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大菩薩峠
胆吹の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)胆吹山《いぶきやま》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)存外|素直《すなお》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2-86-4]
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         一

 宇治山田の米友は、山形雄偉なる胆吹山《いぶきやま》を後ろにして、しきりに木の株根《かぶね》を掘っています。
 その地点を見れば、まさしく胆吹山の南麓であって、その周囲を見れば荒野原、その一部分の雑木が斫《き》り倒され、榛莽荊棘《しんもうけいきょく》が刈り去られてある。そのうちのある一部分に向って鍬《くわ》を打卸しつつ、米友がひとり空々漠々として木の根を掘りつつあるのです。
 打込む鍬の音が、こだまを返すほど森閑たるところで、ひとり精根を株根に打込んで、側目《わきめ》もふらず稼《かせ》いでいるのは、この木の株根に執着があるわけではなく、こうして幾つもの株根を掘り起すことの目的は、この土地を開墾する、つまりあらく[#「あらく」に傍点]を切るための労力でなくてほかに理由のあるはずはありません。
 米友が胆吹山の下で開墾事業をはじめた。
 これは、これだけの図を見れば驚異にも価することに相違ないが、筋道をたずねてみれば甚《はなは》だ自然なものがあるのです。それは後にわかるとして、こうして米友が一心不乱にあらく[#「あらく」に傍点]を切っているとき、
「米友さん――」
 そこへ不意に後ろの林から現われたのは、手拭を姉《あね》さん被《かぶ》りにして、目籠《めかご》の中へ何か野菜類を入れたのを小脇にして、そうしてニッコリ笑って呼びかけたのはお雪ちゃんでした。
「御精が出ますね」
「うん」
 米友も鍬を休めていると、お雪ちゃんはだんだん近寄って来て、
「少しお休みなさい」
「どーれ」
と言って、米友は鍬を投げ捨てて、まだ掘り起さない掛けごろの一つの木株へどっかと腰をおろしたが、さて、こういう場合に、抜かりなく、間《あい》のくさびにもなり、心身疲労の慰藉ともなるべき――アメリカインデアン伝来の火附草をとってまず一服という手先の芸当が米友にはできません。腰を卸したまま、両手を膝に置いて、猿のような眼をみはって、お雪ちゃんの面《かお》を見つめたままでいますと、
「友さん、一ついかが」
と言って、お雪ちゃんが目籠の中から、珊瑚《さんご》の紅《くれない》のような柿の実を一つ取り出して、米友に与えました。
「有難う」
 米友は、腰にさしはさんでいた手拭を引出して、いまお雪ちゃんから与えられた珊瑚のような柿の実を、一ぺん通り見込んでから、ガブリとかぶりついて、歯をあてるとガリガリかじり立てました。
「甘《あま》いでしょう」
「甘めえ」
「もう一つあげましょう」
「有難う」
 お雪ちゃんは、まだ幾つも目籠の中に忍ばせているらしい。それを一度に幾つかを与えては、当座の口へ持って行く手順に困るだろうと心配して、わざわざ一つずつ目籠から出しては米友に与えるものらしい。
「むいて上げましょうか」
「いいよ、いいよ」
 お雪ちゃんは摘草用《つみくさよう》の切出しを目籠の中からさぐり出して、米友のために柿の実の皮を剥《む》いてやろうと好意を示すのを、米友はそれには及ばないと言いました。それはそうです、米友として、皮と肉との間のビタミンを惜しんでそうするわけではないが、この珊瑚のような小粒の柿の実を、お上品に皮を剥いたり、四ツ割りにしたりして、しとやかに口中へ運ばせるなんていうことはガラにないのです。米友に柿の実をあてがって置いて、お雪ちゃんが、
「友さん――お前に聞きたいと思っていましたが、あのお嬢様という方は、いったい、あれはどういう方なのですか」
 柿の実で買収して置いて、それから探訪の鎌をかけようというお雪ちゃんの策略でないことはわかっているし、米友とてもまた、昔噺《むかしばなし》の主人公と違って、柿の実や、握飯の一つや二つで買収される男ではないにきまっているが、つまりお雪ちゃんは、この機会に於て、このあたり静かな、そうして、後ろには山形雄偉なる胆吹山が傲然《ごうぜん》として見張りをしている、新開墾地の人無きところで、日頃から尋ねんと欲して尋ね得なかった腑《ふ》に落ちない条々を、この人によって解釈してみたいと念じていた希望が、偶然ここへ現われただけのものでしょう。
「うん――あれはね」
 米友の返事は存外|素直《すなお》に出ました。うっかりよけいな質問をかけて、ぴんしゃんハネつけられないのが見《め》っけものと、お雪ちゃんとしても、多少|危惧《きぐ》してかかったのでしょうけれども、それが存外物やわらかな手ごたえがあったものでしたから、まず安心していると、
「あれはね、あれは変人だよ」
と米友が、まず断案を頭から、たずねた人の真向《まっこう》へおろしてしまったには、お雪ちゃんも面喰いました。
「変人!」
 変人だか、常人だか、それを聞くのではない。そんな断案は、人に聞かなくても一見すれば誰でもわかることで、ちょっと附合ってみさえすれば、お嬢様という人が――ここにお嬢様と呼ぶのは、かの有野村のお銀様の代名詞であることは申すまでもありません――常人でないことだけは、わからずには置かないのですから、そんな無意味な断案を改めて米友から聞く必要はないのです。だが、相手を呼んで変人だという、この返答の主、すなわち宇治山田の米友がどれだけ常人に近いのだか、それを考えると多少はおかしくもなるのですが、これはこの返答の結論でも断案でもなくて、帰納《きのう》と演繹《えんえき》との論鋒を逆につかったものとして見れば、もう少し希望を残して聞いていないわけにはゆきません。
「うむ――変人だなあ、よっぽど変っているよ、あの娘もあれで、家はなかなか金持なんだという話だがなあ」
 それもわかってる、お銀様の背景に、偉大なる財閥ではない財力の権威があるということは、不破の関以来、お雪ちゃんもとうに心得ていることなのでした。
「え、え、それはわかってるのよ――お家は、甲斐の国で第一等のお金持だということもよくわかっております、わからないのはあの方の――そうですね、わからないと言えば、どこもここもみんな、わたしたちの頭ではわかりきれないところばっかりで、どこをどうとおたずねしていいかさえわからないのですけれど――」
「うむ、ありゃあね、心が傷ついているんだ。あれで、もとはいい娘だったんだってな、姿だってお前、いいだろう、あの通り姿もいいし、心持も鷹揚《おうよう》で、品格があって、女っぷりとしても、さすが大家に生れただけによ、上々の女っぷりだったんだそうだがな、面《かお》を傷つけられてから、それから心が傷ついてしまったんだよ」
「まア……」
 その時に、米友の返答がようやく、お雪ちゃんの壺にはまりそうになったのです。破題を先に、思いきり上げてしまったものですから、つづく調子の途惑いがしていたのを、ようやく糸にのりそうになったので、お雪ちゃんが喜んで、
「まア、おかわいそうにね」
「うむ、かわいそうと言えばかわいそうに違えねえかも知れねえが――かわいそうというよりは、我儘《わがまま》の分子が多いね、あれじゃあかわいそうだと思っても、本当に憫《あわれ》んでやる気にゃなれめえ」
「そうねえ」
「面が傷ついたからって、心まで傷つけるには及ばねえのさ、人間は面よりは心が大事だからなあ」
 ここに至ってせっかく壺におさまりそうなピントが、平凡至極の俗理に落ちてしまいました。
 人間は面よりな心が大事だからね――そのくらい見え透いたお世辞はないが、また醜婦に対する慰めの言葉として、これより以上、或いは以外の慰め言葉というものはない。米友ともあるべき者が、こんな平凡極まる俗理を言い出したのは、ただ、ほんの間投詞の一種類に過ぎないことは分っていますから、お雪ちゃんを失望せしめることはなく、
「どうして、あんなにお面にお怪我をなさったのでしょうか」
「うん、そりゃあね、火傷《やけど》をしたんだ、子供の時分に火ですっかり焼き立てたんだね、面を火で焼かれたというより、火の中からあの面を拾い出したんだね、それで五体は満足なんだが、あの面だけが――ところがねえ、お雪ちゃん、お前の前だけれども、女というものは、なんのかんのと言うけれど、つまるところは面だけが身上《しんしょう》じゃねえのかなあ――」
「どうして、米友さん、そんなことを聞くの」
「どうしてだって、女というやつはね、面が悪ければ、五体を棒に振って一生を台無しにしてしまわなけりゃならねえのか。面のよし悪《あ》しのほかに、女というものの身上はねえのかなあ。そうかといってまた面がよければいいで……楽あできねえよ」
「ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんが、少しおかしくなって、
「それは、面の大事なことは、女だって、男だって――人間でなくったって、みんな大事じゃありませんか、あのお嬢様がお小さい時分に、そんなむごたらしいお怪我をなすったから、それならお前さんの言う通り、心も傷つくのはあたりまえじゃありませんか」
「ところがね、あのお嬢さんのは、ただ傷ついたんじゃねえ、傷ついてから、それから僻《ひが》んだんだ、僻んでから、それから、そうさなあ、呪《のろ》いだなあ、呪いになって、憎しみになって、復讐になって……今じゃ、手におえなくなっているというそもそもの起りが、火傷の怪我というのが偶然のあやまちの怪我じゃねえんだ、あの娘の継母《ままはは》という人が、自分の子に家をとらせてえがために、あのお嬢様を焼き殺そうとしたというのが、あの娘の呪いと、憎しみと、復讐のもとなんだ――もう今となっては、誰が何と言ったって、どうにも手がつけられねえ」
「ですけれども、なかなか親切で、大腹中《だいふくちゅう》で、そうして物わかりがよくて、どこといって……」
「それだそれだ、お気に入りさえすりゃあ、どこまでもよくしてくれるし、悪い段になると、人を取殺さずにゃ置かねえ。で、みんな腫物《はれもの》のように、おっかながっているが、おいらなんぞは、ちっとも怖《こわ》いと思わねえ」
「え、え、米友さんは、あのお嬢様のお気に入りのようですね、米友さんに限って、あのお嬢様の前でポンポン言っても、ちっとも気におかけなさらないようですけれど、ほかの者はみんなピリピリしているようです」
「なにも、おいらは気に入られようと思って、おべッかを使ってるわけじゃねえんだが、みんなお嬢様、お嬢様って鬼か蛇《じゃ》ででもあるように、おっかなびっくりしているのが、おかしくってたまらねえや――」
と、米友が得意になって、少しくせせら笑いの気持です。その時、お雪ちゃんが胆吹山の方を向いて、
「友さん、あそこへおいでのは、あれは、お嬢様じゃありませんか」
 お雪ちゃんが指したところの林の透間を米友が見ると、
「あっ!」
と舌を捲きました。
「こっちへおいでなさるようですね」
「うん」
「わたしは、お目にかからない方がいいでしょう、さよなら、米友さん」
「まあ、いいよ」
「でも、なんだか、わたし怖いわ」
「ナニ、怖いものか――」
 林の蔭から姿を現わしたのは、お銀様と見られた人の姿ばかりではありません――そのあとに一頭の駄馬を曳《ひ》いた馬子と、馬子に附添って、手代風《てだいふう》なのが一人、つまり、この二人一頭が、恐る恐るお銀様のあとを二丈ばかり間隔を置いてついて来る。お銀様は先に立って、儼然《げんぜん》として、例の覆面姿で歩みを運びながら、ゆらりゆらりとこちらへ向いて練って来るのです。一筋道ですから、それは当然、この米友があらく[#「あらく」に傍点]を切っている現場のところへ通りかかるに相違ありません。
 お雪ちゃんは隠れるともなしに、姿を後ろの林に隠してしまいました。
 米友は再び鍬《くわ》をとって、黙々として木の根起しにとりかかります。
 人家のない胆吹尾根《いぶきおね》の原ですから、近いようでも遠く、姿ははっきり認めてからでも、あの通り、ゆらりゆらりと練って来るものですから、この場へ来かかるまではかなりの時間を要します。
 お雪ちゃんがこの場を外《はず》したのは、特にお銀様という人に好意が持てないわけではなし、悪意を芽ぐませているというわけでもないのですが、なんとなく気が置けて、不意に当面に立つことをいやがったのでしょう。
 米友には、そうしてお銀様を避けなければならない心の引け目というものが少しもないから、引続いて木の根を掘りくずしに取りかかっているぶんのこと。
「友さん」
「何だい」
 暫くあって、尋常一様の応対がはじまりました。いつしかお銀様は、米友の丹念な木の根掘りの前に立っている。米友は特に頭をもち上げないで、仕事の手をも休めないで、
「何か用かい」
と答えました。
 米友としては、この人が来たために、特に仕事の手先まで休ませて敬意を表さなければならない引け目を感ずるということなく、また、さいぜんお雪ちゃんをあしらったように、ともかくも木の根へ腰を卸して応対するほどの必要を認めなかったのか、それとも、人の来る度毎に手を休めて株根へ腰をかけていた日には際限が無いとでも思ったのか、そのままで仕事をしていると、
「ずいぶん骨が折れるでしょう」
と、先方からお世辞を言いますと、
「なあーに」
 米友は、鼻の先で返事をしながら、傍目《わきめ》もふらずに鍬を使っていました。
 こういう働きぶりは、二宮尊徳に見られると非常に賞美される働きぶりなのですが、米友は、賞美されんがためにこうして働いているわけでもなく、お銀様もまた、使用人の勤惰《きんだ》を見るつもりでここへ来たのではありませんでした。
「友さん」
「何だえ」
「少し、お前に頼みたいことがある」
 その時、米友がはじめて鍬の手を休め、腰をのばして、鍬の柄を腮《あご》のところへあてがって、まともにお銀様の方に立ち直りました。
「何だい、おいらに頼みてえというのは」
「ちょっと、お使に行ってもらいたい」
「ちぇッ……」
と米友が舌打ちをしました。
 それは、頼みを聞いてやらないという表情ではありません。せっかく精を出して、こうして木の根を掘っているところへ小うるさいが、事と次第によっては、頼まれを聞いてやらない限りではないという好意を知っているお銀様は、米友の舌打ちに頓着なく、
「この人たちと一緒に、長浜というところまで行ってもらいたいと思います」
「長浜――」
「え――長浜というところへ両替《りょうがえ》に行って下さい、友さんはただ、用心について行ってくれさえすればいい、万事はこの人たちに頼んであるから」
 この時まで、お銀様の後ろ影を踏まざること二丈ばかりの間隔を置いて、鞠躬《きっきゅう》としていた手代風のと馬子と、それに従う極めて従順なる一頭の駄馬とを、米友が流し目に見ました。
「つまり、おいらは、ただ用心棒だけについて行きゃいいんだな」
「そうです、この人たちに万事は頼んであります、こちらから、お金を持って行って、そうして、あちらで、そのお金を、ここの土地で使えるお金と取替えて来るだけの仕事なのです。ですけれども、なにしろお金のことだから、誰かしっかりした連れがあって欲しいと言いますから、そこで、友さんのことを考えつきました、用心に行ってやって下さいな」
「ああ、ああ、どっちへ廻ってもおいらは、用心棒に使われるように出来てるんだ――」
と米友は、やけのように言ったが、自ら軽蔑しているわけでもなく、頼まれることを拒絶するわけでもなく、鍬《くわ》を取り上げて、傍《かた》えの小流れのところへ行って手を洗い、そのついでに、ブルブルと面《かお》を二つばかり水で押撫で、それから腰にたばさんだ手拭を抜き取って無雑作《むぞうさ》に拭き立ててしまうと、もうそれで外行《よそゆき》の仕度万端が整ったのです。
 一頭の駄馬を中にして、一人の馬子と、馬わきの手代風なのと、それに宇治山田の米友(例の杖槍は附物)が前後して、この一文字道を長浜街道の方へ行く。その後ろ姿をお銀様は、米友が今まで掘り起していた木の株根の傍に立ち尽して遠く遠く見送っておりました。
 右の一行が山林|叢沢《そうたく》の蔭に見えなくなってしまうと、広い荒野原の開墾地に、お銀様ひとりだけの姿です。
 この時分はちょうど真昼時なので、うらうらと小春日和が開墾地の土の臭いを煽《あお》るような日取りでしたけれど、お銀様がくるりと向き直って胆吹山に対し、ひたと向い合いになった時分に、胆吹山が遽《にわ》かに山翼をひろげて、お銀様に迫って来るのを覚えました。

         二

 そこでお銀様は、胆吹山の挑戦に向って答えるように、ゆらりゆらりと右の開墾場から山を押して進んで行きました。
 以前、馬を曳いて来た一筋道とはちがって、今度は、あらく[#「あらく」に傍点]沿いの林をめぐって、めぐり尽すと、そこにまた一つの風景が展開されました。
 山腹が、ここへ来るとまたカーヴのなだらか味を見せまして、雄偉なる胆吹の山容そのものの大観はさして動かないけれども、裾の趣は頓《とみ》に一変してきました。
 右の三合目ばかりの麓は、一帯に松柏がこんもりと茂る風情、左へかけて屋の棟が林の中に幾つか点々として見える。そのつづき、弥高《いやたか》から姉川《あねがわ》の方へ流れる尾根を後ろにして宏大な屋敷あと、城跡と言った方がよいかもしれないほどの構えがあることを、明らかに見つけられるような地点に立ちました。
 ゆらりゆらりと山を押しながら行くお銀様の目は、この宏大なる屋敷あと乃至《ないし》城あとに向って、足は爪先あがりに上って行くのであります。
 その時、往手《ゆくて》の林の中から、いかにもあわただしく転がり出して、こけつまろびつ、こちらへ向って走り来《きた》る二つの物体がありました。
 不意ではあったけれど、こちらは驚くほどのことはありません。まさしくこの地方に見る、あたりまえの山稼《やまかせ》ぎの二人の農夫で、仕事着を着て、籠を背負ったなり。これはこの地特有の副業、或いは正業としての有名な、胆吹山の薬草取りのこぼれであることは疑うべくもありません。ただ、ちょっと驚かされたのは、かく慌《あわただ》しく、こけつまろびつ走る二人のうちの一人が、何か胸に後生大事にかき抱きながら、ものに追われるもののように走り来る事の体《てい》が、穏かでないと見らるるばかりです。
 いよいよ近づいて見ると、その二人は、額にも手にも、かすり創《きず》だらけで、着物もかなり破れ裂けている。妙な恐怖心と、はにかみをもって、お銀様に摺《す》れ違うところまで来たが、存外、歩調がゆるやかになって、その胸に後生大事に抱いたものに眼をくれながら、何かお銀様の好奇に訴えてもみたいようなしな[#「しな」に傍点]をして、
「いやはや、大変な目に逢っちまいました」
「どうしたのです」
とお銀様も、反問せざるを得ませんでした。
「鷲《わし》の子をとっつかまえましたよ、鷲の子を……」
「鷲の子を……」
 その胸にかい抱いたところのものを提示するように言いましたから、お銀様が篤《とく》とそれを見直すと、それは、ボロボロの風呂敷包にくるんであるとはいえ、中で、生きて動く気色がむくむくと見えました。
「お見せなさい」
「この通りでがす」
 彼等は、自慢半分に、風呂敷の結び目を少しはだけて見せると、まだ嘴《くちばし》の黄色くなりかけている一箇の猛禽雛が、幼いながらも猛然として、人を射るの眼を光らして、跳り立とうとしています。
「まあ、どこで捕りました」
「硯石《すずりいし》の崖のてっぺんで見つけたから、仕事を休んでとっつかまえましたが、いやはや、これがために一日つぶしてしまった上、命拾いでござんした。ごらんなさい、この通り二人とも、からだじゅう傷だらけ、高い崖から転がり落ちてすんでのことに生命《いのち》を粉にするところでござんしたよ」
「珍しいものですね」
「鷲の子なんぞは、なかなか捕まえられるもんじゃござんせん、親鳥にでも見つかろうものなら、今度はあの爪で上の方へ……命がけの仕事なんでがすが、でも、親鳥は留守でござんしてなあ」
「そうして、お前さんたち、せっかくつかまえたこの鳥を、これからどうしようというの」
「さあ――」
と二人が、お銀様から尋ねられて、改めて面《かお》を見合わせましたが、
「うちへ連れて行って飼って置きてえと思うんでがす」
「そうですか、餌《えさ》には何をやるつもり?」
と、お銀様から畳みかけられて、二人はまた面を見合わせてしまい、
「さあ――」
「何を食べさせて置きますか」
「そうだなあ――何をったって、こちとらの身分じゃ、特別のものをあてがうわけにもいきましねえから、粟《あわ》や稗《ひえ》を、わしらのうちとら並みに食べさせて、育ててみてえと思っとるでがすが」
「それは、いけません」
と、お銀様は二人の農夫の言い分を頭から蹴散らしたものだから、彼等も眼を白黒させ、
「いけませんかねえ」
「鷲という鳥は、粟や稗なんぞを食べやしません」
「そうですかね」
「そうだともさ」
「では、何を食べさせたらよろしうござんしょうね」
 彼等はお銀様に向って憐みを乞うもののように教えを仰がんとする体《てい》です。彼等は、ただ、この猛禽の子を見つけ出したという興味と、それを捕えることの緊張さから、正当の職業である薬草取りの一日の業を抛擲《ほうてき》してしまって、生命《いのち》がけでこの一羽を巣の中から捕獲して来は来たものの、その前後の処分法については、あまり考慮をめぐらしていなかったのです。小鳥山鳥を捕まえて来たと同様に、当座は何でも有合せの雑穀をあてがって置き、それから然《しか》るべき買い手を見つけたら相当にいい値になるだろうの漫然たる予算だけであったのが、お銀様のために頭からそれを否定されたのですから狼狽《ろうばい》しました。
「生きたものでなければ食べやしません、鷲という鳥は、鳥の中の王様ですから」
「あ、左様でございましたなあ。生きた物、生きたものなら何でもよろしうございますか」
「生きたものといっても、トカゲやイナゴなんぞを食べさせてもダメですよ、生きたものの肉でなければ鷲の子は育ちません、さし当り兎なんぞがいいでしょう」
「兎の生きた肉を食べさせるのでございますか」
「ええ毎日――少し大きくなると、一匹や二匹では足りないでしょう」
「あてこともねえ、毎日、兎を二三匹も食いこまれちゃたまることでねえ」
と、抱いてた一人が、自分の身でも食いきられるかのように悲鳴をあげました。
「とてもやりきれた話でござらねえ」
 二人は、この時、はじめて面《かお》を青くしてしまいました。
 事実、この二人の者の身上で、一羽の鳥とはいえ禽類の王者の子を手飼いにしようとは、分に過ぎた扶持方《ふちかた》だと、この時、はじめて観念せざるを得なくなったに相違ありません。
「どうしような、欲しいという人はねえか知ら、誰かいい買い手を見つけて売ってしまうことだ」
「そうだ」
 二人がこう言って吐息をつくのを、お銀様が受取って、
「お前さんたちが、相当の値段でゆずってくれるなら、わたしが買って上げてもようございます」
「え、奥様が買って下さる?」
「え、売っていいなら、わたしに譲って下さい」
「どうしような」
「でもなあ――せっかく命がけでつかまえて来たもんだからなあ」
 彼等は売りたくもあるし、そうかと言って、生命《いのち》がけでつかまえて来たものを、あたり近所へも披露しないで、ここですげなく譲り渡してしまうことにも、多大の未練があるらしい。
 その煮え切らない返答ぶりが、お銀様の興を損じたものか、お銀様は駄目を押すこともなにもしないで、二人を置去りにして、ゆらりゆらりと前へ進んでしまいました。
 取残された二人、売ろうか売るまいか、思案に暮れて、まだ茫然と猛禽の子を抱いたまま、お銀様の行く後にぼんやりと立っている。お銀様は、ゆらりゆらりと、それでも歩くものと歩かないものとの距離ですから、みるみる相当の隔りが出来たが、このひやかしのお客様は、柳原河岸で洋服の値切りをする客のように、番頭の呼戻しを待っているという駈引きもないと見えて、さっぱりと歩み去って行くのに、未練たっぷりの二人はまだ立去りきれないで、馬鹿な面をして、お銀様の後ろ姿を見送っているばかりです。
 こうして、お銀様の姿の小さくなるまで見送ってまだ立去りきれなかった二人が、また改めて面を見合わせて、
「ありゃ、このごろ、お城あとの地面が売れたそうだが――あのお城へ来る奥様じゃねえか」
「そうかも知れねえ」
「国中一番の大金持だって話だから――」
「そうだ――なら、お気の変らねえうちに売ってしまった方がいいかも知れねえ」
 その時、二人とも、また逆さにころがり震動してお銀様のあとを追いかけ、
「おーい」
「もうし」
「もうし」
「御新造様《ごしんぞさま》――」
「お城あとの奥様」
 呼ばれてお銀様が振返ると、
「もうし、この鳥をいくらで買うておくんなさる」
「いくらでも、お前さんたちの欲しいと思うだけの値をつけてごらん」
「え!」
 彼等二人は、またそこで二の句がつげなくさせられてしまいました。

         三

 そこで、とうとう、猛禽の子売買の路上取引は成立せず、ついにお銀様は大手の崩れ門から城跡の中に身を隠してしまいました。
 お濠外《ほりそと》に残された二人の農夫は、相変らず馬鹿な面《かお》をして、ぼんやりと、相手を呑んでしまってけろりとしている門内を見込んでいるばかりです。
 そこで、門内へ入ったお銀様の手に何物も抱えられていず、ぼんやりと取残された二人の男の中の一人の腕に、最初の通り、禽王子入りの風呂敷包が後生大事に抱えられている。
 一方は売ろうと言ってわざわざ追いかけて来、一方はいくらでも糸目なしに買おうと申し出でたらしいのに、その取引が行われずして、一方は手ぶらで門内へ入り、一方は、あっけらかんとして、物品をストックしている体《てい》は少し変です。
 しかし、その取引は取引として、お銀様が何物も持つことなくして、この城あとの大手の崩れ門から入ると、早くも戞々《かつかつ》として斧の音、鑿《のみ》の響が伝わります。
 邸内は今し、盛んな普請手入れの時と思われます。
 大手の崩れ門から入ったお銀様は、鷹揚《おうよう》として、この領土をわがもの顔の気位は更に変りないところを以て見れば、この普請、手入れ、斧の音、鑿の音というものも、他人のものではなく、自分の権力によって動かされている物の音だと聞かないわけにはゆきますまい。事実――お銀様のこの間中の理想と、計画と、実行とが、ここにこうして現実に行わるるの緒につきつつあるのです。
 と言ってしまっただけでは、地理と方針に、多少の無理があり、撞着《どうちゃく》があることを、不審とする人もありましょう。
 第一、あの時に不破《ふわ》の関の関守氏の紹介によって、お銀様が西美濃の地に、かなり広大な地所を購入し、岡崎久次郎の助けを求めず、西田天香の指導を仰がずに、ここへお銀様独流の我儘《わがまま》な、自由な、圧制者と被圧制者のない、搾取者と被搾取者のない、しかしながら、統制と自給とのある新しき王国を作ろうとして、そのことをトントン拍子に進行せしめたのは、前に言う通りであるが、その土地というのは、あの時の話であってみると、足利尊氏《あしかがたかうじ》以来の名家、西美濃の水野家の土地を譲り受けるということであったが、ここへ来て見ると、これは見る通り胆吹山の南麓より山腹へかけて――北近江の地になっています――その間に、どういう変化があったのか、或いは実地踏査の結果、西美濃の地が何か計画に不足を感じているところへ、偶然この北近江の地の話があって、急に模様変えになったのか、その辺の事情はまだわからないが、しかし、北近江といっても、ここは西美濃と地つづきの地形だから、変化融通がきいて、現実の示す通り、彼女はここに王国の礎《いしずえ》を置くことになったものらしい。
 この界隈すなわち――京極の故城址|上平寺《かみひらでら》を中心にして、左に藤川、右は例の弥高《いやたか》から姉川にかけての小高い地点、土地の人が称して「お城跡」という部分の広大な地所内を、お銀様が我物顔に、この驕慢《きょうまん》な歩みぶりを以てみれば、この辺一帯の地は、まさしくこの人の所有権内にうつり、そうしてお城あとの中の「江北殿《こうほくどの》」と呼ばれている部分の修補と復興が、これから女王の宮殿となり、新理想境の本山となろうとするものであるらしい。
 そこへ、ひょっこりと、奥の方から姿を現わした、撫附髪《なでつけがみ》に水色の紋つきの年配の男がありました。
「や、お帰りでござったか」
「はい」
「飛脚の方は滞りなく出立を致させましたから、御安心ください」
「御苦労さまでした」
 その撫附髪に水色の紋つきというのは、見たことのあるようなと思うも道理、これぞ、短笛を炉中に焼いて、おのが身の恋ざんげを試みた不破の関屋の関守氏でありました。
 その取りしきりぶりを見ると、この男は、あれから不破の関屋の関守をやめて、ここに来て、専《もっぱ》らお銀様の事業の番頭役を引受けている気分は確かであります。
 ここで右の関守氏は、右のわがままな女王を案内して先に立ち、お銀様のために、江北殿の隅々の案内に当ります。その途中、説明するところを綴り合わせてみると、江北殿というものには、ほぼ、次のような歴史があるのでした。
 お城あとは古《いにし》え佐々木京極氏のお城あとであり、江北殿はその京極屋形のあったところだという。京極氏は江北六郡の領主で、元弘建武以来の錚々《そうそう》たる大名であり、山陰の尼子氏の如きもその分家に過ぎない――松の丸の閨縁《けいえん》によって豊臣秀吉の寵遇《ちょうぐう》を受け――といった名家であることは、不破の関屋の関守氏が事新しく説明するまでもなく、お銀様の歴史の知識には充分なる予備がある。お銀様は、その名家の屋形のあとをそっくり自分のものにすることに、多少の満足を覚えていないではない。
 不破の関守氏は、屋形の隅々をめぐり、ここを指し、彼処《かしこ》を叩いて、往昔の居館の構図を聯想してお銀様に地の理を説明し、ほぼその要領をつくした後に、お銀様のための居館としての一部まで戻って来ると、そこで、自然に別れて、関守氏は工事の監督の方へ取って返し、お銀様はお銀様で、この館《やかた》の中へ没入してしまいました。

