青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
白骨の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)揃《そろ》え

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(例)信州善光寺|如来《にょらい》の

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》った
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         一

 この際、両国橋の橋向うに、穏かならぬ一道の雲行きが湧き上った――といえば、スワヤと市中警衛の酒井左衛門の手も、新徴組のくずれも、新たに募られた歩兵隊も、筒先を揃《そろ》えて、その火元を洗いに来るにきまっているが、事実は、半鐘も鳴らず、抜身の槍も走らず、ただ橋手前にあった広小路の人気が、暫く橋向うまで移動をしたのにとどまるのは、時節柄、お膝元の市民にとっての幸いです。というのはこのほど、両国の回向院《えこういん》に信州善光寺|如来《にょらい》のお開帳があるということ。そのお開帳と前後して、回向院の広場をかりて広大な小屋がけがはじまったこと。その小屋がけの宣伝ビラが、早くも市中の辻々、湯屋、床屋の類《たぐい》に配られて、行く人の足を留めているということ。
 その宣伝ビラもまた、小屋がけの規模の大なると同じく、ズバ抜けて大きなものへ、亜欧堂風《あおうどうふう》の西洋彩色絵で、縦横無尽に異様の人間と動物とを描き、中央へ大きく、
[#ここから1字下げ]
「切支丹《きりしたん》大奇術一座」
[#ここで字下げ終わり]
 この宣伝ビラは、宣伝ビラそのものがたしかに人気を集めるの価値がありました。
 幕府の威力衰えたりといえども、西洋の風潮、多少人に熟したりといえども、「切支丹」の文字は字面《じづら》そのものだけで、まだたしかに有司を嫌悪《けんお》せしめるの価値がある。
 果せる哉《かな》。この宣伝ビラの「切支丹」の文字だけに、翌日から張紙がされて、その上に改めて、「西洋」の二字が記されました。
 この興行の勧進元が役所へ呼び出された時に、どんな食えない奴かと思えば、意外にもそれは女で、お上のお叱りに対して、一も二もなく恐れ入り、早速、人を雇うて満都の宣伝ビラを訂正にかからせたのは素直なもので、決してことさらに反抗的に宣伝して、人気を煽《あお》ろうというほどな陋劣《ろうれつ》な根性に出でたのではなく、誰かにそそのかされて、何の気なしにやったことが諒解が届いたから、役人たちも、単に張紙をさせるだけで、後は問いませんでした。
 この勧進元の女こそ、女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角《かく》であります。ともかく、今度の興行には、有力なる金主か黒幕が附いたに違いない。従来の広小路の軽業小屋では狭きを感じて、新たに回向院境内へすばらしい小屋を立てたのでもわかります。
「御冗談でしょう、看板でオドかそうなんて、そんなケチな真似をするお角さんとは、憚《はばか》りながらお角さんのカクが違いますよ、蓋をあけたら正味を見ていただきましょう、正銘手の切れる西洋もどりのいるまん[#「いるまん」に傍点]ですよ。大道具大仕掛の手間だけでも、お目留められてごらん下さい、小手先のあしらいとは、ちっと仕組みが違うんですからね」
 こういってお角が気焔を吐いているところを見れば、おのずからその自信のほどもうかがわれようというものです。
 事実、このたびの興行は、以前のようなケレン気を脱したところがある。宇治山田の米友を黒く塗って、印度人に仕立てて当りを取ったペテンとは違って、何か、しっかり[#「しっかり」に傍点]した拠《よ》りどころがなければ、こうは大げさになれないものです。
 ここに慶応のはじめ、大小日本の手品を表芸《おもてげい》にして、イギリスからオーストリーを打って廻り、明治二年に日本へ帰って来た芸人の一行がある。白い紙を蝶に作って、生命を吹き込んだ柳川一蝶斎を座長として、これに加うるに、大神楽《だいかぐら》の増鏡磯吉、綱渡りの勝代、曲芸の玉本梅玉あたりを一座として、日本の朝野《ちょうや》がまだ眠っている時分に、世界の大舞台へ押出した遊芸人の一行があります。その一行の中から、何か目論《もくろ》むところがあって、英国の興行中に、急に便船によって日本へ帰って来たものがある。それが、御家人崩れの福村あたりから、この社会へ何か渡りをつけたようです。
 遊芸――なるが故に国境が無かった。吉田松陰は、これがために生命を投げ出し、福沢諭吉も、新島襄《にいじまじょう》も、奴隷同様の苦しみを嘗《な》め、沢や、榎本《えのもと》は、間諜同様に潜入して、辛《から》くもかの地の文明の一端をかじって帰った時分に、柳川一蝶斎の一行は、悠々として倫敦《ロンドン》三界《さんがい》から欧羅巴《ヨーロッパ》の目抜きを横行して、維納《ウィンナ》の月をながめて帰ることができました。しかし、粗漏《そろう》なる文明史の記者は、こんなことを少しも年表に加えていないようです。
 いわんや、この一行が大倫敦の真中で、日本大小手品を真向《まっこう》に振りかざしたこと、その鮮やかな小手先の芸当に、驚異の目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》ったロンドンの市民のうちに、十九世紀の偉人ジョン・ラスキンがあったことを誰が知っている。
 更にまた、この十九世紀の予言者であり、文明史上の偉人であり、絶世の批評家であるラスキンが、この小技曲芸をとらえて、日本の文明を評論した無邪気なる誤謬《ごびゅう》と浅見とに、憤りを発する者が幾人《いくたり》ある。
 青丹《あおに》よし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然《ほうねん》と親鸞《しんらん》とを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司《ちょうでんす》をも知らなかった十九世紀の英吉利《イギリス》生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と、増鏡磯吉の大神楽と、同じく勝代の綱渡りと、玉本梅玉の曲芸とを取って、以て日本の文明に評論を試みている。
 けれども、これは偉人の罪ではない、時代の罪である。世には陋劣《ろうれつ》なる小人と、商売根性というものがあって、盛名あるものの出づるごとに、ことさらにそれを卑《いや》しきものに引当てて貶黜《へんちつ》を試みようとする。ヴィクトル・ユーゴーが初めてエルナニを上演した時に、一派のものは、わざとおででこ[#「おででこ」に傍点]芝居を狩り催して、それにエルナニをカリカチアさせて欣《よろこ》んだ。
 ラスキンのあやまちは無邪気なるあやまちである。後者のあやまちはそれではない。小人の食物は嫉妬であって、その仕事はケチをつけることである。ここに巨人でもなければ、英雄でもない女軽業の親方お角さんがあります。その周囲には従来の興行師と、それに属する寄生虫の一種、それをこわもてに飲んだりねだ[#「ねだ」に傍点]ったりして歩く無頼漢の群れがある。この連中にとっては、回向院境内の仮小屋の棟の高さがことのほかに目ざわりであります――そういう者の存在を知って知り抜いている女軽業の親方お角さんは、その真白な年増盛《としまざか》りの諸肌《もろはだ》をぬいで、
「今度の仕事は、わたしも一世一代というわけなんですからね、その思い出にひとつ、しっかり[#「しっかり」に傍点]やって下さいな。なあに、今までだってこれが嫌いというわけじゃなかったんですが、河童《かっぱ》のお角さんてのがあったでしょう、同じ名前ですから、気がさしてね。恥かしいっていう柄じゃありません、真似をしたように思われるのが業腹《ごうはら》でね。こう見えてもわたしゃ、真似と坊主は大嫌いさ。今までだってごらんなさい、そう申しちゃなんですけれども、人の先に立てばといって、後を追うような真似は決して致しませんからね。よその人気の尻馬《しりうま》に乗って人真似をして、柳の下の鰌《どじょう》を覘《ねら》うような真似は、お角さんには金輪際《こんりんざい》できないのですよ。ですから、今度だって、外《はず》れりゃあ元も子もないし、当ったところで嫉《ねた》みがあるから、身体をどうされるかわかったものじゃなし、どのみち骨になるつもりで乗りかかった仕事ですから、その思い出に素敵に大きな骸骨の骨《あたま》を一つ彫っていただきたいと、こう思いついただけなんですよ……何ですって、骸骨だけじゃ色が入らないから淋《さび》しいでしょうって? なるほど、それもそうですね。それじゃ、骸骨のまわりに燃えたつような大輪の牡丹《ぼたん》でも彫っていただきましょうか。なにぶんよろしく頼みます」
 こういってお角が背中を向けたのは、そのころ名代の刺青師《ほりものし》、浅草の唐草文太《からくさぶんた》といういい男です。お角の刺青《ほりもの》が彫り進むと共に、回向院境内の小屋がけも進んで行くうちに、以前の広小路の女軽業の小屋の一部は、新しい一座の楽屋にあてられました。
 そこには、従来の一座と別廓をつくって、大一座《おおいちざ》の新面《しんがお》が、雑然たる衣裳道具の中に、血眼《ちまなこ》になって初日の準備を急いでいる。
 このいわゆる「切支丹」訂正「西洋」大奇術の一座の頭梁株《とうりょうかぶ》とも総支配人とも覚しいのは、頭のはげた五十|恰好《かっこう》の日本人で、白く肥った好々爺《こうこうや》ですが、ドコかに食えないところがあって、誰か見たことのあるような人相です。知っている者は知っているが、知らない者は知らない。この男は、たしか春日長次郎といって、先年、柳川一蝶斎の一行の参謀として西洋へ押渡ったはずの男であります。この男の指図で、準備と稽古に忙殺されている連中のなかには、不思議と紅毛人は見えないで、どれを見ても見慣れた黒髪銅色の人種、多くはこれ生え抜きの日本人でありますが、そのなかに注意して見ると、少し毛色の変ったのが二三枚、働いている。
 無口で働いている――春日長次郎はその二三枚を呼ぶたびに、何か早口で、わからないことをいってしまうと、彼等は直ちに頷《うなず》いて、手早く持場持場の仕事につきます。
 さりとて、これは断じて欧羅巴《ヨーロッパ》種ではない。その皮膚は蒙古種族よりはズット黒いけれども、当時の日本人が夢想しているような裏も表もわからない黒ん坊とは違って、よく見なければ、西洋人でさえもモンゴリアンと見るほどに色彩が不鮮明ですけれども、たしかに蒙古種に属する印度人か、そうでなければ印度とそれに近い他人種との混血児《あいのこ》に相違ない。ただ彼等は、しきりにその混血児であることを隠して、日本人らしく思われようとする素振《そぶり》がある。
 そのほかには、どうしても眼の色を隠すことのできない子供が五六名、赤い土耳古帽《トルコぼう》をかぶって、隅っこにかたまって、ハーモニカを吹いているところへ、例の春日長次郎――広袖の縫取りのある襦袢《じゅばん》とも支那服ともつかないものを着て、大口のようなズボンを穿《は》いている――がやって来て、これも何か早口で指図をすると、子供らは心得て、蜘蛛《くも》の子のように四散し、高い桁梁《けたはり》から吊された幕を引卸《ひきおろ》しにかかります。
 衝立《ついたて》を一つ置いて小道具。
 裏へ廻って見ると大道具。
 ここではまた、例の亜欧堂風の大看板を、泥絵具で塗り立てている幾人かの看板師。
 この看板をつぎからつぎと見て行った長次郎は、横文字の綴りの誤りを二三指摘して一巡した後、また楽屋へ戻ると、もう稽古場へ太夫連《たゆうれん》が集まって、品調べにかかっている。太夫連は、やはりどれも日本人、少なくとも東洋人以外の面《かお》ぶれは見えないのに、別に補助として参加する従来の女軽業の重なる連中が、見物がてら押しかけているものですから、やはり日本人だけの大一座としか見えません。
 と、その一方に、ゆらりと姿を現わした一人の女、これこそ正銘|偽《いつわ》りのない欧羅巴《ヨーロッパ》夫人で、これだけは姿を隠そうとも、ごまかそうともしない。十七世紀頃の派手な洋装で、丈の高い、愛嬌のある碧《あお》い眼と紅《べに》をぼかした頬。
 片手にギターを持って、まず長次郎と見合い、にっこりと会釈《えしゃく》をする。長次郎はその傍へ行って、これも早口で話をしていると、一方から日本娘の美しいのが一人、三味線を持って出て来る。以前、張幕の下でハーモニカを吹いていた少年連がゾロゾロとやって来ると、西洋婦人は手にしていたギターを取り上げて、調子を合せにかかろうとする。長次郎は、そこを去って、また裏口の方へ向い、
「太夫元は来ないかな」

         二

 この興行が、いよいよ初日《しょにち》の蓋《ふた》をあけた日、人気は予想の如く、早朝から木戸口へ突っかける人は潮《うしお》の如く、まもなく大入り満員となって、なお押寄せて来る客を謝絶《ことわ》るために、座方が総出で声を嗄《か》らしてあや[#「あや」に傍点]まっている光景は、物すごいばかりです。これは勧進元のお角として、当然すぎるほどの結果で、寧《むし》ろこうなければならないはずにはなっているが、やはりこの夥《おびただ》しい人気を見ると、商売気とは違った昂奮を感じながら、場の内外のすべてに気を配っている。
 春日長次郎が、あらかじめ一座の成り立ちの口上を述べて、やがて予定の番組にとりかかる。この口上言いの風俗からして、観《み》る人の眼を新しくしたと見えて、その一言一句までが静粛に聞かれていることも、例《ためし》のないほどで、口上があってから、やがて、改めて観客は舞台の装飾から小屋の天井のあたりを、物珍しく見直したものです。
 この小屋がけは従来の方式とは違って、今日普通に見るサーカスの小屋がけ、日本でいえば相撲の場所とほぼ同じように、円心に舞台を置いて桟敷《さじき》が輪開して後方《うしろ》に高くなる。二千人を収容して余りあろうと思われるほどの広さに、高く天幕《テント》の間から青空の一部が洩れているのを仰いでながめると、人をして従来の劇場とは違った自由と快活の気風を起させる。
 さて、また演技の番組に就いては、厳密にいえば、その前芸は、奇術とか、魔法とかいうよりも、一種の西洋式の軽業といった方が当っている。その間へ、ちょいちょい手品が入るという組合せであります。――けれども、その演芸のことは一々ここへ書き立てない方がよかろうと思う。その時分の人を天上界の夢の国へ持って行くほどに、恍然魅了《こうぜんみりょう》した異国情調を細かく描写してみたところで、その時分の人の驚異は、必ずしも今日の人の驚異ではない。ただしかしその時の見物は、さし換《かわ》る番組と、登場者の風俗と、それに伴奏するさまざまの楽器の音と、使用の装飾の道具類とが、見るもの、聞くもの、異常の刺戟でないということはなく、その眩惑《げんわく》のために、半畳《はんじょう》のための半畳を抑え、弥次のための弥次を沈黙させただけの効果と、堪能《たんのう》とは、たしかに存在したものであります。見物は、たしかに今までに見ないものをみせられたことに、沈黙の満足を表現しているといってよろしい。
 ことに、その準備と訓練がよく行届いていたせいか、番組の進行、道具方や介添《かいぞえ》までが、キビキビした働きぶり、スカリスカリと歯切れがよく進んで行く興行ぶりは、従来、演芸の吉例(?)としての、初日の不揃いとか、幕間《まくあい》の長いとかいうような見物心理の圧制から解放されて、気の短い、頭の正直な見物を嬉しがらせたことは非常なものです。
 演技で酔わされた人が、ホッと我に返ると、
「時間と、幕間は、西洋式に限りますな」
 その西洋式の讃美者は、この興行主のお角が諸肌《もろはだ》を脱いで、江戸前の刺青師《ほりものし》に、骸骨の刺青を彫らせていることを知るものがない。
 前芸の棒飛び、縄飛び、輪投げ、輪廻しといったのは、鍛練した技術で、眩惑の手品ではない。第一番目から手品が一枚加わって――それから四番、五番と立てつづけに、大道具、大仕掛で、華麗と、眩惑と、濃厚と、変幻の異国芸の花々しさを、息をもつかせず展開しておいて、六番目に、
「ジプシー・ダンス」
 この幕間に、ちょっと手間がかかりました。
「何しろ驚いたものですな、今度はジプシー・ダンス。ええと、つまり西洋の手踊りといったようなものだそうで」
 お茶を飲み、煙草を吸って休養を試みているところへ、春日長次郎がまた改めて口上言いに出ました。
 これより先、開場の前までは、場内を隈《くま》なくめぐって気を配っていたお角、開場と共に、楽屋と表方の間に隠れて、始終の気の入れ方を見ている。
「梅ちゃん、この次は西洋の踊りですから、向うへ行って、よく見てごらん」
 附いていたお梅に、参考としてのジプシー・ダンスを見学さすべく、お附の役目を解いて暫時のお暇を与えると、娘分のお梅は有難く、喜んでお受けをして、
「それでは行って参ります」
 外行のような挨拶をして、そっと見物席の後ろへ廻ろうとすると、お角が、またそれを呼び留めて、
「かまわないから御簾《みす》の桟敷のね、あいているようなところへ入って、ゆっくりごらん」
「有難うございます」
 お梅は再びお辞儀をして行ってしまいます。
 まもなく、見物席の背後から隠れるようにして、正面東側、そこに御簾をかけた一列の桟敷の後ろへ来て、お梅は怖々《こわごわ》とその一端を覗《のぞ》いて見ました。
 ここに、御簾の桟敷というのは、小屋がけとしては異例の設備であります。けばけばしくはないが、ともかく、この一列は御簾を下げてあって、ある一組の連中もここから忍んで見られるし、個人個人もまたここから多数の目を避けて、演芸だけを見得ることのような組織になっていました。
 こういうことは、誰かしかるべき黒幕があって、相当の身分あるものの、市井《しせい》を憚《はばか》る見物のために、特に用意をしたものと見なければなりません。木戸口からは、どうもここへ案内されたものを見たことがないから、多分この表の水茶屋から案内された特別の客だけが、前約あって、ここへ送られて来るはずになっているものと見えます。すべての観覧席は、爪も立たぬほどの大入りとなって、入場謝絶に苦しんでいる際に、ここだけは充分の余裕を残して、いついかなる人をも迎え得るようにしてあります。すでに、御簾《みす》の蔭からうかがうこの席の見物の中には、頭巾《ずきん》を取らない武士《さむらい》もあれば、御殿女中かと見られる女の一団もあります。
 お梅は親方から許されて、怖々《こわごわ》この桟敷の一端を覗いて見ると、幸いに、そこは八人詰ほどの仕切られた席が残らずあいていましたから、そっと入って、片隅に身を寄せ、手すりに軽く肱《ひじ》を置いて、改めて落付いた見物気分を起しました。
 この時は、もう楽屋も総出で、広小路の女軽業から手隙に来た連中も、争って、次に行われるジプシー・ダンスを見学しようとして最寄《もより》最寄《もより》へ出て行ったあと、お角は秘蔵の娘分のお梅まで出してやったものですから、この盛んな、この広い、この気忙しい中で、しばらく気を抜いたようなひとりぼっち[#「ひとりぼっち」に傍点]になると、思わずホッと吐息をついて、のぼせた頬を、ちょっと両手でおさえてみて、それから楽屋の窓の所へ、思わず凭《よ》りかかりました。
 窓といっても、本来が仮小屋ですから、特にそれがために切ったのではなく、幕を下ろせば壁となり、幕を絞れば窓となるだけの組織ですが、ちょうど、その幕が絞ってありましたから、お角は、その傍へ寄って柱に凭りかかって、外の空気に触れると、ここは高いところですから、眼の下に新しい世界が、新たに展開した心持がしました。
 新しい世界といっても、場内の変幻出没のような夢の国の世界が現われたのではなく、尋常一様の両国回向院境内の世界ですけれども、人気と、眩惑と、根《こん》づかれの空気にのぼせ[#「のぼせ」に傍点]たお角にとっては、その尋常一様がまた新世界のように感ぜらるべき道理でもあるが、ことにその眼の下に現われたのは、回向院の墓地でありました。乱離たる石塔と、卒塔婆《そとば》と、香と、花との寂滅世界《じゃくめつせかい》が、急に眼の下に現われたものですから、お角は目をすま[#「すま」に傍点]しました。
 お角が人いきれの中から面《おもて》を窓の下に曝《さら》すと、そこは回向院の墓地であります。卵塔《らんとう》と、卒塔婆の乱離たる光景が、お角の眼と頭とを暫しながら、思いもかけない別の世界に持って行きました。
 お角は、その荒涼たる人生の最後の安息所を、我を忘れて見下ろしていた間は何事もありませんでした。
 そのうちに、墓地の一方の木戸をあけて、静かに内部へ足を運んで来る二人づれのお墓参りのあったことを気づいたまでも無事でありました。
 一方、魔術の世界の華麗と、眩惑に浸っている群衆と、また一方、こうしてしめやかに人生の最後の安息所へのお参りに足を運ぶ人とが、背中合わせになっている。それをお角は、やはり無心にながめて、頬のほてりを冷している。お墓参りの二人の者もそれを知らず、まだ新しい木標《もくひょう》の前に近づくと、二人のうち、案内に立ったお屋敷風の小娘が、
「ここでございます」
で、手にかかえていた阿枷桶《あかおけ》をさしおくと、それに導かれて来た、塗笠に面《おもて》を隠した人柄のある一人のさむらい[#「さむらい」に傍点]。
 手に携えていた香華《こうげ》を、木標の前の竹筒にさして、無言に立っていると、娘は阿枷の水を汲んで、墓木《ぼぼく》と花とに注《そそ》いでいる。
 塗笠のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、木標の前に立って、軽く頭《こうべ》を下げて、感慨深く立っている。
「殿様、どうぞ、お水をお上げくださいまし」
 娘は杓柄《ひしゃく》を武士の手に渡すと、それを受取った武士は、墓に水を注いで、
「この文字は誰が書きました」
「御老女様からのお頼みで、大僧正様が書いて下さいました。御老女様は、そのうちお石塔を立てて、そのお石塔の後ろへ、朝夕《あしたゆうべ》の鐘の声、という歌を刻んで上げたいとおっしゃいました」
 高いところで、見るともなしに見ているお角の耳へは、無論この二人の問答は入りませんが、満地の墓碣《ぼけつ》の間にただ二人だけが、低徊《ていかい》して去りやらぬ姿は、手に取るように見えるのであります。そこで、お角は早くも、これはしかるべき大身のさむらい[#「さむらい」に傍点]が、微行《しのび》で、ここへ参詣に来たものだなと感づきました。表には憚るところがあって、この娘だけが一切の事情を知っていて、お殿様の案内をして、こっそりと参詣に来たものだなという感じは、お角のような打てば響くところのある女性には、見て取ることが早いと見えます。
 その大身のさむらい[#「さむらい」に傍点]と思われる人品のあるのは、最初から笠に面を隠していますから、その何者であるやは確かにはわかりませんが、羅紗《らしゃ》の筒袖羽織に野袴を穿《は》いて、蝋鞘《ろうざや》の大小を差し、年は三十前後と思われるほどの若さを持っているのが、爽やかな声で言います、
「それから、あの奇怪な風采《ふうさい》をした少年、少年といおうか、或いは若者といおうか、正直にして怒り易い、槍に妙を得た、あれの幼馴染《おさななじみ》といった男は、どうしていますか。あの男を、そなたは御存じか……君《きみ》は絶えずあの男に逢いたがっていたのだが……」
「ああ、米友さんのことでございますか……」
と娘が答えた時に、大魔術の小屋で大太鼓と金鼓《きんこ》の音がけたたましく、鳴り出しましたから、墓地の中の二人も、これに驚かされ、問答の半ばでふたりいい合わせたように、この高い天幕の小屋を見上げますと、そこで計らずも、窓から見下ろしていたお角と面《かお》を見合わせました。
「おや?」
と驚いたのはお角です。こっちは窓に人がいると気づいただけですけれども、お角はこの墓地の中から、笠の面《おもて》を振上げたその中の人を見て、驚いてしまいました。その人は、もとの甲府勤番支配、駒井能登守に相違ないと思ったからです。
 それとは知らない二人づれの墓参りは、やがて墓の前を辞して徐《おもむ》ろに以前入って来た木戸口を出て、魔術の小屋へ吸い寄せられる人足《ひとあし》に交り、相撲茶屋を横に見るところへ来ると、
「モシ、それへおいでになりますのは?」
と呼びとめたもののあるのは、どうも自分たちを指したものらしい。二人は、ちょっと二の足を踏みますと、早くも、そこへ駈け寄って来た女の人、
「駒井甚三郎様」
 立ちどまった以前のさむらい[#「さむらい」に傍点]はハッとしました。追いついて来たのは大魔術の勧進元のお角。
「おお、そなたは……」
 駒井は、その女を見ると、あわただしいそぶりであります。
「まあ、駒井の殿様……いつこっちへお越しになりましたんですか、あんまりじゃございませんか、わたくしどものところへなんぞ、お沙汰《さた》も下さらないで、ほんとうにお恨みに存じますよ」
 お角はこの人を見ると、まず怨《うら》みの言葉を浴びせかけるほどに、熱しているものと思われます。
「今、ここへ着いたばかりじゃ」
「お宿は柳橋でございますか」
「ついこの先……」
 申しわけのようにする駒井の返事を、お角は焦《じ》れったそうに、
「なんに致しましても、ここを素通りはなりませぬ、おいやでもござりましょうが、ぜひお立寄りを願わなければ」
といって、お角は、連れのお屋敷風のキリリとした娘の姿を、心ありげな眼つきでながめますと、その娘もはっとしましたが、何にもいわず軽い会釈をして、やや手持無沙汰でいると、駒井は迷惑がって、
「どのみち、宿をきめてから」
 こういいますと、お角は、もとより逃《のが》さないつもりですから、
「まあ、左様におっしゃらず、わたくしどもの一世一代を御見物下さいませ、ずいぶん、骨も折れましたが、まんざらごらんになって腹の立つようなものばかりでもございません」
「ははあ、この興行は、お前がやっていたのか」
「左様でございます、御案内を致します。お嬢様、どうぞあなた様も、御迷惑でも殿様のおつきあいをなさいませ」
「お松どの、せっかくのことだから見せてもらおうか」
「はい……」
 御屋敷風の娘は、老女の家のお松であること申すまでもありません。お松はこの返事に躊躇《ちゅうちょ》しましたのは、墓参《ぼさん》の帰りに……という気がトガめたのかも知れません。
 しかしながら、駒井甚三郎は、どのみち退引《のっぴき》ならぬ相手につかまったものと観念をしたのでしょう、お角の案内に随って、遠慮をするお松を引具《ひきぐ》して、ついにこの小屋へ足を向け、
「相変らずエライことをやり出したな。なに、切支丹の魔術……それは面白い。この看板は誰がかいたのじゃ、日本人に描かしたのか、彼地《あっち》から持って来たのか。向うの下絵によって写したと。なるほど、横文字入りで変った図柄じゃ、とにかく、これだけのことをやり出したお前もエライが、向うへ渡ってこれを持って来た奴もエライな。ナニ、春日長次郎……柳川一蝶斎の一座で先立ちして来た男だと。知らん、すべて拙者はまだ日本のものも、西洋のものも、手品というは評判だけに聞いて、本物を見るのは今日がはじめてじゃ。日本のものを向うへ持って行けば相当に面白かろう、むこうのをそのままこっちに見せることは一層珍しい。誰が周旋してくれたのじゃ。ほかの興行と違って、見る人に新知識を与え得るものでなくてはならぬ」
 駒井甚三郎はこういいながら、相撲茶屋から御簾《みす》の桟敷《さじき》へ案内されました。

         三

 駒井甚三郎とお松が案内された席は、ついたった今、お梅がそっと入り込んだ御簾の桟敷の一間であります。
 それと見てお梅は、遠慮して席を避けようとするのを、お角が、
「いいから御免を蒙《こうむ》って、そうしておいで」
 そこで、この一間には主客都合四人が納まった時分に、ようやく春日長次郎のジプシー・ダンスの口上が始まりましたから、駒井甚三郎は、ちょうどこれを見るために、わざわざこの席へ来たような具合になりました。
 春日長次郎は、五十恰好の禿《は》げた素頭《すあたま》の血色のよい面《かお》をして、例の和服とも、支那服ともつかない縫取りのある広袖の半纏《はんてん》に、大口のようなズボンを穿《は》いて、舞台に現われ、
「さて、東西のお客様方、初日早々かくばかり盛んな御贔屓《ごひいき》をいただきまして、一同の者、何とお礼を申し上げよう術《すべ》もなく、有難涙に咽《むせ》びおりまする次第でございます。ただいままで、だんだんとごらんにそなえました技芸、ことごとくお気に叶いまして、楽屋一同の感謝にございまするが、ことにこのたびごらんに入れまするは、ジプシー・ダンス……これはお聞き及びでもございましょうが、太古より今日に至るまで、亜細亜《アジア》洲と欧羅巴《ヨーロッパ》の間を旅から旅へとうつり歩く一種族でございまして、曾《かつ》て一定の国というものを持ちませぬ、また一定の家というものを持ちませぬ、青空の存するところが彼等の故郷にございまして、水草の生えるところはすなわち我が家、と申す有様でございます……何故に、このジプシー族に限って、国と家とを持たず、太古より今日まで、漂浪を続けているかと申しまするに……彼等はその昔|切支丹宗《きりしたんしゅう》の救い主を殺した罪の報いによって、その国を失い、ついに生涯枕をする土地を与えられなかったのだそうでございます……」
 説明半ばで、駒井甚三郎が、これは少し変だと思いました。この説明人は、ジプシー族とユダヤ族との伝説を混同しているなと思いました。しかし、多数の見物は一向そんなことを念頭には置かず、極めておとなしく説明を聞いていると、咳払い一つした春日長次郎は、続けて、
「しかしながら、切支丹の罪によって国を逐《お》われ、枕するところを奪われたジプシー種族に、二つの恵まれたものがございます、その一つは音楽でございまして、他の一つは美人なのでございます。このジプシー種族には、古来、非常な美人が生れまして、欧羅巴《ヨーロッパ》の貴族をして恍惚《こうこつ》たらしめたこともございます。また、天性、音楽が巧みでございまして、彼地《あちら》の大音楽家も、ジプシーから教えられたものがあるそうでございます……とはいえジプシーは、救世主を殺した罪の種族でございますから、これを見ることは許されても、これに触れることは許されませぬ。たとい、ジプシーの女、花のように美しうございましょうとも、それに触れた者は、手を触れたものも、触れられた女も、共に不祥の運命に終ると申し伝えられてあります。でございますから、ジプシーの美人の美しさは、花のように美しく、また花のように盛りが短いとされておりまするのでございます。皆様方はこのジプシーの女のために、その一生を誤った欧羅巴の貴族と僧侶のお話を御存じでございますか……これよりごらんに入れまするジプシー・ダンスは、日本で申しますると、ふいご[#「ふいご」に傍点]祭におどる踊りでございます、花恥かしい乙女《おとめ》が、鈴の輪を持ちまして、足ぶり面白く踊ります。また日本の三味線、琵琶に似たところのギターとマンドリン、それに合わせて歌いまするそのあでやかな人と音色《ねいろ》……長口上は恐れあり、早速ながら演芸にとりかからせまする」
 春日長次郎はかなりの能弁で、一通り由来を述べ終って卓の上なる鈴《りん》を振ると、後ろの幕が二つに裂けて、そこから賑やかな音楽が湧き起りました。
 幕があくと、天幕張《テントば》りの漂浪生活の前に、二三のジプシー族の若者が鍛冶屋《かじや》をしている。盛んに鉄砧《かなしき》を叩いているところへ、同じ種族の一人の子供が糸の切れたギターを持って来て、向槌《むこうづち》を打っている男に直してくれと頼む。男が槌をさしおいて、それを直してやって調子を試むると、それに合わせて他の一人が歌い出す。と、子供が踊る。
 そこへ禿頭《はげ》の老爺《おやじ》が来て、そう怠けてはいけないと叱る。若者は仕事にかかる。子供はギターを鳴らして歌うと、叱った老爺が踊り出す。それを鍛冶屋が調子を合わせて槌を打ちながら歌う。ゾロゾロと子供が出て来てみな踊る。山の神連(ジプシーの女房たち)が出て来て、ガミガミいう。多分、この御苦労無しの親爺《おやじ》めが、今ごろ何を踊りさわいでいるのだと罵《ののし》るものらしい。親爺は恐縮して逃げながら踊る。子供たちはギターを合わせる。ついには山の神連まで、浮かれて踊る。すべて踊って歌って大はしゃぎになっているところへ、遽《にわ》かに注進らしいのが来る。そこで口早に人々に告げると、皆々|狼狽《ろうばい》して逃げ隠れようとする。
 そこへ、花やかな騎士が、従者をつれてやって来ると、ジプシー族は異様な眼をしてそれを眺める。花やかな騎士は、人の名を呼んで誰かをたずねるらしい。ジプシー族はみな首を振って知らないという。騎士と従者は失望して行ってしまう。
 ジプシー族は、それを見送って、何かしきりに言い罵っていたが、若い者のうちには、腕を扼《やく》して、そのあとを睨《にら》まえ、追っかけようとする素振《そぶり》を示す者がある。老巧者がそれをささえる。子供は頓着なしにギターを掻き鳴らす。けれども以前のように浮き立たない。
 そこへ賑やかな鳴り物が入って、蝶の飛び立つように入って来た一人の少女があった。
 黒い髪、ぱっちりした瞳、黄金色《きんいろ》の飾りをしたコルセット、肩から胸まで真白な肌が露《あら》われ、恰好のよい腰の下に雑色のスカートがぱっと拡がると、その下から美しい脛《はぎ》が見える――この少女は息せききってこの場へ駈け込んで、
「皆さん、ただいま」
 多分、そういったような、晴々しい呼び声で、一同が甦《よみがえ》ったように、その少女を取囲んで、
「おお、マルガレット、無事か」
といったような歓声が起る。少女は、息をはずませて何か口早に物語をすると、老若男女が皆、背伸びをしてそれを聞こうとする。少女の物語は、何か多少の恐怖から解放されて来たもののような表情であります。その物語を聞いてしまうと、老若男女が、また歓声を揚げる。そのうちにも以前の若者らは強がりの身ぶりをして、騎士らの立去ったあとを睨まえて、腕をさすって見せる。そのうちに子供たちがギターを鳴らしはじめると、一同が浮かれ出す。右の少女が、
「では皆さん、踊りましょう」
といったような声で、タンバリンを振り鳴らして自分が真中で、めざましい踊りをはじめると、老若男女がそれを囲んで、総踊りに踊って踊りぬくと幕。
 駒井甚三郎は、その一幕を見終ると、帰ると言い出しました。
 もう一場、あとの本芸をぜひ――というのを振切って、お松を連れて、この小屋を辞して、お角に後日の面会を約して己《おの》が宿所へと立帰りました。

         四

 ジプシー・ダンスが終って、駒井甚三郎とお松は辞して帰ったあとで、大詰《おおづめ》の奔馬《ほんば》の魔術という大道具の一場があって、その日の打出しとなりましたが、これを最後まで見ていた見物のうち、二人の壮士がありました。
 もう黄昏時《たそがれどき》です。この二人の壮士は、小屋を尻目にかけて悠々と闊歩して、例の相生町の老女の屋敷へ入り込みます。
 といっても、この二人の壮士は南条と五十嵐ではないが、二人ともに疎鬢《まばらびん》で直刀丸鞘を帯びているところ、たしかに薩摩人らしい。この黄昏時、老女の屋敷へ二人とも、大手を振って乗込んだが、玄関に立って大声で怒鳴ると、その声を聞きつけて走り出でた二人の壮士。
 それと暫く問答をかわしていたが、訪ねて来たのは上へあがらず、面《かお》を出した邸内の壮士二人が下り立って、都合四人づれで市中へ出ました。
 付け加えてこの日は、黄昏時になると、ようやく風が強く吹き出し、四人づれが両国橋を渡りきって矢の倉方面に出た時分には、バラバラと砂塵が面に舞いかかるほどの強さとなります。
「強い風じゃ、火をつけたらよく燃えるだろう」
「でも、江戸を焼き払うほどの火にはなるまい」
「それは地の利を計らなければ……先年、大楽《おおらく》源太郎と、地の利ではない、火の利を見て歩いたが、彼奴《きゃつ》、人の聞く前をも憚《はばか》らず、今夜はここから火を放《つ》けてやろうと、大声で噪《さわ》がれたのには弱った」
「あれは、そそっか[#「そそっか」に傍点]しい男だが、感心に詩吟が旨《うま》かった」
「どうだ、ひとつ放《つ》けてみようか」
「しかし、つまらん、江戸城の本丸まで届く火でなければ、放《つ》けても放け甲斐がごわせぬ、徒《いたず》らに町人泣かせの火は、放けても放け甲斐がないのみならず、有害無益の火じゃ」
「有害無益の火――世に無害有益の放火《つけび》というのもあるまいが」
「では、通りがかりの道草に、いたずらをしてみようか」
「地の利と、風の方向を考え、且つ、なるべくは貧民の住居に遠く、富豪の軒を並べたところをえらんで……」
「面白かろう」
 さても物騒千万ないたずらごと。この四人の壮士が傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に試みた火つけの相談は、冗談ではなくて本当でありました。それからまもなく、風が強くなるに乗じて、この連中の行手にあたって、日本橋の呉服町のある町家の軒から火の手があがって大騒ぎとなりましたが、それは発見されることが早くて、まもなく揉み消したかと思うと、山下町あたりのある旗本屋敷が、またしても、それ火事よと騒ぎ立てて、これはほとんど大事となり、一軒を丸焼けにしておさまりました。
 次に、やや時間を置いて芝口のある商家、これも大事に至らず消し止めましたが、それから程経て、神明の前の火の見櫓が焼け出したのは皮肉千万であります。
 筋を引いて見れば、ちょうどこの四人の壮士の過ぐるところ、四カ所で火が起ったわけです。これはまた途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]で、いやしくも武夫《もののふ》の姿をした者共の為すべからざる、いたずら[#「いたずら」に傍点]であるに拘らず、このいたずら[#「いたずら」に傍点]は、誰にも発見されず、その残したいたずら[#「いたずら」に傍点]の脱け殻だけが人騒がせをして、当の本人たちは悠々として芝の三田の四国町まで来ると、そこに薩摩、大隅、日向三国主、兼ねて琉球国を領する鹿児島の城主、七拾七万八百石の島津家の門内へ乗込もうとする。音に聞く島津の家の門番は、この途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]者を、どう処分するかと見れば、案外にも易々《やすやす》と表門を素通りさせて、彼等をこの屋敷の中に吸い込んでしまいました。
 しかし薩摩の士の風俗をしているからとて、必ず薩摩のさむらい[#「さむらい」に傍点]だと限ったわけはありますまい。この薩州屋敷では、このごろ、ずいぶん人見知りをしないで人を入れる。
 まず玄関には非常に大きな帳簿が備えてあります。それの巻頭には誰の筆とも知らず、達筆に尊王攘夷《そんのうじょうい》の主意が認《したた》められてあって、その主意に賛成の者は来るを拒まず、ということになっている。諸国の尊王攘夷の志士は、肩を聳《そび》やかし、踵《きびす》をついで、集まり来って、この帳簿へ記名誓約をする。紹介者あって来るものもあれば、自身直接に来るものもある。薩州邸ではそのいずれでも拒むということをしない。
 五百人内外の人は、いつでも転がっているが、これらの食客連の日中の仕事は、武芸をやること、馬に乗ること、感心に読書学問をやっている者。為すことも気儘勝手《きままかって》、出入りも自由。けれどもその自由放任が、ある時は、無制限になって、ここから夜な夜な市中へ向けてきりとり強盗に出かけたものまでが黙認される。
 火放《ひつ》け強盗はおろかなこと、この屋敷から或る時は甲州へ向けて一手の人数が繰出される。或る時は下総、或る時は野州あたりへ繰出して、そこで大仕掛な一揆《いっき》の陰謀が持ち上る。
 その主謀者の方針は、江戸の市中はなんといっても相応に警戒が届いている。ことにこのごろ、募集した歩兵隊――一名|茶袋《ちゃぶくろ》は烏合《うごう》の寄せ集めで、市民をいやがらせながらも、ともかくも新式の武器を持って、新式の調練を受けているから、それを相手には仕事がしにくい。近国へ手を廻して騒がせておけば、自然お膝元の歩兵隊が繰出す。その空虚に乗じて江戸の城下へ火をつけ、富豪の金穀を奪うて、大事を挙げる時の準備にしようという方針らしい。
 斯様《かよう》な方針を立てている主謀者は何者か。どうかすると西郷吉之助の名前が出ることもあるが、西郷はここにいないで、益満《ますみつ》休之助と伊牟田《いむだ》なにがし[#「なにがし」に傍点]と小島なにがし[#「なにがし」に傍点]と、このあたりが主謀者ということである。
 益満は長沼流の撃剣家で、山岡鉄太郎などとも懇意であり、この益満の後ろに西郷がいて糸を引いているという説もあるが、益満それ自身もただ糸を引かれている人形ではあるまい。
 さいぜん、大手を振って門内に通過した四人の壮士、この席へ来ても無遠慮に一座の中へ、むんずと坐り込み、まず見て来たところの西洋の大魔術の披露、普通弁と薩摩弁でしかたばなしまでしての土産話《みやげばなし》は無難であったが、無難でないのはそれに続く自慢話であります。
 この四人の壮士どもは、今しも、大得意になって、本所の相生町から三田の四国町までの間の彼等の道草、その途方もない、いたずら[#「いたずら」に傍点]話を憚《はばか》る色なく並べ立てたことです。四カ所に放火して、ある所は大事に至らしめ、ある所は小事で終らしめたが、ともかくも人心を騒がして来たことを手柄顔に説明すると、それを興ありげに聞いていたものと、不足顔に聞いていた者とあって、
「ナーンだ、くだらぬ人騒がせ、つまらぬいたずら[#「いたずら」に傍点]、そうして下《した》っ端《ぱ》をおどかしてみたところが何だ。トテモやるなら、あの将軍の本丸まで届くほどの火を出せ。本丸から火を出して、グラついた江戸城の礎《いしずえ》を立て直すほどの火を出してみろ。小盗賊のやるようないたずら[#「いたずら」に傍点]はよせ」
と言ったものがあると、四人のなかの一人が抜からず、
「いずれそれをやって見せるが、今はその手習いじゃ」
 そこで、この一座の対話が、江戸城の本丸へ火を放《つ》ける、その実際の手段方法にまで進んで行ったのは怖るべきことです。この怖るべき相談が事実となって現われたのも、それから幾らも経たない後のことであります。それから彼等の巣窟たるこの四国町の薩摩屋敷が焼打ちになって、江戸を追われたことも、いくらもたたない後のことであります。

