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大菩薩峠
駒井能登守の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)神尾主膳《かみおしゅぜん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大分|被《かぶ》りはじめたようだから

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)がんりき[#「がんりき」に傍点]
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         一

 甲府の神尾主膳《かみおしゅぜん》の邸へ来客があって或る夜の話、
「神尾殿、江戸からお客が見えるそうだがまだ到着しませぬか」
「女連《おんなづれ》のことだから、まだ四五日はかかるだろう」
「なにしろ有名な難路でござるから、上野原あたりまで迎えの者をやってはいかがでござるな」
「それには及ぶまい、関所の方へ会釈《えしゃく》のあるように話をしておいたから、まあ道中の心配はあるまいと思う」
「関所の役人が心得ていることなら大丈夫であろうが、貴殿御自身に迎えに行く心があったら、近いところまで行ってごらんになるもよろしかろうと思う」
「しからば、勝沼あたりまで行ってみようか知らん」
「勝沼までと言わず、いっそ笹子《ささご》を越えて猿橋《さるはし》あたりまで行ってみてはいかがでござるな」
「笹子を越えるのはチト億劫《おっくう》だが、しかしまだ天目山《てんもくざん》の古戦場を初め、あの辺には見ておきたいと思ってその機会《おり》を得ない名所がいくらもある、そう言われるとこの際、行って見たいような気持がする」
「行って見給え、江戸からのお客というのを途中で迎えて、それを案内してあの辺の名所を見物し、その帰りに塩山《えんざん》の湯にでも浸《つか》ってみるも一興であろう」
「左様、それではひとつ、気休めをして来ようかな」
「それがよかろう」
と語り合っている一人は神尾主膳で、一人は分部《わけべ》という組頭。この二人が別懇《べっこん》の間柄であることはこの会話でも知れます。この話をしているところへ、
「お客様、山口四郎右衛門様がおいでになりました」
「ナニ、山口殿が見えたと? それはちょうどよい、分部殿もおらるる、直ぐにこれへお通し申すがよい」
「畏《かしこ》まりました」
 まもなく山口四郎右衛門というのが入って来ました。
「やあ、分部殿もおいでか。大分寒くなりましたな、山国である故、寒さの来ることも早いのはぜひもないが、それにしてもまだこんなはずはあるまい」
「左様、八ヶ岳にも雪が深いし、地蔵岳《じぞうだけ》も大分|被《かぶ》りはじめたようだから、それが風のかげんで甲府の空を冷たくするのであろう、なかなか寒い」
「まあ、ここへ来て温まり給え、寒さ凌《しの》ぎに一献《いっこん》参《まい》らせる」
「催促をしたようで恐れ入るな」
「拙者ひとりで寒さ凌ぎをやろうと思うていたところ、折よく分部殿がお見え、それにまた貴殿のおいでで甚だ嬉しい、ゆっくりと寛《くつろ》いで行ってくれ給え」
 三人は飲んでようやく興が加わる時分に、山口四郎右衛門が何をか不平面《ふへいがお》に、
「御両所、近いうちに新しい勤番支配が来ることをお聞きなされたか、その風聞《うわさ》がたぶん御両所の耳にも入ったことと存ずる」
「ナニ、支配が来ると? しからば今まで欠けていた勤番支配の穴が埋まるのか、それは初耳じゃ、我々はトンと左様な噂《うわさ》は聞かぬ。して、いかなる人がどこから来るのじゃ」
 神尾と分部とは、自分たちの上に立つべき勤番支配の一人が新しく任命されて来るという報告を、山口の口から耳新しく聞いて意外に感じました。単に意外に感ずるばかりではなく、不安と妬心《としん》とがきらめいて見えるのです。
「左様か、まだ御両所にはそのことをお聞き召されなんだか。しからばお話し申そう、このたびお役目を承って我々共の支配に来るのは、表二番町の駒井じゃ」
「ナニ駒井? 二番町の駒井能登《こまいのと》が来るのか、あの駒井が」
 神尾主膳は他人事《ひとごと》でないような思い入れで、いそがわしくまばたきをしました。
「いかにもその駒井能登守」
「左様か、駒井が来るのか」
 神尾は絶望して、取って投げるような返答ぶりでした。
「太田筑前殿は老巧者《ろうこうもの》だ、我等が上にいただいても敢《あえ》て不足はないが、駒井は何者だ、あれは我々よりズット年下、しかも知行高《ちぎょうだか》も格式も以前は我々に劣《おと》ること数等、若い時は眼中に置かなかったものじゃ。今となってあれに先《せん》を越されて剰《あまつさ》え、我々が支配として頭に頂かねばならぬとは情けない。ああ、そう聞いては酒がうまくない、世の中が面白くないわい」
「それは我々も同じこと。なるほど、駒井は学問は多少あるにはあるだろう、我々が道楽をして遊んでいた時分に、あいつは青い面《かお》をして書物と首っ引きをしていたのだから、相当に理窟は言えるようになったろうけれど、それよりもあいつの得手《えて》は上役に取入ることだ、老中《ろうじゅう》あたりに縁があって、胡麻《ごま》をすったその恩賞で引上げられたのだ、あいつは頼もしそうな面をして老中あたりの頑固連《がんこれん》を口説《くど》き落すには妙を得ている」
「駒井も駒井だが老中も老中だ、いったい我々甲府勤番を何と心得ている。なるほどいずれも相当にしたい三昧《ざんまい》をし尽した報いで、こんな狭い天地に逼塞《ひっそく》はしているけれど、以前を言えば駒井の上に出でるものはいくらもある。言わば甲府勤番は苦労人の集まり、粋人の巣と言うべきだ、容易な人間でその支配が勤まると思われるのが大不足だ、相当の人を遣《つか》わすのが、我々へ対しての礼じゃ。しかるに駒井如き若年者《じゃくねんもの》をよこして我々の頭に置こうなぞとは、見縊《みくび》られたもまた甚だしい哉《かな》。二百余名の甲府勤番がそれで納まるか知らん、駒井を頭にいただいて唯々諾々《いいだくだく》とその後塵《こうじん》を拝して納まっているか知らん。もしそれで納まっているようなら世は末だ、徳川の天下もいよいよ望みなしじゃ」
「その通り、我々が不平なるが如く、二百余名の勤番、誰とて駒井を快く思うものはあるまい。さりとて公儀からのお役目、それを反《そむ》くというわけにもいくまい。いよいよ駒井が来たら我々共の覚悟はどうじゃ、いかなる思案を以て駒井を迎えるか、あらかじめ腹をきめておかねばなるまい」
「拙者は病気所労と披露《ひろう》して当分は引籠《ひきこも》る」
「病気所労もよかろうけれど、いつまでもそうは言っておられぬ。もっと男らしい手段はないか、甲府勤番の反《そり》の強さを見せつけて、駒井の胆《たん》を奪うてやるような仕事はないか、駒井が着く早々縮み上って尾を捲いて向うから逃げ出すような謀《はかりごと》があらば、これ以て甚だ痛快なる儀じゃ」
「なるほど」
「機先を制して駒井能登を圧倒するのじゃ、そうして、甲府勤番には骨があって、彼等如き若年者で支配などとは以てのほかというところを、老中にまでも思い知らせてやるのじゃ、それをせねば後来のためにもならぬ」
「なるほど」
 ここに三人の不平が火を発するほどに強くカチ合って、そうして彼等の上に来《きた》るべき、年の若い新しい支配というのを呪《のろ》い尽すの相談が持ち上ってしまいました。
 甲府の勤番支配は三千石高の芙蓉間詰《ふようのまづめ》であります。その下には与力《よりき》が十名と同心が五十人ずつあって、五百石以下の勤番が二百人は甲府の地に居住しています。支配は二人であることもあり一人は欠員のままであることもあります。御役知《おやくち》は千石で、本邸は江戸にあって住居は甲府へ置く。
 駒井能登守が勤番支配に任命されたのはどういう意味だかよく判りません。或る者はこれを栄転だとして嫉《ねた》みます、或る者は左遷だとして悲しみます。とにもかくにも能登守がまだ三十に足らぬ若年者であってこの地位に置かれたことは、ドチラにしてもその人物の非凡である証拠にはなります。
 その頃の幕議に長州出兵論というのがある。薩州と長州との横着《おうちゃく》があまりといえば目に余る、どうしてもまず長州から征伐してかからねば、幕府の威信が地に落つるというのが、長州出兵論の根拠であります。この長州出兵論を唱える者の中には、徳川譜代恩顧の者で徳川にとっては無二の精忠者があります。これらの人は本心から薩長あたりの暴慢《ぼうまん》をにくんで、徳川のために死のうという連中でありました。またそれらの熱心な長州出兵論を鼻の先でセセラ笑っている者もありました。これは徳川とはあまり縁の薄い方の平民側の中の蔭口に多いのです。その言い草を聞けば、
「ナーンだ、長州出兵なんて、よけいなことだ。お膝元を見るがいい、貧窮組がああして騒ぎ廻っているじゃないか。貧窮組がああして騒ぎ廻っている間に、頼まれもしない長州くんだりまで兵隊を出してどうする気だ。そんなことをするよりは印旛沼《いんばぬま》の掘割りでもした方がよっぽど割がいいぜ」
 こんなことを言って、ばかばかしがっている者もあります。
 また一方には譜代以外の者で、盛んに長州出兵に声援を与える者もありました。これはずいぶん変り者で、もとより徳川のために死のうというほどの縁故もなければ熱心もないのだが、何か景気をつけて自分たちの仕事をこしらえたいという浪人者、或いは自称志士の連中が多かったということであります。口先ばかりでもなんでも景気のいいことは雷同し易いから、精忠無二の長州出兵論よりも、景気のよい人たちの唱える出兵論が、だいぶ徳川に受けがよくなりました。まかり間違ってもそれに異議を唱えるような口ぶりをしようものなら、徳川に対して反逆者でもあるかのように見られたり、薩長の犬であるかのように疑ぐられたりしますから、出兵、出兵、出兵に限るというようなことに傾いて行きました。なんでもドシドシ兵を繰り出して長州から薩摩の果て、琉球までも踏みつぶしてやらねばならぬと意気込みを示した者も大分あったようです。
 この出兵論が正しいか正しくないかは知れないが、いよいよ事実になってみると愚劣を極めたものでした。最初の長州征伐は、どうにかこうにかお茶を濁して幕府の面目をつないだけれども、二度目となってはカラキリお話になりませんでした。幕府の威信を張るどころではなく、かえってグニャグニャと腰が砕けて、長州からあべこべに寄り出されて引込みがつかなくなってしまいました。長州征伐をやっても、やらなくても、もうたいてい幕府の寿命はきまっていたのだから、それがいいでもなし悪いでもないけれど、とにかく長州征伐をやったために、徳川幕府の寿命がまだ十年持つところを、九年早めてしまったような形勢は争うべからざるものであります。
 勝海舟《かつかいしゅう》のような目先の見えたものが――そういう場合に出て来たからおたがいに幸いでありました。けれどもその勝さんすら、いよいよ長州征伐が手に負えなくなった時に引っぱり出されたので、それまで引籠りを仰《おお》せつけられて幕府から勘当を受けていたような有様でありました。
 駒井能登守はこんな時節に、甲州の山の中へ来るようにさせられたということも何かの廻り合せでありましょう。
 駒井能登守が甲府へ入ることを悲しむ連中は、こんなことを言います、
「あれは山の中へ送るべき人間ではない、海の外へ向わせなければならない人物だ、外国との折衝《せっしょう》がこれほど面倒になってゆく世の中に、あの人物を山の中に送り込む当局者の気が知れない、駒井を甲州へやるのは舟を山へ送るのと同じで、しかもその舟も、旧来の伝馬船《てんません》や荷足《にたり》ではなく、新式の舶来の蒸気船だ、蒸気船を山へ積み込むとは、なるほどこのごろの徳川幕府のやりそうなことだ」
 これは駒井|贔屓《びいき》の方の言い分で、駒井が西洋の知識に暗からず、且つ外交官として相応《ふさわ》しい器量のすべてを持っているように信じている者の口から出ました。
 それと反対の方の言い分はこんなものであります、
「あれは若い者共には人気は相当にあるけれど、本人はただ西洋の知識を多少心得ているというだけのことで、実務にかけてはいいかげんの無能者で、時々調子をはずれたところで思い切ったことをするから、危なくて仕方がない、腫物《はれもの》に触《さわ》るようなこのごろの外国向きのことに、あんな青二才を使えるものではない、甲州の山の中へ入って、摺《す》れからしの勤番の中で揉《も》まれて来るのが身のためだ」
 これは駒井を多少けむたがっている老成者の間から出る評判でありました。とにかく未知数の人間だけれども、どのみち、まだまだ叩き上げなければものにならないという嫉悪《しつお》と軽侮《けいぶ》とそれから、幾分か敬畏《けいい》の念も入っているのであります。
 そうかと思うとまたこんな一説もあります。幕府は駒井の人物を見抜いてワザと甲府へ納めるのだ、甲府は天険であって、まんいち徳川幕府がグラつき出す時は、そこが唯一の根城となる、まんいちの場合をおもんばかって、駒井を遣《つか》わして地利や兵備を調べさせておくのだと。これもまた駒井贔屓の者の臆想《おくそう》でありました。
 またその他の一説は、駒井能登守が甲州入りをするようになったのは、高島四郎太夫に関係することである、駒井は早く四郎太夫に就いて洋式の砲術を研究したり、西洋の事情を調べたりしたから、高島と同じような嫌疑《けんぎ》でこの左遷を蒙《こうむ》ったのだと。これも駒井崇拝の若い人々の口から洩れて来るのでありました。
 高島四郎太夫(秋帆《しゅうはん》)が幕府から怖れられたのは、他の勤王家の連中が幕府から怖れられたのとは全く違います。秋帆には大藩を動かして権力を争ってみようとか、砲術を研究してそれによって虚名を博そうとか、そんな野心は少しもなかったものであります。国内のことに空《むな》しく慷慨悲憤《こうがいひふん》している連中などの、梯子《はしご》をかけても及ばないところにその着眼と規模とがあって、長崎の微々たる小吏でありながら、諸侯の力を借りずに独力でもって大事を行うほどの実力を持っていたから、それで怖れられたのです。けれどもその秋帆とても、もう罪(?)を赦《ゆる》されて、江川太郎左衛門を助けていろいろ熱心にその研究をつづけている時分のことであったから、なにもいまさらその祟《たた》りが駒井能登守へ報《むく》って来るという理由はないことなのであります。
 とにもかくにも、こんな風評の間に送られて、行先ではまた神尾あたりの、あんな悪感情に迎えられて甲府へ乗り込む若い支配の前途も多事でないことはありません。
 その行列は存外|手軽《てがる》で、僅かに与力同心と小者の類《たぐい》と同勢十人足らずで、甲州街道を上って行きました。
 甲府の城内へも、いつ出かけていつ到着するという沙汰なしに出かけましたから、出迎えの来るべき模様もありません。
 駒井能登守は若くてそうして美男でありました。大森か川崎あたりまで遠乗りをするくらいの心持で、陣笠をかぶり馬乗袴を穿《は》いて、十人足らずの一行と共に駒木野《こまぎの》の関所へかかって来ました。
 関所の役人も実は驚いたくらいで、今ごろ不意に勤番支配がおいでになろうとは思いませんでしたから、多少|狼狽《ろうばい》してこれを迎えました。能登守はその関所へ暫らく休息して、関所役人から附近のはなしなどを聞いていました。
 その時ちょうど駕籠《かご》で乗りつけて来た一人の女が、駕籠から出て関所の前へ通りかかりました。
「これこれ、其方《そのほう》はどこへ行く」
 関所役人が呼び止めますと、その女は、
「甲府の方へ参りまする、どうかお通し下さいまし」
「手形を持っておるか」
「はい、持って参りました」
 女は鼻紙袋を出してその中から、一枚の厚い御手判紙《おてはんがみ》の畳んだのを役人の前に捧げますと、
「ええ、其方《そのほう》は女軽業の芸人を引連れ……かくと申す女であるな」
「左様でござりまする」
「このお手形には二十余人の一座と書いてあるが、その者共はどこにいる」
「それはあとから参りまする」
「待て待て、このお手形の日附が違う、エーと、其方は今より三月ほど前にこの関所を越えて甲府へ出たことがあるように覚えているが、これはその時の手形だな」
「ええ、その……」
「ならん、斯様《かよう》なものは用向の済み次第お上へ御返納申さねばならん、これを以てお関所を通ることは相成らん」
「では、そのお手形では通れないんでございますか」
「左様」
「それではお書換えを願いたいものでございます、急に甲府まで参らねばならないんでございますから」
「ばかなことを言うな、そう急に書換えなどができるものではない、江戸表へ立帰って相当の手続を踏んでお願い申せ」
「そんなことをしてはおられません、わたしの連合《つれあ》いが甲府にいて、急にわずらいついて、大へん危ないのでございますから、どうぞ、お通しなすって下さいまし、お手形は古うございますけれど、この通り少しも怪しいものではございませぬ」
「怪しい者であろうともなかろうとも、拙者はお関所を預かる役目、手形のない者は通すことならぬ」
「それではわたしが困ってしまいます、もし連合いにでも亡くなられてしまったら、わたしは死目《しにめ》に会えないじゃございませんか、助けると思ってお通し下さいまし」
「わからぬことを申すな、其方《そのほう》の事情がどうあろうとも、お上の御法を曲げるわけには相成らぬ」
