青空文庫アーカイブ



大菩薩峠
Ocean の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)Ocean《オーション》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)馬|肥《こ》ゆ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)すさび[#「すさび」に傍点]
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[#ここから5字下げ]
 今日から「Ocean《オーション》 の巻」と改めることに致しました。Ocean は申すまでもなく「大洋」のことであります。わざと英語を用いたのは気取ったのではありません。「大洋」とするよりも「海原」とするよりも「わだつみ」と言ってみるよりも、いっそこの方がこの巻にふさわしいような気持がするからであります。従来も「みちりや」と名附けてみたり「ピグミー」を出してみたりするのも、やはり同様で、ことさらに奇を弄《ろう》するという次第ではありません。規模が大きいだけに、今後も思いがけない言葉が少しは飛び出すかも知れません。もし、不分明でしたら、不分明のままに飲み下しておいていただきましょう。「誦すべくして解すべからず」とすましておいた方がよろしいと思います。
[#ここで字下げ終わり]

         一

 駒井甚三郎と、田山白雲とが、九十九里の浜辺の波打際を、轡《くつわ》を並べて、馬を打たせておりました。
 駒井は軽快な洋装に、韮山風《にらやまふう》の陣笠をかぶって、洋鞍に乗り、田山は和装、例の大刀を横たえた姿が、例によって奇妙な取合せであります。
 それで二人は、九十九里の浜辺を、或いは轡を並べたり、或いは多少前後したりして、今でいえば午後三時頃の至極穏かな秋晴れの一日を、悠々《ゆうゆう》として、馬を打たせ行くのであります。
 天高く馬|肥《こ》ゆといった注文通りに、一方には海闊《うみひろ》くという偉大な景物を添えているのだから、二人の気象も、おのずから昂然として揚らざるを得ないような有様です。
「どうです、田山君、この辺の海は」
と、駒井甚三郎が海をながめて、少し後《おく》れた田山を顧みて言いました。
「海岸の風物が一変したら、海そのものまでも別のような感じがします」
と、田山白雲が答えました。
「そうですね、九十九里は全く別世界のような気がしますね、大東《だいとう》の岬《みさき》以来、奇巌怪石というはおろか、ほとんど岩らしいものは見えないではありませんか、平沙渺漠《へいさびょうばく》として人煙を絶す、といった趣ですね」
「左様、小湊《こみなと》、片海《かたうみ》あたりのように、あらゆる水の跳躍を見るというわけでもなし、お仙ころがしや、竜燈の松があるというわけでもなし――至極平凡を極めたものですね、海の水色までが南房のように蒼々《そうそう》として生きていません――沼の水のようです」
「しかし、この九十九里が飯岡《いいおか》の崎で尽きて、銚子の岬に至ると、また奇巌怪石の凡ならざるものがあります。それから先に、風濤《ふうとう》の険悪を以て聞えたる鹿島灘《かしまなだ》があります。ただ九十九里だけが平々凡々たる海岸の風景。長汀曲浦《ちょうていきょくほ》と言いたいが、曲浦の趣はなくて、ただ長汀長汀ですから、単調を極めたものです」
「でも、不思議に飽きません。強烈にわれわれを魅するということはないが、倦厭《けんえん》して、唾棄《だき》し去るという風景でもありません。あるところで海を見ると、恐怖を感ずることもあれば、爽快に打たれることもある、広大に自失して悲哀を感ずることもないではないですが、この平凡なる九十九里の浜で、こうしてなんらの奇抜な前景もなく、沼の拡大したような海を見ていると、海というものが他人ではない気持がします」
 田山はこう言って、曾《かつ》て南房州の海の生きているのを見て、感激を以て語った時の表情とは全く別人のように、茫然としていると、駒井甚三郎もうなずいて、
「風景としてはとにかく、単に海を広く見るという点からいえば、日本中、この辺の海岸に及ぶところはないでしょう。この海を Pacific Ocean と言います、太平洋とか大海原《おおうなばら》とか訳しますかな、米利堅《メリケン》の国までは遮《さえぎ》るものが一つもありません。われわれは今、世界でいちばん広くながめ得る地点から見ているのです」
 田山白雲が、それについて言いました、
「事ほど左様に、われわれは世界で最も大きなもの、最も広いものに接していながら、その刺戟というものを少しも感じないのは、不思議といっていいです」
 駒井甚三郎が、それを肯定して、
「そうです、何かわれわれに刺戟を感ずるもの、威圧を感ずるもの、窮屈を感ぜしめるものは、偉大なものじゃありません、少なくも広大なものではありません」
「そういえば、そうかも知れないが、そうだとしてみれば、われわれに感激を与うるものは、すべて、そのものの迫小ということを意味するゆえんとなりますね」
「一概に断言もできないが――刺戟の強いものには、あまり偉大なものはないようです」
「といったところで、それでは刺戟のない、感激のないものが、ことごとく偉大だというわけにはゆきますまい、私は感激の無いところに、偉大性は無いように思われてなりません」
「感激というものは、その偉大なるものが、ある隙間《すきま》から迸《ほとばし》った時に、はじめてわれわれに伝わるので、偉大そのものの方からいえば、むしろ破綻《はたん》に過ぎないと思います。たとえばです、この平々凡々たる大海のある部分に波が立つとか、岩に砕けるとかした時に、人は壮快を感じたり、恐怖を感じたりして、はじめて威力に感激するのですが、こうして無事に相接している時は、いま君の言ったように、海が全く他人ではないのです。外房の波の変化に、君が衷心《ちゅうしん》から動かされたような感動を、ここへ来て受け得られないところに、受け得られないで平々淡々たる親しみを感ずるところに、海の本色と、その偉大さがあるといってもいい。そういう意味において、人間にも、人間のうちの選ばれた偉人英雄といったような種類の人にしてからが、逢うて強烈な感激を受ける人もあれば、逢うて失望こそしないが、案外の平穏に、茫然自失するといったような種類の偉人もありましょう」
「それは、あるかも知れません」
「たとえば――私は、いつぞや君から、日蓮上人のことを鼓吹せられて、全く新しい世界を見せられたように感じました、そして、私の癖として、一応君から教えられたところを追従して、遅蒔《おそま》きながら日蓮上人の研究をはじめたことは、君も御存じの通りです」
「いやはや」
「あれから、僕の研究癖というようなものが嵩《こう》じて、日蓮について、まず現在のところで能《あと》うだけの研究をしてみたつもりだが、日蓮を研究して得たところのものは、やはり君に教えられたところ以上には出でることができなかったが、案外にも、日蓮を研究して、他の大きなものに突き当ったことは、まだ君に話さなかった」
「聞きません――お弟子がお弟子だから、さだめてすばらしい出藍《しゅつらん》ぶりと存じます、どうか、この鈍骨の先達《せんだつ》に、その研究の結果をここで教えて下さい」
「なあに、それほどの創見でもなんでもないのだが、日蓮を知る者は、どうしても法然《ほうねん》を知らなければならない、というの一事を見出しました」
「法然――浄土宗の法然上人ですか」
「そうです、法然と、日蓮とは、他人ではありません」
「これは斬新なお説を承ります、古来、法華と門徒とは、仲の悪い標本の大関ものと見立てられていますぜ。末流が、そういうふうに角《つの》突き合うのみならず、当の日蓮上人が、法然上人と、その仏念に対する義憤と、憎悪とは、あなたも十分に御存じのことと思います。それを根本から覆《くつがえ》す新説を、あなたはどこから発見なさいました、研究家は違ったものです……」
 田山白雲は逆襲気味になりましたが、駒井甚三郎は頓着せず、
「ところが法然と、日蓮とは、切っても切れない親子です、法然は慈愛|溢《あふ》るる親であって、日蓮はその血を受けた無類の我儘《わがまま》息子です」
 田山白雲はようやく不服の色で、
「さすがに研究家だけに、眼の着けどころが違ったものですね、法然と、日蓮が、他人でないということにも恐れ入りましたが、そのまた法然と、日蓮が、血肉を分けた親子だとは驚き入りました。拙者の方は恐れ入ったり、驚き入ったりするだけで文句はないが、それでは浄土宗と、浄土真宗というものから尻が来ましょうぜ。浄土には浄土の法脈があり、ことに真宗の親鸞上人《しんらんしょうにん》なんて、われこそ法然上人の嫡子《ちゃくし》なり、と名乗りを立てている人をそっちのけにして、にくまれっ児の日蓮上人を養子にしてしまったんでは、名主総代から、親類組合までが納まりますまいぜ」
 駒井は、それに就いて言いました、
「だが、何といっても法然あっての日蓮ですよ、法然が、日蓮を産んだということは、途方もない独断に見えるかも知れないが、これは結論を先にして、前提を省いたから君を驚かしたものだろう。ひとつ、順序を追うてみようか。まず……」
 田山白雲は、馬上から砂地の滑らかなところを、これに何か描いてやりたいような気持でながめながら、駒井の論法を聞こうとしていると、駒井甚三郎は、前方の海をしきりに見向いて、
「まず、法然と、日蓮とは、地位が違い、性格が違いますね」
「性格の違うのはわかっているが、地位の違うというのは、どう違うのですか」
「生活していた時の、社会的地位とでも言いますかな」
「なるほど」
「法然は、その生ける時代において、最大級の人格を誰にも認められておりましたが、日蓮の社会的地位は比較になりません」
「そうでもないでしょう、あの通り強烈に、時の権威に抗し、一代に活躍した大人物の行為を、誰が認めなかったと言います」
「それは、ある方面を騒がせたり、てこずらせたり、もてあまさしめた強烈なる行動は、その当時の相当の注意を惹《ひ》いたに相違ありませんが、その認められ方、注意の惹き方というのが、到底、法然上人のそれと、比較になるものではありません」
「どうして」
「法然上人という人は、その生ける時に、知恵第一ということを公認されておりました。この知恵第一というのが正銘の意味で、当時の学界を総べての第一人者であったのです。単にその宗門においての第一の学者というだけではありません、あの時代のあらゆる方面において、法然《ほうねん》は第一等の学者でありました。ほとんど生涯を専門の学問に没頭したその道の権威が、その道のことを、法然に教えられねばならなかったということは、事実に違いありますまい。単に学者としてだけでも、法然は当時の最高地位にあって、誰もその地位を争い得るものが無かったのです」
「そうして」
「それから、学者としてでなく、単に社会的地位において、尊敬せられたことも比類がありません。親しく帝王の師となり、法筵《ほうえん》の時は、後白河法皇よりさえ上席を譲られていました。学者だから、社会的地位が高いから、それで偉大なる宗教家だという理由は少しもないが、少なくとも、この二つのものは、日蓮に無いでしょう」
「それは無論です」
と、田山白雲が昂然《こうぜん》として肯定しながら、言葉をつづけました。
「それは無論です、日蓮が朝廷貴紳の寵児《ちょうじ》でなく、東国の野人であることを、いまさら洗い立てをする必要がどこにあります、そんなことは比較になりません、比較したって、なにも、少しも両者の優劣、尊卑、大小に関係したことじゃありません」
「まだ結論に行っているわけではありません、単に、逐一《ちくいち》比較してみようとしているだけのものですから、そのつもりでお聞き下さい」

         二

 二人は談論に我を忘れて、九十九里の浜辺に馬を歩ませて行きました。
 談論に我を忘れているのは、単にこの二人の上ではない。いったい、この二人が九十九里の浜辺に相並んで馬を歩ませているとはいうが、九十九里も長いのに、どの地点を歩ませているのだか、どちらに向って歩ませているのだか、何を目的にここへ出かけて来たのだか、その辺のことが忘れられている。
 二人の歩ませている地点は、蓮沼から富浦の間あたりのことで、行手は飯岡の岬、こし方《かた》は大東の岬、かれこれ九十九里の中央あたりのところを東北に向って、つまり飯岡であり、銚子である方面へ向って、静かに進んでいるのであります。
 もう少し大ざっぱな数字でいえば、九十九里を四十七里半あたりのところまで、日本里数の十五里と見れば、七里半あたりのところまで進みつつありながらの、以上の会話であります。
 二人の歩ませつつある地点はそうだとしても、二人はまた何用あって、この辺まで遠出をしてしまったものか。
 それは一口に房総半島とはいうけれど、駒井の根拠地である洲崎《すのさき》の鼻から見れば、ここは数十里を距《へだ》てている地点であります。
 さればこそ、二人のいでたちも、あの辺の海岸を、仕事の上や、興に乗じての散歩で往来するのと違い、立派な旅の用意になっているのが証拠ですけれども、その用向のほどは、甚《はなは》だ不可解なものがあります。
 第一、二人がこうして、出立してしまった後のことを考えてみるとよくわかる。
 造船所の方は、もはや相当に任せきっても、多少の時日は明けられることに心配ないにしても、その遠見の番所の留守宅というものが気にかかるではないか。
 こうして、肝腎の二人が出て来てしまったあとの留守のことを想像すれば、二人とても、そう暢気《のんき》に、古今を談じているわけにもゆくまいではないか。
 清澄の茂太郎は何をしている、岡本兵部の娘も精神状態が心もとないのに、金椎《キンツイ》は耳が聞えないのに、マドロス氏は言葉が通じない。ことにマドロス氏はややもすればウスノロ氏に逆戻りをするような憂いはないか。
 ともかくも、駒井と、田山と、二人のうちが一人だけ残っていればまだ安心なものを、二人が轡《くつわ》を並べて出てしまっては、実際あとのことが思われる。せっかく、泊りを重ねて外出の必要があるならば、駒井は、むしろ田山に後を託して置いて、多少の世話は焼けようとも、マドロス氏あたりを引具《ひきぐ》して来るのが賢明ではないか。
 マドロス氏がいけなければ、むしろ金椎でも供につれて来る方がよかった――
 だが、そんなことまで心配する必要はあるまい。二人ともにこうして悠々《ゆうゆう》と出馬のできるにはできるように、相当の後顧《こうこ》の憂いを解決しておいたればのことで――子供ではないから、その辺に抜かりのあるべきはずもなかろうではないか。
 ただ一つ、思われるのは例の茂太郎という小倅《こせがれ》が、天馬往空の悪い癖で、今度は河岸《かし》をかえて東北地方へでも飛び出し、兵部の娘がそれを追っかけて、例の夜道昼がけを厭《いと》わぬ出奔《しゅっぽん》ぶりを発揮したために、二人が取押え役としてここまで出向いて来たのかと、ちょっと想像も働くが、それにしても二人の落ちつき加減は、駆落者を追ったり、追われたりする空気ではない。
 そうして、おのおの談論を交わしながら馬を進めて行くうち、駒井が、ちょっと手綱《たづな》を控えて、海岸の一点を見つめました。
 さては、また例の平沙《ひらさ》の浦のいたずらな波がするすさび[#「すさび」に傍点]のように、女軽業《おんなかるわざ》の親方の身体《からだ》をでも、そっと持って来て、その辺の砂場へ捨てたのか、そうでなければ、またジャガタラ芋《いも》の一俵もころがっているのか。
 駒井は、早くも馬からヒラリと飛び下りて、波打際に小走りに走って行ったものですから、田山が眼を円くしていると、駒井の拾い取ったのは女軽業の親方でもなければ、ジャガタラ芋の根塊《こんかい》でもありません――それは通常のビール罎《びん》一本です。ビール罎の上に赤く十の字が書いてある。通常のビール罎とは言いながら、その時代においては、ビール罎は、決してありふれたものではありません。
 けだし、日本に於ては、英国人コブランという者が、明治の初年、横浜にビールの醸造所を設けたくらいですから、その以前に入って来ているには相違ない。その道の人は、相当に味を知っているに相違ないから、自然ビール罎なるものも、一部の方面においては、そう珍奇な物ではなかろうが、田山白雲には目新しいものでありました。
 本来ならば白雲もずいぶん飲む方ですから、境遇によっては、すでに、もはや馴染《なじみ》になりきっているかも知れないが、不幸にして彼は貧乏でしたから、外国の酒にまで手をつける余裕がなかったかも知れません。
 よし、その余裕があったからとて、彼の気性では、夷狄《いてき》の酒なんぞに、この腸を腐らせることを潔《いさぎよ》しとしなかったかも知れない。
 そこで彼は駒井の挙動をも不審なりとし、そのビール罎なるものをも珍しとして、馬上から問いかけました、
「何です、それは」
「西洋酒の罎です」
「イヤに黒い、下品なギヤマンですな」
と、一応は夷狄のものをケナしてみるのも、一つの癖かも知れません。
「西洋酒といっても、そう上等な酒ではありません、といって下等というわけでもないです、上下おしなべて飲みます、ビールというやつで、麦の酒です、麦酒《むぎざけ》です」
「ははあ、麦の酒ですか、麦の酒じゃ、熱燗《あつかん》にして飲むわけにゃあいきますまい」
と田山が言いました。
 それは、ビールというものが、燗をして飲む酒でないということを知って、そう言ったのではありません。
 酒というものは本来、米の精であればこそ、これに燗をして、キューッと咽喉《のんど》に下すことに趣味があるのだが、ばくばくたる麦ではうつりが悪い、ばくばくたる麦酒を、燗をして飲むなんぞは、あんまり気が利《き》かないと思ったものですから、偶然そんなことが口走ったのです。
「燗をして飲む酒じゃない、このまま飲むのだが、これは無論空罎です。これについて面白い話は、嘉永六年にペルリが浦賀へ来た時分、アメリカの水兵どもがこの中身を飲んで、空罎をポンポン海の中へ捨てたものです、それが、こんなあんばい[#「あんばい」に傍点]に海岸に流れつくと、浦賀あたりの役人がそれを見て、あれこそ毛唐《けとう》が毒を仕込んで、日本人を殺そうとの企《たくら》みで投げ込んだものだから、拾ってはならない、無断であの空罎を拾った者は、召捕りの上、重き罪に行うべしとあって、人を雇うて毎日流れついて来る無数の空罎を怖々《こわごわ》と拾わせ、これを空屋の中へ積込んで、厳重に戸締りをして置いたものだ」
と言いながら、駒井は丁寧にこれを拾い、懐紙を抜き出して周囲《まわり》の海水を拭い、大切にこちらへ持ち帰りますから、
「毛唐の飲みからしの空罎《あきびん》なんぞを拾って、何になさる」
「見給え――この通り、厳重に封がしてあって、口に符号がつけてある」
「それじゃ、まだ中身があるのですか」
「中身といっても酒じゃない、酒は飲んでしまって、その空罎を利用して、中へ合図をつめて海に流したものです」
「ははあ」
「海流の方向を知るために、或いは何か通信の目的で、そうでない時は、単なる好奇心で罎の中へ、何事かの合図、或いは通信文を認《したた》めて、固く封じ込んで、海の中へ投げ込むと、これが漂い渡って、思わぬ人の手に拾い取られる、その拾い取った人は、投げ込んだ主《ぬし》に返事をしてやる――という仕組みになっている」
「あ、そうですか、つまり、平康頼《たいらのやすより》の鬼界《きかい》ヶ島《しま》でやった卒塔婆流《そとばなが》しを、新式に行ったものですね。そうだとすると、相当に面白い浦島になるかも知れません、封を解いて見せていただきたいものです」
 田山も、好奇心に駆《か》られて、馬から飛んで降りました。
 駒井甚三郎はナイフを取り出して、流れ罎の口をあけようと試みながら、
「海に関係のある職業の人が、海流を調査するためにこれをやったのか、航海中、船客が戯れに投げ込んだものか、或いは漂流者か、誘拐者《ゆうかいしゃ》なんぞが、危急を訴えんがために、万一を頼んでやった仕事か、いずれにしても、この罎の中には、何かの合図があるに相違ない」
と言いました。
 田山白雲は額《ひたい》を突き出して、駒井のなすところを見ていたが、駒井は巧《たく》みに罎の口をあけると、それをさかさまにして、程なく一通の紙片を引き出しました。
「ありましたね」
「ホラ、何か書いてあります」
 空罎は下へ投げ捨て、駒井はその紙片をとりのべて見ると、そこに横文字の走り書がある。
 最初から駒井は、これは、航海用の事務としてやったものではないと思っていました。
 海流調査かなにかのためにやるんならば、もう少し仕事が器用で、事務的に出来ていそうなもの。どうも素人《しろうと》の手づくりで、臨時に投げ込んだもののようだから、たしかにこれは、漂流の人の手に成ったものか、そうでなければ誘拐の憂目《うきめ》に逢うた人が、訴えるにところないために、やむを得ずこの手段に出でたものだろうと想像していました。
 しかるに、その現われた紙片の文字が横文字であったものだから、少しばかり案外には思ったが、横文字だからとて、その想像が外《はず》れたということはない、横文字で危難を訴えたり、危急を叫んだりすることはいけないという規則もない――問題はその意味を読んでみることです。
 駒井は、仔細にその横文字を読んでみると、英語で次の如く認めてあることを発見しました。
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It is the great end of government to support power in reverence with the people and to secure the people from the abuse of power; for liberty without obedience is confusion; and obedience without liberty is slavery.
[#ここで字下げ終わり]
 駒井は、これを一通り読んで後に、最後の署名で頭をひねりました。
 その署名は William《ウイリアム》 Penn《ペン》 と読むよりほかはありません。それはそれに違いないが、このウイリアム・ペンという名は、この文句を唱え出した人の名だか、或いはこの流れ罎[#「流れ罎」に傍点]を投じた人の名だか、その辺がよくわかりません。
 だが、いずれにしても、この短い文句は、ウイリアム・ペンなる人の頭脳か、筆蹟かの産物であるに相違ない。或いは、ウイリアム・ペンという人の著作かなにかの中の文章を抜き書したのかも知れないと思いました。
 しかし、その当時の駒井は、どうもウイリアム・ペンという著名なる学者著作者の名前を知りませんでした。
 そこで、ウイリアムはよく西洋人には見える名だから、ペンというのは筆のことで、つまり、これは「ウイリアム手記」というような記号ではないかとさえ思いました。そんなように考えながら、一通り読み了《おわ》った駒井は、それを最初から好奇心を以て覗《のぞ》いていた田山の手に渡しますと、
「ははあ、全部横文字ですね、癪《しゃく》にさわるなあ。いったい、何を書いてあるんです」
と言いながら、半ば好奇、半ばイマイマしさに、それでもまだ負けない気を眼の中に湛《たた》えて、たとえ横文字とは言いながら、一字や、一句は、どうにかならないものでもあるまいと見つめていると、駒井の説明には、
「予想と違って、海流の調査でもなければ、漂流人の合図でもなし、そうかといって、ジャガタラへかどわかされた婦人が、危急を訴えたという種類のものでもなし――西洋人の船の中で、誰か消閑《しょうかん》のいたずらでしょう。しかし、いたずらにしても無意義なものではありません、かなり、厳粛な格言になっているようです」
「ははあ、何と書いてあるんです。残念だなあ、こればっかりは泥縄では役に立たない、附焼刃では歯が立たない……」
 白雲が、一方《ひとかた》ならず悶《もだ》え出したようです。
 駒井甚三郎は、田山の手から再びその紙片を受取って、英語の発音で、一度スラスラと読んでから、改めて、
「つまり、この短文の意味は、政府の目的というものは、人民と相尊敬し合って権力を行使せねばならぬものだ、権力を濫用《らんよう》してはならん、服従の無き自由は混乱であって、自由の無き服従は奴隷である――とこういう意味であります」
「なるほど」
「これはウイリアム・ペンという人の言った言葉のようですが、そのペンという人が何者か、いま思い当らない」
「毛唐でしょう」
「西洋人には違いないが、イギリス人か、フランス人か、或いはアメリカの人か、どの程度の人か、どうもわからないが、この短文の意味はこれだけで明瞭です」 
「そうですね――もう一ぺん、その翻訳をお聞かせ下さい」
「とにかく、馬に乗りましょう」
 駒井は右の紙片をかくしにハサんで馬に乗ると、田山もつづいて馬上の人となり、かくて二人は、また以前のように九十九里の浜の波打際を並んで歩み出し、そこで駒井は言いました。
「権力を用うる政府の最大主眼は、人民と相敬重《あいけいちょう》することにあって、権力の濫用《らんよう》から、人民を確保しなければならぬ、服従無き自由は混乱であって、自由なきの服従は奴隷である――まあ、こんな意味です」
「ははあ、つまり、政府と人民とを対等に見、服従と自由とを、唇歯の関係と見立てたのですな」
「まあ、そんなものです、イギリスか、アメリカあたりの政治家の言いそうなことで、立派な意見です」
「しかし、駒井さん、西洋では、そんな理窟が通るかも知れませんが、日本では駄目ですね」
と白雲が、キッパリと言いました。
「なぜです」
「なぜといったって、政府と人民とが相敬重し合うなんて、そんなことは口で言ったり、筆で書いたりすれば立派かも知れないが、事実、行われるものじゃありません」
「どうしてです」
「人民なんていうものは、隙《すき》があればわがままをして、我利我利《がりがり》を働きたがるものですから、うっかり敬重なんぞをしてごらんなさい、たちまち甘く見られて、何をしでかすか知れたものじゃありませんよ、政府は政府として、威厳を以て人民に臨まなけりゃ駄目ですよ」
「依《よ》らしむべし、知らしむべからずですか」
「そうですとも。そりゃ一般の程度が進むか、人間がズッとわかっていれば、どこまで尊敬信用してもかまわないが、まだ大多数の人民なんていうやつが、さほどたいしたものじゃありませんからな、やっぱり政府は、力でグングン押していかなけりゃ駄目ですよ。御覧なさい、なんのかんのというけれども、水野越前や、井伊掃部頭《いいかもんのかみ》が押えていた時分は、徳川幕府も力がありましたけれど、昨今のように、アメリカも尊敬しなけりゃならん、ロシアも一目置いた方がいい、諸国の浪人者に対しても、そう強圧ばかり加えてもいかん、大藩の御機嫌を損ずることはなおさら……こう政府が八方四方尊敬ばかりしていた日には、国が立ち行きませんよ。服従なき自由とか、自由なき服従とか、服従と、自由を訓練なき国民に使い分けをさせようなんぞとは、氷水を煎《せん》じて飲ませようというようなものです。国民の服従だけでいいじゃありませんか、政府は治むべし、人民は服従すべし、それだけでたくさんですよ――もう少し一般が自覚というのをもって、他から治められずとも、自ら治むることを知ってきた時節は格別、今のところは薄っぺらな人気の煽動でどうでもなるんだから、尊敬だの自由だの言わん方がいい、権力の濫用より、民力の濫用の方が厄介千万です」

