青空文庫アーカイブ

かめれおん日記
中島敦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)背後《うしろ》から

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)菓子箱|樣《やう》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「虫+尤」、第3水準1-91-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぐる/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#地から5字上げ]蟲有※[#「虫+尤」、第3水準1-91-52]者。一身兩口、爭相※[#「齒+乞」、第4水準2-94-76]也。遂相食、因自殺。
[#地から5字上げ]――韓非子――
[#改ページ]

          一

 博物教室から職員室へ引揚げて來る時、途中の廊下で背後《うしろ》から「先生」と呼びとめられた。
 振返ると、生徒の一人――顏は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟には浮かんで來ない――が私の前に來て、何かよく聞きとれないことを言ひながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱|樣《やう》のものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴のやうな妙な形のものが載《の》つてゐる。
「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢやないか。生きてるの?」
 思ひ掛けないものの出現に面喰つて、私が矢繼早やに聞くと、生徒は「ええ」と頷いて、顏を赭らめながら説明した。親戚の船員のものがカイロか何處かで貰つて來たのだが、珍しいものだから學校へ持つて行つてはと云ふので、博物の教師である私の所へ持つて來たのだといふ。
「ほう、そりや、どうも」有難うとも言はないで、私は其の箱を受取り、龍に似た小さな怪物を眺めた。蜥蜴よりもずつと立體的な感じで、頭が大きく、尾が長く捲き、寒さで元氣が無いらしいが、それでも、眞蒼な前肢で、しかつめらしく綿を踏《ふん》まへてゐる。
 生徒は私にカメレオンを渡して了ふと、それ以上私の前に立つてゐるのを羞しがるやうに、ぴよこんと頭を下げてから行つて了つた。
 職員室へ持つて行つてから、始めて、飼育の困難に氣がついた。學校には温室がない。取敢へず火鉢の側の鉢植の朴の木の枝にとまらせた。はじめはジツと動かなかつたが、その中《うち》に、傍の火の温かみで元氣が出たと見え、少しづつ動き出した。眼窩はかなり大きいのだが、眼玉が外を覗く孔《あな》は極めて小さく、その小さな孔をぐる/\方々に向けて※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]しながら、その奧から見慣れぬ風景を探つてゐるらしい。朴の枝から葉の方へと匍ひ出しては身體の重みで滑りさうになり、葉の縁を趾指《あしゆび》で掴んで支へようとするが、到頭落ちてしまふ。何度も鉢の土だの床だのの上に落ちた。落ちる度に、自分の失策を嘲笑《わら》はれて腹を立てた子供のやうに眞劍な顏付で起上つて、(背中に立つてゐる裝飾風なギザ/\が、もの/\しい眞面目な外觀を與へてゐる)めくらめつぽふ[#「めくらめつぽふ」に傍点]に歩き出す。
 職員達はみんな珍しがつて見にやつて來た。大抵は、何ですかと不思議さうに訊ねる。國漢の老教師は、どう勘違ひしたか、「それは何でも花柳病の藥になるやつ[#「やつ」に傍点]でせうがな。蔭干《かげぼし》にして、煎じてな」などと言ひ出した。
 誰かが何處からか蠅をつかまへて來て、片翅をもいでから掌にのせて前に出した。カメレオンの口からサツとうす朱色の肉の棒が繰出された。舌の先端に蠅がくつつくと同時に、もう口は閉ぢられてゐる。
 結局この生物《いきもの》をどう扱はうかと、他の博物の教師達と相談する。どうせ長くは生きないだらうが、カナリヤの箱のやうなものでも作つて、なるべく暖い所へ置いて、この儘學校で飼つて見よう。餌は、生徒等に季節外れの蠅でも探して持つて來させれば、どうにかなるだらう、といふことになる。併し、とにかく其の簡單な設備が出來る迄は、夜の寒さと、猫などに襲はれる心配のために、私が預かつてアパアトで養ふことにした。

 其の夜、私は部屋の小型ストーヴに何時もより多量の石炭を入れた。此の間死んだ鸚鵡の丸籠を下して、その中に綿を敷き、そこへカメレオンを入れた。水を飮むものかどうか知らないが、兎に角、鳥の水入も中に置いてやつた。
 滑稽なことに、私は少からず悦ばされ、興奮させられてゐた。寒さなどのためにやがては死なせねばなるまいとの考へだけが私を暗くした。どうせ永く持たないのなら、學校で飼はないで、自分の處へ置き度いと思つた。動物園へ寄贈すれば、とも思つたが、何かしら手離すのが惜しい。まるで私個人が貰つたものであるかのやうに、私は感じてゐるのであつた。
 久しく私の中に眠つてゐたエグゾティスムが、この珍奇な小動物の思ひがけない出現と共に、再び目覺めて來た。曾て小笠原に遊んだ時の海の色。熱帶樹の厚い葉の艶。油ぎつた眩しい空。原色的な鮮麗な色彩と、燃上る光と熱。珍奇な異國的なものへの若々しい感興が急に溌剌と動き出した。外《そと》はみぞれ[#「みぞれ」に傍点]もよひの空だといふのに、私は久しぶりで胸の膨れる思ひであつた。
 ストーヴの近くに籠を置き、室の隅にあつたゴムの木と谷渡りの鉢をその傍に竝べた。私は籠の入口をあけておいた。どうせ部屋から出る心配はなし、時には木にとまり度くもならうかと思つたからである。