「それでもせっかくお江戸からここまで来たものが、どうしてまたお江戸へ帰られましょう、ほんとにこうしている間も気がせくんでございますから、お通しなすって下さいまし、女一人ぐらい通して下すったっていいじゃありませんか、お目こぼしということもあるじゃございませんか、どうぞお頼み申しますよ」
 この女は女軽業の頭《かしら》のお角でありました。お角は一生懸命に役人に頼み込んでみましたが、許さるべくもありません。
「くどい! この上かれこれ申すと処分致すぞ」
 役人は言葉を荒くして叱りつけます。
「おや、これほどにお願い申すのに判らないお役人だこと」
「何を申す」
 お角があまり強情だから、役人は立って抓《つま》み出そうとしました。
 縁に腰をかけて見ていた駒井能登守が、
「これこれ松浦」
 用人を呼びました。
「はい」
「あの女、血迷うているようじゃ、其方が行ってもと来た方へ追い返してやれ」
と言って、能登守は扇を持って指図をしました。能登守が元の方へ追い返してやれと扇で差し示した方向は、女がもと来た江戸の方ではなく、これから行こうという甲府の方でありました。
 松浦はそれを心得たようにズカズカと女の傍へ来て、
「これ女、お関所の前で左様なことを申してはならぬ、早く立帰って出直して参るがよい」
と言って、女の手を取ってグングンと引張り出しました。
「これほどにお願い申してお聞き入れがなければそれまででございます、もし連合いが甲府で亡くなるようなことになれば、わたしは江戸へ帰って親類の者やなにかに面《かお》が会わされませんから、ここで死んでしまいます、お関所の前で死んでしまいます」
「さてさて女という者は聞入れのないものじゃ、死にたくば他へ行って勝手に死ね、お関所を汚《けが》すことは相成らぬ」
 無理無体に引張り出されたから、女の力で争うことはできません。
「ほんとに口惜しい、わからないお役人だ、わからずや」
 お角は引摺《ひきず》り出されてしまいましたけれど、その引摺り出されたところは意外にも甲州口でありました。
「愚者《おろかもの》め」
 ポンと関所の外へ突き放されて腰が砕け、暫らく起き上れないでいたが、起き上った時分に気がついてお角は喜びました。
「ああ、わかった、あの若い殿様が粋《すい》を利かして下すったのだ、もと来た方へと言って、ワザとわたしを甲州口の方へ突き放すように、御家来の方に指図をなされたものを知らずにお怨《うら》み申したわたしは、やっぱり女だから馬鹿だね。殿様、有難う存じます、あとでお礼を申し上げまする」
 お角は起き上ってお関所の方へ向いてお礼を言いました。
 それから大急ぎで甲州の方へ歩いて行きました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]に出し抜かれてしまったお角は、こうして前後の考えもなくそのあとを追いかけて来ました。お角にとっては、がんりき[#「がんりき」に傍点]がそれほどに可愛ゆいわけではなく、お絹という女が憎らしくてたまらないのです。あんな古証文を突きつけて人をばかにした上に、またがんりき[#「がんりき」に傍点]と一緒になってこれ見よがしの振舞でもされた日には、意地も我慢もあったものではないのですから、お角はあとを追っかけて来ました。
 腕こそ一本落したけれど、足の方に変りのないがんりき[#「がんりき」に傍点]の歩きぶりは、到底お角の足を以て如何《いかん》ともすることはできません。ましてがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は変則な道を通り、裏道を行くのは慣れているから、お角が追いかけてみたところで到底ものにはならないけれども、どのみち行く道筋は甲州街道で、落着くところは甲府、先へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で落ち合う。その時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]とあの後家様をつかまえて、思う存分荒れてやろうと、例の如く懐中には剃刀《かみそり》なんぞを忍ばせて、駕籠を飛ばせて来たわけです。
 幸いにうまくお関所が抜けられたけれど、これから先がほんとうの難所、女一人で通れるはずの道とも思われません。
 お角が一人で小仏《こぼとけ》の方へ行ってしまってから、駒井能登守の一行がこの関所を立って同じ方向に出かけました。
 関所で駕籠乗物の用意をするというのを謝絶《ことわ》って、やはり馬で行きました。険岨《けんそ》な道へかかったら馬から下りて歩くと言って出て行きました。
 小仏の宿《しゅく》から峠まで二十六丁。
「しかしあの女は愚かな女じゃ、駒木野を越えたからとて、まだこの先に上野原の関所もあれば、駒飼《こまかい》の関所もある、関所よりもなお難渋な、小仏峠というものもあれば笹子峠というものもある、これを知ってか知らずか、女一人で甲府まで乗り込もうというのは、大胆と言おうか、愚かと言おうか」
 これを話のはじめに、与力同心のなかでいろいろの話が持ち上りました。
「いや、あれは真実、亭主の病気を思うて出かけて来たのかどうかわからんが、とにかく何か思い込んで来たような女である、あんなのが何か思い込むと大胆なことをするものじゃ」
「左様、女軽業の元締《もとじめ》とか言いおったが、彫物《ほりもの》の一つもありそうな女じゃ、しかし悪党ではないらしい」
「悪党ではあるまいが、悪党に変化しそうな女である、あれが悪党になると鬼神のお松といった形で、この峠の上などに住みたがる」
「いや、そういうことはあるまい、あんなのはまかり間違って亭主を剃刀で切るとか、胸倉を掴んでギュウと締めるといった程度で、それ以上のだいそれたことはできまい。むしろ平常《ふだん》は内気でおとなしく、口も碌《ろく》に利かないような女が、時とすると大胆なことをする」
「それはどっちとも言い兼ねる、女はハズミ一つであるから、そのハズミの具合によっていかなることをやり出すかあらかじめ断わりはできない、女そのものの性質というよりも、時のハズミが女を賢婦人にしたり毒婦にしたりする例《ためし》が多い」
「それも一理はあるようじゃ。しかしそれではハズミというものをあまり重く見過ぎたきらいがある、いかにハズミが附いたからとて、政岡《まさおか》が、鬼神のお松になることはなかろう」
「性質にもよりハズミにもよる、罪はその両方にあると見るのが穏当であろう。明智光秀《あけちみつひで》の如きも、信長公があれほどの短気でなかったならば、謀叛《むほん》はしなかったであろうが、たとえ信長公が短気であったところで、光秀そのものに謀叛気がなければ、あんなことにはならぬ」
「要するに鐘と撞木《しゅもく》の間《あい》が鳴るというところで、我々共の役目においてもその通り、強く罪人を扱うてかえって罪を大きくしてやることになり、或いは寛《ゆる》やかに扱い過ぎてかえって増長を来すようなこともある」
「寛厳よろしきを得たりということは治政の要術で、その術はまた治者の人格である、くだらぬ人格の者が、みだりに寛厳の術を弄《ろう》すればかえって人の軽侮を招く」
「大阪の与力大塩平八郎の事件などがそれじゃ、あれは跡部山城守殿《あとべやましろのかみどの》が大塩を見るの明《めい》がないから起ったことである。奉行が大きければ大塩は非常な用をする、奉行が小さくて大塩が大きかった故あんなことになったという説がある」
「大塩はとにかく近代での人物である、是非善悪は論ぜず、貧民のためにあれほどのことを為し得る奴はほかにはあるまいと思われる、あの乱もまた大塩自身の人物もあろうけれど、時のハズミというものもなきにあらず」
「国民の富豪に対する怨恨《うらみ》がようやくに熟していたから火蓋《ひぶた》が切られたのじゃ。それにつけても思うのは、このごろ江戸に起った貧窮組、浅ましいようでもあるし、おかしいようでもあるが、あれもまた時世を警《いまし》むる一つの徴候《しるし》」
 駒井能登守の一行は、時事を論じたり、風景を語ったりしながら、小仏峠の頂上まで登ってしまいました。
 頂上に中の茶屋があって、そこに休んで見ると赤飯《せきはん》がありました。その赤飯を大盤振舞《おおばんぶるまい》にして与力同心、仲間馬方に至るまで食いました。能登守もまたそれを抓《つま》んで喜んで食いました。なおお茶を飲む者もあれば水を飲む者もあります。頂上まで上って見ればこれからは下りであります。下り道は上り道よりも楽であります。上野原泊りの予定は、遊びながらでも着くことができるのであります。
 能登守は柄に似合わない健脚でした。いちばん早く参るだろうと思われた能登守がいちばん疲れないで歩いて来ましたから、
「御支配は健脚だ、いや身体の華奢《きゃしゃ》なものはそれだけ足の負担が軽いからそれで疲れないので、我々は頑健肥満に生れた罰でかえって山路に難渋する」
と言って、与力のなかで、いちばん肥満していちばんよく話をした男が、いちばん早く疲れて愚痴を言いました。
「おのおの方は、あまりよく口を利きなさるからそれで疲れるのだろう、すべて険岨《けんそ》を通る時や遠路《とおみち》をする時は、あまり口を利かない方がよいそうじゃ」
 能登守はこう言った。なるほど、いちばん疲れない能登守がいちばん喋《しゃべ》らなかった。
「無言で気息を調《ととの》えて歩けばよろしかろうけれど、そこが旅は道づれで、いろいろの話をして歩きたいのが凡夫の常だ。よしよし、今度は無言の行を続ける」
 とにかく、中の茶屋で休んで、赤飯などを噛《かじ》っていると、誰も彼も疲れなんどは一時に忘れてしまいました。その元気で茶屋を立って下りにかかりましたが、上りに懲《こ》りて無言の行を続けると言った肥満の与力は、渋面《じゅうめん》を作って口を噤《つぐ》んで歩きましたが、それにひきかえて能登守が今度はいろいろの話をやり出しました。街道筋の地勢や要害を指さしながら、土地案内の与力同心に聞いてみたり、自分の意見を述べてみたりしました。時々|諧謔《かいぎゃく》を弄して一行を笑わせたりしました。それで話の花が咲いて、登りの時より一層賑やかになりました。強《し》いて口を噤んでいた与力の連中もまた談話中の人となって、疲れた足を引きずりながら、息をはずませて気焔を上げていました。
 山腹の左の方から渓水《たにみず》が湧き出て滝のように流れています。それが深い谷に落ちて淵《ふち》になったり、また岩に激して流れ出したりする変化が面白い。その渓水を幾十曲りもして見ると、向うに二軒の茅屋《あばらや》が見える。その前に板橋があって、渓水がそこへ来て逆に流れている景色がなかなか面白いから、一行はそこで暫らく立って景色を見ていました。すると駒井能登守が、
「あれ見よ、あの家の後ろを怪しげな男が通るわ」
と言いました。一同は谷川の景色ばかり見ていたのでしたが、能登守にこう言われて、前の山の二軒の茅屋のところに眼をうつすと、そこを一人の旅人が急速力で、サッサと歩いて行くのを認めます。菅笠《すげがさ》を被って道中差《どうちゅうざし》を差して、足ごしらえをしてキリリとした扮装《いでたち》で、向う岸の茅屋の後ろを飛ぶが如くに歩いて行きます。
「あれは何者だ、足の早い奴」
と驚いていると、能登守が、
「いかにも怪しげな奴じゃ、関所の裏を通ったものと見ゆる、誰ぞ行って追蒐《おいか》けてみられよ」
「心得ました」
 同心が二人、板橋を渡って向う岸へと飛んで行きました。
 怪しげな旅の男はそれを知って、山の中へ逃げ込んで、かいくれ姿を隠したから、追いかけて行った同心は空《むな》しく帰って来ました。
「怪しい奴、足の迅《はや》いこと無類でござりまする」
 同心はまず以て、その逃げ去った奴の足の迅いのに舌を捲いて復命しました。
「年はまだ若いようであったな」
「年はまだ若いようでございました、三十の上を幾つか越したくらい、遊び人風の男で、後ろ姿をチラリと見かけましたが、その迅いこと迅いこと」
「なんにしても怪しい奴じゃ、すべてあの通り足の迅い奴には悪いことをする者が多い、よく演劇や講談に現われる雲霧仁左衛門《くもきりにざえもん》という悪漢も足の迅い男であったそうじゃ」
「ああ、その雲霧仁左衛門という悪漢、それはこの上野原から出た奴にございます、この上野原のしかるべき家に生れた悪漢でございました」
「足が迅いと高飛びが自由にできる、それで今日ここで悪事をしても、明日は他国へ行って知らぬ面《かお》している、悪事千里を走るとはこのことじゃ」
「足が迅いから自然、手が長くなるのでございましょう。冗談はさて置き、あの怪しい奴、取逃がしたは残念、直ちに手配を致して取押えさせましょう」
「それには及ばぬ」
「せっかく御支配のお目に留まったものを取逃がして、面目がござりませぬ」
「向うの岸とこっちでは無理もないことじゃ、まして人間並みを外《はず》れた足の迅い奴、逃げるのがあたりまえで、逃がした方に罪はない」
「それと知ったら声をかけずに、何か手段があったろうものを」
「これから先のこと、甲府へ入るまでにきっと、あの者が再び現われることがあるに違いない、その時は油断せぬように」
「心得ました」
 与力同心の面々がみな多少の好奇心にそそられました。もとよりこれらの人々がワザワザ手配をして騒ぎ立てるほどの代物《しろもの》ではないが、道中の腕比《うでくら》べというようなことになってみると、多少の張合いが出て来るものでありました。それ故、無駄なことと思ったものまでが、休み茶屋や、泊り泊りにも用心をしてみる気になりました。しかしながら別段に変ったこともなく与瀬《よせ》の宿《しゅく》へ入って、これこれの者の姿を見かけなかったかと尋ねてみても、誰もそんな者を見かけたという者はなく、
「ただ、さきほど峠道で若いおかみさんが悪者に苛《いじ》められているところを、鳥沢の親分が通りかかって連れておいでになったばかりでございます」
と土地の人が言います。
「若いおかみさんが悪者に苛められているところを、鳥沢の親分が助けて連れてかえったと? してその若いおかみさんというのは……また鳥沢の親分というのは何者」
 与力同心が、土地の者の言葉尻を捉《とら》えてそれを訊《たず》ねてみました。
 よく聞いてみると、峠道で悪い胡麻《ごま》の蠅《はえ》にかかって苦しめられていたという女は、駒木野の関を通してもらった女であって、それを助けた鳥沢の親分というのは、鳥沢の粂《くめ》という親分であることがわかりました。
 鳥沢の粂というのは郡内《ぐんない》切っての親分であって、ずいぶん悪辣《あくらつ》なことをするし、また相応に義侠らしいこともする。この界隈《かいわい》では厄介者視しているものが半分と、畏服《いふく》しているものが半分という勢力であることもすぐにわかりました。
 それを聞いただけで、駒井能登守の一行は例の通り上野原までやって来ました。上野原の宿へ着いた時も、先触《さきぶれ》がなかったから役員どもを驚かしました。
 御支配のお着きということは本陣を大へんに騒がせたけれども、そのほかには至って無事で、一泊して翌日未明に出立。
 上野原を出て少しばかり坂を下ると、もうすぐに川であります。川の両岸には川越しの小屋が立っていて、真裸《まっぱだか》になった川越し人足が六七人ほど、散らばっているのが一目に見えました。
「これが鶴川の渡し場でございます」
「なるほど、先年|諏訪因幡守殿《すわいなばのかみどの》が人足どもに困らせられたという渡しはこれか」
「あれ以来、人足どもも大分おとなしくなりましたが、やっぱり気の荒い郡内の溢《あぶ》れ者《もの》でござるから、おりおり旅人が難儀する由でござりまする」
「ゆくゆくはなんとか取締りをしたいものじゃ、どこへ行っても、この裸虫には弱らせられる」
 一行は川越しの小屋のところまで来ると、宿役人から先に出向いていて、しきりに人足を指図していました。
「おいおい御支配のお通りだ、ほかの旅人は控えているがよろしい、御支配のお通りが済んでから通らっしゃい」
と言って、川の両岸の通行を暫らく差押えました。それがために両岸に多くの通行人が溜《たま》って、駒井能登守の渡ってしまうのを待っていました。
「どうしたのか、両岸に人がたかっている」
 能登守は不審に思いました。
「御支配様、どうぞこれをお召しなすって下さいまし」
 連台《れんだい》を持って来ました。屈強な男が二十人ほどでその連台を担《かつ》ぐのであります。
「お役人様方は、どうか野郎共の肩にお召し下さいまし」
 与力同心の面々は肩車で越えるということであります。そのほか仲間《ちゅうげん》、槍持《やりもち》、挟箱担《はさみばこかつ》ぎ、馬方に至るまで、みな人足の肩を借りたり手を借りたりして、なかなか大業《おおぎょう》なことでありました。駒井能登守はそれと気がついて、
「宿役人、こんな大業なことをしないがよかった」
 能登守は仕方がなしにその連台に乗りました。二十人の人足が曳々声《えいえいごえ》を出してそれを担ぎ上げました。甲州に入っての勤番支配の権威は絶大というべきものです。この街道を通る参覲交代《さんきんこうたい》の大名はあまり数が多くはないが、それらの大名が通る時よりも、勤番支配の通る時の方が鄭重《ていちょう》でありました。能登守は、それがために数多《あまた》の通行の人を留めてしまったことを気の毒に思って、早く手軽に通ってしまいたいのだが、鄭重にするために宿役人は川越し人足の勢揃いや人数配りに手数をかけてなかなかに時間を取るのであります。能登守の連台がやっと担ぎ出されて、与力同心の面々の肩車がそれにつづこうとした時に、上野原の方から慌《あわただ》しくこの場へ飛んで来たのは誰あろう、宇治山田の米友でありました。

