
「さっきから俺がこんなに口を利いているのがお前にはわからねえのか。橋番へ引き渡すなんて云ったのは俺が悪い。そんな野暮なことは止めにして、ここでお前の話を聞こうじゃあねえか。そうして、どうでも死ななけりゃあ納まらねえ筋があるなら、おれが手伝って殺してやるめえものでもねえ。また死なずとどうにか済みそうな筋合いなら、古い川柳じゃあねえが、ようごんす袂の石を捨てなせえ、と俺も相談に乗ろうじゃあねえか。おい、黙っていちゃあ困る。なんとか返事をしてくれねえか」
「ありがとうございます」と、女はやはり泣いていた。「折角でございますけれど、どうにもこればかりは申し上げられません」
「そりゃあどうで云いづれえことに相違ねえ。だが、云わずにいちゃあ果てしがつかねえ。くどいようだが決して悪くはしねえ。人に明かして悪いことなら、決して他言もしねえ。おれも男だ。こうして誓言《せいごん》を立てた以上は、かならず嘘はつかねえから、まあ安心して話して聞かせるがいいじゃあねえか」
「ありがとうございます」と、女は又すすりあげて泣いた。
「聞いたような声だな」と、半七は首をかしげた。「さっきもそう思ったが、どうも聞き覚えがあるようだ。おめえは識《し》っている人じゃあねえかえ。おれは神田の半七だよ」
 半七の名を聞いて、女は俄かに驚いたらしく、あわてて彼を押しのけるようにして逃げ出そうとした。しかし其の帯ぎわは半七の手にしっかり掴《つか》まれていた。
「おい、なにをする。お前はよくよく判らねえ女だな。もう仕方がねえ。腕ずくだ。さあ、歩《あゆ》べ」
 かれは女の腕を捉えて、橋詰の番小屋へぐんぐん曵き摺ってゆくと、橋番のおやじは安火《あんか》をかかえて宵から居睡りをしているらしく、蝋燭の灯《ひ》までが薄暗くぼんやりと眠っていた。半七はうつむいている女の顔をひき向けて、その灯の前に照らしてみた。
「むむ。おめえは加賀屋の奉公人だな」
 女は加賀屋のお鉄であった。半七は少し聞き合わせることがあって、ゆうべ加賀屋の店に腰をかけて番頭の半右衛門と話していると、小僧たちは湯に行っている留守であったので、奥から女中のお鉄が茶を持って来た。半七は商売だけに一度でかれの声も顔も記憶していたのであった。その加賀屋の女中がなぜ今頃ここらを徘徊して身投げを企てたのであろう。容貌《きりょう》も悪くなし、かつは年頃であるから、その原因はいずれ色恋の縺《もつ》れであろうと半七はすぐに覚《さと》った。
「こうなりゃあ猶さらのことだ。まんざら識らねえ顔じゃあなし、いよいよ此のままで、はい、さようならと云うわけにゃあ行かねえ。それでお前の名はなんというんだっけね」
「鉄と申します」
「むむ。そのお鉄さんがなんで死のうとしたんだ。相手は誰だ。店の者かえ」
「いいえ。そんな訳じゃございません」と、お鉄はあわてて打ち消した。「決してそんな淫奔事《いたずらごと》じゃございません」
 半七は少し的《あて》がはずれた。色恋以外になぜ死ぬ気になったのかと彼はいろいろに詮議したが、お鉄はどうしても口をあかなかった。そればかりはどうしても云われないと強情を張った。いくら嚇《おど》しても賺《すか》しても相手が飽くまでも根強いので、半七もしまいには持て余した。
「おめえ、どうしても云わねえか」
「相済みませんが、どうしても申し上げられません」と、お鉄はどんな拷問をも恐れないというようにきっぱりと云い切った。
 もうこの上は半七もさすがに手の付けようがなかった。さしあたっては別に罪人の疑いがあるというわけでも無し、ことに若い女ひとりをどう処置することも出来なかった。橋番に引き渡してゆくか、それとも本人の家へ送りとどけてやるか、まずその二つより途はないので、半七はいっそ町内まで一緒に連れて行ってやろうと思った。寝ぼけ眼《まなこ》をこすっているおやじには別に委《くわ》しい話もしないで、かれはお鉄をうながして橋番小屋を出た。師走の夜の寒さが身にしみるのか、なにか深い物思いに沈んでいるのか、お鉄は両袖をしっかりとかき合わせて、肩をすくめながらおとなしく付いて来た。