         三

 二人は議論を交わしながら、富浦も過ぎ、矢差《やさし》の浦《うら》も過ぎ、飯岡の町に来たから、多分この辺で下りるだろうと思うと、いつしかその町も通り過ぎてしまったから、行先の目的が全くわからなくなってしまいました。
 しかし、これを裏へ出れば屏風《びょうぶ》ヶ浦《うら》となり、遠からずして犬吠《いぬぼう》ヶ岬《さき》があり、銚子の港がある。銚子の港の前面には、利根の長江が遮《さえぎ》っているから、まさかそれをよこぎるほどのことはあるまい。
 犬吠に出でると、海岸の風物が、また全く九十九里とは別の趣《おもむき》になる――多分、ここを初めて見る田山白雲にとっては、その犬吠から、銚子に至る海岸の風物が、また一つの問題となるだろう。彼は外房の風景と比較して、犬吠の岩と、銚子の海とに向って相当の見識があり、議論もあるだろうと思われる。
 それとは別に、これより先、その銚子の海の一部分、外に向ったところの、俗に黒灰浦《くろばいうら》というところに、極めて滑稽な事件が一つ出没しておりました。
 滑稽な事件が出没するというのは、滑稽な事件がまさに起っているのでもなく、現に起りつつあるのでもなく、これから起ろうとするのでもなく、今や盛んに起りつつ、消えつつしているのだから、出没しているというよりほかは、言いようがないと思われます。
 それは一個の怪物――頭の毛の赤い、素敵に大きな眼鏡《めがね》をかけた男性の怪物が、黒灰浦の真中の海へ深く潜《もぐ》り込んだかと思うと、暫くあって浮き上り、浮き上ると共に、あっぷあっぷと息をついて、浮袋にだきついて、きょろきょろと見廻し、巌が笑うような笑いを一つしてから、また浮袋を離れて、海の深いところへ没入したかと思うと、暫くして浮き上り、仰山《ぎょうさん》な顔をして、自分がいま沈み入ったところの海の中を見入りながら、あわただしく息をきって、後生大事に浮袋にしがみつき、そうして暫くしてまた勃然《ぼつぜん》として、海の中に没入して姿を見せないでいるかと思うと、せり出しのように浮き上って来て、仰山な眼をして、もぐり込んだ海の中を見込み、息と水を切り、後生大事に浮袋にしがみついている。
 その有様が、おのずから珍無類の滑稽になっているのであります。
 いったい、滑稽というものは、企《たくら》んでそういう仕草《しぐさ》をして、人を笑わせんがために存在することもあれば、当人は大まじめ――むしろ命がけの真剣さを以てやっていることでも、はたで見ると、どうしても滑稽とよりほかは見られない悲惨なる現象もある。
 また当人も滑稽と思わず、それを滑稽として見るべき看衆《かんしゅう》の何者もない時にも、挙動そのものが、滑稽になりきっていることもある。
 お気の毒なことには、天地間にその滑稽を見て笑い手が無い、まさに滑稽の持腐れ。ここに出没している御当人と、その為しつつあることが、まさにその滑稽の持腐れに似ている。
 滑稽の持腐れも、かなり楽な仕事ではないらしい。
 化け物なら知らぬこと、人間である以上は、二分間より以上の潜水は至難のことでなければならない。ところがこの滑稽なる出没は、どうかすると二分間以上沈んでは、また浮き上ることもあるから、その都度都度《つどつど》の呼吸はかなり切迫しているらしく、浮袋にしがみついた瞬間は、全く命からがらと見なければならないのですが、それがどうも、滑稽としか見えないのは、この人物の持味《もちあじ》の、幸と不幸との分れ目でしょう。
 見る人が無い、笑う人が無いから、この滑稽の持腐れは思いきって発揮される!
 浮き出す度毎《たびごと》に、その無恰好《ぶかっこう》に大きな頭の赤毛の揺れっぷり、苦しがって潮を吹く口元、きょろきょろと見廻す眼鏡の巨大なのと、その奥の眼の色の異様なのも、物それを少しも怖ろしくしないで、いよいよ滑稽なものにする。
 これぞ前名のウスノロ氏――今や駒井造船所の新食客マドロス君その人であると知った時には、見る人の口が、唖然《あぜん》としてふさがらないことと思います。
 これは、ジャガタラ薯《いも》のマドロス君に間違いはないのであります。
 マドロス君が海の中に出没しているということは、炭焼氏が山の中を徘徊しているのと同じことに、あたりまえのことなのですが、本来、あちらの方の、洲崎の留守役に廻っていることとばかり信じきっていた人が、早くもここに先廻りをしている順序となっているのですから、知らない人は、ちょっと面食《めんくら》うかも知れない。
 だが、それとても、有り得べからざることでもなんでもありません、マドロス君が先発して、こちらに来ている――駒井氏と、田山氏が、後詰《ごづめ》として、そちらへ出張して行く――と見れば不自然でも、意外でもなんでもないことですが、ただマドロス君の海の中に於ける独《ひと》り相撲《ずもう》が、あまりにふんだんに滑稽の持腐れを発揮していただけに、前後の聯絡が、少しばかり意外の感を起さしめるというに過ぎないでしょう。
 しかしながら、天下に有用なものでも、無用なものでも、有るものが発見されないという例はなく、発見せられて、その存在の価値を評価されないという例も、極めて少ないことであります。
 せっかく、ここで多量に発揮されていた滑稽の持腐れも、やがては認めらるるの時が来ました。
 それは駒井、田山の両氏がここに到着した当然の結果ではありません。無論二人が到着すれば、マドロス氏の演ずる滑稽の、決して単なる滑稽にあらざる所以《ゆえん》も、明白に分明することと思いますが、滑稽が、奇怪を以て認められたのは、それより以前、別の人によってなされたことでありました。
 竿と、ビクとを携《たずさ》えた漁師の子供が二人――夫婦《めど》ヶ鼻《はな》の方から、ここへ通りかかって、ふと件《くだん》の滑稽なる持腐れを発見した第一の人となりました。
 この二人にとっては、滑稽がまず非常なる驚異として現わされました。二人は、砂へ足を吸いつけられたように突立って、件の怪物を遠目にながめ、次に来《きた》るものは恐怖であります。
 恐怖とはいえ、それは青天白日のことではあり、呼べば答えるところに、人間の影もあるという安心から、恐怖の次に逃走とはならず、恐怖に加うるに好奇を以てして、海中を見るの余裕があります。
 滑稽といい、真剣といい、驚異といい、好奇といい、また恐怖という、要するに一つのものの異なった見方であります。
 これより先、房州の海辺ではお杉のあまっ[#「あまっ」に傍点]子が、前世紀の海竜《うみりゅう》を発見して、海岸一帯に一大センセーションを巻き起したこともありました。
 今や、前にいう通り、青天白日のことであり、勇敢にして、海に慣れた二人の少年は、あの時のお杉のあまっ[#「あまっ」に傍点]子ほどには狼狽《ろうばい》と、醜態とを現わしませんでした。少なくとも、恐怖と、好奇とを以て、前面に横たわる怪物の正体を見届けようとして、
「何だい、ありゃ」
「鮪取《まぐろと》りの善さんじゃねえけえ」
「善さんは、あんなに頭の毛が赤かあねえぞ、それに、もっと面《かお》の色が黒《くれ》えぞ」
「今、へっこんだから、もう一ぺん見てえろ、出て来るところを見てえろ、善さんだか、そうでねえか、見てえろ」
 二人は一途《いちず》にその海の面《おもて》を見入ります。
 それはマドロス氏が、また浮袋を離れて海に没入した瞬間に於て、次の浮揚期間を待つものでしたが、それでも彼等は、怪物とも、化け物とも見ないで――それを村の鮪取りの善さんなるものと比較対照していたが、浮び出でた時は、決して鮪取りの善さんなるものではありません。
 それはむしろ、彼等もその通りに期待していたのですが、再び現われた瞬間を見ると、鮪取りの善さんなるものとは、あまりに相違の甚《はなは》だしかったものですから、二人はあっと仰天し、
「善さんじゃねえ、善さんじゃねえ――大江山のスッテンドウジだ」
 かくて二人は、釣竿と、ビクとを宙にして、面《かお》の色を変えて走り出しました。
 この二人の少年は、町の方に向って走りながら、宣伝をはじめました、
「黒灰の浦にスッテンドウジが来ているよ」
 それを聞く少年少女らは、恐怖に打たれて耳をそばだてたが、大人連はいっこう取合いません。
「大江山のスッテンドウジが、黒灰の浦に来ているのを見て来たよ、ほんとうに嘘じゃねえんだよ、こうして泳いでいるところを……」
 二人の少年は、力を極めて、自分たちの目撃して来たことの真実なることを証明せんとしたが、それらは、少年同士の好奇と、恐怖を催すだけで、大人たちにとっては、訴えれば訴えるほど、笑止《しょうし》の種となるだけでした。
「スッテンドウジは、山にいるもので、海へ来るはずのものじゃねえよ」
 けだし、スッテンドウジというのは、大江山の酒呑童子《しゅてんどうじ》のことで、それはとうの昔に、源《みなもと》の頼光《らいこう》と、その郎党によって退治されているはずのものです。しかしながらその面影は絵双紙に残って、彼等少年たちの印象に実在しているのでしょう。
 かくて、少年たちは、好奇より恐怖が多いせいか、行って見ようとはいわず、大人たちはてんで一笑に附して問題にしないから、根限《こんかぎ》りの二人の宣伝が、ここでは全く無効になりました。そこで少年たちは、自分たちの現に見て来た事実が信ぜられないのを、自分たちの信用が剥落《はくらく》したかの如く残念がり、その宣伝を有効ならしめようとあせりつつ、榊新田《さかきしんでん》の陣屋跡までやって来て、陣屋の中をのぞき込みました。
 榊新田の古陣屋は、高崎藩が、この海岸の守護を承って、千人塚に砲台を築いた時分の名残《なご》りで、塀崩れ、屋根破れていたのを、昨今になって修理して、その中に人が働いています。
 二人の少年が、のぞき込むと、車大工の東造爺《とうぞうじい》が、轆轤《ろくろ》をあやつっている。
「爺《じい》、大変なことがあればあるもんだぜ、黒灰へスッテンドウジが来ているよ、爺、お前《めえ》、早く行って見て来な」
 車大工の東造爺は、けげんな面《かお》をして、
「え、スッテンドウジが――スッテンドウジが黒灰の浦へ来たって?」
 東造爺だけが、少なくもこれだけに受入れてくれたのに、二人が力を得て、
「頭の毛の赤い、眼のこんなにでけえ、絵に描いてある通りだよ!」
「へえ……」
「爺、早く行って見な。行くんなら、鉄砲を持って行ったがいいかも知れねえぜ」
「は、は、は、は」
 かわいそうに、せっかくここまで来て、東造爺までがまた一笑に附しはじめました。
 少年たちは、見るも無残にしょげ返ったが、それでも、
「は、は、は、は」
と第二笑に附した東造爺は、ほかの者がしたように冷たいものではなく、その中には多分の同情を含んだ会釈《えしゃく》を以て慰め面に、
「お前たちが見たというスッテンドウジは違うよ、性《しょう》がわかってるよ、驚くには当らねえよ」
「爺《じい》、お前《めえ》、知ってるのかい、あのスッテンドウジを……」
「は、は、は、お前たちが黒灰の浦で見たというのは、髪の毛の紅い、眼のでっけえ、海ん中に浮袋を持って、浮いたり沈んだりしていた奴だろう。あれは、スッテンドウジじゃねえのさ、おらが家のお客様だよ」
「え、お前《めえ》んちのお客様?」
「そうさ、もうやがて、ここへ帰って来るから見てえろ」
「鮪取《まぐろと》りの善さんじゃねえだろな」
「違うよ、全く別のお客様だよ」
「そうか、ほんとうにお前んちのお客様かえ。でも、大江山のスッテンドウジにそっくりだったぜ。お前んちにあんなお客様が、どこから来ていたんだ」
 その時、真向うの畑道から、問題のスッテンドウジが抜からぬ面《かお》でやって来る。

