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わが町
織田作之助

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)八十キロの開|鑿《さく》は、

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)八十キロの開|鑿《さく》は、

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   第一章 明治

     1

 マニラをバギオに結ぶベンゲット道路のうち、ダグバン・バギオ山頂間八十キロの開|鑿《さく》は、工事監督のケノン少佐が開通式と同時に将軍になったというくらいの難工事であった。
 人夫たちはベンゲット山腹五千フィートの絶壁をジグザグによじ登りながら作業しなければならず、スコールが来ると忽ち山崩れや地滑りが起って、谷底の岩の上へ家守のようにたたき潰された。風土病の危険はもちろんである。
 起工後足掛け三年目の明治三十五年の七月に、七十万ドルの予算をすっかり使い果してなお工事の見込みが立たぬいいわけめいて、
「……山腹は頗る傾斜が急で、おまけに巨巌はわだかまり、大樹が茂って、時には数百メートルも下って工事の基礎地点を発見しなければならない。しかも、そうした場所にひとたび鶴嘴を入れるや、必らず上部に地滑りが起り、しだいに亀裂を生じて、ついにはこれが数千メートルにも及ぶ始末である……」
 もって工事の至難さを知るべしという技師長の報告が、米本国の議会へ送られた時には、土民の比律賓《フィリッピン》人をはじめ、米人・支那人・露西亜人・西班牙《スペイン》人等人種を問わず狩り集められていた千二百名の人夫は、五メートルの工事に平均一人ずつの死人が出るという惨状におどろいて、一人残らず逃げだしてしまっていた。
 けれど、本国政府は諦めなかった。熱帯地にめずらしく冬は霜を見るというくらい涼しいバギオに避暑都市を開いて、兵舎を建築する計画の附帯事業として、ベンゲット道路の開鑿は、比島領有後の合衆国の施政に欠くことの出来ないものであった。
 工事監督が更迭して、百万ドルの予算が追加された。新任のケノン少佐はさすがにこれらの人種の恃むに足らぬのを悟ったのか、マニラの日本領事館を訪問して、邦人労働者の供給を請うた。邦人移民排斥の法律を枉げてまでそうしたのは、カリフォルニヤを開拓した日本人の忍耐と努力を知っていたからであろうか。日本は清国との戦いにも勝っていた……。
 領事代理の岩谷書記は神戸渡航合資会社の稲葉卯三郎をケノン少佐に推薦した。稲葉卯三郎が通訳長尾房之助を帯同、政庁を訪れると、ケノン少佐は移民法に接触してはならぬからと口頭契約で、人夫九百名、石工千名、人夫頭二十名、通訳二名、合計千九百二十二名の労働者の供給を申込んだ。
 日給は道路人夫一ペソ二十五セント、石工二ペソ、人夫頭二ペソ五十セント、通訳は月給で百八十ペソと百ペソ、労働時間は十時間、食事及び宿舎は官費で病気の者は官営病院で無料治療、なおマニラ・ダグバン間の鉄道運賃は政府負担という申し分のない条件であった。
 第一回の移民船香港丸が百二十五名の労働者を乗せて、マニラに入港したのは明治三十六年十月十六日であった。
 股引、腹掛、脚絆に草鞋ばき、ねじ鉢巻きの者もいて、焼けだされたような薄汚い不気味な恰好で上陸した姿を見て、白人や比律賓人は何かぎょっとし、比人労働組合は同志を糾合して排斥運動をはじめ、英字新聞も日清戦争の勇士が比律賓占領に上陸したと書き立てた。
 それを知ってか知らずにか、百二十五名の移民はマニラで二日休養ののち、がたがたの軽便鉄道でダグバンまで行き、そこから徒歩でベンゲットの山道へ向った。
 まず牛車《カルトン》を雇って荷物を積み込み、そして道なき山を分け進んだが、もとより旅館はなく日が暮れると、ごろりと野宿して避難民めいた。
 鍋釜が無いゆえ、飯は炊けず、持って来たパンはおおかた蟻に食い荒されておまけにひどい蚊だ。
 そんな苦労を二晩つづけて、やっと工事の現場へたどり着いて見ると、断崖が鼻すれすれに迫り、下はもちろん谷底で、雲がかかり、時にはぐらぐらした岩を足場に作業して貰わねばならぬと言う。
 ただでさえ異郷の、こんなところで働くのかと、船の中ではあらくれで通っていた連中も、あっと息をのんだが、けれど今更日本へ引きかえせない。旅費もなかった。
 石に噛りついてとはこの事だと、やがて彼等は綱でからだを縛って、絶壁を下りて行った。
 そして、中腹の岩に穴をうがち、爆薬を仕掛けるのだ。点火と同時に、綱をたぐって急いで攀じ登る。とたんに爆音が耳に割れて、岩石が飛び散り、もう和歌山県出身の村上音造はじめ五人が死んでいた。
 間もなくの山崩れには、十三人が一度に生き埋めになった。
 十一月にはコレラで八人とられた。
 死体の見つかったものは、穴を掘って埋めたが、時には手間をはぶいて四五人いっしょに一つの穴へ埋めるというありさまであった。
 坊主も宣教師も居らず、線香もなく、小石を立てて墓石代りの目じるしにし、黙祷するだけという簡単な葬式であった。ひとつには、毎日の葬式をいちいち念入りにやっていては、工事をするひまが無くなるためでもあったろう。それ程ひんぱんに死人が出た。
 そんな風にだんだんに人数が減って行き、心細い日が続いたが、やがて第二回、第三回……と引き続いて移民船が来て、三十六年中には六百四十八名が、三十七年中にはほぼ千二百名がマニラへ上陸し、マニラ鉄道会社やマランガス・バタアン等の炭坑へ雇われた少数を除き、日給一ペソ二十五セントという宣伝に惹かれて殆んど全部ベンゲットへ送られて来た。内地では食事自弁で、五六十銭が精一杯だった。一ペソは一円に当る。しかも、ベンゲットでは食事、宿舎、医薬はすべて官費だということだ。
 けれど、来て見ると、宿舎というのは、竹の柱に草葺の屋根で、土間には一枚の敷物もなく、丸竹の棚を並べて、それが寝台だ。蒲団もなく、まるで豚小屋であった。
 食物もひどかった。
 虫の喰滓のような比島米で、おまけに鍋も釜もないゆえ、石油鑵で炊くのだが、底がこげついても、上の方は生米のまま、一日一人当り一ポンド四分ノ三という約束の量も疑わしい。
 副食物は牛肉又は豚肉半斤、魚肉半斤、玉葱又はその他の野菜若干量という約束のところを、二三尾の小鰯に、十日に一度、茄子が添えられるだけであった。
 たちまち栄養不良に陥ったが、おまけに雨期になると、早朝から濡れ鼠のまま十時間働いてくたくたに疲れたからだで、着がえもせず死んだようになって丸竹の寝台に横たわり、一晩中蚊に食われているという状態ゆえ、脚気で斃れる者が絶えなかった。
 三十七年の七、八、九の三ヵ月間に脚気のために死んだ者が九十三人であった。平均一日に一人の割合である。なお、マラリヤ、コレラ、赤痢で死ぬ者も無論多かった。
 契約どおり病院はあった。が、医療設備など何ひとつなく、ただキナエンだけは豊富にあると見えて、赤痢にもキナエンを服まされた。なお、病院で食べさせられる粥は米虫の死骸で小豆粥のように見えるというありさま故、入院患者は減り、病死者がふえる一方であった。
 すべては約束とちがっていたのだ。
 こんな筈ではなかったと、鶴田組の三百名はとうとう人夫頭といっしょに山を下ってしまった。
 そうしたものの、しかし雇われるところといってはマラバト・ナバトの兵営建築工事か、キャビテ軍港の石炭揚げよりほかになく、日給はわずかに八十セントで、うち三十五セントの食費を差し引かれるようではお話にならず、また、比律賓人の空家にはいりこんで自炊しながらの煎餅売りも乞食めく。
 良い思案はないものかと評定していると、関西移民組合から派遣されて来たという佐渡島他吉が、
「言うちゃなんやけど、今日まで生命があったのは、こら神さんのお蔭や。こないだの山崩れでころッと死[#文泉堂書店版では「《い》」のルビ]てしもたもんやおもて、もういっぺんベンゲットへ戻ろやないか。ここで逃げだしてしもてやな、工事が失敗《すかたん》になって見イ、死んだ連中が浮かばれへんやないか。わいらは正真正銘の日本人やぜ」
 と、大阪弁で言った。すると、
「そうとものし、俺《うら》らはアメジカ人やヘリピン人や、ドシア人の出来なかった工事《こうり》を、立派《じっぱ》にやって見せちやるんじゃ。俺《うら》らがマジダへ着いた時、がやがや排斥さらしよった奴らへ、お主《んし》やらこの工事《こうり》が出来るかと、いっぺん言うて見ちやらな、日本人であらいでよ」
 と、言う者が出て、そして、あとサノサ節で、
「一つには、光りかがやく日本国、日本の光を増さんぞと、万里荒浪ね、いといなく、マニラ国へとおもむいた」
 と、唄いだすと、もう誰もベンゲットへ帰ることに反対しなかった。
 そうして、元通り工事は続けられたが、斃れた者を犬死ににしないために働くという鶴田組の気持は、たちまち他の組にも響いて、何か殺気だった空気がしんと張られた。
 屍を埋めて日が暮れ、とぼとぼ小屋に戻って行く道は暗く、しぜん気持も滅入ったが、まず今日いちにちは命を拾ったという想いに夜が明けると、もう仇討に出る気持めいてつよく黙々と、鶴嘴を肩にした。
 鉛のように、誰も笑わず、意地だけで或る者は生き、そして或る者は死んだ。
 三十七年の十月の或る夜、暴風雨が来て、バギオとは西班牙《スペイン》語で暴風のことだと想いだした途端に、小屋が吹き飛ばされ、道路は崩れて、橋も流された。それでも腑抜けず、ぶるぶるふるえながら夜を明かすと、死骸を埋めた足で早速工事場へ濡れ鼠の姿を、首垂れて現わした。
 マニラのキャッポ区に雑貨商を出している太田恭三郎が、アメリカ当局と交渉して、ベンゲット移民への食料品納入を請負い、味噌、醤油、沢庵、梅干などを送って来てくれたのは、そんな時だった。

     2

 全長二十一マイル三十五のベンゲット道路が開通したのは、香港丸がマニラへ入港してから一年四ヵ月目の明治三十八年一月二十九日であった。
 千五百名の邦人労働者のうち六百名を超える犠牲者があったと、開通式の日に生き残った者は全部泣き、白人・比律賓人・支那人たちが三年の日数と七十万ドルの金を使ってもなお一キロの開鑿も出来なかった難工事を、われわれ日本人の手で成しとげたのだという誇りはあっても、喜びはなかった。
 おまけに工事が終ると、翌日からひとり残らず失業者で、なんとかしてくれと泣きつくには、アメリカ当局はあまりに冷淡であった。山を下り、マニラの日本人経営の旅館でごろごろしているうちに、儲けた金も全部使い果して、帰国するにも旅費はなく、うらぶれた恰好で、マニラの町をぞろぞろうろうろしているのを、見兼ねて、[#底本では、改行後はじめの一字さげ無し]
「皆んな、ダバオの麻山へ働きに行け!」
 太田恭三郎はすすめたが、ダバオはモロ族やバゴボ族以外に住む者のないおそろしい蛮地で、おまけにマラリヤのたちの悪さはベンゲット以上で、医者もいない。ダバオの麻山からベンゲット道路工事の方へ逃げだして来た者もあるくらいだ、そんなところへ誰が命を捨てに行くものかと、誰ひとり応じようとしなかったのを、日本人の医者も連れて行く、味噌も野菜も送ってやる、わるいようには計らぬ故、おれに任せろと太田は説き伏せた。
「このまま餓死すると思えば、ダバオも極楽だぞ」
 言われてみると、なるほど背に腹はかえられず、やがてマニラからぼろ汽船で二十日近く掛ってダバオにつき、遠くの森から聴えて来るバゴボ族の不気味なアゴンの音に肝をひやしながら、やがて麻山で働きだし、暫らくすると、バギオにサンマー・キャピタル(夏の都)がつくられて、ベンゲット道路がダンスに通う米人たちのドライヴ・ウェーに利用されだしたという噂が耳にはいった。
 そんな目的でおれたちの血と汗を絞りとっていたのかと、皆んなは転げまわって口惜しがり、工事が済むといきなりおっぽり出されたことへの怒りも砂を噛む想いで、じりじり来たが、とりわけ佐渡島他吉はいきなり血相をかえて、ダバオを発って行き、何思ったのかマニラの入墨屋山本権四郎の所へ飛び込んだ。
 そうして、背中いっぱいに青龍をあばれさせた勢いで、マニラじゅうへ凄みを利かせ、米人を見ると、
「こらッ。ベンゲット道路には六百人という人間の血が流れてるんやぞオ。うかうかダンスさらしに通りやがって見イ。自動車のタイヤがパンクするさかい、要心せエよ。帰りがけには、こんなお化けがヒュードロドロと出るさかい、眼エまわすな。いっぺん、頭からガブッと噛んでこましたろか」
 と、あやしい手つきでお化けの恰好をして見せた途端に、いきなり相手の横面を往復なぐりつけた。
「文句があるなら、いつでも来い。わいはベンゲットの他《た》あやんや」
 それで、いつか「ベンゲットの他あやん」と綽名がつき、たちまち顔を売ったが、そのため敬遠されて、やがて僅かな貯えを資本にはじめたモンゴ屋(金時氷や清涼飲料の売店)ははやらなかった。
 国元への送金も思うようにならず、これではいったいなんのために比律賓まで来たのかわけが判らぬと、それが一層「ベンゲットの他あやん」めいた振舞いへ、他吉を追いやっていたが、やがて「お前がマニラに居てくれては……」かえってほかの日本人が迷惑する旨の話も有力者から出たのをしおに、内地へ残して来た妻子が気になるとの口実で、足掛け六年いた比律賓をあとにした。
 神戸へ着いて見ると、大阪までの旅費をひいて所持金は十銭にも足らず、これではいくらなんでも妻子のいる大阪へ帰れぬと、さすがに思い、上陸した足で外人相手のホテルの帳場をおとずれ、俥夫に使うてくれと頼みこむと、英語が喋れるという点を重宝がられて、早速雇ってくれた。
 給料はやすかったが、波止場からホテルへの送り迎えに客から貰うチップが存外莫迦にならず、ここで一年辛抱すれば、大阪へのよい土産が出来る、それまではつい鼻の先の土地に妻子が居ることも忘れるのだ、という想いを走らせていたが、三月ばかり経ったある日、波止場で乗せた米人を、どう癪にさわったのか、いきなりホテルの玄関で、俥もろともひっくりかえし、おまけに謝ろうとしないのがけしからぬと、その場でホテルを馘首になった。
 その夜、大阪へ帰った。六年振りの河童路地《がたろろじ》のわが家へのそっとはいって、
「いま、帰ったぜ」
 しかし、返事はなく、家の中はがらんとして、女房や、それからことし十一歳になっている筈の娘の姿が見えぬ。
 不吉な想いがふと来て、火の気のない火鉢の傍に半分腰を浮かせながら、うずくまっていると、
「誰方――?」
 ぬっと軒口《かどぐち》から顔を出した者がある。
「よう〆さんか?」
 相変らずでっぷりして、平目のような頬ぶくれした顔は、六年会わぬが、隣家に住んでいる〆団治だと、一眼でわかった。
「なんや、おまはんやったんか。今時分人の家へ留守中にはいって、何やらごそごそしてるさかい、こらてっきり泥的やと思たがな……」
 前座ばかり勤めているが、さすがに落語家で、〆団治のものの言い方は高座の調子がまじっていて、他吉は大阪へ帰って来たという想いが強く来た。
「――しかし、他あさん、よう帰って来たな。いったいいつ帰って来てん? 言や言うもんの、お前、もう足掛け六年やで」
「いま帰ったとこや」
 他吉はちょっと固垂をのみ、
「――ところで、皆どこイ行きよってんやろ。影も形も見えんがな」
 夜逃げでもしたのではないかという顔で、訊くと、
「声はすれども、姿は見えぬ、ほんにお前は屁のような……」
 〆団治はうたうように言って、
「――今日はお午《うま》の夜店やさかい、そこイ行ったはんネやろ」
「さよか。――」
 他吉はああ、よかったと、ほっとしたが、急に唇をとがらせて、
「このくそ寒いのに、夜店みたいなもん、見に行かんでもええのに……。子供が風邪ひいたらどないすんねん。ほんまに、うちのかか[#「かか」に傍点]はど阿呆[#「ど阿呆」に傍点]やぜ」
 そう言うと、〆団治は、なにを莫迦なこと言うてんねん、他あやんよう聴きやと、一喋り喋る弾んだ口つきになって、
「お鶴はんが、何の夜店見物に行くひとかいな。お鶴はんはな、お初つぁん[#底本では「お初っあん」となっている]と一緒に夜店へ七味《なないろ》唐辛子を売りに行ったはるねんぜ」
「えっ? ほな、なにか。夜店出ししとんのんか」
 他吉は毛虫を噛んだような顔をした。
「さいな。おまはんがヘリピンとかルソンとか行ったはええとして、ちっとも金は送っては来んし……」
「送ったぜ」
「はじめの二三年やろ? あとはお前鐚一文送って来ん、あとに残った二人がどないして食べて行けるねん? 夜店出しなとせんと、餓死してしまうやないか。ほんにお前は薄情な亭主やぜ。お鶴はんは築港に二階つきの電車が走っても、見に行きもせんと、昼は爪楊子の内職をして、夜はお前、夜店へ出て、うちのくそ親爺め言うて、ぽろぽろ涙こぼしこぼし、七味混ぜたはんねんぜ」
 いかにもそれらしい表情で、七味唐辛子を混ぜる恰好をして見せた〆団治の手つきを見るなり、他吉は胸が熱くなり、寒い風が白く走っている戸外へ飛び出した。
 谷町九丁目の坂を駈け降りて、千日前の裏通りに出ているお午の夜店へ行くと、お鶴が存外小綺麗な店にちょこんと坐って、ガラス箱の蓋を立てかけた中に前掛けをまいた膝を見せ、赤切れした手で七味を混ぜていた。娘の初枝は白い瀬戸火鉢をかかえて、まばらな人通りを、きょとんと見あげていた。
 物も言わずにしょんぼり前に立った。
「おいでやす」
 言って見上げて、お鶴は他吉だとすぐ判ったらしく、
「阿呆んだら!」
「御機嫌さん。達者か」
 他人にもの言うような口を利くと、もう一度、
「阿呆んだら!」
 お鶴は泣いていた。
 それが六年振りの夫婦の挨拶であった。初枝は父親の顔を忘れているらしかった。水洟を鼻の下にこちこちに固めて、十一歳よりは下に見えた。
「あんた、なんぜ、手紙くれへんかってん。帰るなら帰ると……」
 お鶴の髪の毛は、油気もなくばさばさと乱れて、唐辛子の粉がくっついていた。
 唐辛子の刺戟がぷんと鼻に眼に来て、他吉は眼をうるませた。
「出せ言うたカテ、出せるかいな。わいに字が書けんのは、お前かてよう知ってるやろ。亭主に恥かかすな」
 他吉はわざと怒ったような声で言い、
「――しかし、大阪は寒いな」
 と、初枝のかかえている火鉢の傍へ寄った。

     3

 翌日から、他吉がひとりで夜店へ出て、七味唐辛子の店を張った。
 場割りの親方が、他吉を新米だと思ってか、
「唐辛子はバナナ敲きの西隣りや」
 と、いちばんわるい場所をあてがうと、他吉はいきなり「ベンゲットの他あやん」の凄みを利かせて、良い場所へ振りかえて貰ったが、
「ああ、七味や、七味や、辛い七味やぜ、ああ、日本勝った、日本勝った、ロシヤ負けた。ああ、七味や、七味や!」
 普通爺さん婆さんがひっそりと女相手に売っている七味屋に似合わぬ、割れ鐘のような掛け声をだしたので、客は落ち着いて、七味の調合にこのみの注文をつけることも出来ず、自然客足は遠ざかった。
 招き猫の人形みたいに、ちょこんと台の上に坐って、背中を猫背にまるめてごしごし七味を混ぜていると、いっぺんに精が抜けてしまい、他吉はベンゲットのはげしい労働がかえってなつかしく、人間はからだを責めて働かな、骨がぶらぶらしてしまうという想いが、背中の青龍へじりじり来て、いたたまれず、むやみに赤いところを多くして、あっと顔をしかめるような辛い七味を竹筒に入れていたが、間もなく七味屋を廃してしまった。
「あんた、またヘリピンへ行く積りとちがうか」
 お鶴は気が気でなかったが、さすがに帰った早々、二人を見捨てて日本を離れることも出来ず、神戸で三月いた間にためて置いた金をはたいて、人力車の古手を一台購い、残ったからだ一つを資本に、長袖の法被《はっぴ》のかわりに年中マニラ麻の白い背広の上着を羽織った異様な風態で俥をひいて出て「ベンゲットの他吉」の綽名はここでも似合った。
 二年経った夏、お鶴は冷え込みで死んだ。
 他吉の留守中、まる四年夜店出しをしていた間にぬれた夜露が女の身にさわったのかと、博覧会も見ず、二階つき電車がどこを走っているかも知らなかったということもなにか不憫で、他吉は男泣いたが、死んで行くお鶴はその愚痴はいわず、ただ、
「初枝の身がかたづくまで、あんたもベンゲットの他あやんや言われて、ええ気になって、売り出したり、うかうかよその国へ行ってしまわんようにしなはれや。大体、あんたは昔からおっちょこちょいやさかい、気イつけて、阿呆な真似をしなはんなや」
 西日のかんかん射し込む奥の四畳半に敷いた床の上で、蚊細い声の意見をして、息絶えた。
 夏になると、しきりに比律賓への郷愁にかり立てられる他吉の腹の虫を、お鶴は見抜いていたのだろうか。
 お鶴の死に足止めされて、八年が経った。
 一日何里俥をひいて走っても、狭い大阪の町を出ることは出来ないと、築港へ客を送るたび、銅羅の音に胸をどきどきさせているうちに、もう娘の初枝は二十一歳であった。
 節分の日、もうその歳ではいくらか気がさす桃割れに結って、源聖寺坂の上を、初枝が近所の桶屋の職人の新太郎というのと、肩を並べて歩いている姿を、他吉は見つけた。
 すぐ寺の境内に連れ込み、新太郎の横面を殴りつけた勢いで、初枝の顔にも手が行ったが、折角の髪をつぶしてはと、この方はさすがに力を抜いて、他吉の眼がさきに火が出るくらい、情けなかった。
 こんな不仕鱈《ふしだら》な女をひとり放って置いて、比律賓へ行ってしまえば、どうなっていたことかと、他吉はひやっとしたが、間もなく行われた町内のマラソン競争で桶屋の新太郎は一等をとった。
 新太郎は少年団の世話役で、毎夜子供たちを集めて、生国魂《いくだま》神社の裏の空地でラッパを教え、彼の吹くラッパの音は十町響いて、銭湯で冬も水を十杯あびるのは、他吉のほかは町内で新太郎ただひとりであった。なお、銭湯の帰り、うどん屋でラムネ一杯のまず、存外律儀者であった。
 マラソン競争のあった翌日、他吉はれいの上着のポケットに、季節はずれの扇子を入れて、桶屋の主人を訪れ、
「早速やが……」
 と、新太郎を初枝の婿にする話を交渉した。
「さあ、わいには異存はないけど、新太郎の奴がどない言いよりまっしゃろか」
 桶屋の主人が言うと、
「どないも、こないも、あんた、おまはんやわいの知らん間にあいつらもうちゃんと好いた同志になっとりまんねんぜ。阿呆らしい。ほんまに、こんな、じゃらじゃらした話おまっかいな」
 他吉はぷりぷりしたが、しかし、新太郎の身体の良いところを見込んでの話だと、万更でも無い顔つきだった。
 新太郎の年期ももうとっくに済んでいたので、話はすぐ纒った。
 やがて、新太郎は玉造で桶屋を開業したが見込んだ通り、働き者で、夫婦仲のよいのは勿論である。
 他吉はやれやれと思い、河童路地《がたろろじ》の朝夕急にそわそわしだした。
 が、新太郎が開業する時に借りた金は、未だすっかり済んでいない。比律賓へ行くのはもうすこしの辛抱だと、じっと腹の虫を圧えている内、新太郎の家の隣りから火が出て、開業早々丸焼けになった。
 焼け出されて、新太郎は一時河童路地の他吉の家へうつって来たが、げっそりして、頭から蒲団をかぶって、まるで暖簾に凭れて麩噛んだような精のない顔をしていた。
 もう一度、立ち直って、桶屋をはじめる気もないらしく、また、職を探しに歩こうともしなかった。
 ぶつぶつ何やら呟いているのを聴けば、開業資金に借りた金の残額を、おろおろ勘定しているのだった。
「阿呆んだらめ!」
 他吉は叱りつけて、
「家の中でごろごろして借金がかえせる思てるのか。いったい、これからどないする気や。もちっと、はんなりしなはれ」
「さあ、どないしたらええやろ。もう、こうなったら、冷やし飴でも売りに歩かな、仕様《しよ》おまへんな。ほんまに、えらい災難や」
 心細い声で、ぼそんと言った。
「仕様《しよう》むないこと言いな。お前みたな気イで冷やし飴売りに歩いてたら、飴が腐敗《くさ》ってしまう……」
 言って、他吉はふと眼をひからせた。
「――それとも、よっぽど冷やし飴が売りたけりゃ、マニラへ行きなはれ」
「なんぜまた、マニラへ……?」
 黙っている新太郎に代って、初枝がおどろいて訊くと、
「マニラは年中夏やさかい、モンゴ屋商売して、金時(氷)や冷やし飴売ってても、結構商売になる。大阪にいてては、お前、寒なったら、冷やし飴が売れるか」
「冬は甘酒売ったら、ええ」
 初枝に肱を突かれて、新太郎が言うと、他吉は噛んだろかというような顔をした。
「情けないこと言う男やな。新太郎、よう聴きや、人間はお前、若い時はどこイなと、遠いとこイ出なあかんネやぜ。――お初はわいが預っててやるさかい、マニラへ行って、一旗あげて来い」
「…………」
 二度焼け出されたようなものだと、新太郎が首垂れていると、
「行くか、行けへんか。どっちやねん? 返事せんか。行かんと言うネやったら、わいにも考えがある。お初を……」
「お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]。何言うてんねん。死んだお母《か》はんの……」
 遺言忘れたかと、初枝が言いかけるのを、
「お前は黙ってエ」
「黙ってられるかいな」
と、壁一重越しにきいていた〆団治が、くるくるした眼で、はいって来て、
「――他あやん、お前の言い分は、そら目茶苦茶や」
 助け船を出したが、もう他吉はきかず、無理矢理説き伏せて、新太郎をマニラへ発たせた。
 他吉は初枝とふたりで、神戸にまで見送りに行ったが、
「わいもこの船でいっしょに……」
 ……行きたい気持をおさえるのに、余程苦労した。
 その代り、銅羅が鳴るまで、他吉はベンゲット道路の話をし、なお、
「モンゴ屋商売しても、アメリカ人の客には頭を下げんでもええぞ。毎度おおけにと頭が下りかけたら、いまのベンゲットの話を想い出すんやぜ。――それから、歯抜きの辰いう歯医者に会うたら、忘れんと二円返しといてや。わいが虫歯抜いてもろた時の借りやさかい、他あやんがよろしゅう申してました言うて、二円渡しといてや」
 と、言った。
「コレラに罹らんように、気イつけとくなはれや」
 初枝はおろおろして、やっとこれだけ言った。
 初枝は〆団治の世話で、新世界の寄席へ雇われて、お茶子をした。
[#改頁]