         二

 米友は例の通り跛足《びっこ》を引いて、杖《つえ》をついて、横っ飛びにこの河原まで駈けて来て、
「通してくれ、通してくれ、俺《おい》らが悪いんじゃねえ、まだ出かけねえと言うから、それで安心して待ってたんだ、ところが出し抜かれたんだ、あいつの口前にひっかかって、無駄話をしている間に出かけられちゃったんだ、ぐずぐずしていると俺らが申しわけのねえことになっちまうんだ、どうか通してくれ」
 米友は眼の色を変えて川を渡ろうとしますから、宿役人や人足までが驚きました。米友のことですから、あんまり周囲の事情に見さかいがなく、笠と首根ッ子へ結《ゆわ》いつけた風呂敷包が上になったり下になったりするのをかまわず、無論、勤番支配であろうが、与力同心であろうが眼中になく、やみくもに川へ飛び込んで押渡ろうとするから、忽《たちま》ちドッコイと押えられてしまいました。
「やい、手前は何だ」
「通してくれ、通してくれ、無駄話をしているうちに出し抜かれちゃったんだ、こうしちゃいられねえ」
「馬鹿野郎」
「何だい、何をしやがる」
「よく眼をあいて見やあがれ、川の向うもこっちも通行どめなんだ、みんなああして御遠慮をしているのがわからねえか」
「遠慮なんぞをしちゃあいられねえ、人から頼まれて乗物の目付《めつけ》をして来たんだ、それが先へ出ちまったんだ、俺《おい》らはそのつもりじゃなかったんだ、まだ出かけねえと言うから、それで安心して待ってたんだ、悪い奴の計略にひっかかったんだ」
「何を言ってやがるんだい、この馬鹿野郎、引込んでいやがれ」
 人足は拳《こぶし》を固めて米友を殴《なぐ》りつけてしまおうとすると、米友はその手の下を潜って飛び出し、
「お前たちの手は借りねえんだ、一人で越すからいいよ」
 尻を引絡《ひっから》げて川へ入り込もうとするから、人足どもがバラバラと駈けて来て米友を囲んでしまい、その手を持ってギュウギュウ引き立て、
「方図《ほうず》のねえ馬鹿野郎だ」
 ポカポカと二つ三つ食《くら》わせてしまいました。
「おやおや、打《ぶ》ったね」
「まだあんなことを言ってやがる、叩きのめして簀巻《すまき》にしてやれ」
「ナゼ打つんだい、ええ、ナゼ俺らを打ったんだ」
「この野郎、ちびのくせに口の減《へ》らねえ野郎だ」
「まあ、おじさん待ってくれ、打つんならお打ち、打たれてもいいからその代り、おじさんここを通しておくれ、ね」
 米友は、それでも人足と争うことの不利なるを覚《さと》ってか、いっぱしの知恵を出して妥協を試みようとしたが、どうしてこの場合、川越し人足が米友の口前ぐらいで承知するものではありません。
「面倒くさいから叩きのめしてしまえ」
 争わずしている米友を、またも拳を上げてガンと食らわせました。
「あ、痛え!」
 米友も、さすがに面《かお》をしかめて痛みを怺《こら》えねばならぬくらいに手強く打たれて、思わず片手で頭を押えた時に、続けざまにポカポカと拳の雨が来ましたから、米友の癇癪《かんしゃく》が一時に破裂しました。
「もう、勘弁ができねえ、こいつら甲州街道の川越しの人足ども、あんまり人をばかにしやがるない、ここは手前たちの川じゃあるめえ、甲州街道の鶴川だろう、手前たちがこの川を持ってるわけじゃあるめえ、天下様の往来だい、俺らが通ってナゼ悪いんだ、渡し賃が要《い》るならくれてやらあ、手前たちは渡し賃を貰って人を渡しさえすりゃいいんだろう、通すの通さねえの、安宅《あたか》の関の弁慶みたいなごたいそうなことを言うない、富樫《とがし》にしちゃあ出来過ぎてらあ、第一、手前たちは富樫という面《つら》じゃねえ」
 さあいけない、米友はまた啖呵《たんか》を切ってしまった。
 米友流の啖呵を切って開き直ると、手に持っていた杖を眼にもとまらない迅さで取り直して、いま自分を撲《なぐ》った人足の眼と鼻の間に一刺《いっし》を加えました。
「あッ!」
 その人足はひっくり返る、あとの人足は殺気が立つ。人足を一人突き倒して、しばらく彼等を呆気《あっけ》に取らした米友は、二三間、河原の向うへツツと飛び越して岩の上へ跳《は》ねあがり、
「俺《おい》らは伊勢の国から東海道を旅をして江戸の水を呑んで来た宇治山田の米友だ。東海道には天竜川だの大井川だのという大きな川があるんだ、こんな山ん中のちっぽけな川とは違って、水もモットうんとあらあ、そこには川越しの人足も幾百人といるけれども、手前たちのようなわけのわからねえ人足は一人もいなかったんだ。おじさん、俺らはこの通り足が悪いんだから、大事にして通しておくれと頼めば、ウン兄《あに》い、気をつけて歩きねえ、転ぶとお前は背が低いから、浅いところでもブクブクウをするよなんて言やがるから、ばかにするない、背は低くっても泳ぎが出来るんだいと威張ってやると、あははと笑って通すんだ。手前たちは山ん中の猿だから世間を知らねえや、だから教えてやるんだ、東海道の川越し人足はそうしたものなんだ、同じ人足でも人足ぶりが違わあ、第一、面《つら》からして違ってらあ。俺らが急ぎだから通してくれと頼むのを、事情《わけ》も聞かねえで、無暗《むやみ》に撲《ぶ》ちやがる。撲たれていいものなら撲たしてやらあ、こっちに悪い尻があるんなら、いくらでも撲たれてやらあ、ここまで来て撲ってみやあがれ。米友が持っておいでなさるこの杖は、杖と見えても杖じゃねえんだ、まかり間違ったら槍に化けるように仕掛がしてあるとはお釈迦様《しゃかさま》でも気がつくめえ。やい山猿人足、手前たちは世間を見たことがねえから、この米友がどのくらい槍が遣《つか》えるんだかその見当がつくめえ。山猿と言われたのが口惜しけりゃここまで来てみやがれ、米友の槍が怖いと思ったら、早く川を通せろやい」
 こう言いながら米友は、持っていた杖を片手に取ってブンブンと振り廻し、猿のような面《かお》をして白い歯を剥《む》いて罵《ののし》ると、たださえ気の荒い郡内の川越し人足が、こんなことを言われて納まるはずがありません。
「ふざけた野郎だ、叩き殺せ」
 この騒ぎで、駒井能登守の連台を担ぎかけた人足も、与力同心の股倉《またぐら》へ頭を突っ込んだ人足も、みんなそれをやめてしまって、米友の方へバラバラと飛んで行きました。宿役人は青くなってその騒ぎを抑《おさ》えにかかります。

 意外の騒動が起ったので、駒井能登守はやむなくその騒ぎを見ていました。与力同心の連中もそれを見ていました。いずれも人足どもの騒ぎ、宿役の連中が取鎮めるであろうから自分たちが手を下すまでもあるまい。それで騒ぎの済むのを待っているうちにも、岩の上へ跳《おど》り上った米友の無遠慮露骨な罵倒を聞いてハラハラしました。
 人足どもも無暗《むやみ》に撲ることは乱暴だが、川越し人足である、これで通ったものを、東海道の人足とは人足ぶりが違うとか、面《つら》まで違うとか、山猿がどうしたとか、言わんでもよい悪口を言っているのはずいぶん向う見ずの無茶な奴だと思って、その鎮まるのを待っているが鎮まりません。
「矢でも鉄砲でも持って来やがれ」
 岩の上に立った米友を下から渦《うず》を巻いて押し寄せた川越し人足、なにほどのこともない、取捉《とっつか》まえて一捻《ひとひね》りと素手《すで》で登って来るのを曳《えい》と突く。突かれて筋斗《もんどり》打って河原へ落ちる。つづいて、
「この野郎」
 手捕《てどり》にしようとして我れ勝ちにのぼって来るのを上で米友が手練《しゅれん》の槍。と言ってもまだ穂はつけてないから棒も同じこと。
 これだから米友は困りものです。くれぐれもその短気を起すことを戒《いまし》められているにかかわらず、短気を起してしまいます。無暗に喧嘩を買ってしまいます。槍が出来るという自信があるために人を怖れないし、それに、どうしても曲ったことが嫌いだから、ポンポン理窟を言ってしまいます。
 不幸にしてただ脳味噌に少しく足りないところがあるらしく、それがために時の場合と相手の利害を見ることができません。役人であろうとも雲助であろうとも更に頓着がないから困りものです。お君でも傍にいてなだめたり諫《いさ》めたりするから江戸へ来て以来はあんまり大きな騒ぎを持ち上げませんでした。大きな騒ぎを持ち上げないこともない、見世物小屋の失敗《しくじり》などはかなり大きな失敗でしたけれども、それがために古市《ふるいち》における場合のように、槍を振り廻すことのなかったのはまだしもの幸いでしたが、今はとうとう本式の喧嘩を持ち上げてしまいました。しかもその相手が最も悪い、雲助のなかでも最も性質《たち》の悪い郡内の雲助ですから、米友も実に飛んでもない相手を引受けたものです。市川|海老蔵《えびぞう》は甲府へ乗り込む時にここの川越しに百両の金を強請《ゆす》られたために怖毛《おぞけ》を振《ふる》って、後にこの本街道を避けて大菩薩越えをしたということ。性質《たち》の悪いことにおいて甲州街道の雲助は定評がある。その雲助を、あんなことを言って罵ってしまったから、その怒り出すことは火を見るようなものです。何のためか、ここの人足は長い竹竿を横にして、それに十数人の人足がつかまって乗物の先に立って川を渡す、今、その竹の竿を担ぎ出して米友を引払ってしまおうとしました。
 駒井能登守の一行は不意の出来事に驚いて暫らく立って見ていると、岩の上に立って杖を遣《つか》う米友の敏捷《びんしょう》なこと。
 蟻《あり》のように上りかける人足を片端《かたはし》から突いて突き落す。寄手がいよいよ多ければ、いよいよ突き落す。裸体《はだか》の雲助が岩の上からバタバタと突き落されたところは、ちょうど千破剣《ちはや》の城をせめた北条勢が、楠《くすのき》のために切岸《きりぎし》の上から追い落されるような有様ですから、目をすまして見物していると、
「こいつら、俺らの懐中《ふところ》にまだ槍の穂が蔵《しま》ってあることを知らねえか、今こうして手前たちを突き落しているのはこの棒だけれど、いよいよという場合には穂をつけて、ほんとうに突き殺すからそう思え、今は怪我をしねえようにそっと突いていてやるんだ、穂をつけてから、米友がほんとうに荒《あば》れ出したら、いちいち突き殺して、この河原を裸虫で埋めるようなことになるからそう思え。何だい、そんな長い竿なんぞを持って来やがって、俺らを叩き落そうと言うんだな。よしよし、そんならほんとうに棒の天辺《てっぺん》へ刃物をくっつけるぞ、さあこれだ、これをちゃあんと棒の先へつけて槍に組み立てるように仕掛が出来てるんだ、これで突いたら命はねえんだからなそう思え、面《つら》の真中でも咽喉仏《のどぼとけ》でもお望み通りのところを突いてやる、ちっとやそっと危ねえんじゃねえや」
 米友が懐中から取り出した笹穂《ささほ》は先生自身の工夫で、忽ちそれを杖の先に取りつけて、その穂を左の掌《てのひら》で握って下へさげ、石突《いしづき》をグッと上げて逆七三の構え、ちょうど岩の上に立って水を潜《くぐ》る魚を覘《ねら》うような姿勢を取ると、足を払いに来た竹の竿、それを身を跳らして避けると、いま上りかけた人足の面《つら》の真中から血汐《ちしお》が溢れ出して、
「呀《あ》ッ」
 仰向けに河原へ落ちる。
「野郎、仲間《なかま》を突きやがったな、さあ承知ができねえ」
 血を見ると人足が狂う。
 事態、いよいよ危険と見たから、駒井能登守の手にいた与力同心が出動せねばならなくなりました。

 与力同心の出動によってこの騒ぎは鎮《しず》まりました。しかし納まらないのは雲助ども、あんな悪口を言われ、且つ面《かお》の真中を突かれた負傷者をさえ一人出している。五分五分の仲裁では納まりようはずがないから与力同心は、両方を押えた後に米友を番小屋の方へつれて来ました。さてその後の裁判がふるっています。
 米友に槍で突かれた人足は一人。それは面を突き破られただけで、かなり重い傷には違いないけれど生命に別条はない。だからそれを償《つぐな》うために米友を片輪にしたら承知ができるだろう。しかし米友は跛足であってもう片輪になっている。この上に片輪にしてしまっては命を縮めることになるから、その代りに頭を坊主にして、それで許してやれという駒井能登守の裁判でした。
 能登守も笑いながら裁判しました。与力同心も笑いながら、
「それは御名案、どうじゃ川越しども、それで許してやれ、許してやれ、相手はこの通り正直者だから」
 与力同心がこう言うと、ハラハラしていた宿役人どももまた笑い出して、
「御支配様のお裁判だ、この男を坊主にして笑ってやれ、若い衆、それで我慢してくれ、我慢してくれ」
 八方からこう言われて、さすがの川越し人足も納まりかけました。
「あはははは、この野郎を坊主にしたらドンナ坊主が出来上るだ、見たところ餓鬼《がき》のようでもあるし、ばかに年寄じみたところもあるし、なんだかえたいのわからねえ野郎とっちゃあ[#「とっちゃあ」に傍点]、いいから坊主にして笑ってやれ」
「坊主、坊主」
 早くも番小屋から怪しげな剃刀《かみそり》だの鏡台だのが担ぎ出されます。
 米友はつまらない面《かお》をしています。俺を坊主にするなどとは以てのほかだというような面をしていたが、トテモ坊主になるものならおとなしく坊主になってやろうというような、得心をしたようにも見られます。
 物好きな宿役人が米友の後ろへ廻って剃刀を取ったが、その剃刀があまり切れないせいか、山葵卸《わさびおろし》で擦《こす》るようでありました。痛さを怺《こら》えてじっとして剃らせている米友、その面もおかしいが、いよいよ剃り上った坊主もかなりおかしいと見えて、一同でやんやと囃《はや》して笑ったけれど米友は笑わなかった。
「これでいいのか」
 坊主頭を振ってみて、それから例の風呂敷包を首根っ子へ結《ゆわ》いつけて、笠を被《かぶ》ると、
「俺らは急ぎなんだ」
 こう言って横っ飛びに川の中へ飛び込んでしまいました。その挙動が、あんまり無邪気で軽快でしたから、人足どもも笑って、米友がひとりでズンズン川を越して行くのを敢《あえ》て止めませんでした。
 この一場の小喜劇がこれで済んで、川彼方《かわむこう》を跛足を引き引き駈けて行く米友の形をさんざんに笑いながら、ようやく能登守一行の川渡りが済みました。しばらく遠慮をしていた両岸の旅客もようやく渡ることができました。
「いや、旅をするとさまざまの面白いものを見るわい、駒木野の関所で見た女、次に小仏を下りて見かけた足の早い男、今またあの奇妙な小男、さてこの次には何を見るか。それにしてもあの小男が槍を使うのは至極の精妙、見たところ、武家奉公をしている様子もなし、出し抜かれた、出し抜かれたと言って駈けて行くが、あの調子ではまた何かにぶつかって大事《おおごと》を惹《ひ》き起さねばよいが」
 駒井能登守はこういって米友の身の上を心配しながら、やはり悠々として甲州入りの旅をつづけましたが、ほどなく鳥沢の宿へ着いてここの本陣で一休み。