         四

 来て見れば、これは極めて結構人《けっこうじん》らしい一個の西洋人で、東造爺に向って何か一言二言いっては、大きな面をゆすぶって、にやにやと笑っているところ、どうしても恐怖ではなく、滑稽の部に属しているものですから、力瘤《ちからこぶ》を入れた子供たちも安心して、傍へ寄って来て、しげしげとながめます。
 浮袋を片手にさげ、多分重し[#「重し」に傍点]につけて海へ沈んだものだろうと思われる鉄の玉を下へ置いたマドロス氏は、炉辺に有合せの丼《どんぶり》を取り上げると妙な手つきをして、小屋の後ろの方を指さし、何をか哀願するような表情をしつつ出て行ってしまいました。
 恐怖から解かれて、好奇ばかりになった子供たちは、あとを慕《した》ってついて行って見ると、小屋の後ろの桃の木の下につないであった一頭の牝牛《めうし》のところへ来て、右の異人が、
「ハウ、ハウ」
と、妙な叫びを立てました。
 そこで、何をするかと見てあれば、マドロス君は徐《おもむろ》に牝牛の下に手を入れて、その大きな乳房を撫でてみているうちに、丼を下へあてがって、乳をしぼりはじめたものです……その乳がなみなみと丼の上に溢《あふ》れ出した時分、それを無造作に自分の口もとへ持って来て飲んでしまいました。
 口もとまで来る時分、何をするのかと心配して見ている子供らは、毛唐人がそれを一息にグッと飲んでしまったものだから、驚嘆の叫びを立てないわけにはゆきません。この子供たちのあいた口がふさがらない先に、またも一方の乳房をとらえて、しぼりにかかりました。
 この勢いでは、この牝牛の乳をみんな絞って、みんな飲んでしまうかも知れない、牛の子の飲むべき乳を――人間が横取りして飲んでしまうなんて、なるほど、毛唐というものは随分ひでえことをするなあ――という表情が、子供たちの面《かお》に現われる頓着もなく、再度の丼《どんぶり》はことごとく飲みつくされてしまいました。
 それで多分、渇きが止ったのでしょう、悠々《ゆうゆう》として陣屋の方へ引返して来る。子供は、やっぱりそのあとについて戻る。
 幸いに、ここは町並を少し離れたところでしたから、わいわい連《れん》があまりたからなかったものの、それでも陣屋のあたりが、ようやく物さわがしくなってきました。
 マドロス氏は、そこで無雑作《むぞうさ》に板の間張りの上へあがり込んで、数多《あまた》の職人の中を分けて――車大工の東造爺がいるばかりではなく、ここにはなお幾多の若い職人が働いて、同じように皆、驚異の眼をマドロス君に向けている中を、ニヤニヤと笑いながら通りぬけて、一方の板の衝立《ついたて》の蔭の、誰にも姿を見せないところで、急ごしらえの椅子テーブルに身をもたせ、お手の物のマドロスパイプに火をつけてすまし込みました。
 この時分になって、スッテンドウジの宣伝が利《き》き出したものか、この陣屋敷のあたりへ、むやみに人が集まって来る気配《けはい》でしたから、東造爺は気を利かして冠木門《かぶきもん》の戸を締めきってしまいました。
 門の外で体《てい》よく食い留められた連中は、汐時《しおどき》がよかったせいか、強《た》って見せろと乱入する者もなく、暴動を起して不平を叫ぶこともなく、まあ、明日という日もあるから、見られる時はいつでも見られる、そう急《せ》くなよ、といったような面《かお》ぶればかりですから、穏かです。
 その時分、日もようやく傾きはじめて、海の方へ落ちた余光が、あざやかに、この古陣屋の屋根の上の兵隊草をまで照らして来ました。
 陣屋の中では、車大工とその数人の弟子たちであろうところの者が、静まり返って仕事をしている時分、門の外に佇《たたず》んでいた近隣の人たちが、
「そら、お役人様が来たぞ」
「お役人様じゃ無《ね》え、やっぱり、あの毛唐人の仲間らしいよ」
 二騎|轡《くつわ》を並べてこの場へ来合わせたのが、駒井甚三郎と田山白雲です。

 こんな面ぶれが相前後して、こんなところへ事々しく集まって来たという理由は、ふとした聞きかけが最初でありました。
 これより先、駒井甚三郎が、このたびの造船に当って、何物よりも苦心しているのは、蒸気機関の製造であったことは、前に申した通りです。
 他の部分は、ほとんど完全に設計が出来、順調に工事も進行し、大砲の据附《すえつ》けでさえが、駒井の知識と、技能を以て、立派に完成の見込みがついたのにかかわらず、蒸気機関だけは苦心惨憺を重ねて、未《いま》だその曙光を見ないという有様であります。
 これは、その当時の日本としては、全く不可能のことであり、駒井が不可能ならば、無論、日本の国のどこへ持って行っても、可能のはずがないことは、何人よりも、当人自身が熟知しているところです。
 最初の計画は、必ずしも、機関を要せずとも、帆力《はんりょく》を応用することによって成算を立てたけれども、どうしても補助機関が欲しくなるのは道理である。
 そこで無謀に近い熱度を以て、駒井が自身その製作――というよりは、創造よりも困難に近い仕事に当ろうと決心したのは、一日の故ではありません。
 彼は、これがために、この忙しい間を、石川島の造船所へ行ったり、相州の横須賀まで見学に出かけたりしましたが、駒井が時めいている時ならばとにかく、今の地位ではその見学も思うように自由が利《き》かないのか、途中から専《もっぱ》ら書物によることにして、蘭書や、英書のあらゆるもの――それは幸いに、自分が在職中に手をのばし得る限り買い求めておいたから、それによって工夫を立てることに立戻りました。
 とはいえ、こればかりは、いかに駒井の優秀な頭脳を以てしても、一年や半年の間に捗《はか》を行かせようとしたことが無理で、駒井も、今はほとんど絶望の姿で、どのみち、機関無しの最初の構造に、逆戻りするほかはあるまいとあきらめるばかりです。
 かく諦《あきら》めながらも、それでも彼の不断の研究心が、未練執着を断ち切れなかった時――偶然にも、彼の手許《てもと》へ新客となったマドロス君が、無雑作に、今の駒井の胸をおどらすようなことを言い出しました。
 それは、この銚子の浜のうちの「クロバエ」という浦へ、先年、ある国の密猟船が吹きつけられて来て、そのなかの一隻が破壊して、海の中へ沈んでしまった。乗組は、ほとんど仲間の船に救助されたが、船のみは如何《いかん》ともすることができず、完全にあの海の中に沈んでいる――それは二本マストの帆船《はんせん》ではあるが、サヴァンナ式の補助機関がついていた。それがそのままそっくり、銚子の浦のクロバエの海に沈んでいる――ということを、マドロス君が、駒井に向って、偶然に語り出でたのです。
 その某国《ぼうこく》というのはどこか知らないが、多分オロシャではないかと思われる。
 そうして、このことを語り出でたマドロス君の言い分が、でたらめのホラでないことは、その言語挙動の着実が証明する。
 おそらく、この先生も、当時その密猟船のうちの一つに乗っていて、親しく遭難の一人であったのか、そうでなければ他船にいて、実際、その船の沈むまでを見ていたものとしか思われないくらいの話ぶりでありました。
 さほどの船を沈めっぱなしで、音沙汰《おとさた》もなく行ってしまったのは、彼等密猟船自身の、疵《きず》持つ脛《すね》であろう。
 これを聞くと駒井は、天の与えの如き感興に駆《か》られてしまいました。
 その結果が、ここに、右の密猟船の引揚作業を企《くわだ》てることとなったので――船全体を引揚げることができないとすれば、その機関だけでも――その熱望が、ついにマドロスを先発せしめ、自分はこうして田山と相伴うて、ここまで集まり来《きた》ったという次第であります。
 来て見れば、高崎藩の旧陣屋を利用した引揚事務所と、その準備とは、自分があらかじめ指図をしておいたのにより、遺憾《いかん》なく進行している。
 水練に妙を得たマドロス君は、先発して、黒灰の浦の船の沈んだ海面を日毎に出没して、たしかに当りをつけてしまった。
 設備さえ完全すれば、船全体を引きあげることも、必ずしも不可能ではないようなことを言う。また潜水夫の熟練なのさえあれば、補助機関だけを取外して持って来るのも、難事ではないようなことを言う。
 しかし、事実はそれほど簡単にゆくかどうか、駒井も決して軽々しくは見ず、引揚げに要する、この附近で集め得らるる限りの人員と、器具とを用意して、黒灰の浦に集め、海岸に幕を張って事務所を移したのは、到着のその翌々日のことでありました。
 その日になると、黒灰の浦は町の立ったように賑《にぎ》わう。
 もちろん、これだけの仕事を、人目に立たないようにやるわけにはゆきません。
 すでに人目を避けずにやるということになれば、浦と、港と、界隈《かいわい》の人目を、ここへ集めるの結果になるのは当前です。
 何も知らぬ浦人《うらびと》は、幕府から役人が来て、天下様の御用で、この引揚工事が始まるのだとばかり思うていました。
 そう思うのも無理はありません、かりそめにも、これだけの工事が、一私人の力でできるはずはないのですから。もし、有力な一私人の力でやるならば、官辺の十分なる諒解を得た後でなければ、かかれないはずです。
 この点において、駒井甚三郎の準備に、抜かるところは無いか?
 それがあった日には、工事半ばで、たとえ目的の機関を半分まで引揚げたところで、また陸上まで辛《かろ》うじて持ち上げたところで、官憲の手に没収されてしまうにきまっている。
 獲物《えもの》を没収されるだけならいいが、今時、こんな無謀な工事をやり出す御当人その者の、身の上があぶないではないか――
 駒井ほどの男が、あらかじめ、その辺の如才がないということはあるまい、ここを管轄するところの領主とか、代官とかに、相当の諒解を得た後でなければ、これはやれまい。
 果して、工事に着手すると共に、海岸は町の立ったような人出になり、物売店《ものうりみせ》まで盛んに出張する有様となったけれど、不思議にも、この土地の領主、或いは支配者の手から、なんらの故障も出る様子がありません。
 どうかすると、役人らしいのが、姿を見せることもあるが、それはむしろ引揚工事の方へは近寄らないで、見物に来る民衆に間違いのないように、世話を焼いているくらいのものですから、泰平無事です。
 駒井甚三郎は、例の軽快な洋装で、自ら陣頭に立って、まず引揚機具の取調べから、人員の手わけを指図しました。
 引揚機具といっても、そう完全なものがあるはずはなく、従来の漁具、船具を、うまく利用応用したのと、多少の意匠を以て新調した程度のもので、人員は皆、多くは浜辺の漁師連であります。
 次に潜水に得意なもの数名を抜擢《ばってき》しました。
 必ずしも船全体を引揚げるのが目的ではなく、機関の一部を取外して持ち出しさえすれば、目的は達するのだが、しかし場合によっては、船全体をある程度まで浮かせることの方が、内部へ潜入して、機関の一部を持ち出すよりも容易なこともある。
 まずマドロス君を先陣として、一応、海をくぐって、その勝手を見届けて来るということが、彼等の第一の使命でありました。
 これらの潜水夫は、おのおのこの浜辺において名誉のものであるのみならず、どうも、この浦ではあまり見かけない、房州の南端あたりから連れて来たものであろうと思わるる海女《あま》が二人まで加わっておりました。
 これらの海人《あま》を載せて、船の沈下している海上まで運ぶべき介添船《かいぞえぶね》は、海岸に待っている。
 浜辺では、今、幾カ所も盛んに火を焚《た》いて、炎々たる焚火の前に、仁王の出来そこないのようなのが立ちはだかって、暖を取っている。
 一方には、その炎々と燃える焚火の中へ、しきりに小石を投入して焼き立てている者もある。

         五

 これより先、海鹿島《あじかじま》から伊勢路の浦へ、上陸した御用船の一行がありました。
 これも役人は役人だが、ただの役人ではない。軽装して、測量機械を携え、日の丸の旗を押立てたところを見ると、どうしてもこれは幕府の軍艦奉行の手であるらしい。
 この一行は、しかるべき組頭《くみがしら》に支配されて、都合八人ばかり、測量器械をかついで歩み行く、つまり軍艦奉行の手の者が、海岸検分の職を行うべく、この地点に上陸したものでしょう。
 ところで、とある小高い岩の上へ来て、組頭の一人が遠眼鏡をかざした時に、黒灰浦の引揚作業の大景気を眼前に見ました。
 それは肉眼でも見えるほどの距離を、かねて地勢をそらんじているところではあるし、その群集と、群集の中での作業、これから何事に取りかかろうとするのだか、職掌柄それを眼下に見て取ってしまったから、組頭の顔の色が変りました。
 不興極まる気色《けしき》を以て、遠眼鏡を外《はず》し、部下の者を顧みて、
「おい、あれは何だ」
と一人に言いました。
「左様でござります」
 部下の一人は、一応その人だかりの方をながめてから恐る恐る、
「高崎藩の手の者が、黒船を引揚げるといって騒いでおりました」
「ナニ、高崎藩で黒船を引揚げる?」
「左様でございます、先年、あの黒灰浦に、多分オロシャのであろうところの密猟船が吹きつけられて、一艘《いっそう》沈んでしまいました、密猟船のこと故《ゆえ》に、船を沈めてそのままで立去りましたのが、今でもよく土地の者の問題になります、それを今度、高崎藩が引揚げに着手するという噂《うわさ》を承りましたが、多分その騒ぎであろうと思います……」
「怪《け》しからん……」
 組頭は最初から機嫌を損じておりましたが、いよいよ面《おもて》を険《けわ》しくして、再び遠眼鏡を取り上げ、
「よく見て来給え、何の目的でああいうことをやり出したのか、屹度《きっと》問いただして来給え、次第によっては、その責任者をこれへ同道してもよろしい」
 この命令の下に、早くも軽快なのが二人、飛び出して行きました。
 組頭が不興な色を見せるのみならず、一隊の者が残らずそれに共鳴して、岩角の上から黒灰の浦を睨《にら》めている。
 けだし、これらの人々の不快は、自分たちが幕府の軍艦奉行の配下として、この近海に出張している際において、自分たちに一応の交渉もなくして、海の事に従事するというのは、たとえ高崎藩であろうとも、佐倉藩であろうとも、生意気千万である。
 ことに自分たちの奉行は、当時海のことにかけては、誰も指をさす者のない勝安房守《かつあわのかみ》であることが、虎の威光となっているのに、それを眼中におかず、ことに外国船引揚げというような難事業を、彼等一旗で遂行《すいこう》しようという振舞が言語道断である。
 そこで軍艦奉行の連中が、自分たちの首領の威光を無視され、自分たちの権限をおかされでもしたように、腹立たしく思い出したものと見える。
 かくて、彼等は測量のことも抛擲《ほうてき》して、岩角に立って、黒灰浦の方面ばかりを激昂する面《かお》で見つめながら、使者の返答いかにと待っているが、その使者が容易には帰って来ないのが、いよいよもどかしい。
 もとより、眼と鼻の間の出来事とはいえ、使者となった以上は、実際も検分し、且つ、先方の言い分をも相当に傾聴して帰らぬことには、役目が立たないものもあろう。しかし、こちらは視察よりは、むしろ問責の使をやったつもりですから、返答ぶりの遅いのに、いよいよ焦《じ》らされる。
「ちぇッ、緩怠至極《かんたいしごく》の奴等だ」
 いらだちきった組頭は、この上は、自身|糺問《きゅうもん》に当らねば埒《らち》が明かんと覚悟した時分、黒灰浦の海岸の陣屋の方に当って、一旒《いちりゅう》の旗の揚るのを認めました。
 そこで組頭は、再び気をしずめて遠眼鏡を取り直して、その旗印をながめたが合点《がてん》がゆきません。
 旗の揚ったことは組頭が認めたのみではなく、配下の者がみな認めたけれど、その旗印の何物であるかは、遠眼鏡のみがよく示します。
 上州高崎松平家か、その系統を引くこの地の領主|大多喜《おおたき》の松平家ならば島原扇か橘《たちばな》、そうでなければ、俗に高崎扇という三ツ扇の紋所であるべきはずのを、いま、遠眼鏡にうつる旗印を見ると、それとは似ても似つかぬ、丸に――黒立波《くろたてなみ》の紋らしいから、合点がゆかないのです。
 そこで組頭は、またも配下の一人に遠眼鏡を渡しながら、
「あの旗印はありゃ何だ、君ひとつ、よく見当をつけてくれ給え」
「なるほど」
 それを受取った配下の一人が、しきりに考えこんでいると、組頭が、
「高崎の紋ではないじゃないか」
「仰せの通りでございます、丸に立波のように見えますが」
「その通りだ、拙者の見たのも丸に立波としか見えない、が、丸に立波はどこだ」
「左様でございます」
 彼等残らずが一つの旗印を見つめて、不審の色を、いよいよ濃くしてしまいました。
 最初には掲揚されていなかった旗じるし、多分時間から言ってみると、これはさいぜん、詰問にやった配下の者の交渉の結果であろう、その交渉の結果、彼等はこの旗印を掲揚することになったと思われるが、掲げられてみるとこちらからは、それがいっそう不可解の旗印となって現われてしまいました。高崎松平も、大多喜松平も、どう間違っても、丸に立波の紋を掲げるはずはないのだから、ここで徒《いたず》らに当惑するのも無理がないと見える。しかしもう少し落ちついて、この丸に立波の旗印から考えて行ったならば、多少思い当るところがあったかも知れないが、この一隊は、最初から意気込んでおりました。
 つまり、何藩にあれ、何人にあれ、われわれ幕府の軍艦奉行の手の者をさし置いて、その面前で沈没船引揚作業を行うというのが、軍艦奉行というものを無視しているし、ことに当時の軍艦奉行が凡物ならとにかく、日本全国に向って名声の存するところの、勝安房守というものの威光にも関するという腹があったのだから、安からぬことに思い、親しく出張して、一つには彼《か》の出しゃばり者に、たしなみを加え、一つには使者に遣《つか》わした配下の者どもの緩怠を屹度《きっと》叱り置かねば、役目の威信が立たぬようにも考えたのでしょう。
 この一隊は、測量をそっちのけにして、勢いこんで浜辺を進みました。
 この勢いで、高崎藩の陣屋へ馳《は》せつけた日には、ただでは済むまい、火花が散るか散らないかは先方の出よう一つであるが、どのみち、ただでは済むまいと見てあるうち、幸か不幸か、先刻遣わした使者の者が二人、きわどいところで、ばったりと本隊にでっくわしたものです。
「どうした、エ、何をしていたのだ君たちは」
 組頭は、充分の怒気を頭からあびせかけると、二人の使者は、さっぱり張合いがなく、
「いやどうも、少々とまどいを致して、力抜けの体《てい》でございました、それがため復命が遅れて申しわけがござりませぬ、万事はあの旗印を御覧下さるとわかります」
 彼等は旗印を指さしたが、その旗印こそ不審千万なので――そこで追いかけて彼等が説明していうことには、
「御覧下さい――あれはお勘定奉行の諒解《りょうかい》の下《もと》にやっている仕事でございます、しかも作業の発頭人《ほっとうにん》は、もとの甲府勤番支配駒井能登守殿であるらしいことが、意外千万の儀でございました」
 それを聞いて、組頭の面の上に、かなり狼狽《ろうばい》の色が現われました。
「ははあ……」
 これも拍子抜けの体《てい》で、改めて、翩翻《へんぽん》とひるがえる旗印を見直すと、丸に立波、そう言われてみれば、紛《まご》う方《かた》もない、これは勘定奉行の小栗上野介殿《おぐりこうずけのすけどの》の定紋《じょうもん》。
 その旗印が小栗上野介の定紋であるのみならず、なお奇怪にも聞えるのは、その旗印の下に仕事をしているのが、以前の甲府勤番支配駒井能登守らしいと言われて、彼等は夢を見たように、ぼんやりと考えさせられてしまいました。
 小栗を知るほどの者は、駒井を知らないはずはなかろうと思われる。
 しかし、小栗が隆々として、一代の権勢にいるのに、駒井は失脚以来、その生死すらも疑われている。七十五日は過ぎたが、その人の噂《うわさ》というものは、時事の急なる時と、急ならざる時、人材が有るとか、無いとかいう時には、必ず誰かの口から引合いに出されねばならないことになっている。
 さては没落と見せたのは表面で、内々は小栗上野介と謀を通じて、隠れたる働きをしていたのか、油断がならない――と軍艦奉行の組頭が、この時はじめて恐怖を催しました。
 軍艦奉行の威勢も、勘定奉行の権勢にはかなわない。
 さすが勝安房守の名声も、小栗上野介の旗印の前には歯が立たないということを、この時の賢明なる軍艦奉行配下の組頭が心得ていたのでしょう。
 高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊が、急に悄気《しょげ》こんで、
「ははあ、ではやむを得ないところ」
 旗を巻いて、進軍の歩調が、すっかり鈍《にぶ》ってしまいましたが、拳のやり場を体《てい》よくまとめて、またも以前の方面へ引返したのは、少なくとも組頭の手際です。
 ほどなくこの一隊は、君ヶ浜方面に向って、なにくわぬ面《かお》で測量をはじめました。

