青空文庫アーカイブ

大菩薩峠
壬生と島原の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)明《あ》いておりまする

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)京都三条|下《さが》る

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]
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         一

 昨日も、今日も、竜之助は大津の宿屋を動かない。
 京都までは僅か三里、ゆっくりとここで疲れを休まして行くつもりか。
 今日も、日が暮れた。床の間を枕にして竜之助は横になって、そこに投げ出してあった小さな本を取り上げて見るとはなしに見てゆくうちに、隣座敷へ客が来たようです。
「どうぞ、これへ」
 女中の案内だけが聞えて、客の声は聞えないが、畳ざわりから考えると一人ではないようです。
「お風呂が明《あ》いておりまする」
「ああ左様か、それではお前、さきにお入り」
「わたしはあとでようござんす」
「御一緒にお入りなされませ」
 客は若い男女の声、それが聞いたことのあるようなので、竜之助は本を伏せる。
 隣へ来た客というのは、火縄の茶店で竜之助と別れた男女。竜之助は再び耳を傾くるまでもなくそれと悟《さと》って、そうして奇妙な心持がしました。
「参宮の帰りにしてはあまり早い」
 今宵はあまり客も混雑せず、大寺《おおでら》にでも泊ったような気持。静かにしていると、襖《ふすま》を洩れて聞ゆる男女の小声が、竜之助の耳に入ります。
「明日は京都へ着きますなあ」
「京都へ着いたとて……」
 男は歎息の声。
「わたしは、早うお雪さんに会いたい」
 これは、お浜に似た女の声。
「妹に会うたからとて、どうなるものではない……ああ、わしはいっそここで死にたい」
「ほんとに、死んでしもうた方が……」
 ここで、また話が途切《とぎ》れます。
 竜之助思うよう、やっぱり、これは無分別《むふんべつ》な若い者共じゃ。
「わたしじゃとて、もう亀山へは帰れず」
「わしも京都へは帰れず」
「死んでしまおう、死んでしまおう」
 この声は少し甲《かん》を帯びて高かった。竜之助がこちらにあることを知らないものだから。
 男は死んでしまおうと言う、女がそれに異議を唱《とな》えないのはそれを黙認している証拠で、この男女の相談は心中というところへ落ち行くのが、ありありとわかります。
「それでは、お前」
「真さん、わたしは、もう覚悟をきめました」
「済まぬ、済まぬ、お前には済みませぬ」
「いいえ」
「この世の納めの盃」
 またここで話が途切れて、暫らくは啜《すす》り泣きの声。
「さあ、お前、書き遺《のこ》すことはないか」
「はい、実家《うち》へ宛て、一筆」
「落着いて、見苦しからぬようにな」
「はい」
 矢立《やたて》をパチンとあけて、紙をスラスラと展《ひろ》げる、その音まで鮮《あざ》やかに響いて来るのです。竜之助は男女の挙動《ようす》を手にとるように洩れ聞いて、どういうものか、これを哀れむ気が起らなかった。
 過ぐる時、少しばかりの危難に立合ってやったのにさえ、自分に対しては再生の恩のように礼を述べた女が、ここでは、この男のために喜んで死のうという。それほどに粗末な命であったのか。死を許す深い仲を、傍《そば》で見て嫉《そね》むのではない、死の運命に落ち行く男女の粗末な命を嘲《あざけ》るのであろう。助けらるべき人を見殺しにする、そこに一種の痛快な感じを以て、竜之助は人を殺したあとで見する冷笑を浮べて寝ころんでいるのです。
「死ね、死ね、死にたい奴は勝手に死ぬがいい」
 心の中では、こんなに叫んでいる。それでもなんだか、後からついて来るものがあるようです。

         二

 その晩は無事に寝て、翌朝、隣の室が騒々《そうぞう》しいので、竜之助は朝寝の夢を破られました。ああ、昨夜の男女の客は――惜しい宝を石に落して砕いたような気持がしないでもない。途切れ途切れの話と、すすり泣きの声を耳にしながら、ウトウトと寝入ってしまって、その後のことは知らない。隣の室では人が入ったり出たり、廊下を駈けたり、階段を蹴《けっ》たり、私語《ささや》いたり叱《しか》ったりする。思い合わすれば、たしかに変事があったに相違ない。
 竜之助は別にそれを確《たし》かめてもみず、やがて朝飯の膳に向います。
「昨晩から、さだめてお喧《やかま》しゅうござんしたろう」
「何だ」
「まあ、お隣の騒ぎを御存じなされませぬか」
「知らぬ」
 給仕に出たのは、丸い顔の気の好さそうな女中。あの騒ぎを、隣室にいて竜之助がほんとに知らないらしいのを不思議がり、
「宵の口に、若い御夫婦づれが、これへおいでになりました」
「それは知っている」
「その御夫婦づれが、心中をなさいました」
「心中を……」
「はい、吾妻《あずま》川の湖《みずうみ》へ出ますところで、二人とも、しっかり抱き合い身を投げたのを、今朝の暗いうちに、倉屋敷の船頭衆が見つけまして大騒ぎになりました」
「うむ――」
「宅の方は、昨晩、三井寺あたりまで参ると申し、五ツ過ぎに、連れ合いしてお出かけになりましたが……それっきり。心配しておりますと、吾妻岸に身投げがあったとの噂で、男衆が駈けつけて見ますれば、案《あん》の定《じょう》、宅のお客様でござりました」
「うむ――」
「お医者様を呼んで、お手当をしていただきましたけれども、すっかり息が絶えておしまいなすったのでございます」
「うむ」
「ともかく、宅でお引取り申すことになり、検死を受けまして、やがてこれへお連れ申すはずでございます」
「不憫《ふびん》なことをしたな」
「ほんとに、おかわいそうでございますよ、まだお若いのに、なんという無分別《むふんべつ》でございましょう」
「どこの人じゃ」
「宿帳には、京都三条|下《さが》る……何とか書いておいででござんした。おお、あの、遺書《かきおき》もちゃんとしてありました、昨晩のうちに認《したた》めておいたものと見えて、お室の床の間に二通並べてありました」
「遺書にはなんと書いてあった」
「お役人衆がおいでになり、手前共主人も立合いまして、封を切って見ますると、お二人は、夫婦ではないのだそうでござります」
「夫婦ではない……」
「はい、親戚同士とか、いとこ同士とか申すので。それにはいろいろの縁が絡《から》んでいるというのでございますよ。女のお方は伊勢の亀山にお実家《うち》がおありなさるとやら。どうも、ただの色恋ばかりではないらしゅうございます」
 竜之助が食事を終っても、女中は調子に乗って話し込んでしまいます。
「その遺書の中には、男の方のお妹さんが都の島原へお売られなすったとやら。御承知でもございましょう、島原は色町でござりまする」
「うむ」
「それをたいそう悲しんで、家のつぶれたのは不運と諦《あきら》めもするが、妹の身が不憫《ふびん》じゃと、それを細々《こまごま》と書いてお詫《わ》びに致してありましたそうな」
「うむ」
「お家は相当の大家なそうにござりますけれど、盗賊に入られましたのが不運のもとで……お武家様、このごろ、都の盗賊と申しましたならそれはそれは怖ろしいことで、御用心なされぬといけませぬ」
「盗賊が――」
「左様でござります、なんにしても乱世でござりますから、盗賊も大袈裟《おおげさ》で、掛矢《かけや》の大槌《おおづち》を以て戸を表から押破って乱入致し、軍用金を出せ、軍用金を出せと嚇《おど》しますとやら」
「うむ」
「そのほか辻斬《つじぎり》は流行《はや》る、女の子は手込《てごめ》にされる、京都《みやこ》へ近いこのあたりでも、ほんとに気が気ではありませぬ」
「うむ」
「あれまあ、人が見えます、駕籠が二挺、あれが昨夜の若夫婦でありましょう。お武家様、ごらんあそばせ、まあ、おかわいそうに」
 欄干《てすり》の間から外の方を覗《のぞ》いていた女中の声が慌《あわ》ただしい。

         三

 今の京都は怖ろしいところ。
 それは女中どもに聞くまでもなく、竜之助は好んでそこへ行くのである。いま京都に群がる幾万の武士《さむらい》、それを大別すれば、佐幕と勤王。
 徳川を擁護《ようご》するのと、それを倒そうとするのとが、天子|在《おわ》すところで揉《も》み合っている――その間に絡《から》まるのが攘夷《じょうい》。志士を気取って勤王を看板に、悪事を働く厄介者《やっかいもの》。
 暗殺が流行《はや》る、おたがいにめぼしい奴を切り倒して勢力を殺《そ》ぐ、京都の町には生首《なまくび》がごろごろ転がっている。新たに守護職を承った会津中将の苦心というものは一通りでない。病躯《びょうく》を起して、この内憂外患の時節に、一方には倒れかけた幕府の威信を保ち、一方には諸国の頑強な溢《あぶ》れ者《もの》を処分してゆく、悪《にく》まれ役《やく》は会津が一身に引受けたのであります。
 会津侯の手に属して、これら勤王の志士、多くは西国諸藩の武士に当るべく、かの新徴組が江戸を発したのが文久三年二月八日でありました。
 徳川は、全く下り坂で、旗本《はたもと》も腰が抜けてしまった、関東の武士も今は怖るるところはない、ただ新徴組の一手と――それに東北の質樸《しつぼく》な国侍《くにざむらい》に歯ごたえがある。
 その新徴組の中で、最も怖れらるる近藤勇、土方歳三らは、もと徳川の譜代《ふだい》でもなんでもない。六十余州の兵に当ると昔から謳《うた》われた東国純粋の風土の鍛錬を生れながらに受けたのみで、持って生れた剛胆の気象と、学び得た剣道の精妙が、成敗をよそに見て、志士の仮面をかぶった無頼漢退治《ぶらいかんたいじ》に当ろうというのであります。
 おりから関東武士の面目というものは、旗本の間にはなく、譜代大名の中にもなく、辛《かろ》うじて彼ら田舎武士《いなかざむらい》の間に残って、そして潮《うしお》の湧くような意気組みの西国武士に当ることになったのです。
 机竜之助の如きは、勤王家でもなし、佐幕党でもない、近藤、土方のような壮快な意気組みがあってでもない……大津を立って比叡颪《ひえいおろし》が軽く面《かお》を撫でる時、竜之助は、旅の憂《う》さをすっかり忘れて小気味よく、そして腰なる武蔵太郎がおのずから鞘走《さやばし》る心地がして、追分へかかろうとする時、ふいに後ろから呼び止める声がする。
「それへおいでの御仁《ごじん》、暫らく」
 顧みれば、筋骨|逞《たくま》しい武士が一人、静々と歩んで来る。ほかに人もないから、呼び留めたのは自分のことであろう。
「お一人旅とお見受け申す」
 黒の着物に小倉の袴で、高足駄《たかあしだ》を穿き、鉄扇を持った壮士。小刀の短いわりに、刀は四尺もあらんと思われる大きなのを横に差し、頭の頂辺《てっぺん》から竜之助を見下ろして進んで来たので、
「いかにも一人旅」
 竜之助も、それを睨《にら》み返すような気持で、例の無愛想な返事です。
「拙者も一人旅、御同行ねがいたい」
「いずれへおいであるな」
「京都まで」
「いかさま」
「柳緑花紅《やなぎはみどりはなはくれない》」の札の辻を、逢坂山《おうさかやま》をあとにして、きわめて人通りの乏しい追分の道を、これだけの挨拶で、両人は口を結んだまま、竜之助の方が一足先で、高屐《こうげき》の武士はややあとから、進み行くこと数町。
 竜之助は、旅に出ても、こちらから人に話しかけたこともないし、同行を求めたこともない。わざわざ後ろから、我を見かけて呼び止めて同行を求めたこの武士にはどうも油断がならなかった。
 自ら経験のあるものでなければわからない。竜之助の如き者から見れば直ぐ知れることだが、この武士は、好意で自分の道連れになったものでない、手っ取り早く言えば、自分を斬りに来たものである――近寄る時に、その人の心持次第で和気も受ければ殺気も受ける。
「いずれからおいででござるな」
 壮士は問いかけた。
「関東より」
「関東……関東はいずれの御藩でござるな」
「浪人者でござる」
「して、いずれの藩の御浪人」
「生れついての浪人でござる」
「生れついての浪人――」
 壮士は、鼻の先に少しく冷笑を浮べて、
「武芸修行でござるかの」
「左様でござる」
「武芸は剣道か、槍術《そうじゅつ》か……ただしは」
「剣道でござる」
「剣道は何の流儀を究《きわ》めなさるな」
 壮士は突込んで竜之助に問いかけるので、竜之助はこれをうるさがります。
「貴殿の御流儀から承わりたい」
「いかにも。拙者はまず自源流を学び申した」
「自源流?」
「関東にはお聞き及びもござるまいが、薩州伊王ヶ滝の自源坊より瀬戸口|備前守《びぜんのかみ》が精妙を伝えし誉れの太刀筋《たちすじ》」
「いや、かねてより承知してござる」
 剣道の話のみは、竜之助の気をそそる唯一《ゆいつ》のものです。
「して、貴殿は鹿児島の御藩でござるか」
「いかにも。以前は島津の家中、今は天下の素浪人《すろうにん》」
「左様でこざるか。薩州は聞ゆる武勇の国、高名のお話なども多いことでござろう」
「薩摩武士《さつまぶし》の高名が知りたくば――」
 ハッと思うまに、密着《くっつ》いていた二人の身《からだ》が枯野の中に横へ飛び退《の》いて、離るることまさに三間です。

         四

 飛び退いた時に、双方ともに刀の柄《つか》に手がかかって、そして何も言わず、睨み合いです。刀は共に未《いま》だ抜かず。竜之助は、この大胆なる壮士の挙動をものものしと思った。この俺を、大菩薩の頂《いただき》で老巡礼に遭《あ》わせたと同じ運命に逢わそうとは片腹痛い。
 蒼白い皮膚の色に真珠のような光を見せて、切れの長い眼は、すーっと一文字に冴《さ》える。人を斬らんずる時の竜之助の表情はいつもこれです。
「薩州|鍛冶《かじ》の焼刃《やきば》をお目にかけようか」
 壮士は、大の眼で竜之助を睨めながら、かの四尺もあらん刀の柄を丁《ちょう》と打つ。
「篤《とく》と拝見致そう」
 まだ双方ともに抜かなかった。
「待て、待て、ちと歯ごたえのある勝負がしてみたいわ」
 かの壮士は竜之助の気勢を見てかえって喜んだ。腕に覚えがあればこそ、刀の抜きばえのある相手と見込んだものでしょう。
「ゆっくりと果《はた》し合《あ》い――それは至極《しごく》面白そうだ」
 竜之助は、微笑を以て言下に果し合いの申込みを引受けて、その微笑の余沫《とばしり》を冷やかに壮士の面《かお》に投げる。壮士も剛胆なもので、従容自若《しょうようじじゃく》として懐中から紙を取り出して、
「後日のために一札《いっさつ》を立て置きたい、筆はないか」
 竜之助は黙って、矢立を出して壮士に授けます。筆の尖《さき》を口で噛んで、壮士は紙に大きく書き出したのは、
[#ここから4字下げ、罫囲み]
仲裁無用
果し合い
[#ここで字下げ、罫囲み終わり]
 味なことをやる。
 なんにしても、ここは往還に近い。刃《やいば》の音を聞いて駈けつける者のなかには、よけいなお節介《せっかい》が飛び出さんとも限らぬ、この札を立てて、あらかじめ予防線を引いて、一方が一方を片附けるか、双方ともに仆《たお》れるかまで、無名の師《いくさ》をやり通そうという準備であろう。とにかく物慣れた仕業《しわざ》である。
 竜之助は冷然として、その書き終るを見ていると、壮士はその紙を持って前後を見廻したが、傍《かたえ》に大きな松の樹がある、小柄《こづか》を抜いてその一端を突きさして、あとの隅《すみ》を克明《こくめい》に松脂《まつやに》で押える。
「いざ、お仕度《したく》召されい」
「心得て候」
 壮士は、刀の下緒《さげお》を襷《たすき》にする。竜之助は笠を取って、これも同じく刀の下緒が襷になります。
 驚くべき長い刀の鞘を払って、上段にとって、曳《えい》と叫ぶ、ずいぶん大きな声です。熟練した立合ぶりです。その技倆の程はまだ知らないが、立ち上って、まず大抵の人の荒胆も挫《ひし》ぐというやり方。なにしろ真剣の立合を茶飯のように心得たものでなければ、こうはいかないはずであります。
 一方、竜之助は同じく抜き放って、これは気合もなく恫喝《どうかつ》もなく、縦一文字に引いた一流の太刀筋、久しぶりで「音無しの構え」を見た。無名の師《いくさ》、尋常の果し合いはなかなか骨が折れる、まして敵の様子が海の物とも山の物ともわからない場合において、得意の構えに身を守り敵を窺《うかが》う瞬間は、いずれも気が張るのです。
 焦《せ》き込みもせず……無言のままで青眼にとった刀。こっちが嚇《おど》しても手答えがない、叫んでも反応がない……自ら薩州の浪人と名乗る壮士は竜之助の太刀ぶりに、やや意外の念を催します。
 道具をつけての稽古ならば、体当りで微塵《みじん》に敵の陣形をくずしてみたり、一《いち》か八《ばち》かの初太刀《しょだち》を入れてみる。当れば血を吸い骨を啖《くら》うことを好む刃《やいば》と刃とでは、そうはいかない。
 壮士は上段の刀を振りかぶったなりで、頻《しき》りに気合と恫喝とを試みて竜之助の陣形を覗《うかご》うているが、その静かなること林の如く、冷やかなること水の如しです。打ち込んだら、こっちのどこかへ来る。それがどこへ来るか、さっぱり見当《けんとう》がつかぬ、浅く来るか深く来るかさえ見当がわからないのです。
 時節がら人の通りが少ないといっても、名にし負う京と大阪とへの追分に近いところ、
「あれ、喧嘩《けんか》があるそうな」
「武家と武家との争闘《いさかい》じゃ」
「おお、抜きましたぜ」
「抜いた、抜いた」
「長い刀やな」
「あれ、危ない」
 気の弱いものには、真剣勝負は見ていられない、袖で面《おもて》を蔽《おお》うて急いで通り去るのが尋常の人です。怖いもの見たさの連中のみ遠巻きにして――それとても息を凝《こ》らして、片足は逃げられるように、スワというとき腰を抜かさずに走れるだけの胆力を持ったものに限るのです。
 白昼、白刃《しらは》の立合は、おそらく凄いものの頂上でありましょう。月にかがやく刃《やいば》の色、星にきらめく兜《かぶと》の光などは、殺気を包むに充分の景情があります。ここには、人と人との血気、剣と剣との殺気、それが全くむきだしに、青天白日、八百万《やおよろず》の神の照覧ましますところにおいて行わるるのであります。ことに、竜之助を知って、その面《かお》の刻々の変化――変化と見えざる変化を見分ける人があるならば、何者とも知れず、来《きた》って八万四千の毛孔を揺《ゆす》って行くとや疑うであろう。
 この立合をながめていたもののなかに、一人の物好きがあります。最初は抜からぬ顔で人の後ろに立っていたが、ジリジリと一足前へ、二足前へ、余の連中が一寸二寸と後ろへさがる間に、この男のみは知らず知らず前へ出て行くので、水が流れて岩がおのずから進むように見えます。
「仲裁無用」かの松の樹の貼札《はりふだ》の下まで来て突っ立って、じっとこの果し合いを見ている。脚絆《きゃはん》足袋《たび》草鞋《わらじ》、菅笠《すげがさ》は背中に、武士ではないがマンザラ町人でもない――手に四尺五寸ほどある樫《かし》で出来た金剛杖《こんごうづえ》まがいのものをついていました。
 世間には、さまざまの変人がある、好んで危《あやう》きに近寄るは変人のなかの愚《ぐ》なる者。
 壮士の額にはようやく汗が滲《にじ》んできた、それと共に気がジリジリと焦《じ》れ出すのがわかります。この時、竜之助の足許《あしもと》がこころもち進む。
 壮士の踵《かかと》がこころもち退く。上段の太刀をおもむろに下ろして、中段に直します。
「構えの如何《いかん》に頓着《とんちゃく》せず、立合うや直ちに手の内に切り込み、そのまま腹部をめがけて突き行けば必ず勝つ」とは、千葉の道場などでよく教えた立合の秘訣《ひけつ》で、機先を制して勝ちを咄嗟《とっさ》にきめるか、さもなければ、塁を高くして持久戦の覚悟をきめ、そうして後に根気で勝つ。壮士は最初の法をとって、勝ちを一気に占める考えであったが、その術を施す隙《すき》がなかったので、やむを得ず、相方ともに楯《たて》をついての睨み合いです。
 関東の剣客で、その立合った限りにおいては、竜之助の音無しの構えを破り得るものがなかったのです。かの壮士は図《はか》らずもその術にひっかかったものです。降りみ降らずみ五月雨《さみだれ》の空が、十日も二十日も続く時は、大抵の人が癇癪《かんしゃく》を起します。鬱陶《うっとう》しい、忌々《いまいま》しい、さりとて雷が鳴るまでは、どうにもならぬのが竜之助の剣術ぶりです。壮士の癇癪はついに雷となって破裂した。
「やあ!」
 切り込んだ初太刀《しょだち》。
 その出る頭《かしら》こそ音無し流のねらいどころです。
 どちらが斬ったか斬られたか、刀と刀は火花を散らして、一合《いちごう》すれば、両人の身は四五間離れて飛びます。どちらにも怪我《けが》はなかった。透《すか》さず壮士は再び上段の構えでジリジリと寄る。竜之助はもとの如く、双方ともに以前の形をとって進むだけです。
 この一合した時に、立っていた怖《こわ》いもの見たさの連中は、
「わっ!」
とわめいて、横になり縦になって、遠いのは一町、近いので五十間も転《ころ》げ出したが、双方ともに傷つかず、また陣形を立て直したのを見てソロソロと舞い戻る。
 棒を杖《つ》いた商人|体《てい》の不思議な人物のみは、自分が検査役かの如き気取りで、平然としてもとの立場を動かず、そのくせ、両陣の争いはいよいよその身に近くなってきています。
 壮士も、胆気一方の人ではない、術も充分である、相撲《すもう》ならば四ツに組んだので、水を入れ手がない以上は、取り疲れて、死ぬまで組む。力限りの争いかと見れば、意外にも今度は、目に見えないほどずつ竜之助の太刀先が進む。進み、進むと、壮士は脂汗《あぶらあせ》をタラタラと、再び中段にしてジリジリと退く。その退くこと五分なれば、竜之助の進むことも五分、一寸なれば一寸。
 音もなく飛んだ刀は壮士の小鬢《こびん》をかすめて、再び刃の音の立つ時、壮士は鳥の如く後ろへ飛び退《さが》る、竜之助は透《すか》さずそれを追いかける、受けて、また後ろへ飛ぶ途端に、無残や大の男は、石に躓《つまず》いて※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と横ざまに倒れる――この時まで壮士は足駄《あしだ》を穿いていたものです。倒れたものを、起しも立てず拝み討ち――誰が見ても、この運命はもうきまった、倒れたのが斬られる、倒れないのが斬る(事実は必ずしもそうであるまいが)――その決勝点で邪魔が入ったというのは、かの棒を持っていた変人が、
「待った!」
 りゅうりゅうと片手で振った樫《かし》の棒に、仲裁無用の定規《おきて》を破らせたことであります。