         三

 鳥沢で休んでいるうちに、またさまざまの雑談がありました。この附近で香魚《あゆ》が捕れてその味が至極よろしいこと、また山葵《わさび》も取れること、矢坪坂《やつぼざか》の古戦場というのがあること、太鼓岩、蚕岩《かいこいわ》、白糸の滝、長滝などの名所があるということ、それから矢坪坂の座頭転《ざとうころ》がしの難所のことになって、
「房州の小湊《こみなと》へ行く道にお仙転《せんころ》がしというのがあるが、ここには座頭転がしというのがある、座頭転がしとはなにか由緒《ゆいしょ》がありそうな名じゃ、どういうわけで、そんな名前がついたのだ」
 本陣の主人が答えて、
「ただ山の中腹に開《あ》いてありまする路が、羊の腸《はらわた》みたようにうねっておりますから、煙草の火の借り合いができるほどのところへ行くにも廻り廻って行かねばなりません。或る時、二人の座頭が、この道を通りまする時、おたがいに言葉をかけ合って参りましたが、途中で後ろの者が『オーイ』と申します、前のものが『オーイ』と返事をします、近いところに聞えたものですから、真直ぐに行くと谷へ落ちて死んでしまいました。それで座頭転がしというのだそうでございます」
「この街道は道が嶮《けわ》しいばかりでなく、人気などもなかなか荒いようじゃ」
「人気はなかなか荒いそうでございます、どうも郡内者といって、旅の者が怖れておいでなさるそうでございますが、住んでいますれば、やっぱり同じ人間でございますから、そんなに荒っぽいとも存じません、頼むとあとへ引かないといったような片意地のところもございまして、附合い様一つでございます」
「この鳥沢に粂《くめ》という者があるか。鳥沢の粂といって、この界隈《かいわい》に知られた男があるそうな」
「へえ、鳥沢の粂、そんな者があるにはあるんでございますが、お話を申し上げるような人体《にんてい》ではございません」
と言って、主人は鳥沢の粂のことをあんまり話したがらない。風景があったり名物が出たりすることは多少にも自慢にもなるけれど、あんな人間の存在することはあまり名誉とも思わないらしくて、粂のことは問われても語らずに、
「なんしてもこの通りの山の中でございますから、景色と申しても名物と申しても知れたものでございますが、そのうちでも甲斐絹《かいき》と猿橋《さるはし》、これがまあ、かなり日本中へ知れ渡ったものでござりまする」
「そうだ、猿橋と甲斐絹の名は知らぬ者はあるまい、その猿橋ももう近くなったはず」
「これから、ほんの僅かでございます、そんなに大きな橋ではございませんが、組立てが変っておりますから、日本の三奇橋の一つだなんぞと言われておりまする。猿橋から大月、大月には岩殿山《いわとのさん》の城あとがございまして、富士へおいでになるにはそこからわかれる道がございます。それから初狩《はつかり》、黒野田を通って笹子峠」
 本陣の主人は一通りの道案内を申しました。一行のうちにはここをしばしば通ったものもあるのだから、そんなに委《くわ》しく言う必要はないと思って手短かに案内をしたが、大部分は初めての甲州入りだから、珍らしがって名所の話をします。ことに日本三奇橋の一つと称せらるる猿橋に近くなったということが好奇心をそそって、
「いったい、その日本の三奇橋というのはドレとドレだ」
「周防《すおう》の錦帯橋《きんたいばし》、木曾の桟橋《かけはし》、それにこの甲斐の猿橋」
 一行のうちの物識《ものし》りが答えます。やがてこの本陣を出て右の猿橋へかかった時分に、そこで一行は、橋以外にまた奇体なものにぶっつかることになりました。
 鳥沢で休んで駒井能登守の一行がまたも悠々と甲州街道を上って行くと、ほどなく猿橋まで来かかりました。
 猿橋は有名な橋。その橋のところへ来ると、往来の人が怖々《こわごわ》と橋の左側の方ばかりを小さくなって駈けるようにして通るから、与力同心の面々が不思議に思って、
「ナゼ真中を通らぬ、橋がこわれているならナゼ普請《ふしん》をせぬ」
と言って咎《とが》めると、通りかかった男が、
「あ、あの通りでございます」
 青くなって指さしをしたから、その指さしをしたところを見ると、欄干に細引が結えつけてあって、それから釣忍《つりしのぶ》を吊《つる》したように何か吊してあるようです。何が吊してあるのかとよく見定めると人間が一人、四ツ手に絡《から》んで高さ十七間の猿橋の真中から吊り下げてありました。
「こりゃ怪《け》しからん、誰がこんなことをした」
「鳥沢の親分がこういうことをやりました」
「鳥沢の親分とは何者だ」
「鳥沢の粂《くめ》という、このあたりに聞えた親分でございます」
「何者であろうとも、斯様《かよう》な惨酷《さんこく》なことをするのを見逃しておくのは何事じゃ、ナゼ助けてやらぬ」
「粂が申します、これを解いてやった奴があれば生かしちゃ置かねえとこう申しますから、正直な土地の人は慄《ふる》え上ってまだ手をつける人はございません」
「憎い奴じゃ、上《かみ》を怖れぬ仕方、早く引き上げてやれ」
 与力同心は仲間小者と力を合せて、この細引にかけて吊してあった人間を引き上げてやりました。
 引き上げてみると、もう真蒼《まっさお》になって息が絶えている模様でしたから、薬をくれたり水をやったりして介抱すると幸いに息を吹き返しました。
「これ、気を確かに持て」
「有難うございます」
「其方《そのほう》は何者だ、どうして斯様な目に遭ったのだ」
「どうも相済みません、なあに、ちっとばかりこっちの悪戯《いたずら》が過ぎたから、それでこんな目に遭ったんでございます、打捨《うっちゃ》っておいて下さいまし」
「斯様な惨酷なことを致すものを打捨ててはおけぬ、聞けば鳥沢の粂とやらいう悪者の仕業《しわざ》じゃそうな。うむ、その粂という者はどこにいる」
「なあに、鳥沢の親分がやったんじゃあございません、俺《わっし》が慰みにやってみたんでございます」
「さてさて、貴様はわからぬ奴じゃ、包まず申せ、貴様のために仇《かたき》を取ってやる」
「なあに、仇なんぞは取っていただかなくってもよろしうございます、おかげさまで地獄から呼び戻されたのが何よりで、それでもう充分でございます」
「貴様はその粂とやらいう悪漢を怖れて包み隠すと見えるな、我々が聞いた以上はいかなる悪漢なりとても、後の祟《たた》りは少しも心配はないのじゃ」
「どう致しまして、たとえ粂であろうとも、鬼であろうとも、後の祟りを怖がってそれで包み隠すというようなわけじゃございません、どうか打捨ってお置きなすって下さいまし」
「貴様が白状しなければ別に調べる道もある、ともかく我々と一緒に本陣まで同道せい」
「どうか、このままお免《ゆる》しなすって下さいまし、歩けません」
 こんな酷《ひど》い目に遭わされながら何とも訴えないのは、そこに何か仔細がなければならぬと思って与力同心の面々は、この男を引き立てようとした時に気がついたのは、この男に片腕のないことでした。
 これより先、猿橋の西の詰《つめ》の茶屋の二階で郡内織の褞袍《どてら》を着て、長脇差を傍に引きつけて酒を飲んでいた一人の男がありました。年は五十に近いのだが、でっぷりと太って、額際《ひたいぎわ》に向う傷があって人相が険《けわ》しい。これは前にしばしば名前の出た鳥沢の粂という男であります。
 粂は二階から障子をあけ払って猿橋を一目にながめながら、
「どうだい、野郎をあんなにしてやった、いい心持だろう、あんなのを眺めて酒を飲むとよっぽどうめえ」
 粂は猿橋の真中から、亀の子のようにがんりき[#「がんりき」に傍点]の身体を吊下げて、それを見ながら酒を飲んでいるのでありました。
「親分、どうか許して上げてください、あの人も悪いことがあるんでしょうけれど、あんなにまでなさらなくってもよろしうございます、どうか助けてやって下さい」
「いいや、いけねえ、あの野郎には、あれでもまだ身に沁《し》みたというところまでは行かねえんだ、もうちっと窮命《きゅうめい》さしてやる。お前もよく眼をあいて見ておきねえ、なんで下を向くんだ、よ、高さは僅か三十三|尋《ひろ》とちっとばかり、下はたんとも深くねえが、やっぱり三十と三尋、甲州|名代《なだい》の猿橋の真中にブラ下って桂川《かつらがわ》見物をさせてもらうなんぞは野郎も冥利《みょうり》だ。お前も可愛がったり可愛がられたりした野郎だ、よく見ておきねえ、なにもそんな処女《きむすめ》みたように恥かしがって下を向くことはねえじゃねえか」
 鳥沢の粂の傍にいる女、それは女軽業の頭領のお角でありました。
「親分さん、どうか助けて上げてくださいよう、死んでしまいます、悪い人は悪い人でも、あれではあんまり酷うございますから、早く解いてやって下さいよう」
「いいや、いけねえ。お前もずいぶん、女子供を買って来て危ねえ芸当をさせて銭をもうける職業《しょうべい》に似合わねえ、あのくらいの仕置《しおき》が見ていられねえでどうする。野郎に軽業をさせて今日はお前と俺がお客になって見物するんだ、この桟敷《さじき》は買切りだから誰に遠慮もいらねえ、首尾よく野郎の芸当が勤まれば、二人の手から祝儀をくれてやらあ」
「親分、どうしても解いて上げることができなければ、いっそ殺してしまって下さい、あんな目に会わされているより、一思いに殺されてしまった方がよいでしょうから。わたしも見ていられないから、早く殺してやって下さい」
「殺しちまっちゃあ、身も蓋《ふた》もねえや、ああいう野郎にはいろいろの芸当をさせてみて、死にかかったらまた水を吹っかけて生き返らして、またやらせるんだ。まあ、お角、一杯飲みな。俺があの野郎をあんな目に遭わせるから、俺は鬼か魔物みたようにお前の目に見えるか知れねえが、ずいぶんああしてやっていい筋があるんだ。あの野郎の生立《おいたち》から国を出るまでのことを残らず知ってるのが俺だ、俺にああされてあの野郎には文句が言えねえ筋があるんだ、俺にああされたから野郎は本望ぐれえに心得ていやがるだろう、これからゆっくりその話の筋を語って聞かせてやるから、落着いて聞いていねえ、それを聞いているうちにはなるほどと思うこともあるだろう、俺が酔興《すいきょう》であんな軽業をさせるんじゃねえと思う節《ふし》もあるだろう……おやおや、役人が大勢来やがったな、あ、百の野郎を引き上げたな。うむ、土地のやつらあ俺を憚《はば》かって手が着けられねえのを、木端《こっぱ》役人め、出しゃばりやがったな、面白《おもしれ》え、どうするか見ていてやれ、百の野郎がなんとぬかすか聞きものだ」

 駒井能登守の一行はその晩、猿橋駅の新井というのへ泊りました。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は一間へ引据えて置いたが、息の絶えるほど弱っているのだから、縄をかけるまでもあるまいと、与力同心は油断をしてそのままで置きました。
「鳥沢の粂という者を呼んで、ともかくもこの男と突き合せて見給え」
 能登守は命令の形式でなく、どうでもよいことのようにこう言って引込んでしまいました。
 与力同心の連中は、ちょうど慈恵学校の生徒が解剖の屍体をあてがわれたような心持で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の再調べに着手すると共に、いわゆる鳥沢の粂なる者を引き出そうとしました。
 ところが粂はただいま外出して行方が知れないという返事であったから、更にその行方を厳《きび》しく詮索《せんさく》させることにして、一方にはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百を三度目に引き出して調べてみました。いろいろにして泥を吐かせてみようとしたけれども、前と同じように百はいっこう口を開きません。あんな目に遭わされて、相手の罪を訴えないことがだいいち不思議であります。
「なあに、俺《わっし》が悪かったんでございますから、殺されたって仕方がねえんでございますから」
と言ったきり。
「貴様は、たいそう足の早い奴だな」
「へえ、歩くのは達者でございます」
「貴様は片腕が無い、それはどうしたのだ」
「これは怪我をしたから、お医者さんに切ってもらったんでございます」
「貴様は髪結渡世《かみゆいとせい》だと言ったが、その片腕で髪結ができるのか」
「へえ、両腕の揃っていた時分に叩き込んでありましたから、まだそれが片一方の方へいくらか残っているのでございます、けれども碌《ろく》な仕事はできませんからこのごろは職人任せでございます」
「貴様は身延《みのぶ》へ参詣に行くのだと申したがその通りか」
「左様でございます。お祖師様を信心致しますから、それで身延山へ参りてえと思って出かけて参りましたんで」
「身延の道者《どうじゃ》ならば講中《こうじゅう》とか連《つれ》とかいうものがありそうなもの、一人で出て歩くというは怪《け》しからん」
「それが、なんでございます、俺共《わっしども》は何の因果か人並みより足が早いんでございますから、講中の衆やなんかと一緒に歩いていた日にはまだるくてたまりません、それでございますから、どこへ行くにも一人でトットと出て行くんでございます」
「貴様が手形をもっておらんというのがどうしても怪しい、所、名前をもう一度そこで申してみろ」
「先にも申し上げた通り、手形を持っていたんでございますが、あの橋の真中へ吊される時に下へ落っこってしまったんでございます、桂川の水の中へ落してしまったんでございます。所、名前は山下の銀床《ぎんどこ》の銀といって……」
「よし、では鳥沢の粂を呼び出してからまた吟味《ぎんみ》をする、さがれ」
 一通りの調べを受けて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は次の間へ下げられて燈火《あかり》もない真暗なところへ抛《ほう》り込まれてしまいました。
「何だつまらねえ、猿橋を裏から見物させてもらうなんぞは、有難いくらいなものだが、こう身体が弱ってしまったんじゃどうにもやりきれねえ、今までのお調べは通り一遍だが、これから洗い立てられりゃ、どのみち、銀流しが剥《は》げるにきまってる、いつものがんりき[#「がんりき」に傍点]ならここらで逃げ出すんだが、身体の節々《ふしぶし》が痛んで歩けねえ」
と独言《ひとりごと》を言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]はコロリと横になりました。
 夜中になるとがんりき[#「がんりき」に傍点]の耳の傍で囁《ささや》く声がしたから、がんりき[#「がんりき」に傍点]はうとうとしていた眼を覚ました。
「百、しっかりしろ」
「兄貴か」
「野郎、また遣《や》り損《そこ》なったな、いいから俺と一緒に逃げろ」
「兄貴、動けねえ」
「意気地のねえ野郎だ、さあ俺の肩につかまれ」
「俺を荷物にしちゃあ兄貴、お前も動きがつくめえ、打捨《うっちゃ》っといてくれ」
「手前を打捨っておきゃあ、俺の首も危ねえんだ、早くしろ」
「それじゃせっかくだから、お言葉に甘えて御厄介になるべえ」
「人に世話を焼かせずに、自分から動き出す気にならなくちゃいけねえ」
 こうしてがんりき[#「がんりき」に傍点]を助けに来た奴と、助け出されて行くがんりき[#「がんりき」に傍点]は窓から逃げて行きました。窓を上手に切って、身体の自由になるようにして、細引で縄梯子《なわばしご》がかけてあったのを上手に脱け出したから、旅に疲れた与力同心の面々も更に気がつきませんでした。
「兄貴、よく来てくれた」
「ほんとうに世話の焼けた野郎とっちゃあ[#「とっちゃあ」に傍点]」
「どうも済まねえ」
「ははあ、今度という今度はいくらか身に沁《し》みたと見えて弱い音《ね》を吹き出したな」
「どうにもこうにも身体が痛んでやりきれねえ、そりゃそうと、兄貴、俺がここへ捕まってることがどうしてわかったんだい」
「初狩《はつかり》まで行ったところが、通りかかる馬方の口から変なことを聞いたもんだから、それで、もしやと引返してみたんだ」
「そうか。兄貴の前だが、猿橋を裏から見せられたのは今度が初めてよ」
「鳥沢の粂の野郎がそうしたんだというじゃねえか。野郎あんまりふざけたことをすると思ったから、わざわざ引返して来て見ると、粂の野郎もいなけりゃあ、手前の姿も橋のまわりには見えねえから聞いてみると、これこれのわけで、役人につかまって吟味最中ということだから、暫らく三島明神の裏に隠れて夜の更けるのを待って、それから忍んで行ってみたんだ」
「おかげさまで命拾いをしたようなもんだが、なにぶんこんなに身体が弱っていた日にゃ所詮《しょせん》遠道は利かねえ、あの役人というのが、勤番支配なんだから、一度はこうして助けてもらっても、あいつらに睨《にら》まれた上はどうもこの道中は危ねえな」
「なるほど、この様子じゃあ、どこかで二三日保養をしなくちゃあトテモ物にはならねえようだ。と言って、勤番支配を向うに廻したんじゃあ、滅多な家へ駈込むわけにもいかず……そうだ、いいことがある、これから粂の野郎のところへ押しかけて行こう、あの野郎、この界隈《かいわい》の親分面をして納まっているのが癪《しゃく》だ、これから二人で押しかけて行って、手前を預けて来ることにしようじゃねえか」
「粂の親分のところへ出直しに行くんだな。兄貴が一緒に行ってくれたら向うもマンザラな挨拶はすめえから、それじゃ、そういうことにしてもらいましょう。それから兄貴、お前が俺を出し抜いて甲府へ立たせたあの御新造と娘は、ありゃあ今どこにいる」
「ははは、まだそんなことを言ってるのか。ありゃ今晩|下初狩《しもはつかり》へ泊っているから明日は笹子峠へかかるんだ、あの峠が危ねえと思ったから、俺が附いて行くつもりであったが、手前がこんな様子じゃあ二三日は安心ができる、二三日安心している間には甲府の城下へ一足お先に着いているから、甲府まで送り込んでしまえば、俺の肩が休まるんだ。百、お気の毒だけれど、とうとう物にならねえらしいぜ」
「ふふん、まだそう見縊《みくび》ったものでもねえ」

