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炭燒のむすめ
長塚節

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)低い樅《もみ》の木に

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一|畝《うね》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)(明治卅九年七月)[#地より1字上げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)態々《わざ/\》
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     一

 低い樅《もみ》の木に藤の花が垂れてる所から小徑を降りる。炭燒小屋がすぐ眞下に見える。狹い谷底一杯になつて見える。あたりは朗かである。トーントーンといふ音が遙に谷から響き渡つて聞える。谷底へついて見ると紐のちぎれさうな脚袢《きやはん》を穿いた若者が炭竈《すみがま》の側で樫《かし》の大きな榾《ほた》へ楔《くさび》を打ち込んで割つて居るのであつた。お秋さんが背負子《しよひこ》といふもので榾を背負つて涸《か》れた谷の窪みを降りて來た。拇指《おやゆび》を肋《あばら》の所で背負帶に挾んで兩肘を張つてうつむきながらそろそろと歩く。榾は五尺程の長さである。横に背負つて居るのだから岩角へぶつつかりさうである。尻きりの紺の仕事着に脚袢をきりつと締めて居る。さうして白い顏へ白い手拭を冠つたのが際立つて目に立つ。積み重ねた榾の上へ仰向になつて復た起きたら背負子だけが仰向の儘榾の上に殘つた。お秋さんは荷をおろすと輕げに背負子を左の肩に引つかけて登る。こちらを一寸見てすぐ伏目になつた。矢つ張そろそろと歩いて行く。榾を運んで仕舞つたら楔で割つたのを二本三本づつ藤蔓の裂いたので括《くく》りはじめた。兩端を括つて立て掛ける。餘つ程重さうである。これが即ち炭木である。女の仕事には隨分思ひ切つたものだと思つた。
 小屋へ腰を掛けて居ると鶺鴒《せきれい》が時々蟲を銜《くは》へて足もとまで來ては尾を搖しながらついと飛んで行く。脇へ出て見ると射干《ひあふぎ》が一株ある。射干があつたとて不思議ではないが爺さんの説明が可笑《をか》しいのだ。山の中途でいかな時でも水が一杯に溜つて居るので一杯水といつてる所がある。そこに此草があるので、極暑の頃になると赤い花がさくのだと頗《すこぶ》る自慢なのである。それで唯赤い花がさく草と思つて居るに過ぎない。可笑しいといつてもこれだけだ。
 谷底の狹いだけに空も狹く見える。狹い空は拭つたやうである。其蒼天へ向いてすつと延びた樅《もみ》の木がある。根の生え際が小屋の屋根からではずつと上にあるので猶更に延びて見える。梢で小鳥が啼き出した。美音である。何だと聞いたら爺さんが琉璃《るり》だといつた。さうして解らぬことをいつた。小屋ヘ二つもくふのは珍しいことだ。一つがくふと安心だと思つて鶺鴒がまたくつたのだ。つまり人間を手頼《たよ》るのである。然しあんまり覗《のぞ》くと蛇が狙つていかぬ。かういふことを云つたのである。不審に思つたから再び脇へ出て見たら、杉皮が僅に雨を覆うて居る檐端《のきば》の手の屆く所に鳥の巣が二つならんである。射干《ひあふぎ》のすぐ上である。子鳥はどつちも毛が十分に延びて居る。巣は思ひの外に粗末で草がだらけ出して居る。曩《さき》に出て見たので見つかつたことと思つたに相違ないのだ。