          二

 朝起きて見ると、カメレオンはゴムの木などには止らずに、机の下に滑り落ちた書物の上に乘つて、小さな眼孔から此方を見てゐた。思つたより元氣らしい。もつとも昨夕はかなり部屋を暖めたので、乾きすぎたせゐ[#「せゐ」に傍点]か、私の方が少々咽喉を痛めた。カメレオンの乘つてゐた書物はショペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ。
 勤めの無い日なのだが、カメレオンのことで午後學校へ行く。昨晩考へたやうに、設備が無いのなら學校へ置いても同じことだから、私の處で飼はせて貰はうと思つたのである。まさか學校でも一匹のカメレオンの爲に温室を拵へてはくれまい。
 學校へ行つて其の許可を求めると、校長はじめ他の職員達はもう殆ど昨日のことを忘れてゐたかのやうな口吻だつた。「あゝ、あの昨日の蟲ですか!」といふ。私一人が、此の小爬蟲類の出現に狂喜してゐただけだつたのだ。
 生徒達の所へ行つて、昨日頼んでおいた蠅を貰ふ。思ひの外、蠅は生殘つてゐるものだ。マッチ箱に一杯集まつた。之で二三日分の餌には足りるだらう。
 蠅を持つて歸らうとしてゐると、後から國語の教師の吉田が追ひかけて來て、丁度自分も歸るからとて一緒に歩き出す。何か話し度くてたまらぬことがあるらしい。M・ベエカリイに寄つて茶を飮みながら一時間程話す。
 私とほゞ同年だが、全く此の男程精力絶倫で思ひ切り實用向きで、恥も外聞もなく物質的で、懷疑、羞恥、「てれる[#「てれる」に傍点]」などといふ氣持と縁の遠い人間を私は知らない。疲れる事を知らぬ働き手。有能な事務家。方法論の大家。(本質論など惡魔に喰はれてしまへ!)常に勇氣凜々たる偏見に充ち滿ちて、あらゆる事に勇往邁進する男。運動會、展覽會、學藝會、校友會雜誌の編輯、その他何でも彼が一人で片附けてしまふ。抽象とは彼にとつて無意味と同義である。今年の正月のこと、何處かの級のクラス會で、生徒が三四人、蜜柑や煎餅を買出しに行つた。學校の前は山手から降りて來る坂になつてゐるのだが、その坂の中途迄、風呂敷包をぶら下げた買出し係の生徒等が上つて來た時、一人の持つてゐた風呂敷が解けて、中から蜜柑がこぼれた。二つ、三つ、四つ……七つ、八つ、かなり急な坂とて、鮮かな色をした蜜柑が續々ところがり出した。その生徒は思はぬ失策にひどく顏を赭らめ、風呂敷を結び直すのがやつとで、轉がる蜜柑を追ひかけるどころではなかつた。學校以外の人々の往來も相當にあるので、一寸羞づかしかつたのであらう。丁度其の時坂の上に立つてゐた吉田は、之を見るや猛烈な勢で駈下り始めた。小石を蹴とばし、砂利で滑りさうになり、つんのめりさうになり、途中に立つ生徒を突き飛ばして、短躯の彼は背中を丸くして蜜柑を追ひかけた。一度轉んだが直ぐ起上り、砂も拂はずに又駈け出し、到頭十五六の蜜柑を悉く拾ひ上げ、坂の片側の溝に轉げ落ちることを防いだのである。生徒等も通行人達も呆氣にとられて立止り、彼の猛烈な勢に見とれてゐた。吉田は蜜柑を手に持ちポケットにも入れ、「みんなボヤーツと見とつちや駄目やないか」と生徒等に叱言《こごと》を言ひながら、又登つて來た。彼の顏が赧くなつてゐたのは、單に走つたからなのであつて、決して、彼がてれて[#「てれて」に傍点]ゐたためではない。正に、この男こそ、私の、以て模範とすべき人物だと其の時、私はしみ/″\思つた。此の男は何時も、人間は――或ひは、生物は――斯く生くべし、と、私に教へて呉れるのだ。高等小學生的人物と彼を評した者がゐる。小學校の高等科の生徒といふものは中學生のやうな小生意氣さが無く、實に良く働いて、中學生などよりどれ程役に立つか判らないといふのである。影の薄い大學生よりも、溌剌たる高等小學生の方が遙かに立派だと、私も思ふ。
 話をしながら、吉田は、内ポケットから一枚の紙を取出して私の前に擴げた。私がそれを見せられるのは今日で二度目である。それは此の學校の全職員の俸給表で(私立學校で、職員録に明示されない)彼が何處からか聞き出して丹念に書竝べたものだ。なほ、前年度のボーナスの推定額迄、書入れてある。彼はかういふ事を探り出すことが實に上手で、又それを自《みづか》ら得意としてゐる。自分と交際のある凡ての人間に就いて、彼は、一々興信所的な方法で身許調査を行つてゐるもののやうだ。殊に自分が反感をもつ人間に對しては、執拗な程徹底的に調べ上げて、彼等の疵を探し出すのである。この俸給表の中、彼よりも不當にも俸給の多い教師の名前の横には、赤鉛筆で棒が引いてある。彼はそれを誰彼に示しては、關西辯で縷々として不平を陳べるのである。
[#ここから1字下げ]
「割烹のTな、女のくせに僕よりたんと[#「たんと」に傍点]取りよるんや。はじめの交渉の仕方一つで、どうにでもなるんで、決つた標準は無いのやでなあ。目茶や、まるで。」
[#ここで字下げ終わり]
 この前に一度この表を見せた時も、同じやうな言葉で、Tといふ割烹の教師のことを言つてゐた。今見ると、Tの名前の上だけは、赤鉛筆に副へて青鉛筆でも濃く何本か棒が引かれてゐる。
[#ここから1字下げ]
「それで、あんまり目茶やから、僕、校長の所へ言ひに行つたんですよ。とにかく此方《こつち》は教育を受けた年限も長いんやから、心臟が強い云はれるかも知らんけど、なんぼでもよいからTさんより上にして下さい言うたんですよ。さうしたら、成程、尤もだから、では、Tさんより三圓だけ多くしませう、いうて。三圓やで。たつた。それでも今よりは、まあ良いけど。」
[#ここで字下げ終わり]
 吉田は其の俸給表を前に擴げたまゝ、つゞいて、職員の一人々々に就いて其の經歴やら家庭的な事情やらを話し出した。女教師の中、誰と誰とは女高師を出たといふ觸込で來てゐるが、實は臨時教員養成所を出たゞけであること。國語の主任をしてゐるNが月給を二月分前借してゐること。圖畫の老教師Hが表具屋、繪具屋等と生徒との間でえらく[#「えらく」に傍点]サヤを取つてゐること。英語のSが音樂の女教師と近頃よく連立つて歩いてゐるといふ噂のこと。他人の祕密を知つてゐることが吉田にとつて此の上なく滿足なやうな話しぶりである。彼の話によると、彼は今日、主任のNと何か口論したらしく、又別に、體操科の教師とも渡り合つたらしい。之は何でも先月|行《おこな》はれた運動會のプログラムの進行に關して、吉田と體操の教師達との間に、當時、意見の衝突があり、それが未だこじれてゐるものの由である。吉田といふ男は、事務に追はれてゐないと、胃酸過多の胃が、消化すべきものを有《も》たない時の状態みたいになつて、とかく他人《ひと》との間に摩擦を起すやうだ。
 一時間ばかり彼の話を聞いてから、餘り愉快ではない氣持になつて、蠅の詰まつたマッチ箱を持つて歸る。