 小屋を出ながら不図《ふと》みかえると、頬かむりをした一人の男が往来にのっそり[#「のっそり」に傍点]と突っ立って、こっちをじっと覗《のぞ》いているらしいのが半七の眼についた。かれは立ちどまってその風体を見定めようとする間《ひま》に、相手は急に身をひるがえして、逃げるように橋を渡って行った。おかしな奴だと半七はしばらく見送っていた。
「おめえ、今の男を識っているのか」と、彼はあるき出しながらお鉄に訊《き》いた。
「いいえ」
 その声の少し震えているのを、半七は聞き逃がさなかった。
「おめえ、寒いのかえ」
「いいえ。別に……」
「だって、なんだか震えているじゃねえか。あの男とここで落ち合って、一緒に心中でもする約束だったんじゃねえか」と、半七はかま[#「かま」に傍点]をかけるように訊いた。
「いいえ。そんなことは決してございません」と、お鉄は小声に力をこめて答えた。
 二人はそれぎりで黙ってしまって、暗い柳原の堤《どて》をならんで行った。たとい心中は嘘にしても、かの頬かむりの男とこのお鉄とのあいだに、なにかの因縁があるらしく思われるので、半七はいろいろに考えながら歩いた。枯れ柳の暗いかげを揺りみだす夜風が霜を吹いて、半七は凍るように寒くなった。かれは柳の下に荷をおろしている夜鷹蕎麦《よたかそば》屋の燈火《あかり》をみて思わず足を停めた。
「おい、お鉄さん。どうだ、一杯つき合わねえか」
「わたくしはたくさんでございます」
「まあ、遠慮することはねえ。なにも附き合いというものだ。なにしろ、こう冷えちゃあ遣り切れねえ。まあいいから一杯|手繰《たぐ》って行きねえ」
 辞退するお鉄を無理に誘って、半七は熱い蕎麦を二杯たのむと、蕎麦屋は六助といって、下谷から神田の方へも毎晩まわって来る男であった。
「おや、親分さんでございましたか。今晩はどちらへ……」
「おお、六助|老爺《じい》さんか。べらぼうに寒いじゃねえか。今夜はよんどころなしに本所まで行って来たんだが、おめえも毎晩よく稼ぐね」
「へえ。わたくし共は今が書き入れ時でございます」
 云いながら彼は、行燈の暗い火に顔をそむけて立っているお鉄に眼をつけた。
「ああ、加賀屋のお鉄さん。今夜は親分と一緒かえ」と、かれは不思議の連れを怪しむように鍋の下をあおぐ団扇《うちわ》の手をやめた。
「なに、途中で一緒になったんで、柳原堤の道行《みちゆき》さ。ははははは」と、半七は笑った。「じいさんなんぞは夜の稼業だ。毎晩こんなものを幾組も見せ付けられるだろうね」
 おやじを相手に冗談を云いながら、半七は蕎麦を二杯代えた。そのあいだにお鉄は一杯の半分ほどをようよう啜《すす》り込んだばかりで箸をおいてしまった。

     三

 外神田の大通りへ出ると、師走の夜の町はまだ明るかった。加賀屋の店もあいていた。自分の店へだんだん近づくに連れて、お鉄は半七に今夜の礼をあつく述べて、店まで親分さんに送って来て貰ってはまことに困るから、どうかここで別れてくれとしきりに頼んだ。主人持ちのかれとしては定めて迷惑するであろうと、半七も万々察していたので、この上かならず不料簡を起さないようにと、くれぐれも念を押してお鉄に別れた。彼はそれでも見えがくれに五、六間ついて行って、お鉄が主人の家の水口《みずくち》へはいるのを見とどけて、それから三河町の家へ帰った。
 本人の口からは確かに白状しないが、お鉄が身投げの覚悟であったらしいことは半七にも大抵想像された。どんな事情があるか知らないが、多寡《たか》が若い女のことで、どうでも死ななければならないというほどの深い訳があるのでもあるまい。こうして人間ひとりの命を助けたと思えば、半七は決して悪い心持はしなかった。それから二日ほど経つと、半七は加賀屋の近所でお鉄に出逢った。彼女はどこへか使にでも行くらしく、かなり大きい風呂敷包みを袖の下にかかえながら足早にあるいていた。向うでは気がつかないらしく、別に挨拶もしないで行き違ってしまったが、こうして無事に勤めているのを見て、半七もいよいよ安心した。