         五

 竜之助と、薩州の壮士と、棒を持った変人と、三人の姿を山科《やましな》の奴茶屋《やっこぢゃや》の一間で見ることができました。三人まるくなって、酒を酌《く》みかわしながら、薩州の壮士|曰《いわ》く、
「不思議な流儀もあったもんじゃ、えたいが知れん、俺も一刀流の道場はたんと廻ってみたがな」
 棒を持った変人は竜之助に代って、
「うむ、この人の剣術は一流じゃ、てこずらぬ者は珍らしいよ、関東の剣術仲間では音無しと名を取ったものでござる」
「なるほど音無し、音無しに違いはない、なんにしても珍らしい、関東には変ったのがある、ハハハハ」
 高く笑う。
「西国にもずいぶん変ったのがござるようじゃ、貴殿のお差料《さしりょう》などもその一つ」
「うむ、これか」
 壮士は、座右の長い刀を今更めかしく取り上げて、
「主水正正清《もんどのしょうまさきよ》じゃ」
「拝見致す」
 型の如く鞘《さや》を払って、つくづくと見る、相州伝の骨法《こっぽう》を正確に伝えた薩摩鍛冶の名物。竜之助もまた傍からじっと見て、
「なるほど」
「国の習いで、抜けば鞘を叩き割るのが、血を見ずに鞘へ納まったは今日が初め、まあ仲裁ぶりに愛《め》でて不祥《ふしょう》するわ。時に貴殿のは」
 竜之助の武蔵太郎、これも如法《にょほう》に見納めて、
「切れそうだ、だいぶ血を嘗《な》めとるな」
「今日も一つ、嘗め損《そこの》うた」
「それはこっちの言うことじゃ」
 二人は面を見合って笑う。壮士のは、明けっ放しの笑い方、竜之助のは苦笑い。
「なんにせよ、二つの獲物《えもの》を取って押えたのは俺《わし》が棒の手柄」
 商人体の変人は、座敷の隅の棒を横目で見ながら言い出すと、壮士は、
「あれは何だ、不思議な棒だな」
「このごろ大阪の相撲どもが、毛唐《けとう》の足払いと名づけて拵《こさ》えよる、それを一本貰うて来た」
「ドレ、見てやる」
 壮士は、立ってその棒をさげて来た――これは力士小野川が水戸烈公の差図《さしず》により、次第によらば攘夷《じょうい》のさきがけのためとて、弟子どもに持たせた樫の角棒。
 うちとけて三人は飲み合って、最初になすべきはずのを、いざ別るる時になって名乗り合ってみると、壮士の言うには、
「拙者は薩州の田中新兵衛」

 田中新兵衛は飄然《ひょうぜん》として、どこへか行ってしまった。
 あとに残ったのは竜之助と、かの変人、実は変人でも愚物《ぐぶつ》でもない、水戸の人で山崎|譲《ゆずる》。新徴組の一人で、香取《かとり》流の棒をよく使います。竜之助とは江戸時代からの知合いで、はからずあの場へ来合わせて仲裁を試みたもの。
 田中去って後、竜之助と山崎とは水入らずの旧知で、
「時に吉田氏、その後の雲行《くもゆき》は、いよいよ穏かでないぞ」
「うむ、そうか」
「清川八郎が手で、新徴組の大部が江戸へ帰ったことは聞いたか」
「それは聞いた、横浜の毛唐《けとう》を打ち攘《はら》う先鋒《せんぽう》とやら」
「清川は食えぬ奴、なんというても新徴組第一の人物」
「そうかも知れぬ」
「毛唐を打つというも、実は江戸で事を挙げる、新徴組をダシに使うて幕府を覘《ねら》う奴じゃ」
「なるほど、あいつは放《ほ》っておいたら、えらいことをしかねない」
「芹沢、近藤、土方など、幾度もあいつが首を覘うたが、運が強い」
「うむ」
「ところが、天運めぐりめぐって、ついこの間、首尾よく清川を討ち止めた」
「ナニ、清川が殺された?」
「いかにも。芝の赤羽橋で、速見又四郎、佐々木只三郎らの手で、見事にしてやられた」
「やつも、千葉の高弟で手は利《き》いていたはずだが」
「佐々木も速見も聞ゆる使い手じゃ、多勢で不意をやられてはたまるまい」
「うむ――そうすると新徴組は瓦解《こわれ》たか」
「壊《こわ》れはせぬ、二つに割れた。最初、江戸から京都《こちら》へ上ったのは総勢二百五十人、それは大方、今いう清川が手で江戸へ帰って、残るは芹沢と近藤を頭に十四人」
「うむ、僅か十四人――」
「それが中堅となって、新たに新撰組というのを立てた、もとの新徴組の返り新参もある、諸国から腕節《うでぶし》の利く奴も集まる、壬生《みぶ》の南部屋敷に本営を置いて、芹沢鴨と近藤勇を隊長に、土方歳三と、新見錦山と南敬助とが副将じゃ」
「そうか」
「拙者もこんな風《なり》をして、浪人どもの捜索と、腕の利いた同志を探しに歩いている。よい所で行き逢った、早速壬生へ行こう」
「待て、待て」
 竜之助は、直ちに壬生へ走《は》せつけることについて、多少考えねばならぬことがある。
「芹沢と近藤との間柄はどうじゃ、二人とも無事に組んでいけるかな」
 竜之助に言われて、山崎は眉根《まゆね》を寄せ、眼を光らかして、
「それだそれだ、そこの雲行きが危ないて」
「危ない?」
「どのみち、雨となるか風となるか、組の中にも芹沢派と近藤派とは、油と水じゃ。困ったものじゃて」
「生国《しょうごく》から言えば同じ武蔵、拙者は近藤派によしみが深い、しかし、芹沢には義理がある」
 竜之助は思案の体《てい》です。
「うむ、拙者も生国は水戸じゃ。芹沢とは同国なれども、人物は近藤が一段上と思う」
 山崎は、新撰組両隊長の器量を一寸《ちょっと》ばかり比べてみて、
「どうも、近藤派の方が、人望があるようじゃ、芹沢は乱暴でいかん、近藤は目先が見える、芹沢は人に嫌われる、近藤は人に怖れられる……ゆくゆく新撰組は近藤のものであろう、なりゆきに任せて、拙者は黙って見ている」
 芹沢鴨は水戸の天狗党の一人です。芹沢鴨とは変名で、実は木村|継次《つぐじ》という。同じ水戸の山崎が見て、団扇《うちわ》を近藤に上げるところより見れば、双方の相違がおのずからわかるとも言える。
「いずれにしても、拙者は、これより壬生へ行くことは見合わせ、ほどよき宿をとって、ひそかに芹沢と会いたい、そうして身の振り方をきめる」
「そうか、まあゆっくり都見物でもするがよい、隊へ入ると気が忙しくなる」
「芹沢に、拙者が上って来たと伝えてくれ、近藤、土方には知らせたくない」
「よし、そう言おう。宿はどこへ取る」
「左様、目立たぬよう、然るべきところはないか、周旋を頼む」
「六角堂の鐙屋《あぶみや》というのを拙者は知っている、それへ紹介しよう」
「よろしく頼む」
 こんな話をして酒を飲み合い、微醺《びくん》を帯びてこの茶屋を出ると、醍醐《だいご》から宇治の方面へ夕暮の鴉《からす》が飛んで行く。
「それはそうと吉田氏、京都へ入ったなら、滅多《めった》に刀は抜かぬがよいぞ、血の気の多いのがウヨウヨいる、今の壮士のような奴が」
「あの命知らずには驚いた」
「しかし、あんなのは珍らしい、全くの命知らずじゃ。そうそう、何と言ったかな、あいつの名前は」
「薩州の田中新兵衛と聞いた」
「田中新兵衛……そうか、覚えておくことだ、あんなのが好んで暗殺をやる。去年、四条磧《しじょうがわら》で九条家の島田|左近《さこん》を斬ったのも、まだ上らぬのじゃ」
「暗殺が流行《はや》るそうだな」

         六

 壬生《みぶ》の村から二条城まで、わざと淋しいところを選んで、通りを東に町を縫《ぬ》い、あてもなく辿《たど》り行く人影に見覚えがある。まだ前髪立ちの少年なるに、腰には厳《いか》めしき刀を差し、時々は扇子《せんす》の要《かなめ》を柄頭《つかがしら》のあたりに立てて、思い出したように町並《まちなみ》や、道筋、それから仰いで朧月《おぼろづき》の夜をながめているのは、いつのまにこの地へ来たか、その人は宇津木兵馬であることに疑いないのです。
 世は混乱の時といえ、さすが千有余年の王城の地には佳気があって、町の中には険呑《けんのん》な空気が立罩《たてこ》めて、ややもすれば嫉刀《ねたば》が走るのに、こうして、朧月夜に、鴨川の水の音を聞いて、勾配《こうばい》の寛《ゆる》やかな三条の大橋を前に、花に匂う華頂山、霞に迷う如意《にょい》ヶ岳《たけ》、祇園《ぎおん》から八坂《やさか》の塔の眠れるように、清水《きよみず》より大谷へ、烟《けむり》とも霧ともつかぬ柔らかな夜の水蒸気が、ふうわりと棚曳《たなび》いて、天上の美人が甘い眠りに落ちて行くような気持に、ひたひたと浸《つ》けられてゆく時は、骨もおのずから溶ける心地《ここち》がする。朧月夜とはいうものの、四月もすでに半ば過ぎ、空のどこに月ありとも見えねど一帯に明るい。曇りにしては気分が軽い、霽《は》れにしてはしっとり[#「しっとり」に傍点]とした、都の春の宵《よい》の色としては、申し分のない夜でありました。
 兵馬は橋の上へ来てから、大事なものを踏むように、わざとゆっくりゆっくり歩いています……朧月夜もふけて丑三《うしみつ》過ぎで、無論、人の通ることは宵から数えるほどしかなかったのですから、この深夜には誰《たれ》憚《はばか》るものもない、千金にも替え難き都の春の夜を一人占めにして歩いているようなものです。
 京都に来ても兵馬は、ワザと罪なき人を斬ったり、喧嘩《けんか》を買って出たりすることはしなかった。暇があれば、壬生寺《みぶでら》の本堂に籠ったり、深夜、物騒《ぶっそう》な町を歩いてみるくらいのことで、いままでは至って無事でした。竜之助が悠々と、途中で道場荒しなどをやって、日数《ひかず》を多くかけて京都まで来る間に、兵馬は新徴組と共に、一直線にこっちへ来ていたので、京都の経験は兵馬の方が一月の余も上であります。
 すべての消息から、竜之助が京都へ落ちたことは真実《まこと》である、京都で必ず探し当てる、これも兵馬が夜歩きをする一つの理由でありましょう。しかしながら、京都へ来てみて、天下の形勢というものを見たり、諸藩の武士の、国家を一人で背負《しょ》って立つような意気込みを見ると――兵馬はどうも、知らず知らず自分が大海《おおうみ》へ泳ぎ出したような心持もするのです。
 兵馬はこの夜、浪人者が数人、隊をなして一つの駕籠を守って行くのを三条の通りで見かけました。その後ろ姿を見て、兵馬は合点のゆかぬ思いをしながら壬生の屯所《とんしょ》へ帰って来たのでありました。
「あれは組のうちでたしかに見た男」

 夜歩きをして壬生へ帰った翌朝、隊長の近藤勇から使が来て、急に会いたいというから兵馬は、勇の前へ出ると、勇は刀架《かたなかけ》に秘蔵の虎徹《こてつ》を載せて、敷皮の上に、腕を拱《こまね》き端然と坐っていたが、兵馬を見る眼が、今日はいつもより険《けわ》しい。
「宇津木、もう夜歩きはならんぞ」
「は?」
 勇は、兵馬の不審がる面《かお》を、上から見据えているのです。
「隊長、それは――」
「うむ、夜歩きをするな」
 近藤の語気には含むところがある、何とも理由は明かさず、頭からガンと夜歩きを差止めて、まだ何か余憤があるようです。しかし言いわけをしても駄目である。近藤が言い出したら、これは是非の余裕がないことを知っていますから、兵馬は黙って控えている。
 勇は筋骨質の人です、頬の骨は磐石《ばんじゃく》の如くに固く、額は剛鉄《あらがね》を張ったように強く、その間から光る眼玉に、どうかすると非常な優しみがあるが、少し機嫌《きげん》の悪い時は、正面《まとも》には見ていられない険しさ、ほとんど獰悪《どうあく》の色が現われてきます。もし誰か勇に会って、獰悪な眼の光を浴びせられたものがあるならば、その翌日の朝になると、その人は、必ずどこかの辻《つじ》に、二つになって斃《たお》れているのが例であります。兵馬はいま、勇が少しくその機嫌を損じていることを認めます。勇の怒りの怖るべきことをも知っています。しかしながら自分に疚《やま》しいことはない――今は弁解しても駄目であるが、おのずから事情のわかる時がある、事情がわかれば勇の気象《きしょう》はカラリと晴れる。そのことをよく呑み込んでいるので、
「心得ました、いかにも夜歩きは差控《さしひか》えます」
「よし」
 兵馬は、これで自分の詰所《つめしょ》の方へ帰って来ます。
 井戸側のところへ来ると、新撰組隊士が二人ほど、水を汲んで面を洗っていましたが、
「井村、昨夜は晩《おそ》かったな」
「うん、飛んだ寝坊をしちまった」
「どこへ出かけた」
「悪いところへ行った」
 二人の話し合いを、兵馬が通りがけに、ふと耳に入れて気がつくと、あの井村の様子――昨夜の駕籠を守って行った浪人者のうちの一人によく似ている。

