青空文庫アーカイブ



大菩薩峠
恐山の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)渡頭《わたしば》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)相当|喧噪《けんそう》な

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+卒」、第3水準1-15-7]
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         一

 田山白雲は北上川の渡頭《わたしば》に立って、渡し舟の出るのを待兼ねている。
 舟の出発を待侘《まちわ》びるものは田山白雲一人ではなく、士農工商が一人二人と渡頭へ集まってひっかかる。こちらの岸もそうだから、向うの岸も同様に、土農工商がせき留められて、舟を待つ人の数は増すばかりです。
 田山白雲は焦《じれ》ったがりながら、渡頭に近い高さ三メートルばかりの小丘の上で、遠眼鏡を眼窩《がんか》の上から離さず、マドロスの逃げ込んだ追波《おっぱ》の本流の方をしきりに注視していましたが、そのうちに、向う岸の渡頭に集まって舟を待侘びる士農工商の群れが、急に動揺をはじめたような模様が見えます。同時にその舟待ちの群れの中から、転がり出したように躍《おど》り出して来た一個の人物があることを認めて、興味の遠眼鏡をその方に転じました。
 その人物は、すでに人混みの背後《うしろ》で身仕度をととのえたと見えて、身体《からだ》は裸で、頭の上へ物を載せ、人を押分けて前へ進んだと見ると、いきなりざんぶと川の中へ飛び込んで泳ぎはじめたものですから、
「奥州にも気の短い奴がいる!」
と、田山白雲が思わずこちらで舌を捲きました。
「奥州にも気の短い奴がいる!」と田山白雲が思わず舌を捲いたのは、奥州人はすべて気の長いものと前提をきめてかかったわけではなく、ここで渡し舟の徹底的スロモぶりに呆《あき》れ返った反動から、ツイそう呼んでみたまでのことで、実際、いま川の中へ飛び込んだ眼前その人物の挙動を見ると、その気配だけで、たしかに気の短い男であるべき証跡は歴々たるものであります。かくばかり悠々閑々たる渡し舟の船頭のスロモぶりに堪忍《かんにん》がなり難く、堪忍がなり難いと共に、その爆発した癇癖《かんぺき》を、直線的に決行するだけの盲動力を持った男であるということだけは、白雲の眼と頭で、ハッキリと受取ることができました。
 この大菩薩峠作中の人物では、宇治山田の米友という人物が、やはり同様の堪忍なり難い癇癖を持っていて、直接行動をやることに馴れている――それは田山白雲とも一面の識はあるのだが、あの男が今この場へ飛び出して来ようはずはない。
 右の裸男は、最初のうちは、こちらを当面《まとも》に川を横に泳いで来るのですから、よくわかりませんでしたけれど、やや深いところへ来ると、身を斜めにして抜手を切り出したものですから、その時はじめてわかったのは、頭の上に自分の着ていた衣類をまるめて帯で顎《あご》まで縛りつけたのはいいが、その頭にのせた衣類の真中を貫いて横に一本、長くてそうして黒いものが線を引いている。
「ははあ、差しているな」
と、田山白雲が再び遠眼鏡を取り上げました。
 差しているな! と言ったのは、一本か二本差しているという意味ですが、一本差すことは、旅の百姓町人といえども、道中を限り許されていることであり、それにも長さに限度がある。あの裸者の頭へ載せたのは、普通平民に向っては制限以上に長いから、少なくも士分に属するものだろうと思われるのだが、その一本の刀の長さが長過ぎるのに比例して、他の一本の脇差の所在がわからない。あの頭上の衣類の中に隠されてでもいるのか、そうでなければ、これは一本だけ特に長いのを伊達《だて》に差す遊侠無頼《ゆうきょうぶらい》のともがらででもあるのか。

         二

 田山白雲が、まだその辺に疑問を持ちながら、多大の好奇心を以てながめていると、右の男の泳ぎっぷりが痛快で、たしかにこのごろはやる水府流を行っているようだ。深いところはあんなにして抜手を切り、中辺のところは乳あたりまで浸して悠々と横行し、浅瀬はしゃんしゃんと飛沫《ひまつ》を切り、かくて河を三分の一あたりまで突破して来た時に、後ろから、かなりの狼狽《ろうばい》と怒罵《どば》とを含んだ叫び声が起りました。
「おーい、どこ行くでア、戻って来もせやい、てんことない、渡場《わたし》を素通りしてはいけねえでば、川破りの罪になるべちゃあ、川破りの罪はお関所破りの罪と同じだべや、戻って来もせやあい」
 右の通りハッキリ聞えるわけではないが、向う岸で声をからしての怒罵号叫は、渡場を守るところの船頭共がこうも言ってさわいでいることに間違いはないのです。
 つまり、この裸男の直接行動は、渡場というものの掟《おきて》と、船頭というものの職業とその存在とを、無視してかかった御法破りに類しているから、その反逆者を反省さすべく、船頭殿がその職権の上から、声をからして呼び戻しているに相違ないのですが、川原の中の短気者は、今さらそれに取合うくらいなら、最初から、こういう行動には出なかったでしょう。そこで、一旦は踏み留まって振返って見たけれども、忽《たちま》ちクルリと背を向けて、北上川の川破りの続演をつづけました。
 そこで当然、警告を無視された向う岸の船頭が、怒号と共に地団駄《じだんだ》を踏み出したのは無理もないが、同時に、こちら側の岸に立っている船頭共も黙ってはいないのが当然であります。
「やれそれと、のぶとい奴じゃ、渡場《わたし》をかち渡りするは御法度《ごはっと》なんでア、何たるワザワグこったべえ、只じゃ済まねえべ、お関所破りと同罪なんでア、早うでんぐり返《けえ》りな、素直にでんぐり返《けえ》って舟へ乗って渡って来てかんせ! 無茶あしねえものだべなア」
 そこで、この川原の中の裸男は、両岸から船頭の怒号の機関銃を浴びせかけられたような立場になりましたが、いっこう立ちすくみもしないで、予定の行動をとっているのです。
 こうなってみると田山白雲も、なるほど、あの短気者の挙動は、一応痛快には似ているけれども、理由としては、船頭の方に充分の根拠が無いではない。
 緩慢は緩慢として、スロモはスロモとして、それは責めてよろしいが、緩慢であるが故に、スロモであるが故に、渡し船の存在しているところを、身を以て直接行動をとってよろしいという理由にはなるまい。
「ここは一応、船頭の言い分を立てて、立戻った方がよかろう、そうして置いて、彼等の怠慢ぶりをとっちめてやる時には、我等も相当の義憤を以て応援する」というような気持にまで田山白雲も緩和されているけれども、当面の裸男は一向ひるむ様子も見えず、大手を振って堂堂と川渡りを決行して来る挙動が、かなり大胆不敵なものであって、見る人に、好奇以上の恐怖と、警戒とを与えずには置きませんでした。
 ああして白昼堂々と川破りを決行するからには、捨身でかかっているのだ、だから何をしでかすかわかったものではない――という恐怖心が、すべての人の頭を襲いました。
 そうしているうちに、あちらの岸の渡頭から、法螺《ほら》の貝の音が高らかに響き出しましたのです。

         三

 この際、法螺の貝の音には田山白雲も、多少おどかされざるを得ませんでした。
 相当|喧噪《けんそう》な人間の雑音は、こういう際だからやむを得ないにしても、この中へ、非常時用の器楽が一つ加わろうとまでは思い及ばなかったことでした。
 向う岸で法螺《ほら》の貝を吹き出すと、やがてこちらでも、いつのまにか、田山白雲のつい足許《あしもと》から同じ貝の音がすさまじく響き出しました。
 法螺の貝の音が聞え出すと共に、あちらの畑や、こちらの木蔭や、川にもやっていた舟の底なんぞから、一人、二人、三人、四人、続々と人間が首を出して来て、いずれもかなり不穏な面《かお》つきをしながら、おのおの両岸の法螺の鳴っている根拠を目指して集まり寄るのは、非常召集の合図を聞いた屯田兵《とんでんへい》のようです。
「これは存外、事が重大になりそうだわい」
 田山白雲は、自分の身の上に何か相当の危難が降りかかりでもするかのように、川の中の強情者の行動を改めて篤《とく》と見据えて見たが、事態がしかく物々しくなりつつあるに拘らず、事実はかえって簡単明瞭なものに過ぎないということを直覚して、かえって安心した気持になります。
 不安の目的物たる存在が、現在、眼の前にいるのですから、問題としては、複雑した事情というものは更に無いのです。万一、これが夜分であるとか、あれがまた川を縦に走り出した日には、川上へ行っても、川下へ下っても際限が無いのですけれども、川を横切って、そうしてこちらを向いて、白昼たった一人でやって来るのですから、その取扱いは極めて簡単明瞭といわなければなりません。言葉を換えて言ってみると、向うから追い落した獲物《えもの》を、こちらに網を張って待っていると、獲物それ自身が、その網にかかりに来るような方向を取って進んで来るのですから、進退の節《ふし》は極めて明らかなもので、かえって両岸の狼狽ぶりがおかしいほどのものです。
 かくして右の裸の人物は、無事にこちらの岸に到着してしまいました。法螺の貝の下《もと》に集まった連中は、直ちに川原へ駆けつけて、怖々《こわごわ》とそれを遠巻きにして取詰めて行くあんばいで、頓《とみ》には取押えようとはしません。
「寒いことざえ、凍《こご》えてうっ死《ち》んじあうべ――この寒い水ん中をなあ」
 時は初秋とはいえ、北地は寒い。ああして一途《いちず》に水へは飛び込んで来たものの、ようやく岸へ辿《たど》り着いた時分には、ここで一番焚火でもして身を温めてやらぬことには慄《ふる》え上ってものの用には立つまい――と内々|藁火《わらび》の用意まで心がけて待構えていると、岸へ上った右の裸男は、そこで頭上の衣類を取卸すと共に、その中から手拭ようのものを引張り出して、ゴシゴシと身体を拭い出した様子を見ると、別段、慄えても凍えてもいないようです。
 それから衣類を解きにかかって一着に及びました。帯も極めて無雑作《むぞうさ》に引締めて、その次に袴《はかま》を穿《は》きにかかりました。袴を穿き出した時に、取詰めに行った法螺の貝の手勢が、また少しばかり動揺して、
「あ、裃《かみしも》を着ていやがるぞ!」
 裃ではない、袴だけです。その袴とても、彼等が見てこそ裃だが、田山白雲あたりが見たのでは、あんまり感心した袴ではないのです。縞目《しまめ》のところは更にわからない、地質の点も不明なのですが、一見してわかるのは、その桁丈《ゆきたけ》の極めて短いということだけです。
 さて、この短い袴をつけてから、次に長い刀を取り上げて腰に差しました。

         四

 その刀の長いこと――袴が短かかっただけに、特に刀の長いのが目立つのでもあろうが、刀そのものを独立させて見ても、たしかに世の常のものよりは長い。それがこの場合、ことさらに長く見えるのは、短い袴が引立て役をつとめているばかりではない、今まで人品骨柄のことは言わなかったが、本来この男の人の身の丈が、普通人よりはずっと低くして小さかったのです。すなわち短躯矮小《たんくわいしょう》の人物でありました。
 田山白雲は、曾《かつ》て何かの時の戯れに、「一寸丹心」と書くべきを、「一寸短身三尺剣」という戯画を描いて、極めて矮躯短身の壮士に、図抜けて長い刀を差させた一枚絵を描いて、平山行蔵に見せたことがある。
 その一枚絵を思い出して、思わず微笑しないわけにはゆきませんでした。本来は、突然こういう微笑だけでは済まされない、まず取敢《とりあ》えず吹き出してしまったかも知れないのですが、今日のは、最初の出が緊張していた上に、鳴物入りの凄味《すごみ》まで加わってここへ来ているのですから、ただ若干の失笑を余儀なくされただけで、なお一心に事のなりゆきを見守っておりました。
 長い刀は差し終ったが、脇差に至っては、その以前に手早く差し込んでしまったのか、或いはまだ差していないのか、その辺がわからないうちに、右の人物は鉄扇様のものを手に持って、太鼻緒の下駄を足に突っかけて、河原の石をガランゴロンと踏み分け、両肩を聳《そび》やかして、さっさと、逃げ隠れもわるびれもせずに、こちらへ向って闊歩《かっぽ》して来るのであります。
 白雲は、もはやこの男の人品骨柄から、衣類持ちものまでも見るのに遠眼鏡を要しません。頭こそ元服はしているが、年齢はまだ若い――おそらく十七八歳を出でまいと見られる若者でした。袴を穿き、鉄扇を持っている。長い刀、それは最初遠目に見たところと更に違いはないが、問題の脇差はついに見当らないということに結着しました。
 つまりこの男の腰には、長い刀の一本だけ横たわっていて、そうして他の差添えというものは何もないことを知ってみると、どうも変則な武装だと思わずにはおられません。
 脇差はどうしたのだ。
 差し忘れたのか、本来差して来なかったのか、それとも、只今の乗切りで川の中へ取落しでもしたのか。
 田山白雲がよけいな心配までしてやっている時分に、法螺《ほら》の貝の手勢が、真黒くなって早くも右の小兵《こひょう》の長刀の男を取囲んでしまいました。本来、小さい身体なのですから、雑然たる多勢に取囲まれては、忽《たちま》ち姿を呑まれてしまうのは是非もないことで、多勢の中に呑まれてしまうと、田山白雲としては、もはや遠眼鏡を以てしても、肉眼を以てしても、その男の姿を認めることはできなくなって、ただすさまじい喧々囂々《けんけんごうごう》だけを耳にするばかりです。
「あぎゃん、こぎゃん、てんこちない、たんぼらめ!」
「渡し場には渡し場の掟ちうもんがあるのを知らねますか?」
「そぎゃん川破りをお達し申せば、お関所破りと同罪ぎゃん!」
「棹《さお》を出し申すまで待たれん間じゃござんめえ、とっべつもない!」
「けそけそしてござらあ。いってえ、こんたあ、どこからござって、どっちゃ行く!」
「わや、わや、わや」
 思いきって土音雑音を発揮するらしいが、別段、手出しには及ばないようです。

         五

 取巻く土地の人々が、思い切って土音を発揮する上に、取巻かれている当の男が、またその男特有の地方音をもってあしらっているのだから、白雲の耳に、そのまま移すことができないのは道理だが、しかし最初からの事情は篤《とく》と見ているし、土音方言がわからないにしても、日本人の言語であって、おたがいの怒罵喧噪《どばけんそう》の性質も、表現も、呑込んでいるのですから、要領を得ることはさのみ困難ではありません。
 渡場守《わたしもり》とその加勢の人数の方は、主張するのに渡頭《わたしば》の規則を以てし、その規則破りを責めるのに相違なく、渡って来た方は、しかするのやむを得ざるに出でた理由を抗弁しているのに相違ないのです。
「わしは道を急ぐから、川あ越して来たまでのこんじゃ、それがどうした。いったい、貴様たち、人を責める前に、なぜ自ら顧みることをせんのだ、かように両岸に人が溢《あふ》れて舟を待って焦《じ》れおるのに、貴様たち一向舟を出すことなさん、緩怠至極じゃ。おのれらの緩怠を棚にあげて置いて、人を責むるのが不届きじゃ、人を責むるならば責むるように、己《おの》れの怠慢から見てせい」
「わや、わや、わや」
 川破りが抗弁すると、それを取巻いた渡頭守《わたしもり》の味方が土音方言をもって、わや、わや、わやとまぜ返すのです。
 田山白雲は、ともかくその現場へ行って見るために、その小高いところを下りながら川の手を見ると、矢を射るように――と言いたいが、川の流れを横切るのだからそうもいかないが、かなり勢いこんで彼方《かなた》の岸から早舟が飛んで来るのを認めました。続いて通常の渡し船が、スロモの腰を上げて、こちらへ向ってやって来るのを認めました。
 そこでまた踏みとどまって、遠眼鏡を取り直して、まず早舟の方を見ますと、中には相当の士分が、同心と、村役人のようなのとに附添われて乗込んでいるのを認めて、何か役向の出張だなと感づきました。
 同時に、役向とすれば、いずれの藩の役人か。自分はすべて仙台領とばかり信じて、ここまで来ているのだが、川一つ向うは、もう南部領にでもなっているのではないか。仙台領と南部領とは、かなり入組んでいると聞いたが、領分が違ってくると、これで自分の旅をする気分も相当に変えねばならないことがあるものだ。
 漂浪を生活としている自分は、習い性となって、これでおのずから、郷《ごう》に入《い》っては郷に従うのコツを覚え込んでいる。仙台領へ来ては、仙台領の人となりきったつもりでいるが、まだ南部領の人となった心構えは出来ていない。今ああやって、早舟でやって来る役人が、仙台領の人であるならば仔細はないが、南部領の人であってみると、そこに相当の気分を転換してかからねばなるまい。よしよし、ここに駒井甚三郎から借りて来た最新式の遠眼鏡というものがある、この地点へ、この視官の飛道具を押据えてからに、あの早舟がいかなる性質の人を乗せて来て、こちらのわやわやをどう捌《さば》くか、これを見定めての上で、おもむろに天王山を下るも遅くはあるまい。
 田山白雲は、こんなような考えを起して、いったん下りかけた小丘を、また頂上まで上りつめて、そうして、遠眼鏡を取り直した時分に、早舟は早くも岸へ着きました。

         六

 今まで、船頭共だけであしらい兼ねていた問題の川破りの男が、やがてこの早舟で来た役人たちの取調べに引渡されてしまい、そこで役人たちが川破りを受取って、実地取調べにかかる段取りになってみると、白雲もここに超然とは落着ききれないものがあると見え、どうしても一歩一歩と高きを下らざるを得なくなって、ついに人垣の後ろへ立って、いちぶしじゅうを見届けることになりました。
 臨時予審廷といったようなものが、渡頭の上の茶店の内から外へ溢《あふ》れて行われているのですが、ちょうど今、ようやく訊問がはじまろうとする時でした。役人が家の中の床几《しょうぎ》に腰をかけて、川破りの男がその前の土間に突立っている。
「君はドコから来た」
 役人は、土地の船頭共のように甚《はなはだ》しい土音は用いないで、まず通常の標準語で問いかけると、川破りもまたこれに準じた言葉で、
「南部から来申した」
「南部のどこから来た」
「恐山《おそれざん》から」
「恐山? 恐山に住んでいたのか」
「八戸《はちのへ》の生れだが、恐山に修行していた」
「何の修行を?」
「何ということなく、あの山で修行をしていた」
「八戸に生家がござるのか」
「ござる」
「身分は――」
「父はお山改めだ」
「そうして君は?」
「その二男だ、上には兄貴があって、下には妹がある」
「ふーむ、それが、この地方へ何しに来たのだ」
「江戸へ行こうと思ってやって来たのだ」
「江戸へ、何の目的で?」
「何の目的ということはないが、江戸は天下の膝元ということだから、そこで修行をしたい」
「君は最初から修行修行と言うが、修行にもいろいろある」
「もちろん、修行にもいろいろあるが、まず一匹一人の修行をして、男になりたいと思っているだけだ」
「一匹一人の修行というのも変なものだが、とにかく、道中の手形は持っているだろうな」
「それは持っている」
「見せてもらいたい」
「この通り」
 川破りは、懐中袋から相当のものを取り出して役人に示しました。それでも感心に、御法通りのものは持っているらしい。
「八戸城下|小中野《こなかの》――柳田平治というのだな、君の名は」
「左様」
 役人はそれを見て、一応は納得したようでしたが、続いてその訊問が、眼前に掟《おきて》を破った川破りのことには触れないで、ジロジロとその長い刀を見ながら、
「君、君の刀は大へんに長い」
「長いです」
 男は役人の面《かお》を見上げた。長かろうと、短かかろうと、よけいなお世話だと言わぬばかりに、
「三尺五寸あります」
「素敵に長い――抜けるかね」
「抜けない刀は差さん」
「ひとつ、抜いて見せてくれないか」
「見せ物にするために差した刀ではござらぬ」
「とにかく抜いて見せ給え」
「見せるために抜くべきものではござらぬ」
「それを見たいのだ」
 今まではかなり温顔にあしらっていた役人が、はじめて多少の威権を示しての言葉でしたから、見物の者をヒヤリとさせました。

         七

 一方のは刀は見せ物ではないというのです。抜いて見せろと言っても、抜くべき理由と事情が無い限り、抜けないというのが一方の主張で、それをやや高圧的に、是でも非でも抜いて見せろ――とカサにかかり出したのが役人側の態度でした。
 こうなると、一方が威権に屈従しない限り、職権の発動とならなければならない。その雲行きを見て、附添って来た村役人の老巧らしいのが、白髪頭《しらがあたま》を振り立てて川破りの小男に向って来て、なだめるように次のような理解を試みたのを、白雲は、村役の白髪頭と共に耳にうつしとって、目附の役人が高圧的な要求も必ずしも無理ではないと思いました。
 というのは、南部の盛岡の城下で、つい数日前、人を斬って逃げた者がある。斬ったのは何者かわからないが、斬られたのは家中でもかなり身分の重いものであるらしい。その犯人の行方《ゆくえ》を探し求むるがために、それとなく御出張になったもので――ともかく、目星をつけた人に、一応刀を抜いて見せてもらうことが、これまでの例になっている。人を斬った以上は、血のりを拭い去ろうとも去るまいとも、その当座は膏《あぶら》が浮いている、というのが有力なる証拠の一つということです。ですから、嫌疑のあると無いとに拘らず、一応は礼を以て、刀の中身を見せてもらうということが役目の手前ということになっているし、要求された方も、身に後暗いものが無い限り、快くその要求に応じてくれるのが例となっている。それを同様に、ここで繰返して要求するまでだということです。
 右のように説明されてみると、あながち役人が権柄《けんぺい》のためや、物好きに抜かせてみようというわけではなく、当然のお役目のために要求するのだ。そこで、この一人の川破りのために、物々しく貝を吹き鳴らしたのも、必ずしも川破りを咎《とが》めようとするのが目的でなく、ちょうど来合わせていた右の目附の一行が、それ! と見て、怪しいと心得て警戒を命じ、自分たちはあとからおっとり刀で早舟を飛ばせたという段取りになっていることがわかりました。
 立聞きをしていた田山白雲も、これはまず役向の要求として無難なことであるとは思いました。
 その理由を、むずかしい面《かお》をして聴いていた川破りの小男――もうすでに本名が柳田平治とわかっているから、その名を用いることにする――柳田平治が少し気色《けしき》ばんで、
「では、抜いてお目にかけよう」
と言いました。
「どうぞ」
「しかし、抜くには抜くが、一度限りでござるぞよ」
と柳田が念を押しました。
「もちろん、一度限りでよろしい」
 役人も頷《うなず》きました。
「身共は恐山の林崎明神のお堂でちっとばかり居合の稽古を致したにより、流儀によって抜いてごらんに入れようと存じ申す」
「それは一段のこと」
「流儀によって、一度だけは抜いてごらんに入れ申すが、二度は相成りませぬぞ」
「念を押すまでもないことじゃ」
「では、抜いてお目にかける」
 柳田平治は、少し前の方へ進んで身構えをしました。
 どうして、あの小男が、あの長剣を抜くか、長井兵助や、松井源水を見つけないこの地方の人々には、少なからぬ驚異でありましたが、田山白雲もまた固唾《かたず》を呑み、思いがけない見物をすると共に、この小男のかなり強情なのに呆《あき》れました。

         八

 刀の中身を見たいと言うので、刀の抜きっぷりを見せてくれと言ったわけではないから、こう物々しく前へ出て身構えをし直さなくともよかりそうなものだと思われないこともない。素直に、「いざ、存分にごらん下さりましょう」とかなんとか言って、鞘《さや》ぐるみ差出した方が神妙でよかりそうな場合ですけれども、柳田平治はそうはしないで、すっくと二三歩あるき出して、そこで長剣をゆり上げて身構えをしました。
 その時、田山白雲が見ると、柳田の目つきが尋常でないと思いました。血走っているというわけでも、殺気が迸《ほとばし》るというわけでもないが、なんとなく一道の凄味《すごみ》が流れ出しました。つまりこの男は、真剣に刀を抜く気だな、ただ抜いて見せるだけでなく、居合の呼吸で抜いて見せるつもりだな、と考えざるを得ないのです。
 田山白雲も、少々居合の心得が無いではない。「こいつ相当にやるな!」と思ってこの男の人相を見直すと、頭のところの月代《さかやき》の中に、大小いくつもの禿《はげ》が隠れつ見えつしている。その禿というのは、天性、毛髪が不足しているというわけではなく、相当の期間以前に生傷《なまきず》であったものが癒着《ゆちゃく》して、この部分だけ毛髪がなくなっているのだとしか見られないのです。これだけによって推想してみても、子供時代から、手にも足にも負えなかった持余しもので、その負傷の中には、柿の木から転び落ちて打った傷もあろうし、隣村の悪太郎からこば[#「こば」に傍点]石をぶっつけられた合戦の名残《なご》りと見られるものもあろうし、時とすると、真剣で浅く一殴りやられたものではないかと思われるほどの三日月形のも見えるのです。
 そこで、改まって茶店の前で身構えをした時には、役人をはじめ、見ている者が、なんとなく穏かでない気分に襲われました。
 やがて、腰のところへ手をあてがって、いわゆる居合腰になったかと見ると、スラリと水の出るように三尺五寸の長い刀を抜き出して、そうして、それを役人の目の前へ持って来て、ピカピカ二三べん閃《ひら》めかしたと思うと、スラリとまた鞘《さや》の中へ叩き込んで、多少の鍔音《つばおと》もさせませんでした。
「ごらん下されたか」
「うむ――」
「いかがでござりましたか」
「うむ――」
 役人は、もう一ぺん改めて抜いて見せろとも言わず、こちらへよこせ、自分で抜いて見届けて遣《つか》わすとも言いませんでした。柳田の挙動に気を呑まれたというわけではなかろうが、最初の約束に、一度限り見せて進ぜる、いかにも一度限り、苦しくない――という誓言《せいごん》が物を言って、そこでそれ以上の註文は出せないらしい。
 見物の中には、わき見をしていたために、この男が長い剣を抜いた抜きっぷりを見なかったのみならず、中身はもちろん、それを鞘に納めたのまで見損ったものもありました。まだ抜かないのだな、まだ抜いて見せないのだな、これからが勝負だとばかり思っているうちに、市《いち》が栄えてしまったという次第です。
 それですべてが落着して、さしもやかましかった川破りも、刀調べの結果も、何のお構いも、お咎《とが》めもないということになると、柳田平治は肩で風を切って、さっさと前途に向って出立してしまいました。前途というのは、仙台方面へ向けて、つまり江戸へ行くという目的の方向なのであります。

         九

 呆気《あっけ》にとられた多数と共に、その後ろ姿を見送っている田山白雲は、その去り行く柳田平治の恰好《かっこう》を、おかしいものだと思わずにはおられません。
 長剣短身は変らないが、その歩きっぷりというのが、さいぜん河原の中で見た挙動とは、また打って変った趣きがある。
 それは小男としては大股に歩くのですが、足には太い鼻緒の高下駄で、そうして肩で風を切るというけれども、その風の切りっぷりが鮮か過ぎるので、少々身をうつむきかげんにして、右の肩が先に出る時には、それと共に右の足が著しく進出して、後ろの肩が思い切って後退する。左の肩が出る時は、左の足がそれに準じて大股になると共に、右の肩が思い切って後ろへ開かれる。その早足の調子と相待って、ぎくしゃくとした形、どうしてもおかしからざるを得ないのです。
 けれども、その渡頭《わたしば》に呆然《ぼうぜん》として群がっている者が誰ひとり、笑って見送るものはありませんでした。どうもこれだけでは、笑って済まされない何かが残されてあるような気勢がしているからです。
 さて役人の方は、これだけの査問が終ると、少々テレ気味で引揚げ、以前の早舟に飛び乗ると、さっさと舟を向う岸へ戻させてしまいました。その最後に当って、通常の旅客を満載した定期の渡し船が、向うの岸からこちらの岸へ到着しました。
 それと入り代りに、こちらに待兼ねた士農工商が、いま到着した渡し船に、普通ならば我先に乗込むのですが、今日は二の足を踏む者が多いのです。
 それというのは、向うから着いた旅客に向って、この際、向う岸の動静を聞いて置きたいという心持と、あちらから乗込んで来た一行も、何か事の仔細を、新たに向うへ渡ろうとする旅客に話しかけようとする気分が動いていたからで、そういうことに頓着ない老人子供などは、先へ乗込んだけれども、なかには、まだ一舟遅らせても新来の客と話し込んでみたいという者もありました。それがカチ合って、茶店の中での問答に興が乗ってきました。
 今度は、物騒な川破り男もいないし、役人も行ってしまったから、心置きなく乗合衆の世間話に興が湧き上って来る。
 田山白雲としても、この際、ちょっと立てなくなりました。只今さっさと風を切って立去ったところの、あの長剣短身の男の行方もどうやら気になる。そうかといって、この場へ齎《もたら》されて花が咲こうとしている向う河岸《がし》から新来の旅客の世間話が、どうしてもこの際、聞きのがせないものの一つとなっているようだ。
「えらいことじゃ、南部の御家老様のお嬢様をそそのかして、連れて逃げた奴がござる、その追手じゃな――それと前後してからに、南部の御城下で、お歴々の首を斬って立退いた奴があるとのことじゃ、それでお目つけがああしてお調べにおいでじゃわい」
と、向う岸から来た乗客のうちの年配なのが、土間の炉端の床几《しょうぎ》へ腰をかける匆々《そうそう》、こう口走ったのを、他の人数と同様、白雲も、更にその詳しい説明をここで聞いて置きたい気持になりました。
 よし、事のついでだ、ここで一番、川魚でもあぶらせて、腹をこしらえてやろう。こっちもこれから前途相当に多事である。なんにしても腹をこしらえてのことだ。
 白雲は、どっこいしょと腰を据え直し、持参の割籠《わりご》を開きにかかりました。

         十

 割籠を開いて、川魚をあぶらせ、腹をこしらえながら田山白雲は、向う岸から新来の乗合客のゴシップを聞いていると、最初に齎されたところのもの以上には詳しいことを知ることはできなかったけれども、要するに、南部の家老の非常に美しいので有名なお嬢様を、そそのかして連れ出した悪い若侍がある。悪い奴だけれども美しい男で、それに腕が利《き》いているのだということ。もう一つ別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って立退いたものがある、その探索をも兼ねてあの役人が出張したということ。
 右のうち斬捨てられた軽からぬ身分の者というのが、どのくらいの程度のものであるかよくわからないが、どうも前後の話を取合わせると、右の悪い若侍がそそのかして連れ出した娘の父であるという家老ではないか、家老であるところの父を斬って、その子であるところのお嬢様というのをそそのかして連れ出したのではないか、というように想像されてならないが、話の筋道は全く事件と性質を異にしたものになっている。
 事件と性質とを異にしていても、いなくても、前者の事件には、今の長剣短身の男は絶対にかかわりがないと見なければならない。美しいお嬢様なり、姫君なりを連れての道行《みちゆき》ではなかったし、あの男自身も、美男で色悪《いろあく》な若侍とは言えまい。
 だが――第二の事件、別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って捨て、行方をくらましたというのへ当てはめてみると、あの男に相当ピタリと来るものがないとは言えないのだ。あの男ならば、意趣や遺恨は別として、単に出逢頭《であいがしら》の話の行違いだけでも、ずいぶん抜く手を見せ兼ねない。嫌疑としても容疑としても、その点は相当のものなのだ。刀の調べられっぷりでも、あれでは結局役人をばかにしたようなものだ。ばかにされたようなものだと知りつつ役人が黙過したのは、二本目を抜かせまいがためだ。二本目を抜かせると、何をやり出すか知れない!
 その危険性は白雲もまた、充分に見て取っているのだ。ああいう際には、暫く不問に附してみることも、役人として卑怯なりとは言えない。だが、あの当座だけ大目に見られた御当人が、これから先、あの調子で、江戸まで往来が為《な》され得ると考えたら大間違い。恐山から来たと言ったが、本当の山出しで、まだ世間を知らない。立ちどころに行詰まって、立腹《たちばら》でも切らなければ納まらなくなるのが眼に見えるようだと、白雲はそれを思いやり、笑止千万に感じながら、でも、なかなか痛快な若者ではある、自分が帰りがけでもあれば、同行して面倒を見てやってもいいが、今はそうしてもおられない。
 いや、飯も食い終った、乗合も散った、さあ出かけよう、と田山白雲が若干の茶代を置いて、この渡頭の茶店を立ち出でると、出逢頭に、のこのことこの場へやって来たものがありました。
 見ると、それが今の思出し男、恐山から来た柳田平治に相違ありませんから、白雲も思わず、たじたじとしたことです。何をどうしたのか、先刻あれほど肩で風を切って出かけて行った男が、なんとなく浮かぬ面《かお》で、すごすごとまたここまで舞い戻って来たということが、白雲をして面食《めんくら》わせることほど、意外千万な引合せであったからです。

         十一

「どうしたのだね、君」
 あまりのことに、田山白雲が身近く寄って来たところのこの男に向って、かく呼びかけざるを得ませんでした。
「忘れ物をしました」
「忘れ物、何を忘れたのです」
「手形を忘れました、旅行券を」
「なるほど――」
 その手形というのは、さいぜん、現にここで、この男が懐中からさぐり出して役人に提示して見せたのを、現に田山白雲も見届けておりました。
 あの際、紛失したのか、或いはここを出て暫く行く間に取落しでもしたものか、いずれにしても、粗忽千万《そこつせんばん》の咎《とが》は免れない。隙のないようでも、若い者の手はどこか漏れるところがある。これから先、山河幾百里の関柵《かんさく》をあけて通る鍵だ。その唯一の旅行免状を取落して何になる。これではさすがの強情者も、浮かぬ面をして取って返さざるを得ない出来事だと、白雲も思いやりました。
 しかし、事実はここで役人に提示したのだから、これよりあとへ飛んで戻るはずはない。柳田平治はまず店先よりはじめて、その辺を隈《くま》なく探し求めましたけれども、ついにそれらしい何物もありません。
 柳田はついにその長剣を背中へ廻して、低い縁の根太《ねだ》の下まで探してみたけれども見出せないのです。白雲も同情して、そこらあたりを漁《あさ》って見てやったけれども、発見することができません。
 さしもの豪傑も、ここに至っていたく銷沈気味でした。
 茶店の老爺《おやじ》も気の毒がって、炉辺のござ[#「ござ」に傍点]までめくって見せたけれども、附木《つけぎ》っ葉《ぱ》と、ごみ[#「ごみ」に傍点]と、耳白《みみじろ》が三つばかりあるほかは何物もありませんでした。もしやと、少し下りて船頭小屋から渡し場のあたりまで調べてみたけれども、ついにそれらしい何物もありませんでした。
「もうやむを得ん」
と言って柳田平治は、腕組みをしたまま突立って、川原の彼方《かなた》を無念そうにながめました。
 居合にかかろうとする瞬間である。問題はそこだ。そこでいったん懐中へ蔵《しま》い直したはずの手形が紛失したのだ。
「どうも見えないね、君」
 白雲は慰め顔にこう言うと、腕を拱《こまね》いていた柳田平治が、
「是非に及ばんです、いや、僕が悪いのです、こちらに隙があったからです、修行が足りないからなんだ」
「過《あやま》ちというものは誰にもあるものだ、そう気を落さんで、もう一度、念入りに探し給え、拙者もたしかに、ここで君が役人に見せたのを見届けているのだから」
 再び白雲が言うと、
「いや、過ちではないです、僕のぬかりなのです、あの時、刀を抜く方に気を取られて内懐ろに隙が出来た、それが未熟の致すところなのです。あの時に取落したんじゃない、あの時に抜き取られたのです。しかも抜き取った奴の面までちゃんと僕は覚えているんですが、今となってはどうにも行かんです」
 じっと、向う岸を睨《にら》んだ眼の中には、存外、自制もあれば、分別もあることを、田山白雲は認めました。果して落したものでない、抜き取られたものであるとすれば、抜き取った奴は何者か。何のためにしたことだ。居合を見事に抜かれたその仕返しに、こちらは懐中物を抜いてやったというのは、いたずらにしても細工があり過ぎているではないか。

         十二

 向う岸を睨みながら、柳田平治が、なおひとり言のように言いました、
「役人の傍に変な奴が一人いたのです、今となってわかるのです。なぜわかるかと言えば、あの、僕がこれを抜こうとした瞬間に、誰の心もみんな僕に向って集中するのはあたりまえなんで、みんなの心が集中するから、こちらも精神の統一が出来て、わざがやりよいのです。しかるにあの時、役人の傍に一人だけ変な奴がいて、何か僕の周囲《まわり》で、別な心持を持ってちょこまか[#「ちょこまか」に傍点]していたのが、いま思い当るのです、そいつが僕の手形を抜き取ったのです」
「人の手形を抜き取って何にするつもりだろう」
「何にするつもりか、それはわからんですが、単なる悪戯《いたずら》でもないでしょう。しかしです、もうそれと知った以上、詮議しても無駄ですから、僕は諦《あきら》めます」
「あきらめると言ったところで君、これから旅行免状なしに、どこへ行こうとするのだ」
「手形は無くても、道路があり、足がある以上は、行って行けないはずはないでしょう」
「そりゃあ理窟というものだ、君はまだ旅というものを知らない」
と、改めて田山白雲は、この青年に教訓してやる心持になりました。
 この青年は旅を知らないが、自分は知り過ぎている。旅というものは、足だけでできるものではない、行路の難というものは、山にあらず、川にあらず、ということを、一席聴かせてやることが、この際、後進に対する重大な教育だと感じないわけにはゆかないのです。
 そこで田山白雲が、この青年をとらえて、旅というものの教訓を始めようとする時に、この茶屋の前がまたにわかに物騒がしくなりました。
 それは、往還の要衝たる渡頭のことですから、相当|賑《にぎ》やかなのは当然のことですが、賑やかと物騒とは調子が違います。只ならぬ人間の犇《ひし》めきが、今度はこちらの岸から起り始めたかのようです。白雲が、話題の鼻を折られていると、その前へ繰込んで来たのは、たしかに物騒な一行で、抜身の槍、突棒《つくぼう》、刺叉《さすまた》というようなものを押立てた同勢が、その中へ高手小手に縛《いまし》めた一人の者を取押えながら、引き立てて来たのであります。
 二人は、押黙って、その光景を見ないわけにはゆきませんでした。
 まず、真中に取りおさえられ、引き立てられている当人を見ると、それは、黒の羽二重《はぶたえ》の紋附を着て、髪は五分|月代《さかやき》程度に生えて、色の白い、中肉中背の二十歳《はたち》を幾つも出まいと思われる美男でした。それが着物は引裂け、朱鞘《しゅざや》の大小をだらしなく差したまま、顔面にも、身体にも、多少の負傷をしながら、高手小手にいましめられて、引き立てられて来るのです。
 そうして、この茶屋の前を素通りしてグングンと引き立てられ、渡頭の方へと引かれて行くのは、舟で向う岸へ運ばれて行くものと見える。
 思いがけない兇状持ち、それを無言で見送った途端、田山白雲の頭に閃《ひらめ》いたのは、さいぜんの乗合者の話――南部の家老の娘をそそのかして連れ出したという、美男の、色魔の、若侍の物語でありました。今ああして縛られて行ったのが、どうしてもその当人と思われてならぬ。あれが捕われたのだ、それがもはや疑う余地のないほどピタリと白雲の頭に来ました。

         十三

 上来の事件とほぼ時間を同じうして、距離に於ては向う岸の渡頭から南へ一里余を隔てた、追波川《おっぱがわ》が湾入して、大きな沼池をなしているところの荒れ果てた石小屋の中の、一方へ空俵を重ねて、その上へ毛布を敷きこんで、寝そべっている若い女の子がありました。
 島田に結った髪がほつれてはいるけれども、花模様の着物の着こなしも、朱珍の帯のしめっぷりもきちんとはしている。だがまた、いやに艶めかしいところもあって、寝そべって、細くて白い、そのくせ痩《や》せてはいないで、少し蒼味を持った肉附のいい両腕を、双方から、ぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]あたりへあてがって、そうして甘えるような、また自暴《やけ》のような声で、
「つまんない」
と言いました。
 そうすると、つい、その戸じまり一重《ひとえ》次になった臨時お台所で、
「ツマンナイコト無イデス」
と言う、がんまり[#「がんまり」に傍点]した、その上、多分の寸伸びを持った応対。
 見ると、そこに、不器用な手つきで、焜炉《こんろ》を煽《あお》って何物をか煎じつつあるその男は、これはずいぶん変っていました。まず眼の色、毛の色が変っているのみか、その体格が図抜けて大きいのが何より先に眼につきます。これは、月ノ浦に泊っている駒井甚三郎の無名丸から脱走して来たマドロスに相違ありません。してみると、無論、この一方に寝そべって、「つまんない」と投げ出した、妙にじだらくな若い女の子は、右のマドロスにそそのかされて、共に駒井甚三郎の無名丸を脱走して来た兵部の娘に相違ないでしょう。いや、マドロスに誘拐されたのか、マドロスをそそのかしたのか、そのことはよくわからないが、こうして一方が不貞腐《ふてくさ》れの体《てい》で寝そべっているのに、一方が庖厨《ほうちゅう》にいて神妙に勝手方をつとめているところを見れば――位取りの差はおのずから明らかであって、つまり、女が天下で、男が従なのです。女が比較的にヒリリとして、男が多分に甘い。
「ああ、つまんない、つまんない」
 女の方がいよいよ自暴《やけ》になって、ほつれた髪の毛を動かすと、大男が、
「アア、ツマンナイコト、チットモナイデス」
「マドロスさん、お前の言ったことはみんな出鱈目《でたらめ》ね」
「デタラメデナイデス、本当デス」
「一つとして本当のことは無いじゃないか、この海を一つ乗りきりさえすれば、外には直《じ》きに大きな黒船が待っていて、わたしたちが着けば、その大きな黒船の上から梯子《はしご》を投げかけてくれる、それに捉まって上ってしまいさえすれば、もう占めたもので、あの黒船の中は、またとても外から見たよりも一層大きくて、美しくて、その中にはキャビンというものがあって、室内いっぱいの大きな鏡があって、下には花のような絨氈《じゅうたん》が敷いてあって、御馳走は、朝から晩まで給仕さんが、世界中の有りとあらゆるおいしいものを、注文さえすればいつでも持って来てくれる、それから夜は、中へ入るとふわりと身体が包まって、どこへ隠れたかわからないベットというやわらかなやわらかな蒲団《ふとん》の上に寝かせてくれる、そうしてその大船が、千里でも二千里でも畳の上を行くように辷《すべ》って行って、そうしてやがて、異国の陸《おか》に着いてからがまた大したもので、どこを見ても、御殿のようなお家ばっかり、孔雀《くじゃく》や錦鶏鳥《きんけいちょう》が、雀や鶏のようにいっぱい遊んでいるのなんの言っていながら、黒船なんぞ、どこにも見えやしないじゃないか――」

         十四

 娘がずけずけと不平を並べるのを、男はハイハイと頭を下げて、
「モ少シノ辛抱デス、オ嬢サン、ココデ仕度ヲシテ、ソレカラ海ヘ出ルデス、海ヘ出ルト黒船ガ待ッテイルデス」
「当てにならないね、マドロスさんの言うことは」
「当テニナルデス、今ココヲ逃ゲ出スト、人ニ見ラレルデス、人ニ見ラレルト、黒船ニ乗込ム前ニ捕マッテシマウデス、モ少シノ辛抱カンジンデス」
「もう、わたし、辛抱がしきれない、誰かに見つけ出してもらいたいわ」
「見ツケラレルト怖《こわ》イデス、捕マルデス、縛ラレルデス、ソウシテ船ヘ送リ返サレルト、ブタレルデス」
「怖かないわ、駒井の殿様は、そんなにきつく叱りはしませんよ」
「船ド[#「船ド」に傍点]サンタチガコワイデス、ワタシ袋叩キニサレマス、間違エバ簀巻《すまき》ニシテ海ノ中ヘ投ゲ込マレテシマウデス」
「そんなこと、ありゃしませんよ。もしかして船頭さんたちが、そんな乱暴をした時は、駒井の殿様が差止めて下さるわよ。それから、金椎《キンツイ》さんは神様を信じているから、わたしたちがこんな間違いをしたって許してくれる。それから茂ちゃん――あの子は何をするものですか。ああ、わたし、無名丸へ帰りたくなってしまった、誰か迎えに来てくれるといい」
「ソンナコト、イマサラ言エタ義理デハナイデス」
「ではマドロスさん、早く黒船へ乗せて頂戴な、黒船をここまで呼んで来て頂戴」
「ソレ無理デス、黒船大キイ、コンナ川ヘ入ラナイ」
「でも、この川もずいぶん大きいじゃないの」
「サ、オ餅、焼ケマシタ、オアガリナサイ」
と言って、一方の火にかけた鉄桿の上から、マドロスが真黒いものを一つ取って、娘の枕元へ差出すと、娘はちょっと横を向いて、ちらとその黒いものを見やり、
「何なのそりゃ、マドロスさん、いやに真黒なもの、何なの」
「焼餅デス、サッキ渡シ場ノ船頭サンカラ、貰ッテ来タデス、色ハ黒イケレド、ナカナカオイシイデス」
「わたしには気味が悪くて食べられない」
「食ベナイト、オナカスクデス、オナカスクト身体弱ッテ、コレカラ黒船マデ行ケナイデス」
「だって、食べたくない」
「オアガリナサイ、無理ニ食ベテ元気ヲオ出シナサイ」
「食べられません」
と言って、娘はこちらを向いてしまいました。この黒い焼餅こそは、先刻、このマドロスが生命《いのち》がけで渡頭の船頭小屋へ闖入《ちんにゅう》して、そこから掠奪して来たものです。そうして逃げ出すところを、船頭父子に追いつめられて、命からがら逃げのびて来た、その光景を向う河岸の小高いところに据えつけていた遠眼鏡を取って、いちいち田山白雲に認められてしまった、あれなのです。
 そういう思いをして得て来た生命がけの糧《かて》を見ること、この娘さんは土芥《どかい》にひとしい。
「ああ、もう日が暮れるじゃないの、また今晩もこんなところで――ああ、わたし、いや、いや、誰か迎えに来て下さい、茂ちゃん――七兵衛おやじだといいけれど、あの人はいないし、田山先生だとなおいいけれど、あの先生も旅に出てしまった、誰か探しに来て下さい」

         十五

 自暴《やけ》をまる出しに、娘の調子が少しずつ声高《こわだか》になって行くのに狼狽したマドロスは、
「オ嬢サン、大キナ声ヲシテハイケナイデス」
「だって――今晩もまたこんなところで夜を明かさなけりゃならないとすれば、わたし、もうたまらない」
「モウ少シノ辛抱デス、日本ノ唄《うた》ニモ、オ前トナラバドコマデモ……トイウ唄アルデス」
「いやよ、マドロスさん、わたしはお前さんと苦労をするために、無名丸から逃げ出したのじゃなくってよ、お前さんが、あの大きな黒船に乗せて、御殿のようなキャビンの中で、王様のように扱われて、そうして異国の土地へ着けば、町々はみんな御殿のようで、金銀は有り余り、珍しい器械道具が揃《そろ》っていて、人間はみんな親切で、何から何まで結構ずくめの外国へ連れて行ってあげるなんて言うから、ついその気になってしまったの。それなのに、この御殿はどうです、まあ、この空俵の上へ毛布《けっと》一枚――ずいぶん結構なベットね。一晩は辛抱したけれど、もうできない、わたしは駒井の殿様のお船の方が、黒船に乗るよりよっぽどいい、逃げ出すんじゃなかった、駒井の殿様のお船に、おとなしくしていればよかった」
「オ嬢サン、ソンナ愚痴イケマセン、少シノ辛抱デス。デハ、ワタシ、アナタノタメニ唄ヲウタッテ上ゲル、コノ手風琴デ、世界ノ国々ノ、港々ノ唄ヲウタッテアナタヲ慰メテ上ゲルデス。今晩一晩ダケデス、明日コノ川下ルト海ニ出マス、海ニ出ルトソノ黒船ガ待ッテイルデス。サ、ワタシ、オ嬢様ノタメニ、世界ノ国々ノ、港々ノ唄ヲ何デモウタッテ上ゲルデス、オ望ミナサイ、外国ノ唄オイヤナラ日本ノ唄、ワタシタイテイデキルデス、八重山、越後獅子、コンピラ船々、追分、黒髪、何デモオ望ミナサイ」
と言ってマドロスは、立って一方の隅から手風琴を提げて来ました。これは無名丸備えつけの品を、行きがけの駄賃にかっぱらって来たものでしょう。
「いや、いや、唄なんか聞きたくありません、唄どころじゃないわ」
「船カラオ茶少シ持出シテ来マシタ、オアガリナサイ」
「何も欲しくありません。ああ、いやだ、だんだん外が暗くなる。帰りましょうよ、マドロスさん、ね、お詫《わ》びをして、駒井の殿様のところまで帰りましょうよ、直ぐにね、日の暮れないうちに、さ、いま直ぐに」
「イケマセン、イケマセン、モウ少シ落着クコトヨロシイ」
「いいえ、わたし、もう思い立ったら意地も我慢もないのよ、マドロスさん、お前、戻るのがいやなら、わたしは一人で出かけます」
「イケマセン、私、一生懸命ニ止メルデス」
 だらしなかった娘が、バネのようにはね起きると、ばった[#「ばった」に傍点]が飛びついたように駈け寄って抑えたマドロスの眼つきは、今までのウスノロではなく、燃えるような執着を現わしていました。
「放して頂戴」
「イケマセン」
「馬鹿!」
「イヤ、馬鹿デナイデス、オ嬢サン、アナタ考エ無シデス」
「お前がわたしを騙《だま》したんだわ、ああ、いやな奴。誰か迎えに来て下さるといいねえ、こういう時は田山先生に限るのよ、田山先生でなければ、このウスノロをどうにもできやしない!」
と言って、娘は力を極めてマドロスを突き飛ばしました。

         十六

 突き飛ばしたつもりだけれども、相手は飛ばないのです。
「オ嬢サン、アナタ、モウ、ワタシノモノアリマス、逃ゲラレマセン」
「ばかにおしでないよ、お前さんなんて、ウスノロのくせに」
「アナタ、モウ、ワタシニ許シタデス、ワタシモウ、アナタ離サナイデス」
「しつこい奴ね」
「アナタ、ワタシノモノデス」
「あ、畜生!」
 いかに争っても、これは問題にならない、というより、もう問題は過ぎているのです。娘は全くマドロスに抱きすくめられて、身動きすることもできない。そうすると、急に娘の言葉が甘ったるくなって、
「ねえ、マドロスさん」
「エ」
「そんなに苛《いじ》めなくてもいいことよ」
「ワタシ、チットモ、アナタイジメルコトアリマセン、アナタ可愛クテタマラナイデス」
「可愛がって頂戴。可愛がって下さるのはいいけれど、それほど可愛いものなら、わたしを大切にして頂戴、ね、ね」
「大切ニシテ上ゲルデストモ、ワタシ、命ガケデアナタヲ可愛ガルヨロシイ」
「では、わたしも、もう我儘《わがまま》を言わないから、無理なことしないで頂戴、ね」
「無理ナコトシタリ、言ッタリ、ソリャ、オジョサン、アナタノコトデアルデス」
「仲直りしましょうよ」
「ワタシ、仲直リスルホド、仲悪クアリマセン」
「ですけれど、マドロスさん、今晩はまた寒いのね、この毛布一枚じゃ、どうにもなりゃしない」
「火ヲ焚クデス、夜通シ火ヲ焚イテ暖メテ上ゲルデス」
「では、焚火をして頂戴」
「ヨロシイデス」
 マドロスは、唯々《いい》として命令に服従し、今夜の寒気を防ぐべく火を焚く前に、臨時のストーブの築造にかからねばならないことを知りました。しかし、この女を暖めるためには、そのくらいの労力や才覚は何でもない、つとめて保温を完全にして、今夜一晩の、この娘の歓心を買うことにつとめなければならない。それには、どうしても、いま現に利用しつつあるところのこの半壊の囲炉裡《いろり》を修理して、これに格子か、或いは櫓《やぐら》を載せて、そうして炬燵《こたつ》の形式にすることが最も簡単で、そうして効果のあることだと思い当ったらしく、無論もうその時はぐんにゃりとなった、抱きすくめた女の身体を放してやり、それから炉べりに向って新しい煖炉の仕かけのために、一心に工夫を凝《こ》らしはじめました。
 逃げるなら、この隙《すき》に――といったところで、どうにもなるものではありません。叫べば口を抑えられてしまい、動けば抱きすくめられてしまい、走れば追い越されてしまう。どうにもこうにも仕様はあるべくもないことを、娘は百も合点《がてん》して、そうしてなお一層、甘ったるく持ちかけるようです。
「ねえ、マドロスさん、お炬燵《こた》が出来たらば、手風琴を弾いて唄を聴かせて頂戴、何でもいいわ、あなたのお得意《はこ》のものをね。淋しいから陽気なものがいいでしょう、思い切って陽気な、賑やかな唄を聴かせて頂戴な。でも、淋しいのでもかまわない」
 こう言われて、マドロスが全く相好《そうごう》を崩し切って、六尺の身体が涎《よだれ》で流れ出しました。

         十七

 相好を崩し、涎で身体をただよわせながら、マドロスが言いました、
「デハオ嬢サン、スペインノ歌ヲ一ツ聞カセテアゲルコトアリマス、スペインハ日本人イスパニヤ言イマス、イスパニヤハ果物タイヘンオイシイデス、唄モナカナカ面白イデス、オ婆サンモ、若イ娘サンモ、ヨク唄ウアリマス」
 手風琴を取り直すと、ブーカブーカをはじめて、何かわけのわからぬ唄をうたい出しました。それを聞いていると、なんだか長く尾を引いた高調子の唄ではあるが、賑やかな音楽と言ったのに、妙に物哀しい音色を包んでいる。そこで、女がこう言ってたずねました――
「マドロスさん、今の唄、何という唄なの、なんだか琵琶を聞くような、悲しいところがあるわね」
「コレハフラメンコイウ唄デス、次ハタランテラ唄イマショ、ナポリイウトコロデ唄イマス」
とマドロスは前置きをして、また一種異様な音楽をはじめ出しました。
 この甘ったるいマドロスが、フラメンコだの、タランテラだの名題を並べては、わけのわからぬものをやり出すのですが、女には、もとより何が何だかわからないし、また得意でやり出している御当人のマドロスにも、その音楽の本質がわかってやるのだかどうだか、それも甚《はなは》だ怪しいものなのです。
 怪しいものには相違ないけれども、いいかげんの出鱈目《でたらめ》に奏《かな》でているものとは思われません。
 本来、このウスノロのマドロスの生国は何国の者だかわかっていないのです。御当人自身にも、自分の国籍は判断し兼ねるのですが、ともかくラテン系のどこかの場末で生れ、そうして物心つくと共に、労働と漂泊に身を委《ゆだ》ねてしまったものですから、国籍は海の上にあって、戸籍は船の中にあるものと心得ているらしい。従って、教育もなければ、教養もない。しかし、官能だけはどうやら人間並みに発達していて、特に音楽は好きでした。
 好きといったところで、高尚な音楽を味わうほどの教養はなし、また特に教養以上に超出する天才でもなし、ただ、横好きというだけで、見よう見まねに音楽をやることが、まずこの男の唯一の趣味でもあり、生活の慰安でもあったでしょう。
 ところが、地球上の津々浦々を家とするマドロスの境涯に、一つの恵まれた役得というのは、その国々に行われるところの異種異様の音楽なり、舞踏なりを、その国ぶり直接にひたることができるという特権でありました。
 ですから、この唄にしても、日頃やる怪しげな舞踏にしても、巧《うま》いとか拙《まず》いとかいうことは別として、ともかくも、みんな直接本場仕込みであることだけは疑いがないのです。本場仕込みと言ったところで、おのおのその国の一流の芸事に触れて来たというわけではないが、気分にだけは相当にひたって来ているのですから、今、スペインのフラメンコをやり出そうとも、ナポリのタランテラを振廻そうとも、それが物になっていようとも、いなかろうとも、ともかく、自分みずからその境地に身を浸して拾い取って来たのですから、一概にごまかしと軽蔑してしまうわけにゆかないのです。
 そこで、兵部の娘が、このマドロスの人品の下等なことと、その音楽の怪しげなことを忘れて、その怪しげな音楽を通じての、遥《はる》かの異郷の人類共通の声というものに、多少とも動かされざるを得なかったのでしょう。

         十八

 このマドロスのような下等な毛唐《けとう》めに、たとえ何であろうとも唆《そそのか》されて、共に道行なんということは、日本人としては、聞くだに腹の立つことのようであり、兵部の娘としても、たとえ常識は逸していても、官能はあるだろうから、好きと、嫌いと、けがらわしいのと、けがらわしくないのとは相当鋭敏でなければならないはずだが、それはさいぜん会話の時のように黒船の誘惑と、異国情調の煽動に乗せられた点もあるかも知れないが、他の大きな原因は、お松という同乗の朋輩《ほうばい》に対する反抗心と、それから駒井甚三郎に面当てをしてやりたいという心とが、そもそもの出発点ではあったけれども、もう一つ御当人の気のつかないのは、この音楽というものの魅力でした。
 この、野卑で、下等で、且つ眼色毛色まで変っている毛唐めの口車に乗ったのは、いつか知らず自分が、この毛唐の持つ音楽的魅力に捉えられてしまっていたのだということを、まだ当人は気がついていないのです。
 マドロスそのものはいやな奴、身ぶるいしたいほど嫌なウスノロではあるけれども、こいつに音楽をやり出されると、どうしても誘惑を蒙《こうむ》らざるを得ないのです。誘惑も深く進めば感激となり、やがては身心ともに陶酔、というところまで持込まれない限りはない。
 名の知れない、わけのわからない、聞いたことも見たこともない国の音楽が、女の心を、それからそれへと捉えて行くのです。そのメロディよりも、ハーモニーよりも、まずそのリズムに。
 兵部の娘は、日本の音楽は好きで、そうしてかなりの教養を持っておりました。それで、身近に茂太郎という絶好の伴奏者がいたものですから、それに仕込んだり、仕込まれたりして、音楽には異様に発達した何物かを備えていたと見てよいのです。
 ところで、その耳をもって、全く聞き慣れない西洋音楽――といっても、怪しい限りのマドロスの演奏ぶりを、いま言ったような下地へ受取っているうちに、それが根を持って来るという段取りでした。
 いま言う通り、唄の文句は全くわからないが、メロディを捉えることに於ては、この女に相当の教養があり、そのリズムに動かされると、心酔し易《やす》いことは、天才と言えなければ、病的なほどの鋭敏さを持っているのです。
 女はもう、しんとして聴き惚《ほ》れてしまいました。なにもかも忘れて、野卑で、下等で、醜悪な人間が奏《かな》でる、一種異様な異国情調の漂蕩《ひょうとう》に堪えられなくなってしまったと見えて、
「マドロスさん、何という曲だかわたしは全くわからないが、聞いていると泣けてしまってよ、泣かずにはいられなくなってよ」
と、その一曲が終った時、女は無性《むしょう》に涙を流しながら言いつづけました。
「何という唄だか知らないが、聞いているうちに、何とも言えない熱い情合いがうつって、たまらない。異国にも、やっぱり恋無情といったようなものがあるのね。日本の国と同じように、苦しい世間の中に、甘い恋路をたずねて、死ぬの生きるのともがいている、血色と肉附のよい若い男女が狂っているような、苦しい――けれども甘い、淋しい、哀《かな》しい世界が、まざまざと見え出して、わたし、たまらなくなってしまった」
 仰向けに、だらしなく寝たまま、柄になく涙を無性に流しつづけて、女はこう言いました。

         十九

 そうすると、どう勘違いをしたか、マドロスは急に申しわけのないような狼狽《ろうばい》の態度を示して、そうして哀願的に、
「オ嬢サン、ドウモ済ミマセンデス――ワタシ、悪イ気デシタノデハナイカラ御免クダサイ、オ嬢サンニ取ッテ置キノ珍シイモノ聞カセテアゲタイト思ッタデス、ソレデ、コンナ陰気ナノヲヤッテ、オ気ニ障《さわ》ッテ済マナイコトアリマス。コンドハ、モット賑ヤカナノ、嬉シイノ、陽気ナノ、ヤリマショウ、オキキナサイ」
 女は、その申しわけに答えて言うよう、
「そういうわけじゃないの、わたしが泣けたというのは」
「泣クノオ止シナサイ、ワタシ、コレカラ陽気ナノ唄イマス、今度ハ支那ノ、唄イマショウ、茂チャン、アノ唄、好キ、ソレ唄イマショウ、支那ノ……」
 この野卑にして下等なる音楽者は、それにしても、ここでもやっぱり国際的でした。前回の失敗の名誉回復をやり出すような意気組みで、今度は支那の音楽にとりかかろうという。
 国境に於てはだいぶ近くなったけれども、その内容のわからないことは、依然として同じこと。わからないながら、これはたしかに以前の異国のとは違って、陽気で、暢《の》びやかなところが多い。そうして最後へ持っていって、
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チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
ツアン
ツアン
チーカ、ロンドン、ツアン
パツカ、ロンドン、ツアン
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と附けることは、女も以前からしばしば聞かされたものです。ことに清澄の茂太郎は、この口合いを喜んで、例の出鱈目《でたらめ》を日本語で唄い終っては、その最後へ、これに傚《なら》って、
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チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
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をくっつけるのを得意としていたことを、女もよく知っている。これを聞くと、茂太郎もどきに自分も踊り出したくなるので、いつか心持も陽気になってまいりました。それを見るとマドロスは、娘のお気に叶ってその御機嫌を取り直したことを嬉しがって、なお馬力をかけながら、何ともわけのわからない支那唄を声高くうたって、手風琴に合わせながら、その終りに右の、
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チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
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を折返すと、女もいい気持になって、ここぞと思うあたりで、先を越して、
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チーカ、ロンドン
ツアン
パツカ、ロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
をやり出すものですから、期せずして合唱の形となって、今の先とは打って変った和気と、陽気とが、飄々《ひょうひょう》としてただよい出したというものです。
 時に、日が暮れかかりました。
「オ嬢サン、提灯《ちょうちん》ヘローソク入レマス、オ待チナサイ、ソウシテ、今夜ワタシ、アナタノ淋シイノヲ慰メルタメニ、一晩中、器量一パイウタイマス、ワタシ、知ッテル世界ノ国々ノ唄トイウ唄、ミンナ歌イマス、イチバンシマイニ日本ノ、歌イマス……夜ガ明ケテモカマイマセン」
 マドロスは、すっかり興奮しきっている。女も以前のようにむずかりません。

         二十

 そうしているうちに、北上川の沿岸に夜が来ました。
 夜というものは、ありふれた風景でさえも、少なくとも一世紀は昔に返して見せるものなのですが、この辺の風物そのものが、日中でさえすでに近世紀の代物《しろもの》ではないのですから、夜になると、蒙蒼《もうそう》として太古の気が襲うのは当然です。
 いいあんばいに、いつのまにか実に明るい月がかがやいていました。夜は風景を遡上《そじょう》して見せるけれども、月は時と人とをして、時間の上に超然たらしめる。
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今の人は古時の月を見ざりしかど
今の月は曾《かつ》て古《いにし》への人を照らしたりき
古人今人、流るる水の如く
共に明月を見て皆かくの如けん
[#ここで字下げ終わり]
と微吟して、大きな柳の木蔭から、この北上川の沿岸の蒙蒼たる広原の夜気の中へ、のそりと歩き出した黒い人影がある。と、その後ろに引添うようにして、もう一つの黒い小さい人影が現われました。
 一体にこの辺は、柳の大樹が多いのです。その謂《いわ》れを聞いてみると、源義経が奥地深く下る時に、笈《おい》に差して来た柳をとって植えたとか、植えなかったとかいうことで、今は大小高低、何千株の柳の老大樹が、断々離々として堤から原野へかけて生い連なっている。右の二つの人影は、その謂《いわ》れある柳の老大樹の林の中から身を現わして、堤を越え、原を横切り、小径《こみち》を越えて、柳の中に入り、また柳の中を出でつして来たものらしかったが、ここに至って柳の老大樹の林を全く後ろにして、そうして広い原の真只中へ露出しました。
 右手には翁倉《おうくら》、黒森《くろもり》の山々が黒く十三浜の方に続いている。その広い原の真只中で、さきほど月に向って唐詩を微吟したところの大きい方の黒い影が後ろを顧みて、
「君、恐山《おそれざん》という山は、よっぽど高い山かね」
 その声を聞くと、それは日中、渡頭《わたしば》を徘徊していたところの、下野《しもつけ》の足利の貧乏にして豪傑なる絵師田山白雲に相違ありません。そうすると、振返って呼びかけられた後ろの小さい方の黒法師が直ちに答えました、
「高い山じゃないですね、そう大して高いという山じゃないです」
 直ちにこう答えたのは、これも日中、渡頭で居合抜きの芸術を鮮かにやってのけて見せたが――旅行券では、すっかり悄然返《しょげかえ》ったところの恐山出身の柳田平治に相違ないのです。この二つの黒法師は、黒法師っぷりとしてかえって調和がありました。田山白雲はすぐれて容貌魁偉《ようぼうかいい》であるのに、柳田平治は普通よりは小柄です。白雲の刀も普通よりは長いには長いが、身体には釣合っている。柳田平治のはただ一本、長過ぎることは昼間と変らないのです。こうして二人が相前後して北上川の沿岸の月の平野の夜を、我語り、彼答えつつそぞろ歩いて行くのですが、柳田平治は今の返答に附け加えて、
「南部の恐山といえば、なかなか有名ですから、人はすてきに高い山だと思いますが、山はさほど高くはないのです。山は高くないけれども、形相《ぎょうそう》の変った山でしてね、恐山には地獄が九十九個所あって、極楽がたった一個所だと言われます、なんにしても恐山は登る山でなくして寧《むし》ろ下る山なのです」
と言いました。

         二十一

「山へ下る――」
と言って、田山白雲の黒い影が、ちょっと淀《よど》みました。
 どんな山でも山という以上は、人間としては上るべきものである。山へ下るということは、あるまじきことである。柳田平治も当然それを補わなければならないのですが、特に註釈をしませんでした。それを田山白雲もおしてたずねようともせず、閑々として歩みつづけます。
 かくて大小二つの黒法師は、いよいよ広原の中の月光の下に、鮮かに黒法師ぶりを発揮しながら無言の進行をつづけましたが、この二人ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手《ゆくて》と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、隈なく見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。
 そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索《もと》めるために出動したものと見なければならないのです。
 それが微吟となったり、閑話となったりして洩《も》れて来るのは、その目的に達する間の道草に過ぎないと思われる。
「先刻から聞いていると、君はその恐山の林崎明神のお堂で居合を修行したということだが、してみると君の居合の流儀は、林崎流の居合なのだね」
「いや、そうじゃないです、林崎明神というのは、恐山の一部にある名所の名でして、林崎流の居合とはなんらの関係がないです、僕の修行したのは浅山一伝流なんですが、それも純粋の浅山一伝流というには少々恥かしいでしてね、コツは習いましたけれども、やり方は未熟な自己流ですから、本場へ出て練り直さなければならない、と考えとるです」
「なるほど」
と白雲は頷《うなず》きました。この青年、いよいよ存外に謙遜と自省とがある。この謙遜と自省とがある限り、まだ修行が伸びる。
 というようにも感心してみたが、いやいや滅多に感心してはならない、青年や、愚者を、うっかり過分に賞《ほ》めてみせると、かえって生涯を誤ることがある。
「今、林崎流の居合のそのままの型は、どこに残っているか知らん。林崎を祖として、それから出でた流派は多いが、林崎流そのままの伝統を抜くというのはあまり聞かないね」
「そうです、浅山一伝流も林崎甚助から出たのです。先生、あなたも居合をおやりになりますか」
と、今度は柳田平治がたずね方に廻ると、田山白雲が、
「到底、君のように器用なわけには行かんけれど、一通り稽古するにはしたよ、僕のはちょっと変っている、鶴見流といってね」
「鶴見流ですか……」
「あまり聞き慣れない流名だろう、だが、それを伝えた老教士の口と、腕とには、なかなか敬服すべきものがあったねえ――その流祖の鶴見というのは、年代はよく知らんが、たしか戦国時代の人であって、一つ面白い逸話を聞いている、こういう話だ、まあ聞いて置き給え」
 打解けた物語りをしながら、白雲の眼は絶えず前面の広野の四方にめぐらされている。どうしても月を見ながら散歩のための閑談ではない。

         二十二

「越前家に、なにがしという武功の者があったのだが、これが何か犯せる罪あって出奔《しゅっぽん》し、三国山へ籠《こも》ったのを、右の鶴見が殿の仰せを受けて召捕りに向ったのだが、その仰せを受けた時に、鶴見が返答して言うことには、それがしはまだ人を召捕りに向った経験がござらぬ、もし召捕りそこねた時には拙者一人の恥ではござらぬ――というようなことを申し出ると、ただ何でもよろしいから行け、もし召捕ることができなかったら斬捨ても苦しうない、とこういう上意なので、しからばもはや辞退いたすべき限りではござりませぬ、と言って鶴見殿が出立したのだね」
 白雲はこのようにして、月の広野原を歩みながら語り出すと、柳田が、
「その時に、鶴見先生のはらはもう決っていましたね」
「そうして、先方へ行くと、どういう知恵を働かせたか、とにかく、その相手の武功者をだね、それを縄にもかけなければ、刀を差させたままで連れ出して来たんだね。そうして、召連れた二十人ばかりの者と一緒に、舟に乗せて城下へ漕ぎつけることになったのだ。その召連れて来た武功者は、聞えたる大力の大男でね、鶴見は反対に君のような――と言っては失敬だが、とにかく小兵《こひょう》な男であったそうだ。それが右の武功者を縛りもしないし、刀を差させたままで、同じ舟の中へ連れ込んで打解けているものだから、警固の足軽連が心配したのも無理はないね。その時鶴見は艫先《ともさき》の方に腰をかけていたそうだが、右のお咎《とが》め者も鶴見の傍に船ばたにもたれている、鶴見が茶をすすめるとそれを飲み、何かと無難に物語りをしているうちに、船が城下近くなろうとした時、右の武功者が、乗組の油断を見すましたか、つうと水の中へ飛び込んでしまった。さてこそと警固のものが眼の色を変えて狼狽《ろうばい》したのだ」
「なるほど……」
「だから、言わぬことじゃない、あれほどの武功者を縄もかけず、大小も取上げずに召連れて、それに悠々と茶などを振舞って世間体にもてなしていたのが緩怠千万――なんにしても大事のめしうど、取逃がしては一大事と、皆々続いて水中に飛び入ろうとすると、鶴見は少しも狼狽《あわ》てず、以前の通りに艫先に腰かけていて、右の手で髭《ひげ》をひねりながら言うことには、騒ぐな、騒ぐな、どこまで逃げるということがあるものか、この一国のうちならば、海であろうと、川であろうと、ゆっくり探すことができるのだ、だが、そのうちに浮いて出て来るから、ともかくもひとまずこの船をさし止めろ、と言っているうちに、水面の一個所、水の色が紅くなったところがある、あそこへ船を差廻してみよと、鶴見から言われているうちに、そこへぽっかりと屍体が一つ浮いて出た、それを引き上げて見ると、右の武功者が、高股《たかもも》を切り落されて浮び出して来たのだった」
「やりましたね、鶴見先生」
「その男が水へ飛び込むと見て、鶴見が斬って刀を鞘《さや》に納めたのだが、その抜く手も、鞘に納めるところをも、誰も見たものはなかったそうだ……」
「そうでしょう、林崎甚助先生などにもさような逸話はありますね、私も師匠から承りました」
 柳田平治が、つづいて何か相当の武術の応酬を試みようとしていた時分に、さきほどからむらむらしていた雲が月を隠してしまい、地上がにわかに暗くなりました。

         二十三

 月は隠れたけれども、本来は月の夜なのですから、天地は暗いといっても、闇の夜ではありません。
「月が隠れたね」
「雲が出てまいりました」
 二人の心づかいは、ちょっと天上に向って転向しましたけれども、そうかといって、その雲行きも天候の激変を暗示するほどの危険性はないが、今までのように皎々《こうこう》たる月光が、雲を破って現われることは、ちょっと覚束《おぼつか》なくなりました。
「しかし、暗い方がまたかえってよろしい」
と田山白雲は、さのみ月光に執着を持っておりませんでした。それは月光そのものに浸染せんがためにうらぶれ出でたのではなく、かくうらぶれ出でたに就いては、別に何かの目的があってうらぶれ出でたところへ、偶然にもその景物として月が出ていてくれたのだから、月が姿を隠しても必ずしも自分の目的に外《はず》れるということはなく、かえってそこにはまた何かの利便をでも見出したかのように、月もよし、闇も更によし、というような気分で、最初の通り四方《あたり》の山川草木を通して、平原の視野の限りに油断なき首筋を動かしているのです。
 そうすると、柳田平治も語り出でんとする物語をさし置いて、同じような姿勢を以て四方の視野を監視の体《てい》です。二人の会話は途絶えました。
 会話そのものもまた、月の光と同じく偶然の景物であって、二人は会談を為《な》さんがためにここにうらぶれて来たのではなく、何物をか求めんがためにうらぶれ来《きた》って、そうして偶然のゆかりで会談の緒《いとぐち》が切出されたまでのことですから、それが都合上、中断されようとも、継続されようとも、更に差支えはないのです。
 そうしているうちに、田山白雲がまず口を切りました、
「君、あそこの森蔭に、一点の火が見えるではないか」
「ええ、何か、鳴り物の音が聞えますな」
 二人の声は、ほとんど※[#「口+卒」、第3水準1-15-7]啄《そったく》同時のような調子でありました。
 白雲が、その一点の火というのを認めたのが早かったか、柳田が、風に伝うて来る有るかなきかの鳴り物の音というのを耳にとめたのが早かったか、それはわからないでしょう。一方の眼と、一方の耳との正確さをもって一応たしかめるために、二人は暫く息を凝《こら》しました。
「たしかです、先生、たしかに火影《ほかげ》が見えます」
 白雲が最初に認めた火の光がいったん明滅したらしいのを、柳田が再び確認し得たらしく保証すると共に、白雲が、
「なるほど、なるほど、風に流れてかすかに物の音が響いて来るよ」
 自分は眼に於て早く、柳田は耳に於て一歩を先んじていたらしい認識が、ここで両々相保証するの立場となりました。
「では、とりあえず、あれを目的《めあて》として少し急いでみようではないか」
と白雲がまず唱えて、柳田がそれに従いました。そこで少し二人は歩行《あゆみ》を早めて、火と音との遥かなる一角に向って歩み出しましたが、何をいうにも、白雲は大男であり、柳田は小男ですから、コンパスの相違が少々ある。
 白雲は柳田に調子を合わせてやるために、多少ともその歩調をおろさざるを得ませんでした。
 かくて行くうちに、ふと前に白い鏡のようなものの大きな展開を見ました。
「やあ、池ですか」
「沼だ――入江かも知れない」
 このまま進めば、必ずその沼に突入する。

         二十四

 白雲がまず眼を以て認め得たところのものも誤りなく、柳田が耳を以て捉《とら》え得たところのものにも間違いがなかったことは、二人が進み行くほどに、ようやく明確に証拠立てられました。
 突当りに沼があって、その向うに小高い岸があって、その一方に森があって、その森蔭から右の一点の火光が射して来るのです。
 それにつれて、同じところから異様なる鳴り物の音が、ようやく鮮かに流れて来るのを、柳田がまた小耳を傾けて、
「何ですか、笛でありますか」
「いや、笛ではない」
「鼓ですか」
「いや、鼓でもない」
「三味ですか」
「そうでもないようだ、胡弓のような響きがする」
「暢気《のんき》な奴ですね、こんな原っぱの一つ家に、鳴り物を鳴らして楽しむなんて」
「おかしいぞ」
 流れて来る音は聞き留めたが、楽器そのものが何であるかは、はっきりと受取れないので、
「狐狸の仕業かな」
と柳田平治が、長剣をちょっと撫でてみました。
「まあ――もう少し行ってみよう」
「御用心なさい、そこはもう沼つづきですから、先生」
「なるほど、水がここまで浸入して来ている、ここを一廻りせんと、あの森へ出られない」
「橋はありませんか」
「ないね」
「廻りましょう、僕が先に立って瀬ぶみをいたします」
「気をつけて行き給えよ」
 二人は沼を隔てて、森と、火影《ほかげ》と、音楽とを、眼の前にあざやかに受取りながら、地の利を失ったために、その水の入江と、沼の半分を廻らなければならなくなりました。
 蘆《あし》と、菱《ひし》とを分けて、水に沿うてめぐり来《きた》ってみると、やや暫くして、先に立った柳田平治が突然声を揚げました。
「先生、舟がありましたぜ、舟が」
「なに、舟が」
 柳田平治が立っている入江のある地点に、朦朧《もうろう》として小舟が浮き捨てられてある。
「それは、いいあんばいだ、渡りに舟」
 一議に及ばず、二人はその舟を分捕って飛び乗り、この入江と沼とを押切ろうとして、ふたり船べりへ寄って見て、田山白雲が、はじめていぶかしげに、
「おや、この舟はおかしいぞ」
「どうしたのです、先生」
「見給え、世間普通の舟ではない」
「そうですね」
 二人は乗ることを先にして、舟の形を見ることを後にしましたが、白雲が、
「占めた!」
と叫んで、
「君、見給え、この舟は――これは日本の猪牙《ちょき》ではない、形をよく見給え、西洋のバッテイラ型という舟だ、間違いなく、駒井氏の無名丸から外して逃げ出して来たその舟なのだ、いいかね、君に話した毛唐のマドロスというウスノロが、少し精神に異状のある娘を誘拐《ゆうかい》して連れ出したのがこの舟だ――ここに乗捨てられてある以上は、もう論議無用――あの鳴り物が物を言う。君、櫓《ろ》が押せるかね、押せるなら、ひとつこれで乗切ってくれ給え、あの鳴り物の音をたよりに――待ち給え、この舟がここに乗捨てられてある以上、ここから沼沿いに路があるだろう、その間道をひとつたずねて見給え」

         二十五

 そもそも、田山白雲のこのたびの北上の目的というものは、一石二鳥をも三鳥をも兼ねたものでありました。
 その一石は、いま現にほぼ証跡をつきとめ得たらしいところのマドロスと、兵部の娘を取押えんがためでありました。目下、松島湾の月ノ浦に碇泊しているところの駒井甚三郎創案建造の蒸気船、無名丸から脱走して来たところの駈落者《かけおちもの》なのであります。マドロスは生国の知れぬ外国からの漂着者であり、兵部の娘は素姓《すじょう》正しいものですけれども、いささか精神に異常を呈し、肉体に不検束を持っている女であります。この二人が最近、無名丸から脱走したのを取押えんことも、田山白雲の北上の一つの目的でありましたが、他のもう一つは、仙台城内の秘宝を覘《ねら》って、九分九厘のところで失敗した裏宿の七兵衛という、足のはやい不思議な怪賊の行方をたずねんがためでありました。
 それから、もう一つは、本業たる画師としての画嚢《がのう》を満たさんがために、未《いま》だ見ざる名山大川に触れてみようというのと、持って生れた漂泊性を飽満せしめようとの本能もありました。
 そうして、ゆくりなく、この渡頭に立って見ると、たずねるところのマドロスが、遠眼鏡の視野の中に完全に落ち来ったものですから、いずれにしても、この向う岸を距《へだた》ること程遠からぬ地点に潜在しているのだ。だが、茫漠たる地形であってみると、これは白昼に草の根を分け探すよりも、むしろ夜間を選んだ方がいい、というのは、火食を知って以来、人類の生活には火が附いて廻る。内部に向って食物を送るためにも、外部よりして体温を摂取するためにも、光を起して自ら明らかにし、他の暗黒を救うためにも、火は人生の必須であって、人生すなわち火なりという哲学も成り立つ。そこで、火を認め得れば必ず人があり、人のあるところには必ず火がある。そうして、火というものは、昼間に於てよりは、夜間に於てその存在をいっそう明瞭にする。
 こういう見地からして、田山白雲は特に夜を選んで駈落者の所在を探索に、ここへこうしてやって来たというわけなのであります。
 ただ予期しなかったことは、ここへ、同行ともつかず、従者ともつかず、お弟子ともつかない、長剣|短躯《たんく》の青年を一枚加え得たというだけのもので、いつしかこの漢子《かんし》は、「先生」と白雲を呼びかけるほどに熟してしまっている。
 白雲が右のバッテイラ型と称した小舟の傍で言いました、
「ねえ、もう袋の鼠だよ、こっちのものだよ、そう思って聞いて見給え、あの問題の楽器はイカモノだな、笛でなし、鼓でなし、尺八でなし、琴でもなし、三味線でもなし、何か毛唐のイカモノの響きだ。本来、あのマドロスという奴が、ウスノロに出来てるんだ、眼色毛色の変った奴に、ドコまで道行ができるものか。先生、一時の安きをたのんで、ああして太平楽にイカモノを鳴らかして楽しんでいる知恵なしを見給え、自分たちはいい気分で人知れず楽しんでいるつもりだろうが、木の音、草の音を忍ぶ駈落者が、楽器いじりとは呆《あき》れたものではないか、ウスノロはどこまでもウスノロだよ」
「鳥も鳴かずば撃たれまい――というわけですね」
「そうだ、そうだ」
 白雲は、柳田平治が存外、洒落《しゃれ》た言葉を知っているのに、我が意を得たりとばかりです。