 節季師走にいろいろの忙がしい用をかかえた半七は、いつまでも加賀屋の女中のことなどに屈託《くったく》してもいられなかった。彼はもうそんなことを忘れてしまって、ほかの御用に毎日追われていると、押し詰った師走ももう十日あまりを過ぎて、いよいよ深川の歳《とし》の市《いち》というその前夜であった。半七は明神下の妹をたずねてゆくと、その町内の角でかの蕎麦屋の六助に出逢った。
「今晩は……。相変らずお寒いことでございます」
「ほんとうに寒いね。押し詰まるといよいよ寒さが身にしみるようだ」
 云いかけて半七は不図このあいだの晩のことを思い出した。かれは六助をよび止めて訊いた。
「おい、じいさん。お前にすこし聞きてえことがある。お前はあの加賀屋の女中を前から識っているのかえ」
「へえ、あすこのお店の近所へも商《あきな》いにまいりますので……」
「そりゃあそうだろうが、唯それだけの馴染かえ。ほかにどうということもねえんだね」
 相手が相手だけに六助も少し考えているらしかったが、耄碌頭巾《もうろくずきん》のあいだからしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]した眼を仔細らしく皺《しわ》めながら小声で訊き返した。
「親分さん。なにかお調べの御用でもあるんでございますか」
「御用番というほどのことでもねえが、あの晩、おれと一緒にいたお鉄というおんなに情夫《おとこ》でもあるのかえ」
「情夫だかなんだか知りませんが、若い男が時々にたずねて来るようです」
 六助の話によると、先頃から一人の若い男がときどきに加賀屋の近所へ来てうろうろしている。自分が荷をおろしているところへ来て、蕎麦を食ったことも二、三度ある。そうして、誰かを待っているらしい素振りであったが、やがてそこへ加賀屋の女中が出て来て、男を暗い小蔭へ連れて行って何かひそひそと囁《ささや》いていたというのである。その年ごろや風俗がこのあいだの晩、両国の橋番小屋の外にうろついていた男によく似ているらしいので、半七はいよいよ彼とお鉄とのあいだに何かの因縁の絆《まつ》わっていることを確かめた。
「その男というのは江戸者じゃございませんよ」と、六助は更に説明した。「どうも熊谷辺の者じゃないかと思われます。わたくしもあの地方の生まれですからよく知っていますが、詞《ことば》の訛《なま》りがどうもそうらしく聞えました。加賀屋の若いおかみさんも女中も熊谷の人ですから。やっぱり何かの知り合いじゃないかと思いますよ」
「そうだろう」と、半七もうなずいた。
 国者《くにもの》同士が江戸で落ち合って、それから何かの関係が出来る。そんなことは一向めずらしくないと彼も思った。このあいだの晩、お鉄が両国橋の上をさまよっていたのも、身投げや心中というほどの複雑《こみい》った問題でもなく、あるいは単に逢曳《あいび》きの約束をきめて、あすこで男を待ち合わせていたのかも知れない。こう考えるといよいよ他愛のない、甚だ詰まらないことになってしまうのであるが、半七の胸にただ一つ残っている疑問は、自分に対するその当時のお鉄の態度であった。かれはどうしてもその事情を打ち明けないと云った。その一生懸命の態度がどうも普通の出会いや逢いびきぐらいのことではないらしく、なにかもう少し入り組んだ仔細が引っからんでいるらしく思われてならなかった。しかし六助もその以上のことはなんにも知らないらしいので、半七もいい加減に挨拶して別れた。