 ここに一つの事件がある、それは新徴組の隊長芹沢鴨が、京都のある富家の女房を奪い来《きた》って己《おの》が妾《めかけ》同様にしてしまったことです。芹沢はじめその手に属するものの横暴は今に始まったのではないが、今度のやり方は強盗に類することであった。そうしてその話が兵馬の耳にまで入ったのは翌日のことで、兵馬はふと、前夜の夜歩きの時に見かけた浪人ども――それと芹沢が奪い来ったという町家《ちょうか》の女房との間に脈絡があるように思われてならぬ。ことにその浪人どものうちの一人は、たしかに芹沢配下の井村に違いないと思われるから、いよいよ以て奇怪に感じてその翌日、隊の門を潜《くぐ》ると、ちょうど出会頭《であいがしら》のように物置の方から出て来た井村。
「井村君」
 兵馬が呼び留めると、
「や」
 井村はギョッとしたようでしたが、苦笑《にがわら》いをして、
「宇津木君か」
「井村君、君にちょっと尋ねたいことがある」
「何だ」
「近頃、君の方の手で女を取調べたことがあるか」
「知らん」
 知らんというけれども、井村の言いぶりが狼狽《ろうばい》している。
 新徴組には芹沢派と近藤派とがある。両派の暗闘は容易なものではない。宇津木兵馬はどちらかと言えば近藤派で、芹沢の人物を好いてはいない、それに机竜之助を芹沢が隠しているということを聞いているから、今は芹沢が的《まと》のようになっている。
 兵馬は、これから一層、芹沢の一挙一動に注目することに決心し、今日も夕方、かの井村と、も一人の新参浪士をつれて芹沢が屋敷を出かけたのを、兵馬はそっとあとをつけて行きます。
 彼らは本国寺の寺中《てらうち》へ入って行くから、兵馬は寺の門を潜《くぐ》らず、しばらく遠のいて、門の中を見張っていると、ほどなく井村と新参の浪士と二人は面の相好《そうごう》を崩して門を出て来ましたが、彼等は壬生へは引返さないで、本願寺裏手の方を四辺《あたり》憚らず笑い興じながら島原口まで来ました。
 これからは田圃《たんぼ》――五六丁を隔ててその田圃の中に一|廓《かく》、島原|傾城町《けいせいまち》の歓楽の灯《ひ》は赤く燃えております。
「やあ、あの灯《ひ》を見ると胸が躍《おど》るわ。しかし我々共の楽しみは罪が浅い、隊長のはなかなか罪が深いのう」
 井村のこの声がひとしお大きく田圃の中で響き渡ると、
「アハハハハ」
 ふたり声を合せた高笑いで、あとはまた断続してよく聞き取れない。新参の浪人がふいと後ろを振返り、
「誰か来るようじゃ」
 井村の耳に囁《ささや》くと、歩みをとどめて、
「うむ、足音がする」
 島原から一貫町《いっかんまち》までは人家がない、人が来れば見通しがつく。
「島原通いであろう、一番、嚇《おど》してみようか」
 人を嚇してみるにはよいところ、朱雀野《すざくの》の真只中《まっただなか》、近来ここでは追剥《おいはぎ》と辻斬《つじぎり》とが流行《はや》る、遊客は非常な警戒をした上でなければ通らないところです。
 兵馬は二人の立ち止まったところへ押しかけて、
「ちょっと物をお尋ね申す、壬生の地蔵へはどう参りましょうな」
「ナニ、壬生の地蔵へ――」
「壬生の地蔵寺から南部屋敷の方へは?」
「南部屋敷を尋ねらるる、どうやらその声は聞いたようじゃ」
 これは井村の声で二足三足、兵馬の方へ近寄って来ます。
「やあ、宇津木君ではないか」
「その声は井村氏か」
 井村は、こんなところで兵馬に遭《あ》うことをまことに意外と思い、同時に不安が湧いて来るらしく、
「どうして今頃、こんなところを……貴殿にも似合わない」
「七条へ参っての帰りがけ、つい道に迷うて」
「ハハ、なるほど、この道は貴公らの迷うべき道じゃ。ここを真直ぐに行くと、あの明るい里。あれ、微かに三味太鼓の音も聞ゆるは、あれが我々共の極楽世界。君のたずぬる壬生のお寺は、あれあの高い屋根の棟《むね》がそれよ」
 田圃の中に、黒く高く湧き立った地蔵寺の大屋根を指す。
「あれが地蔵寺……なるほど、そういえばここが島原、それでわかった」
「待て待て、宇津木」
「何か用か」
「これから直ぐに壬生へ帰るか」
「帰る」
「それはいかん、ここまで来ては、もう逃がしっこなし」
 井村は兵馬の袖を捉《とら》えて、非常に気味の悪い言葉遣いで、
「つき合え、一緒に来い」
「どこへ」
「恍《とぼ》けるなよ、我々が行くところへ来い」
「いや、拙者は、そうしてはおられぬ」
「わからずやを言うなよ、隊長の近藤君や、芹沢君はじめ、みんなこの島の定連《じょうれん》なのじゃ、貴様、若いくせに、ここまで来て素通《すどお》りという法があるか」
「拙者は左様な粋人《すいじん》とは違う」
「いや、そうでない、貴公のようなのが、女には騒がれる。都へ来て島原の太夫《たゆう》を知らんというは話にならんテ、なあ溝部《みぞべ》」
「それに違いない」
「それ見ろ、一度この中へ入って済度《さいど》を受けてみんことにゃ、世の中の人情というものの極意《ごくい》がわからん」
 壬生と島原とは呼び交わすばかりの間である。兵馬としても、ここに島原のあることを知らないはずはないが、井村はしきりに兵馬の袖を引張って放しません。
 その言うがままに行ってみたらどうだろう、そうして彼等の為すがままに任せておいて、それから、何かを機会に調べてみたら、それも妙ではあるまいか。
 兵馬は、ふと、こんなことを思い出して、強《し》いて袖を振り放そうとしないうちに、もう遊廓《ゆうかく》の一町ほど手前まで来てしまいました。
「よし、行くところまで行ってみよう」
 ついに大門《おおもん》の前まで来た。
「これ見ろ宇津木、ここが大門で、それここに柳があるが、これが有名な出口の柳というものじゃ。入口にあっても出口という、これいかに。島原七不思議の第一はこれじゃ。中は昼より明るいぞ。一足入れば歌舞の天女、生身《しょうじん》の菩薩《ぼさつ》が御来迎《ごらいごう》じゃわい」
 島原|傾城町《けいせいまち》の夜は盛んなる眩惑《げんわく》を以て兵馬の眼の前に展開される。

         七

 島原の誇りは「日本|色里《いろざと》の総本家」というところにある、昔は実質において、今は名残《なご》りにおいて。
 今の島原は全く名残りに過ぎない。音に聞く都の島原を、名にゆかしき朱雀野《すざくの》のほとりに訪ねてみても、大抵の人は茫然自失《ぼうぜんじしつ》する。家並《やなみ》は古くて、粗末で、そうして道筋は狭くて汚ない。前を近在の百姓が車を曳いて通り、後ろを丹波鉄道が煤煙《ばいえん》を浴びせて過ぐる、その間にやっと滅び行く運命を死守して半身不随の身を支えおるという惨《みじ》めな有様であります。
 安永から天明の頃、江戸の俳諧師《はいかいし》二鐘亭半山《にしょうていはんざん》なるものの書いた「見た京物語」には、
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「島原はまはり土塀《どべい》にて甚だ淋し、中《なか》の町《ちょう》と覚しき所、一膳飯《いちぜんめし》の看板あり」
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とあって、それよりやや降《くだ》り、
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「島原の廓《くるわ》、今は衰へて、曲輪《くるわ》の土塀など傾き倒れ、揚屋町《あげやまち》の外は、家も巷《ちまた》も甚だ汚なし。太夫の顔色、万事祇園に劣れり」
[#ここで字下げ終わり]
とは、天保の馬琴《ばきん》が記したものにある。
 ましてや、それよりまた小一世紀を隔つる大正の今の時、問題の土塀もくずれ果てて跡方もなく、小店《こだな》には、日々に空家《あきや》が殖《ふ》えて、大店《おおだな》は日に日に腐ったまま立ち枯れて、人の住まなくなった楼の塗格子《ぬりごうし》や、褪《さ》め果てた水色の暖簾《のれん》に染め出された大きな定紋《じょうもん》が垢《あか》づいてダラリと下った風情《ふぜい》を見ると、「嵯峨《さが》や御室《おむろ》」で馴染《なじみ》の「わたしゃ都の島原できさらぎ[#「きさらぎ」に傍点]という傾城《けいせい》でござんすわいな」の名文句から思い出の優婉《ゆうえん》な想像が全く破れる。涙ながらに「日本色里の総本家」という昔の誇りを弔《とむろ》うて、「中《なか》の町《ちょう》」「中堂寺《ちゅうどうじ》」「太夫町《たゆうまち》」「揚屋町《あげやまち》」「下《しも》の町《ちょう》」など、一通りその隅々まで見て歩くのはまだ優しい人で、「ナンダつまらない」その名前倒れを露出《むきだし》にしながら、とにかくここで第一の旧家といわれる角屋《すみや》の前に足をとどめてみても、御多分《ごたぶん》に洩れぬ古くて汚ない構えである。侮《あなど》り切っていきなり玄関から応接を頼むと、東京では成島柳北《なるしまりゅうほく》時代に現われた柳橋《やなぎばし》の年増芸者《としまげいしゃ》のようなのが出て来て、「御紹介のないお客さまは」と、極《きわ》めてしとやかに御辞退を申し上げる。
 これは、物に慣れない遊子に対する特殊の待遇ではなく、もし血気に逸《はや》る半可通《はんかつう》が新式の自動車を駆《か》り催して正面から乗りつけて行っても、「御紹介のないお客様は」の一点張りで、その来る者の、自動車であろうと、金鎖《きんぐさり》であろうと、パナマ帽であろうと更に驚かないのですから、ここにおいて「島原|未《いま》だ侮り易《やす》からず」と最初の独断をやや悔いはじめるものもあるし、頑迷いよいよ度すべからず、これだから「滅びゆく島原」だと匙《さじ》を投げる者もある。
 幸いに、許されて中に入ることの光栄を得たものにしてからが、まず何となしにばかばかしくなる。荒削《あらけず》りの巨大な柱が煤《すす》けた下に、大寺院の庫裡《くり》で見るような大きな土竈《へっつい》がある、三世紀以前の竜吐水《りゅうどすい》がある、漬物の桶みたようなのがいくつも転《ころ》がっている。何のことはない、二十代もつづいた大庄屋《おおしょうや》の台所へ来たようなものです。
 おまけに、長押《なげし》には槍、棒、薙刀《なぎなた》のような古兵具《ふるつわもの》が楯《たて》を並べ、玄関には三太夫のような刀架《かたなかけ》が残塁《ざんるい》を守って、登楼の客を睥睨《へいげい》しようというものです。
 恐る恐る座敷へ通って見ると、京都式の天井は低く、光線のとり具合は極めて悪い。しかしながら、そこにもここにも底光《そこびか》りがある、低くて暗いのは必ずしも浅くて安っぽい意味でない、というような感じも幾分か出て来て、そうしておもむろに間毎《まごと》の襖《ふすま》や天井などについて説明を求めてみると、前の柳北時代の柳橋の老妓のようなのが(多分、仲居《なかい》の功労を経たものであろう)別に誇るような色もなく、新来の田舎客のためによく説明の労をとる。
 第一を「御簾《みす》の間《ま》」と言い、第二が「奥御簾の間」、第三が「扇の間」で、畳数二十一畳、天井には四十四枚の扇の絵を散らし、六面の襖の四つは加茂《かも》の葵祭《あおいまつり》を描いた土佐絵。第四「馬の間」の襖は応挙、第五「孔雀《くじゃく》の間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は狩野《かのう》常信の筆、第八「囲《かこい》の間」には几董《きとう》の句がある。第九「青貝の間」は十七畳、第十「檜垣《ひがき》の間」は檜垣の襖、第十一「緞子《どんす》の間」は緞子を張りつめる。第十二「松の間」は、十六畳と二十四畳、三方正面の布袋《ほてい》があって、吊天井《つりてんじょう》で柱がない、岸駒《がんく》の大幅《たいふく》がある。
 なお委《くわ》しく聞いてみると、間毎間毎にもいちいち由緒《ゆいしょ》と歴史とがあって、やれ「青貝の間」は螺鈿《らでん》でござるの、「檜垣の間」はこれこれの故事で候《そうろう》の、西郷さんのお遊びの部屋は、いつもこの「松の間」の話の洩れないところにきめてあったの、西郷さんのお相手は小太夫といって、月照《げっしょう》さんと一緒に遊びに来られて、その相方《あいかた》は花桐太夫《はなぎりだゆう》であったなど、和尚もなかなか罪を造ったものだなと思わせる話までも聞かせてくれる。
 日本の遊女町というものを、社会史上の一つの現象と見て、この後とうてい復活の望みのない日本色里の総本家の名残《なご》りのために、この島原の如きも、物好きな国粋(?)保存家が出て、右の角屋《すみや》、或いは輪違《わちがい》その他の一部の如きに相当の方法を講じておかないと、やがて社会史の一角に、多少の参考材料を失うかも知れない。それで、右の角屋の如きも二百七十年以前、島原始まって(すなわち寛永十八年、六条から今の地に移った時)以来の建築であって、そのほかにもこれに類するものがあるとしてみれば、時代の家屋の建築上からも一個の参考物であると、或る意味からこれを尊重する気になって、素見《ひやかし》に来た道楽者が思わず知らず社会学者となり考古学者となってしまいます。
 島原が秀吉から許された天正十七年は、江戸の吉原《よしわら》が徳川から許された元和《げんな》三年より三十年の昔になる。大阪の新町も、その創立を元和から寛永の頃とすれば、いずれにしても島原より弟であり妹である勘定《かんじょう》になります。
 そうして、柳町から六条へ移り、「新屋敷」の名が「三筋町《みすじまち》」となり、三転して今の朱雀《すざく》へ移って、「島原」の名を得たのが、寛永十八年ということで。
[#ここから1字下げ]
「去《さ》んぬる頃より一つ合せて、七条|西朱雀《にしすざく》、丹波街道の北に島原とて、肥前|天草一揆《あまくさいっき》のとりこもりし島原の城の如く、三方はふさがりて、一方に口ある故に、斯様には名《なづ》け侍《はべ》り」(浮世物語)
[#ここで字下げ終わり]
 都名所図絵《みやこめいしょずえ》には、
[#ここから1字下げ]
「また寛永十八年に今の朱雀野へ移さる、島原と号《なづ》くることは、その昔、肥前の島原に天草四郎といふもの一揆を起し動乱に及ぶ時、この里も此処《ここ》に移され騒がしかりければ、世の人、島原と異名をつけしより、遂に此処の名とせり」
[#ここで字下げ終わり]
 切支丹《きりしたん》禁制の記念が、遊女町の名によって残されたことを思うと、因縁《いんねん》もまた奇妙な感じがします。ことのついでに、日本における遊女というものの沿革《えんかく》を老人に聞いてみると、古いところは万葉《まんよう》あたりまで溯《さかのぼ》る。その後、肥後の白川《しらかわ》、都近くは江口、神崎《かんざき》、東海道の駅々には、大磯、黄瀬川《きせがわ》、池田などに名を謳《うた》われた。遊女屋としてやや体《たい》を成しかけたのは、播州《ばんしゅう》の室津《むろつ》あたりであろうとのことです。
 平家が亡《ほろ》んで、辛《かろ》うじて生き残った官女たちが身を寄せるところに困って、みすみす人の遊びものになり、蟹《かに》も平氏を名乗って無念の形相《ぎょうそう》をする海辺に、浮かれ浮かれて身を売った。長門《ながと》の赤間《あかま》ヶ関《せき》、播州の室津などはそれである。ことに室津は都近い船着きであったから、遊里の体裁《ていさい》をなすまでに繁昌したものと見えます。
 官許遊廓の根源こそはこの島原。島原の歴史にもまた相当の盛衰栄枯があって、三筋町七人衆の時代、すなわち灰屋《はいや》三郎兵衛に身受けされた二代目芳野の頃を全盛の時とすれば、祇園《ぎおん》の頭を持ち上げた時が、ようよう島原の押されて行く時であろう。
 そうして、この物語の時代、すなわち維新前後にパッとまた一花咲かせた。大小七十余藩の武士が一度に京都へ集まった時、さびれかかった日本遊廓の根元地が、またも昔の権威を盛り返して、他場所で遊んで不首尾をした時は帰参が叶《かな》わなかったけれど、島原での咎《とが》は帰参が叶ったという勢いでありました。

         八

 島原の木津屋という暖簾《のれん》のところへ、或る日のこと、百姓|体《てい》の男が旅姿で、
「少々、お頼み申します」
 これは裏宿七兵衛。
「お客さんか」
 眉を落して、小緞子《こどんす》の帯を前結びにした三十前後の女が暖簾をわけて姿を見せ、
「どちらから?」
「これはちと遠方から参りましたもので、御雪太夫《みゆきだゆう》さまのお館《やかた》はこちらでござりましょうか」
「はい、御雪様はこちらでありますが、あなた様はどなた」
「左様でござりましたか。私は関東の者でございますが、太夫様にちょっとお眼にかかりたくて上りました」
「お前様が、あの太夫様に? それは太夫様ご存じのことか」
「いや、お眼にかかって申し上げたいことで、案内も存じませぬ故、宿へ着きますると早速《さっそく》これへ参りましたようなわけで」
「阿呆《あほ》らしい」
 女は軽侮《けいぶ》の色を現わして、
「太夫様が、知己《ちかづき》のない方に、そう容易《たやす》くお目にかかるものかいな、出直しておいでなされ」
 引込んでしまおうとするのを、七兵衛は、
「あ、もし、太夫様にお眼にかかれぬならば、あの、お松と申す女の子が、このお家に御厄介《ごやっかい》になっておりまするとやら」
「お松――」
「はい、このごろ関東から上りました女の子」
「おお、そんなことも」
 女は様子ありげな七兵衛の風情《ふぜい》を見比べて、なんと思ったか、急に打消して、
「そんなお方も存じませぬわいな」
「それは困った」
 七兵衛はやや当惑の色。女はそれを見て、いくらか気の毒の念を催したものと見え、
「お前さん、太夫様に会いたいとならば会うようにしてお会いなされ、ただいまは揚屋入《あげやい》りでお留守じゃ、あとで伝えておきましょう」
「はい、それでは後刻《ごこく》また伺いまする……それからあの、ただいま、太夫様に会うには会うようにして会えとおっしゃいましたが、それはどう致したらよろしゅうございましょう」
「それは、こんなところでなく、あちらに宏大《こうだい》な揚屋というものや、お茶屋さんというものがありますから、そこで聞いてごらん」
「関東から上ったばかりでございますから、トンと何もかも存じませぬ、失礼を致しました。それでは、もう一応あちらで聞き直しました上で、また後刻お伺い致しまする」
 こう言って、七兵衛は丁寧にお辞儀をして木津屋の前をいったん立ち去ろうとすると、道筋を、こちらへ、揚屋から帰る太夫の一行があります。
 太夫の道中も島原がはじめ。道中とは太夫が館《やかた》と揚屋との間を歩く間のこと。
 ずっと昔は毎月二十一日に、後には年に両度、その後は年に一度、四月の二十一日、真行草《しんぎょうそう》の三つの品の中、真の道中は新艘《しんぞう》の出る時、そうしてこれは、最も普通の意味における道中、太夫が館と揚屋を歩くだけのこと。
 霞《かすみ》にさした十二本の簪《かんざし》、松に雪輪《ゆきわ》の刺繍《ぬいとり》の帯を前に結び下げて、花吹雪《はなふぶき》の模様ある打掛《うちかけ》、黒く塗ったる高下駄《たかげた》に緋天鵞絨《ひびろうど》の鼻緒《はなお》すげたるを穿《は》いて、目のさめるばかりの太夫が、引舟《ひきふね》を一人、禿《かむろ》を一人、だんだら染めの六尺帯を背に結んだ下男に長柄《ながえ》の傘を後ろから差しかけさせて、悠々として練って来ましたから七兵衛は、こちらの遊女屋の軒下《のきした》に立ってその道中の有様を物珍らしと見ていますと、右の一行が、木津屋の暖簾《のれん》の中へ入ってしまい、そのあとから男が二人、黒塗りの長持のような大きな箱を担ぎ込むところまで見ておりましたが、その箱の一方は、将棋《しょうぎ》の駒の形をした木札《きふだ》があって、それに「御雪」と記されたのを見る。
「もしもし、それへおいでのお客さん」
 梅の花の振袖《ふりそで》を着た小さな禿《かむろ》、ちょこちょこと走り出て呼び止めますから、七兵衛は振返りました。
「私でござんすか」
「はい、あの太夫さんが、お前に会いたいと申しまする、お入りなさい」
「それは有難う存じまする」