         二十六

 そういうこととは知らず、石小屋の中では、白雲のいわゆるイカモノの音楽が、奏する人をいよいよ有頂天《うちょうてん》にならせると共に、さしもの聞き手を、ようやく陶酔と恍惚《こうこつ》の境に入れようこと不思議と言わんばかりです。
 それが、イカモノであろうとも、なかろうとも、自己の演出する芸術が、張り切れるほどの相手方の反感を和《やわ》らげ得たのみならず、進んでこの程度にまでこっちのものに引き入れた自分の芸術の勝利に、マドロスがいよいよのぼせ上らざるを得ませんでした。
 そこで、ここを先途《せんど》と、引換え立替え、レコードを取換え、針をさし換える隙《ひま》がもどかしいように、西洋から、南洋から、支那朝鮮の音楽にまで、自分の持てる芸術の総ざらいをはじめて終り、やがて息をもつかせず、
「オ嬢サン、コレカラ日本ノモノヤルデス、マズ南ノ方カラヤリマショ、八重山ヲヤリマショ」
「八重山って何です」
「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス、世界デモ一番デス」
と、マドロスが風琴を膝へ置いて答えました。
「え?」
と女が少し聞き耳を立て、
「何ですって、世界で一番? 言うことが大きいわ」
「ウソデナイデス、タナベ先生モホメマシタ、八重山ノ唄ト踊リ、素晴ラシイモノデス、ワタシ、日本デハアンナスバラシイモノ聞イタコトナイデス、ソレヲ一ツ、ココデ真似テ見ルデス」
「まあ、ちょっとお待ちなさい、マドロスさんの言うことは大きいからね、日本の国の薩摩の国の中に世界一番なんて、それは掛値があるんでしょうけれど、かりに割引して聞いても、そんなに素晴らしい唄だの踊りだのが、日本の中にあるんですか、そのことをもう少し説明してから、唄って聞かせて頂戴」
「八重山ノ娘サンタチノ声ハ五町モ六町モトオルデス、ソウシテ声ガヨク練レテイルデス、ワタシ聞イタ、世界ニモ珍シイデス、日本ノ国ニアンナトコロハ二ツトナイデス、ワタシ、一生懸命ニ三日習イマシタ、ユンタ、ジラバヲヤッテオ聞カセスルデス」
「では、ともかくやってみて下さいな」
「八重山ノユンタ、ジラバ……」
 そこで、またマドロスが実演にかかりました。
 果して八重山という日本の国の辺鄙《へんぴ》の島の中に、そんな音楽の天国があるものか、マドロスの受売りだけでは信じられないが、女はその予備宣伝に相当引きつけられているらしい。
 そこで声高《こわだか》にマドロスが手風琴をあやなしながら唄い出したが、歌句は一向何だかわからない。本来、今までのマドロス芸術について、歌詞そのものは一向にわからないで、そのメロデーについて感心して聴いていたのが、これから日本のものを相はじめますということになってみると、その八重山とか、八重山節とかいうものが、歌詞はむろん相当にわかって、一層の興味があるだろうと予想したが、わからない。本来演奏者自身がわかってやっているのではないから、これは詮索《せんさく》しても駄目――ただ、盛んに唄い出すマドロスの咽喉《のど》を見て、八重山の女の世界的だという咽喉を想像するよりほかはないのですが、想像してみたところで、以前わからない異国情調を聞かされたほどの感興は、どうしても起らないらしい。

         二十七

 だが、とにもかくにも、このイカモノ音楽師は、世界的だという八重山節のコッピーを取って見せてしまうと、またもや息をつく遑《いとま》もなく、
「今度ハ、ガシャガシャ節ヲオ聞キニ入レルデス」
「まあ、待って頂戴、マドロスさん、今のその八重山節は、素晴らしいものかも知れないが、その土地へ行って、世界一だとか、日本一だとかいう声の練れた島の娘たちの咽喉から直接《じか》に聴かなけりゃ、本当の味がわからないわね、地唄というものはみんなそうなのでしょう、日本のものを聞くくらいなら、わかるのを聞きたいわ、けれども、安来節や、磯節なんて、わたしあまり好かない、何か日本の唄でわかるのをうたって頂戴」
「デハ、カンカンノウ、キウレンスヲウタイマショウカ」
「あれは日本のじゃありませんよ、わからないことは同じよ」
「デハ、チョンキナ、チョンキナ」
「いけないわ、なんだか下品だわ」
「お前とならば……」
「いや味ったらしい」
「春雨」
「お前さんのがら[#「がら」に傍点]にないね」
「きんらいらい」
「駄目よ」
「越後獅子――イイデス」
「あんまりおきまりでねえ」
「十日戎《とおかえびす》」
「ぞっとしない」
「梅にも春」
「いよいよお前さんのガラにない」
「惚れて通う……」
「いやいや」
「デハ、オジョサン、何ガイイデス、アナタノ方カラ望ムコトヨロシイ」
「生意気をお言いでない、わたしの望むもの、お前にやれますか、やっぱり日本のものでない方がいいわね、日本のものだと、こっちがわかり過ぎてるから、マドちんが一生懸命やればやるほど滑稽になってしまう、だからいっそ、もとへ繰返して本場ものをやって頂戴。本場ものというのは、マドロスさんの本場もののことよ、わたしにはわからないでもいいから。わからない方がかえってアラが知れないで、珍しいところばかり耳に残るからその方がいいわ、威勢のいい異国物を聞かせて頂戴な」
「デハ、マタ西洋ヘ戻ッテ、イッショ懸命ヤルデス」
「いちいち説明はいらないから、立てつづけにやって頂戴、でも、くぎりだけはちょっと何か合図をしてね」
「デハ、ヤタラ無性《むしょう》ニヤルデス、マルセル、ボルカ、ゴルデン、ワルツ、マルチ――何デモ無性ニヤルデス」
 日本物は全くプログラムから敬遠されてしまって、これから改めて異国ものの蒸返しに、マドロスが腕によりをかけ出した途端に、裏の戸締りをトントンと叩くものがありました。
「おや」
 兵部の娘がまず驚くと、面《かお》の色を変えたのはマドロスです。ここまでは人の来るべきはずのところでないことを見定めて置いてかかっているのに――前に沼をめぐらした要害だから舟でなければ渡れない、その舟は隠してある、別に間道はあるにはあるが、夜分の追手にわかりっこはない、と安心しきって思うさま発展しているところへ、不意に背後から戸を叩くもの、それは気配によって見ても、まさしく人間に相違ないから、面の色を変えて手風琴を抛《ほう》り出したマドロスが、
「誰デス」

         二十八

 その時、戸を押破って猛然と飛び込んで来たのは、田山白雲でありました。
「ウワア、タヤマ先生」
 マドロスが狼狽して、逃げ出そうとするのを、白雲は忽《たちま》ち取って押えてしまいました。
「ウスノロ!」
 田山白雲が取って押えると、柳田が横の方から手伝いをして、忽ちマドロスを縛り上げてしまいました。
 本来、このマドロスは大兵《だいひょう》でもあり、力も優れていて、拳闘の手も相当に心得ている奴なのでしたけれども、白雲に対してはどうも苦手なのです。安房《あわ》の国の洲崎《すのさき》で、駒井の番所へ闖入《ちんにゅう》し、金椎《キンツイ》の料理を食い散らしてから、衣食が足《た》って礼節を戸棚の隅から発見すると、性の本能が横溢し、その狼藉《ろうぜき》の鼻を田山白雲に取っつかまって腰投げを食《くら》い、完全に抑え込まれてから、銚子の黒灰の素人相撲《しろうとずもう》では連戦連勝を、またこの白雲の助言によって土をつけられてしまった。
 他の何者に対しても、かなりの横着と粘液性を発揮するのですが、ひとり白雲に遭うてはすくんでしまう。
 それに今日は、柳田という、超誂向きの助手があってすることだから、マドロスは身動きもできないし、グウの音も出ない目に逢って、たちまちそこへ縛りつけられると共に、みえも、飾りも、全く手放しで号泣をはじめました。そうした時に、意外にも、その間へ押隔たったのは兵部の娘でありました。
「田山先生、あんまり手荒いことはしないで頂戴ね」
「うむ、萌《もゆる》さん――君もいったい心がけがよくない」
と白雲は、押隔たる娘の面《かお》を浅ましげにながめて、たしなめると、
「マドロスさん、そんなに悪い人じゃありません、手荒いことしないでね」
「君を掠奪して、こんなところへ連れ込んだ不埒千万《ふらちせんばん》な奴じゃないか」
「いいえ、マドロスさんばかりが悪いんじゃないのよ」
「無論、君にも責任があるよ、何というだらしないこった、歯痒《はがゆ》くってたまらない」
 その時、号泣していたマドロスが、急に哀願の体《てい》で、
「田山先生、ワタクシ、悪イトコロアヤマルデス、縄、解イテ下サイ」
 それを耳にも入れず田山白雲は、柳田平治をさし招いて言いました、
「柳田君――ではこれからを君に引渡すから頼みますよ」
「承知しました」
「マドロス」
と、白雲が改めてマドロスを呼びかけると、
「ハイ」
 神妙な返答です。
「貴様を、これからこの人に託して、月ノ浦の駒井氏の元船まで送り届けるのだ、じたばたしないでおとなしく引かれて行けよ」
「御免、御免」
 マドロスは、また哀号の声を高くして、
「御免、船ヘ戻ルコト、オ許シ下サイ、船ヘ戻レバ殺サレルデス」
「柳田君、かまわず引き立てて行ってくれ給え、もしジタバタした時は、今の鶴見流でやっつけてかまわない」
「御免、御免」
「萌さん――」
 兵部の娘を白雲は呼びかけて、そうして、
「あなたも、この人に――柳田さんという方だ――この方に送られて、一緒に駒井先生の許《もと》へお帰りなさい。途中、逃げようとしても、もういけませんぞ。見給え、柳田君の差しているあの長い刀を、あれは抜ける刀なのだぞ」

         二十九

 それから、田山白雲は、マドロスと兵部の娘を引据えて置いて、また改めて、柳田平治に向って次の如く言いました、
「柳田君、では、このまま囚人《めしうど》を君に頼みますぞ、これからいったん追波《おっぱ》の本流へ出て、鹿又《ししまた》から北上の本流を石巻まで舟でやってくれ給え、舟は本流へ出るまでは、今のあれでよろしい、それからは、最前仕立てて置いたあれで石巻までやってくれ給え、この辺はすでに仙台領だから、あの舟で行きさえすれば旅券がなくても大丈夫だ。なお、念のために仙台藩の通券を一枚君に貸して上げる、これを持って舟で下ってくれ給え――絵図面をあげる、この絵図面によって下れば更に間違いなし」
と言いかけた時に、今まで哀号をしていたマドロスが、また急に変な声を出して、
「田山先生、ワタシノ命、助ケテ下サイ、ワタシ、オトナシク月ノ浦マデ、舟漕グデス、ワタクシノ命、アチラデ助ケテ下サイ、コレカラ舟漕イデ上ゲルデス」
と言いました。その心細い声を聞くと、田山白雲がふき出して、
「なるほど、舟のことはこいつが本職だった、本職の手を縛って置いて、柳田君に廻航の心配をさせるのも愚かな話だった、こいつを一番利用して、ここまでやって来た通りをあとへ戻させればいいのだ」
と言って、マドロスの方へ向き直って、物々しく白雲が言って聞かせることには、
「よし、では、ともかく貴様の縄だけは解いてやるから、舟を漕いでかえれ、先方へ着いての上で駒井氏の裁断だ、拙者は許すとも許さんとも言えん――とにかく、舟を漕ぐ間は縄をゆるめてやる――ゆるめてはやるが、こっちを甘く見るときかんぞ。いいか、途中で隙を見て、海へ飛び込んで逃げ出そうなどとしても駄目だぞ。いいか、この柳田君はな、なりかたちこそ小さいが、恐《こわ》いものを持っているぞ、これ見ろ、この長い刀をよく見ろ、伊達に差しているのではないぞ、抜けるのだぞ、抜けば斬るのだぞ、貴様のようなでぶ[#「でぶ」に傍点]といえども、芋を切るように真二つにこの刀で人が斬れるのだぞ、この人のなりかたちが小さいからって呑んでかかっちゃいかんぞよ。もし貴様が途中、穏かならぬ気振《けぶり》でもしようものなら、その瞬間に、そのでぶ[#「でぶ」に傍点]を二つに斬られてしまうのだ、おどかしではない、事実を言うのだ、よく見て置かっしゃい、あの長いのを――」
 田山白雲は、改めて柳田平治を、裏返し表返してマドロスに紹介して後、
「柳田君、後学のためだ、一つこの男に型を見せてやってくれまいか」
「よろしうござる」
 柳田平治は一方の板の間へしさったかと思うと、そこで電光石火の如く、居合を三本抜いて見せて、四本目に、あたりをちょっと見廻したが、そこに落ち散った黒い焼餅の一つを取ると、縛られたマドロスの頭の上に置き、二三歩踏みしさって、颯《さっ》と一刀を抜いたと見ると、
「ワアッ!」
 マドロスは目がくらんで絶叫したが、マドロスの膝の前に二つになって落ちたのは、マドロスの自身の首ではなくて、今の焼餅でありました。
 そうすると、いつしか刀を鞘《さや》に納めていた柳田は、二つになって落ちた焼餅をまた拾い上げてマドロスの頭へ積み重ねたから、マドロスはとてもいい面《かお》をしませんでした。
 次の一本が電光石火、マドロスの頭で焼餅が今度は四つになって落ちたけれども、マドロスの赤い髪の毛は一筋だも傷つかないのです。

         三十

 十二分にマドロスの度胆を抜いてから、この厄介な駈落者を、柳田平治に託して送り出して置いて、田山白雲はひとり、この石小屋を占領しました。
 つまり、ここに炬燵《こたつ》もしつらえてあれば、ロウソクもつけられてある。時にとっての好旅籠《こうはたご》――と納まったのでしょう。
 傍らを見ると、黒い焼餅が紙に載せて二つ三つ存在している。マドロスが生命がけで船頭小屋から掠奪して来たもの。そうしてせっかくの愛人に捧げたのをすげ[#「すげ」に傍点]なくされた名残《なご》りのもの。その中の一つは柳田平治の長剣によって切って四段とされたが、まだ二三枚はここに完全に残されたもの――腹がすいてきた、これもまた、時にとっての薬石《やくせき》。田山白雲は、これをとって、むしゃむしゃと食いました。
 こうなってみると、ウスノロめが生命がけで苦心経営した食と住とのすべては、手入らずに白雲のものとなったのです。楚人《そじん》これを作って漢人|啖《くら》う――と白雲がわけもなく納まって……
 やれやれ、世話を焼かせやがったな、しかしまあ今日の一日はなにぶん多事なる一日であったが、必ずしも収納皆無とは言えない。短躯長剣の柳田なにがしという青年を一人拾い、ウスノロと馬鹿娘の駈落者を一対完全に取押えた。
 駈落者といえば、今日はまた駈落の流行《はや》る日でもあったわい。こっちの奴は、ウスノロとたあいもない馬鹿娘の一対だが、鹿又《ししまた》の渡頭で見たのはいささか類を異にしていた。
 ことに、あの羽二重紋服のままに縛られて引き立てられたあいつは、美しい男だったな。無論ウスノロとは比較にならない。どうやら昔物語にある平井権八といったような男っぷりだ。当然、あれが南部の家老の娘なるものを誘拐して立退いた奴だとは想像されるが、さて相手の家老の娘というのはどこへどう納まった。その先途を見届けてやりたいような気持もする。
 どうも四辺《あたり》が静かなものだ。しかし同じ静かさにしても、この時、このところは、少々静かさの調子が違っている。
 奥州へ来て、ところがらだけに、安達《あだち》の一つ家といったような気分だな。もう鬼婆あも出まいが、こうしていると、まだ何か一幕ありそうな気がしてならぬ。
 こういうあたり[#「あたり」に傍点]運のいい晩には、事のついでに、あの七兵衛というへんな老爺《おやじ》が、またひょっこりとそこいらの戸の透間からやって来ないとも限らん。玉蕉女史の離れの一間、忍びの間は芝居だったな。さすがのおれも、ちょっと身の毛がよだったよ。あの伝で瑞巌寺泊りの駒井氏をも驚かしたそうだが、どうだ、七兵衛老爺、今晩は心得たものだから、出るならひとつここへ出てみないか。ここなら四方《あたり》に憚《はばか》る者はない、思う存分貴様のヒュードロドロを見物してやる、出るなら出てみろ。
 というようなそぞろ心に駆られていると、不思議に身の毛がゾッとしてきて、現在誰か一人、背後に廻ったような気分があるが、これは気のせいだ。
 さて、今晩はここに納まり込んで、明日の日程だ――そうそう悠々閑々としてもおられない。三日間を限って、とにかくそれまでには、いったん月ノ浦の無名丸まで立帰らにゃならぬ。限られたる日程だが、実をいうと、おれはまた慾が一つ出て来たのだ。
 それは、恐山へ行って見たいという慾望だ。
 柳田平治を発見してから、なんとなく恐山という名に引かされる。一旦は船へ戻るとしても出直して、北上の竿頭《かんとう》さらに一歩を進めて、陸奥《みちのく》の陸《くが》の果てなる恐山――鬼が出るか、蛇《じゃ》が出るか、そこまで行って見参したいものだな。

         三十一

 変れば変るもので、道庵先生がハイキングをはじめました。
 およそ、ハイキングだの、パッパ、マンマだのということほど、道庵先生に縁の遠いものはないのですが、転向ばやりとでもいうのでしょう、とうとうこの先生がハイキングをやり出したことに於て、容易ならぬ非常時を想いやることができるというものでしょう。
 ところは北上川の沿岸でもなく、恐山の麓でもありません、近江の国の琵琶の湖畔の胆吹山《いぶきやま》に向って、道庵先生がハイキングを試み出しました。
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「コノ日、天気晴朗ニシテ、空ニ一点ノ雲無ク、乃《すなは》チ一瓢ヲ携ヘテ柴門《さいもん》ヲ出ヅ……」
[#ここで字下げ終わり]
 明治のある時代に於て、小学校の課目の中に「記事文」というものがありました。その記事文に、一定の型があって、たとえば「車」という課題の下には、
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「車ハ木ト金ニテ作リ、荷ヲ運ブニ用フルモノナリ」
[#ここで字下げ終わり]
といったような型でしたが、ある時、或る学校で「楠木正成」という課題を出しました。大楠公《だいなんこう》のことに就いては、修身課に於ても、読本課に於ても、充分の予備知識が与えてあるのだから、先生もその点は安心して、右の課題を出したのですが、一人の生徒の答案に曰《いわ》く、
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「楠木正成ハ人ニテ作リ、忠義ニ用フルモノナリ」
[#ここで字下げ終わり]
 唖然《あぜん》として教員先生が言わん術《すべ》を知らなかった。これが軽薄なるデモ倉やプロ亀の口より出でたとすれば、許すべからざる冒涜《ぼうとく》であるが、無邪気なる小学児童が苦心のあまりに出でた作文の結果とすれば、単に一場の笑柄《しょうへい》のみです。
 ついでにもう一つ――これは大菩薩峠の著者が、小学校時代、七つか八つ頃親しく隣席で聞いた実話――同様の目的で、受持の先生が、「先生」という題を生徒に課しました。先生というのはつまり教師のことで、師の恩ということは、日ごろ口をすくして教えてあるのですから、もはや小さい頭にも充分の観念は出来ていると見たからでしょう。そうすると著者の隣席の同級の、しかも女の子でした、苦心惨澹して、石盤の上に認《したた》めた名文に曰く、
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「先生ハ人ヲ教ヘテ、銭ヲ取ルモノナリ」
[#ここで字下げ終わり]
 これを一読したその時の先生は、よほど短気の先生であって、これを見ると赫《かっ》とばかりに怒り、
「いつ先生が銭を取った!」
 その時分には、小学校に於ても相当に体罰が流行《はや》ったものです。いきなりその女の子にビンタを一つポカリと食わせましたが、少し神経痴鈍な女の子でしたから、別段、泣きもしないで、何の故に自分が打たれたのだか理解する由もないような面《かお》をしていたのと、その時の先生のすさまじいけんまくは、いまだに著者の目に残っている。
「何々ニ遊ブノ記」の記事文の型も、その前後に流行したもので、われわれ小学生も、必ずその書出しには、「コノ日ヤ天気晴朗」と、「空ニ一点ノ雲無ク」と、「一瓢《いつぴょう》ヲ携ヘ」は必ず書かせられたものです。雨が降っても、風が吹いても、天気晴朗と書かなければならないものだと心得ており、携えた一瓢の中は何物だかということは、説明を与えられることもなく、説明を求むるほどの知恵もなかったものです。
 しかし、今日、このところ、道庵先生のハイキングに当って、天気晴朗にはいささか申し分があるけれども、一瓢を携えたことだけは一点の疑う余地はありません。

         三十二

 道庵先生のハイキングコースは、上平館《かみひらやかた》を出でて、通例だれもがする小高野から鞠場《まりば》へかけての胆吹の表参道であります。
 それを、一瓢を携えた道庵先生が、ふらりふらりと上り出すそのいでたちは、草鞋脚絆《わらじきゃはん》の足ごしらえをよくした、平生の旅の通りであります。顔面のある部分に少しずつ貼紙をしていて、ここにいささか異状があるのですが、貼紙というのは、一昨夜上平館の下へ迷い込み、進退|谷《きわ》まって、助けを呼んだあの時の名残《なご》りであります。
 衣服の方の満身の創痍《そうい》は、もう誰かの心づくしで、すっかり癒されている。そこで道庵先生がいい気持で、胆吹のハイキングコースにとりかかったことは珍しいことです。
 江戸を出でて以来、中仙道をここまで百里にわたる旅路ですけれども、この途中ハイキングと名づくべきほどの経験はありませんでした。最も高い地点といえば、碓氷峠《うすいとうげ》なのですが、あれはハイキングのためのハイキングではなく、国道の幹線が、当然上りになっているところを上り来ったまでであり、その他に於て高いところとしては、尾張の名古屋城の天主へ登った程度ぐらいのものでしょう。それを今日は、胆吹山という、れっきとした山岳に向って正真正銘のハイキングの一筋道を行くのだから、少なくともこの道中唯一の異例であります。
 しかし、この先生のハイキングぶりを見ていると、甚《はなは》だ心もとないものがある。第一、道中の際は、あのひょろ高い背で、肩であんまりすさまじくもない風を切り、反身《そりみ》になって、往還の士農工商どもを白眼《はくがん》に見ながら通って来たものですが、山登りにかけては、あんまり自信が無いと見えて、もうそろそろ、体が屈《かが》み、腰が歪《ゆが》み、息ぎれが目に見え出してくる。そこで、先生のハイキングぶりが甚だ怪しいもので、ハイキングというよりは「這《は》いキング」とでもいった方がふさわしいかも知れぬ。現に、もう息を切って、杖を立て、足を休めてしまいました。
 そうすると、右手の松柏《しょうはく》の茂った森の中から、やさしい声が起りました、
「先生」
「何だい」
「ちょっと、こちらへおいでなすって下さい」
「何だね、どうしたんだね」
「ちょっと見て頂戴、まだ、よくわたしにはわかりませんから」
「そうか、では見てあげる」
 路と林との中で、この問答が起りました。
 森の中から先生と呼びかけたのは、しかるべき少女の声で、これに答えたのは、申すまでもなく杖をとどめた道庵先生であります。
 さればこそ、道庵先生のハイキングコースは、ひとり旅ではありませんでした、連れがあったのです。しかもその連れは、若い娘の声で、おたがいに別れ別れに、路と森を隔てて通ってはいるが、その目的は相並び行くものでありました。
「ずいぶん、この辺にたくさんありますのよ、これごらんなさい」
 先生の足を森の中へ煩《わずら》わすまでもなく、林の中から少女自身が姿を現わして、道庵先生の目の前へ出ました。
 愛らしい少女だが、頭に手拭を姐《ねえ》さんかぶりしている、小脇に目籠《めかご》を抱えている、そうして道庵先生の方がきちんとした旅姿なのに、少女はちょっと草履《ぞうり》をつっかけただけの平常着《ふだんぎ》であることが、いささか釣合わないけれど、この少女がお雪ちゃんという娘であることは、ほぼ間違いがありません。

         三十三

 これによって見ると、道庵先生は正式に胆吹山のハイキングコースを通り、お雪ちゃんは、リュックサックを背負ったり、ロイド眼鏡をかけたりしないで、ほんの突っかけ草履の略装であることによって、二人が最後まで同行の覚悟でないことはわかっています。
 手拭を姐さんかぶりにして、小脇に目籠を抱えたままで出て来たお雪ちゃんが、目籠の中へ手を入れて、何か摘草のようなものを取り出して、先生の目の前へ持って来て見せると、道庵先生がいちいち頷《うなず》いて、
「そうだ、そうだ、それがセンブリだよ、花の咲いた時分に採って乾かして置くと胃の薬になる。これはマンドウ草といって、やはり葉は花時に採って喘息《ぜんそく》の薬にする。こちらのは薄荷《はっか》だ。こいつはそれ、何とかいったな、二年目に出来た茎立葉《くきたちは》を花時の初期にとって乾燥して置くと、心臓病によく利《き》くあれだよ。それは睡菜葉《すいさいよう》といって、苦《にが》くて胃の薬になる。すべて苦いやつはみんな胃の薬というわけではないが、胃の薬はたいてい苦いと心得ていなさるがよい、それ、良薬は口に苦し……」
 目籠の中の植物の一つ一つに就いて、道庵が説明をはじめたところを見ると、どうも摘草にしては時候が変だと思われた疑いも解け、お雪ちゃんが、右の略装で、そこらあたりの薬草を採取しているのだということもよくわかります。
 薬草の吟味ならば、道庵がお手のものでなければならないから、お雪ちゃんの提出する一茎一草について、流るるが如く立派に答えつ教えつしてのけることも不思議ではない。道庵も多年この道で飯を食い、天下のお膝元で十八文の道庵先生といえば、飛ぶ鳥を落したり、落さなかったりしているのですから、医学と密接の関係がある本草《ほんぞう》の学問に於ても、そう出放題や、附焼刃ばかりで通るものではありますまい。お雪ちゃんが提出するほどのものは、いちいち苦もなく取って投げたが、そのうちに、ちょっと一つにひっかかって眼を白黒し、
「うむ、ええと、こいつは……こいつはちょっと難物だぜ、大医博士深根輔仁《おおいはかせふかねすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』にもねえ全く変り種だ、だろう、多分なあ、こいつがそれ、キバナノレンリソウとでもいうやつなんだろう、確《しか》とは言えねえがね。なんしろ、お前さん、この胆吹山というやつが、織田信長の時に、薬園相応の土地だとあって、五十町四方を平らげて薬草を植えたんだからな。その種類が、ざっと三千種に及んでいるということだから、道庵がいかに博学だって、お前、そうは覚えきれねえわな。それにお前、大医博士深根輔仁の本草ばかりじゃあ間に合わねえ、キリシタンバテレンの宣教師てやつが、あっちの薬草を持込んで植えてるから、どうもいけねえよ、キリシタンバテレンは昔から道庵のお歯に合わねえのさ」
と言って、道庵先生は、薬草の中のわからないのを一つごまかしてしまいました。
 お雪ちゃんは別に、道庵先生を困らせて手柄とするために難問を提出したわけではないから、そのくらいで打切って、そのまま、道庵先生に引添うて登りにかかりましたけれども、きりっと足ごしらえをしているに拘らず、道庵の足許が甚だあぶないのは、いよいよ以て先生のハイキングが怪しいものであり、お雪ちゃんが、白骨、乗鞍、上高地の本場で鍛えた確実なステップを踏んでいることがわかります。

         三十四

 お雪ちゃんは言いました、
「ねえ、先生、あなたもこの胆吹王国の一人として、わたしたちと一緒にこの館《やかた》へ、末長くお住いになりませんこと」
「ははあ、そりぁなんしろ愚老一生涯の大事だから、そう右から左へ即答はできない。だがお雪ちゃん、お前さんという人は、わしぁ好きだね。お前さんのような娘が、しょっちゅう傍についていてくれるところならば、永住してみてもいいと思うが、いったい、その胆吹王国というのはどういう性質の組合なんだか、そいつを聞かしてもらいてえ」
「王国なんて、ずいぶん僭上《せんじょう》な呼び方かも知れませんが、不破《ふわ》の関守さんが、冗談におつけになったんですから、お気になさらないでお聞き下さい」
「そりゃ、帝国なんて言おうものなら口が裂けるけれど、王国ぐらいならいいさ、三井王国《みついおうこく》だの、鴻池王国《こうのいけおうこく》だの、ずいぶん言い兼ねねえ」
「このことの起りは、あのお銀様の頭脳《あたま》一つから出たことなんです。あのお銀様って、どうも不思議なお方ね、とても頭がいいんです、それに、どのぐらいお金があるか底の知れないというお家にお生れになったんですから」
「ははあ、道庵なんぞはそれと正反対だね、頭の悪いことは無類だし、お金なんぞは商売物の薬にしたくもねえ――」
と道庵が、げんなりしたが、お雪ちゃんは悄気《しょげ》ませんでした。
「そうして、この胆吹山の麓に、見渡す限り広大な地所をお求めになったのです、今はとりあえず身近の人たちだけの館を造っておりますが、これから大きな御殿を建てて、望みを持った人たちにはみんな集まってもらい、今の世間と全く違った世界を、この胆吹の山の麓に新しくこしらえ上げるんですって」
「なるほど――」
「そこで、この胆吹王国では、どうも少しむずかしい言葉なんですけれど、人間が絶対に統制されるか、そうでなければ絶対に解放されるんだと、関守さんも申しておりました」
「うむ、なかなかむずかしい」
「それにはまず、ここに住む人たちがみんな、自給自足と言いまして、生活は直接に土から取って、人に衣食をさせてもらわないこと、人に衣食をさせてもらいさえしなければ、人間が人間に屈従しなくてもよろしい、ですから、ここに集まる人は、自分で自分の食べることだけはしなければならない、それが自由にできるようにして上げるのだそうです」
「それは賛成だね、国中へ穀《ごく》つぶしを一人も置かねえということになると、みんなの励みにならあ。だがねえ、お雪ちゃん、そうしてみんな働いて衣食を生産して食うということになると結構は結構だがね、まあ、愚老はまず商売柄のことから言うがね、病人が出来たらどうするんだ、病人が――病人を取捉まえて衣食を生産しろとは言えめえ」
「そりぁ先生、そんなことは人情で分っているじゃありませんか、誰も好んで病気になる人はありませんから、病人が出来れば、当人にもゆっくり休ませるように、その仕事は、いくらでも代ってして上げるようにできるじゃありませんか」
「そうか、それはそれでいいとしてだ、では、病人に対するお医者の方へ廻るがね、お医者をどうするんだ――なかなかこれで、十年や二十年|薬研《やげん》をころがしたって、誰にも代ってやれるという商売ではねえ――」

         三十五

「ですから、その道の人はその道の人を頼まなければなりません、その道の人を頼むと言いましても、なかなか変った人でなければこういうところへは来てくれません、来てくれるような人は未熟の人か、世間を食い詰めたような人、そこへ行くと先生なんぞは、人間も変っていらっしゃるし、腕の方も大したものですから、先生のようなお方がこの胆吹王国にいらしって下さると、ほんとうに願ったり叶ったりだと思いますわ」
「こいつは見立てられたね――」
 道庵は頭を丁と一つ平手で叩きました。
「ですからね、先生、お江戸の方はお弟子さんに譲って、ぜひこちらへいらっしゃいよ、ここならば京大阪は近いし、江戸へおいでになりたければ一足で海道筋です、わたしがついていますから、お身の廻りのことは御不自由はおさせしませんから、別に億劫《おっくう》なお気持をなさらずに、胆吹山の別荘へ御隠居をなすったと思って、こちらの人におなりなさいな」
「お雪ちゃんに、そう言って口説《くど》かれると道庵たまらないね、ついふらふらと、その気になってしまうよ」
「その気におなりなさいまし、わたし一生懸命、先生を誘惑するわ」
「誘惑は驚いたね。だが、この年になって道庵も、お雪ちゃんのような若い娘に誘惑されるなんぞは嬉しい、嬉しい」
「先生がお連れになった、あの米友さんだって、もうこっちのものよ」
「そうして、我々仲間をみんな誘惑して、胆吹王国の一味徒党の連判状にしようなんて罪が深い!」
「ですけれど、むりやりに首に縄をつけてもというわけじゃありませんのよ、相当の理由があればいつでも組合を外《はず》れていいことになっておりますから、そこは安心して、ともかくも先生、少しの間この組合に入ってみて下さらない、わたしも、はじめのうちはあのお銀様というお方が、全く気の置ける、怖い、やんちゃな、我儘《わがまま》なお嬢さんだとばっかり思って、縛られたつもりでいましたが、だんだんわかってきてみると、全く感心させられてしまうところがありますのよ。それは、あのお嬢様には、性格としてはずいぶん欠点もございますけれども、それはあの方の周囲の境遇がさせたものだということがよくわかってみますと、わたしはあのお銀様の本質は、どちらから見ても立派なものだとしか思われません。だんだんにお銀様の怖いところがなくなって、その偉いところに感心させられるようになってしまい、今ではあのお銀様の仕事のためならば、身体《からだ》を粉にしても助けたい、そのお志を成就《じょうじゅ》させてあげたいと、こんなに考えるようになりました。ですから、わたしは、もうこれから、あのお嬢様のために口説き役をつとめます、それこそ、いま先生のおっしゃる通り、誰でも、これぞと思った人はみんな誘惑してこっちへ引きよせることにはらをきめました」
「そうはらをきめられちゃあ、もう助からねえ」
 道庵が悲鳴に類する声を上げるのを、お雪ちゃんが起しも立てず、
「ねえ、先生、ですから、京大阪を御見物になって後、一旦お江戸へお帰りになるならなるで、それはお留めはいたしませんが、お江戸の方をしかるべく御処分なすって、ぜひ、こちらへいらっしゃいね。ね、約束しましょう、げんまん」
「どうも、そう短兵急にせめ立てられちゃあ、道庵、旗を巻く隙もねえ」

         三十六

 こんな問答をしながら、薬園のあたりから道庵先生を程よいところまで送って、お雪ちゃんは、ひとり上平館へ帰って来ました。
 帰って来るとお雪ちゃんは、目籠を縁側へ置いて、姉さんかぶりを取ると、いつものお雪ちゃん流の洗下げ髪を見せ、館《やかた》の工事場の方へ、とつかわと出て行ったが、そこには工事監督の不破の関守氏が行者のような風《なり》をして立って、早くもお雪ちゃんの来るのを認めている。お雪ちゃんが、
「関守様、あのお医者の先生とお薬草を調べに参りました、お銀様はまだお帰りになりませんか」
「それそれ、心配するほどのことはありませんでしたよ、お銀様は長浜の町へ行っていらっしゃるんで、今の先、使があったんだ。でね、ちょっと思い立って長浜まで出かけたが、ここへ来てみると、どうしても湖水めぐりをしてみたいとおっしゃって、これから長くて六日一日の間に八景を舟で一まわりして来るつもり、あとのところをお雪ちゃんと拙者に万事御依頼するから、よろしくという使の手紙なんだ」
「まあ、お銀様がお一人で湖水めぐりをなさるんですか」
「いや、そういうわけではない、この手紙の内容によって察すると、弁信殿も、米友公も、よそながらお銀様が遠眼をつけていらっしゃるようだから、ことによると、あの連中をみんな一緒にして、舟を一つ借り切って遊覧をなさるつもりかも知れない、そうでなくても、この浜屋という宿は拙者が心づけをしてあるから、お銀様の身のまわり一切、心得て世話をしてくれるはずだ、ともかく、この七日ばかりの間は、お雪ちゃんと拙者が、万事この王国をあずからなければならん」
「湖水めぐりをなさる時には、必ずわたしも連れて行ってやると、お銀様はおっしゃっておりながら、それに弁信さんとも約束をしていたはずなのに、みんな、わたしを置いてけぼりにして行ってしまいなさるのが口惜《くや》しいわ」
「いや、なに、そういうわけではない、あの連中のやることは、てんでに気の向き次第だから、約束が約束にならないところに妙理があるのさ。というものの、我々に後を託して置けばこそ、気まぐれに他出ができるという信頼が、こっちにあるからなんだ。つまり、お雪ちゃんとこの拙者に王国を任せて置けば、七日や十日留守にしたからとて心配がない、と思えばこそなんだ。そこまで信頼されているとすれば、留守居もまた妙じゃないかね」
「わたしなんぞは何のお役にも立ちませんけれど、そういうわけでしたら、喜んでお留守をつとめましょう、事がわかりさえすれば、どのみち安心でございます」
「お銀様のことだから、きっと、相当の船を一ぱい借切って、自由自在に湖の中を乗り廻し、思う存分に見物をしておいでなさるに違いない、我々は、われわれとして、入り代りにひとつ第二軍を実行させてもらいましょう。どうです、江戸のあのお医者の先生にも少し逗留《とうりゅう》していただいて、あの先生をひとつ長浜から、大津まで送りがてら、お雪ちゃん、拙者をはじめ、同志を募集して湖上遊覧の第二軍をこしらえようじゃありませんか」
「それは結構でございますが、あの先生が、それまで待っていらっしゃるかしら。大津に、お連れの方がお待兼ねになっていらっしゃるようでございます」

         三十七

 不破の関守氏とお雪ちゃんがこんなことを話しているところへ、仕立飛脚が一人、息せき切ってやって来ました。
「ちょっと、ものをお尋ね申します、この辺に、甲州の有野村からおいでになった藤原と申すお宅がございますまいか」
「甲州の有野村――藤原ですって」
 不破の関守氏が小首をひねると、お雪ちゃんは早くも合点《がてん》して、
「お銀様のことですよ、お嬢様の御実家のお名前なんです」
「ははあ――それに違いない、改まってそう聞かれると、ちょっと戸惑いをする。時に飛脚さん、何ですか、御用は」
 不破の関守氏が改めて仕立飛脚の方に向き直ると、
「お手紙でございます、甲州の有野村の御実家から、お嬢様のところまで頼まれてまいりましたが」
「そんなら間違いはありません、ここがその藤原家の御別荘なのです」
「では、そのお嬢様は、ドチラにいらっしゃいますか」
「お嬢様は只今、ちょっと外出をなされたが、拙者共が万事、留守を預かっていますから、お申し聞け下さい」
「さようでございますか、直々《じきじき》にお手渡しをしたいのですが、いつごろお帰りでございましょうかな」
「さよう、長浜の方へ行かれましてな、湖水めぐりをなさる御予定だから、六日一日くらいはお帰りあるまいかと思うています」
「それは残念でございました、では、あなた様にお手渡しを致します、このお手紙――印《しるし》にちょっとお手判をいただきたいものでございますな。それから、お手紙のほかに、ちょっと口頭で申し上げて置きたいお言伝《ことづて》があるんでございますが」
「では、こちらへいらっしゃい」
 関守氏は仕立飛脚を導いて、自分の監督部屋の方へと連れ立ちながら言いました、
「それはそれは、甲州から日限仕立《ひぎりじたて》で、それは御大儀のことでござったな。幾日かかりました」
「四日かかりましたよ」
「四日間、それはそれは」
「実は、その有野村藤原の御当主――お嬢様には父親のお方でございますな、その方が急に思い立ちになりまして、上方見物に出るとおっしゃってお出かけになりましたんですが、上方見物は口実でございまして、実は、たった一人の、一粒種のお嬢様、お銀様とおっしゃいますそのお方が、上方で何をしていらっしゃるか、それを見届けたいためなんでございます。おっつけ、そのお嬢様のお父上、すなわち伊太夫様とおっしゃるのが、これへお見えになることと存じますが、それに先立ちまして、藤原家のお番頭さまから特に頼まれましてな、こうして日限飛脚でやってまいりました。実は、それで、お手紙はお嬢様へ――それから別に、口頭で申し上げるように頼まれてまいりました文句は別でございますが、あのお嬢様にお附添でまいりました江戸の女の方――さよう、お角さんとかおっしゃいましたな、あのお方もこちらに御厄介になっておいででございましょうな」
「いや――その方は、おられません。とにかくあちらで万事」
 関守氏が飛脚を導いて行くと、お雪ちゃんは、
「では、関守さん、後ほど」
と言って、辞して自分の離れの方へと帰りました。

         三十八

 不破の関守氏は、仕立飛脚を連れて、自分の座敷の縁へ座布団をしいて腰をかけさせ、自分は室内の机の傍に控えてこう言いました――
「いや、それは、こちらでもようくわかっているのですよ、我々はお銀様に対して、いま絶対服従の地位にいるのです、お銀様の計画の下《もと》に、お銀様の出資の下に、お銀様の理想の下に、一から十まで服従して仕事を助けているのです、どうして、我々の力であのお銀様をそそのかして、誘惑したりすることができるものですか。我々の頭よりは幾倍の優れた頭を持ち、我々の計数よりはずっと優れた計数でなさるんですもの、我々がお嬢様をかついだり、おだてたりして、こんな仕事をおさせ申しているのだとお考えになると、大間違いですよ」
と、関守氏から言われると、仕立飛脚も幾度か頷《うなず》いて、
「それはもう、仰せの通りでございます、あのお嬢様に逢っては、御両親一同、誰もかないません、父上の伊太夫様でさえ、どうにもこうにもならないのでございますから、あなた様方が、どうのこうのと言うわけではございませんが、今度のことは一番、大事の上の大事でございましてな、あのお銀様が自分の持分の財産を、すっかり新しい事業に注ぎ込んでおしまいになる、口幅ったい申し分でございますが、有野村の藤原家と申しますれば、あの国でも二と下らない分限《ぶげん》なのでございますから、お嬢様の分として分けてある財産だけでも少々のものではございませんのです、それをやらないと言えば、またあのお銀様が、どういう拗《す》ね方をなさるかわからず、分けて湯水のように使わせてしまった分には、御主人はとにかく、親類や家の宰領をする番頭の役目が立ちませぬ。それに、いよいよそうなりますと、御主人の伊太夫様も世をはかなんで、高野山へ隠れるとかなんとかおっしゃり兼ねないのでございます。でございますから、今度のことは、いわば藤原家の破滅の瀬戸際と申すような場合なんでして、それで、親類や、支配人のお方が相談して、御主人の伊太夫様がこれへお着きになる前に、お銀様の様子を見届けた上で、その傍について仕事を助けている人たちのうちにも、物のおわかりになる方もございましょうから、その方にお目にかかって、こういうわけだということを一通り呑込んで置いていただきたい、そうでないと、伊太夫様が乗込んで、またお銀様と、旅さきで劇《はげ》しい親子争闘でもなさろうものなら、手のつけようがない、こういう心配から、わたしが頼まれて、伊太夫様がお立ちになる前に、抜けがけをして、これまでまいりましたような次第でございます」
 飛脚が長々と物語るのを、関守氏はなるほどと聞きました。
「御尤《ごもっと》もです。ですけれど、われわれがお附き申している上は、その辺はまず御安心くださるようお伝え願いたい――拙者は、つい先頃まで、昔の不破の関屋の跡の留守番をつとめておりまして、もとは名もなき中国浪人なのですが、つまらないことから国を出て、もうかなり娑婆《しゃば》ッ気《け》は抜けました、人を焚きつけて旨《うま》い汁を吸おうなんぞという骨折りは頼まれてもやれません。しかし、お銀様のなさることは、空想のようで、必ずしも空想ではないのです。どうせ、この浮世のことですもの、永久に牢剛なるものとてはあるはずはない、まず、やるだけやらせてみることです、思ったほどに危険はありませんよ」

         三十九

 飛脚とはいえ、ただ通信機関の役目を果すだけの使ではなく、よく情理を噛《か》み分けて話のできる相手だと思いましたものですから、不破の関守氏も洒落《しゃらく》にことを割って話しかけたようです。
 座敷と縁とで、二人がこうして話し合っている間、上手《かみて》の方では、鑿《のみ》や鉋《かんな》の音が相当|賑《にぎ》わしいのですが、一方の淋《さび》しい庭の木戸口から、不意にこちらへはいって来たものがありました。
 それは、女の子ですけれども、一見してお雪ちゃんでないことは明らかです。汚ない布子《ぬのこ》を着て、手によごれた風呂敷包を抱え込んでいましたが、案内もなくはいって来て、それを咎《とが》められる前に、早くも関守氏の前の庭先へ、ピタリと土下座をきってしまい、
「お願い申します」
「何だ、何です」
 咎めるようで、関守氏の応対は存外|和《やわ》らかなものでした。
「お願い申しまんな、わしが身をこちら様でお使い下さらんかいな、こちら様へ上れば、どないにしても使って下さいますそうな、そないに麓《ふもと》で聞きましたから、押してまいりましたさかい、お使い下さいましな」
 関守氏も、この返答にはちょっと困ったようでしたが、
「どこからおいでなすったエ」
「甲賀郡から参りました」
「一人ですかい」
「はい、御奉公をいたしておりましたがな、どないにもつとまり兼ねますさかい、出てまいりました」
「奉公先を出て来た? 御主人に断わってか」
「いいえ」
「親御たちは承知かな」
「いいえ」
「じゃ、逃げて来たんだな、逃げて来るとはよくよくのことだろう、とにかくここにいなさい」
「有難うございます」
「まあ、裏へ廻って足を洗いなさい」
「はい」
「足を洗ったら、そこらの掃除をしなさい」
「はい」
「飯をたべたか」
「はい」
「まだだな。では台所へ行ってな、大工さんのおかみさんがいるから、ちょっとここへ来るように言ってくれ、大工さんのおかみさんに、関守が呼んでいると言ってくれ」
「はい」
「いまお前がはいって来たあの木戸から左へ廻るんだ――いいか、鑿《のみ》の音や、鉋《かんな》の音がしているだろう、あっちへ行くんだよ」
「はい」
 汚ない小娘は包を抱えて、指さされた方へ向って行ってしまう。その後ろ姿に何ともいえぬ哀愁を覚えたのは関守氏ばかりではありませんでした。
「逃げて来たのですね」
と、甲州からの仕立飛脚が言いますと、関守氏が、
「いや、一人二人ずつ、このごろはああいうのが見え出しました、なかには首をくくろうとしているのを、出入りの大工が助けて連れて来た青年もおります、今は快く工場に働いていてくれます。働き得る人は、誰でも拒《こば》まない方針を採りたいものだと思っております」
 甲州から来た仕立飛脚氏はここに於て、自分はここへ使に来たのだか、入園によこされたのだか、わからない気分にさせられてしまったようです――つまり、なんだか自分もここへ引きつけられて、居ついてしまわねばならないものでもあるかのような気持にさせられてしまったようです。

         四十

 お銀様の事業の番頭として不破の関守氏が与えられたことは、偶然としても、稀れに見る偶然でありました。
 この人は、中国浪人と称しているけれども、その藩籍俗姓のくわしいことは、まだわからない。不破の関の巻を読んだ人は、相当に色どりのあるロマンスを持ち、心の悩みに相当の解脱《げだつ》を持ち来たしているということはわかります。
 かの如くして、美濃の国の関ヶ原の不破の関屋の板廂《いたびさし》の下に暫く身をとどめて、心を癒《いや》しておりましたが、その間に、読書もすれば、人事をも考えていました。
 ことに、美濃にゆかりある人物に就いては、親しくその人を育《はぐく》んだ山川草木の間で、相当の研究を積んでいたには相違ないが、その中でも竹中半兵衛尉重治《たけなかはんべえのじょうしげはる》の研究に就いては、なかなかの造詣《ぞうけい》を持っているらしい。
 羽柴秀吉をして、明智光秀たらしめなかったものは竹中重治である。一代の英雄のうしろには、必ず、また一代の明哲がいる。竹中半兵衛の如き明臣があらざりせば、秀吉の運命はまさしく明智光秀と、そう相距《あいへだた》ること遠からざる運命に落ちたに相違ない。
 竹中半兵衛は器量人である。名優である。しかも最も渋いところの脇師である。蘊蓄《うんちく》の底の深いこと、玄人《くろうと》はかえって、秀吉よりも、信長よりも、こういう人を好くことがある。
 しかし、不破の関守氏は、土地の関係上、竹中半兵衛に興味をこそ持て、これを研究こそしておれ、自分が半兵衛を以て自ら任ずるほどには己惚《うぬぼ》れていないこともたしかです。だが、興味を持ち得るところは即ち素質の存し得るところですから、こういうのが功を積み、時を得ると、天下の風雲をそそのかすような隠し芸をやり得ないとは限らない。
 天下の風雲を唆《そそのか》すほどのことをやり得られないとしても、天一坊を得れば山内《やまのうち》、赤川となり、大本教を得れば出口信長公となり、一燈園を作れば西田天香となり、ひとのみち教団へ潜入すれば渋谷の高台へ東京第一の木造建築を押立てるくらいのことは、仕兼ねないと見なければならぬ。
 世には絶倫の器量を持ちながら、とうてい脇師以上には出られない人があり、欠点だらけでも、立役《たてやく》の巻軸に生れついたような人もある。人それぞれ、自分の器量を自覚し得ればそれに越したことはない。不破の関守氏は、この点に於て甚《はなは》だ聡明であったようです。自ら番頭以上を以て居らず、お銀様を押立て、これを主として事を為《な》すという働き以外には、一歩も出ませんでした。
 お銀様を助けて、その事を為さしむるというのは、お銀様を担《かつ》いでその実権を握ろうというのとは違います。徹頭徹尾、脇師をもって自分の天賦《てんぷ》と心得たかのように、主役としてのお銀様を立てることは、本心から然《しか》るのでありました。
 さればこそ、心のアクが抜けている。アクが抜けているから、人をそらさないのです。来るほどのものを、皆そらさず取入れて、それぞれの仕事に働かせることに於て、まだ日が浅いけれども、十二分の成績をあげている。彼は第二段として、集まる人の信仰、或いは集中の対象となるべき大本殿の建築を計画している。
 山師として見れば、また立派に一個の山師たる素質を備えているかも知れないが、本人自身は山気《やまけ》はない。
 偶然とはいえ、こういう役者は求めて容易に得られるものでなく、与えられたお銀様の事業のためには、無上の人物です。

         四十一

 そこで、不破の関守氏の人徳が、お雪ちゃんのように敢《あ》えて誘惑を試みないでも、相当に人を惹《ひ》きつける力を持っている。
 仕立飛脚で甲州からやって来た人でさえも、話し込んでいるうちに、自分も甲州へ帰らないで、いっそ、この王国の中へ住み込んでしまおうかという気になる。
 どこから伝え聞いて来たか、包一つを抱えた田舎娘《いなかむすめ》は、立ちどころに拾われて、もう水仕事をしている。
 それはそうとして、今も飛脚氏との会話のうちにあった、この胆吹王国の女王お銀様の父なる人、甲州第一の富豪――有野村の伊太夫が、また上方見物に名を仮りて国を出で、もはや、この地点近いところあたりまで来ているはず――ということは真実でした。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という、腕の一本ないやくざ者が、お蘭どのという淫婦の御機嫌を取るために、わざわざ危険を冒《おか》して飛騨の高山まで引返して、そこの芸妓《げいしゃ》に預けっ放しにして置いた大金を取りに戻って見ると、その芸妓は一昨日、宇津木兵馬という若い侍と共に駈落をしてしまったということ、出し抜かれて苦笑いのとどまらないがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎が、すごすごと舞い戻る途中、美濃の国の関ヶ原まで来ると、容体ありげな数人連れの旅の一行の者とすれすれになる途端、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎の頭にピンと来たものがありました。
 この一行の旅人は普通の旅人ではない。見たところ、世間並みの庄屋の旦那どんが、小前小者《こまえこもの》をつれて旅立ちをしている程度のものでしかあり得ないようだが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎の第六感で、「これは大物だ」と受取ってしまいました。三井とか、鴻池《こうのいけ》とかいう素晴しい大物が旅をする時、わざと大がかりを厭《いと》い、なんでもない旅商人のようにカモフラージを試むることがあるとのこと、こんなふうにやつして旅をしているが――こいつは只物でねえ――と見破ったがんりき[#「がんりき」に傍点]は、そこはさすがに商売柄でありました。
 お蘭どのという淫婦に、三百両の金を、見ん事、飛騨の高山から持ち来たして見せると頑張ったが、ものの見事に破れて、素手ですごすご帰る、その埋合せの帰りがけの一仕事としては持って来いだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、急にほくそ笑みして、その天性の早足をわざと渋らせつつ、見え隠れに、この一行のあとをつけたが、そういうこととは露知らず、一行の旅の主は、疑うべくもなくお銀様の父、急に甲州有野村を微行《しのび》の旅の体《てい》で出立した藤原の伊太夫であります。
 この一行が関ヶ原の旅を急いで行くと、新月が淡く原頭のあなたにかかって、黄昏《たそがれ》の色は野に流れておりました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、背後《うしろ》から――その一行、大小取交ぜて五人連れでした――その五人をいちいち吟味しながら、つけて行ったが、いずれもがっちりしていること意想外であるのに驚かされたようです。
 第一――その主人公と見えるのが、大様なふうではあるが、なかなか隙がないし、附添の者みな質朴に外観をいぶしているが、いずれも油断がない。
 別に親の仇をねらうわけではないから、人間そのものには望みはないけれど、この五人のうち、誰が現ナマを最も多く保管しているのか、それに当りをつけるのが要領だが、どうもがんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎の眼力《がんりき》をもってして、五人のうちのどれが金方《きんかた》だか、ちょっとわからないのが自分ながら歯痒《はがゆ》い。

         四十二

 伊太夫一行の泊った旅宿は、さきにお銀様の泊ったと同じ関ヶ原の本宿でありました。しかもその室さえ同じことに、娘の泊った座敷へ、父の伊太夫が案内されました。
 この第一室に納められた時に、伊太夫はこの座敷を異様なりと感じました。微行《しのび》の旅ではあり、また関ヶ原の真中で、そう贅沢《ぜいたく》な宿が取れるはずはないが、それにしてもこの座敷は、さように粗末なものではない。時としては、大名公家が泊っても、狼狽《ろうばい》しないほどの設備はととのえられていることを認めました。
 ここで第一等の座敷を、附添の者の心づけで、特に伊太夫のために提供するようになったのは無理もないが、ここに納められる時に異様に感じたのは、床の間であります。床の間には三藐院《さんみゃくいん》の掛物がかけてありました。三藐院の掛物は感心こそすれ、あえて異様とするには足りないのですが、その下の置物がたしかに異様でありました。そこには一個の人間の髑髏《どくろ》が、暗然《あんぜん》として置かれてあったからです。
「変な置物だな」
 伊太夫は、つくづくと一時《いっとき》それを見ましたけれど、わざわざ立って、コツコツと叩いてみるようなことはしませんでした。色も、形も、ほぼ完全なる人間の首の髑髏にはなっているが、まさか本物を飾って置くとは思いませんでした。主人が好事家《こうずか》で、凝《こ》っての上のもてなしだろうとも感じましたが、それにしても、凝り方が少し厳しいとまでは思いましたけれども、伊太夫としては、それにうなされたり、取りつかれたりするほどに弱気ではなかったのです。
 だが、彫刻にしてはなかなかうまい。うまいまずいは別としても、真に迫っているとまでは思いました。これを彫った奴は相当の腕利きだわいと次に少し感心し、それから最後に、木彫《きぼり》か、牙彫《げぼり》か、何だろうと、ちょっとその材料の点にまで頭を使って見たようですが、なお決して、伊太夫は、それに近づいてコツコツと叩いてみるような無作法には及びませんでした。
「御免下さりませ」
と、宿の主人がやって来ました。
「はいはい」
と伊太夫がその方を向くと、
「さきほどの品をこれへ持参いたしました、篤《とく》とごらん下さりませ」
「それはそれは。では、とにかく、一晩お借り申して、ゆっくり……」
「どうぞ、ごゆるりと」
 宿の主人が、自身でわざわざ持って来た、何か古錦襴切《こきんらんぎれ》のような袋に包んだ、古色蒼然《こしょくそうぜん》たる箱物を一つ、恭《うやうや》しく伊太夫の枕許へ持って来て、念入りに備えつけました。その物々しさを見ると、主人も相当にたしなみがあるらしい。してみると、これは何かしかるべき茶器の類《たぐい》の珍物だな、それをさいぜん、話のきっかけで当りをつけ、拝見したい、お見せ申しましょう、ということにでもなっての結果らしい。それは見るだけだか、見ての上で相当の取引が持出されるのだか、もう取引済みになっているのか、それまではわからないが、ともかくも、色と言い、形と言い、蒼然たるさびのついた古代切入《こだいぎれい》りの箱物でありました。多分好きな道なのでしょう、こういった道中に於ても、伊太夫は、この品を、このままでは閑却しきれないと見えて、包みの結び目をといて、箱の蓋《ふた》を払うと共に、眼鏡をかけて燈火の下近くさし寄りましたのです。

         四十三

 それから伊太夫は、箱の中へ手を入れて、大事そうに取り出したものを見ると、それは古い瓦でありました。
 その古瓦を一枚取り上げて吟味をはじめたところを見ると、伊太夫は相当、考古学に趣味を持っているらしい。無論、考古学というような一つの科学としてでなく、骨董癖《こっとうへき》の一種として、相当に古瓦の鑑力《めきき》を持っていると見なければなりません。
 その古い瓦の中には、或いは相当完全なのもあり、破片に過ぎないのもあり、平瓦《ひらがわら》もあり、丸瓦《まるがわら》もあり、複弁蓮花文《ふくべんれんげもん》もあり、唐草蓮珠《からくされんじゅ》もあり、巴《ともえ》もある、宝相花文《ほうそうかもん》もある。たいした数ではないが、相当に伊太夫をたんのう[#「たんのう」に傍点]させるほどのものがあったと見えて、打返しての吟味方が、相当念入りであります。
 一通り瓦を調べ終ってしまってから、次に箱を取って、打返し打返し見ました。瓦にも相当興味を持ったが、伊太夫の鑑賞力ではこの箱の方に、いっそう特殊の趣味を感じたからでありました。
 それは古代の唐櫃《からびつ》といったものの形に相違ないが、底辺に楕円形の孔があいていて、そこから紐を通すようになっている。木地《きじ》はむろん檜《ひのき》に相違ないが、赤黒の漆を塗り、金銀か螺鈿《らでん》かなにかで象嵌《ぞうがん》をした形跡も充分である。蓋は被《かぶ》せ蓋《ぶた》で絵がある。捨て難い古代中の古代ものだ。さもあらばあれ、今度の旅の性質は、伊太夫としても、かりそめの骨董いじりなどをさせる旅路ではないはずなのですが、そこは好きな道で、是非なき体《てい》であります。
 すでに熟覧し終ると、伊太夫はそれをもとのように包み直して、自分の枕許に置き、やがて寝ついたが、暫くすると、すやすやと寝息が聞えてきました。
 静かな関ヶ原の一夜。
 今宵は過ぐる夜のように、月を踏んで古関《こせき》のあとをたずねようとする風流人もなく、風流にしても、もう少し寒過ぎる時候になっているのですから、夜の静かになることは一層早いものがありました。
 こうして夜が深くなった時分、伊太夫の座敷の床の間の髑髏《どくろ》が、ひとりでに動き出して来ました。本来は、髑髏が動き出したのではないのです。操細工《あやつりざいく》でなく、化け物でない限り、床の間の置物が、いくら夜更け人定まったからといって、ひとりで動き出すというようなことは、万あるべきことではないのです。それが、ひとりでに動き出したというのは、伊太夫の頭の中で動き出したのです。
「変な置物だ!」と、入室の瞬間から印象されたところのものが、夢に入って再現したまでのことでして、これは不思議でもなんでもないのです。問題の髑髏が三藐院《さんみゃくいん》の掛物の前で、ビクビクと震動すると見る間に、すっくと床の間いっぱいに立ち上りましたが、それは骸骨の上に衣冠束帯を着けて現われました。
 しかし、それも夢としては、さのみ不自然ではありませんでした。三藐院の掛物のことが伊太夫の頭に在ってみると、それから連想して、骸骨が衣冠束帯をつけたということも、夜前の印象が、ごっちゃになって伊太夫の脳膜に襲いかかったというだけのものでしょう。夢というものも、他人に見てもらうものではなく、自分の頭で自分が見るものですから、自分の頭にないことが出て来るはずはない。伊太夫は伊太夫として、自分の見る程度だけの夢を見て、われと夢中に驚きもし、怖れもすることは、他の夢を見て暮す人間のいずれとも変りようはずがありません。

         四十四

 この一間では、お銀様も、あの晩に素晴しい夢を見せられたことは、「不破の関の巻」で書きました。お銀様のあの時の夢は、見ようとして見た夢でありました。見ようとして見た夢を、空想通りに見せられたのですから疑問はありませんが、いま伊太夫の見せられている夢は、全く自分も予期しないところの夢であったのです。ですから、伊太夫は夢の中でも、この夢の全く取止めようのないのに呆《あき》れているのです。
 もう一度繰返して見ると、お銀様はここへ来る前から、関ヶ原の軍記に相当のあこがれを持ち、ここへ来てから、関ヶ原合戦の絵巻物を見せられ、それから、関ヶ原の夜の風物に直接存分触れて来ての後の夢でしたから、見せられた夢も当然であり、見た当人も不思議はなかったのです。お銀様はあの時、この部屋で大谷刑部少輔《おおたにぎょうぶしょうゆう》の夢を見たのです。見ようとして見たのです。お銀様こそは、関ヶ原の軍記に憧《あこが》れを持つというよりも、大谷刑部少輔その人に、かねてより大いなる憧れを持っておりました。
 何故に女人としてお銀様が、人もあろうに大谷刑部少輔吉隆にそれほどまでに憧憬を捧げているのか――
 お銀様は、どうしたものか、関ヶ原の軍記に於て、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たさせたいという贔屓《ひいき》が、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何《いかん》とも致し難い――だがそれは、石田、小西が好きだからではない、別にお銀様の心魂を打込むほどに好きな人が、関ヶ原軍記の中に一人あったからです。その人こそ、無上の共鳴と、同情と、贔屓とを捧げている。常の時でさえお銀様は、その人のことを思い出すと涙を流して泣く。歴史上といわず、およそありとあらゆる人間のうちで、お銀様をしてこれほどに同情を打込ませる人は、二人とないと言ってもよいでしょう。その人は誰ぞ、それがすなわち大谷刑部少輔吉隆その人なのであります。
 その好きな人を、その人の最期《さいご》の地で、夢に見たのだから本望です。本望以上の随喜でした。あの盛んな大芝居を夢見てしまった後のお銀様は――
 ――石田三成も悪い男ではないが、大谷吉隆はいい男だねえ。
 わたしは日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。今はその人の討死した関ヶ原へ来ている。あのいい男の首塚が、ついこの近いところになければならぬ。
 わたしは何を措《お》いても、あの人の墓をとむらって上げなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから、ちょうど、月もあるし……
 大谷吉隆の首を、わたしはこれからとむらってあげなければならない――
 かくてお銀様は、月の関ヶ原をさまよい尽して、ついにどこよりか一塊の髑髏を探し求めてまいりました。
 その髑髏が果して、大谷刑部少輔の名残《なご》りの品であったか、なかったか、そんな詮索は無用として、お銀様は心ゆくばかりその髑髏を愛しました。面目《めんもく》が崩れ、爛《ただ》れ、流れて、蛆《うじ》の湧いている顔面がお銀様は好きなのでした。大谷刑部少輔の顔面としてではなく、自分の顔面としての醜悪は、無上の美なりとして憧れていたのですが、その時の髑髏は米友によって洗われ、弁信によって火の供養を受けて、立派に成仏しているはずですから、またもここへ迷うて出て、父の伊太夫を悩まさねばならぬ筋合いは全くないのであります。

         四十五

 果して、伊太夫の見た夢は、お銀様の見た夢ではありませんでした。衣冠束帯に変装した床上の髑髏が、いつの間にか、またもとの一塊の白骨となって、床上に安んじているのを見ると、夢は夢でありながら、伊太夫もなんだか、ばかにされたような気になって、これはそもそも、この三藐院が曲者《くせもの》だなと思いました。
 三藐院の掛物が最初から頭にあるので、それで、つい衣冠束帯のお化けが出て来たのだ。いったい、この座敷へ通されてから、これは三藐院だなと認識はしたが、その三藐院が何を書いていたのだか、そのことには、あんまり注意しなかったのです。しかし、今となって、こいつ、なかなか曲者だと考えたものですから、ひとつ読んでみてやれという気になりました。
 無論、それは三藐院のことだから、書いてあるのは和歌に相違ないとは思うが、この和歌が、古歌であるか、或いは三藐院自らの作になるものであるか。
 伊太夫は、そういう心持で特にこの掛物の文字の解読にとりかかってみると、
[#ここから2字下げ]
置くは露
 誰を食はうと鳴く烏
[#ここで字下げ終わり]
と二行に認《したた》められてあったので、ひどく頭をひねらざるを得ませんでした。
 これは和歌ではない、発句だ。三藐院とある以上は、誰が考えても和歌でなければならないはずなのに、こう読みきったところでは、発句であるほかの何物でもない。
 三藐院が、書画ともに堪能《たんのう》であられたことは知っているが、発句を作られたことは曾《かつ》て聞かない。また三藐院が発句を作られる道理もないと思う。連歌の片われかと思えばそうではない、立派に独立した発句になっている。と同時に伊太夫は、この発句が、たしかに誰かの句であったということの記憶が呼びさまされました。誰だっけな、芭蕉でなし、鬼貫《おにつら》でなし、也有《やゆう》でもなし……
[#ここから2字下げ]
置くは露
 誰を食はうと鳴く烏
[#ここで字下げ終わり]
 伊太夫が、しきりにその句の主を探し出そうと試みていると、天井の上から非常に気味の悪い鳴き声をして、髑髏をめがけてパサと飛び下りて来たものがあります。これが一羽の烏です。
「叱《し》ッ」
と伊太夫が叱ったものですから、烏もさすがに人間を憚《はばか》って、髑髏の上へじかに飛び下りることはやめましたけれども、少しあちらにうずくまって、その貪婪《どんらん》な眼をかがやかして、こちらを覘《ねら》っている体《てい》が、憎いものだと思わずにはいられません。
 まさしくこいつは、この髑髏《どくろ》を食いに来たのだ、こうなってみると、そうはさせないという気になって、こいつを勦滅的《そうめつてき》に追い払わなければならぬ、得物《えもの》は――と伊太夫もあたりを見廻したけれども、手ごろの何物もありません。ただ、枕許に置いた道中差――これは少々大人げないと思ったところ、幸いに畳の上に掛物竿がありましたから、これを取り上げて、烏を追い飛ばそうとしました。
 ところが、この烏め、こちらに征服意識があると見ると、憎さも憎い、人間に向って、一層の反抗意志を示して来て、その貪婪《どんらん》な眼と、鋭角な嘴《くちばし》をつき出し、隙《すき》をねらって飛びかかろうとする。髑髏をめがけてではなく、伊太夫を当の敵として刃向って来ようとするのが憎い。

         四十六

 伊太夫が見つめると、こいつは「定九郎鴉《さだくろうがらす》」だなと思いました。定九郎鴉という鴉があるかないか知れないが、まさに烏の中の無頼漢だ。頭を菊いただきのように、ひら毛を立てて隙をねらう、あの目つき、物ごしを見るがいい。
 掛物竿ではっしと打つと、それをかいくぐった定九郎鴉は伊太夫に飛びかかるかと思うと、そうではなく、伊太夫の袖の下をくぐって、飛びかかったのは、古代切に包んだ上代瓦の箱物でありました。その結び目へ鋭い嘴をひっかけると、その包みを啣《くわ》えて引摺り、ぱっと飛び退きました。
「こいつ」
 伊太夫が、またも掛物竿を取り直す隙に、早くも定九郎鴉めは、どこをどう逃げたか、全くこの座敷から姿を消してしまうと、伊太夫がホッと息をつき、
「うーん」
とうなされただけのものです。しかし、暫くすると、本当に眼がさめました。
 眼がさめたと思うと、外で鳥のはばたきを聞きましたが、それは烏ではない、鶏であることがよくわかり、同時にその鶏が声高く時をつくるのを聞きました。
 鶏が鳴いたな、何番鶏か知らん、こちらは眼がさめたけれども、夢を見すぎたせいか、どうも寝足りないような気がしてならぬ。と、伊太夫が床の中でうつらうつらしていると、裏口で人の声がする。これはまぼろしの人の声ではない、現実生活の声だ。現実生活の声も、旅籠屋商売《はたごやしょうばい》などは、現実が未明から夜更けまで続く。旅にいて朝呼びさまされる時に、人は人生というものに急《せ》き立てられる思いがしないではない。
 だが、この早朝――というよりは未明、いくら人を泊め、人を起して立たせるのが商売だと言っても、少し勉強が過ぎるようだ。これほどまでに早朝、これほどまでに慌《あわただ》しい働きぶりをしなければ立行かないというほどに、競争の烈しい土地とも思われないし、またそういうふうに要求するほどの団体客も見えてはいないはず。
 少々騒々しいなと思っている寝耳へ、急に襖《ふすま》を開いておとなうものがありました。
「お休み中を恐れ入りますが、少々お伺いいたしとうございます、モシ、何かお失くなりものはございますまいか、念のため、お伺いいたしとうございます、手前共の不注意でございまして、昨晩、湯殿の戸締りが出来ておりませんものでしたから、そこから、どうも忍び込んだ模様でございまして」
 その声は、昨晩寝入りばなに、箱入りの包みを持って来た主人の声に相違ないから、伊太夫がはっと思うと同時に、気のついたのは、昨晩、この人が持って来て枕許へ置いて行った古代瓦の袋入りの箱が、いつか姿を消して見えないことであります。
「あ、やられた、たしかにあの定九郎鴉に」
 この瞬間、伊太夫の眼にうつって来たのは、人間としての盗賊でなく、烏としての、憎い奴の形でありました。
 では髑髏《どくろ》は――と見ると、髑髏は宵のままで更に異状はなく、三藐院《さんみゃくいん》はと見れば、これも更に微動だもせず、文字を再び読み解いてみると、「置くは露」といったような筆画《ひっかく》は一つもなくて、筆跡はまさしく三藐院の筆ですが、歌は、
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あしひきの山鳥の尾のしたり尾の
 なかなかし夜をひとりかもねむ
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         四十七

 伊太夫の座敷に於て紛失したものは、上代瓦を入れた箱入りの包だけでありました。ほかにはなんらの被害はなかったのですが、これは、床上の髑髏が呑んでしまったわけでもなし、定九郎鴉が啣《くわ》えて行ってしまったのでもありません。主人の言うところの如く、湯殿の戸締りの用心の足りなかったのを利用して忍び込んだ盗賊の為す業でありました。
 伊太夫は宿の主人のために、それを気の毒がって弁償しようと言いましたが、主人は事もなげにそれを辞退して申しました、
「なあに、申せば瓦っかけでございますからな、値につもっていただくわけには参りません、もともとこっちの戸締りの用心が足りないせいでございまして、申し訳のない次第のものでございます、ほかに何もお怪我がなくて、それが何よりの仕合せでございます」
と言って、どうしても弁償を取ることをうけがわないのです。
「瓦っかけと言ってしまえばそれまでだが、あれで好事家《こうずか》の手にわたると、相当|珍重《ちんちょう》の品なのだ、それにあの箱が珍しいと思いましたよ」
「いや、手前共では、その道の熱心家が御所望でしたら、只《ただ》で差上げてもよろしいと存じていた品でございます」
「盗んだ奴は、あれを持って行っても始末に困るだろう、もしな、御主人、帰りまでにめっかったら、わたしが所望いたしたい」
「よろしうございますとも。全く仰せの通り、盗んだ奴も、あれを持って行ったところで、それこそあけて口惜《くや》しき、というところでございましょう――いずれその辺に放り出してあるかも知れません。時に、お連衆《つれしゅう》のお方にも御異状はございませんでしたか」
 伊太夫が引連れて来た四人の同勢のうち、三人までは、伊太夫の部屋を守護するような陣形で別室へ寝ましたが、これらはなかなか用心が厳しくて、寝ている間も油断がなかったのかどうか、更に被害の形跡もありませんでしたが、その最後の下男の茂作が、この騒ぎにまだグウグウと眠っている。
 これを起して見ると、こいつが鬱金木綿《うこんもめん》の胴巻がないといって急に騒ぎ出しました。命から二番目のものを取られたほどに騒ぎ出しましたが、宿の者は、あんまり問題にしませんでした。
 この男の胴巻では、取られたところで知れたものだと、頭から見くびってしまって、ロクロク慰めの言語さえ言わなかったものですが、当人の悄気方《しょげかた》は非常なもので、
「旦那様、どうも済まないことを致しました、明日は早立ちと思ったものでございますから、宿の雇人衆と一緒にお帳場の傍へ寝《やす》ませてもらいましたのですが、とうとうやられてしまいました、申しわけがございません」
 その謝罪の仕方も、かなり大仰でしたが、伊太夫は是非もないという思入れで、
「よしよし、金だけだろうな、ほかに盗られたものはあるまいな」
「あの鬱金木綿の胴巻だけでございます」
「そうかそうか」
 身内でも軽くあしらっているので、果してその胴巻の中にいくらあったかというようなことは、てんで問題にするものもなかったのです。また、下男の財布のことですから、問題にすべきほどのことではなかったに相違ないが、そのあわてぶりと謝罪ぶりの大仰なことだけが、宿の人たちを異様に感ぜしめました。

         四十八

 これは申すまでもなく、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ野郎のした、行きがけの駄賃に相違ないのです。
 その夜中ごろ、天性の怪足力に馬力をかけて、一足飛びに関ヶ原の本陣から程遠からぬ美濃と近江の国境、寝物語の里まで飛んで来たがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎は、案内知ったる寝物語の里の近江屋の方の雨戸をトントンと叩いてみると、それに手応えがありました。こんな深夜に、このささやかな合図で忽《たちま》ち手応えのあるところを以てして見ると、先方も相当に待つ身ではあるらしい。
「まだ起きていたのかい」
 戸がそっと細目にあけられたので、そこから吸い込まれるように中へ身を消したがんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、中へ入って畳の上へ足を投げ出すと共に脚絆《きゃはん》をほぐしかけると、行燈《あんどん》をかき立てて、そこへ、しどけない上にしどけない寝巻姿の淫婦お蘭が、くの字になって現われ、五分|珠《だま》の銀のかんざしで、やけに頭をかきながら、
「待ってましたよ、あんまり遅いじゃないかえ」
「今日の晩までという約束だから、真夜中が過ぎちゃ男がすたると思って、急いでやって来たよ」
「御苦労だったねえ、頼まれもしないのに」
「おや? 頼まれないでする心意気を買っちゃあくれねえのかい」
「買いますとも、買い過ぎて、つい、あれもこれもとよけいな取越苦労をしながら待ちくたびれていましたが、苦労甲斐がありましたかねえ」
「さあ」
「さあ、どうです――いけないでしょう。ですから、およしなさいと言ったのさ」
「だがなあ――まるっきりぐらさい[#「ぐらさい」に傍点]というわけでもねえんだ」
「あのみずてんはいたかねえ」
「みずてんてのは、何さ」
「知らないね」
「さて」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、脚絆をとってしまってから、長火鉢の前へ向き直ると、
「いっぷくおあがり」
 お蘭のやつが、早くも吸附煙草をさしつけたので、百の野郎、にやにやしながら、
「有難え」
「こういったもんだろうね、飛騨の高山の宮川べりのみずてん宿で」
と言って、長火鉢の前で、がんりき[#「がんりき」に傍点]のやくざ野郎に吸附煙草を吸わせて、それを傍から甘ったるく睨《にら》みつけたお蘭のあま[#「あま」に傍点]が、百の野郎の股《もも》をつねりました。
「あ、痛え、冗談じゃねえぜ、こっちは、ちょんちょん格子をひやかしに行ったんじゃねえんだ、命がけで飛騨の高山まで大金をせしめに行ったんだ、ドコぞの色気たっぷりなお妾さんに孝行をしたいばっかりに」
「誰に孝行だかわかるものかね。そうしてなにかね、その孝行のきき目がありましたかい、みんごと三百両のお手元金を無事に取戻して来ましたかね。またあのみずてんがすんなりと渡してよこしましたかね」
「そいつだ」
「そうらごらん!」
 お蘭は、失望と、揶揄《やゆ》と、ザマを見ろといったような捨鉢気分で突っころがすと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は真顔になって、
「そこは、何と言われても仕方がねえ、行って見ると逃げたんだ、和泉屋の芸妓《げいしゃ》福松という奴は、宇津木という若い侍をそそのかして、白山詣でにかこつけて駈落をきめこんだという専《もっぱ》らの評判、そのあとへ罷《まか》り越したこの色男――」
「器量がよかったねえ」

         四十九

 ここで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎が、淫婦お蘭どののためにさんざんに油を搾《しぼ》られました。
 本来が、このお蘭は飛騨の高山の新お代官の妾である。
 高山を出奔《しゅっぽん》して、寝物語の里でうじゃついている間に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百と出来合って、百の野郎が自慢面に、高山へ取残して置いた三百両ほどのお蘭どののお手許金を、三日の間に持って帰ってやると喜ばせておいて出かけたのですが、三日の期限はちょうどタイムの場合に漕ぎつけて戻って来たけれども、目的のお手許金は御持参がないというのだから、ヒヤかされるのも、撲《なぐ》られるのも是非ないところと言えば言うべきですが、しかし、これは説明を聞いていると、がんりき[#「がんりき」に傍点]の腕のないということと、誠意の乏しいということの理由にはならないで、むしろ不可抗力であったと同情してやってもいいのです。というのは、お蘭どのの当座のお手許金の三百両は、飛騨の高山に於て、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が取り上げて、宮川べりの和泉屋の福松という芸妓のところへ預けたには相違ないが、当の女が行方不明になってしまった、夜逃げをした、駈落をしてしまったというのでは喧嘩にもならない。その逃げた先、落ちたあとをたどれば、たどれない限りはないが、三日の期限では、いくらがんりき[#「がんりき」に傍点]の怪足力をもってしても不可能である。そういうわけだから、ひとまず手を空しうして帰って来たが、こうなるとがんりき[#「がんりき」に傍点]も意地だから、また出直して白山街道から、北国筋、あの女の落ち行く先々を飛び廻って、きっと取戻してお目にかけるというのだが、もうお蘭どのが信用しない。
「だから、男の口前になんぞ乗るもんじゃない、だろうと思っていましたから、あんまり乗りもしなかったけれど、でも、気を使っただけばからしい」
 お蘭どのの御機嫌が斜めなので、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、御機嫌を見はからって二段構えを持出しました。そろそろと片手を、持って来た包へあてがって引寄せながら、
「それは、そういうわけだから、喧嘩にもならねえ、いかにもその点は、百蔵、お前さんの前へ頭があがらねえのだが、転んでも只起きるがんりき[#「がんりき」に傍点]だと思うとがんりき[#「がんりき」に傍点]が違いまさあ」
 こう言って、今や包の結び目に手をかけた。それはさきほど関ヶ原の本宿で、定九郎鴉《さだくろうがらす》にさらわれたという、伊太夫の髑髏《どくろ》の間の枕許の古代切の箱入りの包でありました。
「それはそれとしてあやまって置いて、別にこれから、御機嫌直しのお手土産を御披露に及びたい」
「何です、それは」
「何ですか、御当人もまだわからない、あけて口惜《くや》しきびっくり箱でなければお慰み」
「ずいぶん凝《こ》った包じゃないの」
「なんしろ、こいつは大物だよ」
「どうして、お前さんそれを手に入れたの?」
「どうしてったってお前、三百両の抵当《かた》に持って来ようておみやげだから、やにっこい物は持って来られねえ」
「相当に重味はありそうだね」
「相当に重いよ、第一、出どころが確かなものだぜ、こいつ大物と睨《にら》んだ眼力に誤りはあるめえ」
「能書《のうがき》はあとにして、早く中をあけて見せておくれよ」
 金銀か、珊瑚《さんご》か、綾錦《あやにしき》か――相当のものには相違ないと、お蘭どのもあんまり悪い気持はしないらしい。