 夜、外へ出て何氣なく東の空を仰いだ時、私は思はず「アヽ」と聲を出した。裸になつた榎の大樹の枝々を透して、春以來、半年ぶりでオリオンの昇つて來るのを見付けたからである。青い小さな蜜柑が出始めると、三つ星さまが見え出すんだよ、と幼い頃祖母によく言はれたことが記憶に甦つた。オリオンの上には馭者座《カペラ》だの、紅いアルデバランだの、玻璃器に凍りついた水滴のやうなすばる[#「すばる」に傍点]だのが、はつきりと姿を見せてゐる。恆星達ばかりではない。南の空に高く、左から順にほゞ同じ位の間隔をおいて竝んでゐるのは、土星《ザトウルン》と木星《ユウピテル》と火星《マルス》とであらう。殊に木星の白い輝きの明るさは、燦々と、まことに四邊《あたり》を拂ふばかりである。
 かなり冷えるけれども、風の無い靜かな晩であつた。三つの惑星を見上げながら、私は、「|詩と眞實《デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト》」の冒頭を思ひ出してゐた。其處には、この詩人が誕生した日の・瑞象に充ちた星座の配置が、自己の偉大さへの自信に溢れた筆つきで記されてゐる。高等學校の理科三年の時、第二外國語の教科書として此の書物が使はれ、この冒頭の所の譯讀が私にあたつたので、はつきり覺えてゐるのである。急に、教科書に使つた其の本の緑色の表紙、それを金色で拔いた標題の文字、それを始めて手にした時の印刷インクの匂など、又、獨乙語の教師の風貌や、その聲つき、それから當時の級友達のこと迄が鮮かに頭に浮かんで來た。
 青春への郷愁に胸を灼かれるやうな思ひをしながら、私は部屋に歸つて來た。本棚や本箱をひつくり返して、まだ殘つてゐる筈の・昔使つた「|詩と眞實《デイヒトゥング・ウント・ワアルハイト》」を探して見たが、見付からなかつた。取散らかされた書物の間で、暫くは、若さへの愛惜と、友情への飢渇とに、ぢつとしてはゐられないやうな・遣瀬ないとでもいふより言ひやうのない氣持であつた。
 二三日前にもこんなことがあつた。或る文字を引かうとして英和辭典をバラ/\と繰《く》りながら、偶然開かれたページの Opera といふ文字に目がとまつた時、私は、瞬間ハツと何か明るい華やかな若々しいものが前を過ぎたやうな氣がした。田舍の暗い田圃道から、土手の上を通つて行く明るい夜汽車の窓々を見送る時に似て、今迄すつかり忘れてゐた華やかな夢の一片が、遠い世界からやつて來てチラリと前を通り過ぎて行つたやうな氣がした。私がまだ學生の頃、當時は映畫館でなかつた帝劇に、毎年三月頃になると、ロシヤとイタリイから歌劇團が來演した。カルメンやリゴレットやラ・ボエームやボリス・ゴドノフなど、私は金錢《かね》の許す限り其等を見に行つた。明るい照明の中で、女優達の豐かな肩や白い腕に生毛が光り、金髮が搖れ、頬が紅潮し、肉感的な若々しい聲が快く顫へて、私を醉はせた。偶然目にした Opera といふ、たつた五字が、失はれた・遠い・華やかな世界のかぐはしい空氣をちら[#「ちら」に傍点]と匂はせ、しばし私を混亂させた。所要の文字を探すことも忘れて、私は Opera といふ字を見詰めたまゝ、ぼんやりしてゐた。

 囘顧的になるのは身體が衰弱してゐるからだらうと人はいふ。自分もさうは思ふ。しかし何といつても、現在身を打込める仕事を(或ひは、生活を)有《も》つてゐないことが一番大きな原因に違ひない。
 實際、近頃の自分の生き方の、みじめさ、情なさ。うぢ/\と、内攻し、くすぶり、我と我が身を噛み、いぢけ果て、それで猶、うすつぺらな犬儒主義《シニシズム》だけは殘してゐる。こんな筈ではなかつたのだが、一體、どうして、又、何時頃から、こんな風になつて了つたのだらう? 兎に角、氣が付いた時には、既にこんなヘンなものになつて了つてゐたのだ。いゝ、惡い、ではない。強ひて云へば困るのである。ともかくも、自分は周圍の健康な人々と同じでない。勿論、矜恃を以ていふのではない。その反對だ。不安と焦躁とを以ていふのである。ものの感じ方、心の向ひ方が、どうも違ふ。みんなは現實の中に生きてゐる。俺はさうぢやない。かへる[#「かへる」に傍点]の卵のやうに寒天の中にくるまつてゐる。現實と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔ててゐる。直接そとのものに觸れ感じることが出來ない。はじめはそれを知的裝飾と考へて、困りながらも自惚れてゐたことがある。しかし、どうもさうではないらしい。もつと根本的な・先天的な・或る能力の缺如によるものらしい。それも一つの能力でなく、幾つかの能力の缺如である。例へば、個人を個人たらしめる・最も普遍的な意味に於ての・功利主義が私には缺けてゐるやうだ。又、もの[#「もの」に傍点]を一つの系列――或る目的へと向つて排列された一つの順序――として理解する能力が私には無い。一つ一つをそれ/″\獨立したものとして取上げて了ふ。一日なら一日を、將來の或る計畫のための一日として考へることが出來ない。それ自身の獨立した價値をもつた一日でなければ承知できないのだ。それから又、ものごと(自分自身をも含めて)の内側に直接はひつて行くことが出來ず、先づ外《そと》から、それに對して位置測定を試みる。全體に於ける其の位置、大きなものと對比した其の價値等を測つて見るだけで失望して了ひ、直接そのものの中にはひつて行けないのだ。sub specie aeternitatis に見る、といつたつて、別に哲人がる譯ではない。それ所か最も平凡な無常觀を以て見る――つまり、何事をも、(身の程知らずにも)永遠と對比して考へるために、先づその無意味さを感じて了ふのである。實際的な對處法を講ずる前に、そのことの究極の無意味さを考へて(本當は感ずるのだ。理窟ではなく、アヽツマラナイナアといふ腹の底からの感じ)一切の努力を抛棄して了ふのだ。
 考へて見れば、大體、今迄の生き方が、まあ何といふ無意味な生き方だつたか。精神の統一集注を妨げることにばかり費された半生といつてもいい。とにかく私は自分を眠らせ、自分の持つてゐるものを打消すことにばかり力を盡くして來たやうなものだ。
 曾て自分にも多少は感覺の良さがあつた時分には、私はそれにのみ奔ることを惧れて、自分の欲しもしない・無味な概念のかたまりを考へることによつて感覺を鈍くしようと力めた。さうして、結局凡ての概念が灰色[#「灰色」に傍点]だと知つた時、又、自分が苦心の結果取除くことに成功したところのものが、如何に黄金なす緑色[#「黄金なす緑色」に傍点]をなしてゐたかを悟つた時には、すでにそれを取返す術《すべ》を失つてゐるのだ。私が曾て、かなり確かな記憶力を有《も》つてゐた頃、私は之を輕蔑した。記憶力しか有《も》つてゐない人間は、足《た》し算しか出來ない人間と同じだと云ひ、自分のこの力を撲滅しようとした。之は隨分無理なことだつた。で、少くとも、之を利用することだけは避けるやうにした。さて、人間生活の多くの貴い部分が、最も基礎的な意味に於て精神の此の能力に負うてゐることを、身を以て悟るやうになつた今となつては、はや(種々な藥品の過度の吸入や服用その他によつて)自分にそれが失はれてゐるのだ。
 今でもさうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。之は主に、この十年間一晩として服用しないでは濟まない喘息の鎭靜劑のせゐ[#「せゐ」に傍点]なのだが、結局睡眠の時間は二時間か三時間位のもので、却つて、晝間は一日中ボウツとしてゐる。床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない數時間を、眠らうとする消極的な下《くだ》らぬ努力のために費して了ふ。本當はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいゝやうなものが、どん/\湧いて來るやうな氣がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、さうすると又、明日は發作だぞ、と、私は躍氣になつて、さうした斷片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざ/\と躪《にじ》り潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよい/\と浮かんで來る思ひつきや斷片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めは極く詰まらないものであつても、後の發展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡※[#二の字点、1-2-22]見られるのだ。闇の中で私に慘殺された無數の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無數の蒲公英の種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び歸つて來ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?
 さて、數年の間斯うして、私の精神が溌剌として來ようとする時には、それを眠らせようと力め、それが眠く朦朧としてゐる時にのみ、それを働かせようとした。いや、精神をば全然働かせまいと力めたのだ。(何の爲に? 身體の爲に。それで身體はよくなつたか? どうして、どうして。少しもよくなんかなりはしない。)私はこの馬鹿げた企てに成功した。本當の睡眠も本當の覺醒も私からは失はれた。私の精神はもはや再び働く力を失ひ、完全に眠り・淀み・腐つた。精神の罐詰、腐つた罐詰、木乃伊、化石。
 之以上完全な輝かしい成功があらうか。