 一方、引揚作業の方面では、十分に焚火で身をあぶった海人海女が介添船に乗る。
 駒井甚三郎は、別に一隻の小舟に、従者一人と例のマドロスとを打ちのせて――そのいずれの船にも丸に立波の旗印が立っている。
 この作業にあたって、駒井が最初から、勘定奉行の小栗上野介の諒解《りょうかい》を得ているというのは、ありそうなことです。
 そうでもなければ、こうして白昼大胆に、こんな作業が行われるはずはない。そうして、小栗と駒井との関係は、特にこの機縁だけで結ばれたものではあるまい。
 駒井は洲崎《すのさき》の造船所から海を越えて、しばしば相州の横須賀へ渡っている。
 相州の横須賀に、幕府の造船所が出来たのは昨年のこと。
 相州横須賀の造船所が、主として小栗上野の方寸に出でたものであることは申すまでもない。
 横須賀の造船所がしかるのみならず、講武所も、兵学伝習所も、開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として小栗の力に待たぬものはない。
 勝安房《かつあわ》(海舟《かいしゅう》)の如きも、小栗に会ってはその権勢、実力、共に頭が上らない。
 駒井も、旗本としては小栗と同格であり、その新知識を求むるに急なる点から言っても、どうしても、相当に相許すところがなければならないはずになっている。
 駒井が洲崎から、しばしば横須賀に往復する時分、ある幕府の要路の、非常に権威の高い人が、微行で洲崎の造船所へ来たことがあると、働く人が言っている。
 その人品骨柄を聞いてみると、それが小栗上野であったようにも思われる。

         六

 小栗上野介の名は、徳川幕府の終りに於ては、何人《なんぴと》の名よりも忘れられてはならない名の一つであるのに、維新以後に於ては、忘れられ過ぎるほど、忘れられた名前であります。
 事実に於て、この人ほど維新前後の日本の歴史に重大関係を持っている人はありません。
 それが忘れられ過ぎるほど忘れられているのは、西郷と、勝との名が、急に光り出したせいのみではありません。
 江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の脇師《わきし》と二人の手によって、猫の児を譲り渡すように、あざやかな手際で幕を切ってしまったものですから、舞台は二人が背負《しょ》って立って、その一幕には、他の役者が一切無用になりました。
 歴史というものは、その当座は皆、勝利者側の歴史であります。
 勝利者側の宣伝によって、歴史と、人物とが、一時|眩惑《げんわく》されてしまいます。
 そこで、あの一幕だけ覗《のぞ》いた大向うは、いよ御両人! というよりほかのかけ声が出ないのであります。しかし、その背後に、江戸の方には、勝よりも以上の役者が一枚控えて、あたら千両の看板を一枚、台無しにした悲壮なる黒幕があります。
 舞台の廻し方が、正当(或いは逆転)に行くならば、あの時、西郷を向うに廻して当面に立つ役者は、勝でなくて小栗でありました。単に西郷とはいわず、いわゆる、維新の勢力の全部を向うに廻して立つ役者が、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》でありました。
 小栗上野介は、当時の幕府の主戦論者の中心であって、この点は、豊臣家における石田三成と同一の地位であります。
 ただ三成は、痩《や》せても枯れても、豊太閤の智嚢であり、佐和山二十五万石の大名であったのに、小栗は僅かに二千八百石の旗本に過ぎないことと、三成は野心満々の投機者であって、あわよくば太閤の故智を襲わんとしているのに、小栗は、輪廓において、忠実なる徳川家の譜代《ふだい》であり、譜代であるがゆえに、徳川家のために謀《はか》って、且つ、日本の将来をもその手によって打開しようとした実際家に過ぎません。
 ですから、石田三成に謀叛人《むほんにん》の名を着せようとも、小栗上野をその名で呼ぶには躊躇《ちゅうちょ》しないわけにはゆかないはずです。
 徳川の天下になってから、石田は、一にも二にも悪人にされてしまっているが、明治の世になって、小栗の名の謳《うた》われなくなったとしてからが、今日、彼を、石田扱いの謀叛人として見るものは無いようです。
 小栗上野介が、自身、天下を望むというような野心家でなかったことは確かとして、そうして彼はまた、幕府の保守側を代表する、頑冥《がんめい》なる守旧家でなかったことも確実であります。
 小栗は、一面に於て最もすぐれたる進歩主義者であり、且つ、少しの間ではあったが、これを実行するの手腕と、地位とを、十分に与えられておりました。
 彼が最初――新見、村垣らの幕府の使節と共に米国に渡ったのは僅かに二十余歳の時でありました。或いは三十余歳。しかも、この二十余歳の青年|赤毛布《あかげっと》は、他の同僚が、西洋の異様な風物に眩惑されている間に、金銀の量目比較のことに注意し、日本へ帰ってから、小判の位を三倍に昇せたほどの緻密《ちみつ》な頭を持っておりました。
 ほどなく勘定奉行の地位を得、またほどなく財政の鍵を握って、陸海軍の事を統《す》ぶるの地位に上ったのも、当然の人物経済であります。
 勝でも、大久保でも、その手足に過ぎないし、講武所も、兵学所も、開成所も、海軍所も、軍艦の事も、火薬の事も、造船の事も、徴兵も、郵便も、今日まで功績を残している基礎に於て、彼の創案になり、意匠に出でぬというもののないこと再論するまでもない。
 その人となりを聞いてみると、酒を嗜《たしな》まず、声色《せいしょく》を近づけず、職務に勉励にして、人の堪えざるところを為し、しかも、和気と、諧謔《かいぎゃく》とを以て、部下を服し、上に対しては剛直にして、信ずるところを言い、貶黜《へんちゅつ》せらるること七十余回ということを真なりとせば、得易《えやす》からざる人傑であります。
 小栗上野介が、単に人物として日本の歴史上に、どれだけの大きさを有するか、それは成功せしめてみた上でないと、ちょっと論断を立て兼ねるが――少なくとも、明治維新前後に於ては、軍事と、外交と、財政とに於て、彼と並び立ち得るものは、一人も無かったということは事実であります。
 この人が、徳川幕府の中心に立って、朝廷に反《そむ》くのではない、薩長その他と戦わねばならぬ、と主張することは、絶大なる力でありました。
 長州の大村益次郎が、維新の後になって、小栗の立てた策戦計画を見て舌を捲いて、これが実行されたら薩長その他の新勢力は鏖殺《みなごろ》しだ! と戦慄《せんりつ》したというのも嘘ではあるまい。
 かくありてこそ、大村の大村たる価値がわかる。西郷などは、この点に於ては、甚《はなは》だノホホンです。
 小栗の立てた策戦は、第一、聯合軍をして、箱根を越えしめてこれを討つということ、第二、幕府の優秀なる海軍を以て、駿河湾より薩長軍を砲撃して、その連絡を断《た》ち、前進部隊を自滅せしめるということ、更に海軍を以て、兵庫方面より二重に聯合軍の連絡を断つこと、等々であって、よしその実力には、旗本八万騎がすでに気《き》死し、心|萎《な》えたりとはいえ、新たに、仏式に訓練せる五千の精鋭は、ぜひとも腕だめしをしてみたがっている。会津を中心とする東北の二十二藩は無論こっちのものである。
 聯合軍には海軍らしい海軍は無いのに、幕府の海軍は新鋭無比なるものである――そうして、その財政と、軍費に至っては、小栗に成案があったはずである。
 かくて小栗は十分の自信を以て、これを将軍に進言、というより迫《せま》ってみたけれど、胆《たん》死し、気落ちたる時はぜひがない、徳川三百年来、はじめて行われたという将軍|直々《じきじき》の免職で、万事は休す! そこで、西郷と勝とが大芝居を見せる段取りとなり、この不遇なる人傑は、上州の片田舎に、無名の虐殺を受けて、英魂未だ葬われないという次第である。
 形勢を逆に観察してみると、最も興味のありそうな場面が、幕末と、明治初頭に於て、二つはあります。
 その一つは、右の時、小栗をして志を得せしめてみたら、日本は、どうなるということ。
 もう一つは、丁丑《ていちゅう》西南の乱に、西郷隆盛をして成功せしめたら、現時の日本はどうなっているかということ。
 この答案は、通俗の予想とは、ほとんど反対な現象として現われて来たかも知れない。
 右の時、小栗を成功せしめても、世は再び徳川幕府の全盛となりはしない。
 もうあの時は徳川の大政奉還は出来ていたし、小栗の頭は、とうに郡県制施行にきまっていたし、よしまた、ドレほど小栗が成功したからとて、彼は勢いに乗じて、袁世凱《えんせいがい》を気取るような無茶な野心家ではない、郡県の制や、泰西文物の輸入や、世界大勢順応は、むしろ素直に進んでいたかも知れない。
 これに反して、明治十年の時に西郷をして成功せしむれば、必ず西郷幕府が出来る。
 西郷自身にその意志が無いとしても、その時の形勢は、明治維新を、僅かに建武中興の程度に止めてしまい、西郷隆盛を、足利尊氏《あしかがたかうじ》の役にまで祭り上げずにはおかなかったであろう。
 西郷は自身、尊氏にはならないまでも、尊氏に祭り上げられるだけの器度(?)はあった。小栗にはそれが無い。
 すべて歴史に登場する人物というものは、運命という黒幕の作者がいて、みなわりふられた役だけを済まして引込むのに過ぎないが、西郷は、逆賊となっても赫々《かくかく》の光を失わず、勝は、一代の怜悧者《りこうもの》として、その晩年は独特の自家宣伝(?)で人気を博していたが、小栗は謳《うた》われない。
 時勢が、小栗の英才を犠牲とし、維新前後の多少の混乱を予期しても、ここは新勢力にやらした方が、更始一新のためによろしいと贔屓《ひいき》したから、そうなったのかも知れないが、それはそれとして、人物の真価を、権勢の都合と、大向うの山の神だけに任しておくのは、あぶないこと。

         七

 駒井甚三郎は最初の日の偵察によって、この海に沈んでいるところの船について、大体、次のような知識を得ました。
 船の大きさは日本の千石――あちらの百トン程度のものであること。
 帆走《はんそう》を主として、補助機関が附してあること。
 機関室が船の中央になくして前部にあること。特にその機関が――旧式の外輪でなくして、スクリューによるものであることは、駒井をして非常に驚喜せしめました。
 マドロスがサヴァンナ式といったのは何かの間違いだろう。
 それと同時に、駒井の首を傾けさせたのは、この船が密猟船だとは言い条、内部には、漁具や漁獲物がわりあいに少なくして、武器や食糧の類が比較的に多く積込まれているらしいことです。
 海賊同様の密猟船でありながら、軽小とはいえ螺旋式《らせんしき》の蒸気機関を持っているところ、それらと思い合わせると、単に密猟の船ではなく、相当の要路の旨《むね》をうけて、日本の近海へ様子を見に来た船と見ないわけにはゆきません。
 そんなことは、どうでもよいとして、まず何よりも螺旋式の機関を持っているということが、この上もない掘出し物――引揚げ物だと、駒井の心を勇み立たせました。
 こうして第一日は、輪廓と、内容の要部の偵察を遂げ、明日よりは細部にわたり、全部の引揚げが可能か、一部分の取りこぼちが有利かに向って、精細なる実地検分を遂げしめようとしている時に、一つの故障が持ち込まれました。
 この故障というのは、もとより官辺から来たのではない、官辺は上に述べたる如き諒解《りょうかい》がある。
 さらばこの附近の漁民たちが、営業の妨害を廉《かど》に、故障を持ち出しでもしたのか。そうでもない。
 漁民のうちには、喜んで作業の募《つの》りに応じて働いている者もあれば、見物を怪我あらせないように見張りをつとめながら、自分も見物したり、必要に応じての器具を特志で、わざわざ持って来て貸してくれたりするほどの好意を示しているのだから、無論その辺から故障の起るべきはずはない。
 さらば内部の作業員に多分の病人でも出来たのか、海人《あま》や海女たちが競争心の結果、潜水の度が過ぎて、身体《からだ》でもこわしてのけたのではないか。
 そんなはずもない、彼等はそれぞれ適度に仕事をして、一同みな焚火にあたりながら元気よく談笑している。第一ここでは、「水を潜《くぐ》ることと、子を産むことでは、女にはかなわねえ」といって、男の方から、女に一目置いているものさえある。
 たとえば、男子の潜水の最大限度が、かりに三分間だとすると、女には五分間もつづく者がある、というようなことを是認しているらしいから、競争心の起りようはずもない。つまり外房の方から、優秀な海女《あま》が来ているのでしょう。そこで海女が、時々思いきった広言を吐いて海人を侮慢《ぶまん》することもあるが、その自慢も毒がないから、笑いに落つるだけのものである。
 そんなようなわけで、内外共に和気すこぶる藹々《あいあい》たるところ、故障が起ったのは、思わぬところに隠れたる気流があるものです。
 それはまず、浦の坊さんたちから故障が起りました。
 難船を引揚げるからには、難にあってさまよう霊魂のために、一片の回向供養《えこうくよう》を捧げて、それから仕事にかかるのが冥利《みょうり》だという申し出がありましたのです。
 それについで第二の故障は、神主さんたちから出ました。
 とつくにのふねの、わがわたつみにしずめるをなん、すくわんとするには、たなつもの、はたつものそなえて、かみはらいにはらいまつりて――後、その作業にかかるが礼儀だと申し出がありました。
 この二つの故障は、駒井甚三郎が言下に受入れて、では作業の第二日を全部、難船の施餓鬼《せがき》と、不浄のはらいとに用いようということになり、そこで直ちに、明日は施餓鬼と祓浄《はらいきよ》めとの触れが廻ると、皆々、一年一度の祭礼にでもとりかかるの意気込みでその用意にかかりました。
 その翌日、急ごしらえにしては、頗《すこぶ》る整うた、この地方にしては破天荒といっていいほど派手に、施餓鬼とお祓いとが、黒灰の浦で催されました。
 近所の坊さんという坊さんはみんな集まり、神主様という神主様もみんな集まって、読経と、祈祷とに、最も念を入れ、かなり多大なりと覚しいお布施《ふせ》と供物《くもつ》とを持って、大満足で引下りました。
 そのあとで里神楽《さとかぐら》が開かれる。素人相撲《しろうとずもう》が催される。一方では臨時の大漁踊りが催されようというのです。
 そこで、すべてが大満足で、浦々が湧くような陽気になり、その日一日は全くお祭礼気分で、浦を挙げてのこの大陽気である中に、到るところで人気を博して歩いているのは、例のマドロス君です。
 マドロス君は酔っぱらっているのだか、酔っぱらっていないのだか知らないが、その有頂天《うちょうてん》ぶりといったら、自分ひとりが今日の主催者ででもあるような気取りで、はしゃぎ廻って、愛嬌《あいきょう》を振りまいている。
 坊さんの中へも交れば、神主さんとも握手を試みようとし、また婆さん連の中へ不意に面《かお》を出しては笑わせ、娘たちを追い廻しては驚かせ、最も滑稽なのは、大漁踊りの中へ飛入りをして、ダンスまがいで踊り出した恰好《かっこう》が、大喝采《だいかっさい》でありました。
 ことに言葉がわからないところに、多少の片言《かたこと》が利《き》くものだから、婆様をつかまえてゴシンゾと言ってみたり、漁師の真黒なのをダンナサマと呼びかけたりするものだから、それが一層の愛嬌になってしまいました。
 とうとう、この勢いで、素人相撲に飛入りとして現われた時は、やんや、やんやの喝采が暫くは鎮《しず》まりません。
 ところが、この人気力士が土俵に上ると、意外な離れ業《わざ》を見せたものだから、愛嬌ばかりでなく、あっ! と眼を据《す》えてしまった者があります。
 この浦にも、田舎相撲《いなかずもう》の関取株も来ているが、どうも、このマドロス君の手に立つのはないらしい。第一、仕切り方からして変テコで、こちらは本式に構えるが、先方は、妙な屈《かが》み腰《ごし》をしている。立合うと、ハタキ込みのような手で、組まないさきにこちらがブッ倒されてしまいます。
 ほとんど相撲になるのは一人もないような負けぶりでしたから、浦の漁師連のうちにも一種の敵愾心《てきがいしん》が湧き出して来たのはぜひもありません。
 あんまり、脆《もろ》い負け方である。ハタキ込みというようなあの手にかかると、相撲にならない先に、わが浜辺の名うての力士たちがひっくり返ってしまう。
 この分では総勢撫斬りであろう、余興とは言いながら、毛唐風情《けとうふぜい》のために、浦方すべてが総嘗《そうな》めとは――残念である、業腹《ごうはら》である。
 その雲行きを、笑いながら見ていた田山白雲が、やがて今や登場の一力士に近寄って耳打ちをして、腰と手を以て、取り口を指南したのを、マドロスが遠目で見て、
「田山サン、ズルイ」
と叫びました。
 田山の指南の結果、その力士は、立合うと、マドロスの最初の一撃を左の腕で受留めると、そのまま組みついて、腰投げに行ったのが見事にきまり、ここにはじめて常勝将軍に土がついたものですから、浦もくずれるばかりの大喝采です。
 マドロスの、田山白雲を恨《うら》むこと。
 かく、すべてが大陽気である間、田山白雲は、駒井甚三郎に向って、この引揚作業が、おおよそ何日を要するかを尋ねると、十日の予定、遅くとも十五日――とのことでしたから、その間を水郷に遊ぶべく、単身この浦を出でたのは、施餓鬼《せがき》とお祓《はら》いの翌日のことでありました。