         五

 それはそれとして、再び前に戻って、ここにまだ疑問として残されているのが、両国の女軽業の親方お角の、このたびの、旗揚げの金主となり、黒幕となった者の誰であるかということで、これはその道の者の専《もっぱ》らの評判となり、またお角の知っている限りの人では、これを問題にせぬ者はなかったが、誰もその根拠を確《しか》と突留めたものがありません。
 神尾主膳や、福村一派の現在は到底、逆《さか》さにふる[#「ふる」に傍点]っても融通がつこうはずはなし、以前、柳橋に逗留《とうりゅう》していた時代の駒井甚三郎のところへは、お角はしげしげ出入りして、あの当座、多少の融通黙会《ゆうずうもっかい》はあったかも知れないが、今の他人行儀を見れば、このたびの興行に駒井の力は加わっていなかったことは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といえども疑う余地はないところであります。
 高利の金を借りた場合には、玄人筋《くろうとすじ》は当人の手にその金が入るより先に、その噂を受取るに違いないが、さっぱりそのことがない。
 だから、玄人《くろうと》は興行の腕よりも、お角の金策の腕に舌を捲いている。
 初日の評判を後にして、その日いっぱいの上り高のしめくくりをしたお角は、払い渡すべきものは即座に払い渡し、大入袋の割振りまできびきびとやっつけて、残った金を両替にすると、それを恭《うやうや》しく紙に包んで男衆を呼びました。
「庄さん、ちょっとそこまで一緒に御苦労しておくれ」
 やはり風の吹いた同じ日の晩。
 一人の男衆を連れたお角は、両国橋の宿を立ち出でました。
 その行先が疑問、それを突き留めさえすれば、金策の問題もおのずから氷釈するに違いありません。通俗に考えれば、これは、てっきり[#「てっきり」に傍点]、柳橋の遊船宿に駒井甚三郎を訪ねて出かけたものに相違ない――お角ほどの女が、その時分に息をはずませて柳橋を渡り渡りした時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵をひとかたならず嫉《や》かせたものです。
 ところが、今はこの通俗な予想も、まるっきり違って、お角が訪ねて行く足どりもおちついたもので、足を踏み入れたところは通人の通う柳橋ではなく、諸国のお客様の定宿《じょうやど》の多い馬喰町の通りであります。
 そこで、一二といわれる大城屋良助の前へ来ると、お角は丁寧に宿の者に申し入れました、
「有野村のお大尽様《だいじんさま》に、両国橋から参りましたとお伝え下さいまし」
「はい、畏《かしこ》まりました」
 ほどなく、お角は男衆の手から包みを取って、案内につれて通る。男衆は店頭《みせさき》に腰をかけて待っている。
 お角の通された一間、そこには丸頭巾をかぶったお金持らしい老人が一人、眼鏡をかけてしきりに本を読んでいる。そこへお角が通されて、
「お大尽様、お邪魔に上りました」
「おお、お角どの、まあずっとこれへお入りなさい」
といって老人は本を伏せ、眼鏡を外《はず》して、座をすすめると、お角はしおらしく、
「御免下さいまし」
 座へ通って再び老人に頭を下げ、
「おかげさまで、すっかり当ってしまいました。これで、わたしの胸も、すっかり透いてしまいました。就きましては早速、心ばかりのお初穂《はつほ》を差上げまするつもりで……」
といって風呂敷を解きかけたその中は、確かにお金の包みであります。
 いわゆるお大尽の前へ、お金の包みを積み上げますと、お大尽は、莞爾《にっこり》と笑い、
「いやもう、それはお固いことだ、娘もああしてお世話になっているし、そう急ぐというつもりもないのだが、せっかくだから……」
 ここで初めてお角の金主元が知れた次第です。つまりお角は、このお大尽から金を引き出している。しからばこのお大尽なるものは何者。
 王朝時代からの旧家といわれた甲州有野村の長者藤原家、その当主の伊太夫。それがすなわちこのお大尽で、ただいま、お角の家に厄介になっているお銀様のまことの父がこの人であります。
 さればこそ、測り知られぬ山と、田と、畑と、祖先以来の金銀と、比類のない馬の数を持っているこの富豪をつかまえたことが、興行界の玄人筋《くろうとすじ》の機敏な目先にも見抜き切れなかったことになる。
 大尽は、金の包みを前に置いたままで、
「どうだね、お角さん、あれはどうしても帰るとはいいませんか」
「そればっかりはいけません、いくら申し上げましても……」
「そうだろう、どうも仕方がない。よし帰るといってもらったところで、また難儀じゃ。いっそのこと、どこまでもお前さんに面倒を見てもらいたいと、わしは思っているのだが」
「どう致しまして、わたくしなんぞは御面倒を見ていただけばといって、お力になれるわけのものではございません」
「いや、あの通りの我儘者《わがままもの》だから、お前さんのような、しっかり[#「しっかり」に傍点]した者が付いていてくれると、わしも安心じゃ」
「痛み入ったお言葉でございます、そのお言葉だけを勿体《もったい》なく頂戴して、一生の宝に致したいと存じます」
「そういうわけだから、ドコかしかるべき地面家作のようなものがあったら、ひとつお世話をしていただきたい、あれの暮して行けるだけのことはしておいて帰りたいと思いますからね」
「そうしてお上げ申した方がお嬢様のお為めならば、ずいぶん御周旋を致しましょう」
「無論、その方があれのためになる、それでは万事よろしく頼みますぞ」
「畏《かしこ》まりました、早速、そのつもりで明日からでも、恰好《かっこう》なところを探しにかかりましょう。それと、お大尽様、くどいようでございますが、あなた様にもぜひひとつ、今度の興行を見ていただきとうございます」
「いいや、わしがような山家者《やまがもの》、それにこう頭が古くなっては、根っから新しいものを見て楽しもうと思いませぬ」
「それでも、せっかくでございますから」
「まあ、勘弁して下さい、これが、わしの性分なのだから」
「ほんとうに残念でございます」
 肝腎《かんじん》の金主元が、事業の出来栄えを見てくれないのをお角は残念がると、伊太夫は、
「そういうわけだから、悪く取って下さるな。それから、この金は、せっかくのこと故、わしが一旦は受納を致したことにして、改めてお前さんの方へお廻しをしたいのじゃ、この後の分ともに、それを、今お頼みした娘の方のかかりに廻してもらいたいのじゃ。娘へ手渡しをしても受取るまい、受取ったところでうまく処分ができ兼ねるだろうから、そこはお前さんが預かっておいて、都合よくやってもらいたいのじゃ。なお、国許《くにもと》から月々なり、或いは相当の時分に為替《かわせ》を組んでよこすか、または人を遣《つか》わす故、何かについて不足があらば申し越してもらいたい……証文? 左様なものは要らぬ。わしはこれで、いったん人を信用すると、最後までしたい方の人間でね、肌合いは違うけれども、お前さんなら大丈夫だと、まあ見込んでお頼みをしているわけなのだ。それに第一、娘というものが、この上もない生きた証文ではないか」
 お角はこの時、さすが大家の主人だけあると思いました。

         六

 そのお角の留守中、裏両国のしもたや[#「しもたや」に傍点]へ、
「今晩は、御免下さいまし」
「どなたでございます」
「親方は、おいででございますか」
「どなたでございます」
「金助でございます……」
「金助さんですか」
 娘分のお梅が駈け出すと同時に、格子戸をカラカラとあけて、
「え、金助でございますが、親方はお宅でございましょうな」
「まあ、お入りなさいまし、母さんは今留守ですけれど」
「エ、お留守ですって?」
「いいえ、留守でもかまいません、もし金助さんが見えたら、待たせておいて下さいといわれていましたから」
「左様でゲスか、左様ならば御免を蒙《こうむ》ると致しまして」
 そこへ腰をかけて、草鞋《わらじ》を解きはじめたのは、金助というおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]で、今、旅の戻りと見える気取ったいでたち[#「いでたち」に傍点]です。
「草鞋ばきなんですか、ずいぶんお忙がしそうですね」
「どう致しやして、忙がしいのなんの……これも誰ゆえ、みんな忠義のためでございます」
 くだらない軽口をいって草鞋|脚絆《きゃはん》を取っていると、お梅は早くも水を汲んで来て、
「金助さん、お洗足《すすぎ》」
「これはこれは、痛《いた》み入谷《いりや》の金盥《かなだらい》でございますな」
「さあ、お上りなさいまし、母さんはじきに帰って来るといいおいて出ましたから」
「左様でゲスか……いやどうも、これでわっしも性分でしてね、頼まれるといやといえないのみならず、身銭《みぜに》を切ってまで突留めるところは突留めないと、寝覚めの悪い性分でゲスから、随分、骨を折りましてな。それでも骨折り甲斐も、まんざらなかったという次第でもございませんから、取る物も取りあえずにこうして伺ったわけなんですよ」
「御苦労さまでしたね」
「早速御注進と出かけて見れば、頼うだお方はお留守……少々|業《ごう》が煮えないでもございませんが、お梅ちゃんからこうしてお茶を頂いたり、お菓子をいただいたり、御苦労さまなんていわれてみると、悪い気持もしませんのさ」
「ほんとうに、お気の毒でしたね。でも母さんが、もう帰って来ますから、なんならお風呂にでもおいでなすったら、いかがです」
「そのこと、そのこと、よいところへお気がつかれました、旅の疲れは風呂に限ったものでゲス。では、ひとつ、御免を蒙って……」
「金助さん、お召替えをなさいましな」
「お召替え? それには及びませんよ」
「まあ、そうおっしゃらずに」
「どうも恐縮でゲス。おやおや、昔模様謎染《むかしもようなぞぞめ》の新形浴衣《しんがたゆかた》とおいでなすったね。こんなのを肌につけると、金助身に余って身体《からだ》が溶《と》けっちまいます。すべて銭湯に五常の道あり、男湯|孤《こ》ならず、女湯必ず隣りにあり、男女風呂を同じうせず、夫婦別ありといってね……」
 このおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]が歯の浮くような空口《からぐち》をはたいて、しきりにそわそわしているのは、この家としては近ごろ異例の待遇で、本来ここの住居《すまい》は、お角のためには隠れたる休養所で、懇意な人でも滅多には寄せつけないのに、このおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]に限って、少々もてなされ過ぎている。
 浴衣《ゆかた》を着せられて、七ツ道具を持たせられ、有頂天《うちょうてん》で、金助は風呂へ出かけようとすると、
「梅ちゃん、梅ちゃん」
 この時、二階で人の声。
「はい」
 お梅が返事をして二階を見上げると、金助も変な面《かお》をして、出かけた二の足を踏む。
「ちょっと来て下さい」
 二階でお梅を呼ぶのはお銀様の声です。
「金助さん、お嬢様が、ぜひお前さんに会いたいんですとさ、お湯へおいでなさる前に」
「え、お嬢様が、わっしに御用とおっしゃるんですか」
 二階から下りて来たお梅は、風呂へ行こうとして下駄を突っかけている金助の袖をとらえました。
 そこで金助は怖々《こわごわ》と引返して、二階を見上げ、
「よろしうございます、お嬢様だって、なにもあっしを取って食おうとおっしゃるわけでもござんすまい」
 七ツ道具を下へ置いて、浴衣へ羽織を引っかけたままで、恐る恐る二階へのぼりはじめました。
「御免下さいまし、お嬢様」
「金助さん」
「はい、金助でございます」
「どうぞ、ここへお上りください、お前さんにぜひお聞き申したいことがあります」
「御免を蒙《こうむ》りまして」
「御遠慮なく」
 金助は、全く怖る怖る二階の間へ通り、キチンと跪《かしこ》まって、恐れ入った形をしていると、いつもの通りお高祖頭巾《こそずきん》をすっぽりとかぶ[#「かぶ」に傍点]ったお銀様は、行燈《あんどん》の光に面《おもて》をそむけて、
「もう、少しこちらへお寄り下さい」
「ええ、ここで結構でございます」
 勧める蒲団《ふとん》も敷かずに金助は恐れ入っている。
「金助さん、お前は、お角さんから頼まれたことがあるでしょう」
「ええ、あるにはありますがね……」
「あれは、わたしからお角さんに頼んだことなんですから、それを隠さずに、わたしに話して下さい」
「左様でございますか。いや、薄々《うすうす》その儀は承って出かけましたんですが、一応はここの親方の方へ申し上げまして、親方の口から改めてあなた様のお耳へ入れるのが順かと、こう思いましたものですから」
「いいえ、それには及びませぬ、かまいませんから隠さずに話して下さい。お前さんが帰ったら、これを差上げようと思っていました、ほんの少しばかりですけれど」
といってお銀様は手文庫の中から、事実金助の前には少しばかりではない金包を取り出して、奉書の紙に載せて無雑作《むぞうさ》に金助の前に置いたものです。それを見ると、金助が、いたく狼狽《ろうばい》をして、眼の色が忙しく動き出し、
「そんなことをしていただいちゃ申しわけがございません、旅費のところもお角さんの手から、たっぷりといただいてあるんでございますから、その上こんなことをしていただいちゃ恐れ入ります。しかし、お嬢様、金助も頼まれますと、無暗に肌を脱ぎたがる男でございましてね、自慢じゃございませんが、事と次第によっては、目から鼻へ抜ける性質《たち》なんでございますよ。今度のことなんぞも、お角さんから頼まれますと、早速、当りをつけたのが、まあ、聞いていただきやしょう、とても、そりゃその道で多年苦労をした目明《めあか》しの親分|跣足《はだし》ですね、全く予想外のところへ目をつけて、そこから手繰《たぐ》りを入れたところなんぞは、我ながら大出来、ここの親方にも充分買っていただくつもりで、寄り道もせずにこうして駈け込んで来たような次第なんでございます……エエ、その頼まれました御本人の行方《ゆくえ》、それをそのまま探していたんでは、なかなか埒《らち》の明かない事情がありますから、まずこういう具合に……エエと、この街道を琵琶を弾《ひ》いて流して歩いたお喋《しゃべ》りの盲法師《めくらほうし》を見かけたお方はございませんか、こういって尋ねて歩いたのが、つまり成功の元なんですね。将を射るには馬を射るという筆法が当ったんで。つまりそれでとうとう甲州街道の上野原というところで、めざす相手を射留めたという次第でございます……」
 金助は、膝を金包に近いところまで乗り出して、得意になってべらべらとやり出しました。
 金助のべらべらやり出した潮時《しおどき》を、お銀様も利用することを忘れませんでした。
「そうして、甲州の上野原のどこで、その盲法師を見つけました」
「それがその……」
 金助は、いよいよ得意になって、顔を一つ撫で廻し、
「府中の六所明神様でひっかかりを得ましたものですから、それからそれと糸をたぐって、とうとう甲州の上野原で突留めました。上野原は報福寺、一名を月見寺と申しましてな、お宗旨《しゅうし》は曹洞、かなりの大きなお寺でございます……そこに、一件のお喋りの盲法師が逗留していることを突留めましたものですから、もうこっちのものだと小躍《こおど》りをして、早速お寺を尋ねましてな、例の盲法師にも会いまして、それとなく探りを入れてみましたところが……」
 ここまで調子に乗って来た金助が、急に遠慮をはじめたものですから、お銀様が、
「知っています、その盲法師は、わたしもよく知っています。なんといいました」
「いやどうも、よく喋る坊さんで、まず自分の身の上の安房《あわ》の国、清澄山からはじめて、一代記を立てつづけに喋り出されたものですから、さすがの金助も面食《めんくら》いの、立てつづけに喋りまくられてしまいました。が、結局、要領のところは得たような得ないような……つまり、尋ねるお方は、つい二三日前に、この寺をお立ちになってしまいました」
「二三日前まで、そのお寺にいたのですか。そのお寺にいた人が、どこへ、誰に連れられて行きましたか」
「それがそれ……」
 金助の言葉が、さいぜんの得意にひきかえて、肝腎《かんじん》のところへ来て渋《しぶ》るので、お銀様も癇《かん》にこたえたと見え、
「金助さん、お前は、その坊さんを尋ねに行ったのではないのでしょう」
「いかさま……そこで結局その要領が申し上げにくいことになってしまったんで……エエと、二三日前まで、そのお寺に御逗留になっていたことは確かで、そこをお立ちになったことも確かなんでございますが、どうも、そのどこへ、誰に連れられて行きましたか、つまりその行方が……」
 いよいよしどろもどろなのは、この男のことだから、ワザと焦《じ》らすつもりかも知れない。お銀様は気色《けしき》ばんで、
「そこまで尋ね当てて、どうして、その先がわからないのです、役に立たない……」
「いいえ、どう致しまして」
 お銀様から威嚇《いかく》されて、金助はワザとらしい恐縮を見せ、
「それから先を、どう鎌をかけても、坊さんは、ハッキリと言ってくれませんから、あきらめて門前の爺さんをつかまえて、口うらを引いてみましたところが、その返事で、またまたこんがらがってしまいました。と申しますのは、その前後に、お寺を出て旅立ちをしたものが二人ありますんだそうで、一人はハッコツへ、一人はコブシへ参りましたとやら。さて、その二人のうちいずれが、あなた様の尋ねるお方だか、それから先が、どうしても茫漠《ぼうばく》として当りがつきませんでしたが、とにかく、これだけのことをお知らせ申しておいて、また出直しを致そうかとこう考えて、大急ぎで飛んで参ったんでございます」
「一人はハッコツへ、一人はコブシへ?」
「はい、そのコブシというのは、つまり甲斐と武蔵と信濃の三国にまたがる甲武信《こぶし》ヶ岳《たけ》の方面かと存じますが、一方のハッコツが、どうしても見当がつきませんでございます。万用絵図を調べてもハッコツというところはありませんそうで……」
 お銀様も、それに耳を傾けて胸をおさえました。事実、コブシは甲武信《こぶし》に通ずるが、ハッコツは何の意味かわからない。さてコブシの方面へ分け入ったという人と、ハッコツへ向け出立したという者と、いずれがいずれかわからない。
 ともかく、金助をしていうだけのことはいわせてしまったから、お銀様は空辞退《そらじたい》をする金助に金包を持たせ、最後に、あらかじめ、こんなことを尋ねたということを、お角にはだまっているように口どめをして、許してやりました。
 金助は、下へおりるとホッと息をつき、何の意味か舌を出して、こそこそと金包を胴巻へ蔵《しま》い込み、そのまま逃ぐるが如く銭湯へ駈け込んで行ったそのあとへ、お角が帰って来ました。
 お角の帰ったのが遅かったのです。廻り道をしなければ、こんなこともなかったでしょうが、一足遅く戻って見ると、金助は風呂へ飛び出したあとでしたけれど、すべての気配《けはい》でそれと知り、お梅から聞いて軽く頷《うなず》き、
「それでも、つかいようによっては相当に役に立つ」
という、いささかながら誇りの色さえも見えました。そのうち、金助は風呂から戻って来て、歯の浮くような軽口と追従《ついしょう》を並べましたけれど、二階へ呼び上げられたということは、話しもしなければ語りもしません。
 そこで金助は、お銀様に物語った一条を、お角にも漏れなく物語って、ともかくも相当に成功したことを煽《おだ》てられ、やがて大機嫌で、この家を辞して行きました。
 本来ならば、それをとりあえず、お角がお銀様に報告すべき筋合いなのを、どうしたものかお角はヒドクおちついて、待ち兼ねている人を持っている態度とは見えません。ようやく二階へ伺候《しこう》して話を切り出したには切り出したが、金助がお銀様にあらかじめ白状してしまった要領には触れずに、巧妙ないい廻しをして味を持たせたつもりで下へおりて来ました。
 これはお角としては、甚だしい手ぬかりで、すっかり裏を掻《か》かれていることを気がつかないで、すべてを手の内へまるめておく気取りでいるのが、笑止《しょうし》といわねばなりません。
 この一件にしてからが、お角としては最初から、金助のようなおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]を使わずに、七兵衛なり或いはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵なりに頼むべきはずのところを、なにしろ、あの二人あたりは役に立つ代りに、役に立ち過ぎる憂いがある。おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]ながら、金助ならば使ってさのみ毒になるまいと、たかをくくったのがお角の誤りでした。おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]は到底おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]以上のことをしでかさず、味のあるところを、前以てべらべらと喋《しゃべ》ってしまったのですから、お角に残されたところは骨と皮ばかりです。それを骨とも皮とも知らずに、たんまりと貯えているつもりのお角の気取り方は、近来にない失策です。
 しかし、その失策は、翌日の夕方まで現わるることなくておりました。その翌日になるとお角は、前の日のように、娘分のお梅をひきつれて、向両国の興行場へ出かけ、お銀様には一人で留守居をさせておきました。
 こうして昨日と同じように、甘んじて一人で留守をうけごうたお銀様は、お角母子が出て行ってしまうと、急に手紙を書きはじめ、それが終ると、そわそわとして身の廻りをこしらえにかかったのを見ると、着ていた今までの女衣裳を脱ぎ捨てて、戸棚から取り出した行李《こうり》の蓋《ふた》をあけて、着替えをして見ると、それは黒紋附の男物ずくめであります。その上に袴まで穿いて、なお戸棚の奥から取り出した細身の大小一腰、最後に寝るから起きるまでかぶり通しのお高祖頭巾《こそずきん》を、やはり男のかぶる山岡頭巾というものにかぶり直して、眼ばかりを現わしました。
 で、立ち姿を見ると、それと知ったものでなければ立派なさむらい[#「さむらい」に傍点]の微行姿《しのびすがた》です。今にはじまった着こなしとは誰にも思われない。お銀様はこの仮装には慣れているらしい。
 男の姿になりすましたお銀様は、あとを取片づけ、脇差をたばさんで刀を提げ、ずっしずっし[#「ずっしずっし」に傍点]と下へおりて行きました。
 まもなく、この家をいくらも離れないところで、辻駕籠《つじかご》を呼ぶ同じ人の姿を見かけます。

         七

 西洋大魔術が初日の蓋をあけた日の晩、本所相生町から芝の四国町へかけて、浪士が火をつけて歩いた晩――また親方のお角が大城屋にお大尽を訪ねた晩。
 小石川の切支丹屋敷《きりしたんやしき》に近い御家人崩れの福村の家では、福兄《ふくにい》とお絹とが、さしむかっての痴話《ちわ》。
 脇息《きょうそく》の上へ両臂《りようひじ》を置いて、腮《あご》をささえた福村は、
「なんにしても、あの女の腕は驚嘆に価する、無から有をひねり出す芸当は、魔術以上の魔術だ、天性、興行師に出来ている女だ」
と言って賞《ほ》めそやすのを、お絹がつんと横を向いて、
「恥と外聞を捨ててかかりゃ、何だってできないことはありませんよ」
 福村がこの場で賞《ほ》めそやしたのは、無論女軽業の親方のお角のことであります。すべて女の前で女を賞めるのは禁物にきまっているうちに、このお絹という女の前で、お角を賞めそやすのは、油屋の前で火事を賞めるようなものであります。それを知りながら福村が賞讃をあえてするところを見ると、ともかく、よくよくあの女の手腕《うで》に感心したものがあればこそと思われる。
「ところが今度という今度は、恥も外聞も捨ててかからないんだからな。渡りはつけてみたが、トテも昨今のあの女の手には負えまいと、こう見くびっていたところが案外なもので、物の見事に背負《しょ》いきったのみならず、その手際のあとを見せないあざやかさには、全く恐れ入ったよ。たしかに手腕《うで》はある女だ」
「そりゃあ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》ですから、血の出るような工面《くめん》をしても、一時の融通はつきましょうさ。その日その日の上りを見込んでする山仕事と、末の見込みをつけてやる仕事とは違いますよ。線香花火みたような仕事を喜ぶのは子供みたようなものでしょう、女だてらに山かん[#「山かん」に傍点]は大嫌い」
「してみますと、お絹様、あなた様は、末の見込みのついた仕事をやっておいでになりますのですか」
「存じません」
「お怒り遊ばしますな、なにも、拙者があの女を賞めたからとて、あなた様をケナ[#「ケナ」に傍点]すわけでもなし、また、あなた様に、あの女のような真似をしていただきたいというわけでもなし、性質は性質としてただ、その手腕《うで》のあるところだけを賞めたのだから、あえて、お咎《とが》めを蒙《こうむ》る筋はあるまいと存じます」
「ああ、うるさい、それほど腕のあるのがお好きなら、観音様へおいでなさい、観音様には腕が千本ある」
「もう、腕の話はやめ……それはそうとしてお絹さん、お前も、恩怨《おんえん》の念は別として、ぜひ一度あの一座を見てお置きなさい、たしかに前例のない見物《みもの》、また後代ちょっとは見られないものですよ。相当の身分ある者が、微行《しのび》でいくらも見に来ています。昨日《きのう》はまたあれで思いがけない人を見出した、多分そうだろうと思ったが、見直そうとしている間に消えてなくなったが、あの男をあんなところで見かけようとは意外千万」
「誰ですか」
「あなたも御存じでしょう、番町の駒井能登守」
「エ?」
 不平満々で横を向いて絵本の空読みをしていたお絹が、この時、思わず向き直ると、福村が、
「甲府の勤番支配をしていた男、神尾主膳と喧嘩をしたとか、しないとかいう男……甲府をしくじっ[#「しくじっ」に傍点]てから切腹したとか、行方不明とかいわれていた駒井の姿を、ちらとあのとき見かけたので、拙者にはグッと思い当ったことがあるのだ。ははあ、女軽業の親方お角のうしろにはあの男があるのだな、して見ると、あの時分、お角が柳橋あたりで、専ら由緒《ゆいしょ》ありげな人物とあいびき[#「あいびき」に傍点]をしていたという噂が、ぴったりと当てはまる。虫も殺さぬような面《かお》をして、あれで駒井もなかなかの食わせ者だが、これを擒《とりこ》にしたお角の腕も確かに凄《すご》い。いやまた腕の話になって恐縮」
 福村は腕を枕にゴロリと横になる。お絹は相変らず絵本の空読みをしている。ところへ女中が手をついて、
「お客様でございます」
「誰か」
 福村が肥った身体を大儀そうに起すと、
「百蔵さんとおっしゃいます」
「ナニ、がんりき[#「がんりき」に傍点]が来たか」
 福村も起き上っておちつかない心持、お絹も思わず本をさしおく。
「そうら、腕のある話がハズミ過ぎたものだから、腕のない奴がやって来た――まあ仕方がない、来たものを帰れともいえまい、帰れといっても帰る奴ではない、かまわぬ、ここへ通せ」
 女中が出て行ったあとで、福村とお絹とが面《かお》を見合わせる。
「奴、何の用で来た、今時分」
「何の用ですか」
 二人はうす気味の悪い心持でいると、そこへ案内されたのは、
「へえ、これはお二方《ふたかた》、永らく御無沙汰を致してしまいました」
「ナーンだ、金公か」
 五分月代《ごぶさかやき》に唐桟《とうざん》の襟附の絆纏《はんてん》を引っかけて、ちょっと音羽屋《おとわや》の鼠小僧といったような気取り方で、多少の凄味を利《き》かせて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が現われることを期待していると、意外にも、それはおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の金公でしたから、二人も拍子抜けがしているのを、委細かまわず金助は、
「ちょっと旅に出ていましたものですから、つい、何しまして……御無沙汰を仕《つかまつ》りました」
「どこへ出かけていた」
「お馴染《なじみ》の甲州街道筋をぶらついて参りました」
「面白いみやげ話があらば聞かしてくれ」
「なんせ、山ん中のことでございますから、面白いみやげ話とてありよう道理はございませんが」
と冒頭《まくら》を置いて、金助はべらべらと締りもなく、お角に頼まれて出かけたことから自分の手柄話、結局、このたびの大魔術のことになって、お角という女の親分肌を、口を極めて讃美にかかりましたから、お絹がいよいよ不機嫌になってしまいました。
 来る奴も、来る奴も、ロクなことはいわない。この女の前で、ほかの女、ことにお角を讃めるのは、この女をコキ下ろす結果になるということを、御当人ほどに誰も気がつかない。お角の腕を認めるのは、つまりこの女の働きのないことを当てこす[#「こす」に傍点]る意味になるのを、誰も御当人ほどに受取らない。
 そうでなくても、このごろは、食い足りないことばかりで、焦《じ》れったがっている。当座の安心のために、福兄に身を寄せてはいるが、福兄に、わが物気取りでヤニさがられているのが嫌だ。
 そうかといって、謀叛《むほん》を起そうにも、今はちょっと動きが取れないことになっている。当座の腐れ縁とはいえ、一人の男を守っている現在の意気地なさに、自分ながら愛想《あいそ》がつきる。それも大した男ならトニカク、福兄あたりでは自慢にもならない。ところへ、向《むこ》う河岸《がし》では盛んな景気で、思う存分の腕を揮《ふる》っている上に、聞き捨てにならないのは、お角が駒井能登守ほどの男を自由にしているとのこと。それやこれやを見せつけられているお絹の立場はたまらない。
 それを、それほどにお察しがなく、べらべらと大魔術の能書《のうがき》を並べたり、承ったりしている金助と福村の面《かお》が癪《しゃく》にさわり、
「何だい、乞胸《ごうむね》の親方なんか、そんなに持ち上げる奴があるものかい。金公、ちっと気を利かして口をきいておくれ、席が汚《けが》れるよ」
といってお絹は、いい気になって喋《しゃべ》っている金助の肩をこづいたものですから、ハズミを食って金助が、ひとたまりもなくひっくり返ってしまいました。
「これは、これは」
 金助はひとかたならず恐縮してしまい、ははあ、うっかり口を辷《すべ》らし過ぎたなと思って起き上ると、口を抑える真似《まね》をしました。
 それを尻目に、お絹はさっさと寝間へ入ってしまいます。

         八

 小仏から陣馬を通って、上野原へ急ぐ一挺《いっちょう》の駕籠《かご》。
 この道は、過ぐる夜、蛇滝《じゃたき》の参籠堂を出た机竜之助の駕籠が、そこで、小雨と、月の霽間《はれま》と、怪霧と、天狗と、それから最後に弁信法師の手引によって救われた甲州街道のうちの一つの隠し道であります。
 あの時は月夜、今日は、たそがれ時で、足もとの明るいうちには必ずや上野原の駅へ足を踏み入れようという時分、左手の山谿《さんけい》の間には、遠く相模川の川面がおりおり鏡のように光って見える時、山巒《さんらん》を分けて行く駕籠は、以前のように桐油《とうゆ》を張った山駕籠ではなく、普通に見る四ツ手駕籠。
「そういうわけで、あのお若さんも殺されちまったそうですが、殺したのは多分、もとの御亭主だろうという話で……」
といったのは前棒《さきぼう》の駕籠屋。偶然にも、その駕籠を舁《かつ》いで行く権三《ごんざ》と助十《すけじゅう》は、あのとき机竜之助を乗せた二人であるらしい。
 ただ、乗っている駕籠の客が滅多には口を利かない。
 さて、駕籠屋たちはあの時以来、幾度もこの道を往来したと見えて、あの時の天狗物語も口の端《は》には上らず、丹沢山塊の方面で怪しい火の見えたことも、濃霧に襲われたことも、時効にかかっているらしい。
 陣馬の鼻まで来た時分に、佐野川方面から下りて来る笠を認めた前棒が、
「あ、向うから人がやって来るぜ。おやおや、唯の人じゃねえ、お供をつれたおさむらい[#「さむらい」に傍点]だ。ことによると八州のお役人様かも知れねえ」
 そこで、前後の駕籠屋が二の足を踏みました。駕籠屋自身には暗いことはないが、お客のために心配があると見えて、
「旦那様、向うから、人が来るようですが、その人も唯の人ならよろしうございますけれど、このごろ、八州のお役人様が、この辺へお入りになっているそうですから、もしお役人だとすると、空《から》ならば言いわけが立ちますが、中身があってはお客様のために面倒と存じますから、どうか、ちょっとの間お下りなすってくださいまし、そうして暫くお隠れなすっていてくださいまし。ナニ、通り過ぎてしまえば何のことはねえのですから……」
 駕籠屋は駕籠を卸《おろ》して、中なる人にかく申し入れました。
 本来、ここは変則の道であることは前にもいった通り、小名路《こなじ》の宿から本式に駒木野の関所を通って、小仏峠から小原、与瀬へとかかって上野原へ行くのが順なのを、五十町峠からこの道を取るのは、厳密にいえば関所破りにはなるが、習慣の許すところにおいては、変通の道があって、濫用《らんよう》されない限りは見ぬふりのお目こぼしがあると聞く。しかし、役向の者が、役向を以てめぐる時分には、その正面を避けない限りは、事が面倒になるのは当然《あたりまえ》であります。
 多分これを心配して、駕籠屋は駕籠の中へ申し入れたものと見える。最初からほとんど無言で通して来た駕籠の中の客も、これには返答を与えないわけにはゆかないので、
「承知致した」
 そこで駕籠屋は急いで垂《たれ》をハネ上げると、駕籠の中から一刀を提げて出て来たのは、羽織袴の身分あるらしい覆面のさむらい[#「さむらい」に傍点]でありました。
「どうか、こちらの方へひとつお隠れなすっていていただきます」
 駕籠屋が案内した木立の中。駕籠屋どもはなにくわぬ面《かお》をして、ワザと悠々と空駕籠を荷《にな》って通り過ごすこと半町ほどのところで、期待した通りに、バッタリとであったのは予想の通り、供を一人つれた八州見廻りの役人であります。
「駕籠屋」
「はいはい」
「その駕籠は空であろうな」
「はい、仰せの通り空でございます、摺差《するさし》まで参りましての戻りでございます」
と言って駕籠屋どもは申しわけをする。それで許されるであろうことを予期して、唯々《いい》としてやり過ごそうとすると、
「それは幸いのことじゃ、摺差《するさし》までやってくれ」
「エ?」
 駕籠屋二人が呆気《あっけ》に取られました。
「摺差までやれ」
「はい」
 八州の役人は、その駕籠へ近寄って、手ずから垂《たれ》を揚げたものですから、駕籠屋どもは、もう二の句がつげません。お断わりを申すにも申すべき術《すべ》もなければ、理由を見出す余裕などがあろうはずはありません。相手が泣く児もだまるはずの八州のお役人ときているのですから――
 ぜひなく、この当座の空駕籠は臨時のお客を入れて、再び小仏から摺差へ戻らねばならない羽目《はめ》になりました。しかし、これは常ならばむしろ勿怪《もっけ》の幸いで、一人でも客にありついた商売冥利《しょうばいみょうり》を喜ぶはずになっているのが、今の場合はそうではありません。
「摺差まで三里はございますけれど、この三里は下りでございますから、楽でございますよ」
 以前に客を残して置いたところで、駕籠屋はワザと大声でいいました。
 そこでこの駕籠は、結局以前のお客を置去りにして、新しい権威ある客を乗せて、三里余りの山道を戻ってしまうのです。駕籠が山の蔭にかくれた時分に、木立から立ち出でた最初の客、恨めしげにそのあとを見送っていましたが、やがて思い返して、前路に向って力足を踏むの覚悟。
 人里に遠い夕暮の山道に取残されたとはいえ、足に覚えのある者ならば、上野原までの道は、さまでは苦にならないはず。
 ところが、思いきって踏み出したこの覆面のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、思いのほかに足弱でありました。三町五町歩むうちに、その疲れ方が目立ってきて、腰の物が重過ぎる。この分で三里の山道は甚だおぼつかない。ましてその間には迷い易い幾筋もの岐路《えだみち》がある。
 果して、暗の落つると共に、路を失ったこの旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、左に行くべきを右にいって、甲斐と武蔵の国境を、北へと辿《たど》っているのであります。こうなると、もいっそう暗くなるのを待って、どこかに火影《ほかげ》を認めて進む方が賢いかも知れない。程経て、陣馬と和田との間の高いところへ立ったさむらい[#「さむらい」に傍点]は、そこで今まで脱ぐことをしなかった覆面を解いて、夜の高原の空気に面《おもて》を曝《さら》すと、西の空に二日月《ふつかづき》がかかっているのを見るばかりで、前後も、左右も、みな山であります。
 ホッと息をついて汗ばんだ面を拭うと、べっとりと濡れた髪の毛――その髪の毛は、女にも見ま欲しいたっぷりしたのを、グルグルと櫛巻《くしまき》にして、後ろへ束ねていました。
 西の空にかがやく二日月。暫く放心してその月影をながめているうちに、何に打たれてか身ぶるいしました。その時の、この人の形相《ぎょうそう》は、絵に見る般若《はんにゃ》の面影《おもかげ》にそのままであります。この人は月をながめているのではない、月を恨んでいるのです。
 この高処に立って、下りて行くべき何かの暗示を求めて得ざるが故に、二日の月に空しく恨みを寄せている。
「わたしは知らない」
 その恨みは女の声。その女はまさしくお銀様であります。
 黒衣覆面の男の装《よそお》いして、両国のお角の宅を出し抜き、こうしてここまで辿《たど》って来たお銀様。ここでまたも方角を失いました。
 ほどなく西北と覚《おぼ》しき方面の谷間《たにあい》にあたって一団の火光。
 お銀様はその火を見て喜びました。
 しかしながら、この一団の火光は、お銀様を喜ばす目的地方面の火ではなく、怖るべき山窩《さんか》の一団の野営ではないか。お銀様は、そんなことを一向に知りません。
 お銀様が進んで行く行く手の谷間から、カラカラと神楽太鼓《かぐらだいこ》の音が起りました。
 それを聞いたお銀様は、いよいよ里の近くなったことを知ってよろこぶ。
 あのはやし[#「はやし」に傍点]の音は、鎮守《ちんじゅ》の夜宮か、或いは若い衆連の稽古。その音《ね》をたよりに里へ出ようとして、かえって里へ遠くなることを気づかないのはぜひもありません。
 この神楽太鼓の音こそ、人を迷わすものでありました。その音の響き来《きた》ることを聞いて、この音の起るところを知らない囃子《はやし》がそれです。土地の人はそれを恐れていたけれど、お銀様は、そのいわれを知らない。
 当時、この附近の村里に住む人は、この太鼓の音を聞くと怖毛《おぞけ》をふるったものです。
「諸国里人談《しょこくりじんだん》」に曰《いわ》く、
[#ここから1字下げ]
「武州相州の界《さかひ》、信濃坂に夜毎にはやし物の音あり。笛鼓《ふえつづみ》など四五人声にして、中に老人の声一人ありける。近在または江戸などより、これを聞きに行く人多し。方十町に響きて、はじめはその所知れざりしが、次第に近く聞きつけ、その村の産土神《うぶすな》の森の中なり。折として篝《かがり》を焚くことあり。翌日《あけのひ》見れば青松、柴の枝、燃えさして境内にあり。或はまた青竹の大きなる長さ一尺あまり節をこめて切つたるが森の中にすてありける。これは彼《か》の鼓にてあるべしと里人のいひあへり。ただ囃《はやし》の音のみにして何の禍ひもなし。月を経てやまず。夏のころより秋冬かけてこの事あり、次第次第に間遠《まどほ》になり、三日五日の間、それより七日十日の間をへだたり、はじめの程は聞く人も多くありて何の心もなかりけるが、後々は自然とおそろしくなりて、翌年《あくるとし》、春のころ囃のある夜は里人も門戸を閉ぢて戸出《とで》をせず、物音高くせざりしなり。春の末がた、いつとなくやみけり」
[#ここで字下げ終わり]
 この怪しむべき囃子の音が、信濃坂を去って、ようやく西にのぼり、ここ武蔵と、相模と、甲斐の国とが、三つ巴《どもえ》に入り込んだ山里のあたりを驚かせているものと見えます。
 このごろ、遠音《とおね》にその音を聞くと、土地の者は、おそれをなして早く戸を締める。ことに上野原の町ではちょうど、火の見柱の下で盗賊が狼に食われた前後のことでしたから、その遠音の囃子《はやし》を一層おそれたものです。
 しかしながら、偶然、足を踏み入れたお銀様にとっては、この囃子の音が、いよいよ人里を近いものにして、足の疲れを忘れさせるだけの力はありましたが、それも行くことやや暫くにして、その囃子の音、ようやく遠くなるような気がしたものですから、またしてもお銀様は小高いところをえらんで、最初に認めた火の光を追おうとしました。
 この山中にあって、今しも、この怪しむべき囃子の音を聞きつけたものは、お銀様だけではありません。三頭山《みとうさん》の連脈を縦走して、熊倉山腹の炭焼小屋附近に露営をしていた二人の者が、同じくこの囃子の遠音に耳をそばだてました。その一人は猟師の勘八と、もう一人は宇津木兵馬であります。
 思いもかけぬ時とところで、囃子の音を聞いたものですから、宇津木兵馬は覚えず目をあげて、音のする方をながめると、猟師の勘八が心得顔《こころえがお》に、
「そらはじまった、お化け囃子がはじまった。久しく止んでいたと思ったら、また、はじめやがった」
「あれは何です」
「お化け囃子といって、ああして響きは聞えても、起るところがわかりましねえ。よっぽど不思議な囃子でございます」
「しかし、さほど遠いところでもないようだが」
「左様でがす、どこで聞いても同じように聞えるんで。三里遠くで聞いても、五里遠くで聞いても、あのくらいに聞えるんでがすよ。お化けか、そうでなければ天狗様のいたずらでがんしょう」
「お前は、それを調べてみましたか」
「いいえ、そういうことはしてみましねえ」
「さまで遠くはないようだ」