早合點をしてあんなことをいつたのだ。自分は窃《ひそか》に微笑せざるを得なかつた。辯當をつかふのでお秋さんがお茶を汲んで山芋を一皿呉れた。お秋さんは草鞋《わらぢ》をとつた丈で脚袢の儘疊へ膝をついて居る。自分へ茶を出すため態々《わざ/\》あがつたのだ。なぜだといふと土瓶へ二度目の湯をさしたらすぐに草鞋を穿いたからである。山芋は佳味《うま》かつた。山芋の續きが猪《ゐのしし》へ移つた。清澄には猪が居る。猪は山芋が好きで見つけたら鼻のさきで掘つて仕舞ふ。「うつかりすると曲角などで鼻のさきを眞黒にしたのに出つかはすことがあります」とこれは爺さんの愛嬌噺《あいけうばなし》である。「あの雨の降る日などにはそこらの木まで猿がまゐります。」とお秋さんが傍からいつた。お秋さんは滅多にいはぬ。自分は何か物をいはして欲しかつたのだから、絲口が開けた樣に思はれてこれだけが滿足であつた。射干が急に延び出して赤い花が目前に開くのを見る樣な心持である。これが谷の二日目である。

     二

 炭を出す所である。炭竈の口を突き崩したら焔がぽつと一時に吹き出した。自分は思はず後へ下つた。炭竈のなかは眞赤なうちに黄色味を帶びた烈々たる凄《すさま》じい火である。樅の二間餘の棒のさきへ鍵の手をつけたのを以て爺さんがそれを掻き出さうとする。炭竈の前は眉毛も焦げるかと思ふ程熱い。こんな大きな棒が果して使へこなせるものかと怪しみながら見て居ると、天井から藤蔓で自在鍵のやうなものをさげた。樅の棒はこれへ乘せ掛けたので差引が容易になる。案外な工夫である。これだから重い方が落ちついて扱ひいいのだと笑ひながら鍵の手を眞赤な炭に引つ掛ける。炭の折れることがあるとかちんと石のやうな響がする。樅の棒は見るうちに火がついてぽつぽと燃える。燃えても構はずに掻き出す。遂にはじうつと傍の流へ突つ込んで、更に水に浸して置いた鍵の手で掻き出す。少し掻き出すと一つに寄せてそれへ灰を掛ける。一遍出したら爺さんの顏も燒けた樣に眞赤になつた。何時でも拔いだことの無い獵虎《らつこ》の帽子をとつてだらだらと流れる汗を拭いて居る。獵虎の帽子は毛が七分通も落ちて居て汗の爲に餘つ程堅くなつて居るだらうと想像されるだけの品である。
 お秋さんはどこからか青葉のついた小枝をがさがさといふ程掻つ切つて來た。炭は既に灰から掻き出されてあつたがお秋さんは直《すぐ》炭の碎けを篩《ふる》ひ始めた。乾燥し切つた灰は容赦もなく白い手拭へ浴せかかる。それで粉炭がどれだけ有つたといふと俵の底が隱れるだけであつた。直に炭を俵へつめる手傳にかかる。青葉のついた小枝はぐるつと丸めて俵の尻へ當てるのであつた。
 お秋さんはこんなに忙しく仕事をして居たと思つたら、ふと見えなくなつた。自分は谷が急に寂しくなつた樣に感じた。尋ねるといふでもなく昨日炭木の運ばれた窪みを登つて行つた。眞急な崖へ瘤《こぶ》のやうにいくつもぼくぼく出た所に、草鞋で踏んだ樣に土のついた趾《あと》がある。瘤へ手を掛け足を掛け登る。お秋さんはそこの窪みに獨で枯木を挽《ひ》いて居た。傍にはもう十本ばかり薪が積んである。窪みは深さも大さも皿程である。密生した樹立は雫も滴《したた》るかと思はれて薄暗い。自分は薪へ腰を掛けた。お秋さんの手拭の絲目の交叉して居るのまでがはつきり見えるまでに近寄つた。お秋さんは兩足を延して左を枯木へ乘せて居る。鋸を押したり引いたりする毎に手拭の外へ垂れた油の切れたほつれ毛がふらふらと搖れる。懶《ものう》い樣な鋸の音の外には何の響もない。お秋さんは異樣な眞面目な顏で鋸から目を放さない。自分も腰を掛けた儘ほつれ毛と白い襟元とを見詰めて居るばかりである。物をいふのも惡いが默つて居ても却て極りが惡い。