青空文庫アーカイブ



大菩薩峠
流転の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)碓氷峠《うすいとうげ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二八|蕎麦《そば》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1-84-59]
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         一

 宇治山田の米友は、碓氷峠《うすいとうげ》の頂《いただき》、熊野権現の御前《みまえ》の風車に凭《もた》れて、遥かに東国の方を眺めている。
 今、米友が凭れている風車、それを米友は風車とは気がつかないで、単に凭れ頃な石塔のたぐいだと心得ている。米友でなくても、誰もこの平たい石の塔に似たものが、風車だと気のつくものはあるまい。子供たちは、紙と豆とでこしらえた風車を喜ぶ。ネザランドの農家ではウィンドミルを実用に供し、同時にその国の風景に情趣を添えている。が、世界のどこへ行っても、石の風車というのは、人間の常識に反《そむ》いているはずだ。しかし、碓氷峠にはそれがある。
[#ここから2字下げ]
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
[#ここで字下げ終わり]
 あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。
 誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に据《す》えつけたのは何の目的に出でたものか、それはその道の研究家に聞きたい。
 一度《ひとたび》廻《めぐ》らせば一劫《いちごう》の苦輪《くりん》を救うという報輪塔が、よくこの風車に似ている。
 明治維新の時に、神仏の混淆《こんこう》がいたく禁ぜられてしまった。輪廻《りんね》という仏説を意味している輪塔が、何とも名をかえようがなくして、風車といい習わされてしまったのなら、右の俗謡は、おおよそ維新の以後に唄われたものと見なければならないのに、事実は、それより以前に唄われていたものらしい。
 しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の辻占《つじうら》になるという。
 宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を知らない。
 歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を繙《ひもと》いてもいないのであります。
 ですから風車のことは暫く措《お》き、いま、自分がこうして現に立っているところの地点が、日本の歴史と地理の上に、由々《ゆゆ》しい時代を劃した地点であるというようなことには、いっこう頓着がないのです。
 大足彦忍代別天皇《おおたらしひこおしろわけのすめらみこと》の四十年、形はすなわち皇子にして、実はすなわち神人……と呼ばれ給うたヤマトオグナの皇子が、このところに立って、「吾嬬《あがつま》はや」とやるせなき英雄的感傷を吐かれて以来、この地点より見ゆる限りの東を「あがつま国」という。その碓氷峠の歴史、地理の考証については、後人がいろいろのことをいうけれど、この「あがつまの国」に残る神人の恨みは永久に尽きない。けだし、石の無心の風車が、無限にクルクルと廻るのも、帰らぬ人の魂を無限の底から汲み上げる汲井輪《きゅうせいりん》の努力かも知れない。
 上代の神人は申すも畏《かしこ》し――わが親愛なる、わが微賤《びせん》なる宇治山田の米友に於てもまた、この「あがつまの国」にやるせなき思いが残るのです。
 それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
 このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の面《かお》を篤《とく》と見定め、後ろ姿をすかし、時としては、ほとんど走り寄って縋《すが》りつくほどにして、そうして、諦めきれないで、言おう様なき悲痛の色を浮べて立つことがある。その時にはさすがの道庵も、冷評《ひやか》しきれないで横を向いてしまうことさえある。
 さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
 さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
 道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
 道庵の気紛《きまぐ》れは、今にはじまったことではない。ある時は長くなり、ある時は短くなるのも、今にはじまったことではないが、気の短い一方の米友が、こうして別段にじれ出そうともしないのは、遥かに東を望んで、泣いているからです。
「あッ」
 暫くあって気がつきました。鴉《からす》が鳴いて西へ急ぐからです。
 そこで、米友は玉垣へ立てかけて置いた杖槍を取るが早いか、転ぶが如くに権現前の石段を、一息に走《は》せ下りました。
「こんにちは」
 権現の前の石段を一息に走せ下ったところは、碓氷《うすい》の貞光《さだみつ》の力餅です。
「先生はどうしたい、先生は――」
 そのまるい眼をクルクルとして、力餅屋へ乱入しましたけれど、餅屋では相手にしません。
「先生……おいらの先生……」
 次に米友は、その隣りの茶店へ乱入しましたけれど、茶店でも取合いませんでした。
「ちぇッ」
 米友は舌打鳴らして地団駄《じだんだ》を踏みました。どうも見廻したところ、この近辺にわが尋ねる先生の気配がない。
 茶店の隣りが荒物屋――その隣りが酒屋だ。この辺で、鼾《いびき》の声がするだろう……てっきり――とのぞいて見ても、道中の雲助共が、ハダ[#「ハダ」に傍点]かっているだけで先生の姿が見えない。
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ」
 米友が再び地団駄を踏みました。人家すべて二十を数える碓氷峠の上《かみ》の宮《みや》の前の町、一点に立てば全宿を見通すことも、全宿の通行人をいちいち検分することもできる。さりとて、わが先生の大蛇《おろち》の鼾が聞えない。
 一旦、宿並《しゅくなら》びの店という店を、いちいち探し廻った揚句《あげく》、また再び宮の前へ戻って、坂本方面を見通してみたが、そこにも先生の気配がありません。
「ちぇッ、ほんとうに世話の焼けた先生だなあ」
 米友は宮の前の石段の下に立って、三たび地団駄を踏みました。
 ほんとうに世話の焼けた先生である――生命《いのち》にこそ別条はあるまいけれども、責任観念の強い米友は、もしやと井戸の中まで覗《のぞ》いて見た上に、峠の宿を裏返し、表返しに覗いて歩きました。
 こうして血眼《ちまなこ》になって、東西南北を駈け廻《めぐ》っている米友の姿を、広くもあらぬ峠の町の人々が、認めないわけにはゆきません。
「お兄さん、エ、コリャどうなさりました。迷《ま》い子《ご》に……エ、迷い子はお前のお連れさんでござりますか、年はお幾つぐらい?」
 訊ねてみると、どちらが迷い子だかわかりません。迷い子は年の頃五十を越したお医者さん。それを尋ね廻っている御当人は、子供だか、大人だか、ちょっとは見当がつかない。
 峠の町の人は暫く呆《あき》れて見えましたが、それでも要領を得てみれば、この一種異様な迷い子さがしに多少の同情を持たないわけにはゆかないし、最初、藪《やぶ》から棒に、先生はどうしたと詰問されて相手にしなかった家々の者まで、本気になって、その求むる迷い子についての知識を、寄せ集めてくれました。
 その言うところによると、たしかに米友のいう通りの人相骨柄《にんそうこつがら》の人が、力餅を二百文だけ買って竹の皮に包ませ、蝋燭《ろうそく》を二丁買って懐ろへ入れ、さてその次の酒屋へ来ると、急に気が大きくなって、雲助を相手に気焔を吐いていたことまではわかったが、それから先が雲をつかむようです。
 そこへ、ひょっこりと現われた一人の雲助が、
「ナンダ、その先生か。そんならうん[#「うん」に傍点]州が駕籠《かご》に乗って、いい心持で鼾《いびき》をかいてござったあ。今時分は軽井沢の桝形《ますがた》の茶屋あたりで、女郎衆にいじめられてござるべえ」
 この言葉に、米友が力を得ました。

         二

 そこで宇治山田の米友は、峠の町から、軽井沢をめがけて一散に馳《は》せ出しました。
 これより先、道庵は、ちょっと買物をするつもりが、雲助を相手に、酒屋へ入るといい気持になり、うっかりその駕籠に乗せられて、有耶無耶《うやむや》のうちにかつぎ出されてしまいました。
 峠の町から軽井沢までは僅か十八町、且つ下り一方の帰り駕籠ですから、かつぐ方もいい心持、乗る方は一層いい心持になって、大鼾で寝込んでいるものですから、またたくまに軽井沢の宿《しゅく》の入口、桝形の茶屋まで着いても、まだ目が醒《さ》めません。
 ここで、雲助はこの拾い物のお客をおろすと、宿の客引と、飯盛女《めしもりおんな》が、群がり来って袖をひっぱること、金魚の餌を争うが如し。道庵、眼をさまして、はじめて驚き、
「しまった!」
 酔眼朦朧《すいがんもうろう》として四方《あたり》を見廻したけれども、もう遅い。
「お泊りなさんし、丁字屋《ちょうじや》でございます」
「江戸屋でございます」
「手前は佐忠で……」
「三度屋はこちらでございます」
「温かい御飯の冷えたのもございます、名物の二八|蕎麦《そば》ののびたのもございます、休んでおいでなさいませ」
 道庵、いかに、ジタバタしても、もう動きが取れません。
 よし、こうなる以上は、この茶屋へも話しておき、どこぞしかるべき宿へみこしを据えてから、人を走らせて米友を招くに如《し》かじ、と決心しました。その途端に、
「ねえ、旅のお先生、わたしどもへお泊りなさんし、玉屋でございます」
 あだっぽい飯盛女が、早くも道庵の荷物に手をかけたものですから、道庵も鷹揚《おうよう》にうなずいて、その案内で桝形の木戸から、軽井沢の宿へ入り込んだものです。
「ははあ」
 道庵は物珍しげに軽井沢の町を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、
「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に曰《いわ》く、信濃路や山が荷になる暑さかな……ところが今はもう暑くねえ」と嘯《うそぶ》きました。
 時は、無論、山が荷になるほどの暑い時候ではなかったけれど、さりとてまだ、ゆきたけつもり[#「ゆきたけつもり」に傍点]て裾の寒さよ、とふるえ出すほどの時候でもありません。
 幸いにして碓氷峠《うすいとうげ》は紅葉の盛りでありました。坂本の宿から峠の上まで、道庵は名にし負う碓氷の紅葉に照らされて、酔眼をいよいよ真赤にしてのぼって来ましたが、上野《こうずけ》と信濃の国境《くにざかい》は夢で越え、信濃路に入ってはじめて、浅間の秋に触れました。
 ここに、便宜上、武州熊谷以来の旅程を示すと――
 熊谷から深谷まで二里二十七丁。深谷から本庄まで二里二十五丁。本庄から新町へ二里。この間に武州と上州との境があって、新町から倉ヶ野へ一里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。
 高崎は松平|右京亮《うきょうのすけ》、八万二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安中《あんなか》へ三十丁下り。ここは坂倉伊予守、三万石の城下。安中から松井田へ二里十六丁。
 松井田から坂本へ二里十五丁。こうして今や上州の坂本から二里三十四丁二十七間の丁場を越えて、信濃の国、軽井沢の宿に着いたというわけであります。
 軽井沢へ来て、酔眼をみはって見ると、その風物のいとど著《いちじる》しいのに、道庵は眼をきょろつかせないわけにはゆきません。
 空を見れば浅間ヶ岳が燃ゆる思いの煙をなびかせ、地を見れば三宿の情調が、いとど旅感をそそるに堪えている。七十八軒の本宿に、二十四軒の旅籠屋《はたごや》。紅白粉《べにおしろい》の飯盛女《めしもりおんな》に、みとれるようなあだっぽい[#「あだっぽい」に傍点]のがいる。なるほどこれでは、道中筋のお侍たちがブン流してお差控えを食うのも無理はないと、いい年をした道庵が、よけいなところへ同情をしながら歩きました。
 道庵先生は玉屋の店の縁先へ腰をかけて足を取り、洗足《すすぎ》のお湯の中へ足を浸していると、旅籠屋《はたごや》の軒場軒場の行燈《あんどん》に火が入りました。それをながめると道庵は、足を洗うことを打忘れ、
「ははあ、初雁《はつかり》もとまるや恋の軽井沢、とはこれだ、この情味には蜀山《しょくさん》も参ったげな」
 事実、江戸を出て以来の情景に、道庵がすっかり感嘆しました。
 ところが、そこへ、おあつらえ向きに遠く追分節が聞え出したものだから、道庵がまた嬉しくなりました。
「すべて歌というやつは、本場で聞かなくちゃいけねえ」
 両側に灯《ひ》をともしはじめた古駅の情調と、行き交う人の絵のようなのと、綿々たる追分節が詩興をそそるのに、道庵先生が夢心地になりました。
「あの、お連れさんをお迎えに出しましょうか」
 女からこう言われて、ハッと気がついて、
「そのこと、そのこと、急いで人を出しておくんなさい。大将、まごまごしているだろう、間違って坂本の方へでも落っこってしまわねえけりゃいいが……」
 道庵がはじめて、米友のことを思い出しました。
「ね、いいかい、人相はこれこれだよ、間違えちゃいけねえ。なあに、間違えようたって、間違えられる柄《がら》じゃねえんだが、人間が少し活溌に出来てるから、気をつけて口を利《き》いてくんなよ、腹を立たせると手におえねえ」
 そこで、米友の人品を一通り説明して聞かせましたから、宿の者は心得て、米友を迎えに出かけました。
 道庵が、そこで足を洗いにかかると、この宿の楼上で三味線の音《ね》がします。そこで道庵が、またも足を洗う手を休めてしまって、
「古風な三味線の音がするが、ありゃ何だい」
「説教浄瑠璃《せっきょうじょうるり》がはじまりました」
「説教浄瑠璃と来たね、今時はあんまり江戸では聞かれねえが……なるほど、苅萱《かるかや》か、信濃の国、親子地蔵の因縁だから、それも本場ものにはちげえねえ……」
 見るもの、聞くものに、一通りへらず口をたたかなければ納まらぬ道庵、まだ洗足《すすぎ》の方はお留守で、往来をながめると、急ぎ足な三人連れの侍、東へ向って通るのを見て、
「はてな……時分が時分だから、大抵はこの宿《しゅく》で納まるのに、あの侍たちは、まだ東へ延《の》す了簡《りょうけん》と見える、イヤに急ぎ足で、慌《あわ》てているが、ははあ、これもお差控《さしひか》え連《れん》だな……」
と嘲笑《あざわら》いました。
 お大名の道中のお供《とも》の侍にはかなりの道楽者がある。道中、渋皮のむけた飯盛がいると、ついその翌朝寝過ごして、殿様はとうにお立ちになってしまったと聞いて、大慌てに慌てて、あとを追いかけるけれども、三日も追いつけぬことのあるのは珍しくない。その時は別におとがめも受けないが、国表《くにおもて》へつくと早速「差控え」を食うことになっている。図々しいのになると、差控えの五犯も六犯も重ねて平気な奴がある。
 今し、泊るべき時分にも泊らず、行手を急ぐ三人連れの侍は、多分、そのお差控え連に相違あるまいと、それを見かけて道庵が嘲笑いました。
 人のことを、嘲笑う暇に、自分の足でも洗ったらよかろうに、宿でも呆《あき》れているのをいいことに、道庵は、
「ザマあ見やがれ、お差控えの御連中様……あは、は、は、は……」
と高笑いをし、ようやく身をかがめて、今度は本式に足を洗いにかかる途端に、風を切って飛んで来て、うつむいて足を洗っている道庵の頭に、イヤというほどぶつかり、そのハズミで、唸《うな》りをなして横の方へけし飛んだものがありますから、道庵が仰天して、すすぎの盥《たらい》の中へつッたってしまいました。
「あ痛え……」
 見れば一つの提灯《ちょうちん》が、往来中《おうらいなか》から飛んで来て、道庵の頭へぶッつかって、この始末です。

         三

 頭の上へ降って来た提灯に、道庵は洗足《すすぎ》の盥《たらい》の中へ立ち上って驚き、驚きながら手をのばして、その提灯を拾い取って見ると、それは梅鉢の紋に、御用の二字……ははあ、加賀様御用の提灯というやつだな……
 道庵は、片手で頭をおさえ、片手でその提灯を拾い上げて、盥の中に突立っていると、
「ど、ど、ど、どうしやがるでえ、待ちねえ、待ちねえ、待ちやがれやい、三ぴん」
 その喧《やかま》しい悪罵《あくば》の声は、すぐ眼の前の往来のまんなかで起りました。
 見れば、荷駄馬の手綱《たづな》をそこへ抛《ほう》り出した一人の馬子、相撲取と見まがうばかりの体格のやつが、諸肌《もろはだ》ぬぎに、向う鉢巻で、髭《ひげ》だらけの中から悪口をほとばしらせ、
「待ちやがれ――この三ぴん」
 追いかけて、つかまえたのは、さいぜん道庵先生が嘲笑《あざわら》った三人連れのお差控え候補者の中の、いちばん年かさな侍の刀の鐺《こじり》です。
「すわ」
と、北国街道がドヨめきました。
「何、何事だ」
 刀の鐺をつかまえられた侍はもちろん、三人ともに眼に角を立てて立ちどまりますと、くだんの悪体《あくてい》な馬子が、怒りを向う鉢巻の心頭より発して食ってかかり、
「見ねえ、あ、あれを、どうしてくれるんだい、やい、あの提灯をよう」
「ははあ、あれは貴様のか、急いだ故につい粗忽《そそう》を致した、許せ」
 年かさな侍が陳謝して過ぎ去ろうとしたのは、たしかに自分が、右の馬子とすれちがいざまに、あの提灯に触って振り落したという覚えがあるから、聞捨てならぬ悪口ではあるが、軽く詫《わ》びて通ったのが勝ちと思ったからです。
「何、何をいってやがるんだ、あれは貴様のか、急いだためついしたそそうだと……よく目をあいて拝みやがれ、あれは加賀様の御用の提灯だわやい」
 かさにかかった悪態《あくたい》の馬子は前へ廻って、件《くだん》の侍の胸倉を取ってしまいました。そこで軽井沢の全宿が顫《ふる》え上りました。
 道庵先生は、これは自分の頭へ提灯が降って来た以上の出来事だと思いました。自分の頭も多少痛かったが、いわばそれは飛ばっちり[#「飛ばっちり」に傍点]で、本元は今そこで火の手が揚っているのだ……こういう場合に、よせばいいのに、道庵がのこのこと現場へ出かけたのは、まことによけいなことです。
 道庵は問題の提灯《ちょうちん》をさげて、尻はしょりで、盥《たらい》から跣足《はだし》のままで抜からぬ顔で、火元へ出かけようとするから、玉屋のあだっぽい飯盛《めしもり》が、飛んで出て、
「お客様、およしなさいまし、ほってお置きなさいまし、あれは裸の松さんといって、加賀様の御用を肩に着て、力が五人力あるといって、街道きっての悪《わる》で通っていますから――」
 そっと、ささやいて道庵を引留めましたけれど――およそ道庵の気性を知っている限りの人においては、左様な諫言《かんげん》を耳に入れる人だか、入れない人だかは、先刻御承知のはず。
「ナアーニ、五人力あろうが、十人力あろうが、おれの匙《さじ》にかかっちゃあ堪《たま》らねえ」
 道庵は、その加賀様御用の提灯をたずさえて、跣足《はだし》で、尻はしょりで、とうとう問題の渦の中へ飛び込んだのは、酔興とはいいながら、本当によせばいいのです。
「御免よ……これ馬子様、お腹も立とうが、どうか、この道庵にめでて、十八文に免じて、今日のところは一つ……」
 問題の提灯を、いきり立った馬子の裸松《はだかまつ》の前へ持ち出し、
「幸い、持合せがございますゆえ……新しいのを一本差加えまして……」
と言って、さいぜん峠で買ったばかりの蝋燭《ろうそく》を一本だけ差加えて、うやうやしく馬子の裸松の前へ出すと、これはかえって裸松の怒りに油をさしたようなもので、
「ふ、ふ、ふざけやがるない、この筍《たけのこ》め」
 提灯を引ったくって、道庵の横面《よこっつら》を一つ、ぽかりと食《くら》わせました。
 それで道庵がひとたまりもなく、二間ばかりケシ飛んでひっくり返ったが、そんなことに腰を抜かす道庵とは、道庵がちがいます。
「この野郎様、おれをぶちやがったな、さあ勘弁ができねえ、おれを誰だと思う、江戸の下谷の長者町で……」
といったが、江戸の下谷の長者町あたりでこそ、道庵といえば、泣く児も泣いたり、だまったりするが、中仙道の軽井沢あたりへ来たんでは、あまり睨《にら》みが利《き》かないことを、この際、気がつかないでもないと見え、
「おれの匙《さじ》にかかって命を落した奴が二千人からある、人を殺すことにかけては、当時この道庵の右に出る奴は無《ね》え……人を見損なうと承知しねえぞ」
といって、起き上ると、ひょろひょろと駈け寄って、裸松の前袋に食い下りました。
 知らないほど怖《こわ》いことはない。裸松とても、道庵がソレほどの勇者であると知ったら、少しは遠慮もしたろうに。道庵としても、こいつが街道名代の悪《わる》で、五人力あるのが自慢で、人を見れば喧嘩を吹っかけるのが商売だと知ったら、少しは辛抱もしたろうに。何をいうにも、道庵は酔っています。この、ひょろひょろしたお医者さん体《てい》の男が、いきなり飛んで来て前袋へ食いついたから、さすがの裸松がその勇気に驚いてしまいました。少なくとも、自分を向うへ廻して腕ずくで来ようという奴は、上は善光寺平から、下は碓氷《うすい》の坂本までの間にあるまいと信じていたところ、その自信をうらぎって、ちっとも恐れず武者ぶりついて来た勇気のほどには、裸松ほどのものも、一時《いっとき》力負けがして、こいつはほんとうに柔術《やわら》でも取るのか知らと惑いました。
 必死となって裸松の前袋に食いついた道庵は、そこで、やみくもに身ぶりをして、ちょうど器械体操みたようなことをはじめたから、一旦は戸惑いした裸松が、ええ、うるせえ、一振り振って振り飛ばそうとしたが、先生は、しっかりと前袋にくいついて、離れようとはしません。
 その間に――悧巧《りこう》な例のお差控え連は事面倒と見て、道庵にこの場をなすりつけ、三人顔を見合わせると、一目散《いちもくさん》に逃げ出しました。それも街道を真直ぐに逃げたんでは危険と思ったのか、わざと人家の裏へそれて逃げ出したから、裸松が、いよいよおこってわめき出し、
「御用提灯を粗末にされちゃ、おれは承知しても、加賀様が承知しねえ、待ちやアがれ!」
 道庵を前にブラ下げたり、引きずったりしたなりで、逃げ行く侍たちのあとを追いかけました。そこで軽井沢の宿は家毎に戸をとざすの有様です。
 しかし、この道庵の食い下り方が、非常にしんねり[#「しんねり」に傍点]強かったために、裸松は思うように駆けることができず、とうとう三人の侍の姿を見失ってしまいましたから、裸松の怒りは一つになって、道庵の上に集まったのはぜひがありません。
「この筍《たけのこ》……いらざるところへ出しゃばりやがって……」
 哀れや道庵は、ここで五人力の犠牲にならなければならない。両刀を帯した三人づれの侍すらが避けて逃ぐるほどの相手を、いかに道庵でも、匙《さじ》一本であしらわなければならないのは、心がらとはいえ、ばかばかしい話で。だから最初によせばいいのにといったのに、病では仕方がない。
 そこで、ようやく道庵を振り飛ばした裸松は、二度ひょろひょろとして、三間ばかりケシ飛んで尻餅をついた恰好《かっこう》の珍妙なのと、口ほどにもない脆《もろ》さかげんとに吹き出してしまって、
「ザマあ見やがれ」
 ところが、懲《こ》りも性《しょう》もない道庵は、また起き上って、ひょろひょろと裸松に組みついて来たのを、今度は前袋へも寄せつけず突き倒し、襟髪《えりがみ》を取って無茶苦茶に振り廻しました。
 かかる時節に、宇治山田の米友が来ないというのが間違っている。本来、こういう場合の万一に備えるために天から授けられた米友ではないか。それをさしおいて、道庵自身がまかり出て、米友の株を背負《せお》い込もうとしてもそうはゆかない。天は決して人に万能を授けるものではない。おのおのその職とするところの分外に出て業《わざ》をしようとすれば、必ず間違いがある。
 道庵先生ともあろうものが、ここで裸松のため、ほとんど、なぶり殺しの目に逢い出したのも、もとはといえば、自業自得《じごうじとく》。自業自得とはいいながら、その業《ごう》は酒がさせるわざです。ですからこれは、酒業自得《しゅごうじとく》というのが正しいでしょう。
 裸松は、道庵を突き飛ばしたり、引きずり廻したり、それをまた道庵は、すっかり負けない気になって、起き直っては、ひょろひょろしながら武者振りつくものですから、その恰好《かっこう》がおかしいといって裸松は、いい玩弄《おもちゃ》にして面白がっている。それでも玩弄にされているために、道庵は致命傷を免れているらしい。しかし、どちらにしてもこうして置けば、この際、仲裁に出て、わが道庵先生の危急を救おうとするほどの勇者が現われるはずはないから、道庵はみすみす弄《なぶ》り殺しになってしまう。
 江戸では飛ぶ鳥を飛ばした道庵ともあるべき身が、みすみす北国街道のはずれで、馬子風情の手にかかって一命を落すとは、なんぼう哀れなことではないか。
 いいかげん玩弄《おもちゃ》にして、もうヘトヘトになった道庵を、裸松は手近な井戸流しのところへ引きずって来ましたが、それでも、殺すまでの気はないと見えて、そこで道庵の頭から水を一つザブリと浴びせると、そこへ引き倒して、あり合わせた切石を取って、左様、目方が十四五貫もあろうというのを軽々と持って来て、俯伏《うつぶ》しに寝かした道庵の背中の上へ重し[#「重し」に傍点]にかけました。
 ここで気息奄々《きそくえんえん》たる道庵は動きが取れない。石の重し[#「重し」に傍点]をかけられて、首と両手と両足をもがくばかり。張子の虎のような、六蔵の亀のような形を、裸松はおかしがり、
「ザマあ見やがれ。おかげで暇つぶしをさせられた、さあ、今の三ぴん共、遠くは行くめえ……」
 そうしておいて帯をしめ直し、鉢巻を巻き直して、逃げた侍のあとを追いかけようとする。
 軽井沢の町では、鳴りをしずめて事のなりゆきを気遣《きづか》っているが、無論、たれひとり出て来ようとするものもない。
 時に重し[#「重し」に傍点]をかけられた道庵が、有らん限りの声を出して叫びました、
「べらぼう様……おれを亀の子にしやがったな、よくも道庵に重し[#「重し」に傍点]をかけて亀の子にしやがったな、手も出さず、頭も出さず、尾も出さず、身を縮めたる亀は万年……と歌にあるのを、それではいけねえから手も出しつ、頭も出しつ、尾も出しつ、身を伸ばしたる亀は万年……とよみ直した奴がある、おれをどうしようというんだ、伸ばしたらいいのか、縮んだらいいのか……ア痛、ア痛……」
 道庵は有らん限りの声でこういいながら、有らん限りの力ではねおきようとしたが、この時の力では、十四五貫の重し[#「重し」に傍点]をはね返す力がありません。
「ア、痛ッ」
 刎起《はねお》きようとすると、いよいよメリ込むばかりです。
「ア、痛ッ、骨が砕ける……重てえ、卸《おろ》せ、卸せ」
と苦しがって叫びました。
「ザマあ見やがれ」
 裸松は鉢巻をしめ直しながら、道庵の上へ載せた重し[#「重し」に傍点]の石へ片足を載せました。この足に力を入れれば道庵がギュウとつぶれる。
「米友……友様あ……」
 ここで初めて道庵が、助けの声をあげました。

         四

 時なるかな、宇治山田の米友は、峠の町から軽井沢の桝形《ますがた》の茶屋まで、真一文字に飛んで参りました。
「先生はどうした、おいらの道庵先生がこっちへ見えなかったかい……」
 ここに桝形の茶屋というのは、軽井沢の駅の上下の外《はず》れの両端に、桝形に石を築いた木戸があって、そこに数軒の茶屋が並んでいる。追分節の歌の文句の一つにも、
[#ここから2字下げ]
送りましょかい
送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
[#ここで字下げ終わり]
とあるのがそれです。
「え、先生、あのお医者さんの、あなたがそのお連れさんでしたか。これはどうも、今お迎えに出かけましたところで……それでお気の毒ですが、時の災難と思召《おぼしめ》して下さいまし、まことにハヤ、なんとも……」
 木戸番と、宿から迎えに出た男衆とが、米友を見かけて、まずお見舞と、申しわけをするような口ぶりが、どうも合点《がてん》がゆきません。
「時の災難だって……?」
「まことにどうも……」
「おいらの先生は来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ」
「それが、どうも大変な事になっちまいましてね」
「何、何が大変だい――」
 米友が思わず意気込みました。
「だからお留め申したんですけれども、お聞入れがないもんだから、仕方がございません」
 宿の男衆が申しわけばかり先にして、事実をいわないものだから、米友がいよいよ急《せ》き込みました。
「おいらは申しわけを聞いてるんじゃねえぜ、先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ、来なけりゃ来ねえように、こっちにも了簡《りょうけん》があるんだからな」
「それがまことにどうもはや……」
「来たのか、来ねえのか。おいらの先生は下谷の長者町の道庵といって、酔っぱらいで有名なお医者さんだ、その先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞かしてもらいてえんだぜ」
「へえ、おいでになりました、たしかにおいでになりました」
「そうか、それでおいらも安心した、そうして先生は、お前の家へ泊っているのかい?」
「へえ、手前共へお着きになりました、それからが大変なんでございます、まことに申しわけがございませんが……」
「お前のところへ泊って、それからどうしたんだい……何が大変なんだ」
 米友は事態の穏かでないことを察して、地団駄《じだんだ》を踏みました。何か変った事が出来たに相違ない。先生としては、世話が焼けた話だが、自分としては、職務に対して相済まないと、米友の胸が騒ぎ出しました。
「早く言ってくんねえな、おいらの大切な先生だ、何か間違いがあった日にゃ、おいらが済まねえ」
 米友はまるい目を烈しく廻転させますと、木戸番も、宿の男も、いよいよ恐縮して、
「まことにはや、飛んだ御災難で……先生が、お留め申すのもお聞入れないもんだから、つい悪い奴につかまってしまいなすって……」
「ナニ、おいらの先生が悪い奴につかまったって……? 冗談《じょうだん》じゃねえ、その悪い奴というのは何者だい、胡麻《ごま》の蠅か、泥棒か、それとも街道荒しの浪人者か。それがどうしたい、悪い奴につかまった? おいらの先生が、それからどうしたんだい?」
「ただいま、ひどい目にあっておいでなさいます……」
「何……? ただいまひどい目にあっておいでなさいますだって? ばかにしてやがら、ひどい目にあっておいでなさいますなら、ナゼ助けておやり申さねえのだ」
「それがどうも……」
 米友は、木戸番と、男衆を突き倒して、疾風の如く軽井沢の町へ駈け込みました。
「やい、やい、軽井沢にゃあ、宿役も、問屋も無《ね》えのかい、人がヒドイ目にあっているのを、助けるという奴がいねえのかい。冗談じゃねえ、おいらの先生をヒドイ目にあわせようという奴は、どこにいるんだ、やい」
 米友がこう叫んで歯がみをしながら、軽井沢の町の真中を走《は》せ通りました。
 またいけない! とその声を聞いた町の者が、再び顫《ふる》え上りました。あのお医者さんの連れというのが来たな、いいところへといいたいが、ほんとうに悪いところへ来た。一人でたくさんなのに、また一人ヒドイ目に逢いたがって来た。裸の松の怖るべきことを知らないで、相手になりたがって来た。いったい、気が利《き》かないじゃないか。桝形《ますがた》の茶屋の番人は何をしている。あそこで食いとめて、こちらへ入れないようにしたらよかりそうなものじゃないか。
 入って来た以上は、仕方がない――
 その時です。歯がみをして、軽井沢の町へ怒鳴り込んだ宇治山田の米友は、ふと足もとにころがる一つの提灯《ちょうちん》を見て、まず穏かでないと思いました。
 その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる菅公以来の加賀様の紋であって、その下に「御用」の二字。
 ああ、なるほど、わが道庵先生は、この加賀様なるものの手先にとっつかまって、難題を起しているのだなと、早くも感づきました。相手が百万石の加賀守では、駅の者も手出しができないで、その亡状《ぼうじょう》に任せているのだなと米友が気取《けど》ると、またも歯をギリギリとかみ鳴らしました。
 こういう場合の米友には、義憤と、反抗とがわいて、相手が強ければ強いほど、ふるい立つのを例とする。
 てっきり、これは百万石の加賀守のお供先が、何かの行違いで、わが道庵先生をつかまえて、暴圧を加えているのだな、とこう感づきました。それで彼は、この提灯の梅鉢の紋に向って、反抗の心が潮《うしお》の如くわき出したのです。
 しかし、これは少なくともこの際、米友の推察は立入り過ぎていました。邪推とはいわないけれども、筋道の考え方が生一本《きいっぽん》に過ぎていました。
 いわゆる百万石、加賀様の御威勢は、この街道に於て、そんな圧制なものではない。むしろ、その寛大と、鷹揚《おうよう》と、自然、金銀の切れ離れのよい大大名ぶりは、この街道筋の上下を潤《うるお》して、中仙道、一名加賀様街道といわれたほどに人気を占めていました。ついでにお気の毒ながら、その時分の下郎共の口の端《は》にのぼった悪《にく》まれ唄を紹介すると、
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人の悪いのは鍋島薩摩、暮六ツ泊りの七ツ立ち
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というのがその一つ。
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お国は大和の郡山《こおりやま》、お高は十と五万石、茶代がたった二百文
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というのもその一つ。
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銭は内藤|豊後守《ぶんごのかみ》、袖からぼろが下り藤
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というのもその一つ。
 その他、参覲交代《さんきんこうたい》の大名という大名で、この下郎共の口の端にかかって完膚《かんぷ》のあるのはないが、百万石、加賀様だけは別扱いになって、さのみ悪評が残らない――
 だから、宇治山田の米友が、一途《いちず》に加賀守の横暴を憤《いきどお》り出したのは、筋違いでした。
 けれども、唇がワナワナと慄《ふる》えて、杖槍を握る手と腕が、ムズムズと鳴り出したのは、どのみち、相手が相手だから……という武者振いの類《たぐい》です。
 驀進《まっしぐら》に――但し、跛足《びっこ》を引いて、夕暮の軽井沢の町を、怒髪竹の皮の笠を突いて馳《は》せて行くと、
「友様……米友様……」
と助けを呼ぶの声。意外にも程遠からぬ路傍で起りました。
 見れば雲つくばかりの無頼漢。遠目で見てさえも、加賀様の御同勢とは見えません。

         五

「お、おいらの先生を、ど、どうしようというんだ?」
 米友はまず振別《ふりわけ》の荷物を地上へ投げ出しました。
 荷物を地上へ置くのと、その手にした杖槍を取り直したのと、どちらが早かったかわかりません。
 その独流の杖槍――穂のすげてない――は電光の如く、裸松のいずれの部分を突いたかわからないが、大の男の裸松が、物凄《ものすご》い声を出して後ろへひっくり返りました。
「先生、怪我はなかったか?」
 米友は早くも、道庵の背中の上の切石をはね飛ばして、それを介抱をしようとすると、道庵が桔槹《はねつるべ》のように飛び上りました。
「占《し》めた! もう占めたもんだ」
 飛び上って二三度体操をしましたから、それで米友も安心しました。
 それはそれで安心したが、安心のならないのは、ちょうどその時分、いったん後ろへひっくり返った裸松が、怖るべき勢いで起き直って来たからであります。
「野郎!」
 米友を一掴《ひとつか》みにして、引裂いて食ってしまう権幕で迫って来たその形相《ぎょうそう》が、人を驚かすに充分です。
 それは今、米友の一撃を、眉と眉の間に受けて、そこから血が流れ出したからです。
「何だ!」
 そこで、米友が一足さがって杖槍を再び取り直しました。
「野郎!」
 裸松は野獣の吠《ほ》えるような勢いをして、米友にのしかかって来たのを、米友が、
「ちぇッ」
と言って、その肩を右から打つと、裸松が再びひっくり返ろうとして、危なく踏みとどまりましたが、よほど痛かったと見えて、目をつぶって暫く堪《こら》えているところを、米友が下から顎を突き上げると、裸松が一堪《ひとたま》りもなくまた後ろへひっくり返って、暫くは起きも上ることができません。
 これは米友の手練《しゅれん》だから、どうも仕方がありません。無法で突くのと、手練で突くのとの相違は、心得さえあれば直ぐにわかるはず。いわんや一撃を食《くら》ってみれば、その痛さかげんでも、大抵わかりそうなものだが、この裸松にはわかりませんでした。自分が後《おく》れを取ったのは、つまり自分が力負けをしたものに過ぎない、不意を襲われたために、この小童《こわっぱ》にしてやられたのだ、用心してかかりさえすれば、なんの一捻《ひとひね》りという気が先に立つのだから、負けていよいよ血迷うばかりで、彼我《ひが》を見定めるの余裕があろうはずがありません。でも、この小童の手に持つ得物《えもの》の、思いもつけぬ俊敏さに業《ごう》が煮えたと見えて、三度目に起き直った時、路傍に有合わせた松丸太を握っていたのは、多分この丸太で、小童ともろともに、そのめまぐるしい得物を、微塵にカッ飛ばしてやろうとの了簡方《りょうけんかた》と見えます。
 この時、両側の店々では、戸を細目にあけたり、二階の上に立ったりして、街道中《かいどうなか》の騒動に眼をすましました。眼をすまして見ると、相手は相も変らず裸松だが、一人はホンの子供です。夕暮の町で遠くから見れば、米友の姿は、誰にも子供のようにしか見えないのだから、知らないこととはいいながら、気の強い子供もあればあったものと、舌を巻かないものはありません。
 裸松が、その松丸太をブン廻してもり返した時に、米友は、また少しばかり後ろへさがって、その杖槍を正式に構えて、円い眼をクルクルと廻して、裸松を睨《にら》みつけていましたが、ブンブン振り廻して来る丸太の鋭鋒が当り難しと見たのか、じりじり後ろへさがるものですから、見ているものが気を揉《も》み出すと、ウンと踏みとどまった米友が、歯切れのいい調子で、
「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑《あざわら》うのを聞きました。
 この場合、米友にとっての幸いは、弥次と見物とに論なく、すべてが米友の同情者であって、裸松が不人気をひとりで背負いきっていることでありました。
 同業者の馬方や駕籠舁《かごかき》でさえが、裸松に味方する者の一人も出て来なかったことは勿怪《もっけ》の幸いでした。まかり間違えば、以前、甲州街道の鶴川で、多数の雲介《くもすけ》を相手にしたその二の舞が、ここではじまるべきところを、敵に加勢というものが更に出て来ないから、米友としては自由自在にあしらいきれるので、それでこの男には似気《にげ》なく後ろへさがりながら、「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑ったものでしょう。
 米友の眼から見れば、法も、格も心得ていない奴が、力任せに、血迷って、無茶苦茶に丸太ん棒を振り廻して来るだけのものだから、打ち落そうとも、突き飛ばそうとも、どうとも思うままに料理ができるはず。それを知らないから、見物は気を揉み出したものと見える。
 しかし、見物に気を揉ませたのも、そう長い間のことではない。暫くすると、丸太は地上へ飛んで走り、大の男は三たび、地響きを打って地上へ倒れたまま、凄《すさま》じい唸り声を出して、起き上ることができません。
「先生!」
 そこで米友が道庵を呼びかけますと、道庵は泰然自若として、前に自分が重し[#「重し」に傍点]にかけられた切石の上に腰をかけ、片手には、最初に問題を引起した提灯をひろい上げて、采配《さいはい》を振るように振りまわし、
「友様、御苦労……」
と叫びました。
 問題も、事件も、それで、すっかり解決がついたのです。道庵は凱旋将軍の態度で、意気揚々として宿屋の方へ引上げると、みんなが迎えに出て、早くも二人を取囲みました。
 その有様は、土地の疫病神《やくびょうがみ》を退治してくれた勇者をもてなすの人気ですから、二人も安心です。
 事件はこれで、一通り形《かた》がつきましたが、この事件から起った風聞というものは、全軽井沢の町を圧し、早くも善光寺平から、坂本の宿外《しゅくはず》れを走りました。
 この小勇者、米友の勇気に驚嘆する声が街道に満つると共に、最初逃げ隠れたお差控え候補の侍の弱さかげんを嘲るものもあれば、また、身分があれば相手を嫌うから、あれもまた無理のない態度だと弁護を試むるものもある。また今日、この軽井沢へ泊り合わせた客人のうちに、相当腕に覚えの人もあろうのに、検視に立会うことすらしなかったのは情けない――と嘆くもある。喧々囂々《けんけんごうごう》たるうちに、誰にもわからないのは、道庵先生なるものの了簡方《りょうけんかた》です。いったい、あの先生は強いのか、弱いのか、どういう了簡で裸松の喧嘩を買って出たのか、その了簡のわかったものが一人もありませんでした。ところが、当の道庵先生はいよいよ上機嫌で、
「なあに……わしが手を下すまでのこともねえのさ……弟子に任せておいて、ちょっとあのくらいのものさ。そりゃあそうと、怪我をさせっぱなしもかわいそうだから、ひとつその裸松様というのを見舞って上げずばなるまい」
と言って道庵は、群がる人をかきわけて、倒れている裸松の傍へよって診察をはじめましたから、皆々、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が利《き》かず、右の腕は打ち折られて用をなさなくなっていますから、気が立つだけで、仕返しをするの力は絶対にありません。生命に別条はないが、不具《かたわ》にはなるだろうとの診立《みた》てで、かえって土地の人が安心しました。
 こうして裸松は問屋場へ担《かつ》ぎ込まれる一方、道庵、米友の二人は、多数の人に囲まれて、胴上げをされんばかりの人気で、玉屋の宿へ送り込まれました。
 道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
 玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの小童《こわっぱ》の強かったことの評判です。
 いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、手真似《てまね》までして見せて、つまり、あの小童は棒使いの名人だということにおいては、誰も一致するようです。
 だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
 次に、道庵先生の評判になると、やっぱりあの先生は、気の知れない先生だという説が多く、また一方には、いかさま、その従者であり弟子である小童でさえ、あのくらい強いのだから、主人であり、先生であるあの飲んだくれの強さは、測ることができないのだと、真顔にいうものもありました。それが、どういう拍子で間違ったか、あの先生は、あれはつまりお微行《しのび》の先生だ、ああして浮世を茶にしてお歩きなさるが、実は昔の水戸黄門様みたいなお方に違いないと言い出すものがあると、
「なるほど……」
 すべてが、なるほどと頷《うなず》いて、それから道庵に対する待遇が、いっそう重いものになりました。
 いつもこういう際における道庵は、転んでもただは起きない結果をつかむ。
 道庵は、苦もなく水戸の黄門格にまで祭り上げられたが、その従者たる米友は、隠れたるお附添の武術の達人……特に子供のうちの鍛練者を択《えら》んでお召連れになったのだろうという想像や好奇心で、米友を見たいというもの、もう一度見直したいというものが、玉屋の家の前に溢れています。
 そのうち、誰が発見したか、裏手の方から流言があって、
「お坊っちゃんが、今、お湯に入っているところだ」
という報告がありました。
「それ行って見ろ!」
「お坊っちゃんが、お湯にはいっている」
 お坊っちゃんとは蓋《けだ》し、宇治山田の米友のことでしょう。薄暮にその姿を見ただけのものは、誰も子供だと思わぬものはない。その主人を黄門格にまで祭り上げた以上は、その従者をも相当の格に扱わなければならない。さりとてお侍ではなし、兄さんと呼ぶのは狎《な》れ過ぎる。本名は聞いていず、やむを得ず、米友を呼ぶにお坊っちゃんの名を以てしたのは、一時の苦しがりでありましょう。
 そうして、同勢が、目白押しに湯殿の方へ押しかけて、窓や羽目の隙間にたかって、先を争って、この小勇者の姿を見直しにかかりました。
「違わあ、子供じゃねえ……」
 まず覗《のぞ》いて見たほどのものが、風呂桶に浸《つか》っている米友の顔を、風呂行燈《ふろあんどん》の光で眺めて、案外の叫びをなしました。
 子供でもなければ、お坊っちゃんでもない、まさに老人である。いや老人かと思えば子供である。何とも名状すべからざる奇怪なる顔貌。まるい目をクルクルとさせて、
「覗いちゃいけねえよ」
 その声を聞いて、
「あ……」
 窓へのし[#「のし」に傍点]上っていた二三人が崩れ落ちて、
「お化けだ……」
といいました。
 その時、風呂桶から全身を現わして流しに立った米友。身の丈は四尺、風呂桶の高さといくらも違わない。
「やっぱり子供だよ」
「いい身体《からだ》だなあ」
とドヨみ渡って感心したものがありました。その鉄片をたたきつけたような隆々《りゅうりゅう》たる筋肉、名工の刻んだ神将の姿をそのまま。その引締った肉体を見たものは、面貌の醜と、身長の短とを、忘れてしまいました。
 米友が風呂桶から流しへ出て、板へ腰をかけて洗いはじめた時に、さいぜん道庵先生を、桝形《ますがた》の茶屋から迎えてこの宿へ連れ込んだ、あだっぽい女が湯殿へ入って来て、
「お客様、お流し申しましょう」
と言って、かいがいしく裳《すそ》をからげて、米友の後ろへ廻りました。
「済まねえな」
 米友はぜひなく、その女に背中を流してもらっていると、外の弥次《やじ》が、
「お玉さん、しっかりみがいて上げてくんな」
と弥次りました。
「お黙りなさい」
 その女が叱ると、
「いよう――」
と妙な声を出し、
「可愛い坊っちゃんを、大事にして上げてくんな」
「うるさい、あっちへ行っておいで……」
「お玉さん、思い入れて磨いておあげ……そうして坊っちゃん、今晩はお玉さんの懐ろに入ってゆっくりお休み」
「あっちへ行っておいでってば――」
「やけます……」
「いよう! 御両人……」
 外が、無暗に騒々しいから、米友がムッとしました。
「お客様、お気にかけなさいますな、みんないい人なんですけれど、口だけが悪いんですから」
「ばかな奴等だなあ……何が面白くって、外で騒いでやがるんだ」
 米友が面《かお》を上げて窓の上を睨《にら》むと、そこにはいくつかの首が鈴なりになっている。
「兄さん――お前は子供なのかい、それともお爺《とっ》さんなのかい?」
 その鈴なりの顔の一つが叫ぶと、続いて他の一つが、
「裏から見れば子供で、表から見ればお爺《とっ》さんだから、これが本当の爺《とっ》ちゃん小僧というんだろう」
「ばかにしてやがらあ……」
といって米友が横を向くと、
「だけれど、強いなあ、お前さんは強い人だなあ――なり[#「なり」に傍点]は小さいけれど、身体《からだ》が締ってらあ――」
と讃美の声を上げるものもありました。米友は、もう横を向いたきりで取合わないでいると、女がいきなり立って行って、
「ただでは見せて上げないよ」
といって、高いところの窓を、ハタと締め切ってしまいました。
「そりゃ、あんまり胴慾《どうよく》な……」
「お玉さん、お湯の中で水入らずに、しっかりみがいてお上げよ」
 窓を締められた弥次は、暗いところでなお騒々しい。
 その時、米友は立ち上って、
「もういいよ、おいらは湯から上っちまわあ」
 弥次のうるさいのに堪えられなくなったのでしょう。ぷりぷりしながら立って風呂へ入り、首だけを出し、思わず女の姿を眺めていたが、急に、
「あ……お玉!」
と言って舌をまきました。
 米友が渾身《こんしん》から驚いたのは、この女の面影《おもかげ》がお玉に似ていたからです。名をさえそのままでお玉というのは……いうまでもなく間《あい》の山《やま》以来のお君の前名でありました。その米友の異様な叫び声を聞いた女は、こちらを向いて、嫣乎《にっこり》と笑い、
「あら、もう、わたしの名を覚えて下すったの、嬉しいわ」
「お前の名は、お玉さんていうんだね」
「ええ……玉屋のお玉ですから覚えいいでしょう、忘れないで須戴な」
「あ……」
 米友は吾を忘れて感動しました。その時、外で弥次馬が、
「お安くねえぞ、御両人……」
 その声を聞くと米友が真赤になって、地団駄を踏みました。
 それ以来、あらゆる年頃の女がお君に見えてたまらない。幼ければ幼い時の面影に、年ばえは年ばえのように、婆は婆のように、宇治山田の米友には、夢寐《むび》にもその面影を忘るることができないでいたのに、ここへ来て、初めて正真のお玉を見ることができた。名さえそのままではないか……これがお玉でなくて誰だ。
 米友は口が利《き》けないほどに感動したけれど、それがほんとうにお君に似ているか、いないかは問題です。
 可憐なる米友は、その晩一晩中、このお玉の姿に憧《あこが》れてしまいました。給仕に来たのもこの女、床を延べに来たのもこの女。
「お玉さん……お前はな……」
と言ったきり、米友には口が利けませんでした。
「ホ、ホ、ホ、御用があったら、いつでもお呼び下さいな、この向うの突当りの部屋に休んでいますから。夜中でもかまいませんよ」
と女はあいそうよくいいましたが、不幸にして米友には、それ以上に挨拶をすることができませんでした。
 そこで、その夜もすがら、米友が煩悶《はんもん》を続けました。
 道中の旅籠屋《はたごや》の飯盛女《めしもりおんな》――昔はこれを「くぐつ」といい、今は飯盛、あるいは宿場女郎という。東海道筋でいってみると、五十三駅のうち、官許の遊女屋のあるのは駿河の弥勒町《みろくまち》だけで、あとは品川でも、熱田でも、要するに飯盛女――駅という駅に、大小美醜の差別こそあれ、この種類の女の無いというところはない。これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所|図会《ずえ》の第五巻に記して曰《いわ》く、
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「駅路の遊君は斑女《はんじょ》、照手《てるて》の末流にして今も夕陽《ゆふひ》ななめなる頃、泊り作らんとて両肌《もろはだ》ぬいで大化粧。美艶香《びえんかう》には小町紅《こまちべに》、松金油《まつがねあぶら》の匂ひ濃《こま》やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜《へちま》の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
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云々《うんぬん》と筆を弄《ろう》しているが、名所図会という名所図会には、この駅路の遊君を不美人に描いたのは一つもない。ここの玉屋のお玉さんが、死んだお君に似ていたか、いないかは疑問ですけれども、玉屋の看板を背負って立つだけに、この駅では、指折りのあだっぽい女であったことは疑いがないらしい。
 水性《みずしょう》のお玉さんは、誰にも愛嬌を見せるように、米友にも最初から愛嬌を見せていました。というよりは、勇者としての米友を取持つ役を、ほとんどお玉さんひとりがとりしきってやっていたようなものですから、一緒に寝ようといえば寝もするし、夜もすがら語り明かそうといえば語り明かしもするし、どうでも米友の註文通りになったはずなのです。
 この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂が残っているから、いつかまたこの世へ生れて来るんだ、しっかりしろ」
 道庵先生は事実そう信じているのだか、米友があまりの生一本の鬱《ふさ》ぎ方を慰めるつもりの気休めだか知らないが、とにかく、こういう霊魂不滅説を説いて聞かせたことがあります。
 米友は、今もそれを、まともに思い出しているのです。こういう男の常として、一を信ずれば、十まで信ぜずにはおられません。
 それとは知らず道庵先生は、宵《よい》からグッスリと寝込んでしまって、翌朝、例刻には眼を醒《さま》したけれども、昨日《きのう》の疲れもあるし、第一、水をかけられた着物からして、乾かさねばならないから、モウ一日一晩、軽井沢に逗留《とうりゅう》することになりました。
 ところが、朝飯が済むと、もうノコノコと問屋場へ出かけて来て、裸松《はだかまつ》の診察にとりかかりましたものですから、宿《しゅく》の者が、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 それにも拘らず、先生は、裸松の病床でしきりに診察を試みながら、居合わす宿役人らをつかまえて気焔を上げているのは、宿酔い未だ醒めざるの証拠であります。
 一方、宿に残された宇治山田の米友は、一旦は起きたけれども、やがて荷物を枕に、身をかがめて横になってしまいました。多分、昨夜の夜もすがらの煩悶《はんもん》が、心をものうくしたものでしょう。この男は大抵の場合には、夜具蒲団《やぐふとん》を用いないで寝られる習慣を持っている。時として、せっかくの夜具蒲団をはねのけて、横になったところを寝床とするの習慣を持っている。
 今もまた、こうして畳の上へゴロリと横になっていると、夜来の疲れが多少廻って来たものと見えて、いつかうとうとと夢路に迷い入りました。
 その時の夢に、米友は故郷の間《あい》の山《やま》を見ました。自分の身が久々《ひさびさ》で故郷の宇治山田から間の山を廻《めぐ》っているのを認めました。
 久しぶりで、もう帰れないはずと思っていた故郷の土を踏んでみても、その土が温かではありません。相も変らず間の山は賑《にぎ》やかですけれども、その賑やかさが、少しも自分の身に応《こた》えて来ないのを不思議と思いました。周囲は花やかなのに、空気が冷たく自分の身に触れるのを、米友はじれてみました。
 故郷の地ではあるのに――こうも冷たい空気が流れて、通るほどの人が、みんなつれない色を見せる。さすがの米友も、誰を呼びかけて、何をいおうとの心も失せ、参宮道の真中の榎《えのき》の大樹の下に立つと、何かいい知れず悲しくなって、その大樹に身を寄せて面《おもて》を蔽《おお》うているうちに、いつしか、しくしくと泣いている自分を発見しました。
「君ちゃんがいねえ……ムク、ムクの野郎もいねえ……ムクやい、ムクはいねえのかよう」
と米友は、声立てて呼んだけれども、手拭を後ろに流し、黄八丈の着物に、三味線を抱えたお君の姿も出て来ない。そのあとに、影身のように附添うたムクも現われては来ない。間の山の盛り場では、提灯篝《ちょうちんかがり》の火が空を焦《こが》して、鳴り物の響きが昔ながらに盛んに響いて来るのに、自分の見たいと思う人と、聞きたいと思う声だけは、一つも現われて来ない。そこで米友は、
「ムク……おいらは今、間の山に来ているんだぜ、誰も迎えに出て来ねえのかい?」
 米友は天を仰いで号泣しようとする、その大榎の樹の枝に、一団の青い火が、上ろうとして上らず、下ろうとして下らないのを認めました。
「あれが魂というものだな」
 米友は身を躍《おど》らして、その青い一団の光を捉えようとする途端に、大風が吹いて来て、その光を大空へ吹き上げたから、ハッとして眼を醒《さ》ますと、自分の転寝《うたたね》をしていた身体の上へ、誰かふわりと掻巻《かいまき》を着せてくれた人がありました。
「風邪《かぜ》を引きますよ」
 障子のところに立っている女の姿を見ると、米友はムックリと起き直って、
「お玉さん!」
「ホ、ホ、ホ、どうもお気の毒さま、つい、お邪魔をして済みませんでした」
「玉ちゃん、いいからお入り」
「はい」
「ここへお入り、話があるから」
 米友は、ほとんど猛然として起き上って来て、お玉の袖を取りました。
「こわい人――この人は――」
 お玉は笑いながら、米友に引かるるままに、袖を引かれて来ました。