   第二章 大正

     1

 そこは貧乏たらしくごみごみとして、しかも不思議にうつりかわりの尠ない、古手拭のように無気力な町であった。
 角の果物屋は何代も果物屋をしていて、看板の字も主人にも読めぬくらい古びていた。
 酒屋は何十年もそこを動かなかった。
 銭湯も代替りをしなかった。
 薬局もかわらなかった。よぼよぼの爺さんが、いまだに何十年か前の薬剤師の免状を店に飾って、頓服を盛っているのだった。もぐさが一番よく売れるという。
 八百屋の向いに八百屋があって、どちらも移転をしなかった。隣の町に公設市場が出来ても、同じことであった。
 一文菓子屋の息子はもう孫が出来て、店先にぺたりと坐って、景品《あてもの》附きの一文菓子を売るしぐさも、何か名人芸めいて来た。
 散髪屋の娘はもう二十八歳で、嫁に行かなかった。年中ひとつ覚えの「石童丸」の筑前琵琶を弾いていた。散髪に来る客の気を惹くためにそうしているらしく、それが一そう縁遠い娘めいた。
 一銭天婦羅屋は十年路地の入口で天婦羅をあげていた。
 甘酒屋の婆さんももうかれこれ十五年寺の門前で甘酒の屋台を出していた。夏でも出していた。
 相場師も夜逃げをしなかった。落語家《はなしか》も家賃を六つもためて、十七年一つ路地に居着いていた。
 路地は情けないくらい多く、その町にざっと七八十もあろうか。
 いったいに貧乏人の町である。路地裏に住む家族の方が、表通りに住む家族の数よりも多いのだ。
 地蔵路地は※[#「※」はL型の直角線]の字に抜けられる八十軒長屋である。
 なか七軒はさんで凵の字に通ずる五十軒長屋は榎路地である。
 入口と出口が六つもある長屋もある。狸《たのき》裏といい、一軒の平家に四つの家族が同居しているのだ。
 銭湯日の丸湯と理髪店朝日軒の間の、せまくるしい路地を突き当ったところの空地を、凵の字に囲んで、七軒長屋があり、河童路地という。
 この空地は羅宇《らお》しかえ屋の屋台の置場であり、夜店だしの荷車も置かれ、なお、病人もいないのに置かれている人力車は、もちろん佐渡島他吉の商売道具である。
 この空地は洗濯物の干場にもなる。けれど、風が西向けば、もう干せない。日の丸湯の煙突は年中つまっていて、たちまち洗濯物が黒くなってしまうのだ。
 羅宇しかえ屋の女房は名古屋生れの大声で、ある時、亭主を叱った声が表通りまできこえ、通り掛った巡査があやしんで路地の中まで覗きに来たというくらい故、煙突の苦情は日の丸湯の番台へ筒ぬけだが、日の丸湯の主人はきかぬ振りした。
 また、長屋の中で、改まって煙突の掃除のことで、日の丸湯へ掛け合った者はひとりもない。
 日の丸湯の主人というのは、先代より引き続いて、河童路地の家主であり、横車《ごりがん》も振る男であった。
 河童路地はむかしこのあたりに河童が棲んでいたという噂からそういう名がついたほかに俗に只《ただ》裏ともいい、家賃は只同然にやすいさかいやと、日の丸湯の主人は言っていたが、それさえ誰もきちんと払えた例しはなく、かたがた煙突の苦情も言うて行けなかった。
 つまりは、貧乏長屋であった。
 だから、たとえば蝙蝠傘修繕屋のひとり息子は、小学校にいる間から、新聞配達に雇われて、黄昏の町をちょこちょこ走った。
 明るいうちに配ってしまわぬと、帰りの寺町がひっそりと暗くて怖い。十歳の足で、高津神社の裏門の石段を、ある夕方、ひと日、ふた日は晴れたれど、三日、四日、五日は雨に風、道のあしさに乗る駒も、踏みわずらいて、野路病い……と、歌いながら、あわてて降り、黒焼屋の前まで来ると、
「次郎ぼん、次郎ぼん」
 うしろから呼び止められた。
 振り向くと、血止めの紙きれをじじむさく鼻の穴に詰めこんだ他吉が空の俥をひきながら、にこにこ笑っている。
「他あやん、また喧嘩したんやなア。あんまり売りだしたら、どんならんな」
 二軒並んだ黒焼屋の店先へ、器用に夕刊を投げこみながら、そう言うと、
「さいな、あんまり現糞《げんくそ》のわるい事言いやがったさかい……」
 しかし、――他吉という男はど阿呆や、われが六年もいて一銭の金もよう溜めんといたマニラへ娘の婿を懲りもせんと行かす阿呆があるかと言われて、何をッと腹が立った余りの喧嘩だとは、さすがに子供相手に語りも出来ず、
「お初に告わんといてや」
 しおらしい声で言った。
「さあ。どないしょ? ここが思案の四ツ橋……」
「子供だてらに生意気な言い方しイな。――どや、しかしもう、犬に吠えられたかて、怖いことあれへんか」
「犬か、犬はもう馴れたわ」
「そか、そらええ。次郎ぼん、なんぼでも、せえだい働きや。人間はお前、苦労して、身体を責めて働かな、骨がぶらぶらしてしまうぜ。おっさんら見てみイ。六年まえ、ベンゲットで……」
 松屋町筋まで来た。
「他あやん、もっとほかの話してんか。ベンゲットの話ばっかしや。〆さんの落語《はなし》の方がよっぽどおもろいぜ」
「そら、下手は下手なりに、向《むこ》は商売人や。――どや、しんどいやろ。豆糞ほど(少しの意)俥に乗せたろか」
「なんじゃらと、巧いこと言いよって……。そないべんちゃら[#「べんちゃら」に傍点](お世辞)せんでも、他あやん喧嘩したこと黙ってたるわいな」
 そして、早く配ってしまわねば叱られるさかいと、駈け出して行くのを、他吉は随いて行って、
「ほな、おっさんに夕刊一枚おくれんか」
 その気もなく言うと、
「やったかて、読めるのんかいな。おっさんら新聞見ても、新聞やのうて珍ぷん漢ぷんやろ?」
「殺生な。そんな毒性《どくしょ》な物の言い方する奴あるか。――ほんまはな、夕刊でなこの鼻の穴の紙を……」
 ……詰めかえながら、河童路地へ戻って来ると、めずらしく郵便がはいっていた。切手を見て、マニラの婿から来た手紙だとすぐ判ったが、勿論読めなかった。
 歯抜きの辰という歯医者を探したところ、とっくに死んでいたというたよりがあってから、一月振りの手紙で、こんどはどんなたよりが書いてあるかと、娘の帰りを待ち切れず、〆団治なら読めるだろうと、その足で、
「〆さん、〆さん、留守か。居るのんか。居れへんのんか」
 隣の〆団治に声をかけた。
 すると、羅宇しかえ屋の家の中から、声だけ来て、
「〆さんは寄席だっせ」
「さよか。――ところで、おばはん、けったいな事訊くけど、おまはん字イはどないだ?」
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
 字と痔をききちがえて、羅宇しかえ屋のお内儀が言うと、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
 と、理髪店朝日軒で客がききつけて、大笑いだった。

     2

 理髪店朝日軒では、先年葬礼の道供養に友恵堂の最中を二百袋も配って、随分近所の評判になった。
 袋には朝日軒と書かれてあり、普通何の某家と書くところを、わざとそうしたのは無論宣伝のためであったろう。
 死んだのはそこの当主で、あと総領の敬吉が家業を継ぐわけだが、未だ若かった、先代は理髪養成学校の創立委員で、嘱託されて教師にもなり、だから死なれて見ると、二代目の敬吉の若さは随分目立つ。おまけに高慢たれで、腕はともかく客あしらいはわるいと、母親のおたかにも心細くわかり、道供養に金を掛ける気持も出たのだろうが、ひとつには、娘の義枝のこともあったのではなかろうか。
 どういうわけか、縁遠いのだ。二十六でまだ片づかぬのはおかしいと、近所の評判がきびしくて、父親も息を引きとる時まで、これを気にしていたくらいだ。
 なお、義枝の下に定枝がいて、二十三といえば、義枝の歳に直ぐだった。しかも、そういう縁遠い小姑が二人もいては、敬吉に嫁の来手もあるまいと二十九歳の敬吉の独身までが目立ち、商売とちがって、ここでは彼の若さも通らなかったわけだ。おまけに、十七の久枝、十三の敬二郎、十の持子もあとに控えている。
 父親の生きている時分はともかく、後家になったいまは、何か肩身のせまい想いに身が縮まって、おたかがそんな道供養を張り込んだ気持も、うなずけるのだった。
 それかあらぬか、葬式が済んで当分の間、おたかは毎日かやく飯や五目寿司を近所へ配った。長屋の者など喜んだのはむろんである。わりにおたかの肩身が広くなったようで、それで娘の歳なども瞬間隠れた。
 義枝はそんな母の心を知ってか知らずにか、忙しく立ち働いて炊事を手伝った。
 小柄で、袖なしなどを色気なく着て、こそこそ背中をまるめ、びっくりしたような眼をしていた。器量もたいして良くなかった。
 筑前琵琶をならい、年中「石童丸」を弾いて、それで散髪に来る客の心を惹いているように誤解されていることは、さきに述べた通りである。
 父親の四十九日が済んで間もなく、紋附きを着た男が不意に来て、義枝の縁談であった。
 気配で何かそれらしく、おたかは随分狼狽した。咄嗟の心構えがつかず、むしろ気恥かしく応待した。取り乱しては嗤われるかねがねの負目で、嬉しい顔も迂濶に出来なかった。
 客は小憎いほど落ち着いて、世間話のまくらをだらだらとふった。
 それで焦らされて、おたかはわざと濃い表情も自然に装えて、顔をしかめた。すると、縁談をきく心用意もどうやら出来たが、そうして落着いたところは、意外にも断る肚であった。
 相手の身分も訊かぬうちに、そんな風に決めて、われながら意固地な母だったが、いまに始ったわけではない。
 ……父親の生きていた頃、三度義枝に縁談があったことはあった。
 相手は呉服屋の番頭、公設市場の書記、瓦斯会社の集金人と、だんだん格が落ちた。
 父親はいつのときも、賛成も反対もせず、つまりは煮え切らず、ぼそぼそ口の中で呟いているだけだったが、おたかはまるで差し出でて、仲人に向い、
「格式の違うことあれしまへんか」
 と、いつもこの調子で、仲人を怒らしてしまい、その都度簡単に話は立ち消えたのだ。
 当座の小気味良さも、しかし、あとでむなしい淋しさと変った。だから、義枝には、
「あんな仕様むない男に貰われたら、お前の一生の損やさかいに……」
 と言い聴かせ、それをまた自分へのいいわけにもした。
 よその娘なら知らず、義枝の父親は理髪業者の寄合へ洋服で出席した最初の人で、なお町会の幹事もしているのだ……。
 ところが、そんなことがあって、こんどの相手は畳屋の年期奉公上りの職人で、と聴いてみると、やはりおたかはあらかじめ断る肚をきめて置いてよかったと思った。
 散髪屋も畳屋も同じ手職稼業でたいした違いはないようなものの、おたかにしてみれば、口惜しいほど格式が落ちたと思われ、だから断るにもサバサバした気持だった。
 仲人はあきれて帰って行った。
 おたかは暫時ぺたりと坐りこんだまま、肩で息をし、息をし、畳の一つところを凝視していた。腹立たしいというより、むしろさすがに取り逃した気持でわれにあらず心に穴があいた。
「なんぜ断る気になったんやろか」
 と、考えてみても判らず、所詮いまさらの後悔だったが、いってみれば父親は下手に町会の幹事などしたわけだ。
 ひとつには、義枝の年が若ければ、かえって畳屋の職人でもあっさりと応じられたのかもしれず、つまりはひがみだったろうか。
 やがてそわそわと立ち上り、勝手元へ出てみると、義枝はしきりに竈の下を覗いていた。新聞紙を突っ込み、薪をくべ、音高く燃えて、色黒い義枝の横顔に明るく映えていた。ふと振り向いたその眼が赤く、しばたたき、煙のせいばかりでないとおたかは胸痛く見たが、どういうわけかおたかの声は、
「えらい煙たいやないか」
 と、叱りつけるようだった。
 大分経って、義枝の下の定枝を貰いに来た。
 先方は小学校の教員で、二十九歳だというから、定枝と四つちがいだった。二十五の娘《いと》はんやったらしっかりしたはって、願ったりかなったりだと、わざわざ定枝の歳をありがたいものにするいい方を、仲人はして、つまりはおたかの気性をのみこんでいた。
 そうされてみれば、おたかもさすがに固い表情が崩れ、小学校の教員といえば、よしんば薄給にしろまずまず世間態は良いと、素直に考えることが出来た。贔屓目にも定枝の器量は姉の義枝とそんなにちがいはしなかったが、ずんぐりとして浅黒い義枝とくらべて、定枝はややましにすんなりと蒼白く、そういう談があってみれば、いまそれは透き通るように白いと、改めて見直されるぐらいだった。なお、先方は尺八の趣味があるといい、それも何となく奥床しいではないかと、これで纒らねば嘘だった。
 仲人は無料の散髪をして帰った。
 ところが、纒まると見えて、いざ見合いという段になると、いきなりおたかは断ってしまった。
 仲人は驚いたが、怒った顔も見せず、なるほど、姉さんをさし置いて妹御をかたづける法もなかったと筋を通して、御縁は切れたわけでもないと、苦労人だった。
 けれども、その言葉は思いがけずおたかには痛く、妙なところで効果があった。
 実はもって、おたかには断るほどの理由もはっきりとはなく、強いて娘の見合いの晴れがましさに馴れず臆したのだと言ってみたところで、それでは余りに阿呆らしく小娘めく。仲人ももう一押し押せば、十に一つは動く振り[#「動く振り」は底本では「く動振り」と誤植]もおたかには充分あったところだが、もはやそんな痛いところを突かれては、おたかの気持はいつものところへ落ち着いて、
「格式が違うことあれしめへんか」
 意固地な声であった。さすがの仲人もむっとした。
 怒った顔二つ暫時にらみ合って、やがて仲人の帰ったあと、勝手元で騒々しい物音や叫声がして、おどろいておたかが出て見ると、義枝と定枝が掴み合い掴み合っているのだ。
 おたかは何か思い当って、はっと胸をつかれ、蒼ざめた途端に、いきなり逆上して、二人を突き離すと、漆喰の上へ転がり落ちたのは、義枝の方だった。そのつもりではなかったが、倒れて見れば、やはり義枝らしかった。
 物音で近所のひとびとがわざとのように駈けつけて来ると、ぴたりと三人は静まりかえった。
 定枝はぷいと出て行った。義枝はおろおろと身体を縮めて忍び泣いていたがやがて座敷へはいると、琵琶をかきならした。それが店の間にもきこえ、客は頭を刈られながら、ふんふんときいた。
 翌日、おたかは近所へ海老のはいったおからを配った。
 半年経って、十九の久枝に縁談があったとき、矢張り義枝をさし置いてということが邪魔した。
 久枝は北浜の銀行へ勤めに出て、太鼓の帯に帯〆めをきりりとしめ、赤い着物に赤い鼻緒の下駄で、姉たちとはかけはなれて派手な娘であった。なお、眼鏡を掛けていた。
 相手は同じ銀行に働く男で、銀行員といえば、もう飛びつきたい話にはちがいなかった。しかし、同じところで働いていたとすれば、浮いた話ではなかったかと近所の評判も気にされた。
 もともと久枝を勤めに出すことは、何かと気がひけていたのである。娘を働かさねばやって行けぬ世帯かと見られることが、随分辛いのだ。だから、同じ銀行で働く男と結婚したとすれば、一層とやかくの噂は避けがたい。
 それがおたかにはいやだった。といって、断るには惜しい談だと、いろいろ迷ったあげく、結局義枝の縁組みもせぬうちに久枝をかたづけるわけには行かぬと、これがおたかの肚をきめたのである。
 次の縁談があるまで半年待った。
 こんどの談は敬吉に来て、先方は表具屋の娘だったから、これも敬吉の意見をきかぬうちに有耶無耶になった。仲人はしかし根気よく三度足を運んだのだった。
 が、三度目にはもう、
「こんな年増の小姑のいる家に、誰が嫁に来まっかいな」
 と、捨科白して、ばたばたと帰ってしまった。
 いわれてみると、おたかはちくちく胸が痛み、改めて敬吉の歳を数えてみると、三十だった。
 三十の声をきいてから、敬吉の頬にはめきめき肉がついて、ふっくらとし、おまけに商売柄いつも剃り立ての髭あとがなまなまと青かった。
 そんな顔を敬吉は店の間からはいって来てぬっと見せると、
「いまのお客さん何しイに来はったんやねん?」
 わりに若い声で訊いた。
「何もしイに来やはれへんぜ」
 おたかはとぼけて見せ、
「――店放っといてええのんか」
 叱りつけるように言うと、敬吉はこそこそ店へ引きかえした。
 そして、見習小僧に代って、客の顔を剃りながら、かねがね理由《わけ》もなしに母親に頭の上らぬ自分の顔を、しょんぼり鏡に覗いていると、何となく気が滅入ったが、ふと、
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
 という羅宇しかえ屋のお内儀の声がきこえ、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
と、客が笑ったのにつられて、敬吉も黒いセルロイドのマスクのかげで笑い、
「ほんまにイな」
 剃刀をとめて、客の笑いのとまるのを待っているところへ、他吉がひょっくりはいって来た。
「敬さん。また無心や」
「なに貸してほしいねん?」
「さいな。今日は剃刀とちがう。あんたの学を貸してほしいねん」
「安い御用やが……」
 敬吉は講義録など読み、枢密院の話などを客にして、かねがね学があると煙たがられていた。
「これをひとつ読んでほしいねん」
 マニラからの手紙を渡すと、敬吉は剃刀を片手に眼を通した。
「どうせ婿の新太郎から来た手紙や思いまっけど、なんぞ言うとりまっか。マニラは暑うてどんならん言うとりまっか」
 敬吉はしかしそれに答えず、
「他あやん、えらい鈍《どん》なこっちゃけど、こらわいには読めんわ」
 と、びっくりした顔だった。
「えらいまた敬さんに似合わんこっちゃな、どれ、どれ、わいにかして見イ、わいが読んだる」
 客は散髪台の上に仰向けになったまま、他吉の手からその手紙を受けとったが、すぐ、あっと声をのんで、
「わいにも読めんわ。えらい鈍なことで……」
 と言いながら、滅法高い高下駄をはいた見習小僧にそれを渡した。
「――お前読んでみたりイ」
「へえ」
 そして、読みだした小僧の声は、筑前琵琶の音にところどころ消されたが、他吉の胸に熱く落ちて来た。
 マニラへ行っていた婿の新太郎が、風土病の赤痢に罹って死んだ旨、新太郎に部屋を貸している人からの報らせの手紙だった。
「なんやて? さっきのとこもういっぺん読んで見てんか。一昨日の……?」
「一昨日の午前二時、到頭看護及ばず逝去されました」
「セイキョてなんやねん」
「死ぬこっちゃ」
 小僧は十六歳だった。
 瓦斯燈がはいって、あたりはにわかに青い光に沈んだ。
 理髪店の大鏡に情けない顔をちらと蒼弱くうつして、しょんぼり表へ出ると、夜がするする落ちて来た。
 他吉は腑抜けて、ひょこひょこ歩いた。

     3

 それから半時間も経ったろうか、他吉はどこで拾ったのか、もう客を乗せて夜の町を走っていた。
 通天閣のライオンハミガキの広告燈が青く、青く、黄色く点滅するのが、ぼうっとかすんで見えた。
 客は他吉の異様な気配をあやしんで、
「おやっさん、どないしてん? 泣いてるのんと違うか」
「泣いてまんねん」
「えっ?」
 客はその返辞の仕方のほうに驚いてしまった。
「――こらまたえらい罪な俥に乗ってしもたもんや。これから落語ききに行こちゅうのに、無茶苦茶やがな。一体どないした言うねん?」
「へえ。娘の婿めが、あんた、マニラでころっと逝きよりましてな」
「マニラ……? マニラてねっから聴いたことのない土地やが、何県やねん」
「阿呆なこと言いなはんな」
 ポロポロ涙を落しながら、マニラは比律賓の首府だと説明すると、
「さよか、しかし、なんとまた遠いとこイ行ったもんやなあ」
「マラソンの選手でしたが……」
「ほんまかいな、しかし、可哀相に……。そいで、なにかいな。その娘はんちゅうのは子たちが……?」
 あるのかと訊かれて、またぽろりと出た。
「まあ、おまっしゃろ」
「まあ、おまっしゃろや、あれへんぜ。男の子オか」
「それがあんた、未だ生れてみんことにゃ……」
 新世界の寄席の前で客を降ろすと、他吉はそのまま引きかえさず、隣の寄席で働いている娘の初枝を呼びだした。
「お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]なんぞ用か」
 出て来た初枝は姙娠していると、一眼で判るからだつきだった。
 他吉はあわてて眼をそらし、
「うん。ちょっと……」
 と、言いかけたが、あと口ごもって、
「――ちょっと〆さんの落語でもきかせてもらおか思てな……」
 寄ったんだと、咄嗟に心にもないことを言うと、
「めずらしいこっちゃな。あんな下手糞な落語ようきく気になったな。そんなら、俥誰ぞに見てもろてるさかい、はよ、聴いてきなはれ」
「いや、もう、やめとくわ。それより、ちょっとお前に話があるねん」
 そして、寄席を出て、空の俥をひきながら歩きだすと、初枝は、
「話やったら、ここで言うたら、ええやないか。けったいやなあ」
 と言いながら、前掛けをくるりと腹の上へ捲きつけて、随いて来た。
 活動小屋の絵看板がごちゃごちゃと並んだ明るい新世界の通りを抜けると、道は急にずり落ちたような暗さで、天王寺公園だった。
 樹の香が暗がりに光って、瓦斯燈の蒼白いあかりが芝生を濡らしていた。
 美術館の建物が小高くくろぐろと聳え、それが異国の風景めいて、他吉は婿の新太郎を想った。
 白いランニングシャツを着た男が、グラウンドのほの暗い電燈の光を浴びて、自転車の稽古をしている。それが木の葉の隙間から影絵のように蠢いて見えた。
 動物園から猛獣の吼声がきこえて来た。ラジュウム温泉の二階で素人浄瑠璃大会でも催されているらしく、太の三味線の音がかすかにきこえた。
 丁稚らしい男がハーモニカを吹いている。
「流れ流れてエ、落ち行く先はア、北はシベリヤ、南はジャバよ……」
 というその曲が、もう五十近い他吉の耳にもそこはかとなく物悲しかった。
 ベンチに並んで、腰掛けた。
「お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]、なんぜこんなとこイ連れて来んならんねん。けったいなお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]やなあ。話があるねんやったら、はよ言いんかいな」
 初枝がいくらか不安そうに言うと、他吉は横向いて、
「明いとこで涙出して見イ。人さんに嗤われて、みっともないやないか」
 初枝はどきんとした。
「ほな、なんぞ泣かんならんようなことがあるのんか」
「…………」
 他吉は黙って、マニラからの手紙を渡した。
 初枝は立ち上って、瓦斯燈のあかりに照らして読んだ。
 途端に初枝は気が遠くなり、ふと気がついた時は、もう他吉の俥の上で、にわかに下腹がさしこんで来た。
 産気づいたのだと、他吉にもわかり、路地へ戻って、羅宇しかえ屋のお内儀の手を借りて、初枝を寝かすなり、直ぐ飛んで行って産婆を自身乗せて来たので、月足らずだったが、子供は助かり、その代り初枝はとられた。
「えらい因果なこっちゃな。死亡届けが二つと出産届けが一つ重なったやないか」
 朝日軒の敬吉は法律知識を高慢たれて、ひとり喧しかったが、しかし、他の者は皆ひっそりとして、羅宇しかえ屋の女房でさえ、これを見ては、声をつつしんだ。
 長屋の寄り合いにはなくてかなわぬ〆団治も、
「おまはん、今日はただの晩やあらへんさかい、あんまり滑稽《ちょか》なこと言いなはんなや」
 と、ダメを押されて、渋い顔をしていたが、けれど、さすがに黙っているのは辛いと見えて、腑抜けた恰好で壁に向って、ぶつぶつひとりごとを言っている他吉の傍へ寄って、
「他あやん、ほんまにえらいこっちゃな、まるでお前、盆と正月が一緒に……」
 うっかり言いかけると、
「〆さん、阿呆なこと言いな!」
 敬吉の声が来た。
 それで、さすがに〆団治もシュンとしてしまったが、暫らくすると、また口をひらいて、
「しかし、他あやん、人間はお前、諦めが肝腎やぜ。おまはんもよくよく運《かた》のわるい男やけど、負けてしもたらあかんぜ。そんな、夢の中で豆腐踏んでるみたいな顔をせんと、もっとはんなり[#「はんなり」に傍点]しなはれ。おまはんまで寝こんでしまうようになったら、どんならんさかいな」
 そんな口を敲くと、他吉は、
「何ぬかす、あんぽんたん奴。わいが寝こんでしもて、孫がどないなるんや。ベンゲットの他あやんは敲き殺しても死なへんぞ」
 と、そこらじゅうにらみ倒すような眼をしたが、けれど、直ぐしんみりした声になると、
「――しかし、言や言うもんの、〆さんよ、新太郎の奴と初枝はわいが殺したようなもんやなあ」
 と、言った。
 十日ばかり経った夜、界隈の金満家の笹原から、ちょっと話があるからと、他吉を呼びに来た。
 黒の兵古帯を二本つなぎ合わせ、それで孫の君枝を背負って行くと、笹原は酒屋ゆえ、はいるなりぷんと良い匂いがし、他吉は精進あげの日飲んだのを最後に、生駒に願掛けて絶っている酒の味を想って、身体がしびれるようだった。
「夜さり呼びつけて、えらい済まなんだけど、話言うのはな、実はおまはんのその孫のことやがな……」
 型通りのおくやみを述べたあと、笹原はそう切りだした。
「――藪から棒にこんなこと言うのは、なんやけったいやけど、その子どこぞイ遣るあてがもうあるのんか」
「いえ、そんなもんおまへん」
「そか、そんなら話がしやすい。早速やが、他あやん、その子うちへ呉れへんか」
「ほんまだっかいな」
「嘘言うもんか。おまはんも知ってる通り、うちは子供が一人も出けへんし、それにまた、わしもそうやが、うちの家内《おばはん》と来たら、よその子供が抱きとうて、うちに風呂があるのに、わざわざ風呂屋へ行きよるくらい子供が好きやし、まえまえから、養子を貰う肚をきめてたんや。ほかにも心当りないわけやないけど、それよりもやな、気心のよう判ったおまはんの孫を貰たらと、こない思てな。それになんや、その子は両親《ふたおや》ともないさかい、かえって貰ても罪が無うて良えしな」
「……………」
 背負った孫可愛さの重みに他吉は首を垂れて、慌しく心の底を覗いていた。
 祖父ひとり孫ひとりのわびしい路地裏住いよりも、こんな大家にひきとられて、乳母傘で暮せば、なんぼこの子の倖せかと、願うてもない孫の倖せを想わぬこともなかったが、しかし、この子の中には新太郎と初枝の生命がはいっていると想えば、到底手離す気にはなれず、おろおろ迷っていると、
「言うちゃなんやけど、礼はぎょうさん[#「ぎょうさん」に傍点]さして貰うぜ。おまはんの好きな酒も飲み次第や」
 と、笹原が言った。途端に他吉の肚はきまった。
「旦さん、えらい変骨言うようでっけど、わたいは孫を酒にかえる気イはおまへん。眼に入れても痛いことのない孫でっけど、酒に代えて口の中へ入れたら舌が火傷してしまいま」
「そない言うてしもたら、話でけへんがな。――そらまあ、おまはんが私は要らん言うのやったらそいでええとせえ。しかし、他あやん、おまはんはそいでええとしても、ひとつその子のことを考えてみたりイな。河童路地で育つ方が倖せか、それとも……」
 痛いところを突かれたが、他吉はいきなり、
「そら判ってます。よう判ってま」
 と、顔をあげて、
「――しかし、旦さん、たとえ貧乏でも、狸や河童の巣みたいな路地で育っても、やっぱり血をわけたわいに育ててもろた方が、この子の倖せだす。いやきっとわたいが倖せにしてやりま」
 そこまで言って、他吉は男泣いた。
 やがて、涙をふきふき、
「――まあ、聴いてやっとくれやす。この子のお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]も、わいが無理矢理|横車《ごりがん》振ってマニライ行かしたばっかりに、ころっと逝ってしまいよりました。この子のお母んもそれを苦にして、到頭……。言うたら皆わたいの責任だす。もうわたいは自分の命をこの孫にくれてやりまんねん」
 言っているうちに、本当にその覚悟が膝にぶるぶる来て、光った眼をきっとあげると、傍にいた笹原の御寮人が、
「あんたのそう言うのんはそら無理もないけど、ほんまに男手ひとつで育てられまっか。あんた、お乳が出るのんか」
「出まへん、なんぼわたいの胸を吸うても、そら無理だす。胃袋で子供うめ言うのと同じだす」
「それ見なはれ」
「しかし、御寮はん、ミルクいうもんが……」
 言うと、笹原が、
「ミルクで育った子は弱い」
 だしぬけに言った、
「そうだすとも……」
 笹原の御寮人は残酷めいた口元を見せて、
「――他あやん、うちはその子貰たらお乳母をつけよ思てまんねんぜ。それに他あやん、あんたその子|背負《せた》ろうて俥ひく気イだっか」
「ほな、こいで失礼さしてもらいま。えらいおやかまっさんでした」
 他吉が頭を下げると、背中の君枝の頭もぶらんと宙に浮いて、下った。

     4
 
 間もなく他吉は南河内狭山の百姓家へ君枝を里子に出し、その足で一日三十里梶棒握って走った。
 里子の養育料は足もとを見られた月に二十円の大金だ。なお、婿の新太郎が大阪に残して行った借金もまだ済んでいない。
 他吉の俥はどこの誰よりも速く、客がおどろいて、
「あ、おっさん、そないに走ってくれたら、眼エがまう。もうちょっと、そろそろ行《や》って貰えんやろか」
 と、頼んでも、
「わたいはひとの二倍、三倍稼がんならん身体だっさかい、ゆっくり走ってられまへんねん」
 辛抱してくれと、言って振り向いた眼の凄みに物を言わせて、他吉はきかなんだ。
 その頃、大阪の主な川筋に巡航船が通った。
 俥など及びもつかぬ速さで、おまけに料金もやすく、切符に景品をつける時もあって、自然俥夫連中は打撃をうけ、俥に赤い旗を立てて、巡航船の乗場に頑張り、巡航船に乗ろうとする客を、喧嘩腰で引っ張ろうとしてかなわぬ時は巡航船へ石を投げるという乱暴もはたらいたが、他吉はそんな仲間にはいらず「ベンゲットの他吉」を売り出そうとせなんだ。
 もっとも、朋輩との客の奪い合いには、浅ましいくらい厚かましく出て、さすがに「ベンゲットの他あやん」の凄みを見せ、その癖酒は生駒に願掛けたといって一滴ものまず、なお朋輩に二十銭、三十銭の小銭を貸すと、必ず利子を取った。
 次郎ぼんに貰った夕刊を一銭で客に売りつけることもあり、五厘のことで吠えた。
 ある夏、角力の巡業があった。
 横綱はじめ力士一同人力車で挨拶まわりをすることになったが、横綱ひとり大き過ぎて合乗用の俥にも乗れず、といって俥なしの挨拶まわりも淋しいと考えた挙句、横綱の腰に太い紐をまわし、その紐を人力車二台にひかせて、横綱自身よいしょよいしょと練り歩いて、恰好をつけ、大阪じゅうを驚かせた。
 新聞に写真入りで犬も吠えたが、この俥をひいたのが、他吉とその相棒の増造で、さすが横綱だけあって祝儀の張り込み方がちがう、どや、これでたこ梅か正弁丹吾《しょうべんたんご》で一杯やろかと増造が誘ったのを、他吉は行かず、
「それより此間《こないだ》貸した銭返してくれ。利子は十八銭や、――なにッ! 十八銭が高い? もういっぺん言うてみイ」
 そんな時他吉の眼はいつになくぎろりと光り、マニラ帰りらしい薄汚れた麻の上着も、脱がぬだけに一そう凄みがあった。
 ところが、それから半月ばかり経ったある夜のことだ。
 御霊の文学座へ太夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、たぶん筋違橋《すじかいばし》か、横堀川の上に斜めにかかった橋のたもとまで来ると、
「他吉!」
 と、いきなり呼ばれ、五六人の俥夫に取り囲まれた。
「なんぞ用か?」
 咄嗟に「ベンゲットの他あやん」にかえって身構えたところを、
「ようもひとの繩張りを荒しやがったな」
 と、拳骨が来て、眼の前が血色に燃えた。
「何をッ!」
 と、まずぱっと上着とシャツを落して、背中を見せ、
「さあ、来やがれ!』
 と、振りあげた手に、握っていた玩具が自分の眼にはいらなかったら、他吉はその時足が折れるまで暴れまわったところだが、
 ――今ここで怪我をしては孫が……
 他吉は気を失っただけで済んだ。
 やがて、どれだけ経ったろうか、ベンゲットの丸竹の寝台の上に寝ている夢で眼をさますと、そこはもとの橋の上で、泡盛でも飲み過ぎたのかと、揺り起されていた。
 そうして五年が経った。
 間もなく小学校ゆえ君枝を自身俥に乗せて河童路地へ連れて戻ると君枝は痩せて顔色がわるく、青洟で筒っぽうの袖をこちこちにして、陰気な娘だった。
 両親のないことがもう子供心にもこたえるらしく、それ故の精のなさかと、見れば不憫で、鮭を焼いて食べさせたところ、
「これ、何ちゅうお菜なら?」
 と、里訛で訊くのだった。
「鮭という魚《とと》や」
「魚て何なら?」
「あッ、それでは……」
 里では魚も食べさせて貰えなかったのかと、他吉はほろりとして、
「取るもんだけは、きちきち取りくさって、この子をそんな目に会わしてけつかったのか」
 と、そこらあたり睨みまわす眼にもふだんの光が無かった。
 君枝は茶碗の中へ顔を突っ込み、突っ込み、がつがつと食べ、ほろりとした他吉が、
「ほんまにお前にも苦労さすなあ。堪忍《かに》してや。しかし、なんやぜ、よそへ貰われるより、こないしてお祖父《じい》やんと一緒に飯《まま》食べる方が、なんぼ良えか判れへんぜ。な、そやろ? そない思うやろ?」
 と、言っても、腑に落ちたのかどうかしきりに膝の上の飯粒を拾いぐいしていた。
 入学式の日、他吉は附き添うて行った。
 校長先生の挨拶に他吉はいたく感心し、傍にいる提灯屋の親爺をつかまえて、
「やっぱし校長先生や。良えこと言いよんなあ。人間は何ちゅうても学やなあ」
 と、しきりに囁いていたが、やがて新入生の姓名点呼がはじまると、他吉は襟をかき合わせ、緊張した。
「青木道子」
「ハイ」
「伊那部寅吉」
「ハイ」
「宇田川マツ」
「ハイ」
「江知トラ」
「ハイ」
 アイウエオの順に名前を読みあげられたが、子供たちは皆んなしっかりと返辞した。
 サの所へ来た。
「笹原雪雄」
「ハイ」
 笹原雪雄とは笹原が君枝の代りに貰った養子である。来賓席の笹原はちょっと赧くなったが、子供がうまく答えたので、万更でもないらしくしきりにうなずいていた。
「佐渡島君枝」
「…………」
 君枝は他所見していた。
「佐渡島君枝サン」
 他吉は君枝の首をつつき、
「返辞せんかいな」
 囁いたが、君枝はぼそんとして爪を噛んでいた。
「佐渡島君枝サンハ居ラレマセンカ? 佐渡島君枝サン!」
 他吉はたまりかねて、
「居りまっせエ、へえ。居りまっせ」
 と、両手をあげてどなった。
 頓狂な声だったので、どっと笑い声があがり、途端におどろいて泣きだす子供もあった。
 さすがに他吉は顔から火が出て、よその子は皆しっかりしているのに、この子はこの儘育ってどうなるかと、がっくり肩の力が抜けた。