         四

 その前後の時、このお城あとの西南隅のピークの一角に、お雪ちゃんがおりました。
 これは別に離れのようになっているけれども、離れではありません。あちらを本丸とすれば西の出丸になります。廊下伝いに渡って行ける間柄ではあるが、庭を廻って、縁側から出入りするのがかえって人の勝手になっているのは、その縁から庭先が開けてすばらしいながめになっているせいでしょう。お雪ちゃんも、この縁先へ台所仕事を持ち出してやっていることほど、このすばらしい情景をよしとしました。それはそのはずです、ここから眺めてごらんなさい、日本第一の大湖、近江の琵琶の湖の大半が一目なんです。
 自然に、その琵琶の湖をめぐるところの山河江村までが眼の下に展開されていようというものですから、誰だってこの縁先を祝福せずにはおられない道理、まして風景を愛することを知るお雪ちゃんのことです、さいぜん摘《つ》み取って来た野菜類を洗って、ここへ掬《すく》い上げて来て、俎《まないた》、庖丁、小桶の類までこの縁先に押並べて、そうして琵琶湖の大景を前にしてはお料理方を引受けているところです。
 お雪ちゃんが庖丁を使っている手を休めて、まぶしそうに眼を上げて、またうっとりと、なだらかな胆吹尾根から近江の湖面を眺めやった時――壺中の白骨《しらほね》の天地から時あって頭を出して、日本の脊梁《せきりょう》であるところの北アルプスの本場をお雪ちゃんは眺めあかしておりました。それからふと、飛騨の高山の相応院の侘住居《わびずまい》へ居を移してみると、眼下に高山の市街を見て胸が開いたほど眼界の広きを感じましたが、今ここへ来て見ると、その比較ではありません。
 さすがに日本第一の琵琶の湖は大きい。周囲七十五里と言ってしまえば、それまでですけれども、こうして見たところ津々浦々は、決して七十里や百里ではないように思われてなりません。
 まして、この大湖の岸には、飛騨の高山と違って、日本|開闢《かいびゃく》以来の歴史があり、英雄武将の興亡盛衰があり、美人公子の紅涙があるのです。さすが好学のお雪ちゃんにしても、いま直ぐにその歴史と伝記を数え挙げるに堪えないのですけれども、歴史と伝記に彩られているこの山水の形勢が、お雪ちゃんの詩腸を動かさないということはありません。
 あわただしい今日の日が過ぎれば、やがていちいちの指呼のあの山水についての、人間の残したロマンを訪ねることが、今のお雪ちゃんの生活に清水のように湛《たた》えられているのです。
 今も、うっとりとながめていると、ふと比良ヶ岳のこなた、白雲の揺曳《ようえい》する青空に何か一点の黒いものを認めて、それを凝視している間に、みるみるその一点が拡大されて、それは鵬翼《ほうよく》をひろげた大きな鳥、清澄の茂太郎がよろこぶアルバトロスを知らないお雪ちゃんにとっては、まあ、何という鳥でしょう、あんな大きな鳥は見たことがありません――白骨の山の奥にいる時だって見たことのない鳥。
 そう思って右の一点の鳥影から眼をはなすことではありませんでしたが、その鳥は次第次第に近づいて来て、お雪ちゃんの館《やかた》の上へ来ると、姿が見えなくなりました。
 お雪ちゃんにとっては、その大きな鳥は、今し、あの湖水のあちら側の比良ヶ岳から来て、そうして、自分のいるこの裏山の胆吹まで、ほとんど一息に飛んで来たように思われないではありません。
 鳥の姿は、こうしてお雪ちゃんの頭上から胆吹の山に向って消えてしまったが、それはそれとして、なお山水の大景に見惚《みと》れていると、不意にまた頭上で、バサと大きな物音がしたのに驚かされました。頭上とは言うけれども、この館の屋根の上よりも高いところです。この屋根の上からピークへかけて押被《おしかぶ》さったように、枝をひろげた大きな松の木がありました。それは何百年という松の木で、直ぐこの庭の中央に根を張っているのですが、幹がすっくと太く高くて、枝が上空に一むらをしているものですから、遠く望めば霊芝《れいし》の如く、車蓋《しゃがい》の如く、庭へ出てみると、その高い枝ぶりは気持がいいのですが、この室内では盤崛《ばんくつ》している太い幹と根元を見るだけで、枝葉は見えないのです。
 頭上の物音というのは、この大きな松の上からバサと起りました。
 そうすると、そのあたりいっぱいに影を引くように舞い下りたものは例の大きな鳥、以前にも大きな鳥に相違ないとお雪ちゃんはながめたのだが、今度のは、ほんとうに、眼の前、咫尺《しせき》の間《かん》に羊角《ようかく》して飛び下って行くのですから、とや[#「とや」に傍点]から追い下ろされた鶏を見るほど鮮かに、その鳥の形を見ることができて、ハッと眼を澄ましました。
「鷲《わし》!」
と直覚的に、お雪ちゃんはさとりました。鷲の実物をまだこんなに近く見たことのないお雪ちゃんでしたけれども、鷲でなければこんな大きな鳥はあり得ないという直覚と、実物では目《ま》のあたりに見ないが、絵ではずいぶん見せつけられている猛禽の王の姿が、はっきりと眼の前に落ちたのです。
 眼をすましていると、右の猛禽は、すさまじい勢いで羽ばたきをして、羊角に中空を押廻り、それから急に翼を旋回して、ほとんど地上とすれすれに舞い下り、そうかと思うと、また相当に高く舞い上っては、思い出したように直下して来るかと思えば輪なりになって舞っている、その挙動が何となしに尋常でないことを想わせられてなりません。
 右の大鷲は、いったん胆吹のとまり所へついたが、何をか見つけたものだから、また飛び戻って来たのだ、何かこの下の平原で見つけものをしたものだから、それを捕りに来たものらしい。
 お雪ちゃんはそう思って鳥の挙動を見守ると、全く物狂わしいように横転、逆転、旋回、飛上、飛下を試みているのが、いよいよ只事とは思われないのです。
 恐ろしい鳥、鳥の中での王――あの勢いで人間をさえ攫《さら》って行くことがある。何をあの鳥が地上に見つけ出したのだろう、覘《ねら》われたものこそ災難――
 お雪ちゃんはそう思って、下の原野を見おろしたけれど、鳥は中空にあるから見得られるものの、獲物《えもの》がこの眼の下いっぱいの原野のいずれにあるということなどが認められようはずがありません。
 鷲が人間を攫うということはいつも聞いている――もし不幸な人間の子が――もしや、米友さん――あの人は小さいから、もしや子供と間違えられて、あの荒鷲の餌食に覘われているようなことはないか。ああして一心に木の根を掘っているところを、後ろから不意にあの大鷲の鋭い爪を立てられるようなことはないか。鷲が大人を攫ったという話はまだ聞かないが、子供を攫ったということは極めてよく聞いている。米友さんは柄が小さいから、鳥の眼には子供と見られない限りもない――お雪ちゃんは、とりあえず、米友のためによけいなことまで心配になって、わざわざ縁を下りて、下駄をつっかけて、ここから左へよればやはり視野の一部分の中にはいる、さいぜん米友があらく[#「あらく」に傍点]を切っていた開墾地のあたりを見とおしましたけれども、それらしい人の影が認められませんでした。それにも拘らず、大鷲の物狂わしさはいよいよ一層でありました。
 単に獲物を覘うならば、あんなに騒ぐはずはない、猛禽の中の王ともあるべき身が、兎や小鳥をあさるのに、あんなに仰々しい振舞をするはずはないと、お雪ちゃんは案ぜられてきました。
 地上を探しあぐねたように、この猛禽は、今度は一文字に羽をのして、弥高《いやたか》から春照《しゅんしょう》の方の人里へ向けて飛び狂って行くようでしたが、そのうちに姿が見えなくなったのは、遠く雲際に飛び去ったわけではなく、近く胆吹の山中へ舞い戻ったわけでもなく、どこをどこと見定めたわけではないが、お雪ちゃんの眼には、たしかにあの人里の中へ大鷲が飛び下りてしまったと思わずにはおられません。
 そうだとすれば、あの勢いで村里へ舞い下りたとすれば、村里一帯の不安が思いやられる!
 一匹の狼、一頭の猪でさえ村が荒される、まして肉を裂くに足る鋭い爪と、血を吸うことに慣れたあの獰猛《どうもう》な嘴《くちばし》と、それから千里を走る翼を備えた、猛禽の王様に侵入されてはたまらない――何か、あの不安を村の人に知らしてやる術《すべ》はないものか。
 お雪ちゃんは、そんなことを考えながら、再び無事にあの猛禽が中空高く舞い上り、飛び戻って来ることを望んでいたが、どうしたものか、さっぱりその音沙汰がありません。
 お雪ちゃんは、村里の安否も気になるが、猛禽の消息も気にかかってなりません。
 そんなことまで思い惑うているところへ、庭から人の足音がして、はっと思う間に、それが例によっての覆面のお銀様であることを認めました。

         五

 お雪ちゃんは、お銀様の姿を見た瞬間にいずまいを直してしまいました。無論、襷《たすき》をとって、極めていんぎんに挨拶をしました。
「ここはよい景色でございますね」
とお銀様が言う。
「はい、お館《やかた》のうちで、景色はここが一番よろしうございます」
「この松も、いい松ではありませんか」
「全く、見事な松でございます」
「あなたは、ここから見た琵琶湖附近の名所名所を御存じですか」
「いいえ――まだ、ずいぶん昔からの名所でございますそうですけれども、調べてみる暇もございません、教えて下さる方もございません」
「二人で少し調べてみましょうか」
「はい」
「お仕事が忙しいの?」
「いいえ――どうでもよろしい仕事なのでございます」
「では、もう少しこちらへいらっしゃいな」
 少しでも多くの視野を展《ひろ》げられるように、お銀様は、お雪ちゃんを自分の身に近く招き寄せましたから、お雪ちゃんはそのまま縁先ににじり寄ると、
「ごらんなさい、あの比良ヶ岳から南へ、比叡山の四明ヶ岳――その下が坂下《さかもと》、唐崎、三井寺――七景は雲に隠れて三井の鐘と言いますが、ここではその鐘も聞えません。唐崎の松は花より朧《おぼ》ろにてとありますが、その松もここでは朧ろにさえ見えはしません」
「けれどもお嬢様、そのつもりで、こうして眺めておりますと、三井寺の鐘が耳許《みみもと》に響き、唐崎の松が墨絵のように浮いて出る気持が致すではございませんか」
「そう思えばそうですけれども、物足りない思いもします」
「一日、ゆっくりおともをして、あの辺を見て歩きたいものでございます」
「そのうちに、一緒に出かけましょう、こちらの岸から船を浮べて、船でゆっくり八景めぐりをしたいものです」
「お船でしたら、それに越したことはございません、おともをさせていただきたいものでございます」
「そんなに遠くないうちに、その暇が得られるだろうと思います」
「楽しみにしてお待ち申しております」
「それから、お雪さん――」
と、お銀様が改まって呼びかけたものですから――お銀様はお雪ちゃんと呼ばず、お雪さんと呼ぶのです――そこでお雪ちゃんが、
「何でございますか、お嬢様」
「あなたにまた少し、御面倒を願わなければならないことがございます、実は、あなたにこれから勘定方を引受けていただきたいと思うのでございます。こうして工事に取りかかっておりますと、何かと入目《いりめ》を取りに来る者がありまして、いちいちわたし一人で払渡しをしたり、受取をやりとりしたりすることは容易でありませんから、その仕事をひとつ、あなたに引受けていただきたいと思います。つまり、この屋敷の勘定方、会計方をあなたにお頼みしたいのですが」
「まあ、そんな大役がわたしにつとまりましょうかしら」
「いいえ――ただ、お金を少し預かっていただいて、その出入りを記して置いていただけばよろしいのです。そうして下さると、わたしが助かります。わたしはまた関守さんを相手に、この古館《ふるやかた》を新しくするいろいろの設計や、田畑の開墾や、人の出入りなどに気を配らなければなりませんから」
「ずいぶんお忙しくっていらっしゃいましょう、それならば、わたしでお役にたちますことならば、一生懸命おつとめを致しましょう。でも、お金の会計方は、わたしなんぞでは、あんまり大役過ぎるかと思います」
「いいえ――慣れればやさしいことです。ただ、お金を扱っていることが悪い人に知られると、それを狙《ねら》うものが出来てきますから、そのつもりで、お金の番人はあの米友さんにでも頼んで置いて、あなたは人に払い渡してやることと、人から受取ることだけをおやり下さって、それをいちいち帳面につけていただきさえすればよいと思います」
「そういうわけでございましたなら、米友さんを相手に――御用をおつとめ致してみましょう」
「有難う――では早速お頼みしましょう、ここへ少し持って来たのですが」
と言ってお銀様は、抱えて来た小箱の包みを解いて、蓋《ふた》をあけながら、
「これから、この土地を拓《ひら》くについては、相当にお金も要ることとおもいましたから、今日飛脚を甲州へ立ててもらって、お金を取寄せることにしました。とりあえず道中の路用のうちを、お角さんという人から受取って、当座の費用にあてることにしましたが、どうも、土地土地でお金が変るものですから、両替をしなければなりません。それでまた、たった今、あの長浜というところへ使を頼んで、お金の両替をしてもらうことにしましたから、そのうちこまかいのも参るでしょう、とりあえず、このお金を預かって下さい」
と言って、お銀様が無雑作《むぞうさ》に箱の中から摘《つま》み出したのは、幾片《いくひら》かの小判でありました。
「甲州を立つ時に、父がわたしのために路用だと言って、あのお角さんという人に預けたお金を、半分は手附としてこの土地の持主に渡しました、その残りを、わたしがこちらへ来る時にお角さんが渡してくれました、それをまた三つに分けて、あの人にも持たせてやりました、その一つは、いま長浜へ両替にやりました、残る一部がこれなのです――数えてみると小判が五十二枚だけありました」
「まあそんな大金……」
 お雪ちゃんは、思わず眼をみはりました。お雪ちゃんとしても、単に金銭に眼がくらんだというわけではなく、あんまりお銀様の金扱いが大まかなのに、ちょっと驚かされたのです。
 五十二枚の小判を、無雑作に他人の眼の前へ持って来て、余り物でも処分するような扱い方が、お雪ちゃんには意外に思われてたまらなかったのです。お雪ちゃんとしても、そう卑しい生立ちではないから、千万金を見せられようとも、時と場合によっては、心を動かすようなさもしい人柄ではないけれども、お銀様のあまりざっくざっくした扱いぶりに呑まれたような形で見ていると、お銀様が、
「いいえ、大金というほどではありませんけれども、それでも、払渡しや買物に、これでは扱いかねることがありますから、別に五十二枚だけ、いま申しました通り、長浜へ両替にやりましたから、そのうちに戻りましょう、小出しは小出しとして置いて、これはまたこれとしてお預かり下さい」
「では……お引受け致しました以上は、ともかく米友さんの帰るまでお預かりして置きまして――」
「どうぞ、そうして下さい」
「念のために、一応おあらためを願います」
「はい――」
と言って、お銀様はわるびれずに、自身その箱の中から小判を取り出して、いちいちお雪ちゃんの眼の前で数を読み、
「この通り、五十二枚ございます」
「確かに五十二枚――そうして、お金につもれば幾らになるのでございましょうか」
「ホ、ホ、ホ」
と、お銀様が珍しく軽く笑いながら、
「お金につもればと言っても、これがそのお金そのものじゃございませんか」
「まあ、ほんとうに左様でございました、小判五十二枚ですから、五十二両でございますね」
「え、一枚を一両と覚えていらっしっていただきまして、その値段は、小判のたちによって違うのでございます」
「そのように聞いておりましたが、この小判は……」
「これは、たちのよい方の小判なのです、ごらんなさい、享保小判と申しまして、これでこの一枚の重さが四匁七分あるのです」
と言って、お銀様は小判の一片《ひとひら》を指の上にのせて、目分量を試むるかのように、お雪ちゃんの眼の前に示し、
「一枚の重さが四匁七分ありますが、それがみんな金《きん》というわけではありません、そのうちの六分三毛というのがほかの混ぜものなのです、純金ばかりでは軟かくってお金になりませんから――そうして、この一両を小銭に替えますと、六貫五百文ほどになるのです」
と、お銀様が説明しました。つまり一両の享保小判の全体の重さは四匁七分あって、混ぜ物が六分三毛あるから差引そのうち正味の純金が四匁九厘七毛だから、これを銀にかえ、小粒《こつぶ》に替え、銭にかえたら幾ら――西暦一九三三年前後、世界各国が、金の偏在と欠乏に苦しんで、それぞれ国家が金の輸出を禁止し、日本の国に於ても、公定相場が持ちきれなくなり、その一匁市価が十円まで飛び上ったとして、右の享保小判の一枚は四十七円に相当するから、五十二枚は二千四百四十円ばかりの勘定となる――それだけの金を、旅費の一部分として無雑作に目の前に出されたことに於て、今更、お雪ちゃんも、この人の実家というものが、底の知れないほどの長者であることを思わせられずにはいないと共に、そうかといって、それを湯水、塵芥《ちりあくた》の如く扱うわけでもなく、量目の存するところは量目として説明し、換算の目算は換算の目算としての相当の常識――むしろ、富に於てはこれと比較にならない自分たちの頭よりも、遥かに細かい計算力を持っている様子に於て、お雪ちゃんは、このお嬢様は金銀の中に生れて来たが、金銀そのものの価値を知らないお姫様育ちの娘ではないということの、頭の働きを見て取ることができました。
 昔、三井《みつい》であったか、鴻池《こうのいけ》であったかのお嬢様が、ある時、述懐して言うことには、
「世間の人が、お金が無くって困ると口癖に言いやるけれど、いくらお金が無いと言いやる人でも、箕《み》に一杯や二杯は持っていることだろう」と。
 このお銀様は、そういった種類のノホホンなお嬢様とは全然違うということを、お雪ちゃんはちらと思い出してみました。事実、この目の前にいるお嬢様のお家というのは、三井、鴻池、奥州の本間といったような家筋に、優るとも劣らない長者でおありなさるにしても、このお嬢様こそは、鷹揚《おうよう》なところはドコまでも鷹揚ではあり得べしとも、細かいところは充分細かく眼が届き、頭が働く人柄だと思わずにはおられません。それがかえって、この際、お雪ちゃんの心を頼もしいものにしました。世間知らずのお嬢様から、無算当に大金を預かるということよりも、知るところは知り尽している人から、情を明けて頼まれる方が、頼まれ心がよい――ということをお雪ちゃんが感じました。そういうことをお雪ちゃんが感じながら、二人さし向って話しているうちに、眼下の原野の中の遠方から、轟然《ごうぜん》として一発の鉄砲の音が聞えると共に、森の中から、人が蟻の子のようにこぼれ出したのを、二人とも殆んど同時に認めました。
「何でしょう」
と、まず不審を打ったのはお銀様でした。
「そうでございます、何か騒がしい様子でございます」
とお雪ちゃんも相鎚《あいづち》を打ちました。
 やや遠く、鉄砲の音だけでしたら、二人ともそんなに不審がることはなかったでしょうが。人が蟻の子のように散乱したものですから、それで、何か相当に穏かならざることが起ったのではないかしらと、多少不安がらせる空気があったのです。
 その時、また、さきほどこの場へお銀様が訪れない以前、お雪ちゃん一人で空想と実景にあこがれている時分に、お雪ちゃんの印象をつかまえた、あの大きな鳥――アルバトロスを知らない限り、日本の本土で見る最も大きな鳥であり、強さに於ては鳥類の世界を通じての王者であるところの、鷲《わし》の姿が、突然またあの森の中から見え出して来ました。
 この大きな、そうして強い鳥が、あの村里の森の中に今まで潜行していたと見えるが、今しパッと舞い上って、空中に姿を現わしてみると、また急に低く飛び下り、低く飛び下ったかと見ると、また、やや高く舞い上ったのです。その途端にパンパンと鉄砲の音が続けざまにまた聞え、同時に、蟻の子を散らしたような人が、あちらこちらへ去り飛ぶのをハッキリと二人が認めました。
 そこで、お雪ちゃんには、はっきりと、それだけの光景のおこりがわかりました。ああ、そうだ、さいぜんの大きな鷲が人里に下ったものだから、それを認めて、村人が騒ぎ出したのだ、だが、それは大きな鷲を見ていないこのお銀様には合点《がてん》のゆかないことだろうと、
「わかりました、わかりました、お嬢様、わたくしが先程ここで見ておりますと、あの比良ヶ岳の方から一羽の大きな鷲が参りまして、それが、この胆吹の上から館《やかた》の屋根の上を飛び廻っておりましたが、やがてあの村へ飛び下りたのは、たった今のことでございました、それを村の人が見つけて捕まえようとして騒いでいるのでございましょう」
「ああ、そうですか、あの大きな鳥は鷲でございますか」
とお銀様も、またその鳥の姿を見ていると、或いは高く、或いは低く、村里と人の頭上にのぼりつ降りつして、その辺を去らない鳥の挙動を、いよいよ不審だと思わないわけにはゆきません。
 いくら鳥類の王、無双の猛禽にしてみたところが、人類の威嚇を怖れないというはずはない。まして、その様式の程度は知らない、種ヶ島時代の遺物にしてからが、鳥おどしの価値だけは充分につとまる、あの鉄砲というものの音を聞いて走らない鳥はないはずなのに、あの鳥は自家の勇力を恃《たの》んでか、高く低くあの通りにして人里と人の影を怖れない、見ようによっては人間と相争うかの如く、また人間を憤るかの如く、また人間を揶揄《からか》うかの如く、つかず離れずに空と地とで対峙《たいじ》しているのであります。人間の騒いでいることは、猛禽の襲来に備える意味から言っても、同時にこれを捕えんとする慾望から言っても、当然のようなものだが、それと対抗して去らない鳥の挙動こそ解《げ》せない――と眉をひそめた途端に、お銀様がハッと気のついたことがありました。
 それは先刻、開墾地方面をゆらりゆらりと歩いていた時分に、パッタリ行会って、それから取引の開始となって、押しつ押されつ、それっきりになったあの二人の山狩が、つかまえた鷲の子のことでありました。
 それが思い浮ぶと、お銀様は覆面の中で二三度うなずいて、
「わかりました、わかりました」
と、さきほどお雪ちゃんが言った通りに鸚鵡返《おうむがえ》しをして、
「あの鳥が村へ下りたのは、自分の子を取戻したいために下りたのでございます」
「どうして、そんなことがおわかりになりますか」
と、その以後ばかりを知って、以前を知らないお雪ちゃんには、以後を知らず、以前を体験しているお銀様の言うことが、全くわかりませんでしたけれど、実はこの場合、二人の実見を合わせて、はじめて完全な全体観が出来上るのでありました。お銀様がそれを説明することは雑作もないことでした。
「それはね、ごらんなさる通り、あの大きな鳥は、村里の上を離れないで、村人と追いつ追われつしているでしょう、珍しく鳥の中の王様が人里へ現われたものだから、村の人の騒ぐのは無理はないが、鉄砲の音にも驚かずに、ああして鳥が離れないのは、あれは、村の人に自分の子を捕られたから、それを取戻そうとして覘《ねら》っているのです、わたしはさきほど、村の人がこの鷲の子を捕ったのを知っていますから、あの大鷲の心持がよくわかります」
「あ、左様でございましたの、それで、自分の子を取戻したいがために、ああして鉄砲の音にも、人の数にも怖れないで、戦っているのでございますね」
 二人は、その出来事に、すっかり解釈がついてしまうと同時に、それをながむる興味もいっそう高潮してきました。
 人と鳥との争い――それはいずれが勝つかということの興味よりも、お雪ちゃんの心では、あれほどの執着だから返してやればよいのに――捕えた子供をはなしてやりさえすれば、猛禽も満足して帰ることでしょうのに。ところが、ああなっては人間も慾だから、捕えた子を返してやらないのみか、飛び込んで来た親をまで捕えずには置くまいとして意気込んでいるのだ。
 ですけれども、この場合、親鷲に勝利を得させてやりたい――ような心持が、お雪ちゃんの胸の中では繰返し繰返し念ぜられてならないのに、覆面のお銀様は冷々として、人鳥いずれが勝とうとも、負けようとも、われ関せずといったような素振りでながめているのが物足りない。
 そうしているうちに、鉄砲は引きつづいてパンパンと鳴り、なかには弓矢を持ち出したり、長竿を担《かつ》ぎ出したりするものまで見えましたが、鳥の姿がまた森かげに隠れて見えなくなってしまいました。しかし、村人がまだ騒がしい気分を以て走り廻り、立惑うているところを以て見ると、大鷲を射留めたものでも、捕縛したものでもないことはよくわかります。
 こうして、やや長いこと、おそらくは何とか解決のつくまでは、二人はこの場の光景から眼をはなせないことになっていると、けたたましく、前庭の木戸口から人の息せき切った発音があって、
「申し上げます、只今、村の人が大勢これへ押しかけて参りまして、生捕った鷲の子を、いくらでもいいから、こちらの奥様に買っていただきたい、買っていただけなければ、暫く預かっていただきたいなんぞと申して、これへ持って参りました、いかが取計らいましょうか」
 この報告を聞くと、お銀様が、だから言わないこっちゃない――と言いたそうな表情で立ち上り、
「今、そちらへ参ります」

         六

 お銀様が急に立去った後、急にお雪ちゃんは、何かとそぐわない気持で、ぼんやりしていると、後ろから、
「お雪ちゃん――」
「おや、弁信さんじゃありません? 弁信さん、あなたもあんまりですね」
とお雪ちゃんは、振返って弁信の姿を見るが早いか、こう言って怨《えん》じかけたほど、事が急促の思いになりました。
「はい」
 抜からぬ面《かお》で立っている弁信の姿を改めて見直すと、お雪ちゃんが、こみ上げて来るような悲痛と、それから、何と言っていいか知れない、昔の感じに煽《あお》りかけられました。
 それは、その昔、弁信が自分の家の甲州上野原の月見寺で、机竜之助に斬られた時のあの表情と少しも変らない、やつれきった姿であるのを見ると、この人は、斬られて来たのではないかと、胸を打たれるような心になると共に、そのあたりの光景までが、弁信が伝って来た廊下づたいの構えまでが、あの時の自分の家の寺の住居そっくりが、ここへ移されたのではないかと、お雪ちゃんは一時、くらくらと瞑眩《めまい》がするようになって、
「弁信さん、お前さんはまあ――」
と言ったきりです。
「お雪ちゃん、どうですか、この新しい村の、新しい御殿の住み心地は……」
と言いかけた弁信の調子は、少しも変ったものではありませんでした。無論、斬られてなんぞ来たわけではなく、これがいつもの調子の弁信なのですが、この際のことが、なんだか不意に出たようなものですから、お雪ちゃんの神経が少し昂奮し過ぎていたのでしょう。
「大へん、ようござんすね、よろしうござんすけれども、弁信さん……」
 お雪ちゃんは、とりあえず問いに答えておいてから、引続いて、やっぱり怨《うら》み言《ごと》の筋を引くことを如何《いかん》とも致し難く、畳みかけて詰問でもするように、
「あなたという人も、あんまりじゃありませんか、わたしをこんなところへまで連れて来て――連れて来て下さった御親切も、こうして何とは知らないけれども、住み心地は悪いとは思えないところまで、連れて来て下さった御親切は有難いですけれども、わたしの会おうとしている人に、ちっとも会わせて下さらないじゃありませんか」
「ああ、そのことですか」
「そのことですかじゃありません、美濃の国の不破の関へ来て、鈴慕の曲をまで聞かせて下さっておきながら、それからあとはどうしたのです、あなたはどうしてわたしの会いたい人に会わせて下さらないのですか――鈴慕が聞けるくらいのところにいるのですから、あなたさえ会わせてやろうとお思いになれば、今日すぐにでも会えるに違いないと思いますのに、それを、あなたは会わせて下さらない、ただ会わせて下さらないだけならいいけれども、もしかして、あなたは、わたしをあの人から遠ざけようとなさるのじゃないかしら、それも、あなた一流の親切から出でてそうなさる、意地悪でなさるのではないことはよくわかっていますけれども、そんなにまで、わたしというものが、たよりない、意気地ない人なのでしょうか。不破の関で鈴慕の曲を遠音に聞いて、それからわたしは、あなたの呼びにいらっしゃるのを待ちきれませんから、自分で行って見ますと、鈴慕の主はいないし、関守さんもなんだか空とぼけておいでになって、わたしの聞きたいわけを答えては下さいません。ただあの紅々《あかあか》と燃えた炉の中に、尺八の燃え残りだけが無残に残っておりました。それから、わからないお嬢様が、思い通りの世界を作ってみたいとおっしゃって、ここへ土地をお求めになり、住居を建てるから、わたしも仲間に入れとおっしゃる。それはよいことだと弁信さん、あなたも賛成なさいますから、あなたを信じて、ここへこうして三日目になりますけれど……」
 ここでも、お雪ちゃんが、弁信の株を奪って、一息にこれだけの恨みつらみを述べたててしまいました。
「よくわかります、お雪ちゃんの怨み言がよくわかります」
と弁信の方が、かえってさっぱりした短句調であしらうものですから、お雪ちゃんに、いよいよ満足の与えられようはずもありますまい。
「わかります、わかりますだけでは困るじゃありませんか、わかったら、わかったようにして下さらなければ……」
「お雪ちゃん、そんなに言うものではありません、会える時が来ればいつでも会えますよ、いったいお雪ちゃんは、何のためにそんなに会いたがるのですか」
「そんなこと、わかってるじゃありませんか」
「わたしには、ちっともわかりません」
「いやな弁信さん――それがわかっていらっしゃればこそ、お前さんだって、わざわざ飛騨の高山から、美濃の不破の関までわたしを連れて来て下すったじゃありませんか」
「いいえ、そういうわけじゃありません、わたしの耳に鈴慕の音が聞えて、こちらへこちらへと導くものですから、その音色を伝って来ると、ついつい不破の関まで来てしまったのです」
「あら――あんなこと言って。弁信さんという人も、人を揶揄《からか》います、こんな人の悪い方じゃないと思いました」
「いいえ、わたしは、あなたをからかいは致しませんし、また別段、あなたに対して人の悪い行いをしたとも思いません」
 お雪ちゃんは、いよいよ弁信の答弁ぶりに平らかではありません。
「弁信さんのなさることは、弁信さんだけの世界にはよくおわかりなのでしょうが、わたしは短笛の音色だけを聞き、その笛の管の燃えさしだけを見るために来たのではありません、あなたと二人、裸はだし同様で美濃の国から飛んで来ました。いま思えばどうして、こんなかよわい二人だけで、あの旅ができたのか夢の様に思われるばかりです。それほどの思いをして来たのに、来て見れば、その遠音を聞かせただけの思わせぶりで……万事をうやむやにしている弁信さんのズルイのを怨むのは、怨む方が無理なんでしょうか」
「ですからね、お雪ちゃん、あなたも、わたしも、鈴慕の音色にあこがれて来たのだということは、今もクドクドと申した通りなのです。しかし、不幸にして二人の聞こうとしていた鈴慕は聞くことができないのみか、音色を鈴慕に借りて、内容、精神はやっぱり堕地獄の音でありました。それ故に、わたしはあれを聞かせないように、せめて、あなたにそれを聞かせたくないようにとつとめている心は、今もあの時も少しも変りありません――それですから、今のわたしと致しましては、お雪ちゃんに怨まれましょうとも、ズルイと言われましょうとも、コスイと言われましょうとも、うやむやと言われましょうとも、これよりほかに何とも致し方がないのでございます。ですから、これはそうと致しまして、お雪ちゃん、わたくしはこれからひとつ、お山巡りをして参りますから、少しのあいだ待っていて下さい。お山巡りと申しますのは、実は、わたくしも縁あってこの胆吹山の麓を汚《けが》しながら、まだお山の神様へ御挨拶にもお礼にも出ておりませんから、これからひとつ……参詣をしてまいりたいと思うのです。お聞きにもなりましたでしょうが、この胆吹山と申しまする山は、日本七高山のその一つに数えられておりまする名山でございます。高さから申しますと、さきほどあなた方がおいでになった焼ヶ岳や穂高、神高坂《かみこうさか》、大天井《おおてんじょう》の方の山々とは比較になりませんけれども、あの地方は、山そのものも高いことは高うございますけれども、地盤がまたおのずから高いだけに、こちら方面よりは標高が高まっておりますものでございますから、山容そのものだけの高さをもっていたしますると、この胆吹山とても随分あちらの高山峻嶺に劣りはしないとこう考えますから、わたくしも、その心構えで参詣してまいりたいと思います。案内者でございますか。私としましては別段、案内者は頼みませんでも、山にしたがってまいりさえすれば、あぶないことはなかろうと存じます。登山路の道筋だけはよく承って置きました。これから参りますと、ほどなく女一権現というのがあるそうでございます、それを過ぎますと、北に弥勒菩薩《みろくぼさつ》のお堂がございまして、あの辺には一帯に松柏の類が繁茂いたし、胆吹名代の薬草のございますのも、その辺であると伺いました。それから登りますと三所権現があり、それをまた十町登りますると鞠場《まりば》というのへ出ると承りました。その鞠場より上へは女人は登ることを止められてあるそうでございます。それからは巌根こごしき山坂を越えて、絶頂が弥勒というところ、そこへ行くと、時ならぬ風は飄忽《ひょうこつ》として起り、且つ止まり、人の胆を冷すそうでございますが、一体にこの胆吹のお山は気象の変化の劇《はげ》しい山だそうでございまして、ことに怖るべきは、頂上の疾風だなんぞと人様が申しますから、その辺もずいぶん用心を致しまして、そうして頂上の弥勒菩薩に御参詣を致して御挨拶を申し上げ――それから帰りには、できますことならば、別の道をとって西に降り、胆吹神社に参詣――胆吹明神と申しますのは風水竜王が御神体であらせられ、その昔、飛行上人《ひぎょうしょうにん》がこの山に多年のあいだ住んでおりまして、開基を致されたと承りました。飛行上人と申すのは、いずれのお生れか存じませんが、飛行自在《ひぎょうじざい》の神通力《じんずうりき》を得て、御身の軽きこと三銖《さんしゅ》――とございますが、三銖の銖と申しますのは、三匁でございましょうか、三十匁でございましょうか――まだ私もよく取調べておりませんが、身の軽いということを申しますと、わたくしも至って身軽の痩法師《やせぼうし》でございますが、飛行自在の神通力なんぞは及びもないことでございます故に、つとめて自重を致しまして、山険と気象に逆らわず、神妙に登山を致し、慎密に下山を致して参るつもりでございます。本来、目が見えませんから、山へ登りましても人寰《じんかん》の展望をほしいままに致そうとの慾望もござりませず、山草、薬草の珍しきを愛《め》でて手折《たお》ろうとの道草もござりません、ただ一心に神仏を念じ、他念なく登ってくだるまでのものでございます。それ故、今晩のうちには、無事に戻って参るつもりでございますから御安心下さいまし。もしまた、途中、天変地異の災難がございましたら、心静かに臨機の避難をいたしまして災難をやり過して、それから徐《おもむ》ろに下りてまいります。いかに疾風暴雨といたしましても、一昼夜のあいだ威力を続けているという例は少のうございますから、その間をどこぞに避難しておりまする間の時間――それを御考慮に入れて置いていただきましても、明朝までには間違いなく戻って参ります。そのほかには、決して御心配になるほどのおそれはございますまい。あっ、そうでございますか、なるほど、昔、日本武尊《やまとたけるのみこと》がこの山で大蛇《おろち》にお会いになって、それがために御寿命をお縮めあそばされたという歴史の真相、あれはおそれ多いことでございましたね、山神が化して大蛇となり、悪気を以て武尊をお苦しめ奉ったという歴史、これは真実でござりましょうが、今日は左様な悪気はことごとく消滅しているに相違ござりませぬ。でも、毒蛇はいない代りに盗賊が――ああなるほど、それは一応は尤《もっと》もなお心づかいでございますが、この胆吹山や、伊勢の鈴鹿山が、名ある盗賊のすみかであったことも、もはや過ぎ去った昔のことでございます、今日では誰も左様なことを噂《うわさ》にさえ申しませぬ。ただ恐るべきは山路の険と、気象の変化、それだけなんでございましょう。では、わたくしはこれから出かけて参ります」
 ここまで弁信は喋《しゃべ》りまくって、また静かに、風のように廊下先から消えてしまったのを、お雪ちゃんは、とどめようとして、つかまえどころのないのに苦しみました。