         九

 けれども、響きがあって物のないという道理はありますまい。これをお化け囃子と名づけ、天狗のいたずらと怖れてしまうのは、それを究《きわ》める人に、究めるだけの勇気と根気とがないせいでありましょう。
 現に、陣馬、和田、熊倉、生藤《しょうとう》の間に囲まれた谷の中に、篝《かがり》を焚いて、カンラカンラと鼓を打ち、ヒューヒューヒャラヒャラと笛を吹いている一団があるのであります。
 ここに篝を囲むほどの連中が、みな仮面《めん》をかぶっている。鼓を打ち、笛を吹き、鉦《かね》を鳴らすものも、みな仮面をかぶっている。その仮面は、ありふれた里神楽の仮面もあれば、極めて古雅なる伎楽《ぎがく》の面《めん》に類したのもあるが、打見たところ、篝の周囲に集まるほどのものが、一人として素顔《すがお》を現わしたのはありません。
 そうして、かれらの或る者は太鼓を叩き、或る者は笛を吹き、或る者は鉦を打って、残りの者がことごとく踊っている。一見すれば極めて古怪なる妖魅《ようみ》の集《つど》い――
 彼等は、拍子に合わせて、さんざんに踊ると、赤頭《あかがしら》に猩々《しょうじょう》の面をかぶったのが、
「いかにおのおの方、大儀に覚え候《そうろう》ぞ、一休み致して、また踊ろうずるにて候ぞ」
 謡《うたい》がかりの口調でいうと、
「畏《かしこ》まりて候なり」
 一同が踊りをやめて休息に入る。無論、囃子の音も、その時はヒタとやみました。
 囃子も、踊りも、ひときわ休息に入ったけれども、この連中のすべてが仮面《めん》を取ることをしませんから、誰がどうだと正体のほどはわかりません。
 幾つかの篝《かがり》で、そこらは白昼のよう。前には小流れがあって、背後《うしろ》に山を負うて帆木綿《ほもめん》の幕屋。
 この谷間の、この部分だけは白昼のように明るいけれども、周囲は黒闇々《こくあんあん》に近い山々。僅かに二日の月が都留《つる》の山の端《は》に姿を見せているばかりです。
 この時、猩々は再び立ち上って仮面《めん》の下より、
「いざ、このたびは天《あま》の返矢《かえりや》を舞おうずるにて候ぞ」
「心得て候」
 またも、一同が入りみだれて、舞の庭に立ち上る。狩衣《かりぎぬ》、差貫《さしぬき》ようのもの、白丁《はくちょう》にくくり袴《ばかま》、或いは半素袍《はんすおう》角頭巾《かくずきん》、折烏帽子《おりえぼし》に中啓《ちゅうけい》、さながら能と神楽《かぐら》の衣裳屋が引越しをはじめたようにゆるぎ出すと、笛と大拍子大太鼓がカンラカンラ、ヒュウヒュウヒャラヒャラ。
「そもそも、天の返矢といっぱ……」
 そこで踊りの面々が、おのがじし踊り出すと、恵比須《えびす》の面《めん》をかぶったのが、いちいちその間を泳いであるいて、この踊りを訂正する。手のさし方、足の踏み方を、模範を示して直してあるく。すべてが一心を打込んで踊っているうち、ひとり、例の猩々だけは踊らない。自然木《じねんぼく》の切株に腰うちかけ、中啓を以て踊りの庭を監督している体《てい》です。この時、不意に谷の一方に、けたたましいさけびが起って、一団の人が罵《ののし》りながらこの場へ入って来て、
「太夫に申し上げまする」
「何事にて候ぞ」
「ただいま、怪しい奴が、これへ忍んで参りたるによって、この通り取押えて引立てましてござる」
「なんと、怪しい奴が?」
 どちらが怪しいのだかわからない。この奇怪極まる山中の、仮面《めん》の集まりを襲うてくるもののある以上は、やはりそれ以上怪しいものも存在するかに見ゆる。
「こやつでござりまする、われわれの楽しみをさまたげんとて来りし奴、目に物見せてくりょうと存じまする」
 猩々の面前に引据えたのは、覆面にして双刀を帯する身、まさしく武士の姿。
「覆面を剥《は》いで見い」
「畏まりました」
 篝《かがり》の前へ押向けて覆面を剥ごうとする。そうはさせまいとする。やがて意外のさけび、
「やあ――女だ」
 床几《しょうぎ》に腰をかけた猩々《しょうじょう》の仮面《めん》は、
「おお、御身は女性《にょしょう》にて在《おわ》するな。何とて斯様《かよう》なる山中へ、女性の身一人にておわせしぞ。まして男の装いしたる有様こそ怪しけれ」
 ことさらにいうとも思えないほどの自然な調子、朗々たる音吐《おんと》で、雅文体の問答をしかけられましたので、捕えられた男装の婦人は、
「はい、小仏より上野原へまいる途中、駕籠《かご》を見失い、道に踏み迷うてこれへまいりました」
 面《おもて》を伏せて柔順《すなお》に答えました。
「して、何用あって上野原へまいらるる。御身はいずれの御出生ぞ、うけたまわりたし」
「たずねる人があって、江戸を立ち出でてまいりました」
「男の装い召されしは何故ぞ」
「道中が心配になりますから……」
「さりながら、女性《にょしょう》の男装して関所を越ゆるは、国のおきての許さぬことを、知らぬ御身にてはよもあらじ」
「それは存じておりますけれど」
 問われて窮する女の姿を、仮面の中より見下ろしていた猩々は、
「いかさまこれは、ことさらにわれらが楽しみをさまたげんとて来りしものとも思われねど、まずは詮議《せんぎ》の次第もあり。いかにおのおの、この女性を幕屋のうしろ、栗の大木の下へつなぎ置き、暫しの窮命をせさせたまえ。ただし、手荒に振舞いたもうなよ」
「畏まりて候」
 こういって鬼の面をかぶった数名のものが男装の女――いうまでもないお銀様を引立てて、幕屋の背後《うしろ》へ連れて行きました。
 そうして、猩々から命ぜられた通りに、栗の大木へ結《ゆわ》いつけましたけれども、特に手荒に振舞うべからずとの言葉添えが与《あずか》って力ありと見え、ただ、逃げられない程度に縛ったのみで、敷物まで持って来て坐らせました。
 お銀様は、どのみち、怖ろしい目に遭うべき暫時の後を期待して、覚悟をきめてしまいました。それにしても、いよいよ合点《がてん》のゆかないのはこの一団の集まりであります。こうして、舞いつ歌いつ、よろこび楽しむ分には、さのみ世をはばかる必要はあるまいに、この山中へかくれて、そうして張抜きの大筒《おおづつ》をこしらえるわけではなし、謀叛《むほん》の相談をしているとも思われない。いかに世上おだやかならずといえども、神楽をするに、隠れ忍ぶ必要もあるまいではないか。ことに打見たところでは、それぞれ仮面をかぶり、立派な衣裳道具を備えている。なお一団のものの会話が、中古の雅文体をそのままで、どうかすると近代の訛《なま》りが入る。大将分らしい猩々の音声は、清く澄みわたって、水の滴《したた》るような若さがある。とはいえ、一団の人、いずれも仮面《めん》をかけているから、品格のほども、年配のほども、一切わからない。狐狸妖怪の世界か、それとも人間か。
 お銀様が思い乱れている時に、不意に轟然《ごうぜん》として、山谷をうごかす一発の銃声が起りました。
 この鉄砲の音はいずれから起ったかわからないが、その一発の音が起ると、さしも昼を欺《あざむ》くほどに焚かれていた篝火が、ほとんど一度に掻消され、同時に歌舞音曲の賑いはパッタリとやみ、人が闇中を右往左往にうごめき出す。ただその右往左往にうごめく人が、枚《ばい》をふく[#「ふく」に傍点]んだ夜討のように、一言も声を立てないで、踊りの庭と幕屋の内外を走り廻り、物を掻集め、ひきほどきひきむすんでいる体《てい》は、まさしく隊を組んでこの場を走ろうとする形勢であります。
 お銀様だけは、どうすることもできません。幸か不幸か忘れられていました。眼前の幕屋でさえも、手早く引きほごされて、荷ごしらえをされる有様なのに、忘れられたお銀様は、ただ怖ろしい夢の中で、走れない人のように気を焦立《いらだ》つけれども、この場合、助けを呼ぶのが利益か不利益かはわかりません。すべてが沈黙して暗中にどよ[#「どよ」に傍点]めいている時。
 つづいて山谷にこたゆる第二発目の鉄砲。
 その谷間より程遠からぬ柿の木平というところに立っていた猟師の勘八と宇津木兵馬。
 勘八が鉄砲の狙《ねら》いをつけると、兵馬は逸《はや》りきった犬の紐をひかえながら、
「まあ、待って見給え、もう少し近寄ってみようではないか」
 勘八の切って放とうとしたのは第三発目の鉄砲です。
 その第一発を、やはり同じところから発射した時に、賑やかな拍子の音が、パッとたえ、それと同時に、さしも昼間のように明るかったその一団の火がフッと消え、闇の中に、なんとなく谷間が動揺しているようですから、程を見すまして第二発を切って放したが、これは手答えがありません。やがて闇中の動揺も静かになって、一様に空々寂々たる山谷《さんこく》の夜となりましたから、二人はまさしく物につままれたような気分で、なお暫く形勢をみていましたが、用心のため、更にもう一発を切って放ち、そうして、その明りと音のあった方向へ進んでみようというつもりで、勘八が第三発目の狙いをつけたのを兵馬が遮《さえぎ》って、ともかくもこれから探り寄って見ようという。
 そこで二人は、わざと火縄をかくし、松明《たいまつ》もつけず、闇にまぎれて、最初の怪しい音と明りの場所をめざして進んで行きました。
 勘八の頭では、これは、てっきり物《もの》の怪《け》の仕業《しわざ》だと思っている。最初から、さわらぬ神に祟《たた》りなしの方針を取って、聞き流していたかったのを、強《し》いて兵馬にすすめられたものですから出て来ました。出て来て見ると、音のするところに明りがある。そこでその明りをめがけて一発打ち込んでみたのは、単にさぐり[#「さぐり」に傍点]を入れたつもりで、その根元をきわめようとまで思っていなかったものです。
 こうなってみると、例のものすごい二日月が山の端《は》にかかっているだけで、真暗《まっくら》のところを、裾をめぐって行くものですから、めざす方向がドチラだかわからなくなりました。
「げえ[#「げえ」に傍点]もねえからよそうじゃございませんか、ばか[#「ばか」に傍点]されてもつまら[#「つまら」に傍点]ねえ」
 勘八は、なお気が進まないのに、好奇《ものずき》に駆《か》られているのは兵馬ばかりではありません、兵馬の手にひかえられている猟犬がしきりに逸《はや》って、先に立つものですから、気が進まないながら勘八も、後ろへひくわけにもゆきません。
 犬が案内してくれました。やがてめあての谷へ近づいた場合にも、犬がいよいよ勇みますから、危険がないと知り、そこで勘八は、火縄の火を附木にうつして用意の松明《たいまつ》をともし、一行は小流れ伝いの谷間へ入り込んで来ました。
 兵馬の心では、人の噂《うわさ》に聞くことに多くの不思議がある、今は目《ま》のあたりその不思議にぶつかったのだから、この機会を逸してはならない、あくまで根元を究めてみようと勘八を引きずり、犬に引張られて、ほどなく例の谷間までやって来ました。
 松明の光に、まず照らされたその谷間の光景はすこぶる狼藉《ろうぜき》たるもので、篝《かがり》の燃えさしだの、木や竹の片《きれ》だの、地面に石や穴が散在していることだの、つい今までなにものかが集まっていた形跡は蔽《おお》うことができません。もし、ここに相当の陣地を構えていたものならば、逸早《いちはや》く退却してしまったものに相違なく、その退却ぶりを見ると、その形跡こそ狼藉たるものだが、武器や生活の要具は一つも落ちのこされていないことによって、かなり鮮《あざや》かな退却ぶりだといわなければなりません。
 兵馬は勘八の手から松明を借受けて、狼藉たる陣地の跡を隈なく照らし見ようとした刹那、猟犬の縄をゆるめたものですから、犬はまっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に一方へ向いて飛んで行きました。二人がおどろいてその方向を見ると、栗の大樹があって、その根もとに人らしいものがうずくまっている。
 勘八は鉄砲を取り直しましたが、兵馬はしか[#「しか」に傍点]と見定め、
「人がつながれている」
 これも危険なしと見て近寄ると、繋《つな》がれている人の姿は男でありますけれど、正しくは女でした。
 ほどなく宇津木兵馬が先に立ち、猟師の勘八がお銀様を背負って、もと来た炭焼小屋まで立戻って参りました。
 そこで、兵馬はお銀様に向い、お銀様の捕われた一団というのが、一定の住所というものを持たずに、全国の山から山を旅して渡り歩く山窩《さんか》というものであろうことを教え、なお山窩というもののいわれを一通り説いた上で、とにかくもその手から逃れたことを、お銀様のために祝いました。けれども、なお充分に合点《がてん》のゆかぬことは、その一団が立派な衣裳道具を持ち、上品な言葉づかいをしていたということで、一般の山窩《さんか》は、もっと野蛮で、もっと兇悪な分子を持っているはず、その一点だけがどうも解《げ》せないというと、猟師の勘八も傍から口を出し、山窩の奴等に、舞いを舞ったり、笛を吹いたりするような風流気はあるものでなく、せいぜい彼等は箕直《みなお》し、風車売りぐらいのところで、その性質疑い深く、残忍性に富んでいることを物語り、右の一団は、どうも山窩ではあるまいといいました。
 それは疑問のうちに残されながらも、ともかく、そこを脱出したお銀様の行先について、
「あなたは上野原の月見寺へおいでなさるそうですが、誰をたずねてあの寺へおいでなのですか。わたしもあの寺にいたのです」
「あのお寺に、琵琶を弾く盲目《めくら》の法師がいると聞きましたから、それをたずねてまいる途中でございます」
「ははあ、弁信殿を尋ねておいでなのですか。あの人ならば、まだ寺にいるでしょう。珍しく勘のいい人ですね」
 お銀様は、この少年の親切にして、義気のあるのに感心しました。見たところ、さむらい[#「さむらい」に傍点]の風をしているのに、どうしてこんな山の中に、猟師と一緒に生活をしているのだろう。月見寺のことも、弁信のことも、よく知っているのが不思議だ。まだ尋ねてみたいことも多いが、万事は明日。そこで、広くもあらぬこの炭焼小屋に枕を並べて、一夜を明かすことになりました。勘八は早くも高鼾《たかいびき》、兵馬もやがて眠りにつき、お銀様もうとうととして夢路に入りましたが、肉体は疲労によってあくまで休息を求めるのに、神経は夜来の刺戟によって、盛んに躍動をつづけようとする。こういう時には、誰しも見まいとして見るのが怖ろしい夢です。
 お銀様は怖ろしい夢にうなされました。その夢とても、過去の現実を離れた夢ではなく、過去の最も怖ろしかった記憶が、ほとんどそのままに再現されたままです。
 その怖ろしかった記憶は、躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古屋敷で、酒乱の神尾主膳に脅迫《きょうはく》された時、伯耆《ほうき》の安綱《やすつな》の名刀を抜いて迫り来《きた》る神尾主膳、それを逃れて走り下りた二階の階段、そこには善悪邪正いずれとも判別しかねる人がいた。
 理も非もなくその人に縋《すが》りついて助けを求めた時、その鉄壁のような冷たさと、吸盤のような引力に吸い込まれて、その夜、ついに怪しい二つの蝶の夢を見て、夜が明けた時は、肌がすっかりと汗ばんで、髪がべっとり[#「べっとり」に傍点]と濡れていました。
 その時以来、そのつめたい人がこの胸を火のように燃やす。ひとたび愛人幸内を失ったお銀様には、たまらない肉のもだえがある。わが雇人であった幸内を、身も心も自由にしていたように、お銀様は、その人に、わが心も、わが身も自由にし、自由にさせていた。その持っていたつめたい残忍性が、お銀様を翻弄する時に、お銀様もまた、残忍そのものを翻弄する痛快心に駆られて、この女だけが人を斬ることを知って、少しもおそれなかったのです。最初の縁は躑躅ヶ崎の古屋敷。
「ああ、あの蝶の羽風《はかぜ》が……」
 悪夢の中に、どろどろにもだえたお銀様は、力かぎりその人にしがみ[#「しがみ」に傍点]つくと、夢が破れて、おどろいたのは自分の胸に重い物。いつか知らず傍らの宇津木兵馬をかたくだきしめていました。
 宇津木はそれを知らず、知ったお銀様は、どうしてもこの腕を離しともない心になりました。

         十

 信州|諏訪《すわ》の温泉、孫次郎の宿についた晩、お雪は久助と外のお湯へ行き、竜之助は、ひとり剃刀《かみそり》で面《おもて》を撫でておりますと、
「御免下さいまし、お土産《みやげ》をお召し下さいまし」
 スルスルと入って来たのは女の声です。竜之助は返事をしないで、なお燈火《あかり》の下で面を撫でておりますと、入って来た土産物売りは黙認を得たとでも思ったのか、
「いろいろございます、これが諏訪の明神様の絵図、こちらがおなじ明神様の神木でこしらえましたお箸、それから、湖水で取れました小蝦《こえび》と鮒《ふな》……」
 ここまで並べ来った時に、物売りの女が、あっとおどろいたのは、行燈《あんどん》のあかりが消えてしまったからです。
「おや、お明りが消えました、おつけ致しましょう」
 お土産物の陳列をよそにして、行燈のそばに寄った土産売りの女は、その抽斗《ひきだし》から火打道具を手さぐりで探して、やっと火をきって[#「きって」に傍点]附木にうつし、行燈の燈心を掻《か》き立てた時に、再び驚いたのは、この部屋の主は、相変らず面を剃刀で撫でていたからです。つまり、燈火の消えたのを平気で、その暗い中で相変らず面を剃っていたのであります。
「どうぞ、何か一品お召し下さいませ」
 改めて、土産物売りの女は自分の座へ戻りました。
「土産を買ってやるから、この首を剃ってくれないか」
「ええ、よろしうございます」
 そこで机竜之助は剃刀の柄《え》を向うにして、物売女の方へ突き出すと、物売女は気軽に受取って、
「お面《かお》の方はお済みになりましたか」
「ああ、面は済んだから、この襟足のところだけを願いたい」
「はい、お明りをこちらへ向けましょう」
 女は剃刀を取って、竜之助の後ろへまわりました。
「御逗留《ごとうりゅう》でございますか……」
「一夜泊りだ」
「左様でございますか」
 女は慣れた手つきで、竜之助の首筋に剃刀を当てて後ろに撫で卸すと、
「景気はどうです」
と竜之助がたずねますと、
「おかげさまで、この下《しも》の諏訪《すわ》は、あんまり不景気ということがございません。丁度、甲州筋からおいでの方も、中仙道を和田峠からおいでの方も、塩尻を越えて木曾の旅をなさるお方も、伊那の方からおいでの方も、みんなここへお立寄りになりますのに、諏訪のお社《やしろ》というものがございます上に、この通り温泉が湧いて出ますものですから……」
「諏訪の湖というのはどちらに当ります」
「え、湖でございますか。湖は、もうこのすぐ下がそれでございますよ、障子をあけてごらんになると、一面に……」
 女は、今までそれを気がつかなかったお客は、多分、暗くなってから着いたお客だろうと思い、
「今夜は、お月夜かも知れません、障子をあけましょうか」
 気を利《き》かして、女は剃刀の手を休め、客をして月明の諏訪の湖《うみ》をながめ飽かしめんとした好意を、竜之助は断わって、
「風が冷たいからそれには及ぶまい。そうだな、月というものを見たのは、いつのことか。伊勢の阿漕《あこぎ》ヶ浦《うら》というところで見たのが、あれが最後だろう。いや、あれは見たのではない、聞いたのだ。夕凪《ゆうなぎ》と朝凪《あさなぎ》に名を得た静かな伊勢の海、遠く潮鳴りの音がして、その間を千鳥が鳴いて通った時、浜辺と海がぼうっ[#「ぼうっ」に傍点]と明るくなったように覚えている。多分、あの時に月がのぼったのだろう。あれ以来見たことはもちろん、聞いたこともない」
 竜之助が、謎のような独語《ひとりごと》。急に剃刀の手を止めた女の面《かお》が美しいものになりました。
 この女は、もうよい年ですけれども、お化粧をして、赤い縮緬《ちりめん》の前掛をしていましたが、
「まあ、伊勢からおいでになりましたのですか」
 急に、晴々《はればれ》した美しい面になると、真紅《まっか》な縮緬の前掛が燃え出したようにうつり合いました。
「伊勢から来たというわけでもないが、伊勢には暫くいたことがあるのだ」
「それでは間《あい》の山《やま》をごらんになりましたか」
「間の山は見ないけれど、間の山節というのを聞いたことがある。そういうお前こそ伊勢の国のうまれか」
「わたくしは伊勢のうまれではございません、どこといってうまれた国は……まあ、渡りものなんでございますね」
「渡りもの?」
「ええ、お恥かしい話ですが、男に欺されて諸国をひきまわされたあげく、今ではこうして信州の諏訪へ来て物売りを致しておりますようなわけでございます。女というものは、水性《みずしょう》なものでございますから、男次第でどうにでもなります。ほんとうに意気地のないものでございますね、オホホホホ」
 この時の女の言葉には、触《さわ》れば落ちるような甘味をふくんでいたので、竜之助は暫く沈黙しました。
「ねえ、旦那様、おついでにお面《かお》の方も、もう一ぺんあた[#「あた」に傍点]って上げましょうか。殿方のおあたりになったよりも、これでも女の方が、手ざわりがいくらかやわらかになるかも知れません。御免下さいまし」
 そのやわらかな手を、首筋から頬のあたりへうつした時に、竜之助の面《おもて》がひときわ蒼白《あおじろ》くなりました。
「もうよろしい」
「どうも失礼を致しました……いいえ、お代はあとで帳場からいただきます」
といって、女が出て行ってしまったあとで、竜之助は、自分の身に残るうつり[#「うつり」に傍点]香《が》といったようなものに、苦笑いをしました。
 これは売女《ばいじょ》の類《たぐい》だ。物を売ることにかこつけて、色を売らんとする女。よく温泉場などにあった種類の女――おれをそそのかしに来たのがおぞましい。
 とはいえ、今の竜之助にあっては、女というものの総ては肉である。美醜をみわけるの明《めい》を失っているから、美のうちに貴《たっと》ぶべきものの存するのを発見することができない。醜を感知するの能を失ってから、醜の厭《いと》うべきを知って避けるの明がない。
 いや、それは単に女ばかりではあるまい。この男は、すべてにおいて、むずかしくいえば、宗教がなく、哲学がなく、またむしずのはしる芸術というものがない。ただあるものは剣だけです。勝つことか、負けることかのほかに生存の理由がないので、恋というものも、所詮《しょせん》は負けた方が倒れるものである。心中の場合においては、大抵、男が女に負けて引きずられて行くのである。曰《いわ》く薩長、曰く幕府、曰く義理、曰く人情、みな争いである。争いでなければ、争いを婉曲《えんきょく》に包んだものに過ぎない。人間日常の礼儀応対までが、この男の眼――見えない眼を以て見れば、ことごとく剣刃《けんじん》相《あい》見《まみ》ゆるの形とならないものはない。いやまだまだ、人間の生存そのものが、また一つの立合である。
 一剣を天地の間《かん》に構えて、天地と争って一生を終る――所詮、天地の間に吐き出されて、また天地の間に呑まれ了《おわ》るものと知るや知らずや。生存ということは、天地の力に対抗して、わが一剣を構ゆることに過ぎない。わが一剣の力衰えざる限り、天地の力といえども、如何《いかん》ともすることができない――と、彼はそう思わないで、そう信じている。
 女というものに触れる時――彼は、いつでも戦いを挑《いど》まれたように思う――そうしてこれを斬ってしまわなければ己《おの》れが斬られてしまうように思う。この場合においては、相手の善悪美醜を選ぶのいとまがないのです。

 まもなく久助とお雪は外の湯から帰って来て、鮒《ふな》や小蝦《こえび》をお茶菓子に、三人お茶を飲みました。そこへ、宿の番頭がやって来て、
「ええ、御免下さいまし、毎度、御贔屓《ごひいき》に有難う存じます。ええ、それからちょっと申し上げておきまするは、今晩のところは、土地の風習で、お万殿の夜詣りということになっておりますから、九ツ半過ぎては、外へお出ましにならぬように、なにぶんよろしくお願い申します」
と言う。
「何ですって」
 それをお雪が聞きとがめると、番頭が、
「お万殿の夜詣りでございまして、はい」
と番頭が答える。
「お万殿の夜詣りというのは何ですか」
 お雪が念を押してたずねる。
「ええ、何でございますか手前もよくは存じませんが、月に一度ずつ、お万殿の夜詣りということがございまして、その晩、九ツ半過、外へ出ますと、祟《たた》りがあるといい伝えられているのでございますから、なにぶん……」
「ええ、ようござんす」
 お雪が、それを承知してしまいました。断わられなくても、大抵の人は九ツ半過、今の夜中から一時までの真夜中をかけて、出て歩く必要はないはず。
 そこで、番頭が行ってしまったあと、お雪ちゃんは、まだ何か物足らない面《かお》で、
「お万殿の夜詣りって何でしょう、外へ出ると祟りがあるんですって」
「ナニ、詮索《せんさく》するがものはがあせんよ、土地の習わしですから、郷《ごう》に入《い》っては郷に従えといってね」
「ですけれども、こんな夜更けにわざわざお詣りをなさるお万殿という方も、気が知れない」
「何か因縁があるでがしょうね」
「丑《うし》の刻《とき》詣《まい》りじゃないでしょうか。丑の刻詣りの人に道で行逢うと、祟りがあるっていいますから――」
「ですけれどね、わざわざ先触れをしておいて、丑の刻詣りをする人もないもんじゃありませんか」
「それも、そうですね」
「まあ、なんにしても九ツ半から外へ出さえしなければいいのさ、言われた通りにね」
「なんだか気がかりになるわね」
 久助は触らぬ神に祟りなしの態度を取っているが、お雪ちゃんは腑《ふ》に落ちないものがあって、あきらめきれない。あらためて竜之助に向い、
「先生、御存じですか」
「知らない」
「おかしいわね」
 お雪は首をひねって思案してみたが、
「考えたってわかりゃしませんわ、塵劫記《じんこうき》とはちがうんですもの、土地の人に聞いてみなければ」
「番頭さんが知らないくらいだから、土地の人だって知っちゃいますまいよ」
と久助がいう。
「年寄の物識《ものし》りに尋ねたらわかるでしょう」
「それほど詮索をしなくったって、やっぱり郷に入っては郷に従えですよ、こういう晩には早寝に限ります」
「それもそうですね」
 お雪は、まだ解ききれない塵劫記《じんこうき》の宿題でも残っている心。
 その時、お雪は、ふと行燈《あんどん》の下の暗いところで何物をか認め、
「おや、こんなところに櫛《くし》が落ちているわよ……」
と拾い上げて、
「まあ、二つに割れていることよ」
 お雪の手にしたのは、まだ新しい木曾のお六櫛。
 拾っても悪い、落しても悪いという女の櫛。しかもそれが自分のほかには女のいないこの席に、真二つになって落ちていた。
 お雪はその時、なんとも言えない忌《いや》な気持になりました。

         十一

 この座敷は、それで済まされたが、どうしてもそのままでは済まされない座敷がありました。
「ナニ、九ツ半過から外へ出るな、お万殿の夜詣りがある、それを見ると祟《たた》りがあるとは奇怪千万」
 元治《がんじ》元年に京都で暗殺された佐久間象山の門生が二人――ちょうどこの宿屋に泊り合せていたのが肯《うけが》いません。
 第一、そういう迷信のために、一種の交通遮断を行うのは、迷信を仮《か》りての暴虐である。これに甘んじて従うのは近代人の恥辱である。と力《りき》んだわけではないが、久助や、お雪ほどに素直《すなお》にはゆかない。
「そのお万殿とはなにものだ」
「ええ、何でございますか、手前もよくは存じませんが……」
「知らない、貴様が知らぬことを、ナゼ人に強《し》ゆるのだ」
「恐れ入りました、よくは存じませんが、お万殿が九ツ半過にここをお通りになって、諏訪の明神様へ御参詣をなさるのだそうで」
「そのお万殿とやらが、参詣をするために、なんでわれわれが外へ出て悪いのだ。お万殿というのは禁裏のお使か、或いは将軍の代参でもあるのか」
「いいえ、そういうわけではございません、それにいきあうとたたり[#「たたり」に傍点]がありますので」
「たわごとをいわずに引込んで、誰かその因縁を知ったものをつれて来い、さもない時はわれわれが、今夜親しくそのお万殿の正体を見とどけて遣《つか》わすぞ」
「はい」
 番頭は青くなりました。青くなったのは、この連中に向っては迷信の権威が甚だ薄いから、よく納得《なっとく》させないかぎり、必ずや九ツ半を期して、その正体を見届けに出かけるに相違ない。そうなると、まんいち間違いの出来た時に責任がある。と思ったから青くなってほうほう[#「ほうほう」に傍点]の体《てい》で、この座敷をすべり出しました。
 ここに二人の佐久間象山の門生――といっても象山門下を名乗るものにかぎりはない。ちょっと玄関をのぞいただけでも、都合上その門生の名を利用するものも多い。宿帳にはそうはしるさなかったが、一人は丸山勇仙、一人は仏頂寺弥助、共に信州|松代《まつしろ》の人としてある。
 丸山は書生であり、仏頂寺は剣客であります。従って丸山はよく洋書を読み、仏頂寺はよく剣を使う。丸山の学力のほどは知らず、仏頂寺の剣は当時に鳴り響いたものです。
 この仏頂寺弥助と、長州の高杉晋作とが試合をしたことがある。その前に、高杉晋作が、はじめ佐久間象山に謁見《えっけん》した逸話がある。
 高杉晋作、天下第一の気概をいだいて、江戸に出でて書剣を学ばんとす。その師吉田松陰の勧めに従い、道を信濃に取って佐久間象山に謁す。象山、つくづくと晋作を見て、
「君は幾つになる」
「二十一」
 そこで、象山が、またも晋作の面《おもて》をつくづくとうちまもり、嘆息すること久し。
 晋作はその時、内心得意でありました。象山が嘆息したのは、おれの英雄心を見て取っての感嘆であろう。そこで、
「先生、僕の歳を聞いて、ナゼそのように御嘆息をなさる」
「されば」
と象山は徐《おもむ》ろに曰《いわ》く、
「おれは十五歳にして、信濃一国に鳴り、二十歳にして日本全国に鳴り、三十歳にして五大州に鳴る。君は二十一歳というのに、おれはまだ高杉晋作なるものの名を聞いたことがない。いったい、君はどこへ年を取っているのだ」
 これには、さすがの高杉東行も、黙然《もくねん》として一言もなかった。
 ここにいる仏頂寺弥助と高杉晋作とが試合を試みたのはその時です。
 仏頂寺は斎藤弥九郎の高弟。そのころ無敵といわれた道場荒し。
 当時の佐久間象山は、水戸の藤田東湖と共に一代の権威。諸侯も礼を厚うして、辞を卑《ひく》うしなければ教えを乞うことのできぬ人だから、高杉もこの人に逢っては、油を絞られるのもぜひがない。象山はまた豪傑の士に逢うと、好んでこういう手段を弄《ろう》したがる男である。
 そこで、仏頂寺弥助と竹刀《しない》の立合。高杉はそうそうは負けてもおられまい。といって高杉は剣術使いではない。
 尋常では勝てないことを知っている彼は、立合の場へ立つと、いきなり交叉してあった竹刀を取り上げ、
「オメーン!」
 まだ立合わない仏頂寺の頭を一つ食《くら》わせてしまった。仏頂寺大いに怒り、
「まだ、礼式も相済まぬうちに、頭を打つとは何事でござる、無作法千万」
 高杉晋作は、いっかな聞かない。
「何とおっしゃる、貴殿もし、戦場に臨み、敵に頭を斬られてなお礼式呼ばわりをなさるか」
「以ての外、ここは戦場ではござらぬ」
「いやいや、立合の場は戦場と同様でござる、貴殿の頭は、もう拙者が打ち割ってしまったのでござる」
「強弁を振いたまわず、いさぎよく立合って勝負をさっしゃい」
「勝負はすでについてござる、拙者の勝ちでござる」
 仏頂寺が躍起になって怒るのを、高杉は頑《がん》として勝ちを主張してこの場を去った。これは高杉一流の手前勝手。
 とにかく、仏頂寺弥助は当時有数の剣客でありました。
 それはさて置き、この二人が今しも一酌を試みて談笑しているところへ、最前二人にオドかされてほうほう[#「ほうほう」に傍点]の体《てい》でこの座敷を逃げ出した宿の番頭が、恐る恐るやって来て、
「御免下さいまし、ただいまお話のお万殿のことは、この本にくわしく書いてあるそうでございます」
「うむ、そうか」
 番頭は一冊の本を置いて、逃ぐるが如く走《は》せ去ってしまいました。
「ナニ、諏訪昔語りか……」
 丸山勇仙が、その本を取り上げて見ると、こくめい[#「こくめい」に傍点]に書いた写本であります。
「お万殿のこと……」
 二三枚めくって、ある点に急がしく眼を飛ばせて走り読みをすること暫し。
「なるほど、これで、すっかりわかった」
「どういう仔細だ」
 そこで丸山勇仙は、仏頂寺弥助に向って、自分が走り読みしたお万殿の部分を、次の如く要領よく話して聞かせました。
 天正十年のこと、織田信長がこの国に侵入して、法華寺《ほっけでら》というので兵糧《ひょうろう》を使っているところへ、色々の小袖を着た女房が一人入って来ました。
 この女房は信長の前へ出ると、懐中した錦の袋から茶入を出して信長に見せると、信長は何に激したか大いに怒り、刀を抜いてこの女房を一太刀《ひとたち》に斬って捨ててしまいました。
 この女房というのがすなわちお万殿で、もとは、美濃国岩村の城主遠山勘太郎が妻、信長のためには実の伯母《おば》です。岩村の城陥落の時、武田家の将、秋山伯耆守の手に捕われ、ついに伯耆守の妾となって、少しも恥ずる色がなく仕えていたから、信長が怒りに堪えずこの始末。
 それで、お万殿の恨みが消えない。遊魂《ゆうこん》今もさまようて、夜な夜な神詣《かみもう》でをするといういいつたえが残る。
「ははあ、ではそのお万殿というのが、色々の小袖を着て、錦の袋に茶入を納め、それを捧げながらこの前を通って、諏訪明神へ参詣というわけだな。そうなると、いよいよ見てやりたくなる」
 仏頂寺弥助がいいますと、丸山勇仙は、
「それはなんとなく忍びない心持がする、見てやらないのが人情だろう」
 その時、盃の酒の冷えたのに気がつきました。

         十二

 こちらの座敷では、明朝塩尻までの馬の相談にいって来た久助が、どこで聞いて来たか、前のとほぼおなじようなお万殿のいわれを、お雪に向って話すと、
「かわいそうだわね、それではお万殿の恨みが残るのも無理がないわ」
といいました。
「どうも仕方がねえ、敵の大将に肌をゆるしたんだから――」
 久助は鈍感な返事。
「だって、かわいそうですわ、生捕りにされちまったんですもの」
「生捕りにされたって、お前様、敵の大将に肌をゆるせば、後で殺されたって仕方がない」
 久助は、仕方がないで押切るのを、お雪は残念がって、
「それでも……常磐御前《ときわごぜん》をごらんなさいな、義朝《よしとも》につかえていて、あとで清盛の寵愛《ちょうあい》を受けて、それでも貞女といわれてるじゃありませんか」
 お雪は常磐御前を味方に連れて来て、久助をいいこめようとする。久助は迷惑がって、
「ありゃお前様、子供を助けたいからなんでさあ。源氏の胤《たね》を残したいから、仕方がなしにああなったんでしょう」
「仕方がないといえば、お前、お万殿だって、戦《いくさ》に負けて敵に囲まれてしまえば、なお仕方がないじゃないの。自害しようたって、できないこともあるでしょう。わたし、お万殿はちっとも悪い人じゃないと思ってよ。信長の前へ色々の小袖を着て、錦の袋に納めた茶入を持って来て見せるなんて、しおらしいじゃないの。きっと、信長は自分の甥のことでもあるし、自分も心ならず敵に従っているんだから、許してもらおうと思って、その茶入を土産《みやげ》に持って来たんでしょう。それを、むざむざと一言《ひとこと》も聞かずに斬ってしまうなんて、わたし、信長という人はにくらしいわ。まして自分の本当の伯母さんなんでしょう。だから、信長という人は、あとで自分の家来の明智光秀に殺されちまったんでしょう。自業自得というものですわ、ねえ、先生」
 お雪は今度は竜之助の方へ加勢を頼みに来て、
「ねえ、先生、あなたは、どう思っていらっしゃるの、やはり、お万殿をかわいそうだと思っていらっしゃるでしょう。信長という人を、にくい人だとお思いにならない?」
「けれども、この時の習いで、敵に肌をゆるした女をたすけてはおけなかろう」
 竜之助が答えますと、お雪は非常に失望しました。
「まあ、先生も、そう思っていらっしゃるの。お万殿だって、好んで敵にゆるしたんじゃありますまい、いくさにまけたから仕方がなかったのでしょう。世間にはずいぶん、よい夫を持ちながら、好んでほかの男に操《みさお》をゆるす女があります。では、そういう女は、殺しても足りないのね。お万殿の方が、よっぽど罪が浅いわ。それをむざむざ殺してしまうなんて……」
 お雪は頼まれでもしたもののように、ムキになってお万殿に同情を寄せる。
 竜之助は何ともいわず、横になったままで肱枕《ひじまくら》をしましたが、その冷やかな面《おもて》がズンズン底知れず沈んで行くようでもあり、また行燈《あんどん》の光に照りそうて、一際《ひときわ》の色をそえるようにも見えます。
「なんにしても、こんな晩には早寝にかぎります、先生もお休みなさいまし、お雪ちゃんもお休みなさいまし」
 久助がいい出して、女中を呼び、前の晩のように竜之助はこちらの間に一人、お雪と久助はこちらの間へ隔てて床をのべてもらいました。そこで、竜之助は寝巻に着かえて、大小を引寄せて枕につこうとするのを、見ていたお雪が、
「先生、わたしは、いつもおか[#「おか」に傍点]しいと思いますよ、そうして、お休みになる時までも、刀を後生大切《ごしょうだいじ》にしていらっしゃるのが……」
「もし悪者が来て、これを盗まれでもしようものなら大変だ」
「だって、先生、盗む気で来れば、いつでも盗めるでしょう」
「どうして」
「どうしてって、失礼ですが先生はお目が御不自由でしょう、ですから、盗むつもりなら、いつでも盗めるじゃありませんか」
「盗みに来れば斬ってしまう」
「それでも先生、ちょっと浚《さら》って逃げたらどうなさいます、追っかけることはできないでしょう。また、刀をお抜きになったところで、どこに悪者がいるかおわかりにならないでしょう。ですから、お抜きになっても、トテも斬ることはできやしないでしょう」
「そうも限るまい」
「それは先生が、お目さえ御不自由でなければ、悪者が来ても怖くはないでしょうけれど、肝腎《かんじん》のお目が悪いんですから、盗もうと思えば、わたしだって盗んで見せますわ」
「ははあ、雪ちゃん、お前にこの刀が盗めますか」
「眠っていらっしゃるところを、そうっ[#「そうっ」に傍点]と持ち出せば何のことはないじゃありませんか。それは譬《たと》えですけれども、どうでも盗めとおっしゃれば、今夜にも盗んでお目にかけますわ」
「それでは今夜、盗んでごらん」
「お約束はできませんけれど、もし、わたしが夜中に目がさめましたら、きっと盗んでお目にかけます」
「なるほど。それでは、下げ緒も向うへまわして、お前の盗みよいようにしておきましょう」
「そうして、先生、もし盗めたら、この刀を返しませんよ」
「いいとも、盗まれるのはこっちの落度《おちど》、それを返してくれとはいわない」
「けれども、あやまれば返して上げます」
「返してもらわなくてもよい」
「それでも、わたしが刀を持っていたって仕方がないじゃありませんか」
「それは知らない、盗んだものの捌《は》け口《ぐち》まではわしは知らない」
「おあやまりなさい」
「あやまらない」
「それじゃせっかく盗んでもつまらない」
 この時、竜之助は微笑をたたえて、
「雪ちゃん、お前は盗むことばかり考えているが、もし盗みそこねたら、どうしますか」
「そりゃ先生、盗みそこねたら、罰としてお望みの物をなんでも差上げますわ」
「きっと?」
「きっとですとも」
 弁信法師も言[#「言」は底本では「行」]った通り、お雪も年ごろの娘であるのに、あまりに無邪気です。自分が愚かなるが故に無邪気なのではなく、人を信ずるが故に無邪気なのです。人を信ずるの深きは、つまり己《おの》れの心の純なる所以《ゆえん》でしょう。
「それではお約束をしましたよ、雪ちゃん、その心持でお休みなさい」
 大小をこころもち前の方へ置いて、机竜之助は枕につきました。
「ここから風が入るといけません」
 お雪は竜之助のために、枕の間の夜風を、夜具の襟で埋めてしまおうとした途端、ゾッとして唇の色まで変りました。
 しかし、べつに夜具の中に鬼も蛇《じゃ》も棲《す》んでいるわけではない。蝋《ろう》のように白い竜之助の寝顔を見た時、はじめて、「姉を殺したのはこの人だ」と言った弁信法師の言葉が、ハッと思い当ったからでしょう。
 弁信法師のいうことは、上《かみ》は碧落《へきらく》をきわめ、下《しも》は黄泉《こうせん》に至るとも、あなたの姉を殺したものがこの人のほかにあるならばお目にかかる――それは途方もない出放題《でほうだい》。
 弁信さんは、時々ああいうことをいい出すからいけないのだ。
 もし、あの弁信さんが今晩ここにいたら、あの人だから、何をいい出すまいものでもない。「今晩、九つ半過から、この道を通って諏訪の明神へおまいりをなさるのは、いにしえ[#「いにしえ」に傍点]のお万殿ではありません、それは殺されたあなたの姉さんです」――こんなことをいい出すかも知れない。どうも、そういう気がしてならない。なお念を押して、「私は血まよってはおりません、私のいうことが本当でございます」と付け加えるかも知れない。
 いい時はいいが、悪い時は、弁信さんのいうことは一から十まで気になる。ああ、悪いことを思い出した。
 そう思うと、しんしん[#「しんしん」に傍点]と淋しくなって、ほんとうに殺された姉さんが、ほどなくこの街道を通るように思われてならない。見ていればいるほどこの人が、ほんとうにわたしの姉に手を下したもののように疑われてならぬ。
 罪という罪は多いのに、夫にそむいて他の男に許した女の運命のみが、なぜそのように酷《むご》いのだろう。わたしには、どうしてもお万殿がそれほどの悪人とは思えない。信長という人の方が、どのくらい無慈悲な、極悪《ごくあく》な男だか知れない――わたしの姉さんだってその通り、優しくって、如才《じょさい》がなくって、うわべだけでない親切気のあった人――ついした間違いが、死を以てするよりほかに償《つぐな》いがないとは、なんという情けない女の運命。
 そんなことを考えれば考えるほど、気が滅入《めい》って、あらぬ人に疑いをかけてみたがったり、世間を呪《のろ》いたがってくる。全くこんな晩には早寝をするにかぎると思い直して、お雪は次へ行って帯を解こうとすると、廊下にバタバタと人の足音があって、
「さきほどはどうも、失礼を致しました」
と障子をそっとあけたのは、以前、お雪のいない時に物売りに来たなまめいた女です。
「何か御用?」
 帯を解きかけたお雪がこちらを見て返事をすると、女もお雪を見て、ちょっとはにかんで、
「あの――さきほど、そこいらに櫛《くし》が落ちてはおりませんでしたろうか。いいえ、つまらない櫛ですから、どうでもいいのですけれど……」
「あ、櫛ですか、落ちていました」
 お雪はほどきかけた帯をちょっ[#「ちょっ」に傍点]と締め直して、
「落ちてはいましたけれど、お気の毒さま、こんなに割れていましたよ」
「まあ」
 お雪が行燈《あんどん》の上にさしおいたお六櫛の二つに割れたのを取って見せると、
「おやおや……わたくしのそそうですから仕方がございません」
 女はしょげて、二つに割れた櫛を受取り、
「どうもお邪魔を致しました、お休みなさいませ、よろしく」
といって竜之助の寝ている方を横目でチラリと見て、障子を立てきって出て行きました。
 ちょっといき[#「いき」に傍点]がった髪の結いよう、お化粧、着こなし、緋縮緬《ひぢりめん》の前掛、どう見ても湯女《ゆな》気分の色っぽい女。お雪はちょっと眩惑されて憎らしい気分がしましたけれど、そこになんとなく人なつこいものの残るのを、さぐってみると、どうも殺された姉に似たところがある。気のせいか知らないが、姉の持っていた、人ずきのする懐かしみをかなり多量に持っている。
 今の女が、わたしのいない時にこの座敷へ物売りに来て、そうして櫛を落していった。その櫛が二つに割れている。
「ああ、この女もまた姉のように殺されるのではないか」
 忽然《こつねん》として起った何の拠《よ》りどころもない暗示。こんな暗示に襲われた自分を、お雪は戦慄《せんりつ》しました。
 この女が廊下でバッタリ、仏頂寺弥助に出逢ったのが運の尽きであります。
 弥助は、いや[#「いや」に傍点]がる女を無理に自分の座敷へ連れ込んでしまいました。しかもその座敷には新たに二人の客があって都合四人、酒興ようやく酣《たけな》わなるの時でありました。
 女がしきりに、あや[#「あや」に傍点]まるのを、かれはどうしても聞き入れない。女はついに泣き声になっても、どうしても、許すことをしないものだから、その狼藉《ろうぜき》があたり近所の座敷まで驚かすの有様となりました。
 しかし、女も、もうのがれられないと観念したか、やがておとなしくなって、そこへすわると、かれらは女に酒を飲ませました。
 やむを得ず、女はその盃を受けると、つぎの一人がまたさす。からかいながら、強《し》いてその盃を乾させて興がるのです。もう遅いからぜひおかえしくださいませと、またも女がせがむ[#「せがむ」に傍点]のを、もう一つやればかえすといっては、無理に酒を飲ませる。
 女は、できるだけ、それに逆らわずに、酒を酌《つ》いでもらって、早く帰してもらおうとつとめているらしい。
 男共は、それと違って、この女をもりつぶして興がろうとしているらしい。
 仕方がなしに重ねているうちに、強くもない酒が廻って来るのはぜひもありません。もともと水性《みずしょう》の女ですから、少しずついい気持になって、相手になっているうちに、とうとうもりつぶされてしまいました。
 そこで、四人の者は凱歌《がいか》をあげて喜ぶ。
「もういただけません、どうしてもこれで御免を蒙《こうむ》ります」
 いったん酔いつぶれた女が、よろよろと立ち上ったのは、それから暫くの後で、初めて気がついたように、
「ああ、もう何時《なんどき》でしょう、いけません、いけません、皆さんは、わたしをだましてしまいました、口惜《くや》しいッ」
 女は何におどろかされたか、まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]にこの座敷を逃げ出しました。
 そのまま梯子《はしご》を駈け下りて、帳場から表入口へ飛び下りた足どり、酔がさめているのではない。
「もう時刻ですよ、泊っておいでなさい、泊っておいでなさいってば……」
 帳場で支えるのを聞かず、この女は表へ飛び出してしまいました。
 夜の遅いことは知っているだろうが、今が何時《なんどき》だかは忘れている。
「ああ口惜しいッ」
 夢遊病にとりつかれたような女は、それでも本能的に自分の下駄だけは間違えないで穿《は》き、盲目的に外へ飛び出してしまいました。
「ああ、こんなに酔っぱらっちまった、頭がガンガンして、からだ[#「からだ」に傍点]が火のように熱い、ああ、わたしはうっかりして、欺《だま》されてしまった、口惜《くや》しいッ」
 女はこういって、まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に外の街道を駈け出します。
 この女の家は町はずれにあるはず。そこへ帰るつもりで、まるっきりちがった方角へ走っているらしい。そのくらいだから髪のくずれていることも知らない。着物のみだれていることも気がつかない。
「口惜しいッ」
と何かわからずに口惜しがって、街道を駈け出したが、やがてぱったりと物に突き当って打倒れ、その時、起き上るほどの気力がなかったと見えて、そこへころがったままでいる。
 けれども気絶したわけでもなければ、怪我をしたのでもない。まだ、充分に酔いがまわっているのに、走り出して疲れたものですから、泥のようになって、そこにかすかないびき[#「いびき」に傍点]をさえ立ててねむってしまったのです。
 女が倒れているのは――静かな神社の境内《けいだい》。突き当ったのは、注連《しめ》の張った杉の大木にめぐらした木柵。ここは諏訪の秋宮《あきのみや》、この杉こそは名木|根入杉《ねいりすぎ》。
 この時が、ちょうど、例のお万殿の出遊《しゅつゆう》、呪《のろ》いを怖れる者の出てあるいてはならないという九ツ半でありました。

