青空文庫アーカイブ



大菩薩峠
農奴の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)晒《さら》しの者《もの》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)企てたる段|不埒《ふらち》につき

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)憂心※[#「りっしんべん+中」、第3水準1-84-40]々
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         一

 近江の国、草津の宿の矢倉の辻の前に、一ツの「晒《さら》し者《もの》」がある。
 そこに一個の弾丸黒子《だんがんこくし》が置かれている。往来の人は、その晒し者の奇怪なグロテスクを一目見ると共に、その直ぐ上に立てられた捨札を一読しないわけにはゆかぬ。その捨札には次の如く認《したた》められてあります。
[#ここから3字下げ、罫囲み、1行7字]
この者、農奴の分際を以て恣にてうさん[#「てうさん」に傍点]を企てたる段|不埒《ふらち》につき三日の間晒し置く者也。
[#ここで字下げ、罫囲み終わり]
 この捨札を前にして、高手小手にいましめられて、晒されている当の主は、知る人は知る、宇治山田の米友でありました。
 彼が、この数日前、長浜の夜を歩いた時に、思いもかけぬ捕手と、だんまりの一場を演じたことは、前冊(恐山の巻)の終りのところに見えている。その米友が、今は脆《もろ》くもこの運命に立至って、不憫《ふびん》や、この東海道の要衝の晒し者として見参せしめられている。
 彼は今や、彼相当の観念と度胸とを以て、一語をも語らないで、我をなぶり見る人の面《かお》を見返しているから、その後の委細の事情はわからないながら、右の簡単な立札だけを以て、一応要領を得て往《ゆ》く人も、帰る人もある。ところが、この捨札の意味が簡にして要を得ているようで、実は漠として掴《つか》まえどころがないのです。
 そもそも、「この者、農奴[#「農奴」に傍点]の分際」とある農奴[#「農奴」に傍点]の二字が、わかったようで、よくわからないのであります。事実、日本には農民[#「農民」に傍点]はあるが、農奴[#「農奴」に傍点]というものはない。内容に於て、史実なり現実なりをただしてみれば、それは有り過ぎるほどあるかも知れないが、族籍の上に農奴[#「農奴」に傍点]として計上されたものは、西洋にはいざ知らず、日本には無いはずであります。だが、往来の人は、別段この農奴[#「農奴」に傍点]の文字には咎《とが》め立てをしないで、
「ははあ、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]者だな」
「なるほど、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]でげすな」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]おますさかい」
「ふ、ふ、ふ、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]者めが……」
などと言い捨てて通るものが多い。それによって見ても、農奴の文字よりは、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の文字が四民の認識になじみ[#「なじみ」に傍点]が深いらしい。
 ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]といえば、すでに、ははあ、と何人も即座に納得が行くようになっている。その一面には、農奴は農奴でそれでもよろしい、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]に至っては、赦《ゆる》すべからざるもの、赦さるべからざるもの、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪なることは、まさにこの刑罰を受くるに価すべくして、免るべからざる適法の運命でもあるかの如く、先入的に通行人の頭を不承せしめて、是非なし、是非なしと、あきらめしむるに充分なる理由があるものと解せられているらしい。
 然《しか》らばちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]とは何ぞ。

         二

 ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]は即ち「逃散」であります。現代的に読めば「とうさん[#「とうさん」に傍点]」と読むことが普通である。「逃」をちょう[#「ちょう」に傍点]と読むことと、とう[#「とう」に傍点]」と読むことだけの相違なのです。これを訓読すれば、「逃げ散る」というのほかはない。
 そこで、農奴なる分際のこの晒《さら》し者《もの》は、「逃散」の罪によって、ここにこの刑に処せられているという観念は明瞭になりましたが、それはただ、捨札に表われている文字だけの意味のことであって、これを本人の方より言えば、宇治山田の米友が、ここで、どうして「農奴」という身分証明の下《もと》に、更に「逃散」という罪名を以て、今日この憂目《うきめ》を見なければならない事態に立至ったのか、その観念に至っては、明瞭なるが如くして、未《いま》だ甚《はなは》だ明瞭を欠くのであります。
 米友が、賤民階級に生れ出でたということは、本人自身も隠すことはしない。しかしながら農奴[#「農奴」に傍点]という身分を自称したこともなければ、未だ嘗《かつ》て他称せられたこともありません。やはり米友とても、農業のことを働かせれば働きます。伊勢の拝田村では、宇治橋の河原へ稼《かせ》ぎに出る間は、自宅で相当の百姓仕事をやっていたのです。現に胆吹山の王国では、お銀様の支配の下に、ついこの間まで、極めて僅少の時間ではありましたけれども、鍬《くわ》をとって、あらく切りなどを試みていたくらいですから、やってやれないことはないのですけれども、特に農奴という戸籍に数えられていたわけではない。
 それからまた、「逃散」の罪は、盗みの罪ではない。殺しの罪でもない。大抵の場合に於ては、逃げるとか、走るとかいうことは、本罪ではなくて、いわば副罪ということになっている。すなわち、殺しをし、盗みをしたことなどのために、現地に安住が為《な》し難くなって、それから他領他国へ――或いは天涯地角へ逃げ走る――ということが順序になっている。他領他国へ逃げ走らんがために、殺しをし、盗みをするということはないのです。はたまた、殺しでもなく、盗みでもなく、人の大切の妻女と合意の上で逃げるという事態に於てすらが、その目的は逃げることが本意ではなく、現住地では越ゆるに越えられぬ人為のいばらがあればこそ、彼等は手に手を取って逃げるのである。
 もし罰するとすれば、やはり殺しに於ける、盗みに於けると同じように、私通であり、姦通であり、そのことに罰せらるべくして、逃散そのことに罪があるべきはずがないのです。
 然《しか》るに、この場の晒し者は、これらのいずれもの罪科に適合せずして、ひとり「逃散」が罪になっている。「逃げ走る」こと、或いは逃げ走ったことだけが罪となっている。観念が甚《はなは》だ明瞭なるが如くして、不明瞭なるものではないか。
 にも拘らず、通るほどの人は、いずれもそれに黙会を与えて過ぎ去る。
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]か――」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]ではやむを得ない」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]では、どないにもならんさかい」
 畢竟《ひっきょう》ずるに農奴[#「農奴」に傍点]なるが故に「逃散」が罪になるということは、当時の常識に於て、ほぼ納得せられているらしい。
 然らば、農奴なる者に限っては、殺しもせず、盗みもせず、私通も姦通も行わずして、いわば、なんらの罪というべきものがなくして、ただ単に「逃げ走る」ということだけが罪になるのか。
 事実は、まさにその通りなのである。罪があってもなくても、逃げるということがいけない、逃げるということが罪になる。

         三

 胆吹《いぶき》の上平館《かみひらやかた》の新館の庭の木立で、二人の浪人者が、木蔭に立迷いながら、語音は極めて平常に会話を交わしている――
「ありゃ、身内のものなのです、土地っ子ではありません、ですからこの土地へ来て農奴[#「農奴」に傍点]呼ばわりをされる籍もなければ、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪を着せられる因縁が全くないのです」
と言っているのは、ほかならぬ元の不破《ふわ》の関の関守氏、今やお銀様の胆吹王国の総理です。それを相手に受けこたえて言う一人の浪人者、
「そうでしょう、数日前、拙者の寓居を訪れてから間もない出来事なのです、あの者がこの土地の者でないことは、拙者もよく存じておりました、然《しか》るにこの土地の農者として、あの男一人がちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪をきたという所以《ゆえん》に至っては……」
と言ったのは、過ぐる日、琵琶の湖畔で、釣を試みていた青嵐居士《せいらんこじ》その人であります。この二人の浪人者は至って穏かな問答ぶりでありましたけれども、その問題は、やはり農奴[#「農奴」に傍点]とちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]との上にかかっている。すなわち草津の宿の晒《さら》し者《もの》のことに就いて、一問一答を試みているのであります。
「ちょっと想像がつきません、洗ってみれば直ちにわかる身の上を、ことさらに誣《し》いて、彼をこの土地の農民扱いにして、そうして、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪を着せて晒し者にしたということの処分が、どうも呑込めないのです」
と不破の関守氏が、青嵐居士への受け答えと共に新たなる疑問の主題を提供する。
「それは、ある程度まで想像すればできる、またそれを真正面から見ないで、反間苦肉として見れば、政策的に、時にとっての魂胆がわからない限りでもございませんがね……」
と青嵐居士、透《す》かさず相受ける。すなわち不破の関守氏は、宇治山田の米友が、突然ああしてちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪を着せられて晒されたことの由に相当面食って、その理由内状のほどがさっぱりわからないと言うと、青嵐居士は、その点は多少想像を逞《たくま》しうして、魂胆のほどをも見抜いているところがあるに似ている。
「左様でござるかな」
「左様――あの男とは、先日偶然の縁で、長浜の湖畔で対面しましてな、それから拙者の寓居まで立寄らしめたという因縁がござるが、その節、彼は夜分にもかかわらず、振切って町へ出て、それからついにあの始末です、その間の事情を、人伝《ひとづて》に聞いてみますと、なるほどと思われない事情を含んでいないという限りもございませぬな、あれは一種の人身御供《ひとみごくう》なのですな、当人から言えば、ばかばかしい人違いの罪科で、代官の方から言えば怪我の功名《こうみょう》、ではない、功名の怪我を、そのまま囮《おとり》に使ったという次第であろうと想像するのです」
「なるほど」
 青嵐居士が粘液的に話しぶりを引出すと、不破の関守氏は、他意なく傾聴ぶりを示すのであります。
「後で土地の人に聞きますと、あの晩、思いもかけぬ物凄い一場の場面が、深夜の長浜の街上で行われたそうです。伝うるところによりますと、あの小男はあれで、勇敢無比なる手利きであるそうですな、捕方に向った一方も、その方では名うての腕利きであったが、すでに危なかったそうです。すなわち、さしも腕利きの捕方も、すでにあの小男の一撃の下《もと》に危ない運命にまで立至らせられたものらしいが、半ば以下、形勢が急転して、難なく縛《ばく》についたものらしい。つまりあの小男は、最初のうちは、自分に疚《やま》しいところがないから、理不尽の取押え方に極力反抗したけれども、相手が、わかっても、わからなくても、とにかく正当の職権を以て来ているのを認めたから、ぜひなく縛についたという落着《らくちゃく》らしいのです。ところで縛りは縛ってみたが、連れて来て糺問《きゅうもん》してみると、なんらの罪がない――」

         四

「ははあ、わかりました」
 不破の関守氏は、青嵐居士からの一くさりを聞いて、相当の頓悟があったらしく、二度ばかり頷《うなず》く。
「罪のないものに刑は行えない、刑を行わんとすれば、相当な罪をきせてかからなければならん、そこであの先生、その政策にひっかかったのだな」
「そうです、時節がら、農民おどしの案山子《かかし》に決められたという魂胆なのでしょう、案山子として使用するには、不幸にしてあの男は恰好《かっこう》の条件を備えていたものと認められる」
「ありそうなことです」
 二人はここで、合点して多少の思案にうつりました。
 二人の結論では、宇治山田の米友が、草津の辻で、ああいった運命に落されているのは、要するに時節柄、農民おどしのための案山子として使用せられているのだということの推想と断案とに、あえて異議がないもののようです。
 かりにそうだとしてみても、こういうことをして、あの一人の若者を案山子に使用せねばならない時節柄の、農民の問題の急務ということについては、相当の予備知識がなければならない。
 すなわち、こういうような時節柄であって、もしあやまって土地っ子の一人二人をでも捕えて刑に当て行う段になると、反動を増すばかりである。それをきっかけに暴動を誘発するようなものである。そういう場合に於ては、氏《うじ》も素姓《すじょう》もわからない風来者を捕えて、人身御供にして置けば、人気をそらして、群集を煙に捲くこともできるというものである。その意味の案山子としての使用物件には、米友公あたりは恰好の代物《しろもの》と目をつけられたものらしい。そうなると、案山子に使用せられた彼が運命こそ、不幸にも気の毒至極のものと言わなければならぬ。
 青嵐居士は、かねて長浜にいてお銀様一党の行動を噂《うわさ》に聞いていた。ぜひ一度会ってみたいと、米友にまで、それを言葉にあらわしたことがある。その機縁がもう熟して、ここで二人が対面している。この二人の智者が対面して、談、米友の身の上のことに及んで、その立場がほぼ明瞭になってみると、あれをあのままで見過ごして置くわけにはいくまい。すでに、あれをあのままで見過ごさないとすれば、二人の話題は進行して、いかにしてあの男を救済せんかにある。
 あの男を救済せんとするには、代官を相手にしてかからなければならぬことが、当然わかり過ぎるほどわからなければならぬ。そのお代官も、公儀お代官なのである。徳川幕府直轄の天領お代官ということになる。
 してみれば、二人が打揃って、おとなしく「貰い下げ」運動でも試みようとするようなそんな甘い手では行くまい――だが、多数を率いて示威運動などはこの際、なお悪い――と観念してみたり、或いはまた他に別の手段方法を試むることにでもなるか、いずれにしても、この二人の知恵者が底を割った以上は、あの冤罪《えんざい》の晒《さら》し者《もの》を、あのままで置くわけにはゆくまい。

         五

 徳川時代の法によると、「晒し」というものは、おおよそ三日間を定例とする。三日間を生きたままで晒して置いて、それから生命《いのち》を取るという段取りになっている。その生命を取る方法には、首斬りもあれば鋸挽《のこぎりび》きもある。そのうち、坊主だけは、ただ単に「晒し」だけで生命は取らない。苟《いやしく》も出家の身として「晒し」にかかることは、生命を取る以上の刑罰に価すると認められたのかも知れない。いつのどの頃の大臣の如く、七年も八年も晒し同様の憂目を見せられた上に、更に二年も三年も実刑を課せられるというような深刻な例は、徳川時代にはなかったらしい。
 してみると、あだしごとはさて置き、宇治山田の米友も、出家でない限り、俗人である限り、三日間こうして晒された上で、生命を取られることに運命がきまっている。とすればかわいそうではないか。当人は、この運命を自覚しているや否や、ものすごく沈黙したなりで、決して口をきかない。役人番卒が何と言っても口を利《き》かない。見物が何と言って罵《ののし》っても口を利かない。
 こうして、いよいよ二日間完全に晒されてしまった。明日は三日目の「晒し」である。明日が終れば、「晒し」の方はこれでおゆるしになるが、その代り生命の方を召されてしまう。
 さて、こうして二日間、誰ひとり助けに来ようという者はない。貰い下げを歎願に来ようという者もない。また、多数の威力でデモを以て奪還を試みようとする勇気もない。
 それもまたそのはずです。この晒し者に限って、所番地というものが更にわからない。単に「農奴」としてあるだけで、何の郡の、何村の農奴に属するのだか、その人別が書いてない。書いてないだけではない、事実、いずれの村の農奴だか、この騒ぎの中で誰ひとり見知ったものがないのだから、徒《いたず》らに面食うのみで、同情を表したくも表するきっかけがない。
 そこがまた、役向の見つけどころかも知れません。
 さて、その日の夕方になると、縛られている米友の前へ、二人のひにん[#「ひにん」に傍点]がやって来て、無遠慮に穴を掘り出しました。三尺立方の真四角な穴を掘りにかかりました。
「おい、兄い、よく見て置きな、明日になると、お前のその笠の台と、胴体とが、上と下への生き別れだよ――首が落っこっても痛くねえように、土をやわらかに掘りふくらめといてやるぜ」
と、ひにん[#「ひにん」に傍点]が小声で戯れに晒し者に言いかけました。
 それを聞いていい心持がするはずはない。新聞紙上には、議会が自らの墓穴を掘る、というようなことがよく出ているけれど、文字として無雑作《むぞうさ》に扱う分には何でもないが、墓穴というものを目の前で掘られる心持は決していい心持のするものではあるまい。
 米友は、それを黙って聞き流しました。あえて一言のタンカを切るでもなく、むじつ[#「むじつ」に傍点]を訴えるでもない。明日は、この穴の中へ、自分の素首《そっくび》が斬り落されて、文字通り身首ところを異にする運命をまざまざと見せつけられながら、米友は何も言わない。
 非人が二人で、三尺立方の穴を、ほとんど掘り上げてしまった時分に、通りに林立している見物の群集の中に、
「あっ!」
と思わず口へ手を当てて、面《かお》の色を変えてこの「晒し」を見直したものがありました。

         六

 この男はキリリとした旅慣れたいでたちで、三度笠をいただいていたが、人混みにまぎれて物好き半分、この「晒し者」を一見すると卒倒するばかりに気色ばんだが、やや落着いて、
「どうしたというんです、ありゃあ」
 そっと、ささやくように、傍らの人に問いかけたものです。
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]者ですよ」
「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]てのは……」
「つまり、百姓|一揆《いっき》でござんすな」
「あれがですか、あの男が百姓一揆なんですかね」
「へえ、あれ一人が百姓一揆というわけじゃあございませんな――やっぱり一味ととう[#「ととう」に傍点]の一人なんでしてな」
「あれが……」
「左様でござんす、一味ととうのうちでも、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]を企てた最も罪の重い奴ですから、それであの通り、『晒し』にかかりました、明日あたりは打首という段取りでござんしょう」
「冗談じゃあない――あれが、あの男が、この土地の百姓なんですか」
「そうですなア、さればこそ、ああして『晒し』にかけられるんでげさあ」
「嘘をお言いなさんな」
 あわただしい旅の男が、問答者を相手に気色《けしき》ばんで、
「嘘をおっしゃるな、ありゃあ、この土地の者じゃありませんぜ、あの男は、この国の百姓じゃござんせんぜ」
「でも農奴《のうやっこ》と書いてござんすぜ、捨札をごろうじろ」
「何を書いてあるか知らねえが、あの男はこの土地の百姓じゃあねえ、大違《おおちげ》えだ」
「お前さんの御親類かね」
「ばかにしちゃあいけねえ、お前さんこそ、あの男が百姓だと頑張りなさるんなら、人別《にんべつ》を言ってごらんなさい、どこの何というお百姓さんだか、それを言ってごらんなさい」
「そりゃ知りませんなア、わしゃ、やっぱり通りがかりの者でござんして、人別改め役じゃござんせんから」
「じゃ、何と書いてあるか、読んでごらんなさい、所番地が何と書いてあるか、読んで聞かせておくんなさい」
「それが、ただ農奴だけで、所も、番地も、名前も、記しちゃあござんせん」
「そうらごらんなせえ、あんな百姓があるものか」
「あれが百姓でないとおっしゃるお前さん、ではありゃ何者なんです、御承知なら聞かして下さい」
 今度は、たずねられた方から逆に反問と出かけられると、たずねた方が、やっぱり相当に昂奮して、
「あの男は、ありゃあ、やっぱり旅の者なんだ、ついこの間まで江戸にいた男なんだ、それがお前さん、どうしてこの土地へ来て百姓一揆に加わる暇《ひま》があるもんか、人違いだあね、人違いだよ」
「へえ――」
「人違いで『晒《さら》し』にかかっちゃあたまらねえ、あいつもまた、そんならそのように何とか言えばいいじゃねえか」
「江戸の方なんですか」
「そうだとも、生れはどこか、よく知らねえが、ついこのじゅうまで永らく江戸に住んでいて、こちとらとも附合いがあるんだ、あいつが、どう間違って、江州《ごうしゅう》くんだりまで来て、百姓一揆に加担するなんて、物好きにも、人違いにも、方図があらあ。人違いだよ、間違いだよ――晒される奴も晒される奴だが、晒す奴も晒す奴じゃあねえか」
 ここまで来ると、右の江戸者らしい旅の男はいよいよ昂奮して、舌なめずりをしてみたが、急に、自分の昂奮ぶりと、物の言いぶりが、つい知らず度外《どはず》れになっていたと気がつくと、あわてて自分で自分の口を押えながら、忙がわしく左と右を見廻しました。

         七

 なるほど、そう気がついたのも道理で、この旅の者の物言いぶりがあまり際立ったので、誰も彼もが、晒しを見る眼をうつして、この、ひとり昂奮した旅の者の方へ集中させられるのですから、はっと気がついたのですが、それにしてもこの旅の者が、一方《ひとかた》ならずテレたり、怖れたりする様子が変です。
 あんまり自分の物言いぶりが過ぎたと感じ、彼はテレて、こっそりと口を押えたまま人混みに紛れようと試むるらしい時に、その後ろにいた千草《ちぐさ》の股引《ももひき》をはいて、菅笠《すげがさ》をかぶり、腹掛をかけたのが、ちょっと後ろからすがるようにして、
「モシ」
と問いただしたものです。
「エ」
 呼びかけられてみると、挨拶をしないわけにはゆかなかったが――挨拶というより寧《むし》ろ捨ぜりふで逃げ足と見えたのを、千草股引が、また食留めにでもかかるもののように押迫って、
「あんたはん、あの晒しの男は、この土地の百姓じゃあないとおっしゃいましたか」
「え、その、何ですよ――そうです、そうです、たしかに人違いなんですよ」
と言って、やっぱり振り切るように急ぎ足になるのを千草股引は、透かさず追いかけるようなこなし[#「こなし」に傍点]で、
「お手間は取らせませんが、そこでひとつ、お聞き申したいんですが、あんた様ぁ、あの者の身性《みじょう》をよく御存じなんですか」
「そりゃ、知ってるといえば知ってるがね、そう言ってわっしにおたずねなさる、お前様はどなただね」
「わしは――あの男の身性を知りたいんでして」
「あの男の身性を知りたければ、係り役人にお聞きなせえな、そうでなければ、直接、御当人に聞いてみなせえ」
「お役人は恐《こわ》いでしてね。あの御当人は、根っから口を割らねえんだそうでござんしてな。ところで、あんたはんは、どうやらあの『晒し』の身性を御存じらしい、ぜひ、教えていただきてえ」
 全く、その千草股引は、この旅の男を逃がすまいと畳みかけて問いかけるのを、こちらは非常に迷惑がり、
「お上役人も当人も知らねえものを、こっちが知るかなあ。ただ、ちょっと、見たようなことがあるような気がしただけなんだ、何も知りゃあしねえよ、先を急ぐから、まあ、このくらいで御免なせえ」
 旅の男は、もう全く逃げ足で走り出そうとする。つまり、一時の昂奮から、心にもないことを口走ったことを悔い、こんなことから、変なかかわり合いになってはつまらない――と、素早くこの場を外してしまおうとするものごしでした。それと見て取った千草股引が、急に権高くなって、やにわに飛びかかって参りました。
「待ちろ――逃げちゃあいけねえぞ」
「何を……」
 むんずと飛びついて来た千草の股引は、これは只《ただ》の股引ではありませんでした。充分に腕に覚えのある捕手の一人でした。腕に覚えのあるべきのみならず、前のいきさつを知っている者は、たしかに面《かお》にも見覚えがあるべきはずです。これぞ長浜の夜中の捕物に、現にここに見る宇治山田の米友ほどのものを取って押えて、ここへみごと晒《さら》しにかけるまでの手柄を現わした、あの夜の名捕方――轟《とどろき》の源松という勘定奉行差廻しの手利《てき》きでありました。
 それに飛びかかられた旅の男――もう四の五もない、ぱっちにかかった雀のように、おっかぶされたかと思うと、
「何を、田舎岡っ引め、しゃらくせえ真似をしやがんな」
 武者ぶりつかれてかえって、度胸が据ったらしい旅の男――窮鼠《きゅうそ》猫を噛《か》むというよりも、最初に猫をかぶっていた狐が、ここで本性を現わしたというような逆姿勢となって、
「まだこんなところで手前たちに年貢を納めるにゃ早えやい」
 そこで、またしても大格闘がはじまったかと思う間もなく、旅の男の風合羽がスルリと解けて千草股引の頭の上からかぶさり、その間に股の間をスリ抜けて、一散に逃げました。
「失策《しま》った!」
 さすがの名捕方に空を掴《つか》ませて、身を翻したそのすばしっこさ。同時に摺《す》り抜けて走るその足の迅《はや》いこと――ここに至って、只のむじな[#「むじな」に傍点]でないことの面目が、群集をあっ! と言わせる。

         八

 とりにがした、名捕方の轟の源松は歯噛みをしました。事実、こんなはずではなかった。有無《うむ》を言わさず引括《ひっくく》り上げるつもりであったが、相手を甘く見すぎたのか。そうではない、相手が全く意表に出でたからである。意表に出でたといっても、およそ悪いことをするような奴は、いつでも人の意表に出でなければ立行かない商売なのだから、人の思うような壺にばかりはま[#「はま」に傍点]っていた日には、悪党商売は成り立たないのだから、そういうやからを相手に一枚上を行かなければならない捕方連が、不用意とは言いながら、そう甘い手を用いたはずはないのに、ことに先頃は、ここに見る宇治山田の米友をすら、あのめざましい活劇の下に、最後の鉤縄《かぎなわ》を相手の裾に打込んで首尾よくからめ取ったほどの腕利きが、ここでこんなに無雑作にカスを食わされるとは、気が利かな過ぎるというものであるが――それにはそれでまた理由もあって、実は最初、「待ちろ――逃げちゃあいけねえぞ」と居直った時に、この捕方は早速に相手の利腕をむんずと掴んだつもりでした。ところが掴んだつもりの相手の利腕を掴みそこねてしまったのが意外です。自分ながら腕の狂い方の激しいのに一時、あっとしたが、その掴んだ手ごたえがさっぱりなかったので、はっと狼狽したのも実は無理がない、合羽の下に当然ひそんでいなければならない右の腕が、その相手の旅の男の肩の下に有合わさなかったのです。
 それは、あえて懐ろ手をしていたわけでもなければ、その激しい掴みかかりを引っぱずしたという次第でもない、本来、この旅の男には右の腕がなかったのです。いかな名探偵といえどもないものは掴めない。
 有るべく予期して無かったというのは見込違いではない。誰でも、普通の人間である限り、この合羽の下に二本の腕がある、一方が右腕であれば、一方は当然左腕であることは常識になっている――ところが、この旅の男には、取らるべき利腕の右が存在していなかった。そこでまず殺してかかるべき利腕を殺すことができないのみならず、その掴みそこねたこっちの破綻《はたん》を透かさず泳がせて置いて、間一髪《かんいっぱつ》に摺り抜けてしまったという早業になるのです――摺り抜けた途端が、すでに走り出したことになる。摺り抜けるのも鮮やかなものだったが、その逃げっぷりがまた一層あざやかなもので――敵も、味方も、あっ! と言って、思わず胸を透かさせたと言いつべき切れっぷりでありました。
 ここまで言ってしまえば、当然このすばしっこい摺抜け者が、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という名代《なだい》のやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎にほかならないことは、定連《じょうれん》はみな感づいていないはずはないのであります。
 果して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎は、かくの如くしてこの場を走り出しました。
 一方、名探偵の轟は、ひとまずは不意を食って泳がせられたものの、これをこのまま口をあいて見送っている男ではない。
 かくて、白昼、意外な捕物沙汰が街道を驚かして、この事のセンセーションのために、「晒し」そのものの場は閑却されたのみならず、「晒し」見張りの役人非人までが、轟親分の捕方の方へ気を取られて、バラバラと走り出したという乱脈になりました。

         九

 悠々と八景めぐりをして、大津の旅籠《はたご》へ戻って来た女軽業の親方お角は、戻って見ると、思いがけなくも甲州有野村の伊太夫からたよりのあったのを発見して驚きました。
 伊太夫はすなわちお銀様の父である。自分はこの人からお銀様の附添ならび監督を仰せつかって来たものである。
 その大旦那様が、どうしてまた急に、こっちへお出むきになったのか知ら、なんにしてもこれは、取るものも取り敢《あ》えずに本陣へお伺いをしなければならないと、ともの者共に、そのまま折返して外出を言いつけてから、鏡に向って身なりを直し、髪を掻《か》き上げたのも女の身だしなみです。
 そもそもお角が、かくもゆるゆると八景めぐりをして道草を食っているのは、一つには胆吹へ道を枉《ま》げた道庵先生を待合せのためであったのですが、その先生は、どうやらまた脱線したらしく、まだなんらのたよりもないところへ、有野村の大尽のお越しという便りを聞いたのは、たしかに意外でした。さても自分は、大尽からあれほどに信任されてお銀様の身を托されながら、お銀様の胆吹へ留まることになったのを留める由もなく、実は、自分の力ではとうてい思いとどまらせることができないと観念して、しばらくお銀様の御意《ぎょい》のままに任せて置き、またせん様もあるべしと腹をきめていたのを、今ここへこうして突然に、その頼まれ主の大旦那様に見えられてみると、お角として、いささか面目ない次第のものがある。つまり、頭のおさえてのないやんちゃ娘、へたに逆に出るよりは、するようにさせて置いて、飽きの来た時分を待つに越したことはないと考えたればこそ、お角も、米友と道庵とを振替えて、しばし京大阪で気を抜いてから、またここへ出直してのこと――とだいたいそんなふうに考えて、一時お銀様の監督を敬遠することが最上の緩和と考えた次第なのですが、そのなかばへ大旦那に来られてみると、さて、どう復命をしたらよいか、さすがのお角さんも、その辺に大へん気苦労を生ぜざるを得ないで、大旦那様に会ったらば、この点、どう申しわけをしたらよかろうかと、それをとつおいつ考えてみる。
「お角さん、お前という人も、存外頼み甲斐のないお人だね、お前さんに限って、娘を引廻せると信じてお任せしたのに、娘を胆吹山なんぞへおっぽり出して置いて、自分ひとり八景めぐりなんぞは、あんまり暢気《のんき》過ぎるじゃないか」――もしかして、こんな皮肉を大旦那様から聞かされでもした日には、わたしはやりきれない、困ったねえ……
 まさか伊太夫が、こんなに急に上方《かみがた》のぼりをして来ようとは夢にも思っていなかったお角、差当っての当惑はかまわないとしても、いささか自分の責任感に及ぶとすると、お角さんの気象としてやりきれないのも無理はない。
 しかしまあ、悪いことをしたわけじゃなし、やむにやまれぬ事情はお話し申せばわかって下さること――観念もして、そこはかと身なりをキリリとしたが、さて出かける前に、お手水場《ちょうずば》へ入って落着いてという気分になりました。
 お角さんがお手水場を志して、なにげなく縁側をめぐって、秋蘭の植えてあるお手水場のところへやって来て、開き戸を手軽くあけて、厠草履《かわやぞうり》をつっかけて、内扉へ手をかけて、それを何気なく引いて開く途端――
「おや――」
 お角さんほどの女が、ここでまた一種異様な叫びを立てて立ちすくんだ[#「すくんだ」に傍点]のが、不思議千万でした。

         十

 便所の内扉を開いたままで、お角さんが、「おや」と言って、異様な叫びを立てて立ちすくんだも道理、その便所の中には、先客があって、悠々としゃがみ込んで用を足している最中であったからです。
「無作法千万な!」
 誰でもこう思わなければなりません。このお手水場は、お角さんの座敷に専用のお手水場になっている。そこへ、余人が入っていようとは思いもしなかった。且つまた、誰か臨時に借用したにしたところが、用を足しているならばいるように、内鍵というものもあるし、それが利《き》かないとすれば、咳払いぐらいはしてもよかろうもの、それが作法じゃないか。わたしがここへ来た廊下の足音でもわかりそうなものじゃないか。開き戸をあけた音でも気取《けど》れそうなもの。それを内扉をあけるまで、すまし込んでいて、人に恥をかかせるのはともかく、自分もこんなところを見られていい図じゃあるまい、間抜けめ! とお角が腹が立って、出て来たら横っ面を食《くら》わしてやりたい気持で、扉を外から手強く締め返してやろうとしたその途端に、向うにぬけぬけしゃがんでる奴――しかも女ではない男なんです。そいつが、しゃあしゃあとして、
「こんちは」
と言いました。
「畜生!」
とお角さんは、思わずこういって罵《ののし》ろうとしたが、そのしゃがんでいる奴の面を見ると、
「ナンダ、ナンダ、手前《てめえ》は百の野郎じゃないか、このやくざ野郎」
 お角さんの悪態は悪態にならず、全く面負けの、呆《あき》れ返りの捨ゼリフでした。
 こうして、お手水場の中にわだかまっていた奴は、昔は腐れ合いのがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎そのものに紛れもないのですから、忌々《いまいま》しくってたまらないながら、喧嘩にもならない。
「馬鹿野郎、なんだい、そのザマは」
 お角さんは、続けざまに怒鳴りつけてみたまでですが、中の野郎はいよいよイケ図々しく、お尻を持上げない。
「たまに来たものを、そんなにガミガミ言わずとものこっちゃあねえか――」
「相変らず図々しい野郎だねえ。だが表玄関からは敷居が高くて来られもすまいねえ、臭い奴は臭いところが相応だよ」
「おっしゃる通り表向きには、やって来られねえ身分だからかんべんしておくんなさい」
「どうして、わたしがこの宿にいることがわかったんだい」
「どうしてったって、そこは蛇《じゃ》の道は蛇《へび》だあな、お前がこの街道を、どこからどこへつん抜けて、どこへ泊って、どこそこから立戻って、どこそこへ出かけようというのか、こっちじゃもうちゃんと心得たものなのだ。だが、そんなムダを言いてえがためにわざわざこうして臭エところに待っていたんじゃねえ――こういう辛抱もして、一言お前に知らせをしてやりてえと思うことがあればこそなんだ。と言ったところでなにもお前という女に未練未釈があって、こんな臭エ思いをしているわけじゃねえんだから安心しな。手取早く言ってしまえば、それ、お前のところにいた、あの米《よね》とか友《とも》とかいう変てこな兄いが、どうした間違えか役人にとっつかまって、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]てえ罪で、草津の辻で三日間の晒《さら》し、それが済むとやがて鋸挽《のこぎりびき》になろうてんだ。どうも、むじつ[#「むじつ」に傍点]にしてもあんまり桁《けた》が違い過ぎるようだから、何とかしてやりてえが、おれは世間の暗い身柄で、どうにもならねえ。だが、あの滅法無類の正直者が、何かの間違えでああいうことになって、今日明日のうちに首がコロリという仕儀であってみると、いかにやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎でも、あのまま見過ごしにゃできねえよ、あの男とはお角親方、お前の方がずっと縁が深いと思うから、どうにかしてやんな――三日の晒しの後は、鋸挽か、打首、ここに間近え坂本の城ではねえが、今日明日のうちに首がコロリってえんだ――何とかしてやるがいいと思ったら、何とかしてやりねえな」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]のやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎からこう言われたお角が、また面《かお》の色を変えました。
「何だって、あの友が、米友の野郎がなにかい、草津の辻で晒しにかけられてるって、そうして今日明日のうちに首がコロリだって、そりゃ本当かい」
「嘘を言ってお前をたぶらかすために、こんな臭い思いはしねえよ」
「ばかにしてやがら」
 お角さんが、ここで捲舌《まきじた》を使ったのは、それはがんりき[#「がんりき」に傍点]を罵《ののし》ったのではない。あの一本調子の、気短かの、グロテスクめが、また何か役人を相手にポンポンやり出して、とっつかまったのだろう、だが、相変らず手数のかかる野郎だ。それにしても、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリはひど過ぎる。友という野郎は、本来ああいうキップだが、悪いことは頼んだってする野郎ではない。それをどう間違えたか、三日間晒しの、今日明日のうちに首がコロリとは、役目を預かる奴等にも、あんまり目がなさすぎるというものだ。
 そこで、お角が歯噛《はが》みをして、お手水場の床を踏み鳴らしました。

         十一

 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎といえども、一から十までロクでなし野郎だという限りでもない。それから後暫くあって、臭いところから這《は》い出したこの野郎は、お角親方の特別借切りの一室を一人占めにして、すっかり納まり込み、長火鉢の前で、長煙管でパクリパクリ、そうして煙を輪に吹きながら、ひとり言――
「ふ、ふ、ふ、そうら見ろ、あの女め、火のように怒り出しやがった。だから、言わねえこっちゃねえ、あいつを、ああ嗾《けしか》けて置きぁ、火の中へも飛び込むよ。あの勢いで押しかけて行った日にゃ、やにっこい役人はタジタジだぜ。何とかするよ。何とかしねえまでも、ただじゃあ首にさせねえよ」
と言うのは、つまり、自分の寸法がすっかり図に当ったことを己惚《うぬぼ》れている。いやしくも自分の子分子方であったものが、今日明日のうちに首がコロリという運命に陥っているのを、知らざあともかく、それと聞いて、ああそうかとすまし込んでいる女では決してない。自分としては、あんなところへ面《つら》も体も出せた身じゃねえが、あの女ならばどこまでも押して行くよ。そこを見込んで、かけ込んだおれの寸法が当った。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、その寸法を己惚れきっている。その一方にはこうして、お角を火の玉のようにして転がし出して置きながら、そのあとを然るべき要領で、お角親方の連衆《つれしゅう》の一人にこしらえ、留守番をひとり守っている体《てい》にして、避難と、休息とを兼ねて、ゆっくりと落着くことができる、つまり、一石二鳥にも三鳥にもなるという寸法だ。これから、あの掻巻《かいまき》の中へ、すっぽりとくるまって、めまぐるしいこのごろの湖畔《うみべり》のやりくりの骨休めをすることだ。
「有難え、お茶を一ぺえ――甘えお茶菓子も有らあ」
 そこで、お茶を飲み、菓子を食い、さて、ゆっくり掻巻へもぐり込んで一休みと、足腰をのばしにかかってみると、指が痛む。
「ちぇっ、右の腕はブチ落される、今度は残った左の方を小指からなしくずしなんぞは醜いこった――因縁《いんねん》ものだなあ」
と言いながら、繃帯《ほうたい》を外して捲き換えている。長浜の浜屋で落された指一本の創《きず》あとがなかなか痛い。めまぐるしさにまぎれていたが、安心してみると痛み出す――懐中から薬を取り出して、それをつけ直している。また繃帯を捲き換えてみる。

         十二

 果して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の予想通り、お角さんは火の玉のようになって、この宿を転がり出たのです。
 その勢いで、本陣へ上って伊太夫に面会したが、もうその時は、さきほど心配した自分の責任感のことなどは、いつしかケシ飛んでしまって、晒しの鬱憤で張りきっていました。それでも、つとめて抑制して、伊太夫へは丁寧な挨拶を試みたつもりですけれども、挨拶が済むと早くも暇乞《いとまご》いでした。
「ほんとに、大旦那様、万事ゆっくりとお話し申し上げ、お詫《わ》びも申し上げなければなりませんのですが、急に、急ぎの用事が出来ましたから、これから、ちょっと一走りかけつけて見て参ります、様子を見届けた上で、引返してすぐまたお伺い致します、ほんとに、旅へ出たからって、楽はできません」
 お角さんの余憤満々たるのを、伊太夫は只事でないと見て取ったものですから、
「まあ、落着きなさい、何かお前さん、よっぽど張り切っておいでなさるが、何事が起ったのです」
「いえ、なあに、つまらないことなのですが、うちの若い者が……いいえ、以前うちに使っていた若い奴が、気が早いものですから、旅に出て、失敗《しくじり》をやらかしちまいまして――困った奴ったらありません」
「どうしたのですかな。旅に出ては間違いが起り易《やす》いから、うっかり張りきった気分のままでやると、かえって事こわしになりますよ、何事です」
「いえ、もう埒《らち》もない奴なんでございますが、どう間違えられたか、草津の辻とやらで、晒《さら》しにかかって、今日明日のうちに首がコロリ――と聞いてみると、いい気持は致しません、いい気持どころか、こうして、いても立ってもいられないのが、わたしの性分なんでして」
「まあ、待って下さい、その晒し者のことなら、わしも見ましたよ」
「まあ、大旦那様、あなたもごらんになりましたか、あの米友の奴が」
「名前は何というか知りません、また、あの男がお前さんのかかわり合いの男だということも、はじめて聞くのですが、どうも通りかかって、あれを見て、わしも変だと思いましたわい」
「全く変な奴なんでございます、あの友という野郎は、変った野郎には相違ございませんが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]をしたり、晒しにかかったりするような、気の利いたことのできる野郎じゃないのです、あいつは、天性曲ったことのできない野郎なんですが、それが間違って、晒しにかかった上に、今日明日のうちに首がコロリでは、どうあっても、このままでは済まされません、こうしている間も気が急《せ》くんでございます、あの野郎は、どう間違ったって、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]なんぞをする野郎じゃありません、人違いにも程があったものでございます」
 お角さんの言葉によるとちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]がちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]になっている。ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の説明は前に言った通りですが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]となると僅か一字の相違で、内容も形式も全く別なものになる。すなわちちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]というのは「ばくち」の一種で、丁よ、半よと、輸贏《ゆえい》を争うことの謂《い》いなのであります。これによると、お角さんという人の頭には、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の解釈が成り立っていない、一途《いちず》にちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]と受取ってしまっている。すなわち、丁よ半よと血眼《ちまなこ》になって勝負を争ったことのためにお手入れがあって、それがために捕われてお仕置になっている、と受取る方がお角さんの頭には通りがよい。
 ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちの罪の罪たるべきことはお角さんの頭にもある。ただ、そのちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちを弄《ろう》したということのために、今日明日のうちに首がコロリというのは、ところ柄かも知れないが厳し過ぎる。まして、あの正直一方の米友が、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいち[#「ちょぼいち」に傍点]などにひっかかる人物でないということは、お角親方が頼まれなくとも保証するところである。それがためにお角さんの激昂が一層、煽《あお》られていると見なければならぬ。

         十三

 お角の激昂するのを聞いていた伊太夫は、
「なるほど、そういう場合では、お前さんの気象として、じっとしていられないのも無理はない。だが、相手は何といってもお上役人だから、たとえ理があっても正面からポンポン行くと、かえって事こわしになる虞《おそ》れがある、相当の筋を辿《たど》って、何か穏かな助命方法はないものかね」
 そう言われると、お角さんも馬鹿でないから、昂奮のうちにも、敵を知り己《おの》れを知るの分別が出て来ないはずはない。お上だろうが何だろうが、理に二重はないという勢いで押しかけてみたところで、相手にされなかったらどうする。それを強く押してみたところでどうなる。よし、それはどうなろうとも、当って砕けろだ、ここで後へ引くようなお角さんとはお角さんが違うと言ってしまえばそれまでだが、お角さんの米友と違う点はそこにある。伊太夫は言葉をつづけて言いました、
「そうじて、お上役人というのにぶっつかるには、更に、も一段上から出るか、側面から当るのが最も効目《ききめ》のあるものだ。役人というものは、上役に対しては頭の上らないものだから、天降《あまくだ》りである以上は否も応もない。そうでなければ搦手《からめて》から運動することだ、そこから穏かに話をつけると存外物わかりのよいことがある。名役人というものは上も下もありはしない、理が聞えれば、誰の言葉も聞いてやるが、なかなかその名役人というものはないものでな――だから、天降りとか、搦手とかいうやつが、いつの世でも相当効目があるものなのだ。どうだい、お角さん、そんな意味で何か上の方からこう、運動するような手筋はないかね。わしも一応は、心当りをこれから思案しようと思っているが、何をいうにも旅の身でねえ」
 伊太夫からそう言われて、お角としても、いよいよなるほどと思わせられないわけにはゆかないで、
「御尤《ごもっと》もでございますね……」
と言ってみたが、そのほかには急になんらの思案も浮ばないから、二の句もつげない。なるほど、この大旦那が、甲州一円の土地であるならば、ずいぶん面も利き、圧《おし》もお利きなさろうけれど、この大旦那でさえ、旅の身ではねえと喞《かこ》ち言《ごと》をおっしゃる――まして、女興行師風情のわたしで、どうなるものか、それを考え出すと、腐ってしまわざるを得ない。
 お角さんが、やきもきしながら返答ができないでいる、その心持を伊太夫は充分察することができるから、お角さんから強《し》いて返答を催促するのでなく、自分のこととして自問自答を試みて、
「いったい、この土地は、どこの藩に属しているのかな、水口藩《みなくちはん》か、膳所藩《ぜぜはん》か――そうだとすればここの権者《きれもの》は何の誰という人か、その人に向っての手蔓《てづる》――ただし、彦根の藩中には相当の重役に知り合いがある、そうだ、あれから渡りをつけてやろうか、彦根ならば他の小藩への通りがよかろう。だがもし、いずれの藩にも属していない天領だとなると、幕府直轄のお代官だとなると、事が少々面倒だぜ、御老中差廻しのお代官に悪く出られた日には、大藩でも扱いきれないことがある――さあ、その辺を一つ考えてみないことには……」
 伊太夫は、自問自答式にこうつぶやいて、ようやく思案が深入りして行く途端に、お角さんが、急に声を上げて言いました、
「ああ、いいことがございました、ほんとに、どうしてこれに気がつかなかったんでしょう、わたしという女も、実に頭の悪い女でござんしたよ」
「何か、いい分別がつきましたか」
「大旦那様、誰彼とおっしゃるよりは、新撰組がようござんしょう、新撰組をお頼り申すのが、手っとり早くて、いちばん利《き》き目《め》がありそうでござんす」
「なに、新撰組――」
「左様でございます、とっくにそこへ気がつかなければならないわたしという女の頭が、こんなにまで悪い頭とは思いませんでした、旅の風に吹かれ通したために、脳味噌が少し参ったんでしょうと思います」

         十四

 お角はひとり呑込んで、しきりに意気込んでいる。
 それから、お角が伊太夫に向って、いま京都からこの地方にまで及ぼすところの、新撰組、すなわち壬生浪人《みぶろうにん》というものの威力の、いかに強大であるかということの、たったいま、仕込み立てのホヤホヤの知識を述べ立てました。
 新撰組の行動に就いては、御領主様といえども、お奉行様といえども、これに加うることはできない。当時、名立たる大藩といえども、会津といえども、彦根といえども、これには一目も二目も置く。新撰組に睨《にら》まれた以上は、公儀役人といえども、到底その私刑を免るることはできない。さしも横議横行を逞《たくま》しうする大藩の勤王浪士といえども、新撰組だけは苦手である。「恐山の巻」の百七十六回前後のところに、その威力のほどが見えている。その新撰組の威力を借りる時は、たとえ相手が大藩領であろうとも、天領であろうとも、断じて押しの利かないことはないということの信用を、お角が今、やきもきと思い起して伊太夫に吹聴しました。
 しかして、その新撰組を意のままに駆使するところの大将が近藤勇で、副将が土方歳三《ひじかたとしぞう》である。その副将軍土方歳三とわたしは心安い。つい今の先も、昔の歳どんで附合って来た。その力を借りて、押しきって行けば、何のちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]の一人や二人、事も雑作《ぞうさ》もあるものではない、とお角さんが張りきってこのことを伊太夫に申し出ると、伊太夫もこの際、一応はそれを承認しました。
 というのは、当時、新撰組の及ぼす威力は京洛の天地だけではない。その時代の動静が、かなり敏感に伝えられるところの、甲州第一の富豪の手許まで情報が届いていないということはない。どこまで彼等に全幅の信用を置いていいか悪いかわからないが、この際は、事の思案よりは、急速の実行を可なりとする。時にとっての強力が必要である。そこで、伊太夫も一応お角の提議を承認するまでもなく、お角さんは早くも庄公を次の間まで呼ばせて、
「庄公――お前これから大急ぎ、馬でも駕籠《かご》でも糸目はつけないで、一走り使に行って来ておくれ――ほらあの、新撰組の土方という先生――いいかい、これから山王様までまた駈けつけてもらうんだよ、あそこへ行って歳どんに、わたしがぜひ加勢に頼みたいことがあるって、言伝《ことづて》をしておくれ。わけを言っては長いから、お角親方が大難に出あっている、草津の北の辻で、お角親方が晒しにかけられるという段どりになって、九死一生なんだから歳どんに加勢に来てもらいたい、とこう言って頼んでごらん。もし歳どんがいなかったら、あのやさ男で小天狗と言われた沖田総司という先生でもいいし、永倉新八という先生でもいいから、大急ぎで加勢に来てもらいたいと言ってね――歳どんも、沖田さんも、永倉さんもいなければ誰でもいい、新撰組と名のついたお人ならば誰でもいいから、頼んで来ておくれ。ことによると、どこぞへ引上げておいでなさるかも知れない、今時、新撰組といえば、泣く児もだまるんだそうだから、どこにいたって居所は知れそうなものだ、大急ぎ、九死一生の場合、今日明日のうちに首がコロリてんだから、そのつもりでお前、しっかりやっておくれ」
 こう言いつけて置いて、お角自身も急に伊太夫に向い、
「大旦那様、では、わたしの方もこれから現場へ駈けつけてみますから――時が遅れてはいけません、救いの手が来るまで、どっちみち、現場へ因縁をつけて置いてみることに致します」
 かくてお角さんは、ゆらりと立ち上りました。
 一つは新撰組へ救いの手を求むべく、一つは自身、グロテスクの晒しの現場へ出頭して、水の手の来るまで因縁をつけて置こうとの策戦らしい。

         十五

 お角が立ったあとで、伊太夫は考えている。お角を助けるために来たのではないが、こうなってみると、彼女のために相当の力添えをしてやらなければならぬ事態になっている。
 但し、自分の力の及ぶ範囲ならば知らず、旅へ出ての身である、まして今度の旅は、人も、我も、思いがけない旅である、人に知られたくない旅の身である、彦根の家中の重役には相当|知辺《しるべ》はあるけれども、事改めて、そこへ持ち込みたくない。
 だが、何とかして、側面から、お角が急を訴えている冤罪《えんざい》の者の助命をしてやらなければならぬ。新撰組なるものの威力が、果して間に合うだろうか。いずれにしても焦眉《しょうび》の急である――とりあえず、この宿の亭主からたずねて、きっかけを求めねばなるまい。
「どうもあの女親方が、ああ張り切るのはよくよくのことだろう――何とかしてやらずばなるまい、お前、とりあえず支配地の籍を調べて、役人の筋を辿《たど》って、ひとつ穏かな助命運動ができるものなら、至急その道を講じてもらいたい」
 家来の藤左に向って、伊太夫がこのことを申しつけると、藤左は心得て、宿元からして急速に調べ上げた情報が次の如くです。
 この地に長谷久兵衛《はせきゅうべえ》という鬼代官がいる。名代《なだい》の農民いじめで、年貢不納のものは遠慮なく水牢に入れる。厳寒の節に水の中に立たせる。泣き叫ぶ声が通路まで聞えて、人の身の毛をよだてる。女房娘は遠慮なく身売りをさせたり、自分が没収したりする。たまり兼ねて瀬田の橋から身投げをして果てる男女が続々と相つぐ。
 草津の辻の晒《さら》し者《もの》も、江戸老中差廻しの役人がさせたのか、この地の役人がしたのか、それはよくわからないが、ともかく、この久兵衛が悪い。久兵衛のさしがねでなければ、その献策に相違ない。なんでもかんでもその長谷久兵衛が鬼代官だという情報が、どちら方面からも、期せずして伊太夫の手許《てもと》へ集まって来る。
 してみると、長谷久兵衛なるものは、悪辣《あくらつ》であるだけに権者《きけもの》である。なんにしても、こいつを押えてかかるのが有利だと伊太夫が覚りました。
 押えてかかると言ったところで、力を以て押えてかかるわけにはゆかない。手段方法を以て、この代官から理解してかからぬことには、事は運ぶまい。その代り、この代官の理解さえ届けば、必ずや相当の緩和方法があるに相違ないということに伊太夫が合点して、とりあえず、家来にその運動方法を命じたのです。
 運動方法といったところで、今の場合、さし当り特別の手段方法があるべきはずはない。伊太夫の持てるものとしての力は、その財力です。微行《しのび》で旅に出たとはいえ、甲州一国を押えている力は何かにつけて物を言う。金力が時、所を超越して、権力以上に物を言う場合が大いにある。伊太夫の取り得べき手段方法としては、その有り余る金力を、有効に行使してみる側面運動のほかにはないでしょう。
 しかし、いきなり小判で鼻っぱしを引っこするような真似《まね》はできない。手蔓《てづる》のない、しかも焦眉の急に応ずるための財力の発動としては、その方法に、相当微細にして巧妙なるものがなければ、かえって事を仕損ずる。
 伊太夫は、それを藤左に向って考えさせている。