構はずにずんずん話を仕掛けたら善いぢや無いかといつたつてそりやさうはいかぬ。兎に角自分から口火を切つた。どんな事で口火を切つてどんな鹽梅《あんばい》に進行させたかといつたつてそれも言へぬ。お秋さんは餘計にはいはぬ。何處までも懶《うと》ましいのである。唯かういふことがあるのだ。此山蔭では蛙を「あんご」といふことや、蟷螂《かまきり》を「けんだんぼう」といふのだといふことやである。それから茸採《きのこと》りに行つて澤山あるといふことを「へしもに/\ある」といふのだといふことであつた。これでは笑はずにはゐられなかつた。自分は忘れた時の爲めにと思つて手帳を出したら偶然どこかの盆踊唄といふのが書いてあつたのを見つけた。「ことしの盆はぼんとも思はない、かうやが燒けても、もかりがぶつこけて、ぼん帷子《かたびら》を白できた」といふのである。これを聞かしたら「ぼん帷子を白できた。」といふのを繰り返しながら暫くは鋸の手を止めて居る。さうして自分を見た時にはいくらか寂しみを帶びた温かい微笑を含んで居つた。此所にもこんなのが有りますといつて「大澤行川《おほさなめが》の嫁子にならば花のお江戸で乞食する」といふのを低い聲でいつた。謠つたのではない。謠へば面白いのだが、お秋さんには迚《と》てもそんなことを爲《さ》せて見ようつて出來ないから駄目だ。それどころではない。少し聞き取れぬ所があつたので折り返して聞いたら赤い顏をして仕舞つたのである。これが谷の三日目である。

     三

 一日拔けて五日目になる。宿で麥酒《ビール》の明罎《あきびん》へ酒をこめて貰つた。八瀬尾《やせを》へ提げて行くのだ。爺さんの晩酌がいつも地酒のきついので我慢して居るのだと知つたからである。樟《くす》の造林から※[#「※」は「えんにょう+囘」、読みは「まわ(る)」、第4水準2-12-11、367-下段23]る積りで道を聞いて行つた杉の木深い澤を出拔けたら土橋へは出ないで河の岸へ降りて仕舞つた。變だと思つたが向うの岸に人の歩いたといふ樣な趾が見えたから水を渉《わた》つて行つて見た。芒や木苺が掩ひかぶさつた間に僅に身を窄《すぼ》めて登るだけの隙間がある。段々行くと木苺の刺《とげ》が引つ掛る。荊棘《いばら》はいよいよ深くてとても行かれる所でない。酒の罎も岩へ打つゝけたらそれ迄である。木苺を採つて食つた。黄色い玉のふわふわとして落ち相になつたのは非常に甘い。木苺といつても六尺もあるのだから手を延して折り曲げねばならぬ。ふと自分の近くの青芒の上に枝がかぶさつて眞黄な花のさいてゐるのに氣が着いた。皀莢《さいかち》のやうで更に小さい柔かな葉が繁つて花はふさふさと幾つも空を向いて立つてゐる。すぐさま枝に手を掛けると痛い刺が立つた。放さうとしても逆さに生えた刺なのですぐには放れぬ。漸くで二房三房とつた。豆の花と同じ形のが聚《あつま》つてゐるのである。少し隔つてから振り返つて見ると滴る樣な新緑の間にほつほつと黄色い房のあるのは際立つて鮮かであつた。あとで聞いたら雲實《じやけついばら》とも黄皀莢《さるかけいばら》ともいふ花であつた。
 岸が高いのに水が淺いといふのであるから兎にも角にも川をのぼつて行くことにした。樟《くす》の造林へは諦めをつけたのだ。季節は急に暑くなつて一兩日このかた單衣《ひとへ》に脱ぎ替へたのであるから水を行くのは猶更心持がよい。ころころといふ幽かな樣な聲がそこここに聞える。ぽしやぽしやと音を立てて行くと近い聲がはたと止つて何か知らぬが水へ飛び込むものがある。能く見ると底に吸ひついてゐる。そつと近づいて急に上から押へつけて攫《つかま》へた。蛙に似て痩せこけたるものだ。