         十三

 しかし、その晩は、宿の方ではそれよりほかに変ったことはなく、お雪ちゃんも夜中に目がさめて、竜之助の刀を覘《ねら》うような物騒なことをしないでも済み、竜之助も血に渇《かわ》いて、夜中に忍び出でた形跡もなく、久助は無論前後も知らず、隣室の、かのおだやかならぬ四人連れのものどもも、無事に眠りについて夜を明かし、まだ暗いうちに、竜之助は昨晩頼んでおいた馬で、お雪は駕籠《かご》で、久助は好んで徒歩《かちある》きでこの宿を立つと、それと前後して、やはり隣室の四人連れ、丸山勇仙と、仏頂寺弥助と中ごろから加わった二人、その名をいえば、高部弥三次、三谷一馬の都合四人も、この宿を出かけました。
 下諏訪を立つとまもなく塩尻峠。一足先に出た竜之助の一行と、やや後《おく》れて仏頂寺ら四人のものとは、この道中において、やはり後になり先になりましたが、徒立《かちだ》ちとはいえ一方は屈強のつわもの[#「つわもの」に傍点]、一方は病人と女づれのことですから、徒《かち》の四人が先になるのはぜひもないことです。
 これより先、彼等四人のものには、竜之助の一行が問題となって、
「あれは昨晩、われわれとおなじ旅籠《はたご》を取ったものだが、なにものだろう、夫婦でなし、兄妹でもなし……」
「左様、夫婦にしては年が違う、兄妹にしては他人行儀なところがある、付人《つきびと》も仲間《ちゅうげん》小者《こもの》ではない、どこの藩中という見当も、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]とつきかねる、そうかといって、ただの浪人にしては悠暢《ゆうちょう》な旅だ」
 横目でジロリジロリと竜之助の一行を眺めましたが、竜之助の笠はかなり深いのに、垂《たれ》のない駕籠で、お雪の姿はありあり[#「ありあり」に傍点]と見えましたから、離れると、
「ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と可愛らしい娘《こ》だ」
「人好きのする娘だ」
といってカラカラと笑い、
「昨晩はかわいそうに」
「そうそう、丸くなって逃げ出したが、あれっきり姿を見せなかった」
 これは酔いつぶされて逃げ出した女のこと。
 やがて、峠の上、立場《たてば》の茶屋へ来るとそこで一休み。
 仏頂寺弥助は鍵屋の辻の荒木又右衛門といったような形で縁台に腰をかけ、諏訪湖の煮肴《にざかな》を前に置いて、茶の代りに一酌《いっしゃく》を試みている。
 この辺の連中、腕はたしかに出来るには出来るが、ややもすれば無頼漢になってしまう。これより先、江戸三剣士(千葉、桃井、斎藤)の一人斎藤篤信斎弥九郎が、その門弟のうちから十余人の腕利《うできき》を選抜して「勇士組」と名づけ、これを長州へ送ってやったことがある。仏頂寺以下もそのうちの一人で、最初のうちはよかったが、後にたち[#「たち」に傍点]が悪くなって、京阪の間で悪事を働いたものだから、師の篤信斎の怒りを買い、実はもう、とうの昔に殺されていなければならないはずの男でありました。それがまだこの辺を宙にさまようて出没しているのは奇怪千万《きっかいせんばん》のことで、多分、再び、京阪の間《かん》へ舞いのぼり、勤王や、新撰組の中へ潜《もぐ》って何か仕事をしようとするつもりと見える。しかしながら、長州あたりでも、新撰組でも、もうこれらの連中は亡者扱いにしているから、真実に相手にする者はなかろうと思われる。といって、腕にかけては、その当時といえども、この辺の連中がそうザラにあるべきわけのものでもありません。
 自然用うるところのない亡者どもは、そのあり余る手腕は悪い方へ使えばといって、善い方へ使う気づかいはない。
 厄介千万なのはこの類《たぐい》の亡者。
 荒木又右衛門気取りで酒を飲んでいるが、本物の荒木が来てさえも、そうは容易《たやす》く後ろを見せない者共でありながら、楯に取るのは義理名分でもなく、勇侠義烈でもなく、つまるところは酒と女。今もここに網を張って、病人と足弱の一行を待ち構えているようなものですが、相手次第で、どう変化するかわかったものではありません。
 その日の天気模様は朝から曇っていたものですから、肝腎の峠の上から諏訪湖をへだてた富士の姿が見えず、あたら絶景の半ばを損じたもののようで、ことに寒気が思いのほか強く、風こそないけれども、海抜一千メートルのここは、今にも雪を催してくるかとばかりです。
 そこへまもなく、峠路を上って来た竜之助の一行。道中の不文律に従って、ともかくもこの立場《たてば》へ一休みはするだろうと期待していると、案外にもそのまま挨拶もなく(挨拶すべき義務もなく)この前を素通りして先をいそがせましたから、四人のものが拍子抜けの体《てい》です。仏頂寺弥助の如きは、盃を宙にして、口をあいて、掌《て》の中の珠《たま》を取られたような形でいましたが、さりとて、上って来たその人は河合又五郎でもなければ、阿部四郎五郎でもないから、立ち塞がるわけにもゆかず、呼びとめる縁故もありません。
 やむなく、相当の時間と茶代とを置いて、この立場を出立しました。四人はいい合わさねど忌々《いまいま》しい面《かお》をしている。

 峠の上の立場《たてば》――五条源治を素通りした竜之助の一行は、やがて、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家へかかろうとする時分に、後ろから、
「おおい」
と呼ぶ声。
 その声を聞くと駕籠《かご》の中のお雪が、まず恐怖に打たれました。
「おおい」
 二度《ふたたび》呼ぶ声。久助は聞かないふり[#「ふり」に傍点]をしていると、堪りかねたお雪が、
「久助さん、おおい、おおいって、呼んでいるのは、あのさむらい[#「さむらい」に傍点]たちじゃありませんか」
「そうかも知れねえ」
「なんだか、気味の悪い人たちですね、麓《ふもと》でも、わたしの駕籠をジロリジロリと見ていました、いそぎましょう」
「急ぎましょう」
 急ぐといって、ここは下りに向った塩尻峠ではあるが、見通しの利《き》く野原の一筋路。
 もし隠れるとすれば、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の真中に、屋根に拳石《けんせき》を置いて、中で草鞋《わらじ》を売る一軒家があるばかりです。
「おおい」
と三たび呼ぶ声。この声に竜之助が聞き耳を立てました。
「うるさい奴等だ」
「何でしょう、あのおさむらい[#「さむらい」に傍点]たちは?」
 久助が心配する。そこで期せずして三人がひっかかりました。
「先生、かまわないで行きましょう、そうでなければ、あの一軒家へ隠れて、先へやってしまいましょう」
 最も多く心配するのはお雪です。
「おおい、お待ちなさい」
 ようやく近寄って来た四人の者。
「ちぇッ」
 竜之助は小癪《こしゃく》にさわる心持で、馬から下りてしまいました。
「先生、芸もないから相手になるのはおよしなさいまし、なんだか、たいそう気味の悪いさむらい[#「さむらい」に傍点]たちですから」
 久助も、お雪も、馬から下りた竜之助を見て、かえってそれに驚かされました。
「小うるさい奴等だ……久助どの、お前はお雪ちゃんを連れて、その一軒家とやらへ隠れておいで……馬も、駕籠も、近くへは寄らぬこと」
 馬から飛び下りて、右の手で野袴の裾をハタいて、それから笠の紐を取った竜之助の面《おもて》は例によって蒼白《あおじろ》い。いつも沈みきっている人も、時あっては小癪にさわる憤りを漂わせることがある。
「え、滅相《めっそう》な」
 老巧の久助も面《かお》の色を変えました。この人は事をわけて相手をなだめるために下り立ったのではない、まさしく怒気をふくんで待ち受けているのです。病人であり、盲者《めくら》であるこの人が……。油を以て火を迎えるようなもの。
 物騒な相手よりも、相手を知らぬものが怖い。久助は何かいおうとして、慄《ふる》え上ってしまいました。
 しかし、心得たのは、お雪を乗せた駕籠屋で、客の安全よりは自分たちの安全を頭に置いて、竜之助にいわれた通り、お雪を乗せたままの駕籠を中に、程遠からぬいのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家めがけて飛ばせてしまいました。馬も、馬方もそれについで――
 久助は、無謀千万な同行者の態度に、いうべき言葉を失って慄え上っている間に、
「お呼び留め申して失礼」
 おだやかならぬ四人のものは、早くもそこへ追いついたから、久助は、本能的にお雪の駕籠を追いかけて走りました。
 あとにひとり残った竜之助は、うしろを顧みずしてあるきながら、
「おのおの方は、さいぜんからわれわれをお呼び留めなさるようだが、何の御用でござる」
「ちと、承りたい筋があって」
 竜之助と押並ぶようにして、まずしゃしゃ[#「しゃしゃ」に傍点]り出たのが高部弥三次。
「それはまた何事」
 竜之助が答えると、弥三次はせき[#「せき」に傍点]込んで、
「貴殿は昨夜、下諏訪の孫次郎へ一泊致したでござろうな」
「仰せの通り」
「そうして、貴殿は、あの宿で女をかどわかして[#「かどわかして」に傍点]これへ伴い参ったはず」
「何をおっしゃる」
「我々に向って尋常にその女をお渡しなさい」
 弥三次が詰め寄ると、後ろで仏頂寺をはじめ他の三人がニタリと笑っている。
 そこで、竜之助は黙っていました。このやつらは、いいがかりを考えて来たな、自分たちで企《たくら》んだことを、こちらへ向けて先手にやって来たな。よしその分ならばと思ったのでしょう。
「いかにも女を一人つれて参ったに違いないが――」
「穏かにその女をお渡しなさい」
「渡すべきいわれのない者には渡せない、貴殿らにその女を受取るべき縁故があるなら聞きたい」
「我々はその――女にとっては親戚のものでござる、つまり、親戚のものから頼まれて、あとを追いかけまいったものでござる」
「しからば、その受取りたいという女の身元は?」
「宿の女じゃ、貴殿がかどわか[#「かどわか」に傍点]して、駕籠《かご》に乗せてまいったあの女」
「して、その女の名は何といって、年は幾つぐらい」
「くどい――」
 高部弥三次が一喝《いっかつ》しました。少々離れてあとからついて来た仏頂寺はじめ三人のものは、高部の一喝をおかしいものとして、あぶなく吹き出すところでしたが、やっと我慢していると、大まじめな高部は、
「盗人《ぬすっと》猛々《たけだけ》しいとは貴殿のことだ、人の大事の娘をかどわか[#「かどわか」に傍点]しておきながら、年はどうの、名は何のと……人を食った挨拶」
と言って竜之助の肩へ手をかけてゆすぶると、竜之助は横の方を向いて、
「紙入を一つ拾うたからとて、手渡しするまでには相当に念を押さにゃならぬ、まして人間一人……」
 そのまま歩いて行くと、高部も肩を捕《つか》まえながら邪慳《じゃけん》に歩いて、
「やい、この刀が目に入らぬか、我々のかけ合いは、ちと骨っぽいことを御存じないか。お手前はそのかどわか[#「かどわか」に傍点]して来た女を、あれなる一軒家へ隠して置いて、踏みとどまって我々に応対を致そうとするからには、相当に覚えがあるに相違ない。刀にかけて返答をするつもりか、それとも、あれなる一軒家へ案内して、尋常に女を渡すつもりか。さあ、こちらを向かっしゃい、こちらを向いてこの刀、粗末ながら永正《えいしょう》の祐定《すけさだ》を一見さっしゃい」
 高部弥三次は、こういって長い刀の柄《つか》を丁と打ちましたから、あとにつづいていた三人がまたも面《かお》を見合わせて、高部でかしたといわぬばかり。
 その時、竜之助は、
「あいにく、拙者は眼が見えないのだ」
といって、苦《にが》りきって向き直りました。
「ナニ、眼が見えない?」
 向き直った竜之助の面を高部がキッと見て、暫くあきれていると、
「この通り盲目《めくら》だ」
「盲目?」
 これを聞いて驚いたのは高部ばかりではありません。後ろについて、かけ合いを検分して来たところの仏頂寺はじめ三人の者が、六つの目をみはって、一度に竜之助の面《かお》を見つめました。
 事実、今までこの四人は、この男が盲目《めくら》であるとは知らなかった。
 さてこそ、悪く取りすました返答ぶり、大胆と沈勇に出でた結果でもなんでもなく、敵の威力を見定める眼を失っているからのこと。こう思ってみると、四人は一度にカラカラと高笑いをして、
「盲蛇《めくらへび》、物に怖《お》じず」
といいました。
 そこで高部は一層図に乗って、竜之助の肩をゆすぶり、
「一体、貴殿はどこの藩中だ、両刀を帯している以上は、多少、武術の心得はあるだろう、まして、この道中、盲目の分際で傍若無人の振舞、酒をのみ、女にたわむれ……」
といって、高部は自分ながら妙な面をして失笑したのは、よくある手で、この手合の因縁をつける時は、たいてい自分の不埒《ふらち》を先方へなすりつけて、天晴《あっぱ》れ先手を取ったつもりでいる。相変らずその手をまじめくさって使い出したけれども、自分ながら気がさしたと見えて、舌を吐きました。
 後見役の仏頂寺はじめ三人は、やれやれと目面《めがお》でけしかける。高部もいよいよ得意とならざるを得ないのです。
「昨晩も、下諏訪の宿で、あたりはばからぬあの乱暴狼藉、同宿の我々がどのくらい迷惑致したか知れぬ。しかるにまたも悠々として女を伴い、これ見よがしの道中、武士の風上には置けない仕業《しわざ》……」
 かさ[#「かさ」に傍点]にかかって苛《いじ》め立てようとするのに、相手がさのみこた[#「こた」に傍点]えない。
 聞き捨てにして徐々《そろそろ》と前へ歩んで行くから、高部もいささか張合いが抜けて業《ごう》が煮え、
「生国《しょうごく》と姓名を名乗らっしゃい」
 高部はまたも竜之助の肩をこづ[#「こづ」に傍点]き立てましたから、竜之助が、
「生国は下総国、猿島郡《さしまごおり》」
と何のつもりか出鱈目《でたらめ》のところを述べると、この時まで、後見役気取りで、あとについて来た三人のうちの仏頂寺が、急に二人の横を摺《す》り抜けて前へ出てしまいましたから、高部はちょっ[#「ちょっ」に傍点]とその挙動を怪しみました。しかし、もともと仲間のことですから、怪しんだのみで危《あや》ぶんだわけではありません。
 そうすると、徐《おもむ》ろに歩んでいた竜之助が、ふいに足をとどめたものですから、押並んで歩んでいた高部も足をとどめないわけにはゆきません。その間《かん》の空気が、なんだかちょっ[#「ちょっ」に傍点]と変でしたから、後ろにいた三谷と丸山も妙な面《かお》をして立ち止まりました。
 この時、高部は前よりグッと手荒く、竜之助の肩をつかみ、極めて意地悪く小突き廻すと、その時、竜之助の癇《かん》がピリリと響き、
「ちぇィッ」
 無慈悲にその肩を左に開くと、侮《あなど》りきっていた高部がよろめいた途端を、左の手で突放《つっぱな》したと見る間に、
「あっ!」
と言って、頬を抑えて無二無三に後ろへ飛び退《すさ》ったのは高部で、ほとんど五間ばかり一息に後ろへ飛びさがって、そこで仰向けに倒れて、
「あつ、つ、つ、つ、つ」
と左の手で自分の頬をおさえると、その指の間から血が滝のように溢れ出します。それでも、右の手には早くも脇差を抜いて、仰向けに倒れながら、それを構えたが、みるみる、面《かお》の全部が溢れ出す血潮で塗りつぶされ、余れるものは指の間から筋を引いて下へ落ちます。
 竜之助は、抜討ちに高部の横面《よこめん》を斬りました。それでも、幸いにして、その横面は、頭蓋骨を二つに殺《そ》いでしまわないで、左のこめかみ[#「こめかみ」に傍点]から三日月形に、頬を伝い、骨を残して肉だけを斬って、上唇まで裂いてしまいました。高部が飛び退《しさ》ってその傷を手で押えた時に、はじめて血が迸《ほとばし》ったものですから、その瞬間に見た傷口は、なんのことはない、口が左へ耳の上まで裂けあがったのと同じことです。しかし、それも瞬間のことで、その血は忽《たちま》ち顔の全面に溢れたものですから、丸山勇仙は、高部がやられてしまったなと思いました。それと見て、先へ一足進んでいた仏頂寺弥助が、刀を抜く手も見せず竜之助に飛びかかろうとして、急に飛びのいてしまいました。
 三谷一馬もまたすかさず抜き合わせたけれども、遠く離れて、それを振りかぶったままです。腕に覚えのない丸山勇仙は、一時《いっとき》仰天してしまいましたけれど、これは抜き合わせずに、高部弥三次の介抱《かいほう》にまわって、後ろから抱きながら、いたずらにうろたえているばかりです。
 机竜之助は抜討ち横なぐりに高部を斬ると共に、当然踏み込んで行くべき二の太刀《たち》を行かずに、後ろへ退《ひ》いてその刀を青眼に構えたままです。
 多分、仏頂寺が、斬りかかろうとして飛び退いたのはそれがためでしょう。高部を追いかける途端を、小癪《こしゃく》なと、横合いから一ナグリに斬って捨てようとしたのが、案外にも、出足を進めないで、後ろへひいて構えた変化。そこを斬り込めば自分が斬られることを知っているから、退いて立て直すことにしたのでしょう。
 三谷ときては、見当がつかないから、その当座は遠く離れて振りかぶっているが無事。
 そこで、彼等の内心のおどろきは非常なものでありました。
 これは、絶体絶命の自暴《やけ》で振りまわしている刀ではない。
 盲目滅法《めくらめっぽう》の捨鉢でもない。
 盲目といったのは嘘だ。我々を油断させるための機略だ――
 と気がついて見ると、やっぱり盲目は盲目に相違ない。
 眼が開いていないから――この際に至って、なお眼をつぶって、機略を弄《ろう》する必要はないのだから――
 その蒼白《そうはく》にして沈鬱極まる面《おもて》にたたえられた白く閃《ひら》めく殺気。白日荒原の上に、地の利と人の勢いの如何《いかん》を眼中に置かず、十方|碧落《へきらく》なきのところに身を曝《さら》して立つの無謀。

 これより先、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家に送り込まれたお雪は、気が気でなく、どうしても中へ隠れてはいられないで、幾度も、幾度も、外へ出て見ましたが、竜之助と覚しいのを中に、四人で、都合五人ほどの人が極めて悠々寛々とこちらへ歩いて来るのがもどか[#「もどか」に傍点]しいことの限りです。
 久助もまた居たり立ったりして心配してみましたが、何の方便もありません。要するに、万一の場合は、一行の中でいちばん弱いお雪を保護するのが急だと、
「お雪ちゃん、裏の方へまわって休んでおいでなさい……」
 場合によっては、この家の主《あるじ》に頼んで表戸を締め切ってもらおうと思いましたが、お雪はやっぱり気が気でなく、またも敷居の外へ出て見て、今度は、急に真青《まっさお》になり、
「あれ、大変です、斬合いが始まってしまいました、どうしましょう、どうしましょう、大勢して先生一人を殺そうとしています、かわいそうだわ、目の見えないものを、あの憎らしい人たちが寄ってたかって――」
と絶叫しました。
 この叫びで、久助も色を失って駈け出して見ると、お雪は夢中になって、
「誰か、助けて上げてください、四人と一人じゃ敵《かな》いませんわ、どんな強い人だって。まして目が見えないんですもの……あ、誰か倒れた、先生が斬られてしまった、見ていられない」
 お雪は両方の眼を両手でかくして、久助へよろけかかりました。

         十四

 次の恐怖がほどなくこの一軒家へ襲うてくる。逃げられなければ隠れるほかはない。隠れおおせないまでも――
 久助は、目をふさいで凭《よ》りかかったお雪を抱き込んで、
「戸、戸、戸を締めて下さい……」
 そこで、この家の主人《あるじ》が先立ちで、駕籠屋、馬方など避難の連中が、ビシビシと戸を締めきり、内から枢《くるる》を卸した上に、心張《しんばり》をかい、なお、万一の時の用意に、慶長年代の火縄の鉄砲を主は持ち出し、駕籠屋は息杖《いきづえ》をはなさず、馬方は手頃の棒を持っていました。
 久助とお雪は、裏口へまわって物置の蔭に小さくなって、
「だから、先生を馬から下ろさなければよかったのに……」
「だって、下りてしまったんだから仕方がねえ」
「きっと、ここへやってくるわ、もし、この家をこわしてしまったら、どうしましょう、逃げ出したって一筋道だから、捉まるにきまっているわね」
「ここの主人《あるじ》が鉄砲を持っているから、安心しなさいよ」
 けれども、事実、その鉄砲がどのくらい威力あるものだか覚束《おぼつか》ない。
 今や、締めきった戸を割れるばかりにたたくもののあることを期待し、それが、いよいよ戸を押し破ったなら、その時こそ最後……と腹をきめるよりほかはない。
 お雪は、久助の懐ろに息を殺している。
 ところが、おそい来るべきはずの敵が容易に来ない。一陣を斬りくずして、余れる勢いでこの孤城に殺到して来るべきはずの敵が、なかなかに来ないのであります。
「久助さん……来ませんね」
「ここに隠れたことを知らずに、通り越したのかも知れねえぜ」
「そうだとすれはまたひきかえして来るかも知れません」
「ナアニ、そのうちには、お大名のお通りがありますよ。お通りがあれば、あんな悪い奴は、蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げてしまいますからね」
 ここで、万々一のお大名行列の威力まで引合いに出して、お雪に力をつけてみたのですが、お雪の耳へは入らないで、
「先生がかわいそうだわ」
「どうも仕方がございません、助ける手段がねえのだから」
「先生も悪いわ、早く馬で逃げてしまえばよかったのに。ですけれども、そうすれば、わたしたちが直ぐにつかまってしまいます……でも、同じことなら、眼の見えない人より、眼の見える人が先に殺された方がよかったかも知れない」
「あ、人の足音がするようです、静かに――」
 久助はお雪をかかえて、身体《からだ》を固くする。
 しかし、人の足音と思ったのは僻耳《ひがみみ》でしょう。そうでなければ表の戸を守っている主《あるじ》と、駕籠屋と、馬方とが身動きをしたのか、またそうでなければ、桔梗《ききょう》ヶ原《はら》から塚魔野《つかまの》へ、意地の悪い鴉《からす》が飛んで行く羽風であったかも知れない。
 諏訪からのぼって来た人は、峠の上のこの騒ぎで、五条源治の立場《たてば》あたりに食い止められているんだろう。塩尻からは、まだここへ通りかかるほどの早立ちの客がなかったものと見てよろしい。
 それですから、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原は空々寂々として、原林のような静けさ。まして雪もよいの陰鬱な天気。
 ところで……高原の空気に冴《さ》ゆる剣の音も聞えない。吹き来《きた》るべき暴風が途中で沈没してしまったものか、或いは人の恐怖を出し抜いて、その頭上を通り越してしまったものか、いつまで経っても、一軒屋の表戸をおどろかすものがありません。いったいどうしたのだ。あまりのことに、こっそり戸をあけて、もう一度様子を見ようとまで気がゆるんだ時に、ようやく野風のさわぐ音。
 この間、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原には、灰色の雲がいっぱいに立てこめて来ました。
 諏訪の盆地は隠れて見えず、鉢伏《はちぶせ》と立科《たてしな》が後ろから覗《のぞ》き、伊奈《いな》と筑摩《ちくま》の山巒《さんらん》が左右に走る。遠くは飛騨境《ひだざかい》の、槍、穂高、乗鞍等を雲際に望むところ。近くは犀川《さいがわ》と、天竜川とが、分水界をなすところ。
 すべてを灰色に塗りつぶした、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原は山路にあらずして、いとど荒原の趣を加えてきました。見渡すところ、この荒原の中、離々《りり》たる草を分けて歩み行くたった一人の人、這《は》うような遅い足どりで――
 天地が塗りつぶされた灰色の中に、その人も灰色。
 その人は、手に白刃をさげたままで、左の手で半身にあびた血汐《ちしお》を拭いながら、よろよろと荒原の中を歩いている。
 野袴の裾には、尾花すすきが枯れている。
 立科から桔梗ヶ原へ向けては、灰色の空をしきりに鳥が飛ぶのに、地上の荒野原は、この人ひとりをあるかせるための蒼涼《そうりょう》たる画面。
 しかし、どう見ても、痛々しい足どりだ。病めるにあらざれば、傷ついている。
 誰と戦って、誰のために傷つけられた。相手はどこにいる。どこにもいないではないか。連れはどこにいる。それも見えない。
 こういう場合には、傷ついたよりも、殺された方が幸いである。殺されて屍《しかばね》を荒原に横たえ、魂を無漏《むろ》の世界へ運んだ方が安楽で、傷ついて助けのない道を、のたり行く者の苦痛とは比較になるまい。
 誰か通りかかる人はないか。通りかかって、このあわれな負傷者をいたわってやるものはないか。いたわってやる余裕と勇気がなけれは、せめて遠くから、その方角を教えてやれ。この男は時々、真直ぐな道をさえ間違えて、草原に迷い入り、南北をわすれてしまうではないか――傷ついたのみならず、彼はもう、眼が見えなくなっている。
 ああ、この痛々しい足どり――だが、今となっては誰を怨《うら》もうようもあるまい。十種香の謙信でさえが、「塩尻までは陸地《くがじ》の切所《せっしょ》、油断して不覚を取るな」と戒めているではないか。
 しかしながら、世間のこと、他の羨望《せんぼう》するほど気楽でないこともあれば、他の同情するほどに苦痛を感じていないこともある。
 この男はこれが商売です――商売という語《ことば》が目ざわりならば、生存の意義とでも、遊戯とでも、なんとでもいって下さい。江戸の市中にある時は、これを夜行なったから誰も見たものがない。今は白昼――よし灰色の空であっても、その裏には白日のかがやくところにおいて、おなじことをくりかえして、おなじように引上げるだけのものです。
 ただ今日のは、白日荒原の上、十方碧落なきのところで、前後左右に敵を引受けた無謀と、それに相手が相当の代物《しろもの》だけに、その勝負の程度が問題になるので、現在こうして、歩いている以上は、とにかく、生命に異状はないらしい。だが、或いはまた、勝負は多勢に無勢の当然の結果を踏んで、その魂だけが、こうして浮びきれない荒野を、さまようて歩くのかも知れない。
 それにしても仏頂寺弥助はいずれにある。三谷一馬はどうした。高部弥三次はいかに。また丸山勇仙はどこへ行った。
 それらの者の影は、一つもこの荒原の上に見えないではないか。
 まさか、四人が四人、枕を並べて、屍《しかばね》を草深いところに横たえてもいまい。
 では、逃げたか――或いはまた勝って再び立場《たてば》の五条源治へ引上げ、そこで祝杯を挙げてでもいるのか。
 ともかくも、荒野にただ一人、机竜之助の姿は、蹌々踉々《そうそうろうろう》として歩み且つ止まり、この世の人が、この世の道をたどるとは思えない足どりで、それでも迷わんとして迷わず、さして行くところは、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家。
 そこへたどりついて、戸をホトホトと叩きました。
 荒原にざわざわと風が吹き、草も、木の葉も、一様に裏を返したのはその時。
 締めきった戸を、外からホトホトと叩かれた時、まず鉄砲を持った主《あるじ》が、ワナワナと慄《ふる》え出してしまいました。
 この鉄砲というのが、慶長以後、島原の遠征に一度参加して帰ったという履歴附きの代物《しろもの》で、最近においては、塩尻附近の猪追《ししお》いに持ち出して成功した記録があるので、主も自信のある品にはなっていましたが、この時は、どうしても目当《めあて》がつかないのみならず、五体が上下に動き出して、その鉄砲を支えられないという有様です。
 得物《えもの》得物《えもの》を持った駕籠屋《かごや》と馬方は、土のようになって、ヘタヘタと土下座をきってしまいました。
「久助どの、久助どの」
 外では、続いてホトホトと戸を叩き、低い声で人の名まで呼んだのですが、こちらの守備兵の耳ががんがん[#「がんがん」に傍点]と鳴り出して、それを聞き取れなかったと見えます。
「テ、テ、テッ砲だぞ!」
と主《あるじ》が叫び出したが、自分で何をいい出したかわかってはいますまい。鉄砲の銃口《つつぐち》が無暗に上り下りして躍っています。
 すると、外では、やや間《ま》を置いて、
「お雪ちゃんはいないか……ともかくもここをあけて下さい」
「ナニ!」
 まだがんがん[#「がんがん」に傍点]として、何が何だかわからないで、居たり、立ったりしていると、程遠からぬ裏の物置にいたお雪と久助との地獄の耳にそれが届きました。
「おや?」
 久助の胸に固くなっていたお雪が、まず聞き耳を立てると、久助も、
「あの声は?」
といいました。その時、表で第三度目の戸をたたく音――
「誰もいないか、久助どの、お雪ちゃん」
 それでまさしく合点がゆくと共に、二人は重し[#「重し」に傍点]にかけられた千貫の石が、急にハネのけられた気持がしました。
「先生が戻って来ましたよ」
「たしかに、そうでしたよ」
 二人が、はじめて立ち上ると、その時、またも表でホトホト叩き、
「ともかくも、ここをあけて下さい」
 久助とお雪とは表口へ走り出しました。島原遠征の鉄砲が、漸く手の上に納まったのもこの時であります。土下座をきった駕籠屋、馬方が、生気《いき》を吹き返したのもこの時で、
「誰だい」
「そこへ来たのは誰だい」
 お雪が早くも戸の傍へ立って、
「先生ですか!」
「ああ、いま戻りました」
 戻ったというのは、地獄から戻ったのか。その声は、たしかに地獄から響いて来たもののような声です。そうでなければ、自分たちが地獄から解放されたような心持で、従って、外なる人の言葉が、まだ地獄の底に救われない人の声のように聞きなされるのでしょう。それでもお雪は、ふるえつくように戸へ手をかけて、
「先生、ほんとに御無事でしたか、お怪我はなさいませんでしたか」
 いきなり戸をあけようとするから、久助が心配して、
「まあ、お待ちなさい」
 主《あるじ》と、駕籠屋、馬方は、油断なく万一に備える心持で、まだ得物《えもの》を手放さないでいると、
「大丈夫ですよ、それほど用心しなくとも。たしかに先生の声ですもの」
といって、お雪が戸をガラリとあけましたが、あけて後、失神したもののように驚いて、後ろへさがりました。
「まあ……あなたは」
 そこに、たしかに竜之助が立っているには立っていましたけれど、その人は血をあびて、手には白刃を提《ひっさ》げて立っています。
 無事で帰ったというよりは、殺された魂魄《たましい》が煙の如く立ち迷うて、ここへ流れついたと見るのが至当かも知れない。

         十五

 一方いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原を再び後へ戻ったところ、峠の上の立場《たてば》、五条源治の茶屋は、この時、上を下への大騒ぎであります。
 それはほかでもない、ここへ、さいぜん[#「さいぜん」に傍点]出立した四人が舞戻って来たからです。しかもそのうちの二人の者が、血に染みた二人の者をかつぎ込んで来たからであります。
 丸山勇仙は高部弥三次を肩にかけ、仏頂寺弥助は三谷一馬を引背負《ひきせお》って、この茶屋へかけ込みました。
 それによって見ると、負傷したのは二人で、負傷しないのが二人。負傷の程度はドノ位か知らないが、二人とも、身動きもできないのを、ともかく、応急の血どめをして、ここへ担ぎ込み、仏頂寺弥助は、はげしく店の者を追いまわして、蒲団《ふとん》の上にゴザを敷いて、ともかくも、その上へ二人の負傷者を横たえる。丸山勇仙は刀の提げ緒を取って襷《たすき》にかけ、
「亭主、大急ぎ、焼酎《しょうちゅう》と畳針を心配してくれ、それに麻糸と晒《さらし》」
といいつけるのを仏頂寺弥助がおっかぶせて、
「なければどこぞ近いところへ人を走らせて、焼酎と畳針と、それから麻糸に晒……この傷を縫い合わせるのだ」
とわめきました。
 そこで、顛倒《てんとう》して店のものが、また大騒ぎで、家中を探しにかかると、いいあんばいに、焼酎はかなり豊富に蓄えられてあるし、麻糸も人間を縫う程度には蔵《しま》われてあったし、少々、錆《さ》びてはいたけれども、相応の畳針まであったのを取揃えて差出すと、
「有難い、誂向《あつらえむ》きの品が全部そろっていた」
 丸山勇仙は、焼酎の壺を取り上げました。この男は医術の心がけがある。そこで、負傷者のために、救急療治として、その傷口をまず焼酎で洗い、次にこの畳針で縫い合せの手術にとりかかるのは心得たものです。仏頂寺弥助は、それに介添《かいぞえ》として働き、かなりの時間を費して、ともかくも、二人の傷を縫い了《おわ》って、体中を、晒ですっかり巻いてしまってから、
「仏頂寺、いったいこれはどうしたというものだ」
と丸山勇仙が、仏頂寺弥助にたずねると、
「おれにもわからない」
 仏頂寺弥助は、投げ出したような返事。
「あれは、いったい、ほんとうに盲目《めくら》なのか」
 丸山が重ねてなじると、仏頂寺は、
「本物らしい」
「してみれば、君たち三人が、まとまって、ついに一人の盲人のために不覚を取ったという理窟になる――いや、理窟ならまだいいが、現実この通りの始末。剣術というものは、本来、それほど段のあるものか」
「ううん、それをいわれると面目《めんぼく》ないが……」
と仏頂寺弥助はうなり出して、じっと考え込んでいたが、
「術には、さほどの相違もあるまいが、出ようが悪かったのだ」
「出ようが悪い――それは向うのいうことだろう、向うは眼が見えないのだぜ」
「眼は見えないけれども、あれは心得たものじゃ、真剣の立合では神《しん》に入《い》っている、まさに驚くべきものじゃ」
「盲目で……」
「眼のあいた奴の仕事はたいてい見当がつくが、眼の見えない奴の構えは測ることができない。一時《いっとき》、おれは、あいつの構えを見て、ズウッと骨まで寒くなったよ。その瞬間だ、出てくれなければいいがと思っている三谷が出てしまった。出たのじゃない、引寄せられたのだ。そこで案の如く斬られてしまった。あれは眼のあいた奴にはできない芸当だ、あの引寄せる力がめあきにはない。おれも今までずいぶん、命知らずと戦った、また千葉の小天狗栄次郎殿や、練兵館の歓之助殿(斎藤弥九郎の次男歓之助、弱年にして鬼歓《おにかん》の名を得たり)は怖ろしい相手だと思うが、それは怖ろしくとも眼があいている」
「めあきは不自由なものだと、塙検校《はなわけんぎょう》が言った」
 丸山はカラカラと笑ったが、仏頂寺は浮かない。

 また一方、この日の朝まだき、下諏訪の秋宮《あきのみや》の社前は、まがい[#「まがい」に傍点]ものの鹿島の事触《ことぶれ》が、殊勝らしく、
「さて弘《ひろ》めまするところは神慮《しんりょ》神事《かみごと》なり、国は坂東《ばんどう》の総社|常陸《ひたち》の国、鹿島大神宮の事触れでござる。さて鹿島大神宮の一年の御神事《ごしんじ》は、七十二度の御神事、七度の御祭礼とござって、いきがい[#「いきがい」に傍点]、おきどり[#「おきどり」に傍点]、湯様《ゆためし》の御神事と申して、一天地のようだいを申してまかり通る。当年はすなわち天に陽明とござって、日照《ひでり》が六分……」
 七ツさがりに、その日の先触れをするような文句を唱えながら、通りかかって、あっと面《かお》の色を変えました。
 というのは、その社前の立木を汚《けが》して、一人の女が縊《くび》れていたからです。
 鹿島の事触は、これを見ると立ちすくんで、大声をあげて人を呼びました。
 そこで、忽《たちま》ち人が集まって、その縊《くび》れっ子を調べてみると、それはこの温泉駅では誰も知っている物売りのお六でありましたから、いっそう騒ぎが大きくなりました。
 そこで、評判と臆測が、たちまち町中いっぱいにひろがりました。
 あの愛嬌者が、どうしてこんなことをしでかしたのか。孫次郎の宿で聞いてみると、昨晩遅く目の色を変えて飛び出したのが変だとは思ったが、それはお万殿の時刻までにと、大あわてにあわてて、自分の家へ帰ったのであろうとばかり思っていたが、そういわれると思い当ることがないでもないといっています。
 しかし、この女が、縊れて死なねばならぬ事情というのは、誰にも、どうしても思い当らない。竹細工師で情夫とも御亭主ともなっている、気のよい男をただしてみても、いっこうあたりがつかない。そこで、当然、魔がさしたのだ、その魔がさしたのは、いましめ[#「いましめ」に傍点]を忘れて、お万殿のお詣りの時間を犯し、その怒りに触れたために、この始末だろうという説が最も有力でありました。
 死骸は一通り検視を受けた上に、ともかく、間近の孫次郎の宿の一室へ引取られて、そこへ静かに横にして置きますと、ちょうど来合わせた巫女《いちこ》があります。宿の女中たちは、巫女を呼んで、この女のために口よせ[#「よせ」に傍点]を頼み、その非業《ひごう》の魂をやわらげると共に、無告《むこく》の訴えを幽冥界から聞こうとしました。巫女は心得て、樒《しきみ》の葉に水を手向《たむ》けて、あずさ[#「あずさ」に傍点]の弓を鳴らし、
「そもそも、つつしみ、うやまって申したてまつるは、上《かみ》に梵天《ぼんてん》帝釈《たいしゃく》四天王《してんのう》、下界に至れば閻魔法王《えんまほうおう》……」
 もっともらしく神おろしをはじめたが、時が時でしたから、笑う者がありませんでした。
 この口よせ[#「よせ」に傍点]のいうことは、一向とりとまりはないが、その文句のうちに、「口惜《くや》しい悲しいで気がとりつめ」とか、「この魂が跡を追いかけて引き戻してくる」とか、「東は神宮寺、西は阿礼《あれ》の社《やしろ》より向うへは通さぬ」とか、髪をふり乱し、五体をわななかせ、油汗を流して、呪わしい言葉を口走っている。それを正直に女中たちは、身の毛をよだてて怖れている。その時どうしたのか、急にこの席を外《はず》して立ったのが、この宿の番頭で、まっくろい面《かお》をしながら、うろたえて帳場へ戻って坐り込んだが、落着かないで、物につか[#「つか」に傍点]れたように眼を据《す》えている。
 昨晩、女が血相変えて飛び出したのを、留めてみたのもこの番頭で、あの前後のことをうすうす知っているから、只今の巫女《いちこ》の出鱈目《でたらめ》がこの上もなく気になって、席に堪えられなくなったものと見える。
 番頭がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]して帳場へ坐り込んでいるところへ、今朝早立ちをした仏頂寺弥助が先に立ち、後ろには戸板に人を載せて人足に担がせて、ドヤドヤと店頭《みせさき》へ入り込み、
「塩尻峠の上でちっとばかり怪我をしたから戻って来た、また厄介になるぞ」
 番頭は、この時、面色《めんしょく》が土のようになり、よく戻っておいでになりましたともいいませんでした。