         十六

 草津の辻のグロテスクな晒し者は、多くの方面にいろいろの衝動を捲き起したが、意外千万なことには、その翌朝になると、「ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]」の罪人として晒された宇治山田の米友の姿は、晒し場から跡を消して、そのあとへ別に一つの「梟首《きょうしゅ》」が行われました。首が晒されているのです。つまり、生きた人間を縛って曝《さら》す代りに、人間の首を切って、そうしてそれを梟《さらし》にかけました。
 さては――と人だかりの中に、血相を変えたものもありました。と、そのうちには、あの無言のグロテスクも、とうとう首になったか、ともかくも生きて晒されている間はまあいいとして、首を斬られて「梟首」に行われるようでは、もういけない。
 あれほど、いきり立ったお角さんはどうした。
 そのところに、まさに右の如く人間の「梟首」が行われていることは事実に相違ないが、よくよく見直した時、いずれも失笑しないものはありません。
「あっ! なあーんだ」
 人間の首がさらされているには相違ないけれども、その首というものが甚《はなは》だ無難なる首でありました。
 木像なのです。木像の首なのです。しかもその木像の首たるや、ほぼ普通人間の三倍ほどある分量を持っていて、木質だけはまだ生々しいのに、昨今急仕立ての仕上げと見えて、その彫刻ぶりが、荒削りで、素人業《しろうとわざ》が、たくまずして七分は滑稽味を漂わせている。
 しかしながら、とにかく、人間の形をした首は首です。その首が、昨日までは米友が全身を以て生きながら晒されておったところに、置き換えられている。しかも、その首を、なおよくよく見るとまた見覚えがある――誰でも相当見覚えがある。束帯《そくたい》こそしていないけれども、冠《かんむり》をかぶっている。その冠も、天神様や荒神様のかぶるような冠ではなく、世に「唐冠《とうかん》」として知られている、中央に直立した一葉があって、両翼が左と右に開いている。古来この冠をかぶった画像、木像に於て、最も有名なのは「豊臣秀吉」である。ことにこの附近は、秀吉の第二の故郷として、その功名《こうみょう》の発祥地と言いつべきですから、この「唐冠」の太閤様は、ほぼ児童走卒までの常識となっている。
「やあ、太閤様が晒し首になっている」
 人も騒げば、我も騒ぐ。
「太閤様の晒し首」
 子供たちは嬉しがって騒ぐが、苦笑せぬ大人とてはない。
 何者がした悪戯か、いたずら[#「いたずら」に傍点]が過ぎる。まさに知善院蔵するところの天下一品と称せらるる豊臣太閤の木像の首を模して、斯様《かよう》な素人細工を急造し、そうして、昨日までの生きた現物と引換えてここへ晒《さら》したものに相違ない。農奴とはり出された宇治山田の米友にとってみれば、今度は、かりにも豊太閤の面影と引替えになったということになってみると、いささか光栄とするに足るというべきだが、太閤の影像にとっては迷惑この上もあるまい。
 何の理由があって、何者がこういう摺替《すりか》えを行ったかということはわからない。無論、有司の仕業ではなく、何者かの最も悪趣味なるいたずら[#「いたずら」に傍点]であることはよくわかる。この時代に於ては、こういうたちのいたずら[#「いたずら」に傍点]が、よく流行したもので、その最も代表的なるものは、京都の等持院の足利家累代の木像を取り出して、四条磧《しじょうがわら》にさらしたことである。
 しかして、この場合に行われたのは、足利家とはなんらゆかりのない豊臣太閤が、同様の私刑に行われたという現象であって、一見して誰もが、相当に度胆を抜かれたが、その傍の捨札までが、いつしか書き替えられてあるということは、文字ある人だけが気のついたことであった。新たなる捨札の文言《もんごん》に曰《いわ》く、
[#ここから1字下げ]
「コノ者、農奴ヨリ出世ノ身ニカカハラズ、農民搾取ノ本尊元凶タル段、不埒《ふらち》ニツキ、梟首申シツクルモノ也《なり》」
[#ここで字下げ終わり]
 この意味がわかるものもあるし、わからないものもある。いずれも度胆を抜かれた体に於ては同じものです。

         十七

 琵琶湖畔に農民暴動の空気が充ち満ちている――
 ということは、前冊書にしばしば記したところであるが、その要領としては、「新月の巻」第四十九回のところに、不破の関守氏が、お雪ちゃんに向って語ったところに、「まあお聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから、騒動の及ぼす影響は……」と前置をして、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです。京都の町奉行からお達しがあって、すべての村に於て、この際、如何《いか》ようなお願いの筋があろうとも聞き届けることは罷《まか》り成らぬ――村々からあらかじめ、そのお請書を出させて置いての勘定役御出張なのです。そこで老中派遣の勘定役が、両代官を従えて出張して参りましてな、郡村に亘《わた》って、検地丈量の尺を入れたのでござるが、もとよりお上のなさることだから、人民共に於てかれこれのあろうはずはないのでござるが、そのお上のなさるというのが、必ずしも一から十まで公平無私とのみは申されませんでな。
 つまるところわいろ[#「わいろ」に傍点]なんですね。当節は到るところ、それなんだからいけませんなあ、わいろ[#「わいろ」に傍点]でもって、すっかり手心が変るんですからいけません。いったい、役人がわいろ[#「わいろ」に傍点]を取って、公平を失するということほど政治上いけないことはありませんね……今度の騒ぎも、そもそもそのお江戸の御老中派遣の勘定方が、わいろ[#「わいろ」に傍点]によって検地に甚《はなはだ》しい手心を試みたそれが勃発のもとなんで……」
 江戸老中派遣の、わいろ[#「わいろ」に傍点]を取る役人が出張して、思う存分に竿を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れをしたものだから、領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと、庄屋たちが寄り集まって、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ[#「わいろ」に傍点]役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願|罷《まか》りならぬという覚書を取ってある。しかし、領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙っていられない、その鬱憤が積りつもって、大雨で水嵩《みずかさ》が増して行くように緩慢に似て漸く強大である。どこの村から、どう起ったかということは今わからないけれども、近江の四周《まわり》の山水が湖水へ向って集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ちて溢《あふ》れて来る。
 たとえば野洲郡《やすごおり》と甲賀郡の歎願組が合流して水口へ廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田村へ出揃って来る。勘定役人が甲の川沿いから乙の川沿いに行こうとすると、両の郡の農民が結束して集まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて権田河原《ごんだがわら》に屯《たむろ》し、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道を西上し、石部《いしべ》の駅に達したが、膳所藩《ぜぜはん》の警固隊を突破し、三上郡に殺到、そこで他の諸郡の勢と合し、無慮二万人に及んで、三上藩に押寄せるという勢力になった。
 幕府の勘定方の役人は、その時、三上藩にいたが、藩の役人が怖れて急ぎ避難をなさるようにと勧めたが、剛情我慢な幕府勘定役人はそれを聞き入れない。ついに群集は陣屋へ殺到して、勘定方役向を取囲んで口々に歎願を叫んでいる。幕府勘定方役人の生命も刻々危急に瀕《ひん》している――

         十八

 なお、そのことのあった前後、青嵐居士《せいらんこじ》がまたしても、胆吹の山荘に不破の関守氏を訪れての会話が漸く興に乗ると、次のようなことを滔々《とうとう》と論じ立てました、
「そもそも徳川氏ばかりが、農民の敵だと言いふらすやからは、二を知って一を知らないものですよ――例の豊臣氏なんぞが、むしろ農民を搾《しぼ》る方の本家と言ってしかるべきでしょう。たとえばです……
 日本に於て、農民が最も幸福であった時代は鎌倉時代、とりわけ北条時代であったのですが……さて、応仁の乱以後、天下を平定した豊臣秀吉というものが、御承知の通り、彼は全く名もなき農民の出でありましてな、そんなら、その純粋の農民の出であるところの豊臣太閤というものが、どういう扱いをその親元の農民に向って試みたかと申しますと、まずあの時のあの人が行った『検地』というものでよくわかりますな。秀吉の時までは一段歩は三百六十坪であり、一坪は六尺五寸平方であったのですが、それから一段三百坪に改め、一坪を六尺三寸平方とし、これによって約二割以上の増収を農民の上に加えたのであります……
 秀吉も、その武力統一を完全にすると共に、大陸政策を実行する上に、どうしても農民を搾《しぼ》らなければならなかったのですな。農民を搾るためには、農民を無力にして置かなければならなかったのですな。そこで『検地』の一方には『刀狩り』というようなことも行われましたのです。農民から一切の武器を取り上げて、苟《いやしく》も反抗のできぬように丸腰にしてしまったのが秀吉です……
 それを徳川氏に至って、更に徹底的に強行政策を用いて圧迫しきったというのですな。だから、徳川氏の政策は農民を人間扱いにはしておりません、濡手拭と百姓は、絞れば絞るほど水が出る――最後の一滴まで絞るように慣らしてしまったのですな。徳川氏の対農民政策はその通りですが、その俑《よう》を作って与えたものは豊臣秀吉なのです。ことに徳川氏は少なくとも城主大名の家に生れたのですが、豊臣に至っては、尾張の中村の純粋なる農民の出であるにかかわらず、農民の地位を向上せしめず、これを奴隷以下に置くことの俑を作りました。もし、農民が目下の検地の残忍刻薄を恨むならば、当然、遡《さかのぼ》って徳川家康を恨まなければならない、家康を恨む以上は、秀吉もまた同罪のみかは、同罪以上の元凶であることを恨まなければならない理窟になるのです」
 青嵐居士は、自分がこういう意見の所有者ではない、広く歴史を読んでいる間に、こういう史上の事実を掴《つか》み出でて語るものらしい。すると不破の関守氏も、その説には相当共鳴するところあるものの如く、
「秀吉は農奴から起って関白に至ったということは、争うべからざる素姓《すじょう》と考えますが、家康とても必ずしも、生え抜きの城主大名とはいわれますまい。近頃、ひそかに研究した人の説によると、彼は農民よりもなお賤《いや》しい、乞食の徒、願人坊主《がんにんぼうず》、ささら売りの成上りだということであります」
「ははあ、それは新説です、徳川家康の幼名竹千代、岡崎の城主松平広忠の公達《きんだち》というのでなく、願人坊主、ささら売りの成上り……それは果して根拠のある説ですか」
「当人の研究によると、なかなか根拠があります、つまり、その説は……」

         十九

 不破の関守氏は、村岡融軒著「史疑」と称する一書を取って、青嵐居士の前に置いて言いつづけました、
「この書物は、相当丹念に研究して成ったもので、面白い説ですから、拙者は要領をうつし留めて置きました、お暇の時に御一覧下さい。而《しか》して要するに、徳川家康の真実の素姓を突留めんとした書物でありまして、結局この著者の研究の結果は、家康は簓者《ささらもの》の子であって、松平氏の若君でもなんでもない、十九歳までは乞食同様の願人坊主であった、それが、正銘の松平の曹司竹千代が駿府《すんぷ》に人質となっているのを盗み出し、それを信長に売り込んで、出世の緒《いとぐち》を開いたのだという説です……」
「ははあ、そういう新説は今まで聞きませんでした、それだけの説を立てるからには、必ずしも拠《よ》るところがないわけでもありますまい、荒唐無稽の小説ならばとにかく、新研究とあるならば、一応読んで置く必要があると思います、拝借いたしましょう」
「どうぞ、ごゆっくりごらん下さい――ところで、秀吉も、家康も、右の通り、その出生が農奴であり、非人同然であるに拘らず、成功した暁には、その発祥民族を酷使虐待する、なるほど、その俑《よう》を作ったのは秀吉でありましょう、それに輪をかけ、箍《たが》をはめたのは徳川氏です」
「左様、徳川氏の農民政策に就いては、拙者も心がけて少々研究を試みていないでもありませんが……」
と言って、そこで、今度は、またも徳川氏の農民政策問題に復帰して、おのおのその懐抱を傾けて語り合いましたが、落つるところは、神尾主膳が百姓を憎むところの根拠の裏を行っているようなもので、徳川家直参の旗本であることを誇りとする神尾主膳が、極力農民を侮辱している。それは、やはりこの大菩薩峠の「恐山の巻」の百四回のところから見るとよくわかる。

 神尾は生れながら、百姓というものは人間ではない――ものの如く感じている。
 それは当然、階級制度の教えるところの優越性も原因であることには相違ないが、それほど神尾というものが百姓を、忌《い》み、嫌い、悪《にく》み、呪《のろ》うというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
 それは、神尾の先祖が、百姓を搾《しぼ》ろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩濫費の尻を、知行所の百姓にすっかり拭わせようとしたために、百姓一揆《ひゃくしょういっき》を起されて家を危うくしたことがある。
 体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目はかろうじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。
 だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
 その歴史が、今も神尾を憤らせている。百姓というやつは厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている。最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を抑《おさ》えて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、この歴史から来ている。
 この点に於て、神尾主膳は徳川家康の農民政策を支持している。
「権現様の収納の致し様」といって、百姓は、生かしもせず、殺しもせざるようにして搾れ――ということが、すなわち徳川家康の農民政策であったと今日まで伝えられているのだ。
 毎年の秋、幕府直轄の「天領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前へ呼びつけて、郷村の百姓共をば、「死なぬように、生きぬようにと合点《がてん》いたし、収納申し付くべし」と申しつけたということである。
 その伝統を承って、これは家康の落胤《らくいん》だと言われた土井大炊頭《どいおおいのかみ》の如きは、ある年、その居城、下総の古河《こが》へ帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって、「百姓、生き過ぎはしないか」と部下の役人へ詰問的の問いをかけたということになっている。
 その当時の一村の名主の家には、必ず水牢、木馬の類が備えてあったのだ。百姓共が年貢を滞納する時は、水牢へ入れ、木馬に乗せてこれを苦しめたものだ。
 それだけを聞いていると、いかにも農民に対して血も涙もないやり方のように聞える。徳川家は農民を見ること牛馬以下であって、農民にとって、徳川家は仇敵《きゅうてき》ででもあるかのように聞えるが――事実、天下の政治をするものに、好んで農民を苦しめたがる奴があるものか、苦しめるには苦しめるだけの理由があるからだ、苦しめられる方は、苦しめられるだけの因縁《いんねん》があるからなのだ。
 いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて、四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して天下を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧の憂いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の兵站《へいたん》を補充しなければならない。万一、百姓を強くしてこれに反抗の気を蓄《たくわ》えしめた暁には、強い戦争ができるはずはない。そこで百姓を骨抜きにして置かなければ、軍隊を強くして、天下を平定することはできないのだ。
 だによって、家康が百姓を抑えたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんがためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華を極めたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ――現に、百姓共が、安穏に百姓をしておられるのも、この徳川の武力があればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は稼《かせ》ぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
 だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる輩《やから》が多いから、百姓がいよいよ増長する――云々《うんぬん》。

         二十

「どこの国の百姓も、百姓としては皆うだつの上らないのは同じだが、ことにこの近江の国の百姓はみじめ[#「みじめ」に傍点]なものです」
と、青嵐居士が不破の関守氏に向って言うと、
「どうしてですか」
「それは、京都をつい背後に控えているだけに、戦争というと、この国が唯一の要路となるのです。東国の兵がこの国を通過せずして京都に入ることはできません、西国の兵もここを通過せずして東征はできません、そこで、乱世に於ては国土が絶えず兵馬に蹂躙《じゅうりん》せられ、人民が残暴を蒙《こうむ》りますから、土地に安堵《あんど》して生活を営むということができません、いつ剽掠《ひょうりゃく》を蒙るか、掠奪せられるかわからないのみならず、人力も絶えず徴発せられて争闘の犠牲とならなければならない、生民その堵《と》に安んぜずというのが、この近江の国の住民の運命でした」
「なるほど」
「しかし、人間というものは運命に妨げられると共に、運命に逆らって新境地を打開する力を与えられているようでありまして、かく不幸なる境地に置かれて、堵に安んぜざる変通力が、一転して商業の方へ注がれたというわけです。故にこの国の勤勉にして機を見るに敏なる土民共は、農業を捨てて商業の方に着目し、転向することになりましたのです」
「なるほど」
「土着の土地を相手にしないで、他領他国を目的とする、自分の生れた土地で生産して、それから恵まれることを断念して、他国へ進出して富を吸収して来るという新方向を案出したのも、自然の径路とはいえ、この国の住民が馬鹿でない証拠です」
「なるほど」
「そこで、近江商人の名が天下に聞えるに至りました。勤勉実直にして、知らぬ他国から金を儲《もう》けて産を成し、その産を蓄積することに於て、また非凡なる忍耐と進取との才能を持っておりました。他国に向っての積極的進出と、自ら守ることの堅実な消極的忍耐と、両方をこの国の人間が持つことができたという次第で――そこで、自分の国の乱れるということが、商人として成功する逆縁となりました。今日、大阪に於ける、江戸に於ける、近江商人というものの財力の、いかに根強くして盛んなるかを思い合わせてごらんなさるとよくわかります」
「なるほど、そうおっしゃられると、それがいわゆる近江商人の勢力の一大原因であるかのように感ぜられます。国土が争乱の巷《ちまた》となるが故に、住民が他国へ進出する機縁となる、逆縁がかえって利縁となったという次第ですな」
「そうです。しかし、そんならば、すべて自分の国が乱れているところの人民は、外に向って大いに発展をするかと申すと、それは一概には言われません、全く疲弊しきって、奴隷以下に没落してしまう国民もあるのですから、要するに気質の問題ですな」
「なるほど」
「江州人は、素質的に、逆境を打開する勤勉の気風を備えていると見なければならない理由もあるのです。たとえばです、これから越前の方へ向けて出る途中に、難渋な峠が三ツもある、たいていの人だと、それを聞いてうんざりし、せめて三ツの峠が二つにでもなればいいと、こういって歎息するところを、江州人は、峠が更に二つばかり余分にあればよい、そうすれば、人がいよいよ難渋がって出かけない、そこを自分は出かけて行って、商売をひとり占めにしてしまう――大体こういった気風なのですから、そこに近江商人の勝利があろうというものです」
「なるほど――おおよその人は地の利を恃《たの》むのだが、江州人は地の不利に恵まれるというわけですな。もとより、それは素質とも相関係しましょう」
「もちろん、天の時、地の利と言いますが、江州人には、天の不祥時と地の不利益の場合に、恵まれるのです。彼等は己《おの》れの国土を対象としないで、他国進出を目標としています、そこに彼等の発展があります。しかし、こういう、恵まれずして恵まれたる土地の半面には、恵まれたようで実は恵まれない不幸の民が多いことを思わなければなりません。近江商人が最も恵まれた成功者だとすれば、近江農民は最も恵まれざる落伍者だということもできます――」
「なるほど」
「江州人だとて、皆が皆、そう他国へ進出して成功する者ばかりではありません、この国に残って兵馬の奴隷となり、或いは痩畑《やせばたけ》の番人とならなければならぬ運命に置かれた農民こそ、最も恵まれざる者と言うべきでしょう」

         二十一

「かく、一方には他領他国へ進出して富を成す成功者があると共に、一方にはちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]することさえ許されざる農民が存することは、おたがいよく考えてみなければならないことです」
「なるほど」
「外へ発展するの機運に恵まれず、内にとどまっていては、搾《しぼ》られて骨も身も食われてしまう、そこで、やむを得ず他領へ出奔せんとすれば、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]律があって、厳として身動きが許されない、下手な講釈師のやる荒柳美談ではないが、彳《たたず》むな、立つな、歩むな、居坐るな、というところが即ち農民の立場なのです」
「なるほど、そうなりますと、いよいよ古《いにし》えの諺《ことわざ》にあるが如く、民に倒懸の苦ありということになりますな、農民は倒《さかさ》にブラ下がっているより仕方がないというわけですな」
「なんにしても、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]律はよくありませんな、行動の自由、移住の自由を奪うということはよくありませんな。民に移住されると、領土を耕す人がなくなる、自然、領主がやりきれなくなる、という結果が怖い、移住されることがそれほど苦しければ、民を優遇するに越したことはないではないか、優遇というのが為し難ければ、人間が住めるだけのようにしてやる責任が領主にはあるでしょう、罪人ならざるものを、一定の土地に監禁して、動く勿《なか》れと命ずるのは悲惨ですね」
「あらゆる農民いじめのうちに、このちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]律が最も不合理だと思います。最近です、湖岸の町々村々にも、このちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]律の制札が出ましたのをごらんになりましたか」
「私も、ちょっと見かけました」
「あの文言をお読みになりましたか」
「一読いたしました」
 ここで、二人の問答にかかって、見たか、読んだかの問題に上っているちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]律の制札なるものは、多分、先日の日、長浜の町の会所の附近に於て、宇治山田の米友の目に触れたあれであります。
 それならば、「胆吹の巻」の十八回のところにある――

 長浜の会所へ、両替の使に用心棒としてついて来た宇治山田の米友は、会所の前に暫《しばら》く待っていたが――そこに高札場があって、いくつもの札のかけてあるのを見つけました。その高札を片っ端から読んでみますと、その真中のいちばん大きいのに、次の如く書いてありました。
[#ここから1字下げ]
   「定
何事によらず、よろしからざることに、百姓大勢申合せ候を、とたう[#「とたう」に傍点]ととなへ、とたうして、しひて願事企てるをがうそ[#「がうそ」に傍点]と言ひ、あるひは申合せ村方立退候をてうさん[#「てうさん」に傍点]と申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
 とたうの訴人  銀百枚
 がうその訴人  同断
 てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、その科《とが》をゆるされ、御褒美下さるべし。
 一、右類訴いたすものなく、村々騒立ち候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也。
  年 月 日[#地から2字上げ]奉行」
[#ここで字下げ終わり]
 それを読んでしまった米友が、高札の表を横目に睨《にら》んで、
「ははあ、一味ととうしちゃいけねえってえんだな、申合せをして村方を立退くのもよくねえてえんだな、それを訴人しろてえんだなあ、訴人した奴には銀百枚を御褒美として下しおかれようてえんだな、なおその上に、次第によっちゃ苗字帯刀も御免あろうてえんだな……一味ととうして乱暴を働くのが悪いのはわかり切ってるが――苦しくって堪らねえから、村をちょうさんして、どこぞへ落ちのびて行くのも罪になるんだ、いてもわるし、動いても悪し、立って退けばまた悪い、百姓というものは浮む瀬がねえ」
と言って彼は浩歎したのであったが、思いきや、そこで、その悪逆なる罪名を自分が蒙《こうむ》って、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の罪を着せられて、「晒《さら》し」にかかる運命に落されていようとは。

         二十二

 長浜の浜屋の別館に割拠しているお銀様と竜之助とが、襖越しに深夜の会話。お銀様がまず言う、
「だが、おかしいほど芝居気たっぷりの男でしたわね」
「ふーむ」
「いやに気取って、セリフ廻しからしぐさまで、すっかり芝居になっていましたよ、キザもあそこまで行くと、ちょっと笑えない」
「ああいう奴なのだ」
「あなた、以前から御存じなんですか」
「ちっとばかり知ってるよ」
「そうすると、あなたのことも、わたしのことも、知り抜いていての悪戯《いたずら》なんでしょうか、それにしては仕上げが拙《まず》うござんしたわ」
「は、は、何に限らず、あれはちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]を出してみたがるように出来てる男なんだ」
「その、ちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]が怪我のもとでしたねえ、殺生《せっしょう》なことでした」
「うむ」
「殺生は殺生ですけれども、あなたとしては、あんまり、しみったれな殺生でしたね、どうして二つに斬っておしまいなさらなかったのですか」
「ふーん、そりゃ、座敷を汚してもいけないからな、少し考えたよ」
「かまいませんよ、畳なんぞは、いくらでも新しくなりますから。ですけれど、指一本というところが、かえって細工が細かくて面白いのかも知れません。それにあいつは気のせいか、右の腕がないようでしたね、ああ、わかりました、わかりました、あいつの片腕を打落したのが即ち、あなたなんでしょう――女のことで」
と、お銀様がここでひとり合点をすると、四方の空気がいとど収斂性《しゅうれんせい》を加えてきて、夜更けに近いのか、夜明けが迫っているのか、ちょっとわからない気分が漂いました。
「がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という奴があれなんでしょう」
と、ややあってお銀様が、机の上に片肱《かたひじ》を置いて言いましたが、竜之助の方では、とんと返事がない。お銀様は別段それを追究するでもなく、
「それはそうと、あいつの今の言葉で、わたしの父親が、この近いところに来ているということをお聞きになりましたか」
「聞いた」
「そうして、わたしの父親から、その脇差をもらって来たとか言って、それを仔細らしく、わたしのところへ押売りに来たと言っておりましたねえ」
「その通り――」
「さあ、それが本当だとすると、わたしはどのみち父に会わなければならないでしょう、父は、わたしが胆吹にいると知って来たのに相違ありません、上方見物《かみがたけんぶつ》はかこつけ[#「かこつけ」に傍点]で、実はわたしの行動を見届けに来たのです」
「それは、そうかも知れない」
「してみれば、わたしは結局、会わなければならないことになるでしょう、わたしは、父の宿を大津まで訪ねて行く気にはなれないが、父が胆吹へやってきた以上は、まさか、それを追い返すわけにはゆかないでしょう、会わないというのも卑怯ですからね」
 左様、父の伊太夫が甲州から旅立ちをしてこの近いところ、大津に宿っているということを、先刻侵入のあの小ざかしい、生意気な、色男がかった小盗人《こぬすっと》の、今いうがんりき[#「がんりき」に傍点]の百とやらから、キザなセリフ廻しで聞かされた。現にまぎれもなき、父が愛用の腰の物を証拠に持参したのだから、まんざらの出鱈目《でたらめ》でないのは分り切っている。そこで、次の段取りは、いかにしてこの父に応接すべきかでなければならぬ。お銀様は、当然それを考えていたのが口に出たまでである。これも相手に返答を求めるために言ったのではない。
「そうなると、わたしは一応、胆吹へ帰らなければなりません、その間、あなたはここにじっとしていらっしゃい、動いてはいけません――」
と、今度は、相手に向って宣告を下したのです。なお、その宣告につけ加えて、
「わたしが、またこの宿へ戻って来るまで、この一間でじっとしていらっしゃい、犬を斬りに出てはいけません、もうこの辺には斬って斬栄えのするものは何もいませんから。それに、このだだっ広い加藤清正の屋敷あとなんですもの、隠れているには恰好《かっこう》ですよ、宿へ言いつけてありますから、誰も気兼ねはありません、おとなしく、じっとして待っていらっしゃい」

         二十三

 お銀様は、竜之助に監禁を申し渡して置いて、
「ですけれども、誰かお給仕がなくてはいけませんねえ、誰か、しょっちゅう[#「しょっちゅう」に傍点]ついていてあげる者がなければ生きられない人なんですから」
とつけ加えて、当惑がりました。
「なあに、一人だってかまわないよ」
と竜之助が、ブッ切ったように言う。
「かまわないことがあるものですか、さし当り、誰が朝夕の御膳を運んでくれますか」
「女中がいるだろう」
「女中任せなんぞにできる人なら、心配はありませんよ」
「では、宿のおかみさんか誰か」
「宿のおかみさんというのは、まだ若いのです」
「若くったって、かまわない」
「こちらはかまわなくても、あちらがかわいそうです」
「どうして」
「どうしてたって、あなた、あなたという人は、人の若いおかみさんが好きなんでしょう」
「何を言ってるのだ」
「わかってますよ。それに、この宿のおかみさんは、若くて、愛嬌があって、上方風の美人なんです」
「それがどうしたというのだ」
「そればかりじゃありません、ここは近江の長浜というところですよ」
「長浜はわかっている」
「そうして、この宿は、長浜の浜屋という宿なんです」
「それも、前から聞いて、ようくわかっているよ」
「そればかりじゃないのです、その若いお内儀《かみ》さんの名前が浜っていうんです」
「え」
「驚いたでしょう、そのお内儀さんを、あなたのところへ出せますか」
「うむ――」
「どうです、そう聞いているうちに、そら、もうあなたの血の色が変ってきました、かわいそうに、これでもう、この宿のお内儀さんが見込まれてしまいました。わたしという人も、うっかり言わでものことに口を辷《すべ》らしたために、また一つの殺生をしてしまいました。これではとても、ここへひとり残して置くわけにはゆきません。といって、この人をわたしが連れて、白昼どこへ歩けますか、夜更けにはなおさらあぶないものです」

         二十四

 胆吹の新館のお銀様の居間で、お雪ちゃんが頻《しき》りに桔梗《ききょう》の花を活けている。
 お雪ちゃんとしては、お銀様に出し抜かれて湖水めぐりをされてしまったようなものの、それでも心からお銀様を恨むということも、憎むというほどのこともあろうはずはなく、今では充分の好意をもって、その不在の間にお花を活けて、床の間への心づくしをして置いて上げたいという気持にまでなっているのです。
 思うようには活けられないけれど、せめてお銀様に笑われないように――ああも、こうも、と枝ぶりに精をこめている間に、つい我を忘れる気持にまでさせられてしまいました。芸術的気分とでもいうものでしょう――無心になって花を活けていると、その後ろから、不意に物影が暖かくかぶさりましたのに、無心の境を破られて、はっと見向くと思いがけなく、自分の背後にお銀様が例の覆面のままで、すらりと立って、こちらを見下ろしているではありませんか。
「まあ、これはお嬢様、お帰りあそばしませ」
 お雪ちゃんは少し周章《あわ》てて、いずまいを直して挨拶をしますと、お銀様は、
「たいそうお上手ですね」
「いいえ、お恥かしいんでございますよ」
 お雪ちゃんは恥かしそうに申しわけをすると、
「結構じゃありませんか」
「いいえ、お嬢様のお留守の間に、ほんのお笑い草までにと思いまして」
「どうも有難う」
「ほんとにお恥かしい……」
「全くお見事ですよ、わたしなんぞには、とてもそうは参りません」
「どういたしまして、お嬢様なぞは、お仕込みが違っていらっしゃいますから」
「天性のものですね、わたしなんぞいくら稽古をしても、無器用なものですから」
「いいえ、お嬢様は万事に筋がよくっていらっしゃいますから」
「芸事では、お雪さんにかないません」
「どう致しまして」
「それで結構です、頂戴して飽かずながめることに致しましょう――お手並もよいが、花の選みも悪くございません」
「少しでもお気に召しましたら、わたし本望でございます」
「部屋全体が、これですっかり落着きが出来ました――お雪さん、そこはそのままにして、あとで誰かに片づけさせましょう、早速ですが、一つあなたに頼みがあるのです」
「何でございますか」
「あのね――」
「はい」
「御苦労ですけれども、お雪さん、これから、あなたにひとつ長浜まで行っていただきたいのです」
「長浜まででございますか」
「はい、長浜へ行って、暫くあそこに泊っていていただきたいのです、しばらくといっても、そう長い間ではありません、せいぜい五日か十日」
「承知いたしました、どういう御用か存じませんが、お嬢様のおっしゃるお言葉でしたら……」
「それでは早速お頼みしますが、長浜へ行きますと、浜屋といって、古い大きな構えの宿屋があるのです、そこへ裏木戸から行って、お雪さんに、暫く泊っていていただきたいのです」
「よろしうございますとも、いつでもおともを致します」
 おともと言われて、お銀様の言葉が少しセキ込みました。
「いいえ、わたしは行きません」
「では?」
「お雪さん、あなた一人で行って泊ってもらいたいのです」
「わたしが一人で、その宿へ泊りに行くのでございますか」
「ええ――一人で行って、向うに人がいますから、その人の介抱をしてもらいたいのです」
「まあ――どなたかのお世話をして上げるのでございますか」
「それはね、行って見ればわかります」
「でも……」
と、こんどは、お雪ちゃんの言葉が淀《よど》みました。お雪ちゃんとしては、お銀様のおともをして長浜まで行くものとばっかり思っていたのが、そのお銀様は行かないで、自分一人で行け、行った先に人がいるから、その人を介抱に――しかも、その人は誰か、行って見ればわかると言われるほど、お雪ちゃんの気分が、わからないものになります。

         二十五

「ねえ、お雪さん、あなたは、わたしのたった一人の妹でしょう、たしかにそのはずです」
「勿体《もったい》ないことです、わたしは、お嬢様にそうおっしゃっていただきましても、あなた様の御家来のつもりでおります、御姉妹なんぞ及びもつきません」
「では、もし仮りに家来として置きますと、なおさらわたしの言いつけを反《そむ》きはしないでしょう」
「反きませんとも、お嬢様のおっしゃることならば、火水《ひみず》の中でも……」
「では、黙って、長浜へ行って下さい、そうして浜屋の裏の木戸口へ行きますと、刎橋《はねばし》があります、そこから入って、しるしがしてありますから、誰にことわる必要もありません、廊下伝いに行きますと、秋草の間というのがありますから、そこへ入って行くと用向がすっかりわかるようにしてあります」
「承知いたしました」
 お嬢様のためならば火水の中までも、と言った手前、お雪ちゃんは無条件でその言うことを聞き従わなければなりません。
「そうして、つまり、病人がいるのです、その看病を、心ゆくばかりあなたに頼みたいのです」
「御病人の看病でございますか、承知いたしました、わたしでできますことならば、できます限り――」
「できますとも、あなたでなければならないのです」
「いいえ、わたしは御病人の看病なんぞ、あんまり慣れませんから」
と、お雪ちゃんが謙遜し、服従しながらも、心の中では合点し難いものが多いのです。病人の看護は頼まれればできない限りはないが、わたしでなければならない病人の看護というものがあるべきはずもないでしょうのに、お銀様の言い廻しが、どうも少し変だと思われないではないが、やはり、絶対服従を誓っている以上は、反問は許されないことで、お雪ちゃんとして、このお嬢様の特異性を心得ているばかりか、このごろでは、心から崇拝する信仰的にさえなりつつあるのですから、否やはあろうはずはありません。お雪ちゃんを退引《のっぴき》させないようにして置いてから、お銀様はなおも畳みかけて言いました、
「その病人は、病人のくせに、退屈がって出歩きをしたがっていけないのです、ことに夜分は気をつけなければいけませんから、お雪さん、あなた、目を離さずついていて、一寸も外へは出さないようにして下さい。尤《もっと》もあなたがついていれば、お出なさいと言っても、出ないかも知れません」
「そんなはずはございません」
 お銀様の言いぶりが、いよいよ消化しきれないものがあるので、その申しわけも、お雪ちゃんとしていよいよ要領を得ないものになる。それをもお銀様は押しかぶせて、
「でも、そうしているうちに、わたしも行くでしょう、そうしたら、その人たちと一緒に、竹生島へでも参りましょう、湖水めぐりもやりましょう」
「それは嬉しうございます」
 お雪ちゃんがお礼を言う。お銀様は冷然として、
「では、これから直ぐお頼みします、行きだけは誰かに連れて行ってもらいましょう。ああ、誰かというより、友さんがいいでしょう、米友さんに頼んで送って行ってもらいましょう」
「あ、お嬢様、その米友さんでございますが……」
 ここで、お雪ちゃんの気色も、言葉も、ガラリと変ってしまいました。
「友さんが、どうかしましたか」
「あの、お嬢様、米友さんの行方が知れなくなったのでございます」
「どうして」
「なんでも、お嬢様がお出かけになって間もなく、やっぱり長浜の方へお出かけになったまま、音沙汰《おとさた》がないのだそうでございます」
「あの人のことだから……」
 お雪ちゃんがあわただしいわりあいに、お銀様は冷淡な挨拶です。それというのは、行方不明といったところで、あの男のことだから、やがてひょっこり帰って来るだろう。或いはもう立帰って、料理場の隅に好きな栗でも茹《ゆ》でているのではないか、といった程度のものです。ところが、お雪ちゃんの不安な色は容易に去らないで、
「いいえ、それが只事ではないらしうございます、役人に捕まって、晒《さら》しとやらにかけられているというような、不破の関守さんのお言葉でしたが、くわしいことをわたくしに知らせて下さらないのが、いっそう心配なんでございます」

         二十六

 米友の行方については、お銀様も、お雪ちゃんも、関心の限りでないことはないが、さりとて、上の如き運命が、今や盛んに米友の上を見舞いつつあるとは、お雪ちゃんはもとより、お銀様といえども想像の限りではありませんでした。
 そこで、二人とも、米友のことについては、ちょっと暗い思いをしましたけれども、お銀様は忽《たちま》ち平静に返って、お雪ちゃんに向って言いました、
「では、お雪さん、頼まれて下さいね、米友さんがいなければ誰でもいい、誰かに附添ってもらって、乗物でおいでなさい」
「いいえ、長浜までは三里の道でございましょう、わたし、そのくらい歩くことはなんでもございません」
「いいえ、それには及びません、乗物といっても、馬はあぶないから、駕籠《かご》でいらっしゃい」
「いいえ、徒歩《かち》で結構でございます」
「それはいけません、そうしてね、着物も着換えていらっしゃい、髪も結い直していらっしゃい」
「有難うございます」
「あの戸棚をあけてごらんなさい、二重の乱れ箱の下の方が、あなたのためにこしらえて置いた着物です」
「まア――」
「それから、お雪さん、あの鏡台をここへ持出して下さい、わたしが、あなたに髪を結って上げます、上手ではありませんけれど」
「まあ、お嬢様、それはあんまり勿体ないことでございます」
「いいえ、かまいません、わたしも久しく女の髪を手がけませんから、変なものが出来るかも知れませんが、結わせて下さい」
「では、お言葉に従います」
 この女王の言うことは、高圧である。好意をもって言ってくれるにしてからが、命令とよりほかは誰にも響かない。お雪ちゃんといえども、それ以上、辞退する力はない。
 ほどなく鏡台の前へ坐らせられたお雪ちゃんは、申しわけのように、
「あれから、わたしは髪を結んだことがございません、いつもこの通りにしておりますから、もう、すっかり癖がついてしまって、とてもお結いにくいことでございましょう」
 ここにお雪ちゃんが、あれからというのは、ドレからであろう。お雪ちゃんがこういうふうにして、現代式に――或いは、平安朝式に結び髪にして後ろへ下げたなりの風俗は久しいことでありました。それがまた、女王様の手にかかって新たに結び直されようとする。この女王は果して、この少女の髪を、いかように扱うつもりか知らん。それは任せるだけであって、問うことを許されない。許されないわけではないけれども、お雪ちゃんはまぶしくて尋ねられない。その座へ坐らせられてみると、髪を結うことはおろか――首を斬ると言われても反問はできない。そんなような心持でお雪ちゃんが神妙に髪結の座に直っていると、後ろへ廻ってお銀様は、梳《す》き手《て》のするように、櫛《くし》を入れて、癖直しにかかりながら、
「今日は島田に結んで上げましょう」
「まあ――」
 お雪ちゃんは、我知らず顔が真赤になりました。
「お雪さん、あなたは島田よりか桃割《ももわれ》が似合うかも知れない、桃割に結ってみて上げたいとも思うけれど、それではあんまり子供らしいから」
 お銀様の手先の存外器用なことにも、お雪ちゃんは驚かされました。手先が器用だけではない、この人は、人の髪を結ってやることが好きなのだと思わずにはおられません。人の髪を結ってやることが好きというよりも、人の髪を結ってやることに於て、自分の芸術心に満足を求めているのだとしか思われないことほど、非常に丹念に絵を描いたり、彫刻したりするような気分を、はっきりと見て取ることができます。
「お嬢様、あなた様は、どうしてまあ、髪上げなんぞにまで、こうもお上手でいらっしゃいます」
と、やっとこれだけの推称をしてみますと、お銀様は、
「長浜へ行ったら、この次にはお雪さんを丸髷《まるまげ》にしてあげます」
「え」
 お銀様の言うこと為《な》すことの意表に出づることは、わかり切っていながら、その度毎に、お雪ちゃんの胆《きも》を奪うことばかりです。

         二十七

「お嬢様、丸髷《まるまげ》なんて、それはあんまり……」
 桃割のきまりの悪いよりも、お雪ちゃんにとって丸髷と言われることは、なお一層、きまりが悪い程度を越して気味が悪い、と言った方がよいでしょう。そうすると、お銀様が、何かしら少々の自己昂奮を覚えたものの如く、
「いいえ――もうお雪さんは、丸髷に結っても似合わないことはありませんよ」
「御冗談《ごじょうだん》を……」
「桃割から島田になり、島田から丸髷にうつる時に、女が女になるのです。ですから、丸髷というものは憎いものです」
 お雪ちゃんは何と挨拶していいかわからない。
「でもお嬢様、丸髷っていいものでございますね、あんな粋《いき》で、人がらな髪はございません」
「お雪さん、あなたも丸髷がお好き?」
「え、わたし、自分はそんな柄ではありませんけれど、好きなという点から言いますと、あんな好きな髪はありません」
「わたしも、丸髷は大好き……」
「お嬢様、あなたこそ、丸髷が全くお似合いになりますよ、すらりとしたお姿に、粋で高尚な丸髷を結んでごらんあそばせ、それこそ、わたしたち女が見て、うっとりするお姿になるでしょうと思います、ほんとに、お嬢様の丸髷姿こそ、どんなにお人柄でございましょう」
「そうか知ら」
「丸髷は江戸風がよろしうございましょうか、京風でございましょうか。長浜にも、きっと上手な髪結さんがいることでしょうから、お嬢様、今度は、あなたこそ、丸髷にお結いあそばして、お見せ下さいまし」
 お雪ちゃんがこう言ったのは、あながち、お銀様の意を迎えるためにばかり言ったのではない、事実、お銀様その人の姿かたちというものを見ているうちに、ことに、そのすらりとした後ろ姿などを見せられる時は、女ながら、うっとりさせられてしまうことは度々なんでした。日頃、心にあることが、うっかり口へ出ただけなのでしたが、その言葉と共に、お銀様の元結《もとゆい》を結ぶ手が、ブルッと異様に顫《ふる》えたのを感づくと、電気に打たれでもしたようにハッとして、
「失策《しま》った」
と、これは口には出さなかったが、自分ながら、鏡にうつる面《かお》の色がさっと変ったのを気づかずにはおられません。
 この女王様に、髪を結って見せろと言ったのは、いかに重大なる禁忌に触れたのではなかったか。姿のいいことばかりを考えていたが、その首から以上の神秘に於ては、お雪ちゃんは今日まで、ついに何物にも触れていないし、許されてもいない。この女王様が、朝から晩まで、屋外にあると、室内にあるとを問わず、秘密を守り通しているこの覆面の中の神秘は、未《いま》だ曾《かつ》てお雪ちゃんの前に開かれていない。お雪ちゃんとしては、女王様の威力に圧倒せられて、仰ぎ見ることができないといった、ある程度の憚《はばか》りもあるが、同時に女性として、包み隠さねばならぬほどの秘密を、かりそめにも発《あば》きうかがうには忍びない、というしおらしい惻隠《そくいん》もある。そこで、お雪ちゃんは、今日まで起居を共にしていても、お銀様の首から上の形態は問題にしていない。その頭脳の精鋭には心服しているが、形態的には首から上の先天的に存在しない人として、この女王と応対するに慣らされている。ところが、たった今、不用意で言ったことは、明らかにこの禁忌に触れていたということを、口を辷《すべ》らしてはじめて気がついたのです。
「わたしは、人の髪を結ってあげることは好きだが、自分の髪を結うのは嫌いです、自分の髪の毛が、どんな色に変っているか、それは見たこともない、見ようとも思わない……見ようとも思わないものを、人に見せるわけにはゆきません」
と、お銀様の言葉は存外平調でしたから、お雪ちゃんもホッとしました。
 髪を結い終ると、お銀様が、
「では、お雪さん、あの衣裳箱をとり出して、あなたの身に似合う着物を見立てて下さい、いいえ、かまいません、上も下もみんな抽斗《ひきだし》を抜いて見て下さい――わたしが手伝って着つけをして上げましょう、長浜は縮緬《ちりめん》の本場で、衣裳のことにはみんな目が肥えているでしょうから、笑われないようにして行って下さい」
 お銀様の結い上げた島田の出来栄えに、お雪ちゃんはのぼせるほど興味を感じているところへ、立てつづけに衣裳の詮議、それもこの場に於てのあらゆる豪華を尽して展開されようというのですから、お雪ちゃんはわくわくとして、別の世界へ連れて行かれる気分にさせられてしまいました。

         二十八

 やがて出来上ったお雪ちゃんの粧《よそお》いは、結綿《ゆいわた》の島田に、紫縮緬の曙染《あけぼのぞめ》の大振袖という、目もさめるばかりの豪華版でありました。この姿で山駕籠《やまかご》に揺られて行くと、山駕籠が宝恵駕籠《ほえかご》に見えます。
 春照《しゅんしょう》から長浜へ行く、なだらかな道筋、その駕籠|側《わき》に小風呂敷を引背負って附添って行くのは、近頃この王国の御飯炊きになった佐造というお爺さん。人里近くなるにつれて、村人村童の注視の的とされずには置きません。
「あれ、綺麗《きれい》な人が通るよ」
「お人形さんみたいのが通るよ」
「お駕籠で、どこぞのおいとはんが通りなさるよ」
「まあ、綺麗」
「立派だな」
「どこのお娘《いと》はんだすやろ」
「あ、ありゃお軽さんだぜ」
「おお、お軽さんだ」
「お軽さんなら山科《やましな》へ行かるるのでおまっしゃろ」
「いいや、お軽さんは祇園《ぎおん》へ売られて行くんだっせ」
「祇園だわ」
「京の祇園へ、おいとはん、売られて行くんだっせ」
「かわいそうに――」
「あの年でなア――」
「お軽はん、かわいそうに」
 彼等は口々に、お雪ちゃんをお軽にしてしまいました。
 山科から祇園へ売られて行くお軽さん。多分、村人村童たちは、村芝居の教育によって、駕籠《かご》に揺られている美しい女を、いちずに、お軽ときめてしまっているらしい。お雪ちゃんはそれを聞いていい気持はしない。いい気持のしないのは、今に始まったのではなく、最初から、こういう極彩色に自分の身をして町に下らしめられることが、本意ではなかったのです。お銀様の意志によって、こういうことにさせられてみると、恥かしいやら、おかしいやら、苦しいような、擽《くすぐ》ったいような気分にさせられてしまいましたが、それでも若い娘のことですから、美しい粧いをさせられたということに、堪え難い嫌悪《けんお》の念は起しませんで、どうかすると、一種の得意の念をさえ催して、年にも似合わず老《ふ》けていた自分というものを、急に青春を取戻したような心持にもなってみたが、村人村童から忠臣蔵のお軽に見立てられて、祇園|一力《いちりき》への身売り道中にさせられてしまったことには、笑っていられないものがありました。
「お軽さんだぜ、ほら、お爺さんが附添っているだろう、あれが与一兵衛《よいちべえ》はんだっせ」
「おお、与一兵衛さん……」
 お雪ちゃんがお軽にさせられた巻添えを食って、気の毒に佐造老爺が、与一兵衛にされてしまう。
 誤解も、誤伝も、慣れてしまえばあまり気にはならない。本来、捌《さば》けた気風《きっぷ》を持っていたお雪ちゃんは、長浜へ近く、ようやく人の眼と口とに慣らされてくると、もう全く度胸が据ってしまいました。何とでもお見立てなさい、また何とでも品さだめをおっしゃい、わたしはこうさせられたこの身上で、行くところまで行きますよ、珍しければ、いくらでもごらんなさい、見られるだけで、穴はあきませんよ、といったような自暴《やけ》に似た度胸にまで変ってきてみると、かえって自分が人から注視の的とされることに、幾分の得意をさえ感じないではありません。
 さて、こんな、見栄《みえ》だか曝《さら》しだかわからない身上で、わたしはいったいどこへ落着くのだろう。お銀様から、落着くべき絵図面は事細かに書いてもらってある。そこへ落着きさえすれば、万事はきまることはわかっているが、落着く先の空気と、相手になるべき人の身の上のことは、一向にわからない。

         二十九

 そのうちに、お雪ちゃんは、ふいと、こんな気持になりました――
「では本当は、わたしはお軽さんと同じ運命に売られていくのではあるまいか、与一兵衛さんに見立てられた佐造老爺さんは、実はぜげん[#「ぜげん」に傍点]の源六という人ではないか、長浜へ用向とは表面上、わたしは、真実は売られて行く身ではないかしら、もしか真実に、わたしがあの忠臣蔵のお軽さんと同じ運命に置かれた身であったとしたら、わたしはどうしよう……」
というような空想。お雪ちゃんは最初から相当なロマンチストでありますから、駕籠に揺られながら、思わず忠臣蔵の劇中の人に身を置いて、あの芝居の中の最高潮の悲劇のことを、とつおいつ[#「とつおいつ」に傍点]考えはじめましたが、いつしか、そんな空想も破れて、それはあるべきことではない、第一、お銀様という人が、わたしを欺《だま》して売るなどと、そんなことのあろうお人柄であろうはずはない――いったい、わたしは何のために、どうしてこんな盛装までさせられて送られねばならないのか、単にお銀様その人の好奇《ものずき》の犠牲としての、この成行きであろうはずはないが――問うてみても許さるべきでなかったし、問わない方がかえって気休めであると思って、こうして送られて行くが、行先のことが考えれば考えるほどわからない。人の看病ということにしても、なにもそれだけなら、ことさらに、わたしを煩《わずら》わさなくとも、いくらもほかに人はあろうものを、わたしでなければならないようなこの仕打ち――それをお雪ちゃんが、また駕籠の中で思いめぐらしているうちに、ようやくはたと気がついたことがありました。
 ああそうだ、昨日、不破の関守さんのお話の末に、ふと、お銀様のお父様が、こちらへ旅をしておいでになったとのこと、それを小耳にはさんだように覚えているが、それで分った。お銀様のお父様がその長浜の浜屋とやらに泊っていらっしゃる、お銀様としては、あの気象で、お父様を取持つことはできないから、それで、わたしを代りに――それそれ、それに違いない。お銀様のお父様という人は、甲州第一のお金持、その大家の長女としてのお銀様との間に、何か言うに言われない悲しい事情がおありなさるということは、わたしもうすうす聞いていた。父に反《そむ》いた娘を、父の方から見届けに来るということも、また有りそうな親心。
 お雪ちゃんは、そう合点《がてん》をしてみると、急に明るい気持になりました。その役目としてわたしが選ばれた上は、できるだけお銀様のお父様の御機嫌もとり、なおできるならば、父と子との間の相剋《そうこく》の融和の足しにもなって上げたい。これは全く光栄のある役目に遣《つか》わされたものだ。それだけ責任というものも重きを加うる所以《ゆえん》で、お銀様のお父様のお気に入られないまでも、あんな卑しい女とさげすまれないように心がけなければならぬ。その点もあればこそ、お銀様もこうして、それとなくわたしの身だしなみにまで心をつくして下さったのだと、それで万事が呑込めました。
 お雪ちゃんは、こんな心持になってみると、世間が明るくなった思いでしたが、日はいつしか暮れ方で、早くも長浜の町に入って、与一兵衛どのの案内知った手引で、浜屋の裏口に着いていました。
 浜屋の表から案内を頼むには及ばない、万事は絵図面に描いてもらってある。鍵をあずかっているから、直接に裏口の木戸からと言われる通りに、その辺で下り立って、夕まぐれひとり浜屋の裏口の木戸に向って行きますと、石畳の二間ばかりの堀に、町としては美しい水が流れていて、そこに刎橋《はねばし》がある。
 そこを渡って、木戸の錠前《じょうまえ》を外からあけにかかった時に、お雪ちゃんがまたなんとなく陰惨な気分に打たれました。

         三十

 湖畔にこういう突風が起りつつあることを知るや知らずや、道庵先生は抜からぬ面《かお》で、大津の旅宿|鍵屋《かぎや》の店前《みせさき》へ立現われました。
「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で、お角さんという、下っ腹に毛のねえのがいるはずだ」
と、いきなり店先へ怒鳴り込んだものです。
 江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、お角さんという相手の名を呼ぶのもよろしいが、下っ腹に毛のないというのはよけいなことです。下っ腹に毛があろうとも、なかろうとも、この場合、そんなよけいなことを附け加える必要は断じてない。この点では、いきなり玄関払いを食うべき無作法だが、不思議と宿では、
「それ、おいでなすった」
 この無作法千万なる来客を、待っていたとばかり、帳場も、男衆も駈出しという体《てい》で、下へも置かず、手をとって、早くも座へ招じ上げようとする。
「まあ、そうおせきなさるなよ、医者だからとて、旅へ出たら少しは楽をさせてもらいてえ。旅人《たびにん》だよ、この通り、旅路だから草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》という足ごしらえだあな、まずゆるゆるこれを取らしておくれ――それ、お洗足《すすぎ》の用意用意」
 道庵は、上り口へどっか[#「どっか」に傍点]と腰を卸して、泰然自若たるものです。
「さあ、お脚絆、さあ、お草鞋――さあさあ、お洗足……」
 全く下へも置かず、頭の慈姑《くわい》を摘《つま》み上げんばかりのもてなし。道庵としては全く初めてのふり[#「ふり」に傍点]のお客である。馴染《なじみ》でもなければ、定宿でもないのに、いくら下へ置かぬ商売だからといって、これはあまりに要領が好過ぎ、呑込みが好過ぎ、サーヴィスが有り過ぎる――と一応は、そうも受取れますけれども、これあながち、その根拠がないわけではないのです。
 お角さんは、道庵の来るのを待兼ねていて、いつ何時、これこれこういう人が、尋ねて来るかも知れない。必ずよっぱらっておいでになり、口にはたいそう毒を持っているから、そのつもりで扱って上げてください。なアに、口に毒は持っているけれども、御商売は薬を扱う江戸でも名代のお医者さんだから、失礼のないように。もしわたしが不在でも、かまわず部屋へお通し申して、できるだけ丁寧に扱って上げておくれ。そうしてまた、御酒が大好きなんだから、吟味したところを、いくらでも御所望次第差上げておくれ。お肴《さかな》もこの琵琶湖の選抜《えりぬ》きのところを――なあに、いくら召上っても正気を失うような先生ではない、わたしが帰るまで、そうしてできるだけ丁寧に取持って置いておくれ――
 こういうことが、お角さんからかねがね吹込んであるものですから、宿でも先刻心得たもので、
「それ、おいでなすった」
 車輪になって、お角さんの申しつけて置いた通りに、サーヴィスをはじめたものです。
 かくて、足も取り、洗足《すすぎ》も終ってみると、早速通されたところは、お角さん借切りの豪華な一室でありました。
 御輿《みこし》を据えるとたん、早くもお銚子の催促であり、その催促を皆まで言わせない先に、続々とお好みの見つくろいが取揃えられる手廻しぶりに、道庵すっかり悦に入《い》ってしまって、
「どうも、これだから、上方《かみがた》の奴は油断がならねえ、ことにこの江州者ときては、昔っから近江泥棒、伊勢乞食といって、こすい[#「こすい」に傍点]ことにかけては泥棒以上だから油断も隙《すき》もありゃしねえ、道庵|来《きた》ると見て、ハイ灰吹の格で、このサーヴィスぶり、いやはや全く、江州者には油断がならねえ」
と、早くも盃をとりながらこういう御託宣ですから、給仕に立った女まで呆《あき》れた面《かお》をしました。
 幸いに、この給仕女が他国者であったからまず無事とはいうものの、その土地へ来ていきなり、「近江泥棒、伊勢乞食」と浴せかけるなんぞは、いくらなんでも毒が有り過ぎて、相手が気の短いものなら張り倒されるにきまっているが、これは多分、山城の場末あたりから来た新参の女中だったのでしょう、
「ホ、ホ、ホ、仰山《ぎょうさん》、御機嫌よろしうおますな」
「おますよ、おますよ、おましちまわあな」
 たあいもなく道庵も、駈けつけ三杯を納めることができました。