         七

 弁信が帰るとまもなく、天候がにわかに変ってきました。
 後ろの胆吹山が大きな鳴りを立てたかと思うと、さっと吹き下ろす風が千丈の枯葉を捲いて、原も、村も、里も、一度に裏葉を返す秋の色を見せました。
 と見れば、比良ヶ岳、比叡山《ひえいざん》の上に、真黒な雲がかぶさり、さしも晴れやかに光っていた琵琶湖の湖面が、淡墨《うすずみ》を流したように黝《くろ》ずんできたのを認めました。
 麓の方で、さしも物騒であった鳥の形も、人の気配《けはい》も、いつのまにかすっかり消えてしまって、胆吹山おろしだけが、自分の頭の上でゴーッと鳴るのを聞くばかりです。
 あまりの急激な天候の変化に、お雪ちゃんは悲しいような、怖ろしいような気分に襲われていると、つづいて山おろしが庭先の松の梢を伝って、見ゆる限りの野も山も、どよめき渡ると見る見る南近江から、伊勢と美濃へかけての天地が暗くなって行くのです。
 うしろの胆吹の山が息をついては吐き、吐いてはつくように山鳴りをつづけている。その度毎に野分《のわけ》の大風が吹き出されるような響を聞くと、お雪ちゃんは、どうしても、さきのあの大鷲がこの山へ舞い戻って、その羽風《はかぜ》がこうして煽《あお》るのだと思われてなりません。不在《るす》の間に子を捕られて、それを取戻そうとつとめたけれども、そのかいがないために、親鷲が憤って、山の上で羽風を鳴らすために、急に天候がこう変って、風が吹きすさんで来たもののように、お雪ちゃんには受取れてなりませんでした。
 それにしても、この不穏な天候、もはやこうして、暢気《のんき》な縁先の仕事はできないものですから、委細をとりまとめて室内へ持ち込みながら、ああ、いやな風、自分の不快よりも、これから袂《たもと》をひるがえして、あの胆吹の山の頂を極めようとする弁信のために、悪いさいさきだと思わずにはおられません。
 お雪ちゃんは障子を締め切って風を防ぎながら、弁信さんのために、この風が早くやむように、あまり強くならないようにと心配していると、その心配がようやく昂じて来てなりません。取越し苦労はするなと、特に戒めて行かれたにかかわらず、この時はまた弁信法師の山登りがいっそう気がかりになってたまらないのみならず、風水盗賊の難のほかにまた一つ、もしかしてあの弁信さんが、この山上に棲《す》む大鷲にさらわれてしまいはしないだろうかという懸念《けねん》さえ起って、不安に堪えられませんでした。
「弁信さんも弁信さんです――なにもわたしたちさえ御参詣をしない先に、いくら身軽だからといって、たった一人でお山登りなんぞをしないでもよいではないか」
 この信友もまた、自分に気をもませる存在の一つであるように思い案じてみました。

         八

 その心遣《こころづか》いが、その夜、枕についてからのお雪ちゃんを苦しいものにしました。
 胆吹山から吹きおろす大風の中に、袖を翻して、ひたすらに山路を登る弁信の姿を、いと小さく、まざまざと目《ま》のあたりに見ました。
 胆吹山容の雄偉にして黝黒《ゆうこく》なることは少しも変らず、大風はその山全体から吹き湧き、吹き起り、吹き上げ、吹き下ろすようにのみ思われて、つまり、山全体が大きな呼吸をしているようにしか、お雪ちゃんには受けとれなかったのは、さしも大風ではあるけれども、雨というものは一滴も降ってはいず、星の空はらんかんとして、山以外の天地は至って静かなものです。そこを、山だけが盛んにひとり吹き荒れ、吹きすさんでいるものですから、山自身が呼吸をしているものとしか思われません。その度毎に、弁信のやつれた法衣《ころも》の袖が吹き裂けんばかりに吹き靡《なび》かされ、その小さな五体が吹き上げられ、吹き下ろされているのを見るばかりです。
 そこでお雪ちゃんはまた、弁信をかわいそうだと見ないわけにもゆきません。ごらんなさい、あの通り、あのたどたどしい足どりを。二万|呎《フィート》以上のエヴェレストの探検家の運ぶ足どりと同様に、弁信の身が吹き倒され、吹きまろばされるから、寸進尺退の有様、見るも歯痒《はがゆ》いばかりであります。山路が嶮《けわ》しい上に、あの烈風がまともに吹き下ろすのだから、たまったものではありません。なるほど、音に聞く胆吹颪《いぶきおろし》は怖ろしい、全く、弁信さんという人は進んでいるのだか、退いているのだかわからない、ああ、危ない、あの崖、あそこへ顛落《てんらく》した以上はもう助からない!
 その時に、弁信の頭の上の空中から、にわかにまた一団の黒雲が捲き起って来たようなのを認めました。あ、鳥が――またあの大鷲が……
 あなやと思う間に、その一羽の大鷲が、急に舞い下って、大風にこけつまろびつしている弁信の胸のあたりを見計らい、一掴《ひとつか》みに掴んだ、と見れば、そのまま空中高く舞い上ってしまったのです。つまり、山路を、こけつまろびつ上らんとして、危なく崖下に顛落することの不幸の代りに、空中高く攫《さら》われてしまったのです。
 あれよあれよ――と呼ぶものは、お雪ちゃんばかりでした。
「ど、どうしたんだ」
 ああ、よかった、米友さんが来てくれた、友さん、今、弁信さんが鷲に攫われてしまいました、大きな鷲がたくさん出て来て、そのうちの一羽が――崖に辷《すべ》って転んだ弁信さんの身体《からだ》を上からのしかかって、あれが本当の鷲掴みというのでしょう、胴中《どうなか》のところをグッと一掴みにしたまま、あれ、あの通り高いところへ飛んで行ってしまいました。弁信さんは身体が小さいから、それで子供と間違えられて、鷲の爪にかかったに違いない、あれあれ、あの崖のところへ――米友さん、何でもいいから早く弁信さんを助けてあげて下さい。
「よーし来た」
 頼もしげに米友は力《りき》み立ったけれども、その実は同じところに歯がみをしいしい地団駄を踏んでいることがよくわかります。つまり、いかに米友の勇気と精力とを以てしても、翼を持たない限り、あの攫われた弁信を如何《いかん》ともし難い焦躁が、お雪ちゃんにはっきりとわかるだけ、よけいに気が気ではありません。
 そのくせ、鷲に攫われて、中空高くつり下げられた弁信の面《かお》を見ると――夜ではあるし、遠くはあるし、高くはあるのですから、ここで弁信の面が見えようはずはないのですが、不思議とお雪ちゃんには、ハッキリとそれがわかりました。
 平々淡々として、泣きもしなければ、怖れもしないのです。もがきもしなければ、焦りもしない。悲鳴も上げなければ、絶叫もしてはいないのです。鷲の爪で胴中の全部をしっかりと掴まれてはいるけれど、その爪が肉身の間に喰い入っているのではないのでしょう、苦痛の表情が更にないのみならず、血も流れてはいないのです。でも死んでいるのでないことは、その表情がそれを示します。寂静ではあるけれども、弁信の面の上には、苦痛のあとと悶絶《もんぜつ》の色は現われてはいないのです。弁信さんという人は、普通の人が苦痛の極とする時には、かえって安静の色が現われるし、多くの人が絶望の刹那《せつな》という時に、かえって大安心《だいあんじん》の愉悦相を現わして来る人だ――だから、この場合、ああして澄まし切った面を見ていると、あれで全く無事なんだという弁信の心境が、お雪ちゃんの心の鏡にはっきり映るのです。せめてそれだけが、お雪ちゃんの心の慰めでありましたが、そうかといって、あのままで置けるものではありません――米友はしきりに歯がみをして、地団駄を踏んでいる。
「奴! やりゃあがったな」
「友さん、どうかならないものですか」
「うむ、見てやがれ!」」
 その時、ブーンと風をきって曳火弾《えいかだん》のように米友の手のうちから飛び出したのは、それは例の宇治山田以来身辺を離さぬところの杖槍《つえやり》でありました。手練の手もとから風をきって飛び出したその目あては、あの大鷲でなくて何であろう。
「あら! 米友さん、無茶なことをしては……」
 かえってお雪ちゃんが、その棒のために胸を打たれた思いをしました。
 というのは――いくら腹が立つといったところで、ここであの鳥を痛めつけては、どうもならないではないか、鷲が一羽だけでもあるならば、それを打ち落そうとも、射止めようとも知らないが、あの鷲は弁信さんという人質を取っている、鷲を落せば、弁信さんも落ちて来る、落ちれば鷲よりも弁信さんが先に粉微塵《こなみじん》に砕けてしまうではないか、米友さんという人も考えが浅い!
 お雪ちゃんはこう思って、ひやりとしたけれども、そこはまた余裕があって、まあ、米友さんがこうして腹立ちまぎれ、危急まぎれに、思わず知らず得意の棒を擲《なげう》ってみたところで、鷲はあの通り、千尺の高みにいる、いくら米友さんが棒の名人だからといって、矢も鉄砲も届くはずのないあんな高いところまで、棒が届くはずがない――そうも思って、お雪ちゃんも、やや安心していると、どうでしょう、その米友の擲った槍が、容易には下へ落ちて来ないのです――それはちょうど棒の先に眼鼻でもついていて、棒の身には翼が生えて、棒のうしろは推進機《プロペラ》でも仕掛けてあるかの如く、真一文字に鷲に向って伸びて行くというよりも、米友そのものが棒に化けて、中空を飛んで、鷲を追いかけに出かけたと見るよりほかはない心持がしました。
「友さん――お前も危ない」
「なあに、大丈夫だよ」
 その声は後ろでしないで、中空から聞えて来たからです。
 と見ると、繰出して中空へ飛ばせたその棒の上に、早くも米友が馬乗りに跨《また》がっているではありませんか。そうして毬栗《いがぐり》と筒袖とを風に靡《なび》かせながら、一文字に鷲をめがけて乗りつけるのです。
「あ! 友さん」
 お雪ちゃんは、ひた呆《あき》れに呆れてしまいました。米友さんとしたことが、音に聞いてはいるけれども、こうまで向う見ずの人とは思わなかった。あれあれ、米友さんに追いかけられて、あの鷲が逃げますよ――逃げるのはいいが、弁信さんを落さなければ――あ、かなわない、鷲の逃げるのよりも、棒に乗って追いかける米友さんが早い、もう、やがて追いつく、鷲は、あれあれ越中の立山《たてやま》の方へ向って逃げるが、逃げ間に合わない、あの分では、米友さんが鷲に追いつくに違いない、追いつけば米友さんのことだから、いきなり鷲に向って組みつくに違いない、いくら米友さんが強いからといって、裸同様の身で、嘴《くちばし》と爪とを持っている鳥の王様にまともに向ってはたまるまい――あれあれ、鷲の仲間が、あの通り、山々から幾羽も幾羽も飛び出して来ました。あれがみんな加勢するでしょう。あれが寄ってたかって米友さんを突っつくに違いない――ああ、天地いっぱいの鷲、米友さんの姿も、それに包まれて見えなくなった。
 星の空はらんかんとして暗い、胆吹山は真黒く、憎らしいほどに落着いている。いつのまにか、大風はやんだのですが、風がやんで、山が澄まし返っているところを見ると、いよいよ胆吹の山というのは、山それ自らが息をする山だというように、お雪ちゃんには感ぜられてなりません。そこからは、地球上のいずれかの低気圧に作用されて起る風とは別に、胆吹自身が持っている呼吸が、夜のある期間には風となってあの通り湧き出すのだ。それが証拠には、山以外の天地はあんなに静かなのに、山自身もまた定期の呼吸というものをやめてしまえば、この通り憎らしいほどの落着きぶり。
 だが、山は落着きぶりを示しているが、お雪ちゃんの不安は去らない。
「お雪さん――」
 そこへまた耳許に、憎らしいほど落着いた、これは人の声、女の声。眼を上げて見ると、お銀様が枕もとに立っています。そのお銀様も白の行衣《ぎょうえ》を着て、白の手甲脚絆《てっこうきゃはん》、面《かお》だけはすっかり白衣で捲いて、その上に菅笠、手には金剛杖――そうしてお雪ちゃんの枕許に立って呼びかけたその姿だけを以て見れば、決して、これがお銀様だとさとれるわけではないのですが、その声でお雪ちゃんはさとって、起き直っていずまいを直さなければならない思いがしました。

         九

「さあ、お雪さん、お山へ登りましょう」
「まあ、この夜中に……」
と、お雪ちゃんが呆《あき》れました。
 けれども、それを許すお嬢様ではない。
 否やを言わせる余地のない圧迫を感じてみると、起きてこの人と同じ扮装《いでたち》をして、待機の姿勢をとらなければならないことを余儀なくせられました。
「ホ、ホ、ホ、夜中なればこそです、胆吹夜登りといって、胆吹の山には夜登ることになっているのです」
「ですけれども……」
「あなたは怖がっていらっしゃる。なに、怖いことがあるものですか、見た目では恐ろしい山のように見えますけれども、登って行く間の美しさでは、日本国中、こんな美しい山はないとさえ言われているのではありませんか」
「そんなに美しい山でございますか」
「美しい山ですとも。世間並みの萩や、すすきや、桔梗《ききょう》、女郎花《おみなえし》の秋草がいっぱい咲いている上に、この山でなければ見られない花という花がたくさんに咲いています。胆吹の百草と言いますけれども、百草どころではありません、五百草も、千草も、三千草も、花という花はみんなこの山にあるのです。見た目の美しい百草の中には、何とも言えないよい香いを不断に放っているものがあります、その香いと色の中を、ちょうど夜が明ける時分に、わたしたちが歩いて行くことができるのですから、こんな楽しい山登りは、ほかにはございません。あなたは、白馬ヶ岳のお花畑を御存じでしょう、あれよりも、この胆吹の山の花の路の方が美しいのです。白馬のお花畑は、美しいけれども、冷た過ぎ、清くあり過ぎます。ここのはほんとうに花野原……花という花がみんな、人間味を以て咲きそろっているのですから、同じ美しさにも温か味がありますのよ」
 そう言ってお銀様から遊意をそそのかされても、お雪ちゃんは少しも、誘われる気にはならないで、かえって命令のように響きます。百花が絢爛《けんらん》であろうとも、香気が馥郁《ふくいく》であろうとも、温か味があろうとも無かろうとも、白馬ヶ岳のお花畑のあくまで清く、あくまで冷たいのには心を惹《ひ》かれたが、ここでは何と言われても、その気になれないのは、多分お銀様その人の口から言われたというばかりではなく、さきほどの大風と、それに続いての弁信法師と大鷲との印象が、どうしてもお雪ちゃんをして、この胆吹の山の山道を懐しがらせるようにしないものでしょう。その難色を見て取ったお銀様は、附け加えて言いました、
「それから頂上へ行くと、とてもながめがまた日本一です、北の方の高山という高山が、みんな眼の中に落ちて来ると共に、南の平野も、西の京洛も、それにあの通り日本一の大琵琶の湖が、眼の下に控えているのですもの、風景の好きなあなたが、それを好きになれないはずはありません。文永の昔、胆吹の弥三郎という山賊がこの山の頂上に腰をかけて、琵琶湖の水で足を洗いました、その時に湖水を取りひろげようとして土を運びましたが、その土の畚《もっこ》の中からの落ちこぼれが、あの竹生島《ちくぶじま》や、沖ノ島になって残っているのだそうです。胆吹の西の麓、姉川を渡ったところにあるあの七尾山も、弥三郎がつき固めた土くれだということです。それからまた東の麓には、俗に泉水といわれているところがあって、そこには千人の人を容れられる洞穴《ほらあな》があります、それが弥三郎の住居であったといわれているけれど、わたしたちは、もそっと奥へ突き進んで、人の全く見られないところを見ることができるのです」
 お銀様は、風景の次に、伝説を以て、お雪ちゃんの想像心に訴えて、これが遊意をそそろうとしたが、それでもお雪ちゃんの気の進まないのをもどかしがって、
「おいやですか」
「いやではありませんけれども……」
「あの大風の中を、弁信さんでさえ登って行ったではありませんか、それを意気地のない、お雪さん、あなたは越後の白馬ヶ岳や、杓子岳《しゃくしだけ》までも登ったではありませんか、好きな人と一緒ならば、畜生谷を越えて、加賀の白山までも登りかねないあなたではありませんか、わたしと一緒ではおいやなのですか」
「そういうわけではありませんが」
「そういうわけでなければ、わたしと一緒に行って下さってもいいでしょう、あなたはお山に慣れていらっしゃるけれども、わたしはそうはゆきません」
「いいえ、わたしだって……」
「あんなことを言っている、白馬ヶ岳から高山の花を摘《つ》んだり、雪の渓《たに》を越えたりして、越中の剣岳《つるぎだけ》や、あの盛んな堂々めぐりを、いい気になってながめて来たくせに」
「それはそうかも知れませんが」
「さあ、早くなさい、風もすっかりやみましたよ」
「それではおともをいたしましょう」
「わたしと同じことに、ここにこうして白い行衣《ぎょうえ》も、白い手甲脚絆も、金剛杖も、あなたの分をすっかり取揃えて持って来ましたから、これをお召しなさい」
 なるほど、誂《あつら》えて対《つい》にこしらえさせたと思われる装束が、早くもお雪ちゃんの枕許にちゃんと並んで催促している、こうなっては退引《のっぴき》がならない。
 圧倒的に、いつのまにか、お銀様と同じこしらえをさせられてしまって、いざとばかり、戸外へ出ますと、星はらんかんとして輝き、胆吹の山が真黒に蟠《わだかま》っている麓は、濛々《もうもう》たる霧で海のように一杯になっているのを見ました。お銀様は無二無三にその霧の中へと没入して行くので、お雪ちゃんも同様の行跡を猶予することを許されません。
 雲霧晦冥《うんむかいめい》の中に没入して行くお銀様、それに追従せしめられて行くお雪ちゃん、ある時はお銀様の姿をはっきりと霧の中に浮ばせてみとめ、ある時は、どこにどう彷徨《さまよ》うか見失って呆然《ぼうぜん》として立つと、不思議にお銀様が霧に隠れる時は、きっとすずしい鈴の音が聞えます。
 ふと気がつくと自分は、お銀様のあとを追うているのではない、ただ清らかな鈴の音を追うて、雲霧の中を突き進ませられているのだと感じた途端に、また、ありありと、お銀様の姿が先に立って、すっきりと歩み行くものですから、その鈴の音を聞いている時は、清水の湧くような爽《さわ》やかな気分に打たれますけれども、お銀様の姿のひらめくのを見ると、ゾッと、身の毛が立つような思いをします。かくて、見えつ隠れつして行くうちに、ついに人間としてのお銀様の姿が次第次第に竜蛇《りゅうだ》に変って行くのではないかと疑われ出してきました。
 今や、憎らしいほど真黒く蟠《わだかま》っていた、山容雄偉なる胆吹山の形も全く見えなくなりました。見えるものは、雲と、霧と、その雲と霧の中を清らかな鈴の音と、それから、ひらりひらり閃《ひら》めく竜蛇の面影――
 自分は山登りは慣れないと言ったお銀様の身の軽いこと――そうして、絶えずそれに引摺《ひきず》られて行く気分のわたし、それでも山へ登る気持はしないで、濡れない海の中を深く潜り入るような感じが不思議です。
「お雪さん――疲れましたか」
「いいえ」
「早くいらっしゃい、あなたに見せて上げるものがありますから」
「何でございますか」
「足もとを見てごらんなさい、いろいろな花が咲いておりますよ」
「まあ――」
 なるほど、足もとを見ると――あるにはあるがお雪ちゃんが悸《ぎょ》っとしました。
 点々として、到るところに、花といえば花が咲いていることは間違いはないが、その花のまた何という毒々しい色、ドス黒くて、いやに底光りのする、血といえばいえるが、しかも人間の温かい血という感じさえない、魚類の冷たい悪血《あくち》――そうして葉の捲き方から節根《ふしね》までがいちいちひねくれている。
「一つそれを摘んでごらんなさい」
「はい」
「それが胆吹の毒草というのですよ」
「毒草でございますか、薬草ではございませんか」
「薬草も毒草も同じことなんです、薬草も変じて毒草になるし、毒草もいつか薬草になることがあります、一つ摘んで香りをかいでごらんなさい」
「はい」
「遠慮には及びませんよ」
「でも……」
 お雪ちゃんは、これを摘む気にはなれないのです。見てさえ胸の悪くなる、この魚血のようなドス黒い草の花――胆吹の山は薬草で満ちていると話には聞いているが、これはみんな毒草! 良薬は口に苦《にが》しということですから、見て身ぶるいするほどいやな草なればこそ、薬としての効能が強いものか。よし、それはそれとしても自分は手をのべて、この花を摘む気にはなれない。
 たといそれは毒があろうとも、もっと美しい花を摘みたい――お雪ちゃんが、そう思ってためらっていると、意地悪そうにお銀様が笑い、
「そうでしょう、あなたは、そんなのを摘むのはおいやでしょう、いつぞや白馬ヶ岳のお花畑で、胸に余るほど摘み取って誰かに見せたような、ほんとに美しい色の花は、ここにはございません、ですから、あなたは、それを摘むのがおいやなんでしょう」
「そういうわけではありませんけれども……」
「わたしはまた、こんな毒々しい花が好きなんです」
と言って、お銀様は、いきなり前かがみになって、その花の一茎を手早く摘み取って、そうして、それを無遠慮にお雪ちゃんの鼻先に持って来て、
「香いをかいでごらんなさい」
「あっ!」
 ああ、いやな香い――お雪ちゃんは、むせ返って、ほとんど昏倒しようとしました。
「そんなにいやがるものじゃありません、それは白馬ヶ岳の雪に磨かれた深山薄雪《みやまうすゆき》や、梅鉢草《うめばちそう》とは違います、ここのは、眼の碧《あお》い、鬚《ひげ》の赤い異国の人が持って来て、人の生血《いきち》を飲みながら植えて行った薬草なんですもの」
「もう御免下さい」
「あなたには嫌われてしまいましたねえ。それでも、わたしはなんとなし、このあくどい香いが好きなんです」
 お銀様は、その一茎の花を今度は自分の鼻頭《はなづら》へあてがって、菫《すみれ》の香《か》に酔うが如く、貪《むさぼ》り嗅ぐのでありました。
 お雪ちゃんはめまいがしてきました。
「お雪さん、しっかりしなくちゃいけません、この花の香いぐらいが何です――それそれ、この山から立ちのぼる悪気の香いは、日本の武神|日本武尊《やまとたけるのみこと》のお命をさえ縮めるほどの怖ろしい毒があるのです」
「え!」
「今日はそれを、あなたに見せて上げたい、いや、それで、あなたを迷わせて上げたいと思って連れて来たのです。大蛇《おろち》がいるのですよ、現在このお山に。その昔、日本武尊の御命をちぢめ奉った大蛇のことを、あなたも本を読むことがお好きだから、歴史でよく御存じのはずです、山神《さんじん》化して大蛇となり道に当る、日本武尊、蛇を跨《また》いでなお行く、時に山神、雲を起し氷を降らし、とあります。それは太古の歴史ですけれども、わたしも現在、この山におろち[#「おろち」に傍点]を一つ封じ込んで置くのです、それをあなたに見せて上げましょう」
「もう、たくさんでございます、御免下さい」
「ホ、ホ、ホ、まだ大蛇が出て来はしません。出て参っても、あなたを呑もうともしません、呑ませもしませんから御安心なさい。さあ、もう少し登りましょう、まだ、なかなか夜は明けません」
 こう言ってお銀様は、またも雲霧の中に突き進んでしまうと、以前の如く、玲々《れいれい》として爽やかな鈴の音が聞えはじめました。