     5

 入学式の日は祖父が附添い故、誰にも虐められずに済んだが、翌日からもう君枝は、親なし子だと言われて、泣いて帰った。
 けれど、他吉は俥をひいて出ていて居ず、留守中ひとりで食べられるようにと、朝出しなに他吉が据えて置いた膳のふきんを取って、がらんとした家の中で、こそこそ一人しょんぼり食べ、共同水道場へ水をのみに行って、水道の口に舌をあてながら、ひょいと見ると、路地の表通りで、
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「中の中の小坊さん
なんぜエ背が低い
親の逮夜《たいや》に魚《とと》食うて
それでエ背が低い」
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 そして、ぐるぐる廻ってひょいとかがみ、
「うしろーに居るのは、だアれ?」
 女の子が遊んでいた。
 君枝はちょこちょこ駈け寄って行き、
「わて他あやんとこの君ちゃんや。寄せてんか(仲間に入れてんかの意)」
 と、頼んで仲間に入れて貰ったが、子供たちの名に馴染がなくて、うしろに居るのは誰とはよう当てず、
「あんた、辛気くさいお子オやなア」
 もう遊んでくれなかった。
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「通らんせエ
通らんせエ
横丁の酒屋へ酢買いに
行きは良い良い
帰りは怖い
ここは地獄の三丁目」
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 子供たちの歌を背中でききながら、すごすご路地へ戻って来ると、〆団治は不憫だと落語を聴かせてやるのだった。
 しかし、君枝は笑わなかった。
「わいの落語おもろないのんか」
 〆団治はがっかりして、
「――ええか。この落語はな、『無筆の片棒』いうてな、わいや他あやんみたいな学のないもんが、広告のチラシ貰《もろ》て、誰も読めんもんやさかい、往生して次へ次へ、お前読んでみたりイ言うて廻すおもろい話やぜ。さあ、続きをやるぜ笑いや」
 そして、皺がれた声を絞りだした。――
「さあ、お前読んだりイ」
「あのう、えらい鈍なことでっけど、わたいは親爺の遺言で、チラシを断ってまんのんで……」
「えらいまた、けったいなもん断ってんねんなあ。仕様《しや》ない。次へ廻したりイ」
「へえ」
「さあお前の順番や、チラシぐらい読めんことないやろ。読んだりイ」
「大体このチラシがわいの手にはいるという事は、去年の秋から思っていた。死んだ婆《ば》さんが去年の秋のわずらいに、いよいよという際になって、わいを枕元に呼び寄せて、――伜お前は来年は厄年やぞ。この大厄を逃れようと思たらよう精進するんやぞと意見してくれたのを守らなかったばっかりに、いま計らずもこの災難!」
「おい、あいつ泣いて断りしとる。お前代ったりイ」
「よっしゃ。――読んだら良えのんやろ?」
「そや、どない書いたアるか、読んだら良えのや」
「書きよったなあ。うーむ。なるほど、よう書いたアる」
「書いたアるのは、よう判ってるわいな。どない書いたアるちゅうて、訊いてんねんぜ」
「どない書いたアるちゅうようなことは、もう手おくれや。そういうことを言うてる場席でなし、大体このチラシというもんは……」
「おい。あいつも怪しいぜ、もうえ、もうえ、次へ廻したりイ」
 〆団治は黒い顔じゅう汗を流して、演《や》ったが、君枝はシュンとして、笑わなかった。
「難儀な子やなあ。笑いんかいな」
「わてのお父ちゃんやお母ちゃんどこに居たはんねん?」
「こらもう、わいも人情噺の方へ廻さして貰うわ」
 〆団治はげっそりした声をだした。
 日が暮れて、〆団治が寄席へ行ってしまうと、君枝はとぼとぼ源聖寺坂を降りて、他吉の客待ち場へしょんぼり現われた。
「どないしてん? 家で遊んどりんかいな」
「…………」
「誰も遊んでくれへんのんか」
 それにも返辞せず、腋の下へ手を入れたまま、他吉をにらみつけて、鉛のように黙っていた。
「そんなとこへ手エ入れるもんやあれへん」
 すると、手を出して爪を噛むのだ。
「汚《ばばち》いことしたらいかん。阿呆!」
 呶鳴りつけると、下駄を脱いで、それを地面へぶっつけ、そして、泪ひとつこぼさず、白眼をむいてじっと他吉の顔をにらみつけているのだ。
 他吉はがっかりして子供のお前に言っても判るまいがと、はじめて小言をいい、
「お前はよそ様《さん》の子供|衆《し》と違《ちご》て、両親《ふたおや》が無いのやさかい、余計……」
 ……行儀よくし、きき分けの良い子にならねばならぬ、家で待っているのは淋しいだろうが、そうお祖父《じ》やんの傍にばかし食っついていては万一お祖父やんが死んだ時は一体どうする、ひとり居ても淋しがらぬ強い子供にならねばいけない、あとひとり客を乗せたら、すぐ帰る故、「先に帰って待って……」いようとは、しかし、君枝はどうなだめても、せなんだ。
 他吉は半分泣いて、
「そんなら、お祖父やんのうしろへ随いて来るか。辛度《しんど》ても構《かめ》へんか。俥のうしろから走るのんが辛い言うて泣けへんか」
 そして、客を拾って、他吉が走りだすと君枝はよちよち随いて来た。
 他吉は振りかえり、しばしば提灯の火を見るのだと立ち停って、君枝の足を待ってやるのだった。
 客が同情して、この隅へ乗せてやれと言うのを、他吉は断り、いえ、こうして随いて来さす方が、あの子の身のためだ、子供の時苦労させて置けば、あとで役に立つこともあろうという理窟が――、けれど他吉は巧く言えなんだ。
 よしんば、言えたにしても、――半分は不憫さからこうしているのだ、ひとりで置いといて寂しがらせるのが可哀想だから連れて走っているのだ、いや、マニラで死んだこの子の父親がいまこの子と一しょに走っているのだという気持が、客に通じたかどうか、――客を乗せたあとの俥へ君枝を乗せて帰る途、他吉はこんな意味のことを、くどくど君枝に語って聴かせたが、ふと振り向くと、君枝は俥の上で鼾を立てていた。
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「船に積んだアら
どこまで行きゃアる
木津や難波の橋の下ア…………」
[#ここで字下げ終わり]
 他吉は子守歌をうたい、そして狭い路地をすれすれにひいてはいると、水道場に鈍い裸電燈がともっていて、水滴がポトリポトリ、それがにわかに夜更めいて、間もなく夜店だしがいつものように背中をまるめて黙々と帰って来る時分だろうか、ひとり者の〆団治がこそこそ夜食をたべているのが、障子にうつっていた。
 学校での君枝は出来がわるく、教場で他所見ばかししていた。
「佐渡島サン! ソンナニ外ガ見タカッタラ、教場ノ外ヘ出テイナサイ」
 窓の外へ立たされて、殊勝らしくじっとうつむいていた顔をひょいとあげると、先生は背中を向けて黒板に字を書いていた。
 書き終った先生が、可哀想だから、教場の中へ入れてやろうと、窓の外を見た時には、もう君枝の姿は見えなかった。
 驚いた先生が教場を飛びだし、あちこち探すと、講堂の隅の柱にしょんぼり凭れて、君枝は居睡っていた。
 壁にはいつの間に描いたのか、丸まげに結った女と、シルクハット姿の男の顔が茶色の色鉛筆で描いてあり、それぞれ、
「君チャンノオカアチャン」
「君チャンノオトウチャン」
 と、右肩下りの字で説明がついていた。
 間もなく、進級式があった。
 賞品をかかえて、校門から出て来る君枝の姿を、空の俥をひいて通り掛った他吉が見つけた。
「褒美もろたんか、えらかったな、休まん褒美か、勉強の褒美か?」
 毎朝学校へ行くのをいやがり、長願寺の門前で年中甘酒の屋台を出している甘酒屋の婆さんに時々背負って行ってもらうくらい故、休まん褒美を貰える筈がない、してみると、勉強のよく出来た褒美だろうかと、相好くずして寄って行くと、
「違うねん」
 君枝はぼそんと言い、実は病気で休んでいる近所の古着屋の娘の賞品を、ことづかって来たのだった。
 古着屋の娘は一学期出たきりで、ずっと学校を休んで薄暗い奥の部屋でねているのだが、父親が町内の有力者で、学務委員もしていた。
 その夜、他吉はきびしく君枝を叱りつけた。
「ほんまに情けない奴ちゃな。どない言うてええやろ。げんくその悪い。自分が優等にもならんと、よその子の褒美うれしそうに預って来る阿呆が、どこの世界にある? 阿呆んだら! ちっとは恥かしいいうことを知らんかい。来年からきっと優等になるんやぜ。えッ? 優等になるなあ。なれへんか。どっちや。返辞せんか」
「わて優等みたいなもんようならん。それよか空気草履買うてんか。よそのお子皆空気草履はいたアる」
「阿呆んだら。何ちゅう情けない子や、お前は。こっちイ来い。灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]《やいと》すえたるさかい」
 掴まえて無理矢理裸かにし、線香に火をつけていると、君枝はわっと泣きだした。
「堪忍や。堪忍や」
 その声に、〆団治がのそっとはいって来て、
「他あやん、お前なに泣かしてるねん?」
「灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]すえたろと思たら、お前、泣きだしよったんや」
「当り前や。どの世界にお前、灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]すえられて、泣かん子があるかい。大人のわいでも涙出るがな、だいいちまた、すえるにことかいて灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]すえる奴があるかい」
「ほな、なにをすえたら良えねん?」
「さいな」
 〆団治はちょっと考えて、
「――阿呆! 嬲りな。だいたいおまはんは、人の背中ちゅうもんを粗末にするくせがあっていかん。男のおまはんなら、背中になにがついてても良えとせえ。しかし、女の子の背中に灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]の跡つけてみイ、年頃になって、どない恨まれるか判れへんぜ。難儀な男やなあ」
「そない言うたかて、お前、まあ、聴いてくれ、笹原の小伜も古着屋の子も、みな優等になってんのに、この子はなんにも褒美もろて来よれへんねん。こんな不甲斐性者《がしんたれ》あるやろか」
「そない皆褒美もろたら、だいいち学校の会計くるうがな。だいたいお祖父やんのお前が読み書きのひとつもよう出来んといて、孫が勉強あかんいうて、怒る奴があるかい。なあ、君ちゃん他あやんちょっとも字イ教《おせ》て[#底本では「教《おし》て」となっている]くれへんやろ?」
 〆団治に言われると、君枝は一そう真赤な声で泣きだした。
「泣きな、泣きな。君ちゃん、今晩はおっさんとこで一しょに寝よ。こんな鬼爺のとこで寝たら、どえらい目に会わされるぜ。さあ、行こ、行こ」
 他吉は〆団治がそう言って君枝を連れて行くのを、とめようとする元気もなかった。
 やっぱり里子にやったり、自分の手ひとつで育てて来たのが間ちがいだったかと、げっそりして坐っていると、ふと火をつけたままの線香を握っているのに気がついた。
 他吉はそれを手製の仏壇のところへ持って行った。
 そこには、新太郎の位牌があった。
 燈明をあげて、じっとそれを見つめていると、このまま君枝をどこぞへ遣って、マニラへ行き、新太郎の墓へ詣ってみたいという気持がしみじみ来た。
 隣りから、法華の〆団治が、
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経!」
 と、寒行の口調で唱っているのがきこえて来た。
「ドンツク、ドンツク、南無妙法蓮華経、ドンツク、ドンツク」
 太鼓の口真似をしているのは、君枝だ。
 あ、もう機嫌がなおったのかと、他吉は思わず壁を見たが、やがて、こそこそ蒲団のなかへもぐり込もうとした途端、ふと、孫が傍にいないことが寂しく来て、ベンゲットの夜はいつもこんなうらぶれた気持で寝たのだという想いが、ひっそりと、胸に落ちた。
 ところが、どれだけ寝たか、ふと眼をさますと、〆団治のところで寝ていた筈の君枝がこそこそ傍へもぐり込んで[#「もぐり込んで」は底本では「もぐ込りんで」と誤記]来た。
 他吉はほっと心に灯を点して、
「君枝、帰って来たんか。そうか。やっぱりお祖父やんとこの方がええやろ? 〆さんは鼾かくさかい、うっとうしい[#「うっとうしい」に傍点]やろ、さあ、はいり、はいり、もっと中へはいり」
 君枝の頭へ蒲団をかぶせてやり、
「――お前はどこがいちばん好きや。〆さんとこか、お祖父やんとこか」
「わて狭山のお婆んのとこが好きや」
「あッ」
 よしんば里子でも、やはり子供は女の傍で寝るのが良いのかと、他吉は暫らく口も利けなかったが、やがて、
「――そいでも、お祖父やんとこかて、好きやろ?」
「灸[#「灸」は底本では「炙」となっている]すえへんか」
「すえへん、すえへん」
「ほんなら好きや」
「そか、好きか」
 可愛さに気の遠くなる想いで、頭髪の熱っぽい匂いをかぎながらじっと君枝を抱いていると、〆団治が、[#底本では、「〆団治」の前で改行して、改行後はじめの一字下げしていない]
「他あやん、えらいこっちゃ。君やんが夜中に居らんようになった」
 家出したのとちがうやろかと、寝巻きのままで、血相かえてやって来た。
「〆さん、何寝とぼけてるねん」
 君枝をわざと蒲団の中へ押しかくしながら、言うと、〆団治も気がついて、
「なんや、ここに居てたんかいな。ああ、びっくりした。ひとの悪い子やぜ、ほんまに」
「おまはんは鼾かくさかい、いやや言うとるぜ。お祖父やんとこの方がええなあ、君枝」
「そんな殺生な――」
 言いながら、表へ出ると、日の丸湯で湯槽の湯を抜いて床を洗っている音がザアザアと聴えて来て、河童路地もすっかり更けていた。
 甘酒屋の婆さんが飼うている※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66、64-2]はきちがいだろうか、夜も明けぬのにだしぬけに頓狂な鳴声を立てた。
 その声をききながら、〆団治がもとの蒲団へもぐり込もうとすると、足がひやりとした。
 見ると、寝小便の跡があった。
 なるほど、それで逃げてかえったのかと、〆団治はふと他吉の喜んでいた顔を想った。

     6

 ある夜おそく、折箱の職人の家に間借りしている活動写真館の弁士がにやにや笑いながらはいって来て、どす濁った声で言うのには、
「他あやん、あんたこの間新世界で三味線をもった五十くらいの婆さんを乗せなかったかね」
「なんや、刑事みたいなものの言い様するねんなあ、気色のわるい。玉堂はん、眼鏡かけてる思て威張りなや」
「ははは……」
 左手で太いセルロイドの眼鏡を突きあげながら、橘玉堂はさむらいめいた笑い声を立てて、
「――なにが僕が刑事なもんか。僕は今日は仲人ですよ」
「仲人……? そら、お門ちがいや、うちの孫はまだ十やさかいな、おまはん仲人したかったら、散髪屋のおばはんとこイ行きなはれ」
「聴こえるがな、聴こえたら、また朝日軒のおばはん頭痛を起しまっせ」
 広島生れの玉堂は下手な大阪訛りで言って、ちょっと赧くなった。
 最近、朝日軒のおたかは頭痛を起して三日寝こんでいた。
 日の丸湯の向いのミヤケ薬局はもう息子の儀助の代になっていたが、儀助の妻が三人の子供を残して死ぬと、途端におたかは駈けつけて、葬式万端の手つだいをし、はた目もおかしいほどであった。
 おくやみを述べるのにも、なにかいそいそとしていた。
 その後、彼女はなにかと病気の口実を設けて、薬の調合をして貰いに行った。
 儀助は口髭を生やし、敬吉と同じように町内会の幹事をしていた。なお、敬吉と同い歳の四十二歳で、義枝と三つちがい、その点でも釣合っていると、おたかは思い、義枝がいきなり三人の子供の母親になれば、どうなるかと、義枝のちいさい身体をひそかに観察したりした。
 かねがねおたかは、将棋好きの敬吉が商売を留守にしてはいけぬと思い、店の前に縁台をだすことを禁じていたが、やがて夏が来ると、自分から縁台を持ち出した。儀助が将棋好きだったのである。敬吉は田舎初段であったが、おたかに言いふくめられて、三度に一度儀助に負けてやった。
 もはや、ひとびとは義枝が儀助の後妻になるものと疑わなかったが、秋になると、儀助のところへ、江州から嫁が来た。平べったい器量のわるい顔のくせに、白粉をべたべたとぬり、けれども実科女学校を出ているということであった。
 花嫁の自動車が来る時分になると、義枝は定枝や久枝と一しょにぞろぞろと見に行った。自動車が薬局の前に停ると、義枝の眼は駭いたように見ひらいて、一そう澄んだ青さをたたえた。浅黒いわりに肌面の細かい皮膚は、昂奮のあまりぽうっと紅潮して、清潔な感じがした。
 帰って来ると、おたかは、
「しようむないもん見に行かんでもええ。阿呆やなあ」
 と、にわかに熱が高まったようで、蒲団の中へもぐり込んだ。
 ところが、ものの一時間も経たぬうちに、おたかは立ち上って、薬局へ祝いの酒肴など持って行き、夜おそくまで薬局の台所でこまごまと婚礼の手伝いをした。
 そして、翌日から頭痛がすると言って、三日寝こんだのである。心配した義枝が買って来た薬の袋にミヤケ薬局とあるのを見て、おたかは理由もなく、泣いて義枝を叱ったということであった……。
 玉堂はそのことを言ったのだが、しかし彼が赧くなったのは、ちかごろ彼は用事もないのに朝日軒の奥座敷へちょくちょく出かけているからであった。
 玉堂が行くと、義枝はおどおどして、お茶をもって来た。玉堂はまだ三十二歳、朝日軒の末娘は二十歳で、玉堂の顔を見ると、ぷいと顎をあげて、出て行き、彼はちょっと寂しかった……。
 それを想い玉堂は赧くなったが、すぐもとのにやにやした顔になると、
「いったい乗せたのか、乗せなかったのか、どっちなんだね?」
 と、言った。
「それ訊いて、どないするちゅうネや」
 さからっていると、もう炬燵のなかに、はいっていた君枝が、むっくり起き上って、
「三味線もったはるおばちゃんやったら、乗らはった、乗らはった」
 と、言った。
「そやったかな。よう覚えてるなあ」
 他吉が言うと、君枝は、
「そら覚えてる。うしろから随いて走ってるわてが可哀想や言うて、どんぐり(飴)くれはったさかい」
 いつにないはきはきした声だった。
「それじゃ、やっぱり、そうだったのか」
 玉堂は大袈裟にうなずいて、
「――実は他あやん、その婆さんというのが、僕のいる館《こや》の伴奏三味線を弾いている女でね」
「それがどないしてん? なんぞ、俥のなかに忘れもんでもしたんか? そんなもん見つかれへんかったぜ」
「まあ、聴きイな」
 彼女は御蔵跡の下駄の鼻緒屋の二階に亭主も子供も身寄りもなく、ひとりひっそり住んでいる女だが……
「めったに俥なんか乗ったことのないくせに、この間、偶然あんたの俥に乗ったというのが、なにかの縁だろうな……」
 他吉の俥のあとからよちよち随いて来る君枝の姿を見て、彼女はむかし松島の大火事で死なしたひとり娘の歳もやはりこれくらいであったと、新派劇めいた感涙を催し、盗んで逃げたい想いにかられるくらい、君枝がいとおしかった。夜どおし想いつづけ、翌日小屋に来て誰彼を掴えて、その奇妙な俥ひきの祖父と孫娘のことを語っているのを、玉堂がきいて、あ、それなら知っている僕の路地にいる男だと言うと、彼女は根掘り他吉のことをきき、祖父ひとり孫ひとりのさびしい暮しだとわかると、ぽうっと、赧くなって、わてもひとり身や。そして言うのには、あの人に後添いを貰う気持があるか訊いてくれ、わてにはすこしだが、貯えもある、もと通り小屋に出てもよし、近所の娘に三味線を教えてもよし、けっしてあの人の世帯を食い込むようなことはしない、玉堂はん頼みます云々……
「……年甲斐もなく、仲人を頼まれたわけだが、他あやんどないやね。君ちゃんの境遇を憐れんで、あんたと苦労してみたいと言うところが良いじゃないか。もっとも、あんたはどっか苦味走ったところがあるからね、奴さん相当眼が高いよ」
 玉堂が言うと、他吉はぷっとふくれた。
「年甲斐もないちゅうのは、こっちのことや。阿呆なことを言いだして、年寄りを嬲りなはんな。わいはお前、もう五十四やぜ」
「ところが、先方だって五十一、そう恥かしがることはないと思うがな」
 玉堂はそう言って、明日また来るから、それまで考えて置いてくれと、帰って行った。婆さんの名はオトラと言った。
 他吉はぽかんとしてしまった。腹が立つというより、照れくさかった。からかわれた想いもあり、どんな顔の婆さんかと、想いだしてみる気もしなかった。
「此間《こないだ》のおばちゃん、うちへ来やはるのん?」
 炬燵の火を見てやるために、蒲団のうしろから顔を突っこんでいると、君枝がぼそんと言った。
「早熟《ませ》たこと言わんと、はよ寝エ」
 君枝のちいさな足を、炬燵の上へのせてやっていると、他吉はふと、ほんとうにあの婆さんが君枝いとしさに来てくれるのであれば、なんぼうこの子が倖せか、と思った。
 すると、妙にそわついて来た。
 他吉はその婆さんが来た時の状態を想像してみた。
 朝、婆さんは暗い内に起きて、炊事をする。竈の煙が部屋いっぱいにこもりだすと、他吉は炬燵のなかから這いだして来る。仏壇に灯明をあげて、君枝を起し、一しょに共同水道場で顔をあらって、家へはいると、もう朝飯の支度ができている。食事が済むと、君枝に今日の勉強の予習をさせる。(婆さんはすこしぐらいなら字が読めるかも知れない)それが済むと、君枝は婆さんに連れられて、学校へ行く。(これまでは甘酒屋の婆さんが連れて行ってくれたのだが、甘酒屋の婆さんはもう腰も曲り、どうかすると、面倒くさがった)その間に他吉は俥の手入れをする。路地ではとんど[#「とんど」に傍点]が始まる。暫らくそれにあたって、他吉は俥をひいて出て行く。小学校の前を通りかかると、子供たちの唱歌がきこえて来る。その中に、君枝の声をききつけようと、ちょっと立ちどまり、耳を傾ける。そして、客待ち場へ行く。他吉の留守中、婆さんはそこら片づけものをしたり、洗濯をしたり、君枝の着物のほころびを縫うたりする。君枝が学校からひけて来ると、婆さんは君枝と遊んでやる。銭湯へも連れて行く。おさらいも監督する。夜、添寝してやる。君枝が寝入っても、婆さんは寝てしまわない。他吉の帰りを待っているのだ。他吉が帰って来ると君枝の寝顔を見ながら一しょに夜食をたべる。時には、隣の〆団治も呼んで、御馳走してやる。夜食が終ると、寝るまえの灯明を仏壇へあげる……。
 他吉の想像はろくろ首のようにぐんぐん伸びたが、仏壇のことに突き当ると、どきんと胸さわいだ。
「わいひとりの了見で決められることとちがう。こら、位牌に相談せなどんならん」
 他吉は仏壇の前に坐った。
 お鶴、初枝、新太郎の三つの位牌のうち、どういうわけか、新太郎の位牌が強く目に来て、さびしくマニラで死んで行った新太郎の気持を想って胸が痛んだ。
 源聖寺坂の上の寺の中で、新太郎の顔を殴ったことも、想い出された。
「――ほな、おやっさんがそない行けというねやったら、マニラへ行くわ」
 おとなしく、言うことをきいた新太郎の言葉が、にわかに耳の奥できこえた。
 親子の想いがぐっと皮膚に来た。
 すると、もう他吉は、この家に誰ひとりとして他人を入れたくないと思った。お鶴も初枝もそれをねがっているだろうと、思われた。
 この三人は君枝のなかに生きているのだ――そんな想いが、改めて来た。
「君枝とふたり水いらずで暮してこそ、新太郎をマニラで死なしたことが、生きて来るのや」
 他吉は呟いた。
 翌日、玉堂が来た時、他吉は、
「わいもベンゲットの他あやんと言われた男や。孫ひとりよう満足に育てることが出来んさかい、ややこしい婆さんを後妻に入れたと思われては、げんくそがわるい」
 と、言って、断ってしまった。
 ところが、翌朝、他吉が竈の前にしゃがんで、飯をたいていると、
「佐渡島はんのお宅はこちらでっか」
 という声といっしょにその婆さんがはいって来た。
 そして、あっけにとられている他吉を押しのけて、
「わてが炊きま」
 竈の前にしゃがんで、懐ろから紐をだして来て、たすき掛けになり、
「あんたはあがって、懐手しとくなはれ」
 五十一ときいたが、竈の火が顔に映って、随分若く見えた。
「おまはん、朝っぱらひとの家へはいって来て、どないしよう言うねん?」
 やっとそれだけ他吉が言うと、
「手伝いに来ましてん」
 と、とぼけた。
 相手が女では「ベンゲットの他あやん」を見せるわけにもいかず、
「うちは手伝いさん頼んだ覚えおまへんぜ」
「ああ、わてかて頼まれた覚えおまへんけど、なにも銭もらお言うネやなし、そないぽんぽん言いなはんな」
 オトラ婆さんは半分喧嘩腰だった。
 そんな押問答の最中に、君枝は眼をさました。
 小さなあくびが突然とまった。
「ああ、おばちゃん」
 君枝は飴でおぼえていた。
「君ちゃん、起きたんか」
 婆さんはいつの間にか君枝の名を知っていて、
「――いま、おばちゃん、御飯たいたげるさかいな、待っててや」
「おばちゃん、今日からうちへ来やはるの?」
 君枝は起きだして来た。
「さあ?――」
 婆さんは他吉の顔を見あげた。
 他吉はわざと汚ったらしく手洟をかんで、横を向いた。
「君枝、まだ早い。寝てエ」
 他吉は君枝を叱ったが、しかし、君枝が婆さんの袂にあらかじめはいっていた飴玉を貰う時には、もう叱らなかった。
 飯が炊けると、オトラはお櫃にうつそうとした。
 部屋の中を掃除していた他吉は、飛んで来て、しゃもじ[#「しゃもじ」に傍点]を奪い御飯を仏壇の飯盛りにうつした。
 そして、
「おばはん、もう帰り。――帰らんかッ!」
 と、言った。
 相当きつい見幕だったので、オトラは驚いて帰って行った。
 が、彼女は他吉が俥をひいて出て行ってから、こっそりやって来たらしい。
 羅宇しかえ屋の婆さんが、夜女湯で一銭天婦羅屋の種吉の女房に語っているのを、他吉が男湯ではっきりきいたところによると、オトラは君枝が学校からひけて帰って来るのを、路地の入口で待ちうけて、一緒になかへはいり、飯を食べさせたり、千日前へ連れて行ったりして、他吉の帰る間際まで、君枝の相手になっていたということだった。
「今日お前千日前へ行ったんか」
 他吉は君枝のおなかを洗ってやりながら、きくと、
「行った」
「千日前のどこイ行ってん?」
「楽天地いうとこイ行った」
「おもろかったか」
「うん、おもろかったぜ。おばちゃん泣いたはった」
「なんぜや」
「芝居がかわいそうや言うて、泣いたはった。――ほんまに、おもろかったぜ」
 顎の下をシャボンをつけて、洗われながら、君枝は言った。
 他吉は手拭にぐっと力を入れて、
「なんぜいままで黙ってたんや?」
「そない言うたかテ……」
「おばちゃんが黙ってエ言うたんやろ?」
 君枝はうなずいた。
「仕様のない婆やな」
「痛い、そないこすったら痛い!」
 君枝が声をあげたので、他吉は手をゆるめて、オトラのことは成行きに任すより仕方がないと思った。
 そして、君枝が折角オトラになついて、オトラを慕っているものを、むげに引きはなしてしまうのも可哀想だと、翌る朝またオトラが飯をたきに来た時はもう他吉はきつい言葉を吐かなかった。
 オトラも要領がよく、飯をたいてお櫃にうつす前に、仏壇にそなえることも忘れなかった。君枝を学校へも送って行った。
 他吉は出て行く時、
「おばはん、君枝をたのんどきまっせ」
 と、言った。
「よろしおま、よろしおま」
 オトラは眼をかがやかし、今日も活動小屋を休む肚をきめた。
「しかし、夜さりはわいの戻って来るまえに、帰ってもらうぜ。近所の手前もあるさかいな」
 他吉は相手の顔を見ずに言った。したがってオトラがどんな顔をしたか、判らなかった。
 そんことが五日続いた。
 朝日軒のおたかはかねがね近所の誰が嫁を貰っても、また、嫁いでも、それを見ききした日は必らず頭痛を起すという厄介な習慣をもっていたが、安の定[#「安の定」は「案の定」の誤記か]オトラのことで頭痛を起して、二日ねこんだ。
 玉堂は可哀想に仲人口をきいたというので、おたかの心性をわるくし、朝日軒の奥座敷へ行っても、あまり良い顔をされなかった。