 七兵衛が通された部屋には、古色を帯びた銀襖《ぎんぶすま》があって、それには色紙《しきし》が張り交ぜてある。昔からこの地の名ある太夫の寄せ書を集めたものであろうと、七兵衛は、その和歌の二つ三つを読んでみましたが、自分には読み抜けないのが大分あります。七兵衛は教育を受けられなかった人間で、自分一個の器用で手紙の文字や触書《ふれがき》の解釈ぐらいは人並み以上にやってのけるが、悲しいことには、こんな優《みや》びやかな文字を見ると、男でありながらと、ひそかに額の汗を拭いて感心したり慚《は》じ入ったり。

         九

 木津屋の一間で、七兵衛は手枕《てまくら》で横になり、朋輩衆と嵐山の方へ行ったというお松の帰りを待っています。
 いま会って、一通りの話をした御雪太夫の面影《おもかげ》を思い返して、道中で見た時とは違い物々しい飾りを取りはずし、広くて赤い襟《えり》のかかった打掛《うちかけ》に、華美《はで》やかな襦袢《じゅばん》や、黒い胴ぬきや、紋縮緬《もんちりめん》かなにかの二つ折りの帯を巻いて前掛のような赤帯を締めて、濃い化粧のままで紅《べに》をさした唇、鉄漿《かね》をつけた歯並《はなみ》の間から洩るる京言葉の優しさ、年の頃はお松より二つも上か知らん、お松とは姉妹《きょうだい》のように思うていると言うたが、姉にすれば申し分のない姉、あんな姉があらばお松は仕合《しあわ》せである、お松のためにはこのままにして、あの太夫に任せておく方がけっく幸福か知らん。七兵衛はお松の身受けに来たのだけれど、来て見ればお松の将来についてまた変った考えが出て来ます。
 七兵衛はそれから、お松の身受けの金のこと、関東へつれて帰ってどうしようかということなどを、いろいろと考えているうちに眠くなって、うとうとと夢に入ろうとすると、
「御免あそばせ――あ、おじさん」
 眠りに落ちようとした七兵衛は、物音に眼をあいて、そこへ入って来た美しい女の姿を見る。
「青梅のおじさんではないか」
 女はこう言って跪《ひざまず》いたので、七兵衛は身を起して、
「お松坊か――お松坊であったか」
「はい」
 お松の姿は、三度変っている。第一は大菩薩峠の頂で猿と闘った時の笈摺《おいずる》の姿、第二は神尾の邸に侍女《こしもと》をしていた時の御守殿風《ごしゅでんふう》、第三はすなわち今、太夫ほどに派手《はで》でなく、芸子《げいこ》ほどに地味《じみ》でもない、華奢《きゃしゃ》を好む京大阪の商家には、ちょうどこのくらいの振合《ふりあ》いをした嬢様がある。七兵衛はお松の侍女時代を知らなかったから、その変ったことに目を驚かす。
「久しいことでございました」
 お松はハラハラと涙。
「大きくなったなあ、美しいものになったなあ」
 七兵衛の眼もなんとなしに潤《うるお》うてきます。
「もう、この世ではお眼にかかれないかと思いました」
「ばかなことを言うな……なんの百里や二百里の道」
 七兵衛も悲しくなる、お松も悲しくなる。
 七兵衛の足では、百里や二百里の道はなんでもないが、お松の身が、この百里を隔てた西の都に来るまでには、容易ならぬ行路の悩みがある。
 お松は、しばらく袂を面《かお》に押し当てたまま、しゃくり上げていましたが、
「いつ、こちらへお着きになりまして」
「今日来たよ」
「ようここが知れましたなあ」
「うむ、ちょっとしたひっかかりで聞き込んだから、直ぐに飛んで来た。来て見れば、お前の身の上も、思ったより無事で、こうすんなり[#「すんなり」に傍点]会えようとは思わなかった。そうして、わしは、お前をつれて江戸へ帰るつもりで来るには……来たが……今も、ここでおちおち考えてみれば、帰ったとてお前の頼《たよ》るところもないようではあるし、わしも思うように世話をして上げるわけにはいかない。縁あってこちらに来たものだから、いっそこちらで暮すもよいかも知れぬ。どうだ、お前の考えは。遠慮なく言ってごらん」
「有難う存じます、おじさん、どこへ行きましても、運の悪いものは悪いものでございますね、わたしは、もう諦《あきら》めました」
「どう諦めた」
「江戸へ帰りたいとも思わず、ここで一生を送りたいとも思いませぬ……運には勝てませぬから、何事にも逆《さから》わず身を任せて行くつもりでございます」
 七兵衛は腕を組んで暫く考え、
「それでは……お前は傾城《けいせい》になるつもりかえ」
「この月中《つきうち》に、あのお雪様の妹分として、つとめをするように、きまってあるのでござんすから……わたしもその気になってしまいました」
 七兵衛は、考え込んだ上で、
「そう腹がきまれば、それでいいようなものだが、わしに言わせると、それでは済まぬ、わしはお前を遊女傾城にしたくはないというものだ」
「けれども、おじさん……」
「わしは、お前を救い出しに来たはずなのだ、なんとしても一旦はお前の身受けをせにゃならぬ、それから先はお前の心任《こころまか》せ、江戸へ帰ろうと、こちらに留まろうと、文句は言わないつもりだが」
「身受けと申しましても、おじさん……」
「お金のことなら心配しなくてもいい、それはいくらかかろうとも承知の上だ」
「有難うございます」
 お松は、また涙を拭く。身受けをされて自由になることが、お松にとって嬉しくないことはない、もし帰るべき家があり、手をとって泣き合うべき親兄弟があるならば一層のこと。七兵衛にしても、この娘をつれて帰って、引合せてやる縁者《えんじゃ》があるとか、思い合う男に添わせてやるとかいう的《あて》があるならば、張合いがあるべきところだけれども、これを伯母のお滝に返してやろうか、または妻恋坂のお師匠様に預けようか――危ない危ない、ここに置くよりも危ない。そんなら、自分が引取って世話をしてやろうか――いつ首が飛ぶか知れない身、なお危ない危ない。
「おじさん、わたしは、もし身受けをしていただくようになりますれば、あの沢井という山の中へ引込んで暮します」
「なんだ、沢井へ……沢井の何というところへ」
「あの万年橋という橋の下に、水車の小屋がありますそうな、そこでお米を搗《つ》いたり、粉を振《ふる》ったりして稼《かせ》ぐつもりでございます」
「万年橋の水車で……あそこに知人《しりびと》でもあるのかな」
「あい、約束した人が……約束と申しますと、異《い》なことに聞えましょうけれど、わたしを親身《しんみ》にしてくれた人が待っているはずでございます」
 この女を待っているというのは何者、約束した人とは誰。はたしてそんな人があるならば頼もしい。

         十

 京に多き物、寺、女、雪駄直《せったなお》し。少なき物、侍、酒屋、けんどん屋、願人云々《がんにんうんぬん》。それがこのごろはどこへ行っても、肩ひじ怒らした侍ばかり、多いものの二番目に数えられた女の影がかえって道の通りには甚だ少ない。
 島原の廓《くるわ》、一貫町を出てから七兵衛は胸算用《むなざんよう》をはじめました。
 お松を身受けするのに、費用が四百両の頭を出る、百両を手金《てきん》に置いて、あとの三百五十両、それをこれから工面《くめん》にかかる、猶予《ゆうよ》を三日間とっておいた。
 千本通《せんぼんどおり》で暮六《くれむ》ツが鳴る。
 道すがら町と人家の形勢を見て、そのつもりもなく壬生《みぶ》の地蔵の前まで来ました。地蔵へ心ばかりの賽銭《さいせん》を投げ、引返して表へ出ると例の南部屋敷の前。
「誰の邸だろう、大名にすればたしかに十万石以上」
 壬生の村は、もう暗くなる。機《はた》を織る筬《おさ》の音が、この乱世に太平の響きをさせる。知らず知らず綾小路《あやこうじ》を廻って見れば、田圃の中には島原の灯《ひ》が靄《もや》を赤く焼いている。お松はあの中で何を思っているだろうと、七兵衛もそぞろ物の哀れを感ずるのであります。
 七兵衛は、いま壬生の南部屋敷から程遠からぬところの、とある一ぜん飯屋で飲んでいる。
「親方、いい酒だな」
「へえへえ」
「この鰻《うなぎ》は、どこでとれるのかね」
「それは若狭鰻《わかさうなぎ》でございます」
「これも、なかなかうまいね」
「へえ、なるたけいい物を売らんと、御近所が喧《やかま》しゅうございます」
「なるほど、御近所にはだいぶ宏大なお邸があるようだ、お出入りがきついから、品もごまかしが利《き》かないのだね」
「まあ左様なわけでござりまする」
 酒もよいし、鰻もよいから七兵衛も、陶々《とろとろ》とよい気持になって主人と話し込んでゆく。
「お客様はなんでございますかい、お地蔵様へ御参詣《ごさんけい》で」
「左様、今お地蔵様へ参詣して帰りがけさ」
「今年は、どうですか、お地蔵様もこの分では狂言がお流れになりそうで」
「狂言とは何だね」
「ナニその、壬生狂言と申しましてな、近いうち面揃《めんぞろ》えがござりまする。当年は、この通り乱世でございますから、どうなることでございますか」
「なるほど壬生狂言とやら、国でも名前だけは聞いていましたが」
「なかなか風《ふう》が変って、面白いものでございますよ。お客様、永逗留《ながとうりゅう》でございましたら、ぜひ見て行かしませ」
「それは話の種に見物がしておきたいものだ」
「それからな、あの島原という傾城町《けいせいまち》に一年一度の太夫道中がありますで、これがまた、大した見物《みもの》でございます」
「なるほど、なるほど。花魁《おいらん》の道中は、わしも一度、江戸の吉原で見ましたっけ。こちらのは、また変った趣向でもありますかな」
「ナニ、同じようなもので。わしどもは江戸のは錦絵《にしきえ》で見ましたが、あちらの方が何を申しても規模は大きいには大きいことでござりましょうが、道中の本家はやはりこの島原だそうで、見物も夥《おびただ》しいことでござんすわい」
「なるほどな」
 七兵衛はここで時間を少しよけいに費《ついや》したいのだから、わざと気長く構えて、親方と話をしているところへ、
「御免よ」
 小間物《こまもの》の荷を背負った町人風の男が入って来ました。
「爺《とっ》さん、今晩は」
 荷物を手近へ卸して腰をかけた小間物屋は、腰から煙草入を取り出しながら横目で七兵衛をジロリ。
 七兵衛も、この小間物屋をひょいと見る、おたがいに目つきが変だと思います。
「これは福造どの、今日は遅いことじゃな」
 飯屋の親方は、心安そうな口の利き方。
「今日は、南部のお屋敷で品物を取拡《とりひろ》げ、それがため暇《ひま》をとりましたわい」
「はてな、南部のお屋敷へ小間物屋とは、ちとお門《かど》が違いそうじゃがな」
「そのお門違いのところで思いがけない売上げを見たものさ、だから商売は水物《みずもの》だよ」
「なるほど、あのお屋敷へ小間物が売れようとは、誰も思いがけない、浪人衆が小間物とは、坊さんに簪《かんざし》のようなものかねえ」
「あれでお前、表は厳《いか》めしそうなれど、裏からは、祇園、島原あたりから市兵衛駕籠が乗り込むというものさ」
「そうですかな」
 親方は感心したような顔をしながら銚子《ちょうし》を持って来る。
「爺さん、やっぱり、鰻《うなぎ》がいいね」
 小間物屋は、グビリグビリとはじめて、親方との話が途切《とぎ》れると面《かお》を七兵衛の方へ持って来て、
「少し曇ってきたようですね」
「そうですか、晴れていましたがね」
 七兵衛と小間物屋と話のきっかけ[#「きっかけ」に傍点]が出来る。
「降るようなこともなかろうが、いったい京は、江戸よりも天気が変りっぽいようですな」
「そうですかな、わしは京は、初めてでございまして」
「失礼ながら関東はどちらで」
 冒頭《のっけ》に関東と言い出されたので、七兵衛は小間物屋の面を見ながら、
「武州でございます」
「そうでござんしょう、お言葉と言い、御様子と言い、武州もお江戸近く、次第によったら甲州筋……どうでござんすな」
 七兵衛は再び、この男の面を見直します。どうも眼つきが小間物屋にしては強過ぎる、関東の者か上方の者か、そのくらいの区別は誰にもつくが、江戸近く、甲州筋、そこまではちと念がいる。
「よく当りました、八王子でござります。して、わしの生国《しょうごく》まで見抜きなさるお前さんは――」
「わしかね、わしも実は関東さ、常州水戸……ではない土浦生れが流れ流れて、花の都で女子供を相手にこんな商売をしていますよ。失礼、一献《ひとつ》」
 猪口《ちょく》を差出した手を見ると、竹刀《しない》だこ[#「だこ」に傍点]。七兵衛なにげなくそれを受けて、
「これはこれは」

 小間物屋は七兵衛と一献《いっこん》を取交《とりかわ》して出て行ってしまったあとで、七兵衛はようやく飯を食いはじめながら、
「親方、その南部屋敷てえのは、いったい何だね」
「南部屋敷というのは、その壬生のお地蔵様の前にある大きなお邸、いま浪人衆が集まっておいでなさるあれでございます」
「お地蔵様の前……」
「黒い御門があるでございます」
「なるほど」
 七兵衛が目星《めぼし》をつけておいたのはその邸。
「で、その浪人衆というのは」
「近ごろ関東からお上りになりました新撰組と申しまして、つまり、このごろ諸国から上って参る浪人をつかまえる浪人衆でございます」
「浪人をつかまえる浪人?」
「でございますから、肩ひじの、こんなに張った、腕っ節の、こんなに太い、豪傑揃《ごうけつぞろ》いでございます。わしどもも、その浪人衆の御贔屓《ごひいき》を受けているのでございますよ」
「で、その頭《かしら》は何という方ですかね」
「お頭は芹沢様に、近藤様」
「芹沢様に近藤様……お大名ですかね」
「なに、お大名でも旗本でもありません、どちらも浪人衆で」
「お名前は、何とおっしゃる」
「芹沢様の方が鴨」
「鴨ですって? 妙なお名前ですね」
「全く妙なお名前ですよ」
「それでは、近藤様の方はあひる[#「あひる」に傍点]とでも申しますかね」
「冗談《じょうだん》いっちゃいけません、そんなことが浪人衆の耳に入ると、斬られちまいますぜ。近藤様の方は、だいぶ威勢のいいお名前だ、イサミ、勇とおっしゃいます」
「なるほど、イサミ……待て待て……近藤勇――お名前を聞いている。それで何かい、親方、その芹沢様と近藤様と、お二人が頭で、浪人衆がどのくらいおいでなさるかね」
「そうさね、どのくらいと言って、わしらには確《しか》とわかりませんが、ちょっと見たところで七八十人、それにあちらこちらに出張所というものもあるようでござんすから、みんなではなかなかの人数でございましょう」
「お扶持《ふち》はどこから出るんだね」
「会津様から出るのでございます。そのほかにもだいぶ収入《みいり》がおありなさるようで、茶屋や揚屋で、あのお仲間がお使いなさるのは大したもの、景気が素敵《すてき》によいのでございます」
「うむ――そうかね」
 話はここで途切れて、どこかの寺院《てら》の鐘が鳴る。
「はてな」
「四ツでございます」
 七兵衛は飯を食い終って、代を払い、この店を出て壬生村の闇《やみ》に消える。
 七兵衛は、地上を縦に走ると共に、横に走ることもできたという。横に走るとは、塀なり垣根なりを足場として、地上とは身を平行にして或る距離を疾走《しっそう》する。また、逆に天地返しの歩き方というのをやる。天地返しとは、天井へ足をつけて、頭を地上にぶらさげて歩く、壁を直角にかけ上る気合で天井を一歩きして来るものであろう。
 七兵衛は子供の頃から、屋《や》の棟《むね》を歩くのが好きであった。自分の家の屋の棟を歩き終ると、隣りの屋根へ飛び移って、それからそれと宿《しゅく》の土を踏まずに歩いていた。長い竿《さお》で追いかけられる、その竿をくぐり抜けて、木の枝に飛びつき、塀の峰を走る。八方から竿でつきかけて、ついに足を払い得たものもなかったそうです。
 月の宵《よい》、星の夜、真暗《まっくら》な闇の晩、飄々《ひょうひょう》として七兵衛が、この屋の棟遊びをやらかすことがある。秩父颪《ちちぶおろし》の烈しい晩など、サーッと軒を払って散る淅瀝《せきれき》の声が止むと、乾き切った杉の皮がサラサラと鳴る。ト、ト、トと、なずなを刻《きざ》むような音を屋根裏で聞くと、老人は眉をひそめて、
「七公、また悪戯《いたずら》をはじめやがったな」
 七兵衛は、地上の物をとることが上手《じょうず》なように、水の中の物をもよく探ることができた。
 七兵衛が、多摩川の岸の岩の上に立って、水の中を見ながら、それそこには鮎《あゆ》がいる、山魚《やまめ》がいる、かじか[#「かじか」に傍点]がいる、はや[#「はや」に傍点]がいる、おこぜ[#「おこぜ」に傍点]がいる、ぎんぎょ[#「ぎんぎょ」に傍点]がいる。それそっちへ行った、それこっちへ来たと独言《ひとりごと》を言っている。誰が見てもそんなものは一つも見えないのに、熟練な漁師が見てさえも見えないのに、岩の上からおりて来て、手を或る石の下へ入れると、その言った通りの方角で、言った通りの魚を手掴《てづか》みにして来る。
 永年の漁師がいろいろの道具を用い、不漁《しけ》で困っている時でも、七兵衛が行けば、きっと、びく[#「びく」に傍点]をいっぱいにして帰る。七兵衛が魚をとるのではない、魚の方から七兵衛に来るのだと舌を捲《ま》いていたものです。七兵衛自身についてその秘訣《ひけつ》を聞けば、こともなげに笑って、
「みんなの人は、魚を逃げるように追っかけ廻してるだから、捉《つか》まらねえや。俺はこうやって見てえて、魚が向うから来る鼻っぱしを掴《つか》むから逃がしっこなし」
 一夜に四十里五十里を普通に歩いて、檜鉄砲《ひのきでっぽう》(檜張りの笠)を胸に当てて歩いてもそれが下へは落ちなかったということは、土地の人が誰も言う。
 青梅《おうめ》の町の坂下というところに、近い頃まで「七兵衛地蔵」というのがあった、それは七兵衛が盗んで来た金を、夜な夜なそこへ埋めておいた。七兵衛が斬られて後、掘り出された。そのあとへ石のお地蔵様を立てて「七兵衛地蔵」と名づけられる。
 この地蔵は、最初は、足腰《あしこし》の病によく信心が利くと伝えられた、それから勝負事をするものにも信仰された。
 夜、人知れず、この地蔵様のお膝元《ひざもと》を掘って、相当の金を埋めておく、その金が三日たってもとのままであった時は、その月のうちに願い通りの大金が儲《もう》かる、なんぞと言い触らす者があった。けれども埋めた人で、三日たって元の金を見た者がない。それは附近の博徒《ばくと》がそんな流言をしておいて、埋めた金をそっ[#「そっ」に傍点]と掘り出してしまうのだとわかって、金を埋めるものはなくなった。近ごろは町並を改正したために「七兵衛地蔵」もほかへ移されたということです。
 七兵衛の屋敷跡も、いま現に「七兵衛屋敷」と唱《とな》えて青梅の裏宿《うらじゅく》に桑畑になって残っているが、この「七兵衛屋敷」には、さまざまの祟《たた》りがあると言い触らされている。最初にそれを買った人は、手入れをする早々、眩暈《めまい》がするとて引込んで、その晩に頓死した。二度目に安くそれを引受けた人は、ブラブラ病にかかって、三月目ほどで死んでしまった。三度目には怖《おそ》れて近づく人もなく放《ほう》ってあったのを、剛情な男があって、なにを、それは時のめぐり合せだ、物の祟りなんぞは、箱根から東にはねえ、なんぞと言って、無銭《ただ》同様で引受けて、桑を植えた。その男には別に祟りも見えなかった。世間も安心し、当人も自慢でいると、或る年の冬、その畑に手入れをしているとき、桑の枯枝を結《ゆわ》えてあった藁《わら》がプツリと切れて、その枝が眼を撥《は》ねた。家へ帰って来る間に、その眼がつぶれてしまった。
 それから後、七兵衛屋敷はどうなったか知らない。