 別れて一、二間あるき出して不図《ふと》みかえると、あたかも彼の立ち去るのを待っていたかのように、頬かむりをした一人の男が蕎麦屋の前に立った。そのうしろ姿が彼《か》の両国橋の男によく似ているので、半七もおもわず立ち停まった。案外無駄骨折りになるかも知れないとは思いながらも、この職業に伴う一種の好奇心も手伝って、かれはそっとあと戻りしてそこらの塀の外にある天水桶のかげに身をひそめていると、今夜も暗い宵で、膝のあたりには土から沁み出してくる霜の寒さが痛いように強く迫って来た。男は熱い蕎麦のけむりを吹きながら、時々にあたりを見まわしているのは、やはりかのお鉄を待ち合わせているのであろうと半七は想像した。
 しかも其のお鉄はなかなか出て来ないので、男はすこし焦《じ》れて来たらしく、二杯の蕎麦を代えてしまって銭《ぜに》を置いて、すっ[#「すっ」に傍点]と出て行った。ここは殆ど下谷と神田との境目にあるところで、南にむかった彼の足が加賀屋の方へ進むのは判り切っているので、半七もその隠れ場所から這い出して、すぐにそのかげを慕ってゆくと、男は果たして加賀屋に近い横町の暗い蔭にはいった。そこで彼は頬かむりを締め直して、両手を袖にしながら再びしばらくたたずんでいると、やがて女の下駄の音がきこえた。女は賑やかな大通りを避けて、うす暗い裏通りから廻り路をして来たらしく、あと先をうかがいながら男のそばへ忍んで行った。
 二人はその後も時々に左右を見かえりながら、なにか小声で囁き合っているようであったが、あいにく其の近いところには適当の隠れ場所が見あたらないので、唯その挙動を遠目にうかがうばかりで、かれらの低い声は半七の耳にとどかなかった。そのうちに談判はどう間違ったのか知らないが、男の声は少しあらくなった。
「じゃあ、どうも仕方がねえ。俺あこれから加賀屋へ行って、おかみさんに直談《じきだん》するだ」
「馬鹿な」と、女はあわててさえぎった。「その位ならこんなに訳を云って頼みやしないじゃないか。なんぼ何でもあんまりだよ。そんな約束じゃない筈だのに……」
 女はくやしそうに震えていた。男はせせら笑った。
「それはそれ、これはこれだよ。だから、おかみさんに訳を話して……。二人でどこへでも行こうじゃねえか」
「そんなことが出来るもんかね」と、女は罵るように云った。
 こうした押し問答が更に二、三度つづいたかと思うと、もう堪え切れない憤怒が一度に破裂したように、女の鋭い叫び声がきこえた。
「畜生。おぼえていろ」
 彼女は帯のあいだから刃物を取り出したらしい。相手の男も不意におどろいたらしいが、半七もおどろいた。彼はすぐに駈けて行って、男を追いまわしている女の利き腕を取り押さえた。女は剃刀《かみそり》を持っていた。
「おい、お鉄、つまらないことはするもんじゃあねえ」
 半狂乱のうちでも、お鉄はさすがに半七の声を聞き分けたらしく、身をもがきながら息を喘《はず》ませた。
「親分さん。どうぞ放してください。あいつ、畜生、どうしても殺さなければ……」
「まあ、あぶねえ。殺すほどの悪い奴があるなら、俺がつかまえてやる」
 その一句を聞くと、男はなんと思ったか俄かに引っ返して逃げ出した。もう猶予はならないので、半七は先ずお鉄の手から剃刀をもぎ取って、つづいて彼のあとを追って行った。男はやはり大通りへ出るのを避けて、うす暗い裏通りの横町を縫って池の端の方角へ逃げてゆくのを、半七も根《こん》よく追いつづけた。敵がだんだんに背後《うしろ》へ迫って来るので、逃げる男はいよいよ慌てたらしく、凍っている小石を滑《すべ》ってつまずくところへ、半七が追い付いてその帯の結び目をつかむと、帯は解けかかって、男は少しためらった。そこを付け入って更にかれの袖を引っ掴《つか》むと、男はもう絶体絶命になったらしく、着ている布子《ぬのこ》をするりと脱いで、素裸のままでまた駈け出した。半七はうしろからその布子を投げかけたが、ひと足の違いで彼は運よく摺り抜けてしまった。