         四

 与力同心の面々はその翌朝になって仰天しました。
 逃げられてしまった。たかを括《くく》っていたために逃げられてしまった。逃げられたのよりも逃げたのが不思議であると思いました。あんな死にかけた身体で、どうして逃げ出したか。
 旅の一興で練習問題として扱われた代物《しろもの》ではあるけれども、逃げられたのは不面目である、役人の名折れにもなるから黙っているわけにはいかないとあって、与力同心の面々は駒井能登守にこのことを申し出でて恐縮すると、
「このたびの甲州入りは、なにもあの者共を追い廻すために来たのではない、歩いている間に打突《ぶっつ》かって来たら、捉《つか》まえてみるがよし、逃げて行ったら逃がしておくがよし」
 そこで、今までのひっかかりはいっさい断ち切ってしまって、翌朝駒井能登守の一行は猿橋駅を立ち出でて、またも悠々として甲州道中をつづけました。
 猿橋から殿上《とのうえ》、横尾、駒橋《こまばし》を通って大月へ出た時分に、
「この大きな一枚岩のような山、これが武田の勇将|小山田備中守《おやまだびっちゅうのかみ》が居城|岩殿山《いわとのさん》、要害としても面白いが景色としても面白い。備中守|信茂《のぶしげ》はたしかこの城で二度の勇気を現わしているようだ。一度は村上義清の手から逆襲された時、五十余人でこれを守って守り通してその間に信玄の援兵が来た。二度は武田の末路の時、織田の兵をここで引受けて備中守が斬死《きりじに》した。武田家にはさすがに勇士がある、天険がある、この天険あり勇士あってついに亡びたのは天運ぜひもなし」
「いかにも、武田家の武略には東照権現も心から敬服しておられた。徳川家の世になって甲州の仕法《しほう》は、いっさい信玄の為し置かれたままを襲用して差支えなしということであったが、ただ一つ、甲州の軍勢が用いた毒矢だけは使用相成らずと東照権現のお声がかりであった。信玄は毒矢を平気で用いておられたが東照公はそれをお嫌いなされた、そこに両将の器量の相違がある」
「信玄公は、智略において第一、惜しいことに人情に乏しい、民を治《おさ》めることは上手であったにかかわらず、その徳が二代に及ばず、その術が甲斐信濃以上に出づることができなかった。越後の上杉謙信はそれに比べると勇気第一、それとても北国を切り従えたのみで上洛《じょうらく》の望みは遂げず、次に織田右大臣、よく大業を為し得たけれど、その身は非業《ひごう》の死。豊臣太閤に至って前代未聞《ぜんだいみもん》の盛事。それもはや浪花《なにわ》の夢と消えて、世は徳川に至りて流れも長く治まる。剛強必ず死して仁義《じんぎ》王たりという本文を目《ま》のあたりに見るようじゃ」
 例によって官用だか名所見物だかわからないような調子で歩いて行きました。
 駒井能登守のつれて来た与力同心は、大抵若い連中でありました。なかに老巧者もいないことはないが、話の中心になるのは若い連中であったから、ややもすれば批評が出たり、議論が出たりします。
「何といっても信玄と謙信の食い合いが戦国時代ではいちばん力の入った相撲だ。すべて相撲は段違いでは面白くないし、そうかといって同じ型の相撲が力ずくで揉《も》み合うのも面白くない、そこへゆくと謙信の勇に信玄の智、義を重んずる謙信と、老獪《ろうかい》な信玄と、型が違って互角なのが虚々実々と火花を散らして戦うところは古今の観物《みもの》だ。まあ、あんな相撲はおそらく日本の戦争に二つとはあるまいな、戦国の時代ではまさにあれが両大関だ」
「それはそうに違いない、川中島の掛引《かけひき》は軍記で読んでも人を唸《うな》らせる、実際に見ておいたら、どのくらい学問になったか知れぬ。我々は不幸にしてその時代に遭《あ》わなかったことを憾《うら》むくらいのものだが、しかしなお遺憾なことは、あの両大関を空しく甲斐と越後の片隅に取組ましてしまって、本場所へ出して後から出た横綱と噛み合わせてみなかったことが残念だな」
「それは誰でもそう思う、信玄と謙信が、もう少し長生《ながいき》をしていたら、トテモ信長公が天下を取るわけにはゆかぬ、信長公が世に出なければ太閤というものも世に出るわけにはゆかぬ、太閤が出なければ日本の歴史がまたどんなふうになっていたか見当がつかぬ。それを考えると、信玄、謙信という人たちの日本の歴史上の潜勢力もまた大きなものと言わねばならぬ」
「しかし、実際の力はどうであったろう、信玄や謙信が果して信長や太閤や東照公と戦って、それを倒し得たであろうか。それらの人たちも、小競合《こぜりあい》はしたけれども、本場所で晴れの勝負をしたことはないから、ほんとうのところはいずれが勝《まさ》りいずれが劣ると判断はつけられまい」
「そりゃわかりきった問題だ、謙信に対する信長は、いつも勝味《かちみ》がなかった、謙信は信長を呑みきっていた、信長はたえず威圧されて怖れていた、謙信が、いで北国人の手並を見せてくれんと、まさに兵を率いて京都へ来たらんとする時、信長は蒼くなって慄《ふる》え上った、ちょうどその京都へ出ようとする途端に謙信が病気で死んだ時は、信長はホッと息をついて、手に持っていた箸《はし》を抛り出したというではないか」
「それはそうであったかも知らぬ、それを事実とすれば信長というものがあまりに弱い、少なくとも木下藤吉郎を家来に持っていた信長、味方の全軍が覆没しても驚かず、桶狭間《おけはざま》で泰然としていた信長、たとえ一|目《もく》なり二目なり置いていたとはいえ、そう無惨《むざん》な敗れを取るようなこともなかったろうと思う」
「どうして、今川義元や斎藤|道三《どうさん》、或いは浅井朝倉あたりとは相手が違う、謙信があの勢いでもって、北国から雪崩《なだれ》の如く一瀉千里《いっしゃせんり》で下って来て見給え、木下藤吉郎なんぞも、まだ芽生《めばえ》のうちに押しつぶされて安土《あづち》の城が粉のようになって飛ぶ。謙信をもう少し生かしておいて、あの勝負だけはやらせてみたかった」
「ところで、そうなると、武田信玄が黙って見てはいない。信玄と謙信とは、今いう通り型が違って力は互角であったけれども、気位の上では信玄は謙信を白い眼で見ていたようなところがあるわい。謙信を都へ上せて織田と噛み合わせたそのあとで、ねちりねちりと道草を食って腹を太らせながら乗り込んで行くという、しぶとい芸当をやるのがこの入道だ。不幸にしてその時は、あんまり坊主の当り年でなかったと見え、武田入道が亡くなる間もなく上杉入道がなくなった」
「謙信が死んで悦《よろこ》んだのは織田公だが、信玄が亡くなって運が開けたのは家康公だ、謙信あるうちは信長公の志は遂げられなかったように、信玄存する間、家康公も実際手も足も出せなかった御様子だ」
「しかし、信長公も家康公も、信玄、謙信とはともかくも手合せをしておられるけれど、太閤だけは、ついぞ張り合ってみたことがないようでござるが、あの太閤の軍《いくさ》ぶりと、信玄、謙信あたりと掛け合わせてみたらどんなものであったろう。信玄、謙信に向っては織田公も家康公も二目も三目も置いたような軍《いくさ》ぶりをしておられたが、太閤ならばどんなものであったろうか知ら」
「それは手合せがなかっただけに面白い見立《みたて》にはなる。後に太閤の世になってから、太閤がこの甲州へ来て、信玄の木像を叩いていうことには、お前も早く死んで仕合せな坊さんだ、いま生きていたならばおれの馬の先に立って、下座触《げざぶれ》をするようなことになるのだと言って笑ったそうだが、太閤の眼から見ると、そんなものであったかも知れない」
「いや、太閤という人は、派手師《はでし》で人気を取るのが上手、いつもそんなことを言って人を慴伏《しょうふく》させるのだが、信玄とても、それほどやすくはない。現に太閤なども家康公の弓矢には閉口しておられた、その家康公を苦しめたほどの信玄だから、太閤のような派手師にとっては、謙信よりも信玄の方が苦手かも知れぬ」
 こんな話をして小山田備中の城、岩殿山の前をめぐりながら進んで行く。
「この城によって反《そむ》いたものがあるから、勝頼が天目山にちぢまって最期《さいご》を遂げることになってしまったということじゃ。小山田備中は果して忠臣であり、勇士であったろうか知らん。とにもかくにも要害は要害じゃ」
 大月を過ぎて初狩、立川原《たてかわら》、白野《しらの》から阿弥陀《あみだ》街道を練って行く。
「山国とは言いながら、どっちを見ても山ばかり、よくもこう山があったものじゃ。岩殿山が要害なばかりではない、甲州全体が一つの要害じゃ、小仏なり、笹子なりに兵を置けば、いかなる大軍も攻め入る手段《てだて》はなかろう、一夫これを守れば万卒も越え難しというのはまさにこれじゃ。東の方はこれで、南はまた富士川口があるばかり、西と北とは山また山、信玄も豪《えら》かったには相違ないが、この要害で守るに易く攻めるに難い地の理がよろしい。およそ四海に事を為す能わざる時に、この山国に立籠《たてこも》って天下の勢《せい》を引受けてみるも一興ではないか」
「左様な要害なればこそ、この国が天領であって、柳沢甲斐守以外には封《ほう》を受けたものが一人も無い。まんいち江戸城に事起った時は、この城がいかなるお役に立つやも計り難し。そうなると我々の勤めもまた重い」
 阿弥陀街道を過ぎると黒野田の宿《しゅく》、ここは笹子峠の東の麓で本陣があります。日脚《ひあし》はまだ高いけれど、明日は笹子峠の難所を越えるのだから、今夜はここへ泊ることになりました。
 この黒野田へ泊ったものは駒井能登守の一行ばかりではありませんでした。本陣へは先触《さきぶれ》があって能登守の一行が占領してしまったけれど、林屋慶蔵というのと、殿村茂助という二軒の宿屋にも少なからぬ客が泊っていました。
 笹子峠を下って来た客もこの黒野田で宿を取る。笹子峠へ上ろうとする旅人もここで泊って翌日立とうとするのだから、自然に足を留める。それに今日は勤番支配の一行が入り込んだから、この小さな山間の小駅が人を以て溢《あふ》れるという景気になってしまいました。
 駒井能登守の一行が本陣へ着いてしまってから、少しばかりたってこの宿へ入り込んで来た二挺の駕籠がありました。駕籠の中は何者だか知れないが、その傍に附いているのが例の米友であることによって大抵は想像されましょう。幸いにして米友は託された人の乗物に追いつくことができたらしい。

         五

 二つの駕籠の宿《しゅく》の休所へ駕籠を下ろして本陣へ掛合いにやると、
「今晩は御支配様のお泊りでございますから」
と言って、余儀なく謝絶《ことわ》られてしまいました。林屋というのと殿村というのと、そのいずれも満員です。満員でないまでもその空間《あきま》というのは到底、この乗物の客を満足させることができないものばかりでしたから、さてここへ来て途方に暮れ、
「弱ったな」
 米友が弱音を吹きました。
「兄さん」
 駕籠の中から垂《たれ》を上げて、米友を呼びかけたのはお絹でありました。
「何だ」
「この本陣に泊っている御支配様というのは、何というお方だか聞いてみて下さい」
「おい、茶店のおじさん、本陣に泊っている御支配というのは何というお方だか知っているかい」
「へえ、それはこのたび、甲府の勤番御支配で御入国になりまする駒井能登守様と申しまするお方でございます」
「御新造《ごしん》さん、お聞きなさる通り駒井能登守というお方だそうでございますよ」
「駒井能登守……その方ならば、わたしが少し知っている」
とお絹が言いました。
「兄さん、おまえ御苦労だが、その駒井の殿様へ掛合いに行ってくれないか」
「俺《おい》らが掛合いに行ったところで……」
 米友はさすがに躊躇《ちゅうちょ》します。米友もそういう掛合いに適任でないことを自覚しているのです。槍を取ってこそ宇治山田の米友だけれども、大名旗本を相手に掛合いをする柄《がら》でないことを知っているから、それで尻込みをしたがると、
「もと四谷の伝馬町にいた神尾主膳からの使でございますと言ってごらん、そうして主人の勤め先の甲府へ参る途中でございますが、女ばかりで泊るところに困っておりますからと、事情《わけ》を話して頼んでごらん。いいかえ、いつものようにポンポン言ってしまってはいけませんよ、丁寧に言って頼まなけりゃいけませんよ。と言ってもお前さんのことだから何を言い出すかわからない。それではわたしが手紙を書きましょう、手紙を書いて駒井様宛にお頼み申してみましょう、お前さんはその手紙だけ持って行って、お返事を伺って来ればよいことにしましょう」
と言ってお絹は駕籠から出て、休茶屋で手紙を書いて封をしました。
 駒井能登守は黒野田の本陣へ着いて休息していると、
「申し上げます、ただいま四谷伝馬町の神尾主膳様のお使と申しまして、この手紙を持参致しました」
「ナニ、神尾の手紙?」
 能登守は、少々意外に思って取次の手からその手紙を受取って見ると女文字でありました。
「甲府詰の主人神尾方へ参る途中の者、女連《おんなづれ》にて宿に困る……はあ、なるほど」
 能登守は早速その手紙を捲き納めながら、
「主人を呼ぶように」
 本陣の主人が急いで出向いて来て、遠くの方から頭を下げました。
「お召しでございましたか」
「当家には我々のほかにも客があるであろうな」
と能登守が尋ねました。
「どう致しまして、御支配様のお着きと承り、ほかのお客はみんなお断わり申し上げて、近所の宿屋へ頼みましてございます、御支配様のお連れのほかには決してどなたもお泊め申しは致しません」
「それは困る、我々が通るのにそんなことをしてもらっては人も迷惑する、自分も迷惑する、泊りたい者には部屋の空《あ》いている限り泊めてやらなくてはならぬ」
「恐れ入りまする」
「今、斯様《かよう》な手紙を持たせてよこした者がある、女連で宿がなくて困却すると書いてある、急いで泊めるようにしてもらいたい」
「恐れ入りました、お言葉に甘えましてそのように取計らいを致します」
 主人は畏《かしこ》まって出て行きました。
 まもなく本陣の主人が迎えに行って、そうしてお絹の一行を案内して来ました。米友もまたお絹一行について案内されて来ました。お絹の一行といっても、それは米友のほかにはお松があるばかりでした。お絹は例の通り町家の奥様のようななりをしていました。お松は御守殿風《ごしゅでんふう》をしていました。
 この二人が駕籠から出た時には、さすがに泊っている人の目を驚かせました。与力同心の面々なども、この思いがけないあい宿《やど》の客の奥へ通るのを目を澄ましていろいろに噂の種が蒔《ま》かれました。あれは能登守殿の親戚の者だろうと言う者もありました。いや御支配の夫人……にしては少し老《ふ》けている――というものもありました。江戸から連れて来たのでは人目もうるさいし、人の口もあるから、わざと道中を別にして、この辺で落ち合う手筈で来たのだろうと考えるものもありました。そんなはずはないというものもありました。能登守はそういう性質《たち》の人ではないと弁護をするものもありました。
 甲州道中で、山を見たり雲助を見たりしていた眼で、二人の女を見たから、目を驚かせることがよけいに大きかったと見えて、暫らくはその噂で持切りでした。そうして結局は、その何者であるかを突留めなければならない義務があるように力瘤《ちからこぶ》を入れたものもありました。けれどもこの水々しい年増と美しい娘とが奥へ通ったあとで、一同は吹き出さなければならないことに出会《でっくわ》してしまいました。
 それは二人につづいて米友がのこのこと入って来たからであります。笠を取るまではそんなに眼につかなかったけれども、笠を取って見ると米友の剃立《そりた》ての頭が、異彩を放っていることがよくわかるのであります。剃立てといえば、青々としてツルツルしたように考えられるけれど、米友のはよく切れない剃刀《かみそり》で削《けず》ったのだから、なかなかテラテラ光るというわけにはゆかないのです。ところどころに削り残された鉋屑《かんなくず》が残っているのであります。けれども当人は、やむを得ないような面《かお》をして二人につづいて上り込んで来たから、誰もそれを見て吹き出さないわけにはゆきませんでした。
「兄さん、お前の頭を見て皆さんが笑っていますよ」
 お絹は振返って米友の頭を見て、自分もおかしくなって口を袖で隠しました。
「でも家ん中で笠を被《かぶ》るわけにはいかねえ」
といって米友が不平な面をしましたから、お松はそれがまたおかしくって笑いました。
 能登守の一行は「なるほど、こいつだな」と思いました。昨日、鶴川での出来事を知っているだけによけいにおかしくなります。
「生《は》え揃《そろ》うまで頭巾《ずきん》でも被っていたらいいでしょう」
「鶴川の雲助の野郎が、こんなにしやがった、ほんとに憎らしい野郎共だ」
 米友は口の中でブツブツ言って、自分の頭をこんなにした雲助どもを呪《のろ》います。
 米友は、お絹とお松とがいる次の部屋へ陣取り、お絹お松の部屋と中庭を隔《へだ》てたところがすなわち駒井能登守の部屋であります。
 お絹は取敢えず御都合を伺った上で、能登守のところへお礼を申し上げに行ってきました。
 能登守は快《こころよ》くお絹と対談して女連の道中を慰めたりなどしました。駒井の許《もと》を辞して帰ってからお絹の胸には、駒井能登守を対照としての一つの心持が浮びました。
 甲府へ行けばこの人は、自分の元の主人の神尾主膳の上へ立つ人だと思いました。同じ旗本でありながら、一方は支配する人、一方は支配される人とお絹は思いました。
 そうして、自分よりも年が若いし、神尾よりもまた若い駒井能登守の幅が利くのかと思うと憎らしくなりました。なんとかしてやりたいという気になりました。
 お絹の思うには、けっきょく男は脆《もろ》いものであるということでした。まだ三十前後の能登守、たとえ相当の学問や才気があったところで知れたものである。固いということは、女に接する機会がない間に限ったことで、相当の手練《しゅれん》を以てすれば、男は必ず色に落ちて来るものである。固いようなものほど落ちはじめたら速度が強いということが、お絹の日頃から持っている信念でありました。だから駒井能登守が、いま甲州道中を、飛ぶ鳥を落す勢いで練って行く時に、これをどうにかしてやりたいということは結局、お絹が持っている唯一の信念から出立するということに帰着しますので、大へんやかましいことです。
 駒井能登守に会ってお礼を言ってから、そんな心持を起してお絹は自分の部屋へ帰って来て、
「お松や」
「はい」
 お松は静粛《しとやか》に返事をしました。
「お前は後程お茶を立てて駒井の殿様に差上げておいでなさい、それから、まだお風呂がお済みにならぬ御様子だから、お前は殿様のお伴《とも》を申し上げてお風呂のお世話を申し上げねばなりませぬ。こんな山家《やまが》のことで、気の利いた女中はいないし、ああして殿方が女気なしの旅をしておいでなさるのは、何かにつけて御不自由でいらっしゃるし、こうして今夜も私たちが安心して宿へ着くことのできたは、みんなあの殿様のおかげ、それにあのお方は甲府の勤番支配といって、うちの殿様よりはズット上席のお方、神尾の殿様はあれだけのお方だけれど、この駒井の殿様はこれからお大名になるか御老中になるか、出世の知れないお方」
 お絹は、こう言ってお松を説きました。お松はいちいちそれを聞いていましたけれど本意でないことがいくらもあります。自分の甲府へ行こうというのは、神尾の殿様だとか、駒井の御支配様だとかいうお方のお気に入られようと思って来たはずではないけれど、ともかくもこの場合、一通りの御用と御挨拶はつとめねばなるまいと思いました。好意を持ってくれた目上の人に対する礼儀という心から、そうせねばならないものかと思いました。