         三十一

 道を枉《ま》げて胆吹山へ侵入した道庵が、どうして、いつのまに、ここまで来着したか、順路を彦根、八幡《はちまん》、安土《あづち》、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた徒歩でテクテクとやって来たのか、そうでなければ、いったん長浜へ出て、あれから湖上を、ここまで舟で乗りつけたか――ただしは例の脱線ぶりあざやかに、湖水の北岸廻りをして、野洲《やす》から比良比叡の山ふもとを迂廻して来たか、その詮索はひとまずさしおいて、もし徒歩でテクって来たとすれば――道庵先生は老いたりといえども、あれでなかなか平地を歩かせては達者なものです。それは裏宿七兵衛や、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といったような生れ損ないの足とは比較にならないけれども、背が高くて、コンパスが長いだけに、足には充分覚えがあるのですから――相当な突破をしていると見てもよろしいのですが、陸路を来たとしても、八幡、彦根、安土の順路を取らなかったことは確かです。何となれば、草津街道へかかりさえすれば、いやでも昨今のあの「晒《さら》し」を見ないわけにはゆかない。あの「晒し」が一目なりと道庵の眼に触れた以上は、さア事です。その沸騰は、まさにお角さん以上と思わなければならない。それが無事でここへ来ているというのが、あの晒しの現場を通らなかった証拠――と言えば言えるに違いないが、それにしても、もしまた駕籠《かご》か馬でもハリ込んで、揺られながら、いい気持の寝呆先生《ねぼけせんせい》気取りで、「乗せたから先は……」なんかんと納まり込んで、さしも街道名代の草津の晒し場を、ムニャムニャのうちに突破して、ここへ無事に到着の段取りと解釈のできないこともない。
 いずれにしても道庵先生は、自分が唯一無二の股肱《ここう》と頼み切った米友が、今日明日のうちに首がコロリという、きわどい、危ない運命のほどを、一向に御存じないことだけは確かなものです。
 さればこそ、この油断も隙もないもてなしを、遠慮会釈もなく引受けて、太平楽に納まり込み、
「江戸を一歩一歩と離れるのは、それだけ故郷に対して一歩一歩と淋《さび》しくもあるが、京へ一歩近づくほどに、酒《こいつ》がよくなるのは有難え。江戸は道庵が第一の故郷である、酒は第二の故郷である、第一の故郷を離れて、第二の故郷へと進んで行くんだ、有漏路《うろじ》より無漏路《むろじ》に帰る一休み、と一休坊主が言ったのは、ここの呼吸だろうテ」
 途方もないでたらめを言いながら、たしかに吟味してある酒と、これは吟味しなくともおのずから備わる湖上の珍味とを味わいつつ、ひたすら興に乗ってしまい、いったい訪ねて来た相手のお角親方はどこへ行った、いつ帰るのだ、と駄目を押すことさえ忘れている。この酒と、この肴《さかな》さえあれば、尋ねる主などは、いてもいなくても差支えないという御輿《みこし》の据《す》えぶりでしたが、宿ではあらかじめ、かなりにその予備知識が吹き込んで置かれてありましたから、さのみ驚きません。
 道庵先生は、いよいよ御機嫌斜めならず、しきりに管《くだ》を捲いたり、取りとまりもないことを口走ったりしておりましたが、相手の年増女中がいっこう気のないのを見て取って、
「お前、あっちへ行きな、おらあひとり者なんだから、この手酌でチビリチビリというやつに馴れてるんだ。そうして置いて、頃を見計らって、お代り、お代りと持って来て、そこへ置きっぱなしにして、そうして行っちまいな――いい、おらあ、ひとりで、チビリチビリと独酌というやつでねえと、酒が旨《うま》く飲めねえたち[#「たち」に傍点]なんだから――」
と、また一本の徳利を逆さに押立てて、したみまでも、しみったれに猪口《ちょく》の中へたらし込みながら顎《あご》でそう言いましたから、女中も心得て、
「それでは、失礼させていただきまんな、御自由に、たんとお上りあそばせ」
 女中を追払ってしまった道庵は、いよいよいい気になって、独酌の天地に自由陶酔をはじめる。一杯、また一杯――京も大阪もみんなこの道庵を迎えるために存在している天地のように心得て、いよいよ太平楽をならべているうちに、酔眼をみはって、そろりそろりとこの部屋の中を見廻しました。
 相当に凝《こ》った作りのこの造作を見廻し、関東風の旅籠《はたご》との調度の比較などを試みているうちに、部屋の一隅に張りめぐらした六枚屏風《ろくまいびょうぶ》に屹《きっ》と酔眼を留めて、鋭く中を見込むようなこなし[#「こなし」に傍点]をやりました。鋭くといっても、朦朧《もうろう》たる酔眼に、強《し》いて力を入れての虚勢ですから、威力のないこと夥《おびただ》しい。しかし、何か感じたことがあると覚しく、幾度か眼に力を入れ直しては、この六枚屏風をためつすがめつ、
「怪しい、この屏風の中が怪しいと睨《にら》んだ」

         三十二

 道庵先生が酔眼をみはって、この屏風の中こそ怪しけれと不審をうったその屏風の中には、なんらの物音もしないのだけれども、そう言われてみれば、たしかに、物の気がその中にあるらしい。たとえ物音はしないにしてからが、物の気が中にあるのとないのとは、弁信法師ならずとも、勘によってわかる人にはよくわかる。
 たしかにこの中に物の気ありと見てとった――いや、勘で受取ったらしい道庵は、もう放すことではない。今まで、ひとり天下で、何を当てともなく、捲いていた管槍《くだやり》のやり場を、この屏風に向って集中し、
「たしかにその屏風の中が怪しい、七尺の屏風の中こそ怪しけれ」
といっても、立って、掴《つか》みかかって、引剥いで見るようなことはしない。
「七尺の屏風も、躍らばなどか越えざらん、綾《あや》の袂も、引かばなどか断えざらん」
 朗詠まがいの鼻唄になってしまいましたが、次には、そんな優雅なのではなく、
「コン畜生、やい、近江泥棒――」
と悪態を吐いてしまいました。
「その屏風の中にいるのは、近江泥棒だろう、油断も隙もならねえが、余人ならばいざ知らず、この道庵の眼をくらまそうなんぞとは、近江泥棒もすさまじいぞ」
 近江泥棒を連発するのは甚《はなは》だ聞き苦しい。単に聞き苦しいだけではない、悪態も品によりけりで、その国人を泥棒呼ばわりすることは、重大な名誉毀損《めいよきそん》であって、人によってはなぐられる。酔ってはいながらも、性根を失わない道庵は、さすがにそこに気がついたと見えて、急に、
「ハ、ハ、ハ」
と、いやに笑いくずして、
「と、いったものさ、近江の人に言わせると、近江泥棒、伊勢乞食というあれは、語呂の間違いで、本当は近江殿御に伊勢子正直というんだそうだ、その方が正しいのだそうだ。ところで近江の人間は商売が上手で、その道で成功する、伊勢の人間は貯蓄心に富んでいるから、金持になる、近江の人間が成功して大商人になり、伊勢の人が金を貯めて金持になる、それをケチな奴等が嫉《ねた》んで悪口を言ったのが、すなわち近江泥棒、伊勢乞食となったのだ、ひとの成功を羨《うらや》むケチな了見《りょうけん》の奴が、得てして真面目正直の成功人種をとらえては、そういうケチをつけたがる、取るにたらねえよ、怒んなさるな、ハ、ハ……」
と道庵が、自分で弁解をつけて、いいかげんに如才なく笑い崩したところは、やっぱり旅へ出ての引け目である。この先生の食えない一面である。
 そういう下らないことを口走りながらも道庵は、やっぱり屏風に着けた酔眼をしつこくして、
「といったものだが、屏風の中にいらっしゃるのは泥棒だか、聖人だかわかりはしねえ、この近江の国には、泥棒もいるか、いねえか、その事はよく知らねえが、聖人だけは確かにいる、その点は道庵が保証する、近江聖人といって立派な聖人がいる、こいつはゴマかしものじゃねえ、近江聖人は本場の唐《から》へ出しても立派な聖人で通る男だ、本格の聖人だ、近江なんぞへ置くのは惜しい男だよ、ああいうのには道庵も頭が下るねえ――ところで、その屏風の中にいらっしゃるのは、泥棒でげすか、そもそもまた聖人でげすかな、然《しか》らずんば君子――君子でげすかな。君子、君子、君子にも梁上《りょうじょう》の君子というやつがござる、大方その梁上の君子というやつでござろうな。盗人の昼寝といってな、白昼、人の家に忍んで昼寝をする奴は油断がならねえ、名乗んな、尋常に名乗んな、名乗って出ればお近づきに一杯飲ませて上げるが、いよいよ狸とあってみれば、退治るよ」
と言ったかと思うと、道庵がすっと立ち上って、屏風に向って歩み寄って来ました。
 しらばっくれてはいるけれども、道庵として合点《がてん》なり難き一応の不審を感じたればこそ、管まきにかこつけて、一応の検討をしてみようという気になったらしい。

         三十三

 道庵先生の勘といっても、それはもちろん、弁信法師のような鋭いものではないけれども、さすがその道の名人(?)だけのものはあって、この物の気に、たしかになんらかの異常を感得したものではあるようです。
 留守であるといえば、人のいないこの部屋に、たしかに何者かがいる。屏風の中に物の気がする。もし従者だとすれば、主人の不在をつけ込んで、主人の寝床にもぐり込むなんぞは図々しい。まさかお角が、旅にまでイカモノを啣《くわ》え込んで隠して置くはずはない。そこに道庵が不審を打ったのも、さすがに眼が高いものです。
 案の如く、この屏風の中には、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ野郎が、先刻から息を殺してひそんでいる。
 臭いところから侵入して来て、お角を焚きつけて置いてから、自分はこの部屋へ納まり込んで、早速のことに戸棚から夜具蒲団を引っぱり出し、有合せの六曲を引きめぐらすと、いい心持で足腰を伸ばしてうつらうつらとしているところへ、不意に道庵先生の御見舞です。最初のうちは、お角が立戻ったのか知らと思ったが、そうではない。極めて口に毒のありそうな奴が、女中をからかいながら乗込んで来ました。こいつはいけねえと、急に狸をきめ込んでいたのが、何かの拍子で咳《せき》を一つした、それをついに道庵に感づかれてしまったという事態になってしまいましたのです。
 飛び出して走る分にはなんでもない。逃げ走ることは商売同様だから、それはなんでもないが、出ればすっかり網が張ってある。いま飛び出してはあぶない。あれから、こうして、ここに隠れていれば、もはや金城鉄壁。そこでこいつとしては、久しぶりでのうのうと足腰を伸ばしていたところへ、またしてもこの邪魔者――蒲団の中で忌々《いまいま》しがったが、結局、狸をきめ通すよりほかはない、と観念しているうちに、珍しい、これはまた、江戸で見知りのある下谷の長者町の道庵先生だな、と気がつくと、この際、苦笑いが鼻の先までこみ上げて来ました。
 とはいえ、いかに道庵先生なりとはいえ、今日のこの場は自分にとって、危急である、うっかりあの先生から、素姓《すじょう》を口走られては事こわしだ――こう考えたものだが、さて、道庵先生が、よせばいいのに、わざわざ御輿《みこし》を上げて、どうやらその屏風一重を引きめくりに来るらしいから、このままではいけないと、早くもその先手を打ったつもりで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が急にうなり出しました。
 さも苦しそうに蒲団の中でうなり出したものですから、その声を聞くと、道庵先生が急に我が意を得たりとばかり、
「そうら見ろ」
 何が、そうら見ろだか、この言葉の分限がはっきりわからない。自分の勘が当ったという満足か、或いは、そうら見ろ、病人だ、医者と病人は附きものだ、唸《うな》るくらいならナゼ、もっと早く唸らない――というほどの意味であったか、その意味はよくわからないが、道庵は、荒っぽく引剥《ひんむ》きもしかねまじき勢いの屏風《びょうぶ》をそっと押して、のこのことこの中へ入って来ました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、手拭を畳んで頭から額の方へ載せ、掻巻《かいまき》を頭までかぶらせてカモフラージを試み、そうしてさも苦しそうに、うんうんと唸りつづけている。
「何だい、お前さん、病人なら病人と最初から言ってよこすがいいじゃねえか、隠れ忍んでいると、梁上《りょうじょう》の君子と間違えられらあな。どこが悪い、苦しいか、どこが苦しい、さア、脈を見てあげる、手をお出し、腕をお出しよ、脈を見てあげるから、右の手を出してごらん――腕をお出しということさ」
 道庵の押売り親切――脈を見てやろうと、余りある好意を、この病人が、遠慮か、謙遜か、腕を出そうともしない。押売る以上はどこまでも強く押売らなければならないと、道庵は相手が剛情なら、こっちもいよいよ剛情になるつむじ曲りを発揮して、
「出さねえか、拙者が脈を見てやるというに、遠慮をして、腕を出さねえ病人もねえもんじゃねえか。いよいよ出さねえとなると……」
 道庵は意地になって、自分の手を夜具蒲団の中へつっ込んで、いやおういわさず、この病人の腕を引きずり出して脈を見てやろうとしたが、
「おやおや」
 あるべきはずの手ごたえがなかったので、道庵が一方《ひとかた》ならずテレてしまいました。

         三十四

 多景島《たけじま》の庵《いおり》に行いすましていた弁信は、全く落着かない心で、安祥《あんじょう》の座から立ち上りました。
「落着きません、竹生島へ渡ろうとして、はからずもこの島へ寄せられたことも一つの御縁と存じまして、ここで多少の修行を致してみるつもりでございましたが、この心が落着きません、つなげる駒、伏せる鼠でございます、この通り、四面水を以て孤絶されておりながら、わが心を孤絶することができないというのが浅ましいことでございます。してみますると、この地も到底修禅のところではございません、ところの幽閑がかえって魔縁を引くと覚えました」
 例によって、仔細らしく法然頭《ほうねんあたま》を振り立ててかく言いますと、庵の縁の柱のところに行って、柱の一方にからみついている縄を解いて、それをスルスルと下へ向って引きました。
 そうすると、庵の一方に継ぎ足された一竿の竹の柱頭高く、へんぽんとして白旗が一つ現われて、きらきらと朝日にうつり出したのです。けだしこれは、かねて米友が、この法師をこの島へ送りつけて置いて立去る時に、おたがいの間に示し合わせておいた合図の一つで、その白旗を掲げた時は、すなわち弁信が米友に向って、何をか求むる希望の表示なのであります。次第によっては、金輪際《こんりんざい》といえどもこの座を動かないことになるかも知れないとまで思い立った弁信が、僅か三日にして、かく白旗を掲げてしまいました。
 白旗を掲げてから、弁信は、なお縁の側を去らずに、仔細らしく小首を傾け通しておりましたが、暫くして、がっかりしたもののように頭を上げ、
「合図は致しましたけれども、反応がございません、米友さんとのあの時の約束では、米友さんがこの白旗を見かけさえすれば、軽舸《けいか》を飛ばして馳《は》せつけて来ていただくことになっておりましたのに……その反応がさらにございません。もし米友さんが胆吹へなり立帰って、この白旗の見える限りの間においでなさらない時の場合をも予想して、あの辺の湖岸で釣を楽しんでおいでになる浪人衆によくよくお頼みがしてあるはずになっているのでございますが、そのどちらからも反応がございません。どなたも、私の投げたこの合図に応じて下さるお人がないとしたら、私がいかに落着かない心でも、やっぱりこの島が与えられたる当座の常住かも知れません、私は、もう一応、このところで坐り直さなければなりますまい」
と言って弁信は、またも、もとの席に帰って正身《しょうしん》の座を構えてみましたけれど、そのいったん堰《せき》を切られたお喋《しゃべ》りが、やむということをしません。
「坐り直してみましたけれども、心の落着かないことは同じでございます、何か事が起りましたな、私をして、じっとこの座に安んずることを許さない外縁が、この周囲のうちのいずれかの場所で起りましたな。わかりました、この島は静かなりといえども、湖水の水が騒いでいるからであります――山は動かないが、水は動いているものですから、この心が落着きません」
と言って、せっかく組み直した正身の座をほぐして、弁信法師はまた以前の縁側の方へ出て、今度は有らん限りの四周の湖面を、ずっと見廻しました。見廻したといっても、この人は天性、肉眼の見えない人であることは申すまでもありません。四方の湖面に眼を注《そそ》いだと言いたいが、頭を注いで、そうして、今度は水に向って物を言いかけました、
「この通り、湖中の水が騒いでいるものですから、それで、私の心が落着かないのです。なぜ、こうも湖水の水が騒いでいるのかと考えますると……」
 ここでまた、小首を傾けて、懸崖|遥《はる》か下の湖面へ耳をくっつけてみるような形をしましたが、その言うところは変っています。事実、水が騒ぐ騒ぐと弁信は口走っているが、見渡すところ、今日はこの青天白日で、ほとんど風らしい風は吹いていない。多景島の竹も枝を鳴らさず、湖面全体の水面は至って静かで波風が騒がない。平和なものです。その平和な海に向って、弁信はしきりに、水が騒ぐ騒ぐと言っている。平和な水こそいい面《つら》の皮で、事実、水が騒ぐのではない、彼の心が騒ぐのにきまっている。

         三十五

 こうして、この法師は、水が騒がないのに、われと我が心をさわがしている。そうして、わがさわぐ心を以て、その罪を水に向って被《かぶ》せている――それのみではない――
「湖水の水が、かくもあわただしく騒ぐのは……つまり、湖岸が穏かでないからです」
と、今度はその責めを岸へ向ってなすりつけにかかりました。
「湖水の沿岸が穏かでないから、それで湖水の水がかくまで騒がなければなりません、水が悪いのではなく、岸が悪いのです」
 わが心の動揺を見事に、沿岸へ向ってなすりつけてしまいました。湖面が青天白日の平和な光景である限り、沿岸だけが黒風白雨の天気に支配されるというはずはない。然《しか》るにこの小法師は、かくも平和な湖面に向って騒擾《そうじょう》の罪を着せると共に、今度は、その罪を沿岸に向ってなすりつけてしまったが、波風の及ぶところはそこで止まるのではありません。
「先刻から、湖南湖北の巷《ちまた》の風説に聞きますと、この沿岸の村々がことのほか物騒がしいそうでございます、一味ととうと申すのが、あちらにも、こちらにも、動揺の兆《きざし》を見せているそうでございます、私が通る辻々でも確かにそのことを感得いたしましたのは一再にとどまりません、沿岸の人心が劇《はげ》しく動揺を致しているその波動が、ここに、私の心をも動かしてやまないのでございます」
 彼はここで、立派に(?)わが心の動揺と、群集心理の動揺とを結びつけてしまいました。

         三十六

 弁信法師は、この小孤島のうちに寂静《じゃくじょう》を求めて寂静を得ず、人を待たぬはずの身が、人を待つ心に焦燥を感ぜしめられていると、その日中の半ば頃から雨を催してきました。
 しめやかに降る雨は、かえって激しい風雲を予想せしめないで、いっそう人の心を沈静にするはずのものであるが、湖面一帯に立てこめる雲霧のために、合図の白旗が、いよいよ合図の効力を没却するだけのことです。
 弁信法師は観念して夜に入りました。夜もすがら正坐を企てているうちに、雨は、漸くしとしとと多きを加えようとも、降りやむ気色《けしき》はありません。夜雨の軒をめぐる音を聞くと、弁信法師の心がまた、いとど潤《うるお》うてきました。いつの世か、夜雨禅師という人があって、ことのほか夜の雨をきくことを楽しんだということだが、全く、静かな心境で、夜の雨が軒をめぐって心耳《しんに》を潤す快味は得もいわれない。ところが、その夜更けの幾時かになると、庵《いおり》の表の戸を、
「トントン」
と叩く音がしました。この庵の表の戸といっても、戸らしい戸があるわけではありませんが、それでも以前、住みならした人の建てつけだけはしてあったのを、弁信法師はこの際、雨戸という名の責めを塞《ふさ》がせるために、使用しておりましたものです。
「どなたでございますか」
と、夜の雨を楽しんで、動揺の心を湿していた弁信法師が、我に帰って、夢心地で返事をしますと、
「弁信さん、おりますか」
と、あまり聞きなれぬ人の声です。
「はい、弁信はおりますが、あなた様はどなた様でいらっしゃいますか」
「ちょっと頼みがあって参りましたよ、あけてもようございますか」
「どうぞ、あけてお入り下さい」
 思いがけない来客は、立てつけの雨戸を外《はず》してみると、簑笠《みのがさ》をつけて、提灯《ちょうちん》をその簑の中へ包んでいたのが、静かにその光を庵の中へ向けて、
「ちと頼みたいことがありましてね、夜分突然にあがりましたよ」
 思いがけない人が、突然にやって来て、先方から頼みたいことがある、頼みたいことがあると言って繰返す――頼みたいことではない、頼まれたいことはむしろこちらにあるのです、と弁信に言わせない先に、その人は、
「三人連れでやって来ました」
「お三人でおいでになりましたか」
「ええ、三人でやって来ました、まあごめんなさいよ、いいですか、みんなこの中へ呼び入れますよ」
「どうぞ」
「どうも、不意に押しかけて相済みません……」
 つづいて、外に待っていたらしい一人の簑笠が、決して広くもあらぬこの庵の中へと、乱入ではない、侵入でもない、極めて静かに、全く世を忍ぶ者ででもあるように、簑笠のままで入ってきまして、土間に突立ちました。提灯は一つ、最初の簑の間に隠されているだけですから、後ろを照らすことは少なく、前を照らすことのみに向いているが、本来は弁信法師のいるところに限っては、夜昼ともに光というものが用を為《な》さない。だが、この場面の全体をただ一本の蝋燭《ろうそく》に任せては、照明の任が重過ぎる。その時、ようやく弁信法師が、最初当然こちらから為すべき質問を、不意の来客に向って切り出しました、
「あなた方は、わたくしが掲げました合図の旗をごらんになって、それによって、おいで下すったのではございませんか」
 これは当然の質問です。当然の質問というよりも、先方から、のっけに切り出さねばならぬところの挨拶であるべきであったのです。つまり、「弁信さん、遅くなって済みません、つい、あなたの合図の旗を認めるのが遅かったものですから――いや、認めるには認めましたけれども、これこれしかじかの事情にさまたげられて後《おく》れました、ずいぶん心配したでしょう、もう安心なさいよ」とでも言ってくれるのが本筋であるべきのに、そのことは言わずして、いちずに自分の方の勝手でやって来たようなことを言うものですから、弁信から逆にダメを押されたのです。そうすると、その返事が、
「いや、一向そういうことには気がつきませんでした――」

         三十七

「はて」
 ところで、弁信が、はじめて法然頭《ほうねんあたま》をひねり立てました。
 今まで彼は、夜雨をきくことによって、本来の鋭敏なアンテナを張ることを忘れておりました。忘我の瞬間には、勘だの、想像だのというものは働きません。ここで、我《が》が破れて、意外の相手と、意外の問答をやり出してから、弁信が急に、アンテナを張って、自分の特有の機能の働きを逞《たくま》しうせんとするまでもなく、先方が、何のわだかまりもなく、説明の継足しをしていくのです。
「あなたの方の合図にはいっこう気がつきませんでしたが、こちらが、早くお前さんのことを思い出したものですから、いちずに頼みに来たのです。頼みにきたというのはほかではありません、ここへ暫く人間を一人預ってもらいたいのです。単に預るだけではなく、かくまって置いてもらいたいのです、その頼みのために、夜分、こうして三人連れで上りました」
 最初の簑笠《みのがさ》が、ここで、頼みたいこと、頼みたいことと繰返した内容を明らかにしはじめました。
 弁信はそれに答えて、
「おやすい御用でございます、もとより、この住居は先人の住み捨てた庵でございまして、私一人が専有を致すべき筋合いのものではございませんから、御用と内容が許す限り、何人でもおいで下されていっこうさしつかえはございませんが、ただ特にこの離れ島まで、この夜更けに、わたくしを目ざしておいで下さるのが不思議でございます」
「いや、不思議でもなんでもないのです、日中ではあぶないと思うから、夜分上ったまでのことです、弁信さん、それでは当分こちらへ人間を一人預って下さい」
「御念までには及びません、わたくしは依頼されてお預り申すほどの器《うつわ》ではございませんが、御依頼を御辞退いたすほどの不人情も致したくはございません。いったい、ここにおいでになりたいというのはどなたですか」
「農奴です、農奴を一人、預ってもらいたいのです」
「のうど[#「のうど」に傍点]とおっしゃるのは?」
「農奴――農民の奴隷です」
「農民の奴隷――そういうものが、この日《ひ》の本《もと》の国にございましたかしら」
「いや、そう理窟をおっしゃられると困ります、そういう人種が、日本の歴史にあったか、なかったかということの詮議《せんぎ》は、後日に譲っていただいて、とにかく、ある方面で農奴の名を冠せてくれたそれをそのまま借用して置いて、とりあえず、農奴としてあなたにお預けしますから、農奴として暫くお預りが願いたい」
「よろしうございます、わたくしは決して、どなた、こなたと選好《えりごの》みを致すような器《うつわ》ではございません」
「どうも有難う、ではここへ農奴を連れ込みます」
と言って、先に立ったのが簑にくるんでいた提灯をこころもち外の方に向け直しますと、あとから来た簑笠が心得て、雨戸の外へ、そっと身を忍ばせて行きました。その途端に、ささやかな光が二人の簑笠の外面を照しますと、二人とも意外にも、簑笠から外へ二つの長いものがハミ[#「ハミ」に傍点]出しておりました。ここに於て見ると、二人ともに両刀を帯している身分のものだということがわかりました。一人が内で待っていると、外へ飛んで行った一人が、岩角の凹《くぼ》みのところまで来て、
「農奴――いるか」
と忍びやかにおとなうと、答えはなかったが、岩の凹みからまた一つの簑笠が現われ出して来ました。しかも、今度の簑笠は、前のより一段と小さい。いや、簑笠が小さいのではない、簑笠は通常の出来だが、内容が小さいために、尋常の裄丈《ゆきたけ》だけの簑笠が地上に引きずられているだけの相違で、以て身の丈の低い、子供にも見まほしき人物の一塊であることがわかります。
「農奴――こっちへ来い」
 迎えに来た簑笠が、迎えられた小さな簑笠の一塊を引具して、そうして、以前の庵の中へ戻って来ました。その途端に、弁信の勘がうなり出して、
「ははあ、わかりました、あなた方は、わたくしの友人を連れておいで下さいました、わたくしの友人を友人としてお連れ下さらずに、農奴としてお連れ下された、それには深い仔細がございましょう、よってわたくしは、それを友人として受取らずに、農奴としてお受取りいたします」
 何という小賢《こざか》しい言いぶりだろう。二個の簑笠は顔を見合わせてしまいました。

         三十八

 その翌日もまた、打ちつづいての雨でありました。
 農奴としての宇治山田の米友はと見れば、庵の後方なる穴蔵の中に、菰《こも》を打ちしいて、高鼾《たかいびき》で寝ております。
 あれより以後の米友というものは、なぜか一語も吐きません。常ならば慷慨悲憤が口を衝《つ》いて出るか、或いは痛快無比なる啖呵《たんか》が泡を飛ばして迸《ほとばし》るかしなければならない場合を、あれから全く一語無しです。意気が銷沈しつくしたか、或いはまた、もう天下の事、言うがものも、語るがものもない! と断念したのか、とにかく彼は、もう一語をも発することなく、それでも、多少の疲労はありと見えて、この穴蔵に移されると共に、前後も知らず寝込んだままです。
 かくて庵《いおり》の一室には、雨の日のつれづれを仮りの宿りの主としての弁信法師とは別に、二人の者がおのおのの両刀をからげて投げ出し、丸木の柱によりかかっている。その二人の者こそは、必ずや、昨夜ふいにおとずれた簑笠《みのがさ》のものであるが、果してどんな面《かお》が来たのかと、明るい光ではじめてうかがって見ると、この二人も、別に珍しい面ではありませんでした。すなわち昨日までは胆吹御殿に見えた不破の関守氏と、知善院に侘住居《わびずまい》の青嵐居士と二人が、ここで抜からぬ面を合わせているというだけのものです。
 さては、昨夜の簑笠は、この二人の者であったよな。但し何ほどのこともない、ひとしくこれ、湖水湖岸に程遠からぬところに住んでいる自由遊民である。それが、同じく程遠くもあらぬ湖中の一島へ来て、面を合わせるということは、有るべからざるに似た奇遇でもなんでもない。こうして見ると二人も、胆吹御殿で語り合わせた時の面と、別段よそゆきの面にはなっていない。あの時の呼吸で、悠々と調子を合わせている。不破の関守氏がまず言うことには、
「そもそも日本に於ては、兵と、農とは、二つの種の、二つの民族ではない、一つの物の、二つの変形に過ぎなかったのです、それが歴史の本筋でした」
「そうでしょう――さむらい[#「さむらい」に傍点]という言葉は本来、いつの頃から起った言葉か知らないが、少なくとも鎌倉幕府以前には、特にさむらい[#「さむらい」に傍点]という遊民はなかったようです」
「左様――事ある時は、兵はみな農より取ったものです、事ある時には兵となり、事無き時には農となる、それだけのものでしたね、その時代は」
「そうですとも、三浦、和田、畠山なんぞというと、素晴しい大名かなんぞのように聞えますが、今日の諸侯と比べたら大違い、実は皆、従来はその土地土地に拠《よ》った大百姓に過ぎなかったのです」
「左様、その大百姓が、それぞれ家の子郎党を地割のうちに置いて、一緒に百姓をしていたのですな。ところで、天下を取ろうとする者は、それぞれこの大百姓どもに渡りをつけると、その時の風の向き加減によって、三浦、和田、畠山といったような大百姓が、或いは源氏、或いは平家と、味方に馳《は》せ参じて、天下を取らせたり、取らせなかったりしてやる、天下を取らせたり、取らせなかったりしてやった後は、また郷に帰って百姓をする――といったのがあの時代の武家の制度でした」
「その通り――それが、現在のようにかっきり[#「かっきり」に傍点]と、武士と百姓がわかれてしまったのは、大なる不祥といえば、大なる不祥でした」
「そもそも今日のように、さむらい[#「さむらい」に傍点]と百姓とが、かっきりとわかれてしまったのは荻生徂徠《おぎゅうそらい》の説によると、北条時頼の時代からだそうです」
「北条時頼から始まったと、そう明確に線を引いてしまうわけにもいくまいが、いずれは鎌倉の中期頃、天下に漸く事が多くなって、屯田《とんでん》の農民ばかりではやりきれない、どうしても常備兵というものの必要に迫られて来た時から始まったのでしょう。かくて、世が乱れるにつれて兵の需要が増し、同時にこれを司《つかさど》るものの威力が増大して来ました。兵が勇敢となり、威力が加わって来てみると、悍然《かんぜん》として身命を賭《と》して外敵に当るものの風采が、颯爽《さっそう》として、勇ましく見える、土にかじりついて耕作をする人間の姿が、いたましくも、みすぼらしくも見え出してくる、そこで武士は選ばれたる優越階級となり、農民は落伍せる下積階級のように見え出してきて、やがて最も鮮かに兵農が分離してしまいました」
「兵は農より出でて農を軽んじ、農は兵を出だして兵を恨むの事態が醸《かも》し出されたのは、不幸です」
「御尤《ごもっと》もです、古《いにし》えは兵が農を守りました、今は兵がことごとくさむらい[#「さむらい」に傍点]という遊民になりました。この遊民を威張らせ、養って行くために、農が十重二十重《とえはたえ》の負担をしなければならない、さむらい[#「さむらい」に傍点]という遊民を食わせて、これに傲慢と驕奢《きょうしゃ》を提供する役廻りが、農民の上に負わされて来たという次第です」

         三十九

「まずそうです、例を徳川氏にとってみましょう、徳川家がいわゆる旗本八万騎を養成した当時には、養成すべき理由がありました、そのいわゆる八万騎によって海内《かいだい》を平定して、三百年来の泰平を開いたのです」
「左様――それは認めなければならない、同時に、徳川家に対してのみ承認すべきではない、三百諸侯が、大小となく、皆それぞれ相当の士を養って、おのおのの領土を安泰にし、そのまま徳川家にぶらさがって、三百年の泰平が出来上りましたには相違ないが、さて、その後は武力の必要がなくなったのです。およそこの世に必要なきに存在する人間はみな遊民です、非常時に当っては最も有用なりしさむらい[#「さむらい」に傍点]が、常時に於ては無用の遊民と化してしまった徳川家八万騎をはじめ、三百諸侯がおのおの莫大な遊民を抱え込んでしまった、而《しか》して、その食糧並びに遊民の遊蕩費というものを、いずれに向って求めましょう、百姓――農民より搾《しぼ》るほかに出所はないではないですか」
「全くその通り、我々も昨日までは、その遊民の端くれの地位を汚していて、農民の血汗に寄食していたものです。戦国の時代を程遠からず、武士の威力と恩恵がまだ存していた時代は格別、こうして永く泰平が続く間に、平和に働いていた農民が、我々こそは何故にかくまで働きつつ、こうまで搾られなければならないか――そこに疑問を持ち、憤慨を持ち、反抗を持ち来《きた》るのもまた歴史の一過程でしょう」
「近代に於て、百姓一揆《ひゃくしょういっき》というものが澎湃《ほうはい》たる一大勢力となり、牧民者がほとんど手のつけようがなく、しかも表面は相当の刑罰を以て臨むにかかわらず、事実は、いつも一歩一歩と一揆側の勝利の結果となって行く、それもあながち筋道がないとは言えないです」
「しかし――当世のことはさむらい[#「さむらい」に傍点]と百姓、つまり兵農の分離ということのほかに癌《がん》はないかというと、事は左様に単純なものではないのですな。兵と農とのほかに、つまりさむらい[#「さむらい」に傍点]と百姓とのほかに、別に一つの大きな勢力が現われました、その現われた大きな勢力が、兵をも食い、農をも食い、みるみるうちに食い肥って、あらゆるものを食い尽して、舌なめずりをしようとする悪魔の出現を見ないわけにはいかないでしょう。その大きな新勢力というのは、すなわち町人です。百姓がさむらい[#「さむらい」に傍点]に対して頭を上げて来たというよりは、いずれは百姓も、さむらい[#「さむらい」に傍点]も、やがてこの町人という新たな化け物のために食われてしまうような時代が到来するのではないか――拙者は以前から、多少それを懸念していたが、この江州に来ていよいよ確実にその将来の懼《おそ》るべき黒影を見て取ることができました。いかがです、この町人というものの今日の時代に於ける隠然たる大きな力をごらんになりましたか」
「なるほど」
 新興町人勢力の怖るべきことをまず説き出したのは青嵐居士《せいらんこじ》で、それに深くもあいづちを打ったのは不破の関守氏でありました。
「江州へ来て、江州商人の勤勉ぶりを実見し、その江戸大阪へ及ぼすところの勢力を深く観察してみると、由々しきものはこの町人勢力です。農民をいじめることにかけては虎の如く勇敢であるさむらい[#「さむらい」に傍点]階級が、この町人階級に向って頭の上らないことは、一日の故ではありません、富の前には、武家の威力は憐れむべきほど貧弱であり、卑屈であるのです、その実例として……」
「いや、その辺は、拙者も大阪に少々住居をいたしたことがござる故に、多少の知識をもっているつもりです。蒲生君平《がもうくんぺい》も申しましたよ、『大阪の豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯みな慄《ふる》え上がる』と蒲生君平も単なる尊王愛国の放浪狂ではありません、なかなか裏面に徹して、見るところはよく見ていますな」
「そうです、我々は、この兵と農との争いは、本来これは親子なんですから、それは存外早く解決すると見ていますよ。ひとり町人階級のものに至っては、これは全く性質が違います、彼等は兵を動かすたびに儲《もう》けます、農が汗水垂らして生産したものを、引っくるめて算盤《そろばん》一つで横領してしまいます、農と兵とは親子関係ですが、商に至っては、この両方の血を吸い、骨を削ることによって、身代を肥やして行くという種族なのです、その点にかけて大阪商人の魔力、まことに怖るべきです」
「大諸侯が、大阪町人の有力者に頭が上らない、大諸侯の家老が、大阪町人を上座に据えて、その前に平身低頭して借金を申し入れる――その醜劣なる光景を拙者も目《ま》のあたり実見いたしておりますよ」

         四十

「実は我々も、前に申した通り、昨日までは農民に食わせてもらった遊民の一人でいながら、百姓を軽蔑する習慣の下に教育されて来ていたのですけれども、事実、百姓の難儀を見ると同情の念が起り、一揆の勃発があるにしてからが、憎もうとして憎めない場合が度々《たびたび》なのです。然《しか》るに町人の横暴に至っては……」
「全く同情ができません、容捨がなり兼ねるのです。表面はとにかく、実際に至ると、今は兵も農も共に苦しみつつあるのです、農民の苦しみは、現実的に見ていられないほどですが、さむらい[#「さむらい」に傍点]の方も、徳川家をはじめ大小諸侯の内輪がみな火の車です、惨憺たるものです。然るに商人に至っては……彼等は、血を以て天下の泰平を保証したという歴史を持たない、身を以て苦労して衣食を供するという奉仕もしない、その間の鞘《さや》を取ることによって、すべての富を蓄積し、その富の威力で、兵をも農をも支配せんとする、仁義道徳がすたり、銭によって支配されんとする時代がやがて来るのです、否、すでに来つつあるのです」
「お話を伺っておりますうちに、わたくしは大へん悲しくなりました」
 そこへ、抜からぬ面《かお》で、突然に口をさしはさんだのは弁信法師でありました。
 談論|酣《たけな》わなる両浪人は、この差出口にいたく驚かされました。今まで全然、存在を認めていなかったわけではないが、談論の相手としては眼中に入れて置かなかった人の突然の発言ですから、二人は特に驚かされたのでした。取上げることをしなかった第三者が、ここに至って、さも心得顔に差出口を挿んだことによって、この席に、こんな小法師が侍《はんべ》っていたのかということに気がつき、改めて見直すと、今までの二人の会話を、最も熱心忠実に傾聴していたことを思わせる存在ぶりでありましたから、二たび、三たび、驚異の感に打たれざるを得ませんでした。同時にまた、「油断がならぬ」というような警戒心もこの時に、頭をもたげたようです。本来、この二人は、ここに存在せしめられている盲小法師なるものに就いて、なんら、特別の予備知識を与えられてはいなかったのです。ここへ伴い来《きた》った晒《さら》し者《もの》のグロテスクによって、この島にかかる人物が存在することを知り、これこそ、しばしの身を托するに安全のところと心づいただけの発起で、ここまで伴い来ったものでしょう。この小法師が、変った修行者であるということだけの黙会はあったものでしょう。しかし、そのほかには、なんらの予備知識がない上に、右にいうような漠然たる先入感から、およそ浮世のこととはかけ離れた修行者であり、しかも充分に不具者の資格を備えた存在物を、この孤島の中で前に置いての談論ですから、言論は絶体的に自由であることを安心しきって、談論が縦横に酣《たけな》わなるに任せて行く途中、ここで、抜からぬ面で差出口をされたものですから、驚くのも無理はありません。
 もし、この二人は多少なりとも予備知識があって、ここに存在する小物体が、怖るべき感覚の所有者であり、また更に怖るべき饒舌家《じょうぜつか》であることを知ったならば、二人とも、かくまで羽目を外《はず》して時事を痛論するようなことはなかったでしょう。もしありとしても、必ずや、この小存在物をあらかじめ眼中に置いて、談論の一節一節の終りと始めとには、「わたしたちはこう思うが、弁信さんはどう思います」と一口ぐらいは挨拶があり、会釈《えしゃく》があって然るべきはずだったでしょう。それをそうしなかったことを悔ゆるまでもなく、二人はただ驚きの上に、呆《あき》れて、
「弁信さん、何が悲しいのだ」
とダメを押したに過ぎません。
「何が悲しいとおっしゃいましても、人間が人間同士、理解し合えぬほど悲しいことはございません」
「エ、エ、何ですって」
と二人は、また驚異と疑惑とを以て、弁信法師の面を見直しました。
「人間が人間を理解し合えぬほど、悲しいことはございません、人間が人間同士、理解し合えなければこそ、人間の団体が、おのおのその団体を理解することができないのでございます、さむらいがお百姓を理解することができないのが悲しいです、お百姓がさむらいを理解することのできないのも悲しいです、士農は工商を理解することができず、工商は士農を理解することができないといたしましたならば、四海のうち、四民の間、どこに共存共栄の地がございましょう……」
 さてこそ、怖るべき饒舌が、これから始まるらしい。

         四十一

 一息にこれだけのことを言い切られて、さしも二人の浪人が、
「うーん」
と唸《うな》りました。しかし、実はまだ唸るのには早かったのです。この辺で唸り出してしまった日には、この小坊主の底の知れないお喋《しゃべ》りの腹蔵のやっと戸口のところへ来て、眼を廻してしまったようなものなのです。前に言う通り、皆目《かいもく》、お喋り坊主のお喋りぶりのいかに怖るべきかということに予備知識を持たなかった二人としては、まずこの辺で驚いてしまうのも無理のないものがあります。一方、弁信法師に於ては、ここでようやく持病の堰《せき》を切って、弁論の滝を放流しはじめました――
「たとえばです、あなた方は、農が苦しいという立場だけは、充分御理解になっていらっしゃるようですが、農が正しいということ、農が楽しいということには、未《いま》だ全く御理解がないようでございます。この世の中に存在するいろいろの仕事のうちで、農がいちばん正しい職業でございます。こう申しますると、他のあらゆる職業はみな正しからざる仕事かとお尋ねになるかも知れませんが、左様ではございません、まず原始的という意味で申し上げますると、第一、何物よりも農が正しい仕事なのでございます。農は天下の大本と仰せになりました通り、百姓こそは、土を母として、その恵みの上に、作物を育てて人間を養う仕事でございますから、先以《まずもっ》て、人間の仕事で、これより最初の、これより正しい仕事はないと言ってもよろしうございます。正しい仕事は自然、貴ばれなければならないのです。自然、農というものが、最も正しい仕事でございますから、当然最も貴い仕事だということになるのでございます……まあ、お待ち下さい、あなた方は、ならばその貴い仕事が、ナゼ、今日のように貴ばれない、貴ばれないのみではない、ナゼ、今日のように卑しまれている――と御反問になろうとしていらっしゃる。まことに一応、御無理のない御反問でございますが、貴ばるべき仕事が貴ばれざるに至りましたのを、あなた方は、搾取する者の責めにのみごらんになるようでございますが、なるほど、それも一応の見方には相違ございません、悪い地主なり、悪い代官なりが存在いたしまして、罪もない、おとなしい百姓を苛《いじ》めさいなんでこれを搾《しぼ》り、これを使い、これを奴隷以下におとしめるといった現象を、私共もしらないというのではございません、そこは、あなた方の御論拠に充分の理解を持っているつもりでございますが、その責めを、単にそれだけに帰《き》して、他を怨《うら》むことばかりを教えるのはよろしくございません。それは片手落ちというもので、そういう方面ばかりを考えて、地主が悪い、代官が憎いという、治者に対する被治者の反抗心だけを教えるような論理はいけないと思います。そうして得るところのものは何かと申しますと、それは必ず得るところのものより、失うところが多いものでございます。百姓一揆というものに払われました大きな犠牲を翻って、お百姓たち自身の正しい立場を自覚させることに尽しましたならば……いや、あなた方は、それでも御不満でいらっしゃる、生活が切羽詰《せっぱつま》っているものに、正しい自覚のなんのと、そんな緩慢な沙汰《さた》ではない、とこう考えていらっしゃると存じますが、それを、もう一歩進んで考えていただきとうございます。私とても、現在の農民生活がこれでよろしい、これでお前たちには充分だ、これより生き過ぎてはお前たちの分に過ぎる、と申したくはございません、どうかして、もう少しお百姓の生活を楽にして上げたいものだと思わないことはございませんが、それより先に教えて上げていただきたいことは、苦しいだけが農民のつとめではない、ただいま私も申しました通り、百姓ほど正しい仕事はない、百姓ほど貴い仕事はない――ということの観念を昔に戻して、農民たちによくよくさとらせることが急務ではないかと考えているのでございます。さあさあまた、あなた方は、なあに盲法師の小坊主が途方もない減らず口、自分の立場を苦しくないと考えようにも、貴いと考えさせようにも、現在この通り苦しい、この通り卑しめられている、現在それを頭だけ引離して、考えてみること、考えさせてみることが、どうしてできる――と、かようにおさげすみになっていらっしゃるでございましょうが、そこが、私の頭の違うところでございまして、とにかく、一応お聞取りを願いたいのでございます」

         四十二

 弁信法師は引きつづき、滔々《とうとう》と喋《しゃべ》りまくりました――
「これは、ひとり農民に限ったことはございません、すべての人に伝えなければならぬ観念なのでございますが、ことに農民から始めて、誤った貴賤貧富の観念をすっかり改めてやらなければなりません。貴賤貧富の観念を改めると申しましても、悪平等に堕せよと教えるのではございません、君は君とし、親は親とし、人倫はおのおの尊重し合わなければなりません、それは古《いにし》えよりの道でございます、その正しい倫理観念に反逆をそそるような教え方はいけません。中世以降、この世界をすべて麻痺《まひ》せしめてしまっておりますところの、貴賤上下の観念だけはすっかり取払ってやって、万事はそれからのことなんでございます。後代の貴賤上下の観念は、人間本質の輝きではございませんで、その輝きを没却するところの手段方法に供せられた点が夥《おびただ》しいのでございます。そのために、世界の見て以て卑しとするものが、必ずしも卑しからず、俗界の見て以て貴しとすることが、必ずしも貴からず、貧が必ずしも辛《つら》からず、富が必ずしも楽ではないということの根本の事実と、実際とを教えて上げなければなりますまい。末世に於きましては、事実上、正当の地位がみな置き換えられてしまっているのでございます。それは最初のうちに、国を治める人が方便のためにしたことが、後日はその方便が方便の仮借《かしゃく》から離れて、そのことそのものに、われとつけてしまった箔《はく》のために、われと迷うているのでございます。たとえばこの世の位階勲等の如きは、最初は、帝王の宏大なる政治心から、人間待遇の道として開かれたものでございまして、人が偉いから、おのずからそのかがやきが発せられたものなんでございまして、後代に到りますと、人間がつまらないのに、箔だけがかがやくものでございますから、知恵の浅い多数の者が、その中身を見ないで、箔だけを拝むようになりました。位階勲等ばかりではございません、人間の原始の生活には、富というものはございませんでした、また、正当な生活をやっておりさえ致しますと、富というものの蓄積も、使用も、さのみ効用がないものなのでございます。然《しか》るに末世になりまして、人間がおのおの生活のために戦うようになりますと、富の蓄積が即ち生命の蓄積と同じような貴重なものになりまして、同時に人間そのものの生命を尊重するよりは、生命のために蓄積した富そのものを拝むように間違って参りました。富があれば、安楽にして一生が暮せる、富がなければ、一生を牛馬の如く苦労して暮らさなければならぬ、一歩あやまてば餓えて死ななければならぬ、その恐怖のために万人がおののいて、みすみす罪におちておりますが、私から言わせますと、このくらい違った迷信はないものと存じまする。他人の膏血《こうけつ》による富を積んで、己《おの》れが安楽に暮さんとする、その安楽が、世の人の考える如く安楽なものでございましょうか、汗を流して終日働く人たちのみが、世の人の考えるほど不幸なものであり、労苦なものでございましょうか。この観念を、今の人は、よく見直すことに出直さなければならないのではないですか。位階勲等の高きもの、身分格式の卑しいもの、働かないものが幸福で働くものが不仕合せ、ただ単にそれだけで或いは誇り、或いは憂えるということがあんまり浅はかに過ぎます。本当の幸福は、世のいわゆる、見て以て高しとするところになく、見て以て低しとするところに存在するのではございますまいか。且つまた、本当の安楽は、世の見て以て逸《いつ》とするところに存在せずして、見て以て労《ろう》とするところに存在するのではございますまいか。御存じでございましょう、佐藤一斎先生が太公望をお詠《よ》みになった詩の中に、『一竿ノ風月、心ト違《たが》フ』という句がございます、その前句は多分、『誤ツテ文王ニ載セ得テ帰ラル』とかございました、私の記憶と解釈が誤っておりましたらば御免下さいませ、あれは、太公望が釣をしているところを、周の文王に見出されて天下の宰相となりました、普通の眼で見ますると、これより以上の出世はないのでございまして、世間の光栄と羨望の頂上でございますが、太公望御自身から申しますると、大へんにこれは間違っている、自分の本当の楽しみは、一竿の風月にあって、天下の宰相になることではない、それを見出されてしまったのは時の不祥である、という心持を、さすがに佐藤一斎先生がお詠みになりました。それは負け惜しみでも、似非風流《えせふうりゅう》でもございません、太公望様それ自身の本心なのでございます、楽しめば一竿の風月の中に不尽の楽しみがある、それよりほかの物は結局|煩《わずら》いに過ぎない、という太公望の心境を、さすがに佐藤一斎先生がお詠みになりました。それからまた、三国の時代の有名な諸葛孔明《しょかつこうめい》でございますが、御承知の通り、諸葛孔明様の有名な出師《すいし》の表《ひょう》の中に、『臣モト布衣《ほい》、躬《みづか》ラ南陽ニ耕シ、苟《いやしく》モ生命ヲ乱世ニ全ウシテ聞達《ぶんたつ》ヲ諸侯ニ求メズ』というの句がございます、聞達を諸侯に求めずという、この求めざるの心が、あえて諸侯に向って求めざる所以《ゆえん》に限ったものではございません、何者に対しましても求めざるの心があって、はじめて心が乱れませぬ、心が乱れませぬ故に、いつも平和でございます、何者が参りましてもこれに加えることができませんし、またこれに減ずることもできないのでございます。古語に『自ラ求メザルモノニ向ツテハ哀楽ソノ前ニ施スべカラズ』というのがございます、世にこの求めざるの心ほど強いものはございません。諸葛孔明《しょかつこうめい》は最初からこの最も強い地位に坐しておいでになりました、その求めざるの心が安定いたしておりましたのは、それだけ修養が積んでおりましたのですが、一方から物質的に見てみますると、あの『躬《みづか》ラ南陽ニ耕シ』と仰せられた通り、諸葛孔明は自分で百姓をしておいでになりましたから、それで生活の分が足りておいでになりました、百姓を致して天地から生活の資料を直接に恵まれておいでになりましたから、生活のために何物を以て加えられても決して動揺を致しませぬ。諸葛孔明様は古今の名宰相でございますが、百姓として立派なお百姓でございました。諸葛孔明は蜀《しょく》の玄徳のために立たれるまでは、南陽というところで、みずから鋤鍬《すきくわ》を取って百姓をしておいでになりましたのです。どのくらいの石高のお百姓でしたか、私にはよくわかりませんが、出廬《しゅつろ》以前のお百姓と致しましては、おそらくやっと食べて行かれるだけの水呑百姓の程度を遠く出でなかった百姓であったろうことを想像いたされるのでございます。孔明は幼にして父母を失われ、相当に苦労をなされたそうでございますから、そう大した資産が残されておりましたとも覚えません、少なくとも農奴を使用して、自分が手をふところにしておる地主様ではございませんでした、みずからたがやして働くところの一農夫でありましたに相違ございません、『躬ラ南陽ニ耕シ』とある、『躬耕《きゅうこう》』の文字がその事実を証明いたします。後に蜀の丞相《じょうしょう》の位に登りましてから、上表の文章の中に、『自分には成都に桑八百株|薄田《はくでん》十五|頃《けい》があるから子孫の生活には困らせない用意は出来ており、官から一物をも与えられなくとも生活が保証されておりまする』ということが書いてございます。桑八百株と申しますと一坪に二株ずつとしましても約四百坪の地面に過ぎません、薄田十五頃と申しますと日本のどのくらいの面積に当りまするでございましょうか、佐久間象山先生は日本の五百石ぐらいだと仰せになりましたが、ある人に伺いますと、一頃は田百|畝《せ》のことだそうでございます、その一畝というのが日本の一畝と同じことでございますかどうか、日本の一畝は当今では三十坪ということになっておりますが、支那の一畝は百坪或いは二百四十坪だという説を承ったこともございますが、なんに致せ蜀の時代と致しますると、今から千七八百年もの昔でございますから、私共にはとうてい本当のところはわかりません、よってこれをどこまでも日本面積として考えてみますると、一頃百畝すなわち十五頃は千五百畝となるわけでございます、その千五百畝を日本式の坪数に引直してみますると四万五千坪でございます、これに前の桑田四百坪を加えますと、四万五千四百坪になる勘定でございます、その四万五千四百坪を、今度は日本の反歩に逆算してみますると、一反歩を三百坪と致しまして、三千坪の一町歩、三万坪の十町歩、あとの一万五千坪を反歩に引直しますると三五の十五で五町歩、そう致しますると四万五千坪は即ち十五町歩、それに四百坪を加えますると十六町三畝十歩の土地を諸葛孔明様は持っておいでになりました。十六町歩と申しますると、日本の国ではまず中農以上の大地主の部類に属する地面持でございますが、かりにこれを一反歩五俵二石取りと致しますと、一町歩の二十石、十町歩の二百石、五町歩の百石でございますから、三百石取りの資産なのでございます。三百石取りと申しますと、日本の侍の中通りの身上に過ぎないのでございます。二千年近くの昔とは申せ、四百余州の支那の国を三分した天下の宰相が、三百石取りの知行《ちぎょう》で甘んずることを心得ておられたということによって、いかに諸葛孔明が清廉潔白のお方であったかということがよくわかるのでございます。それで御自分だけではない、一家一門を、不足を言わせないようにしつけて置かれたのですから、いざ[#「いざ」に傍点]となれば、自分も宰相の位をやめて、鍬《くわ》を取ってお百姓になれるだけの腕をお持ちになり、それからまた御子息たちをも地主様としてでなく、ほんとうに自ら働くお百姓として立って行かれるように、教育を為《な》されてお置きになったものに相違ございません。仮りにまた、只今かぞえてみました孔明様の御知行を、支那面積に見積りまして、三倍、四倍と評価を致してみましたところで、千石前後でありまして、日本で申しますと、中藩の家老どころに過ぎないのでございます。諸葛孔明は支那三千年、第一等の宰相と称せられておりますが、お百姓としてもまた立派な一人前のお百姓でありました。その力でございます。でございますから、まだ出廬《しゅつろ》をなさらない時分の毎日の生活と申しますのは、晴れた日には自分から陽当りのいい前畑に出て躬耕《きゅうこう》を致し、雨の日には自分の好むところの古今東西の書物を取ってごらんになる、それだけの境涯で楽しみが余りあって、それ以上には全く求むるの心がございませんでした。求めなくともよろしいのです、それ以上求める必要もございません、求むればかえって煩《わずら》いを惹《ひ》くということを、明白に御自覚でございました。王者の身を屈して、その人の草廬を三たびたずねられても、出づることを欲しなかったのは、大臣大将の身になるよりも、この五段百姓の方がどのくらい御当人に好ましい境遇であることを、つくづく自ら味わっておりましたのです。お百姓という仕事は、全く天の時と、地の恵みだけで生きられる仕事なのでございます。乱世ともなれば、この世界はまだ広いのでございますから、未開墾の地も到るところにございましょう、兵馬の到らない、戦塵の飛ばない、平和な地に根を卸《おろ》して、そこに耕して生きて行く分には、何人の権力もこれに及ぶことはございますまい、諸葛孔明は農業を楽しむことを知る人でございました。斯様《かよう》に申しますると、人はみな諸葛孔明ではない、しかもこれを楽しみ得られる人ばかりではない、とおっしゃるかもしれませんが、この農を楽しむ心は、移して以ていかなる人の境涯にも置けないことはござりませぬ。私のような、人にも神にも見放されました不具の身は格別と致しまして、およそ五体が満足でありさえ致せば、いかなる人も農を楽しんで楽しめないはずはないのでございます。他の楽しみは、おのおのその天分気分にもよりましょうけれど、農ばかりは、誰もこれを働き、誰もこれを楽しんで、そうして、自他共に、他に迷惑をかけることの微塵もない職業なのでございます。農業の苦痛を説くのも、時によっては当然の応病与薬でございますが、諸葛孔明の心を以て、農を楽しむことを万人に教えて悪いということはございますまい……と私は考えますのでございます」
「うーん」
 さすがの不破の関守氏と青嵐居士が、ここに至って全く唸《うな》ってしまいました。やっとわずかに一声うなるだけの閑隙《すきま》を与えられました。