     7

 オトラがいよいよ明日あたり御蔵跡から自分の荷物をはこんで来るという日のことである。
 さすがに他吉は心がそわついて、いつもより早く俥をひきあげて、夕方まえに路地へ戻って来ると、三味線の音がきこえていた。
[#ここから2字下げ]
「高い山から
谷底見れば
瓜や茄子の
……………」
[#ここで字下げ終わり]
 三味線に合わせて歌っているのが君枝だとわかると、他吉はいきなり家の中へ飛びこんで、オトラをなぐりつけた。
「この子を芸者にするつもりか。何ちゅうことをさらしやがんねん」
 オトラは色をかえた。
「ああ痛ア。無茶しなはんな。三味線|教《おせ》るのがなにがいきまへんねん?」
 眼を三角にして食って掛り、
「――芸は身を助けるいうこと、あんた知らんのんか。斯《こ》やって、ちゃんと三味を教《おせ》とけば、この子が大きなって、いざと言うときに……」
「……芸者かヤトナになれる言うのか。阿呆! あんぽんたん」
 他吉はまるで火を吹いた。
「――そんなへなちょこ[#「へなちょこ」に傍点]な考えでいさらしたんか。ええか、この子はな、痩せても枯れても、ベンゲットの他あやんの孫やぞ。そんなことせいでも、立派にやって行けるように、わいが育ててやる。もう、お前みたいな情けない奴に、この子のことは任せて置けん。出て行ってくれ。出て行け! 暗うなってからやと夜逃げと間違えられるぜ。明るいうちに荷物もって出て行ってもらおか」
「ああ、出て行くとも」
 オトラは荷物をまとめて本当に出て行った。
「おばちゃん、どこイ行くねん」
 と、君枝が随いて行こうとするのを、他吉はいつにない怖い声で、
「阿呆! 随いて行ったら、いかん。どえらい目に会わすぜ」
 それきりオトラは顔を見せず、他吉はサバサバした。
 朝日軒のおたかはなにか昂奮して、おからを煮いて、もって来た。
 ところが、他吉が芸者やヤトナの悪口を言ったというので、同じ路地の種吉との間にいざこざが持ち上った
 種吉は河童路地の入口で、牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜[#「姜」は底本では「萋」となっている]、鯣《するめ》、鰯など一銭天婦羅を揚げ、味で売ってなかなか評判よかったが、そのため損をしているようであった。
 蓮根でも蒟蒻でも随分厚身で、女房のお辰の目にひき合わぬと見えたが、種吉は算盤おいてみて、
「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」
 しかし、彼の算盤には炭代や醤油代がはいっていなかったのだ。
 自然、天婦羅だけでは立ち行かず、近所に葬式があるたび、駕籠かき人足に雇われた。氏神の生国魂《いくだま》神社の夏祭には、水干を着てお宮の大提燈を担いで練ると、日当九十銭になった、鎧を着ると、三十銭あがりだった。種吉の留守には、お辰が天婦羅を揚げたが、お辰は存分に材料を節約《しまつ》したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。
 そんな気性ゆえ、種吉は年中貧乏し、毎日高利貸が出はいりした。百円借りて、三十日借りの利息天引きで、六十円しかはいらず、日が暮れると、自転車で来て、その日の売り上げをさらって行った。俗にいう鴉金だ。
 種吉は高利貸の姿を見ると、下を向いてにわかに饂飩粉をこねる真似したが近所の子供たちも、
「おっさん、はよ牛蒡《ごんぼ》揚げてんか」
 と、待て暫しがなく、
「よっしゃ、今揚げたるぜ」
 と言うものの、摺鉢の底をごしごしやるだけで、水洟の落ちたのも気附かなかった。
 種吉では話にならぬから、路地の奥へ行きお辰に掛け合うと、彼女は種吉とは大分ちがって、高利貸の動作に注意の眼をくばった。催促の身振りがあまって、板の間をすこしでも敲いたりすると、お辰はすかさず、
「人の家の板の間たたいて、あんたそれで宜しおまんのんか」
 血相かえるのだった。
「――そこは家の神様が宿ったはるとこだっせ」
 芝居のつもりだが、矢張り昂奮して、声に泪がまじるくらい故、相手は些かおどろいて、
「無茶言いなはんな。なにもわては敲かしまへんぜ」
 むしろ開き直り、二三度押問答の挙句、お辰は言い負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。
 それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されるとなんとも、申し訳けのない困り方でいきなり平身低頭して詫びを入れ、ほうほうの態で逃げ帰った借金取りがあった――と、きまってあとでお辰の愚痴の相手は娘の蝶子であった。
 蝶子はそんな母親をみっともないとも哀れとも思った。それで、尋常科を卒《で》て、すぐ日本橋筋の古着屋へ女中奉公させられた時は、すこしの不平も言わなかった。どころか、半年余り、よく辛抱が続いたと思うくらい、自分から進んでせっせと働いた。お辰は時々来て、十銭、二十銭の小銭を無心した。
 ところが、冬の朝、黒門市場への買い出しの帰り廻り道して古着屋の前を通り掛った種吉は、店先を掃除している蝶子の手が赤ぎれて血がにじんでいるのを痛々しく見て、そのままはいって掛け合い、連れ戻した。
「よう辛抱したな。もうあんな辛い奉公はさせへんぜ」
 種吉は蝶子に言い言いしたが、間もなく所望されるままに女中奉公させた先は、ところもあろうに北新地のお茶屋で、蝶子は長屋の子に似ず、顔立ちがこじんまり整い、色も白く、口入屋はさすがに烱眼だった。何年かおちょぼ[#「おちょぼ」に傍点]をして、お披露目した。三年前のことである。
 が、種吉ははじめから蝶子をそうさせる積りはさらになく、じつは蝶子が自分から進んで成りたいといった時、おどろいて反対したくらい故、他吉がオトラに言った言葉は、一そう種吉の耳に痛かったのだ。
 種吉は他吉の家の戸をあけるなり、もう大声で、
「他あやん、さっきから黙ってきいてたら、お前えらい良え気なことを言うてたな」
「藪から棒に何言うてんねん? 羅宇しかえ屋のおばはんみたいな声だして……」
「お前うちのことあてこすってたやろが……」
「どない言うねん? いったい……訳わかれへんがな。――まあ、あがりイな」
「ここで良え!」
 突っ立ったまま、
「――胸に手エあてて、とっくり考えてみイ」
 精一杯の見幕をだしたつもりだったが、もともと種吉は気の弱い男で、おろおろと声がふるえて、半泣きの顔をしていた。
「さあ、なんぞ言うたかな」
「芸者がどないか、こないか言うたやろ。他あやん、お前わいになんぞ恨みあんのんか。えッ? お前に腐った天婦羅売ったか」
「ああ、そのことかいな。そう言うた」
 他吉は思い当って、
「――それがどないしてん?」
「芸者がなにが悪いねん?――そら、他あやんとわいとは派アがちがう。しかし、なにもわいが娘を芸者にしたからというて、あない当てこすらいでもええやないか。だいいち、お前あの時どない言うた……?」
 ……蝶子がお披露目する時、他吉はすこしでも費用が安くつくようにと、自身買って出て無料の俥をひいてやったが、その時他吉は……、
「……わいも今まで沢山《ぎょうさん》の芸子衆を乗せたが、あんな綺麗な子を乗せたことがない、種はん、ほんまに綺麗やったぜエ――と、言うたやないか」
「そやったな」
 三年前のことを想いだして微笑していると、
「それを今更あんなきついこと言うテ、どだい殺生やぜ」
 種吉はもう普通の声であった。ひとに怒ったり出来ぬ男なのだ。
「きついことテ、そら種はん邪推や。わいはなにもそんな気イで言うたんとちがう。当てこすったんとちがう。悪う思いなや。お前が因業な親爺や思たら、わいかテあの時ただの俥ひくもんかいな。だいいち、お前はなにもあの娘を無理に芸子にだしたんとちがうやないか」
「そら、そう言えば、そやけど……」
「そやろ? お前がいやがる娘を無理にそうしたんやったら、そらわいの言うた言葉《こと》に気がさわらんならんやろ。しかし、お前はかえってあの娘が芸子になる言うたのを反対打ったぐらいやないか。お前かテもと言うたら、わいと派アが一緒や。本当は大事な娘を水商売に入れるのんはいややねんやろ?」
「そや。ええこと言うてくれた。他あやん、ほんまにそやねん。わいはなにも娘を売って左団扇でくらす気はないねん。げんに、わいはあの子が出る時、あの子に借金負わすまい思て、随分そら工面したくらいやぜ、そらお前も知っててくれるやろ」
「知ってるとも。――まあ、掛けえな。そない立ってんと」
 上り口のほこりを払って、座蒲団を出してやると、種吉は、
「ああ、構《かめ》へん、構へん。座蒲団みたいなもんいらん。油で汚したらどんならんさかい」
 手を振ったが、結局腰をおろして、
「――ほんまに他あやんええこと言うてくれたぜ。ここでの話やけど、わいもあの子のいいなりにあの子を芸子にして、じつはえらいことした思てるねん……」
 蝶子は器量よしの上に声自慢とはっさい[#「はっさい」に傍点](お転婆)で売ったが、梅田|新道《しんみち》の化粧品問屋の若旦那とねんごろになった。維康《これやす》柳吉といい、げてもの[#「げてもの」に傍点]料理ことに夜店の二銭のドテ焼きが好きで、ドテ焼きさんと綽名がついていたが、
「わてのお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]も年中一銭天婦羅で苦労したはる」
 と言いながら「志る市」や「壽司捨」「正弁丹吾」「出雲屋」「湯豆腐屋」「たこ梅」「自由軒」などのげてもの[#「げてもの」に傍点]料理屋へ随いて廻っているうちに深くなったのは良いとして、柳吉はひとり身ではなかった。
 知れて、柳吉は中風で寝ているが頑固者の父親をしくじり、勘当になり、蝶子にかかる身体となったが、蝶子も柳吉と暮したさに自ら借金つくって引き、黒門市場のなかの裏長屋に二階借りして、ふたり住んだ。
 が、ぼんぼん育ちの柳吉には働きがなく、結局蝶子が稼ぐ順序で、閑にあかせて金づかいの荒い柳吉を養いながら、借金をかえしていこうと思えば、二度の勤めかそれともヤトナかの二つ、勿論あとの方を選んだ。
 三味線をいれた小型のトランクを提げて、倶楽部から指定された場所へひょこひょこ出掛けて行き、五十人の宴会を膳部の運びから燗の世話、浪花節の合三味線まで、三人でひきうけるとなると、ヤトナもらくな商売ではなかった。
 おまけに、帰りは夜更けて、赤電車で、日本橋一丁目で降りて、野良犬やバタ屋が芥箱《ごみばこ》をあさっているほかに人通りもなく、しーんと静まりかえった中にただ魚のはらわたの生臭い臭気が漂うている黒門市場をとぼとぼうなだれて行くのだが、雪の日などさすがに辛かった。路地まで来て、ほっと心に灯をともし、足も速くなるが、「只今!」と二階へあがって、柳吉の姿が見えぬことがしばしばである。
 儲けただけは全部柳吉が使うので、いつ借金がかえせるか見込みがつかず、おまけに柳吉の心が実家と蝶子の間を……
「……あっちイ[#「あっちイ」は底本では「あつちイ」と誤記]行ったり、こっちイ行ったりで、ぶらぶらして頼りないんや。しかし、他あやん、これも無理はない。なんし、先方にはれっきとした奥さんもあるこっちゃさかいな。蝶子の奴も、えらい罪つくりやし、おまけにそやって苦労しとっても、いつなんどき相手と別れんならんか判れへんし、苦労の仕甲斐がないわ。ここでの話やけど、その柳吉つぁん[#底本では「柳吉っあん」となっている]というのは吃音でな、吃音にわるい人間は居らんというだけあって、人間は良え人間やけど、なんし、ぼんぼんやぜな、蝶子も余計苦労や」
 種吉はしみじみと言い、もうはいって来た時の見幕などどこにも見当らず、
「――これというのも、みな芸者になったばっかしや。ほんまに、他あやん、娘をもっても水商売にだけは入れるもんやあれへんぜ。言や言うもんの、やっぱりお前の言う通りや」
 喧嘩しに来たことを忘れて、種吉はすごすご帰って行った。

     8

 オトラが居なくなると、君枝はふたたびしょんぼりした娘になってしまった。
 他吉の俥のあとに随いて走りながら、陰気な唇を噛み続け、笑い顔ひとつ見せなかった。
 ところが、半年ほど経ったある日のことである。
 〆団治は君枝と次郎を千日前へ遊びに連れて行った。
 そして竹林寺の門前で鉄冷鉱泉《むねすかし》をのみ、焼餅を立ちぐいしていると、向い側の剃刀屋から、
「し、し、し、〆さんとち、ち、ちがうか」
 と、言いながら出て来た男がある。
「なんや、維康さんかいな。えらいとこで会うたな」
 いつか柳吉は蝶子といっしょに河童路地へ来たことがあり、その時の顔馴染みであった。
「――この頃どないしたはりまんねん?」
 〆団治が言うと、柳吉は照れくさそうに、
「い、い、い、いま、この向いの、か、か、剃刀屋に働いてまんねん」
「さよか、そら宜しおまんな。蝶子はんも喜びはりまっしゃろ、あんたが働く気になって……。どないだ? 餅ひとつ」
「い、い、いや、もう、毎日向いでな、な、ながめてたら、食う気起りまへんさかい。た、た、た、種はんによろしゅう言うとくなはれ」
「よろしおま。ちとまたどうぞ路地へも遊びに来とくなはれ。蝶子はんによろしゅう」
 柳吉と別れて、電気写真館の前まで来ると、〆団治は自分の宣伝写真でも出てないやろかと、ふと陳列窓を覗いてみて、急に大声だした。
「君ちゃん。見てみイ、お前のお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]とお母《か》んの写真が出てるぜ」
 新太郎が町内のマラソン競争で優勝した時の十八年前の記念写真が、変装写真や俳優の写真にまじって、三枚四十銭の見本の札をつけて、陳列してあったのだ。
 出張撮影らしく、決勝点になっている長願寺の境内で、優勝旗をもってランニングシャツ姿で立っているのを、ひきまわした幕のうしろから、君枝の母親の初枝が背のびしてふと覗いている顔が、半分だけ偶然レンズのなかにはいっている。
 たしか、まだ結婚前だったらしく、そんなことから二人の仲がねんごろになったのだろうかと、〆団治はなつかしかった。
 初枝は桃割れに結って、口から下は写っていなかった。
「お父ちゃん、いたはる、しやけど、髭生やしたはれへんな」
「当り前や。二十六やそこらで髭生やすのは東西屋だけや」
「あ、お父ちゃん、お父ちゃん」
 君枝はおどりあがっていたが、急に、
「――お母ちゃん居たはれへんわ」
 しょげた。すると、次郎が、
「居てる、居てる、これや、ここをよう見てみイ、ほら、この幕のうしろからちょびっと顔だしてるやろ? わい、君ちゃんとこのお母んよう知ってるぜ。これや、これや、なあ、〆さん」
「そや、そや」
 君枝はじっとみつめていたが、
「ああ、居たはる、居たはる、お母ちゃん髪結うたはる。お父ちゃんもお母ちゃんも居たはる」
 そして、きんきんした声で、
「――わて、もう親なし子やあれへんなア。もう、誰も親なし子や言うて虐めたら、あけへんし」
 その日から、君枝はだんだん明るい子になり、間もなく行われた運動会の尋二徒歩競争では、眼をむき、顎をあげて、ぱっと駈けだし、わてのお父ちゃんはマラソンの選手やった、曲り角の弾みでみるみる抜いて一着になった。
 他吉は父兄席で見ていて、顔じゅう皺だらけの上機嫌だった。けれど、ふと、
「あの娘はいつも人力車のうしろに随いて走ってるさかい、一等になるのん当りまえのこっちゃ」
 という囁きが耳にはいると、他吉は、
「それもそや。どや、わいの仕込み方はちがうやろ」
 と胸を張る前に、なにか遠い想いに胸があつく、鉛筆の賞品を貰ってにこにこしている君枝を、くしゃくしゃに揉んで骨の音がするくらい抱きしめてやりたいくらいの、愛しさにしびれた。
 ところが、その他吉がその夜君枝に向っていうには、
「お前ももう走りごく[#「走りごく」に傍点]で一等をとるぐらいの元気があんネやさかい、明日《あした》から学校をひけて来たら、日の丸湯の下足番しなはれ。わいが日の丸湯の大将によう頼んどいて来たったさかい」
 びっくりするような、きびしいいいつけで、聴きつけた〆団治が、
「他あやん、お前なんちゅうむごたらしいこと言うネや。眼に入れても痛いことないいうこの子を……お前、気でも狂たんとちがうか。何もこの子に下足番ささんでも、食べて行けるやろ」
 と、言うと、他吉は、
「お前は黙っとりイ。お前は寄席で喋ってたらええのや。一文の金にもならんことを、そうぺらぺら喋んな、だいたいお前は昔からわいの言うこというたら、いちいち逆らうけど、ほんまに難儀な男やぜ。えらい奴の隣りに住んでしもたもんや」
 と、言った。さすがに〆団治はむっとして、
「そら、こっちの言うこっちゃ、わいも永年お前の隣りに住んでるけど、お前がこんな訳のわからん男とは知らなんだ。ああ、黙ってたるとも。お前らのまえでこれから物言うかい、お前のまえで屁もこけへんぞ」
 と、出て行ったが、すぐ戻って来ると、
「――他あやん、まあ考えてみイ。この子まだ十やぜ。こんな歳でお前、下足番が出来るかいな。わいが頼むさかい、堪忍したりイ」
「〆さん、言うとくけどな、わいはこの子が憎うて、下足番させるのんと違うぜ。この子が可愛いさかい、させるねんぜ。君枝、お前もようきいときや。人間はお前、らく[#「らく」に傍点]しよ思たらあかんねんぜ。子供の時からせえだい働いてこそ、大きなったら、それが皆自分のためになるねや。孔子さんかテそない言うたはる」
「ほんまかいな、他あやん、孔子さんがそんなこと言うたはるて、こら初耳や。おまはんえらい学者やねんな」
「言うたはれいでか。楽は苦の種、苦は楽の種いうて、言うたはる」
「阿呆かいな」
 と、〆団治はあきれたが、〆団治も〆団治で、
「――そら、お前、大石内蔵之助[#「蔵之助」は底本では「藏之助」となっている]の言葉や」
「まあどっちでもええ、とにかく、人間はらくしたらあかん。らくさせる気イやったら、わいはとっくにこの子を笹原へ遣ったアる。しかし、〆さん、笹原の小倅みてみイ、やっぱり金持の家でえいよう[#「えいよう」に傍点]に育った子オはあかんな。十やそこらで、お前、日に二十銭も小遣い使いよる言うやないか、こないだ千日前へひとりで活動見に行って、冷やし飴五銭のみよって、種さんとこの天婦羅十三も食べよって、到頭|下痢《はらく》になって、注射うつやら、竹の皮の黒焼きのますやら、えらい大騒動やったが、あんな子になってみイ、どないもこないも仕様ない。親も親や、ようそんだけ金持たしよるな」
 それに比べると、うちの子はちがう、学校がひけてから三助が湯殿を洗う時分まで、下足をとって晩飯つきの月に八十銭だと、他吉の肚はもう動かず、翌日から君枝は日の丸湯へ通いで雇われた。
 学校をひけて帰ると、ひとけのない家のなかでしょんぼり宿題をすませる。それから日の丸湯へ行き、腹の突きでた三助の女房に代って、下足の出し入れをするのだ。
 履物を受け取って下足札を渡し、下足札を受け取って履物を渡す――これだけの芸は間誤つきもせずてきぱきとやれ、小柄ゆえ動作も敏捷に見えたが、しかし、できるだけ大きな声でといいつけられた――。
「おいでやす」
「毎度おおけに」
 この二つはさすがにはじめのうちは、主人から苦情が出た。
 夜、立て込む時間はまるで客の顔が見えず、血走った眼玉で、下足札の番号をにらみつけ、しきりに泡食っていた。
 ことに雨降りの晩は傘の出し入れもしなければならず、濡れた傘のじっとりした手ざわりがたまらなかった。
 冬がいちばん辛かった。手足の先がチリチリ痛むのだった。客がはいって来るたびに、さっと吹きこんで来る冷たい風だ。客は戸をしめるのを忘れた。いちいちそれを閉めに立った。その都度、鼻の先がチカチカ痛みをもった。
 矢張り悲しかった。
 けれど、他吉は夜おそく身をこごめて日の丸湯の暖簾をくぐる時、自身で草履をしまい、ろくろく君枝の顔をよう見なんだ。
 君枝が渡す下足札を押しいただいて受けとり、その手は血の色もなく静脈が盛り上って、かさかさと土のようで、子供心に君枝は胸が痛み、ひとびとが言うほど自分が祖父から辛く扱われているとは、思えなんだ。
 むしろ、このように働くのを自分の運命だと、君枝はなにか諦めていたようだったが、けれどただひとつ、昼間客のすくない時の退屈さは、なんとも覚えのない悲しさで、ガラス戸越しに表通りを見るともなく見て、無気力な欠伸をはきだしていると、泣きたくなった。
 そうして、いつかしくしく泣きながら居眠ってしまうのだが、そんな時いつも起してくれるのは、ガラス戸の隙間にシュッと投げ込まれる夕刊の音だった。
「あ、次郎ぼん!」
 外は寒かったが、表へ出て見ると、風が走り、次郎の姿はもう町角から消えていて、犬の鳴声が夕闇のなかにきこえた。
 しかし、次郎はもう犬をこわがる歳でもなく、間もなく夕刊配達をよして、東京へ奉公に行った。

     9

 十姉妹が流行して、猫も杓子も十姉妹を飼うた。榎路地の歯ブラシの軸の職人は、逃げた十姉妹を追うて、けつまずいて、足を折り、一生跛になった。〆団治は二羽飼うて、すぐ死なし、二円五十銭の損であった。が、儲けた人も随分多く、谷町九丁目のメタル細工屋の丁稚は、純白の十姉妹を捕えて、一財産つくり、大島の対を着て、丹波へ帰って行ったと、大変な評判であった。
 ある日、他吉が口繩坂の上を空の俥をひいて、通りかかると、坂の下から、
「十姉妹や」
「十姉妹や」
 声をかさねて、ひとびとがまるでかさなりあいながら、駈けのぼって来た。
「――阿呆な奴らや。なにを大騒ぎさらしてけつかる」
 他吉は綿を千切って捨てるように、呟いたが、途端に、他吉のふところへ、追われた十姉妹が飛び込んで来た。
 真っ白だ。
 咄嗟に手を伸ばしたが、十姉妹はすっと飛び去った。
「しもた!」
 他吉は叫んで、俥をおっぽり出して、推寺町から大江神社の境内まで追うたが、ふところに君枝に買うてやった空気草履がはいっているのに気をとられて思うように走れず、到頭逃がしてしまった。
 そして、もとの場所へ戻って来ると、俥が見えない。他吉は蒼くなった。
 その夜、他吉は日の丸湯へ来なかった。朝出しなに、
「今日は空気草履買うて来たるぜ。日の丸湯へもって行ったるさかい、待ってや」
 と、言った祖父の言葉をあてにして、君枝はいま来るか、いま来るかと日の丸湯の下足場でちいさな首をながくしていたが、来ず、空しく十二時をきいた。
「お祖父やんのけちんぼ」
 君枝は給料のほか盆正月の祝儀など、収入《みい》りの金は一銭も手をつけず、そっくりそのまま他吉に渡していたが、他吉は黙って受けとり、腹巻きに入れてしまうと、そのうちの一銭、二銭を、玉焼きでも買いイなと出してくれた例しもなく他のことは知らず、金のことになるとまるで人が変ったようになる日頃の他吉の気性を子供心に知っていたから、日の丸湯の暖簾を入れて飛んで帰ると、思わずそんな言葉が出た。
「――嘘ついたら、エンマはんに舌抜かれるし」
 そして、上ると、他吉はもう蒲団をかぶって寝ていて、枕元にコンニャクの形の空気草履が並べて置いてあった。
 それでは、お祖父やんはびっくりさせようと思って、わざと日の丸湯へ来ず、枕元に置いて、自分は寝た振りしているのだろうと、君枝は思って、こっそり空気草履を足にひっかけ、部屋の中をあるきながら、
「ああ、良え音するわ、ペタ、ペタ、ペタ、ペタ、この音寝てる人に聴えへんのやろか」
 遠まわしに他吉を起すと他吉は、
「聴えることは聴えるけどな……」
 精の抜けた寝がえりを打って、しょんぼりした顔をふわーっと、蒲団からだした。そして、言うことには、
「――君枝お前は感心な奴ちゃな。文句もいわんと毎日よう動《いの》いてくれる。それやのに、わいはなんちゅうど阿呆[#「ど阿呆」に傍点]やろ。ほんまに子供のお前に恥かしいわ」
「お祖父やん、どないかしたんか。草履買うて釣もらうのん忘れたんか」
「それどころの騒ぎやあるかい」
 他吉は大人に物言うような口調になり、
「――阿呆の細工に、十姉妹追いかけてる隙に、俥盗られてしもてん。えらいことになってしもた。明日から商売でけん」
 だから、日の丸湯へ顔出しする元気もなく、こうやって蒲団かぶって寝ていたのだと、ぶつぶつ言うと、君枝はぺたりと尻餅ついて、ああ、えらいことになってしもたと、子供心にこたえたようだった。
 俥がなくては商売が出来ず、まる二日は魂が抜けたようになって、あちこち探しまわったり、
「ああ、もう焼糞や。焼の勘八、日焼けの茄子や」
 と言いながら、畳の上に仰向けになってごろんごろんしていた。
 が、三日目の黄昏前、君枝がさすがに浮かぬ顔をして下足の番をしていると、
[#ここから2字下げ、底本では一行目は1字下げ]
「えーうどんの玉ア
あつあつのお玉ちゃん
白い着物《べべ》きて朝から晩まで湯にはいり
つるつるの肌した
別嬪ちゃんのお玉ちゃん
十オあって五銭」
[#ここで字下げ終わり]
 と触れ歩いている声がきこえ、よく聴くと他吉の声だった。
 もう腰の曲る歳で、荷が重いらしく、声もしわがれていた。
「まいどおおけに」
 下足を渡して、客の出たあとより飛んで出ると、他吉はにこにこしながら、
「どや似合うか」
「よう似合《にお》てるわ」
 君枝の声に合わせて、種吉も天婦羅あげながら、
「他あやん、おまはんその方がよう似合てるぜ。声もわるないな」
「そやろか」
 他吉は嬉しそうに言って、
「――種さん、人間はお前、どないでもして食べて行けるもんやな。人間はへこたれたらあかんぜ」
 これは半分君枝にもきかせ、そして、天びんを左肩へ置きかえると、
「えーうどんの玉ア……」
 やがて、声も姿もちいさくなった。
 風に吹かれて佇み、見送っていると、向うから東西屋が来て、河童路地の入口で停った。
 そして、口上を述べだすと、種吉は路地の奥へ飛んで行き、直ぐお辰と一緒に出て来た。
 柳吉と蝶子が高津神社坂下に間口一間、奥行三間半のちっぽけな店を借りうけてはじめた剃刀店の売り出しの東西屋らしいと、きいて君枝にもおぼろげに判った。
「ひとつうちのお父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]の天婦羅の店の前で、景気ようやっとくれやす」
 蝶子は東西屋に言ったのであろう、東西屋は今朝蝶子たちの店の前でやったのと同じくらい念入りに賑やかに口上を述べた。
 朝日軒の敬吉が出て来て、
「種さん、おまはんもこいで一安心やな」
 と、言うと、
「さいな。売れてくれると宜しおまっけど、さて開いて見たら、耳かきぐらいしか売れへんのとちがいまっか」
 種吉はちょっと照れた。お辰はすかさず、
「敬さん、剃刀でもシャンプーでも用あったら、注文したっとくなはれや」
 と、言った。
 東西屋が天婦羅をふるまって貰って、行ってしまうと、にわかに黄昏れて来た。
 日の丸湯へ戻り、ふと女湯の障子にはめられた赤、紫、黄、青の色硝子に湯槽の湯がゆらゆらと映って、霞んでいるのを、いつもとちがうしみじみとした美しさだと見上げていると、
「上り湯ぬるおまっせ」
 羅宇しかえ屋のお内儀の声がし、暫らくすると、季節はずれの大正琴の音がきこえて来た。曲は数え歌の「一つとや」
 朝日軒の義枝は去年なくなり、弾いているのは末の娘の持子で、二十二歳、もちろん姉たちと一緒に独身で、すぐ上の兄の敬助は郵船会社へ勤めているが毎日牛乳を三合のみ、肺がわるかった。
[#改頁]