         六

 駒井能登守はこうしていても、毎日宿へ着くと、書類を調べたり手紙を認《したた》めたりすることでほとんど暇がありません。
 書類の多くは公用のもの、手紙は公用と私用とが相半《あいなかば》するくらいでありました。それらを一通り処理してしまったあとで、能登守が興味を以て書く手紙が一つありました。
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「今日は笹子峠の麓なる黒野田といふ処に泊り申候、明日笹子峠へかかる都合に御座候、これより峠を越えて峠向ふの駒飼《こまかひ》といふ処まで二里八丁の道に候、小仏峠と共に此の街道中での難所に候、笹子を越え候はば程なく勝沼にて、それより甲府までは一足に候、さすがに峡《かひ》と申すだけの事はありて、中々難渋な山道に候へども一同皆々元気にて、名所古蹟などを訪《とぶ》らひつつ物見遊山《ものみゆさん》のやうな心持にて旅をつづけ居り候、また人事にも面白き事多く、土地の名物や風俗などにも少しく変つた事|有之候《これありそろ》、言葉もまた江戸より入り候へば甲州特有の言葉ありて面白く覚え候、昨日はまた甲州|名代《なだい》の猿橋といふのを通り申候、これは名所絵などにて御身も御承知の事と存じ候へ共、猿が双方より手を延ばしたるやうの形にて、土地の人は橋より水際まで三十三|尋《ひろ》、水際より水底まで三十三尋も有之候様に申し居り候処、その間に一本の柱も無く組立て候事が奇妙に御座候、甲州は評判の如く荒き処あり、途中も心して見聞致し居り候。
 さて御身の御病気は如何に候や、われら斯《か》くの如き愉快なる旅をつづけ居り候うちにも常に心にかかり候はこの事のみに候、追々寒さにも向ひ候べく、一しほお厭《いと》ひなさるべく候、昨日受取り申候たよりによれば少しく快方との事、やや安心は致し候へども、甲府入りを致したしとは以ての外に候、少々快方に向ひたればとて心に弛《ゆる》みを生じてはならず候、再三申し候通り此の道は男子も憚る険道、それを女の身にて、殊に病中の身にて旅立たんなどとは想ひも及ばぬ事に候、左様の心を起さず当分は御静養専一に可被成候《なさるべくそろ》、冬を越して来春身体と共に陽気の回復する頃を待ちて御入国なされ候へ。
 今日も女連の二人の者同じく江戸より出でて甲府へ赴く由にて此の宿へ着き申候、御身が甲府入りを致したしとの書状と思ひ合せてをかしく存じ候、右の婦人達もたえず駕籠乗物に揺られ、人気の険しさに胆《きも》を冷し随分難渋のやうに見受けられ笑止に存候」
[#ここで字下げ終わり]
 駒井能登守には奥方があるのでした。それはこの手紙によっても察することができるようにかなり重い病気、かなり永い患《わずら》いにかかって江戸に残されているのです。その奥方に宛てて能登守が毎日のように手紙を書いては送り、奥方からもまたこの道中の都度都度《つどつど》に音信のあることがわかります。能登守も若いから奥方も若いに違いない。能登守も綺麗な人だから奥方も美しい人に相違ない。若くて美しい二人は結婚して、そんなに長い間でないこともわかっています。新婚の若い男と女、たとえお役目柄の厳《いか》めしい能登守にも情愛がなければならぬはずであります。ましてや奥方にはそれに一層の深い情愛がなければならぬはずであります。重い病気と、永い患いとが二人の中を隔てました。その隔てはこうして毎日のように書いているおたがいの消息によって、美しく結ばれているということが想像されるのであります。
 駒井能登守が手紙を書き終ったところへ、お絹から言いつけられた通りにお松がお茶を捧げて入って来ました。
「御免あそばしませ」
「これはこれは」
と能登守は言いました。
 能登守は風呂に入る前に、書類や手紙の用を済ましてしまうのが例であります。お松がお茶を捧げて来たのはちょうどよい折でありました。
 能登守は、お茶を捧げて来たお松の様子を見ると、どうもこの宿あたりにいる女中とは思われないから、
「そなたは、この家の娘御《むすめご》か」
と言って尋ねてみました。
「さきほどは伯母が上りましてお目通りを致しました」
「あ、左様であったか」
 宿を周旋してやったためにお礼に来たさきほどの女、この娘はその連《つれ》か、そうしてさきほどの女が気を利かして、この娘にお茶を持たしてよこしたのだろうと思い当りました。
「何ぞ、御用がござりましたなら、仰《おお》せつけ下さるようにとの伯母の申しつけでござりまする」
と言って、お松は能登守の前に指を突きました。
「それは御親切ありがたいが、別に用事といって……」
 能登守はちょうど眼を落したのが、いま書いていた手紙であります。せっかくのことに、
「大儀ながらこの手紙を、明朝の飛脚で江戸へ届けてもらうように、この宿の主人へ手渡し下されたい」
と言って、その手紙を拾ってお松に渡しました。
「畏《かしこ》まりました」
「あの先刻の婦人は、そなたの伯母でありましたか」
「はい」
「よろしく申して下されよ」
 お松はこうしてお茶を捧げて来て、手紙を持って能登守の許をさがる時に、まことに好い殿様だと思いました。怖《こわ》いお役人様のお頭《かしら》であろうと思って来たのに、打って変って優《やさ》しく思いやりがありそうで、そうかと言ってニヤけた御人体《ごにんてい》は少しもなく、気品の勝《すぐ》れていることを何となく奥床《おくゆか》しく感じてしまいました。
 お絹はお松が能登守から頼まれたという手紙を自分が受取って、お松に向っては、
「今、殿様がお風呂においであそばしたようだから、お前は行ってお世話を申し上げて下さい、失礼のないように」
と言いつけました。
 お松はその言いつけをも、温和《おとな》しく聞いて風呂場の方へ行きました。そのあとでお絹は能登守の手紙を手に取ってつくづくと眺めていました。表には「江戸麹町二番地、駒井能登守内へ」と立派な手蹟で認《したた》めてあります。
 それを見ると、お絹はまたむらむらと変な心が起りました。この手紙は能登守からその可愛い奥方に送る手紙だと感づいてみると、お絹の心が穏やかでありません。能登守の奥方にはまだお目にかかったことはないけれど、能登守があの通り若くて綺麗な人だから、奥方もまた若くて美しい人に違いないとは誰でも想像されることであります。そういうことにはことに敏感なこの女は、あんまり人をばかにしているとこう思いました。お安くない夫婦の間の音信をこのわたしたちに見せつける能登守の仕打《しうち》を憎いと思いました。能登守のような若い殿様に可愛がられる奥方は、どんな人か面《かお》が見てやりたいように思いました。自分たちにそういう心を起させようがために、お松に頼まないでもよい手紙をワザと持たしてよこして、これ見よがしに見せびらかすのではないか。
 これは能登守にとっては非常に迷惑な邪推であります。
「よしよし、そういうわけならばこの手紙の中を見てやりましょう。どんな憎らしいことが書いてあるか見てやりましょう、ほんとに癪《しゃく》に触るから見てやりましょう」
 お絹もそれほど悪い女ではないけれど、情事にかけると、いつも好奇心がいたずらをします。そのいたずらが、暗い中でうごめき出すのを抑えきれないという悪い癖がありました。
 それでも女のことで、荒らかに封を切るということはなく、楊枝《ようじ》の先で克明《こくめい》に封じ目をほどいて、手紙の中の文言《もんごん》を読んでみると、それがいよいよいやな感じを起させてしまいました。
 この手紙の中は夫婦間の美しい消息を以て満たされている。遠く旅に行く夫の心と、病んで家に残る妻の心との床しい思いやりが溢れています。その美しい消息と床しい思いやりとが、お絹の心持をさんざんに悪くしてしまいました。
 人の手紙というものは、見るべきものでも見せるべきものでもないのに、それを盗んで見るということはこの上もない卑劣なことで、お絹もそこまで堕落した女ではなかったのだけれど、好奇《ものずき》から出立して、我を失うようになるのは浅ましいことであります。
 その手紙を読んでしまったあとでお絹は、ついにその筆蹟をうつすというところまで進んで来ました。駒井能登守の筆蹟を透《す》きうつしにして取ってしまいました。これはどういうつもりか知らん。さすがにそれからあとを破りもしなければ裂きもしないで、もとのように丁寧に封をします。
 好奇の隣りには、いつでも罪悪が住んでいる。物を弄《もてあそ》ぼうと思えば必ず己《おの》れが弄ばれる。お絹は悪い計画をする女ではないにかかわらず、男を見るとこういういたずら心が起って、兵馬を口説《くど》いてみたり、竜之助の時の留女《とめおんな》に出てみたり、がんりき[#「がんりき」に傍点]を調戯《からか》ったりしていたのが、ここへ来ると駒井能登守を、また相手にする気になってしまいました。
 能登守の手紙を見てしまったことが何か能登守の弱点を押えたように思われて、その取っておいた筆蹟から、或いは能登守を困らせてやるようないたずらができまいものでもあるまいと思っていました。
「友さん、友さん」
 お絹は次の間に控えている米友を呼びましたけれども返事がありませんから、
「どうしたんだろう、疲れて寝込んでしまったのかしら」
と独言《ひとりごと》を言っている時に、与力同心の部屋に宛《あ》てられたところで哄《どっ》と人の笑う声がしました。それと共に、
「笑っちゃいけねえ」
という声は米友の声であります。
「もうお役人衆の傍へ行って話し込んでいると見える。罪のない人だけれど、また間違いを起さなければよいが」
 大勢を相手にしきりに話し込んでいる米友を呼び出すも気の毒だと思って、お絹は自分でその手紙を主人のところへ持って行こうとして廊下へ出ました。
 お絹が廊下へ出て見ると、あの部屋の障子には幾多の侍の頭と米友の頭がうつって見えます。障子に映ってさえ米友の頭はおかしい頭でありました。よくあの頭で人中へ出られるものだ、せめて頭巾でも被って出るか、そうでなければ、かなり頭の毛が生《は》え揃《そろ》うまで人中へ出ないようにしていたらよかろうにと思いました。ところが米友はいっこう平気で、
「一生稽古したって駄目な奴は駄目なんだ、俺《おい》らなんぞは木下流の槍の手筋を三日しか稽古しねえんだ、木下流とも言えば淡路流とも言うんだ、三日稽古をしてその秘伝《こつ》をすっかり呑込んでしまったんだ」
 何を言ってるのかと思えば、槍の自慢でありました。与力同心の連中へ、坊主頭を振り立てて、槍の自慢をしていることがありありとわかります。
 与力同心の連中は、一人の米友を真中へ取りまいて、いずれも面白半分な面《かお》をしてその話を聞いているところであります。
 面白半分な面をして聞いているのはまだ真面目《まじめ》な方で、米友がこの部屋へ入って来る早々から笑いこけて、いまだにゲラゲラ笑っているものもあります。もう腹の皮を痛くしてしまって、このうえ笑えないで苦しがっているようなのもあります。
 これは米友が好んでここへ押しかけて来たのではありません。彼等は早くもこの宿へ米友が来たということを知って、相当の礼を以て招《まね》いたから米友はここへ来たのでありました。
 与力同心は、米友の頭を見て笑ってやろうというような心で米友を招いたのではなく、この不思議な人物の持っている、不思議な能力を解決してみたいからでありました。
 しかしながら、招かれて来た米友の頭を見た時は哄《どっ》と笑ってしまいました。人を招いておきながら、その人の入って来るのを見て、声を合せて笑い出すということは礼儀ではありませんけれども、つい笑ってしまいました。しかし笑われても米友は必ずしも腹を立てませんでした。
「笑っちゃいけねえ」
と言って座に着いてから、やがて話が槍のことまで及んで来て、
「一生稽古したって駄目な奴は駄目なんだ、俺らなんぞは木下流の槍の手筋を三日しか稽古しねえんだ、木下流とも言えば淡路流とも言うんだ、三日稽古をしてその秘伝《こつ》をすっかり呑込んでしまったんだ」
という気焔を上げています。

         七

 お絹が手紙を持ち扱い、米友が与力同心の中で気焔を吐いている間に、お松は風呂場で駒井能登守の世話をしておりました。
 お松は次の間に控えて、能登守の風呂から上るのを待っています。
 その間に兵馬のことを考えています。いま甲府の牢内に囚《とら》われているという兵馬を助けんがためには、神尾主膳に頼ることが最良の道であることに七兵衛もお絹も一致しているが、お松には神尾の殿様という人が、それほど頼みになる人とは思われません。ここにおいでなさる駒井能登守という殿様は、神尾の殿様よりも一層頼みになりそうな殿様であると、こう思わないわけにはゆきません。甲府勤番支配は、ある意味において、甲州の国主大名と同じことだと言ってお絹から聞かされました。神尾の殿様に比べて強大な権力を持っている人だということもお絹から聞かされました。その上に、ちょっとお目にかかっただけでも、大層お優しい方だとお松は頼もしく思いました。神尾の殿様とは、以前の知行高は同じぐらいであったそうだけれども、その人品は大へんな相違があると思いました。それですから、もし神尾の殿様に願って通らなかった時は、この殿様に願えば必ず叶《かな》えて下さるだろうと思われてなりませんでした。或いは神尾の殿様に願わない前に、この殿様にお願いした方が、事がすんなりと運ぶだろうと、お松はそこまで考えてきました。それでこの殿様に、この意味で取入っておくことが幸いであると気がつきました。お絹がお松をして能登守に取入らせようという心と、お松が自身で能登守を頼ろうとする心とは全く別なのであります。
 そう考えてくると、お松はこの時が好い機会であると思わないわけにもゆきませんでした。同じ甲府へ行く旅にしても、身分も違えば目的も違う、この後、こんなに親しくお目にかかれる機会があるかどうかわからぬとお松はそこへ気がついたから、どうしても今宵《こよい》を過ごさず能登守に向って、兵馬の身の上のお願いをしてみるほかはないと、心が少しいらだつようになりました。
 こんなことを考えている時に、能登守は風呂から上った様子でありましたから、お松は立って行きました。そうしてお松は、能登守の着物を着替える世話をしてやりました。能登守はお松の親切を喜んで、打解けて見えます。
 お松は言い出そう、言い出そうとしましたけれども、つい言い出しにくくなって、お願いがございますと咽喉まで出てそれが言えないで、自分ながら気がいらだつのみであります。
 お松が能登守のために雪洞《ぼんぼり》を捧げて長い廊下を渡って行く時に、笹子峠の上へ鎌のような月がかかっているのが見えました。
 能登守は静かに廊下を歩きながら、その月を振仰いで見ました。
「そなたは、江戸からこんなところへ来て淋しいとは思わないか」
と能登守はお松を顧《かえり》みてこう言ってくれました。その言葉があったために、さっきから一生懸命で、言い出そう言い出そうとしていたお松は一時に力を得て、
「いいえ、淋しいとは思いませぬ、少しも」
と言葉にも力を入れて返事をしました。
「それはえらい」
と言って、能登守は賞《ほ》めたけれど、お松の言葉よりは鎌のような月の方に見恍《みと》れているのでありました。
「殿様」
 お松はここでせいいっぱいに殿様といって能登守を呼びかけましたけれど、自分ながらその言葉の顫《ふる》えていることに驚いたくらいでありました。
「なに?」
 能登守は、お松の改まった様子を少しく気に留めた様子です。
「あの、お願いでござりまする」
とお松は、いよいよ改まった言葉でありました。
「願いとは?」
 能登守は鎌のような月を見ていた眼を、お松の方へ向けました。そうして雪洞《ぼんぼり》の光に照らされたお松の面《かお》に一生懸命の色が映っていることを認めて、これには仔細《しさい》があるだろうと感じました。
「あの、わたくしどもが甲府へ参りまするのは、冤《むじつ》の罪で牢屋につながれている人を助けに参るのでございます」
「人を助けに?」
「それ故、殿様のお力添えをお願い致したいのでございまする」
 お松は夢中になってここまで言ってしまいました。ここまで言ってしまえばともかくも安心と、ホッと息をつきました。
「果して冤《むじつ》の罪であるものならば、わしの力を借りるまでもなく罪は赦《ゆる》される。もし、まことに罪があるものならば、わしが力添えをしたとてどうにもなるものではない」
と能登守は、お松の願いの筋には深く触れないで、やや慰め面《がお》にこう言っただけでした。しかしお松はもう、一旦切り出した勇気がついたから、その頼みの綱を外《はず》すようなことはしません。
「いいえ、たしかに冤《むじつ》の罪なのでございまする、その方は決して盗みなどをなさる方ではないのでございまする、公儀様の御金蔵を破るなどという、だいそれたことをなさるお方でないことは、わたしが命にかけてもお請合《うけあい》を致しまする、それがあらぬお疑いのためにただいま御牢内に繋《つな》がれておいであそばす故、わたくしは心配でなりませぬ、何卒してそのお方をお助け申し上げたいと、それでわたくしどもは甲府へ参りますのでござりまする、甲府へ参りまして、神尾主膳様からそのお願いを致すつもりでございますが……」
 お松は一息にこれだけを言ってしまいました。能登守は、お松の願うほど熱心にそれを聞いたのか聞かないのか知らないけれど、笹子峠の上にかかった鎌のような月にばかり見恍れているのであります。
 そのうちに廊下を渡り了《おわ》って、能登守の居間の近くまで来ました。