         十

 暫くして、一つの巨大なる石門《せきもん》のところに来ました。
「これが、さっきの話の、胆吹の弥三郎の千人窟ですよ」
 見上げるばかりの石柱が二つ、夫婦岩《めおといわ》のような形に聳《そび》えていて、その間が船形のうつろになっているその間へ、お銀様がお雪ちゃんを引摺《ひきず》り込みました。
 引摺り込んだというのは穏かでないけれども、お雪ちゃんは、そもそもこの人との道づれに全く気が進まないでいるところを、圧倒的に歩かせられたり、毒草を鼻頭にこすりつけられたりして、それでも、どうも、この人のあとを追うことから免れられない引力を感じているところへ、今はもう、この先が地獄になるか、牢屋になるか、真暗闇の石門の前へ来て、ここへはいれと身を以て導かれる。それを拒む力もなく、いやという言葉さえ出ないで、ぐんぐんと引摺られて行くのは、お銀様の手ごめにかかってそうされないでも、事実は、それ以上の力で引摺られて行くのです。
 お雪ちゃんは、ついにこの石門の中へと引摺り込まれてしまいました。
「御安心なさい、直ぐにまた明るくなりますよ、そらごらんなさい」
 石門の中の真暗な洞窟を二町ばかり歩むと、左手の崖がカッと開けて、そこから、真赤な日の光がさしました。日の光であろうと思うけれども、それはあまりにあか過ぎる。遠く彼方《かなた》に広大なる池がある、池というよりも湖です。そうしてその広さ、その周囲、それはなんとなく琵琶湖に似ているけれども、その湖面を見るといよいよ真赤であって、湖辺の山に、例えば比良であるとか、比叡であるとか、見立てらるべき山々が、実景に見るそれよりも遥かに嶮山絶壁をなしている上に、鮮紅のヴェールをかけたものであるように思われてならぬ。
 そうして見ると、決して日の光を一帯にかぶっているわけではない、日の光とは全く違った、たとえば蛍の光を鮮紅にしたように、光は光に相違ないが、それは熱のない光である。つまり、月の光に血が交ったらこんな色になるかもしれないと、お雪ちゃんは全くいやな思いで、この湖面を左右に見ながら、こうなってもなお、お銀様のあとを追わなければならない自分の無力のほどを、自覚する余裕もありません。
「ここが弥三郎の百間廊下ですよ、千人座敷へ行くまでには、また暗くなりますから、御用心なさい」
 果して、この天然の大廊下を少し行くと、また真暗闇になってしまいました。
「足もとにお気をつけなさい、水があります、水が流れています、妙にベトベトした水ですけれど、血ではありませんから、怖がるには及びません」
 ハッとお雪ちゃんは、その水たまりの中に爪先を踏み込むと、なるほどなまぬるい。こんな奥まった岩窟の間から湧き出す清水だから、こんなに生温《なまぬる》いはずはありようはない。血ではないとあらかじめ予告をされたから、かえってこれは、生血《いきち》がどろどろ流れているのではないかと、お雪ちゃんが二の足を踏むと、お銀様から、
「そらごらんなさい。向うの岩に大小二つの滝がかかっておりましょう、あの大きいのは姉川《あねがわ》、小さいのが妹川《いもがわ》の源になるのです」
と言われて見ると、なるほど、広大に開けた岩窟の中の往年の壁面に、大小二条の滝がかかっている。飛騨の平湯の大滝だの、白山白水の滝だのを、うつつに見聞きしたお雪ちゃんにとっては、その滝が、必ずしも珍しい滝だとは思いませんけれども、周囲の異様なる景色には打たれざるを得ないのです。
「胆吹の弥三郎よりも、もっと昔、この洞窟《ほらあな》の中に山賊が棲《す》んでいたのです、大江山を追われた酒呑童子《しゅてんどうじ》の一族が、ここを巣にしていたのです。その時に、公家や民家から奪い取って来た美しい女たちを、山賊が競《きそ》って弄《もてあそ》びました。そうして、この滝壺で汚物を洗わせたということです。その山賊を征伐するために頼光父子が、渡辺の綱や金時を連れて、二万余騎で攻めかけて来たということですから、山賊の方も少々の数ではなかったんでしょう、ですから、このくらい大きな洞窟が無ければなりません。さあ、もう少し奥へ行ってみましょう」
 もう少し奥へと言ってのぞき込んだお銀様のうしろ姿を、お雪ちゃんは怖ろしいと思いました。怖ろしいの、こわ[#「こわ」に傍点]いのというのは、もう通り越しているはずなのですが、その時はもう、意地も我慢もなくって、
「お嬢様、もう、わたしは、ここでたくさんです。本来わたしは、あなたとお山登りをするつもりで出てまいりました、こんな、洞窟入りをするお約束じゃなかったはずでございます」
 一生懸命にこれだけのことを言いますと、後ろを振向かないお銀様は冷然として、
「いいえ――お山登りなんぞは、いつでもできます、あなたとわたし二人は、ほかに見るものと見せたいものがあればこそでしょう、暫く待っていらっしゃい、わたしが叩きますから」
と言って、お銀様は岩壁の一方に立つと、しなやかな手で、その岩壁の上をはたはたと打ちはじめました。
 あんな手荒なことをして――でも、しなやかな手は折れも砕けもしないで、岩壁の一方が割れました。忽《たちま》ちそこが開けて見ると、第二の岩戸があって、注連《しめ》が張りめぐらしてある。その中は土の牢、岩の獄屋《ひとや》になっているのがありありとわかる。
「お寝《やす》みですか」
 その奥に人がいるに相違ない。しかもその主こそ、お銀様がかねて承知の人であるらしい。
 その時、その暗い中から、不意に短笛の音が流れ出しました。
「今、わたしが明りをつけて、よく見えるようにして上げます」
と言って、お銀様は、いつのまに用意したのか、懐中から小田原提灯を取り出すと、早くも火がうつっていました。
 もとより小田原提灯の火ですから、この広大陰暗な洞窟の全部が照し出されようはずはありません。それでも、注連《しめ》を張った岩窟の中までは朧《おぼ》ろに光が届いて、その奥の方に、かすかに白い衣服がうごいていることがわかる。それはたしかに人間には相違ないが、まだ、そのえたい[#「えたい」に傍点]はわからないのです。男だか女だか、それはもとよりわからないが、幽明いずれの人だか分明ではないが、その中から起る短笛――つまり尺八です――の音だけは明々喨々《めいめいりょうりょう》として、お雪ちゃんの耳まで響き来《きた》るのであります。
「ああ、鈴慕《れいぼ》――」
 やっぱり鈴慕でした。
「お嬢様、この中で鈴慕の声が聞えます、早くこの中へ入ってみましょうよ」
「危ない!」
と、お銀様が遮《さえぎ》るのを、お雪ちゃんはかえってせき込んで、
「お嬢様、もう少し、あの提灯の火を明るくしていただけませんでしょうか、笛の音だけはハッキリと聞えますけれど、中においでになるお人がどなたかわかりません」
「もう、これより明るくはなりません」
「そんなことをおっしゃらず、もう少し明るくして……光が届かなければ、わたしはあの牢へ近寄ってみましょう、できますことならば、あの牢の中に入って見てもよいと思います」
「足もとをよくごらんになっての上でね――」
と言われて、お雪ちゃんが足もとを見直すと、全身の血が一時に冷たくなりました。
 同じ岩壁の中の遠近と見たのは、実はウソでした。あの牢屋のあるところと、自分たちの立っているところの間には、絶対的の岩角が相聳《あいそび》え立っていることにはじめて気がついたのです。
 普通、山に於ての隔たりと言っても、谷と谷とを予想するのですが、つまり同じ日本中、同じ地上である限りは、山河渓谷の隔たりがあるとはいえ、河には橋、谷には桟《かけはし》を以てすれば、要するに地続きの実が現われるものですけれども、ここの懸崖というものはちょうど、地球と月世界との間の絶対と同じこと、下を見れば見るほど底の知れない断岸《きりぎし》――
 そうして、その裂け目の左右を見ると、先刻見た赤い空気の湖面がいっそう面積を拡大して、山脚はいよいよ押迫っている。山も、湖面も、今は全く蛍の光そのもの同様な蒼白《そうはく》なる光線が流れ渡っているのであります。
「あ、月が上って来ましたね、もう提灯は要りません」
 お銀様がこう言って、フッと蝋燭《ろうそく》を吹き消した途端に、さきに湖面山岸いっぱいに充ち満ちていた蛍のような光が、競ってこの岩窟のすべての中に流れ込みました。
 そうすると、対岸の牢屋の中が、はっきりと見得られるようになりました。その中に心憎くも澄ましきって、座を構えてしきりに短笛を弄《ろう》している白衣《びゃくえ》の人の姿、それが、また極めてハッキリと浮び出て来ました。
 それは白骨温泉以来の鈴慕の主です。

         十一

 その時に竜之助は、短笛を持ったまま、気軽にずっとこちらへ出て来ました。
 ずんずんこちらへ歩いて来て、お雪ちゃんと当面の巌の直ぐ突角《とっかく》のところまで来ると、そこにずっと結びめぐらしてあった丸太の手すりに無雑作《むぞうさ》に腰をかけてしまったものですから、お雪ちゃんが、
「お危のうございますよ」
と言いましたが、竜之助は微笑しただけです。お雪ちゃんはそれから立て続けに、
「先生、まあ、あなたは、どうしてこんなところに……」
と言ってせき込みましたが、竜之助は、
「お雪ちゃん、お前どうしていたの」
「先生、あなたこそ、どうしてそんなところにいらっしゃるのです、お一人ですか、こちらへいらっしゃい」
「は、は、は、とうとうこんなところへ閉じこめられてしまったよ」
「まあ、誰があなたを、そんな岩の牢の中へ入れてしまいましたの」
「誰でもない、そ、そこにいる人がさ」
と言ったその上眼《うわめ》つかいで、お雪ちゃんの記憶が、お銀様の方へ甦《よみがえ》って来ました。
「お嬢様、あなたが先生を、こんな牢の中へお入れ申してしまったのですか」
「でも、仕方がありませんもの」
「仕方がないとおっしゃるのは?」
「胆吹の山の大蛇《おろち》は、こうでもして封じて置かなければ、世間がたまりません」
「まあ、残酷な」
 お雪ちゃんが、一切の恐怖を忘れてムキになりましたが、問題の当人はいっこう平気で、
「まあ、いいさ、こうして窮命させられているのはやむを得ない自業自得というものだ。でも、二人で、よく見舞に来てくれました、ゆっくり昔話でもしようではないか」
 懸崖絶壁に腰をかけながら、涼み台に出て世間話でも持ちかけるような気分で、いやになれなれしいところへ、お銀様がまた妙に砕けたしなをして、
「どうです、悪女大姉のことは。悪女大姉に未練はございませんか」
「は、は、もう、何とも思っちゃいないね」
「お絹さんはどうです」
「は、は、は」
「山の娘のお徳さんとやらの、こってりした情味は忘れられますまいね」
「は、は、は」
「高尾山|蛇滝《じゃたき》で馴染《なじ》んだお若さんというのはどうです」
「は、は、は」
「伊勢の国の鈴鹿峠の下の関の宿《しゅく》から、お安くない御縁を結んだ、あのお豊さんとやらの心意気だけは、あなただって恩に着ないわけにはゆきますまい」
「は、は、は」
「あなたは、人妻を犯しました、人の後家さんを取りました、婬婦を弄《もてあそ》ぶこともしましたし、処女と戯れることもしましたねえ、わたしの知っているだけでも……そのうち、誰がいちばんお気に召しましたかねえ」
「は、は、は」
「甲州の八幡村の小泉の家で、わたしに逆綴《ぎゃくとじ》の帳面の初筆《しょふで》をつけさせました、あの時の水車小屋の娘もかわいそうでしたね」
「は、は、は」
「その帳面はあれからどうなりました」
「は、は、は」
「水に流されてしまってそれっきりでしたか。帳面は水に流されても、あなたの悪い行いは流れてしまいは致しますまい」
「は、は、は」
「あれから後、何人の人を殺しましたか」
「は、は、は」
「染井の化物屋敷の時のことをお忘れなさりはしますまいね、弁信さんとわたしと三人で、あの、うんきの中に、土蔵の二階で合奏をしたことがありましたねえ」
「は、は、は」
「白骨の温泉こそお楽しみでしたねえ、誰も知らない天地の間で、こんな憎らしい小娘と一緒に……」
「は、は、は」
「あなたは、この小娘を愛していたのですか、愛してはいなかったのですか」
「は、は、は」
「この雪という小娘も、面《かお》に似合わない大胆者でしたね、姉さんの男を横取りしてしまって、そうして……」
「あら――」
 こんどはお雪ちゃんが、たまりかねて叫びました。
「は、は、は」
 そのあとで、竜之助の響。お銀様はお雪ちゃんに取合わずに、竜之助の方に向いてつづけました。
「白《しら》を切っているけれども、わたしはもう疾《と》うに睨《にら》んでいますよ、二人の仲は、あの月見寺の一間で刀を拭っている時から出来ていたんですとも……そうして、このお雪ちゃんという小娘を妊娠させてしまったものだから、土地にいたたまれないで、湯治を言い立てて白骨温泉なんぞと洒落《しゃれ》こんだのが憎らしい」
「あら、まあ」
 お雪ちゃんが、また眼をみはって、抗議を申し込もうとする途端に竜之助がまた、
「は、は、は」
と笑いました。そこで、お銀様は、やっぱりお雪ちゃんにはとり合わずに、竜之助の方にまともに向って、
「そうして、白骨にいる間に、あなたはあのイヤなおばさんという女をどうしました」
「は、は、は」
「かわいそうなのは、浅吉という男妾《おとこめかけ》と、それからですね、もう一人……」
「は、は、は」
「それを言うと、またここにいる小娘がムキになることでしょうが、浅吉という男妾ばかりがかわいそうなのではありませんでした、まだ、たしかに一人、闇から闇へ送られたかわいそうなのがあったはずです」
「何をおっしゃるのです、それは、誰のことでございますか」
 果してお雪ちゃんが躍起となりました。お雪ちゃんの躍起ぶりが、あまりに真剣であったせいか、今度は竜之助も、は、は、は、という例の軽薄極まる冷笑を浮べませんでした。そこで、お銀様が今度は、お雪ちゃんの方へ向き直って、
「誰だか、わたしは知りませんが、あの時に、たしかに闇から闇へ送られた、かわいそうな人の子が、たった一人はあったはずです」
「それを承りましょう、それを――ほかのこととは違います」
 なぜか、お雪ちゃんが、お銀様の喧嘩を買うような気勢にまでいきみ立ったのが、意外でありました。
「聞きたいとおっしゃるならば、言ってみましょう、それを誰よりも早く感づいたのは、あのイヤなおばさんという人でした。そこは年功ですから、いやに処女ぶっている乙女の乳首に眼をつけてしまったんでしょうね、温泉のお湯の中で……ですけれども、それが飛騨の高山へ来る時分には、すっかり下りてしまっていました。男の子であったか、女の子であったか、そのことは存じませんが、だいそれた自分の手で、虫も殺さない処女ぶった娘さんが、嬰児殺《えいじごろ》しをやりました。それは、人を殺すことは茶飯を食べるように心得ている人のお仕込みだから、子供を一人、闇から闇に送るなんぞは、言うに足りない仕事でしょうが、それでも親は親、子は子です、どこぞにいる人殺しの名人でも、まだ我が子を手にかけて殺したということは承りません」
「まあ、お嬢様、あなたのお言葉は怖ろしい毒を持っておいでなさいます――ほんとうに驚くべき邪推でございます、いつ、わたしが、そんなことを……」
「お雪さん、いつまたわたしが、あなたがそんな悪いことをしたと申しました、今でも白骨へ行ってごらんなさい、あそこで死んだ浅吉さんという男妾の人の石の墓じるしがございましょう、その傍に、心ばかりの小さな石塔が据えてあります、いったい、あれは誰のですか」
「あんまりだ、あんまりだ」
 お雪ちゃんは、ついに面《かお》を蔽《おお》うて泣き伏してしまいました。
「は、は、は」
 その時また、冷淡極まる笑いが竜之助の面に浮びました。

         十二

 同時に、湖面の一点に、ざんぶと音がして、そのあたり一面に水煙が立ったかと見ると、漣々《れんれん》として、そこに波紋が、韓紅《からくれない》になってゆく異様の現象が起りました。
 湖面も、湖を立てこめた数千丈の断崖も、前に言った通りの蛍のように蒼白《そうはく》の色に覆われていたのが、今、不意にざんぶと音がして、その水煙から輪になって行く波紋のすべて鮮紅色になってゆく現象を、さすがお銀様が怪しまずにはおられません。
「あれは、どうしたのです」
 意地悪いお雪ちゃんいじめを抛擲《ほうてき》して、そうして疑問をかけたのを、竜之助がうなずいて、
「あれだ、ああして毎日、いいかげんの時に、人が飛び込むのだ」
「飛び込んでどうするのです」
「どうするって、つまり身投げだよ。見ていると、一刻《ひととき》の間に十も二十も飛びこむことがある、そら見な、あの通り真紅《まっか》になっている中に、真白いものがふわりと浮いているだろう、女の臀《しり》だ」
「え?」
「女は水に落ちて死ぬと、死体は上向きになり、男は下向きになるということだが、ここで見るとそうばかりではない、真白い女の臀っぺたが、搗《つ》き立てのお餅のように、幾つも幾つも浮いているところは見られたものじゃない」
「業《ごう》さらしです、女の風上には置けない」
「人間というやつは全くわからないやつだ、刀を抜いて見せたりなんぞすると、慄《ふる》え上って助けを呼ぶくせに、死にたいとなると、勇敢にああして後から後からと、この血の池の中に飛び込んでしまう」
「勇敢なのじゃありません、意気地なしなんです」
「どっちだかわからないよ」
「自分の身を粗末にして、それを見栄と心得る馬鹿者が絶えないのです」
「時に……」
と竜之助は少し改まって、断崖の欄干から後ろの岩壁へ背をもたせ、
「開墾事業の方はどうです」
「どしどし進行しておりますよ」
と、お銀様との問答が、全く別な内容へ向いて来ました。
「もの[#「もの」に傍点]になりますかね」
「もの[#「もの」に傍点]にしますとも」
「そうして、この開墾王国の女王の下に、何人ぐらいの人口が収容できる見込みですか」
「何人と制限はありません、土地の生産の供給が許す限りは人を入れます」
「土地の生産の見込みはつきますかな」
「それは、つかないはずはありません、苟《いやしく》も土そのものに生産能力のある限り、種を蒔《ま》いてやれば、実を結ばせるだけの素質を持った土地ならば、それに住む人口は食わせて余りあるだけの生産は、きっと得られます。既に土地が食物を供給しさえすれば、人間をそこに収容し、そこに生活を為さしめ得ないということはありません」
「なるほど――」
「人間が自由を奪われるのは、つまり食えないからですね。それと同じように、人間が人間にたよらずして食えさえすれば、人間は本当に人間らしく生きて行くことができます。さむらいが主君に忠義を尽すというのも、知行《ちぎょう》を貰って食べさせられているからです。知行を貰って食べさせられているから、それで、まさかの時は君の馬前で死ななければなりません。まさかの時でない時、尋常の場合にも、主君というものの前に奴隷の状態でいなければなりません――自分で食うことを知っていれば、知行を貰って忠義を尽す必要なんぞはありません。それと同じように、すべての人が……」
「まあ、待って下さい、お銀さん、自分で食うことを知っていれば、人は奴隷の状態にいなくてもいいと言いましたね。さむらいというやつは、知行を貰って身売りをしている奴隷の一種だというようなことを、お前さんは言いましたね。なるほど、してみると、自分で作り、自分で食うことを知っている、あの百姓の生活はどうです、あれがさむらい以上の奴隷生活ではないと誰が言います」
「え、それにはそれで、また理窟があります、百姓が天地の間に物を作り、自ら生き、自ら食うことを知っている境涯にありながら、現在、さむらい以上の奴隷生活を送っているということは、わたしも充分にそれを認めます。それを認めればこそ、わたしの開墾事業も起ろうというものです。事実、今日の百姓は、自ら力を尽して土地に蒔いたその収入を、自分のものとすることができません。全部を自分のものとすることができないのみならず、ほとんど全部を他のために奪われてしまっているのです」
「誰が奪うのですか」
「百姓以外の、衣食を作らない人が奪っているのです。そうして、衣食を作っている百姓は、そのうちのホンの生きて行くだけというよりは、息をするに足るだけの少量を与えられて、そうして、身動きもできないようにこしらえられてあるのです。ですから、それを、わたしの開墾地ではやめようと思います、正当に衣食を作る人には、正当にその分け前を与えます、そうして、衣食のために人間が人間に屈従することなく、衣食そのものは人間以外の天の恵み――とでも申しましょうか、そこから得て、人間はおたがいに人間としての平等な体面をもって活《い》きて行こうというのが、わたしの開墾地の目的なのです」
「ははあ――それは結構なお考えに違いありません、が、しかし、仮りにその目的が達せられたとしましてですな」
「はい」
「そうして、人間が生活のために、つまり衣食のために、おたがいに屈従することなく、衣食の余りある生活の下に、人間の自由が伸び、享楽が増し、まあいわゆる、王道楽土とか、地上の理想国とかいうものが成立したとしましてですな」
「はい」
「その時に、もし隣の地に悪い奴があって、その理想国を羨《うらや》み、その余裕のある宝を奪いに来たらどうします」
「そういうものが多少現われたところで、わたしたちの団結の力で受けつけません」
「ですけれども、それがもし、その悪い奴が多少でなく、二人や三人や五人や十人ということでなく、数百、数千の人が団結して侵して来たらどうします」
「その時は、わたしたちのうちの男は鍬《くわ》を捨てて、女はつむぎを投げ捨てて、その外敵を弾《はじ》きかえします」
「してみると、そういう不時の侵入者に対して、平常の用意というものが要りますね――五六十人の敵ならば、有合わす得物《えもの》を取って、応急的に追っぱらいましょうけれど、千人万人の侵入者に対して素手《すで》というわけにはゆきますまい、先方もまた必ず素手でやって来るというわけでもありますまい。必ず、こちらにも、それに要するだけの武器というものを、平生備えて置かなければならないでしょう」
「それは、事業が進み、規模が大きくなるにつれて、自然にその準備が出来るようになります。たとえば部落の中に火事があったとしましても、一軒二軒のうちならば、手桶や盥《たらい》で間に合いましょうけれど、殖えてくれば、非常手桶や竜吐水《りゅうとすい》も備えなければならず、また備える費用もおのずから働き出せて来ようというものです。いつ来るかわからない侵入者のために、あらかじめ備えて置かなければならない必要もありますまい」
「拙者は、そうではないと思う、その非常と侵入者に対するあらかじめの設備が無い限り、開墾地は成り立つものでないと思う。そうして、行く行く、その設備のために生産の大部分が奪われて行ってしまうから見ていてごらんなさい――それはそうとしてですな、今度は内部に就いて伺いましょう。お銀さん、仮りにあなたの理想国が成立して、無事に相当の期間つづき得たとしてですな、外敵も侵入者も影を見せない水いらずの楽土が成立したとしてですな、その内部に我儘者《わがままもの》がいたら、それを誰がどう処分しますか」
「そこです、わたしの理想国では我儘というものが無いのです。我儘がないというのは、誰に対しても絶対に我儘を許すからです。今の政治も、道徳も、すべて人間の我儘を抑えることにのみ専一なのですから、それで人間の反抗性を煽《あお》る結果になるのです。無制限に我儘を許してみてごらんなさい、人は無意識に自重の人となりますよ」
「ははあ、それは、すばらしい徹底ぶりですね、また一理ありと思いますが、そんならひとつ、実例について伺いましょう」
と、竜之助は尺八を取り直して、それをかせに使いながら、改めてお銀様にものやわらかな質問を試み出しました。

         十三

「たとえば……ここに、その理想国のうちに一人の我儘者が出たとします、そのものが男であったとして、仮りに、その男が同じ楽土のうちの一人の女を恋したとしましょう、その結果はどうなるのです」
「わたしたちは、恋愛の自由を絶対に許すつもりでございます」
「恋愛の自由……然《しか》し、その恋愛が完全性を帯びなかった時はどうです、つまり、一方だけに恋愛があって、一方にそれが無かった時はどうです」
「相愛しないところに自由は許されませんね」
「ところで、問題はそれからです、許されないその恋愛を強行したものがあった時は、どうします、つまり、最初の例の楽土のうちの一人の男が一人の女を愛してはいるが、女がその恋に酬いなかった時、男が淡泊に諦《あきら》めて引下れば問題は無いのですが、そうでなかった時、当然、暴力が発動される、そうして女が力に於て弱くして、その暴力に反抗しきれなかった時に、その結果はどうなりますか」
「それは仕方がありません、その時は、女は死を以て身を守るか、そうでなければ男の力に服従するのです、同様の事情は、女が積極的である場合にも許されなければなりません」
「ははあ、してみると、あなたの国もやっぱり暴力を是認するのですな、征服を認めるのですな」
「そうですとも、力が大事です。力というのは、腕の力ばかりではありませんよ。絶対の自由を許すところには、絶対の力がなければならないのです――そうして、その力というものは、非常の時は武力で、平和の時は金力なんです」
「だが、武力も、金力も、如何《いかん》ともする能《あた》わざる力のあることを認めませんか」
「そんな力はありません、あるように見えましても、みな、武力か金力が持つ変形なのです」
「ですが――たとえば、いま女のことで例をとってみましたから、もう一つ、仮りに女の貞操というものなんぞはどうです」
「貞操――みさおですね」
「そうです、たとえばです、女が愛する夫のために死を以て貞操を守るというような場合に、武力や、金力が、これをどう扱いますか」
「貞操ですか――貞操なんていうものが本来、わたしにはよくわかっていないのです」
「ははあ、そうしますと、良家の夫人も、遊女おいらんの類《たぐい》も、同じようなものなんですね」
「え、え、本来同じ人間ですね、一方は一人の夫を守るように生みつけられているし、一方は多数の客を相手にするように出来ているだけのものなんでしょう。一人の夫を守らなければならないようにさせられている者が貞女で、多数の男を相手にするものが不貞女とは断言できません。良家の夫人と言われるものでも、性格的にずいぶんイヤな女があり、遊女おいらんの類でも、性格的に立派な女があるものです。貞操なんていうものの本質を何だかわかっていないくせに、世間|体《てい》だけを守って、内実は堕落しきっている良家の夫人というのがいくらもあります、それからまた、境遇さえ改めてやれば、立派な貞女になりきる遊女がいくらもありますね――わたしは女を見るに、貞操なんぞをそう勿体《もったい》ない標準にしたくはないと思います。もともと、貞操というものは、一定の人を、一定の人に押しつけたり、与えきったりしようとする圧制から起った人間の勝手な束縛なのです。しかし、昔はその圧制も束縛も、社会生存のために必要でありました点は認めますけれども、今ではその圧制と束縛が、人間を使用するようになりました」
「そうしますと、女の貞操というものは、無条件に解放していいのですか」
「そうです」
「では、女という女はみな、遊女にならなければならない道理ですね」
「いいえ、違います、遊女は操《みさお》を売るのです、解放というのは売却することではありません、また、わたしたちの社会では、売ることの必要を認めないのです、男も女も独立して生活が与えられる保証が立てば、何を好んで売りたがるものがありましょう――縁あれば会い、縁なければ去るだけのものです」
「なかなかむずかしくなりましたが、それはそうとして、かりに道義的に貞操を認めないとしても、感情的に汚《けが》らわしい女と、汚らわしくない女との区別はありましょう、そうして、仮りにあなたが男であって、どちらかを選ぶとすれば、それは無論、汚らわしいものよりも、汚らわしくないものを選ぶことでしょう。最初から一人の男を守り通してくれる人と、誰でもおかまいなしに相手にする女と、どちらを選ぶかということになれば、あなただって、それはきまっているでしょう。それをもう少し実感的に言ってみるとですな、あなたの妻が、あなた一人を愛してくれるのと、妻でありながら他の男に許すという女と、どちらを選びますか」
「そんなことはお尋ねになるまでもありませんよ」
 お銀様はツンとして、つき戻すように竜之助に向って答えました、
「一人の夫を愛しきれない妻――一人の妻を愛しきれない夫――つまり、それを世間でいう放蕩のはじまり、乱倫の起りときめてしまっていますから、すべての悲劇がそこから起るんですが、考えてみればばかばかしい話です、本来、自然に出でなければならない愛情というものを、強《し》いて追いかけようとするから、そんなばかばかしいことが起ってくるのです。好きである間は夫婦であってよろしい、いやになれば、夫婦なんていう形式をぬいでしまいさえすれば何でもないことではありませんか。夫婦という形式を、お友達という関係として見れば、何のことはございません、その時々によって無制限であり、近くもなり、遠くもなるべきお友達というものを、生涯一緒に引きつけて置かなければならないはずもなし、また、そんな煩《わずら》わしいことをしたいと言ってもできるものではありません」
「だがなあ、男女の間のことってものは、そう単純にはいかんものでなあ、一方の愛が衰えても、一方の愛はまだ盛んなこともあるですからなあ。つまり、未練というものがあるものでな」
「その未練とか、嫉妬とかいうのが一番いけないんです、わたしの作ろうとする理想国では、そういう場合に於ける未練と嫉妬とを、厳重に禁止する、またそういう場合は極めて自由|恬淡《てんたん》であるべきように、子供のうちから教育して置きたいと思います」
「なるほど――子供のうちから、異った習慣の社会に置いて、異った教育をして置けば知らぬこと、現在このままでは、好きな女が自分に靡《なび》かぬ時、自分にそむいて行こうとする時に起る悲劇をどう扱いますか、武力か、金力か、ともかく、お前さんの言う強力が、そんなのをどう扱うか聞きたいものです。もう少し露骨に例をとって言えば、自分の女房が不義をしたとか、または亭主が女ぐるいをして方図がないとかいう場合の、あなたの王国での制裁方法はどうなんですか」
「不義をした女房――その不義ということが、いわゆる世間の不義と、わたしの国の不義とでは解釈が違うかも知れませんが、仮りに世間の例に従ってみましょう、刑罰として殺すということは、わたしの国では許さないつもりです、また他国へ追放するということも、未解決の延長になるだけのものですから、そういう場合には極めて気分安らかに、一方が一方を離れてさえしまえばよいのです、未練も残さず、嫉妬も起さずに――離れることを好まなければ、やはり同じ生活をしていながら、お互いともに絶対的に許してしまうのです」
「ははあ、そういうことができますかね、現在、目の前で自分の女房が、自分以外の幾多の男に許すのを、平気で見たり聞いたりしていられるものですかね」
「わたしは、それができると思うのです――観念の持ちよう一つでできなければならないと思うのです、現在それが、片一方だけには完全に行われて、誰もあやしまない程度に許されているのですから……」
「そんなことが許されていますかね、自分の最愛であるべき女房が、相手かまわず不義をしてもいいと言って、ながめていられるような社会が、現在のこの世界にありますかね」
「だから、片一方だけと言ったではありませんか――片一方というのは、男の側にだけということなんですよ、男の方は、現在の妻の目の前で、どんな不義をしても通っているし、通されているのです、その点に於て、女は嫉妬深いというけれど、実は寛大至極なんですね、早い話が、わたしたちがこんど新しく求めて種を蒔《ま》こうとする理想国の地面は、昔京極家の城跡であったということですから――ひとつその京極家から出立しての実例について見ようではありませんか」
「なるほど」
「このお雪さんという子が仮住居《かりずまい》にしているところに、大きな松の木があるのです、わたしはそれを見ると、あの辺をどうしても松《まつ》の丸殿《まるどの》と名をつけてみたくなりました。御存じでしょう、松の丸殿というのは太閤秀吉の御寵愛《ごちょうあい》の美人の一人なのです。あの人は、或る城主の妻でありましたが、それが囚《とりこ》となって秀吉の御寵愛を受ける身になったのです。お妾《めかけ》ではないそうです。太閤には五妻といって、ほとんど同格に扱われた五人の夫人がありましたことは、あなたも御存じでしょう。北の政所《まんどころ》とか、淀君《よどぎみ》とかを筆頭として、京極の松の丸殿もそれに並ぶ五妻のうちの一人でした。一人の男に仮りにも正式に妻と呼ばれるものが五人あって、それがおのおの一城を持って、一代を誇っていたのです。そのくらいですから、それ以外にあの秀吉の征服した女という女の数は幾人あったか知れません――と想像もできますし、また物の本を読めば、相当に実例を挙げて数えてみることもできるのではありませんか。甚《はなはだ》しいのは、宿将勇士たちを朝鮮征伐にやったそのあとで、いちいち留守の奥方を呼び入れて閨《ねや》のお伽《とぎ》を命じたということが、事実として信ぜられているではありませんか。それほどなのに、誰も太閤の乱倫没徳を咎《とが》める人がない。力というものはそれです。力さえあれば、男は幾人の女を同時に愛しても善い悪いは別として、事実が許すではありませんか。それが女には比較的――というよりは、絶対的に許されないと見られるまでのことなのです。けれども、男に許されて、女に許されないという道理はないはずです、要するに力の相違なんですから、その力がありさえすれば女といえども、男のした通りのことをして、やはり道徳的に善い悪いということは問題外に置いてでございますね、力がありさえすれば女だって、それがやれないことはないのです」
「そういう理窟になるね。しかし、女の方にそんな実例がありますか」
「ありますとも、唐の則天武后《そくてんぶこう》をごらんなさい」
「うむ、則天武后ですか」
「歴史家という人たちは、その人たちの支配されている時代の尺度で歴史を書くものですから、自然、人間の規模を見損なってしまうことが多いのです、則天武后を、淫乱の、暴虐の、無茶の、強悪の権化《ごんげ》のようにのみ、歴史の書物には写し出されていますけれども、そう暴虐の、淫乱の、無茶な人に、いつまでも人心が服しているはずはありません、たとい一時の権勢はありましても、長く人気を保てるはずはないのに、あの人は大唐国の王座をふまえて少しもゆるがさず、好きなという好きな男は無条件に自分の性慾の犠牲として、或いは弄《もてあそ》び、或いは殺していながら、それで八十歳の天寿をまで保ち得たということは、非常な力を持った人でなければならないはずです、ああなると力というよりも、一種の徳と見なければなりません」
「ははあ――力は、すべての道徳の上の道徳だな」
と竜之助がうそぶきました。