         五十

 十二分の自負心と期待とをもって包を解きにかかったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百御本人も、実はまだ内容の何ものであるかを開いて見てはいないのです。開いて見る暇もなかったのですが、本来あれほどの大物が寝る間も枕許を放さずにあれほど大事がった品だから、内容の額そのものよりも、自分の睨んだ眼力に万あやまりがないという自信をもって、
「包と言い、箱と言い、凝りに凝った渋いもんだよ」
「その紐をわたしが解きましょう」
「落着いてやりな」
「あけて口惜しき、ということになるんじゃないかね」
「そんなことがあるものか」
「さあ、あけますよ」
「よし」
 百蔵は、行燈を引きずって来て、この玉手箱の傍近いところへ持寄せ、勿体《もったい》らしく、息をはずませて蓋《ふた》を払って見ると、
「どうだ、どうだ」
「真黒いものがあるよ」
「※[#「王+毒」、第3水準1-88-16]瑁《たいまい》じゃないか」
「何でしょうね」
 お蘭どのが引出して見ると古い瓦です。横から見ても縦から見ても古い瓦です――念のため、その次のを取り出して、ためつすがめつ、四つの目で見たけれども、古い瓦のほかの何物でもないらしい。その古い瓦もほとんど、完全というのは一つもなく、片々《へんぺん》になったのや、継ぎ合わせてみるとどうやら一つの円い輪郭を成すようなものばっかり、ついに瓦々で玉手箱の底を払ってしまうと、お蘭どのが白っちゃけて、
「何だ、お前さん、こりゃ瓦じゃないか」
「そうだなあ――瓦だなあ」
「瓦だなあ、はよかったねえ、高山でドジを踏んで、みずてんに出し抜かれ、その腹癒《はらいせ》をわたしのところへ持っておいでなすったのかえ」
「こいつはどうも……」
 小判と思って受取ったのが、急に木の葉になってしまったように、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎は呆《あき》れ果てて、その瓦っかけを見つめて、きょとんとしている。
「古瓦をおみやげに下すって、どうも有難う」
 お蘭どのがわざと御丁寧に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の前へ頭を下げて、
「結構なおみやげを、たくさんにどうもありがとうございました」
 二度《ふたたび》、ていねいに頭を下げました。
「ちぇッ、つまらねえ」
 さすがのがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎もすっかりてれて、うんが[#「うんが」に傍点]の声が揚らない。自分の眼と腕とを信じ過ぎたのか、信じ足りなかったのか、全く狐につままれたような思いで、
「こういうはずじゃなかったんだが」
「いや、そういうはずなんですよ、宮川べりで精分を抜かれておいでなすったから、物忘れをなすったんだわ。それはまあお茶番として、お笑い草で済むけれど、済まないのはこれからの、わたしの身の振り方――それから差当りの路用の工面《くめん》。こればっかりはお茶番では済まされない、真剣に工夫をしなけりゃ、第一、ここの宿の払いでさえ……」
 お蘭どのが、いやに意気地なくなった時、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百はうんと一つ息を呑込んで、
「もう大丈夫、相当のものをもの[#「もの」に傍点]にしようとしたから当り外れがあるんだ、その日その日の小出しなら、なんの心配があるものか」
と言いながら、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が別に懐中から鬱金木綿《うこんもめん》の胴巻を取り出して、ポンとお蘭どのの前へ投げ出して見ると、自分ながら意外にズシンと来るおもみ。

         五十一

 だが、前の錦襴入《きんらんい》りが瓦っかけであってみれば、今度の鬱金木綿は当然、石っころ以下でなければならぬ。
 お蘭どのは、うんざりして手をつけないでいたが、がんりき[#「がんりき」に傍点]が自暴《やけ》半分でしごいてみると、呑んでいた五臓六腑から簡単に吐き出したのは、
「あっ! 百両百貫!」
 悪党がるほどでもない、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎が頓狂声で叫び出したのは、あえてその金高に圧倒されたわけではない、その意外におどかされてしまったのでしょう。
 今し、あんまり新しくもない鬱金木綿が吐き出して、畳の上へ、あたり一面に散らしたのは、封の切れない切餅もあれば、霰《あられ》のような一朱二朱もあるし、小粒もあるし、全く、瓦っかけや石ころでないのみならず、即座の使用に堪え得る天下の通貨が、大小取交ぜてザクザクと降って湧いて来たからです。
 といっても、要するに鬱金木綿が呑んでいたところの胃の腑の程度ですから、曾《かつ》て根岸の三《み》ツ目錐《めぎり》の屋敷で、裏宿の七兵衛が、鎧櫃《よろいびつ》に詰めて置いて、神尾主膳に思い切って突き破らせたあの程度とは、規模も、内容も、おのずから違うのです。けれども、あの時はあれで、破る方も、破らせる方も、また当の目的物たる鎧櫃も、充実しきっていた予想と内容の下に行われたのだから、案外の程度に於ては、この場合と比較にはなりませんでした。
 然《しか》るに、今のこの場合は、瓦っかけでさんざんにテラされたところへ持って来て、この内容なのですから、悪党がるほどでもないがんりき[#「がんりき」に傍点]が音《ね》をあげたのも無理はないところで、
「百両百貫!」
 見得《みえ》も外聞も忘れて、両手を挙げてみたものです。しかし、百両百貫という計算もかなり大ザッパなもので、両と言い、貫と言っても、貨幣史上の相場には、非常な動揺があるのですから、一概には言えないが、ともかく、こうして黄金であるところの小判というものがあり、一朱二朱の銀判があり、それからザラ銭が相当小出しにしてあるところを見つくろっても、無慮百以上の両目は確実なのですから、そこで絶叫しました。
 なあに――百の野郎とても、相当に悪党がる奴なんですから、僅か百両や百貫で度を失うような真似《まね》はしたくはないのですが、何をいうにも、前には大物と踏んだところのものが瓦っかけと化したその反動に加えて、今度は鬱金木綿がこれだけのものを呑んでいたのですから、その上り下りに度胆を抜かれただけのものでしたが、ややあって、急にやにさがって、どんなものだという面《かお》をして、
「だろうと思ったんだ、あれだけの同行のうち、あの作男の草鞋《わらじ》だけが、ちっと切れっぷりが違ったところを見て取った、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の眼力に狂いはねえんだよ」
 その言葉が、お蘭どのにはよく呑込めない。
「どうしたというんだね」
「いや、どうもこうもありゃしねえ、お蘭さん、お前はこいつを持って一足先に行きな、おいらあまた一稼《ひとかせ》ぎだ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、こう言ってお蘭どのの、らんじゅく[#「らんじゅく」に傍点]した面をまじまじと見つめると、
「いやな人だね、なんて目つきをするんだよ」
 お蘭どのが、手をあげてぶつ真似をしました。

         五十二

「おっかあ、おっぱいが一ぱい飲みてえ」
「何だね、そこに、さっきから番茶が汲んであるじゃないか、冷えちまうよ」
「二番煎じが飲みてえ」
「何を言ってるんだね、夜が明けちまうじゃないか」
「遠慮なくお休みなさいよ、わっしゃ、いま言う通り、これからまた一稼《ひとかせ》ぎだ」
「せわしい人だね、いったい、これからどこへ稼ぎに行くんだよ」
「関ヶ原まで、もう一合戦」
「冗談《じょうだん》じゃない」
「冗談じゃありません、こう瓦っかけの上げ壺を食わされたんでは、がんりき[#「がんりき」に傍点]もこのままじゃ引込めねえ」
「何か喧嘩でもして来たのかね」
「一合戦だと言ってるじゃねえか、乗るか反《そ》るかだよ、瓦っかけの仕返しを一番」
「何のこったかわからないが、こっちの鬱金木綿《うこんもめん》でけっこう埋合せがついたからもういいじゃないか」
「なあに、こんな甘《あめ》えんじゃいけねえ」
「お休みな、飛騨の高山からじゃ、ずいぶん疲れているだろうに、ねえ」
「なあに、足なんざあこっちのもんだ、どれ、もう一稼ぎ出陣とやらかすかね」
「いけないよ、もうお止しな」
「留めるのかい」
「まあ、なんにしても、おっぱいを一つ飲んで、落着いてお出かけ。お前さんはそうして、仕返しだか、出稼ぎだか、何だか知らないが、気忙《きぜわ》しく出かけてしまって、置いてけぼりのわたしはいったい、どうなるんだよ、路用はいただいたが、これから、どこへ出向いて、どこで待っていてあげりゃいいのさ、ちっとは相談もあるじゃないか」
「違えねえ――お前はこれから、明日の朝になって、ここの勘定を済ましてから、なにげなく上方《かみがた》へ向って旅立ちな――さよう、草津か、大津か――そんなところでは人目にかかる、こうと、いいことがある、少々道を曲げて石部《いしべ》の宿《しゅく》なんざあどうだね、石部の宿の仮枕なんざあ悪くあるめえ」
「乙だね」
「石部には大黒屋という宿がある、あれへ行っておとなしく泊っていな、明日の晩までにはおいらが大物を一つ料《りょう》って、石部の宿のお前のところまで駈けつけよう」
「じゃ、そうしておくれ」
「合点だ」
「寒い!」
 お蘭どのが、わざとらしく肩をすぼめて、暁の風が身に沁《し》みるという風情をして見せると、
「寒かあ寝なな」
 一番鶏か、二番鶏の音が、関のこなたで声高く聞える。
「お先へ御免よ」
 お蘭どのが、みえ[#「みえ」に傍点]もたしなみもなく、寝床の中にもぐり込んで、そこで頭を出して、プカプカと煙草を喫《の》み出したが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、寝たいとも、休みたいとも言わず、
「ああああ、つまらねえ、誰かのように人に働かせて、たんまりと据膳を食って、あったか[#「あったか」に傍点]く寝ている身分になりてえが、持って生れた貧乏ひまなしで、そうもいかねえ」
「勝手におしよ、酔興のくせに」
 お蘭どのは猿臂《えんぴ》をのばして、煙管《きせる》の熱い雁首を、いきなり百の野郎の頬っぺたに押しつけたものだから、百の野郎が、
「あ、つ、つ、つ」
と言って横っ飛びに飛び上りました。

         五十三

 同じ胆吹山麓圏内の西南の麓、琵琶の湖北の長浜の町は、今晩は甚《はなは》だ静かでありました。
 宵に新月がちらと姿を見せたままですから、今晩は闇の夜です。闇の夜といっても、真の闇の夜ではなく、星は相当に数えられるのです。
 その星の地位からして見ると、アルゴルの星の光が最も低く沈む時分、長浜の無礙智山《むげちざん》大通寺の寺の中へ、「お花さん狐」が一つ化けて現われました。
 どういうふうに「お花さん狐」が化けて現われて来たかというと、黒い覆面のいでたちで、痩《や》せた身体に、二本の刀を落し差しといったように腰にあしらい、そうして、物に病みつきでもしたもののように、ふらりふらりと台所門の方から現われて来たのです。
 長浜別院の「お花さん狐」といえば、知る人はよく知っている。ほとんど全国的に知る人と知らない人がある。この大通寺がその昔、羽柴秀吉の城地であった時分から、お花さん狐は今日でもまだこの地に棲《す》んでいると堅く信ぜられているのです。秀吉の長浜城の建築物をこの大通寺へ移したと同時に、お花さん狐もここへ移り棲んでいるものと信ぜられている。そうして、寺の栄枯盛衰に関する場合には、霊狐《れいこ》の本能を現わして寺を守ることになっている。狐のことですから、化けるにしても、たいてい美人に化けてその神通力を発揮することになっていて、そこで「お花さん狐」の名が中外に響いているのだが、変化自在《へんげじざい》の身であってみると、必ずしも美人だけにしか化けられないと固定したものではない。
 機に臨み変に応じてさまざまの異装を現じて、寺法守護の権現の役をつとめているということだから、今晩は特に好みを変えて、かく覆面姿の、浪人者の、落し差しの体《てい》となって、深夜のそぞろ歩きに、天井裏の鬱《うつ》を慰めに出たのかも知れない。
 そこで、この化け物が、台所門の方からふらりと境内の闇に現われました。
 ここに台所門と言ってしまえば、お花さん狐が、野良狐《のらぎつね》のように餓えかつえ[#「かつえ」に傍点]てお料理場の油揚の切れっぱしをでも漁《あさ》りに来たかのように聞えて、甚《はなは》だ体裁が悪いのですが、本来、大通寺の台所門というのは、さように口腹のための出納所《すいとうじょ》という意味ではなく、これぞまだ昔の豊臣太閤が、はじめて筑前守に封ぜられた当時に建設したここ長浜の城の大手門でありました。その証拠には、今でも門扉の金具の裏に、「天正十六年戊子八月十六日」と銘が打ってあり、なおまたその扉には矢の根の痕《あと》までついている。しかく英雄によって名残《なご》りを残す一城の大手門なのであって、「お花さん狐」にしてからが、その英雄時代にすでにその同じ城内に巣をくって、長生今日に至るほどの霊狐なのですから、次第によっては歴代の御連枝《ごれんし》以上に信仰もされている。御奉納も豊かである。何を苦しんで深夜を選んで台所口へ残肴《ざんこう》を漁りに出かける必要があろう。
 そこで今晩は、特に趣向を変えて、当時はやりの青白い浪人姿となって、ふらりと夜中の散歩を試みたと見れば見られる。
 左様に覆面こそしているが、忍びのいでたちはしていないし、忍びの呼吸にもなっていない。この通りふらりふらりと着流しで歩いてはとまり、とまっては歩いているのだから、兇悪なる屋尻切《やじりきり》の目的を以て外間からこのところへ狙《ねら》い寄った白徒《しれもの》でないことは確かです。
 大通寺の境内は広いから、夜更けてのお花さん狐の散歩区域に不足はない。

         五十四

 こういった化け物が、長浜別院の境内にそぞろ歩きをはじめた時分――これも有名な「玄関の松」の木の下方で、子供の咽《むせ》び泣く音が起りました。
 仮りにも玄関といえば表の方でなければならないし、昔は大手門であっても、台所門と名を変えた以上は、どうしても裏手の方でなければならない。
 そこで、お花さん狐が、覆面の落し差しに化けて、彷徨《さまよ》い出した方面と、今、子供の咽び泣く音の起った方面とには、裏と表の相違がなければなりません。
 裏の覆面は推理上異様なものでしたけれども、表の「玄関の松」の下の子供の泣き声はさのみ変化《へんげ》の声とは思われません。時が時、ところがところで、子供だけがひとり泣いているのだから、それは不自然は不自然に相違ないけれども、こういう不自然は人間社会に於ては、いつの世にも絶えない不自然で、深夜、松の木の下の寒空に、乳呑児ひとりだけを泣かして置くという親には、親としての因縁がなければならぬ。つまり、これは棄児《すてご》なのでした。
 すでに、どのくらいの時間の前であったか、この松の木の下へ持って来て、産み落して四月ばかりになる人の子を一人持って来て、捨てて置いたものがありました。
 親というものは、裸で産み落したにしても、その子を捨てるのに裸ではすてない。時として身分不相応な装飾を施し、できるだけの保護を加えた上で、捨てるのを習いとする。
 今、捨てられた子を見ると、相当の籠《かご》の中に入れて、その周囲《まわり》をまだ新しい、特にこの子を捨てなければならないために手製したと思われる小さな蒲団《ふとん》をしいて、その上に、縫目も縞目も新しかるべき仕立卸しの衣服をもって固く夜風をさえぎっている。なおそのほかに、籠の左右にこぼれたものを見ると、でんでん太鼓だの、風車だの、ピーピーだの、おしゃぶりだの、そりいうものが積まれているのみか、徳利の頭へ管《くだ》をつけて、その管の一端が、子供の口許にまで導かれて結えられている。
 つまり、こうして棄てて置いて、棄てた主は早くも姿をくらまし、棄てられた子は、その当座だけは、徳利の乳の甘さに我を忘れてほほ笑んでいたと見えたのが、今それに飽きてみると、はじめてわが身の孤独を感じ、親を呼んでみたが、いつものように温かい手を与えてくれないところから、急に咽《むせ》び泣きを立てたものらしい。
 しかし、しくしくと泣いたが、暫くするとまた黙ってしまいました。この子は性質のおとなしい子であるけれども、やがてまた、わっ[#「わっ」に傍点]と泣き立てました。それから暫く声を引いて泣きつづけたのですが、いつかまたまた、おとなしくなって泣きやみました。泣きやんだかと思うと、また糸を引くように咽び出しました。しかし、これがかえって、聞く人の腸《はらわた》を断つものがありました。聞く人がないからいいけれど――いいか悪いか知れないけれど、こういう場合に於ては、火のように泣き立てられることの方が、かえってこれほどにいじ[#「いじ」に傍点]らしくない。
 泣きやみ、泣きつづけて、そう長くは繰返されないで、やがて連続的の泣き声となりました。天地の間《かん》に親を求むる声です。それが人の腸を掻《か》きむしらなければ、世に人の腸を掻きむしる声はない。
 かくて、「玄関の松」の大木の下は、棄てられた児の天地に向って号泣の場所となりました。

         五十五

 一口に、ここで「玄関の松」と言ってしまっているけれども、この大通寺の玄関の松もまた、歴史ある玄関の松で、普通の寺院の庫裡《くり》の前の車廻しや風よけと見ては違う。これも一世の英雄、羽柴秀吉の長浜城の中にあって、秀吉がこの松の木に鎧《よろい》をかけたというところから「鎧かけの松」と名をつけられていたし、厳如上人《げんにょしょうにん》はまたこの松をなつかしがって、「昔の友」と呼んだくらいですから、なみなみならぬ由緒《ゆいしょ》を持っている。前の大手門を、台所門として移したと同時に、この松もここへ移し植えられている。高さ五丈五寸、枝張五十三間を数えられる玄関の松なのです。
 大通寺の境内は広く、規模は大きく、その中に本堂があり、表門があり、裏門があり、庫裡があり、書院があり、経蔵があり、鐘楼があり、鼓楼があり、盥漱所《かんそうじょ》があり、香部屋《こうべや》があり、蘭亭があり、枕流亭《ちんりゅうてい》があり、新御殿があり、土蔵があり、示談講があり、総会所があり、女人講があり、茶所があり、白砂会所《しらすなかいしょ》、二十八日講、因講《ちなみこう》までを数えると、ちょっと一息には言えない建物があるのですから、その一角で、この深夜、ひとり捨てられた人の子が、全力を尽して号泣していたところで、いずれの隅まで反応して人の眠りを驚かすか、甚《はなは》だ怪しいものであります。ことに、この捨てられた子が、因果におとなしい子でありまして、一旦は咽び泣いたり、また号泣したりしましたけれども、暫くすると、ひとりまたいい機嫌になって笑い出しました。大空にちんくるちんくるとまたたく星の光を見て――人間が笑い得るには、幼な児といえども相当の余裕を持っていなければ笑えない。相当の余裕とは要するに衣食の余裕です。
 今、ここに棄てられた子は、衣に於て充分の凌《しの》ぎをもっている。時季によっては、いかに衣服が足りても、深夜こうして夜風に曝されることに堪え得るはずはないのですが、今は何といってもまだ秋です、衣は寒を防ぐに足り、食は――棄てられる前に、たっぷりと因果が含ませてあるに相違ない上に、傍にまた徳利へ乳首をつけて、その時分はミルクはなかったとして、摺粉《すりこ》か、上※[#「米+參」、第3水準1-89-88]粉《じょうしんこ》か、そんなものを甘くして、優に一昼夜の吸引に堪え得るようにしてある。だからこの棄子《すてご》は衣食が充分に足りて、そうして笑うの余裕を得ている。
 だが、こういう人生のきわどい笑いがいつまで続く?
 棄てられた子の泣くのは悲惨だけれども、笑うのはなお一層の悲惨です。慈善の人があって、手に取上げるまで泣かして置くのはよろしいとして、それまで笑わせて置くことは、むしろ堪え難いことです。
 但し一人の子供が泣こうとも、笑おうとも、天地人間《てんちじんかん》の静かなことは一層静かで、これも豊太閤の豪邁《ごうまい》なる規模をそのまま残すところの、桁行《けたゆき》十七間、梁行《はりゆき》十四間半の大本堂の屋の棟が、三寸低く沈む時分になると、鼓楼の下から、白衣のものがちょろちょろと走り出して来ました。
 さいぜん台所門で見たのは、暗夜に黒衣の覆面――これは夜目にもしるき白衣の、しかも以前の姿よりもいくぶん背が低い。さてはお花さん狐がまた変装の趣向をかえたかな。女です――以前のは落し差しでしたが、今度のはまさしく女姿です。してみればやはり、霊怪でも、変化でもない。いったん捨てた子の笑うのに堪えられなくなって、母なる人がまた抱き戻しに来たのだ、人の母としてまさにそうなければならぬ。

         五十六

 子を棄てる藪《やぶ》はあるけれども、身を捨てる藪はないと見たのは、母と、子と、聖霊との、三位一体《さんみいったい》を知らない者のいうこと。
 俗説にも、子を捨てた親は、必ずその子が、たれ人かの手によって完全に拾い上げられるまで物蔭に隠れていて、見届けて帰るのを習いとする、とある。
 ここ、大通寺の玄関の松の下に、一旦わが子を捨ててみはしたけれども、時あって誰も拾いに来る人がない。
 母なる人は、鼓楼の蔭あたりで、一刻も早く温かなる手の拾い主を期待していたのだが、容易に人の視聴を聳《そばだ》てないことほど、この棄てられた子がおとなしい子でありました。
 むしろ、火のつくほど泣き叫んでくれたならば――遥《はる》か彼方《かなた》を通る夜廻りの者か、寺の庫裡《くり》の料理番か何人《なんぴと》か、夢を醒《さま》す人もあろうのに、いい機嫌で笑い出されてしまったのでは、とりつく島がない。
 もう、たまりかねて、母親が自分の手で回収に出かけたものです。ただ、その母親が子を捨てるほどの母の姿としてはいささか異様に見えないではありません。白衣ははじめからわかっているが、近づくに従って熟視すると、髪はうしろへ下げ髪に、その上へ鉄輪《かなわ》を立てて、三本の蝋燭《ろうそく》が燃えている。足は跣足《はだし》です。それから首に鏡のようなものをかけている。
 右の女が、ちょこちょこと鼓楼の下から小走りして、玄関の松の下まで来ましたが、思い余って、いきなり、わが子を入れた籠に飛びつくかと思うと、存外、冷静でありました。
 その冷静ぶりは、むしろ、捨てたわが子の籠を目的としないで、そそり立つ松の大木の幹へでも抱きついてみたいというような気分で走りかかったことも、不思議の一つでしたが、籠の直ぐ一歩前、ちょうど松の大木の幹の下へ来てみると、そこで、いきなりわが子へ飛びつきもしないし、頬ずりもしないで、何か事の不思議そうに、突立ったままで、ずっと闇を透かして、この幼な児の人生の笑いを見つめていました。
 こんな緩慢な挙動は、断じて人の親の挙動ではない。
 第三者が偶然に、何か驚訝《きょうが》すべき事件を路傍に認めて、ふと足を止めた挙動に過ぎない。わざと芝居をして見せるのでない限り、母たるものがこんな思わせぶりを、この際わが子に向って為すべきはずがない。
 そんなことには頓着なく、この子はほほ笑みをつづけておりました。
 他目《よそめ》には、母親でなければならぬと想像されるところの女の人を傍らに置きながら、母よと呼ぶのでもなければ、乳をとせがむのでもない。相変らず天空の爛々《らんらん》たる星を仰いで、ひとり笑いに笑っている。
 二つながら何という水臭い親子か――血を引いたものならば、髑髏《どくろ》へでも血が染まるというのに、ここで当面相対しながら、親であると見るべき女は、路傍の人の如く闇中にわが子を見、子であると見るべき一方は、それを見向きもせずに天空に向って笑っている。
 母としては奇怪千万の母ではないか、子としても無情冷酷なる子ではないか。
 しかも、奇怪と、無情とは、これに留まりませんでした。
 星を見て、冷やかに笑うみどり児をよそにして、この母親と見ゆる奇怪なる女性は、他の物をがっちり[#「がっちり」に傍点]と抱き締めました。

         五十七

 右の奇怪な女人が抱き締めた他のものというのは、おさな児の揺籠《ゆりかご》ではなくて、玄関の松の大木でありました。
 その大木にしがみついたかと見ると、なお驚くべきことには、女だてらに力を極めて、その幹から枝へ上り出したことです。
 してみると、この女が、人の親でなかったことは明らかであります。人の親でないとすれば、狂人というよりほかはないでしょう。でなければ、例によって、お花さん狐の化けっぷりの一つかも知れないが、それにしてもバツが違い過ぎる。
 狐もお花さん程度になると、こんなにまで狂人的にあがいて興をやる必要はないに相違ない。してみれば、やっぱり人間だ、人間の狂えるものの仕業《しわざ》だ。
 この狂える白衣の女人は、昔の「友の松」の大木の幹にかじりつきながら、ついに、ほとんど頂上に近いところまで上りつめてしまうと、そこで、とある一つの枝に腰を卸して、身体《からだ》の調子を取りながら、手を懐中へさし入れると、取り出したところのものは別のものではない、身の丈五寸ほどの、藁《わら》でこしらえた人間の形であります。
 ははあ、これで万事が読めた。この女が温かい心を持った人の親でないことは勿論だが、また必ずしも狂人ではないことも明らかです。挙動そのものから言えば、まさに狂人と銘を打ってもよろしいが、単に夜中に巷《ちまた》を走り、木に登るからといって、それが全く狂人だと断定してしまうのは少し早計です。烈しく人を憎み呪うがために、行動の一部分だけが狂人化したのみで、身心そのものが全部狂うているとは誰しも言いきれないのは、こういう行動をとる女が――いつの世にも、相当に身分もあり、賢明でもありながら、ついにこの種の行動から脱しきれない淑女が絶えないことです。
 怖るべきは、憎悪《ぞうお》と嫉妬《しっと》です。人は、ことに婦人は、これがために生き、これがために死ぬものが多い。今、人形を取り出した女人の眼は爛々と燃えておりました。憎悪と、嫉妬と、呪詛《じゅそ》の悪念が集中して象徴化した藁人形を取り出して、松の幹の一面に押しつけると共に、左の手でそれを抑え、右の手をまたも懐中へ入れて、新たに取り出したのは一梃の金槌《かなづち》であります。金槌を取り出す前に、すでに五寸釘が手の中にあったと見えて、それを藁人形の首のところへあてがうと、
「カツン」
 憎悪に燃えた眼と、嫉妬に凝《こ》った繊細《かぼそ》い腕とで、幹もとおれと打込んだ藁人形の首から、ダラダラと血が流れ出しました。
 その途端に、何におびえたか木の下で、にわかに幼な児が声を立てて泣き出しました。今まで星を眺めて笑っていた子が――
 そんなことは、木の上の女の耳へは入らない。釘の中のすぐれて大きなやつを咽喉元に打込んで、その次に、右の腕、左の腕、胴――甚《はなはだ》しいのは足の両股の間をめがけて、上からのしかかるように、金槌の頭も、柄も、砕けよ飛べよと打込んだ後、燃え立ちきった女の眼の中に、見るも小気味よい一点の冷笑が浮びました。
 熱狂を以て打込んだ釘のあとを、冷笑を以て見ていると、人形の四肢五体から沸々《ふつふつ》と血が吹き出して来る。藁の人形そのものが、のたうち廻って苦しむ。
 血も出ていない、人形も苦しんではいないらしいが、女の眼にはそう見えるらしい。木の上で高らかに笑いました。
 女が木の上で笑うと、下ではおさな児が、腸を引裂くように泣いている。

         五十八

「丑《うし》の刻《とき》まいり」というのは、古い記録によると、嵯峨天皇の御時代からはじまる。その時代にある公卿《くげ》の女が、何か人を恨めることがあって、貴船《きふね》の社に籠《こも》り、嫉《ねたま》しと思う女を祈り殺そうとしたという古伝があるが、その古伝によると、女は人無きところに籠り、長《たけ》なす髪を二つに分けて角《つの》に作り、顔に朱をさし、身に丹《たん》を塗り、鉄輪《かなわ》をいただいてその三つの足に松をともし、松明《たいまつ》をこしらえて、両方に火をつけ、口にくわえて、夜更け人定まって後、大和大路へ走り出で、南を指して行くところ、頭からは五つの火が燃え上り――というのだから、物凄い形相であって、であうほどのものが倒れ死んだというのも無理はない。
 それ以後、藁の人形を加えたのは、いつの時代に起ったか知らないが、この丑の刻まいりの行者は、女に限ったものである。嫉妬が女の専売物である限り、藁の人形と、五寸釘と、丑の刻まいりを、男はやらないことになっている。
 ここでも、最初からの女人が、藁人形を型の如く釘づけにして、そうして意気揚々として松の木の頂《いただき》から降りてまいりました。ただ、藁の人形をこうしてリンチに行って来たことだけに於て、もうこの女は相当に、復讐と勝利の快感に酔っているらしい。
 頭の鉄輪にのせた蝋燭《ろうそく》を消すことはまだ忘れている。そのままで木の幹の下に彳《たたず》んで木の上を見上げたが、その女は色の白いいい女でした。その女が嫉妬と報復と、虐殺と勝利とに酔うた面《かお》を、蝋燭の火にかがやかして、深夜の樹上を見上げるのだから、相当凄いものになっていなければならぬ。さてまた、それに程近いところに捨てられた幼な児は、この時、また何に興を催してか、急に機嫌が直ってゲラゲラ笑い出しました。
 さきほどは、星を数え、ちんくるちんくると微笑《ほほえ》みをしていたのですが、この時はゲラゲラと笑い出しました。星は人の微笑を誘うかもしれないが、ゲラゲラ笑いをもたらすことはない。子供が急にゲラゲラ笑いをやり出したのは、疳《かん》のせいで、笑神経の箍《たが》がゆるんだのか、そうでなければ、対象物が変ったのだ。
 なるほど、この幼な児の眼のつけどころが違っている。さきほどは天空を仰いで星のまたたきを見ていたには相違ないが、今は別に――凄い女の頭の上にのせた鉄輪の上で燃えさかっている蝋燭の火を見て、この子はゲラゲラと笑い出したのでした。
 幼な児からゲラゲラ笑われて凄い女は急にひとみを返して、子供のいる方を見ました。
 この時はじめて、世にも親にも棄てられた人間の子が一人、宇宙間の夜に置き放されていることを認識したかのように――
 そこで、女もずかずかとこの籠の傍に寄って来ると、傍へ寄るほどこのおさな児が喜びました。というのは、その歓笑の目的物たる頭上の火が、いよいよ近くなったからです。
「まあ、赤ん坊が捨てられて――」
 女がすべての昂奮から、しばしさめて現実の世界を見せられた時、幼な児は、いよいよ超現実の人となって、
「のうのう」
と手をさしのべたのは、その頭上の火が欲しいからでしょう。
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名月を取ってくれろと泣く児|哉《かな》
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 そこで女が、はじめて自己頭上の火がまだ消されていないことに気がつきました。

         五十九

 火を求むる幼な児の要求を、無下《むげ》に荒々しく斥《しりぞ》けた女は、いきなり頭上の鉄輪を外《はず》し、あわてて蝋燭の火をかき消してしまいました。
 これは木の上で消して来なければならない火であったのだ――昔の例はとにかく、今の世では、これをつけて街上を走ることは自己の存在を示すことであって、祈りの秘密のためには取らない。
 そう思って急に消しとめたのだが、目的のおもちゃを急に奪われた幼な児は、非常な失望で、急にゲラゲラ笑いが号泣と変ってしまいました。
 途端に、天空で星が一つ飛びました。同時に下界で、さっと風の走る音がしました。急に天地の動きを感じたかのように、女は四方《あたり》を見廻して、ゾッと身の毛をよだてたのです。ここで自分が身の毛をよだてるというのはおかしい、己《おの》れの姿を認めしめて、他をして身の毛をよだてしむるならばわかっているが、鬼それ自身がおののいたのでは問題にならないではないか。
 子供は盛んに泣いています。
 何と思ったか鬼女は、水屋の方へ向って一散に走りかけました。走ったのではない、飛びかかったような勢いでした。水屋というのは、前に出て来た鼓楼とは反対の側にあるのですが、鬼女――鬼女といっても、この際、急速に角が生え出したわけではなく、最初からの呪いの女をかく呼び換えてみただけのものです――はその水屋に向って突進したのですが、何につまずいたか、何に蹴られたか、そこにドウとばかりに仰向けにひっくり返ってしまいました。
「あ、あ、あ、あ」
 そのまた起き上る前を、後ろの物蔭から長い手が一つ出て、鬼の頸《くび》を後ろから羽掻締《はがいじ》めにして、そのままスルスルと「玄関の松」の後ろへ引込みました。
「あ、あ、あ」
と女は、なされるがままにして逆らうの力がない。怖ろしいものです、上には上があるものです、大通寺の境内《けいだい》には鬼を取って食う怪物がいる。
 今やまさに、この玄関の松の裏の見えないところで、怪物の手に引きずられて、鬼女は骨まで食われている。
「あ、あ、あ」
 それ以上の音は語を成さない。
 頭からか、尻尾からか、それは知らないが、ボリボリと食われているのだ。
「ひーひーひー」
 あ、あ、あ、というのが、ひー、ひー、ひーと聞える。
 必死に悶《もだ》えている。必死に反抗している。しかし、それは何でもない、蛙も蛇に呑まれる前には相当反抗する。ただ絶叫と悲鳴との限りを尽して抵抗するのと、声をあげる機関を妨げられての上で暴行を加えられるのとの相違があるまでで、その極力必死の抵抗だけは同じことなのですが、
「く、くるしい! うーん」
 やっと、これだけの声が女の口から出ました。あとは烈しいうめきです。
 抉《えぐ》られている――それは胸か、腹か、腸《はらわた》か知らないが、両刃《もろは》の剣をもって抉られた瞬間でなければ出ない声だと思われる、大地を動かす呻《うめ》きでした。
「く!」
 断末魔の身動きをするらしい。
 ずっと昔のこと、甲州の八幡村で、新作さんという若衆《わかいしゅ》の許婚《いいなずけ》の娘が、水車小屋から帰る時、かような苦叫をあげたことがある――最近には……

         六十

「玄関の松」の裏で、女の虫の息が糸を引いて全く微かに消え去った時分に、例のおさな児の傍に、全く別の人影がありました。あくまでおとなしい児はおとなしい児で、あのとき泣き出したが、ここでまた泣きやんでいました。
 その籠の傍に、今度は全く別な人影が一つ立っている。それは、以前の白衣の女とは似ても似つかぬ、黒衣覆面にして、両刀を帯び、病めるものの如き痩身《そうしん》の姿でありました。
 こうなってみると、この覆面の姿も、断じてお花さん狐の変化《メーキャップ》の一つではない。深夜に餌食《えじき》をあさる鬼の一種には相違ない。
 しかし、鬼だの、変化《へんげ》だのといっても、今時は相当に気が利《き》いていなければならぬ。俗に気の利いたお化けの引込む時分という諺《ことわざ》がある。引込みの大事なのは、花道の弁慶と、内閣の更迭《こうてつ》のみではない。人間の世には戸籍のない化け物でさえも、引込みの時間が肝腎である。さいぜんの物凄い鬼女なども、いわば引込みの時を失ったばっかりに、食うべきものがうまうまと食われてしまった?
 引込みを上手につけるということは、一面に於て自己の分を知るということであります。引込みのつかないということはおよそ醜態の極でありますが、分を知ることの聡明な人に限って、この醜態から手際よく免れる。
 そこで、夜は悪魔の領土であり、昼は人間の時間である。
 悪魔にも生存の権利がありとすれば、それは夜間に限ってのみ、食を漁るの時間を与えられる。
 そこで気の利いたお化けは――お化けというものを仮りに悪魔の親類とみなして――己《おの》れの領土と時間のあまり切迫しない間に、手際よく後方機動の実をあげなければならない。
 この場では、一つの悪魔は木の上で藁《わら》の人形を虐殺して、その残忍性と復讐性とを満喫したけれど、引込みが甚だまずかったために、次に現われた悪魔のために食われてしまった。さてその次に現われた悪魔といえども、悪魔である限り、その領分の分界を知らなければなるまい。
 そうこうしているうちに、東の方が白んできて、そこで旗を巻くのではもう遅い。
 果してそこへ第三の悪魔が現われました。第三の悪魔が、第三の食物を求むるために現われました。
 第三の悪魔というのは何ものにして、その求むるところの食というのは何物ぞ?
 あらかじめここに一応、時と食との解釈をして置かなければならぬ。
 仏教に於ては、正午前だけが時であって、午後は時に非《あら》ず。持戒の僧は午時に於てだけに食事をする。午時を過ぎては「過中不飲漿」である。もし正午十二時を過ぎての非時に於て食事を許さば、貪心《たんしん》たちまち生じて善法を修《しゅ》するを妨ぐる――仏は仏慧菩薩《ぶってぼさつ》のために四食《しじき》の時を説いて、朝の天食、午時の法食とし、そうして畜生のための午後食、鬼類のための夜食――とこうなっている。
 そこで、夜は鬼が出て存分に夜食を貪《むさぼ》るという段取りになる。鬼はすなわち悪魔のうちの面利《かおきき》である。
 そこで、今や第三の悪魔が、第三の夜食を求めに来た。その現物は何物ぞというに、それは餓えたる犬でありました。
 犬というものは、通常、善良なる畜類であって、決して悪魔の眷族《けんぞく》とはいえないが、ただその餓えたる時のみは正真の悪魔です。

         六十一

 食に飽かしむれば、善良なる有用動物であり、食に餓《う》やせば、怖るべき悪魔であることの可能性は、犬にのみ限ったものではありません。陳斉《ちんせい》の野にいる人でない限り、おおかたの人は餓えしむれば、相当の悪魔となり得る可能性を持っている。いわんや、いかに善良なりとはいえ、畜類である犬に於てをや。この場へのそりのそりと二頭の犬が現われましたけれども、その二頭ともに餓えておりました。
 餓えているのは、これを保護する人がないからです――これに食物の保証を与える者がないからです。つまり良家の飼犬でなくして、喪家《そうか》の野良犬であったからです。二つの野良犬が餓えて食を求めに来ました。生きている者は本能的に生存権を要求する。自己の生存権が不安である限り、他の生存権をも脅《おびやか》そうとする。
 のそりのそりと飢えたる二つの犬が、前後してこの場へ侵入して来たと見ると、それから五六間おいて、またのそりのそりと二つの犬が前後して現われて来ました。それを見送っていると、次にまたのそりのそりと二頭、三頭――野良犬が前後して、鼻を鳴らしながら、飢えた足どりよろよろとして、同じ方向に向って繰込んで来るのです。
 これがために、松の根方に突立っていた第二の悪魔が、引込みがつかなくなりました。
 江戸時代の御府内に於ての道路の難物は、犬と、生酔いとでありました。その当時は犬に税金がなく、鑑札がなく、また犬殺し家業がありませんでしたから、たとえ五代将軍が保護は加えないにしても、繁殖は盛んでありました。だから、犬は善良なる交通人のための大なる恐怖でありました。白昼に於て然《しか》り、夜に於てなおさらに。
 自分の行手から、餓えたる犬が群がって来たのでは、これを邀《むか》えては事面倒だし、うっかり後ろを見せればつけ入られる。相手が悪い――とでも思ったのでしょう。第二の悪魔、すなわち覆面の姿は、内心苦笑をしながら松の木の下に立ち尽して、けがらわしい相手をそらしてしまおうとでも思案したのか、そのまま動かない。
 不思議なことには、こうして、この覆面が針のように立ちつくしてしまっていると、呼吸が騒がないし、有るかなきかを超越した存在となるのである。そうでなければ、犬はきっとその影だけを見て吠えるに相違ない。善良なる犬に於てもそうです、まして餓えたる犬に於てをや。
 犬が吠えないのは、人の存在を認めないからです。人の存在を認めないのは、人の呼吸を気取《けど》らないからです。松の前に立っている黒衣覆面の人は、見ようによっては松の幹の中に吸い込まれてしまっている人のように、取りようによっては、松遁《しょうとん》の術をでも使い出して、しばし太夫の位の下に隠形《おんぎょう》の印《いん》を結んだかと思われる。
 ですから、犬も、この第二の悪魔をば問題にしないで、三々五々、鼻を鳴らしてのそりのそりとやって来るが、その鼻先が、どうしても松の根方から離れない。
 やがて、先頭をきった餓えたる犬が、例の棄子の幼な児の籠のほとりまで来ると、にわかに鼻息が豚のように荒くなると共に、その荒い鼻息が、泣き倦《う》み、笑い倦んで、ようやくすやすやと夢に入りかけたところの幼な児に向って吹きかけました。そうすると、続くところの三々五々の野良犬が、一度に鼻を鳴らして幼な児の籠を取囲みました。

         六十二

 それからあとは惨澹《さんたん》たるものであります。おしゃぶりも、ピーピーも、風車も、でんでん太鼓もケシ飛んで、ミルクであり、摺粉《すりこ》であるべき徳利はくわえ出されて、その余瀝《よれき》が餓えたる犬の貪《むさぼ》り吸うところとなりました。
 幼な児は、ここで火のついたように泣き叫びました。
 今まで、笑うにしても、泣くにしても、いちいち気分本位でありましたが、今後のはそうではないのです。自己の生存を直接に脅される危険からの号泣でしたが、相手はそれを頓着すべき動物ではありませんでした。
 この分でいれば、幼な児の食いごろな肉体そのものが、忽《たちま》ち貪る犬の餌食に供されてしまう。犬は穀食動物であって、肉食動物でないという通則は、餓えたる場合は通用すまい。
 幼な児は、その生存の危急のために号泣しました。餓えたる犬は、その生存の必要のために幼な児を食おうとする。群がって、なぶり食いに食おうとする。
 その時に、松の根方に彳《たたず》んでいた第二の悪魔も、こらえかねてかちょっと身動きをしました。身動きをすると共に、平静なる呼吸が崩れたのです。当然その身体が餓えたる犬の方に向ってのしかかりました。これは悪魔といえども見過しはできないでしょう。抵抗力のない人類の一箇が、餓えたる畜生のために犠牲にあげられようとする。たとえ悪魔ではあり、夜叉《やしゃ》ではあろうとも、苟《いやし》くも人間の形をしている以上は、人間の権威のために、これを見殺しにはできまい。
 果して黒衣覆面の第二の悪魔は、存在を超越した松の木の中の存在から、呼吸を外して、そうして、幼な児の籠を囲んだ餓えたる犬の方に向うと、その覆面は竹の杖を携えていたのですが、その杖を振り上げるとはっし! とばかり、籠にのしかかった一頭の犬を打ちました。
 打たれた犬は、ほとんど宙天といってよいほどに飛び上ったのは、竹の杖とはいえ、打つ力に手練が籠《こも》って、打たれた方のこたえ方が烈しかったと見える。
 さてここで一頭が打たれて飛び上ると、他のすべての犬が一散に立退いて警戒をはじめたのは、敵がある、我等の生存権の実行を駆逐しようという奴が、思いがけぬ方面から現われた! と気がついたからです。
 竹の杖は、つづけざまにはっし! はっし! と、第二第三の犬を打ち据《す》えました。打ち据えられるたびに犬はすさまじい叫びを立てて、いったん転倒したり、跳ね上ったりしたが、やがて立て直して反噬《はんぜい》の牙を揃える。
 普通の場合ならば、大抵の犬ならばこれで尻尾を捲いて退くでしょう。猛獣でない限りの畜類の常識では、人間の畏《おそ》るべきをわきまえている。人間からされると杖の影を見ただけでたいてい退却する。
 ところが、この場合は、全く畜類の常識が通用しませんでした。餓えは、家畜を駆《か》って猛獣以上のものにする。己《おの》れの生存のために、餓えを救わんとして試みかけているその瞬間を妨げられた群犬は、ここでは残らず狂犬であり、猛獣化しておりました。
 相手を見つけたのです。今までの、食いよさそうな幼な児一匹では食い足りない、と思っているところへ、また一塊の肉が投げられた、いや、好んで餌食に投じて来た奴がある。「御参なれ」餓えたる犬共は、幼な児を打捨てて、新たなる相手に向って一様に牙を鳴らしかけた時は、食慾のほかに憤怒が加わっておりました。

         六十三

 もう竹の杖では間に合わない。
 打つことは打つが、打ち殺すことはできない。その竹の杖で、犬の足を打ち折ったり、耳を叩き落したのもあり、体を突き崩したのもあるが、相手の戦闘力を全滅せしむるわけにはゆかなかったので、黒衣の覆面は、少し焦《じ》れ立ったようです。
 畜生の分際で――よし、その儀ならばと、竹の杖を投げ捨てると、キラリと脇差を抜きました。
 これが人間ならば、おきまりの「やあ、抜きゃがったな、しゃらくせえ、水道のお兄さんの身体へ、なまくらが立つものなら立ててみろ」とかなんとか、啖呵《たんか》を切りながらも用心を改めるところなのですが、犬ですから、その見境いがありません。
 一頭が勢い込んで飛びかかったのを、ズバリ斬りました。
 今度は竹の杖とちがって、致命的でした。斬ったというよりも、脇差を抜いて手軽く構えたところへ、犬が斬られに飛びかかったようなもので、顎《あご》の下から腹へかけて、鰻《うなぎ》を裂くように斬られた犬が、異様な叫びを立てて地に落ちると、もう動きません。
 そうすると件《くだん》の黒い姿は、片手で軽く刀を構えたまま後退するのを、第二の犬が飛びかかった途端に、口が落ちました。ちょうど、狐の面のガクガクするあの部分だけが切って落されて地にあるのですから、鳴きかけた声の半分は地上で鳴き、半分は咽喉《のど》からはみ出したままで倒れて、仰向けに烈しく四足を動かしている。
 そうして置いて、黒い影はなおじりじりと後退する。それをすかさず追いかけた第三の犬は、真向《まっこう》を二つに割られて、夥《おびただ》しい血をみんな地に呑ませて、へたばってしまいました。黒い影は、こうしてまた鼓楼の方へと後退する。
 第四の犬が飛びかかるのを、脇差をちょっと横にすると両足を切って落してしまったから、二本足の犬が地上に不思議な恰好《かっこう》をして、鳴き立てずに眼をまわしている。
 そうして置いて、黒い覆面が後退する。あとに残る犬共が、先後を乱して飛びかかる時分には、鼓楼の後ろの闇へ黒い姿は隠れてしまいました。
 餓えたる犬共は、血迷い尽している。今までの単純な餓えと憤りのほかに、兇暴な復讐性と、先天的の猛獣性とが入り乱れて、相手の一人をあくまで追究して、その骨をまでしゃぶらなければ甘心《かんしん》ができないという執念に燃え出している。
 ところが、鼓楼の背後でちょっと相手の姿を見失ってしまうと、犬共は塔に飛びつき、石に向って吠え、木の根にかぶりつき、※[#「けものへん+言」、第4水準2-80-36]々囂々《ぎんぎんごうごう》として入り乱れながらも、影の見えない相手を追い求めて狂い廻っている。
 この際、あの食べ頃な赤ん坊の肉体が忘れられていることだけが勿怪《もっけ》の幸い。
 かくて、最後にあの裏門、すなわち台所門のところでありました。そこで、再び黒い覆面の姿を追い求め得たりと見ると、餓えたる犬が、また一斉に牙を鳴らしてしまいました。
 黒い姿は、たしかに裏門まで追いつめられた形でした。
 そこで一刀にズバリと一頭の犬をまたも真向《まっこう》から斬って落すと、また一時姿が見えなくなりました。同時にくぐりの小門にはさまれて頭蓋骨を微塵《みじん》に砕かれた一頭がある。
 かくて黒衣覆面の痩《や》せ姿は、完全にいずれへか夜の引込みをつけてしまいました。

         六十四

 やがて、暁《あけ》の鐘の鐘つき男によって発見されたこの一場の修羅場《しゅらば》のあとが、一山《いちざん》の騒ぎとなったことは申すまでもありません。
 打見たところでは、人間と畜類の修羅場でありました。松の木の裏に斃《たお》れた女人の素姓《じょう》は、まもなくわかりました。これは町内の木屋という木綿問屋の旦那のお妾《めかけ》でありました。その身につけた衣裳と、懐中した道具によって、呪詛《じゅそ》の目的で来たことは疑う余地がありません。呪詛の目的主としては、或いはその問屋の本妻であると言い、或いはもう一人のお妾のために寵《ちょう》を奪われたその恨みだとも言い、またはこのお妾に別に情夫があって、それとまた他の女との鞘当《さやあ》ての恨みだとも言い、揣摩臆測《しまおくそく》はしきりでしたけれども、まだその場で真相をつかむことはできないが、本人の身許だけは明瞭確実になりました。
 それから、もう一つは、生きて泣き叫んでいる幼な児です。この子は女の子であって、餓えも凍えもしないし、身体のどこにも負傷はしていませんでしたが、その身許だけはどうしても急にはわかりませんでした。
 とりあえず近所のおかみさんに頼んで乳を含ませることによって、応急の処置はつきました。
 最後に、どうしても解決のつかないのは、魚貫《ぎょかん》したように、鼓楼の方へとつながって裏門まで続いている犬の死骸です。どこの犬で、何のために斬られたかということは、誰にも見当がつかない。ことにその斬られっぷりというのが無残なもので、腹を下から裂かれたり、口だけを輪切りにされたり、前脚を二つ斬り落されて、まだビクビク息を引いていたり、真向に断ち割られて二言ともなくのめっていたり、戸にハサまれて頭を砕かれていたり、その惨澹たる、さながら、わざとした曲斬りか、そうでなければ、こういうふうに斬りこまざいて、他から持参して、わざわざここへ、こんなふうに蒔《ま》き散らして行った奴があるのではないか、とさえ想わせられました。
 何にせよ法域を、こういう人畜の血で汚したことは不祥千万なことでありました。
 しかし、この不祥千万な光景も、検視が進行し、掃除が励行されると共に、ほとんど何の痕跡もとどめず、早朝に来たものでさえも、そんな不祥がこの場で行われたということを気づくものはありません、水を流したように綺麗になってしまいました。あとから目の色を変えて見舞に来た遠方の檀家《だんか》の者に向って寺男が、
「そんなことがござんすまいことか、おおかたお花さん狐が、ちょっとお道楽にそんな芝居をして見せたまでのことでござんしょ、ごらんなさい、松の木の下の池のほとりも、塵一つ汚れちゃおりませんがな。だが、このほとり近いところに、そういう噂《うわさ》があってみると、御油断なすっちゃいけません」
 全く、悪魔の領域は夜だけのもので、昼になって見ると、惨劇も、腥血《せいけつ》も、夢より淡いものになりました。お寺の境内には小春日和がうらうらとしている。その日中に、少女を一人連れた参詣の女客がありました。ちょっと見ては、またかと思われるほど――この女の参詣客は覆面をしておりましたのが、昨晩のあの第二の覆面とよく似ております。
 よく似てはいるが、内容はたしかに似ても似つかぬ男と女とです――今日の日中の覆面の女客は、杖も持っていないし、刀も帯びてはいないが、覆面の覆面たることは同じであります。

         六十五

 覆面の覆面たることは同じですが、少女に言わせたこの覆面の女の参詣客は、玄関に立って、寺役に向っての特別の申入れの次第はこうでした、
「恐れ入りますが、御殿を拝見させていただきたい」
 おりから、近き日数のうちに行わるべき秋季の法要と、宝物展看の準備のために忙がしかった寺役は、極めて寛大に、
「どうぞ、ゆるゆる御自由にごらんくださいませ」
 拝観料何程と徴収もしない代り、特に誰かが附添って、説明と監視とに当るという設備もなく、その身そのままで、自由なる室内の拝観を許されたのでした。
 そこで、覆面の客は少女を後に従えて、ずっと玄関を通ってしまって、ゆるゆると内部の見学にとりかかったのだが、それにしてもこの女客は、堂内へ入ってすらもその覆面を取ることをしませんでした。覆面をしたままで、堂内を隈《くま》なく見学にとりかかりましたのです。
 寺の人が誰も附添わないし、またどこにも看視の人が附いていないとは言いながら、この態度は甚《はなは》だ不作法のものと言わなければならない。普通の人間の住居《すまい》へ入ってさえ、人は被《かぶ》りものを取るのを礼儀とする。霊場として人のあがむる屋内で、仮りにも頭巾《ずきん》のままの通行は許し難いものがある。まして女のことです。女も躾《しつけ》の悪い、物を知らない女ではなく、見たところでは、服装と言い、人品と言い、立派に教養の備わっている婦人でなければならない身が、こうして覆面のままで堂内室内を見て歩くということは、どちらから言っても不作法千万と言わなければならぬ。
 しかし、さようのことに頓着のない覆面の婦人は、ずんずんと堂内室内を見て廻りました。態度の不作法なるに拘らず、この婦人の建築のながめ方には勘所《かんどころ》を心得たものがある。ただ、物珍しい建築として見るのではなく、果して秀吉以来の古建築の名残《なご》りがどこにひそんでいるのか、ということをまで吟味しながら歩いていると見れば見られる。
 女の身で、古建築を古建築として見るほどの鑑識を持ちながら、その建築の中で覆面を取らない不作法を敢《あ》えてしているのは、いよいよわからない態度だが、世間には知識があって道徳に欠けたところの人はあるものだ。
 かくて相当に、堂内室内をめぐって大広間の大床《おおどこ》の前へ来ると、この女客がじっと立ち尽してしまいました。むろん覆面はそのままで、覆面の中から、じっと瞳を凝《こ》らしてながめ入ったのが、正面三間の大床であります。その大床いっぱいに金銀極彩色で描かれたところの壁画であります。
 その壁画の前へ立つと、今まで逍遥気分でながめ廻っていた女客が、吸い寄せられたように凝立《ぎょうりつ》して、この大床の金碧燦爛《こんぺきさんらん》たる壁画を見つめてしまいました。
 熱心と言えば熱心と言えないことはないが、傲慢無礼とすれば、いよいよ傲慢無礼な態度で眺めている。
 憎むべしと言ってしまえばそれまでだが、この憎むべき女性が、甲斐《かい》の国の有野村の伊太夫の娘、暴女王として、いま胆吹王国の主となろうとしているお銀様その人だと見て取ると、この傲慢無礼のほどにもまた、相当の理解を要することがわかる。
 申すまでもなく、この覆面の無作法なる寺見物の客はお銀様でありました。

         六十六

 お銀様の見ている上段三間の大床の壁には、百年或いは二百年以上の時代を帯びた、金碧燦爛たる極彩色の、滝と、牡丹《ぼたん》と、唐獅子《からじし》が描かれているのであります。
 お銀様は、特に注意して覆面の中からこれを見つめて、立去ることを忘れるほど一心でありましたが、壁画の下の床《ゆか》の板の上を見ると、不快な思いを如何《いかん》ともすることができないらしくあります。左様に時代のついた金碧さんらんたる壁画の下の床板が、鼠の巣になっていることを認めると、お銀様がいやな面《かお》をしました。鼠の巣といっても、現にそこに鼠が巣をくって、子をはぐくんでいるというわけではありませんが、その床の上に古い帳簿だの、ぼろぎれだの、足のもげた小机だのというものが、ゴミ捨場のようにつくね散らされていることでありました。
 それを見ると、お銀様は眉をひそめずにはおられませんでした。たぶん、胸の中ではこんなに考えていたことでしょう、
「何という無作法なことをする人たちでしょう、悪意あってしているわけではない、この画に対する認識が乏しいばっかりにしていることだが、こうして置くうちに、ようやく粗末から廃滅になってはたまらない、早く何とかしないと、あったらこの名画の保護が手遅れになる」
 こう思いやりをしてみたようでしたが、さりとて、進んで寺僧に向って忠告――というまでにもならないで、ひとりひそかに残念がっているのは、その鼠の巣を嫌がるというよりも、この壁の画を惜しむことであります。
 お銀様は、それでもなお飽かず、滝と、牡丹と、唐獅子を、縦から横から見直しました。それから向って右の小襖《こぶすま》に唐美人の絵がある。出入口襖の桐に鳳凰《ほうおう》――左の出入口は菊に孔雀《くじゃく》の襖――いずれも金地極彩色なのと、その金具に五三崩しの桐紋がちりばめてあることまで丹念に見てしまったが、なお中央の滝と牡丹と唐獅子の大壁画を見直し、見返すことを忘れませんでした。その大壁画の雄渾《ゆうこん》にして堅牢なる、斧を打ち込んでも裂けない筆格を見ていると、またどうしてもその下に堆《うずたか》い鼠の巣に、いやな思いをせずにはいられないのです。
「この置きちらかしを、何とか始末をすればよいのに」
 その不快の思いを繰返しているところへ、どかどかと寺役が二三人、また無造作《むぞうさ》にやって来ました。それは、手に手に一抱えのものを持って、ある距離を取って壁画を眺めているお銀様の前を横切ると共に、あろうことか、今も不快の種となっていたその大床の床板の上へ持って来て、三人がおのおの胸いっぱいに抱えていた物を置き放してしまいました。その抱えて来たものは、提灯《ちょうちん》の古いのを重ねて括《くく》ったのや、さしに刺した銭を幾貫文となく、つまり、今までの鼠の巣の上へ、また鼠の巣の材料を加え、お銀様の神経を不快ならしめている上へ、また不快を積むのでありました。さりとてこの人たちは、みんな善良な、質朴な人たちで、画を冒涜《ぼうとく》せんがために、お銀様をイヤがらせんがために、そうしているのではない、画を認識しないのだ。画を認識する力が無いというよりも、床の間と物置との差別がつき兼ねているのだ。
 ところで、なおあとからあとから鼠の巣が持来たされ、ついに、牡丹と唐獅子の一角を埋めようとするに至ったから、お銀様が、つい、こらえられなくなりました。

         六十七

 お銀様が堪《こら》えられなくなったといったところで、あえて宇治山田の米友のように直接行動に出でられるはずもなし、また、ここは自分の王国ではないから、命令だけを以てしても行われようはずはなし、この人たちに事を分けて言い聞かしてみようというほどの気にもなれず、そこで、堪えられなくなったお銀様の行動というものは、直ちにその場を立去ることでありました。
 まだ見ようと思うところ、見残したところも多少あるでしょうが、これでお銀様は断念して、もと来た玄関の方から引返してしまいました。引返して後、この寺を出て宿へは帰らないで、湖岸の方へと向って行きました。その時はもう、連れて来た宿の少女もかえしてしまい、全く単身でありましたが、湖岸へ出て、しばし琵琶の湖水を眺めている姿を見かけましたけれども、それから後は、どこをどうしたか、お銀様の身が長浜の町の中へと呑まれてしまいました。
 しかし、その夜になると、いつ帰ったともなく、お銀様は宿へ帰って納っておりました。
 お銀様の宿というのは「浜屋」です。浜屋というのは、一見|旅籠屋《はたごや》とは見えない、古いだだっ広い、由緒の幾通りもありそうな構えで、大通寺の建築が豊太閤の桃山城中の殿舎であったとすれば、この宿屋は、たしかに秀吉長浜時代の加藤虎之助とか、福島市松とかいった人たちの邸をそのまま残したものであろうかと思われるくらいですから、間取りなども、宿屋というよりは陣屋、陣屋というよりは城内の大広間といったような感じのするところで、そのだだっ広い古びた一間にお銀様は、これも古風な丸行燈《まるあんどん》の下で、机に向ってしょんぼりと物を書いているところです。室内にあって、机に向って物を書きながらも、この人は覆面をとらないこと、昼の時と同じことでした。
 夜はもう静かなのです。長浜は静かな町ではあるけれど、時もかなり更けている。深夜というほどではないが、夕餉《ゆうげ》はとうに終って、夜具もなかなか派手やかなのが、いつでも寝《やす》めるように展《の》べられている。
 そこで、お銀様は筆を執って、巻紙をのべて、すらすらと書き出しました。手紙を書き出しているのです――その文言を調べてみると――お銀様は行成《こうぜい》を学んで手をよく書き、文章も格に入っているのだが、便宜上、その文言を現代的に読んで行ってみると、
[#ここから1字下げ]
「今日は、長浜の大通寺へ行ってまいりました。なるほど、お話の通り、想像以上に立派でもあり、由緒のある建築でもございました。
しかし、これだけの建築にしましては、守るものが少々認識不足に過ぎるように感じました。勿体《もったい》ぶらないでいいようなものですけれども、もう少し大事に心得ていてもらってもいいと思いました。
ことに問題のあの『山楽《さんらく》』でございました。三間の大床いっぱいに、滝と、牡丹と、唐獅子とを描きました、豪壮にして繊麗の趣ある筆格は、まさしく山楽に相違ないと、わたくしは一見して魂を飛ばせるほどでございましたが、二度三度見ても飽くことを知らぬ思いを致しましたが、肝腎《かんじん》の寺を預る人たちは、山楽を山楽として認識しておりません、これが残念です。残念だけならいいけれども……」
[#ここで字下げ終わり]
 お銀様は昼の見学の時の怨《うら》みを今、筆にうつしているところでありました。

         六十八

 お銀様は、さらさらと筆の歩みを続けて申します――
[#ここから1字下げ]
「あの豪壮な山楽の壁画の前が、鼠の巣となろうとしています。なにも寺の人は故意にしているわけではありませんけれど、世の常の人が偉人に親炙《しんしゃ》していると、つい狎《な》れてその偉大を感じないといったように、これだけの山楽を傍に置きながら、山楽とも思わないで、心なき寺の人が、その床を物置に使っているではありませんか。
このぶんで行きますと、早晩あの壁は壊れます。画も損傷してしまうでしょう。それが残念ですから、わたくしは寺を去りました。
そうして今もそのことを頻《しき》りに考えたのですが、ここに一つの工夫を考えつきました。あれは建築そのものが秀吉の桃山城の御殿をそっくり移したのです。それにあの通り、山楽の壁画でしょう。これを今のうちにどうかしなければ――そう考え考えて来ているうちに考えついたのはどうでしょう――あの御殿そっくりを、お寺から譲り受けることはできないものでしょうか。譲り受けて、丹念に取毀《とりこわ》し、そうして我々の胆吹山麓、上平館《かみひらやかた》の王国の中へそのまま移し換えることはできないものでしょうか。
そのことを、ひとつ伝《つて》をもってあなたからお寺の方へ交渉をしてみていただくことはできますまいか。
あのお寺の財政状態は存じません。檀家の人たちの意志も全くわかりませんけれど、あれをあのまま荒廃せしめるくらいなら、わたしたちで引受けてしまいたい。お寺によっては、ずいぶん話のもちかけ方によれば、存外宝物を手放さない限りもないと聞きました。大和の奈良の興福寺の五重塔なども、すんでのことに取りこぼち、二束三文の値段で売り払われるところであったと聞いたことがあります。わたくしは、あの大通寺の桃山御殿がそっくり欲しくなりました。果してできるかできないかわかりません。あなたには責任は負わせませんから、ひとつ交渉だけをしてみていただけますまいか――それと」
[#ここで字下げ終わり]
 果然――お銀様もまたロマンチストでありました。これはショーウインドーの前で宝石に憧《あこが》れるのよりは規模が少し大きいようです。こういう希望をいったい誰に向って書き述べているのだか、その相手は、想像するまでもなく、上平館の留守に残して置いた参謀長、不破の関守氏以外の何人でもありようはずはない。
 長浜へ着いて、浜縮緬《はまちりめん》の柄が気に入ったから欲しいと言わず、桃山城の御殿と、山楽の壁画を、そっくり買いたい――それがお銀様らしいと言わなければならぬ。
 で、それからなお続けて書いた文字によると、慾望はそれだけに止まらない。
[#ここから1字下げ]
「なお、わたしは知善院というのへ行ってみようと思います。そこにまた由緒の確かな豊臣秀吉の木像があり、それから、天下にただ一枚といわれる淀君自筆の手紙もあるそうでございます。これも欲しいものです。こういうものをすべて譲り受けて、わが胆吹王国で正当な認識の下に保管をしたい。
それから……」
[#ここで字下げ終わり]
 お銀様が書を進むると共に、夜が更けて行きましたが、遥かに犬の遠吠えが聞えて来ました。

         六十九

 お銀様が、こうして夜更けるまで手紙を書いていると、長浜の町の一角から、犬の遠吠えが聞えました。
 犬の遠吠えというのはさして珍しいことではないが、その遠吠えを聞くと、お銀様が筆を机の上にさし置いて、そうして耳を傾けました。
 思いの外、夜は更けている。時計というものはないから確《しか》とは言えないけれども、夜半を過ぎていることは疑いない。一通の手紙を書くために、どうしてこんなに時間を取られたろうと思うほどでした。巻紙を翻して見るとなるほど――書きも書いたり、長浜見学の印象から、太閤時代の歴史から、人物から、かなり細々《こまごま》と認《したた》めたものだと思い、更にそれを巻き直しながら、耳を澄ましていると、犬の遠吠えが追々に近くなるのに気づきました。
 それは、最初に吠え出した一箇の犬そのものが、影を追うてこちらに近づきくるのではなく、一箇の犬が物におびえて遠吠えを試みると、それから次々に影を見ない犬までがその声を迎えて吠えつぐものですから、それで遠吠えが次第次第に近くなって来るというわけなのです。
 ちょうど、宿つぎに犬が鳴き渡っているようなもので、すべて眠りに落ちている町の人は、誰も気づきませんけれど、お銀様だけが、長い手紙を書きながら、その鳴きつれる犬の声に耳を傾けておりました。
 お銀様は、手紙の上封じをして、それに、「不破の関守殿、まいる」と書きました。そうして、自分の名のところへ、「しろかね」と、行成様《こうぜいよう》の仮名で達者に認《したた》めました。それを見ると、素晴しい筆勢だと思わないわけにはゆきません。
 行成を学んでも、その骨法をうつし得るものは極めて稀れです。大師の文字に入木《じゅぼく》の力がありとすれば、行成の仮名には骨を斬るの刃がある。お銀様が、今ここにかりそめに書いた「しろかね」の文字は、けだし、己《おの》れの名とするところの「銀」の一字を和様に洒落《しゃれ》たものであることは疑うわけにはゆかないが、さっ! と一筆に横なぐりに刷《は》いた筆線に、行成の骨法が、故意か、偶然か、さながらに現われたそれが、すばらしいのです。行成の仮名の線にのみ存するところの斬鉄《ざんてつ》の鋭さが、そのままに現われている。古来、これほどに、さながら行成の骨法を現わした文字は無い――と、見る人が見れば驚歎するかもしれないが、お銀様としては、自分で書いた文字に自分で己惚《うぬぼ》れている余裕はない。
 すべて、芸術というものは、自分のものした芸術に、自分で惚れ出したらもうおしまいです。
 お銀様は、自分のものした文字の出来が、今晩はそれほど神《しん》に入《い》っているということを自覚もなにもしないで、そのままポンと机の左上隅の方に置据えて、これを明朝になったら胆吹の山の留守師団長なる不破の関守氏の許まで届けさせる。
 それだけの手軽い動作で、次に硯《すずり》の蓋をしにかかりました。硯箱も、蒔絵も、相当時代ものではあるが、お銀様は無意識にその蒔絵模様に眼を落しながら、硯の蓋をしてしまうと、はじめてホッと軽く息をつきました。
 さきほどから、吠え連ねていた犬の遠吠えが、いつのまにか送られて、ついこの宿の裏まで来ている。

         七十

 お銀様が、ふっと振返ると、自分の後ろの廊下を人が通りました。
「お帰りになりましたか」
 もう充分の心得があって、水の流るるが如き応対。
「は――」
と、お銀様の後ろの廊下を通り魔のように通るところの者が、軽い咳と間違えられるほどの応答で、通り過ぎてしまいました。
 後ろには秋草を描いた襖《ふすま》がある。それを隔てての問答だから、そちらの姿は更にわからない。
 だが、そのまま次の室へと歩み入って、そこへ、極めてしとやかに身を置いたことだけは確かです。
 してみると、この場には、お銀様と隣り合ってもう一人の客がいたのだ。その客が、多分、宵の口から外出していたものだから、このすべてがお銀様一人の舞台として占められていた感じでしたが、たとえ室を別にしたからといって、相客があったこととして見ると、全体の風情がまた一変しないでもない。しかし、双方ともに熟しきっていると見えて、いよいよ静かな応対のみであります。「お帰りになりましたか」「は――」これだけの問答で、あとはまた、全く静かな深夜の空気を少しも動かすではありません。
 しばらくすると、その隣室でカチリと物音がしました。刀の音です、刀の鞘《さや》の音なのです、刀の鞘がちょっと物に触れて鳴る音なのでした。
 つまり、宵の口に出て、今時分になってこっそりとたち帰り、四方《あたり》の空気を驚かすまいために、出入り、立居ともに極めて静粛であったのですから、そのささやかな刀の鞘のカチリという音だけが鮮かに聞えたのですから、これは刀を腰から外《はず》して、そうして刀架へでもちょっと移す途端のさわりであったらしい。
 それからまた静かになると、お銀様の方もまたいよいよ静かなもので、机に向ったまま動こうともしなければ、二の句をつごうともしないのです。
 しかし、いつのまにか、鳴きつれて来た犬の遠吠えの次第送りは止んでいました。
 お銀様の部屋には、こうして時代のついた丸行燈《まるあんどん》が明々とともっている。桐の火桶の火もさびしからぬほどに生かされているのに、隣の室には明りがない。
 こうしているお銀様は、申すまでもなく覆面をとっていないのです。お銀様の覆面は、一時流行したお高祖頭巾《こそずきん》といったあれなのです。黒縮緬を釣合いよく切らせて、上手に巻いている。寝るから起きるまでの間、お銀様の面《かお》から覆面のとれたのを見たものはほとんどない。ことによるとこの人は寝る間もなお、この頭巾を取らないのかも知れない。この人は、母の胎内から頭巾を被《かぶ》って生れ出たのではないかと疑う人さえあるかも知れない。
 お銀様が、今は燈火に面をそむけて、しなやかな手を首筋に当てて、おもむろに頭巾を解きにかかりました。多分、あの辺に手をやるからには、頭巾の結び目をさわるために相違ない。そういうしぐさをしながら、
「いかがです、今晩は収穫がございましたか」
と、次なる部屋の方へ、水の滴るように穏かな声でといかけました。
「ははは」
と、隣からは軽く、笑うでもなく、さげすむでもない返事。続いて、
「駄目だ――」


         七十一

「いけませんでしたか」
とお銀様の声――まだ頭巾は外していないのです。
「いけないね、犬が邪魔をして」
と、これは隣室の返事。そうすると透かさずお銀様が、
「そうでしょうとも、昨夜からの犬のなき声が変だと思いました」
「変だ、変だよ、どうも犬が……」
「お気の毒ですねえ、あなたも焼きが廻りましたね、犬に邪魔されるようになっては」
「いや、上方《かみがた》の犬はまた格別だ」
「なに、格別なことがあるものですか、同じ畜類ですもの、犬がいけないのじゃない、あなたが衰えたのですよ」
「そうかなあ」
「でも、考えてごらんなさい、あなた、甲府の城下でも、江戸の真中ででも、いつ、いかなる場合に於ても、犬に吠えられたことのないというのが、あなたの御自慢ではなかったのですか」
「そう言えばそうだ」
「ところが、この長浜へ来ては、ああして昨晩も、また今晩も、犬につけつ廻しつされていらっしゃる」
と、二人の深夜の問答は、専《もっぱ》ら犬のことで持切りなのであります。
「そう言われれば、いよいよそうだ、拙者は今日まで、夜な夜な独《ひと》り歩きをしても、決して犬に吠えられなかった、犬に吠えられないのみか、時としては犬から慕い寄られたことさえある、それが、この長浜というところへ来てみると、最初の晩から犬の災難だ、それが癖になって、犬がついて廻るようだ、今晩もまたこの一念が出ると、不思議に近いところで犬が吠える――この一念が納まると、犬もまた吠え止む――こうして犬に吠えられたり、送られたり、とうとう獲物にはぐれて、ここまで犬に送りつけられてしまった」
「よくわかりましたよ、わたしがこうして耳をすましておりますと、あなたが、町のどの方面から、どの方面をとってお帰りになるかということが、筋を引くようにわかりました」
「犬の鳴き声によってだね」
「そうでございます」
「さあ、そうなってみると、もうこの長浜というところで夜歩きはできなくなるのだな、少なくとも、拙者というものは、夜な夜な長浜の町をさまようてみたところで、何の収穫もないことになるのだ」
「まあ、そんなものでございますね、お出ましになって出られないこともございますまいが、結局、犬に吠えられに出て、犬に送られてお帰りになるまでのことでございましょう」
 二人の会話は暫く途切れておりましたが、お銀様はすでに解きかけた覆面を取去ろうともせず、そのまま机にもたれて寝に就こうとはしないのです。
 隣室も、なお一層静かでしたが、暫くして、また刀架へ触るような物音がしました。
 こちらも寝ようとはしないが、あちらもそのまま寝床へもぐり込んだ気色《けしき》もない。こちらのは、ただ静かにして机にもたれているだけですが、あちらのは、いったん刀をまた取卸したような物の気配です。いったん刀架にやすませた刀を、また揺り起したとなれば、これに向って、また相当の使命を托すると見なければならぬ。
 転任か、或いは出動か。

         七十二

 今まではお銀様の居間の方の場合からのみ写しましたが、今度は改めて、隣室の方へ舞台を半ば廻してみましょう。
 その室もやっぱり、だだっ広い、古びきった宿屋というよりは、古いも古い、徳川期を越した太閤の長浜時代の陣屋とか、加藤、福島の邸あとの広間とかいったような大まかな一室なのです。
 そこの一隅に、もはや寝床がのべてあって、六枚折りの屏風《びょうぶ》が立てかけてある。こちらにもお銀様のと同じような火鉢があって、炭取も備わっている。机は隅の方に押片附けられて、座蒲団《ざぶとん》が真中のところに敷かれているが、その火鉢と座蒲団の程よきところに、丈の高い角行燈が一つ聳《そび》えている――という道具立てなのですが、これが、はっきり見えるというわけではありません。その行燈には灯《ひ》が入っていないのみならず、お銀様との隔ての襖もあいていないから、光というものは、ほとんどこの部屋に本来備わっていないところへ、外界からも漏れて来ないから真暗なのです。
 その真暗なところへ、さいぜんから音もなく、真黒いいでたちの人が、風のようにひっそりと入って来て、火も掻《か》き起さなければ、燈火《あかり》もつけないで、隣室との応対をつづけているのですから、やっぱり光景そのものからいうと、黒漆崑崙夜裡《こくしつこんろんやり》に走るとか、わだかまるとか言うべきもので、何にもないところに声だけがあるようなものですが、小説の描写のためから言えば、はっきりと、それを写し出さないわけにはゆかぬ。
 今、この黒漆の室にいる黒衣の者の姿は、昨晩、大通寺の玄関の松に近く、幼な児の捨てられているところで、鬼女を引きつけたところの第二の悪魔――第三の悪魔としての餓えたる犬と戦ったあれです。
 大小二つの刀は、手を差延べれば届く床の間の刀架にかけて置いて、自分は、火鉢を前に、行燈を左にして坐ったままで、さきほどからの会話をつづけているのでしたが、この会話の間も、やっぱり覆面を外すことはしませんでした。
 二つの室に相隣りして、無作法な男女が二人控えている。姿形こそはいずれも崩れてはいない。無作法とも、だらしがないとも言えないけれども、室内にあって、この夜中にまでも覆面を取らないですまし込んで会話をつづけている点だけは両々相譲らないのです。
 一口に覆面というけれども、それは、ただ人間の面へ布を巻きさえすればよいというわけのものではない。覆面にも覆面の歴史もあれば、スタイルもある。同じものを同じように巻かせても、その人の人柄と、洗練とによって、都ぶりと、田舎者《いなかもの》ほどの相違もある。つまり着物にも着こなしの上手下手があって、同じものを着せても、その品に天地の好悪《よしあし》が出来ると同じことに、単に黒い布片を面に巻いただけのしぐさではあるけれども、そのまきっぷりにより、人柄そのものの活殺も生ずるというわけなのである。
 ところで――この覆面の人の覆面ぶりは、かなり堂に入《い》っているものと見なければならぬ。今時の流行語をもってすれば、かなりスマートな覆面ぶりである。覆面をこの辺まで被《かぶ》りこなせることに於ては、相当その道の修練と技巧とを備えていなければならないので、どうかすると、覆面をしていない時よりは、覆面をしている生活の時間の方が長い、覆面界の玄人《くろうと》である。

         七十三

 日本覆面史の、最近の幾多の実例によって、この人の被っている覆面ぶりを一通り検討してみると――
 頭に角《つの》のついた気儘頭巾《きままずきん》ではない。
 眼のところばかり亀井戸の鷽形《うそがた》に切り抜いた弥四郎頭巾でもありようはずがない。
 弥四郎頭巾の裏紅絹《うらもみ》を抜いた錣《しころ》頭巾でもないし、そのまた作り変えの熊坂でもない。
 錣のついた角《つの》頭巾でもなければ、しころなしの絹頭巾でもない。
 紫ちりめんの大明《だいみん》頭巾でもなし、縞物の与作頭巾でもない。
 大阪風の竹田《たけだ》頭巾でもなく、二幅錣《ふたのしころ》の宗十郎頭巾でもない。
 直角的な山岡頭巾でなく、曲線的の船底頭巾でもない。
 猫頭巾――抛《なげ》頭巾のいずれでもなく、まして女性の専用とした突※[#「「灰/皿」」、第3水準1-88-74]《とっぱい》頭巾のいずれでもなく、近代形の韮山《にらやま》頭巾でもない。
 本来これは、どの形、どの式といって作ったものではなく、単に有合せの織物をとって、これを適宜に切らせて、独流に巻き上げたもの、その形から言ってみれば、ここから程遠からぬ叡山《えいざん》の山法師の初期に於て流行した、あの「裹頭《かとう》」という姿が最もよくこれに似ている。
 物ごとはすべて、習うよりは慣れろですから、頭巾の巻きっぷりにしてからが、ああもしたら、こうもしたらと、見え[#「見え」に傍点]に浮身をやつすよりは、数を多くかぶるに越したことはない。数を多くかぶっていさえすれば、ことさらにスマートを気取らなくても、一見して整った形になり、整った揚句に、ちょっと人を魅する姿勢が出来てくる。
 これはあえて頭巾のかぶりっぷりに限ったことはあるまい。手拭一つ被《かぶ》らせてみたところで、野暮《やぼ》と粋とは争われない――況《いわ》んや大機大用に於てをや――というわけだ。
 そこで、この人の覆面ぶりは慣れて、おのずから堂に入ったものがある。この点に於てはお銀様とても同じことです。二つながら、晴れてはこの眉目を世に出すことを好まざるもの、覆面を通してはじめてこの世相を見ようとも、見まいともしているもの。
 暫くして、この覆面の男は、手をさしのべて、床の間の刀架から一刀を取外して膝に載せました。一刀といっても、わけて言えば小の方、或いは脇差の方といってもよろしいかもしれない。厳密に言えば、刀に対しては脇差といえる。大小を一対として分離し難いものとして見れば、その小の方だけを取って膝の上に載せました。
 膝の上に載せると、やおらこれを引抜いてしまうと、いつのまに用意してあったか、傍らの乱れ籠の中から一掴《ひとつか》みの紙を取り出して、左に持ち換えて引抜いた脇差の身へあてがうと、極めて荒らかにその揉紙《もみがみ》で拭いをかけはじめました。拭いをかけるというよりは、紙をあてがって荒らかに刀を押揉んでは捨て、揉んでは捨てているようです。脇差一本を拭うとしては、荒らかな、そうして夥《おびただ》しい揉紙を使用して、その使用した揉紙をけがらわしいものでも捨てるように傍らへ打捨てて、次の紙を取り上げ、取り上げ、刀身を揉み拭うている。
 特にこういう神経的の挙動にも相当理由のあることで、これは昨晩、思いがけずこの脇差一本で幾頭かの餓えたる犬を斬りました。畜生の血が残っている。それを揉み消し拭き消さんがために、かくも必死に、しかも相当神経的に刀身を拭っていると見るべきでしょう。

         七十四

 そうしているうちに、不意に一方の廊下でミシという音がしました。
 僅かにミシという音だけでしたけれども、その気配は猫でもなければ鼠でもない、まさしく人間であって、板を踏む気配でありますから、その気配にお銀様も耳をそばだてざるを得ません。
 前にいう通り、もう立派な深夜です。この二人のほかに、このだだっ広い屋敷に起きているものはないはずです。二人もその心持で、あたりの空気を動揺させない程度で会話をしていたのですが、この二人のほかに、もう一つ忍び足のあることが、たしかに今のミシという音で気取《けど》られました。
 そこで、お銀様ほどの人が思わず耳を聳《そはだ》てていると、先方も、もう気取られたかと観念したのか、もうこの辺で術を破ってやろうとでも覚悟したのか、ミシ、ミシ、ミシと、本格的に廊下を踏んで、早くもお銀様のいるもう一つの部屋まで来てしまって、襖越しに、
「今晩は、もうお目ざめでいらっしゃいますか」
 極めて低い猫撫声です。そして男の声なのです。
「誰ですか」
とお銀様が屹《きっ》と向き直りました。
「へ、へ、つい、その、ちょっと失礼をいたしました」
「誰ですか、あなたは。何のためにこんなところへ来たのですか」
「へ、へ、ついその、何しましたもんでございますから」
「わかりました、お前はここへ盗賊に来たのですね」
「いや、そういうわけではございませんが、つい、その、へ、へ」
「お帰りなさい、お前たちにつけ覘《ねら》われるような、わたしたちではありません」
 お銀様は、いつもの見識で手強く叱りましたが、相手もまたそれで退くくらいなら、ここまでは出て来ません。
「そうおっしゃらずに、ちょいとお目にかかって申し上げてえことがございまして――ここをあけましてもよろしうございましょうか、御免こうむりまして」
 いよいよ人を食った猫撫声で、こんなことをたらたら言いながら、早くもスルスルと襖へ手をかけて、二三寸あけてしまいました。
 お銀様はまたその方を睨めたけれども、少しも動揺しません。
「没義道《もぎどう》なことをすると、お前のためになりませんよ」
「へ、へ、実はな、お嬢様――」
 お嬢様と言ったからには、相当にこちらの人柄に理解があるに相違ない。盗人《ぬすっと》に来たということは明らかだが、それにしても、このいけ[#「いけ」に傍点]図々しい猫撫声を聞いていると、ただ物質が欲しくて忍び込んだものとのみは思われない。
 もはや、こっちを呑んでかかって、次第によっては説教の一つも試みようというはらがあって来た奴に相違ない。それだけに油断のならない相手であるとは、お銀様も気がついたには相違ないが、お銀様にもまたたのむところがあると見えて、あえて驚かないのは前と同じです。ところで頬かむりが、
「へ、へ、お嬢様、わっしはこう見えても盗人に来たんじゃごわせん、お嬢様をお見かけ申して少々|合力《ごうりき》にあずかりてえとこう思いましてな――それをひとつ聞いていただかなけりゃなりません」
と、いよいよ猫撫声で、膝小僧をじりじり[#「じりじり」に傍点]と進めて、乙にからんで来るのです。