 こうして一生懸命に逃げたが、敵は息もつかせずに追い迫って来るので、男はもう逃げ場を失ったらしい。かれは眼の前に大きく開けている不忍池の水明りをみると、滑るようにそこに駈けて行って、裸のままで岸から飛び込んだ。これほど強情に、逃げて、逃げて、しかも最後には池に飛び込むという以上、かれは何かの重罪犯人であるらしく思われたので、半七も着物をぬいでいる間《ひま》もなしに、この寒い夜に水にはいった。

     四

 不忍池に沈んだ男の姿は容易に見あたらなかった。加勢の手をかりて、かれの凍った死骸を枯れた蓮の根から引き揚げたのは、それから小半|※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《とき》の後であった。水練をしらないらしい彼が、この霜夜に赤裸で大池へ飛び込んだのであるから、その運命は判り切っていた。しかし彼の素姓も来歴もわからないので、その死骸を係りの役人に引き渡して置いて、半七は濡れた着物を着換えるために一旦自分の家へ帰ると、お鉄が蒼い顔をして待っていた。
「やあ、お鉄。来ていたのか」
「先程からお邪魔をして居りました」
「そりゃあ、丁度いい。実はこれからお前を呼び出そうと思っていたところだ」
 半七はすぐに着物を着かえて、今まで彼女の話し相手になっていた女房を遠ざけて、お鉄を長火鉢の前に坐らせた。
「早速だが、あの男は何者だえ」
「お召し捕りになりましてございましょうか」
「それが失敗《しくじ》ったよ」と、半七は額に皺をみせた。「おれに追いつめられて、とうとう池へ飛び込んでしまった。引き揚げたがもういけねえ。惜しいことをした。もうこうなると、どうしてもお前を調べるよりほかはねえ。このあいだの晩も云う通り、そりゃあいろいろ云いづれえこともあるだろうが、もう仕方がねえと覚悟して何もかも云ってくれねえじゃあ困る。それでねえと、おめえばかりでなく、加賀屋の店に迷惑になるようなことが出来ねえとも限らねえ。主人にまで迷惑をかけちゃあ済むめえが……。ねえ、そこを考えて正直に云ってくれ」
「よく判りましてございます」と、お鉄はおとなしく頭をさげた。「実はそれを申し上げようと存じまして、あれからすぐにこちらへ出まして、こうしてお待ち申して居りましたのでございますから、もう何もかも正直に申し上げます」
「むむ。それでなけりゃあいけねえ。そこで一体あの男は何者だえ。やっぱりおめえとおなじ土地の者かえ」
「はい、隣り村の安吉という百姓でございます」
「いつ頃から江戸へ出ているんだ」
「なんでもこの八月の中頃だと申して居りました。わたくしが逢いましたのは八月の十五日、若いおかみさんのお供をして八幡様のお祭りを見物にまいりました時でございます」
「それから彼奴《あいつ》はどこに何をしていたんだ」
「それはよく判りませんが、唯ぶらぶらしていたようでございます」と、お鉄は答えた。「なにしろ、土地にいた時も怠け者で、博奕《ばくち》なんぞばかりを打っていたような奴でございますから」
「その怠け者の安吉が今夜はなんの用で来たんだ」
 お鉄も少し云い淀んでいるらしく、しばらくはうるんだ眼を伏せて肩をすくめていた。
「いや、これからが肝腎《かんじん》のところだ。お前もあいつを殺そうと思いつめた程ならば、それにはよくよくの訳がなけりゃあならねえ。おめえが殺そうと思ったあいつはもう死んでいる。おめえの念もとどいた以上、今さら未練らしく隠し立てをするにも及ぶめえ。あれはお前の情夫《おとこ》かえ」
「いいえ、決してそんなことは……」と、お鉄は急に興奮したように口唇《くちびる》をおののかせた。「あいつはわたくしの仇《かたき》でございます」
「その仇のわけを聞こうじゃねえか。仇なら殺しても構わねえ。一体それは親の仇か、主人の仇か、おめえの仇か」
「主人のかたきで、わたくしにも仇でございます」