 壬生《みぶ》の村のその晩はことに静かな晩でした。南部屋敷もさすがに人は寝静まる、勘定方《かんじょうかた》平間重助《ひらまじゅうすけ》は、井上源三郎と碁《ご》を打っているばかり。井上の方が少し強くて、平間は二|目《もく》まで追い落される。二人が碁をはじめると夜明しをするのが定例《きまり》。お互いに天狗を言いながら局面を睨《にら》んでいると、夜中にフイと行燈《あんどん》の火が消えた。
「や、油が尽きたかな、火取虫めのいたずら[#「いたずら」に傍点]か」
 ようやく附木《つけぎ》の火はついた。室には何の変ったこともなく、盤面の石もそのままに。行燈の油が尽きたのでも火取虫が来たのでもないようであったが、碁に夢中な二人は燈火《あかり》の消えた原因などを調べている余裕《よゆう》はなく、再び燈火がつくとそのまま碁を打ちつづける。夜明け方になってこの碁が済むと、井上は帰り平間は寝る。
 南部屋敷を七兵衛が覘《ねら》った晩は、この室で行燈の火が消えたほかにはなんらの異状もなくて済んだが、その翌朝、平間重助は、昨夜碁を打った室に、ものすごい顔をして坐っている。
「平間氏」
 障子を開いて身を現わしたのは、追分の松の下で棒を振った仲裁の人、一ぜん飯屋で七兵衛を不審がらせた小間物屋、まことは山崎譲。
「おお山崎君」
 山崎は前夜の通り、無腰《むこし》のまま地味《じみ》な藍縞《あいじま》の商人|体《てい》で平間の前へ無造作《むぞうさ》に坐り、
「顔の色が悪いようだ」
「うむ、そうか」
「昨夜も、碁で夜明しをやったな」
「うむ」
 平間の意気は沈んでいる。山崎が軽く話しかけるほど口が重くなる。
「どうした、おかしいぞ、今日は」
「山崎君、大変が出来《しゅったい》した」
「大変とは?」
 平間は首を垂れた後、屹《きっ》と山崎の面《かお》を見て、
「山崎君、拙者の頼みを聞いてくれ」
「何だ、改まって」
「一生の頼みじゃ」
「一生の頼み? 真顔《まがお》で言うだけに気味が悪い」
 平間は非常に苦しそうな息をついて、
「俺は腹を切る、友達甲斐《ともだちがい》に介錯《かいしゃく》を頼む」
「ナニ、腹を切る?」
「うむ、腹を切る」
「よし、切るだけのことがあれば切れ、介錯もしてやろう、だがその仔細《しさい》がわからぬ、それを聞いた上で」
「まず、一通り聞いてくれ」
「聞くとも」
「昨夜、井上と碁を打った」
「うむ」
「夜明けまで打って、それから今のさきまで寝た」
「うむ」
「起きて見ると、金がない」
「金が――盗まれたか」
「碁を打つ前にかぞえて納めた小箪笥《こだんす》の中、三百両の不足じゃ」
「怪《け》しからん、詮議《せんぎ》をしたか」
「さあ、その詮議がむつかしい。あれからこの室にいたは拙者と井上、これを騒ぎ出せば井上が承知すまい」
「うむ、もとより井上は盗みをするような男でない」
「で、ほかならぬ新撰組へ盗賊が入ったとあっては、一統の恥」
「そう言えば、そうじゃ」
「そこで、拙者一人が罪を被《き》る」
「うむ」
「島原通いの金に困って、預かりの金を費《つか》い果した、その申しわけに腹を切る――隊中へはそのように披露《ひろう》する」
「なるほど――」
 山崎は深く考え込んでしまった。
「待て、俺に少し考えがある」
 この時に、山崎の頭にポーッと現われたのは、昨夜、一ぜん飯屋で飲み合った関東の者という不思議な旅人。向うでも変だと思ったらしいが、こちらでも解《げ》せないと思って別れた――平間と山崎とは友人で、山崎は、常にさまざまに変装をして、諸国浪士の動静をさぐるに妙を得ている。

         十一

 その翌朝になって、七兵衛はちょっとした羽織を引っかけて草履穿《ぞうりば》きで、小風呂敷を腋《わき》にかかえて、島原へやって来ました。大門《おおもん》を入って、道筋《どうすじ》を左に曲ろうとすると、ふいと向うからやって来て、おたがいに面《かお》を見合せたのは、昨夜、一ぜん飯屋で杯を取交《とりかわ》した小間物屋です。
「気味の悪い奴が来たな」
 七兵衛は、なんとなく気が置けて、面を外《そ》らして通り過ぎ、木津屋の前に立って見ると、つい先の路地にかの小間物屋は、さあらぬ体《てい》でこちらを窺《うかが》っています。
 よって七兵衛は、わざとそこを通り過ごして、揚屋町の方へ曲ろうとすると、件《くだん》の小間物屋がソロソロと引返して、どうやら自分のあとをついて来る様子です。
 七兵衛は、揚屋町をグルリと廻って、また道筋へ出る。と見れば右の小間物屋は、やっぱり後をついて来る。やむを得ず七兵衛は、用もありもしない下《しも》の町《ちょう》へ出て、ぶらりぶらりと軒並《のきなみ》の掛行燈《かけあんどん》などを見て行く、一廻りして中堂寺町へ出て、後ろを見ると小間物屋の姿は見えない。
 占めた、七兵衛は喜んで、三たび道筋へ出ると煙草屋がある。煙草を買って行こうとその店へ面を突っ込んで見ると、そこの店先に腰をかけてプカリプカリ煙草をふかしているのが右の小間物屋です。七兵衛も、いよいよ気味が悪くなった。知らん面で、煙草を買って詰め替えて、店を出ると、右の小間物屋も、ソロソロとあとをつけます。
 これはいけない、出直そう。
 七兵衛は、また大門を引返して、丹波口から東をさして出ると、小間物屋もやって来る。
 七兵衛は尻《しり》を端折《はしょ》った。そうして、すっと、歩き出した。今まで廓《くるわ》の中をブラリブラリと歩いていたのとは足並《あしなみ》が違う。
 小間物屋は、急ぎ足で追いかけた。
 七条通りまでは追いかけたが、そこでふっつり[#「ふっつり」に傍点]見失った。小間物屋は歯噛《はが》みをした。
 引返した小間物屋は、また島原の廓《くるわ》の中へ身を現わします。
 逃がしたのは残念だが、見当《けんとう》のついたのは喜ばしい。
 山崎譲は、何か独《ひと》り合点《がてん》をしながら木津屋の暖簾《のれん》の前へ来てみる。
 ここの御雪太夫と近藤勇との仲は山崎もよく知っている。何か思いついて、
「こんにちは、御免下さいまし」
「あい」
 嬉しそうに駈け出して来て、小間物屋の姿を見て、急に気落ちがしたように、
「何御用」
といったのはお松です。
「小間物屋でございます」
「小間物屋さん? 少しお待ちなさい」
と言って引込んだお松の後ろを山崎は見送っている。

 お松は七兵衛の来るのを待ちに待っているけれども、七兵衛は影を見せない。
 出口の柳まで、日に幾度《いくたび》も出て見た。家の前でする足音は、みな、七兵衛ではないかと思って駈け出して見たけれども、あれも、これも、その人ではなかった。
 今夜寝て起きれば、明日は三日目。明日こそお松は、ここをつれられて帰る約束の日……いろいろと想像してその夜は眠れずに待っている。
 もう丑《うし》の刻《こく》、あんまり行《ゆ》く末《すえ》来《こ》し方《かた》のことが思われて、七兵衛待遠しさに眠れないので、お松は、かねて朋輩衆から聞いた引帯《ひきおび》の禁厭《まじない》のことを思い出した。それは、夜の丑の刻、屋根の上の火の見へ上って、待つ人の家の方に向い平縫の帯を投げかけて、自分はその端を持って、振向かずに火の見を下りて来る、その帯が物へひっかからず無事に自分の部屋まで来ることができれば、その待ち人は、きっと来るに違いないということ。
 お松は、それをやってみようと心を決めて、そっと帯を出して、この部屋を忍んで、二階から火の見へ出てみました。
 空は星が高く、葛野郡《かどのごおり》へ銀河が流れる。一二軒、長夜《ちょうや》の宴を張った揚屋の灯《ひ》も見えるが、そのほかは静かな朱雀野《すざくの》の夜の色。
 火の見に立って、お松はその帯を投げかける何《いず》れかを見廻したけれども、七兵衛の宿というのを聞いておかなかったから、やはり出るにも入るにも大門の方。
 別れてもまた会うという意味の引帯を、お松は朋輩から聞き覚えたように、大門の方に向って投げかけて、
[#ここから2字下げ]
東路《あづまぢ》の道の果てなる常陸帯《ひたちおび》
 かごとばかりも会はむとぞ思ふ
[#ここで字下げ終わり]
 この歌を口の中で唱えて、立っていると、サーッと、風の吹きつけたような物の音。中庭の木立が瓦に擦《す》れて鳴るかと思えば、猿のように屋根へ飛び上った人影。
 お松はハッと身が竦《すく》む。その時、黒い人影は早や自分の前に立って、
「声を立てるな」
「許してください」
「おお、お前は――お松ではないか、お松坊」
「まあ、お前はおじさん」
 待ち焦《こが》るる人はここに来た、けれどもあんまり突飛《とっぴ》です。夜の丑の刻に屋根伝いにここへ来るとは、お松の眼には、これも夢以上。
「よい所で会った。お松、お前に会おうと思って忍んで来たのだ」
「おじさん、今頃、どうしてこんなところへ」
「事情《わけ》を話せば長くなる、なにしろ、わしが身は急に忙《せわ》しくなった」
「忙しいとは?」
「わしは人に追っかけられてる、怖《こわ》い人がわしをつけ覘《ねら》っている、それでお前のところへも来られなかった、お前をつれて帰ることもできない、しばらくこのまま辛抱してくれ」
「おじさん、それでは、わたしを置いてどこぞへ」
「そうだ、これから直ぐに旅に出にゃならねえ。お前をつれると、お前のために悪いから、当分このままで辛抱してくれ」
「まあ、どうしたものでしょう、おじさん何か悪いことをなすったの」
「いや、あとでわかる、こうしている間も危ないのだ。そんならお松、ずいぶん身体を大事にしてな」
「わたしはどうしたらよいでしょう」
「ナニ、心配するな。親方にも太夫さんにもよろしく……だが、わしが来たとは決して誰にも言うではないぞ、お役人のようなのが来ても黙っていなさい。あの身受けの金は、持っているが今は出せない……」
 通りで夜番の音がする。
「お松、よいか。ナニ、近いうちきっと来る」
 こう言って、七兵衛は屋根と屋根とを蝗《いなご》のように飛び越えて行ってしまいました。

         十二

 はじめて廓《くるわ》の大門を潜《くぐ》ってみた兵馬の眼には、見る物、聞く物、みな異様の感じです。井村、溝部らは、揚々と行くにひきかえて、兵馬は、一足進むごとに息がつまりそうに思う。ついには堪《こら》えられなくなって引返そうとしたが、我慢《がまん》して、そのあとをついて行くと角屋《すみや》へ入る。
「壬生じゃ、壬生から来た」
「ようお越しやす」
 仲居は、直ぐに迎えに出たが、いい顔をしなかった。
 井村、溝部は刀を提げたまま、横柄《おうへい》に座敷へ通る。揚屋へは刀禁制であるが、壬生といえば刀のまま上る。井村は、大胡坐《おおあぐら》をかいて、酒を命じ、芸子《げいこ》と太夫《たゆう》を呼びにやる。
 命を奉じて仲居は出て行ったけれども、暫く姿を見せず、実は蔭でおぞけ[#「おぞけ」に傍点]を振い、なるべくこの連中の座へは遠のいているわけです。
 井村と溝部とは、盛んに呑む。兵馬は少し離れて、二人の様子を見ながら坐っていると、よその座敷で頻《しき》りに三味や歌の声、時々、調子はずれの詩吟が交《まじ》る。
 この時、井村はわざとらしく眉をひそめて、
「喧《やかま》しい国侍《くにざむらい》ども、殺風景《さっぷうけい》な歌ばかり歌いおるわ……そもそも、島原の投節《なげぶし》、新町のまがき節、江戸の継節《つぎぶし》、これを三都の三名物という。今時《いまどき》は投節を面白く歌うて聞かせる芸子もなければ、それを聞いて欣《よろこ》ぶ客もない。あんなガサツな流行唄《はやりうた》や、突拍子《とっぴょうし》もない詩吟で、廓の風情《ふぜい》も台なし、いよいよ世は末じゃて」
 井村は柄《がら》にもない慷慨《こうがい》をして、ハハと笑い、
「さあ、これから拙者が、投節くずしというのを歌うて聞かせる――まあ、宇津木、そう固くならずに一杯飲め」
 盃を兵馬の前につきつけた時、兵馬は、その盃を受けて井村の方に向き直り、
「井村、実は君に聞きたいことがある」
「何だ、改まって」
「貴殿の手に傷がある、その傷はどこで受けた、それが聞きたい」
「ナニ、この傷?」
 盃を出す手先を、ずっと見られてしまったから、もう隠しても遅い。
「これは、ちょっとした怪我。稽古槍を受け損じた」
「それはいつわりだ」
 兵馬は、一膝つめよせる。
「いつわりとは何だ」
 井村は眼に角立てて、刀をそろそろ引き寄せる。
「稽古槍の怪我ではあるまい、真剣の創《きず》であろう!」
「なに! 真剣の創?」
「そうだ、井村、貴様は四条通りの菱屋《ひしや》という商人を知っているはずじゃ」
「菱屋? それがどうした」
 井村が刀をつかんで気色《けしき》ばむので、溝部もそれに加勢をするつもりで刀を取り上げて眼の色を変える。
 兵馬も刀を取って床柱の方へ少しさがって、
「その菱屋へ、いつぞや三人の盗賊が入ったことがある、それについて君に聞きたいのだ、そう気色ばむな、穏かに話そうではないか」
「そんなことは知らん、俺は菱屋とやらの番頭でもなければ、盗賊の目付《めつけ》でもないぞ」
「誰も、君が菱屋の番頭だとも、盗賊の目付だとも言いはせん、ただその盗賊の身許《みもと》を君に尋ねてみたまでじゃ」
「盗賊の身許を俺に?」
「そうだ、君が知らんというならば、その創に聞いてみたい、稽古槍の怪我か、真剣の創か、その創口に物を言わせてみれば、わかるはずである」
「怪《け》しからんことを言う、余の儀とは違うぞ、盗賊呼ばわりは聞き捨てならんぞ」
 井村は真赤《まっか》になって刀の柄《つか》に手をかけると、兵馬はそれを制し、
「井村、抜く気か、それはよせ、君が抜けば拙者も抜く、溝部も抜き合わせるであろう、どのみち、どちらか怪我をする、ここの家を騒がせ、客人を驚かすに過ぎない、無益なことじゃ。まあ、刀は下に置け、そうして穏かに話そう」
「黙れ黙れ、盗賊呼ばわりをされては、俺は承知しても、刀が承知せん」
 彼は溝部に眼くばせをする。兵馬は島田虎之助|仕込《じこ》みの腕である。隊の中で試合をしても、井村や溝部では歯が立たぬ。で、抜き合わせようとするのも半ば行きがかりの虚勢。兵馬は、つめ寄せた二人を見つめながら、
「そう喧嘩腰《けんかごし》で出られては困る、君に覚えがなければ、何と言われても腹の立つことはないではないか。拙者も君の言うたことにつき合うて用もないこの座敷へわざわざ出て来たのだから、君も拙者の問いに答えてもらいたい、相見互《あいみたが》いじゃ」
「粕理窟《かすりくつ》を言う場合でないぞ、二言《にごん》と盗賊呼ばわりをなさば、それこそ容赦《ようしゃ》はない。そのほかに聞きたいとは何だ」
「うむ、右の菱屋の――待て、盗賊の件ではない、菱屋太兵衛の女房お梅と申すものの行方《ゆくえ》を、もしや君が知ってはおらんか」
「菱屋の女房がどうしたと?」
「行方知れずになった」
「それが、どうした」
「その行方を、もし君が知っておらんかと――」
「何を知るものか」
 井村は、※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》いで振り捨てるように首を振る。
「主人の太兵衛が申すには、取調べの筋があって南部屋敷へ二度まで呼ばれて、二度目から今以て帰らんと言う、不思議ではないか」
「それがどうしたというのだ、それをなんで拙者に問いただす廉《かど》がある」
 井村は擬勢《ぎせい》を張って、兵馬の問いをいちいち刎《は》ね返そうとしているらしいが、不安の念は言葉づかいの乱れゆくのでわかるのです。
「なら、君は、そのことについて一切知らんのか」
「無論じゃ」
「そう君が強情《ごうじょう》を張るならば、こっちにも覚悟があるぞ」
「覚悟とは何だ」
「君のその手の傷に物を言わせる」
「ナニ!」
「その傷を発《あば》いたら口があくはずじゃ、それがいやならば、ただ一言《ひとこと》、太兵衛女房の在所《ありか》を知らせてくれ、それだけでよい」
「知らんというに」
「あくまで強情を張るか」
「腕にかけてもだ」
「しからば、拙者は貴様を斬るぞ」
 兵馬は刀を引き寄せる、井村、溝部は抜こうとする。
「溝部君」
 兵馬は、溝部の方を見て、
「君は新参だから、このことには関係がない、そこに黙って見ているがよい。しかし、強《し》いて加勢をするつもりならば、拙者は、真先に君を斬るがどうだ」
 兵馬は凜《りん》として溝部に宣告を下す。溝部はその後、井村の紹介で入ったのだから、菱屋の一件には何の関係もない、そうして兵馬の剣道には怖れをなしている。行きがかり上、井村に加勢をしようとしてみたが、むざむざ命を投げ出すはあまりに張合いのない心地がする。
「うむ……」
 煮《に》え切らない含み声で、気を折られた様子が見える。
「よし、君はそこにいて、拙者と井村との勝負を見届けておいてくれ給え」
 こう言われて、溝部はいよいよ行詰まったらしく、中立とも言わず、加勢とも言わず、柄《つか》にかけた手の扱いに困った様子でしたが、
「いや、御両所、まあまあ待ち給え」
 急に変って留め役と出かけ、
「どちらにしても同志打ちはよくない、拙者に任せ給え。井村、君何か知っておるなら、宇津木君に言ってしまい給え」
「知らんというに」
 井村は、この時、そこにあった盃洗《はいせん》を取るより早く、兵馬をめがけて投げつけたのが、盃洗は床柱に当ってガッチと砕ける、水は飛んで室内に雨をふらす。そうしておいて井村は、刀を抜きかけて来るかと思うと一散《いっさん》に逃げ出してしまいました。