         七十五

「わたしは、お前のような人に頼まれて上げる義理はない、何か用があるなら、夜が明けてから出直しておいでなさい」
とお銀様は、あたりまえの言い分でたしなめますと、
「そうおっしゃるものじゃございませんよ、お嬢様――」
 松助のやる蝙蝠安《こうもりやす》のような、変に気取った声色《こわいろ》をして、襖をもう二三寸あけました。そうすると、お銀様の部屋の行燈《あんどん》の光で、忍んで来た奴の正面半身が見えました。
 着物は尋常の二子《ふたこ》か唐桟《とうざん》といったようなのを着け、芥子玉《けしだま》しぼりの頬かむりで隠した面《かお》をこちらに突き出している。
 以前に覆面のことがあったから、ここで、頬かむりに就いても一応の知識がなければならないことになる。覆面と言い、頭巾というものは、特に一定の型があって、一応は縫針の手を通さなければならないように出来ているのであるが、頬かむりは違います。
 頬かむりというものは、通則として手拭を使用することを以て、今も昔も変らないことになっている。手拭というものは本来、頭巾の代用のために、覆面の利用のために出来ているものではない。木綿を三尺に切って、相当の形に染め上げ、その名分よりすれば手を拭うことにあるのですが、その職分は決して、手だけに専門なるものではない。面も拭えば、足も拭うことがある。時としては風呂敷の代用もつとめれば、繃帯の使命を果すこともある。
 演劇で、これをカセに使って見物を泣かせることもある。仁義のやからは、これが一筋ありさえすれば、日本国中を西行《さいぎょう》して歩くこともできる。どうかすると、このものを綴り合わせて浴衣《ゆかた》として着用し、街道へ押出すものさえあるのです。
 その効用の一つとして、これを即座の覆面に利用して、称して頬かむりという。本格の覆面にもかぶりこなしの巧拙がある以上は、この臨機応変の頬かむりにも、相当の型が現われなければならない道理です。或いは髷尻《まげじり》の出しっぷりに於て、鼻っ先のひっかけ具合によって、特に最も微妙にその人格(?)に反映して、浮気女を活《い》かしたり殺したりすることさえある。
 大臣かむりといってお大名式なのもある。吉原かむりといって遊冶郎《ゆうやろう》式なのもある。上の方へ巻き上げた米屋さんかむりというのもある。濡紙を下へ置いてその上へはし[#「はし」に傍点]ょり込んだ喧嘩かむりというのもある――今この場に、こいつがかぶって来たのは、鼠小僧かむり、或いは直侍《なおざむらい》かむりというやつで、相当江戸前を気取ったところの、芝居気たっぷりのかむり方でありました。
 男女二つの異形《いぎょう》なる覆面の場面へ、新たに一枚の頬かむりが加わったのです。
「へ、へ、お嬢様、あなたは御大家のお嬢様でいらっしゃいます、折入って一つのお願いの筋があって参りましたんで、というのは、ひとつお嬢様にぜひとも、買っていただきたい品がございましてな。決して盗み泥棒をしようのなんぞという悪い料簡《りょうけん》で上ったわけじゃあございません」
 何といういや味なイケ図々しい物の言いっぷりだろう。
 ところが、お銀様も存外、落着いたもので、静かに、しかし強く、
「お帰りなさい」

         七十六

 ところがいやな奴は、いよいよしつこくからんで、
「そう権柄《けんぺい》におっしゃるものじゃございません、せっかく、こうして危ない思いをして、人目を忍んでお願いに上ったんじゃございませんか、そこは、何とか三下奴《さんしたやっこ》を憫《あわ》れんでやっておくんなさいましよ。実はねえ、お嬢様、ぜひあなたにひとつ買っていただいて、それを、このしがねえ奴が路用にして、これから国へ帰ろうてえんでございますから、お願いですよ、とにかく、代物《しろもの》をひとつごらん置きを願いましょうかな」
と言って、頬かむりの奴が、後ろの方へ手をやって掻《か》いさぐったかと見ると、何か一物を取り出して、お銀様の部屋の中へさし出しました。見ると、それは一本の脇差でありました。脇差といってもなかなか本格の渋いこしらえがしてあって、特に艶《つや》を消して道中差にこしらえたもの、一見して相当の品ではあるらしい。この脇差を一本、お銀様の目の前に投げ出した頬かむりの男は、
「へ、へ、へ、これをひとつ、あなた様に買っていただいて、しがねえ三下奴の国へ帰る路用に当ててえと、こう思うんでがんしてな……」
「そんなものは、わたしには用はありません、いいかげんにしないと人を呼びますよ」
「あ、あ、あ、そいつは、いけません」
と、頬かむりの奴は仰山らしく押える真似《まね》をして、
「野暮《やぼ》なことをして下さいますな、ここで声を立てられちゃ、事こわしでございますよ、わっしのためにも、あなた様のためにもな。まず、まあ、ゆっくり落着きあそばして、その品をお手にとるだけも取って、篤《とく》とごらん下し置かれたいものでげす、品物を御一覧下さった後に、買ってやるとか、やらないとか、おっしゃっていただけば、それでよろしいんでございますよ――お手に取ってひとつ見ていただきてえ」
「そんなものを見る必要はありません」
「必要とおいでなすったね、必要があるかないか、代物《しろもの》をひとつ見ていただいた上でなけりゃ、相場が立たないじゃございませんか。何ならひとつ手取早く、わっしの方から品調べをしてごらんに入れ申しましょうか。まずこの目貫《めぬき》でございますな、これが金獅子ぼたんでございますよ、もとより金無垢《きんむく》――しかも宗※[#「王+民」、第3水準1-87-89]《そうみん》というところは動かないところでげして、それからはばき[#「はばき」に傍点]が金、切羽《せっぱ》が金、しとどめが金――鍔《つば》が南蛮鉄に銀ぞうがん……小柄《こづか》は鳥金七子地《とりがねななこじ》へ金紋虎《きんもんとら》の彫り、それから塗りがこの通りの渋い三斎好み、中身は備前|盛光《もりみつ》というんだから大したものでございますよ。今時、御三家の殿様だって、これだけのものは、めったにゃあ差しません、こしらえだけを外して、そっくり捨売りにしたところで、あなた、相当のものでございますぜ」
と言って、頬かむりは、いちいち指さしをしながら、お銀様の方へ向って、脇差のこしらえの説明をしている。代物そのものは、能書通りのものかどうかわからないが、こいつの喋《しゃべ》るこしらえの知識だけは附焼刃に違いない。それから一段、声を落して言うことには、
「それはそれとして、お嬢様、ここんところをひとつ篤《とく》とごらん下さいまし、ここの栗形の下のところに、下り藤の定紋《じょうもん》が一つ打ってござんす、これが、そのやはり申すまでもなく金無垢で……もちろん、これをお差料になすっていたお方のお家の御紋に相違ございません、この通り金無垢で、下り藤の定紋がこの鞘に一つ打ってござんす」

         七十七

 頬かむりの忍び男が、お銀様の眼の前に投げ出した脇差を指しながら、こんなことを言い出したので、お銀様が思わずちょっと向き直りました。
「なに、下り藤の定紋が?」
「はいはい、その通りでございます、お見覚えはございませんか――どうか篤とお手にとって御一覧を願いてえもので……」
「ああ、それは――」
とお銀様が、はじめて少し本気になったようです。ついにこのいけ図々しい奴の猫撫声に、どうもある程度まで釣られてしまったらしい。そうして、手に取ることこそしないけれども、改めてじっとその脇差を見詰めましたが、
「これは、わたしの父の差料に違いありません、それをどうしてお前が……」
「それそれ、そうおいでなさるだろうと、実は最初《はな》から待っていたんでございます――そうおいでなさらなくちゃなりません。いかにも、これは甲州第一の物持、有野村の藤原の伊太夫様の道中のお差料なんでございますよ。そうと事がわかりましたら、あなた様に相当のお値段でお買上げが願いてえ、なあに別段、いくらいくらでなけりゃあならねえと申し上げるわけじゃございません、お目の届きましたところで手を拍《う》ちやしょう」
「どうして、お前がこれを持っているのです、ところもあろうに、こんなところまでこれを持って来た筋道がわからない」
「へ、へ、へ、筋道とおっしゃいましても、甲州から諏訪《すわ》へ出て、木曾街道を御定法《ごじょうほう》通りに参ったんでございます、あなた様の親御様でいらっしゃる伊太夫様のお枕元から、このしがねえ三下野郎が直々《じきじき》に頂戴して参ったんでございますよ、どうかひとつ、思召《おぼしめ》しでお買上げを願って、それを三下奴の路用に恵んでいただきてえんでございます」
「どうして手に入れたか、それを言ってごらん」
「どうして手に入れたかってお聞きになりますが、これだけの品を頂戴いたすまでには、相当の苦心てやつもあるでござんしてな」
「それを一通り話してごらん、筋が立ちさえすれば、買ってあげないものでもない」
「実はねえお嬢様、あなたのお父様とお見かけ申して、こんな品物をいただくつもりじゃなかったんでございますよ、もっと右から左へ融通の利《き》く、山吹色の代物ってやつをたんまりと頂戴に及びたかったんでございますがねえ、いや、さすがに、大身の旦那だけあって、お身の廻りの厳しいこと、御当人は鷹揚《おうよう》のようでいて、更に御油断というものがございません、それにあなた、附添のが野暮な風《なり》こそしていらっしゃるが、これがみんな相当、腕に覚えもあれば、眼のつけどころも心得ていらっしゃるんで、さすがにこのがんりき[#「がんりき」に傍点]――」
と言いさして、ちょっとばかりテレたが、テレ隠しに続けて、
「さすがに、この三下奴の手にゃ合いませんで、初手《しょて》の晩の泊りには、瓦っかけをしこたま掴《つか》ませられちゃいやして、いやはや、その名誉回復と心得て、二度目に出かけてみやしたが、用心いよいよ堅固、命からがらこの一腰だけを頂戴に及んでまいりやしたが、明晩あたり、改めてまたお礼に上らなけりゃなりません」
「いったい、わたしのお父様はどこにいらっしゃるのです」
と、お銀様の方から改めてたずねました。

         七十八

「あなた様のお父様には、わっしゃ、美濃の関ヶ原でお初にお目にかかりました、一昨日《おととい》のあけ方のことでございます」
「関ヶ原で?」
「はい――実あ、その、なんでげして、これが甲州第一の物持でいらっしゃる有野村の伊太夫様だなんていうことは、夢にも存じやせんで、お目にかかっちまったんですが、ようやく昨日の晩になって、はじめてそれと伺いまして、驚きましてな」
「そうして、今はどこにいらっしゃる」
「関ヶ原から、昨晩は大津泊りでいらっしゃいました」
「大津――」
「はい、大津の宿で、はじめてそれと伺いまして、なるほど、がんりき[#「がんりき」に傍点]の目は高いと、こう味噌をあげちゃいましたようなわけなんでございましてな」
「何のために、お前さんは、わたしの父親に逢ったのですか」
「何のためにとおっしゃられると、ちと変なんでげしてな、行当りばったりに、袖摺《そです》り御縁というやつで、つい、関ヶ原の夕方お見かけ申しちまったんですが、今も申し上げる通り、これが甲州第一の物持の旦那様と知ってお見かけ申しちゃいましたわけじゃあござりませぬ、ただ行きずりに、こいつは只者でねえと睨《にら》んだこの眼力にあやまちがなく、お跡を慕ってみますてえと、果して大ものでござりましてな」
「では、お前は、わたしのお父様の旅をなさるあとをつけて、何か奪い取ろうとしたのですね」
「いや、その、ちょっとね、ちょっと行きがかりに、今いう、その、路用てやつを少々おねだり申したいと、こう思いましたばっかりなんでげすが、それが、その、みんごとしくじって、瓦っかけを抱かされちまったのが一代の失敗《しくじり》、これじゃ商売|冥利《みょうり》に尽きるといったようなわけで、再挙を試みたが、さいぜん申し上げる通りの用心堅固、大津まであとをつけて、やっとの思いでこの一腰《ひとこし》を拝領に及びました、そこで様子を窺《うかが》って見るてえと、この大物の身上がすっかりわかりました。わかりましたけれども、このうえ押せば、こっちの足もとが危ない、それ故《ゆえ》よんどころなく、この一腰だけを拝領に及んで引上げてまいりました。そこで、改めて今度はそれを御縁に、お嬢様のところへ伺いを立てに参上致した、と、こういったわけなんでございます」
「では、わたしの父親の方は用心堅固で、どうにもならないから、わたしの方は女の身だからどうにでもなると思って来たのかい」
「そういうわけじゃございませんが、そこは親子の間でいらっしゃいますから、何とかまたお話合いもできそうなものと、この一腰を証拠に、こうしておあとを慕って参りました、上平館《かみひらやかた》てのへお伺いしてみたんでげすが――お嬢様は長浜へお越しになっていらっしゃる、てなことをお聞き申したものですから、こうおあとを慕ってまいりました。どうかひとつ、この一腰をお買求めが願いたいんでげして……」
「いけません」
とお銀様が、きっぱりと答えると、頬かむりのままで男が少し居直りの形になって、
「じゃあ、これほど頼んでもお聞入れがねえんでございますか」
 いよいよ紋切型の凄《すご》みにかかろうとすると、もう一間隔てた向うの座敷から、
「その脇差とやら、買ってやるからこっちへ持って来い」
 氷のような声が聞えました。

         七十九

 この不意打ちの、冷たい一語の思いがけない抜討ちに、さすがの説教もどきも、骨までヒヤリとさせられたような狼狽《ろうばい》ぶりで、
「え、え、何とおっしゃいます」
 思わず向うの座敷を見込んだのですが、それは秋草を描いた襖《ふすま》のほかに何物もないのです。しかし、言葉はまさにこの秋草を描いた襖のあなたから迸《ほとばし》り出たのに違いないのですから、一旦は狼狽したが、もとより相当な奴ですから、ここらで内兜《うちかぶと》を見せるようなことはない。こうなると、意地にも強気を見せるものごしになって、
「どなた様か存じませぬが、この一品を買ってやるとおっしゃいましたのは、そちら様で……」
「買ってやるから、こっちへ持って来いよ」
「いや、わかりました、有難い仕合せで。なにも、お買上げくださりさえすれば、どちら様で悪いの、こちら様でなければならないのと申す次第ではござりませぬ」
と言って、その一腰を取り上げると中腰になりました。
 相当薄気味の悪い声ではあるけれども、主のわからない方面の買主に向って、この頬かむりの野郎があえて人見知りをしないらしい。
「まっぴら、ごめんくださいまし」
 但し、あちらの秋草の襖の中の、新しく出でた買主のもとへ行くには、どうしてもこの女王の居間を失礼して突切らなければならないことになっている。いや、後戻りをすれば、廊下を廻って行けるには行けるに相違あるまいが、あちらからこう出られてみると、こっちの行張り上、また廊下をうろうろして出戻りなんぞは、第一、舞台面の恰好がつかないとでも思ったのか、それで敢《あ》えてこの女王の居間を失礼して、突切らせてもらって、新しい買主に面会を求めようと、小腰をかがめて進入してきたのは全く許せない挙動だが、お銀様はまだ、冷然としてそれを咎《とが》めようともしないで、眼の前を通る代物《しろもの》を空しく看過しておりました。
 そこで、いよいよ図にのった、この白徒《しれもの》が、「まっぴら、ごめんくださいまし」と、色代《しきだい》するような手つきをして、膝行頓首《しっこうとんしゅ》、通り過ぎて行く。その形がまた、いよいよたまらない芝居気たっぷりでもある。
 こいつが、お銀様の父伊太夫を関ヶ原で狙《ねら》った、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎であることは申すまでもありません。
 根が、このがんりき[#「がんりき」に傍点]というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎は、こういう色男気取りに出来ている。たちばな屋とか、よこばな屋とかの切られ与三《よさ》といったような芝居気が身についている男なのです。だから、これを街道筋の馬子上りや、場末の長脇差くずれと見られては、当人納まらないだろうと思われる。
 そこで、こいつがこんなふうのしな[#「しな」に傍点]をしながら、女王の眼前を突切って、次の間を隔てる襖の前へ来ると、また御念入りにかしこまって、携えた売り物の一腰を敷居際へ置いて、例の白々《しらじら》しいせりふを並べ出しました、
「どうぞ、なにぶん御贔屓《ごひいき》にお買上げを願いたいもんで……しがねえ三下奴《さんしたやっこ》のために、路用のお恵みが願いたいんでげして。さいぜんもお聞及びでございましょうが、彫りと言い、こしらえと言い、要所要所はいちいち金むく[#「むく」に傍点]でございまして、いぶしがかけてあるんでございます、それに中身が備前盛光一尺七寸四分という極附《きわめつ》きでございます、出所はたしか過ぎるほど確かな物でございまして、どなたがお持ちになったからといって、かかり合いの出来るような品たあ品が違います」

         八十

 まだ中からも襖が開かず、こちらからもこれを押してみようとはしないのです。こうして、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、図々しくも先方の出ようを見ていると、中で、
「ちょうどいいところだ、脇差が一本欲しいと思っていたのだ」
「いや、どうも恐れ入りました、こうすんなりお買上げが願えるとは有難い仕合せなんでございます、どうかひとつ、こしらえ、中身、お手ごろのところ、十分にお目ききが願いたいのでございます」
「見ないでもよろしい、中身は盛光だと言ったな、盛光ならばまず不足はない、置いて行かっしゃい」
「では、お引取りを願うことに致しまして……」
 買手は置いて行けと言い、売方はお引取りをねがいましょうと言いながら、まだどちらからも襖を開こうとはしない。当然その仲立ちをすべきはずのお銀様も、事のなりゆきを他人事《ひとごと》のように見流しているだけで、あえて中に立って口を利《き》いてやるでもなければ、ましてや、わざわざ立ち上って隔てを開いて、取引の融通をつけてやろうでもない。
 そこで、この場の空気はテレきってしまいました。テレきったけれども、その底には相当の緊張したものが流れている。三人ともに白けきったけれども、三すくみではない。それぞれ一歩をあやまてば取返しのつかない綻《ほころ》びが転がり出すことをよく心得ていながら、表面はテレきって、それを、何と取りつくろおうともしないところに、剣《つるぎ》の刃を渡るような気合がないでもない。
 このままでは際限ないから、そこは、新参の押しかけ客分としての引け目で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎が左の手を延べて、
「御免を蒙《こうむ》りまして」
と言って、秋草の襖へ手をかけたのです。そうしてするすると二三寸、最初、お銀様の座敷の第一関を開いた時の要領で、二三寸あけて見ると、意外にも中は真暗でした。
 はて、人がいて、かりにも物を売ろう買おうと声がかかってみた以上は、起きていたのか、或いは寝ていても起き直って、どちらにしても燈心《とうすみ》ぐらいは取敢えず掻《か》き立てていなければならないはずなのに、中は真暗であって、且つその暗闇を救うべくなんらの努力をも試みていないらしいことは、薄気味の悪い上に、更に薄気味の悪いものになっている。
 だが、こっちは、こうなってみると意地にもひる[#「ひる」に傍点]めない。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、意地を張って、一段としらばくれた調子で、
「では、その代物《しろもの》のお引取りを願いましょうかな」
と、暗い中へ向って馬鹿丁寧に一つ頭を下げてから、額越しに闇の中をじっと見込んだ身のこなし。やっぱり相当なもので、真暗い中から物を言っている先方の種仕かけを、上目づかいに吟味しているものらしい。
 こういう奴になると、真暗闇の中を見込んで、物を見る眼力がかなり修練されているものです。夜を商売とするこいつらの眼で見ると、室内のからくりにも相当の当りがつかなければ商売になるまい。ところが――かりにその眼力を以てしてからが、眼の届かないのは、六枚屏風が一つ眼前にわだかまっていて、応対を遮断していることでした。暗を見透す眼があっても、屏風一重を見抜く力はない――そこで少々まごついていると、屏風の中から、
「いったい、いくらで売りたいのだ」

         八十一

「へい、いくらと申しましても、その――あっしらは、この方にかけてはズブの素人《しろうと》なんでげすから、こいつはこのくらいということは申し上げられません、おめききを願った上で、この品にはこのくらい、この野郎にはこのくらいの貫禄のところを恵んでやれ、とお見込みだけのものなんでございまして」
「なるほど――盛光ならば相当のところだ」
「それに、なんでございますな、さいぜんから申し上げる通り、こしらえが大したもんでござんしてな、要所要所とこの定紋は金無垢《きんむく》でございますぜ、つぶしに致しましても……」
「なるほど、中身が盛光で、金無垢の飾りがついている、やっぱり相当のものだ」
「まあ、ひとつ、とにかくお手にとってごらん下し置かれましょう」
「見るに及ばない、なるべく奮発して買ってやろう!」
「有難い仕合せ――旦那は話がわかっていらっしゃる」
「お前の言う通りを信じて買ってやるのだ、盛光の中身と、金無垢の飾りだな――」
「さようでございます。なお、その道の者にお見せ申しましたならば、彫《ほ》りが後藤だとか、毛唐だとか、縁頭《ふちがしら》が何で、鳶頭《とびがしら》がどうしたとか、目ぬきがどうで、毛抜がこうと、やかましい能書《のうがき》ものなんでございましょうが、何をいうにも三下奴、そんなことは申し上げられません。いっさいコミで、突っくるみで買っていただけば結構なんでございます」
「よしよし、万事相当なものとして買ってやる」
「いや、どうも、旦那は話せます、気合に惚《ほ》れました、失礼ながらお見上げ申しやした、そうさっぱりおいでなすっていただいてみますてえと、こっちも男でございます」
「買ってやる、買ってやる」
「それから、ついでにもう一つ、御奮発が願いたいのは、その、なんでござんす、旦那様の方から、そう奇麗に出られてみますと、申し上げるのが、少々気恥かしいようなわけ合いなんでございますが――中身の備前盛光と、こしらえと、金無垢とつっくるみで、相当のところをお買取りを願いまして、その上で、その、ひとつ、三下奴に免じて、多少の骨折り賃というやつを恵んでいただきてえんでございます」
「ふふん――名刀を手に入れた時は、別に肴料《さかなりょう》を添えたりなんぞして祝う例はあるから、お前がせっかく掘り出して来たものに対しては、また相当のことはしてやる」
「いや、何から何まで、話がわかってらっしゃる――こういう旦那にありついたのは、三下奴の仕合せはもとよりのこと、お差料そのもののためにも結構な仕合せでございます、ほんとに、話がこうもずんずんわかっていただいて、こんな嬉しいことはございません、ではひとつ、夜の明けないうちに、その相当のところでひとつ、しゃんしゃんということに願いたいものでございます」
「よしよし、いま代金を渡してやる」
「いや、有難い仕合せ――では、この一腰とお引きかえに」
 取引が、ここで表面上は極めて円満に成立したのだが、数字的にはなんらの具体化がない。万事相当のところで、且つその上に骨折り賃まで添えて買ってやるとまで出たが、その相当のところという評価の数字が両者の間に一致しているわけではない、相当といって相当以上を渡されるのか、その以下をあてがわれるのか、がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎も度胸を据えて、わざと数字にはこだわらないでいると、先方から、
「さあ、渡すから手を出せ、右の手を」
「あつ、つ、つ」

         八十二

 不意に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の奴めが、
「あつ、つ、つ」
と叫びを立てて飛び上ったので、さすがのお銀様も思わず座を立ちました。そうすると、やにわにがんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、その前を横つ飛びにつっ切って、座敷の外へ飛び出したかと思うと、入って来た時のように、物静かに姿を消してしまいました。要するに、もとはいって来たところから逃げ去ってしまったものでしょう。
 いったん驚いて立ち上ったお銀様は、座敷の中を見ると、畳の上にぽたぽたと落ちて、線をひいているものがある。行燈《あんどん》を提《さ》げて来てよく見るまでもなく、それは血の塊りでありました。
 その血を次第に点検して行くと、あちらの間の六枚の屏風の下のところに、小さな物が一かけ落ちている。熟視すると、それは殺《そ》ぎ落された人間の小指一本であります――
 ややあって、お銀様は火箸を取って、その小指をつまみ上げて、懐紙の上に載せて見ました。
 言うまでもなく、今のあのならず者が落して行ったかたみである。その名残《なご》りとして、そこから点々と血の滴りが糸をなして、自分の座敷を横断している。
 お銀様は小指を包んで、一方にさし置き、それから、雑巾を提げて来て、畳の上の血の滴りを静かに拭いはじめました。
 その間、向うの座敷でも何とも言わず、お銀様もまたその仔細をたずねようともしなかったのですが、あの白々しい取引があれまで進んで、いざ、現なま[#「なま」に傍点]を渡そう、受取りましょう、というところになって、不意にこんな現象が出来《しゅったい》してしまった。
 お銀様としても、いまさら指一本ぐらいのことで、仰々しく騒ぐのも大人げないと信じたのでしょう。また、たとえあんな奴にしてからが、ここで真向梨割《まっこうなしわ》りにでも成敗された日には、あとの始末が大変である――小指一本だけなるが故に、あの盗人《ぬすっと》めも自分で自分の身体を始末して行ってしまったし、あとの掃除も人手を借らずに、こうしてあっさりとやって行ける。それを寧《むし》ろ勿怪《もっけ》の幸いとして、畳の上から次の部屋に至るまで、血の滴りを拭うことの労を厭《いと》いませんでした。
 件《くだん》の血の滴りといっても、あの屏風の下から、この女王の部屋を横断して、次の間の或る程度で止まってしまっているものですから、極めて容易《たやす》い掃除で済みました。
 それが済むとお銀様は、ならず者が置き放して行った一件の脇差を静かに取り上げて、机の前へ端坐してながめました。まさしく自分の父の愛用の道中差に相違ない。物を盗《と》りに来て物を置いて行った盗賊の間抜けぶりも笑止といえば笑止だが、あの図々しさは法外である。時が時、場合が場合でなければ、わたしたちはどうなったかわからない。
 それに、もう一つ笑止千万なのは、今のあのならず者が、わたしの父の伊太夫が旅をしてこちらへ出て来ていること、しかも、自分と眼と鼻の間の大津に宿を取っているということまで、嘘かまことか喋《しゃべ》って行ってしまったのが、自分のためには、わざわざ飛脚の役をつとめてくれたようなものになっている。
 それにしても、父が何のために、どうして旅立ちをする気になったのだろう。そんなことを考えつつ、行燈《あんどん》を朧《おぼ》ろに薄めて、やがて夜具をかついであけ方を深き眠りに落ちて行ったようですが――次の間ではもうその以前に夢を結んでいるらしい。

         八十三

 伊太夫が旅立ちをしたあとの留守居を引受けた与八の、また一つの社会事業としての、浴場公開のことがありました。
 古来、伊太夫の屋敷のうちには有名なる温泉がありました。温泉といっても、そのままで入湯のできるまでに熱い湯ではありませんでした。温度四十五度内外のものですから、いったん沸かして入らなければならないのですが、それでも効目《ききめ》は大したものでありました。少なくとも大したものとして遠近《おちこち》に伝えられて、以前は、ほとんど公開の設備をしていたのですが、伊太夫の後妻を迎える前後になって、公開をやめて自家用だけにしておりましたのが、なお特に希望して来るものが多かったのですが、一人に許すと百人に許さなければならぬという道理で、ことごとく謝絶してしまっておりました。
 それを、近ごろになって、与八が伊太夫に頼んで再び公開のことを申し出でたのを、今度は伊太夫がすんなりと承知してくれました。その上に、設備万端の費用もおかまいなしというようなわけで、与八の前へ棟梁《とうりょう》を呼んで、自分から言いつけて工事をやらせるという徹底ぶりにまでなったのですから、与八の本望は申すまでもなく、大工さんたちも、
「わたしたちもこれで願いがかないました、この仕事は人助けのためだから」
と言って、奉仕につとめてくれたことですから、日ならず立派な公開浴場が出来上りました。
 遠近、聞き伝えて欣《よろこ》ぶことは容易ではありません。病人たちは、その噂だけで再生の思いをした者もありました。
 木の香新しい浴室の中央へ地蔵様を据えつけると、与八はそこで風呂番をつとめました。そうして湯加減を見るために、いつも最初の朝湯は与八自身がつとめました――というのは、一つはこのお湯の効目を、とかく病身がちな郁太郎というものに蒙《こうむ》らせてやりたいということも、最初の希望の一つであったのです。
 そこで風呂が沸くと、与八は真先にお毒見をするつもりで、郁太郎を抱いて新湯を試みました。
 ある日、与八が余念なく入湯していると、その姿を立って眺めているお婆さんが一人ありました。このお婆さんは、きりりと身ごしらえをして、かなり道中の雨露を凌《しの》いで来たと見られる手甲脚絆《てっこうきゃはん》をつけて、笈摺《おいずる》のようなちゃんちゃんこを着て、そうして、草鞋《わらじ》がけで竹の杖をつき立てて、番台の下まで進んで来たのですが、どうしたものか、そこですっかり与八をながめ込んでしまったのです。
 与八は、そんなことにはいっこう頓着なしに、しきりに郁太郎を手拭で撫でさすっておりましたが、やがて、眼を上げて見ると、番台の下に矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんが一人、突立ってこちらを見ているのに気がついて、急に大きな頭を一つ、がくりと下げ、
「お早うございます」
と、例によって、馬鹿ていねいに挨拶しますと、右のお婆さんが、
「お前さんは、いい人相だねえ」
 挨拶を返すことを忘れて、惚々《ほれぼれ》とこう言って感歎の声を放ちます。
「へ、へ」
 与八としては気のいいえがおをもって、お婆さんの感歎に答えるだけでした。

         八十四

「お前さんは、いい人相だねえ」
と、矍鑠たるお婆さんは二度《ふたたび》繰返して言いますと、
「へ、へ、へ」
と、与八は相変らず人の好い笑面《えがお》を以てこれに答えました。
 いい人相だと言われたために、はにかむでもなく、またいやに卑下謙遜するでもなく、先方の好意を好意だけに受けることを知っておりました。
 矍鑠たるお婆さんは、どうしても与八の人相をそのままでは見過しはできないという執心ぶりでしたが、
「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありませんよ」
「へ、へ、へ」
と与八は所在なさに、手拭で郁太郎の頭から面を、押しかぶせるようにブルッと一つ撫で卸してやると、お婆さんは、
「それじゃ、まあ御免くださいよ」
と言って、クルリと向き直り、入口へ腰を卸して早くも草鞋を取ってしまいました。
 草鞋を取ってしまうと、与八の傍へ寄って来て、
「お前さん、いくつにおなりだえ」
 改めて年齢を聞かれたので、与八は、また改めて答えました、
「数え年の四つになりますでございますよ」
「違うよ、わたしは、その子供さんの歳をたずねているのじゃありませんよ、お前さんの歳を聞いているのですよ」
「はあ、わしでございますか、わしは二十《はたち》でございますよ」
「二十――なるほどね」
とお婆さんが、また深く感心してしまいました。
 前に感心したのは、その人相がいいということでありました。しかし、今の返答ぶりで見ると与八は、この矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんから、自分の人相がいいといって感心されたことをお感じがなかったようにも見える。何となれば、改めて年齢を聞かれた時に、数え年の四つだと答えました。
 してみると、いい人相だと賞《ほ》められたのは自分でなく、自分の抱いているこの郁太郎のことだとばっかり考えていたのに相違ない。与八としては、今までずいぶん、自分の体格がいいということは、人からほめられるに慣れている。かっぷくがいいということだけは、子供の時分から賞められているから、これは今では人も称し、自らも称すことになっている。それから次に、力がある、力量が非凡であるということも、それを発揮した時に人から認められもし、驚歎されもすることに慣れきっているけれども、特にこうして「人相がいい」ということを頭から感歎されたことは、あまり例がないのです。
 感心するならば、こうして、素裸《すはだか》で、肉体をたっぷり漬っているのだから、まず誰もがするように、「いい体格ですねえ」とか、「たいしたかっぷくですねえ」とか、まず、感歎の声を放つのが例であるべきのに、この矍鑠たるお婆さんは、肉体のことなんぞはてんから問題にしないで、いちずに「いい人相」ということに感歎これを久しうして、それでも足りないで、「お前さんのような、いい人相を、今まで見たことがありません」と、最大級に附け加えたことです。
「へ、へ、へ」
 そうなってみると、与八も多少気恥かしいかして、こんどは眼を伏せて、郁太郎の肩を和《やわ》らかに撫で出しました。

         八十五

 やがてお婆さんは、いちいちその衣裳を解いて笊《ざる》の中に納めました。
 このお婆さんは、出入りばなに与八の人相をほめ上げただけで、この浴場に対してはなんらの挨拶をしませんでした。済みませんがどうぞ一風呂振舞っておくんなさいまし、ともなんとも言わずに、早くも衣帯を解いて入浴を試みようという態度は、当然入浴を為《な》し得る権利があるものかのように見えます。たとえ無料で施しのための湯であるとはいえ、何かそこには辞儀と挨拶がなければなるまいに、このお婆さんの態度が無遠慮なのは、故意にするわけではなく、多分、与八の人相そのものを鑽仰《さんぎょう》することに急で、挨拶の方も、お礼の方もお留守になっているうちに、すっかり忘れてしまったものでしょう。
 その時分に、与八はおもむろに湯槽から郁太郎を抱いて上って来ました。郁太郎の身体《からだ》を拭いて、着物を着せてやり、笊の傍に坐らせて置いて、自分は裸一つのままで番台の方へ行きましたが、土間を見ると、お婆さんの穿《は》いて来た草鞋《わらじ》が無造作に脱ぎ捨てられているのを見て、与八は、こごんでその草鞋を丁寧に取り上げると、それをじっと二つの手を以て押しいただいてから、傍らの番号を打ってある下駄箱の中へと納めました。
 その時分は、お婆さんの方は、早くも湯槽に身を漬けておりました。与八、郁太郎が上ってしまってから、湯槽の中はお婆さんの一人湯です。
 そこで、いい気持そうにお婆さんは唸《うな》りながら、面《かお》を拭いて、こちらをながめておりましたが、今、与八が自分の草鞋を押戴いて棚の中へ納めたのを見て、一時、眼を皿のようにしましたけれども、また、改めて、にっこりと心持のよい笑い方をして納まってしまいました。
 そうこうしてお婆さんは湯槽から板の間に出ると、小桶に湯を汲んで自分の身を洗いはじめますと、いつのまにかお婆さんの後ろには与八が立っていて、
「お婆さん、流しましょう」
と言いました。
「済みませんねえ」
 お婆さんは心から感謝しつつ、それでも辞退はしないで、与八の方へ背中を向けていると、与八は和らかにお婆さんの背中を流しはじめたのです。
「ねえ、若衆《わかいしゅ》さん」
 いい心持になりながら、お婆さんは改まった調子で与八に問いかけましたから、
「何です、お婆さん」
「お前さんに一つ、聞きたいことがあるのですがねえ」
「わしにですか」
「はい」
「わしゃ何も知らねえでがすよ」
「聞きたいというのは、ほかのことじゃないがね、今、ここで見ていると、お前さん、わしの草鞋を棚へしまって下すって有難う」
「どういたしまして」
「その時に、お前さん、わたしの草鞋へ何か変なことをしやしなかったかね」
「なあに、別段、悪いことをいたしやしませんでした」
「悪いことじゃないよ、変なことをね」
「別に変なこと、何もしやしませんよ」
「そうじゃありませんよ、ちゃんと、こっちで見ていましたがね、お前さんは、たしかにわたしの草鞋を取り上げて押戴きましたね、草鞋というものはお前さん、足へ穿くものですよ、頭へ載せるものじゃありませんよ」

         八十六

「どうも済みませんことでございました」
と与八は、お婆さんに詰問されて、一も二もなくあやまってしまいました。
「いいえ、お前さんにあやまってもらおうと思って、わたしはそれを咎《とが》め立てをするのじゃありません、あんまり、することが変だから、ちょっと聞いてみたのです」
「どうも済みません」
「済むの済まないのじゃないですよ、どうして、お前さん、あんな真似《まね》をするんですか、それを聞いてみたいんですよ」
「別段、わけも学問もあるのじゃございません」
「でも、人のしないことをするからには、何かしくらいがなけりゃならないでしょう、隠さずに話してみて下さいよ、若衆《わかいしゅ》さん」
「どうも仕方がありません、こうなりゃあ、みんな申し上げちまいます」
と与八は、白洲《しらす》にかかって白状でもさせられるように、多少苦しがって申しわけをしようとする。お婆さんはそれをなだめて、
「いや、お前さん、なにもお前さんが悪いことをしたから、咎めるんじゃありません、そんなに窮屈がらずに話してごらん」
「では話しますがね、お婆さん、こうなんですよ、わしゃ、どういうものか、あの草鞋《わらじ》を見ると、自分のもの、人様のものに限らず、むやみに有難くなり、勿体《もったい》なくなってしまって、つい押戴いてみる気になっちまう癖なんでござんしてね」
「変った癖ですね、どうしてまた、あの草鞋なんぞが、そんなに有難く、勿体なくなるもんだかねえ、足でどしどし地面の上を踏みつけて、その上、用が済めば道端へ投げ棄てられてしまう草鞋なんぞを、どうしてまた、そんなにお前さんが有難がるんだかねえ」
「どうしてったって、お婆さん――わしゃ、草鞋様、草鞋様と蔭では拝んでいるんでございますよ。お婆さん、あの草鞋様がねえ、まだ稲の時分に、田の中においでなさる時分には、あの頭へ重たいお米の穂を載せて、長いあいだ辛抱をしていておくんなすったそのおかげで、あたしたちがお米を食べられるようになるのです。それからお米が実ってしまったあとでは、藁《わら》というものになって、そうして、打たれたり、叩かれたりして、またいろいろ人間のためになって下さる。俵というものになって、今まで守り育てて、蔭になり、日向《ひなた》になって成長させた自分の子供も同様なお米を大切に包んで守ります。生きている間には、骨となり、身となって育て上げた自分の子供同様のお米を、死んでからは、皮となって守るのがあの藁なんでございます。すべて天地の親様の慈悲というものが、すべてこれなんでございますね。それからまたやっぱり、打たれたり、叩かれたりして、ついにはこうして草鞋とまでなって、重たい人間の身体や、牛馬の身体までも載せて、旅をさせたり、働きをさせたりして下さる――草鞋様は有難い、勿体ない」
 与八は、ここまで言いかけると、大粒の涙をぽろぽろとこぼしてしまいました。
 同時に聞いていたお婆さんが、
「うーん」
と深く唸《うな》り出して、いきなり背中を流している与八の手を外《はず》して突立ってしまいました。

         八十七

 お婆さんが、不意に突立ち上ったものですから、与八が呆《あき》れていると、早くもお婆さんは与八の後ろへ廻ってしまい、
「お前さんのような人に流してもらっては罰《ばち》が当る、今度は、お前さんを、わたしが流して上げる」
と、むりやりにお婆さんが、与八をしゃがませてしまいました。
 お婆さんの細腕で、与八をしゃがませることができようはずはないのですが、お婆さんの言うことが高圧ぶりなのに圧倒されて、与八はつい、しゃがませられてしまったのです。与八をしゃがませて置いてお婆さんが手拭をとって、ごしごしと背中を流しはじめたのはよいが、まるで松の樹に油蝉が取りついたようで問題にならないが、それでもお婆さん、一生懸命でこすり立てながら、
「だから、わたしは、はじめから、人相が違っていると思ったのさ、今時、お前さんのようないい人相を見たことはないと言ったのさ、まるで、鳩《はと》ヶ谷《や》の三志様《さんしさま》そっくりの人相だから、わたしゃ夢かと思ったのさ」
と言いました。
 与八の人相に見惚《みと》れたという心状は偽りがないにしても、いい人相で、観音様に似ているとか、地蔵様に近いとかいうのならいいが、このお婆さんは、変な比較を持ち出して来ました。
「鳩ヶ谷の三志様が、ちょうどお前さんと同じような人相でしてね」
「はア」
と、お婆さんの感心に引きかえて、与八は気のない返事です。気がないのではない、お婆さんのは感心が先になりきって、独《ひと》り合点《がてん》で、聞く人にはよく呑込めないのです。やがて、お婆さんは問われもしないのに、鳩ヶ谷の三志様というものの人格の説明をはじめました。
 右のお婆さんの語るところによると、鳩ヶ谷の三志様という人は、武州足立郡鳩ヶ谷の生れの人であって、不二講という教に入って、富士山に上り、さまざまの難行苦行をしたそうです。
 ところが、そのうち、お釈迦様《しゃかさま》と同じように、こういう難行苦行だけが本当の人を救う道ではござるまい、誰かもう少し本当の道を教えてくれる人はないか――それから師を求め、道をとぶろうて修行して、まさにその道を大成したということです。
 そうして、心身ともに鍛え上げて、道徳も、信仰も完備し、四十余年の間五畿七道いたらざるところなく、四方を遊説《ゆうぜい》して、実践躬行《じっせんきゅうこう》を以て人を教え導いて、その徳に化せられるもの十余万人を数えるようになったということです。
「あの、お前さんも御承知だろうが、二宮金次郎様がね、野州桜町の復興の時でござんしたね、いろいろに苦心をして、衰えた土地を回復し、人気を厚くしようと、寝る目も寝ずになされたが、どうも昔からだれ[#「だれ」に傍点]癖のついた土地柄は、金次郎様の力でも一朝一夕に直すというわけにはゆきませんでなあ、いや、血を吐くように御苦労をなされたものなのだ。土地の人の惰弱だけならまあいいが、よけいな奴が出しゃばって来て、つまらない改革をするといって、わざと金次郎様の命令に反《そむ》いたり、その事業の邪魔をしたりな、それはたいへんなものでござったので、金次郎様もどのくらい苦労なされたか知れたものではない。そのうちにある時のこと――金次郎様が村を通りかかりますと、一人のお婆さんがあってね、それが、外に出ていた草鞋《わらじ》を取り上げて、ていねいに、ちょうどお前さんがしたように、押しいただいて内へしまったのを、金次郎様がごらんなさいましてね」

         八十八

「お婆さんが草鞋を押しいただいて内へしまいこんだのを、金次郎様がごらんになってな、はて珍しい、奇特なことだと、そのお婆さんに問いただしてみると、そのお婆さんは、日頃からちゃんと鳩ヶ谷の三志様の教えをお聞き申している――ということがわかって、金次郎様がなるほどと感心をなさって、そういうわけならばわしもひとつ三志様にお頼みをしようと、それから金次郎様が三志様をお招きになって、村人に説教をしてお聞かせ下さる、村人が追々に金次郎様の御誠心と、三志様の御説教がわかってきて、桜町の復興のことも立派に成就《じょうじゅ》いたしました。それは、一つには金次郎様のお力、一つには三志様のお力でございました」
 与八の頭は、特にそういう話をよく受入れるように出来ている。曾《かつ》て武州|登戸《のぼりと》の丸山教の教祖様に似ていると感心させられたこともあり、木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》と比べられたこともありましたが、ここでは、鳩ヶ谷の三志様という人と比べられているのであります。
 しかしお婆さんは、最初のうちは、与八の人相の引合いとして三志様なるものを持ち出したのですが、今は、与八の人相はそっちのけになって、鳩ヶ谷の三志様の鑽仰《さんぎょう》で持切りになってしまいました。
「三志様は京都へおいでると、必ず御所の御門のところへ行って跪《ひざまず》いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野《しもつけ》の日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い申し上げるのです。それがもう、一度や二度のことじゃございませんよ、何百回となるか数えきれないほどでござんしてね。それから、富士のお山へ登りまして天下泰平五穀豊年のお祈りをすることが百六十一度でございました。が、天保十二年の九月に七十七歳でお亡くなりになりました。わたくしたちも三志様の教えを受けたお弟子の一人でしてね――お前さんの御人相が、その三志様にそっくり似ておいでなさる」
 二宮金次郎様というような名前は、与八も、子供を教える時に、お松あたりから聞いて知っているが、鳩ヶ谷の三志様だけは、どういう人かよくわからないが、金次郎様に負けない徳行の人であると思っている。
 お婆さんの物語る、そういう語りぶりを、与八が実によく神妙に受取るものですから、お婆さんもいい心持になって、語り続けました、
「中興の食行様《じきぎょうさま》は、江戸の巣鴨に住んで、油屋を営んでおいでになりました。富士のお山の麓には、食行様が立行《りつぎょう》というのをなさった石がございます、その石の上へ立ったままで御修行をなさいましたので、石へ足の指のあとがちゃんと凹《くぼ》んでついているのでございますよ。食行様は御一生の間に、富士のお山へ八十八回御登山をなさいました、そうしていつも、自分の家業は少しも怠らず、常に人に教えて『半日は家業に精出せ、半日は神様におつとめをするように』と申されました、そこで信徒たちにも『信心のあまりにも、家業を怠けるようなことがあってはならぬ』と教えて、御自分も教主の御身でありながら、油売りをおやめになりません、その油を売る時も、桝《ます》の底から周囲《まわり》まで竹箆《たけべら》で油をこすり落して、一滴たりとも買い手の利益になるように商売をなさいますので、人々がみな尊敬いたしました。こうして食行様は、享保十八年に富士の烏帽子岩《えぼしいわ》にお籠《こも》りになって、そこでこの世を終りなさいました」

         八十九

 お婆さんはなお諄々《じゅんじゅん》として語りつぎ、語り出でました、
「教祖の角行様《かくぎょうさま》は肥前の国、長崎のお方でございます、御本名は藤原|邦武《くにたけ》と申されました。応仁の乱この方、天下が麻の如く乱れて、人民が塗炭の苦に落ちかけているのを、見ても聞いてもおられず、どうぞして、この世を救い、人を助けたいと思召《おぼしめ》して、これはもう人の力では及びもない、神のお力をお借りするよりほかはないと思召して、十八の時、お家をお出になりまして、あまねく名山、大川、神社仏閣の霊場めぐりをなさいまして、最後に富士のお山へおいでになりました。ここぞ御自分の畢生《ひっせい》の御修行場と思召して、お頂上、中道《ちゅうどう》、人穴《ひとあな》、八湖、到るところであらゆる難行苦行をなさいました、それからいったんお国許へお帰りになりまして、また再び富士のお山の人穴に籠《こも》って大行をなさいました。そうして、ひたすらに天下泰平、万民和楽をお山の神様にお祈りあそばして、幾年月の間、外へはお出になりませんでしたが、その間、織田信長公の天下が太閤秀吉様になり、それから権現様《ごんげんさま》の御政治になって、天下がはじめて泰平になりました。それをはじめて知って、角行様は大願成就とお喜びになりました。それが御縁で角行様は、この富士のお山こそ御国のしるし、御国はまた万国のしるし、取りも直さず富士のお山は、天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》、高産霊神《たかみむすびのかみ》、神産霊神《かみむすびのかみ》の御三体の神様の分魂《わけみたま》のみましどころであるということを、御霊感によって確然とお悟りになり、そこで、この富士のお山こそ天地の魂の集まり所であると、こうお開きになり、天地の始め、国土の柱、天下国治、大行の本也《もとなり》、とお遺言なさって、正保の三年に、富士の人穴で御帰幽なさいました」
 そこで富士の霊山こそは、日本の国の秀霊であって、それと同じように、日本の国は万国の秀霊であるということの信仰。富士山こそは天下泰平国土安穏の霊山であるから、この霊山を信じ、祈ることによって、国家安穏の大願が成就する。この身体を清めて、肉体の難行苦行に堪えることが、一切のけがれから脱却する最大の手段であること。そうしてこの心霊を練ることによって、神人合一の妙所に到り得るものであるというようなこと――を、事細かに説いては与八に聞かせました。
 与八は、いちいちそれを頷《うなず》いて聞いている。それからお婆さんは、自分の今度の旅行も、この故に富士山へ登山参詣をして来たその戻り道であるということを聞かされて、与八もこれには実際的に多少の驚異を感じたようです。というのは、七十以上のお婆さんの身で、真夏でもあれば知らぬこと、もう晩秋といってもよい時分に、単身で富士登山をしての戻り道だということを聞かされてみると、与八も鈍感な頭をめぐらして、このお婆さんの、皺《しわ》くちゃな身体を見直さないわけにはゆきませんでした。
 しかし与八は、必ずしもそのことを疑いはしませんでした。与八の頭は、何事でも無条件に信じ得るような頭になっているのですから、むしろただ、そういう人が、今、お婆さんの形をとって、自分の眼の前に現われてくれたことの大いなる驚異に目をみはって、あらためてお婆さんの皺くちゃな身体を見直したまでのことです。

         九十

 やがて、お婆さんがお湯から上ると、与八は郁太郎を背負い、この浴場からお婆さんを導いて、自分の教場へと連れて来ました。
 教場といっても、それは特にしつらえた建物ではない。暴女王お銀様がこしらえた悪女塚を取崩して、そこへ構えこんだ与八小屋が、おのずから教場となり、校舎となっている――そこへお婆さんを連れて来ると、早くも子供たちが群がって来ました。
「与八さん、お早う」
「おじさん、お早う」
「先生、お早うございます」
「こんにちは……」
 いつか、彼等が一通りの礼儀を心得るようになっている。初めに子供たちが遊びに来た時分には、お辞儀などをする殊勝な奴は一人もなかったが、このごろは、まず、子供たちが何人《なにびと》に対しても朝晩の挨拶をするようになっている。
 与八は炉辺の講座へ坐りこんで、お婆さんを席に招じて言いました、
「お婆さん、お蕎麦《そば》が出来てるから、一ぜん食べておいでなさい」
「それはそれは、どうも」
と言って、お婆さんがいよいよ感心して、好意を受けると、
「さあ、みんな、お婆さんにお蕎麦を御馳走して上げな」
 見ていると、与八の指図に応じて、子供たちが膳部の用意をする。ある者は、鍋を持ち出してお汁の吟味をし、ある者は、薪を抱えこんで来て炉の中の火を加えようとする。ある者は、流しもとへ行ってお膳と茶碗を拭きにかかる。
 そうしてほどなく蕎麦をあたためて膳をこしらえ、薬味までちゃんと添えて、お婆さんの前へ丁寧にそのお膳を拵《こしら》えたものですから、お婆さんが、全く驚異の眼をみはってしまいました。
「まあ、この子供たちの躾《しつけ》のいいこと、こりゃみんな、お前さんのお弟子なんだね、恐れ入ったものですねえ」
とお婆さんは、せっかくの御馳走の箸《はし》をとることも忘れて、この大男の教育ぶりのいいことにも感心させられてしまうし、子供たちのよくまあ、こうも行儀よく仕込まれている――ということにも感心させられてしまっているようです。
「お婆さん、お給仕を致します」
「お婆さん、お出しなさいまし」
「さあ、お婆さん、わしが打ったおそばですから、どうか一ぜん召上っておくんなさいまし」
 与八がそう言ってすすめる傍らには、一人のお河童《かっぱ》がお盆を持って、ちゃあんとかしこまってお給仕にかしずいているのですから、お婆さんはいたく恐縮し、
「こりゃ、まるで、大勧進で御本膳をいただくようなものだ」
 そこで、お婆さんは、お椀をおしいただいて、お蕎麦の御馳走にあずかる。
 内はこの通り、しとやかなものだが、外が急に物騒がしくなりました。
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]
 一度にどっと声を揃《そろ》えて、うたい、囃《はや》して来る雑音。
 万事いい心持でおそばをよばれているお婆さんも、突然なもの騒がしい声には驚かされ、暫し箸を休めて外を見やると、与八もまたそちらへ注意を向けて見ました。

         九十一

 やがて、下から登って来た子供の一大隊を見ると、真中に隊長が一人、大きな男根《だんこん》の形をしたこしらえ物を、紅《べに》がらの粉で真赤に染めたのを中に押立てて、その周囲に揉《も》み合い、押し合っている。
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]
 そうして、今、揉み合い、押し合いながら、この悪女塚の教場の方へと押し上って来る。
 しかし、まあ、本来が子供の遊戯に過ぎないのだから、ただ不意を打たれただけで、お婆さんも再び快く箸を執って、お蕎麦を食べつづけました。
「よく出来ましたねえ、このお蕎麦は。御遠慮なしにいただきますよ」
 お婆さんは、三椀まで換えて、お蕎麦の御馳走になっているうちに、例の揉み合い、押し合いの子供たちは、もはや盛んな勢いで、与八の道場の前、悪女塚のところへ押し上り、溢《あふ》れ出して、そこで前よりはいっそう馬力をかけて、押し合い、へし合いしている。
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]
 それは、まさしく何か風俗行事のうちの一つであって、乱暴を働きに来たものでないことはわかっているが、熱狂しきっている子供の眼中には、もはや悪女塚の庭もなければ、与八の教場もない。
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]
 押し合い、へし合いしている、その前後左右に出没して、また別な頑童共が、割竹を持って地面《じべた》を打叩きながら、噺し立てている。それが風俗年中行事であり、子供らが習慣によって無邪気に熱狂しているのはいいとしても、心ある人に、目ざわりになるのは、その真中に押立てられたあれです。誰が、どう見ても、男根の形としか見えない大物を、紅がらでこてこてと真赤に塗り立て、それを真中に擁して一大隊の子供が、火水《ひみず》になれと揉み立てているのだから、目に立てないわけにはいかない。すべて、今までの接待に感心ずくめで通して来たお婆さんも、それを見ないわけにはいかない。与八もまたそれを見せないわけにはいかない。
 ブチこわしだ! と、与八でなければ面《かお》の色を変えたでしょう。今まで子供たちの躾《しつけ》のいいことにすっかり感心させて置いたのが、これを見られてはブチ壊しになってしまう。せっかくのお客様の前へ、こういうものを担ぎ込まれたのでは、主人側としては、面から火が出るような思いをしなければならない。
 それを与八は、別段、赤い面もせずに、へへらへへらと笑って見ていました。お婆さんは肝《きも》を潰《つぶ》しかけた形で、眼を円くしている。子供の一大隊は、
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]
 ついに与八の教場の眼の前まで来て、割竹を持ったものは、早くも土間の方へなだれ込み、ますます馬力をかけて、
[#ここから2字下げ]
ダアサイナ
ダアサイナ
ドウロクジンヘ
ダアサイナ
[#ここで字下げ終わり]

         九十二

 この分でいると、教場内へ乱入し兼ねまじき勢いに見えましたけれど、与八は泰然自若として驚きませんでした。
 お婆さんも一時|呆《あき》れ返ったが、やがて穏かに自分の巾着《きんちゃく》を取り出して、
「さあ、お婆さんがどうろくさまへ差上げるよ」
と言って、小銭をバラ蒔《ま》いてやると、子供たちはそれを拾い取ると共に、潮の引くように引きあげて、揉み合い、へし合いながら、庭を下って下へおりて行くのです。
 これは、ホンのその場限りの景物でありました。
 それから右のお婆さんは、与八にお礼を言って、自分は信州飯田の者である、右のような次第でお富士さんへ参詣して来たが、これから故郷の信州飯田へ帰る、お前さんもどうか、そのうち都合して、ぜひ飯田まで遊びに来て下さい、飯田へ来て松下のお千代婆さんと言えば、直ぐわかる。
 待っているから、ぜひ都合して遊びにおいでなさい――と懇《ねんごろ》にすすめました。
 そこで与八も、どのみち末始終は旅に出づべき運命の身だと心得ているから、いつかお婆さんの故郷、信濃の国の飯田へ行ってみようという気にだけはなりました。
 いざ出立という時に、与八は、
「わしも今日は竜王まで、ちょっくら用事があるから、一緒にお送り申しましょう」
 かくて与八は、またも郁太郎を背負い、お婆さんと道づれになって、ある程度までお婆さんを見送りながら、自分は自分の用足しをして帰ろうという門出です。
 お婆さんは、自分のかぶっていた菅笠《すげがさ》を、与八のためにと言って残した。その笠には、富士のお山のおしるしもあれば、お婆さんの故郷、信州飯田――池田町――松下千代と書いてある。
 それをお婆さんの記念《かたみ》として受け納めた与八は、別に新しい笠を換えてお婆さんに贈り、そうして二人は、この教場を立ち出でました。天気が良くて、釜無川の沿岸から八ヶ岳の連峰が行手に聳《そび》えている。与八は歩きながら、お千代婆さんに向って述懐を試みる。
「うちの大旦那様が、今、上方《かみがた》へ向けて旅をしておいでなさる、上方見物という名代《なだい》だが、本当はたった一人の娘さんのことが心配になるのでしょう。その娘さんというのは、きかない気のお嬢様で、お父さんの大旦那ももてあまして、お嬢さまのなさるように好き自由にさせてお置きなさる。こんど近江の国の胆吹山《いぶきやま》というところの下へ、そのお嬢様が広大な地面を自分でお買いなすってね、そこへ一つの国をこしらえるんだそうです、何をしでかしなさるのかわからない。こちらの大旦那という方も、実はお気の毒な方なので、この通り甲州第一等の身上でおあんなさるのに、御家族運が悪くてね、たったひとり残ったお嬢様がその通りなんですから、お大抵の心配事ではございません。上方へおいでになっても、またそのお出先で、お嬢様と衝突がなければいいと、みんなそれを心配しているんでござんすよ。それで、実はわしも、お留守居の方を番頭さんにお任せ申して、胆吹山へ行ってみようかと思っているところです。そうしたらその途中、お婆さんのところへおたずね致しましょう」

         九十三

 ややあって、お婆さんは急に思い出したように、
「ああ、それそれ、わたしは、すっかり忘れていた、今日は、だいに[#「だいに」に傍点]様のお墓参りをする約束であったのに」
と言って、改まって与八に問いかけたのは、
「若衆《わかいしゅ》さん、お前さん、済みませんが、ちょっと、だいに[#「だいに」に傍点]様のお墓まで案内をして下さい、頼みます」
「だいに[#「だいに」に傍点]様とおっしゃるのは?」
「だいに[#「だいに」に傍点]様――有名なお方ですよ、ここから遠くないところにお墓があるはずです、お前さん、そこへわたしをちょっと案内して下さい」
「だいに[#「だいに」に傍点]様――わしゃ、そういうお方を存じませんが」
 与八は、真に当惑面で答えました。お婆さんから突然に、だいに[#「だいに」に傍点]様、だいに[#「だいに」に傍点]様と問われても、いっこう自分には心当りがないので、お婆さんだけが、ひとりのみ込みであるとは思うが、しかし、他国から来た人がこうして、だいに[#「だいに」に傍点]様、だいに[#「だいに」に傍点]様と無造作《むぞうさ》に問いかけるところを以て見れば、あまねく世間が知っている名前に相違ない。ところが与八は一向それを知らない。
 人が知っていて、与八が知らないことは、だいに[#「だいに」に傍点]様に限ったことはない。現に木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》のことなども、与八はいっこう知らない間に人が知らせてくれた。自分は武蔵の国から出て来て、いま隣国の甲斐の国にいることだけは知っている。甲斐の国へ来て知っている人といえば、自分の身辺に触れて来た人のほかには、古いところで武田信玄公――そのほかには、ちょっと与八の頭では思い出せない。思い出せば水晶ぐらいのものです。
 そこで、だいに[#「だいに」に傍点]様のお墓といって、お婆さんから先刻御承知のもののように尋ねられて、つかえてしまったのは是非もないので、まことに済まない面をして与八が次の如く申しわけをしました。
「わしは、この土地の生れでねえんでございますから、何も存じません、親類身よりもこの土地にはねえんですからねえ」
「いや、お前さんの親類とは言いません、だいに[#「だいに」に傍点]様をお前さんは御存じないかね、困ったものだ、では誰ぞ、その辺の人に聞いてみましょう」
 田の畔《あぜ》を通る村人二三人を呼び止めて、お婆さんが同じように問いかけました。
「だいに[#「だいに」に傍点]様のお墓は、どちらですね」
 これに対する返答は、ほぼ与八同様のものでありました。
 いずれもお婆さんがひとり合点で、だいに[#「だいに」に傍点]様、だいに[#「だいに」に傍点]様と呼びかけるのに、問われた方は怪訝《けげん》な面をして、ぐっと返答にさし詰ってしまうのです。与八は他国者だから、それを知らないにしても、正銘の土地の者が、二人、三人、みんな当惑して、きょとんとした眼でお婆さんを見る。
 ちょうど、四人目に田を起している老人をつかまえた時に、その人だけがやっと眉を開いて、
「ああ、だいに[#「だいに」に傍点]様、山県大弐様《やまがただいにさま》のお墓でごいすかい。そりゃ近いところでごいすよ、あの大きな竹藪《たけやぶ》を目あてにおいでなすって、あの藪の中にごいすよ、ちょっとわかりますめえが、崩れた塔婆があるにはありやすよ――まあ、あのでかい藪の中を探してごらんなさって」
と教えてくれたので、お婆さんは喜んでその教えられた方の大竹欒《だいちくらん》をめざして進んで行くから、与八もそれに従わないわけにはゆきません。

         九十四

 お婆さんが、ひとり呑込みで、だいに[#「だいに」に傍点]様、だいに[#「だいに」に傍点]様と口走っていたその人の本名は、「山県大弐」という名前であることだけはわかりました。だいに[#「だいに」に傍点]様、だいに[#「だいに」に傍点]様と言わないで、本名の山県大弐を呼びさえすれば、土地の物識《ものし》りは知っているということもわかりました。
 田圃《たんぼ》の間をずんずんと進んで行くと、ほどなくその大竹藪まで来ました。別に囲いもないが、さりとて、どこに道がついているのかわからない。それをお婆さんは見つくろって、怖れ気もなく中へ入って行くのです。与八も何が何だかわからないながら、つい、お婆さんに露払いをさせてしまって、若い自分がそれに追従しなければならなくなったのは、お婆さんその人は、たずねる墓の主をよく心得ているが、自分はいっこう知らない。これほどにして熱心にお婆さんがたずねるくらいだから、お婆さんの血筋に近い人でもあるのだろう。
 自分には何の関係もないのだから、どうも先走る気になれないのです。
 しかし、なかなか大きな竹藪に入り込んだのですから、どこがどうか、入って見ていよいよわからなくなる。往手《ゆくて》は枯枝や、蜘蛛《くも》の巣、それに足許に竹の切口や、木の株や、凹みなどもあって、危ない。ほとんど昼なお暗い、八幡《やわた》知らずの藪のようになって、さしものお婆さんも少しひるんでいる。その時に与八がさきへ出て、
「お婆さん、この竹藪を突切って、一度むこうの竜王の土堤へ出て見ようじゃありませんか、土堤へ出て向うで聞いてみたら、知っている人があるかもしれませんよ」
「そうしましょうかね」
 お婆さんも少々|我《が》を折って、二人は一応その竹藪を突切って、あちらの土堤へ出ようということになりました。
 しかし、土堤へ出るつもりで竹藪を突切ってみたが、意外にも土堤へは出ないで、グッと田圃の眺望の開けたところへ出てしまったが、その途端に、
「あっ!」
 二人の目を射たものは、真上に仰ぐ富士の高嶺《たかね》の姿でありました。雪を被《かぶ》って、不意に前面から圧倒的に、しかも温顔をもって現われた富士の姿を見ると、お婆さんは真先にへたへたとそこに跪《ひざまず》いて、伏し拝んでしまいました。与八は土下座こそしなかったが、思わず両手を胸に合わせ拝む気になりました。
 甲斐の国にいて富士を眺めることは、座敷にいて床の間の掛物を見るのと同じようなものですが、大竹藪を突抜けて来て、思いがけない時にその姿を前面から圧倒的に仰がせられたために、二人が打たれてしまったのでしょう。
 お婆さんが山岳の感激から醒《さ》めて立ち上った時に、程近い藪の中から、真白い煙が起り、そこで人声がしましたものですから、とりあえずそちらの方へ行ってみることにしながら、お婆さんは、富士の姿を振仰いでは拝み、振仰いでは拝みして行くうちに、与八は早くもその白い煙の起ったところと、人の声のしたところへ行き着いて見ると、そこには数人の人があって、ていねいにお墓の前を掃除をし、その指図しているところの、極めて人品のよろしい老人が一人立っている。
「あれが大弐様《だいにさま》のお墓だよ」
「そうでしたかね」
「徳大寺様も来ていらっしゃる」

         九十五

 富士を拝み拝み、たどり着いたお婆さんは、この人品のよい老人を見ると、恭《うやうや》しく頭を下げ、
「これはこれは徳大寺様――」
 徳大寺様と言われた極めて人品のよい老人は、頭に宗匠頭巾《そうしょうずきん》のようなものをいただき、身には十徳《じっとく》を着ていましたが、侍が一人ついて、村人らしいのを二人ばかり連れて来て、お墓の掃除をさせている。
「これは女高山のお婆さん、待兼ねておりました」
と、徳大寺様がお婆さんに気軽く応対をしました。
「途中、道よりをしておりましてね、遅くなりまして相済みません、ここがそのだいに[#「だいに」に傍点]様のお墓所でございますか」
とお婆さんが、遅刻のお詫《わ》びをしながら尋ねると、人品の極めてよい老人が頷《うなず》いて、
「ああ、ここが山県大弐の墓なのだ、この通り荒れ果てて、見る影もなくなっているから、いま掃除をしてもらっているところだよ」
「それはそれは、ではひとつ、御回向《ごえこう》を願いましょうか」
 掃除もあらかた済んだ時分に、徳大寺様が香花を手向《たむ》けると、お婆さんが水をそそいで、懇《ねんご》ろにそのお墓をとぶらいましたから、続いて、徳大寺様附きのお侍と、与八と、それから掃除に来た二人の百姓たちとが、手を合わせました。
「与八さん、お前、どこへお行きなさる」
 礼拝が済んでから、与八に言葉をかけたのは、お墓の掃除に頼まれて来た牛久保の富作というお百姓でした。
 与八も見知り越しであり、その子供を世話してやっている。そこで答えました、
「このお婆さんをお送り申しながら、ちょっと竜王まで用足しに参りました」
「そうですか、どうもいつも餓鬼共がお世話にばっかりなりまして」
「どういたしまして」
「それにまた、この節はお湯が開けて、与八さんもいよいよ忙しいでしょうね、功徳《くどく》になっていいことですよ、人助けになりますよ」
「はいはい」
「大旦那様は旅においでになったそうですねえ」
「ええ」
「いつごろ、お帰りになりやすか」
「近いうちにお帰りになるでしょうが、たまのお出先のことだから、また、何か別な御用向が起るかも知れましねえ」
「与八さんが来てから、あのお屋敷へ光がさしたと、みんなが言ってますよ」
「どういたしまして」
 こんな挨拶を交している間に、徳大寺様はじめ、お婆さん、お侍、みんなお墓に対して回向礼拝を終り、さてこれから、お婆さんは徳大寺様と一緒に、甲府へ行くということになりました。
 与八としては、この竜王村への用事を兼ねてなのですから、ではこれでお暇《いとま》をしましょう――ということになって、お婆さんは与八に厚く礼を言った上に、
「与八さん、ちょっとこちらへいらっしゃい、このお方は、徳大寺様と申し上げて、畏《かしこ》くも天子様の御親類に当る身分の高いお方でいらっしゃいます――お目通りをしてお置きなさい」
と言って、徳大寺様へ向いては、
「何と珍しい心がけの、人相のよい若衆《わかいしゅ》ではございませんか、鳩ヶ谷の三志様にそっくりだと、わたしは見ているのでございます、お見知り置き下さいませよ」
と言って、二人を引合わせました。

         九十六

 かくて、徳大寺様、おつきの侍と、お婆さんとは、ここを立って甲府の方へ向けて、田圃道の間を歩み去りました。
 そのあとを見送りながら、焚火にあたって与八は、村人二人と話しています。村人二人から話しかけられて、与八がその相手になっているのであります。
「与八さん、どうしてあの女高山のお婆さんを知ってるでえ」
「わしゃ、前から知っているというわけじゃありません、今日、お婆さんが、お湯に入りに来て、それから知合いになりました」
「では、知らねえ人だね」
「はい、信州の飯田というところのお婆さんで、お富士さんを信仰なさるのだということだけは聞きましたが」
「それは、それに違えねえが、なかなかエライお婆さんだよ」
と言って、富作がこのお婆さんの身の上を、よく与八に話して聞かせました。
 松下千代女(すなわちお婆さんの本名)は信州飯田の池田町に住んでいる。鳩ヶ谷の三志様、すなわち富士講でいう小谷禄行《おたにろくぎょう》の教えを聞いてから、熱烈なる不二教の信者となり、既に四十年間、毎朝冷水を浴びて身を浄め、朝食のお菜《かず》としては素塩一|匙《さじ》に限り、祁寒暑雨《きかんしょう》を厭《いと》わず、この教のために働き、夫が歿してから後は――真一文字にこの教のために一身を捧げて東奔西走している。その間に京都へ上って皇居を拝し、御所御礼をして宝祚万歳《ほうそばんざい》を祈ること二十一回、富士のお山に登って、頂上に御来光を拝して、天下泰平を祈願すること八度――五畿東海東山、武総常野の間、やすみなく往来して同志を結びつけ、忠孝節義を説き、放蕩無頼の徒を諭《さと》しては正道に向わしめ、波風の立つ一家を見ては、その不和合を解き、家々の子弟や召使を懇々《こんこん》と教え導き、また、台所生活にまで入って、薪炭の節約を教えたり、諸国|遊説《ゆうぜい》の間に、各地の産業を視察して来て、農事の改良方法を伝えたりなどするものですから、「女高山」という異名を以て知られるようになっている。「女高山」というのは「女高山彦九郎」という意味の略称で、つまり、安政の勤王家高山彦九郎が単身で天下を往来したように、このお婆さんは、女の身で、単身諸国を往来して怖れない――その旅行ぶりが、彦九郎に似ている。また京都へ行って、御所御礼を怠らない勤王ぶりが、高山彦九郎にそっくりである。その、人を改過遷善に導く功徳と、利用厚生にまで人を益する働きは、むしろ本家の高山に過ぎたるものがある――
 右のお婆さんという人は、右のような女傑である――ということの説明を、富作さんの口から聞いて、与八がなるほどと感心をさせられました。
 してまた、一方の徳大寺様というのはいかに、これこそ、まことに貴い公家様《くげさま》でござって、女高山の婆さんは、エライといっても身分としては、信州飯田の一商家の女に過ぎないが、徳大寺様ときた日には、畏多《おそれおお》くも天子様の御親類筋で、身分の高いお公卿様でいらっしゃる。今は富士教に入って、教主の第九世をついでおいでになる。
 ということを富作さんが、与八と、もう一人のお百姓にくわしく語って聞かせたところから、与八は、では、この山県大弐様もやっぱり富士講の仲間でいらっしゃるのか、とたずねると、富作さんが首を烈しく左右に振り、
「違う、全く違う――山県大弐様という人はな……」

         九十七

 牛久保の富作さんは言いました、
「山県大弐というのは、富士講の信者じゃねえです、あれは武田信玄公の身内で、有名な山県三郎兵衛の子孫でごいす、先祖の山県三郎兵衛は武田方で聞えた勇士だけれど、山県大弐はずっと後《おく》れて世に出たもんだから、戦争もなし、勇武で手柄を現わしたわけじゃねえのです、学問の方で大した人物でごいした、勤王方でしてね。今時、勤王といえば、上方の方の人のようにばっかり受取られるけれど、山県大弐様なんぞこそ、その勤王の魁《さきがけ》ですよ、今の勤王なんざあ、みんな大弐公のお弟子みたようなものでごいす。誰も勤王なんかと言わねえ先から勤王を唱えてな、日本の政治は天子様のお手元へお渡し申さなくちゃいかん――という説を唱えたもんだから、関東のお役人に睨《にら》まれて、とうとう首を斬られてしまっとうだ」
「えッ!」
 首を斬られたと聞いて、聞いている者が驚きました。
 そういうエライ人、有名な人で、他国の者までお墓へ参詣に来る、ことに徳大寺様といったような、天子様御親類筋に近い身分の方までが御参詣に来るくらいだから、よっぽどエライ人に違いないと思って、与八をはじめ聞いていたのに、その人が突然首を斬られたと聞いたものですから、聞いていた二人が、えッ! と言って眼を見合わせたので、富作さんも、世を憚《はばか》るように声を低くして語りつぎました、
「大弐様はエライ大学者でね、朝廷のお公卿様《くげさま》や、諸国のお大名方で、争って大弐様のお弟子になったちうことです。なんしろ大学者だから、諸子百家の学問から、医学に至るまで、学問という学問に通じておいでなすったが、ことに兵法軍学の方の大家でなあ、人の気づかない意見を述べたものだから、江戸の方のお役人から睨《にら》まれてい申した。ある時、本当にそういう御了見でもなかったでごいしょうが、兵法を講釈のついでに、江戸のお城を攻めるにはどうしたらいいか、どこからどう攻めれば落し易《やす》いとか、そういうことを例えに引いて話したのが悪かっただねえ、そればかりじゃねえ、諸国の地理のことも、裏から裏まで、ちゃんと頭の中にそらんじておいでなさるし、あの城には弓矢がどのくらいあって、鉄砲がどのくらいある、いざと言えば、何人の人が、いつどこへ集まる――ということまでちゃんと心得ておいでんさったのだから、将軍様も怖くなったのでごいしょう、こういう人物にもし勢《せい》がついて、誰か謀叛気《むほんぎ》のある大名でも後ろだてになった日には、由比の正雪の二の舞だ、というようなわけでごいしょう。人間も馬鹿じゃいけねえが、そうかといって、あんまりエラ過ぎると危ないでさあ。大弐様なんぞは人物があんまりエラ過ぎて、時勢の方が追いつき兼ねたです、つまり時勢よりも、人物の方がエラ過ぎたというわけで、とうとう首を斬られてしまいなさった。そのくらいだから、近年まで、誰もお墓に参詣するものなざあありゃしやせん、エライ人だということはわかっていても、うっかり参詣なんかしいしょうものなら、悪く睨まれてもつまりやせんからねえ――だが、時勢が、どうも、だんだん大弐様のおっしゃる通りになって行くようなあんばいで、近頃はああやって、徳大寺様のようなお身分の方までが、わざわざお墓詣りに来て下さる――この土地の村々でも、大弐様の書き残した本などを読むものが殖えてきましたよ」

         九十八

 神尾主膳は、根岸の控屋敷の居間で、顎《あご》をおさえながら、机によりかかって、二日酔いの面《かお》をうつらうつらとさせている。
 今日は、好きな字を書いてみる気もなく、例の筆のすさみの思い出日記の筆をとるのもものういと見えて、起きて面を洗ったばかりで、朝餉《あさげ》の膳にも向おうとしないで、こうしてぼんやりと、うつらうつらして机にもたれているところです。
 ぼんやりと、うつらうつらして、やや長いこと気抜けの体《てい》でありましたが、そのうちに、さっと二日酔いの面に、興奮の色がちらついたかと見ると、三つの眼が、くるくるっと炎のように舞い出してきました。
 神尾主膳には三つの眼があること――これは申すまでもなく、染井の化物屋敷にいた時分に、弁信法師のために授けられた刻印なのです。額の真中を、井戸のはね釣瓶《つるべ》で牡丹餅大《ぼたもちだい》にばっくりと食って取られたそのあとが、相当に癒着しているとはいえ、塗り隠すことも、埋め込むこともできない――親の産み成した両眼のほかに、縦に一つの眼が出来ている。
 これが出来て以来、人目にこの面をさらすことができない。いや、それ以前から人前では廃《すた》った面になって、これで内外共に、人外《にんがい》の極《きわ》めつきにされてしまった。
 この面を人に会わすことは避けているが、子供は正直だから言う、
「三《み》ツ目《め》錐《ぎり》の殿様」
 神尾主膳は興奮のうちにも、三ツ目錐を急所へキリキリと押揉むような、何かしらの痛快を感じたと見えて、額の三眼が、クルクルと炎のように舞い出したのです。
 こうなった時は、触るるものみな砕くよりほかはない。傍《かた》えにあればあるものを取って抑えて、むちゃくちゃにその興奮のるつぼ[#「るつぼ」に傍点]へ投げ込むよりほかはない。
 お絹という女がいれば、こういう興奮を、忽《たちま》ち取って抑えてぐんにゃりさせてしまう。三ツ目錐の炎を消すには、頽廃《たいはい》しかけたお絹という女の乳白色の手で抑えると、主膳はたあいもなく納まる。そうでなければ酒だ。傍えに酒があれば手当り次第にあおることによって、この興奮を転換させる。転換ということは解消ではない。一時、その興奮を酒に転換させて、方向だけをごまかしてみるだけのもので、酒をあおるほどに、興奮がやがて捲土重来《けんどじゅうらい》して、級数的にかさ[#「かさ」に傍点]にかかって来るのは眼に見えるようなもので、そこで例の兇暴無比なる酒乱というやつが暴れ出して来て、颱風以上の暴威を逞《たくま》しうする。
 今日は、この場にお絹がいない――酒がない。
 お絹は異人館へ泊り込んでいる。
 酒類は一切隠されている。使を走らせても、近いところの酒屋では融通が利《き》かないことになっている。主膳は立って荒々しく押入や戸棚をあけて見たけれども、この興奮に応ずる何ものもない。
 そこでまた、机の前に坐り直したけれども、どん底からこみ[#「こみ」に傍点]上げて来る本能力をどうすることもできない。三ツの眼が烈しい渇きを訴えて、乳を呑みたがる、真白い乳を呑みたがる。咽喉《のど》の方は咽喉の方で鳴り出して、酒を求めて怒号しているのに、眼は乳を呑みたがっている。
 当るを幸い――主膳は机の上の硯《すずり》をとって、発止《はっし》と唐紙《からかみ》へ向って投げつけました。硯の中には宿墨《しゅくぼく》がまだ残っていた――唐紙と、畳に、淋漓《りんり》として墨痕《ぼっこん》が飛ぶ。

         九十九

「いや、これは驚きやした、これはまことにおそれやす――屋鳴震動《やなりしんどう》」
と変な声を出して、いま神尾主膳が硯《すずり》を投げ飛ばしたその間から、抜からぬ面《かお》を突き出したのは、例によって、のだいこのような鐚助《びたすけ》(本名金助)という男で、こいつが今日はまた一段と気取って、縮緬《ちりめん》のしきせ羽織をゾロリと肩すべりに着込んで、神尾の居間へぬっぺりと面を突き出したものです。
「鐚助か」
「殿様、いったい何とあそばしたのでげす、我々共がちょっと目をはなしますてえと、これだからおそれやす」
「鐚助、いいところへ来た、今日は朝からむしゃくしゃしてたまらないところだ、面《つら》をだせ、もっとこっちへ面をだせ」
と神尾主膳が、やけに言いますと、金助改め鐚助が、
「この面でげすか、この面が御入用とあれば……」
「そうだ、そうだ、その面をもっと近く、ここへ出せ」
「いけやせん、もともと金公の面なんて面は、出し惜みをするような面じゃがあせんが、それだと申して、殿様のその御権幕の前へ出した日にゃたまりません」
「出さないか」
「出しませんよ、決して出しません、いい気になってつん出した途端を、ぽかり! 鐚助、貴様のは千枚張りだから、このくらい食わしても痛みは感じまい、どうだ、少しはこたえるか、なんぞと来た日にはたまりませんからな。こう見えても、面も身のうちでげす」
「どうだ、びた[#「びた」に傍点]助、今日は十両やるから、その面をひとつ、思いきりひっぱたかせてくれないか」
「せっかくだが、お断わり申してえ、これで、お絹さまあたりから、びた[#「びた」に傍点]公や、お前のその頬っぺたをちょっとお貸し、わたしにひとつぶたせておくれでないか、気がむしゃくしゃしてたまらないから、ひとつわたしにぶたせておくれ、てなことをおっしゃられると、ようがすとも、鐚公の面でお宜しかったら、幾つなとおぶちなさい、右が打ちようござんすか、それとも左がお恰好《かっこう》でげすかと、こうして持寄って、たあんとおぶたせ申しても悪くがあせんがねえ、殿様の腕っぷしでやられた日にはたまりませんや、これでも鐚助にとっては、かけがえのねえたった一つの親譲りの面なんでげすからなあ」
「ふん――ちゃち[#「ちゃち」に傍点]な面だなあ、陣幕や小野川の腕でぶたれたんなら知らぬこと、この尾羽《おば》打枯らした神尾の痩腕《やせうで》が、そんなにこたえるかい、一つぶたせりゃ十両になるんだ、この神尾の痩腕で……」
「どういたしまして、殿様のなんぞは、そりゃどちらかと申せばきゃしゃなお手なんでげすが、何に致せ、もとは鍛えたお手練でいらっしゃる、手練がおありなさるから、たまりませんや」
「は、は、は、わしはあんまり武芸の手練はないぞ、若い時、もう少し手練をして置いたらと思われるが、つい、酒と女の方に手練が廻り過ぎてしまった」
「いや、どういたしまして、何とおっしゃっても、お家柄でございます、殿様のお槍のお手筋などは、御幼少から抜群と、鐚助|夙《つと》に承っておりまするでげす」
 意外にも神尾は、こののだいこ[#「のだいこ」に傍点]から自分の武芸を推称されたので、少しあまずっぱい心持がしてきました。