自分は必ず河鹿《かじか》であると悟つた。河鹿に極つてゐるのだ。圖解以外に河鹿を見るのは今が始めてで素《もと》より攫へて見たのもはじめてである。幽かなやうな鳴聲は河鹿の聲であつたのだ。自分は嬉しくて堪らなかつた。水の淺く且つ清いにも拘らず河鹿は底に吸ひつくと隱れた積りでじつとして動かぬ。自分は面白い儘に尚三匹ばかり採つた。さうして水際に生えてる蕗《ふき》の葉を採つてそつと包んで萱《かや》の葉で括《くく》つた。疎《まば》らな杉の木立の中に絲のやうな菜種のひよろひよろと背比べをして咲いて居る所へ出た。此處までは二三日前に來たことがあつたから八瀬尾の近いことも分つて安心をした。お秋さんは一人で醋酸石灰――之はどういふものかといふと炭竈の煙を横につないだ土管のなかを濳らせれば、煙は其間に冷却して燻り臭いひどくすつぱい液體になる。其すつぱいことといつたら顫《ふる》ひあがるやうだ。これが木醋といふので、これへ石灰を中和して仕上げたのが醋酸石灰で曹達《ソーダ》で仕上げたのが醋酸曹達となるのだ。説明はもう十分として置く――を造つて居た。酒の罎はお秋さんの手へ渡した。お秋さんはまあ濟みませんといひつつ丁寧に辭儀をしてすぐに炭竈の方へ行つた。河鹿は傍の水へ放した。鳴けばお秋さんが聞くのだ。毎日自分と一所にお秋さんの許へ落ち合つた島の人は此日はとうとう來なかつた。島といふのは佐渡のことで、佐渡の國から造林の見習に來て居る男で、佐渡には金北山といふ山がある筈なのにどうしたものかこんな山へ來てこれ程大きな峻《けは》しい山はまだ見たことが無いといつて驚いて居る男である。苗字《めうじ》が「けら」といふのだとかで蟲のやうな面白い人ですねとお秋さんがいつた男である。此男が來なかつたので何故だか心持がよかつた。
 お秋さんは自分が樟《くす》の造林へ行かれなかつたことを非常に氣の毒に思つたらしかつた。爺さんも爐の側へ來て居てお秋さんの弟に案内をさせようといふのである。爺さんは小屋へ來れば屹度《きつと》爐の側に坐る。暑くつても坐る。弟といふのは體が圖拔けて大きいのでまだ十五だといつても自分よりは目から上程も大きい。のつそりとして草履の下へ入れた小石をごりごりとこすつてゐて行くとも行かぬともいはぬ。恥かしいのだ。お秋さんが脇へ連れて行つて何かいつたらそれで行くといふことに成つた。草履の丈夫なのをと探して居る。かうして居る所へ汚い着物を着た十三四の男の子が山桑を摘んで網に入れたのを背負つて登つて來た。お秋さんの側に寢て居た白犬が其子の足もとへ突然噛みつく樣に見えた。男の子は泣き出し相になつて自分等の所へ駈けて來た。お秋さんは赤い顏をして微笑しながら白を叱つた。叱つたといつてもやつとのことでいつたまでだ。白は再びお秋さんの側へ寢た。男の子の手に持つて居るのを取つて見たら楢《なら》の柔かに延び出した小枝のさきに青い團子のやうなものが二つくつついて居るのである。楢の木にはよくあるのである。お秋さんはそれを見て「ふぐり見た樣ですね」といつた。自分は意外であつた。お秋さんは眞面目である。能く聞いて見たらふぐりといつたのは鳶《とんび》のふぐりといふことで螳螂《かまきり》の卵のことだ相である。

     四

 六日目は谷も畢《をは》りの日である。此日は極めてはやく行つた。自分は既に八瀬尾の谷を辭する積りであつたがお秋さんが自分の爲めに特に醋酸曹達を造つて見せるといふ事であつたから一日延すことにしたのである。お秋さんはもう仕事場に仕度をして居る。爺さんは爐の側であつたが何か冴えない顏である。聞いて見ると小さな變事が起つたのだ。それは琉璃の子が一匹殘りに居なくなつたといふ事なのである。夜明に蛇が來たに違ひない。昨日籠へ取らうと思つて居たのに少しの油斷でいまいましいことをしたと悄《しを》れる。親鳥は低い木の枝に止つてまだ騷ぎがやまない。怒を含んだ形であらうか、上へ反らした尾を左右へ動かして居る。鶺鴒《せきれい》までが小さな聲で鳴きまはつて居る。