 兵馬は、井村を取逃がし、組みついた溝部を抛《ほう》り出して、ひとり角屋を出て来た。その道々思うよう、
「自分は、新撰組を出よう。もとより自分の目的は、新撰組に加盟することではなかった、ただ、兄の仇を討たんがため、近藤、土方ら先輩の力を頼《たよ》りに、ついついその組の一人とはなったが、どうも久しく足を留むべきところではないようだ」

         十三

「与八ではないか」
「これは方丈様」
「このごろ、面《かお》を見せないからどうしたかと思った」
「このごろは仕事が忙《せわ》しいもんだから、つい御無沙汰をしました」
「ちと、やって来い、この間お前に運んでもらった石をコツコツやっているよ」
「お地蔵様をお彫《ほ》りなさると言ったあの石かい」
「そうだ、そうだ」
「方丈様、お前は絵もかけば字も書く、彫物《ほりもの》なんぞもなさるだね」
「ああ、何でもやるよ、畑つくりでも米搗《こめつ》きでも一人前は楽にやるよ」
「感心なものだね」
「生意気なことを言うな。それはそうと与八、遊びに来い、檀家《だんか》から貰った牡丹餅《ぼたもち》や饅頭《まんじゅう》がウンとあって本尊様と俺とではとても食いきれねえ、お前に好きなほど食わしてやる」
「本当かい」
「嘘を言うものか、米の飯も食いたければ食わしてやる」
「済みましねえ、それじゃ、よばれに行くことにすべえ」
「江戸の土産話《みやげばなし》でも聞かせてくれ」
「それから方丈様、いつか教えてもらった地蔵様の歌、あのつづきを教えておくんなさいまし」
「和讃《わさん》かい、あれも教えてやるよ、どこまで覚えたか忘れやしまいね」
「忘れるものか、十にも足らぬみどり[#「みどり」に傍点]子が、というところまでだ」
「そうか、お前の覚え込みの悪いのには閉口だが、覚え込むと忘れないだけが感心だ」
 海蔵寺の東妙《とうみょう》という坊さんは、気の軽い、仕事のまめな方丈様で、与八とは大の仲よしです。
「与八、弾正殿の三年忌になるで、早いものだなあ」
「そうだなあ、大先生《おおせんせい》が死んでから、もう三年も経《た》つかなあ」
「わしも、碁敵《ごがたき》が一人減って淋しいや、しかしまあ仕方がねえ。時に、あの倅殿《せがれどの》にも困ったものだて」
「若先生か」
「竜之助め、今どこにいることだか」
と言って話をするうちに寺へ着く。

 東妙和尚は、広い庭の真中に植えられた大きな枝垂桜《しだれざくら》の下の日当りのよいところに筵《むしろ》を敷いてその上で、石の地蔵をコツコツと刻《きざ》みはじめる。
 郁太郎《いくたろう》を背負《おぶ》ったなりで与八は和尚の傍へ坐り込んで、
「出来たな、やあ、相好《そうごう》のいい地蔵様だ」
「これから錫杖《しゃくじょう》の頭と、六大《ろくだい》の環《かん》を刻めば、あとは開眼《かいげん》じゃ」
「方丈様、どこへこの地蔵様をお立てなさるだね」
「うむ、これを立てるところか。それはな、ちっとばかり風《ふう》の変ったところへ立てるつもりだよ」
「どこだえ、この寺のお庭かえ、この桜の下あたりがいいな」
「いや、こんなところじゃない、わしは、ずっと前から思いついていたのじゃ、ほれ、大菩薩峠の天辺《てっぺん》へ持って行って立てるつもりだ」
「大菩薩峠の天辺へ……」
「名からしてふさ[#「ふさ」に傍点]わしいと言うものじゃ、地蔵菩薩大菩薩、なんとよい思いつきだろう」
「そりゃ方丈様、いい思いつきだ」
「賛成かな。それで与八、出来上ってからここで開眼供養《かいげんくよう》というのをやって、それから大菩薩峠の頂へ安置《あんち》する」
「なるほど」
 与八はしきりに感心をして、
「その時は、方丈様、俺がこのお地蔵様を峠の天辺まで背負《しょ》って行ってやるべえ」
「そいつは面白い、この石も、お前に担《かつ》いで来てもらったのだから、御尊体も、お前に持って行ってもらうことにしよう」
「有難え、有難え、そうすると、俺も功徳《くどく》になる」
「結構結構、南無延命地蔵大菩薩《なむえんめいじぞうだいぼさつ》、おん、かかか、びさんまえい、そわか――」
「方丈様」
「何だ」
「あの地蔵様の歌のつづきを教えてもらいてえ」
「和讃か」
「西院河原地蔵和讃《さいのかわらじぞうわさん》、空也上人御作《くうやしょうにんおんさく》とはじめて――
[#ここから2字下げ]
これはこの世のことならず、
死出《しで》の山路《やまぢ》の裾野《すその》なる、
さいの河原の物語、
聞くにつけても哀れなり、
二つや三つや四つ五つ、
十にも足らぬみどり子が、
[#ここで字下げ終わり]
 ここまで覚えたからその次を」
「よしよし、わしが唱《とな》えるから、あとをつけろや」
 東妙和尚は石鑿《いしのみ》を地蔵の御衣のひだ[#「ひだ」に傍点]に入れて直しながら、
[#ここから2字下げ]
さいの河原に集まりて、
父こひし、母こひし、
こひし、こひしと泣く声は、
[#ここで字下げ終わり]
 与八はあとをつづけて、
[#ここから2字下げ]
さいの河原に集まりて、
父こひし、母こひし、
こひし、こひしと泣く声は、
[#ここで字下げ終わり]
 和尚は先へ進んで、
[#ここから2字下げ]
この世の声とはことかはり、
悲しさ骨身《ほねみ》を透《とほ》すなり、
[#ここで字下げ終わり]
「方丈様、なんだか悲しくなっちまった」
 与八の眼には涙がいっぱいです。
「有難い地蔵様のお慈悲じゃ、涙もこぼれようわい。我々|凡夫《ぼんぷ》の涙は、蜆貝《しじみがい》に入れた水ほどのものじゃ、地蔵様の大慈大悲は大海の水よりも、まだまだ広大。それ我々凡夫は、ちょっとしたことにも悲しいの、嬉しいの、すぐ安っぽい涙じゃが、この無仏世界の衆生《しゅじょう》の罪障《つみ》をごらんになる大菩薩の御涙というものは、どのくらいのものか測《はか》り知れたものでない。南無延命地蔵大菩薩、おん、かかか、びさんまえい、そわか」
「そういえば、そうだなあ。俺《わし》らは一人の子供の身の上でも心配すると泣き切れねえことがある、お地蔵様がこの世間をごらんになったら、さぞ辛《つら》いことだんべえ」
「そうだ、そうだ、それから次を唱えて聞かすぞ――」
[#ここから2字下げ]
かのみどり子の所作《しょさ》として、
河原の石を取り集め、
これにて回向《ゑかう》の塔を組む、
一|重《ぢゅう》、組んでは父のため、
二重、組んでは母のため、
三重、組んでは古里《ふるさと》の、
兄弟わが身と回向して、
昼はひとりで遊べども、
日も入相《いりあひ》のその頃は、
地獄の鬼が現はれて、
やれ汝等は何をする、
娑婆《しゃば》に残りし父母は、
追善作善《ついぜんさぜん》のつとめなく、
ただ明け暮れの嘆きには、
むごや悲しや不憫《ふびん》やと、
親のなげきは汝等が、
苦患《くげん》を受くる種となる、
われを恨むることなかれと、
くろがねの棒をさしのべて、
積みたる塔を押しくづす、
[#ここで字下げ終わり]
「どうじゃ与八、怖ろしいことではないか。頑是《がんぜ》ない子供がやっと積み上げた小石の塔を、鉄の棒を持った鬼が出て来て、みんな突きくずすのじゃ。なあ、これを他人事《ひとごと》と思ってはいけないぞ、追善作善のつとめというをせぬ者には、みんな鬼が出て来るじゃ、何をしてもみな成り立たないで、みんなくずれ出すのじゃ。よいか、他人事と思ってはいけないぞ」
「あに他人事と思うべえ、いちいち腹の底まで沁《し》み込むだ、有難え、有難え」
「さあ、その次だ――
[#ここから2字下げ]
その時、能化《のうげ》の地蔵尊、
ゆるぎ出でさせ給ひつつ、
汝等いのち短くて、
冥途《めいど》の旅に来《きた》るなり、
娑婆と冥途は程遠し、
われを冥途の父母と、
思うて明暮《あけく》れ頼めよと、
幼き者を御ころもの、
もすその中にかき入れて、
哀れみ給ふぞ有難き、
いまだ歩まぬみどり子を、
錫杖の柄にとりつかせ、
忍辱慈悲《にんにくじひ》のみはだへに、
抱きかかへ撫でさすり、
哀れみ給ふぞ有難き――
[#ここで字下げ終わり]
 南無延命地蔵大菩薩、おん、かかか、びさんまえい、そわか」
「郁坊、よく聞いておけ――他人事《ひとごと》では無《ね》え」
 与八はホロホロと涙をこぼして、背の郁太郎を揺り上げる。

         十四

 今日は島原の角屋で大懇親会。
 それは新撰組と大阪の大相撲とが大喧嘩《おおげんか》をしたその仲直り。
 小野川秀五郎の口の利き方がよかったので、喧嘩の仲直りができた上に、新撰組が相撲の贔屓《ひいき》となり、その力で、近々|壬生寺《みぶでら》に花々しい興行を催すという。
 近藤勇と芹沢鴨とが正座にいるところへ、小野川秀五郎は盃をもらいに出かけて気焔《きえん》を吐いている。
 この時、小野川はもういい年であったが、気負《きお》いの面白い男でよく飲む。
「小野川、貴様も大分いけるようだが、年をとったな」
 近藤勇が言う。
「どう致して、相撲に年をとるというはごわせぬ」
「負惜しみを申すな、争われぬは額《ひたい》の皺《しわ》と鬢《びん》の白髪《しらが》。どうだ、一番おれと腕押しをやろうか」
「いやはや、近藤先生、剣にかけたら先生が無敵、力ずくではこの秀五郎が前に子供でがす」
 小野川はこう言いながら、前にあった小皿をとってバリバリと噛《か》み砕《くだ》き、
「歯の力だけが、こんなもんじゃ」
「愉快愉快、も一つ飲め」
 近藤勇は、小野川の老いて稚気《ちき》ある振舞《ふるまい》を喜んで話していると、芹沢は、さっきから席を周旋して廻るお松の姿に眼をつけて、
「いま銚子《ちょうし》を持って立った、あの可愛い女、あれはどこの子だ。ナニ、木津屋の養女だと。そうか、ゆくゆくは太夫にでもなるか。拙者が贔屓《ひいき》してやるからここへ来いと言え」
 お松は今日の忙しさに加勢に頼まれて来ていたのを、
「お松さん、あの正面の怖《こわ》い面《かお》したお客様が、お前に御用だと申しておりますが」
 囁《ささや》かれて、お松は、
「ただいま参りまする」
 この時、歌うもの踊るもの、相撲を相手に腕相撲をするもの、芸子《げいこ》へかじりついて騒がすもの。
「おい、庭で一丁《いっちょう》」
 新撰組の沖田|総司《そうじ》は、力自慢が嵩《こう》じて相撲を一人ひっぱり出し、庭へ下りて四股《しこ》を踏む。
「沖田川、しっかり!」
 席は混乱して、みな縁先へ集まる。
 芹沢鴨は、それには眼もくれず、
「お前は美《よ》い女《こ》じゃ、ここへ坐れ」
 目を細くして、前へ来たお松の面を見る。
「御免あそばせ」
 お松は盃をいただいて下に置くと、
「わしは芹沢じゃ、たびたびここへ遊びに来るが、お前の姿を見るは初めてだ、名は何と申す」
「松と申します」
「年はいくつだ」
「当ててごらんあそばせ」
「十六から八までの間、違いなかろう」
「そんなことでございましょう」
「生れはどこじゃ」
「西国でござります」
「西国は」
「巡礼の札所《ふだしょ》でございます」
「なに?」
 お松も人に慣れて、このごろではあまり物に怖《お》じなくなった。そこへ、
「芹沢先生、お流れを頂戴致しとうござんす」
 罷《まか》り出たのは小野川秀五郎。
「やあ、小野川か、それ」
 盃を抛《ほう》ってやった。
「時に芹沢先生」
 小野川は芹沢の前へ膝をすすめて、
「承われば先生には水戸の御出生。水戸と聞いて、この秀五郎もお懐《なつか》しゅうござんすわい」
「貴様も水戸生れか」
「生れは違いますが、畏《おそ》れながら烈公様に、一方ならぬ御贔屓《ごひいき》を受けておりまするからに、水戸と承われば、どうやら御主筋《おしゅすじ》のような気が致しまするで」
「なるほど、貴様は烈公の御機嫌伺いに出かけるそうな、ちっとは儲《もう》かるか」
「儲かると言わんすのは……」
 小野川はムッとする。
「うむ、水戸はいったい吝《けち》なところじゃ、家中《かちゅう》を廻り歩いてもトンと祝儀《しゅうぎ》が出まい」
「芹沢先生、ちっと話が違います」
「違うとは何だ」
「世間には左様な真似《まね》をして歩くものがないとは限らん、わしは、それが嫌《きら》いじゃ」
「そうか、貴様は嫌いか」
「水戸様からいただいたお盃には、お手ずから草体《そうたい》で『水』と書いてござんすのじゃ」
「それがどうした」
「それが、秀五郎忠義の看板でござります」
「うむ、豪《えら》い奴だな、貴様は」
 芹沢は皮肉な言葉で、意地悪く小野川をひやかそうとする。このたびの喧嘩の落ちは近藤に取られて、それからメッキリ芹沢の人望が落ちた。それが癪《しゃく》にさわって芹沢は、今宵《こよい》も小野川に突っかかってみる、小野川も虫がいず無言で白《しら》けていた時、
「小野川、ちとこっちへ来い」
 二三枚離れていた土方歳三が小野川を呼びかける。