         六

 女軽業の親方のお角さんは、お気に入りのお梅ちゃんを連れて、浅草の観音様へ参詣の戻り道です。
「梅ちゃん、何ぞお望み、今日はなんでも好きなものを買って上げるから……」
「お母さん、千代紙《ちよがみ》を買って下さいな」
「千代紙――? ほんとにお前も子供だねえ」
 お梅の子供らしい望みを笑いながら、お角は雷門跡から広小路へ出ました。
 お角もこのごろは、痛《いた》し痒《かゆ》しの体《てい》で、興行は大当りに当ったが、お銀様というものに逃げられたのが癪《しゃく》で、金助をとっちめてみたところがはじまらない。
 ともかく、切支丹奇術大一座の興行を、一世一代として見れば、この辺で水商売の足を洗いたくもあったのでしょうが、どうも世間というものは、そう綺麗《きれい》さっぱりとくぎりをつけるわけにはゆかないと見え、お角に興行界を引退の意志があると見て、やれ馬喰町《ばくろちょう》に宿屋の売り物があるから引受けてみないかの、地面家作の恰好《かっこう》なのがあるから買わないかの、上方料理の変った店を出してみる気はないかの、甚だしいのは、両国の興行をそっくり西洋へ持ち出してみる気はないかのと、八方から話を持ち込んで来るので、お角もうるさくなりました。
 どのみち、娑婆《しゃば》ッ気《け》が多く生れついてるんだから仕方がない――尼さんにでもなってしまわない限り、水を向けられるように出来てるんだと、お角も諦《あきら》めはしたが、そうそうは身体《からだ》が続かないよといって、この機会にお梅を連れて、伊豆の熱海の温泉へ、湯治と洒落《しゃ》れ込むことに了簡をきめたのです。
 湯治に行く前に、お礼参りを兼ねて、今日は観音様へ参詣して、御籤《おみくじ》までいただいて来たのですが、もう一つお角の腹では、今度の一世一代が大当りの記念として、浅草の観音様へ、何か一つ納め物をしようとの考えがあって、額にしようか、或いはまた魚河岸の向うを張った大提灯でも納めようか、そうでなければ、屋の棟に届くほどの金《かね》の草鞋《わらじ》を、仁王様の前へ吊《つる》してみようかのと、お堂を廻《めぐ》りながら、そういう趣向に頭を凝《こ》らしに来たのです。
 お角の頭は、まだその趣向で、あれかこれかと悩まされ、往来の事なんぞは頓着なしに歩いて行くと、ある店の前でお梅がぴたりとたちどまって、
「まあ、いいわね」
 詠嘆の声を洩《も》らしましたので、お角もそれにつれて足を止めました。
 見れば、お梅は羽子板屋の前に立っている。
 まだ歳の市という時節でもないのに、この店では、もう盛んに羽子板を陳列している。江戸ッ子のうちでも途方もなく気の早いせいでしょう。それで、この十月までの各座の狂言のおもな似顔が、みんなここへ寄せ集められている。さてこそ、お梅は立去れないので、
「まあ、いいわね」
を譫言《うわごと》のようにいっていると、
「梅ちゃん、どれがいいの?」
 お角から尋ねられたのを上《うわ》の空《そら》で、
「どれもこれもみんないいわ」
「いちばんいいのをお取り」
「いいえ、わたし、千代紙でたくさんなのよ」
「この嫗山姥《こもちやまうば》がいいだろう」
「まあ……」
 お梅は仰天してしまいました。その五彩絢爛《ごさいけんらん》たる八重錦の羽子板の山の中で、いちばん優《すぐ》れて、いちばん大きい嫗山姥、まさか買って下さいともいえないが、買って下さるはずもないとお梅が仰天している間に、お角は番頭に交渉し、さっさとその大一番の嫗山姥を買取って、お梅に持たせたから、お梅がひとごとではないと思いました。
 お角は相変らず奉納の趣向を考え、お梅は有頂天《うちょうてん》になって、駒形通りへ出ました。
 お角が駒形堂の前へ来ると、ちょうどその船つきへ小舟が着いたところで、幾多の人がゾロゾロと河岸《かし》へ上りました。
 そのなかに、お角の眼をひいたのは、図抜けて大きな人が、西洋の蝙蝠傘《こうもりがさ》をさして上って来たことで、蝙蝠傘の流行は、今ではさして珍しいことではないが、まあ、どちらかといえば非常なハイカラな、新し好みの人に多かったのを、これは実にバンカラな人が、その流行ものの傘をさして、のこのこと出て来たから、それで一層お角の目を惹《ひ》いたのでしょう。お角ばかりではない、誰でもみんな、そちらを眺めました。
 この大男は誰あろう、足利《あしかが》の絵師、田山白雲でありました。しかも、これは房州戻りそうそうの、江戸の土を踏んだ初めての見参《げんざん》なのですが、さすがの白雲も、芸術家並みに頭の古いといわれるのを嫌がって、それでハイカラの傘を仕込んで来たと見るのは僻目《ひがめ》で、これは洲崎《すのさき》の駒井の許を立つ時に貰って来たのでしょう。それもハイカラのつもりで貰って来たのではなく、日のさす時は日除けになり、風の吹く時は風除けになり、雨の降る時は無論、結構な雨具に相違ない。その上折畳みが自由に利《き》くから、実用無類の意味で、駒井の物置から探し当てたものとも思われます。
 とにかく、こうして蝙蝠傘《こうもりがさ》をさして、ゆらりと江戸の浅草の駒形堂の前の土を踏んだ白雲の恰好《かっこう》は、かなりの見物《みもの》でありました。それは、頭の上だけは例の大ハイカラ蝙蝠傘で新し味を見せているが、頭から下は以前といっこう変ったところがありません。六尺豊かの体格に、おそろしく長い大小を横たえて、旅の荷物を両掛けにして、草鞋《わらじ》脚絆《きゃはん》厳《いか》めしく、小山の揺《ゆる》ぎ出たように歩き出して来たものですから、新しい人だか、古い人だか、ちょっと見当がつかなくなりました。
 しかし、当人はいっこう気取った様子もなく、のこのこと歩いて、やがてお角とすれすれの所まで来まして、さて、これから、江戸のいずれの方面に向って歩みを移そうかと、ちょっと思案の体《てい》に見えました。
「モシ、あの、ちょっと失礼でございますが……」
と、その異様な人物に、まず物をいいかけたのはお角でありました。
「あ、何ですか?」
と蝙蝠傘の主《ぬし》は、あわただしく下界を見下ろすように身をかがめて返事をしますと、
「つかぬことを承るようでございますが、あなた様は房州の方からおいでになりましたのですか?」
「あ、房州から来ましたよ」
 白雲は、この女の姿を見下ろして、それがよくわかったなと言わぬばかりの顔色です。
「房州は洲崎からおいでになりましたのでしょう」
「ええ、洲崎から来ましたが、それが、どうしてわかります」
 白雲は、自分の蝙蝠傘にそれが記してあるのではないかとさえ疑いましたが、黒張りの傘に、無論そんな文字はありません。
「あの洲崎は駒井能登守様のお仕事場からおいでになりましたね」
「ど、どうして、そのことまで、お前さんにわかりますな」
「ホ、ホ、ホ……」
とお角が笑いました。田山白雲は、いささかどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]して、
「お前さんは千里眼かい?」
「いいえ、あなた様の差しておいでになるお脇差が、ついこの間、駒井の殿様のお差料と同じ品でございますものですから」
「なるほど、これが……」
と言って田山白雲は、左の片手で差している脇差を撫で廻し、
「細かいところへ眼が着いたものだなあ、こりゃ駒井氏から貰った品に相違ござらぬ、絵を描いてやったそのお礼に、駒井がこの脇差を拙者にくれました……拙者ですか、拙者は足利の絵師、田山白雲というものです」

 まもなくお角は、田山白雲を柳橋北の川長《かわちょう》へ連れて行って御馳走をしました。
 お梅はそこで別れて、いいかげんの時分に迎えに来るといって宅へ帰りました。
 白雲は少しも辞退せずに、お角の饗応《きょうおう》を受けて、よく飲み、よく食い、よく語りました。
 房州で駒井甚三郎の厄介になっていたことを逐一《ちくいち》物語ると、お角も自分が上総《かずさ》へ出かけて行った途中の難船から、駒井の殿様の手で救われたこと、それ以前の甲州街道の小仏の関所のことまでも遡《さかのぼ》って、話がぴたりぴたりと合うものですから、お角も喜んでしまって、
「ねえ、先生、今日は観音様のお引合せで、大変よい方にお目にかかれて、こんな嬉しいことはございませんよ」
「拙者も御同様、御同様……」
「先生、これを御縁に、わたくしは一つお願いがございますのよ……」
「なんです、そのお願いというのは?」
「先生、わたしに一つ絵を描いていただきたいのですよ」
「絵描きに絵を描けというのは、水汲《みずくみ》に水を汲めというのと同じことです、何なりと御意《ぎょい》に従って描きましょう」
「ねえ、先生、額を一つ描いて頂けますまいか?」
「額? よろしい。神社仏閣へ奉納する額面ですか、それとも家の長押《なげし》へでも掛けて置こうというのですか」
「先生、ひとつ念入りにお願いしたいんですが。一世一代のつもりで――」
「一世一代――? なるほど」
「実は、先生、わたしは今日もそれを検分かたがた御参詣に参ったのですが、あの浅草の観音様へ納め物をしたいと、疾《と》うから心がけていたんでございますよ……そうして何にしたらよかろうか、さきほどまでいろいろ考えていたのですが、先生のお話を伺っているうちに、すっかり心がきまってしまいました」
「なるほど」
「観音様のお引合せのようなものですから、ぜひ先生にお願いして、器量一杯の額を描いていただいて、それを観音様へ納めようと、こう心をきめてしまいました。先生、もうお厭《いや》とおっしゃっても承知しませんよ」
「なるほど、なるほど。そういうわけなら、拙者も一番、器量一杯というのをやってみましょう……そこで註文はつまり、その額面には何を描いて上げたらいいのかね?」
「先生、納める以上は、今迄のものに負けないのを納めたいと思います」
「左様――あすこにはあれで、古法眼《こほうげん》もいれば、永徳《えいとく》もいるはず。容斎《ようさい》、嵩谷《すうこく》、雪旦《せったん》、文晁《ぶんちょう》、国芳《くによし》あたりまでが轡《くつわ》を並べているというわけだから、その間に挟まって、勝《まさ》るとも劣るところなき名乗りを揚げようというのは骨だ」
「だって、先生、できないということはありますまい」
「拙者には少々荷が勝ち過ぎているかも知れないが、拙者も同じ人間で、絵筆を握っている以上は、できないとはいわない」
「ああ嬉しい、その意気なら先生、大丈夫よ」
「ところで、画題は……何を描いて納めたいのだね、その図柄によって工夫もあるというものだ」
「先生、わたしの望みは少し変っていますのよ」
「うむ」
「わたしは、ひとつ、ぜひ、切支丹《きりしたん》の絵を描いていただいて、納めたいと思っているのでございます」
「え、切支丹だって?」
「わたしの一世一代が、切支丹奇術の大一座というので当ったんですから、それを縁として……」
「いけない」
と白雲が膠《にべ》なくいいました。
 白雲から素気《すげ》なくいわれて、お角は急に興醒《きょうざ》め顔になり、
「なぜいけないんでしょう」
「切支丹の額を、観音様へ上げるという法があるか」
「切支丹の額を、観音様へ上げてはいけないのですか」
「それはいけない」
「どうしていけないのです」
 白雲が太い線でグングンなすってしまうものだから、負けない気のお角が黙ってはいられないのです。
「どうしていけないたって、第一、観音様と切支丹は宗旨《しゅうし》が違う」
「いいえ、先生、そりゃ違いますよ。観音様は、どの宗旨でもみんな信仰をなさる仏様だっていうじゃありませんか」
「ところが、切支丹ばかりはいけない」
「観音様は、切支丹がお嫌いなんですか」
「嫌いだか、好きだか、そりゃ吾々にはわからないが、第一坊主が承知しない」
「和尚さんが?」
「左様――切支丹の額なんぞを持ち込もうものなら、観音の坊主が、頭から湯気を立てて怒るに相違ない」
「わかりませんね、そんな乱暴なことがあるもんですか。ごらんなさい、あそこの額のなかには、一《ひと》つ家《や》の鬼婆あや、天子様の御病気に取憑《とりつ》いた鵺《ぬえ》という怪鳥《けちょう》まであがっているじゃありませんか、それだのに、切支丹の神様がなぜいけないんでしょう?」
「まあ、そういう理窟は抜きにして、拙者の言うことをお聞きなさい、神社仏閣へ奉納する額面には、額面らしい題目があるものだ、あながち、切支丹でなければならんという法もあるまいではないか」
「ですけれども、わたしには、切支丹の女の神様が、子供を抱いているところの絵が気に入りました、わたしのところへ来たあちらの芸人が持っていたあれが――油絵具で、こてこてと描いてあるんですけれど、ほんとうに活《い》きているように描けてあります、あんなのを一つ、先生にお願いして納めたら、今までとは全く趣向が変っていますから、どんなに人目を惹《ひ》くか知れやしません」
「ふーむ」
 そこで田山白雲が、もう争っても駄目と思ったのか、沈黙して考え込んでしまいました。
 つまり頭の置きどころが違うのだ。この女の額面を上げようという意志は、なるべく趣向の変った、人目を奪うような意味で、旧来の額面を圧倒しようという負けず根性から出ているので、画面の題目や、絵の内容などには一切おかまいなしである。ここは争っても駄目だ。白雲は沈黙してしまいましたが、しかし物はわからないながら、この女の気性《きしょう》には、たしかに面白いところがあると思いましたから、
「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」
と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと一方《ひとかた》でなく、相手をいいこめて、自分の主張が通ったものでもあるように意気込んで、
「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
 それから一層心をこめて白雲を款待《もてな》しました。白雲も久しぶりで江戸前の料理に逢い、泰然自若《たいぜんじじゃく》として御馳走を受けていましたが、今宵は、いつものように乱するに至らず、ひきつづいて駒井甚三郎の噂《うわさ》。駒井のために一枚の美人画を描いてやったが、それが、自分ながらよく出来たと思い、駒井も大へん気に入って、この脇差をくれたということ。それから、いいかげんのところで切上げる用心も忘れないでいると、お角が、
「ねえ先生、お差支えがなければ、わたしどもへおいで下さいませんか、二階が明いておりますから、いつまでおいで下さっても、文句をいうものはございません、そこで、どうか精一杯のお仕事をなすっていただきとうございます」
 お角は背中の文身《ほりもの》を質においても、奉納の額に入れ上げる決心らしい。

         七

 田山白雲がお角の宅へ案内されて、二階のお銀様の居間であったところに納まると、お角はとりあえず、かなり大きな二つの額面を戸棚から出して、白雲の前に立てかけました。
 この二つの額面は、この間中、ジプシー・ダンスをやっていた一座が持って来たのを、記念の意味で太夫元《たゆうもと》にくれたものであります。
 白雲が泰然自若として坐り込んで、睥睨《へいげい》している眼の前で、お角は自身そのカーテンを巻き上げると、
「うーむ」
といって白雲が長く唸《うな》りました。
 唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ厳《いかめ》しく置いて、
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは子安観音《こやすかんのん》の絵だ」
 画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
 けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
 実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の面影《おもかげ》も霞《かすみ》を透して珠《たま》を眺めるような心持で堪能《たんのう》して見ないということはありません。第一期|天草《あまくさ》の前後のことは知らず、中頃、司馬江漢あたりの筆に脱化された洋画の趣味も捨て難いものだと思いました。また最近に於て、外国の書物の挿画《さしえ》として見たり、また写真銅版等の複製によって覗《のぞ》いてみたりした洋画に、驚異の念を持たせられたことも一再ではありません。
「そうだ、西洋の絵の長所は形似《けいじ》だ、形を似せることに於ては、われわれはきざはし[#「きざはし」に傍点]しても及ばないかも知れない、この遠近、この人体、空気の色、日の光の陰影をまで、かくも精巧に現わすのは、絵というよりもこれは技術だ、形似が絵というもののすべてでない限り……」
 そこで白雲の面《おもて》には悠然たる微笑が湧き、墨の一色を以て天地の生命を捉えるの芸術を、讃美礼拝するの念が起る。
 それが、今、こうして本物の油絵を見ているうちにわからなくなる。
 わからないのは、これによってあえて自信が崩れたわけではないが、これは今まで見た油絵とは少しく勝手が違う……なるほど、素人目《しろうとめ》で見て、これをこのままあの観音へ納額してみたらば、さだめて異彩を放つであろうと思うのも無理がない――こういった絵を納めてみたいと願うのは、あながち奇を好む素人考えとのみはいわれない。ただに浅草観音の納額として見るにとどまらず、この絵をとって、現代のあらゆる流派の展覧の中へ置いて見たら、どんな感じがするだろう、と白雲はそれを考えました。
 そうして、次にその一枚を取除くと、従って現われた第二枚。
「うーむ」
 それを白雲は、またも長く唸《うな》って眺め入り、
「どうも、わからない、珍しい見物《みもの》だ」
と繰返して呟《つぶや》きました。
 いよいよわからなくなりました。これは以前の油絵とは違っているが、たしかに一種の絵具で描いてあります。そうして画風も全く変っており、時代も、それよりはずっと古いのみならず、絵の輪廓[#「輪廓」はママ]の要部が線で描いてあることが、白雲を驚かせました。
 西洋画の驚異は色と形である、東洋画の偉大は線と点とである、というように信じきっていた白雲の眼には、この線と色とを調合した異風の絵に会して、わからなくなったのも無理はありません。時代でいえば十四世紀から十五世紀頃の物でしょうが、それすら白雲にはわからない。
 その翌日から田山白雲は、右の一間に納まって、二つの洋画の額面をかたみがわりに睨《にら》めておりました。
 お角が、お梅と、男衆とを連れて、熱海へ旅立ったのは間もないことです。
 留守中の万事は抜かりなく整えておいて、別に若干の金を白雲のために供《そな》えて立ちましたが、その後で封を切って見ると、五十両あったので、さすがの白雲も、この女の気前のよいことに、ちょっと度胆を抜かれた形であります。そこで、その金は、そっくり故郷の足利にいる妻子に送り届けることにしておいて、またも例の額面と睨めっこです。
 油でない方の一方の額が、どう睨めてもわからない。時代がわからない。描き手がわからない。描かれている人物がわからない。ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして凄惨《せいさん》な表情。そうして見ているうちに、温和があり、威厳がある半面の相。
 知られる限りの道釈のうちにも、英雄の間にも、この像に当嵌《あてはま》るべき人物を見出すことができない。世間には、わかってもわからなくても、どうでもいい事がある。ぜひともわかりたいことがある。どうしてもわからせねばならぬ事もある。すべてに於て極めて無頓着な田山白雲。時としては飢えに迫る妻子をすら忘れてしまうこの放浪画家も、事ひとたび、その天職とするところの事に当ると、かなり苦心惨憺する。今や、この第二の絵について、何事をかわかりたいとして、その一つをさえ、わからせることができないで苦心惨憺を続けている。
 わからないのは知識だけである。知識の鍵を握りさえすれば、芸術に国境はないのだから、いいものはいい、悪いものは悪いとして、当然自分の鑑賞裡にくだって来るに相違ないが、知識そのものがないから何とも判断のくだしようがない。
 芸術に国境は無いというありきたりの言葉を念頭に置きながら、田山白雲は東洋の芸術がわかって、西洋の芸術の知識の暗いことに、自分ながら不満と焦燥とを感じ、さて、芸術という流行語を繰返して、なんとなく擽《くすぐ》ったい思いがしました。
「芸術」という流行語の起りは今に始まったことではない。享保十四年の版本、樗山子《ちょざんし》というものの著述に「天狗芸術論」がある。これは剣法即心法を説けるもので、なかなか傾聴すべき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじめたのは多分その辺で、その後、幕府が講武所を開いた趣意書のうちに、旗本の子弟、次男、三男、厄介に至るまで、力《つと》めて芸術を修業せねばならぬと奨励している。水戸中納言の弟、余九麿を一橋殿へ呼び寄せる時のお達し[#「お達し」に傍点]も、芸術のお世話ということで許されている。けれどもそれが今のように流行語となったのは、ある時、三日月という侠客が日本橋あたりで、勤番の侍と喧嘩をし、
「うぬ、三ぴん、待ちやあがれ」
と言って、その侍を十余人というもの、瓜《うり》か茄子《なす》をきるように、サックサックと斬り伏せたのが評判になると、弟子を連れてこれを検分に出向いたある剣術の先生が、
「よく斬りは斬ったが、芸術になっていない」
というと弟子共が、
「なるほど、芸術にはなっておりませんな」
と追従《ついしょう》をいったことから始まって、芸術になっている、いないということが、花柳界にまで流行語となり、猫も杓子《しゃくし》も芸術芸術といい出したものだから、ある男が、
「芸術とは何だね」
 トルストイでもいいそうなことをいい出して、彼等を狼狽《ろうばい》させたこともありました。
 夜になると田山白雲は、お銀様の寝た縮緬《ちりめん》の夜着蒲団《よぎふとん》の中へ身を埋めながら、そんなことを考えて笑止《しょうし》がり、問題の画面に向っては、厳粛な眼を据《す》えておりました。
 女興行師のお角の残して行ったものは、田山白雲にとっては由々《ゆゆ》しき謎でありました。しかも本人が、謎とも、問題ともせずして、投げつけて行ったところが奇妙です。
 これがために、田山白雲がさんざんに苦しめられているところは、笑止の至りであります。
 顧※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1-84-59]之《こがいし》であろうとも、呉道玄《ごどうげん》であろうとも、噛んで歯の立たないという限りはないが、こればかりは、つまり、知識の鍵が全く失われているから、見当のつけようがないのです。
 そこで、一旦、白雲は戸外へ出てみました。古本屋|漁《あさ》りをして、もしや、それらしい横文字を書いた書物でも見つかったら――と何のよりどころもない果敢《はか》ない心頼みで、暫く街頭を散歩してみましたけれど、如何《いかん》せん、その時代の書店の店頭に、西洋美術の梗概《こうがい》をだも記した書物があろうはずがありません。
 よし、まぐれ当りに、蕃書取調所《ばんしょとりしらべしょ》あたりの払い下げの洋書類の中にそんなのがあったとしても、不幸にして田山白雲にはそれを読む力がありません――せめてあの駒井甚三郎氏でも近いところにいたならば、自分が東洋画に就《つ》いての意見を吹込んだ人に向って、逆に西洋画の見当を問うのは、いささか気恥かしいようでもあるが、尋ねてみれば相当の当りがつくかも知れないが、今のところでは、皆目《かいもく》、暗夜に燈火《ともしび》なきの有様で、いよいよ白雲の不満と歯痒《はがゆ》さとを深くするに過ぎません。そこで、街頭から空しく立戻って、再びかの油でない方の画面を篤《とく》と見入りました。
 知識は必ずしも芸術を生ませないが、知識なくしては芸術の理解が妨げられ、或いは全く不可能になるということを、白雲はここで、つくづくと思い知らされたようです。
「おれは、これから外国語をやらなくちゃならない、オランダでも、イギリスでもかまわない、どこか一カ国の西洋の文字を覚え込んでおかないことには……」
 白雲は暫く考えていたが、二度目に街頭へ出かけて行った時には、一抱えの書物を買い込んで来ました。見れば、それがみんな幼稚な語学の独《ひと》り案内のようなものであります。明日といわずに、白雲はその場でアルファベットの独修を始めてしまいました。
 実際、白雲が知識の足らないために、芸術を理解することの妨げを痛感して、泥棒を捉まえて縄を綯《な》うよりも、モット緩慢な仕事を、この画面の前で始めたのは、事のそれほど、画面そのものが白雲の研究心を誘う力あるものと見なければならない。わかっても、わからなくても、この画には非凡な力があるものに違いない。
 偶然は時として大きな悪戯《いたずら》をするものですから、もし、かくまで白雲を苦心煩悶せしめる後の方の絵が、十三世紀から十四世紀へかけての西洋の宗教画であって、それが何かの機会《はずみ》で浮浪《さすらい》の旅役者の手に移り、海を越えて、この女興行師の手に渡って、珍しい絵看板同様の扱いを受けつつ、卓犖《たくらく》たる旅絵師の眼前に展開せられたものとしたら、その因縁《いんねん》はいよいよ奇妙といわねばならぬ。
 十三世紀から十四世紀の西欧の宗教画といえば、美術史の一ページを繙《ひもと》いたほどのものは、誰でも復興の幕を切って落したチマブエと、その大成者である大ジョットーを知らないものはない。当時にあっては、宗教画はすなわち美術の全部でありました。ジョットーは、そのいわゆるフレスコの大きなものを後世に残したほかに、小さな額面を作らないではない。今日でもその額面のほとんど全部はヨーロッパにも絶えているが、もしそれが偶然、こうしてこんなところへ落ちて来たとすれば、それこそ破天荒《はてんこう》の怪事――仮りにその謙遜な門弟の筆になり、後人の忠実な模写であるとしたところが、白雲の胸を刺して煩悶《はんもん》懊悩《おうのう》せしむるには充分でしょう。
 今日も、明日も、白雲は額面の前で、エイ、ビー、シーを習い出し、頼まれた仕事を始める気色《けしき》がありません。

         八

 田山白雲の身の廻りのことは、三度の食事から、蒲団《ふとん》の上げ下ろしまで、痒《かゆ》いところへ手の届くように世話してくれる者があります。
 それは主として、両国橋の女軽業の一座の手のすいた者が、入代り立代りして、親方からいいつけられた通りにするものですから、不足ということはありません。
 もっとも、今では両国橋の一座は手代の方に任せて、お角は直接に立入らないことにしているが、後見としてのお角の眼が光らない限り、立ちゆかないことになっているのですから、お角のいいつけによって働く人は、白雲を尊敬して、それに侍《かしず》くこと、至れり、尽せりの有様です。
 ところが、この絵描きは、豪傑の資質を備えていて、女軽業の美人連もうかとは狎《な》れ難いものがある。ことに親方からは絵の先生だと言い渡されていたのに、この先生は絵をかかないで、横文字を書いている。
 ある時、当番の美人連の一人が、怖る怖る傍へ寄って来て、
「何をお書きになっていらっしゃいますの?」
「ドロナワだよ」
 この返事で二の句がつげないでいると、白雲先生は、
「ドロナワといって、つまり、泥棒を捉まえて縄を綯《な》っているんだ」
「へえ……」
 女は思わず白雲の手許を覗《のぞ》き込むようにしましたが、別段、縄らしいものも見えず、相変らずクチャクチャと横文字を書いているから、一切わけがわからないで、
「縄をお綯いなさるなら、麻を持って参りましょうか?」
と続いて、怖る怖る伺いを立てると、白雲が釣鐘のような大きな声で、
「あ、は、は、は……」
と笑い出したので、忽《たちま》ち吹き飛ばされてしまいました。
 吹き飛ばされた美人連の一人は、両国橋の楽屋へ来て吐息をついて、
「いけないのよ、嘘よ、あんな絵描《えか》きがあるもんですか、ありゃ豪傑ですよ」
「どうして?」
「泥棒を捉まえるんですって」
「そうなの、わたしも訝《おか》しいと思った、絵描きだ、絵描きだ、といって、ちっとも絵を描かないじゃありませんか」
「絵描きじゃないのよ、親方も変り者だから、あんなことをいって、仮りに絵描きとして世話をして置くんでしょう、ほんとうは豪傑なのよ」
「わたしも、豪傑だろうと思ったのさ」
「だからね、わたしたちじゃお歯にあわないから、力持のお勢さんを、あのお客様の接待係専門にしてしまおうじゃないか」
 こんなことをいって、力持のお勢さんがちょうど、当番の日。
 この日、白雲は、どこかでローマ字綴りの仮名《かな》をつけたのを、半紙へ幾枚か墨で書いてもらって来て、それを練習している。その時分、市内を訊《たず》ぬればしかるべき蘭学や、英語の塾はあるべきはず。それに入学して師につくの順序を厭《いと》うて、どこまでも独学で行くの寸法らしい。凝《こ》り出すとこの男も寝食を忘れる性質《たち》で、力持のお勢さんが来ても脇目もふらない。
 力持のお勢さんも、この人にはなんだか畏敬《いけい》が先に立つと見えて、お給仕の時も冗談が一ついえないで堅くなっている。
 夕方、二階へ明りをつけに行って、恭《うやうや》しく引きさがって、自分は長火鉢の前に頬杖ついて留守居していると、
「今晩は……」
と訪れの声がして、格子戸がガラリとあきましたが、お勢さんは立たないで、
「どなた?」
と言いました。多分|心安立《こころやすだ》ての仲間うちが来たものと思ったのでしょう。
「御免なさいよ」
 それは聞いたような声でしたけれど、女ではありません。
「お入りなさいな」
 お勢さんはまだ立たないで、返事だけをしました。
 そこで、障子をあけて、
「御免よ」
といって顔を出した男を見て、力持のお勢さんがハッと驚きました。
「まあ、がんりき[#「がんりき」に傍点]の兄《にい》さん」
「お勢ちゃんかい」
「なんて、お珍しいんでしょう」
 お勢さんは、大きな体を揺《ゆす》ぶって出て来ました。
「すっかり御無沙汰《ごぶさた》しちゃったね」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》かなにかで、玄冶店《げんやだな》の与三《よさ》もどきに、ちょっと気取って、
「時に、これはどうしたい」
といって親指を出して見せると、
「親方はお留守なんですが、まあお上りくださいましよ」
「留守かい」
「ええ、お留守でございますが、まあお上りなさいまし」
「すぐ、帰るかね」
「いいえ……ちょっと旅へお出かけなすったんですから」
「旅に出たって? おやおや」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、やや失望の体《てい》で上り口に佇《たたず》んでいると、お勢さんは、
「兄さん、どうなすったのだろうと、みんなで心配していましたわ」
「なにかえ、親方は旅に出たって、どっちの方へ行ったんだろう」
「箱根から熱海の方へ……」
「洒落《しゃれ》てやがらあ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は少々興醒《きょうざ》め顔をして、
「まあ、仕方がねえや、それじゃお留守にひとつお邪魔をすることにして……」
といいながら、ちょっと後ろを顧みて、
「兄《にい》や、さあ、おいで、いいから安心しておあがり」
 自分が手を引いて連れ込んだのは、今まで障子の蔭にいて、お勢には見えなかった一人の子供。
 それを見ると、お勢さんが重ねて驚いてしまいました。
「おや、お前は茂ちゃんじゃないの?」
「ああ」
「茂ちゃん、お前という子は、ほんとにどこへ行ってたんですよ」
 お勢は、まじまじと茂太郎の顔を眺めて、窘《たしな》めるようにいいますと、茂太郎は恥かしそうに、また怖気《おじけ》づいているように、がんりき[#「がんりき」に傍点]の後ろへ隠れて返事をしない。
「こういうお土産《みやげ》があるから、図々しくも、やって来てみる気になったのさ」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]は、早くも長火鉢の前に坐り込んでしまいました。
 茂太郎は、やはりその蔭に小さく坐って、もじもじしている。
「ほんとに、茂ちゃん、お前という子もずいぶん人騒がせね。お母さんはじめ、どのくらい、心配して探したか知れやしません。いい気になってどこを歩いていたの……?」
 お勢のいうことが、出戻りを叱るような慳貪《けんどん》になったので、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、
「まあ、そう、ガミガミいうなよ、なにもこの子が悪いというわけじゃねえや、連れて逃げたあの小坊主が、知恵をつけたんだから、何もいわず、元々通り、可愛がってやってくんな」
「なにも、わたしが叱言《こごと》をいう役じゃありませんが、あの人気最中に、逃げ出すなんて、親方の身にもなってみてもあんまりだから、つい……」
「ところで……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は長火鉢の前に脂下《やにさが》って、
「湯治と来ちゃあ二日や三日じゃあ帰れめえが、お勢ちゃんが留守番かい?」
「いいえ、わたしが留守番ときまったわけじゃありませんの、二階にお客様がおいでなさるもんですから……」
「お客様……」
といって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が変な顔をして、二階を見上げました。
「そのお客様てえのは……?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の言葉尻が上って来るのを、
「絵の先生ですよ」
 お勢は何気なく答えたが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の胸がどうも穏かでないらしい。
「絵の先生が、お留守番なのかい?」
「お留守番というわけではありませんが、親方がお泊め申して置くもんですから、わたしたちが毎日隙を見ちゃあ、こうして入代り立代り、お世話に上るんですよ」
「へえ、なるほど……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の胸の雲行きが、いよいよ穏かでないらしい。
 というのは、このがんりき[#「がんりき」に傍点]という男と、お角とは、一時盛んに熱くなり合ったことがある。しかし、それはこういう輩《やから》の腐れ合いで、いくら逆上《のぼせ》てもおたがいに目先の見えないところまでは行かない。お角も、再び一本立ちになって、これだけの仕事を切って廻すようになってからは、がんりき[#「がんりき」に傍点]のような男を近づけては、第一、使っている人たちのしめしにもならないし、がんりき[#「がんりき」に傍点]の方でも、少しは焦《じ》らしてみたりなんぞしても、もともと、女の尻をつけつ廻しつするほどの突《つ》ッ転《ころ》ばしではないのだから、自分の方からもあまり近寄らないようにしていたのを、それをいま来て見れば、二階には絵の先生というのを置いて、自分は湯治廻りとはかなりふざけている。
 第一、その絵の先生というのが癪《しゃく》にさわるじゃないか、ぬけぬけと二階に納まって、女共にちやほや[#「ちやほや」に傍点]されながら、脂下《やにさが》っている、色の生《なま》ッ白《ちろ》い奴、胸が悪くならあ――とがんりき[#「がんりき」に傍点]は、噛んで吐き出したくなる。
 それから、お角という阿魔《あま》も、お角という阿魔じゃあねえか……このおれが粋《すい》を通して足を遠くしていてやるのをいいことにして、色の生ッ白い絵描きを引張り込んで、抱《だ》いたり抱《かか》えたり、二階へ押上げたりして置くなんぞは、ふざけ過ぎている。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、こんなふうに気を廻して、すっかり御機嫌を悪くしてしまい、
「そういうわけなら、ひとつその絵の先生というのに、お目にかかって行きてえものだ」
と、旋毛《つむじ》を曲げ出したのを、お勢はそれとは気がつかないものだから、
「およしなさいまし、なんだか気の置ける先生ですから……」
「何だって……?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は辰巳《たつみ》あがりの体《てい》で、眼が据《す》わって来るのを、お勢は、
「ずいぶん、きむずかしやのような先生ですから、おあいにならない方がようござんしょう」
 留めて、かえって油を注ぐようなことになってしまいました。
「おい、お勢ちゃん、あっしはね、虫のせいでその気の置ける先生というのに会ってみてえんだよ」
「え?」
「そりゃ、いい株の先生だね、人の家に寝泊りをしてさ、そうして別嬪《べっぴん》さんたちを、入代り立代りお伽《とぎ》に使ってさ、それできむずかしやで納まっていられる先生には、がんりき[#「がんりき」に傍点]もちっとん[#「ちっとん」に傍点]ばかりあやかってみてえものさ、どっこいしょ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、いきなりそこにあった提げ煙草盆をひっさげて、立ち上った権幕が穏かでないから、この時、お勢も初めて驚いてしまいました。
「まあ、お待ちなさいまし、兄さん」
 お勢は周章《あわ》てて、抱き留めようとしましたが、お勢さんの力で抱き留められた日にはがんりき[#「がんりき」に傍点]も堪らないが、そこは素早いがんりき[#「がんりき」に傍点]のこと、早くも、それをすり抜けて梯子段を半ばまで上ってしまったから、どうも仕方がない。
 この男は、喧嘩にかけては素早い腕を片一方持っている上に、懐中にはいつも刃物を呑んでいる。見込まれた二階の色男も堪るまい。
 それにしてもこの二階は、よく勘違いや、間違いの起りっぽい二階ではある。
 その時、二階では田山白雲が泰然自若として、燈下に、エー、ビー、シーを学んでおりましたところです。
「まっぴら、御免下さいまし……」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、充分に凄味《すごみ》を利《き》かせたつもりで、煙草盆を提げてやって来るには来たが、
「やあ」
 一心不乱に書物に見入っていた目を移して、百蔵の方へ向けて田山白雲の淡泊極まる返答で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵がほとんど立場を失ってしまいました。
「こりゃ色男じゃ無《ね》え――」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵のあいた口が、いつまでも塞がらないのは、この淡泊極まる待遇《あしらい》に度胆を抜かれたというよりも、また、その淡泊によって、いっぱし利かせたつもりの凄味が吹き飛ばされてしまったというよりも、ここにいる絵師が、たしかに色男ではないという印象が、百蔵をして、あっけ[#「あっけ」に傍点]に取らせてしまったのです。
 これは色男ではない――少なくとも、がんりき[#「がんりき」に傍点]が梯子段を上って来る時まで想像に描いていた色男の相場が狂いました。
 それも狂い方が、あんまり烈しいので、がんりき[#「がんりき」に傍点]ほどのものが、すっかり面食《めんくら》ってしまったのは無理もありますまい。そこでやむなく、
「御勉強のところを相済みません……」
 テレ隠しに、こんなことをいい、煙草盆をお先に立てて、程よいところへちょこなんと坐り込むと、白雲が、
「君は誰だい」
「え……わっしどもは、親類の者で、つまり、この家の主人の兄貴といったようなものなんでございます、どうぞ、お見知り置かれ下さいまして」
 これだけでも、ききようによれば、かなり凄味が利《き》くはずになっているのを、白雲は真《ま》に受けて、
「ははあ、君が、ここの女主人の兄さんかね。妹さんには拙者も計らずお世話になっちまいましてね」
「どう致しまして、あの通りの我儘者《わがままもの》でげすから、おかまい申すこともなにもできやしません、まあ一服おつけなさいまし」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎が如才《じょさい》なく、携えて来たお角の朱羅宇《しゅらう》の長煙管《ながぎせる》を取って、一服つけて、それを勿体《もったい》らしく白雲の前へ薦《すす》めてみたものです。
「これは恐縮」
といって、白雲は辞退もせずに、その朱羅宇の長煙管でスパスパとやり出したものですから、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵も、いよいよこの男は色男ではないと断定をしてしまいました。そうしてみると、今まで、張り詰めていた百蔵の邪推とか、嫉妬とかいうものが、今は滑稽極まることのようになって、吸附け煙草をパクパクやっている白雲の姿に、吹き出したくなるのを堪《こら》えて、胸の中で、
「どう見てもこの男は色男じゃ無《ね》え」
 全くその通り、どう見直しても、眼前にいるこの男は、自分が一途《いちず》に想像して来たような、生白《なまっちろ》い優男《やさおとこ》ではありませんでした。色が生白くないのみならず、本来、銅色《あかがねいろ》をしたところへ、房州の海で色あげをして来たものですから、かなり染めが利いているのです。それに加うるに六尺豊かの体格で、悠然と構え込んでいるところは、優男の部類とはいえない。いかなイカモノ食いでも、これはカジれまい――そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]も、ばかばかしさに力抜けがしてしまいました。
 すべて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の目安では、あらゆる男性を区別して、色男と、醜男《ぶおとこ》とに分ける。色男でない者はすなわち醜男であり、醜男でない者はすなわち色男である。男子の相場は、女に持てることと、持てないことによってきまる。そうして少なくとも自分は色男の本家の株だと心得ている。この本家の旗色に靡《なび》かぬような女は、意地を尽しても物にして見せようとする。仮りにもこの本家の株を侵すようなものが現われた日には、全力を以てそれに当る――だが、こういう場合には、なんと引込みをつけていいかわからない。
 ぜひなく、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、田山白雲に向って、自分が今日この家をたずねて来たのはいつぞや、両国の楽屋を逃げ出した人気者の山神奇童《さんじんきどう》を、こんど甲州の山の中で見つけ出したものだから、それを引連れて戻しに来たのだということをいい、来て見るとあいにく、お角が留守だったものだから失望したといい、どうかひとつその子供を、お角の帰るまで手許《てもと》に預かってもらいたいということを、手短かに白雲に頼み、
「せっかく、御勉強のところを、お邪魔を致しまして、まことに相済みません」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]としては神妙なお詫《わ》びまでして、そこそこに引上げてしまいました。
 最初の権幕に似合わず、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵がおとなしく下りて来たものですから、梯子段の下に待ち構えて、いざといわば取押えに出ようとした力持のお勢さんも、ホッと息をついて喜んでしまいました。

         九

 その翌日から、田山白雲の周囲《まわり》に、般若《はんにゃ》の面《めん》を持った一人の美少年が侍《かしず》いている。それは申すまでもなく清澄の茂太郎であります。
「おじさん」
「何だい」
 白雲が机の上に両臂《ひょうひじ》をついて、今も一心に十四世紀の額面を眺めている傍から、茂太郎が、
「ねえ、おじさん」
「何だい」
「後生《ごしょう》だから……」
「うむ」
「後生だから、あたいを逃がして頂戴な」
「いけないよ」
「そんなことをいわないで」
「どうして、お前はここにいるのをいやがるのだ、ここの家の人がお前を苛《いじ》めでもしたのかい」
「いいえ、ここの家の人は、親方も、姉さんたちも、みんなあたいを大切《だいじ》にしてくれます」
「そんなら逃げるがものはないじゃないか」
「でもね、おじさん、弁信さんが心配しているから」
「弁信さんというのは何だい」
「弁信さんは、わたしのお友達よ」
「あ、そうか、お前をそそのかして連れて逃げ出したというその小法師のことだろう、いけません、お前はそんな小法師にだまされて出歩くもんじゃありません、おとなしく親方や朋輩《ほうばい》のいうことを聞いていなけりゃなりませんよ」
「いいえ、弁信さんにだまされたんじゃありません、弁信さんは人をだますような人じゃありませんのよ、それはそれはあたいを大切《だいじ》がって、あたいがいないと、どのくらい淋しがっているか知れないでしょう、それを黙って出て来たんだから、だからもう一ぺん弁信さんに逢いたいの、ね、叔父さん、逢わして頂戴、後生だから」
「そりゃお前、料簡違《りょうけんちが》いというものだよ、お前は、その弁信さんというのより、こっちの方に義理があるのだろう、そう無暗に出歩いてはいけない」
「…………」
 茂太郎はここに至って、失望の色を満面に現わしました。最初から画面に心を打込んでいる白雲には、その色を見て取ることができなかったが、会話がふっと途絶《とだ》えたので気がつき、
「だが、時が来れば逢えるようにしてやるから、逃げ出したりなんぞしないで、おとなしく待っていなければならない」
「時って、いつのこと」
「それは、いつともいわれないが、ここの主人が旅から帰って来たら、よく話をして、その弁信さんというのに逢えるようにしてあげよう」
「そうなると、いいですが、みんなが弁信さんをよく思っていないから――」
 茂太郎が容易に浮いた色を見せないのは、ここの家では誰もが弁信をよく思っていないのみならず、誘拐者《ゆうかいしゃ》として悪《にく》んでいることを知っているからです。
「わしも長く附合っているわけではないから、よく知らんが、しかし、ここの女主人という人も、そうわからない人ではないらしいから、帰るまで待っておいで、逃げてはいけないよ。まあ、絵の本でも御覧……わしの描いた絵の本を見せてあげよう」
 白雲は、この少年を慰めるつもりで、座右に置いた自分の写生帳――房総歴覧の収穫――それを取って、無雑作《むぞうさ》に茂太郎のために貸し与えました。
 悲しげに沈黙した茂太郎は、与えられた絵の本を淑《しとや》かに受取って、畳の上へ置いて一枚一枚と繰りひろげます。
 この写生帳は、房州の保田《ほた》へ上陸以来、鋸山《のこぎりやま》に登り、九十九谷を廻り、小湊、清澄を経て外洋の鼻を廻り、洲崎《すのさき》に至るまでの収穫がことごとく収めてある。
 何も知らぬ茂太郎も、一枚一枚とその肉筆の墨の色に魅せられてゆくうちに、
「あ」
といいました。しょげ返っていた少年の頬に、サッと驚異の血がのぼりました。
「おじさん」
「何だい」
「あなたはお嬢さんの似顔を描きましたね」
「お嬢さんの?」
「ええ」
「どこのお嬢さん……」
といって、十四世紀の絵画を眺めていた田山白雲が、自分の画帳の上に眼を落すと、そこには、房州の保田の岡本兵部の家の娘の姿が現われておりました。
「これはおじさん、保田の岡本のお嬢さんの似顔でしょう、それに違いない」
「うむ、どうしてお前、それを知っている」
「あたいのお嬢さんですよ」
「お前も、保田の生れかね」
「そうじゃありませんけれど、これは、あたしのお世話になったお屋敷のお嬢さんです」
「ははあ」
 田山白雲は、何かしら感歎しました。
「お嬢さんは、あたしに逢いたがっているでしょうね、あたしが弁信さんに逢いたがっているように。そうして、おじさん、お嬢さんは、あたしのことを何とか言わなかった?」
「左様……」
 白雲は、別段この少年へといって、あの娘から言伝《ことづ》てられた覚えもない。
「お嬢さんが、あたしに初めて歌を教えてくれたのよ、それからあたしは歌が好きになってしまったのよ」
「なるほど」
 そこで、田山白雲が、その時の記憶を呼び起して、あの晩、岡本兵部の娘が羅漢《らかん》の首を抱いて、子守歌を唄ったのを思い出しました。その時、白雲も胸を打たれて、この年で、この縹緻《きりょう》で、この病と、美しき、若き狂女のために泣かされたことを思い出しました。
[#ここから2字下げ]
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条長田《なんじょうおさだ》へ魚《とと》買いに……
[#ここで字下げ終わり]
 清澄の茂太郎は、その時、何に興を催したか、行燈《あんどん》の光をまともに見詰めて、この歌を唄いはじめると、田山白雲は何か言い知れず淋しいものに引き入れられる。
 そうだ、あの時、岡本兵部の娘は、石の羅漢の首を後生大切《ごしょうだいじ》に胸に抱えて、蝋涙《ろうるい》のような涙を流し、
「ねえ、あなた、この子の面《かお》が茂太郎によく似ているでしょう、そっくりだと思わない?」
 その首を自分の机にさしおいたことを覚えている。
 してみれば、あの狂女と、この少年の間に、何か奇《く》しき因縁《いんねん》があるに違いない。そこで白雲も妙な心持になり、
「杭州《こうしゅう》に美女あり、その面《おもて》白玉《はくぎょく》の如く、夜な夜な破狼橋《はろうきょう》の下《もと》に来って妖童《ようどう》を見る……」
と口吟《くちずさ》みました。