          三

 昨夜就寢する頃から少し胸苦しかつたが、夜半果して例の發作に襲はれて、起上る。アドレナリン一本をうち、朝迄床上に坐つてゐる。呼吸困難は稍※[#二の字点、1-2-22]をさまつたが、頭痛甚だし。朝になつて未だ不安なので、エフェドリン八錠服用。朝食は攝らず。息苦しきため横臥する能はず。終日椅子に掛け机に凭り、カメレオンの籠を前に、頬杖をついて眺める。
 カメレオンも元氣なし。鳥の止り木にとまり、小さな眼孔からぢつと[#「ぢつと」に傍点]こちらを見てゐる。動かず。瞑想者の風あり。尾の捲き方が面白い。木をつかんでゐるゆび[#「ゆび」に傍点]は、前三本、後二本。體色は餘り變化しないやうだ。全く異つた環境に連れ込まれたために、之に應ずる色素の準備がないのか?
 眺めてゐるうちに、ものが段々と、sub specie chameleonis に見えて來さうだ。人間としては常識として通つてゐることが、一つ一つ不可思議な疑はしいことに思はれて來る。頭痛は依然止まず。おほむね鈍痛だが、時にヅキヅキと劇しくなる。

 頭痛の合間にきれ/″\にうかぶ斷想。
 俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動してゐるのだ。之に、遺傳とか、人類といふ生物の一般的習性とかいふことを考へると、俺といふ特殊なものはなくなつて了ひさうだ。之は云ふ迄もないことなのだが、しかし普通沒我的に行動する場合、こんな事を意識してゐる者は無い。所が私のやうに、全力を傾注する仕事を有《も》たない人間には、この事が何時も意識されて仕方がない。しまひには何が何やら解らなくなつて來る。

 俺といふものは、俺を組立てゝゐる物質的な要素(諸道具立)と、それをあやつるあるもの[#「あるもの」に傍点]とで出來上つてゐる器械人形のやうに考へられて仕方がない。この間、欠伸をしかけて、ふと、この動作も、俺のあやつり[#「あやつり」に傍点]手の操作のやうに感じ、ギヨツとして伸ばしかけた手を下《おろ》した。
 一月《ひとつき》程前、自分の體内の諸器關の一つ一つに就いて、(身體模型圖や動物解剖の時のことなどを思ひ浮かべながら)その所在のあたりを押して見ては、其の大きさ、形、色、濕り工合、柔かさ、などを、目をつぶつて想像して見た。以前だつて斯ういふ經驗が無いわけではなかつたが、それは併し、いはゞ、内臟一般、胃一般、腸一般を自分の身體のあるべき場所に想像して見たゞけであつて、頗る抽象的な想像の仕方だつた。しかし此の時は、何といふか、直接に、私といふ個人を形成してゐる・私の胃、私の腸、私の肺(いはゞ、個性をもつた其等の器關)を、はつきりと其の色、潤ひ、觸感を以て、その働いてゐる姿のまゝに考へて見た。(灰色のぶよ/\と弛んだ袋や、醜い管や、グロテスクなポンプなど。)それも今迄になく、かなり長い間――殆ど半日――續けた。すると、私といふ人間の肉體を組立ててゐる各部分に注意が行き亙るにつれ、次第に、私といふ人間の所在が判らなくなつて來た。俺は一體何處にある? 之は何も、私が大腦の生理に詳しくないから、又、自意識に就いての考察を知らないから、こんな幼稚な疑問が出て來た譯ではなからう。もつと遙かに肉體的な(全身的な)疑惑なのだ。
 その日以來こんな想像に耽るやうになり、それが癖になつて、何かに紛れてゐる時のほかは、自分の體内の器關共の存在を生々しく意識するやうになつて來た。どうも不健康な習慣だと思ふが、どうにもならない。一體、醫者は斯ういふ經驗を有《も》つだらうか? 彼等は自分達の肉體に就いても、患者等のそれと同樣に考へてゐるだけであつて、自分の個性の形成に與《あづか》る所の自分の胃、自分の肺を、何時も自分の皮膚の下に意識してゐる譯ではないのではなからうか。

 身體を二つに切斷されると、直ぐに、切られた各※[#二の字点、1-2-22]の部分が互ひに鬪爭を始める蟲があるさうだが、自分もそんな蟲になつたやうな氣がする。といふよりも、未だ切られない中から、身體中が幾つもに分れて爭ひを始めるのだ。外に向つて行く對象が無い時には、我と自らを噛み、さいなむより、仕方がないのだ。
 私が何事かに就いて豫想をする時には、何時も最惡の場合を考へる。それには、實際の結果が豫想より良かつた時にホツとして卑小な嬉しさを感じようといふ、極めて小心な策略もあるにはあるやうだ。私が人を訪ねようとすると、私は先づ彼が留守である場合を考へ、留守でも落膽しないやうにと自分に言ひきかせる。それから、在宅であつても、何か取込中だとか他に來客がある場合のこと、又、彼が何かの理由で(假令、どんなに考へられない理由にしろ)自分に對して好い顏を見せないであらう場合、その他色々な思はしくない場合を想定して、さういふ場合の方が好都合な場合よりもより多くあり得ることに思ひ込み、さうして、さういふ場合でも決して落膽せぬやうに自分を納得させてから、出掛けるのである。
 何事に就いても之と同樣で、竟《つひ》には、失望しないために、初めから希望を有《も》つまいと決心するやうになつた。落膽しないために初めから慾望をもたず、成功しないであらうとの豫見から、てんで努力をしようとせず、辱しめを受けたり氣まづい思ひをし度くないために人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなつて了つた。外へ向つて展かれた器關を凡て閉ぢ、まるで掘上げられた冬の球根類のやうにならうとした。それに觸れると、どのやうな外からの愛情も、途端に冷たい氷滴となつて凍りつくやうな・石とならうと私は思つた。