         八

 その日の夕方、清澄の茂太郎は、般若《はんにゃ》の面をかかえて、房総第一の高山を、すでに八合目あたりまで上って来ました。
 その辺まではわきめもふらずに上って来たが、ここで歩みをゆるやかにしたものですから、呼吸もやや平調になったのでしょう。ブレスが正しくなったために、歌をうたいたくなったのだか、何か歌いたくなったものだから、それでブレスの加減をする気になったのか……
 とにかく、茂太郎の足がゆるやかになると共に、
[#ここから2字下げ]
一つとや――
人も通らぬ山道を
誰かさんと
誰かさんが……
[#ここで字下げ終わり]
 せっかくのことに、勢いこんで歌い出したのに、急に息がつまったもののように途切《とぎ》れて、
「弁信さん、だまっといでよ」
 弁信は、なにかにつけて茂太郎の即興歌に、干渉したものです。
 それは茂太郎の出まかせの即興が、たとえ純然たる無邪気を以て発せらるるにせよ、内容を無視した形式だけの肉声で、その歌詞が往々飛んでもないところへ外《そ》れるのを、当人自身が悟らないのだから、弁信法師が傍《わき》についている限り、それを訂正しないでは已《や》みません。
「鄭声《ていせい》の雅楽《ががく》を乱すを悪《にく》む」――とかなんとかいって干渉するものですから、せっかくの興を折られた茂太郎の不平を買うことが一再ではありませんが、それでも素直に弁信の忠告に従って歌い直すのを常とします。
 ここには、無論、その弁信はおりません。
 寂寞《じゃくまく》たる空山《くうざん》の夕べを、ひとり山上に歩み行くのですから、何を歌おうと、あえて干渉する者はないのですが、習い性となって、ふと弁信からの横槍《よこやり》をおそれ、そこに良心のひらめきというようなものがあって、自発的に「人も通らぬ山道」の歌を中止してしまったのかとも思われます。
 それは中止したけれど、茂太郎のブレスがこの時は、もう歌をうたうようになっていたのですから――そこで直ちに出直して、
[#ここから2字下げ]
二人行けど
行き過ぎ難き
秋山を
いかでか
君が
独《ひと》り越ゆらん
[#ここで字下げ終わり]
 ゆっくりと、うらさびしく歌い出しました。これならどこからも干渉の来《きた》る憂《うれ》いはあるまい、と安んじたのでしょう。
 しかし干渉は来らないが、感傷の起るのはぜひもないと見えて、茂太郎は愁然《しゅうぜん》として、同じ調子を二度繰返されてしまいました。
[#ここから2字下げ]
二人行けど
行き過ぎ難き
山道を
いかでか
君が
独り越ゆらん
[#ここで字下げ終わり]
 二度目の歌では字句に少しの変化がありましたけれど、調子にはさのみ変りはありません。
 歌いきった後、
[#ここから2字下げ]
いかでか君が独り越ゆらん――
[#ここで字下げ終わり]
 これを茂太郎は折返しました。
 聞くに堪えんや陽関三畳の詞《ことば》――といったような気分を自分が誘い出して、自分が堪えられないような心持で、ついに「く」の字に曲る路の折目に立って、暫く息を休めておりました――が、思いきって威勢のいい足を踏み出し、
[#ここから2字下げ]
クマニセントー通る時ゃ
前から鉄砲でドカドカと
あとからラッパで責めかける
今年ゃ何で苦労する
皆、天朝さんのかかり
[#ここで字下げ終わり]
 軍歌のつもりかも知れません。これを進軍の歩調に合わせて、ホイチニといわぬばかりの勢いで、一気に、房総第一の高山の頂上までのぼりつめてしまいました。
 房総第一の高山の頂上に立った清澄の茂太郎は、この時、日が全く落ち、親しい星がかがやきはじめ、落日の遠く彼方《あなた》に、浩渺《こうびょう》たる海の流るることを認めました。
 清澄の茂太郎は、房総第一の高山の上に立って、煙波浩渺として暮れゆく海をながめて、茫然《ぼうぜん》として立ちつくしていましたが、星を見るには、まだ時刻が少し早いのです。そうかといって、永久に沈黙が続くべきはずのものではありません。
 生物の間に、沈黙の世界というものは無いようです。
 万物がみな歌う、茂太郎が黙っていられるはずがない。明けるにつけ、暮れるにつけ、歌無くしてやむべきものではありません。
 さりとて、茂太郎のが厳密にいって、歌であるかどうかは甚《はなは》だ疑問です。でも、散文ともいえないし、独語ともいえない。
 そうかといって、彼の口を衝《つ》いて出る歌そのものが、決して、立派な創作だと誰がいう。五年前に聞いた潜在意識が首を出すこともあれば、目の前のガチャガチャ虫を模倣することもあります。
 要するに、彼が歌うの歌詞そのものは反芻《はんすう》に過ぎませんが、声楽としての天分に、どれだけのみどころがありますか知ら。それはそれとして、まあ、この際に、口を衝《つ》いて出て来た、たわごと[#「たわごと」に傍点]を一つ聞いてやって下さい、
「そうら、この大海原《おおうなばら》の波の上で、静かに、安らかに、一生を送りたいという人がありますか……ありましたらいらっしゃい、町人方も、お百姓衆も、お小姓《こしょう》も、殿様も、皆いらっしゃい――どなたか健康を欲する人がありますか、幸福を得たい人がありますか、ありましたら、遠慮なくいらっしゃい、手前共がそれを売って差上げます……」
 この子は、膏薬売《こうやくう》りの口上を聞き覚えて、それを真似出《まねだ》したかも知れない。
 そうでなければ、駒井甚三郎が読む外国の本の口うつしを、うろ覚えにしておいて、それを、ここでそっくり反芻しているのかも知れない。
 だが、いずれにしても、模倣というほどに邪気のあるものでなく、焼直しというほどに陋劣《ろうれつ》なるものでもあるまい。次を聞いてやって下さい、
「皆さん、御承知の通り、高慢、罪悪、恋の曲者《くせもの》、代言人、物事に熱くなる性《さが》、乳母《うば》、それに猥褻《わいせつ》な馬鹿話、くだらぬ妄想《もうそう》は、すべて運星のめぐりに邪魔をいたします……さあ、いらっしゃい、わたしたちの力を頼めば、どんな人でも幸福に向います。諸君、エライ占星師にはそんなことは決して珍しくない。マニラは曖昧《あいまい》である、フィルミクは当てにはならぬ、アラビイは怪しげな調子で、口から出まかせを言う、ジャンクタンはなんでもかでも言いたがる、スピナはとかく隠したがる、カルタンは英国王に迷うている、アルゴリュースはあまりにギリシャ臭く、ポンタンはローマ臭い、レオリスとブゼルは大道を辿《たど》っています……そこで自然の秘密を真底から知ったり、運星の幸運を判断したり、アポロのように、風と、死体と、地と、水とで、一切万人に未来のことを示したり、空中から甘露と、霊薬を絞り取って、オロマーズを加味してアリマンヌを除き、そうして、男爵夫人を乞食に恋のうきみをやつさせて、有名なスカルロンの詩を吟じさせたり、何人《なんぴと》にも十分の成功を予言したり、霊妙不思議な惚《ほ》れ薬、黒鉛《こくえん》に、安息香に、昇汞《しょうこう》に、阿片薬を廉価《れんか》に販売したり、まった、月日や年代を言い当てたりするのは、誰ひとりとして、いやさ諸君、誰ひとりとして、ここにいられるわが師ギヨ・ゴルジュウ大先生におよぶものはない……」
 この時、頭の上で、大きな鳥の輪を描くのを認めたものですから、清澄の茂太郎は、急にたわごと[#「たわごと」に傍点]をやめて、
「あ、ありゃアルバトロスだ」
 地上へ卸《おろ》して見たら、その翼の直径が一丈五尺はあるかも知れない。
 もう少し近い空を飛んでいたなら、口笛を吹いてでも呼びとめてみようものを、あの高さでは、自分の魅力も及ばないものと思いあきらめたらしく、
「アルバトロスに違いない」
 うらめしそうに、夕暮の空に消えて行く大きな鳥の、白い翼を見送っています。
 その見慣れない鳥を、アルバトロスというような名で呼びかけた茂太郎の知識は、駒井甚三郎から出たのではあるまい。多分、例のマドロスが、折に触れては航海話をして聞かせているうち、幾度かその名が出るものだから、海の上を飛ぶ大きな鳥さえ見れば、この子はこのごろ、アルバトロスと呼んでみたくなるのらしい。
 事実上、海洋と、孤島とを棲処《すみか》として、群棲《ぐんせい》を常とする信天翁《あほうどり》が今時分ひとりで、こんなところをうろついているというのも変ですから、或いはオホツク海あたりから来た大鷲《おおわし》が、浦賀海峡を股にかけて、天城山《あまぎさん》へでも羽をのばしたかも知れません。
 見ているうちに、その姿も消えてしまいました。
 そこで、茂太郎は、急に手持無沙汰の感じで、さいぜんの続きであろうところのたわごと[#「たわごと」に傍点]をうたい出しました、
「諸君、フムベールはイカサマですぞ。かれは権力を得ることができなかったために、民衆に結ぼうとしました。その民衆も生《は》え抜きの民衆ではなく、民衆の中の泡です、民衆を代表すると名乗って、実は民衆のカス、民衆の屑、民衆のあぶれ者の、浅薄なる寄集りを民衆と称して、それに近寄って御機嫌を取ったために、最も浅薄な、そのくせイヤに性質《たち》の悪い勢力を作ってしまいました。今でも、あのゴマカシ者を、不世出の偉人かの如く信ずる者があるから、滑稽ではありませんか」
 茂太郎とても、興に乗じてはあえて弁信に譲らない饒舌《じょうぜつ》を弄《ろう》することがある。
 しかしながら、いくら長く喋《しゃべ》っても、弁信のは条理整然として、引証的確なるものがあるが、茂公のは無茶苦茶です。論より証拠、引きつづいての前記の文句を突然うたい出されて、面食《めんくら》わないものがありますか。
 だが、こうして、聞く人もないところの空気を、茂太郎がしきりにかき廻しているのを、不意に惑乱せしめた動物があるのも皮肉じゃありませんか。
 一時《いっとき》、びっくりした茂太郎が、見るとそれはホルスタイン種と覚しい仔牛が一頭、なれなれしくやって来て、その首を茂太郎にこすり[#「こすり」に傍点]つけているのでありました。
「やあ、牛――お前、いつのまに来ていたの」
 茂太郎は一時びっくりしてみただけで、その後はあえて驚きません。尋常ならば、たとえ牛であっても、こんな際に、房総第一の高山の上で、人っ子ひとりいないと信じていたところへ、不意にのっそりと現われて、体をこすりつけられるようなことをされては、大抵の子供は驚愕《きょうがく》のあまり、悲鳴を上げて逃げ出すのがあたりまえですけれども、茂太郎は驚きません。
 こすりつける牛の首筋を、可愛がって撫でてやりました。
 そうすると、今までは多少遠慮の気味でこすりつけていた牛が、もう公《おおや》けに許された気になって、全身をあげて、茂太郎にこすりついて来たその懐《なつ》っこさといったらありません。
 物と物との間には、どうしても、身も魂も入れ上げて好きになれるものもあれば、虫唾《むしず》の走るほど嫌われながら、それでもついて廻らねばならぬ運命もある。
 清澄の茂太郎が、物に好かれる性質を、先天的に、極めて多量に持ち合わせて生れたことは申すまでもありません。ただそれを多量に持ち過ぎていることが、彼を苦しめたこと幾度か知れません。
 都会にあって、見世物に出されて、人気を占めていた時は、多くの婦人が、貴婦人といわるべきものまでが、彼の身《からだ》にこすりつくことを好んでいなかったか――あらゆる動物が彼を慕うて来る、毒蛇でさえも、狼でさえも――いわんや動物のうちの最も順良なる牛が、こうして、なついて来るのは、茂太郎にとっては少しも不思議なことではありませんでしたけれども、そのなつかしがりようが、あまりに濃厚なものですから、
「おや、お前はチュガ公じゃないか、ああ、チュガ公だね、チュガ公……」
 茂太郎に驚喜の色があります。

         九

 チュガ公と呼ばれて仔牛は、前足をトントンと二つばかり鳴らし、クフンクフンと甘えるような息づかいをする。
「ああ、ほんとうにチュガ公だ。お前、久しく逢わなかったね、お父さんも、お母さんも達者かい」
 そう聞かれて牛は、またクフンクフンと鼻を鳴らし、涎《よだれ》を垂らしはじめました。
「お父さんも、お母さんも達者だろう、なぜ、お前、今時分、ひとりで、こんなところへ来たの、みんなが心配するだろう、お父さんやお母さんも心配するだろう、牧場の番兵さんも心配するよ――ひとり歩きをするものじゃない」
 茂太郎は、この場合、仔牛に向って大人びた意見を試みたが、父母|在《いま》す時は遠く遊ばず、という観念を、仔牛に向って吹き込もうとして、かえってくすぐったく思いました。それは他に向って言うことではない、自己に対して責めることなのだ。
 父母|在《いま》しても、いまさなくても、幼き身で無断に遠く遊んで悪いことは、昨今の自分の身がかえって殷鑑《いんかん》だと思いました。
 駒井甚三郎も、田山白雲も、マドロス君も出て行ったあとの洲崎《すのさき》の陣屋から、いい気になって出て来た自分は、興に乗じてこんなところまで上って来てしまった。
 ここを房総第一の高山だと思って上って来たわけではないが、もうこれより上へのぼるところはないからここで止まったのだ。上へのぼるところがありさえすれば、雲の上へでも、空の上へでも、登ってしまったかも知れない。しかし、ここまででさえ上って来て見れば、鹿野山よりも、鋸山《のこぎりやま》よりも、清澄よりも、まだ高いらしい。
 本来、こんな高い所へ登ろうと企《くわだ》てて来たのでもなんでもなく、今もいう通り、誰もとがめる人がないから、興に乗じて、ついここまで来てしまったのだ。今になってはじめて、洲崎の陣屋をかなり遠く離れて来ていることと、日というものが全く暮れてしまっていることを悟りました。
 牛に向って教訓を試みたことによって、はじめて我が身に反省することを知り、わが身に反省してみると、
「ああ、そうだ、そうだ、お嬢さんが待っている、あたしも早く帰らないと悪い――」
 茂太郎に父母はいないらしいが、彼の身を心配する人が無いというはずはない。
 兵部の娘が心配する。そこで茂太郎は、
「さあ帰ろう、牧場では、きっとお前を探している、あたいだって、誰か探しているかも知れないが、あたいの方は、今日はじめてじゃないんだから……」
 全く茂太郎の脱走は、今にはじまったことではないから、心配する方にも覚えがある。仔牛の方はそうはゆくまい。熊か、狼にでも食われたか、牛盗者《うしぬすびと》か、後生者にか――血眼《ちまなこ》になって騒いでいるに相違ない。
「お前を柱木《はしらぎ》の牧場まで送ってって上げる」
 茂太郎は、仔牛の頭を撫《な》でながら、房総第一の高山を下りにかかりました。
 房総第一の高山を下ると、そこに柱木の牧場があります。
 柱木《はしらぎ》の牧場は、嶺岡《みねおか》の牧場の一部で、その嶺岡の牧場というのは、嶺岡山脈の大半を占める牧牛場――周囲は十七里十町余、反別としては千七百五十八町余、里見氏より以来、徳川八代の時に最も力を入れ、南部仙台の種馬、和蘭《オランダ》進献の種馬、及び、天竺国雪山《てんじくこくせつざん》の白牛というのを放ったことがある。
 仔牛を送って、柱木の牧場まで来た清澄の茂太郎、
「番兵さん、チュガ公を連れて来たぜ」
「チュガ公を……そういうお前は、芳浜の茂坊じゃねえか」
 牧場は、軍隊組織になっているわけではないが、この番人は、陸軍の古服でも払い下げたものか、いつも古い軍服を着ているものだから、茂太郎は、番兵さんの名を以て呼んで、その本名を知らない。
 その番兵さんは、チュガ公の帰来を喜ぶよりは、茂太郎の現出に少なからぬ驚異を感じているもののようです。
「番兵さん、チュガ公もずいぶん大きくなったものだねえ、まるで見違えてしまったよ、それでも直ぐわかったよ」
「茂坊、お前もずいぶん珍しいことじゃないか、今までどこに何をしていたえ」
「三年目だねえ」
「そうだなあ、三年目だなあ」
「三年前の夜這星《よばいぼし》が出る晩だったよ、チュガ公の生れたのは」
といって、茂太郎は牛小屋の中を、まぶしそうに見入ります。
 三年前の夜這星《よばいぼし》の出る晩というのは、何日《いつ》のことだか、その夜這星とは、何の星のことだかわからない。茂太郎独特の暦法によるのだから、明白な時間と、位置はわからないが、この牛の誕生のその時に、まさに清澄の茂太郎がここに立会っていたことは事実らしい。
 番兵さんが産婆役をして、茂太郎が介添役となって、かくて安々と玉のような牛の子が、夜這星の下《もと》に生れ出たのである。そのチュガ公という名の名附親が誰あろう、この清澄の茂太郎御本人ではないか。チュガ公という名になんらのよりどころと、つかまえどころがあろうとは思われない。生れ落ちると同時に、
「番兵さん、名前を何とつけてやろうか知ら。チュガ公はどうだね、チュガ公とつけたらどんなもんだろう」
「よかろうね、なんでも名は、呼びいいのがいい」
 そこで即座に、チュガ公の名が選定されてしまいました。
 その後、茂太郎去って後も、多分その名で呼ばれ通して来たのでしょう。畜生の身としても、その産婆役と、名附親とを忘れてよいものか。
「チュガ公が、このごろお前、だまって出歩きをするようになっていけねえんだ」
「どうして」
「どうしてったって、お前、お母《っか》あが亡くなってからというもの、出歩きをしたがっていけねえ」
「え、チュガ公のお母あは死んだのかい、番兵さん」
「ああ、惜しいことをしたよ、この春ね」
「ええ、だから、お父さんも、お母さんも達者かと聞いてみたんだのに、どうして死んだの、病気でかい」
「いや、病気で死んだんじゃねえんだ、乳を取られに江戸へ連れて行かれて、それっきり帰って来ねえんだ、いや帰してくれねえんだから、多分……」
「そんならチュガ公のお母さんは江戸にいるだろう、江戸にいれば死んだときまりはしまい」
「ところがね、江戸へ連れて行かれて帰されなけりゃ、たいてい運命の程はきまっているよ」
「どうきまっているの」
「つぶされて、食べられたのさ」
「誰に……」
「誰に食べられたか知れねえが、人間に食べられてしまったのさ」
「憎い人間だなあ、誰があの牛を食やがったんだ」
「御用だから、仕方がないよ」
 チュガ公の母親が、乳を取られに江戸へ引いて行かれて、そのまま帰されないのは、乳だけの御用では済まなかった証拠である、と言って、その他の多くを語らない。
 それと同時にこのチュガ公が、フラフラ歩きをするようになったのだ、と語り聞かされました。