 此日は忙しくないと見えて爺さんは爐の側に居て種々な雜談を仕掛ける。何時か琉璃の方は忘れて山口屋の風呂は世間に二つはあるまいといふ樣なことをいつて笑ふ。自分の宿のかみさんといふのは、大氣違で、犬に床まで敷いてやるといふ位な變な人間であるから風呂までが變つて居るといふ譯ではあるまいが兎に角變つて居るのである。表の障子は崖と相對して崖には洞穴《ほらあな》がある。風呂は其洞穴の中だ。宿の女に案内されて闇い所へ這入つた時は妙な心持であつた。着物を脱げといはれて見ると板の間がある。ぼんやりながら段々に物が見えて來るといふわけで、六疊間位に刳《く》り拔いてあるのが焚火の煤《すす》で餘計に闇くなつて居るのだ。誰でもはじめは妙な心持がするであらう。
 お秋さんの造つた曹達は純白雪の如き結晶である。これは食料の醋酸を造る原料である。下手がやると醤油のやうな色になることがある相だ。曹達を造つたら暇に成つたと見えて小屋へ來て腰を掛けた。手拭を外した所を見ると髮はぐるぐる卷で、今日は珊瑚《さんご》のやうな赤い玉の簪《かんざし》を一本※[#「※」は「插」の真ん中の棒が下へ突き抜けた字、読みは「さ(して)」、第4水準2-13-28、369-中段11]して居る。自分は考へた。お秋さんはまだ年が若いのであるに草履拵で毎日々々仕事に日を暮して居るのである。欲しいものがあつたとて此狹い谷底にばかり住んで居る身に何の役に立たう。手拭だけが身だしなみである。白い手拭は平生に於ける唯一の裝飾品である。仕事といふのが隨分骨が折れる。薪を採つてそれを眞木割《まきわり》で裂いて干して置く。石灰に塊があれば臼で搗《つ》いて置く。忙しい暇には炭俵を坂の中途の小屋まで背負ひあげる。醋酸石灰でも曹達でも特別の技倆があるので其製品は名人で賣り出されて居るのであるが、一日の給料といつたら僅に二十錢に過ぎない。それで老父を助けて忠實に勞働して居るのである。お秋さんは鼻筋の慥《たしか》な稀な女である。然し世間の若い女の心に滿足と思はるべきことは一つも備はつてない。かう思ふと何となく同情の念が思はず起るのである。
 自分が暇《いとま》を告げて出たらお秋さんは背負子《しよひこ》を負うて坂の中途まで行つて居た。坂を登らうとする時白は追ひ返されて降りて來た。自分は忽ちに追ひついた。さうしてお秋さんは何處まで行くのか知らんが、歩かれるだけ一所に歩く積りで成るべく靜に足を運んだ。お秋さんは「私と一所では暇がとれて迷惑でございませう」といつて頻りに急ぐ。身一つでも容易でないのに能くも足がつゞくものだと思つた。「此所へ鹿が立つて居たことがあります」と杉の木の下でいつた。そこには刺がびつしり生えて白い花のさいた極めて小さな木があつた。眞赤な枸杞《くこ》の實のやうなのがたつた一つ落ち殘つて居る。珍らしいから一枝折つたら「ありどほしの花でございます」とお秋さんが又いつた。坂を登り切つたら流石《さすが》に息苦し相に胡蝶花《しやが》の花の疎らな草の中へ荷を卸した。背負子を負ふために殊更小さな綿入のちやんちやんを引つ掛けたので體が何時もより小柄に見えた。手拭をとつたら顏が赤らんで生え際には汗がにじんで居た。うららかな日に幾らかの仕事をしてぽつとほてつて來た時は肌の色の美しさが増さるのである。白いものは殊更に白く見える。「あれこんな所に藤の花が」と樅の木を見てお秋さんがいつた。藤は散つたのもあつて房はもう延び切つてゐる。