         十六

 さてまたここは江戸の下谷の長者町。道庵先生は何を感じたものか、俄《にわ》かに触れを廻して、子分のならず[#「ならず」に傍点]者や、近処のワイワイ連を呼び集めました。
 何事ならんと馳《は》せ集まった者共を前に置いて、先生は薬研《やげん》の軸を斜《しゃ》に構え、
「皆様、早速お集まり下さいまして……」
 先生としては、極めて鄭重《ていちょう》な物のいいぶりでしたから、集まったものが、少し様子が変だと思いました。
 変だと思ったのも無理はありません。こういう場合において先生は、いつも野郎共呼ばわりをして傍若無人に振舞うのに、今日に限って、皆様だの、お集まり下さいましてだのと、改まり方が急激でしたから、集まったものも、あんまりいい気持がしませんでした。
 けれども、何か、先生も急に発心《ほっしん》したことがあればこそ、こう殊勝に改まったものに相違ないと思うから、みな、神妙にうけたまわっておりますと、先生はおもむろに、
「さて、皆様、実は拙者も、近ごろ悟るところがございまして、皆様の前で、今までの非を改めると共に、今後をお約束致しておきたいことがあるのでございます、それでお忙がしいところを、かくお集まりを願った次第で……」
 来会者が、いよいよオドかされてしまいましたけれども、先生はいっこう頓着なく、
「ええ、皆様も御承知の通り、拙者もこれで医者の端くれでございますが、医者は医者でも、ただの医者だと思うと了見《りょうけん》が違います」
「違えねえ」
 そこへ、クサビを打ち込んだのが、一子分のデモ[#「デモ」に傍点]倉でありました。道庵先生は気取った面《かお》をして、デモ[#「デモ」に傍点]倉の横顔に一瞥《いちべつ》を与え、
「近頃の医者は、みな、学問も出来れば技《わざ》も出来、従って知行もたくさん取り、薬礼の実入《みいり》も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るのに、哀れやこの道庵は、今も昔も変らぬ、ただの十八文……」
といって先生が、ホロリと涙を落しました。
「泣かなくったってもいいやな、先生、先生も酔興でやってるんだろう」
 慰め顔に弥次をとばしたのが、やはりデモ[#「デモ」に傍点]倉であります。先生は、それに力を得て、
「ツイ愚痴が出まして、まことにお恥かしい次第でございます。ただいま、申し上げる通り、当節のお医者は、皆学問も出来れば、技《わざ》も出来、従って知行も沢山取り、薬礼の実入《みいり》も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るのに……」
「先生、わかってるよ、そうくりかえして愚痴をこぼしなさんなよ、了見を見られちまうじゃねえか」
 忠義なる子分は聞き兼ねて、先生に忠告を与えても、先生は顧みる色なく、
「知行もたくさん取り、薬礼の実入も多分にあり、位も高くなるし、金も出来るけれども、いい子供が出来ねえ」
といい出しましたから、一同がまたキョトンとした顔です。そうすると、悄気《しょげ》ていた道庵先生が少しくハズミ出して、
「さあ、そこへ行くとこの道庵なんぞは大したもんだぜ。林子平《りんしへい》じゃねえが、親もなければ妻もなし、妻がなけりゃあ子供のあろう道理がねえ。板木《はん》がねえから本を刷って売ることもできねえ。この通りピイピイしているから金なんぞは倒《さか》さにふるったって出て来ねえんだ。だから、まだなかなか死にっこはねえよ、安心しろよ」
 ここで見事に脱線してしまいました。初めは処女の如く、終りは酔漢の如く、すっかりボロ(ではない生地《きじ》)を出してしまったのはぜひもないことで、こう来るだろうと思っているから、聴衆もさのみは驚きもしません。
 しかし、先生はまたあらたまって、薬研《やげん》の軸を取り直し、真面《まがお》になって、
「ところで今日、こうしてお集まりを願ったのは、余の儀でもございません、さいぜんも申し上げる通り、拙者も近頃、つくづく自分の非を悟った点があるのでゲスから、その点を皆様の前で改めると共に、一つのお約束を致しておきてえんだよ」
 おきてえんだよ……が少し納まらない。
 道庵先生ほどのものが、自分の非をさとって、それを公衆の前で懺悔すると共に、且つ、今後の実行に現わして約束をしようというのは、よほどの道徳的勇気がなければできないことです。
 けれども、ここに集まっているやから[#「やから」に傍点]に、道徳的勇気なんぞの呑込める面《つら》は一つもないのであります。ないからといって、先生は少しもそれを軽蔑するような風情《ふぜい》はなく、諄々《じゅんじゅん》として説きはじめました。
「その昔、奈良朝のころに、帝《みかど》の御病気のお召しにあずかった坊主で、医者を兼ねた何とかいう奴があったが、車に乗せられて帝の御所へいそぐ途中に、見るもあわれな乞食が路傍で病気に苦しんでいたものだ、それを件《くだん》の、坊主で医者を兼ねた奴が見ると、車から飛んで降りて、その乞食を介抱して、とうとう帝のお召しをわすれてしまったという奴がある……ところでまた、おれの先祖には、お百姓の病気を癒《なお》しても十八文、二代将軍の病気を癒しても十八文しきゃ薬礼を取らなかった奴がある」
といい出すと、気の早いデモ[#「デモ」に傍点]倉が、
「取れる奴からはウンと取って、ちっとはこっちへ廻してくれたらよかりそうなものだ、よけいな遠慮じゃねえか」
 この差出口には道庵先生がハタと怒って、
「馬鹿野郎」
と一喝《いっかつ》を食わしたが、急に我と我が唇のあたりをつねって、
「それがいけねえのだ、この口が……ところで、よく考えてごらん、病人と、医者と、薬はついて離れねえものだ、病人がなければ医者はいらねえ、病人があり、医者があっても、薬がなければ飲ませることもできねえ、つけてやることもできねえ」
「先生! 馬鹿につける薬はねえっていいますぜ」
「デモ[#「デモ」に傍点]倉様、お前、今日はまあ少し黙っていておくれよ、おれも今日はしらふ[#「しらふ」に傍点]で話してるんだからな」
 さすがの道庵も、デモ[#「デモ」に傍点]倉のやかましいのに我《が》を折って妥協を申し入れると、デモ[#「デモ」に傍点]倉もやむなく沈黙しました。
「さて皆様、よくお聞き下さりましょう、ただいまも申し上げた通り、病人と、医者と、薬の三つは、切っても切れぬもので、つまりこれが三位一体《さんみいったい》というやつ……それで病気というやつは、とりついたが最後、貴賤上下の隔てはねえ、北辰《ほくしん》位高くして百官雲の如く群がるといえども、無常の敵の来《きた》るをば防ぎとどむる者一人もなし、と太平記に書いてある」
「なるほど」
 これは弥次ではなく、豆腐屋の隠居が思わず発した感嘆詞でありました。道庵は言葉をついで、
「そこでまた薬というやつが、苦《にが》いのもあれば辛《から》いのもあって、百味の箪笥《たんす》にちゃんと納まっているが、いざ、人の腹中へ行って働きをしようという場合には、すべて平等一味のもので、こやつは店賃《たなちん》を払わねえから利《き》いてやらねえの、あれは付届けがいいから贔屓分《ひいきぶん》にしてやれとはいわねえ……」
「左様でゲスとも、薬と差配のハゲと一緒にされちゃ堪らねえ」
 道庵先生は、それを耳にも入れず、
「だから、医者というやつも、貴賤貧富によって、匙加減《さじかげん》があってはならねえのだ……」
といって、ソレから自慢をハジめたり、ひとをコキおろしたり、大気焔を上げましたが、結局今日の集会の要領は、今まで自分は十八文を標榜《ひょうぼう》して、貴賤上下に、この医術に基づける平等説を実行しているが、まだ人間を差別的に見る癖があって、まことにお恥かしい次第であると気がついたから、今後は徹底的にそれを実行するてはじめとして、まずすべての人を軽蔑しない意味において、今までのように、野郎や、貴様呼ばわりを全廃し、誰人に向っても「様」という字をつけて呼ぶことにするから、左様心得てもらいたいという言い渡しでありました。
 初めに処女の如き「皆様」の様づけも、多分その辺から出たのでしょう。
 道庵先生の説によると、医者としての自分の職掌上、病気や薬と同格に、すべての人を待遇しようという好意に出でたのにはちがいないが、これを実行に先立って発表してしまったのは、少々|逸《はや》まったようです。
 果して、さまざまの弥次や、質問や、難題が続出しましたけれど、先生は少しも撓《ひる》まず、最後までそれを説伏するの意気込みは勇ましいもので、自分にしてからが、上様だとか、公方様《くぼうさま》だとかいう口の下から、現在自分が世話になっている大切の薬籠持《やくろうもち》に対しては、国公だの、この野郎だのと、頭ごなしにやっていたのは、相済まないわけである、今後は上様、公方様、殿様、爺様、婆様、おびんずる[#「おびんずる」に傍点]様並みに、国公を呼ぶにも国公様を以てする――門弟の道六に対しても、子分のデモ[#「デモ」に傍点]倉、プロ[#「プロ」に傍点]亀らに対しても、お出入りの馬鹿囃子に対しても、野幇間《のだいこ》の仙公に対しても、その通り、例外というものがあっては平等が意味をなさないと、スバらしく気焔を揚げたものです。すると物和《ものやわ》らかな豆腐屋の隠居が、
「先生、それではいかがでゲスな、物の本に出ておりまする昔の英雄、豪傑といったような者も、みな『様』づけでお呼びになりますか」
「そうだとも、無論のことだ、英雄、豪傑というものは神様の次だ」
「そう致しますると先生、弓削道鏡様《ゆげのどうきょうさま》が和気清麻呂様《わけのきよまろさま》を……」
「そうだとも」
「楠正成様が足利尊氏様に亡ぼされ……」
「その通り」
「曾我の兄弟様が工藤祐経様《くどうすけつねさま》をお討ちになった……」
「それに違いないじゃねえか」
「太閤様のところへ、石川五右衛門様が盗賊にお入りになった……」
「そうだとも」
「それじゃ先生、どちらがいい人間だか、悪い人間だか、わからなくなっちまいますね」
「べらぼう[#「べらぼう」に傍点]様、天のような広い心を持て。天は悪い奴にも、いい奴にも、おなじように日を照らせたり、雨を降らせたりする」
 先生の気焔が、いよいよあがって、ものやわらかな豆腐屋の隠居では受けきれなくなりましたから、デモ[#「デモ」に傍点]倉が代って出ました。
「そうすると先生、たとえば芝居を見にいってもですね、団十郎様が由良之助様《ゆらのすけさま》をおやりになったとか、九蔵様の実盛様《さねもりさま》を拝見して来たとかおっしゃるんですか」
「そうだとも。第一、役者だからといって、横町のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]までが呼捨てにするのは怪《け》しからん、氏《うじ》とか、様とかつけるべきものだ。昔は女寅閣下という名を使ったものさえある」
 そこで、芸名を呼ぶに様をつけて敬意を表する以上は、芸妓にもそれを適用しなければならないし、遊女の源氏名にも無論、様をつけて呼ばなければならない理窟になる――それでは、知らぬ面《かお》の半兵衛とか、来たり喜之助とか、川流れの土左衛門とかいうものに対しては、どうです――という奇問に対しても、先生は少しも驚かず、いやしくも、人格を表明した存在物には、有名であろうと、無実であろうと、そこに区別を立てるようなことがあってはならぬと主張し、最後に、
「さあ、そこでもし、これから後で、愚老が、かりにも人様を呼ぶのに様づけを忘れた場合には、それを一番先に見つけ出したお方様に百ずつ進上する、軽少ながら百ずつ……」
といい出しましたから、子分たちは勇みをなして喜び、いつか先生の尻尾《しっぽ》をつかまえて、百の罰金をせしめてやろうと、腕により[#「より」に傍点]をかけました。どのみち、ひっかかるにきまっている。思えば先生もツマらない約束をしたものですが、先生としては大得意で、天晴《あっぱ》れの名案を考えたつもりで、やがてこの席を終り、薬籠持《やくろうもち》の国公を伴って、都大路をしゃならしゃなら[#「しゃならしゃなら」に傍点]と歩み出しました。

         十七

 宇治山田の米友は、このごろ深刻に苦しんでいます。
 死というものに初めて直面した苦しみを、まとも[#「まとも」に傍点]に受けて、八百長なしに取組んでいるのですから、その苦しみは惨憺《さんたん》たるものであると共に、名状すべからざる奇観です。
 米友といえども、死というもののこの世(或いはあの世との境)に存在することを、いま初めて知ったわけではありません。今更、足もとから鳥の飛び立ったように、「死」というものに驚きさわぐのは、滑稽なようですけれども、「死」の存在を知って、その来《きた》る瞬間までそれを怖るることの少ないのは、多くの人間の常であります。
「今までは人のことだと思いしに、おれ[#「おれ」に傍点]が死ぬとはこいつ[#「こいつ」に傍点]たまらぬ」――死の来る目前まで、舞踏歓楽し、死の直面に来って、はじめて恐怖狼狽する人間の通有性を、米友もまた御多分に漏れず持ち合わせていればこそ、こいつ[#「こいつ」に傍点]たまらぬと噪《さわ》ぎ出したのか知ら――いや、当人はピンピンしている。まだたたき殺しても死にそうもない体格に、ゆるみは来ていない。事実、この男は一度も二度もたたき殺されているのだが、容易に死なない。今もまだその通りで、おれ[#「おれ」に傍点]が死ぬとは思っていないが、死というものが、見るもめざましく眼前に押寄せて、自分を窒息させようとしているのに、それにまとも[#「まとも」に傍点]にぶつかって、周章狼狽しているのです。
 壁を穿《うが》って海を発見したように、土を掘って天を見出したように、お君というものに死なれて、そこから涯《はて》と底との知れない冷たい風が、習々《しゅうしゅう》として吹き出したのに、米友は、恐れ、あわて、おどろき、悲しみ、憂えて、名状すべからざる奇観におちいっているのであります。
 そうして、なお悲惨なのは、米友にあっては、この苦痛をまぎら[#「まぎら」に傍点]かす手段のないことであります。真正面からその苦痛と戦って、直接に解決が終るまでは、一時何かの魔睡によって、その神経を眠らせておくということのできない男であります。
 その夕方、伝通院の墓地にまぎれ込んだ米友は、墓地の中をあてどもなしに歩き廻って、しきりに墓を動かしてみました。
 伝通院は家康の生母水野氏の廟所《びょうしょ》。そこには徳川氏累代の貴婦人の墓が多い。或いは無縫塔、或いは五輪、或いは宝篋印《ほうきょういん》、高さは一丈にも二丈にも及ぶものがあって、米友の怪力を以てしても、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]とは動かし難いものばかりであります。
 しかし、この男は、それらのいずれともつかずに、しきりにそれをゆすり試みて歩いている。その様、墓を動かして、そこから何物をか聞こうとするもののように見える。
「墓はこの世からあの世へ通ずる道の蓋《ふた》である」と誰やらが教えた。さればこそ、この男は、蓋を開いてあの世の人のたよりを聞きたがっているのだ。
 ほどなく米友は、非常に大きな五輪の石塔の前に立っている。石塔の高さは台石ともに二丈もあろう。碑面の文字は、模糊《もこ》たる暮色につつまれて見えず、米友は、呆然《ぼうぜん》として腕組みをしながら、立ってその石塔をながめていると、
「友さアん、この石を取って下さいな、この石があんまり重いので、出ることができませんわ」
 米友はハッと自分の耳を疑いました。今の声は果して墓の底から出た声か、それとも自分の耳から出たのか。
「え、何といった」
 米友は両手を耳に当てて、屹《きっ》と五輪の塔の空輪《くうりん》の上をながめていると、
「この石を取って下さい……この石さえなければ、友さんとわたしと自由に話ができるんですけれども……この石が一つあるばっかりで、お前とわたしとは世界が違うんですから悲しいわ、どうしても会えない別々の世界にいるんですもの……」
 米友はその声を聞くと、その声の起った自分の耳朶《みみたぶ》を掻《か》きむしって地団駄《じだんだ》を踏みました。
 程なく、宇治山田の米友は、その巨大な五輪の石塔の上へよじ上《のぼ》り、力を極めて、その空輪を動かしはじめました。
 いうまでもなく、この男は、生と死との間をさかいする蓋《ふた》に手をかけて、これを取り除こうとあせり出したものと見える。
 で、その次の世界から聞える声を、この世で聞こうとあこがれているにちがいない。
 こういう挙動を笑うものは、まだほんとうに死というものの哀切を、味おうた経験のないものであります。
 かりに諸君のうち、その最愛の子女の一人を、失ったものがあるとしてごらんなさい。現在自分がその最後の病床から、野辺のおくりまで見届けても、なお途中で、それによく似た年ごろ恰好《かっこう》の子女にであってごらんなさい、われ知らず前へまわって、その面立《おもだ》ちを見定めなければ立去れないことがある。死というものが万事の消滅だと事実が証明しても、空想がそうは信じさせようとしません――しかも、人生のことは空想が大部分で、人は事実に生きるよりは、むしろ空想に生きているのであります。
 聖人は空想と事実とをよく統一する。狂人はそれを混同する。凡人は、その間《かん》に彷徨《ほうこう》して醒《さ》めたるが如く、酔えるが如し。
 さてここに、宇治山田の米友に至っては、空想と事実との境界が、ほとんど判然しない。この男は人間のこしらえた差別線と高低線に対しては、先天的に色盲のような男で、どうかしてその線にひっかかると、眼の色を変えて怒り出す。この男の怒り方は、反抗的、或いは相対的に怒るのではありません、先天的に怒るのであります。とはいえ、この男を狂者と見るには、あまりに道義的で、同時に常識的のところがあります。
 今や、不幸にしてこの男は、人生の水平線がわからなくなっているように、死と生との分界線がまたわからなくなっているのであります。死が万事の消滅だと信じきれなくなっているのであります。ああ、この何千貫の石の蓋は、かよわき女性のためにはあまりに重い。この蓋あるがゆえに、魂がこの石の下で呻《うめ》き泣いている。
 我々にとって、この重し[#「重し」に傍点]というものはかなりにこた[#「こた」に傍点]える。死して後にこた[#「こた」に傍点]えるのみならず、生ける間にこた[#「こた」に傍点]えていた。我々凡人は、単に生れどころが悪かったというだけの理由で、ずいぶん、意味のわからない重し[#「重し」に傍点]を、かけ通しにかけられて来たようである。おれ[#「おれ」に傍点]はまだ生きているし、おれ[#「おれ」に傍点]の身体は小さくとも、まだまだ充分その重し[#「重し」に傍点]に堪えられる力はあるつもりだが、お君は死んでしまった。死んで後までもこんな重い物をかぶせて、魂を幽冥《ゆうめい》の下までも咽《むせ》び泣かしむる人間というものの仕様《しわざ》の、愚劣にして残忍なることよ。
 そこで、宇治山田の米友が、高さ二丈を数える巨大な五輪塔の上によじのぼって、その風大《ふうだい》の上に足をふまえて、頂上の空輪を取ってのけようとする努力には、彼の持っているあらゆる力が一時に加わりました。
 前にいう通り、この五輪の石塔の主《ぬし》の何者だということは、碑面にはまさしく銘《きざ》んではあるが、暮色|糢糊《もこ》たるがために、読むことができなくなっていました。米友としてはこの墓地は、伝通院殿をはじめ、多くは徳川氏系統の貴婦人の墓を以て充たされているということだけの予備知識はあったのですから、無論、この塔も、さるやんごと[#「やんごと」に傍点]なき婦人たちの石塔の一つに相違はないと思っていたのが、いつか知らず、お君の墓ということになってしまっていました。
 伝通院殿――なにがし[#「なにがし」に傍点]の高貴なる婦人――高貴ならざる婦人――同時に一般の婦人――ただ一人の婦人――お君――虐《しいた》げられたる女――それが今この重し[#「重し」に傍点]にかけられている。
 そこで米友の力には、虐げられた女性のために、一つにはこの圧抑《あつよく》を除き、一つには幽冥の境を撤去開放しようという勇猛力が加わりました。
 そうしてこの男は、双の腕に満身の力をこめて、満面に朱をそそぎ、五輪の塔の空輪をグラグラと動かしました。
 この怪力を以てすれば、空大《くうだい》を頂上から揺り落すことはできるかも知れない。それが成功すれば、次は足場を二段下ろして、風大《ふうだい》を揺り落し、その次は火大《かだい》、その次は水大《すいだい》、最後に地大《ちだい》を揺り動かして、かくて夜明けまでには本来の大地に、生身《しょうじん》の心耳《しんに》をこすりつけて、幽冥の消息を聞くことが必ずしも不可能とは思われません。
 ただ、迷惑千万なのは、五輪塔自身で、安政の地震にさえ何の異状もなかった身が、今晩になって、突然上の方から沙汰なしに取崩されようとする運命を、おどろき呆《あき》れて手の出しようもない有様。しかし、自分をこうも無茶に取崩しにかかる身の程知らずの運命をも、やがてまた哀れむべきものだと、内心気の毒がってもいるらしい。
 全く、その通りで、たとい取崩しに成功してみたところで、やがてその身に報い来《きた》る咎《とが》を思えば、空怖《そらおそ》ろしいものがある。頼山陽の息子は、寛永寺の徳川廟前の石燈籠《いしどうろう》を倒して、事面倒になったことがあります。それは酔っていたということではあり、なんにしても石燈籠のことで、謝罪で事は済んだ。けれどもこれは徳川宗族の墓地を荒して、その霊を辱《はずか》しめたということになると、非常にあぶないが、無論、米友は、それを考えてはいない。それを考えては、またこんなこともできない。また、この際、そんな前後を考えている余地のあるべきはずもありません。
「友造さん」
「エ?」
 もう一息、空大を押しきろうとする時に、米友はその手を休めて、あわただしく塔下の前後左右をながめました。まさしく自分を呼ぶ声があったからです。
「友造さん、まあ、そこで何をしているの、そんなところで……」
「あ、お婆さんか」
 米友が塔の上から腰をかがめて、塔の周囲に建てめぐらした石の玉垣の入口で見つけたのは、絵にある卒塔婆小町《そとばこまち》が浮き出したような、白髪《はくはつ》のお婆さんであります。
「ああ、わたしだよ、ほんとうに、びっくり[#「びっくり」に傍点]させるじゃありませんか。なんだって今時分、そんなところへのぼって何をしているんです」
「あ、あ……」
 米友が呆然《ぼうぜん》として円い眼を瞬《まばた》きをして、初めて暮色の暗澹《あんたん》たるにおどろきました。
「第一、お墓の上へのぼるなんて、勿体《もったい》ないことですよ」
「うウん」
「それは天樹院様のお墓ですよ、早くおりておいで……」
「うウん」
 米友は、そこで円い眼をみはって、うん[#「うん」に傍点]とうなりました。
「早くおりておいでな、天樹院様のお墓の上へのぼって、何をなさるつもりなの」
 卒塔婆小町の浮き出したような白髪の婆さんは、やさしく米友をたしなめると、
「エ、これが天樹院様のお墓か?」
 塔の上で米友が叫びました。
 そうそう、これほどに暮色がせまっていないならば、米友といえども、文字のある男だから、向う正面を、じっと見上げて立っていた時に、碑面にしるされた文字――
[#ここから1字下げ]
「天樹院殿
栄誉源法松山
大禅定尼」
[#ここで字下げ終わり]
が読めなかったはずはない。側面へまわれば「寛文六年二月六日」の忌日《きじつ》の文字までも瞭々《りょうりょう》と見えるはずであったのに――
 二代将軍を父に持ち、豊臣秀頼を夫として、大阪の城に死ぬべかりし身を坂崎出羽守に助けられ、功名の犠牲として坂崎に与えられるべかりしを、本多|忠刻《ただとき》と恋の勝利の歓楽に酔って、坂崎を憤死せしめた罪多き女、その後半生は吉田通ればの俚謡《りよう》にうたわれて、淫蕩《いんとう》のかぎりを尽した劇中の人、人もあろうに宇治山田の米友は、この女のために、無用の力を絞っていました。

         十八

 両国橋の女軽業《おんなかるわざ》の親方お角は、その夕方自宅へ帰って来ると、早くも家の様子でそれと知って、歯ぎしりをして口惜《くや》しがったのは申すまでもありません。
「ちぇッ!」
と男のするように舌打ちをして、二階へ上って見る気にもならなかったのです。
「わかってる、わかってる、知恵をつけた奴はわかってるよ、何かにつけてケチをつけたがるあのおたんちん[#「おたんちん」に傍点]め、どうするか覚えていやがれ」
とののしったのは、当のお銀様のことではありません。また、お銀様に向ってよけいなことを喋《しゃべ》った金助のことでもありません。お角はそれを通り越して、いちずに向っているのがお絹のことです。こうしてお銀様を逃がしたのは、てっきり[#「てっきり」に傍点]お絹の指金《さしがね》にちがいないと、いちずに思い込んでしまいました。
 もとより、これは前例のないことではない。いつぞやも、せっかく人気を集めた清澄の茂太郎を中途からかっぱら[#「かっぱら」に傍点]って、こちらに鼻を明かせたのもあいつの仕業《しわざ》。またしても、こんなこと。お角は、いっそ匕首《あいくち》でも懐中して怒鳴り込み、刺し殺してやりたいほどに、お絹を憎み出しました。
 お絹にとってはいい迷惑で、お角が大事に保護(?)しているお銀様を逃がしたのが、お絹の仕業でないことは確かで、それは間違いなく金助というおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]の、よけいなお喋りがもとであるけれども、お角が一時にそう恨みをかけるのも、日ごろが日ごろだからぜひがないと申さねばなりません。また事実においても、もしお角がああしてお銀様を保護し、それを上手に利用することを知っていたなら、あの女は、きっと何か茶々を入れるくらいのことをやったのにちがいないのであります。
 こうして、お銀様を逃がしたのは、いちずにお絹の計略だと思い込んで、怒鳴り込んで刺し殺してやりたいほどに腹の立ったお角も、そこはさる者だから、怒りに乗じてあとさきの見えないことをやり出しはしません。
「梅ちゃん、今晩から、わたし一人で二階へ寝るから、下はお前に頼みますよ、淋しければお勢ちゃんでも誰でもお呼び」
といって二階の梯子《はしご》に足をかけると、お梅にはわからないから、
「お嬢様はいらっしゃらないのですか」
「ああ、お嬢様は今日からよそへおいでになったんだから、あとは、わたしが引受けるのさ」
といって、さっさと二階へ上ってしまいました。
 二階へ上って見ると、綺麗《きれい》に取片付けてあるのがよけいに腹が立つ。机の上の置手紙のしてあるのも、見るのが癪《しゃく》だ。
「わがままのやんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]者」
 戸棚をあけて見てもかわったことはない。お好み通りにととのえて上げた歌の本、読本《よみほん》、絵草紙の類まで耳をそろえてキチンとしている。
 藤の花を一面にえがいた大屏風《おおびょうぶ》を引きのけて見ると、手ぎわよくたたまれた縮緬《ちりめん》の夜具《やぐ》蒲団《ふとん》。
「お嬢様という人も、お嬢様という人じゃないか、子供じゃあるまいし、出るなら出るとことわってくださりゃ、いけないとはいいませんよ。ごらん、わたしたちはああして、下の方に、夜かぶりだってなんだって奉公人同様にして、お嬢様にはこの通り、何一つ不足という思いをさせて上げた覚えはないのに、いくらお嬢様だって、あんまり義理というものを知らな過ぎまさあ」
 これほどにして置いて逃げられたかと思うと、お角の胸が、またむしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]する。いきなり、その美しい模様の縮緬の夜具蒲団をズルズルと引張り出して、その上にゴロリと寝そべり、
「梅ちゃん、梅ちゃん、済まないが煙草盆を持って来ておくれ」
 腹這《はらば》いになって、お梅の持って来てくれた煙草を二三ぷくのみました。
 暫くすると表格子で、
「今晩は」
「どなた」
 おさらい[#「おさらい」に傍点]をしていたお梅が返事をしますと、
「入ってもようござんすか」
「金助さんですか」
「ええ、その金助でございますよ」
「お入りなさいな」
 格子戸をガラリとあけて入って来たのは、金助に違いありません。
「梅ちゃん、親方は……」
「おかあさんはね……ちょっ[#「ちょっ」に傍点]とよそへ参りましたよ」
「え、留守ですか。留守で幸い、梅ちゃんの前だが、親方は怒ってやしませんか」
「いいえ、別に」
「金助の野郎、出入りを差止めるなんていいやしませんでしたか」
「そんなことはいいやしませんよ」
「それで安心……」
 金助は大仰に胸を撫で下ろす真似をしながら、ソロソロと上り込みました。
 この野郎も、おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]のくせに、いいかげん図々しいが、それでも気がとがめるものがあると見えて、あらかじめ雲行きをうかがってから上り込むと、
「まあ、こっちへいらっしゃい」
 お梅は火鉢の前へ座蒲団をすすめます。
「へ、へ、これは恐れ入りやす。梅ちゃん、お一人でお留守はさびしいでしょう」
「ええ」
「お稽古は何ですか」
「でたらめよ」
「驚きましたね、でたらめのお稽古とは」
「金助さんの前でやると、ボロが出るからよしましょう」
「ト、トンでもないことで……どうか一つ綺麗なところを、お聞かせなすって下さいまし」
「ははあだ、綺麗なところなんてあるものですか」
「御冗談でしょう、梅ちゃんも隅へ置けない、幾つになりました」
「知らない」
「梅ちゃん、あの福兄さんが、この間も、そ言ってましたよ、梅ちゃんが実が入《い》って、食べごろになったけれども、これ[#「これ」に傍点]が怖いからうっかり傍へ寄れないって」
 金助が親指を出して見せると、
「ばかにおしでないよ」
 お梅が腹を立って突き飛ばす。
「こりゃア、ちと荒っぽい、まともに鉄砲を向けられちゃたまりません、いくら金助がお粗末だからといって、これでも男のはしくれ、罰《ばち》があたりますよ」
「福兄さんに、そ言って下さい、たべていただかなくってもようござんすよ、大切に漬けておいて、梅干にしますから困りませんって」
「梅干はかわいそうですね」
「かわいそうなことがあるものか、第一梅干にしておけば、土用を越したってなんともないし、それに実用向きで……」
「あやまる、あやまる」
 金助はしきりに頭を下げて、
「若い娘が梅干気取りでおさまっていりゃあ、世話はないや」
「世話はありませんとも、梅干一つありゃほかにおかず[#「おかず」に傍点]なんか何も要りません」
「あれだ、手がつけられねえ」
 金助はまたも額《ひたい》を丁《ちょう》と打って、
「冗談はさて置き、いったい、親方という人は、今時分ドコをドウうろつい[#「うろつい」に傍点]てあるいてるんだろう、人の気も知らないで……」
「今晩は帰らないかも知れませんよ」
「え、帰らない? おだやかでありませんな、ここへ帰らなけりゃどこへ泊るんです」
「どこだか知りません」
「いい年をして、そう浮《うわ》ついてあるいては困りますって、金助が腹を立ってたって、帰ったらキットそういって下さい……第一、こんな若い娘をひとり留守居に置いて家をあけるなんて、時節柄、物騒千万」
 金助が減らず口を叩いて容易に帰ろうともしないから、お梅が迷惑がりました。迷惑がったところで、遠慮する人間ではなく、ずるずるべったり、泊り込んでしまうつもりかも知れません。
 その時、二階でミシリと音がしたものだから、金助が例によって仰山《ぎょうさん》な身ぶりをし、
「おや!」
 実は金助も、この時まで二階にお銀様のいる約束をわすれて、お梅にからかっていたのに、このミシリという音で気がまわり、
「お嬢様が二階においでなさるんでしたっけね」
「ええ」
「御機嫌はいかがです、あのお嬢様の」
「別にお変りもございません」
「お嬢様もお一人で退屈でしょうね」
「どうですか聞いてごらんなさい」
「毎日、ああして、ひっそく[#「ひっそく」に傍点]しておいでなさるのも、お大抵じゃありますまい」
「お嬢様は出るのがお嫌いなんですから、仕方がありません」
「毎日、ああして、何をしていらっしゃるんですか」
「歌をおつくりになったり、本を読んだりしていらっしゃいます」
「字学の方がお出来になるんだから、御不自由はないさ。お家はなかなかの大家なんですってね」
「ええ、すてき[#「すてき」に傍点]なお金持だっていう話ですよ」
「ちょっと、お見舞に上ってみようか知ら」
「え……」
 金助がお銀様のところへお見舞に行くといい出したので、お梅もいいかげんの挨拶ができなくなりました。
「お見舞に行ってまいりましょう」
「およしなさいな、お気にさわるといけませんから」
「大丈夫、お嬢様の御信任は、このごろ一《いつ》に拙者の上に集まっているんでゲスから……」
「それでも……」
「ついこの間などは、忠勤をぬきんでて、そっと申し上げてしまったものだから、もう今では一も金助、二も金助、さだめて今日もお待ちかねのことと存じます」
「金助さん、お嬢様に何を申し上げちまったの」
「イエナニ……」
「金助さん、お前、お嬢様によけいなお喋りをしやしないかエ」
「よけいなお喋りなどをするものですか。何しろお嬢様もたより[#「たより」に傍点]のないお身の上で、金助さん頼みますとおっしゃるものですから、拙《せつ》の気象で、ちょっとばっかりお力になって上げたまでのことですよ。以来お嬢様は、ことごとく拙をおたより[#「おたより」に傍点]なさるんで、お気むずかしいのなんのといいますけれど、それは嘘です。どれ、ちょっと御機嫌を伺いに行って参りましょう」
 金助が立ち上ったので、お梅はおどろいて引留めようとしたが、また思い返すことには、あんまりいけ図々しい男だから、このまま二階へやった方が面白かろうと考えました。二階に寝ているのは無論お嬢様ではない、親方のお角であります。お角と知らないでこの野郎がノコノコと出かけて行って、歯の根の浮くようなことを喋り出したが最後、イヤというほどとっちめられるに相違ない。これは素敵もない見物《みもの》だと思ったから、お梅がワザと留めないでいると、金助の野郎は妙に衣紋《えもん》をつくろい、気取ったなり[#「なり」に傍点]をして、二階へノコノコとあがって行きました。
「金助さん、お嬢様のお気にさわってもわたしは知らないよ」
 お梅の駄目を押すのを、金助は聞き流して、
「どう致しまして。お嬢様、へえ、どうも御無沙汰を致しました、先日はまた大枚《たいまい》の頂戴物を致しまして」
 洒蛙洒蛙《しゃあしゃあ》として二階へ上り込んで見ると、お銀様は縮緬の夜具を、頭からスッポリとかぶって寝ていました。
「これはこれは、お嬢様、そう自暴《やけ》におかぶりになっては、第一のぼせて毒でございます、ちとお発《はっ》しなさいまし」
 傍へ寄って来て、かぶっていた夜具へ手をかけ揺《ゆす》ったものですから、その夜具が遽《にわ》かに躍り出すと、
「金公、なんといういけ[#「いけ」に傍点]図々しいんだい」
 むっくりとハネ起きざま、金助の横面《よこっつら》をイヤというほど食らわせたのは、お銀様ならぬ親方のお角であります。
「あ、これはヒドイ」
 金助はお角にハリ飛ばされた横面をおさえて飛び上ると、
「金公、お嬢様を逃がしたのはお前だろう、手前《てめえ》がよけいなことを喋りゃがったんだろう」
 お角はつづいて金助の胸倉をとりました。
「まあまあ、親方、そう手荒いことをなさらなくっても話はわかりますよ」
「この野郎、お嬢様によけいなことを喋りゃがって、手前が手引をして逃がしたに違いないんだ。そうして、よく図々しく来られたもんだね。さあ、どこへお嬢様を隠したかお言い、言っておしまい、言わないとこうだよ」
 お角は金助の胸倉をギュウギュウ締め上げますと、金助は眼を白黒して悲鳴を上げ、
「死ぬ……圧制……お梅ちゃん、助けて下さい」
 下でお梅も人が悪い。助けを呼ぶ声を聞き流して、腹をかかえて、声を立てないで笑いころげています。
「真ッ直ぐに言っておしまい」
 お角は金助を締めたり、ゆるめたり。
「親方、あの神尾主膳様が近いうち、田舎《いなか》を引払ってこちらへおいでなさるそうで」
「そんなことを聞いてるんじゃありません、お嬢様をどこへやりました」
「それは存じません。どうかもう少しここをおゆるめなすって下さい、咽喉《のど》がつまって声が出ませんから」
「正直にいっておしまい、あのお絹のおたんちん[#「おたんちん」に傍点]に頼まれたんだろう」
「決して、そういうわけじゃございません、現にこうして、お嬢様がここにお休みなすっていらっしゃるとばかり存じて、上って来たようなわけでございますから……」
「しらばっくれちゃいけないよ、今お前、下で何といったい、お嬢様にそっと申し上げてしまったとか、お力になって上げたとかなんとか言っていたろう、お前でなけりゃ、手引をして逃がす奴はないんだよ」
 そこで金助がスッカリ泥を吐かせられてしまったけれど、別段、この野郎が計略を構えて、お銀様をおびき出したというわけではない、ただよけいなことを喋《しゃべ》ったというだけにとどまるが、このよけいなお喋りのために、お角は大事の金主元を失い、これからのてちがいを心配してみると、この野郎の面《つら》が癪《しゃく》にさわってたまりませんから、
「ホントに、おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]ほど怖いものはありゃしない」
と言って、その横面をまた一つピシャンと食らわせたものですから、金助は生ける色がなく、お角の手が弛《ゆる》んだのを幸いに、丸くなって逃げ出し、梯子段をころげ落ち、土間へ辷《すべ》り出して、下駄を突っかける暇もなく、両手でひっつかんで、格子戸を押開け、はだし[#「はだし」に傍点]で外の闇へ逃げ出してしまいました。下にいたお梅は胆をつぶして、
「あらあら、金助さん、わたしの下駄を片一方持って行ってしまって……」
 これは笑いごとではない。金助はあわてて自分の穿いて来た後丸《あとまる》の下駄と、お梅の大事にしていたポックリ[#「ポックリ」に傍点]を半分ずつ持って逃げ出してしまったものだから、お梅は泣かぬばかりに口惜《くや》しがって、あとを追っかけてみましたけれど、どこへ行ったか影さえ見えません。
 これはお梅にとっては一大事で、南部表にしゅちん[#「しゅちん」に傍点]の鼻緒。鼻緒にも、蒔絵《まきえ》にも、八重梅が散らしてある。当人も自慢、朋輩《ほうばい》も羨ましがっていたポックリ[#「ポックリ」に傍点]を、半分持って行かれたから、口惜しがるのも無理はありません。みんな持って行かれたわけではない、半分は残っているのだけれど、下駄の半分ばかりは、残されたところで有難がるわけにはゆかない。
 二階ではお角がおかしくもあるし、腹も立って、それでも、あの野郎、神尾の殿様が来るとか来ないとか、頼まれた用事もあってやって来たらしかったが、それをいい出す暇もなく逃げ出してしまった。こちらもなお聞きただしたいこともあったのに、かんしゃく[#「かんしゃく」に傍点]紛《まぎ》れにとっちめて、薬が利《き》き過ぎた。しかし、どのみち二三日たてば、ケロリとして出直して来る奴だと思いました。
 おかしかったのはその翌日の朝、両国橋の女軽業のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]の一人が目の色をかえて、お角のしもたや[#「しもたや」に傍点]へ飛び込んで来て、
「親方、大変です、梅ちゃんが心中をしてしまいました」
 その声を聞きつけて挨拶に出たのが当のお梅でしたから、両人顔を見合わせて、これはこれはとあきれました。
「梅ちゃん、お前ここにいたの?」
「ええ、いましたとも、心中なんかしやしないわ」
「でも、たしかに梅ちゃんだって、みんなが言うから、わたし、ちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と見届けて来たのよ」
「そんなはずはないわ、わたしはここにいたんですもの」
 落語の二人久兵衛のような話で、二人ともに煙《けむ》に巻かれてしまいました。
 あんまりおかしいから、お梅がよく尋ねてみて腹を立てました。
 それはこういうわけです。
 心中があると騒ぎだしたのは、この朝、両国橋に男物と女物との下駄が半分ずつぬぎ捨ててあったのを、通りがかりのものが見つけ出して、それ心中だと大騒ぎになり、例によって黒山のように人だかりがはじまった中へ、女軽業のおちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]連《れん》もかけつけて見ると、女物の下駄に見覚えがある。
「あら、このポックリ[#「ポックリ」に傍点]は梅ちゃんのだわ、ちがいないわ」
 そこで、心中の片割れは、親方のお気に入りの娘分、お梅にまぎれもないということになってしまい、早速こうして御注進に駆けつけてみると、心中の片割れであるべきはずの御当人が、平気で挨拶に出たから双方あっけに取られた始末です。
 注進に来た、おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]の方は、まあ間違いでよかったと安心したが、納まらないのはお梅で、
「ばかにしているよ、あんな奴と心中なんかするものか」
 ぷんぷんと腹を立てました。
「あんな奴って誰のこと?」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]は合点《がてん》ゆかない。
「何だ、あんな奴と心中なんか、誰がするもんか」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]にはお梅の不機嫌なわけが、いよいよわからない。
「女物はたしかに梅ちゃんのに違いないが、男のは後丸《あとまる》のしゃれた[#「しゃれた」に傍点]形なのよ」
「ふうちゃん、外聞が悪いから、早くその、わたしのだけを持って来てしまって頂戴な、男のなんかかまやしませんよ、川の中へ蹴込んでおやりなさい、このごろは下駄泥棒がはやるんですとさ」
「それじゃ、梅ちゃん、お前さんの下駄を盗まれたの?」
「大抵そうなんでしょう」
「まあ。でも無事で安心したわ、早くその下駄を持って来ちまいましょう」
「持って来て頂戴」
 おちゃっぴイ[#「おちゃっぴイ」に傍点]は大呑込みにして、急いで行ってしまう。
「ホントにばかばかしいったらありゃしない、金公の野郎、覚えていやがれ」
 余憤容易に去らず、これは昨晩、金助が両国橋まで一目散《いちもくさん》に逃げて、さてその下駄を突っかけようとして見ると、片一方だから、やむを得ず、そこへ並べて置捨てにしていったものに相違ない。
 これがためにあらぬ浮名を受けたお梅は、相手が相手だから、浮名儲《うきなもう》けにもならないと思って、しきりに口惜《くや》しがっているのをお角が慰めて、
「まあ我慢おし、そのうちあの野郎が来たら、水をブッかけておやりなさい。それから今日はちょっと[#「ちょっと」に傍点]廻り道をして行きたいから、早く出かけましょう、梅ちゃん、そのつもりで支度をし」
 ほどなく軽業小屋から留守番に来た女連《おんなれん》といりかわりに、お角はお梅をつれてこの家を出て行きました。
 いつもならば直接《じか》に回向院《えこういん》の興行場へ行くのに、今日はどこぞ廻り道をするところがあるとみえます。