         四十三

 言わせて置けば、まあ、どのくらい喋《しゃべ》るのか、太公望から始まって、諸葛孔明が出て来たかと思うと、支那と日本の段歩の換算まではじめられてしまった。あまりのことに、口を挿もうにもさしはさむ隙間が与えられない。唖然《あぜん》として、空しくこのおしゃべり坊主の面《かお》をながめているばかりでしたが、ここに至ってようやく、「うーん」と一つ唸るだけの隙を与えられました。しかし、ほんの一つ息つぎに唸る隙を与えられただけで、お喋り坊主は彼等に二の息をつがせませんでした。
「これを楽しむことを知れば、もはや苦しみの来《きた》る隙はないものです。私が関東の方を旅をしておりますうちに、到るところで二宮尊徳先生の報徳の仕法を承りました、相模の国の二宮金次郎というお方でございます。あの方は、幼少の折柄、お代官にはいじめられませんでしたけれども、天然自然のためにいじめられました。いかに悪いお代官でも、田地田畑まで持って行くことは致しませんが、天然自然の害にいたりますと、土地田畑まで洗いざらい持って行ってしまうのですから恐ろしいものです。尊徳先生は親代々の六段八|畝《せ》という田地を、酒匂川《さかわがわ》の水のために二度まで持って行かれてしまいました。百姓が土地を持って行ってしまわれては、いきる足場がございません、百姓には限りませんけれど、そこであの方は、よそへ奉公を致しまして、ずいぶん辛い生活をなさいましたが、そのうちに、誰も捨てて顧みない荒地に、菜種を蒔《ま》きました。なぜ菜種を蒔いたかと申しますると、それで油を搾《しぼ》りたかったからでございます。ナゼそんなに油が欲しいかと申しますと、主人に油を惜しまれるために、自分で油を取って、それで夜の暇に本が読みたかったからでございます。しかるに、どうでしょう、五勺の菜種を蒔くと八升の菜種がとれました、これがあの方の地上から得た最初の収穫でございました、五勺の種が、八升の収穫を与えました。そこで考えずにはおられません、天地というものは、土地でも、田畑でも、情け容赦もなく奪うには奪うが、また与える時には与えもするものだ、五勺の種で八升の収穫は、百六十倍の収穫でございます、この天地の大きな力を、人間の手で最もよく利用厚生しなければならないということを、しみじみとさとりましたのが、十六歳の時でございました。そこで、あのお方は、本当に天地の力の中に飛び込んで働くことの楽しみを体得いたしました、『音もなく香もなく常に天地《あめつち》は、書かざる経をくりかへしつつ』とあるのがその体《たい》でございまして、『天地の恵みつみ置く無尽蔵、鍬で掘り取れ鎌で刈り取れ』と申すのがその用《よう》なんでございます。天地と抱き合って農を楽しむことができました。すでにそれを楽しむことをさとりました以上は、その余のことに苦しみというものがあろうはずはございません、『飯と汁、木綿着物は身を助く、その余は我をせむるのみなり』――『その余は我をせむるのみなり』というところをよくお考え下さいませ。斯様《かよう》に申しますと、あなた方はまた、必ず不服をおっしゃるに違いない、それは天地というものは、かくの如く冷酷に奪いもするが、またそのように豊富に与えもする、しかるに人間の悪い政治になりますと、奪うばかりで与えるということをしない、搾り取るばかりで、恵みというものが更にない――と、こうおっしゃるに相違ございません。それは全くその通りでございます、さればこそ論語にも、苛政《かせい》は虎より猛なりと記してございます、私とても、その恐ろしい人間の悪い政治を、天地の力と同様に黙従しなければならぬと申すのではございませぬ。それはそれでございます、悪政は、人間力を極めて改める道、責むる道を講じなければなりません、同時に人間には、運命に楽しむ所以を知らしめないと、人間の心が片輪になるということを強く申し上げたいのでございます。今の世には百姓が卑しい、百姓がつまらない、百姓が利に合わない、百姓がいじめられる、百姓ほど苦しいものはないということのみが打込まれ、百姓ほど貴いものはない、百姓ほど楽しいものはない、という大きなる事実が教えられておらないのではないかと、私はそれを考えておりますのでございます。わたくしがもし、五体が満足に生み出されておりましたならば、私は職業として、何よりも農業を選んだに相違ないと存じますのでございます。先年、私が秋田の方に参りました時……」
 ここでようやく青嵐居士が、必死の勇を振って食いとめにかかりました。
「もうわかりました、大体わかりましたよ弁信さん、お前さんという人には全く降参します、おっしゃることも尤《もっと》もです、ですがね、天下の人は、みな太公望でもなければ、諸葛孔明でもなし、二宮尊徳でもございません、多くはその日暮しの空腹の民なんです、彼等は徳を持たず、楽しみを知らない意気地のない人間なんです、彼等が強者に対して立場を守らんとするには、多数団体の力を借りるほかにはどうにもならんでしょう――」
 絶望的に青嵐居士がこういう言葉を投げつけて、お喋り坊主の舌洪の関を食いとめにかかりました。

         四十四

 宇津木兵馬が芸者の福松を連れて、白山白水谷に向っての一種異様な道行《みちゆき》は、件《くだん》の如くにして続きました。
 その翌日の晩もまた、旅寝の仮枕――この仮枕が珍妙なる兼合いで、女に押され押されながら、土俵際の剣ヶ峰で廻り込み廻り込み渡って行く兵馬の足どり、それを女は結局おもしろがって、只寄《ひたよ》せに寄せてみたり、わざと土俵真中へ逃げてみせたり、翻弄《ほんろう》の手を日毎夜毎に用いつくしている。一方、兵馬にとってみると、これもまた平常底の修行の一つだと観念をして、相手になっているらしい。
「ずいぶんお固いことね、破れ傘のようだわ、さすが修行の積んだものはエライわね、感心したげるわ」
とテレてみたかと思うと、
「でも、もう、こっちのものよ、いくらあなたがよそよそしくなさっても、要するに時の問題なのね、あなたの事実上の陥落は、兵を惜しまずに戦いさえすれば、今日にも陥落させてみせたげるわ、でも、それをわたしはしない、しないところが味なのよ」
と、もう占めてしまったようなことを言う。
 兵馬はそれに答えない。今晩もまた、形ばかりなる山小屋の中へ寝ました。
 芸者の福松には、旅行用の合羽《かっぱ》を手厚く着せて寝かせ、自分は、木を集めて火を焚いて、それを伽《とぎ》に、柱があれば柱、壁があれば壁によりかかって、しばしまどろむ。一方を横にさせて、自分は嘗《かつ》て横になるということをしないで終ろうとするこの旅路――その辺は、旅に慣れた兵馬には、あえて苦とはならない。
 だが、彼が悩まされるものは、これにあらずして彼にある。
 女が寝返りをうつたびに、彼の心がひやりとする。その肩から背へかけて露出した肌を、思いきって見せつけられるところへ、真黒くふんだんな髪の毛がくんずほぐれつして乱れかかる。その時に兵馬は、戦《おのの》くばかりの羞恥を感ずる。
 それと、もう一つは、そういう場合になると突然、彼の耳もとで、
「はっ、はっ、はっ」
と、大きく笑う声がする。それは尋常の笑い声ではない、八分の冷笑と、二分の親しみを含んだ、遠慮のない高笑いで「はっ、はっ、はっ」と笑われるごとに、転寝《うたたね》の夢が破れて、と見ると、そこに仏頂寺弥助が傲然として突立っている。無論、仏頂寺あるところの後ろには、丸山勇仙の影がつかず離れずにいる。
「宇津木、うまくやってるな」
 ある晩の如きは、この仏頂寺がこう言って、大きく笑いながら、ニヤニヤとして、現に眼の前に寝ている芸者の福松の襟《えり》に手を突込もうとするところをまで夢に見て、本当に夢が醒《さ》めた時に、福松が、ほとんど裸体同様な寝像になっているのを見て、周章《あわ》てて着物を押しかぶせてやったが、押しかぶせてやってもやっても、わざとするもののように、その着物を引きはいでしまう。
 そういうような場合で、眼前に女の肉体というものを、一つ柳下恵《りゅうかけい》の試験台に借りているのはいいが、夜な夜な襲われる仏頂寺弥助、並びに丸山勇仙の幽霊ばかりは、兵馬も全く悩ませられる。
 はっと、油断すれば、もう仏頂寺弥助の亡霊が現われて哄笑《こうしょう》し、冷嘲し、
「うまくやってるな」
と言う。それともう一段油断していると、仏頂寺そのものが、いよいよ気味の悪い笑い方をして、寝ている女の肉体へ手をあてがおうとする。兵馬は、蠅を追うように、それを払うことをせざるを得ない。
 今日は、ふとまた一つの山路を上りつめている。上りつめて見下ろすと、広い谷がある。道は蜿々《えんえん》としてこの谷を通して北へ貫くのであって、隠れてまた見え出す。その大道の彼方《かなた》を見ると、真白な山が、峨々《がが》として、雪をいただいて聳《そび》えている。
「うむ、なるほど、あれが白山だな」
と兵馬は、山路の上に立って、遥かに山上を見上げていると、例によって、
「はっ、はっ、はっ」
という底冷えのした哄笑につづいて、
「なあに、ありゃ畜生谷だよ」
「えッ」
 見れば、もういつのまにか、仏頂寺弥助が後ろから自分の面《かお》をのぞき込みながら、
「はっ、はっ、はっ、うまくやってるな」

         四十五

「何だ、仏頂寺」
「はっ、はっ、はっ、うまくやってやがら、あれが白山なものか、下を見ろ、畜生谷だ」
 兵馬が上をのみ仰いでいるのに、仏頂寺は意地悪く下を指さしました。
 仏頂寺に指さされてみると、兵馬は、白山をのぞむ眼をうつして、畜生谷を見ないわけにはゆきません。
 先夜の夢で見たような深い谷である。あれより模糊として、そうして広い。木の間を透して見ると、なかなか大きな構えの家の屋根が三々五々と散在している。山間の一大部落であることが、よくわかる。
「うーん」
「どうだ、見えたか」
「見えたよ、あれが有名な畜生谷か」
「そうだとも、宇津木、君の爪先のつん向いた方へ行けば、あの畜生谷よりほかへ行く道はないんだぜ、その足どりで、白山なんぞ覚束《おぼつか》ねえ」
「だって、白山へ行くには、この谷をつっきって行くよりほかに道がないじゃないか」
「そんな眼玉だからいかん、白山へ行く道は、ほかにあるよ、探して見たまえ、探してからなけりゃ、自分で造って行って見給え」
「冗談《じょうだん》いうな――君、知ってるなら教えてくれ」
「はっ、はっ、はっ、俺ゃ最初から、白山の頂なんぞを目標に置いとらん、畜生谷へ行くつもりでやって来たんだから、そんな道は知らん」
「そうか。しかし、道はこの通り立派について、蜿々《えんえん》として帯をめぐらしたように、一旦はあの谷、あの部落を貫通して、それから向うの峠へ抜けるようについている、ほかに道がない限り、これよりほかへは行けようはないから、君が何と言おうとも、わしはこの道を突破する」
「できるものならばやって見給え」
「畜生谷を通過したからとて、身が畜生になるわけではあるまい、もしそうだとすれば、狼谷を通れば狼に食われ、磨針峠《すりばりとうげ》を通れば自分の身が針になる」
「宇津木、小理窟を言うなよ、おれは、親切でもってお前にこの道を通るなと忠告をしているんだ、いや、通るとも、通るまいとも、それはお前の勝手というものだが、この谷を通ることによって、あの雲をいただく白山の上へは出られないということだけを、おれは明言しているのだ。いかにも、お前の言う通り、畜生谷を通ったからとて身が畜生になるわけではないが、白山へ行くのとは道が違うということだけを言って聞かせているのだ」
「忠告は有難う、しかし、君という人間の忠告が、一から十まで聴従できるものとも考えられない」
「はっ、はっ、はっ、以前から信用のないこと夥《おびただ》しい。では、夜の明けない、足許の暗いうちに、仏頂寺は引込むよ」
「まあ、もう少し待ち給え」
「いや、そうしてはおられん、いま仏頂寺のいるところは、世界が違うからな、鶏でも鳴き出したら最後だ、まあ、足許の暗いうちになあ、丸山、お暇とやらかそう」
「そうだ、おい宇津木、用心しろよ」
「どうしても帰るのか」
「帰るよ、宇津木、じゃあ、失敬!」
「そうか」
「はっ、はっ、はっ、うまくやってやがら」
「お楽しみ……」
 こうして、仏頂寺弥助と丸山勇仙が、雲の中へ姿を消してしまいました。その途端に醒《さ》めて見ると、夜風が外でさわぐ。女はと見れば、またしても、だらしのない寝像、せっかく被《かぶ》せてやった衣類を、意地のようにふんばいで、二目とは見られない。
 苦りきった兵馬は、立ってまた衣類をかぶせてやっていると、どこかの空で、なるほど鶏が鳴き出している。

         四十六

 それからまた、旅にかかって、女をいたわりいたわり行くと、まもなく一つの山路に出ました。四五町の登り、大した崖というではなかったが、山路の上に立って見ると、昨夜の夢を思い起さざるを得ない。
 仏頂寺と丸山から指された、峠の谷を思い起さないわけにはゆかない。なにもこの峠が、夢に見た峠と寸分違わないというような、神仙譚《しんせんたん》にありそうな光景を想像するのではない。昨晩の夢とはだいぶ趣きが違っていて、周囲はむろん山また山だが、別に加賀の白山らしいものが雪をいただいた頂を高く抜いているのではない。峠の下の行手は谷になって、部落の屋根が三々五々に見おろせることだけは、夢と符牒《ふちょう》を合わせているようなものだが、それとても、今日までの旅行にありきたりの光景であって、山と谷との間を旅をする者は、どこへ行っても、誰人も経験する道程に過ぎない。それでも兵馬は思い合わされて、異様な感じに襲われながら、女の足をいたわって、そこで暫しの休息をやりますと、
「ねえ宇津木さん、わたし、また怖《こわ》い夢を見ちゃいましたよ、仏頂寺の夢を」
「うむ、仏頂寺の夢をか」
「どうしてまた、毎晩、仏頂寺の夢ばかり見るんでしょうね」
「お前もか」
「では、宇津木さん、あなたも毎晩、仏頂寺の夢をごらんになるのですか」
「そうだよ、実はあれから、毎晩のように仏頂寺に関する夢ばかり見せられてるんだが、愚にもつかないから黙っていたよ」
「そうでしたか、わたしも、あれから、しょっちゅう仏頂寺の夢ばっかり、やっぱり恨まれているんだわね」
「うむ」
「恨まれているのよ。あんなしつっこい人に恨まれちゃ、やりきれないわよ」
「だが、仏頂寺が、そう我々を恨まなけりゃならん筋はない――また、仏頂寺としても、みだりに執念を残すような往生ぎわの悪い男でもないはずだ」
「だって、人間の心持というものはわからないわ」
「こっちこそ、仏頂寺に多大の迷惑を蒙《こうむ》らせられてこそおれ、あれに逆恨《さかうら》みをされる覚えはないのだが、強《し》いて言えばあの小鳥峠の時、ろくろく葬いもしてやらないで、見捨てて来たのが不人情と言えば言われるか知れないが、それは、事情やむを得ないことでもあるし、彼が死んでからのことだから、怨《うら》みとして記憶されるはずはない」
「でも、仏頂寺は、何かあなたの知らないことで、あなたを恨んでいるかも知れないわ」
「いいや、わしには今いう通り彼を恨もうとも、彼に恨まれる筋は微塵もないのだが、君の方には大いに恨まれる筋があるかも知れない」
「あら、しどいわ、仏頂寺なんかに恨まれる筋はなくってよ」
「そりゃ、自分はないと思っても、先方にあるかも知れない」
「あら、しっぺ返しをおっしゃるわ、仏頂寺なんかに恨まれる筋は、わたし毛頭ないわ、仏頂寺を恨む筋はあるか知れないが……誰かの口真似《くちまね》よ、お気の毒さま」
「ふふん、そうは言わせない、第一、この間の小鳥峠にしてからが、わしは一通り介抱してみて、差当りの手数で、できるだけ親切に葬ってやろうとしたのを、人が来るとあぶないからと言って、強いてそれをわしにさせなかったのは誰だ。だから、あの時の怨念《おんねん》が残るとすれば、拙者につかないで、君の上に取りつくのが当然だ」
「あら怖い――あんなことで、仏頂寺の怨念に取りつかれちゃあ、全くやりきれませんねえ、あれは、あの場合、そんな人情ずくにからまれていてはおたがい様があぶないから、やむを得ないわ。わたしが仏頂寺を憎いと思うのは、それより以前のことなのよ」
「それより以前に、君は何か仏頂寺に憎まれるようなことをしたのか、また仏頂寺を憎むような罪を作ったのか」
「知らないわ――そんなこと、あなたがいちばんよく知っておいでのくせに」
「はて、君という女が、仏頂寺に憎まれるようなことをした、仏頂寺を憎むようなことをしたということを、どうして拙者が知っている?」
「まだあんなしら[#「しら」に傍点]を切っていらっしゃる、それは、あなたのほかには誰も御存じないことなのよ」
「はて、拙者はいっこう心当りがないがな。いったい仏頂寺は、君という女をそれほど憎んでいたのか」
「お気の毒さま、憎しみは愛の変形なりって、唐人町の儒者が申しました」
「ナニ、憎しみは愛の変形?」
「はい、愛のないところに憎しみはない、憎しみのあるのは愛のある証拠でありますとさ」
「むずかしいことを言い出したね、してみると、君を憎んでいた仏頂寺は、君を愛していたという理窟になり、仏頂寺を憎み返す君はまた、仏頂寺を……」
「そんなこと知らない知らない、わたしを仏頂寺に憎まれるようにしたのは、いったいだれです」
と言って、女は不意に兵馬の股《もも》をつねりました。

         四十七

 そういう不意打ちには兵馬も今は慣れている。そこで、痛いっと言って手を振払うようなことはしない。かえって、
「ふーん」
と深く考え込みました。
「仏頂寺という男は、あれでひどく、わたしに惚《ほ》れてたんですからおかしいわ、ああいう人ですから、惚れたとか腫《は》れたとかいうことは顔色には現われませんでしたけれど、ひどくわたしが好きになってしまったのが、運の尽きでしたねえ。そこで、ねえ宇津木さん、だれでも惚れた以上は、きっと嫉《や》くんですね、あれから仏頂寺が嫉き手に廻ったのを、あなた御存じ?」
「そんなことを知るものか」
「つまり、仏頂寺があれから、私とあなたというもののなかを嫉くことといったら、とても黒焦《くろこ》げなんですけれど、ああいう男ですから、顔には現わしません」
「そんなばかなことがあるものか、そりゃ君の己惚《うぬぼれ》で、女というやつは、世界の男がみんな自分に惚れていると考えたがるものだよ。仏頂寺は傷だらけの人間だが、女に参って、やきもきするような男じゃないよ。第一、君と拙者との間を嫉くというのがおかしいじゃないか、なんでもない間柄のことを、嫉妬すべき理由がないじゃないか」
「そりゃ仕方がありません、邪推でもなんでも、嫉くのはあちら様、嫉かれるのはこっちなんですから、そうして、こちら様にだって、嫉かれてこわい筋がないとばっかりは言われませんね」
「それはないよ、仏頂寺に二人の間を嫉かれるような弱味は、拙者に於ては毛頭ありはしないよ、当て違いだよ」
「弱味がないとばっかりは言えません、あなたにはなくとも、わたしの方にあったら、どういたします」
「君は、そんなに何か仏頂寺に対して弱味があったのかな」
「仏頂寺に対してはございませんが、誰かに対してありました」
「誰に」
「誰にですか、仏頂寺を好かないほどの強さでわたしは、誰かを好きでした、仏頂寺を嫌いながら、その人には惚れてたんです、ですから仏頂寺に恨まれるのは、あたりまえでしょう」
「そんなことは拙者は知らん、まあ、歩きながらゆっくり聞くとしよう」
「では、手っとり早く話してしまいましょう、つまり、仏頂寺は、あなたとわたしの仲をしょっちゅう嫉《や》いていたのです、ゆうべも、その恨みを言いにわたしの枕許《まくらもと》へ参りました、そうしていやらしい身ぶりをしては、お楽しみだの、うまくやってやがらあだの、さんざんいやみを並べて行きました」
「つまらんことだ」
「ねえ、宇津木さん、全くつまらないわ、何かあるんなら、あるように嫉かれても仕方がないけれど、こうして清い旅をしているのに、嫉かれちゃ全くつまらない!」
「仏頂寺という奴もばかな奴だな、第一、拙者の手から、君というものを奪って行って、いいようにしたのは彼じゃないか、こっちに恨みの筋はあろうとも……」
「それはいけません、それをあなたがおっしゃれば、わたしは仏頂寺を憎むより、一層あなたというものを憎まなければなりません、あの時の罪は、仏頂寺より、あなたの方が十倍も上なんです」
「でも、あれから君は、仏頂寺にいいようにされた上に……」
「何をおっしゃるのです、わたしが好きこのんで仏頂寺にいいようにさせたとおっしゃるのですか、それはお間違いではございませんか、かよわいわたしを振捨てて、あの人たちの手にいいようにさせた憎い人は誰でしょう、中房から松本へ出る、あの道中の誰かの不人情が、わたしは生涯忘れられません、その生涯忘れられない思いが、宇津木さん、あなたに一生|祟《たた》るから、こればっかりはよく覚えていらっしゃい」
「怖《こわ》いことを言うな」
「あなたは、わたしが仏頂寺にいいようにされたとおっしゃいましたね、そのいいようにというのは、どういうようにされたのですか、それを承りたいものですね、どうせ旅から旅の芸者かせぎのことですから、世間様へ通る操《みさお》がどうのこうのとは申しませんが、あの時は、仏頂寺を憎いと思うよりは、あなたを心から憎いと思いました、今でもあの時のことを考え出すと、憎い!」
 痴話も嵩《こう》ずると真剣になることがある。あぶない。その時、行手の谷間から、がやがやと人の声があって、こちらをめがけて悠長に登って来る。そこで人心ついた二人は、痴話喧嘩もそっちのけで、急いでよそゆきの旅人気分を取りつくろって立ち上りました。

         四十八

 まもなく、ここへ現われて来たのは、珍しく両刀を帯びた検見衆《けんみしゅう》らしいのが二人、間竿《けんざお》を旗差物《はたさしもの》のように押立てさせた従者と、人夫と、都合七八人の一行でありました。
 こちらは予期していたことだが、先方は意外に感じて、一度にこちらを注視しましたが、女であり、若いさむらいである、さのみうろんなものの風体《ふうてい》ではないから、得心がいったようにして近づいて、おたがいに挨拶をして、見ると、この検見衆らしいさむらいの老人の方が案外気さくでありまして、
「あなた方、どちらへ行かっしゃる」
と兵馬にたずねたものですから、兵馬が、
「北陸筋へ罷《まか》り通りたいと存じます」
「それはそれは、用心して行かっしゃれ」
「この谷を通って、加賀の白山、あるいは金沢方面へ出られますか」
「出られますとも、出られますとも、白山行きはこの道よりほかはござりませぬぞ」
 検見衆の老人は、夢に見た仏頂寺とは大違い、白山へ行くにはこの道のほかないという。してみれば、この谷は、夢で教えられたような怖ろしい谷でもなんでもない。
「有難う存じました」
 兵馬は、福松を促して立ち上ると、検見衆の役人が、
「だが、さて、この谷底の村をお通りなさる時は、この際、少々御用心が願いたい」
「え、この村に何ぞ事がござりまするか」
「いや、別に事というわけではござらぬが、斯様《かよう》な平和な村でこそあれ、ただいま少々人心が動揺いたしておりますからな」
「人心が動揺?」
「いや、多少の動揺はどこにもあることで、この村も御多分に洩《も》れないが、何せ山間《やまあい》の、世間の波風とは全く隔絶せられた地境だけに、僅かのことにも動揺する、どうかあなた方も、素通りをなさる分にはよろしいが、何ぞ村人と話をなさる際には、その刺戟を惧《おそ》れていただきたい」
「と申しますると?」
「いや、つまり、この平和な村人に向っては、通常世間のことをあまり話してお聞かせにならぬがよろしい、特に世間の人が、この部落の人をどのように見ているかということなどを、お物語りなさらぬがよろしい。つまり、この村人とは、言葉をお交しにならずに、この村――この一世界の谷底の部落をお早く御通過になってしまわれた方が、おたがいのためによろしかろうと存ずるのです」
「何ぞ、村に危険な予想でもござりますか」
「いや、決して危険なことなどはござりませぬ、見らるる通り、太古の如き静けさの村でござって、住民もまた、極めて古風な質朴《しつぼく》そのものでござる、人を信ずることのみを知って、疑うということを知らない、旅人に危険を与えざるのみか、旅人を愛すること、至れり尽せりですが、それだけ、こちらが自重しなければならないということです」
 検見衆の役人の言い分は常識的であるけれども、また、なんとなく奥歯に物のはさまったようなところもある。兵馬は少しそこに了解のできないものがあって、つい、
「まことにつかぬことを承るようですが、白山白水谷の間には、畜生谷と申す難所がござるそうですが……」
「は、は、は」
と役人は軽く笑って、
「畜生谷というのがあるというのは、他境の人のいうことなんです、よし、それに該当するような土地があったにしてからが、土地そのものに住む人が、ここが畜生谷でござると名乗るものですか、彼等自身では、畜生谷の畜生谷たる所以《ゆえん》を自覚していないと見てやるのが、至当なのです。世間に俗に称せらるる畜生谷なるものが、この辺の山間の部落であるかないかということは、拙者とても無条件で御紹介は成りかねる、しかし、この辺に平家の落武者が落ち込んで、八百年来、桃源の夢を結んでいるという伝説は、あながち根拠なしとも言えないようです――彼等は非常に祖先を崇《たっと》びます、墓を愛し守ること無類です。しかし、祖先を崇び、墓を愛し護ることが無類なるが故《ゆえ》に、平家の残党だと断定するわけにはいきません、日本人は誰も先祖を崇び、墳墓の地を愛するのです、墳墓の地を愛して、これを死守せんの心が即ち愛国心の根本なのですから――しかし、この土地の人の、特にこの土地に愛着する所以は、なかなか複雑で、ちょっと説明申し上げ兼ねるが、とにかく、最近少し動揺している、その心を刺戟なさらんように、いささか御用心を加えてお通りになるがよろしい」
「万端のお心づけ、有難う存じます」
 かくて、兵馬と福松とは、ここを辞して、右の一行が登って来た山間の部落へと下って行きました。
 検見衆《けんみしゅう》一行は、管轄も違い、人柄も違っているせいか、兵馬と福松とを、駈落者気分をもって疑い見ることを少しもしませんでした。まこと田舎《いなか》ながら老練な役人たちだと、兵馬も悪い感じはしませんでした。

         四十九

 かくして、村へ下りて行ったが、村の静かなることはまた予期以上でありました。もとより太古の如き静かさの村とはいえ、人間が住めば、住むだけのいささかの呼吸と弾力とを感じなければならないのに、死のような静寂さが、兵馬を異常に感ぜしめました。それは特にそう感じたわけではなく、峠の上で、検見衆の役人にあんなことを言われたものですから、それが暗示になって、強《し》いてそんなに感ぜしめられたのかも知れないが、たまたま有る家という家に、人が一人もいない。
 家はわりあいに大きいので、材木を豊富に使っているから宏壮な感じさえするのですが、どうも人の気配《けはい》がない。家はなくとも、人があれば賑《にぎ》やかなものだが、家あって人のないのはすさまじい。
 かくて、村の中程まで来ると、そこに広大な墓地があって、夥《おびただ》しい人がその墓地に集まっているのを発見しました。夥しいといっても、この山間の部落のことですから知れたものですが、老若男女の数を尽して、ほとんど村民が全部この墓地に集まって来ているもののようです。してみると、葬式でもあるのか。
 だがどう見直しても、葬式とは全く見られない。ねんごろに逝《ゆ》くものを葬う重厚な村の儀式気分は少しもなく、みな、憂心※[#「りっしんべん+中」、第3水準1-84-40]々《ゆうしんちゅうちゅう》として墓地に群がり、ある者は墓の前に額《ぬか》ずき、ある者は墓を抱いてみな泣いている。声を上げないで、すすり泣きに泣いている。親が泣くから子も泣く。子が泣けば爺が泣き、婆が泣き、妻が泣けば夫も泣く。皆しくしくと、それぞれの墓を囲んで泣いている。いよいよ葬式とすれば、こんな中心のない葬式というものはない。もし葬式だとすれば一軒残らずの葬式である。一時にそんなに死人が出来たはずはあるまい。この異様なる光景を見ると、誰しも一応は、事の仔細を問いただしてみたくならずにはおられない。あれほどに検見衆の役人から予告を受けた兵馬も、眼前この異様な気分に打たれてみると、このままでは通過し去るに忍びないような、心残りを生じました。
 だが、できるだけは無言にして通り去ろうとすると、通り去るには、やはりその人混みの墓地の間を、一応通過しなければならない道筋になっている。それに当惑しながら、ぜひなくその中へ二人が侵入すると、筵《むしろ》をしきひろげていたおかみさんが、あわただしく筵を引っこめて、おわびを言いました、
「お邪魔さまでなあ」
「御免下さいまし、おとむらいでございますか」
 おかみさんの好意に対して、福松がこれだけのお世辞を言わずにはおられませんでした。
「おとむらいではございません、村が水になると言うて、皆が心配してなげいておりやすがな、遠からず、この村が水にされてしまいますげな」
「村が水になる?」
 兵馬も、つい足をとどめて不審をもって見直すと、
「はい――さきほどもごろうじませいな、竿入れに役人衆がお見えなされましたわな、この村という村、谷という谷が、日ならず水になりますといな、白山白水谷の水をこれへ落して、ここが大きな池となりますえな、わたしら、先祖の御魂《みたま》まつり場がござりませぬでな」
「はあ――そうでしたか」
 兵馬は、憮然《ぶぜん》として、要領を得たような得ないような心持で、そのまま墓地を突破してしまいますと、それから多少の間、やはり人家はあるにはあるけれども、人のいないこと、前の通りである。
 とにかく、村の老若男女は、数をつくしてあの墓地へ集合してしまっていることは間違いがない。足を早めるともなく、兵馬ら二人は足を早めて、ついにこの部落を出切ったところと覚しい、また小高い山道に立って、言い合わせたように二人が、過ぎこし村を見おろし、
「お気の毒ね」
「どうも要領は得られないが哀れだ」
「かわいそうですね」
「かわいそうだ、要するに、白山白水谷の水をこの村へ落して来て、この村全体を湖水にしてしまうのだ、住民は先祖の地を失うと言うて歎いている、先刻の役人が、人心の動揺を刺戟するなと言ったのはこれだな」
「この谷底を水にして、何になさるつもりでしょう」
「何にするつもりか――」
 そういう二人の疑問は疑問として、さて、日下《ひさが》りにもなってみれば、村人のために心配してやるよりは、差当り、自分たち二人の身の上の今晩のこと、まだ日はやや高しとも、いまの村あたりに宿を求める心算《つもり》で来たのだが、ああしてこの村を無気味に通過してしまえば、次の村まで伸《の》さなければならぬ、次の村といっても、飛騨《ひだ》と、越中と、加賀との山つづきだ、これから先、どのくらい行って、どこに家があるのか、そのことはわからない。

         五十

 兵馬は今夜の塒《ねぐら》について苦心経営の思いをしているけれども、福松はいっこう一寸先のことには気を遣《つか》っていない。かえって、それを痛快とするふうにさえ見えました。この女は、最初から――この旅を無上に嬉しい旅路と心得て、しょっちゅう浮き立って歩いている。新婚旅行の旅とも思っていないだろうが、世を忍ぶ道行なんぞとは考えていないらしい。極めて晴々しい顔色で、春の野原を心ゆくばかり羽を伸《の》して舞いあるく胡蝶のような足どりで、兵馬を導いて行く気どり方だけはよくわかる。
 名にし負う飛騨から越中への難路などは全く打忘れて、前途のことに屈托がないのみならず、この旅路が一寸一刻も長かれかしと、引っぱって行くような気分さえ見えるのです。そうして事に触れ、物に触れては、味な話を持ち出して、兵馬をからかったり、もたれかかったり――兵馬にとっては、この女の物語が、アラビアン・ナイトであったり、デカメロンであったりする。その現在と刹那《せつな》だけに生きて楽しんで行けるこの女の足もとを見ると、さてさて女というものは図々しいものだ、途方もない度胸のあるものだ、ということを兵馬が、別方面から見て呆《あき》れざるを得なかったのです。
 くだんの村を横断しきって、やがて次の谷に至るべく峠路の上に出た時、女はおきまりの、そこでホッと息をついて、同時に兵馬の足を抑留する。しばらくして、
「この村がすっかり池になったら、景色がよくなるでしょうね」
と、しげしげと、いま越え来《きた》った谷村一面を見おろして、女が言いますと、兵馬は、
「景色はよくなるかも知れないが、人間はかわいそうだよ」
「そうねえ、谷がいっぱいに水になった日には、景色はよくなっても、人間は生きて行かれませんねえ」
「それを思うと気の毒だよ」
「いよいよ池になる時は、あの人たちはどうするでしょうね」
「そりゃ、他所《よそ》へ移り住むよりほかはあるまいじゃないか」
「いいえ、わたしは、そうは思いません」
「どう思う?」
「あの人たちは、この谷が水になっても、この土地を去らないだろうと思います」
「ホホウ、それじゃ水の中へ住むか」
「ええ、わたしは、きっとあの人たちは土地を去らないで、水の中をすみかとするでしょうと思います」
「してみると、舟でも浮べて水上生活というのをでもやるか、そうでなければ、人間が魚になるんだな」
「そんなんじゃありません、あの人たちは、どうしても故郷を立去る気になれないんです」
「そりゃ、人情はその通りだが、すでに谷が水になるときまったら、いつまでもああしてはいられまい」
「ところが、あの人たちは、あの墓を抱いて、村と共に水に沈む覚悟をきめてしまっているように、わたしには見えてなりませんでした」
「ばかな、そんなことがあるものか、一時は名残《なご》りを惜しむのも人情だが、いよいよの時にああしておれるものかな」
「ところが、これはもちろん、わたしの心持だけなんですが、あの人たちは、あれは、たしかにお墓と心中するつもりなんですよ、心持は面《かお》つきにあらわれるものです」
「ふーむ、君の眼ではそう見えたかな」
「見えましたとも、動きませんよ、あの人たちは、ああして、いよいよ水の来るまでお墓を離れない決心だと、わたしは見極めてしまいました」
「そんなことがあるものか、一時の哀惜と永久の利害とは、また別問題だからな、そうしているうちに、相当の換地が与えられて、第二の故郷に移り住むにきまっているよ」
「それは駄目です、あなた」
「どうして」
「あなたという方には、故郷の観念がお有りになりません」
「ないこともない」
「有りませんね、あなたは、早く故郷というものを離れておいでになったのでしょう、ですから、故郷というものの本当の味がおわかりになりません。たとえ、故郷に十倍のよい地面を与えられたからといって、欲得ずくでは故郷を離れる気になれるものではございませんよ。わたしのように、旅から旅を稼《かせ》いでいる身になってみると、その心持がよくわかります。あの人たちは、たとえどんな住みよい土地が与えられたからと申しましても、それへ行く気にはなれない人たちですから、結局、お墓を抱いて水の底に葬られて行くのです。それにあなた、あの人たちは平家の落人《おちうど》の流れだというではありませんか」

         五十一

「平家の落人《おちうど》の流れだから、どうしたというのだ」
「そこですよ、あなた、平家は源氏と違って、人情の一族だということを御存じになりません?」
「うむ」
「平家は一族盛んな時には栄燿栄華を極めましたけれど、亡びた時は、一族みんな一緒でした、そこへ行くと源氏は、父を殺したり、叔父を殺したり、兄弟が攻め合ったり、殺し合ったり」
「なるほどな」
「感心して聞いていらっしゃるわね。あなたより、わたしの方が学者なんです、耳学問が肥えていますから――ところで、その平家の一族は、源氏に追いつめられて、もはや地上では生きられないから、一族がみんな水の底に……御存じでしょう?」
「知っている」
「平家というお家柄は、みんな、そうした人情に厚いんです、ですから、あの人たちは、そう安々と、立ちのき料をいくらいくらやるから、ここよりも、ずっと住みよい地面を十層倍も上げるから、と言って聞かせたところで、このお墓の地を離れて行く気には決してなれないものと、わたしはあの時に見て取ってしまいましたのよ」
「なるほどな、それも一理窟だ」
「いいえ、理窟じゃありません、理窟から言えばわからない話じゃありませんか、相当の立ちのき料を上げて、相当の換地もやるから立てと、地頭から言われた日には、足もとの明るいうちに、なるたけたくさんのお宝と、利分のある土地をもらって、移ってしまうのが当世のわかった理窟なんでしょう、ところで、あの人たちには、そういう理窟が通用しないから因縁《いんねん》です、つまり、人情に生きて行こうというものです」
「人情というよりも、歴史だな、歴史に生きて行こうというのだな」
「何でもよろしうございます、わたしは、この人情ずくがよろしいと思います」
「しかし、どのみち立ちのくものであったら、がんばるのは愚《ぐ》だな」
「そりゃ、馬鹿ですね、ですけれども、馬鹿がその人間の世からなくなってしまったら、人間の世はもうおしまいでしょう」
「どうして」
「どうしてたって、あなた、これはこの谷底のたれも知らない、ちっぽけな村のことなんですけれども、これを大きくとって見たらどう、たとえば、いま申し上げた平家の例にとって見たらどう、一族がみんな水の底へ沈むようなばかな真似《まね》をしないで、源氏に降参すれば、どこかの土地に安楽に生きて行かれるとしても、それに降参して生きたくないというところに、大和魂《やまとだましい》があるんじゃなくて?」
「大和魂と来たな」
「大和魂でなくってどうなの、もし、もっと大きく、日本の国と唐《から》の国と戦《いくさ》をしたとしてごらんなさい、唐の国がいくら強くて、日本がたとえ敗けそうになった時でも、この土地をよこせ、そうすればお前にはもっと広い、住みよい土地をやるから、足もとの明るいうちに立ちのけと言われても、日本人として、はい、それならばよい土地と、立退料を、たんまり下さい、そうすれば、どこへでも行きます、というようになったら、もうおしまいじゃないの」
「それは少したとえが大仰《おおぎょう》だ」
「大仰だかなんだか存じませんが、先祖の土地が立去れない、他国の土地に移り住むよりは、先祖のお墓を抱いて死にたいという、あの人たちの心意気が、わたしは嬉しいわ、それが大和魂というものじゃなくって?」
「いずれにしても、あの村の人たちの運命は見物《みもの》だ、どうなることか、わしも、旅でなければ見きわめて行きたい気持にさせられる」
 兵馬は、この女から思わざる論理を聞かされて、改めて谷村を見おろし見直していると、女がまた言う、
「越前の敦賀港《つるがみなと》の沖へ乗り出すと、大昔、地震のために辷《すべ》り込んだ一村が、そっくり、山も、森も、林も、そのままで海の底に落着いているそうですね、天気の大へんによい日、どうかすると舟の上から、その村の家と、人が、そのまま沈んで見えることがあるそうです。幾年かの後、この村もそうなるんでしょう、舟で渡る、後生《ごしょう》のいい人だけが、沈んだ村の相《すがた》を舟の上から水底に見る――てなことになるんでしょう、お気の毒な運命ですけれど、美しい大和魂が、わたしは嬉しいわ」
 女は、しきりに大和魂を述べ立てるのが、兵馬にはおかしい。おかしいけれども、どこにか笑えないものがある。

         五十二

 この山間では、谷一つ、村一つが、数百年の歴史と共に、水底に没し去らんとして村人を悲しませているが、他の一方では、一つの湖水が全部|干上《ひあが》ってしまうという臆説のために、人民が動揺をはじめました。
 前のは、何を言うにも、飛騨の山奥の谷底の一村、しかも、誰も知らない村、たまたま知っている者は、畜生谷なんぞと人外境のように呼びかけて辱《はずか》しめている村、全村あげて悲しむとも、それに同情する者は、たまたま通りがかりの宇津木兵馬と、連れの芸者の福松ぐらいのものでありますが、一方、湖水が干上るということの危惧の下《もと》に動揺をはじめたのは、その事柄も、及ぼす影響も、無比のものでありました。
 それは全く比較にはならない。日本第一の大湖、近江の琵琶湖の湖水が全く干上ってしまうという風聞が捲き起って、湖上湖辺の人心をおびえあがらせてしまっているのです。たとえ流言蜚語《りゅうげんひご》にしてからが、そんなばかばかしい問題が起るべきはずのものではない。よし、また起ったにしたところで、一笑に附し去るべき程度のものだと排斥するのは、歴史と、実際と、人心の機微とを知らないものの言うことでした。琵琶湖の水が干上ってしまうという風説の根拠には、決して荒唐無稽ならぬ、かなり有力なる根拠があるのですが、まずその前に、如何様《いかよう》に人心が動揺し出したかという径路から略叙しなければならぬ。
 草津の辻の評判の晒《さら》しが、一夜で消えてしまった以後、そのあとへ豊臣太閤の木首が転がり込んだその前後、大津の宿では道庵先生が、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の面《かお》を逆さに撫で上げようとする途端――お角親方は、伊太夫大尽の宿へ取って返して、目的の晒しが消滅してしまって、自分の力瘤《ちからこぶ》も抜けてしまったが、同時にその納まりが、どうなっているかという心配の下に、相談を進めている前後、青嵐居士と、不破の関守氏とが、多景《たけ》の無人島へ農奴を連れ込んで、弁信法師の饒舌《じょうぜつ》に辟易《へきえき》している前後のこと――でありました。
 大津でも、草津でも、彦根でも、民間が動揺して――動揺は今にはじまったことではないが、それは農民に限ったものでしたが、今度は住民が、ことに客商売のものから最も騒ぎ立ちました。
「お立ちでございますか、道中、御大切に、お船で――湖上へお出ましがよろしうございましょう、まことに恐れ入りますが暫時のところ、どうぞ、お立退き、御避難が願いたいものでございます、万一のことがございましては、いえなに、エッソ、ゴウソだそうでございます、いえなに、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]がこの国へ向って、山城、大和の方から、なだれ込んで来るのだそうでございまして」
 かくして、大津も、草津も、彦根も、旅宿という旅宿の番頭が、テンテコ舞をして、泊り泊りの客人に挨拶をしてまいりました。
「何だね、どうしたんだね、急に」
「はい、エッソ、ゴウソだそうでございまして、まことにお気の毒さまでございますが」
「エッソ、ゴウソというのは何だい」
「ええ、そのちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]が、今度はこの国へなだれ込むんだそうでございまして、今までのは、この国からちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]が他の国へ走ろうといたしたのでございましたが、今度は山城、大和方面からちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]が、この国へ流れ込もうというわけで、宇治、勢多、一口《いもあらい》の方まで参っているそうでございますから、万一のお怪我がございましては……」
「そうかね、何だって、エッソ、ゴウソや、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]なんぞが、そんなに流れ込みやがるんだ」
 エッソ、ゴウソとは何だか、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]とは何を意味するか、促す方も、促される方もその観念の明瞭でないうちに、一方は追い立てるように、一方は追い立てられるように、まず旅宿という旅宿から警戒が起ってしまいました。
「実は、今に始まった風説ではございませんが、この琵琶湖の湖水が干上ってしまうということで、急に騒ぎが起りました。今までは湖辺の百姓たちが、検地のことから騒ぎ出しましたのでございますが、今度はまるっきり趣が変って、湖上の人たちが騒ぎ出しましたのでございまして、舟稼業だの、漁師だの、水によって生活する人たちが騒ぎ出したのでございます。その騒ぎ出した原因と申しまするのは、山城、大和の方から大挙してちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]がこちらへ向ってやって来たという風聞から起り出したのでございました。では山城、大和の人たちが、なぜ、ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]してこちらへ向って大挙して来るかと申しますると、琵琶湖が干上ると共に、淀川の水が涸《か》れてしまって、何百万石かの田地が仕附かなくなる、それがために天領、大津、彦根、膳所《ぜぜ》その他のお係りへ歎願に参ったそうでございます」
 旅籠《はたご》の主人が、更に説明を加えたところによって、事件の輪郭はやや明瞭になったが、その内容に至っては、また茫漠としてつかまえどころがない。

         五十三

 琵琶湖の水が全部干上るという風聞は、いかに人心恟々《じんしんきょうきょう》たる幕末の時代とはいえ、そう容易《たやす》く末梢神経を刺激すべきものではないはずなのが、この際、かくも人心を騒がしているには、必ずしも根拠がないとはいえない、否、大いにこれがあるのです。
 琵琶湖の水を切り開いて、越前の敦賀へ落すという計画は、必ずしも空想ではなく、実現に近い可能性があってのことで――いや、すでに実現に着手されようとしたことも再々ある。
 そもそも琵琶湖の水を越前の海へ落すには、僅かに七里半の工事で足りる。
 僅かとは言うけれども、機械工業の発達しない旧幕府時代に於ては、空想に近いほどの大工事には相違ないが、要するに距離は七里半に過ぎないということが、専《もっぱ》ら湖上湖辺の常識となっている。この七里半を切り開こうという計画は、すでに徳川の初期、徳川幕府以前にもあったかも知れないが、徳川期に至って、少なくとも元禄、享保、文政、嘉永、それから明治、大正にまで及んで相当の歴史を持っているのです。
 ことに最近、嘉永年間に起ったのは、京都のある事業家が発起となって、浅野中務大輔《あさのなかつかさたいふ》がさんかし、彦根の井伊掃部頭《いいかもんのかみ》と打合せをするまでになっていた。
 ここで、かりにこの工事が実現されてみるとして、湖上湖辺の民に直接に影響するところは如何《いかん》。
 まず大阪と敦賀との間が、琵琶湖を通じて一つの運河となろうというのだから、通商貿易のためには計るべからざる利ということになる。
 それから、もう一つは、湖水の水が浅くなるから、琵琶湖の東岸に於て、少なくとも一億六千万坪の良田が得られる――
 というような点が、掘割論者の最も有力なる論拠となっている。
 しかし、利益利権を挙げてもくろんでみたところ、工事となると結局難工事である。僅かに七里半とはいえ、天下の難工事であって、当時の土木力では成功が覚束《おぼつか》ないという理由の下に、いつも中止の運命となる。
 だが、その中止の理由は表面のことで、裏面には次のような条件が有力に働いて、阻止《そし》せしめたのだともいう。
 第一、琵琶湖の水というものは、帝都守護の要害である。あれが浅くなった日には、帝都の保障に由々しき大事である――という反対説。
 それから、もう一つは、運河が出来れば、当然、淀川本流の水が減退する、そうなった日には、あの沿岸で生活している農民にとっては生命線の大問題である、というところから、寄々《よりより》の農民の間に反対運動が起った。
 この二つが有力なる反対理由であって、難工事|云々《うんぬん》は中止の口実に過ぎなかったという説があります。
 なお、このほかに、風光としての琵琶湖を、ほとんど致命的に没却せしめるという、保護形勝論者も出てもよかりそうなものであったが、それは出なかったらしい。琵琶湖が独立した日本無双の形勝地である資格から、一転して、単に運河の一停船所に過ぎない地点とされてしまった後のみじめ[#「みじめ」に傍点]さを、しみじみと考えるほどの余裕はなく、要害と、利害との点だけからしか反対されていなかったらしい。
 しかし、すべての風景も、抽象も、国防(要害)と貿易のための犠牲物としてのほか、存在価値が認められなくなる時世が来れば、いつかは実現せらるべきほどの可能性はあり得る問題なのです。
 それはさて置き、この際、右の運河説が、人心を聳動《しょうどう》したのです。摂津、河内の農民は大挙して、その風聞の実現せざらんことを、歎願の名で湖辺の大名へ向って上申のために上って来たという。一方また、湖水が干上るために、己《おの》が生活権が脅威せらるるという湖上の運輸業者と、漁民が動揺をはじめたのです。ところで、これより以前、検地の不平のために団体運動を続けて、それぞれに屯《たむろ》して待機している農民たちの同勢と合流しない限りもあるまい。
 すでに、それが合流した以上になると、その動揺の程度が、水陸両面にわたって展開されることになる、そうなっては逃《のが》れる道がない。まず当面の安全のために、旅籠《はたご》は旅客を処分して、一時応急の避難をさせてからともかくも、という段取りは、しかるべきものでした。