         百

 なるほど、おれは旗本としては、やくざ旗本の標本みたようなものだ。武士としては、箸にも棒にもかからぬのらくら武士だ。
 だから、その点に於ては、微塵、人も許さず、自分も許してはいない。武術鍛錬のことなどが、おくびにも周囲の話題に上ったことはないのだが、只今、偶然にも、このおっちょこちょいの口から、武芸のことが飛び出して来た。
 それを主膳は小耳にひっかけて、奇妙な気になった途端から、昂奮が少しずつ醒《さ》めてきました。
 その気色が緩和された様子を見ると、人の鼻息を見ることに妙を得たびた[#「びた」に傍点]助は、するすると神尾の間近く進んで来ました。もう打たれる心配も、叩かれるおそれもないと見て取ったのでしょう。果して御機嫌の納まりかけた神尾は、対話になってから、自分ながら事珍しいように、びた[#「びた」に傍点]助に向ってこんなことを言いかけました――
「なるほど――びた[#「びた」に傍点]公、貴様に今おだてられて、おれは変な気になったのだがな」
「変な気などにおなりになってはいけやせん、その変な気になりなさるのが、殿様の玉に瑕《きず》なんでげす」
「変な気だといって、どんなに変なんだか貴様にわかるか」
「変な気は変な気でげすよ、変った気色《きしょく》でげすな、いわば正しからざる気分でげしょう、正は変ならず、変は正ならず、変は通ずるの道なり、君子の正道じゃあがあせん」
「くだらないことを言うな、今おれが言った変な気というのは、貴様にいま言われて、なるほどそうだと気がついたのは、おれの家も旗本では武芸鍛錬の家で、おれも子供の時分から相当武芸を仕込まれていたことだよ、ことに槍に於ては、手筋がよくて、師匠からも見込まれたものなんだ、それを貴様、どこで聞いて来た」
「でげしたか。さような真剣な御質問でげすと、鐚助も恐縮――どこで聞いたとおたずねになりましても、よそほかから伺うところもございません、お絹様から伺いやした」
「そうか、あの女は、おれの子供時分からのことを知っている、知らないにしても、人から聞いているだろう」
「まずその如くでげす、大殿様が、あれでなかなか武芸のお仕込みはやかましくていらっしゃったものでげすから、幼少の折より若様へは、みっちり武芸をお仕込みの思召《おぼしめ》しで、ずいぶん厳しかったものなんだそうでございます」
「その通りだ、子供の時分から、いい師匠についてやらせられたのだ、だが、仕込まれた武芸の稽古より、仕込まれない外道《げどう》の稽古の方が面白くなってしまったのが、この身の破滅だよ」
「につきまして、憎いのは、あのお絹様て御しんぞ[#「しんぞ」に傍点]なんでげす」
「どうして」
「憎いじゃがあせんか、肉を食っても足りねえというのが、あの御しんぞ[#「しんぞ」に傍点]なんでげす、憎い女でげす」
「どうして、お絹がそんなに憎い」
「先殿様に、それほど御寵愛《ごちょうあい》を受けておりながら、その若様を、そんなにまで破滅に導いた、その有力な指導者は、つまり、あのお絹様じゃあがあせんか」
「いや、そういうわけでもないよ、あいつだけが悪いのじゃない――」
と言ったが、神尾主膳はここでまた、むらむらと浮かぬ気になりました。
「鐚《びた》!」
 本名の金助を、神尾は「金」では分に過ぎるからと言って、鐚と呼んでいる。そう呼ばれて、こいつがまた納まっている――

         百一

 いったん緩和しかけた神尾主膳の癇癪《かんしゃく》が、その時にまたむらむらっときざ[#「きざ」に傍点]して来たのは、お絹という名を呼ばれたその瞬間からはじまったらしいのです。
 そんなことにお気のつかない金公は、いい気になって、
「全く以てあのマダム・シルクときた日には、いつ、どこへお年をお取りなさるんだかわかりません、たまらないものでげす、ぶち殺してやりたいようなもんでげす」
と、ベラベラ附け加えてしゃべってしまったので、神尾の三つの目がまたも炎を出しながら、クルクルと廻転しました。
「びた[#「びた」に傍点]公!」
と言った神尾の権幕の変っているのに思わずゾッとした鐚助は、それでも、これは食べつけている例の病気だなと、甘く見ることをも心得ているものですから、さあらぬ体《てい》で、それをあやなすつもりで、
「何事でげすかな」
「あの絹という女は、ありゃ、今では真実ラシャメンになりきっているのか」
「いや、これはこれは、事改まって異様なるおんのうせ」
 扇子でピタリと自分の頭を叩いて言いました。
「お絹様――ペロに翻訳をいたしましてマダム・シルク――あの方が、真実正銘のラシャメンになりきったかとの御尋ね、これはほかならぬお殿様のおんのうせとしては甚《はなは》だ水臭い」
「野《の》だわ言《ごと》を申さず、はっきりと白状しろ、あの女は、このごろは異人館へ入りびたりだ、ちっともここへは落ちつかない」
「そりゃそのはずでございます――お絹様は遠大なる目的を以て、異人館に乗込んでいらっしゃる、その遠大なる目的の、遠大なる所以《ゆえん》に至っては、どなたよりも、こちらの殿様が御承知のはずでいらっしゃる、それをいまさら改まって、お絹はラシャメンになりきったのか、キシメンにのしきったのかというようなお尋ねは、いささか水臭いおたずねじゃないかと、びた[#「びた」に傍点]は心得ます」
「うむ――それはそんなものかも知れないがな」
と神尾は、強《し》いて癇癪をおしこらえるように、言葉を胸の中へ一ぺん送り返して、また言いました、
「そりゃ、そんなものかも知れないが、世間には木乃伊《ミイラ》取りの木乃伊というのがある」
「これはまた我々共を御信用ないこと夥《おびただ》しい、いささかな邪推、中傷……マダム・シルクに限って――それに参謀として目から鼻へ抜けるボーイの忠作君、また物の数ならねどかく申す鐚助」
「そいつらがみんな甘いものだ、なめたつもりで総なめに舐《な》められるなよ、毛唐《けとう》の方が役者が上だ、毛唐とはいえ、あいつらは海山を越えて、嫌われ抜いているこの国へやって来て仕事をしようという奴等だ、貴様たちの手に乗るような甘口ばかりじゃない、日本の国を覘《ねら》って来る奴等だ、貴様たちの一人や二人丸呑みにするのは、蛇が蚊を呑んだようなものだ。それを思うと、あの女をはじめ貴様たちをあいつらに近づけたのは、こっちの大きなぬかり[#「ぬかり」に傍点]だ、うっかり甘口に乗った神尾主膳ののろさ加減を、今つくづく考えていたところだ。毛唐を舐めてもの[#「もの」に傍点]にしてやろうと企んでいる奴等が、舐められている、貴様も舐められている、お絹なんぞは、頭から尻尾《しっぽ》まで舐められている――」
 こう言って、神尾主膳の三つの眼が勢いを加えて、また乱舞をはじめました。

         百二

「それが、いけやせん」
と鐚は扇子を斜《しゃ》に構え、
「すべて、敵をはかるは味方より、というのが軍法の極意でげして、従って敵を舐めんとすれば、まず味方を舐めさせて、甘いところをたっぷりと振舞って置くのが寸法でげす。いかにも仰せの通り、海山を越えて、この尊王攘夷《そんのうじょうい》の真只中へ乗込もうて代物《しろもの》でげすから、たとえ眼の色、毛の色が変りましょうとも、一筋縄の奴等じゃあがあせん、うっかりしていた日には、日本の国の甘い汁という汁はみんな吸われて持って行かれちゃいやす。現に近代に於ても、性《しょう》のいいところの日本の国の金銀を、どのくらいあの奴等に持って行かれたか、数えられたものじゃあがあせん――どうして、船にいたせ、機械にいたせ、あちらとこちらとでは段が違いやして、太刀打《たちう》ちができる相手じゃあがあせん。現に相州の生麦村《なまむぎむら》に於て、薩摩っぽうが無礼者! てんで、毛唐を二人か二人半斬ったはよろしいが、その代りに、みすみす四十四万両てえ血の出るような大金を、異国へ罰金として納め込まにゃなりやせん。長州の菜っぱ隊が、下関で毛唐の船とうち合いをして、日本の胆ッ玉を見せたなんぞとおっしゃりますが、その尻はどこへ廻って参りましょう、みんな徳川の政府が、このせち辛い政治向のお台所から、血の出るような罰金として、毛唐めに納めなきゃあならない次第でげす――そこへ行きますてえと、何といってもエライのは日本の絹と、ラシャメンでげすよ、日本の絹糸はどしどし毛唐に売りつけて、こっちへ逆にお金を吸い取って来る、それからラシャメンでげす、ラシャメンというと品が下って汚いような名でげすが、名を捨てて実を取る、というのがあの軍法でげしてな」
 金公は抜からぬ面《かお》で、いつもの持論をまくし立てる。
 今の日本人は、毛唐に対して、威張れば威張るほど損をする。威張っている上流の人間ほど、毛唐から借金をしたがったり、毛唐に罰金を取られたがっている。
 それに反して、日本の絹糸を売り込みさえすれば、毛唐は喜んで高金を出して買って行く。それがために、どのくらい日本へ金が落ちるか知れない。
 それと、もう一つは、この鐚助独特のラシャメン立国論で――こいつが臆面なく喋《しゃべ》り立てるラシャメン立国論というのは、つまり次のような論法である。
 露をだに厭《いと》ふ大和の女郎花《おみなへし》降るあめりかに袖は濡らさじ――なんてのは、ありゃ、のぼせ者が作った小説でげす。
 拙《せつ》が神奈川の神風楼《しんぷうろう》について実地に調べてみたところによると、その跡かたは空《くう》をつかむ如し、あれは何かためにするところのある奴がこしらえた小説でげす。
 事実は大和の女郎花の中にも、袖を濡らしたがっている奴がうんとある。毛唐の奴めも、女にかけては全く甘いもんで、たった一晩にしてからが、洋銀三枚がとこは出す。月ぎめということになるてえと、十両は安いところ、玉によっては二十両ぐらいはサラサラと出す。そこで、仮りに日本の娘が一万人だけラシャメンになったと積ってごろうじろ、月二十両ずつ稼《かせ》いで一年二百四十両の一万人として、年分二百四十万両というものが日本の国へ転がりこむ。これがお前さん、資本《もとで》要らずでげすから大したもんでげさあ。というような論法が、こいつのラシャメン立国論になっている。

         百三

「ねえ――殿様、さいぜんも槍のお話が出ましたことでげすが、昔はそれ、槍一本で一国一城の主ともなりました、お旗本の御先祖様なんぞは大方はそれでげす。ところが、当今になりましては、もはや槍一本で一国一城の主というような夢は、歴史が許しませんでげしてな」
 鐚《びた》公は、しゃあしゃあとして、高慢面に喋りつづける。
「その一国一城てのが、当今はみんな心細いものでしてな、お台所をうかがいますてえと、大大名といえども内実は、みんな大町人に頭が上らないんでげすからな、借金だらけでげすよ、勤王方も佐幕方も、台所方は似たりよったりでげす、表はお家柄の格式で威張っていても、蔭へ廻ると、大町人のお金の光にはかないません、みじめなもんでげすよ――将来は金でげすな、もう槍先の功名《こうみょう》の時代じゃあがあせん」
 そこで大きく金を儲《もう》けるためには、どうしても、いやな毛唐と取組まなければならない。毛唐と取組むには、女に限る――
 要するに一つの軍法だ。
 それともう一つ、いま築地の異人館へボーイに住込ませて置く忠作という小僧が、あれがまたなかなかのちゃっかり者で、ボーイに身をやつして、毛唐の趣味趣向から、その長所弱点をことごとく研究中である。そこで、マダム・シルクを先鋒として、忠作を中堅に、我々が後援で、異人館を濡手で乗取ってしまうのも間近いうち――まずそれまでは、しばしの御辛抱――というようなことを、鐚助が口に任せてベラベラとまくし立てるのは例の通りで、神尾といえども、こいつらの軽口にそのまま乗ってしまうほどの男ではないが、そういう話を聞かされるうちに、またまた癇癪《かんしゃく》が多少緩和されてきて、頭の中は雨時のように、曇ったり晴れたりするが、そのむしゃくしゃの原因がきれいに拭い去られたわけではない。
「鐚公、貴様の能書と講釈ばかりを、いい気になって聴いているおれではない――おれにはおれで野心があるのだ、いいか、今日はひとつ、いやが応でもそれを切出すから、貴様ひとつ手配をしてみろよ」
「もとより、殿の御馬前に討死を覚悟の鐚助めにござります」
「ほかではない、今時はラシャメンが流行《はや》る、なるほど、貴様の言う通り、ラシャメンで国を富ます方法もあるかも知れない、そんなことがいいの悪いのと、貴様を相手に討論するおれではない、ラシャメンをするような腐れ女に、金を出したい毛唐は出せ、ラシャメンになってまで金が欲しい女はなれ、おりゃ、かれこれと子《し》のたまわく[#「のたまわく」に傍点]は言わねえ――だが、毛唐めが日本の女を弄《もてあそ》んでみたいのも人情というやつなら、日本の男も毛唐の女をおもちゃにしてみてえというのも人情だろう――おれは万事、むしゃくしゃする胸の中を、相身互いとして納めてみたいんだ。いいか、おれも今まで、遊びという遊びはおおかたやったよ、人間のする道楽という道楽も、一通りや二通りはやってやり尽したが、まだ毛唐の女を相手にしてみたことはないんだ。いいかい、お絹という女は、おれの見る前で、いい気で毛唐をおもちゃにしていやがる、おれも、毛唐の女と遊んでみたいというのは無理かい。貴様ひとつ取持て――」
「えッ?」
「誰彼といおうより、築地の異人館のあの支配人てえやつの女房を、おれに取持て」
「えッ?」

         百四

「えッ」と金公は、主膳の一文句ごとに仰山らしくクギリをつける。神尾は物凄い顔をしてつづける。
「日本へ来ている毛唐の奴は、見ゆる限りの日本の女を択り取りだ、こっちの人間は毛唐の女に対してそうはいかぬ、相手にしたくとも、こっちへ来ている毛唐の女の数は知れている、択り好みするわけにはいかねえのだから、見たとこ勝負だ、一昨日《おととい》異人館で見た、あの支配人のかかあ[#「かかあ」に傍点]というのがよろしい、いいも悪いもない、あれに決めた、貴様、あの毛唐の女房とひとつ、水入らずで一杯飲めるように取持ちをしろ」
「これは奇抜でげす、ズバ抜けた御註文でげす、さすがの鐚《びた》公、すっかり毒気を抜かれやしてげす」
「どうだ、いやとは言えまい、こっちからお為ごかしにお絹を連れ出して、異人館へハメ込んで置くのを大目に見てやっている以上は、あっちから相当の奴を、こっちへ廻させる、それが交易《こうえき》というものだ――交易の講釈は貴様がお師匠で、飽きるほど聞かされている、いやとは言えまい」
「いやどうも、敵すべからずでげす、何とあいさつを致していいか、鐚助、このところ返答に窮す」
「窮することはない」
「弱りましたな」
「弱ることはない」
「とにかく――その、殿様、殿様のおっしゃるところにも、そりゃ一理あるにはありますが、どうもはや……とにかく、女房はいけませんよ、主ある女はいけません、何でしたら、そのうちいいのを物色いたしまして、殿様のお望みを叶えることに致しやしょう、そう短兵急におっしゃられては困ります」
「逃げ口上は許さぬ、おれがいったん口に出した以上は、横にでも、縦にでも、車を押切るのだ」
「でも、人の女房はいけません、主ある女はいけません――ほかに」
「なぜ、いけない」
「なぜとおっしゃりましても、売り物買い物なら、それは差支えございません、素人《しろうと》でございましても、色の恋のというまでもなく、得心ずくでしたら、そりゃ横恋慕《よこれんぼ》もかなうことがございましょう、毛唐とはいえ、れっきとした商館の女房を取持て――こりゃ御無理でござんしょう」
「無理でない」
「無理でないとおっしゃるのが、無理の証拠でござんしょう」
「無理でない――なるほど、こっちの倫理道徳から言えば無理かも知れないが、毛唐の奴には無理でない」
「毛唐と申しましても、人間の道に二つはございますまい」
「ある、二つも三つもある、毛唐は即ち外道《げどう》なんだ、聞け、鐚公、こっちでは、娘のうちももとより、女の貞操というものを重んずるが、女房になってからは絶対的だ、娘のうちは多少ふしだらをしても、どうやら女房に納まった後は不義をしない、また売女遊女の上りでも、人の女房となれば、日本の女は貞操を守るというのが習わしだ、ところが、毛唐の女は違う、娘のうちは存外品行が正しいが、女房になってからかえって貞操を解放する習わしだと聞いている、もちろん、みんながみんなそうではあるまいが、毛唐の方では、比較的自由であると聞いている、だから、人の女房でも、存外たやすくもの[#「もの」に傍点]になると聞いている――おれが知っているそのくらいの風俗を、貴様が知らないはずはあるまい、どうだ、真剣に返事をしろ」
 主膳の三ツ眼が青い炎を吹いている。

         百五

 金助改めびた[#「びた」に傍点]助は、こういう場合に、主膳の意に逆らうような文句を以て応酬することの、かえって火に油を注ぐようなものであることだけはよく知っている。
 そこで、忽《たちま》ちに論法を一変してしまって、ことごとく神尾の言い分に同じてしまいました。そうして、毛唐なんていうものは、要するに獣の部類に属するもので、お体裁ばかりは作っているが、その実、人倫なんぞは蹂躙《じゅうりん》してかまわない、その証拠としては、衣冠束帯などの儀式を知っているものは一人もなく、男はみんな仕事師同様の筒っぽを着ている。
 女は鳥の毛や毛皮を好んで着たがるが、それは今いうところのお体裁ばかりだから、室内にいる時は裸になりたがる。ごらんなさい、毛唐の女の絵といえば、八分通りはみんな裸でげすからな。裸になれと言えば、どんな高尚な奥様でも裸になるばかりか、その裸姿を絵に描きたいからと言えば、どんな高尚な奥様でも二つ返事で、その裸を描かせてくれる。そればかりじゃがあせん、その裸の姿を、大勢の見るところの書画会かなにかへ持って来てさらしものにすると、どんな高尚な奥様でも、御当人嬉しがること、嬉しがること。
 そこへ行くと日本の国の女なんぞは、肌を人に見られると舌を噛《か》んで死んでしまう。たいした違いでげす。日本の女は肌をさらしものにされることを恥辱と心得ているが、あちらの方は、素裸を社会公衆の前にさらしものにして、それが御自慢なんでげす。つまり、人間のこしらえた衣裳なんぞを引っかけたのでは天真の美を損ずる――わが女房の一糸もかけぬ肉体をごろうじろ、この通り天の成せる艶麗なる美貌――テナわけでがあしてな。
 でげすから、なあに、商館の番頭の女房といえども、支配人の細君といえども、話の持ちかけようによっては、どうにかならない限りはがんすまい。びた[#「びた」に傍点]一代の知恵を搾《しぼ》って、腕により[#「より」に傍点]をかけてごらんに入れますから、少々お気を長くお待ち下さい。そもそも兼好《けんこう》ほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直《こうのむさしのかみもろなお》が塩谷《えんや》の妻でしくじったのも、短気から――すべて色事には短気がいちばんの損気。
 というようなおべんちゃらを、びた[#「びた」に傍点]助が繰返して、またともかくも神尾主膳を一応まるめ込んでしまいました。
 さて、それからようやく、金助改めびた[#「びた」に傍点]公が、今日ここへ神尾をそそのかしに来た来意のほどを申し出る段取りになりましたが、その問答は、
「時に、今日は例の悪食《あくじき》の御報告を兼ねて推参、ぜっぴおともが仰せつけられたい――ところは三輪《みのわ》町の金座――時間は正七ツ――」
ということの誘いでした。
「行こう」
 神尾が一議に及ばず賛成したものですから、
「有難え――」
と仰山《ぎょうさん》らしく、びた[#「びた」に傍点]助が自分の頭を叩いて、そうして、駕籠《かご》を、乗物をというのを断わって、神尾が、
「三輪までは一足だ、ブラブラ歩こうではないか」
「結構でげす、金座へ向けてブラブラ歩き、これが当時はやりの金ブラでげす」
 神尾主膳は、縮緬《ちりめん》の頭巾を被《かぶ》って三ツ眼の一つにすだれをおろして、一刀を提げて立ち上ると、びた[#「びた」に傍点]はころころしながらその後について、外へ出かけたのですが、その目的地は今もびた[#「びた」に傍点]公が言った通り、三輪町の金座――というところであり、その目的は悪食――にある。けだし、相当のものであろうと思われる。

         百六

 金助改めびた[#「びた」に傍点]公が、神尾主膳をそそのかして外へ引っぱり出しました。びた[#「びた」に傍点]公がそそのかした建前《たてまえ》を聞いてみると、今日の正七ツ時――悪食の会、ところは三輪の金座――というところになっていて、神尾もそれを先刻御承知のもののように、一議に及ばず出動ということになったのだが、悪食の会は悪食の会でよろしいとして、三輪の金座とはどこだ。
 金座といえば、一昨年焼ける前まで、日本橋の金吹《かねふき》町に在《あ》ったはずだが、それが、三輪方面へ移転したという話は聞かない。では、銀座の間違いではないか。銀ブラ――道庵先生でさえハイキングをやる世の中だから、この両デカダンが銀ブラを企てることもありそうなことではあるが、当時にあっても銀座といえば、やっぱり京橋から二丁目あたりの地名ではあるが、電車も、バスも、円タクもない時代に、根岸からではブラブラの区域にならない。
 果してこの二人は、江戸の中心地を目指して進んで行くのではなく、根岸から東北へそれて行くのは、当然、びた[#「びた」に傍点]が先刻言明した通りの、三輪あたりを志すものに相違ない。根岸から三輪ならば、相当のブラブラ区域です。
 神尾主膳も一議に及ばず、びた[#「びた」に傍点]の勧誘に応じて出動したくらいですから、最初のほどはかなり気をよくして、ブラブラ歩き出したものですが、そのうちに、またも気色《きしょく》を悪くしてしまいました。
 それは、あの辺には、寺と、広い武家屋敷とのほかに、百姓地が多くある。それからまた、千住《せんじゅ》から三輪街道のあたりは、かなりの百姓街道になっている。
 もとより、往来するものは百姓だけではないが、あいにく、この日に限ったことではないが、近在の百姓連が多く、それも、神尾の姿を見て、多少の畏憚《おそれ》を以て行き違うものもあるが、どうかすると、あぶなく突き当りかけて、かえってこっちの間抜けを罵《ののし》り顔に過ぎて行くものもある。
 その百姓を見る時に、神尾の気色がまた悪くなりました。
 神尾は生れながら、百姓というものは人間でない――ものの如く感じている。
 それは、当然、階級制度の教えるところの優越性も原因することには相違ないが、それほど神尾というものが、百姓を、忌み、嫌い、呪うというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
 それは、神尾の先祖が、百姓を搾《しぼ》ろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩費の尻を知行所の百姓に拭わせようとしたために、百姓|一揆《いっき》を起されて、家を危うくしたことがある。
 体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目は辛《かろ》うじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
 その歴史が今も神尾を憤らせている。百姓というやつは、厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている、最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を抑えて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、その歴史から来ている。

         百七

 この点に於て、神尾主膳は徳川家康の農民政策を支持している。
「権現様の収納の致し様」といって、百姓は生かしもせず、殺しもせざるようにして搾《しぼ》れ、ということが、すなわち徳川家康の農民政策であったと、今日まで伝えられているのだ。
 毎年の秋、幕府直轄の「天領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前に呼びつけて、郷村の百姓共をば、
「死なぬように、生きぬようにと合点《がてん》いたし、収納申付くべし」
と申しつけたということである。
 その伝統を承って、これは家康の落胤《らくいん》だといわれた土井大炊頭《どいおおいのかみ》の如きは、ある年、その居城、下総の古河に帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって、
「百姓、生き過ぎはしないか」
と、部下の役人に詰問的の問いをかけたということになっている。
 その当時の一村の名主の家には、必ず水牢、木馬の類が備えてあったのだ。百姓共が年貢を滞納する時は、水牢に入れ、木馬に乗せて、これを苦しめたものだ。
 それだけを聞いていると、いかにも農民に対して、血も涙もない遣《や》り方のように聞える。徳川家は、農民を見ること牛馬以下であって、農民にとって徳川家は仇敵《きゅうてき》ででもあるかのように聞えるが――事実、天下を政治するものが、好んで農民を苦しめたがる奴があるものか、苦しめるには苦しめるだけの理由があるからだ、苦しめられる方は、苦しめられるだけの因縁があるからなのだ。
 いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して、日本を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧《こうこ》の憂《うれ》いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の兵站《へいたん》を補充しなければならない。万一、百姓を強くして、これに反抗の気を蓄えしめた暁には、強い戦争ができるはずはない。そこで百姓を骨抜きにしておかなければ、軍隊を強くして、天下を平定することはできないのだ。だによって、家康が百姓をおさえたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんがためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華をしたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ。現に百姓共が、安穏《あんのん》に百姓をしていられるのも、この徳川の武力あればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は稼《かせ》ぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
 だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆《いっき》を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる輩《やから》が多いから、百姓がいよいよ増長する。そもそも、百姓をかく増長せしめた近来での大親玉は、水戸の光圀《みつくに》だ――

         百八

 神尾主膳の頭の中にまたしても、真黒い雲がうず巻いて来ました。
 そもそも、この徳川の宗家にとって害物であるところのものは、水戸以上のものはない。
 水戸は徳川の一家でありながら、最初から徳川の根を枯らすことばかりやっている。そうして大向うからは人気を取っている。
 神尾主膳が水戸を毛嫌いをしていることは、今に始まったことではないのです。
 何か機会があると、まず光圀を槍玉に挙げる。あの光圀を天下の名君の如く騒ぐ奴の気が知れない。あれは謀叛人《むほんにん》だ、徳川にとって獅子身中の虫なのだ。あれは最初から宗家に平らかならざることがあって、池田光政あたりと通謀して、天下を乗取ろうとした腹黒い奴である。大日本史を編んだり、楠公《なんこう》の碑をたてたり、また、いやに農民におべっかをつかって、下に親しむように見せかけるのが水戸の家風だ。その実、家中は党を立てて血で血を洗っている。あの斉昭《なりあき》の行状を見るがいい、烈公が何だ――その血筋を引く一橋が本丸に乗込んだ。思い通り天下を乗取って水戸万歳のようなものだが、いまに見ていろ、徳川を売るのは水戸だ――
 神尾は、やみくもにこういうふうに邪推して、水戸を憎がっている。しかし、この男としては公然とそれを唱えて、同志を作って、その売られんとする宗家のために戦うというような気概があるわけではない。ただ、むしゃくしゃと、そう感憤激昂して、水戸を毛嫌いしている――
 こういうむしゃくしゃ腹で、薬王寺前あたりへ来た時に、どんと無遠慮に神尾の前半にぶつかったものがありました。
 それは、わざとぶつかったものではない、脇見をしながら歩いていたのが、はからず神尾にぶつかってしまったので、それがちょうど、百姓を呪い、水戸を憎んで、悪気が全身に充満していた神尾のことですから、たまりませんでした。
「無礼者! 貴様は水戸の百姓か」
 勃然として神尾主膳は脇差を抜いてしまったのです。抜いてただ威《おど》すだけならまだしも、百姓を呪い、水戸を憎む一念が、つい知らず、その抜いた脇差の切先まで感電してしまったので、
「人殺し!」
 ぶっつかった人間は、怖ろしい絶叫をしながら、もと来た方向、つまり千住大橋の方へ向って無二無三に逃げ出したのです。
「そうれ、人殺しだ!」
 白昼、四宿《ししゅく》の中の往還のことですからたまりません。
 殺気がみるみるその街道に充溢して、忽《たちま》ち往来止めの有様でした。
 主膳は眼を吊《つる》し上げて、脇差の抜身を持っている。その地面にはたしかに血の滴《したた》りがあり、脇差の切先にも血がついている。道行く人は逆転横倒する。
「無礼者! 貴様は水戸の百姓か」
 今日は酒乱とは言えない昂奮ですが、昂奮の程度が、もはや酒乱以上に達している。
 再び脇差を振りかぶった神尾主膳は、そのまま群集の中に殺到しました。
 それは、当るを幸いに斬るつもりはなかったのでしょう。自分ながら、思わぬ昂奮からやや醒《さ》めてみると、あたりの光景がもう許さないものになっている。理不尽《りふじん》に人を斬った狼藉《ろうぜき》武士――袋叩きにしろ、やっつけてしまえ、という空気がわき立っている。

         百九

 その時に、目の色を変えた鐚《びた》が、周章《あわ》てふためいて神尾主膳にとりつき、
「殿様、な、なんとあそばします」
 それを突き放した神尾主膳が、
「逃げろ! 鐚」
と言って、一ふりその脇差を振り廻したところが、それがほんの糸を引いたほど、鐚の頬をかすったものですから、真甲から断ち割られでもしたもののように、鐚が後ろへひっくり返ると共に、頬を抑えて起き上り、脱兎の如く逃げ出しました。
 群集の中へ殺入した神尾主膳の姿も、いつしか見えなくなって、町の巷《ちまた》が恐ろしい空気の動揺を残しているだけです。
「斬った!」
「斬られた!」
と、千住三輪街道は、往《ゆ》くさ来るさの人が眼の色を変えて騒ぐけれども、斬った当人の姿はいつしか見えず、斬られた本人は、どこへどう逃げたか行方知れず、斬った当人は相当身分のありそうな姿をしていたが、それも一目散に逃げてしまって行方がわからない。
 これによって見ると、神尾主膳は一旦むらむらとして、例の病気から、前後を忘れて脇差を抜いて、通りがかりの者をひとたち斬ったには相違ないが、血を見た瞬間に自分も醒めたものらしい。酒乱の時は知らぬこと、今日は乱れるほど酒を飲んでいない。むかっとやっつけたが、血を見た瞬間、これはやり過ぎた! と覚ったものと見える。そうして自分は群集の中へ殺到するように見せて、実はその中を突抜けて、早くも身を隠してしまったのだ。その行きがけに鐚をも振り飛ばして、何でもかまわず早く逃げろと言った。
 この要領で、加害者側の二人は姿を消してしまったのだが、気の知れないのは斬られた方の被害者です。
 理不尽に斬りつけられたのだから、驚くのは当然であり、驚いて一時は前後不覚に逃げ出すのも当然であるが、それも程度問題で、後顧の憂えがなくなってしまいさえすれば、改めて訴えて出るか、身辺の人に、その危急を物語るとか、そうでなければお医者へ駈込むとか、担《かつ》ぎ込まれるとか、何とかしなければならないのに、こいつがまた全く行方不明でありました。
 だから、この騒動は、動揺だけはずいぶん烈しく、いまだに附近の人心は恟々《きょうきょう》としているのですが――当事者は、加害被害ともに跡かたもなくなっている。騒動は騒動だが、狐につままれたようになっている。
「斬ったのは、身分ありげな侍だ」
「斬られたのは、水戸の百姓だ」
「斬ったやつには、お供が一人ついていた」
「そいつはたぬき[#「たぬき」に傍点]のような奴だった」
「斬ったおさむらいは、旗本のおしのびらしい」
「斬られたのは、水戸の百姓」
 どちらも根拠のある説ではないが、斬られた方を、水戸の百姓ときめてしまったのがおかしい。
 かくて、神尾の行方はわからないが、鐚は鐚であれから一目散に、横っ飛びに飛んだけれども、本来、転んでも只は起きないふうに出来ている男だから、横っ飛びにも一定の軌道があって、まもなく同じ三輪の町の、とある非常に大きな構えの門内へ飛び込むと、雪駄《せった》を片足だけ玄関の上に穿《は》き込んで、
「た、た、たいへんでござります」
と言って、頬っぺたを抑えたままその玄関に倒れると共に、息が絶えてしまったのはかわいそうです。

         百十

 鐚が飛び込んで玄関に倒れた屋敷の中の広間では、十名ばかりが集まって、大きなしがみ火鉢を中にして、いろいろと話をしていました。
「三《み》ツ目《め》錐《ぎり》は、今日は大へん遅いじゃないか」
と、その中の一人が言いました、三ツ目錐といえば、むろん神尾主膳のことでしょう。してみると、神尾は、たしかにこの家を目的に出かけてきたものに相違ない。
「鐚《びた》が――そそのかしに行ったはずだ」
と同人の一人がまた言いました。鐚というのは即ち金助のことに相違ない。してみると、神尾が今日この席へ来ることも、神尾を誘惑に鐚を遣《つか》わしたことも、これらの連中の差金《さしがね》であるか、そうでなければ、いずれも同腹と見なければならぬ。さればこそ、鐚の奴も、命からがらああして逃げては来たが、やっぱり本性は違《たが》わずに、落着くべきところへ落着いたのだ。
「それにしても遅いな」
「遅いよ――鐚に申し含めてあるのだから、抜かりはないはずなんだが」
「正七ツ、三輪《みのわ》の金座――それは間違いないな」
「金座違いで、本町の方へでも出かけやしないか」
「そんなはずはない、鐚がよく心得ている」
「あんまり遅い」
「根岸からだから、ホンの一足だ、拙者は青山から来ている」
「拙者は割下水《わりげすい》――」
 彼等は、ひたすら神尾と鐚とを待兼ねている。それがこの問答でもよくわかる。
 してまた、問題の三輪の金座というのも、この問答によって、ほぼわかりかけている。現に道楽者が集まって、神尾の来ることを待ちわびているこの屋敷が、即ちいわゆる三輪の金座なのだ。
 なぜ三輪の金座なのか。なるほど、そう言われればそうだ。ここは金座頭の谷八右衛門の屋敷だ。主人は上方《かみがた》へ出張して目下不在中である。その留守宅へ、これらの連中は江戸の東西南北を遠しとせずして、定刻にほぼ集まっている。
 その集会の目的が「悪食《あくじき》」であることは勿論《もちろん》である――悪食というのは、イカモノ食いにもっと毛を生やしたもので、食えないものを食う会である。つまり、食えるものは食い尽した者共の催しであるから、集まって来た者の人格のほども、ほぼ想像がつくのであって、神尾に幾分割引をした程度の者か、或いはそれに※[#「しんにゅう」、第3水準1-92-51]《しんにゅう》をかけた程度のものが集まっていると見れば差支えないが、さりとて、相当堅気のものも好奇《ものずき》で寄って来ている。
 悪食には、品質を主とするものと、趣向を先とするものがあって、品質を主とするものには、蜥蜴《とかげ》の腸だの、蛇の肝だの、鰐《わに》の舌ベロだのといって、求めても容易に得られざる悪食を持寄って、そのあくどい程度に於て優劣がある。趣向を主とするものには、材料そのものは、あえて珍奇であることを必要としない、その材料の取扱い方によって、悪食の気分を豊富にする。
 今日の会は、その後者を撰んだのでありました。すなわち材料そのものは、つとめて通常の材料をとり、これをできるだけ嘔吐《おうと》を催し、嫌悪《けんお》を起させる悪食に変化して食わせることに腕を見せる――というのが、今日の趣向であったのです。
 そこで、みな相当に腕によりをかけて、その趣向を充たさせて、今か今かと待構えているうちに、会員の一名、神尾が来ない。それを待侘《まちわ》びているうちに、玄関のけたたましい叫び――人間が一人ころがり込んで、息が絶えてしまったのです。

         百十一

 そこで、悪食連も驚いて出て見ると、玄関に転げ込んで、かわいそうに息が絶えているのは、今も今、問題にしていた鐚でした。
「鐚だ」
「鐚が気絶している」
「水を吹きかけろ」
「鐚――鐚やあーい」
 呼び続けると、直ちによみがえりました。
「鐚――気がついたか」
「鐚――しっかりしろ」
「鐚――」
 広間へ担《かつ》ぎ込んで、そうして事情を聞いてみると前段の始末です。
 それ! と集まった悪食連のうちから、逸《はや》り男《お》が飛び出してみたけれども、もう後の祭りで、町の巷《ちまた》の動揺もすっかり静まり返っていたところですから、手持無沙汰で帰っては来たが、このままでは済まされない。鐚は鐚で休息させて置いて、一手は神尾の行方を突きとめにかかりました。
 しかし、それも大っぴらにしてはかえっていけない。神尾のやり方が穏かでないにきまっているから、騒いだ日には藪蛇《やぶへび》になるばかりか、自分たちもとばっちり[#「とばっちり」に傍点]を蒙《こうむ》るにきまっている。内々で手分けをして探してみたけれど、根岸の宅へも戻っていない、さりとてとり押えられたという気配もない。杳《よう》として消息が知れないから、まあもう少し落着いてゆるゆる探してやろう。本心に立ちかえりさえすれば神尾のことだから、相当要領よく遁《のが》れて、余炎《ほとぼり》を抜くまでどこぞに忍ばせているだろう。
 そこで、悪食連も、いいかげんで探索を打切って、それから一方へ鐚を寝かして置いて、一室に集まったが、これで正七ツも過ぎてしまい、せっかくの趣向の悪食も、その日はそれでお流れです。
 悪食はお流れとしても、こう面を合わせてみると、それからそれと余談に花が咲いて、思わぬところへ話の興が飛びます。
 本来、これは悪食の会ではありますけれども、悪人の会ではないのです。それは会員に神尾及び神尾もどきのもあるにはあるが、人間は決して悪くはない。ただ悪食《あくじき》そのものだけに、多少の好奇を感じて誘惑されて来た人もあるのですから、なかなか耳を傾けるに足る言説も出て来るのです。
 そのうちに、一つの話題の中心となったのは、当時けしからぬのは芝の三田四国町の薩摩屋敷だということです。
 あれは、白昼、天下の膝元へ大江山が出来たようなものだ。たかの知れた浮浪人どもの仕業《しわざ》と見ているうちに、昨今いよいよ増長して、断然目に余る。
 大江山に棲《す》む鬼共が、帝京の地に出没して物を掠《かす》め、女をさらって行ったように、彼等は三田の薩摩屋敷を巣窟として、白昼、お膝元荒しをやっている。
 その奇怪の亡状――上野の山内にまで及んでいるということだ、もはや堪忍《かんにん》が成り難い、当然、目に物見せてやらなければならぬ、近いうち――
 こういう問題になると、悪食連の中に、おのずから真剣味が湧いて来ました。これらの連中は、大小高下にかかわらず、いずれも直参《じきさん》という気性は持っている。慷慨義憤の士というわけではないが、宗家が辱しめられるということになると、決していい気持はしない。剣を撫《ぶ》して起つような気概もありました。

         百十二

 神尾主膳は、百姓を斬って異常なる昂奮から醒《さ》めた瞬間には、どう考えても、自分の行動が無茶であったとしか考えられません。
 では、今日まで、無茶でない仕事を、神尾主膳がどのくらいして来たかとたずねられるといささか窮するでしょうが、それにしても、今日のこの行動は、無茶過ぎるほどの無茶であることを考えさせられる。
 千住三輪の街道というものは、神尾が通行するために特に作らせた街道ではない。天下の大道である以上、百姓が通って悪いという理由はさらにないのです。
 しかし、仮りに神尾主膳をして大名の格式を持たせた時には、下に下にの下座触《げざぶれ》で、百姓を土下座させて歩く権式を与えられていたかも知れないが、いかなる将軍大名といえども、眼ざわりであるが故《ゆえ》に斬ってよろしいという百姓は一人もないはずです。神尾が今日、人を斬ったのは、毫末《ごうまつ》も先方が無礼の挙動をしたからではない。
 百姓町人が武士に対して無礼を働く時は、それは武士の面目のために斬り捨てても苦しうないという不文律はある。それはあるけれども、そういう場合ですら、斬らずに堪忍できる限り、堪忍するのが武士の武士たる器量である――という道徳律もある。今、ここで通りかかった百姓は、果して水戸在の百姓であったかどうか、分ったものではない。ただ通りかかったというだけで、なんらの宿怨《しゅくえん》も、無礼もあるものではない。
 強《し》いて言えば、向うが突き当ったというけれども、先方が突き当ったというよりは、神尾の歩きぶりに油断があったのである。それを一言の咎《とが》め立てもなく、理解もなく、やみくもに斬りつけたのだから、誰がどう考えても理窟はないのです。それはまだ、夜陰に乗じて無断で人を斬る流儀もあるにはあった。しかしそれは「辻斬り」という立派な(?)熟語まで出来ている変態流行である。時としては、刀の利鈍を試むるために、手練の程度を確むるために、或いは胆力を養成するために、この変態の殺人を、暗に武士のみえとした風潮もある。今いうような単に「無礼討ち」ということは有り得るが、神尾のように白昼、無茶に斬りつけるということはない。「昼斬り」「町斬り」というような熟語は、まだ出来ていない。
 そこで神尾は、自分の行動の全く無茶であったことを考えずにはいられなかったのですが、そうかといって、決して後悔や憐憫《れんびん》を感じたのではないのです。罪なき百姓を斬ってかわいそうだと思いやり、我ながら浅ましいことをしてけり、と後悔の発心をしたわけでは微塵ないのです。百姓なんぞは幾人斬ってもかまわない、このくらいのことで、済まなかったと考える神尾ではないが、ここで捕まれば一応再応は吟味を受ける、そうなると必ず自分の分が悪くなる、そこで、取押えられてはならない、この場合は一刻も早く逃げなければならない、何を措《お》いても身を隠すことが急だ! それよりほかに手段はない。
 無茶な罪跡を隠すためには、やみくもに自分の姿を隠すよりほかはない、と醒めた瞬間にそう気がついたものですから、そこで神尾は走りました。この時の走り方は、方向を選ぶの余裕がありませんでした。一時はもと来た根岸の方向へと思いましたが、また同時に、それはかえって危ないというような本能的のひらめきで、小路、裏路へ向けて走りました。

         百十三

 自分ながら、どこをどう逃げて、どう落着いたか分らないが、ふと眼が醒めて見ると、神尾主膳は、あたりが全く暗くなっていることと同時に、けたたましい題目と磬《けい》の音とが、耳に乱入して来るのを聞きました。
「ははあ、日が暮れてしまったのだ、あの音で思い出した、そうだったか」
と、自分の身が、薪小屋の中に積み重ねた薪と薪との間のゆとりの中にいることを発見しました。
 不思議でもなんでもない。あれから、自分はここへ逃げ込んで隠れたのを、隠れているうちに不覚にも、つい一睡に落ちてしまっていたのだ。この寺は何という寺だか知らないが、やかましく磬を叩いて、お題目を唱えているところを見ると、法華寺《ほっけでら》に違いない。
 寺が法華であろうと、門徒であろうと、自分にかかわりのあることではないが、この境内《けいだい》へ逃げ込んで、この薪小屋の中で救われたのは事実だ。ここでホッと安心して、ついうとうと睡魔に襲われているうちに、目をあいて見るともう夜だ。
 夜に遅い早いはないというが、遅かれ早かれ、この際、夜になっていたことは仕合せでありました。夜陰ならば、この姿で、けっこう大手を振って根岸まで帰れるのだ――目が醒《さ》めて、あたりが暗くなっていさえすれば、時間に頓着する必要は少しもない。
 そう気がつくと、神尾はむっくりと起き上って、衣服の塵をはたはたとはたくと、この薪小屋から未練もなく忍び出したのですが、どちらを見ても真暗です。
 暗いところをたどりたどり、表本堂の方へは出ないで、墓地の方の淋《さび》しい裏へと歩き出して見ると、この寺の墓地の区域がなかなかに広大であることを知りました。見渡す限りというのも大仰だが、広い墓地です。大小の墓石が雑然として、なんとなく安達《あだち》ヶ原《はら》の一角へでも迷い込んだような気持がする。
 むろん神尾は、ここがどこで――何という寺であるかは知らない。
 しかし、常識で考えても、あれからの自分の足で、奥州の安達ヶ原まで走れるはずはないから、いずれ江戸府内、近郊の寺に相違あるまいが、それにしても墓地が広大だと思わざるを得ない。
 いずれにしても、この墓地を突切って、垣根の破れでも壊して、往還へ出てしまえばこっちのもの。この墓地の中で怪しまれてはつまらない。幸いなことには、やっぱり暗夜で、誰も神尾を怪しむために、深夜この墓地に待構えている人はない。神尾は広い墓地の中を縦横に歩いて、その出口を求めようとしたが、ありそうでなかなかない。
 墓地の中をグルグルめぐりしているうちに、はたとその行手に立ちふさがったものがありました。雲突くばかりの大入道が一つ。これにはギョッとして、思わずタジタジとなったが、改めてよく眼を定めて見直すと、これは巨大なる石の地蔵尊の坐像であったことを知って、いささか力抜けがしました。
 右の巨大なる石の地蔵尊が安坐しているその膝元には、まだ消えやらぬ香煙が盛んに立ちのぼり、供えられた線香の量が多いものだから、香火が紅々と燃え立つようになっている。
 神尾は、変なところへ来たものだという感じがしました。

         百十四

 神尾主膳は江戸に生れたけれど、江戸を知らない。知っているところは知り過ぎるほど知っているが、知らないところは田舎者《いなかもの》よりも知っていない。
 江戸の場末といっても、自分の足のつづく限りに於て、こんな荒涼なところがあろうとは思いがけなかった。夜だから、無論その荒涼にも割引をして見る必要はあるには相違ないが、それにしてもこれはヒドイ。
 だが、まだ石の大きな地蔵の像が、自分の上にのしかかった入道のように見えてならない。その荒涼たるに拘らず、大地蔵の膝元には、右の如く香煙が濛々《もうもう》として立ちのぼり、香が火を吐いて盛んなるところを見ると、宵の口まで人の参詣が続いていたに相違ない。
 いったいこれはどこの何というところだ。ただいま身を忍ばしていたのは法華寺だが、この墓地の区切りの散漫なところを以て見ると、あの一寺だけの墓地ではないらしい。こちらにも相当な寺の棟らしいのが見える。してみると共同墓地かな。両国の回向院《えこういん》ででもあるのかな。回向院ならば自分もよく知っている、どう見直しても回向院ではない。第一、回向院は寺とはいえ、もっと和気がある。回向院の墓地にはもっとよく手入れが届いている。回向院にはこんな醜怪な大坊主の石像などはないはず。また、自分の足にしてからが、いくら危急の際でありとはいえ、あれから回向院まで走り続けられるはずはないのだ。よし自分が走り続けられたとしても、周囲の人が許すはずはないのだ。根岸から三輪へかけて、自分の足であの咄嗟《とっさ》の間に走り得られる限りに於て、こんなグロテスクな土地の存在があり得ようとは、神尾はどうしても想像がつかない。一時は、まだ薪小屋の夢が醒めないのではないかと疑ってみました。
 思い返してみても実際は実際なのだ。そういう空想に耽《ふけ》るよりは、早くこの現実の場を脱出して、正当な帰途につかなければならぬ、それが急務だ、と主膳の目では、醜怪にも悪魔にも見える地蔵尊の前を過ぎて、ほんの少少ばかり進んだと思うと、
「あっ!」
と、またしてもこの男にも似気《にげ》なく、二の足、三の足を踏んで立ちすくんだかと見るほどに、たじろいで、やっと身を支え得たかのように突立ちました。おともの者があらば周章《あわ》てて、「どうあそばされました」と介抱するところでしょうが、ともはありません。そこで踏み止まった神尾主膳は、また凝然《ぎょうぜん》として闇の中を見ている。
 主膳の眼を注いだ方向へ線を引いて見ると、そこにまた恐るべき存在がある。地蔵の姿を悪魔の姿と見た神尾の眼には、これは正銘の悪魔だ、悪魔の戯《たわむ》れだ。悪魔の戯れにしても、これはあまり度が強過ぎる。
 人間の生首が四つ、ずらりと宙に浮いているのです。
 宙に浮くと言っても、幽霊として現われたのではない。足はないけれども、台はあるのです。三尺高いところの台があって、その上に人間の生首がズラリと並んで、驚く主膳を尻目にかけたり、白眼に見たりしてあざ笑っている。
「獄門だ!」
と主膳は我知らず叫び出すと共に、今までの疑問が発止《はっし》とばかり解けました。
「わかったぞ! これは小塚《こづか》ッ原《ぱら》だ」
 そうだ、ここは俗に千住の小塚ッ原、一名を骨《こつ》ヶ原《はら》という――仕置にかけて人間を殺すところなのだ。

         百十五

 ところは転じて飛騨《ひだ》の国、高山の町の北、小鳥峠の上。
「どうにも手のつけようがない」
 仏頂寺弥助と丸山勇仙の自殺した亡骸《なきがら》を前にして、泣くにも泣けなかった宇津木兵馬は、手のつけようも、足の置き場もない思いをして呆然《ぼうぜん》と立ちました。
 少し離れたところの、樅《もみ》の木蔭に隠れていた芸妓《げいしゃ》の福松は、兵馬が立戻って来ることの手間がかかり過ぎることに気を揉《も》み出し、
「相手が悪いから心配だわ」
 秋草の小鳥峠の十字路から、かなり離れたところの木立の蔭で、福松がひとり気を揉んでいるのは、なるほど相手が悪い。もし、先方で気取られてしまった日には、宇津木さんも袖が振りきれない。捉まってしまった日には、しつこくからみつかれてどうにもなるまい。
 宇津木さんという方は、お若いに似合わず、剣術の腕にかけては素晴らしいとの評判は、この高山で聞いているけれど、相手のあの仏頂寺という悪侍が、一筋縄や二筋縄のアクではない。
 宇津木さん、早く戻って来て下さればいい、こう思って芸妓の福松は、木蔭からちょっと首を出して、秋草の小鳥峠の十字路の方を見透そうとしたけれど、目が届きません。
 さりとて、へたに離れてこのわたしというものが、仏頂寺に見つけられでもしたら、それこそ最後――
 福松は、それを懸念《けねん》しながら木蔭を出たり離れたりして、兵馬の安否を気遣《きづか》いましたけれど、兵馬から音沙汰《おとさた》がなく、そうかといって、仏頂寺との間に、見つけた、見つけられた、という問題を起しているような形勢は少しもない。
 それだけに、福松はまたいっそう気を揉んで、隠れがの樅の木立の下を一尺離れて見たのが二尺となり、三尺となり、一間となり、二間となって見たが、なんらの動揺が起らないのです。
 とうとう我慢しきれなくなって、三間と、五間と、這《は》うようにして叢《くさむら》の中を廻って見ますと、秋草の中に立っている宇津木兵馬の姿をたしかに認めました。
 呆然として、ただ立ち尽しているのです。
 笠も、合羽もつけないで、黒い紋附に、旅装い甲斐甲斐しい宇津木兵馬の立ち姿が、秋草の乱れた中に立ち尽していることだけは、間違いなく認められたものですから、福松は我を忘れて呼びかけようとして躊躇しました。
 まだいけない。ああして、宇津木さんも、じっと様子を見て思案してらっしゃる。わたしがここで大きな声を出した日には、ブチこわしになるかも知れない。
 では、ここでもう少し、様子を見届けて……
 福松はこう思って、一心に叢の蔭から兵馬の立ち姿を見つめていると、兵馬はじっとただ地上だけを見つめているらしい。遠く人の気配を見ているのではない、地上ばかりを伏目になってじっと見てらっしゃる。
 おかしいわね!
 福松にも、兵馬のその凝結した形の所以《ゆえん》がわからないのです。兵馬は峠の上に通りかかった仏頂寺の動静を見に来たのですから、どうでも遠目に人を見る形になっていなければならないのに、地上ばっかり見ている。その形が福松にはわからない。わからないなりに、我慢して待っていても待っていても解けない。あのまま石になってしまったのではないか。

         百十六

 じりじりと、我慢しきれない福松は、そのままじりじりと一歩一歩兵馬に近づいて行ったが――あんまり静か過ぎるのでつい、声をかけてしまいました。
「宇津木さあん――何してらっしゃるのよ」
「あっ!」
と、女から叫びかけられて、兵馬が呼び醒まされたのです。
 立ち尽している兵馬は、驚愕の目をあげてこちらを見ましたけれども、それは、夢から醒めたような驚愕で、なぜ来た! 怖いから来るな! というような暗示は少しもなかったものですから、福松ははたはたと走り寄って来ました。
「宇津木さん、何をぼんやりしていらっしゃるの、待つ人の気も知らないでさ」
「そんなどころではない」
「どうしたんですのよ、あなた」
 甘えた言葉つきで駈け寄って来たのは、何か事ありげには相違ないが、危険性は去っている! こう見て取ったものですから、飛びつくように駈け寄って来て見ると、兵馬の眼の前に人間が二人、倒れていました。酔い倒れているのではない、血を流して斃《たお》れ伏しているのだ。
「あれ――」
 福松は兵馬の後ろへ、文字通りにしがみついてしまいました。
 それでもまあ、気絶はしないで、ようやく落着きを取返しているうちに、兵馬から委細の事情を聞きました。
 聞いてみると、二人はここで最後の酒宴を催した後、枕を並べて一種異様の心中を遂げたのだ。仏頂寺弥助は太刀を抜いて腹を掻《か》き切っている――その膝の下に丸山勇仙がもがき[#「もがき」に傍点]死《じに》に死んでいる。これはべつだん負傷はないが、傍らに薬瓶らしいものが転がっている。毒を呑んで死んだと思われる。何のために、何が故に、ここで二人は枕を並べて死んだか、それは分らない。
 兵馬と福松とが、悪い相手を外そうとして隠れている間に、二人は死んでいたのだ。こんな野立てで酒宴に浮かれ出した、手がつけられない、と隠れた二人は苦り切っているうちに、仏頂寺と丸山は、断末魔の苦境に進んで行っていたのだ。
 両箇《ふたつ》の屍骸《しがい》の前に、兵馬と福松は色を失って立っているが、さて、手のつけようのないことは同じです。
 手のつけようがないのみならず、うっかり手をつけることがかえっていけない。
「どうしましょう」
と女がおろおろ声で言う。
「どうにも、こうにも、全く手のつけようがない」
「かかり合いになるといけませんね」
「不人情のようだが、このまま、そっくりこうして残して置いて、知らぬ面《かお》にあとを晦《くら》ますより仕方がない、気の毒には気の毒千万だが」
「覚悟の上でしていらっしゃるんだから、こうして置いてあげましょうよ、そうして、わたしたちは早くこの場を立ちましょう、こうしているところへ、人が通りかかってごらんなさい、わたしたちが証人にならなければなりません、そうなればまた高山へ呼び戻されなければなりません、あなたはいいとして、それではわたしが困ります、高山へ戻れば、わたしは助かりません、責め殺されてしまいますよ、知らない面をして行ってしまいましょうよ、知らない面をして……不人情のようですけれど」
 芸妓《げいしゃ》の福松は、人情を立てれば身が立たない思惑《おもわく》から、兵馬を促し立てました。

         百十七

 かくて宇津木兵馬は、芸妓の福松を先に立てて、小鳥峠を下りにかかりました。
 後ろには仏頂寺、丸山の血みどろの世界がある。前には、鬢《びん》の毛のほつれた、乳のように白い女の襟足がある。
 自分の足どりが重いのは、ぐるぐると展開する地獄変の世界の悩みばかりではない、懐中には三百両という大金が入っている。これは高山の新お代官|胡見沢《くるみざわ》の愛妾《あいしょう》お蘭どののお手元金であったのを、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百というやくざ野郎がちょろまかして来て、それをこの芸妓の福松に預けて、預けっぱなしになってしまったそれです。
 三百両の金は重い、兵馬としても、今までにこれだけの金を持ったことがない。いま一緒に旅をするようになったこの女は、この金は当然、自分たちに授かったものだから、自分たちがこれからの身の振り方の用金にする――
 女は言う、三百両のお宝があれば、二人水入らずで日本中の名所めぐりができます――また言う、わたしの知っている加賀の金沢へ落着いて、そこで、この三百両のお宝を資本《もとで》にして、自前で稼ぎましょうよ、あなた兄さんになって頂戴――あたし、あなたには何も苦労させないで、立派に過して見せますよ。
 ばかな――芸妓屋の亭主気取りで納まっていられる身と思うか。
 それはそれとして、こうなってみると、この女との縁はここでは切れない。加州金沢へ落着きたいと言っているが、とにかく安心のできる人里までは送り届けてやらねばならない腐れ縁だ。
 腐れ縁といえば、信州の浅間の湯から、この女にとりつかれている。浅間の湯の祭礼の晩、この女が酔っぱらって、おれの寝床の中へもぐり込んで、グウグウ寝込んでしまった時からはじまっている。それが、ゆくりなく、中房の湯で、またぶッつかってしまった。やがて、この女に甘えられて、中房から松本まで月の夜の道行とまでなったが、途中でこの女は、仏頂寺、丸山にさらわれてしまったのだ。
 たよられる義理はなかったのだが、たよられてみての上で、見届けることをせず、みすみす仏頂寺の鬼手に任せてしまった後は寝醒めがよくなかった。それから白骨の湯――平湯峠――高山へ出て、またこの女にぶっつかった。
 たずね求める兄の仇机竜之助なるものには、どこをどう探っても行き当らない。掴《つか》み得たかと思うと、さらりと抜けられる。求めんともせざるかよう[#「かよう」に傍点]な女のためには、それからそれと附纏《つきまと》われる。女の方でも必ずしも附纏う気はないのだ。また、自分としても、女に附きまとわれたり、食いつかれたりするほどの罪を作っていないのに、おたがいは、絶えず右と左から堂々巡りをし合って、ばあ――とも言えず、またかと苦笑いしながら、手を取り合っている。
 手を取り合うといったところで、手に手をとって鳥が鳴く東路《あずまじ》……というようなしゃれた道行ではないが、女は兵馬をたよるように出来、兵馬も女を見てやらなければならないように悪く出来ている。これから、名にし負う飛騨の山谷を越えて、加賀の里へ出るまで、この女との二人旅、兵馬はそれを思うとうんざりせざるを得ない。
 そうこうしているうちに、日も暮れる、さし当ってはまた今夜の宿だ。

         百十八

 しかし、その日は、とある山宿に宿を求めることができました。
 山宿といったところで、この辺は、特に宿屋を営んでいるというものはなく、頼めばどこでも泊めてくれる。
 だから、特に客座敷というものもない。木地《きじ》小屋が空いているからといって、そこへ泊めてくれました。
 別座敷へ特に優遇の意味です。
 兵馬は、女がすすめるのも聞き入れず、草鞋《わらじ》を取っただけの旅姿で夜を明かすべく、炉辺の柱にもたれていました。
「わしは旅に慣れているから、これでよろしい、君は慣れない身でもあり、薄着で困るだろう――」
と言って、自分の合羽《かっぱ》をまで女の薄い蒲団《ふとん》の上に投げかけて与えました。
 女は、いろいろとお詫《わ》びしながら、先に寝入ったのです。
 この小屋は、特に木地の細工をするために建てたのですが、壁がありません。がっちりとした板囲いです。
 夜もすがら室内の気温を保つ意味に於て、絶えず適当の焚火《たきび》を怠りませんでした。
 疲れが出たものか、女はすやすやと寝入ったようです。
 兵馬としては、こういう旅の宿りは今にはじまったことでないが、ただ気がかりになるのは前途のことです。およそ白山《はくさん》、白水谷を越えて、飛騨の国から、加賀へなり、越中へなり、出ようとする道は、道であって道でない。
 こういう道を踏み破ることは、自分はあえて意としないが、この女連れだ。この女は、こうして行けばひとりでに白山へも登れるし、金沢へも出られると心得ているらしいが、さて、明日からの旅の実際の味を嘗《な》めさせられてみると、へたばるのはわかりきっている。今晩はここで宿があったからいいが、明日の晩からの宿りは当てがないのだ。
 よし、明日になったら、ひとつ案内人を求めてみよう。それから、馬が通うか、通わないか、山駕籠を金沢まで通して雇えるものか、雇えないものか――そのへんもひとつ確めてみてやろう。
 体《てい》のいい駈落者だ。駈落ならばまだ洒落気《しゃれっけ》もあるが、実はこの女のために、体のいいお供を仰せつかったようなものだ。それもよろしい、自分はこのごろ観念した。
 すべて、追い求めるものは与えられないように出来ている。求めざるものが降りかかって来るようにこの世は出来ている。そこで自分は観念したのだ、決して追い求むるもののためにあせる[#「あせる」に傍点]まい、降りかかって来たものを避けまい。
 これが、このごろ出来た自分の一つの公案なのだ。降りかかって来たものを蹴飛ばすまい、落ちて来たものは最後まで受留めてみせる――怖ろしいことでも、辛いことでも、いやなことでも、嫌いなことでも、なんでもかでも、落ちかかったものを、じっと最後まで受留めてみよう。これをもって平常底の行持《ぎょうじ》とすることに決定《けつじょう》する。
 そこで、この女に対してすらが、もうこうなった以上は、以前のように振り捨てまい。振り捨ててしまえば、また仏頂寺に攫《さら》われる。いや、仏頂寺はすでにこの世に亡き人だが、仏頂寺以外の奴にさらわれる。さらわれたってかまわないようなものだが、その尻拭いがまたこっちへ報って来るのだ。今度はひとつ、女の言いなりになって見せる。それが修行だ。

         百十九

 兵馬が柱にもたれて、うつらうつらしていると、外で夢路をたどるように人の叫び声がある。
「宇津木、宇津木」
「はっ」
と兵馬は我に返ったが、どうも気のせいか、その声が、仏頂寺弥助の声のように思われてならないから、
「誰だ」
「おれだよ」
「誰だ」
 兵馬はもう一度、念のために耳を傾け直すと、
「おれだよ」
「誰だ」
「声でわかりそうなものじゃないか、仏頂寺だよ」
「やあ、仏頂寺君か」
「まあ、いいよ、そうしておれよ」
 戸の外からしきりに声をかける仏頂寺の言葉つきは、存外、落着いたものでありました。そうして、たしかに仏頂寺の声に相違ないと、兵馬の耳にはとおるのです。
「君は――君は」
と兵馬が少し気色《けしき》ばんで吃《ども》ると、外から仏頂寺の声で、
「そう驚かんでもいいよ、小鳥峠の上で立派に腹を切った拙者が、こうして、うろついて来たから、君は狼狽《ろうばい》しているだろう、あわてるな、あわてるな」
「あわてはしないけれども、君はどうしてここまで来たのだ」
「どうしてだっていいじゃないか、今更そんな野暮《やぼ》を言うない、仏頂寺は、君と知った時以前から亡者なんだ、亡者として、ふらふら旅をした身の上は、君も聞いて知ってるだろう、仏頂寺弥助は加茂河原で、北村北辰斎のために斬られているのだ」
「では、小鳥峠の上で自殺したのは、ありゃ誰だ」
「誰だっていいじゃないか、亡者となってみれば、死にかわり、生きかわり、ふらふらと盲動するのが身上だ」
「では、なんにしてもなかへはいったらどうだ、焚火もよく燃えているよ」
「いや、はいるまい、はいっちゃわるいだろうな」
「これは仏頂寺君らしくもない遠慮だ、なかへ入り給え」
「止そうよ、悪いから」
「何が悪い」
「おたのしみのさまたげをしては悪いからな」
「ばかなことを言え」
と兵馬は躍起となりました。ところが、外なる仏頂寺の声はいとど平然たるもので、
「馬鹿ではないよ、そこは仏頂寺も心得ているよ」
「いやに気を廻す、仏頂寺君らしくもない言いぶりだ、かまわないから、戸を押して入ってくれ給え」
「いけないよ、ここで話そうよ、我輩《わがはい》は外に立っている、君はなかに居給え」
「どうも、気が知れない、この夜寒に外に立ちつくす君の気が知れない、といって、僕ばかりなかにあたたまっていて、君を外に置いて話もできないではないか、なかへ入ってくれ給え、実は都合あって、一時、君の目を避けていたのだが、こうなってみると、聞きたいことが山ほどある、入ってくれ給え」
「いやだよ――こっちはかまわないから、君だけはそこにいて、いま言ったな、何かこの仏頂寺に聞きたいことがあると言ったが、ずいぶん知っていることは聞かせてやろう、遠慮なくたずね給え、こっちにも君には大いに話して置きたいことがあったのだ、峠で逢えずにしまったのを残念に心得ている」

         百二十

 宇津木兵馬は、仏頂寺弥助の柄にない遠慮ぶりが不審でたまりません。
 いつもならば、案内がなくとも闖入《ちんにゅう》して来る男である。
 今夜はいやに遠慮しているうちに、その言う言葉つきがなんとなく冷たい。戸一枚を隔《へだ》てて話をしているようだが、実は幽明を離れて応対しているような心持がしないではない。
「おい、宇津木、うまくやってるな」
と、もう一つ別な声が同じく戸の外から聞えて来ました。
「誰だい」
「わからないかえ」
「もう一ぺん――」
「わかりそうなものだね、僕だよ」
「あ、君は丸山君だな」
「そうだよ、そうだよ、仏頂寺あるところに丸山ありだ」
「君も――」
「仏頂寺と一緒に、うろついて来たよ」
「君も無事で――」
「無事であろうと、有事であろうと、そんなことはいいじゃないか」
「なんにしても意外だ――しかし、何はともあれ、入り給え、今も仏頂寺君にそう言っていたんだが、仏頂寺君がいやに遠慮をしている、変だと思っているところだ、君からさきに、こっちへ入って来給え」
「いや、せっかくだが、僕もよそう」
「どうして」
「どうしてったって、悪いから」
「何が悪い」
「おたのしみのさまたげをしては悪いからな」
「君までが……けしからん」
と、兵馬はまたも気色ばんで詰問の語気になると、戸の外でどっと笑いました。
 その笑った声は、仏頂寺弥助と丸山勇仙と、二人の混合した声なのでしたが、その笑い声を聞いて、はじめて兵馬がゾッとした鬼気に襲われざるを得ませんでした。そうするとまた同時に、
「何が怪《け》しからん」
と外で言ったのは、丸山勇仙の声です。兵馬は直《ただ》ちにそれに応じて言いました、
「怪しからんじゃないか、おたのしみだの、おさまたげだのと、奇怪千万な。人を見て物を言い給え」
「は、は、は」
とまた外で、二人が声を合わせて笑い出したから、
「何がおかしい」
 兵馬が、むっとしてたしなめると、
「だっておかしかろうじゃないか、芸妓《げいしゃ》を連れて道行をすれば、これがおたのしみ[#「おたのしみ」に傍点]でなくて、世間のどこにおたのしみがあるのだ、おたのしみをおたのしみと言われて、腹の立つ奴がよっぽどおかしい」
と言ったのは、やはり丸山勇仙の声であって、同時に、
「は、は、は」
と笑ったのは、二人の合唱です。
「いよいよ君たちは邪推者《じゃすいもの》だ」
 兵馬が怒ると、外で抜からぬ声、
「我々の邪推じゃないよ、粋《すい》を通しているのだよ。いいかい、我々がこれほど粋を通してやっているのを、悪くとる宇津木君、君はねじけ者だ。いったい、君は我々を厄介者のようにして、常々けむたがっているようだが、それが大きな了見違いだよ、君のために、我々が計って不忠をしたことがあるかい、こう見えても仏頂寺と丸山は、人情主義者なんだ、君のような不人情漢とは性質《たち》が違う」
 丸山勇仙は弁舌が軽い。兵馬はついそれに釣り込まれて、
「いつ、拙者が不人情をした」
「は、は、は」
とまた外で、二人が声を合わせて笑いました。

         百二十一

 どっと笑ってから、丸山勇仙がまた抜からぬ声で言いました、
「まあ、おそらく君ぐらい不人情な男はあるまいよ。我輩の如きは、君も見て知っているだろうが、小鳥峠の上で、仏頂寺と見事に心中を遂《と》げたんだ、仏頂寺の友誼《ゆうぎ》に殉《じゅん》じたんだぜ。僕はなにも先んじて死にたかったわけじゃないんだ、仏頂寺が死にたくなったというから、驚いて差留めたくらいなものなんだ。だが、理由を聞いてみると、留めることができなくなったよ。いや、理由もなにもありゃしないんだ、理由なき理由なんだね。そこで、仏頂寺がどうあっても腹を切るというから、それなら、おれも一人じゃ生きていられない、君が刀で腹を切るなら、おれはお手前物の毒薬を飲む――君も知ってるだろう、おれは長崎で蘭医の修業をやりそこねた書生くずれなんだ、そこで、仏頂寺とああやって心中を遂げたんだが、ずいぶん苦しかったぜ。しかし、今はいい心持だよ――ところで、君はどうだ、我々がこうして美しく人情に殉じていることがわからず、それに一遍の回向《えこう》もせず、とむらいの真似《まね》もせず、一途《いちず》に後難を怖れて、知らぬ面《かお》に引上げてしまったじゃないか。それもまあ、事情やむを得ぬとして、君は我々に見換えても、その女を保護する役目を買って出たのは感心だ、今度はしっかりやれよ、いったん引受けた以上は、最後まで見届けるんだぞ、仏頂寺弥助と丸山勇仙の二人に見換えて、旅芸者一人に人情を尽してみたい君なんだから、今度はいいかげんにおっぽり出すと承知しないぞ」
 能弁な丸山勇仙がしきりにまくし立てる。兵馬はそう言われると、なんだか自分の重大な弱味をあばかれでもしたような気持がして、ちょっと返答に窮していると、今度は外で仏頂寺弥助が代って言いました、
「宇津木、まあいいよ、そんなことは丸山の愚痴だ、我々は勝手に行きたいところへ行こうとして、その目的を達したんだから、あえて君に見送られようとも、見送られまいとも、それを言い立てる我々じゃない、我輩と丸山とは、こうして円満に人情主義をやり通したが、君のはあぶないぜ――これからが危険なんだ」
「それは知っているよ」
と兵馬が、とってもつかぬように内から答えますと、丸山勇仙が、
「危険というのは、君、白山白水谷の危険という意味ばかりじゃないぜ」
「それも、これも、承知の上なのだ、無益な問答をするよりは、なかへ入り給えと言うに」
「こっちはこれが勝手だと言ってるんだからいいじゃないか。では、丸山、このくらいで引返そうではないか」
と仏頂寺が丸山を促したらしい。そうすると、丸山勇仙が、
「そうだね、この辺で引上げるとしようか、では、宇津木、大事に行けよ」
「君たち、帰るのか、あんまりあっけないではないか」
「いや、そのうちまた、どこかで逢う機会もあるだろうよ、大事にし給え。それから君、なお念をおして置くが、君の旅路も明日あたりから、そろそろその危険区域に入るんだぜ、気をつけ給えよ」
「ありがとう――」
「明日あたりから君、畜生谷が現われるんだぜ、しっかりし給えよ」
「畜生谷とは?」
「畜生谷を知らんのか――白山白水谷のうちに、有名なる畜生谷というところがある――そこへ落ち込んだら最後、浮み上れないのだ」

         百二十二

「さようなら、宇津木」
「宇津木君、失敬」
 二人は、ついに行ってしまいました。
 兵馬は柱にもたれたまま、それを引留めたい心でいっぱいでありながら、ついに戻れという機会を逸してしまいました。
 それは会話なかばに、とても眠くなって眠くなってたまらなくなり、うっとりと失神状態に陥ったところを、二人に無造作《むぞうさ》に立ちのかれてしまった。そこに気がつくと、何とも言えない空虚を感じ出して、そのままその座を飛び立って、戸の外へ走り出しました。
「おーい、仏頂寺君――丸山君」
 声を限りに呼びながら、兵馬は二人のあとを追いかけたのです。
 無論、そのくらいですから、草鞋《わらじ》をつける余裕もなく、有合わす履物《はきもの》もなく、戸を押したか開いたかそのこともわからず、仏頂寺と丸山とが、東へ行ったか、西へ行ったか、その痕跡に頓着もなく、兵馬はやみくもに走り出したのです。
「おーい仏頂寺君、おーい丸山君」
 こう言って、続けざまに叫び且つ走りました。
 道は、山が高く頭上を圧し、谷が羊腸《ようちょう》として下をめぐっている。谷の底から実に鮮かな炎が、紫色の煙と共に吹き上げている。
「ははあ、あの二人が畜生谷と言ったのが、これだな、畜生谷……」
 兵馬はその異様な谷を見渡すと、谷をめぐる一方の尾根を縦走しつつ、談笑して行く二人の者の姿を遥《はる》かに認めて、
「おーい、仏頂寺君、丸山君、待ち給え、待ち給えよう」
 この声で、豆のような姿に見えた縦走の二人が、歩みを止めて、こちらを見返りました。息せき切った兵馬は、
「あんまりあっけないから、追いかけて来たのだ、でも、追いついてよかった」
 とはいうものの、あちらは遥かに峰の高いところにいる。
「何だ、宇津木、何しに来た」
と、仏頂寺が上から見おろして答える。兵馬は谷間に突立って、
「大切のことを君たちに聞き落したから追いかけて来たのだ、ちょっと、もう一ぺん戻ってくれないか」
「もう駄目だよ」
 仏須寺が頭を振るのがよくわかる。そうすると、丸山勇仙が、
「もう駄目だよ、君と僕たちとの距離は、単に山の上と下だけの距離じゃないんだ、我々は君のところへ下りて行けない、君は、我々のところまで上って来られない、そこにいて話をするさ」
「ちぇッ」
と兵馬は、それをもどかしがりながら、思いきって、
「では、ここで君たちにたずねたいが、机竜之助は今どこにいるのだ、君たちが隠したとは言わないが、たしかにそれを知っているように思われてならぬ、それをひとつ明かして行ってくれ給え」
「なに、机竜之助?」
「うむ、机竜之助の行方《ゆくえ》だ」
「おい、丸山」
と、これは仏頂寺の声で、兵馬の問いに答えたのではなく、丸山勇仙をかえりみて、とぼけたような声で、
「君、机竜之助とかなんとかいう人物を知っているかい」
「何だって、机竜之助?」
 丸山勇仙が、またとぼけた面《かお》をしているので、兵馬がむっとしました。

         百二十三

「君たち、しらを切ってはいけないよ、君たちが机竜之助を隠している。隠していないとすれば、少なくとも拙者が竜之助にめぐり会うべき機会を妨げた――信州の諏訪以来、覚えがあるだろう」
と兵馬から厳しく、こうたしなめられると、はじめて二人が気がついたように、面を見合わせて、
「ああそうか、あのことか、あれか」
「どこにいるか、その在所《ありか》を教えてくれ給え、明白に言えなければ、暗示だけでも与えてくれ給え」
 兵馬が畳みかけて追い迫ると、仏頂寺は呑込み面に、
「あれはな、宇津木君の推察通り、いささか妨げをしてみたよ、意地悪をしたわけじゃない、人から頼まれたんだ」
「誰に頼まれた」
「それは、甲州の豪族の娘で、俗にお銀様といって、なかなかの代物《しろもの》だ、その人に我々が余儀なく頼まれてな」
「うむ、あのお銀様という女――あれなら僕も知っている」
と、兵馬もそう答えざるを得ませんでした。そうすると仏頂寺が、
「あのお銀様という女に頼まれてな、宇津木兵馬が、机竜之助を兄の仇《かたき》だと言って、つけ覘《ねら》っている、これから信州の白骨へ行こうとする、会わせては事が面倒だから、どうか、二人を会わせないようにしてくれと、我々に頼んだのだ」
「そうか。そうして、それから?」
「そこで、我々はちょっと迷ったよ、宇津木のためには、早く会わせて本望を遂げさせてやりたいし、このお銀様の頼みも無下《むげ》には捨てられない。ところで、お銀様が説くところを聞いていると、なかなか道理がある、ことにもう一つ、あの女には力がある、それは何の力かというに、金力だ、あれは甲州第一の富豪の娘で、莫大な金力の所有者だ、その金力と、弁力とをもって、われわれを圧迫して来たのだ、こいつには参ったよ」
「では、君たちは、金力でもろくも買収されてしまったのだな」
「そういうわけじゃない、金力があろうとも、弁力があろうとも、その人にそれだけの力がなけりゃ、人を圧服することはできやせん、正直に言えば我々は、お銀様という女に圧倒されてしまって、否応なしに、君にとっては憎まれ役――二人を会わせまいとする役割をつとめてしまったのだ」
「意気地がないなあ――女に圧倒されてしまった仏頂寺」
 兵馬が嘲ると、丸山勇仙が、
「女だって、あの女は少し違うよ、買収と言えば人聞きが悪いが、あの女は使うようにして使うんだ、仮りに買収されたとすれば、僕等ばかりじゃない、君もまた、あの女に買収されていたんだぜ。君の諏訪から今までの道中費は、よそながら僕等が支払った、これは間接に、みんなあのお銀様の懐ろから出ているんだぜ」
「そんなはずはない」
「はずはなかろうとも、事実は争われないのだ。ところで、机竜之助は、あの女が保護している限り、君の手には合うまいと考える。しかしまあ、仏頂寺あるところに丸山があり、宇津木兵馬あるところに旅芸妓がありとすれば、お銀様という女のあるところに机竜之助があるかも知れない、その心持で探し給え」
「で、そのお銀様はどこにいる」
「それは知らない」
 二人がまたクルリと背を向けたところへ、雲煙が捲き込んで来ました。

         百二十四

 愕然《がくぜん》として眼が醒めた時に、
「ホ、ホ、ホ」
と傍らで笑いかけた声は、これは本物であって、夢ではありません。
「どうあそばしたの」
と、いつしか醒めていた女が、夜具の中から腹這《はらば》いになって、短い煙管で煙を吹きながら、流し目にこちらを見ていたのです。
「ああ、うとうといい気持で……」
と、兵馬はテレ隠しをするように言うと、女は、
「何かいい夢をごらんになって……」
「いや、別段――」
と、まだ夢心地で申しわけのように言うと、
「嘘よ、いい夢をごらんになったに違いないわ」
「あんまりいい夢ではなかった」
「そんなこと、ありませんよ、ニコニコとお笑いになって、君、待ち給え、待ち給え――とおっしゃいましたわ。誰のことなんです、どなたをお呼びになったの、憎らしい」
 また流し目で女が兵馬を見ました。手の届くところにいたら、膝をつねったかも知れません。
 兵馬は憮然《ぶぜん》として、まだ夢から醒《さ》めきれません。
 そこで、女はいい気になって、
「おかしいわね、起きて、坐っている人がうわごとを言って、寝ている人に揶揄《からか》われるんだから、世はさかさまよ」
と言いました。
 兵馬はそれを心外なりとしました。果して自分がこの女の言う通りに、うわごとを言ったか、言わないか、それは水かけ論だけれども、眠りに落ちていた醜態を、相当の時間、この女に笑われていたことは事実だ。女の態度を見ると、もうかなり以前に目がさめて、悠々煙草を吹かしながら、じっと揶揄い気味で、自分の舟を漕ぐ様子を見入っていたのだ。
「君は、いつ目が醒めたのだ」
「わたし、お手水《ちょうず》に行きたくなって、それで目がさめちまったの――そうすると、あなたはいい心持で舟を漕いでいらっしゃる」
「うむ、そうだったか」
「ですけれども、あなた、お手水場が、外のあんな遠いところにあるでしょう」
「うむ」
「わたし、一人で行けやしないわ」
「うむ」
「ですからね……あなたに連れて行っていただきたいと思いましたわ」
「うむ……」
「うむうむ、おっしゃったって駄目よ、失礼しちゃうけれども、あなたに連れて行っていただかなけりゃ、あんな遠いはばかりまで行けやしませんもの。でも、あんまりあなたがいい心持で舟を漕いでいらっしゃるから、起して上げるのが気の毒になってしまって……」
「うむ」
「あなたを起して上げるのはお気の毒だけれども、わたし一人じゃ、この夜中に、戸の外へ一寸だって出られやしません」
「意気地がないな」
「そりゃ、あなた方とは違ってよ、怖いわ、狼がいるわよ。そればかりじゃない、なんだか外には仏頂寺が待っていそうで――怖くてたまらないから、とても一人じゃお手水に行けないし、あなたはよく眠っていらっしゃるし、わたしずいぶん気を揉んじゃいました」
 気を揉んだと言いながら、こうもぬけぬけとしているところを見れば、さし当りお手水の方も解決がついてしまったらしい。