         十九

 お角はお梅をつれて柳橋の遊船宿に立寄り、駒井甚三郎を訪ねてみましたが、不在とのことであります。
 不在といっても、房州の洲崎《すのさき》へ帰ったのではない、昨日の夕方、ただひとりでどこかへ出かけていったままだとの返事でしたから、お角も少し失望しました。
 しかし、お角は必ずしも駒井だけを当てにして来たのではないと見えて、そのまま素直に踵《きびす》を廻《めぐ》らしてしまいます。
 船宿の亭主が答えたように、駒井甚三郎が、昨夕《ゆうべ》宿を出てまだ帰らないことは事実であります。どこへ行ったか、それは別段、問題にするほどのことではない。その夕方、駒井はどう気が向いたものか、絶えて久しく訪れなかった番町の自分のもとの屋敷の方へ、おのずと足が向いたのであります。
 人通りの少ない時、明りのしているお長屋の前に立って、駒井は暫く様子をうかがっていましたが、
「一学、一学」
と駒井は低い声で呼びました。
 お長屋のうち、ここだけが明りがしていたから、その明りをたよりに呼びかけたところが、
「ナニ、誰じゃ、どなたでござる」
 中では、やや狼狽《ろうばい》したものの返答ぶりです。
「一学、おるか」
「へえ……」
 このお長屋のうちで、ただ一軒だけ燈火《あかり》をつけて夜業《よなべ》をしていたのが、思いがけなく外から呼ばれて驚きました。
 この屋敷の広さは、誰が見ても三四千坪以上、周囲にはお長屋があって、表は長屋門、左右には黒板塀、書院、表座敷、居間、用部屋、使者の間、表玄関、内玄関、詰所詰所、庭があり、林があり、築山があり、茶畑まであって、三千石以上の旗本の屋敷としては総てが備わっているが、主人がいない。
 主人のいない屋敷は荒れるにきまっている。たとい留守を預かるほどの者が心がけがよくって、見苦しからぬよう手入れを怠《おこた》らぬにしたところで、主人を持たぬ家は、その鬱然《うつぜん》たる生気を失うにきまっている。
 駒井能登守が、すでにこの屋敷を離れてかなりの日数になる。まだ見苦しいほどには荒れていないが、なんとなく痛々しい空気が漂うているのはぜひがない。
 このお長屋にひとりで留守をしているのは、以前、甲府までも主人のおともをして行ったことのある近習役の阿部一学であります。ほかの家来は、それ以来、ちりぢりになって、多くは別に主取りをしているのに、一学だけは、決着のお沙汰のあるまでこの屋敷に踏みとどまって、留守居を兼ねて、夜な夜な内職をしているところへ、今いう通り、外からわが名を呼ぶものがありました。
 ここで、一学の内職というのは、世の常の浪人のする唐傘張《からかさは》りや、竹刀《しない》けずり[#「けずり」に傍点]とはちがって、オランダの辞書と、イギリスの辞書とをてらしあわせて、しきりに筆写を試みているので、この内職には相当の学力と労力とを要するが、うつし終ればその報酬は、他の内職よりはずっと割がいいのみならず、一冊うつせば自分もまた一冊だけの学力がつく。一学が、あえて仕官をあせらずに、こうして落着いているのは、この内職という強みがあればこそで、この内職に堪えられる学力は、旧主の駒井能登守から恵まれたもの多きにおることを知ればこそ、少なくとも自分だけは、最後までこの屋敷の運命を見届けようとの覚悟も起るわけです。
 一学は外から呼ばれた声に大きな驚異を持ちながら、筆を、うつしかけたイギリス語の雁皮《がんぴ》の帳面の間へはさんで、あわただしく立って窓の障子を押開き、
「どなたでござる」
「駒井だ」
「ええ、殿様でございましたか?」
 一学は倉皇《そうこう》として、
「ただいま、表御門をおあけ申しますから……」
 絶えて久しい主人が、こうして夜陰《やいん》にブラリと尋ねて来たものですから、一学も最初は妖怪変化《ようかいへんげ》ではないかとさえ驚きあやしみ、且つ喜びました。
 飛ぶが如く表門へ駈け出して、門を開き、主人を案内はしたが、それを堂々と表玄関へとおすことができず、自分が今まで内職をしていた長屋の中へ、ひとまずお連れ申さねばならぬ運命のほどを悲しみました。
 駒井甚三郎は、さのみ悲しむ色もなく打通って、
「勉強しているな」
「はい、おかげをもちまして」
 一学は何ともつかず返事をして、取って置きの敷革《しきがわ》を出して主人にすすめる。
「殿様、これは夢ではございますまいかと、私は存じまするが、夢ならば、さめないうちにおたずね申し上げなければなりませぬ。ただいままで殿様には、どちらにおいであそばしました、そうして何故に、ただいままでお便りを下さいませんでしたか」
 一学は両手をついて、主人にたずねました。
「便りをしないことは悪かったが、便りをしないことが自他のためであったのだ。それはそうと変ることはなかったか……と尋ぬるも異《い》なものだが……」
「奥方は京都へお越しになりましたことを、御存じでいらせられますか」
「うむ……あれの病気はどうじゃ」
「御病気は大抵、お癒《なお》りになったそうでございます」
「そうか……」
「殿様」
と一学は膝を押しすすめて、
「私は人情の表裏反覆というものの甚だしいことを、今更のように学びました、何かにつけて驚き入ることばかりでございます」
 一学は眼に涙をたたえて昂奮すると、駒井はしんみりと、
「いいや、みんなわしが悪いのじゃ、お恥かしい次第だ、この心が出来ていないばっかりに、わが身を誤り、家を亡ぼし、親族には屈辱を与え、お前たちにも苦労をさせてしまった、つくづくとこの身の愚かさが身にこたえる、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」
「恐れ入りまする、そういうつもりで私はただいまの一言《ひとこと》を申し上げたのではござりませぬ。一時は私も、殿様のお心がわかりませんでしたけれど、今となりましては、その考えが変りました。女が悪いのでございます、罪は女にあるのでございます、殿様がお悪いのではございませぬ」
「何をいっているのだ、そういう話は、もうよそうではないか……実は、こうやって急に思い立って尋ねて来たのは、少々、捜《さが》してみたいものがあってのことじゃ、大儀だが、奥の書物庫へ案内してもらいたい」
「畏《かしこ》まりました、何ぞ、お書物でもお取出しになりますか」
「書物をさがしに来たのだ、急に読みたいことがあって……」
「では、早速御案内を仕《つかまつ》りましょう」
 一学は、久しぶりで主人にあって、まだまだいいたいことが山ほどある気色《けしき》なのを、主人がむしろ、それを避けたがる様子と、ともかくも書物庫へ、急の用件があるらしいのとで、ぜひなく、提灯《ちょうちん》を用意し、預かりの鍵をたずさえて、この座敷を出かけました。
 目的の書物庫は、駒井甚三郎が特に念を入れて建てさせたもので、駒井は、洋行する知己友人のあるたびに、かの地の書物の買入れを頼み、みやげとして寄贈された書物と共に、この庫に蓄えておきました。
 いろいろの心持で、頭を混乱させながら案内に立った一学は、わが主人は、これまでどこに、どういう生活をしていたのだかわからないが、それでも、こうして駈けつけると、早々参考書の庫へおとずれることによって、主人の今の境遇がたとい逆境とはいいながら、逆転しているものでないことを想像して、心ひそかによろこんでいます。
 幸いにして一学も、また好学の書生でありましたから、日頃の心がけも、おのずからこの書物庫の書棚の上に現われて、こうして不時の主人の検閲を受けるような結果になっても、あえて狼狽せずに案内することができたのみならず、いよいよ内部へ入って、整理の手際を見た時に、主人をして感謝せしむるほどの好成績を示し得たことを、自分ながらよろこばずにはいられません。
「感心に手入れの怠りがないのみならず、分類の方法が宜《よろ》しきを得ている」
といいながら、駒井は一学の手から提灯を受取って、汗牛充棟《かんぎゅうじゅうとう》の書物をいちいち見てあるきました。満足の色を面《おもて》にたたえて――
 もし、管理者が一学でなかったら、この書物は、どうなっているか知れない。紛失はしていないまでも、散逸《さんいつ》はしていたろう。そうでなければ虫と鼠との餌食に供せられていたに相違ない。そして、駒井は提灯をふりてらして、自身に書棚の間を縫って歩きながら、めぼしい書物をいちいち抜き取りました。抜き取ったのを一学に渡すと、一学はいちいちその題目を読んでは取りそろえながら、少なからず奇異の念に打たれたことであります。
 申すまでもなく、わが主人の専門は、西洋の兵術と武器とであります。その道においてはならぶもののないほどの新知識であって、同時に、そのころの西洋科学の粋を味わうことにおいては、人後に落ちなかったものです。
 ですから、今も隠れて、専らその方面の研究に没頭しているものに相違なく、従って参考書に不足を感じたればこそ、こうしてわざわざ駈けつけたものに相違ない。
 ところが、いま主人の抜き出している書物という書物が、みな一学の意表に出づるものばかりでありました。
「Logos《ロゴス》――これは理学の本でございますか」
「左様、道理とか言葉とかいうのだろう」
「Mani《マニ》――これは何を書いたものでございますか」
「マニ……土地の名か、或いは人の名ではないか」
「Hom-ousia――ホモウシアと読んでよろしうございますか」
「そう読むよりほかはあるまい、何の意味かわし[#「わし」に傍点]にもわからぬ」
「次は Monologion《モノロジオン》――これは、オランダ語でございますか、イギリス語でございますか」
「その原書はイタリーのものだそうだ、太宰春台《だざいしゅんだい》の独語といったようなもの、つまり感想録の一種だろうと思う」
「ははあ、これはイギリス語でございますな、イミタシアン・オブ・クリストと読みますか……」
「うむ」
「内容は何でございますか」
「何だかわからん」
「これは、ピリグリム・プログレスと読みますか、これには挿絵《さしえ》がたくさんございます」
「それは有名な小説だ」
「小説と申しますると、草双紙《くさぞうし》の類《たぐい》でございますか」
「そういうわけでもない」
「Socitas Jesu――綴りに従ってソサイタス・ジェスと読みます、ソサイタスは組合とでも申しましょうか、ジェスは……」
「人の名だ」
「ああ、これはヒストリー・オブ・プロスチチューション――」
 駒井甚三郎の抜き取って渡す書物は、どれもこれも一学には意外千万であった。意味のわからない標題や、草双紙や、遊女売婦の歴史。兵書、兵学に関するものとては手にだも触れないで、またその次に漁《あさ》り出したのが、形は洋装になっているが、標題は漢字で、「約翰福音書《ヨハネふくいんしょ》」――
「あ、それは切支丹《きりしたん》の書物でございます」
 一学がいうまでもない、これは千八百三十九年(天保十年)新嘉坡《シンガポール》で出版された日本語訳の最初の聖書。
 二人は書物庫から両手に一ぱい[#「ぱい」に傍点]の書物を抱え出して、再び以前の長屋へ戻り、
「一学、今晩はもうおそいから、ここへ泊めてもらおう」
 駒井甚三郎は、ついにその夜は一学と枕を並べて寝ることになりました。
「殿様、私はそれを申し上げてよいか悪いかわかりませんが――日頃胸にあることでございますから、お気にさわるまでも、今晩この機会に申し上げてしまいたいと存じます」
 一学があらたまっていいますから、駒井が、
「遠慮なくいってみたまえ」
「ほかでもございませんが、どうしてもわからないのは、奥方のお心持でございます」
「うむ、誰の心でも、そうはよくわかるものでない」
「と申しましても、あれほどあなた様を慕っておいでになりました奥方が、あまりと申せば手のうら[#「うら」に傍点]をかえすように、お情けないお仕打ちでございます」
「それも事情に制せられて已《や》むを得ぬことだろう、この浮世の階級とか情実とかいう、何百年、何千年来の圧迫を女の手で破れというのは、いう方が無理だろう」
「破れとは申しませぬ、むしろ従えと申し上げたいのでございます」
「よき破壊と、よき忍従とは、共に同じほどの力を要するものだ、難きを人に責めないがよい」
「難きを責むるのではございませぬ、常道を責むるのでございます。奥方のお振舞は、あなた様にとっては、まさしく叛逆なのでございます」
「叛逆?」
「と申し上げました無作法をお許し下さいませ。叛逆でなければ、復讐《ふくしゅう》でございます、人の妻として、世の女として、取るべき道ではござりませぬ」
「一学、そちは、常ならず昂奮しているが、わし[#「わし」に傍点]は何も知らぬ、知ろうとも思わぬが、叛逆という言葉はおだやかであるまい、もし、さる事実がありとすれば、叛逆はかれにあらずして、われにあるのだ、その当然のむくいとして、わしは復讐を甘受しなければならぬ」
「エ、何と仰せられます、殿様が、奥方にそむいたと仰せられますか。それはあまりに御寛大なお言葉でございます。一切を承知致しております私にとりましては、痛ましいほどの御寛大のお言葉でございます。甲州へおいでになる道中におきまして、毎日、日課として、こまごまとお文をお書きあそばしたあの御情合……」
 一学は声をつまらせてしまいました。しかし、駒井甚三郎は感情に制せられず、
「あれは常に気位を持っていた。気位というものは往々人を尊大に導いて、広い同情を忘れしめるものだが、その気位あるによって、犯し難い見識も品格も出て来ることがある。あれが堂上の出であり、高貴の血統ということは、わしにとっては、どうでもいいことであったが、その自負心から出でる天然の気品は、尊重せねばならぬと思っていたのだが、その自負心を根柢から動揺させたのが、誰あろう、この駒井の罪だ……甲州において、人もあろうに、あの君女《きみじょ》を愛したということが……駒井の愛情が、人交わりもできない身分の者に奪われたと知った時に、あれの気位が根柢から動揺するのはぜひもないことだ。あれの身になってみれば、それと知った時は、まさに死ぬより辛い侮辱を与えられたと思ったに相違ない――女というものが、その自負心を傷つけられた憤慨と、その愛を奪われた侮辱の苦痛の深刻な程度は、お前にもわかってはいまい、わし[#「わし」に傍点]にもわかっていなかったのだ。思えば、わしは一本の剣《つるぎ》で二人の女の魂を貫いてしまったのだ。その二人とも、今の世には珍しいほどの純な心であったのに、この駒井の一旦の情慾から、それを殺してしまったのだ。この復讐が来るならば、いかに深刻に来《きた》るとも甘受しなければならない」
 一学は、主人のいうところに熱情の籠《こも》ることを感じました。けれどもその論旨の意外なるに服することができません。
 一切の責《せめ》われにありと主人がいうのは、世の常の自制でもなければ、あきらめ[#「あきらめ」に傍点]でもない、真にその通りに自覚して己《おの》れを責むるの言葉としか思われないことが、一学にとっては甚だ意外でありましたのです。
 何となれば、一学は、今までわが主人のために、世間と人間とを責めてやまなかったからです。わが主人ほどの人材を容《い》れることのできない時代は、時代が悪いのだし、またわが主人ほどの男を愛しきれない女は、女が悪いのだと、強くそう感じていたからであります。
 これは、一学の観方《みかた》にも相当の道理あることで、幕府が今日の危機に立って、非常に人材を要する時にあたり、ささやかの失態によって、わが主人ほどの人物を閑地に置く(生きながら殺してしまった)人物経済上の低能さかげんを、冷笑しないわけにはゆきません。これは一学の身びいき[#「びいき」に傍点]のみではありますまい。当時、駒井能登守を一流の新知識と知るほどのもので、この人物経済上の愚劣さかげんを笑わないものはなかったはずです。
 しかし、これは笑うものがむしろ浅見で、当時の幕府の要路というものが、おのずから、そういうふうに出来ていたので、人物に異彩があればあるほど、また人物が大きければ大きいほど、グレシャムの法則がおこなわれていたのです。
 試みに徳川の初世の歴史を見てごらんなさい。徳川家康が不世出の英雄とはいいながら、豊臣以来の御《ぎょ》し難き人物を縦横自在に処理し、内外の英物を適材適処に押据《おしす》え、雲の如き群雄をことごとく一手に収攬《しゅうらん》した政治的大手腕というものは、驚くに足《た》るべきもので――もとよりこの人は、日本のみではない、世界史上の第一流の政治家ではあるが――さりとはその末勢《まっせい》の哀れさ。今日の内外多事に当って、どこに人物がいる。辛《かろ》うじて勝安房守《かつあわのかみ》ひとりの名前が幕末史のページに光っているだけではないか。
 その勝安房守をも、彼等のある者は極力光らせまいとして努力した。
 勝は島田虎之助門下で剣術を修行した男である。剣術は出来るだろうが、畢竟《ひっきょう》ずるに剣術使いで、天下の枢機《すうき》を託すべき男ではない――また勝は一代の学者であるという評判に対して、なアにあれは正式の学問をした男ではない、いわば草双紙の通人だと。
 彼等の考えでは、勝安房ひとりに幕末史を飾らせることは、彼等自身の立場の上から、たまらなかったものらしい。さりとて全部を誣《し》うるのは、全部を讃《ほ》めるのと同じように拙策である。そこで勝の持っていた一部分の技能、つまり剣術だけをウンと讃めて、他の技能をそれで隠そうとした。あわれ、日本の歴史に二度と応仁の乱を持ち来たさないように働いた知恵者を、かれらはどうかして剣術使いだけの範囲にまつり込もうとした。
 そういった意味の時代のばかばかしさを、一学は久しぶりで逢った主人に向って訴え、且つそれが幾分か不遇の主人をなぐさめる所以《ゆえん》になるだろうと思っていたところが、案外のことに、主人はほとんどそれには取合わないほどの淡泊で、これも案外に思いました。
 しかし、この辺のことを問題としていないわが主人は、別に独特の世界を見つめている、と一学は確認することができたので、その一夜の物語で何か自分に、非常に力強いものを与えられたような気がしました。
 翌日の朝まだき、駒井甚三郎は、この家を辞して行きました。書物は取りによこすからそろえておいてくれるように、自分の居所はまだ明かせないが、そのうちくわしく知らせるからといって……
 駒井が例の如く籐《とう》の鞭を振って立去る姿を、門に立った一学は、朝靄《あさもや》の中に見えずなるまで見送っていました。

         二十

 駒井甚三郎は、生きては再び足を踏む機会はあるまいと思ったわが家へ、計らず帰って見ると、そこにおのずから感慨無量なるものがあります。
 連綿とつづいたわが家を、自分の代に至って亡ぼしてしまった。それも、自分にとっては問題にならぬことながら、社会的には無上の汚辱。どう考えても同情の余地のないふしだらのために、一代の嘲笑の的となりつつ葬られてしまった。
 よし、駒井甚三郎は、わが身の愚劣と、世間の審判の愚劣とに呆《あき》れ果てて、別に天地を求めて生きるの道はいずれにも開かれているとはいえ、先祖の位牌に塗られた泥土は拭うべくもあるまい。また後代の駒井の家の祭りをここに絶った責《せめ》は免るべくもあるまい。
 先祖に済まない――という家族制度の根本をなす思想は、この人を囚《とら》えて窒息せしむるに至らないまでも、決してその良心に安きを与えてはいないはず。
 駒井は久しぶりで、わが家の敷居をまたいで、はじめて、この罪の執拗《しつよう》なことを強く感じました。そこで、彼は亡き父と母とのことを深刻に回想してきました。
 家門の面目を生命より重しとする武士|気質《かたぎ》においては、父も母も変りはない。
 その間に、ひとり子として生れたこのわれを、人並みすぐれた人にしてそだて上げたいとの希望は、世の常の親と同じこと。幸いにして、父母のこの希望は、家を譲る時まで空しくせられずに、ともかくも、このわれというものの生立《おいた》ちを、自慢にはしようとも、恥辱とはしていなかった。「駒井の家、これよりおこるべし」と人も讃《ほ》め、父もひそかに許していたこと。
 頑固ながらも、目先の見えた父は、旧来の学問武芸の上に、進んで自分に洋学を学ばしめたこと。もし、父母の存生中にこの事件が起ったならば、父は必ず、われを刺し殺し、父母はさしちがえて死んでしまったに相違ない。
 幸か不幸か、今の駒井甚三郎は、一婦人を愛したということが、それほどの罪とは、どうしても考えることができないから、それで死ぬ気にはなれない。
 もし、自分にとって、死に価《あたい》する罪がありとすれば、それは別のところにある。
 駒井の最初の考えでは、ただこの家へ読みたい本を取りに来たまでで、その用が済んだ以上は、さっさと柳橋の船宿へ帰り、一日も早く房州へ引き上げてしまおう。今もまた、その考えで、人通りのほとんどないほどの朝まだきに番町を出て、こうして、下町方面へ、無意識に急いでゆくうちに、むらむらと巻き起る考えが、駒井の足の向きを変えさせてしまいました。
 この機会に父母の墓に詣《もう》で、先祖へ対する心ばかりの謝罪をするのも、無用なことではあるまい。こう思い出したから、駒井は足の向きをかえて、小石川の方面へとこころざしたものです。
 駒井甚三郎の父母の墓も、先祖の墓も、小石川の伝通院にある。一族、親戚の墓も多くそこにあるはず。
 ほどなく、安藤坂を上ると、伝通院の門前。まだ時刻が早過ぎるので、どうかと思ったが、見れば門前に、花を売る店が早くも戸を開いて、表の道の箒目《ほうきめ》もあざやかですから、駒井はその花を売る店へ寄って、
「お早う」
 言葉をかけてみると、店を守るのは例の卒塔婆小町《そとばこまち》に似た一人の婆さんであります。
「いらっしゃいまし」
 駒井は無雑作《むぞうさ》に店の中へ入って、
「お墓参りに来た」
「それはそれは、お早々と」
 まもなく、駒井甚三郎は花と香とを携え、卒塔婆小町に似た婆さんは、箒と水とを携えて、伝通院の墓地へ通るのを見受けます。日が漸《ようや》くのぼりはじめて、寺では梵唄《ぼんばい》の響。
 婆さんはかいがいしくお墓を掃除してくれる。駒井は花と香とをあげて礼拝《らいはい》する。父母と先祖と、それから、親戚のものにいちいち礼拝をして廻って、やがて、例の天樹院殿《てんじゅいんでん》の前までやって来ました。天樹院も、本多家も、多少、駒井の家と血縁を引かないということはない。駒井は、玉垣の門を開いてもらって、ここへもおまいりをして行くつもりです。香と花とを捧げ終って、駒井は何か物思うことあるが如く、やや離れて、天樹院の五輪塔を暫くながめておりましたが、
「婆さん」
 箒をつかっている婆さんを呼んで、
「お前は、この天樹院様をどう思う」
「天樹院様をでございますか?」
「うむ」
「どう思うと仰せられましたのは?」
「つまり、いい人か、悪い人か、愛すべき人か、憎むべき人か……」
「左様でございますねえ……」
 婆さんは箒の手をとどめて、今更のように天樹院殿の大きな石塔を仰ぎ、
「お美しい方であったと存じます」
 そういってお婆さんは、にっ[#「にっ」に傍点]と笑って駒井の面《かお》をながめます。今に始まったことではないが、このお婆さん自身がむかし美しい女であったに相違ない。いや美しいというよりは、美しいそのものを売り物にした経歴をたどって来た女ではないか。つまり、それ[#「それ」に傍点]者上《しゃあが》り、そういったものが、晩年のいとなみ[#「いとなみ」に傍点]を墓守で暮らしているのじゃないかと、誰にも一応は想像されることです。
「お美しくなければ、あんな騒動は起りますまいから……」
と付け足したが、この返事は駒井の期待しているところには少しも触れない。
「それではお前、坂崎出羽守と本多中務《ほんだなかつかさ》と、どちらが仕合せ者と思う?」
「それはきまっておりますよ」
「ふーむ」
 今度は駒井が微笑しました。駒井の微笑は、今の返答が、わが意を得たるところから来たもののようだと、婆さんは早合点をして、
「本多様は果報なお方でございますわね、それとくらべて坂崎出羽守様ほど御運の悪い方はありますまい……それというのも、あなた、殿方も男ぶりがやっぱりお大切でございますね。容貌《きりょう》を命とするのは女ばかりではございませぬ。仮りに坂崎様が本多様のようないい男であってごろうじませ、天樹院様だっておいやとは申しますまいよ」
 これは婆さんが一歩立入って、充分にうがった[#「うがった」に傍点]つもりでしたけれど、駒井甚三郎は顔の筋一つも動かすことをしません。何とも響かないものと見えましたから、婆さんも張合いが少し抜けました。そのとき、駒井は、むすんでいた口を開いて、
「わし[#「わし」に傍点]は、そうは思わない、本多はやはり不幸な男だ、不幸な程度においては坂崎に劣らない」
といいました。
「どう致しまして、あなた、本多様がお不仕合せなら、この世に殿方の果報というものはござりませぬ。何しろ、豊臣|大納言《だいなごん》様のもとの奥方に思われて……命がけでお救い申し上げた殿御を、振りつけて、そうして思う存分に、絵に描いた美男美女の御夫婦仲……それに天樹院様のお化粧料が十万石……」
「本多はそれがために三十一で夭死《わかじに》をしてしまった」
「え?」
 婆さんがギョッとしたようです。天樹院の墓の下から、小さな蛇が一匹現われました。
「つまり天樹院は豊臣秀頼を殺し、坂崎出羽を殺し、本多忠刻を殺し……」
 その時です、駒井甚三郎の胸をつんざいたのは――現在、自分をうらんで去った自分の妻が、どこかにおいて、この天樹院とおなじような乱行の生涯を送っているのではないか。
 果報者の本多忠刻を、三十一歳で夭死《わかじに》をさせた後の爛熟《らんじゅく》しきった若い未亡人の乱行。
 それは今の世までもうたわれて、淫蕩《いんとう》の標本とされている。天樹院とても、淫蕩そのもののために特にこの世につかわされた女でもあるまいし、徳川の宗族だからといって、天樹院に限って、その乱行を是認するという制度もあるまいが、あの女性としては、淫蕩と乱行とに半生を使いつぶすことのほかには、生きる道を知らなかったればこそ……また徳川の宗族も、自ら省みれば、あの女の乱行を抑えるの権威がない。
 まだ子供心の失《う》せぬ時分、徳川家から豊臣家へやられたのは、政略のための人質に過ぎないし、後に坂崎出羽に与えられようとしたのは、働きに対する懸賞品の代用として扱わるるに過ぎなかった。女性を、娘を、物品として取扱うことをしか知らぬ父祖というものに対して、この女が呪いの心を発したというのはありそうなことである。
 そして、この女は我儘《わがまま》の目的物として、美男の本多忠刻をえらんだ。
 忠刻が、この美人に思われて夭死《わかじに》をしたのは、お輿入《こしい》れ間もないことで、その死因は単純な果報負けだともいうし、坂崎余党のうらみの毒によるものだともいうし……また、昼夜に弄《もてあそ》ばるる天樹院の、限りなき情慾の犠牲に上げられたものだともいう。
 天樹院の乱行には、まさしく復讐の念をふくんでいなかったとは誰もいわない。
 女の復讐は、いつも魂をいだいて泥土の中に飛びくだる――そうした時に、征夷大将軍の力もそれを救うことができない。
 駒井甚三郎は、昨晩一学からいわれ、その時はほとんど念頭に置かなかった言葉の節々が、今や重く胸にわき上ってくるのを覚えました。
 一学はわが妻の挙動を叛逆だと叫んだ。叛逆とは何を意味している。今までそういうことに耳をふさぎたがっていた駒井。わかれて後の妻が若い小姓の誰かれを愛したとか、堂上方のあるさむらい[#「さむらい」に傍点]を始終ひきつけていたとか、京都へいった後、ずんと年上な、評判の色悪《いろあく》の公卿《くげ》さんに籠絡《ろうらく》されてしまって、今はそのお妾《めかけ》さん同様に暮らしているとか、聞きたがらない当人の耳へ、わざとするように苦々しいものがひっかかる。
 それは、ドコまで信じ、ドコまで疑うの拠《よ》りどころがあるわけではないが、ただ疑われないのは、彼女の心が決して上へはのぼっていず、無限の下へ下へとおち行く光景だけは、見まいとしても眼の前へ現われてくるのです。
 駒井甚三郎は、そのことを考えて、心の底から戦《おのの》くのを禁ずることができません。
「こちらが伝通院様でございます」
 婆さんが言葉をかけたので、われに返って見ると、
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「伝通院殿
蓉誉智光
大禅尼
 慶長七年一月二十九日」
[#ここで字下げ終わり]
 伝通院殿は無事であります。その展墓《てんぼ》を最後として、駒井は老婆と共に墓地の中を出ることにしました。
 再び門前の店へ戻って、
「まあお休みあそばしませ、粗茶一つ、召上っていらせられませ」
 駒井は老婆の案内に応じて、土間の長い腰掛に腰を卸すと、あとから続いた老婆は、風を厭《いと》うて障子を締めきり、やがて、渋茶の一椀を駒井の前に捧げましたから、駒井はそれに咽喉《のど》をうるおします。
 朝日が、前の木立の間から洩れて、いま締めきった障子に光を投げている。内も外も静かで、本堂から洩れるおつとめ[#「おつとめ」に傍点]の音がよく聞える。
 その時分、締めきった障子の外で、
「おばさん」
「はいはい」
「花を持って来たよ、これをおばさんの店で売るといいや、院代《いんだい》さんにことわってうろ抜いて来たんだよ」
 内では見えないが、障子の外に立ってこういいながら、胸一ぱい[#「ぱい」に傍点]に秋草を抱え込んでいるのは、宇治山田の米友であります。
「友さん、どうも済みませんね」
 婆さんは障子を少し開いて前から見ると、それは米友が歩いて来たのだか、草花が歩いて来たのだかわかりません。
「どう致しまして」
 胸一ぱい[#「ぱい」に傍点]に草花を抱いた米友は、婆さんのあけたところから土間の中へ入り込み、
「花桶の中へ入れといて上げような」
「ああ、どうぞ」
 そこで米友は胸一ぱい[#「ぱい」に傍点]抱えて来た秋草を、明《あ》いた花桶の中へ入れようとして、
「おや、この桶には水がねえや」
「水がありませんかね。それじゃそのままにしておいて下さい、あとから汲んで来て入れますから」
「おいらが汲んで来てやろう」
といって米友は、胸一ぱい[#「ぱい」に傍点]に抱えた草花を桶の中へさし込みながら、傍《かたえ》の手桶を横目でながめました。
 その手桶を提げると、米友は以前入って来たところから、身軽に外へ飛び出してしまいました。動物園へ動物を寄附する時には食糧附の義務があるように、米友は草花を持って来た好意に添うるに、水汲みの労力を以てすることを、さのみ苦には致しません。これはお安いことです。
 米友はこうして水を汲みに出かけました。そのあとで、駒井甚三郎は、
「婆さん、奉書があれば結構、なければ西の内でも、それもなければ半紙でもよろしい、紙を一枚下さい」
「何になさるんでございますか」
「え、志納金をお寺へ納めて行きたいと思う」
「左様でございますか」
 婆さんは、立って、奉書の紙のいったん使用して皺《しわ》をのばしておいたのを持って出て、
「これでよろしうございますか」
「それで結構」
 駒井甚三郎は一方の脇の床几《しょうぎ》に腰をかけて、花立を置いた前の机の上でなにがしかの金を包み終り、
「婆さん、筆をお貸し」
「はいはい」
 老婆は、蒔絵《まきえ》のある硯箱《すずりばこ》の蓋《ふた》をとって、水をさし、駒井の前へ置くと、駒井は墨をすりながら、
「婆さん、お前は、なかなかよい墨筆を使いますね」
「いいえ、お恥かしうございますよ、あなた様」
「嗜《たしな》みがよい、お前は和歌《うた》をやりますか」
「いいえ、どう致しまして」
 駒井が、それに感心したのは、独《ひと》り住《ず》みの門前婆さんのことだから、筆墨を所望《しょもう》されたら、狼狽してほこり[#「ほこり」に傍点]の溜ったのを吹き吹き、申しわけをしながら、やっと取り出さないまでも、こんなに念の入ったのを出されようとは案外で、どうしても、和歌《うた》の一つも書きつけているものでなければ、こうは嗜みが出来ないはずと思ったからです。
「いや、お前は和歌《うた》をやりそうじゃ、さいぜん[#「さいぜん」に傍点]、あの墓の前でふとお前の姿を見た時に、絵に見る卒塔婆小町《そとばこまち》を思い出したよ」
「ホホホ、よく皆さんが、そんなことをおっしゃって下さいますが、西行《さいぎょう》に姿ばかりは似たれども、と申すようなものでございます」
「いいえ、お前の前生は小町かも知れない、さぞ男を悩ましたことであろうな」
といって駒井は、自分ながら口が辷《すべ》り過ぎたと思いました。
「御冗談をおっしゃいます……」
 この時に、水を汲んだ宇治山田の米友が帰って来ましたので、卒塔婆小町は、
「友さん、御苦労さま」
「おいらは、水を汲むのは何ともねえが、提《さ》げて来るのが骨だよ」
といってその手桶を土間へかつぎ込んだのと、駒井甚三郎が紙包の上へ、駒井家回向料の文字を認《したた》め終ったのと同時でした。
「あ!」
 米友が舌を捲いて、手桶を抛《ほう》り出して、駒井の面《おもて》をキッと見つめたのもその時です。
「やあ、手前《てめえ》は駒井能登守だな」
 そのクルクルと廻った円い眼には、おどろきのほかに憤《いきどお》りが燃えています。
 駒井甚三郎は筆を下に置いて、
「おお、お前は友造ではないか」
 はじめて、米友の面《おもて》をまともに見ました。
「うーむ」
 米友は、駒井の面《かお》を見ていると、むらむらとして、衷心《ちゅうしん》の憤りと、憎しみとが、湧き起るのを禁《と》めることができないと見えて、その拳《こぶし》がワナワナと動いて、頓《とみ》には口も利《き》けないでいるのを、駒井はそれと知る由もないから、尋常に、
「お前はこの寺にいたのか。ナゼ甲府を出る時に、だまって出ました」
「だまって出ちゃ悪かったかい」
 駒井が尋常に出るのを、米友は、喧嘩腰ですから、この時、駒井が怪しみをなしました。しかし、駒井自身においては、よくこの男の性格を知っているつもりだから、至極おだやかに、
「帰るなら帰るように、わし[#「わし」に傍点]にも一言いってくれるとよかった」
 しかしながら宇治山田の米友は、この時、堪忍袋《かんにんぶくろ》が切れたように飛び上って、
「駒井能登守、能登守……」
 拳を握って、歯をギリギリと噛み鳴らしましたから、当の駒井よりは卒塔婆小町の婆さんがおどろきました。
「友さん、どうしたの?」
「どうしたんでもねえんだ、腹が立ってたまらねえんだ、こいつの面《つら》を見るとおいらは腹が立って、口惜《くや》しくって、物が言えねえ」
 米友の唇もまた、拳のふるえるようにふるえています。
「何です、わからないじゃありませんか、無暗に人様をつかまえて。第一、御身分のあるお方に失礼です」
 婆さんが、駒井を御身分のある方と推定したのは、もっと以前よりのことですが、口に出たのはこれが初めてで、つまりその御身分なるものは何だか知れないが、おとももつれないでこうして参詣に来たというものの、その詣《もう》でて行く墓は皆、由緒《ゆいしょ》の正しいものであり、また当人の品格が、いかにも奥床しいところのあるのに、いきなり[#「いきなり」に傍点]ぶッつかった米友の言語挙動が、いかにも粗暴を極めているから、それで見兼ねて、つい、心にあった御身分のあるお方というのが口に出たのです。
 けれども、こういう境界線は、宇治山田の米友にとっては用をなしません。
「ああ、こいつがいなけりゃ、お君は死ななくってもよかったんだ、こいつが、こいつがお君を殺しちまったのだ」
 米友は、またも躍《おど》り上って、歯をギリギリと噛み鳴らしました。
「友さん、ほんとに、お前どうしたんですよ、お前にも似合わない」
 卒塔婆小町の婆さんは、米友が発狂したのではないかとさえ疑いました。しかし米友の昂奮はいよいよ上《のぼ》ることを知って、静まるということはありません。
 駒井甚三郎は、こういうふうに頭から罵《ののし》られても、あえてそれに激するものでもなく、またこのグロテスクの凶暴な表情に恐れをなして、逃げ去ろうでもありません。
 その罵るだけを聞き、その受けるだけの乱暴を受けようとの態度ですから、いきおい、卒塔婆小町婆さんが、身を以て二人の間に立入って、万一に備えなければならない勢いとなりました。
「お、お、お君は……」
 米友は、激しくども[#「ども」に傍点]って、
「お君は、お君だけの女なんだ、そ、そ、それを……殿様の威光でおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]にした奴は誰だ」
「友造――」
 駒井が何か言おうとすると、米友はいっそう激してしまい、
「その分にしておけば一生いきていられる女を、殿様の威光でさんざんおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]にして、飽きた時分に抛《ほう》り出した奴は誰だい。ばかにしてやがら。あの女は死んでしまったんだ。死んだ者はこの世にいねえんだぜ。もう一ぺんこの世へ出せるものなら出してみろ、その上で文句があるならいってみろ、駒井能登守!」
 駒井は眼をつぶって、沈黙してしまいました。米友は、唇がわなないて口が利《き》けません。
 なんとも手のつけようのないのは、卒塔婆小町の婆さんで、なぜ、この品位ある若殿原《わかとのばら》が、寺男の米友風情に、こうまで罵られて言句がつげないのか、また、日頃、親切で正直な男が、まるで狂犬《やまいぬ》みたように、どうして一見の人にガミガミ噛みつくのだか、委細の様子がわかりません。
 暫くあって駒井甚三郎は、沈黙をやむなくさせられた口を開いて、
「それでは、友造、わしは、どうすればいいのだ」
「死んだものを活《い》かして返せ!」
と宇治山田の米友が叫びました。これは無理です。本来米友という男は、無理をいわない男であるし、自分が無理をいわないのみならず、他の無理に対しても我儘《わがまま》ということのできない男であります。しかるに、今は、駒井能登守に対して、無茶苦茶な無理をいいかけています。死んだ者を活かして返せとは、人間として、これより以上の無理な註文はないはずであります。駒井甚三郎が、いま失意の境遇にあるよわみをつけ込んで、こういう無理をいいかけるのか知らん。そうではないはずです。この男には、人のよわみにつけ込むという心はないのみならず、苟《いやしく》も弱者の虐《しいた》げらるるものに対しては、じっとしていられない男であるはずです。しかるに、今このしお[#「しお」に傍点]らしい美男の若殿原に向って、さいぜん[#「さいぜん」に傍点]からあらんかぎりの暴言を吐くのみならず、人間の力ではできない相談の無理を吹きかけています。モシ、他目《よそめ》で見たならば、たしかにこれは馬喰《うまくら》いの丑五郎《うしごろう》以上の悪態であります。卒塔婆小町の婆さんも、ここに至るとホトホト米友を憎らしく思いだしてきたのも無理ではありません。
「友さん、お前、無理をいうものではありません、お前にも似合わないじゃありませんか……」
 けれども米友は頑《がん》として頭《こうべ》を振って、
「駒井能登守、死んだものを、活かしてかえせ」
 この最大の無理を再びくりかえして、地団駄《じだんだ》を踏みました。
 おどろくばかり柔順なのは駒井甚三郎で、これらの暴言に対して、最初から怒るの風がないのみならず、甘んじてその辱《はずかし》めをうけて慎しむの体《てい》です。
 この人とても、武士の表芸として、武術の一般を学んでいないということもあるまい。まして、こうして物おだやかでない市中を、ひとりあるきするほどのものには、相当の心得がなければならないはず。その当時の紀綱《きこう》を維持する斬捨て御免の制度は、武士階級の面目を保護するために、百姓町人に向って応用することをゆるされているはず。しかるに、取るにも足らぬ小者《こもの》の罵詈悪口《ばりあっこう》に対して、この意気地ない有様は何事。
 それでは、宇治山田の米友の槍の手並と、その矮躯短身《わいくたんしん》のうちにひそむ非凡の怪力《かいりき》を知って、それに怖れをなしているのか。そうでもあるまい。
 この時、宇治山田の米友が、何におどろいてか、両の手を頭の上に高くあげて、
「死んだものを活《い》かしてかえせとは無理だった、これは人間の力でできることではねえ、神仏の力でも、死んだものを活かしてかえすことはできねえ……往《ゆ》きてかえらぬ死出の旅と歌にもあらあ。そうだ、そうだ、おいら[#「おいら」に傍点]も旅に出かけるんだった。長者町の先生が、おいら[#「おいら」に傍点]をつれて京都から大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも、唐《から》でも、天竺《てんじく》でも、無茶苦茶にあるいてくるのだ。トテもおいら[#「おいら」に傍点]のこの心持では、一つところにじっとしてはいられねえ」
と叫び出すと共に、抛《ほう》り出しておいた手桶を取って、その水をザブリと花桶の中に打込むと共に、疾風の如くこの店をかけ出して、伝通院の境内に姿をかくしてしまいました。