         五十四

 暫くあって、人心が落着いてみると、この風説には、右のような根拠がないではなかったが、それもこの際、急速に実行につくというような形跡は全くなく、且つまた、摂河泉の農民が大挙して、切割の中止歎願に来るというような事実は、跡かたもない風説だということがよくわかりました。
 従って、昨今暴動の形跡ある農民一揆《のうみんいっき》と合流するなんぞということのおそれは、全く解消してしまったし、農民連もまた、それを機会に示威運動を盛り返そうというほどの熱心もなし、事実は、この時、すでに農民運動は、表面的鎮静に帰してしまったといってよろしい状態に置かれてありました。
 そこで、真先に警戒した街道筋の人気から、まず鎮まって、暫くの間に鎮静に帰したのですけれども、その風説の及ぼす波動というものは、一応、響くだけ響かないと消えないものでして、大津、草津、膳所、彦根の人心が落着いた時分になって、長浜から北国筋が、盛んにさわぎ出してまいりました。
 ことに、この方面は、上述のような開拓が行われた日には、直接に最も影響を受けることの多い土地ですから、日本海の方へすんなりと抜けてしまうまでには、風説が根を持とうとしている。
 まず湖上の運輸業者が、この風説をしかと喰いとめ、それが漁民たちの思惑とがっしり[#「がっしり」に傍点]結びついて、彼等の面上には、いずれも生命線とぴったりした不安の色が、みるみる濃くなって行くこと争うべくもない。岸と、舟とで、おのおの口を尖《とが》らせているところを聞いていると、
「越前へ、この湖を切割すれば、湖水の水はみんな海へ落ちて、その代りに汐水《しおみず》が湖水へいっぱいになる」
「従って、淡水産の魚は見る間に全滅するが、海の魚がモノになるのも絶望だ」
「そこで、多年、湖水を唯一の生命線として、一家を養っていた漁業者というものが全滅する」
「それから、また一方、湖水を宇治から山城大和の方にかけて切落してしまえば、その方へも夥《おびただ》しく湖水の水は取られることになる。従って、この琵琶湖というものは、もはや独立した湖水としての存在価値を失って、単に、北海から内海へかけての運河の一つの河幅《かわはば》として残されるに過ぎない」
「交通は盛んになるかも知れないが、その時代には、もう我々の持っているちょき[#「ちょき」に傍点]舟では物の役に立つまい、諸大名はじめ、加賀や大阪の豪商が、大船浮べて思うままに乗切るにきまっている、そうすると、従来の舟で湖上の交通をして一家を経営していた運輸業者たる我々は、当然全滅の脅威を待つばかりだ」
「すでに湖水が、運河の一部としてしか存在の価値がなくなってしまった時分には、八景めぐりの遊覧客が跡を絶つ、その観光客で維持していた我々の商売も上ったりになる」
「しかしまた、運河としての一部分の湖面だけを残して、あとの水が干上ると、そこへ当然、何万石かの田地が出来るには出来るだろう、だが、その田地は誰のものになる、それはみんな諸大名の御領分か、または御用商人の手に利権が落つるにきまっている」
「してみると、我々微弱なる湖上生活者は、全然、生活権を奪われてしまう」
「蝦夷《えぞ》の果てか、鬼界《きかい》ヶ島《しま》へでも追いやられるのが落ちだ」
 流言蜚語《りゅうげんひご》でもなんでも、それが単に流言蜚語として、自分の生活に直接影響をうけずにいる限りで聞いている分には、小説を読むようなもので、人はむしろ興味を持てばといって、脅威を感じはしないが、ひとたびそれが、直接生命線に触れて来るとなると、全く人心を暗くする。
 彼等はこれを、風説として受取ることができない。今は風説の時代であっても、やがては実行の時代に入るのだ、と神経を働かせないわけにはゆかない。
 そこで、今晩|何時《なんどき》、どの地点に於て、相談があるから、船持と、船で働く人は、すべて湖上のどの地点に集まれという触れが廻ったのは、あの雨のしとしとと降る晩、青嵐居士《せいらんこじ》と不破《ふわ》の関守氏とが多景《たけ》の島を訪れた翌々夜のことで、その夜は月が湖上に晴れておりました。

         五十五

 そういうわけでありまして、その夜は、舟という舟がほとんど、某の地点に向って集合しましたので、長浜の臨湖の一帯には、舟の隻影もなく、別の世界に見るような静寂な夜景でありました。
 ところが二更《にこう》の頃になって、かの加藤清正の屋敷あとといわれる浜屋の家の裏木戸があくと、そこがすでに堀になっていて、刎橋《はねばし》が上げてある、そこへ、静かに立ちあらわれた物影がある。
 島田に結い上げた女の子に手を引かれて、刀を帯びた覆面の人が、静かに木戸を出て来たかと思うと、刎橋へはかからないで、濠《ほり》へ向って下りる切石畳の一段二段を踏みました。都合五段ある石段を下りつくすと、そこに潺湲《せんかん》と堀の水が流れている。その上に一隻の小舟がつながれている。
 無言で少女に手を取られた覆面の人は、やはり無言で舟の中へ導かれると、手さぐりしてそこへ乗り込み、
「よろしうございますか」
 女の子は、ひそかに言葉をかけると、覆面はうなずく。
「では」
と言って、男をさきに乗せて女の子は、思い切って自分もその舟に身をうつしてしまいますと共に、舳先《へさき》の方へ手をやって、形ばかりつないであったともづなを手繰《たぐ》り出しますと、最初にやっと舟へ身をうつした覆面の男が、下り立つと、急にしゃんとした形になって、
「棹《さお》を貸して下さい」
 いったんともづなを手繰った手を休めて、女の子は、舟の中に横にねていた水馴棹《みなれざお》をとって、無言で男の手に持たせますと、男はそれを受取って身構えた形が、最初とは見まごうばかりであります。最初、女の子に手を引かれて裏木戸から出て来た時は、病人ででもあるらしい、たどたどしい足どりでありましたが、すでに舟に身をうつしてから、足を踏んで、棹をとった時の形は出来ておりました。
「よろしい、綱をといて下さい」
と男が、この時また低い声で、はじめて物を言いますと、女の子が、
「先生、大丈夫でございますか」
「もう、こっちのものだ、舟を出しましょう」
「では、綱を引きますよ」
「よろしい」
 そうして、小舟が、するすると段の下を離れて動き出しました。
 市中の濠のことですから、そう広いというわけにいかない。それを巧みに調子を取って、水のまにまに舟をやる腕前は相当に覚えのあるものです。
 その舟のさばき加減を見ると、不安げに見まもっていた女の子は、はじめてホッと安心したらしく、立ち直って油単《ゆたん》をかけて置いた台のものをとると、そこに、お重があり、お銚子が待っている。この舟出を予期して置いたものに相違ない。
 かくて、この小舟は、流水に任せて、もはや眠りに落ちている町の中を、ひそやかに下って行きました。下って行くにしても、その行先は知れたもの。どの流れを行こうとも、この辺の水は皆、集まるところを一つにしている。その一つになって集まるところは、すなわち琵琶湖の湖水以外のいずこでもありません。ですから、この深夜、この異様な男女二人が落ち行くさきだけはいっこう心配するがものはありません。支那の文人ならば当然、月白く、風清し、この良夜を如何《いかん》せん――というところなのでしょう。
 右の小舟は一旦、町中に没しましたが、ほどなく臨湖の岸の一角に出でて下ると、湖面が、海の如く広く眼前に開けて、月が町よりも高く、天心に澄んでいるのを見ました。
「ああ、よいお月様!」
 二人は、まさしく、この良夜を堪え兼ねて、水と月とを弄《もてあそ》ばんとして、夜更けに忍んで風流の舟を浮べたものに相違ないと思うが、更に見ると、良夜があまりに良夜過ぎる。男は動ぜずして水馴竿を繰っているが、女の子は、「ああ、よいお月様」と、まず天心の月に向って讃美を試みたのですが、さて湖面に甚《はなは》だ物足らないものがある。波もない、風もない、満湖の月を受けた水面は、金波銀波に思うさま戯れの場を貸しているが、それでなんだか、物足らないものがあるような気分に堪えられないで、女の子は、
「どうも、なんだか淋しいわ」
 淋しいのはあたりまえである。深夜の月と水とを楽しまんために出て来たのだから、淋しいのが望むところでなければならぬ。賑《にぎ》やかなところが欲しければ、ほかにところはあるだろう。
 舟がない、人の住む町村の岸に当然なければならぬ舟が、今晩に限ってない。それが一種異様な淋しい思いを増させているということが、ややあって後、女の子にもわかりました。

         五十六

 程よいところで、棹《さお》をとどめて、それから二人は打寛《うちくつろ》いで、充分にこの清夜を楽しむことになりました。
 覆面の棹主《さおぬし》が竜之助であり、周旋する女の子がお雪ちゃんであることは、申すまでもありません。
「先生、この辺は遠浅らしうございます、舟はこのままにして置いて、おらくにおいで下さいませ」
と、お雪ちゃんに言われて竜之助は、棹をさし置き、改めてその覆面を取ってみた竜之助の面《かお》は、以前とさして変りはありません。
 そうして、お雪ちゃんのすすめる座蒲団《ざぶとん》の上に坐ると、その間にお雪ちゃんは、重詰をあけ、銚子を取り出して、御持参の酒肴を並べ、
「お一つ、いかがでございます」
と言って、盃《さかずき》をさし出したものです。竜之助はそれを軽く受取って、
「静かだね」
「全く静かでございますよ、今晩はどうしたのか、舟がちっともおりません」
「舟のない湖というものは、想像してもすさまじい」
「火のない火鉢と同じように」
「だが、水入らずに楽しめてよい」
「その点は、気兼ねがなくってよろしうございます、ほんとに、お銀様には済みませんが、あなた様の御不自由なお住居《すまい》では、少しは外出《そとで》ということをなさいませんと」
「お雪ちゃんのおかげだ」
「わたしとしましても、おかげさまで気晴しができようというものでございます」
「そうさ、なにしろ拙者などは、只《ただ》でさえ不自由千万な身を、更に監禁を申し渡されているんだからやりきれない」
「どうして、お銀様という方は、あなたをちょっとも外へお出しにならないのでしょうか」
「あぶないからなんだね」
「危ないと申しましても、子供ではございません……ホ、ホ、ホ、失礼な言い方でございますが、わたしを、こちらへおよこしなさる時も、時々、お前が介抱して外へお出しなさいとは、決しておっしゃいません、決して外出させないように、とばかりおっしゃいました」
「それを、お雪ちゃんによって救われたことが嬉しい」
「でも先生、お銀様に対しては反逆でございますね」
「は、は、は」
と竜之助は、快く盃を引き、お料理を食べました。
「わたしも嬉しうございます、けれども、あとが怖いのです」
「怖いことはないよ」
「叱られますもの」
「殺されるかも知れない」
「ほんとに、殺されてもかまいません、わたしも覚悟の前でございます」
「そんなことは考えないがよい。ああ、久しぶりで酒がうまい、風景は見えないけれども、気が浮いてきた」
「狭いところにいるのと、広いところへ出たのでは、ただそれだけでも人の心持が違って参ります、白骨の山の中を出て、琵琶湖の舟の中で、あなたとお月見をしようとは思いませんでした」
「ああ、今晩の酒は久しぶりで旨《うま》い」
「この辺は、上方《かみがた》に近うございますから、お酒はよいそうでございます」
「お雪ちゃん、冷えてはいけないよ、湖の夜風に風邪をひかしては、拙者が申しわけがない」
「たれに申しわけがないのでございます、もし、わたしに風邪をひかせたと致しますと、先生は、どなたに申しわけをなさるのですか」
「は、は、久しぶりにまたお雪ちゃんの論法がはじまり出した、誰に申しわけということもないが、あたら若い娘に風邪をひかせては毒だ」
「若い娘に限ったことではありません、どなただって風邪をひいては毒でございます。先生、あなたこそ、人の身のことなぞは御心配なさらずに、御自分がお風邪を召してはいけませんよ、あなたに風邪をお引かせ申してごらんなさい、それこそ、わたしが、お嬢様に申しわけがございません、あなた、これをかけていらっしゃい」
 お雪ちゃんは、かねて用意の丹前をとって、竜之助のうしろから羽織らせる。
「飛騨の宮川で火事に逢った時も、少しばかり、お雪ちゃんと船住まいをした覚えがある、あの時のせせこましい思いと違って、ほんとに今晩は気が晴れる」
「そうでございましょうとも、高山の宮川と、近江の琵琶湖では、比較になりません」
「ああ、酒も旨いし、気も晴れる、今晩はいい晩だな。濠《ほり》を下って来る間は、小面倒であったが、ここへ来て全く大海へ出た気持になった」
と言って、竜之助は二はい三ばいとひっかけるものですから、お雪ちゃんが無性《むしょう》に嬉しくなりました。

         五十七

 最初は、周囲の情景に一抹《いちまつ》の淋しさを感じたのが、ここに至って、対人的にお雪ちゃんは、全く嬉しくさせられてしまいました。
 誰にしても、自分のもてなしが人を喜ばすことを見れば、自らもそれを喜ばぬ人はない。特に、今晩のお雪ちゃんは、相手の鬱屈を見兼ねて、自分の独断で、外出禁制の人を、こちらがそそのかして、遊山に連れ出したようなものですから、お雪ちゃんとしては、お銀様を向うに廻しての一大冒険のようなものでしたが、その冒険が功を奏して、御当人をかくまで満足せしめたかと思うと、そのことの喜びで、すべてが忘れられてしまって、この人を喜ばせ、自分も喜びをわかつためには夜もすがら、遊び明かしても悔いないというほどの心持にさせられてしまいました。
「今まで、お酒がおいしいの、気ばらしになったのとおっしゃったことのないあなたから、そうおっしゃられると、わたしは、もうこれより上の本望はございません。ねえ、先生、今晩は、ここで夜明けまででもかまいませんから、昔話を致しましょうよ」
「望むところだよ」
「昔話と言ったって、そう古いことではありません、白骨以来、ほんとうに落着いて、先生からお話を伺う機会も与えられませんでしたし、わたしもなかなかに機会に恵まれませんでした。お目にかかれないのではないのですが、お銀様という方が背後にいらっしゃると思うと、わたしは怖くなって、先生が、わたしの人じゃない、口を利《き》いては悪い他人のようにばっかり思われる心持になって、ほんとに気が引けてなりませんでしたが、今晩はさらりと、わたしもその心配が取れてしまいました。ねえ、先生、それから後の話をして聞かせて下さいな」
「お雪ちゃん、お前から話してごらんなさい」
「では、わたしから昔話をはじめましょう。ねえ、先生、あなたとわたしと二人は、どうして、信州の白骨なんて、あんな山の奥へ行かなければならなかったでしょう」
「病気保養のためだな」
「誰の病気保養のためなんでしょう」
「この眼だ――」
「いいえ、そればっかりじゃありません」
「では、ほかにも病人があったのか」
「ありましたとも」
「それは誰で、何の病気だ」
「先生よりも、わたしの方が病人だ、なんて言う人があるのですから、いやになってしまいました」
「お雪ちゃんが病気、今宵も、そんなにぴんぴんしているお雪ちゃんが」
「ええ、誰が、そんな噂《うわさ》をするのですか、わたし、ほんとうに怖いようですわ」
「どんな噂をしたんだね」
「ねえ、白骨の温泉へ行ったのは、あなたのお眼の療治ということも、目的の一つであったには相違ないですけれど、もう一つは、わたしの病気を直したいためのかこつけだなんて、悪口を言う人があるそうですから、いやになってしまいますわ」
「お雪ちゃんに何の病気があって?」
「何の病気って、先生……きまりが悪いわ」
 お雪ちゃんはポッと面《かお》を赤くしながら、
「そのころでも、わたしが、いちばんいやだと思ったのは、白骨にいる時分、あのイヤなおばさんと一緒にお湯に入っていますと、あのおばさんが不意に、わたしに向って言ったことには、お雪ちゃん、隠したって駄目よ、あなたの乳が、こんなに黒くなっているじゃありませんか、と言って、いきなりわたしの乳首をつかまえられた時でした。あの時ほど、わたし、ぞっこん骨身にこたえて、いやな思いをしたことはございません」
 なるほど、その時はいやであったろうが、今は、その現実感を通り過ぎてしまって、いやな思い出を、いやな気分なしで、多少の甘え気分をさえ加えて、昔語りにして見せているほどのゆとりが出来ている。
「それから、あのイヤなおばさんが、なおいやなこと、それはいやなことという程度を通り越して、恐ろしいこと、怖いことを、わたしに平気で言って聞かせてくれました――それは、なあ、お雪ちゃん、いやならば水にしておしまいなよ、かまわないから間《ま》びいておしまいなさい――そんなことにクヨクヨするもんじゃありません、水の出端《でばな》なんだもの、わたしなんぞ若い時は……と言ってイヤなおばさんがわたしにあの時、身ぶるいするほどいやな話を、平気で話してくれました。お話だけじゃないのです、わたしの手をとるようにして、ああしなさい、こうしなさい、何を意気地のない、そんなことでどうします、わたしなんぞは……わたしでなくったって、誰だってすることなのよ、若い娘に限ったことじゃないわ、後家さんでも、人のおかみさんでも、一生に一度や二度は誰だって……お雪ちゃん、うぶもいいけれども、度胸を据える時には据えなければ駄目ですよ、こうしてこうするんです、と言ってわたしの手をとって……わたしは、その話だけで、気が遠くなってしまって人心地がありませんでした。イヤなおばさんという人は、ああも度胸がある人、今までにあんなことは朝飯前にやってのけている人……と思って震え上ってしまいましたが、先生、それは、昔の話でございます、今となっては、そんなことは、もう全く気にかけないようになりました。ほんとに、人間の心というものは我儘《わがまま》なものでございますねえ、今では、わたしは、赤ちゃんが一人くらいあってもいいと思いますの、子供というものを手塩にかけて育ててみたら、どんなに楽しいものでしょう、と思い出して、なんだか取返しのつかないような心持にされてしまうことさえ時々あるのですね。お銀様が、こんど長浜へ来たら、わたしに丸髷《まるまげ》を結わせるとおっしゃいました。あの方のおっしゃることは、私たちの頭では想像もできませんけれど、もし、丸髷にでも結って、こうして、この間へ一人、小さいのを置いて、そうして、水入らずのお月見をしたら、どんなに楽しいでしょう」
 お雪ちゃんは、子供が甘い夢を見るようにあこがれ出したが、竜之助は動かない。久しぶりの酒の香にうっとりして、我を忘れたものか、酒がこぼれて膝に落つるのも知らないでいると、お雪ちゃんがたまらなくなって、
「先生、わたしにばかり、言いたいことを言わせて置いて、ひどいわ、あなたも何とかおっしゃいよ」
と言って、竜之助の面《かお》を見た時に、
「あっ!」
と言いました。無論、同時に自分の面の色も変ったことでしょう。竜之助は盃《さかずき》を挙げたまま、蝋人形のように白くなって動かない。
「…………」
「先生、大変、いつのまにか舟が沖の方へ向って流れ出しております」
 お雪ちゃん一人が狼狽《ろうばい》しきって、立って水棹《みさお》を手さぐりにして、かよわい力で、ずいと水の中へ突き入れてみますと、棹はそのままずぶずぶと水に没入して、手ごたえがありません。
 舟は、いつしか遠浅の圏内を外れて、棹の全く立たないところへ来ている。
「あら、先生、どうしましょう、棹が届かなくなりました」
「どれどれ」
 竜之助は立って、塚原卜伝でもするもののように、お雪ちゃんの手から、棹を受取って、ずぶりと差し込んでみたけれど、手ごたえがありません。
 憮然《ぶぜん》として、見えない眼で水の上をながめている。
 二人が月に興じている間に、舟は、棹の立たないところへ来てしまったのです。
 舟が棹の立たないところへ来たとすれば、櫓《ろ》を用うるに越したことはないが、この舟には出立から櫓も櫂《かい》も備えて置かなかった。備えれば備うべきはずのものを、櫓を用いないで済む程度のところ、棹を以て用の足りる範囲のところで、浅く遊んで帰ろうとした予定のところを、環境が別になったために、身心ともに知らず識《し》らず深入りしているうちに、舟は独自の漂流をはじめて、深いところへ来てしまっている。
 二人が狼狽したのも無理はありません。
 竜之助のさし置いた棹を、お雪ちゃんが、取り上げて、またこちらの水に入れてみたけれど、やっぱり駄目でした。
 お雪ちゃんは、焦って、棹をあちらこちらへ入れてみたけれども、そのいずれにしても手ごたえがありません。
「先生、どちらもさおが立ちません」
 悲観絶望した途端に、はっと竹の棹が手を辷《すべ》って、湖の中へ流れ出してしまいました。
 それを捉えんとする手はもう遅い。
「あら、あら、棹《さお》を取られてしまいました」
 もう泣き声に近かったのですが、竜之助はそれを慰めるもののように、
「棹を取られたのは仕方がない、人間を取られてはいけません」
「わたしは大丈夫です」
とお雪ちゃんは、うわごとのように言って、悠々と、あちらを独《ひと》り泳ぎをはじめている水馴棹《みなれざお》の形を見つめて、ぼんやりと立っていましたが、やがて、その面に、自暴《やけ》に似たような冷静さが取戻されて来て、
「もう、どうにもなりません、流れ放題……」

         五十八

 それからあとのお雪ちゃんは、もう櫓《ろ》にも櫂《かい》にも全く未練のない人になりました。
 落着いて、じっと漂う舟の行先をわれと見つめて、うっとりしたような形で、竜之助に背を見せておりました。
 静かに、滑《なめら》かに、うるおいながら、湖面を音もなく、誰も押す人もなく、さえぎる人もないままに、ゆっくりと、心ゆくばかり漂い行くわが舟の舳先《へさき》を、われと見送っているうちに、全くうっとりした気持になって、右の手を後ろへ軽くささえた時に、左の手は、いつのまにか振袖を掻《か》き上げて、それで口を覆うておりました。この形は、よそから見たら、消えも入りたいような、恥かしさの形に見えますが、お雪ちゃんその人からいうと、有心無心の境を過ぎて、わが行く舟の舳先にうっとりしているばかりです。
 そのうちに、天地は、磨ぎ水を流したような模糊《もこ》とした色で、いっぱいに立てこめられました。月は隠れたのではないが、この白色の中に光が、まんべんなく溶け込んだものでしょう。舟は、進んでいるのか、とどまっているのだか、ちっともわかりませんが、漂うてはいるのです。膠着《こうちゃく》しているのではない、浮かれ、うらぶれ、漂いながら、一つところのような湖面に戯れているらしい。
 そうして、やや長い時の間、お雪ちゃんは感きわまって、
「死にたい、死にたい」
と、すすり泣きをしました。
「このまま死んでしまいたい」
「そんなに死にたいか」
「山の女王様に合わす面がございませんもの……夜が明けて、人目にかかって、町を晒《さら》されながら帰るのが辛いんですもの……助けられるのがいやなんですもの……いつまでも、いつまでも、こうしてお月見がしていたいんですもの……夜が明けなければいいのに……朝になって、人に面を見られるのが辛い……ああ、夜が明けなければいい……舟が動かなければいい……このまま、舟が、水の底へ、水の底へと、静かに沈んで行ってしまってくれたらなおいい……このまま、死んでしまいたい……先生、あなたも死んで下さらない、このまま、この湖の中で溶けて死んでしまいたい」
と、かぶりを振りながら、お雪ちゃんが言いました。
 お雪ちゃんは、せっかくの髪を乱して、泣きながら、
「ねえ、先生、あなたも死んで下さらない、このさき生きていたって、つまらないじゃありませんか。苦しまないで死ねるのは、今晩のような晩だけです、楽しんで死ねるのは、こういう晩でなければございません、二人に死ねと言って棹《さお》が奪われたのです。ねえ、あなた、本当に死んで下さらない、一生のうち、喜んで死ねる日が幾度ありましょう――こういう時に死ななければ、死ぬ時はございません」
 お雪ちゃんは、昂奮して言いました。
「ねえ、あなた、御返事がないのは、御承知なんですか。死ぬなら綺麗に死にたいものです、綺麗に死ぬには、死骸をだれにも見せないに限ります、竹生島に近いところは、水が深いそうです、金輪際というところまで底が届いているそうです、同じことなら、そこで死にたい、そうして永久に死骸が、この世の波の上へは現われて来ないところで死にたい。あなた、その水の深さを測って頂戴、そこで死にたい」
とお雪ちゃんが、むつかりました。
「このまま人に助けられて、後ろ指をさされるのは、わたし死ぬよりも辛い、そうかといって、へたに死んで亡骸《なきがら》を二度と世間の業《ごう》にさらすのは、なおいやだ――死ぬんなら、魂も、身体《からだ》も、二度とこの世へ戻って来ないようなところで死にたい……」

         五十九

 度胸を据《す》えたお雪ちゃんの態度は、驚くばかり冷静になり、その言語もまた甚《はなは》だ雄弁になりました。
「ねえ、先生、あなたのお眼も、それだけ丹精して癒《なお》らなければ、もう癒りませんよ、あきらめた方がよろしいです。よしんば癒ったにしたところで、また同じ世界を、同じ眼で見直さなければならないとしたら、いっそ、苦痛じゃありませんか、一度で済んだ思いを、二度しなけりゃならぬというのは因果でございましょう、癒らないものとおあきらめなさいませ。そうして、全くお眼が見えないものときまったら、生きていたって仕方がないでしょう、不自由な思いをして、人のお世話になりながら生きていたって、つまらないじゃありませんか、ここらで一生涯の見切りをつけて、これからまた出直してごらんになってはいかがです……わたしだって、どうして今日まで生きていたのだか、何のために生かされていたのか、ちっともわかりは致しませんわ。山の女王様のように、すべてに力が張りきって、自分の思うように、この世の中を征服して行こうという意地があるならば格別、そうでもないわたしなんぞ、有っても無くてもいい存在なんです、いくら生きたからとて、ただ繰返すだけのものなんです、本当に快く死ねそうな時、死ねると思う時に死ぬのが勝ちです……そうして、この生涯を改めて出直した方が賢いのじゃないか知ら」
 すらすらとお雪ちゃんは、問いつ、答えつしましたが、相手の納得と否とには少しも頓着なしに、
「ですけれども、あらためて出直すということにも考えなくちゃなりません、罪の深いものは次の世では一層悪く出直すよりほかに道がないとすれば、おたがいに、現在よりもっと悪い道を出直さなければならないとしたら、出直すことさえ考えものですね。先生、あなたは生れかわって来るとしたら、来世は何になって、この世へ出たいと思召《おぼしめ》します……」
と問いかけてみたが、相手は返答がない。また返答を予期してもいないから、お雪ちゃんのひとり舞台ではない、独り演説に過ぎない。
「わたしは、もう二度とこの世へは生れて来ないことにきめました、どんなよい身分のところにも生れて来たくはありません、全く浮ばれないところへ沈んでしまいたいのです。けれども、業《ごう》というものが尽きないで、来世もまた、何かの形を取ってこの世へ生れ変って来なければならないとすれば、わたしは何を選びましょう――美しい花になりましょうか、きれいな鳥になりましょうか。それもこれもいやです。花は、しぼんだり、枯れたりするのを見るのがいじらしい。鳥だって、生きたり、死んだり、追われたりしますもの。といって、木や石になって、口も利《き》けないで、踏んだり、蹴られたりするのもいやですね――わたしは、自分の名の通り、来世は雪になりましょう、雪となってなら、生れ変って再びこの世へ出てもよいと思います。雪も北国の雪のように、何尺も、何丈も、つもって溶けないような、しつこいのは嫌です、朝降って、昼は消える淡雪《あわゆき》――降っているうちは綺麗で、積るということをしないうちに、いつ消えたともなく消えてしまう、春さきにこの湖の中などへ、しんしんと降り込んで落ちたところが即ち消えたところ、あの未練執着のない可愛ゆい淡雪――あれならば生れ変っても損はない。どうしても二度《ふたたび》この世へ生れ変って来なければならないとしたら、わたしは、春ふる雪となって、またお目にかかることに致します」

         六十

 舟は、やっぱり、進むともなく、退くともなく、水の上に漂うている。あたりは模糊《もこ》として、磨ぎ水のような水気が流れている。
 お雪ちゃんその人が本来のロマンチストであるのに、この時は、前に言う通り、全く度胸がすわって、恐怖と、心配ということから全く解放されて、いよいよ驚くべき大胆と、明瞭との気分になって行くのです。
「ああ、すっかりいい気持になりました、帰ることを思えば、船の足が心配になりますけれど、もう帰らないと心を決めてみますと、船なんぞは、進もうとも、退こうとも、浮ぼうとも、沈もうとも、少しも心配になりません。また引返して閉じこもる夜のあることを思えば、お月見の気晴しも結構ですけれども、もう今晩しか夜がないと思えば、お月様なんぞ、有っても無くても、美しいとも、悲しいとも思いはしません。明日という日があればこそ、今晩に名残《なご》りがないでもございませんが、こうと心持がきまってしまえば、明日というものに未練がございません。死ぬということは愉快なものでございますね、わたし、今までに、今晩のただ今のように、心持の晴々したことはございません、先生、わたしが踊れるなら踊って上げたい、歌えるなら歌って上げたい、この上、なんでも御所望して下さい、おっしゃる通り、なんでも思い切って、あなたのためにして上げるわ。ですけれども、わたしは、歌う人でもなし、踊れる人でもないことがうらみなんです。ああ、死にたい、死にたい、こんなに愉快に死ねる晩は、一生に二度はあるものではございません、先生、早くわたしを死ねるようにして下さい」
 猫がまたたびに身を摺《す》りつけるように、お雪ちゃんは船ばたに身悶《みもだ》えをしました。
 その時に、模糊として磨ぎ水のようになっている水面の霧の中を漂って、ほんとに微かに物の音が動いたと言って、変態に昂奮する心と、異常に澄みきった神経のお雪ちゃんが、耳を引立てました。
「あ、あなた、鐘が、鐘が鳴りました」
 今まで雄弁であった口を沈黙せしめて、しきりに耳を引立てたけれども、鐘の音なるものはもう聞えない。
「今のは、たしかに鐘の音でした。鐘の音が聞えたとすれば、もう陸が近いのです、陸でなければ島でしょう、竹生島へ近づいたのかも知れません、そうでなければ、ああ、そうそう、先生、今のはきっと三井寺の鐘なんでしょう、三井寺の鐘に違いありません、七景は霧にかくれて三井の鐘って、どなたかの発句にありました、ここは琵琶の湖の中に違いありませんから、聞える鐘も三井寺の鐘なんです、鐘の音も多いうちに、三井寺の鐘の音を聞いて死ぬなんて、ほんとに今晩は何から何まで死ぬように出来ている晩なんです、早く死にましょう、夜の明けないうちに……この世も名残《なご》り、夜も名残り、死にに行く身をたとうれば、仇《あだ》しヶ原《はら》の道の霜、一足ずつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ……あの文章の気分も、今晩という今晩は、すっかりわかりました、あんな浄瑠璃《じょうるり》の中の人たちのように、切羽《せっぱ》つまったやる瀬のない気持でなく、本当にこんなに愉快を尽して死ねるのです、わたしは幸福です、この気分の醒《さ》めないうちに、死ねるようにして下さい……ねえ、あなた、こんなもの取っておしまいなさい、取って海へ投げ込んでおしまいなさい」
 お雪ちゃんは物狂わしくさせられて、竜之助の腰の脇差を、思いきって邪慳《じゃけん》に虐待してみましたが、
「でなければ、この刀で、わたしを一思いに……」
 死を誘惑する器であると見直してみると、怖《こわ》いものまでが無上に可愛ゆくなる。
「ほんとうに、水で死ねなければ、この刀で……これで、あなたの手にかかって死にたい」

         六十一

「刀は男の魂だから、虐待してはいけない」
と、この時はじめて竜之助が、物狂わしいお雪ちゃんを言葉でたしなめました。けれども今晩のお雪ちゃんは、そんなことで聞き入れるお雪ちゃんではありません。
「今となって、男の魂もないでしょう――こんなもの、海へおっぽり投げておしまいなさい」
 差していた脇差を邪慳に虐待したお雪ちゃんは、今度は傍らにさし置かれた長いのへ手をかけると、それをも邪慳に引ったくって、船べりから湖水へ向けて、まさに投げこみまじき仕草に及びました。
「それは勘弁してくれ、それはまだ捨てられない品だ」
と竜之助は、片手を殺していながら、片手をのべて、お雪ちゃんの手から、刀の鐺《こじり》をとって、おさえてしまいました。
「そうでしょう、これは、あなたにとって大切なかたみなんですからね、姉さんの心づくしでいただいた新刀第一、堀河の国広なんですから、これは惜しいでしょうよ」
と言うお雪ちゃんの言葉は、今晩に限って、たしかに物《もの》の怪《け》にとりつかれているに相違ないほど、たかぶったかんの物言いぶりです。
「よく、覚えているねえ」
と、子供をあやなすように竜之助が感心すると、
「覚えていなくってどうするものですか、その刀ゆえに、姉さんは殺されたのです、そうして、わたしもまた……」
「飛んでもないことを言う、いつどこで拙者がお雪ちゃんの姉さんを殺しました」
「江戸に近い巣鴨の庚申塚《こうしんづか》というところで、わたしの姉さんが、あなたに刺し殺されたということを夢に見ました」
「それはヒドい、夢に見たことをまことのように、なすりつけるのはヒドい」
「何がヒドいことがあるものですか、姉さんばかりじゃない、いつか一度、わたしもその刀で殺されるんじゃないかと、あの時から覚悟をきめていました、わたしだって、あなたがごらんになっているほど子供じゃありません」
「あの時とは……」
「存じません、存じません、弁信さんに聞いてごらんなさい、あなたは弁信さんを斬りそこねたから、わたしを斬ったのです、いいえ、弁信さんの身代りに、いつかわたしが殺される時があるでしょうと、あの時から覚悟をきめていると申し上げているんです」
「夢と、まことと、一緒にするのみならず、自分の頭で考えていることと、これから後の出来事とを、みんなごっちゃにしたがる、お雪ちゃんの悪い癖だ」
「でも大抵は後の出来事が、みんな最初思った通りになって行くんですもの。あなたは、いつぞやおっしゃいました、この長い方は人を斬る刀で、短いのは物を刺す脇差だ、人がましいものはこれで斬るが、女子供はこれで刺す――脇差で斬るのは畜生か、人間並みに数えられないものに限る、と、わたしに教えて下すったことがございました。わたしなんぞは、とても、この長い刀で斬られるほどのねうちのある人間ではございませんから、この短い方で結構なんでございます」
と言って、お雪ちゃんは、今更のように、今まで投げるの抛《ほう》るのと言った長い刀を、竜之助の手に戻して置いて、また腰にさした脇差の方にとりついたものです。
「わたしなんぞは、とても人間並みに扱っていただけないんですから、この短いので、斬るなり、刺すなり、突くなり、存分になぶり殺しにしていただきましょう。ああ、焦《じ》れったい、こうしているうちに夜が明けたら、どうしましょう。いったい、何刻《なんどき》なんでしょう、たった今、鐘の音が一つ聞えたばっかりで、あとは聞えません、七ツの時が六ツ鳴りて……七ツにも、六ツにも、ここでは、さっぱりわかりません。まあ、さっきからこんな暗くなっているのが、今わかりました、霧の中でむせ返っていたお月様が、今度はほんとうに山の中へ落ちてしまったんでしょう、真暗くなりました。いつまでも、いつまでも、この通り真暗で夜が明けなければいいのだけれども、この世にいる限り、暮れない日というものはなく、明けない夜というものもございません、こうしているうち時が経てば、きっと夜が明けます、夜が明ければ、わたしたちは生恥をさらさなければなりません、そのくらいなら、いっそ……あなたが殺して下さらなければ、わたしの手で死にます――」
 お雪ちゃんの昂奮は、まさしく狂乱の域に入って、竜之助に武者ぶりつきましたのを、竜之助は片手で軽くあしらって、
「死にたければ、水へ入らずとも、刃物を用いずとも、いくらでも死に方はあるのだ」
「どんな仕方でもよろしうございます、早く死にたい、早く死なして下さい」
「では、こういうふうにして」
 片手を殺している竜之助は、一方の猿臂《えんぴ》をのべて、お雪ちゃんの背後から、咽喉部へぐっと廻して締めるしかたをする。
「あ!」
「それごらん、苦しいだろう、いよいよとなると死ぬのはいやだろう」
「いいえ、そうじゃございません、不意でしたから、少しあわてたまでです、もう驚きません、ですけれども先生、殺して下さるなら、なるべく苦しませないようにして殺して下さい」
「では……こうして、静かに、そろそろと」
「そうして下さるうちに、息がつまって来るのですか」
「そうだ――苦しいといっても一思いだ」
「一思いに、苦しませないでね」
「よしよし」
「あ、切ない」
「まだ締めやしない」
「でも、先生、こうして確かに殺して下さるんですね」
「お前が、あんまり死にたがるから」
「生殺《なまごろ》し……また息を吹き返して、二重の生恥をさらすようなことはございますまいね」
「殺す以上は、そんな未練な殺し方はしない」
「あなたは、そういう仕方で、前に人を殺した経験がお有りなさいますか」
「あるかどうか知らないが、お前の知っている限りで、あの飛騨の高山のイヤなおばさんとやらが、この手で死んだ」
「エ」
「この手で誰かに締められて、そのまま無名沼《ななしぬま》の底に沈んだ、別段、苦しがる暇もなく、安らかに、無名沼の底へ落ちて行ったが、あの婆様も、まさか殺されるとは思っていなかったろう。それと違って今晩は、殺される当人が死ぬほど所望だし、無名沼より有名な琵琶湖の真中だから、死栄《しにば》えがあるだろう」
「エ、先生、何ですって?」
「まあ、死ぬときまったら黙って……」
「いえ、あの、未練ではございませんが、もう一言」
「いや、死ぬときまったら、だまって死ぬがよい」
「…………」
 お雪ちゃんは、何か言おうとしたけれども、もう口が利《き》けません、五体を劇《はげ》しくわななかせて、死にもがくように見えましたが、その力はもう及びませんでした。

         六十二

 目的の成否にかかわらず、三日以内には一応、船へ戻ると言伝《ことづて》をしていた田山白雲は、早くも二日目の晩に飄然《ひょうぜん》として立戻って来ました。
 まず驚喜したのは清澄の茂太郎でしたけれども、再応失望せしめたのは、七兵衛親爺を、いずれのところからも同行して来た形跡のないということでした。
 つまり、一石二鳥のうちの、マドロスという一鳥は見事に打ち落して、掘出し物の柳田平治を目附として首尾よくこの船へ送りつけて来てはあるが、七兵衛の行方に至っては、甚《はなは》だ手ごたえがないということの報告を聞いてみると、一同が且つは喜び、且つは憂えもしたものですが、それらに頓着がなく、ほとんど、田山の帰ることを待ち切れるか待ち切れないかの呼吸で、その夜のうちに、駒井の無名丸が月ノ浦を立ち出でてしまったのです。
 大体に於て、こういう手筈ではなかったのですが、こうもあわただしい船出をしてしまったのは、何か別にさし迫った事情というものがなければなるまいと思われます。
 それはさて置き、船はグングン松島湾をあとにして、早くも大海原へと乗り出してしまいました。いずれへ行く目的かはわからないにしても、その針路の向うところによって見ると、北を指している。
 その夜、波も風も至って穏かです。正面きって海図をながめている駒井甚三郎に向って、田山白雲は、室の一隅の長椅子に寝そべるように巨躯《きょく》を横たえて、磊落《らいらく》な会話を投げかけている――
「駒井さん、さいぜん、あのウスノロの奴の運転ぶりを篤《とく》と視察して来ましたよ、奴、神妙に運転に従事しつつ、ことに拙者の姿を見ると、ふるえ上って、固くなって働いていることが寧《むし》ろおかしい。あらゆる生活に於て、およそ睨《にら》みのきかないこと夥《おびただ》しい我輩も、あいつにばっかりは苦手《にがて》と見えて、拙者の前では、手も足も出ない。だが、ひとたび船の機関をいじらせると手に入ったものです。あいつは、たしかに蒸気船の機関手としては有数な腕前を持っていると認められます、拙者には、船のことは何もわからんが、その態度、調子、呼吸によって、あいつが蒸気船の機関方に熟しきっているのを見て取りましたよ。あのウスノロも、その職務に於ては非凡だ、人間というやつは、どこかに、何か一つは取柄を持っている、ウスノロも、あの一能のために、暫く存在を許されている」
 白雲が、マドロスに就いて、噛《か》んで吐き出すような上げ下ろしを試むると、浮かぬ面《かお》をしている駒井も、
「そうです――あれがいなければ、こう滑らかに船を出すことはできません」
「痛し痒《かゆ》しですねえ。ああいう奴は、厳重な刑罰を加えて、目に物見せて置かなければならぬ奴ですが、暫くその罪を不問の形で、船の進退を托してやるのは、遺憾と言うべきだが、功を以て罪をつぐなわせる政策も、時にとっての応用です」
「他に人がない、人を捨てれば船が廃《すた》るという場合、創業の時代には得てしてそういう経験は有り勝ちだが、最後までそれであってはなるまい」
「無論、あんなのはおっぽり出しても、代りがあるということでなけりゃならん。だが、人を作るというのは一朝一夕にできないです、貴殿にしても、学問の上からは、あらゆる船の学者だが、実地操縦のことは、一朝一夕というわけにはいくまい、拙者の如きも、筆を持たせれば、相当なことはするけれども、船をあずけられては手も足も出ない、その他、乗組の連中、この点に於ては、世界をまたにかけているあのマドロスには逆立ちしてもかなわない。しかし、技能は技能として、船の風紀は風紀の問題です、船の統制上、その風紀を紊乱《びんらん》した奴を、安閑としてそのままには置かれないのは当然です、拙者に於ても帰来早々、断然たる放逐処分を貴君に進言するつもりで意気込んで戻って来たのですが、あいつの操縦の腕を見ると、不覚千万にもその意気込みが少々鈍ってきたのです。どうです、駒井船長、むしろこの際、眼をつぶって、あいつをゆるしてやって、新たに任務を励行させるようにしたら」
「拙者にとっては、許すも許さんもないが、船の乗組全体が、あれに対して、一人も好意を持っておらんのです、毛唐のくせに、日本の女を自由にして、誰はばからず痴態を演じている、それを朝夕見聞して、他の乗組が不平を鳴らすのは無理もない。船長として、船の風紀の上から、あのままにして置くことはできない、それをしないでいると、拙者の威信問題よりも、あいつの一命があぶない、早晩、多数から私刑を受けて、海中へ投げ込まれるくらいのことは、目前に起り兼ねないのだ――船が宮古へ着いた上で、相当の断罪が行われなければなるまい」
「それは、そうなければならぬこと――だが、彼を失ってこの船が動きますか」
「本来、期待していなかった人間だから、彼なしといえども、やれなければならない性質の我々の船なのです、何とか動かないはずはないと思っている」

         六十三

 駒井船長の答えに満足せぬ田山白雲は、
「それはいささか心細い、本来、洲崎海岸《すのさきかいがん》を出るにしてからが、事態に迫られて出たので、準備完了して出たわけではない、昨今、月ノ浦を出たのも同様なのだ、この辺で、未熟な機関方の手にかかって、魚の骨をのどへひっかけたような醜態を演じては、世間の物笑いのみならず、一船全体の生命問題になるでしょう」
「それはわかっている、我々と従来の手勢でも、やってやれない限りはない、絶望というほどではない。やってやれない限りはないと思っているが……」
「しかし、あのウスノロの真似《まね》はできませんな、あのウスノロがやる通り、この通り滑らかに船を運用することは到底不可能でしょう。あいつならば、どんな悪天であろうとも、インド、アメリカの果てまでも平気で乗り切るだけの腕を持ってるが、残念ながら諸君では、世界はおろか、日本の領海でも、まだ全く心許ないと遠慮のないところ、拙者は想像している。もとより、船中の統制と風儀は、それ以上の問題であることは、拙者に於てもわかりきっているが、そこのところをひとつ、何とかうまく調節ができませんかね、今時はやる公武合体とか、相剋《そうこく》の緩和というやつで――どうです、駒井さん、断然あいつを許してしまってやらせたらどうですか、徹底的に」
「断然許すとは、どういう名分によってですか」
「つまり問題は、ただ一つの性の問題に帰着するんですな、そのほかに、あいつは、深いたくらみや、慾望を持てるほどの奴ではないのです、そこで、あの淫奔娘《いんぽんむすめ》を、あなたの仲人の下に、あいつと結婚させてしまったらどんなものでしょう」
「そうすると、私通淫奔を是認した上に、その結婚を成功させてやる、罰すべきを罰せずして、これに自由と放縦を与える、という結果になりはせぬか」
「いや、そうでないです、今までの罪は罪として、船長に代って拙者がひとつ、屹度《きっと》いましめてみましょう、しかる後、彼を正式に結婚の形式を取らしめ、心を入れ替えて職務の励精を誓わせる――という段取りは不自然でないと思われるですが」
「いやしかし、この乗組にも他に若い者がいる、彼一人が細君携帯で、いや、もう少し立入ると、その細君そのものが、果して細君たる検束力ありや否や――」
「ふーん、あの娘の貞操の保証ができませんか」
「そうです」
「そいつは困ったな」
 珍しく、この場では、田山白雲が最初から妥協的に出でている。厳重な刑罰を意気込んで来た白雲の心持が一転して、船の活用のために、どうかして、あのウスノロの存在を取持ってやりたいことに苦心をしている。その特赦の名分を見つけ出すことに苦心をしてやっているが、結局、それも思うようにゆかない。罪は憎いし、人は惜しい。白雲はしきりに当惑しているが、当惑の点より言えば、当の船長たる駒井は、それに幾倍の上を行っているはず、或いはまた、現に相当の断案を持っているのか、さのみ困惑の色を見せないで、
「この問題はただ、一人一箇だけの問題ではないのだ、我等のために、目下の一つの試験問題であると共に、将来、我々の団体のために、身を以て解決して置かなければならない問題だから、深く考えて、強く実行して置かなければならない」
「いかにもそうです。そうして、駒井さん、あなたの腹の中では、もうその解決の道がついているのですか」
「まだ断案までには至っていないのですが、二つの道はたしかにあります」
「それは?」
「単にこの一事件のためではない、我々の社会に、今後必ず繰返して起り来る――我々というよりも、むしろ人間生活全体にいつまでも起って、いつまでも解決しきれない問題の一つの残骸として、その根本的な手段と方法を、研究的に調べて置きたいという拙者の念願は、今日に始まったことではないのです――田山さん、ごらんなさい、私は洲崎時代から、この通り、研究論文を作りつつあるのですよ」
と言って駒井甚三郎は、書架の上から、かなり部厚な草稿を取って田山白雲の眼の前に示しました。

         六十四

 駒井甚三郎は、田山白雲の前に一冊の草稿を提示して、諄々《じゅんじゅん》として語りました――
「日本も、王朝以前は、今日から見れば乱倫と称せらるべき道徳が、公然と行われました。欧羅巴《ヨーロッパ》では今日、宗教の関係で、表面は一夫一婦ということが厳重に守られているけれど、内面は必ずしもそうではない、一夫一婦道徳に対する事実上の反逆者は、その法王をはじめ、数多いことらしい、理論上の反逆者も、拙者が知っているだけでも少ない数ではないのです」
「なるほど――毛唐は、表面なかなかやかましく言うが、裏面はヒドいそうです」
「表裏の反覆するのは、西洋に限ったことはない、到るところにあるのです、偽善というよりは、むしろ人間の通有性、弱点と見た方がいいでしょう。その弱点を覆うのに、或いはそれを向上せしむるのに、道徳を用うるということにもなるのですが、その道徳に異論が出て来る。現に、耶蘇《ヤソ》の教えで、表面一夫一婦に統制されている西洋にも、プラトーというようなエライ学者は公然、婦人の共有を唱えているのですからな」
「婦人の共有と言いますと……つまり、一夫一婦宗教なんという垣を取払って、そうして、人妻に我も恋せめ、我が妻に人も言い寄れ、ということになるのですか」
「妻というものを認めないで、婦人は男子の共有ということになる、反面から言えば、婦人側から言えば、婦人はまた男子を共有するということにもなるのです」
「そうすると、女はみな女郎なんですな、同時に男もみな男郎――男郎というのもおかしなもんだが、そんな乱暴な説を唱える学者があるのですか」
「それは理論で、もとより実行ではありませんが、その理論から出立して、いろいろの是々非々があるようです、物質の共有はよろしいが、婦人の共有はよろしくないという説……」
「それはそうでしょう、現にこの船なぞも、駒井氏の私有とはいうものの、事実は志を同じうする人の共有といったような性質を帯びているに相違ないが、人間をこれと同様に扱って、誰でも乗れる――ということになったら大変だ」
「しかし、理論を究《きわ》める学者連の勝手に言わせると、物も、人も、結局たいした差別はないことになる、あちらには昔から、ユトピアという言葉があるのです、いま言ったプラトーという人が言い出した言葉で、つまり、新しい国を造るということなのです、今までの国家には、いずれにも、今までの歴史と習慣というものがあって、本当に理想の生活を営むことができない、そういう伝統の絶無な社会を想像して、それをユトピア国と名づけ、こうもしたら人間が楽に生活ができるか、ああもしたら人間がよく治まるかと、それを空想に托して書いたものです。そういう類《たぐい》の書物が西洋にはたくさんあるのです、日本の馬琴が書いた夢想兵衛《むそうびょうえ》のような幼稚なものではない、空想とはいえ、なかなかしっかりした根拠を以て書いているが、日本だと、ああいう議論をする書物は、さし当り絶版ものでしょう、ことに最近は――仙台の林子平や、三州の渡辺崋山あたりでさえ、あの通りやられるのだから。しかし、西洋はそこへ行くと、国柄が違うから、言論が自由です――そういうのを読んでみると、奇抜に驚かされもするが、なかなか感心するのもある」
「なるほど、現実には到底できない相談を、小説に書いてみると、書く方も、読む方も、共に愉快で罪がないというのでしょう、貴君はそこへ行くとペロが自由だから、何でも人の知らない書物が読める、羨《うらや》ましいです」
と白雲が、駒井のペロの出来ることを羨ましがっているのは、今日に始まったことではない。ペロというのは、西洋語ということで、白雲の専用慣用語なのですが、駒井は、
「実際、空想だけではつまらないが、そこに科学的の根拠があると、我々には面白いのです、移して以て、実現せしめてみようという気にもなりますからな」
「そうそう、あなたのは確かにその実行力を持っていらっしゃる、この船で無人国土をたずねて、理想楽土を打立ててやってみようということが、他人には途方もない空想だが、あなたには目前の実行ですからな」
「とにかく、そういう書物を頻《しき》りにこのごろは読み出しています、こうなると、書物がもっと欲しいです、江戸にいた時、必要以上に買いためて置いたのが、今では大いに助かりますが、それでも不足を感じつつあります、理想の国土へも着いてみたいが、大いに書物の買えるところへも行ってみたいです」
「そりゃ矛盾だ、本が自由に買える国に、人間の自由なぞはありゃしないでしょう」
と、田山が突発的に一喝《いっかつ》したのが、駒井をして考えさせました。
「面白い断定です、書物の自由に買えるところに、人間の自由はない、そりゃ実に面白い警句ですね、田山さん」
「そんなに感心なさるほどの名文句でしたかね」
「名文句ですとも、それを少し言葉を換えて言いますと、言論の自由な国に、人間の自由はない――ということになります」
「左様に訂正なさっても、あえて異議はございません――」
「全く矛盾です、この矛盾が現在の事実だから、いよいよ変なものです、言論の自由、言論の自由と、人は母の乳でも欲しがるように叫びますけれど、言論が自由になればなるほど、人間の自由は奪われる、実に、皮肉な、悲哀な、人間世界の一面です」
「そうですかなあ」
「そうですとも、もっと卑近にうつしてごらんなさい、思う存分、物を言ったり、書けたりする人間に、多くの幸福が与えられますか、言語を持たない空の鳥や、野の獣《けもの》の方が、遥かに人間より自由であり、幸福ではありませんかね」
「そう理窟ぜめにされると――ちょっと迷いますな、何が自由で、何が幸福だか、人間は人間、鳥は鳥、獣は獣ですから、人間に鳥獣の心持がわからないように、鳥獣にも人間の心持はわかりません、要するに自由というのは、したい三昧《ざんまい》をすることが自由で、幸福というのは、欲しいものが何でも享楽ができるということくらいに、片づけて置くよりほかはないではないですか」
 田山白雲は放胆的に言いましたけれど、駒井は一概にそれをうけがいませんでした。