         十四

 お銀様は、さほど昂奮しているとも見えないが、その論鋒はいよいよ衰えないで、
「力は即ち道徳と言っても少しも差支えはないのです。世間では、道徳を一つ一つの型に拵《こしら》えてしまっていますから、小さいものは当嵌《あては》まりますが、大きくなると、その型に入れきれなくなります、その場合になって、不道徳だの、乱倫だのと、目を三角にして騒ぎ廻りますけれども、自分たちの型の小さいことには気がつきません、ただ事実だけの進行を如何《いかん》ともすることができないでいるのが痛快とは言わないが、かえって自然なんですね。珊瑚《さんご》の五分玉には、針で突いたほどの穴があっても瑕《きず》は瑕に相違ないのです、五分玉としての価値はもうありませんが、この胆吹山に、一丈や二丈の穴を掘ったからとて瑕にもなんにもなりません、従って山のねうちに少しも関係はないのです、それを世間が同じように見るから、そこで狂乱がはじまるのです。裏店《うらだな》のかみさんたちが御亭主の胸倉《むなぐら》をとるつもりで、太閤の五妻を責めるわけにはゆかないのです。ですけれども、道徳というものは差別があっては道徳の権威がないと、もう少し若い時には、わたしたちでも、ひとり腹をたてたものです、裏店のおかみさんが間男《まおとこ》をして悪ければ、太閤秀吉が人の女房を犯していいという道徳はありますまい。それが許されているのは片手落ちなる強者の道徳――こんなことをわたしも、もう少し昔はヒドク憤慨してみた一人なのですが……」
「してみれば、力のある奴は、力一杯何をしてもいいんだな」
「そうですとも、力いっぱいに仕事をさせれば、きっと人間は、この世を楽土にさせ得るものなのです、型の小さい人間が、強者の力の利用を妨害するから、それで人間が伸《の》しきれないのです」
「拙者の考えでは、理想郷だの、楽土だのというものは、夢まぼろしだね。人間の力なんていうものも底の知れたものさ。天は人間に生みの苦しみをさせようと思って、色だの、恋だのという魔薬をかける、人間がそれにひっかかって親となり、子を持つようになったらもうおしまいさ。生めよ殖《ふ》やせよだなんて言ってるが、ろくでもない奴を生んで殖やしたこの世の態《ざま》はどうだ。理想の世の中だの、楽土なんていうものは、人間のたくらみで出来るものじゃない、人間という奴は生むよりも絶やした方がいいのだ」
「あなた一流の絶滅の哲学ですね――哲学だけならいいけれど、あなたは実行力を持つからたまらない」
「ふ、ふーん、実行力――知れたものだ」
と、竜之助が自ら嘲《あざけ》りました。そうするとお銀様もツンとして、
「お気の毒さま、あなたに限ったことはありません、どんな絶滅の哲学者が現われても、戦争が続いても、流行病がはやっても、人間の種はなかなか尽きませんよ」
「困ったものだ、ろくでもない奴が殖えてばかりいやがるな、だが、いつか、絶滅する時があるよ、人間てやつが、一人残らずやっつけられる時がある」
「せっかくですが、やっぱり殖えるばかりで、減る様子は見えませんね、殺し合っても殺しきれないんです――人間以外の力だってそうです、幾世紀に幾度しか来ない、戦争や、天災だって、一時に十万の人を殺すことは、めったにありませんからね。そのほかに、この人間力に対抗するような力が、ちょっと見出されないじゃありませんか。いったい、何が人間を亡ぼしますか」
「この土と水とがすっかり冷たくなって、コケも生えないような時節が遠からず来るよ、苔《こけ》が生えないくらいだから、人畜が生きられよう道理がない、その時まで待つさ」
「誰がその時節到来を待ちたいと言いました、そんな時代をわたしたちは想像したこともないのです。ごらんの通り、地上には人の要求する何十倍もの食料を与えるところの穀物が生えるのです、土が人間を愛するから、それで食物に不足はありません、私たちは、生きて、栄えて、整理して、防禦して、それで聞かない時は討滅して、力の権威をもって、自分に従わないものをどしどしと征服して行くのです。そういう意味に於て絶対の暴虐が許されます。あなたなんぞは明るい日の目を見ることが出来ないで、仮りに十日に一人、月に五人の血を吸って辛《かろ》うじて生きて行く間に、私たちは土を征服し、人間をことごとく自分の理想の従卒とし、牛馬として使って行くのです、愉快じゃありませんか」
「ふふーん、そういうのは征服じゃない、自分が多くの有象無象《うぞうむぞう》の生きんがための犠牲に使われ、ダシに使われているのだ、英雄豪傑なんていうものと、愚民衆俗というやつの関係が、いつもそれなんでね。要するに人間というやつは、自分たちの、無用にして愚劣なる生活を貪《むさぼ》りたいために、土地を濫費《らんぴ》し、草木を消耗していくだけのことしかできないのだ、結局は天然を破壊し、人情を亡ぼすだけのことなのだ。開墾事業だなんぞと言えば、聞えはいいようだが、人間共の得手勝手の名代《なだい》で、天然の方から言えば破壊に過ぎない。人間共のする仕事、タカが知れているといえばそれまでだが、あまり増長すると、天然もだまってはいない、安政の大地震などは、生やさしいものだ、いまにきっと人間が絶滅させられる時が来る。天上の天《あま》の川《がわ》がすっかり凍って、その凍った流れが滝になって、この世界の地上のいちばん高いところから、どうっと氷の大洪水が地上いっぱいに十重《とえ》も二十重《はたえ》も取りまいて、人畜は言わでものこと、山に棲《す》む獣も、海に棲む魚介も、草木も、芽生えから卵に至るまで、生きとし生けるものの種が、すっかり氷に張りつめられて絶滅してしまう。わしは信州にいる時にそういう夢を見たが、醒《さ》めて見ると山が火を噴き出したといって人が騒ぎ出した、火と水との相違だが、いずれ天然の呼吸の加減で、人間というやつが種切れになる時があるにはあると思っているよ」
「そうですね、夢にだけはそんな時があるかも知れないが、まあ、この世の中をごらんなさい、眼の見えない人は格別、わたしたちのような眼で見ると、まだまだ地面は若々しく、人間には油がありますね。こうして地面と人間とが生きて見せびらかしている間は、いかに絶滅論者でも、自分の手で死なない限り、死ぬことさえが儘《まま》にはなりますまい。御退屈でも、あなたの想像するその絶滅の日の来るまで、そうしてお待ちなさい」
「堪《たま》らないな、いつその日が来るんだ、その絶滅の日が来るまでは、ここを出られないのかい」
「それがよろしうございます、気永く、そうして絶滅の日の来るのを待っておいでなさい」
「堪らないよ、退屈するなあ、もう少し広いところへ出してくれないか」
「いけません、あなたはそうしていらっしゃるのがいちばん楽なんです」
「冗談《じょうだん》じゃない、お為ごかしで監禁されてしまったんじゃたまらない、誰がいったい、拙者をこんなところへ入れたのだ」
「それは、わたしが封じ込んだのです」
「ははあ、笑止千万、理想の国土だの、安楽の王土だの、人を無条件に許すの許さないのという奴が、男一匹を捕えて監禁束縛して置かなければ安心ができない――力の哲学の自殺だね」
「ちょうど、絶滅の論者が、自分の身を絶滅しきれないで迷っているのと同じようなものですね、ホホホホホ」
「お銀さん、黙ってお前さんの理窟だけを聞いていると、お前さんはどうしても則天武后以上の女傑のようだが、理窟は理窟として、現在拙者は、こうして一室に監禁されているのがたまらないな、こんな、日の目の見えないところから解放してやってくれてはどうです、こんな座敷牢へ押込めて置かなくても、広い世界へ野放しにしてみたところで、人間のしでかす事なんぞは、タカの知れたものじゃありませんか」
「お言葉ですが、あなたばっかりはいけません、あなたを解放してあげることは、為めによくありません」
「どうして」
「どうしてったって、こういう人間に限って、決して日の目のあたるところへ出してはならないのです」
「それは残酷ですね」
「残酷なんて言葉を、あなたも知っていらっしゃるのですか」
「男一匹を、こうして日の目の当らぬところへ永久に閉じ込めて置くなんぞは、残酷でなくて何です」
「閉じ込められて置かれる人の残酷さ加減より、そういう人を解放することの危険さから生ずる残酷の方が幾層倍も怖ろしいから、それでわたしの計らいで、当分ここへ封じ込めて置くのが、どうして悪いのですか」
「悪いな――人の自由を奪うというのは何よりも悪い、ましてだ、自由と解放とのために、新理想の楽土王国を築こうなんぞという女性が、あべこべに人を捉えて、幽囚の身にするなんぞは、矛盾も甚《はなはだ》しい、解放して下さい」
「いけません――あなたをここから出してあげることはいけません、もし何か御用がある節は、こちらから行ってあげて、少しも不自由はおさせ申しませんから、おっしゃってみて下さい」
「いやはや」
「何か御要求はありませんか」
「それはあるさ、生きている以上は」
「何ですか」
「生きているために必要な要求ぐらいは、聞かなくたって分りそうなものだ」
「米ですか」
「は、は、は」
「肉ですか」
「は、は、は」
「血ですか」
「は、は、は」
「そうでしょう、あなたは生ている肉か、温かい血でなければ召上れない人なんですから、それは、わたしが先刻御承知ですから、いくらでも御意のままに供給して上げますよ。ですけれども、ここにいるような、いたいけな、やわらか過ぎるのはいけませんよ、こんなやわらかな肉ばかり食べていると、狼の牙が鈍ってしまいますね。脂《あぶら》ののった、もう少し肉のただれた、そうして歯ごたえのある骨つきの肉でなければ、食べてはなりません」
「は、は、は」
「今、あなたの要求する、ちょうど、あなたのお歯に合うようなよい肉を、わたしがそこへ持って行ってあげるから」
 お銀様の言葉が、ここで異様に昂奮し出して、ひらりと身をのし上げたかと見ると、対岸にいる人に向って吸いつくように飛びかかったのを見て、
「あれ危ない」
 お雪ちゃんがそれを遮《さえぎ》り止めようとしたのか、また自分ももつれ合ってそれと一緒に飛んで行こうという気になったのか、その途端に自分だけがハネ返されて、後ろの岩壁へ仰向けに打ちつけられてしまいました。
 そうすると、絶対的の向う岸で、
「ホ、ホ、ホ、あなたはここへ来られません、そこで見ていらっしゃい」
 お雪ちゃんは眼前で、お銀様という人の肉体の怖ろしい躍動を見せられてしまいました。
 その怖ろしい躍動を真似《まね》るだけの力も、妨げるだけの力もないお雪ちゃんは、歯を食いしばって、眼を閉づるよりほかはありません。
 一旦つぶった眼を開いて見ると、欄干のあったと思う対岸には、鉄の棒の荒格子がすっかりはめられていて、その中は以前と同じ洞窟のようでありますけれど、白衣《びゃくえ》に尺八のすさまじい風流人の姿は見えず、大きな鳥の羽ばたきの音が聞えました。
 それは昼のうちから自分たちの視覚を攪乱《こうらん》していた大鷲が――この牢の暗い中に、ただ一羽、空で見たところよりも、こうして捕われているところを見ると、五倍も十倍も大きく、獰猛《どうもう》に見えるのでしたが、その大鷲がこちらには頓着せずして、しきりに下を向いて、その鋭い嘴《くちばし》を血だらけにして何をかつついて食べている。深い爪でしっかと抑え、その血だらけの鋭い嘴の犠牲にあげられているものを何者かと見ると、ああ、それは今のお銀様です。お銀様は、大鷲の両足にしっかり押しつけられて、面《かお》といわず、胸といわず、ところきらわず、その深い嘴でつついては食われつつあるのです。
「あ、お嬢様! お嬢様!」
と、お雪ちゃんは絶叫して、自らあの残酷の中へ身を投じたお嬢様の不幸な運命に怖れおののいたが、一つおかしいことは、さほど残酷な犠牲となって、猛鳥のために貪《むさぼ》り食われつつある当のお嬢様が、少しも苦痛の表情をもせず、助けを求めるの声をなさず、為《な》さるるがままに、食わるるがままに任せて、そうして、死んでいるのではない、かえって、その猛鳥の加える残酷と、貪欲《どんよく》と、征服とを、相当に心地よげに無抵抗に、むしろ、うっとりとしてなすがままに任せている、そのお銀様の態度に、お雪ちゃんが、あの猛鳥の為す業より、なお一層の残忍さを覚えて、
「お嬢様、あなたは――」
と言った時に、目が醒《さ》めました。枕もとで、
「お雪ちゃん、わたしはいま帰って来たところです、あなたは夢にうなされていましたね」
 それは現実の弁信の答えであって、驚いて見ると障子が白くなっておりました。
 弁信法師は、昨夕のあの大風に、無事に帰れて、今朝、たった今、ここへ立戻って来たところに相違ありません。

         十五

 関ヶ原の模擬戦に於て、予定の如く大勝利を収め得た道庵先生は、本来ならば、あれからひた[#「ひた」に傍点]押しに、近江路を京阪に押し寄せるべきはずでなければならないのに、どういうわけか、不意に道を胆吹山の方へ向って枉《ま》げてしまいました。
 それはあえて古《いにし》えの、小碓《おうす》の皇子の御あとを慕って、胆吹山神を退治せんがための目的でもなし、またどこまでも関東の大御所気取りで、胆吹の山の草の根分けても、石田の行方を探し求めんとする軍略でもなく、実を言うと、胆吹山という山は、御承知の如く薬草の種類の多いことにおいては日本一といってよろしいことになっているから、商売柄、この薬草の現場を視察して行こうと考えたまでのことであります。
 それが主たる目的で、それから同時に我儘《わがまま》なあの女王様の植民地へ、大切の従者米友を貸してやってある見舞がてら、ちょっと立寄ってみようとしたまでのことであります。お銀様のために米友を手ばなした道庵は、なんとなく手のうちの珠《たま》を落したような気分がしないではないが、それでもこれからの道中、同じ江戸っ児、鉄火のようなお角さん親方と道連れの約束が出来たことによって、補われようというものです。
 万事、暴女王の御意のまま、お気の済むようにさせておいて、お角さんは、道庵の面倒を見ながら、自分は京阪へ出発してしまった方が、事がテキパキと行くと考えました。そうして置いて、戻り道に立寄って見れば、この暴女王様の御意の変ることもあろうと考えたのですが、ここでまた道庵先生までが急に、薬草研究のために胆吹入りをしたいから、一日二日のところ暇をもらいてえと言い出したのにも、一向さからわず、
「はいはい、どなた様もお気の向くようになさいまし、そういうわけでしたら先生、大津でお待ち申しておりましょう、大津の鍵屋というへ宿を取って、わたしたちはゆるゆる八景めぐりでもしておりますから、薬草の御用がすみましたら、あの宿へたずねていらっしゃい。先生お一人ではいけませんから、庄公をつけて上げましょう。庄さん、お前、先生のおともをして胆吹山へお参りをしたら、その足で、江州《ごうしゅう》の大津の鍵屋伝兵衛といってたずねておいで……」
 心ききたる若者を一人わけて、道庵のために附け、そうして道庵を北国街道に送り込み、お角さんは、そのまま残る手勢を引具《ひきぐ》して、銀杏《ぎんなん》加藤一行のあとを追って近江路を上りました。
 こうして、いい気な模造大御所は、関ヶ原から北国街道へ送り込まれたはずなのが、どういう拍子か、フラフラとまた関ヶ原へ舞い戻って来て、すべての面《かお》なじみがみんな出かけてしまったあとで、何か少し宿にまごまごしていたが、再び出発の時は、北国街道へ向わないで、順路を柏原方面へ向けて歩き出したのは、北国街道筋に何か道路の故障があったのかとも思われます。
 とにかく、道庵先生だけが急に胆吹入りという模様がえになったために、この際、草津の姥《うば》ヶ餅《もち》の別室で、安直、金茶の一行に一つの緊急動議が持ち出されました。
 三ぴん連がいよいよ出発間際になって、忽《たちま》ちに円卓会議を開き、議長がプロ亀、それに安直、金十郎、エド蔵、ゲビ蔵、薯作《いもさく》、テキ州、古川をはじめ、三ぴん連の鉄中|錚々《そうそう》とまでは行かなくとも、ブリキ中のガサガサくらいのヨタ者|御定連《ごじょうれん》が席につき、この御定連の顔ぶれのうち、珍しくも紅一点の村雨女史という別嬪《べっぴん》が一枚、差加わったのは、いつも同じ顔ぶれの三ぴんばかりで、同じ楽屋落ちをやっていては、さすがの議長プロ亀も気がさす申しわけを兼ねての色どりと見えます。そこで議長プロ亀の動議を聞いていると、
「我々が常日頃、道庵退治のために、いかばかり肝胆《かんたん》を砕いているかは御存じの通り、江戸表に於ては三文安の喬庵《きょうあん》を押立て、十八文の看板を横取りしようとたくんだが、残念ながら物にならず、名古屋表に於ては、安直に大日本剣聖と向うを張らせておどかしたが、かえって枇杷島橋《びわじまばし》での藪蛇《やぶへび》、あっぱれ道庵に武勇の名を成さしめてしまった。我々三ぴんがこうまで心を合わせ、きゃつ道庵めの眼に物見せてくれんと浮身をやつすのに、きゃつ道庵めは、しゃあしゃあとして我々三ぴん連を眼中に置かぬ振舞、関ヶ原に於て大御所気取りのあの傍若無人――このまま道庵を上方《かみがた》に入れて、我々の縄張を荒させては、我々三ぴんの飯の食い上げじゃによって、これより宇治と勢多とに陣所を構え、或いは案山子《かかし》を立て、或いは偽物をつくり、さんざんにかけ悩まそうと存ずる――それと聞いて風を食らった道庵、胆吹山へと道を枉《ま》げたのは我々の気勢に怖れをなしたか、それとも別に軍略を立てたか、なかなか以て油断がなり申さぬ、おのおのの御意見が承りたい」
 それについて三ぴん連が、みな見るところのヨタを並べますと、最後に安直が大気取りに気取ってしゃしゃり出で、
「昔からの戦争で、胆吹へ逃げ込んで助かった例《ためし》ありゃへんがな。十八文やかて、もう袋の鼠やさかい、石田はん、小西はんなみに、生捕りしやはって縄つけ、大阪三界引廻して、首ハネるまでのこっちゃさかい――阪者《さかもん》の手並、どんなもんや、思い知ったかやい、ちゃア」
と言って勇気を示したものですから、一座がまた勇みをなし、村雨女史までが、
「直《なお》さんに会っちゃかなわない」
と言って讃辞を捧げました。
 直さんに会っちゃかなわないというのは、どういう意味だかよくわからない。おそらく村雨女史のお座なりのおてんたらではあろうが、しかしこの大阪仕込みの勇者に会っては、宮本武蔵でも、鎮西《ちんぜい》八郎でも一たまりもない、まして道庵先生の如きに於ては、直さんに会っちゃ、ほんとうにかなわないという賞讃をこめたのかも知れません。
 そうすると、プロ亀が、
「安直先生のように、そう調子を高くおっしゃっては、一般人に対して御損じゃございませんか」
「わて阪者やかて、みみっちいことばかり考えていやへん、損やかて、得やかて、大御所気取りしやはって、関東から攻め上りなはる十八文はん向うに廻して渡り合うは、きれもん、この安直のほかにありゃへんがな。三ぴんはん、しっかと頼んまっせ、ちゃア」
「オット合点《がってん》」
 そこで、この三ぴんの円卓会議が胆吹山征伐進軍の軍議となり、評議が熟すると、いざ出陣ということになりました。
 いざ出陣となると、三ぴんの連中を前にして、安直先生がおびただしく大根おろしをかきおろしはじめました。どういうつもりか、一心不乱に大根おろしをかきおろして、とうとう桶に十三杯もかきおろしてしまいました。
 それを見ていた三ぴん一同が、その精力の非凡なるに感心し、この分でかきおろせば一年に六七千本の大根をかきおろすことができるだろうと眼をみはって、
「いったいどうしてそんなに、大根おろしをかきおろしなさるのです」
 安直が抜からぬ面《かお》をして、答えて言うことには、
「胆吹の山には昔から、大蛇《おろち》がすんでいやはるさかい、毒気に触れるとどもならんによって、この大根おろしよばれると毒下しになりまんがな。それに胆吹の百草たらいうて、薬草がたんとたんとござりましてな、その薬草の中には毒草もたんとたんとござりますによってな、相手は十八文のお医者はん、いつ、わてらに、その毒草を製して飲ますことやらわからへんがな。そないな時にな、その大根おろしのかきおろしたあん[#「たあん」に傍点]と食べておきますとな、毒消しになりますさかい、ちゃア」
 それを聞いて一同がアッと感心しました。プロ亀の如きは、
「さすがに安直先生、お考えが深い、お調子が高い!」
 そうすると、村雨女史が、またおてんたらを言いました、
「直さんに会っちゃかなわない」
 しかしまた、老功なる、みその浦なめ六は心配しました。
「それはそうとして、この十三樽の大根おろしのかきおろしを持ち運ぶのが容易なことじゃござらんてな、誰がこれを胆吹山まで運搬するこっちゃ」
「そないなこと、いっこう苦になりゃへん、あの山の山元にはキャアゾウ[#「キャアゾウ」に傍点]たらいう親分はんがいやはって、そないな大根おろしのかきおろしを、なんぼでも背負いたがっていなはるさかい」
 つまり、胆吹山の山元には、キャアゾウ[#「キャアゾウ」に傍点]という親分がいて、こういう大根おろしを幾駄でも、嬉しがって負いたがっているということになる。
 これを聞いて、三ぴん一同が、いよいよ安直の用意周到なるのに敬服しました。

         十六

 そういうこととは露知らぬ道庵先生は、お角さんから差廻された米友代りの一僕、庄公を召しつれて、ほくほくと柏原の宿《しゅく》を通りかかりました。
 胆吹へ登るものとすれば、ことにお銀様や米友が植民地を構えた上平寺の方面から登るとすれば、関ヶ原からでは、この本道へ出ないで、小関から北国街道へ出るのが順ですけれども、胆吹へ登るものが必ずしもその道をとらなければならないという約束はなく、柏原からでも、長岡からでも、幾多の登山路はあるのです。春照村《しゅんしょうむら》の上野からする登山本路をとるとすれば、ここへ出るのも決して脱線ではありませんが、とにかく、道庵が一僕を召連れて、ほくほくとこの柏原の宿はずれを歩いている途端に、大へんなものに出くわしてしまいました。さては草津を要していた三ぴん連の先陣が、早くもここへ廻ったか――そうではない、後ろから追いかけて来る人の声――
「サアサア、みないじゃござい、みないじゃござい、コレコレ作兵《さくひょう》ヤイ、太郎十、どうでやどうでや、よべから役当てて置きよるに、何していよるぞ、さあさあ、いかまいか、いかまいか」
「ヤレ、コリャ、いんま、いかずいかずと言いよるに、おこずるな、おこずるな」
「ええ、はようやらまいか、その頭どうじゃ」
「はらの煮える、いんま幕があいて、みがとが出よるところじゃに、誰なと代りに出さずと思うても、おぞい奴等じゃ、どやつもこやつも、今こまいとぬかしよる」
 こう言って、道庵のあとから駈けつけて来るものがありましたから、道庵がそれをふり返って見ると、ところの男、もう一人の女の手を引きずって駈けて来る。様子が変だから、なおよく見ると女の鬘《かつら》をかぶって、顔はところまだらのおしろいをベタベタとつけている在郷衆だ。そのあとから弥次馬がワイワイ駈けて来る。その体を見ると道庵先生が早くもさとって、
「やあ、来たな、どこぞ近いところに素人《しろうと》の芝居があるぞ、こいつぁ一きり見ざあなるめえ」
と言って、忽《たちま》ちその輩《やから》にくっついて駈け出しました。
 ほどなく、鎮守の社へいって見ると、歌舞伎の柱を押立てて緞帳《どんちょう》をつり、まわりへ蓆《むしろ》と葭簾《よしず》を張りめぐらしてある。木戸は取らない、野天の公開ですから道庵もうれしがって、見物の中へ割込んで、早くも相当の席を占めてしまいました。
 まもなく、場の内外は立錐《りっすい》の余地もない景気、やがてカッチカッチと拍子木が鳴る。
「東西東西」
 手拍子パチパチ。
「御酒二升、目《め》ざし鰯《いわし》十連、浅畑村|若衆《わかいしゅ》より馬持ちの田子衛門へ下さる」
 手拍子パチパチ。
「そば粉三袋、牛蒡《ごぼう》十|把《ぱ》、六はら村の長徳寺様より西町の芋七へ下さる」
 手拍子パチパチ。
「半紙十帖、煮付物一重、三太郎後家様より長松へ下さる」
 手拍子パチパチ。
「榾《ほた》三束、蝋燭《ろうそく》二十梃、わき本陣様より博労《ばくろう》の権《ごん》の衛門《えもん》に下さる」
 手拍子パチパチ。
 拍子木カチカチ。
「東西東西、このところ太功記十段目尼ヶ崎の段、始まりさよカチカチ」
 これを聞くと道庵が無性《むしょう》に嬉しくなって、
「ありがてえ、これだから旅は止められねえ」