         二十一

 その時分、神尾主膳は、もう栃木の大中寺《だいちゅうじ》にはおりません。
 ほどなく、根岸の御行《おぎょう》の松に近いところへ、かなりの広い屋敷を借受けて、そこへ移り住んだ主《ぬし》というのが、別人ならぬ神尾主膳でありました。
 この屋敷は、とても以前の染井の化物屋敷ほどの面積はないが、それでも相当の間数と庭とがあって、中にじっと潜《ひそ》んでいる分には、あまり近所の人目に、わからないほどの広さと静けさとを持っています。
 ここへ移り住んだけれども、その当座、神尾は決して外出をするということがなく、日中は庭先へさえも出ない有様で、至極おとなしく[#「おとなしく」に傍点]暮らしていたが、どうかしたハズミで、部屋に備付けの鏡を見た時に、神尾が何ともいえない不快な面色《かおいろ》になって、ひとりでじれ[#「じれ」に傍点]出してくるのが例になっています。
 寺へ、逼塞《ひっそく》して、ひとたび心の洗濯もしてみたけれど、額に残る淫眼の傷は拭えども去らず、消せども消えず、それを見るたびに神尾が、怒りつ、焦《じ》れつするのもまた無残なるものであります。
 ところで、この神尾が、移り住んで来たその身のまわりの世話をしている女が、寺男の女房のお吉であることも、この世界にはものめずらしいばかりであります。
 お吉は引越しの当座だけ、おてつだいに来たのだから、直ぐに帰る、帰るといいながら、まだ容易に帰る様子もありません。また、神尾としてもいま、お吉に出られては、差向きこまるから、かわりのあるまでと、無理に引留めてはいるらしい。
 神尾をこうして、再び江戸の方へ引張り出した有力な策士は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であることまぎれもないが、百蔵とても、今はさかさにふる[#「ふる」に傍点]っても水の出てこない神尾を、かつぎまわったところで仕方があるまい。
 これは、本来の目的がはずれて、まぐれ当りに神尾にぶっつかり[#「ぶっつかり」に傍点]、神尾の方でも、また逼塞《ひっそく》の生活にいいかげん退屈しているのを機会《しお》に、がんりき[#「がんりき」に傍点]を頼んだものと見える。
 こうして、二人のやくざ[#「やくざ」に傍点]者が、腐れ縁ながら提携してしまってみると、これから後、類は友をひいて、再び染井の化物屋敷が、この根岸へ現われてくるものと見るほかはあるまい。
 ただ、気の毒なのは、正直な田舎者《いなかもの》のお吉で、こんなところに永居《ながい》をすれば、よいことはないにきまっている。
 それでも、この女は、もとの領主という尊敬をいつまでも失わず、忠実につとめて、国に夫が待ってさえいなければ、いつまでもここで御用をつとめる気分になっているらしい。
 神尾とても、酒乱の兆《きざ》さざるかぎり、お吉に向って、そう乱暴を働くということもなく、またこの男は、やくざ者だけに、ドコか肌合いにやさし[#「やさし」に傍点]味もあると見えて、そう没義道《もぎどう》に人を使うということもないと見える。
 神尾は引籠《ひきこも》って、人に姿を見せないし、お吉は別荘の留守番といったような格で、かいがいしく働いているから、庭や垣根の手入れに来た職人達も、別に怪しむほどのことにも至らず、そうして無事に、十日余りを経過しました。
 ところが、その翌日、かいがいしく働いているお吉を、いとど怪しく思わせたのは、その日に、荷車や釣台がかなり賑わしくこの屋敷へ着いて、一応の案内を申し入れると共に、無雑作にその荷物を運び入れてしまったことです。
 一時は、お吉も人ちがいかと思いましたが、主人の神尾も充分に諒解があるらしく、お吉にもいいつけて、その荷物を一間へ運ばせてしまいました。
 荷物を運びながら、お吉がおだやかでないと思ったのは、それがことごとく、箪笥《たんす》、長持、鏡台、お嫁入りの調度といったような品――はて、誰が来るのだろう。お吉は脅《おびやか》されたように胸が騒ぎました。
 ここへ頼まれてくるまでの話には、神尾の殿様の周囲には、全く女気というものがなく、また自分もうちあけて頼もうとするほどの女がないのだから、ぜひにといわれて、お吉は、それを光栄とも、誇りともするような気分で、わが家気取りでかいがいしく働いているところへ、こうして物々しく女の調度がおくり込まれたから、裏切りにあったように胸を騒がせたのも無理はありません。
 一時は口も利《き》けないほどになって、手に持った鏡台をあぶなく取落そうとしたのを、我慢して、差図された部屋まで持ち込み、やっと、
「どなたかおいでになるのでございますか?」
とたずねてみると、神尾はなにげなく、
「少しの間、置いてもらいたいというお客様があってね」
「左様でございますか」
とは返事をしたけれども、少しの間おいてもらいたい客人が、何しに箪笥、長持、鏡台、針箱の類《たぐい》まで持ち込むのだろう。
 お吉は、なんともいえない疑惑にみたされながら、それ以上は、尋ねてみる勇気もなく、そのまま、裏へまわって風呂を焚きにかかりました。
 しかし、そのお客様というのは、こうして荷物だけ先にまわしておいたが、本人というものは、容易には姿を見せません。どんな人が来るのだろうと、お吉は仕事をしながらも、それを心待ちに待ちかまえていましたが、風呂が沸く時分になっても、一向この家へ、訪《おとの》うて来る人はありません。それでは、殿様の御冗談だろうと――お吉は自分で気休めのように考えてみましたけれど、それにしては現在、送り込まれた荷物が物をいって仕方がない。どんな人がいつ来るであろう。来たところで、なんでもないはず。それをお吉は、自分で取越し苦労をして、なんだかすっかり、自分がだま[#「だま」に傍点]されてしまったようにも思われてならない。
「お風呂が沸きました」
 いつもならば、二つ返事でよろこんで風呂場へ飛んでくるのに、今日は、
「あ、そうか、まあ後にしよう」
といった神尾の言葉までが、いやによそよそしく、冷淡を極めているように思われ、お吉は、いっそ、ここを逃げ出して、国へ帰ってしまおうかとさえ、その時は思いました。
 ぜひなく、お吉は引返して、台所の方へ廻り、夕飯の仕度を働いているうちに、表の方に人声がありましたので、ハッとしましたが、その時、進んで返事をしたのは、珍しく主人の神尾の声でありましたから、お吉が、またも気を揉《も》みました。いつも人が来ても、隠れるようにして応対などをしたことのない人が、今日に限ってあの返事――さてはと思うと、お吉は立つ気にもなりません。ワザと腰を重く構えていると、やや暫くあって、廊下のところで、
「風呂がわいているそうだから、そなた入ったらよかろう」
と神尾の声。
「それは有難うございます。では、御免を蒙《こうむ》りまして……」
というのは、ある女の声。
「そこを、ずっと突き当って行くと開き戸がある、そこが風呂場だ」
 神尾が口で案内すると、女は心得たもので、ずっと教えられた通りに打通り、やがて帯を解く音。早くも風呂の蓋を取って、やわらかに湯を掻《か》きまわす音まで聞えましたから、お吉は躍起《やっき》の心持で、思わず台所を立って、そっと忍び足に風呂場の羽目《はめ》からのぞいて見ますと、油の乗った年増ざかりの女の肌。
 お吉がふるえた時に、廊下を渡ってくる神尾の声、
「お絹、風呂加減はどうじゃ」

         二十二

 風呂から上ったお絹が、まだ持ち運んだ荷物の散らかっている一間の中で、鏡台に向って、髪を直していると、いつか、そのうしろに立って、障子の外からのぞいている神尾主膳。
 なんともいわないで、ただお絹の後ろから、鏡にうつる姿をながめている。お絹もまた、なんともいわないで、念入りに髪をいじっている。
 鏡にうつるお絹の面《かお》に、わざとするような恥かしさ。頬から首筋、後ろへまわした手首までが、乳のように白い。
「お前は、いつになっても年をとらないね」
と神尾がいう。
「こんなに、お婆さんになってしまいました」
とお絹が答える。
 久しく田舎《いなか》に引籠《ひきこも》っていた神尾の眼には、この女の姿が、めざましいほど、若くあだっぽく[#「あだっぽく」に傍点]見えるものらしい。
「ほんとにお前は若いよ、羨《うらや》ましい。拙者などは山の中にくすぶって[#「くすぶって」に傍点]、あたら年をとってしまった」
「御冗談でしょう、御前《ごぜん》などはこれからでございますよ」
「盛りは過ぎたな」
と神尾が、自分を嘲るようにいいますと、
「これからでございますよ」
 お絹は自分のことをいっているような返事。
「女は幾つになっても廃《すた》りというものはないけれど……」
「廃ってしまえば見返るものもございませんから、廃らないうちが花でございます」
「お前なぞは、四十になっても五十になっても廃りっこはない」
といいながら神尾は、この女は天性、女郎になるように出来ている女だなと、つくづく思いました。
「福兄《ふくにい》さんも、いよいよわたしが出て来るとなると、泣きました」
「うむ」
 神尾は苦いものを飲ませられたように思う。それまではいわなくてもよかろう。聞きとうもないことを、女の口から、平気で喋り出す恥知らずを、さすがの神尾も呆《あき》れて、よんどころなく、
「福村も力を落したろう」
「ええ、あの人は、今のところ、わたしがドコへも行けないものとたかをくくって、ワザと焦《じ》らすつもりでいたところを、こうして、さっさと片付けて、綺麗《きれい》に引払って来たものですから、びっくり[#「びっくり」に傍点]して、しまいに泣いてあやまりましたよ。お気の毒でした」
「かわいそうに」
「かわいそうなことはございません、少し思い上っていたところですから……」
 神尾はだまって、お絹の横顔をながめると、緊張のない肌がぼちゃぼちゃ[#「ぼちゃぼちゃ」に傍点]として、その中に濃厚な乳白色のつや[#「つや」に傍点]が流れている。これは、たまらない多情者だと神尾が思いました。
 こういう女は、生涯、幾人《いくたり》の男をも相手にすることができる。男から男へとうつり行く間に、前の男をわすれてしまう。だから、こういう女をつかまえて、薄情を責めるのは間違いである。世には天性、女郎になるように出来ている女があって、それが境遇上、そのところを得ずに奥様になったり、お妾になったりする女があるものだ。この女は、まさしくその一人だと神尾が重ねて思いました。
 だからこの女は、浜松に生れて、神尾家に奉公し、先代の神尾に寵愛《ちょうあい》されたことは忘れている。今日まで一緒に暮らしていた福村のことも、もう忘れかけている。
 娼婦の如くもてあそばるるために生れた女があるものだと、神尾は、今あらたまったようにこの女の毒に触れました。
 そこで、だまって、障子の中へ入って行く途端に、自分の面《かお》が大きくお絹の見ていた鏡へうつるのを見出して、思わずクラクラと眩暈《めまい》がしました。
 いつになっても、蠱惑的《こわくてき》な若さを持ったお絹の面と、眉間《みけん》の真中に大傷を持った自分の面とが、鏡面に相並んで浮び出でたのを見た神尾は、クラクラと眼がくらむのを覚えました。
「ああ、なんという醜《みにく》い面《つら》だ」
 神尾は腹の底から、自分の生れもつかぬ傷を呪いました。お絹の面《かお》が、見るたびに色っぽくなってゆくにひきかえて、自分は生涯、人中へはこの面《つら》を出されはしない。
 弁信が憎い。おれの面体《めんてい》にこの傷をつけたのは、あのこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]の、お喋りの、盲目《めくら》の小法師の仕業《しわざ》だ! そこでいつもきまって、弁信というものを憎み呪うのが例になっている。
「ずいぶん大きな傷でございましたわね」
とお絹も、この鏡にうつる傷の大きさを、いまさら驚いた様子です。
「愛想《あいそ》が尽きるだろう」
「なあに、あなた……」
 この舌たるい言葉を、神尾は二様の意味で聞きました。一つは傷などはどうあろうとも、面付《かおつき》などは、いかに拙《まず》かろうとも、男でさえあればたんのう[#「たんのう」に傍点]しますよという意味にも聞え、もう一つはなにそのくらいの傷は、あなたの男ぶりの全体には少しもさわりにはなりませんよ、という意味にも聞える。
 この傷が癪《しゃく》にさわるから、神尾は、日ごろつとめて鏡を見ないことにしていました。今、こうしてまともにうつ[#「うつ」に傍点]されてみると、一時は、眼まいをするほどに、呪わしさと、腹立たしさを感じましたが、落着いてみると、それが裏を返して皮肉になり、わざと、見つめるだけこの傷を見つめてやろうという気になり、鏡にうつる傷の面《かお》をじっと力を籠《こ》めて見つめたものです。
「おれには眼が三ツある」
 神尾は自分の面を、まともにながめて、つくづくとそう思いました。
 横に連なった二つの眼は、人間並みに物をかたよらずに見る眼、別に出来上った竪《たて》の眼は何を意味する。
「何を、そんなに見つめていらっしゃるの」
 お絹がいうと、
「これを、これを」
 神尾は、さも痛快な心持で、眉間の傷を指さしました。最初はその傷を見るのが呪いであり、その次には皮肉であり、今は痛快な心持で指を突込まんばかりに、さして見せますと、
「悪くはありませんけれど、御自慢にはなりませんわ」
とお絹がたしなめ[#「たしなめ」に傍点]るようにいいました。けれども、神尾主膳は、それにしょげ[#「しょげ」に傍点]ないで、カラカラと笑いました。
 その有様は、急に嬉しくてたまらない心持になったようです。たとえば、世間には両眼の見えないものもある。片眼しか用をなさないものがある。最も念入りにこしらえた人間とても、二つ以上の眼は与えられていないのに、自分に限って三つの眼を与えられたことを、喜び躍るかのように見えます。今の先まで、呪い、憎んでいた額の大傷が、何かその喜びに堪えない暗示を与えたもののように、面《かお》の色まで生々としてきました。
「何がそんなにお嬉しいんです、やんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]な若様」
 お絹は、その昔、自分が可愛がってお守をしたことのある、この若様を可愛がるような心持になります。
 この殿様は、駒井能登守のように水の垂れるような美男とはいえないが、決して醜男《ぶおとこ》の部類ではない。とりようによっては苦味走《にがみばし》って可愛ゆいところがあると、お絹もそう憎い人とは思っていなかったし、神尾もやくざ[#「やくざ」に傍点]だけに砕けたところがあって、どうかすると、やんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]なお坊ちゃんぶりを発揮するのを、お絹は可愛がってやるつもりでいました。
 山住居《やまずまい》して、一時行いすましていた神尾主膳は、ここで、境遇の変ると共に、また心持までも逆転したのは浅ましいことです。
 お絹がここへ押しかけて来るまでには、さまざまの表裏もあれば魂胆もあって、糸をひく奴もあるし、引かせる奴もあって、お膳立ては以前から、ちゃんと出来ていたものです。それをその間際まで知らなかった福村が、気の毒といえば気の毒。未練の充分にある、自分には過ぎ者の女に置いてけぼりを食って、事実、お絹のいう通り、別れる時は泣いてあやまったかも知れません。
 お絹としては、早く、あんな男と手を切ってしまいたかったが、いま手を切っては自分の身の落ちつきに差当って困るから、いいかげんにあやなしていたので、神尾の江戸入りがきまると、自分の運命もきまるように計画を熟させておきました。
 そこで、福村をうっちゃ[#「うっちゃ」に傍点]ることができて、こうして、いい気持で乗込んだのもかなりに図々しいが、今までの身持を、この際すっかり忘れて、平気でそれを引寄せて、うれしがっている神尾も神尾です。
 そうかといって、お絹とても、この神尾が永久に頼みになる人間とは思っていまい。あれも一時《いっとき》、これも一時で、その場、その場の足がかりさえあれば、前後のことは考えておられない――といってしまえば、それまでですが、神尾は知らず、お絹としては、ここへ乗込んでくるまでに、また考えたこともあれば、ひそかに蓄えた野心もあるので、神尾をあやなしながら、まだまだ自分を捨てた気にはなりません。仕事はこれからですよ、と口に出してもいっているくらいだから、心では油が乗っているし、第一その相手欲しい肉体が、絶えずそれを物語っているのをどうともすることができません。
 今、お絹の胸に蓄えられている野心の一つを打割って見ると、どうしても元の駒井能登守、今は駒井甚三郎をとりこ[#「とりこ」に傍点]にしてやらねば虫がおさまらないといういきはり[#「いきはり」に傍点]があるのです。
 この女は、甲府にいる時分から、駒井に気があったのは事実で、ついにそれが成功するに至りませんでした。あの時分は生来の浮気がもとで、自分の腕にかけての自信というようなものも加わって、評判になるほどの男を自由にしないまでも、その心をこちらへ向けて焦《じ》らすことに快感を覚えるという程度のものでありました。それが思うように利目《ききめ》がないと見ると、今度は自分が焦れ出して、なあに、いつか一度はこっち[#「こっち」に傍点]のものにして見せるといった腹でいるところへ、例の間違が持ち上って、とうとう、駒井も、神尾も、両倒れの体《てい》で、甲府を引上げるようになってしまったから、お絹としては、未練というようなものが残って、おりにふれてはむず[#「むず」に傍点]掻《がゆ》い思いにたえられなかったのです。
 ところがどうでしょう――このごろ聞けば、その駒井能登守を、人もあろうに女軽業の親方のお角がとりこ[#「とりこ」に傍点]にしている、とりこ[#「とりこ」に傍点]にした上に金を絞って、興行の旗上げに使っている――という噂を聞いたものですから、お絹が躍起になったのも無理はありません。
 堅いようでお目出度い殿様――人交わりのできない女を相手にして、れっき[#「れっき」に傍点]とした家柄を棒に振ってしまうし、今度はまた女軽業の親方風情に翻弄《ほんろう》されて、おまけに大金をつぎこんでいる。それほどのたあいない殿様を、自分の手に入れることができないとあってみれば、意地にも我慢にも腹が立つ。それに、お角という女、何かにつけて自分に楯をつくのみならず、ややもすれば自分を取って押えて、上に乗ろうとするような仕打ちを見せるのが癪《しゃく》だ。
 どちらからいっても、この分には済まされない。そこで自分の自信も満足し、お角という女をとっちめる[#「とっちめる」に傍点]最上の策は、駒井能登守を生捕《いけど》ることだ。そうすれば一挙両得で、戦わざるにお角の陣営は崩れてしまう。こうして神尾を当座の足場として置いて、お絹のこれからの仕事は駒井を生捕るということに集中させる。まだ整理しきれない座敷の中で、その晩お絹は、行燈《あんどん》の下に机を置いて、一心に手紙を書き出しました。

         二十三

 青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛は、この時分、裏宿の家におさまって、雨降り仕事に、土間へむしろを敷いて、藁《わら》を打って、しきりに草鞋《わらじ》をこしらえておりました。
 こうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓家におさまって、雨降り仕事に草鞋をこしらえているところを見れば、だれが見ても、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で、これを稀代《きだい》な盗賊と見るものはありません。
 七兵衛自身も、その本心をいえば、どのくらい、このあたり[#「あたり」に傍点]前の百姓を有難いことだと思っているか知れないのです。そうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓になりきれない自分というものを、こういう際には恨みにも思うほどに、心もおだやかなものであります。
 多年、誰とて、自分の内職をあやしむものはないようなものの、いつまで、この隠しごとが現われずにいるものではない。早晩、三尺高いところへ自分の首がさらされる運命の来《きた》ることを思えば、いい気持がするものではありません。
 自分を、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で置くことをゆるさなかった第一のものは、女房をもらいそこねたということで、第二は、持って生れたこの早い足のせい[#「せい」に傍点]であると、七兵衛はよくそれを呑込んでいる。あるいは第一のものが、第二のものより先に、自分の方向をあやまらせたのではないかとさえ思う。
 女房を持ちそこねたという第一の不運は、残された子供をすててしまったという第二の不運となり、その不運と不幸をなぐさめるために、持ち前の早足で、諸方へあそびに出てみたのが、第三の横道を教えてしまいました。
 人はその不能に溺《おぼ》れずして能に溺れる、とは、よく寺小屋の先生から聞いた言葉であるが、七兵衛もまたつくづくその真理であることを感ずる。
 自分の早足で歩いてみると、世間並みの歩き方が馬鹿に見えて仕方がない。これがそもそも、七兵衛の邪道を行く最初の慢心でありました。この早足を利用して、人間ののろま[#「のろま」に傍点]をねらうことに味を占めた七兵衛は、一歩一歩とその興味にハマリ込んで、今はぬきさしのならない玄人《くろうと》になってしまいました。
 しかし、なお一方に残された三分の聡明性は、よく、裏と表とを塗りかくして、いまだ誰人《たれびと》にも、そのボロを見せないだけの横着と、細心とを保っているのです。
 ですから、誰が見ても、表面はあたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で、百姓の合間にその早足を利用して、尋常茶飯《じんじょうさはん》の如く、京鎌倉までも出かけてくる余裕が、近隣の百姓たちを羨《うらや》ませておりました。その実、七兵衛の本心では、自分の能を羨ましく思う百姓たちの不能を、羨ましく思うことばかり多く、あたり[#「あたり」に傍点]前の水呑百姓で、コツコツと畑を打って、女房子供を食わせていって、一生を終ることができれば、これに越した幸福はあるまいと、今も草鞋《わらじ》をつくりながら、つくづくとそれを考えているところであります。
 十八史略までは素読《そどく》を授かった覚えのある七兵衛は、「我をして洛陽負郭二頃《らくようふかくにきょう》の田《でん》あらしめば、いずくんぞよく六国の相印《しょういん》を佩《お》びんや」という文句を聞いて、それはおれの家に二反の畑さえあれば、いまさら六国の相印を佩びて苦労するにもあたらなかったにと、嘆息したものだと解釈して、夜学の先生を狼狽《ろうばい》させたこともあるのです。
 事実、七兵衛にとっては、世間の人のすべてが欲しがる金銀財宝は、無条件で手に入れることもできるし、また世間の人の羨ましがる名所ゆさんも、気の向くままにやってのけられるのだが、自分としての幸福や愉快は、そこには得られないで、こうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓として藁《わら》を打っているところに、無上の平和と愉楽のあることを思えば、世間の見るところと、求めるところと、本心のそれとは、みな逆にいっているものだとしか思われないのであります。
 こうして七兵衛は、自分の早足を載せる草鞋をつくっている。雨は小やみなく降っている。近隣はいと静かで、裏の娘が織る機《はた》の音さえ、かえって物わびしい風情を添えるばかりです。
 その機の音を聞くと、七兵衛は、あの娘も年頃になったが、間違いのないうちに、早くよいところへ嫁《かたづ》けてやりたいものだと思いました。
 そうして七兵衛は、その昔、自分が青梅街道へ捨てた子供のことまで考え出して、いま、無事に育っていれば幾つになると、草鞋をつくる手を休めて、その指を折ってみたりなどしました。
 無事に育って、日傭取《ひようとり》かせぎ[#「かせぎ」に傍点]でもいいから、こくめい[#「こくめい」に傍点]に働いてさえくれればよい、間違っても、おれのように足が早く生れついてくれるなと心配しました。
 非常な生活には、非常な警戒心が要るから、人を恋しがるような余裕は薄らぐのに、きょうはあたりまえのところへ置かれているから、あたりまえの人情が湧くと見えます。
「こんにちは……」
 さいぜん、機音《はたおと》がやんだなと思ったら、いま、裏口に訪れたのは、その若い娘の声にちがいないと思いましたから、七兵衛が、
「はいはい」
 膝の上の藁《わら》を払って立とうとすると、娘は早くも前の方へまわって来て、
「よく降りますね」
 傘をさして、手には小笊《こざる》を提げております。
「よく降るこってすね」
 七兵衛も相槌《あいづち》を打ちますと、
「おじさん、お薯《いも》をふか[#「ふか」に傍点]したから一つ持って来ましたよ」
「それはそれは」
 七兵衛はおおよろこびで、娘のさしだした小笊を受取ると、中にはおさつ[#「おさつ」に傍点]のふかし[#「ふかし」に傍点]立てが十ばかり湯気を立てています。
「どうも御馳走さま」
「どう致しまして」
「まあ、話しておいでなさいましよ」
「ありがとうございます」
 娘は、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と立ちまど[#「まど」に傍点]うていましたが、
「また参りましょう」
「そうですか、では、また話しにおいでなさいな」
「ええ」
 七兵衛は、小笊の中へ付木《つけぎ》を入れてかえすと、娘は、それを持って帰って行きました。
 再び膝を組み直した七兵衛は、ぼんやりと娘の帰っていったあとを見送って、
「うむ、いい娘になったなあ、少し見ないでいるうちに……」
 ハチ切れそうな娘ざかりの肉づきが、この時ひどく七兵衛の目に残りました。
 今まで、女というものの存在をわすれてでもいたかのように、七兵衛は、今の娘を帰してしまったことを、なんとなく残りおしくてたまらない心持になって、無理にひきとめて、京大阪の話でも聞かせるのだったのに……
 そういえば、娘もなにか物欲しそうに来ていた様子……上手《じょうず》に言えば、いくらでも話し込んでいたにちがいない。
 いったい、おれは女には気を置き過ぎる……と七兵衛が自分を歯痒《はがゆ》く思ったのはその時で、腕を振えば、いくらでも振える機会を、ついその場になると、かわいそうになったり、冷淡になったりしてしまう。
 盗賊を商売にするものには、物を盗むのを二の次にして、女を自由にするのを得意にする奴がある。七兵衛は、そうなれない。物を盗《と》るのは償《つぐな》いがつくが、女を辱《はずかし》めるのは罪だ……というような気に制せられるのを、自分ながら不思議に思う。
 娘はかわいそうだ、主あるものは罪だ……その時、七兵衛の頭に、むらむらと湧いて来た面影《おもかげ》は、神尾主膳のところにいたお絹という妖婦《ようふ》のことであります。
 あの女ならば、いくら弄《もてあそ》んでも罪にはならない……おれはいったい、あの女とずっと以前から近づきになっていたのに、いらぬ遠慮をしていたものだ。あとから出た百蔵あたりが、かなり甘ったるい言葉づかいをするのに、それをあざ[#「あざ」に傍点]笑って高くとまっていたおれは、淡泊なのか、それとも意気地がないのか。
 七兵衛としては妙な心に動かされました。

 雨のやむのを待って七兵衛は旅仕度をととのえて、わが家を立ち出でました。まず江戸をめざして行くのかと思うと、そうではなく、南の方へ向いて、ほどなく武州の高尾山へつきました。七兵衛は、高尾山の飯綱権現《いいづなごんげん》を信仰して、時々おまいりをしては護摩《ごま》を焚いてくることがある。七兵衛の飯綱権現信仰の心持はわかりませんが、ここへおまいりをするのは、今に始まったことではありません。
 本道から、登りにかかると、ちょうど入口のところへ人夫が大勢入って、しきりに大木を伐《き》り散らしていますから、七兵衛も思わず立ちどまって、
「おやおや、たいそう材木をお伐りなさるが、どうなさるんですか」
と人夫にたずねてみますと、人夫が、
「ここへ道を開いて、車を仕掛けようというんです」
「え、ここへ道をつけて車をしかけるんですか、道はこっちにいい道があるじゃありませんか」
「そっちの道は、そっちの道として置いて、別にこっちへつけようというんだ」
「なるほど……」
 七兵衛が仰いで見ますと、これからずっと山の上まで、さしもの大木を伐《き》り倒して行こうという計画らしいから、心なき七兵衛も惜しいものだという気になって、
「惜しいじゃありませんか、この大木をドンドンお伐りになっては……」
「よけいなことをいいなさんな」
 人夫頭が憎さげな眼で七兵衛を見ました。七兵衛は頓着せず、
「全く、これを伐ってしまうのは惜しうございますよ、なんとか工夫はないものですかな。第一車を仕掛けて、どうなさろうというんで……」
「そんなことは知らねえよ、おれたちは伐れというから、伐っているだけなんだ」
「なるほど……」
 七兵衛はなお立去らず、大木の森をながめていると、
「おいおい、邪魔になるから向うへ寄っていな」
 人夫頭が叱ります。七兵衛は二足三足、わきへ寄って、なお物惜しそうにながめていると、人夫たちが、からかうように、
「おい、お前さん、何かこの木を伐《き》って文句があるなら、、おれたちにいったって仕方がねえから、お宮へでも、お寺へでも尻を持って行きな。おれたちは、ここを伐れといえば、ここを伐るし、あすこを削れといえば、あすこを削る、おゆるし通りに仕事をしている分のことだぜ」
 そこで七兵衛は沈黙してしまいました。
 七兵衛のような心なき盗賊でさえも、これはあまり無茶なことだと思いました。この山は、お宮とお寺とで管理している山。お宮は樹木が御神体のようなもの。昔の出家は木を植えて山を荘厳《そうごん》にしたのに、何の必要あってこうしてムザムザ木を伐ったり、山を崩したりするのだろう。車を仕掛けるのだといっているが、わからないことだ。もとよりこの連中は、いいつけられた通りにしているので、この連中に向って文句をいっても仕方がないが、上に立つものが、もう少し目が見えそうなものだと思いました。
 話の模様では、ここの木を伐ってみていけなければ、またほかのところを、おゆるしが出ることになっているらしい。立派な山を疵物《きずもの》にして、車を仕掛けなければならない理由が七兵衛には少しもわかりませんから、コイツ山師共が、何かの口実で、木を伐って金儲《かねもう》けをするのだなと思い込んでしまいました。祖先以来荘厳にして置いた名山を、食い物にしようとする人間の浅ましさはさて置き、管理するお宮とお寺とが、これではなさけないと思います。
 七兵衛は天成に近い盗賊だが、それでも、これだけの冥利《みょうり》は知っているのです。
 七兵衛はまた、時として、優れたる家相学者であることもあります。
 その仕事の都合上、どうしてもまず家の形勢を見てかかることから、自然に会得《えとく》した家相の知識にも、相当に聞くべきものがあるのであります。
 その説によると、主人がしっかり[#「しっかり」に傍点]していて、家中が気を揃《そろ》えているところには、家相におのずから弾力があって、忍び込めないことになっている。よし忍び込むことができても、その獲物《えもの》が僅少であって、犠牲が多いことになっている。これに反して、主人が惰弱《だじゃく》で、家風が衰えている家は、いかに構えがおごそかでも、家相というものが、隙だらけで、そこへ忍び込んで仕事をするのは、極めて容易《たやす》いことになっている。
 七兵衛にいわせると、これは、個々の家相のみではない。彼が国々を出没してあるくうちに、おのずから、その領主の気象や士気が、風土の上に現われるのを見て取ることができる。
 領主が賢明にして士風が振うところは、城内の樹木の色まで違う。国が盛んに、人気の和《やわ》らいでいるところでは、必ずその封内の神社仏閣を大切にし、樹木が鬱蒼《うっそう》としている。貧弱な国ほど領内に樹木が乏しい。よい樹木があってもそれを伐りたがる。
 神主や坊さんたちも、人物が優れているほど、境内《けいだい》の風致の荘厳《そうごん》を重んずるが、それが堕落すればするほど、境内を荒したり切売りしたりする。
 国として霊山を伐《き》ることをゆるしたり、神社や仏閣で、その境内に疵《きず》をつけたり、また個人としてその屋敷内を切売りするようになってはおしまいです。
「亡んだ国に、山の青い国はない」という真理を、七兵衛は、それとなく知っているわけなのです。
 そこで、坊へ着いた七兵衛は、案内に向ってこのことをたずねてみると、案内はかえって自慢らしく、
「おかげさまで、ああして木を伐り払って新しい道が開けますよ。あれが出来て車を仕掛けますと、女子供までのぼるのが楽になりますからな、そうなるとお山も繁昌致します、お寺も収入《みいり》が多くなるというわけで、トカク、近頃は金でございますね」
 七兵衛は、それを聞いて呆気《あっけ》にとられました。そうすると案内は得意になって、
「宮方《みやかた》のお役人も、よく話がわかるものですから、直ぐに許してくれます。一旦、木を伐ってずいぶん売って儲けましたが、そこが都合が悪いので、今度は少し遠くなりますがこっちの方へ廻しました。なあに、ここでいけなければ、また別なところを許してもらいますからね。おっつけ、あの切崩しが済みますと、じかに車がしかかりますから、あんた方の骨の折れるのも、もう一息のところでございますよ」
 そこで、七兵衛はいよいよ驚かされました。このくらいの山道は自分のような足の達者な者でなくとも、骨が折れるとは思われない。
 寺を繁昌させたいならば、山を傷物にしないで、お寺を市中へ卸したらよかろう。この連中にまかせておいては、しまいには山をどういうことにするかわからない。今のうち警告を与えておかなければならないと思いましたけれども、警告を与えたところで、どれだけ利《き》き目があるか、あやしいものだとも思いました。こんなことを考えながら、七兵衛は、その晩は高尾の坊へとまることになりましたが、そこで四五人づれの奇異なる相客《あいきゃく》と落合いました。七兵衛が、その連中にたずねてみると、その連中は上方《かみがた》から下る神楽師《かぐらし》だといっていましたから、そのつもりで話を合わせていると、七兵衛には、どうもこの連中が神楽師だとは受取れなくなりました。
 いったい、神楽師にも、いろいろの種類があるだろうから一概にはいえないはず。それでも禁裡《きんり》に由緒ある本格の神楽師ならば、こうして浮浪の大神楽《だいかぐら》みたように、軽々しくは通るまい。そうかといって、大神楽師にしては、この連中、品格があり過ぎる。家相山相を見ることに敏感な七兵衛は、また人相を見ることにも敏感なのは、商売柄ぜひもありません。

         二十四

 七兵衛はこの四五人連れの神楽師《かぐらし》を、只者ではないと睨《にら》みました。
 いずれも、黒い着物を着て、博多《はかた》の帯をしめたところは、あたりまえの旅芸人のようにも見えますが、少し話をしてみれば直ぐにわかることで、ことに七兵衛のように諸国を飛び歩いている者には、国々のなまり[#「なまり」に傍点]が、争われない符帳《ふちょう》です。
 そうかといって、めいめいの話を聞いていれば、やはり歌舞音曲に関することが多いので、この点は七兵衛も、ちょっと測り兼ねているところです。
「当山には、湯加僧正《ゆかそうじょう》という声明《しょうみょう》の上手がおられたげな」
と一座の長老がいう。
「湯加僧正は、このほど、京都の智積院《ちしゃくいん》へ帰られたそうな」
 その次のがいう。
「それは惜しいことを致したわい、僧正がおられたら、お目通りをして声明秘伝《しょうみょうひでん》を伺いたいものと思うていました」
「残念なこっちゃ」
 その話しぶりは、おのずから型に入っているが、それはこの連中だけで特にこしらえた型らしい。そういう型をこしらえたのは、つまり、おのおのの生れ国のなまり[#「なまり」に傍点]をゴマかすためだと、七兵衛が早くもかんづきました。
 しかのみならず、この連中、よく見れば見るほど生え抜きの神楽師ではない。神楽師でないと思って見直すと、町人にも、百姓にも、そのほかの遊芸人にも見えない。どうしてもさむらい[#「さむらい」に傍点]である。さむらい[#「さむらい」に傍点]だなと思って見ると、面《めん》ずれ[#「ずれ」に傍点]もあれば、竹刀《しない》ダコ[#「ダコ」に傍点]も見えるというわけで、七兵衛は、とうとうこの連中を、上方から神楽師に仮装して、江戸へ乗込むものだと鑑定をしてしまいました。
 そうしてみると、七兵衛のように、浪人たちの表裏をくぐって来た人間には、何の目的で、西から来て東へ下るのだか、おおよその見当をつけるに骨は折れません。
 そこで、ひとつ探りを入れてみる気になりました。
「あなた方は、お江戸は、ドチラまでおいでになりますか」
「はい、江戸は芝の三田四国町というところを、たずねてまいりますのじゃ」
「三田の四国町へおいでなさるのでございますか」
「四国町の薩摩さんのお屋敷へと、たずねてまいりたいと思いましてな」
「え、四国町の薩摩様……」
といって、七兵衛が、それからあと、「こいつは大変な代物《しろもの》だ」と口の中でいいました。
 その三田の四国町の薩摩屋敷は、今天下の風雲をねらうものの巣になっている。これを七兵衛はよく知っている。そこへ乗込もうという神楽師ならば、これは探りを入れるまでもない、金箔付《きんぱくつ》きの神楽師だと思いました。
 しかし、また、仮りにこうして姿をかえてまで江戸へ乗込もうという連中が、その行く先をアケスケに、薩摩屋敷だといってしまったのでは正直過ぎる。
 これは多分、自分が見る影もない百姓だから、この位は打明けてもさしつかえないとタカ[#「タカ」に傍点]をくくったのかも知れない。
 その晩、七兵衛がこれらの連中と枕を並べて寝た夜中に、ふと胸に浮んだことがあります。それはほかでもない、このごろ、この武蔵と、相模と、甲州方面の境で、夜な夜なしきりに怪しい神楽太鼓の響きがする――賑やかな囃子《はやし》を追うて行って見ると、その影を捉えることができない。七兵衛も、どうかするとそれにでっくわせたこともあるが、わざわざ尋ねてみようとも思わなかったが、この時ふと胸に浮んだのは、その怪しげな囃子の音こそ、これらの連中の仕業《しわざ》ではあるまいか、どうもそのような気がしてならぬ。
 無事にその夜が明けて、いざ立つという時に、七兵衛が、右の神楽師の連中に向って、私も江戸へ参りますから御一緒に、とさあらぬ体《てい》にいい出すと、神楽師の長老がジロリと七兵衛をながめ、
「何卒《どうぞ》御一緒に……して、お前さんの御商売は何ですか」
 商売は、と聞かれて、七兵衛はギクリとしましたけれど、
「ええ、近在の百姓でございますけれど、百姓が嫌いなもんですから、つい……」
と言いました。つい、どうしたのだか、それは自分ながらわかりません。
 事実、七兵衛は百姓が嫌いではないのです。どちらかといえば好きなのです。青空をいただいて、地上へ自分の労力の一切を尽し、実りを天の風雨に待って争わぬ仕事を、愉快なりとしています。それで自分もけっこう一人前の百姓をやるだけの腕は持っているのです。ですから、旅先で、二宮流の講義などを聞いていると、つい感心してしまって、自分も、どこか、広々とした野原へ出て開墾をして、そこに自由な新天地を開いたら、どのくらい愉快だろうと空想することもあるくらいですから、百姓が嫌いといったのをクス[#「クス」に傍点]ぐったく思います。
 さて、右の四五人連れの神楽師の旅装を見ると、笠をかぶり、脚絆《きゃはん》、甲掛《こうがけ》に両がけの荷物、ちょっとお鷹匠《たかじょう》といったようないでたち[#「いでたち」に傍点]ですけれども、脇差を一本しか差してはおりません。
 七兵衛は同行しながらも、この中のドレが親分だろうと鑑定を試みましたけれど、結局ドレが親分という様子もなく、ドレが子分だという関係もないようです。
 七兵衛は、またこの親分子分という関係がだいきらいなのです。親分子分というものは、侠客《きょうかく》とかバクチ[#「バクチ」に傍点]打ちとかいう社会にはなくてはならぬものだろうが、世の中が進歩すればするほど、それがなくなるべきはずだと信じているのです。
 親分と立てられたいために、ツマらないみえや犠牲を払い、子分はまた親分に養ってもらうために、無理をしてまで親分に箔《はく》をつけようとする。親分は無理をして子分をカバおうとする。子分は無理をして親分を立てようとする。そういうのを美談のように考えているのは大間違いで、その道によって長者と先輩は尊敬しなければならないが、親分子分の関係を作るのは愚の至りだと信じているのです。ですから、上方《かみがた》へ行って本願寺のお説教を立聞きした時も、ほかのところの有難味はよくわからなかったが、「親鸞《しんらん》は弟子一人も持たず候」といった一句に、ヒドク共鳴して、いわゆる御開山様なるものはエライと感心して帰ったことであります。
 ところで、この神楽師の一行は、親分子分の愚劣な関係を復習して、得意がっている連中ではなく、おのずから和して同ぜざるの見識があるように思われる。
 こうして七兵衛は、江戸へ行くまでの十五里の行程を、この連中の観察と研究とを題目として行くつもりで出かけますと、ほどなく例の木を伐《き》り払って、山を崩しているところまで来ました。
 ここへ来ると、一行がたちどまって、
「おお、木を伐っています」
「おお、山を崩しています」
といって眼を円くしてたちどまり、
「木を伐って何をするのだろう」
「山を崩して何をするのだろう」
 いずれも合点《がてん》のゆかない体《てい》ですから、七兵衛が、
「車を仕掛けるのだそうでございます」
「車を仕掛ける……車をしかけてどないにしなさるのじゃ」
「車を仕掛けて、上り下りの都合のよいように致すのだそうでございます」
「じゃというて、あたらこの美しい樹木を伐り倒し、整うた山を掘り崩し……」
「つまり、お金儲《かねもう》けのためでございます」
「お金儲けのためでなければ、こんなところへ車を仕掛ける理由《わけ》がわかりません」
「けしからん」
 一行のうちの、最も無口で、背が低くて、眉宇《びう》の精悍《せいかん》なのが、掘崩しの前のところまで進んで出ました。
「惜しいものです、大木を惜しげもなく伐り倒し、山の形を掘り崩し……」
 七兵衛がいいますと、右の男がまたしても一歩進み出して、
「けしからん」
 七兵衛は一歩しりぞいて、この男の挙動を見ました。この男は本当に憤《おこ》っているようですから、人間は本当に憤ると、生地《きじ》を隠すことができないはずだと見たからです。
 掘り崩した崖《がけ》の上まで進み出た右の一人は、
「一体、その必要もなきところへ、金儲けのための無用の工事を加えるというのは、俗界にあっても許すべからざることであるのに、身、僧侶にありながら、多年、その山の恵みに生きながら、それを切り崩して金儲けをもくろむ[#「もくろむ」に傍点]とは言語道断《ごんごどうだん》……一体、仏寺なるものが、その祖師の恩恵によって過分の待遇を受け、広大な領分を持ち、諸方の勧化《かんげ》を貪《むさぼ》りながら、なおそれにあきたらず、開山以来、尊重したその山の樹木を伐り、山を崩して、金儲けをしようとは何事だ」
 空谷《くうこく》の中に立って、この男がこう叫びました。七兵衛は、よくいってくれた、もっと何かいって下さいという感じがしていると、
「誰がこの樹木を伐ることを許したのだ、誰がこの山を切り崩すことを許したのだ。ナニ、宮方《みやかた》の役人が……宮方の役人とは寺社奉行のことか。ここは江戸を距《さ》ること僅かに十余里、お膝元も同様なところではないか、寺社奉行の威光がここまでも及ばないのか……ナニ、一旦、向うの方の材木を伐って売り払い、そこがいけないから、今度はこちらを切りくずしにかかったのだと、山を何と心得ている」
 この男の髪の毛が、上へ向いて来たのを認めます。その時、長老が出て肩をたたき、
「まあ、さのみ憤《いきどお》りたもうな、天下に憤るべきことは多いのに、僅かこの一小事……」
となだめにかかったのを、右の男はききません。
「いや、世には大事に似たる小事もある、小事に似たる大事もある、斯様《かよう》なことは一小事ではござらぬ……利益のために己《おの》が山をこわす輩《やから》は、利益のためには己が国をも売る輩でござる。昔は天津橋上《てんしんきょうじょう》に杜鵑《とけん》の啼《な》いたのを以て、天下の変を知ったものがあるではないか。お膝元から僅か十五里のところで、無残にも霊山を食い物にしている、それを抑えることができない……」
 ここに至ると、神楽師《かぐらし》の仮面は、遠慮なく剥落《はくらく》してしまい、
「モシ、われわれが天下を取った暁には、廃仏毀釈《はいぶつきしゃく》を断行する」
とさけびました。
 この男は仏教そのものも多少は知っているし、また仏教そのものが日本の文明に寄与した功績も多少心得ているらしいが、現在の仏寺と、僧侶の腐敗をもかねて、大いに憤慨していたものらしい。これよりいくらもたたない後に現われた維新の政府が、かなり無遠慮に廃仏毀釈を実行したのも、一部分の責めは坊主が負わなければなりますまい。七兵衛はその時、おだやかにこういいました。
「左様でございますね、モシ、山師共がお山を食い物にしようとかかりましても、宮方のお役人と、お山の坊さんとは、よくそれを教えさとして、思いとどまらせるようにしなければならぬはずのものだと私共も思います」
 切り散らし、掘《ほ》っくりかえしている事の体《てい》を見て、一同のものが白け渡りました。
 その時、高尾山の麓《ふもと》の茶屋では、半ぺん坊主が一杯飲みながら、
「占《し》め占め、こう来なくっちゃならねえ」
といって、さも嬉しそうに、山を掘り崩しているところをながめては、半ぺんを肴《さかな》に、頻《しき》りに盃を傾けておりました。
 半ぺん坊主は、京都あたりから来た風来坊主で、高尾の寺に籍があるわけでもなんでもないが、この近所へ草庵ようのものを構えて、ぶらぶらと暮らしている。
 半ぺんが大好きで、半ぺんを肴に、酒を飲ませさえすれば上機嫌で、何でも喋《しゃべ》り出す。そこで半ぺん坊主で通って、誰も本名を知るものがありません。
「さあ、いよいよ望みがかなって、近いうちにこの上まで車が、カラカラッと勢いよく舞い上るから見ていてごらんなさい、景気よく、カラカラッと上るところをごろうじろ……」
といって、ブクブク肥った身体《からだ》を一つゆすり[#「ゆすり」に傍点]、
「カラカラカラッと景気よく……」
 半ぺん坊主は山をくずして、近いうちに車がしかかるのが嬉しくてたまらないらしい。
「この間はまた、伐り倒した大木を、機械鋸《きかいのこ》にかけてキリキリキリッと音を立てさせていたが、あの音がまた甚だ結構……ああいうのを聞いて飲むと、酒がひとしお旨《うま》く飲める……」
といって、うまそうに一杯飲む。
 この坊主の理窟によると、昔の名僧智識が、わざわざ寺を山の上へ持っていったのは昔のことで、今の宗教は、なるべく民衆と接近しなければいけない、それをするには、どんな霊域でもカラカラカラと車を仕掛けるに限る、という持論から、今度などもずいぶん運動に骨を折りました。
 そこへ二三人の人夫が、立札を荷《にな》ってくる。
「御苦労、御苦労」
 半ぺん坊主が、こちらからねぎらう[#「ねぎらう」に傍点]と、人夫はちょっと笑っただけで、土を掘って立札を立てにかかる。
 その立札には、「杉苗何百本、何千本、何の誰」と一枚一枚に書いてある。
「は、は、は、は」
 半ぺん坊主は、思い出したように高らかに笑い出し、
「高尾では、あの杉苗をいったいドコへ植えるんだと、この間、まじめに聞かれたんで、わしも弱ったよ」
 杉苗寄進の立札が、半ぺん坊主には、なんだか急におかしくなったものと思われる。
 この山では、何町の間、隙間もなく、杉苗寄進の札を立ててはあるが、ドコへその杉苗を植えるのだか一向わかっていない。
「お愛嬌《あいきょう》ですよ。あれをお前さん、正直に受取った日には、一年に関東八州が三ツあったって足りやしませんよ……植える方はどうでもいいが、切る方はせいぜい切らしていただいて……」
 半ぺん坊主は、額を丁と叩きました。
「切る方はせいぜい切らしていただいて、カラカラカラッと景気よく……ナニ、一木一草をも愛護して下さいだって、木を傷つける人があったら止めて下さいだって……笑いごとじゃありませんよ、木を伐らないで車が仕掛りますか」
 半ぺん坊主はこの時、腰衣《こしごろも》の上へ酒をこぼしたので、あわててそれを拭い、
「もっとも、これについては、かれこれと、やかましくいう奴もあるにはあったが、わしが行ってお役人を口説《くど》いて来ると、ああ、いいともいいとも、こっちを伐っていけなければあっちをお伐り、それでいけなければこっちをお伐り、いいとも、いいとも……で話が忽《たちま》ちに出来上ってしまったのさ」
 半ぺん坊主が得意になっているところへ、例の神楽師の一行と七兵衛とが通りかかったので、坊主は酔眼をみはって、その一行をながめ、
「公儀お鷹匠《たかじょう》のような奴が通らあ、いや[#「いや」に傍点]にギスギスしてやがらあ」
といって半ぺん坊主は、半ぺんの残りを、さも旨《うま》そうに食べました。