         十

 鏡ヶ浦に雲が低く垂れて陰鬱《いんうつ》極まる日、駒井甚三郎は洲崎《すのさき》の試験所にあって、洋書をひろげて読み、読んではその要所要所を翻訳して、ノートに書き留め、読み返して沈吟しておりました。
[#ここから1字下げ]
「フランソア・ザビエル師ノ曰《いは》ク、予ノ見ル所ヲ以テスレバ、善良ナル性質ヲ有スルコト日本人ノ如キハ、世界ノ国民ノウチ甚ダ稀ナリ。彼等ガ虚言ヲ吐キ、詐偽《さぎ》ヲ働クガ如キハ嘗《かつ》テ聞カザル所ニシテ、人ニ向ツテハ極メテ親切ナリ。且ツ、名誉ヲ重ンズルノ念強クシテ、時トシテハ殆ド名誉ノ奴隷タルガ如キ観アリ」
[#ここで字下げ終わり]
 こう書いてみて駒井は、果してこれが真実《ほんとう》だろうか、どうかと怪しみました。フランソア・ザビエル師は、天文年間、初めて日本へ渡って来た宣教師。ただ日本人のいいところだけ見て、悪いところを見なかったのだろう。それとも一遍のお世辞ではないか――さて黙して読むことまた少時《しばらく》。
[#ここから1字下げ]
「日本人ハ武術ヲ修練スルノ国民ナリ。男子十二歳ニ至レバ総《すべ》テ剣法ヲ学ビ、夜間就眠スル時ノ外ハ剣ヲ脱スルトイフコトナシ。而シテ眠ル時ハコレヲ枕頭ニ安置ス。ソノ刀剣ノ利鋭ナルコト、コレヲ以テ欧羅巴《ヨーロッパ》ノ刀剣ヲ両断スルトモ疵痕《しこん》ヲ止《とど》ムルナシ。サレバ刀剣ノ装飾ニモ最モ入念ニシテ、刀架《とうか》ニ置キテ室内第一ノ装飾トナス」
[#ここで字下げ終わり]
 これは実際だ――と駒井甚三郎が書き終って、うなずきました。
[#ここから1字下げ]
「勇気ノ盛ンナルコト、忍耐力ノ強キコト、感情ヲ抑制スルノ力ハ驚クベキモノアリ」
[#ここで字下げ終わり]
 これは考えものだ……ことに今日のような頽廃《たいはい》を極めた時代を、かえって諷誡《ふうかい》しているような文字とも思われるが、しかし、よく考えてみると、古来、日本武人の一面には、たしかにこの種の美徳が存在していた。今でもどこかに隠れてはいるだろう。
[#ここから1字下げ]
「日本人ハ最モ復讐《ふくしう》ヲ好ミ、彼等ハ街上ヲ歩ミナガラモ、敵《かたき》ト目ザス者ニ逢フ時ハ、何気《なにげ》ナクコレニ近寄リ、矢庭ニ刀ヲ抜イテ之《これ》ヲ斬リ、而シテ徐《おもむ》ロニ刀ヲ鞘《さや》ニ納メテ、何事モ起ラザリシガ如ク平然トシテ歩ミ去ル……単ニ刀ノ切味ヲ試サンガ為ニ、試シ斬リヲ行フコト珍シカラズ」
[#ここで字下げ終わり]
 これもまた、たしかに日本人のうちの性癖の一つで、駒井自身も幾度かそれを実地に見聞いている。これは美徳とも、長所ともいえまいが、外国人が見たら、たしかに、日本国民性の一つの特色として驚異はするだろう、と駒井はようやく筆を進ませて、
[#ここから1字下げ]
「日本ノ貴族ニハ不法ニシテ傲慢《ごうまん》ナル習慣アリ。足ヲ以テ平民ヲ蹴リテ怪シマズ。平民自身モマタ奴隷タルべクコノ世ニ生レ出デタルモノニシテ、人格ト権利ヲ没却セラレテモ、之ヲ甘ンジテ屈従スルモノノ如シ。惟《おも》フニ日本貴族ノコノ傲慢ナル風習ヲ改メシムルノ道ハ、耶蘇教《やそけう》ノ恩沢ヲコレニ蒙ラシムルノ外アルベカラズ」
[#ここで字下げ終わり]
 そこで、なるほど、外国人の眼から見た時は、階級制度の烈しい日本の国では、貴族と、平民との関係が、こうも見えるのかしら、これでは野蛮人扱いだ、と思いました。しかしこれは、西洋で十六世紀から十七世紀の間、日本では戦国時代から徳川の初期へかけて日本に渡来した、主として耶蘇教の宣教師の目に映った日本人の観察である、日本人自身では気のつかない適切な見方もあろうが、また思いきった我田引水もあるようだ――現に日本貴族の傲慢なる風習を改めしむるの道は、耶蘇の教えを以てするよりほかはない、と断言したところなど、日本に宗教なしと見縊《みくび》っていうのか、或いはまた事実この道を伝うるにあらざれば、人類救われずとの信念によって出でたる言葉か――駒井自身では動《やや》もすれば、そこに反感を引起し易《やす》い。
 だが、耶蘇の教えが、偽善と驕慢を憎んで、愛と謙遜を教えるところに趣意の存することは、朧《おぼろ》げながらわかっている。
 駒井甚三郎が今日読んでいるのは、その専門とするところの兵器、航海等の科学ではなく、宗教に関するところの書物であります。宗教というたとても、それはキリスト教に関するもののみで、いつぞやわざわざ番町の旧邸を訪ねて、一学を煩《わずら》わし、その文庫の中から選び齎《もたら》し帰ったものであります。今や、駒井甚三郎は、キリスト教を信じはじめたのではありません。また信じようと心がけているわけでもありません。
 給仕の支那少年との偶然の会話が縁となって、これを知らなければならぬとの知識慾に駆《か》られたのが、そもそもの動機であります。
 何となれば、西洋の軍事科学の新知識に於ては、当代に人も許し、吾も信ずるところの身でありながら、その西洋の歴史を劃する宗教の出現について、ほとんど無知識であるのみならず、不具なる支那少年から、逆に知識を受けねばならぬことは、これ重大なる恥辱であると、駒井の知識慾が、そういうふうに刺戟を与えたから、彼は暫く、軍事科学の書物を抛擲《ほうてき》して、専《もっぱ》ら、キリスト教の書物を読むことになったのです。
 要するに信仰のためではなく、知識のために読み出しているのです。
 で、読み行くうちに、どの読書家もするように、要所要所へ線を引いておいて、それを座右に積み重ね、今やその要所を改めて摘録《てきろく》し、翻訳してノートにとどめている。
 さてまた、一冊をとりひろげて、その引線の部分を摘訳する。
[#ここから1字下げ]
「福音書ノ何《いづ》レノ部分ニモ耶蘇《やそ》ノ面貌ヲ記載シタルコトナシ。サレバ、後人、耶蘇ノ像ヲ描カントスルモノ、ソノ想像ノ自由ナルト共ニ、表現ノ苦心尋常ニアラズ。
或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ勁烈《けいれつ》ノモノトナシ、或者ハ、温厳兼ネ備ヘタル秀麗ノ君子人トナス。
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、荘厳《そうごん》ト優美トヲ兼ネタル秀麗ナル男性ノ典型トシテ描キタレドモ、独《ひと》リ十四世紀ノジョットーニサカノボレバ然《しか》ラズ。
人|一度《ひとたび》、アレナノ会堂ニ赴《おもむ》キテ、ジョットーノ描キタル、ユダノ口吻《くちづけ》スル耶蘇ノ面貌ヲ見タランモノハ、粛然トシテ恐レ、茲《ここ》ニ神人ナザレ村ノ青年ヲ見ルト共ニ、ジョットーノ偉才ニ襟ヲ正サザル無カルベシ。
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ面影《おもかげ》トヲ伝ヘン哉《かな》……」
[#ここで字下げ終わり]
 ここまで訳し来った駒井甚三郎は、ページを一つめくり[#「めくり」に傍点]ました。全く世の中は儘《まま》にならないもので、田山白雲はああして狂気のようになって、いろはからその知識を探り当てようともがいているのを、駒井甚三郎は何の予備もなく、何の苦労もなしに、かくして読み、且つ訳している。
 田山の帰ることが二三日おそければ、駒井はこの西洋宗教美術史の一端を、田山に話して聞かせたかも知れない。といって、そうなればまた、当然白雲はあの額面を見る機会を失ったのだから、駒井の説明も風馬牛に聞き流してしまったことだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない。
 その時分、海の方に向ったこの研究室の窓を、外から押しあけようとするものがあるので、さすがの駒井も、その無作法に呆《あき》れました。
 金椎《キンツイ》でもなければ、この室を驚かす者はないはずのところを、それも外から窓を押破って入ろうとする気配は、穏かでないから、駒井も、厳然《きっと》、その方を眺めると、意外にも窓を押す手は白い手で、そして無理に押しあけて、外から面《かお》を現わしたのは、妙齢の美人でありました。
 髪を高島田に結《ゆ》った妙齢の美人は、窓から面だけを出して、駒井の方を向いて嫣乎《にっこ》と笑いました。駒井としても驚かないわけにはゆきません。
「お前は誰だ」
 駒井が窘《たしな》めるようにいい放っても、女はべつだん驚きもしないで、
「御存じのくせに。ほら、あの、鋸山の道でお目にかかったじゃありませんか」
「うむ」
「わかったでしょう。あなたは、あの時の美《い》い男ね」
「うむ」
「中へ入れて頂戴」
 駒井は、あの時の狂女だなと思いました。高島田に結って、明石の着物を着た凄いほどの美人。羅漢様の首を一つ後生大事に胸に抱いて、「お帰りには、わたしのところへ泊っていらっしゃいな」といった。
 それが、どうしてここへやって来たのだ。保田から洲崎《すのさき》まで、かなりの道程《みちのり》がある。ともかく、駒井もこのままでは捨てておけないから、椅子を立ち上って、
「ここはいけない、あっちへお廻りなさい」
「いいえ、あたしここから入りたいの」
「いけません、入るべきところから、入らなければなりません」
「いいえ、表には人がたくさんいるでしょう、犬もいるでしょう、ですからあたし、ここから入りたいの」
「表には誰もいやしませんから、あちらへお廻りなさい」
「いや、あたしここから入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
 狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
 駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を遮《さえぎ》りました。正気でない悲しさ。言うべからざることを口走り、聞くべからざることを聞くには堪えない。それを女は恥かしいとも思わず、
「けれど、それはみんな、あたしの方から惚《ほ》れたのじゃなくってよ、早くいえば、あたしがだまされたんですね、それから自棄《やけ》になって、とうとう七人の男にみんなだまされて、玩弄《おもちゃ》になってしまいました」
「ああ……」
 外から押えても、中なるねじの利《き》いていないものにはその効がない。駒井はこの場の始末にホトホト困っているのを、女は少しも頓着なしに、
「その七人の名を、みんなあなたに打明けたら、あなたも吃驚《びっくり》なさるでしょう、その人たちの恥にもなりますから、あたしは言いません……それも本来は、わたしが悪いんでしょう、茂太郎を可愛がり過ぎたから、茂太郎がいやがって逃げてしまい、その時からわたしは自葉《やけ》になりましたの。あなた、突き落しちゃいやよ」
 女は敷居に武者振りついて、あられもない高島田の美人は、どうしてもここから乱入するつもりらしい。
 折よくそこへ金椎《キンツイ》がお茶を運んで来たものですから、駒井は金椎にいいつけて、狂女を表の方へ廻らせました。しかし、正式に案内されてこの室へ通された狂女は、今まで言ったことも、したことも、すっかり忘れたようにケロリとして、まず室内のベッドを見つけ出して、
「夜どおし歩いて来たものですから、疲れてしまいましたわ、それに眠くてたまりませんから、少し休ませて頂戴な、あとで、ゆっくりお話を致しましょう」
といって、早くも、ベッドの上に横になってしまいました。
 言葉の聞えない金椎は、この女の無作法に呆《あき》れてしまったようでしたが、主人が別段それを咎《とが》めようともしないものだから、解《げ》せない面《かお》をしながら、横になった狂女の身体《からだ》に毛布をかけてやりました。
 金椎が出て行くと共に、駒井もこの室を退却してしまったので、あとは狂女がこの室を、わがものがおに心ゆくばかりの眠りについてしまいました。
 この一室を暫く狂女に与えておいて、駒井は研究所を出て、造船所の方へと歩き出しました。前にいった通り、この日は陰鬱な天気の日で、大武《だいぶ》の岬も、洲崎も、鏡ヶ浦も、対岸の三浦半島も、雲に圧《お》されて雨を産みそうな空模様でした。
 程遠からぬ造船所へ来て見ると、十余人の大工と、職工が、相変らず暢気《のんき》に仕事をしています。暢気といっても、怠けているわけではなく、かなり根強い仕事を、焦《あせ》らないでやっている。
 駒井が、そっと裏の方から入り込んだ時分に、大工と、職工とは、お茶受けの休みで、こんなことを話している。
「殿様は、この船へ自分の好きな人だけをのせて、異国へおいでなさるそうだが、もし、大海の中で無人島へでも吹きつけられたら、そこで国を開くとおっしゃっていたが、新しい国を開いてそこに住んだら、圧制というものがなくて、住み心地がいいだろうなあ」
 一人が言うと、
「そりゃ面白かろう。だが、新しい国を開いたところで、女というものがなければ種が絶えてしまう、いったい殿様は、この船に女をのせるつもりだろうか、どうだろう」
というような話をしているところへ、駒井がひょっこりと姿を現わしたものだから、みんな居ずまいを直して、
「殿様がおいでになった」
 船大工の和吉が立って駒井の傍へ来て、小腰をかがめながら、
「殿様、ビームの付け方をもう一度、検分していただきとうございます」
 この男は豆州戸田の上田寅吉の高弟で、ここの造船係の主任です。師匠うつしで、今でも駒井に向って、殿様呼ばわりをやめない。和吉が殿様呼ばわりをするものだから、総ての大工、職工が、殿様呼ばわりをする。
 そこで、駒井は和吉の先導で、船の船梁《ビーム》を見て廻る。その前後、日本唯一の西洋型船大工の棟梁《とうりょう》といわれた上田寅吉の伝えを受けて、加うるに駒井甚三郎の精到な指導監督の下に、工事を進めているこの船。造船台の形、マギリワラの据付け、首材《ステム》の後材《スダルンポスト》の建て方、肋材《フレーム》を植えて、今や船梁《ビーム》の取付けにかかっているところ。
 駒井は仔細にそれを検分して、なお外板の張り方、コールターの塗り方等に二三の注意を与え、次に蒸気の製造と、大砲の据えつけについて、その位置、運搬の方法等に、委細の指図と相談とを試み、
「蒸気の製造法が難物だ――今、苦心している。うまくゆくか、どうか、試運転の上でなければ何ともいえない。測量器械のいいのを欲しい、遠眼鏡も欲しい。誰かお前の知っている人で、適当の機械師はないか、材料はこちらで何とかする、腕だけ貸してくれればいい……」
 フレームを叩いて、船と、人とを吟味している駒井は、さいぜん、愛の、信仰のと、写していた人とは別人の観がある。
 全くこの造船所へ来ると、駒井甚三郎は別人の観があります。
 第一、その眼つきからして違ってきます。熱心そのもののような輝きを集めて、船そのものを一つの有機体として、広い意味の有機体には違いがないが、精到なる彫刻家が、自分の一点一画を凝視《ぎょうし》するように、凝視してはそれに鑿《のみ》を加えて、また退いて見詰めるように、見ようによっては、一刀三礼《いっとうさんらい》の敬虔《けいけん》を以て仏像を刻む人でもあるように、駒井というものの全部が、船というものに打込まれてゆく熱心ぶりは、心なき工人たちをも動かさないわけにはゆきません。
「殿様は大工になっても、立派に御飯が食べられます」
といって工人たちが感心する。事実、その通りで、学理の説明と、工事の指導だけでは我慢がしきれなくなって、駒井は自身ハムマーを取り、斧を揮《ふる》って終日、働き暮すことさえあるのです。
 そこで、ここに働く人々とても、本職の船大工と、機械師は、二三人しかない。あとはみんなこの辺の素人《しろうと》であるのを、駒井が仕立てて立派なその道の大工であり、職工であるように使いこなしている。
 のみならず、船の外形の工事と共に、その心臓をなす動力の問題、蒸気の製造という難物を、彼は退いて研究し、今やそれをなしとげようとしている。こればかりは親しく外遊して学ぶにあらざれば不可能、といわれている蒸気の製造を、駒井は自分の学問と、従来の経験とで、必ず成し遂げて見せるとの自負を持っている――それに比ぶれば大砲の据付けの如きは、易々《いい》たる仕事ではあるが、すべてにおいては、この事業、すなわち、駒井甚三郎の独力になるこの西洋型の船の模造は、模造とはいうが、事実は創造よりも難事業になっている。
 その難事業がともかくも着々と進んで行くのを眺めることは、この上もない興味であり、勇気であり、神聖であるように思わるる。
 だから駒井は、ここへ来て、事に当ると、その事業の神聖と、感激に没入して、吾を忘れるの人となることができる。
 それと、もう一つ――駒井をして、この自家創造の船というものに、限りなき希望と、精神とを、打込ませるように仕向けているのは、見えない時勢と、人情との力が、背後から、強く彼を圧しているのです。
 駒井は、今の日本の時世が、行詰まって息苦しい時世であり、狭いところに大多数の人間が犇《ひしめ》き合って、おのおの栗鼠《りす》のような眼をかがやかしている時世であることを、強く感じている。
 国民に雄大な気象が欠けており、閑雅なる風趣を滅尽しようとしている。他の大を成し、長をあげるというような、大人らしい意気は地を払って、盗み、排し、陥れようとの小策が、幕府の上より、市井《しせい》のお茶ッ葉の上まで漲《みなぎ》っている。
 創造の精神が滅びた時に、剽窃《ひょうせつ》の技巧が盛んになる。このままで進めば、日本国民は、挙げて掏摸《すり》のようなものとなってしまい、掏摸のような者を讃美迎合しなければ、生活ができなくなってしまう。その結果は、国民挙げて共喰いである……心ある人が、こういう時世を悲憤しなければ、悲憤するものがない。だが、幸いにして駒井甚三郎は、この時世を充分に見ていながら、病気にもならず、憤死することもないのは、要するに、前途に洋々たる新しい世界を見、その世界に精進《しょうじん》する鍵を、自分が握っているとの強い自信があるからです。
 その洋々たる新世界とは何――それは海です。海は地球表面の七割以上を占《し》めて、しかもその間には国境というものがない。
 その鍵とは何――それはすなわち船です。
 この日本は美国ではあるが、この美国を六十にも七十にもわけて、三百人もの大名小名どもが食い合っていて何になる。
 駒井は今、その海と船との信仰に、全身燃ゆるが如き思いを抱いて、万里の海風に吹かれながら、黄昏《たそがれ》の道をおのが住家へと戻って来ました。
 駒井甚三郎は燃ゆるが如き熱心を抱いて、わが住居へ帰って来ましたが、金椎《キンツイ》を呼んで夕飯を取る以前に、自分の居間へ入ると、燭台に蝋燭《ろうそく》の火をつけて、かなり疲労していた身体《からだ》を、いつもするように、ぐったりと寝台の上へ投げかけようとして、蛇でも踏んだもののように、急に立退いてしまいました。
 忘れていたのです。自分の寝台は、それよりズット以前から人に占領されていました。その人は今もいい心持で、寝台の上に熟睡の夢を結んでいるところであります。
 真に忘れていた。忘れていたのがあたりまえで、これまでかつて他人のために占領された歴史のないこの寝台です。不意に自分を驚かすところのいかなる客でも、ここを占領しようとはいわない。それをこの客に限って、無作法の限りにも、許しのないうちに、早くもここをわが物にして、主人の帰ったことをさえ知らずにいる。しかもそれが妙齢の女であります。
 駒井は呆《あき》れ果てて、暫くそのキャンドルを手に翳《かざ》したままで、女の寝姿を見つめていました。
 少なくとも眠っている間は無心でしょう。無心の時には、人間の天真が現われる。ともかくもこれは卑しい娘ではありません。金椎がかけてくれた通りに、毛布を首まで纏《まと》って、枕一杯に、濡れたように黒い後れ毛が乱れていました。
 駒井はそれを、眼をはなさず見ていましたが、この時はまた別の人です。今までの野心も、熱心も、希望も、一時に冷却して、美しい娘の寝顔に注いでいる。
 そうしているうちに、つくづくと浅ましさと、いじ[#「いじ」に傍点]らしさの思いが、こみ上げて来るのであります。もとより狂人のいうことは取留めがない。自分の頭に巻き起るさまざまの幻想を、いちいち事実と混合してしまうこともあれば、不断の脅迫感に襲われて、あらぬ敵を有るように妄信していることも限りはないのだから、狂人のいうことを、そのままに取り上げるわけにはゆかないが、さきほど言ったことの浅ましさが、こうして見ると、いよいよ身にこたえる。罪だ! と駒井甚三郎は戦慄して、怖れを感じました。
 この時です、女が眼を醒《さ》ましたのは。女が眼を醒まして、自分の眼前に光をさしつけて、自分を覗《のぞ》いている人のあることを悟ったのは。
 それと気がつくと女は、嫣乎《にっこり》と笑い、
「いつお帰りになったの……」
「いま」
「そうですか。わたし、あれからズット寝通してしまいました、ちっとも眼が醒《さ》めませんでしたのよ、ずいぶんよく寝てしまいましたわね。いったい、もう何時《なんどき》でしょう」
「もう、日が暮れてしまったよ」
「誰も尋ねて来やしなくって? 誰もわたしを追いかけては来ませんでしたか」
「誰も来た様子はありません」
「誰が来ても、いわないようにして下さいね、どんな人が尋ねて来ても、わたしを渡さないで下さいね、いつまでもここへ隠して置いて頂戴」
「…………」
「もし、あなたが、誰かにわたしを渡してしまえば、わたしはまたその人の玩具《おもちゃ》にされてしまいます……あなたがもし、わたしをかわいそうだと思召《おぼしめ》すならば、ここへ置いて下さい。わたしの身はどうなってもかまわない、人に苛《さいな》まれようとも、蹂躙《ふみにじ》られようとも、かまわないと思召すなら、わたしを突き出してもようござんすけれど、あなたは、そんな惨酷《ざんこく》なお方じゃなかろうと、わたしは安心していますのよ、ほんとうに、わたしという人は、どうしてこう意気地がないんでしょう、昔はこんなじゃなかったんですけれども、今はもう駄目なのよ、人に甘い言葉をかけられると、ツイその気になってしまうんですもの……誰かしっかりした人がついていてくれなければ、この上、どこまで落ちて行くか知れません。ごらんなさい、わたしの前にあるあの深い、怖ろしい穴を……」
 いくらか精神の昂奮もおちついたと見えて、さいぜんのような聞苦しいことも言わず、しおらしく訴える言葉にも、情理があって痛わしい。そこで、駒井はやさしく、
「ともかく、お起きなさい――もう夕飯の時刻です、あちらで一緒に食べましょう」
「どうも済みません」
 そこで女は快《こころよ》く起き上りました。
 やがて、食堂としてある一間で、駒井と、金椎と、新来のお客と三人が、食卓にさし向っての会食が始まりました。女はしきりに金椎に話しかけてみましたけれども、利《き》き目がないのを不思議がっていると、駒井が両耳に手を当てて、その聾《つんぼ》であることを形にして見せました。
「かわいそうに、耳が聞えないんですか」
 狂女はわが身の不幸を忘れて、この少年の不具に同情しました。少なくとも、その同情の余裕の存することを駒井は感心し、
「この子は支那の生れで、名をキンツイといいます」
「キンツイさんですか、妙な名ですね」
「非常にまじめな少年ですから、あなた、よくお附合いなさい」
「本当ですか……まじめな人って、なかなか当てにはなりませんけれど、まだ若いから大丈夫でしょう」
「大丈夫です。それに神様を信心していますから」
「まあ、神様を信心しておいでなんですか、支那にも神様がありますのですか」
「ありますとも、人間は有っても無くっても、神様の無いというところはないと、私もこの少年から教えられました」
「まあ感心ですわね、子供のうちから神様を信心するなんて。わたしも神信心をしたいにはしたいんですけれど、どこに神様がおいでなさるか、わからないんですもの」
といって、自分も一時、神信心をしてみたけれども、天神様を拝めば天神様があちらを向き、不動様を信じようとすれば不動様があちらを向くので、とうとう信心をやめてしまったというようなことをいい出すのは困るが、このほかのことは、問いに応じてほぼ的を誤まらないように答えるものですから、駒井は、この女の病気は癒《なお》るかも知れない、とさえ思いました。
 名前を問えば、もゆる[#「もゆる」に傍点]と答えました。駒井が念を押すと、
「もゆる[#「もゆる」に傍点]とは、草木のもゆる[#「もゆる」に傍点]という意味でつけたんでしょう、わたしにはよくわかりませんけれど」
と答える。姓は岡本といわずに、里見と呼んでもらいたいということ。
 保田から昨晩、夜通しここまで歩いて来たが、一人で夜道をしても少しも怖いとは思わないということ。山でも、坂でも、さして疲れを覚えないで歩き通すということ。途中、人にであっても、こちらより先方が怖がってよけて通すということ。
 それでもよわみを見られてしまってはもう駄目だということ。
 打明けた話を聞かされていると、駒井は不愍《ふびん》の思いに堪えられなくなりました。なるほど、これをこのまま突き出してしまえば、残れるところのすべてのものを、泥土《でいど》に委《まか》してしまうのだ。本来、よい育ちでもあり、また生来、悪い質《たち》の娘ではない――そのうち、尋ねる人が来たならば、よく話をしてやろう。来なければしかるべき保証を以て、送り届けてやらねばならぬと考えました。
 しかし、差当っての問題は、今夜の問題で、この娘をどの室へ泊めるかということです。金椎と同室に置いて、もし夜中に脱走でもされた日には困る。一人ではいよいよ寝かされない。そうかといって自分の部屋へ寝かすことは、自分が困る……駒井は、ひそかにこの問題に苦心しているのを、娘は自分でズンズンと解決してしまいました。なぜならば、食事が終ると、やはり我物顔で、以前の室の寝台の上に身をのせてしまったからです。
 ぜひなく駒井はその室へ錠を卸し、自分は金椎と共に、別の室で寝ることにしました。

         十一

 宇津木兵馬と、仏頂寺弥助と、丸山勇仙の三人は、八ヶ岳と甲斐駒の間を、西に向って急いでいる。
 途中、武術の話。
 仏頂寺は、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。
 この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、なかなかに聞くべきものがある。
 しかし、ややもすれば芸に慢じて、己《おの》が師をさえ侮るの語気を漏らすことがある。それが聞く人を不快にする。
 丸山勇仙は九段の斎藤の道場、練兵館の話をする。斎藤と、長州系との関係を語る。そのうち、長州の壮士が相率いて練兵館を襲い、弥九郎の二男、当時|鬼歓《おにかん》といわれた歓之助のために撃退された一条を物語る。その仔細はこうである。
 はじめ――嘉永の二年ごろ、斎藤弥九郎の長男新太郎が、武者修行の途次、長州萩の城下に着いた。宿の主人が挨拶に来た時に、新太郎問うて曰《いわ》く、
「拙者は武者修行の者であるが、当地にも剣術者はあるか」
 主人の答えて曰く、
「ある段ではございませぬ、当地は名だたる武芸の盛んな地でございまして、近頃はまた明倫館という大層な道場まで出来まして、優れた使い手のお方が、雲の如く群がっておりまする。あれお聞きあそばせ、あの竹刀《しない》の音が、あれが明倫館の剣術稽古の響きでございます」
 新太郎、それを聞いて喜び、
「それは何より楽しみじゃ、明日はひとつ推参して、試合を願うことに致そう」
 そこで、その夜は眠りについて、翌日、明倫館に出頭して、藩の多くの剣士たちと試合を試みて、また宿へ戻って、風呂を浴びて、一酌を試みているところへ、宿の主人がやって来る。
「いかがでございました、今日のお試合は」
 新太郎、嫣乎《にっこり》と笑うて曰く、
「なるほど、明倫館は立派な建物じゃ、他藩にもちょっと類のないほど宏壮な建物で、竹刀《しない》を持つものもたくさんに見えたが、本当の剣術をやる者は一人もない、いわば黄金の鳥籠に雀を飼っておくようなものだ」
 これは、新太郎として、実際、そうも見えたのだろうし、また必ずしも軽蔑の意味ではなく、調子に乗って言ったのだろう。だが、この一言が、忽《たちま》ち宿の主人の口から、剣士たちの耳に入ったから堪らない。
「憎い修行者の広言、このまま捨て置いては、長藩の名折れになる」
 かれらは大激昂で新太郎の旅宿を襲撃しようとする。老臣たちが、それを宥《なだ》めるけれど聞き入れない。止むを得ず、急を新太郎に告げて、この場を立去らしめた。新太郎は、それに従って、一行を率いて、その夜のうちに九州へ向けて出立してしまったから、わずかに事なきを得たが、あとに残った長州の血気の青年が納まらない。
「よし、その儀ならば、九州まで彼等の跡を追っかけろ」
「彼等の跡を追いかけるよりも、むしろ江戸へ押し上って、その本拠をつけ。九段の道場には、彼の親爺《おやじ》の弥九郎も、その高弟共もいるだろう、その本拠へ乗込んで、道場を叩き潰《つぶ》してしまえ」
 長州の青年剣士ら十余人、猛然として一団を成して、そのまま江戸へ向けて馳《は》せ上る。その団長株に貴島又兵衛があり、祖式松助がある。
 そこで、彼等は一気に江戸まで押し通すや否や、竹刀と道具を釣台に舁《かき》のせて、麹町九段坂上三番町、神道無念流の師範斎藤篤信斎弥九郎の道場、練兵館へ押寄せて、殺気満々として試合を申し込んだものだ……
 誰も知っている通り、当時、江戸の町には三大剣客の道場があった。神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉周作、高橋|蜊河岸《あさりがし》の鏡心明智流の桃井春蔵《もものいしゅんぞう》、それと並んで、練兵館の斎藤弥九郎。おのおの門弟三千と称せられて、一度《ひとたび》その門を潜らぬものは、剣を談ずるの資格がない。
 殺気満々たる長州の壮士連十余人の一団は、斎藤の道場を微塵《みじん》に叩き潰《つぶ》す覚悟をきめてやって来たのだから、その権幕は、尋常の他流試合や、入門の希望者とは違う。
 ところで、これを引受けた斎藤の道場には、長男の新太郎がいない。やむなく、次男の歓之助が出でて応《あしら》わねばならぬ。
 歓之助、時に十七歳――彼等壮士の結構を知るや知らずや、従容《しょうよう》として十余人を一手に引受けてしまった。
 もとより、修行のつもりではなく、復讐《ふくしゅう》の意気でやって来た壮士連。立合うつもりでなく殺すつもり。業《わざ》でいかなければ、力任せでやっつけるつもりで来たのだから、その猛気、怒気、当るべからざる勢い。歓之助、それを見て取ると、十余人を引受け、引受け、ただ単に突きの一手――得意中の得意なる突きの一手のほか、余手を使わず、次から次と息をつかせずに突き伏せてしまった。
 哀れむべし、長州遠征の壮士。復讐の目的全く破れて、十余人の壮士、一人の少年のために枕を並べて討死。宿へ引取ってから咽喉《のど》が腫《は》れて、数日間食物が入らず、病の床に寝込んだものさえある。
 長人の意気愛すべしといえども、術は格別である。中央にあって覇を成すものと、地方にあって勇気に逸《はや》るものとの間に、その位の格段がなければ、道場の権威が立つまい。
 しかし、貴島又兵衛あたりは、このことを右の話通りには、本藩へ報告していないようだ。
 貴島は、長藩のために、のよき剣術の師範物色のため、江戸へ下り、つらつら当時の三大剣客の門風を見るところ、斎藤は技術に於ては千葉、桃井には及ばないが、門弟を養成する気風がよろしい――というような理由から、国元へ斎藤を推薦したということになっている。
 ところで、これはまた問題だ。右の三大剣客の技術に、甲乙を付することは、なかなか大胆な仕事である。貴島又兵衛が、斎藤弥九郎の剣術を以て、桃井、千葉に劣ると断定したのは、何の根拠に出でたのか。この三巨頭は、一度《ひとたび》も実地に立合をした例《ためし》がないはず。
 千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、出藍《しゅつらん》の誉れがある。これと斎藤の次男歓之助とを取組ましたら、絶好の見物《みもの》だろうとの評判は、玄人筋《くろうとすじ》を賑わしていたが、それさえ事実には現われなかった。もし、また、事実に現わして優劣が問題になった日には、それこそ、両道場の間に血の雨が降る。故に、それらの技術に至っては、おのおの見るところによって推定はできたろうが、断定はできなかったはず。
 丸山勇仙は当時、長州壮士が練兵館襲撃の現場に居合せて、実地目撃したと見えて、歓之助の強味を賞揚すると、仏頂寺のつむじ[#「つむじ」に傍点]が少々曲りかけて、
「それは歓之助が強かったのではない、また長州の壮士たちが弱かったというのでもない、術と、力との相違だ、手練と、血気との相違だ、いわば玄人《くろうと》と、素人《しろうと》との相違だから、勝ってもさのみ誉れではない――その鬼歓殿も九州ではすっかり味噌をつけたよ」
という。人が賞《ほ》めると、何かケチをつけたがるのが、この男の癖と見える、特に悪意があるというわけではあるまい。ただ、白いといえば、一応は黒いといってみたいのだろう。それでも兵馬は気になると見えて、
「歓之助殿が九州で、何をやり損ないましたか」
「さればだよ、九州第一といわれている久留米の松浦波四郎のために、脆《もろ》くも打ち込まれた」
「え」
 兵馬はそのことを奇なりとしました。練兵館の鬼歓ともいわれる者が、九州地方で脆くも後《おく》れを取ったとは聞捨てにならない。
 斎藤歓之助は、江戸においての第一流の名ある剣客であった。それが九州まで行って、脆くも後れを取ったということは、剣道に志のあるものにとっては、聞捨てのならぬ出来事である。
 兵馬に問われて仏頂寺が、その勝負の顛末《てんまつ》を次の如く語りました。
 久留米、柳川は九州においても特に武芸に名誉の藩である。そのうち、久留米藩の松浦波四郎は、九州第一との評がある。九州に乗込んだ斎藤の鬼歓は、江戸第一の評判に迎えられて、この松浦に試合を申し込む。そこで江戸第一と、九州第一との勝負がはじまる。
 これは末代までの見物《みもの》だ。その評判は、単に久留米の城下を騒がすだけではない。
 歓之助は竹刀《しない》を上段に構えた。気宇は、たしかに松浦を呑んでいたのであろう。それに対して松浦は正眼に構える。
 ここに、満堂の勇士が声を呑んで、手に汗を握る。と見るや、歓之助の竹刀は電光の如く、松浦の頭上をめがけて打ち下ろされる。波四郎、体を反《そ》らして、それを防ぐところを、歓之助は、すかさず烈しい体当りをくれた――突きは歓之助の得意中の得意だが、この体当りもまた以て彼の得意の業《わざ》である――さすがの松浦もそれに堪えられず、よろよろとよろめくところを、第二の太刀先《たちさき》。あわや松浦の運命終れりと見えたる時、彼も九州第一の名を取った剛の者、よろよろとよろけせか[#「せか」に傍点]れながら、横薙《よこな》ぎに払った竹刀が、鬼歓の胴を一本!
「命はこっちに!」
と勝名乗りをあげた見事な働き。これは敵も、味方も、文句のつけようがないほど鮮かなものであった。
 江戸第一が、明らかに九州第一に敗れた。無念残念も後の祭り。
 無論、この勝負、術の相違よりは、最初から歓之助は敵を呑んでかかった罪があり、松浦は、謹慎にそれを受けた功があるかも知れないが、勝負においては、それが申しわけにはならない。
 仏頂寺は兵馬に向って、この勝負を見ても、歓之助の術に、まだ若いところがあるという暗示を与え、丸山が激賞した逆上《のぼせ》を引下げるつもりらしい。
「惜しいことをしましたね」
と兵馬は歓之助のために、その勝負を惜しがると、仏頂寺は、
「全く歓殿のために惜しいのみならず、そのままでは、斎藤の練兵館の名にもかかわる。そこで雪辱のために、吉本が出かけて行って、見事に仇を取るには取ったからいいようなものの」
と言いました。
「ははあ、どなたが、雪辱においでになったのですか、そうしてその勝負はどうでした、お聞かせ下さい」
「吉本が行って、松浦を打ち込んで来たから、まあ怪我も大きくならずに済んだ」
といって仏頂寺は、斎藤歓之助のために、九州へ雪辱戦に赴いた同門の吉本豊次と、松浦との試合について、次の如く語りました。
 無論、吉本は歓之助の後進であり、術においても比較にはならない。しかし、この男はなかなか駈引がうまい。胆があって、機略を弄《ろう》することが上手だから、変化のある試合を見せる。歓之助すらもてあました相手をこなし[#「こなし」に傍点]に、わざわざ九州へ出かけて、松浦に試合を申しこみ、さて竹刀を取って道場に立合うや否や、わざと松浦の拳をめがけて打ち込み、
「お籠手《こて》一本!」
と叫んで竹刀を引く。
「お籠手ではない、拳だ」
 松浦は笑いながら、その名乗りを取合わない。無論、取合わないのが本当で、戯《たわむ》れにひとしい振舞で、一本の数に入るべきものではない。
 ところが、吉本豊次はまた何と思ってか、取合わないのを知らぬ面《かお》で、竹刀《しない》をかついで道場の隅々をグルグル廻っているその有様が滑稽なので、松浦が、
「何をしている」
と訊《たず》ねると、吉本は抜からぬ顔で、
「ただいま打ち落した貴殿の拳を尋ねている」
 この一言に、松浦の怒りが心頭より発した。
 松浦の怒ったのは、吉本の思う壺であった。手もなくその策略にひっかかった松浦の気は苛立《いらだ》ち、太刀先《たちさき》は乱れる。その虚に乗じた吉本は、十二分の腕を振《ふる》って、見事なお胴を一本。
「これでも九州第一か」
 そこで斎藤歓之助の復讐を、吉本豊次が遂げた。その吉本の如きも、自分の眼中にないようなことを仏頂寺がいう。以上の者の仇を、以下の者がうったのだから、それだから勝負というものはわからない。非常な天才でない限り、そう格段の相違というものがあるべきはずはない。ある程度までは誰でも行けるが、ある程度以上になると、容易に進むものではない。
 現代の人がよく、桃井、千葉、斎藤の三道場の品評《しなさだめ》をしたがるが、それとても、素人《しろうと》が格段をつけたがるほど、優劣があるべきはずはないという。
 自然、話が幕府の直轄の講武所方面の武術家に及ぶ。以上の三道場は盛んなりといえども私学である。講武所はなんといっても官学である。そこの師範はまた気位の違ったところがある。男谷下総守《おだにしもうさのかみ》をはじめ、戸田八郎左衛門だの、伊庭《いば》軍兵衛だの、近藤弥之助だの、榊原健吉だの、小野(山岡)鉄太郎だのというものの品評に及ぶ。それから古人の評判にまで進む。
 人物は感心し難いが、そういう批評を聞いていると、実際家だけに、耳を傾くべきところが少なくはない。兵馬は少なくともそれに教えられるところがある。
 かくて、三日目に例の信濃の下諏訪に到着。
 以前、問題を引起した孫次郎の宿へは泊らず、亀屋というのへ三人が草鞋《わらじ》をぬぐ。
 その晩、仏頂寺と丸山は兵馬を残して、どこかへ行ってしまいました。多分、過日の塩尻峠で負傷した朋輩《ほうばい》を、この地のいずれへか預けて療養を加えさせているのを、見舞に廻ったのだろう。
 宿にひとり残された兵馬は昂奮する。
 明日はいよいよ塩尻峠にかかるのだ。仏頂寺らのいうところをどこまで信じてよいかわからないが、果してその人が机竜之助であるかどうか、確証を得たわけではないが、しかし疑うべからざるものはたしかに有って存するようだ。
 塩尻へかかって、その証跡をつきとめた上に、行先を尋ぬれば当らずといえども遠からず。どうも大事が眼の前に迫ったように思う。
 ところが、いくら待っても、仏頂寺と丸山とが帰って来ない。
 待ちあぐんだ兵馬は、お先へ御免を蒙《こうむ》って寝てしまいました。
 心には昂奮を抱いても旅の疲れで、グッスリと眠る――明け方、眼を醒《さ》まして見ると、二人の寝床は敷かれたままになっている。仏頂寺も、丸山も、昨夜のうちに帰って来た様子がない。
 いったん戻って、また出直したとも思われない。兵馬は気が気でない。
 肝腎の案内者、次第によっては助太刀をも兼ねてやろうという剛の者が、戦いを前にして逃げ出したわけでもあるまいに、他《ひと》の大事とはいいながら、あまりといえば暢気千万《のんきせんばん》だ。
 兵馬は起きて、面《かお》を洗って、用意を整えて待っているが、仏頂寺と、丸山は、容易に帰って来ない。もう外では、人の足の音、馬の鈴の音が聞える――膳を運ばれたのを、そのままにして箸を取らないで、二人の帰るのを待っているが、二人は帰らない。日が高くなる。
 宿のものにいいつけて捜させると、その二人は瓢箪屋《ひょうたんや》という茶屋で女を揚げて、昨晩、さんざんに飲み、酔い倒れてまだ枕が上らないとの報告。兵馬は聞いて苦笑いをしました。
 二人の飲代《のみしろ》は、お銀様から預かった、財布からの支出に相違ない――兵馬はそんなことは知らないが、あまりの暢気千万に呆《あき》れて、よし、それでは拙者が出向いて起して来るといって、旅装を整えて、この宿から茶屋へ向いました。
 兵馬はその茶屋というのへ行ってみたが、たしかにお二人はおいでになっているが、未だお眼醒《めざ》めになりませんという。
 それでは、自分が直接《じか》に起して来るといって、茶屋の者が驚くのをかまわず、兵馬は二階へ上って、二人の寝間へ踏み込んで見ると、二人は怪しげな女と寝ている。
 あまりの醜態に呆れ返った兵馬は、
「おのおの方は、まだお休みか、拙者は一足お先に御免蒙る」
といい放って、さっさと出てしまいました。
 そうして兵馬は二人を置去りにして、一人で下諏訪を発足するとまもなく例の塩尻峠。峠を上りきって五条源治の茶屋で一休みしました。
「この間、この辺の原で斬合いがあったという話だが、本当か」
と訊ねてみますと番頭が、
「ええ、ありました、えらい騒ぎで……」
 そこで、先達《せんだっ》ての、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の斬合いの話が始まる。
 いずれも、自分が立会って篤《とく》と見定めたような話しぶり。実は斬合いという声を聞くと、戸を閉じて顫《ふる》えていた連中。
 聞くところによると、一方の侍は女を連れて従者一人。また一方のはくっきょうの武者四人ということ。つまり、四人と一人の争いで斬合いが始まって、その結果は四人のうちの二人まで斬られて、他の二人がそれをここへ担《かつ》ぎ込んで、手荒い療治を加えたということ。
 聞いてみると、仏頂寺と、丸山が、物語ったところとは少しく違う。それほど重傷を負うた二人の者はどこにいる。それも疑問にはなるが、兵馬の尋ねたいのは別の人。
「それでなにかね、その相手の一人というのは、盲《めくら》の武家であったという話だが、それも本当か」
「それは嘘でございましょう、ねえ、あなた様、なんぼなんでも盲の方が、四人の敵を相手にして勝てる道理はございませんからね」
「いかさま、左様に思われるが。して、その者の年の頃、人相は……」
「それがあなた、よくわかりませんのでございますよ、諏訪の方からおいでになった大抵のお客様はひとまず、これへお休み下さるのが定例《じょうれい》でございますのに、そのお客様ばかりはここを素通りなさいましたものですから、つい、お見それ申しました」
「なるほど……それで供の者は?」
「御本人はお馬に召しておいでになりましたが、若いお娘さんが一人、お駕籠《かご》で、それからお附添らしい御実体《ごじってい》なお方は徒歩《かち》でございました」
「なるほど」
 輪廓[#「輪廓」はママ]だけで内容の要領は得ないが、盲《めくら》だとは信じていないらしい。そういう説もあるにはあったようだが、そんなことは信ぜられない、といった口ぶり。
 さもあろう。だが、最初は、自分たちが立会って、その果し合いを篤《とく》と見定めたような話しぶり。おいおい進むと、その人相年齢すらも確《しか》とは判然しない。それと違って、畳針と、焼酎と、麻の糸とで縫い上げた療治ぶりは、手に取るように細かい。これは仏頂寺、丸山からは聞かなかったところ。
 ともかく、想像すれば、ここを行くこと僅かにしていのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原がある。そこの真中で四人の剛の者が、一人の弱々しい者を取囲んで、血の雨を降らしたという光景は、眼前に浮んで来る。そうして、四人のうち、二人は瀕死の重傷を負うてここへ担ぎ込まれたことは疑うべくもない。
 してみれば、これからその途中、誰か一人ぐらいはその斬合いを見届けた者があるだろう。尋ねてみよう。
 そこで、兵馬が、茶代をおいて立ち上る途端に、アッと面《かお》の色を変えたのは茶屋の番頭で、それは、今しも峠を上りきって、この店頭《みせさき》へ現われたのが、見覚えのある仏頂寺弥助と、丸山勇仙の二人であったからです。
 五条源治の番頭が青くなったのも無理はありません。こういうお客は、二度と店へ来ない方がよいのです。あの時は、亡者が立去ったほどに喜び、塩を撒《ま》いてその退却を禁呪《まじな》ったのに、またしても舞戻って来られたかと思うと、物凄《ものすご》いばかりであります。
「おい番頭、この間はいかいお世話になってしまったな」
「どう仕《つかまつ》りまして……」
 幸いに、今日は何も担ぎ込んでは来なかったが、これからどうなるかわからない、これから先が危ないのだ――番頭はこの客が早く出て行ってくれればいいと思いました。出て行ってしまったら、そのあとで戸を閉めてしまおうかと思いました。
「宇津木君、先刻は、君に飛んだところを見せてしまって面目がない」
 抜からぬ面《かお》の仏頂寺に対して、宇津木兵馬が、
「一足お先へ出かけました」
「さあ、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原へ行こう」
 番頭を安心させたのは、仏頂寺、丸山が店へ腰を下ろさないで、先来の客を促して、前途へ向けて出発を急ぐからであります。全く、こういうお客は、一刻も早く立去ってもらいさえすればよい。
 三人が打連れて、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原方面へ立去ったので、番頭の面に初めて生ける色が現われました。
 兵馬を中に挟《さしはさ》んで、峠の道をやや下りになる仏頂寺と丸山。
 兵馬は、ここで奇態な人間だと、少々|煙《けむ》に巻かれました。
 さいぜんの醜態は感心しないが、あの醜態を少なくとも忽《たちま》ちの間に脱却して、相当に旅装を整えて、一気に、ここまで駈けつけて来た転換の早さは、相当に感心しないわけにはゆかない。あの体《てい》では終日|耽溺《たんでき》から救わるる術《すべ》はあるまいと見えたのに。
「は、は、は、は」
 仏頂寺は声高く笑い、こんなことは朝飯前だといわぬばかりに、
「修行盛りの若い時分には……」
 吉原に流連《いつづけ》していても、朝の寒稽古にはおくれたためしがない。遊女屋の温かい蒲団《ふとん》から、道場の凍った板の間へ、未練会釈もなく身を投げ出す融通自在を自慢|面《がお》で話す。
 その時、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の方を見廻すと、縦隊を作った真黒な一団の人が、こっちへ向いて上って来る。それを見下ろし加減に眺めつつ下る三人の者。
「おや、あれは何だろう」
 馬もなければ、駕籠もない。槍も、先箱もない。ただ真黒な縦隊に、笠だけが茸《きのこ》の簇生《ぞくせい》したように続いている。
「なるほど」
 三人が何とも判定し兼ねて行くと、先方も近づいて来る。道もほとんど平らになる。そこで見当がついてみると、何の事だ、これは旅の行商の一隊であった。笠に脚絆《きゃはん》、甲掛《こうがけ》、背に荷物、かいがいしい装い。しかも、それが男ではなくすべて女。数は都合二十名ほど。
 やがて、こちらの三人と、その女行商人とは細い道でこんがら[#「こんがら」に傍点]かる。
 これは、白根山の麓《ふもと》あたりに住む「山の娘」の一行でありました。
 今しも松本平方面へ行商に出かけて、故郷へ帰るのか、そうでなければ伊奈方面へ足を入れる途中と見える。
 その以前、机竜之助は駿河から甲州路への徳間峠《とくまとうげ》で、計《はか》らずもこの山の娘たちに救われたことがある。仏頂寺と、丸山は、この山の娘たちの縦列とこんがらかって、やがていのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原へすり抜けました。すり抜けた時に仏頂寺弥助が、
「どうかすると、あんなのの中に素敵《すてき》なのがいる」
といいますと、丸山勇仙が、
「年増《としま》で一人、娘で二人ばかりたまらないのがいたよ」
「おや、宇津木がいない」
と見れば、宇津木兵馬がいない。山の娘の縦列に呑まれてしまったのか、三人打連れて来たうちの一人がいない。忘れ物でもしたように振返ると、宇津木兵馬は、ずっと後《おく》れて路の傍《はた》に、行商の女の一人としきりに話し合っているのを認めましたから、
「おや」
 仏頂寺と、丸山が、狐にでも憑《つま》まれたように感じました。
「何を話しているのだろう」
 暫く待っていたが、その話が存外手間が取れるので、
「すっかり話が持ててるぜ」
「様子が訝《おか》しい」
と言いました。少し嫉《や》けるような口ぶりでもあります。
「おやおや、女共がみんな野原へ荷物を卸《おろ》して休みだした、それだのに宇津木とあの女ばかりは、立ち話に夢中だ」
「何か宇津木の奴、頻《しき》りに手真似《てまね》をして女を宥《なだ》めている」
「女《あま》めは泣いてるじゃないか、涙を拭いている様子だ」
 実際、離れて見ると、意外な光景には違いありません。
 行商の一隊が、まるくなって取巻いて休んでいる中に、宇津木と、その山の娘のうちの一人とが、しきりに懐かしそうな立ち話をつづけている。
 仏頂寺と、丸山とは、それをぼんやりと、いつまでも見ていなければならない有様となっている。調子が少し変ってきました。
 山の娘たちは密集を得意とする。里に出る時は散逸しても、険山難路を過ぐる時は必ず集合する。事急なる時は必ず密集する。密集すれば、獅子も針鼠を食うことができない。ナポレオンも、アレキサンダーも、密集の利益を認めていた。二十余人の女が密集すれぼ、いかなる兇漢も、ちょっと手がくだせまい。
 そこで密集は力である。どうかすると山の娘たちは、この密集の中に窮鳥を包容することがある。いかにもこの密集の中へ包んで、白根の山ふところへもちこんでしまえば、捜索の人を、永久に隠匿《いんとく》することができる。天保の大塩の余党のうちにも、これらの手によって、山の奥へ隠され、再び世に出でない安楽の生涯を終ったものがあるという。江川太郎左衛門ほどの英物が竹売りに化けて、斎藤弥九郎を引連れ、甲州へ隠密《おんみつ》に入り込んだのもそのためであったが、ついに得るところなくして終った。
 女は弱いことになっているが、それでも団結はやはり力である。山の娘たちは団結的に訓練されている。
 仏頂寺と丸山は兵馬を後にして、忌々《いまいま》しそうに歩き出し、
「ここだ!」
 二人、足を止《とど》めたのは、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原のちょうど真中ごろ。
 あの時の不思議な立合。二人の眼の前に、過ぎにし剣刃上の戯れがまき起る。
 この時分、宇津木兵馬はようやく、女との立ち話が済んで、二人の跡を追うて来るのを認めます。仏頂寺弥助は、その当時、机竜之助が立ったところに立って、兵馬の来るのを待っている。
 山の娘たちは草原の上に休んだままで、申し合わせたように、こちらを眺めている。
 兵馬が急いで、二人の跡を追いかけて、ここへやって来た時、以前、竜之助が立っていたところに立っていた仏頂寺が、
「宇津木、問題の場所はここだ、ここにそれ、こうして……」
 兵馬を、麾《さしまね》いた仏頂寺弥助の気色《きしょく》なんとなく穏かならず、どういう料簡《りょうけん》か、近づく兵馬を尻目にかけて、腰なる刀を抜いて青眼に構えたのは、意外でもあり、物騒千万でもある。
 どうもこれは穏かでない。
 なにもわざわざ、またそう軽々しく刀の鞘《さや》を外《はず》さなくてもいいではないか。
 仕方話をするのに、真剣を抜いて見せる必要もないではないか。
 兵馬は、仏頂寺の刀を抜いたのを大人《おとな》げないと思い、丸山勇仙ですらが、意外に打たれたようです。仏頂寺はそれに頓着なしに、
「こうだ、ここへさがってこの通りに構えたものと思わっしゃい。いいかい、目は見えないのだよ」
といって仏頂寺は、自分の眼をつぶりました。彼は、先日の竜之助の取った通りの型をして見せるのです。
 そこで兵馬は、一足さがって、その型を篤《とく》と見定めました。
 仏頂寺は、冷然として、どこまでも本人の型通りに、青眼、こころもち刀を右へ斜につけた姿勢で、動こうとはしない。
「いよう! そっくり[#「そっくり」に傍点]!」
と丸山勇仙が頓狂な声を揚げました。仏頂寺の型が、竜之助の音無《おとなし》うつしにそっくり[#「そっくり」に傍点]出来たものだから、音羽屋《おとわや》! とでも言いたくなったのでしょうが、音羽屋とも言えないから、それで単にそっくり[#「そっくり」に傍点]といってみたものでしょう。しかし、仏頂寺は笑わず、兵馬は痛切に、その型を打眺めていると、仏頂寺が、
「宇津木、どうだ、わかるか、わかったら打込んで見給え」
と、やはり目をつぶったままで言いました。
「うむ」
 兵馬は、仏頂寺の型を、身を入れて眺めているばかりです。
「わかるまいな」
 仏頂寺は、いつまでも冷然と構えている。丸山勇仙が、妙な面《かお》で、それを横から眺めながら兵馬に向い、
「宇津木君、かまわないから仏頂寺を斬ってしまい給え、ああしているところを」
 傍からけしかけてみる。
 兵馬は無言で、仏頂寺の型を睨《にら》めている。仏頂寺は澄まし返って、その姿勢をいつまでも崩すことではない。
 仏頂寺の態度は冷やかなものだが、それを見つめている兵馬の額に、汗のにじんでくるのを認める。その眼が輝いてくるのを認める。息づかいの荒くなるのを認める。
 丸山勇仙が、そこでようやく一種の恐怖に襲われてきました。
 この男は、学問の心得は相当にあるが、剣術は出来ない――これは前にいった通り。そこで最初は仏頂寺の型を、芝居もどきに冷かしてみたが、戯中おのずから真あり、とでもいうのか、ただしは、冗談《じょうだん》が真剣になったのか、仏頂寺の構えたしら[#「しら」に傍点]の切り方の刻々に真に迫り行くのが怖ろしく、それと相対《あいたい》した兵馬の態度が、いよいよ真剣になりそうなのに恐怖を感じだしました。
 よくあることで、酒の上の冗談から、果し合いになったり、申合いの勝負が、遺恨角力《いこんずもう》に変ずることもないではない。そこで、暢気《のんき》な丸山勇仙が、ほんとうに怖れを感じだしてきたのも無理はありません。
「兵馬、これは斬れまい」
 仏頂寺が、またも冷然として言い放つと、
「何を!」
 笠を投げ捨てた兵馬は、勢い込んで刀を抜き合せてしまいました。
 それ見たことか――勝負心の魔力というものは、得てこうなるものだ。
 兵馬は、ついに離れて、仏頂寺の青眼に対する相青眼の形を取って、ジリジリと、その足の裏の大地に食い込むのがわかる。
 それを見た丸山勇仙が堪り兼ねて、
「おい、仏頂寺、止《よ》せよ、冗談は止せよ、第一、この俺が迷惑するではないか、宇津木、君も刀を引いた方がいいぜ」
 最初は囃《はや》したり、けしかけたりしてみた勇仙は、双方の間に立って、途方に暮れながら騒ぎ出しました。
 丸山勇仙が騒ぎ出したのみならず、遥《はる》か離れて休んでいた山の娘たちも、遠くこの光景を見て総立ちになりました。
「おい、仏頂寺、冗談は止せよ、宇津木、刀を引けよ」
 丸山勇仙は、うろうろとして両者の間を飛びまわる。
 しかも、仏頂寺は冷然として動かず、宇津木は全力を尽して向っている。
「止せったら、止し給え、つまらん芝居をするなよ」
 さすがの勇仙が弱りきって、泣かぬばかりに飛び廻っているのを気の毒に思ったか、仏頂寺が、今までつぶっていた両眼を見開いて、
「これなら打ち込めるだろう」
「ちぇッ」
と兵馬は打ち込まないで、刀を引きました。
「おどかすなよ、ほんとうに」
 丸山勇仙は、ホッと安心して胸を撫で下ろす。刀を鞘《さや》に納めた仏頂寺、
「眼のあるのと、無いのとは、これだけ違う」
 同じく刀を納めて、額の汗を拭いて兵馬は、
「その通り……」
と言いました。
 いったん、総立ちになって、遠くこの光景を眺めた山の娘たちも、そこで静まりました。
 やがて三人は、また打連れて歩き出す。これより先、まもないところに、屋根に拳石《けんせき》をのせた一軒茶屋がある。そこへ立寄れば過日の接戦の裏、五条源治の茶屋で知らないところを聞くことができたろう。兵馬もまた有力な手がかりを得たかも知れないが、そこは素通りしてしまって、塩尻峠を下り尽すと、塩尻の阿礼《あれ》の社《やしろ》。
 そこで、宇津木兵馬が聞き合せたところによると、どうも竜之助らしい一行が、これから木曾路へは向わないで、五千石の通りを松本方面へ赴いた形跡だけは確かであることを知りました。
 ともかくも松本平。そこが捜索の一つの根原地とならなければならぬ。
 三人は、いざとばかり、塩尻の茶屋を立って、五千石の通りを松本へ向わんとする。
 この宿《しゅく》の外《はず》れまで来ると、路傍の家の戸板に大きな絵看板が出ている。絵看板ではない、絵の辻ビラでしたけれど、大きなのを、けばけばしく掲げてあったところから、絵看板だとばかり思いました。
「ほほう、松本の町へ、海老蔵《えびぞう》が乗込んで来たぞ」
 丸山勇仙が早くもその大きな辻ビラの前に立ちました。見れば真中に大きく、
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「江戸大歌舞伎 市川|海土蔵《えどぞう》」
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と認《したた》めてある。海土《えど》の土がごまかされているのを知らず、丸山も仏頂寺も、等しく、ああ海老蔵が来たなと思いました。
 宇津木兵馬も無論、土[#「土」に傍点]と老[#「老」に傍点]とを見分けるほどに興味を持ってはおりません。
 海老蔵の名は、市川の家にとっては、団十郎よりも重いはずの名であります。
 仏頂寺と、丸山が、従来全く芝居を見ない人間であるか、或いは最もよく芝居を見る人間であるか、どちらかならばよかったが、両人ともに話の種になる程度で海老蔵を見るには見ている。しかし無論、道庵流に皮肉に見ることなどは知らないし、武芸者の大雑把《おおざっぱ》な頭に、海老蔵の名前だけがしみ込んでいるものですから、その絵ビラを見て、
「松本へ海老蔵が来たな、こいつは一番見ずばなるまい」
という気になりました。
 兵馬の、芝居を知らないことは、これらの人々より一層上で、さりとて、宇治山田の米友ほどに、絶対にそんなものが頭に無いというほどではないが、今は、芝居どころの沙汰《さた》ではない。
 ところが、仏頂寺と、丸山は、松本へ着いたら市中へ宿を取らずに、まず浅間の温泉へ行こうという話をしている。それを聞いていると、どこまでも遊山《ゆさん》気取りです。
 いったい、この連中、亡者みたように道中を上下しながら、こうも暢気《のんき》なことがいっていられるのは不思議だ。いったい、路用の財源はどこから出るのだろうと、兵馬はまじめに人の懐ろまで心配してみました。しかし、まあこのくらいに腕が出来、武芸者として面《かお》が売れていれば、到るところに相当の知己があって、多少の路用には事欠かないのだろう――お銀様と別れた後の自分は淋しい。人の気も知らないで、といったような気分にもなりました。
 そうして松本をめざしてゆくと、松本方面から、飄然《ひょうぜん》と旅をして来た浪士|体《てい》の精悍《せいかん》な男が一人、
「やあ、仏頂寺……」
と、いきなり先方から言葉をかけると、
「おや、川上」
と仏頂寺が合わせました。
「何をうろうろしているのだ」
 先方がいう。
「吾々は亡者だから、気の向いたところを行きつ戻りつしている。君は、そうして、ちょこちょこと、どこから来てどこへ急ぐのだ」
「松代《まつしろ》からやって来たが、これから上方《かみがた》へ上るのだ」
「吾々はまた、この同勢で浅間の温泉へ行こうというのだ、君も附合わないか」
「そうしてはおられぬ」
といって、この男はさっさと行き過ぎてしまいました。
「川上の奴、松代へ何しに行ったのだ」
「態々《わざわざ》行ったのじゃあるまい、江戸からの帰りがけだろう」
 こういって、仏頂寺と、丸山とは話しながら、川上と呼ばれた浪士と袂《たもと》を分ちました。
 兵馬は知らない人だが、その川上と呼ばれた男、見たところ柔和なうちに精悍な面魂《つらだましい》と、油断のない歩きぶりと、殺気を帯びた歯切れのよい挨拶ぶりを聞いて、なんだか一種異様な印象を与えられました。
「あれは肥後の川上|彦斎《げんさい》といって、穏かでない男だ」
と仏頂寺が簡単に説明してくれたので、兵馬が初めてその名を知ることができました。
 仏頂寺の註釈通り、肥後の川上彦斎は甚だ穏かでない男であります。佐久間象山を殺したのも、実はこの男でありました。象山を殺しておいて、なにくわぬ面《かお》で象山の家へ行って、平気で寝泊りをしていたのもこの男であります。剣術はさのみ優れたりとは見えないが、人を斬ることには凄い腕を持った男の一人であります。
 或る時、或る席で数名の者が、ところの代官の悪評をしているところへ、川上が来合わせて、暫くその話に耳を傾けて、やがて外へ出てしまった。多分小便にでも出かけるのだろうと思っていると、やがて、平気な面《かお》をして立戻った川上を見ると、片手に生首《なまくび》を提げていた。それはただいま評判に上った悪代官の首であった――
 当時、人を斬るといえば必ず斬った者が三人はある。武州の近藤勇、薩摩の中村半次郎(桐野利秋)――それと肥後の川上彦斎。