         十七

 道庵先生は、この太功記十段目を極めて神妙に見ておりました。道庵先生とても必ずしも脱線とまぜっかえしを本業としているわけではなく、衆と共に楽しむ場合には、強《し》いてことを好んで多数の静粛を破るようなことはしません。
 そうしているうちに、この一座が、太功記十段目一幕をとうとう本行通りこなしてのけてしまったのには、さすがの道庵先生が舌を捲きました。案外の上出来、それに上方《かみがた》に近いせいか、第一、チョボが確かだし、一座の役者の仕草《しぐさ》も台詞《せりふ》も一応、格に入っておりました。
 道庵は感心の余り、ひとつ賞《ほ》めてやりたいものだという気になりました。もう幕が下りてから賞めたところで仕方がない、まあ、この次の幕に近江源氏があるらしいから、一番江戸ッ児張りにうんと賞め言葉を投げつけてやろうと意気込んでいたが、幕間《まくあい》がかなり長い上に、道庵もちょっと小便を催してきましたから、座席のところを庄公に頼んで置いて、人波を分けて、便所の方へと出かけて行ったのですが――その帰り途のことです、葭簾張《よしずば》りのスキ間から楽屋が丸見えだもんですから、道庵が覘《のぞ》き込むというと、そこで在郷の役者連が衣裳、かつらの真最中で、それをお師匠番が周旋する、床山《とこやま》がかけ廻る、その光景はかなり物珍しい見物《みもの》でした。それを見ると道庵先生がムラムラと病気が萌《きざ》したのは、どうもやむを得ないことです。今まで見物の最中とても、瓢箪《ひょうたん》に仕込んで来た養老の美酒をチビリチビリとやっていたのですから、かなり廻っているところへ、こうして物珍しい楽屋裏を見せつけられたのでは腹の虫がおさまりっこはないのです。
 そこで道庵先生が、ちょっと人混みの中へ姿を隠したかと思うと、今坂餅《いまさかもち》を三|蒸籠《せいろう》ばかり出店商人に持たせて、いけしゃあしゃあとして再び楽屋口へ乗込んで来ました。そうして世話役に向って言うことには、
「わしゃあ江戸者だがね、上方見物の途中なんだがね、はからずこの地へ来て皆さんの芸術を見せていただきやしたが、正直感心いたしやした。どうして本格でげすよ、これなら三都の大歌舞伎へ出したって、ちっとも恥かしいことはねえ。失礼ながら皆さんが、これほどにお出来なさるたあ気がつかなかった。わしも若い時ゃ芝居がでえすきでね、大白猿《だいはくえん》や鼻高《はなたか》盛んの頃には、薬箱を質《しち》に置いても出かけたもんだがね、近頃、江戸も役者の粒がぐっと落ちやした。役者の粒が落ちたんじゃねえ、こっちの眼が肥えたんだという説もあるが、そりゃどっちでもかまわねえが、近頃ぁとんと夢中になりきれるほどの役者が出ねえんでね。だから、一分線香や俄《にわ》か道化師の方が罪がなくて、おもしれえくれえのものなんだが、今日まあこうして御縁があって、皆さんの芝居を拝見させていただきますてえと、どうして、すっかり本格だあね。第一、チョボの太夫さんが確かなもんだ。役者衆だってその通り。それで実ぁ、内心、はじめのうちはね、これほどはやるめえと甘く見てかかったのが拙者の眼の誤り、あんまり皆さんの芸術に感心したもんだから、お礼とお詫《わ》びをかねて、お近づきに罷《まか》り出たというようなわけなんでげす。これゃあ、ほんのお印《しるし》だが、どうか皆さんでお茶うけに召上っていただきてえ。わしゃ、江戸の下谷の長者町で道庵といえば知っている人は誰でも知っている、知らねえものは誰でも知らねえ、至極お人よしの十八文でげす、どうかよろしく」
 こう言って、出店商人に持たせた三蒸籠の今坂を、恭《うやうや》しく楽屋一党へ向けて差出したものですから、楽屋一同が面喰ってしまって、一度は呆気《あっけ》にとられましたけれども、その申し出でたところを一応思い直してみると筋が通っている。
 誰も賞《ほ》められて悪い気持のするものはない、まして素人《しろうと》芝居の一幕も打って見せようという善人たちですから、村のかみさん、娘さんがお世辞にも、あそこがよかったと言ってくれれば有頂天《うちょうてん》になり得る善人たちである。ところがここに現われた旅の人というのは、自分から名乗るところによると、正銘の江戸の本場者で、しかも三都名優の舞台らしい舞台を若い時から見飽きているような口吻《くちぶり》でもある。その本場の江戸ッ児が思いがけなくこう言って、わざわざみやげ物まで持って賞めに来てくれたのだから、楽屋一党が喜ばずにはおられない道理です。
 まず、チョボ語りの太夫さんの源五郎殿が、調子を合わせていた三味線をおっぽり出して道庵の前へ飛び出して来ました。
「これはこれはようこそ、まことにはや、御親切さまの至りでございやすで、はあ、未熟なわしらが芸事を、それほどに聴いておくんなさる御親切、何ともはや、忝《かたじ》けねえでございます。お目の高えお江戸の本場の旦郷衆にお聴かせ申すような芸じゃごぜえませんが、そうまでおっしゃっていただいてることがはや、わしゃ一生の誉れでございまさあ。どうぞこちらへ、なお、どうかゆっくりごらん下されやして、悪いところは幾重にもお手直しをお願い申します。さあさあ、どうぞこちらへ……」
 下へも置かぬもてなしぶりでございますから、道庵もまたいい気になりました。
「それじゃ、まあ、ごめん下せえまし、わしも若い時分は江戸の三座の楽屋へ入り浸って鼻高でも、よいみつ[#「よいみつ」に傍点]でも、みな贔屓《ひいき》にしてやったものさ」
と言って道庵、腮《あご》を撫でながら、太夫さんのすすめてくれた舞台用の緞子《どんす》の厚い座蒲団《ざぶとん》の上に、チョコナンとかしこまりました。
 ずいぶん人見知りをしないお客様だとは思いながらも、なにしろ田舎《いなか》でも素人芝居の一つも打って見せようという通人揃いだから、かえってこの人見知りをしないお客様のさばけ方に恐悦し、それに、賞められたのは単にチョボの太夫さんばかりではない、一座の芸術すべてに感心して、そうして総花《そうばな》として、今坂の三蒸籠も奮発しようというくらいだから、一座上下みんないい心持で、道庵に好意を持たないのはありません。ですから、次の幕の面《かお》にかかっているのも、前の幕の落武者も、みんな頭を下げるし、言いつけられないのに、お茶よ、煙草よと、もてなし方が尋常ではありません。
 この辺で道庵も引きさがってしまえば無事なんですけれども、どうしてどうして、そんなことでおさまるくらいなら、今坂の三蒸籠も自腹を切るはずがない、忽《たちま》ち今度は高綱が出る役どころの親玉を見つけると、
「や、親方、おめえさんだね、いま光秀をおやりなすったなあ。結構ですね、ありゃ、梅玉《ばいぎょく》の型だろうが、わしに言わせると、あそこはやっぱり高麗屋《こうらいや》で行きたいねえ。必定《ひつじょう》――ひさよし――上方の方の役者は、えてこういう眼つきをして、面《かお》で芝居をしたがる。しのびいるこそくっきょう一、あすこんところが、こう、竹槍をこういうふうに構える型と、それからまた、こう構える型とある。まあ、役者の柄によるものさ。柄の小さい役者は、芸を派手に大きく見せるために、こうなるんだ、だが、柄の大きい役者が、こう持っちゃ損だね。小田の蛙《かわず》の鳴く音《ね》をば……あれから、突込む手練の槍先に……あそこまでのところの呼吸が、お前さんのは、すっかりコツを心得ておやりなすったには恐れ入ったね。なんしろ、竹槍で人を突っつき殺すなんてことは、本来ならば匹夫下郎のやる仕事だあね。まあ、歴史上から言ってごらん、お前《めえ》さん、たとい三日天下にしろ天下の将軍職についた、惟任光秀《これとうみつひで》ともあろうものが、差足抜足《さしあしぬきあし》うかがい寄って、敵の大将の寝首を竹槍で突っつき取ろうなんてえのはあるべきはずじゃあねえんだがね、それがそれ芝居で、作者の働きさ。惟任将軍ともあるべきものが、名もなき土民の竹槍で命を落す悲惨な因縁因果を、それ、主と親を殺した天罰にからませて、趣向を変えてあそこへ持ち込んだところが作者の働きなんだから、演《や》る方もよく心得て、匹夫下郎の真似はしながらも、苟《かりそめに》も惟任将軍というみえとはらとを忘れちゃならねえ。お前《めえ》さんのは、それが相当腹にへえってしているから、俺ぁ少し唸《うな》りましたね」
 こう言われると光秀役者がことごとくよろこんでしまいました。
「はあ、有難えこんだ、わしも、芸事はすべて役どこの性根《しょうね》が肝腎だと思いやして、なるべくはらで見せるようにしてえと、こう思っているんでがんす」
「それそれ、それでなくちゃいけねえ……だが一つお気をつけなさい、あの北条義時は、筏《いかだ》を流し奉るとお前さんお言いなすったが、あれはいけねえ、ミカドを流し奉ると言うようにしなさい。それから、その次の方に面《かお》をしておいでなさるのは、さきほど久吉《ひさよし》をなすった兄さんだね。湯のじんぎは水とやら……あそこが軽い。だが、おめえさんのは少し男ッぷりが良すぎるのが瑕《きず》に玉《たま》だあね、納所寺《なっしょでら》の味噌摺坊主に化け込んで来てからが、こいつはまた光秀よりもう一枚大物の太閤秀吉の変装なんだから、やっぱりそれだけの面魂《つらだましい》を持たなきゃならねえ。面魂といえば、秀吉の面は猿に似ていた、いや秀吉の面が猿に似ていたんじゃねえ、猿の面が秀吉に似ていたんじゃ、という二つの説にわかれて、まだ、どっちとも決定していねえが、それはこの場合、深く問わねえが、面が猿に似ていて、眼光が炯々《けいけい》としていて……そのくれえだから面魂もどこか違ったところがなけりゃならねえ、それだのにお前《めえ》さんのは、剃り立てのきれいな青道心で、それに白塗りの痩仕立《やせじた》てときているから、見物の女の子がやんやとわいたぜ。芸の方にソツはねえが、面のつくりがあんまり綺麗過ぎたね。どだい、お前さんの地面《じがお》が綺麗過ぎるんだろう」
 こう言われると久吉役者がまたよろこびました。たとい面魂は英雄豪傑になっていなくとも、地顔が綺麗で、女連から騒がれたと言われてみると包みきれない嬉しさがこみ上げて来るらしい。
 そうすると、道庵先生抜からず、こんどはみさお[#「みさお」に傍点]役者の方へ向って、
「そこに衣裳をしておいでなさるのは、みさお[#「みさお」に傍点]をつとめたお人さんだね。このみさおという役がなかなか骨が折れる役でな。なんしろ、はらがあって、愁嘆が利《き》いて、主と、夫と、親と、大将と大将の中へ挟まって、義理と人情と、功名と恩愛とを身一つに仕分けなくっちゃならねえ、そのくせこうといってパッとした見せ場もなく、ふまえて行かなくっちゃならねえのだから、たておやまの中でも、底力がなければ持ちこたえられねえ。ところがお前さんはよく役どころを心得て、立役を立てながら場を締めていた黒っぽいところには真実感心したね。一つァまた、チョボがいいからしっくりと呼吸《いき》が合って、何とも言われねえのさ」
 そう言われてみさお役者は恐縮してしまい、
「わしらの芸は、はあ、何でもねえが、太夫さんが引取って下さるから、どうやら持ちこたえられているのでございます」
「それからまた、いちいち役々に就いて言ってみる……」
と、立てつづけて道庵先生が、初菊や、重次郎や、母のさつき、正清といったような役者を上げたり下げたり、それからまた全体に戻って来て、故人虎蔵の型はこうだの、先代宗十郎はどうだの、誰それはそこで足をこう上げたの、ここで鼻の先をこんなにこすったの、こすらないの、というようなことをのべつにまくし立てたものですから、半ば過ぎまで好意と感激とをもって歓迎していた楽屋一党も、なんだか少し変だと思うようになってきました。
 そうするうちに柝《き》が入ると、次の幕があきました。
 幕はあいたけれども、道庵は見物席へ戻ることはすっかり忘れて、次から次へ舞台へ出て行く役者や太夫さんに頓着なく、居残りの床山であろうと、衣裳方であろうと、世話役であろうと、お茶くばりであろうと、とったりであろうと、誰彼の容捨なく、芝居話を持ちかけているうち、舞台面が進んで、一人行き二人行き、ほとんど楽屋が空ッぽになると、道庵も喋《しゃべ》りくたびれて、ようやく御輿《みこし》を上げようとして、よろよろとよろめき出し、衣裳小道具を入れて来た長持のところへ来ると、さきほどから非常に睡気がさしているので、よろよろとして、その長持の中へ転がり込んだのか、そうでなければ尻餅をついたを幸い、そのまま長持の中へ寝こんでしまうと、そこへ上からフワリと衣裳が崩れ落ちて来て、道庵の身を押しかぶせてしまいました。
 一方、平土間で道庵のために空席を守っていた庄公は、小用にと立って行った道庵の帰りが遅いので気が気でなく、諸方を探し歩いたが、まさか楽屋の中でクダを捲いているとは思わないから、人混みの中をうろうろと潜り廻り、しきりに探しまわりましたけれど、ついにその姿を発見することができないで、とうとう幕あきの拍子木を聞いたものですから、幕があいた以上は、きっと元の場席に帰って来るだろうと、元のところへ帰って待っていてみたが、どうしても道庵が戻って来ないので、もう芝居見物どころではありません、幕の半ばにまた飛び出して右往左往に尋ねまわりました。
 宇治山田の米友ならば、こういう例には再三出っくわしているから、またかと言って歯噛《はが》みもしようし、その苦い経験から、道庵ひとりをうっかり小便にやるようなことはなかったでしょうが、庄公となると、まだなにぶん道庵扱いに馴れていないところへ、本来、米友ほどの腹《はら》も業《わざ》もある奴ではないから、ついにはいい若い男が尋ねあぐねて途方に暮れ、ワアワア手ばなしで泣き出してしまいました。

         十八

 長浜の会所へ、両替の使の用心棒としてついて来た宇治山田の米友は、会所の前に暫く待っていたが、今日は何か会所が特別に忙しいことがあると見えて、ラチがあきません。
 そこで、気の短い米友としては、少しく焦《じ》れ出してくるのも当然です。じっと待ってはいられないから、その会所のまわりをうろつきはじめました。
 会所のまわりを、塀《へい》の隅っこのところまで行ってまた逆戻りをしたり、溝《みぞ》の中に柿の種子が落ちていたり手鞠《てまり》がころげ込んだりしているのを見たりなんぞして、行きつ戻りつしているうちに、まだ埒《らち》があかない。こんどは表通りを少し遠っ走りして、湖の水の見えるところまで行って引返そうとする時、そこに高札場があって、幾つもの札のかけてあるのを見つけました。その高札を片っ端から読んでみますと、その真中の一番大きいのに、次の如く書いてありました。
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   「定
何事によらず、よろしからざることに百姓大勢申合せ候を、とたう[#「とたう」に傍点]ととなへ、とたうして、しひて願事企てるを、がうそ[#「がうそ」に傍点]と言ひ、あるひは申合せ、村方立退候を、てうさん[#「てうさん」に傍点]と申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
 とたうの訴人《そにん》  銀百枚
 がうその訴人  同断
 てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも、発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、その科《とが》をゆるされ、御褒美下さるべし。
一、右類訴いたすものなく、村々騒立候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也
  年月日[#地から2字上げ]奉行」
[#ここで字下げ終わり]
 米友は、お君に言わせると学者ですから、苦もなくこれを読んでしまって、
「ははあ、一味ととうしちゃいけねえってえんだな、申合せをして村方を立退くのもよくねえてえんだな、それを訴人しろてえんだなあ、訴人した奴には銀百枚を御褒美として下しおかれようてえんだな、なお、その上に、次第によっちゃ苗字帯刀も御免あろうてえんだな」
と言って米友は、高札の表を横目に睨《にら》み、
「一味ととうして乱暴を働くのが悪いのはわかり切ってるが、百姓共だって酔興で一味ととうをするわけじゃあるめえ、何か苦しくって堪らねえことがあるか、そうでなければ、おだてる奴があってそうなるんだろう、それを訴人した奴には御褒美が出るんだ。また、苦しくって堪らねえから、村を逃散《ちょうさん》してどこぞへ落ちのびて行くのも罪になるんだ、いてもわるし、動いても悪し、立って退けばまた悪い、百姓というものは浮む瀬がねえ」
と米友がつぶやきました。

         十九

 こういう高札の文句というものは、もっと昔からあったものかも知れないが、今ここへ掲げられてあるのは、墨の色も木理《もくめ》も至って新しい。高札の文句そのものは、もっと古くから存在していたものにしてからが、ここへ書き出して掲げたのは最近のことに属するというのがよくわかる。従って、最近こうして、事新しく掲揚したということに於て、特にこれを人民の頭へ、相当強く印象して置かなければならない事態が彷徨《ほうこう》しているということが暗示されないでもない。
 しかし、米友も、そこまでは観察を逞《たくま》しくしないで、そうしてまた会所の方へとって返そうとすると、ドヤドヤと羽織袴の、町の肝煎《きもいり》みたようなのが、人足をつれて出て来て、通行人をいちいち制したり、道路を片づけさせたりしてこっちへ向って来る、それと米友がぶっつかりました。右の宿場人足は米友を見ると、
「おいおいやっこさん、脇へよっていな、おっつけこれへお代官様がおいでになるよ」
「ナニ? 奴さんだ――お代官がどうしたんだって?」
と、米友が思わず口を突いて出たけれども、宿役も、人足も、米友の米友たる所以《ゆえん》を知らず、いやに気の強い子供だと軽くあしらって、
「御天領から御検地のお代官がいらっしゃるのだ、間違いのないように引込んでいな」
 そう言い捨てて、さっさとあまり深く米友をあしらいませんから、米友もちょっと拍子抜けの体《てい》でありました。
 しかし、お代官だの、お殿様だのというもののお通りと、米友とは、あんまり反《そり》が合わないのです。そういうもののお通りのために、今日まで、鼻っつらをひっこすられたり、ひっこすりもしたりした例は数うるに暇《いとま》のないほどであります。たとえば、国を出て東海道を東下《あすまくだ》りの道中、また浅草の広小路で梯子乗りの芸当をやっている時も、えらい騒ぎを持上げたことがある。甲州道中、駒井能登守の一行とすれすれになった当時、あの時は上野原の先の鶴川の渡し場で、グルグル坊主にされた。それからまた今度の道中でも再々、お代官やお殿様のお通りと性が合わないのは、道庵もまた御同様。正面衝突も気がきかないから畑の中へ飛び込んで桑の木へひっかかったり、武州熊谷附近通行の際――あの時桑の木が無かろうものなら道庵はどこまで飛んで行ったかわからない、後向きに馬に乗ったりなんぞしてごまかしたのは知っての通りであります。
 そこで米友も考えました。どのみち、お通りなんぞは、こっちにとっては性が合わねえにきまっているが、へたに喧嘩をしてもつまらねえことだから、おいらあ、お通りのねえ道を通るんだ――
 と言って米友は、自発的にフイと横へ切れてしまいました。
 横へ切れてやみくもに走ると水口に突き当りました。
「おやおや、どっちい行っても水だなあ」
と言いながら、その水際まで行って見ると、また別に、
「おやおや」
と繰返さざるを得ませんでした。どっちへ行っても水のはずです、ここは長浜の西の部分で、名にし負う近江の湖水に直面しているところですから、西へ走る限り、どっちへ行っても水なのはわかりきっております。
「うむ、そうだ、これが琵琶湖の片っぺらなんだ、広いなあ」
と言いながら米友も、改めて直面する琵琶の湖水を目のあたり眺めて、その風光に見惚《みと》れました。
 見惚れたといっても、ただ、広いなあ、綺麗だなあと舌を捲くだけのもので、眼前に島も見えるには見えるが、どれが有名な竹生島《ちくぶじま》で、どれが沖ノ島で、どれが多景島《たけじま》だか、その辺の知識は皆目《かいもく》めくらなんですから、米友の風景観には、さっぱり内容がありません。
 しかし、客観的には内容が無いが、主観的にはです、米友の頭の中には、かなり米友として複雑なる感情が蟠《わだかま》っているのです。
 静かな湖面を、じっと彳《たたず》んで見ているうちに――
 ですから、近来の米友には、じっと風物を見込むと、知らず識《し》らず考え込む癖がついてきました。
 今も湖面の風光に見惚れているうちに、天候には変りがないが、いつのまにか湖面に穏かならぬ舟足がいくつも相ついで、つい米友の目の前の広い草原のところへ、その船の中からぞくぞくと人が集まって、そうしてその広場にかたまる様子でした。最初のうちは空想に捉われて、何とも思わなかったが、そのうちに様子がなんとなく穏かでないものがあるものですから、米友が、
「はて、あんなに舟でぞくぞくと乗りつけて来て、いってえ何をするつもりなんだろう、別にお祭があるようなあんべえでもなし、おやおや、あの草ッ原のかげにみんな坐り込んじまったぞ。ははあ、何か相談事でもぶつんだな、相談事にしちゃ少し様子が穏かでねえな」
 事実、人の集まりは無慮二百はたしかのようです。それらのものが、町の方からは来ないで、舟で乗りつけて来て、無言であの草ッ原へ円くなったということは、穏かでない気分が漂う。
 例えば、お祭の相談事だとか、お日待の崩れだとかいうものならば、場所柄としても、神社の拝殿とか、お寺の本堂とかを借りたらよかりそうなもの。
 かといって、船の団体で遊山保養をしての帰りがけの一行らしくもない。その乗りつけた船には何の飾りもなく、第一、集まった人がおもに中年ものの男で、それが簑笠《みのがさ》こそつけない、竹槍こそ持たないが、いずれも大げさにいえば一道の殺気粛々として、そうしてあそこへ集まってからに、大陽気に歌い出すものなんぞは一人もないのです。
 だから米友は、なんとなく穏かでないと感じた時、はじめて、さきほど高札場で読んだお定書《さだめがき》、その色と木理《もくめ》の新しいのがピンと頭へ来ました。

         二十

「ことによると、あれがその一味ととうというものではねえかしら」
 そうだとすれば、気の毒なことでもあり、危ねえことでもある。うむ、そうだ、お代官とか、御領主とかがやって来ると言ったけな、それを思い合わせてみるてえと、いよいよ何か事がありそうだ。お代官なり、御領主なりというものが、東の方からやって来るという先ぶれと同時に、あの連中が舟で西の方から乗りつけて来る、なんだか気のせいか、そこいらで正面衝突が起りそうだぜ。
 そういうことが起らなければいいがなあ。まだそういうことが起りそうだとも何ともきまったわけじゃねえが、どうやら、そうなりそうなあんべえ式だと、おいらの頭へピンと来るよ。万一、事がそうなった日にゃあ大変だからなあ。つまり一揆《いっき》暴動なんだろう、戦《いくさ》の卵と同じわけさ、内乱だね。江戸は江戸で浪人者があばれ廻ったり、貧窮組が起ったり、江州の長浜へ来れば長浜でまた――厄介なものだて、どこへ行っても世話がやける世の中だ――だがおいらはもう知らねえよ、そういちいち人の世話ばかり焼いていた日にゃ、第一こっちの魂が焼け切れちまあな。
 おいらあ知らねえよ――
 と、わざと横を向いた米友は、再び湖面の方を眺めながら、草の生えない水汀《みぎわ》を少しばかりぶらついて行くと、今の集まった人数はすっかり草に隠れてしまいまして、湖の水がピチャリピチャリと人無き島のような心持のする汀を打っているところを、米友は、遥かに遠くかすむ湾々曲々のながめに飽かず見入りながら、なおブラリブラリとやって行くと、フトその水際に舟を繋いで、切石の上へ蓆《むしろ》を敷いて、釣を垂れている一人の人に出くわしました。その人の風采《ふうさい》を見ると、平形の編笠を被《かぶ》り、肩当のついた黒の紋つきを着て、一刀を傍に置いて、無心に釣を垂れているところは、この辺ではどうも珍しい気分のするおさむらい姿であります。どうも暫くお侍を見なかったような気持がする。この長浜というところは城下町ではねえんだから、商業町だということなんだから、それでまあお侍の数が少ないのだろう、ここでようやく一人見つけ出しは見つけ出したが、これはおさむらいはお侍にしてからが、どこからもお米を貰わないお侍さんだ、以前はどこかの殿様からお米を貰っていた身であろうけれども、今はもうそのお米が貰えなくなっているお侍さんだ。といっても、家督を伜《せがれ》に譲って、お米を貰わなくても楽に養われて行ける身分のお侍さんとも違う、第一、あの笠、あの色のさめた紋附、いわずと知れた浪人者なんだ。
 だが、あんなにして悠々《ゆうゆう》釣を垂れているうちは、浪人者も穏かなものだな――
 こんなことを米友が見て取りながらも、せっかくこっちの方へ向いた足を、浪人者がいたからといって引返すのも癪《しゃく》だ、まあ、ずいぶん通り過ぎて行ってやろう、だが、せっかくああして静かに釣をしているんだから、言葉をかけることはいけねえ、また言葉をかける必要もねえ、足音だってあんまり立てねえで、静かに釣を垂れている浪人の心境を乱さねえようにして通り過ぎてやるのが礼儀だなあ――と、米友は米友としての礼儀をわきまえて、そうして浪人の背後をすっと通ろうとすると、米友のその遠慮を出し抜いたのは、かえって浪人でありました。
「これこれ子供!」
「え!」
 呼びとめられたもんだから、米友が「え!」と言って呼びとめられただけでなく、「これこれ子供」と言って、甚《はなは》だ横柄《おうへい》な言葉で、しかも人を呼びながらこっちを見ないで、自分の釣の方にばかり目をつけているのです。
「どうした、検地の役人は見えたかい」
と、先方はやっぱり竿と針の方を見ながら米友に問いかけるのです。
 少し変な奴だなあ、釣針に向ってものを聞くならば釣針の方を見ていてもよろしいが、人間に向って物を尋ねるならば人間の方を向いちゃあどうだ、と米友が思っていると、
「うむ、どうした、江戸表から乗込んだ検地の役人は、もう長浜へ着いた時分だろうがな」
 まだ、やっぱりこっちを向かないで横柄な質問ぶりだから、米友も少し癪《しゃく》に障《さわ》り、
「知らねえよ、どんな役人が来るか、おいらあ役人の番をしているんじゃねえんだ」
と言いました。その言葉にはじめて釣をしている浪人ものが、こっちを見返って、いやに落着いた顔をしながらじろじろと米友を見廻し、
「おう、貴様はこの土地の者じゃないのか」
「ばかにしてやがらあ――」
と、米友がはじめて捲舌を試みました。
「何を申すぞ」
「何を申すぞもねえもんだ、人のことをとっつかまえて、いきなり、子供子供たあなんだ、よく面《つら》を見てから物を言うがいいや。第一釣竿と話をするなら釣竿の方を見ていてもかまわねえが、人間に話をしかけようというんなら人間の方を向いて何とか言っちゃどうだ、その上になお人をつかめえて貴様たあ何だ、恩も恨みもねえ人間をつかめえて、いきなり貴様たあ何だ」
と啖呵《たんか》を切ったものですから、浪人とはいえ、武士の手前、この雑言《ぞうごん》にムッとするかと思うと、釣を楽しんでいる浪人はかえって和《なご》やかに笑いました。
「ハハハハハ、それは済まなかった、なるほど君のいう通り、一概に君を子供扱いにしたのはよくなかった、それに、ついどうも、荒っぽいこの辺の浜者を相手にしているものだから、こちらも口がきたなくなった、許さっしゃい」
「うむ」
と、米友がうなずいたものだ。許すとも許さないとも言わないで、いきみ返って立っていると、右の浪人者はよほど何か面白い感じがしたと見えて、かえって向うからいよいよ打解けて来て、
「まあ、君、急がなければここへ坐って少し話して行きたまえ」
 そういうふうに出られると、米友もちょっと癪《しゃく》の虫がおさまって、言われる通りに坐り込む気にもなれないが、そうかといって荒々しく砂を蹴って立去るにも及ばないという気になると、
「君のその言葉つきによって見ると、君が、この土地の人間でないことは明らかだ、この土地の人間でもないものに、この土地のことを尋ねようとしたのはこっちが悪い、第一、人間と話をするのに人間の方へ眼を着けないで、釣の方ばかり見ていたのは礼儀に欠けていた、君はこの長浜というところへはじめて来た人らしいな」
「うむ、はじめてこんなところへ来てみたんだ、こんなところへ自分から来てみようなんてつもりはなかったんだが、人に頼まれたんで、余儀なくね」
「そうか。で、長浜というところはなかなかいいところだろう」
「うむ、景色はあんまり悪くねえな」
「景色ばかりじゃない、ほかにいいところが幾つもある」
「ほかにいいところが幾つあるか知らねえが、今この土地へ来たばっかりのおいらにはわからねえ」
「わからないはずはない、お前は太閤秀吉を知っているだろう」
「冗談言いなさんな、太閤秀吉を知らねえ奴があるか。こんだもここへ来る途中、おいらの先生と一緒に、わざわざその太閤秀吉の生れ故郷の尾張の中村というところへ行って、供養をして来たくれえのもんだ」
「ほほう、それは近ごろ奇特のことだな。それで、君はやっぱり太閤の名残《なご》りがなつかしいものだから、この長浜へもやって来たんだな」
「そうじゃねえ、長浜へ来たのは、来るつもりで来たんじゃあねえのだ、頼まれたから、よんどころなくね。だから、太閤秀吉と長浜が何をどうしたか、そんなことはいっこう知らねえ」
「ははあ、君はそれを知らないで長浜へ来たのか」
「知らねえよ」
「そりゃいかん、尾張の中村や、摂州の大阪だけの太閤秀吉ではない、この長浜は、太閤によってあらわれ、太閤は長浜によって出世したといってもよい。太閤が藤吉郎の時分、ここへ城を築いて、それまで今浜といわれたこの町を、その時から長浜と改めたのだ」
「ははあ、そうだったかなあ」
「石田治部少輔三成も、ここではじめて太閤に知られたのが出世の振出しだ」
「そうかなあ、だが、どっこにもその城が見えねえじゃねえか」
と言って、米友は、今更のように、前後の光景をクルクルと見廻しました。

         二十一

 そこで、この浪人者は、米友の言語応対に相当の興味を得たと見えて、わざわざ釣竿を石の下へさし込んで、立ち上って米友の傍へよって、御同様にあたり近所をながめながら、まず太閤の城あとから指して米友に教えました。
「そうら、この前のが多景島《たけじま》で、向うに見えるのが竹生島《ちくぶじま》だ――ずっと向うの涯《はて》の山々が比良《ひら》比叡《ひえい》――それから北につづいて愛宕《あたご》の山から若狭《わかさ》越前《えちぜん》に通ずる――それからまた南へ眼をめぐらすと、あの小高い木の間に白い壁がちらちら見える、あれが井伊掃部頭《いいかもんのかみ》の彦根城だ。それからまたずんと南寄りに、石田三成の佐和山の城あとが一段高く、その間の山々にはいちいち古城址がある。臥竜山《がりゅうさん》の山上にもう一つ秀吉の横山城――それから佐々木六角氏の観音寺の城、鏡山、和歌で有名な……鏡の山はありとても、涙にくもりて見えわかず、と太平記にもある、あれだ。それから三上山《みかみやま》、近江富士ともいう、田原藤太が百足《むかで》を退治したところ――浅井長政の小谷《おだに》の城、七本槍で有名な賤《しず》ヶ岳《たけ》。うしろへ廻って見給え、これが胆吹の大岳であることは申すまでもあるまい。それに相対して霊仙ヶ岳――」
 その浪人者が、わざわざ立って指しながら、してくれた一通りの説明によって米友の眼が、またそれぞれの内容を備えてかがやきました。
 だが、もう帰らなければならない。
 少々暇つぶしをし過ぎたきらいがある。それで米友が、
「どうも有難う――おいらは、もう帰らなけりゃならねえ、会所へ両替の使に来たんだから、少し間《ま》がのび過ぎた」
「そうか――では、帰り給え。しかし、気をつけて帰り給えよ、それは拙者から言って聞かすまでもないことだが、今日は別して、通行に気をつけなくてはならん」
「それは、どういうわけなんだ」
「それはな、さいぜん、それ、君に向って尋ねたろう、検地の代官がこの土地へ来たか来なかったか、そのことをうっかり拙者が君に尋ねたろう、それなのだ。いいかえ、今日、乗込んで来ようという検地の代官は、代官は代官でも、ちっと目方のちがった代官で、江戸の老中から特別に差遣《さしつか》わされた検地の勘定役人だ」
「江戸の役人であろうと、ところの代官であろうと、おいらには別に当り障《さわ》りはねえ」
「むろん、君には当り障りはないが、この地方一帯のためには大きに当り障りがあるのだ。こんど来た検地の役人というのは、今いう江戸の勘定役人で、市野|某《なにがし》という者だ、北陸地方からずっと巡り巡りてこの近江の国に入り込んだのだが、本来この市野某というお役人が、心術がよくない、老中を肩に着て横着があるというので、到るところで人民から怨《うら》みを受けている」
「ふうむ」
「その市野某なる者が怨み憎まれているという原因には、人民側のために大いに同情すべき理由があるのだ。この勘定方がしきりに賄賂《わいろ》を取る」
「そいつがいけねえ、役人の賄賂を取るのが一番いけねえ、賄賂を取る役人に限って、曲ったものを真直ぐだというのはまだいいとして、真直ぐなやつを曲ったものにしたがる」
「それだ、こんどの勘定役が老中の威光を肩に着て、ほとんど日本中をそうして検地をして歩くのだが、仙台とか、尾張とか、それからこの江州へ来ても、彦根藩あたりの強いところに対しては全く見て見ぬふりをするが、力の弱い小藩だと見ると、賄賂を出さなきゃうんといじめ抜いて尺を入れる、だからそれらの土地の良民が怨み骨髄に徹している。なんでも寄合って、この長浜へその到着するのを見計らい、思い切って陳情してみるのだということだ」
「うーむ、それだな、さっきあの舟で、人が続々と向うの草ッ原へ集まって来たのは」
「それだそれだ、拙者がこうして釣をしている鼻づらを、その舟がずんずん漕《こ》いで行ったのはたった今のこった」
「そうだとすれば、そいつは大変なことだ」
「大変なことだ、まさか老中差向けの役人に危害を加えるようなことはあるまいが、勢いの赴《おもむ》くところではどうなることかわからない、君子は危うきに近寄らずということもあるから、君も帰りには気をつけて、そんな場面にさわらないように通りなさい」
「なるほど」
「拙者の如きも、こうして釣を楽しんでおればこそだ、そうでもなければ、必ずしも君子ではないから、ついつい危うきに近寄るようなことになったかも知れない。それを思うと釣というものは有難いものだ、釣を楽しんでいると、世の中のことを忘れる」
「世の中のことを忘れるのも考えものだよ、自分だけ楽しめば、人は難儀をしても知らねえという了見は、どういうもんだかなあ」
「うむ」
と言って浪人者は、米友に胸のすくような返事が与えられないために、やむことなく黙するかのように見えました。そうすると、こんどは米友の方から、
「うむ、そうしてみると、どのみち、一味ととう[#「ととう」に傍点]だな」
「え?」
と、こんどはその悠々たる浪人ものが狼狽ぎみの返事であります。つまり、してみると一味ととうだなと米友が独《ひと》り言《ごと》のように唸《うな》ったのは、右の草ッ原へ集まった連中を回想して言ったのであるが、言い廻しがぶっきらぼうであったために、そうは聞えないで、この浪人ものそのものが一味ととうの片割れだな、そのものに向って貴様も一味ととうの片割れだなと呼びかけたように響いたからでしょう。
 しかし、米友は即座にそのつぎ足しをして次の如く言いました。
「気の毒なことに、あの草ッ原に集まった人たちは、その検地のお役人とやらにぶっつかれば、もうどうしても遁《のが》れられねえ一味ととうになっちまうだろう、一人残らず佐倉宗五郎になるのか――どうもかわいそうだ」
 そこで浪人者は、自分のことを言いかけられたのでないと安心し、
「いかにも、ああなってはのがれられない一味ととうだ、すべてがみんな佐倉宗五郎の気持だろう」
「うむ――」
「役人につかまって一味ととうの片割れと思われてもつまらん、人民の方へ廻って間者《かんじゃ》と間違われてもあぶない、だから帰る時はよく気をつけてお帰りなさい」
「どっちみち、早く帰らなけりゃならねえ、御免よ」
と言うと米友は、ムラムラと自分の使命のほどを思い迫ったものだから、そのまま挨拶もなく、もと来た道へ向って駈け出してしまいました。
 釣の浪人ものは、その体《てい》を見て、あまずっぱいような微笑を湛《たた》えたかと思うと、ほどなくこれも匆々《そうそう》として釣道具をおさめて、つないでおいた小舟へ飛び乗ると、自ら艪《ろ》を押してさっさと南浜の方へ向けて漕ぎ出し、忽《たちま》ち葦の間に隠れて影も形も見えません。