         二十五

 高尾山ではこうして、山を崩したり、木を伐ったりして嬉しがっている一方、武州の御岳山の下では、水車番の与八がしきりに木を植えておりました。
 与八は、「木を植えるのは徳を植えるなり」という理窟を知らない。ただ土地が明《あ》いていては勿体《もったい》ないから植えておこうという心がけで、木を植えて山を青くするそのことが楽しみなので。また何本植えて、何年たって、いくらに売れるということも知らない。植える傍から植えたことを忘れてしまって、育てることだけは忘れない。
 木を育てることの好きな与八は、また人の子供を育てることが大好きです。郁太郎《いくたろう》を育ててみると、その苦しみのうちに、いうにいわれぬ楽しみがあって、子供というものはほんとうに可愛いものだと身に沁《し》みています。与八が、ほんとうに子供を可愛がるものですから、子供たちもまた、与八に懐《なつ》くことは大変なもので、いつも、与八の仕事をする周囲には、五人十人の子供が集まっていないということはありません。
 郁太郎も、今では乳《ち》ばなれもしたし、人に預けなくても、遊びに来る子供が守《もり》をしてくれるから、自分の仕事もよく手が廻ります。仕事の合間、与八は海蔵寺の東妙和尚について、和讃《わさん》だの、経文《きょうもん》の初歩だのというものを教わります。それと共に、東妙和尚の手ずさみ[#「ずさみ」に傍点]をみよう見真似《みまね》で彫刻をはじめました。そこで、与八は学問の初歩と、美術の初歩というものにようやく興味を覚えてきました。
 この興味は、与八をして教育の世界に、一つの驚異を見出させたようです。自ら教ゆる間のみが人を教ゆることができる。与八のこのごろは、熱心なる学問好きになっているところから、自分の周囲に群がる子供たちを見ると、どうもこのままでは置けないという気になって仕方がありません。見るところ、これらの子供たちは、自分の過去と同じように、なんらの教育を受けることも、受けさせる設備も出来てはいないようだ、どうかしてこの子供たちのために、寺小屋様のものを設けて、自分も共に学びたいものだと痛切に思いつきました。
 そうかといって、自分には今それをする余裕もなければ、学問の力もない。そういう時に与八が、いつも思い出すのはお松のことであります。
「お松さんが来てくれればいいな」
と与八は、いつもそれを思い出すのですけれども、それはトテモ出来ない相談だと思いかえすのが常でありました。
 ところが先日、相生町の老女の屋敷に久しぶりでお松をたずねてみたところが、お松もまた、思いがけない一人の子持ちとなっていて、おたがいに力を合わせて子供を育ててゆきたいというような話をしたことから、与八はその話を進めて、お松をここに呼び迎えてみたいと気が進みました。
 ある日、与八は水車小屋から程遠からぬ主人の屋敷へ出向いて、ふと、物置同様になっている剣術の道場の前に立ちました。
 机の家の屋敷は、定まる当主とてもありませんから、すべてにおいて、与八が監理人のようなものであります。親類の人が時々来ては見て行きはしますけれども、小さな城廓《じょうかく》ほどもある屋敷を、ともかく、これだけに手入れをしているのは、与八の働きといわねばなりません。
 そこで与八が、剣術の道場の前に立って考えたのは、ひとしきり、この道場から、甲源一刀流の、音無しの構えなるものが起って、幾多の剣士を戦慄《せんりつ》させたという思い出でもありません。また、この道場から宇津木文之丞との争いが起って、それから黒い風が吹き、白い雨が降り出した今日までの一切の経過でもありません。その時代はもう過ぎてしまって、今、与八がこの道場の前に立った時、ふと思いついたのは、これを利用して、お松さんと共に、多くの子供をここへ集めて育ててみたいなという希望であります。
 与八が道場の庭を掃いていると、そこへ突然姿を現わした旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]。
「少々、物をたずねたいが、机竜之助の道場はこれか」
「左様でございます」
 与八は、箒《ほうき》をとどめて、さむらい[#「さむらい」に傍点]の問いに答えました。
「主人は留守か」
「はい」
「代稽古はいないか」
「おりませんでございます」
 そこで、旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は残り惜しげに道場のまわりをうろつい[#「うろつい」に傍点]ているから、
「まあ、お休みなさいまし、ただいまは誰もおりませんけれど、道場を御覧になるならば、あけてお見せ申しましょう」
と与八がいいますと、さむらい[#「さむらい」に傍点]はよろこばしげに、
「それは有難い、せっかくのことに道場の中を一見させてもらいたい」
 与八が裏の戸口から入って、道場をあけてやると、さむらい[#「さむらい」に傍点]は草鞋《わらじ》をとって、道場の内部へ入って来ました。
「ははあ、なかなか結構なものだ」
と道場の内部の整っていることを見て、旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は感嘆し、
「誰も代ってこの道場を預かるというものはないのか」
「どなたもございません」
「誰か、あの男の生立《おいた》ちを知っているものはないか」
「生立ちと申しますのは……」
「あの男の子供時代のことだ、いや、それよりも親の時代のことから……」
「左様でございます、みんなもう亡くなりましたね」
「あれの親がエラ[#「エラ」に傍点]物《ぶつ》であったというではないか。そうして酒を飲んだか」
 与八は、変な物のたずね方をするさむらい[#「さむらい」に傍点]だと思いました。横柄《おうへい》なのは仕方がないが、エラ[#「エラ」に傍点]物であったというではないか、そうして酒を飲んだか、という尋ね方は、おかしいと思いました。このさむらい[#「さむらい」に傍点]の尋ね方では、エラ[#「エラ」に傍点]物はキット酒を飲むもののようにきめているらしい。
「大先生《おおせんせい》もお若いうちは、少しは召上りになったようでございますが……」
と申しわけのようにいうと、さむらい[#「さむらい」に傍点]は、
「少しではあるまい、うん[#「うん」に傍点]と飲んだろう、飲む時は七升ぐらい飲んだろう……」
「え……」
 与八が、また返答に苦しみました。七升と相場をきめたのがおか[#「おか」に傍点]しいことです。六升飲んだか、七升飲んだか、そんなことは誰も知っているはずはない。知っているなら尋ねなくてもいいはずだ。
「それで竜之助はどうだ、これはあまりいけまい」
「え、若先生の方も少しばかり……」
「そうだろう、七升は飲めまい」
 妙に七升を振りまわすさむらい[#「さむらい」に傍点]だと思いました。また事実、飲めようと飲めまいと大きなお世話です。米友ならば食ってかかるのだろうが、与八は、おとなしくそれを聞き流していると、件《くだん》のさむらい[#「さむらい」に傍点]はいっこう無遠慮に、
「どうだ、この道場へはお化けが出るという話だが本当か」
「そんな噂《うわさ》がありますか」
「あるとも、武州、沢井の机の道場には夜な夜なお化けが出る、それで誰も道場を預かり手がない――という噂を聞いて、わざわざたずねて来たのだ」
「へえ、この近所に住んでいるものは、そんなことあ言やしません」
「ともかく、今晩はここへ泊めてもらいたいものだ」
 件《くだん》のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、道場の板の間の真中へすわりこんでしまいました。
「おとまりなさいまし、お化けなんぞは出や致しません」
 与八はおとなしく、この無遠慮なさむらい[#「さむらい」に傍点]の言い分を受入れました。
 こういう無遠慮なさむらい[#「さむらい」に傍点]ですけれども、与八は逆らわず、望み通り、この道場に泊めてやることにして、もてなし[#「もてなし」に傍点]ましたから、さむらい[#「さむらい」に傍点]は大喜びであります。
 机の道場にはお化けが出る……与八は初めて聞く噂だが、なるほどありそうな噂だと思いました。自分の耳に入らないだけで、専《もっぱ》らそういう噂が響いているのではないかと思いました。
 そうして与八は、さむらい[#「さむらい」に傍点]のために夕食を運んで、自分は水車小屋へ帰ってしまったあと、件《くだん》のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、やはり道場の真中に莚《むしろ》を布《し》いて坐り込み、その前には与八の運んだお膳と、それから、いつのまに、どうして持ち込んだか一升徳利を押据えて、まず一杯を試みて舌鼓を打ちました。
 ほどなく一升の酒を平げ、飯を食い――終ると、膳を押片づけて、行燈《あんどん》を掻《か》き立て、謡《うたい》をうなりはじめます。
 謡い終ると、立ち上って、道場の壁にかけた木刀を取って、型をつかい、つぎに、槍、棒、薙刀《なぎなた》、千鳥鎌の類に至るまで、いちいち手に取って、その型をつかい、それが終ると、肱《ひじ》を枕にして横になりました。
 このさむらい[#「さむらい」に傍点]は何のために来たか。多分、ここの剣術の名を以前に聞いていて、ちかごろは無住で、お化けが出るというような噂に興が乗り、半ば好奇心が手つだって、道を枉《ま》げてたずねてみたものと思われる。
 しかし、夜が更《ふ》けて行くと、多摩川の流れの音が、冴《さ》えて聞えるだけで、別段、お化けも出なければ、幽霊も現われず、あたら英雄も髀肉《ひにく》の嘆《たん》に堪えない有様です。
 暫くするとコトリと、道場の隅に物音。屹《きっ》とそちらを振向くと、食い残した食膳に一匹の鼠がはいかかっている。なんだ、泰山鳴動《たいざんめいどう》もせずに鼠一匹。
 さむらい[#「さむらい」に傍点]は、手裏剣を抜いて、その鼠めを仕留めてやろうと、狙《ねら》いを定めたが、この手裏剣が惜しい。鼠一匹の代価に、この手裏剣を再び研《と》がせるのは愚だ。しかし、つれづれのおりから、よい相手だ。一番仕留めてやろうかな……鼠を打つに器《うつわ》を忌《い》むとはこれ。
「叱《し》ッ」
 叱りつけると、鼠は膳を飛び下りて道場の隅を走る。暫くあって、また、こそこそと舞い戻ってくる。
「叱ッ」
 追えば、追われた当座だけ逃げて、また戻って来る。
 美濃の大垣の正木段之進は、こうして鼠をにらみ[#「にらみ」に傍点]すくめて動けなくしたということが東遊記に書いてある。このさむらい[#「さむらい」に傍点]は、鼠一匹を相手に、追いつ追われつ興がっているが、やはり、器《うつわ》を忌《い》むの心で手裏剣は切って放さない。思い直したと見えて、それを脇差にはさ[#「はさ」に傍点]んでしまい、体を斜めにして、傍《かた》えの木剣を引寄せて、今度来たならば一撃の下《もと》にと身構えしているとは知らず、三度目にこそこそと板の間の隅を走る鼠。
 途中まで来て、踏みとどまってこちらを見ました。その瞬間、さむらい[#「さむらい」に傍点]が、初めてゾッとして、構えた木刀を思わず取落そうとしたのは、踏みとどまってこちらを見た鼠の面《かお》が、その時、ずんと伸びて、ほとんど人面と同じほどの大きさに見え、じっと眼を据えて、こちらを睨《にら》み返したからです。
「何を……」
 再び、その木剣を取り直した時は、もう鼠の姿は見えず、ただなんとなく、寒気《さむけ》が全身を襲うて来るのみです。
 そこで、さむらい[#「さむらい」に傍点]はなんだかばかばかしくもあり、いやな気にもなって、木剣を抛《ほう》り出し、そのまま頭をかかえて横になるとまもなく、軽いいびき[#「いびき」に傍点]で寝入ってしまいましたが、ずん[#「ずん」に傍点]と大きく、人間と同じほどに伸びた鼠の面《かお》だけが、夢の中に残って、夜もすがらおびえた[#「おびえた」に傍点]そうです。

         二十六

 その夜は、それだけで無事に明け、翌日、右のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、御岳山へのぼるといって立去りました。
 与八が、急に江戸へ出かけたくなったのもその時で、それは今になって、お松の先日いった言葉をつくづく思い出したからです。お松さんのいうのには、あのお屋敷では御老女様に大へん可愛がられているが、本来、あの屋敷というのが、国々の壮士浪人の集まりで、いつ解散されるのだかわからない。もしや御老女様が遠方の国許《くにもと》へでもお帰りになってしまったあとは……と、それとなく身の行末に多少の不安を述べたのを、与八は耳にハサんでは来ましたが、もともと鈍感な男のことですから、今頃になって漸くそれを痛切に思い出し、わけを話して、こっちへ来て下さいといえば、来てくれない限りはあるまい……そう思い立つと、正直な心から、一刻も早く江戸へ出かけて、お松に念を押してみたくなったのです。
 お松の方でも、与八の推察通り、今、自分の身の上について、多少の不安を感じているところです。
 駒井甚三郎は、ムク犬の通知によって直ちに出向いてくれました。そうして、初めて持ったわが子というものに、母として、親としての一切の仕事を、お松に頼んだのであります。お松としては、頼まれなくてもこの子をてばなす気にはなれません。駒井甚三郎は、それがためにかなりおおくの費用をお松の手に渡して行きました。お松は、それを辞退しましたけれども、辞退すべき性質のものでないと諭《さと》されて、いさぎよく預かっておきました。
 乳母《うば》を一人雇うて、念入りにそだてて、朝夕その子をだきかかえて楽しみにしていましたけれど、不安というのは、この屋敷で、どうもおだやかでない人たちの出入りがはげしく、自然、その筋でもめざされているし、いつきりこみがあるかわからない、というものもあるし、早晩、焼討ちになるだろう、と沙汰《さた》をするものもあるくらいですから、お松はそれが気にかかってなりません。御老女様はしっかりしておいでなさるし、集まるほどの人も血気の人には相違ないが、そう悪いことをする人たちではありませんから、危ないことはなかろうと思うけれど、万一、このお子さんに怪我があっては、という心配が絶えたことはないのです。
 そこで或る日、お松は自分の部屋で赤ん坊を抱き、
「登様、あなたは田舎《いなか》へいらっしゃいますか、田舎はおいやですか」
と話しかけました。
 話しかけたって返事のできるわけはありませんが、つい口に出て、
「おいやでなければ、田舎へお連れ申しましょうか。田舎といっても、そんなに遠いところではありませんよ、与八さんのいるところ」
 坊やは、じっ[#「じっ」に傍点]とお松の顔を見て、笑いもしないでいるものですから、
「御存じでしょう、与八さんを。あの肥った、親切な人……」
 その時、坊やは両手をおどらせて、うれしそうに笑いました。
「登様、もし、あなたがおいやでなければ、わたし、これから手紙を書いて、与八さんのところへ使を頼みますわ。与八さんはよろこんで承知をして下さるでしょう。ですけれども、もし、あなたがおいやですと……田舎に住んでいては出世のために悪いようですとつまり[#「つまり」に傍点]ませんから、いつまでもこっちにいましょうね。どちらに致します」
といって、お松は登の顔にほおずり[#「ほおずり」に傍点]をしました。どちらに致すも致さないもありはしない、生れてまだ幾月もたたない子。思案に余ったことがあるものですから、お松はしきりに、このおさな[#「おさな」に傍点]児に話しかけているのです。
「それは御老女様はえらいお方だし、このお屋敷は結構なお屋敷ですけれども、なんだか世間が騒がしいものですから、あなたや、わたしは暫くあっちへ行っていた方がいいかも知れない」
 お松の心を、ドチラにかきめてしまわねばならぬ時節がまもなく来ました。
 それはいよいよこの本所の相生町の老女の屋敷を引払わねばならぬ時が来たからです。噂《うわさ》によると、土佐の乾退助《いぬいたいすけ》という人が来て、ここに集まる浪士にすすめて、四国町の薩摩屋敷へ併合せしめたということです。
 そうして、お松が主としてつかえた老女は、本国へ帰る途中、ひとまず京都に滞留するのだということです。
 老女はどこまでもお気に入りのお松を手放したくはありませんでしたけれど、お松としては、すべての事情が、それを辞退して、別な生活に入らねばならぬ時と考えました。
 とりあえず、乳母と、登と、自分と三人で、しかるべき家を借りて一世帯を持つことがいちばん賢明で、それで女手の生活に不安があるならば、与八のところを頼もうというのが、第二の考えでありました。
 しかし、第一の考えからお松を急に、第二の考えに飛ばせてしまった事情は、立退き以前にこの屋敷を押囲んで焼打ちがあるという噂と、ちょうどこの際、与八がわざわざたずねて来てくれたことであります。
 お松は、京都でも、江戸でも、この時代の不安な空気の中に住み慣れてはいましたが、自分ひとりの身ならばともかく、偶然ながら子持ちの身になってみると、今日は暗殺、明日は焼討ち、といったような空気が、そら恐ろしくなって、この屋敷に住んでいる以上は、自分たちもめざされはしないかという取越苦労なども起っていたところへ、与八がやって来て相談をかけたものですから、それに従うのが、いちばん安心だと、その場で心をきめてしまいました。
 心がきまれば話は早い方がよいと、お松はそのつもりで御老女に暇乞《いとまご》いをすると、御老女も惜しみながらゆるしてくれました。そこで、与八のいるうちに出立の用意をととのえて、馬や駕籠《かご》も頼み、当分の間、乳母《ばあや》も附いて行ってくれるとのことだから、なお安心して、すべては非常に調子よく捗《はかど》ってしまいました。
 そこで、この連中は、打揃って、程遠からぬ回向院《えこういん》の境内《けいだい》に、お君の墓参りをして行こうと、花と香とを携えて、門を出ようとする時に、どこからともなくムク犬が現われました。
「ムクや」
 それ以来、ムク犬は使命を果して、房州から帰ったには帰ったが、人に姿を見せることが極めて稀れで、必要に応じてはどこから出るともなく出て来て、必要に応ぜざればどこに隠れているともなく、隠れていて出て来ない。
 今、この人たちがうちつれて旧主の墓参りに出かけようとする時に、ヒョッコリ姿を現わしたので、一同の者がこの犬の出現を、いたくよろこび迎えました。
 しかし、当の犬は、喜べる色もなく、勇める風もなく、一行の中にまじって、その行くところへ共に行き、その止まるところへ共に止まろうとする、柔順な態度に見ゆる。
 ムク犬のこのごろは、我と我が生存の意義を見出そうとしているげに見ゆる。わが使命は、死んだ主人を守ることだけで尽きたのか。そうだとすれば、自分は当然|殉死《じゅんし》すべき運命のもので、今の生存は惰力に過ぎないのか。それとも、まだまだ生きとし生けるものの一生には、生かされてある間に、その使命が尽くるということのないものとすれば、第一の使命終って第二の使命は何。この犬は極めて謙遜、且つ従順の態度を以て、それを聞こうとしているようにも見える。自然、この犬には、主人の墓側で食を断って死ぬという古《いにし》えの忠犬に超出した高尚のふうが見える。
 とまれ、この一行、お松は香と花を携えて先に立ち、乳母《ばあや》は登を抱き、与八は郁太郎を背負《せお》い、ムク犬はその間を縫うて、例の回向院の墓地の中に進んで行きました。

         二十七

 この一行が回向院の墓地へお墓参りに来た日、その境内《けいだい》の西洋奇術大一座がちょうど千秋楽の日でありました。
 この興行は、大入り満員の売切れつづきで、すばらしい人気を博したのみならず、その人気に該当《がいとう》する実質を、見る人に与えたようです。たしかに、今までに見ないものを見せ、見た者を堪能《たんのう》させるだけの内容をそなえていたに違いない。
 しかし、太夫元のお角は、興行が成功したほどに嬉しそうな面《かお》を見せないで、どうかすると癇癪《かんしゃく》を起して当り散らすこともあるようです。といって、そのくらいはどうも仕方がない。最初の期待では、まかりまちがえば骨になるくらいの度胸をきめていたのが、せっかく彫り上げた骸骨に牡丹の刺青《ほりもの》が役に立たず、諸肌《もろはだ》押しぬいでタンカを切る物凄い場面も見せないで済んだのが、何よりというものです。
 お松、与八、ムク犬の一行が、回向院の墓地についた時分は、ちょうど、千秋楽の追出しの時刻で、今しも、場内にのまれていた幾千の観客が、潮《うしお》のように吐き出される時でした。
「オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]の下駄だようッ」
 下足場の人ごみの中で、おそろしく下卑《げび》た太い声でわめき出したのが、キッカケで、そこから大混乱が起ったところです。
 なんでも下駄を間違えたやつを、一人がなぐり飛ばしたのが原因《もと》で、芋を揉《も》むような下足場が、忽《たちま》ち修羅《しゅら》の巷《ちまた》となってしまいました。
 そこで、取組み合い、なぐり合い、引掻き合いが見ているうちに起り出し、女子供は泣きさけんで救いを求めるの有様です。
 高いところで見ていたお角は、直ぐにその目の下の混乱によって、また始めやがったなという苦々しい表情です。
「オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]の下駄だってえばよう」
 下卑た声が甚だしい耳ざわりで、混乱の中から起るのを聞いていると、たしかにこの混乱の原因は、下駄の擁護から起っているらしい。人より三分間ばかり下駄を後に穿《は》くか、先に穿くかという問題から、なぐり合い、つかみ合い、引掻き合い、取組み合いが起ったものらしい。どうもそのほかには、お角にも原因らしいものが見当りません。
 幸いに、お角は少しばかり高いところにいたものですから、この混乱の現状を、活動写真を見るよりも鮮やかに見て取ることができました。しかし、お角は、この騒ぎは、甲府の一蓮寺の時のように、大事《おおごと》にはならないと見て取りました。混乱するだけ混乱させ、取疲れるまで取組ませておけば、おのずから静まる性質のものだと、タカ[#「タカ」に傍点]をくくっていたのです。
「オレ[#「オレ」に傍点]のだい、オレ[#「オレ」に傍点]の下駄だと、先刻《さっき》からいってるじゃねえかよう」
 こういう場合の噛《か》み合いの特長は、きまった相手というものがなく、最も手近なところにあるありあわせの頭がその相手であります。喧嘩の上手というのは、最も僅少の時間に、最も多くの頭をなぐり、素早く身をひく人間のことで、その最も拙劣なのは、最も多くなぐられながら、その一人の相手をもつかまえることのできない人間であります。
 しかし、下手も上手も、共に一時《いっとき》で、お角の見込み通り大事に至らずして、やがて、この活劇もおしまいになり、千秋楽のお景物として、一つの愛嬌を添えたもののように消滅してしまったのは、いよいよ市《いち》が栄えたと申すものです。
 それをお角はひややかに笑い捨てて、ざっと場内をめぐり歩くうち、ふと、例のところへ来て、場外を見ると、以前にながめた通り、そこは回向院境内の墓地であります。
 お角のながめることがもう少し早かったならば、そこに以前の一行がおまいりに来ていて、ことにその中には、お角の熟知しているムク犬も加わっていたことだから、お角とてもだまってはおれなかったろうが、この時はもう一行は去って、誰もおらず、ただ香のけむりが断々《きれぎれ》としてのぼっていることによって、お角はまたあのお墓へ誰かおまいりに来たなと思っただけでした。
 あのお墓へは、駒井甚三郎もお参りに来たし、今日もまた誰かお参りに来たようだが、いったい誰の墓なんだろうと軽くお角の頭にのぼっただけで、それ以上には想像を逞《たくま》しくすることがありませんでした。
 もう少し深く突きとめて、これが、嘗《かつ》ては自分の下に使ったことのある、お君という薄命な娘の、地上における存在の記念であると知ったならば、お角とても、そのままにはしていなかったろうに――
 今のお角には、お君という女の死生《ししょう》も知らず、まためまぐるしいこのごろの生活では、ホンの少しばかり念頭に上って来ることさえ極めて稀れであったのです。
 それで、あっさりと、それだけが頭脳にうつっただけで、やがて階《きざはし》を下って、土間から楽屋の方へと進んで行くと、楽屋の入口でやかましい人の声。
 その声を聞きつけて、お角は忽《たちま》ち気取《けど》ってしまいました。
 寄生虫がやって来たな。
 興行界を渡りあるくゴロがやって来たな、今まで来なかったのが不思議だが、果してやって来た、千秋楽を見込んでやって来たからには、ただは動くまいと、お角は度胸をきめてその方に出向くと、
「親方!」
 ゴロが早くも認めて呼びかけました。その背後には四五人の同勢がいる。
「何です」
「おめでとう、大当りでおめでとう。だが親方、いいことの裏には悪いことがある、あんまり当り過ぎると罰《ばち》が当るから、用心しなくちゃいけねえぜ」
「大きに有難う、それがどうしたというの」
「勝って兜《かぶと》の緒を締めろとはここなんだぜ、親方」
「何だかわからないよ」
「高い木は風に揉まれるというやつさ……親方が大当てに当てたもんだから、世間から目ざされるようになったんだ。世間から目ざされるようになるとあぶない」
「何があぶないんだエ、なにもわたしは、世間様から目ざしてもらおうともなんとも思っちゃいないんだよ、名前を売りたいとか、親分になりたいとか、そんな了見《りょうけん》でやってるんじゃありませんからね、商売でやってるんだから、当ることもありゃ、外《はず》れることもありまさあね」
「まあ、そう、ポンポンおいいなさるな、親方のためと思えばこそ、こうしてやって来たんだから」
「大きに御苦労さま……何か、わたしを暗討ちにでもしようという噂があるんですか」
「そういうわけじゃねえがね、つまり、人気をしめた時は、財布をあけろというたとえがあるでございましょう、そこですよ、世間の口がうるさくっていけねえ、ばかばかしいようなもんだけれど、そこがそれお愛嬌で、如才なく立廻らないと損ですからねえ。早い話がわっしたち四五人が、これから盛り場を廻って、女軽業の親方はこれこれだと触れ廻ってごらんなさい。白いものでも忽《たちま》ち黒くなり、黒いものでも忽ち白いものになりますからね」
 お角もこの道の苦労人ではあり、馬鹿ではありませんから、この連中を相手に争っては損だということぐらいは知っています。事実、この連中が気を揃えると、場合によっては、せっかくの名興行師を塗りつぶすこともできるし、また一夜作りの千両役者を仕立てて、世間をオドカすこともできるのだから、お角の気象としてはこの場合、鎧袖一触的《がいしゅういっしょくてき》にやってみたいのだが、鎧袖一触も用いようによっては大笑いの種ですから、あまり力《りき》まないのがよいと思いました。そこで、
「御尤《ごもっと》もでございます、なにぶん行届かない我儘者《わがままもの》でございますから、この後ともによろしく。どうかまあ、こちらへお上りくださいましな」
といって、丁寧に上へ招じたのは、お角としては気味の悪いほどの如才なさです。
 いつの世、いかなる社会にも、寄生虫というものは絶えたことはないが、真正の批評家は極めて稀れである。
 寄生虫は、瓦礫《がれき》を鍍金《めっき》して、群衆に示し、共謀して、それをなるべく高価に売りつけようとする。そうして、蔭で舌を吐いていう、
「こんな代物《しろもの》でも、おれたちの手にかかれば、これだけの高値《たかね》に売れる」
 寄生虫のいいたいことは、これだけである。為し得ることもまたそれだけである。
 けれども、独特の生活力を有していない生物は、どうかするとこの寄生虫に食われてしまうことがある。
 招かざるに来《きた》るバラサイト。
 わが親愛なるお角さんを、こういうもののために苦心させたくない。
 自分を、タカ[#「タカ」に傍点]の知れた女軽業の親方以上には評価していないお角さんは、自分の仕事の性質を、ジョン・ラスキン氏のところへ聞きに行くわけにもゆかず、タンカ[#「タンカ」に傍点]は切ってみるものの、そこは女の身、ガラリと折れて寄生虫の四五人を上座に招じ、厚くもてなした上に、おみやげまでも調えて、帰る時は先へ廻って下駄まで揃えて帰したお角さんは、憎むべき人でもなんでもなくて、ほんとうに可愛い人ではありませんか。
 こうして西洋大奇術は千秋楽となり、その翌日、与八とお松の一行は、沢井へ向って出立すると、まもなく、御老女はまた多くの供をつれて、上方《かみがた》へ出かける。それがすむと、集まるほどの浪士たちが、ずいぶん仰々しい勢いで、この屋敷を引払いました。
 浪士たちの行くところは、無論、芝の三田の四国町の薩摩の屋敷でありました。
 浪士たちが、半ば示威運動みたような勢いで、花々しくこの屋敷を引払うと、その晩のことに、火が起って、この屋敷を焼き払ってしまいました。
 その火の起りについては、浪士たちが自分でつけて去ったのだという説もあれば、市中取締が焼き払ったのだという説もあって、どちらがどうだか、よくわかりません。
 しかし、この屋敷一軒だけで食いとめたのはまだ幸いでありました。附近の人は、むしろこの立退きと、焼払いをよろこんだようです。これで相生町の名物が、一つなくなったわけですが、危険区域が移転したような心持で、近所の人が枕を高くしたのも、無理のないところがあります。けれども、原則からいって、一方に消滅したものは、必ず一方に増加するわけですから、次には芝の三田の四国町の薩摩屋敷に、また一層の危険分子が加わって、江戸市中の脅威になるという結果になるかも知れない。
 実際、薩摩屋敷に集まるものの目的と行為は、江戸の市中を脅威したり、愚弄したりするために存在しているような形でありましたが、そうかといって、これを一概に、暴民暴徒の巣のようにいってしまうのは誤りです。また、こういうものを存在せしめた策士の横暴を、無条件に憤るのも当らないことであります。
 薩摩屋敷へ浪士を集めたのは、西郷隆盛と後の板垣退助も関係していたということでありますが、徳川幕府を倒さねばならぬという志士浪人の頭に、同時にひらめくのは、いつも徳川と薩摩との仲をよくさせてはならないということでありました。
 徳川家と薩摩とは、姻戚《いんせき》の関係もあったりして、どうかすると黙契が成立しそうになる。もしも薩摩が徳川をたすけることになると、せっかく倒れかかった徳川の家に、有力な根つぎが出来た結果になって、そうなっては天下の改革の時がおくれる。徳川と薩摩とを握手させてはならない。江戸の市民をして、薩摩を憎ましめるように、薩摩をして、幕府を脅威せしめるようにしかけなければ、大事をあやまるの形勢となることを、志士浪人の間には深く考えていたものがあるのです。
 後の鳥羽伏見の戦いも、一は、この四国町の薩摩屋敷の焼討ちが、退引《のっぴき》させぬことにしたので、志士浪人の計画は、思うように的中し、明治の改革には、これがまた有力な動因とはなっているが、表面上、その形勢を見れば、暴悪の徒を蓄えて、江戸の上下を脅威愚弄した傍若無人ぶりに、腹の立つのも無理のない次第でした。
 何事もみな、歴史の大きな潮流の現われに過ぎません。少なくとも関ヶ原の戦いまで遡《さかのぼ》らねば、事の是非善悪は、たやすくは説明のできないことであります。
 さても、相生町の老女の屋敷は、構えが相当に大きかっただけに、天明までも燃えつづいておりましたので、見物は山のように群がりました。なかには、これを痛快がって、このついでに三田の四国町まで押しかけて、薩摩屋敷を焼き払えというものもありましたが、また一方には反対に、江戸の市中を焼き払われないようにと、心中におそれ[#「おそれ」に傍点]を抱くものもありました。
 高尾の山で、七兵衛と泊り合わせた神楽師の一行が、ちょうどここへ来合わせたのは、まだ余燼《よじん》が盛んに燃えている早朝のことで、この有様に意外な感じをしたが、さあらぬ体《てい》で、これも三田の方面へ踵《きびす》をめぐらしたから、誰もあやしむものはありません。

         二十八

 ここはどこだか知らない。机竜之助は何里つづくとも知れない大竹藪《おおたけやぶ》の中をひとりであるいている。
 この時は夜です。身に白衣《びゃくえ》を着て、手には金剛杖《こんごうづえ》をついている。この大竹藪の夜は、幸いにして見通す限り両側に燈籠《とうろう》がついている。
 この時は、眼が見えるのです――それに程よい間隔を置いて、両側に立てられた四角な燈籠の光が、朦朧《もうろう》として行手を照らしている。その光は青くして白い色がある。
 けれども、いくら歩いても同じ大竹藪で、いくつ燈籠を数えてみても、みな同じ形で、同じ光で、同じ色に過ぎない。これでは、歩いても、歩かなくても、同じようなものだ。
 ただ、足がなんともいえず軽快である。同じような藪の中と、同じような燈籠をいくつ数えて歩いても、疲れるということを知らない。そこで、おなじような道を歩む。
「もし」
 ふと、その燈籠の一つの下で人影を見出したから、歩みをとどめて竜之助が問いかけました。
「これは真直ぐに行ってよいのですか」
 問われたのは女の子です。髪をかむろ[#「かむろ」に傍点]に切りまわし、秋草をおぼろ染め[#「おぼろ染め」に傍点]にしたような単《ひとえ》の振袖を着て、燈籠の下に小さく立っていましたが、竜之助にたずねられて、ニッコリとさびしく笑い、
「どこへおいでになりますか」
「白骨《はっこつ》の温泉へ……」
「白骨……そんな温泉はこの近所にはございませんよ」
「ない?」
「ええ、ハッコツなんて名前の温泉は、この近所にはございません」
「ないはずはないのだが……」
「それでは字に書いて見せて下さいな」
 請《こ》われて竜之助は、金剛杖を取り直して、地上に、「白骨」の文字を認《したた》めました。その白骨の文字が、なんという鮮《あざや》かな青味を持っていることでしょう、さながら、翡翠《ひすい》の光を集めたようにかがやきましたので、竜之助もその文字に見入りますと女の子は、
「それはハッコツとお読みになっては違います、シラホネと読むのでございます」
「どちらでもいいではないか」
「いいえ、シラホネとお読みにならなければ違います」
「それでも、白馬《しろうま》ヶ岳《たけ》をハクバと読むように……」
「白骨《しらほね》の温泉は、昔|白船《しらふね》の温泉といいました、それを後の人がシラホネと読むようになりました。それをまたハッコツとお読みになったのでは人が迷います」
「では、そのシラホネへ行く道は?」
 竜之助が、素直《すなお》に問い返しますと、路上に記された「白骨」の文字を、またたきもせずに見ていた女の子が、
「そうですね……やっぱり、ハッコツの方がようございますか知ら。シラホネと読むのも、ハッコツと読むのも、同じようなものですけれど……」
 竜之助の問いには答えないで、女の子はしきりに文字の末に拘泥《こうでい》していますから、
「読み方はドチラでもよろしい、わしは、ただそこへ行く道を知りたいのだ」
といいますと、女の子は、
「それを教えて上げましょうけれど、あなたは白骨の温泉へ何しにおいでなさるの」
「身体《からだ》を丈夫にするために……」
「身体を丈夫にして、何をなさるの?」
「それは……」
「身体を丈夫にして……」
「…………」
 ふと少女の立っていた燈籠《とうろう》の火が消えました。一つ消えると、すべての火がことごとく消えてしまいました。
 竜之助は、こましゃく[#「こましゃく」に傍点]れた女の子だと思いました。
 しかし、燈籠が消えては一歩も進むことができない。
「お待ちなさい、今、燈火《あかり》を持って来てあげますから」
 まもなく、蛍火ほどの線香を掲《かか》げて、以前の燈籠に火を入れると、その燈籠の形が髑髏《どくろ》になりました。竜之助は、瞬きもせずにその髑髏を見つめていると、
「あなた、その人を御存じ?」
と女の子がいいました。
「知らない」
「では、この人は?……」
 女の子は前に進んで、次の燈籠へ火を入れると、おなじような髑髏の形となりました。竜之助はそれに眼をうつし、
「やはり、知らない人だ」
「そうですか、それでは、この人は?……」
といって、女の子はまた三歩進んで、次の燈籠に火を入れると、同じくそれも髑髏の形。
「知らない」
「御存じのはずなのに……」
 女の子は小首を傾《かし》げて前へと進みながら、線香の火を大事にして、
「これなら、キットおわかりでしょう」
 その線香を燈籠の下に入れる。と、そこに現われたのは髑髏ではありません、まさしく女の生首《なまくび》でありました。
「…………」
 竜之助は、近く摺寄《すりよ》って、その生首をつくづくとながめます。
「ちぇッ」
と彼の額に白い光がひらめきました。
 金剛杖を取り直して、それを打ち倒して、首を地上へ打ち落すと、女の子は、
「そんなことをしたって駄目ですよ、あなたはこの燈火《あかり》がなければ、一足も歩けないくせに――」
と言って、その蛍火ほどの線香を、竜之助の前にかざして見せましたが、やがて、竜之助には頓着なしに、先へ進んで、つぎからつぎへとその燈籠をつけて歩きます。燈籠という燈籠は、ことごとく髑髏にあらざれば人の首です。
 竜之助は、うんざり[#「うんざり」に傍点]しました。何里あるか知れないこの道を歩くには、いちいちあの首を見て歩かなければならないのか。
 ふりかえって見ると、いつのまにか、後ろの方もおなじ髑髏の燈籠。
 はて、ここはいったいどこだろう。昨日塩尻峠を越えたばっかりなのに――桔梗《ききょう》ヶ原《はら》か、五千石通りか……
 それを考えた時は、うつつ心の出でた時で、まもなく鶏の声が耳に入るのを覚えました。塩尻の宿《やど》の、夜明けの肌寒いのを覚えると、傍《かたえ》にすやすやとおだやかなお雪の寝息。ああ、夢であったかと覚《さと》るのは常の人のことで、この男には、夢と現実との区別がありません。否、現実はことごとく暗黒の虚無で、夢みている間だけに、物の真実が現われてくるようです。



底本:「大菩薩峠7」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
   2003(平成15)年4月20日第2刷発行
   「大菩薩峠8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 五」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第五巻」筑摩書房、1970(昭和45)年12月22日発行を参照しました。
入力:大野晋、門田裕志、tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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