         十二

 根岸の御行《おぎょう》の松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛が、しきりに気障《きざ》な真似《まね》をしています。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]と違って七兵衛は、あんまり気障な真似をしたがらない男でありますが、どうしたものかこのごろは、しきりに気障な真似をしたがる。
 というのは、毎晩、いいかげんの時刻になると、百目蝋燭を二挺までともし連ねて、その下で、これ見よがしに銭勘定を始めることであります。
 金銭や学問は、有っても無いふりをしているところに、幾分おくゆかしいところもあろうというものを、こう洗いざらいブチまけて、これ見よがしの銭勘定を始めたんでは、全くお座が冷《さ》めてしまいます。事実、七兵衛の前に、堆《うずたか》く積み上げられた金銀は、お座の冷めるほど、根太《ねだ》の落ちるほど、大したもので、隣りの千隆寺から持って来たお賽銭《さいせん》を、ひっくり返しただけではこうはゆきますまい。
 近在へ、盗み蓄えて置いたのを、残らずといわないまでも、手に届く限り持ち込んで、ここへこうして積み上げて、銭勘定を始めたものとしか見えません。第一、分量において、お座の冷めるほど、根太の落ちるほど、積み上げられたのみでなく、種類においても、大判小判を初め、鐚銭《びたせん》に至るまで、あらゆる種類が網羅されてあり、それを山に積んで、右から左へ種類分けにして、奉書の紙へ包んでみたり、ほごしてみたり、叺《かます》へ納めてみたり、出してみたりしている。
 それを、また、いい気になってその隣りの一間で、脇息《きょうそく》に肱《ひじ》を置いて、しきりに眺めている人があります。
 これ見よがしに、金銀をブチまけるのも気障だが、人の金銀を涎《よだれ》を垂らして眺めている奴も、いいかげんの物好きでなければならぬ。その物好きは、お絹という女です。
 これは猫に小判ではない、たしかに猫に鰹節ですが、この猫は牙を鳴らして、飛びかかりはしないが、猫撫で声をして、
「七兵衛さん、眩《まぶ》しくってたまらないから、蝋燭《ろうそく》を一挺にしたらどうです」
「へ、へ、へ、いや、これで結構でございますよ」
 見向きもしないで、また新たに小判の包みを一つ、ザクリと切ってブチまけたのは、いよいよ気障《きざ》です。
「小判のようですね」
「へ、へ、小判でございます」
「贋《にせ》じゃあるまいね」
「どう致しまして……小判も、小判、正真正銘の慶長小判でございますよ」
「本当かい」
「論より証拠じゃございませんか、一枚|嘗《な》めてごらんなさいまし」
と言って七兵衛が、その小判のうちの一枚を取って、敷居ごしの隣座敷のお絹の膝元まで、高いところから土器《かわらけ》を投げるような手つきで抛《ほう》ると、それがお絹の脇息《きょうそく》の下へつきました。
「お見せな」
 お絹はその一枚を手に取り上げて、妙な面《かお》をして眺めました。
「色合からして違いましょう」
「そうですね」
「それから品格が違います」
「そうかしら」
「これと比べてごらんあそばせ――こちらのは、常慶院様の時代にお吹替えになりました元禄小判でございますよ」
といって、七兵衛はまた一枚の小判を取って高いところから土器を抛《ほう》るような手つきで、お絹の脇息の下まで送りました。
「お見せな」
 それを、また拾い上げたお絹は、花札をめくるような手つきで、以前のと扇子開《せんすびら》きに持ち添えて眺め入ると、
「色合から品格――第一、厚味が違いましょう」
「なるほど」
「時代がさがると、金銀の質《たち》までさがります」
 七兵衛は抜からぬ面で、
「御通用の金銀を見ますと、その時代の御政治向きと、人気が、手に取るようにわかるから不思議じゃございませんか」
と、「三貨図彙《さんかずい》」の著者でもいいそうなことをいう。
「まあ、篤《とく》とごらん下さい。この慶長小判の品格といい、光沢といい、細工の落着いた工合といい、見るからに威光が備わっていて、なんとなしに有難味に打たれるじゃございませんか」
 自分も慶長小判の一枚を取り上げて、さも有難そうに見入ります。
「そういわれれば、そうです」
とお絹も感心したように、慶長小判の色合にみとれている。
「この小判一枚を見ても、権現様《ごんげんさま》の威勢と、その御政治向きのたのもしさがわかるじゃございませんか」
「なるほどね」
「天下をお取りになるには、智仁勇ばかりではいけませんよ、やっぱりお金が無けりゃあね。またよくしたもので、天下をお取りになるような方には自然、お金の運も向いて来るものですからね。権現様はお金持でした……その権現様をお金持にして上げたのは、甲州武田のお能役者で大蔵《おおくら》というのが、これが目ききで、伊豆の北山や、佐渡の金山を開いて上げたのも、あの大蔵というお能役者の働きでございましたよ。この慶長小判の質《たち》のいいのも、つまりその時の手柄で、権現様の御治世には、諸国に金銀の山がたくさんに出来、牛車や馬につけ並べた金銀の御運上がひっきりなしにつづいたそうで、昔の人の話では、佐渡ヶ島は金銀で築立《つきた》てた山で、この金銀を一箱に十二貫目ずつ詰めて、百箱を五十駄積みの船に積み載せ、毎年五艘十艘ずつ、風のいい日和《ひより》を見計らって、佐渡ヶ島から越後の港へ積みよせ、それから江戸へ持ち運ぶ御威勢は大したものだっていいました」
「わたしは、そんな山は、いらないから、お金の実《な》る木がただ一本だけ欲しい」
「へ、へ、一本とは、あんまりお慾が小さ過ぎます、せめて十本も植木屋にいいつけて、おとりよせになってはいかがです……冗談はさて措《お》きまして、こういう質《たち》のいい金銀を、平常遣《ふだんづか》いに、惜気もなく使い捨てたその時代の人は豪勢なものでしたが……この通り、元禄の吹替えになりますていと」
 七兵衛は慶長小判を、そっとかたわらへ置いて、改めて元禄小判といった一枚を手にしましたから、お絹もそれを上置きに直して比べて見ている。七兵衛は得意らしく、
「元禄になって、これをお吹替えになったのは、つまり、お上がお金の質《たち》を悪くして、そのかすり[#「かすり」に傍点]をお取りになろうという腹でした仕事なんですから、ごらんなさい……見たところでもわかりますが、品格がグッと落ち、光沢が落ち、この通り裂け目が出来ています。通用の途中で裂けたり、折れたり……慶長小判には摺《す》りきれてなくなるまで、そういうことはございません。ところで、悪くなりだすと際限がないもので、この元禄小判より、もう少し下等なのが出来てしまいました。ごらんなさい、これですよ。これを乾字金《けんじきん》といいましてね、金の量を思いきり少なくして、銀と銅とをしこたま[#「しこたま」に傍点]ブチ込んだものですから、見てさえこの通り、情けない小判が出来上っちまいました」
といって七兵衛は、また別の一枚の小判を取って、前と同じように、高いところから土器《かわらけ》を投げるような手つきで、お絹の脇息の下まで送りますと、それを拾い上げて、やはり花札を持つように、三枚持ち並べたお絹。
「だんだん札が落ちてくるのね」
「お金というやつは、悪いやつが出て来ると、いいのが追ッ払われてしまうんですから、無理が通らば道理引っ込むといったようなわけです、時代が悪くなると、いい人間と、いい金銀が隠れて、碌《ろく》でもなしが蔓《はびこ》ります」
 七兵衛は得意になって、正徳《しょうとく》、享保《きょうほ》の改鋳金《かいちゅうきん》を初め、豆板、南鐐《なんりょう》、一分、二朱、判金《はんきん》等のあらゆる種類を取並べた上に、それぞれ偽金《にせきん》までも取揃えて、お絹を煙に巻いた上に、
「なんと、お絹様――金というものは腐るほどあっても、使わなけりゃなんにもなりません」
「それはそうですとも」
「そこでひとつお絹様、あなたのために、家を建てて差上げようと思います」
「結構ですね」
「家を建てるには、まず地所から求めてかからなければなりません。いかがです、恰好《かっこう》なところがありますか。ありませんければ、さし当りこの隣りの地面を買い潰《つぶ》すことに致しまして、左様、ともかく、六百坪、二反歩はなければ、庭も相当には取れません。それを一坪一両ならしと見て六百両……」
 七兵衛は、百両包と覚《おぼ》しいのを六つ、お絹の方へ向けて形よく並べました。
「そこで普請《ふしん》にかかりますが……それが坪三十両に見積って、建坪三十坪、まあザッと千両ですか」
 七兵衛は、また百両包と覚しいのを、前に並べた六百両の上に積み上げました。
「それから庭……これはさしあたって、三百両もかけておいて……」
 女も少なくとも二人は置かなければならない。それから男の雇人と、庭師といったようなもの、それに準じての家財雑具――それをいいかげんに七兵衛が胸算用《むなざんよう》をしては、次から次へと並べてみると、都合三千両ほどになりました。
「いかがです、この辺のところでお気には召しませんか――何しろ、大名や分限《ぶげん》の仕事と違いまして、わたしどものやることですから、この辺がまあ精一杯ですね」
「その辺で結構ですよ、どうも御親切に済みません。御親切ついでにどうでしょう、そのお金をそっくり、わたしに貸して下さるわけにはゆきますまいか」
「お貸し申すつもりで出したお金ではございません、家を建てて、あなた様を住まわせてお上げ申したいためのお金でございます」
「同じことじゃありませんか、どのみち、わたしのために都合して下さる御親切なお金なら、そっくり貸して下すっても同じことでしょう」
「なるほど、御融通する以上は同じようなものですけれど、家屋敷としてお貸し申せば目に見えますけれど、ただお貸し申したんでは目に見えませんからな、そこにはそれ、抵当というものがありませんと」
「野暮《やぼ》なことをいうじゃありませんか、抵当を上げて順当に借りる位なら、何もお前から借りようとはしませんよ」
「これは恐れ入りましたね、わっしどものお金に限って抵当はいらない、ただ貸せとこうおっしゃるんでございますか」
「お気の毒さま、今の身分では、逆さ[#「逆さ」に傍点]に振っても抵当の品なんぞはありませんからね」
「無いとおっしゃるのは嘘です、嘘でなければお気がつかれないのです。お絹様、あなたは、ちゃんと、その抵当を持っておいでになりますよ」
「え……わたしの今の身で、大金を借り出す抵当がどこにあると思うの」
「ありますともさ、つまり、あなた様の身体《からだ》一つが、立派な抵当になるじゃございませんかね」
「おや、お前は変なことをお言いだね」
「ずいぶん、世間にないことじゃなかろうと心得ます」
「ばかにおしでない、身体を抵当にお金を借りるのは、世間でいう身売りの沙汰《さた》じゃないか、痩《や》せても、枯れても、まだ勤め奉公をするまでには落ちないよ」
「そう悪く取ってしまっちゃ困るじゃありませんか、いつお前様に身売りをお薦《すす》めした者があります、よしんば身売りをお薦め申したところで、失礼ながら、御容貌《ごきりょう》は別として、あなたのお歳では、判人《はんにん》が承知を致しますまい」
 お絹は怫然《むっ》として、
「冗談も休み休み言わないと、罰《ばち》が当りますよ」
「どうも相済みません」
「お前たち、百姓の分際で……」
「まことに相済みません、あなた様は御先代の神尾主膳様|御寵愛《ごちょうあい》のお部屋様、とはいえ、金銭は別物でございますから、たとえ、どなた様に致せ、抵当が無くて、金銭を御用立て申すというわけには参りません、お気に障《さわ》ったら御免下さいまし」
 七兵衛はそういいながら、後ろの壁に押付けてあった鎧櫃《よろいびつ》を引き出して来ました。いつの間にか、お賽銭箱《さいせんばこ》が鎧櫃にかわっている。それを引き出して来た七兵衛は、並べた金銀の包みを、次から次へとこの鎧櫃の中へ蔵《しま》いはじめました。
 お絹は、その手つきを冷笑気分で見ていましたが、そう思って見るせいか、七兵衛の金を蔵う手つきまでが堪らなく気障《きざ》です。
「恐れ入りますが、そいつをひとつ……その見本をこっちへお返しなすっていただきましょう」
 ふいと気がついたように七兵衛は、お絹に向って最初に提示した慶長小判をはじめ、見本の金銀を、お絹の手元まで受取りに出ました。
「持っておいで」
 お絹は脇息《きょうそく》の上から、ザラリと金銀の見本を投げ出しました。
 それをいちいち御丁寧に拾い上げた七兵衛、
「あああ、私という人間が、こんなに金を蓄えて何にするつもりなんでしょう、気の知れない話さ、女房子供があるわけじゃなし、妾《めかけ》、てかけを置いて栄耀《えいよう》しようというわけじゃなし、これがまあ本当に宝の持腐れというやつかも知れませんが、金というやつは皮肉なやつで、欲しくないところへは無暗に廻って来るし、欲しいと思うところへは見向きもしない……」
「知らないよ」
 お絹が横を向きました。
「だが、金というやつは、有って邪魔になる奴じゃなし、そばへ置いとくと、いよいよ可愛くなる奴だが、足が早いんで困ります、金銭のことをお足とは、よくいったものさ、捉まえたと思うと、逃げ出したがる奴で、よく世間で、可愛いい子には旅をさせろというが、この息子ばかりは、野放しにしておいた日には締りがつかねえ」
といいながら、七兵衛は、一つ一つ金包を鎧櫃《よろいびつ》の中へ納めます。
「文句をいわないで蔵ったらいいでしょう」
「はいはい」
「どんなに困ったって、わたしは自分の身体《からだ》を抵当にして、お金を貸せなんて決していわないから」
「左様でございましょうとも」
「けがらわしい、早くお蔵いよ」
「これだけの数でございますから、そうは手ッ取り早くは参りません、小さくとも六百坪の地面に、三十坪の一戸だて、火事で焼いたって一晩はかかりますよ」
「いやになっちまうね」
 お絹はじれ出しました。それほどいやならば、この場を立って奥へでも行ってしまえばよいのに、いやになりながら、流し目で、七兵衛の運ぶ金包を眺めている。七兵衛はすました面《かお》で、気障《きざ》な手つきで、相変らず、ゆっくりゆっくりと金包を鎧櫃に蔵い込んでいる。なるほど、この手つきで、まだうずたかい金を蔵い込むには、夜明けまでかかるかも知れない。
 七兵衛も気が知れない男だが、口では早く蔵えの、いやになるのといいながら、それを横目で見て見ない態度《ふり》をしながら、いつまでも坐っているお絹の気も知れない。
「七兵衛さん」
「え」
「覚えておいで」
と言って、不意にお絹が立ち上って奥の方へ行ってしまいますと、そのあとで七兵衛は、鎧櫃のそばへゴロリと横になりました。

         十三

 神尾主膳はこのごろ「書」を稽古しています。これ閑居して善をなすの一つ。
 そこへお絹がやって来て、
「ねえ、あなた」
 殿様とも、若様ともいわず、あなたといって甘ったるい口。
「何だ」
 主膳は法帖とお絹の面《かお》を等分に見る。
「七兵衛のやつ、いやな奴じゃありませんか」
「ふーむ」
 主膳は、サラサラと文字を書きながら聞き流している。
「もう今日で七日というもの、ああやって頑張《がんば》って、動こうともしないで、見せつけがましい金番をしているのは、なんて図々しい奴でしょう」
「ふーむ」
 主膳は同じく聞き流して、サラサラと入木道《にゅうぼくどう》を試みる。
「それで、夜になると、何ともいえないいやな手つきをして銭勘定を始めるのです、昨晩なんぞはごらんなさい……」
 お絹が躍起になる。主膳は入木道の筆を休めて面を上げると、朝日が障子に墨絵の竹を写している。
「他ノ珍宝ヲ数エテ何ノ益カアルト、従来ソウトウトシテ、ミダリニ行《ぎょう》ズルヲ覚ウ……」
と神尾主膳が柄《がら》にもないことを呟きました。けれどもお絹の頭には何の効目《ききめ》もなく、
「昨晩あたりの気障さ加減といったら、お話になったものじゃありません、慶長小判から今時《いまどき》の贋金《にせがね》まで、両がえ屋の見本よろしくズラリと並べた上、この近所の地面を買いつぶして、坪一両あてにして何百両、それに建前や庭の普請を見つもってこれこれ、ざっと三千両ばかりの正金を眼の前に積んで、この辺でお気に召しませんか、お気に召さなければそれまでといいながら、またそのお金を、何ともいえないいやな手つきで蔵《しま》いにかかるところなんぞは、男ならハリ倒してやりたいくらいなものでした」
「ふふん」
と神尾主膳が嘲笑《あざわら》い、
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、箪笥《たんす》はもう空《から》っぽよ」
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を啣《くわ》えて見ているなんてあんまりな……」
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を据《す》えてかかっている仕事には、武田信玄でも手が出せない」
「ホントに焦《じれ》ったい」
 酔わない時は、神尾にもどこか鷹揚《おうよう》なところがある。お絹はそれを焦ったがっている。
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に鎧櫃《よろいびつ》が置きっ放しにしてありますから、見るだけでも見て下さい」
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕方がない」
「あれだ、あれだから、お殿様は仕方がない――」
とお絹は神尾主膳の膝をつっつきました。酒乱の兆《きざ》さない時の神尾主膳は、つっつきたくなるほどに気のよく見えることもある。
「仕方がないったって仕方がない――無い袖は振れないから」
「有り過ぎるのです、鎧櫃の中には、金銀のお銭《あし》が有り過ぎて唸《うな》っているじゃありませんか。天の与うるものを取らざれば、禍《わざわい》その身に及ぶということを御存じはありませんか」
「ははあ、天の与うるもの……」
 主膳は、うんざりして、もう入木道をサラサラとやる元気もないらしい。
「つまり、わたしたちに使わせたいと思って、七兵衛の奴が、ああしてもち運んで来たものでしょう、それを使ってやらなければ、あなた、冥利《みょうり》に尽きるじゃありませんか」
「だから、お前の知恵で、いくらでも引出して、お使いなさい」
「けれども、相手が悪いから、わたしの知恵ばかりでは、どうにもなりません」
「お前の知恵でやれないことは、拙者にもやれようはずがない」
「三人寄れば文殊《もんじゅ》の知恵とありますから、何とか知恵をお貸し下さいまし、ほんとにひとごとではありますまい」
「いけない、隠すやつなら何とか方法もあろうが、持ち出して見せるやつが取れるものか」
「いいえ、取れます、その道を以てすれば……」
「その道とは?」
「その道が御相談じゃありませんか。まあ、ともかくも、見るだけごらん下さいまし、現在、眼の前にある宝の山をごらんになれば、また別な知恵が出ない限りもありますまい」
「では、まあ、ともかく見に行こう」
 神尾主膳は、とうとうお絹に引きたてられて、七兵衛の籠《こも》っていた座敷へ、廊下伝いに出て行きました。
 それは申すまでもなく、昨晩、百目蝋燭を二つまでともして、七兵衛が金銀の山を築いていた座敷。日中になると、かえって暗澹《あんたん》として、物凄《ものすご》いような座敷。
 この七日間というもの、仕出し弁当を取って頑張っていた七兵衛が、どうしたものか今日は朝から不在。
 この座敷の当座の主人が不在にかかわらず、鎧櫃だけは八畳敷の真中に、端然として置き据えられてある。
 主膳はズッとこの座敷の中へ入り込んで、鎧櫃の傍へ近寄りましたが、お絹はわざと座敷へは入らず、廊下の外に立って、少々気を配っているのは、もしや七兵衛が帰って来たら、と見張りの体《てい》に見えます。
 鎧櫃の上に手をかけてみた神尾主膳。あの百姓め、どこからこんな洒落《しゃれ》た具足櫃を持って来たという見得《みえ》で、塗りと、前後ろと、金具をちょっと吟味した上で、念のために蓋《ふた》へ力を入れてみたが、錠が堅く下りている。ちょっと押してみると手応えが重い。
 果して、お絹のいう通り、これへいっぱいの金銀が詰めてあるとすれば、その量は莫大なものといわなければならぬ。
 女の眼には、無垢《むく》も、鍍金《めっき》もわかりはしない。ただ黄金の光さえしていれば、容易《たやす》く眩惑されてしまうのだ――と主膳は冷笑気分になりました。
 やがて張番していたお絹もやって来て、言い合わしたように、二人が鎧櫃の前後に手をかけて動かしてみたけれど、ビクとも応えません。
 事実、この中へ、いっぱいの金銀が入っているなら――金銀でなく、贋金《にせがね》であっても、これへいっぱい詰められていた日には、一人や二人の手では、ちょっと始末にゆかない。
 この暗澹たる座敷の中で、鎧櫃を前に、二人は顔見合わせて笑いました。
 笑ったのがきっかけで、主膳は手持無沙汰の態《てい》でこの座敷を出かけると、お絹もついて座敷を出る。神尾は以前の居間へ戻ったが、もう法帖どころではない。
 お絹も、そわそわとして落着かない。
 気の知れないのは七兵衛で、この七日の間、夜も、昼も、仕出し弁当で鎧櫃《よろいびつ》の傍に頑張っていながら、今日という日になると、朝から出かけて、正午《ひる》時分になっても、夕方になっても、とうとう夜になっても帰って来ない。
 それを気にしているのは、むしろ神尾主膳とお絹とで、お絹の如きは幾度、その廊下を行きつ、戻りつして、この座敷を覗《のぞ》いて見るたびに、昼なお暗い室内に人の気配はなく、鎧櫃のみがビクとも動かずに控えている。
 それを見るとホッと息をつきながら、また新たに心配のようなものが加わる。
 ついにその夜が明けるまで、七兵衛は帰って来ませんでした。七兵衛が帰って来ないでも、鎧櫃の厳然たる形は少しも崩れてはいない。こうなると厳然たる鎧櫃そのものが判じ物のようになって、財宝を残して行った当人よりも、残されて行った他人の方が、心配の負担を背負わされる。
 知らず識らず、神尾と、お絹とは、この鎧櫃の番人にされてしまいました。代る代る二人が見廻りに来る。来ない時は、二人の心が鎧櫃をグルグル廻っている。
 どこへ行ったろう――その翌日も、とうとう七兵衛は帰って来ない。夕方も、夜も。
 主膳とお絹は、またもいい合わしたように、二人が前後から鎧櫃を囲んで、ついにその錠前へ手をかけてみました。手をかけてみたところで、それを壊そうとか、こじようとかするほどの決心ではなく、ただ錠前の締り工合をちょっと触ってみたくらいのところでありますが、その締り工合はまた厳として、許さぬ関《せき》の権威を守っているから、それ以上は手を引くよりほかはない。
 ばかにしている――三日目の夕方まで七兵衛が帰らないので、神尾の堪忍袋《かんにんぶくろ》が綻《ほころ》びかけました。
 この堪忍袋。誰も堪忍袋を要求した者はないはずだが、それでも神尾自身になってみると、相当に気をつかっていたらしい。三日まで七兵衛の音も沙汰もなかったその夕べ、神尾がいらいらしているところへ、お絹が酒を薦《すす》めました。
 酒を薦めて悪いことは知って知り抜いて、それを取り上げているお絹が、たまには、といって一杯の酒を薦めたのが、神尾のこの鬱陶《うっとう》しい気分を猛烈にする。
 一杯――二杯。
 そこでお絹が、七兵衛の奴の、気障《きざ》で、皮肉で、憎いことを説き立てる。つまりああして大金を放り出して、乾ききっている吾々の前へ出しておくのは、吾々のよわみを知って、とても手出しができまいとたかを括《くく》っての仕事だ、金銭は欲しいとはいわないが、その仕向け方が癪《しゃく》じゃありませんか……というようなことを煽《あお》り立てる。
 久しぶりの酒が利《き》いて――無論、まだ酒乱の兆《きざ》す程度には至らないし、またそこまで至らしめないように、そばで加減はしているが、神尾主膳が早くも別人の趣をなして不意に立ち上り、
「よし、目に物を見せてくれる」
 長押《なげし》にあった九尺柄の槍を取って、無二無三に、かの暗澹《あんたん》たる鎧櫃の座敷へ侵入しました。
 主膳が九尺柄の槍を取って、かの暗澹たる鎧櫃の間へ走り込んだのを、お絹は引留めようともせずに、手早く手燭《てしょく》を点《とも》して、その跡を追いかけました。
 槍を取って、件《くだん》の鎧櫃を暫く見詰めていた神尾主膳。
 お絹が差出した手燭の光が、神尾の心を野性的に勢いづけたようです。
「憎い奴、目に物見せてくれる」
 この見せつけがましい鎧櫃一個がこの際、骨を劈《つんざ》いてやりたいほどに憎らしくなる。
「エイ!」
といって、鎧櫃の前の塗板の柔らかそうなところへ勢い込んで槍を立てると、難なくブツリと入りました。
 それを引抜いて、また一槍、また一槍。ブツリブツリと槍を突き込み、突き滑らして後、神尾はホッと息をついて、槍の石突を取り直して、その穴をあけたところをコジて、次に、手をもってメリメリと引裂くと、穴は忽《たちま》ちに拡大する。そこへ突きつけたお絹の手燭の光に、燦爛《さんらん》として目を眩《くら》ますばかりなる金銀の光。
 神尾は槍を投げ捨てて、バラリバラリとその金銀を引出してはバラ撒《ま》き、掴《つか》み出しては投げ散らすものですから、暗澹たる座敷の中が、黄金白銀《こがねしろがね》の花。
 神尾は、燃え立つような眼付をして、手に任せては、金銀を掴み出して、四辺《あたり》一面にバラ撒く。
 一時《いっとき》、その光にクラクラと眩惑したお絹は、ついにその手燭を畳の上へさしおいて、両の手を以て、木の葉の舞う如く散乱する金銀を掻集《かきあつ》めにかかります。
 こうなると神尾主膳の野性が、酒ならぬものの勢いに煽《あお》られて、さながら、酒に魅せられた酒乱の時の本能が露出し、手に当る金銀のほか、包みのままで引出した封金をも、わざと荒らかに封を切って投げ出したものですから、その、燦爛たる光景はまた見物です――大にしては紀文なるものが、芳原《よしわら》で黄金の節分をやった時のように。小にしては梅忠なるものが、依託金の包みを切って阿波の大尽なるものを驚かした時のように――放蕩児《ほうとうじ》にとっては、人の珍重がるものを粗末に扱うことに、相当の興味を覚えるものらしい。神尾主膳も取っては撒き、取っては散らしているうちに、ついに撒き散らし、投げ散らすことに興味が加速度を加えたらしく、狂暴の程度で働き出している。
 お絹もまた、拾えば拾うほどに、集めれば集めるほどに、そのこと自身に興味を煽られてしまっている。ここには、紀文の時のように、吾勝ちに争う幇間《たいこ》末社《まっしゃ》の類《たぐい》もなし、梅忠の時のように、先以《まずもっ》て後日の祟《たた》りというものもないらしい。あったところでそれは相手が違うし、第一、自分が直接の責任者ではなく、いわば神尾を煽《おだて》て骨を折らせ、自分は濡手で掴み取りをしているだけの立場なのだから、お絹としては大放心で、吾を忘れるのも無理があるまい。
 もうこれ以上は――神尾も手が届かなくなった。鎧櫃の底はまだ深い。向うも遠いけれども、コジあけた穴の大きさに限りがあるものだから、そこで手の届く限りは掴み出してしまって、再び穴をくりひろげるか、そうでなければ、櫃を打壊すか、ひっくり返すかしないことには、取り出せなくなったので、神尾が手を休めて見返ると、お絹が拾い集めてはいるが、お絹一人の手では間に合い兼ねて、四辺《あたり》は燦爛《さんらん》たる黄金白銀《こがねしろがね》の落葉の秋の景色でしたから、この目覚しさに、自分のしたことながら、自分のしたことに目を覚して、その夥《おびただ》しい金銀の落葉に眩惑し、現心《うつつごころ》で、その中の一枚を拾い取って見ると、疑う方なき正徳判の真物《ほんもの》……
 その時に廊下で、咳払《せきばら》いがして、人の足音が聞え出す。七兵衛が帰って来たのです。
 その咳払いと、足の音を聞くと、吾を忘れていたお絹が、はっと胆を冷しました。
「あ」
 一方を見返ると、自分たちが開け放しておいたところに、七兵衛がヌッと立ってこっちの狼藉《ろうぜき》を見ながら、ニヤリニヤリと笑っています。
「七兵衛か」
と神尾主膳も槍を手にして、帰って来た七兵衛を見返りながら、てれ[#「てれ」に傍点]隠しの苦笑いです。ただ隠しきれないのは、室内に燦爛たる黄金白銀の落葉の光。
「殿様、ごじょうだんをあそばしちゃいけません、御入用ならば、そのままそっくりお持ち下さればいいに……」
 七兵衛は、いつまでも障子の外から、こっちを覗《のぞ》いてニタリニタリと笑っているばかり。
「七兵衛、天下の財宝を粗末にするな」
と主膳がいう。
 主膳も、多少の酒と、黄金の光に、一時《いっとき》眩惑されて兇暴性を発揮してみたけれど、今宵の酒量は乱に至るほど進んではいず、黄金性の魅惑は、かりにも所有主と名のつく者が来てみれば、幻滅を感じないということもなく、こうなってみると、手にさげている槍までが手持無沙汰で、引込みのつかない形です。
 お絹もまた、室内に燦爛たる黄金の光をいまさら、袖で隠すわけにもゆかず、拾い集めて当人に還付するのも変なもの、ほとんど立場を失った形で、てれきっている。
 第一、所有主そのものが、怒りもしなければ、怒鳴りもせず、外でニタニタ笑っているばかりですから、空気の緊張を欠くこと夥しい。妙な三悚《さんすく》みが出来上って、この室内のてれ[#「てれ」に傍点]加減がどこで落着くか際限なく見えた時、気を利《き》かしたつもりか、お絹の持って来て畳の上へ置いた手燭の蝋燭《ろうそく》がフッと消えました。これは蝋燭が特に気を利かして、この場のてれ[#「てれ」に傍点]加減を救ったというわけでもなく、風が吹き込んで吹き消したのでもなく、慾に目の眩《くら》んだ人間のために顧みられなかったものだから、以前は、相当に寿命のあった蝋燭《ろうそく》も、この際あえなき最期《さいご》を遂げたのであります。
「七兵衛さん、悪い気でしたのじゃないから堪忍しておくれ、殿様の御気性で、ホンの一時の座興なんだから。元はといえば、お前があんまり、ひけら[#「ひけら」に傍点]かすから悪いのさ」
 暗くなって、初めてお絹が白々しい申しわけをする。
「なあにようござんすとも、こうしてお世話になっている以上は、何事も共有といったようなものでござんすからね、御入用だけお使い下さいまし、御自由に」
 先夜とは打って変った白々しい気前ぶりを見せた言い方。
 暗い間のバツを利用して、お絹は神尾主膳の手を取って、この座敷を連れ出してしまいました。あとに残された七兵衛、ドッカと胡坐《あぐら》をかいて、ニタニタ笑いがやまない。
 先方は見えないつもり、こちらは暗いところでよく物が見える。神尾の手を引いて、ソッと抜け出したお絹という女の物ごし、散乱した金銀に心を残して出て行く足どり――あの足どりでは、足の裏へ小判の二三枚はくっつけて出たかも知れない。悪い時に帰ったものだ。

 しかし、これが縁になって、その翌日、七兵衛は表向いて神尾主膳に紹介されました。
 うちあけた話になってみると、おたがいに、相当に頼母《たのも》しいところがある。頼母しいところというのは、世間並みにいえば、あんまり頼母しくないところだが、七兵衛は神尾の急を救うために、無条件で鎧櫃の中を融通する約束。今は、先夜お絹にしたような見せつけぶりでもなく、勿体《もったい》もつけず、サラリと投げ出したのは、神尾にとっても、お絹にとっても、頼母しいことこの上なし。
 ところで一つ、七兵衛の方からも、交換条件が神尾に向って提出される。これはお絹の身体を抵当に、なんぞという嫌味なものではなく、七兵衛は七兵衛としての一つの大望《たいもう》がありました。
 その翌日、七兵衛は神尾主膳に向って、自分は盗人《ぬすっと》だということを、大胆に打明けてしまいました。
 主膳も、それを聞いて存外驚かず、大方そんなことだろうという面付《かおつき》。
 盗人ではあるが、自分は質《たち》の悪い盗人ではないと言いだすと、主膳が、世間に質の良い盗人というものがあるのか、と変な面をしました。
 ありますとも……盗人の社会へ入って見れば、質《たち》のいいのも悪いのも、気取ったのも気取らないのも、渋味《じみ》なのも華美《はで》なのも、大きいのも小さいのも、千差万別の種類があるうち、自分は質の良い方の盗人だというと、神尾が笑って、自分で質が良いというのだから、間違いはなかろうと冷かす。
 そこで、七兵衛がいうには、自分の盗人ぶりの質《たち》の良いというのは、盗んで人を泣かすような金は盗まず、盗んだ金を自分の道楽三昧《どうらくざんまい》には使わず……ことに自分は盗みをするそのことに趣味を感じているのだから、盗んだあとの金銀財宝そのものには、あまり執着を感じていない。
 たとえば、ここにこうして古金銀から、今時の贋金《にせがね》まで一通り盗み並べてみたが、これもホンの見本調べをやってみただけのもので、もうそれだけの知識を備えたから、綺麗《きれい》さっぱりとあなたに差上げてしまっても惜しいとは思わない――つまり、盗むことの興味が自分の生命で、盗み出した財物は、楽しみをした滓《かす》だから何の惜気もない――といって神尾主膳を煙《けむ》に捲きました。
 しかし、また七兵衛は真顔になって、自分とても、ほかに何か相当の天分と、仕事をもって生れて来たのだろう、幼少の教育がよくて、己《おの》れの天分を順当に発達さえさせてくれたら、あながち盗人《ぬすっと》にならずとも、他に出世の道があったに相違ないという述懐を漏らします。
「そりゃそうだ、盗人をするだけの才能と、苦心を、他に利用すれば立派なものになる」
と神尾もまじめに同情しました。
 しかし、今となっては仕方がない。自分はこうして盗むことに唯一の趣味を感じていると、盗み難いものほど、盗んでみたいという気になる。
 そこで、一つの大望がある。なんとこの大望を聞いては下さるまいか。
 何だい、その大望というのは。石川五右衛門がしたように、太閤の寝首でもかこうというのかい。
 いいえ、そういうわけではございません、実は――
 七兵衛の大望というのはこうです。
 徳川初期の歴史を知っているものは、家康が金銀に豊富であったことと、その金銀を掘り出すのに苦心したことを知っている。
 そのうち、豊臣家から分捕った「竹流し分銅《ふんどう》」という黄金がある。
 この「竹流し分銅」は一枚の長さ一尺一寸、幅九寸八分、目方四十一貫、その価、昔の小判にして一万五千両に当るということを聞いている。それを徳川が、豊臣から分捕った時には、たしか五十八枚。大坂の乱後、家康が、井伊|直孝《なおたか》と藤堂高虎の功を賞して手ずからその一枚ずつを与えたほかには、「行軍守城用、莫作《なすなかれ》尋常費」の銘を打たせて大坂城内へ秘蔵して置いた。
 その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手をつけ出し、今は残り少なになってはいるが、まだ有るには有ると聞いている。それはどこにあるのか、やはり四代以前の時のように大坂城内に秘蔵されているのか、或いは江戸城の内にもちこされて来ているのか――盗人冥利《ぬすっとみょうり》には、その分銅を手に取って、一目拝むだけ拝んでおきたいものだが、自分にはその所在の当てがつかない――なんと神尾の殿様、誓って、あなたに御迷惑はかけませんが、あなたのお手で、その黄金の所在の点だけがおわかりになりますまいか――それがわかりさえ致せば、自分が一人で行って拝見をして参ります、と七兵衛がいう。

         十四

 その日の夕方、七兵衛の姿は、芝の三田四国町の薩摩屋敷の附近に現われました。
 薩摩屋敷の中では、一群の豪傑連が、その時分、額《ひたい》を鳩《あつ》めて、江戸城へ火をつけることの相談です。江戸城の西丸のどこへ、どういう手段で火をつけるかということ。その先決問題は、どうしたらいちばん有効に江戸城へ忍び込むことができるか。
 かほどの問題も、ここでは声をひそめて語るの必要がなく、子供が野火をつけに行くほどの、いたずら[#「いたずら」に傍点]心で取扱われる。
 彼等は関八州を蜂の巣のようにつき乱すと共に、江戸城の西丸へ火の手を上げる、これが天下をひっくり返す口火だと考えているものが多い。
 それに比ぶれば、七兵衛の野心などは罪のないもので、「行軍守城用、莫作尋常費」とある黄金の分銅一枚を見さえすれば満足するのですが、しかし、その苦心の程度に至っては、これらの豪傑に譲らないのみならず、それよりも一層むずかしい仕事になるのは、彼等のは、火をつけて騒がせさえすればよいのだが、七兵衛のは、手に入れて拝まなければならない。
 さて、こうして七兵衛が、三田の四国町の薩摩屋敷の、芝浜へ向いた方の通用門の附近を通りかかった時分、中ではこんな評定《ひょうじょう》をしていたが、塀外《へいそと》の道の両側には夥《おびただ》しい人出。
 今しも、通用門から異種異形《いしゅいぎょう》の一大行列が繰出されて来るのを、黒山のような両側の人だかりが見物している。
 よって七兵衛も、その中に立って、これを眺める。
 何のために、誰がしたいたずら[#「いたずら」に傍点]か、今しも薩摩屋敷の中から繰出して来る一大行列は、乞食《こじき》の行列であります。ありとあらゆる種類の乞食が、無数に列を成して通用門から外へとハミ出して来る。その事の体《てい》を見てあれば、不具者《かたわもの》も、五体満足なのも取交ぜて、老若男女の乞食という乞食が、おのおのその盛装を凝らし、菰《こも》を着るべきものは別仕立のきたないのを着、襤褸《つづれ》の満艦飾を施し、今日を限りの哀れっぽい声を振りしぼって、
「右や左のお旦那様……たよりない、哀れな者をお恵み下さいまし」
 門内から吐き出されるこの乞食の行列は、いつまで経っても、尽くるということを知らないらしい。或いは、いったん外へ出て、また一方の門から繰込んでは出直すのかとさえ疑われるが、事実は、やはり出るだけの正味が、門内に貯えられてあることに相違なく、人をして、よくまあ江戸中にこれだけの乞食があるものだと思わせました。
 なお且つ、これら、多数の乞食連のうちには、単に盛装を凝らして、商売ものの哀れっぽい声で、「右や左のお旦那様……たよりない者をお助け下さいまし」を繰返すだけの無芸大食ばかりではなく、なかには凝った意匠で、破《や》れ三味線をペコペコやりながら、
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雨の夜に、日本近く、とぼけて流れ込む浦川へ、黒船に、乗りこむ八百人、大づつ小づつをうちならべ、羅紗《らしゃ》しょうじょう緋《ひ》のつっぽ襦袢《じゅばん》……
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 大津絵もどきを唸《うな》るのがあるかと思えば、木魚をポクポクやり出して、
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そもそもこの度《たび》、京都の騒動、聞いてもくんねえ、長州事件の咽喉元《のどもと》過ぐれば、熱さを忘れる譬《たと》えに違《たが》わぬ、天下の旗本、今の時節を何と思うぞ、一同こぞって愁訴《しゅうそ》をやらかせ、二百年来寝ながら食ったる御恩を報ずる時節はここだぞ、万石以上の四十八|館《たて》、槍先揃えて中国征伐一手に引受け、奮発しなさい、チャカポコ、チャカポコ
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 それに負けず、一方にはまた、
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菊は咲く咲く、葵《あおい》は枯れる
西じゃ轡《くつわ》の音がする
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と唄い、囃《はや》し、おどり狂っているものもある。その千態万状、たしかに珍しい見物《みもの》ではある。七兵衛も呆《あき》れながら飽かず眺めておりました。