[#ここから2字下げ]
我はもや石とならむず 石となりて つめたき海を沈み行かばや
氷雨降り狐火燃えむ 冬の夜に われ石となる黒き小石に
眼《め》瞑《と》づれば 氷の上を風が吹く われ石となりて轉《まろ》びて行くを
腐れたる魚のまなこは 光なし 石となる日を待ちて吾がゐる
たまきはる いのち寂しく見つめけり つめたき星の上に獨りゐて
[#ここで字下げ終わり]

今迄和歌を作つたことのない私が、こんな妙なものを書散らしては、自ら球根のうた[#「うた」に傍点]と哂ふのである。

 金魚鉢の中の金魚。自分の位置を知り、自己及び自己の世界の下らなさ・狹さを知悉してゐる絶望的な金魚。
 絶望しながらも、自己及び狹い自己の世界を愛せずにはゐられない金魚。

 幼い頃、私は、世界は自分を除く外みんな狐が化けてゐるのではないかと疑つたことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分を欺すために出來てゐるのではないかと。そして何時かは何かの途端に此の魔術の解かれる瞬間が來るのではないかと。
 今でもさう考へられないことはない。それを常にさうは考へさせないものが、つまり常識とか慣習とかいふものだらう。が、其等も私のやうな世間から引込んでゐる者には、もはや、さう強い力をもつてゐない。照明の變化と共に舞臺の感じがまるで一變するやうに、世界は、ほんのスヰッチの一ひねりで、さういふ幸福な(?)世界ともなり得るし、又同じ一ひねりで、荒冷たる救ひのないものともなる。私にとつて其のスヰッチが往々にして、呼吸困難の有無であり、鹽酸コカインやヂウレチンのきゝめ加減、天候の晴雨、昔の友人からの來信の有無等である。

 大きな――時に不可解な――ものの中に(組織、慣習、秩序)晏如と身を置いてゐる氣易さ。
 さういふものから、すつかり離れてゐる自由な人間の苦しさ。
 さういふ自由人は、自己の中で人類發展の歴史をもう一度繰返して見なければならぬ。普通人は慣習に無反省に從ふ。特殊な自由人は、慣習を點檢して見て、それが成立するに至つた必然性を實感しない限り、それに從はうとしない。いはゞ、彼は、人間が其の慣習を形作るに至つた何百年かの過程を、一應自己の中に心理的に經驗して見ないことには氣が濟まないのである。
 私自身の性情も、傾向としては、それに似たものを有《も》つてゐるやうだ。さういふ特殊の人達に往々見られる優れた獨創的な思考力だけは缺いて。

 友人の一人が「遠交近攻の策」と評した一つの傾向。一生懸命になつて巴里の地圖をこしらへたりして頭の中では未知の巴里の地理に一かど精通してゐるくせに、もう二年も住んでゐる此の港町の著名な競馬場へも、ひとりでは行けない。博物の教師のくせに博物のことはろく[#「ろく」に傍点]に知らず、古い語學を噛つて見たり、哲學に近いものを漁《あさ》つて見たりする。それでゐて、何一つ本當には自分のものにしてゐないだらしなさ。全くの所、私のもの[#「もの」に傍点]の見方といつたつて、どれだけ自分のほんもの[#「ほんもの」に傍点]があらうか。いそっぷ[#「いそっぷ」に傍点]の話に出て來るお洒落鴉。レヲパルディの羽を少し。ショペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。莊子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ。

(考へて見れば、元々世界に對して甘い考へ方をしてゐた人間でなければ、厭世觀を抱くわけもないし、自惚や[#「自惚や」に傍点]か、自己を甘やかしてゐる人間でなければ、さう何時も「自己への省察」「自己苛責」を繰返す譯がない。だから、俺みたいに常にこの惡癖に耽るものは、大甘々《おほあまあま》の自惚や[#「自惚や」に傍点]の見本なのだらう。實際それに違ひない。全く、私[#「私」に白丸傍点]、私[#「私」に白丸傍点]、と、どれだけ私[#「私」に白丸傍点]が、えらいんだ。そんなに、しよつちゆう私[#「私」に白丸傍点]のことを考へてるなんて。)

          四

 今日も勤めのない日。火、水、木、と三日、休みが續くのである。昨夜は稍※[#二の字点、1-2-22]眠れた。發作への懸念(殆ど恐怖といつてもいゝ)も先づ無くなる。持藥の麻杏甘石湯《まきやうかんせきたう》の分量を少し増す位で濟みさうである。鈍い頭痛は依然去らない。午前中|嘔氣《はきけ》少々。
 カメレオンは一昨日から蠅を十二三匹しか喰べてゐない。止り木から下りて、綿の上に蹲《うづくま》つてゐる。寒いのであらう。之では長くもつまいと思ふ。いよ/\仕方がなければ動物園へ持つて行くことにしよう。後肢のつけねの所に小さい黒褐色の傷痕がついてゐる。學校で床へ落ちた時に傷めたのだらうか。背中のギザ/\はハンド・バッグの口に使ふチャックに似てゐる。

 今日も午前中ずつと小爬蟲類を前に、ぼんやり頬杖をついてゐた。少し眠い。前の晩に全然眠れなかつた日より、なまじ一・二時間眠れた次の日の方が眠いのである。うとうとしかけてハツと氣がついた瞬間、目の前のカメレオンの顏が、ルヰ・ジュウベエ扮する所の中世の生臭坊主に見えた。カメレオンと簑蟲《みのむし》との對話といふレヲパルディ風のものを書いて見度くなる。簑蟲の形而上學的疑惑、カメレオンの享樂家的逆説。……等々……。但し勿論本當に書きはしない。書くといふことは、どうも苦手だ。字を一つ一つ綴つてゐる時間のまどろつこしさ[#「まどろつこしさ」に傍点]。その間に、今浮かんだ思ひつきの大部分は消えてしまひ、頭を掠めた中の最もくだらない[#「くだらない」に傍点]殘滓《かす》が紙の上に殘るだけなのだ。

 午後、不圖頁をくつた或る本の中に、自分の精神のあり方[#「あり方」に傍点]を此の上なく適切に説明してくれる表現を見つけた。
[#ここから1字下げ]
――人間の分際といふものの不承認。そこから來る無氣力。拗ねた理想の郷愁。氣を惡くした自尊心。無限を垣間見《かいまみ》、夢みて、それと比較するために、自分をも事物をも本氣にしない……。自己の無力の感じ。周圍の事情を打破る力も、強ひる力も、按排する力も無く、事情が自分の欲するやうになつてゐない時には、手を出すまいとする。自分で一つの目的を定め、希望をもち、鬪つて行くといふ事は、不可能な・途方もない事のやうに思はれる。――
[#ここで字下げ終わり]
 私は本を閉ぢた。之は恐ろしい本だ。何と明確に私を説明して呉れることか!