         二十二

 宇治山田の米友が、会所へ馳《は》せ戻って見ると遅かりし、馬はもういないが、たずねてみると、地団駄を踏むがものはない、今のさき出発したが、まだ、この町で買物がある、それで先発しているから、あとを追って来るように――買物店はこれこれで、帰り道は都合によって、来た時とは違ったこれこれの道を通って帰るから――細かい伝言で絵図面まで添えてある。
 米友はそれによって馬のあとを追いました。
 都合によって来た時とは別の道をとって帰る、その都合というのは、どうもこの際来た時の道は物騒である、例の一味ととうの連中でも代官をようしているおそれがあるのではないか、それで、わざと避けて別の道を取ることにしたのだ、どうも、米友にもそう思われてならない。
 いずれにしたって、そう遠いところではない、目と鼻の間、呼べば答えるところにあるあの胆吹山の麓のことだから、同じ用心棒でも、東路《あずまじ》の道のはてから遥々《はるばる》の用心棒とは違う――ではひとつ追いかけてやろう。
 米友は教えられた通りの道を追いかけました。来た時の道を帰れば、石田、大原から北国|脇往還《わきおうかん》を横切って春照《しゅんしょう》に出るのだが、帰る道としては七尾へ廻るだけのものです。
 かくして米友は、教えられた通りに、両替の馬のあとを追いました。
 ところが、いよいよ心配無用、裏道の棒鼻まで廻る必要はなし、早くも町の真中で、ぱったりとその馬に出くわしてしまいました。無論、馬の脇には番頭と馬子がちゃんと無事に附いているのです。ただ違ったのは、馬が夥《おびただ》しく荷物を背負わせられている。夥しいといっても、それはカサだけで、正味はそんなに重いものではない、新生活に必要な家具類が――行燈《あんどん》からとうすみ[#「とうすみ」に傍点]に至るまで、積めるだけ積込んである。見た目のカサは大したものだが、重量はそんなではないから、馬は平気な面をしてのこのこと歩いて来る。
「兄さん、お待たせ申して済みません」
と、早くも米友の姿を認めて、先方の番頭から言いかけられて、米友がはにかみました。どちらがお待たせ申して済みませんだかわからない。
 なお、その番頭さんの言うことには、表街道が物騒がしいようだから、裏街道を通るつもりでしたけれども、こうして、兄さんにここでお会いしてみれば、どうもわざわざ裏廻りをするのはやめにして、やっぱりもと来た大通りを帰りましょう。
 そうさ、それに越したことはない、なにも、こちとらは盗み泥棒をしたわけじゃなし、天下の往来を、逃げ隠れをするような真似《まね》をしなくてもいい――米友も直ちに同意しましたから、そこで、一行が無事に長浜の町を出て、もと来た道を帰ることになりました。
 それでもこの一行のおそれるところは、途中、その江戸の御老中からの検地のお役人というのに出くわさなければいいがな、出くわしたところで、自分たちは、いま兄さんの言う通り、盗み泥棒をしているわけじゃなし、年貢の滞納や、隠田《かくしだ》のとりいれをごまかしているという弱味もないのだから、強《し》いて御無礼をしない限り、おそれるわけはないのですが、それでも、道中、お役人だの、お代官だのという連中に出くわすよりも、出くわさない方がいい、というのは、馬を除いた一行の、すべての心持です。ただ、番頭たちは戦々兢々《せんせんきょうきょう》として被圧的におそれているのだが、米友のは、小うるさいから会いたくねえという癇癪《かんしゃく》の一種に過ぎないだけの相違です。
 かくして左右は一団になって、畷道《なわてみち》のようになっている広い道を石田というところまで来ると、果して――ここででくわしてしまいました。
 単にでくわしたといえば、そりゃこそお代官――か役人と合点するでしょうが、そうではないのです。多くの人民が、その石田村の庭場の内外に溢《あふ》れ返っているところへ、この一行が通りかかったまでのことです。
「さては、一味ととうか!」
と米友が意気込んでみたが、忽《たちま》ちその意気込みを、いともなごやかに解消してしまった糸竹の音。群がる群衆の中から、笛や太鼓の鳴り物が賑《にぎ》やかに聞え出したものですから、米友は忽ち安心しました。いかに泰平な世の中とはいえ、三味線太鼓や笛つづみで百姓一揆を……てなものはありそうもない。
 お祭だ! お祭の一種に相違ないという観念が頭へ来たものですから、米友も思わず力瘤《ちからこぶ》を解いていると、駄馬に附添の番頭は心得たもので、
「はあ、雨乞踊《あまごいおど》りがござる、ひとつ見て行きましょうか」
「左様ですな」
「兄さん、雨乞踊りがあります、この雨乞踊りはこの地方の名物でございましてな、他国にも、あんまり類がございませんから、ひとつ見ていらっしゃいませ」
「うむ――」
と米友が言ったのは、肯定でもなければ否定でもありません。米友は、なにも雨乞踊りを見て悪いとは主張しないけれども、いいと賛成したわけでもないのです。それは双方に解釈ができる、常の場合ならば、左様な名物をちょっと立寄って見ることを、さのみ否定はしないが、今は非常時である、非常時だと言っても、このあたりに戦雲が動いているわけでもなんでもないけれど、さきほどから米友の観察と、頭脳とを以てすれば、なんとなく不穏なものであって、非常時気分がする――この際、悠長に雨乞踊りなんぞを見物するために道草を食うことは策の得たものではない――という心持がしないではないのです。といって、非常時そのものが、まだ具象的に眼前へ現われたのではないのですから、一概に僅かの享楽と慰安をまで禁止してしまわなければならないほど、事態が切迫しているとは思われない。そこで、米友としては、肯定とも否定ともわからない返答をしているのだが、事態はそんなことには頓着せず、番頭も、馬子も、呑気なもので、馬を道わきへ置きっ放しにして、早くも雨乞いの踊りの庭へ乗込んでしまったのですから、米友もいまさら甲乙を言うべき隙間もなく、自分もつい引込まれて、その祭の庭へのぞきに行きました。
 それが、ただこれだけなら、まだよかったのでしょうが、ちょうどそれとほんの少しばかり遅れて、東の方、北国脇街道を経て来たものと覚しい、ワッショイワッショイが一つありました。
 このワッショイワッショイは、あの名古屋の枇杷島橋《びわじまばし》で道庵を挟撃したそのファッショイ連とは違って、これは、三ぴんでもなければ折助でもなく、正銘のこの地方の若い衆が大勢、景気よく一つの長持を担《かつ》いで、飛ぶが如くに、こちらへやって来るのでありました。
 両替の馬と番頭米友らの一行が、祭の庭を見ることがもう一足|後《おく》れたなら、当然ここでバッタリと鉢合せが起ったのでしょうが、その間に二三分の差違があったのですが、ここへ来て、鳴物入りの踊りのあるということを認めたのは同じで、同時に彼等の好奇心が、やっぱり両替の一行と同じように、この地方古来特有の名物、雨乞踊りの古雅なるものをのぞきたいとの慾望から、ワッショイの気勢を頼んで、そうして彼等は総くずれになって、ドヤドヤと祭の庭になだれ込んだのは是非もなく、それは同じ道草にしても、両替の一行の方はみんな相当の穏かさを持っているのに、ワッショイの方は、血気盛りの若衆揃《わかいしゅぞろ》いですから、むやみに気が強くなっていてたまりませんでした。今まで景気よく担《かつ》ぎ上げて来た長持は大道中へおっぽり出して、立見の総見になだれこんだのです。せめて、もう少し老功者でもいたことならば、同じおっぽり出すにしても、多少は道の傍らへおっぽり出して置くだけの遠慮はあったでしょうが、気の強い若い者の集まりだけにそれが無かったのです。こうして、石田村の祭の庭は踊りに繁昌しましたけれども、前の街道には馬と箱とが狼藉《ろうぜき》におっぽり出されているところへ運の悪い時は悪いものです。
 そこへ例の老中差廻しの検地の役人の一行が、東の方から威儀堂々として通りかかったのです。
 そこでこの、虎狼も三舎を避けるはずの江戸老中差廻しの検地役人の一行が、この長持と駄馬とのために行手を遮《さえぎ》られてしまったのですから、これはただで済まされないのが当然です。
「これは何だ!」
 咎《とが》めようとしても相手がない、叱りつけようとしても相手が長持と駄馬では張合いがない。ただ張合いがないだけで済めばいいが、こういう際に、こういう品物が置かれてあることは、一層その激怒を煽《あお》ろうとも緩和するわけにはゆかないのです。のみならず、これはこのごろはやる、ややもすれば下剋上《げこくじょう》の階級闘争を煽るやからの一味ととうの故意にした振舞! 公儀役人に悪感情を持つやからが、わざとその出張を見はからってした嘲弄だ! こういうふうに解釈されたから、いよいよたまらないのです。
 そうでなくてさえ、ややもすれば役人を誘って反抗気勢を揚げようとする、土百姓の分際で生意気千万! 今後の、この地方一帯への見せしめのため――老中差廻しの検地役人の一行が、ことごとく怒髪《どはつ》天を衝《つ》きました。
 怒髪は天を衝いたけれども、差当り、その怒気を洩《もら》すべき対象物とては、長持と馬とのほかにありません。そこで、期せずしてまずその長持に手がかかるや否や、傍らの水田の中へがむしゃらに抛《ほう》り込んでしまい、駄賃馬に向っては、持合せの間竿《けんざお》で、その尻っぺたをイヤというほどひっぱたきました。
 長持の方は田圃《たんぼ》に抛りこまれてもべつだん悲鳴もあげなかったけれども、駄賃馬は、いやというほど尻っぺたをひっぱたかれるや否や、悲鳴をあげて一時竿立ちになったけれど、直ぐに驀地《ばくち》という文字通りに駈け出しました。その駈け出した方向というのが、鳴物入りで群衆を集めている雨乞踊りの祭の庭であります。
 このことがなくっても、馬があばれこまなくても、もう大方の雲行きで感得されるのですが、馬が驀地《まっしぐら》に駈け込んで来たので、群衆も、鳴り物も、雨乞いの祭の庭もあったものではありません。
 右往左往の大混乱――それは、事実上、暴れ馬を一頭、人混みの中へ放してみれば、誰にも想像の行く大混乱が湧き上りました。
「お代官様だ!」
 もう遅いのです。現場へ馳《は》せ戻って来た長持の若衆《わかいしゅ》たちは、いちいちその場でひっくくられて、ピシピシとなぐりつけられています。うろうろして近づく奴等は誰彼の容捨がなく引捕えて、ぴしぴしと縄をかけられるのです。
 ですから、混乱の上に、大恐怖が加わりました。
 相手が悪い!
 全く相手が悪いに相違ない、お代官となれば、小大名のお代官でも大抵、怖《こわ》いものの看板になっている。それが大公儀直通の検地お代官なのだから始末が悪い!
 みるみる引っくくられたものが束になって、幾十人というもの縄つきが、田の中にも、道の傍にも押し転がされてしまいました。村の相当の口利《くちき》きがお詫《わ》びに出て来ても文句を言わさず、それもぴしぴしと縛り上げられてしまうのだから手がつけられません。
 かかる時、宇治山田の米友はどうした。それだけが一つ、この際の仕合せでありました。米友はこの騒ぎの途端に、表へは出ないで裏へ廻ったのは、お代官の鋭鋒をそれと知って避けたわけではなく、それと知れば、よかれ悪《あ》しかれこの男としては、役人のぴしぴし人見知りなくふん縛る現場へ飛び出して来ずにはいられないのでしたが、米友がそこへ出ないで裏へかけ出したというのは、ひとり難を避けるという気になったのではなく、暴れ出した駄馬を取抑えんがためでありました。米友としては、検地の役人の一行の余憤でこの馬が、イヤというほど尻っぺたをひっぱたかれたから、それでこうして暴れ出して来たのだとは思いもよりません。何かに驚かされて馬が暴れ出したのだが、何がこの馬をこんなに暴れさせたかということの詮索《せんさく》よりも、この際、この通り暴れ出した現場を取抑えることが、第一の急務でなければならないと悟ったのです。
 そこで、一途《いちず》に取抑えに向ったけれど、本来、馬を取抑えるということは、向って来る奴を行手に立ち塞がって取抑えることの方が遥かに容易なので、それを追いかけて抑えるという段になっては、かなわないのがあたりまえです。なぜならば、四ツ足と二本の足です。ことに米友のは、その二本の足も一本は不満足なのですから、それで馬と競争はまず覚束《おぼつか》ないと思わなければなりません。
 しかし覚ついても、つかなくても、それを追わなければならない急場の形勢でしたから、どうもそのほかに仕方がありません。
 群衆の中へ追い込まれて、また更に群衆から驚かされた暴れ馬は、畔道《あぜみち》を、ただもう走れるだけ走っている、その後を米友が懸命に追いかけているのです。ですから、馬が止まらない限り、米友も止まれない。無軌道に走って行くのは是非もなく、走れば走るほど、街道の役人の一行と民衆との混乱の現場から離れて行くのは是非もないことで、しかし、これだけを以て見れば、それは検地役人一行のためにも、米友のためにも、むしろ幸いであったということを、米友の知れる限りの人が是認し且つ安心する。
 一方怒髪天を衝《つ》いて、片っぱしからちかよる民衆をひっくくり上げた検地役人の一行は、いったいこの村は何という村? と詰問した時に、江州《ごうしゅう》石田村と聞いて、また彼等の心証を悪くしてしまったのは、やっぱり時の運でした。
「ナニ? 石田村、江州石田村? ではあの逆賊治部少輔の生れ故郷だな、道理で!」
 役人がグッと胸にこたえたこなし[#「こなし」に傍点]です。
 実際、その通りでした。ただ、石田村だけでは何のカドも立たない平凡な村名ですけれども、石田治部少輔三成の生れ故郷とあってみると、事が大きい!

         二十三

 石田治部少輔三成は、畏《かしこ》くも神祖家康公に向って、まともに弓をひいた逆賊の巨魁《きょかい》である。
 さればこそだ、ここに不逞《ふてい》の徒があって、我々の行手を遮り、その威光を汚そうと企てるのは、つまり大公儀そのもの、神祖の御威光を無視するも同様である。なるほど、石田治部少輔の故郷なればこそ、これを捨て置いては御威光にかかわる。
 検地の役人は、多分そんなふうにまで憎悪《ぞうお》が進んでいったらしい。そこで、いったん怒りが鎮まれば聞き置かるべきことも、いっさい耳を閉《とざ》され、お詫びがかなうべきこともかなわない形勢に悪化したのは是非もありません。名主に預けっぱなしで置いて、やがて御免のあるべき性質のものが、そこから長浜へ正式に護送という段取りになったのは、情けない出来事です。
 誰が何と言っても、この地名が石田であり、三成であることの限り、救われない事態となってしまった! よしこれらの長持をかついで来た若衆《わかいしゅ》が、実は中仙道筋の柏原駅外の若衆であって、彼等は何故に、こんなに勢いこんで長持をかついで来たかといえば、それは昨日、駅外で素人《しろうと》芝居を催した時に、その衣裳道具を長浜の然《しか》るべきところから借り出して来た、それを芝居も無事に打上げたから、多少の礼物をそえて、こうして若衆手揃いで返しに行く途中なのでありました。その途中、はからずも、こんな奇禍に逢ってしまって、今まで血気盛りの若衆たちが、すっかり血の気を失って、生ける空のないのも道理です。
 彼等は、数珠《じゅず》つなぎになって、長浜へと引き立てられて行きました。
 米友はかくの如くしてこの場を外《はず》れ、また米友が同行の両替の番頭と馬子も、表の騒ぎよりは、米友のあと、つまり責任ある両替の馬のあとを追ってはせて行く方が急務ですから、それを追いかけたのが勿怪《もっけ》の幸いでありました。
 こうして、石田村の畷道《なわてみち》の活劇は大嵐のあとのように一通り済みましたが、一つ済まないのは、役人たちの手で水田の中へおっぽり込まれた、問題の長持の後始末です。
 なるほど、借用のお芝居の衣裳道具が入れてあったに相違なく、その蓋《ふた》が、遥か彼方《かなた》にけし飛んで、中身が無残にはみ出している。それもおもに女物ばかり入れてあったと見えて、初菊《はつぎく》のかんざしだの、みさお[#「みさお」に傍点]の打かけだのというのが、半分は水びたりになっている。あまりに無残な体《てい》ですけれども、誰も手を出すものがありません。へたに手を出して、一味ととうの残党ででもあるように嫌疑を受けてはたまったものでない。
 せっかくの衣裳道具がジリジリと水びたりになって行く無残な光景を、たまたま通りすごす人も、怖る怖る横目に見て、足音を忍ばせて通り過ぎるくらいですから、この長持もまた救われないものの一つでありました。
 ところが、この長持が突然、大きなあくび[#「あくび」に傍点]を一つやり出したことです。
「あーあ、ううん、あーあ」
 長持があくびをするということは曾《かつ》てあり得べきことではない、それが確かにあくびをしたのですから、まず田にしが驚いて蓋をしたというわけなんでしょう。そうするとつづいて、
「こいつは、たまらねえ」
 その長持の、初菊や、みさおの衣裳の中が、急にもぐもぐと劇《はげ》しく動いたかと見ると、いきなり、その中から這《は》い出したものがありました。
「あ! こいつは、たまらねえ、こういうこととは知らなかった」
 あわてて長持の中から這い出したのはいいが、這い出したところが水田《みずた》です。その水田の中へ手をついたものだから、手が没入する、足を入れると足が没入する、後ろへひっくり返ると背中、前へのめると面《かお》から胸いっぱい忽《たちま》ち泥だらけとなって、七顛八倒《しちてんばっとう》する有様は見られたものではありません。
 見られたものでないからといって、この際、通りかかった人は、それを見過すわけにはゆかないでしょう。知った面であろうとなかろうと、こうして田の中で七顛八倒している人を見れば、そのまま見過しはできない道理ですけれども、あいにく、その時は人通りがありませんでした。
 人通りがあってもなくても、知る人は知る、ここにひとり七顛八倒して、お汁粉の化け物のようになって、ひとり泥試合を演じつつある御当人とては、当時、下谷の長者町で有名な、十八文の道庵先生その人であります。
「ああ深《ふけ》え! こいつはたまらねえ」
 一方の足を抜けば、また一方の足――足が抜けたかと思うと、諸手《もろて》がそれよりも深くハマリ込んでいる。
 かわいそうにわが道庵先生は、ぬきさしのならない深田地獄へ没入の身となりました。
 そもそも道庵先生たるべき身が、どうしてこうも無残な運命にでくわしたかと言えば、それにはそれで幾分同情すべき理由もあるのでした。
 あの芝居の楽屋で、この長持の中へ酔倒して、その上へ突然、フワリと薄物が一枚落ちかかったものですから、誰にも気づかれないで、いい心持に寝こんでしまっていたが、程経て、千秋楽《せんしゅうらく》の柝《き》が入り、舞台楽屋万端取りかたづけの物音に目が醒《さ》めないというはずはないから、そうして長持も当然、納むべきものを納め、蓋をすべきは蓋をする運命とならなければならない瞬間に、この先生のいたずら心が勃発したと見らるべき理由があるのです。
「こいつは、あとの幕が面白くなりそうだ、ここにもう暫くこうして納まり込んでいると、知らず識《し》らず次の幕へかつぎ出される、さあ、その出場が問題だ、一番運を天に任せてみてやれ」
という気に道庵がなり出して、そのままわざと息を殺しているうちに、相当の衣裳類が上から積込まれ、蓋をされて、道庵もろともに楽屋から担ぎ出された成行きであろうことは、充分察せられる。
 しかし、それからがまた問題で、いかに道庵であるとはいえ、衣裳類を上から積み重ねられた上に蓋をされたんでは、相当時間の後には窒息に陥る憂いがあるではないか。しかしそこは、またお手前物で、その辺の危険に思い及ばぬはずはない。といって、江州柏原駅にあらかじめ道庵を入れて運ぶために備えつけられていた長持が無い限り、道庵の呼吸のために安全弁が特設されてあろうはずもないから、いたずら心はいたずら心として、中に納まった道庵は蓋をされる瞬間に、そこは心得て、なんらか空気流入の調節方法を講じて置いたものと見なければならぬ。
 こうして内心大満悦で、予想を許されざる次の舞台まで舁《かつ》がれて行って、そこで底を割って、やんやと大当りを取ってやろうという趣向が、中で揺られている間に、またいい心持になって、おぞましくもぐっすりと寝込んでしまったのが運の尽き?
 幾時かの後、はじめて眼がさめて見ると、この体《てい》たらくである。
 そのくらいだから道庵は、ここが石田村であるか、土田村であるか、そんなことは知らない。また、たった今の先まで威勢よく、自分というものが中に忍んでいるということは知らずに、手揃いで舁ぎ込んで来た若衆の面《かお》ぶれも知らなければ、事の重大な成行きなんぞも知ろうはずはない。
 そこで、ごらんの通り、深田地獄の中でこけつまろびつ――気の毒といえば気の毒ですけれども、なあに本来当人酔興の至りで、自業自得というものです。癖になるから、ああしといて、さんざんに笑っておやりなさい。

         二十四

 お銀様の実家――すなわち甲州有野村の藤原家の広い屋敷内の一角で、与八としての新しい仕事が一つはじまりました。
 それは、お銀様の拵《こしら》えた悪女塚を取崩しにかかっているということです。
 これが非常に危険性を帯びた仕事であるということは、仕事そのものが必ずしも危険性を帯びているというわけではない、それがために後日捲き起さるべき風雲を予想してみると、知れる限りの人が誰ひとりおぞけをふるわないものはありません。
 あの暴女王が、旅に立つ前に残して置いた記念事業です。それにさわることすら怖れられていたものを、与八という風来の馬鹿みたような男が、平気な面をして、順々と取崩しにかかっているのですから、それを見たほどの者が、ピリピリとふるえ出したのです。
 もちろん、これは父としての伊太夫が命令を下して、そうさせている仕事でないことは明らかであります。親権者としての父の伊太夫が、この横暴なひとり娘に対して権威の極めて薄いことを知っている者にとっては、たとい暴女王の不在中とはいえ、それを取壊さしめて、その帰って来た後の風雲を予期しないはずはない。それだから父としては、むしろ、それに触れることを他に向って差止めようとも、それに一指を加えろなんぞと指図をするはずはないのです。そのくらいなら、最初こんなものを建設するその時に差押えてしまっているでしょう。
 唯一の親権者たる人でさえ、それに触るることを怖れているものに対し、それ以外に命令を下して、この馬鹿みたような男をそそのかす人があるとも思われない。よしあったとしても、風来の与八として、それを用うべくも従うべくもあろうはずはないのです。
 してみれば、これは当然――当の暴女王の直接命令でない限り、事に従事している者の無知がさせる業でなければならない――与八は馬鹿みたような男だから、その辺にいっこう無頓着で、こういう暴挙に平気で取りかかっているものらしい。
 だが、それにしても親権者たる伊太夫の黙認がない限り、こんな仕事が平然として続けて行けるべきはずはないのですから、伊太夫も命令こそ下さない、許諾《きょだく》こそ与えないけれども、与八の為《な》すことに相当の諒解を持っていることには相違ありますまい。
 もちろん、その通りです――ある晩のこと、例の如く伊太夫は、与八が米を搗《つ》きながら郁太郎《いくたろう》に文字を教えている納屋《なや》の中へ話しに来たついでに、こういうことを言いました――
「なア、与八どん、こないだの話、この郁太郎殿を、わしが家の養子にして、お前さんを後見にしたいと言うたあの話、あれはお前から承知とも不承知とも、まだ返事を聞かないが、ともかく、お前がこうして安心してわしのところに腰を据えていてくれることは、とりも直さずわしの言ったことに同意ができないまでも、わしの心中を諒解してくれていることと思って、わしは嬉しく思っておるがな、どうだ、与八どん、居ついてくれる気持があってもなくても、こうして納屋にばかり燻《くす》ぶっていてもつまるまい、わしがこの屋敷のうちのどこでもいいから、お前の好みのところを選定して、一軒別に家を建てなさい、つまり、郁太郎とお前と新屋《しんや》を一つ建ててみる気はないかね」
 伊太夫がこう言い出した時に、与八も少し乗り気になったものと見えて、
「それは有難い思召《おぼしめ》しでございます。先日の有難《ありがて》えお言葉にてえして、わしも、どういうふうに返事を申し上げていいかわからねえので、何とも申し上げねえのでございますが、どうも旦那の思召しが有難え上に、なんだか旦那のお胸のうちを考えてみますと、わしもひとりでに涙がこぼれるような気になりますでなあ、ああおっしゃられなくても、急にこのお屋敷をお暇《いとま》申す気にはなれねえでいるところでございます、新屋を一つ建てろとおっしゃって下さることは、直ぐにここで御返事ができます、どうかそうさせていただくことに願《ねげ》えます。なに、郁坊とわしの二人で臥起《ねお》きをする場所だけあればいいのでございます、いつまでもこうして、納屋に居候をさせていたでえておいてもいいのでございますが、納屋はまた納屋で用向があるでございますから、人間は人間として狭くとも一軒別にあてがっていただけば、こんな有難えことはございませぬ」
「うむ、よく言ってくれた、じゃあ早速、今日からでも、お前の好きなところへ地取りをしなさい、どこでもいい、そうして材木はいくらでも出してやる。大工も左官も、みんなあてがってやる、大きくとも小さくとも、お前の好きなように地取りをして、絵図面を拵えてごらん」
「はい、どこまでも有難えことでございます――それなら早速、明日からでもそういうことにお願え申すことに致しやして、それに就きまして、旦那様、その上に一つお願えがあるでございますが……」
「改まってお願いのなんのと言うがものはなかろう、言ってごらん」
「今、旦那様が好きなところへ地取りをしろとおっしゃいましたが、その地取りについて、わしらに望みがあるでございます」
「望みがあるならなお結構、その望みのところを取りなさい」
「では、お願え申しますが、あの旅においでになったお嬢様とやらが建ててお残しなすった、あの悪女塚というところの地面を、わしにお借り申させていただきてえんでございます」
「えッ」
と、その時に、伊太夫が思わず眼をみはったくらいでした。
「与八」
「はい」
「わしはな、お前にドコでも望めと言ったが、あれだけは勘弁してくれないか」
「いけませんか」
「いけない理窟はないのだが、あれは遠慮した方がよい、第一わしが迷惑するより、あんなところを選ぶお前が迷惑するのが眼に見えるのだ」
「旦那様――わしの方の迷惑なんぞは、ちっともかまいませんが、わしはお屋敷のうちのどこよりも、あそこが好きなのでございます、あそこへ新屋を建てさせていただきたいのでございます」
「それは困るな」
「ねえ旦那様、旦那様がお困りなさるわけを、わしも人様に聞いてよく知っておりますが、旦那様の御迷惑はみんなこの与八がかぶりますから、どうか、あすこんとこを、与八に貸してやっておくんなさいまし」
「与八――お前はまた、何か了見《りょうけん》があって、特にあの場所を所望するのかね」
「え、了見があるんでございますよ、早く申し上げてしまいますとね、旦那様、結構なこのお邸《やしき》の中に、あんな不祥な建物があるのはよろしくございませぬ」
「それはよくないにきまっている――よくないにきまっているけれども、それを親としてのわしがどうにもできないでいる浅ましさを察してくれ、さわらぬ神に祟《たた》りなしとはあのことだ」
「祟りがあっても、わしらかまいません、わしらの身の上に祟りがあることなんぞは、いくらありましょうとも、かまいません、お屋敷のうちにああいうものを置きますと、いよいよ悪気が籠《こも》って――この末のことも想われますから、わしがひとつあれを取払って、そうしてそのあとを清めてから、片隅へわしらの家を建てさせていただきまして、それからわしらはまたあの土地へ、悪女塚に代る供養を致してえと、こう思うんでございます。それで旅へおいでになったお嬢様がお帰りになって、お腹立ちになりました時は、与八ひとりが罪を着まして、どういうお咎《とが》めを受けましょうとも、罰を蒙《こうむ》りましょうとも、覚悟をいたすつもりでございます。ですから、あの塚の取崩しから、地形地均《じぎょうじなら》しから建前《たてまえ》まで、みんな、わしら一人の手でやってみてえと、こう思ってるんでございます――お嬢様からお咎めのあった時、わしら一人が罪をきるつもりで……」
「えらい、よく言ってくれた、お前でなければそういうことを言ってくれる人はない、では、いいからおやり、塚を崩そうとも、像を壊そうとも、お前さんの思い通りにおやりなさい」
 伊太夫がここではじめて、凜《りん》とした親権者としての気前を与八の前に示しました。その言葉によって見ると、よしよし、お前ばかりにその罪はきせない、今度こそ娘が帰って来て、留守中にこの男のやった仕事に不服があるならば、主人として、親としてのこの伊太夫も、立派に権威を見せるという腹をきめたらしい。
 こういう諒解のもとに、その翌日から与八は、悪女塚の取崩しにかかったのであります。
 そうして、この工事の間は、主人は他の仕事に与八を使わないことにきめましたから、与八は、ここへ仕事小屋を建てて寝泊りをして、郁太郎を遊ばせながら、お銀様の悪《あ》しき丹精を、片っ端から解消にとりかかっているという次第なのです。