         十五

「弁信さん――」
 信州白骨の温泉で、お雪は机に向って、弁信へ宛てての手紙を書いている。
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「弁信さん――
お変りはありませんか。わたし、このごろ絶えずあなたのことを思い出していますのよ。誰よりも、あなたのことを。
どうかすると、不意に、枕元で、あなたの声がするものですから、眼を醒《さ》まして見ますと、それは、わたしの空耳《そらみみ》でした。
どうして、わたし、こんなに、あなたのことばかり気になるのかわかりませんわ。
ほかに思い出さねばならぬ人もたくさんありましょうに、弁信さんの面影《おもかげ》ばかりがわたしの眼の前にちらついて、弁信さんの声ばかりが、わたしの耳に残っているのは、不思議に思われてなりません。
それはね、わたしこう思いますのよ、弁信さんはほんとうに、わたしのことを思っていて下さる、その真心《まごころ》が深く、わたしの心に通じているから、それで、わたしが弁信さんを忘れられないものにしているのじゃないでしょうか。こうして、遠く離れていましても、弁信さんは、絶えず、わたしの身の上を心配していて下さる。そのお心が夢にも現《うつつ》にも、わたしの上を離れないから、それで、わたしは、不意にあなたの面影を見たり、声を聞いたりするのじゃないかと思ってよ。
ほんとうに、弁信さん、あなたほど深く人のことを思って下さるお方はありません。それは、わたしにして下さるばかりでなく、どなたに対しても、あなたという方は、しんの底から親切気を持っておいでになる。わたしは、それを、しみじみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの機会《はずみ》に、はっとこの言葉を思い出すと、胸を刺されるような痛みを覚えますが、それでも暫くするとおかしくなって、弁信さんらしい取越し苦労を笑います。
わたしに笑われて、あなたは口惜《くや》しいとお思いにはなりますまい。あなたのおっしゃったのが本当なら笑いごとではありません。
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、逐一《ちくいち》記してお知らせ致したいと存じます……」
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 ここまで筆を運んで、お雪はほつ[#「ほつ」に傍点]れかかる髪の毛を撫でました。お雪はこのごろ、髪を洗い髪にして後ろへ下げて軽く結んでいる。自分もこの洗い髪がさっぱりしていると思うし、人もまた、お雪ちゃんには似合っていると褒《ほ》めもする。山中、外出の機会もなし、慣れてしまえば誰も、それを新しい女だといって誹《そし》るものもありません。
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「外へ出て見ますと、周囲の高い山から、雪が毎日、下界へ一尺ずつ下って参ります。やがてこの雪が、山も、谷も、家も、すっかり埋《うず》めてしまうことでしょうが、まだ、谷々は、紅葉の秋といっていいところもありますから、お天気の良い日は、わたしは無名沼《ななしぬま》のあたりまで、毎日のように散歩に出かけます。
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな湯槽《ゆぶね》が八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくまま浸《ひた》っていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
昨日も、そうして、恍惚《うっとり》とお湯に浸《つか》っていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも憑《とりつ》かれたというのは、ああいうのかも知れません。このごろでは、力をつけて上げても、慰めて上げても駄目です。人に逢うのを厭《いや》がること、土の中の獣が、日の光を厭がるように恐れて、こそこそと逃げるように引込んでしまいます。
それにひきかえて、あのお内儀《かみ》さんの元気なことは――お湯に入っているところを見ますと、肉づきはお相撲さんのようで、色艶《いろつや》は年増盛《としまざか》りのようで、それで、もう五十の坂を越しているのですから驚きます。
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お内儀《かみ》さんは、浅吉さんを連れて来て、さんざん玩具《おもちゃ》にして、それがようやく痩せ衰えて行くのを喜んで眺めているようです。
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては済みませんけれど、ほんとうに歯痒《はがゆ》いほど気の弱い人です。お内儀さんは、浅吉さんを、こんな山の中へ連れて来て嬲殺《なぶりごろ》しにしているのです。そうしてその苦しがって死ぬのを、面白がって眺めているのだとしか思われないことがあって、私は悚然《ぞっ》とします。それでも、付合ってみると、お内儀《かみ》さんという人も、べつだん悪い人だとは思われず――浅吉さんもかわいそうにはかわいそうだが、お内儀さんも憎いという気にはなれず、わたしは、知らず識らずそのどちらへも同情を持ってしまうのです。一方がかわいそうなら、一方を憎まねばならないはずなのに――それとも、二人とも、別に悪いというほどの人ではないのでしょうか。また、わたしの頭が、こんがらかって、善悪の差別がつかないのでしょうか。
わからないのは、そればかりじゃありません。浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に苛《いじ》められて、生命《いのち》を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り取られることが、かえってあの人には本望なのか知らと思われることもありますのです。ですから、わたしには、うっかり口は出せません。夫婦喧嘩の仲裁は後で恨まれると聞きましたが、あの人たちは夫婦ではありませんけれども、悪い時は死ぬの、生きるのと、よい時はばかによくなってしまうのですから、わたしは、障《さわ》らないでいるのが無事だと思っています。
ですけれども、そうしているのは、わたしが、あのお内儀さんに加勢して、浅吉さんを見殺しにしているかのように思われてならないこともあります。
弁信さん。
こんなことを、あなたに書いて上げるんじゃありませんけれど、あなたが、わたしのために言って下すったことが、わたしの身の上でなくて、あの浅吉さんという人の身の上にかかっているような気持がしてならないものですから、つい、こんなことを書く気になってしまいました。
前に申し上げる通り、わたしは道中も無事、ここへ来てもほんとに幸福の感じこそ致せ、殺すとか、死ぬとか、そんないやなことは、わたしの身の廻りには寄りつきそうもありませんのに、あの浅吉さんという人には、最初から、それがついて廻っているようです。かわいそうでなりませんけれど、いま申し上げたようなわけで、力になって上げる術《すべ》がありませんのよ。
今日も、朝からお天気がいいものですから、わたしは一人で、小梨平を通り、低い笹原を分けて無名沼《ななしぬま》へ遊びに参りました。
その途中、硫黄ヶ岳の煙と、乗鞍ヶ岳の雪とが、わたしの足を留めました。
火を噴《ふ》く山から天に舞い上る大蛇《おろち》のような煙。高い山の雪の日に輝く銀の塔を磨いたような色。浅緑の深い色の空気。それから密林の間を下って無名沼のほとりに来て見ますと、いつも見る水の色が、今日はまたなんという鮮《あざや》かでしたろう。
どうして、こんなに無名の沼が、わたしを引きつけるのでしょう。わたしは天気さえよければ、毎日この沼を訪れないという日はありません。それは、やがて雪が谷を埋め尽す時分になっては、一寸《ちょっと》も戸の外へ出ることができないから、今のうちに外の空気を吸えるだけ吸い、歩けるだけの距離を歩いておくという自然の勢いが、わたしをこうして軽快に外へ出して遊ばせるのかも知れません。
それにしても、無名沼《ななしぬま》は、わたしを引きつける力があり過ぎます。
わたしは踊るような足取りで、沼のほとりを廻って、離れ岩のところまで参りました。
前にも申し上げた通り、今日の沼の色の鮮かさは格別に見えました。
ごらんなさい、水底には一面に絹糸を靡《なび》かしたような藻草《もぐさ》が生えているではありませんか。その細い柔らかな藻草の上に、星のような形をした真白な小さい花が咲いて、その花だけが、しおらしい色をして、水の上に浮び出しているではありませんか。
どこからともなく動いて来る水。多分、この、わたしが立っている離れ岩の下から、湧いて流れ出して来るのかも知れません。それが、じっと見ていなければわからないほどの動きで、その白い米粒のような藻の花を動かしているのです。見ていると、どうしても、その花が可愛い唇を動かして、わたしに話しかけているとしか思われないので、わたしも、つい、
『お前は何ていう花』
と訊《たず》ねてみましたが、その時、わたしは、ほとんど人心地を失うほどに驚いてしまいました。その白い藻の花の中に絡《から》まって、人間の屍骸《しがい》が一つ、仰向けに沈んでいるのです。なんという怖ろしいこと。
『ああ、人が殺されて、この水の底に沈んでいる、誰か来て下さい』
と声を限りに叫ぼうとしましたが、その瞬間に気がついて見ますと、何のことでしょう、それは屍骸でも、人の面《かお》でもありません、わたしというものの姿が、藻の花の間の水に映っていたのです。
あまりのことに拍子抜けがして、自分ながら呆《あき》れ返ってしまいましたけれど、それでもわたしの頭に残った今の怖ろしさが、全く消えたのではありません。
それから、何ともいえないいやな気持になって、あれほど好きな無名沼《ななしぬま》を逃げるように帰って来ました。
明日《あした》からは、たとえ、どのような、よい天気でも、あの沼へ行くことをやめようと思いながら。

弁信さん――
わたしは、その無名沼から逃げ帰る途中、あの低い笹原のところまで来ますと、ばったりと浅吉さんに行き逢ってしまいました。
『浅吉さん、鐙小屋《あぶみごや》ですか』
と、わたしが訊ねますと、浅吉さんは何とも返事をしないで、すうっと通り過ぎてしまいました。
多分、沼の近所にある鐙小屋の神主さんのところへ、あの人たちはよく出かけるそうですから、わたしが、そういって訊ねてみたのに、浅吉さんは一言の返事もせずに通り過ぎてしまったものですから、わたしも気になりました。気のせいか知ら、今日のあの人の顔の真蒼《まっさお》なこと。いつも元気のない人ではありながら、今日はまた何という蒼《あお》い色でしょう。まるで螢の光るように、顔が透き徹っていました。だもんですから、わたしは、あんまり気になって振返って見ますと、おや、もうあの人はいないのです。そこは笹原がかなり広く続いたところであるのに、いま通り過ぎたと思った浅吉さんの姿が、もう見えないものですから、わたしの身の毛がよだちました。
でも、急いで、あの林の中へ入ってしまったのだろうと、わたしも暫く立ちどまって、林の方を見ておりましたが、不安心は、いよいよ込み上げて来るばかりです。
あの人は、いつぞや林の中で縊《くび》れて死のうとしたのを、わたしが見つけて、助けて上げたことがあるくらいですから、もしやと、わたしは、堪らないほどの不安に襲われましたけれども、その時は、どうしたものか、あとを追いかけて安否を突き留めようとするほどの勇気が、どうしても出ませんでした。
無名沼《ななしぬま》の水の面影《おもかげ》といい、今の浅吉さんの蒼い色といい、すっかり、わたしを脅《おびやか》して、たとえ一足でも後ろへ戻ろうとする力を与えませんのみならず、先へ先へと押し倒されるような力で、宿まで走って参りましたのです。
宿へ帰って見ると、ここはまたなんという静けさでしょう。渓谷の間を曲って来る日の光というものは、こうも明るく、澄み渡るものかと思われるばかり。障子も部屋の隅々も、わたしのこの手紙を書いている机の上の、紙も、筆も、透き徹るほど明るく澄み渡っています。

弁信さん――
今日の手紙はこのくらいにしておきましょう。けれども、これがあなたのお手元まで着くのはいつのことだか知れないわね。それでも、勘のいいあなたは、わたしがここで筆を運んでいることを、もう、頭の中へちゃんと感じておいでなさるかも知れないわ。
茂ちゃんを大事にして上げてください。あの子は、よく独《ひと》り歩きをして、山の中へでもなんでも平気で行ってしまうから、わたし、それが案じられます。遠く出て遊ばないように、よく弁信さんの吩咐《いいつけ》を聞いて、来年の春、わたしたちが帰るまで、おとなしくお留守居をしていて下さいって――よくいって聞かせてあげて下さい。
では、今日は、これで筆を止めて、わたしは、これから下へ参ります。下の大きな炉の傍で、これから学問が開かれるのです。池田先生が歌の講義をして下さるのに、また新しく俳諧師の先生がおいでになって、面白い話をして下さいます。それが済むとみんなして世間話、山の話、猟の話などで、炉辺はいつでも春のような賑《にぎや》かさです。
弁信さん。
ではお大切《だいじ》に。
あ、まだ申し残しました。お喜び下さい、あの先生の眼がだんだんよくなりますのよ。
厚い霞《かすみ》が一枚一枚取れて、頭が軽くなるようだとこの間もおっしゃいました。
弁信さん、あなたはこの世界は暗いものと、最初からきめておいでになりますのに、あの先生は、暗いのがお好きか、明るくしたい御料簡《ごりょうけん》なのか、わたしにはさっぱりそれがわかりません」
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         十六

 その翌々日、お雪はまたあわただしい思いで筆を執《と》りはじめました。
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「弁信さん――
前の手紙をまだ、あなたのところに差上げる手段もつかないうちに、わたしはまた大急ぎで、継足《つぎた》しをしなければならない必要に迫られました。
先日の手紙にありましたでしょう――わたしが、無名沼《ななしぬま》から帰る時に、低い笹原の中で浅吉さんにゆきあったことを。そうして、わたしが言葉をかけたのにあの人は何の返事もなく、螢のような真蒼《まっさお》な面《かお》をしてゆきすぎてしまったことを。
あれから今日で三日目です。浅吉さんが帰りません――いいえ、帰りました。帰りましたけれど驚いてはいけません、あの人は、とうとう死んでしまいましたのよ。
それが、どうでしょう、ところもあろうに、あの無名沼の中で……捜して引き上げて来た人たちの話によると、まあ、わたし、どうしていいかわからなくなります。丁度、わたしが立っていた離れ岩の下の、絹糸のような藻の中に、浅吉さんの死体が、絡《から》まれて、水の中へ幽霊のように、浮いたり、沈んだりしていたということです。
ああ、それでは、わたしが人の死骸と思ったのは、あの人が沈んでいたのではないか、わたしの見たのは、自分の影が映ったと見たのが誤りで、最初、驚かされた幻《まぼろし》のような姿が、かえって本当ではなかったでしょうか。わたしは今、自分で自分の頭がわからなくなりました。もし、最初に見た水の中の幻が、ほんとうに浅吉さんの死骸だったとすれば、後の笹原で行きあったあの人は誰でしょう――わたし、これを書きながら怖くなってたまりません。
確かなのですよ、わたしがあの笹原でパッタリと蒼い面をした浅吉さんに行きあったことは。決して嘘ではありませんのよ。
『浅吉さん、鐙小屋《あぶみごや》へですか』
ですから、わたしは、そういって言葉をかけたのですが、それに返事のなかったことも確かです。そうして振返って見た時分には、かなり広い笹原のどこにも、あの人の姿が見えなかったことも本当なのです。
わたし、なんだか、自分までが、この世の人でないような気持がしてなりません。
三日の間、水につかっていた浅吉さんの姿は、蝋《ろう》のように真白なそうです。
連れて来て宿の一間に眠るように休んでおいでなさるそうですけれども、わたしには、どうしても今見舞に行く勇気がありません。なんでも人の話には、水には落ちたけれども、あの人は一口も水をのんではいなかったそうです。で、岩の上で転んでどこかを強く打って、気絶してから水に落ちたんだろうなんて、皆さんが噂《うわさ》をしています。けれども、わたしには、どうしても怪我とは思われません。覚悟の上の死に方です。あの人が死のうと覚悟をしたのは今に始まったことじゃありませんもの……それは、わたしだけが、よく知っています。ですから、あの人が怪我で水に落ちたとは、どうしても思われません。それにしても水を一滴も飲んでいなかったというのが変じゃありませんか。
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお内儀《かみ》さんよ。
大勢して、浅吉さんの行方《ゆくえ》を心配して、捜し廻っている間に、平気でわたしのところへ遊びに来たりなんぞして、いよいよ浅吉さんが水に落ちていたという知らせがあった時、わたしの面《かお》を見て嘲笑《あざわら》うような、安心したような、あの気味の悪い面つき。
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」
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 それから二三日経って、お雪はまた弁信への手紙を書き続ける。
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「弁信さん――
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお内儀《かみ》さんという人はどうでしょう。使い古し[#「古し」に傍点]の草履《ぞうり》を捨てるのだって、あれより思いきりよくはなれますまい。
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。昨日《きのう》のことですね、二人でお湯に入っていると、わたしの身体《からだ》を、あの叔母さんがつくづくと見て、
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては堪忍《かんにん》のならない針を含んでいるということを、あなたも御存じでしょうと思います。
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も利《き》くまい、とさえ思い込んでしまいました。
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、口惜《くや》しいとも思いながら、ついあの人の口前に乗せられて、先方が言えば言われる通り返事をするようになるのは、自分ながら歯痒いように思われてなりません。いったい、この叔母さんという人は、そう悪い人じゃないのか知らん、悪いとか、憎いとか思うのは、わたしの僻目《ひがめ》というものか知らとまで、自分を疑ってくるようにまでなるのは、ほんとうに自分ながら不思議でなりませんのよ。

弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ頻《しき》りにそれを思わせられています。本当に憎むことのできない人は、本当に愛することもできませんのね。
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が来《きた》りましょうとも、少しの恐れ気もなく、善いことは善い、悪いものは悪い、と断言をなさることができるのであります。わたしにはそれができませんのよ。
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも惚《ほ》れたり腫《は》れたりした時のような心持でいられるものですか。熱くなることもあれば、冷《さ》めることもあってこそ、色恋じゃないか。
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって泣《なき》っ面《つら》をしながら、敵《かたき》を討って下さいなんて、飛んでもないところへ泣きつくなんぞは、女の面汚《つらよご》し。自分から触れば落ちそうなよわみを見せて男を誘いながら、後になって、やれ貞操を蹂躙《じゅうりん》されましたの、弄《もてあそ》ばれましたのと、人の同情に縋《すが》ろうとする女は、女の風上《かざかみ》にもおけない――
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、耳障《みみざわ》りに聞えないのが不思議のように思われてなりません。
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな女頭巾《おんなずきん》を拾って来たよ、見ておくんなさい、こりゃあ、あの高山の穀屋《こくや》のお内儀《かみ》さんの頭巾じゃあんめえか。縮緬《ちりめん》だよ、安くねえ頭巾だよ……あんなところへ落しておいちゃあ、風で水の中へ吹ッ飛んでしまわあな。穀屋のお内儀さんはおいでなさらねえか、頭巾を拾って参りましたよ』
嘉七さんという人が離れ岩の傍で、女頭巾を拾って来たという。
頭巾はかまいませんが、わたしは、あの離れ岩がいやです。なんだって、お内儀《かみ》さんは、あんなところへ行ったのでしょう。
『高山のお内儀さんは今朝出たまんま、まだ帰らねえよ』
これは、留さんという男の返事。
あのお内儀さんが今朝出たまま帰らない。そうして離れ岩の女頭巾。
弁信さん。
わたしの胸がまた早鐘のように鳴ります。行って確めて来ます。あの叔母さんまでが離れ岩の下の水藻に沈んでしまったのではないか。何だかそう思われてならない」
[#ここで字下げ終わり]

 その翌日のお雪の手紙。
[#ここから1字下げ]
「弁信さん――
わたしの胸にハッと来たのは無理ではありませんでした。その晩になるまで、あの叔母さんが、とうとう宿へ戻って参りませんでした。その翌朝も。
そこで、また大騒ぎをして探しに出かけたのですが、その心当りの第一は、どこというまでもありますまい、あの離れ岩です。現にそこには、あの叔母さんの物だろうという女頭巾が落ちていたのみならず、この間の、あの藻の花が、物をいわずにはいません。
因縁事《いんねんごと》のように怖ろしいではありませんか。あの叔母さんが、やはり浅吉さんと同じところの水の中に落ちて、絹糸のような水藻に絡《から》まれて死んでいたのです。それも死に方が同じように、一滴の水も飲まずに、死んでいたということです。
わたしは、何か眼に見えない縄が、わたしたちの周囲に犇々《ひしひし》と取巻いて、その縄に触れようものなら、誰でも容赦のない力のあることを感じて、身も世もあらぬ思いをせずにはおられません。
この続けざまな不祥の出来事に、宿にいる人たちの評判は区々《まちまち》です。
浅吉さんと、あの叔母さんとの間を、最初から知っているものは、浅吉さんの死を悲しんで、あの叔母さんがその後を追ったのだということを、言っています。つまり、あれは別々の心中だといってしまう人もあって、後から来た人たちは大抵その意見に従って、あれを離れ離れの心中だと見てしまう者が多いのですが、わたしには決してそうは思われません。あの叔母さんという人が、浅吉さんの後を追って死なねばならぬほど、人情のある人であったかどうか、この手紙をごらんになればおわかりになるはずです。
といって、二人まで続いて同じところで怪我をして、水に溺れて死ぬというようなこともありようはずはありますまい。
どう思い詰めたって、あの叔母さんが、自分で死ぬ気になんぞなるもんですか。
そんならば――わたしは、あれこそ浅吉さんの魂が、あの叔母さんを、同じところへ引き込んで殺したものだとしか思われません。そうでなければ、ほかに解釈のしようがないじゃありませんか――
それからまた、ある人は、その前の日、あの叔母さんが、吉田先生と一緒に、沼の辺《ほとり》を歩いていたのを見たというものがありますが――吉田先生とは机竜之助様のこと――それはなんでもありません。何かであったところで、その日は、叔母さんはちゃんと宿へ帰っていますし、姿の見えなくなったのはその翌日からのことで、その翌日から今日まで、先生はちゃんと三階の柳の間に休んでおられます。尤《もっと》も時折、先生は眼を冷しに外へおいでにはなりますが、いつか知れないように戻っては休んでしまわれたり、また静かに坐って考えておいでになるばかりですから、誰も先生を疑う意味で、そんな噂を始めたのではありません。ただ、その先の日に、あの先生と叔母さんとが、沼の辺《ほとり》を一緒に歩いていたのを見たということだけが、ちょっと人の口の端に上っただけなのです。あの先生はまだ、こんな出来事を御存じはありますまい。わたしもなるべくお知らせをしたくないと思っています。鐙小屋《あぶみごや》の神主さんは、また室堂《むろどう》へ上って行《ぎょう》をしておいでなさるのだから、誰もそのほかに、あの沼の傍へ立入る者は無いはずです。嘉七さんは白樺《しらかば》の皮を取りにあの辺へ通りかかって、そうして頭巾を見つけ出して来たまでです。ああ、また今夜はみんなしてお通夜《つや》をしなければなりません。
弁信さん。
わたしは浅吉さんの死顔を見なかったように、あの叔母さんの死顔も見ないでしまおうと思います。私にはそれを見るの勇気がありませんもの。皆さんもまた、出世前の者はそういうものを見ない方がよいと申します……」
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         十七

 追分から、木曾街道の本道を取らずに、北国街道を行く道庵と米友。
 どうしたものか、米友の足が思うように捗《はかど》らない。
 軽井沢から沓掛《くつかけ》まで一里五町、沓掛から追分まで一里三町。
 そこで善光寺道を小諸《こもろ》へ続く原っぱで、米友がドッカと路傍の草の上に坐り込んでしまいました。
「友様、どうした」
「うーん」
と米友が杖槍から荷物まで、そっくりそこへ抛《ほう》り出し、足を投げ出して、上目遣《うわめづか》いに、道庵の面《かお》を眺めただけで無言。
 米友のグロテスクな面に、浅間の雲と同じような憂鬱《ゆううつ》が三筋たなびいている。
 道庵はそこで杖を立てて、信濃の山川を顧みていると、
「先生」
 暫くあって、米友が重苦しく道庵を呼ぶ。
「何だい」
「人が死んでも、ほんとうに魂というものが残るのか」
「そりゃ、そうだとも」
「で、その魂はどこへ行ってるんだ」
「うむ、そりゃあ……」
 道庵はグッと唾《つ》を呑み込んで、
「そりゃあお前、地獄へも行けば、極楽へも行かあな」
「地獄と極楽のほかに、この世へ戻って来ることはねえのか」
「そりゃ、この世へ戻って来ることもある、魂魄《こんぱく》この土《ど》にとどまって、恨みを晴らさないでおくべきか……」
 道庵は瓢箪《ひょうたん》をあやなして、変な見得《みえ》をきってみましたが、米友はその追究を緩《ゆる》めないで、
「その魂がこの世へ戻って来ると、どこにいる」
「うむ、そりゃあ……そりゃこの宙《ちゅう》に彷徨《さまよ》っていてな、好きな奴へは乗りうつり、恨みのある奴には取ッつく」
「うん、それで、その魂は、どんな色をしている」
「色――魂の色かい」
「この世にあるものなら、色があるだろう」
「うむ――色もあるにはある、色《しき》は即《すなわ》ち空《くう》、空は即ち色なりといって、魂だって、色が無《ね》えという理窟は無え」
と、道庵が力《りき》みました。
「それで、どんな形をしているんだね、先生、その魂は……」
 米友はすかさず突っかける。
「なに、その魂の形かい……およそ形のあるものは潰《くず》れずということなく……」
とかなんとかいってみましたけれど、さすがの道庵シドロモドロで、その足もとの危ないこと、酒のせいばかりではありますまい。
 事実、この一本槍は、米友が手練の杖槍よりもその穂先が深い――また、この負担は、米友の肩にかけた振別《ふりわけ》を押ッつけられたよりも、道庵にとっては重い。
 さきには、出任せに、一種の霊魂不滅を説いて米友に聞かせたが、それこそ本当の道庵流の出任せで、かりに一時の気休めに過ぎない。道庵自身が果して、霊魂の不滅を信じているかどうかは頗《すこぶ》る怪しいものです。だから、正式にこういって、色は、形はと、ジリジリ突っ込まれてみると、相手がどこまでも真剣なのだから、魂は青い色をして、雨の夜に墓場の上で燃えているなんぞと、ごまかしきれない。
 道庵は苦しまぎれに、瓢箪《ひょうたん》をハタハタと叩き出してみたが、瓢箪から駒も出ないし、真理も出て来ない。
 幸か不幸か、道庵先生がソクラテスほどの哲人でなかった代りに、相手がギリシャの若殿原《わかとのばら》ほどの弁論家でなかったから、霊魂は調和か、実在か、の微妙なところまでは進まず、
「先生、おいらは、もう一ぺん軽井沢へ帰《けえ》りてえのだ」
 米友が悠然《ゆうぜん》として、哲学から、感傷に移りました。
 米友のは、難問を吹きかけて道庵を苦しめるが目的ではなく、軽井沢のお玉のことが気になってならない。
 ここまで足の運びの重いのも、その一種異様なるきぬぎぬの思いに堪うることができないで、それが魂の問題となって穂に現われたというだけのもの。
 この男は、もう一度、軽井沢へ帰って、しみじみとお玉という女と話がしてみたいのだ。お玉の面影《おもかげ》が、どうしてもお君に似ている。そうして、特別に自分にとっては親切であったことが、忘れられない。
 魂というものがあって、人に乗りうつるものならば、たしかにお君の魂は、あの女に乗りうつっている。名さえ前名のお玉とあるではないか。
 米友は、この二里八町の道を、絶えずそのことばかり思うて、後ろ髪を引かれ引かれてこれまで来ました。途中、幾度も、この杖も、荷物も投げ出して、軽井沢へ駈け戻ろうかと思いつめては、思い返し、思い返し、ここまで来たのだが、ついに堪えられなくなって、ここで投げ出したものらしい。
 それを、また道庵は、いつもの短気にも似合わず、長いことかかって、懇々と説諭して、再び米友をして荷を取って肩にかけ、槍をついて出で立たしむる。
 追分から小諸までは三里半。
 まだ少々早いが、小諸の城下で泊るつもりで町へ入り込むと、早くも二人の姿を見つけた問屋場《といやば》で、
「あれだぜ、あれが一昨日《おととい》の日、軽井沢で裸松《はだかまつ》をやっつけた大将だ!」
という評判で、小諸の町へ姿を見せるが早いか、忽《たちま》ちに二人が、城下全体の人気者となってしまいました。
 一昨日の出来事、米友の武勇が、僅か六里を隔てた街道筋の要所に宣伝されているのは、早過ぎる時間ではない。裸松そのものがあぶれ者で持余《もてあま》されていただけに、それを倒した勇者の評判が高い。で、例によって輪に輪をかけられて、街道の次から次へと二人の行く先が指さしの的となる。
 その評判がなくてさえ、ひょろ高い道庵と、ちんちくりんの米友が、相伴うて歩く形はかなり道中の人目を引くのだから、まして、その人気が加わってみると、誰でもただは置こうはずがない。その勇者|来《きた》るの評判を、讃嘆しようとして出て来たものが失笑する。
 本来、正直な米友は、小さくなって道庵のあとにくっついて行くが、道庵は大気取りで、突袖に反身《そりみ》の体《てい》。
 あの小さいのが、素敵な手利《てきき》で、あれが裸松を一撃の下に倒したのだが、前のは先生で、自身は手を下さないが、あの先生が手を下す日になったら、どのくらい強いか底が知れない。小諸や、上田の藩中に、手に立つ者が一人でもあるものか――なんぞという評判が道庵の耳に入ると、先生いよいよ反身になってしまい、街道狭しと歩くその気取り方ったら、見られたものではありません。
 この得意が道庵先生をして、一つの謀叛《むほん》を起さしめたのはぜひもありません。それは、ただこうして長の道中、道庵は道庵として、米友は米友として歩いたのでは、旅の興が薄いから、その時その時によって、趣向を変えて行ったらどうだ。それにはまず、差当り、輿論《よろん》の推薦に従って、自分は武術の先生になりすまし、米友をそのお弟子分に取立てて、これからの道中という道中を、武者修行をして、道場という道場を、片っぱしから歴訪して歩いたら面白かろう。
 その事、その事と、道庵が額を丁《ちょう》と打って、吾ながらその妙案に感心しました。
 道庵に左様な謀叛が兆《きざ》したとは知らぬ米友、恥かしそうに、そのあとにくっついて、城下の巴屋六右衛門というのに泊る。
 しかしながら、その翌日は相変らずの道庵は道庵、米友は米友。
 二人ともに別段、武芸者としての改まった身姿《みなり》にもならないのは、道庵のせっかくの謀叛に、米友が不同意を唱えたわけではなく、小諸の城下を当ってみたけれども、変装用の思わしい古着が見つからなかったものらしい。
 道庵は「鍼灸術原理《しんきゅうじゅつげんり》」という古本を一冊買って、小諸の宿《しゅく》を立ちました。
 小諸から田中へ二里半。田中より海野《うんの》へ二里。海野より上田へ二里。上田より坂木へ三里六町。坂木より丹波島《たばじま》へ一里。
 丹波島から善光寺までは、もう一里十二町というホンの一息のところまで来て、犀川《さいがわ》の河原。
 この河原へ来た時に月があがったので道庵先生が、すっかりいい心持になって、渡しを渡らずに河原へ出てしまい、明日はいやでも善光寺。今晩はここで、思う存分月見をしようといい出しました。
 信州名代の川中島。月はよし、風はなし、前途の心配はなし。米友を促して、渡し場から莚《むしろ》を借り、それを河原の真中に敷いて、一瓢《いっぴょう》を中央に据え、荷物を左右に並べて、東山《とうざん》のほとりより登り、斗牛《とぎゅう》の間《かん》を徘徊《はいかい》しようとする月に向って道庵は杯をあげ、そうして意気昂然として、川中島の由来記を語って米友に聞かせました。
 米友も、信玄と謙信とには、相当の予備知識を持っている。ことに道庵が甲陽軍鑑を楯《たて》にとって、滔々《とうとう》とやり出す川中島の合戦記には、米友も知らず識らず釣込まれ、感心して聞いているものだから、道庵も、いよいよいい気になって、喋《しゃべ》るだけ喋ると、喋り疲れて、瓢箪《ひょうたん》を枕にゴロリと横になって、早くも鼾《いびき》の声です。
 夜もすがら川中島の月を見て、明日は善光寺という約束だから、米友もぜひなく、旅の合羽《かっぱ》を開いて道庵の上に打着せ、自分は所在なさに槍を抱えて河原の中へ、そぞろ歩きを始めたものです。
 犀川の岸を、そぞろ心に米友が歩むと、行手に朦朧《もうろう》として黒い物影。吾行けば彼も行き、吾|止《とど》まれば彼も止まる。米友は夢心地でその影を追いました。
 四郡を包む川中島。百里を流るる信濃川の上《かみ》。歩み歩むといえども、歩み尽すということはありません。いわんや、立ち止まって月を見ると、四周《まわり》の山が月光に晴れて、墨の如く眼界に落ち来《きた》る。
 月を砕いて流るる川の面《おも》を見ると、枚《ばい》を含んで渡る人馬の響きがする。その響きに耳を傾けると白巾《はっきん》に面《かお》を包み、萌黄《もえぎ》の胴肩衣《どうかたぎぬ》、月毛の馬に乗って三尺余りの長光《ながみつ》を抜き翳《かざ》した英雄が、サッと波打際に現われる。青貝の長柄の槍が現われて馬のさんず[#「さんず」に傍点]を突く。それが消えると、また朦朧とした黒い物影が、行きつとまりつする。
 興に駆《か》られた米友は槍を下におくと、手頃の石を拾い取って、力を罩《こ》めて靄《もや》の中へ投げ込んでみました。
 それに驚いて、楊柳の蔭から一散《いっさん》に飛び出して、河原を横一文字に走るものがある。
 犬だろう、と米友が思いました。
 一匹が走ると、続いて思いもかけぬところからまた一匹、また一匹。
 その物が唸《うな》る――犬ではない。
 と米友は心得面《こころえがお》に杖槍を拾い上げたが、その犬に似た真黒いものの影は、靄の中に消えて、唸り声だけが尾を引いて物凄《ものすご》い。
 狼だ――犬の形をして犬でない。犬の棲《す》むべからざるところに棲むのは狼だ。
 この辺には狼がいる。飯山《いいやま》の正受《しょうじゅ》老人は、群狼の中で坐禅をしたということを米友は知らないが、これは油断がならない。見廻せば前後茫々たる川中島。
 ああ、上杉謙信ではないが、自分はあまり深入りをした。道庵先生の身の上が気にかかる。
 道庵の身の上こころもとなしと戻って見れば、道庵は狼にも食われず、無事に莚《むしろ》の上に熟睡していますから、米友も安心しました。
 酔うて沙上に臥《が》するというのは道庵に於て、今に始まったことではない。医者の不養生をたしなめるのは、たしなめる者の愚である。
 そこで米友はそのところを去って、再び川中島の川原を彷徨《さまよ》う。
 時は深夜、月は冲天にある。興に乗じて米友は、手にせる杖槍を取って高く空中に投げ上げ、それを腕で受留める。
 広東《カントン》の勇士が方天戟《ほうてんげき》を操る如く、南洋の土人がブーメラングを弄《ろう》する如く、米友は杖槍を投げては受留め、受留めては投げながら、川中島の川原の中でひとり戯《たわむ》れている。戯れながら川原の中を進み行くと、やがてまた茫々として、前後を忘れる。
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「抑々《そもそも》当流ノ元祖戸田清玄ハ宿願コレ有ルニヨツテ、加賀国白山権現ニ一七日ノ間、毎夜|参籠《さんろう》致ス所、何処《いづこ》トモナク一人ノ老人来リ御伝授有ルハ夫《そ》レコノ流ナリ」
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 米友は高らかに戸田流の目録を、そら読みに読み上げました。
 米友のは、戸田流と限ったわけではない。強《し》いて流儀をいえば淡路流《あわじりゅう》ともいうべきもの。本来は野性自然の天分に、木下流の修正を加えて、それからあとは不羈自由《ふきじゆう》であります。自由なるが故に、あらゆる格法を無視することもできる代りに、あらゆる格法を取って以てわが用に供することもできるのであります。ちょっと道場覗きをしてからが、いい形と、いい呼吸を見て取って自得する。
 それで、この男は、別段に師匠の手から切紙、目録、免許といったような印《しるし》を与えられてはいない。そうかといって、自ら進んで米友一流を開くほどの野心も、慢心も、持合せていない。
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「先ヅ槍ヲ以テ敵ニ向ヒ、切折ラレテ後、棒トナル、又棒切折ラレテ半棒トナル……」
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 そこで彼は独流の型を使いはじめました。槍から棒に変化し、棒がまた半棒に変ずるまでの型を、鮮かにやってのけました。
 自由と、乱雑とは、意味を異にする。修練を経て天分が整理されると、初めて自由の妙境が現われる。自由が発して節に当ると、それが型となって現われる。
 小人は、乱暴と、反抗とを以て、自由なりと誤想する。
 自由は型であり、礼儀であることを知らない。型は人を縛るものに非《あら》ずして、これを行かざれば、大道無きことを人に知らしむる自由の門である。
 型と、礼儀を、重んぜざる者に、大人《たいじん》となり、君子となり、達人となり、名人となり、聖域に至るの人ありという例《ためし》を聞かない。
 だがしかし、型と、礼儀に捉われた人間ほど、憐れむべきものはない。それは人間に非ずして、器械である。
 単に器械だけならばいいが、その器械が、圧搾器械でもあった日には、人間の進歩を害することこれより大なるはない。
 ある者は型から入って自由の妙境に遊び、ある者は野性を縦横に発揮して、初めて型の神妙を会得《えとく》する。
 無論、宇治山田の米友のは、その後者に属するものであります。
 今や、米友は陶然《とうぜん》として、その型に遊ぶの人となりました。
 こんなことは滅多にないのです。かつて、甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は如法暗夜《にょほうあんや》のうちに、必死の努力でやりました。今夜のは月明のうち、興に乗じて陶然として遊ぶのです。
 その型の美しさ――すべての芸道において、型の神妙に入ったものは、先以《まずもっ》て美しいというよりはいいようがない。
 惜しいことにこの美しさを見るものが、月と、水とのほかにはありません。
 米友が陶然として型に遊んでいる時、その型を破るものは道庵先生の声であります。
「こいつは堪《たま》らねえ、こいつは堪らねえ」
 道庵が突如として、うろたえ声で騒ぎ出しましたから、米友が、一議に及ばず馳《は》せ参じました。
 見れば莚の上に眼を醒《さ》ました道庵は、合羽《かっぱ》をかなぐり[#「かなぐり」に傍点]捨てて頻《しき》りにうろたえている。
 聞いてみると、今まで自分がいい心持で眠っているところへ、不意に何物か現われて、鼻っぱしをガリガリと噛《かじ》ったものがあるから、驚いて跳ね起きたところだという。
 鼻っぱしをガリガリと噛られては堪らない。しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、四方《あたり》を見ても、何物も道庵を脅《おびやか》しに来たものの形跡を認められない。
「危《あぶ》ねえ、危ねえ、こんなところに泊っちゃあいられねえ、たしかに今、おれの鼻っぱしを噛りに来た奴がある」
といって道庵は、しきりにおびえながら、その荷物を掻《か》き集めて、こんなところには一刻もいられないというような身ぶりをする。
 ははあ、それでは、さいぜんのあの犬に似て犬でないのがやって来て、道庵の寝込みを襲ったのか。
 慌《あわ》てながら、うろたえている道庵を見ると、ブルブルと胴ぶるいが止《や》まない。怖いばかりではない、寒いのだ。酔っているうちこそいい心持で寝ていたが、多少醒めては、川原のまん中へ莚敷《むしろじき》では堪るまい。怖いのでうろたえているのか、寒いのに怖れをなしたのか、とにかく、眼を醒《さ》ました道庵が、一刻もここにいられないという心を起したことは確かですから、米友も出立の用意をする。
 出立の用意といったところで今は真夜中過ぎ、一里の道を善光寺に着いたところで、まだ戸をあけている家はあるまい。第一、つい眼のさきの丹波島《たばじま》の渡し場だって、舟を出すまいではないか。しかし思い立つと留めて留まらぬ道庵ではある。米友もぜひなく莚を巻いて丹波島の渡し場まで来ました。
 さて渡し舟はつなぎ捨てられてあるが、眠っている船頭を起すも気の毒。
 道庵が心得顔に小声で米友をそそのかし、そっとその舟を引き出して乗る。
 犀川の渡し、ここを俗に丹波川という。水勢甚だ急にして、出水のたびに渡し場が変る。水の瀬が早くて棹《さお》も立たない。たぐり縄で舟を渡す。
 背の低い米友、やっとそのたぐり縄に縋《すが》りついたが、それを操《あやつ》ることは妙を得ている。ともかくも舟は中流に乗出す。もし、船頭が眼でも醒まそうものなら、一悶着《ひともんちゃく》を免れないが、幸いにその事もなく舟は向うの岸に着く。
 飛び上った道庵は、月の光で朧気《おぼろげ》に立札の文字を読むと、平水の時は一人前五十文と書いてある――そこで百文の銭を取揃えて、舟板の上に並べて置いて、申しわけをしたつもり。
 ほどなく権堂《ごんどう》の町へ入るには入ったが、どことて今時分、起きている気紛れはない。二三軒、宿屋を叩いてみたけれど、起きて待遇《もてな》そうという家もない。
 後町から大門前《だいもんまえ》まで来る。道庵先生、しきりに胴ぶるいをつづけているが、そこは負惜み、もう二時《ふたとき》もたてば夜が明けるだろう、夜が明けたら最後、善光寺の町をひっくり返してくれよう。それまではまず山門の隅なりと借りて一休み――
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「江戸へ五十七里四町
日光へ六十里半
越後新潟へ四十八里二十七町」
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と大きな道標《みちしるべ》を横に睨まえ、もうこれ、ともかく五十七里も来たかなと呟《つぶや》きながら、善光寺の境内《けいだい》へはいって行く。
 本来、上方《かみがた》を目的とする旅だから、追分から和田峠を越して下諏訪へ出るのが順序なのを、そこがまた道庵の気性で、信濃へ来て善光寺へ参詣をしないのは、仏を作って魂を入れぬものだと意地を張ったばっかりで、こんな寒い思いもする。

         十八

 それでも、どうかこうか、二人は善光寺本堂の外陣のお通夜の間に入り込んで、数多《あまた》の群衆の中へ割込みました。
 ほどなく朝参りの団体も押しかけて来る。善光寺の内外は人で満たされる。
 道庵は、お通夜と朝参りの群衆の中へ坐り込んで、人の温気《うんき》でいい心持になり、前後も知らず居眠りの熟睡をはじめる。
 これによって見ると、道庵は善光寺へ参拝に来たのだか、居眠りに来たのだかわからない。米友はまた群衆の中に坐り込んでは、しきりに抹香《まっこう》の煙に巻かれている。
 なんてまあ、人の混むお寺だろう。今日は特別に御縁日ででもあるのか知ら。いったい善光寺様、善光寺様と崇《あが》めて、こんな山奥へ諸国の人が集まるのがわからない。
 そこで米友が、隣席の有難そうなお婆さんに訊ねてみると、お婆さんのいうことには――
 この善光寺様には、日本最初の阿弥陀如来様《あみだにょらいさま》の御像があるということ。
 人生れてこの寺に詣《もう》ずれば、浄土の往生疑いなしということ。
 そこで、このお寺は一宗一派のものではなく、このお寺の御本尊様は、日本の仏像の総元締、神様でいえば伊勢の大神宮様と同じこと。
 大神宮様所在の御地を神都と呼ぶからには、ここは仏様の仏都ともいうべきところだと説明する。
 米友は、ははあ、そういったものかと思う。自分はその伊勢の大神宮様のお膝元で生れたのだが、してみればここに参詣するのも、神仏おのおの異った因縁があるのかも知れないと思う。
 しかし、伊勢の大神宮様の内苑は、森厳《しんごん》にして犯すべからざるものがあるのに、このお寺の中の賑やかなこと。
 暁の光、いまだに堂内に入らざるに、香の煙は中に充ちわたり、常燈《じょうとう》の明りおぼろなるところ、勤行《ごんぎょう》の響きが朗々として起る。鬱陶《うっとう》しいようでもあり、甘楽《かんらく》の夢路を辿《たど》るようでもある。坐っているうちに、なんとなく温かくなり、有難くもなって、妙な世界へ引込まれた心持で、米友は坐っていると、
「お階段めぐり」
という声で、その周囲の連中がゾロゾロと立ち上る。立ち上っていいのか、悪いのか、わからないのは米友。相変らず熟睡の居眠りから醒めない道庵。
「先生!」
 米友はそこで、道庵を呼び起しました。
 道庵を促してお階段めぐりも終り、やがて廊下へ出て御拝《ごはい》の蔭で草鞋《わらじ》を履《は》いている道庵と米友。ことに米友は草鞋がけ[#「がけ」に傍点]が渡し場の水でしめって少し堅いから、足へはめるのに多少の苦心を費していると、その頭を上から撫でて通るものがある。
 米友、ひょいと振仰いで見ると、ただいま自分の頭を撫でて通ったのは、気品の高い一人の若い尼さんで、その周囲には数人の従者、相当年配の尼さんがついている。
 人を撫でた[#「人を撫でた」に傍点]真似《まね》をする尼さんだな、と思いながら米友が見送っていると、外陣から廊下階段へ溢《あふ》れ出た善男善女が、その尼さんのお通り筋に並んで、一様に頭を下げてかしこまる。
 若い尼さんは、その跪《ひざまず》いて頭を下げている無数の善男善女を、いちいちその手に持てる水晶の珠数《じゅず》で撫でて行く。おれを撫でたのもあの珠数だな、と米友が思いました。
 米友は、けげんな顔をしてそれを見送っているのに、善男善女は、仰ぎ見ることさえしないで、その尼さんに通りながら撫でられる時、一心に念仏の声を揚げるものもある。この尼さんの一行の過ぐるところ、荒野の中を鎌が行くように、人がはたはたと折れて跪く。跪いて、その珠数を頭に受けることを無上の光栄とし、その法衣の袖に触るることさえが、勿体《もったい》なさの極みとしているらしい。
 何のことだか米友にはよくわからない。ただその通り過ぐるあとで、
「尼宮様」
「尼宮様」
という囁《ささや》きが聞える。
 そこで、道庵と、米友とは、善光寺本堂を立ち出でる。
 通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、参籠《さんろう》を済ましてから宿の選択にかかる。
 朝まだき、それでも外へ出て見ると、善光寺平野が一時に開けて、天地が明るく、朝風が身にしみて、急に風物が展開したように思われる。
 明るいところへ出ると、暗いところが疑問になる。あのお階段めぐりなるもの、何の必要があってかわざわざ暗いところへ下りて、人と人とが探り合いながら暗いところを歩くのだ。
 道庵が米友の不審に答えて、あれは有名な善光寺のお階段めぐりといって、ああして暗いところを歩いているうちに、心の正しからぬものは犬になるという言い伝えがあるのだが、われわれもまんざら心が曲ってばかりはいないと見えて、犬にもならずに出て来たという。
 しかし、お前は途中、あの鍵へはさわることを忘れたろう、おれもつい失念してしまったが、探り探り廻る間に一つの鍵がある、あの鍵にさわることができたものは、極楽世界に往生すると言われている。鍵には、道庵も、米友も、さわることを忘れたから、こいつは極楽往生は覚束《おぼつか》ねえぞ、弱ったなと道庵が額を逆さに撫でる。
 それにつけても、おいとしいのはあの尼宮様。やんごとなき御出身でありながら、八歳のお年より髪を卸して御仏《みほとけ》に仕え奉る。みずからの御発心《ごほっしん》でないだけに、一層おいじらしさが身にしみると、道庵が柄《がら》にもなくしおらしい同情をしたのが米友の胸をうつ。
 思い返せば、あの尼宮様の面影《おもかげ》がお痛わしい。
 道庵と、米友が、善光寺の仁王門を出でて札場のところまで来ると、そこで祭文語《さいもんがた》りが、参詣の善男善女の足を引きとめている。
 背の高い道庵は、人の後ろからこれを眺めるに骨は折れないが、背の短い米友には、何が始まっているのだかわからない。
 道庵、その祭文語りを聞くとまたいい心持になってしまいました。
 祭文語りは惣髪《そうはつ》を肩にかけ、下頤《したあご》に髯《ひげ》を生やし、黒木綿を着て、小脇差を一本さし、首に輪宝《りんぽう》の輪袈裟《わげさ》をかけ、右の手に小さな錫杖《しゃくじょう》、左には法螺《ほら》の貝、善光寺縁起から、苅萱道心《かるかやどうしん》の一節を語り出している。
 道庵が感心した顔をしてしきりに耳を傾けているものだから、米友も聞きたくなり、人の間をうろうろしてみたが、押しあけて中へ進むわけにもゆきません。
 それを一段聞くと道庵がしきりに昂奮して、軽井沢で発心《ほっしん》した武者修行の謀叛《むほん》が、むらむらと頭を擡《もた》げました。
 祭文語りの悲壮な語りぶりが、はしなくも、道庵の武士道心を刺戟したものかも知れません。
 さあこの善光寺を振出しに、明日からは、いよいよ武者修行の姿となって、木曾街道を上方《かみがた》までの道場という道場を荒してくれよう――と道庵はしきりに昂奮をつづける。
 この祭文語りが、もう少し近代風に、曾我をやるとか、義士伝を講ずるとかいうならば、道庵の昂奮もその謂《いわ》れがないではないが、何をいうにも、この祭文語りは山伏に近い古風なもので、ことに語り物が、哀婉《あいえん》たる苅萱道心《かるかやどうしん》の一節と来ているのだから、多少の菩提心《ぼだいしん》をこそ起せ、そう無暗に昂奮して、武者修行熱を起した道庵の心持は解《げ》せないものだが、道庵に言わせると、また立派にその謂れがあるのかも知れない。
 実をいうと、道庵の武者修行熱は必ずしも軽井沢に始まったというわけではなく、そのずっと以前から萌《きざ》しているので、一度はどうか武者修行をやって、至るところの道場という道場を、片っぱしから荒して歩きたいという念願が、離れたことはなかったのであります。
 それが軽井沢の出来事によって誘発せられ、小諸、上田を通って行くうちに、ここで始めようかここで……と幾度も思い込んではみたが、衣裳やらなにかの都合でそうもゆかず、とうとう善光寺までそのままで来てしまったが、ここへ来て祭文を聞いたので、またも激しくそれが誘発され、もう矢も楯も堪らず、明日からは是が非でも武者修行だと、非常な昂奮を始め、地響きを立てて善光寺の門前を驚かしたものです。
 そんなら、道庵先生自身は、それほど腕に覚えがあるのか――こういう先生のことだから、どこにどういう隠し芸を持っていないとも限らないが、軽井沢の宿でたいてい手並はわかっているではないか。しかし、昔をいえば道庵も、江戸市中の持余し者であった茶袋の歩兵を見事に取って押えて、群集をアッといわしたことがある。あれは天神真揚流の逆指《ぎゃくゆび》という手で――道庵自身にいわせると二両取りの手だというが――それから柳橋では辻斬を取って押えたこともあるという。いざといえば、匙《さじ》一本で二千人を殺したといい出す。
「先生は、まあ、昔でいえば張孔堂由井正雪《ちょうこうどうゆいのしょうせつ》といったようなもので、武芸十八般、何一つ心得ておいでにならぬのはない……」
なんぞと持ち上げようものなら、先生納まり返って、
「それほどでもねえのさ」
と顋《あご》を撫でるところなどは、全く始末にゆかないのであります。
 その先生が、今や進んで武者修行を試みようというのは、要するに米友というくっきょう無類の用心棒があればこそだろうが――単にそれだけではない、先生には先生としての奇警にして、正当なる自信を別に持っているもののようです。
 だが、道庵先生がドンキホーテを読んで、その興味に駆《か》られて武者修行を思い立ったものとも思われません。
 他の道楽は大抵、間違っても多少の恥を掻《か》くだけで済むが、武者修行は、やりそこなうと生命に別条がある――たとえ米友がありといいながら、これは危なげのあり過ぎる道楽である。よした方がよい。だが道庵の意気は冲天《ちゅうてん》の勢いで、留めて留まらぬ勇ましさは、その足どりでもわかります。もう既にいっぱしの荒武者気取りで、善光寺前の藤屋という宿へ、大風《おおふう》に一泊を申し込んで番頭を驚かせました。
 宿へ納まってから、改めて米友を呼んで、申し渡すことには、
「あの祭文《さいもん》を聞いてから急に武者修行をやってみたくなった、そこで友様、済まねえがお前は武芸の方で、俺のお弟子分になってもらいてえ、そうして、木曾街道から名古屋、京大阪をかけて、道場という道場を荒し廻って、武芸者という武芸者に泡《あわ》を吹かせてやりてえ、第一そうして道場めぐりをして歩けば、宿賃が浮くだけでも大したものだ」
 道庵先生としては詰らないことをいったものです。道場荒しの意気組みはまあいいとしても、宿賃が浮くなんぞは甚だ吝《けち》であります。道場めぐりで、宿賃をかすろうというような、さもしい道庵ではないはずだが、言葉のはずみで、そんなことを言ってしまったものでしょう。果して米友は軽々しくそれに賛成しない。第一武芸には、上には上があるものだから、そう物好きをやるべきものではない――という米友の諫言《かんげん》は正当にして穏健なるものだが、そうかといって思い止まるには、道庵に自信があり過ぎる。
 この自信が、匙一本で、幾千の人を、生かしたり、殺したりする自信だからたまらない。
 米友も実は心配している。道庵先生、しきりに強がりをこそ言うが、武術なんぞの素養は薬にしたくも持合わせていないことは、米友がよく知っている。万一、若い時、多少やったにしたところが、この年で、今まで休んでいれば、とうてい他流試合なぞに堪えられるものではあるまい。
 どういうつもりだか料簡《りょうけん》がわからない。しかし、道庵の料簡のわからないのは今に始まったことではなく、米友には全部わからないし、また、やはり道庵は偉い先生で、そのする事、なす事が、自分らの頭では解釈し切れないのだと米友は信仰しているのだから、全然料簡のわからないことをやり出しても、それが時間を経《ふ》ると、相当の意義を齎《もたら》して来ることもあるのだから、どうも仕方がない、御意のままに任せるよりほかは――
 そこで、武者修行を主張する道庵にも相当の自信があるので、吾々がそう危ながるほどの危険はないのかも知れない。また万一の危険の際には、及ばずながら自分が飛び出そうとの決心もあるから、賛成はしないが、強《し》いて反対するのでもありません。
 米友を口説《くど》き落したつもりの道庵は、いよいよ有頂天《うちょうてん》で、多年の慈姑頭《くわいあたま》をほごして、それを仔細らしく左右に押分け、鏡に向ってしきりに撫でつけているところは、正気《しょうき》の沙汰《さた》とも見えません。被布《ひふ》なんぞはニヤけていけねえ、脇差もこんな短けえんではいけねえ――道庵は衣裳、持物の吟味までも始めたが、肝腎の道場訪問の儀式作法に至っては、研究する模様もなし、米友に訊ねようとの気色《けしき》も見えない。
 総髪を左右に押分けた急拵《きゅうごしら》えの張孔堂正雪。
 悪い洒落《しゃれ》だ……と米友も呆《あき》れましたが、これというのも、あの祭文語《さいもんがた》りを聞いて昂奮したせいだろう。祭文が無暗に武勇伝を語って聞かせるのも考えものだと、米友が思いました。
 道庵が、どうしてこうも武者修行をやってみたいのだか――その最初の動機は、いま米友が心配しているところの如く、祭文語りから来たのも因縁でありますが、これには奇《き》にして正《せい》なる一場の物語がある。その物語たるや極めて興味あるエピソードとなすに足る。
 件《くだん》の物語の主人公は祭文語りであって、その祭文語りが、無能が大能に通ずるの真理を極めて滑稽なる仕方で現わしたところに、無限の興味があります。