         百二十五

「ねえ、宇津木さん、もう何時《なんどき》でしょう、夜が明けるんでしょうか、夜中なんでしょうか、わたし、ちっとも見当がつきませんわ、宵《よい》の口から、真夜中のような気がしてるもんですから」
「そうだな、いやもうかれこれ、夜が明ける時分だろう」
「わたしも、もう寝つかれませんわ、起きちゃいましょうか知ら」
「いや、まだ、そうしてい給え、寒いだろう。どら、一《ひと》くべ火を焚いて進ぜる」
と言って兵馬は、薪を取って火を盛んにしました。女は相変らず蒲団《ふとん》の中に腹這いながら、
「済まないわねえ、わたし、心からあなたにお気の毒だと思ってよ」
「そうお気の毒お気の毒いうな、君たちが心配するほど毒になりはせぬ」
と兵馬が言いました。
「でも、わたしだけが、かりにもお蒲団の中に横になっていて、あなたに、お手水へ連れて行って頂戴のなんのと言ったり、火を焚いていただいたり……」
「やむを得ない」
「ですから、わたし、もう起きちゃいますわ。起きて、あなたと一緒に、その囲炉裏《いろり》の傍でお話をしましょう」
「かえって寒いよ――眠れなければそのままで、話をし給え、拙者がここで、聞き手になって上げる」
「では、このままで、もう少し失礼させていただきましょう」
「何か話をしてくれ給え」
「人の悪口を言いましょうか」
「誰の」
「そうですね――誰がいいでしょう」
「相手を考えて悪口をいう奴もないもんだ」
「仏頂寺の悪口を言ってやりましょうか」
「あれはよせ、あれは見かけほど悪い男ではない」
「胡見沢《くるみざわ》の助平お代官の悪口でも言ってやりましょうか」
「殺された人の悪口などはいけない、たとえ嫌な人であろうとも、ああいうのは、悪口よりは、回向《えこう》をしてやるのが本来だね」
「本当ね、ではそうそう、お蘭さんならいいでしょう、あの人なら、きっとぴんぴんして、どこかで、またいいかげんな人を相手にうじゃじゃけているに違いないわ、あんな人こそ、思いきり悪口を言ってあげた方がいい」
「いや――あれも、君が憎むほどの悪人じゃあるまいぜ、第一、君にこのお手元金を取られてしまって、さぞ残念がってるだろう――そのうえ悪口を言われてはたまるまいからな」
「それもそうですね、あたりまえなら只で置く女ではないのですが、罰金が取上げてあるから、暫く許して置いてあげましょう」
「それがいい」
「では、誰の悪口にしましょうね、誰も悪口を言う相手がないじゃないの」
「相手がなければ、悪口を言わんでもいい」
「でも、悪口を言わなければ、話の種がないじゃありませんか」
「話の種というのは、悪口に限ったわけのものじゃあるまい、何か罪のない、面白い世間話をし給え」
「罪のない話なんて、ちっとも面白かないわ、罪があるから世間話の種にもなるんじゃないの――では、わたし、自分のおのろけ[#「おのろけ」に傍点]でも言って、あなたに聞いていただこうかしら」

         百二十六

「結構だね、大いにやり給え」
と、兵馬もこのところ、大いにさばけてこう出たのに、女がかえって尻込みをして、
「よしましょうよ」
「よさなくってもいいから大いにやれ」
「いやです。第一、あなた、こうして山小屋の中へ木屑同様におっぽり出されて、手の出し手もない女が、おのろけもないじゃありませんか」
「今はなくても、昔はあったろう、これからまたあるだろう、それを盛んに並べて見給え」
「昔を言えばねえ、よしんばあったところで、おそらく、追いのろけは気が利《き》かない骨頂ですからねえ。これからあるだろうとおっしゃったって、あなた、未来のおのろけを語るほどおめでたい話もありませんねえ。いったい、どちらにしましても、芸妓《げいしゃ》のおのろけなんていうものは、おのろけの中に入りません」
「悪口もいけず、惚気《のろけ》もいけない――」
「ですから、あなたのを聞かせて頂戴な、素人《しろうと》のお惚気は本当のお惚気なのよ、それを承りましょう」
「僕に、そんなものはない」
「ないことないでしょう……仏頂寺さんから種が上っています」
「亡くなっている仏頂寺を証人にとれば何でも言える」
「あなた、ずいぶん、江戸の吉原で苦労をなさったそうですね」
「そんなことはないよ」
「ないことがあるもんですか――いくらお体裁を飾っても、わたしたちの目から見れば、一度でも遊んだことのある人と、ない人とは、ちゃんとわかりますよ」
「見るように見る人の勝手だ」
「あなたという方もわからない方ね、一度でも遊んだ覚えがあるくせに、いやに角《かど》がとれない」
「何でもいい、要するに、こっちには、面白くおかしく話して聞かせるほどの世間話も、身の上話もないが、君の方は世間慣れているから、種があるだろう、何でも、心任せに話してくれないか、修行中の僕等は、なんでもかでも善智識の教えとして聞くよ。少なくとも、君は僕より年が幾つか上だ、先輩だと思って尊敬して聞くから、何でも話してくれ給え、それを身にするか、骨にするかは、こっちの聞き方一つなんだ、悪口、結構、惚気をやるも苦しくない――話し給え、話し給え、こっちは聞き役だ」
と兵馬は、かなり歯切れよく言いましたものですから、女も諦《あきら》めたと見えて、
「それでは一つ、面白い話をして聞かせますから、聴いて頂戴――」
と言って、腹ばっていた女は煙管をほうり投げて、くるりと寝返りを打ち、箱枕を、思いきってたっぷりした島田くずしの髱《たぼ》で埋めて、蒲団をかき上げるようにして、ちょうど兵馬の坐っている方とは後向きに寝相を換えたのですが、その時、肩から背筋までが、わざと衣紋《えもん》を抜いたように現われたのを、そのまま、あちら向きで話しかけました。
 おなじ話をはじめるならば、寝ているにしてからが、こちらに向き返って話したらよかりそうなものを、わざとあちら向きになって改まったのは、襟足や、首筋や、肩つきを、思い切って開けっ放して見せつけた失礼な仕打ちだ。
 兵馬はそのだらしない乱れ髪と、襟足と、女の肩から背へかけての肉つきというものを、まざまざと見せつけられたが、女としては見せつけたのではない、こういうだらしのないのが、こういう女の作法だろうとも思いました。

         百二十七

 女は寝ながら、次のような話をはじめました。
 それを書き下ろしてみると――
 昔、同じ藩中の人に殺されたお武家がありました。そのもとの起りは、奥様から起ったのだそうです。そこで、まだ子供はなし、力になるほどの身寄りもないけれど、この奥様は、なかなか気象の勝った奥様でございまして、夫の敵《かたき》、もとはと言えば自分から起ったこと、これをこのままにして置いては、女ながら武士道が立たない。といって、身寄りには一人も力になるのはないのです。そこで雄々しくも自分の夫の敵討願いを出して、旅に出ることに覚悟を決めました。
 ところで、家には、夫の時代から愛し使われた若党が一人あるのです。若党といっても若いとはきまっていないけれども、この若党は真実年も若し、それに身体《からだ》が達者で、腕も利き、万事に忠実で、亡き夫も二無きものと愛して召使っておりました。
 この若党にも暇をやって、奥様はひとり敵討の旅に出ようとしますと、若党がそれを聞いて涙を流して言いました、
「それはお情けないお言葉でございます、亡き御主人様に子のように愛されておりましたわたくし、今この場に当って、奥様の敵討にお出ましになるのをよそに、どうしてこのお邸《やしき》を立去られましょう。下郎の命はお家のために捧げたものでございます、どうか、私めをもお連れ下さいまし、道中に於ての万事の御用は申すまでもなく、敵にめぐり逢いました時は、主人の怨《うら》み、一太刀なりと報いなければ、仮りにも家来としての義理が立ちませぬ。どうぞこの下郎をお召連れ下さいまし、たとえ私は乞食非人に落ちぶれましょうとも、奥様に御本望を遂げさせずには置きませぬ。もしお聞入れがなくば、この場に於て切腹をいたしまして、魂魄《こんぱく》となって奥様をお守り申して、御本望を遂げさせまするでございます」
 思い切った体《てい》で、こう言い出しましたものですから、奥様も拒《こば》むことができません。
「それほどそちが頼むならば、聞いてあげない限りもないけれど、知っての通り、家にはそう貯えというものがあるわけではなし、永《なが》の年月たずぬる間には路用も尽きて、どうなるか知れぬ運命、わたしとしては、行倒れに倒れ死んでも、夫への義理は立ちます、いや、たとえ本望は遂げずとも、死んで夫のあとを追えば、それも一つの本望であるが、お前は縁あってわたしの家に使われたとは言いながら、譜代の家来というわけではなし、まだ若い身空だから、いくらでもよそへ行って立身出世の道はある、そうしたからとて、誰もお前に非をうつものはないけれど、わたしはそうはゆかない、わたしに代って敵を討つ身寄りがない限り、わたしというものはこうしなければ、家中《かちゅう》へ面向《かおむ》けがなりませぬ。ここをそちに聞きわけてもらいたいが、それほどに言われる志はうれしい。では、その覚悟で、わたしに附添うて下さい――頼みます」
「有難うございます、一生の願いをお聞き入れ下されて、こんな嬉しいことはござりませぬ」
 そこで、主従が勇ましく敵討の旅に立ち出でました。
 奥様にとっては、むろん夫の敵――下郎にとっては主人の仇、名分も立派だし、ことに主家の落ち目を見捨てない下郎の志は一藩中の賞《ほ》めものでした。

         百二十八

 旅へ出てからも、もとよりあり余る路用があるというわけではありませんから、主従は極めてつつましやかな旅をいたしました。
 この間、若党の奥様に仕えることの忠実さ、道中は危ないところへ近寄らせないように、時刻もよく見計らって、宿へ着いての身の廻りからなにから、痒《かゆ》いところへ手の届く親切ですから、奥様としては、全く不自由な旅へ出たとは思われないくらいの重宝《ちょうほう》さでした。
 この下郎の、こんな忠実な働きぶりは、今にはじまったことではなく、亡き夫のいる時分から邸に於て、この通り蔭日向《かげひなた》がなかったのですが、こうして旅へ出てみると、この親切さが全く骨身にこたえる。
 奥様は、家来とは言いながら、蔭では手を合わせてこの下郎の忠実に感謝をしました。
「いわば一期半季の奉公人に過ぎないあの男が、こうまで落ち目のわたしに親切をしてくれる、人情も義理も、まだ地へは落ちない、家来とは言いながら、思えば勿体ない男……」
と奥様は、表では主人としての権式《けんしき》を保っていましたけれども、内々では、杖とも柱とも頼みきっておりました。
 奥様とはいうけれども、若党とは年こそ十も違っているけれど、中年の武家の奥様として、申し分ない和《やわ》らかみと、品格を持っておりました。
 若党は百姓の出でしたが、面つきだって凜々《りり》しいところがあり、それに、がっちりしたいい健康と、それに叶う肉体を持っておりました。
 こうして主従は、心の中で感謝したり満足したりしながら、敵をたずねて旅の日を重ねたのですが、もとより当りがあっての旅ではないのです――明日敵にめぐり逢えるか、十年先になるか、そのことはわからないのです。
 そうして行くうちに、奥様は、旅の前途が心細くなればなるほど、この男を頼む心が強くなるのは当然です。頼られれば頼られるほど、奥様をいとしがるのが男の人情です。奥様の路用がだんだん軽くなるのを察した若党は、奥様に知らせないように、路用の足しを工面《くめん》することに苦心しました。お米の小買いをして来て、木賃で炊いて食べさせたり、畑で野菜を無心したり、漁場で魚を拾ったりなどして、奥様のお膳に供えることもありました。奥様はそれを知って、胸には熱い涙を呑みながら、表には笑顔をもって箸《はし》をとりながら、世間話に紛らしたものです。
 奥様の心の中は、この下郎に対する感謝と愛情でいっぱいです。奥様はこの若党に、まあ、どうしたらこの男に、この胸いっぱいな感謝の心を見せてやることができようかと、奥様はその思いに悶《もだ》えました。でもさすがに、武家の奥様でございますから、厳格なところはどこまでも厳格でございました。質朴な若党は、主人の奥様に対して忠義を尽すことは、あたりまえのこととしか考えていなかったのですが――いつしか、この奥様の自分に頼りかたが、全く真剣であることを感じて、それが全く無理のないことと思いやった上に、自分もどうしても、もう他人でないような親身の思いに迫られて来るのです。
 さあ、長い月日の旅、この主従がいつまで主従の心でいられましょうか――二人のおさまりがどうなりますか。
 あなた、判断してみて頂戴よ。
 と、女がまたクルリと寝返って、兵馬の方に向いてニッコリと笑いかけました。

         百二十九

 長浜から、琵琶湖の湖面へ向って真一文字に、一隻の小舟が乗り出しました。
 舟の舳先《へさき》の部分に、抜からぬ面《かお》で座を構えているのが、盲法師《めくらほうし》の、お喋《しゃべ》り坊主の弁信であって、舟のこちらに、勢いよく櫓《ろ》を押しきっているのが、宇治山田の米友であります。
 これより先の一夜、胆吹《いぶき》の上平館から、机竜之助の影を追うて飛び出して来た宇治山田の米友が、長浜の町へ来てその姿を見失い、そうして、たずねあぐんだ末が湖岸の城跡に来て、残塁礎石《ざんるいそせき》の間に、一睡の夢を貪《むさぼ》っていた宇治山田の米友であります。
 胆吹の御殿から、胆吹の山上を往来していた弁信法師もまた、飄然《ひょうぜん》として山を出て、この長浜の地へ向って来たのです。
 米友がここへ来たのは、竜之助の影を追うて来たのであるが、弁信の来たのは、竹生島へ詣《もう》でんがためでありました。
 弁信法師が竹生島へ詣でんとの希望は、今日の故ではありません。
 彼は習い覚えた琵琶の秘伝の一曲を、生涯のうちに一度は竹生島の弁財天に奉納したい、というかねての希望を持っておりました。
 今日は幸い、その希望を果さんとして、これから舟を借りて湖面を渡ろうとして、長浜の町から臨湖の渡しをたずねて来たのですが、そこは、勘がいいと言っても盲目のことですから、湖と陸との方角は誤りませんでしたけれども、臨湖の渡しそのものが湖岸のいずれにありやということを、たずねわずろうて、そうして、ついこの湖岸の城跡のところまで来てしまったのです。
 この湖岸の城跡というのが、そもそも名にし負う、羽柴秀吉の古城のあとなのでありました。秀吉が来るまでは今浜といったこの地が、彼が来《きた》って城を築くによって、長浜の名に改まりました。はからずここへ足を踏み込んで、弁信法師は杖《つえ》を立てて、小首をかしげてしまったのは、湖岸としての感覚と、古城址としての風物が、その法然頭《ほうねんあたま》の中で混線したからではありません。そこで、意外にも、例の残塁破壁の中に、動物の呼吸を耳にしたからであります。
 思いがけなくも、何か一種の動物があって、この残塁破壁の中で、快く昼寝の夢を貪って鼾《いびき》をかいている。
 それが弁信法師の頭へピンと来たものですから、杖を止めてその小首をかしげたのですが、これは、虎《こ》でもなければ※[#「「凹/儿」」、第3水準1-14-49]《じ》でもありませんでした。本来、琵琶湖の湖岸には左様に猛悪な猛獣は棲《す》んでいないのですが、そうかといって、穴熊の如きがいないという限りはない。
 しかし、幸いに、穴熊でもなかったと見え、弁信が小首を傾けた瞬間に、向うがハタと眼を醒して、
「誰だい、そこへ来たのは」
と言ったのは、まごうかたなき宇治山田の米友であったのです。
 紛う方なきといっても、知っているものは知っているが、知らないものは知らない。まして、弁信はまだ米友を知らず、米友はまだ弁信を知らなかったのですが、ここで初対面の二人は、存外イキの合うものがありました。
 一見旧知の如しという言葉もあるが、弁信は米友を見ることができないから、一勘旧知の如しとでもいうのでしょう――こうして二人は、湖岸の古城址の間で、相対して問答をはじめました。

         百三十

 湖岸に於ける二人の初対面の問答を、いちいち記述することは保留し、とにかく、それから間もなく二人は、こうして真一文字に舟を湖面へ向って乗り出したのです。
 勢いよく、小舟の櫓《ろ》を押しきっている宇治山田の米友は、櫓拍子につれて、
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十七姫御が
旅に立つ
それを殿御が
聞きつけて
とまれ
とまれと……
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 思わず知らず、うたい慣れた鼻唄が鼻の先へ出たのですが、何としたものか、急に、ぷっつりと鼻唄を断ち切った時、そのグロテスクの面に、一脈の悲愴きわまりなき表情が浮びました。
 そこで、ぷっつりと得意の鼻唄を断ち切って、悲愴きわまりなき表情を満面に漲《みなぎ》らしてみたが、やがて櫓拍子は荒らかに一転換を試みて、
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さっさ、押せ押せ
下関までも
押せば
湊《みなと》が近くなる
さっさ、押せ押せ
それ押せ――
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 実に荒っぽい唄を、ぶっ切って投げ出すような調子に変りました。
 唄が荒くなるにつれて、櫓拍子もまた荒くなるのです。
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さっさ、押せ押せ
下関までも
押せば
湊が近くなる
さっさ、押せ押せ
[#ここで字下げ終わり]
 以前の調子に比べると、鼻息も、櫓拍子のリズムも、まるで自暴《やけ》そのもののようです。
 自然、小舟の動揺も、以前よりは甚《はなは》だ烈しい。しかし、抜からぬ面で舳先《へさき》に安坐した弁信法師の容態というものは、それは相変らず抜からぬものであり、穏かなものであると言わなければなりません。
 それからまた、湖面の波風そのものも、以前に変らず、いとも静かなものだと申さずにはおられません。
 湖も、波も、人も、舟も、すべて穏かであるのに、漕ぎ手だけが突変して荒っぽいものになってしまい、
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船頭かわいや
おんどの瀬戸で
こらさ
一丈五尺の
櫓がしわる
さっさ、押せ押せ
下関までも
さっさ、押せ押せ
さっさ、押せ押せ
[#ここで字下げ終わり]
 そのたびに、櫓拍子が荒れるし、舟が動揺する。最初に、十七姫御が……と言って、古城の岸から漕ぎ出された時は、漕ぎ出されたというよりも寧《むし》ろ、辷《すべ》り出したような滑らかさで、櫓拍子もいと穏かなものでありましたのに、この鼻唄が半ば過ぎると急に、序破急が乱れ出し、唄が変ると共に呼吸が荒くなり、櫓拍子がかわり、舟が動揺し出しました。
 舟というものは、風と波とに弄《もてあそ》ばれることはあるが、風も波も静かなのに、人間が波瀾を起して、現在その身を托している舟そのものを弄ぼうということはあり得ないことですから、その動揺の烈しさにつれて、さすがの弁信法師も、つい堪りかねたと見えて、
「米友さん――どうしました、舟の漕ぎ方が少し荒いようですね」
 さりとて、弁信も特に狼狽《ろうばい》仰天して、これを言ったのではありません。相変らず舟の一方に安坐して、抜からぬ面《かお》で言いました。

         百三十一

 そこで、はじめて気がついたように米友が、
「うーん、そうだったか」
と言って、自暴《やけ》でこめていた櫓《ろ》の力を抜きますと、弁信が、
「ずいぶん、漕ぎ方が荒かったでございます、どうしたのですか、米友さん、わたくしはどうもそれがおかしいと思って、今まで、ひとりで考えてみました、最初この舟が、あの城あとの前から出る時は、ほんとうに穏かに辷《すべ》り出しました、その舟の辷り出す途端から、米友さんが櫓を押す呼吸も穏かなものでございましたのに――そこで、米友さんも自然に鼻唄が出てまいりましたね、水も、波も、舟も、櫓も、ぴったりと調子が揃《そろ》っておりました、そこで、その調子に乗って、おのずから呼吸が唄となって現われた米友さんの心持も素直なものでございました。わたしはそのときに別なことをこの頭で考えておりましたが、米友さんの唄が、あんまりいい気持でうたい出されたものでございますから、うっかりそれに聞き惚《ほ》れてしまいました。何と言いましたかね、あの唄は……十七姫御が旅に立つ、それを殿御が聞きつけて……おもしろい唄ですね、罪のない唄ですね、それを米友さんがいい心持でうたい出したものですから、わたくしも、つい、いい心持にさせられてしまいましたのです。あなたの音声に聞き惚れたのではございません、その調子がととのっておりました、米友さんの唄いぶりもおのずから練れておりました。あの唄は米友さんが長い間うたい慣れた唄に相違ありません、よく練れていました、気分がしっくりとしていました。関雎《かんしょ》は楽しんで淫せず、と古人のお言葉にありますが、大雅の声というものが、あれなんだろうと思われました、太古の民が地を打って歌い、帝力何ぞ我にあらん、と言った泰平の気分があの唄なんだろうと、わたくしは実に感心して聞き惚れていましたのに、それが半ばからすっかり壊れてしまいました。どうしてあんなに壊れたでしょう、あれほど泰平|雍和《ようわ》の調子が、途中で破れると、すべてが一変してしまいました、あなたの唄が変り、櫓拍子が変り、呼吸が変り、従って舟の動揺が全く変ってしまったのには、わたくしは驚いてしまいました。そうかといって、波風がまた荒くなったのではありません、湖の水流に変化が起ったわけでもありません、前に何か大魚が現われたという気配もございませんし、後ろから何物かが追いかけて来るような空気もございませんのに、ただ、米友さん、あなただけが、荒れ出してしまい、それから後のあなたの舟の漕ぎっぷりというものが、まるで無茶ですね、無茶と言えなければ自暴《やけ》ですね。さっさ押せ押せ、と言いながら、そうして自暴に漕ぎ出してからのお前さんは、いったい、この舟をどこまで漕ぎつけるつもりなのですか。下関といえば内海の果てでございます、それから玄海灘《げんかいなだ》へ出ますと、もう波濤山の如き大海原《おおうなばら》なんでございますよ。ここは近江の国の琵琶の湖、日本第一の大湖でございますが、行方も知らぬ八重の潮路とは違います、それだのに、米友さん、お前さんの、今のその漕ぎっぷりを見ていると、本当に下関まで、この舟を漕ぎつけて行く呼吸でした。下関までではございません、玄海灘――渤海《ぼっかい》の波――天の涯、地の角までこの舟を漕ぎかける勢いでございました」

         百三十二

 お喋《しゃべ》り坊主の弁信法師は、一気にこれだけのことを米友に向ってまくし立てたが、その間も安然として舳先《へさき》に坐って、いささかも動揺の色はありません。
 こちらは、いささか櫓拍子をゆるめた宇治山田の米友は、呆《あき》れ面に弁信の面を見詰めていましたが、ちょっとお喋りの呼吸の隙を見て、
「よく、喋る人だなあ、お前さんという人は……」
と言いました。
 米友は、お喋りが即ち弁信であり、弁信が即ちお喋りであることを、まだよく知らないから、一気にまくし立てられて呆れ返るばかりでありましたが、弁信の減らず口はまだ続きました。
「ねえ、米友さん、この舟は、下関や玄海灘へ漕ぎつけていただくのではございません、ほんの、この目と鼻の先の、竹生島まで渡していただけばそれでよいのです、そのことは米友さんもよく御承知の上で、わたくしが、さいぜんあの城跡のところで、わたくしの希望を申し述べますと、あなたが急に勇み立って、よし、そういうわけなら、おいらがひとつ舟を漕いで渡して行ってやる、なあに、三里や五里の間、一押しだい、と言って、特にこのわたくしを小舟で、竹生島まで送って下さるという頼もしいお言葉でございましたから、わたくしは、これぞまことに渡りに舟の思いを致さずにはおられませんでしたのでございます。仏の教えでは『到彼岸《とうひがん》』ということを申しまして、人を救うてこちらからあちらの岸に渡すのを舟に譬《たと》えてございます、善巧方便《ぜんきょうほうべん》を以て弘誓《ぐぜい》の舟にたとえているのでございます、般若波羅蜜多《はんにゃはらみった》は即ちこの到彼岸の大誓願の真言なのでございます。日蓮上人の御歌にも、ここに人を渡し果てんとせしほどに、我が身はもとのままの継橋《つぎはし》というのがございまして、人を度《ど》して自ら度せずというのが、またこれ菩薩の本願なのでございます。生々《しょうじょう》の父母《ぶも》、世々《せぜ》の兄弟《はらから》のことごとく成仏して而《しか》して後に我れ成仏せん、もし一人《いちにん》を残さば、われ成仏せずと、地蔵菩薩もお誓いになりました。極楽の御法《みのり》の舟に乗りたくば、胸の塵をばよっく鎮めよ、と御詠歌の歌にもございます。すべて舟というものはめでたいものでございますが、特に到彼岸の意味に用いられます場合に、果報この上もなくめでたいのでございます。わたくしの竹生島詣では、多年の誓願の一つでございまして、今日という日に、はからずもその誓願を果すの機縁をめぐまれました。長浜から竹生島までは、僅かに三里の舟路でございますが、目かいの見えぬわたくしと致しましては、多少の不安もございますので、湖岸の臨湖の渡しというのをたずねてまいりましたのですが、はからずもあなたという人にめぐり会ってみますると、うん、それなら、おいらが舟を漕いで渡してやる、お前のそういう結構な願がけから起ったんならば、おいらが舟を漕いで渡してやる、二里や三里は一押しだい! とおっしゃられた時は、わたくしは魂が天外に飛びましたのでございます。これぞ竹生島の弁財天が、特にわたくしのために金剛童子をお遣《つか》わし下されて、数ならぬわたくしの琵琶をお聴きになりたいとの御所望――こうまで先走っておりましたのに、半ばにして音声が変りましたねえ」

         百三十三

「ごらんなさい、米友さん、あなたが、あそこでちょっと気が変ったばっかりに、この通り舟の方向が、すっかり変ってしまいました。毫釐《ごうり》も差あれば天地はるかに隔たるとは、まことにこの通りでございます」
 米友はその時、櫓《ろ》を休めて、眼をまるくして弁信の面《かお》を見ていましたが、
「なんと、お前という人はよく喋る人だなあ――ひとり合点で、ちんぷんかんぷんを言ったって、おいらには分らねえ」
と怒鳴りました。
 けれど弁信は少しもひるまず、
「米友さんや、わたくしは一昨晩――胆吹山へ参詣をいたしましたのです、その時に、あの一本松のところで、山住みの翁《おきな》に逢いました。たいへん、あそこは景色のよいところだそうでございましてね、翁は隙があるとあの一本松のところへ来ては、湖の面《おもて》をながめることを何よりの楽しみといたしまして、ことに夕暮の風景などは、得も言われないと賞《ほ》めておりましたが、その時にわたくしが、わたくしの眼ではその美しい風景も見ることができませんが、そんな美しい琵琶の湖にも、波風の立つことがございますかと聞きますと、それはあるとも、ここは胆吹の山だが、湖をさし挟んであちらに比良ヶ岳というのが聳《そび》えている、胆吹の山も風雪の多い山ではあるが、湖に対してはそんなに暴風を送らないけれども、あちらの比良ヶ岳ときては、雪を戴いた山の風情《ふぜい》がとても美しいくせに、湖にとってはなかなかの難物でございますって――それと申しますのは、若狭湾《わかさわん》の方の低い山々から吹き送られてまいりまするところの北西の風が、ことのほかにたくさんの雪を齎《もたら》し来《きた》るのだそうでございます、そうして、あちらの日本海の方から参りまする雪という雪が、みんな比良ヶ岳の山に積ってしまうのだそうでございます、それで、そのわりに雨というものが少ないものでございますから、雪の解けることがなかなか遅いそうでございまして、冬から春さきにかけますと、沿岸の平地の方は温かになりますのに、山中及び山上は、甚《はなは》だ冷たいものでございますから、そこで温気と寒気との相尅《そうこく》が出来まして、二つの気流が烈しく交流をいたしますものですから、それが寒風となって琵琶の湖水に送られる時が、たまらないのだそうでございます。波風は荒れ、舟は難船いたし、人も災を蒙《こうむ》ることが多いのだそうでございます。そこで、この時分を、比良八荒《ひらはっこう》と申しまして、事に慣れた漁師でさえも、出舟を慎しむのだそうでございます。藤井竹外という先生の詩に『雪は白し比良山の一角 春風なほ未《いま》だ江州に到らず』とございました、あの詩だけを承っておりますと、いかにも比良ヶ岳の雪は美しいものとばかり思われますけれども、そういう荒い風を送るということを、わたくしは一昨日、胆吹の山住みの翁から承ったのでございますが、ちょうど今はまだ冬季に入っておりませんし、比良山にも雪がございませんそうですから、舟はどこまで行っても安心だそうでございます。ですから、外から起る波風の点におきましては、大安心のようなものでございますけれども、米友さんの胸の中に、波風が起ったばっかりに、舟がこの通り行方をあやまってしまいました、この舟で、この方向へ漕いでまいりましては、決して私共の心願のある竹生島へ着くことはできませんでございます」

         百三十四

 弁信が、さかしら立って、息もつかずまくし立てるので、さすがの米友も啖呵《たんか》を打込む隙《すき》がないのです。
「ねえ、米友さんや、さきほどもわたくしが、あなたに向って申しました、毫釐《ごうり》も差あれば天地遥かに隔たると申しました。それです、長浜の岸を出た時のあの調子で参りますると、舟は無事円満に竹生島へ着くことができたのです、それが途中でこんなに方向がそれてしまいましたのは、水が悪いわけではなく、また舟のせいでも、櫓のせいでもございませんのです、米友さんの心持一つなのです。なぜといって、ごらんなさい、あのとき米友さんが、いい御機嫌で鼻唄をうたい出しになりましたね、それ、十七姫御が旅に立つ、それを殿御が聞きつけて、とまれとまれと袖を引く……ずいぶんおもしろい唄で、無邪気なものでございましたが、それを唄い出しているうちに、米友さんの気持が急に変ってしまいました、その変ったことがわたくしの勘にはありありと分ったのです。あれを唄いかけて、あのところまで来ますと、何か昔のことを思い出したのに違いありません、たとえば故郷の山河が眼の前に現われて来たとか、幼な馴染《なじみ》の面影が前に現われたとかいうようなわけで、何かたまらない昔の思い出のために、米友さんは、あんなに急に気が荒くなってしまって、さっさ押せ押せ、下関までも、と自暴《やけ》に漕ぎ出してしまったのです、それに違いありません。それがあんまり変ですから、わたくしもこの頭の中で、米友さんの胸の中を、あれかこれかと想像しているうちに、おぞましや、自分も自分のつとめを忘れてしまいました。あなたに舟を漕いでいただいて、わたくしが水先案内をつとめねばならぬ役廻りでした、それを一時《いっとき》、わたくしはすっかり忘れてしまったのです。眼の見えないわたくしが、水先案内を致すというのも変なものでございますが、眼は見えませんでも、私には勘というものがございまして、天にはお天道様というものもございます、このお天道様のお光と、この頭の中の勘というものとを照し合わせてみますると、方角というものはおおよそわかるものでございます。ですから、これはやっぱりわたくしが悪いのでございました、責任がわたくしにあるのでございました、米友さんはただ舟を漕いでいただけばよいのでございました、右とか、左とか、取り梶とか、おも梶とかいうことは、その時々刻々、わたくしが言わなければならないのを怠りました、それ故に舟の方向をあやまらせてしまったのは、米友さんが悪いのじゃありません、案内役のわたくしが悪かったのです、米友さんの胸の中を考えるために、私がよけいな頭を使って、舟の方がお留守になりました、それ故ほんの一瞬の差で、舟の全針路を誤らせてしまいました。わたくしたちは全く別な心で出直さなければなりません、そうでございませんと、湖とは申せ日本第一の大湖、周囲は七十里に余ると承りました、迷えば方寸も千里と申します、ましてやこの七十里の湖の中で、二人は迷わなければなりません。米友さん、少しの間、舟を漕ぐことを止めていただきましょう、そうして、ゆっくり、わたくしがこの頭で考え直します、そうして、全く心を置き換えて、再び舟出をし直さなければ、竹生島へはまいれませんのでございます」

         百三十五

 米友が、ついに堪りかねて、憤然として弁信のお喋りの中へ楔《くさび》を打込みました。
「わからねえ、わからねえ、お前の言うことは一切合財《いっさいがっさい》、ちんぷんかんぷんで、早口で、聞き間に合わねえが、つまり、舟の行先が間違ったというんだろう、なあに、間違やしねえよ、爪先の向いた方へ真直ぐに漕いで来たんだ」
「それが、米友さん、自分は真直ぐなつもりでも、出発点というものが誤ると、その真直ぐが取返しのつかない道へ突っかけるものなのです、竹生島へ参りますには、戌亥《いぬい》へ向いて参らなければならないのに、この舟はいま未申《ひつじさる》の方へ向いて進んでいるのです、これでは竹生島へ着きません」
 米友は櫓の手を止めて、弁信の言葉にはあんまり耳を傾けず、渺々《びょうびょう》たるみずうみの四辺をグルグル見廻しておりましたが、急に威勢のはずんだ声を出して、
「待ちな――」
と言いました。
「待ちな、弁信さん、お前さっきから目も見えねえくせに、方角が違うの、この分では島へ着けないのと、ひとりぎめでやきもき言っているが、論より証拠だ、見な、島が見えるよ、つい、その鼻の先に、立派な島が浮いてるよ」
「えッ――島がありますか」
「見な――と言ってもお前にゃ、見えねえんだな、おいらのこの眼で見て間違えがねえ、そら、ちゃんと、この指の先に島があらあ」
 米友が指さす前には、たしかに蓬莱《ほうらい》に似たような島が浮んでいることは間違いがないのです。それは雲の影とあやまるにはあまりに晴天であり、陸岸の一部と見るには輪郭が鮮かに過ぎる――指さす目的物は見えないが、弁信が全く小首を傾げてしまいました。それは、今まで信じ切った自分の勘というものに自信が持てない。そういうはずはない。眼で見ることには見誤りがあっても、勘で行くことには誤りがないと、自ら信じて疑わない弁信法師が、この場合、正直な米友から、明白にこう証言されてみると、それをも疑う余地はないのです。
 自分の勘によると、この舟は全く針路を誤ってしまったから、このままでは目的の竹生島へは行けないのみか、かえって全くそれと相反《あいそ》れた方面へ進んでしまう――と信じ切っていたのに、眼前に島が現われた時間からいえば、まさに竹生島に到着してもよい時間になっている。そうして、両眼の明らかな、心術の正直な同行の人が、現物を指して、島があるというのだから、弁信が考え込まざるを得なくなったので、
「米友さん、違やしませんか、もしやそれは、水の上や海岸に起りがちな蜃気楼《しんきろう》というものではありませんか――そちらの方に竹生島があるとは、どうしても考えられません」
 それをも米友は、頑《がん》として受けつけないで言いました、
「蜃気楼なら、おいらも伊勢の海にいて知っているよ、あんな竜宮城とは違うんだ、そら、あの通り岩で出来て、木の生えた島が浮いている」
「では、やっぱり、竹生島でございましょうかしら、いつのまにか舟が北をめぐって、そうして竹生島の裏へ出たのかもしれません、そういうはずはありません、断じてありませんが、事実が証明する上は仕方ございません、わたくしの勘のあやまちでございましたか、或いは出舟の際の水先のあやまりでございましたか……」
「とにかくあの島へ舟を着けてみるぜ、いいかい、弁信さん」

         百三十六

 しかしながら、これは米友の眼の誤りでないことは勿論《もちろん》、弁信の勘の間違いでもなかったのです。
 竹生島を南へ三里余の湖上に、竹島というのがある。一名|多景島《たけしま》ともいう。そこへ二人は小舟を着けたのです。悲しいかな、能弁博学の弁信法師も、竹生島あることを知って、竹島あることを知りませんでした。米友に至っては、巧者ぶった弁信の鼻っぱしを少々へし折ってやった気持で、揚々として舟を沿岸の一角につけてみました。
 そうして置いて、弁信を舟から助け出したのですが、その時に弁信は、もう座前へ置いた琵琶を頭高《かしらだか》に背負いこんで、杖をつき立てていました。
 米友が案内に立って、この岩角の一方に路を求めつつ島の表口へ出ようとしたが、篠竹《しのだけ》が夥《おびただ》しく生えていて道らしい道がないので、押分け押分け案内をつとめ、ようやく小高い一角へ出ると、そこで早くも弁信のお喋《しゃべ》りが展開されてしまいました。
「米友さん――やっぱり違いました、この島は竹生島ではございません」
「じゃあ、何という島だ」
「何という島だか、わたくしは聞いてまいりませんでしたが、たしかに違います、竹生島と申しまする島は、金輪際《こんりんざい》から浮き出た島でございまして、東西南北二十余町と承りましたが、この島はそれほど大きい島ではございません」
「はーてな」
「これは何という島か存じませんが、ずっと小さな島です、多分人間は住んでおりますまい。ともかく高いところまで登りつめてごらんなさい、そうすれば必ず四方見晴しにきまっております、そこで、あなたの眼でよく見定めていただきましょう、竹生島は、あちらの方へさほど遠からぬところに見えなければならないはずでございます、南の方は陸つづき、多分、彦根のお城の方になりましょう、あなたの目でよく見届けていただきます」
「よし来た」
 米友は、心得て弁信を案内し、道なき岩道をのぼりかけたが、竹が多いし、大木もある、その木の上に真黒い鳥が夥しくいる。巌の下の淵《ふち》をのぞくと、また夥しい美鳥がいる。
「下のは鴨、上の真黒いのは何だい、烏じゃねえ、鵜《う》だ、鵜だ――畜生、逃げやがらねえ」
と、岩角で地団駄を踏んでみて舌を捲いたのは、この夥しい鳥が、ちょっとやそっと威《おど》してみたところで、お感じのないことです。
「畜生、畜生――」
 米友が、ムキになって鳥を追うものですから、弁信が、
「米友さん――鳥が驚かないのが人の住まない証拠です、島が小さくて、畑を作るべき土地も、面積もないから、人が住まないのです」
 斯様《かよう》に弁信が断定を下しながら、米友を先に立てて行くうちに、米友がまたも叫び出しました、
「弁信さん――お前の言うことは、どうもあんまり当てにならねえ」
「どうしてですか」
「お前は、この島に人が住まねえと言ったが、これこの通り、ちゃんと、人の住んだあとがある」
「え?」
「これ見な、この岩の一角を切り拓《ひら》いて、ちゃんと人間の住居《すまい》がこしらえてある、これ見な、やあ――木魚があらあ、お経の本があらあ――鉦《かね》太鼓があらあ……」
 米友は自ら好奇をもって進入したところには、岩に沿うているけれども洞穴ではなく、たしかに人間のむすんだ草の庵《いおり》があるのです。

         百三十七

 弁信の人が住んでいないと言ったのも、米友の人が住んでいると証明したのも、どちらも誤りではありませんでした。
 その草の庵には、過去に於て、人の住んでいた痕跡は充分ですが、現在に於て、人の住んでいないという証拠もたしかです。
 米友は遠慮なく、中へ入って調べてみると、米塩があり、炊爨具《すいさんぐ》があり、経机があり、経巻があり、木魚があり、鉦がある。たしかにここで、或る期間、行いすましていた修行者があったのだ。
「南無妙法蓮華経と書いてあらあ」
 机の上の経巻を取り上げた米友はこう言って、また投げるように机の上へさし置いた時に、縁に腰かけて休んでいた弁信は、何と思ったか、頭高に負いなしていた琵琶を、えっちらおっちらと背中から取卸してかたえに置くと共に、自分は腰かけたままで、つくづくとものを考えさせられているもののように、首低《うなだ》れてしまいました。
 その間に米友は、いっさんに後ろの高い巌角の上にはせ登って、そこに突立って、琵琶の湖水の展望をほしいままにしました。
「素敵だなあ! 豪勢だなあ!」
と、方向を物色することは忘れて、風景の大観に見惚《みと》れてしまったようです。
 米友は、久しく海を見ませんでした。この道中は名にし負う木曾街道でしたから、海というものを眺める機会があろうはずがない。ゆくりなく、尾張の名古屋城の天主閣へ登った時、海が見えないとは言わないが、海を見るより鈴鹿峠の山を遠く眺めて、歯ぎしりをしました。
 今日只今ここに立って見ると、見ゆる限りは水です。この水は潮ならぬ海とはいうけれども、潮の有ると無いとを論ぜず、米友の眼では満目の海を眺めて舌を捲いたが、詠嘆の次に来《きた》るところのものは伊勢の海の風光でした。伊勢の海以来、米友は海を見たことがない。海を見たことがないとは言えないけれども、伊勢の海だけが、生涯のうち全く忘れがたなき海の印象として残されている。
 ことにあの、大湊《おおみなと》の一夜――あの時に、あの晩に、お君を擁護して大湊の与兵衛の舟小屋をたずねなければ、こういうことはなかったのだ。あれがああなって、ああいう義理で、あの旅の武士のために、危機を冒してあの大湊の与兵衛の舟小屋をたずねなければ――
 米友は物を見ると聯想が早い。米友のは聯想が忽《たちま》ち混線となる、混線がやがて無差別となる。一時はすべての若い女がみんなお君の姿に見えたことがある。今や琵琶の湖も、伊勢の海も、米友の頭の中ではごっちゃになり、今の時も、大湊の一夜の時も、差別がつかなくなってしまいました。
 だが、本来は馬鹿でないこの男は、忽ち醒《さ》めて、そうして、確《しか》と湖水の四方の陸と島とを弁別してから、以前の庵のところに立戻って来ると、弁信法師は以前のままの姿で首低《うなだ》れて考え込んでいましたが、やがて言いました、
「米友さん、わたくしは暫くひとりでこの島に留まりますから、あなただけお帰り下さい、帰って胆吹山の皆さんに、よろしくお伝え下さい」

         百三十八

 牡鹿半島《おじかはんとう》の月ノ浦に碇泊している駒井甚三郎が新規創造の蒸気船「無名丸」の、檣《マスト》の上の横手に無雑作に腰打ちかけて、高らかに、出鱈目《でたらめ》の歌をうたい込んでいるのは清澄の茂太郎。
 今晩は星の夜です。最初のうちは無言に星の数を数えていましたが、天文に異状なしと認めて、それから例によって出鱈目の歌にとりかかりましたのです。
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ジンド・バッド・セーラ
ジンド・バッド・セーラ
ジンド・バッド・セーラ
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 これを、幾度か声高らかに、高いマストの横手の上で唱え出したものですから、静寂な石巻湾の天地に響き渡りました。
 あたりにもやっている船でも、港の漁家でも、このごろはさして、それに驚きません。
 また、あの船長様のお船で始まったよ、船長様のお船には珍しい活発な男の子が一人いて、よく歌い、よく踊る、ということはこのごろ、港の評判になっておりますから、こう突然に夜中に高い声で、突拍子もない音調が聞え出しても、誰も特に驚かされるものはなく、また始まった! といって、いやな顔もしないで、かえってその出鱈目に聞き惚れようとする気色ありげに見えるくらいです。まず、
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ジンド・バッド・セーラ
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を繰返してから、やがて、音調が一変して、
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皆さん――
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と演説口調になるのです。聴き手を前に置いての演説ではなく、ただ無意識に、天地と物象とに向って呼びかけたくなって、かく叫び出すのも、この子供の出鱈目の一つの形式なのであります。
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皆さん
ジンド・バッド・セーラを御存じですか
あれはアラビヤの国の
船のりです
一生のうちに
幾度も船で
大海へ乗り出して
命とつり替えに
すばらしい宝を
たくさんに取って帰りました
マドロス君が
よくその話を
知っています――
あの話は
たまらないほど
面白い
あとを聞きたい
まだまだ
一千一夜の間も
語れば語り尽すほど
面白い話があります
ところが皆さん
マドロス君のやつ
駈落《かけおち》をやり出してね
この船を逃げ出したものですから
あとを聞くことが
できません
マドロス君という奴は
だらしのない奴です
憎い奴です
そこで田山白雲先生が
あれをつかまえに
おいでになりました
だがお嬢さんも
よくない
罪はどちらが重いか
それはあたしは知らない
バツカ、ロンドン、ツアン
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 文句として見ると出鱈目の散文に過ぎないけれども、この子供の咽喉《のど》を通して聞くと、歌になり、詩になって現われるのです。

         百三十九

 マストの上の茂太郎は、誰も聞き手のない出鱈目、喝采《かっさい》の反響の起らない演説を、声いっぱいに続けています。
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さて皆さん
田山白雲先生は
必ず
あのマドロス君を
とっつかまえて
戻ると
私は固く信じているのです
マドロス君の奴
田山先生に
会っちゃあかないません
だが
七兵衛おやじの方は
おそらく田山先生でも
つかまえることは
できないだろうと
私は考えている
七兵衛おやじは
容易には
この船へ
戻っては来まい
と思われる
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 こましゃくれた言い方ではあるが、その咽喉は澄みきっているから、聞きようによっては、詩を朗吟するように聞きなされて、静かに耳を傾けていると、決して悪感《あっかん》は起らない。
 だから、この船の内外でも、茂太郎の出鱈目《でたらめ》がはじまると、最初のうちは苦笑したものですが、今ではそれがはじまると、かえって自分たちが鳴りをひそめて、そのうたうだけを歌わせ、聞けるだけを聞いてやるという気になって、わざと静まり返るようにもなっている。そこで、このごろでは、茂太郎は、その壇場を何人にも乱されることなく、ほしいままに占有することを許された形になっている。
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マドロス君のような
だらしない奴でも
また憎めないところがある
戻って来れば
私は悪い気持がしない
七兵衛おやじが
当分戻れないと
考えると悲しい
悲しいのは
そればかりじゃない
たずねて
わからない人が
幾人もある
逢いたいと
思うけれども
逢えない人が
この世に
幾人もある!
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 こう言って、茂太郎は、行住坐臥の間に、常にその小脇にかいこんでいる般若《はんにゃ》の面を、ちょっとゆすぶりました。
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わたしは
弁信さんに逢いたい
わが親愛なる
盲法師《めくらほうし》の
お喋《しゃべ》り坊主の
弁信よ
甲州の上野原で
別れてから
海山はるかに
行方がわからない
弁信さん
お前は今
どこにいるんだい
逢いたいなあ
弁信さん
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 朗徹なる童声のうちに、ここで幾分かの感傷が加わりましたが、やがて、調子がうつって、在来の俗謡になりました。
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九つやあ
ここで逢わなきゃ
どこで逢う
極楽浄土のまんなかで……
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         百四十

 最初の、ジンド・バッド・セーラは単に音頭でありました。なかごろのは演説の変形した散文詩でありました。最後に至って、節調を全うした俗謡のうちの数え唄になったのです。
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九つやあ
ここで逢わなきゃ
どこで逢う
極楽浄土のまんなかで……
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 これは、俗調ではあるけれども、音節が出来上っている。それを明朗にうたい出したのですが、その俗調のうちに、かぎりなき哀音がありました。
 感傷が唄をうんだのか、唄からまた更に感傷が綻《ほころ》び出したのか、右につづいて清澄の茂太郎は唄い出しました、

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一つとやあ
柄杓《ひしゃく》に笈摺《おいずる》
杖に笠
巡礼姿で
父母を
尋ねようかいな

二つとやあ
二人で書いたる
笠じるし
一人は大慈の
神だのみ――
悲しいわいな

三つとやあ
三つの歳には
捨てられて
お父さんや
お母さんの
面《かお》知らず――
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 つまり、ありきたりの巡礼唄を無造作にここまでうたい来《きた》ったのですが、急にまた歌と調子とを一変した茂太郎は、

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あたたかく
握り合う
その手がないので
私はひとり
合掌して
長い黙祷に沈むのです

やさしく
笑《え》みかわす
その瞳がないので
私はひとり
瞑目《めいもく》して
涯《はて》なき想念に耽《ふけ》るのです

ついに
めぐり逢えない
私の魂は
…………
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 こういう詩を高らかに吟じ出したのですが、その声は、ひとり演説の時に比べて、はるかに晴れやかなものになっていました。内容が感情をよそにして、口調に左右されるまでのことですから、悲しい歌を、喜びの調べもてうたうこともある。喜びの唄を、かなしみの曲でうたうこともある。こうなり出すと、音声そのもののために、歌の内容も本質もめちゃくちゃにされてしまいます。ただ、音声そのものの有する交錯と魅力だけが、時を得顔に乱舞する。
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皆さん
イエスキリストは
よみがえりました
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 茂太郎は器量一杯の声で、突然かく叫び出すと共に、例の般若の面を、また、しかと小脇に抱え直して、高いマストの上から、船の甲板の上をのぞき込むように見下ろして、
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ごらんなさい
この帆柱の下で
金椎《キンツイ》さんが
イエスキリストに向って
祈りを捧げています
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         百四十一

 今まで、海と空とを水平に見て、唄いたい限りをうたっていた清澄の茂太郎が、急に下の方の甲板を見下ろして、
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金椎さんは
イエスキリストを
信じています
あの人は黙って働きます
口が利《き》けないからです
金椎さんは
驚きません
耳が聞えないからです
ですけれども
あの人は
イエスキリストを
信じています
働くことのほかには
聖書を読み
聖書を読むことのほかには
祈りを上げています
ごらんなさい
この帆柱の下で
いま金椎さんが
イエスキリストに
祈りを捧げています
[#ここで字下げ終わり]
 この少年の眼が特にすぐれていて、夜の空で、肉眼では見難い星の数を苦もなく数えることは、以前に述べたことがある。
 その眼で――今、暗い中空から燈火《あかり》のない甲板の上を見下ろすと、なるほど、そう言われてみるとその通り、一人の小さな人体が跪《ひざまず》いて、一心に凝固《こりかた》まっている形が、ありありと認められる。
 よく見ると、それは例の支那少年の金椎でした。金椎は、いま茂太郎によって紹介された通り、この船の中の乗組の一人で、救われたる支那少年です。
 茂太郎が帆柱の上でジンド・バッド・セーラを唄い出した時、或いはその以前から、ここに跪いて、こうして凝り固まっていたものに相違ない。
 今、改めて、帆柱の上からこうしてけたたましく存在を紹介されても、更に動揺するのではありませんでした。ひざまずいて凝《こ》り固まっている形は、少しも崩れるのではありませんでした。
 その時に、マストの上の茂太郎が、また前の姿勢に戻ってうたい出しました。
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留《とめ》の地蔵様
つんぼで盲目《めくら》
いくら拝んでも
ききゃしない!
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 せっかく紹介しても紹介し甲斐がない。宣伝を試みても宣伝甲斐がない。我等うたえども、彼踊らず、です――下の凝り固まりがいっこう動揺しないものですから、茂太郎はあきらめてこういうふうに開き直ったのですが、それとても、イエスキリストを祈っている人に対しての当てつけでもなければ、御利益《ごりやく》の少ない地蔵様に対する冒涜《ぼうとく》でもない。歌を詩に直し、詩を歌に直し、もしくは、韻文を散文に直す一つの技巧――平俗に言えばテレ隠し、むずかしく言えば、唐代に於て「詩」が「詞」となり、「填詞《てんし》」ともなり「倚声《いせい》」ともなるその変化の一つの作用と見てもよろしい。
 檣上の小宣伝家は、相手が唖《おし》であり、聾《つんぼ》である――或いは聾であるが故に唖であり、唖であるが故に聾――どちらでもかまわないが、これは相手にはならないと見て、また開き直って、次なる出鱈目の用意にとりかかった時、はじめて下から音声がありました。
「茂ちゃん、もういいかげんにして下りていらっしゃい」
 その声は、聡明なる響きを持つ若い女の声でありました。

         百四十二

 下から婦人の声で呼びかけられて、清澄の茂太郎は、
「お松さんですか」
「茂ちゃん、下りていらっしゃい」
「お松さん、もう少し――」
「夜露にあたると毒ですよ」
「お松さん、あたいは、すいきょうでこうしているんじゃないのです」
「何でもいいから、もう下りていらっしゃい」
「まだ下りられません」
「どうして」
「あたいの、ここへ上っているのは、物見のためなんです」
「暗いところで何が見えます」
「天には星の光が見えます――北斗七星の上に動かない星があります、右は牡牛座で、左は馭者座《ぎょしゃざ》でございます、で、頭の上はカシオペヤでございます。カシオペヤは、エチオピア王の王妃で、お喋《しゃべ》りでございました――と駒井の殿様……ではない、船長様が教えて下さいました。ですが、あたいは今晩は、その星をながめる目的だけにここへ上ったのではないのです、ねえ、お松さん、あたいは物見のために、今晩はここへ上って、こうして人を待っているのですよ」
「誰を待っているのですか」
「いろいろの人を待っているのです、だが、いくら待っていても帰らない人があります、待てばそのうちには帰る人もあります、やがて眼の前へ直ぐに帰って来る人もあります。その第一の人は弁信さんで、あの人はいくら待っても容易には戻ってくれまいと思います。次は七兵衛親爺です、七兵衛親爺はいま直ぐというわけにはまいりませんが、待っていさえすれば、そのうちには帰って来ます。第三の人は、即刻只今、戻って来そうですから、それをあたいは、この檣《ほばしら》の上でお星様の数を数えながら、歌をうたって、待っているのです。皆さんはただ、わたしが道楽でこうしているとばっかりごらんになるかも知れませんが、これで待つ身はなかなか辛いのです」
「茂ちゃん、生意気な口を利くのではありません、誰がこの夜中に、ここへ戻って来るのですか」
「マドロス君です、それから、お嬢さんの萌《もゆる》さんです、この二人は今晩にもここへ戻って来る――あたいの頭ではどうもそう思われてたまらないから、それで、こうして遠見の役をつとめているんです」
「そんなことがあるもんですか、この夜中に、あの人たちが……」
「ところが、どうです、お松さん、そらごらんなさいませ」
「どうしました」
「そら、バッテイラが戻って来ます、海の上を真一文字にバッテイラが、こちらへ向って来ます――バッテイラの舳先《へさき》には、カンテラが点《つ》いています」
「本当ですか」
「本当ですとも――お松さん、あたいの眼を信用しなさい」
と清澄の茂太郎は、海の彼方《かなた》の万石浦《まんごくうら》の方を見つめながら言いました。
 茂太郎から、眼を信用しろと言われると、お松もそれを信用しないわけにはゆきません。茂太郎だの、弁信だのというものの五官の機能は、特別|誂《あつら》えに出来ているということを、日頃から信ぜざるを得ないのです。だが、この夜中に、あの駈落者の二人が、舟で舞い戻って来るとは考えられない。
 そこで、半信半疑で、お松も暗い海の面をながめやりました。

         百四十三

 だが、ほどなく、茂太郎の予告の確実性を、事実がよく証明してくれました。
 漁船の中を押しわけて、万石浦方面から飛ぶが如くにバッテイラが漕ぎつけられて来るのは、その舳先のカンテラの進行だけでもよくわかる。
 それと知って、船の乗組は一度に動揺しました。
「なに、マドの奴が帰って来たと、よく面《つら》を面と戻って来やがった、今度こそは、とっつかまえて、ぶっちめろ」
 さすがに訓練されたこの船の水夫たちが、手ぐすねを引くのも無理のないところであります。
 お松は、それをなだめるのに力を尽しました。
「たとえ、あの人が悪いにしても、戻って来たからには、きっと、後悔をして、お詫《わ》びをするつもりで来たのでしょう、それを、いきなり手込めにはできません、船長様の御裁判を仰いで、それから処分をしなければならないのです、皆さん、決して、手荒なことをなさいますな」
 ほどなく船腹へ漕ぎつけられたバッテイラには、紛うかたなきマドロスがいる。兵部の娘らしいのが面《かお》を蔽《おお》うて寝ている――
「田山先生」
と、お松が一番先に出て、このバッテイラを迎えると、当然、保護して来たと思われる田山白雲らしい姿も、声もないのが、やや異常に感じさせました。
「この船は、駒井甚三郎殿の無名丸でございますな」
 容貌|魁偉《かいい》なる田山白雲の姿の見えない代りに、短身長剣の男が一人|舳先《へさき》に突立って、ものを言いかけましたから、
「はい、さようでございます」
とお松が答えました。
「拙者は、田山白雲先生から頼まれまして、二人の人を送ってまいりました」
「それはそれは、御苦労さまでございます、どうぞ、それからお上りくださいませ」
 無名丸の方でも、篝《かがり》を焚き、梯子を投げかけてくれたものですから、その時バッテイラの舳先にいた短身長剣の男が、櫓《ろ》を控えてテレきっているマドロスを促して、
「マドロス君――君さきに上り給え、そうだ、萌《もゆる》さん――君、マドロス君、萌さんをおぶって上り給え」
「キマリ悪イデス」
 マドロスが、いやに尻込みするのを、短身長剣が、
「きまりがいいも悪いもない、君、そのままで萌さんをおぶって、早く上り給え」
「デハ――もゆるサン……」
 マドロスが無恰好の背中を向けると、毛布を頭からすっぽりかぶったままの兵部の娘を、短身長剣が押しつけるようにして、マドロスの背中にたける[#「たける」に傍点]と、やむことなく、それをおぶい、それにおぶさって、二人はまずバッテイラから本船に乗り移る。出でむかえて見ている水夫共は、苦々しい面をして睨《にら》みつけているが、さすがに、それをぶちのめす者もない。お松だけがかいがいしく、
「マドロスさん、あなたにも全く困りものです、みんながドノくらい心配したか知れやしません、まあ、ともかく、わたしの船室へいらっしゃい、委細をお話ししてから、船長様へ、わたしがお詫びをしてあげます」

         百四十四

 最後にバッテイラから、本船に上った短身長剣――柳田平治は、
「では、君たち、あの小舟の始末を頼むよ」
と言い捨てて、続いて船室へと導かれて行こうとすると、そこへ、いつのまにか檣《ほばしら》の上から下りて来た清澄の茂太郎が立ち塞がって、
「君――田山先生は帰らないの」
「あ、田山先生はな……」
と柳田平治は、この少年のために甲板の上に暫く抑留の形となって、
「あとから帰るよ」
「では、七兵衛おやじは――」
「七兵衛おやじ――そんな人は知らんよ、そんな人は知らないけれど、田山白雲先生は、もう三日したらこの船に戻られるはずだ」
「そうですか――さあ、その三日のうちに、七兵衛おやじが見つかればいいが……」
 柳田平治は、この少年の、ませた口の利《き》きぶりを怪しむのみではない。その後生大事に左の小脇にかいこんでいる何物をか、よく見ると、それは一箇の般若《はんにゃ》の面に相違ない。そこでなんだか一種の幻怪味に襲われながら、
「それは、見つかるだろう」
「そうかしら、あたいは、どうもそれが覚束《おぼつか》ないと思うんだが」
「見つかるよ、心配し給うな」
 柳田平治は、七兵衛おやじの何ものであるかを知らない。また、この少年の何ものであるかを知らない。だが、田山白雲が、この二人の駈落者のほかに、まだたしかに尋ねる人があるらしいことだけは、相当に合点《がてん》している。その者がいわゆる七兵衛おやじなる者だろうか。果して田山白雲が、この二人の駈落者を突留め得た如く、七兵衛おやじなるものを捕え得るかどうかということには、全然当りがついていない。しかし、この舟の者が、こうまで心配していることを見計らって、相当の気休めを言ったつもりなのだろうが、それを肯《うけが》わない清澄の茂太郎が、
「そうはいかないよ、君、そう君の考えるように簡単に見つかりませんよ、七兵衛おやじは……」
 意外千万にも、このこまっちゃくれた少年はこう言って、柳田の一片の好意を否定してかかりましたから、ここでも柳田平治は、ちょっと毒気を抜かれて、
「ナニ、つかまるよ、田山白雲先生は豪傑だから、直ぐ捉まえて縛って連れて来るよ、安心し給え」
 こう言うと、この幻怪なる少年が、いよいよ承知しませんでした。
「君、それは違うよ、田山先生は、マドロス君とお嬢さんを捉まえに行ったのは本当です、あの二人は駈落者《かけおちもの》なんだから、それを捉まえて逃さないように、場合によっては縛っても来ようけれど、七兵衛おやじは捉まえに行くんじゃない、探しに行ったんだよ」
「そうか、それにしたって、大したことはないよ」
 この幻怪な少年に抑留されたために、柳田平治は殿《しんがり》となって、通ろうとしたお松の船室への行方を見失ってしまいました。
「キャビンへいらっしゃい、案内してあげます」
 それを心得た清澄の茂太郎は、案内顔に先に立ったが、
「その刀、持って上げましょう」
 甲板から船室へ下るには、つかえそうな長い刀。
 茂太郎も、最初から、その長い刀に興味を持っておりました。

         百四十五

 それから、マドロスと、兵部の娘とは、体《てい》のいい監禁を施して置いて、その夜は一晩無事に寝《やす》み、翌朝、お松が柳田平治を案内して、船長室に駒井甚三郎を訪問しました。
 その時も、柳田平治は、例の三尺五寸の大刀を差込んで、駒井の部屋へ行ったのですが、刀があちこちに触りそうで、一方《ひとかた》ならぬ窮屈を感じながらも、少しもこれを手ばなすことをしないのです。
 駒井甚三郎の船長室へ案内されて見ると、なにもかも一種異様の感触を与えずには置きません。
 その室内には、見馴れぬ舶来の機械や、図絵が満ちている。室内の調度そのものも、大きなデスクを置き、椅子を並べ、絨毯《じゅうたん》を敷いて、この日の本の国の建築の間取座敷とは、てんで感じを異にする。その大きな卓子《デスク》の前に、海図をひろげて、椅子に腰かけている当の船長そのものの風采《ふうさい》が、また、恐山から出た柳田平治にとっては、予想だもせざる異風でした。
 面貌風采は、たしかに日本人に相違ない。髪も赤くはないし、眼も碧《あお》くはないのだが、その漆黒の髪は散髪で、ザンギリで、そうして着ているところのものは洋服で、穿《は》いているのはダンブクロ。柳田平治は、最初この船へ乗せられた時から、異様の情調に堪えられなかったのですが、この船長室へ入れられて、船長その人に当面に面会させられてみると、むっとしてむせ返るような気持に迫られました。
 お松の紹介の言葉も、ほとんど耳に入らないでいると、先方の言葉は存外穏かな、気品のある言葉で、
「そうですか、それは御苦労でしたな」
という船長そのものの言葉が耳に入った途端に、お松が、
「駒井の殿様――いえ、船長様でいらっしゃいます」
と紹介したのですが、柳田平治は極めてブッキラボウに、
「は、そうですか、拙者、柳田平治です」
と答えたきりです。
「君は南部の恐山方面から出て来られたそうだね」
 駒井甚三郎は、田山白雲からの手紙を置いて、柳田平治に問いかけると、
「は、左様であります」
と、ここでもシャチコばった返事だけです。
 単にこれだけの挨拶でしたが、そこに、何かそぐわない空気をお松は早くも認めたのですが、さて、急にどう取りつくろう術《すべ》もないでいる。
 駒井甚三郎は、ただ単に、初対面の書生を引見しただけの気分でしたが、柳田の方は最初からの一種異様な印象が、この時分になって、ようやく不快を萌《きざ》してきました。
 駒井甚三郎がその長い刀の方へ眼をつけると、この船長、これが眼ざわりだな――と変に疑ぐり、駒井が黙っていると、気取って山出しのおれを軽蔑している――柳田の頭は、ようやく反感から僻《ひが》みの方へ傾いて、
「おれは断然、この船長は好きになれない!」
 柳田の頭へ来た印象はこれです。同時に、
「田山白雲氏に対しては、一見、先生と言って尊敬するに堪えるが、この若い毛唐まがいの船長なるものは、おれの口から進んで追従《ついしょう》をいう気にはなれない」
 こういったような空気が湧き出して来たのを、お松が早くも見てとりました。

         百四十六

 そんなような初対面の空気のままで、柳田平治は船長室を引下りました。
 それから船中を往来するごとに、柳田の不快はことごとに増すばかりでした。不快といっても、特に理由があるわけではない、誰もこの男を特に冷遇したり、嘲笑したりする人なんぞは一人もあるのではないが、平治が船の中を歩くと、行き逢うほどの人が、その長い刀を見て変な目つきをする。それが八分の冷笑を含んでいるかのように、平治には受取れてならない。
 単にこの長い刀を眼の敵《かたき》にするのみではない、自分の歩きっぷりがギスギスしているといって、あとで指差して笑っているような気持がする。それにこの中の水夫共までが、みんなダンブクロを穿いているのも癪《しゃく》だ。船そのものの洋式はまあやむを得ないとしても、船長をはじめ、衣裳風采まで日本人のくせに、毛唐化せねばならぬ理窟があるか。
 こんな船の中に、どうして、あの豪傑肌の田山白雲先生が一緒におられるのか、それがそもそも一つの不思議でならない。
 田山白雲のための船の一室におさめられた柳田平治は、そこで、彼は長い刀を枕にして、ゴロリと横になって、船室の天井に向けて太い息をふっと吹きかけ、
「いやだ、こんなところに長居をしたくない、そう思うと一刻もいやだ――本来、おれは江戸へ出て武者修行をするつもりで来たのだ、こんな毛唐まがいの船の中へ捕虜にされるつもりで来たのではない」
 こう言って、奮然として起き、枕とした例の長い刀を取り上げてみたが、さすがにまた思い直さざるを得ざるところのものがある。
「第一、手形がない」
 道中唯一の旅行券を渡頭《わたしば》で、いい気になって居合を抜いた瞬間に、何者にか抜き取られてしまっている。ちぇッ。
「第二、田山先生に済まない」
 駈落者護衛の使命だけは無事に果したが、まだ、少なくとも三日間の後に帰ると言った田山先生を、この船で待受けると言った約束は残っている。
 さすがにこれだけの理由と事情とが、一時の癇癪《かんしゃく》を抑えるだけの力を持っておりました。
 それに、もう一つ――いろいろ自分を船で引廻してくれる、あのお松さんという娘――あの人はいい人だ、あの娘さんだけには断然、好感が持てる。
 こんなことを考えているところへ、扉をコツコツと叩いて、一人の小坊主が、お盆を目八分に捧げて突然入って来たものですから、柳田平治も多少驚きました。
 平治が多少驚いたのに頓着せず、右の小坊主は、ちょっと頭を下げて、それからお盆を恭《うやうや》しく平治の前の畳の上に置き、そうしてまた恭しく平治に一礼して、無言で入って来て、無言で出て行ってしまいました。
 平治として、百物語の一ツ目小僧にお茶を運ばれたような思いがしないではありません。
 変な小坊主だ、坊主頭に、ちょっぴりと毛を置いて、着ている服は紅髯《あかひげ》のとは様子が違うし、目玉、髪の毛も青くはないが、やっぱり我朝のものではない。変な奴ばかり集まっている船だ。
 もちろんこれは、舟の乗組の一人、聾《つんぼ》にして唖《おし》、イエスキリストを信ずること深き支那少年|金椎《キンツイ》であったことを、柳田平治はまだ知りませんでした。

         百四十七

 その時分、青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛は、例の怪足力で出羽奥州の広っ原のまんなかを、真一文字に歩いていたのです。
 旅に慣れきった七兵衛も、これは広い荒野原だと、呆《あき》れずにはいられません。
 同時に、これもやむを得ない、自分は今、名にし負う奥州の安達ヶ原の真中を歩かせられているのだ。
 安達ヶ原だから、広いのもやむを得ない。しかし、こうして覚えのある足に馬力をかけてさえいれば、たとえ安達ヶ原であろうと、唐天竺《からてんじく》であろうと、怯《おく》れを見せるがものはない。ただ、今まで自分の経験に於てはじめて見る荒涼たる広っ原だと、多少の呆れをなしたもので、退倒を来たしたわけではないのです。
 安達ヶ原だから広い。その広い安達ヶ原を歩かせられていると観念してみれば、いまさら広いことに呆れるというのも知恵のない話だとあきらめて、せっせと足に任せて歩いているが、太陽がようやく自分の背の方に廻ったことに気がつくと、さあ、今晩の宿だ。東海東山の旅路では、どう紛れこんでも、何かある。山神村祠か山小屋、瓜小屋の類《たぐい》を、どこかの隅で見つけないことはないのだが、奥州安達ヶ原とくると、ないといえば、石っころ一つない――土を掘って、穴を作って寝るか、木の上へ枝をかき集めて巣を作って眠るか。
 いったい、この安達ヶ原というやつは、どこで尽きるのだ。
 七兵衛は歩きながら、こういう疑問をわれと自問自答してみましたが、七兵衛の地理学上の素養が、この際、それと明答を与えてくれませんでした。
 それそれ、奥州の涯《はて》は外《そと》ヶ浜《はま》というところだと聞いている。してみると、この安達ヶ原を通り抜けると、外ヶ浜へ出る――外ヶ浜はいいが、浜となってみると、それからは海で、そこで陸地が尽きるのだ。安達ヶ原を乗切るのはいいが、乗りきって海へ出てしまったんではなんにもなるまいではないか。そのくらいなら、ドコかで方向転換をしなければならぬ。
 方向転換の手段方法として、方位方角の観念だけは、七兵衛の経験と感覚が、その用を為《な》すに充分である。どう間違っても、天に日があり、地に草木がある限り、東西南北の観念をあやまるような七兵衛ではないが、しかし、東西南北がたよりになるのは、そのうちのどれか一方に目的がある場合に限るので、東西南北いずれの方へ出たら近路につけるかという観念のない時には、東西南北そのものが指針とはならないのです。
 長州の奇傑|高杉晋作《たかすぎしんさく》は、「本日東西南北に向って発向仕り候」と手紙に書いたそうだが、最初からそういう無目的を目的として発向するなら是非もないが、少なくとも今の場合の七兵衛は、いかに生来の怪足力とはいえ、歩くことのために歩いているのではない、どうかして無事に人里に出たいものだ、正しい方向に向って帰着を得たいものだ――と衷心に深く欣求《ごんぐ》して、ひたぶるに歩いているのです。
 東西南北のいずれを問わず、ともかく何かひっかかりのある地点へ出てみたいものだと歩いているのです。ところが、やっぱり原は呆れ返るほど広い。
「安達ヶ原は広いなア――」
と七兵衛が、今更の如くにまた呆れた時分に、日は野末《のずえ》に落ちかかりました。

         百四十八

 常の七兵衛ならば、足に於て自信があるように、旅に於ても、その用意のほどに抜かりはありませんでした。
 たとえば、この行程幾日、もし間違って横へ走っても何日――その間の地理学上、よし絶食しても幾日の間――そういうことの予算をちゃんと胸に畳んで走りもし、逃げもし、変通もしていたのですが、今回は、なにしろはじめての奥州路、その用意をするにも、しないにも、その機会と材料とを絶対に与えられない縄抜けの身となって、着のみ着のままで仙台領を脱走して来たのです。
 燧道具《ひうちどうぐ》と附木《つけぎ》だけは、辛うじて船頭小屋からかっぱらって来たが、それ以外には何物もない。
 常ならば懐中に少なくとも七ツ道具を忍ばせている。その七ツ道具は、多年の経験によって洗練研究しつくされている独特の七ツ道具で、それが商売物にもなれば、旅行用にもなる。
 よしまた、そんなものがなくとも、人間の部落を成す土地をさえ見つけ出せば、七兵衛の本職として、そこから無断で、自由に、相当のものを徴発して来るのは、袋の中のものを取り出すと同様の能力を与えられている身だが、他のものを盗まねば生きられぬという浅ましい本能よりも、盗むべき何物もない荒涼さの方がたまらない。
 ついに日が暮れました。
 足の七兵衛は疲れるということを知らないが、腹の七兵衛は、餓えるということを知っている。ああ、今夜もまた夜通し歩かねばならないのか。
 歩くのはなんでもないが、腹がすいている。それも時によっては、二日や三日食わないで歩けといわれれば歩けないこともないが、そうして至れり尽すところが外ヶ浜ではやりきれない。つまり、行手に希望がありさえすれば、疲労も、飢餓も、頑張《がんば》るだけ頑張って行く張合いというものがあるが、さて、頑張り通した揚句が外ヶ浜ではたいがいうんざり[#「うんざり」に傍点]する。
 さすがの七兵衛も、これにはうんざりしながら、そうかといって、足をとどめようとするなんらの引っかかりもなく、行くにつれて宵《よい》は深くなる。星は相当あるべき晩なのですが、降るというほどではないが、天が曇っている。
 真闇《まっくら》な晩です。
 しかしまた、真闇ということは、決して常人ほどに七兵衛を難渋させる事情とはならない。彼は弁信のような神秘的な勘は持っていないが、多年の商売柄と、それから幾分の天才とで、暗中よく相当に物を見るの明を保有している。そこで暗いということは苦にせずして、怪足力に馬力を加えて行っているうちに、幸か不幸か、遥かに彼方《かなた》にたしかに一点の火を認めました。
 火のあるところに人があり、文明がある、という哲理は、前に田山白雲の場合にも書きました。七兵衛は、その敏感な眼を以て、数町か、数里か、とにかく行手のある地点で一つの火光を認めてしまったものですから、七兵衛ほどの曲者も、
「占めた!」
と叫んで、その怪足力がまたはずみ[#「はずみ」に傍点]出したのはやむを得ません。
 七兵衛の眼はあやまたず、たしかに一点の火光があり、その火光を洩《も》らすところの一つ家《や》がある!
 だが、およそほかと違って、安達ヶ原の一軒家――見つけたことが幸か不幸かわかるまい。

         百四十九

「そうだ、安達ヶ原の黒塚には鬼がいる!」
 七兵衛ほどの代物《しろもの》だが、それと感づいた時に一時は、たじろぎました。
 安達ヶ原といえば、誰だって「一つ家」を思い出さないものはあるまいが、「一つ家」を思い出す限り、その「一つ家」の中に棲《す》んでいるものが「鬼」でなくて何だ。
 鬼は有難くないな。
 とうとう、安達ヶ原へ迷いこんで、鬼の籠《こも》る一つ家へ追い込まれてしまった。
 有難くねえな。
 七兵衛は苦笑いをしてしまいました。いかに科学の力に乏しい七兵衛とは言いながら、いかにまた土地柄が奥州安達ヶ原とは言いながら、田村麿《たむらまろ》の昔ならいざ知らず、今の世に「鬼」なんぞが棲んでたまるか――と冷笑するくらいの聡明さを持たない七兵衛ではないが、こういう時間、こういう場合に置かれてみると、どうしてもその聡明さが取戻せない。ばかばかしいと思いながら、やっぱり、あちらに見えるあの一つ家は鬼の隠れ家だ、そうでなければこんなところに、こんなに一軒家の生活が成り立つわけのものではない。
 七兵衛は、鬼の存在を、事実に於て否定しながら、想像に於て、どうしても絶滅を期することができない。
 しかし、この際に於ては、鬼であろうとも、夜叉であろうとも、取って食われようとも、食われまいとも、あの一つ家を叩いてみるよりほかはない。まして自分として、鬼とも組もうというほどの力持ちではないが、なにもそう鬼だからといって、弱味ばかりを見せていていい柄ではない。おれも武州青梅の裏宿七兵衛だ。安達の鬼が出て、食おうとも言わない先から逃げては名折れになる。
 ここで、はじめて七兵衛は、鬼に対する一種の敵愾心《てきがいしん》と、満々たる稚気とを振い起して、その一つ家に向って近づいてみると、ほどなく――右の一つ家のつい眼の前のところへ来て、小流れにでくわしました。
 人間のすむところの家には火がなければならぬと同一の理由をもって、水がなければならない。鬼といえども、口があって、腹がある動物である以上は、水のないところに棲息《せいそく》はできないはずだ。こうなければならないと、七兵衛はその小流れを肯定しつつ軽く飛び越えて見ると、この小流れから一つ家《や》に到るまでの間が、まだ相当の空地になっている。その空地に塚を置いたように、相当の間隔を置いて、幾つもの土饅頭《どまんじゅう》がある。その土饅頭に、一本二本ずつの卒塔婆《そとば》がおっ立っている。
 それはまあいいとして、その土饅頭を数えて行くと、いま掘りっ放しの穴がある。穴の傍らに、極めて粗造《あらづく》りな棺箱が荒縄でからげられて、無雑作《むぞうさ》に押しころがされてある。
 その荒涼さには、七兵衛ほどのくせものも、ぎょっとせざるを得なかった。その粗造りな棺箱の板の隙間《すきま》を、七兵衛が鋭い眼を以て透し眺めると、中にはまさしく人骨と、人肉が、バラバラになって詰め込まれて、すきまからまでハミ出してさえいる。
「鬼に喰われた人間の食い残されだ!」
 遮二無二そう思わせられると、ここでも七兵衛ほどの曲者が、思わず身の毛をよだてざるを得ません。

         百五十

 これが、音にきく安達の黒塚で、この棺箱の中がすなわち鬼に喰いちらかされた人骨だ――事実、今時、そんなことが有り得るはずはないが、想像としては、どうしてもそれより以外へ出ることはできない。
 当然、自分は、その安達の黒塚の鬼の棲処《すみか》へ送りつけられて来たものだ。もう退引《のっぴき》がならない。
 だが、鬼は鬼としても、こうして食い散らかした人間の骨を、御粗末ながら棺箱の中へ納めて置くというところに幾分の殊勝さがある。まして、こうして幾つもの土饅頭、いずれ鬼共が思うさま貪《むさぼ》り食った残骨の名残《なご》りでもあろうが、それにしても、形ばかりでも埋めて、土を盛り上げた上に、卒塔婆の一本も立てようというのが、鬼としては、いささか仏心あるやり方だ。今時の鬼は、なかなか開けて来ている。七兵衛は、こんなような冷笑気分も交って、やがて思いきって、一つ家の前へ進んで、その戸を叩いてみると、中からかえって怯《おび》えたような声で、
「おや、誰だえなア、今頃、戸を叩くのは」
「ちょっとお頼み申します」
「誰だえなア」
「ええ、旅のものなんでございますが、道に迷いましてからに」
「旅の衆かエ――まあ、どちらからござらしたのし」
「ええ、西の方から参りました」
「西の方から、では、小平《こだいら》の方からいらしたな」
 小平が西だか東だか知らないけれども、七兵衛は、この際、よけいなダメを押す必要はないと考えて、
「はい、左様でございます」
「ほんとかなあ、よくまあ、この夜中に、鬼にも喰われねえで……」
「え……」
と、七兵衛がまた聞き耳を立てました。先方のいま言った言葉の意味は、よくまあこの夜中に鬼にも喰われないで、無事にやって来たな――とこういう意味に相違ないから、七兵衛が先《せん》を打たれてしまったように感じました。鬼に喰われずにここまで来たんではない。これから鬼に対面して、喰われるか、喰うかの土壇場《どたんば》のつもりで来ているのだ。
 七兵衛の狼狽《ろうばい》に頓着なく、先方は早や無雑作《むぞうさ》に土間へ下りて来て、七兵衛の叩いた戸を内からあけにかかりながら言うことには、
「よく、まあ、鬼にも喰われずにござらしたのし、お前さん、岩見重太郎かのし」
「いや、どうも、おかげさまで――」
 岩見重太郎呼ばわりまでされたので、七兵衛も内心いよいよ転倒恐縮せしめられていると、無雑作にガラッと戸をあけて、面《かお》を現わした主は、鬼どころではなく、人間も人間、人間の中の極めて温良質朴な男です。
「今晩は……」
「よくまあ……」
「恐れ入ります……」
 充分に身構えをして見直したのですが、やっぱり、山里に見る普通の百姓|体《てい》の若い者以外の何者でもないし、その肩越しにのぞいて見ても、しきり戸棚の彼方に、人骨がころがっているようなことはない。炉にはよく火が燃えている。これが銀のような毛を乱した婆様でもあると、凄味も百パーセントになるが、こんな普通平凡な田舎男《いなかおとこ》では、化けっぷりに趣向がなさ過ぎる――
 と思いながら、七兵衛はこの一つ家の中へ入りますと、男が非常に親切に炉辺に招じながらも、口に繰返して、
「よくまあ、鬼に喰われませんで……」

         百五十一

 おかげさまで鬼に喰われもせずここまで来たことはごらんの通りだが、そうそう繰返して言われると、ここへ来るまでには、鬼に喰われるのが当然で、喰われないで無事で来たことが意外であったというようにとれる。
 もしまたこの質朴な田舎男が、仮りに鬼の化け物であるとしてみると、まさにこれから人を捕って喰おうとしながら、表向き、こんな空々しい言葉を吐くのが、もう既に人を喰っている。
 七兵衛は面憎くその男を見直そうとしたが、どうも、憎めない。どう見直しても、鬼がこんな模範青年のような人相に化け得られるはずもなく、またその必要もあるまい。そこで再び、鬼というやつは婆様に化けたがるものである、現に安達の一つ家は、鬼婆アを主《あるじ》としてはじめて有名であり、渡辺綱《わたなべのつな》をたばかりに来た鬼も、婆様の姿をして来たればこそ有効である。世に鬼婆アというものはあるが、鬼爺イというのはあんまり聞かない。まして、鬼がこんな凄味の利《き》かない模範青年に化けたってはじまらないじゃないか。
 でも、無気味な感じは持ちながら、七兵衛は、あんまり遠慮もせずに、炉中へ土足のままふんごんで、あたらせてもらいました。
 真黒い鍋の中で、何かグツグツと煮ている。無論、米ではない、粟でもない、さりとて稗《ひえ》でもない、薯《いも》でもない。七兵衛は、その鍋の中を判断し兼ねていたが、そうかといって、人間の肝を煮ているわけでもないようです。
 そうすると、件《くだん》の男が薪を折りくべながら、
「でもまあ、よく鬼に喰われませんでのし」
 またしても……あまりのしつっこさに、七兵衛グッと癪《しゃく》にさわり、
「鬼には喰われなかったが、若衆《わかいしゅ》さん、安達ヶ原の広いにゃ驚きやしたよ」
「へえ――」
 相当、壺を言ったつもりなのが、先方はかえってキョトンとして、ねっから響かないのであります。
「安達ヶ原は広いねえ、若衆さん、この家の前にあるのが、あれが、名高い黒塚というのでござんすかい」
「へえ――安達ヶ原のこたあ、わし、よく知りましねえが、昔話に聞きやしたがなっし、それは上方《かみがた》の方の話でござんしょうがなっし」
「何だって……」
 あんまり若衆の鈍重ぶりが念入りだものだから、七兵衛の方で、いよいよおどかされ通しです。安達ヶ原と、図星を指したつもりで言ってみても、この鬼の化け物は一向こたえず、それは上方の方の話でござんしょうがなっし、とつん抜けてしまう。そこで、七兵衛が相当突込んで、
「若衆さん、今この一つ家の前で見て来たが、あの人間の喰い散らかし――あの土饅頭《どまんじゅう》が、あれが黒塚というやつではねえのかね」
「ど、どういたしましてなっし」
 さすがに、若い男のやや周章《あわ》てて何か弁明に出でようとした時に、戸外がけたたましくバタバタと烈しい人の足音で、
「カ、カ、カン作どん、オ、オ、オニが出たゾウ」
 必死に戸へすがりついた人の声。