         二十五

 実際、与八のこの仕事は、藤原家に出入りのすべての人を戦慄せしめずには置かない仕事でありました。
「馬鹿でなければやれない仕事だ」
「知らぬが仏とはよく言ったものだ、藤原家のお嬢様なるものの御面相を、全く知らない人でなければ出来ない仕事だ、風来人なればこそ出来る!」
と感歎するものもある。
「あのお嬢様が帰って来て、あれをごらんなすったら、その結果はどうだ、あの馬鹿みたような男は、直ぐに捕まって焼き殺されてしまうにきまっている、その時、火あぶりの執行人を言いつかるものこそ災難!」
と今から口をふるわせる者もある。
 左様、全く知らぬが仏です。与八は暴女王の女王ぶりのいかに峻烈《しゅんれつ》であるかに就いては全く知らない!
 有野村の藤原家の邸内は、いわば治外法権の地である。この邸内に於て行わるる限り、生殺与奪というものが、この家の主人にある。主人以上の暴女王は、おそらく怒りが心頭にのぼる時は、この馬鹿者を押えて焼き殺すかも知れない、殺すかも知れないではない、事実、先日の大火に家を焼き、仮りにも母と名のつく者、弟の縁につながるものを、同時に焼き亡ぼしてしまったのは誰だ。
 ここに、知らぬが仏の風来の愚か者に対して、そのことを思いめぐらして、当然近き将来に来《きた》るべき残忍極まる刑罰の日を予想する村人の心配には、根拠がある。
 しかし、この馬鹿みたような当人は、相変らず天下泰平で、その馬鹿力を応用し、さしも人と土石との労を尽したグロテスクの建造物を、数日の後には苦もなく破壊し尽して、そうして名残《なご》りもなく、そのあとを平げてしまいました。
 その一隅へ自分で建てた掘立小屋。
 材木も、大工も、惜しむところなく供給してやると主人が言ったに拘らず与八は、この住居をも自分の手一つで建ててしまいました。当然それが掘立小屋に毛の生えた程度のものであるには相違ないが、それでも、床は上っているし、壁もついている、ただ、木口だけはなかなか贅沢《ぜいたく》だから、素人《しろうと》建築とはいえ、貧弱な感じはせずして、かえってガッシリして変った味のある建物が出来ました。
 この新居に納まった与八。
 その次の仕事として、いったん取除けた土を清めて塚を築き直し、巨石を洗って別に新たなる台座をこの上に載せました。してみれば、やっぱり何物をか新たにその台座の上に建てようとの目論見《もくろみ》に相違ない。
 かくて与八が、再び抱き起して、作事小屋へ抱え込んだのは、グロテスクの本尊、悪女塚の女人像《にょにんぞう》でありました。
 与八は、そのグロテスクな石像を作事小屋に担ぎ込んで、後ろの糸革袋《いとかわぶくろ》の中から取り出したのが金槌《かなづち》と石鑿《いしのみ》です。それを両手に持って、小屋の中へ立てかけた悪女の女人像をじっと見据えました。
 暫く見据えていたが、やがて立って、悪女人像の顔面の真中ほどへその石鑿をあてがって、右手の槌は早くも頭上に振りあげられたところを見ると、与八はまず最初の鑿で、このグロテスクの顔面を一撃の下に打ち砕こうとする心構えに相違ない。
 ここまで意気込んだが、この男が少し躊躇《ちゅうちょ》しまして、さてまた改めて、つくづくとグロテスクの悪女人の面貌を見直して躊躇しているのは、今更、この石像の持つ深刻な憎悪と醜悪との表情におびえ出したとも思われません。ただ、なんとなく槌を下ろすのに忍びない、すでに塚を取崩して平地にしてしまった以上、その本尊様を粉に砕いて、人目に触れしめないようにすることが当然の親切でなければならぬが、さて、こうして当面して見ると、
「そうだなあ、こりゃ大した魔物には魔物に相違《ちげえ》ねえけれど、これまでに丹精して作ったものだ、形は魔物であるにしろ、その人の丹精というものはおろそかにならねえからな、これだけに仕上げた人の骨折りを思うと、それを無下《むげ》にする気になれねえ、魔物はブチ壊してえが、人間の丹精は惜しいなア」
 与八が鑿《のみ》を振わんとして、振い得ない理由はそれでありました。
 実際、このグロテスクなるものは、観賞眼の乏しい与八の目を以てしても、それが魔物であり、悪女の像であることは熟知していて、その意味から悪魔払いのために打ち砕くべきが当然であることを深く自認しながらも、作そのものの異様にして、同時に非凡なる或る力に打たれないわけにはゆかなかったのです。
 この悪女像の表現に於ては、「年魚市《あいち》の巻」に次の如く書いてあるのを、少し長いが改めて引用する。
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「巨大なる蛸《たこ》の頭を切り取って載せたように、頭頂は大薬鑵《おおやかん》であるが、ボンの凹《くぼ》には※[#「くさかんむり/毛」、第4水準2-86-4]爾《もうじ》とした毛が房を成している。巨大な、どんよりとした眼が、パッカリと二つあいていて眉毛は無い。鼻との境が極めて明瞭を欠くけれども、口は極めて大きく、固く結んだ間へ冷笑を浮ばせている。頭から顔の輪郭を見ると、どうやら慢心和尚に似ているが、パッカリとあいた眼は、誰をどことも想像がつかない。だが、そのパッカリとあいた、力の無いどんよりとした眼が、見ようによっては、爛々《らんらん》とかがやく眼より怖ろしい。かがやく眼は威力を現わすけれど、この眼は倦怠を現わす。威力には分別を含むものだが、倦怠は侮蔑のほかの何物をも齎《もたら》さない。
お銀様のこしらえたのはスフィンクスです。だが、古代|埃及《エジプト》の遺作に暗示を得たのでもなければ、模倣したのでもなく、或いはまた直接間接に、その材料を取入れたわけでもなんでもありません。全くお銀様独得のスフィンクスだということが一見して直ぐわかる。
たとえば、復興時代のエジプト人が、母性守護の女神として表徴した奇怪なる河馬女神《かばにょしん》トリエスの石彫像に似たと言えば言えるが、もちろんそれではない。
牝牛《めうし》を頭にいただいたハトル女神の面《かお》? アプシンベル神殿の岩窟《いわや》の四箇の神像のその一つのクラノフェルの面に似ていると言えば言えるかも知れないが、それでありようはずのないのは、メンツヘテブの石彫がこれと似て非なるものと同じこと。
古代埃及の彫像は怪奇を極めているが、超現実的ではない。いかなる怪奇幻怪なるものの裏にも、必ずや厳密なる写実がある。
お銀様のスフィンクスには、怪奇はあるが写実はないと言ってよろしい。
古代エジプト人は、死者の霊魂は必ずその彫像を借りて生きて来る、或いは彫像によって死者の霊魂を迎え取ろうという信仰があった。よし、それは迷信であっても、信仰の一つには相違ない。そこで六千年以前から人類生活を持っていた偉大なるハム民族は、その巨大なる想像力と、独得なる霊魂復活の信念を働かせて、多くの巨人的制作を、現代の我々の眼にまで残している。
お銀様のスフィンクスは、こんなものではない。
第一、お銀様には、その巨大なる想像力が無い如く、殊勝なる霊魂復活の思想なんぞはありはしない。
そこで怪奇の目的が、大自然へのあこがれでもなく、大自然力への奉仕、或いは恐怖でもなく、ただそれより以降、六千年の人間の世にうごめく眼前の我慾凡俗の間の、呪《のろ》いと、恨みと、嫉《ねた》みとが生み上げた、復讐的精神の変形として見るよりほかは見ようが無いらしい。
だから、彼女のスフィンクスの怪奇の対象は、彼女自身の、むしゃくしゃ腹の具象変形に過ぎないと思われる。
そこで、この絵像の与うるところの印象は、全体に於てノッペラボーで、部分に於て呪いで、嫉みで、嘲笑で、弛緩《しかん》で、倦怠で、やがて醜悪なる悪徳のほかに何物も無いらしい」
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 そこで、この何とも言えないグロテスクの一種の力が、与八をして、当然砕かねばならぬものと覚悟をきめていた悪女像に向って、鑿《のみ》を振り上げながら、一種の愛惜《あいじゃく》、未練《みれん》――或いは別な意味での尊重に対する観念を起させたと見えて、金槌を振り上げたなりで、ずいぶん長いことの間、その悪女像を見つめていたのですが、最後に、
「ああ、そうだ、いい工夫がある」
 彼はどういうつもりか鑿と槌とを打捨てて、再び右のグロテスクを抱えると共に、その大力を利用してクルリと石像の裏返しを行なってしまいました。
 そこで、今までは仰向けに与八と睨《にら》めくらをしていた悪女が、今度はすっかり後頭部と背中を見せてしまったものです。
 それから後に、何の用捨もなく、与八が右の悪女の後頭部と背面に鑿と槌とを振いはじめました。但し、こんどは砕く目的ではなく、彫る目的のためでありました。つまり悪女の後頭部及び背面を別の手法もて、すっかり彫りつぶそうとの目的であることが明らかです。
 そうして、何を与八の彫刻術がそこに表現を試みようとするか。
 一日二日して、ようやくそのえたい[#「えたい」に傍点]がわかるようになりました。その表現の顔面――それは悪女像を説明するような小むずかしい知識を必要としない、本来与八の有する彫刻術の技能はそれよりほかに表現の方法を持たないところのもの、つまり沢井の海蔵寺以来の手練――与八は、悪女の裏に地蔵様の面影《おもかげ》を彫りつつ彫り進んでいるのであります。

         二十六

 こうなると、どちらが表面で、どちらが裏面だかわからなくなるが、ともかく、与八としては背面の悪女は悪女としての芸術を惜しみながら、自分は自分としての表現を、鑿と槌とに打込んでいる次第なのです。
 与八がこの彫刻をはじめ出した前後から、不思議と子供たちが、この地点と、新しい台座と、作事小屋との近くに、一人|殖《ふ》え、二人殖えつつ集まり出して来ました。彼等は皆、ここによい遊び場を見つけたとして集まって来る。もとより藤原家の子供ではありません。
 この附近を中心としての遠近の村里の子供が、ようやくこの地点へ群がり出すようになってきました。
 その子供たちが、誰が教えるともなく、山から採って来た花卉《かき》を、与八のこしらえた新しい壇のまわりに植えはじめました。
 現在、花の咲いている草もあり、木もあり、来春を待って花を持つべき種類のものもある。それを壇の周囲に植えることを楽しむようになりました。
 そうして彼等はまたこの遊び場でおのおのの遊戯を持ち出して戯れ遊ぶ。ある時、女の子の一群が、お手玉をはじめる。
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こここめばら
さいたかどん
天神弓矢の松原どん
お江戸の花が
咲いたかどん
たつみやのお裏の
ばらぼたん
一枝おくれ吉野さん
一枝やるもの
花じゃもの
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 与八は、そのお手玉唄を面白いと思いました。また或る時は、その前の地面をつき固めて光るほどに磨いた上で鞠《まり》をつく、あるものは向き合って掌《て》を打って唄う、ある時はまた羽根をつく、おはじきをする、拳《けん》をうつ、立業《たちわざ》では鬼ごっこをする、やがて竹馬に乗って来るものがある、凧《たこ》を飛ばしはじめる者がある、それが、やがて、与八の仕事場の前に群がり立つようになったのも自然です。
 それから与八の彫刻ぶりに興味を持ち、その周囲に群がり、次第次第になじみが出来てくると、これはお松と共に、武州沢井で教育に着手した当時と同様の空気が、おのずから現われて来ました。
 しかし、与八としては、お松ほどの教養があるわけではないから、進んでこれらの子供をどうしようの計画も起らないで、ただ彼等の為《な》すがままにして、彼等と共に遊ぶ心でいると、子供たちは、次第次第に、土地の自然そのものから和《やわ》らげてゆきます。
 土地の自然そのものが、子供たちによって景気づけられてゆくのと合奏するように、子供たちの群《むれ》が群をよんで、人気の賑《にぎ》やかさが加わってゆくうちに、これが与八が註文したわけでもなく、お松のような指導者が存するわけではないのに、花卉木草《かきもくそう》を植え込んだ次に、手でするさまざまの供え物が集まって来るのが不思議でした。
 例えば真白い木綿達磨《もめんだるま》、紙幟《かみのぼり》、かなかんぶつ、高燈籠《たかどうろう》といったようなものを誰が持ち来たすともなく持ち来たして押立てる。
 無邪気で、こういうことをしている間に、そこは子供心で、おのずからの競争心といったようなものが出て来るのを認めます。甲の紙幟の評判がよいと、乙がそれに負けない気になって、それよりも優れたものを拵《こしら》えて来る、丙のかなかんぶつが喝采を博した時は、丁は竿の先に結びつけた高燈籠の色紙に自慢を見せて、高々と差しかざして来て押立てる――そうして、自然それが出来ない子供のうちには若干の羨望《せんぼう》もあるし、諦《あきら》めているのもあるし、肩身の狭い思いをしているらしいのもある。子供らの為すことのすべてに干渉しない与八も、そういう空気を見て取っては、知らず識《し》らずのうちに子供たちの無益な競争心が増長しつつ行くのを見ると共に、その競争に堪えられないでしおれる子供たちを見ると、その弊害の尠《すくな》からざることを思いやりました。
 そこで与八は、なるほどお松さんが、子供を見ているうちに、どうしても教育をしなければならないとさとってこれを実行した心持がよくわかり、自分もそこでお松|直伝《じきでん》の教育をはじめることになりました。しかし、これはお松さん直伝の教育というよりも、与八さん独得の説教といった方がよいかも知れませぬ。
 自分がコツコツと石像をきざみながら、板の間へ子供たちを呼び入れて、ねんごろに話を聞かせてやりました。
 話といっても、与八のはお伽噺《とぎばなし》や武勇伝のようなものではなく、みんな、よく遊びながらも、おめぐみということを考えなくてはならねえ、第一父母のおめぐみ、それから目上の人のおめぐみ、国のおめぐみ、世の中のおめぐみ、神様仏様のおめぐみということを考えて、めったに人と争いをしてはならねえ……というようなことを、くどくどと教えるのですが、妙にそれが子供の頭に入るので、神妙に聞いています。
 それからまた、与八は子供たちに、東妙和尚うつしの地蔵和讃などをも口うつしに教えました。
 お松の教育は、手をとって学問芸術を教える正式の教育でしたけれども、与八のは、やっぱりお説教の一種です。こうして説教をやっているうちに、集まる子供たちの一々について視察して見ると、知恵の程度がまちまちであることを知りました。存外、年を食うて大きなずうたい[#「ずうたい」に傍点]をしているに拘らず、いろはのいの字も知らない鼻たらしがいたり、小さくても、年も少ないのにずいぶん過ぎた読書力を持っていたりするものもあり、概して平均した教育を持っていないことを知った与八は、説教だけではいけないと、今度はお松さん直伝の教育にとりかかりました。
 この子供たちを教育することは、郁太郎を教育するのと兼ねてやることになりますから、与八としてはやっぱり日課を拡大しただけの程度で、特別に苦になるということもありません。
 しかし、教育者そのもの、つまり先生でありお師匠さんであるところの、御当人の学力というものが甚《はなは》だ怪しいもので、師範学校を出たり、検定試験を受けたりして免状を持っているというわけではなし、お松さんのように遊芸|手跡《しゅせき》、本格の仕込みを受けているというわけではないから、教員資格としての与八は、大したものではありませんけれども、沢井の時の経験から、この子供たちを導くにはどうやら不足がない。
「いろは」を教え、「アイウエオ」を教え、「一二三」を教え、やがて手製の大算盤《おおそろばん》をもって、寄せ算、かけ算を教えはじめました。
 子供たちは、文字を知り、数を覚えることの興味に吸い寄せられて来ました。子供たち自身よりは、驚異をもってうごめき出したのはその子供たちの家庭でした。日に一字ずつ覚えて帰る、お辞儀のしかたも覚えて帰るガキ共を見て顫《ふる》え上りました。
 あの薄馬鹿のようなデカ者は、親切である上に先生が出来る! あそこへ子供をやって置けば間違いはない! 子供もよい癖がついた上に、読み書き、そろばんまでも教えて帰される!
 彼等の親たちの大多数は無学でした。お触れのかきつけを読むことも、嫁の里へやる手紙を書くこともできないのが多いのですから、文字を有難がることは金玉《きんぎょく》のようです。その金玉を毎日一つずつ拾って帰る子供を見ると、それを拾って帰らす人の功徳《くどく》を驚異せずにはおられないのは当然。
 こうして与八の家は、おのずから説教の壇上となり、教育の学校となって行きました。
 そこで、親たちは、自分のガキ共を、山仕事、野良《のら》仕事の手伝いをさせる時間を割《さ》いても、与八のところへよこすようになりました。そうなると与八も時間の規律を立てた方がよいと思いまして、何の時に集まって、何の時まで何をして……という時間割を定めたのです。その次に時間割を等分するために、これも手製の一つの漏刻《ろうこく》を備えました。
 瓢箪形《ひょうたんがた》の一方に砂を盛って、その一方が一方に満つるまでを一時《ひととき》として説教と読み書きそろばんの時間を区分しました。
 そうして、なるべく少ない時間で多くの効果をあげるように、そうして他の多くの時間は、家々の稼業《かぎょう》のために使わせるようにしなければならないと思いやりました。しかし、雨の降った日などは、特別に時間を延長したりしてやることもあります。
 あるお天気のよい日、今日はこれでおしまい――と子供たちを散校させると、ぞろぞろ外へ出て、以前の悪女塚の前の小径《こみち》を下ろうとした一隊が急に歩みを止めて、男の子供がけたたましく、
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ヘービモムカデモ
ドキアレ
オレハ鍛冶屋《かじや》ノ婿《むこ》ドンダ
槍モ刀モサシテイル
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と声高く歌い出しました。そうすると女の子も引きつづいて、
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ヘービモムカデモ
ドキアレ
オレハ鍛冶屋ノ嫁《よめ》ドンダ
槍モ刀モ持ッテイル
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 こうして一時に喚《わめ》き出したかと思うと、その中から一人、火のつくように泣き出したのがあります。与八が飛んで出て見ると、
「おじさん、鶴どんが蛇に噛《か》まれた」
「まむし、まむしだ、こん畜生」
 早くも悪太郎の一人は、当の敵を仕とめて竹の先に貫いて、与八の面前に差出したのは、銭形《ぜにがた》の怖るべき毒蛇であることを知ると、それに噛まれたという女の子を、与八はいきなり取っつかまえて、
「ど、どこを噛まれた、足か、足のここかい」
と言って、その創《きず》へいきなり自分の口を持って行って強く吸いました。強く吸い取ってからそれを吐き出し、子供をもろに抱いて宅の方へ駈け込んで、そこで手早く繃帯《ほうたい》を捲き、自分の口をすすぎ、手当をつくして、それから右の子供を背中に背負って急いで子供の家へ連れて行ってやりました。そうしてこの災難の次第を物語ってから、自分の注意の行届かなかったことをお詫《わ》びをすると、お詫びどころではござらない、こっちの災難を、おかげさまで手当が早かったからもう大丈夫、蝮《まむし》に食われた覚えは村の者にもいくらもあるが、どうしてこんなものではない、これは手当が早くて上手にやってもらったおかげだ――と言って、怪我をさせてもらって有難うと言わぬばかりに、親たちはお礼を言いました。
 また、時として子供たちが学業中、急に腹痛、頭痛、めまい、立ちくらみを訴え出すと、与八は直ちに手当をし、容体をよく聞きただし、撫でたりさすったり、用意の草根木皮を煎《せん》じたり、つけたりして与えると、不思議によく治るのです。そうして親たちが迎えにでも来ようものなら、その容体によって、その子供たちの今後の摂生法などを教えてやるのです。打身、きり創のような時もその通りだし、心持が親切の上に、手当が上手だし、それに別段金をかけて薬品を買いととのえて置くというわけではないけれど、日頃心がけて、手近な草根木皮をとって、干したり乾かしたりして蓄えて置くものですから、急場の間《ま》に合います。これは一つは、与八が道庵先生に親炙《しんしゃ》している機会に、見よう見まねに習得した賜物《たまもの》と見なければなりません。
 あの馬鹿みたようなデカ者は、先生もやれる上に、お医者さんも出来る!
 と村人が再び驚異した時分には、ただこの先生でありお医者である人を、子供たちの専用にさせては置けない結果になりました。
 この学校も繁昌するが、このお医者さんをまた流行《はや》らせずには置かない世の中になり行きます。
 この間とても与八は、自分の彫刻と、説教と、教育と、医術とに専《もっぱ》らなるのみではありません、主家伊太夫のためにも、絶えず詰め切って蔭日向なく働き、またその最も有力なる相談役を委せられてもいました。

         二十七

 そのうちに、誰言うとなく、こんどお大尽様へ来たデカ者は、あれは只者ではござらねえ、まさしくあれは木喰五行上人《もくじきごぎょうしょうにん》のお生れかわりに相違ない、五行上人が生れかわって有野村のお大尽の邸へお出ましになった――
 と、こういう噂《うわさ》が立ちました。
 そうすると、善男善女《ぜんなんぜんにょ》が木喰五行上人の再来のお姿を拝みたいというので、与八のこの新屋へお詣りに押しかけて来ました。そうして仏像をきざんでいる与八の姿を拝む者が続出して来たのには、当人の与八がわけがわからなくなってしまいました。
 ある時、一人の婆さんが数珠《じゅず》をつまぐってやって来て、与八が板の間で説教をしているのを子供たちに混って聴聞《ちょうもん》していたが、それが済むと右の婆さんが、ずかずかと与八の直ぐ前まで進んで来て、数珠をさらさらとおしもんで、
「南無木喰五行上人さま、よくお出まし下さいました、わたくしは丸畑《まるばたけ》のトミでございますが、お見忘れはございますまい」
と言って、与八の前へ恭《うやうや》しく伺いを立てられたので、与八がホトホト当惑してしまい、
「わしは木喰五行上人なんてものではございません、わしは武州の沢井村の与八でございますよ」
と弁解すると、そのお婆さんはいっかな聞きいれないで、
「どういたしまして、あなた様は木喰五行上人様のお生れかわりに相違ござりません、わたくしは、あなたのうちの直ぐ隣りにいた切《きり》ふさのトミでございます、あなた様が先の世で四十五歳の時に木喰戒《もくじきかい》をおうけになって、国へお帰りになさいました時に、ちょうどこの子供さんたちと同じようにして、御仏像をおきざみになりながらのお説教をお聞き致しました、その時に書いて下さったお歌がこの通りでございます――
[#ここから2字下げ]
木喰の袈裟《けさ》も衣もむしろごも
 着たり敷いたり寝たり起きたり
[#ここで字下げ終わり]
 それからまたあなた様が前世でおきざみになった生塚《しょうづか》の婆さんのお木像がわたしの家にございます。全く今あなた様が地蔵様をきざんでおいでなさるところ、こうして村の子供たちを集めて有難い話を聞かせておいでなさるところ、もうどこからどこまで木喰上人様にそっくりでございます。わたくしもここにいる頑是《がんぜ》ない子供衆と同じ年頃でございました、永寿庵という村のお寺で、ちょうどこれと同じようにして上人さまの有難いお話を聞かせていただきました、そのお声までが、そっくりそのままでございます。それから木喰《もくじき》上人様が、日本廻国をなさって八十八歳の時、また一度村へお帰りになりました時もお目にかかりました。先の世でもお目にかかり、またこの世でもお目にかかる、何という有難いことでございましょう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
と言って与八をまた伏して拝みましたので、いよいよ与八がもてあましてしまいました。
 もとよりこっちは木喰でもなければ五行でもなし、上人様などとは以ての外、正真正銘の沢井村の与八に違いないのですが、先方がどうしても上人様だと信じ、そう決めてしまって拝むものだから、どうにも言い解く術《すべ》はありませんでした。正直な与八は何とも押すことができないのです。しかし、木喰五行というのは、ともかくもこのお婆さんと同じ郷里にあって、そうしてその上人様が世にも稀な生仏《いきぼとけ》のような徳の高い坊さんであったということは想像されるのです。
 他国者の自分は、そんな珍しい人が、この近所から出ておいでなさるというようなことは聞いていなかったが、幸いこの機会に、このお婆さんにお聞き申して置いて有難いお手本にすることだ、というような気になりましたものですから、与八は、お婆さんをつかまえて、そのいわゆる木喰五行上人の行状に就いての昔話を聞くことになりました。
 このお婆さんの語るところによると、木喰五行上人というのは、ここから南へ下って富士川を距《へだ》てた西八代郡《にしやつしろぐん》の丸畑《まるばたけ》というところの、貧しい百姓の二番目の息子として生れたということです。十四歳の時に村をあとに江戸へ出で、それからさまざまの憂《う》き艱難《かんなん》を経て、ある時は相模《さがみ》の大山石尊《おおやませきそん》に参籠《さんろう》し、そこで二十四の時に真言《しんごん》に就いて出家をとげ、それより諸国を修行し、或いは諸所の寺々の住職をし、廻国修行のうち四十五歳の時、常陸《ひたち》の国、木喰観海上人の弟子となり、木喰戒を継いで、それより四十年来の修行、およそ日本国、国々山々、岳々島々の修行を心がけ、ついに大願を成就《じょうじゅ》した。その廻国の途中到るところに寺を建て、堂を営み、自家独得の素朴なる仏体神体の彫刻を無数に遺して、九十三歳の高齢で大往生を遂げた、それが今いう木喰五行上人のことである。
 木喰というのは、肉食をしない、すべての美食を断って単純な菜食に帰するのみではなく、すべての火食を避けた、菜食にしても、火にかけたものは食べることをしないのが即ち木喰である。四十五歳より一生の托鉢《たくはつ》の間、この木喰戒を守り、転々の一生を送ったのだが、与えられない時は、木の葉や草の葉で飢えを凌《しの》いでいた。最も好んで食べたのは蕎麦粉《そばこ》であったという。そして背には負仏《おいぼとけ》を納めた箱一つ、これは陸奥《みちのく》の端より佐渡ヶ島、特に佐渡ヶ島には法縁が豊かであったと見えて、幾多の堂宮、仏体、巻軸が残っている。佐渡を離れる時に、
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四とせ経てけふ立ちそむる佐渡島を
 いつきて見るやのりのともし火
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という一首を、九品仏《くほんぶつ》の堂上の額に題して去った。
 東海、東山、西国三十三番、大阪より播州に進み、作州に入って津山城下より下津井に下って船により、四国遍路を済ませて、伊予の大洲《おおす》から九州の佐賀の関に上陸、豊後路《ぶんごじ》を日向へ向い、そこの国分寺に伽藍《がらん》を建て、五智如来をきざんで勧請《かんじょう》し、それより大隅、薩摩、肥後、肥前と経巡《へめぐ》ってまたも日向の国分寺に戻り、それよりまた豊前、豊後を経て九州を離れて赤間ヶ関に上り、それからまた山陰、山陽の遍路がはじまり、再び四国八十八カ所、三百里の里程がこの旅僧を待っている。それが終ると、瀬戸内海を縫うてまた浪速《なにわ》へと志し、安治川《あじかわ》を上って京の伏見より江州を経て勢州に至り、尾張、三河、遠江《とおとうみ》、そこの狩宿に十王堂を建て、十王尊と奪衣婆《だつえば》を納め、駿河《するが》の随所に作物を止めて、興津《おきつ》から万沢を経て身延に詣でて見ると、そこは早や故郷の甲州である。身延の対岸の帯金村に四十五日を送った後に、故郷の丸畑へ帰ったのが寛政十二年十二月末で、上人の齢《よわい》はその時八十三歳であった。
 故郷丸畑の永寿庵を修理して、その本尊の五智如来をきざみ、それが終るや、四国堂の建立《こんりゅう》と、八十八体仏の彫像、その大願を成就したが、それで故郷に大安住の終りを求めたわけではない。享和二年の末つ方、またも故郷を立ち出でて、再び故郷へは帰らざる旅に出た。
 その後、信濃路を経て、越後の国に入る。信心深いこの国の人々は、上人の足を二カ年半も止めさせたということで、後に特志の人がその間にきざんだ仏像を見つけたものだけでも百五十体、なお幾多の隠れたるものが想像される。人間の齢《よわい》の頂上を祝《ことほ》ぐ八十八も旅のうちに過ぎ去って、その後の行蹟はわからない。わからないけれども、その年齢で、越後から清水越《しみずご》えか、或いは三国峠《みくにとうげ》をよじて上州の沼田へ出たであろうと想像され、そうして碓氷《うすい》を越え、道を甲州にとって甲府の金手町の教安寺というのに九十一歳の時にきざんだ七観音が残っているが、それからどこをどうしたか故郷へは帰らない、終ったところもわからない。けれども親戚のうちにお位牌がある、それには、
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「文化七庚午年
円寂 木喰五行明満聖人品位
 六月初五日」
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 これによると、九十三歳の円満|示寂《じじゃく》は疑うところがない。
 与八は右の婆さんからこの物語を聞くと、ホロホロととめどもなく涙をこぼしてしまいました。そうして、こんどはアベコベにお婆さんを与八が伏し拝んでしまいました。そしてホロホロ泣きながら言うことには、
「ああ、ああ、そういう有難い上人さまが、この御近所にお生れになったということを、はじめてお聞き申しました、そのことでございます、旅のことでございます、巡礼のことでございます、日本廻国のことでござりました、ほんとうに、それが有難いお志でござりました、旅をしなければなりません、一生涯を旅に費して、八十、九十になっても安住の土地をお求めにならなかった、それが本当でございます。わしも本来は、その旅を志して出て来たのでございましたのに、今、こうして人様のおなさけに甘えて、いい気になっているのは悪うござりました、わしらは、わしらの罪亡ぼしに、やっぱり一生涯旅をし通さなければならないわけのものでございましたのに……」
と言って、与八は婆さんを伏し拝んでいるうちに、いよいよ涙がとめどもなく流れて来ました。



底本:「大菩薩峠16」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 九」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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