         十九

 天保の初め頃、神戸に一人の祭文語りがあった。この男、身の丈五尺九寸、体量二十七貫、見かけは堂々たるものだが、正味は祭文語り以上の何者でもなく、祭文語り以下の何者でもない。芸名を称して山本南竜軒と呼び、毎日デロレンで暮している。
 男子生れて二十七貫あって、デロレンでは始まらない、と先生、ある日のことに、商売物の法螺《ほら》の貝を前に置いて、つくづくと悲観する。
 ところへ友達が一人遊びにやって来て、大将何を考え込んでいるのだと言う。
 身の丈が六尺、図体が二十七貫もあって、デロレンでは情けないと、今もこうして、法螺の貝を前に置いて、涙をこぼしているところだ。そうかといって立身するほどの頭はなし、商売替えをするほどの腕もなし……何かいい仕事はないかい。
 あるある、そのことなら大ありだ。実はおれもつくづく日頃からそれを考えていたのだ。全くお前ほどのものを祭文語りにして置くのは惜しい、お前、やるつもりなら打ってつけの仕事がある――と友達がいう。
 何だい、おれにやれる仕事は?――なお念のためにいっておくが、図体は大きくても、法螺の貝を持つだけの力しかないのだぜ、力業《ちからわざ》は御免を蒙《こうむ》るよ。
 そんなのではない、別段骨を折らず、大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける法がある。他人ではできないが、お前なら確かに勤まる。
 はて、そんな商売があるものか知ら。骨が折れずに、大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける法があるならば、早速伝授してもらいたい。
 ほかではない、それは武者修行をして歩くのだ、と友達がいう。
 南竜軒先生、それを聞いて呆《あき》れかえり、そんなことだろうと思った、武者修行は結構だ、法螺の貝から、岩見重太郎か、宮本武蔵でも吹き出して、お供に連れて歩けばなお結構だと、腹も立てないから茶化しにかかると、友達の先生一向ひるまず、
 たしかに、お前は武者修行をすれば大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける。剣客におなりなさい。剣術の修行者だといって、到るところの道場をめぐってお歩きなさい。到るところの道場では、お前を丁寧にもてなして泊めてくれた上に、草鞋銭《わらじせん》をまで奉納してくれるに相違ない。こんないい商売はあるまいではないか。
 なるほど、それはいい仕事に相違ないが、おれには剣術が出来ない、竹刀《しない》の持ち方さえも知らないのを御承知かい。
 そこだ、憖《なま》じい出来るより、全く出来ない方がよい。そこを見込んでお前に武者修行をすすめるのだ。少しでも出来れば、ボロの出る心配があるが、全く出来なければ、ボロのでようがない。その方法を伝授して上げよう。
 まず第一、お前の体格なら、誰が見ても一廉《ひとかど》の武芸者と受取る。そこで、武芸者らしい服装をして、しかるべき剣術の道具を担って、道場の玄関に立ってみろ、誰だって脅《おどか》されらあ。
 南竜軒、首を振って、詰らない、最初に脅しておいて、あとで足腰の立たないほどブン擲《なぐ》られる。
 友達の曰《いわ》く、そこにまた擲られない方法がある。
 とはいえ、武芸者として推参する以上は、立合わぬわけにはいくまい、立合えばブン擲られるにきまっている。
 けれでも、そこを擲られないで、かえって尊敬を受ける秘伝があるのだが――
 それは聞きたいものだね、そういう秘伝があるならば、それこそ一夜にして名人となったも同然。
 南竜軒もばかばかしいながら、多少乗り気になったが、友達の先生はいよいよ真顔で――
 しかし、一つは擲《なぐ》られなければならぬ、それもホンの一つ軽く擲られさえすれば済む。それ以上は絶対に擲られぬ秘伝を伝授して上げよう。
 頼む――多分、牛若丸が鞍馬山で天狗から授かったのが、そんな流儀だろう。それが実行できさえすれば、明日といわず武者修行をやってみたいものだ。
 よろしい、まずお前がその二十七貫を武芸者らしい身なりに拵《こしら》え、剣術の道具を一組買って肩にかけ、いずれの道場を選ばず玄関から、怯《お》めず臆《おく》せず案内を頼む。
 取次が出て来たところで、武者修行を名乗って、どうか大先生《おおせんせい》と一つお手合せを願いたくて罷《まか》り出でたと申し出る。
 道場の規則として、大先生の出る前に、必ずお弟子の誰かれと立合を要求するにきまっている。その時、お前はそれを拒《こば》んでいうがよい。いや、拙者はお弟子たちに立合を願いに来たのではない。直接《じか》に大先生に一手合せを、とこう出るのだ。
 先方は多少、迷惑の色を現わすだろうが、立合わないとはいうまい。立合わないといえば卑怯《ひきょう》の名を立てられる――そこで道場の大先生が直接にお前と立合をすべく、道場の真中へ下りて来る。
 南竜軒、ここまで聞いて青くなり、堪らないね、お弟子のホヤホヤにだって歯は立たないのに、大先生に出られては、堪らない。
 そこに秘伝がある――大先生であれ、小先生であれ、本来剣術を知らないお前が、誰に遠慮をする必要があるまいもの、いつも祭文でする手つきで、こう竹刀《しない》を構えて大先生の前に立っているのだ。
 それから先だ、そこまでは人形でも勤まるが、それから先が堪るまいではないか、と南竜軒が苦笑する。
 友達殿はあくまで真面目くさって、それからが極意《ごくい》なのだ、そうして立合っているうちに、先方が必ず打ち込んで来る。面《めん》とか、籠手《こて》とか、胴《どう》とかいって、打ち込んで来る。
 南竜軒の曰《いわ》く、打ち込んで来れば、打たれちまうじゃないか、こっちは竹刀の動かし方も知らないんだぜ。
 友達殿曰く、そうさ、打たれたのが最後だ、どこでもいいから打たれたと思ったら、お前は竹刀を前に置いて、遥《はる》か後ろへ飛びしさり、両手をついて平伏し、恐れ入りました、われわれの遠く及ぶところではござらぬといって、丁寧にお辞儀をしてしまうのだ。
 なるほど――
 そうすれば、先方の大先生、いや勝負は時の運、とかなんとかいって、こちらを労《いた》わった上に、武芸者は相見たがいというようなわけで、一晩とめて、その上に草鞋銭《わらじせん》をくれて立たせてくれるに相違ない。芳名録を取り出して先生に記名してもらう。その芳名録を携えて、次の道場を同じ手で渡って歩けば、日本全国大威張りで、痛い思いをせずに武者修行ができるではないか。
「なるほど」
 南竜軒は首をひねって、暫くその大名案を考え込んでいたが、ハタと膝を打って――
 面白い、これはひとつやってみよう、できそうだ。できないはずはない理窟だ。
 そこでこの男はデロレンをやめて、速成の武者修行となる。形の如く堂々たる武者修行のいでたち成って、神戸から江戸へ向けて発足《ほっそく》。
 名乗りも、芸名そのままの山本南竜軒で、小手調《こてしら》べに、大阪の二三道場でやってみると成績が極めてよい。全く先方が、誂《あつら》え通りに出てくれる。一つ打たれさえすれば万事が解決して、至って鄭重《ていちょう》なもてなし[#「もてなし」に傍点]で餞別《せんべつ》が貰える。
 そこにはまた、道場の先生の妙な心理作用があって、この見識の高い風采《ふうさい》の堂々たる武者修行者、弟子を眼中に置かず、驀直《まっしぐら》に師匠に戦いを挑《いど》んで来る修行者の手のうちは測り難いから、勝たぬまでも、見苦しからぬ負けを取らねば門弟への手前もあるという苦心が潜むところへ、意外にも竹刀《しない》を動かしてみれば簡単な勝ちを得た上に、先方が非常な謙遜《けんそん》の体《てい》を示すのだから、悪い心持はしない。そこで、どこへ行っても通りがよくなる。
 部厚《ぶあつ》の芳名録には、一流の道場主が続々と名前を書いてくれるから、次に訪ねられた道場では、その連名だけで脅《おどか》される。
 かくて東海道を経て、各道場という道場を経めぐって江戸に着いたのは、国を出てから二年目。さしも部厚の芳名録も、ほとんど有名なる剣客の名を以て埋められた。
 天下のお膝元へ来ても、先生その手で行こうとする。その手で行くより術《すべ》はあるまいが、いったん味を占めてみると忘れられないらしい。事実、こんな面白い商売はないと思っている。
 そうして、江戸、麹町番町の三宅三郎の道場へ来た。
 この三宅という人は心形刀流《しんぎょうとうりゅう》の達人で、旗本の一人ではあり、邸内に盛んなる道場を開いて、江戸屈指の名を得ている。
 そこへ臆面《おくめん》もなく訪ねてきた山本南竜軒。例の二十七貫を玄関に横づけにして頼もうという。門弟が応接に出ると例によって、拙者は諸国武者修行の者でござるが、当道場の先生にもぜひ一本のお手合せが願いたい――これまで各地遍歴の間、これこれの先生にみな親しくお立合を願っている――と例の芳名録を取り出して門弟に示すと、それには各地歴々の剣客が、みな麗々《れいれい》と自筆の署名をしているから、これは大変な者が舞い込んだ、と先生に取次ぐ。道場主、三宅三郎もそれは容易ならぬ客、粗忽《そこつ》なきように通しておけと、道場へ案内させて後、急に使を走らせて門人のうち、優れたるもの十余人を呼び集める。
 そこで三宅氏が道場へ立ち出でて、南竜軒に挨拶があって後、これも例によって、まず門弟のうち二三とお立合い下さるようにと申し入れると、南竜軒は頭を振って、仰せではござるが、拙者こと、武者修行のために国を出でてより今日まで二年有余、未だ曾《かつ》て道場の門弟方と試合をしたことがない、直々《じきじき》に大先生とのみお手合せを願って来た、しかるに当道場に限ってその例を破ることは、この芳名録の手前、いかにも迷惑致すゆえに、ぜひぜひ、大先生とのお手合せが願いたい――と、いつもやる手で、二年余り熟練し切った口調で、落ちつき払って申し述べる。
 そういわれてみると、三宅先生もそれを断わるわけにはゆかない。ぜひなく、それでは拙者がお相手を致すでござろろう。
 そこで、三宅先生が支度をして、南竜軒に立向う。
 南竜軒は竹刀《しない》を正眼《せいがん》につける。三宅先生も同じく正眼。
 竹刀をつけてみて三宅三郎が舌を巻いて感心したのは、あえて気怯《きおく》れがしたわけでもなんでもない、事実、南竜軒なるものの構え方は、舌を巻いて感心するよりほかはないのであった。
 最初の手合せで、しかも江戸に一流の名ある道場の主人公その人を敵に取りながら、その敵を眼中におかず、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》たるその態度。構え方に一点の隙を見出すことができない。
 事実、三宅三郎も、今日までにこれほどの名人を見たことがない。心中、甚だ焦《あせ》ることあって、しきりに術を施さんとして、わざと隙を見せるが、先方の泰然自若たること、有るが如く、無きが如く、少しもこっちの手には乗らない。
 勝とうと思えばこそ、負けまいと思えばこそ、そこに惨憺《さんたん》たる苦心もあるが、最初から負けようと思ってかかる立合には敵というものがない。しかもその負けることだけに二年有余の修行を積んでいる武芸者というものは、けだし、天下に二人となかろう。余裕綽々たるもその道理である。
 この意味に於て南竜軒は、たしかに無双の名人である。
 至極の充実は、至極の空虚と一致する。
 これを笑う者は、やはり剣道の極意を語るに足りない。道というものの極意もわかるまい。
 さて、三宅三郎は、どうにもこうにも、南竜軒の手の内がわからないが、そうかといって、剣術というものは、竹刀を持って突立っているだけのものではない。ものの半時《はんとき》も焦り抜いた三宅氏も、これでは果てしがないと思い切って、彼が竹刀の先を軽く払って面を打ち込んでみた。
「参った!」
 その瞬間、南竜軒はもう竹刀を下に置いて、自分は遥かに下にさがって平伏している。三宅氏は呆《あき》れてしまった。
 事実、今のは面でもなんでもありはしない。面金《めんがね》に障《さわ》ったかどうかすらも怪しいのに、それを先方は鮮かに受取ってしまったのだから、三宅氏が呆れたのも無理はない。呆れたというよりも寧《むし》ろ恥じ入ってしまったのだ。自分がこの大名人のためにばかにされ、子供扱いにされてしまったように思われるから、顔から火の出るほどに恥かしくなった。
「山本先生、ただいまのは、ほんの擦《かす》り面《めん》、ぜひもう一度お立合を願いたい」
 しかるに、相手の大名人は謙遜を極めたもので、
「いやいや恐れ入った先生のお腕前、我々|風情《ふぜい》の遠く及ぶところにあらず」
と言って、どうしても立合わない。
「では、門弟共へぜひ一手の御教授を……」
と願ってみたが、先生に及ばざる以上、御門弟衆とお手合せには及ばずと、これも固く辞退する。止むを得ず、三宅氏は数名の門弟と共に、大名人を招待して宴を張る。
 その席上、改めて三宅氏は南竜軒に向い、何人《なんぴと》について学ばれしや、流儀の系統等を相訊《あいたず》ねると――南竜軒先生、極めて無邪気正直に一切をブチまけてしまった。
 これを聞いた三宅氏は胸をうって三嘆し、今にして無心の有心《うしん》に勝るの神髄を知り得たり、といって喜ぶ。

 道庵先生、この型を行ってみたいのだろうが、そうそう柳の下に鰌《どじょう》はいまい。

         二十

 田山白雲は、伝馬町の鱗屋《うろこや》という古本屋の前へブラリとやって来て、
「何か面白い本はないかね」
「左様、面白い本は……」
「面白い本があったらひとつ見せてもらいたい」
「ああ、左様左様、面白いものを少しばかり纏《まと》めて手に入れましたから、お目にかけましょう」
「面白いものを纏めて手に入れたのは結構、見せてもらいたい」
 白雲が腰をかけると、亭主は書物を山のように持ち出し、
「なかには相当に面白いものがございます」
「どれ……」
「古いのには、年一年面白いものが減って参りますのに、新しい方は、なかなか面白いものが出ませんので困ります」
 客が面白い本はないかと言ったので、亭主は面白い本があるという。おたがいに面白ずくで商売をしているようです。
 この時分には現代のように、雑誌学問の青二才までが、興味中心だの、芸術本位だのと、歯の浮くようなことを言わなかった時代ですから、面白いという言語の中には、すべて注目に値するほどのものを包含していたのでしょう。ですから翻訳すると、「何か注目に値する書物はないかね?」「ございます、なかなか掘出し物がございます」という程度の意味のものでしょう。
 されば佐藤一斎の講義が面白かったという場合もあれば、曲亭主人の小説が面白かったという場合もあります。
 白雲がいま求める面白い本というのは、さしあたり着手した洋学の初歩に関する、東洋の美術よりは西洋の美術に関して、何か特殊の知識を与えられるような書物はないかと尋ねた意味でありましょう。
 しかし、亭主の取り出して示した山のような書物は、そういった意味の面白い書物ではありませんでした。
「端本《はほん》が多うございますけれども、これだけ種類を集めますのが骨でございます」
「こりゃ大変だ」
 山の如く持ち出された書物を、白雲は横目に見て、驚いた顔をしたが、手には取ろうとしません。その書物というのは、白雲の求むるところのものとは違って、旧来ありきたりの赤本、黒本、金平本《きんぴらぼん》、黄表紙、洒落本《しゃれぼん》、草双紙、合巻物《ごうかんもの》、読本《よみほん》といった種類のものをこみで一手に集めて来たものらしいから、白雲は、
「こりゃ大変だ」
といって手に触れず、
「洋学の本はないかね、横文字の……」
「へえ、洋学の方でございますか、左様でございます、華英通語はこのあいだ差上げましたかしら……」
「うむ、あれは貰ったよ」
「では、築城と石炭のことを書いた翻訳書が二三冊ございますが……」
「築城と石炭――それは少し困る、何かほかに向うの歴史、風俗、絵のことなどがわかるといったような書物はないかい」
「左様――」
 亭主はあれかこれかと店と書棚を見廻し、
「ここに一冊、唐人往来というのがございます……」
「何だい、それは――」
「この通り写本でございますが、これになかなか、あちらのことが詳しく書いてあって面白いと皆様がおっしゃいます」
「どれ――」
 田山白雲は二十枚綴ばかりの写本を、亭主の手から受取りました。
「唐人往来――誰が書いたんだ」
「どなたがお書きになりましたか、なかなかあちらのことに詳しいお方がお書きになって、出版はなさらずに、こうして写本で、諸方へ分けてお上げになったのでございます」
「江戸、鉄砲洲《てっぽうず》某稿としてある、面白そうだ」
 白雲はそれを買い求める気になりました。
 白雲はその書物を買って来て両国橋の仮寓《かぐう》へ帰り、即日その書物を読みはじめましたが、実に、こんな面白い本はないと思いました。
 彼は面白い本を求めて、求め得たのです――といっても、それは自分の求める西洋の美術知識のことなんぞは一言も書いてはありませんが、僅かの小冊子の間に、西洋というものの輪廓[#「輪廓」はママ]を描いて人に知らしめる上には、こんな、痒《かゆ》いところへ手の届く本はないと思いました。
 なぜ、もっと早く、こんな面白い本を読まなかったのだろう。尤《もっと》も、出版はされず、写本として知人に配布されただけの書物だということだから、今まで自分の眼に触れなかったのも止むを得ないが、いま読んでも、読むことの遅かったのを悔ゆるばかりです。
 第一、その文章からして、従来の漢学臭味《かんがくしゅうみ》を脱している上に、平易明快で、貝原益軒《かいばらえきけん》をもう少し大きく、明るくしたような書きぶりが頭に残ります。
 それにしても著者は何者。署名はなくて、ただ、「江戸、鉄砲洲某稿」としてある。当代に名だたる洋学者の筆のすさびだろうとは思われますが、誰とは当りがつきません。例えばその文章は、
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「先年、亜米利加《アメリカ》合衆国よりペルリといへる船大将を江戸へ差遣《さしつか》はし、日本は昔より外国と付合なき国なれども……」
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という書出しで、諸外国と交誼《こうぎ》を修し、通商貿易を求めに来《きた》るのを、
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「日本国中の学者達は勿論《もちろん》、余り物知りでなき人までも、何か外国人は日本国を取りにでも来たやうに、鎖国の、攘夷《じょうい》の、異国船は日本海へ寄せ付けぬ、唐人へは日本の地を踏ませぬなど、仰山に唱へ触らし、間には外国人を暗打《やみうち》にするものなど出来《いでき》て、今のやうに人気の騒ぎ立つは、ただ内の騒動ばかりでない、斯《か》く人心の片意地なるは世間へ対しても不外聞至極ならずや。元来何の悪意もなく、一筋に異人を嫌ひ、異人が来ては日本の為にならぬと思ひ込みたる輩《やから》は、自分には知らぬ事ながら我が生国《しやうこく》の恥辱を世間一般に吹聴《ふいちやう》するも同様にて、気の毒千万なれば、この人々の為め聊《いささ》か弁解すべし……」
[#ここで字下げ終わり]
という見識はたしかにその時代の一般はもちろん、学者の頭を抜いている。
 それから、世界の広さを一里坪にして八百四十万坪あり、これを五に分ち五大洲という。その五大洲中ヨーロッパの文明が世界に冠たることを説き、その文明国を夷狄視《いてきし》することの浅見より、支那の覆轍《ふくてつ》を説いての教え方も要領を得ている。
 次に右五大洲中八百四十万坪の中に住む人口をほぼ十億と数え、そのうち、日本人は数およそ三千万あるゆえに、世界中の人数と比例すれば、九十七人と三人の割合に過ぎないという数字も、大ざっぱながら親切で、当時の粗雑にして空疎なる人の頭に、印象を強くしてなるほどと思わせ、
[#ここから1字下げ]
「さて今|何《いづ》れの国にもせよ、百人の人あり、その中九十七人は睦《むつま》じく付合往来するところへ、三人は天から降りたるもののやう気高《けだか》く構へ、別に仲間を結んで三人の外は一切交りを絶ち、分らぬ理窟を言ひながら自分達の風に合はぬと畜生同様に取扱はんとせば、それにて済むべきや、先づ世の中の笑はれものなるべし」
[#ここで字下げ終わり]
も確かに肯綮《こうけい》に当っている。
 それより外国と貿易をすれば、無用の物が殖《ふ》えて、有用の物を取られてしまうという心配の愚なことを解釈し、日本国中の学者先生がたいがい残らず海防策というものを書いて、頭から外国人を盗人に見てかかるの陋《ろう》を笑い、最後には、
[#ここから1字下げ]
「されば地図でこそ日本は、世界の三百分の一つばかりに見る影もなき小国のやう思はるれども、その実は全世界を三十にわりてその一分を押領《おうりやう》するほどの人数を持てる国なり、まして産物は沢山、食物は勿論……」
[#ここで字下げ終わり]
と土地は小なれども人口の大なることに自信を持たせて、盛んにヨーロッパ文明を取入れることを主張している論旨は闊大《かつだい》にして、精神は親切に、文章は例の痒《かゆ》いところへ手の届くようです。
 田山白雲がその頃では最新版に属する「西洋事情」を読み出したのは、それからまもない時であります。
 前の匿名《とくめい》の写本「唐人往来」も、この新刊の「西洋事情」も、等しく福沢諭吉の著述であることは申すまでもありません。
 当時のすべての階級がこれらの著作によって教えられた通り、田山白雲もほとんど革命的の知識を与えられました。
 白雲思うよう、今まで、多少西洋の翻訳書も見たが、それは兵術家は兵術のために、医者は医者のために、語学者は語学のために著《あらわ》されたもののみで、この人の著作のように、包括的に西洋というものの全部を見せてくれた人はない。しかもその見せてくれぶりが、雲霧を払って白日を示すように鮮かなものである。今までの単に鉛管を引いてタラタラと水を流してくれるに過ぎなかったのが、この人のみが巨大なる鉄管を以て、滔々《とうとう》と滝の如くに日本へ向けて、西洋文明の水を落してくれるようだ。
 田山白雲も、この書物を通して、そぞろに巨人の面影《おもかげ》を認めずにはいられなかったようです。
 事実、幕末明治はあれだけの劃時代の時でありながら、その全体を代表する人物を求める日になると、茫然自失する。
 西郷の功大なりといえども、かれ一人でこの時代を代表すること秀吉の如く、家康の如く、尊氏《たかうじ》の如くありはしない。各藩の各種の人傑、おのおの一人一役を以て王政維新という事業に参加しているまでで、維新が中心となって、人物が主とならないのはあの時代の特色といえる――もし、強《し》いて象徴的に幕末維新というものを代表する巨人を選定せよとならば、そは西郷よりも、大久保よりも、木戸よりも、福沢諭吉が相応《ふさわ》しかろう。
 田山白雲も、そこまでは考えなかったろうが、この巨人が時代の渇望に向ってしかけてくれた鉄管の水の豊富なるに驚喜もし、詠嘆もせずにはおられなかったろうと思われる。
 だがしかし、驚喜も、詠嘆も、するはしたけれど、まだ物足らないところはいくらもある。第一、自分が現在尋ねているこの不可解の西洋画の内容においても、外形についても、「西洋事情」は少しも、説明も、暗示も、与えてくれないではないか。それのみか、このあいだ房州へ行った時、支那の少年|金椎《キンツイ》が説いて、駒井甚三郎ほどのものが解釈しきれなかった耶蘇《やそ》の教えというものも、この書物が是とも非とも教えていないではないか――そのほか、白雲はまだ風馬牛《ふうばぎゅう》ではあるが、その耶蘇の教えと並んで、西洋文明の血脈をなしているというギリシャ系統の学問についても、この書物は少しも力を入れていないではないか。
 西洋というものの建物の目下の全体を見せてくれるためには、さほど驚喜すべく、詠嘆もすべき書物でありながら、内容に立入ると物足らないこと夥《おびただ》しい――と白雲はようやくそれに気がつきました。広く知る次には、深く見たいものだと白雲が、望蜀《ぼうしょく》を感じたのはぜひもありません。
 ともかくも、あちらの書物を読まねばならぬ、直接にあちらの書物が読めるようにならなければならぬ――との慾求は、これらの著述を読むことによって、ようやく強くされてゆくことは疑うべくもありません。
 よって、白雲はまた一層の熱心を以て、例の初歩の語学書と首っ引――「華英通語」によって紙をパーペルと知り、絵をピキチュールと知り、絵相師《えそうがき》をポールトレート・ペーヌタル、筆がペンシル、顔がフェース、頭がヘッド、足がフットと覚えて行った程度では満足ができない。
 しかるべき塾へ入門し、しかるべき師につくということは、この種類の人間にはなかなかおっくう[#「おっくう」に傍点]なもの――
 ところで白雲が、再び駒井甚三郎のもとへ行こうという気になりました。切支丹を描いて観音に納めるというような註文は本気では聞けないが、とにかく、相当なものを描いて置いて、房州へ押渡ろうという気を起しました。

         二十一

 田山白雲はお角のために、何を描いて与えようかと思案しました。
 頼まれた題目の非常識は、もとより問題ではないが、それでも自分の良心が満足するほどのものを描いて与えなければならぬという義務を感じました。この場合、その題目と出来ばえが、頼んだ人の気に入ろうと入るまいと、自分の力で相応と認めるものをさえ描いて残して置けば、主人の帰りを待つまでもなく、例によって白雲悠々の旅へ飛立つには何のさわりもないことだ。
 さて、何を描こう、選択を自由にすれば、かえって題目の取捨に迷う。
 ともかくも、目標は浅草寺境内《せんそうじけいだい》の額面である。従来のものの中へ割込んで遜色《そんしょく》のないもの、それを頭に置いて、題目の選択にとりかかってみたが、それが案外骨が折れます。
 容斎の向うを張って弁慶でも描こうかしら。それも気が進まない。景清《かげきよ》は、あれは上野の清水堂にある。いっそ趣をかえて江戸風俗の美人画でも写してみようか、では浮世絵の店借《たながり》をするようだ。
 そこで、白雲は再三、浅草観音の額面を実地見学に行きましたが、どうもしかるべき題目を発見することができません。
 ある日の夕方、あれかこれかと考えながら立戻って格子戸をあけると、そこに不意に眼を眩惑《げんわく》されるものを見せられました。
 座敷では今、清澄の茂太郎が踊っているところであります。元禄模様の派手な裲襠《うちかけ》を長く畳に引いて、右の手には鈴を持ち、左の手では御幣《ごへい》を高く掲げながら、例の般若《はんにゃ》の面《めん》を冠《かぶ》って座敷の中をしきりに踊っているところでありました。
 それが白雲の帰ったのに気がつくと、大慌《おおあわ》てに慌てて、鈴を火鉢の隅に置くやら、御幣を神棚へ載せようとするやら、ようやく般若の面を取って、
「お帰りなさい」
 長い裲襠の裾《すそ》を引いたままで挨拶しました。
「茂坊」
「はい」
「もう一度、今の姿で踊ってごらん」
「御免なさい、おじさん、一人であんまり詰らなかったもんだから……」
「いいから、お前、もう一遍、今の姿で……その面を冠《かぶ》って、鈴と、御幣を持って、いま踊った通りに、踊ってわしに見せておくれ」
「御免なさい、もうしませんから」
「そうじゃない、お前のいま踊った姿を、ぜひもう一度見たいんだ、それを絵に取って置きたいと思うんだよ、叱るんじゃない、頼むんだよ」
「じゃ、やってみましょうか」
「やってごらん」
 そこで茂太郎は、再び面を冠って、両手に鈴と御幣とを持ち、裲襠《うちかけ》を長く引いて、座敷いっぱいに踊りはじめました。これを座敷へ上った白雲は、立ちながら目もはなさずに眺め入りました。
 この踊りは、一種不思議な踊りであります。仕舞のようなところもあり、かんなぎ[#「かんなぎ」に傍点]のような所作《しょさ》もあり、そうかと思えば神楽拍子《かぐらびょうし》のように崩れてしまうところもあって、なんとも名状のできない踊りだが、それでも、その変化の間に一つのリズムというものがあって、陶然として酔わしむるものがある。
 無論、この不思議な児童の、即興の、出鱈目《でたらめ》の踊り方には違いないが、その出鱈目のうちにリズムがあるから、白雲はかえってそれを、本格の踊りよりも面白いと思いました。
 そうしているうちに、白雲が膝を打って、
「これだ」
と言いました――白雲もまた、最初からこの般若《はんにゃ》の面が凡作ではないと見ていたのですが、この時になってはた[#「はた」に傍点]と思い当りました。
 これこそ与えられた絶好な画題だ。その不思議な踊り全体のリズムが、人を妙に陶酔の境へ持って行くのみならず、仔細に見ると無心な子供が、大人の長い着物を引きずっているところにまた無限の趣味がある。そうして、鈴と、御幣《ごへい》とを、無雑作《むぞうさ》に小さな両の手で振り翳《かざ》したところに、なんともいえないたくまざるの妙味がある。
 もしそれ、その冠《かぶ》った般若の面に至っては、白雲が日頃から問題にしていた名作で、銘こそないがその作物の非凡なる、どこからどうしてこの少年が手に入れたのか。そうして朝から晩まで、食事の時でも膝をはなさないで大切《だいじ》がっているのが訝《おか》しいほどである。白雲は、いつか、その面を取ってつくづくと、作と年代等を研究してみようと思っていたそれでありました。いま見ると、その名作の面影《おもかげ》がつくづくと人に迫るものがある。
 体のすべてが無我無心に出来ているのに、面そのものだけが、呪《のろ》いと、憎悪《ぞうお》とを集めた、稀代の名作になっている。
 これこそ求めても得られない絶好な画題だ、と白雲が意気込みました。
 この白熱の興味が、ついに白雲をして五日の間に「妖童般若《ようどうはんにゃ》」の大額を完成させてしまいました。その作たる、われながら見とれるほどの出来と見ましたけれど、白雲はそれに愛惜《あいじゃく》するの暇《いとま》を与えずに、早くもここを出立するの用意を整えてしまい、
「茂坊、さあ、今日は房州へ立つんだぞ」
「え、房州へですか、おじさん、今日?」
「そうだよ」
「房州というのは、あのおじさん、鋸山《のこぎりやま》のある日本寺の、お嬢さんのいる房州なの?」
「そうだとも」
「あたいを、その房州へ連れて行ってくれるの、今日!」
「うむ」
「じゃ、あたい、久しぶりで、あのお嬢さんに会えるんだ」
「会わしてやるとも」
「ほんとに夢のようね、おじさん、もしかして清澄のお寺へ入れちまうんじゃない?」
「そんなことがあるものか、さあ行こう」
「ああ、うれしい」
 少年は欣然《きんぜん》として勇み立ちました。
 この出立はむしろ出奔《しゅっぽん》に近い。白雲ほどのものがどうしてこうも慌《あわただ》しいのか、と怪しまれるほどに大急ぎで、絵が成ると共に装いを整え、その場で置手紙を一本書き――その手紙には、二枚の西洋画を特別に大切に保存しておくように書き残しただけで、自分の作のことは書かず。
 最初は茂太郎の手を引いて外へ出たが、少し歩くともどかしそうに茂太郎を取って、自分の背中に背負《しょ》い込んでさっさと歩み去りました。
 江戸橋の岸、木更津船《きさらづぶね》の船つきの場所に茂太郎を十文字に背負って、空を眺めて立つ白雲。
 澄み渡った秋の空に、白い雲が悠々《ゆうゆう》と遊んでいるのを眺めた時は、一味の旅愁というようなものが骨にまでしみいるのを感じました。
 ほんとうに自分こそ白雲そのもののような生涯。
 それでも旅から旅へうつる瞬間には、どうしてもこの哀愁を逃《のが》れることができない。哀愁に伴うて起る愛惜《あいじゃく》の念が、流転《るてん》きわまりなき人生に糸目をつける。
 妻子を顧みないのは、妻子に対して自分の愛惜があり過ぎるからだと白雲は、その時にいつもそう思います。
 愛惜があってはいけない。妻子眷族《さいしけんぞく》にも愛惜があってはいけない。自己の作物にも愛惜があってはいけない。愛惜の一念ほど自由放浪の精神を妨げるものはないと、いつもそれを感じながら、旅から旅を歩いているのであります。
「妖童般若」の図を描き上げて、こうして追い立てられるように出立したのは、自個《じこ》の作物そのものに、また愛惜を感じてはならないと思ったからでしょう。
 白雲は愛惜が自由放浪を妨げるということをよく知っている。それは自分たちの生涯は自由放浪のほかには立場がないと信じているためらしい。
 昔の出家は一所不住といって、同じところへは二度と休むことさえもしなかったそうだが、自分のはそれとは違いこそすれ、愛惜があっては心を自由の境に遊ばせることができない。だから、つとめて愛惜から逃れんがために旅から旅を歩いているところは、一所不住の姿に似ている。
 それほどならば、最初から妻子を持たなければいいではないか。扶養の義務がある妻子を持った以上は、浮世の義理に繋がれて行くの義務があるべきはず。妻子を持って同時に自由放浪に憧《あこが》れるのは、自分はそれでもよかろうが、妻子そのものが堪るまい。白雲は、そればかりは何とも申しわけをすることができない。申しわけが立たずに両頭を御《ぎょ》して行くことは、白雲としてはかなり苦しいことでしょう。白雲もやっぱり天上の雲ではない、地上の人間だ。

 幸いにして、このたびの船路には、お角の時のような災難もなく、駒井と乗合わせた時のような無頼漢もなく、海も空の如く澄み、且つ穏かな船路でありました。
 久しぶりで海に出た清澄の茂太郎、行住座臥《ぎょうじゅうざが》はなさぬ所の般若の面を脇にかかえて、甲板の上を初めはダクを打って歩いていたが、その足がようやく興に乗じて急になる時分に、帆柱の下で馬鹿囃子《ばかばやし》が湧き上りました。
 これは多分、木更津方面の若い衆が、江戸近在へ囃子を習いに来ての帰りか、そうでなければ江戸近在の囃子連が房総方面へ頼まれて行く途中でしょう。
 太鼓は抜きですが、笛とすりがねの音は海風に響いて、いとど陽気な気分を浮き立たせ、船に乗る者、さながら花車屋台《だしやたい》の上にあるような心持になりました。
「おや、ごらんなさい、あの子は踊っているよ」
 見れば艫《とも》の方から、左腕には般若《はんにゃ》の面を抱え、右の手を翳《かざ》して足拍子おもしろく踊りながらこちらへ来るのは、清澄の茂太郎であります。
 吾等笛吹けども踊らず……と誰がいう。
 船の人は総出で、茂太郎の踊りを見に集まりました。
 踊る人が出て来たので、囃し手の弾《はず》むのは自然の道理であります。
 今や、艫の方から踊りながら歩いて来た茂太郎は、甲板の真中まで踊り進んで来ました。船の中の人という人は、みんな集まってこの踊りを見ていますが、茂太郎は恥かしいという色も見せず、さりとて手柄顔もしないで、しきりに踊っています。
 囃子連の喜びは、喩《たと》うるに物なく、囃子にいよいよ油が乗ってくると、踊りもいよいよ妙に入るかと思われる。最初は囃子が人を踊らせたのに、今は踊りが囃子を引立てるらしい。
 興に乗じた船の人は、知るも知らざるも興を催して、手拍子を打ち、あわや自分たちも一緒になって踊り出しそうな陽気になる。
 初めは人が興味を求め、後には興味が人を左右する。
 清澄の茂太郎こそは小金ヶ原での群衆心理を忘れはしまい。
 興味が人を左右して、自分たちはそれを逃るるに、命がけを以てしなければならなかった苦《にが》い経験を忘れはしまい。
 それを忘れない限り、この踊りもいいかげんで切上げることを忘れはしまい。
 古人は、明哲《めいてつ》身を保つということを教える。
 果然! がらりと拍子をかえた茂太郎は、身を翻すと脱兎の如く船底をめがけて駆け込んでしまいました。
 興|酣《たけな》わにして踊り手に逃げられた船の客は呆気《あっけ》に取られ、囃子連も張合いが抜けたが、しかし船中の陽気は衰えたというではなく、人々はみんないい心持で酔わされたような気分です。

         二十二

 仏頂寺弥助と、丸山勇仙と、宇津木兵馬とが、相携えて松本の城下へ乗込んだ時、松本の城下は素敵な景気でありました。
 尋ねてみると今日から三日間の「塩市《しおいち》」だということ。なお「塩市」とは何だと尋ねてみると、これにはまた一つの歴史的の由緒《ゆいしょ》がある。
 甲斐《かい》の武田信玄と、越後の上杉謙信とが、この信濃の国で争っていた時分、信玄の背後をうかがう東海道筋から塩を送らない。甲斐も、信濃も、海の無い国。人民これがために苦しむの時、前面の敵、上杉謙信がこれを聞いて、武田に使を送って曰《いわ》く、吾と君と争うところのものは武勇にあって、米塩にあらず、南人もし塩を送らざれば北塩を以て君に供せん――といって価《あたい》を平らかにして信玄の国へ塩を売らしめたというのは、史上有名なる逸話であります。
 信濃の人、その時の謙信の徳を記念せんがために、この「塩市」があるのだという。
 事実は果してどうか知らん。例年は正月の十一日は大法会《だいほうえ》があるはずなのが、去年は諒闇《りょうあん》のことがあったり、天下多事の際、遠慮してこの秋まで延ばされたものらしい。
 そこで、いつものように花やかには執り行われないが、人気というものはかえって、こんな際に鬱屈《うっくつ》するものだから、底景気はなかなか盛んであるらしい。
 その盛んな市中を通り抜けて、浅間の温泉へ行き、兵馬を鷹の湯へ預けておいて、仏頂寺と丸山は城下へ引返し、二人は市中の景気を見ながら、各道場へ当りをつけ、兵馬は温泉場に止まって、その内部を探ろうという手筈《てはず》。
 宿に残された兵馬は、その晩、按摩を呼ぶことを頼みました。
 按摩を取るほどに疲れてもいないけれど、土地の内状を知るには、按摩を呼ぶが近道と思ったのでしょう。
 ほどなく、按摩が来るには来たが、それは眼の見えない男按摩ではなく、目の見える、しかも十四五になる少女でしたから、兵馬も意外の思いをしたが、それに肩を打たせて、さて徐《おもむ》ろにこの温泉場の内状、城下の景気、近頃の泊り客は如何《いかん》というようなことから持ちかけてみると、小娘の按摩は存外ハキハキした返答ぶり。
 特に「塩市」の賑《にぎ》わい隣国に並びなきことと、町の催し、諸国から集まる見世物、放下師《ほうかし》の類《たぐい》、その辺についての説明は委《くわ》しいもの。
 一段と念を入れていうことには、
「今年はちょうど、お江戸で名高い市川海老蔵さんという千両役者が参りました。昨日から宮村座で蓋《ふた》をあけましたから、ぜひ一度ごらんになっておいでなさいまし」
と勧める。そのことならば、仏頂寺、丸山の輩《やから》でさえも噂をしていた。だが、兵馬にとっては芝居どころではない。聞き流しているのを、小娘はいい気になって、海老蔵の偉いこと、千両役者の貫禄の大したものであること、この土地へも千両役者は滅多に来ないということ、果ては、わたしはまだ千両役者というのを一度も見たことがないと、聞かれもしないのに自白するところなどは、抜け目がなく、うっかり口車に乗ろうものなら、たちまち芝居を奢《おご》らせられる段取りになるかも知れない。
 ところで、兵馬は、千両役者にも、芝居にも、いっこう興味を催さないで、近頃のお客に、これこれの客を見なかったかと訊《たず》ねる眼目には、この小娘の手答えが甚だ浅く、いつか知ら役者へ話を引戻してしまう。
 おかしいのは千両役者を見たことがないという口の下から、海老蔵を褒《ほ》めること、褒めること。按摩に来たのではない、役者の提灯持《ちょうちんもち》に来たようなもので、小うるさくてたまらないから、兵馬は追い返してしまいました。
 まあそれ、小娘ばかりを笑ったものではないぞ。
 今の政治家がみんな人気商売の役者と違ったところはない――と京都にいる時、ある志士の慷慨《こうがい》を兵馬は聞いたことがある。
 経綸《けいりん》を一代に行うの抱負が無く、もとより天下を味方にするの徳もなく、また天下を敵とするの勇もない。さりとて巌穴《がんけつ》の間《かん》に清節を保つの高風もない。
 上は公卿《くげ》の御機嫌を伺い、外は外国の鼻息を恐れ、内は輿論《よろん》というもののお気に障《さわ》らないように、そうしてお気に向くような狂言を差換えて御覧に入れようとする。
 このくらいなら寧《むし》ろ蛮勇の井伊掃部頭《いいかもんのかみ》が慕わしい。天下の政治を人気商売として優倡《ゆうしょう》の徒に委するに似たり、と勤王系の志士が冷罵したのを兵馬は覚えている。
 それは天下国家のこと。兵馬の現在は、当分、この地を拠点にとって敵の行方《ゆくえ》を探すのだが、差当っては今に始めぬ滞在の費用問題。不思議なのは仏頂寺と、丸山。金銭の余裕があるべくもない者の身で、ちょいちょい耽溺《たんでき》を試みたり、兵馬の旅費までも綺麗《きれい》に立替えたりしてくれる。これらの輩《やから》はあいみたがい、好意を表したとて有難がらず、受けたとて罰《ばち》も当らない人間と思うから、そのままにしていたが、いつまでそのままにしてもおられまい。
 その辺を思案しながら兵馬は、床の間から刀と脇差を取寄せて拭いをかけて眺め入る。兵馬の刀は国助、脇差には包保《かねやす》の銘がある。これは相生町にいた時分、手に入れたもの。
 ここは松本平で名だたる歓楽の地。今日は城下の本町が大賑わいだから、その反動で、幾分しめやかではあるが、かえって底に物有りそうな宵の色。
 笛や太鼓の響きも聞えれば、音締《ねじめ》も響いて来るし、どうかすると、よいよいと合唱の唄が揚る。それを聞いていると、やはり、塩市の誉れを歌い、謙信の徳を称《たた》えるものであるらしいが、歌詞はさっぱりわからない。
 時々起るその合唱をほかにしては、森《しん》としたもので、空気全体がどこの温泉場も同じように、温かでしっとりしている。その時また、だしぬけに、
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天文《てんぶん》二十三年秋八月
越後国春日山の城主
上杉入道謙信は
八千余騎を引率して
川中島に出陣あり
そのとき謙信申さるるやう
加賀越前は父の仇《かたき》
これをほふりてその後に
旗を都に押立てて
覇《は》を中原に唱へんこと
かねての覚悟なりしかど
かの村上が余儀なき恃《たの》み
武士の面目もだし兼ね……
[#ここで字下げ終わり]
 悲調を帯びたりんりんたる節が聞えたかと思うと、ぴったり止む。
 あれは何だ。詩ではない。浄瑠璃《じょうるり》でもない。相生町の屋敷でよく聞いた琵琶の歌に似て、悲壮にして、なお哀哀たる余韻《よいん》の残るものがある。
 その歌の一節が急遽《きゅうきょ》にして起り、急遽にして止む。
 拭い終った刀を鞘《さや》に納めると、外の通りが騒がしい。
「何だ、何だ、どうしたんだエ、火事でも起ったのかエ」
「火事じゃない、迷子《まいご》だ」
「迷子か」
 今までのは忽《たちま》ちにして起り、忽ちにして消えても、それは音律に協《かな》った音調。今度のは市人が路傍でガヤガヤと騒ぎ出したのです。
「迷子かい」
「迷子ですとさ」
 家並《いえなみ》の人が戸を押しあけて、通りへ飛び出して罵《ののし》る。その中で、
「ちぇッ、おいらの先生が、またいなくなったんだ」
 小焦《こじれ》ったく啖呵《たんか》を切ったその声に、兵馬はどうやら覚えがあります。