         六十五

「田山さん、したい三昧するのが自由で、欲しいと思うものが何でも享楽できるのが幸福だというのは一方論で、全体的には成り立ちませんよ、成り立たないのみならず、したい三昧と、享楽主義は、二人以上の社会になると、衝突し、破壊されてしまいます」
「わからないです、我々の頭では、そういう先から先のことはわからないです、そういうことで、あなたと太刀打《たちう》ちするだけの素養が、拙者にはないです、承るだけにしましょう」
「こういうことを言っている人があるのです、つまり男女の関係というもの、性慾のこととか、結婚とかいうものはです、これは本来、人間が快楽をするために存するのではない、役に立つ人間を殖《ふ》やして、その国土をよくするためにすることだ、だから、悪い子供を産むのはいけない、産ませるのはいけない、肉体も、精神も、これならという人間だけに限って結婚をさせ、子供を産ませる――その他の人間には、結婚して子を産むことを許さない」
「そりゃ、甚《はなはだ》しく乱暴ですね、秦《しん》の始皇《しこう》といえども、そういう乱暴はしませんでした、出来のいい奴にだけ女をあてがって、ドンドン子を産ませる、出来の悪い奴には女にさわらせない、女の方から言っても同じことになるでしょう――いい女だけに男をあてがって、醜女はくたばれ――これじゃあ、乱暴ですよ、一揆《いっき》暴動が起りますぜ、日本醜男同盟なんというのが起って、美醜の男女が相乱れて闘う――階級闘争――じゃない、容貌戦争が起りますぜ、笑いごとじゃありません」
「ところが田山さん、それらの学者の説はそう乱暴なものじゃないのです、この書物がそれなのですがね」
と言って、駒井は自分の草稿はさし置き、卓上の洋書を一冊とって、白雲に表紙だけを見せますと、その表紙に大きく太陽が金で打ち出してある。白雲が覚束なくその綴《つづ》りを拾い読みして、
「Campanera ――ケムペーネーラですか」
「この書物は、これを書いた人がやはり無人島を一つ求めて、理想の国家を作るという空想を書いてあるのです、人間の生殖というものは、色慾だの、享楽だのが目的のものではない、最も国家のためになる、最もよき人間を生み出すことである、そこで、男女関係のために一つの役所を設ける、そうして、肉体及び精神ともに申し分のない男女だけが子供を生むことを許される」
「そうなると、やっぱり、肉体及び精神が適合しない男は、指をくわえて見ていなければならない」
「そういう男には石女《うまずめ》――すなわち子を生まない女とか、或いは現に妊娠している女を授けるという例外になっている」
「これはまた、少し驚きました。石女、うまずめですな、石女の認定をどうしてするか、ということはさて置き、現に妊娠中の女を授ける――衛生上はとにかくとして、それでは妊娠させた男が承知しますまい、そうなると夫婦関係などというものは無茶です」
「夫婦関係などは本位でなく、ただ国家のためになる丈夫な子供を産み、為めにならない脾弱《ひよわ》な子供を産ませないようにする、ということが原則になるのです」
「そうですか、まあ、空想として、理窟としてなら、何と言ってもさしつかえないはずです、事実上は問題になりません」
「それから男子は二十一歳、女子は十九歳から、皆の性交が許されるのです、そうして二十七歳まで童貞を守っていることは名誉として表彰される――しかしまた一方性交年齢に達しないうち、どうしても性慾に堪えられない早熟者は、そっとその旨を、かねて定めてある媼《ばあ》さんなり、役人なり、或いは医者なりに向って申し出ると、それらの人が、かねて選定してある石女、あるいは、すでに妊娠中の女を提供してその満足に供する――それから、前に申した十九歳|乃至《ないし》二十一歳以上、身体、精神ともに健全で、産児の有資格者には、一週二回だけ同衾《どうきん》が許されて、その際には男女ともに沐浴《もくよく》して、『すこやかにして美しき子を与えたまえ』と神に祈らなければならぬ、そうして婦人の寝室には胎教のために……」
「まあ、お待ち下さい、そうすると、要するに、男女の夫婦関係というものは認めないで、健康と、精神の資格さえあれば、相手かまわずに、入りかわり立ちかわり性交を許すということになるのですな。驚くべきだ、乱暴だ、乱婚だ、不倫至極だ」
「いや、我々が現在の夫婦関係だけを標準とするから、いかにも乱婚不倫に見えるので、この書物全体の見方から言えば、そう一概には言えないのです、そういう趣意に於ての婦人の共有は、官能や、淫乱の故ではない、肉慾に動かされずして、道徳的国家統制の下に行われるのだから、少しも不合理ではなく、不道徳でもないと断言しています」
「なおくわしく、その理論の細かい点をうかがわないと、そういうことは、いくら学者の議論にしたところが、一概には承服でき兼ねます、一概どころではない、本来、一も二もなく排斥さるべき僻論《へきろん》ですよ――」
「しかし、実際問題として……」
 駒井がなお、何とか附け加えようとする時、にわかに、今までスムースな船の進行に異状が起りました。同時に船が、左右へ三つ四つ揺れたかと見ると、ただならぬ物音が、上甲板の一部に於て起ったことがわかります。

         六十六

 甲板上にあたって何か相当の異変がある、物すごい格闘でも起りつつある、そういう気配を感じたものですから、田山白雲は会議の途中で、船長室を飛び出して見ましたが、来て見ると、なんとなく穏かならぬ気配は残っているが、事件はいち早く消滅してしまっている。簡単に形《かた》がついてしまったのか、そうでなければ白雲|来《きた》ると見て、風を喰《くら》って姿を消したのか、そのことはわかりませんが、白雲は拍子抜けの体《てい》で、いささか茫然自失していると、頭の上で突然に声が起りました。
 それは、メイン・マストの上で、清澄の茂太郎が高らかに呼びかけている、
「田山先生、田山先生、よいところへおいで下さいました、只今この下で大騒動が起りました」
「何だ、どうしたのだ」
「一人の女を、三人の男が争っていたのです」
「ナニ」
「田山先生、あたいは最初からこの柱に上っていたのですから、見るつもりもなく、一切を見届けました、その顛末《てんまつ》をお話ししようと思います」
「巧者ぶりな口を利《き》かずに、真直ぐに言ってみろ、いったいどうしたというのだ」
「では、真直ぐに、見たままを言ってしまいましょう、だが、恥かしいなあ」
「何だ、何が恥かしい」
「だって、見たままを率直に言える場合と、言えない場合とがありますもの」
「相変らず生意気な言葉づかいだ」
「見たままを率直に言えないからといって、それが必ずしも不正直だとは言えない場合があります」
「何でもよいから正直に言え」
 白雲は、マストの直下まで来て、柱上の茂太郎を見上げたが、同時に、ただいま物音のけたたましかったと覚える、そのあたりを見直したけれども、多少の物品が狼藉《ろうぜき》の余波をとどめているように見て見られないことはないが、それも夜目《よめ》のことで、何とつかまえどころがあるわけではない。
 茂太郎は、いつもに似ず歯切れの悪い返答ぶりで、それ以上は口籠《くちごも》って言わんとしないのであるが、田山白雲はその間から何物かを感得したもののように、しばらく、荒涼たる名残《なご》りのそのあたりの動静を視察し、それ以上に、茂太郎の答を追求することをやめて、さっさと急ぎ足に甲板から船腹の中へ下りて行って見ました。
 まず機関室へ行って見ると、マドロスが抜からぬ面《かお》で機関を扱っている。
「タヤマ先生」
 この男が、何者よりも白雲を苦手としていることは申すまでもない。船長に対して特に敬意を表せざる場合、時として反抗心を持ち得る場合にも、白雲に対しては一も二もない、むしろ求めざるに迎合して、その甘心を得て置きたい風情《ふぜい》がある。
「マドロス君、君は、今、甲板へ出たかね」
「いいえ、のぼらないです」
「よく職場につとめていたか」
「ええ、この通り、よくつとめていたです」
「そうか」
 それ以上に白雲は追究しないで、一通り室内を注視しただけで出て行ってしまいましたが、次に訪れたのは、兵部の娘の寝室でありました。
「御免なさいよ」
 返事がない。二度目に、
「寝ていますか」
「…………」
 まだ返事がない。中から応答はなくとも、当然、船の舎監であるべき田山白雲は、適当の用意を以て、そっとドアを外から押してみました。
 ランプが点《つ》いている。その下の寝台の上に、女が一人、うつぷしに泣いている。すすり泣きをしている。髪も、衣裳も、乱れに乱れている。
「もゆるさん」
 いっこう返事はないが、すすり泣きしていることによって、寝入っているのでないことがよくわかる。白雲はそれより以上には立入らないで、その女の荒い呼吸をじっとこちらから見つめているばかりでしたが、暫くして、黙ってそこを出て行きました。
 女の寝室を出てから、白雲が戻って来たのは自分の部屋で、そこで外出用のランタンをつけ、それを提《さ》げて、改めて船内の見廻りにかかったのです。この人は、船の中での警視総監を買っている。いや、買わなくても、船長以外に於て、当然その役目を引受けなければならないのは、この人の立場でありました。
 そのランプを提げて、いちいちの船室を見舞いますと、ある者はよく熟睡しているが、ある者は眼を醒《さ》ましていて、
「御苦労さまでございます」
と挨拶をする。かくて房州から来た船大工、これは相当の年輩。機関手見習の若い者二人が寝ているところへ来て、
「君――君」
と白雲が呼び立ててみたが、二人はよくそこに寝ているが、醒めて答えようとしない。白雲はそれが当然|狸寝入《たぬきねい》りだということを知り、同時にその入口から、脱ぎ捨てた草履《ぞうり》の狼藉ぶりを見て、前の室にすすり泣きしていた女の、寝乱れを思い合わせないわけにはゆかない。
 しかし、答《いら》えのないものを、強《し》いて叩き起すような振舞をせずして、白雲はそのまま取って返して、ランタンを振り照らしつつ、前のメーン・マストの下まで再び検分の気持で来て見ると、茂太郎は早くも帆柱から下りて、白雲を待っているもののように、そこに立っています――

         六十七

 田山白雲は、茂太郎には無言で、ランタンをそこらあたりに振り照らして、狼藉の行われたらしいマストの下あたりを隈《くま》なく照らして見たが、
「嗚呼《ああ》――」
と、白雲に似合わしからぬ深い歎息をして、
「茂――」
「はい」
「お前、御苦労だが、箒《ほうき》を持って来て、ここをすっかり掃いてくれ」
「はい」
「ゴミは一切かまわず、海の中へ投げ込んでしまえ」
「はい」
 清澄の茂太郎は、片手には相変らず般若《はんにゃ》の面を抱えて、白雲から言いつけられた通り、一隅から小箒を持って来て、そこらあたりを撫《な》ではじめました。
 暫くは、無気味に、そこらあたりを掃き清めているうちに、茂太郎はようやく気がかわったと共に、
「田山先生」
「何だ」
「なんだか、いやですね」
「何がいやだ」
「なんだか、空気がいやですね」
「生《なま》を言うなよ」
「あたい、どうも気が晴れない」
「茂――お前は、あれからずっとこの帆柱の上にいたのか」
「あれから、といって、どれからだか、先生御存じ?」
「いや、かなり長い時間の間、その上にいて、下の有様を一切、見廻していたのだな」
「ええ、あたい、宵のうちからここへ上りました、けれども、多くは空を見ていたんです、下ばかり見廻していたんじゃありません。そのうちに、下を見なければならないようになったから……」
「うむ、お前の眼は遠目も利くが、夜目も利くはずだな」
「ええ、見え過ぎるほど見えることがあって、実は困るんです」
「人並すぐれた眼のはたらきを持っていて、困るということはあるまい」
「困ることがあります、見たいものが見える時はいいが、見なくてよいものを見てしまわなければならない時は……」
 茂太郎はこう言いながら、広い甲板を縦横に箒《ほうき》で撫で廻しているうちに、歌となりました。
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とめのお地蔵様
つんぼで、めくら
いくら拝んでも
聞きゃしない――
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 これは無意味なるイントロダクションに過ぎない――
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ハウイットの説によると
オーストラリヤ内地の土人は
できるだけ多数の妻を娶《めと》るが
これはただ性慾関係ばかりでなく
生活の必要から来ている
なぜといえば
夫は独身の青年に
己《おの》が妻を貸し与え
そうして報酬を取って
己が財産を殖やすことを
するからである
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 それを田山白雲が聞き咎《とが》めて、
「茂、何だ、それは」
「わかりません」
と言って、箒を扱いながら、箒の方はお留守になり、
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ヴォルテールや
シオペンハウエルや
その他の多くの学者の
説によると
多妻を好むのは
人類の本能である
そうです
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と、演説口調になったかと思うと、急に会話体に砕けて来て、
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いや、人類ばかりじゃないです
若い牡鹿《おじか》は自分の力で
できる限り多くの雌を
手に入れるまで闘い
他に自分よりも有力な
敵が現われて来るまで
その多数の雌を
独占しているのだそうです
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 こう言ったかと思うと、また言葉をひるがえして、一種の高調となり、
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モハメットは
十一人の妻を持っておりました
彼は最もはじめに、富める主家の後家さんに
愛され且つ愛しました
その後家さんは
モハメットよりも年上で
モハメットは彼女の雇男で
彼女のために駱駝《らくだ》を
逐《お》っておりました
その女主人の名を
ハデジャと申しました
とても二人は愛し合ったのです
女主人と雇男とが
ですから
その女主人と愛し合っているうちは
モハメットは
決して他の女をば見立てませんでした
本来
モハメットは、若い時分は
身体《からだ》が丈夫で
そうして品行が正しかったのです
女主人と愛し合ってからも
その女主人が存命中は
決してほかの女を愛しませんでした
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 白雲は呆気《あっけ》に取られて、それを見ていたが、調子の隙《すき》を見て、
「茂、そんなことをどこで覚えた」
「駒井先生の机の上に書いてありました」
「え――」
 白雲は呆《あき》れながらも、駒井がこのごろ研究の結果をノートしている、それを早くも隙見をしたか、或いは伝え聞いたらしいこの怪少年が、ここでほとんど無意識に反芻《はんすう》を試み出そうとしているのだということをさとりました。そうして、いよいよ油断も隙もならないということを、金品や、性慾の上だけではない、単に知識というものだけでも、不用意にその辺へぶちまけて置くものではない、ということをさとらざるを得ませんでした。

         六十八

 それにも頓着することなしに、ハズミのついた清澄の茂太郎は、箒をカセにして、掃きながら歌い、歌いながら足踏みをはじめ出しました。
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ウエスター・マークの
言うところによると
印度《インド》のある国では
四人五人の男の兄弟があって
その総領が年頃になって
お嫁さんを娶《めと》ると
次の弟が年頃になると
そのお嫁さんがまたその人の妻になる
その次の弟が年頃になると
またその弟の妻になる
そういう順序で
一人のお嫁さんが
六人の男の妻となっている
そういう風俗があるそうです
またシーザアが
古代ブリトン人に就いて
言った言葉の中に
彼等は十人か十二人の夫
ことにそれが兄弟同士
または親子同士で
一人の妻を共有にしている
と書いてあるそうです
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 高らかに歌ったかと思うと、急に反身《そりみ》になって、
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一夫多妻の国では
一妻多夫を野蛮だと申します
一妻多夫の国の女は
一人の女が一人の夫しか持てない
そんな不自由な国には
住みたくないというそうです
土地のならわしで
道徳上から一概にかれこれ言えないと
駒井先生が
お松さんに向って
話しているのを
わたしは聞きました
[#ここで字下げ終わり]
 嗚呼《ああ》、こうなってみると、この少年がこの船にいる限り、研究的の話もできない。駒井甚三郎は何かの拍子に、研究室に秘書をつとめることのあるお松に向って、ふと、こんなことを話したのを、いつのまにか、この敏感な少年に立ち聞きされてしまったらしい。ただ単に立ち聞きされただけで、こう大びらに反芻《はんすう》宣伝されてしまっては、全く油断も隙《すき》もあったものではない。
 田山白雲は呆《あき》れるばかりでしたけれども、言うだけは言わせて、歌うだけ歌わせることによって、相当の暗示が与えられないこともない。話せと言っては話さないこと、白状せよと改まって詰問すると、テコでも唇を開かないことを、本人自発のいい気持で歌わせると、ペラペラと外へ出してしまう。その点もあるから、白雲は舌を捲きながら、その即興を乱さないようにしていると、つづいて散文から詩となり、でたらめが即ち知識となって続々飛び出して来ます――
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マルコポーロの
旅日記というのを
見ると
やっぱり多数の男が
一人の細君を共有しているところが
多いそうです
一人の女が
多くの夫を持つという習わしは
たいていは
その国の女が少ないか
そうでなければ
地味の痩《や》せた
生活が苦しい国にあるそうで
その必要に迫られて
そうなるのだそうです
ですから
この国の風習を以て
直ちにかの国の風習を
不道徳なり
非文明なり
非人道なり
野蛮なり
ときめることは当りません
土地と
人口と
歴史と
習慣とがさせる業で……
[#ここで字下げ終わり]
 いよいよ出でて、何というコマシャクレた言い方であろう。白雲は化け物の歌を聞いているような妖味にさえ襲われて、なお黙って聞いていると、急に散文朗読体が、演説口調に変って、
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さて皆さん
これを現在
わたしたちが
一王国となして
乗込んでいる
この無名丸の社会と
引きくらべてみたら
どうでしょう
実際問題ですよ
御承知の通り
この船には
男が多くて女が少ないです
男は美男子の駒井船長をはじめ
豪傑の田山白雲先生
豪傑の卵の柳田平治君
だらしのないマドロス君
房州から来た船頭の松吉さん
同じく清八さん
同じく九一さん
月ノ浦から乗込んだ平太郎大工さん
同じく松兵衛さん
漁師の徳蔵さん
それから、今はいないが、いつかこの船に帰って来るはずの
何の商売だかわからない七兵衛おやじ
それに、若君の登さん
つんぼの金椎君《キンツイくん》
さて、しんがりに
かく申す清澄の茂太郎も
これで男の端くれなんです
かく数えてみますると
この無名丸の中には
男と名のつく者が
都合十三人
それなのに女というものは
登さんのばあやさん
お松さん
それからもゆるさん
その三人きりなんです
十三人の男に
三人の女――
もし駒井船長が
理想の、人のいない島を求めて
そこに一王国を作るとしたら
いま申す
世界のドコかの国と同じような
女が不足の国になります
そうなりますと
女を奪い合わない限り
その割りふりがむずかしい
実際こんなむずかしいことはない
マドロス君だけが
もゆるのお嬢さん一人を占有して
それでいいと誰が言います
ですから
駒井船長の考えはエライけれども
早晩この間に
もんちゃくが起らなければ
起らないのが不思議です
いや、不思議ではない
もう起っているのです
それは誰々だと申しませんが
マドロス君一人が
いい気になっている
それを覘《ねら》っているものが
たしかにこの船には二人以上あるのです
わたしは
それを何とも言えない
マドロス君だけが
もゆるのお嬢さん一人を
誘惑してそれでいいと
誰が言います
早晩
はげしい争闘が必ず起ります
いや、もうすでに起りつつあるのです
[#ここで字下げ終わり]
 白雲は、それを聞いた時に、この辺で発言禁止をしなければならないと感じて、
「茂、もうでたらめをやめろ!」

         六十九

「茂、もういいからキャビンへ行って寝てしまえ」
 田山白雲は、茂太郎を甲板の下へ押しやって、自分は、なお隈《くま》なく上層を検分して、また船室の方へ下って行き、お松の室の前を通りかかると、中から燈光が漏《も》れる。
「お松さん、まだ寝ませんか」
「はい」
 立派に起きて仕事をしているような緊張味のある返事です。ドアを少し開いて、
「まだ御勉強ですな」
「いいえ――少しばかり」
 卓子に向って、お松は今まで一心不乱に物を書いていたらしい。物を書くというのは、何か原稿を書いていたらしい。卓子の上には堆《うずだか》く何枚もの罫紙《けいし》が積まれている。
「何です、何をお書きなさる」
「船長様に言いつけられた写しものをしております」
「その写し物は何です」
と、白雲は少々押しを強めてみますと、
「いいえ、何かあちらの御本にあることを翻訳なさいまして……」
とお松の、要領を得たような、得ないような返答を、白雲はナゼか、なお少々しつこく、もう一ぺん押してみました、
「何の翻訳です」
「何の御本ですか、わたくしにはわかりませんけれど」
 白雲もそれ以上は押しませんでした。
「まあ、勉強も度を越さないようになさい、眼をこわしてはいけません」
 お座なりの忠告をして、そのまま扉を締めて外へ出ました。
 そこで、白雲が、また少し考えさせられたことがあるのです。
 お松さんという娘は、たちのいい娘《こ》だ。今はこの無名丸の唯一の内助方と、駒井船長の二つなき秘書役をつとめている。船にとっても無上の内助者であるし、駒井船長にとってもかけがえのない名秘書であることを、ひそかに慶賀しているが、お松の今夜の勉強ぶりに対して、白雲がなんとなく、一抹《いちまつ》の不満を感ずるような心地がされたのは、それは、さいぜんからの駒井船長との会話と、それに引続く甲板上の暗闘と、それから露骨なる清澄の茂太郎の反芻《はんすう》とからの持越しの晴れやらぬ心が、お松の夜更けの勉強ぶりに反映するものがあって、そうして、白雲の心を曇らせているのです。
 その予備感覚がなければ、お松のこの勉強ぶりに、淡泊無雑なる敬愛の念を持ち得たのだが、それがあったために、あの原稿紙が今夜に限って、真白な色にばかりは見えないのであります。
 そこで、今もした通り、いつもよりは多少しつこく、それは何を書いているのです、写し物は何です、翻訳はいったい何種のものの翻訳? とまで、つきつめた駄目を押してみる気にもなったのですが、お松が書いている原稿そのものが、さいぜん聞かされた駒井氏の持論と、それから、無意識に茂太郎の反芻によって曝露《ばくろ》された内容と、相関聯しないという限りはない。
 そこで、田山白雲は、二度まで、つくづくと考えさせられました。
 茂の野郎が、たとえ無意識の反芻とは言いながら、ああいうことを口走るのはよくない。口走る方には罪がないとしても、口走らせるに至る物象によろしくないものがある。彼が高唱する出鱈目《でたらめ》のその多くは、突飛であり、お愛嬌であるに過ぎないが、彼の口から、一夫多妻、一妻多夫論の一端を高唱せしむるに至っては、断じて、お愛嬌なる出鱈目の一種としてのみ看過せらるべきではない。
 しかし、茂公は茂公として、彼自身が意識していない囈語《うわごと》の一種だから、その点は責むる由はないが、今、貞実無比なるお松が、深夜、入念に筆写を試みているその内容は、これは決して無意識に筆を運んでいるものとは受取れない。茂太郎の如く無遠慮に高唱しないだけに、その筆端の一字一句が、あの聡明なお松の理解力と感覚に触れることなしには、表現されないはずのものなのである。
 そう考えると、田山白雲は、どうしても、お松がいま一心不乱に筆写しているところのものの内容が、当然、駒井のさきほどの持論と、茂太郎の反芻と、必然的に交渉を持たない限りはないということを聯想せしめられる。茂太郎が高唱したものの、なおいっそう深刻にして精緻《せいち》な内容が、あの原稿紙に載せられつつある。
 それを思うと、田山白雲は、いよいよ考えさせられるものが※[#「「分/土」」、第4水準2-4-65]湧《ふんよう》して来る。
 駒井氏は、あれを翻訳し、自ら草稿を作ったり、或いはお松に面《ま》のあたり口授《くじゅ》したりして、著作を試みているに相違ない。
 貞実無比の女性とは言いながら、まだ若い娘である。それで、ああいう大胆な世界的の性知識を、無遠慮にブチまけてよいものか、どうか。
 駒井なればこそ、お松さんなればこそだが、その一端をでも、茂公の如きに盗み見られたり、小耳にハサまれたりした日には、すなわち今のような収拾いたし難き発声となって、遠慮会釈なくブチ蒔《ま》かれる。
 いったい、駒井氏という人は、道徳的の君子なのか、科学的の学徒なのか、その辺の差別がありそうでない。田山白雲は、二人の人格を信ずるけれども、お松が書きつつあった堆《うずだか》い原稿紙に向って、むらむらと一種の敵意のようなものの湧くのを禁ずることができませんでした。

         七十

 白雲も無名丸の警視総監として、今夜は特に多事多忙なるに昂奮を感ぜしめられつつ、その頭燃《ずねん》を冷さんために、再び現われるでもなく甲板上に現われて、そぞろ歩きに似た歩き方を試みている途端に、ハッとその足を止めざるを得なかったのは、先刻のメイン・マストの下に、またしても人がいる。
 茂公のやつ、あれほど言ったのに、まだこの辺にうろついている。一喝《いっかつ》して追い飛ばしてくれようと身構えた時に、それは茂公ではないことが直ちにわかりました。
 茂公ではないが、ちょうど茂公程度の小さいのが、柱の下にうずくまっていることは明らかで、それが急病にでもうなされて、起きも上れないのかと見ると、やがて半身を起して、両手を組んで高く差し上げたところを見ると、病人ではない。
 白雲は、立ち止って、その挙動を仔細に凝視する立場になったのは、物体そのものにも忽《たちま》ち諒解が届いたからなのであります。
「金椎君《キンツイくん》だ」
 これは、支那少年の金椎君でありました。白雲はその金椎なることを受取るには、長い時間を要しませんでしたけれども、認められた金椎に於ては、白雲の来《きた》って彼の後ろに彳《たたず》むということを更に感づきません。
 何事にか夢中になって、それで己《おの》れの背後に人の来り彳むことを忘れたのではありません。本来、この少年は聾《つんぼ》で、そうして唖《おし》です。じらい聾なるが故に唖となったのか、唖なるが故に聾とされたのか、それは別問題として、この少年は五官のうち、見ることは許され、聞くことということは許されないのですから、後ろから来る人の物音には、いっこう気づかない本能を成している上に、これも何か特に一心不乱になるものがあって、たとえ耳あって聞くことを許され、口あって言うことを可能とされておりながらも、心の昂上と、熱心とのために、その働きを塞《ふさ》がれているほどの統一を白雲は凝視している。
 両手を組んで、高く差し上げたかと思うと、再びそれを下に卸して、首を下につけた、というよりは、五体のすべてを投げ出して平伏《ひれふ》しました。その度毎に、声はないが激しい震動がある。激しい魂の震動があって、凝視している白雲の心臓にこたえるものがある。
 彼は仰いで天に訴え、伏して地に訴えるの形をしているのだ。仏教でよくいう五体投地の形をしているのだ。つまり、天地神明に対して、身を以て祷《いの》りつつあるのだという感動をも、田山白雲は直ちに受取ってしまいました。
「金椎さんは、イエスキリストを信じています」
 これは常に清澄の茂太郎が高らかに呼ぶところの反芻《はんすう》の一句でありますから、白雲は即座に、それをその通り受取ることができる。
「いかにも、この少年はイエスキリストを信じている、イエスキリストというのは、つまり、キリシタンバテレンなんだ――だが」
 白雲は、キリシタンバテレンに対しては、先入的に好感は持てないながら、なんにしても一箇の生霊が全心全力を挙げて、天地の間に礼拝《らいはい》している形式そのものに対しては、粗略になれない。
 何とは知らず、骨までゾッとしたものに襲われて、この少年の挙動をさまたげてはならない――という気になって、粛然として息を呑んでいると、五体投地の少年の前面に、つまり、親柱の麓《ふもと》のところに、異様にかがやくものの存在を認めました。よく見ると、夜目にもしるき丈《たけ》一尺ばかりなる銀の十字の柱が、厳然と押立てられて、少年はその銀の十字の柱を対象として、全身全霊を以て礼拝している。今や、白雲自身が、今夜いままでのあらゆる紛々たる感覚を忘却して、凝然として、十字の柱の前に輾転躍動する支那少年の魂を見つめないわけにはゆかない。

         七十一

 金椎少年は、駒井の如く語らない、茂太郎の如く歌わない。だから、何が故に信じ、何のために祈るのだか、一向わからない。
 駒井船長が語り過ぎるほど語り、茂太郎少年が歌い過ぎるほど歌う声の幾分をうつして、この信仰少年に語らせたいと思うけれど、それは思うに任せない。
 どだい、田山白雲は、宗教には冷淡な男である。冷淡というよりは、認識がまだそこまで至っていないと見た方がよろしい。小湊《こみなと》の浜で、梵音《ぼんおん》海潮音《かいちょうおん》を聞かせられたことはあるけれども、彼にはその感激はあるけれども、体得はない。名僧智識は格別だが、普通一般の宗教だの、信心だのというものは、要するに功利本位の願がけに過ぎないものだ。
 或いは観音を的にし、或いは聖天《しょうてん》を的にして、ただ単に祈る心は要するに、病気を直したい、息災延命で暮したい、女には惚《ほ》れられ、お金はたくさん儲《もう》かりますように――裸にしてしまえば要するに、そんなものだが、さて、それにしても、その信心ごころという殊勝なものを、無下《むげ》に軽蔑してはよろしくない。信ずるものは信ずるように、祈るものは祈りたいように任せて置けばよいのだ。ただひとり、キリシタンバテレンときては、表面は信心で、内実は日本の国を取りに来るのだということだから、こいつだけはうっかり許せない、と伝統的に心得ているだけで、あえてキリシタンバテレンの正体を確かにつき留めているわけでもない。
 だが、たとえ国禁なりといえ、この船の中に限って、この不具少年がひとり信仰している分には、歯牙にかくるに足りない。豊臣時代から、徳川初期のバテレンのように、大袈裟《おおげさ》に外国と連絡をとらない限り、日本の内地で一人や二人、こっそり拝んでいる分には、なにもそう手厳しく詮議するがものはないじゃないか、大人げない――といった程度のキリシタン観に止まっている。
 金椎少年はこの船の中で、ひとりキリシタンを信じている。暇があればキリシタンのお経を読み、感きわまれば到るところで、ひとり祈るの習慣を持っていることは、田山白雲も夙《つと》に認めている。ただ今晩は今晩並みに、かつまた異常なところで不意に出くわしたから、こちらの衝動が大きかったというまでのことである。
 安らかに祈らしてやれ、哀れな少年だ、聾《つんぼ》にして、唖《おし》にして、しかも孤《ひと》りなる異国少年――祈るがままに、さまたげず祈らしてやるがよろしい。
 しかし、まあ、いったい、深夜早朝を問わず、かくも一心に何を祈るのだ。
 どうぞ、神様、わたくしのこの口が人間並みに利《き》けまするように、また、どうぞ、神様、わたくしのこの耳が人様並みに聞えまするように――
 お憫《あわ》れみ下さい。
 不具な少年が、せめて人間並みになりたいという、それだけのものだろう――と、白雲はやはり、金椎少年の祈ろうとするものを、これだけの範囲に解釈している。浅草の観音様であろう、妻沼《めぬま》の聖天様《しょうてんさま》であろう、そこに若干のお賽銭《さいせん》を投じて、最も多くのお釣を取りたい、些少《さしょう》の礼拝を以て、最大の健康と利福とを授かりたい、その釣銭信仰を軽蔑してはいけない、その人情の弱点と、何物にかすがろうとする信頼心を、むしろ憐れまなくてはならない! という惻隠《そくいん》を移して、やはり、この金椎少年の祈り、すなわち病気平癒のために支払わんとする代価を、寛大に取扱ってやりたいと思っている。
 白雲の認識では、これだけの同情しか持ち合わさないのだが、認識は認識として、感動はそれと別個の力で働いて行くのであります。
 第一、この祈り方は、他のあらゆる多くの宗教の祈り方とは全く異っている。方法がちがっているのではない、心の向け方が異っている。一言に言えば、物を求むるの祈り方でなく、罪を謝せんとするの祈り方である。病を癒《いや》さんための祈願ではなく、身を捨てんとするの祈り方だ。
 この苦しさから救えという祈りでなく、この苦しさを十倍にして、この一身を罰し給えという祈りに見える。己《おの》れの罪という罪、悪という悪をぶちまけて、これを審判の前に置き、残るところの裸身《はだかみ》を、あの十字の柱に向ってひしひしと投げかけている絶体絶命の仕草である。
 こういう劇《はげ》しい祈り方というのはないもの――その劇しい祈り方に、白雲は次第につり込まれて、ついに身の毛のよだつ思いを如何《いかん》ともすることができない。

         七十二

 仙台の仏兵助《ほとけひょうすけ》に追われた裏宿の七兵衛は、安達ヶ原より、もっと奥の奥州の平野の中へ陥没してしまったことは前篇の通りです。
 無人の平野大海の中へ陥没した人間を探ることは、ちょっと手のつけようがないようなものだが、人間である以上は、その生命線のために、その肺臓の生理作用のために、いずれの地点にか再び浮び上らないという限りはありません。
 果して、数日にして、七兵衛の姿を、とある山路の岩の間に認めました。隠れることと、走ることのために生きているようなこの男は、追窮されて必ずしも窘窮《きんきゅう》するということはないが、人間の精力というものも限りのあるもので、そういつまでも、野宿と、草根木皮生活に堪えられるものではない。水中に沈んだ蛙《かわず》が、ある限度に於て、空気を摂取するために浮き上るように、人間らしい物質の慾望のために浮き上らざるを得ない。果して七兵衛は、この地点へ浮び上りました。
 この地点が、どの地点であるかということを、地理学的に説明するのは、今の場合、困難なことです。七兵衛は地上を走ることには馴《な》れているけれども、地理学の観念の甚《はなは》だ怪しいことは前に述べた通りであります。従って、そのかなり練達した方位なり時間なりの観念というものも、正確な科学的根拠から来ているのではないから、未経験の地に於ては、往々にして狂いを生ずることがありがちなのはやむを得ないのです。
 たとえば、星を力に、或いは木皮の苔《こけ》をたよりに、観念をつけてみるにしたところで、天気具合で、星のある晩ばかりがあるというわけではなく、木枝や樹皮にも、ところ変れば手ざわりの変ることもある。つい東へ走ったつもりで、西へ抜けてしまうこともあり、南へ行かんとして、北を忘れてしまうこともあるのです。足の覚えだけは極めて健全ですから、この腰骨に覚えたり、もう四五十里も来ましょうか――なんて洒落《しゃれ》はよく通用することがあるけれども、それを東経北緯によって確定することは不可能である。
 とにかく、この地点に浮び上った七兵衛は、もうこのおれの足で、このくらい走れば、相手は鬼であろうとも、仏であろうとも、当分その足がつくおそれがないことを確信したればこそ、かくは浮び上ったものと思われる。だが浮び上った七兵衛は、さすがに多少のやつれと、疲労とを見せている。百合《ゆり》の根を掘って食ったり、山栗の実を落してみたりしたところで程度がある。人里と名のつくところへ出て、火のかかった飯食にありつきたい、というのが、この際、第一の七兵衛の慾望であるらしく、七兵衛は、心しながら人里を求めて、この山間をそろそろと下りにかかりました。
 かくして、この男は山をめぐり、谷を越え、なるべく人の足の踏んであるような山径をえらんで、ふと一つの山の尾をめぐると、俄然として眼の前に賑《にぎ》やかな光景が展開されたものですから狼狽《うろた》えました。
 本来、人里をめざして来たものだから、人間臭くなることは覚悟の前でなければならないが、これはあんまり人間が賑やかに出来過ぎていたために、いったんは立ちすくんだけれど、もう、どうにもならない。
 山の尾をめぐって、ほんとに鉢合せでもしたもののように、眼と鼻の先に突き当ったのが天然風呂でした。沢になって小流れがあるところの岩と水の間を、無雑作《むぞうさ》に掘りひろげて、その中に赤裸《せきら》な人間が七つばかり、すっぽりと漬《つか》っている。しかも、それがみんな年の若い女ばかりでした。
 山の奥の温泉には、得てしてこういうところのあるのは、あえて珍しいことではないが、不意だものですから、七兵衛が狼狽《ろうばい》してたじたじとなったのですが、相手はさほど驚きはしません。
 不意に現われた七兵衛の姿を、ちょっと見やったばかりで、あとはいっこう頓着なく、思うまま湯気と湯とにつかって、おたがい同士、何をか賑やかに話し合っている。狼狽はしたけれども、こうなってみると、七兵衛は退却する必要もなく、また退引《のっぴき》はできない羽目になっている。
 七兵衛も、なにげなく、ちょっと挨拶のような真似《まね》をしただけで、その野天風呂を過ぎると小屋がけがある。その小屋がけに夥《おびただ》しい衣類が脱ぎ捨てられていると見れば、その小屋の向うの方にも同じような穴が掘られていて湯が湧いている。その湯の中には、今度は野郎ばかりが夥しく漬っている。
 度胸を据えて、そこの近くへ進んで行ったが、こちらが力《りき》むほど、先方はこちらを眼中に置いていない。七兵衛が来たって、来たかと言わない代り、来るなとも言わない。
 ここに於て、七兵衛も安心しました。これは何という土地か知らないが温泉地だ。この辺で温泉は珍しくないと見えて、別個に宿を構えて営業するまでのことはない。地を掘れば湯が湧いて出る、その湯に浸《つか》ることは誰に遠慮もいらぬことになっている。ただしかし、地方の農民たちは、天然に恵まれているからといって、時間には恵まれていないから、ある一定の時機に、団体を催して程近い温泉場を征服するということは、年中行事の一つになっている。
 その一日の行楽だと知ってみれば、彼等の眼では、七兵衛といえども御同行《ごどうぎょう》の一人で、同じ団体で、日頃あんまり面《かお》の売れていない方の口だと見過ごされているだけのものである。
 ここで七兵衛も、すっかり安心したものだから、いい気になって、では自分もひとつ、この団体の臨時会員の一人に加えてもらおうと、抜からぬ面《かお》で、小屋がけの中へ自分の着物を態《てい》よく脱ぎこみ、手拭をとって、野郎組の方の野天風呂へとお辞儀なしに飛び込んでしまいました。
 河の岸を掘りひろげた天然の浴場はかなり広いけれども、それに混み入る人の数も夥しい。大仰《おおぎょう》に言えば、桝《ます》に芋の子を盛ったようなたかり方だから、七兵衛の韜晦《とうかい》にはいっそう都合がよいというもので、ちょっと鼻の先で空世辞を言いながら、人の蔭に隠れて、湯の中へ身を沈め、芋こじりの御多分となって、いい気持で面を撫《な》でていること至極妙です。
 七兵衛はすっかり安心しきって、人混みに隠れて湯にぴったりとつかり込んでいると、おのずから周囲の人々の人情風俗がうつってくる。
 新田《しんでん》の仁兵衛が高らかに陸稲《おかぼ》の自慢をする、沢井の太平が大根の太いことを語ると、山崎の文五郎が刀豆《なたまめ》の出来栄えを心配する、草花の娘ッ子はよく働くが、淵の上の後家はおしゃらくだ、というような噂《うわさ》が出る、自分たちの旅の経験や、あたり近所の温泉の効目《ききめ》を並べる。
 そういう話を聞き流しているが、なにしろ辺土のことだから、そう七兵衛の耳を惹《ひ》くようなすぐれた珍聞もない。無意識に人の頭数を数えてみると、ざっと七十ばかりはある。婆さん連のはしゃぎ方などは、平気でこの野郎風呂へ乗込んで来るが、妙齢の娘たちは別に一団をなして、彼方《かなた》の一槽を占領していることは七兵衛が最初に見た通りです。
 いずれを見ても山家育《やまがそだ》ち――
 と、山家育ちを売り物の七兵衛自身ですらが、苦笑するほどの連中ばかりです。ことほど、それほど、七兵衛も浮世離れした気分になって、多数の後ろで、悠々閑々と耳もとを撫でたり、また珍しくもあらぬ奥州弁の国自慢に耳を傾けたり、ここでなるべく多くの時間をつぶした方が都合がよい、この御連中も泊るとすれば、あの小屋の中へ雑魚寝《ざこね》と来るだろうが、次第によっては今晩ひとつ、雑魚の魚交《ととまじ》りというお裾分けにあずかって、その間に、地理上の心得万端を聞いて置くことだ――
 この場合、七兵衛は、思いもかけずいい気なものになってしまい、いささか有頂天《うちょうてん》の気分にされているうちに、この一団にこのままで芸尽しがはじまりました。

         七十三

 その芸づくしを七兵衛が聞いていると、お里丸出しの元気なのもあったり、或いは思いもつかない古雅な調子が交ったり、古い昔、江戸から流行《はや》り出して来たものが、相当新しい気分で復活して来たり、七兵衛にはまるっきりわからないのや、わかるのや、こんがらかっているが、いずれも聞いていて、異郷情味の面白からぬのはない。
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すでに夜も明け方になりしかば、武蔵坊弁慶は居たところへずんと立ち、いつも好む褐《かちん》の直垂《ひたたれ》、水に鴛《をしどり》の脇楯《わきだて》し、三引両《みつひきりやう》の弓籠手《ゆごて》さし……
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と、お能の謡《うたい》に似て、あれより勇健質朴な調子も出て来る。そうかと思うと、
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よいはさつさ――天《あめ》の岩戸も押開く、神の社に松すゑて、すは三尺の剣《つるぎ》をぬいて、神代《かみよ》すすめて獅子《しし》をどり……
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 御自慢の獅子舞をここへ持ち込むものもある。飛び離れたのは、
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敬《うやま》つて申し奉る、笛による音《ね》の秋の鹿、つまゆゑ身をばこがすなる、五人女の三の筆、色もかはりて江戸桜、盛りの色を散らしたる、八百屋《やほや》の娘お七こそ、恋路の闇のくらがりに、よしなき事をし出《いだ》して、代官所へ申し上げ、すぐにお前へ引き出す……
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と、江戸前のところを一席|唸《うな》り出して、やんやの喝采《かっさい》を受ける者もあると、一方から負けない気になって、
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コレお半、ここは三条|愛宕道《あたごみち》、露の命の置所《おきどころ》、草葉の上と思へども、義理にしがらむこの世から、刃《やいば》でも死なれぬ故、淵川へ身を沈めるがせめても言訳《いひわけ》、あとに残せしわが書置、さぞ今頃は女房が……
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「泣けます」
「泣けます」
 ほめるのだか、交《まぜ》っ返すのだかわからない。
 そこんところで、突然に現われた赤い褌《ふんどし》の若造が一人、素頓狂《すっとんきょう》な声を張り上げて、
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万人堂《まんにんどう》の
杉のスッポンコラ
槍のようで
さジョや、てんとさま
オカなかろう
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 この素頓狂で、一同がドッと笑う。そこでこの一幕は、陽気な爆笑で崩れた形になる。一幕をワヤにした若造は、何が故に、みんなから、そんなに笑われるのかと怪訝《けげん》な面《かお》が、またおかしいと言ってみんながまた笑う。
 七兵衛もおかしいと思ったが、右の素頓狂な唄が何の意味だかよくわからない。茂太郎式に反芻《はんすう》して再応思案してみると、「万人堂の杉のスッポンコラは槍のように尖《とが》っている、さぞお天道様《てんとうさま》も怖いだろう」という意味に受取れる。スッポンコラとは何だかよくわからないが杉の木の尖った梢というほどの意味ではなかろうか。そうだとすると、万人堂の杉の木はすくすくと槍のように尖って生い立っている、あれを上から見るとお天道様も怖がるだろう、という単純無比な表現かと思われてなおおかしくなる。
 しかし、考えてみると、自分はこの数日来、足に任せて奥州の真暗闇を走らせられているが、昨日は餓鬼地獄の絵巻物を見せられたかと思えば、今日は歓楽天国の中へ投げ込まれたような心持もしないではない。餓鬼地獄の世界も変だし、歓楽天国も夢の中の世界であるように思われるが、こういうところへ置かれてみると、また悪い心持はしない。
 裏宿の七兵衛といえども、人間並みに楽しいことは楽しい、嬉しいことは嬉しいに違いないが、それを人間並みに楽しむことに於ては、性癖がいつしか暗くなっており、人間並みに事を共にするには、進み方が早過ぎておりました。そこで彼は彼として、独得の生き方をしないことには、生きられないようになって、今日まで来ているのですが、そういう後天性を別にして、なんらの表裏のない一個の群集動物としてさし置かれてみさえすれば、彼もまた群集動物並みに無智無邪気に楽しむことができる人間だということが、この際に於ても証明されるというわけです。
 すなわち、郷里及びその環境に於ては、七兵衛は、己《おの》れ自身の所業に後暗い心持を持たないということはなく、周囲もまた彼を冷たい眼で見ている。よし彼の所業は衆愚の眼をくらまし得ているとしてからが、彼がなるべく衆を避けるという気持が、群集とはソリの悪いものにしている。しかるに、今こうして全く見ず知らずの土地と人の中へ、無条件に身を齎《もたら》すことができさえすれば、彼はその独得の後天性を、誰に向って気兼ねする必要もなく、周囲もまた、彼を特に冷たい眼を以て見なければならないという因縁は、全く解放されているのです。
 ですから、この瞬間に於ては、七兵衛は、純粋に楽しいものを楽しとする子供心にさえかえることを得たので、自分もまあこうして馬鹿になって、みんなと共に楽しむことができさえしたら、永久に、どんなに仕合せであるか、とさえ愚痴を催すのもやむを得ない。
 これより先、ふっと、この湯壺の中に、なんとなく七兵衛の眼を引立てるものがありました。といっても、別段、湯壺の中の人の数に異変があったというわけではない――湯壺の隅の川沿いの東の一角に背をもたせて、七兵衛と同じように耳もとをごしごしやりながら、テレ臭く湯につかっている一人の男がある――ことが気になり出しました。

         七十四

 ひとしきり芸づくしが終って、やがて、また第二の我に返ってみると、さっきのあの怪しい、東の隅の一角の男はどうなった。
 とりあえずそれが念頭に上ったものですから、七兵衛は幾つもの人間の頭越しに、そちらを見ると、いる、いる。
 しゃあしゃあとして、まだああしていやがる、うっかりこっちが有頂天になっていた間に、こっそり、こっちの顔色をうかがってでもいたかと思うと、そんな素振《そぶり》はないが、いくつものかぼちゃ頭の間に、胡麻塩をふりかけた彼の髪の毛が動かずに浮いている。
 気にかかる奴だなあ――
 そのうちに、さしも芋を盛ったような、この天然風呂の浴客が、一人立ち、二人立ち、三人出る、五人出る、だんだんに湯から上っては手拭で身体《からだ》を拭き、晒木綿《さらしもめん》の六尺を捲きにかかりました。
 ぞろぞろと湯上りにかかるものもあるが、また相変らずじっくりと腰を湯壺の中に据《す》え込んでいる者もある。風呂の中は大分動揺もしたし、留まるものよりは、上る者の方が多いけれども、さりとて全員争って出て行くというわけでもない。
 こういう際に七兵衛は、どういう行動をとったらいいかということに少し惑いました。
 湯上り組と共に、いったん上って、ふんどしを締め直したものか、それとも、もう少しここに踏み止まって、殿《しんがり》の部分を承って出た方が安全か――と考えて、ひそかに例の東の隅の一角の胡麻塩頭に眼をくれると、先方は相変らず、一向こちらに頓着はなく、多くが湯上りをするのに、この男は急ぐ様子もない。
 はて、あいつが、ああして動かないでいる以上は、こっちも動けないぞ、裸で人の蔭に隠れて湯の中へ身を没している分には無事なようなものだが、さっと全身を茹《ゆ》で上げてしまった日には、ゲジゲジの舐《な》めたあとまで見られてしまう。大久保彦左衛門ではないが、おれの身体に古い傷がないと誰が言う。
 それにまた、おれは、いま御多分と一緒に飛び出してみたところで、第一あの白木綿の六尺の切りたての化粧まわしを用いているが、おれには、それがないのだ。お手のもので、人のをちょろまかして一時をつくろう分にはなんでもないが、それでは、すぐに馬脚が現われてしまう。
 よしよし、このままで頑張《がんば》れるだけ頑張れ、残らず出てしまったら、出てしまった時のこと――それにしても、あの胡麻塩頭は、気になって見ると、相変らず同じところを占めて、悠々閑々と構えこんでいる、人が透いたから、今まで人の頭越しに遮《さえぎ》られていた頭も、顔も、全部がこちらの対角から、最もあざやかに見て取られる。
 いや、こいつは本物だ――と七兵衛が退引《のっぴき》させられぬ思いをしたのは、顔面の左の部分にちらと認めた傷のあとです。こめかみ[#「こめかみ」に傍点]のところから頬へかけて、一筋なでられている、もうかなり年代を経た傷あとだから、まざまざということはないが、見る人が見るとわかる、ことに七兵衛の今の眼で見ると、パックリ赤い口をあいているほどに見える。
 こいつは本物だ、本物だ、只物ではねえ、只物でねえとしたら、別物であろうはずはねえ、こいつが、その仙台の仏兵助という奴に紛れもねえ――おれをつかまえて、すんでのことに縄をかけた奴だ。そう思って見ると、兵助を後ろに、左右に遊弋《ゆうよく》している五ツ六ツの水瓜頭《すいかあたま》も、みんなあいつの身内と見える。
 ござったな――七兵衛は、それをそうと確認すると、かえって度胸が出て参りました。
 こいつ、この七兵衛の向うを張って、先廻りとは癪《しゃく》だ。先廻りをされたのは癪だが、これは地の利で仕方がねえ、こっちは案内知らずの他国者、相手は兎の抜け道まで知っていようという土地ッ子だ、ことに手先や子分が到るところに網を張っている、この道をこう追い廻せば、いやでもこの壺へ落ちるくらいのことは蛇《じゃ》の道でなくても心得ている、そこへがむしゃらに追い込まれたこっちは、まア運の尽きというものだ、足に覚えはあるから、走ることは走るといったところで、こっちは勾股《こうこ》を念入りに曲って走っている間に、あっちは弦《げん》を直走して先廻りと来りゃ、網にひっかかるのはあたりまえ、こっちの抜かりじゃあねえ、向うが明る過ぎるのだ。
 だが、そんな負惜みは、こうなってみると通らない、眼前に敵が大手をひろげていようというものを、癇癪玉だけでは済まされねえ、もうこうなっては、一かバチかあるのみだ、どう考えても、七兵衛まだこの辺で年貢を納める気になれねえのだから、こう手が廻っては仕方がねえ、へたに分別して、後手《ごて》を食っちゃあ万事おしまい、そこで、七兵衛は手拭を鷲掴《わしづか》みにして、すっくと湯壺の中から立ち上りました。
 まず、何はおいても裸で道中はならない。手早く、身近に脱ぎっぱなしてあった、団体客のうちから一人の衣裳を奪って、まず切りたての六尺木綿から手早く身に引っかけて置いての芝居と、立ち上ったところを、先方もさるもの、パッと一度に水煙、ではない、湯煙を立てて、
「御用だ!」
 果して、胡麻塩頭の左右に遊弋《ゆうよく》した五つ六つの水瓜頭《すいかあたま》が、むっくりと立ち直って、七兵衛めがけて殺到して来ました。

         七十五

「ふざけやがるな」
 七兵衛は左手で手拭を持って前を囲いながら、右手で有合わす小砂利を拾って眼つぶしをかけてみたが、それは、さのみ自衛にも、脅威にもなるほどの武器ではありませんでしたが、一時《いっとき》相手がたじろぎました。
 その隙に――団体客の衣服を取って、せめて六尺の晒木綿だけでも身にひっかける余裕がなかったのです――かねて眼はくれていたのだが、五六の相手にやにわに飛びつかれてみれば、その目ざしていた衣裳場の小屋がけまで駈けつけるの前途を塞《ふさ》がれてしまったようなものです。
 ここで、長兵衛以来の珍しい湯壺の乱闘。あれは水野の屋敷で、どこまでも芝居がかりに出来ているが、これは青天白日の下、野天風呂の中で、一糸をまとわぬ野郎共の不意なる立廻り。
 ことに一から十まで七兵衛の立場が悪い。しかし、前なる小屋がけの衣裳脱ぎ場へ飛びつけることを遮《さえぎ》られた七兵衛は、直ちに身をクルリと廻して横っ飛びに飛び込んだところは、意外な急所でありました。これは七兵衛としては天性の警戒性から、いつもするように、入る時は必ずや出づる時のことを慮《おもんぱか》る。いかなる場合にも、出づる時のことをあらかじめ考慮し、且つ計画して置いてから立入ることには周到なる修練を加えている。すでに湯壺に入った時からしてこの男としては、出づる時の計画は十分に成立していなければならないはずでした。
 すなわち、この男は、こうしてこの湯壺に納まったその寸前に、万一の場合を予期して、こうして、こう手が入ったら、ああして、ああ摺《す》り抜けるという思慮と計画は充分に立ててなければならないはずなのでした。いかに、この際うっかり、平和な古《いにし》えの農村気合を味わわせられて、我を忘れてしまったにしてからが、右を押せば左、東から来たら西、と観念はあらかじめ立てていなければならないはずの男でした。
 果して、第一段の策戦は、まず衣裳脱ぎ場の小屋に飛び込んで、有合わす衣類調度をかっさらって身につけてから、という段取りでありましたが、不幸にしてその出端《でばな》を見事に遮られてしまいはしたが、だが、この一段だけでわけもなく参ってしまっては七兵衛らしくない。前を押えられたらば、当然、後ろと左右とに分別が働かなければならないはず。
 しかし、あまりといえば意外に出でたのは、そのまま七兵衛がクルリと踵《きびす》を返して、一散に飛び込んだのは、最初に眼に触れたあの女ばかりの湯壺の中でした。
 飛ぶが如くではない、飛ぶことそのもの以上に素早く、七兵衛は右の女ばかりの湯壺に湯しぶきを立てて飛び込みました。
 しかも、ここではさいぜんの女たちが、一人も湯上りする者がなく、羽衣を忘れた天女のような気分になりきって、皆々極めて平和に、極めて賑《にぎ》わしく、湯壺の中に相語らって嬉々として楽しんでいる。その真中へ、いい年をした七兵衛が飛び込んでしまいました。