   第三章 昭和

     1

 十年が経った。
 君枝は二十歳、女の器量は子供の時には判らぬものだといわれるくらいの器量よしになっていた。
 マニラへ行く前から黒かったという他吉の孫娘とは思えぬほど色も白く、
「あれで手に霜焼けひび赤ぎれさえ無かったら申し分ないのやが……」
 と言われ、なお愛嬌もよく、下足番をして貰うよりは番台に坐ってほしいと日の丸湯の亭主が言いだしたので、他吉はなにか狼狽して、折角だがと暇をとらせた。
 そうして、寺田町のナミオ商会という電話機消毒婦の派出会へ雇われてみると、日の丸湯で貰っていた給料がどんなに尠なかったかがはじめて判った。
 あれほど銭勘定のやかましかった他吉が、ついぞこれまでそのことを口にしなかったのは、まるで嘘のようであったが、君枝もまた余程うかつで、ただ他吉のいいなりに、只同然の給料で十年黙々と下足番をして来たのだった。
 つまりは、ベンゲット道路の工事は日給の一ペソ二十五セントだけを考えていては、到底やりとげる事は出来なかったという他吉の口癖が、いつか君枝の皮膚にしみついていたのだろうか。
 ベンゲットで砂を噛み、血を吐くくらいの苦しみを苦しんだ、どんな辛さにもへこたれなかった、そして最後まで工事をやり遂げたという想いだけが、他吉の胸にぶら下るただひとつの勲章だと、君枝にもわかっていた。
「文句を言わずに、ただもうせえだい働いたら良えのや。人間は働くために生れて来たのや。らく[#「らく」に傍点]をしよ思たらあかんぜ」
 この日頃の他吉の言葉は、だから、理屈ではなかっただけに、一そう君枝の腑に落ちていたのだった。
 無智な他吉は、理屈がうまく言えず、ただもう蝸牛《かたつむり》の触角のように本能的な智慧を動かして、君枝を育てて来たのだが、それで、それなりに、君枝は一筋の道を歩かされて来たとでもいうべきだろうか。
 それにしても、たしかに日の丸湯の給料はやすかった。
 ナミオ商会では、見習期間の給料が手弁当の二十五円で、二月経つと三十円であった。なお、年二回の昇給のほかに賞与もあり、さらに主任の話によれば、
「なんし、広い大阪やさかい、電話をもってながら、申込んでさえ置けば、ちゃんと消毒婦を派遣してくれるちゅううちのような便利なもんのあるのを、知らん家がある。そういう家へはいって、契約の勧誘をどしどし取ってくれれば、成績によっては、特別手当もだすさかいな、気張って契約とっとくなはれや」
 十年前といまでは金の値打ちがちがうとはいえ、しかし、尋常を出ただけにしては、随分良い待遇だと君枝はびっくりしたが、その代り下足番の時とちがって、仕事はらくではなかった。
 朝八時にいったん商会へ顔を出して、その日の訪問表と消毒液をうけとる。
 それから電話機の掃除に廻るのだが、集金のほかに、電話のありそうな家をにらんではいって、月一円五十銭で三回の掃除と消毒液の補充をすることになっている。なんでもないもののようだが、電話機ほど不潔になりやすいものはないと呑み込ませて、契約もとらねばならず、「おいでやす」と「まいどおおけに」だけでこと足りた下足番に比べて、気苦労が大変だった。
 年頃ゆえの恥かしさは勿論だが、それに彼女は美貌だった。
 消毒を済ませ、しるしの認印をもらって、消毒機をこそこそ風呂敷包みのなかにしまって出て行く時、
「おやかまっさんでした」
 という声の出ないほど、顔から火を吹きだし、腹の立つこともあった。
 おまけに、大阪の端から端まで、下駄というものはこんなにちびるものかと呆れるくらい、一日じゅうせかせかと歩きまわるので、からだがくたくたに疲れるのだ。
 北浜の株屋を後場が引けてから一軒々々まわって、おびただしい数の電話を消毒したあとなど、手がしびれた。
「ああ、辛度《しんど》オ」
 思わず溜息が出て、日傘をついて、ふと片影の道に佇む、――しかし、そんな時、君枝をはげますのは、
「人間はからだを責めて働かな嘘や」
 という例の他吉の言葉、いや、げんに偶然町で出会う他吉の姿であった。
 一時はうどんの玉を売り歩いていたが、朋輩のすぐいちの増造[#「すぐいちの増造」に傍点]に貸した金の抵当《かた》にとってあった人力車が流れ込んで来たので、他吉は再びそれをひいて出た。が、間もなく円タクの流行だ。圧されて商売にならず、町医院に雇われたがれいの変な上着を脱ごうとしないのがけしからぬとすぐ暇をだされて、百貨店の雑役夫もしてみた。
 ところが、今日この頃は、ガソリンの統制で、人力車を利用する客もふえて来たのを倖い、
「世の中てほんまにうまいことしたアる」
 と、喜んで、また俥をひいて出ていたのだった。
「お祖父ちゃんももうええ歳や、ええ加減に隠居しなはれ。だいいち、もう坂路をひいたりするのが辛いやろ?」
 と、停めても、
「阿呆いえ、坂路もありゃこそ、俥に乗ってくれる人もあんのやぜ。ぶらぶら遊んだら、骨が肉ばなれてしまう」
 と、きかず、よちよち「ベンゲットの苦労を想えば、こんなもんすかみたいなもんや」という想いを走らせている他吉の気持は、君枝にはうなずけたが、しかし、その姿を見れば、やはりチクチク胸が痛み、眼があつく、
「――私《うち》に甲斐性がないさかいお祖父ちゃんも働かんならんのや」
 と、この想いの方が強く来て、君枝は思いがけず金銭のことに無関心で居れず欲が出た。
 けれど、たとえば、電話機の消毒に廻る水商売の家でいわれる――
「あんたの器量なら、何もこんなことをせんでも、ほかにもっと金のとれる仕事がおまっしゃろ」
 という誘いには、さすがに君枝は乗る気はせず、やはり消毒液の勧誘の成績をあげて、特別手当をいくらかでも余計に貰うよりほかはないと、白粉つけぬ顔に汗を流して、あと一里の道に日が暮れても、せっせと歩くのだった。
 半年ほど勤めたある朝、主任が、
「今日は忘れんように、萩の茶屋の大西いう質屋へ廻ってんか」
 と、言った。
「あそこは五日ほど前廻ったばっかしでっけど……」
 用事は電話機の消毒でも、さすがに質屋の暖簾をくぐるのは恥かしいという気持ばかりでもなく、そう言うと、
「そら判ってる。五日まえに行ったことは判ってる」
 主任はなにかにやついて、
「――とにかく行ったってんか」
 変だなと君枝は思ったが、
「卓上(電話)でも引きはったんでっしゃろか」
 と、いいつけ通り、とにかく行くことにした。
「じゃあ、これ持って行きなはれ」
 主任はめずらしく、市電の回数券を二枚ちぎってくれた。
 動物園前で市電を降り、食物屋や[#底本では「食物屋が」と誤記]雑貨屋がごちゃごちゃと並んだ繁華な大門通りを抜けて、大門の近くで右へ折れると、南海電車の萩の茶屋の停留所の手前に、
「ヒチ、大西」
 と青い暖簾がかかっていた。
 入口でちょっとためらい、ちらとそのあたりを見廻してから、
「今日は」
 と、はいって行くと、
「おいでやす」
 文楽人形のちゃり頭《かしら》のような顔をして格子のうしろに坐っていた丁稚《でっち》が、君枝の顔を見るなり、
「電話のお方が来やはりましたぜエ」
 奥へ向って、大声をだした。
 瞬間奥の部屋でなにかさっと動揺があった――と、君枝は思った。
「秀どん、なに大きな声だしたはるねん。阿呆やな」
 言いながら、いつもは奥の長火鉢の前で、頭痛膏をこめかみにはりつけた蒼い顔で、置物のようにぺたりと坐りこんでいる御寮人が、思いがけずいそいそと出て来て、
「――よう来てくれはりました。さあ、どうぞ。どうぞあがっとくれやす」
 手をとらんばかりに愛想が良く、眉間の皺もなかった。
 君枝は気味がわるかった。
「ほな、お邪魔します」
 ちいさなモスの風呂敷包みをひらいて、消毒器のなかにはいった脱脂綿をとって、器用な手つきで電話機を消毒し、消毒液入れに消毒液を入れていると、いくつかの眼がじろじろと背中に、顔に、動作に来たようだった。
「あんたもお若いのに、たいてやおまへんな」
 御寮人は傍をはなれずに、しきりに話しかけた。
「はあ、いいえ」
 曖昧に返辞していると、
「このお仕事の前は、なにしたはりましたんでっか。――ずっとお家に……?」
「近所の風呂屋で下足番してました」
 ありていに答えた。
「下足番?……」
 御寮人はちょっと唸ったようだが、
「――それで、御家族は?」
 と、訊いた。
 なぜ、こんなことを訊くのかと、不審というより腹が立ち、
「お祖父さんと二人です」
「まあ、そうでっか。そら寂しおまんな。ほいでお祖父さんはいま何したはるんです?」
「俥ひきしてます」
 君枝はむっとした表情をかくすのに苦労が要った。
「そうでっか? それはそれは……。御両親は早くなくなられはったんでっか?」
「はあ」
「ずっと以前にね? そうでっか。それはそれは……。そいで、お父さんは……?」
 何をしていたのかと、御寮人は執拗かった。
「玉造で桶屋してましたけど、失敗してマニラへ行って、死にました」
 君枝はしみじみした口調だったが、顔はそんなに執拗い御寮人へ怒っていた。
「――御認印を」
 そこを出しなに、若い男の真赤な眼が、上眼を使ってこちらをみつめたように、君枝は思った。
 あちこち消毒や勧誘にまわって、寺田町に帰って来ると、
「御苦労やった。どやった、質屋のぐあいは……?」
 主任が言った。主任の顔は口髭を落して以来いつみても卵子のようにのっぺりしていた。
「……?……」
 何故そんなことを言いだすのか、訳がわからなかった。
「息子が居たやろ?」
「……さあ?」
「さあとはえらいまた頼りない返辞やな」
 笑って、ぽんと君枝の肩を敲き、
「――いまに君に運が向いて来るかも判れへんぜ。けっ、けっ、けっ……」
 主任は抜けた歯の間から、けったいな笑いをこぼした。
 君枝はますます訳がわからなかったが、帰り途、朋輩の春井元子の口からきいて、はじめて、主任が自分に大西質店へ行けと言った意味などが腑に落ちた。
「昨日あんたの留守中に、あそこの御寮人が事務所へ来やはったんよ。うち運よく帰ってたさかい傍できいてたらね……」
「……御寮人の言うのには、――藪から棒にこんな話をするのは何だけれど、実はお宅に勤めていらっしゃる方で、色の白い、小柄な、愛嬌のある、……ああ、佐渡島君枝さんとおっしゃるのですか、……ところでその君枝さんのことですが、ざっくばらんに申せば、うちの倅《せがれ》がお恥かしいことに君枝さんに、……なんといってよいやら、……とにかく、まあ見染めたというのでしょうか……」
「……しとやかで、如何にも娘さんらしゅうて、そのくせ、働いてる動作がきびきびして、とても気持がええ――贅らなあかへんし、――そこを息子さんが見染めたと言やはるのんよ……」
 ……もう、あの娘さん以外の女と結婚するのはいやだと、倅はひとり息子で甘やかして育てているだけに、言いだしたらあとへ引かない、実は母親の自分としても、父親はなし、ほかに子供もなし、早く嫁を貰いたいとひそかに物色中である。ついては、何も倅の言いなりに君枝さんを……というわけでもないが、また、今すぐどうのこうのと思っているわけでもないが、しかし、一応倅の意見も尊重――といってはおかしいが、とにかく倅の思っている娘さんがどんなひとであるか、母親の責任としても知って置きたいという気持、……これは判っていただけると思うが、それについて、お頼みというのは、実は君枝さんの印象は一二度消毒に来られたから知っているものの、なんといってもおぼろげであるから、一度明日にでもうちへ寄越して貰えないか、――いえ、なに試験だとか、見合いだとか、そんな改まった大袈裟なものじゃなく、ほんのただ、いつものように働いていられる姿をちょっと見たいだけ、だから、君枝さんにはこのことは今のところ内密にしていただきたい云々。
「……そこで、あんたが今日わざわざ派遣されたいうわけやねん」
 寺田町から天王寺西門前まで並んで歩きながら、元子はひとりで喋った。
「そうオ?」
 自分の知らぬ間にそんな話が起っていたのかと、君枝はどきんと胸騒いで、二十歳という年齢が改めてくすぐったく想いだされたが、あまい気持はなかった。
 むしろ、なにか欺された気持が強かった。質屋の御寮人から執拗くいろんなことを問い訊されたことも、いやな気持で想い出された。
「そいで、行ってみて、どやったの?」
 元子は主任と同じようなことを訊いた。
「――どんな息子さんだったの?」
「さあ……?」
 母親に似て変に蒼い顔をした若い男が、長火鉢の前で新聞をあっちこっちひっくりかえしながら、そわそわうかがうようにこっちを見ていたことだけ、記憶しているが、それも随分漠然とした印象だったから、
「――どんな人か知らん。うちなんにも考えてへんかったもの」
 さすがに赧くなりながら、わりに正直に答えると元子は肱で君枝を突いた。
「あんた頼りないお子やなあ。敵の陣地へ飛び込んで、ぼやぼやしてたら、あかへんし。もっとしっかりしイぜ」
 自分だったら、すくなくとも、主任から行けと言われた時にぴんと来て、どんな学校を出た男か、教養があるかないか、ネクタイのこのみがどうかまで、一眼でちゃんと見届けてやるんだと、二十五歳の元子は、分厚い唇をとがらし、元子は実科女学校へ二年まで行ったのが自慢の、どちらかといえば醜い女であった。
 喫茶店の前まで来ると、
「あんた、ちょっと珈琲のんで行けへん? 今日は奢ってもらわな損や」
 元子が言い、さきに立ってはいった。
 君枝はちらっと他吉の顔を想い泛べたが、贅沢といっても、月に一度だからと珈琲二杯分三十銭の散財を決心して、随いてはいった。
 向い合って、腰を掛けると、元子は喋り続けた。
「ほんまに奢ってもらうし。――というのはな、今日あんたがあの質屋へ行ってちょっとしてから、主任さんとこイ御寮人さんから電話が掛って来たそうやねん」
「ふーん」
「頼りない返辞やな。聴いてんのんか、あんた。よう聴きぜや。その電話いうのがね――今日はわざわざ寄越していただいて、ありがとう、いずれお礼かたがた挨拶に伺うけど、ほんまに思った以上の良い娘さんで、すっかり感心したちゅうて、掛って来たんやし」
「嘘ばっかし」
「そない照れんかてええやないの。ああ、あんたはええな。質屋いうたら、あんた、お金が無かったら、でけん商売やろ? もうじきあんたはお金持ちの奥さんや。ええなあ。うち、入れに行ったら、沢山《ぎょうさん》貸してや。いまから頼んどくし」
 そこで元子は声をひそめ、
「――ここでの話やけどな、うちの恋人新聞記者やけど、月給四十円しか貰《もろ》てへんねん。情けない話や。うちあんたの知ってるように月一円五十銭の回覧雑誌とってるやろ。それ貸したげたらね、うちの恋人なんぼ言うても、平気な顔してかえしてくれへんね。ほかの雑誌ともうじき交換せんならんのに、困ってんのに、かえしてくれへんとこ見たら、どうやら、古本屋へ売ってしもたんとちがうやろか思て、うちもう腹が立つやら、情けないやら……そこイ行くと、あんたはほんまにええな。ええとこから貰い手があるし、……」
 君枝はそんな元子の愚痴がおかしくてならなかった。
 かつて君枝は結婚のことなど想ってみたことがなく、げんにそういう話が自分に起っていることも、実感として来ないのだ。
 自分ももうそんな年頃かと、ふと心の姿勢がかたくなることはなるのだが、しかし、自分が嫁入ってしまえば、あとに残った祖父はどうなるかと、この想いが強く、それでなにもかも打ち消されてしまうのだ。
 それに、彼女の周囲には、朝日軒の娘たちがいる。
 文字通り、彼女には縁遠い話だった。
「ちっともええことあれへんわ」
 君枝は味もそっけも無さそうに言った。
「なんぜやのん?」
「うち、お嫁入りみたいなもんせえへん」
 そういう君枝の気持は元子には判らなかった。
「へえ? そらまたなんぞやのん? 気に入らへんの? あそこの息子さん感じわるいのん?」
 ひとりで決めて、
「――そう言えば、そうやなあ。お嫁さんを選ぶのは男の権利やろけど、しかし呼びつけて、こっそり試験したり、観察したりするのん、ちょっと厚かましいな。あんたが好んでそうするのんやったらともかく、何も知らんあんたを、勝手にお嫁さんの候補に見立てて、試験したりするのん、考えてみたら、ちょっといややな。あんたが感じわるい思うのん無理ないなあ」
 十五銭ずつ出し合って、勘定をはらい、喫茶店を出ると、もう暗かった。
 元子と別れて、市電に乗ると、もう君枝はそのことを忘れてしまい、他吉にもそんな話のあったことを話さなかったが、翌日君枝はいやでもそのことを想いださねばならなかった。主任がまた言いだしたからである。
「今日は五時までに帰って来てんか?」
「はあ……?」
「大西さんが親子でいっぺんあんたと御飯をたべたい言うのでな。わしも一緒に行くさかいな」
「でも、そんなこと……。お祖父ちゃんが……」
「お祖父さんにはあとでまた話しするから」
 きいて、君枝はぐっと怒りがこみ上げて来た。
「――俥夫やと思って、莫迦にしてる。うちのお祖父ちゃんは、そんなひとに莫迦にされたりする人とちがう。それに、うちは長女や。嫁に行けるからだとちがう。それを知ってて、勝手にそんな話を決めてしまうのは、長屋の娘や思て、あなどってるのやろ。うちはあなどられても構《かめ》へんけど、お祖父ちゃんが可哀想や」
 そう思い、君枝は自身の奥歯のきりきり鳴る音をきいた。
 君枝はその日、事務所へ帰らなかった。
 翌日、休んで職を探してあるいた。
 夜、帰って来ると、速達が来ていた。
 明日出社されたしと短かく書いてあった。
 朝、行き、やめる旨言い、日割勘定で手当を貰い、その足で職業紹介所へ出掛けた。

     2

 間もなく、君枝はタクシーの案内嬢に雇われた。
 難波駅の駐車場へ出張して、雨の日も傘さして、ここでも一日立ちずくめの仕事で、雇われてみると、やはりベンゲットの他あやんの娘らしい職場だった。
 暫らくすると、タクシーの合乗制度が出来た。
 誰が考えついたのか、同一方面の客を割前勘定で一ツ車に詰めこめば、ガソリンが節約でき、客も順番を待つ時間がすくなく、賃金も安くつくという、いかにも大阪らしい実用的な思いつきだった。
 君枝はその方の案内に、混雑時など、
「△△方面へお越しの方はございませんか」
 と、ひっきりなしに叫び、声も疲れた。
 馴れぬ客はまごつき、運転手も余り歓迎せぬ制度ゆえ、案内嬢は余程の苦労が要る。親切・丁寧・敏速でなくてはいけぬと、監督は口癖だった。
 しかし、君枝は、そんなにまで勤めなくともと監督が言うくらい、熱心で、愛嬌もあり、客の捌きも申し分なく、親切週間に市内版の新聞記者が写真と感想をとりに来て、美貌のせいもあり、たちまち難波駅の人気者になった。
 小柄の一徳か、動作も敏捷で、声も必要以上にきんきんと高く、だから客たちは、ほう綺麗だなと思っても、うっかり冗談を言いかける隙がなかった。
 自分でも、難波駅の構内から吐きだされて来る客を、一列に並ばせて、つぎつぎと捌いて行く気持は、なんとも言えず快いと思った。
 けれど、何千という数の客を捌き終って、交替時間が来て、日が暮れ、扉を閉めた途端にすっとすべりだして行く最後の車の爆音を聴きながら、ほっと息ついて靴下止めを緊めなおしていると、ふと、
「お祖父《じ》やんは人力車アで、孫は自動車《えんたく》の案内とは、こらまたえらい凝って考えたもんやなあ」
 と口軽に言った〆団治の言葉が想いだされて、機械で走る自動車と違って、人力車はからだ全体でひかねばならぬ――と、祖父の苦労を想ってにわかに心が曇った。
 そんな君枝の心は、しかし他吉は与り知らず、七月九日の生国魂《いくたま》[#ルビはママ]神社の夏祭には、天婦羅屋の種吉といっしょに、お渡御《わたり》の人足に雇われて行くのである。
 重い鎧を着ると、三十銭上りの二円五十銭の日当だ。
「お祖父ちゃん、もう今年は良え加減に、鎧みたいなもん着るのん止めときなはれ。うち拝むさかい、あんな暑くるしいもん着んといて……」
 君枝は半泣きで止めるのだったが、他吉はきかず、
「阿呆らしい、ひとを年寄り扱いにしくさって……。去年着られたもんが、今年着られんことがあるかい。暑い言うたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や」
「そんなこと言うたかて、歳は歳や。羅宇しかえ屋のおっさんかて、こないだ流してる最中にひっくりかえりはったやないか。お祖父《じ》やんにもしものことあったら、どないすんのん?」
「げんのわるいこと言いな。あんな棺桶に半分足突っ込んだおっさんと同じようにせんといて……。生国魂はんのお渡御《わたり》の中にはいるもんが、斃れたりするかいな、ちゃんと生国魂はんがついてくれたはる――ああ、今年もベンゲットの他あやんが来とるなあ言うて、守ってくれはるわいな」
 心配しな、心配しなと、矢張り他吉は鎧の方に廻るのだった。
 丁度その日は君枝の公休日だった。
 よりによってそんな日にぶらぶらしていることが、君枝はなにか済まぬ気がして、枕太鼓や獅子舞いの音がきこえても、お渡御《わたり》を見る気もせず、夜他吉が帰ってから食べられるように、冷やしそうめんをこしらえて、井戸水の中に浸けたあと、生国魂神社へお詣りすると、足は自然下寺町の坂を降りて、千日前の電気写真館の方へ向いた。
 もとあった変装写真や歌舞伎役者の写真がすっかり姿を消して、出征の記念写真が目立って多くなっているなかに、どうした奇蹟であろうか、二十年前のマラソン競争の記念写真が、色あせたまま、三枚一円八十銭の見本だと、値だけ高くなって陳列されているのを見ると、気が遠くなるほどなつかしかった。
 ――大阪の夏はお前マニラの冬やと祖父が言ったところを見ると、マニラは余程暑いところであろう。そういうところで死んだ父親にふさわしく、ランニングシャツ一枚の裸かでニコニコ笑いながら、優勝旗を持って立っている父親の黄色く色あせた顔を、まるで陳列ガラスを舐めんばかりにして、みつめていると、不意に、
「お君ちゃん――と違いますか」
 声をかけられた。
 振り向いて、暫らく顔をみつめてから、
「あ。次郎ぼん!」
 九年前、東京へ奉公に行き、それから二年のちにたったひとりの肉親の父親が蝙蝠傘の骨を修繕している最中に卒中をおこして死んだ報せで、河童路地へ帰って来た時、会うたきり、もう三十そこそこになっている筈だとすばやく勘定した拍子に、君枝はそんな歳の彼を次郎ぼんという称び方したことに想い当り、はっと赧くなっていると、次郎は、
「やっぱり君ちゃんやった。いや、なに、この写真を見たはるんでね、そうじゃないかと思ったんや」
 大阪弁と東京弁をごっちゃに使って言い、
「――〆さんに連れられて、この写真いっしょに見たのは、あれはもう十年も前でんなあ。――お君ちゃんはいつもこれ見に来るの?」
「ええ。もう十日にあげず……」
 暑さのせいばかりではなく、汗が全身を絞った。次郎は背も高く、肩幅も広く、顔だちもきりりとしていた。濃い眉が日焼けした顔によく似合っていた。
 その眉をすこし動かせて、次郎はふっと笑い、
「しかし、それやったら、写真館《ここ》の親爺さんにそう言って、譲って貰えば良いのに……。案外遠慮深いんだなあ、お君ちゃんは……」
 と、言った。
「そんでも、なんや厚かましゅうて……」
「そんなら僕がそう言って、貰ってあげましょうか。ちょっと待って下さい。どこイも行かんと……。行ってしもたら、駄目ですよ」
 次郎はそう言うと、二段ずつ階段を上って行った。
 君枝は暑さを忘れた。
 暫らくすると、半ズボンの写真館の男といっしょに、降りて来た。
「これです」
 次郎が陳列窓の写真を太短い手で指すと、
「これでっか。こら、あんた、骨董物でっせ」
 写真館の男は言ったが、
「――しかし、まあ、そんな事情でしたら、譲りまひょ」
 と、陳列ガラスを外して、その写真をとってくれた。
 そんな次郎の親切が君枝は思いがけず、嬉しくて、子供の頃親なし子だといって虐められた時、かばって呉れたのは次郎ぼんひとりだったと想いだすと、君枝はその電気写真の筋向いにある喫茶店へはいって、冷たいものでも飲もうとすすめられたのを、もう断り切れなんだ。
 珈琲をのみながら、他吉の話が出た。
「いまだに俥ひいてますねん。今日は生国魂さんのお渡御《わたり》や言うて……」
「……鎧着て出たはるんですか」
 次郎はちょっと驚いた顔だったが、
「これもみな、うちに甲斐性が無いさかい……」
 と、しょげかかる君枝を押えて、わざと、歳はとってもやっぱり「ベンゲットの他あやん」は元気でんなあと微笑んで見せ、
「それじゃ、何ですか、今でもやっぱり人間はからだを責めて働かな嘘やという主義は、守ってはるんですなあ」
 と、君枝をかばう口調になった。
「――そう言えば、僕だって、他あやんのあの口癖はときどき想いだしましたよ。いや、げんに今だって……」
 自分はからだ一つが資本の潜水業が仕事で、二十二の歳からこの道にはいり、この七年間にたいていの日本の海は潜って来、昨日から鶴富組の仕事で、大阪の安治川へ来ているのだと、次郎は語った。
「……もっとも、こんどのはたいした仕事じゃなく、お話にならんくらいのちいさな船の解体で、たいして乗気じゃなかったんだが、しかし大阪ときくと懐しくてね、ついふらふらと来てしもたわけですよ」
 次郎は君枝にどの程度の親しさで語って良いか、迷っているような言葉づかいであった。
 が、君枝はざっくばらんな言い方に頼もしさを感じ、ふとまじる大阪訛りになつかしさをそそられ、丁寧な口調の出る時は何か赧くなった。
 次郎は珈琲を何杯もおかわりし、ストローを使わずに、がぶがぶと一息にのみほし、氷のかたまりも瞬く間に咽へ入れてしまった。
 そんな逞ましい飲み振りを見ていると、君枝はふと次郎がかつて日の丸湯の男湯で、ひとりあばれまわって、番台からよく叱られていたことなどを想いだしたので、そのことを言うと、
「そうそう、僕は日の丸湯の中で、〆さんが五十読む間、潜ってたことがあるよ。いつだったか、〆さんがあんまりゆっくり数を読むので、もうちょっとで眼をまわしかけて〆さんの足にしがみついたら、〆さんがびっくりして飛び上ったもんやから、そいで僕も頭を出したけど、〆さんが飛び上らなんだら、僕もうあの時におだぶつやった」
 次郎は存外話し上手で、
「――しかし、考えてみたら、あの時分から僕は潜るのが好きやったんやなあ」
 だから、東京の品川にある写真機店へ奉公に行って三年、ひと通り現像の仕事を覚えた頃には、もうそこを飛びだして、現像を頼みに店へよく来ていた木下という写真道楽の潜水夫の世話で、房州布良の吉田親分のところへ弟子入りして、潜水夫の修業をはじめた。
 普通潜水の修業は、喞筒《ポンプ》押し一年、空気管持ち一年、綱持ち一年で、相|潜《もぐ》りとなるまでには凡そ四年掛るのだが、それを天分があったのか、それとも熱心の賜でか、弟子入りして二年目にはもう相潜りになった。
 いったいに潜水夫の仕事は、沈船作業(単に荷物を揚げるような簡単なものから、爆破解体、巨大船の浮上のような大規模なもの)のほかに、築港、橋梁、船渠等の水底土木作業や水産物の採集などであるが、沈船作業は主として春から夏の頃の凪ぎの海に限られており、水産物採集には勿論漁期がある。だから陸上工場のように絶えず仕事が一定しているわけではなく、その間生活の安定を得るためには、これらの特技のうち二つ乃至三つの種類に馴れる必要があるが……、
「自慢するようやけど、僕は一人前の潜水夫になってから、三年のうちに、必要な技術をすっかり覚えてしまったわけですよ」
 と、次郎は語った。
「しかし、現像の方かてころっと忘れてしもたという訳じゃないですよ。いまだに仲間の撮したのを時々現像してやってるけど――そうそう、お君ちゃん、あんたの今の写真、なんやったら僕が味善《あんじょ》う引伸したげよか、それ大分剥げてるから……」
「おおけに、でも、そんなことして貰たらお気の毒ですわ」
「お気の毒なんて、水臭い。同じ河童路地に住んでた仲やないですか」
 君枝は「仲」という言葉になにがなしに赧くなった。
「――とにかくその写真預っときます」
 次郎は写真をうけとって、
「――早い方が良いでしょう。明日までに引伸してあげますよ。夕方渡してあげます」
 きびきびした東京弁で言った。
「はあ、おおけに」
「どこが良いかな」
「……?……」
「中之島公園が良いだろう。中之島公園で渡してあげます。来られますか」
 次郎はちょっと考えて、そう言った。
 君枝は急に珈琲のストローから口をはなして、次郎の逞ましい顔を見上げ、そこに何か異性を感じた。
「はあ、でも……」
 十三、七つの子供の頃ならともかく、お互い成長したふたりが、公園などで会うのは大それたことのように思われ、きゅっと心の姿勢が窮屈になった。
 君枝は自動車の案内係をしている旨を言い、
「今日は公休でっけど、明日は……」
 勤めがあるから出られないと下向くと、次郎は、
「でも、仕事は夕方までで済むんでしょう?」
 はきはき言った。圧されて、
「はあ、五時に交替ですねん」
「そんなら、五時半頃来られまっしゃろ?」
 次郎の大阪弁が君枝の固い心をいくらかほぐした。
「そら、行かれんことあれしめへんけど……」
「そんなら、待ってます」
 次郎は伝票を掴んで、
「――出ましょうか」
 立ち上りざまに言った。
「ええ」
 と、それにうなずいたのが、丁度、公園で待っているということへの返辞にもとれて、君枝は狼狽したが、しかし、
「いいえ、行けません。止めときます」
 とは咄嗟にどうしても出なんだ。
「浮いた気持で行くのんと違う。お父さんや母ちゃんの写真の引伸しを貰いに行くのや」
 君枝はふと泛んだこれを自分へのいいわけにしながら、勘定を払っている次郎を喫茶店の表で待っていると、
「――今日写真を見に来て、次郎ぼんに会うたんも、ひょっとしたら、写真のひきあわせかも判れへんわ」
 思わず呟いた自分の言葉に気の遠くなるほど甘くしびれたが、途端にお渡御《わたり》の太鼓の音が耳に痛くきこえて来た。
 西日がきつかった。
 鎧を着てよちよち歩いているだろう他吉のほこりまみれの足が想いだされて君枝はそんな甘い想いに瞬間浸ったことが許せないように思い、ちりちり胸が痛んで眉をひそめていると、次郎はいそいそと出て来て、
「こっち歩きましょう」
 片影の方へ寄った。君枝の眉をひそめた表情を、日射のせいだと思ったのである。
 写真館の隣りに寄席があった。
 寄席の隣りに剃刀屋があった。
 次郎は剃刀屋の細長い店の奥を覗いてみたが、十年前にそこにいた柳吉の姿はもうそこに見受けられなかった。
 が、剃刀屋の向いには、相変らず鉄冷鉱泉[#底本では「鉄霊鉱泉」と誤記]《むねすかし》屋があった。
 剃刀屋の隣りに写真屋があった。
 写真屋の隣りに牛肉店があった。
 名も昔通りのいろは牛肉店で、次郎は千日前はすこしも変らぬなと思いながら通り過ぎようとすると、君枝はなに思ったのか、
「ちょっと……」
 と、言って立ち停り、そして、いろはの横町へはいって行った。
 そこは変にうらぶれた薄汚ないごたごたした横町で、左手のマッサージと看板の掛った家の二階では、五六人の按摩がお互い揉み合いしていた。その小屋根には朝顔の植木鉢がちょぼんと置かれていて、屋根続きに歯科医院のみすぼらしい看板があった。看板が掛っていなければ、誰もそこを歯医者とは思えぬような、古びたちっぽけな[#「ちっぽけな」に傍点]しもたや風の家で、頭のつかえるような天井の低い二階に治療機械が窮屈にかすんで置かれてあった。
 右手は薄汚れた赤煉瓦の壁で、門をくぐると、まるで地がずり落ちたような白昼の暗さの中に、大提燈の燈や、蝋燭の火が揺れて、線香がけむり、自安寺であった。なにか芝居の書割りめいた風情があった。
 こんなところに寺の裏門があったのかと、次郎がおどろいていると、君枝は、
「ちょっと……」
 待っていてくれと言って、境内の隅の地蔵の前にしゃがんで、頭を下げ、そして、備え付けの杓子で水を掛けて、地蔵の足をたわしでしきりに洗い出した。
 地蔵には浄行大菩薩という名がついているのを、ぼんやり眼に入れながら、
「お君ちゃん、えらい信心家やねんなあ。なんに効く地蔵さんやねん?」
 傍で突っ立っている所在なさにきくと、君枝は、
「何にでも効くお地蔵さんや」
 と、手と声に力を入れて、
「――かりに眼エが悪いとしたら、このお地蔵さんの眼エに水掛けて、洗《あろ》たら良うなるし、胸の悪い人やったら、胸の処《とこ》たわしで撫でたらよろしおますねん」
 しきりに洗いながら、言った。
 なるほどそう言えば、その地蔵は水垢で全身赤錆びて、眼鼻立ちなどそれと判別しかねるくらい擦り切れていて、胸のあたりの袈裟の模様も見えなくなってしまっている。随分繁昌している地蔵らしかった。
 次郎はそんな迷信が阿呆らしく、それを信じているらしい君枝がかえって哀れにすら思われて、
「ほんまに効くのかなあ。僕はあやしいと思うよ」
 ずけずけと言ったが、ふと君枝の洗っている部分が地蔵の足だと気がつくと、何か思い当り、
「他あやん、この頃足でもわるいのんとちがうの?」
 と、訊いた。
「いいえ、わるいことはあれしまへんけど、お祖父ちゃんは足つかう商売やさかい、疲れが出んように思て……」
 こうして願を掛けているのだと、君枝は一所懸命な手の動きでそれを示した。
 次郎はいきなり胸うたれて、もう君枝の迷信を咎める気持を捨てた。
「お待遠《まっとう》さん」
 立ち上った君枝の、いくらか上気して晴ればれとした顔を見ると、何故ともなしに次郎の心に急に大阪の郷愁がぐっと来て、その拍子に、河童路地での日々がなつかしく想い出された。
 路地から見えるカンテキ横丁のしもた屋の二階で、夏の宵、「現われ出でたる武智光秀……」と一つ文句の浄瑠璃をくりかえしくりかえし稽古しているのを、父親が蝙蝠傘の骨を修繕しながら口真似していた――そんなことまで想い出されて、自安寺の表門を出ると、
「お君ちゃん、文楽でも見えへんか?」
 と言った。
「そうでんなあ」
 迷っていると、
「文楽見たことある? 僕も見たことないけど、久し振りに大阪へ来た序でにいっぺん大阪らしい味を味わうとこ思て」
 次郎は言った。
「ええもんや言うことは聴いてまっけど……」
 しかし、本当に次郎と一緒にそんなとこへ行ってもよいものかと、君枝は躊躇した。
「どうせ、今日はお祭やろ?」
 重ねて次郎に誘われると、君枝は水掛け地蔵へお詣りしたことで気が軽くなっていたせいもあり、うなずいた。
 千日前の電車通りを御堂筋の方へ折れて、新橋の方へ並んで歩く途々、君枝は、
「文楽いうたらね、蝶子はん、この頃浄瑠璃習たはるんでっせ」
 蝶子の噂をした。
「蝶子はんて、あの種さんとこの?」
「そうだす」
「維康さんどないしたはりまんねん? さっき千日前の剃刀屋覗いたら、居たはれへんかったけど……」
 次郎が言うと、君枝は、
「あそこ廃めはったんは、そらもう古い話やわ。十年も昔になりまっしゃろか」
 と、話しだした……。