 かれの眼からは止め度もなしに涙が流れ落ちた。お鉄はいよいよ興奮したように云った。
「もうどうしても勘弁がならなくなって、いっそ殺してしまおうと思いました。実はこのあいだの晩も剃刀を持って両国橋の上に待っていたのでございます」
「そうか」と、半七も溜息をついた。「まさかそんなこととは気がつかなかった。そこでその主人というのは加賀屋のことかえ。それともお前が付いて来た若いおかみさんのことかえ」
 お鉄はまた黙ってしまった。くずれかかった銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛をかすかにふるわせていた。
「それを話す約束じゃあねえか」と、半七はほほえみながら云った。「お前もまた、それを話す積りでわざわざ来たんだろうじゃあねえか。今さら唖《おし》になってしまわれちゃあ困る。え、その仇というのは若いおかみさんの仇かえ」
「左様でございます」と、お鉄は洟《はな》をつまらせながら答えた。「いろいろの無理を云って、わたくし共を窘《いじ》めるのでございます」
「なぜ窘める。こっちにも又、なにか彼奴に窘められるような弱身があるのかえ」
「はい」と、お鉄は両方の袂で顔を押さえながら、身をふるわせて泣き出した。
「なにか内証のことでも知っているのかえ」
 加賀屋の娘は熊谷の里にいた時に、何か内証の男でも拵《こしら》えていたので、その秘密を知っている隣り村の安吉が、それを枷《かせ》にかれらを苦しめているのであろうと半七は推量した。しかもそれに対するお鉄の返事は意外であった。
「はい、若いおかみさんの生まれ年を知っていますので……」
「生まれ年……」
「親分さんの前ですから申し上げますが、おかみさんは生まれた年を隠しているのでございます」
と、かれは思い切ったように云った。
 加賀屋の嫁のお元は弘化二年|巳《み》年の生まれと云っているが、実は弘化三年|午《うま》年の生まれであるとお鉄は初めてその秘密を明かした。単に午年ならば仔細はないが、弘化三年は丙午《ひのえうま》であった。この時代の習慣として、丙午の年に生まれた女は男を食い殺すという伝説が一般に信じられていたので、この年に生まれた女の子は実に不幸であった。生んだ親たちも無論にその不幸を分かたなければならなかった。お元も不幸に生まれた一人で、なんの不足もない豪家の娘と云いながら、その生まれ故郷ではとても相当の嫁入り先を見いだすことが出来そうもなかった。さりとて余りに身分違いの家と縁組するわけにもいかないので、親たちから土地の庄屋にたのんで、人別帳《にんべつちょう》をうまく取りつくろって、午年の娘を巳年の生まれと書き直して貰って置いた。それで表向きは先ず巳年で通るのであるが、土地の者は皆ほんとうの生まれ年を知っているので、親たちもいろいろに心配して、結局その嫁入り先を、遠い江戸に求めたのであった。お元が質素にして故郷を出て来たのも、その嫁入先を秘密にして置かなければならない必要に迫られたからであった。お鉄は勿論その事情をよく承知していた。
 これほどに苦労した甲斐があって、加賀屋の方ではなんの気もつかないらしく、お元は夫婦の仲も睦まじく、姑ともよく折り合って、一家円満に日を送っているので、本人は勿論、一緒に附き添って来たお鉄も先ずほっ[#「ほっ」に傍点]と息をついた。しかも足かけ三年目の秋になって、その平和を破壊すべき恐ろしい悪魔のかげが突然ふたりの女をおびやかした。それは隣り村の安吉という若い百姓であった。かれの母は取り上げ婆さんを職業にしていて、現にお元の生まれるのを取り上げた関係上、丙午の秘密をよく知っていた。勿論その当時、お元の親たちはかれに口止め料をあたえて秘密を守る約束を固めて置いたが、広い世間の口をことごとく塞《ふさ》ぐわけには行かなかった。ましてその伜の安吉がそれを知らない筈がなかった。かれは或る事情から江戸に出て来て、八幡祭りを見物に行った時に、偶然かのお元とお鉄とにめぐり逢ったのであった。