         十

 夕飯前、茂太郎は、番兵さんについて、牧場の中を一めぐりして歩きました。
 茂太郎のおなじみは、チュガ公のみではありません。
 チュガ公は、名附親としての浅からぬ因縁《いんねん》があるにはあるが、その当時からここで茂太郎と知合いになっている動物は――茂太郎が来なくなってから後に生れた動物はいざ知らず、その以前からの馴染《なじみ》は、早くも茂太郎の訪れを見て宙を飛んで集まって来ました。あるものは多少遠慮して遠くから、しげしげと茂太郎の姿をながめ、ある者は無遠慮に、最初チュガ公のした如く、なれなれしく身をこすりつけます。
 茂太郎は、そのいずれに対しても、これをいたわり、愛するの意志を示しました。人間ならば歓呼の声を挙げ、挨拶と、握手とに忙殺されるところでしょう。
 かく、牧場の牛と馬とに愛せられたのみならず、数頭の番犬までが、祝砲でも放つかの如く、高く吠《ほ》えて走って来ました。そうして茂太郎が去ってからのち生れた犬どもは、小首をかしげて、仔細はわからないが、事の体《てい》の容易ならぬのに感動を催しつつあるもののようです。
 その中で、茂太郎が特別の興味を以て見たことの一つは、牛が、鹿の子に乳を飲ませて養っていることであります。
 番兵さんの話によると、多分猟師に追われたものだろう、一頭の子鹿がこの牧場へ逃げこんだのを、そのまま一頭の乳牛にあてがって置くと、それがわが子と同様に乳を与え、鹿の子もまた、牛を母としてあえてあやしまないで毎日暮しているとのこと。
 それを聞いて茂太郎が、不意に妙なことを、番兵さんに向ってたずねました。それは、
「番兵さん、ここへオットセイは来ないかい、オットセイは」
 番兵さんが唖然《あぜん》として、暫く口をあけていましたが、
「オットセイは来ないよ、オットセイの来べきところでもなかりそうだ」
「そんならいいが番兵さん、もしオットセイが来たら、殺さないようにして帰しておやり、子供がかわいそうだから」
 番兵さんは、茂太郎の申し出を奇怪なりと感じないわけにはゆきません。
 この際、特にオットセイを持ち出して来るのが意外なのに、そのオットセイに親類でもあるかの如く、懇《ねんご》ろに、その訪れた時の待遇を頼むのがオカしいと感じないわけにはゆきません。しかし、オットセイなるものに就《つい》ては、この番兵さんも、名前こそ聞いているが、その知識はあんまり深くないものだから、
「鹿の子でも、オットセイでも、来れば大切《だいじ》にしてやるが――茂坊、オットセイは魚だろう、山にいるものじゃなかろう、北の方の海にいるお魚のことだろう、だからオットセイが、牧場へ逃げて来るなんてことは、有り得べからざることだよ」
「いいえ、違います」
 茂太郎は、オットセイの知識については、何か相当の権威を持っていると見えて、首を左右に振って、番兵さんの言葉をうけがわず、
「違いますよ、オットセイはお魚じゃありません、獣《けもの》ですからね」
「そうか知ら」
 オットセイについて、茂太郎よりも知識の薄弱らしい番兵さんは、勢い、茂太郎のいうところに追従しないわけにはゆきません。事実、オットセイは海にいるということは聞いているが、それが魚類であるか、獣類であるかを、決定的に回答のできるほどの知識を持っていないからです。
 やや得意になった茂太郎は、
「海にいたって、オットセイは魚じゃないんだ。鯨だってお前、番兵さん、鯨だってありゃお魚じゃないんだよ、山にすむ獣と同じ種類の動物なんですから」
「え……」
 番兵さんが眼をまるくして、今度はうけがいませんでした。
「御冗談《ごじょうだん》でしょう……鯨が魚でないなんて、木曾の山の中で、鯨がつかまったなんて話がありますか」
 オットセイについては、自分の知識の不明な点から、圧倒的に茂太郎の言い分に追従せしめられた形でしたが、鯨が魚でないなんぞと言い出された時に、番兵さんがうけがいません。のみならず冷笑気分になって、
「熊の浦で、鯨の捕れたなんて話はあるが、木曾の山の中に、鯨が泳いでいたなんという話は聞かねえ」
 木曾の山を二度まで引合いに出しました。そこで茂太郎も応酬しないわけにはゆきません。
「でも、学者がそいったよ」
 この場合、茂太郎は、自分を当面に出さないで、学者を矢面《やおもて》に立たせました。
「学者? ドコの学者が、鯨が魚でないなんていう学者は、唐人の寝言だろう」
「でも、立派な学者がそいったよ」
 茂太郎は、どこまでも学者を楯《たて》に取る。これは名は現わさないが、多分、駒井甚三郎のことではなかろうかと思う。
「ばかばかしいよ、学者が言おうと、誰が言おうと、そんなことを本当にする奴があるものか、論より証拠、まだ鯨の本物を見ないんだろう」
「ああ、見ないけれど、立派な学者がそう言うから」
「立派な学者もヘチマもあるものか、本物を一目見りゃわかることだよ、百聞は一見に如《し》かずだあな」
 今度は番兵さんが得意になりました。
 茂太郎がいかに大学者を引合いに出そうとも、現に見ていることより強味はない。自分は幾度も鯨の本物を本場で見ている――という確乎《かっこ》たる自信があるから、番兵さんの主張は、さすがの茂太郎も、如何《いかん》ともすることはできない。しかしまだ、どうしてもあきらめきれないものがあると見えて、
「マドロス君もそいったよ、鯨は魚じゃないんだって」
「お前がだまされてるんだよ、からかわれてるんだよ。もう、そんな話はおよし、鹿の子もそんな話は聞くのはイヤだといって、ああして親牛の腹へもぐりこんで寝てしまったあ」
 茂太郎は、まだまだ、あきらめきれないものがあるけれど、相手が受けつけないのだからやむを得ない。
 そこで鹿の子が、親ならぬ親を親として、その懐ろに安んじて眠り、牛の親が、子ならぬ子を子として、二心なく育てる微妙な光景を見ていると、この分では、狼の子が来ても、牛はそれを憎まずに愛し得るだろうと思われる。
 平和なる動物、忍従の動物、沈勇の動物、犠牲の動物、労働の動物、博愛の動物、そこで古来神として祀《まつ》られた動物。
 ただいまの論争は忘れて、それをしげしげと見入った清澄の茂太郎、
「オットセイじゃ、ああはいかないんだぜ」
 この子は、オットセイに対して、よくよく執着があるものと見える。そうでなければ、鯨で言い伏せられた腹癒《はらいせ》に、先方の知識の薄弱なところをねらって、オットセイで論鋒を盛り返そうとするのかも知れない。
「ねえ、番兵さん、牛はあんなに他人(?)の子でも大切《だいじ》にして育てるけれど、オットセイの親はなかなかあんなことはしないんだぜ。オットセイの親は、なかなかああはいかないんだからな」
「オットセイの親が、どうしたというのだ」
「オットセイの母親というのはね、番兵さん、自分たちの餌《えさ》をさがすために、三十里も遠くの海へ出るんだとさ、そうして帰って来ると、内海《うちうみ》に置いて行かれたオットセイの子が、お乳を飲みに寄って来るが、オットセイの子は、自分の母親がドレだかわからないものだから、どの母親にでも行ってかじりつくが、母親の方では、自分の子供だけにしかお乳をやらない、ほかの子供がかじりつくと突き放してしまう、だから、外海《そとうみ》へ餌を取りに出たオットセイの親を人間がつかまえると、その子は餓え死んでしまうのだって……だから今では、外海でオットセイを捕らせないことになっているんだって」
 茂太郎は、マドロス仕込みであろうところの、オットセイの知識を物語りました。

 牧場、牧舎の見廻りが一通り済んで、小舎《こや》へ帰って、二人水入らずの晩餐《ばんさん》の後、番兵さんは一個の曲物《まげもの》を、茂太郎の前に出して言う、
「茂坊、薬物《くすりもの》だから少しお食べ」
 それは色の白い、ベタベタした透油《すきあぶら》のようなもの。飴《あめ》のようで飴ではない。あんまり見慣れないもので、第一、食べようからしてわからないから、遠慮をしていると番兵さんは、耳かきのような杓子《しゃくし》を取添えて、
「これは、チュガ公の母親がこしらえた白牛酪《はくぎゅうらく》だよ、薬物だから、少しお食べ」
 すすめられるままに、その匙《さじ》のような杓子ですくい取って、少し食べてみたが、甘くも、辛くもない、薬物だというから、苦くもあるかというにそうでもない、妙に脂《あぶら》っこい、舌ざわりの和《やわ》らかな、口へ入れているうちに溶けてしまいそうなものだから、
「何だい、番兵さん、これは、味もなにも無いじゃないか」
「薬物だからね」
「何の薬になるの」
「何の薬ってお前、白牛酪なんてのが、滅多《めった》に口へ入るものじゃないよ」
と、そこで番兵さんが、茂太郎に、白牛酪の講釈をして聞かせました。
 白牛酪は、この牧場の白牛に限ったものである。この牧場の白牛から搾《しぼ》り取った乳が、すなわち白牛酪となって、天下無二の薬品と称せられているのだ。
 それは主として将軍の御用であるほかに、極めて僅少《きんしょう》の部分が、大名その他へわかたれる。
 売下げを希望する者は、江戸の雉子橋外《きじばしそと》の御厩《おうまや》へ、特別のつてを求めて出願する……その貴重なる薬品を、番兵さんの役得とはいえ、茂太郎はここで振舞われたことを、光栄としなければなるまい。
 光栄は光栄かも知れないが、甘くも、辛くも、なんともないことは争われない。そのはず、白牛酪《はくぎゅうらく》とはすなわちバタのことで、茂太郎は、パンにもなんにもつけないバタを、高価なる薬品として振舞われているのだから、ばかばかしいといえば、ばかばかしいこと。
 長い間、嶺岡牧場《みねおかぼくじょう》の白牛酪は、斯様《かよう》に貴重な霊薬としての取扱いを受けておりました。
 バタを食べさせられて、変な面《かお》をしていた茂太郎を、番兵さんは、流し目に見ながら、鯨のことを話し出しました。
 それは、魚なりや、獣《けもの》なりやというさいぜんの論争の引きつづきではなく、主として自分の見聞から、鯨は子を愛する動物であるという物語であります。
 いずれの動物でも、子を愛さない動物はないが、ことに、鯨ほど子を可愛がる動物はあるまいとの実見談を、番兵さんが、茂太郎に話して聞かせました。
 子鯨を殺された親鯨が、毎日その時刻になると港外までやって来て、或いは悲鳴をあげ、或いは直立して威嚇《いかく》を試みつつ、子供を返してくれと訴うる様のいかにも哀れなのに、その子鯨を殺した漁師が、熱病にかかって死んでしまった、という話を聞いているうちに、茂太郎が、親というものは、動物でさえもそれほど子を愛するものだから、自分も当然親に愛されていなければならないはずなのに、その経験も、記憶も無いということが、この場合になって、茂太郎の興をさましてしまいました。
 そんな話で、かれこれして眠りについた時分、外はさらさらと時雨《しぐれ》の降りそそぐ音。
 それがかえって、しめやかな夜を、一層静かなものにし、時々海の彼方《かなた》でほえるような声が遠音に聞える。
 半島国とはいえ、ここから海はかなり遠かろうのに、あの吼《ほ》えるのは海の中から起るようだ。
 それが気のせいか、鯨がやって来て「子をよこせ」「子をよこせ」と叫んでいるように、茂太郎の耳に聞える――

         十一

 その夜、茂太郎は鯨の夢を見ました。
 港の外の渺々《びょうびょう》たる大洋を、巨大なる一頭の鯨が悠々《ゆうゆう》と泳いでいる。ふと見るとその傍に可愛らしい鯨がついている。
 大きいのは母鯨だろう。母子は平和な海に、愉快に泳いでいる。
 と、それを見つけた漁師が、けたたましく叫ぶ。みるみる無数の鯨舟が、その二頭の鯨を囲《かこ》んでしまった。
 漁師共がいう、まず子鯨を殺せ、親鯨はひとりでに捕れる、と。
 そこで取巻いた二十|艘《そう》ばかりの八梃櫓《はっちょうろ》の鯨舟が、銛《もり》を揃えて子鯨にかかる。
 子鯨は負傷する、親鯨はそれを助けんとして奮闘する。鯨舟はこっぱのように動揺する。
 母鯨は、子鯨の上にのしかぶさって隠そうとする。子鯨は、負傷に苦しがって浮き出すと、鰭《ひれ》の上に載せていたわる。その隙を見て銛が飛んで来る。
 親鯨は、鰭と身体《からだ》との間に、子鯨をはさ[#「はさ」に傍点]んで海の底深く沈もうとするのを、銛がその母鯨を刺す。烈しく怒った鯨の震動で、漁舟が二艘|微塵《みじん》に砕ける。
 ついに、親と子は離れ離れになった。漁師共は得たりと、半殺しにしてしまった子鯨を、綱で結んで舟へ引き上げようとする。
 深く沈んだ母鯨の姿が、見えなくなってしまった。
 とうとう、親の方を逃がしちゃったと漁師共が口惜《くや》しがる。
 逃げたんじゃない、沈んでいる、沈んでいる、と叫ぶものもある。
 外洋《そとうみ》でなければ鯨は、死んでも沈むものじゃない、と怒鳴るのもある。
 逃げたのは男親だ、男の親鯨は逃げるが、母鯨というものは、決して子を捨てて逃げるものじゃ無《ね》え、そこらにいる、そこらにいる、とガナる者もある。
 一旦は逃げても、直ぐに来るから用心しろ、用心してつかまえてしまえ、と声をしぼって警《いまし》める者もある。
 そこで、海岸が暫く静まったが、やがて、すさまじい海鳴りがすると共に、果して大鯨が奮迅《ふんじん》の勢いで、波をきってやって来た。
「そら来たぞッ」
 漁師共の銛《もり》と、船とは、麻殻《おがら》のように、左右にケシ飛んでしまう。
 一気に、子鯨のつながれてあるところへのして来た親鯨は鰭《ひれ》でもってハッタとその綱を打ちきってしまった。そうして子鯨を抱いて、まっしぐらに外洋の方に逃げ出すと、早くも鯨舟が港の出口をふさいでいる。
 そこで出鼻をおさえられたところを、また無数の鯨舟がやって来て、周囲から攻め立てて、とうとう子鯨を取り返してしまった。
 怒気、心頭に発した母鯨は、行手をふさいだ港口の鯨舟数隻を、粉々にたたきこわすと、そのまま再び外洋に逃れ去ってしまった。
 漁師共もあきらめて、その子鯨だけを大切な獲物《えもの》にして引上げる。
 それからまた暫く海が平和であったが、やがて海鳴りがする。
 港の外を見ると、またやって来た。母親がそこまで来たには来たが、以前の奮迅の勇気は無く、港の外へ来て悲しげに泣く。海が急にわき立ったかと思うと、母鯨は、燈台が崩れたように海中に直立して、真白い腹を鰭でたたきながら、「子を返せ」「子を返せ」と狂いまわる――その哀求の声。
 茂太郎は、その声でガバと起き上ってしまいました。
 外で子をよこせ、子をよこせと哀願している声は、自分を迎えに来たもののように、茂太郎の耳に響きます。
 もう寝られない。寝られないとなれば、この少年は無意味に辛抱して、強《し》いてじっ[#「じっ」に傍点]としていることは一刻もできない性質です――鯨が呼んでいる。鯨ではない、自分の母親が呼んでいる。母親でもないが、誰か自分を呼んで、早く帰れ、早く帰れと呼んでいる。この少年は矢も楯もたまらなくなって、飛び起きてしまいました。
 ややあって、雨をおかして石堂原をまっしぐらに走るところの清澄の茂太郎を見ました。
 笠をかぶり、蓑《みの》をつけているけれども、それは茂太郎に相違ありません。彼は物に追われたように走るけれども、別段、追いかけて来る人はない。
 けだし、寝るに寝られず、じっとしては一刻もいられぬ茂太郎は、番兵さんの熟睡の隙《すき》をねらって飛び出して来たものだろう。そうでなければ番兵さんだって、いったん泊めたものをこの夜中、雨の降るのにひとり帰してやるはずはない。
 そんならば、蓑笠はどうしたのだ。
 さいぜん、古畑の畦《あぜ》で、あの案山子殿《かかしどの》をがちゃ[#「がちゃ」に傍点]つかせていたものがある、多分、あれをそっと借用したものに違いない。
 興に乗じての脱走は常習犯だが、他人の持物を無断で借用して、その人を困らせるような振舞は、かつてしたことのない茂太郎だから、無人格な案山子殿のならば、無断借用も罪が浅いと分別したのかも知れません。
 雨を衝《つ》いて茂太郎は、蓑笠でまっしぐらに走りました。
 しかし、なにも悪いことをしたんでなければ、そう、まっしぐらに走らないでもいいではないか。番兵さんの熟睡を見すまして逃げて来たんなら、そう物に追われるようなあわただしい脱走ぶりを、試みなくともいいではないか。
 だが、この少年は、なお驀然《まっしぐら》に走りつづけることをやめない。どうしても後ろから、追手のかかる脱走ぶりです。
 果して、後ろに足音がする。足音がバタバタと聞え出して来た。スワこそ!
 しかし、仮りに番兵さんに追いかけられて、つかまってみたところで、何でもないではないか――
 その以外の、誰かこの辺のお百姓にでも怪しまれて、取捉《とっつか》まってみたところで、タカが子供ではないか――
 狼が出たって、熊が出たって、コワがらないこの子が、何に怖れてこうもあわただしく走るのか、了解のできないことだ。
 だが、その後ろから、起る足音の近づくを聞くと、茂公はなお一層の馬力をかけて走る。
 後ろのは、得たりとばかり追いかける足音が、いよいよ急です。
 前の走る者の了簡方《りょうけんかた》もわからないが、後ろから追いかけて来る奴の心持もわからない。おーいとも言わず、待てとも呼ばず、ただ、足をバタバタさせて追っかけて来るばかり。
 しかしながら、この競走の結果は大抵わかっています。何をいうにも茂太郎は、子供の足です。もうどうにもこうにも、あがきがつかなくなったと見えて踏みとどまり、追いかけて来る後ろの足おとを、恨めしそうに、闇の中から眺めて、
「叱《し》ッ、叱ッ」
と言いました。これもたあいのないこと。ここで、「叱ッ、叱ッ」と小さな口で叱ってみたところで、辟易《へきえき》する相手ならば、ここまで狼狽《ろうばい》して逃げて来るがものはないではないか。茂太郎は下へ屈《こご》んで、右の手で石を拾い、
「叱ッ、叱ッ、お帰りというのに」
 再び叱りながら、その石を、闇の中へめがけて投げ込みました。
 手ごたえはあるにはあったのです。茂太郎の投げた石で、追い迫った足音はハタと止みました。
 相手も相手です、このくらいの威嚇《いかく》で辟易するくらいなら、追いかけるがものもないではないか。
 そこで、茂太郎は、またしても足を立て直して、まっしぐらに走り出すと、つづいて、例の足音が、ばたばたと追いかける。
 走ること暫くにして、どうしてもまたあがき[#「あがき」に傍点]がつかなくなって、
「叱ッ、叱ッ」
 しかしながら、もう駄目です。この時、後ろなる或る物から、完全に追いつかれてしまっていました。