 何とかしなければならぬ。これではどうにも仕樣がない。このまゝでは、生きながらの立消《たちぎえ》だ。次第に俺は、俺といふ個人性を稀薄にして行つて、しまひには、俺といふ個人がなくなつて、人間一般に歸して了ひさうだぞ。冗談ぢやない。もつと我執をもて! 我慾を! 排他的《エクスクルーシヴリイ》に一つの事に迷ひ込むことが唯一の救ひだ。アミエルの乾物《ひもの》になるな。自分で自分のあり方[#「あり方」に傍点]を客觀的に見ようなどといふ・自然に悖《もと》つた不遜な眞似は止めろ。無反省に、づう/\しく(それが自然への恭順だ)粗野な常識を尚び、盲目的な生命の意志にだけ從へ。

 夕方、吉田が訪ねて來る。大變激昂した樣子である。以前から彼との間にいざこざの絶えなかつた體操の教師が、今日「一寸顏を貸して呉れ」と、吉田を雨天體操場の控室に呼び込んで、亂暴な言葉で彼をなじり、脅迫的な態度に出たといふ。憤慨した吉田が直ぐに校長の所へ話を持つて行つた所、校長も勿論體操教師の亂暴を非難しはしたが、それでも、暗に、喧嘩兩成敗といつた考へを仄めかしたとかで、彼は非常に不滿なのだ。「辭《や》めてもえゝのんや」と繰返していふ。たしか、以前《まへ》にも二三囘、彼は斯うした事から「辭《や》める」と騷ぎ出し、職員全部にそれをふれて※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つたが、結局辭めなかつた。あとになるとケロリとしてゐる。たゞもうカツとなると、皆の所へ行つて騷ぎ立て、繰返し/\愚痴を聞かせ、自己の正當と相手の不當とを認めて貰はなければ氣が濟まないのである。しかし、彼はいくら腹を立てた時でも、決して自分の損になること(毆り合ひをしたり、思ひ切つて辭職したり)はしない。今日とて、唯、私のアパアトが學校の近くにある爲に、歸りに立寄つて、それ程親しくもない私ではあるが、それでも一人でも多くの者に自分の正當さを認めて貰はうとしたゞけなのだ。辭める心配は絶對に無い。餘り騷ぐと後《あと》で引込がつかなくなり、てれ臭い[#「てれ臭い」に傍点]思ひをせねばなるまい、との心配も彼にはない。てれる[#「てれる」に傍点]などといふ事を彼は知らないからである。たゞ、どんな場合にでも、目に見えた損だけはしないやうに振舞つてゐるのは、彼の身についた本能なのであらう。
 一通りの憤慨がすむと、まづ氣が濟んだといふ態で、今度は、昨日、或る先輩から紹介されて、縣の學務部長に會ひに行つた話を始めた。學務部長が非常に款待してくれて、又遊びに來給へ、と肩を叩かんばかりにして呉れたこと、だから、これからも時々伺はうと思つてゐること、この學務部長さん(彼はさん[#「さん」に傍点]をつけ、このやうな高官に衷心からの尊敬を抱かないやうな人間の存在は、想像することも出來ない樣子である)は從×位、勳×等で、まだ若いからもつと大いに出世されるであらうこと、この人の夫人の父君が内閣の某高官であることなど、恐懼に堪へないやうな語り口で話した。全く、先刻《さつき》の悲憤をまるで忘れて了つたやうな幸福げな面持である。

 吉田が歸つてから、幸福といふことを一寸考へて見る。躍氣となつて騷ぎ立て他人に自分の立場を諒解して貰ふことが、彼にとつての幸福であり、役人と近づきになることが彼の最大の愉悦なのだ。それを嗤ふ資格は私には無い。嗤つたとしても、それでは、私にどんな幸福があるといふのだ。「衆人熙々トシテ大牢ヲ享クルガ如ク、春、臺ニ登ルガ如シ。我獨リ怕兮トシテ、嬰兒ノ未ダ咳《ワラ》ハザルガ如ク、儡《ツカ》レテ歸スル所ナキガ如シ。俗人昭々トシテ我獨リ昏《クラ》キガ如ク、俗人察々トシテ我獨リ悶々タリ。……」學務部長に隨喜の涙を流す吉田の姿が、急に、皮肉でも反語でもなく、誠に此の上無く羨ましいものに思はれて來た。

 夜、床に就いてから、先刻の吉田の、脅迫云々の言葉を思ひ出し、向ふつ氣は頗る強いが腕力の無い吉田が、其の時どんな態度をとつたか、と考へて見たら、をかしくなつて來た。自分だつたらどうするだらうと、考へて見た。
 まことに意氣地の無い話だが、私は、暴力――腕力に對して、まるで對處すべき途を知らぬ。勿論、それに屈服して相手の要求を容れるなどといふ事は意地からでもしないけれども、たとへば、毆られたやうな場合、どんな態度に出ればいいのだらう。此方に腕力が無いから毆り返す譯には行かぬ。口で先方の非を鳴らす? さういふ時の自分の置かれた位置の慘めさ、その女のやうな哀れな饒舌が厭なのである。その位なら、いつそ超然と相手を默殺した方がまし[#「まし」に傍点]だ。併し其の場合にも猶、負惜しみ的な弱者の強がりが、(傍人に見えるのは差支へないとして)自分に意識されて立派とは思へない。といふよりも、私は、他人との間に暴力的な關係に陷つたといふ・その事だけで、既に、心中の大變な擾亂・動搖を免れない。暴力への恐怖は動物的本能だとか、暴力の實際の無意義さとか、暴力行使者への輕蔑とか、そんな議論は此の際三文の値打もなく、私の身體は顫へ、私の心は只もう譯もなくベソをかいて了ふのである。暴力の侵害(腕力ばかりでなく、思ひがけない野卑な惡意、誤解なども之に入れていい)に打克つだけの力を備へてゐるのは結構に違ひないが、相手に對抗し得る腕力・權力を有《も》たないでゐて、(或ひは有《も》つてゐても、それを用ひずに)唯精神的な力だけで悠揚と立派に對處し得る人があれば、尊敬しても宜いと思ふ。それはどんな方法によるか、私には想像もつかない。色々な有名な人物を考へて見ても、その社會的な背景を剥ぎ去つて暴力の前に曝した場合に立派に對處できさうな人は中々思ひ當らないやうだ。