 江戸と熊谷と距《はな》れているので、ふたりの女はなんにも知らなかったが、安吉が江戸へ出て来たのは、かの太田の金山の松茸献上がその因をなしていたのであった。太田を出た御用の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、途中の村々の若い百姓たちはみなその人足に徴発されて、宿々の問屋場に詰めるのが習いであった。安吉もやはりその一人で他の人足仲間と一緒に宿《しゅく》の問屋場に詰めていたが、横着者の彼はあとの方に引きさがって悠々と煙草をのんでいた。やがて松茸の籠がこの宿に運び込まれたので、待ちかまえていた人足どもは一度にばらばら[#「ばらばら」に傍点]起ち上がった。早く早くと役人たちに急《せ》き立てられて、安吉もくわえ煙管《ぎせる》のままで駈け出して、籠に通してある長い青竹を肩にかついだが、啣《くわ》えている煙管の始末に困ってかれは何ごころなくそれを松茸の籠の結縄《ゆいなわ》にちょっと※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] しこんで、そのままわっしょいわっしょい[#「わっしょいわっしょい」に傍点]と担ぎ出した。なにをいうにも大急ぎであるので、その籠を次の宿へ送り渡したとき、かれはその煙管を取ることを忘れてしまった。
 それが次の問屋場で発見されたので、その詮議がむずかしくなった。献上の松茸の籠にきたない脂煙管《やにぎせる》が挟んであったというので、問屋場の役人らは勿論、立ち会いの名主や百姓共も顔の色を変えた。途中の宿々の人足どもは無論に一々吟味されることになった。安吉も今更はっ[#「はっ」に傍点]と驚いたが、もうどうすることも出来なかった。問題が問題であるから、普通の疎忽《そこつ》や過失ではとても済む筈がない。どんな重い仕置《しおき》をうけるかも知れないと恐れられて、彼はその場からすぐに逐電《ちくてん》してしまった。なまじい土地の狭い田舎などに身を隠しては却って人の目につく虞《おそ》れがあるのと、もう一つにはふだんから江戸へ出て見たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方が、却って詮議が緩《ゆる》かろうとも考えたのであった。しかし彼は路銀の用意もなかったので、殆ど乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己《しるべ》もないので、かれはやはり乞食のようになって江戸じゅうをうろついていた。
 しかし彼はすぐにその乞食の境界から救われるようになった。江戸に入り込んでから三日目の朝に、かれは測《はか》らずも加賀屋の嫁と女中に出逢ったのである。評判の八幡祭りを見物したいのと、その祭礼で何かの貰いがあるかも知れないと思ったのとで、かれは朝から深川の町々をさまよっていると、混雑の中でお元とお鉄の姿を見つけたので、彼はよろこんで声をかけた。それが隣り村の、しかも取り上げ婆さんの伜であることを知った時に、ふたりの女は白昼に幽霊を見たよりも驚いた。お鉄は連れの女中に覚《さと》られないように、安吉をそっと物蔭へ連れていって、なんにも云わずに幾らかの金をやって別れた。