 追いつかれたものを見れば、なんの人騒がせな、暗闇《くらやみ》から牛の本文通り、これはチュガ公でありました。
 チュガ公の後を慕って来るのを、或いは疾走によって、或いは威嚇によって追い返そうとしたが、ついにその効なきことを知ると、やがて妥協が成り立ちました。
 その辻堂を出立する時、チュガ公の背には一枚の古ゴザが敷かれて、その上に跨《また》がる蓑笠《みのかさ》の茂太郎――こうなるとチュガ公は、茂太郎のために、伝送の役をつとめんとして来たようなものです。
 雨の夜道も、苦にはなりません。
 夜が明けると、その雨さえも霽《は》れてしまいました。山道は全く尽きて野路になっている。後ろからのぼる朝日を背に受けて、秋の野路を西南の方に向いて行くチュガ公の足は、遅いもののたとえになる牛の足のようではなく、茂太郎を乗せたことによって、こおどりして進むものですから、道のはかどること。
 茂太郎もいい心持になると、また例の出鱈目《でたらめ》が出ないではやみません。
[#ここから2字下げ]
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
あぜ道へ落っこちる
こちらをあゆびなよ
あれあちらの
赤い花の咲いている
お寺の前を通りなよ
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
[#ここで字下げ終わり]
 チュガ公は、その赤い花の咲いているお寺の前を歩むと、
[#ここから2字下げ]
あさっから
しっかりぬきい
てらんぬわ
またがいどもが
おだされにくる
[#ここで字下げ終わり]
 房州人だけが知っている歌。それを茂太郎が寺の前でうたうと、寺から餓鬼共《がきども》が二三人、首を出して、やあい、やあい、牛小僧やあい、とはやし立てる。
[#ここから2字下げ]
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
静かにあゆびなよ
そんなに急《せ》かずとも
おくれはしないよ
もうあとが二里だよ
近路《ちかみち》をせずと
館山大路《たてやまおおじ》を
真直ぐにあゆびなよ
そらそら
あちらから
村の小旦那《こだんな》が来る
よけて通しなよ
村の小旦那が来る
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
[#ここで字下げ終わり]
 村の小旦那が、めかしこんで通りかかるのと、すれちがいになった時、茂太郎は、
[#ここから2字下げ]
小旦那どんが
どこへ出るにも
羽織きて
那古北条《なこほうじょう》は
いいとうりだのんし
[#ここで字下げ終わり]
 これは他国者でも少しはわかる歌。茂太郎から歌われて、小旦那なるものは、悪い面《かお》もせず、にっこと笑《え》む。
[#ここから2字下げ]
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
海へ落っこちる
もう少し
こちらをあゆびな
竜燈の松が見えるよ
洲崎《すのさき》は近いよ
お嬢さんが待っている
金椎君《キンツイくん》も待っている
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
[#ここで字下げ終わり]

         十二

 かくて、まだ朝といわるべき時間のうちに、早くも洲崎《すのさき》の、駒井の陣屋まで帰って来てしまいました。
「御苦労だったね」
 このごろ、新築された厩《うまや》の前へ来て、茂太郎が牛から下りる。
 厩には馬がいない。いないはず、これは駒井と田山とが、轡《くつわ》を並べて出て行ってしまったあとだから――
 牛から下りた茂太郎は、牛の労をねぎらって、これに、かいば[#「かいば」に傍点]を与え、水を与え、雨に濡れた身体をぬぐうてやり、
「御苦労、御苦労、もういいからお帰り」
 たてがみのあたりを撫でて軽く押してやると、チュガ公は無雑作《むぞうさ》に動き出して、可愛ゆい眼をパチクリする。
「番兵さんが心配するから、早くお帰り」
「さよなら」
 チュガ公は、言われたままに、とっとともと来た方へ走り出す。
「道草を食べないでおいでよ」
 チュガ公は振返って、眼をパチクリする。
「はいはい、承知致しました」
 とっとと走り出す。珍客を送るために出て来て、使命を全《まっと》うしたことの喜びを以て、いそいそとして帰る。
 行くも、帰るも、チュガはチュガだ。
 この分では、六里の道を無事に帰って、番兵さんに、ただいま送って参りました、との挨拶をするに違いない。
 チュガ公を帰してやった茂太郎は、足を洗い、濡れた着物をぬいで、台所の隅へ行き、乾いたのと着替えてから、こっそりと、おまんまを食べてしまいました。
 ずいぶん、お腹《なか》がすいていたものと見える。
 おまんまを食べているうちにも、主人が不在とはいえ、この家の森閑《しんかん》たることよ。
 金椎は庖厨《ほうちゅう》を司《つかさど》っているが、それはいてもいなくても、物の音からは超越している。
 お嬢さん――まだ自分のお部屋で寝ているのか知ら。金椎さんの驚かないのは仕方がないが、お嬢さんは、いるんならば、わたしが帰って来たのを気がつきそうなもの。多分、朝寝をしているんだろう。殿様も、田山先生もいないものだから、全く気兼ねをする心配がとれたので、それで思いきり朝寝をしていらっしゃるのだろう。
 おまんまを食べてしまうと、茂太郎は兵部の娘の部屋、つまり自分たちと同居の部屋を訪れて、
「お嬢さん」
 こう呼びかけて戸を叩いてみたけれど、返事がありません。
「お嬢さん」
 ふたたび呼んで、戸を開いて見たが、その人がおりません。
「おや?」
 せっかく、雨を冒《おか》して帰って来たのは、鯨の親に呼ばれたのみではない、早く家へ帰って見たいからだ。一つは、お嬢さんに心配させまいとの心づくしだ。それだのに、相手はいっこう張合いがなく、こっちがあせって来るほど、待ちこがれもなにもしやしない。
 茂太郎は室内へ入って、隈《くま》なく見たけれども、何者の姿をも見出すことはできません。
 ただ、たった今まで、ここに人がいた形跡はたしかにある。人がいたというのは別人ではない、お嬢様その人がたしかにいたことは、残されて、半分ばかり始末をしかけた化粧道具の、取散らかしが説明する。
 では、相当のおめかしをして、どこぞへ出かけて行ったのか。近いところならばかまわないが、もしかして、わたしのあとを追いかけて、ふらふらと出かけられたんでは困る。
「お嬢さあ――ん、いないの?」
 茂太郎が第一級の声を張り上げて呼ぶと、思いがけないところで、
「は――い」
と返事がある。
 返事をしたところは離れの物置で、それはこのごろ手入れをして、田山白雲が画室にあてているところであり、その返事の主は、兵部の娘であることに相違がありません。
 茂太郎が、そこへ飛んで行くと、兵部の娘は畳の上へ、画帖を取散らかして、それを、腹ばいの形になって、顋《あご》をおさえながら見ておりました。
「茂ちゃん、どこへ行っていたの」
「お嬢様、ただいま」
 挨拶があとさきになりました。
「何?」
 兵部の娘が落ちつきはらって、わきめもふらずに絵を見ているものですから、茂太郎が傍へ寄って来てのぞきこむと、
「ずいぶん、いろんな絵があるから、すっかり、見てしまおうと思って」
 なるほど、一枚描きの絵や、仮綴じの画帖や、絵巻や、まくりものが、あたり一面に散らかしてあって、室の一隅の草刈籠《くさかりかご》は、大塔宮《だいとうのみや》がただいまこの中から御脱出になったままのように、書き物が溢《あふ》れ出している。兵部の娘が、今ながめている画巻も、その籠の中から引き出して来たものでしょう。
「あたしにも、見せて頂戴な」
 茂太郎は、兵部の娘の傍へ、その頬と頬とがすれ合うばかり寄って来て、左の手を無雑作《むぞうさ》に、兵部の娘の肩から首を巻くように廻して、同じ画巻をのぞき込む。
「いやな先生ねえ、なんでもかでも、見る物をみんなかいちまうんだよ」
「何がかいてあるのさ」
「ごらん、なんでもかんでもこの通り、わたしたちのすること、なすことを、みんなかいてしまってあるんだよ」
「見せて頂戴」
「そんなに引張らないで、ここへ置いてごらんな、一緒に見たって、見えるじゃないの」
「あれ、お嬢さん、浜を歩いている後ろ姿があらあ」
「後ろ姿なら、いいけれど、ごらん」
 一枚をめくると、
「あれ、お嬢さんがお化粧している」
「そうよ、お化粧ならまだいいけれど、ここをごらん」
「やあ、お嬢さん、裸になって行水をしているところ……」
「いやじゃありませんか、いつのまに、こんなものをかいたんでしょう。そっと隙見《すきみ》をして、こんなところをかいちまっていながら、知らん顔をしているんですから、ずいぶん、人の悪い白雲先生よ」
「だって、絵かきの先生だもの」
「絵かきの先生だって、お前、人が裸になっているところなんか、かかなくってもいいじゃないの……女が人に肌を見せるなんて、恥じゃありませんか」
「だッて……」
「だッて、何さ……ちゃんと、お化粧をして、着物を着かえたところならば、誰が見たって恥かしくはないけれど、行水をしているところなんかかかれちゃ、たまらないわ。こんなのを人前にさらされちゃ、わたし立つ瀬が無いわ」
「だッて……女だって、裸が恥かしいとはきまらないでしょう、布良《めら》のあまの姉さんたちをごらんなさい、いつでも裸でいるじゃありませんか」
「あれは違いますよ、あれは商売だから、海へもぐるのが商売だから、裸でいたって誰も笑やしないけれど、わたしなんぞ、商売じゃありませんもの」
「だって、風俗だから仕方がないでしょう」
「何が風俗さ……」
「先生は風俗をかいているんだから。助平《すけべい》のつもりでかいていなさるんじゃない、芸術のためなんでしょう」
「生意気をお言い。何にしたって、こんな恥かしいところをかかれちゃいや」
 兵部の娘は手をさしのべて、筆立から筆を抜き取り、墨を含ませると、ズブリとその絵を塗りつぶしてしまったから、清澄の茂太郎が、その勇敢に、あっ! とたまげました。
「茂ちゃん、お前のことも、ずいぶんかいてありますよ」
「わたしは、かかれたってかまわない」
「それから、駒井の殿様も、金椎《キンツイ》さんも、マドロスさんも、みんないいかげんのところがかきうつしてしまってあるのよ、ほんとに絵かきの先生に逢っちゃ、たまらないと思うわ」
「商売なんだもの」
「こっちの方をごらん、造船所から、竜燈の松の方まで、風景がすっかり写し取ってあるのよ」
「商売だもの」
「いくら商売だってお前、こんなに、一から十までかいておいて、知らん顔をしているのは憎いわねえ……およしよ、茂ちゃん、うるさいわよう」
 茂太郎が、あんまり摺寄《すりよ》って来て、肩から首筋へかけた手を十分に深くして、下に置いてある絵をのぞき込むものだから、兵部の娘は、負うた子に髪をなぶらるるようにうるさがって、首を振るのを、茂太郎はいっこう遠慮をしないで、
「それはお嬢さん、殿様だって、あんな立派なお船をこしらえながら、知らん顔をしていらっしゃるじゃないの、何でも、仕事をする人はだま[#「だま」に傍点]ってしてしまいますよ」
「ませたことをお言いでないよ。ホントに、茂ちゃん、お前という子は、このごろイヤにませ[#「ませ」に傍点]てきてしまって、始末にいけないよ。お放しってば、痛いから」
「このくらいのこと、痛いもんですか」
「痛いか痛くないか、人のことがわかって……そんならお前、こうしても痛くないかえ」
「痛い!」
 茂太郎は横腹をツネられて、痛い! と叫んだけれども、それでも首に捲いている手は、ちっとも放さず、
「お嬢さん、そんな邪慳《じゃけん》なことをするもんじゃありませんよ」
「何が邪慳です、甘たれ小僧」
「そんなに叱れば、あたい、また出て行ってしまってやるから」
「どこへでも、出ておいで」
「今度、出て行けば帰らないよ」
「勝手におし」
「いいの?」
「いいとも」
「あたいが帰らなくても?」
「あいさ」
「ああそうでしょう、あたしがいなくても、殿様がいらっしゃるからね」
「まあ……」
 兵部の娘は、ちょっと横を向いて睨《にら》む真似《まね》をしながら、
「なんてこま[#「こま」に傍点]しゃくれたことを言うんでしょう、お前の言うこととは思えない」
「だって、お嬢様は、以前は一晩でも、あたいがいなければ淋しがったり、恋しがったりしていたくせに」
「まあ、いいからお放し……ね、いい子だから、あんまり、しつっこ[#「しつっこ」に傍点]いと人に嫌われますよ」
「ねえ、お嬢さん、あっちへ行きましょうよ」
「どこへさ」
「あっちへ」
「あっちとはどこさ。まあ、この絵をみんな見てやりましょうよ、知らん顔をして、こんなにかき散らしているのが、ホントに憎らしいから」
「あたいは絵なんか見たくない、それに留守の時に、人の物をだまって見るなんて、悪いから」
「だって、お前、向うだって、だまって人の姿をうつしたりなんかして、知らん顔をしているんだもの……おたがいさまよ」
「行きましょうよ、あっちへ」
「どこ[#「どこ」に傍点]だっていいじゃないの」
「でも、居慣れたところの方がいいでしょう」
「やんちゃな子だねえ……」
 その時、窓の下の海岸を、人が走り出して、
「鯨だ、鯨だ、鯨が来たよ!」
 室内の二人は、この声におどかされてしまいました。

         十三

 この近海へ、鯨が見えたということは珍しい報告である。珍しければこそ、人があんなに騒いだのだろうと思われる。
 二人もまた、この物置から走り出して、海辺へ出て見ると、鯨だ、鯨だと言ったのは多分、「黒船《くろふね》だ、黒船だ」と叫んだその聞きそこねか、そうでなければ、早まった人たちの間違いだろうと、一目でそうわかりました。眼の前に、一艘《いっそう》の大きな黒船が来ている。
 眼の前といっても、それは海上かなりの遠くではあるが、ここからは眼と鼻の先、浦賀海峡の真中に、三本マストの堂々たる黒船が、黒煙を吐いたままで錨《いかり》を卸している。それを見て最初叫んだものが、「黒船、黒船!」と言ったのを、寝耳に水のように聞いた漁夫《りょうし》たちが、「鯨だ、鯨だ!」と間違えたのだろう。
 黒船と聞いて、人心が動揺しないわけにはゆきません――鯨ならば、七浦《ななうら》をうるおすということもあるが、黒船では、当時の日本国を震愕《しんがく》させるだけの価値はある。
 尤《もっと》も、この辺の地点では、黒船を見ることにかなり慣らされてはいるが、それでも、いま、眼の前に現われたほどの黒船は、あまり見なかった黒船であります。
 木造、螺旋式《らせんしき》、三本|檣《マスト》、フリゲット――長さは無慮二百四五十尺、幅は三十尺以上四十尺の間、排水は、玄人《くろうと》の目で見て三千トンは動かぬところ――
 それが悠々《ゆうゆう》として浦賀海峡の真中、江戸の湾口に横たわっているのですから、船を見るに慣れた浦人《うらびと》の眼をも、驚かさないわけにはゆきません。
 眼を驚かすばかりでなく、心を戦《おのの》かしむることは、浦々の人が浜辺に出て指さし罵《ののし》りさわぐ面《かお》の色を見ても、明らかです。
 もうすでに番所番所から、役向役向に伝えられたに相違ない。昨日出張の目附《めつけ》は、さだめて早馬を飛ばせて江戸へ注進に及んでいる最中でしょう。館山、北条あたりの海上からも、幾多の早舟が飛び出すところを見れば、船手からの注進をも急ぐものと見える。
 一方、黒船の方を遠眼鏡で見ると、バッテイラを卸しはじめたようです。
 スワこそ、バッテイラで乗込んで来るぞ、うかうかしていた日には、元寇《げんこう》に於ける壱岐《いき》対馬《つしま》の憂目《うきめ》をこの房州が受けなければならぬ。用心のこと、用心のこと。
 こちらに大砲は無いか、砲台の守り手に抜かりはないか。しかしまた、いかに毛唐《けとう》だって、単に薪水を求めに来たらしいのを、無暗にぶっ払うも考えものだ。尋常に交渉に来たら、尋常に挨拶するのが人間同士の作法だろうじゃないか。だが、言葉がわからない。言葉が通じないために、飛んだ行違いになりがちである。どうしたものだ――
 そうそう造船所の殿様――は、外国の言葉を知っておいでなさる、うむ、それよりも、あすこには、このごろ本物がいた、本物の毛唐人が来ていた、いい幸いだ、あれを立合わせろ、あれを立合せて、聞くだけは聞いてやってからのことがいいじゃないか、そうして、どこまでも図々しければ図々しいように、こっちにも出ようがあろうというものだ。
「ナニ、あいにく、造船所には殿様も、本物もいないって……みんな揃ってどこへか出かけてしまったって、冗談じゃない、こういう時は、ペロが手柄を現わすじゃないか。ちぇッ、何だって今日に限って、留守なんぞになるんだ、ちぇッ」
 海辺に立って騒ぐもののうち、気の利《き》いたのは、気が利き過ぎて、かえって地団駄《じだんだ》を踏むのもある。
 だが、バッテイラは下りたには下りたようだが、こちらへ向って、漕ぎ寄せられるような様子もありません。
 黒船は、相変らず悠然《ゆうぜん》として浮んでいる――
 兵部の娘と、茂太郎は、これを他事《よそごと》のようにして、黒船を右にしながら、散歩気取りで、海岸をずんずん南の方へ歩いて行きました――先日海竜が出たあの海岸の方へ。
 二人だけは人心の動揺に頓着なく、黒船をよそに、海岸をふらふらと歩いて、とどまるということを知らないらしいから、放って置けば、また海へ没入してしまうでしょう。
 それに、天気が申し分ない。鮮麗な秋の空、目立たぬほどの積雲が、海上二マイルばかりのところに茫漠《ぼうばく》としている。今日も終日、海上も無事だし、明日のこともまず心配はない。
 でも、今日は二人とも感心に、止まるところを知っているらしい。
 汐見《しおみ》の松のところまで来ると、兵部の娘は、松の根によりかかってしまうと、茂太郎は、少し離れた石の上に腰をかけて、松の枝の間、兵部の娘の振袖の垂れ下っているところから黒船を見ている。
 そこで勢い、即興の出鱈目《でたらめ》が一首、なければならないことになる。
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昔より今に渡り来たる黒船
縁がつくれば鱶《ふか》の餌《え》となる
ハライソ、ハライソ
サンタ、マリヤ
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 兵部の娘は、松の木から海を背にしているのですから、黒船を見ることができません。
 小春日和に、散歩気分の充実した面《おもて》を汗ばませて、軽い疲れを休ませながら、
「茂ちゃん、踊ってごらんな」
と言いました。
「踊りましょうか」
「踊ってごらんな、誰も見る人はないから」
「そんなら踊りましょう」
「その砂の上で、少ししめり[#「しめり」に傍点]のあるところがいいでしょう、はだしにおなりなさい、足あとが砂の上につくから。やわらかでいいでしょう」
「ええ、乾いた砂の上より、こっちの湿ったところの方が踊りいいね」
「さあ、誰も見ていないから、思いきって踊ってごらん」
「ええ」
 茂太郎は誰も見ないところで、思いきって踊ることの自由を与えられたことに、至極の満足らしく意気ごんで、左の肩をぬぎました。
 その場合、甚《はなは》だ窮屈と不釣合いとを忍んで、相変らず般若《はんにゃ》の面は放さないのです。
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参ろうや、参ろうや、ハライソの寺に参ろうや、ハライソの寺とは申すれど、広い寺とは申すれど、狭い広いはわが胸にあり
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と、いいかげんな節をつけて、お能がかりにうたい出すと、手をのばして般若の面を扇子《せんす》のように抱え込み、三番叟《さんばそう》を舞うような身ぶりで舞いはじめました。
 それが済むと、ガラリと変った烈しい身ぶりになって、
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ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
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 これが踊りといえるか知らん、単に身体《からだ》の躍動だけに過ぎないのでしょう。
 でも曲折に巧妙な点はある。左の手は面をかかえ込んで、自由が利《き》かないものですから、右の手を高く上げたり、裏返したり、また体をクルリと後ろへ向けたりするところなんぞに、いかにもいい形を見せることがあります。
 伴奏としては、ハライソ、ハライソ、サンタマリヤを、単純に繰返すことだけに過ぎないが、興に乗って、身ぶり、足どりが烈しくなるほど面白い形を見せて、砂の上のしめりを含んで和《やわ》らかいところを、縦横無尽に踊って踊りぬいて、自分ながら加速度に興が加わるのを禁ずることができないようです。
 単純なようで、変化もあるし、第一、当人が興に乗って、充実しきっているから、自分も踊りながら、見ている人をも、その陶酔に誘い入れずにはおかないのだから、兵部の娘も引入れられてしまい、
「茂ちゃん、わたしも踊るわ」
 こちらの方から、盆踊りにある手ぶりで、兵部の娘が踊り出して来ました。
 さんざんに踊って、踊り疲れた茂太郎は、そのまま以前の岩の上に来て腰を卸《おろ》してしまうと、舞台はおのずから、兵部の娘ひとりに譲られたことになる。
 その時、兵部の娘は盆踊りの手ぶりから、本式の踊りになって、しとやかに浦島を踊っているのを、茂太郎は汗をふきながら一心に見ているのは、その手を覚え込もうと心がけているのか、或いは自分のガムシャラの踊りに比較して、その長所と、短所とを、総評的に見ているのかも知れません。
「茂ちゃん、もっとお踊りよ」
「お嬢さん、あなた、もっと踊って見せて下さい、今のは浦島でしょう、今度は老松《おいまつ》かなにかを」
「生意気な子だよ、老松が何だか、知りもしないくせに」
「知ってますからね」
「では、お前、踊ってごらん」
「見ていればわかるけれども、自分じゃ踊れませんよ」
「出鱈目《でたらめ》の踊りなら、いくらでも踊るくせに。さあ、おいで、今度は二人で、威勢のいいところを踊ろう」
「何を踊りましょう」
「何をって、お前のなんぞはみんな出鱈目じゃないか、何でもいいように踊り、あたしの方で合わせるから」
「それじゃ、潮来出島《いたこでじま》を踊りましょう、でなければ、さんどころ、さんどころ」
「何でも勝手に踊りなさい、さあ」
 兵部の娘がさしのべた手をとった茂太郎は、やっぱり般若の面を左の小腋《こわき》にして立ち上ると、勢いよく、
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いざやさんおき
津島の参りてさんならさんなら
さんどころ
エイサノエイサノエイ
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と足拍子面白く踊り出したから、兵部の娘もそれに合せて、茂太郎の手を引いたまま、道行《みちゆき》ぶりで踊り出しました。
 友は持つべきもの、弁信法師がついていれば、こうまで有頂天《うちょうてん》にはなるまいに。
 片手の自由が般若の面に殺されているのに、片手は兵部の娘に取られているものですから、茂太郎は身体《からだ》だけで丸太ン棒のハネるように、ハネ踊るのがおかしくもあり、窮屈千万でもあるようでしたから、兵部の娘も少しからかってやる気になり、海の水がさして来たところで、握っていた手をキュッと締めて軽くつき放すと、
「あっ!」
といって被害を受けたのは当人ではなく、寝るから起きるまで、後生大事《ごしょうだいじ》の般若の面が、あっという間もなく、腋《わき》の下から放れて飛びました。
 その途端、面《かお》の色を変えた茂太郎は、それでも幸いに般若の面が海の方へ落ちないで、砂の上へ飛んだものですから、ホッと安心して拾いにかかるのを、兵部の娘が横合いから取り上げてしまいましたから、茂太郎は、
「いけないよ、いけません、ほかのいたずらと違いますよ、もし、海の方にでも落ちて流れてしまってごらんなさい、かけがえが無いじゃありませんか」
 心から恨めしげに、手をさしのべたが、兵部の娘は、それを高く差し上げて返しません。
 茂太郎はよりかかって手を伸ばす、兵部の娘は反身《そりみ》になって、それをいよいよ渡すまいとする――そのすぐ後ろは海です。波がもう兵部の娘の踵《かかと》を嘗《な》めている。
「あぶないよ」
「あぶない!」
 どちらが警告するのか知れません。
 この時、轟然《ごうぜん》として、天地の崩れる音が起りました。
 それと共に浜辺にいた村民漁夫たちが一時に仰天して、蜘蛛《くも》の子を散らすように走り出しました。つづいて殷々《いんいん》轟々と天地の崩れる音。天地の崩れるもすさまじいが、それは海に浮んだ黒船が、大砲を打ち出したものであります。
 さすがの幼稚な石女木人のいさかいも、この音に驚かされないわけにはゆきません。
 二人はいさかいをやめて、黒煙|濛々《もうもう》たる黒船をきょとん[#「きょとん」に傍点]とながめている。