     3

 高津神社坂下の小さな店で剃刀屋を始めたが、はやらなかった。東西屋を雇って開店した朝、蝶子は向う鉢巻きでもしたい気持で店の間に坐っていた。午頃、
「さっぱり客が来えへんな」
 と、柳吉は心細い声をだしたが、蝶子はそれに答えず、眼を皿のようにして表を通る人を睨んでいた。
 午過ぎ、やっと客が来て安全剃刀の替刃一枚六銭の売上げという情けないありさまだった。
「まいどおおけに」
「どうぞごひいきに」
 夫婦がかりで、薄気味悪いくらいサーヴィスを良くしたが、人気が悪いのか新店のためか、その日は十五人客が来ただけで、それも殆んど替刃ばかり、売上げは〆めて二円にも足らなかった。
 そんな風に客足がさっぱりつかず、ジレットの一つも出るのは良い方で、大抵は耳かきか替刃ばかりの浅ましい売上げの日が何日も続いた。
 話の種も尽きて、退屈したお互いの顔を情けなく見かわしながら店番していると、いっそ恥かしい気がし、退屈しのぎに昼の間の一時間か二時間浄瑠璃を稽古しに行きたいと言いだす柳吉を、蝶子はとめる気も起らなかった。
 柳吉は近くの下寺町で稽古場をひらいている竹本組昇に月謝五円で弟子入りし、二ツ井戸の天牛書店で稽古本の古いのを漁って、毎日ぶらりと出掛けた。柳吉は商売に身を入れるといっても、客が来なければ仕様がないといった顔で店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなった。その声がいかにも情けなく、蝶子は上達したと褒めるのもなんとなく気が引けた。
 毎月食い込んで行ったので、蝶子は再びヤトナに出た。苦労とはこのことかとさすがにしんみりしたが、宴会の席ではやはり稼業《しょうばい》大事とつとめて、一人で座敷を浚って行かねばすまぬ、そんな気性はめったに失われなかった。ひとつには、柳吉の本妻は先年死に、蝶子も苦労の仕甲斐があった。
 ところが、柳吉はそんな蝶子の気持を知ってか知らずにか、夕方蝶子が三味線を入れた小型の手提げ鞄をもって出掛けて行くと、そわそわと早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店で、かやく飯とおこぜ[#「おこぜ」に傍点]の赤出しを食べ、鳥貝の酢味噌で酒をのみ、六十五銭の勘定を払って、安いもんやなあと、「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れしている女にふんだんにチップをやると、十日間の売上げが飛んでしもうた。
 ヤトナの儲けでどうにか食いつないでいるものの、そんな風に柳吉の使い方がはげしいので、だんだん問屋の借りも嵩んで来て、一年辛抱した挙句、店の権利の買手がついたのを倖い、思い切って店を閉めることにした。
 店仕舞いの大投売りの売上げ百円余りと、権利を売った金百二十円と、合わせて二百二十円余りの金で問屋の払いやあちこちの支払いを済ませると、しかし十円も残らなかった……。
「……蝶子はんもお気の毒な人やわ。折角維康さんを一人前にして、維康さんのお父さんに、水商売をしてた女に似合わん感心な女や言うて認めて貰おう思たはるのに、維康さんがぼんぼんで、勘当されてても親御さんの財産が頭にあるさかい、折角剃刀店しはっても、一年経つか経たぬうちに、到頭そんな風に店を閉めはって、飛田の近所に二階借りしやはったそうでんねん……」
 君枝がそう語ると、
「へえ? そうですか。それから、どないしやはったんです?」
 蝶子と柳吉の消息を知りたいという気持よりも、君枝の話を並んで歩きながらききたいという気持から、次郎は言った。君枝は声が綺麗だった。おまけに、次郎には久し振りの大阪弁だ。
「それから、なんでも三年ほど蝶子はんが食うやのまずの苦労して貯めはった金と、維康さんが妹さんから無心して来やはった金で、また商売はじめはったんです」
「どんな商売……?」
「関東|煮屋《だきや》……」
 をやろうということになり、適当な売り店がないかと探すと、近くの飛田大門通りに小さな関東煮の店が売りに出ていた。
 現在年寄夫婦が商売しているのだが、士地柄客種が柄悪く荒っぽいので、おとなしい女中はつづかず、といって気性の強い女はこちらがなめられるといった按配で、ほとほと人手に困って売りに出したのだというから、掛け合うと、存外安く造作から道具一切附き三百五十円で譲ってくれた。
 階下は全部漆喰で商売に使うから、寝泊りするところは二階の四畳半一間ある切り、おまけに頭がつかえるほど天井が低く陰気臭かったが、廓の往き戻りで人通りも多く、それに角店で店の段取りから出入口の取り方など大変良かったので、値を聞くなり飛びついて手を打った。
 新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ福をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減や銚子の中身の工合、商売のやり口を覚えた。
 そして、お互いの名を一字ずつ取って「蝶柳」と屋号をつけ、いよいよ開店することになった。
 まだ暑さの去っていなかった頃とて、思い切って生ビールの樽を仕込んでいた故、早く売り切ってしまわねばビールの気が抜けてしまうと、やきもき心配したほどでもなく、存外よく売れた。
 人手を借りず、夫婦だけで店を切り廻したので、夜の十時から十二時頃までの一番たてこむ時間は眼のまわるほど忙しく、便所に立つ暇もなかった。
 廓をひかえて夜更けまで客があり、看板を入れる頃はもう東の空が紫色に変っていた。くたくたになって二階の四畳半で、一刻《いっとき》うとうとしたかと思うと、もう眼覚しがジジ……と鳴った。寝巻きのままで階下に降りると、顔も洗わぬうちに、「朝食出来ます、四品附十八銭」の立看板を出した。朝帰りの客を当て込んで味噌汁、煮豆、漬物、御飯と都合四品で十八銭、細かい儲けだとたかをくくっていたところ、ビールなどを取る客もいて、結構商売になったから、少々の眠さも我慢出来た。
 秋めいて来て、やがて風が肌寒くなると、もう関東煮屋にもって来いの季節で、ビールに代って酒もよく出た。酒屋の払いもきちんきちんと現金で渡し、酩酒の本鋪から看板を寄贈してやろうというくらいで、蝶子の三味線もこんどばかりは空しく押入れにしまったままだった。
 柳吉もこんどは半分以上自分の金を出したというせいばかりでもなかったろうが、身の入れ方は申し分なかった。
 公休日というものも設けず、毎日せっせと精出したから、無駄費いもないままに、勢い残る一方であった。柳吉は毎日郵便局へ行った。
 身体のえらい商売だから、柳吉は疲れると酒で元気をつけた。酒をのむと気が大きくなり、ふらふらと大金を使ってしまう柳吉の性分を蝶子は知っていたので、ヒヤヒヤしたが、売り物の酒とあってみれば、柳吉も加減して飲んだ。が、そういう飲み方もしかし、蝶子にはまた一つの心配で、いずれはどちらへ転んでも心配は尽きなかった。大酒を飲めば莫迦に陽気になるが、チビチビやる時は元来吃りのせいで無口の上に一層無口になり、客のない時など椅子に腰かけてぽかんと何か考えごとしているらしい容子を見ると、梅田の実家のことを考えてるのとちがうやろか、そう思って、矢張り蝶子は気が気でなかった。
 案の定、妹が婿養子を迎える婚礼に出席を撥ねつけられたといって、柳吉は気を腐らせ、貯金の中から二百円ほど持ち出して出掛けたまま、三日帰って来なかった。蝶子は柳吉を折檻した。
「あんたはそれで良うても、わてがあんたのお父さんに笑われま。二人で、苦労してこれだけの人間になりました言うて、お父さんの前へ早よ出られるようにしよ思て、一所懸命になってるわての気持は、あんたには判れしめへんのんか。いつになったら、真面目な人間になってくれまんねん」
「も、も、も、もうわかった。お、お、おばはん、わかった」
 二度と浮気遊びはしないと柳吉は誓ったが、蝶子の折檻は何の薬にもならなかった。暫らくすると、また遊びだした。二人の世帯を築きあげて行こうという気持には、到底なれないらしかった。そろそろ肥満して来た蝶子は折檻するたびに息切れした。
 柳吉が遊びに使う金はかなりの額だったから、遊んだあくる日はさすがに彼も蒼くなって、盞も手にしないで、黙々と鍋の中をかきまわしていた。が、四五日たつと、もう客の酒の燗をするばかりが能やないと言いだし、水を混ぜない方の酒をたっぷり銚子に入れて、銅壺の中へ浸け、チビチビと飲んだ。
 明らかに商売に飽いた風で、酔うと気が大きくなり、自然足は遊びの方に向いた。紺屋の白袴どころでなく、これでは柳吉の遊びに油を注ぐために商売をしているようなものだと、蝶子はだんだんに関東煮屋をはじめたことを後悔しだした。するうちに、酒屋への支払いなども滞り勝ちになり、結局やめるに若かずと思って、その旨柳吉に言うと、柳吉は即座に同意した。
「この店譲ります」と貼り出ししたまま、陰気臭くずっと店を閉めた切りだった。柳吉は浄瑠璃の稽古に通いだした。
 貯えの金も次第に薄くなって行くのに、一向に店の買手がつかなかった。蝶子はそろそろ三度目のヤトナに出ることを考えていた。
 ある日、蝶子が二階の窓から表の人通りを眺めていると、それが皆客に見えて、商売をしていないことがいかにも残念であった。向い側の五六軒先にある果物屋が、赤や黄や緑の色が咲きこぼれて、活気を見せていた。客の出入りも多かった。果物屋は良え商売やなあとふと思うと、もう居ても立っても居られず、柳吉が稽古から帰って来ると、早速「果物《あかもん》屋をやれへんか」と相談した。が、柳吉は「さいな」と呟いたきり、てんで乗気にならなかった。いよいよ食うに困れば、梅田へ行って無心すれば良しと考えていたのだ。
 ある日、どうやら本当に梅田へ出掛けたらしかった。帰って来ての話に、無心したところ、妹婿が出て応待したが、訳のわからぬ頑固者の上に、いずれはこの家の財産は養子の自分のものと思ってか随分けちんぼ[#「けちんぼ」に傍点]と来ていて、結局鐚一文も出さなかった――と、柳吉はしきりに興奮した。 
 そして、「果物屋をやるより仕様がない」顔をにがり切って見せた。
 関東煮の諸道具を売り払った金で店を改造した。仕入れや何やかやで大分金が足らなかったので、衣裳や頭のものを質に入れ、なおヤトナ倶楽部を経営している昔の朋輩のおきんの所へ金を借りに行った。おきんは一時間ばかり柳吉の悪口を言ったが、結局「蝶子はん、あんたが可哀想やさかい」と百円貸してくれた。「あんたが維康さんと晴れて夫婦になる日を待ってまっせ」おきんに言われて蝶子は泣けた。
 その足で父親の種吉の所へ行き、果物屋をやるから二三日手を貸してくれと頼んだ。西瓜の切り方など要領を柳吉は知らないから、経験ある種吉に教わる必要があったのだ。種吉は若い頃お辰の国元の大和から車一台分の西瓜を買って、十六の夜店で切り売りしたことがある。その頃蝶子はまだ二つで、お辰が背負うて、つまり親娘三人総出で、一晩に二百個売れたと種吉は昔話をし喜んで手伝うことを言った。
 種吉は娘夫婦の商売を手伝うことが嬉しくてたまらぬ風であった。店びらきの日、筋向いにも果物屋があるのを見て、「西瓜屋の向いに西瓜屋が出来て、西瓜《すいた》同志の差し向い」と淡海節の文句を言いだした。その果物屋は店の半分が氷店になっているのが強味で、氷かけ西瓜で客を呼んだから、白然蝶子たちは切身の厚さで対抗しなければならなかった。が、言われなくとも種吉の切り方は頗る気前が良かった。一個八十銭の西瓜で十銭の切身何個と胸算用して、柳吉がハラハラすると、種吉は、「切身でまけて丸口で儲けるんや。損して得とれや」と言った。そして、
「ああ西瓜や、西瓜や、うまい西瓜の大安売りや!」
 と、派手な呼び声を出した。向い側の呼び声もなかなか負けていなかった。蝶子も黙って居られず、
「安い西瓜だっせエ!」
 と、金切り声を出した。それが愛嬌で客が来た。蝶子は鞄のような大きな財布を首から吊して、売り上げを入れたり、釣銭を出したりした。
 柳吉は割合熱心に習ったので、四五日すると西瓜を切る要領などを覚えた。種吉は丁度生国魂の祭で例年通りお渡御《わたり》の人足に雇われたのを機会に、手を引いた。帰りしな、林檎はよくよくふきんで拭いて艶を出すこと、水蜜桃には手を触れぬこと、いったいに果物は埃を嫌うゆえ始終はたきをかけることなど念押して行った。
 その通りに心掛けたが、しかしどういうものか足が早くて水蜜桃など瞬く間に腐敗した。店へ飾って置けぬから、辛い気持で捨てた。毎日捨てる分が多かった。といって品物を減らすと店が貧相になるので、仕入れを少なくするわけにも行かず、巧く捌けないと焦りが出た。儲けもあるが損も勘定に入れねばならず、果物屋も容易な商売ではないとだんだん分って来ると、急に柳吉に元気がなくなった。
 蝶子は柳吉がもう果物屋商売に飽きたのかと、心配しだした。が、その心配より先に柳吉は病気になった。もうせんから柳吉はげてもの料理を食べ過ぎたせいか胃腸が悪くて、二ツ井戸の実費医院《じっぴ》へ通い通いしていたが、こんどは尿に血がまじって、小用の時泣声を立てた。実費医院で診て貰うと、泌尿科の専門医へ行くが良かろうとのことで、島ノ内のK病院が有名だときいて、診せると、膀胱がわるいという。
 十月ばかり通ったが、はかばかしくなおらなかった。みるみる痩せて行った。蝶子も身体は肥えていたが、眼のふちが黝み、柳吉の病気が気がかりでならなかった。診立て違いということもあるからと、市民病院で診て貰うと、果して違っていた。レントゲンを掛けて腎臓結核だとわかった。その日から、入院した。
 附添いのため店を構っていられなかったので、蝶子は止むなく店を閉めた。果物が腐って行くことが残念だったから、種吉に店の方を頼もうと思ったのだが、運の悪い時はどうにも仕様のないもので、母親のお辰が四五日まえから寝ついていたのだ。子宮癌とのことで、今日明日がむつかしかった。
 柳吉が腎臓を片一方切るという大手術を受けた翌朝、お辰は死んだ。蝶子は柳吉の傍に附き切りで、母親の死に目に会えなかった。柳吉の命が助かったことだけがせめてもの慰めだったが、しかし、親不孝者だという気持は矢張りチクチク胸を刺して来た。お辰は蝶子が駈けつけて来ぬことをすこしも恨まず、それどころか、「維康さんも蝶子のために、苦労して来やはった。維康さんの手術《しりつ》が味善《あんじょ》ういってくれたら、わては蝶子の顔見んと死んでも満足や」と、蝶子を俥で迎えに言ってやろうといいだした他吉へ言った――ときいて、さすがに蝶子は身もだえした。
 葬式にだけは出て、そして病院へ飛んで帰って来ると、十二三の女の子を連れた若い女が見舞いに来た。顔かたちを見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張し、
「よう来て呉れはりました」
 初対面の挨拶代りにそう言って、愛想笑いを泛べた。母親の葬式の日に笑顔を見せるのは辛かったが渋い顔は気性からいって出来なんだ。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫でると、顔をしかめた。
 主に病気の話をして、半時間ののち柳吉の妹は帰って行った。送って廊下へ出ると柳吉の妹は、
「おうちの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっせ。よう尽してくれはる、こない言うてはります」
 と言い、そっと金を握らせた。蝶子はこの言葉を本当と思いたかった。死んだ母親にきかせたかった。二年前、柳吉の家から人が来て、別れ話が出されたことなども、ちらと想い出された。
 柳吉はやがて退院して、湯崎[#「湯崎」は底本では「湯畸」と誤記]温泉へ出養生した。費用は蝶子がヤトナで稼いで仕送りした。二階借りするのも不経済だったから、蝶子は種吉の所で、寝泊りした。他吉は種吉に、
「種さん、おまはんはええ子をもった。わいは昔蝶子はんのことあんな風に言ったけど、悪う思いなや。いや、実際感心な娘やなあ」
 と、言った。
 ところが、柳吉は湯崎で毎日散財していたのだ。見舞いがてら湯崎へ出向いた蝶子は、柳吉が妹からもこっそり送金させていたと知って、気が狂ったようになった。
「兄妹やから、なにもお金を送らせて、わるい法はないけど、しかし、それではわての苦労がなんにもならん。散財さえしてくれなんだら、わてだけの力であんたを養生させられた筈や」
 柳吉と一緒に湯崎から大阪へ帰ると、蝶子は松坂屋の裏に二階借りした。相変らずヤトナに出た。こんど二階借りをやめて一戸構え、ちゃんとした商売をするようになれば、柳吉の父親もえらい女だと褒めてくれ、天下晴れて夫婦《めおと》になれるだろうとはげみを出した。その父親はもう十年以上も中風で寝ていて、普通ならとっくに死んでいるところを持ちこたえているだけに、いつ死なぬとも限らず、生きているうちにと蝶子は焦った。が、柳吉はまだ病後の身体で、滋養剤を飲んだり、注射を打ったりして、それがきびしい物入りだったから、半年経っても三十円と纒った金はたまらなかった。

     4

「……そないして苦労して来やはったところが、渡る世間に鬼はないとはよう言うてまんなあ――蝶子はんの昔のお友達でえらい出世したはる金八さんという方が十年振りで、ぱったり蝶子はんに会いはって、いまどないしたはる言うところからこないやこないやと蝶子はんが言やはると、そらお気の毒や言うてお金貸したげはって、それを資本に、蝶子はんは下寺町にサロン「蝶柳」いう喫茶酒場をひらきはって、今でも盛大にやったはる……」
 君枝はそう語った。
「ほう……? それはよかった。種さんも喜んだはるやろ? そいで、維康さんのお父さんは……?」
 次郎がきくと、君枝は、
「さあ、それですがな……」
 と、力を入れて、
「――お父さんの生きてるうちに天下晴れてと思てはったのに、到頭|一昨年《おとどし》の暮に死んでしまいはって……。蝶子はんは葬式にだけは出られるつもりで、喪服をこしらえたりしたはったのに、葬式に出る資格ない言われて、そんなむごい仕方があるかいうて蝶子はんは泣きはって、えらい騒動だした。そらまあ無理もおまへんわ。なんせ蝶子はんは一生日蔭者で終りとうない思て、一所懸命苦労して来やはったのに、いざその苦労が報いられるいう矢先きになって、維康さんのお家の方からそんな扱いされはったんでっさかい……。しかし今ではもうそんな騒動もなし、それに維康さんの御両親とも死んでしまいはったし、誰も二人のことに反対する権利のある人はないし、なんでもつい此間《こないだ》籍を入れはって、仲良うやったはる言うことです。この春にも、二ツ井戸の天牛の二階で維康さんが浄瑠璃語りはって、うち招待券もろて見に行たら、蝶子はんがその三味線を弾かはって、仲の良えとこおましたわ」
 君枝はちょっと赧くなった。
「しかし、維康[#「維康」は底本では「推康」と誤記]さんにはお子さんがあるやろ? その子ひきとったはんの?」
「さあ、それは……」
 君枝はもうそれ以上蝶子のことに触れたくないという顔をした。
 実は、柳吉の子供はもう女学校を卒業する年頃だが、死んだ母親から、父親は悪い女に奪われたと言いきかせられていた言葉が耳に残って、蝶子を良くは思わず、どうしても柳吉の妹の傍をはなれようとしないのだった。ひとつには蝶子や柳吉の商売をきらっているせいもあった。
 それが柳吉の頭痛の種だった。養子に取られてしまった財産にはもう未練がないとしても、さすがに娘のことは忘れかねて、浄瑠璃の稽古もそんな心のふさぎを忘れるためであるかも知れなかった。してみれば、蝶子も今は何ひとつ遠慮気兼ねや生活の心配はないとはいうものの、心はからりと晴れ切っているわけでもないだろうと、君枝は蝶子が日頃陽気な明るい気性であるだけに、一層蝶子の淋しさが同情されるのだった。
 文楽座の前まで来たのでもう蝶子の話を打ち切った。
 ところが、文楽座は人形芝居はかかっていず、古い映画を上映しているらしく、映画のスティールが陳列されていた。人形芝居は夏場の巡業で東京へ行っているとのことだった。
「なんのこっちゃ。折角大阪へ来て文楽でも見よういう気になったのに、これやったら、わざわざ大阪で見なくても、東京に居れば結構見られた勘定やな」
 次郎はちょっとがっかりした。
「――活動でも見る」
「今日は紋日で満員でしょう?」
 君枝は見る気がないらしかった。
 なんだかこのまま別れて帰ってしまいたいように思っているらしく見えて、次郎はますますがっかりしたが、ふと想いだして、眼を輝かした。
「そや、良いものがある。あんたの喜ぶもん見せたげよ」
「どんなもん? うちの喜ぶもんて……」
「黙って随いといぜ。ついこの近所や。僕昨日見て、ああ、これをお君ちゃんに見せたげたら喜ぶやろと、ほんまに思ったんや」
「そうオ? いったい、なんやの?」
 言いながら、次郎のあとに随いて行くと、次郎は四ツ橋の電気科学館の前まで来て、
「ここや」
 と、立ち停った。
 そこには日本に二つしかないカアル・ツァイスのプラネタリュウム(天象儀)があり、この機械によると、北極から南極まで世界のあらゆる土地のあらゆる時間の空ばかりでなく、過去・現在・未来の空まで居ながらにして眺めることが出来るのだという次郎の説明をききながら、昇降機に乗って、六階で降り「星の劇場」へはいっていった。
 円形の場内の真中に歯医者の機械を大きくしたようなプラネタリュウムが据えられ、それを円く囲んで椅子が並んでいる。
 腰を掛けると、椅子の背がバネ仕掛けでうしろへそるようになっていた。
「朝日軒の椅子みたいやわ」
 君枝が言うと、
「天井に映るんだから、上を見やすいようにしてあるんだよ」
 次郎は言い、
「――朝日軒の人みな達者ですか。義枝さん死んだのは知ってるけど……」
「ええ、皆達者です」
「やっぱり皆まだ嫁《かたづ》いてないんですか」
「難儀な家やて、お祖父ちゃんも言うてはります」
 君枝はまた他吉のことを想いだした。今頃どこを練り歩いているだろうか。場内は冷房装置があるのか、涼しかった。
 はじめに文化映画があり、それからプラネタリュウムの実演があった。
「――今月のプラネタリュウムの話題は、星の旅、世界一周でございます」
 こんな意味の女声のアナウンスが終ると、美しい音楽がはじまり、場内はだんだんに黄昏の色に染まって、西の空に一番星、二番星がぽつりと浮かび、やがて降るような星空が天井に映しだされた。
 もうあたりは傍に並んで腰かけている次郎の顔の形も見えぬくらい深い闇に沈み、夜の時間が暗がりを流れ、団体見学者の群のなかから鼾の音がきこえた。天井を仰いでいるうちに夜とかんちがいしたのであろう。バネ仕掛けの椅子は居眠り易く出来ていた。
 しずかにプラネタリュウムの機械の動く音がすると、星空が移り、もう大阪の空をはなれて、星の旅がはじまり、やがて南十字星が美しい光芒にきらめいて現われた。
 流星が南十字星を横切る。雨のように流れるのだ。幻燈のようであった。
 あえかな美しさにうっとりしていると、解説者は南十字星へ矢印の青い光を向けて、
「――さて、皆さん、ここに南十字星が現われて、わたし達はいよいよ南方の空までやって来ました。時刻はマニラの午前一時、丁度真夜中です。しんと寝しずまったマニラの町を野を山を椰子の葉を、この美しい南十字星がしずかに見おろしているのです」
 マニラときいて、君枝は睡気からさめた。
「あ」
 君枝は声をあげて、それでは祖父はあの星を見ながらベンゲットで働き、父はあの星を見ながらマニラでひとりさびしく死んだのかと、頬にも涙が流れて流星が眼にかすみ、そんな自分の心を知ってプラネタリュウムを見せてくれた次郎の気持が、暗がりの中でしびれるほど熱く来た。
 次郎と別れて、河童路地へ戻って来ると、祭の夜らしく、〆団治や相場師や羅宇しかえ屋[#「羅宇しかえ屋」は底本では「羅字しかえ屋」と誤記]の婆さんなどが、床几を家の前の空地へ持ちだして、洋服の仕立職人が大和の在所から送ってくれたといって持って来た西瓜を食べながら、夕涼みしていた。西瓜の顔を見ると、庖丁を取りだしてくる筈の種吉は、他吉といっしょにお渡御に出かけて、まだ帰っていなかった。
「今日びはもうなんや、落語も漫才に圧されてしもて、わたいらはさっぱり駄目ですわ。なんせ漫才《むこさん》は二人掛り、こっちは一人やさかいな。一日に一つ小屋をもたしてくれたらええとせんならんけど、それも人気のある連中のことで、わたいらみたいなもんは年中あぶれてますわ。といって、今更漫才の仲間入りも出けんさかいな」
 半袖を着た〆団治が西瓜の種を吐きだしながら言うと、相変らず落ちぶれている相場師が、
「えらい藪蚊や」
 と、団扇でそこらぱたぱた敲きながら、
「――〆さん、おまはん一ぺんぐらい、寄席の切符くれても良えぜ。わいもおまはんと長いこと附合うてるけど、今まで一ぺんだって切符くれたことがあるか? ほんまにけちんぼやぜ」
「そない毒性な言い方しイな。いまに遣るわいな」
「遣る、遣るて、おまはんはなんぼ口が商売か知らんけど、日の丸湯の鑵といっしょで湯(言う)ばっかしや。――なあ、お婆ん、そやろ?」
「そうだすとも。大体〆さんは宣伝たら言うもんが下手くそや。みんなに切符くばって、寄席へ来てもろて、あんたが出る時、ようよう〆団治いうて、パチパチ手エ敲いて貰うようにせなあかん。そういう心掛けやさかい、あんたはいつまでたっても前座してんならんネやぜ、それに、なんだっせ、いつまでも『無筆の片棒』一点張りではあきまへんぜ。今どき無筆やいうようなこと言うてたら、一生うだつがあがれへんぜ。――なあ、君ちゃん、そやろ?」
 羅宇しかえ屋の婆さんはもう歳で、別人のように声が低かった。それに、丁度その時君枝は水道端の漆喰の上にぺたりと跣足になって、しきりに足洗っていたところ故、水の音が邪魔になって、羅宇しかえ屋の婆さんの声が聴きとれなかった。水道端の裸電球の鈍いあかりが、君枝の足を白く照らしていた。
「なに。おばちゃん。おばちゃん今なんぞ言うたやろ?」
「聴えへんかったんか。難儀な娘《こ》やな。――〆さんがな、いつまでも……」
 言いかけて、羅宇しかえ屋の婆さんは話をかえて、
「――いつまで、あんた足|洗《あろ》てなはんネ、水は只やあらへんぜ。冷えこんだらどないすんねん?」
「そない言うたかて、良え気持やもん」
 と、君枝は両足をすり合わせ、
「――明日はまた一日立ちずくめやさかい、マッサージして置かんと……」
 言いながら、ふと空を見ると、星空だった。
 君枝はいきなり、きんきんした声をあげて、
「〆さん、あんたアンドロメダ星座いうのん知ったはる?」
「なんや? アンロロ……? 舌噛ましイな――根っから聴いたことおまへんな。そんな洋食できたんか?」
「阿呆やな。洋食とちがう、星の名や」
 君枝は肩をくねくねさせて笑い、
「――ほな、南十字星は……?」
「学がないおもて、そない虐めなや。しかし、おまはんはえらいまた学者になったもんやなあ」
「そら、もう……」
 と、君枝は足を拭きながら、ぺろッと舌を出し、明日の夕方は中之島公園で次郎ぼんに会うのや。いそいそ下駄をはいていると、あまい気持がうずくように来て、あ、いけない、これが恋とか愛とかいうもんやろか。胸を抱くようにして呟いているところへ、お渡御が済んだらしく、他吉と種吉がとぼとぼ帰って来た。
 君枝はいきなり胸が痛み、埃まみれの他吉の足を洗ってやるのだった。
 他吉は余程疲れていたのか、〆団治が、
「こうーっと、南十字星てどの方角に出てる星やろか?」
 と、しきりに空を仰ぎながら言ったのへ、
「あんぽんたん! 南十字星が内地で見えてたまるかい。言うちゃなんやけど、あの星はな、わいがベンゲットやマニラにいた時、毎晩見てた星やぞ。あの星を見た者は、広い大阪に、このわいのほかには沢山《たんと》は居れへんネやぞ、見たかったら、南へ行け、南へ!」
 と、言ったあと、涼み話の仲間入りをしようともせず、這うようにしてあがった畳の上へごろりと転がると、君枝がつくって置いた冷しそうめんも食べずに、そのまま鼾だった。
 君枝は今日次郎に会ったことを言いそびれた。
 言えば、他吉はびっくりもし、喜びもするだろうと思ったが、他吉の知らぬ間に次郎と会うたことがなにか済まないような気がするのだった。
 その癖、次郎のことを口にだしたくて仕方がないのだ。寝転んでいる他吉の上へ蚊帳を釣りながら、よっぽど起して、そうめんを一緒に食べながら、次郎のことを言い、プラネタリュウムの話もしようと思ったが、ぐんなりして鼾をかいている他吉の寝顔を見ると、起す気にはなれなんだ。
「明日の朝話そ」
 君枝は呟いたが、朝起きざまに、今日は次郎に会うのだという考えが、ぽっと頭に泛ぶと、やはり君枝は次郎のことを言いそびれてしまった。