          五

 カメレオンは愈※[#二の字点、1-2-22]弱つて來たやうで、後肢のつけ根の所の傷も、氣のせゐか昨日より擴がつたやうに思はれる。胴が鮒などよりも薄い位で、細い肋骨の列が外から見え、時々咽喉の邊をふくらませるのも何か寒さうで痛々しい。矢張動物園へ持つて行かうと決心する。動物園は好きな場所だが、寄附する、とか、預ける、とか、いふ話になると、いづれ東京市[#「市」に傍点]のお役人が出て來て、屆を書かせたりするのではないか。役人と、役所の手續き程、やり切れないものはない。實際は簡單だと人の言ふものでも、役所への屆とか手續きとかとなると、私は頭から煩瑣なものに感じて、まるで考へて見る氣もしなくなるのである。仕方がないから、東京から通《かよ》つてゐる地理の教師のY君に頼んで上野へ持つて行つて貰はうと思ふ。學校の方ではもうこんな蟲のことなんか忘れてゐるだらうから、斷《ことわ》るにも及ぶまい。元のやうに、綿を敷いた箱に入れ、箱の蓋に息拔きの穴をあけて、學校へ持つて行く。金曜だから、勤めのある日だ。
 Y君に會つて、譯を話して頼む。承知して呉れる。今日歸りに眞直に上野迄行かうと言ふ。

 晝休に、食事を濟ませてから暫く職員室にゐると、廊下で何か生徒等が騷ぎ始めたと思つたら、やがて扉があいて、去年の春結婚のために辭《や》めた音樂の教師が、赤ん坊を抱いてはひつて來た。「アラツ」と、それを見た女の教師達は一齊に聲を擧げた。關西に嫁いで行つてゐるのだが、主人が上京するのについて來たついでに寄つたのだといふ。さて、それからの此の遠來の客に對する彼女達の――殊に未婚の老孃達の擧動、表情、つまり外觀に迄現れる彼女等の心理的動搖は、まことに興味深きものであつた。「赤と黒」の作者の筆を以てしても、恐らくは猶その描寫に困難を覺えようと思はれた。羨望、嫉視、自己の前途への不安、酸つぱい葡萄式の哀しい矜恃、要するに之等の凡てを一緒にした漠然たる胸騷ぎ。彼女等は口々に赤ん坊(全く、色が白く、可愛く肥《ふと》つてゐた)の可愛らしさを讚めながら、男性《をとこ》には想像も出來ない貪婪な眼付を以て、幸福さうな若い母を、一年前とはすつかり變つて了つた髮かたちを、見違へる程派手になつた其の服裝を、(學校に勤めてゐた時は洋服だつたのに、今日は和服である)――さうして、其等凡てから讀み取らるべき生活の祕密をむさぼるやうに探らうとする。赤ん坊を抱き取つて、あやしながら其の顏に見入る眼差《まなざし》に至つては、子供一般に對して婦人の有《も》つ愛情とは全く別な激しさを以て爛々と燃え、複製を通じて原畫を想像しようとする畫家の眼と雖も、到底この熱烈さには及ぶまい。
 三十分ばかり話してから歸つて行つた此の若い母親と色白の男の赤ん坊とは、老孃達の上に通り魔のやうな不思議な作用《はたらき》を殘して行つた。午後を通じて、ずつと、獨身の女教師達の落着きの無さは、兎角かうした事の氣のつかない私のやうな者にも明らかに看取された。人間の心理的動搖が氣壓に何かの影響を及ぼすものだとしたら、午後の職員室の此のモヤ/\したものは、確かに晴雨計の上に大きな變化を與へてゐるに違ひないと思はれた。老孃達は數年前から同じ職員室の同じ机の前に腰掛け、同じ教室で同じ事柄を生徒に説き聞かせてゐる。來年も更來年も、恐らくは又その次の年も、神々の屬性の一つである「絶對の不變性」を以て之を繰返すであらう。そのうちに彼女達の中に在つた、ほんの僅かの貴いものも次第に石化して行き、つひには、男とも女とも付かない――男の惡い所と女の惡い所とを兼ね備へた怪物、しかも自分では、男の良い所と女の良い所とを兩つながら有《も》つてゐると自惚れてゐる怪物に成上つて了ふ。
 今日職員室を訪れた若い母親――先の音樂の教師は、去年私がこの學校へ來てから一月《ひとつき》程して職を辭したのである。其の頃の先生としての彼女と、今日の母親としての彼女とを比べて見る時、――音樂の先生といふものは、他の學課と違つて遙かに自由な派手な、教師臭くないものではあるが、――それでも、今日の方が一年前より如何に樂しげに明るく、若々しく見えたことだらう。
 教師といふ職業が不知不識の間に身につけさせる固さ。ボロを出さないことを最高善と信じる習慣から生れる卑屈な倫理觀。進歩的なものに對する不感症。さういふものが水垢のやうに何時の間にか溜つて來るのだ。「學校の先生が、生徒でない一人前の大人《おとな》と話をする時には、リリパットから歸つて來たガリ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]アのやうに、理解力の標準を換算するのに骨が折れる」と、ラムは言ふ。理解力だけだつたら、こんな幸ひな事はない。

          六

 カメレオンの籠には、もうカメレオンはゐない。綿が元の儘に敷かれ、止り木も元の儘にかゝつてゐる。
 去年の春から、一年半ばかりの間に、この籠に三種の動物が住んだ。最初は、黒い眼の周圍を白く縁取つた・見るからにいたづら[#「いたづら」に傍点]つ兒らしい黄牡丹インコの番《つがひ》である。これは一年近くゐたが、一羽が病氣(?)で死んだので、殘つた方も人にやつて了つた。次は、翼が藍で胸の眞紅な大きな鸚鵡。之はかなり立派で、止り木にとまつたまゝうつら/\とうたた寢[#「うたた寢」に傍点]するところなど、仲々に澁いものがあり、娼婦の衣裳を纏うた哲學者だ、などと喜んでゐたのだが、到頭餌のやり忘れで死なせて了つた。最後がカメレオンで、これは五日間しかゐないで、動物園へ行つて了つた。寂しいといふ程ではないが、餘り愉しい氣持ではない。