         八

 お松が帰って来た時分に、お絹のいなかったことは別に怪しいことではありません。
 お絹は風呂から出ると、浴衣《ゆかた》を引っかけたままで暫く渓流に臨んで湯上りの肌を、山岳の空気に打たせていました。
 前にいう通り、すぐ眼の上なる笹子峠には鎌のような月がかかっている。四方の山は桶《おけ》を立てたようで、桂川へ落ちる笹川の渓流が淙々《そうそう》として縁の下を流れています。
 自分にいい寄って来る男を物の数とも思わないような気位が、年と共に薄らいでゆくことが、自分ながらよくよくわかります。それ故にがんりき[#「がんりき」に傍点]とお角とが仲よくして歩くところを見ると嫉《や》けて仕方がありませんでした。
 有体《ありてい》に言えば今のお絹は、男が欲しくて欲しくてたまらないのであります。男でさえあれば、どんな男でも相手にするというほどに荒《すさ》んでくることが、このごろでもたえず起って来るようでありました。
「あの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という男、御苦労さまにわたしたちを附け覘《ねら》ってこの甲州へ追蒐《おっか》けて来たが、あの猿橋で、土地の親分とやらに捉まって酷い目にあったそうな、ほんとにお気の毒な話」
とお絹は、がんりき[#「がんりき」に傍点]のことと、それが猿橋へ吊されたという話を思い出して、ほほ笑み、
「七兵衛が助けると言って出かけたが、ほんとに助かったか知ら。酔興とは言いながら、かわいそうのような心持がする、何のつもりか知らないけれど、わたしを追蒐けて来たと思えば、あんな男でもまんざら憎くはない、命がけで、わたしの後を追蒐けて来る心持が可愛い」
 今となっては、たとえ無頼漢《ならずもの》であろうとも、自分に調戯《からか》ってくれる男のないことが淋しいくらいでありました。
 こんなことをいつまで考えていても際限がないと、お絹は浴衣の襟をつくろってそこを立とうとした時に、縁の下の笹藪《ささやぶ》がガサと動いて、幽霊のようなものが谷川の中から、煙のように舞い出した。あれと驚くまもなくお絹の首筋をすーっと一巻き捲いてしまいました。
「何を……何をなさるの……」
 その幽霊のようなものは、お絹の首筋をすーッと捲いて、その面《かお》を自分の胸のあたりへ厳しく締めつけたものだから、それでお絹は、言葉を出すことができなくなってしまいました。
「御新造《ごしんぞ》、がんりき[#「がんりき」に傍点]だ、百だよ」
と言って、有無《うむ》を言わさず縁の下へ引き下ろしてしまいました。
 河童《かっぱ》に浚《さら》われるというのは、ちょうどこんなのだろうと思われます。お絹は一言《ひとこと》も物を言う隙《ひま》さえなく、欄《てすり》の上から川の岸の笹藪の中へ、何者とも知れないものに抱き込まれてしまいました。何物とも知れないのではない、その者はお絹の首を抱いてその面をしっかりと胸に当て、口の利けないようにしておいてから、「おれは、がんりき[#「がんりき」に傍点]だ、百蔵だ」と名乗ったはずです。
 本陣の方では、こんなことを気のついたものが一人もありませんでした。
 能登守は事務に精励であったし、米友は与力同心を相手に気焔を吐いているし、そのほかの連中とてもそれぞれの仕事をしていたり、世間話をしていたりしていたものだから、一向この方面のことは閑却されていました。ただ一人お松だけが、お絹の湯上りがあんまり悠長《ゆうちょう》なのを気にして、二度までも湯殿へ来て見ましたけれど、そこにも姿を見ることができませんでしたから、ようやく気が揉《も》め出して米友を呼んでみようと思いましたけれども、その米友は、相変らず与力同心を相手に槍の気焔を吐いて夢中になっているようですから、気の毒のような心持がして、それで、また三度まで廊下の方へ行ってみました。
 お松が廊下を通った時に、廊下の縁の闇の中から、
「お松」
「はい」
 自分を呼んだのは、たしかに七兵衛の声です。
「お師匠さんはいるか」
「今、お風呂に……」
「風呂ではあるまい、風呂にはいないはずだ」
「ええ、今ちょっとどこへか……」
「それ見ろ」
 七兵衛から、それ見ろと言われてお松はギョッとしました。
「友さんを呼びましょう、御支配のお役人様もおいでなさいますから、お頼み申しましょうか」
 こういってあわてると、七兵衛はそれを押えて、
「米友にも役人にも知らせない方がいい、ナニ、百の野郎は痛み所で、身動きも碌《ろく》にできねえのだから、大したことになりはしめえ、俺がこれから一人で行って捉まえて来る、お前はこのまま座敷へ帰って静かにしているがいい、米友にもやっぱり黙っていた方がいいよ、あいつが下手《へた》に騒ぎ出すとまた事壊《ことこわ》しだ」
 七兵衛は、これだけのことを言い残して、闇の中へ消えて行きました。
 鎌のような月が相変らず笹子峠の七曲《ななまがり》のあたりにかかっている時に、黒野田の笹川の谷間から道のないところを無理に分け登って行くものがあります。肩に引っかけられた女は少しの抵抗する模様もなく、背中へグッタリと垂れた面へおりおり木の繁みを洩れた月の光が触《さわ》ると、蝋《ろう》のように蒼白く、死んだものとしか見えません。
 それを背中へ載せて路のないところを登って行くがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵。これもまた面の色が真蒼《まっさお》で、ほとんど生ける色はありません。木の根に助けられたり、岩の角に支えられたりして、上るには上るが、その息の切り方が今にも絶え入りそうで、やっと一丁も登ったかと思う時分に、力にした草の根が抜けると一堪《ひとたま》りもなく転々《ころころ》と下へ落ちました。
「ああ、苦しい」
 二三間も下へ落ちて岩の出たところで支えられた時に、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、もう苦しくて苦しくてたまらなく見えましたけれど、その肩へ引っかけていたお絹の手首は決して放すことではありません。
 はッ、はッと吐く息は唐箕《とうみ》の風のようであります。なんにしても、がんりき[#「がんりき」に傍点]は腕が一本しかないのです。その一本しかない腕で、お絹を肩に担いで、足と身体で調子を取って上ろうとする心だけが逸《はや》って、岩に足を踏掛けると足がツルリと辷《すべ》りました。
「あっ、苦しい」
 またも二間ばかり下へ辷り落ちたがんりき[#「がんりき」に傍点]は、お絹と共に折重なって、暫らくは起き上れません。
「あっ、苦しくてたまらねえ」
 やっと起き直って見ると、向《むこ》う脛《ずね》からダラダラと血が流れていました。
「畜生、こんなに向う脛を摺剥《すりむ》いてしまった」
 そのままにしてお絹を引っかけて、また上りはじめてまた辷りました。
「こいつはいけねえ、いくら力を入れても辷って上れねえ、はッ、はッ」
 やっと一間も登ると、ズルズルと七尺も辷っては落ちる。
「こんなことをしていたんじゃあ始まらねえ、帯はねえか、帯は」
 ここに至ってがんりき[#「がんりき」に傍点]は、とても手首を掴まえて肩にかけて上ることの覚束《おぼつか》ないのを悟ったから、帯を求めて背中へ括《くく》りつけて登りにかかろうと気がついて、はじめて手首を放して大事そうにお絹の身体を岩蔭に置きました。
「死んでいるんじゃねえ、殺したと思うと違うんだよ、もう少し辛抱すりゃ活《いか》して上げますぜ御新造、はッ、はッ」
 例の鎌のような月が、微かながらその光を差して、真白なお絹の面と肌とが活きて動くように見え出した時、がんりき[#「がんりき」に傍点]はどこかで大木の唸《うな》るような音を聞きました。
 猫が鼠を捕った時は、暫らくそれをおもちゃにしているように、自分でそこへ抛り出したお絹の面《かお》を見ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は物狂わしい心持で、
「こうしちゃいられねえんだ」
 再びお絹を背負い上げて登りはじめようとしたが、この時はがんりき[#「がんりき」に傍点]の身体もほとんど疲労困憊《ひろうこんぱい》の極に達して、自分一人でさえ自分の身が持ち切れなくなってしまいました。この女を荷《にな》ってこの崖路《がけみち》を登ることはおろか、立って見つめているうちに、眼がクラクラとして、足がフラフラとして、どうにも持ち切れなくなったから、がんりき[#「がんりき」に傍点]はお絹の傍へ打倒れるようにして、烈しい吐息《といき》を、はっはっとつきながら峠の上を仰いで、
「矢立《やたて》の杉が唸《うな》っていやがる、矢立の杉が唸ると山に碌《ろく》なことはねえんだ。せめて、あの杉のところまで行きたかったんだが、この分じゃあもう一足も歩けねえ、といってこれから下へも降りられねえ、自分ながら自分の身体が始末にいけねえんだからじれってえな。うまくせしめるにはせしめたけれど、これだけじゃあ何にもならねえや。俺の腕はこんなもんだということを、七の兄貴にも見せてやりてえし、粂の親分にも見せてやりてえんだ。それからまた、勤番の御支配とやらが泊っている本陣から盗み出したといえば、ずいぶん幅が利かねえものでもねえ、これからこの女を連れて一足先に駒飼《こまかい》まで行って、そこで、どんなものだとみんなの面を見てやりゃあ、後はどうなったって虫がいらあ。峠を越してしまわねえうちは、こっちのもんでこっちのものでねえようなものだから、なんとかして漕《こ》ぎつけてえんだが、身体が利かねえから仕方がねえ。ああ、ほんとに弱った、死んでしめえそうだわい」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はついにそこへ、へたばって動けなくなりました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が動けなくなった時分に、お絹が少しく動き出してきました。お絹が少し動き出した時分に、下の方で喧《やか》ましい人の声、上の方でもまた人の声。
 昏倒《こんとう》しかけたがんりき[#「がんりき」に傍点]は、お絹の動いたことにはまだ気がつかなかったけれど、上下で起るその人の声は早くも耳に入ると、必死の力でむっくり起き直って見ると、提灯《ちょうちん》の光が、いくつもいくつも黒野田の方から、谷川と崖路を伝うてこちらを差して来るのがわかります。
 上の方、矢立の杉のあたりからもまた火影《ほかげ》がチラチラ、してみると自分はもう取捲かれているのだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]は遽《にわか》に立ち上ってよろめきながら、
「トテモ逃げられなけりゃ、ここで心中だ。生きて峠が越えられねえのだから、死んで三途《さんず》の川を渡るのも、乙《おつ》な因縁《いんねん》だろうじゃねえか。道行の相手に、まあこのくらいの女なら俺の身上《しんじょう》では大した不足もあるめえ。猿橋の裏を中ぶらりんで見せられたり、笹子峠から一足飛びに地獄の道行なんぞは、あんまり洒落《しゃれ》すぎて感心もしねえのだが、どうもこうなっちゃあ仕方がねえ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]がお絹の傍へ寄った時、
「な、何をするの」
 お絹は生きていました。自分の咽喉へかけようとしたがんりき[#「がんりき」に傍点]の手を、夢中で振り払うと、
「おや」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]も驚いたが、その途端にフラフラとまたしても岩を辷《すべ》ると、あわててその片手にお絹の着物の裾を掴む。裾を掴んだけれども、辷る勢いが強くてお絹もろともに釣瓶落《つるべおと》しに谷底へ落っこちます。

         九

 その翌朝、駒井能登守の一行は例によってこの本陣を出立しました。お絹、お松、米友の一行は、それに従って行く様子がありません。
 昨夜、七兵衛はお松にことわって誰にも言うなと言ったにかかわらず、お松はそれを黙っているわけにはゆかないから、与力同心を相手に気焔を揚げていた米友を呼んで話しました。それから騒ぎが大きくなって、居合わすもの総出の勢で、山狩りをして峠の方へ狩り立てて行くうちに、尋ねるお絹が半死半生の体《てい》で谷間から這《は》い出して来ました。
 ともかくも、お絹が逃げて来たことによって、一同も安心して宿へ引取ったが、お絹は一切のことを語りません。それ故に誰もその事情を知るものがなく、或いは山の天狗に浚《さら》われたのではないかと思っています。
 無事で逃げて帰ることのできたお絹は、実は能登守の一行について行きたかったのだけれども、身体が弱っているから、心ならずもここに留まることになりました。
 かくて駒井能登守の一行が黒野田を出ると、幾カ所の橋を渡り、追分を通って、いよいよ笹子峠へかかりました。
「これが笹子峠の矢立の杉」
 中の茶屋を通って、矢立の杉の下で一行が立ち止まってその杉を見上げました。
「ははあ、矢立の杉というのはこれか」
と言って杉のまわりをまわり歩いている連中が、面白半分に手を合せてその杉の大きさを抱えてみました。
「ちょうど七抱《ななかか》え半ある」
「昔の歌に、武夫《もののふ》の手向《たむけ》の征箭《そや》も跡ふりて神寂《かみさ》び立てる杉の一もと、とあるのはこの杉だ」
「ナニ、なんと言われる、その歌をもう一度」
と言って、写生帖を持っていたのが念を押しました。
「武夫の手向の征箭も跡ふりて神寂び立てる杉の一もと」
「なるほど」
 写生帖へその歌を書き込んで、
「読人《よみびと》は」
「読人知らず」
「年代はいつごろ」
「これも知らぬ」
「ははあ、よく歌だけを記憶しておられた、感心なこと」
と言って写生帖が感心すると、古歌の通《つう》が笑って、
「ここの石に刻《きざ》んであるからそれで知ったのだ」
「ははあ、石碑の受売りか。その石碑もまた相当に古色があって面白い、年代はいつごろだろうか知ら」
「よく年代を知りたがる人じゃ」
「ええ、明暦《めいれき》とある、肝腎《かんじん》の年号の数字のところが欠けていて見えない、明暦も元年から始まって三年まである、厳有院様《げんゆういんさま》の時代であって、左様、今から考えると、ざっと二百年の星霜を経ている」
「してみると、その歌もその時代に咏《よ》まれたものであろう」
「いや、もっと調子が古いわい、江戸時代の産物ではない。いったいこの笹子山は一名|坂東山《ばんどうやま》といって、古来、関東で名のある山、日本武尊《やまとたけるのみこと》以来の歴史がある」
「なるほど、してみるとその歌は、日本武尊がお咏みなされたお歌ではないか」
「違う、日本武尊時代にはこんな和歌は流行《はや》らなかった」
 杉の根もとで勝手な考証を試みています。
「古来、この道を軍勢が通る時は必ずこの杉に矢を射立てて、山の神に手向《たむ》けをして通るならわしになっていた」
「我々もその古例を追うて、弓矢の手向けをして行こうではないか」
「我々のは、甲州を治めに行くので、征伐に行くのとは違う、それ故、弓矢の手向けをするにも及ぶまい」
「天文《てんもん》十六年の事、原美濃守がこの関所を千貫に積って知行《ちぎょう》している、もし武田勝頼が天目山で討死をせずに東へ下ったものとすれば、この峠が第一の要害になったのであろうけれど、このことなくして止んだから、この峠に軍勢を上せたことは、まず近代にはないようである。小田原北条の一族、左衛門太夫|氏勝《うじかつ》が八千余騎でここに陣取って足軽を駒飼まで進めたこと、これが近ごろの記録であるようじゃ」
「よくお調べでござるな」
「それから昨夜、土地の人に就いて聞けば、山に何か異変が起る時は、この杉が唸《うな》るということじゃ」
「杉が唸るというのも、おかしなことであるけれど、風でも吹けばこれほどの大木ゆえ、じっとして黙ってはいまい」
「それから時々、この杉の頂辺《てっぺん》へ天狗が来て巣を食い、おりおり下界から人を浚《さら》って来てこの杉の枝へ突っかけて置くということじゃ」
「ははあ、天狗が留るか。なるほど、木もこのくらい大きくなれば、いかさま天狗が住めそうじゃ。それといえば、昨夜あの婦人、あれがもしやその天狗に浚われたのではないか」
「なるほど、よいところへこじつけたものだ。或いはその天狗がまだ一人二人の婦人を浚って、この杉の枝へ掛けて置くやも知れぬ、よく調べてみるがよい」
「しかし……また婦人の挙動は、あれは考えものだな」
 杉の考証と伝説は転じて、昨夜のお絹の挙動及びその行方のことになりました。
 お絹が一切を語らなかったから、これらの人々も何と判断のつけようがなく、結局この矢立の杉あたりに棲む天狗の仕業《しわざ》という里人の迷信を打消しもせずに出て来たものでありました。けれども、ここで考え直してみれば、どうしても解《げ》せぬことであります。
「さてこの道中は、いろいろな珍らしいことに出会《でっくわ》す。顧みて数えると、まず駒木野の関所であの女、次に小仏峠で足の早い奴、それから鶴川では槍をよく使う小兵《こひょう》の男、それから猿橋へ来て橋へ吊されたものが前の足の早い奴で、また片手の無い奴、それを捉まえてみるとその夜のうちに消えてなくなる」
「それらと考え合せると、昨夜の婦人の挙動、それから前のいろいろの珍事にいちいち糸が引いてあるようにも思われる、もしあの片手のない奴が、昨夜の婦人を浚って逃げたのではないかとも思われる、そうだとすれば婦人が一人で帰ったのがおかしいけれど、あの片手の無い奴はこのあたりの山に隠れているかも知れぬ」
 猿橋の問屋で逃げられたがんりき[#「がんりき」に傍点]のこと、もしやこの道中のいずれにかと、雑談に耽《ふけ》りながら左右に眼を配りつつ進んで行ったが、笹子峠の七曲りというのへ来た時分に、
「あれあれ、あの谷川で水を飲んでいる者があるぞ」
 駒井能登守が谷底を望んでこう言いましたから、一同はみんな谷底をのぞいて見ました。
 駒井能登守が水を飲んでいたものを見かけたのは、峠が下りになってから五六丁のところで、そこは俗に坊主沢《ぼうずさわ》といって橋の桟道《さんどう》がいくつもかかっていて、下には清流が滾々《こんこん》と流れているところです。能登守が、そこで水を飲んでいる何者かを見かけて声をかけた時は、その者は鼬《いたち》のように山の中へ駈込んでしまいました。
 その駈込んだところを誰もチラと見たものですから、それと言ってバラバラと追いかけます。
 それからの一行は、写生帖も史蹟の話もなくてその怪しい者を捕えるべく、前後左右から遠網にかけるようにして、峠を下りついたところが駒飼《こまかい》の宿であります。
 駒井能登守の一行がこの怪しの者を、駒飼の宿に近いところまで追い卸《おろ》した時分に、それとは逆に甲州街道を、鶴瀬《つるせ》から本陣の土屋清左衛門の許を立って、お関所を越えて駒飼の方へ行く一行がありました。これも槍を立て数人の供を引きつれて東に下るものと見えました。これは供揃《ともぞろ》いはさほどでなかったけれど、乗物を三つも並べたところが物々しい。その三つの乗物のうちの一つには人がいたけれど、あとの二つは空《から》でありました。その一つに乗っている人というのは神尾主膳でありました。してみれば、明いている二つの乗物の用向も大抵わかる。主膳は遊山がてらにお絹お松の一行を迎えに来たものと見てよろしい。実は笹子峠のこちらまで迎えるつもりであったのを、どうしてもこの峠を越し大庭《おおば》まで行かなければならなくなった事情が出来たものでありましょう。
「殿様」
「何だ」
「あれが天目山の道でござりまするな」
「左様」
「必ず天目山へ上ってみると仰せでございましたが、どうしてまた急にお模様替えなのでござりまする」
「昨夜、急用が出来た故、山のぼりなどをしてはおれぬ」
「急用と申しますのは?」
「黒野田の宿で、何か変事が出来たということじゃ」
「へえ、あのお絹様と、それからお松どのとが何か難儀にお遭《あ》いなされましたか」
「左様」
「それは大変でござりまする。してその難儀と申しまするのは?」
「くわしいことはわからぬが、盗賊か胡麻《ごま》の蠅《はえ》に過ぎまいと思う」
「それはまことに心がかりでござりまする」
「とにかく、黒野田へ行って見ての上でないと拙者にもわからぬ。それから滝田、この道中、ことによると駒井能登守という旗本と出逢うかも知れぬ、それはこのたび、甲府へお役になった拙者の知合いだ、たぶん我々が峠へ登る時分に、駒井は下りて来るだろうから、やがて行逢った時は、乗物を下りて名乗り合うのはこと面倒だから、知らぬ面《かお》をして通れ」
「畏《かしこ》まりました」
「なるべくならば神尾主膳と名乗りたくない、尋ねたならば、諏訪《すわ》の家中で江戸へ下るとでも申しておいたがよろしかろう」
「畏まりました」
 こうして神尾主膳の一行が関所を出て橋を渡って休所の、すしや重兵衛の前を通って駒飼《こまかい》へと進んで行きました。
 その時は、まだ早朝のことでありました。神尾主膳の一行が駒飼の宿から出て、いよいよ笹子峠の上りにかかろうとする時分に、不意に傍《かたえ》なる林の中から人が飛び出して、主膳の駕籠わきに転がってしまいました。
「何者だ」
といって家来の連中が立ち塞《ふさ》がると、
「どうかお助けなすっておくんなさいまし、どなた様かは存じませぬが、九死一生《きゅうしいっしょう》の場合でございます、お見かけ申してお願い申すんでございます、どうかお助けなすって下さいまし」
 駕籠の傍へ手をついたのは、なるほど、九死一生と見えて髪は乱れ、白い着物は裂け、身体じゅう突傷《つききず》だの擦傷《かすりきず》だので惨憺《さんたん》たるもので、その上に右の片腕が一本無い男であります。
「次第によっては助けてやるまいものでもないが、其方《そのほう》は何者だ、どうして斯様《かよう》なことになった」
「身延山へ参詣する者でございます、途中で悪い奴に遭ってこんな目に逢わされてしまいました、お話し申せば長いことでございます、ここではお話が申し上げられません。あれ、いま追手がかかります、追手というのはお役人でございます、お役人が間違えて、私を悪者だと思って捉《つか》まえに来るんでございます、今お役人につかまっては、私も言い解くことができませんから、どうか暫らくおかくまいなすって下さいまし、そのうちにキッと私の罪のないことがわかるんでございます、同じことならあのお役人に捉まりたくないんでございます」
「はて、其方を追いかける役人というのは?」
「今、向うからやって参ります、今度、江戸表からお越しになった駒井能登守様というお役人の御人数でございます、あのお方に捉まると私が是が非でも悪者にされてしまいますから、どうかお助けなすっておくんなさいまし、もうこの通り身体が弱っていますから、一足も動けませんでございます」
「なるほど、其方を追いかけて来たのは、駒井能登守の人数であると申すな」
「左様でございます、あれもう、ああやって追いかけて参ります」
「殿様、お聞きの通りの次第、いかが取計らったものでござりましょう」
「よし、助けてやれ」
「では能登守様から故障がありました節は、いかが取計らいましょう」
「拙者が引受けるからよろしい」
 神尾主膳は一諾してしまいました。怪しい奴は弱りきっていたにかかわらず、この一諾を聞いて躍《おど》り上るほどに喜んで、
「有難うござりまする、この御恩は死んでも忘れは致しませぬ」
 神尾の駕籠を拝みます。神尾はそれを見て、
「どこの何者か知らんが、危急と見受ける故、ともかくも一応助けて取らせる。滝田、幸い駕籠が二つ空いている、それへこの者を載せてやれ」
「畏《かしこ》まりました。これ、殿様がお助け下された上に、この乗物をお貸し下さる、有難く心得てこの中へ入れ」
「何から何まで有難うございます、それでは御遠慮なしに、お言葉に甘えまして、どうか御免下さいまし」
 お絹を乗せてつれて帰るべき乗物へ、怪しい奴を乗せてやりました。怪しい奴はすなわちがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であります。
 そうしておいて神尾は、
「もし能登守の手の者が何とか尋ねても、知らぬ存ぜぬと言ってしまえ、むつかしくなれば拙者が応対に出る、其方たちは取合わずに乗物を進めろ」
 果していくばくもなく、神尾主膳の一行の前にバラバラと駆けて来たのは、駒井能登守の手の与力同心とお手先の者共でありました。
「失礼ながらそのお乗物、暫らくお待ち下されたい」
「何の御用でござる」
「ただいま、一人の怪しき者を追い込んで参りましたところ、この辺にて姿を見失い申した、もしやお見かけはござらぬか」
「とんとお見受け申さぬ」
「はて」
と言って能登守の手の者は、挨拶に出た主膳の家来どもを怪訝《けげん》な眼でながめ、
「ただいま、このところでたしかにその者の姿を見かけたものがござるが」
「我々の方においては左様な者を一向に見かけ申さぬ」
「年の頃は三十ぐらい、色が白く、小作り、もとは江戸の髪結職《かみゆいしょく》であった者、それに誰が眼にも著しいのは左の片腕が無いこと」
「ははあ」
「怪しい廉《かど》が多い故、いちおう取押えて置きたい」
「それは御苦労千万。しておのおの方は?」
「我々は、このたび甲府勤番支配を承った駒井能登守の手の者、甲府へ赴任の道すがらでござるが」
「しからば、これより峠を登り行くうち、まんいち左様なものに出逢い申さぬとも限らぬ、その折は取押えてお引渡しを致すでござろう、これにて御免」
 これにはかまわずに、乗物を進めようとするから、能登守の手の同心と手先はあわててその前に立ち塞がるようにして、
「あいや、お暇は取らせぬ、暫時《ざんじ》お待ち下されたい。して御貴殿方はどなたでござるか、お名乗りを承りたい」
 こう言って能登守の手の者が、神尾の駕籠先を押えるようにしました。ここに至ってドチラにも多少の意地ずくが見えました。
「おのおの方にお名乗り申す由はない。たって姓名が承りたくば能登守|直々《じきじき》においであるがよろしい」
と神尾の者がこう言いました。
 この時に、駒井能登守と渡辺という与力が、峠を下りて近いところまでやって来ました。
 それと聞いて渡辺は神尾の駕籠近く寄って来て、
「お乗物の中へ物申す、拙者は甲府勤番支配の与力渡辺三次郎、失礼ながらお名乗りを承りたい」
 この時に神尾主膳が駕籠の垂《たれ》を上げて外を見ると、おりから来かかった駒井能登守と面《かお》を合わせたが、さあらぬ体《てい》で、
「拙者事は、同じく甲府勤番の組頭神尾主膳でござる、今日は私用にてこのところを通行致す故、公用向きの礼儀は後日に譲る、お尋ねの怪しい者とやら一向に我等は存知致さぬ、前路にちと急の用事あるにより、これにて御免」
 こう言ったままで、垂を下ろさせてさっさと駕籠を進ませました。だから能登守の左右の者が、その無礼を憤《いか》って眼と眼を見合わせると、能登守はなにげなき風情《ふぜい》で取合いません。