     5

 お渡御《わたり》に出て、すっかり疲れ切っていたが、しかし、他吉は夜が明けて路地の空地で行われる朝のラジオ体操も休まなかった。
 そして、いつものように夕方から俥をひいて出て、偶然通りかかった難波橋の上から、誰やら若い男と一緒にボートに乗っている君枝の顔を、ボートの提燈のあかりでそれと見つけた。
 客を乗せているのでなければ、俥を置き捨ててそのまま川へ飛び込み、ボートに獅噛みついてやりたい気持を我慢して、他吉は客を送った足ですぐ河童路地へ戻り、
「ああ、やっぱり親のない娘はあかん。なんぼ、わいが立派に育てたつもりでも、到頭あいつは堕落しくさった」
 と、頭をかかえて腑抜けていると、一時間ばかり経って、君枝はそわそわと帰って来た。
 顔を見るなり、他吉は近所の体裁を構わぬ声を出した。
「阿呆! いま何時や思てる。もう直きラジオかて済む時間やぜ、若い女だてらちゃらちゃら夜遊びしくさって。わいはお前をそんな不仕鱈な娘に育ててない筈や。朝日軒の娘はんら見てみイ。皆真面目なもんや。女いうもんは少々縁遠ても、あない真面目にならなあかん。今までどこイ行てた?」
「中之島へ行ててん」
「やっぱり、そやな」
 他吉はがっかりした眼付きをちらっと光らせて、
「じゃらじゃらと、若い男と公園でボートに乗ってたやろ?」
 睨みつけると、
「お祖父ちゃん見てたの?」
 と、君枝はどきんとしたが、知れたら知れたで、かえって次郎のことが言い易くなったと思い、
「――それやったら、声掛けてくれはったら、良かったのに。次郎さんかて喜びはったのに……」
「次郎さんてどこの馬の骨や?」
「蝙蝠傘の骨を修繕したはった人の息子さんや」
 君枝はくすんと笑った。
「次郎ぼん――かいな」
「そや」
「ほんまに次郎ぼんか」
 他吉の眼はちょっと細まった。
「なにがうちが嘘いうもんかいな」
 君枝は昨日次郎ぼんにあったいきさつを話して、
「――これ、次郎ぼんが引伸してくれはってん」
 マラソン競争の写真を見せると、他吉もその写真のことは知っていて、
「こらまた、えらい大きに伸びたもんやなあ。ほんまに、これ次郎ぼんが引伸したら言うもんしよったんか。ふうん。ほな、次郎ぼん、もう一人前の写真屋になっとるんやなあ。――銭渡したか」
「そんなもん受け取りはるかいな」
「なんぜや? なんぜ受け取れへんねん? 商売やないか。うちだけただにして貰たら、済まんやないか。きちんと渡しときんかいな。どうせ、口銭の薄い商売やさかい……」
「何言うてねん? なにも写真屋が商売とちがう。写真は道楽にやったはるだけや」
 君枝が言うと、他吉は、
「道楽……?」
 と、聴き咎めて、
「――ほんなら、何商売して食べとんねん、あいつは……?」
「潜水夫したはんねん」
 次郎から聴いたことをすっかり話すと、他吉は唸った。
「えらい奴ちゃ。人間は身体を責めて働かな嘘や言うこと忘れよらん。あいつはお前、夕刊配達しとった時から、身体を責めて来よった奴ちゃし、わいがよう言い聴かせといたったさかいな」
 他吉はなんとも言えぬ上機嫌な顔になったが、しかし、それならそれで、次郎ぼんの奴なぜ路地へ挨拶に来ん、君枝だけにこっそり会うのはけしからんとすぐ眼を三角にして、
「――それにしても、君枝、若い男と女がべたべたボートに一緒に乗って良えちゅう訳はないぜ。だいいち、ボートがひっくりかえったらどないすんねん?」
「それは大丈夫や。次郎さんは潜水夫[#「や」が欠如か]さかい、ひっくり返ったかて……。潜水夫の眼エから見たら、中之島の川みたいなもん、路地の溝みたいなもんや言うてはった。大浜の海水浴は池みたいなもんやて……」
「いちいち年寄りに逆らうもんやあれへん。次郎ぼんであろうが、太郎ぼんであろうが、若い娘が男とちゃらちゃら会うたりするもんと違う。だいいち、次郎ぼんの仕事に差しつかえる。ええか。こんどめ[#「こんどめ」に傍点]から会うたらあきまへんぜ」
 蚊帳の中へはいってからも、他吉の小言は続いた。
 君枝は首垂れて他吉の方に団扇で風を送っていたが、ふと顔をあげると、耳の附根まで赧くなり、
「あのな、次郎さんな、今日、うちと……」
 団扇の動きがとまった。
「――うちと夫婦になりたいと言やはんねん」
「…………」
 他吉の顔の筋肉がかすかに動いた。
 暫らく沈黙が続いた。蚊の音がはげしかった。
 君枝は今日中之島公園で次郎とかわした会話を慌しく膝の上に想い出した。
「――他あやん、いつまで俥ひいたはる気やろな。なんぼえらそうなこと言っても、やっぱり歳は歳やさかい……」
「――隠居してくれ言うても、なかなか隠居してくれしめへんねん。うちに甲斐性が無いさかい……」
「――そんなことは無いやろけど……。他あやんにしてみたら、早よあんたに良えお婿さんを貰て、それから隠居しよ思たはるのんと違うやろか」
「――さあ。いつぞやそんなことも言うてましたけど……。お前の身がかたづいたら、わいはもういっぺんマニラへ行こ思てるねんて……」
「そんなら、余計はよ結婚せないかんね」
「――まあ。意地悪《いけず》なことよう言やはるなあ」
「――そうかて、そうやないか。好きな人あったら、はよ結婚して、他あやんを安心さしたらな、いかんぜ」
「――知らん。うち結婚みたいなもん、せえへん。好きな人みたいなもんちょっともあれへん。それに、うちひとりやったらともかく、お祖父ちゃんの面倒まで見てくれるいう人今時あれへんわ。うち、お祖父ちゃんの生きてる間、結婚せえへん」
「――そんなこと言うたら、余計他あやんを苦しめるもんや」
「――そやろか。しかし、それよか仕様ない。ほかに仕様があれへんわ」
「――ないこともないがな。たとえばやな……。たとえば、僕と結婚したら……」
「――あんた、平気で冗談《てんご》言やはんねんなあ」
「――冗談や思てるのん?」
「――ほな……?」
「――うん」
 想いだしていた君枝はまた顔をあげて、
「次郎さんやったら……」
 お祖父ちゃんの面倒もみてくれる、三人で住めば良いのだと、もじもじ言うと、
「阿呆!」
 蚊帳の中から他吉の声が来た。
「――もうこれから、どんなことあっても、次郎ぼんと会うたら、あきまへんぜ。次郎ぼんにもそない言うとく。次郎ぼん今どこに住んどオるねん?」
 それから五日経った夜、他吉はなに思ったか、いきなりこんなことを言いだした。
「お前ももう年頃や。悪い虫のつかんうちにお祖父《じ》やんのこれと見込んだ男と結婚しなはれ。気に入るかどないか知らんけど、結婚いうもんは本人同志が決めるもんと違う。野合《どれあい》にならんように、ちゃんと親同志で話をして、順序踏んでするもんや。明日の朝が見合いいうことに話つけて来たさかい、今晩ははよ寝ときなはれ」
「うち、いややわ」
 君枝はもう半分泣きだしていた。
「なんぜ、いややねん? なんぞ不足があるのんか?」
「そらそやわ。そない藪から棒に見合いせえ言うたかて、何したはる人かわからへんし……」
「お前にはわからんでも、お祖父やんには判ってたらそいで良え。まさか、肥くみもしとれへんやろ?」
「写真もまだ見てへんし……」
「写真、写真て、写真がなにが良えのや。次郎ぼんに写真きちがいを仕込まれやがってエ……」
 叱っているが、眼だけは和やかであった。
「――なんでも良え。とにかく見合いしなはれ」
「…………」
 咽の涙を鹹《しお》からく、君枝はしょんぼり味わった。
「するか、せんか。どっちや。返辞せんかい! するか?」
 君枝はうなずいた。

     6

 翌日はまるでわざとのように雨であった。
「なんの因果でまた、こんな雨の日に見合いせんならんねん」
 君枝はしょんぼりして、この五日間祖父のいいつけを守って次郎に会わなかったことが後悔された。いや、中之島公園で会った翌日、勤めが済むと、早速約束して置いた場所へ出掛けたのだが、次郎は来なかったのだ。祖父が次郎のところへ掛け合いに行ったせいだろうと、すごすご帰った時の悲しみが、降るようにして、いま胸へ落ちて来た。
 が、他吉は上機嫌で、
「雨が降っても、見合いの場所は地下鉄のなかやさかい、濡れんでも良え。どや、お祖父やんは抜目がないやろ?」
「…………」
 他吉は高下駄をはき、歩きにくそうであった。
 ところが、難波駅の地下へ降りて行くと、さきに来て地下鉄の改札口で待っていたのは、思いがけぬ次郎で、傍には鶴富組の主人が親代りの意味らしく附き添うていた。
 君枝はぼうっとして、次郎が今日の見合いの相手だとは、どうしても信じられず、さっと顔色を変えたくらいであった。
 が、次郎の眼に恨みの色などすこしもなく、取り済ましているが、またとない上機嫌の表情がぴくぴく動いていて、どう見ても今日の見合いの相手であった。
 それとわかると、君枝は今日の見合いに、クリームひとつつけて来なかったことがにわかに後悔され、嬉しさと恥かしさで下向くと、地下鉄の回数券が一枚よごれて落ちているのが眼にとまり、今この時これを見たことは、生涯忘れ得ないだろうと、思った。
 鶴富組の主人を中心に改札口での挨拶が済むと、一しょに階段を降りて行き、次郎と鶴富組の主人は梅田行きの地下鉄に乗った。君枝と他吉はそれを見送り、簡単に見合いが終った。
「そんならそれと、はじめから言うて呉れたら良えのに……」
 何も一杯くわさずともと、君枝は階段に登りながらちょっとふくれて、
「――こんな汚い顔して、鶴富組の御主人かて笑たはるこっちゃろ」
 本当は次郎が笑っているだろうという気持を含めて、そう言ったが、しかしあとで大笑いの酒という茶番めいたものもなく、若い次郎はともかく、他吉も鶴富組の主人も存外律儀者めいた渋い表情であった。
 とりわけ、他吉は精一杯にふるまい、もし君枝が鶴富組の主人に気に入らねばどうしようという心配も、はらはら顔に出ていた。
 君枝の器量は他吉の眼からも、人並みすぐれて見えたが、そんなことは次郎はともかく鶴富組の主人にはどうでも良い筈だ。
 だから、他吉にしてみれば、君枝を何ひとつ難のない娘に育てたという気持は、ひょっとすれば大それた己惚れであるかも知れず、それに比べて、次郎は三日前鶴富組の主人が他吉に語ったところによると、人間はまず年相応に出来ているし、潜りの腕もちょっと真似手がなく、おまけに眼もおそろしく利いて、次郎が潜ってこれならばと眼をつけた引揚げ事業で、これまで失敗したことがないということだ。
「――今やって貰っている仕事は、ほんのけちくさい仕事で、花井君には気の毒なようなもんだが、しかし、これが済むと、大きな奴がある。今ちょっとここで言うわけにはいかぬが、日本のサルベージでなくてはちょっと手が出せぬという……、そう、沈船浮游だ。これに花井君の身体がどうしても要るのだ」
 へえと他吉は感心して、さそくに話を纒める肚がきまったのだ。
「――それに何ですよ。時局がこういう風になって来ると、花井君などもうわれわれ個人会社にいつまでも居る人じゃない。いつなんどき海外へ出て、沈船作業に腕をふるって貰わねばならんようになるかも知れない。だから、余程しっかりした奥さんでなくっちゃ」
「いや、その心配は要りまへん。わたいもこう見えても、もとは比律賓のベンゲットで働いて来た人間だす。婿をマニラで死なしても居ります。その点は、よう君枝に仕込んでありまっさかい」
 よしんば形式だけにしろ見合いという順序を踏んだのは、ひとつには、ともかくうちの孫娘を見てやってくれ、という自信からだったが、さすがに他吉は心配だったのだ。
 ところが、鶴富組の主人は、一風変った一見識あり、タクシーの案内係の制服のまま見合いに出て来たという点が何よりまず気に入った。
 鶴富組の主人は大きな事業をやり、随分金もありながら、汽車はいつも三等に乗るという人であった。
「一等や二等に乗ったからって、早く着くわけじゃない」
 というのが持論であった。
 そうして次郎と君枝は市岡の新開地で新世帯をはじめたが、新居でおこなわれた婚礼の晩ちょっとしたごたごたがあった。
 おひらきが済んで、他吉が〆団治といっしょに帰ろうとすると、次郎と君枝は引き止めて、
「お祖父やん、今日は家で泊ってくれはれしまへんのんか?」
「当り前やないか」
 他吉に代って、〆団治が答えた。
「――若夫婦のところへ、こんな老いぼれの他あやんが居てみイ。陰気臭いやら邪魔ややら」
 〆団治は口が悪かったが、他吉は今夜は怒らなかった。ふん、ふんと上機嫌にうなずいている。
「まあ、いやな〆さん」
 白粉の奥が火を吹いた。次郎もちょっと照れたが、
「ちょっともそんな遠慮要らへん。今夜は泊ってくれはるやろ思て、ちゃんと寝床《ねま》もとっといたのに……もう、帰りの電車もあれしまへんやろ」
「無かったら、歩いてかえる」
「ここから河童路地まで何里ある思てんのん? お祖父ちゃん、〆さんにひとり帰ってもらうのん気の毒やったら、あとさし[#「あとさし」に傍点、底本では「あとさ」に傍点]ででも一緒に寝て貰たらええがな……」
「いや、帰る。何里あろうが、俥ひいて走るよりは楽や。なあ、〆さん。退屈したら、お前の下手な落語でもきかせて貰いながら歩くわな」
「どついたろか、いっぺん」
 〆団治は他吉の頭の上で、拳をかためて見せた。
 次郎は笑って、
「それなら、今夜はまあ、気を利かせて貰うことにして、明日からずっとこの家へ来てもらいまっせ。もうそろそろお祖父やんにも隠居して貰わんならん、なあ、君枝」
 すると、他吉[#「他吉」は底本では「他君」と誤記]はあわてて手を振った。
「阿呆なこと言いな。わいはまだまだ隠居する歳やあれへん。此間《こないだ》も言うた通り、わいは明日の日にでも発って、マニラへ行こ思てるねん。君枝の身体ももうちゃんとかたづいたし、思い残すところはない。ベンゲットの他あやんも到頭本望とげて、マニラで死ねるぞ」
 振った手を握りしめると、痛々しく静脈が浮き上った。それをちらと眼に入れて、次郎は、
「何言うたはりまんねん。そらお祖父やんがマニラへ行きたい気イはわかるけど、その歳でひとりマニラまで行けるもんですか? なあ、〆さん」
「当りきや」
「それに、お祖父やん、昔とちごて、こんな時局になったら、日本人がおいそれとたやすく比律賓へ渡れますかいな。移民法もなかなかむつかしいし……」
「ベンゲットの他あやんが比律賓へ行けんいう法があるかい」
「あるかい言うたかて、法律がそうなってるんやから、仕方ない。嘘や思たらその筋へ行ってきいて見なはれ」
「そやろか?」
 他吉はがっかりした顔だった。
「それに、よしんば行けたとしても、いま、お祖父やんに行かれてしもたら、淋しゅうて仕様ない。なあ〆さん」
「そやとも、他あやん、お前が行かんでもマニラは治まる。お前が行てしもて見イ、わいはひとりも友達が無いようになるがな」
 〆団治にも言われると、
「それもそやなあ」
 と、他吉は精のない声をだした。
「――お前ら寄ってたかって巧いこと言いくさって、到頭マニラへ行けんようにしてしまいやがった。しかし、言うとくけど、これは今だけの話やぜ。行ける時が来たら、誰が何ちゅうてもイの一番に飛んで行くさかい、その積りで居ってや」
 これが僅かに他吉の心を慰めた。
「宜しおますとも、その時はその時の話、とにかくようマニラ行き諦めてくれはりましたな」
 君枝は次郎と他吉の顔をかわるがわる見ながら、
「――そんなら、今も言うた通り、明日からこの家へ来とくなはれや。荷物はうちが便利屋に頼んで、持って来てもらいまっさかい」
 そう言うと、他吉は、
「お前までわいに隠居せえ言うのんか。なんの因果でわいが河童路地を夜逃げせんならん」
 いつにない強い口調だった。
「そうかて、うちが結婚したら、隠居する、三人で一緒に住むいう約束やったやないか、お祖父ちゃんにまだ河童路地に居てもらうくらいやったら……」
 結婚するんじゃなかったと言い掛けて、君枝は次郎の顔を見てはっとした。
 次郎[#「次郎」は底本では「欠郎」と誤記]の顔は蒼ざめていた。その顔を横向けたまま、次郎はふるえる声で言った。
「そら、そやろ。河童路地からこんな汚い家へ来るのは、恥かしいやろ。夜逃げ同然でなけりゃ、来られんやろ。そんな気イやったら、なにも来てもらへんでも宜しい」
 次郎はかっとなる性質だった。
「――どうせ僕は甲斐性なしです。気に入らんかったら、君枝を連れて帰ってもらいましょう」
 次郎は本当に他吉が好きで、一緒に住みたかったのだが、ひとつには、他吉を引き取るくらいの甲斐性者になったことを、皆んなに見てほしかったのである。だから、〆団治の前で、それを他吉に断られたのが、心外だったのだ。〆団治がその場に居らなかったら、次郎はこうまで腹が立たなかったであろう。
「なにッ? もういっぺん言ってみイ」
「ベンゲットの他あやん」の声が久し振りに出た。
「――わいがお前らの厄介にならん言うのを、そんな風にとってたんか、阿呆!」
 雲行きが怪しくなったので、〆団治はあわてて、
「まあ、まあ」
 と、仲にはいり、自分でも何を言っているか判らなかったが、とにかく喋りまくって、その場の空気を柔らげた。
「婚礼の晩にむつかしい顔してにらみ合うてる奴があるかい。さあ、笑い、こんな顔しイ」
 〆団治が自分でニコニコした顔をつくって見せると、漸く他吉、次郎の順に固い表情がとれた。
 〆団治に促されて他吉があとに随いて外へ出ると、月夜だった。
 秋の冷え冷えした空気がしみじみと肌に触れた。
「他あやん、おまはんいったい幾つやねん?」
 〆団治が言った。
「五や」
「六十五にもなって、若い者相手に喧嘩する奴があるかいな。しかし、また、なんぜお前はそう頑固にあの二人の厄介になるのを断るねん。君ちゃんかて今孝行せなする時がない思て、やきもきしてるにきまってるぜ」
「孝行してもらうために、育てて来たんとちがう」
 他吉はぼそんと言った。
「なるほど、お前が厄介になって、君ちゃんに気兼ねさしたら、可哀想や言うわけやな」
「それもあるけど……」
 あと他吉は答えなかった。
 翌日、雨だった。
 雨の町を他吉は俥をひいて、ひょこひょこ走っていた。