 樟の大木が掩《おほ》ひかぶさつて落葉の散つてある所を出拔けると豁然《くわつぜん》として來る。兩方が溪谷で一條の林道は馬の背を行く樣なものだ。兩側には樅の木の板がならべて干してある。いくらかの臭みはあるが眞白な板は見るから爽かな感じである。足もとから谷へ連つて胡蝶花《しやが》の花がびつしりと咲いて居る。「あなた一寸待つて下さい」といはれて振り返ると「大層臭いやうですがアルコールは零《こぼ》れはしますまいか」といふのである。背中の甕《かめ》の中には木醋から採つたアルコールが入れてあつたので、體の搖れる度にいくらかづつ吹き出すのであつた。お秋さんは右の手を拔いて左の肩で背負子を支へて左の膝を曲げてそつと地上へ卸した。持つてゐて呉れといふので自分は背負子を支へてゐる。一寸引つ立てて見たら重いのに喫驚《びつくり》した。お秋さんは手頃の石を見付けて來て栓を叩き込んだ。
 小さな山々が限りもなくうねうねと連つて居る。格外の高低もない。峰から峰へ一つ一つ飛び越して見たいと思ふ程一帶に見える。渺茫《べうばう》たる海洋は夏霞が淡く棚曳いたといふ程ではないがいくらかどんよりとして唯一抹である。じつと見て居ると何處からか胡粉《ごふん》を落したといふ樣にぽちつと白いものが見え出した。漁舟である。二つも三つも見え出した。白帆はもとからそこにあつたのだ。尚じつと見つめて居るとぽちつと白いのが段々自分へ逼《せま》つて來るやうに思はれる。遠くはすべてがぼんやりである。谷の梢や胡蝶花の花や樅の眞白な板や近いものは近いだけ鮮かである。さうして最も近いものはお秋さんである。お秋さんは背負子を岩の上に乘せてくるりと背中を向けて背負つた。
 妙見越《めうけんごえ》を過ぎると頂上で、杉の大木が密生して居る。そこにも羊齒《しだ》や笹の疎らな間にほつほつと胡蝶花の花がさいて居る。一層しをらしく見える。清澄寺の山門まで來ると山稼ぎの女が樅板を負うたのや炭俵を負うたのが五六人で休んで居る。孰《いづ》れも恐ろしい相形《さうぎやう》である。山稼ぎの女はいくらあるか知れぬがお秋さん程のものは甞て似たものさへも見ないのである。彼等とならんだお秋さんは恰《あたか》も羊齒《しだ》の中の胡蝶花の花である。寺の見收めといふ積りで山門をのぞいて見たら石垣の上の一|畝《うね》の茶の木を白衣の所化《しよけ》が二人で摘んで居る所であつた。山門の前には茶店が相接して居る。自分は一足さきに出拔けて振り返つて見たらお秋さんは背負子を負うた儘婆さん達に取り卷かれて話をして居る。たまたま谷底から出て來ると互に珍らしいのだ。攫《つかま》へて放されないのだらうと思つた。お秋さんは人に好かれるといふのは極つて居ることなのだ。自分は規則正しく植ゑられた櫻の木の青葉の蔭に佇《たゝず》んで待つて見たがどういふものかお秋さんは遂に來ない。然し茶店まで戻つて見るといふこともしえなかつた。自分は急に油が拔けたやうな寂しい心持になつて宿へ歸つた。
 清澄山は自分にはすべてが滿足であつた。然しお秋さんと言葉を交して別れなかつたことはどうしても遺憾である。針へ通した絲のうらを結ばないやうな感じである。
(明治卅九年七月)[#地より1字上げ]



底本:「現代日本文学全集6 正岡子規 伊藤左千夫 長塚節集」筑摩書房
   1956(昭和31年)6月15日発行
底本の親本:「馬醉木」明治39年7月号
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2001年9月6日公開
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