 お松は、座敷の人混《ひとご》みに上気して、ひとり誰もいない室へ来て、ホッと息をついて、熱《ほて》る頬を押えています。と、次の間で人のささやく声、
「よいか」
「うむ」
 念を押した声と、頷《うなず》いた声。
「近藤の馴染《なじみ》という女は誰だ」
 誰とも知れぬ人の声。
「御雪《みゆき》、木津屋の御雪というのだ」
「ナニ、木津屋の御雪……」
 お松は、聞くともなしに耳に入った名は自分の姉分になる御雪太夫のことですから、思わず身が固くなる。しかもその話の主《ぬし》の一人は、さいぜん自分を呼びつけた芹沢鴨のようです。
「それから、吉田氏」
というのは、やっぱり芹沢鴨に相違ない。お松は次の間の私々話《ひそひそばなし》をいやでも立聞きしなければ済まないことになったので、息を殺していると芹沢は、
「いよいよ近藤を片づけたら、次には君に引出物《ひきでもの》がある」
「引出物とは何だ」
「兵馬の首だ、宇津木兵馬の首を拙者が手で取ってやる」
「兵馬――なんの」
 芹沢でない一人は、冷やかに言い切った。
「君は兵馬を小倅《こせがれ》と侮《あなど》っているが、なかなかそうでないぞ、あれほどに腕の立つ奴は、新撰組にも幾人とない」
「…………」
「始終、君をつけ覘《ねら》っている、兵馬一人ある以上は、君の身は危ない」
「今、どこにいる」
「つい、この近いところにいる」
 広間の方で哄《どっ》と喊声《かんせい》が起る。ここで二人の私話《ささやき》は紛《まぎ》れて聞えなかったが、暫くして、
「よし、やがて合図をする、相手が相手だからずいぶん抜からず」
 芹沢はこう言って席を立とうとするらしい。
「念には及ばぬ」
 やがて、刀を提げる音、サワサワと鳴る袴《はかま》の音。
 一旦立ち上った芹沢は、
「今いう御雪というのは、素敵な美人じゃ、近藤を片づけたら、君に取持とう、君も女房が死んで淋しかろうからな」
 怖ろしい人々である。どうやら近藤勇を殺し、兵馬を殺し、近藤の思い者、御雪太夫を横取りする……お松はこの上もない恐ろしい相談を聞いてしまった。
 幸か不幸か、芹沢はお松が潜《ひそ》んでいた方の襖《ふすま》を颯《さっ》とあける。
「誰だ、そこにいるのは!」
「はい、私でござります」
 お松は逃げ場を失ってしまった。
「何をしている」
「あの、つい気分が悪いので、ここで息を休めておりました」
 芹沢は、近寄って、
「お松ではないか」
「はい」
「うむ」
 芹沢は思案して、跪《ひざまず》いているお松の手をとって、
「拙者と一緒に来い」
「まだ、あの、お座敷の方に用事がありますから」
「用事があってもよい、一緒に来い」
 お松は、手をとられて、羽掻締《はがいじ》めのような形。芹沢は左の手に刀、右の小脇に軽々とお松を抱えて、
「聞いたな」
「いえ、なんにも」
「聞いてもよいわ、お前ならば聞かれても大事ない」
「どうぞ、御免あそばして」
「怖いことはない」
 誰であったか、隣にいた人はこの場合にも口を一つ挿《はさ》まなかった。
 芹沢は、も一つ次の間へお松をつれて来て、
「お松、拙者は、お前を贔屓《ひいき》にする」
「有難う存じます」
「お前は木津屋の娘分だと言うたな」
「はい、左様でございます」
「俺のところへ遊びに来い。お前は幾つというたかな」
「あれ、どうぞお放し下さい。お座敷へ出ませぬと叱られまする」
「叱られたら、この芹沢が謝罪《あやま》ってやる。どうも熱い、酒のせいで頬が熱い」
 芹沢は、わざとお松の面《かお》に近く酒にほて[#「ほて」に傍点]った頬を突き出して、
「いつ、太夫のひろめ[#「ひろめ」に傍点]をする、その時は一肌《ひとはだ》ぬいでやるぞ」
「有難うございます、お座敷へ出ませぬと……」
「いや、よろしい」
「いけませぬ、どうぞ、お放し下さい」
「わからぬ奴じゃ、拙者が承知と申すに」
「御冗談《ごじょうだん》をなさいますな」
「冗談ではない」
「お放し下さい」
 お松は、もう一生懸命です。力を極めて芹沢を突き飛ばしてみたところで知れたもの、芹沢の腕は、大蛇《おろち》が兎を締めたようなもの。
「あ、助けて下さい」
 お松は絶え入るばかり叫ぶ。芹沢はちょっと手をゆるめ、
「これ騒ぐな、何も怖いことはないではないか。泣くのか。何も泣くことはなかろう、明日の日、太夫の位を張ろうとするほどのお前ではないか」
「芹沢様とやら、お前は、新撰組の隊長でありながら、わたしのような弱いものを苛《いじ》めてどうなさいます、どうぞお許し下さいませ」
 お松は哀れみを訴えて虎口をのがれようと試みる。
「なんの、お前をいじめるものか、贔屓《ひいき》にしようというのじゃ、な、これから新撰組の隊長が、お前の後楯《うしろだて》になろうというのではないか」
「芹沢氏、何をしておる」
 この時はじめて、室|一重《ひとえ》にいた誰とも知らぬ一人が声をかけた。
「うむ、いや、取調べている」
 芹沢が、お松を見つけて苛《いじ》めつけているのを、さいぜんから見もし聞きもしていながら、今になってただ一語《ひとこと》、
「何をしておる」
 咎《とが》めた声は怖ろしく沈んだ男の声。芹沢も多少きまりが悪く、
「取調べている」
とごまかして、それでもお松を放そうとはしない。
「取調べが済んだら、早う御処分をなさい、大事の前の小事から謀《はかりごと》が破れるわ」
「それもそうじゃ」
 芹沢はしぶしぶと身を起し、
「とは言え、この女、油断がならぬ」
「お斬り捨てなさい」
 こともなげに隣室《となり》から走る一語、お松の骨を刺す冷たさがある。
「斬り捨てるほどの代物《しろもの》でもない」
「然らば拙者が預かろう、貴殿は早く同志を沙汰《さた》して、ずいぶん抜かりのないように。なんにしても相手が相手だ」
「では、この女、しばし君に預ける」
「いかにも、預かり申す」
「大事に扱え、これはソノ、御雪が妹分じゃ、無茶なことをしてはならんぞ」
「ともかくも拙者が、よきように預かる」
「そうか」
 芹沢は残り惜しそうな面《かお》をして、お松を隣室に抛《ほう》り込んで、自分はこの場を外《はず》して行く。
「これ女」
 お松を預かった人は沈んだ声。
「はい」
「おまえは誰かに頼まれて、この隣室《となり》へ来たか」
「いいえ、誰にも頼まれたのではござんせぬ、席の騒がしいのに上気して、気を休めようと思いまして」
「何はしかれ、我々が密談の席へ近寄ったが不運じゃ、わしが赦《ゆる》すまで、ここにおれ」
「はい、決して一言《ひとこと》も、あなた様のお話を伺ったわけではありませぬ故、どうぞお赦し下さいませ」
「いかん、もしお前が声を立てたり、逃げ出そうとしたりすれば、不憫《ふびん》ながらお前を斬る。拙者がこの席を動くまでじっとしておれば、無事にゆるしてやる」
「はい」
 この、お松を預かった人というのは、机竜之助です。お松のためにも兵馬のためにも仇《かたき》たる机竜之助が、芹沢鴨一派の頼みで、これから近藤勇一派を暗殺しようと、その合図が整うて、ここに来合わせたもの。机竜之助は、薄暗い行燈《あんどん》の火影《ほかげ》を斜めに蒼白《あおじろ》い面《おもて》に浴びて、小肴《こざかな》を前にチビリチビリと酒を飲んでいます。
 お松を前に置いて、縛るでもなければ嚇《おど》すでもなく、さりとて冗談《じょうだん》を一つ言うでもなく、竜之助はチビリチビリと酒を飲んでいる。時々酒の手を休めては、眼をつぶってじっと物を考え込む。
「うーむ」
 考え込むと、深い吐息《といき》で、手に持つ猪口《ちょく》がフラフラと傾いて酒がこぼれそうになる。気がついてグッと呑んで、余滴《よてき》をたらたらと水の上に落して、それを見るともなく見つめて無言。
「動けば斬る」
 このものすごい武士の唱えた呪文《じゅもん》で、お松は金縛《かなしば》りにされてしまった。酌《しゃく》をしろとも言わず、また一杯ついで静かに口のところへ持って行き、唇へ当てようとしたが、急に思い返したように猪口を下に置いて、
「うーむ」
と吐息。
 右の手をあげて、頭を押えてうつむく。しばらくして、また屹《きっ》と頭を上げて、猪口をとり、お松の方をボンヤリと見た。
「お前は木津屋の娘じゃそうな」
「はい」
 竜之助は一口飲むと急に咳《せき》をして酒を吐き出し、あわてて猪口を置いて、懐紙《かいし》で四方《あたり》を拭き廻す。
「あの、お武家様」
 お松は一生懸命で口を切る。
「何だ」
「何も存じませぬのでございますから、どうか、お赦《ゆる》しあそばして」
「いかん」
「主人も心配しておりましょうし、何も知らないのでございますから」
 竜之助は、軽く首を左右に振りて答えず。
 さしも騒がしかった今宵の宴会も、存外早く片がついて、その大半は帰った様子。広間の方ではまだ相当の人声であるが、その半分の、人なき間毎《まごと》の寂しさは急に増した。
 お松は、急になんだか身の毛が立つように覚えた。というのは、さいぜん芹沢につかまってからの怖ろしさと、黙って酒を飲んでいるこの怪しい武士の前にいる怖ろしさとは、怖ろしさが違う。
「この人は幽霊ではあるまいか」
とさえ思われたくらいで、席が静かになるにつれて行燈《あんどん》が薄暗くなる、その影で吐息をつきながら、一口飲んでは置き、唇まで持って行っては止め、首を垂れてみては、また屹《きっ》と刎《は》ね返し、座の一隅に向って眼を据《す》えるかと思えば、トロリとしてお松の面を見る。
 その怖ろしさは、総身《そうみ》に水をかけられるようで、ゾクゾクしてたまらないくらいです。
「そ、そこへ来たのは誰だ」
 竜之助は、お松の坐っている後ろの方へ眼をつけて突然こう言い出した。
「え、誰も……どなたも来ておいではございませぬ」
 お松は、身を捻《ね》じむけて、後ろを顧みながら答える。
「そうか、それでよい」
 竜之助はぐったりと首を垂れて、
「うーむ」
という吐息。
「あれ、幽霊が――」
 お松は何に驚いたか――
「ナニ、幽霊?」
 竜之助は勃然《ぼつねん》と、垂れた首を上げる。
「ああ、怖かった、今ここへ――」
「ナニ、今ここへ何が来た」
「女の姿が――」
「女の姿が?」
 竜之助は、左の手を差置いた刀にかけて、室の中を見廻す。切れの長い目は颯《さっ》と冴え返る。
 お松は知らず知らず竜之助の膝に身を寄せていた。
「ハハハ」
 竜之助の笑って打消す声は、かえってものすさまじさを加える。
「なにをばかげた」
 お松は、竜之助の傍を離れ得ない。竜之助の傍を離れられないくらいに怖ろしいものを見た。
「あの、お武家様、昔からこの部屋には幽霊が出るように申し伝えてありまする」
「この部屋に幽霊が?」
 改めて竜之助がこの部屋を見廻すと、「御簾《みす》の間《ま》」であった。
「昔、九重《ここのえ》という全盛の太夫さんが、ここで自害をなされました」
「ふーむ」
「その太夫さんは、やんごとなきお方の落《おと》し胤《だね》、何の仔細《しさい》があってか、わたしはよく存じませねど、お身なりを平素《ふだん》よりはいっそう華美《はで》やかにお作りなされ、香を焚《た》いて歌をお書きになって、懐剣でここを……」
 お松は、自分で自分の咽喉《のど》を指さして戦慄する。
「ふーむ、そんな由緒《いわれ》のある部屋か」
「でございますから、怖ろしゅうございます」
「怖ろしいことはない」
 竜之助は、また首垂《うなだ》れて酒を飲み出す。怖ろしさから傍へ寄ったお松の化粧《けしょう》の香りが紛《ぷん》としてその酒の中に散る。竜之助は我知らず面を上げると、ややあちら向きになっていたお松の、首筋から頬へかけて肉附よく真白なのに、血の色と紅《べに》の色とが通《かよ》って、それに髪の毛がほつれて軽く揺《ゆら》いでいる。
 自分の膝には、お松の手が置かれてある――竜之助はそれを見る。涸《か》れ果てた泉に甘露《かんろ》が湧く。竜之助も前にはお浜をこうして見て、心を戦《おのの》かしたこともあった。
「おお怖い」
 お松は、はじめて自分の所在を知った、その身はあまりに近く、その手が竜之助の膝の上にまであったのに気がついて、きまりが悪い――あわてて身を縮めた時に、竜之助が燃えるような眼をして、自分を見据えていたのでかっ[#「かっ」に傍点]としました。
「お前はいくつになる」
「いいえ」
 お松は、つかぬ返事をする。
「静かになったな」
「あれ、また何か!」
 お松は、床の間の方を見る。
「ナニ!」
 竜之助は猪口《ちょく》を取落した。
 お松がいま言うた九重の亡魂《なきたま》でなければ、竜之助の身の中から湧いて出る悪気《あっき》。
 この「御簾の間」は、時としてどこからともなく風が吹いて来る。
 その風がしゅうしゅうとして梁《はり》を渡り、或るところまで来てハタと止まると、いかにも悲しい歔欷《すすりなき》の声が続く。
 誰も、そんなものを聞いたものもないくせに、そんな噂をする者はある、ホントにそれを聞いた人は、命を取られるのだという。お松は今それを聞いた――と自分ではそう信じてしまったらしいのです。
 竜之助は手が戦《おのの》いて猪口を取落した。
 その取落した猪口を拾い取ると、何と思ったか、力を極めて、それを室の巽《たつみ》の柱の方向をめがけて発止《はっし》と投げつける。猪口はガッチと砕けて夜の嵐に鳴滝《なるたき》のしぶきが散るようです。
 と見れば、竜之助の眼の色が変っている。
 竜之助の眼の色は、真珠を水に沈めたような色です。水が澄む時は冴《さ》える、水が濁る時は曇る。冴える時も曇る時も共に沈んだ光があった。今はその光が浮いて来た。
 猪口の砕けて飛んだ室の中を、ここと目当のなく見廻した時の眼は、かの音無しの構えにとって意地悪く相手を見据えた時のような落書きがなく、不安と、そうして散漫とがようやく行き渡る。
「うむ――」
 額を押えて力なく折れた。
「どうかなさいましたか」
「頭が痛い」
「それは困りました」
「眼が廻る」
「お薬を差上げましょう」
 お松はふいと立った。
「いや、それには及ばん」
「それでは、お冷水《ひや》を」
「何も要《い》らん」
 竜之助は額を押えて薬も水も謝絶《ことわ》る。しかしながらよほどの苦しみには、うつむいた面《かお》が下るばかりです。
 お松は、この時ふいと気がついた、逃げるならこの間《ま》である――
「待て!」
 うつむいた面がバネのように上ると、竜之助は刀を取っていた。
「逃げるか!」
「いいえ」
「そこへ坐れ」
 その眼で睨められた凄《すご》さ。この人の身の廻りには、魔物のように物を引く力がある。夢で怖《こわ》いものに追われたように、逃げようとすれば足がすくむ。
「うーむ」
 竜之助は、また額を押えて唸《うな》る、そのうなり声を聞くと地獄の底へ引き込まれそうです。
「ああ――」
 竜之助は、そろそろと面を上げて、
「これこれ女」
 思いのほか静かな声で、
「妙な気持になった、お前に少し聞いてもらいたいことがあるがな」
「何でございましょう」
「いや、拙者も国を出てから長いことになるが、思い出せば子供が一人ある」
 なんという話頭《はなし》の変り方であろう。しかしその言葉には、なんとも言われぬ痛々しさがあります。
「お子様がおありなさる……」
「郁太郎と名をつけて男の児じゃ」
「はい」
「もし縁があって、お前がその男の児にめぐり会うような折もあらば、剣術をやるなと父が遺言《ゆいごん》した、こう申し伝えてもらいたい」
「そのお子様に、あなた様が御遺言……」
「そうだ、生前の遺言じゃ。拙者の家は代々剣術の家であったが、もう剣術をやめろと言ってもらいたいのじゃ」
「それは、どういうわけでござんしょう」
「別にわけはない」
 この不思議な人の言うこともすることも、いちいち、この世の人ではないようです。
「承知致しました。そのお子様は、お母さんと御一緒に今お国においでなさるのでございますか」
「いや、そうでない、母という奴、拙者には女房じゃ、それはいない」
「お母さんも、おなくなりなさいましたので?」
「うむ――俺が殺した」
「まあ、あなた様が手にかけて!」
「手にかけて殺した」
「なんという惨《むご》いこと……」
「芝の増上寺の松原で、松の樹へ縛っておいて、この刀で胸を突き透《とお》した」
 武蔵太郎を取り上げた机竜之助は、やにわに立ち上って、眼が吊り上る。
「あれ――危ない」
 立ち上った竜之助は、よろよろと足がよろめくのを踏み締めて、颯《さっ》と刀の鞘《さや》を外《はず》した。
「誰か来て下さい!」
 お松は、この時、はじめて絶叫することができた。
「騒ぐな!」
 武蔵太郎は閃々《せんせん》として、秋の水を潜る魚鱗《ぎょりん》のようにひらめく。
「あれ危ない、誰か来て下さい」
「騒ぐな!」
 竜之助は、刀を横より斜めに振って、切先が襖《ふすま》へ触れると、ハラリハラリ御簾《みす》の形はくずれる。
「お武家様が気が狂いなされた!」
 竜之助が、真に人を斬るつもりで刀を抜いたのならば、最初の一閃《いっせん》でお松の命はないはずであります――逃げ廻るお松の身に刃は触れないで、あらぬ方《かた》を見廻しつつ振りまわす切先は、襖、畳、柱のきらいなく当り散らして竜之助の足もとはよろよろ――まさしく気が狂ったものに違いない。
「やあ!」
 薄《うす》ボンヤリと光っていた罪のない行燈《あんどん》は、真向《まっこう》から斬りつけられ、燈火はメラメラと紙を嘗《な》める。竜之助は、行燈が倒れて、火皿の燈心が紙に燃えうつるのを見て、立ち止まって笑う。
 お松は、この間に逃げ出した。多くの人はお松の叫び声でバラバラとここへかけつける。
 竜之助は、襖にうつろうとする火の色を見て笑っています。

         十五

 その晩、芹沢鴨は早く宴会の席を出て壬生の屋敷に帰り、愛妾《あいしょう》のお梅を呼び寄せる。お梅というのは、さきごろ町家の女房を強奪して来たそれです。
 芹沢と一緒に帰ったのは、その腹心平間重助と平山五郎。
 芹沢が早く席を切り上げて帰ったのも珍らしいが、今宵は非常に機嫌がよくて、お梅を相手に飲み直していると、平間重助はその馴染《なじみ》なる輪違《わちがい》の糸里という遊女、平山五郎は桔梗屋《ききょうや》の小栄というのをつれ込んで、この三組の男女は、誰憚らぬ酒興中、芹沢は得意げに言うことには、
「いよいよ拙者の天下である、明日になって見ろ、わかることがある」
 こう言って、芹沢はお梅に酌をさせて頻《しき》りに飲んだ。
 芹沢はお梅を抱いて快く眠った。屏風《びょうぶ》を立て廻して同じ広間の中へ、平間と糸里、平山と小栄の二組も、床を展《の》べさせて夢に入る。芹沢が欣々《きんきん》としていたのは近藤を謀《はか》り得たと思ったからです。今宵の宴会の終りに近藤勇は、その馴染なる木津屋の御雪を呼ぶか、御雪のところへ行くか、然らずば晩《おそ》くこの屋敷へ帰る。その隙《すき》を見て多勢で暗討《やみう》ち。人の手配《てくばり》に抜かりなく、ことにその手利《てき》きの一人として机竜之助を頼んでおいた。明日になれば、首のない近藤勇の死骸を、島原|界隈《かいわい》で見つけることができる。そして新撰組の実権を自分の一手に握る、これを根拠としてやがて一国一城の望みを遂げようという。
 ところが、それよりズット前に、近藤勇は土方歳三と沖田総司と藤堂平助とをつれて、駕籠にも何にも乗らずコッソリ裏の方からこの屋敷へ帰って来て、いるかいないかわからないくらいの静かさでおのおの近藤の居間に集まっていたのを芹沢らはちっとも知らなかった。芹沢らがいよいよ寝込んでしまったと見定めた時に、近藤勇だけは平服、土方と沖田と藤堂の三人は用意の黒装束《くろしょうぞく》。
 三人は長い刀を抜きつれて、芹沢らが寝ている間へ向って行く、近藤勇はそのあとから、刀を提げて凄い目を光らせながらついて行く。
 寝ていた襖をあけたけれども知らない、酔ったまぎれに夜具を撥《は》ねのけ女も男もだらし[#「だらし」に傍点]ない寝すがた。土方はツカツカと進んでその寝すがたを調べてみた。
「ふむ、これが平山、女は小栄だな」
「平間に糸里か、不憫《ふびん》ながらこれも相伴《しょうばん》。さて大将は」
 やや高い声で言ったけれども、まだ覚めはしない。屏風《びょうぶ》の中をのぞいて見ると、お梅は寝衣の肌もあらわに、芹沢は鼾《いびき》が高い。
 土方はニッと笑って、次の間の入口に立っていた近藤勇に合図する。この時、小栄と寝ていた平山五郎がふいと眼をさます。
 眼をさまして、さすがに平山もその様子の変なのに驚いた。枕を上げようとする途端を藤堂平助がただ一太刀。
 平山の首は宙天《ちゅうてん》に飛んで、一緒に寝ていた小栄の面《かお》に血が颯《さっ》とかかる。小栄は夢を破られてキャーと叫ぶ。
 この時早く、芹沢とお梅との寝ていたところの屏風は諸《もろ》に押し倒されて、三人の黒装束はそれにのしかかると見れば、屏風の上から蜂の巣のように、続けざまに下なる芹沢めがけて柄《つか》も拳《こぶし》も通れ通れと突き立てる。
「わーッ、何者だ、無礼者め!」
 芹沢鴨は絶叫しつつ、片手を枕元の刀にかけながら屏風を刎《は》ね返そうとする。
「助けて下さい――」
 お梅は苦叫悶叫《くきょうもんきょう》。
 快楽《けらく》の夢を結んだ床は血の地獄と変る。芹沢は股、腕、腹に数カ所の深傷《ふかで》を負うたがそれでも屈しなかった。力を極めてとうとう屏風を刎ね返して枕元の刀を抜いて立った。
 芹沢といえども剽悍無比《ひょうかんむひ》なる新撰組の頭《かしら》とまで立てられた男である、まして手負猪《ておいじし》の荒れ方である。敵は誰ともわからぬが、相手はそんなに多数ではない。土方、沖田、藤堂の三人をめがけて切り込む太刀の烈しいこと、それをまた三人が飛鳥の如く、前に飛び後ろにすさって突き立て斬り立てるめざましさ、ことに土方歳三は小兵《こひょう》であって、その働き自在。
 小栄は飛び起きて厠《かわや》の中へ逃げ込む。平間重助と糸里は最初、夜具の上から一刀ずつ刺されたけれども幸いに身に当らず、この室を逃げ出した。近藤勇は、それを見たけれど、見のがす。
「おお、汝《おの》れは土方だな」
 重傷の中から、芹沢鴨は黒装束の一人を土方歳三と認める。大方その軽妙な身の働き、刀の使いぶりが、彼の眼に見て取れたからであろう。
「うむ、いかにも土方だ」
「卑怯《ひきょう》な! なぜ尋常に来ぬ、暗討ちとは卑怯な」
「黙れ黙れ、これが貴様の当然受くべき運命だ!」
 勢い込んだ一太刀が、芹沢の右の肩。
「むー」
 これは今までの傷のなかでいちばん深かった。芹沢はついに刀を持つに堪えなくなった。
「エイ!」
 左から来た沖田総司の一刀は、横に額から鼻の上まで撫《な》でる。
「おう――」
 芹沢は※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と倒れた、土方歳三は直ぐにそれにのしかかる。
「残念!」
 芹沢は土方に刃《やいば》を咽喉《のど》にあてがわれた時に叫ぶ。
「土方待て」
 近藤勇は進んで来て、
「芹沢、拙者《おれ》がわかるか、拙者は近藤じゃ、恨《うら》むならこの近藤を恨め!」
「おのれ近藤勇!」
 恨みの一言《ひとこと》を名残《なご》り、土方歳三はズプリと、芹沢の咽喉を刺し透《とお》してしまった。
「これ、お梅」
 藤堂平助は慄《ふる》えていたお梅の襟髪《えりがみ》を取って、
「よく見ておけ、これが見納めだ、貴様の可愛ゆい殿御《とのご》の最期《さいご》のざまはこれだ」
「どうぞお免《ゆる》し下さい」
「しかし美《い》い女だな」
「芹沢が迷うだけのものはある」
 藤堂と沖田とは面《かお》を見合せて、土方と近藤との方に眼を向ける。助けようか殺そうかとの懸念《けねん》。近藤勇は首を縦に振らなかった。
 沖田は女の弱腰《よわごし》を丁《ちょう》と蹴《け》る。
「あれ――」
 振りかぶった刀の下に、お梅は肩先から乳の下にかけてザックと一太刀、虚空《こくう》を掴んで仰《の》けぞると息は脆《もろ》くも絶えた。
 芹沢の屍骸《しがい》の上には、夜眼《よめ》にも白くお梅の身《からだ》が共に冷たくなって折り重なっている。
 近藤勇をはじめ四人は、そのままにしておいてこの場を引上げた。