     7

 半年経つと、安治川での仕事が一段落ついたので、鶴富組の主人はかねて計画していた△△沖の沈没船引揚げ事業に取り掛ることになった。
 そして、新婚早々大阪を離れるのはいやだろうがと、次郎に現場への出張を頼むと、君枝との結婚の際親代りになって貰った手前もあって、当然よろこんで行くべきところを、次郎は渋った。
「あそこはたしかに五十尋はありましたね。今までなら身寄りの者はなし、喜んで潜らして貰ったんですが、どうも女房を貰っちまうと、五十尋の海はちょっと……」
 △△沖の沈没船引揚げ作業は、前にもあるサルベージが手をつけて、失敗したことがあったので、次郎はそれを聴き知っていた。
「そりゃ、なるほど危険なことは危険だが……」
 と、鶴富組の主人は言った。
「――危険は危険だが、それだけにまた、やり甲斐はあらアね。それに、君、説教するようだけど、もう今日じゃ、引揚げ事業ってやつは、一鶴富組の金儲けじゃないんだからね。女房も可愛いだろうが、そこをひとつ……」
「そう言われると辛いんです。おっしゃられるまでもなく、引揚げって奴は国家的な仕事だってことは、よう判っています。判ってはいるんですが……」
「やっぱり女房は可愛いかね」
「いや、女房だけじゃ良いんですが、祖父さんのことを考えると、うっかり……。そりゃ、あの祖父さんのことですから、僕が死んでも立派にやって行ってくれるでしょうけど、しかし、あの祖父さんもこれまでに一度婿を死なしていますから……」
 と、次郎はこれを半分自分への口実にしていた。
 実は次郎は近頃潜水夫の仕事が、怖いというより、むしろ嫌になって来ているのだった。
 つい最近、桜橋の交叉点でむかし品川の写真機店で一緒に奉公していた男に出会った。立ち話にきくと、今では堺筋に相当な写真機店を出しているということだった。
「君もあの時辛抱してりゃ良かったのに」
 言われて、それもそうだなと思ったその気持が、相当強く働いて、一生その日稼ぎの潜水夫で終ることが情けなく思われたのである。
 人間は身体を責めて働かなあかんという他吉の訓《おし》えを忘れたわけではなかったが、どれだけ口を酸っぱく薦めても、いまだに隠居しようとせず、よちよち俥をひいて走っている他吉を見ると、それもなにか意固地な病癖みたいに思えて、自分はやはり呑気な商売をと、次郎は考えだしていたのだった。
 他吉は国際情勢が自分のマニラ行きを許さぬと判ってから、大きな声も出せぬくらい腑抜けていた。ひとつには、君枝をかたづけたという安心からであった。他吉の眼からは、次郎は働き者で、申し分ない婿に見えていたのだった。
 ところが、次郎が鶴富組の主人の依頼を断ったことを聴きつけると、他吉は二十も若がえった。
 他吉は血相かえて次郎の家へ飛んで来て、
「潜水夫が嫌になったとは、何ちゅう情けない奴ちゃ。鶴富組の御主人も言うたはったが、今に日本がアメリカやイギリスと戦《や》ってみイ。敵の沈没船を引揚げるのに、お前らの身体はなんぼあっても足らへんネやぞ。五十尋たらの海が怖うてどないする? ベンゲットでわいが毎日どんな危い目エに会うてたか、いっぺん良う考えてみイ。お父つぁん[#底本では「お父っあん」となっている]生きてたら、蝙蝠傘でど頭《たま》はり飛ばされるとこやぞ」
 と、呶鳴りつけ、
「――わいらのことは心配すんな。お前にもしものことがあっても、君枝はわいが引き受けた。わいが死んだあとは、君枝が立派に後家を守って行く。そういう風にわいは君枝を育てて来たアる筈や。心配はいらんぜ。お前がそういう心配をしたら、どんならんと思えばこそ、わいはお前らの厄介にならんと、ひとりでやって行こ思て……」
 今なお俥をひいている此の俺を見ろと、他吉はくどくど言ったが、次郎は父親似の頑固者だった。
 口で言うても分らぬ奴だと、しかし、他吉はさすがに孫娘の婿に手を掛けるようなことはせず、その代りなに思ったか、君枝を河童路地へ連れ戻した。
 あっという間のことだったから、次郎は腹を立てたり、まあ待ってくれと言う余裕もなく、あっけに取られてしまった。君枝はそういう他吉の流儀に馴れていた。
 君枝の婚礼の時、朝日軒のおたかは例によって頭痛を起して三日寝こんだ。だから、君枝が河童路地へ戻って来たのを、それみたことかと人一倍喜ぶのは普通ならおたかをおいてほかになかったが、丁度その時には朝日軒一家はもう河童路地の入口には居なかった。居たたまれないわけがあったのだ。
 ありていに言うと、一番末の娘(といってももう三十歳だが)の持子が、姙娠したのだ。いってみれば、姉たちをさし置いて姙娠したのだ。
 弁士の玉堂がきいたら悲観するところだったろうが、彼は七年前に河童路地を夜逃げしていた。トーキーが出来てから、弁士では食って行けず、暫らく紙芝居などやっていたが、それもすたれて、貧乏たらしくごろごろしていたが、ある日忽然と河童路地から姿を消したのだった。最近、梅田附近の露店で手品の玩具を売っているのを見た者があるという。
 姙娠と同時に縁談があった。勿論、相手の男だったが、仲人をいれず、自身でしゃあしゃあ出向いて来て、持子さんをいただけないかと言ったのである。
「物には順序というもんがおます」
 おたかはかんかんになって怒った。今更順序など言いだすのはおかしい。はじめから、順序が狂い過ぎていたのである。
 その男はしかし、一寸考えて、やがて友達を仲人に仕立てて、寄越した。
 ところが、その友達というのが、その男と同じ鋳物の職工で、礼儀作法なぞ何ひとつ知らぬ、いわば柄の良くない男であった。
「うちの持子は女学校を出ていますさかいな」
 おたかはそんな風に言った。その界隈で大正時代に娘を女学校へやった家は数えるほどしかなかったのである。
「――鋳物の手伝いをさせるために、女学校へやったんとちがいます」
「さよか」
 仲人はさっさと帰ってしまった。
 持子は泣いておたかに迫った。
 おたかもはじめて事態を悟り、仲人を追いかえしたことを後悔した。
 そこで、改めて敬助が先方の男に会うた。
 ところが、職人気質のその男は、折角仲人に頼んだ友達の顔に泥を塗られたと言って、かんかんになって怒っていた。
「なるほど、わたいは鋳物の職人です。しかし、お宅もやはり人の頭を刈る職人でっしゃろ。五分々々ですがな。それに、わたいはあのひとのお腹にいる子供の父親でっせ」
 敬助は帰って、おたかに、仲人になった男に謝るようにと頼んだ。
「この歳になって、人様《ひとさん》に頭下げるのは、いやだっせ」
 おたかはなかなか承知しなかった。
「そんなこと言うてる場合と場合がちがうがな。持子のお腹のこと考えてみイな」
 口酸っぱく言われて、それでは謝ってみましょうと、おたかの腹がやっときまりかけた時に、幸か不幸か、持子の相手の男が盲腸をわずらって、ころっと死んでしまった。
 おたかの髪の毛は真っ白になった。持子のお腹は目立って来る。
 朝日軒一家は田辺の方へ引き越した。
「こんどのところは、郊外でんねん。家の前に川が流れていて、ほん景の良えとこでっせ。郊外住いもそう悪いことおまへんさかいな」
 郊外という言葉がおたかの虚栄をわずかに満足させたのだった。
 敬吉は田辺へ移ったのを機会に理髪業をよした。家へ人が出入りするのを避けるつもりもあったかも知れない。
 そして、今では理髪店用の化粧品のブローカーをしているということだった。
「柳吉つぁん[#底本では「柳吉っあん」となっている]の口添えだんねん」
 と、得意そうに種吉は君枝に語った。柳吉の実家は理髪用化粧品の問屋だったことを君枝は想いだし、わざわざ朝日軒のことを自分に言いだした種吉の気持が、微笑ましく判った。
 君枝は次郎と別れて河童路地へ戻って来ても、存外悲しい顔は見せず、この半年の間に他吉がためていた汚れ物を洗濯したり、羅宇しかえ屋の婆さんに手伝ってもらって、蒲団を縫いなおしたりした。
 ひとり者の〆団治の家の掃除もしてやり、そんな時、君枝は、
「――ここは地獄の三丁目、往きは良い良い、帰りは怖い」
 などと、鼻歌をうたった。そして、水道端では、
「うち到頭出戻りや」
 と、自分から言いだして、けろりとした顔をしていたので、ひとびとは驚いたが、しかし、そうして路地へ連れ戻して置けば、次郎はもうあとの心配もなく、かつ発奮して再び潜りだすだろうという他吉の単純な考えを、君枝もまた持たぬわけではなかったのだ。もちろん、次郎が潜りだせば、他吉の気も折れて、もと通り一緒に暮せるだろうとの呑気な気持で、今のうちに祖父に孝行して置こうとせっせと働いていたのだった。
 ところが、ある日、蝶子がひょっくり河童路地へ顔を見せて、君枝を掴えて言うのには、
「あんた、ぼやぼやしてたら、あかんしイ」
「いったい何やの?」
「何やのて、ほんまに、えらいこっちゃ。あんたとこの人が、昨夜《ゆんべ》うちの店へ来て、散財しやはってん」
「えッ?」
 君枝は驚いた。次郎は酒は潜水病のもとだと言って、これまで一滴も飲まなかったのに、いつの間に飲むようになったのかと、本当には出来なかった。
「うちかて商売やさかい、お酒を出さんわけにはいかへんし、といって、あんたの旦那はんにあんまり散財させるわけにいかへんし、ほんまに困ったわ。因果な商売してしもたもんや」
 謝るように蝶子は言った。
「いいえ、そんなこと。ほんまに心配かけてしもて」
 君枝がそう言うと、蝶子はさてといった顔になって、
「しかし、あんたも気イつけんとあかんし。うちとこの主人《おっさん》もこの頃だいぶ考えが変って真面目になって来たさかい、飲ますだけ飲ましてから、あんたとこの旦那はんを二階へあげて、意見するつもりでだんだん訊いてみると、やっぱり酒飲みはるのも無理はないわな」
 潜水夫をやめて他の職に就くつもりで、あちこちと職を探して歩いたところが、なかなか見当らず、といって、意地からでももとの潜水夫に戻るわけにはいかず、おまけに君枝には去られている。当然気を腐らして、酒を飲むようになったのだという。
「――何よりも他あやんがあんたを連れ戻したことを、だいぶ根に持ってはるらしかった。うちの主人《おっさん》も言うてたが、やっぱり男は女房に去られるほど、淋しいもんは、ないらしい。ここを、君ちゃん、よう噛み分けて考えなああきまへんぜ」
「そんなら、潜る気はちょっともおまへんねんな」
 君枝はすっかり当てが外れた想いで、蒼い溜息をついた。
「そういう気は持ったはれへんやろな。わての考えでは、あんたがこっちへ帰ったはる限り、意地からでも潜りはれへんと思うな」
 蝶子は苦労人らしく、しみじみした口調で言った。
「――まあこのまま放って置いたら、ますます道楽しやはる一方や。やっぱり、あんたが帰ってあげんと……」
 日が暮れて、蝶子は粉雪をかぶりながら帰って行った。
 君枝は帯の間に手を差し入れて、暫らく考えこんでいたが、やがて路地を出て行くと、足は市電の停留所へ向いた。
 電車が大正橋を過ぎる頃、しとしと牡丹雪になった。
 境川で乗り換えて、市岡四丁目で降りた。そこから三丁の道はもう薄白かった。傘を持って出なかったので、眉毛まで濡れたが、心は次郎なつかしさに熱く燃えていた。
 ところが、鍵が掛っていた。合鍵をもっていたので、あけて中にはいった。手さぐりで燈りをつけ、見渡すと、火の気ひとつなく、寒むざむとしていた。
 火をおこし、火鉢の傍で何時間か待ったが、次郎は戻って来なかった。この雪の晩にどこを飲み歩いているのかと、君枝は身動きひとつしなかった。
 犬の遠吼えがきこえた。
 だんだん夜が更けて来た。
 炬燵に炭団を入れていると、荒あらしく戸を敲く音がした。
 玄関へ出て見ると、見知らぬ人が立っていて、お宅の主人がトラックにはね飛ばされて、大野病院へはいっているという知らせだった。君枝は立ったまま、ぺたりと尻餅ついた。

     8

 命は助かったが、退院までには三月は掛るだろうという大怪我だった。
「あんぽんたん奴! 働きもせんとぶらぶら飲み歩いてるような根性やさかい、ぼやぼやして怪我もするネや」
 他吉は知らせをきいて言ったが、しかしさすがに怒った顔も見せられず、毎日病院を見舞った。
 君枝はもちろん三等病室で寝泊りし、眠れぬ夜は五日も続いたが、二週間ばかりするといくらか手が離せるようになった。
 その代り、病院の払いに追われだした。もともとはいるだけ使ってしまうという潜水夫の習慣で、たいした蓄えもなく、そのわずかの蓄えも遊んでいるうちに、すっかり使っていた。
 頼りにする鶴富組の主人は△△沖の方へ出張していたし、おまけに、次郎をひいたトラックの運転手は、よりによって夫の死後女手ひとつで子供を養っているという四十女で、そうと聴けば見舞金も受けとれなかった。
「貴女《おうち》が悪いんのんとちがいま。うちの人がなんし水の中ばっかしで暮して来やはったんで、陸の上を歩くのが下手糞だしたさかい、おまけに雪降りの道でっしゃろ?」
 無理に笑って、見舞金を突きかえした。
 女運転手は恐縮して、毎日見舞いに来た。
「そない毎日来て貰たら、恐縮《きずつの》おます。貴女《おうち》も、お忙しいでっしゃろさかい……」
 言うているうちに、君枝はふと、自分も看病の合間に運送屋の手伝いをして見ようかと思った。
 河童路地の近くに、便利屋というちっぽけな運送配達屋がある。引越し道具のほか、家具屋、表具屋、仏壇屋などから持ちこまれる品物の配達をしているのだが、小型トラックがなくなった上に近頃は手不足で折角の依頼を断ることが多いと聴いていたので、君枝は早速掛け合ってみた。
「へえ、あんたみたいな別嬪さんが……?」
 便利屋の主人は驚ろいたが、配達の手伝いなら、時間に縛られることが無いので、看病の合間に出来るし、足には自信があると案外君枝が本気らしかったので、
「そんなら自転車に乗ってくれまっか」
 手当てはもとよりたいしたことは無く背を焼かれるような病院の払いには焼石に水だったが、けれど全くはいらぬよりはましだと、君枝は早速自転車の稽古をはじめた。ひとつには、そうして人手不足の際に働くということが、入院して働けぬ次郎の代りをつとめることにもなろうという気持もあった。
 ところが、ハンドルを握ったとたんに、もう君枝は尻餅をついて、便利屋の前はたちまち人だかりがした。
 君枝は鼻の上に汗をためて、しきりに下唇を突きだして跨り、跨り、漸くのことで動きだすと、
「退《ど》いとくれやっしゃ。衝突しまっせ。危のおまっせ」
 と、金切声で叫び、そして転んで、あはははと笑った。
 亭主が怪我をして入院しているというのに、この明るさはどこから来ているのかと、便利屋の主人はあきれた。
 翌日から君枝は、病院へ便利屋の電話が掛ると、いそいそと出掛け、リヤカーをつけて配達にまわった。
 ある日、仏壇を積んで、南河内の萩原天神まで行った。
 堺の三国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出たのに、昼の一時を過ぎても、まだ中百舌鳥《なかもず》であった。
 里子にやられていた幼い頃のことを想いだしながら、木蔭[#「木蔭」は底本では「本蔭」と誤記]で弁当をひらいていると、雨がぱらぱらと来て、急に土砂降りになった。
 合羽を仏壇にかぶせ、自身は濡れ鼠になりながらペタルを踏み、やっと目的地について、仏壇を届けて帰る道もなお降っていたが、それでもへこたれようとしなかったのは、子供の頃からさまざまな苦労に堪えて来た故であろうか。
 大阪に帰ると、日が暮れた。男なら一服というところを、その足で千日前の自安寺へお詣りした。
 水掛け地蔵の身体をたわしで洗っていると、
「お君ちゃん」
 声を掛けられた。
 もとの朝日軒のおたかが、定枝、久枝、持子の三人の娘を連れて来ていたのだった。
 持子は赤ん坊を抱いていた。
「あら、赤子《やあさん》出来はりましたの?」
 君枝が言うと、おたかは相好くずして、
「見たっとくなはれ」
 いかにも嬉しそうだった。
「――この子が出来てから言うもんは、あんた、娘どもが皆この子を奪いあいして、そら賑やかなことですわ」
 もう四十を過ぎた定枝や久枝がめずらしそうに毎日赤ん坊の奪り合いをしている容子が、眼に見えるようであった。
「肝腎の私《うち》に一寸も抱かしてくれはれしめへんねん」
 持子の声は明るかった。
「そない言うたかて、あんたは乳のます時はいつでも抱けるさかい……。なあ久ちゃん」
 定枝は清潔に澄んだ美しい眼をくるくる動かせて、言った。
「いつもこの通りでんねん。今日かて、あんた、この子の虫封じのお守り貰いに来るのに、一家総出の大騒ぎでんねん」
 おたかのその言葉をきいていると、君枝は思いがけぬ持子の不幸が、かえって一家を明るくしているにちがいないと思った。
「ちょっとうちにも抱かしとくなはれ」
 赤ん坊を抱かせてもらった。
「――良う肥えたはりまんな」
「へえ、そらもう、郊外で空気はよろしおまっさかい」
 おたかは言った。
 別れて、病院へ戻ると、夜、君枝は次郎の寝台の傍で産衣を縫うた。七ヵ月さきに生れるとの産婆の言葉だった。
 次郎は見て眼が熱くなり、
「ああ、魔がさしてた。潜水夫やめよう思たんは、あれは気の迷いやった。怪我した足が泣いとる。元の身体になったら、はよ潜れ言うて、泣いとる」
 ひとりごとのように言い、そして、しみじみと、
「――お前にも苦労させるなあ。済まんなあ」
 と、手を合わさんばかりにした。
「阿呆らしい。水臭いこと言いなはんな」
 君枝はいつもの口調で言い、そしてこくりこくり居眠りをした。
 他吉はそんな風に君枝が働きだしたのを見て、貧乏人の子はやっぱり違うと喜び、
「せえだい働きや」
 と、言い言いして、さもありなんという顔でうなずいていたが、それから半月ばかり経ったある日、ふと君枝がおしめを縫うているのを見て、ああ知らなんだと、にわかに涙を落した。
 そして、腹巻きの中から郵便局の通帳を出して来て、言うのには、
「今までこれを何べん出そ、出そ思たか判らへんかったけど、いや待て、今出してしもて、二人の気がゆるむようなことがあったら、どむならん、死金になってしまう――こない思て、君枝の苦労を見て見ぬ振りして来たんやけど、思たらほんまにわいは、ど阿呆[#「ど阿呆」に傍点]やった。君枝に子《ややこ》が出来てるいうこと、さっぱり知らんかったんや。堪忍してや。むごいお祖父やんや思わんといてや。そうと知ったら、君枝を自転車に乗せるんやなかったんや。あんなえらい仕事をしてるのを、黙って見てるネやなかったんや。よう辛抱してくれたな」
 他吉ははや啜りあげたが、やがて、かさかさした掌で涙を拭くと、
「――ここに八百円あるねん。この金ここぞという時の用意に、いや、君枝の将来を見届けた暁に、死んだ婿の墓へ詣りがてら一ぺんマニラへ行って来たろ思て、その旅費に残して置いたんやが、もうこうなったら今が出し時や。この金で病院の払いをして、残った分を君枝のお産と、次郎ぼんの養生の費用《いりよう》にしてくれ」
「いや、そんなことをして貰たら困る。それはお祖父ちゃんの葬式金に残しといて」
 次郎が手を振ると、
「げん糞のわるいことを言うな。葬式金を残すようなベンゲットの他あやんや思てるのか」
 他吉は眼をむいた。
「そんなら、マニラ行きの旅費に……」
「知らん土地やなし、旅費はのうても、いざという時になったら、泳いででも行くわいな」
 歯の抜けた顔で笑ったが、他吉はすぐしんみりして、
「――それにこの金の中には、君枝が下足番をして貰た金もはいってるんや。遠慮する金やあれへんぜ」
 他吉はついぞ見せたことのない涙を、ぽたりぽたり落した。

     9

 次郎はやがて退院した。そして、君枝のお産が済む頃には、すっかり元の身体になっていた。生れた子は男の子で、勉吉と名をつけると、
「ベンゲットのベン吉やな」
 と、他吉は悦に入った。
 鶴富組の沈没船引揚げ作業はまだ了っていなかった。
 次郎が電報をうつと、スグコイマッテイルとの返事だったので、喜んで行こうとすると、君枝はもじもじしながら、
「うちも一しょに行くわ。潜水船の喞筒《ポンプ》押しに」
 と、言った。
 次郎は驚いた。喞筒押しは、浅い底の土木工事などでは、女人夫三人ぐらいで行われるが、十尋二十尋ではもう女の力に余って、六人から八人もの男の力を借らねばならない俗に「喞筒押し一升飯」といわれるほどの労働なのだ。
「女にはとても出来んよ」
 そう言うと、君枝は、
「うち今まで毎日お祖父ちゃんの俥のタイヤに空気入れてたさかい、喞筒押しするのん上手やし。こない言うて、なんやこう、あんたに離れるのがいやで言うみたいやけど……」
 ぽっと赧くなった。
 そんな君枝が次郎にはたまらなく可愛かった。
「そんなら一しょに行ってもらほか。喞筒押しでなくても、ホース持ちなら出来るやろ」
 ホース持ちは、空気の過不足の合図を受ける大切な役目で、昔は潜水夫の妻がこれをしていたのである。
 鶴富組の主人は腕利きの潜水夫が無くて弱っていたところだったので、次郎と君枝が現場へ現われると、
「よく気が変ってくれたもんだね」
 と、喜んだ。次郎は、
「人間はたまに怪我もして見んならんもんですよ」
 と、笑って、五十尋の深海へ潜った。
 君枝がホースを持っているのだと思えば、次郎はもうどんな危険もいとわぬ気がして、そして、マニラで死んだという君枝の父親の気持が、ふっと波のように潜水服に当って来るのだった。
 こうして潜っている間にも、祖父さんはよちよち俥を走らせているのだと、静脈の痛々しく盛り上った他吉の手足が泛び、次郎は、自分ももし、君枝の父親と同じように、祖父さんからマニラへ行けといわれたら、もう断り切れぬだろうと思った。
 沈船作業が済んで、大阪へ帰って来ると、間もなくその年も慌しく押し詰り、大東亜戦争がはじまった。
 そして、皇軍が比律賓のリンガエン湾附近に上陸した――と、新聞は読めなかったが、ラジオのニュースは他吉の耳にもはいった。
「ああ、今まで生きてた甲斐があったわい。孫も立派にやってる。曾孫も丈夫に育ってる、もう想い残すことはない。わいの死骸はマニラの婿といっしょの墓にはいるネや」
 と、他吉は大声で叫びながら、府庁へ駈けつけ、実は自分は「ベンゲットの他あやん」という者で、ベンゲット道路の道案内をする者は自分以外にはない。リンガエン湾附近に上陸した皇軍は恐らくベンゲット道路を通ってマニラへ向うと思うが、自分はあのジグザグ道のどこに凸凹があり、どこの曲り角が向うの崖から丸見えかを知っているのだ、バギオにはアメリカの兵舎があり、うっかりベンゲットを通ると危い、どうぞ自分を道案内にしてくれと、頼みこんだ。
「早いことせな間に合えしまへん。早いとこ飛行機に乗せとくなはれ」
「爺さん、いったい幾つやねん」
 係員は他吉の歳をきいて、もう相手にしなかった。
 すると、他吉はいきなり凄んで、
「お前らでは判らん。話の判るのを出せ。知事は居るのんか、居れへんのんか」
 と、「ベンゲットの他あやん」の姿勢になったが、途端にくらくらと目まいがして、ああこないしている間にもベンゲット道路のあの曲り角をタンクが通る、婿の新太郎の墓は、船に積んだらどこまで行きゃアる、歯抜きの辰に二円かえしといてくれ、マニラはわいの町や、一つには、光り輝く日本国、マニラ国へとおもむいた――他吉はあっと声も立てずに卒倒した。
 医者はもう助からぬと言ったが、次郎と君枝の輸血が効いたのか、他吉はじりじりと生き延びた。
 そんなねばり強さはどこから来たのだろうか。
 執拗に保《も》って二月目のある日、〆団治が次郎の家で臥ている他吉を見舞いに来た。
 ところが、〆団治はついぞ着ぬ洋服を着たのは良いとして、まだまだ寒さが去らぬのに、異様な半ズボンでぶるぶる震えていた。
「〆さん、頭のゼンマイ狂たんと違うか」
 君枝はさすがに看病疲れもなく、こんな訊き方をすると、〆団治は、
「さにあらず。実はやな、わいも○○興業の落語の慰問隊たらいうもんに加わって、南方へ行くことになってん。南は暑いと聴いたさかい、今からこの服装や」
 と、言い、水洟をすすりながら、
「わいの落語も南なら受けるやろ」
 嬉しそうに言った。
「お前みたいな老いぼれのあんぽんたんでも、南方へ行けるのんか」
 他吉は聴いて口惜しがり、
「――どうせマニラも陥落したこっちゃし、マニラへも行くんやろ。うまいことしやがんな」
「一足さきに、えらい済まんなあ」
「何がさきや。わいは飛行機で行くさかい、お前の乗ってる船追い抜いて、お前より早よ着くわい。マニラへ着いたら、他あやんが出迎えに来てへんか、眼のやにを拭いて、しっかり見んとあかんぜ。――ところで、何日出発や」
「明後日《あさって》や」
 〆団治が答えると、君枝は、
「えらいまた急やなあ。お祖父ちゃんが元気やったら、駅まで俥に乗せて、見送ってもろたげるのに……」
 と、言った。
「いや、おおけに。そうなったら、わいも一生一代の人力で、えらい晴れがましいとこやけど、他あやんなんぜまたこんな時に病気したんやねん。わいの師匠の初代春団治ちゅう人は朱塗りの人力で寄席をまわって、えらい豪勢やったけど、わいはこの歳になるまで、エレヴェーターには乗ったけど、人力いうもんには、到頭いっぺんも乗らずじまいやった」
「その代り、お前の落語も日本じゃ一ぺんも受けずじまいやったな」
 病気で衰弱していても、他吉は〆団治に向うと、相変らず口が悪かった。
「その代り、向うでは受けるわいな。なんし競争相手が無いさかいな。それにわいの黒い顔は丁度南向きや」
「南向きやて、なんやこう、貸家探してるみたいや」
 君枝は笑った。が、他吉の痛々しく痩せ衰えた顔を見ると、すぐ笑いやんだ。
「向うへ行ったらな、イの一番に南十字星見てこましたろ思てるねん」
 と、〆団治は言った。
「――もう、南十字星てどの方角に出てる星やねんちゅうような、ぼけた[#「ぼけた」に傍点]ことは言わへんぞ。実はな、向うへ行て、空を見て、どれが南十字星か判らんかったら恥やさかいな、昨日うちの会社の文芸部の男に案内してもろて、四ツ橋の電気科学館へ行て、プラ、プラ、プラチナ……」
「プラネタリュウム」
 君枝は言って、赧くなった。次郎とはじめて会うた日のことを想いだしたのである。次郎は今日も築港で仕事していて留守だった。帰って来たら、〆さんがプラネタリュウムへ行ったことを話そうと、君枝はちらと思った。
「それ、それ、そのプラネタリで、南十字星言うもん見せて貰て来てん」
 〆団治が言うと、他吉の眼は輝いた。
 〆団治が帰る頃、他吉はなにを思いだしたか、
「それはそうと、〆さん、マニラへ行たらな、歯抜きの辰いう歯医者を探して昔わいが借りた二円かえしといてんか。この歯を抜いてもろた時の借金や」
 と言い、口をあけて、奥歯を見せたが、息切れして、いかにも苦しそうであった。
「よっしゃ、よっしゃ。歯抜きの辰つぁん[#底本では「辰っあん」となっている]やな」
 〆団治は言ったが、二十何年か前、婿の新太郎がマニラから寄越した手紙で歯抜きの辰はとっくに死んでいると承知している筈だのに、今はこの耄碌の仕方かと、さすがにほろりとした。
 〆団治が帰ってしまうと、他吉は急に精が抜けたようだった。

     10

 二日のち、四ツ橋電気科学館の星の劇場でプラネタリュウムの「南の空」の実演が済み、場内がぱっと明るくなって、ひとびとが退場してしまったあと、未だ隅の席にぐんなりした姿勢で残っている薄汚れた白い上衣の老人があった。
「あ、また、居眠ったはる」
 よくある例で、星空を見ながら夜と勘ちがいして居眠ってしまったのかと、係の少女が寄って行って、
「もし、もし、実演はもう済みました。もし、もし」
 揺り動かしたが、重く動かず、顔が真蒼だった。死んでいたのだ。
 四ツ橋で南十字星を見たという〆団治の話を聴いて、君枝が〆団治らの慰問隊を見送りに行った留守中に寝床を這いだして来ていたのか、それは他吉だった。
 上衣のポケットに新太郎がマニラから寄越した色あせた手紙がはいっていたので、身元はすぐ判った。
 他吉の死骸はもとの寝床に戻った。
 枕元の壁の額に入れられたマラソン競争の記念写真の中から、半分顔を出して、初枝がそれを覗いていた。
 他吉の死骸は和やかであった。
 羅宇しかえ屋の婆さんがくやみに来て、他吉の胸の上で御詠歌の鈴を鳴らし、
「他あやん、良えとこイ行きなはれや」
 と、言うと、君枝は寝床の裾につけていた顔をあげて、
「おばちゃんお祖父ちゃんは、言わんでも、もうちゃんと良えとこイ行ったはる。南十字星見ながら死にはったんやもん。見たい見たい思てはった南十字星見ながら、行きたい行きたい言うたはったマニラへ到頭行かはったんや。お祖父ちゃんの魂は〆さんより早よマニラへ着いたはりまっせ」
 と、言った。
 鈴《りん》の音が揺れた。
 次郎はふと君枝の横顔を見て、ああ、他あやんに似ていると、どきんとした咄嗟に、今度は自分たちがマニラへ行く順番だという想いが、だしぬけに胸を流れた。
 他あやんはついぞこれまで、言葉に出しては、アメリカの沈船を引揚げにマニラへ行けとは言わなんだけれど、〆団治が南方へ旅立つその日、マニラへの郷愁にかりたてられて、重い病気をおして星の劇場へ行き、南十字星を見ながら死んだのを見れば、もう理窟なしに、お前もマニラへ来いと命じられたのも同然だ、いや、君枝を娶った時からもうことは決っていたのだ。これが佐渡島他吉一家の家風だという想いが、なにか生理的に来て、昂奮した胸を張ると、壁の額の写真が眼にとまった。
 鈴の音がしきりに揺れた。
「良えとこイ行きなはれや」
 羅宇しかえ屋の婆さんは泣きながら、
「――寒い時に死んでも、他あやん、お前は今頃は暑い国でよう温《ぬく》もってるこっちゃろ」
 と、言った。誰も笑わなかった。
 鈴の音で寝かしてあった勉吉が眼を覚まし、泣きだした。
 君枝は抱き上げて、
[#ここから2字下げ、底本では3字下げ]
「船に積んだアら
どこまで行きゃアる
木津や難波の橋の下ア」
[#ここで字下げ終わり]
 子供の頃、他吉が俥に乗せて、きかせてくれた子守歌を小声でうたっていると、ぽたぽた涙が落ちて来た。
「今晩は……」
 女の声がした。遠慮がちに低めていたが、それでもきんきんとよく通る声だった。聴くなり蝶子だと判った。
「蝶子はんや」
 君枝は涙を拭いて、
「――あんた、蝶子はん来てくれはりましたぜ」
 と、次郎に言った。
「そうか」
 次郎はかつて、「蝶柳」で遊んで蝶子や柳吉に意見された時のことをちょっと思いだした咄嗟に、
「そうだ、マニラへ行こう」
 声に出して呟いた。
「――君枝ももちろん一しょに行くやろ」
 蝶子はおくやみが済むと、居合わした人へ遠慮しながら、
「ちょっと……」
 と、言って、君枝に眼交した。
 君枝は二階へ上った。蝶子は随いて上って来て、
「あんた、葬式に着るもん持ったはれへんやろ思て、持って来たげてん」
 と、風呂敷包みを君枝に渡した。
「えらい心配かけて、済んまへん」
 君枝は蝶子がその喪服をつくった時のことを知っていた。柳吉の父親の病気がいよいよいけなくなった時、葬式に出られるつもりで、蝶子はそれをつくったのだった。が、参列をはねつけられて、蝶子はどんなにそれを悲しんだことか。
 が、それも今は遠い出来ごとで、蝶子の悩みの種であった柳吉の娘も、去年の暮に結婚して、その婚礼には蝶子も柳吉と一緒に出席したという。
 恐らく、この喪服を貸してくれる今の蝶子の気持にはなにひとつ暗い影は射していないであろうと、君枝は思いながら、受け取った。
「あんたも、両親には縁が薄いし、他あやんはとられてしまうし、ほんまに運がわるいなあ。しかし、次郎さんがしっかりしたはるさかい、心強いわな」
 蝶子はそう言ったあと、
「――主人《うっとこ》もこの頃はとんと真面目になってな、酒は飲まへんし、食物の道楽もせんようになったし、まあ、夜店の洋食焼きを毎晩食べたがるくらいなもんや」
 柳吉のことを嬉しそうに言った。おくやみに来て、亭主ののろけを言うのがいかにも蝶子らしいと、今日一日笑う力を失っていた君枝ははじめて微笑した。
「まあ洋食焼きみたいなもん……」
「そうだっせ、ほんまに情けない。主人《うっとこ》ももうあんた、そろそろ五十や言うのに、いまだにあんな子供みたいなもん食べたがりまんねん。みっともないこっちゃ」
 蝶子はそんな風に言ったが、ふと想いだしたように、
「――この辺にどこぞ夜店出まへんか」
「さあ……? 今日は何の日でしたかな」
「えーと……」
 考えていたが、いきなり膝をたたいて、
「――そうそう、今日はお午の日や。お午の夜店や。帰りに洋食焼き買うて帰らんと、また、小言いわれる」
 ぶくぶく肥満して、屈託の無さそうな蝶子を見ていると、君枝は瞬間慰められて、他吉の死を忘れたが、ふと、遠くの汽笛を聴くと、涙がこみあげて来た。
「勝手なことばっかり喋って……」
 君枝の涙を見て、蝶子はさすがにいい気なことを言い過ぎたことに気がついた。
「そろそろおいとまさせてもらいまひょ」
 立ち上り、階段を降りながら、しかし、蝶子はまた言った。
「――あとで、主人《うっとこ》がお邪魔するかも判れしまへんさかい、なんぞ帳面づけの用事でもあったら、さしとくなはれ。字を書くことでしたら、間に合いまっさかい」
 蝶子はかねがね柳吉の字が巧いのを、自慢していたのである。
「――へえ、おおけに。しかし、お宅かてお忙しいでっしゃろさかい、それに、帳面づけや何やかやは、隣組の人がしてくれはる言うことでっさかい」
 玄関に立つと、蝶子は、
「そんなら、ここで失礼して着せてもらいます」
 と、黒いビロードのコートを羽織った。蝶子の幸福がそのコートに現われているように君枝は思い、なにか安心した。
「さよなら、精落さんようにしとくれやっしゃ」
 蝶子が玄関の戸をあけた拍子に、君枝の眼に空がうつった。
 降るような星空だった。



底本:「織田作之助 名作選集9」現代社
   1956(昭和31)年10月31日初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
※底本に混在している「狭」と「狹」、「髪」と「髮」、「寝」と「寢」、「奥」と「奧」、「労」と「勞」、「来」と「來」、「潜」と「潛」、「プラネタリュウム」と「プラネタリウム」は、それぞれ「狭」、「髪」、「寝」、「奥」、「労」、「来」、「潜」、「プラネタリュウム」に統一しました。また、「伜」と「倅」は底本のママとしました。
※底本に使われている「勘忍」は「堪忍」の間違えと思われるため、すべて「堪忍」に直しました。
入力:生野一路
校正:小林繁雄
2001年9月18日公開
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