         七十六

 この振舞には、追う者もあっけ[#「あっけ」に傍点]に取られたが、飛び込まれた、平和な羽衣なしの天人共の驚愕狼狽というものは、真に名状すべからざるものでありました。
 睦《むつ》まじく入浴していた十人の娘たちは、見栄も外聞もなく、一度にどっと飛び立ち、逃げ出しましたが、その中に、たった一人、逃げ後《おく》れた娘がありました。
 逃げ後れたのではない、驚いて飛び立とうとする途端を、七兵衛の手で押えられてしまったのです。かわいそうに、逃げ後れた一人の娘を、いきなり湯壺の中へ抑《おさ》えつけた七兵衛は、無惨にもその娘の細首へ自分の濡手拭をグッと捲きつけて――締めはしない、手軽く捲きつけただけで、
「静かにしな、お前を殺すんじゃねえから、ちょっとの間おとり[#「おとり」に傍点]になってくんな」
 こう言って娘の子を一人、抑えつけた時に、例の追手がばらばらとはせつけました。
 その時は、河原一帯、この野天の温泉場附近一帯が沸騰してしまったのです。
 追手も沸けば、娘たちも沸く。団体客全体が、挙げて叫喚怒号して、この場へ馳《は》せつけて来るのでした。
「喜代さんが、つかまった」
「喜代さんが、悪者になぐさまれる」
「喜代さんが、あれ、悪者にくびり殺されるよ」
「早く助けてあげておくれ」
「気ちがいです」
「気ちがいじゃな」
「喜代さんがおかわいそうに」
「あれあれ、なぐさまれます」
「あれあれ、殺されます」
 七兵衛から見れば、果してこれは時にとっての機転、あらかじめ入る時に、出る時を制して置いた万々一の策戦の一つ、みんごと人質《ひとじち》を一つせしめ上げたものと見られるが、群集にとっては、何のことだかわからない。悪漢は悪漢に相違ないが、なんぼなんでも悪漢ぶりがこれでは露骨過ぎる――気ちがいだ、気ちがいだ、女に見惚《みと》れて、いきなり発作した色情狂《いろきちがい》と見るよりほか、見ようがない。
 だが、馬鹿だか、気ちがいだか、それを調査している場合ではないのです。とりあえず、その狼藉《ろうぜき》の手から奪還しなければならぬと、一同が件《くだん》の湯壺のほとりへ殺到して来は来たが、これより以上は、手も足も出せない事の体《てい》になっている。
 湯壺の中で七兵衛に抑えられている娘は、この一行中で一番の器量よし、いちばん家柄のよい娘でありました。こういう場合にも、例の入るを計って出づるを制する七兵衛流の警戒ぶりは、かなり聡明に発揮せられている。取押えるにしても、屑は取押えないで、選りぬきのを取りおさえている。
 これで見ると、最初、山の尾をめぐって、この湯壺の前を通りすがりに、はやこの中の女の数を読んで、選り取りにする場合はあれと、目星をつけていた七兵衛の眼力とすれば怖ろしい。しかし、言葉は人を食ったことほど実着なもので、
「皆さん、どうも、何ともはや、飛んだ御迷惑をかけて相済みません、わしは与兵衛と申す関東の旅の者でござんすが、こっちへ参りまして、よんどころない罪を着たもんでござんすから、お手先に追われて、この始末なんでございますよ――悪いようには致しませんから、まあ、ひとまず、お静かになすって下さいよ」
 これが、はやり切った群集に向って、至極穏かな七兵衛の挨拶なのです。湯壺の中では、おたがいに身体の三分の二は隠されているとは言いながら、泣き叫ぶ娘の細首へ手拭を捲きつけて、それを左右の手に持ちながらの挨拶ですから、手のつけようがないのです。
 ただ、娘が泣き叫ぶ声のすることによって、手拭の締め方が厳しくない――という安心があるだけのもの――
 あれよ、あれよと言うばかりで、手も足も出ない一同に向って、七兵衛がまたおだやかに挨拶をつけ加えました、
「わしも、悪いことは悪いで、罰をのがれようとは申しませんが、何をいうにも今度のことは旅の出来心でござんしてな、ここでむざむざと捕まって、年貢を納めるには早いような気がしますんでな――それにまだいろいろと話をつけて置きたい心残りもあるんでございますから、それらを済まして、これでいいという場合でなけりゃ、お縄にかかりたくねえという身上なんでございます。でございますから、今日のところは見逃していただきてえんだ。そこで、お気の毒だが、このお娘さんを、ちょっとお借り申して、当座の人質というわけなんです、決して、皆さんの心配なさるような、殺すの、なぐさむのというもくろみじゃございません。つまり、皆さんが、どうしてもこの場で、わたしを召捕ろうとこうおっしゃるなら、不憫《ふびん》じゃござんすが、この娘さんを一人、わっしは道連れにつれて行きてえとこう思うんで――もしまた、皆さんが、ここんところ少しの間、目をつぶって、わっしを物の一里ばかり立ちのく間、見のがして下さりさえすりゃあ、この娘を無疵《むきず》で、このまますんなりお返し申すんでございますが、いかがなもんでござんしょう」
 こう言って、群がり迫る人たちに挨拶を試みたが、青くなって静まり返った群集は、急に返答する者がありません。

         七十七

 こういう人質の手段は、あえて新しい手法ということはないが、こういう場合に、こういう手口で用いられると、いくら多勢であるからといって、ちょっとは手も足も、口も出すことができないのです。
 しかし、一度は度を失うてなさん様を知らなかった人だかりも、いつまでもこうして馬鹿な顔をして、当面の芝居ばかりを見せつけられていられるわけのものではありません。
 ことに、七兵衛を追いつめて来た水瓜頭の五六は、御用だ! と言った名目の手前、永く猶予するわけにはゆかない。犠牲の如何《いかん》にかかわらず、するだけのことはしなければならない。
 そこで、咄嗟《とっさ》に身仕度をして、隠すあたりの部分をかくして置いて、おいきた、と飛びかかろうとした時に、団体客の同勢が、それに折りかぶさるように押しふさがりました。
「まあ、お待ち下さいまし、あなた方がお向いなさると、あの子が身代りに殺されてしまいます」
「あの子を殺させては村方へ、わしどもが申しわけがございませぬ、わしたちみんな連れ合うて、機嫌よく出て来たものが、あの子一人を見殺しにして帰れますか」
「あの子の親たちにあわす面《かお》がない」
「罪もないあの子が不憫《ふびん》でございます、お助け下さいませ、あれ、あのように、こちらが向いますと、手拭でグッと締めます、締め殺されてしまいます」
「どうかして、あの子をお助け下さいませ」
「きよちゃん、辛抱してな、わしたちがあんた一人を殺させやせんがな」
「お役人様、お助け下さい」
 村の団体客が身を以て、捕方の行く手に押しかぶさるものですから、捕方もこれをもてあまさざるを得ない。
 といって、あれをあのまま手を束《つか》ねて見ているわけにはゆかない。その呼吸を見はからって、七兵衛は、手拭を締めたり緩《ゆる》めたりして見せる。七兵衛がそんな芝居をしているかどうかは知れないが、見ている者にはそうとしか見えない。捕手が意気込む時には、手拭を持つ七兵衛の拳《こぶし》が緊張し、捕手がひるむ[#「ひるむ」に傍点]時には、七兵衛の手先も緩むかのように見える。
 たまりかねた娘っ子の身うちは、こちらから手を合わせて七兵衛の方を拝み、
「どうぞ、お泥棒様、その娘をお殺し下さいませんように」
「お金で済みますことならば、村方申し合わせて、いくらでもお金を集めて差上げます、どうあっても、その子を殺して下さいませんように」
「お泥棒様、もうし……」
 一方は力を尽して捕方の迫ることを抑《おさ》え、一方は合掌して、七兵衛が犠牲を殺さざらんことを哀求する。この場合、「お泥棒様」と言うて呼びかけたのは、窮せるもまた気の毒なものであるが、彼等としては、差当りこれよりほかの呼び声を知らないらしい。事実、七兵衛が泥棒であるかないか、泥棒であるとすれば、いかなる種類の泥棒であり、いかなる種類の罪を犯しているのかということは、まだ知らない。捕方が召捕りに来たから、悪漢にきまっている、悪漢の大部分は盗賊である、という観念から、盗賊を呼ぶに敬称を以てし、合掌を以てすることも、その心情を察すると気の毒なものがある。
 そこで、湯壺の中の、当の人質の娘はと見れば、これはほとんど失神状態で、締められざるうちに気絶しているようなものです。七兵衛は落着き払って、この人質を扱いながら、一方油断なく、第三、第四の策戦を頭の中にめぐらしてはいるらしい。
 ただ、それを囲む群集の喧々囂々《けんけんごうごう》、紛々乱々だけは如何《いかん》ともなす由がない。手のつけようも、足のつけようも知らない代り、喚《わめ》き叫び、哀《かな》しみ求むる声だけは徒《いたず》らに盛んである。
 この兼合いの期間、やや暫し、後ろの方に物々しげな声があって、
「さあ、みんな、退《ど》いた退いた、騒ぐばっかりで何事もなりゃしねえ」
と言って、人を押しわけて来たのは、親分の仏兵助であります。

         七十八

「さあ、みんな退いた、一人残らず退いた、頭数ばっかり集まったって、脳味噌が働かなけりゃなんにもならねえ」
 人を押し分けて来た仏兵助は、さっぱりした浴衣《ゆかた》をつけて、片脇には別に一抱えの衣類と旅装束、菅笠までを用意している。
 ここで一同は鳴りを静めて、道をあけて通す。
 そうすると、仏兵助は、その最前線にわだかまって、当の相手と、その手ごめの人質との当面に突立ちました。当面へ突立ったけれども、まず相手の当人には言葉をかけないで、左右を顧みて、
「一人残らず、あっちへ行ってくれ、話合いは一人と一人の対談《てえだん》に限る、わしに任してみんな引上げてくれ――野郎共、みなの衆をお連れ申して小屋の中で待っていな」
 これは圧力のある命令でもあり、本来、奥州切っての大親分と聞えた仏兵助の面《かお》で、否《いや》も応《おう》もなく、この場は親分の対談に一切を任せて、一時この場を引上げるよりほかはない。
 暫くして湯壺のあたりは、全くの物静かさを取返してしまい、ただ人質の娘っ子の悶《もだ》え泣く声だけが聞える。
「七兵衛さん、あんまり年甲斐《としがい》もないことをしなさんなよ」
 一抱えの衣裳、旅の品を小脇にかいこんだ仏兵助は、そこで、七兵衛に向って、まず穏かにこう呼びかけました。七兵衛もやさしく受答えして、
「お言葉通り、こんな年甲斐のない真似《まね》をしたくはござんせんが、背に腹は換えられねえんでしてね。だが、わしを七兵衛と御承知のお前さんは、どなたですかね」
「こりゃ申し遅れました、わしは仙台の兵助と申すやくざの老《おい》ぼれでがすよ、それでも人様が、こんな鬼のような野郎を、仏《ほとけ》とおっしゃって下さいます、お見知り置かれ下さいましよ」
「これは恐れ入った御挨拶でござんす、お前さんが、音に聞く仏兵助さんとおっしゃる親分さんでござんしたか。だが仏のお名前に似合わねえすごいお腕で、あんまり旅の者を苛《いじ》めて下さるなよ」
「いや、お言葉でげす、なにもお前さんを苛めるのなんのと、そんな了見《りょうけん》で追いかけて来たんじゃござんせん、神野の旦那に頼まれて、男ずくでよんどころなく……」
「男ずくで、どなたにか頼まれなさるお前さんなら、男ずくで、わたしの方の力になって下すってもいいじゃございませんか、わしゃ、しがねえ旅の者、見のがしておくんなさるのが慈悲というものじゃごあせんか」
「なるほどな、実はね、七兵衛さん、わしも一旦は、仙台の役人から頼まれてお前さんを追いかけてみたけれど、今じゃそれ、舞台が変って、お前さんを助けて上げてえがために、こうして追いかけているのさ。わしの親心がおわかりかえ、武州青梅裏宿の七兵衛さん」
「二言目には、七兵衛さん、七兵衛さんと、馴々《なれなれ》しくおっしゃるが、どうしてまた、わしの名前までそう軽々しく御承知だえ。その猫撫声《ねこなでごえ》が油断がならねえ」
「これには、なかなか深エ仔細があるのさ。で、この通り、人を払ってお前さんと膝づめの対談《てえだん》をつけるつもりで出直して来たんだ。わしの心意気がわかったら、何はともあれ、その娘さんを放してやっちゃくれめえか」
「話があんまり旨過《うます》ぎるなあ、その手で、人質を取上げの、あとは呼子の笛で、者共逃すな、なんて段取りじゃあるめえか」
「御冗談をおっしゃい、いかに何でも仙台の仏兵助といわれる男が、男ずくの対談に、そんな卑怯な手は用いられねえよ」
「じゃあ、親分、この娘っ子を放せば、わしがところを一番、きれいに見逃しておくんなさるか」
「御念には及ばねえ、かわいそうに、罪もねえ女の子を、永くそうしているうちにゃあ、手を下さねえでも死んじまわあな、今のうちに放してやってくんな、お前さんの身上は、わしが請合うよ。いや、請合うまでのことはねえのだ、仙台の方でも、今じゃあ表向、お前さんの罪を問わねえことになっていて、兵助、お前行ってそっと逃がしてやれ、こういう風向きになっているのを、お前は知るめえ」
「知らねえな、そんな旨い話になってるなら有難いんだが、出来心とは言いながら、お家の宝蔵に手をかけたこの七兵衛だ、お前さんも捕まえなければ男が立つめえし、つかまった以上は首をとらなければお役向も面《かお》が立つめえ。こっちにしてみると、行きがけの出来心で、ほんの手慰み半分にやった仕事のしくじりで、奥州外ヶ浜へ来て年貢を納めるなあ、ちっと残念だ。それにしても、死ぬんなら死ぬように、一応挨拶して置きてえところもあって、未練なようだが、今は命が惜しいから、それでこんなにもジタバタしてみるまでのことさ。万一、ここんところ暫くこの首がつなげるものなら、なにもこんな罪な真似をしなくとものことだ。兵助さん、お前の言うことが真実《ほんとう》なら、何か手証《てしょう》を見せておくんなさるめえか」
「そのことだ、正面を切って辞儀をし合うのは、今日はじめてのお前さんに、さし当り、手証といっては何事もねえが、ことわけだけは一遍ここで話してお聞かせしよう。そもそもお前さんという人を、宝蔵破りの大罪人と追いかけてみたのは、当座のこと、今はお前という人が、駒井能登守様の身内だと聞いて、それから扱いが変ったのだ。駒井能登守様は何か仙台のお家と浅からぬ因縁がおありなさるそうだ、で、そっちの方からお前の身性《みじょう》がわかってみると、お前のした仕事も身の慾得じゃねえ、立派な書き物を、見たがっている人に見せてやりてえという親切気から出たことであってみると、しばらく罪を問わねえことにしろ、との上方からの意見なんだ」

         七十九

「なるほど――」
 そこで七兵衛が少し考えさせられました。第一、自分の名を七兵衛と呼びかけて、あらかじめ身性《みじょう》を心得て来ている上に、駒井能登守様の名前までが引合いに出されてみると、兵助の言い分にうらはら[#「うらはら」に傍点]がありとは思われない。七兵衛の心も相当に解けて行ったと見ると、仏兵助が続けて言う、
「というようなわけで、駒井能登守様とおっしゃるお方は、御自分のこしらえた船を、月ノ浦に泊めて置かっしゃるが、仙台のお家では、駒井様には充分の好意を持ちながら、それを長く領分内に泊めて置くということは大公儀《おおこうぎ》に対して憚《はばか》りがあるというようなわけでしてねえ、それで、このほど、駒井様のお船は仙台領をお立ちになってしまったよ」
「へえ、そうですか、では駒井様のお船はもう、仙台領の月ノ浦とやらにはいらっしゃらねえんでございますか、そうして、どこへ行きましたか」
「そこだ――月ノ浦をお立ちになった駒井様のお船はね、仙台領を乗り出すと、表向は江戸の方へ帰るというおふれ込みでしたがね、本当のところは宮古《みやこ》の港へ向けてお立ちになったんだが、その前に釜石《かまいし》の港というのへお着きのはずなんだよ」
「釜石の港というのは、ドコでござんすかね」
「さあ、その釜石の港を言うまでに、ざっとこの辺の地理を言ってお聞かせ申さにぁなるめえ。七兵衛さん、お前さんの足の早いには恐れ入ったが、地の理の暗いのには呆《あき》れましたぜ」
「そりゃ、そうでござんしょう、奥州安達ヶ原の、もっともっと奥へ、こうして追い込まれてみりゃ、一寸先の地理はまっくらやみさ、だからこそ、お前さんに悠々《ゆうゆう》と先廻りをされ、鼻の先を掌《てのひら》で撫でられるような見っともないざまさ、そこんところはお恥かしいと申すよりほかはねえ」
「地の理には勝てねえ理窟で、お前さんにおちどはねえ、だから、言って聞かせて上げるが、このお湯はね、奥州花巻の奥の台《だい》の温泉《ゆ》という名の聞えたお湯なんだよ」
「台の温泉《ゆ》」
「これから、ずっと南へ二十里ばかり下ると、そこがそれ、釜石の港というのへ出るたあ、仏様なればこそ知っているが、お前さんには全くお先真暗も無理はねえ」
「何とおっしゃる、これから二十里南へ下ると、その釜石の港というのへ出るんでござんすか」
「ござんすとも。そこの釜石の港へ行きさえすれば、多分もう駒井能登守様のお船がちゃんと仙台沖から到着して、碇《いかり》を卸して、お前さんの飛び込むのを待っているという寸法でござんすよ」
「なるほど、そう聞かせてもらってみますと、お前さんの言うことはどうやら筋が通っている」
「筋の通らねえことは言わねえ、だから、わしは、お前さんを、その駒井様のお船まで送り届けてやるわけにゃいかねえが、趣向をして落してやりてえと思って、わざわざ先廻りをしてここへ来ていたんだ、悪くうたぐらねえようにしてな」
「全く、筋も通るし、話もわかっているようだが……」
「筋が通り、話がわかると知ったら、何はともあれ、その娘っ子を放してやってくれめえか、それからあとは男と男の対談《てえだん》、まずその女の子から勘弁してやってもらいてえ」
「ようし、わかった……じゃあ、この娘っ子に窮命をさせることは、もう取止めだ、お前さんに引渡す」
「よく言っておくんなすった、多分、そう言っておくんなさるだろうと思って、この通り娘っ子の衣裳も持って来たよ」
「兵助親方――御苦労さまでした。さあ、姉や、もういいから心配しなさんな、なにもお前をなぐさもうのなんのと思って、こんな罪な真似《まね》をしたわけじゃあねえ、今いう通り、背に腹は換えられねえ詰りの狂言さ。さあ、お慈悲の深い仏の親分に引渡すから、よくお礼を言って、みんなのところへお帰りよ」
と言って、七兵衛は、女の子の首へ捲きつけた虚勢の手拭を外《はず》して、そっと女を突き出してやると、女は前後も忘れて、
「わっ!」
と大声に泣き出して、無闇に駈け出すのを、兵助親分がつかまえて、見苦しからぬように衣裳を与えるのを、お礼どころか、ひったくるようにして、こけつまろびつ小屋がけの方へ駆けて行ってしまいます。

         八十

 それから後、暫くあって、雑木の多い山路を、仏兵助に導かれて歩み行く七兵衛を見ました。
 人通りのない山路を、ただ二人だけが静かに歩いて行く。二人ともに笠から草鞋《わらじ》まで、旅の装いがそっくり出来ている。
 かくて二人は、無言で、長い山路を飽かずに歩んで行く。兵助の足どりが尋常である如く、七兵衛も決して、それとはやきを競《きそ》おうとはしない。ゆっくりゆっくりと兵助に追従して行くまでのことです。
 二人とも容易に口を開かない。始終沈黙して、幾時かの間を歩いて来たが、とある山路の芝原のところへ来ると、兵助が、
「ここが仙人辻というところです、一休みやらかして行きましょうかね」
「それがようござんしょう」
 ちょうど、この草原には、二人が相対して休み頃な石ころがある。それへ腰をかけて、二人とも同時に煙草《たばこ》を取り出しましたが、燧《ひうち》を切るのは七兵衛の方が早く、
「さあ、おつけなさい」
「これはこれは、どうも」
 七兵衛の接待心を兵助は有難く受取って、二人が仲よく一ぷく燻《くゆ》らしたかと思うと、兵助は草鞋のかかとで吸殻をはたき、
「時に、七兵衛さん」
「何です、兵助さん」
「物は相談だがね」
「ずいぶん……」
「どうでしょう、わしゃ、つくづく、この山路を歩きながら考えたんですがね」
「はい、わしもなんだか、考えさせられちゃいました」
「わしの考えというのはね、わしも、お前さんも、もうこの辺が見切り時じゃねえかと、こう考えたんだがね」
「そうして、これから、どうしようとおっしゃるんですかね」
「わしゃ、これから、釜石道のわかり易《やす》いところまで案内しといて、それから仙台の牢の内へ帰らなけりゃならねえ」
「御尤《ごもっと》もです」
「仙台の御牢内へ帰るんですが、ほかの罪人と違って、わしゃ仏扱いをされるくらいなんだから、そのうちお赦《ゆる》しが出るにきまっているんだね」
「そりゃ、結構なお話です」
「悪いことという悪いことをしていながら、仏の異名《いみょう》を受けて命冥加《いのちみょうが》にありつき、こうして四十の坂を越しても、ともかく、ぴんぴんとして今日が送れるというのは、おやじが仏師で徳人《とくにん》であったその報いなんだと世間が言ってくれていますがな、親爺《おやじ》は徳人であったか知らねえが、わしはもう悪い奴さ、餓鬼の時分から悪い方へ悪い方へばっかり、のしちまいやがって、人間というやつぁ、なまじい何か取柄があるとかえっていけねえ、餓鬼のうちから小力《こぢから》があって、身が軽い、それから柄になく武芸が好きで、好きこそ物の上手というやつで、あたり近所に敵がいねえものだから、つい増長して、親爺の隠徳にすっかり泥を塗ってしまいやした」
「そのこと、そのこと」
と七兵衛は景気よくあいづちを打って、
「わしも御同様さま、餓鬼の時分から悪知恵が人並に生れ増したところへ、この足のはやいというやつが全く魔物でしてね、これをいい方へつかって、飛脚屋渡世でもして納まっていればいいやつを、世間の奴があんまりのろのろに見えてならねえものだから、この通り、道を踏みはずしてしまいやしたよ」
「そこへ行くと、おたがいに話がピッタリ合うというもんだ、仙台のお奉行から、お前さんをつかまえてくれと頼まれた時、わしゃ言いましたよ、わしが今日まで見たところでは、盗人《ぬすっと》をする奴は二十五六止まり、大抵、その辺で心《しん》が止まって、三尺高いところへこの笠の台というやつをのっけるのが落ちなんだが、不思議とこの兵助は、四十の坂を越しても、安穏《あんのん》にこうして牢名主をつとめさせていただいている、これというのも親が仏師で徳人であったおかげというものだから、こうしておとなしく牢畳の上で虱《しらみ》を取っております……そういえば七兵衛さんも同じこと、いい年をして、こうして奥州くんだりの湯廻りまでしていられるのは、つまり、何か親の余徳というやつでござんしょう」
「わしゃ、その、親には運が悪いんでしてね、お前さんのように、結構なお徳人を親に持ったと言いてえが、それが言えねえ。だが、お言いなさる通り、この年して、ともかくもこうして、命冥加《いのちみょうが》にありついているのは、何かわっしのために、代って罪ほろぼしをしてくれた徳人があるに相違ねえと思いますよ」
「そうさ、この悪《わる》を今日まで、ともかくもこうして生かして置いて下さったのは、神仏のお恵みか、人間の徳か、考えてみりゃ勿体《もってえ》ねえわけのものだねえ。ところで二人とも、もう年に不足はねえんだ、そうして今わしゃ、つくづく考えたには、今日という今日を縁として、わしゃ、お前さん、こういうことにしてしまいてえと思うんだが、どんなものだえ」
と言って、仏兵助は、自分が被《かぶ》っていた大きな菅笠《すげがさ》をとって地上に置き、それから、ふところへ手を入れて紙入を取り出し、その中から白紙に巻いた短いものを取り出したから、何かと見ると、それは一梃の剃刀《かみそり》でありました。
「七兵衛さん」
と、その剃刀の紙を巻きほぐしながら、兵助が、
「お願いだがね」
「何ですか、兵助さん、いやに改まって気味が悪いようです」
「わしの、この髷《まげ》をひとつ、この剃刀でちょん切っておくんなさい――今日の日を縁に、お前さんに得度《とくど》をしてもらいてえんだ」
「こりゃ滅相《めっそう》な……」
 七兵衛も、あまりの突然な兵助の言い分に面喰ってしまうと、
「とても、わしなんぞは善智識に得度をしてもらうような果報の者じゃねえ、いっそのことお前さんにお願い申して、ここでひとつ、この髷をちょんぎってもらって、それで後生往生の門出とこう腹をきめたんです、どうかひとつ頼みますよ」
と言って、兵助が七兵衛の前へその剃刀をつきつけたものです。

         八十一

 しばらく呆気《あっけ》にとられて、兵助の面《かお》をじっと見ていただけの七兵衛が、
「うーん、こりゃ、よくおっしゃっておくんなすった、そういうことは、こっちが先に気がつかなけりゃならねえことなんです、恐れ入りました、兵助さん、よくお心持はわかりましたから、暫時お控え下さいまし」
「心持がわかってさえもらえば、遠慮をなさることはねえ、どうぞ頼みますよ」
「まあ、お待ち下さい、お前さんにそこまで腹を見せられて、おいそれと剃刀が取れるわけのものじゃございませんわね、申し遅れて恥かしいが、わしの心持も一通り聞いておくんなさい」
と言いながら、七兵衛は自分の被っていた笠の紐《ひも》をあわただしく解いて、それを脱ぐと、兵助の前へその露頭《ろとう》を突き出しながら、
「いかにも、お前さんのおっしゃることがわかりました以上は、そのお頼みとやらも快く聞いて差上げますよ、だが、その前に、わしが心持も見ておもらい申してえ、また、頼みも聞いておもらい申してえ、というのはほかじゃござんせん、お前さんが今おっしゃったお言葉通りのお頼み、まずわしが方から先に聞いていただきてえんです」
「と、おっしゃるのは?」
「お前さんのお頼みは、あとで必ず果して上げますから、その前に、わしがこの髷《まげ》っぷしを、切るなり、坊主にするなりしておもらい申して、それからの上に願《ねげ》えてえんです」
「なるほど――そうおっしゃるのは、いかにも七兵衛さんらしいが、そいつはいけねえ、人の趣向を先取りなんぞは、人が悪いというものだ、お前さんが、すんなりわしの頼みを聞いておくんなさった上は、わしもなんだかお強《し》い申したようで気が置けるけれども、お前さんの頼みというのを聞いて上げますよ、さあ、わしの立てた趣向だから、わしに初筆《しょふで》の華《はな》を持たせておくんなさい」
「そいつはいけません、わしゃお前さんから助けられた命だ、いわば仙台へ来て、お前さんに繋がれたこの首なんだから、この首の引導は、ぜひ、お前さんへ先にお頼み申さなくちゃならねえ」
「いや、そういう義理にからまるわけのものじゃねえ、どっちにしたところで、功徳《くどく》のあるなしにはかかわりはねえのだ、遠慮をなさらずにひとつ頼みます」
「いけません、今日のところは、兵助さん、お前さんがこの七兵衛の導師なんだ、わしから先に剃刀を当てる法はねえ」
「ところが、失礼だが、お前さんの方がわしよりいくらか年上かも知れねえ、年役《としやく》ということがある」
「そういうことは、年にかかわるものじゃござらねえ、ここは、兵助さん、お前がまず、わしの頭へ手を下しなさるところなんだ、どうあっても、七兵衛が先に、お前さんのお頭《つむ》へ手を上げるというわけにゃいかねえ」
「それじゃ、この剃刀の引込みがつかねえ、せっかくの発心《ほっしん》が水になる」
「引込みのつくようになさいと申し上げているんじゃございませんか、発心が水になるどころじゃございません、お前さんの発心が、立派に二つになって実を結ぶという道理を、聞き分けておくんなさい」
 そこで二人は相対して、また沈黙の形となりました。かなり長い時の間、二人はまた考え込んだ形で、だまりこくってしまいましたが、七兵衛がどうしても譲って肯《き》かない。その動かない気色《けしき》を見て取った仏兵助は、ついにきっぱりと折れて出ました。
「よろしうがす、そういう次第ならば、七兵衛さん、わしが言い出し発頭《ほっとう》で、失礼だが、お前さんの頭へ手をかけます」
「有難い――ほんとうに、願ってもねえ善智識でございます」
「罰《ばち》が当るだろうなあ」
「どうか、さっぱりとお頼み申します」
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
 二人の口から、あんまり言い慣れない称名《しょうみょう》が、ひとりでに飛び出すと、七兵衛は、仏兵助の前へ正面に向き直って、拝礼するような姿勢をとって首を下げたのは、その髷《まげ》っぷしを充分に切りよいように仕向けたものです。
 兵助はついに剃刀を取り直しました。
 まもなく、まだ黒い血の塊をでも臓腑の中から取り出したもののように、七兵衛の髷っぷしが兵助の手に取り上げられる。
「七兵衛さん、どうも失礼をいたしました、では、これこの通り――このしるし[#「しるし」に傍点]は、わしがしっかりといただきますぜ」
「有難い、有難い」
「では、七兵衛さん、こんどはお前さんに引導を頼むのだ」
「頼まれ冥加《みょうが》とはこのこと……」
 兵助の手から剃刀を受取ると、今度は七兵衛が立ち上り、兵助は、七兵衛が前にした通りの姿勢をとって、正面にうずくまりました。
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
 どちらからともない、たくまざる念仏の声、まもなくすっぱりと、兵助の髷っぷしは七兵衛の手に挙げられてしまいました。
「おしるし[#「しるし」に傍点]をいただきます」
と言って、七兵衛は、兵助がした通り、切り取った兵助の髷っぷしを押しいただいて、ふところへ納めました。

         八十二

 こうして二人は、おのおのの髷っぷしをおのおののふところの中に納め、残った頭上の余髪は手拭でていねいにあしらって、その上へ笠をいただきながら、
「へんてこな蓮生坊《れんしょうぼう》が二人出来上った」
 苦笑しながら笠の紐を結んでいると、後ろの方で、にわかに人声が起りました。
 今も蓮生坊と言ったあやかりでもあるのか、後ろの方で、熊谷《くまがい》こそは敦盛《あつもり》を組みしきながら助くる段々、二心極まったり、この由、鎌倉殿に注進せん――という声ではないが、起るべからざるところに、かまびすしい人声が起って、しかもこちらへ向って大勢が走りでもして来るようです。
「仙台の親分――仏の親分様」
 わめく声は明らかに聞きとれるようになりました。
「聞分けのねえ奴等だ」
 立つ時に子分共にあれほど言い置いて来たのに、なまじ心配になると見えて、あとを慕って来やがったか、ちぇッ! 兵助はこうつぶやいていると、まもなく、木の間の茂みを分けてそこへ姿を現わした一隊は、案の如く数名の子分共と、それからあとは湯治の団体客の一群、それが真中に急仕立ての一梃の山駕籠《やまかご》を取囲んでいる。彼等は息せき切って、この場へ駈けつけて来て、
「親分、済みませんが、おあとを慕って参りました、よんどころない仕儀が出来まして」
「野郎共、あれほど断わって置いたのに、ナゼ来た」
「まあ親分、聞いておくんなさいまし……」
「親分様――わしが一通り申し上げますから、まあ、お聞きなさって下さいまし」
 兵助の子分と、附添の村の老人とが、ハッハッと息をつぎながら、兵助に向って、何をか言わんとして言い切れない、事の体《てい》が合点《がてん》の行かない有様である。なお合点の行かないのは、この同勢が中に取囲んで来た急仕立ての山駕籠の中に、一人の娘が息も絶え絶えに投げ込まれている。
 それは、お雪ちゃんが振袖姿で胆吹を下って長浜へ出たのとは事変り、右の娘は否応なしに、この駕籠へブチ込まれて、やっさ、やっさと大勢のために担《かつ》がれて追いかけて来たものと覚しい。ことになおよく見ると、兵助も、七兵衛も、呆《あき》れの眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》ったのは、その駕籠の中の娘が、それがさきほど、七兵衛のために湯壺の中で囮《おとり》に取られた娘に相違ないから、何が何だかわからない面でいると、子分の者と、団体客のうちの口利きが、舌なめずりをしながら次の如く申します。
「親分――いったん男に肌を見られた女は、もう、ほかへお嫁に行けねえんだそうでございます」
 子分の一人が、だしぬけにこう言い出したものだから、兵助が、
「何を言ってやがる」
 そうすると、年役の老人が、
「まあ、親分、お聞き下さいまし、わしらの土地の昔からの習わしでございましてな」
「ふむ」
「昔からのならわしでございまして、娘のうちに男に肌を見られたものは、どんなに身分が違いましょうとも、年合いが違いましょうとも、その男よりほかへは行ってはならねえことになっているんでございます、見たものも因果、見られたものも因果でございまして」
「何だと、何とおっしゃる?」
「そういう習慣《しきたり》でございます、そうして、この娘は、あの場で、こちらのお客様にすっかり見られてしまったんでございますから、もう嫁にやるところもございません、婿《むこ》を取るところもございません」
「ナニ、何とおっしゃる?」
「それのみじゃございません、怪我にでも一人の女の肌を見てしまったものは、否が応でも、その女を自分のものにして面倒を見なけりゃならねえおきて[#「おきて」に傍点]になっているのでございます、それをしなけりゃ村八分、いや、荒神様《こうじんさま》の怖ろしい祟《たた》りがあるのでござんしてな」
「何だ、何だと、おかしな習慣もあるもんじゃねえか」
 兵助も呆《あき》れたが、無言でいる七兵衛はなお呆れていると、年役は続けざまに申しました、
「わしらが方では、名主様のお嬢様がお湯に入っているところを、雇人の作男がふと見てしまったばっかりに、そのお嬢さまは隣村への縁談が破談になり、その雇男を、夫に持たなければならなくなってしまったことなんぞもございます」
「冗談《じょうだん》じゃない、そんなことをしていた日にゃ、娘たちを銭湯へはやれねえ」
と七兵衛が口をさしはさむのを、
「何を申しましても、村の昔からのおきて[#「おきて」に傍点]なんでございまして、このおきて[#「おきて」に傍点]を破ると、孫子まで恐ろしい祟りがございます、そうして、現在、この子はあなた様のために、あの通りの目に会いました、善い悪いは別にいたしまして、これがこの子の運でございます、もうこの娘は、あなた様よりほかに面倒を見ていただく人はございませんから、御迷惑さまながら、どこへでもこの娘をお連れなすっていただきたいのでございます」
「な、な、なんですって」
 七兵衛は眼を剥《む》き出しましたが、
「もし、あなた様がこの娘の面倒を見て下さらなければ、この娘は死ぬよりほかは行き場所のない子なんでございます」
「な、な、なんですって」
 七兵衛は、続けざまにせき込んでしまいました。兵助もまた、あいた口が塞《ふさ》がらない。さしもの二人が立ちすくんでしまいました。

         八十三

 紀州の南方熊楠翁《みなかたくまぐすおう》が、小説大菩薩峠の内容に就いて、近ごろ某氏に寄せられた書簡中に次の如きことがあります。
[#ここから1字下げ]
「又西洋一流ニ、水ニ溺レタル婦女ハ、必ズ救ヒクレタル人ヲ一生嫌フモノニ候、オ角トイフ興行師ガ、房総海ニテ難船シ、浜ヘ打上ツタ所ヲ駒井甚三郎等ニ見出サレ、介抱サレ、引取ラレ、忽《たちま》チ駒井ニ愛恋スル所アリ、コレハ西洋流ニ申セバ有リ得ベカラザル事ニ御座候、日本ノコトハ知ラザルモ、難産ヤ、子宮患ナラ、命ヲ救ヒクレタル医者ヲバ、其婦人ハ一生嫌ヒ、途上ニ会フモ道ヲ避ケテ通レル事、何カノ川柳ニ見及ビタル事アリ、小生ノ宅ノ筋向フノ淵下(明治八、九年迄)毎夏|入水《じゆすい》ノ女アリシ、小生何事モ知ラズ走リ行キ見ルニ、女ノ屍ヲ発見セシ男又ハ見物ニ来タル男ハ必ズソノ秘部ヲノゾキ見ルナリ、コンナ心配アル故、一生溺レタ女ハ救ヒクレタル男ヲ避ケ嫌フ事ハ、日本モ西洋モカハリナキト存候、尤《もつと》モアイリッシュノ婦女ナドハ、裸体ヲ見ラレ、浴場ヲ覗ハレタ上ハ、必ズ其男ノ申シ出ヲ拒マズ、川村トテ明治十八、九年、米国ニ留学セシ男ガ、アイリッシュノ若キ女ノ入浴ノ処ニ行合ハセ、別ニノゾカザリシモ、ソノ女ニススメラレ結婚シ、ソレヨリ非常ニ淪落シ、窃盗罪デ告発サルルニ到リシ事アリ、コレハ既ニ見ラレタル上ハト焼ケ糞ニナル事ト存候(印度モ同風アリ、賤民ガ死人ノ中ニ臥セル所ヘ、方術ヲ修メニ行キシ王女ガ既ニ裸体ヲ見ラレタル上ハト王ガ、其王女ヲ乞食ノ妻トセシコト仏経ニ見エ候)」
[#ここで字下げ終わり]
 いずれにしても習慣の圧力は大きい。すでに白日の下で、衆人の環視する真中で、男に肌へ手を触れられたことは隠す由もない。それは相手が全く見ず知らず、しかも色気《いろけ》があるわけでも、食気《くいけ》があるわけでもなんでもない、一方の生命の危険から、ほとんど天災というよりほかはない女の立場であったに拘らず、男に肌に手を触れられたという一点から言えば、団体の総てが証明しなければならない羽目に置かれた娘の運命は、気の毒千万のものでありました。しかも、その気の毒千万が、一時の急場の怪我だと水に流してしまえない、湯で洗い切ってしまえない、否でも応でも手を触れた男に、これからの運命を托してしまわなければならないとは、何たる不幸であろうぞ。しかも、なお、こういう退引《のっぴき》ならぬ場合の避難の意味で用いたひっかかりが、生涯この一人の女性の面倒を見なければならない負担として引きずられる、ということになってみると、男の方の迷惑もまた名状し難いものと言わなければならない。
 入れかわり立代り事情を述べる一隊の者の口上を聞いているうちに、さすがの七兵衛も、全くむせ返ってしまわざるを得ない。辞退すれば忽《たちま》ちこの娘の生命の問題となる――そうかといって、この身でこのまま、この年をして、この娘を連れてどこへ行ける。
 おおかたの場合に窮するということを知らぬ七兵衛も、今ここでは、全く逃げ場を失って、思慮分別が及ばなくなりました。かなわぬ時の仏頼《ほとけだの》み、おぞくも七兵衛は、またしても兵助の前に兜《かぶと》を脱いで、
「兵助さん――お聞きなさる通りだ、全く以て、こればっかりは挨拶のしようがござんせん、親分、何とかひとつ頼みます」
 頼むと言われて後へは引けないはずの兵助も、この頼みは、よし引受けたと言い切れませんでした。七兵衛が衆に向って挨拶のしようがない如く、兵助は七兵衛に対して返事のしようがない。
 しかし、誰か何とかきっかけをつけなければならない。眼をつぶっていた兵助は、この時、ブルっと身震いをして立ち上り、
「せっかくだが、こういう挨拶は、わしにも不向きだ、まあ、降りかかった災難だから、御当人が身に引受けるほかには仕方がござんすめえ。仕方がねえから、娘っ子を連れて釜石までおいでなせえ、釜石へ行けば、お前さんを乗せる船が、ちゃあんと着いて待っている、その船にゃ……こらとらより、ずんと優れたエライ方がおいでなさるんだ、その方に相談して何とか始末をつけておもらいなせえ、この捌《さば》きばっかりは兵助の手には負えねえ」
 こう言ったのは、まさしく七兵衛の頼みを正面から突っぱねたもので、同時に兵助は群がる人を呼んで、
「な、お前さんたち、こいつはおれには口がきけねえから、お前たちの方で、この方を釜石の港までお見送り申しな、そうして、今いう通り、そこに結構な大船が着いてござる、その中には、日本一の知恵者がおいでなさるんだから、そちらへ行って、ともかくも申し上げてみな――わしゃ、これで御免を蒙《こうむ》るよ、では七兵衛さん、御縁があったらいずれまた……」
 兵助は、すっくと立って、あとをも振返らずに、たった一人出て行ってしまいます。その袖に縋《すが》ることは、なんぼなんでも七兵衛にはできない。

         八十四

 百姓を斬って、骨《こつ》ヶ原《ぱら》の処刑場《しおきば》の中へ逃げ込んだ神尾主膳は、それと知って思わずギョッとしました。こういう際であるけれども、処刑場ときては、いい気持がしなかったらしい。
 だが、仕方がない、動くのは危険だが、こんな忌々《いまいま》しいところは早く退散してしまいたい。しかし、てんで方角がわからない。
 やむなく、生首《なまくび》の下にひそんで暫く思案をしていると、あちらの一方からチラチラと火の光が見えて、たしかに幾人かの人がやって来る。執念深い追手だ――だが、先方は手に手にカンテラ様のものを携えているが、存外せかない。悠々閑々とカンテラを振り廻しながら歩いている体《てい》は、たしかに人を追っかける追手の気色ではない。
 ややあって、彼等は墓地の真中どころと覚《おぼ》しいあたりへ来て、
「どっこいしょ」
と言って、そこへ何物かを卸して、同時に丸くなって廓座《くるわざ》をこしらえたものらしい。しばらくすると、プシプシと木の燃える音、輪座《くるまざ》になって、そうして焚火をはじめたのだ。焚火の火が赤々と燃え上るにつれて、集まったやからの人品骨柄《じんぴんこつがら》が、こちらの暗いところの神尾主膳の眼にはっきりわかる。今し「どっこいしょ」と言って、何物かをどっさりと地上へ卸したその物体もよくわかる。それは鋤《すき》、鍬《くわ》、鋤簾《じょれん》のたぐいです。そうして五六人、火を囲んだ連中の面ぶれを見ると、よくありがちの労働者――大きな口をあいて、首へよれよれの手拭を捲きつけて、仕事にかかる前のおさき煙草。それを見ると主膳は直ちに、こいつ墓掘りだ、隠亡《おんぼう》共だわい、と気取《けど》りました。隠亡が墓地へ墓穴《ぼけつ》を掘りに来るのはあたりまえの看板だから、少しも恐るるには足りない。少なくとも、自分を執念深く追いかけて来る追手の一隊ではないことは明瞭であるから、その点は主膳も安心したが、さて、隠亡にしても、あいつらがああしている時に、うっかり音を立てて動いては、やはり事こわしの部になる。あいつらが仕事にかかるまで辛抱してやろうという気になりました。
 ところが、その、あいつらの仕事にかかるまでの時間が甚《はなは》だ長い。こっちの気も知らないで、大口をあいて、いよいよ無駄話に夢中である。くだらない者共だと忌々しながら、主膳はそのあいつらの言うことを、巨細《こさい》いちいち耳に受取らないわけにはゆかない立場に置かれてある。その無遠慮な隠亡共の問答の一ふし――
「あしたあ、また、浪人者が八人ばっか、斬られるだあ」
「八人斬られるかね、そりゃ、近ごろの大漁だ、穴の方もそれだけでっかく[#「でっかく」に傍点]掘らざあなるめえ」
「そうだ、こねえだの倍《べえ》くらいに掘らざあなるめえがな」
「近ごろは、浪人者も、でえぶおとなしくなったらしいなあ」
「そりゃ、掃部様《かもんさま》の時代たあ、いくらか違わあな」
「掃部様の時代は凄《すご》かったなあ」
「凄かったあぜ、今日も、明日も、浪人共の首斬り、さらし、束《たば》になって来るだあが、近ごろは浪人者がおとなしくなったなあ」
「浪人がおとなしくなったじゃあるめえ、お役人の方がなまくらになったのじゃあんめえか」
「そりゃ、そうだ、近頃ぁお役人がなまくらになっただあ、浪人者の方は、いい気になって、いよいよあばれ廻ってるだあ」
「薩摩っぽうが、一番たちが悪いちうじゃねえか」
「ううん、長州の方が、もう一層たちがよくねえんだとさ」
「町奉行の方が、浪人者に対《てえ》して怖れをなしてるんだから、いよいよ甘く見られちまわあな、それに比べると、何といっても、掃部様はエラかったな」
「掃部様はエラかったよ、浪人者のめぼしい奴は、片っぱしから引っとらまえて、御三家であろうと、大名であろうと、公卿侍であろうと、容捨はなかったあ、掃部様は豪勢だったよ」
「あの時にお前、やられた侍のうちにゃ、またエライ奴がいたんだてな、長州の吉田寅次郎だとか、越前福井の橋本左内だとか、梅田うんぴん、なんて手合は、ザラにあるインチキ浪士とは違って、惜しい人物だって、みんなが言ってるが、そんなのを片っぱしからとっ捕めえて、命乞いがあろうがなかろうが、南瓜《かぼちゃ》をきるように、首をちょんぎってしまった、あんな芸当は掃部様でなきゃ出来ねえ」
「そうだ、そうだ、このごろの浪人共ののさばり方といったら、いってえどうだ、旗本の意気地なしときたらどうだい」
「全く増公《ますこう》の言う通りだ、どだい徳川の旗本が意気地なしだあから、そうだあから、又者《またもの》の国侍共《くにざむれえども》が、浪士風を吹かして、お江戸の真中をあの通りのさばり返っていやがる、旗本が意気地がねえんだ」
「そうだとも、旗本八万騎が何だい、旗本がすっかり骨無しになっちまったから、浪人がのさばるんだな、徳川の世も、こうなっちゃいよいよお陀仏《だぶつ》だ」
「時勢が変動するよ」
 それを聞くと、神尾主膳はムッと聞き腹です。隠亡風情《おんぼうふぜい》として許し難き冒涜《ぼうとく》の言い草だ、隠亡風情までが、こうまで時の天下を見くびるようになった!
 神尾主膳は、追われている自分の身の危険を忘れて拳を握り、髪の毛を立てて怒りました。

         八十五

 しかし、いくらなんでも、この際、飛び出して、隠亡相手に喧嘩を買って出るほどの無茶も為《な》し難い。やむなく、憤りを抑《おさ》えて、なお元のままでひそんでいると、隠亡の時勢論は焚火の勢いと共にまた火の手をあげる。
「もう一ぺん掃部様が出て来なくちゃ駄目だな」
「そうだ、もう一ぺん掃部様が出て来て、浪人共に目にもの見せてやらねえことにゃ、将軍様が持ちきれめえ」
「いよいよ江戸が将軍職を持ちきれねえとなると、天下はどうなるだあ」
「そりゃ薩摩にやられるだろうてことだぜ」
「薩摩っぽうが天下ぁ取るのか」
「そうよ、薩摩っぽうは、昔から徳川の天下を覘《ねら》ってるんだってじゃねえか」
「いいえ、薩摩より長州の方が上手《うわて》だってえ奴があるよ、徳川の天下ぁ長州が横取りをすることになってるだそうだ」
「太え奴等だな」
「太え奴等だが、こう旗本が意気地がなくっちゃあ、本当に天下を取られてしまうかも知れねえぜ」
「危ねえもんだ」
「どっちでもいいや、薩摩とか、長州とかが天下ぁ取った日にゃ、徳川様ぁどうなるだ」
「この江戸の町はどうなるだ」
「そりゃ、徳川家は亡びるのさ、江戸の町はみんな焼かれて灰になっちまわあな」
「そりゃ大変だ」
「そうなると、お処刑場《しおきば》もいらなくなるな、おいらの仕事も上ったり、食うことができなくなる」
「なあに、おいらたちなんざあ、隠亡の仕事がなければ、また何か稼《かせ》ぐ仕事は出て来らあ、おれたちぁ腕一本ありゃ、食いっぱぐれはねえが、食えなくなるのは旗本だ」
「そうだ、徳川が亡びりゃ、八万騎の旗本の知行が上ったりだ、そうすると、八万枚の干物《ひもの》が出来らあ」
「くさやの干物なら、いつでも値売れがするが、旗本の干物はあんまり売れめえ」
「意気地がねえなあ」
「ほんとに、ひとごとじゃねえ、腹が立つよ、八万人もいたら、薩摩や長州の一つや二つ、何とかなりそうなものじゃねえか」
「ところが、何万枚あったって、いか[#「いか」に傍点]やするめ[#「するめ」に傍点]と同様、骨がねえんだからやりきれねえ」
「骨がねえのかな」
「骨っぽい奴がいねえんだよ、第一、この間の長州征伐を見ろ」
「うん」
「長州征伐でもって、将軍様が出かけてさ、関ヶ原この方の大軍を[#「大軍を」は底本では「大軍が」]集めたのはいいが、鎧《よろい》の着方や、馬の乗り方を忘れた旗本が片っぱしだったんだ」
「そればっかじゃねえ、箱根の山へ行くと、もう足が棒になって、一足も歩けねえなんていう旗本がザラにあった、あれで、鎧を着て戦争をしようてんだからスサまじい」
「そこへ行くと、長州には高杉晋作なんてエラ物《ぶつ》がいて、幕府の兵隊の足許を見くびっちゃって、鼻唄まじりで引寄せてはひっぱたき、引寄せてはひっぱたき、幕府の兵隊を木端微塵《こっぱみじん》にやっつけてしまうというじゃねえか、戦争にならねえ、江戸の方は戦争したって勝つ見込みはねえ、ただ何とかして体裁を作って、早く引上げてえだけの話だってじゃねえか」
「そうなっちゃ、もう、士気が振わねえから、戦《いくさ》なんぞ勝てっこはねえさ」
「旗本が駄目なんだ――だが、長州というやつも図太いなあ、てんで将軍様を嘗《な》めてやがるんだぜ、この前、江戸から、ソラ、中根何とかいう大目附がお使番として長州へ乗込んだろう、あの時、お前、幕府のお使番といやあ、将軍様の名代《みょうだい》だろう、そのお使番を長州がなぶり殺しにしちまったんだぜ、そうしてその言い草が、また図々しい。それをお前、幕府の方で、てんで手出しができねえで、うやむやにされちまったんだから、嘗めたものだ、旗本もこう嘗められちゃたまらねえ」
「それにお前、この骨ヶ原で、あの、それ、吉田寅次郎がお処刑《しおき》になって、首が上ったろう、そうしてお前たちと、あそこの角んところへ胴中《どうなか》を埋《い》けたろう、そうすると、お前、その翌日だったか、もう長州ざむれえ[#「ざむれえ」に傍点]がやって来て、その屍体を掘り出して、首をあの台から卸してつぎ合わせて、同勢が馬に乗り、槍をもって引上げて、上野の三橋の前を大手を振って通って行ったが、町奉行の役人は見て見ねえふりさ。何しても長州ざむれえの元気はすばらしいが、江戸の旗本はみじめなもんだ、骨がねえんだ」
「そうすると、徳川が亡ぼされて、江戸が灰になって、旗本八万枚の干物が出来るのも遠からずだあな」
「遠からずだあ」
 神尾主膳は、もはや我慢なり難く思いました。ところが人里を離れた骨ヶ原の中で、往来の人もない、聞く人もないと思って、出放題も程のあったものだ。隠亡風情《おんぼうふぜい》の身で、将軍家と旗本に向って、聞くに堪えぬ暴言雑言《ぼうげんぞうごん》、憤怒に駆られた神尾主膳は、前後をおもんぱかる暇《いとま》もなく、
「コラ、無礼者、貴様たち、言語道断の代物《しろもの》、覚悟いたせ」
 こう言って、闇中から罵詈怒号《ばりどごう》した神尾主膳の一言に、隠亡どもの驚愕狼狽は譬《たと》うるにものなく、焚火を踏み越え、卵塔を飛び越えて闇中を逃げ出しました。
 隠亡共を叱り飛ばすと共に、神尾主膳もそれと反対の方面へやみくもに逃げ去りました。