         百五十二

 七兵衛も煙にまかれてしまいました。
 いったい、安達の鬼は外にいるか、内にいるのか、鬼の化け物であるべきはずの一つ家のあるじが、人のいい若者で、かえって旅人をとらえて鬼物語を誘発する。それにいいかげん悩まされていると、今度は鬼が出たといって助けを求むる声が外から起る。これでは、鬼同士が全く八百長芝居をしているようなものだ。
 だが、芝居とすれば、越後伝吉でも、塩原太助でも、立派につとまりそうなこの家の中の若衆《わかいしゅ》は、その声を聞くと、早速立ち上って、戸をあけてやりました。そうすると、その朋輩らしい同じ年頃の若い男が、面《かお》の色を変えて転がりこんで来て、
「とうとう、鬼に出られて、馬さ喰われちゃったでなっし、客人のこと、どうなったかわからねえが、夢中になって逃げて来たぞう」
「そいつは、菊どん、いがねえ、この夜中に、馬なんぞ出しなさるがいがねえ」
「でも、仙台領からの頼みで、どうでも馬さ一匹頼んで飛ばさにゃならねえというお客様がござってなっし」
「そいつぁ、どうも」
「で、鬼さ出るちうて断わり申しただが、鬼さ出ようと、蛇《じゃ》さ出ようと、大切の罪人を仙台領から追いこんだのだなっし、仙台様と南部様の御威勢で、鬼が怖《こわ》いということあるかと、お客人の鼻息がめっぽう荒いもんでなっし」
「そうかや、そいつぁ、どうもならねえなっし」
「夜中に、馬さ出すと、案《あん》の定《じょう》、大っ原で鬼が出やんした――わっしゃ命からがら逃げて来やしたが、お客人のこたあ、どうなったかわからねえなっし」
「それじゃ、どうなったかわからねえで済ましちゃいられねえぞ、客人さ怪我あらせちゃあ申しわけがあるめえなっし」
「そのお客人さ、道中差を抜いて、鬼さきってやしたがね――なかなかお客人も強い人でがんした」
「なんしろ、こうしちゃいられねえ、人を集めて、お迎《むけ》えに行ってみざあなっし」
「そうだ、そうだ」
「おいおい、みんな起きてくんな、鬼さ出たぞよ、鬼が出て、菊どんの馬さ食うたぞ」
 中にいた若衆が、こう言って奥の方をのぞき込むと、どやどやと四五人の同じような若いのが飛び出して来ました。
 炉辺にあった七兵衛は、最初から熱心にその言語挙動を見ていて、いよいよ化かされ方が深刻になって行くように考えられてたまらない。
 そうこうしているうちに、この内外の若い者は、すべて一団になっておのおの身ごしらえをし、得物得物を持ち、松明《たいまつ》を照らして、外の闇へ飛び出してしまいました。
 鬼はこの一つ家の中になくて、外にある。そうして今し、馬の背を借りて来かかった旅人を襲い、いきなり馬を喰ってしまったらしい。馬子は一たまりもなく逃げたが、馬上の客は、いま勇敢に鬼と戦っているらしい。いったん逃げ出した馬子は、一目散にここまで飛んで来て、新手を募集して、客人の救援に出かけたという段取りになるが、この段取りを考え合わせてみると、そもそもこうまで念入りに八百長を仕組んで、おれ一人を化かそうというはずもないのだから、鬼は事実、外にあって、ここには善良な村民が、腕っぷしの利《き》く若いのを集めて置いて、万一に備える――とまで七兵衛がたどりついているうちに、ハッと気の廻ったことがあります。

         百五十三

 七兵衛がハッと気を廻したのは、我ながら抜かったり、鬼に喰われることばっかり考えて、人に追われる身を考えなかった。
 この現実を夢物語でないとしたならば、いま馬を雇って野を走らせて来たという旅の人は、このおれを追いかけて来る仙台領の追手ではないか。
 そうだそうだ、まさにそうだ。それに違いないのだ。
 仙台では、仏兵助《ほとけひょうすけ》という親分の手で、一旦おれは捕われたのだが、岩切でそれを縄抜けをして、ここまで落ちのびたおれなのだ。仏兵助ともいわれようものが、あのままで手を引くはずはない。
 今、原を馬で追いかけて、途中鬼に捕まって、ただいま奮闘中だというその旅の人は、おれの身の上にかかる追手なのだ。
 そう感づいてみると七兵衛は、
「仙台の仏兵助のために、おれは安達の黒塚へ追いこまれた、仏と鬼を両方から敵に持っちゃあたまらない」
 こう言って苦笑いをしたが、事実は存外落着いたもので、
「さあ、今となって、だいぶ腹がすいてきたぞい」
 勝負はこれから、まず腹をこしらえてからのこと、それには鼻の先へお誂向《あつらえむ》きのこの鍋――これをひとつ御馳走にあずかっての上で……
 炉辺にあり合わす五郎八茶碗をとって、七兵衛がその鍋の中から、ものをよそりにかかりました。
「何だい、これは、食物には違えねえが、異体《えたい》が知れねえ」
 その鍋の中のものが、名状すべからざる煮物なので、七兵衛も躊躇《ちゅうちょ》しました。だが、結句、蕨《わらび》の根だの、芋の屑だのを切り込んだ一種の雑炊《ぞうすい》であることをたしかめてみて、一箸入れてみたが、
「まずい――よくまあ、こうまずいものが食えたもんだ」
 七兵衛自身もまずい物は食いつけているが、この雑炊のまずさ加減には、舌を振《ふる》ったらしい。
「そうだ、奥州は饑饉《ききん》の名所だってえ話を聞いている、こりゃ、饑饉時の食物だ、餓鬼のつもりで有難く御馳走になっちまえ」
 東北大いに餓えたり!
 そりゃ、饑饉ということは、関東にも、上方にもある! あるにはあるけれども、東北の饑饉に比べると、こっちの饑饉はお大名だと、子供の時に聞いたことがある。
 ある人が、三町ばかり歩いているうちに三十五の行倒人《ゆきだおれ》を見たが、その後では数えきれないから飛び越えて歩いた。あるところでは、一つに二百五十人ずつ入れる穴を掘って、次から次と餓死人を埋めていった。一つの領内で、七万八万の餓死人を出しているのは珍しくない。旅人が家を叩いて見ると、一家みんな餓え死んで、年寄ばかりがひとり虫の息になっている。水を飲もうと井戸に行ったが、ハネ釣瓶《つるべ》が動かない。のぞいて見ると、井戸の中が餓死の人でいっぱいであった――
 なんというすさまじい饑饉の物語をよく聞かされた。
 それを思うと、この食物ですら、あだにはならない。眼をつぶってかき込んだが、食べてみるとすき腹へ相当に納まる。
 七兵衛は、無断で、できるだけの御馳走にあずかってしまい、さてこれから追手のかかっている身の振り方だが、こうなってみると、無暗にあわてて走ってみるのも気が利《き》かない。休めるうちに休めるだけ休んで置くがよい。それには――と七兵衛は、若衆《わかいしゅ》が飛び出した次の間に、まだ蒲団《ふとん》がそのまま敷きっぱなしにされてあるのに眼をくれました。

         百五十四

 そこで七兵衛は、草鞋《わらじ》も脚絆《きゃはん》も取ってしまって、座敷へ上り、図々しくも敷きっぱなしの蒲団の中へ、身を丸くしてもぐり込んで、また頭から一枚|被《かぶ》ってしまいました。
 鬼が出たという注進を聞いて、出動したこの家の人数はまだ戻って来ない。彼等は出動のことに急であったために、七兵衛の存在を顧みる暇がなかったのです。そんなら彼等が戻って来て、七兵衛の存在に気がついた時はどうする。
 その時は、その時のこと――と度胸を据えた七兵衛は、そのまま蒲団の中へ温く身を丸め込んだのですが、単に温く丸め込んだというだけで、この場合、温い夢を結ぶわけにはゆかないのです。寝込んでしまうわけにはゆかないが、とにかく、こうして久しぶりに蒲団と名のつくものの中にくるまってみると、身心おのずから休養の気分になる。
 いくぶん休養の気分が出て来てみると、七兵衛は、自分が今こうして、ここまで追い込まれて来たことの径路を考えさせられて、またも我ながらの苦笑を禁ずることができません。
 本来、自分がこういう羽目になったことは、仙台の城下へ足を踏み入れて、青葉城の豪勢なのに見とれた時から始まるのだ。
 なるほど、奥州仙台陸奥守六十二万石(内高百八十万石)のお城は豪勢なものだ。豪勢なものではあるが、おれだって、これで、ほかならぬ天下の江戸城の千枚分銅に目をかけたことのある武州青梅の裏宿の七兵衛だ――という、つまらないところの気負いが萌《きざ》してきたのが、持って生れた病気です。
 その次には、高橋玉蕉《たかはしぎょくしょう》という美人の女学者の家へ忍び込んで見ると、そこの客となっていた田山白雲氏が、しきりに伊達家秘蔵の赤穂義士の書き物のことを話をし、盛んに見たがっている。いくら見たくても、あればっかりは拝見が叶うまいと、閨秀美人《けいしゅうびじん》と豪傑画家とが、しきりに歎息しているのを盗み聴いて、そうしてまたしても、むらむらと敵愾心《てきがいしん》が起って来た。それほど見たいものなら、お城内のお許しがなくとも、この七兵衛が見せて上げる――
 そこで、青葉城の御宝蔵へ、仁木弾正《にっきだんじょう》を決め込んで、その赤穂義士とやらの書き物を、ともかく九分九厘まで持ち出したのだ。
 いや、間違った、間違った、あれは赤穂義士の書き物というのは、こっちの聞誤りで、実は、王羲之《おうぎし》といって、支那で第一等の手書《てかき》の書いた「孝経」という有難い文章の書き物なんだそうだ。
 そいつを、田山白雲先生に見せてやりたいばっかりに、この七兵衛が仙台侯の御宝蔵から盗み出したと思召《おぼしめ》せ。
 そうして、松島の月見御殿の下に、盗人《ぬすっと》のひる寝と洒落《しゃれ》こんでいるところを見出されて、追いかけられたのが運のつき――それから、瑞巌寺というあの大寺の屋根うらの「武者隠しの間」というのに、暫く身を忍ばせていたんだが、なあに――関八州から京大阪をかけて覚えのあるこのおれが、みちのくの道の果てで、ドジを踏むようなことがあってたまるかと、内心、少々くすぐったいような思いをしながらほとぼりの冷めるのを待って、駒井殿のお船へ乗込もうと考えているうちに、思いがけない手ごわい相手が出て来た。
 奥州仙台でも名代の仏兵助という盗人の親分がいて、こいつがおれを取捕まえるために出動して来たのだ。

         百五十五

 単に盗人兇状で、御用役向の目をかすめる手段、或いは足段ならば相当に覚えもあるが、じゃ[#「じゃ」に傍点]の道は蛇《へび》の相当な奴が意地になって、腕にかけ、面にかけて、捕り方に向って来ようというのでは、相手が悪いと七兵衛が考えました。
 役人はお役目であるのだから、熱心なのと、不熱心なのとある。従って厳しい時は厳しいが、放りっぱなしの時は放りっぱなしだ。だが、腕にかけ、面にかけてやる奴ときては、意地で来るのだから執念深い。
 そもそもこのたびの仕事というものが、頼まれたわけではなし、必要に迫られたというのでもない、為《な》さでものことを為したのだ。よせばよかったのだが、持った病では仕方がない。
 岩切の宿《しゅく》で、ちょっとの隙《すき》を見出して、縄抜けをして逃げた、逃げた、やみくもに逃げて、或る川の渡し場へ来た。
 その渡し場で、何かごたごたが起って、若い侍が一人、とっちめられている。聞いていると、どうやら無断で川破りをやって来たものらしい。
 右の若い侍が、素敵に長い刀を差している。それを抜いて見せろ、見せないの一争い、とうとう居合抜きがはじまった。その時の瞬間だ、若い侍が懐ろへ道中手形を納めるその手先を、認められたのがあっちの不祥だ。あれをちょっとお借り申して置けば、これからの道中の何かのまじないにはなるだろうと、気の毒ながら、その手形をちょろまかして、こうして懐中して来ている。
 それから、難なく渡しを渡って、またこうして走りつづけているうちに、この安達ヶ原へ紛れ込んだのだが、東西南北、遠近高低、すべて無茶苦茶だが、足に覚えがあるによって、ちょっとあれから、こうと、何里どちらへ走って、何里こちらへ逃げた。おおよその見当はつくにはつく。せめて一枚の絵図面でもあれば、ここでこうしてひろげて見るうちに、これからの身の振り方もきまるのだが、絵図面どころではない、命一つをやっと持ち出したようなものだ。ただ、この際、仙台を起点としての自分の足心で標準を定めてみるばかりだ、と七兵衛は、自分の走った程度と、方角を、頭の中へ縦横に線を引いてみて、現在の地点が、仙台からおおよそどの方角に、どのくらい離れているということの測定にかかってみると、突然、
「なあーんだ、ぱかばかしい、ここは安達ヶ原でも、黒塚でもありゃしねえ」
と自ら嘲笑《あざわら》いました。
 どうして、どうして、安達の黒塚なんぞは、もう疾《と》うの昔のことだ――ここは黒塚より何十里、何百里も奥へ進んでいる。奥州へ来て、広い原さえ見れば安達ヶ原だと思い、一つ家《や》がありさえすれば鬼の棲家《すみか》だと想像する自分の頭脳《あたま》の御粗末さ加減に呆《あき》れ返る。
 ここが、安達ヶ原でも黒塚でもないという考えは、七兵衛もようやく自分の頭でわかりましたが、鬼のことがまだわからない。安達ヶ原や黒塚は、自分の頭だけの想像のあやまりだが、鬼が出た! ということは、たしかに、今そこで現実の人間たちの叫びであったのだ。現に、ここに集まっていた者がみな出動したのは、その鬼のためだ。安達と、黒塚と、一つ家は消滅したが、鬼の問題は解消しない。重ね重ね変な境に追い込まれたものだなんぞと考えているうちに、つい、うとうとと不覚の眠りに落ちかけようとする。いや、まだここで寝込んではならないぞと頑張る。

         百五十六

 安達ヶ原の黒塚の地位に就いて、青梅の七兵衛が錯覚を起したのを、そう強く責めてもかわいそうです。明治、大正、昭和の間にかけて、まだ解決しきれない学者の間の問題に「法隆寺再建非再建」の問題がありました。
 聖徳太子の創建し給える大和の国の法隆寺は、日本文化の源泉地であり、世界最古の木造建築ということになっている。これが聖徳太子時代に創建せられて、そのままの保存であるか、その後、和銅に於て再建せられたものであるかという論争は、問題としても、人文史上の由々しき大問題であり、学者としても、論争甲斐のある論争に相違ありません。
 吾人《ごじん》は、右に就いて、明治以来、錚々《そうそう》たる学者博士の意見を読みました。近頃は博士号の権威もだいぶ疑わしくなってはいるが、この法隆寺問題の論争に出没する博士たちは、たしかに博士らしいおのおのの権威を見せて、人意を強くするものがある。
 それらの学者博士たちの勇ましい武者ぶりの間に、ひときわ優れて見える一人の博士がある、喜田貞吉博士という。
 いずれ、件《くだん》の学者博士たちの造詣のほどに優り劣りはないとして、再建論者の第一陣、喜田博士の如きは、武者ぶり特に鮮かで、敵も味方も、一応は鳴りをしずめて耳を傾けざるを得ないほどの武者ぶりであるのです。
 ところがその素晴しい喜田貞吉博士でさえが、安達の黒塚には兜《かぶと》を脱いでいる――すなわち右の喜田貞吉博士は、どうした拍子か、安達の黒塚の所在地は、陸前の名取郡の今の秋保温泉《あきうおんせん》のあたりがそれだと明言してしまったものである。そうすると、仙台の国学者小倉博翁をはじめ、藤原相之助、浜田廉、宗形直蔵というような人たちが、否、黒塚は決して陸前の名取郡ではない、岩代の安達郡であると考証したものである。これには、さすがの喜田博士も参って、神妙に兜を脱いでいる。小倉氏のような隠れたる学者の存在は光であるが、これに対して、神妙に兜を脱いだ喜田博士にも学者らしい率直さを見る。
 そういうような次第だから、仙台からは数百里を隔てた武蔵野の中の貧家に生れて、よし、盗みの方にかけては博士以上の天才とはいえ、学問としては、古状揃えか、村名づくし程度以上に出でない七兵衛が、黒塚の所在に錯覚を起したからとて、その無学を笑うのは、笑う方が間違っている。
 なんにしても七兵衛は、奥州へ来て、広い原をやみくもに歩かせられて、それが一途《いちず》に安達ヶ原であることに心得ていた今までの錯覚を、ここで清算し、その安達ヶ原は当然、仙台より西の部分にあって、自分がとうの昔に卒業している。現に仙台以北、南部領の地点へ足を踏み込んでいる自分の周囲が、安達ヶ原であり得ないことだけは夢から醒《さ》めたが、さて鬼の儀はどうなる。鬼の実在は、すでに第三者の口から確実に証明されているのだ。現に、野原から鬼に襲われて逃げて来た馬子がある。残された馬と共にその鬼と闘っているという旅の者と、ここから応援に繰出した新手の者とが、鬼と闘って、負けるか勝つか知らないが、とにかく、最近にその消息がここへ齎《もたら》されねばならぬことになっている。
 ソレ、人声がやかましく近づいて来た。どっちみち、こうしてはいられない。

         百五十七

 七兵衛は心得て、蒲団《ふとん》の中ですっかり足ごしらえをしました。
 そうして、あたり近所を見廻すと、粗末ながら廻し合羽がある。菅笠《すげがさ》が壁にかけてある。七兵衛はそれを取外《とりはず》しました。時にとっての暫しの借用――という心で、前に積み重ねて置いて、なお蒲団を被《かぶ》って、深く寝るというよりは、隠れるの姿勢におりました。
 そうすると、どやどやと夥《おびただ》しい物騒がしさで一行が、この家に戻って来たのです。
 戸があく、土間がごった返す、炉辺がにわかに動揺《うご》めいてきました。十余人が一時に侵入して来たのです。
 七兵衛は心得きって、いざといえばこの裏戸を蹴破って走り出す用意万端ととのえていながら、なおじっと辛抱して、混入して来た一行の言語挙動に耳を聳《そばだ》てている。
 聞いていると、二人三人、怪我をしたものがあるにはあるらしい。だが、喰われた人はない。ただ、馬が、馬が――というのを聞くと、馬だけは犠牲になってしまったようでもある。
 旅の人も無事らしい。それを労《いたわ》る若い者の声、村人の口々に騒ぐ声、土音|拗音《ようおん》でよくわからないが、鬼を、鬼を――という罵《ののし》り声を聞いていると、どうも、鬼を生捕ってでも来たものでもあるらしい。そうでなければ、鬼を退治して、その死体をでも引摺り込んで来たとしか思われない。
 鬼を捕えて来たのか、そりゃあ大したことだ、生きた鬼を見てやりたい!
 七兵衛も、この際とはいえ、これには全く好奇心を動かさざるを得ませんでした。
 果してこの世に、鬼なんぞというものがあるのか。あればこそだ。現に、それをここへつかまえて来ているというではないか。見たいものだなア、一目見て置きたいものだなア――と焦《あせ》ってみたが、ここで飛び出すのはあぶない。鬼でさえ組みとめた連中の中へ、いくらなんでも縄抜けのこの身は出せない。もう少し辛抱したらば、或いは要領よくそれを見届けて脱け出すことができるかもしれない。
 興に駆られて七兵衛は、ついに蒲団の中を乗出してしまい、一歩一歩古畳の上をいざって、ようやくしきり戸へ近く来て、戸を楯にして透間から覗《のぞ》いて見ると、炉に坐っている旅人というのは、小柄ではあるが、ずんぐりして、がっちりした体格で、風合羽を羽織り込み、頭に手拭を置いて、座右へ長脇差をひきつけている。面は見えないが、その透間のない座構え、これはただものでないと七兵衛は直ちに感づきました。
 一方、土間の方では相変らず、てんやわんやで、鬼を、鬼を――とさわぎひしめいている。七兵衛は、この客人なるものも気にかかるが、鬼というやつの正体をぜひ見たいのだ。そこで、ジリジリと膝が進む時、炉の横座に坐っていた件《くだん》の旅人が、そのとき急にこちらを向いて、その険悪な面《かお》つき、額から頬へかけて、たしかに刀創《かたなきず》がある、その厳しい面をこちらへ向けたかと思うと、
「おい、若衆《わかいしゅ》さん、この向うの座敷にまだ誰かいるのかい」
「えッ」
「誰かいるぜ――確かに」
と言って、自分が座右へ引きつけていた長い脇差を取り上げたものですから、七兵衛が飛び上りました。

         百五十八

 それから第二の動揺が、この一つ家の内外から起りました。鬼をしとめたという一隊が、今度はそれと違った方向へ向けて、まっしぐらに、曲者を追いにかかったのです。追われたのは、申すまでもなく七兵衛。
 しかし、このたびの追われ心には、七兵衛に於て大いなる余裕がありました。
 第一、まずいものながら腹をこしらえてある。焚火と蒲団で相当に温まって、身心共に元気を回復している。身には合羽を引っかけているし、笠も被《かぶ》っている。その他、あり合せの七ツ道具代用の細引だの、鉈《なた》だのというものを、素早く無断借用に及んで来ている。
 それに何よりの足に自信がある。何者がいくら馬力をかけたって、面白半分に敵をからかって逃げ廻ることは自由自在である。かくて七兵衛はまた荒野原の闇を走りました。遥かに続く追手の罵《ののし》る声、松明《たいまつ》の光、さながら絵に見る捕物をそのままの思いで、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》として走りながらも、ただ一つ残念なことは、あの炉辺に横座に構え込んで、常人には気取られるはずのないおれの動静を感づいた彼奴《かやつ》は何者だろう。果して仙台の仏兵助なる親分そのものが、自身で出向いて来たのかな。そうだとすれば面白いが、そうでないとしても只の鼠ではない。面を見知り、名を聞きとっておかなかったのが残念だ。それともう一つは鬼だ、鬼の正体だ、土間までたしかに拉《らっ》し来《きた》っていたはずの鬼の正体。多分、それは生捕って来たらしいが、生捕らないまでも、半死半生にして引摺って来たものには相違ない。その正体を見届ける隙がなかったのが、いかにも残念だ。仏兵助という奴には、どっかでまた巡り逢えるかもしれないが、鬼の正体はそうどこでも見られるという代物ではない――それが心残りでたまらない。
 七兵衛は、ただそれだけを残念千万に心得て、あとは悠々たる気持で、走り且つとまって、後ろを見返れば見返るほど、追手の火影と遠ざかるばかりです。
 かくて七兵衛は、鬼の正体に心を残して走りましたけれども、古来、この辺の旅路で鬼の未解決に悩まされたものは、七兵衛一人に止まりませんでした。これより先、南渓子《なんけいし》という人があって、その紀行文のうちに次の如く書きました。
[#ここから1字下げ]
「出羽の国、小佐川といふ処に至らんとする比《ころ》は未申の刻も過ぎつらんと覚えて、山の色もいとくらく、殊にきのふよりしめやかに雨降りて、日影もさだかには知れず、先の宿までは又三里もあれば、とても日の内にはいたりがたからんや、されど雨中なれば思ひの外に時刻うつらぬこともやあらんと疑ひて、行逢ひける老夫に、先の宿まで行くに日は暮るまじきやと問ふに、眉をひそめ、道をさへいそぎ玉はば行きつきもし玉はんなれど見れば遠国の人々にてぞ、此程は此あたりに鬼出でて人をとり食ふ、初めは夜ばかりなりしが、近き頃になりては、白昼に出て、此迄行かふ者は人馬の差別なく、くはれざるはなし、是迄の道も鬼の出でぬる処なるに食はれ玉はざりしは運強き人々也、是より先は殊さら鬼多し、旅するも命のありてこそ、何いそぎの用かは知らねども、日暮に及んで行き玉はんは危しと言ふ……」
[#ここで字下げ終わり]

         百五十九

 当時、南渓子の同行に養軒子というのがありました。鬼が出ると聞くより、カラカラと打笑い、
[#ここから1字下げ]
「いかに辺土に来ぬればとて、人を驚かすも程こそあれ、鬼の人を取り食ふなどは昔噺《むかしばなし》の草双紙などには有る事にて、三歳の小児も今の世には信ぜざることなり、其鬼は青鬼か赤鬼か、犢鼻褌《ふんどし》は古きや新しきやなど嘲り戯れつつ……」
[#ここで字下げ終わり]
 ところが、南渓子も、養軒子も、ほどなくこの嘲弄侮慢《ちょうろうぶまん》からさめて、自身の面《かお》が、青鬼よりも青くならざるを得ざる事体に進んで行ったのは、なんとも笑止千万のことどもであります。南渓子は紀行文の中へ次の如く書きつづけております。
[#ここから1字下げ]
「暫く来てなほ時刻のおぼつかなければ、あやしのわら屋に入りて、日あるうちに向ふの宿までゆき着くべしやと問ふに、此あるじもおどろきし体にて、旅の人は不敵のことを宣《のたま》ふものかな、此先はかばかり鬼多きを、いかにして無事に行過ぎ玉はんや、きのふも此里の八太郎食はれたり、けふも隣村の九郎助取られたり、あなおそろしと言ひて、時刻のことは答へもせず」
[#ここで字下げ終わり]
 南渓子、養軒子は、ここでもまた充分の冷嘲気分から醒《さ》めることができません。
[#ここから1字下げ]
「同じやうに人をおどろかすものかなと笑ひて出でて又人に問ふに、又鬼のこと言ふ、あやしくもなほをかしけれども、三人まで同じやうに恐れぬるに何とや誠しやかにもなりて……」
[#ここで字下げ終わり]
とある。市《いち》に三虎をさえ出すことがある。荒野の人々に三鬼が打出されてみると、南渓子、養軒子も少々気味が悪くなったらしく、額をあつめて語り合いました。
[#ここから1字下げ]
「養軒、何とか思へる、詞《ことば》もあやし、殊に日足もたけぬと見ゆ、雨なほそぼ降りて、けしきも心細し、さのみ行きいそぐべきにもあらず、人里に遠ざかりなばせんかたもあるまじ、猶《なほ》くはしく尋ね問ひて鬼のこと言はば、今夜は此里に宿りなんと言へば、養軒も同意して、それより家ごとに入りて尋ね問ふに、口々に鬼のこと言うて舌をふるはして恐る――」
[#ここで字下げ終わり]
 こうなってみると、さしもの南渓子《なんけいし》も、養軒子も、ようやく面の色が変ってきました。
[#ここから1字下げ]
「扨《さて》はそらごとにあらじ、古郷《ふるさと》を出て三百里に及べば、かかる奇異のことにも逢ふ事ぞ、さらば宿り求めんとて、あなたこなた宿を請ひて、やうやう六十に余れる老婆と、二十四五ばかりなる男と住む家に宿りぬ」
[#ここで字下げ終わり]
 南渓子も、養軒子も、相当の学者でありましたが、とうとう鬼の出現説に降伏して、避難の宿りを求めることになったが、そこで、
[#ここから1字下げ]
「足すすぎて、囲炉裏《ゐろり》によりて木賃の飯をたきたきも、又|彼《か》の鬼のこと尋ぬれば、老婆恐れおののきて、何事かかき付くるやうにいふ、辺土の女、其言葉ひとしほに聞取りがたくて何事をいふとも知れず……」
[#ここで字下げ終わり]
 土地が変り、音が変るから、老婆の恐れおののいて物語る節が、二人の旅行家には、どうしても聞き取れないけれども、この老婆が一つ家の鬼婆の変形《へんぎょう》ではなく、善良にして質朴なる土民の老婆であることは確実ですから、旅行家の方で念をおしてたずねてみました。
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「然《しか》らば、その鬼はいかなる形ぞ、額に角を立て、腰に虎の皮のふんどしせずやといへば……」
[#ここで字下げ終わり]

         百六十

 そこで二人の学者は、まず鬼の風采、衣裳の特徴、角とふんどし[#「ふんどし」に傍点]のことから問いただしてみると、老婆に代って、その傍らの若い男が首を振って答えました、
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「左様なものにはあらず」
[#ここで字下げ終わり]
と。そこで二人の旅行家が押返して、
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「然らばいかなるものぞ」
[#ここで字下げ終わり]
と、つきつめてみると、右の若い男の返事に曰《いわ》く、
[#ここから1字下げ]
「犬の如くにして少し大なり」
[#ここで字下げ終わり]
 ここで、やや恰好がついて来たものだから、
[#ここから1字下げ]
「せい高く、口大なりや」
[#ここで字下げ終わり]
とたずねると、
[#ここから1字下げ]
「そのごとし」
[#ここで字下げ終わり]
という返事。
[#ここから1字下げ]
「さては狼にあらずや」
[#ここで字下げ終わり]
と言うに、
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「狼ともいふと聞く」
[#ここで字下げ終わり]
という返事――これでようやく鬼の正体がわかってきた。この辺では、狼の一名を鬼というのではない、鬼の別名がすなわち狼であるということが、二人の旅行家にわかりました。
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「殊に人を取食ふものゆゑに、此あたりにては、狼を鬼といふなるべし、古風なることなり、程過ぎて今に至れば、をかしき物語ともなりぬれど、其時の物あんじ、筆の及ぶ所にあらず――」
[#ここで字下げ終わり]
 鬼は寓話の世界に棲《す》むが、狼は現実の里に出没して、たしかに人を食ったのである。怖るべきこと寧《むし》ろ、鬼以上である。
 ここに鬼について、また一説があります。
 オニという日本の古語は、隠れたるモノの意味で、仮りにその隠(オン)という字を当てはめてみたそれがオニに転訛し、鬼という漢字を当てはめることになったのである。角を生やしたり、虎の皮の褌《ふんどし》をさせたりすることは、ずっと後世のことで、ただ隠れたるモノが即ち鬼である。そうしてその時代にあっては、若い女というものはよく隠れたがるものであった。家にいる時でも、他人が見えると几帳《きちょう》の蔭などに隠れたりする。外出の時は、被衣《かつぎ》でもって面の見えないようにする。車に乗れば、簾で隠して人に見えないようにする。そこで、女を洒落《しゃれ》にオニ(隠《オン》)と言い、美しい女ほどオニになりたがる。オニ籠れりということは、美しい女がいるという平安朝の洒落であったということです。こうなってみると、むしろ鬼に食われたがる男が多いに相違ない。
 仏兵助の親分は、早くも追手を引上げさせてしまい、以前の炉辺に、以前のように、泰然として胡坐《あぐら》を組んで言いました、
「あんな足の早い奴を今まで見たことはねえ、まるで、人だか鳥だかわからなかったぜ。だが、奴、足は早いが、地理を知らねえ、野山へ鹿を追い込むと、里の方へ、里の方へと逃げたがる、あいつは地の理を知らねえから、どっかで行き詰るよ、まあ、焦《あせ》らず北へ北へと追い込んで行くことだ、そうすれば結局、恐山へ追い込むか、外ヶ浜へ追い落すが最後だ、は、は、は」
と、榾火《ほたび》の色を見ながら、こう言いました。
 並みいる若い者は、何かなしに恐れ入って、一度に頭を下げて聞いている。
 土間を見ると、二頭の狼がいる。一頭は完全に絶息しているが、一頭はまだ腹に浪を打たせている。右の完全に絶息している奴は、思うに、この親分のために、一拳の下になぐり殺されたものらしい。それから、まだ息を存している奴は、手捕りにしての土産物らしい。
 若い者たちは、鬼を一拳の下になぐり殺したこの親分の底の知れない腕っぷしと、肝っ玉に、ひたすら恐れ入っているらしい。

         百六十一

 天めぐり、地は転じて、ここは比叡山、四明ヶ岳の絶頂、将門石《まさかどいし》の上に立って、洛中と洛外とを指呼のうちに置きながら、物語りをしている三人の壮士。
 そのうちの一人は南条力《なんじょうつとむ》であって、もう一人は五十嵐甲子雄《いがらしきねお》――この二人は、勤王方の志士であって、主として関八州を流浪して、他日の大事のために、地の理を見て置くのつとめを行いました。
 ことに甲斐の地は、関東第一の天嶮であって、守るに易《やす》く攻むるに難い。天下の大事を為《な》すものは、まずこの土地を閑却してはならないと、かの地に潜入して、ついに幕府のために捕われ、甲府城内の牢屋に繋がれていたことは既記の通りであります。そうしているうちに破牢を遂行して、その行きがけの道づれに宇津木兵馬をも拉《らっ》して去り、はからず甲府勤番支配駒井能登守の邸内に逃げ込んだことも既報の通りであります。
 こうして彼等は、相当の収穫を得て、東海道を上りがてらに、また要処要処の要害や、風土人情を察しつつ西上して来たことも、これまでの巻中に隠見するところであります。
 そうして、ここへ来ると、二人が三人になっているのであります。南条、五十嵐のほかのもう一人は、やはり同じように髻《もとどり》をあげた壮士でありまして、才気|風※[#「三を貫いて縦棒、第3水準1-14-6]《ふうぼう》、おのずから凡ならざるものがあります。
 思うにこの人物は、東の方から、南条と五十嵐との道づれになってここまで来たものではなく、むしろ、京白河の方面からこの叡山へ登って来て、多分、この辺で落合ったもの、それも偶然でなく、相当打合せがあって、ここを出会い場所とでも、あらかじめ定めて置いて、来《きた》り迎えたもののようであります。
 この、京白河方面から、南条、五十嵐の両士を迎えて、ここで落合っているところの一人の壮士――それは無論、推定ですけれども――この壮士の風采は、今までには見かけなかったが、そうかといって、全然知らない面《かお》ではない。どこでか見たことのあるような男である。どうも見覚えのあるような面魂《つらだましい》――そうだそうだ、土佐の坂本竜馬だ、あの男によく似ている、見れば見るほど坂本竜馬に似ている。
 坂本竜馬に似ているからといって、必ず坂本竜馬ときまったわけのものではない。当世の壮士の風俗には似通ったものが多い。風采にもまたよく似たものがある。またよく似たはずのものが全然別のものであったり、別のものであらしめるように工夫を凝《こ》らしたものもある。少しややこしいが――桂小五郎の如きも、桂小五郎に似ざらしめまいとして、大いに苦心していたものである。その代り、六尺駕舁《ろくしゃくかごかき》の中に桂小五郎に似たものの風※[#「三を貫いて縦棒、第3水準1-14-6]を発見したり、乞食非人の姿のうちに野村三千三を発見したりすることもある。そこで、この壮士が坂本竜馬であるか、才谷梅太郎であるか、そんなことは詮索《せんさく》しないで置いて、便宜のために、これをこの場に限り坂本竜馬の名で呼んで相対せしめることにする。
 そこで、坂本竜馬は、四明ヶ岳の絶頂の巌の上の尖端に立って、京洛中を指して、何を言うかと見れば、
「今の京都は近藤勇の天下だよ、イサミの勢力が飛ぶ鳥を落している――会津よりも、長州よりも、薩摩よりも――豎子《じゅし》をして名を成さしめている、は、は、は」

         百六十二

 坂本竜馬がそう言ったことに対して、南条力が受答えました、
「壬生《みぶ》浪人、相変らず活躍しとりますかな」
「活躍どころか、今の京都は彼等の天下だ、敵ながら、なかなかやりおる」
 坂本は、京洛の秋を見おろしながら言う。
「芹沢《せりざわ》がやられたそうですな」
と、今度は五十嵐が言う。
「うむうむ、芹沢がやっつけられて、近藤が牛耳をとっている、新撰組は、いま完全に近藤のものだ、配下の命知らずを近藤が完全に統制し得ているから、たしかに由々しい勢力だよ。ことに勤王の連中にとっては全く苦手だ、幕府を怖れず、会津を侮り、彦根を軽蔑する志士豪傑も、近藤の新撰組にばかりは一目も二目も置いて怖がるから笑止千万だ。そのくらいだから、京洛中では、それイサミがくると言えば泣く児も黙る、ああなると近藤勇もまた時代の寵児《ちょうじ》だ。あれを見ると、衰えたりといえども幕府の旗本にはまだ相当人物がいることがわかる」
と坂本竜馬が、いささか関東方を讃めにかかりますと、南条力が首を左右に振り立てました。
「いや、違う――近藤勇は、徳川の旗本ではないよ」
「どうして」
 坂本竜馬がいぶかしげに南条力を見返りますと、
「勇は徳川の旗本じゃない」
「じゃア、譜代か」
「でもない」
「では、何だ」
と二人の問答の受け渡しがありました。
「あれは徳川にとっては、旗本でもなければ譜代の家柄でもなんでもない、いわば只の農民なのだ」
「えッ、近藤は幕臣じゃないのか」
「幕臣と見るよりは、農民と見た方がよろしい、本来、徳川家には縁もゆかりもない人間なのだ」
と南条力が答えました。坂本は、近藤勇そのものの名声は聞いているが、その素姓《すじょう》はよく知らないらしい。南条は、かなり明細に近藤の素姓を知っているらしい。というのは、東方をあまねく探索しているうちに、各方面を洗えるだけは洗っている。近藤勇の素姓についても、少なくとも坂本らの知らざるところを知っているらしい。
「そうかなあ、おれは、幕府生え抜きの旗本だとばっかり信じていたよ、いったい、どこの生れなのだ」
 坂本から尋ねられて、南条は少々得意になり、
「あれは、武州多摩郡の出身だ」
「ははあ、武州か、じゃあ、江戸の圏内と言ってよかろう、幕臣とみなしてもいいじゃないか」
「江戸の幕臣とみなされることは、彼の名誉とするところじゃあるまい、むしろ、彼は武蔵の国生え抜きの土着の民ということを、本懐としているに相違ない。何となればだ、今の徳川の旗本にはあれだけの男を産み得られないのだ、智者はある、通人はある、アクは抜けている、だが、今の徳川旗本にはあの蛮勇がない、勝《かつ》のような滅法界の智者はいる、山岡鉄太郎がどうとか、松岡万《まつおかよろず》がこうとか、中条なにがしがああのと言うけれど、皆、分別臭い、問答無用でやっつける奴がいない、皆、利口者になり過ぎている、原始三河時代の向う見ずは一人もいないのだ。近藤勇に至ると、それらと類型を異にしている、人を殺そうと思えば、必ず殺す男だ」

         百六十三

 南条の言葉を聞いて、坂本も頷《うなず》きました。
「そいつは拙者も同感だ、三百年来の徳川、智者も、勇者も、相当にいないはずはなかろうが、要するにみな分別臭い、蛮勇がない、三河武士の蛮骨が骨抜きになってしまっている」
「近藤が用いられるのもそこだ、たとえばだ、彼は剣客として相当の腕は腕に相違ないが、それは当時二流と言いたいが、三流四流どころだろう、彼は天然理心流というあんまり知られない流名を学んで、市ヶ谷あたりに、ささやかな道場を構えていたものだが、それも、千葉や、桃井《もものい》や、斎藤に比ぶれば、月の前の蛍のようなものだ、はえないこと夥《おびただ》しいが、さて真剣と実戦に及んでみると、あれだけの胆勇ある奴はあるまい。山岡鉄太郎などをいやに賞《ほ》める奴があるが、要するに、あれは分別臭い利口者だよ、暴虎馮河《ぼうこひょうが》のできる男でもなければ、身を殺して仁を為せる男でもない。そこへ行くと、我輩はむしろ敵ながら近藤の蛮勇をとるよ。近藤や土方《ひじかた》は、討死のできる奴だが、勝や山岡を見てい給え、明哲保身とかなんとかで、うまく危ないところを切り抜けて、末始終は安全を計る輩《やから》だから見てい給え、我輩は、勝や山岡流の智勇よりは、近藤土方流の愚勇を取るよ――そうして、勝や山岡は、祖先以来禄を食《は》む幕臣だが、近藤、土方は、今いう通り幕府に養われた家の子ではないのだが、古来の坂東武者の面影は、寧《むし》ろああいうところに見る。本当に強い奴は旗本にはいない、田舎《いなか》にいる、武蔵相模の兵だけで、日本六十余州を相手として戦えると大楠公《だいなんこう》も保証している、その武蔵相模の土着の蛮勇の面影は、あの近藤、土方あたりに見られる! 幕臣は駄目だ」
 南条は、自分が親しく観察して来たところを、雄弁にぶちまけると、坂本も頷いて聞いていたが、
「それは近藤自身も言っているよ、『兵は東国に限り候』と手紙に書いてあるのを見たことがある。近藤あたりから見ると、さしも西国の浪士共でも食い足りない、甘いものだ――と見ている」
「そうだろう。だが、東国といっても、江戸という意味じゃない。そこへ行くと、近藤、土方を出した武州多摩郡の附近は一種異様な土地柄で、往古の坂東武者の気風が残っていて、そこへ武田の落武者だの、小田原北条の遺類だの、甘んじて徳川の政治に屈下することを潔しとせざる輩《やから》が土着し、帰農した、だから、どこの藩にも属していない、天領ということになっているが、他の天領とも趣を異にしている。いったい、徳川家康は、甲州武田を内心大いに尊重していたものだ、武田亡びて後、その遺臣を懐柔するために、千人同心というのを、その武州多摩郡の八王子宿に置いて、日光の番人だけをすればいいことにして置いた、そういうわけで、この辺の人気は藩によって訓練されていない、従って、人間に野性が多分に残っている――アクを抜かれ、骨を抜かれてしまった三河武士とは、全く別類型にいるのだ」
「なんにしても、近藤一人がこの都大路に頑張っていると、相当命知らずの天下の志士豪傑連が、オゾケをふるって、出て歩かれないのが笑止千万だ――こうなると、彼もたしかに英雄的存在である」
 坂本がこう言った途端に、後ろの方で不意にゲラゲラゲラと笑う声がしました。

         百六十四

 この頓狂な笑い声に、三人の者が驚いて見返ると、ついその足もとの岩角から、ひょっこりと一人の男が現われているのを見ました。
 おや、道庵先生ではないか――と、知っている者は一時、驚かされるほどに風采が似ておりました。
 但しその道庵先生でないことは、頭が慈姑《くわい》でなく、正雪まがいの惣髪《そうはつ》になっている。道庵先生よりもう少し色が黒く――皮肉なところは似ているが、あれよりまた少々下品になっている。それに酔っていることは確かだが、道庵先生のは酒に酔っている、この男は酒よりも、いささか自己陶酔にのぼせ加減で、うわずっている――これぞ誰あろう、一名|四谷《よつや》とんび[#「とんび」に傍点]という一味の通人でありました。
 四谷とんび、略称してよたとん[#「よたとん」に傍点]ともいう。道庵の向うを張って、その上方征伐に相当《あいあた》るべく選ばれた江戸ッ児の一人でありました。いつのまにここへ登っていたか、或いは三人が来る以前に、その岩蔭で昼寝でもしていたのか、とにかく、三人が意気込んで、右のところまで談論を続けて来た時分に、突然、途方もなく締りのない声でゲラゲラゲラと笑い出したものです。
「お前さんたち、買いかぶっているよ、イヤに近藤勇を買いかぶっておいでなさる」
 こう言って、自惚《うぬぼれ》の強い赤ら面《がお》をかがやかせて、のこのこと近づいて来るものですから、こいつ一応の挨拶もなく、突然に横合から人の談論にケチをつけ出す、無作法千万な奴だ、失敬千万な奴だ、と三人の壮士は甚《はなは》だ不興の体《てい》でしたけれども、見れば相当老人でもあり、のぼせ者でもあるらしい。まじめに取合うも少々大人げないと、
「何だ、何です、君は。突然に人の話の中へ喙《くちばし》をいれて、無礼ではないか」
と五十嵐甲子雄が、かりにたしなめてみると、のぼせ者の老人は一向ひるまず、のこのこしゃあしゃあとして、
「お前さんたち、近藤勇を買いかぶっていますよ。実はね、わっしもその近藤勇とは同郷のよしみがござんしてね、あいつは、武州八王子の近いところ、甲州街道筋の生れでござんして……」
 たずねられもしないに、よけいな口を利《き》き出して近づいて来る。五十嵐がむっとして、以前より少々厳しく、
「ナニ、君が近藤勇の同郷であろうとなかろうと、こっちの知ったことじゃあない、それがために近藤の人物が上下されるわけのものじゃあない、よけいなことを言わっしゃるな」
と言いますと、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生はのぼせきっているものですから、
「違いますよ、お前さんたち、あんまり近藤勇を買いかぶるから、それで、ついそんなことになっちゃうんでげす、なあに、近藤勇なんて、たいした人間でもなんでもありゃしねえ、あんなのを買い被《かぶ》って、今の時代の寵児《ちょうじ》かなんかに祭り上げてしまうから、こんなことになるんでげす、同郷のよしみで、わっしゃ気恥かしい、なあに、みんなコレですよ、コレで動いているんでげすよ」
と言って、指で阿弥陀様のするように、丸い形をつくって見せて、下品な笑い方をしました。誰も、変な先生だと思わないわけにはゆかないでしょう。仮りにこの男が近藤勇と同郷人として、同郷人ならば相当花を持たせて然《しか》るべきものを、聞かれもしないに、頭から罵倒してかかっている。罵倒を丸出しにしてかかっている変な奴ではないか。

         百六十五

 三人の壮士も、全くこのよたとん[#「よたとん」に傍点]を変な奴だと思いながら、黙ってその形を見ていると、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生は、例の阿弥陀様のするような、指で丸い形をこしらえて三人の前へつきつけて、繰返して言いました、
「みんな、コレでげすよ、これで買われて働いているお雇い壮士なんでげすよ。いいかね、今の徳川家には、ああいって人斬り商売をするような人体《にんてい》がないんでげす、ところで、命知らずの無頼者を、金で買い集めてやらせるんでげす。最初、新徴組が出来やした時には、一人前五十両のお仕度金が下され、それで都合五十人の命知らずを集めて、幕府の用心棒としたものでげす、一人頭に五十両、五十人で都合二千五百両――聞くところによりますと、目下は、その新徴組が新撰組となって、専《もっぱ》らその近藤勇に牛耳られているそうでげして、手下も三百人から集まっているそうでげすが、ああして乱暴を働いて、たんまり儲《もう》かるそうでげす。公方《くぼう》から下し置かれる内々の御褒美金てやつが、生やさしいものじゃげえせん、そこへ持って来て、月々のお手当が、隊長は新御番頭取の扱いとして月五十両――副長は大御番組頭として月四十両、平の隊員でさえも、大御番並みに扱われて月十両ずつ貰える――たいしたものじゃがあせんか。今時、就職難で、相当の経歴ある先生が口に困っている時節に、箸にも棒にもかからぬならず者が、人は斬り放題でいて、そうして、これだけのお手当にありつける、なんとうめえ商売じゃげえせんか、万事コレでげすよ」
 よたとん[#「よたとん」に傍点]は、いよいよ指を丸めて、三人の眼先につきつけて来た物ごしが、たまらないほど下品です。あんまり下品で露骨だから、さすがの三人の壮士も、口をつぐんでいると、なお、いい気になったよたとん[#「よたとん」に傍点]は、
「ですから、あいつらは有卦《うけ》に入《い》ってるんでげしてね、祇園島原あたりで、無暗に持てるというから妙じゃげえせんか。あいつらはあれで東男《あずまおとこ》には相違があせんが、京女に持てるという柄じゃがあせん、つまり、コレでげすよ、コレの威光で持てるんでげす。大将の近藤なんぞも、島原から綺麗《きれい》なのを引っこぬいて、あちらこちらへ手活《ていけ》の花としてかこって置くというじゃがあせんか、うまくやってやがら」
 四谷とんびが、指で丸い形をこしらえながら、こう言って狂い出したものですから、三人の壮士も、もう黙って聞いてはいられなくなって、南条力が、
「これこれ旅の老人――君はどなたか知らんが、近藤勇の同郷とか名乗っておられる、それでどうして、さように近藤の棚卸しをするのだ、もとより近藤だとて聖人君子ではないが、君のいうところによると、一から十まで金銭で動く無頼漢としか映っていないようだ、拙者も知っているが、近藤はそういう下品な人物ではない、彼の書いた書もある、詩もある――
[#ここから2字下げ]
百行所依孝与忠(百行の依る所は孝と忠となり)
取之無失果英雄(これを取つて失無くんば果して英雄)
英雄縦不吾曹事(英雄は縦《よ》し吾曹《わがそう》の事にあらずとも)
豈抱赤心願此躬(豈《あに》赤心を抱いて此の躬《み》を願はんや)
[#ここで字下げ終わり]
 立派なものじゃないか、志も正しいし、謙遜の奥床しさもある、書もなかなかよく書いていた、天晴れの豪傑だ。それを貴様は同郷人だと言いながら、言語道断にこき卸す、奇怪《きっかい》な奴だ――」

         百六十六

 南条力がこう言ってよたとん[#「よたとん」に傍点]を睨《にら》みつけると、五十嵐甲子雄も、おさえ難い義憤を感じていたと見えて、
「いかにもいかにも、あれだけの人物を、単にただ日傭取《ひようと》りのお雇い壮士のようにこき卸すのは、近藤に対する侮辱のみではない、天下の豪傑に対する冒涜《ぼうとく》だ。単に金が貰いたいだけで、あれだけの働きができるか、そこには意気もあり、然諾もあり、義勇もあり、犠牲の念もあって、身を忘れて許すものがなければできることではない。それを貴様は、単に金銭目当てだけで動いているようにこき卸している。我々は近藤の同志ではない、むしろ、彼等が跋扈《ばっこ》して、勤王の志士を迫害することを憎み憎んでいる者なのだが、さりとて彼等の胆勇は敵ながら尊敬せざるを得ん、幕臣旗本がおびえきって眠っているうちに、彼等だけが関東男児の意気を示していることは敬服に堪えんのだ。然《しか》るに貴様は同郷であると言いながら、勇士をさように侮辱する、許し難い、その指の恰好《かっこう》はそりゃ何だ」
 よたとん[#「よたとん」に傍点]が阿弥陀様のするような変な形をしていた指先を、五十嵐がそのまま逆にとって捻《ね》じ上げました。
「アイテテ、アイテテ」
 よたとん[#「よたとん」に傍点]は非常に痛そうな面《かお》をしてもがく。五十嵐も、少々の痛みを与えてやるだけのつもりであったものですから、そのまま突き放すと、よたとん[#「よたとん」に傍点]がよろよろっとよろけました。
 口ほどにもなく、あんまり弱腰だものですから、五十嵐もいたずら心が手伝って、つい弱腰をはたと蹴ると、よたとん[#「よたとん」に傍点]は、
「あっ!」
とひっくりかえると共に、急勾配になっていた草原を、俵を転がすようにころころと、とめどもなく転がり落ちて行くのです。
 しかし、ここは落ちたところでカヤトのスロープで、千仭《せんじん》の谷へ転がるという危険はないから、笑って見ている。
 坂本竜馬は、転がり落ちて行くよたとん[#「よたとん」に傍点]の姿を、憫笑《びんしょう》しながら言いました、
「とんだ剽軽者《ひょうきんもの》である、変な出しゃばりおやじもあったものだ、近藤勇の同郷人だと口走っていたようだが、世間には、自分の同郷人だと見ると、無暗に賞《ほ》め立て担ぎ上げて騒ぐ奴と、それから、今のおやじのように、ムキになってコキ卸して得意がる奴がある。たとえば薩摩というところは、よく一致して同郷人を担ぎ上げたがるところで、あすこへ生れると、さほどの人物でない奴でも、郷党が寄ってたかって人間以上に箔《はく》をつける、あの一致する気風は薩摩の長所だ。それと違って、同郷だというと、むやみに啀《いが》み合い、ケチをつけたがる風習の土地柄がある、たとえば、水戸の如きは、あれだけの家格と人物を持ちながら、到底一致することができない、奸党《かんとう》だ、正義派だ、結城《ゆうき》だ、藤田だと、始終血で血を洗っている、薩摩あたりに比べると絶大な損だ。わが土佐の如きも……」
と言っただけで、坂本はその説明をしませんでした。
「なんにしても、ああいう下品な奴に、指で丸をこしらえられてコキ卸されては、天下の豪傑もたまらん」
と五十嵐が冷笑しながら、よたとん[#「よたとん」に傍点]の落ち込んで行った草原を見つめておりました。
 ころころと転がって行ったよたとん[#「よたとん」に傍点]の姿は、もう見えなくなっている。ここは安全なカヤトのスロープとは言いながら、多少気がかりにならんでもない。どう間違っても怪我はないところであるが、少々薬が利き過ぎたかとも思っているようです。

         百六十七

 よたとん[#「よたとん」に傍点]先生が蹴落されて、勾配の急な草原を、ころころととめどもなく転がり落ちて、落ちついたところに、金茶金十郎が立小便をしておりました。
 よたとん[#「よたとん」に傍点]と金十郎とは、同行してこの叡山に登って来たのですが、金十郎がちょっと用足しをしている間に、よたとん[#「よたとん」に傍点]の方が一足先に、この頭上間近の岩角に居睡りをして、もしもし亀さんをきめこんでいたのです。
 あとから来た金十郎は、これから頂上なるよたとん[#「よたとん」に傍点]に追いつこうと思って、そこらあたりでちょうど立小便をしておりました。
 その金十郎が、なにげなく立小便をしている頭上へ、思いがけなくも懸河の勢いで落ちかかって来たものがあるのですから、金十郎も驚き且つ大いに怒らざるを得ません。
「誰だ、何奴だ、何奴なれば拙者頭上をめがけて、なんらの先触れもなく――奇怪千万《きっかいせんばん》、緩怠至極《かんたいしごく》!」
 こう言ってわめき立てた時は、無惨や、その頭上から、よたとん[#「よたとん」に傍点]の全身をひっかぶってしまったものですから、一たまりもなく同体に落ちて、それからは二つが、組んずほぐれつより合わされて、なお低く転がり落ちて行ったが、幸いにしてとある灌木の木株のところへくると、そこにひっかかって漸く食いとまることができました。
「あッ!」
「あッ!」
と双方とも、まず、そこで食い止められたことによって、生命《いのち》に別条のないことを認識しつつ、ほっと安心の息をつくと共に、
「これはこれは、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生ではござらぬか」
「いや、これは金十郎殿」
という面合せになりました。二人は痛い腰をさすりながら、まず以て生命に別条のなきことをよろこび、それから、金十郎が、
「これはまた、いかな儀でござる、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生!」
 たずねられて、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、
「これこれ斯様《かよう》なる仕儀、無学|蒙昧《もうまい》の後輩を、故実の詮議によって教え遣《つか》わそうと致したところ、無法とや言わん、乱暴とや言わん……」
 それを聞くと、こらえかねた金茶金十郎が、
「いで、その無学蒙昧なる若輩共、この金十郎が取って押えて目に物見せて遣わさん、いざ、案内《あない》さっせい!」
 にわかに立ち上って、力足を踏み締めて、四明ヶ岳の上高く睨みつけました。
 その形相《ぎょうそう》を見ると、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、これはいけないとさとりました。さすがに、そこは老巧で、通人のことであるから、ここで金十郎を怒らして、三人の壮士に喧嘩をしかけさせては事重大とさとりましたのと、それから、自分の腰骨がたいそう痛むので、それらを便りにいきり立つ金十郎の出足をなるべく後《おく》れしめようと企《たく》らんだものです。
 それがために、さすが勇気満々たる金十郎も、同行の先輩を振捨てて仕返しに行くというわけにもゆかず、空しく恨みを呑んで、よたとん[#「よたとん」に傍点]の介抱に当り、ついに、これを自分の背中に引っかけて、以前立小便をしていた地点あたりへ戻った時分には、もう四明ヶ岳の頂上に三人の壮士の影は見当りませんでした。
 それを知って、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生の腰の痛みもケロリと癒《なお》り、それから二人は引返して、根本中堂《こんぽんちゅうどう》の方から、扇《おうぎ》ヶ凹《くぼ》の方を下りにかかるのは、たしかに坂本方面へ向って引返すものに相違ありません。

         百六十八

 江戸の女軽業師の親方お角は、道庵を待合わせる間の道草として、大津から八景めぐりを試み、この日ちょうど、唐崎浜の一つ松の下へ毛氈《もうせん》を敷いてお弁当を開いておりました。
 昨日は舟を一ぱい買切って、げいこ、まいこ、たいこ末社を引具して、八景巡り、瀬田石山の遊覧は終りましたが、今日は引きつづき、舟をこちらへめぐらして、この一つ松の下でピクニック気取りであります。
 取巻連は、いずれも大満足で、この女お大尽を下にも置かぬもてなしぶり。お角さんを松の根方の正座に据え、そこへ山湖の珍味を取並べ、例の法界坊まがいの茶人がそそり出て、お角さんの前へ恭《うやうや》しく銚子を捧げて、
「ああら珍しや、酒は伊丹《いたみ》の上酒、肴《さかな》は鮒《ふな》のあま煮、こなたなるはぎぎ[#「ぎぎ」に傍点]の味噌汁、あなたなるは瀬田のしじみ汁、まった、これなるは源五郎鮒のこつきなます、あれなるはひがい[#「ひがい」に傍点]、もろこの素焼の二杯酢、これなるは小香魚《こあゆ》のせごし、香魚の飴《あめ》だき、いさざの豆煮と見たはひがめか、かく取揃えし山海、いや山湖の珍味、百味の飲食《おんじき》、これをたらふく鼻の下、くうでんの建立に納め奉れば、やがて渋いところでまんどころのお茶を一ぷくいただき、お茶うけには甘いところで摺針峠《すりばりとうげ》のあん餅《もち》、多賀の糸切餅、草津の姥《うば》ヶ餅《もち》、これらをばお茶うけとしてよばれ候上は、右と左の分け使い、もし食べ過ぎて腹痛みなど仕らば、鳥井本の神教丸……」
 これを、べらべらと言いながら、お追従《ついしょう》をはじめました。
 空々しい奴等ではあるが、根がお角も派手商売で、こんなことが好きなんだから、こいつらを思いきり遊ばせて、自分もいい心地で納まり返っています。
 そのうちに、げいこが弾き出し、うたい出す。舞子が舞いはじめる。一つ松の下は大陽気の壇場となって、行く人の足を集めます。
 陸上を行く人ばかりではなく、湖上を巡る舟も、ここへ来て、この大陽気をながめると舟足をとどめ、棹《さお》をひかえて、それをながめないものはありません。なかには、わざわざ同じところへ舟をつけて、松の枝にともづなをかけて、自分たちも興を共にするつもりになったものもあります。この場合、名木の一つ松を見るというよりも、その松の下の大景気に眼を奪われるの有様でした。
 四明ヶ岳を蹴落され、坂本さしてほうほうの体《てい》で下りついて来たよたとん[#「よたとん」に傍点]と金茶も、ちょうどこの時分に、陸路を唐崎浜まで来合わせておりました。よたとん[#「よたとん」に傍点]も、金茶も、お角さんのこの騒ぎを耳にしないではないが、そこは通人のことで、よたとん[#「よたとん」に傍点]の如きは、かえって苦い面をして、田舎大尽のあくどい馬鹿騒ぎ、見たくもないというように、そちらへは振向きもせずに、番所のおやじに向って松の木ぶりと枝ぶりとを賞《ほ》めていると、金茶が、
「いったい、この松ぁ、何年経っている?」
 年数の値ぶみを試みたところが、番所のおやじが無造作《むぞうさ》に、
「はい、一千と八年目になりますさかい」
 芽生えから自分が守り育てでもして来たような返事をするから、よたとん[#「よたとん」に傍点]がそれを聞き咎《とが》めて、
「一千と八年――千年の松はいいとして、その八年というのは、いったい、何の目のこ[#「目のこ」に傍点]から来てるんだ」
と、松の番所のおやじに向って、とがめ立てをしました。

         百六十九

 鶴は千年とか、亀は万年とかいって、大ざっぱに老松の齢を千年だときめてしまうことは、非科学的ではあるが、観念的には許されるとして、その千年の下へ、八年がくっついたから、それで、よたとん[#「よたとん」に傍点]が聞き咎めたのであります。
 千年は千年でよい、千年の松は千年の松のみどりでよろしいが、一千〇八年という端数がついてみると、相当に数学的根拠と、植物学上の実験を催促しなければならない段取りになったから、よたとん[#「よたとん」に傍点]が聞き咎めると、松の番所のおやじはすましたもので、
「はい、松というものは、千年経ちますると、枝がはじめて地につくものでござりましてな、私は長らくこの松の御番をつとめておりますが、この松の枝があの通り地につきましてから、これで、指折り数えてみると、八年目になりましてな、じゃによって、この松の樹齢は一千と八年になりますさかい」
「そうか」
 その説明を聞くと、よたとん[#「よたとん」に傍点]がかえって油揚《あぶらげ》をさらわれたような面《かお》をしました。
 さすがのよたとん[#「よたとん」に傍点]も、これに対しては、横槍の入れようもなし、考証の持込みどころもない有様です。おやじがこの松の樹齢一千〇八年を固く信じているのに対して、よたとん[#「よたとん」に傍点]はそれを冷殺しようにも、打倒しようにも、これには自分の方で、それに対して、また反証的に樹齢を証明しなければならぬ。よたとん[#「よたとん」に傍点]もその考証に手がつけられないのです。さすがの物識《ものし》りも苦笑をもってするほか、おやじに一矢酬ゆることができません。その苦衷を知ってか知らずにか、金茶金十郎が、傍らから差出口を試みて、
「よたとん[#「よたとん」に傍点]先生――いかがでござるな、この松の樹齢、一千と八年説に御異議ござらんかな」
「さよう――」
「一千〇八年と申すと、今より何年の前でござるかの」
と金茶金十郎が、頭のよい質問を一つ切り出したものです。
「一千〇八年と申すと、今より一千〇八年の昔でござる」
と、よたとん[#「よたとん」に傍点]からハネつけられて、金茶が頭を掻《か》きました。
「なるほど――こいつは参り申した、その一千〇八年前は如何様《いかよう》の時代でござったか、それを承りたいのでござる」
「さよう――」
 そこで、よたとん[#「よたとん」に傍点]は、当然、自分の縄張うちに来たので、頷《うなず》いて胸思案を試みた後、やや反り身になって、
「さよう、今年すなわち慶応の三年は皇紀二千五百二十年じゃによって、今より千年の昔は――さよう――延喜《えんぎ》天暦《てんりゃく》の頃になり申すかな」
「ははあ」
と金茶金十郎が感心して、
「して、それに八年を足し申すと……」
 取ってもつかぬ愚問を提出した時に、お角親方の大一座が、松の根方で、ひときわ陽気に囃《はや》し立て、うたい立てました――
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志賀、からさきの
一つ松
まつは憂《う》いもの、つらいもの
憂いもつらいも
ここはなぎさの
一つ松
ヨイトコ、サッサノ
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         百七十

 お角親方一座の興が、全く酣《たけな》わなる時分に、湖水の一方から、矢のようにこの岸へ漕ぎ寄せて来た二はいの舟がありました。
 ひたひたと漕ぎつけて来て、桟橋《さんばし》の際へ素気なく乗りつけると共に、乗組の者が、バラバラと岸へ飛び移ったことの体《てい》が尋常ではありません。
 その、岸へ飛びついて来た人体《にんてい》を見ると、野侍のようなのがあり、安直な長脇差風のもあれば、三下のぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世もあり、相撲あがりもあり、三ぴんもあり、折助風なのもある。これらがいずれも血眼《ちまなこ》になって、岸に飛びうつって来ると、早くもお角親分の大陽気な一座をめがけて、突進というほどではないが、実は突進も乱入も致しかねまじき気合を含んで、ぞろぞろと取りつめて来たのは、どうも穏かでない空気があって、その穏かでない空気は、お角親方の一行に、微塵《みじん》も好意を持っていない一まきであることがわかります。
 これは果して推察の通りで、道中筋から上方《かみがた》にかけて、最初から、道庵の西上を喜ばぬものがあり、お角の乗込みに鬼胎《きたい》を抱いている一味があったのです。
 幕末維新の前後は、名分から言えば勤王と佐幕の争いでありましたが、地理的に言えば関東と関西との勢力の争いであるし、もう少し遡《さかのぼ》ると、大阪へ定めた豊臣の勢力と、江戸へ奪って(?)しまった徳川の勢力に対する三百年間の因縁がある。政治的には関東へ取られたが、経済的には、実力的には……文化的には、曰《いわ》く、何々、関以西のある一角には、絶えずその対抗意識が含まれていたものと見れば見られる。いわば、関ヶ原以来の遺恨角力が、王政維新のあたりまで、まだじゅうぶん根を持っていると見れば見らるべき事情はあるのであります。
 西と言い、東と言い、ひとしくこれ万世一系の聖天子の王土であるが、そこは凡夫の浅ましさ、事毎に、多少の対抗意識の現われることは、笑止千万と言わねばならないが、ことに笑止千万なる一つの実例は、この道庵と、お角とを、只《ただ》では京大阪の地を踏ませまいという、一味の通謀策略の如きであります。
 その以前、関東|名代《なだい》の弥次郎兵衛、喜多八両名士が、聯合軍を組織して西国へ乗込んだ時の如きも、大阪方に於ては、弥次と喜多とを、このまま無事にやり過ごしては、未来永劫、大阪の名折れになる、海道を我物面に、横暴にのさばり返って西上して来る弥次と喜多との聯合軍に、眼にもの見せてやらなければ、大阪の名折れである――そういうところから義憤を起して、大阪を代表して、立ちもし、立たせもしたところの豪傑が、河内屋太郎兵衛、一名を河太郎という人物でありました。
 河太郎を押立てて、弥次と喜多との鼻っぱしを取りひしいだつもりの大阪ッ子が、今度、道庵乗込みに対して、相当、備えるところがないという限りはない。十八文の江戸ッ子の道庵風情に、大阪を引掻き廻された日には、先祖の河太郎に対しても相済まない。
 それともう一つ、なお油断のならないのは、女親方のお角なるものである。道庵の引掻き廻しも怖いが、お角親方なるものは、大阪をはじめ、全関西の興行界を席捲《せっけん》するのはらを抱いて乗込みかねぬ奴である。彼等が京大阪の根拠地に侵入する以前に、近江路、或いは宇治と勢多あたりに於て、眼に物を見せておかなければならぬ。

         百七十一

 お角さん一行が、こうしてピクニックを楽しんでいるところへ、血眼《ちまなこ》で乗りつけた一行に果して関ヶ原以来の因縁が宿っているか、いないか、それはわかりません。
 ただ、せっかくのお角さんの清興の席の前へ、右の一団のならず者、よた者が集まって、盆蓙《ぼんござ》を敷いてしまったことだけは眼前の事実です。
 そうして、南京《ナンキン》バクチと、丁半とをおっぱじめてしまいました。
「いかに何でも、これは無作法過ぎる」
と、お角さんはムッとしながら、そのならず者を見つめていると、
「いいってことよ」
を連発する江戸まがいの三下奴《さんしたやっこ》があるかと見れば、
「うだうだ言やはるな、ちゃア」
と上方なまりをむき出したよた者もある。とにかく雑種であって、本場物ではないが、東西聯合のトバと見れば見らるべきものです。
 これらの連中が、今や、夢中だか、狎合《なれあ》いだか知れないが、血眼になって、丁半、ちょぼ一を争いはじめました。
 それが、今いう通り、お角さんのピクニックの清興のつい鼻先なので、そうして、この盆蓙を敷くに当っても、お角さんに向って一応の渡りもつけていないのです。
 癇《かん》の強いお角親方が、その仕打ちをムッとしないはずはないのですが、そうかといって、旅先で事を構えたがるようなお角さんではないから、その安っぽいならず者どもを横目に、見て見ないふりをしていました。
 ところが彼等は、いよいよ増長し出してきました。そうして、何かポンポン啖呵《たんか》をきったり、巻舌をつかったりしてみるのだが、お角さんの眼で見ると、板についている奴は一人もない。「いいってことよ」とか「べらんめえ」とか連発するが、虫酸《むしず》が走るようで聞いていられない。ことに、「あんたはん、うだうだ言やはるな、ちゃア」に至っては、上方弁というものが本来、啖呵を切るには適していないので、お角さんが、うずうずして、どうにもこうにもならない。
 いかにぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世のやくざ者にしてからが、こいつはあんまり下等過ぎる。事と次第によっては、ぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世ほどかえって仁義が厚いもので、みだりに、こうして、素人衆《しろうとしゅう》のいる鼻っ先で、トバを開くなんてことはしないものである。こいつら、三下のうちでも、よくよく下等の奴だと、お角さんが腹にこたえながら観念の眼を以て見ているうちに、その丁半、ちょぼ一が、全く八百長であることを見てとりました。
 東西聯合のトバといえばすさまじいが、こいつら、真剣に勝負を争っているのではない、気合がウソだ、八百長だ、とお角さんが見てとると共に、八百長だとすれば、またおかしいじゃないか、いったい、何のために、ここまで来て、人の鼻っ先で八百長バクチをして見せなければならないのかと、考えているうちに、お角さんが、
「ハハン――」
と来ました。こいつら、誰かに頼まれて、いやがらせに来やがったんだよ。
 誰を、このお角さんをさ。いったい、お角さんに何の恨みがあるか知れないが、胡麻《ごま》の蠅めら[#「めら」に傍点]のするこたあ、江戸ッ子にゃわからねえのさ。笑わせやがらあ、今日はその手に乗らないよ。
 お角さんは、ついと立ち上って、一行の者に言いました、
「蠅虫が出て来てうるさいから、山王様へ行きましょうよ、山王様へ」

         百七十二

 お角さん一行が、急に毛氈《もうせん》を巻いてこの場を引払うと、南京バクチの一行が、つづいてまた盆蓙《ぼんござ》を引払って、一かたまりになって、ぶらりぶらりとお角さんの一行のあとをついて来る様子です。
 こいつら、いよいよあれだ、お角さんは、せせら笑いながら、ゾロゾロと予定のプログラムである山王様の方へ向って、ブラブラと進行をはじめますと、そうすると、右の安バクチうちの一行は、またブラリブラリと、お角さん一行のあとをつけてやって来る。
 ついて来やがるな、だが、お見受け申したところ、啖呵も切れないが、凄味《すごみ》も利《き》かない奴等だ、あいつらの器量では、せいぜい、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]をしてみるくらいのもので、腕出しをするだけの度胸はない、万一、何か手でも出しゃがッたら、只は置かないよ、こういう時に、あの友兄いの奴でもいりゃ、思いきり眼にもの見せてやるんだが、なあに、あの辺のお安いところならば、このお角さんの一睨《ひとにら》みでたくさんだ――
 とお角さんは、充分にこいつらを見くびりながら、山王様の方へ進んで行きました。
 お角さんの見くびった通り、こいつらは、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]以上のことを為し得る奴等ではないかも知れないが、そのいやがらせも、こっちの虫のいどころによっては、事が起らないとも限らない。
 こうして、お角さんは、送り狼だか送りよた[#「よた」に傍点]者だかわからない奴等に送られて、山王を目指して行きましたが、一行のうちの誰もが、お角さんのそんな腹の中には気がつかず、相変らず遊山気取りでブラリブラリと進んで行きました。
 ところが、まもなく、一行のすべてのこのいい気分が、ぶち壊されて、ふるいおののくような事件が出現したのは是非もないことです。それは、うしろから、例のよた者が、急にふるい立って殺到して来たわけではない。松並木になって、左右が畷《なわて》に続いている札場のところまで来て、
「ああ、怖《こわ》――」
と、殿《しんがり》として後ろにやや離れていたお角さんを別にして、一行の者が往手《ゆくて》をのぞんで立ちすくんでしまいました。
 見れば、その松並木の松の根方や往来へ半ばかかったり、畷道へのめったり、甚《はなはだ》しいのは、往還の真中へ重なり合った、人間の死骸の山です。
 みんな斬られている。どこを、どう斬られているかわからないが、無慮五六人の屍骸は、眼通りに斬り斃《たお》されて散乱している。しかも、斬られたこれらの人体《にんてい》を見ると、後ろからついて来ている送りよた[#「よた」に傍点]者の種類とは違って、いずれも、れっきとした武士姿である。それも、それぞれ充分に身固めをして、しかも、いずれも白刃を抜いて手にかざしたり、取落したりしたまま、右のように散乱と斬り倒されている。
 斬られたには斬られたに相違ないが、やみやみと斬られたのではない。斬る方も、斬られる方も、充分覚悟の上で、おのおの死力を尽して戦った結果がこれなのだ。数えてみると、六人が物の見事に斬られてはいるが、斬ったのは何者。それはわからないが、斬られて斬られっ放しで、収容する者がなく、たとえ若干の時間の間でも、青天白日の下に曝《さら》し置くとは、無惨の至りではないか。

         百七十三

 お角さん一行の先陣は、体をおののかせ、目をつぶって、はせてその屍骸の前を通り抜けて、遥かの彼方《かなた》へ、やっと落着きました。
 殿をつとめたお角さんだけが、足をとどめて、じっとその斬られぶりを熟視していたのです。
 一方に小屋がけをして、番太のようなのが控えている。それに向って、お角さんがたずねました、
「どうしたのです、これはまあ、惨《むご》たらしいねえ、どうして早く取片づけてあげないの」
「へへえ」
と番太が、おぞましい声で返事をしました。それをも、お角さんは、煮えきらない返事だと思って、
「お見受け申したところ、立派なお武家たちじゃありませんか、何はどうあろうとも、早くこのなきがら[#「なきがら」に傍点]を取片づけて、人前に曝さないようにしてあげなけりゃ、恥ではありませんか」
とお角さんが、事のあまりに無情なると、緩慢なるとに憤りを発して、こう言いますと、番太は、この女の人からお叱言を食う筋はないというような面《かお》をして、
「へへえ――ところが、どうも、お相手がお相手でござんしてな、お奉行も、お代官も、お手がつけられやしまへんさかい」
「なんにしても、いけませんね、こうして、一匹一人のおさむらいを、曝《さら》しものにかけて置くのは無慈悲というものなんです、なんとかしてあげられないものかねえ」
「それがその、お相手がお相手でござんしてなあ」
「相手が相手だって、お前さん、お上《かみ》のお手をお借り申せば、どうにかして上げられそうなものじゃないか」
「それが、その――このお武家をお斬りなはったのは、壬生《みぶ》の新撰組の衆でござりましてなア」
「え?」
「壬生の新撰組の御浪人衆が、この通りお斬りになりはって、どうも、はや、手がつけられやしまへんさかい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]ですって?」
「はい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]とは、どういうお方か存じませんが、たとえお上役人だって、人を斬って斬りっぱなしという法はありませんねえ、お斬りなさるならお斬りなさるように、作法というものがあるんでございましょう」
「それが、どだい、壬生の御浪人衆にかかっては、御城主でも、お奉行でも、どもなりませんさかい。当分、手をつけることならんと、新撰組の衆が、そのようにおっしゃりなはってな」
「わからないねえ」
 お角さんは、わからない事だと思いました。しかし、ここで番太を相手に争ってみたところで仕方がない、とお角さんも目をつぶって、この傍を通りぬけ、誰か、そこいらで、もう少し話のわかった人間がいたならば、とっつかまえて、なお委細を聞いてみようと思って、あちらに待受けている一行の者に追いつきました。
 お角さんのあとをつけて来た、いやがらせの安博奕打連《やすばくちうちれん》も、この場の死人の山には全く度胆を失って、一時、お角さんを追求することを打忘れて、慄《ふる》え上った様子です。
 お角さんは、誰ぞ話のわかる人をつかまえて、事の始終を聞いてみようと心がけているうちに、山王様の前へついて、一行と共に一つの茶店に憩いました。

         百七十四

 折よくその茶屋は、土地の年番《ねんばん》の会所になっておりました。つまり右の事件に関連して、土地の顔役が昼夜詰めきりの有様でしたから、事の一切が、わかり過ぎるほどよくわかりました。
 ただ、あれを斬って、斬捨てにして置くのは、新撰組の浪士に相違ないが、斬られて斬捨てられているのは何者だか、その点がまだはっきりしない。
 一説によると、新撰組の一部が仲間割れがして御陵守《ごりょうもり》になる、それを近藤の部下が追いかけて来て、あの通り斬捨てたのだという。もう一つの説は、あれは大津の藩士たちである。これよりさき、十四代将軍が上洛の時、膳所《ぜぜ》と大津との間に待受けて、将軍を要撃しようとした浪士連がある。その時に、危うく発覚して事なきを得たが、その余類があれである。それを新撰組がたずね出して斬ったのである。
 この両説のうちの、いずれかが真相であろう。或いはその両説が混線しているかも知れない。
 だが、お角さんの眼に不審とし、不服とするところは、むしろそれではない。
「ですが、お見受け申したところ、いずれも立派な御身分のお武家様たちと拝見いたしますが、あのままで、いつまでもああしてお置きなさるのはどうしたものでござんしょう、御検視が済みましたならば、一時も早く取片づけて、惨《みじめ》たらしいお姿を見せないようになさるのが武士の情けとやらではございますまいか、お武家でなくてもそうでござんすね、普通の人情としても、人間の亡骸《なきがら》なんぞは、見せものにすべきはずのものじゃございませんね」
と言ったのを、店の亭主が、手を挙げて共鳴するような、制御するような恰好《かっこう》をして、
「そ、それでございます、いかにも、おっしゃる通り、あれはあのまま、ああして置き申してはならんのでござんすが……それがなんでございますよ、新撰組のお方が、もう一ぺんおいでになるまでは、誰にも手がつけられないのでございましてね」
 お角さんは、その返答にも不満でありました。
「新撰組とやらのお方に、手がつけられなければ、土地のお代官様の方で、何とかならないものでございますか、この土地にも、御領主様や、お奉行様がいらっしゃるでしょう、そのお手でもって、何とかして上げて、あったらおさむらいの亡骸を、犬猫の屍体同様に、道路に曝《さら》して置きたくはないものでございますね、何とかして上げられないものでございますかねえ」
と、不満の上に、お角さんが浩歎《こうたん》すると、亭主も、村役も自分の事のように当惑した面《かお》をして、
「それが、その、御領主様のお手でも、お奉行様のお力でも、新撰組のお方がもう一ぺんお出ましになるまでは、どうにも手がつけられないんでございまして」
「それでは、御領主様よりも、お奉行様よりも、新撰組とおっしゃる方々の方が、御威勢が強いわけなんでございますね」
とお角さんが、なお中ッ腹で、押返してたずねてみますと、
「そ、それがその、御時勢でございますからな――」
 いずれも、深くそのことに触れるのを怖れるものの如く、言葉を濁しますものですから、お角さんが、いよいよ納得がゆきませんでした。