         十四

 津の宮の鳥居の下から、舟をやとうた田山白雲は、鯉のあらい、白魚の酢味噌を前に並べて、行々子《よしきり》の騒ぐのを聞き流し、水郷の中に独酌を試みている。
 船は、どこまでも流れにまかせて進むから、これは鳥居前から、十五島を横断し、十二橋をくぐって潮来《いたこ》へ出ようという目的ではないらしい。
 利根の流れをズンズンと浪逆浦《なみさかうら》へ出て、多分、鹿島の大船津《おおふなつ》を目的とするものだろうと思われる。つまり、香取の神宮へ参拝して、潮来出島はあと廻しにして、鹿島神宮を志すものらしい。
 中流にして、田山白雲は、杯《さかずき》をあげて船頭を呼びました、
「おい、若衆《わかいしゅ》、一つやらないか」
 つまり、利根川の舟の船頭さんであるところの若いのに、杯をさしたものです。
「こりゃあ、どうも」
と、その若い船頭さんが恐縮する。この兄いは、ちょっと、いなせ[#「いなせ」に傍点]なところがある。恐縮しながら水棹《みさお》を置き、鉢巻を取りながらやって来ると、
「兄い、おめえは土地の人か」
 田山白雲が、調子をおろして尋ねてみますと、若衆《わかいしゅ》ははにかみながら、
「へえ、これでも土地っ子には土地っ子ですが、少しよその方へ行って遊んで参りました」
「そうだろう、おめえ、なかなか色男だ、津の宮の茶店でも女共が、お前のことをなんのかんのと騒いでいた」
「恐れ入っちゃいます……ではお辞儀なしに一ついただきます」
 兄いは、白雲のくれた杯を、頭をかきながらいただいて、一杯飲みました。
「遠慮なくやってくれ、舟なんぞは流れっぱなしでもかまわねえ」
「どうも、済みません」
「返すには及ばねえ、いけるんなら、かまわず、盛んに飲み給え」
「へ、へ、へ、どうも」
 白雲から酌《しゃく》をしてもらって、恐縮しながら二杯三杯と飲んでしまう。その飲みっぷりが相当にものになっているから、白雲も面白いことに思い、
「時に、お前のその絆纏《はんてん》に染めてある仮名文字は、そりゃ何じゃ。さっきから、読み砕こうと思って再三苦心したが、どうもわからねえ、何のおまじないだい」
「へ、へ、へ、これでございますか」
 白雲が、さいぜんから気にしていたことの一つは、この若い者の背中に、仮名文字が一列に染め出されている。それは仮名文字だから、横文字と違って、読むに困難はないが、文句そのものが意味を成さないから、白雲ほどのものが思案に余っているらしい。
「これですけえ」
 若い船頭には、なまりと外行《よそゆき》の言葉とがチャンポンに出る。
「もっとよく、こちらを向いて見な」
「はい、はい」
 背中を向けると、若い船頭の印絆纏《しるしばんてん》――
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「ゆききんのぶみよ」
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と染めてある、片仮名にしてみれば、「ユキキンノブミヨ」となる。
 白雲はそれをながめながら、最初の通りに思案の首をひねる。どう判断しても、この一行の文字の意味がわからないらしい。
「へへ、へへ、これはね、旦那様、潮来の竹屋の女中さんの名で、こうして、わっしにみんなして、気を揃《そろ》えて、毎年一枚ずつくれるんでございますよ」
「なるほど、そうか」
 そこで、白雲が、これは「ユキキンノブミヨ」と一行に読んでしまうからいけない、ゆき、きん、のぶ、みよ、と四つにわけて、四人の名にして読めば、手もなく解釈がつくのだとさとりました。
 ところで、この若い船頭さんが、白雲に向って、これをきっかけに、よからぬ事をすすめる。
 よからぬ事というのは、どうです、旦那、これから潮来へおいでになって、菖蒲踊《あやめおど》りを御見物になりませんか――ということです。
 というのは、単に如才《じょさい》ないだけではなく、この提案が成功すれば、二重の役得があるという見込みが十分でしたから、御意によっては、鹿島へ行く舟のへさきを即座に変えて、潮来へじか[#「じか」に傍点]附けにして差上げますという、透《す》かさないかけひきを、白雲は頭から受けつけず、
「怪《け》しからん、神様へ参詣《さんけい》する前に、遊女屋へ行く奴があるか」
 これで一たまりもなく、若い船頭の提案はケシ飛んでしまいましたが、存外わるびれず、
「ほんとうに、それもそうでございますねえ、神様へ参詣する前に遊女屋なんぞへ上っては、罰《ばち》が当ります」
「その通りだ」
「先生、あんたは剣術の方の先生でございましょう、それで鹿島神宮へ御参詣をなさるんでございましょう。何しろ、香取、鹿島の神様ときては、武術の方の守り神様でございますからなあ」
 若い船頭は、今まで旦那扱いで来たのが、ここで先生になって、その先生も、鹿島詣《かしまもうで》をする武者修行の勇士ときめてかかったらしい。
「うむ」
 白雲が頷《うなず》きました。白雲が画家と見られないで剣客と見られることは、今に始まったことではありません。
「剣術は何流をおやりになりますか。水戸には、なかなか使える先生がありますよ、水戸へおいでになりましたか」
「まだ水戸へは行かん、土浦にはどうだ」
「左様ですね、土浦の方のことは委《くわ》しく存じませんが、香取様の前には天真正伝神刀流、飯篠長威斎先生のお墓がございます、飯篠先生の御子孫の方もいらっしゃいます」
「ああ、そうだ、そうだ、どちらもお訪ねして来たところだ」
「左様でございますか――おやおや、舟が横っ走りをはじめやがった」
 舟のへさきが蘆荻《ろてき》の中へ首を突っこみそうになったから、若い船頭は、
「旦那、どうも御馳走さまでございました」
 杯をおさめ、棹《さお》を取り上げて、舟を立て直しました。
 舟は満々たる水の中を辷《すべ》り行く。忽《たちま》ち前後左右を真菰《まこも》で囲まれたかと思うと、一路が開けて、一水が現われる。不意に真菰のうらが騒ぎ出したかと見ると、菅笠《すげがさ》が浮き出している。笠ばかりで姿は見えないが、唄は真菰刈りの若い女の口から出る。そうかと思えば、唄は無くて盲目縞《めくらじま》に赤い帯の水国の乙女が、ぬなわ舟に棹さして、こちらをながめているのにでくわす。
 田山白雲は、興に乗じて画嚢《がのう》をさぐり、矢立を取り出して写生図を作りはじめました。
 そこで若い船頭も、興を催してか、或いは興を助けるつもりでか、潮来節をうたい出したのが、白雲の耳を喜ばせる。
 その途端に、向うの真菰の中から、すうーっと辷り出して来た小舟の中に、例のめくら縞に赤い帯、青い襷《たすき》で、檜笠をかぶった乙女が一人――乙女と言いたいが、もう二十四五の、かっぷくのいい、色つやの真紅な、愛嬌たっぷりなのがすれちがいざまに、若い船頭と面《かお》を見合わせ、にっこり笑いながら棹を外《そ》らして、若い船頭を突っつく。
「あ、痛えな」
 若い船頭が、仰山な叫び方をすると、
「いたけりゃ辛抱していろよ、誰も巳之《みの》さんをおん[#「おん」に傍点]出す人はねえだから」
「それじゃ、おっかの舟貸すか」
「乗れねえに、持ち上げろよ」
「ナニョー、しんだ」
「うるせえな、このオベラカシ」
 白雲の耳には、何ともわからないざれごとを言い合って、舟は左右にわかれました。

         十五

 大船津の浜へのぼると、そこで田山白雲は、物珍しい一行を見てしまいました。
 数十人の団体が、手に手に小旗を持って船を待っている。その小旗を見ると、どれにも、これにも、「十五文」と記してあるのがおかしい。
 団体の中に、一人、頭へ置手拭をして、突袖《つきそで》ですましこんでいる若いのが、これが一行の大将株と覚しく、これの襟《えり》にさしてあった旗だけが少し違い、
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「十五文、橋庵先生《きょうあんせんせい》」
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としるしてあります。そうして、その周囲《まわり》を取りまいて、扇であおいでいるのが、見る人が見れば見たような面《かお》と思うも道理、これぞ江戸の下谷の長者町で、道庵先生の両腕とたのまれたデモ倉と、プロ亀でありました。
 さては読めた。倉と、亀とが、道庵先生の不在に乗じて裏切りをし、ここに橋庵先生というのをもり立てて、その向うを張らせ、道庵の十八文よりは三文だけ安くして、つまり、それだけ大衆的であるとの看板の下に、あっぱれ一謀反を企《くわだ》てたものと見えます。
 そうとは知らぬ道庵先生と米友、今頃はもう名古屋の市中に入って、また出来損いの「大岡政談」でも見ていることだろう。
 デモ倉や、プロ亀が、あっぱれな小刀細工をしようとも、そこは大腹中の道庵先生のことだから、蚊の食ったほどにも思うまいが、宇治山田の米友というものが存在している以上は、倉公、亀公いいかげんにしないと、耳ったぼにカーンと来ないとも限らないぞ、ほかと違って米友のは、手練だから痛さが違うぞよ。
 そんなことは、知ったことでない田山白雲――アイロ、コイロの社《やしろ》、鎌足公《かまたりこう》の邸跡、瑞甕山根本寺《ずいおうざんこんぽんじ》では兆殿司《ちょうでんす》の仏画、雪村《せっそん》の達磨というのを見せてもらい、芭蕉翁の鹿島日記にても心を惹《ひ》かれ、鹿島の町、末社の数々、二の鳥居、桜門、御仮殿《おかりどの》――かくて、鹿島神宮の本殿――
 しかし、鹿島は単に神宮だけでなく、裏へ廻って鹿島灘《かしまなだ》を見ることが、この行中の一つの重要なる目的でなければならぬ。
 その目的を以て田山白雲は、要石《かなめいし》から潮宮《いたのみや》、高間《たかま》の原の鬼塚、末無川《すえなしがわ》のいわゆる鹿島の七不思議を見て、下津《おりつ》の浜まで来てしまいました。
 ここは音に聞く鹿島灘――今、目に見て白雲の心が躍《おど》りました。
 すでに安房《あわ》の海を見、上総の海、下総の海岸を経て、利根の水、霞ヶ浦の水郷に漫遊した白雲の眼には、鹿島灘の水を、同じものとは見ることができません。
 ここへ来る以前に、松川が教えてくれたのだ。鹿島の海岸は処女地だ、九十九里の浜どころではない、旅行通を以て任ずるやからでも、まだ鹿島灘を見ないやつがいくらもある、よほどの変り者でなければ、あれまでは行かないのだ、また行ったところで、それだけの心ある奴でなければ、得るところはあるまい。
 常陸《ひたち》の磯浜の海岸から、大利根の河口まで、蜒々《えんえん》として連なる平沙二十里、これだけ続いている沙浜はどこにもなく、これだけ美しい弧線を描いている沙浜もほかには見出せない。その海岸線にはただの一カ所の出入りもなければ、岩一つ、島一つもない。あるものは有名なる鹿島の荒灘の水が、豪然として人の快腸を洗うあるのみだ。
 こんなところを天下の馬鹿野郎に教えたくない、君だけに教える、行ってその腸《はらわた》を洗って来給え――と教えてくれたから来て見たのだ。
 教えにたがわず、来て見れば、鹿島の灘は、わが腸を洗うに十分である。
 下津の浜辺を西南に向って歩みながら、白雲は豪壮なる波と、無限の海の広さにあこがれ、眇《びょう》たる一粟《いちぞく》のわが身を憐れみ、昔はここに鹿島神社の神鹿《しんろく》が悠々遊んでいたのを、後に奈良に移植したのだという松林帯を入りて出で、砂丘を見、漁舟を見、今を考えているうちに、頭が遠く古《いにし》えに飛びました。
 年代|茫々《ぼうぼう》たり、暦日茫々たり、高天茫々たり、海洋茫々たり、山岳茫々たる時に、鹿島灘の怒濤《どとう》の土を踏んで、経津主《ふつぬし》、武甕槌《たけみかずち》の両神がこの国に現われた。
 出雲に大国主《おおくにぬし》の神を威圧し、御名方主《みなかたぬし》の神を信濃の諏訪《すわ》に追いこめ、なおこの東国の浜に群がる鬼どもを退治して、天孫降臨の素地をつくった武将のうちの神人、経津主と武甕槌。
 この両神が剣《つるぎ》をぬきかざして、鹿島灘の上を驀進《ばくしん》し来《きた》る面影《おもかげ》を、ただいま見る。
 なるほど、鹿島の海は経津主、武甕槌を載せるにふさわしい海だ――
 この怒濤の上に立って、両神が相顧み、相指さして、一方は香取の山に登り、一方は鹿島の山に威を振うの光景を、田山白雲は、まざまざと脳裏にえがきました。
 これでなければいけない、この海でなければ経津主《ふつぬし》、武甕槌《たけみかずち》を載せる海はないと思いました。
 そこでまた、香取、鹿島の海で相呼応するこの神代の両英雄を、優れて大なる額面に描き、これを関東、東北の主峰にかかげてみたいとの願望が、油然《ゆうぜん》として白雲の頭の中に起ったのも、無理がありません。
 この海を写し得なければ、かの両神を描き出すことができない。願わくばここに逗留《とうりゅう》すること幾日、大眼を開いてこの海を見なければならぬ。
 田山白雲は、こういう空想にのぼせきって、異常なる昂奮《こうふん》を覚えながら、無暗に海岸を行き行きて、とどまるということを知りません。



底本:「大菩薩峠11」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 六」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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