 授業の無い日だが、Y君に昨日の樣子を聞くために學校へ行く。Y君の話によると、動物園でも大變喜んで受けて呉れた由。「大變大きいカメレオンですね。うち[#「うち」に傍点]に今ゐる奴は殆どこの半分位しかありませんよ」と言つてゐたさうだ。なほ、死んだ場合には剥製用として學校の方へ送つて貰ふ約束にして來たといふ。Y君に禮を云つて、歸らうとすると、「夕方から南京町でK君のために祝ひの會をすることになつてゐるから、出て呉れませんか」と言はれた。出席する旨返事して學校を出る。
 K君は二週間程前、英語の高等教員檢定試驗に合格したのである。この間カメレオンを貰つた日に、K君の受持の生徒が二三人、おせつかい[#「おせつかい」に傍点]にも次の樣な話を私に告げて呉れた。何でも其の前々日かの晝休の時K君が受持の級へ行つて、「昨日の○○新聞の神奈川版に少し見たい所があるんだが、君達の中で誰か家《うち》にそれがあつたら持つて來て呉れませんか」と言つたのださうだ。それで級《クラス》の者が何人か家《うち》からその日附の神奈川版を持つて來て見たところ、其處には、小さくではあつたが、「Y女學校のK教諭見事高檢にパス」と出てゐたのだといふ。「それをわざ/\私達に知らせる爲に持つて來させたのよ。いやんなつちやふわ。ほんとに。」と生徒の一人は、生意氣な口をきいた。いくら若くても、まさか、とは思ふが、さういへば、そんな莫迦げた眞似もやりかねない程のK君の有頂天ぶり(得意氣に試驗の模樣を皆にふれ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つたり、急に、女學校の教師なんか詰まらないと言出して見たり)であつた。
 人間は何時迄たつても仲々|成人《おとな》にならないものだと思ふ。といふより、髭が生えても皺が寄つても、結局、幼稚さといふ點では何時迄も子供なのであつて、唯、しかつめらしい顏をしたり、勿體《もつたい》をつけたり、幼稚な動機に大層な理由附を施してみたり、さういふ事を覺えたに過ぎないのではないか。誰も褒めて呉れないといつてべそ[#「べそ」に傍点]をかいたり、友達に無意味な意地惡をして見たり、狡猾《ずる》をしようとしてつかまつたり、みんな子供の言葉に飜譯できる事ばかりだ。だからK君の愛すべき自己宣傳なども、却つて正直でいいのだと思ふ。
 歸途、山手の丘を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて見る。
 まだ十時頃。極く薄い霧がずうつと立罩めて、太陽は空に懸つてゐるのだが、見詰めても左程眩しくない。磨《すり》硝子めく明るい霧の底に、四方の風景が白つぽく淀んでゐる。昨夕から引續いて、風は少しも無い。四邊の白さの底に何か暖いほんのりしたものさへ感じられる。
 ポケットが重いので手をやつて見ると本がはひつてゐる。出して見るとルクレティウスである。今朝着て來た上着《うはぎ》は久しく使はなかつた奴だから、この本も何時ポケットに入れて持ち歩いたものやら記憶がない。
 基督教會《クライスト・チャアチ》の蔦が葉を大方落し、蔓だけが靜脈のやうに壁の面に浮いて見える。コスモスが二輪、柵に沿つてちゞれながら咲殘つてゐる。海は靄ではつきりしないが、巨きな汽船《ふね》達の影だけは直ぐに判る。時々ボー/\と汽笛が響いて來る。
 代官坂の下から、黒衣を被《かづ》いた天主教の尼さんが、ゆつくり上つて來る。近附いた時に見ると、眼鏡をかけた・鼻の無闇に大きな・醜い女だつた。
 外人墓地にかゝる。白い十字架や墓碑の群がつた傾斜の向ふに、増徳院の二本銀杏が見える。冬になると、裸の梢々が澁い紫褐色にそゝけ立つて、ユウゴウか誰か古い佛蘭西人の頬髯をさかさまにした樣に見えるのだが、今はまだ葉もほんの少しは殘つてゐるので、其の趣は見られない。
 入口の印度人の門番に一寸會釋して、墓地の中にはひる。勝手を知つた小徑々々を暫くぶらつき、ヂョーヂ・スィドモア氏の碑の手前に腰を下す。ポケットからルクレティウスを取出す。別に讀まうといふ譯でもなく、膝に置いた儘、下に擴がる薄霧の中の街や港に目をやる。
 去年の丁度今頃、矢張霧のかゝつた朝、この同じ場所に坐つて街や港を見下したことがあつた。私は今それを思ひ出した。それが何だか二三日前のことのやうな氣がした。といふより、今も其の時から續いて同じ風景を眺めてゐるやうな變な氣がした。私の心に時々浮かんでくる想像――一生の終りに臨んで必ず感じるであらう・自分の一生の時の短かさ果敢なさの感じ(本當に肉體的な、その感覺)を直接《ぢか》に想像して見る癖が、私にはある――が、又ふつと心を掠めた。一年前が現在とまるで區別できないやうに思はれる今の感じが、死ぬ時のそれに似たものではないかと思はれたからである。坂道を駈降る人のやうに、停れば倒れるので止むを得ず走り續けて行く、さういふのが人間の生涯だ、と云つたのは誰の言葉だつたらう。
 少し隔たつた處に極く小さい十字架が立つてゐて、前に鉢植のヂェラニウムが鉢ごと埋《い》けられてゐる。十字架の下の、書物を開いた恰好の白い石に、TAKE THY REST と刻まれ、生後五ヶ月といふ幼兒の名が記されてゐる。南傾斜の暖かさでヂェラニウムはまだ鮮かな紅い花を着けてゐる。
 斯ういふ綺麗な墓場へ來ると却つて死といふものの暗さは考へにくい。墓碑、碑銘、花束、祈祷、哀歌など、死の形式的な半面だけが、美しく哀しい舞臺の上のことのやうに、浮かび上つてくるのである。
 エウリピデスの作品の中の一節。ヒポリュトスの繼母のファイドラが不倫の愛情に苦しんで臥せつてゐる傍で、彼女の乳母が、まだ其の理由を知らないながらに、彼女を慰めてゐる。
[#ここから1字下げ]
「人間の生活といふものは、苦しみで一杯でございます。その不幸には休みといふものがございません。しかし、若し人間のこの生活よりもつと快いものが假りにあるとしても、闇がそれを取圍み、我々の眼から隱して了つてゐます。それに此の地上の存在といふものは燦かしいやうに見えますので、私共は狂人のやうにそれに執着するのでございます。何故と申しまして、私共は他の生活を存じませんし、地下で行はれてゐることに就いては何も知る所がございませんから。」
[#ここで字下げ終わり]
 こんな言葉を思出しながら、周圍の墓々を見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]すと、死者達の哀しい執着が――「願望《ねがひ》はあれど希望《のぞみ》なき」彼等の吐息が、幾百とも知れぬ墓處の隅々から、白い靄となつて立昇り、さうして立罩めてゐるやうに思はれる。

 ルクレティウスを竟《つひ》に開かないまゝに、私は腰を上げる。海の上の烟つた灰色の中から、汽笛がしきりに聞えてくる。傾斜した小徑を私はそろ/\下り始める。



底本:「中島敦全集第一卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月15日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※校正には、1993(平成5)年6月20日初版第18刷を用いました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年4月20日作成
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