         十

 こうして神尾主膳の一行は笹子峠を向うへ越えて、黒野田の本陣へ着きました。
 黒野田の本陣へ神尾の一行が着いた分には仔細がないけれど、その一つの駕籠の中に隠して来たがんりき[#「がんりき」に傍点]をこの宿へ連れ込むとすれば無事ではないはずだが、一行がこの本陣の前へ着いた時に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の駕籠だけはここへ留めないで、「鳥沢まで送ってやれ」ということになったのは、思うにまたしてもその鳥沢の粂という親分のところまで送り返されるものであろうと思われる。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]だけを鳥沢へ送りとどけて、神尾の一行が、この本陣へ着いた時に、本陣では前の晩に能登守を泊めたと同じぐらいのもてなしをせねばなりません。
 そうしてそれぞれ失礼のないようにお迎え申したけれど、ここに奇怪なのはお絹の素振《そぶ》りでありました。この時、お絹はもう昨夜の災難のことなどは、ケロリと忘れてしまっているようでした。朝寝を少し永くしたぐらいのところで、主膳を迎うべく薄化粧などをして、主膳が着くと、真先に立って下へも置かぬもてなしが、何も知らぬ本陣の人々には別段おかしくもなかったろうけれど、前後を知っているお松には、あんまりそらぞらしいように思われてなりませんでした。
 なぜならば、駒井能登守をもてなす時は、神尾の殿様などは有っても無くってもいいような口振をして見せたのに、その能登守が去って神尾主膳が来てみると、能登守なんぞはどこを通ったかというようにして、もう一も二も神尾でなければならないように、そわそわしているからであります。よくもこうまで手のうらを返すようになれるものかと、お松がそれをあまりにそらぞらしく浅ましく思ったのも無理はありません。それのみならず、神尾がここへ着くと共に、早速に酒宴が始まって、お絹が先立ちでその周旋《とりもち》をするという体《てい》たらくになってしまい、お松が座を外して隠れるようにしていると、神尾主膳は、お絹を相手にして盛んに飲みながら、お前もひとりで貞女暮しは淋しいことだろうとか、殿様も甲府ではまた罪をお作りになったことでございましょうとか、お松か、あれも年頃になったな、お前の仕込みだから抜かりもあるまいとかいうような言葉を洩れ聞いたお松は、面《かお》から火が出るようでありました。

 ここに憐《あわれ》むべき宇治山田の米友は、己《おの》れの間に閉じ籠ったまま、沈痛な色を漲《みなぎ》らせて腕を組んで物思いに耽《ふけ》っています。
 米友は、ここまでの道中で二度|失敗《しくじ》ったことを良心に責められています。
 米友が失敗ったその一度は、上野原の宿で一行に出し抜かれて、無理な鶴川渡りをしてやっと追いついた事、その二度目は昨夜の騒動であります。
 彼は、この道中が終るまでは、寸分の隙《すき》もなくお絹とお松とを守っておらねばならぬ使命がある。彼自身もまたその使命を粗末にしようとは思っていなかったのに、昨夜という昨夜、与力同心に招かれて槍の話になって、有頂天《うちょうてん》に気焔を吐いてしまいました。
 その隙にお絹が天狗に浚《さら》われたのだから、幸いにしてお絹は帰って来たからいいようなものの、もし帰らなければ、所詮《しょせん》自分の腹切り勝負だと思いました。とてもここにこうしてはいられぬ、面目のないことだと思いました。米友は、それ故に良心の呵責《かしゃく》を受けています。しかし、米友の単純な心でも、どうもあれからのお絹の挙動が解《げ》せない、他の人が騒ぐほどに騒がないお絹の心持がわかりません。髪容《かみかたち》や着物のさんざんになって帰って来たところを見れば、かなりヒドイ目に遭って来たのだろうと思われるにもかかわらず、そのヒドイ目に遭わした奴に仕返しをしてやろうという気が更に見えない。仕返しをしてみようという気がないばかりでなく、そのために山狩りをして悪い奴を捉まえようとするのを、よけいなことのように見ています。
 それよりもなおわからないのは、昨夜あれほどに人騒がせをやった当人であるにかかわらず、今日はもうケロリとしてしまって、甲府から迎えに来たというお武士《さむらい》を引張り上げて、あの通り御機嫌よくもてなしているということが、正直な米友にとっては忌々《いまいま》しいことです。
 あんなとりとまりのない人間を、槍を持って番人に廻っているのがばかばかしいと考えている時に、障子が不意にあきました。見ればやや酒気を帯びたお絹がそこに立って、
「友さん」
「うむ」
「昨夜《ゆうべ》はどうもお騒がせをしました、あの甲府から神尾主膳様がお迎えにおいで下すって、お供の衆もたくさんついていますから、もうこれからは安心、今までお前さんにもいろいろお世話になりましたけれど、これからはもうお前さんの勝手に旅をしてようござんすよ」
「ええ?」
「お前さんは、これから江戸の方へ帰りなさるとも、また甲府の方へ行ってみようとも、もうわたしたちにかまわないで、自分の気儘《きまま》にしておいでなさい」
「うむ」
「これは少しだけれど、ほんの、わたしたちの志《こころざし》、どうぞ納めておいて下さい。それから、もしお前さんが甲府へ行っても、今までの調子で心安立《こころやすだ》てに、殿様のお邸なんぞへ無暗にやって来られては困ることもあるから、そこは遠慮をしておいておくれ、そのうち御縁があればまた何とかして上げないものでもありませんからね」
 金一封を包んでそこに置いたまま、眼をパチパチさせて口を吃《ども》らせている米友を見返りもしないで、お絹はさっさとこの場を立って行きました。
 お絹の置いていった金一封を前にして米友は、暫く呆然《ぼうぜん》としていたが、やがて冷笑に変ってしまいました。
「ばかにしてやがら」
 その一封を横の方から突いてみました。突いてみたのはなにも、その中にどのくらい入っているかというのを試したわけではありません。あんまりばかばかしいから、小突《こづ》き廻してみたのであります。米友は、これらの連中の譜代の家来でもなければ臨時の雇人でもない。甲州へ行こうというのは、必ずしもこの人の附添が目的なのではないのです。これは行きがけの駄賃のようなもので、米友はお君に会いたくてたまらないから、それで甲州へ行く気になったものであります。
 この附添は頼んだものでなくて頼まれたものである。いつ断わられたところで敢《あえ》て痛痒《つうよう》を感ずるわけではないけれど、ここで断わるというのは、あんまり人をばかにした仕打ちであると思いました。それだから米友は、
「勝手にしやがれ」
と言って、またその金一封を小突き廻しました。金一封を小突き廻したところで始まらないのであるが、この場合、米友の癇癪《かんしゃく》のやり場としては、どうしても眼の前の金一封が的《まと》になります。
「ばかにしてやがら、こんな金なんぞ要《い》らねえ」
 米友はいったん、左の方から小突き廻した金一封を、今度は右の方から小突き廻しました。その有様は、掴《つか》んで抛り出すのも汚《けが》らわしいといった手つきであります。
 よしよし、これからは一本立ちで甲府へ行って見せるとも、峠を越せば甲府まで一日で行けるということだ、小遣《こづかい》だって何もそのくらいのことには困りはしない、こんな金なんぞ要るものか、突返しに行くのも、あの女の面《つら》を見るのが癪だから、と言って置放しにして行けば、誰か取ってしまった時に米友が持って出たと思われるのが業腹《ごうはら》だと米友は、眼の前の金一封を睨《にら》めながら、腹を立てたり始末に困ったりしていましたが、結局庭へ抛り出してしまうのがいちばんよろしいと考えました。庭へ抛り出して撒き散らかして置けば、人の目に触れて、自分が持って出なかった証拠が立つと思いました。米友はその金一封を掴んで、ゲジゲジでも取って捨てるような手つきで持ち出して、障子をあけてポンと庭の方へ、それもお絹の部屋の方へ近く、なるたけ人の眼に触れるようなところへと思って投げ出しました。
 米友に投げられた金一封は、庭の松の木の幹に当ってコツンと音がしましたけれど、かなり固く封がしてあったと見えて、そのまま転がってしまったから、とても、梅忠《うめちゅう》がやったような花々しい光景にはなりません。
「ちぇッ」
 米友は舌打ちをしてその抛り出した金一封を尻目にかけながら、自分は手荷物と例の手槍と脚絆《きゃはん》なんぞを掻き集めて、旅の仕度にとりかかります。
 旅の仕度が出来上って、いざと米友は縁へ出ましたけれど、いま投げ出した金一封が、封のままでゴロリとそこに転がっているのが眼ざわりでたまりません。
 米友の気象として、決してその金一封に未練があるのなんのというのではないけれど、ああして置いて誰にも見られないでほかの人に拾われてしまっては、結局やはり、自分が持って逃げたように思われてしまうのが心外であるから、松の根方に転がっている金一封を暫らくながめていましたが、そのうち、
「そうだ、そうだ、お暇乞《いとまご》いの印《しるし》にあいつの座敷へこれを抛り込んでやれ」
 何か思案がついたと見えて、庭へ飛び下りて、その金一封を拾い取るや米友は覘《ねら》いを定めて、それをお絹の座敷へ障子越しに投げ込みました。
 その時に、お絹の座敷にはお絹がいませんでした。お松がひとりで机によりかかって、本陣で貸してくれた本を読んでいました。
 そこへ怖ろしい音がして、障子を突き破ってちょうど自分の読んでいた絵本の上へ、重い物が落ちて来たからお松は吃驚《びっくり》しました。もう少しで自分の眉間《みけん》へ当るところであった。誰がこんな悪戯《いたずら》をしたのであろうと、お松は急いでその破れた障子をあけて見ました。
 障子をあけて見ると、米友がいま丸くなって植込の中を向うへ逃げて行く姿が見えましたから、お松は何のことだかわけがわからずに、
「友さん、友さん、今ここへ石を投げたのはお前かえ」
と言って廊下を追いかけるようにしてみましたけれど、米友は返事もしなければ、振返りもしないで、例の足どりで逃げて行ってしまいます。お松はいよいよ事情《わけ》がわからないけれど、米友はすっかり旅の装《よそお》いをして逃げて行くから、ともかくもつかまえて、様子を聞いてみなければならないと思いました。米友は気が短くて怒りっぽいし、それに時々勘違いをして怒り出す癖があるから、これも何か気に入らないことがあって逃げ出すのだろうと思ったから、呼び留めて事情《わけ》を聞いた上で、理解してやりさえすれば直ぐに納まるものと、大急ぎで廊下を駈けて有合せの草履《ぞうり》をつっかけて米友を追いかけました。
 表から逃げないで、裏の方の笹川へ沿うたところの細い道を逃げて行く米友を、お松は追いかけながら、
「友さん、どうしたのです、そう無暗に逃げてしまっては事情《わけ》がわからないじゃありませんか、少し待って下さい、事情を話して下さい、わたしたちを置いてけぼりにして逃げてしまうのは酷《ひど》いじゃありませんか、少し待って下さいよ、ね、友さん」
 お松がこう言って呼びかけた声の聞えないはずはありませんのに、米友はあとをも振返らず、いよいよ一生懸命で逃げて行きました。
「友さん、事情《わけ》がわかりさえすれば、お前の出て行くのを留めはしませんから、ちょっと待って話をして行って下さい、ね、友さん、何が気に入らないの、わたしはこんなに疲れてしまった、これほどにしてお前を追いかけて来たのに、お前が聞かないふりをして行ってしまえば、もし甲府へ着いた時に、君ちゃんの在所《ありか》がわかってもお前には知らせて上げないよ」
 お松は駈けながら息を切って、こう言うと、この遠矢《とおや》が幾分か米友に利いたと見えて、米友は急に立ち止まり、
「お松さん、お松さん、俺《おい》らはこれからひとりで甲府へ行くんだ、俺らがどういうわけでひとりで甲府へ行くようになったのか、いま投げてやった包み物に聞いてみるがいいや、お前さんには何も恨み恋はねえんだ、甲府へ行ったらお目にかかりましょうよ」
 米友は後ろを振返って、お松に向って大きな声で返事をしました。
「そんなことを言わないで」
 お松が押返して言うと、
「今まではお前さんたちと仲よくして来たけれど、これからは他人なんだ」
 米友は頑《がん》として首を振ると共に、クルリと背を向けてしまいました。米友はついに留まりませんでした。お松は再び追いかける余力がないので、米友の姿が山の中へ隠れてしまった時分に本陣へ帰って来ました。
 お松はもとの座敷へ帰って来て、米友の言い残して行った言葉、いま投げてやった包みに物を聞いてみるがいいと言ったことを思い出したから、机の上に置いてあったあの紙包を取って見ると、それは若干《いくばく》かの金の包みであります。
 聡明なお松は、早くもそれと合点《がてん》をしました。お師匠様のお絹が、この金を米友に与えて暇を出してしまったものだろうと感づいたことであります。役に立っても立たなくても一緒にここまで来たものを、もう目的地まで一息というところで暇を出すのは、人情に叶《かな》った仕打ちではないとお松は恥かしい思いをしました。お師匠様のお絹という人は、そのくらいのことをしかねない人。なるほど、神尾の殿様やその家来衆が迎えに来てくれてみれば、米友に附添を頼む必要はなくなってしまったかも知れないけれど、ここでもう用はないからと言って金包を出されたら、大抵の人は気を悪くするに違いないと思いました。
 ましてやあの気の短い米友が怒り出して、この金包を叩きつけて逃げるということに、お松はかえって気の毒に堪えないのであります。
 そこへ、お絹が見えたから、お松は米友が投げて行った金包を出して事情を話してみると、お絹は、
「それほど粗末になるお金なら返してもらいましょう、わたしに遣《つか》わせればいくらでも遣いみちがあるから」
と言って、恬《てん》としてその金包を再び自分の手に納めた上に、
「ほんとに、素直《すなお》に出て行ってくれてよかった。何かの力になるかと思って頼んでみたら、力になるどころか、かえって世話ばかり焼かせてしまって、この後、どんな間違いを起すか知れたものではない、今のうちに出て行ってくれたから助かったようなものさ」
 お絹はこう言って、その金を懐中へ入れてまた、神尾主膳の居間の方へと出て行きました。
 それと同時にお松は、犇《ひし》とわが身に頼りなさの心が湧いて来るのを禁《とど》めることができません。



底本:「大菩薩峠3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
   1996(平成8)年3月1日第3刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年10月5日公開
2004年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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