         八十六

 それから、神尾主膳は、どこをどうしたか、翌朝は根岸の三ツ目屋敷に戻って来て、思いきり朝寝をして、日のかんかんする時分に、やっと眼が醒《さ》めました。
 眼がさめたけれども、主膳は容易に頭を上げません。この人は、そう早起をする男ではないけれども、眼が醒めれば直ぐ人を呼んで、何かと仕事を命ずる癖のある男ですが、今朝に限って、眼がさめたに拘らず、自ら起き上るでもなければ、人を呼ぶということをいたしません。
 ぽっかりと眼をあいて、夜具の中で天井を見ているだけです。
 本来ならば、昨日来、あんな行いをしでかし、あんな目に遭《あ》って、ほうほうの体《てい》でわが家へ逃げ込んで来たのだから、目がさめるや否や、癇癪玉《かんしゃくだま》が勃発し、自暴《やけ》がこみ上げて、婆やを呼びつけて自暴酒を言いつけるくらいのことはあるべきはずでしたが、それにしては今朝はおとなしい。病気でもあるのかと思えば、そうでもない。三ツ目の眼は爛々《らんらん》と光って、そうして無意識に天井を見つめている形相は、やっぱり生《なま》やさしいものではなかった。やがて、自暴とも歎息ともつかない太い息が、潮を吹いた鯨のように、天井に向って立ちのぼったが、
「ああ、ああ、ああ、ちぇッ」
という号音が起りました。
 神尾主膳は、ぽかんと天井を睨《にら》んでいるだけではなかったのです。無意味に起きも上られなかったのではない、何か知らない重圧力が、自分の頭と胸とに加わっていて、それが、眼がさめた後も、急に取払いきれない、その重圧のために、失神したもののように、暫く官能が停滞状態に置かれてあったというだけで、やっと少しはその重圧がとれたと思う隙に、右のような号音を立てて、
「うむ、うむ、うむ、おりゃ、死ぬよ、死ぬよ、おれは徳川のために死んでみせるよ、誰が何と言おうとも、おれが一人、江戸の城を枕にして、この槍を衾《しとね》にして、死んでみせるよ」
とうなりました。
 これは譫言《うわごと》ではなかったのです。眼がさめて、正確な意識を取戻した時の独語《ひとりごと》でありました。
 昨夜、骨ヶ原から、夢中で、どこをどう通ったか、自分ではかいもく自覚しないながら、とにかく根岸の里へ転げ込んで、あやまたず我が家へ逃げ込んだことは、夢でなくして夢同様であって、自分で自分の行路がわからないけれども、その間、この頭が烈火の如く燃えさかっていたことだけはよく覚えている。その燃えさかる憤怒の一念で頭がいっぱいであって、走る足は空《そら》であったことは覚えている。
 彼は何をそれほど憤ったか、隠亡風情《おんぼうふぜい》までが、天下の時勢を論ずる生意気を憤った。隠亡風情にまで見くびられる徳川の末世を憤った。いかに末世とは言いながら、人間の数に入り難き非人共が、人に聞かれぬところとはいえ、あの無礼極まる雑言、冒涜《ぼうとく》、非倫のほざき方はどうだ。かつまた、わが旗本に加えたあの極度の侮辱の言動はどうだ。八万枚の干物が出来る、長州にやられる、薩摩にやられる――今や江戸と旗本は、天下に見くびられものの見本となっている。
 神尾は、隠亡風情の侮辱を、火のようになって憤ったが、その鬱憤を吹っかけるに相手がなかった、酒がなかった。
 そのまま、紛々乱々として、辛うじて眠りについて今朝になってみると、酒の気が抜けていたせいか、変に気が弱くなっている。弱くなったのではない、考えさせられるものがあって頭が重いのだ。
 事実、果して今の徳川の天下は、あいつら隠亡共が、骨ヶ原の一角から見たような世相になっているのかしら――おれは時事問題などに頓着はない、なあに、三百年来の徳川だ、神祖の威光を以て天下を預っている徳川だ、西国方の大小名どもが束になってかかろうとも、歯が立つものか、蟷螂《とうろう》の斧《おの》だ、いざとなれば旗本八万騎が物を言う、痩《や》せても枯れても三百年来の江戸だ――今日までタカをくくっていたのだが、時勢が、事実そんなに急激に変動して来たのか。
 徳川を倒して、第二の幕府を作るものは薩摩だと、あの隠亡《おんぼう》らまでが取沙汰《とりざた》している。薩摩でなければ長州だと、相場がきまったようなことを、あいつらまで言っている。事実はほんとうにそこまで行っているのか。
 事実、そういう場合になったとしたら、おれはどうなるのだ、おれは先祖以来の家格を棒に振ってはいるけれども、それでもこうしてのさばって生きていられるのは、江戸というものがあればこそだ、甲府勝手にも廻されたし、知行所へ押込め隠居にもさせられたが、結局、江戸という後ろだてと家格があればこそ、こうして自堕落にものさばっておられるが、万一、江戸が灰となった日には、どこへ行って、どうして生きるのだ。
 神尾主膳は、それを今、考えさせられているために枕が上らないので、およそ神尾として、今日まで、さきからさきを考えて生活したというようなことはない。それが珍しく将来の生き方について考えさせられているために、頭が重いのです。
 ずいぶん長い間、こういう姿勢を以て、身動きもせず天井を見つめていたが、またも、霧を吹くような吐息をついて、
「なあに、死ぬよ、死ぬよ、その時になれば、おれは誰よりも先に、江戸の城を枕に死んでみせるよ、腕のつづく限り、この槍一本が砕けるまで突きまくって、死ぬよ、死ぬよ、ちぇッ、薩摩、長州の又者《またもの》の下について、この神尾が生きていられるか!」

         八十七

 神尾主膳をして、極めて順当に、「おれは徳川のために死ぬよ」の言葉を発せしめたのは珍しいことです。この珍しい素直さを取戻してみると、それからのこの男の頭が驚くばかり明晰《めいせき》なものとなりました。考えてみると、それもそうだな、徳川をそんなに弱いものにしたのは、旗本が意気地がないんだ、おれが悪かったんだ、おれたちが衰えたから、それで天下がグラついて来たのだ、いまさら誰を恨まんようはない!
 神尾は、いよいよ珍しくも、外へ向って発する鬱憤を、内に向って省《かえり》みる心持にさせられている。こういうことは全く異例であるけれども、これも一つは酒というものが、傍らにいて焚きつけることをしない一つの作用であると見れば見られる。昨夜あの通り転げ込んで、座右に酒がありさえすれば、むやみやたらにあおりつけて、その結果はどうなったか自分でもわからない。今朝、眼がさめて人か酒があったならば、それを引寄せて、またどういう狼藉《ろうぜき》がこの場に行われたか、それも予想の限りではなかった。人がいたにしても、酒の種が切れていた。今朝も同様……酒が傍らにないために、外に発する狂乱を、内に顧みる内省にしてくれたことは是か非か。
 こうなると、神尾の頭はいよいよ重い。もう酒を呼び疲れている。さりとて、飯を食う気にもなれない。起き上る気にさえもならない。蒲団《ふとん》の腐るまで、こうして仰向けに寝ていることが本望だ。
 神尾の三つの眼が天井に向って、或いは燃え、或いはうつろのように冷え切って見つめている。日は高くのぼったが、どうやら曇り日になったらしい。門がとざしてあるから、今日は子供らも近づかない。主膳はやがて少しくまどろんだ。まどろんだ時間がどれほどであったかは知らないが、中ごろで不意に呼びさまされた。
「殿様……殿様」
 二声つづいて呼ぶ声を、うたたねの小耳にはさんだから神尾主膳が、
「誰だ」
「鐚《びた》でございます」
「鐚か」
「鐚でございます」
「鐚、貴様も生きていたか」
「殿様も御無事でいらっしゃいましたか」
「そこをあけて面《つら》を見せろ」
「はい、殿様――この通りの面でございます」
 隔ての襖《ふすま》を八寸ばかり開いて、面を見せたその面は、ガスマスクをかぶったように繃帯で巻かれていましたから、神尾も少し驚いて、
「どうした、鐚、その面は……」
「これと申すも、誰を恨みましょう、みんな殿様の為させ給う業でございます、今日は恨みに上りました」
「ふーん」
と神尾は、ガスマスクのように繃帯した鐚の面を見直したが、今日は滑稽な感じがしない。
「恨めしいやら、口惜《くや》しいやら、今日お目通りをした以上は、思い切って損害賠償を申し立てましょうと、歯がみをいたしながら推参いたしましたが、本来が忠義骨髄の鐚、すやすやとお寝《やす》みの殿のお寝息をうかがいますると、やれ御無事でいらせられたかと、昨日来の恨みは脆《もろ》くも消えて、先以《まずもっ》て嬉し涙に掻《か》きくれたような次第でございます」
「とにかく気の毒だったな、おたがいに昨日はあぶなかったよ」
「そのお言葉で、鐚はもう成仏でございます、本来、忠義骨髄の鐚の儀でございますから、殿のお為めならば、この面なんぞは三角になりましょうとも、いびつになりましょうとも――そんなことを気にかける鐚ではございませんが、それにしても、あれはかわいそうでございましたよ、水戸在のあのお百姓は、かわいそうでござんした」
「うむ」
「あれは、たしかに殿様の方が御無理でござんしたな、百姓なるが故に憎い、憎いが故に斬らざるべからず、これでは立つ瀬がござんせん……」
「言うな、言うな、そんなことはもう言って聞かせてくれるな、それよりは、貴様にそれだけの怪我をさせたのが不憫《ふびん》だ、そのうち埋合せをするから辛抱しろ、それはそうと鐚、今日はゆっくり話して行け、あの向うの戸棚にお絹のやつの夜具蒲団があるから、あれを引出して、そこへ敷いて休め、寝物語とやらかそう」
 神尾主膳は、寝ながら、こちらを向いて腮《あご》で隣室の方へ指図をしました。

         八十八

「では、まあ、お言葉に甘えて、遠慮なく……殿の枕席にいや、どうも、お新造のおぬくもりのお夜具蒲団を拝借に及びまして、鐚、恐縮……」
 鐚は神尾の指図に甘えて、言われた通り隣室の戸棚から、お絹が専用の夜具蒲団を取り出して敷きのべながら、蒲団へ鼻を押当てて臭いを嗅ぐような仕こなしまでしながら、
「では、御免を蒙《こうむ》ることにいたしまして、お新造お垢《あか》つきのお夜具……枕席……」
 減らず口を並べ、ぬくぬくともぐり込んで、頭ばかりを夜具の上に出して、主膳の方に向って、繃帯だらけの面に眼をぱちくりさせていると、神尾主膳は仰向けに寝て正面を切りながら、
「鐚、おれは今日まで、市井一般の暗い方の世の中は、ずいぶん見飽きるほど見ている身だが、眼をあげて、天下の大勢という勢いを見る暇がなかったんだ、どうだ鐚、今、天下の大勢はどうなっている」
「これは驚きました、鐚に向って、天下の大勢をお問合せになる――これは驚きました」
「驚くがものはないよ、貴様だって江戸ッ児の端くれだろう」
「江戸ッ児、江戸ッ子、まことにその通り、こう見えたって、鐚は江戸ッ子のキチャキチャなんでげす、端くれはお情けねえ」
「チャキでもキチャでもそれはかまわんが、貴様といえども、いやしくも江戸に生れ、三百年来、直接に徳川のおかげを蒙って今日にありついている一人だろう」
「いや、いよいよ事重大になりにけり、左様に、四角張って戸籍調べを遊ばすまでもなく、鐚といえども三百年来の江戸の土虫、まさにその通りでないと誰が申しました」
「よし、まさにその通りとしたら、もしここに、仮りに徳川の天下が亡びて、この江戸中が灰になってしまったら、どうする」
「いや、こいつはまた、事重大を過ぎて、まさに破滅の時代とはなりにけり、公方様《くぼうさま》の天下が亡びて、江戸中が灰になる……鐚なんぞは、左様なことを考えたこともございません、考えることもできませんな、でございますから、こればっかりは御返事の限りではございません――七里けっぱい」
「仮りにだな――薩摩とか、長州とかいう田舎侍《いなかざむらい》がやって来て、この徳川の天下を覆《くつがえ》し、江戸中へ火をつけて焼く、そういう暁になったら、貴様も江戸ッ子の一人として、どういう進退をするか、それをためしにひとつ聞いて置きたい」
「鐚なんぞをつかまえて、そういう試験地獄におかけあそばすのは罪でございますよ」
「罪と罪でないとに拘らず、現在、目の前にそういう時勢が現われて来たとしたら、何と身の振り方をつけるか、それを聞かしてもらいてえ」
「お許し、そういう重大な問題は、全く以て鐚の頭では荷《にな》いきれません」
「返答ができないのか」
「どうか、御免を蒙ります、もっとやさしい、鐚は鐚相当のところで、一年生でひとつ試験問題の御下問が願えてえもんで……」
「試験ではない、実際問題なんだ、自分の目の前に即刻現われた問題として返事をしてみろということなんだ、むずかしくとる必要はない、たとえば、安政の大地震の時のようにだ、今度は地震ではなく、外敵が不意に押しかけて来たとしたら、貴様は、どう身の振り方をつけるか、それを端的に返事をしてみろというだけのものだ」
「地震でげすか、地震ときちゃあ、鐚は最も虫が好かねえんでげすが、さりとて、それござんなれと、鎧兜で鯰退治《なまずたいじ》に出動という勇気はござんせん、まず、何を置いても、三十六計逃げるに越したことはございません、逃げるには、竹藪《たけやぶ》の方へ逃げた方がよろしいと教えられておりますんでございますが……」
「そうか、地震なら逃げ出す、そうして、もしそれが敵だったらどうだ、この江戸を仇となすやつが他国から押寄せて来た日には……いやいや、やっぱり逆戻りだ、考えてみると鐚、貴様には荷が勝ち過ぎた試験だ」

         八十九

「落第でげすか」
「落第というものは、ともかく試験をうけて上のことだが、貴様のは落第にも至らない……まず低能だ」
「ナ、ナンとおっしゃりました」
「低能だよ」
「低能――低能と申しますと、まず一人前に通用しない、馬鹿といった異名でございますね、そうおっしゃられちゃあ、鐚《びた》もあとへ引けません」
「怒ったな」
「怒りました、人間、低能呼ばわりをされて、怒らない馬鹿はありません、怒りました、真に怒りました」
「そうだ、低能と言われて憤りを発した貴様は、まだ脈がある」
「脈どころじゃございません、この通り、癇癪玉《かんしゃくだま》が破裂いたしました、さあ、こうなった以上は、矢でも鉄砲でも持っていらっしゃい、殿様のお出しなさる試験を立派に受けてごらんに入れます、試験地獄の突破」
「頼もしい、その意気、さて、貴様もいよいよ江戸が灰になるという時分に、その意気と、憤りを発して、節を屈せずという勇気があればめでたいもんだが、いざとなるとそうは参るまい、麻雀《マージャン》がはやれば麻雀、競馬がはやれば競馬、貧窮組が盛んな時は貧窮組に走り、公武合体という時節には公武合体へおべっか――貴様なんぞは、それで生きて行けばいいんだ、だが三百年来の徳川の旗本となってみると、痩《や》せても枯れてもそうはいかないからな……」
「上げたり下げたりもいいかげんになさい、いかに鐚の面がいびつになりたてにしてからが、それじゃあんまりお言葉が過ぎます、そこまでお見限りでは、鐚は泣きます、口惜《くや》しい」
「いいよ、いいよ、そう昂奮すると創《きず》にさわる、退屈まぎれに貴様に試験をかけたまでだ、試験問題一切、水に流すから心配するな、そうして、もうそんな七むずかしい問答はやめて、もっと面白い、貴様のおはこの陽気なやつを喋《しゃべ》れ……今度はおれが聞き役になってやる」
 かくなだめられて、本来おっちょこちょいの鐚はたちまちケロリとして、
「ではひとつ、洋妾《ラシャメン》立国論以来の、鐚独創の名趣向をお聞きに入れますかな」
「聞かしてくれ」
「ではひとつ、その洋妾立国論以来の……」
「洋妾立国論は、貴様の身上としては、なかなか聞ける説だよ」
「共鳴にあずかって恐悦……すべて議論というやつは、知己を待ってはじめて言うべきでげして」
「洋妾立国論には相当に信者が出来たか」
「出来た段じゃございません、今や信仰の域を過ぎて、実行の境にまで漕ぎつけているんでございまして……」
 鐚は、己《おの》れの日頃の持論である「洋妾立国論」を神尾から揶揄《やゆ》されて、かえって得意満々の色を見せました。彼の珍論「洋妾立国論」なるものは、本小説「恐山の巻」の百二回から百三回までのところを見るとよくわかるが、その要領は次の如きものです。
[#ここから1字下げ]
「現に相州の生麦村に於て、薩摩っぽうが、無礼者! てんで、毛唐を二人か二人半斬ったはよろしいが、その代りに、みすみす四十四万両てえ血の出るような大金を、異国へ罰金として納め込まにゃなりやせん、長州の菜っぱ隊が、下関で毛唐の船とうち合いをして、日本の胆ッ玉を見せたなんぞとおっしゃりますが、その尻はどこへ廻って来《きた》りましょう、みんな、徳川の政府が、このせち辛い政治向のお台所から、血の出るような罰金として、毛唐めに納めなきゃあならない次第でげす――そこへ行きますてえと、何といってもエライのは日本の絹と、ラシャメンでげすよ、日本の絹糸は、どしどし毛唐に売りつけて、こっちへ逆にお金を吸い取って来る、それからラシャメンでげす、ラシャメンというと品が下って汚いような名でげすが、名を捨てて実を取る、というのがあの軍法でげしてな」
[#ここで字下げ終わり]
 而《しか》して、鐚のいわゆる「ラシャメン立国論」なるものは、つまり次のような論法になるのである。
 露をだに厭《いと》ふ大和の女郎花《おみなへし》降るあめりかに袖は濡らさじ――なんてのは、ありゃ、のぼせ者が作った小説でげす。
 拙が神奈川の神風楼について、実地に調べてみたところによると、その跡かたは空《くう》をつかむ如し、あれは何かためにするところのある奴が、こしらえた小説でげす。
 事実は大和の女郎花の中にも、袖を濡らしたがっている奴がうんとある。毛唐の奴めも、女にかけては全く甘いもんで、たった一晩にしてからが、洋銀三枚がとこは出す。月ぎめということになるてえと、十両は安いところ、玉によっては二十両ぐらいはサラサラと出す。そこで、仮りに日本の娘が一万人だけラシャメンになったと積ってごろうじろ、月二十両ずつ稼《かせ》いで一年二百四十両の一万人として、年分二百四十万両というものが日本の国へ転がりこむ。これがお前さん、資本《もとで》要らずでげすから大したもんでげさあ。

 得意満面で、この種の持論を唱えている鐚公は、さて改めて、何の独創的珍趣向を持ち出すか。

         九十

 この鐚というおっちょこちょいは、実の名は金助であるが、貴様のような奴に金《きん》は過ぎる、鐚で結構と言われて、その名に納まっている人間である。
 鐚は今「ラシャメン立国論」の持論が、かねて心ある人を傾聴(?)させていることを得意としていたが、今日は改めて、それにまさる一大創案を案出したかの如く、勿体をつけて、そうしてまず神尾の前に次の如く披露しました。
「拙の案ずるには、近い将来に於て『帝国芸娼院』てえのを一つでっち上げて、世間をあっと言わせてみてえんでございます」
「ナニ、帝国――何だって?」
「帝国芸娼院てえんでげす」
「帝国はわかっているが、ゲイショウインてのは何だ」
「芸者の芸という字に、娼妓の娼という字を書きますんでげす」
「そりゃ、いったい何だ」
「そもそも、設立の趣旨てやつを申し上げてみまするてえと、本来が、毛唐というやつがまだ本当の日本を認識していねえんでげす」
「ふーん」
「日本人、ナカナカ、キツイあります、刀を使う上手アリマス、人を斬る達者アリマス、勇武の国アリマス、ただ、芸事できない、芸事できない国野蛮アリマス――こうぬかしやがるのが癪《しゃく》なんでげして」
「ふーん」
「異人館なんぞへまいりますと、テーブルの上で毛唐の奴がよくこんな噂《うわさ》をぬかしやがるんでげす、そのたびに拙ははっぷんをいたしましてね」
「ふーん」
「ばかにしなさんな、日本にも、このくらいの芸事がある――てえところを一つ、見せてやりてえんでげして」
「ふーん」
「さすがに、鐚の眼のつけどころはエライ――とおっしゃっていただきてえんでげす」
「ふーん」
「そこで、その帝国芸娼院てやつを大々的にもくろみの……日本には芸妓でさえ、これこれの芸術がある、遊女でさえも高尾、薄雲なんてところになると、これこれの文学があるというところを、毛唐に見せてやりてえんでげすが、いかがなもので」
「そうすると、つまり、日本中の芸者と女郎を集めて、毛唐に見せてやりてえと、こういう目論見《もくろみ》か」
「いいえ、どうして、そんな単純な、浅はかなんじゃござんせん、日本のあらゆる芸事という芸事の粋を集めて、これこの通りといって、毛唐に見せてやりてえんで、芸娼院という名は仮りに鐚がつけてみただけのものなんで、もっとしかるべき名前がありさえ致せば、御変更のこと苦しくがあせん」
「日本のあらゆる芸事という芸事の粋を集めるんだって、ふーん、なかなか仕掛が大きいんだな」
「仕掛が大きいだけに、人選てやつがなかなか難儀でげして、まずあらゆる芸人という芸人の、粋の粋たるもの百人を限って選り抜きます」
「ふーん」
「なにも、芸娼院と申したところが、芸妓と娼妓ばっかりを集めるという趣意ではがあせん、とりあえず美術でげす、日本は古来、美を尚《たっと》ぶ国柄でげして、絵の方になかなか名人が出ました……」
「ふーん」
「ところで、とりあえず狩野家の各派の家元を残らずメンバーに差加えます、それから、四条、丸山、南画、北画、浮世絵、町絵師の方の、めぼしいところを引っこぬいてこれに加えます、拙が見たところでは、絵かきの方から都合五十八名ほど選りぬきの……」
「ふーん、してみると、貴様の目論見の芸娼院は、絵かきが大半を占めてしまうんだな」
「是非がござんせん、日本は古来、美術の国柄なんでげすから」
「ふーん」
「それから戯作《げさく》の方なんでげす、これは刺身のツマとして、八名ばかり差加えようてんで……」
「絵かきが五十八人もいて、文書きが八名では比較が取れまい」
「なあに、文書きの方は、どうしようかと考えてみたんでげすが、拙がひそかにこの計画を洩《も》らしやすてえと、ぜひ、幾人でもいいから差加えていただきてえ、絵かきの下っ端で結構、刺身のツマとして、ぜひ差加えていただきてえと、先方から売り込んで来るんでげすから、退けるわけにいかねえんでげす、そこで刺身のツマとして文書きを八名ばかりがところ、差加えてやることに致しやした」
「ふーむ」
「それから、書道の方でがす。次は、役者――この役者てえやつが、おのおの家柄があったり、贔屓《ひいき》があったり、それに頭数が多かったりして、いちばん事めんどうなんでげして、鐚もこれが人選には困難を極めやした」
「ふーん」
「それから、長唄、清元、芸妓の方からは誰々、お女郎の方からはこれこれ――和歌と、発句と、ちんぷんかんぷん――委細のわりふりと、面《かお》ぶれは、この一札をごらん下し置かれましょう」
 こう言いながら、鐚助は枕許の鼻紙袋をかき寄せて、その中から何か書きつけた紙切れの折畳んだのを引っぱり出して、神尾の方へ突き出しました。
「これが、拙の苦心惨憺になる帝国芸娼院の面ぶれなんでげして、これを早く発表いたしますてえと、あっちからも、こっちからも苦情がつく、こういうことは、得てして、お安いところで手っとり早く、でっち上げてしまわなけりゃ物になりやせん」
 神尾は寝ながら、鐚の差出した人選表なるものを受取って、
「ふーん」
と言いながら、面前にひろげて読みはじめている。
 得意気に、側面から、この面色を窺《うかが》いつつ鐚が言いつづけます、
「いかがなもんでげす、多少の議論はございましょうとも、まず、当世、百と限りますてえと、そんなところじゃあがあせんか」
「ふーん」
「あれを取れば、これを捨てなければならん、これを捨てては、あれが立たず……という苦心惨憺のところを買っていただきてえ」
「ふーん、何だと、ひとつ読み上げてみようか。まず絵かきで、狩野迷川院、谷文昌――それから、歌川虎吉に、国定国造、ふーん、おれの知っている名前もある、知らねえのもある」
「そっちの方は、それは日本絵所人別帳をすっかりそのまま並べたんでげすから、文句はござりますまい」
「ところで文書きの方は――こうと」
「為永春水――柳亭種彦、あたりを筆頭と致しやして、木口勘兵衛、乞田碁監、徳利亀八、生井北風、胸悪ハクショウ……」
「ロクでもねえやつらだな」
「いずれも当代の選り抜き、現在の我が国にも、これだけの芸人がいるてえところを毛唐に見せてやるには不足はござんすまい」
「ふふーん」
「なお、人選に御異議があるとか、御不足があるとか思召《おぼしめ》したら、今のうちにおっしゃっていただきてえ」
「恥を毛唐にまで晒《さら》し、お笑い草を後の世にまで残すためにゃ、こんなことも鐚《びた》相応のもくろみだ、やるんなら、邪魔が入らねえうちに、お安いところで手っとり早くやんな」
「有難え――御異議がなければ、これで御披露の――お安いところで手っとり早く」
「万事、お安いところで手っとり早くやらなけりゃ手柄にならねえ。やんな、大いにやってみろ」
「ことごとく殿様の御賛成を得て、鐚一代の光栄。やります。これを御披露に及べば、これこそ一代が、あっ! さすがに鐚だ! よくまあこの難物を、こうも手際よく、お安いところで手取り早く纏《まと》めもまとめた、さすがに鐚だ、鐚ちゃんに限る、鐚ちゃん、あんた、人が悪いわ、鏡のおいらんを入れて、なぜ蓮池の姐さんを入れないの、恨むわ、なんて睨《にら》まれるが怖いんでげす。そこはそれ、断の一字でげしてね、かく致してお安いところで、手取り早くまとめてしまってからの万事でげす」
「しっかりやれ! 鐚が男を上げるか、下げるか、この一戦にあり!」
 神尾が、うわごとのように、むやみにけしかけるものですから、鐚の野郎が無性《むしょう》に嬉しくなってしまいました。
 神尾としては、お安い野郎にはお安い仕事をさせて置くに限る、お安いところで、手っとり早く手柄をさせたつもりで喜ばして置けばいいと、深くとり合わないでいるらしいが、実は心はそこにあらずして、目ざめてから以来の、神尾としては全く異例な頭の置きどころに安定を求めているらしい。
 すなわち、神尾の頭では、果して徳川が亡びた暁には……天下が田舎侍の手に帰した時、我々旗本として、甘んじて、その下風に立って制を受けていられるか、芸娼院のやからならば知らぬこと、やくざというやくざをし尽してはいるが、おれは先祖以来の徳川の旗本だ、おれはこれだけの人間だが、先祖の血が許さない。
 死ぬ! おれは徳川のために死ぬ、江戸の城を枕に、江戸の町が灰になる時は、おれの面目も灰になる時だ! おれの死ぬのは、お家大事のために死ぬのじゃない、今さらそんな忠義面をするほど、おれは本来、利口に出来ていないのだ、徳川のために死ぬのじゃない、薩長共が憎いから死ぬというわけでもない、神尾は神尾として、曲りなりにも――曲りなりなんというと、曲らないところもあるように受取れそうだが、おれが今までの生活で、どこに曲らないところがある、曲り切って、それを押通してここまで生きて来たのも、生かされて来たのも、煎じつめると、江戸勢力下なればこそのことだ、つぶれても、倒れても、旗本の沽券《こけん》がものを言えばこそのことだ、おれは外藩の又者共が、のさばり返る世の中に生きちゃいられねえ、忠義じゃない、意地だ、徳川のために死ぬんじゃない、神尾主膳の面目のために死ぬんだ、立派に死ぬよ!
 神尾の頭の中は、その覚悟で一杯になりきっている。それとは知らず鐚は、今日は珍しく、神尾が自分の名案にケチをつけず、一も二もなく賛成してくれることに有頂天になり、お安いところで一刻も早くこの名案に目鼻をつけて、江戸中をあっ! と言わせなければならないと、夢中になって、芸娼院のことを考えている、その徹底的に恥のない生き方を見ると、神尾も苦笑せざるを得ない。国家興亡の際に、芸娼院の設立を目論《もくろ》んで、有頂天になっている。
 人生、鐚となって生きるか?
 神尾となって死ぬるか?
 それだけの問題だよ……神尾は嘲笑しながら嘯《うそぶ》きました。

         九十一

 尾張名古屋城下第一の美人とうたわれた銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方と、その弟|伊都丸《いつまる》と、岡崎藩の美少年|梶川与之助《かじかわよのすけ》のその後の物語が、久しく打絶えておりました。
 その記憶をよみがえらせるために、読者諸君は大菩薩峠の「年魚市《あいち》の巻」から「不破の関の巻」あたりをもう一度読み返していただきたい。
 名古屋の城の見えるところを立去りたくないという姉と、肥後の熊本へ帰りたいという弟との意向の相違が、病める弟のいじらしさに引かされて、姉なる銀杏加藤の奥方は、ついに主従引具して、尾張の清洲の山吹御殿から、肥後の熊本へ向けて出立することになりました。
 やむを得ざる武士道の意気地から人を斬って、三州岡崎城下を立退くことになった、伊都丸の友なる美少年梶川与之助もまた、この姉弟に加わって九州へ身を避けようとして旅立って、それがお銀様、お角、宇治山田の米友らの一行と、すれつもたれつして尾張から美濃路へかかったことは、それらの巻にくわしく出ているはずです。
 しかるに――僅かに美濃の大垣まで来た一夜、悪漢があって、この一行の宿所を荒した。奪われたのは旅費としての相当の大金のほかに、金銭にも利福にも換え難い銀杏加藤の系図の一巻であったことを既に記しました。
 その曲者の痕跡をたずねて関ヶ原まで追いかけた梶川与之助は、そこで、悪漢その者の横死を見とどけ、奪い去った金子《きんす》は再び戻ったが、系図一巻が戻らない。この系図一巻が銀杏加藤の奥方にとっては、身にも宝にも換え難い執着であることの所以《ゆえん》は――世に加藤は多いけれども、自分の家こそは肥後守清正の正系、清正の血統を引く家として、わが家より正しいのはない。この自負の執着が、奥方を懊悩せしめている。再び大垣の宿へ立戻って、このたびの急難を、一にわが身の怠慢と無責任とに帰《き》して、憂えもし、憤りもし、慰めもし、詫《わ》びもしているのは、岡崎藩の美少年梶川与之助でありました。
 大垣の宿の一室に、銀杏加藤の奥方は、その美しい面《かお》に遣《や》る瀬《せ》ない憂愁を見せて、悄然《しょうぜん》として坐っている。その傍らには、床をのべて、弟の伊都丸が枕に親しんでいる。夫人に相対して、小者姿にやつした美少年の梶川が、きちんとかしこまって、ひたすらに慚愧と陳謝の意を表して重ねて言う、
「万事みな、この拙者が抜かりでござりました、いくたび繰返しても詮《せん》なきこと、この上は拙者は、九州へおともをすることは断念し、これより再び名古屋の城下へ立帰って、いかなる苦心をしてなりとも、御系図の一巻を探し出して、お返し申し上げる所存でござります、奥方様ならびに伊都丸殿、では、このまま御免を蒙《こうむ》りまする、あなた方は、お心置きなく、熊本へ向けてお立ち下さいませ、拙者が一心を以て必ず、系図のありかをたずね得て、お知らせを致しまする、いや、お知らせだけではない、誓って、それを携えて熊本まで出向きまする、どうか、拙者の精神を御信用あって、御安心して旅路におつき下さい」
 梶川与之助は、決心を面にあらわして切に言いました。
 それには相当の自信もなければならぬ。その熱烈な決心のほどを面にあらわして、梶川がかく言った時に、憂愁に満ちていた奥方の面が急にかがやいたように、自分の膝も進むばかりはずんで見えました。
「梶川様、よくおっしゃって下さいました、わたくしも未練のようでございますが、こればかりは思いきれませぬ、あの系図を奪われて何の銀杏加藤でござりましょう、あれを持たないで肥後の熊本へ帰って、どうして御先祖清正公の霊に申しわけが立ちましょう、梶川様、あなたよりも、わたくしがさきにその決心をきめてしまいました、僅かに尾張の国を一足出たばかりで、あれが盗まれるというのは、決してあなたの抜かりではござりませぬ、わたくしたちの不用心でもござりませぬ、あの系図に魂があって、肥後の熊本へ行きたがらないのです、やはり、尾張の国に留まっていたいからなのです。いつも申します通り、肥後の熊本は、加藤清正の国ではないのです、加藤清正の産湯《うぶゆ》を流したところは、この尾張の国の中村なのです、肥後の熊本の城も、清正の築城には相違ありませんけれども、それよりも一層この尾張の名古屋の城に清正の精神が籠《こも》っているのです、それですから、わたくしは、どうしても、あの名古屋城の鯱《しゃちほこ》の見えないところへは行きたくないと、日頃から申しておりました、系図も尾張の国にとどまりたい、わたくしたちも尾張を去るなという、清正公のお示しではないかと思い当りました。けれども、肥後の熊本で静かに病を養いたいというこの子の希望もさまたげる気はありません、お前はお前で、心任せに熊本へおいでなさい、そうして、梶川様、あなたもどうか弟を見まもって九州へおいで下さい、わたくし一人が残ります、わたくしは清洲の侘住居へ一人で帰ります。系図の行方にも、心当りが充分にあるのです、必ずわたくしの真心が通じさえすれば、再びあの系図が、わたしの手許へ帰ってくると、確かにそう信じられてなりません――わたしでなければ駄目です、わたしは尾張へ戻りますから、梶川様、あなたは友人として、病身のわたしの弟をいたわって、熊本へお越し下さいませ」
 銀杏加藤の奥方は美しい面に強い決心の色を見せて、きっぱりとこう言いました。

         九十二

 感謝と昂奮に緊張した梶川与之助は、奥方の強い言葉に頓《とみ》に言葉を返すことができないでいると、傍に寝《やす》んでいた伊都丸が、夜具の中から言葉をかけて、
「姉上――そうおっしゃる、あなたのお心持がよくわかります、日頃のあなたの御精神がそれなのです、姉上が留まるとおっしゃるなら、それを拙者は引き止めることはできない、そうかといって、拙者は姉上といっしょに、では拙者も心を同じうして、祖先の系図をたずねんがために、再び尾張へ帰りましょうと言えないことが悲しい」
 病床から弟にこう言いかけられて、奥方は静かにそれを顧み、
「お前が、わたしの心持がわかってくれるように、わたしもお前の心持がよくわかります、わたしは肥後の熊本が故郷ではないけれども、お前には熊本が故郷なのです、そうして、お前の一生を安楽に托する風土というものは、熊本のほかにないことをわたしもよく知っているから、お前は、決して心を動かすには及びませぬ、翻せといっても、翻せない心持はよくわかります、それに、お前の親友、梶川様が附いて行ってくれるから、わたしは何よりも安心しています、それに、一旦ああして立った清洲の土地へ、事をかこつけに再び舞い戻るようでは、人に笑われます、お前はどこまでも、熊本へお帰りなさい、わたしは、引返して尾張の国へ留まります、では、梶川様、弟の身の上を幾重《いくえ》にもお頼み申します」
 奥方から、再び頼みの言葉で言われて、梶川に挨拶を返す隙《すき》を与えず、病床の弟がまた言いました、
「それはいけませぬ、姉上、拙者には多年、使い馴れた附人もござります、これから海陸の順路を、心任せに九州へ下る分には何の不安もない身です、それだのに、これから一人でお引返しなさろうという姉上は、非常の御決心で前途のことも思いやられます、それには何よりも心強いのは、梶川氏、あなたに、どうか、この拙者に代って、姉上を助けて上げていただきたい、万事の相談相手になって上げていただきたい、そうして、心を合わせて家宝の系図を取戻した上に、姉上を守護して九州へ下って、おたがいに阿蘇の山下で、喜んでお目にかかる日を期待いたしたい。梶川殿、拙者のことは、順路を順当に行く尋常平凡の旅でござるから、少しも心配にはなりませぬ、さいぜんも、貴殿はひとり留まって、我が家のために系図を探して下さるとまでおっしゃった、貴殿の勇気と真情は、我々にとって二つとない、どうか、こちらに留まって、姉を助けて、姉の志を成さしめていただきたい」
 いたいたしい声に力を込めて、こう言い出された時に、奥方の眼から涙が溢《あふ》れて頬に伝わって落ちました。
 梶川与之助は、またも返答に窮するの立場に輪をかけられたようなもので、面はかがやき、口はわななくけれども、いずれへ何と挨拶し、いずれへ何と諫言《かんげん》していいか、その言葉の緒《いとぐち》を見出し難い。
 その時、病床の伊都丸少年は、また声を落して言いました、
「姉上とても、一旦こうまでして清洲を立退いておいでになったものを、今更おめおめとお帰りづらいものがお有りでしょう、たとえ事情がこの通りとは申せ、出入りの者のおもわくさえも不快なものがござりましょう、それを御承知の上で、お戻りなさる非常の覚悟、梶川氏、それを察していただきたい、それ故に、貴殿は、このままひそかに先発して清洲へお帰りを願いたい、そうして留守宅の万事を程よくこしらえて置いて、それから、夜陰こっそりと姉上を迎えていただきたい、そうして、世間|体《てい》はどこまでも熊本へ立ったことにして置いて、邸内も広いことでござる故に、姉上は一間に籠《こも》って人に面を知られないように、貴殿は、さのみ注意する人もあるまいから、どこまでも留守をあずかる人のようにこしらえて、陰《かげ》になり、陽《ひなた》になって、姉を助けて志を成さしめていただきたい、それを御承知ならば、このまま直ぐに貴殿は清洲へ向けてお引返しが願いたいのです」
 梶川少年は、その言葉を聞きながら、紅顔が熱し、これも同じく涙が頬を伝って流れます。
 奥方は、いずれをいずれとも言わない。梶川としては、姉の言葉に従って、病める弟を見ついで九州へ下るべきか、非常の覚悟と冒険を予期して、ひとり留まらんという姉のために、弟の忠言に従うべきか、いずれが是、いずれが非かわからないうちに、なにものかの強い道義心に打たれて感動する。しばらく、判断も利害も離れて、ただ感動に堪えられないでいるうちに、最も冷静なのは病める弟でありました。姉と、友なる人の、言わんとして言い難き時に、この弟は冷静に、流暢に、従って極めて理路整然としてまた言いました、
「そうして、三カ月を限っていただきたいのです、姉を助けて向う三カ月のうちに、姉の目的が達せられません時には、もはや、天、加藤家を捨てたりと思召《おぼしめ》して、姉を守護して熊本まで下っていただきたい、そうしてかの地でわれわれは笑って再会して、おたがいに今後の生きる道を楽しく語り合いたいものです、この申し出には姉上も御異議はござりますまい」

         九十三

 やがての事の結論は、ついに梶川少年が、両者へ対する義理と犠牲心から、病める弟の忠言を聞いて、留まる姉への奉仕とならざるを得ないことになりました。
 梶川少年は、仲間小者《ちゅうげんこもの》となる覚悟を以て、銀杏加藤の奥方を助け、病友が要求する三カ月の期限以内に必ず目的を達して、九州へ下って相見《あいまみ》えるということを誓約的に断言したのです。奥方も、ついにこの説を容れざるを得なくなって、そこで、この一座の評議は、友義と、同情と、犠牲心とを以て美《うるわ》しくまとまりました。
 奥方が、立って、荷駄の差図に別室へ赴《おもむ》いたあとで、伊都丸は、梶川を枕もと近く招いて、ひそかに言うよう――
「梶川殿、姉はああいう気象ですから、如何《いかん》とも致し難いです、姉は尾張の名古屋の城は、徳川の名古屋城ではない、加藤の名古屋城だと信じているのです、そうして、加藤清正の唯一真正の血統は、我々姉弟のほかにはない、名古屋にも、加藤と名乗って清正の直系と称する家は幾つもあるけれど、みな傍系に過ぎない、先祖の加藤清正が、悲壮なる覚悟を以て心血を注いだあの城、あの城には先祖の魂が籠っている、いつか時勢がめぐりめぐり来《きた》って、加藤の子孫がこの城の主となる時がなければならない、と常始終、こんなに考えているのです。そうして、事毎に拙者を努め励ましてはいるのですが、拙者は姉と異って、左様なことには極めて淡泊なのです。よし我々が加藤の正系であろうと、傍系であろうと、それは私にとっては何の加うるところも、減ずるところもないのです。清正といえども、摂家《せっけ》清家《せいけ》の生れというわけではない、本来を言えば、豊臣秀吉と共に、尾張のあの地点の名もなき土民の家柄なのです。秀吉の威力が増大するにつれて、清正も天下の大大名とはなりましたけれども、本来、秀吉も、清正も、自負すべきところはその門地や家柄ではなく、その天性の実力にあったのです。拙者の如きはその点を偉なりとしますけれども、姉は清正以来の家系というものに重きを置いているのです。それに姉はこの尾張の国で生れたのですけれども、拙者は肥後の熊本で生れました、その土地の引力かも知れませんが、姉は金鯱《きんしゃち》の見える土地に執着を持っている、拙者は阿蘇の煙の見えない土地は、生きる土地でないような気持がしています、熊本へ帰ると、そこに先祖の菩提所《ぼだいしょ》があります、我々が一生不足なく暮らせるだけの知行もあります、また、幼な馴染《なじみ》も、我々を尊敬してくれる郷土民もあるのです。郷土の人は、どこからともなく、我々の家柄が加藤清正の家系である、今の細川家よりも古いのである、というような観念を持っていて、それで特に我々を尊敬してくれるのです。もし系図というものに余徳がありとすれば、名古屋城の金の鯱《しゃちほこ》の光よりも、この郷土民が何百年の昔の歴史に信仰を置いて、何の功業もない我々を尊敬してくれる、これこそ、系図の余沢《よたく》、先祖の光である、拙者はそこに先祖の有難味を味わって生きて行きたい。そういうふうに熊本では人心が皆、拙者になついてくれる、特に風土が、拙者の身体にかなっているようです。有名な阿蘇があります、その周囲には幾つもの温泉が、我々を温めてくれます、それから八景《はけ》の水谷《みや》だの、水前寺だのいうところの水がよろしいです。いったい、どこを掘ってもよい水です、一歩、海辺へ出ると、柑橘《かんきつ》の実る平和な村があります、三角《みすみ》の港から有明の海、温泉《うんぜん》ヶ岳《たけ》をながめた風景は、到底、関東にも、関西にもありません。それに加うるに穀物が実ります、米も、肥後米といって第一等の米がとれるのです。なおその上に、国主の細川家と、先住者の加藤家との間の諒解が極めて美しい。ところによっては先住の豪族を平げて、後の国主が入城し、両者の間は仇敵のような例も随分ありますけれども、肥後の熊本に限っては、今の細川家が、先の加藤家の崇信者であり、同情者でありますから、加藤の名によって肩身が広くなるのです。そういうところですから、拙者は姉と違って、熊本を故郷なりとします、今、名古屋城をお前に与えるからと言っても、それを受けて住む気にはなれないのです。梶川氏、貴君もぜひ、熊本へ来てごらんなさい、必ず熊本が好きになるにきまっている。しかし、拙者は拙者として、斯様《かよう》な愛着に生きているけれども、姉のああした気象と意気を軽んずる気にはなれない、あの見識で生きている姉を尊敬しなければならないのです、よって、正面から姉の精神を斥《しりぞ》けるわけにはいかないのです。男子は裸一貫と、意気とで生きなければならない、系図に物を言わせるようになってはおしまいだと言いたいのですが、姉のあの気持を尊重するとそれが言い出せない、ですから、貴殿は姉を見ついで、決して危険を冒《おか》してまで系図などに執着する必要はないから、程よくして、三カ月目には必ず熊本へ来て下さい。熊本へ来れば、貴殿に安住の地が必ずある、しかし貴殿は以前から、長崎へ行きたい、支那へ渡りたいというようなことを言っておられたが、かりにその希望のためとしても、遥《はる》かに都合がよくなって行くのです、わが家の系図などに執着せずに、貴君の身を安全にすることを第一に考えて下さい」
 伊都丸少年は、こう言って、繰返して友なる梶川少年に口説《くど》きました。梶川はそれを最もよく諒解しました。
「貴君の心持はよくわかっています、吉左右《きっそう》ともに、これから三カ月後には姉君を伴うて必ず熊本へ参りますから、貴君も心を安んじ、御自愛第一にして待っていて下さい」

         九十四

 かくて梶川少年は、ひとり大垣の宿《しゅく》を先発して、清洲の山吹御殿に帰りついてのその日の宵のことです。
 誰も知らない間に裏手から、その広大な屋敷のいずれにか無事に潜入してしまいました。
 その夜更けて、同じ裏手の門が内から開かれると、いつのまにか門側に忍んでいた一人の女性が、身を現わしたと思うと、早くもその裏門から身を没して、広い邸内のいずれにか吸い込まれたことは梶川少年と同じことです。ほどなく、邸内の山吹御殿の、桔梗散《ききょうち》らしの豪壮な一間に、形はいかめしい銀の燭台に光はしめやかな一種の燭がかがやくと、そのところに銀杏加藤の奥方が端然と坐っています。やや間を置いて、かしこまっているのは梶川少年。
 二人は、無事に、この旧邸へ立戻って来たのです。
「梶川様、ほんとうに、ここまで来て安心いたしました、万事は皆あなたのおかげです、何と感謝していいかわかりませぬ。本来、わたしが、こんな強情を言って、立戻ることを主張しましたのは、確かにそれと充分の心当りがあればこそなのです。名古屋城には加藤の四家というのがございまして、それがいずれも清正の正統と称しているのです、その加藤四家のうちの、いずれの加藤とは申しませんが、そのうちのある一家が、特別に、わたくしの家の系図に目をかけておりました、そうして、表面には出さないけれども、手をかえ、品をかえて、いろいろの好条件の下《もと》に系図譲受けを策動して参りました、それのみではない、わたくしの一身までも……そういう執心の家が現在あったということを知って下されば、これからの探索にも有利であろうと思います、そこに心当りがあればこそ、わたしは存外簡単に目的が達せられるのではないかと、こう思いましたものですから、強《し》いて弟を振捨てて帰って参りました」
 奥方からこう言われると、前にかしこまっていた梶川少年は、充分それを納得して、附け加えて申します、
「拙者も実は、奥方のお心持を左様に忖度《そんたく》しておりました、それのみならず、関ヶ原まであの夜の曲者を追いかけた時に、あれがどうしたものか、途中で何者かのために辻斬られている、その死骸にぶっつかって、篤《とく》と見定めて置いたのです。彼が暫くの間でも、御当家へ下郎として仕えていたということ、金子《きんす》も取るには取ったが、それは無事に戻ったにかかわらず、下郎の分際として、何の役にも立つまじき系図に目をかけたことと、その系図だけが紛失していること、それらから考え合わせて、これは背景があるのだと直感しましたから、その時、下郎から相当の証拠を集めて置きました。これから清洲へ帰って、あの下郎の身元を洗ってみれば、それからだいたいの当りがつくように信ぜられましたから、奥方様に先立って、ひとりこちらへ引返すことを主張しましたのです。それには幸いに伊都丸君が一行を引具して、相変らず旅路を続けられるということがかえって好都合でした。あなた様と拙者とが、立戻って来ているということが知れては、先方が警戒しますけれども、今宵のことは誰も知りません、今後も、あなた様は決してお座敷を離れてはいけません、万事の奉仕は拙者一人が致します、出入りの者にも感づかれてはなりません。拙者は大丈夫です、こうして昔と変った仲間小者のいでたちで、留守居を頼まれたようにしていれば、誰も怪しむものはありません、ことにここは一城廓とも言っていい別天地ですもの――そうして、名古屋城下に程遠くもない地の利を占めていますもの、ここを根拠として、これから名古屋城下を隈《くま》なく、私がたずねます。万一、見知る者があってはと存じ、面《かお》を少々|灼《や》くことに致しました」
 梶川少年から、頼もしい限りの言葉を聞かされた銀杏加藤《ぎんなんかとう》の奥方は、その最後の一句に至って、美しい面を曇らせて、
「それはいけませぬ、面を灼くとおっしゃいましたね、梶川様、どういうことをなさるのか知れないが、それだけは思い留まりあそばせ、天の成せるものを、人の力で破壊することは宜《よろ》しくありませぬ、身体髪膚の教えもございます、あなたのその若い美しいお面を灼きこわしてまで、わたしたちは助力を願うのに忍びませぬ」
 面を灼くと言ったために、夫人の心がいたく傷つけられたのを見て、梶川少年は取りつくろって申しました、
「拙者とても、強《し》いて、そんな事をしたいのではありません、岡崎街道で、ああいうことをしでかして来ていますから、万一を慮《おもんぱか》っての覚悟なのです」
「もし、そういうことを実行なさる場合には、前以て、必ず一応、わたくしに御相談をなすってからのことにして下さい」
「承知いたしました」
「わたくしたちの目的のためには、あなたに指導者になっていただかなければならないから、あなたの一身上のことについては、わたくしが年上ですから、姉でありますから、わたくしの許しなしには、髪の毛一筋でも自由になさることは許しませぬ」
「は、は、は、これはきつい御命令を承りました、委細心得てござりまする」
 ここで二人の睦《むつ》まじやかな会議、新たに意気相許す一対の姉と弟が出来上りました。

         九十五

 胆吹の御殿ではお銀様が憤《いきどお》っている。
 お銀様は絶えず憤っている人である。その人が、憤りの上にまた一つの憤りを加えた。
 何を憤っている。
 お雪ちゃんという子が、恩を忘れて裏切りの冒涜《ぼうとく》の行動をしている、それを憤っているのか。そうではない。
 竜之助という男が、無制限の放縦と、貪婪《どんらん》と、虚無に盲進する、それを憤っているのか。そうでもない。そんなことはこの暴女王にとっては、憤慨ではなくて、むしろ興味である。
 そもそも、この暴女王が今日に及んで、かくも深く憤りを発しているという所以《ゆえん》のものは、己《おの》れの夢想する王国が、土台からグラつき出したから、それを見せつけられるがために憤っているのに相違ない。
 人間というやつは度し難いものだ、人間というやつは救うよりは殺した方が慈悲だ、とさえややもすれば観念せしめられることの由を如何ともし難い。
 ナゼならば、彼女は己れの強力を傾注して、有象無象《うぞうむぞう》をよく生かしてやらんがために事を企てているが、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴はない! いや、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴がないのではない、およそ生きんことを欲する人間にロクな奴がない! という断案を得ようとして、それを得させまいがために、自ら苦心、焦慮、憤慨しているのである。
 もし、こういう論理を許すとすれば、自分の王国主義を、甘んじて虚無主義に屈服せしむる結果となる、それでは絶滅の使徒、虚無の盲人に笑われるばかりだ。生の哲学から、死の哲学に降服を余儀なくされるばかりだ。
 彼女は、ここに働く人間共の表裏を見せつけられる。人間は働きたいが本能でなく、なまけたいのが本能だ。生をぬすまんがために表面追従するだけで、生の拡大と鞏固《きょうこ》とを欣求《ごんぐ》するような英雄は一人も来やしない。彼等の蔭口を聞いていると、この王国を愚弄し、わが暴女王の甘きにタカるあぶら虫のような奴等ばかりだ。こんな連中に世話を焼いてやるべきものではない。残らず叩き出して、出直させるに越したことはない! とさえ、この女王を思い迫らせる。
 王国の門を鎖《とざ》し、垣を高くして、いま来ている奴等を残らず叩き出して、新たに出直さす――と言ったところで、彼等をどこへどう叩き出して、どこから出直させる。所詮、母の胎内へ押戻して、再び産み直させるよりほかに道はない。
 お銀様は、この深い憤りを抑《おさ》えて、御殿の一間から琵琶の湖面をながめている。
 憤っているのは、お銀様ばかりではない。道庵というような出しゃばり者を別にしては、誰も彼もが、みんな憤っている――ように見える。およそ今の時勢に、笑ってなんぞいられる奴はない。
 お銀様が、これを深く憤っている時に、城下――御殿下とか、屋敷下とかいうよりは、ここからは城下といった方がふさわしい、胆吹御殿の城下がにわかに物騒がしくなりました。春照、弥高の里で、早鐘が鳴り出しました。
「一揆《いっき》が来るぞ!」
「百姓一揆が押して来たアー」
 どこからともなく響く号叫。



底本:「大菩薩峠18」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年8月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十一」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第十一巻」1971(昭和46)年6月30日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年2月22日作成
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