 その場はまずそれで済ませたが、安吉は執念ぶかく彼等のあとを尾《つ》けて行って、この女連れが親類の家へ入るのを見とどけた。そうして、お元が外神田の加賀屋の嫁になっていることを探り出したので、その後もたびたび加賀屋をたずねて、お鉄を呼び出して金の無心を云った。その無心を肯《き》かなければ、かの丙午の秘密をお元の夫や姑に訴えると嚇した。それは死ぬよりも恐ろしいことであるので、お元は弱い心をおびただしく悩まされた。お鉄も共々に心配して、しきりに口止めの方法を講じていたが、安吉の無心は際限がなかった。かれは本所の木賃宿《きちんやど》に転がっていて、お元から強請《ゆす》る金を酒と女に遣い果たすと、すぐに又お鉄をよび出して来た。お元も嫁の身の上で、店の金銭を自分の自由にするわけにはゆかなかった。熊谷の里へ頼んでやるにも適当の使がなかった。彼女はよんどころなくお鉄と相談して、自分の持ち物などをそっと質入れして、彼の飽くなき誅求《ちゅうきゅう》を充たしていたが、それも長くは続きそうもなかった。人の知らない苦労に、主人も家来も痩せてしまった。
 十一月の末に、安吉は又もや五両の無心を云って来た。しかし其れだけの都合が出来なかったので、お鉄は三両の金を本所の木賃宿までとどけにゆくと、安吉はひどく不平らしい顔をした。しかも彼は酔っている勢いでお鉄に猥《みだ》りがましいことを云い出した。お鉄は振り切って逃げて帰ろうとするのを、かれは腕ずくで引き留めたので、何事も主人のためと観念して、お鉄はなぶり殺しよりも辛い思いをしなければならない破目《はめ》に陥った。その安吉は自分もお尋ね者であることを初めて明かして、もうこうなった以上、お元からまとまった金を貰って、どこか遠いところへ行って、一緒に暮らそうとお鉄をそそのかした。
 その以来、お鉄はかれに対する今までの恐怖が俄かにおさえ切れない憎悪《ぞうお》と変じた。主人の為、いっそ憎い仇をほろぼしてしまおうと決心して、お鉄は巧みに詞《ことば》をかまえて、彼を両国橋の上によび出した。彼女は帯のあいだに剃刀を忍ばせて、宵から橋の上に安吉を待ちうけていた。半七が彼女を身投げと見あやまったのはその時で、その後のことはあらためて説明するまでもあるまい。安吉はさらにお元から百両の金をゆすり取って、一度手籠めにしたお鉄を無理に連れ出して、どこへか立退《たちの》こうと企てたが、それが最後の破滅を早める動機となって、かれはお鉄の刃物におびやかされ、更に半七に追いつめられた。丙午《ひのえうま》の問題だけならともかくも、彼にはそれよりも重大な松茸の問題があるので、一生懸命に逃げまわった末に、とうとう不忍の池の底へ自分の命を投げ込んでしまったのであった。
 ここまで話して来た時には、お鉄の涙ももう乾いていた。かれが更に半七を屹《きっ》と見あげたひとみには一種の強い決心が閃《ひら》めいていた。
「そういう訳でございますから、たとい相手に傷は付けませんでも、御法通りにお仕置を願います。唯わたくしの一生のお願いは、若いおかみさんの事でございます。どうでわたくしは、あんな奴に滅茶滅茶にされた身体でございますから、どうなってもかまいませんけれど、丙午のことが世間に知れまして、もしも御離縁にでもなりますようですと、おかみさんもきっと生きてはおいでになるまいと存じますから」
「よし、判った」と、半七は大きくうなずいた。「おまえの料簡はよく判っている。おれが受け合った。決しておめえの主人に迷惑はかけねえから、安心しているがいいぜ」
「ありがとうございます」と、お鉄はまた泣き出した。
 お鉄の忠義に免じて、半七は加賀屋に関する事件をいっさい発表しなかった。お鉄には勿論なんの咎めもなかった。安吉の死は単に松茸の問題だけで解決してしまった。お鉄は二十一の年まで加賀屋に奉公して、若夫婦のあいだに男の児が出来たのを見とどけて、近所の酒屋の嫁に貰われた。その媒妁人《なこうど》はかの三浦老人夫婦であった。
 その嫁入りのときに加賀屋でも相当の支度をしてくれたが、お元の里方からはお鉄の附金《つけがね》として二百両の金を送って来た。半七のところへも百両とどけて来た。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2004年3月1日修正
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