         二十三

 その騒ぎがけたたましいのに、その声になんとなく覚えがあるから、兵馬は今しも鞘に納めた脇差を片手に持って、鷹の湯の二階の障子を押し開くと、下の通りは、いまいった通りの戸毎に人が出て、迷子だ、火事だ、と騒いでいる中を走る一人の小者《こもの》、
「おいらの先生がまたいなくなっちゃった――先生、そこいらに泊っていたら言葉をかけておくんなさいな」
 笠を冠《かぶ》っているのを上から見下ろすのだから、さっぱりわからないが、どうもなんだか聞いたような声だと兵馬が思います。
 つまり、件《くだん》の小者が勢いこんで、器量いっぱいの声で、はぐれた連れの者を呼びながら駈けて来たその声に驚かされて、家々の者が出て見たのでしょう。
 ところが、驚かされて出て見た人も、ただそれだけのもので、存外小さな事件と見たから、張合い抜けがしたような思いで、そのあとを見送ってポカンとしているくらいだから、兵馬もそのまま障子を締め、刀と脇差とを以前のところへおいて、さて、これから寝てしまおうと思いました。仏頂寺、丸山は待って待ち甲斐のある輩《やから》ではなし――
 この場はこれで納まったが、納まらないのは、それから行く先々の温泉場の町並。
 例の笠を冠《かぶ》った小者《こもの》が、先生はどこへ行った、先生がまたいなくなった、と喚《わめ》き立てながら駈け廻っているから、だれも、かも、驚かされて出て見ない者はない。何かこの温泉場を根柢からひっくり返す事件でも持上ったかのように飛び出して見ると、件《くだん》の小者。
 それは、子供だろうと思われるほど背が低く、頭には竹の笠を冠って、首には荷物をかけ、手には杖《つえ》をついたのが、跛《びっこ》の足を引きずって、多分、眼中は血走って、そうして、かなりしめやかな歓楽の温泉の町を、ひとりで、騒がせながら飛んで行くのです。
「おい、兄さん、どうしたんだい。何だい、その騒ぎは」
 逗留《とうりゅう》の客で、世話好きなのが差出て聞くと、
「おいらの先生が、またいなくなっちゃったんだよ」
「なに、お前さんの先生がいなくなっちゃったんだって?」
「そうだよ……ちぇッ」
と舌を打って地団駄《じだんだ》を踏んだ人は浅間の人士はまだ知るまいが、これぞ宇治山田の米友であります。
「つまり、お前さんが連れにはぐれたというわけなんだね」
「そうだよ、それも一度や二度じゃねえんだからな、ちぇッ」
 米友が二度舌打ちをして地団駄を踏みました。
 これは、米友が二度舌打ちをして地団駄を踏むのも無理のないことで、またしても、道庵先生が米友を出し抜いて、どこかへ沈没してしまったものと見えます――全く、一度や二度のことではないから、米友としては世話が焼ける。察するところ、善光寺からあんなわけで、松本へ入り込んだ道庵は、今晩は浅間の温泉泊りということを米友にも申し含めておきながら、こんな始末になってしまったものと見える。もとより、こうして家並を怒鳴って歩けば、道庵がこの温泉場に泊っている限り、聞きつけて飛び出すには飛び出すだろうが、道庵ひとりを探すために、温泉場の全体を騒がすのは考えものです。
「兄さん、人を探すんなら探すように、帳場へでも頼んで……いったい、お前のお連れというのは何という宿屋に泊っているんだか、それをいってみな」
 世話好きに訊ねられて、米友が、
「何という宿屋に泊っているんだか、それがわかるくらいなら、こうして怒鳴って歩きゃしねえよ」
「なるほど……それじゃ、お前さんのお連れは何商売で、年は幾つぐらいで、人品は……?」
「商売はお医者さんで、年はもうかなりのお爺さんで、人品は武者修行だ」
と米友がたてつづけに答えました。
 いったい、これはどうしたのだ。尋ねている方が迷子だか、尋ねられているのが迷子だか、わからなくなりました。
 そこへ、またも全浅間の湯を沸かすような賑《にぎ》わいが持込まれたのは、塩市を出た屋台と手古舞《てこまい》の一隊が、今しもこの浅間の湯へ繰込んだということで、遥かに囃子《はやし》の音が聞える、木遣《きやり》の節が聞える。
 そこで、米友をとりまいていた連中も、米友を振捨てて走り出したから、全然|閑却《かんきゃく》されてしまった米友。
 果して、今しも城下から練込んだ養老のダンジリ。
 それを若い衆がエンヤラヤと引いて、手古舞、金棒曳きが先を払う。見物が潮のように溢《あふ》れ出す。
 そこで、誰も米友を相手にする者のなくなったのもぜひないこと。
 ダンジリは上方式、手古舞と金棒曳きは江戸前、若い衆は揃い、見物と弥次とは思い思い。
 屋台の上の囃子は鍔江流《つばえりゅう》。
 この練込みの世話焼に、一種異様な人物が飛び廻っている――
「さあ、しっかりやってくんな、何でもお祭りというやつは江戸前で行かなくちゃあいけねえ、女房でも、子供でも、叩き売ってやる意気組みでなけりゃ、江戸前のお祭りは見せられねえ、ケチケチするない箆棒様《べらぼうさま》」
といって屋台の下から、手古舞のところまで一足飛びにかけて来て、
「そこの芸者、いけねえよ、その刷毛先《はけさき》をパラッと……こういう塩梅式《あんべいしき》に、鬼門をよけてパラッと散らして……そうだ、そう行って山王《さんのう》のお猿様が……と来なくっちゃ江戸前でねえ。おい、こっちの芸者、それじゃお前、肌のぬぎ方がいけねえやな、こうだ、同じことでもこういう塩梅式に肩をすべらせると見た目が生きてらあな、それそれ。ちぇッ、そっちの姉さん、お前、花笠をそう背負っちゃあいけねえよ、成田山のお札じゃあるめえし、ここんところをこう七ツ下りに落してみねえな、見た目が粋《いき》だあな。おいおい、そっちの金棒さん、もう少しずしんと、和《やわ》らか味のある音を出してくんな……さあ、提灯《ちょうちん》を、も少し上げたり、上げたり」
といって、また一目散《いちもくさん》に屋台のところまでかけ戻って、
「しっかりやってくんな……冗談《じょうだん》じゃねえよ、大胴《おおどう》がいけねえ、大胴、もう少し腹を据えてやりねえ。笛、笛、もう少し高く……ひょっとこ、ひょっとこ、思いきって手強く……」
 御当人も片肌をぬいでしまって、有合わせた提灯を高く高く振り廻して、屋台の上の踊り方にまで指図する。
 変な親爺《おやじ》が出て来やがった、町内ではあんまり見かけない風俗の親爺だが、かなり気むずかしい親爺らしい。気むずかしいだけに祭礼の故実も心得ているらしい。あんなのには逆らわずに世話を焼かしておく方がいいとでも思ったのでしょう。いくぶん尊敬の意味でいうことを聞いているらしいから、この親爺、いよいよつけ上り、
「さあ、若い衆、拙者が音頭《おんど》を取るから、それについて景気のいいところを一つ……オーイ、ヤレーヨ、エーンヨンヤレテコセー、コレハセー、イヤホーウイヤネー」
「ヤーイ」
 若い衆はわけもなくこの音頭に合わせてひっぱると、親爺、御機嫌斜めならず、
「ホラ、もう一つ、エーヤラエ、ヨイサヨイヤナ、アレハエンエン、アレハエンエン」
「ヨーイ、ヨーイヨーイ」
 この親爺《おやじ》一人でお祭りを背負って立つような意気組み。これぞ、以前の小者《こもの》が尋ね惑うているところの先生であります。
 またしても、あまりの賑《にぎ》やかさに、宇津木兵馬は再び二階の障子をあけて見おろしますと、この通りの景気です。
 その中を、右に左に泳ぎ渡って指図をして歩く変な親爺がある――兵馬は本来、道庵先生とは熟知の間柄で、ずいぶん今まで先生の世話にもなったことがあるのだから、そう見違えるはずはないのだが、いかに道庵先生だからとて、信州の松本までお祭の世話焼に来ていようとは思わず、第一、その頭が違っている。クワイ頭の専売物でなく、惣髪《そうはつ》にして二つに撫でつけた塚原卜伝《つかはらぼくでん》の出来損ないのような親爺が、まさか長者町の道庵だとは思われませんから、やはり、変な親爺が、世話を焼いているなぐらいの程度で、この景気の見送りをして、またも障子を閉《とざ》してしまいました。
 一方、宇治山田の米友は、浅間の町の迷児の道しるべの辻に立って、しきりに地団駄《じだんだ》を踏んだり、嘆息をしたりしている。
 ああしたような事情で善光寺を立ち出で、善光寺から稲荷山《いなりやま》へ二里、稲荷山から麻績《おみ》へ三里、麻績から青柳へ一里十町、青柳から会田《あいだ》へ三里、会田から刈谷原《かりやはら》へ一里十町、刈谷原から岡田へ一里二十八町、岡田から松本まで一里十八町を通って、松本の城下へ入り込んで見ると、前いうような景気でしたから、道庵がまたはしゃぎ出し、浅間の湯というのへ泊ることだけは打合せておいたが、とうとう途中で飛ばしてしまいました。
 止むことを得ず、米友は約束の浅間の地に着いて、町並に怒鳴り歩いてみたが手答えがなく、そこで、今は株を守って兎を待つよりほかの手段はなくなりました。
 町の辻の迷児の道しるべのあるところに、悄然《しょうぜん》と立った宇治山田の米友。
 人の気も知らないで、賑やかしい花車屋台《だしやたい》の行列は早くも米友の前まで押寄せて来ました。そこで迷児の道しるべの前に立っていた米友が、後ろへ隠れて人波を避ける。幸いにして米友は柄が小さいから、道しるべの蔭へ隠れた日には、少しも人波の邪魔になるということがありません。人波の方でもまた、米友と、道しるべとを捲き残して、大水のように過ぎ去ってしまえば何のことはないのだが、ここぞ、この町並ではほぼ目貫《めぬき》のところでしたから、そこで行列も御輿《みこし》を据えて、器量いっぱいのところを見せなければなりません。
 米友にとってはこれが迷惑です。早くこの人波が流れ去ってしまうことを希望していたのに、流れ来った水がここで湖となってしまい、自分と、道しるべとは島にされたならまだいいが、湖底に埋没されたような形になって、群衆は米友の頭の上でしきりに踊り騒いでいる。
 ぜひなく米友は、道しるべの蔭にいよいよ蹲《うずくま》って、ともかく、この人波の停滞が崩れ去るのを待って、おもむろに身の振り方をつけようと覚悟しました。
 こうして人波に埋没されている米友にとっては、何の面白くもないお祭り騒ぎ――だが人の面白がるものにケチをつけるにも及ばねえが、いいかげんにしてもれえてえものだな――と思って辛抱している。ところが、誰あって、米友が道しるべの下で、こんな犠牲的な辛抱をしていると気のつく者はなく、ただもう器量いっぱいに踊り騒いでいる。
 そのうち、むっくりと宇治山田の米友が跳ね起きたのは、その癇癪《かんしゃく》が破裂したのではありません、当然聞くべき人の声をその中で聞いたから、いきなり飛び上って道しるべの上へ突立って見ると、この時、道庵先生が屋台の上へかじりついて、
「さあ退《ど》いた、若い衆、いよいよこの親爺《おやじ》に一つ踊らしてくんな、この親爺の踊りっぷりを一つ見てくんな」
 若い者のすることが見ていられなくなったと見えて、道庵先生はダンジリに飛びあがって、自ら馬鹿面踊《ばかめんおど》りの模範を示そうというところでありましたから、米友が、じっとしてはいられません。
 道しるべの上から飛び立って、人の頭の上を走り通り、今しもダンジリに縋《すが》りついた道庵の袖を引っぱり、
「先生、いいかげんなことにしな」
と言って米友が、その手首をグングン引出した時に道庵が、
「友様か……済まねえ」
と叫びました。
 済むも済まないもありはしない。一刻も捨てておいた日には危なくてたまらないから、米友は有無《うむ》をいわせず道庵を引き立てて、また人の頭の上を飛んで走り戻りました。人の頭の上を、無闇に走り通ることの無作法ぐらいは米友も知ってはいるが、この際は、それを遠慮していられないほど急場の場合でありますからぜひがない。
 遮二無二《しゃにむに》、自分は人の頭の上を飛び、道庵の身体をも人の頭なりに引きずって、米友は露地の暗い人通りの少ないところへ引きずり込んでしまいました。
 それは米友流の極めて速かな早業《はやわざ》を以て、一瞬の間に行われてしまったものですから、頭の上を通られた連中までが、
「あっ!」
と言ったきり、手出しのできないほどの早業でありました。不思議な音頭取りを不意にさらわれても、それを追いかける手段を忘れしめたほどの早業でありました。
 道庵においても、遮二無二その腕を引張られても、人の頭の上を引きずり廻されても、痛いとも、痒《かゆ》いとも、言う暇のないほどの早業でありました。
 その早業が完全に行われて、人の頭の上から――露地の人通りの少ない所から、ついに行方《ゆくえ》も知らず引張り込まれた後に至って、群衆が騒《ざわ》めき立ちました。
「ひとさらい……」
 だが、もう遅い。
 ついにその近きあたりのどこを探しても、それらしい人の影を見出すことができませんものでしたから、一時、お祭りは中止の姿で、その奇怪のひとさらいの噂《うわさ》で持切りであります。
 たしかに小さいながら人間の形をしたものがこの道標《みちしるべ》の下から飛び出して、俺の頭の上を走ったには走ったが、その姿を見ることはできなかった、しかしその足は温かい足で、長い爪があったという者がある――いや、なんだか、俺の頭の上を通ったのは泥草鞋《どろわらじ》のようだったという者もある。それが、いきなり老人に飛びつくと、老人が「済まねえ」と謝罪《あやま》ったという者もあれば、謝罪ったのは飛び出して来た小者《こもの》だという者もある。
 しかし、幸いなことは、どちらがさらったにしても、さらわれたにしても、それは少しも土地ッ子の怪我《けが》ではないということで、誰に聞いてみても、あの頼まれもしない世話焼の親爺の何者であるかを知った者はなく、またこの道標あたりから飛び出したものの何者だか見極めた者もなく――どちらにしても氏子には、誰ひとり間違いが無かったということを喜び、結局、今のは天狗様だろうということに衆議が一決しました。
 つまり、辛犬《からいぬ》の山に棲《す》む天狗が、今夜の祭りの興に乗じて里へ出て見たが、面白さに堪らなくなって、つい人間と共に踊り、人間と共に楽しむ気になってしまったのだ、天狗が遊びに出たのだ、それも人を迷わしに来たのではない、人間と共に楽しみに来たのだから、それは怖いことではなく、賀すべきことである、いよいよこのお祭礼《まつり》の景気と瑞祥《ずいしょう》を示す所以《ゆえん》であると解釈がついてみると、右の老人のただ者でないという証拠が、あちらからもこちらからも提出されて、天狗から直々《じきじき》の指南を受けた人たちの持て方が大したものであります。
 天狗も来《きた》り遊ぶということで、この夜の景気がまた盛り返してきたのは、時にとっての仕合せでした。

         二十四

 しかし、天狗の評判があまり高くなったものだから、道庵主従も浅間の湯に泊ることには気がさして、松本の城下を指して宿を替えることにしました。
 城下は相変らずの景気でありますが、そのうちにも道庵をして絶えず大笑いに笑い続けさせたのは、例の「市川海土蔵」の辻ビラと、提灯《ちょうちん》が、至るところにブラ下げてあることです。それを大概の者が「海老蔵」と受取って、もてはやしていることであります。
「まあ、いいや、今夜は夜っぴて景気を見て歩こうじゃねえか、川中島の月見と違って、お祭りを見るのは寒くねえ」
と、道庵が言いました。
 そのうちに「夕日屋」という大きな店の前へ来ると、道庵がまた大きな声をしてカラカラと笑い、米友を驚かせました。
「この店もしかるべき大家のようだが、こう人真似《ひとまね》をするようになっちゃあ、身上《しんしょう》が左前になったのかな……番頭にいいのがいねえんだな」
と言いました。
 その夕日屋の大きな店は酒屋でしたが、この家で造り出す酒の名前を見ると、その頃の銘酒の名前を幾つも取って、それを自家醸造の如く拵《こしら》え、それにガラクタ文士を買い込んでしきりに能書を書かせている。
 人の評判を聞いてみると、この店では、いい酒を盗んで来ては、恥知らずの雇人共に金をあてがって、それに水を交ぜて売り出しているのだという。
 ともかくも夕日屋といえば、町内でも一流の老舗《しにせ》であるのが、こういう卑劣な商売の仕方をするようになったのは、つまり番頭に人物がいないからだ。
 良酒を取って来て、それに水を交ぜてごまかして売り出そうなぞは、三流四流の商店でも潔《いさぎよ》しとはしないのに、夕日屋ともいわれる大店《おおだな》がそれをやり出すに至っては、その窮し方の烈しさに腹も立たないで、涙がこぼれる――と噂をするものもある。
 ともかく、道庵先生は有名な飲み手だから、まあ人間の口で飲める酒はたいてい飲んでいるし、その味もよく知っているのだから、ここへ並べた詐欺物《いかさまもの》の酒の看板を見ると、ゲラゲラと笑い出し、
「箆棒様《べらぼうさま》、よい酒が飲みたけりゃあ、よい酒を作って競争するがいいじゃねえか、よい酒を作るだけの頭もなく、作らせるだけの腕もなく、しょうことなしに、どぶの水を持って来て引掻《ひっか》き廻させようなんぞは、吝《しみ》ったれでお話にならねえ」
と言いました。
 事実、道庵は好んで人の悪口をいい、また好んで当擦《あてこす》りをするわけでもなんでもないが、一流の店ともあろうものが、こういう悪酒を作って売り出させようとする手段を卑しむのは、少しも無理がない。ところがそれを聞いた店の者共は、しゃあしゃあとして、
「いい酒であろうと、悪い酒であろうと、大きにお世話だ、空気中へ抛《ほう》り出しておきながら、聞いて悪いの、見て悪いのという理窟はあるめえ」
といいました。
 その理窟は、ラジオでもなんでも、盗み聞いて差閊《さしつか》えない――といって奨励するような口ぶりでありましたから、道庵も呆《あき》れ返りました。
 本来、道庵先生も決して競争を非とはしない。むしろ大いに好んで競争をやりたがる。さればこそ鰡八大尽《ぼらはちだいじん》の如きをさえ向うに廻して大いに争ったが、その争いたるや君子――でないまでも卑劣な争い方は決してしていない。全力を尽して堂々――と、時としては全力を尽し過ぎて滑ったりするが、そこには自分の自信を裏切るようなことは決してしていないのだから、今この一流の夕日屋ともあろうものが、良き酒に水を交ぜてごまかして売るというようなやり方を見て、せせら笑いました。
 それから暫く行って道庵は、また素敵《すてき》なものを見出して喜んでしまいました。
 見れば火を入れた大行燈《おおあんどん》を横に高く、思いきって大きな文字で、
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「市川海土蔵」
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と掲げ、その下に見えるか見えないかの小さな文字で、外題《げだい》が、
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「一番目 岩見重太郎の仇討
 中幕 勧進帳
 三番目 水戸黄門
 大切 所作事」
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と書いてあり、なおその下に小さく月形半十郎だとか、牧野昌三郎、坂東妻公だとか、お茶っ葉の名前を申しわけのように並べ、その大行燈を横町の入口高く掲げてあるのを見たから、道庵がヒドク喜んでしまったのです。
「有難《ありがて》え、勧進帳を旅先で見られるなんぞは、開け行く世の有難さとでもいうんだろう、江戸ッ児も江戸ッ児、市川宗家エド蔵[#「エド蔵」に傍点]の勧進帳、こいつを見のがした日には江戸ッ児の名折れになる」
と道庵が熱心に力瘤《ちからこぶ》を入れて、
「友様、明日を楽しみに待ってくんな、明日こそお前にも芝居らしい芝居というものを見せてやる」
 今や、この芝居もハネた時間と覚しく、見たところ小屋の前の混雑は名状すべくもありません。
 この景気を以て見れば確かに芝居は大当り、そうして出て来る人の口々の噂《うわさ》を聞くと、
「海老蔵《えびぞう》はいいわね、なんて勇ましいんでしょう、杉之助もよかったが、海老蔵はまたいいわ」
とみい[#「みい」に傍点]ちゃんがいう。
「立廻りのキビキビした男前のいいこと、千両役者だけあるわね」
とはあ[#「はあ」に傍点]ちゃんがいう。
「海老蔵もいいが、月形は熱心で、牧野の頭のいいところが感心だ」
などと、お茶っ葉の提灯《ちょうちん》を持つ折助《おりすけ》の若いのがいう。名優を随喜渇仰《ずいきかつごう》するもろもろの声を聞き流して、道庵主従はこの盛り場から町筋をうろつきました。
 しかし、いくら祭礼の夜とはいえ、松本の城下に、こんなお笑い草ばかり転がっているわけではありません。
 行くこと暫くにして、とある門構えの黒板塀の賤《いや》しからぬ屋敷の前へ来ると、道庵はお祭りの提灯の光で、門の表札を眺めて突立っていたが、
「占《し》めたッ!」
と叫びました。
 例によって米友には、何を占めたのかわからない。
「友様」
 道庵はその門構えの前に立って米友を顧み、
「友様」
「何だ」
「占めたぞ、今晩の宿が見つかった」
 米友にはいよいよわからない。ことによったら武者修行の手を行くのではなかろうかと気がついたが、どうもその家の構えは武芸者の構えらしくない。邸内は相当に広いようだが、道場らしい建物があるようにも思われません。
 ところが、道庵はまず以て穏かに事情を告げてしまいました。
「友様、犬も歩けば棒に当るといって、何が仕合せになるか知れねえ、これはそれ、わしが友達の家だよ、ホラ門札に松原葆斎《まつばらほうさい》とあるだろう、大将いまは江戸にいるが、出立の前に、松本へ行ったら、ぜひおれの家を訪ねてくれろ、手紙を出しておくから……そうして、おれの家を宿にして一通り松本城下を見てもらいてえとこういった、遠慮をするには及ばねえ、松原だの、浅田宗伯なんぞは、おれたちの仲間でも至極《しごく》出来のいい方だ」
 こういって道庵は、ズンズンと門内へ入り込んで行きます。
 松原葆斎は松本藩の医にして、儒を兼ねている。道庵と知り合いになったのは多分江戸遊学中。後、京都に遊学し、また長崎に行って蘭人について医を学び、今は江戸の聖堂に出て、その助教授をしている。
 浅田宗伯は同じく信濃の人――一代の名医にして、また豪傑の資を兼ねている。
 果して、松原の家では道庵の来訪を非常に喜んで、もてなすこと斜めならず。
 その翌日は、同業の人々が案内に立って、まず藩学|崇教館《すうきょうかん》に道庵主従を案内して、そのとき開かれた展覧会を見せてくれました。
 そこには松本を中心にして、概して信濃一国に関する古記古文書がある。諸名士の遺物がある。藩の殖産興業の模範といったようなものもある。
 道庵はそれをいちいち熱心に眼を通して歩き、「五人組改帳《ごにんぐみあらためちょう》」だとか、「奇特孝心者《きとくこうしんもの》の控《ひかえ》」だとか、松本新銭座の銭だとかいうものは、いちいち手に取って熟覧した上に、三村道益が集めた薬草の標本のところへ来ると、われを忘れて、
「有難い」
と合掌し、道益の自筆本「木曾薬譜《きそやくふ》」というのを見ると、伏し拝んでしまいました。
「これだ――これでなくちゃならねえ」
 道庵は三村道益の遺物の前で眼をしばたたいて、親の遺物に逢うように懐しみ、そうして言うことには、
「わしは別段、この道益先生を師として学んだわけでもなんでもねえが……その恵みというものは忘れるわけにはいかねえ。なぜといってごろうじろ、この木曾の薬草が今のように世に盛んに出て、貧民病者を助けるようになったのは、いったい誰のおかげだと思う。道益先生が考えるには、わしは代々この木曾で医者を商売にする家に生れたが、この木曾に産する薬草というものの良質にして、多量なることは、他国の及ぶところではねえ、もしこれをとって、年々に三都へ出して売り弘《ひろ》めた日には、少なくとも天下の薬価の三分の一を減ずることができる、それのみならず、木曾地方は山谷の間にあって、穀物を生ずることが少ない、そこで仕事のない人を山に入れてこの薬草を取らせ、それに多少の賃銭を与えることにすると、その人たちの生活の助けにもなる……と道益先生がこういって、それから自分も手弁当で、蓑笠《みのかさ》をつけて、数人の男をつれて山の中へ入り込んで、一草を見るごとに、必ずそれを取って嘗《な》めて、良いか悪いかを見分けて、その場所へいちいち目じるしを立てておいたものだ。その目じるしというのは、つまり後から取りに来る人のための目じるしだ。それのみならず、その草の根をまたいちいち掘って帰り、これを自分の庭園の中に植えて、山へ取りに行く人に実地を見覚えさせておいたものだ。なんとまあ親切な仕業《しわざ》じゃねえか――昔、支那には神農様というのがあって、百草の品々を嘗《な》めて、薬を見つけて、人間の疾病を救ったものだが、道益様のなすところはそれと同じことだ。ただ草を嘗めるというが、この草を嘗めて良否を見分けるというのは、なかなか度胸がなけりゃできねえよ。そうして道益先生は山に寝《い》ね、谷に転がり、木曾の山中を薬草を探し歩いて尾張に出で、名古屋へ行って銀若干を借りて、それで草を掘る道具類を買受けて、それを一人に一本ずつ与えて、また山中へ入れて薬草を取らせたのだが、仕事を与えられた人々は先を争うて山に入り、日々山の如く薬草を取って来た。それを粗製して年々三都へ売り出すことにしたものだから、もとより薬草の質がいい上に品が多い。今のように木曾薬草の名が天下に知れて、長者町の道庵までがそのおかげを被《こうむ》るようになったのは、みなこの道益先生の親切だ――医者に限ったことはねえ、天下の政治でも、実業界の仕事でも、すべてこの人類に対する親切気から湧いて来なけりゃ嘘だな。道庵なんぞもまことにお恥かしいはずのもので、何一つ社会へ親切気を示したことはねえのに、酒ばかりくらって、諸方をほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩いているのは、古人に対しても、なんともハヤ相済まねえわけのものだが……道庵は道庵だけの器量しかねえんだから、どうぞ勘弁しておくんなさい」
 道庵がポロリポロリと涙をこぼして泣き出しましたけれど、この時は誰も笑うものはありませんでした。
 それから道庵は長沼流の「兵要録」の原本を見たり、義民多田嘉助の筆跡を見たり、臥雲震致《がうんしんち》が十四歳のとき発明した紡績機械の雛形《ひながた》を見たりして、あまり甚だしい脱線もなく、この展覧会を立ち出でました。
 これは初対面の人よりは、かえって附添の米友を驚かしたことで、事毎に何か脱線あるべきはずの先生が、ここでは一切脱線なしに、かえってその言う事が人々を感心させ、その見るところが玄人《くろうと》を敬服させ、案内する者をかえって案内して引廻すようなこともあり、そうして、それぞれ有志たちから受ける尊敬心を裏切らずに押して行く交際ぶりのまじめさが、米友をいたく驚かせました。これは本当の先生だ! 今まで嘘の先生と思っていたわけではないが、こうして押しも押されもせぬ先生で通れるのに、あんな馬鹿騒ぎをして、われと格を落す先生を気の毒と思わずにはいられません。
 やがて松本の城の天守閣の上まで見せてもらうことができました。
 壮大なる松本城天守閣上のパノラマ。あいにく、この日は曇天で、後ろのいわゆる日本アルプスの連峰は見えず、ただ有明山のみが背のびをしているように見えます。
 道庵は酔眼朦朧《すいがんもうろう》として眺める。米友は眼をみはって高い石垣の下の濠《ほり》を見下ろす。城を下って城を見上げて、説明を聞くと、加藤清正も熊本城を築く前に来って、この城を見学して帰ったという。天守閣の棟が西に傾いているのは、義民多田嘉助が睨《にら》んだからだという。
 道庵は、そこで、どうした風の吹廻しか七言絶句《しちごんぜっく》を三つばかり作って、同行の有志家たちに見せました。
 それは、いよいよ米友を驚嘆させて、おいらの先生は、あんな四角な文字まで並べられると、非常に肩身の広い思いをさせ、また同行の有志家たちも、即席に漢詩を作る道庵の技倆に感心をしたらしいが、詩そのものは道庵の名誉のためにここに掲げない方がよろしいと思う。道庵自身も、その辺は御承知のことと見えて申しわけたらたら、
「曲亭馬琴様は、あれほどの作者だが、悪い病には漢文を作りたがってな。漢文さえ作らなきゃあ馬琴様もいい男だが……人は得て不得意なものほど自慢をしたがるやつで……」
といって紙に書いて見せました。
 道庵の詩作に感心した有志家たちは、
「先生は武芸の方もおやりになるそうで……当地にはこれこれの道場もございますが、御案内を致しましょうか」
と来た時に、さすがの道庵がオイソレとは言わないで、苦笑《にがわら》いをしました。
 見も知らないところで、玄関から物々しく、武者修行の案内を求めてこそ、芝居もほんものになるが、身許《みもと》をすっかり知られてしまってからでは、気が抜けてしまって芝居にならない。そこで道庵もそれはいいかげんにごまかして、今日はこれからぜひ、浅間の湯へ行かなければならぬといって、なお松原の家でもぜひ、もう一晩というところを辞退して、浅間の湯へも案内しようというのを振り切って、二人はまた水入らずで松本の町を放浪しました。
 こうして急に息を吹き返したところを見ると、道庵も有志家連との交際を、かなり窮屈に感じてはいたらしい。
 そこで、歓迎から解放されて、自由な気持になり、今晩は浅間の湯へ泊って、ゆっくり休息をして、明朝は早立ちということになれば何のことはないのだが――町を通りながら、例の「市川海土蔵」を見つけると、道庵の病《やまい》が出て、昨晩の米友への約束を思い出し、
「さあ、どうでもこの芝居は見なくちゃならねえ……お前に対しての約束もあるからな――」
 とうとう道を枉《ま》げて、宮村座というのへ入り込んで、市川海土蔵一座を見物することになったのは感心しないことでした。

         二十五

 ちょうど、時刻が少し早かったせいか、さしも連日満員のこの大一座も、道庵主従をして、よい桟敷《さじき》を取らせ、充分に見物するの余裕を与えたことが、良いか、悪いか、わかりません。
 道庵主従が東の桟敷に、むんず[#「むんず」に傍点]と座を構えると、まもなく、土間が黒くなり出して、見るまに場内が人を以て埋《うず》まってしまいました。かくも短時間の間に、かくも満員を占める人気というものの広大なことに、道庵先生も面喰《めんくら》った様子であります。
 一通り場内を見廻して、道庵も人気の盛んなことに驚嘆しながら、酒を取寄せ、弁当を誂《あつら》え、さて番付を取り上げて、今日の番組のところを一通り見ておこうと大きな眼鏡をかけました。
 しかし、番付いっぱいに「市川海土[#「土」に傍点]蔵」が書いてあるものですから、どこに外題《げだい》があるのかよくわかりません。仔細に注意して見ますと、ようやく、岩見重太郎も、水戸黄門も、「海土[#「土」に傍点]蔵」の名前の下に小さくなっているのを見つけ、これでよかったと安心しました。
 米友は、自分は興行に使われたことがある。両国の大きな小屋で擬物《まがいもの》の黒ん坊にされていた経験があるから、多数の見物には驚かないが、自分がお客となって芝居見物をするのは今日が初めてですから、一種異様な感情に漂わされて場内を見廻しておりました。どこを見廻したところで、ここには米友の見知った面《かお》は一つもありません。
 こうしているうちにも、周囲は海老蔵の噂《うわさ》で持切りであります。海老蔵でなければ役者でないようなことをいいます。そうして、もう今までに五度も六度も海老蔵を見て、海老蔵と親類づきあいをしているように吹聴《ふいちょう》しているものも少なくはないようです。ところが米友は、海老蔵も鯛蔵もまだ見たことはない。自分は海老蔵や鯛蔵を見に来たのではなく、芝居というものを見に来たのだから、早く幕があいてくれればいいなと思いました。
 それにしても、先生がいやにおとなしいと米友が見返りました。本来こういう盛り場へ来ると、いよいよ噪《はしゃ》ぎ出して手がつけられなくなる心配があるのに、この時はめっきりおとなしいものだから、米友がそこに気がついて見返ると、先生は、番付をタラリとして、いい心持で居眠りをしています。
 なるほど、昨晩からのあの噪ぎ方では疲れるのも尤《もっと》もだ、幕があいたら起して上げよう、今のうちは静かに寝かしておいた方が先生のためでもあるし、第一、自分も世話が焼けなくていいと思いました。
 そこで米友は、居眠りをさせるにしても、なるべく醜態を人様のお目にかけないようにして居眠りをさせるがよいと思い、番付も取って畳み、道庵の姿勢も少し直してやり、そうして自分は一心に幕の表を眺めて、拍子木の音を待っておりました。
 幕あきを今や遅しと待ちかねているものは、米友一人ではありません。
 その時分、第一の拍子木が一つ鳴ると、満場が急に緊張して、人気がまたざわざわと立ってきました。
 ちょうど、その時です。かねて取らせておいたと見えて、土間を隔てて、米友とは向う前の桟敷に、四人連れの武家が案内されて来て、むんず[#「むんず」に傍点]と座を占めたのは――
 だが、それは格別、誰の眼を惹《ひ》くということもありません。士分の者らしいのも二人や三人ではないから、それがために多きを加えず、少なきを憂えず。米友とても同じことで、自分の前の向き合った桟敷へ、四人連れの侍が来たなと気がついただけで、また幕の方へ眼を外《そ》らせてしまいました。
 しかし、この四人連れの侍のうちの二人は、たしかに、仏頂寺弥助と丸山勇仙であります。あとの二人は確かに仏頂寺、丸山の友人で、風采《ふうさい》を見ればこれもひとかどの武芸者らしい。ただし、宇津木兵馬はおりません。兵馬がいれば、米友も見知っていたでしょう。
 さて、いよいよ幕があきました。
 これは一番目狂言の「岩見重太郎の仇討」の第一幕。
 八月十五日の夜。筑前国|相良郡《さがらごおり》箱崎八幡祭礼の場。
 賑《にぎや》かな祭礼の夜の場面。小早川家中の血気の侍が八人、鳥居の下の掛茶屋に腰をかけて話している。一人が急に、あれへ岩見重太郎が見えたという。
 なるほど重太郎が来たと、一同が色めき立つ。その話によると、家中岩見重左衛門の次男重太郎が、山の中へ入って三年間、木の実を食って、このほど馬鹿になって出て来たという。なるほどボンヤリして歩いて来た。ひとつ調戯《からか》ってやろう、あんなのを調戯わなければ、調戯うのはないという。
 そこで、八人の侍が諜《しめ》し合わせているとも知らず、花道から岩見重太郎が出て来る。重太郎が出ると見物が騒ぎ出して静まらない。海老蔵、海老蔵の声が雷のようだ。
 いかにも重太郎、武士の風こそしているが、ボンヤリして馬鹿みたような顔をしながら歩いて来る。舞台の程よいところへ来ると、以前の若侍が出て調戯《からか》う。そうして結局酒を飲ませるといって附近の料理屋の二階へ連れ込む。
 同じ幕の二場。
 桝屋久兵衛という立派な料理屋の二階。八人の若侍が薄馬鹿の重太郎を囲んでしきりに嘲弄《ちょうろう》しながら、大杯で酒をすすめる。それを重太郎がひきうけて八杯まで呑む。そのうち、二人ばかり重太郎に組みついて来ると、重太郎がそれを取って投げる――つづいて組みついたり――打ってかかったりするのを、残らず二階から下へ投げ落してしまう――それから舞台が半廻しになって、重太郎は海岸の淋しい松原をブラブラ帰りながら、自分は三鬼山《みきざん》の奥に三年|籠《こも》り、一人の老翁のために剣法を授かったが、その老翁が喬木《きょうぼく》は風に嫉《ねた》まれるから、決してその術を現わさぬよう、平常《ふだん》は馬鹿を装っているがいいといわれたから、その通りにしている、親兄弟にも馬鹿になって来たと思われているが、身に降りかかる火の子は払わなければならぬ、無益な腕立てをして残念千万、というような独白《せりふ》がある。
 そうして松原へかかると、人の気配《けはい》がするのでキッと踏み止まって八方に眼を配る。この時遅し、前後から白刃を抜きつれて斬ってかかる者がある。
 重太郎、心得てヒラリと体《たい》をかわし、たちまち一人の白刃を奪って、他の一人を斬って捨てる。それをきっかけに、松原の中から抜きつれたのが無数に飛び出して、重太郎に斬ってかかる。
 そこで大乱闘が始まる。
 重太郎、前後左右にかわして、体を飛び違えては四角八面に斬り散らす。いずれもただの一刀で息の根を止めてしまうが、敵は多勢――
 見物の喝采《かっさい》は沸くが如く、なかには鉢巻をして舞台へ躍《おど》り出そうとする者もある。
 またやられた。あれで十八人目だと丹念に数えている者もある。
 幕があいたので、いったん居眠りから呼び醒《さ》まされた道庵も、この物凄い景気に、すっかり眼を醒ましてしまうと、舞台は箱崎松原の大乱闘。
 重太郎が十八人目を斬った時に、道庵が二度目の居眠りから眼を醒まして、一時は寝耳に火事のように驚きましたが、やがて度胸を据えて見物していると、最初から数えていた見物のいうところによれば、都合二十八人を斬って捨てた時に幕が下りました。
 見物はホッとして息をつく。
 道庵はしきりに嬉しがっている。
 宇治山田の米友は、なんだか要領を得たような、得ないような顔をして、しきりに首を捻《ひね》っている。
 幕がおりると共に見物はホッと息をついて、その息の下から海老蔵は偉い、海老蔵ほどの役者はないと、感嘆の声が盛んにわきおこります。
 次の幕は、野州宇都宮の一刀流剣客高野弥兵衛の町道場。
 花道から岩見重太郎が、武者修行の体《てい》で腕組みをしながら歩いて来る。そうして述懐のひとり言《ごと》。
 自分は家中の者を二十八人も斬り捨てたために、浪人の身となって武者修行をして歩いている。自分としてはこうして武を磨くことが本望だが、国に残る父上や、兄上、また妹の身の上はどうだろう。近ごろ夢見が悪い、というようなことを言う。
 いや、そう女々《めめ》しい考えを起してはならぬ。あれに立派な道場のようなものが見える。推参してみようと、道場へ近寄って武者窓を覗《のぞ》くと、門弟共が出て来て無礼|咎《とが》めをする。結局、貴殿武者修行とあらば、これへ参って一本つかえという。重太郎、多勢に引きずられるようにして道場に入り込み、それから入代り立代る門弟を、片っ端から打ち据える。堪りかねて道場主高野弥兵衛が出たのを、これも苦もなく打込んでしまう――弥兵衛は無念に堪えないながら、どうしても歯が立たないと見て、止むなく笑顔を作って重太郎を取持ち、一献《いっこん》差上げたいからといって案内する。
 舞台廻ると、宇都宮の遊女屋三浦屋清兵衛の二階。
 そこへ、弥兵衛が重太郎を連れ込んで盛んに待遇《もてな》す――そこで重太郎がパッタリと妹お辻にでっくわす。お辻はこの家に身を沈めて、若村という遊女になっていたのである。
 あまりの意外な邂逅《かいこう》に二人は暫く口が利《き》けない。やがて弥兵衛一味が酔い伏してしまった時分に、重太郎はお辻を呼んで、身の上を聞く。
 聞いてみれば、父の重左衛門は同じ家中の師範役、成瀬権蔵、大川八右衛門、広瀬軍蔵というものの嫉《ねた》みを受けて殺されてしまった。自分は兄の重蔵と共に仇討に発足したが、兄は中仙道の板橋で返り討ちになってしまい、自分はここへ身を沈めるようになったのだが、今、あなたと一緒に来た高野弥兵衛というのに附纏《つきまと》われ困っているが、あれはよくない男だというような物語がある。
 重太郎、それを聞いて悲憤のあまり、今夜のうちに、お前を連れてここを逃げ、父兄の仇討に上ろうと約束をする。
 舞台廻って三浦屋の裏手。松の木から塀越しに二人が忍び出す。それを待構えていた高野弥兵衛一派の者が斬ってかかる。
 重太郎は刀、お辻は懐剣を抜いて悉《ことごと》くそれを斬り払ってしまう。そうして二人は手に手を取って暗に紛《まぎ》れて――幕。
 この幕もまた、見物の残らずをして息をもつかせない緊張を与えたものですから、幕が下りると一同はホッと息をついて、それからまた反動的に、海老蔵は偉い、お辻はかわいそうだわね、ということになる。
 一幕毎に、こうして海土[#「土」に傍点]蔵の人気が沸騰してゆくものだから、道庵までがついその気になり、
「なるほど、海土蔵様もエラい、海土蔵様もエラいには違いないが、この芝居が海土蔵様をエラがらせるように出来ている」
と言いました。つまり、どの幕もどの幕も、海土蔵が一人|儲《もう》けをやるように出来ているので、有象無象《うぞうむぞう》をいいかげん増長させておいて、ここぞというところで撫斬《なでぎ》りにしてしまうのだから、見物は無性《むしょう》に喜ぶ。なにも海土ちゃんに限ったことはない、こういう仕組みにしておけば、どんな役者でもエラくなると思ったのでしょう。
 米友に至っては、相変らず要領を得たような、得ないような、酸《すっ》ぱいような、辛《から》いような、妙な顔をして考え込んでいる体《てい》。
 対岸の四人連れの一席を見ると、今しも仏頂寺弥助が、あわただしく番付を取り上げて、そうして眉の間に穏かならぬ色を漂わせながら、幾度もその番付を見直しているところです。

         二十六

 仏頂寺弥助は番付を取り上げて、
「どうも、おれは感心しない」
と丸山勇仙の顔を見ました。
「うーむ」
と勇仙も含み声。
 同行の二人の剣客は、至極満足の体《てい》で納まっているらしい。
 仏頂寺は何か納まらないものがあるように、
「丸山」
と再びその名を呼びかけて、
「今の海老蔵は、ありゃ何代目だ」
「左様」
 丸山勇仙もそれに確答は与えられないらしい。
「海老蔵が団十郎を襲《つ》ぐのか、それとも団十郎が海老蔵になるのか」
「そうさな」
 丸山勇仙は、それにも明答は与えられないらしい。
「第一、あの岩見の剣法なるものが、テンで物になっちゃいないじゃないか」
「そこは芝居だよ」
「芝居とはいいながら、海老蔵ほどの役者になれば、もう少し気がつきそうなものじゃ。箱崎の松原でバタバタと二十何人も斬って、いい心持で見得《みえ》を切ったあの気障《きざ》さ加減はどうだ。それに今のあの宇都宮の道場とやら、一刀流と看板が掛けてあったが、岩見の時代にまだ一刀流はない。あの道具、竹刀《しない》、あんなものもまだあの時代には出来はしない。その上、出る奴も、出る奴も、最初から、みんな岩見に擲《なぐ》られに出るので、かりにも岩見と張合ってみようという意気組みのものは一人も見えない、岩見はあいつらを擲るように、あいつらは岩見に擲られるように仕組んであるのが見え透《す》いて、ばかばかしくってたまらない」
「そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、岩見重太郎をやる以上は、岩見重太郎らしいものを出さなけりゃなるまい、あれでは、海老蔵はこのくらいエラいぞということを丸出しで、岩見という豪傑は、テンデ出ていない」
「そう理窟をいうな、そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、名優というものは、すべての役の中に自分というものを打込んで、それに同化してしまわなければ、至芸というものが出来るものではない、たとえば団十郎の由良之助《ゆらのすけ》に、由良之助が見えず、団十郎が少しでも出て来た以上は、団十郎の恥だ。しかるにこの芝居は海老蔵だけが浮き上って、重太郎は出て来ない、この海老蔵は人気取りの場当り役者で、決して名優の部類ではないぞ」
 仏頂寺弥助がこういうと、四辺《あたり》の桟敷の人が聞き咎《とが》めました。この連中はすべて海土[#「土」に傍点]蔵に随喜渇仰している連中で、息をもつかないで海老蔵を讃美している。その傍でこういって、つけつけと自己崇拝の名優を貶《けな》しつける者があるのだから、自分の本尊様の悪口でもいわれたように、非常に腹を立てて、不興な眼をして、仏頂寺の方を睨まえましたけれど、なにしろ腕っ節の利《き》きそうな武家扮装《ぶけいでたち》の一座ですから、喧嘩を吹きかけようとする者もありません。そこで、止むなく一方ではまた人気取りの廻し者が、盛んに海老蔵推讃の吹聴を始めましたから、仏頂寺がいよいよ納まらず、
「いったい、今時の見物は何を見ているのだ。第一この番付からして笑わせる、海老蔵ほどの役者なら、下の方へ尋常に名前を並べて書いておいても、誰も見損じをするはずはない、またその方が奥床《おくゆか》しいのに、この通り、番付いっぱいに自分の名前を書き潰《つぶ》し、岩見重太郎でも、水戸黄門でも、下の方へ小さく記して得意げにしているところは、由緒《ゆいしょ》ある劇道の名家のなすべきところではなく、成上りの、緞帳役者《どんちょうやくしゃ》の振舞である――拙者のむかし見た海老蔵は、こんな薄っぺらなものじゃなかったよ――だから、これは何代目の海老蔵だと聞いているのだ」
 丸山勇仙も最初から、様子が少し変だとは思いましたが、
「まあ、そこが芝居だよ」
 どこまでも仏頂寺をなだめてかかると、その傍らから、
「タイセツ、ショサクジとは何だろう」
と尋ねたのは、同行の壮士の一人であります。
「なに?」
「タイセツ、ショサクジ」
 連れの壮士は、丸山勇仙の眼の前へ番付を突き出して、一行の文字を指す。
 それを勇仙が見て笑い出し、
「それはタイセツ、ショサクジと読むのではない、オオギリ、ショサゴトと読むのだ」
と教えました。
 漢字にしてみれば「大切 所作事」――それが連れの壮士にはわからなかったらしい。そこで勇仙が訓《くん》で読むことを教えたが、壮士には呑込めたような、呑込めないような面持《おももち》。一方、宇治山田の米友は、これもうけ取れたような、うけ取れないような顔をして、頬杖《ほおづえ》をつきながら舞台の幕を見詰めている。
 道庵先生は相変らず御機嫌よく、チビリチビリとやっている。
 さて第三幕目。
 いよいよ岩見重太郎の仇討。天の橋立千人斬り。
 敵の広瀬、大川、成瀬の三人を助くる中村|式部少輔《しきぶしょうゆう》の家来二千五百人――それを向うに廻して岩見重太郎一人、鬼神の働きをする――ところへ重太郎を助けんがために、天下の豪傑、後藤又兵衛と塙《ばん》団右衛門とが乗込んで来る。
 敵は二千五百人――こちらは重太郎を主として後藤、塙の助太刀《すけだち》、都合三人。
 猛虎の群羊を駆《か》るが如き勢い。
 天地|晦冥《かいめい》して雷電|轟《とどろ》き風雨|怒《いか》る。
 岩は千断《ちぎ》れ書割《かきわり》は裂ける。
 飾りつけの松の木はヘシ折れる。
 岩見重太郎は当るを幸いに撫斬りをする。
 最初の幕から、重太郎の太刀風に倒れた人の数を丹念に数えていた見物の一人が、あるところに至って算盤《そろばん》を投げてしまう。
 それは最初の幕。箱崎八幡の松原の場では確かに二十八人を斬ったに相違ない。二幕目の宇都宮三浦屋裏手の斬合いは、暗くてよくわからなかったが、二十人は確かに斬っている。そのうち、お辻が懐剣で三人ばかりを仕留めているらしい。
 だから、今までの幕で、重太郎の手に掛った者が、都合五十人ばかりになっている勘定だが、この場に至るともう算勘の及ぶところではない。
 なにしろ、一方は二千五百人。それをこちらは三人で相手になるのだから、一人前平均八百人ずつはこなせるわけになる。しかし、たとえ二千五百人にしろ、三千人にしろ、芝居そのものの筋書には限定した数字が書いてあるのだから、まだ始末がいいが、舞台そのものの上に於ける人の数は無限であるから、算勘に乗らない。なぜならば、いったん、斬られて倒れた人間が、暗に紛れて這《は》い出してまた鬘《かつら》を冠《かぶ》り直し、太刀取りのべて、やあやあと向って来るからである。
 死んだ人が、幾度でも生き返って立向って来るのだから、その数は無限である。
 これでは、さしもの重太郎でも斬り尽せるはずがない。いかなる算盤でも量《はか》り切れるはずがない、と匙《さじ》を投げました。
 なんぼなんでも、これは酷《ひど》い――と見返ったが、見物はそれどころではない、ただもう熱狂しきって、それ敵が後ろへ廻った、重太郎しっかりやれ、横の方に気をつけろ……と夢中になって声援している。塙《ばん》団右衛門が、松の大木を振り廻して大勢の中へ割って入ると、また素敵もない大喝采。
 やや分別臭《ふんべつくさ》いのまでが、何しろ天下の豪傑だから、このくらいのことは無理もありますまい――と痩我慢《やせがまん》をする。
 そうして遂に重太郎首尾よく敵の首を取って、太閤殿下のお賞《ほ》めにあずかるというところで幕。
 幕は下りたが、人気の沸騰はなかなか下りない。
「エラいもんですな、昔の豪傑を眼の前へ持って来たようなもんです、役者もあれまでにやるには、剣道の極意に渉《わた》らなければやれませんなあ」
といってもて囃《はや》す。
 仏頂寺弥助は、いよいよお冠《かんむり》を曲げて、
「ばかばかしくって、見ちゃあいられない」
 連れがなければ立って帰るのだが、そうもゆかないらしい。丸山勇仙がまたそれをなだめて、
「まあ、芝居だから我慢するさ、その代り、今度はいよいよ市川宗家の勧進帳だ……これから渋いところを見せるのだから、ぜひ、まあ、もう一幕|辛抱《しんぼう》し給え」
といって引留める。自分たちが主人側で誘って見に来た芝居だから、仏頂寺も無下《むげ》に立帰るわけにもゆかないでいる。それに同行の二人の壮士は、ただもう御多分に漏れず嬉しがって見物しているのだから、それに対しても――
 ともかく、右の三幕で岩見重太郎劇が終えて、これから宗家十八番の勧進帳が現われようとするところ。
 仏頂寺弥助は不承不承に、また番付を取り上げて、役割のところなどを眺めていたが突然、
「丸山」
と呼びました。
「何だ」
「この番付を見ろ、ここに市川海老蔵と書いてあるこの文字の、海老《えび》の老《び》という文字が違っている」
 ああ、ようやくそこに気がつき出した。
「どれどれ」
 丸山勇仙が、その番付を取って、
「なるほど……」
「どうだ、これは老《び》という字にはなるまい」
「そうさなあ……」
「土[#「土」に傍点]という字だろう、土という字へ点をつけたり、ひっかけ[#「ひっかけ」に傍点]をつけたりして、ごまかしているのではないか」
「なるほど、そう言えば、そうも取れる。一見すれば老《ろう》と読みたいところだが、そう言われて見ると、土という字だ」
「芝居の法則では、老という字を土と書くのか?」
「そんなはずはあるまい、一点一画は時の宜《よろ》しきに従うとしても、本来、老という字は老であり、土という字は土でなければならん」
「してみれば、これはエビ蔵ではない、エド蔵だ」
「はてな……」
 丸山勇仙が、そこで気を入れて、首をかしげました。
「丸山、こりゃ偽物《にせもの》だぞ」
「左様……」
「偽物に違いない」
「そう言われてみるとなあ」
「言われなくても、最初から、わかっていそうなものじゃないか、市川宗家の海老蔵ともあるべき身が、あんな無茶な芝居を打つと思うか」
「でも、地方に出ては、見物を見い見い、調子を下げるのかも知れない」
「以ての外……そうだとすれば、いよいよ以ての外だ、たとえ見物に目があろうが、なかろうが、芸を二三にするような奴は俳優の風上《かざかみ》には置けない、況《いわ》んや市川の宗家ともあるべき者に……丸山、こいつは偽物だ、われわれは一杯食わされたのだ」
 仏頂寺弥助は勃然《ぼつねん》として怒り出したが、丸山勇仙はまだ半信半疑なのか、それとも、ここで仏頂寺をほんとうに怒らせては事になると考えたのか、
「待て待て、もう一幕見極めようではないか、今度の宗家十八番の勧進帳、これを見ていれば、それが格に合うか、合わないか、大概の素人目《しろうとめ》にもわかりそうなものじゃないか、もう一幕|辛抱《しんぼう》し給え……」
 ところで、一方の道庵先生は悠然《ゆうぜん》として、
「さて、今度はいよいよ市川宗家十八番の勧進帳とおいでなすったね。そもそもこの勧進帳というは……御承知の通り、これはお能から来たものですよ。芝居の方では、天保十一年に河原崎座でやったのが初演でげす。その時は海老蔵の弁慶――この海老蔵様は、ここに来ている海土《えど》ちゃんとは違いますよ、七代目の団十郎様が海老蔵様に改まったんでげす。その海老蔵様が弁慶様で、八代目団十郎様の義経様、三代目九蔵様の富樫様《とがしさま》というところでした。見ました、拙者もそれを一幕見ましたよ……ええ、この海老蔵様は、何代目の海老蔵様だとおっしゃるんですか……それは、わっしどもにもわかりませんな」
 番付を取って隣席の者に講釈をすると、隣席の客がなるほどと感心するので、
「これを謡《うたい》から取って芝居の方へ移そうとしたのは、無論その海老蔵様ですよ、その本物の……つまり七代目の団十郎様の海老蔵様から、この勧進帳という狂言が始まりました。ですから、海老蔵様の勧進帳ときた日には、芝居好きと不好《ぶす》きとにかかわらず、見逃してはならないものでげす……尤《もっと》も、ここに来ている海老蔵様は何代目だか、そこんところは拙《せつ》にもよくわかりませんよ」
 道庵としてはまことに角《かど》のない、当り障《さわ》りのない、海老蔵にも、海土ちゃんにも、疵《きず》のつかないような挨拶をしました。
 そのうちに幕があきました。
 富樫の出も尋常であるし……旅の衣から、月の都を立ち出でて……の長唄も存在して、義経主従の衣裳も、山伏の姿になっている。いわゆる海老蔵の弁慶なるものも押し出している。海津《かいづ》の浦に着きにけり、でいっぱいに並ぶ。「いかに弁慶」から台詞《せりふ》の受渡し、「いざ通らんと旅衣、関のこなたへ立ちかかる」――弁慶を前にして本舞台へかかる。道庵も、こいつ、なかなかやるなと思いました。
 仏頂寺も、これは多少見直したという形になって舞台を見る様子。丸山勇仙は、それ見たかといったような気分もある。
 そこで富樫との問答になって、
「言語道断《ごんごどうだん》、かかる不運なるところへ来りて候《そうろう》ものかな、この上は力及ばず、いでいで最後の勤めをなさん」
あたりから調子が少し変になりました。唄が少々疲れてきたのと、四天王の祈りがばかに景気よくなって、無暗に珠数《じゅず》を押揉《おしも》む形が、珠数を揉むよりも、芋を揉むような形に見え出したのだから、道庵が訝《おか》しいと見ました。
 けれども、今日はどうしたものか、道庵がヒドクおとなしく、万事胸の中に心得て、表へは少しも現わさず、半畳《はんじょう》を入れたり、弥次ったりするようなことは一切慎んで、それから弁慶の馬力がいよいよ強くなるのに、長唄がヘトヘトになって、それを追っかけ廻しているのもおかしいといって笑わず、かえって同情を寄せておりました。それでもようやく、
「ナニ、勧進帳を読めと仰せ候か」
まで漕ぎつけたから、役者よりも、長唄よりも、道庵がまずやれやれ安心と息をつき、この分なら尻尾《しっぽ》を出さずに済むかも知れない、ともかく、無事に勤めさせてやりたいものだとなお心配をつづけたが、案ずるより産むが易《やす》く、
「それつらつら、おもんみれば、大恩教主の秋の月は涅槃《ねはん》の雲に隠れ……」
 勧進帳の読上げも凜々《りんりん》たる調子を張って、満場をシーンとさせました。
「一紙半銭の奉財のともがらは、この世にては無比の楽《らく》にほこり、当来にては数千蓮華《すせんれんげ》の上に坐せん、帰命稽首《きみょうけいしゅ》、敬《うやま》って白《まお》す」
 淀《よど》みなく読み上げると、唄もすっかり元気を回復して、
「天も響けと読み上げたり……」
 満場は深い感動の色を現わしたようです。
 しかし、仏頂寺弥助はようやくうけがいません。すべてが感心の色を現わした時、仏頂寺は首を左右に振って、
「いかん」
と言いました。
 観客が険しい眼をして見るのを、丸山勇仙が気兼ねをして、押えようとするが、仏頂寺はうけがわず、
「いかん。何とならば、この時の弁慶は、あくまで本物の山伏のつもりで勧進帳を読まなけりゃならん、それだのに、この弁慶は、弁慶ムキ出しで勧進帳を読んでいる、これじゃ富樫《とがし》というものが、全然ボンクラになってしまう……義経もこれじゃ助からない」
「まあ、芝居だから……」
「芝居とはいえ海老蔵ともあるべき者が、弁慶をやるに全くその心がけを忘れている、自分一人だけを見せる芝居をやるというのは、あるべからざることだ、弁慶だけが浮いて、ほかの人物はちっとも浮いて来ないじゃないか……その弁慶も、本当の弁慶じゃない、作り物の弁慶だ」
 仏頂寺がこういって力《りき》み出した地声が、少し高過ぎたせいでしょう、
「叱《し》ッ」
という声が聞えると、
「なにッ」
と仏頂寺がムキになりました。それを丸山が袖をひかえて、
「まあ、芝居狂言だから……」
 仏頂寺弥助も、やむなく沈黙しました。
 その時分、舞台では海土蔵の弁慶がますます発揮し、富樫の施物《せもつ》を受取って、一同この関を通り抜けようとする。
「いかにそれなる強力《ごうりき》、とまれとこそ」
 義経に似たという強力が呼びとめられたのを、弁慶が怒って、金剛杖を取って散々《さんざん》に打ちのめす――それまでは、どうやら無事。かくて関所を出ると、山伏を先へやって弁慶一人が悠々《ゆうゆう》と歩み出す。ここからが変だと思いました。
 そこで、富樫が引込むと、「ついに泣かぬ弁慶も一期《いちご》の涙ぞ殊勝《しゅしょう》なる」から「判官《ほうがん》御手《おんて》を取り給い」の順序になるべきはずのところを、判官を初め、四天王残らずの山伏と、強力が、ずんずん舞台を引込んでしまい、あとは弁慶一人舞台。長唄もそれでおしまいになるらしいから、はてな、「ついに泣かぬ弁慶……」を食って、延年《えんねん》の舞へ飛ぶのか知らん……と道庵が戸惑いをしました。
 ところが、たったいま引込んだ関守の組子が、得物《えもの》を携えて関屋の前後からバラバラと現われたかと見ると、弁慶の前後をとりかこんでしまったから、道庵が、またもあっと魂消《たまげ》ました。
 道庵の魂消たのに頓着なしに、そこで関守の組子が弁慶の行手を遮《さえぎ》ると、いったん引込んだ富樫がまた出て来て、
「弁慶、待て!」
 道庵が、いよいよ驚いているうちに、
「何がなんと」
 またしても大乱闘が始まってしまいました。
 組子は突棒《つくぼう》、刺叉《さすまた》、槍、長刀《なぎなた》を取って、弁慶に打ってかかるから、弁慶も金剛杖では間に合わず、ついに太刀《たち》の鞘《さや》を外《はず》して、縦横無尽にそれを斬り散らす騒ぎになったから、見物は喜びますけれど、道庵は身の毛をよだてました。
 岩見重太郎で、あのくらい斬っているのだから、弁慶となって、こんなにまで斬らなくともよかろうに……関守の歩卒を斬って斬りまくり、あわや富樫に迫ろうとして、踏段へ足をかけて大見得《おおみえ》をきったのですから、道庵が驚き怖れたのも無理はありません。
 あまりのことに道庵が、初めて救いを求めるような声で、
「弁慶様、大きいぞ、刀だけじゃ物たりねえ、七つ道具を担《かつ》ぎ出してウンと暴《あば》れろ!」
と叫びました。
 その声の終るか終らないのに、ズカズカと舞台をめがけて飛び出した者があります。
 これぞ別人ならぬ仏頂寺弥助。