 滑稽《こっけい》なことはその翌日、壬生寺《みぶでら》で、昨夜殺された芹沢鴨の葬式があったが、その施主《せしゅ》が近藤勇であったこと。勇は平気な面をして、自分が先に立って焼香もすれば人の悼辞《くやみ》も受ける。
 会津侯へは、昨夜盗賊が入って、そのために芹沢が殺されたと届けた。これも滑稽な話で、新撰組の屯所《とんしょ》へ入る盗賊があると思うのも、あったと届けるのも、共に虫のよい骨頂《こっちょう》であるが、表面はそれで通った。
 新撰組の内訌《ないこう》もこれで片がついて、芹沢の子分は二三人、姿をくらました者もあった。勘定方の平間重助なども逃げてしまったが、大体は大した変りなく、その全権は近藤勇の手に帰《き》して、土方歳三はその副将となる。近藤勇が京の地を震《ふる》わすのはこれから。

         十六

 夜明《よあ》け烏《がらす》の声と暁の風とで、ふと気がついた机竜之助は、自分の身が、とある小川の流れに近く、篠藪《ささやぶ》の中に横たわっていることを知った。それでも刀だけは手から離さず、着物は破れ裂けて、土足には突傷かすり傷。
「ああ」
 起き返ろうとしたが節々《ふしぶし》が痛い、じっとしていれば昏々《こんこん》として眠くなる、小川の縁《ふち》へのた[#「のた」に傍点]って行って水を一口飲んで、やっと気が定まる。
 どうして、こんなところへ。ああ、あれからあれ、あれまでは確かであった。あれから刀を抜いて……さてあの小女《こおんな》はどうした。間毎間毎を荒《あば》れ廻って、そうして庭へ下りた、大勢に囲まれた、幾人か切ったに相違ない、血もついている、それから鉄砲という声が聞えたようだ、それを聞くと庭の大きな松の樹にかけ上った、飛び下りたのは内か外か、それから闇を駈けて駈け廻った――竜之助は今や正気に復して、昨夜来のことを朧《おぼ》ろに辿《たど》って行ってみると、さあ、芹沢との約束だ!
 遅い、遅い、もう夜明けだ、芹沢との合図はまるで滅茶滅茶。
「やむを得ん、是非がない」
 竜之助は呟《つぶや》いた。ともかくも夜の明けぬうちに何とかせねば――幸い、ここは人目に遠いところではあるけれど、このなり[#「なり」に傍点]ではどこへも行けない。
 向うから人が来るようだ。
 この篠藪《ささやぶ》の裏は堤《どて》、それを伝うて人の草履《ぞうり》の音が聞える。
 竜之助は、その人を待っている。
 その人は提灯を持っていたけれども、夜明け間近の空で灯《ひ》は入れていなかった。
「もし」
 竜之助は篠藪をかき分けて、のたり出ながら言葉をかける。
「はい」
 通る人の声は慄《ふる》える。
「突然ながら……」
「はい……はい」
 立ち止まった人は股《また》をふるわす。
「道に迷うた者でござるが」
 竜之助の姿を見た通りがかりの人はベタリ地面へ坐ってしまい、
「はい、どうぞ命ばかりはお助けを願いまする」
 空提灯《からぢょうちん》を投げ出した。
「いや、拙者は悪者ではない」
「ど、どうぞ、お助け、倅《せがれ》が急病でお医者様へ参るのでござります」
「これ、思い違いを致すな」
「持ち合せは、これだけ、これを差上げまする、命ばかりは、命ばかりは」
 縞《しま》の財布を懐ろから出して、竜之助の前に置くや、後ろへ躄《いざ》るように退《さが》ると、土手から田圃《たんぼ》へ転げ落ちる、転げ落ちると共に田圃中を一目散《いちもくさん》に逃げ出した。
「思い違いをしたと見える、粗忽《そそっ》かしい奴だ」
 竜之助は苦笑いをして、そこに投げ出されてあった財布に眼がとまる。彼は、やや躊躇《ちゅうちょ》して、それを拾い上げる、銭の重味はザックリとして手答えがある。
 竜之助も今まで善いことばかりはしていない。しかし人の金銭《もの》に手をかけたのはこれが初めです。

 河内《かわち》の方から脱《ぬ》けて来た机竜之助、トボトボとして大和国《やまとのくに》八木の宿《しゅく》へ入ろうとして、疲れた足を休める。
 大和は古蹟と名所の国。行手を見れば、多武《とう》の峰《みね》、初瀬山《はつせやま》。歴史にも、風流にも、思い出の多い山々が屏風のように囲んでいる。竜之助はいま突いて来た竹の杖を道端に立てて歩みを止めたが――彼の姿を見れば大分変っている。
 川勝《かわかつ》の寺の堤《どて》で、賊と見誤られて財布を投げ出して行かれた、心にもなくそれに手をかけてみると、人を嚇《おど》すことの容易《たやす》いのに呆《あき》れる。竜之助は、ついついそこに待ち構えて、も一人、通行の人を嚇して着物を剥《は》ぎ取った、いま身に纏《まと》うている縞《しま》の袷《あわせ》がそれです。
 差しているのはただ一本の刀。
 笠をかぶって、右の風体《ふうてい》で大和路を歩いて行く。誰が見ても渡り者の長脇差、そのくらいにしか見えない。
 かの財布の中の金は、ここへ来るまでに大方尽きた。
 人の命を取ることと、人の財布を盗《と》ることといずれが重い――人を斬ることをなんとも思わぬ竜之助が、人の金銭をとったことに苦悶《くもん》するは何故《なぜ》であろう。わけのわからない話であるが、竜之助は、このことを苦にする。
 大和国八木の宿。
 東は桜井より初瀬にいたる街道、南は岡寺、高取、吉野等への道すじ、西は高田より竹の内、当麻《たいま》への街道、北は田原本《たわらもと》より奈良|郡山《こおりやま》へ、四方十字の要路で、町の真中に札の辻がある。
 竜之助は西から来て、この札の辻の前へ立った――この札の辻の傍《かたわら》には大きな井戸があって、四方《あたり》には宿屋が軒を並べている。さしも客を争う宿引《やどひき》も、ナゼか竜之助の姿を見てはあまり呼び留めようともしない、これはまだ日脚《ひあし》の高いせいばかりではあるまい。竜之助は仰いで高札《こうさつ》を見る。
[#ここから1字下げ]
  「檄《げき》
此回《このたび》外夷御親征のため、不日南都へ行幸の上御軍議あるべきにつき、その節御召に応じて忠義を励むべき……」
[#ここで字下げ終わり]
 これが書出しで、本文は大分長い。竜之助は読み下してみると、それは御親征について忠勇の士を募集するという檄文《げきぶん》で、誰が出したともわからないが、ただ「天忠組」とのみ署名してあります。竜之助はそれを読むには読んだが腹がすいています。当時の志士の血を湧かした尊王とか攘夷とかいうことはあまり竜之助には響かない。この時は、また例の事を好む壮士どもが、悪戯《いたずら》をしたとぐらいに考えて、それよりは腹の減ったことが、著《いちじる》しくこたえてきます。
 どこぞで飯を食おう。しかし懐中《ふところ》が甚だ淋しい――立派な飯屋へは入れない。何か食わねばならん。町を少し行くと饅頭屋。黒崎というところから出た名代《なだい》の女夫饅頭《めおとまんじゅう》、「黒崎といへども白き肌と肌、合せて味《うま》い女夫まんぢゆう」と狂歌が看板に書いて出してある、この店へ入って行った竜之助。
 蒸籠《せいろう》を下ろして、蒸したてのホヤホヤと煙の立つのを、餓《う》えた腹で見た竜之助は、飛びついて頬ばりたいほどに思う。ああ、さもしい! 自分ながら抑《おさ》えていたのは束《つか》の間《ま》、黒い盆の上に山と盛って出された時、夢中でその盆を平げてまた一盆。渋茶の茶碗を下に置いて、
「亭主、いくらになる」
「へえ、有難うござります、百と五十いただきます」
 百五十と言われて竜之助はハタと当惑する、懐ろへ手を入れてはみたが実は百二十文しかない。
「亭主、まことに相済まんが」
 竜之助は財布を逆《さか》さにして、
「持ち合せが、これだけしかない、百二十文――」
「何でございますと」
 饅頭屋の亭主は、少しく眼の色を変える。
 竜之助が、もう少し如才《じょさい》なく詫《わ》びをしたら、或いはそれで負けてもらえたかも知れぬ、またこの店の亭主が、もう少し情けを知った人ならば、それで我慢《がまん》したかも知れぬ、しかしながら、竜之助は誰に向ってもするように、ない袖は振れぬ、ないものは払えぬというのが不貞《ふて》くされのようにも取れば取れるので、勘定高い亭主が承知しない。
「なんと言っても、ないものはないのだ」
 竜之助は、ツンと言い切る。この場になっても竜之助には、これ以上のことは言えない。頭をたたいて哀求《あいきゅう》するなどということは、どうしたってできないのです。
「よろしゅうございます、左様ならば出る所へお出なさい」
 亭主は襷《たすき》をはずして、どこへか行こうとする。
「待て、主人、どこへ行く」
 竜之助は呼び止めると、
「このごろは諸国の浪人や無頼漢《ならずもの》が入り込んで、商売人泣かせを働いて困るじゃ、見せしめのため、お代官へ行き申す」
「待ってくれ」
 竜之助はこの時、腰に差していた刀を鞘のまま抜き取って、亭主の前に置き、
「では此刀《これ》を取ってくれ」
「この刀を?」
「うむ、僅か三十文の銭のために縄目《なわめ》の恥にかかるのはいやじゃ、この一腰《ひとこし》を抵当《かた》にとってくれ」
「へえ、左様でございますか」
 三十文の抵当に刀一本。たとえどんな鈍刀《なまくら》にしろ引合わぬということはない。亭主の機嫌が少し直り、
「どうも、町人には不似合いなものでございますが、では、一時それをお預かり申しておきましょう」
 竜之助は、その刀をそこに置いて、財布も小銭も置き放し、笠一つを持って、ふいとこの店を出てしまいます。
「いやどうも、このごろは悪い奴が近辺へ入り込むので。なに、わずか三十文のところを手厳《てきび》しく言うでもないが、いくら饅頭屋《まんじゅうや》だからというて、甘くばかり見せておられぬわい」
 この店を出た机竜之助、田原本の街道を取って北へと歩いて行く。竜之助が最初の目的ならば、東をめざすが順であろうに。

         十七

 ところへ、田原本の方から早足に歩いてくる旅人。それは裏宿の七兵衛であったが、摺《す》れちがって竜之助の方で、それと気のつかなかったのは無理もないが、七兵衛の方で竜之助に気のつかなかったのは、竜之助が小荷駄《こにだ》の馬の蔭に見えがくれであったのと、一つには無腰《むこし》であったから、刀を差して歩く人のみをめざした七兵衛の眼を外《はず》れたものと見えます。
 八木の宿へ入った七兵衛が、何心なく寄り込んだは偶然にもかの女夫餅《めおともち》。
「御免よ」
「はい、おいでなさいまし」
 七兵衛が腰をかけたのは、竜之助が置いて行った刀の直ぐ近い所でした。
「ここに怖《おっ》かないものがある」
 七兵衛は饅頭を食いながら、さきほど竜之助が置いて行った刀を少し横の方に避けると、亭主は、
「お客様、その刀をお買いなすって下さいませぬか」
「わしに買えと言わしゃるか」
「へえ、たった今、食い逃げの抵当《かた》に取った代物《しろもの》でござります」
「なるほど」
 七兵衛は、手をのばして刀をこっちへ引き寄せる。七兵衛もちょっとした刀の鑑定《めきき》ぐらいはできる男であったから、
「拝見してもよいかな」
「へえ、御遠慮なく」
「なるほど」
 七兵衛はこの刀を抜いて、しばらく眺めていましたが、
「はてな」
 首を捻《ひね》って、
「親方、目釘《めくぎ》を外してもいいかね」
「どうか、よくお調べなすって」
 七兵衛は目釘を外して、柄《つか》を取払い、その切ってある銘《めい》を調べて見ると、
「武蔵太郎安国――待てよ、こいつはおかしいぞ」
 七兵衛は思う、備前物や相州物の類《たぐい》であらば、この辺を通る人でも差して歩くに不思議はないが、あまり知られていない武蔵太郎あたりを、この辺で差して歩く人があったとは思いがけない。
「親方、この刀を差していた人というのは、どんな風《なり》をした人だったかね」
「左様でございます、破落戸《ならずもの》か、賭博打《ばくちうち》のような人体《にんてい》でもあり、口の利き方はお武家でございました、大方、浪人の食詰め者でございましょう」
 七兵衛は、さっきから思い当ることがあるから、刀を見つめながら主人に問う、
「年の頃は?」
「左様、三十四五」
「面《かお》つきは?」
「月代《さかやき》が生えて、色が蒼白くて、眼が長く切れて」
「それだ!」
 七兵衛は、その人を尋ねんとしてこれまで来たのです。
「その人はどっちへ行った」
「さあ、ちとばかり前、あちらの方へ、田原本の方へ行きました」
「田原本へ――」
 七兵衛は忙《せわ》しく懐中へ手を入れて、
「親方、いくらになる」
「お客様、その刀もお買い下さいますか」
「買おう、売ってもらいましょう」
「饅頭の方が八十文いただきます、刀はちと価《ね》が張ります」
「いくらで売る」
「はい、五両、ちとお高うございますが、仕込みが安くございませんから、へえ」
 七兵衛は、黙って五両と一分をそこへ抛《ほう》り出して、その刀を抱《かか》えてこの店を飛び出しました。

 長谷寺《はせでら》の一の鳥居。机竜之助はそこへ立ち止まって、
「これこれ、巡礼衆」
「はい、私どもに御用でございますか」
「ちと、物をたずねたいが、あの長谷の観音の籠堂《こもりどう》と申すのは、誰が行っても差支えないか」
「ええええ、差支えのある段ではございませぬ、人の世で見放されたものをも、お拾いなさるのが観音様の御利益《ごりやく》でござります」
「左様か、忝《かたじ》けない」
 僻《ひが》んで取れば、この巡礼の返答ぶりも癪《しゃく》にさわる。おれの今日《こんにち》の運命は自ら求めたもので、おれは落魄《おちぶ》れても気儘《きまま》の道を歩いているのだ、まだ神仏におすがり申して後生《ごしょう》願うような心は起さぬ。竜之助の心には、充分の我慢が根を張っているけれども、差向き今の身に宿を貸してくれるところは、神社仏閣の廂《ひさし》の下のほかにはありそうもない。それで、いま通りかかる巡礼に長谷の観音の籠堂を聞いてみたのであります。
 夕暮の色は、奥の院から下りて来る。黒崎、出雲《いずも》村の方は夕煙が霞のようになって、宿に迷う初瀬詣《はつせまい》りの笠が、水の中の海月《くらげ》のように浮動する。聞かでただあらましものを今日の日も、初瀬の寺の入相《いりあい》の鐘は、今し九十九間の階廊《かいろう》を下りて、竜之助の身にも哀れを囁《ささや》く。
 わが子を縁から蹴落《けおと》し出家入道を遂《と》げた西行法師《さいぎょうほうし》が、旧愛の妻にめぐり会ったという長谷寺の籠堂《こもりどう》。竜之助はともかくもここで夜を明かそうとして、その南の柱の下に来ました。



底本:「大菩薩峠1」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年12月4日第1刷発行
   1996(平成8)年3月10日第5刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年5月10日公開
2004年3月6日修正
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