         百七十五

 一匹一人の侍を、ああして幾人も大道の真中へ斬捨てて、白昼野天の見世物に供して置いて、それに、領主も奉行も手がつけられない。新撰組なるもののいかに傍若無人で、横暴残忍を極むるの存在であるかに、お角さんも、決していい心持がしませんでした。
 しかし、泣く児と地頭には勝たれないというその地頭以上の勢力には、さすが気おいのお角親方といえども沈黙するよりほかはありません。
 右の不服不満は、お角親方に限ったものではない、誰でも同様に不快とし、不満として、あれを見ないものはないのです。ですが、それを如何《いかん》ともすることのできない事情の存することを聞かせられてみると、事実、如何とも致し難いものがある。
 新撰組の統制は、内に対しては「死」であり、外に向っては「殺」である。
 組の統制を紊《みだ》り、その面目を損うものに向っての裁判は「死」のほかの何物もない。組の当面に立ち、その使命を妨ぐるものに向っての手段は「殺」のほかの何物もない。
 故に、敵に対して惨酷なるが如く、味方に対しても峻烈である。
 女と通じたというだけの理由を以て、切腹させられたものもある。その攘夷論《じょういろん》があまり激烈に過ぐるという廉《かど》を以て、腹を切らせられた同志もある。金銭上の疑いをかけられて直ちに詰腹《つめばら》となったり、いささかも脱隊の形跡があれば直ちに死を与えられる。他藩に内通の嫌疑あれば勿論のこと、巷《ちまた》で私闘を行っても、若《も》し相手を殺さずして帰れば内に「死」が待っている。
 近藤勇の新撰組は、内に対してかくの如く峻厳であって、同時に、外に向ってなんら怖るるところがない。たとえば、会津の藩の如きでも、京都守護職の大任を受けておりながら、藩士の一人が僅かに土佐藩の一士人を傷つけたという事情のために倉皇狼狽《そうこうろうばい》して、この際土佐の御機嫌を損じては、いかに幕府の不利であることよとの懸念から、苦心惨澹を極めたことがあるが、天下素浪人の新撰組に於ては、左様な頓着や遠慮は更にない。大藩であれ、親藩であれ、斬ろうとするものを斬ることに於て、なんらの忌憚《きたん》を持っていなかったのです。
 大阪奉行の中に、内山彦次郎という与力《よりき》があった。大塩平八郎以来の与力ということで、頭脳《あたま》もよく、腕もよく、胆もあり、骨もあって、稀れに見る良吏であったということである。従って新撰組の横暴に対して、快かろうはずがない。たまたま八軒屋の岸で、新撰組が相撲取と大喧嘩をして、相撲取を斬って捨てたという事件がある。
 隊長の近藤勇は、自身、町奉行に出頭して、無礼討ちのことを届け出でたが、待っていたといわぬばかりに内山彦次郎が、近藤勇を呼び留めて、奉行与力の職権で厳重に取調べたものである。近藤勇は、これがグッと癪《しゃく》にさわった。一応の届出に対して、直ちに相当の会釈あるべきものと信じていた小役人が、ほかならぬ新撰組の隊長に向って逆捻《さかね》じとは意外千万、近藤勇は、傲然として、
「拙者は無礼討ちの届出に来たものでござる、貴殿の取調べを受けるために出頭したものではござらぬ、取調べの廉《かど》があらば会津侯へ申し伝えられい」
と言い捨てて、さっさと立帰ってしまった。
 まもなく、内山彦次郎は、天神橋の袂《たもと》で、駕籠《かご》に乗って帰る途中を殺されてしまった。
 何人といえども近藤勇に含まれることは、すなわち殺されることでありました。

         百七十六

 それと、もう一つ――京都の巨椋《おぐら》の池で、鳥を撃ったものがある。ここは伏見奉行の管轄で、御禁猟地になっている。いまだ曾《かつ》て何ものも、この辺で発砲を試みた無法者はない。果して、その禁猟の禁を破って鳥を撃ったものは、新撰組の手の者に相違ないという事実がわかった。
 事実はわかったけれども、新撰組では仕方がない、全く相手が悪い――さりとて、捨てて置いては今後が思われる。そこで伏見奉行の与力で、横田内蔵允《よこたくらのすけ》という硬骨な役人があって、部下の同心に命じて、とうとう犯人として新撰組の一人、後藤大助という者を捕えさせて、厳重に次の如く申し渡した。
「この巨椋の池の御留場《おとめば》は、単に伏見奉行の意志で禁止しているのではござらぬぞ、畏《かしこ》くも禁裡または公儀へ、その折々の鳥類献納の御料地として、公儀より伏見奉行がお預りいたしている土地でござるぞ。その辺のことを御存じなき新撰組の方々でもござるまい、知って、而《しか》してわざとそれをなさるは言語道断である。守護職、並びに所司代へもお届けの上、屹度《きっと》処分いたす故、左様心得られたい」
 この申渡しに対しては、新撰組といえども抗議の申しようがなく、同道者に於て種々申しわけをしてようやく一時釈放ということになったが、まもなく横田は、その邸内へ侵入した暴漢のために殺されてしまった。
 警察と裁判の権威者に向ってさえこれである。国々の脱藩浮浪の徒の如きは、もとより眼中にない。池田屋騒動に於て、諸国浪士の精鋭を一網打尽し去ったことは誰も知っている。
 ことに残忍|悽愴《せいそう》を極めたのは、山陵衛士に転向したいわゆる高台寺組に対する、彼等の復讐ぶりの徹底的なことであった――それを書いていると長い。
 いずれにしても、新撰組の息のかかったものには、領主といえども、奉行といえども手がつけられない。
 さりとて、彼等といえども、必ずしも残忍のために残忍を弄《ろう》するのではない。こうして斬捨てにして置けば、その一味の者共が、見るに忍びないで、必ず死骸を収拾に来るにきまっている。それを待構えて更に一網打尽を試むる――いわば、囮《おとり》のためにわざとこうして放置しておくという政略もあったのです。
 天下の大勢を知らない女軽業の親方お角さんは、毒を以て毒を制する、時にとっての政略を知らない。ただ残忍と殺伐の点ばかりを見せつけられて、一途《いちず》に新撰組を憎いものと思い込みました。天下非常の時は、非常の手段を要するものだということに同情が持てないで、ただ、非常の手段のみを常道の眼からみて、そうしてその非常手段に反感を加えたがるのは近視眼者流の常だが、お角さんもまたその点に於て御多分に洩《も》れず、心に深く新撰組を憎み、同時に、ああして曝されて置かなければならない、いずれ名ある勇士たちの屍《かばね》の恥辱に、若干の同情と、義憤とを催している時分、
「ああ、あれ、あれ、新撰組の皆様がお見えになりました」
 この声で、集まっているすべての人の血が凍り、あたりの立木までが、鳴りをしずめて凝結してしまったようです。
 見れば戞々《かつかつ》と蹄《ひづめ》を鳴らして、馬を打たせて来る一隊の者があります。

         百七十七

 右の恐怖の一隊が現われたと見ると間もなく、山王の森蔭に隠れてしまいましたから、この席のものも生き返ったようにホッとして、暫くあって、また噂話《うわさばなし》に花が咲き出しました。
 その要領は、
「あの、馬に乗った隊長様の脇においでの若いのが、あれが沖田総司様と申しましてね、小太刀《こだち》をとっては小天狗といわれる名人なんです、あの若い方と、それからもう一人、永倉新八様とおっしゃるのと二人で、あの相手の六人を瞬く間に斬ってしまいました。新撰組の方も十何人おいでにはおいででしたが、専《もっぱ》らお働きになったのはあのお二人です、ことに、あの沖田総司様の小太刀の使い方は見事なものでござんしてな、こうして、刀を伏せる、つつと進んで行って、ポロリと相手の小手を斬って落してしまいます、小天狗とはよく言ったもので、あの方は近藤隊長の秘蔵弟子だそうで、わざにかけてはあの人が第一だそうでございます。なんしろ、新撰組の方は、一人一人がみんなそれぞれ日本で指折りの使い手なんですから、たまりません」
「近藤隊長は、今年三十五の男盛りでございます、近藤隊長は精悍《せいかん》そのもののような面貌《かお》をしておりますが、副将の土方歳三殿は色の白い、やさしい男ぶりでございます、沖田総司様も同様――ほんとうにあんな弱々しい二才風であって、よくまあ、ああも巧妙に剣が使えたものでございますなあ」
 沖田総司のことが、主としてここで話題の人気になってくる。まことや沖田は近藤門下の飛竜であって、小太刀を使わせての俊敏、たとうべくもない。近藤、土方の片腕と恃《たの》まれて、実戦の場数をあくまで経験している。その早業の人目を驚かすこと宜《むべ》なりと言いつべし。痛ましいことには、この天才的剣士は当時肺を病んでいた。呼吸器を日に日に蝕《むしば》まれながら、剣は超人的に伸びて行ったが、この翌年、その肺病のために、この男のみが畳の上で死ぬようなことになるとは、一層の悲惨である。
 立ちかけたお角さんが、そういう噂話を聞いているうちに、後から、のそりのそりと漸く至り着いたところの、お角さんいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の一行――即ち三ぴん、よた者、折助、安直のならず者の一行であります。
 この時分になって、ようやくこの場へのさばり着いて、そうして、着くと早々、お角さんの方へいやな眼をつかって、キザな笑い方をしながら、またもその鼻っ先へ盆蓙《ぼんござ》を敷いてしまいました。
 またしてもここで、丁半、ちょぼ一、南京《ナンキン》ばくちをはじめて、江戸ッ児のお角をいやがらせようというたくらみに相違ないが、その時、またも店の中がざわめき渡って、
「あ、また、新撰組のお方がおいでになった」
「ナニ、新撰組!」
「真先においでになるのが、あれが、新撰組の副将、土方歳三様でございます」
「ナニ、土方」
「その次のが、今お話の沖田総司殿!」
「ナニ、沖田!」
 新撰組の名を聞いて、一口上げに狼狽周章を極めているのは、例のその三ぴん、よた者、折助、ならず者――お角さんいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の盆蓙連であります。

         百七十八

 彼等は思いがけなく新撰組の名を聞いて狼狽し、慄《ふる》え上り、ついに面《かお》の色を失って早々に盆蓙をふるい、こそこそと逃げ隠れてしまいました。
 以前からここに控えていた連中は、またグッと引締ったけれども、よた者連のように逃げ隠れはしませんでした。
 お角さんに至っては、以前いうが如く、天下の形勢に暗いから、新撰組であろうと、古強者《ふるつわもの》であろうと、そう無暗に捕って食おうとはいうまい、土方が来ようと、沖田が来ようと、こっちの知ったことじゃないという腹があるから、左様にわるびれた色はなく、とにかく今日は新撰組へ挨拶に来たわけではなく、山王様へお参りに来たのだから、早くそちらの方へ罷《まか》り出るのが至当の礼儀だと思って、お茶代も相当にはずんで、
「さあ、行きましょう、山王様へお詣《まい》りをして、さっぱりと清めていただきましょう、今日は厄日《やくび》のようだから」
 こう言って一行を促し立てた時分に、新撰組の一行十余人が、粛々《しゅくしゅく》としてこの茶店に入って来ました。
 最初見た時は、大将の一人が十余人を従えて、馬で乗りつけて来たようでしたが、今は馬をば多分その辺に乗捨てて置いて、大将も同勢と共に徒歩《かち》になって、粛々とここまで練って来ました。
「ウヘヘ、土方隊長様」
「これは、沖田先生」
「永倉先生――」
 お角以外の居合わせたものは、みな土下座をきってしまいました。
 お角は、特別に、この人たちに土下座をきらなければならぬ理由を発見しません。そうかといって、人が畏《おそ》れ敬うものは、相当に会釈をしなければならないと思いましたから、土下座こそきらないが、相当に畏れ敬う素振りを示して、少々出立を控えておりました。
「どうだ、年番――来ないか、あの囮《おとり》をたずねて来る奴はないか、あれを取戻そうと騒ぐ気色は見えないか」
とたずねたのは、永倉新八でした。年番は恐れ入って、
「はい、どなた様も……まだ、一向」
「そうか、今日で三日になる、もう取片づけてよろしい」
「はい、畏《かしこ》まりました」
「このお方が、土方先生だ」
と言って、隊長を指して役々に永倉新八が紹介すると、
「ウヘヘヘヘ」
と言って、一同が拝伏してしまいました。
 新撰組の隊長、鬼といわれる近藤勇が片腕、というより、骨肉というべき土方歳三が出向いて来たのだ。一同が恐れ入ったうちに、お角さんが、土方とはどんな男だか見てやりたい!
 おや、思いの外いい男だねえ、色が白くて、優形《やさがた》で、なかなか好い男だ、新撰組というから、鬼からお釣を取るような男ばっかりだと思っていたのに、ホンに人は見かけによらないものだねえ。とお角は、それとなく横目でジロリと見たが、その次に、アッと驚いて、また見直して、また驚き直しました。
「まあまあ、お前さんは、歳《とし》どんじゃないの、歳どん――間違ったら御免なさい」
 今まで物に動じなかったお角が、その時になって、はじめて取乱して、こういう頓狂声を立てたものですから、上下内外、みな驚かされました。

         百七十九

 見慣れぬ女の声で、新撰組の隊士もみな気色ばむうちに、土方は篤《とく》とお角さんを見つめて、
「は、は、は、こりゃあ珍しい、両国の親方じゃないか」
 副将がこう言ったものですから、一同がまた呆気《あっけ》にとられてしまっていると、
「ほんとに、お前さん、歳どんでしたねえ、みんながまた、新撰組、新撰組って、鬼の寄合いででもあるように騒ぐもんだから、どんなに荒武者が来るかとビクビクものでいたんですよ、ところがお前さんは、歳どんじゃないか、お前さんが、その新撰組? しかもそれが隊長様とは驚きましたよ、夢じゃないだろうねえ」
とお角さんが、あたりかまわず言ってのけて、なれなれしく土方歳三の傍へ近づいて来るものですから、誰も煙《けむ》に巻かれないわけにはゆかないのです。それさえあるに、土方が、またそれを極めて磊落《らいらく》に扱っていることが、とても他人とは思われない。
「新撰組だって鬼ばかりじゃない、この通り、おとなしい色男揃いだよ」
 土方歳三が笑って答えました。
 ここに色男と言ったのは、土方としては、いささか軽薄な言い廻しの感がないではないが、事実上、近藤勇は精悍《せいかん》そのものの如き面魂《つらだましい》の持主ではあるが、副将の土方歳三は、小柄で色が白く、それに当人もなかなかお洒落《しゃれ》なので、見たところ色男の資格は充分である。のみではない、色男の実証を、このお角さんに押えられている筋がある――それはそれとして、それに従う問題の小太刀の小天狗、沖田総司にしてからが、多病才子の面影充分なのですから、土方がお角さんに向って、新撰組は色男揃いだとのろけたのも、理由がないではありません。そこでお角さんが、
「ほんとに、どうして歳どん、お前のような色男が、新撰組になんぞなったのです、わからないもんですねえ」
と感歎してしまいました。
 ここで、お角さんは、土方歳三をつかまえ、歳どん、歳どんと、頭から浴せかけて憚《はばか》らない。
 ところによっては、「どん」という言葉が、同輩でもあり、敬称になる場合もあるが、関東では「どん」称は目下でなければ使わない。長松どんだとか、おさんどんだとかいう場合でなければ、関東では「どん」称語を用いないことになっている。西郷どんだの、東郷どんだのと、相当の人傑に対して、断じて「どん」称を用いることは江戸にはない。ところが、お角さんは土方歳三に向って、遠慮なく「どん[#「どん」に傍点]」称号を乱発しているし、御当人の土方そのものが、また、この「どん[#「どん」に傍点]」称号を甘受して、あえて悪い面《かお》をしない。
 してみれば、お角さんの眼から見れば、土方歳三は、どうしても同輩以下のあしらいであり、土方は、それをそのままで受取らなければならない身分の相違がある。といって、お角さんそのものが、頼朝公の落《おと》し胤《だね》だという系図書もなし、何の因縁で土方をどん[#「どん」に傍点]扱いにするのだか、それは分らないが、存外寛大な土方は、お角が上方見物の途中と聞いて、
「では、京都へ来たらぜひ拙者のところへ寄り給え、三条の新撰組の屯所《とんしょ》と言えば直ぐわかる。だが、隊へ来て、歳どん、歳どんは困るよ、土方先生とたずねて来いよ」
「いやな先生――あんまり弱い者いじめをなさると、松坂屋の一件を素っぱ抜いてあげますよ」
とお角さんが言いました。

         百八十

 そうすると、土方歳三が丁と頭をうって、
「いや、どうも、古創《ふるきず》をあばかれては困るよ」
と言いますと、お角が、
「向う創ですから大丈夫ですよ」
と答えました。
「あぶないもんだ、お手柔らかに願いたい」
 この問答を見ると、土方歳三がいよいよ受身である。よっぽどこの女親方のために痛いところを押えられているように見える。
 しかし、お角も心得たものですから、それ以上には立入って冗談《じょうだん》を言いませんでした。以前のことは知らないが、今こうして一代の名士となっている以上、愛嬌の程度までの心安立てならいいが、あんまり深入りしてはいけない、一旦は驚きのあまり、打解けてみても、物の頭《かしら》となっている人には、立てるだけは立ててやらなければ嘘だという世間学が、お角を急にしおらしい女にして、
「では、今日は、これから山王様へ御参詣を致しますから、これで御免蒙ります、あんまり思いがけないところでお珍しくお行会い申しましたものですから、ついつい失礼な口を利《き》いてしまいました、取るに足らない、たしなみのない人間のことですから、御免下さいませ。では、京へ着きましたら早速お伺いさせていただきます、お大切に」
 打って返したような折りかがみをして、お角さんが一行を引連れて、山王様の御門前の方へとゆらりゆらり出かけて行ってしまいました。
 土方一行も、それから間もなく、村役人を先に立てて、例の修羅場の名残《なご》りの場へと進発し、そこで、一応の検分をしてから、死体を取片づけさせてしまいましたが、ほどなく馬に乗って、大津の方へと急がせて行く土方歳三――沖田総司が一人ついている。
「土方先生、あれは何です、あの伝法肌の女は、あれは――」
「は、は、は」
と、土方が高らかに笑い、
「松坂屋の一件ですか」
と沖田からたずねられて、土方が笑いながら、そうだとも、そうでないとも言いません。
 そうだとも、そうでないとも言わないのは、つまり黙認の形です。
 たずねてみれば、この連中としてはたあいのないことでした。
 土方歳三が、武州日野在から出て、上野の松坂屋へ丁稚奉公《でっちぼうこう》に入れられたのは、十六七の頃でもあったろう。歳三だから、歳どんとして丁稚をつとめているうちに、その女中の一人といい仲になってしまった。
 歳三は右に言う如く、小柄で、色が白く、それにお洒落《しゃれ》ときているから、女の方が夢中になって、とうとうお腹がせり出してしまった。そこで、もう袖でも隠せなくなって、切れるの切れないの、死ぬの生きるの、やいのやいのという沙汰《さた》になると、さすが後年の新撰組の豪傑も、生ける空とてはなかった。それを口を利いてやっと捌《さば》きをつけてやったのが、男の方では佐藤という土地の幅利《はばきき》、女の方ではここに現われた女興行師のお角さん。その弱味を抑えられているから、さすがの豪傑もいささかテレている。こういうたあいない話をしながら二人は、湖面から来るなごやかな風に面を吹かせて、大津の方面に向って急がせて行く。なお残された新撰組の隊士は、いったん山王下に留っていたが、徐々に叡山《えいざん》へ向ってのぼりはじめました。

         百八十一

 一方、山王様へ参詣の道すがら、お角は狐につままれたような感じがしている。
 新撰組というから、鬼を膾《まなす》で食うような豪傑ばかり集まっているのかと思っていると、豈図《あにはか》らんやその大将が、歳どんであろうとは……
 そもそも歳どんなるものは、江戸近在の田舎《いなか》から出て来た小僧だとは聞いていたが、その身許なんぞは、今日が今日まで少しも聞いてはいなかった。
 わたしが知ってからの歳どんは、上野松坂屋へ丁稚奉公をした生意気でおしゃらくな歳どんからはじまる。よくあることで、女中と出来合って悶着《もんちゃく》が起ったのを、男の方は何とかいう、あっちの堅気の名主様かなにかが出て、あやまったし、女の方はわたしが頼まれて口を利いてあげただけの縁なんだが、その歳どんが、新撰組の頭《かしら》になっていようとは、全く夢に夢を見るようだ。兄貴がエライのかも知れないが、当人だって、馬鹿ではあの役はつとまるまい。馬鹿どころか、あの子はあの時分から、目から鼻へ抜けるような子だったねえ。働きもあるだろうが、行末が思われる――と、よけいな心配をしてやったが、あの色男が新撰組の頭になろうとは、わたしも思いがけなかったねえ。なにしろ、いい面になったものさ。おかげで、わたしもなんだか急に肩身が広いような気になってしまった。京都へ行ったら、ぜひひとつ、訪ねてみることだねえ、魔除けになるかも知れない。
 魔除けといえば、お前さん、いつのまにか、あのいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の三ぴんやよた者の姿が見えなくなった。笑わせやがらあ、わたしが新撰組の頭と近づきだと知ったもんだから、逃げたんだよ。
 お角も、そこで、今までの鬱気《うっき》が晴れて、いい気持になりました。
 それから帰るまでのお角さんの身辺には、不思議に例のいやがらせの三ぴんや、よた者が近づきませんでした。それは、お角さんの察しの通り、お角が新撰組の大将となれなれしく口を利いたばかりか、かえって、それを呑んでかかるのに、新撰組の大将が頭を掻《か》いて閉口気味なのを、物蔭から見て取った三ぴんやよた者が、面《かお》の色を失ったというわけであります。
 この女は、新撰組を一枚上に行く、途方もない代物《しろもの》だと、尾を捲いて逃げたものと思われる。
 前にしばしば言うが如く、お角さんは天下の形勢に暗いし、土方歳三に就いても、歳どんの変形であるとだけしか知らないために、大胆でありました。
 それからのお角さんは、全く肩身の広い気持になって、山王様へも晴々しく参詣をして同行の一座をよろこばせ、さんざんによきピクニックを楽しんで、そうして、また、唐崎浜に待たせてあった舟に乗って、大津へ戻って来ました。
 その間、全く無事です。三ぴん、よた者、ばくち打、駄折助のたぐいは、影も形も見せなくなりました。
 お角さんとしても、新撰組は大した魔除けだと考えずにはおられません。
 宿へ帰って見ると、留守中に再三、使の者があって、お帰りになったら早々お目にかかりたいとのこと。
「誰だろう、道庵先生か知ら」
とお角が案じて、その置手紙を読ませてみると、
「おやおや、これは大変、甲州の大旦那がおいでになったんだよ」
 甲州の大旦那とは、お銀様の父、藤原の伊太夫のことであります。

         百八十二

 宇治山田の米友は、当人の望みに任せて、弁信法師をひとり多景島に残して置いて、小舟をもとの長浜へ向けて漕ぎ戻しました。
 その帰る路すがら、米友は、世間にはずいぶん変った小坊主もあればあるものだと思いました。御当人自身が、かなり変った人間であることを棚に置いて、弁信というものの存在が、いかにも奇妙に感ぜられてたまらないのです。
 しかし、米友が、弁信を竹生島《ちくぶじま》へ導こうとして、誤って多景島へ漕ぎつけてしまったのは、もともと一片の義侠心といったようなものからの出発で、本来の目的でも、予定の行動でもありませんでした。
 この男、本来の道程としては、道庵先生のお供兼用心棒として、江戸から中仙道を木曾にとって、上方のぼりをして、ここまで来たというのが本筋なのでありました。それが関ヶ原まで来て、お銀様のために無心され、道庵先生も退引《のっぴき》ならず、この唯一無二の用心棒を割愛して、お銀様の所望に任せたという次第ですが、道庵先生としても、米友を失うと同時に、お角さんを得まして、お角親方一行と、これから上方筋を同行することにして、お角は上の如く大津に宿って、わざわざ八景めぐりをしながら、胆吹山へ紛れこんだ道庵先生の来《きた》り会するのを待ち受けているという次第です。
 そこで、米友は当分、お銀様の胆吹王国にいて、その事業の一部分を助ける、という役廻りから、長浜へ下りて来たこともこれで二度目です。最初の時は、新植民地に要する生活要品を買いととのえる荷駄《にだ》の宰領として頼まれて、明るく長浜へ下りて来ました。
 今度のは、それと違って、一夜、机竜之助の、セント・エルモの火に送られて出動するのを見咎《みとが》めて、そのあとを追って、とうとう、長浜の町の夜の街にまで下りてしまったのであります。
 然《しか》るに、その夜は夜もすがら、ついにたずねる幻影のまぼろしを発見することはできないで、街頭の彷徨《ほうこう》に一夜を明かしてしまいましたが、その足ついでに飄々《ひょうひょう》とこの湖畔の城址まで来てみると、疲労も感じ、睡眠慾も出て来て、途端に古城址の石と石との間に、ほどよきねぐらを発見し、もぐり込んで身を横たえ、ぐっすりと甘睡の夢を貪《むさぼ》っていた。ところへ、同じく胆吹山を下りて来た弁信法師に嗅ぎつけられて、そこで二人の会見となり、ついにこの盲法師のために義侠心を発して、その多年の宿願であるところの、竹生島詣での舟を出してやったのはいいが、思いもかけぬ無人島に送り込んでしまった。ところが、当の相手は、結句その無人島に送りつけられたことを幸福なりと感じて、そこに一人、永久にとどまると頑張り出してしまって、テコでも動かない。
「世の中には、変な坊主もあればあるものだ、人間はなるべく賑やかなところへ、便利のいいところへと住みたがるのに、あのお喋《しゃべ》り坊主は、目も見えねえくせに、あんな離れ島で、たった一人で暮そうというんだから、てえげえ[#「てえげえ」に傍点]押しが太いや」
 全く、弁信があの島へ納まると決心した勢いは、米友の力を以てしても、手がつけられなかったと見るよりほかはない。
 米友は、ひとり弁信を残した多景島の方を見返り見返りしながら、無事に以前小舟を出発させたところの、古城址の臨湖の岸まで漕ぎ戻ってまいりました。

         百八十三

 小舟が岸に近づくと、米友は棹《さお》を返して、蘆《あし》の生い茂った一道の水路の中へ、舟を漕ぎ入れてしまいました。
 これは、古城址としての、この臨湖の一廓に、昔の廓壕《くるわぼり》の名残《なご》りでもあるが、水の湾入して、蘆葦《ろい》の生いかぶさって、その間に、面白い形をした松が所々にうねっている、その間を、蘆分小舟《あしわけおぶね》の画面になって、米友が漕いで行くのは、おのずから一定の針路があるに相違ありません。
 もとより、米友自身が、一隻の小舟をも所有しているはずはないから、どこからか借受けて出発したものに相違ない。すでに借受けて出発したものとすれば、使用の済み次第、その本来の所有主に返却しなければならない。そこで、この律義一遍の生一本な野人は、当然その義務を果すべく舟を漕ぎ戻し行くものに相違ないのです。しかし、それだとしては少々水先が変である。舟を貸すようなところは、あちらの臨湖の岸であって、この廓壕のようなところを漕いで行けば、当然、廃墟の行きどまりへ着いてしまう。その辺に、貸舟業者の河岸があろうとは思われない。
 しかし、米友は、遠慮会釈なく、その廓壕の中の蘆間へ舟を操って行きましたが、暫くあって、
「あっ!」
と言って舌を捲いて、棹をとどめて小舟の中に立ちっきりになって、その円い目をクルクルと驚異させました。
 物に怯《おび》えないこの男も、驚くことはあるのです。驚くというのは、予期し、或いは予想していたことより、相当、或いは全然意外な事体が展開された時に起る人間の感情なのですから、米友が、「あっ!」と言って、眼をみはって、突立ってしまったからには、その見つめた方向に於て、全く予想も予期もしなかった或る現象が現われたからなのでしょう。鬼でも出たか、蛇《じゃ》でも出たか。いや、そんなはずはない。本来、琵琶湖の湖辺は決して猛獣地帯ではないことは、前にも述べた通りで、いかに古城址の廃墟のあとを訪ねたからとて、ジャングルの王者が現われて来るような憂いはないのです。
 米友が「あっ!」と舌を捲いたのは、存外平凡な光景なので、この堀の湾入の行きどまるところに、ふり、形の面白い一幹《ひともと》の松があって、その下に人間が一人いたからです。その人間とても、松の木にブラ下がって、足を宙にしていたわけでもなんでもない。その幹のところにうずくまって、悠然として釣を垂れている人が一人あっただけです。
 木の下に人が一人うずくまって、水の中へ釣を垂れているという光景は、どう見直したとて、しかく仰山に「あっ!」と言って舌を捲いて、驚かねばならぬほどの現象ではないのです。むしろ、極めて平和な別天地の、ゆうゆうたる光景でなければならぬ。それを、米友ほどの豪傑が、水馴棹《みなれざお》を取落さぬばかりに驚いて、「あっ!」と舌を捲かしめた先方の人影というものは、よく見る尾羽《おは》打枯《うちから》した浪人姿で、編笠をかぶって謡をうたったり、売卜《ばいぼく》をしたりして露命を行人の合力《ごうりき》によって繋ぎつつ、また来ん春を待つといった在来の型の浪人姿が、一心に釣を垂れているだけの平凡な光景でありました。

         百八十四

 米友は仰山な驚き方をしたけれども、その理由はわからないにしても、よし敵を見たからといって、そのまま退倒するような男ではない。
 忽《たちま》ち棹《さお》を取直して、真一文字に、その釣する浪人の方へ向って漕ぎよせて行きました。
 そうすると、先方も、はじめて気がついたと見えて、編笠をかたげて、こなたを見ました。こなたの驚いたのに比較して、先方ははなはだ悠長なものでありました。
 一旦、編笠をかたげてこちらを見たが、やがて、もとの通りに面を伏せて、無心な垂綸三昧《すいりんざんまい》の境地を取戻している様子です。
 そこで米友は、程近いところへ漕ぎ寄せると共に、いっちかばっちか、舟から飛び上って、そうして、何はともあれ、まっしぐらに右の垂綸の浪人の座元まで走《は》せつけて行ったものです。
 それは、釣魚三昧に耽《ふけ》る境地の人にとっては、かなり迷惑なことであったでしょう。釣は釣る人の心を統一すると共に、釣られる魚の心を集中しなければならぬ。せっかくのところを、こうどたばたと駆けつけられては、釣る人の迷惑察するに余りあるが、その人は、極めて寛大に、米友の走りつけるのを待っている。
「済まねえ、どうも済まねえが、お前さんが留守だったもんだから、つい、な、つい、黙って、あの舟を借りちまったんだよ」
 頭ごなしに陳弁を試みた米友。件《くだん》の浪士は無雑作《むぞうさ》に頷《うなず》いて、
「大抵、君だろうと思っていたよ」
「うむ」
「どこへ行ったのだ、その舟で」
「竹生島まで行こうと思ったが、つい、道を間違えてね、なんだか、名も知らねえ、ちっぽけな島へ着いちまったんだ」
「ははあ、この辺でちっぽけな島というと、沖の石ではなし、多分、竹島だろう。そんなところへ何しに行ったんだ」
「長年の心願で、竹生島の弁天様へ琵琶を納めてえと、こういう人があったから、それが、病身で、盲目《めくら》なんだ、そこで、おいらが、ひとつその舟を頼まれてやりてえという気持になったんだが、舟はなし、銭はなし……」
「うむ、うむ」
「そこで、ふと考えついたのは、この間、お前さんが、ここで、小舟の上で釣をしておいでなすったね、今日もまた、いるかも知れねえと思って、いたらひとつ頼んで、その舟を貸してもらいてえと、こう思って飛んで来て見るとな、人はいねえけれど、舟はある、大きな声をしてお前さんを呼んでみたが返事がねえ、暫く待っていてみたが、音沙汰《おとさた》がねえから、黙ってあの舟を借りちゃった」
「うむ、よしよし、それでよし」
 浪人は鷹揚《おうよう》に肯《うなず》いてのみいる。これで、米友の小舟の出所がわかったのみか、その持主の諒解をも得たことになる。そこで、彼は引返そうとすると、浪人が待てと言いました。
「まあ、君、少し待ち給え、一緒に帰ろう」
 一緒に帰ろうにも帰るまいにも、おいらもこの人の帰り先がわからねえが、この人もおいらの行く先を知っちゃあいまい。変なことだと思ったが、それでも米友は、そう言われると無下《むげ》に振切るわけにもゆかない。
 おもむろに釣道具を片づけている浪人の左右を見ると、蓆《むしろ》の上に何か黄表紙が四五冊、散乱している。

         百八十五

「君は、あの、なんだろう、このごろ、胆吹山の上平館《かみひらやかた》へ出来た組合の中にいる一人だろう」
と浪人から問いかけられて、米友が、少し眼をむいて、
「そうだ、それを、お前はどうして知っている」
「それはわかる」
「どうして、わかる」
「そりゃわかるよ、言語挙動で、この土地に居ついている人か、新来の人か、誰だってわかる」
「ふむ――」
 ここにもまた勘のいい奴が一人いる!
 この浪人とは、数日前、ここの岸で釣をしているところを、偶然立ち話をしたばっかりなのに、自分がいま胆吹王国にいることを先刻承知でいるらしい。それのみか、ああいったような事情やむを得ず、この小舟を無断借用した、それをもちゃあんと先刻心得ている。なにもかも心得ていながら、黙っている、なんとなく解《げ》せない浪人だ、という感じを米友がようやく深くしました。
 さて、右の浪人は、一切をとり纏《まと》めて立ち上ったが、その立ち上って二三歩あるき出した形を見て米友が、思わずまた頭をひねったのは、実は今まで、この人が座を構えて、釣を試みている形ばっかりを見ていたのだが、こうして歩き出したところを見ると、どうも、別に、たしかにどこかで立ち姿を見た覚えがある。たしかに覚えがあるが、今それがちょっと思い出せねえ。
 米友としては、この変な人がどこへ帰るのだか、それは一向にわからないが、どのみち、あとへ戻れば湖の中へ入ってしまうのだから、畢竟《ひっきょう》、長浜の町の方へ帰るものに相違ない。自分としては、さし当りどこへという当てはないようなものだが、まだ、このまま胆吹へ引上げる気にはなっていない。それというのは、昨晩自分が胆吹から飛び出して来た目的というものが、まだ全く果されていないからだ。その目的というのは、例のセント・エルモの火に送られて、たしかにこの長浜の町へ入り込んでいる怪物。それから、繊々たる鴉黄《あおう》をのぞみながら、ふらりふらりと館《やかた》を浮かれ出して、これもたしかにこの長浜の町のいずれかに没入しているに相違ないところの、お銀様という暴女王のいどころを突留めて帰らなければならない。
 少なくとも、今晩もう一晩は、この長浜の町の夜を、夜もすがら漁《あさ》ってみなければ胆吹に帰れない、という目的を米友は、ひそかに胸に秘めているものですから、いずれ一応はこの浪人の勧誘に応じて、あるところまではついて行き、それから先は臨機応変にごまかしてしまおう――といったようなはらでついて行きました。
 釣竿をかついで、すっくすっくと先に立って行く浪人の背丈は、普通よりは甚《はなは》だ高い。ちょっと青嵐居士《せいらんこじ》とでも言いそうな恰好をしている。それに無言で附随した米友という男は、小さくてまんまるい。道庵先生のおともとしての米友も、先生の長身に加うるに、自分の短躯を以てしているから、いつもこういう取合せには慣れているが、今日のは浪人が長い釣竿をかついでいるのに、米友は、短い例の杖槍を肩にして、ひょこひょことついて行くのだから、大人島《おおびとじま》と小人島《こびとじま》とで調練の競争でもしながら歩くようで、よそ[#「よそ」に傍点]目にはずいぶんおかしいが、米友当人はおかしいともなんとも思わない。

         百八十六

 いったいこの浪人が、どういう人で、どこへ帰るのだか知らないが、米友としては、上のように腹を据えて、浪人が引廻すように引廻されて行きました。
 そのうちに、米友が、はじめて思いついたことがあります。
 そうだ、そうだ、思い出すほど遠い距離でも時間でもないのだ。つい数日前、自分が胆吹山からこの長浜の町へ買物の宰領によこされたことがある、その時の帰るさであった、途中、石田治部少輔三成《いしだちぶしょうゆうみつなり》の故郷というところで異変にでくわした。
 幕府の代官の検地というのがあって、それと土地の者とが衝突して、その巻添えを喰ったために、米友の連れて来た馬が逸走して、それを米友が追いかけて、ついに姉川の古戦場の川原まで行ってしまったことがある。その川原の真中まで馬を追い込んで見ると、その両岸に群集が群がって殺気を立てている。おいらと馬をおどかすにしては、あまり仰山なと思っていたら、両岸の百姓たちが水争いをするのであった。両岸の村民が水口《みなくち》を争って、あわや血の雨を降らそうという時に、水門の上へ悠々と身を現わして、仲裁を試みた上に、双方の代表を引具《ひきぐ》して引上げた編笠の浪人が一人あったのだ。
 あの人だ、あの人が、つまりこの人なのだ。そう思って見れば、いよいよ背恰好がそっくりである。それに相違ない、と米友は見込んでしまったが、さて、あれから、あの納まりはどうなったのだ。まるで戦争でもはじまりそうだったが、それでも無事に済んだらしいのは結構だが、その納まりをつけたこの人が、ここではあんまり暢気《のんき》過ぎるというような感じもして、とにかく、変な人だと思いつつあとをついて、宇治山田の米友はほどなく、とある一種異様な門構えの前まで来ました。
 その門というのが、さして大きな門ではないが、その構造が全く変っている。室町時代に於て見る四脚門のような形をして、古色もたいていそれに叶っているから、好古癖のあるお銀様でも来て見れば案外の掘出物を見つけるかも知れないが、米友には、少し変った門だなと思っただけのものでした。
 導いて来た釣竿の浪人は、この門から入って行くと、中は、ささやかな庵寺です。
「これでも、お寺だな」
と米友が思いました。その庵寺の一方の庫裡《くり》というようなところへ来ると、浪人が、無雑作に隣の家へ言葉をかけました、
「帰りました」
「お帰りなさいまし」
 隣家から老婆の返事です。そこで、庵寺の庫裡のようなところを開いて、浪人が中へ入ったものですから、米友も続いて入る。
 室内は、存外|凝《こ》った茶室まがいに出来ている。続く座敷が狭いようで存外広い。
 それから二人は、小炉を囲んで、浪人が釣って来た湖魚を炙《あぶ》りにかかりました。
「君も働き給え、これで晩飯の御馳走をして上げる」
 湖魚を串にさして、炉火で米友に炙らせるのであります。
 これによって見ると、右の浪人は、この庵寺の一部に、一人|住居《ずまい》をしているものなることがよくわかる。妻子は別のところにあるのだか、どうだかわからないが、とにかく、今はこうして一人住居をしていて、よく釣に出かける、釣の留守は、隣家のお婆さんに頼んで置くのだ。貧乏こそしているが、かなり暢気な住居だなと思わずにはいられません。

         百八十七

 米友に湖魚を炙らせながら、浪人は一尾のかなり大きな魚を、ビクから掴み出して、米友の前に示して言いました、
「君、見給え、琵琶湖には、こういう魚がいるんだぜ」
「やあ!」
 米友は、眼をみはって、その魚を見つめました。といっても、米友はそう魚類に就いての知識を持っていない。鹹水産《かんすいさん》と淡水産の区別ぐらいはわかるだろうが、琵琶の湖にはどういう種類が特産であるか、そのことは知らないが、いま眼の前へ見せつけられた魚を見ると、どうも、一種奇怪の感じがしないではない。
 それは、鯉ではなく、鮒でも、ハヤでもないことは一見して明らかである。長さは一尺ばかりあるが、全身の鱗が、さながら蛇のようで、一見、人をゾッとさせるものはある。
「君は知るまい、これはカムルチという魚なんだ、怖るべき奴だ。何故にこいつが怖ろしいかといえば、第一、こいつは、他の良魚よりはすばらしい蕃殖力を持っていることだ。蕃殖力というのは、卵を産んで、その仲間を殖やす力だ。こいつがすばらしい蕃殖力を持っている上に、見る通り獰猛《どうもう》な奴で、他の魚類を手あたり――ではない口当り次第に食い荒すのだ。この通り鋭い歯で、単に食い荒すだけならいいが、こいつが殖えると、他の魚類という魚類を食いつくしてしまうのだ、つまり、他の魚類を根絶やしにしてしまうのだ。なんと、魚類にとってこれより怖るべき奴はないと同様、漁をして生活をしている人間共にとっては、またこのくらい害をなす奴もないものだ。また、この口中の歯並みを見給え、細かいけれど、この鋭いことを見給え、こいつでもって、あらゆる魚類を歯にかけるのだ。そうして、こいつは、生意気に、時々水面から口を出して空気を吸って、鯨の真似《まね》をする、かと思えば、泥の中に深く身を隠して、韜晦《とうかい》する横着も心得ている。今日もちょうど、拙者が釣をしているところの水面へ、変に妙な奴が浮き出した、すっぽんかなと思って手網《たも》を入れてすくい取って見ると、意外にも、こいつだ――どこから入って来たか、こいつに出られた日には、魚族よりは漁師の生活問題だ」
と言いながら、再応、米友の眼前に突きつけたものですから、
「ふむ、エライ奴だなア」
「ある意味から言えばエライにはエライ奴だよ、こいつが威力を振うと、日本一の大湖の魚族が根絶する!」
「うむ」
「今、京都に新撰組というのがあるが、それが、このカムルチの存在とよく似ている、いや、新撰組の存在は時勢の必要上、必ずしも悪魚の存在とは言えまいがな、あれなどはまだ正直な方だが、世間には、相当の合法的機構を備えながら、カムルチの所業をなして、世の良風美俗を害し、自由の名で横暴を行っている奴がある、そいつらの害悪たるやカムルチ以上である、たとえば……」
 米友には、この浪人のかこつけて言うことがよくわからない。新撰組の存在も、それ以上の何とかも、お角さん同様、米友の耳には入らないが、ただ、
「うむ、人間の中にも、こういう奴がいるよ、こういう奴が……」
と言って、ひとり呑込みをしました。
 その時、寺の玄関の方で、人のおとなうような声がしましたけれど、二人は話に油が乗って、それには気がつきませんでした。

         百八十八

 玄関におとなう声があったらしいのを、二人は炉辺の話の興にのって、それにはトンと気がつかず、「人間の中にもこういう奴がいるよ、こういう奴が……」と言った米友の思い入れを、青嵐は我が意を得たりとばかり受取って(この浪人の名を暫く仮りに青嵐と呼んで置く)、
「うむ、その通りだ、悪い奴がはびこると迷惑をするのは善い奴だ、いったい、悪い奴というものは征伐されるためにこの世に存在しているものなんだが、善い奴は得て事を好みたがらないから、それで隠れたがる、そうなると、悪い奴はいよいよいい気になって、増長|跋扈《ばっこ》する、人間ばかりじゃない、金銭に於てもそうだ、悪貨は良貨を駆逐すといって……」
 青嵐居士は、ここまで論じかけたが、これは相手にとって少し理窟っぽいと思い直したと見え、怪魚をビクにしまい込んで、
「明日になったら、早速ひとつ漁師共に話して、こいつの退治にとりかからせることだ。それはそれとして、君に夕飯を御馳走してあげるから、君も働き給え」
 こうして、青嵐は手を洗いに行き、米友もそれぞれ夕餉《ゆうげ》の仕度の手伝いにとりかかりましたが、生活ぶりが単純であるだけに、あんまり手数もかからず、釣り上げた新鮮なる湖魚を主菜にして、二人の会食がはじまりました。
 米友も辞退しないで、よばれていると、ゆっくりと食事をしながら、青嵐は米友に向って、
「君、君のいるあの胆吹の開墾地だがなあ、あそこの王様は女だという話じゃないか、女にしてはなかなか野心家だねえ」
「ああ、女だよ、お銀様といって、甲州第一番の金持の娘が大将で、もくろんでいる仕事なんだ」
「そうか、珍しい人だ、拙者も一度、その女主人様に会っておきたいものだと思っている」
「駄目だよ」
「どうして」
「なかなか気むずかし屋でなあ、みんなが腫物《はれもの》にさわるようにしている……だが、おいらなんざあ、怖くもなんともねえや、おいらが見たんじゃあ、只の女の人だよ」
 米友は、御飯を食いながら、こう答えて、昂然として何か多少の得意気な色を浮ばせました。
 つまり、胆吹王国の女王なるものは、無類の専制女王である。多くの人がビクビクと恐れているが、こちとらだけは怖くもなんとも思っちゃいねえ。女王様もまた、おいらに対しては相当隔てなく附合ってくれる。何が故に人があの女王を気に病むのかわからないでいるその自慢が、少しばかり現われたのです。青嵐も頷《うなず》いて、
「そうだろう、気むずかしいといって、わからずやでは、あれだけのもくろみは出来ない、会って話をすれば、ドコかエライところがわかるに相違ない」
「では、一ぺん会ってみな、おいらがそう言えば、あのお嬢様は会う」
「こっちへは来ないかね――そのお嬢様を、長浜見物に引っぱり出して来るわけにはいかないかね」
「それだ――もうこっちへ来ている、そいつをおいらはあとをつけて来たんだ――お銀様ぁ、いま長浜に来ているが、そのいどころがわからねえ」
 その時、玄関でまたおとなう声がしましたのを、今度は、はっきりと聞きとって、青嵐《せいらん》が、
「誰か来ているな」

         百八十九

 誰か庵寺の玄関に来ていることを気取《けど》ったけれど、青嵐は承知しながら聞流しにしている。米友がかえって落着かない気持で、
「じゃあ、おいらは、これで帰るよ、どうも御馳走さま」
と言って、立ちかけました。その時分に、もう食事は済んでいたのです。
 そうすると、青嵐が、それを押しとどめるようにして、
「まあ、いいじゃないか、ゆっくりして行き給えよ」
「ゆっくりしていると、日が暮れらあ」
「日が暮れたら、泊って行き給え」
「そうしちゃいられねえんだよ、おいらはこれから人を探さなくちゃあならねえ」
「誰を?」
「そのお銀様という人と、それから……もう一人の人間を、今晩は夜通しかかっても探して帰らなくちゃあならねえ」
「それは、よした方がいいぞ、君」
「どうして」
「どうしてたって、夜は危険だよ、夜歩きをするのはあぶない」
「あぶねえことがあるもんか」
と米友が呟《つぶや》いて、よけいなお節介を言う人だという眼を以て見る。それをおだやかに、
「いや、このごろは、この静かな湖畔の町にも、相当に殺気が立っているから、夜歩きはやめた方がいい。君も知ってるだろう、このごろ、江戸の老中といって、権勢のすばらしいお役所から、役人が出張って、土地の検査をして歩いているのだ」
「うむ」
「その検査ぶりが不公平だというんで、人民が動揺している」
「うむ」
「それから君、姉川の方面では、水争いがはじまっているのだ、百姓たちが、おのおの自分の田へ水が引きたいといって、血の雨を降らさんばかりに騒いでいる」
「それは知ってる」
「それからまた、この土地に絹の会所があって、そこの頭株に大金持がいて、そいつが横暴だといって、恨んで火をつけようとする奴が潜入している」
「え、火放《ひつ》けが来ているのか」
「そうだ、だから、今晩あたり、焼討ちがないとはいわれない」
「焼討ちがかい」
「うむ、火事があるかも知れない。そんなようなわけで、他国の者にはわかるまいが、この長浜の町は、外見の穏かなわりに、内部に殺気が籠《こも》っているというわけだから、うっかり夜なんぞ出歩くのはあぶないというのだ。よって、君は今晩素直にここへ泊るか、そうでなければ、長浜の町へ出ないで、ほかの道を通って胆吹へ帰るなら帰り給え」
 青嵐の言ってくれることは穏かで、そうして親切です。だが、どうも米友の頭には、それほどに響かないものがある。
「せっかくだが、そう聞いてみると、いよいよこうしちゃいられねえ、おいらは出かけるよ」
と言って、つと立ち上って、杖槍に手をかけた気勢、とどむべくもなしと見たものですから、
「じゃあ、大事にして行き給え、近いうち拙者は君たちの胆吹王国をたずねてみるよ」
「ああ、いつでも来なよ」
と言い捨てて、米友は早くもこの庫裡《くり》を飛び出してしまいました。

         百九十

 米友のあわただしさを、微笑しながら見送った青嵐は、炉前に戻って、暫《しばら》く茫然と炭を見つめておりました。
 どうしたものか、さいぜん再三、庵寺の玄関の方で呼びかけた声は、もう聞えません。さては、呼びあぐんで、立帰ってしまったと見える。
 日がたそがれる。
 暫く炉炭を見つめていた青嵐は、やがて行燈《あんどん》を引寄せて火を入れたのですが、その火影をまた暫くぼんやりとながめていたが、近所隣りは静かなものです。
 日はとっぷりと暮れた。
 これから、秋の長夜がたのしめる。昼は釣をたのしみ、夜は燈に向って書を読むの快。それを存分にたんのうすべく戸締りをする前に、青嵐は外へ出ました。外は暗いけれども宵《よい》の口だから、もちろん、提灯、カンテラがなくとも歩ける。庭下駄をカラコロと穿《は》いて、中庭をめぐり、庵寺の方へと歩き出したのは、とにかく、これから秋夜読書の快味を満喫せんがために、一通り境内の垣を見守っておかなければならぬ。かなりに広い庭内のそぞろ歩きをはじめて、やがて、裏手から寺の門内を一通り見めぐり、玄関の近くまで来てみると、そこで一種異様な物音に、思わず足をとどめさせられました。
 一種異様な物音といっても、神経を衝動させるような物音ではないが、思いがけない物音には相違ない、玄関のところで、かなり高らかな鼾《いびき》の音がするのです。誰かここへ来て寝込んでいる。近づいてのぞき込んで見ると、見慣れない一人の老人が、いい気持になって、玄関の式台に寝込んでいる。その人品風采を篤《とく》と見定めて、
「お医者さんだな」
 本来、お医者さんだの、坊さんだのというものの姿は、そんなに人を気味悪がらせるものでないが、さて、この辺にはあまり見かけないお医者さんだが、何の用で、こんなところへさまよい込んだのか、この近所の病家先へでも来て戸惑いをしたのか、それとも、途中、医者の不養生で急病を起し、医者を救うべき医者がないために、ひとり苦しんでいるのかと思えばその鼾は至極泰平であって、苦痛だの、屈託の色なんぞも見えないし、いささか――ではない、かなり多分の酒気を帯びているところを見ると、これはてっきり病家先で、全快祝いかなにかに呼ばれて、いい心持に食《くら》い酔って、戸惑いをして、ここへ転げ込んで寝込んでしまったものだ、天下は泰平だわい、と青嵐も感心はしたが、このままでさし置くわけにはゆかない。ぜひなく肩のところへ手をかけて、ゆすぶりながら、
「モシモシ、モシ、お医者様」
と呼び起したが、ちょっとやそっと、ゆすぶったのでは、手ごたえがありそうもないから、やや荒らかに、ゆすぶりかけて、
「もし、お医者様――お医者様、こんなところへゴロ寝をしては、医者の不養生でござるぞよ」
 ぐいぐいとやったものですから、ようやく気がついたと見えて、酔眼をポカリと開き、
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
と言いました。
「しっかりなさい、ここは寝るところではござらぬぞ」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
と二三度|唸《うな》ったかと思うと、すっくと立ち上りました。

         百九十一

 ようやく呼びさまされた道庵先生は、あわただしく起き上り、
「これは、どうも、いやはや、大変に失礼を致しました、どうぞ、御容捨にあずかりたい、年甲斐もなく、少々食べよったものでござるが故に、あしからず、どうも、はや」
と非常に恐縮して、そわそわしているものですから、青嵐も気の毒がって、
「いや、御心配にはおよびませぬ、お休みになる分にはいっこう差支えござらぬが、夜気に当っては毒と存じ申した故」
「いやどうも、年甲斐もなく、それに職業の手前、医者の不養生を如実にお目にかけて、何ともはや汗顔至極……」
と頻《しき》りに詫《わ》びるけれども、その表情を見るとけろりとしたもので、面《かお》のどこを見ても汗などをかいている痕跡はない。
「時に、少々、物を承りたい儀でござるが、この辺に知善院と申すお寺がござりましょうか、御存じならば御案内にあずかりたい」
「知善院――それは当寺でござるが」
「ははあ、では、御当寺がその宝生山知善院と申されるお寺様でござりましたかな」
「左様、当寺がたしかに知善院に相違ござらぬが」
 二人の問答がここへ来ました。これによって見ると、道庵先生は戸惑いをして、このところへのたり着いたのではなく、たしかに、山号までも心得て、この寺を目的にやって来たもので、
「それは、それは」
 改めて手を顔にして恐悦がり、
「御住職は御在寺でござりましょうかな」
「住職――ただ今、ちょっと無住――というわけではないが、その留守をかく申す拙者があずかっておりますが……」
「左様でござるか、それはまた何よりお手近い儀でござる、実は、愚老は、江戸から参上いたしたものでござるが」
「ははあ、江戸から遥々《はるばる》とお越しになりましたか」
「江戸の下谷に住居を致しおりましてな」
「下谷に……」
「下谷の長者町というところに巣を構えておりまして」
「ははあ、下谷の長者町……」
「道庵と申しまして」
「道庵先生と申されるか」
「道庵と申して、いやはや、安っぽい医者でげすよ」
 ここへ来て、ボロを出してしまいました。人にものをたずねて住所姓名を名乗ることは礼儀の一部分であるとしても、安っぽかろうと、高っぽかろうと、そんなことまで聞かれもしないのに口走る必要はありますまい。だが親切な青嵐浪人は、これもまた宿酔のさせる業と好意に受取って、
「して、当寺に御用の程は?」
「実はその――さる人から教えられましたところによりますと、御当寺は、見かけこそ、こんなにケチだが……内容に至っては、なかなか容易ならぬ由緒あるお寺と承りまして、それで、推参いたしたような次第でげす……」
と道庵が言いました。相手がこの寛容なる浪人でなければ、ここでハリ倒されてしまったかも知れない。見かけはケチなお寺だが……自分のことを言う場合にはよいが、先方に対してそれを言うのは失礼この上もないことである。ところが、教養があり、寛容の徳を備えた青嵐は、微笑をもってこれに対しました。

         百九十二

「それは、遠路のところ、よくお訪ね下された」
と、教養があり、寛容の徳を備えた留守番が、微笑をもって返答するものですから、ここでまた道庵がいい気になり、
「わしゃあね、さいぜん、大通寺長浜別院というのをたずねてみたんだがね、思ったより宏大なる建築に驚かされましたね、京大阪なら知らぬこと、長浜なんてところに、あんな大きなお寺があるたあ、お釈迦様でも気がつくめえ、とすっかり胆を抜かれちゃいましたような次第でげす。さてまた、この次に由緒ある知善院をたずねるのだが、今度こそ胆を抜かれねえように、臍下《へそした》に落着けて、たずねて来て見ると、どうでしょう、今度はまた、あんまり見かけがケチなんで、正直のところ力負けがしてしまいましたような儀でげす」
「いや、それはそれは、せっかくの御期待にそむいて恐縮でござるが、長浜の宝生山の知善院というのは、当所のほかにはござらぬ。して、その御用向は……」
「別に、特別の御用向という次第でもござらぬが、承るところによると、御当寺には、天下無二の寺宝がおよそ五通り備えてござる――由を、不破の関守氏より承りましたるにより、わざわざ、拝見に罷《まか》り出たような次第でげして」
「ははあ――それは、見らるる通りの貧寺でも、相当の歴史をもっておりまする故に、少々の寺宝もないという次第ではござらぬが、天下無二の無三のというようにおっしゃられると恐縮いたす」
「いや、なかなか、そうでねえそうだよ、第一、このお寺の庭というやつが曲者で、これが昔、我々の先輩として尊敬する曾呂利新左衛門《そろりしんざえもん》の設計にかかるということだ」
「なるほど――それは、その言い伝えの通りでござる」
「それ、ごらん――曾呂利が腕を見せた庭とあれば、それだけでもけっこう見物《みもの》だね。それから、もう一つは、大阪の城内から将来した最も由緒ある豊臣太閤秀吉の坐像がおありだそうだ」
「いや、それはどうも……」
「それと、もう一つ、淀君から、秀頼をよろしく頼むとさる人に宛てて細々《こまごま》と書いた自筆の消息状、並びに、豊臣秀頼八歳の時の直筆《じきひつ》がお有りだそうだ、後学のために、ぜひ、それらは拝見いたしておきたいと、わざわざ道をまげておたずね致したものでござる、何卒、折入ってひとつ、拝見の儀、お願い申したき次第でござります」
と道庵が、至極テイネイに頭を下げたものです。
 留守をあずかる浪人は、それを聞いていささか迷惑げに、
「曾呂利の庭だけは申し伝えの通り、いまだに面影が残っておりまする故、ごらん下さる分にはいっこうさしつかえござらぬが、その豊太閤由緒の何々と申す儀は……左様な寺宝があるとも承り、またないとも承っておりまして、何とも御返事が致しかねるが、いずれにせよ、当今は訪れる人もなきこの荒れ寺を、よくぞお心にかけて、江戸よりわざわざお立寄り下された御好意に対し、留守をあずかる拙者の一存で、お目にかけられるだけはお目にかけて進ぜ申す。何を申すも、この通り夜分の儀でござる故、ともあれ、こちらへお越しあって拙者が控えで、粗茶など一つ召上られてはいかがでござるな」
「それは千万かたじけない、然《しか》らば、お言葉に甘えて……」

         百九十三

 そこで道庵は、相知らずして、米友と入れ替りにこの家の客となったのです。
 青嵐居士は道庵を庵室に招じ入れ、炉辺に茶を煮て四方山《よもやま》の物語をはじめました。
 話してみると、おたがいに話せる男だと思いました。
 ただ、道庵の脱線ぶりのあまりにあざやかなのにでくわすと、青嵐も時々面食うこともあるが、それとても、宿酔のさせる業で、この人本来の調子ではない、どうしてなかなか侮り難い経験も、学識も備えている――と道庵を買いかぶりました。事実また、道庵の方にも、多少は買いかぶられるだけの素質があったかも知れないのです。ことに、その話しっぷりや、気合というものが、この辺の人士とは全く調子を異にし、口に毒があるけれども、腹にわだかまりがない。これやこの江戸ッ子というものの如是相《にょぜそう》であろうかと、青嵐はようやく傾倒する気にまで進んで行ったものと見えて、
「さきほどおたずねの、その、例の豊公の木像と、淀君の消息と、秀頼八歳の時の筆――といったようなものは、実は確かに当寺に保管してあるのです、拙者が留守をあずかって、よく保管してあるのです。それに相違ないが、世間にあまり披露されたくない、というのは変なもので、この土地はそれ、豊太閤が羽柴筑前守時代の発祥地でしょう、秀吉が居城を築いて、ようやく大を成したゆかりの土地ではあり、それに、例の徳川家にとっては無二の反逆人、石田治部少輔三成の故郷に近いことではあり、その後、封ぜられた大名もありましたが、なにしろ豊公の故地では果報負けがすると見えていつきません、それ故に、長浜の地はその後長く城主の手を離れて、市民の商工地として成り立って来ました。ずっと武家の城下とはならず、町人の市場となって今日になってまいっているような次第で、徳川家の天下では、最初に於て、どうしても豊公の威と徳とを銷《け》したがる政策に出でたのは是非もありません――そこで、この土地の住民に於ても、豊公の余威をなるべく隠そう隠そうとつとめたような形跡もないではない、それが一つの原因かどうか、当寺なども、このように微禄仕りました。長浜別院大通寺の方は、本願寺の勢力であんなに宏大であるが、この寺はごらんの通り見すぼらしいものになっているのが、かえってまた保身の道によろしい点もあって、存在を認められないくらいに微禄しておりますればこそ、今日でも寺の周囲に相当の遺蹟も残っておれば、おたずねのような宝物も保存せられている、それをどうかすると聞きかじってたずねて来るものがあるけれども、たいていは、左様なものは昔はあったかも知れないが、今日はもう行方不明じゃ、とこのように申して謝絶しておりますが、貴老に至っては、もはや、せっかく御奇特の儀お見届け申したるにより、残らずお目にかけようと思いますが、何を申すも、夜分ではやむを得ないによって、明朝に至って、ゆっくり御案内を申し上げる、まず今晩は、むさくるしけれど、当屋へ御一泊あってはいかがでござる」
 こうまで言われて、辞退するような道庵ではありませんでした。
 道庵を一室に寝《やす》ませた青嵐は、また炉辺に寄って来て、燈を剪《き》って、ひとり書物をひもどきはじめました。何の書物をか、青嵐がしきりに読み耽《ふけ》っている一方、早くも熟睡に落ちた道庵の鼾《いびき》の音が高い。
 かくて湖上湖畔の夜は更けて行く。まさに書を読み、茶を煮るに堪えたる好夜だが、米友の行方だけが、少々気がかりにならぬではない。

         百九十四

 だが、それも案ずるほどのことはない、宇治山田の米友は、今、確実に湖畔の町の夜を歩いている。
 夜といっても、それは月の何日に位するかは明瞭でないとしても、お銀様が胆吹の山をそぞろにさまよい出でた時分が、繊々たる鴉黄《あおう》を仰いで出でた当分のことですから、宵にちらりと月影を見せたばかりの闇の夜なのであります。
 青嵐の言うところでは、この静かな湖畔の町にも、何か殺気というようなものが漂っているそうだが、米友は実はその殺気をさがし求めて、こうして歩いているのだ。
 といっても、青嵐のいわゆる殺気というやつと、米友がめざして歩いている殺気というやつとは、全然、その存在と名目を異にしているかも知れない。少なくとも、青嵐のいうところは、ある一定の発源地とか、対象とかいうものが存しているのではなく、民心の鬱結がおのずから相当の殺気というものを孕《はら》んで、禍機が不可思議の辺に潜んでいるらしい意味に聞えましたが、米友は、そんなような漠然たる妖気を見破らんがために歩いているのではない。彼のたずね求めんとするところには、おのずから一定の目当てがある。そのとらえんとする殺気は、凝って一つの物影として存している。
 その物影とは何物ぞ。よく問題になる例の暴女王、お銀様の放漫を戒めんために出動したのか。それもそうであって、必ずしもそうではない。お銀様は放逸に、山を出て来たもののようだが、彼女は米友から制馭《せいぎょ》さるべき地位にある女ではない。かえって、米友が統制を受くべきほどの略と権とを持った女だ。米友がたずね求めんとする殺気はそれではない。彼は、お銀様以前に、セント・エルモの火に送られて山を出た、その黒い覆面の怪物を抑えようとして下りて来たのです。彼をしてもうこれ以上に犬を斬らせまいとして、その慈悲心から、山を下って、そうして湖畔の町を、今日も、昨日の晩も、あさり歩いている。
 江戸の本所の弥勒寺長屋《みろくじながや》に、同じ釜の飯を食って以来、いや、もっと早く言えば、甲府城下の如法闇夜の時以来、あの覆面の怪物の夜な夜なの出没の幻怪ぶりを満喫していること、この男の如きはない。自らもその幻怪の誘惑に堪えられなかったが、それがまぼろしの出没である間はよろしい。右の怪物が、じっとして立ち止まった時に、罪もない人間の血の幾斗幾升が、空しく地中に吸い込まれ、その肉体がうつろにされて、地上に累々たる酸鼻には堪えられたものでない。せめて、この、おとなしい湖畔の町だけには、もはや再び、あの甲府城下、弥勒寺長屋時代の陰惨な絵巻を繰りひろげて見せたくはないものだ。
 もう、たいがいにして、あの刀を鞘《さや》に納めさせたいものだ。そうするのが、彼の後生《ごしょう》の幾分でもあるし、第一、この罪も報いもない北国街道筋の古い町の、何も知らない民衆が気の毒だ。
 ナニ、人は斬られないが、犬が斬られた? 人間ならばたまらないが、犬ならばいくら斬られてもよろしいという理窟があるか。
 犬を斬る刃《やいば》は、人間を斬る刃なのだ。斬るべき人間にでくわさなかったから、やむなく犬を斬ったのだ。その惨虐の程度に於て、あえて相違があるものか。

         百九十五

 わが親愛なる宇治山田の米友は、こういう殊勝な慈悲心をいだいて長浜の町の夜を、ひとり物色して歩いているということは、誰も知るまい。
 青嵐のいうが如く、この静かな町の中にも、富豪の圧制を憎む細民がいるかいないか。検地の代官を呪う一味徒党の片われがいるかいないか。また、水争いの公事《くじ》を、この辺まで持込んで、待機の構えでいる附近の農民が隠れているかいないか。或いは尊王攘夷《そんのうじょうい》が、海道の主流を外れたこの辺の商業地の間にまで浸漸して来ているかいないか。そんなことは米友としては知りもしないし、知ろうともするところではない。
 彼としては、もはや、人間にせよ、畜類にせよ、およそ生きとし生けるものの、その一つをでさえも、これより以上に刃に衂《ちぬ》らせたくはないのだ。
 さりとて、夜の町を行くのに、ことさらに人の目に立つようにして歩く馬鹿はない。その点において、米友も、弥勒寺長屋以来、相当に心得たもので、その俊敏な小躯《しょうく》を、或いは軒の下、天水桶の蔭、辻の向う前、ひらりひらりと泳いで渡る机竜之助の如く、戸の透間から幻となって立ち出づる妖術(?)こそ知らないが、米友としても、天性の達人である、心得て歩きさえすれば、滅多なものに尻尾をつかまれるような歩き方はしない。それにしても近日の動静に徴して、町に於ても相当に警戒の試みられてあるべき晩なのに、存外穏か過ぎるのは、本来、商業地としての当地は、警戒ということが深ければ深いほど、空騒ぎをしない。内に於ては、戸を深く鎖し、役人、町内の自警団にしてからが、徒《いたず》らに手ぐすね引いて、目に見えない殺気そのものよりは、目に見える警戒ぶりに於て、かえって人気を聳動《しょうどう》せしめるような、心なき陣立てはしない。そこはさすがにその昔、太閤秀吉が鎮《しず》めて置いた土地柄とでもいうものか。ただ、時々の夜廻りは、水も洩らさぬように粛々と練って行く。それも極めて規則的であり、時間に於ても、ほとんど一定の節度がある。それを程よく、やり過しさえすれば、無人の境を歩くと同様な静けさの中を、米友は飛び歩いている。
 彼は、前の晩に犬の斬られたという大通寺の門前のあたりも、それと知らずして通り過しました。町から町、辻から辻、江戸に於て本所、深川、永代、両国を、はてもなくつけつ廻しつ、さまよい出した経験を有するこの男にとっては、長浜の町は甚《はなは》だ狭い。奥へつき進んだつもりで、かえって湖畔へ出たりしてしまいました。
 湖畔に立って、烟波浩渺《えんぱこうびょう》たる湖面の夜に触れると、そこにまた、この男特有の感傷に堪えられないものがあって、
「おい、琵琶を弾《ひ》く、めくらの、お喋《しゃべ》りの坊主やあーい、離れ島にたった一人で残された坊主――無事でいるか、やあい」
 こう言って、また慌《あわ》ただしく町の方へとって返して、前の如く軽快に、用心深く、深夜をあさってみたが、幾時かの後、町の辻の中央で、ぱったり足をとどめたかと思うと、急に飛び上って、地団駄を踏み、
「そうら見ろ、言わねえこっちゃあねえ」
 果して、果して、米友の睨《にら》みつけた町の大路の真中に、人間が一人、まさに斬られて倒されている。

         百九十六

 だから、言わないことじゃあない。こういうことがあってはならないために、こういうことをあらざらしめんがために、このおいらという人間が、よる夜中、こうしてところを嫌わずうろついているのだ。酔興で、昨日の晩も、今日の晩も、こうして眠い眼をこすりながら、ほうつき歩いているというわけじゃあねえんだぞ。
 人間と名のつくものの一人でも、地獄へは落したくねえんだ。罪のある奴に、このうえ罪を重ねさせてやりたくねえければこそ、このおれはこうして、あてどもなく飛び歩いているんだぞ。
 人の心も知らねえで、こいつがまた、こりゃ、どうしたというもんだ。口惜《くや》しいぞ、残念だぞ、もう一足早かりせば、ちぇッ、この足め!
 米友は、ついに自らの足を憎んで、その足をもって、したたかに大地へ打ちつけました。この男、得意の地団駄です。得意のといっても、誰しも好んで地団駄を踏むものはない。地団駄というものは、残念無念の表情のやり場がなくて、大地に人間がわれと我が足をぶっつけて、遣悶焦燥《けんもんしょうそう》する時に起る挙動なのです――内に燃ゆる義憤があって、その義憤が適当なはけ場を見出し得られないためしの多い米友は、常に地団駄を踏んで、わが力の足らざることを、大地に向って強訴弾劾《ごうそだんがい》するのならわしを持っている。
 今やまた、せっかくの心づくしが水の泡《あわ》となって目前に現出している。よって、米友が歯噛みをして大地を踏み鳴らしている地点というものが、ちょうど、これが湖畔の町に於ても目抜きの巷《ちまた》でありました。
 一方に、当地第一等の富豪、下津伝平の屋敷の堀が広々とめぐらされている。その向うにはかなり広大な絹取引の会所の棟《むね》が横たわっている。大商店が倉を並べている。大きな旅籠《はたご》の中に、最もすぐれた浜屋というのが、塗りごめの戸袋壁に、夜目にもしるきほどの屋号を黒い塗壁に白く抜いている。この浜屋――というのが、以前から問題の、この中に覆面の怪物が二個いて、その間へ頬かむりのやくざ者がはさまった、前の晩の出来事の、その陣屋まがいの、だだっ広い構えなのであります。
 ここまで来て、眼前に横たわっているのが人間の死骸であることを、夜目にも紛れなく認めた瞬間に、かくばかり激憤した米友も、やがてやや血気を静めて、そうして斬られている当人の果してなにものであるかの検討にとりかかりました。
 二足三足と近づいて見ると、斬られた奴はうつぶしに倒れている。そうして、背中には何物かを背負っている。うつぶしに倒れているから、一見しただけでは人相そのものはわからない。その背中に背負っているものは――背負っているというよりは、背負わせられているといった方がよろしい、背負わせられているというよりは、むしろ背中へ結びつけられた、という変な取合せで背中に背負わせられているのは、よく高札場《こうさつば》にあるあの立札なのであります。高大な立札を背負わせられたまま、前へのっけに突伏している形ですから、また見ようによれば、人間が高札に押し潰《つぶ》されているようなもので、人間そのものを検視する先に、「さあ、もう一ぺん読め!」と高札をつきつけられているような形です。

         百九十七

 その時、米友の頭へピンと来たのは、この高札がまた只《ただ》ものではない、それはもとより、人間一匹を押しつぶして、息の根を止めているくらいの高札だから、只の高札でないことはわかっているが、この只者でない高札にもまた、一応見覚えがある! と米友の頭に響かざるを得なかったのは、これも先に、生活品の買出しに長浜へ来た時に、札場で見たあの高札――念のために、その時うろ読みに読んだ文章を再現してみると、次のようなものでありました。
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   「定
何事によらず、よろしからざることに、百姓大勢申し合はせ候を、とたう[#「とたう」に傍点]ととなへ、とたうして、しひて願ひ事企てるを、がうそ[#「がうそ」に傍点]と言ひ、あるひは、申し合はせ、村方立退候を、てうさん[#「てうさん」に傍点]と申す、他町村にかぎらず、早々其筋の役所に申し出づべし、御褒美として、
 とたうの訴人  銀百枚
 がうその訴人  同断
 てうさんの訴人 同断
右之通り下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも、発言いたし候ものの名前申し出づるにおいては、その科《とが》をゆるされ、御褒美下さるべし……」
[#ここで字下げ終わり]
云々《うんぬん》の心覚えを、米友が思い返して、
「うむ、あの、あれだ、あれだ」
と合点《がてん》したが、合点のゆかないのは、あの時、あの高札場高く揚げて、何人にも読み得らるるようにしてあったものを、特に持卸して背負い出したというのがわからない。こんなものを盗んだって仕方がねえじゃねえか。また多くの人に見られるためなら、わざわざこんな行燈背負いのように背負わせて歩かせずとも、あのままにして高く揚げて置いた方が、効果が多い。
 こうして見ると、高札が人間を押しつぶしている。通りかかったところへ、ももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]かなんぞのように不意に高札が飛びかかって来て、押伏せたものだから、人間が面喰って、押伏せられたなりで窒息している――とも受取れる。
 なんにしても米友は、ただ単に、これを判じ物の観念をもって驚いているのではない。人間一人がここに斬られて死んでいるという現実の非常時に当面し、悲憤も、驚惑も、しているのですが、それにしても、こうなってみて、またいささか、手ごたえの変なところがないではない。第一、人が斬られている、殺されている! という先入観念からが、なんとなく拍子抜けになってきて、斬られているというが、血が流れていやしねえではないか。ことによると、こいつは行倒れだ、行燈背負いの日傭取りの貧乏人が、栄養不良のために、ついに路傍に行倒れにのめって、それっきりになってしまった、それではないか。
 とにかく、面《つら》をあらためてくれよう、面を――どっちにしたって、気の毒なものに変りはないが、驚くなら驚くように、事をあらためた上で驚いた方がいい。
「おい、お前、こっちを向きな」
 右に持っている杖を左に持替えて、そうして米友は、その行倒れの襟首《えりくび》をとって引卸して見ようと思って、その手ごたえに、我ながら度胆を抜かれた形で、
「おやおや――こいつぁ変だ、こいつぁ、こいつぁ、人間じゃねえや、おっと、人形だ、人形だ、人形が高札を背負って行倒れになってやがらあ!」

         百九十八

 斬られた人間の死骸でもなければ、栄養不良の行路病死人でもない、土で形をこしらえた、人間の模造品でありました。
 これを感得した米友が、自分ながら力負けがして、かなり手荒く、その模造人間の死骸の襟首をとって引起して見ると、
「馬鹿にしてやがらあ」
 それは、紛れもなく髭《ひげ》むじゃの鍾馗様《しょうきさま》の人形です。鍾馗様の人形とわかったけれども、その鍾馗様の人形が、こうしてこんなところへ何のために誰が捨てたのか、それはわからない。運搬の途中、過《あやま》って取落したにしては念が入り過ぎている。長浜の土地は山車《だし》の名所だから、それを知っているものは、これも山車の人形の一つで、相当の名工が腕を振《ふる》ったものであろうとの想像はつくけれど、山車の人形というものは、守留《もりどめ》の上に高く掲揚せらるべきもので、土の上へ投げ捨てて置かるべきものではない。まして、高札風情に押し潰《つぶ》されて、起きも上れないような鍾馗様では、鬼に対しても睨《にら》みが利かないのだ。まさに誰かの悪戯《いたずら》だ、悪戯にしても念が入り過ぎている悪戯で、笑いごとの程度では納まらない。だから米友も、
「性質《たち》のよくねえいたずらだ」
 ぼうぜんとして、その鍾馗様を睨めたまま、為さん様を知りませんでした。
 その時、不意に米友の後ろから風を切って、
「御用!」
「捕《と》った!」
 黒旋風《こくせんぷう》のようなものが、後ろの浜屋の天水桶の蔭から捲き起ったと見ると、米友の背後から、さながら鎌鼬《かまいたち》のように飛びついたのです。
「何だ、何をしやがる」
 そこで、クルクルと二つのものが巴《ともえ》に廻ったかと見ると、その一つは忽《たちま》ち遥か彼方《かなた》の街頭にもんどり打って転び出したが、起き上ることができない。
 それは、天水桶の蔭から飛び出した鎌鼬で、こなたの米友が、
「何だい、何をしやがんだい、不意に飛び出して、人をつかまえようたって、そうはいかねえや、用があるなら行儀作法で来な、おいらは、人につかまるような悪い人間じゃあねえんだぞ」
 米友としては全く予想外の乱暴に出逢ったものですが、飛びついた方は理由なしにかかったのではない。「御用!」「捕った!」の合図でもわかる通り、これはたしかに職分を以て、この町の民の安寧のために、特に不穏な時節柄を警戒すべく巡回の役向のお手先である。今、密行中に、路上にうずくまる挙動不審の男を、相当以前から物蔭にかくれて動静をうかがい、いよいよ挙動不審を確めたから、そこで、旋風の如く躍《おど》りかかって、引捕えるべく飛びかかったものに相違ないが、それを曲者にいなされて、捕えらるべきものがここに踏みとどまって、捕うべき者が遥か彼方へ投げられて、そうして起きも上れない体でした。
 暫くこの形のままで静かでしたけれども、投げられた相手が、暫くして、そろそろと動き出して来ました。投げられたといっても、致命的に投げられたのではない。腕に覚えのある捕方であってみれば、受身の修練ぐらいは相当に積んでいなければならない。

         百九十九

 果して、いったん投げられた捕方が、暫くあって徐々《そろそろ》と身を起したのを見ると、別段、急所を当てられているとは見えません。右の手に、ちらりと十手の光を見せて、それで暫く地上に支えると共に、半身を起して、そうして、隼《はやぶさ》のように眼をかがやかして、こちらを見込んだその気合を以て見ると、投げ方よりも寧《むし》ろ投げられた方に心得がある。
 そこで半身を沈めたなりで、闇仕合のような形のままで、ジリジリとこちらへ向って圧迫的に盛り返して来ました。
「御用!」
「何の御用だ!」
 思うに、始終を見きわめて置いて、後ろの天水桶から飛び出して来た瞬間には、もう手軽くこっちのものとたかを括《くく》っていたのが、案外にも、相手が身をかわしたものだから、そのはずみを食って、あちらへけし[#「けし」に傍点]飛んだばかりで、米友としては、抵抗したわけでも、取って投げたわけでもないらしい。
 だが、相手が相当の曲者だと見て取った捕方は、陣容を立て直して取詰めて来る気合が、ありありとわかる。
「野郎!」
 時分はよしと、真正面から十手をかざして打込んで来たが、
「カツン」
 手ごたえはあったが、
「あっ!」
 その十手が高く中空を舞って飛び上るのを見ると共に、人と人とが地上でふたたび巴《ともえ》に引組んで転がるのを認めました。
「手向いするか」
 二つの身体《からだ》は再びもつれ合ったが、それも長いことではない、今度は米友の方が、鎌鼬《かまいたち》のように後ろへ走り出しました。
 逃げたのです――だが、それを捕手が追わない。地上に倒れて起きない。
「うむ――」
 それは、残念無念、取逃がしたといううめきだかどうだかわからないが、現在、曲者と見かけた奴に後ろへ走られて、それを透かさず追いかけることができないのだから、何か身体に相当の故障が起きたものと見てよろしい。唯一の武器としての十手は、その押しかかった瞬間にはね飛ばされてしまったことは確実で、そうして素手で向った相手の曲者に、すり抜けられてしまったことも現実の通りです。
 一方、宇治山田の米友は、身にふりかかる火の子を払うつもりで打払ったが、その払い方が手練の払い方でしたから、先方唯一の武器を中天遥かにハネ飛ばしてしまったことは、この男としては相当の技倆です。
 ただ、その次の瞬間に、劇《はげ》しき一撃を食わせることもなく、無二無三に後退したのは、これは、たとえ無茶に打ってかかられたとは言い条、この相手は確かにお上役人としての役目の職権をもって来たものである――という見込みがついたから、抵抗しては悪いという遠慮で、そうして火の子を払うと共に、まず相手を痛めるよりは、身を全うするのが賢明だとさとったものでしょう。
 ところがこうして、無雑作《むぞうさ》にすり抜けて後ろに走った米友が、ある程度でグッと詰って、それ以上は走れない。彼の跛足《びっこ》の足の一方に、早くも捕縄が蛇のように捲きつけられていたからです。

         二百

 こういう場合に於て、米友としては、いつも出様が悪いのです。本来ならば、身に覚えなき疑いをかけられた場合に、先方が職権として立向ったものと見込みがついたならば、一応は素直に捕われてしまいさえすればいいのですが、この男にはそれができない。
 その素直になりきれない事情にも、また諒察《りょうさつ》すべきものがあるにはある。いったい、この男は、自分が世間から諒解されないことに慣れているが、誤解されることにも慣れている。自分は常に曲解されつつ生きているのだというような観念が、習い性となっているのです。弁解しても駄目だ! 人は自分の言うことを、単に正当として聞いてくれないのみではない、頭から自分を不正当なものとしてかかっている、だから捕まれば最後だ! という観念がいつも離れたことはないのです。
 それも、この男としては無理もないことで、例えば、ほとんどその発端の時、間《あい》の山《やま》でのムク犬擁護のための乱闘の後でもそうです。相当逃げは逃げたが、とうとう捕まって、そうしてついに窃盗の罪を被《かぶ》せられてしまっている。単に暴力行為――暴力とは言えない、あくまで正当防衛の正力だとは自分で信じているけれども、仮りにも人を傷つけたという理由の下に、相当のお咎《とが》めを蒙《こうむ》る分には、これまた止むを得ないかも知れないと思っているが、人の物を盗るなんぞということは、以ての外だ、そのぬれぎぬを着せられたために処刑を受くるのでは、死んでも死にきれない。そこで、極力陳弁を試みたけれども、ついに顧みられなかった。そうしていったん宇治の神領に於て、血を見ざる死刑に処せられてしまった身なのである。
 それがはからず、この世に呼び戻されて、国を売って東へ下る道中に於てもそうだ、単に自分が縁の下へ寝ていたという理由だけで、群衆のために手込めに遭《あ》わされようとした。幸い、あの時には、遊行上人《ゆぎょうしょうにん》のような眼の開いた人がいて、自分を擁護してくれたけれども、世間の人のすべてが遊行上人ではない。その後、江戸へ来てからも、誤解され通しで今日に至っている。
 そこで、捕まったら最後――世間の人には、法と裁きの明断が待っているかも知れない。自分にだけはそれがない。そういうふうに信じ切っているこの男は、こういう場合にでくわすと、死力を尽して脱走する。それを妨げられる場合には、死刑を予想して死闘を試むるのだから是非がない。
 ここでは、一旦は相手を前へいなし、それから降りかかる火の子を横へ振払って、相手に一撃を加えて置いて自分は後ろへ脱走を試みたのです。
 ところが、この捕手が、意外なる手利《てき》きでありました。十手はケシ飛ばされ、己《おの》れは打挫《うちひし》がれたけれども、その瞬間に、鉤縄《かぎなわ》を米友の着物の裾からチンバの右の足首にひっかけてしまいました。



底本:「大菩薩峠17」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年8月22日第1刷発行
   「大菩薩峠18」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年8月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
   「大菩薩峠 十一」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…何にするつもりか、それはわからんですが、単なる」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第十巻」筑摩書房、1971(昭和46)年5月27日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月15日作成
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