         二十七

 仏頂寺弥助は、ズカズカと桟敷から舞台の上へ出かけて行って、呀《あっ》という間もなく弁慶の太刀《たち》を打ち落し、弁慶を引捕えて膝の下へ敷いてしまったから、驚いたのは舞台の上ばかりでなく、満場の客が呀《あっ》といって総立ちの形です。
 舞台の上では敵味方にわかれていた富樫の部下を初め、拍子木叩きや、楽屋番の連中まで、一時は呆気《あっけ》に取られたが、矛《ほこ》を取り直して、この意外な狼藉者《ろうぜきもの》を取押えて、弁慶を救い出そうという途端、仏頂寺弥助が眼を怒らして、
「言って聞かせるから、静まれ!」
と大喝《だいかつ》しました。
 その勢いの猛烈なところへ、同行の壮士二人と、丸山勇仙とが、続いて舞台の上へ飛び上り、
「静かにしろ、仏頂寺に言うだけのことを言わせろ」
と怒鳴りました。
 その勢い、いかにも殺気満々たるものですから、誰もうかとは手出しができないでいるうちに、看客《かんきゃく》の中の気の弱いのは、先を争うて逃げようとする。しかし大多数は留まって、この意外な劇中劇の終局を見届けようと、犇《ひし》めいている。
 弁慶を取って押えた仏頂寺は、看客の方に向い大音声《だいおんじょう》で、
「諸君騒ぐな、拙者は気違いでもない、頼まれて芝居を妨害に来たものでもない、況《いわ》んや諸君の楽しみに邪魔をするつもりで来たのでもないが、小癪《こしゃく》に障《さわ》ってたまらぬゆえに、この次第に及んだのだ。おのおの方、ここに取って押えた弁慶は贋物《にせもの》であるぞ」
といいました。
「贋物……それはきまってらあな」
と大勢の中から叫び返した兄《あに》いがあります。芝居の弁慶で贋物でないのは無い。本物の弁慶なら、そう容易《たやす》くは捉まるまい。芝居の弁慶を捉まえて、これは贋物だと宣言することほど、それは非常識な侍である。そこでいったん静まりかけた客や舞台が、また沸き出して、本物の弁慶を見たければ五条の橋へ行くがいいのなんのと、犇《ひし》めき合っているのを仏頂寺が、
「弁慶をやっているこの役者が贋物なのだ、市川海老蔵とあるのは偽りだ、海老蔵どころではない、蟹蔵《かにぞう》にも及ばない木《こ》ッ葉《ぱ》役者が、こうして吾々をごまかして歩くのだ。おのおの方、その番付の文字をよく御覧なさるがよい、その海老《えび》の老《び》という字は土《ど》という字だ、エビ蔵ではない。エド蔵だ。本物の市川海老蔵という役者は、市川総本家の大将で、芝居道の方では王様だ。こいつは擬物《まがいもの》のエド蔵。諸君、だまされてはいけない」
 持って来た番付を押開いて、高く掲げて看客《かんきゃく》に警告したのは大いに利《き》き目があって、すべての看客がおのおの携帯の番付を照らし合わせて見ると、なるほど、老《び》と土《ど》の違いがある。老と土とは、つまりエビ蔵をエド蔵にする。なるほどと合点《がてん》したところへ畳みかけて仏頂寺が、
「おのおの方……芝居を見るにも、裏と表を透《すか》して見なければいかん、ただ、逆《のぼ》せ上ってわいわい見ていてはいけない。この弁慶が……この弁慶なる者が、一人で舞台の上をのさばり廻っているところのみを見て、弁慶というもののその時の心持を見ないような奴は、芝居を見ないがよろしい。さいぜんも見ていれば、富樫に咎《とが》められて、金剛杖で主人義経を打ち据える時の、あの打据え様《ざま》はどうだ。苟《いやし》くも弁慶ほどの者が、主《あるじ》たるものの身体《からだ》に鞭を当てねばならぬ心中の苦痛はいかばかり……外目《よそめ》には強く打つと見せて、腹の中は血の涙で煮え返る、その心の中は千万無量だ。それをこの弁慶は、ここにいる弁慶なるものは、ただもういい心持でブン擲《なぐ》って、俺はこれほど強いぞ、といわぬばかりの下司根性《げすこんじょう》、見てはいられぬ――市川宗家の名優ともあるべき者が、こんな、くだらない弁慶を見せられるか」
 怒気紛々《どきふんぷん》として弥助が罵《ののし》りました。
 この意外なる劇外劇で、場の内外は総立ちとなり、慌《あわ》てて逃げ惑うたものまでが、怖いもの見たさに立ちとどまって、事のなりゆきを注視しているの有様です。
 そこで、後ろの方は何が何だかわからない。
 無頼漢が飲代《のみしろ》を借りに来たのを役者が貸さなかったから、それで暴れ込んだのだという説もあります。
 あまり人気があるから、他座の者がそねんで、壮士を向けたのだという者もあります。
 なかには、あんないい役者をなんだって、あんなに苛《いじ》めるのだろう、憎らしい、と口惜《くや》しがる娘たちもあります。
 ちょうど土間の中ほどに陣どって見物をしていた信州川中島の上月《こうづき》というのが、連れて来た十余人ばかりの百姓の驚き騒ぐのを鎮《しず》めて言うには、
「立たないで見ていろ、あの侍の言うことは聞ける、無理ばかりは言っていないのだから」
 川中島の上月というのは、代々百姓をしているが、先祖は、福島正則《ふくしままさのり》が川中島へ配流《はいる》された時の一族だということで、今日は塩市をあての買物を兼ねて十余人の百姓をつれて――この百姓たち、いずれも正則以来の由緒《ゆいしょ》を以て誇っている――この一座を見物していましたのです。そこで上月はつづけて、
「あの侍のいうことが必ずしも乱暴ではないよ……わしも、江戸へ出て、時々芝居を覗《のぞ》いたが、こういう無法な勧進帳はやらない。第一海老蔵という役者は、いま江戸には名をつぐ者がないはず。贋物《にせもの》に違いない」
「へえ、贋物に違いありませんか、太《ふて》え奴ですね」
「あんなにするまでもなかろうが、癖になると悪いから、ちっとは懲《こ》らしめるもよかろう。名前というものは大切なものだ、それに勧進帳のような大芝居は、やはり相当の尊敬をもって扱い、宗家を立てるようにしておかないと、芝居道が乱れる。贋物は時々トッチメてやるのが芝居道の薬だ」
 上月は落着いて、立とうともしないから、連れの百姓たちもその気になり、
「皆さん、前が高いよ、お坐りなさい」
 この一団だけは坐ったままで、前の群集を払って、ゆっくりとこの劇外劇の余興を大詰まで見ていようとする。
 その時、舞台の上なる仏頂寺弥助は、組敷かれた弁慶の兜巾《ときん》に手をかけて、
「団十郎とか、海老蔵とかいう名前は、芝居の方では太政大臣《だじょうだいじん》だ、その人を得ざれば、その位を明けておくのが、その道の者の礼儀ではないか。形式に囚《とら》われて、偶像を拝むように拝めというわけではない、貴様のような身の程知らずが、盲目《めくら》千人の世間をばかにしたつもりでいるのは、芝居道を害するのみならず、世間の礼儀と、秩序というものを紊《みだ》る憂《うれ》いがあるから、貴様たちのような木《こ》ッ葉《ぱ》を相手にするのは大人げないと知りながら、こうして折檻《せっかん》にあがったのだ、以後は慎め」
と言いながら仏頂寺は、弁慶の兜巾を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り取り、鈴懸《すずかけ》、衣、袴まで※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]り取ろうとする有様は、この弁慶の身体には危害を加えないが、身の皮を剥いで懲らしめるの手段と見えました。
 他の二人の壮士は、それを擁護して、もしや仏頂寺のなすことに手出しをする者があらば、いちいち取りひしいでくれようと肩を怒らしている権幕の物凄《ものすご》さに、これは力ずくではいけないと思って、一座の頭取、狂言方、番頭の類《たぐい》の非戦闘員が総出で、仏頂寺の前に平身低頭して来ました。
 何といって、謝罪《あやま》っているのだか聞えないが、彼等が百方謝罪をしているのを仏頂寺は耳にも入れず、メリメリと弁慶の衣裳剥ぎをやっている。
 道庵先生が立ち上ったのはこの時であります。
 今まで鳴りを鎮めて事の体《てい》を見ていた道庵先生が、ここは己《おの》れの出る幕だと思いました。ここいらでおれが出なければ、納まりがつくまいと思いました。
「友様……事を好むわけではねえが、見たところみんな口の利《き》きようを知らねえ人様ばっかりだ、ここでひとつ拙者が、時の氏神と出かけねえければ納まりがつくめえ。だが、こういう氏神はまかり間違えば頭の鉢を割られる。そこでお前……そのまかり間違った時は骨を拾ってくんなよ。どれ、水杯《みずさかずき》を一つやらかして……」
 道庵は一杯グッと飲んでからに、袴《はかま》の塵を打払って、
「御免よ」
といって人立ちを分けて舞台の方へ進み出しましたから、米友もじっとしてはおられず、それにつづいて舞台へと進みました。
 舞台の上は前の如く、仏頂寺がしきりに弁慶の身の皮を剥いでいる。仏頂寺の心では、この奴等を痛めて片輪にしてやるまでのこともなかろう、ただ後来の見せしめに、裸にしてやろうという料簡《りょうけん》だけらしい。だから芝居の方では、幕内の非戦闘員が総出で謝罪《あやま》っているのを仏頂寺は聞き流して、しきりに身の皮を剥いでいるが、本来、懲《こ》らしめのつもりだから、なるべく長い時間をかけて、兜巾《ときん》から下着まで、いちいち剥ぎ取ってしまおうとするまでで、彼等の謝罪を空念仏《そらねんぶつ》に聞いている。
 しかし、芝居の方面ではそうは考えず、この上どんな憂目《うきめ》を見せられるのか、一刻も早く手を緩《ゆる》めてもらわなければならぬ。そこで言葉を尽して、いよいよ平身低頭をつづけていると、
「くどい!」
 仏頂寺が眼を怒らして怒鳴りつけたので、二人の壮士も、
「くどい!」
 あまり近く仏頂寺の傍へ寄った二三人を取ってひっくり返しました。その時です、
「御免よ……」
 御苦労さまにも道庵先生が、ノコノコと出て参りましたのは――
 そこへ出て参りました道庵は、何をするかと見れば、いきなり仏頂寺がくみしいた弁慶の傍へ寄って、持っていた扇子《せんす》でピシャリ、ピシャリと弁慶の頭を叩きはじめましたから、敵も味方も驚きました。第一、仏頂寺弥助が驚いてしまいました。見れば、相当の人品がないでもない老人、形はどうやら武芸者らしい形をしている。
「さあ、この贋物様《にせものさま》……ピシャリ、ピシャリ」
 仏頂寺へ会釈《えしゃく》もなく、わが物気取りで弁慶を叩きはじめたから、仏頂寺も全く面食《めんくら》った形で、
「御老人……何をなさる?」
 弁慶になり代ってこの無茶な老人の挙動を、仏頂寺が咎《とが》めなければならない羽目になりました。
「何をなさるとは知れたこと……実際、こういう贋者は俳優の風上にはおけぬ代物《しろもの》、若い者にばかり任せてはおけぬ、年はとったれども、一流の達人と呼ばれる道庵が成敗してくれる。海老蔵などとは以ての外、本来、その器量にあらざる者は、その名を遠慮すべきが人間の礼儀であること、このお侍のおっしゃることに少しも違いはない。されば茶道の紹鴎様《じょうおうさま》は、もと本姓が武田であったのを、その頃、武田信玄様という一世の英雄があったので、あんな偉い人と同姓では恐れ多いといって、わざと武野様と改めたのだ。曲亭馬琴様が正木大膳様を政木大全様と改めたのは、やはりその時に、お旗本に同名の人があったからそれを遠慮したのだ。名人、大家でなくとも、人間として、そういう礼儀がなかるべからざるものだ。それを貴様らの分際で、だいそれた名前を冒《おか》し、盲目《めくら》千人の世を欺こうとしてもそうは問屋が卸さぬ。この道庵の如きは武州熊谷以来、ちゃあんとそれを見抜いている。あのここな不埒者様《ふらちものさま》!」
と言って道庵は、痛くもない扇子で、無性《むしょう》にピシャリ、ピシャリと弁慶を叩きました。
 仏頂寺が押えているところを叩くのだから、叩く方も骨が折れない代り、叩かれる方もあんまり痛くない。
 しかし、この続けざまが幾つ続くのだかわからない。無性に叩き出し、しまいには一貫三百の調子で叩き出したから、仏頂寺も見ていられないで、
「御老人、いいかげんになさい」
と窘《たしな》めました。そこで道庵が扇子を引き、
「恕《ゆる》し難き奴なれども……」
と勿体《もったい》をつけて、そこで改めて道庵が、仏頂寺を煽《おだて》るような、宥《なだ》めるようなことをいって煙に巻き、とうとう弁慶を解放させて、一座へ引渡すことにまで運びました。仏頂寺とても、悪くこだわっているわけではない。今後を戒めて老人に花を持たせ、さっさと舞台を引上げて帰ることになって、道庵のとりなしぶりはとにかく鮮かな結果です。
 そこで、見物も存外おだやかな解決を喜ぶ者もあれば、不足に感ずるものもあり、舞台の方では、それぞれ持場について、こうなっては明日からの興行はできない、今晩のうちにも、無事にこの土地を立退くのがりこうだという考えになり……今日の入れかけは別に半札を出せという見物もなく、ともかく、これで幕を引こうというところへ、よせばいいのに楽屋の奥から、周章者《あわてもの》が息せき切って飛び出して来て、舞台の真中に突立つや、顔の色を変えて、帰りかける見物の方に向い、
「百姓!」
と大きな声で怒鳴りましたから、見物はまた何事が起ったのかと足を停めました。
 この周章者は、多分、よそから戻って楽屋へやって来たばかりのところでしょう。そうでなければ、今までの経緯《いきさつ》をよく知っていて、こんなところへ事壊しに飛び出すはずはないのだが、どうしたものか、せっかく納まった空気の中へ、
「百姓!」
といって、大きな石を投げ込みました。
 いったん戻りに向った群集がその声で驚かされて、立ち止って、舞台の方を見ると、一人の気障《きざ》な男が顔色を変えて、
「百姓! 貴様たちに、勧進帳の有難味がわかってたまるか!」
と叫びました。その有様は、見物に向って喧嘩を売るような調子でしたから、一時は見物もみんな呆気《あっけ》に取られていると件《くだん》の周章者《あわてもの》は、いよいよ急《せ》き込んで、
「百姓! 手前《てめえ》たちに芝居がわかるか!」
 これはあまりに聞き苦しい言葉ですから、誰もこれを聞いて胸を悪くしないものはありません。芝居の方でも、これは悪いところへ、よけいな口を利《き》いてくれたものだと心配し、見物の方ではようやく腹に据《す》え兼ねていると、
「百姓! 江戸の芝居が見たけりゃ、出直して来い!」
 そこで立ったのが、例の川中島の上月一家の百姓たちでありました。
「ナニ、百姓がどうした?」
 今まで坐っていたこの一座が、初めて総立ちになりますと、統領の上月が、必ずしもそれを留めませんでした。
「百姓!」
 楽屋の周章者《あわてもの》は、真青《まっさお》になってまた罵《ののし》りかけた時、十余人の川中島の百姓たちが、気を揃《そろ》えて舞台の上へ飛び上ったから、またまた問題がブリ返りました。
「百姓がどうしたというのだ」
 福島正則以来の気概といったようなものを持つ川中島の百姓たちは、早くもその気障《きざ》な周章者を取囲んでしまいました。これは上月も、あながちさしとめなかったものと見えます。
 さてまた、劇外劇の引返しがある。
 周章者《あわてもの》の考えでは、こうして自分が啖呵《たんか》を切れば、味方が総出で自分を助けてくれる――とでも頼みにしていたのでしょう。それが一人も出ないから、テレ切ってしまいました。
 結局、その十余人の川中島の百姓たちが、件《くだん》の周章者《あわてもの》を引ッ捕えて、百姓呼ばわりを充分に糺問《きゅうもん》しました。
 昔は天子自ら鍬を取って、農業の儀式をなされたものだと叫ぶ者もあります。
 農は国の本だ、宝は「田から」である、土から出づる物のほかに、人間の生命《いのち》をつなぐべきものはない、と呼号する者もあります。
 われわれは百姓に違いない、お前のような遊民とは違うぞ! と力《りき》むものもあります。
 舞台の方に味方がないのに、見物の方に共鳴が多いのですから、周章者が、いよいよ狼狽《ろうばい》しました。
 この周章者も、最初からの様子をよく知っていたならこういうこともあるまいに、外出していたところへ、芝居に騒動が持上って、見物が役者をとっちめたと聞いた早耳で、血相をかえて舞台へ飛んで来て、いきなり百姓呼ばわりをしたのが悪かったのです。
 仏頂寺、丸山、壮士らは取合わず、元の座へ戻って、次の百姓問題を笑いながら見ていました。
 道庵先生も、一時は、その不意に驚かされましたが、やがて事のなりゆきを見て、これはあの連中の処分に任《まか》しておいた方が面白かろうと、引返して見物席に納まる。
 そこで十余人の川中島の百姓たちは、周章者を小突き廻して、こもごも百姓のいわれを詰《なじ》りはじめる。
 周章者《あわてもの》は、決して農民を侮辱する意味で百姓といったのではない――と弁解する。侮辱する意味でなければ何の意味で、百姓呼ばわりをしたのだと押返す――口癖だという。悪い口癖だと口を抓《つね》る。
 普通の百姓ではこうはゆきますまいが、信州川中島の百姓は、ことに福島正則以来を誇りとするこの部分の川中島の百姓には、強いのがおりました。この上月は帯刀の身分であった上に、連れて来た十余人の百姓たちも利《き》かない気であった上に、力もあれば、相当に剣術も心得ている。以前の時は傍観者の地位にいた上月も、百姓呼ばわりの悪態が聞捨てならず――指図はしないが、差留めもしなかったのです。
 この十余人の百姓たちは、周章者を懲《こ》らしめのため、一つはまた百姓という名前のために、この男を捕えて、見物一同の前に失言の取消しと、謝罪をやらせようとする時、気の立った見物が、それだけでは承知しないで、今後の見せしめに肥桶《こえたご》をかつがせて、舞台を七廻り廻らせろと発議する者もありました。
 それはあまりに酷《むご》い。しかし、百姓を侮辱するのは、つまり食物を侮辱するのである。食物を食うことのみを知って、その貴《たっと》きを知らない奴には、その有難味を思い知らせるがよい。そこで米俵を背負わせて、舞台から花道を七廻りさせるのが順だろう、という説も出ました。
 そこで、この周章者は四斗俵を背負わせられて、猿廻しをするように、前後をたたき立てられながら、舞台から花道を廻らせられることになる。
 一俵、少なくも十五貫はあるだろう。普通の百姓ならば、苦にならない荷物だが、この男にとっては堪え難い負担で、一足行ってはよろめき、二足行っては倒れるのを、起してやって、またたたき立てて歩かせる。
 舞台から花道を一廻りする間に、ヘトヘトになってしまいました。
 それで、七廻り目に、息も絶え絶えになって倒れたのを楽屋へ担ぎ込んで、水を吹っかけたりして力をつけました。そんなことで、芝居はさんざんな体《てい》になってしまったが、その夜のうちに荷物を纏《まと》め、翌日はこの一座が掻《か》き消す如く松本の市中から消え失せてしまいました。
 道庵主従は、その足で浅間の温泉へ行き、鷹の湯へ泊りましたが、そこは宇津木兵馬も宿を取っているところ、まもなく仏頂寺、丸山、その他二人の壮士も押しかけて来ました。
 その翌日、松本の市中から浅間の温泉までが、にせものの海老蔵の噂、
「いったい、狂言をやるにも、役者の名をつけるにも、いちいちお役所へ届けることになっているだろうが、あんなにせものはお役所で、ズンズンひっぱたいてしまえばよかりそうなもんだ……」
と言う者がある。
「蠅のようなやつらだから、お上《かみ》でも始末に困るだろう」
と言う者もある。
 とにかく、仏頂寺弥助のしたことを悪くいう者はない。
 今後、ああいうにせものが来たら、お侍の手を待たず、われわれでブッちめてしまう方がいい、と町内の青年団が力《りき》む。
 川中島の百姓たちの利《き》かない気性を褒《ほ》めて、俵責めの手段を痛快なりとし、今後、生意気な芸人共はあの手段で行くがいいと唱え出す者もある。
 いったい、芝居だとか、写し絵だとかいうものを見せるのは、淳朴《じゅんぼく》なる気風を害するものだから、今後一切あんなものは松本の市中へ足を入れさせないことにしたらどうだ、と提案する者もある。
 それは極端だ――よい演劇や、よい写し絵は、われわれの労を慰めた上に、意気を鼓舞し、人間に余裕《ゆとり》をつけ、世間を賑わすものだから、よい演劇や、写し絵は、進んで歓迎してもよろしい。おれ[#「おれ」に傍点]は忠臣蔵の芝居を見て泣いたという者がある、楠公《なんこう》の写し絵を見て、急に親孝行になった者もあると言い出す。
 本当の芝居好きは芝居好きで、また仏頂寺らのしたことに感謝する。ああいうにせものの面《つら》の皮を引ん剥《む》いてくれたので、今後は松本の市中へにせものが入り込まず、おかげで、これからは本格の勧進帳でもなんでも見られるだろうと喜ぶ。
 すべてが、仏頂寺や、川中島の百姓たちの取った手段を、悪いという者のない中に、市中の一角に巣を食っていたガラクタ文士の一連だけが、文句をいいはじめました。
 横暴である、暴力団の行為である、暴力を以て芸術を蹂躙《じゅうりん》するのはよろしくない、と騒ぎ出したのがある。
 それらがまた不相当の理窟を付けて、なにも弁慶というものは市川家の弁慶ではない――海老蔵とそのまま出せば冒涜《ぼうとく》にもなろうが、ちゃんと遠慮して海土[#「土」に傍点]蔵としてあるではないか、人間には呼び名の自由がある――なんぞとガラクタ文士が理窟を捏《こ》ね出しました。
 この連中は常に、クッついたり、ヒッついたりする物語を書いて、おたがいに刷物を配っては得意がっている。親たちがそれを意見でもしようものなら躍起となって、芸術は修身書ではありませんよと叫び出す。
 そうクッついたり、ヒッついたりすることばかり書くことは罷《まか》りならん――と、お役人からお目玉を食うと、彼らの憤慨すること。そこで忽《たちま》ち官憲の横暴呼ばわりが始まる。
 翌朝、道庵先生がお湯に入っていると、それとは知らず、こんな不平を道庵の前へ持ち出して、仏頂寺の乱暴を鳴らす若いのがありましたから、道庵は、お湯の中でそれを聞き流していると、いよいよいい気になって、クッついたり、ヒッついたり、吸いついたりするところをやって何が悪いでしょう、外国では……と、際限がないものですから、道庵先生が居眠りをするふりをして、その頭をコクリコクリと若いのの頭へブッつけました。
 年こそとったれ、道庵の頭はなかなかかたいのですから、それをコツリコツリ、ブッつけられてはたまらない。クッついたり、ヒッついたりの青年は、慌《あわ》てて湯から飛び出してしまいました。
 幕末維新の時代は、政治的にこそ未曾有《みぞう》の活躍時代であったれ――文学的には、このくらいくだらない時代はありませんでした。
 これを前にしては、西鶴の精緻《せいち》が無く、近松の濃艶が無く、馬琴の豪壮が無く、三馬の写実が無く、一九の滑稽が無い――これを後にしては紅葉、漱石の才人も出て来ない。況《いわ》んや上代の古朴《こぼく》、簡勁《かんけい》、悲壮、優麗なる響きは微塵《みじん》もなく、外国の物質文明を吸収することはかなり進んでいたが、その文学を紹介し、これを味わうものなんぞはありはしない。
 有るものはガラクタ文士の小さな親分。有っても無くてもいいよまいごとを書いて、これを文芸呼ばわりをし、前人の糟粕《そうはく》を嘗《な》めては小遣《こづかい》どりをし、小さく固まってはお山の大将を守《も》り立てて、その下で小細工をやる。その小細工だけは一人前にやるが、彼等から、めぼしい作物というものが一つでも出たということを聞かない。
 時に、政治的には勤王党だの、佐幕党だのという呼び声が高かったものだから、この文士連もそれを真似《まね》て、政党気分になったかも知れない。
「お前方、それは料簡《りょうけん》が違いますよ、天下の政治を取るには多数でいかなければならないが、文学や、美術というものは、多数ずくではどうにもならないのだよ、薩摩と長州が力を合わせれば、徳川を倒せるかも知れないが、その力で古法眼《こほうげん》の絵を一枚作るわけにはいかない――」
 道庵先生なども、それを戒めてはおりましたが、どうにもならないで、いよいよ堕落するばかりでありました。
 だからこの連中は、ガラクタ文士を集めては相当範囲の勢力圏を作り、自党に不利なるものの出現に当っては、伏兵を設けて、白いものを黒く、黒いものを白くする宣伝術策ぶりだけは、腐敗した時代の政党に異ることなく、文学というものを、極めて低劣な手練手管《てれんてくだ》にして、体裁だけは高尚がっておりました。
 ロシヤのトルストイが「戦争と平和」を脱稿したのは、この前年であります。フランスのユーゴーが「哀史《レ・ミゼラブル》」を公《おおや》けにしたのは、その五年ほど以前であります。英のラスキンが美術論から、社会改良の理想に進んで行ったのも、この時代のことであります。
 しかるに、日本の文学界は前申す通りの、お山の大将とそれを取巻く寄生文士、その争うところは、裸物《はだかもの》を表に出してはいいとか悪いとか、クッついたり、ヒッついたりの題目をさし止めるとは横暴無礼、奇怪千万と血眼《ちまなこ》になること、馬琴という奴は、戯作者《げさくしゃ》の境涯を脱して、道学者気取りで癪だから、猫の草紙を作って、その八犬伝を冒涜《ぼうとく》してやれ! 彼等のなすところは、せいぜいそんなものでありました。
 仏頂寺弥助は、その翌日、蝦蟇仙人《がませんにん》を描いた床の間に柱を背負って坐り込み、こんなことをいいました、
「なあに、吾々が手を下すまでもなく、見る人の眼が肥えていさえすれば、にせものが百人出ようとも、あえて問題にするまでもなく自滅あるのみだが、如何《いかん》せん、あんなのを人気にするほど盲目《めくら》千人の世だから、少しは眼を醒《さ》まさせてやる必要がある――いけないのは、あの者共の周囲について、煽《おだ》てたり、提灯《ちょうちん》を持ったりする奴等で、菓子折の一つも貰えばいい気になって、お太鼓を叩くのだから、役者共もつけ上る。正直な見物も、ちっとの間は迷わされる――よい批評家というものがあって、公平に、親切に、厳格に、事を分けて、役者を叱り、素人《しろうと》を導いてやればいいのだが、今はその批評家というのが無く、ただ無いだけならいいが、その批評家というやつがグルになって、碌《ろく》でもないものをかつぐのだから、そこで吾々の腕力が必要になる。罪は人形使いと、批評家にあるのだ……芝居に限ったことはあるまい」

         二十八

 宇津木兵馬に愛想づかしを言って分れたお銀様は、その晩、ふらふらと甲府の宿を立ち出でました。どこへ、どう行こうという当てがあって出かけたとも思われません。ただ、どうも、じっとしてはいられないので、そぞろ歩きをしてみる気になったのでしょう。
 甲府の町の天地は、今やその昔のように殺気のあるものではありません。頭巾《ずきん》を冠《かぶ》ったお嬢様が一人歩きをしようとも、宵《よい》のうちは怪しむものもありませんでしたが、人通りの稀れな所へ行くと、
「あのお嬢様はどこへ行くつもりだろう――いくらなんでもこの淋しい竜王道を……追剥《おいはぎ》でも出たらどうなさる、去年のように辻斬が流行《はや》らないで仕合せ、それでも雲助の悪いのや、無宿者の通り易《やす》いこの道を、怖いとも思わず女一人で……」
 後ろ影を見送って心配する者もありましたが、それも目には入らないで、お銀様は、ただもうふらふらと歩いているだけのようです。それでもややあって、
「おや?」
とわれに返った時は、月があるのか無いのか知らないが、天地がぼかしたように薄明るく、行く手の山を見ると、それは見覚えのある地蔵、鳳凰《ほうおう》、白根の山つづき。
 ああ、いつか知ら、甲府の町は離れてしまった。それでも、われを忘れて歩いていた道は、忘れもしない竜王道。
 知らず識らず、自分は故郷の方へ近く歩いていたのだと知りました。
 このあたりは、もう、人家とては一つもなく、往来もまた人通りがありません。
 故郷の有野村。
 そんなつもりではなかったのに、どうしてこちらへばかり足が向いたのか。
 越鳥《えっちょう》は南枝に巣くうということだが、いい知らぬ人情が、本能的に人を故郷の方へ向けてしまうと見える。
 ああ、あれは有野村のわが屋敷の中の森ではないか、あの黒いのは。
 有野村一帯は父の家のようなものだが、わけてあの黒い森の下に自分のと定められた家がある。
 故郷、自分は故郷へ帰るつもりではなかったのだ、故郷を避けて通るつもりであったのに、故郷が自分を引きつける。あの暗い森の下に、やはり温かい何物かがあって、この荒《すさ》み果てた自分を迎えてくれようとするその懐し味こそ、なかなかに仇。故郷の山川は、やはり温かいものを持っているのに、それにしても、わがこの身の何という荒み方!
 お銀様は留度《とめど》もなく涙が流れました。その涙を拭おうとすればするほど泣けてたまりません。
 呪《のろ》われた自分、ひねくれたわれ。泥土のようにわれとわが身を蹂躙《じゅうりん》して慊《あきた》らないこの身に、呪詛《じゅそ》と、反抗と、嫉妬と、憎悪と、邪智と、魔性《ましょう》のほかに、何が残っている。
 人は故郷へ帰るが、魂はどこへ帰る。
 故郷はこの醜骸を迎うるに、温かき心を以てするとも、この傷ついた魂をいたわるものは、いずれにある。
 お銀様は、そこに立って、ひた泣きに泣きました。涙の限り泣きました。
 慈愛あって、その慈愛を信ずることのできない父の名を呼んで泣きました。
 自分の形骸を壊して、こんな生れもつかぬ醜いものとして陥れたと信じている継母の名を呼んで、お銀様は泣きました。
 ほとんど白痴に近い弟の三郎――やがて有野の家の当主となって、無意味なる財産のためにさいなまるべき弟の名を呼んで泣きました。
 最初の愛人幸内の名を呼んで泣きました。が、今はその愛人も無く、それを虐殺した人もありません。
 われは惨虐と、貪汚《たんお》と、漂浪と、爛《ただ》れたる恋と、飽くことなき血を好む――と、お銀様は強《し》いてこれをいおうとしたが、おぞくも涙にくれて、それは立消えとなりました。
 欲しいものはなんにもない。ただ純な心一つが欲しい。その心一つを抱いて故郷の土が踏めるなら――と、お銀様の魂がしきりに叫びました。
 傷ついた魂から血が流れます。お銀様はその血を押えながら街道を歩みはじめました。道が竜王の松原へかかって、有野へはこれから曲ろうとするところ。
 ふと、赤児の泣き声がする。遠いところで乳呑児《ちのみご》が、糸のように泣いては泣きやむ。
 その声を聞くと、お銀様は地上を覗《のぞ》いて見ました。
 血は流れていないが、物がある。
 お銀様はギョッとしてたちどまりました。
 だが、それはその昔、蹴裂明神《けさくみょうじん》の前で見た捨児ではない。長塚新田の馬喰《ばくろう》が落したハマでもない。この街道には相応《ふさ》わしからぬもの――
 柱が二つに折れ、半月から腹まで無惨に踏み裂かれた一面の琵琶が、街道の地上に露を帯びて打捨てられてある。
 お銀様は一見して、これは追剥に逢ったのだと思いました。人間が追剥に逢ったのではない。琵琶が――琵琶そのものが悪漢に捉まって、首を切られ、腹を裂かれたのだ。琵琶そのものがここで無惨にもあえなき最期《さいご》を遂げたのだと思いました。
 こういう場合、人間の死骸よりも、有るべからざるところにある物の死骸が物凄い。見給え、琵琶の腹から夥《おびただ》しい血潮が流れている――
 人間の手に作られて、人間の用をなすもので、人格の備わらぬというは一つもない。
 琵琶が殺されている。
 しかし、琵琶の殺されたことは、わが身に何のかかわりあることではない……とお銀様は冷然としてそこを歩み去って、左に折れました。韮崎《にらさき》から信濃境へ行く道とわかれて、有野から白根山脈の前面を圧するところ。
 釜無川につづく竜王松原の中、一歩、足を踏み入れたと思うと、人の呻《うめ》く声を聞きました。
 そこで、お銀様は再びギョッとして振返ったのはさいぜんの琵琶で、呻きの声はただいまのその琵琶から起ったのではないか?
 それならば脈がある……あれほど無惨に殺された琵琶に、まだ一縷《いちる》の生命が残っていたか……地上に残された琵琶の形が助けを呼んでいる。
 お銀様は怖ろしいと思いました。
 しかし、琵琶がよし助けを求めたとてそれが何だ。自分にかかわったことではない――とお銀様は再び冷然として、また竜王松原の中へ足を踏み入れること一歩。
 そこに、また人間の呻く声を聞く。
 お銀様は、やはりそれを、殺された琵琶の息を吹き返して、本能的にこの世に向って助けを求める声だと聞きました。
 だが、琵琶の死んだのと、生きたのが、何の自分にかかわりがある――
 今度は思い切って、後をも見ずに松原へ走り入ると、またしても人の呻く声が頭上に聞えました。
 お銀様は何ともいえないいやな気持になりました。それは助けを求めて聞き入れられない琵琶が、必死の恨みを罩《こ》めて自分を追いかけて来て、自分の頭の上で泣いたと思ったからです。
 お銀様はまさしく琵琶の幽霊に追われたと思いました。
 そこでお銀様は三たび冷然として立って、静かに顧みたが、松の木の間を通して見る街道の琵琶の死骸は、以前の通り身動きもしたとは思われない。
 お銀様は、その呻吟《うめき》の声の起るところを知るに惑いました。幸いにしてお銀様は、悪魔の戯れには慣れている。況《いわ》んや琵琶の脅迫に怖れて、吾を忘れるようなことはありません。自分の頭の上の、松の枝から、自分の頭とすれすれに、これは本物の人間の死骸が一つ吊下げられてあることを知りました。今の呻吟の声は、裂かれた琵琶の胴から出たのでもなく、殺された琵琶の霊魂が、恨みを帯びて自分の後を追いかけたのでもなく、まさしくこの頭上に吊された人間の死骸――とはいえまい、まだ呻吟の声の出る限りはこの世のものである。
 そこでお銀様は、静かに二三歩立ちのいて、その頭上を仰いで見ました。
 前いう通り、明るい晩のことですから、瞳を定めてよく見ればその輪郭はほぼわかる。成人にしては小さく、子供にしてはやや大きいのが、素裸《すっぱだか》にされて、四ツ手に結えられて、松の枝から吊下げられている。その頭が坊主であること――しかし、自ら求めて死に就いた、いわゆる縊《くび》れっ児ではなく、人のために強《し》いられて、やむなくこの憂目《うきめ》に逢ったものだということは、一目瞭然でありました。
「かわいそうに……」
 そこでお銀様も、それを助ける気になりました。お銀様なればこそ、これを助ける気にもなったので、世の常の女性にして、この時、この際、人を助けんとする余裕や、冷静などがあるものか……だが、その助ける手段方法については、多少の考慮を費さねばなりません。
 幸いに、縄の一端が釣瓶仕掛《つるべじかけ》にして、松の樹の幹にからげてあることを知りましたから、お銀様はそれを解いて、やがて徐《おもむ》ろに被害者を地面まで吊下ろしました。
 そうしておいて、縛《いまし》めを解いてお銀様は、その被害者の介抱に取掛りました。
 お銀様は活法《かっぽう》を知りません。急救療治の方法もよくは心得ておりません。介抱してまず耳に口をつけて、
「おーい」
と呼んでみました。
 その手答えは極めて遅く、程あって、軽い呻《うめ》きの声が起るばかりです。
「おーい」
 お銀様はなんとかこの被害者の名を呼んでみなければ、呼び醒《さ》ます声に力の入らないのを感じ、兄さん――と呼ぼうかと思ったが頭がまるい。坊さんと呼ぶには年が若い。そこで暫く言句に詰まっていたが、急にあわただしく、
「あ、これは――これは弁信さんじゃないかしら?」
 発止《はっし》と思い当ったのは、裂かれたる琵琶です。疑うべくも、疑うべからざる証拠のあるものを、何として今まで気がつかなかったのだろう。
「弁信さあん、しっかりなさいよ」
 お銀様は、砕けるほどかたく弁信を抱きしめて、あらん限りの声で叫びましたが、その声は今までと違って、天来の力が籠《こも》ってでもいたように――そこで、声と、力とが、神に通じたか、以前よりも、もっと頼もしい息づかいで唸《うな》りを立てました。
「弁信さん、しっかりなさい」
 お銀様は弁信をしっかりと抱きしめて、四方《あたり》を見廻しました。それは水を欲しかったのです。水があらば一口飲ませてやりたいものと、それで忙《せわ》しく、四方を見廻したけれども、そこには水のあろうはずがありません。
 しかし、少しも失望することはない。この松原の中を一散に走れば釜無川の岸である。そこには落ちて富士川となる水が潺湲《せんかん》と流れている。
 お銀様は、弁信を抱いたなりで、松原の中をひた走りに走りました。
 やがて釜無川の岸。
 お銀様は、その水を含んで飽くまで弁信の面《かお》に注ぎ、飽くまでその口に飲ませようとし、そうして三たびあらん限りの声で呼び醒《さ》ましました。
 この声に、眠りの醒めないということはありません。
 息を吹き返した弁信に、お銀様は自分の羽織を脱いで着せ、
「弁信さん、どうしたのです」
「ああ――」
 弁信は長く息を引いて、深く空気を吸い込み、
「ああ、わたしは助かりましたか?」
「助かりましたよ。どうしてこんな目に逢いましたの?」
「あなたはお銀様ですね」
「そうですよ」
「お話し申せば長うございますが……」
 鹿の子は生れて半時《はんとき》も経たぬ間に、もうひょこひょこと歩き出すそうですが、弁信は息を吹き返すと間もなく、平常《ふだん》の調子で、すらすらと話し出しました、
「ちょうど、この松原で……多分ここは松原の中だと思いますが、私の前へ一人の人が現われて申しました、お前はどこへ行く……私は旅をして歩きますと申しますと、一人で旅をして歩くには路用というものを持合わせているだろう、それをここへ出せ、とのことでございます……いいえ、左様なものは持合わせてはおりませぬ、と答えましたが、その人が聞き入れません。嘘をつけ……持っているだけ出さないと為めにならぬぞ、と、斯様《かよう》に申しますものですから、私が事を分けて、いいえ、ございませぬ、門付《かどづけ》でいただいた鳥目《ちょうもく》が僅かございましたのを、それで、甲府の町の外《はず》れで饂飩《うどん》を一杯いただいて、今は全く持合せがございませぬ……こう申しますと、その人がどこまでも、それは嘘だ、眼も見えないくせに、一人で旅をして歩くからには、必ずどこぞに路用の金を隠し持っているに相違ないと、斯様に私を責めまする故に、私はそれならば、私が、今ここで裸になってごらんに入れましょう、古人は曾無一善《ぞうむいちぜん》の裸の身と申しました、裸になった私の身体《からだ》をごらんになった上、たとえそこに一銭の金でも蓄えてありましたならば、私は生命《いのち》を取られても苦しいとは申しませぬ……こう言いまして、私は琵琶を下へ置いて、上なる衣《ころも》から悉皆《しっかい》脱ぎ去って、裸になって、その方に見せました……そうしますと、うむなるほど、無いものは無いに違いない、貴様はなかなか気の利《き》いた坊主だ、本来はこちらから身ぐるみ裸にしてやるべきものを、その手数をかけずに自分から進んで裸になったのは可愛ゆい奴だ、銭がなければ、二束三文にもなるまいが、この着物だけは持って行く……と申しまして、私の上から下までの着物――と申しましても襦袢《じゅばん》ともに僅かに三枚なのでございますが、その三枚を持って行こうとしますから、私が、もしもしとその方を呼び留め申しました、呼びとめて申しますのには、あなたがそれをお持去りになるのは仕方がございませんが、仕方があってもなくても、この私はあなたのなさることは、お留め申すだけの力は一切ございませんが、どうかお情けにはそのうちの上着の一枚だけをお返し下さいますまいか、せめてそれだけでもございませんと、これから一足も進むことができないのでございます……と、懇《ねんご》ろに頼みましたところが、その方はそれを一向お聞き入れ下さらず、馬鹿め……着物がなくっても足があるだろう、足があって一足も歩けないということがあるかと申されました、よろしうございます、それではお持ち下さいませ……私が悪うございました、世間には一枚の着物さえ持たない人もあるのに、これまで三枚の着物を重ねていた私は奢《おご》っておりました、その罪で、あなたのために衣をはがれるのは、罪の当然の酬《むく》いでございます、私から着物をお取りになろうとするあなたこそ、私以上に困っておいでになればこそでございます、求められずとも、私から脱いで差上げなければならなかったのを、たとえ一枚でも欲しいと申した私の心が恥かしうございます……とこう申しますと、その人が、いきなり私を足蹴《あしげ》に致しました。
 その方が、いきなり私を足蹴に致しまして、よく、ペラペラ喋《しゃべ》るこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]だ、黙って往生しろ――とそのまま行っておしまいになればよかったのですが、その方が、ふと私があちらへおいた琵琶に目をつけたものと見えまして、こりゃあ何だ、月琴《げっきん》の出来損いのようなへんてこなものを持っている――これもついでに貰って行く、と琵琶をお取上げになったようでしたが、夜目にも、私の琵琶が古びて、粗末なのを見て取ったのでしょう、持って帰ったって、こんな物、売ったところでいくらにもなるめえ、買い手があるものか……と呟《つぶや》きましたのを、私が聞いて、左様でございます、その品は、それを操るものには無くてはならぬ品でございますが、余の人が持ちましたとて、玩具《おもちゃ》にもなるものではございませぬ、もしできますならば、それはそのままお残し下さいませ、おっしゃる通りに着物はなくても、足があれば歩けないという限りはございませぬが、それがありませぬと、明日から世渡りに差支えまする、とにもかくにも、その一面の琵琶を私が抱いて参りますうちは、皆さんが……よし私の芸が不出来でありましょうとも、それに向って、いくらかの御報捨をして下さいますが、それがないと、私は全く杖柱を失ってしまいます、衣類はどなたでも御着用なさいませ、琵琶はおそらく私に限って、破れた一面の琵琶でも、私にお授け下さればこそ、その用をなすというものでございます……その琵琶だけは……とこう申しましたのが返す返すも、私の未熟ゆえでございます。すでに曾無一善《ぞうむいちぜん》の裸の身と申しながら、またも一枚の着物を惜しみ……一面の琵琶を惜しむ、浅ましい心、それが無惨に蹂躙《ふみにじ》られたのは、もとよりそのところでございます。まだツベコベと文句を並べるか……察するところ、貴様はこの月琴の胴の膨《ふく》らんだところへ、路用を隠しておくのだな、木にしては重味がありすぎる……大方、この胴の中へ、小判でも蓄えておくのだろう――と言ってその琵琶をメリメリと踏み壊しておしまいになりました。とかく、私の言うことが癪《しゃく》に障《さわ》ったものでしょう。それと、せっかく踏み壊して見た琵琶の胴の中にも、一文の蓄えもあろうはずはありませんから、その癇癪《かんしゃく》まぎれに、私の身を裸で一晩涼ませてやるといって、この通りの始末でございます。いいえ、それだけのことを覚えてはおりますが、別段、怪我といってはございませぬ、縛られる前に、蹴られたとき気が遠くなりました、それまででございます。いいえ、何とも思ってはおりません、さのみ悲しいとも思ってはおりません、あなた様に助けられても、さのみ嬉しいとは存じません……ああ、私も今までずいぶん苦労も致しましたし、命を取られるような目に逢ったことも幾度もございましたけれど、本当に裸の身にされたのは今宵が初めてでございます、この肉身一つのほかに、持てる物をことごとく奪われたのは今回が初めてでございます。いいえ、奪われたのではございません、持つべからざるものを持つが故に、召し上げられたのでございます……仏があの人の手を借りて、私の劫初《ごうしょ》以来の罪業《ざいごう》を幾分なりとも軽くしてやろうと思召《おぼしめ》して、かりに私の身から一切の持物を取っておしまいになりました。しかし、着物は剥ぎ取られましても、この心にはまだまだ我慢邪慢の膿《うみ》のついた衣が幾重《いくえ》にも纏《まと》いついておりまする。それを一枚一枚脱ぎ去って、清浄無垢《しょうじょうむく》の魂を見出した時に、初めて、その魂に着せる着物が恵まれねばなりませぬ、そのとき恵まれた着物のみが、本当に私の着物でございます。曾無一善の身には、世間の衣一枚は私の悩みでございました……」
 弁信が例によって一気にここまで喋《しゃべ》ったのを、お銀様はどう聞いたか、
「弁信さん、私のうちへおいでなさい、あなたに着物を着せて上げますから……」

 お銀様は弁信法師を伴って、故郷の有野村へ帰りました。
 お銀様自身は故郷にそむいていたつもりだが、故郷はお銀様の来《きた》るを温かく迎えます。父の伊太夫は泣いて喜び、既往一切の我儘《わがまま》を忘れてくれました。
 今まで、ことごとくわれにつらしと思っていた家中のすべてが、みな温かい心を雨のように降らして、そむいて来たものを、なついて来たもののように迎えるのは、多少お銀様のかたくなな心を解いたかも知れません。
 しかし、その日は暗いうちにわが一間に入り、翌日は一切、日の目に自分の顔を見せず、無論、家中の誰にも面会ということをしないで、お銀様は、おのが部屋に籠《こも》りっきりであります。
 それと反対なのは弁信法師で、もう、たどりついたその晩から、有らん限りのお喋りを発揮して、当るを幸いに相手として喋り続け、今朝も起きて、倉に所蔵の白無垢《しろむく》の小袖と、黒の法衣を着せられた時から、人に向って喋りました。
 それを聞きつけたお銀様が、窓の向うから窘《たしな》めるように、
「弁信さん――これから、あなたの仕事として、東の土蔵に昔から蓄えている楽器の音《おん》を調べて下さい、そうして、使えるのは使えるように、使えないのは使えないように……」



底本:「大菩薩峠9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 五」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
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